月: 2017年5月

2017年05月 テーマ:一歩踏み出す子どもたちの物語

日付 2017年5月18日
参加者 アンヌ、コアラ、サンザシ、西山、ネズミ、マリンゴ、メリーさん、よも
ぎ、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ71個分)
テーマ 一歩踏み出す子どもたちの物語

読んだ本:

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タイムボックス

ネズミ:私は本当にファンタジーが苦手なので、最初に発言するのが申し訳ないです。時間を止めることがどういう結果をもたらすのかと、最初はおもしろく読みだしたのですが、途中でふたつの話の筋についていけなくなってしまい、最後はどうなってもいいという気分でした。シグルンは結局どうなったのでしょう。感想しか言えずごめんなさい。西山:ふしぎな話ではある。けど、読書感想文を書きやすいと思っちゃいましたよ。テーマがはっきりしている。最後にバタバタと終わるのは、うーんとも思いますが、ま、そういう話かと。スペイン映画『ブランカニエべス(白雪)』を思いだしました。これ、グリムの『白雪姫』を下敷きにしているのですが(白雪が七人の小人と闘牛士になる!)、とんでもなくブラックで残酷(描写がグロテスクというのではなく、展開が皮肉で救いがない)で、この寓話に通じるものを感じました。

マリンゴ:書店に買いに行ったら、児童書コーナーではなくて、一般書コーナーにありました。読んだ感想は……すばらしいと思いました! 自分では、もし同じストーリーを思いついたとしても、書けない物語です。近未来の架空の設定から、過去の架空の設定に飛ぶ――なぜそんな、いびつな構造なのだろう、と思っていると最後に理由が明かされます。架空の設定がふたつあるのに、読み分けしやすいと思いました。過去のほうの物語を寓話風に描いて、描写を少なめにしているため、近未来とうまく差別化ができています。こういう書き分けのできる筆力がすごい、と感じました。

ルパン:なんだかグロテスクな描写が多くて辟易しました。あちこちに教訓めいたというか、思わせぶりなところがたくさん出てくるんですけど、何が言いたいのかさっぱりわからないし。そもそも最愛の妻を亡くした悲しみを世界征服で癒そうとするところから、すでにダメでしょ。可愛い赤ちゃんが生まれたというのに置き去りにして戦争しに行っちゃって。こんなに長い話の結末が、「時間には勝てない」という、子どもでもわかるあたりまえの結論だなんて。正直、どこがいいのかさっぱりわからない作品でした。あ、でも、挿画はすごくいいと思います。

サンザシ:おもしろくは読んだんですが、謎の部分が残ったままになってしまいました。たとえば、なぜ子どもだけがタイムボックスの外に出られるのか? アノリは結局どういう経過を経て最後にまた登場するのか? そういうことは、わからずじまいです。作者は過去と近未来をつなげようとしているのでしょうが、両方ともあり得ない世界なので、今の子どもが自分と重ね合わせて読むことができるのでしょうか? タイムボックスのセールスマンは『モモ』の灰色の男みたいですが、この著者はそういう糸をいっぱいつなぎ合わせて物語を紡ぎ出しているのですね。原文はアイスランド語だそうですが、日本語版は英語版から訳されています。アイスランド語の翻訳者がいなかったということでしょうか。訳者は、著者が英語版にもちゃんと目を通しているからだいじょうぶだというようなことを書いておいでですが、重訳の問題は、書かれている内容に間違いがなければそれでいい、というものじゃないんですね。さっきの石牟礼さんの本じゃないけど、最初に書かれたものには言霊を感じさせるものがあったとしても、訳した段階でそれは減ってしまうので、本当はやっぱりオリジナル言語から訳したほうがいいのだと思います。それと、この作品はやっぱり長いですね。たとえばピーターとスカイラーのエピソードなどは、なくてもいいんじゃないかと思いました。

コアラ:読んだのは2回目でしたが、それでもよくわからなかったです。最初のページで「あの人、経済学者?」「そんなわけないでしょ。経済学者ならスーツを着ているはずよ」とあって、風刺だとは思うけれど、文章の端々にあるそういう表現のほうが気になって、ストーリーに入れませんでした。作者は口承文芸研究家ということで、後半に、口承文芸の昔話風の挿入話があって、「昔、あるところに王女がいました」で始まる話なんですが、そこはいわゆる昔話の型にのっとっていたので、そこだけは読みやすくておもしろかったです。あと、カバーの絵と本文中の挿し絵もかわいらしくてよかったです。

アンヌ:読むのがつらいファンタジーでした。この暗澹たる感じはフィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』(新潮社)から始まる「ライラの冒険」シリーズを読んだとき以来です。出てくる人々が少しも心を通わせない。最初の大前提で、王さまは戦争に動物を使ってはいけないと言われていたはずなのに、全然罰せられないで何十年も闘い続けられているのもおかしいと思いました。

サンザシ:いちばんすごい罰が下ってるんじゃないですか。

アンヌ:でも、その間におびただしい数の動物や人が死んでいきます。えせ魔術師たちの目的も能力も明らかにされないままです。エクセルがとても残酷に殺されていく意味も謎のまま。姫は空腹を感じるのに、なぜ人々が飢えないまま時間を超えられるのか、など説明されない設定が多すぎます。さらに、著者の「日本人読者へのメッセージ」と「訳者あとがき」が両方ともネットでしか読めないというのには驚きました。これは読者に対してあまりに不親切です。

メリーさん:皆さんの感想を聞きながら、いろいろな意見があるんだな…と。タイムトラベルものはいろいろありますが、時間を止める箱というのはおもしろいな、と思いました。しかも、自分の手で愛する人を傷つけてしまったけれど、タイムボックスのおかげで、とりあえずは死なせずにいられるという、その二律背反がユニーク。後半、グレイスの正体が明かされてびっくりしました。個人的には最後の場面「きっとまた会える!」というアノリの姫への手紙が一番好きです。
レジーナ 寓話のような作品なので、描写が残酷だとは思いませんでした。ジョン・ボインの『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹訳 岩波書店)や、ソーニャ・ハートネットの作品など、戦争や現代のテーマを寓話のように描いた作品はほかにもありますが、寓話には寓話にふさわしい長さがあるので、これは長すぎるのでは……。オブシディアナが父親を恋しく思っていることが描かれていますが、現代の寓話だとすると、こうした感情描写はいらない気もします。グレイスがビデオ映像を見せるのが不自然だったり、急にオブシディアナ姫をまつりあげるようになった理由がわからなかったり、ファンタジーのつくりとして気になりました。p124で、なぜ奇跡が起きたのか、あるいは実際には起きていないのかもしれませんが、なぜみんながそう思いこんでしまったのか、アーチンの意図はなんだったのか、よくわかりませんでした。p196でオブシディアナ姫は目覚めますが、なぜこのタイミングで箱から出すことにしたのでしょう?エーデルワイス(メール参加):アイスランドといえば、火山と温泉の国、トロルの国でもありますね。壮大なファンタジーといっていいと思いますが、著者が口承文芸の研究家で、自然保護活動家と知って納得しました。今に至るまでの歴史にみる人間の愚かさと希望、再生、永遠の愛がテーマですね。一気に読んでしまいましたが、お説教臭いのが残念でした。しじみ71個分(メール参加):読んでびっくりしました。これは本当に子ども向けのお話として書かれたのかなと何度も思いましたが、最後まで読んで、やっぱりそうなんだと思いました。昔話と現代の話がパラレルに進んでいきますが、両方とも怖かったです。自分では絶対に手に取らない類の本だったので、好き嫌いはさておき、いろんな意味でおもしろく読みました。昔話のほうは、小人の首がはねられるところはグリム童話みたいに残酷だし、お姫様は愛されるあまりか、おとなの様々な邪な思い出虐待され誤解され恐れられ憎まれてしまいます。楽しいお話とはいえない。表現は、白雪姫や眠り姫やシンデレラやかぐや姫まで、あらゆるお姫様物語の典型が要所要所に盛り込まれているように思え、そのためお父さんがベッドで子どもに読み聞かせる物語のような印象を受けました。現代のお話の方は、明らかな政治・経済批判だと思って読みました。経済不況を理由に、人々、特に国会議員がすべてを無責任に放り出してタイムボックスから出てこないとか、遠方に苔むす銀行ビルが象徴的に出てくるところも、明らかに銀行・国際金融資本、グローバル経済批判を基調にしていると受け止めました。そういったものが、タイムボックスに人々が逃避したせいで崩壊し、自然が凌駕していくさまは、怖いように思いました。
 余談ですが、アイスランドは、サブプライムローン問題、リーマンショックで経済破綻に陥り、IMFの管理下になるところでしたが、政府の決定に大統領が拒否権を発動し、国民投票も行って介入を否決、イギリス・オランダからの借金を踏み倒し、アイスランドクローナの価値は暴落したものの、そのおかげで観光が増え、経済が持ち直しました。国民が政治にノーを突きつけ、腐敗した既存の政治勢力を否認し、市民活動を基盤として政治参加をしたと聞いています。
 子どもたちがタイムボックスを開けるために奮闘するのは、拝金主義の愚かなおとなにならないように、傍観主義や無責任に陥らないように、いろんなことに関わり合って楽しんで生きろ、という作者のメッセージのようにも思います。時間や老いの中で生きることを選び、最後に愛を獲得した姫と少年は、時間泥棒や拝金主義の大きな流れに抗う市民の力の象徴のようです。子どもたちの成長というよりは、人類全体がタイムボックスから出てこい、というほうが、テーマとして際だっているように思います。
 これも余談ですが、「アイスランド無血革命:鍋とフライパン革命」という映画をご覧になってみてください。Youtubeでも見られます。とてもおもしろいです。民主主義をどうやって作るのかがわかりますし、政治への市民参加、市民活動に希望が持ててくる映画です。この作品はこの映画ととても印象が似ています。

(2017年5月の「子どもの本で言いたい放題」より)


水はみどろの宮

マリンゴ: 描写がとても美しくて魅力的です。自然の生き物、植物が緻密に描かれていて、自然に対する畏敬の念が伝わってきます。ただ、石牟礼さんの本に物申すのは畏れ多いところもあるけれど、登場人物の気持ちの描き方が少なくて、感情移入しづらい部分もありました。たとえば、107ページの「お葉はそれから三日も帰らなかった」の部分。爺さまがどれだけ心配し、再会したときどれだけ喜んだか、というあたりは描かず、さらっと流しているところが気になりました。一方、非常に素敵な表現も多くて、特に111ページの「片目じゃの、片耳じゃの、ものの言えない者じゃの、どこか、人とはちがう見かけのものに遭うたら、神さまの位をもった人じゃと思え」が、とてもよかったです。

西山:最近、うまいなと思う作品の多くが、読者にレールの上を走らせるのが巧みで、伏線の仕込み方や、引っ張り方はうまいんだけど、少々どうなんだろうと思うところがありまして。この作品は、そういうタイプとまったく違いました。ひたすら文章に惹かれて、そこにたゆたう心地よさで、世界を受け入れながら読みました。とにかく、言葉がおいしい! 「気位の美しかものども」(14ページ)の気配が言葉として満ちている感じ。111ページの「片目じゃの、片耳じゃの、……神様の位をもった人じゃと思え」などなど、九州の方言(私は親戚のいる博多弁で響かせながら読んでましたが)のやわらかさとも相まって、本当によかった。猫もよかった。「どうなるの?」という「読まされ疲れ」みたいなものが最近あるので。こういう作品を読めるキャパが育つということも、とても大切だと思います。この先もときどきひたりたくなる世界だなと思いました。

ネズミ:文章が濃い物語だと思いました。パソコンではなく、手書きで書かれた感じ、言葉のひとつひとつが作者の体から出てきているように思いました。こういった自然を実際に体験して、五感で書いている感じ。ただ、物語は起承転結が見えてこないので戸惑いました。爺さまと暮らすお葉がごんの守と出会って、そのあとどうかなるのかと思ったらそうでもなくて。それに「水はみどろの宮」と「花扇の祀」は、別々の話なのか、ひとつの物語なのかも、よくわかりませんでした。

コアラ:第一部(「水はみどろの宮」)と第二部(「花扇の祀」)は、単行本では続いていますね。

レジーナ:五感に訴えかける描写が多く、体で書いている作品ですね。長谷川摂子さんの『人形の旅立ち』(福音館書店)を思い出しました。石牟礼さんがテーマにしてきた水俣についての言及もありましたが、自然の中でつつましく生きるあり方が描かれていて、人は自然の中で生かされているのだと全編を通して伝わってきます。恐竜まで出てきたときは驚きましたが、人間が地球に暮らしているのは、途方もなく長い歴史のわずかな時間にすぎないのだということでしょうか。少女の視点で書いていたのが、第二部では猫の視点になり、時間も前後するので、読者を選ぶ本です。

メリーさん:石牟礼道子さんがこういう話を書いていたことは知りませんでした。とてもよかったです。この本を子どもにそのままどうぞ、というのはちょっとむずかしいかなと思いますが、何とかして読んでほしいなと思います。たとえば語り聞かせるのはどうでしょう? 方言を多用した歌のような文体がすごくいいし、オビのコピーに「音符のない楽譜」とあるように、やわらかなトーンが物語の世界に読者を誘う気がします。これというストーリーはないのだけれど、日常のすぐ隣にあるもうひとつの世界に、知らぬ間に入り込んでいく心地。それでも、お葉とごんの守の間には、明確な境界線があって。生活と幻想のあわいの部分が何ともいえずよかったです。

よもぎ:言葉の力を感じさせる作品でした。たしかに、お葉と千松爺の話は、ストーリーがはっきりしないから子どもたちには読みにくいかもしれないけれど、音読してもらったら、好きになる子もいるんじゃないかな。わたし自身も、子どものときにわけがわからないまま暗誦した詩や古文が、ときどき、ふっと蘇ってくることがあります。ぜひ、子どもたちに手渡して、日本語の美しさを味わってもらいたいと思いました。マリンゴさんがおっしゃった111ページのお爺の言葉、わたしもいいなあ!と思いました。この2行だけでも、読んだ子どもの心に残るといいなと……。後半の、猫のおノンの話は、物語もしっかりつながっていて読みやすく、胸を打たれる話でした。地の文だけではなく、会話がとてもおもしろい。猫も、狐も、恐竜も、それぞれキャラクターにあった言葉遣いをしていて、いばっていたり、かしこまったりしていても、どこか間が抜けているところなど、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を思いだしました。先月の読書会で話題になったオノマトペも、例えば子猫が「ふっくふっくと息をしている」とか瞳孔が「とろとろ、とろとろ糸のように細く閉じていく」とか、昔からある言葉なのに、ここにはこのオノマトペしかないと感じさせる使い方をしている。このごろよく見る「ぶんぶんと首を横に振った」とか、「ふるふるとうなずいた」というような表現より、ずっと新鮮でした。本当に、読めてよかったです。

アンヌ: 久々に、小説を読んだなと思いました。日本のどこかにあるかもしれない、あったかもしれない場所が、実に見事に作られていて、映画でも観ているかのように見入っているうちに、気が付いたらファンタジーの物語の中にいたという感じでした。読んでいて心地よく、すごくほっとしました。言葉でこの世や自然、自分の体の中に流れているものを見つけて書いていっているという感じがします。最初の何章かだけでも子どもたちが読んで、この不思議な世界を感じてほしいと思います。後半猫が主人公になり、鯰が口をきき始めてからは実に奔放な物語になっていき、それもとてもおもしろく読みました。著者も亡くなった飼い猫を再創造できて楽しかったんじゃないかと思いました。

コアラ:文学にひたった感じです。最初の一行で、文学の香りがどっとおしよせてきて「これは違うぞ」と思いました。「他とは違う」でもあり「今読む気分じゃない」でもあったのですが、気持ちを整えてから読むと、けっこうさらさらと読めました。方言が出てくる作品は読みにくいなと思うことが多かったのですが、これは読みやすかったです。お葉と千松爺の会話がとてもいいと思いました。お葉はよく「ふーん」と言うんですが、お葉の感じが出ていると思います。千松爺がお葉を大切にしていることも、いろいろなところから伝わってきました。「花扇の祀」のおノンと恐竜のところで、ちょっとついていけない感じがありましたが、これは、掲載していた雑誌が出なくなって、物語の筋から自由になってというか、自由に想像をめぐらせたのではと思いました。全体としてユーモアもあるし、比喩もいい。例えば57ページの「雨蛙の子が木にはりつくようにして」というのは本当に目に浮かぶようでおもしろいと思います。メリーさんがおっしゃっていたように、語りでもしないと、子どもにはとっかかりがないかもしれないけれど、ぜひ読んでほしいと思います。

サンザシ:私もたいへんおもしろかったです。自然と人間が共存していて、不思議なものや畏怖するものがたくさんあったころの、生きることの有りようを描き出していると思いました。この文体も、その内容と深くかかわっていますね。今は、どこもかしこも偽の明るさに彩られて、そういう不思議なものが消えてしまいました。最近の物語は、場面展開を早くしたり、人目をひくアイテムを出してきたりすれば読者を獲得できると思われているようですが、この作品にはそういうのとはまったく違う、言葉そのものの力があります。言霊がひびいているような物語だと思いました。その力を少しでも感じ取れる子どもなら、この作品に入っていけると思います。

「花扇の祀」のほうが、時間が行ったり来たりするので難しいかもしれません。冒頭におノンが恐竜たちと遊ぶ場面がありますが、著者が楽しんで書いたことはわかっても、何もここで恐竜を出して子どもにサービスしなくても、と思ってしまいました。

西山:p241に、「六十年ばかり前、海に毒を入れた者がおって、魚も猫も人間も、うんと死んだことがある」とあります。p114では地の文で、「いまではアロエというが」なんて書いてある。作品の時間なんておかまいなしに書いていらっしゃって、そういうこともおおらかに受け止めればいいのかなと。

サンザシ:時間があっちへ行ったりこっちへ行ったりするんですね。

よもぎ:九州の言葉の力強さを感じました。

西山:動物でひっぱれられて、結構子どもも読めるんじゃないかと思います。犬、狐、猫。たとえば14ページなど、山犬らんのしぐさが目に浮かびます。しぐさとか声とか、全編に生き物が目に浮かぶように出てくるので、子どもに難しいというわけではないのではないかと思います。音読したら、結構入り込むんじゃないかな。子どもが小さかったら、試してみたかったと思うくらいです。

エーデルワイス(メール参加):美しい文章でした。ただ、意図的なのでしょうが、内容の進行が散漫なのが残念でした。盛岡の図書館にあったのは平凡社版でした。福音館版とは挿絵が違うので、印象も違うかもしれません。

しじみ71個分(メール参加):言葉の力を存分に味わうことができました。あまりに言葉が美しすぎて、我知らず泣いていました。言葉が色鮮やかに、人、動物、虫、木、花、風、水、音を描き、頭の中に世界が浮かびました。方言もたくさんあり、読んで難しいのかなと一瞬思ったのですが、とんでもなく視覚的な物語で、あっという間に読み終わってしまいました。お葉が山犬のらんとともに白藤を見に行ったところで、白い蝶がひらひらと舞うに至っては、心がふるえて、もう涙がぽろぽろ出ました。非常に静かな表現なのに、とても強く、深く染みいります。ごんの守とお葉の歌の掛け合いのところなどは、まるで能か狂言のようで、どのように立って言葉を交わしているのかが、まざまざと目に浮かびました。猫のおノンと白い子猫の話も素晴らしかったです! 時空を超えて、すべての行きとし生けるものが自然の中で命を循環させるその切なさ、強さ、美しさを心底から理解できる作品だと思います。子どもたちにとっては、方言がとっつきにくいでしょうか? 子どもの感想を聞いてみたいです。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」より)


チポロ

コアラ:おもしろかったです。読みながら、矛盾に気がついたり、この伏線はこうなるのかなと思ったのにそうならなかったりして、あまり計算されていない物語なのかな、と思いました。でも終盤に一気に迫力が増して、チポロのせりふの「人間なめんなよ」と魔物ヤイレスーホの「魔物をなめるなよ」、このふたつは結構気に入りました。このあたりから、細かいところはどうでもいいと思えるおもしろさでした。チポロの母親がどうして死んだのかということについてずっと説明がなくて気になっていたのですが、最後のところでいろいろ説明がつけられていましたね。p252の「(人間に)なにか与えたいと願うならば、おまえの命と引き換えだ」というところから察しがつきました。そして、柳の木になって、柳の葉を人間の糧となる魚にしたというところで、そうだったのか、と。本の扉の絵も柳で、愛を感じる扉だなと思いました。ほかにもすごくいいなと思う場面はp250。相手を殺すのが嫌で「ほかに方法があるんじゃないか」と言ったり、「なぜ、死をもって償わせようとしないのだ」と問われてチポロとイレシュが(なんでだろう?)(なんでかな?)と顔を見合わせたり。戦いのさなかにあって「殺すのが嫌だ」と立ち止まって考えるのはすごくいいと思いました。ただ、伏線についていえば、p74。チポロがシカマ・カムイの家来になると決心して、そのあと右手がだめになったときのために利き腕でない左手で弓を射る練習する場面。このあときっとシカマ・カムイの家来になって、右手がだめになるというピンチが来るけれど、練習の成果で左手を使って切り抜ける、という展開になるだろう、と期待したのに、家来にもならなくて…。シカマ・カムイはなぜかp223でいきなり再登場してくるし、右手がダメになるピンチはチポロでなく、なぜかレプニにふりかかる。せっかく期待させたのだから、もう少しうまく展開してほしかったと残念でした。魂送りの矢についても、体を鍛えただけで射ることができるようになってしまって、もうちょっと何か特別なことを絡めてほしかったです。でも読後感はよかったです。ちなみに「チポロ」とはアイヌ語でイクラのことだそうです。

アンヌ:おもしろくて本当に読んでよかったと思える本でした。アイヌ文学で忘れられないのは知里幸恵編・訳『アイヌ神謡集 』(岩波文庫)ですが、あのふくろうの神様と同じように、物語は鶴が貧しい子どもであるチポロの矢に打たれるところから始まります。この自ら撃たれた鳥が神としてその家を富ませるという不思議な物語を、殺された鶴が神として儀式を求め、それからあの世に旅立っていくというふうに書いています。アイヌのアニミズムを、すべての生き物に宿る神様と人間との関係として実にうまく描いていると思いました。イレシュがさらわれ、手に触れるものが凍ってしまう魔法をかけられるというところは、アンデルセン著『雪の女王』を思い浮かべました。家族がアイヌの物語について調べたことがあって、巻末にあげている資料が家にあり、これを機会に山本多助著『カムイ・ユーカラ』(平凡社)なども読んでみました。ミソサザイの神様や怪鳥フリューのユーカラがあり、優しい姫神様の名前がイレシュだったりして、この物語をさらに奥深く楽しめました。この作品を読んだ後、私のようにアイヌの世界に興味を持って、独自のアニミズム的世界観を知ってほしいと思います。子どもたちが、世界の人々が様々な自然観を持っていることや、一神教の宗教だけが宗教のあり方ではないと知ることは重要だと思うからです。よもぎ:わたしも、『雪の女王』を思いだしながら、最後までおもしろく読みました。アイヌの神話が巧みに取りいれられていて、興味深かったです。子どものころ、知里幸恵さんの伝記と、神謡集のなかのお話を子ども向けに書いた物語を読んで、とても感動したのを思いだしました。ただ、どこまでが神話から採ったものか、どこが作者の創作なのか、あとがきかなにかでもう少し詳しく書いてくださるとよかったかな。読者も、もっと知りたい、読みたいと思うでしょうし。けっこう難しい単語を使っていますが、敬体で、易しい語り口で書いてあるので、けっこう年齢の低い子どもたちも、おもしろく読めるのではないかと思いました。ミソサザイの神が、かわいい!

メリーさん:下敷きになっている物語がいくつかあると思うのですが、読ませるなあと思いました。これは男の子が女の子を探しにいくので『雪の女王』の逆パターンですね。それにしても、この限られた分量の中で、紋切型ではない人間が書かれているのがすごい。どんな人にも善と悪、ふたつの面があることが描かれているので、物語に深みが出ていると感じました。自分を傷つけようとする相手にも思いをめぐらせて後悔するイレシュや、強さと弱さの両方を持つチポロ。どちらかというと、やさしいけれど強い、イレシュに感情移入して読みました。チポロはちょっとかっこよすぎるかな? ミソサザイの神様など、サブキャラクターたちはかわいくて好きです。

レジーナ:『天山の巫女ソニン』(講談社)の舞台は韓国風の異世界でしたが、今回はアイヌの伝説を下敷きにしていて、どちらもおもしろく読みました。チポロがかっこよすぎるという話が出ましたが、神話の主人公だと考えれば、それでいいのではないでしょうか。敬体で書かれているので、戦いの場面は少しまどろっこしく感じました。盛り上がっているときにテンポが落ちるようで……。p78「魔物の手からはにゅーっと黒い粘り気のある汁のようなものが伸びています」や、p248「わーっ!」はラノベっぽい表現で、p82「黒いコウモリのような魔物は地面に落ちると、砂が崩れるように散ってゆきます。そしてそれは何百何千という黒い虫になって、飛び去っていきました」も非常にわかりやすいのですが、漫画っぽい描写で、少し気になりました。ヤイレスーホはなぜ人間になりたかったのでしょう?

ネズミ:成長物語としておもしろく読みました。主人公が10歳で、小学校中学年くらいからが対象だと思うので、意識的に敬体で書いたのだろうと思います。こういうやわらかな語り口もいいなと私は思って、それほどひっかかりませんでした。弓がじょうずになっていくところ、おばあさんのありがたさ、自然を大事にすることなどがいいですね。ところどころに印象深い表現もありました。p262の「人間の『弱さ』を助長させる『甘さ』だとオキクルミは思いました」とか。ただ、戦いの場面で鳥が助けにくるところはやや唐突な感じがしたし、p211でイレシュが「出来心よ」というのは、12歳くらいの女の子としてはどうかと思いましたが。

西山:おもしろく読みました。でも、なんとなく、全体にちぐはぐした感じ。「ソニン」シリーズは、文体に感心したんです。上橋菜穂子的世界でもあるのだけれど、それがこんなに易しい文体で書かれているということに驚いた。結構あれこれ入り組んでいる世界なのに、ものすごくなめらかに伝わってくる「前巻のあらすじ」にとにかく驚いた印象を強く持っています。だから、この作者の敬体自体に私は、批判的どころか好感を持っているのですが、今回の敬体はアニメ的に感じてしまう瞬間がそこここにあった気がして、そういう感触はソニンにはなかった気がしています。「人間なめんな」とか、おもしろいんですけど、どうもでこぼこして感じる。読み直して比べたわけではなくて、印象の記憶だけで言ってます。アイヌの世界を下敷きにしたファンタジーとしては、たつみや章の『月神』シリーズを思い出しながら読んだのですが、あちらは神への祈りとか、ものすごく厳かで、ゆるがせにできない感じがあったのに、こちらでは、チポロが「空腹のあまり、〈魂送り〉の儀式を忘れてい」(p124)て注意されたりして、なんか、軽い。自分の中にエキゾチズムっぽいアイヌ文化ロマンみたいなのが前提としてあったから軽薄に思ったのか…。切なく放り出されたままの感じのヤイレスーホは、私は続編への伏線かしらと思っています。

マリンゴ:おもしろく、勢いよく一気に読みました。半年くらい前に読了して今回再読できなかったので、少し記憶が遠いのですが、会話がちょっと軽い気がしたことを覚えています。ラノベ感、と言いますか……。読んだのと同じ時期に、友人に『ゴールデンカムイ』(野田サトル作 集英社)という漫画を勧められ、これがとても重厚な描写で重いので、『チポロ』がちょっとライトな気はしました。テーマがテーマだけに、重厚感を期待する人もいるのではないかな、と。あと、終盤はこれでもかこれでもか、と戦いがあって、途中で、文章を読む速度に想像力が追いつかなくなりそうだったことを覚えています。

サンザシ:物語はおもしろかったんですけど、どの程度アイヌの伝承に基づいているのか、わかりませんでした。オキクルミやシカマ・カムイといった名前は聞いたことがありますが、伝承に基づいたキャラ作りをしているのでしょうか? 魔物との戦いは勇壮ですが、どれくらい伝承に基づいているのでしょうか? そのあたりを知りたいと思いました。引っかかったのは、チポロの言葉が妙に現代風で、神様に対してもタメ口だったりするところ。想像の世界から急にリアルな現代に引き戻されるような気がしたんですね。オキクルミの妹とイレシュのイメージがダブるように作られているのはおもしろいですね。

レジーナ:オーストラリアのパトリシア・ライトソンも、先住民の伝承に基づいた物語を書いたとき、批判されたのを思い出します。

アンヌ:でも、アイヌの人たちは、書いてもらって広く知られればうれしいと思うのでは? そういう声も聞いたことがあります。

サンザシ:ライトソンも先住民を抑圧する側の白人だったので、批判的な意見が出たんですね。だとすると、同じようにアイヌの人たちから言語や文化を奪った側の日本人としては、勝手に解釈したりねじ曲げたりするのは許されないということになります。菅野さんは勝手にねじ曲げてはいないと思いますが、そういう意味では、アイヌ文化とどう向き合ったかという後書きを書いてほしかったな。

ネズミ:さっき言い忘れましたが、ヤイレスーホを殺せばイレシュの呪いがとけるとわかっているのに、殺さない方法を探すというところは、大きなテーマを投げかけていると思いました。敵を殺せばいいというのではないのは。

ルパン:今回読んだ3冊のなかでは一番わかりやすくて、おもしろく読みました。ただ、「ですます調」が気になるんですよね。語尾は、敬体より常体のほうがスピード感があっていいのではないかと思いました。エーデルワイス(メール参加):アイヌの神話を題材にしたのが新鮮ですが、なんだか軽い。高橋克彦原作の「アテルイ」をNHKドラマで見たような印象でした。しじみ71個分(メール参加):アイヌの物語をなぜ菅野さんが書かれたのか、そこにまず興味を持ちました。自然とともに生きるアイヌの人々が自然や命への謙虚さや感謝を忘れ、神から見放されてしまった時代に、頼りなかった少年が魔物にさらわれた女の子を救い出すために強くなっていく、という筋書きは、素直におもしろく読めました。アイヌ文化のモチーフそのものにとても魅力があるので、それが物語をさらにおもしろくしているのだと思います。ところどころ台詞が現代風で、ふっと我に返ることもあったのですが、それ以外は楽しく読みました。少年が神の血を引くとわかると、なんだやっぱり普通の弱い子じゃないじゃん、と残念にも思ったのですが、旅をして、戦って、達成して、帰還するという成長物語はわかりやすくていいなと思いました。ヘビの化身の少年がちょっと哀れでしたが、敵役なので仕方ないのかもしれません。

(2017年5月の「子どもの本で言いたい放題」より)