月: 2017年9月

2017年09月 テーマ:ごまかされるのはいや! ほんとのことを探る子どもたち

日付 2017年9月22日
参加者 アンヌ、カピバラ、コアラ、さららん、西山、ネズミ、ハリネズミ、
ハル、マリンゴ、よもぎ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ
71個分)
テーマ ごまかされるのはいや! ほんとのことを探る子どもたち

読んだ本:

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バイバイ、わたしの9さい!

さららん:世界は不幸でいっぱいなのに、自分にはなにができるんだろう?と焦ったにときの感じを、思いだしました。大人が突然、バカみたいに見える時期が、よく描かれています。自分はまだ大統領になれないことに気づいた主人公が、大統領宛に加え、ジダン宛てに手紙を書いたところがおもしろい。十歳の誕生日にジダンから手紙が来て、友だちと会いにいくときの幸福感!全体を通して、少女のあたふたぶりが自分自身の子ども時代に近く(爪を噛む癖もふくめて)、共感をもって読めました。手紙をもらって、世界中の不幸が解決するわけじゃないけれど……一種の夢物語なんでしょう。

マリンゴ:幼いころの、すっかり忘れていた感情を思い出させてくれる作品でした。小学1年生のときに『マザー・テレサ』の伝記を読んで、こうしてはいられない! と衝撃を受けたのですが……あのときの気持ちは、今はどこへ(笑)。ただ、主人公がいろいろなことを考えていくのはいいんですけど、その結論として、権力をもつ3人の有名人に手紙を送って、そのうちの1人から返事をもらう、というのがこの本のなかでの“解決”になっていることについて、どうも、うーん、と首をかしげてしまいました。

ハリネズミ:英米の児童文学だと、ここでは終わらなくて、もう少しジダンとこんなことを話し合って希望が見えてきました、くらいのところまで書くと思うんですけど、書かないのがフランスの作品だなあと私は思いました。

マリンゴ:あと、ジダンから受け取った返事の内容が具体的に明らかになっていますが、これは、ジダンが自分で書いたもの……ではおそらくないと思うので、著者が書いて本人の許諾を得たものなのか、それとも信頼関係があって許諾なしでやっているのか、リアルとどういうふうにシンクロしているのかが興味あったので、あとがきで触れてほしかったです。

ハル:心が洗われました。ジダンが扉を開けたところで、じーんときました。この先が書いてないのは、「さぁ、あなたなら、ここからどうする?」という読者への問いかけのように思って読みました。ジダンが架空の有名人ではないところがいいんだと思います。自分たちでも何か動かせることがあるんじゃないか、と思えそうです。でもちょっと、これは実話なのかな? 実話だったら、その後なにか展開はあったのかな? と、気になりはしますよね。

ヨモギ:前半は、とてもおもしろかったです。9歳の子どもの心情が、生き生きと描けていて、なかなかセンスがいいなと思いました。なかでも、世界の飢えた子どもたちをなんとかしたいという主人公の話を聞いて、ママがパソコンで10ユーロ寄付しておしまいにする。そんなママの姿が悲しい……という下りなど、鋭いなと思いました。ところが、後半でがっかり。えっ、ジダンに手紙を出して対面できるところでおしまい? なんだかストーリーが途中でねじれて、妙なところに行き着いてしまったという感じがしました。これでは、パソコンで寄付しておしまいっていうママと同じじゃないかと。もっとも、フランスの子どもたちが読めば、感激するかもしれませんけれどね。アルジェリア系移民二世のジダンに対戦相手のイタリアの選手に人種差別的な発言をしたから頭突きをした事件があったのが2006年、この本が2007年に出ているので、とりわけ印象が強かったと思いますが、日本の子どもの読者にはまったく伝わらないのでは? まして訳書が出たのが2015年ですからね。日本で出版しようと思うなら、編集者も訳者も、もう少し日本の読者に配慮しなければいけなかったのではと思いました。

アンヌ:かなり以前に読んで、その時も今回も、最後をどう受けとればいいのか途方にくれました。悲惨な社会状況に気づいた時、この主人公は9歳だから、思春期のように妙に世にすねた感じの受けとめ方をしないで、まっすぐに単純に考えていく。主人公が一人でものごとを考えていく力をつけていくのを応援するように描いているところが、いかにもフランス的だと感じました。とまどったのは、歌手のコルネイユとかジタンとか現実にいる人間を引きいれているところです。コルネイユは日本では思ったよりヒットしなかったようなので知られていません。ルワンダの現実とかも含めて、この短い註だけではなく解説が欲しかったと思います。

コアラ:私はすごく好きで、読んでよかったと思いました。成長をいい形で書いていると思います。出だしで心をつかまれました。p7に「十さいって、「もう二度と、二度と、二度と」の年。きっとこれから、なにか深刻なことがはじまるんだ。」とあって、10歳をこんなふうに考えたことはありませんでしたが、そう書かれたら確かにそうだと思えて、すごく新鮮でした。『こんとんじいちゃんの裏庭』(村上しいこ作 小学館) のあとにこれを読んだのですが、「すべての問題を解決することは無理」とあきらめを語る大人にがっかりするようなところは『こんとんじいちゃんの裏庭』と同じですが、この話で大人は、考えることをやめろ、とは言わないので、そこが『こんとんじいちゃんの裏庭』と違うところだと思いました。日本の子どもが読んで、ジダンがどういう人かわからなくても、なんかすごいことなんだということはわかると思います。ささめやゆきさんの絵が、すごくよくて、この本の雰囲気に合っていると思いました。

ハリネズミ:私もささめやさんの絵がとてもいいなと思いました。世界の様々な出来事に胸を痛めて深刻に考えるこの年齢の子どもの気持ちがよくあらわれています。この子は大統領になって解決したいと思うわけですが、そういうとき首相になって解決したいと思う子どもが日本にどれくらいいるでしょうか? うらやましいと思いました。ただジダンに手紙を書いて、ジダンに会えて喜んでそれで終わり、というのは、私には物足りません。それから、最初に10歳になるとどんなことが起こるのか、という点が大きなテーマとして出てくるのですが、その糸は途中で消えてしまっている気がします。p7に、「(十さいは、)もう二度と、二度と、二度と自分の年を一文字で書けなくなる」とありますが、日本だとここにも出ているように漢数字で十と書けますよね。つづいて「もう二度と、二度と、二度と、両手で年を数えられなくなる」とありますが、ふつう指は十本あるので10までは数えられる。どういうことかわかりません。もう少し日本の子どものことを頭において訳してほしかったですね。

ルパン:読後感は悪くなかったのですが、あとでふりかえって、おもしろかったかというと、そうでもないなあ、というのが正直なところです。この子の頭のなかでいろいろなことが進んでいくのですが、大きなストーリー展開がなくて、さいご、ジダンとどんなことをして世界を変えていくのかが見えてきませんでした。

西山:ささめやさんの絵は好きだけど、ラストで、表紙のこれはジダンだったのか!と思った衝撃が強すぎて、感動とはいきませんでした。私は、手紙を出して満足しているとは思わなかった。ここからはじまるのだろうと自然に受けとめていました。(当日読書会では言いそびれましたが、p97で、お気にいりの絵本をシモンが「めちゃめちゃいいよね!」と話しかけてきて好きなページを言いあう場面、とてもよかった。そうやってつながったシモンとジダンのところへ出かけることに意味があるのだと思います。世界を動かすことは、そこから始まっている気がします。)ネットで募金するママの姿が飢えている男の子より悲しく思えたという場面(p40)にはドキッとさせられました。爪をかみ、「自分の先っちょを切ったのに、ちっともいたくないんだよ」(p28)とか、「ハッピー・バースディ」の歌を「バカ丸だし」だと思ったり(p90)、そういう感性おもしろかったです。p54で、どうして平気でいられるのか、どうして何もしないのかと問いつめられた母親が、「寄付もするし、選挙では、いちばんよい政治をしてくれそうな人たちに投票する。よくないと思うことがあれば、デモをするし……」というところ、何もしない大人を批判している部分なので、日本との民度の高さが違うことに愕然としました。このぐらいの分量で、中学年くらいから読めて、世の中のことを考えられる、いい作品だなと思います。

ネズミ:この本は、私の住んでいる区の図書館にも、隣の区の図書館にもありませんでした。ジダンじゃ日本の子にはわからないと、はじかれたのかなと邪推しちゃいました。終わり方が中途半端ですが、9歳の子がパパとママとニュースを見て、この社会がどうにかならないかと思い始めるというのはおもしろいなと思いました。「自分はどうしてここに生きているのだろう。死んだらどうなるんだろう」とか、私も10歳くらいのときに、ぐるぐるいつまでも考えました。個人の心情を描いている本は多いけれど、こういう社会への問題意識を扱った本は日本では少ないですね。ヨーロッパでは、アフリカや中近東のニュースもよく流れますね。

レジーナ:子どものとき、湾岸戦争やフランスの核実験のニュースにすごく衝撃をうけたので、そのときの気持ちを思いだしながら読みました。ささめやさんの絵はあたたかみがあっていいですね。でも、結末はちょっと唐突。あと、ジダンはもう引退していますが、こういうふうにスポーツ選手やスターが前面に出てくる作品は、あとになって古くならないでしょうか。

エーデルワイス(メール参加):読み終わって、フーッと心の中でため息をついていました。主人公タマラに「あなたはどうなの?」まっすぐの目で見つめられているようです。真摯に受け止めました。著者のヴァレリー・ゼナッティはユダヤ人としてフランスで生まれ、13歳で両親とイスラエルに移住。兵役につき、今はパリ在住。この経歴を見て、なるほどこのような本を書けるのだと思いました。実際、作者はジダンと交流があるのかもしれませんね。ささめやゆきさんの挿絵も効果的です。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)


こんとんじいちゃんの裏庭

コアラ:最初のコンビニの場面で、主人公の見方に全然共感できず、一人称で進んでいくので、物語にずっと共感できないまま、頭の中で批判しながら読んでしまいました。p4に、「急いでいたわけじゃない。別の通路を通ればいいけど、できなかった」とありますが、ただ「できなかった」でなく、もうちょっと何か表現してほしかったと思います。ここで何か表現されていれば、主人公に寄り添えたかもしれないと思いました。少し残念でした。最初の、暴力を振るった場面が宙ぶらりんのまま、加害者である主人公が被害者として行動すること、それと三津矢さんの加害と被害の話もあって、加害と被害は白黒はっきりつけられない部分がある、ということを描いているのかな、と思いました。裏庭に出てきたじいちゃんが何だったのか、明らかにされないまま終わってしまいましたが、何らかの決着をつけてほしかったと思います。実際に事故にあったときに、もし相手から恐喝まがいのことをされたら、こういう方法がありますよ、という知恵を授けてくれる話としてはいいと思いました。 

アンヌ:初めて読んだ時、あまりにも主人公やほかの登場人物の印象が悪い上に、この先もっとひどいことが起きるんだろうなという予感がして読み進めず、しばらく置いてから読みなおしました。読んでみると、不登校に動じない母の強さや、父親が昔は実はワルだったかもしれないという意外な話や、おじいちゃんと出会う裏庭の話、保険屋の北井の豹変ぶりとか、おもしろい要素がたくさん出てきてほっとしました。 

ヨモギ:私も冒頭の場面でぎょっとなって、主人公にいい感じを持てませんでしたが、作者はかなり考えたうえでこうしたんでしょうね。あとは、村上さんらしいテンポの良い文章で、一気に読めました。途中に入ってくるおじいちゃんとイチジクの場面が、快い緩衝材になっていると思います。ジューシーなイチジク、食べてみたい!坪田譲二の短編『ビワの実』を思いだしました。ただ、絵を描くことの魅力が、あまり書かれていないのが残念でした。闇を描くことについて、もう少し掘り下げて書いてあれば、もっと奥行きのある作品になったのでは? あと、保険会社のお兄さんの変わりっぷりが、ちょっと唐突なのでは? 

ハル:みんな、いろんなことを抱えて生きているのだし、いい面もあればわるい悪い面もあるというのはわかるのですが、登場する大人がみんなどこかちょっと変。「上手に生きていくには」とか「生きづらさ」ばかりで、いわゆる正論をいう大人が誰もいないので、私が中学生のときにこの本を読んだら、主人公にも共感できず、とまどってしまいそうです。世の中、良いか悪いかだけじゃない、というのは、その年齢だからこそ、学びたかったではありますが。 

マリンゴ: 非常に問題があって共感を呼びづらい男の子を主人公に据えて、しかも一人称で書いた著者の勇気に感動しました。なかなか書けないものだと思います。共感できないものの、次々と事件が起こり、それに対して主人公がどう反応するのかなと興味をひかれて、どんどん読み進めることができました。暴力、不登校、介護、そして大人の世界の不条理がてんこもりで、読みごたえありました。特にいいと思った文章がいくつかあります。p188「新しい関係、それを物語というんだ。物語のない人生なんてつまらん。」、p191「ここにいると、体臭も、口臭も、涙の臭いまでまったく同じになっちまう」、p244「いいとか悪いとかで判断するのはもうやめなきゃ。みんなそこを超えたところで、もがきながら懸命に生きている」といったところです。もっとも少しだけ違和感もあって、最後に近いところで、美術部の先生に「暗闇」について話すシーン。いくら人の死を経験して成長したといっても、ここまで素直なキャラに変わるかな? 私としては、主人公が暗闇の絵を描いてみせて、先生に「お! おまえの絵、なんか変わったな」と言わせるくらいの歩み寄り方が自然かなと思いました。あと、タイトルに、もう少し小説のなかのヒリヒリ感が出ると、内容がつかみやすいのかな、と。 

さららん:最初の「いらねえよ、こんなもん」で、いったいどんな乱暴な子なのかと、驚きました。強烈な言葉でした。でも読んでいくと、少しずつ心の中が見えてきて、いいところもいっぱいある子だとわかりました。とんがった言葉をときどき使う悠斗という少年の造型に、中学生や高校生の読者は自然に共感できるのか、聞いてみたいところです。「おりこう」な児童文学には出てこない言葉やモチーフが盛りこまれている部分が、逆にこの本の良さ! 大人の本音とか、だまそうとする部分とか、「善悪を決めようとするためにこの仕事をしているわけじゃない」と弁護士に言われることもあり、人間というものの複雑さを見せてくれる作品でした。おじいちゃんの存在は不思議なままです。混沌状態になったおじいちゃんの裏庭に、作家はどんな意味をこめられたのか、もうすこし考えみないと……。 

レジーナ:冒頭の暴力の場面で、この主人公に最後までついていけるか不安になりましたが、とても好きな作品でした。この年代って、なにかの拍子にキレちゃう子っていて、p213に「自分の心の在りかがわからない」とあるように、自分の心をもてあましていて、でも、世界の中に自分を落ちつかせようとしているというか、なんとか自分の立ち位置を見つけようともがいている時期ですよね。自意識も強くて、ひとりよがりの正義をふりかざして突っ走ることもあるし。p201で、空を見て永遠を感じたり、急にむなしくなったり、そういう振れ幅の大きさや感性の鋭さもよく描かれています。そして、そんな主人公のまわりには、三津矢さんのような大人がいて、失敗を許す社会のありかたが描かれているのもとてもいいと思いました。若いときって、「いい人か悪い人か」とか「正義か悪か」という枠組みでしか見られないけど、主人公もだんだん、謝らせれば解決するわけではないと気づきます。そして、保険屋の前で怒りをこらえたり、三津矢さんが父親を看取れるようになんとかしようとしたり、少しずつ成長していきます。成長することの尊さが描かれている作品だと思いました。認知症の描写も、p68「じいちゃんは、認知症になってから、物と一緒に、たくさんの言葉も失った」、p69「じいちゃんの頭の中で、いろんな言葉と映像が重なり合うことなく浮遊している」など、リアリティがありました。 

ネズミ:おもしろく読みました。最初の場面は衝撃的で、私も「え、蹴ってたの?」と二度見しましたが、前の日に美術部でいやなことがあって、むしゃくしゃして突発的に暴力をふるってしまったというのがわかって、なるほどと思いました。こういう中学生っていますよね。一見とんでもない不良みたいだけれど、中学生同士は「あの子あんなことしちゃって」って思いながら、結構その子を理解している気がします。この作品でいいなと思ったのは、たくさんの大人が描かれていることです。村上さんの『うたうとは小さないのちひろいあげ』(講談社)もそうでしたが、この子の父親、母親のいろんなところを描いています。警官もコンビニのおじさんもそう。両親や大人を批判的に見ながらも、一方で愛されたい、認められたいという気持ちもある、この年頃の子の心の揺れをすごくうまく描いているなと思いました。p14の最後の文「母親はぼくの怒りの理由に興味がない」とか、いい先生だと思ったら、劇場型の指導だったと思いこんで荒れるとか、p107の「ねえ、悠君の中には、いいやつと悪いやつの、二通りしかいないのかな」というせりふとか。混沌としていて、善悪の論理も何も超えちゃっているおじいちゃんが、この子を救うキーになるというのも、なるほどなと思いました。 

西山:非常におもしろく読みました。とても新鮮な感じがした。というのは、近年感じのいい子がでてくるYAが多くて、思春期の若者とおばさんが同じ本で心温めてていいのか、と思うこともあったので(作品を通して世代を超えて感動を共有できるのは素敵なことで、児童文学のよさだと思ってはいるのですが)、久しぶりにとんがった子がでてきて新鮮だった。好印象です。また、最近のYAは、部活とかお仕事もので詳細でリアルな情報自体がおもしろさになっている作品が多いと思いますが、事故処理や法律相談は読んだことない。これって、けっこう大事なとこだと思います。子どもに力を与える。本当のことを知りたいというまっすぐな正義感も王道の児童文学という感じで、好感をもちました。それでいて、きれいごとを出していないのが新鮮。公的なところに行ったときに全然受けつけてもらえない、子どもの無力さが書かれていたのもいいし。清水潔の『殺人犯はそこにいる』(新潮社)をたまたま直前に読んでいたので、調査してどんどんわかっていく展開のおもしろさが、ここにもあってちょっとうれしかったです。表紙とタイトルは、私が感じたおもしろさとはイメージが違うなと感じています。 

カピバラ:私がいちばんおもしろいと思ったのは、警察とか保険屋さんとか弁護士とか、中学生が普通なら関わりのない場所にふみこんで調べていくところです。学校、家庭、部活以外の社会を垣間見るのが新しいと思いました。そして事件の真相が少しずつわかっていきます。冒頭の場面は、えっと思ったけど、いい子が主人公の話はおもしろくないですからね。ほほう、そうきたか、と思いました。でも、どうしてこの子はこんなことをしたのか、読んでいくうちにわからないといけないといけないと思うんですが、あまり納得いく説明がなかったと思います。おじいちゃんとのふれあいとか、いいところもあるけど、最後まで腑に落ちなかった。悩みを抱えた主人公が出てくる話って、かならずどこかにいい大人が出てきて助けになったりするんですが、この作品に出てくる大人たちって、両親も含めてどこか嫌な感じだと思いませんか? 三津矢さんにもはリアリティがないですよ。 

ルパン:おもしろく読みました。この本を読んだあと、人を「いい人」と「悪い人」に分けないようにしよう、と思いました。ただ、主人公には最後まで共感できない部分がありました。特に、p192「あなたはもう、死んじゃう人なんだから」と、面と向かって言うのはひどすぎると思いました。こういうせりふを子供が読むことを思うと……。事故については、はっきりと証明できないままで終わり、これが現実ということで、リアリティがあるのかもしれないけど、読後感はすっきりしないものがありました。

ハリネズミ:とてもおもしろかった。主人公のこの年齢の少年が成長していく姿をとてもリアルに描いていると思いました。最初は何事も一面的にしか見ていないのだけれど、人間存在というのは多面的なものだということを段々に理解していく。この年齢の子は嫌なら嫌と思う気持ちも強いし、悠斗も、 三津矢さんや担任のムトユラや、奥谷さんや北井さん、そして自分の両親のことも最初は嫌悪の対象でしかない。でも、様々な側面を見ることによって他者のことも自分のことも客観的に見られるようになっていく。最初の暴力シーンはショッキングですが、あまりにも一面的にしか見ずに自分の気持ちに振り回されてしまう少年の状態をあらわしているのだと思いました。この年齢の子どもは、同調圧力に負けてしまう場合が多いと思うけど、この子はそういうことがないのも、ユニークです。子どもが事件解決に乗り出していく冒険を、ファンタジーではなく飽くまでもリアルに描いているのもおもしろい。わからなかったのは、裏庭のおじいちゃんの存在。最初は悠斗が幻影を見ているのかと思ったのですが、父親が若かったときは同じように暴力的だったという事実を初めて知らされたりもする。かといってファンタジーでもないので、そこをどうとらえればいいのか、よくわかりませんでした。

よもぎ:外国の作品には、裁判所などもけっこう出てきたりしますよね。

ハリネズミ:外国のものだと日本の子どもにはいまひとつリアルにとらえきれないところがあると思うのですが、この作品は現代の日本だし、保険会社、警察、病院、弁護士など、日本の今の社会制度がとてもリアルに出てくる。相当調べて書いたのでしょうね。

しじみ71個分(メール参加):とても共感して読みました。主人公の中学生がコンビニの店員を蹴飛ばすという衝撃的な始まりで、まず少年の持つ毒というか闇に魅かれました。店長にとがめられて、決して悪びれもせず、大人のようなずるい言葉がするする出てくることの違和感のなさを、絆創膏のなじみ方に例えた表現はとても好きです。一方、コンビニの一件から警察が自宅に訪ねてきた間に、認知症のおじいさんが家を出てしまって交通事故に遭う。意識不明に陥ったにもかかわらず、轢いた側から損害賠償請求されるという理不尽な出来事から、大人の嘘やずるさを、子どもであることに傷つきながら、正義感に駆られて追究していくという、少年のアンビバレントな心持ちが描かれていて、思春期の頃の自分を思い出し、「あるある」と思いながら読みました。美術部のトラブルから不登校を始め、友だちや担任の行動の裏を読んで疑ったり、自分の子どもらしい素直さを恥ずかしがったりと、揺れ動く心のさまには多くの思春期にいる当事者の子どもたちにも共感できるところがたくさんあるのではないでしょうか。彼を支えるのが、おじいさんと一緒に庭を手入れしてイチジクを育てた経験だったり、友だちのストレートな友情だったり、というのもとても愛おしいです。少年の思うようには問題は解決もしないし、おじいさんも回復しないですが、きちんとした少年の成長物語だなぁと感銘を受けながら読了しました。

エーデルワイス(メール参加):老人性認知症と、交通事故処理が児童文学で直球で取り上げられたのは極めて珍しいのではと、注目しました。私も認知症の母を抱えていますし、父も数年前に運転中に交通事故を起こし(その後説得して運転免許証を返還)、長女の私が処理をしました。身につまされます。主人公の尾崎悠斗が「僕はどうしたら優しくなれるのか?」と、これまた直球! 村上しいこさんの文は説得力があり読みやすいです。イチジクの生える裏庭に、じいちゃんがときどき姿を現す。好きなシーンです。イチジクはヨーロッパ、中東などの昔話にも登場しますが、特別なくだものだと感じています。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)


ジェリーフィッシュ・ノート

さららん:親友を失った少女が主人公。どうしてあの子は死んだのだろう?という問いかけに隠された罪悪感が、あの子が死んだわけを知っているのは私だけ、という思い込みにすり変わっていきます。クラゲの存在を通して、少女時代のひりひりする思い出と喪失を描いたユニークな作品です。ゴシックと明朝で、現在と過去(回想)を分け、細かい章立てをして読者に読みやすくしていますね。論文を書くときの構成を借りた点が凝っています。科学的な知識とストーリー(友人の死と、取返しのつかない過ちをどう受けとめるか)が絡まりあいながら進むところがこの本のおもしろさなのですが、私の力不足か、読みとれない部分が残りました。友だちの死を受けいれようともがく主人公の苦しさはよくわかったのですが、行動のすべてには共感できませんでした。

レジーナ:全米図書賞にノミネートされたときから気になっていた作品です。主人公はこうと思ったら、それしか見えなくなるので、おしっこを凍らせてクラスメートのロッカーに入れる場面などは、その気持ちについていけないところもありました。文章は読みやすかったんですけど。あと、p92「時間と空間は同じものだということを知っている。時間のすべての瞬間は同時に存在する」など、ところどころわからない箇所がありました。こうした部分が理解できたらもっとおもしろいんでしょうね。 

ネズミ:まず構成が凝っているなと思いました。論文の書き方を頭に持ってきて章がはじまり、書体が変わっていたり。アメリカのYAのこういうところは感心する反面、ここまでしなきゃいけないかと思う部分もありますが。ストーリーは、友だちを失ったという事実をこの子なりにどう受けいれていくかがメインですね。自分なりに理屈をくりだして、試行錯誤するようすをおもしろく読みました。でも、日本の中1の子とくらべると考えていることが大人っぽく感じて、日本の中1の子が読めるのかなとは思いました。あと、おもしろかったのは家族のようす。ただ両親と兄弟がいてというのではなく、お兄さんにゲイのボーイフレンドがいることがさらっと出てきたり、土曜日だけ父親に会いにいったり、さまざまな感じ方、暮らし方、価値観があるのを見せてくれる本だなと思いました。 

西山:出だしから、最初は観念性についていけませんでした。p4の「三十億」をどんな数字か考えようとして、「三十億時間さかのぼる」という置き換えから置いてけぼりを食った感じです。すごい時間だ、とポーっとするでもなく、ピンときませんでした。いかにもきれいな表紙の感じと、奇妙に観念的な思春期と、先ほどから話題になっているおしっこの復讐場面が、うまく、統一したイメージとならなかった。感覚としては既視感があるけれど、研究レポートの仕立てとか、部分部分にハッとさせられ新鮮さも感じつつ、読み始めたら加速してあとは一息に読んだんですが……どうも心に定着しない感じです。

カピバラ:私はとてもおもしろかった。心に傷を負った子どもを描く作品は多いので、共感してもらうためにどう表現するか、作者は工夫をする必要がありますよね。そうでないと皆同じような雰囲気になってしまいます。その点、この作品には新しい工夫が感じられ、意欲作として評価できると思いました。リアルタイムの生活を描いているところ、亡くなった親友との幼いころからの思い出を書いているところ、クラゲについてなどを自分で調べていくところ、と三つの局面から構成され、1章1章が短いのでテンポよくどんどん進んでいきます。つらくて読めない部分は飛ばしたり、逆にじっくり読んだり、いろんな読み方ができるし、読後感がいいですね。

ハリネズミ:私もおもしろく読みました。時間を前後させる書き方ですが、書体が変えてあるのでわかりやすいですね。ゲイのお兄さんのアーロンが、家族にすんなりと受け入れられているという設定もいいですね。p54の理科の教え方なんかも、楽しくていいな、と思いました。ただ、主人公のスージーは12歳なので、無謀なこともするとは思いますが、シーモア博士に手紙を書きもせずに、家族のお金を盗んでひとりで会いにいこうとします。計画のほかの部分は綿密に計算されているので、そこはなんだかちぐはぐな感じがしました。自分のおしっこを凍らせてフラニーのロッカーに入れておくという部分は、それほど切羽詰まっていたのかと思う反面、強烈なイメージが残るのでストーリーから浮き上がっている感じもしました。イルカンジクラゲのことがずっと出てくるので、最後は、そのせいでフラニーが死んだということが証明されるのかと思っていましたが、肩すかしでした。p56に「大事なことは話し、それ以外は話さない」とありますが、すぐその4行後には「わたしはもう決めたの、話はしないってね。その夜だけじゃなく、たぶんもう二度と」とあって、実際スージーは一切話さなくなる。「大事なことは話す」んじゃなかったの?と不思議でした。ところどころで女性の会話の語尾に「わ」がついていますが、今「わ」をつけて話す人はいないのでは? 

コアラ:小学校高学年から中学生にかけての、女の子同士の関係が変わっていく話で、仲良しグループの付き合いとか裏切られた思いとか、ヒリヒリするような感じがよく表れていると思います。主人公スージーの、フラニーに対する執着は度を越していて、恋愛感情に近いと思いました。フラニーがクラゲに刺されて死んだということを証明してもらうために、クラゲの研究者に会いにオーストラリアに飛行機で飛んでいく計画を立てて、家族には別れの挨拶をするという展開は、支離滅裂だと思いましたが、もしスージーが同性愛の傾向を持っていて、それに苦しんでいる状態だったとしたら、理解できるようにも思いました。もちろんこの話は、フラニーの死が受けいれられなくてもがいているものだと思うので、最後の方でスージーが飛行機に乗なくなったとき、「フラニーはもう帰ってこない」「二人の友情は、あのときああいうふうに終わったままだ」とあって、主人公もフラニーの死を受けいれられたんだな、ということがわかって、ほっとしました。クラゲのことについては、あまり驚きもなく読んでしまいましたが、クラゲという透明感のある生き物のおかげで、陰湿ないじめが描かれていても、少し幻想的な、透明感のある物語になっていると思います。学術書っぽい本のつくりや、過去のストーリーが現在のストーリーに挟まっていて、過去のできごとがだんだんわかってくるという形式はおもしろいと思いました。 

アンヌ:クラゲのこととか、論文のような構造とかおもしろい仕組みのある物語なのですが、最初の、親友の溺死と海というイメージが強すぎて、私はなかなか物語の中に入りこめませんでした。後半のタートン先生とのやりとりとか、ジャスティンとの友情とか、父親が恐竜のことを言いだすあたりとか、好きな場面はあるのですが、おしっこ事件のところが強烈すぎて、飛んでしまいました。また、主人公の言葉がきれいで知性を感じるのに、オーストラリアに行こうとして挫折するあたりの子どもっぽさとかに、複雑な年ごろを描いているなと感じました。 

ハル:私はとてもおもしろかったです。クラゲや原子の世界の神秘的な話と、スージーの現在と、最悪の別れを迎えるなんて知らなかった、平和なころの回想と、交互に入る展開にも引きこまれました。こういった友達とのすれちがいに、実際に悩む子も多いのではないかと思うので、スージーはどういう答えを見つけるんだろうと、とても興味深かったです。欲を言えば、「おしっこ」のインパクトが強いのが残念でした。ちょっと共感のハードルが上がってしまったかなぁという感じがします。また、ラストではジャスティンだけでなく、サラという新しい友だちもできそうで、ここでも胸が熱くなりましたが、読後しばらくしてからふと、サラの顔がきれいだという描写は必要なのか?と、ちょっとひっかかりました。これからおしゃれや恋も、サラと一緒に覚えて成長していけそうだ、ということなんでしょうか。 

マリンゴ: 冒頭の部分で、二人称の小説かと思い、読みづらそうだと警戒してしまいました。そうではなくて助かりました。100ページを超えるあたりから惹きこまれて、最後までおもしろく読みました。主人公の危うさがよく描かれていると思います。おしっこを凍らせるところとか。小さなエピソードだと思っていたナイアドさんが、クライマックスをもりあげる要素として再登場したのが興味深かったです。あと、あとがきに、クラゲのノンフィクションを書くつもりがボツになって、この作品に生かしたという裏話があって、とても興味深かったです。 

ルパン: 友だちとけんかしたまま死なれたら、十代の少女はどれほどつらいだろうかと考えさせられました。死因がわかってもフラニーが帰ってくるわけではないことに気づいたスージーは、きっとフラニーが死ななくてももう帰ってこない、ということを、心のどこかで知っていたのかもしれません。一番好きな場面は、スージーがフラニーのママに電話するところと、サラ・ジョンストンと仲よくなるところです。 西山:おしっこの件は、もしオーブリーみたいになったら「秘密のメッセージ」を送って、と言ってた(p69)、そのメッセージなんですよね。いや、これではわからないだろう、と思いますが、それはそれとして、絶対なりたくないと思ってた女の子に向かって思春期の階段を上っていってしまうフラニーと、取り残されたスージーのとまどいと悲しみ、怒りは印象的です。そういう意味で、スージーは「普通」の成長から外れているといえるのかもしれない。その生きづらさは相当なものだと思います。 

アンヌ:おしっこの事件についても学校側は特に追及していないのが不思議でした。 

西山:フラニーはみんなが知っている、クラスの子なのに、新学期に先生が特に触れないのが、私には解せない感じがありました。別の学校だっけと、読み返したぐらいです。(読書会の席では言いそびれましたが、こういう風に同じ学校の生徒の死について触れないのは、悪しき日本的やりすごしだと思っていました。「日本的」とは言えないのでしょう。) 

ハリネズミ:アメリカの学校では、個人的なことを話したりしないんでしょうか?

アンヌ:ちょうど『ワンダー』の続編にあたる『もうひとつのワンダー』(R・J・パラシオ/著 ほるぷ出版)を読んだあとだったので、学校のかかわり方の違いを感じました。あの作品では、学校がいろいろな場面でかかわっていますよね。公立校と私立校の違いなのでしょうか。

しじみ71個分(メール参加):素晴らしい成長物語だなと思いました。アスペルガー症候群を思わせるところもあり、感情の表現やコミュニケーションが不得手で繊細で、精神的には幼さを残しながら、同時に高度な知性にあふれた少女が描かれており、最初は遠いところにいるように感じられる主人公にいつの間にか寄り添って読み終えられるという作品でした。彼女の行動は大人には理解しがたいところもたくさんあって、痛々しく切ないのですが、親友だった少女の死を受け入れて乗り越えるために、クラゲの生態調査に没頭し、最後には外国のクラゲの専門家に会いに行く冒険を企てて失敗します。その落ちはなんとなく予想できるけれども、冒険の失敗が判明したときには共に落胆している自分がいました。そして、失敗したときに、家族のあふれるような愛に改めて気づかされる場面では、心がじわりと温かくなりました。理科の授業を通して、孤立していた教室で新しい友達を見つけられますが、その友達がADHDだったり、お兄さんの恋人が同性の青年だったり、背景にインクルーシブな社会への志向が見える点も好きです。現在の物語と並行して、亡くなった親友との出会いから最悪の別れまでが描かれ、その別れの方法は読む側の想像を超えて盛り上がりを迎え、とても成功していると思いました。何よりクラゲの知識が一杯詰まっているのはとてもおもしろかったです。クラゲにも興味がわくし、クラゲの絵も素敵でした。

エーデルワイス(メール参加):理系女子に憧れます。私自身感覚的、情緒的なので、こんなふうに理論的に考えられたらと思います。小学生、中学生の話すことをありのままに黙って聴くことにしていますが、スージー・スワンソンのように、感じることを克明に語ることができたら(心の声ですが)いいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)