『魔導師の娘』表紙
『魔導師の娘』
ミシェル・ペイヴァー/著 さくまゆみこ/訳 ジェフ・テイラー/挿絵 酒井駒子/装画
評論社
2023.08

イギリスのファンタジー。「クロニクル千古の闇」シリーズは完結したかと思っていたら、10年以上たって続巻が出ました。この7巻目では、表紙の絵は酒井駒子さんですが、中のイラストは原書の絵をそのまま使っています。また6巻目までとは体裁も少し変わりました。

今から6000年くらい前の、まだすべてを人の手で作り出さなければ暮らしていけなかった時代。ひとりでこっそり出ていったレンを追ってトラクは極北へと向かいます。いつの間にか、先を行くレンのそばにはナイギンいう若者が。レンはなぜ出ていったのか? ナイギンとは何者なのか? 愛するレンとトラクを引き裂いたのは誰なのか? 謎が次から次へと生まれ、それがどう解きほぐされていくのか、ハラハラします。ウルフの活躍にも胸がおどります。

舞台となる地に著者が足を運び、綿密に文献も調査して書いているので、大自然の描写や、その中で生き延びていく当時の人々の暮らしや考え方など、物語世界がリアルで入り込めます。(冬に読むと寒くなりますので、ストーブのそばか、こたつに入って読むことをお勧めします)

(編集:岡本稚歩美さん 装丁:水野哲也さん)

 

 

〈訳者あとがき〉

「クロニクル千古の闇」シリーズは、『オオカミ族の少年』『生霊わたり』『魂食らい』『追放されしもの』『復讐の誓い』『決戦のとき』の6巻が出て、これで終わりだと思っていたのですが、なんと6巻目の原書が出てから10年以上たって、この7巻目の原書が出ました。イギリスでは、8巻目と9巻目も出ています。この7巻目では、トラクとレンが連れ合いとして暮らしているのも、うれしい変化です。

物語の舞台は、今から6000年前の石器時代。私たち現代に生きる人間は、手をかけずにすむ便利なものや、効率のよいもの、安くかんたんにできるものを追求してきたあげくに、気候変動によって引き起こされる災害におろおろし、たまる一方の核廃棄物やプラスチックごみを処理できずに悩んでいます。

便利なものは何も持たず、使うものはすべて時間をかけて自分の手でつくり、とらえた獲物はとことん利用してゴミを出さないトラクたちの暮らし方は、私たちの今の暮らしとは対極にあるように思います。

また現代の私たちは、長年かけて育ってきた樹木や森を平気で切りたおし、海や空気をよごし、人間以外の生物をどんどん絶滅させてきてしまいました。今は、そんな暮らし方はおかしいと気づいて、なんとかしようと考える人たちもふえています。そんなとき、自然や、生きとし生ける者を敬い、時にはおそれ、ともに生きているトラクたちの暮らしからは、いっぱいヒントをもらえるようにも思います。

とはいえ、ペイヴァーさんは、子どもたちにそういうことを教えようとして本を書いているのではなく、自分が子どものときに読みたかったものを書いているだけだと語っています。

ペイヴァーさんは、1960年にアフリカのニヤサランド(今のマラウィ)で生まれ、イギリスで育った作家で、歴史をふまえたファンタジーを主に書いています。「クロニクル千古の闇」シリーズの『決戦のとき』では、イギリスで最もすぐれた児童文学作品にあたえられるガーディアン賞を受賞しました。

彼女は、おもしろくてドキドキする物語をつくるのがじょうずなだけではありません。著者あとがきからもわかるように、舞台になる土地のこと、そこで生きる人の暮らし方や歴史、使っていた道具、動植物のこと、気候のことなどを綿密に調べたあげくに、それを取り入れて物語を書いているのです。文化人類学や考古学の本もたくさん読んでいて、そんな知識も使って、6000年前の人々がリアルに浮かび上がるような作品に仕上げているのです。現代に生きるイヌイット、北米先住民、アイヌ、ラップランドのサーミ、アフリカのサンやイボの人たちの暮らしぶりからもヒントを得ているといいます。そこは、単に頭の中で想像をふくらませてお話を書いている作家とはちがう、見事なところだと思います。

私も、いろいろなものを調べてまちがいのないように訳したつもりですが、もしおかしなところがあれば、教えていただきたいと思っています。

またペイヴァーさんは、メールやインターネットを使っていません。読者の質問に答えて、「たとえば火山のことを知りたいと思ったら、ネットで情報を得るのではなく、実際に火山のある場所にでかけていって、それがどんなものかを身をもって体験します。その実体験があるからこそ、書いたものも読者にリアルに伝わるのではないかと思っています」と語っていました。

このシリーズの魅力の一つは、オオカミのウルフの視点で書かれた部分があることです。ウルフは、人間のことを〈尻尾なし〉、トラクのことを〈背高尻尾なし〉、火や炎のことを〈熱い舌で刺すまぶしい獣〉、川のことを〈速い水〉などと独特の表現をしています。そうした部分は、ウルフになって読んでみていただけると幸いです。

このシリーズ名の「千古の闇」(原文ではAncient Darkness)にもあるように、物語の中には恐ろしいことや困難といった闇も登場しますが、それについてペイヴァーさんは、「星を見るには夜空の闇も必要なのです」と語っています。時間とともに物語が先へと進んでも、シリーズの冒頭で結ばれたトラクとウルフの絆は変わらずに存在し、それが困難を乗り越えていくときの読者の力にもなってくれているのだと思います。小さいころから、古代世界をオオカミと駆け回りたいという夢をもっていたというペイヴァーさんの物語、まだ続きますので、どうぞ楽しみにしていてください。

 さくまゆみこ

 

***

〈紹介記事〉

「子どもの本棚」2024年06月号

Comment