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『紙の心』表紙

紙の心

ハル:顔を合わせない相手と、文字だけのやりとりでどんどん盛り上がっていって、口では言えないようなことも、文字でなら言葉にできて……そういう初々しさというか、瑞々しさというのは、わかるなーと思いながらも、ちょっともう見てらんないような気持ちにもなり、序盤で「えー、まだこんなにページ残ってるのに、どうするの?」と思ったのが正直なところです。もう少し早めに物語が動きだしてほしかったです。だけど、「訳者あとがき」の情報によると、イタリアの中学生の支持を集めているということなので、同年代の子たちにしたら、飽きるなんてこともないのかなぁ。そして、ここまで我慢して読んだんだから、これはきっと、とんでもないホラーが待っているのだと期待しすぎてしまったのもあって、結末にも驚きを感じませんでした。主人公以外の子どもたちは、どうなったんでしょうね。

シア:非常におもしろかったです。表紙に原題を大きく入れていておしゃれだと思いました。絵もさわやかな感じで良かったです。内容はさわやかではありませんでしたが。もっと近未来の話だと思っていたのに現代なので驚きましたし、ありえそうな話なので余計に考えさせられました。海外ではロボトミーを元にした話は結構多いので、わりとトラウマなのかなと思いました。半分以降からは一気に読みましたが、もどかしい恋愛ものは苦手なので、序盤はかなりイライラしながら読みました。ユーナがダンに会おうと言い出したので、これはページをめくったら急展開して、やっと研究所の謎についての話になるんだなと思ったのに、やっぱり会えないなんて尻込みするユーナがめんどくさすぎです。チラ見せは上手いのですが焦らされるので、惚気はいいから早く研究所の謎を! と別の意味でハラハラしてしまいました。「ウイルスのせいで全人類が滅亡して、ぼくたちだけが生き残った、そんな映画の一部みたいだ」(p.42)とあり、世界は平和なのかと肩透かしをくらいました。研究所内に鏡がないこととか白い制服や謎の薬など、いろいろと怪しい要素はあったのですが、蓋を開けてみればそこまで大仰な話ではなくて、少々やりすぎな感じもしました。シャワーが10分だけとか、職員が急に乱暴な口調になったりするところは管理される怖さが表れていると思います。この本は書簡体なので2人のタイムラグのようなものが出るところはおもしろかったです。メールなどで展開しそうですが、場所が場所なので手紙というのが研究所の異様さが出ていて好きですね。ただ、偶数時と奇数時でやり取りし合うというのがよくわからなくて、1時間いたら会ってしまうじゃないかと思ったんですが、2人は図書館あまり利用しないんですかね……。それにしても、最近はいわゆる毒親の話が増えてきたように感じます。親の影響力や圧力が注目され始めたのは、親子の関係性や教育を見つめ直す良い機会だと思います。「涙の壺」という表現もとてもロマンチックですが、涙が流れるような状態にしなければいいのではないかとユーナのお父さんに問いたいです。また、若者にはスポーツをさせておけば良いという今の学校教育の甘さも指摘されているように感じて、この辺はもっと主張したいですね。室内で読書をしている子がいたって良いと思います。「ぼくは、本を読めばいろんな場所に行けるんだ、って言い返したかった」(p.85)というダンの台詞がこの本の真のハイライトだと思います。この本には有名な児童文学がたくさん出てくるので、まさに『紙の心』だと思いました。あとがきで各作品について説明してくれているので、子どもたちが興味を持ってくれると良いと思います。でも、メインとなる『プークが丘の妖精パック』は日本人になじみのない本なので、子どもならさらに厳しいのではないでしょうか。題名を読めるのかどうかも心配。『プーク“が”丘の妖精パック』などと読みそうで不安です。気になったのは、「それから、トン川は食いしん坊に」(p.34)という訳がよくわかりませんでした。豚でしょうか。トンカツ? こういうときに訳者の苦労が窺えます。それから、「傷跡は、インディアンが戦いの前に描いて、誇らしげに見せつける、戦いのしるしみたいなものだ」(p.227)とあるのですが、“インディアン”という言葉は今は使わないと思います。

エーデルワイス:おもしろく読みました。主人公たちが暮らす施設を想像しました。清潔だけど、無機質で同じような部屋を移動するのですね。迷いそうです。「××をダンより」のように、形式的な手紙のやり取りをしていますが、顔が見えないほど想像力が働いて心が燃えていくのかもしれないと思いました。そして今どきの若い人のSNSの恋のやりとりも同じようなことかもしれないと思いました。終盤、研究所が火事(放火)で焼けて施設にいた子どもたちが助かるのですが、子どもたちはどうなっていくのでしょう? 元の家に戻るの? ちゃんと生きていけるのでしょうか? 心配です。親にとって都合の良い子ども、デザイナー・ベイビーなど問題提起のお話と思いました。主要なダン、ユーナたち5人は友人同士で、名作の登場人物からつけた仮の名前で、施設では番号とアルファベットで呼ばれ、本名は最後まで明かされませんでした。あえて必要なかったのでしょうか? 5人は元気に幸せに生きていけそうで安心しましたが。

オカピ:管理された場所にいる主人公たちが、人を愛することで、その生活に物足りなさを感じるようになる過程が描かれていて、おもしろく読みました。記憶すること、文字に残しておくことについて考えさせます。何を忘れて、何をおぼえておきたいかが人をつくるのだなと。「興味津々な人よ」(p.16)、「興味津々なこと」(p.107)という言い方は、話し言葉としてなじまないというか、ちょっとしっくりきませんでした。

雪割草:読んでいて最初の方でうんざりしてしまい、途中で休憩しました。イタリアだから情熱的なのかな、精神的に辛い経験をした子たちだから、心の拠りどころをもとめているからなのかなとは思ったものの、お互いを求めすぎていて、ついていけませんでした。近未来のテーマで人間がなんでもコントロールしようとするところから、『泥』(ルイス・サッカー著、小学館)を思い浮かべました。この研究所では、辛い経験を忘れさせるための治療をしていますが、それに対して主人公らが、忘れる以外の方法で生き抜く方法があることに、気がついていくところはいいなと思いました。あとがきにイタリアの中学生に支持されているとありましたが、日本語訳では訳はしっかりしているのはわかるのですが、若い人には受けない文体・言葉遣いだと思いました。それから、手紙でやりとりしている設定ですが、やりとりがすごく頻繁で手紙によっては長文で、ほんとに手紙なの?と思ってしまいました。

ネズミ:秘密をさぐりだそうとし始める後半からは、それがフックになってどんどん読めたのですが、2人のやりとりが中心の前半は、内容の問題なのか、文体のせいなのか、途中であきて、投げ出しそうになりました。後半はひきこまれたものの、都合のよい展開が気になりました。たとえば、骨形成不全症のポルトスが走るなど、ありえないだろうとか、どこかに潜入する計画が、たいがいうまくいくとか。体裁としては、ダンとユーナの手紙の書体を変えてあったらもっと読みやすかったかと思ったのですが、この本はキンドルでも出ているので、電子版を出すにあたって、書体が限られていたのだろうかと思いました。

しじみ71個分:書体に変化を持たせられるのが紙の本だけなのであれば、紙の本ならではの魅力になりますのにね。

シア:『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ著、岩波書店)では文字の色が変わっていましたね。

アカシア:紙の本ならではの工夫が、もう少しあってもよかったのにね。

アンヌ:書簡体小説は好きなので、それなりにおもしろく読み進んでいったのですが、いきなりp.14で「キスとハグを」と出てきたのでびっくりしました。これがただの挨拶なのが、外国小説という感じですよね。全体にSF的な設定が実に曖昧で、この研究所のセキュリティの甘さとか、最後に種明かしされた後も納得できないことが多いです。2人が実際に会わないところも、薬が効いているせいなのかと思ったりしたのですが、でも、それにしては男の子が3人いればやるような冒険に、あっさりダンは出かけたりしますよね。意志までが削られているわけではないらしいので、不思議です。最後まで行きついても、この5人がこれからどうなるのか、放火の罪に問われたりしないかとか、そのハッカーは大丈夫かとか、親との関係は何も解決してないままだとか、いろいろ後味が悪い思いが後を引いてしまい、読み返す意欲がわきませんでした。

アカシア:この本は時間的なリアリティがおかしいんじゃないですか? 手紙の交換で物語が進んで行きますが、1人が書いてから、休み時間にそれを図書館に持っていって本に挟む。それが偶数時だとすると、もう1人は、顔を合わせないために奇数時まで待ってから取りに行って、それから返事を書いて、次の奇数時の機会に図書館に行ってその返事をおく。そういうまだるっこしい方法でやりとりをしているので、たとえばp.115の最初の5つの文章はどれもユーナが書いたものですが、5つ目の文章を書くまでに、どんなに少なくとも9時間くらいはたっている計算になります。でもね、そういう計算だと成り立たないところがいっぱい出てきます。私は物語の構築を支えるリアリティにこだわる方なので、最初のときは途中で読む気がなくなって放り出してしまいました。それから、ダンたちは決死の覚悟で保管所に入ろうとするのですが、そこまでの展開では、保管所に何か重大な秘密があるというふうには読み取れなかったので、なぜそこまで?と思ってしまいました。全体としてすぐれた作品とは、残念ながら思えませんでした。

さららん:今回に関しては、訳者の文体と原文のスタイルが合わなかったのかな。私もみなさんと同じで、書簡体の形をとっているとはいえ、この世代の子たちの日常会話にリアリティがないように思えました。また研究所の中では、子どもたちの動きを阻止しようとする大きな敵は現れません。ダンたちに敵対心を燃やすカーという少年はいるけれど、それは体制側とは関係がない。戦う相手の顔が見えず、豆腐の中に手を埋めるような頼りなさを覚えました。でもひょっとすると、そこがおもしろさなのかも。色々な本の要素が出てくるところもいいし、あとがきも優れているけれど、ディストピアとしての物語に既視感があって、未知のものを解き明かす興奮がなかったのは残念です。

花散里:岩波のSTAMP BOOKSは出版されると期待して読むのですが、この作品が出版された2020年に読んだとき、書簡体で物語が進んで行き、今どきの中高生がどう読むのかなと思いながら読んだことを思い出しました。今回、読み直して、スマホに常に依存している日本の子どもたちが、図書室の本に挟んだ何通もの手紙のやり取りに対して、果たしてどう読むのかなと改めて感じました。前半の書簡体で続くストーリーは、今回も読みにくいと思いました。研究所の秘密が分かっていたということもありましたが、物語のおもしろさが感じられませんでした。巻末に本文に出てくる文学作品の紹介が入っていたり、図書室でのやり取りが舞台だったりしますが、読み返そうという作品ではないと思いました。

サークルK:手紙の部分のやり取りが長かったので、少しもどかしい思いをしながら物語を読み進めました。なぜこんなやり取りや状況に子どもたちが置かれているのだろう、という読み始めからの疑問が次第に解き明かされていくところは、『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 早川書房)を思い起こしました。誰に恋しているのかも実際にはわからないのに、よくこんなに妄想をふくらませながら、手紙で情熱を傾けられるなあと苦笑する表現もありましたが、イタリアの中学生にとても人気があったというので、興味深く感じました。こうやって練習(!)して、愛情表現の達人になっていくのかしら、と。小さな世界に閉じ込められて、監視されたり、洗脳されたりするさまは残酷なディストピア小説のミニチュアのようで、『1984』(ジョージ・オーウェル著 早川書房他)をほうふつとさせましたし、39章で「ワールドニュースオンライン版」という記事を使って、状況が説明されている構成は、『侍女の物語』マーガレット・アトウッド著、早川書房)の掘り起こされたカセットテープをめぐる研究者のレポートを思い出しました。物語を読んだ子どもたちがやがて上に挙げた大人の小説に巡り合った時、こんなイタリアの児童文学があったっけ、と逆照射されて思い出してもらえるかもしれません。

マリナーズ:お国柄の違いを感じながら読みました。日本で、中学生くらいの男女が同じように文通し合う物語だったら、こんなふうに恋の駆け引きっぽい言葉をやりとりして楽しむ感じにはなかなかならない気がします。実は、以前、1度読みかけたのですが、p.111あたりからの、お互いの容姿についてあれこれ想像し合うところでうんざりしてしまって、いったんやめたのでした。今回、読み通せてよかったです。後半に行くにつれて、主人公2人の苦しみや、ここに入るまでの経緯が明かされて行きますが、その明かし方が説明的なせいか、切実さがどうも伝わりにくいように思いました。でも、性格を変えることについて、身内が了承している、ということのせつなさ、やるせなさは感じました。自分のアイデンティティを考える、というテーマ自体はとてもよかったです。

ルパン:しょっぱなでつまずいたのは、このやりとり、イタリア語なのにどうして相手が男か女かがわかるんだろう、ということです。見知らぬ相手なのに、はじめから男女の区別がついているのって不思議でした。しかもすぐに恋に落ちるし。そのうえ、やたらに容姿の話が出てきますよね。相手がその子がどうかもわからないのに「赤毛の女の子が好きなんだ」なんて言ったり、デブだったり青白かったりしたらどうするの、みたいな文面もあるし。ヨランダが実際のポルトスを見て思いっきりけなす場面では本当に気が滅入ってしまいました。容姿に自信のない子がこれを読んだらどう思うんだろう。

アカシア:イタリア語だと形容詞などに女性形と男性形があるので、相手が男か女かはすぐわかるんじゃないかな。

西山:ほとんど言い尽くされている感じです(笑)。この研究所にどういう秘密があるのかという興味で読み進めましたけれど、先が知りたいだけでその場その場の描写とか、感覚とかを楽しむという読書の快楽はありませんでした。イタリアのお国柄というのもあるのかもしれませんが、こんなにすぐ男の子と女の子が恋愛感情で盛り上がり、延々それを読まされるのにうんざりしたというのが正直なところです。若い読者なら誰もが恋バナ展開にのめり込むかというと、そうでもないんじゃないかなと思っています。というのは、ジェンダー関連の授業で、何かの問題を男の子と女の子が一緒に取り組んで解決してきた物語で、最後の最後に性的な視線を差し込んで、「恋の始まり」みたいな展開にするのに出会うたびにがっかりするんだよねということを、おそるおそる話した回があったのですが、思いの外共感のコメントが多くて、恋愛テーマじゃないのに恋バナにするドラマとか多すぎるとか、子どもの頃仲のいい男女がからかわれることで気まずくなったとか、嫌な思いをしたとかそういう体験が続々とあがってきたのです。「10代は恋バナ好きにきまってる」という思い込みもそろそろ相対化した方がよいと思っていたところでこの作品を読むことになったので、否定的な感想になっています。あと、ユーナがどんどん受け身になっていって、つまらなくなっていったのが不満でした。本に手紙をはさむというユーナの魅力的な行動から始まったのに、ただただ、「待つ女」になってしまって……。ヨランダといっしょに研究所の秘密に迫っていけばよかったのに……。図書室の本を介した手紙のやりとりとは思えない、ラインのようなやりとりになってしまうところも興ざめでした。

コアラ:以前、本屋さんでこの本を見かけたときに、はじめのほうをちょっと読んで、いまいちかなと思ってすぐに棚に戻してしまったんですけれども、今回最後まで読んで、悪くはない本だと思いました。書簡体小説だと、お互い相手を騙すこともできるし、作者と読者の関係としても、作者は読者を騙すこともできるけれど、ダンもユーナも騙すことなく、お互い誠実で、作者と読者という関係でも作者から騙されることがなかったので、その点ではすっきりしてよかったと思います。研究所の謎とされたことが、少年少女たちの人間的な欠点の除去で、親の望み通りの人間に作り変えられてしまう、ということだったんですが、読んでいてそこに大きな衝撃はあまりありませんでした。そもそも、記憶を無くす薬を飲んでいる研究所というのが不気味で、そこがそもそもディストピアだなと思いました。訳者あとがきに、この本に出てくる本の紹介が書かれてあるのは、よかったと思います。

しじみ71個分:私も、みなさんが既に言われたのと同じように、前半の2人の手紙のやりとりがちょっとかったるいなと思い、読んでいて休憩をはさんでしまいました。また、ユーナかダンか、どっちがしゃべっているかわからなくなっちゃうところがあり、見た感じでパッと分かりやすい工夫があったらよかったなと思います。手紙のやりとりが頻繁すぎて、時間の経過もわかりにくい点がありました。ただ、著者はこういう書簡のやりとりで、心をかわし合うという形を描きたかったんだろうなと思います。頻繁すぎて、チャットのようではありましたが。作品を通じていいなと思ったのは、2人の書簡体の形をとりながら、過去の児童文学作品の紹介をしているところです。また、人と人とのコミュニケーションのツールとして本を使うという設定にも共感しました。『紙の心』というタイトルには、手紙に乗せた自分の心というだけではなくて、本を通じて交流するという意味もあったのかなとも思います。大人にとって都合の悪い、「いらない子ども」を除去してしまうっていうのは恐ろしいことで、本のテーマとしてとても重いと思ったのですが、結果が意外にソフトで、もう少し、ドラマチックな、誰かが死んだり、廃人にさせられてしまったりとか、おどろおどろしい展開があった方が、テーマがもっと生きて、物語も生き生きとしたのではないかなと思います。『私を離さないで』くらいのディストピアがあってもよかったかなと。また、表紙の絵を見ると、ガラス張りのとても近代的な建築物として描かれているのに、火事で燃えちゃうんだ、木造なんだ、というところはちょっと拍子抜けしてしまいました。建物が燃えただけで逃げられちゃうんだなというところは、少しあっさりしすぎていたかもしれません。前半の書簡体の恋愛部分が重くて、後半のスリリングな展開とのバランスがあまり取れていないのかもしれないと思いました。

すあま:読みながら、『ザ・ギバー』(ロイス・ローリー著 講談社)を思い出しました。忘れたい記憶をなくすことができる薬があったなら、犯罪被害者や虐待にあった人など、飲みたいと思う人がいるかもしれない。この物語では、さらにエスカレートして親の望む子どもに変える、という恐ろしい話になっています。逆に子どもが望む親にすることができたら、と思う人もいるのでは、とも思いました。現代の子どもが抱えている問題を解決することができる近未来の世界を描いているようで、実は大人にとって都合がよい、純粋無垢な子どもに変えようとする、時代を逆行するような話になっていきます。近未来の世界のようなのに、紙に書いて本にはさむという、古典的な文通の形をとっているのがおもしろいと思いました。メールやラインでコミュニケーションをとっている今の子どもたちにはかえって新鮮なのかなと。ラストはあっさりしていて、結局は親から逃げ出した、ということで終わったようで、ちょっと物足りない感じがしました。

(2022年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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村中李衣『あららのはたけ』

あららのはたけ

『あららのはたけ』をおすすめします。

山口に引っ越した10 歳のえりと、横浜にとどまっている親友のエミが交換する手紙を通して物語が進行する。

えりは祖父に小さな畑をもらい、イチゴやハーブを育てることにする。そして、踏まれてもたくましく生きる雑草のことや、台風の前だといい加減にしか巣作りをしないクモのことや、桃の木についた毛虫が飛ばした毛に刺されて顔が腫れてしまったことなど、自然との触れ合いで感じたこと、考えたことをエミに書き送る。都会で育った子どもが田舎に行って新鮮な驚きをおぼえたり、感嘆したりしている様子が伝わってくる。

エミは、えりの手紙に触発されて調べたことや、今は自分の部屋に引きこもっている同級生のけんちゃんの消息を、えりに伝える。えりもエミも、幼なじみのけんちゃんのことを気にかけているからだ。

失敗の体験から学ぶことを大事にしているえりの祖父、まわりの空気を読まないで堂々としている転校生のまるも、けんちゃんをいじめたけれど内心は謝りたいと思っているカズキなど、脇役もしっかり描写されている。今の時代に、電話や電子メールではなく、手紙のやりとりによってふたりがつながりを深めていく様子は興味深いし、えりから届いた野菜の箱の中からカエルがぴょんと飛び出したことがきっかけで、けんちゃんに変化が訪れるという終わり方はすがすがしい。坪田譲治文学賞受賞作。

9歳から/畑 手紙 いじめ 自然

 

Garden of Wonder

This story unfolds through the letters exchanged between ten-year-old Eri, who has moved to Yamaguchi, and her friend Emi left behind in Yokohama. Through these letters we learn how Eri’s grandfather has given her a small patch of land where she grows strawberries and herbs. She writes all her thoughts to Emi, like how vigorously all the weeds grow even if you step on them; about a spider that only spins a temporary web when it senses a typhoon is about to hit; how her face swelled up when stung by hairs from caterpillars on the peach tree; and the feeling of being in contact with nature. The reader can appreciate the fresh amazement and wonder that a city-raised child feels upon moving to the countryside.

Emi tells Eri how she has studied about spiders and caterpillars thanks to her letters, and also about their classmate Kenji, who now won’t leave his bedroom. Kenji has been their friend since they were little, and they are both worried about him.

Other people in their lives include Eri’s grandfather, who emphasizes learning from experience and only tells her what to do after she has made a mistake; a new transfer pupil Marumo, who sticks to her own ways without realizing the pressures on her to change; and Kazuki, who bullied Kenji but deep down wants to apologize.

It is interesting to see how in this day and age Eri and Emi deepen their connection not by telephone or email, but by letters, and the story ends on a refreshing note when a frog jumps out of a box of vegetables that Eri sends Kenji, prompting him to step outside and begin to change. This book won the Joji Tsubota Prize. (Sakuma)

  • Muranaka, Rie | Illus. Ishikawa, Eriko
  • Kaiseisha
  • 2019
  • 216 pages
  • 21×16
  • ISBN 9784035309505
  • Age 9 +

Fields, Letters, Bullying, Nature

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2020」より)

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『大林くんへの手紙』表紙

大林くんへの手紙

まめじか:p7でカレンダーを机に置いて、「ノートだけ机に置くより、ずっとかわいい」というところでまず、「かわいい」という表現でいいのかなと思いました。宮子が大林くんの手紙にひとこと「小さい!」と書くのもそうですが、全体的に言葉足らずの印象です。p22で先生が宮子に学級委員の仕事を手伝わせるのも唐突だし、突然訪ねてきたクラスメイトを前に、大林くんのお母さんが平身低頭で謝るのも理解できなかった。人物像や行動が不自然で入りこめませんでした。「~だもの」「~よ」「~わね」というフェミニンな言葉づかいや「あの馬鹿」なんていうせりふも、小学校高学年の子どもにはそぐわない感じがします。また、小学6年生の子が友だちのことを思い描いたとき、「体は細くて胸はないけれど」(p 64)っていうふうになるでしょうか。文香のお母さんは不登校について「たくさん休むといろいろとめんどうなことになる」「なぜたくさん休んでいたのか、何度も説明しないといけなくなる」「役に立たない人間だと区別されるかもしれない」(p107)と言うのですが、あまりにも乱暴な説明にとまどいました。

シア:私も話に入りこめませんでした。テンポが全体的に緩慢で、どこか漫画的でした。そのせいで悪くするとギャグ寄りになってしまう場面もあって、私は卯沙ちゃんの言葉や態度などのちぐはぐさに失笑してしまうこともありました。どこをとってもドロドロしそうな展開なのにしていなくて、あっさりしています。これが現代的で、現代の小学生なのでしょうか? それなのに、先生はいつも役立たずのテンプレで描かれているので悲しいです。気になったのは、大林君のメールアドレスは了解を得て回しているのかというところ。このネットリテラシーはいただけません。それに、空いている席には誰が座ってもいいんですよね。単なる便宜上のもの。移動教室とかクラブ活動もありますし。すべてをていねいに使えばいいんです。マーキングしたい日本人の感覚だなと思いました。ウルフ・スタルクの本を先に読んだので、すべてが狭く感じました。日本的というべきなのでしょうか。最後にツッコミたいところがあって、p172「携帯を開き」とあるんですよね。スマホじゃないのかと。パカパカケータイなのかと。小学生だからなんですかね。

カピバラ:自分の本心を作文に書くことができない主人公の気持ちが正直につづられているから部分部分には共感する子もいるのかもしれませんが、物語としては一向に先に進まないのがもどかしかったです。結局、手紙もメールも書けないまま終わるという結末は中途半端で、大林くんが何を感じ、どうして学校へ来ないのかわからないし、物足りなさを感じました。宮子、中谷くん、卯沙の描き方ももう一つつっこんでほしかった。最初にクラス全員に大林君への手紙を書かせ、全員で家に届けるなんてこと、本当にやっている学校があるのでしょうか。私はここでまず引いてしまいました。大林君とお母さんの態度も後味が悪いです。歴史好きのお母さんとの会話は、おもしろくしようとしているのだろうけど、効果がないし、違和感がありました。

ハリネズミ:感想文や手紙でついつい思ってもいないことを書いてしまうことはあるし、文香が大林君の席にすわって考えてみるという展開はいいかもしれませんが、物語の流れから見て不自然なところが随所にあって、入り込めませんでした。たとえば、宮子がまわりを巻き込む押しの強い性格だとわかっているのに、文香が大林君のメアドを渡してしまうところとか、大林君の席にだれかが荷物をおいているのを見とがめて文香は自分が席にすわりつづけるわけですが、ほかの生徒が荷物をおくより、ほかの生徒がすわってしまうほうが大林君の存在を無視してしまうことになるような気もします。しかも文香はp129で中谷君が文香の席に座っているのを見ると、「他人(ひと)の席に平気で座るなんて」と文句のような言葉をつぶやくのは変。それと、最後の場面が唐突で、ただ情緒的な言葉でまとめたようで気持ちが悪かったです。物語世界がもう少しちゃんとつくってあれば、いい作品になったかもしれませんが。

マリンゴ:発売されて間もないころに、話題になっていたので読んだ記憶があります。そのときは、いい作品だけれどそんなに尾を引かないないなぁ、と思っていました。学校生活っていろんなことがあるけれど、物語があまりに「大林くん」と「手紙」に集約されている印象だったからです。今回、再読したときのほうが、おもしろく読めました。主人公は、ちょっとADD(注意欠陥障害)気味なのか、部屋の整理整頓ができない子で、周りの人はどうなのかあまり気にしていません。でも終盤、人の部屋はどうなのだろう、と関心を持つようになるなど、視野がゆっくり広がっていく感じがいいと思いました。ただ、これは好みの問題かもしれませんが、最終章の六章がまるごとなくていいのではないでしょうか。五章から、時がほとんど進んでないので、そこで終わっている方が、余韻を残したのではないかと思います。あるいは、六章を入れるなら、何カ月かあとに飛ぶとか、そのくらい話が展開したほうがいいような気がしました。

しじみ71個分:読んでなんだかイライラしてしまいました。学校のクラスのとらえ方が古くさいなぁと思いまして……。不登校の子に対してみんなで手紙を書くことを強制して、みんなで届けにいくなんて、ひと昔まえの教室運営ではないかなと……自分の子どものときの話を思い出してしまいました。先生に大林君へ手紙を書くことを強制されるのも不快でしたし、リーダー格の女子の宮子に強制させられるのも、読んでいて本当に嫌でした。宮子から「小さい」とか言われて、一方的に、こうあってほしい大林くん像を押しつけられるというのもいい迷惑だなと感じてしまい、物語の後半で宮子が少しいい子に見えてきた、という表現もあったのですが、ぜんぜんそのように寄り添った気持ちにはなれませんでした。唯一、共感できるとすれば、主人公の子が思ってないことを書けないというのは正直だと思ったことですが、その先の展開がなく、大林君の席に座って、大林君の椅子の傾きを感じ、彼が見ていたものを見る努力をするというのは、わかるような、わからないようなで……。断絶も含め、不在の人への思いや働きかけがあってこそ、読者の心が動く何かが生まれるのではないかと思いました。主人公の中で、不在の人への気持ちや思いがどう深まっていったのか、まったくわからなかったんです。大林くんが禁じられた屋上に上がって、しかられたけれど、なぜ一人だけ反省文を書けなかったのか、という点をきっかけにもっと大林君の物語を深められたのではないかと思うし、彼のお母さんが必要以上に自己肯定感が低いことにも背景があるはずなのに、それがまったく描かれていなくて、もやもやしたままです。結局、椅子に座ることも、手紙を書くことも、彼の気持ちには迫らず、自分たちの自己満足でしかないのではないかと思えてしまいました。『12歳で死んだあの子は』(西田俊也著 徳間書店 2019)にも感じたのですが、亡くなった子のお墓参りをすることに終始して、その人の不在が訴えかけてこなかった点に共通したものを感じ、思い出してしまいました。人の不在に対する心の動きがないと、物語が成立しないんじゃないのかなぁ……。

すあま:主人公は、感想文や反省文と同じように、手紙も嘘を書いていいと思って、きれいな文章の手紙を書く。先生がいいって言ったので正解だと思ったけれど、そのあとでほかの人の手紙を見て、ハッとする。手紙は相手に気持ちを伝えるものだから嘘ではだめだ、ということに気づいたことから物語が展開していくのだと思ったのですが、うまくいっていないように思いました。共感できる登場人物がいないことや細かい描写がちょっとうるさく感じられることなどで、読みづらく感じました。会話の間に頭の中で考えていることが入っているのもわかりにくかったです。登場する大人である先生や親がきちんと描かれていない大人不在の物語で、今回読んだスタルクの本とは対照的でした。あまりおもしろさが感じられませんでした。

サークルK:p47で「いつかちゃんとした手紙」を書く、と書いた文香の「最後の手紙」がp170で「板、ぴったりでした!」で落ちがつく、という展開に肩すかしをくった、というか愕然としてしまいました。もうちょっと、何か言葉はないのかな。ショートメールなどのやり取りになれているイマドキの子どもたちは、短ければ短い方が心に響くと思っているのかしら、ととまどいました。そしてこの物語が今を生きる小学校高学年の子どもたちに「あるある、だよね」という形で受け入れられているのだとしたら、小学校の現場の寒々しさというか、子どもたちがとても気を使って毎日を送っている息苦しさを思ってつらくなりました。これからを生きる子どもたちがもっと言葉を豊かに紡ぐことができるようになってほしいなあ、と願いながら読みつづけるしかありませんでした。

ハル:今、サークルKさんの意見を聞いて、ハッとしたのですが、確かに私はこの本を、今の子がどう読むかという視点では読めていなかったです。それに、2017年の刊行から少し時間が経っていますので、もしかしたら当時は画期的なテーマだったのかも知れず、あくまで2021年11月現在の感想になってしまうことも、考慮しなければいけないとも思います。そう先に断りつつも、これはいったい、いつの時代の、誰の話なんだと思うような、アップデートされていない感じが、私は受け入れられませんでした。仮にこれがノンフィクションだったとして、すべてが実際にあったことだったとしても、それを描き出して「大人ってほんといやよね」「先生って全然わかってないよね」「同調圧力、ほんといやね」で終わるのではなく、じゃあどう変えていこう、どうしたら未来が変わるだろう、というところまで感じさせてほしかったです。ただ、不登校になる理由が明確でないというのは、現実の世界でも往々にしてあることだとは思います。

ネズミ:正直な気持ちを書けない主人公というテーマはいいなあと思いましたが、物語は残念ながらあまり楽しめませんでした。p15で大林くんのお母さんが、パート先で自分の息子が学校であったことを話すところで、こんなことあるのかなと思ってしまって。不登校のことが、p108で「学校に行かないのはとんでもないことらしいのはわかった」と書かれたあと、それ以上に深まらないのも、物足りませんでした。閉塞的な息苦しさを超える、新たな気づきや共感がもっとあったらと思いました。

ニャニャンガ:主人公の文香が嘘を書きたくないという点には共感しましたが、全体的にどうかといえば共感できませんでした。気になったのは、大林くんが不登校になった本当の理由が明かされない点です。また、担任の先生の行動が怖かったです。立ち入り禁止のところに入ったくらいで反省文を書かされ、学校に行かなくなった大林くんの心の傷を理解しているのだろうかと思うほど、子どもたちに無言の圧力をかけ、無神経な行動をとるなど既視感がありました。クラスのみんなで不登校の生徒に手紙を書くとか、宮子を教師の「使える子」として学級運営をしているのは、わが子が小学生だったときと重なったのでリアルだと思います。でも、大林くんのお母さんは謝りすぎ、文香のお母さんはマイペース、友だちの卯沙はふわっとしているようでしっかりしているなど、マンガのようにキャラ立てしようとしているのかなと感じました。

さららん:この作者は言葉にすると壊れてしまう感覚を、書こうとしたのかなあと思いました。主人公は、最後まで手紙を書かず、読者としてはもどかしい感じ。そして大林くんの気持ちが主人公に少し伝わるのは、親友を通しての伝言と間接的なメールの画面だけ。主人公は大林君の席にすわって、その気持ちを想像する毎日なのですが、そんな主人公を大林くんはちょっと意識していて、最後のほうで「板」をくれます。椅子の傾きを調整するために。関係性に踏みこまないで人物を描いているから劇的な展開もなく、開けられた容器に、読者が「大林君はどう感じているんだろう」「どんな子なんだろう」「なぜ学校を休んでいるんだろう?」と自分の想像で埋めるほかない物語でした。そこには空白があって、書きこみが足りないといえばそれまでなんだけれど、今の子どもたちの感覚に通じる部分があるのかも……そういう意味では現代的なんでしょうか? 友だち同士のコミュニケーションが取れているような、いないような関係は理解できませんが、代わりに物の手触りをていねいに書いている点がおもしろかったです。

ンヌ:読みながら、事件と事件との間に物語としてのつながりがなく、読者が詩や和歌を読むときのように、間を埋めながら読んでいく作品のような気がしていました。実に繊細な感じで。だから、具体的なイメージがうまくわいてこない部分も多く、ハンカチが選べなくて2枚差し出す意味とかは、うまく読み取れませんでした。手紙を書き直すというのはわかるのですが、やっと本当の手紙が書けたのに、それを出す前に中谷君と大林君とのメールのやり取りが始まってしまうという第六章は、先ほどマリンゴさんからもご指摘があったのですが、時間の経過が速すぎる気がして奇妙な感じがしました。歴史おたくの文香の母親は、ユーモアとして描かれているのでしょうが、p107で不登校について「何度も説明しなければいけなくなる」は親の立場の説明だとしても、「役に立たない人間として区別される」という発言をするのには疑問を持ちました。

ルパン:私は今回の選書係だったのですが、この本はある意味傑作だと思って選びました。たしかに小学生としてはおとなびた感があり、中学が舞台のほうがよかったなと思いますが、ものすごくリアリティを感じます。みんな、もやもやしていて、方向性なんてないんですよ。定着して方向がつけられた学校制度の中に閉じこめられた子どもたちの現実です。そして大人たちの現実でもある。子どもが不登校になって、どうしたらいいかわからない自信のない親。自分がどうして学校に行かれなく(行かなく)なったのか自分でもわからない子ども。感想文や手紙を書けと言われてどうしたらいいかわからない友だち。旧態依然の価値観をもち、マニュアルに頼る自信のない(あるいはありすぎる)先生たち。この中の登場人物に似た人たち、私のまわりにはたくさんいます。物語の中で不登校の理由がはっきりしたり、それを解決できる大人がいたりしたら、そっちのほうがよっぽど非現実的です。「個人の自由」や「個性の大切さ」を声高に言いながら、足並みをそろえることを強いる「学校」という社会の中でみんな困っている、という現実をあぶり出した作品だと思っています。みんなが先生に言われて書いた手紙の中で、大林君は主人公の手紙だけに反応した。それを知った主人公は何か自分ができることはないかと模索した。ここで二人はちゃんと繋がりました。答えがなくてもいいじゃないですか。りっぱな大人が出てきて解決しなくてもいいじゃないですか。現実ではむしろそんな大人が都合よく出てきてくれることのほうが少ない。この主人公は何もしなかったわけでも何もできなかったわけでもない。私は「理想の大人や理想の子どもが描けていない」と思う人こそ「大人目線」なのだと思います。もやもやして困っている子どもたちはきっと共感し、「こんな自分でも、できることをさがしていいのかもしれない」と一歩、いや、半歩でも踏み出せるかな、と背中を押されるはず。文章の細かいところで課題はあるかもしれませんが、今回はそういう理由で選びました。

(2021年10月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 

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『ぼくはアフリカにすむキリンといいます』表紙

ぼくはアフリカにすむキリンといいます

『ぼくはアフリカにすむキリンといいます』をおすすめします。

コロナのせいで友だちと会えない人は、手紙を描くのもいいね。この本では、アフリカの草原にすむキリンと、遠くの岬にすむペンギンが、ペリカンとアザラシに配達してもらって、ゆかいな手紙をやりとりする。手紙だからこそ、返事を待つ間にどんどん想像がふくらんでいく。キリンがペンギンの姿をまねする場面は、おかしくて笑っちゃうよ。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年7月25日掲載)

キーワード:アフリカ、手紙、動物

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村中李衣『あららのはたけ』

あららのはたけ

アンヌ:手紙形式の物語というのが、懐かしい感じがしました。のどかな田舎生活の話があって、そこに謎のけんちゃんが姿を現わしてくる。その一種緊張する展開があって、そこはとてもうまいと思うのですが、いじめと引きこもりの話だと分かってからは、加害者のカズキにも寄り添う感じになっていくのが釈然としませんでした。最後もはっきり解決するわけはないままで置いておかれた気がします。挿絵は独特の味があって、最近毛虫にやられた家族がいるので、p28の絵などはむずむずするほどリアリティがあって楽しい絵でした。

すあま:手紙の形式で書かれていて、話が進んでいくのはおもしろかったです。でも、けんちゃんについての話が隠れていて、想像しながら読み進めなければならないので、本を読みなれている子じゃないと難しいのではないかと思いました。今の話と回想で過去の話がまざっているのも難しいかも。ラストは、解決に向かう明るい感じかもしれないけど、これで終わり?という感じでした。どうしてもけんちゃんのことが気になって、楽しく読めなかったところがあります。

彬夜:私はこの終わり方は良いと思いました。物語全体に流れるゆったり感が魅力でした。ただ、ある種の約束されたいいお話に誘導されているような思えて、そういうところは読んでいてちょっとつらかったです。畑ものというと最上一平さんの『七海と大地のちいさなはたけ』シリーズ(ポプラ社)が浮かびます。細部は忘れましたが、あちらは都市の市民農園での畑作りで、土とのふれあいが丁寧に描かれていたような記憶があります。この作品は、手紙形式で書かれているせいか、薄い紙を1枚挟んだ状態で見せられているような感なきにしもあらずで、感覚的な思いが今一つストレートに伝わらなかった気がします。知識としては、雑草のこととか台風のこととか、クモの巣のこととか、とてもおもしろいことがたくさん書いてあるのですが、何となく、教えてもらってるような感じというのか。それから、お母さんの描き方が少し気の毒で。ある種の敵役を担わされているような役割感を抱いてしまったのです。2人の少女のうち、エミの、あんた、という呼びかけがちょっと乱暴な気がしました。意図的に使っているのかもしれませんが、この子の物言いが、少し偉そうというのか、えりに対しても、プールでのトラブル(p37)とか、大風で泣き出したこととか(p83)、あまりいい思い出とは思えないことをなぜ語るかなあ、と。まあ、2人の信頼関係の上でのことといえばそれまでですが。エミとけんちゃんのシーンはおもしろかったし、けんちゃんが少しずつ変化していくのもよかったです。まるもさんは、いいキャラだなと思いました。

まめじか:植物は、手をかければうまく育つかというと、そうじゃない。やってみると、自分の力ではどうしようもないことがあるのがわかってくる。だから、若いときに何かを育てる体験をするのって、大切なんじゃないかな。そんなことを思いながら読みました。石川さんの絵がいいですねぇ。のびやかで、あたたかみがあって、出てくるとほっとする。

西山:おもしろく読みました。植物や小動物がいろいろ教えてくれるというのは、ともすれば教訓的な、べたっとした話になりかねないと思います。人間とは関係ない生きものたちの営みを人事のあれこれに引きつけて、生き方を学んでしまったり・・・・・・。でも、そっちに行かないように、ぱっと相対化したり、別のエピソードを出してきたりして、絶妙だと思いました。例えば、クモが風が強く吹きそうな日には大ざっぱな巣をはるという発見はそれ自体ものすごくおもしろくて、「なにがあっても、まじめにせっせせっせとはたらくんじゃないんだと思ったら、なんかホッとしちゃった」(p79)というえりの感想にも共感するのですが、次の手紙でエミが「クモは風のとおり道をつくったんじゃないか」と書いてよこす。絶妙な、それこそ風通しの良さだと感心します。えりがじいちゃんに「ザッソウダマシイっていうやつ。ふまれてもふまれてもたちあがるっていいたいんでしょ?」と言うと、じいちゃんは「もういっぺんふまれたら、しばらくはじいっと様子見をして、ここはどうもだめじゃと思うたら、それからじわあっとじわあっと根をのばして、別の場所に生えかわるんじゃ」という。こういう、ひっくり返し方が本当におもしろい。教訓話になりそうなところがひょいひょいとかわされていると思ったけれど、暑苦しく感じる人もいるいるということでしょうか? ところで、中身の問題ではありませんが、登場人物の名前が紛らわいのは、なんとかしてほしいと思いました。けんちゃんとカズキも、どっちもカ行だし。えりとエミだなんて・・・・・・。

彬夜:おもしろい情報を提供するのは、おじいちゃんとエミなんですよね。先ほど、お母さん像についてもふれましたが、そこはかとない序列を感じてしまいました。手紙形式なのでどうしても情報が限定的になります。この形式でなければ、もっと人物も多角的に語れるから、今のキャラでもそれなり腑に落ちるのかもしれません。むろん、こうした手法の物語があっていいとは思います。

マリンゴ:植物の蘊蓄をこんなに魅力的語る方法があったか、と、この物語を読んで感銘を受けました。さあ畑を作ります!という物語だと、読者を選ぶだろうけれど、手紙のやり取りの中に少しずつ出てくると、興味深く思えます。たとえば、p50に出てくる小松菜のエピソード。葉っぱの話を自分自身のことに、ナチュラルに結び付けているのが印象的でした。2年前のフキノトウみそを古くなったから捨ててしまったお母さんが怒られる、というエピソードがp108にありましたけど、私も捨ててしまいそう(笑)。親近感を覚えながらも、フキノトウみそをいつか作ってみたいかも、と思わせてくれる作品でした。自然を、今までより1歩近寄って見る、そのきっかけをくれる作品とも言えるかなと。あと、まるもさんの存在がいいですね。2人の少女は近いところでわかりあっているけれど、まるもさんというわかりあえないキャラクターが入ってきて、去っていく、そのバランスがいいなと思いました。

ハリネズミ:とても楽しく、おもしろく読みました。畑をめぐる生きものの生命力みたいなことを、言葉で出すのではなく、実際にものが育っていくとか、クモが巣をつくるとかいうようなことを出して来て語っているのが、説教臭くなくてすごくいいな、と思ったんです。いじめの問題ですが、けんちゃんの名前は早くから出て来ますが、どういう状態なのかはだんだんにわかってくる。そういう出し方もうまいと思いました。引きこもりで長いこと外に出ないという子は周りにもいましたが、けんちゃんは、カエルを介在にして外に出て来る。だから、大きな一歩をすでに踏み出しているんだと思います。まるもさんは、私もいいなと思ったのですが、けんちゃんとのバランスで出て来ているのかもしれないと思いました。空気を読んでしまうと苦しくなるけど、全然空気を読まないまるもさんみたいな有り様もいいんじゃないか、と。絵はとてもいいですね。p48のヒヨドリとかp68のカエルとか、すごくないですか? えりとエミは両方とも作者の分身かもしれませんね。だから似たような名前なのかも。今は子どもでもメールでやりとりすることが多いと思いますが、あえてタイムラグがある手紙でやりとりしているのも、いいな、と思いました。

マリンゴ:手紙を書く楽しさを、前面に押し出すのではなく、最後にふっと感じさせてくれますね。

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エーデルワイス(メール参加):畑のあれこれは、村中李衣さんの体験でしょうか? さりげなくリアリティが伝わってきます。文章と絵がとても合っていて、好感がもてました。p181~p182の「友だちって近くにいていっしょに遊ぶだけじゃないよ。いつまでも心の中にいてくれてだからひとりでもだいじょうぶなんだよ」というところに、作者の言いたいことがあるように思いました。私はふと数年前に亡くなった親友を思いました。

オオバコ(メール参加):とても好きな本でした。街と田舎で離れて暮らすことになった仲良しの手紙のやりとりで物語がつづられていきますが、自分の手で畑仕事をしながら発見していくえりと、本で学んでいくエミの違いもおもしろいし、イチゴや小松菜や毛虫の話をしながら、幼なじみのけんちゃんのことを語っていくところも自然で、本当によく書けていると思います。イラストや章扉(でいいの?)に入っている緑色のページもいい。植物を育てるのや虫が大好きだった小学生のころ読みたかったな。(あまりにも虫に夢中だったので、誕生日にクラスの友だちがマッチ箱にいれたオケラをくれました)

(2019年10月の「子どもの本で言いたい放題」)

 

 

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