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『笹森くんのスカート』表紙

笹森くんのスカート

すあま:さらっと読みやすかったので、小学校高学年くらいでも読みやすいだろうと思いました。1章ずつ主人公(語り手)が変わっていく手法に新しさは感じないけど、クラスのいろんな子の視点で描いていくのは嫌いじゃないので、よかったと思います。セリフなど、今の高校生という感じはよく出ているけれど、はやりの言葉や道具は賞味期限が短いので、時がたつと古さを感じてしまうことになるから難しいですね。テーマ的にも、今読んでもらえればいいということなのかもしれないけど。ストーリーについては、笹森君がスカートをはいたことで、周りのみんなが自分に引き付けていろいろと考え、それぞれの性格の違いが直接質問したりできなかったりする行動の違いに表れていたところはおもしろかったです。最後は、笹森君がスカートをはくことにした理由がわかり、ある意味解決したように思うので、この後はどうなるのか、スカートをはくのをやめるのかな、と気になりました。この学校は校則もゆるそうなので、ある程度レベルの高い学校なのかな。物語の設定なのでこれはこれとして、制服を選べるようにするくらいなら、私服にすればいいのに、というのが私の考えです。

ハリネズミ:笹森君(ひろ)のキャラが、理想的ないい人として描かれていますね。彼は、リアルな人物というより、まわりの人の思いを映す鏡的な存在なので、あえてそういう設定にしているのかもしれません。いろんな視点から描かれているので、中高生にも多様な考えがあるということが伝わると思います。高校生男子を主人公にした作品だと、たとえば川島誠とか昭和初期の男性作家の作品とか、性を描かないとおかしいくらいのスタンスで描かれたものもたくさんあって、それは逆に多様じゃないなと思っていたので、この作品に性的な要素がほとんど登場しないのが逆に新鮮でした。

コアラ:おもしろく読みました。装丁や文字の大きさが、高校生が主人公にしては幼いと思ったし、登場人物たちの恋愛も、高校生にしては幼く感じたので、どのくらいを読者対象にしているのかな、と思いました。さわやかなイケメンがスカートをはいてきた、とか、ぽっちゃりして外見にコンプレックスを持っている女の子が面食いで告白しまくっては振られるとか、ありがちな設定だけれど、ありがちだからこそ、さらっと読めてメッセージが伝わりやすい物語になっています。読みやすい中で、ところどころに、目が引っかかる、心に引っかかる言葉が挟まっていて、たとえばp28の後ろから3行目の「敗北感」とか、p39の終わりから3行目からの「傲慢」とか、さらっとしているだけじゃない成分が入っているのはいいと思いました。制服で、女子がスラックスをはいたり、男子がスカートをはいたりするのに、特段の理由がなくてもいい、自由に選べるようにすればいいんじゃないか、というようなメッセージが書かれていて、新鮮な感じはないけれど、こういうメッセージが増えれば、固定観念に縛られずにラクになる人も増えるかもしれないと思います。それから、今回の読書会のテーマが「他者の靴をはいてみる」ですが、この本はどんぴしゃりだと思いました。

マリオカート:多視点の物語で、それぞれの登場人物の事情や個性がよくわかり楽しく読めました。特に私は、「わかるわかる」を繰り返す倉内さんというキャラクターが興味深くて注目していました。あとは、つるまない女子の西原さんが、カラオケに強引に連れていかれる場面も好きです。p76「部屋にはタンバリンやマラカスもあり、ここは鳴らして盛り上げるべきなのかもと一瞬迷ったけど。スクールバッグを人質に取られている私がすることじゃないな」という文章から、西原さんって根はやさしくてユニークな子なんだなというのが伝わってきました。最後、笹森くん自身が登場し、スカートにした理由も納得できる展開だったのですが、お父さんとお母さんが妙に物分かりがよすぎる気がしました。あと、私が注目していた倉内さんが、最後の章にまったく登場しなかったのが残念です。ところでひとつお聞きしたいことがあります。p86の最後の行で、「「カッコいー」」と、カギかっこが二重になっていますよね。これは、2人が同時に言っているという表現で、児童文庫では当たり前になってますが、いわゆる普通の児童書でも、スタンダードになってきているんでしょうか?

コアラ:たまに見かけるようになりました。

ハリネズミ:私も見たことはありますが、そっちが多くなったということはないと思います。

マリオカート:エンタメ特有の表現かと思っていましたが、だんだん広がっているのかなぁ、と。

花散里:制服のことを取り上げていて、性的マイノリティがテーマである作品かと思いました。中・高校の図書館に勤務しているので、今の高校生のことを、しっかりと描けているのだろうかと感じながら読みました。スカートをはいた笹森君に対して、章ごとに変わる主人公が、どのように考えているのかという構成はおもしろいとは思いましたが、それぞれの登場人物を描き切れていないように感じました。p83「母親が二人いるの」というところなど、もっと踏み込んで書いてほしかったと思いました。登場人物は高校生ですが、グレードは中学生くらいからでも読めるような軽い感じがしました。

サークルK:『ロンドン・アイの謎』(シヴォーン・ダウド著 東京創元社)を先に読んで盛り上がってしまって、特別な感想が持てない状況になってしまいました。軽く読めるけれど,言葉の使い方が今風すぎてついていけないな、中高生とは話ができなくなっているかも、とあきらめにも似た気分になりました。笹森君はかっこいいし、中学生だったらおもしろく読んでしまうのかもしれませんが、軽さと内容の繊細さの微妙なライン上にある作品だと思いました。繊細な内容というのは細野さんの体形にまつわる「ルッキズム」、笹森君は単純にはいてみたかった“スカート”が象徴する「セクシャリティ」のカミングアウトのことです。もう少しそれぞれの心の内をしっかりした筆致で読みたい気持ちがしたし、確実なことが言えないところが中高生らしいのかもしれないし、悩ましいところです。中高生のアイドル的な存在の人の中にも最近では自分に正直に生きる、自分の嗜好/志向を表明する人が増えてきているようなので(例えばりゅうちぇるさん、ぺこさんのカップル等)、重たくならずに多様性の問題を考えるきっかけとするには手に取りやすい本だと思います。

雪割草:読みやすかったです。ひとつのことについて、違う人物の視点で語る構成で『ワンダー』(R・J・パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版)を思い出しました。同じ外見のことでも、服と身体的なこととの違いのためか、『ワンダー』に比べて内容も軽く感じましたし、スカートをはくという行動は勇気がいったと思うし、もっと深いところを知りたくはなりました。でも、他人の目を意識する日本の若者のリアルさは伝わってきました。私も小学校に入ってすぐに、絵の具セットを買うので青を選んだら、全校の女子はみんな赤で、男子はみんな青だったのでいじめられたことがありました。ジェンダーレスな制服より、私服でいいのではと思ってしまいます。

西山:地元の図書館でずっと貸し出されていて,読み返せていません。手元に本がないので、具体的に話せなくてすみません。この作品、高校生が主人公の割に、造本が幼いという指摘がありましたが、中身としては、高校生だからこその物語だなと思い、そこがもっとも印象的だった所です。これが、中学生たちだったら、「ふつうじゃない」同級生に攻撃的に干渉してしまったのではないかと思うんです。『笹森くんのスカート』の高校生たちは、やはり、中学生とは違う「おとな」であって、違いを認めなければならないという価値観を持っています。ですから、排斥などしないけれど、でも確実にかき乱されている。そこが新鮮でとてもおもしろかったです。違いが攻撃される軋轢をドラマにして、「違ってもいいんだよ」というメッセージに行くのではなくて、いろんな人がいることは当たり前の前提なのだけれど、そこでどうしてもざわざわしてしまう自分の正直な現実をまず受け止める物語は、新しい切り口だと思います。

エーデルワイス:楽しく読みました。「ぼくもわかるよ 篠原智也」の章が好きです。思い込みの強い倉内さんが責められても仕方ないところを、それでも倉内さんのことを好きだと思う篠原君はいい子だと思いました。ただスカートをはいてみたかったと淡々と言ってのける笹森くんが、本当の理由が従妹のためだということが分かり、推測していなかったので新鮮でした。最後のバンド演奏でバンド名「スカーツ」で全員スカートをはいてのステージは素敵です。「きみなら話せる 西原文乃」の章には、二人の母、母親と同姓のパートナーの話がでてきます。『君色パレット(2)いつも側にいるあの人』(岩崎書店)の中にあった、いとうみくの「にじいろ」と同じ設定ですね。私の中高は普通の公立でしたが、北国のせいか女子はスカートのみということはなくスラックスをはいても全くかまいませんでした。また昔はそれほど服を買えなかったように思います。私など高校まで服を買ってもらえず母の手作りの洋服を着ていました。そういう意味では制服は、昔は必要だったのかもしれません。

アンヌ:去年の九月くらいに一度読んだのですが、LGBTQXに触れているようで触れていないような話で、最後に「笹森君がなぜスカートをはいたのか」という種明かしもされていないなと思って、がっかりしました。でも、こうやって皆さんのお話を聞いていると、主題はそこではないのですね。今回読み直してみると一応は、いとこの真緒が制服を選ぶには強制的なカミングアウトのような状況に追い込まれると知って不登校になった。その苦悩を知るために、あえてカミングアウトと誤解されるようなスカートをはいたのだと語られていました。でも、「スカーツ」の演奏を聴きに行った真緒は、突きつけられた自分自身への疑問や学校の体制への不満から、果たして自由になれるのかな?などと、いまだに思い悩んでいます。

ルパン:おもしろく読みました。残念なのは、最後の笹森君のところがほかの子のところほどおもしろくなかったこと。「笹森君」は、それまで、みんなの目からミステリアスに描かれていたので、最後まで出てこないほうがよかったかも。まあ、ないならないで文句を言われるだろうから仕方ないですが。出すなら思いっきりドラスティックな理由でスカートはいたか、逆に「え、それだけでそこまでやっちゃうの?」という肩透かしくらいならおもしろかったかな。中途半端に優等生な理由で、おもしろくなかったです。それならいっそ冒頭に出しちゃって、「たったそれだけのことなのにまわりがめちゃくちゃふりまわされる」というほうがよかったかも。

まめじか:笹盛くんは苦しんでいるいとこを見て、スカートをはくってどんな感じなんだろうと思って、はいてみるんですね。笹森くんがスカートをはく経緯が、少し軽いのではないかという意見もありましたが、私はこの軽やかさがいいと思いました。理解してあげなきゃって思いつめると、みんなが息苦しくなってしまうので。さわやか男子の笹森くん以外の登場人物も、眼鏡を取ったら美少女とか、声が高くて人気のある女の子とか、少女漫画っぽさが少し鼻につく感じはありました。

ハリネズミ:この作品はジャンルからするとエンタメだと思んです。LGBTQとか、友人関係の問題を深く追求しているわけではない。でも、エンタメでこういう作品が出ることがおもしろいし、とってもいいなあ、と思います。他者の立場になってみるためにちょっとやってみました、っていうのも新鮮でした。マイノリティの描き方にしても、深く考えるばかりじゃなくて、さりげなく出てくる作品も必要だと思っています。たとえば、椎野直弥さんの『僕は上手にしゃべれない』(ポプラ社)は吃音の中学生が主人公で、自分の悩みや困難や、それを乗り越えていく過程を語っていきます。つまり吃音の克服をメインテーマにしてその問題と正面から取り組んでいます。一方ヴィンス・ヴォーターの『ペーパーボーイ』(原田勝訳 岩波書店)も同じ年頃の吃音の少年が主人公ですが、吃音は作品の多様な要素の中の一つにすぎません。でも、伝わるものはあるし文学としてもすぐれています。LGBTQにしても、翻訳作品だとさらっと登場する場合が多いですよね。そのほうが多様な世の中をあたりまえに感じることができるような気もします。
それから制服なんですけど、最初は私も制服をジェンダーレスにするより撤廃したほうがいいと思ってたんですけど、貧困問題の側面から考えると、そうばかりも言えないような気がしています。制服だと「あいつ1週間同じ服着てるよね」と言われたりはしない、ということもあるかと。私自身は制服は大嫌いですけど。

雪割草:通っていた高校が旧制男子中学校だったので、男子だけ制服で女子は私服でした。でも、制服がほしいというニーズもあり、今は女子の制服もできたと聞いています。

すあま:経済状況との関わりでいうと、逆に制服が高いので私服にしてほしいとの声もあり、制服のリサイクルもあるそう。制服があって同じ格好をしている方が安心とか、おしゃれな制服で学校を選ぶというのもあり、制服はなくならないのかもしれません。

(2023年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『君色パレット1』表紙

君色パレット(1)ちょっと気になるあの人

すあま:『マンチキンの夏』の後に読んだせいか、物足りなさを感じました。「日傘のきみ」は、設定はおもしろいと思ったけど、最後になぜ別の傘に乗り換えたのかわからないままで、もう少し長い話であればよかったのに、と思いました。「恋になった日」は、ノートでやりとりした相手が想像通りで、意外性がなかったのが残念でした。「Hello Blue! 」は、ファンタジーで、洋品店の男の子が実在の人物ではないのかと思って読んでいたら、そうじゃなかった。短編なので仕方ないけど、もうちょっと登場人物がしっかり描かれていれば共感して読めるのに、と思いました。多様性というテーマは、短編では語りつくせない難しさがあると思います。

アンヌ:「日傘の君」は、よくわかりませんでした。アリガトウと言ったのは傘なのか谷岡なのか、タピ岡でなくなったのは友情が芽生えたという意味と捉えていいのかどうかとか……。「親がいる」の状況は、実はもう現実にいろいろな家庭で起きている話だと思います。主人公と親の過去の関係が全然見えてこないので、ほんの一瞬を切り取ることで、コロナ下の物語としたのかなと思いました。「恋になった日」は王道の恋物語で、同じものを見るというところから恋は始まるという感じで、すみれ色のテレビ塔の伏線はなかなかうまいと思いました。「Hello Blue!」は完全にファンタジーとして読んだのですが、多様性という意味では一番うまく描かれていると思います。特に帽子の青を空や海の色として説明するところは、目が見えない人でも同じ世界にいて、その人が見えないからといって理解できないわけではないということを見事に語っています。服を拾ったり、強盗に服をあげたりするところも、現実にはあり得ないけれど、お伽話の世界につながっていくような心地よさがありました。

コアラ:4つの短編のどれも、心になにかしら引っかかりを作る感じで、よかったと思います。テレワークで、家で仕事をしている親を見る、というのは、子どもにとっては知らない親の一面を見るという意味で、新鮮な体験だろうなと思ったし、物に恋をするという人の存在を本当に受け入れたら、その物がただの物とは思えなくなる、というのも、リアリティを持って感じることができました。多様性というところではないけれど、「恋になった日」のp105『好きです。』とノートに書いて消す場面が、私はけっこう好きで、中学生の恋心がよく表れていると思ったし、消しゴムで消しても跡が残るところが、ノートに書くということの特性だと思いました。SNSで告白するとしたら、SNSならではの迷いとか言葉の使い方とかの描き方があると思うし、この物語では、ノートに書くという特性を生かしていてよかったと思います。ただ最後、両思いになったときにp113「カバンが、急にずしんと重く感じた。」というのは、ちょっと違うんじゃないか、別の締めくくり方をしてほしかったと思いました。イラストは、全体的に人物が大きく描かれていて、けっこう主張しているように感じました。4人別々の作者の短編集だけど、イラストのテイストが共通しているのが、短編集にまとまりを持たせていて、私はいいなと思いました。男の子なんだけど女の子にも見えるような描き方とか、決めつけない感じにも好感を持ちました。装丁には一言言いたい。図書館から借りてきた本は、背の部分がもう色が褪せてきています。ショッキングピンクは褪色しやすいので、残念に思いました。

まめじか:「日傘のきみ」は、登場人物が対物性愛者というのが新しいと思いましたが、タピ岡の心変わりの経緯がわからず、消化不良でした。「恋になった日」は、好きな人ができた主人公が、「たいせつなこと、考えてた」と言ったとき、友だちの琴子がさみしそうに笑いながら、それ以上なにも聞かないというのに、二人の関係性がうかがえました。「Hello Blue!」では、目の見えない主人公はたくさんのことに気づいていて、それに対し、男の人はスカートをはかないなど、固定観念のある母親には見えないものがあるというのがおもしろかったです。強盗が出てくるのは、ちょっと唐突では……。

サークルK:挿絵がかわいらしく、中学生が手に取りやすい厚さの本だと思います。「多様性を見つめる」という今の時代にふさわしいテーマがどのように語られているのかを楽しみに読みましたが、全体的にふわふわとした感じでとらえどころがないように感じられました。たとえば1作目「日傘のきみ」では、セクション1がポエムのような始まり方で、主人公の出自や両親、ふるさととの関係が紹介されているのに、セクション2以降それはあまり深く掘り下げられることなしに話が進行して、友達が「対物性愛者」であることの衝撃に関心がさらわれて行ってしまいます。2作目「親がいる。」は挿絵の幼さと内容のギャップに驚き、しっくり頭に入らないまま話が終わってしまいました。各掌編の終わりに1行コメントを置き、心に残ったことを読者に考えてもらうような呼びかけがあるのは、おもしろい試みでした。ただ余白が多すぎるのではないかなと少し気になりました。

しふぉん:「日傘のきみ」のタピ岡は、将来結婚したいとも思っていた日傘・キョウコさんの柄に〈イママデアリガトウ〉と彫りつけて、渚とよく会っていた場所にどうして捨てたんだろう? キョウコさんとの出会いがネットショッピングだったからなのかな? そして新しい相手・黒い日傘とはどうやって出会って、恋に落ちたんだろうか? よくわからないまま終わってしまいました。「恋になった日」は、なんだか懐かしい青春時代を思い起こさせてくれました。昔は、駅に伝言板があったり、いろいろな所で伝言ノートを見たような気がします。家庭科室の教卓の中におかれたノートの書き込み。相手がどんな人かもわからずに、書かれている言葉の中に、自分と共通する感性にふれる喜びが伝わってきました。そんな風に恋が芽生えた島本くんと星那がずっとうまくいくといいなあと願いました。「Hello Blue!」はどうしてこのタイトルなんだろう? Blueって元洋品店の子・国崎蒼のことなのかな? だとしたら上手いタイトルだなあって思いました。それとも話の中に、青いシャツ、裏地が青のフェルト帽、青いデニムのジャンバースカートと出てきてくるからなの? お話全体に、この蒼の優しさが溢れていました。莉紗が怒りに任せて公園の屑籠に捨ててしまったジャンバースカートを 拾って洗濯し、糊付けまでしてショウウィンドウに飾ったり、蒼は服が好きなんだろうなと思いました。自分に対してひどいことを言う強盗にまで、食パンや牛乳を出し、服も一式プレゼントして、心もお腹まで満たしてあげて……。そんな中学生がいたらすごいと思います。今は学校に行けてないみたいだけど、とてもいい子なので、服飾関係に進んだりして、蒼の未来が明るいものであればいいなと思いました。

ANNE:見返し用紙が透けていたり、余白が多かったりと、装丁が今風だと思いましたが、背表紙はすぐに抜けてしまう色合いなので、図書館員としては少し気を使うところです。オムニバス形式は私にはちょっと物足りない感じですが、子どもたちには読みやすくていいのかもしれませんね。ひこ・田中さんや魚住直子さんなど、ベテランの児童文学作家さんが、世相に合わせた作品を発表されているところがすごいと思いました。

花散里:中・高校の図書館に勤務していて、中学生が「3分間」や「5分間」で読めるようなシリーズ本を好んで読んでいるので、「ショートストーリー」と題した短編小説だったので関心を持って読みましたが、全体的にとても物足りなかったです。読み終わってから、しばらくするとどんな物語だったか記憶に残っていないような読後感でした。作者はそうそうたる方たちですが、こういう短編シリーズの依頼が来た時にどのように取り組まれているのかと思いました。本のタイトルは「読んでみたい」と思わせましたし、多様性を取り上げていて、テーマは斬新だと思いましたが、どの作品にも魅力は感じられませんでした。絵がどの作品も同じなのも受け入れられませんでした。図書館員として手渡したいと作品と、実際に好まれ、読まれている作品とのギャップについて改めて考えさせられました。

シア:非常に読みやすい本なので中学生の朝読書などにいいかもしません。絵も本の薄さもかなり中学生好みにしている感じがしました。色の褪せやすいショッキングピンクですが、書棚でも本屋でも目に入りやすいと思います。内容も薄めだし、退色したら捨てるくらいの消費物的な本だと思います。本の読めない子、嫌いな子がアクセスしやすい本だと思うので、不読者対策としてこういう軽めな本が出回るのは仕方のないことかもしれません。こういった本から入って、しっかりとしたものまで読めるような呼び水になればと思いますが、厳しい内容のものも多く、選ぶのは困難を極めます。さて、この本なんですが、1作目がかなり人を選ぶ話なので、ここでつまずく子どもが出そうです。なぜこれを1作目に持ってきてしまったのか……。対物性愛者の話は珍しいですが、タピ岡が日傘を捨てる心境に至った理由をテスト問題にしたら誰も答えられないと思います。でも、4作目の洋服で繋がる友達というのは良かったです。服というアイテムは多様性を表しやすいし。ただ、やけっぱちになっていたとはいえ、男のしたことは犯罪なので、そんな男に一番価格が高くなるワンセットをあげてしまうというのはなんだか釈然としませんでした。個人的には2作目が一番おもしろく読めました。コロナ禍を扱った物語は多いけれど、テレワークで両親の仕事をしている姿を垣間見て世界の広がりを感じるという観点の本はあまりなかったと思います。身近な人間の働いている姿を間近で見ることは、子どもの視野を広げるという意味でとても重要だと感じます。紛らわしかったのは、1作目のタピ岡と4作目の国崎蒼が挿絵も似ていることもあって同じに見えてしまったことです。日傘が好きなのは服屋さんだからかと妙な納得をしていたんですが、よく考えたら名前も違う別人で、作者も違いましたね。

伊万里:最近のアンソロジーは、テーマで勝負する方向が強くなっていて、その結果、極端というか過激というか、怖いお話を集めていたり、驚かせるような強めのテーマが多くなったりしています。そのなかで、このアンソロジーは、「ちょっと気になるあの人」という、ゆるめのテーマなのがいいなと思いました。戸森さんの作品は、非現実的にも思えますが、後から頭に絵が残る作品だなと感じました。ひこ・田中さんの作品は、コロナ禍のリアルを取り上げています。親の別の一面を見る展開が、地味ではありますが好きでした。魚住さんの作品も、童話とリアルの境目のようなところが興味深かったです。吉田さんの作品は、ほのぼのしてますが、島本くんをいったん否定して、けれどやっぱり島本くんだった、とわかったときに、サプライズ感のまったくないところが少し残念でした。

アカシア:「日傘のきみ」ではp26で「お前なんかよりも日傘の方がたよりになると、見限られたような気がした」という表現が出てくるのですが、この段階では主人公は谷岡に思い入れがあるように書かれていないので、「見限られた」という表現が浮いてしまっています。「親がいる」は暮らしの表面をなぞっているだけで、インサイトがもっとあればいいのにと思いました。「恋になった日」は、p95に「いびつな文字」とか「右上がりになるくせのある文字」と文章にはあるのにp94の挿絵はどちらも書体が同じ。こういうのって、入り込んで読んでいた読者を裏切ることになるので、もっとちゃんと考えて本造りをしてほしいです。島本くんを好きでも嫌いでもいいのですが、言ってみれば花占いのような短編を読まされて、読者の子どもは何かがわかったりするのでしょうか。クリシェに寄りかかっていて意外性がなくて、新しい世界は見えてきません。「Hello Blue」はちょっとおもしろいと思ったのですが、泥棒が出てこなくてもいいように思いました。短編は一面しか描けないとしても、もっとその奥がうかがえるような書き方だったらおもしろいと思うんです。でもこの本は、そうそうたる作家さんたちの良さも生かされていなくて、編集者の気配が感じられません。どれも文章や表現に緊張感がありません。さっき「不読者対策が必要」という声もあり、それはわかるのですが、ただ短い時間で読めるというだけでは、本のおもしろさを知って読者になっていくということにつながらないと思います。もっとちゃんと本をつくってほしいです。

エーデルワイス:1つのテーマで複数の作家が短篇を書くのは大変なことと思いました。また作家の力量がでますね。テーマに沿った内容はもちろん織り込みつつ、独自性をだすのですから。文学の香りもほしいです。『日傘のきみ』が好きです。『Hello Blue!』さすが魚住直子さんと思いました。「多様性」ということを子どもたちに知って読んでもらうには、このような本の作りは効果があると思いました。けれど子どもたちはゲーム、コミック、アニメなどから「多様性」がすでに浸透しているような気がしています。

ハル:戸森さんの「日傘のきみ」以外は、「多様性」のテーマに答えているのかどうか、ちょっとよくわかりませんでした。サブタイトルにはあっていますけどね。それで「日傘のきみ」は、さすが戸森さん、一歩先に進んでいるなぁと思ったし、文学としてはおもしろかったのですが、おそらく道徳的な狙いでつくられたこの企画としては、それに応えられているのかどうか……。愛していたキョウコさんの柄に文字を彫るのはありなのかなとか、この感覚も「◯◯性愛者」だとくくってしまってはいけなくて、人によって違うのかもしれません。対物性愛とか、動物性愛とか、小児性愛とか、どこまでが多様性なのかもちょっと考えてしまいますが、とにかく、共感できなくても理解はしようとする姿勢は、どんなケースにおいても必要なのかもしれません。

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さららん(メール参加):どの話も日常の中でほんの少し視点をずらすことで、まったく見えなかったことが見えてくるところが、マンチキンとつながると思いました。でも描き方は全く別。本の作りも、挿絵がたくさん入っていて、子どもたちが手に取りやすい工夫を感じました。本を返してしまって、また借りるのが間に合わなかったので、あまり細かく書けないのですが、戸森しるこさんの対物性愛者(と呼んでいいのか)のお話は、それほどいやらしさはなく、目の前にこんな人がいたらちょっとたじろぐけれど、これを読んでいたら、少し受け入れやすくなるかもしれない、と思いました。短編ならではの「落ち」を生かした書き方でしたね。どれも良かったのですが最後の魚住さんの「Hello Blue!」の男の子の話は、物語性で読ませます。『自分を生きるのは自分』という言葉はきっと子どもたちに届くと思います。

西山(メール参加):読んだことを忘れていました。全部読み始めたら思い出しましたけれど、また忘れそうです。

(2023年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『セカイを科学せよ!』表紙

セカイを科学せよ!

ネズミ:ミックスルーツのことやステレオタイプからの解放など、意欲的なテーマだと思いました。ただ、いろいろなやり方でミジンコの写真を撮ろうといくところからはおもしろく読みましたが、中学生同士のやりとりにはしゃいだ感じがしたり、先生たちがあまりにもひどかったりというところは、ついていきにくかったです。こういうテーマなので、重くならないようにという配慮なのかもしれませんが。

アンヌ:生物の授業が好きだったので、題名といい目次といい、この物語はおもしろいぞと読み始めました。期待通り山口さんの虫好き度合いは普通ではなく魅力的でした。けれども、ミックスルーツの主人公が同調圧力につぶされそうな日本の中学生として、物語が始まっていくのは意外でした。梨々花の母親といい教頭といい、担任も校長も含めて、いい大人が全然出てこない物語でしたね。それだけに主人公たちの成長が気持ちよく読んでいけましたが……。ロシア語のことわざにもう少し解説があってもよかったのではないかと思いましたが、調べるといろいろおもしろくて、楽しむことができました。それから、お父さんがお兄さんに「ロシアには兵役があるぞ」という場面には、どきりとしました。

雪割草:学校の書き方が少しベタには感じましたが、虫という生きものをとりあげているのがおもしろかったです。敬語で話す山口さんや堅物な感じの校長先生は、キャラクターが漫画っぽいとは思いましたが、山口さんが風変わりな「好き」を貫く姿は、気持ちよかったです。自分の見方に固執して人のことを考えていない発言もあった山口さんが、パソコン班の人たちと一緒に研究に取り組んだり、と交流するうちに、相手の立場に立てるようになっていくのが、よく描かれていると思いました。それから、虫を気持ち悪いと言っていた子たちが、ちゃんと観察することで、案外かわいいじゃないと気が付くなど、「偏見」というものの見方について随所で描いているのも巧みだと思いました。

ハル:前回の『スクラッチ』(歌代朔作、あかね書房)と並んで、いま私のなかではトップクラスに好きな1冊です。今回のために読み直せなかった自分にがっかりするくらい好きです。p198で、「もしかして、お兄さん! 自分のことを外来種とか、外来種との雑種って思ってるんですか?」「違いますよっ」「人間は、同じひとつの『種』ですから」と山口さんが言うそのセリフを読んだときのわたしの高揚感! あの高揚感をいつも思い出します。人種とか、多様性とか、偏見とか、重たくなりがちなテーマだし、陰湿にもなりそうですが、それをここまで痛快に、そして読者の好奇心も焚き付けながら書き上げて、すばらしいなと思いました。もちろん、人間の社会は科学では割り切れないところもあるはずですが、「細胞が」とか「種が」とかで突破できるんじゃない? と思わせてくれるところが楽しかったです。

エーデルワイス:とっても楽しく読みました。表紙の絵が主人公たちの人間標本になっているところがおもしろいです。山口葉菜が何かと「ニマニマ笑う」表現がお気に入りです。
葉菜は虫女子ですが、小さい頃子どもはたいてい虫好きのように思います。ダンゴムシやミミズなどを触って。それがだんだん好きな子と嫌いな子に分かれてしまう。特に女の子は好きでも周りに併せて「虫キャー!」と、虫嫌いキャラになるのかもしれません。
ロシアの格言興味深いです。人間はホモ・サピエンス……の件は感動しました。

マリオカート: 昨年読みました。今回は再読できなかったので、当時書いた感想を話したいと思います。全体的にストーリー展開はユニークでおもしろく、引き込まれました。虫やマイナーな生物の話のなかに、人間のミックスルーツなどの話が組み合わされていますね。印象的な言葉が多く、ロシア語のよくわかるような、わからないようなことわざが、ちょいちょい入ってくるのも興味深かったです。ただ、敢えて言うと、物語の仕掛けを作ったときの力技な部分のしわ寄せが、全部、山口アビゲイル葉奈さんに行っている気がします。キャラとして、そんな子いるかなぁ、という若干の不自然さをまとっているように思いました。

まめじか:葉奈は生きものの分類にこだわっているわけですが、人間というのは、分類できない複雑さをもっています。それは、科学部のメンバーをはじめ登場人物のいろんな面が描かれることで、主人公のミハイルにも読者にもだんだんわかってきます。「人種」は社会的に創られた概念だという考え方もありますが、この本には、人間はみなホモ・サピエンス種なのだとはっきり書かれていますね。ちょっと気になったのは、実は研究発表はしなくてよくて、研究テーマさえ決めればよかったというオチです。校長はブツブツとつぶやくようなしゃべり方で、聞きとりにくかったと書いてあるものの、p148には「研究成果が出ることを期待しています」とあるので。ミハイルたちにはそういうふうに聞こえたということなのかもしれませんが、若干無理があるような。

シア:この本、とてもおもしろかったです。ラストの「他人の言うことにとらわれるな」というロシア語のことわざに全てが詰まっていると感じました。共感性というものが生活の軸になっている、今の子どもたちや社会をしっかりと表現していると思いました。ルーツに揺れる主人公たちの気持ちもていねいに描かれていて、第一印象が大事だとか、人は見た目が9割だとか言うイメージ先行型の考えを持っている人を柔軟にしてくれそうです。話の展開やキャラクターたち、そして読後感も良いので、中高生にぜひ読んでほしいと思います。JBBYのおすすめ本選定でほぼ満点を取った本というのもうなずけます。生徒たちがパソコンを使えないというのもリアルでした。今、学校で配布しているのもタブレットだし、保護者ですらスマホ中心の生活に移っているので、パソコンが家にない子もいるんですよね。小学校でパソコンの授業が必修化しましたが、若い教員やベテランでもパソコンが使えなかったりしますし、どうなることやら。それにしても、保護者にしても誰にしても、意見を言いやすい世の中になったと思います。ただ、それは意見というよりは言ってもいい相手に放つ言葉という感じがします。今の時代、共感を持たれやすい言葉を使うことが求められていて、ミハイルのように周りに合わせることが重要だと思う子が多くなりました。だから良いとは言えませんが、ミハイルの生き方は日本社会、こと学校では間違えていないし、梨々花がこんなにいろいろ言えるのは周りに受け入れられているからだと思います。でも、ミハイル本人の思いとは裏腹に今後彼は顔で受け入れられていきそうですね。理不尽が横行しがちな義務教育を乗り切れば、あとは顔面偏差値がものをいう世界でもありますから。何を言ったかではなく、誰が言ったかというところを重視されがちな世の中ですし。ユーリ兄ちゃんも日本にいればいいのになあ。個人的にすごく良かったのはp179の「俺たちは意味不明に張り切った」というところで、自分で決めた納得のいく目標が出来れば、この頃の子ってそれこそ意味不明に頑張れるんですよね。学校に限らず、そういう機会や選択肢を増やすことが大事だと思います。気になったのは蚊のところですね。p125で「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」と言っていますが、これはわざとと言えるのではないかと。根底に悪意が完全にないわけではないんじゃないかなって。悪意ある風評によって、「肝試し」「魔界」というマイナスな印象を持っているわけだし。それを否定せずにいること自体、悪意と言えるのではないでしょうか。そもそも忍び込むということ自体まずいですよね。謝ってすむとか、中1だからという風潮は良くないと思います。虫めがねを隠した子たちも含めて、軽い気持ちのいたずらがどういうことになるのか、ここで教師の出番のはずなのに何もフォローがないのが気になりました。嫌な教師や悪いことをした子たちが物語を展開するだけの道具になっていることが残念です。メグちゃんも新人だとしてもイライラするレベルです。それに生徒用(しかも科学部)のパソコンなのにノートパソコンで、しかも防犯用に固定もされていないなんて、この学校の危機管理はどうなっているのか問いたいくらいです。他にも部活動や教員関連で問題にしたい部分も散見されましたが、前回わりと散々言ったのでもういいかなって感じです。

アカシア:ユーモラスに問題を展開させていくという意味で『フラダン』(古内一絵著 小峰書店/小学館文庫)を思い出しながら読みました。あっちは高校生が主人公なので、もっと心理的には複雑なんですけど。おもしろくする工夫はいろいろあって、p11のミハイルが作ったチラシですが、不必要なアキがあったり、点が2つあったりなど、わざと間違いがあるままに出しています。p79の最後の文章とか、p122のボウフラのネットをはずして謝りにきた中1の男の子たちの描写とか、父親はこの人だと言って葉奈の母親がウィル・スミスの写真を見せるところだとか、笑える文章も随所にありました。ミハイルは考え方も話し方も日本的なんだけど、ところどころにロシア語のことわざがはさんであって、「あ、ミハイルのお母さんはロシア人だった。ダブルルーツの子だった」と思い起こさせてくれます。空気を読むことばかり気にして無難に世渡りしようと思っているミハイルに対し、空気を読むことに興味がない葉奈。両方外国ルーツも持つという共通項がありながら正反対の主人公を出しているのがおもしろいですねえ。そして、ステレオタイプに考える人たちと、それに反発するミックスルーツの人だけではなく、p110で「もっと深刻な悩みを持ってる人はいっぱいいるんじゃないかな。不治の病とか、親に虐待されてるとか、すんごい貧乏だとか」「こっちもいそがしいんだからさ。な、いちいち甘えんな」などと言ってしまう仁のようなキャラクターも出してくるので、読者も複合的な思考を迫られます。仁の存在はけっこう大きくて、その影響もあってミハイルも兄に対して「つらいのは自分だけみたいな顔しやがって。十八にもなって情けねーんだよ! 誰だって悩みのひとつやふたつくらいあるだろ。俺だってなー」(p194)という言葉をぶつけるわけですが、兄が本当に苦しげにギュッと拳を握りしめていることに気づいてハッとします。ここで、ミハイルは(そして読者も)さらに複雑な思考を獲得できそうです。山口葉奈の小動物についての蘊蓄も、ミジンコの心拍数をどう計測するかを考えていく過程も、おもしろかったですし、他者と合わせようとしない葉奈の存在そのものも、葉奈の発言も小気味よかったです。

ANNE:この会に初めて参加させていただきました。皆さんの感想が本当にそれぞれでおもしろいですね。私は2009年まで学校図書館にいましたが、当時の中学生はパソコンをもっと使いこなしていたイメージがあります。この十数年で子どもたちのIT環境もずいぶん変化してるんだなぁと改めて思いました。個性豊かな登場人物の中でも印象に残ったのは、主人公ミハイルの兄ユーリです。なかなか自分のアイディンティティを見いだせず、バイトもうまくいかない、いっそロシアに行って暮らそうかなどと考えているユーリの存在がこの物語の大きなキーワードになっているように思いました。ロシアで暮らしたいという長男に向かって母が言う「ロシアには徴兵制度があるのよ」という言葉が、現在の社会情勢とも相まって大変心に残りました。

しじみ71個分:この本はとてもおもしろかったのですが、残念なことに最初の出会いで失敗してしまいました。研究会の課題本になっていて、まだ読んでいないときに、先に人の意見を聞いてしまったんですね。なので、その印象が強くて…。多くの研究会参加者がおもしろいと言っていたのですが、葉菜の外見的な特徴で彼女のルーツについて表現しているという点で、こういった表現は既に海外では受け入れられないだろうという指摘もありました。なので、その印象に引きずられて読んでしまったかもしれません。でも、自分で読んでみたら、テーマも大変に挑戦的ですし、お話の内容もテンポも軽快で明るいですし読みやすく、やっぱり物語の作り方が非常にお上手だなと思いました。すべてのキャラクターも個性がはっきりしていてとっても読みやすいです。ただ、葉菜の「コーヒー色の肌」とか、「紅茶色」とか複数回出てくるので、キャラクターの紹介が既に終わっている段階だったら、肌の色についてはそんなに何回も記述しなくてもいいんじゃないかと思ったところはありました。また、アフリカにルーツのある人たちはバスケがうまいとか、そういったステレオタイプなイメージを破るために、あえて正反対の、虫好きの、運動が得意ではない人物を立ててきたおもしろさはあるのですが、それがある意味、逆にステレオタイプになっているかもしれないなとも、ちょっと感じてしまいました。ですが、後半にミハイルや葉菜のルーツの問題は置いておいて、生物班の存続のために、みんながミジンコの心拍数をどうやって計測するかについて、実験してトライアンドエラーを繰り返すあたりの場面はとても新鮮で、科学的な視点を持つことの重要性やおもしろさを伝えてくれましたし、葉菜のホモ・サピエンスについての考え方に表れているように、偏見とか先入観、思い込みといったものを科学的な視点で乗り越えていくこともできるんだと気づかせてくれ、読んで明るい希望も湧いてきました。

ルパン:おもしろく読みました。はじめ、「なんだ、部活ものか」という感じで、大仰なタイトルに合わないんじゃ、と思ったのですが、後半からぐいぐい来て、さいごはこのタイトルがぴたりとおさまりました。普通だったら腫れ物にさわるように避けてこられたようなテーマを正面から取り上げていて、すごいな、と思いました。しかも、誰も傷つけずにデリケートな問題に向かい合うことに成功している。「国際児童」「こじらせ系ハーフ」「コーヒー色の肌」、しまいには「北方領土をどっかの国からまもらなきゃ」まで言っちゃって、まさに「あっぱれ」です。

しじみ71個分:ネットで、バスケのオコエ桃仁花選手や、八村阿蓮選手が、日常的にTwitterなどで人種差別を受けているという記事を読んだり、自らのアイデンティティについて苦悩する八村選手の短編映画などを見たりしました。彼らに対して投げかけられた差別発言は目を覆うばかりの酷さです。この本は、そういった差別意識を乗り越える一つの方法を提示しているように思いますし、気持ちよく読んで、ミックスルーツ問題について考えるきっかけを得ることができると思うのですが、一方で、その前に、本当にひどい差別が社会に横行している事実や、差別で傷ついている人がいることを知らせる必要があるとも感じました。自分では気付かない差別意識が自分の中にあるのではないかと常に問いかけることを伝えてくれるような、そんな本もあったらいいなと思います。

アカシア:日本には差別がないと思っている人は多いんですけど、そんなことはないですよね。私は、若い時に反アパルトヘイト運動をやっていた方から、「子どもが好奇心をもって、アフリカ系の人の髪の毛にさわろうとしたりするのは差別ではない。それを差別だからとやめさせようとすると、見て見ないふりばかりするようになってしまう」と聞いて、なるほどと思ったことがあります。自戒を込めていうと、日本は、差別してないと思っている人でも、アフリカ系ならダンスがうまいだろうとか身体能力がすごいだろうなどとステレオタイプで見る場合が多いし、見て見ないふりの人も多いと思う。

西山:最後まで再読しきれなかったのですが、やっぱりおもしろかったです。「科学」の取り込み方が絶妙! 生きものの分類に対する興味とミックスルーツの自分の問題がかっちりはまっている。情緒的に「差別はいけません」「いじめはいけません」と説くより、よほど説得力があって、同調圧力のうっとうしい壁に風穴を開けてくれるのではないかと思います。課題図書にもなって、多くの中学生の手に取られることは喜ばしいと思いました。ボウフラのネットが外された事件も、山口さんの「よかった」「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」というつぶやきに、ミハイル同様「悪意というものがなかったことに救われた気持ち」(p125)になりました。この展開を結構大事なメッセージだと思っています。あと、ロシアのことわざがキュートですね。ロシアのウクライナ侵攻の前にこの作品が出ていてよかったと思います。ロシア人を、そういう文化を持っている人たちなんだ知っていることが、妙に重要になってしまったと感じています。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『スクラッチ』表紙

スクラッチ

まめじか:不要不急という言葉が押しつける我慢、大人が求めがちなものわかりのよさに、中学生が全力で抗う様子が頼もしく、気持ちよく読みました。災害やコロナなど、人生にはいろんなことがありますよね。思いがけないところから墨が降ってきて絵を汚されちゃったりもするし。でも、なんど闇が訪れても、光さす暁の瞬間は必ずあって、それはこの手でつくっていける、浮かびあがらせていけるというのに、ぐっときました。主人公たちが、ぜんぶ人になんとかしてもらおうとか、だれかのせいにするとかじゃないから、応援したくなるんですね。鈴音はディズニーランドに行こうとしている友人を非難したことで、それは帰省した姉を避ける近所の人と同じだと諭されて反省していましたが、そうやって自分のことを省みたり、千暁(かずあき)が絵を通して自分と向きあったりする様が、すがすがしかった。鈴音がすぐに泣いたり怒ったりして、生の感情をストレートに表せるのに対し、千暁はいつも冷静で、人との距離をはかりかねているようです。感情をむきだしにした鈴音の絵と、千暁が洪水のあと避難所で暗い感情を押し殺し、鮮やかなクレヨンで描いたタンポポの絵の対比が、見事だなあと。若干気になったのは、登場人物がみんないい人というのと、手の皮がむけるような過酷なトレーニングは、今の中学では行き過ぎた部活指導にあたり、指導として認められないのではないかということです。

シア:そういう指導の仕方は今の時代アウトですね。でも、残念なことにこういう学校がないとは言い切れないので、今後の部活動の在り方が問われますね。

まめじか:p. 3の「肌色」という言葉は、使わないほうがいいのでは……。「そんなキャラやったっけみのり?」(p 73)、「なんだそれふつうにひどい男じゃないかって思ったけれど」(p104)、「千暁みたいに頭よくないよどうせ」(p277)などは、読点がないのが少し気になりましたが、このほうが一気に読めて勢いが出るのかな。p191の千暁の章で「二宮(みのり)さん」とあるのは、千暁の心の声として「みのり」を括弧書きにしてるのか、それとも二宮さんがみのりのことだと、読者にわかるようにしているのか?

ハル:私はこの「(みのり)さん」の感じ、わかるなぁ。こういう子、いませんか? 親しみは感じているけれど、名前呼びするのは気後れするから、わざわざ括弧をつけて呼ぶ。ちょっと二次元的な表現なのかな。

ニャニャンガ:千暁にとって、この時点でまだ下の名前で呼ぶほどには打ち解けていない相手なので、括弧付けで名前を入れたのだと思いました。

まめじか:「べたべたとネットをくぐって」(p53)、「きゅっと僕を見た」(p104)、「きゅっと姿勢を正して」(p266)、「ペンギンのようにでべでべとかけて」(p149)、「雲が空をごんごん流れてきて」(p331)など、表現が独特ですね。「片手でわしっとつかんで」(p105)、「目元をにこにこさせて」(p109)などは日本語として正しいのかわかりませんが、そういうことを気にしすぎると、表現として窮屈になるのでしょうね。

アマリリス:一人称で書かれているので、この登場人物自身のボキャブラリーなのだと認識していました。だから、違和感なく読めましたよ。

ハル:久しぶりに、っていうと語弊があるかもしれませんが、久しぶりにいいYAを読んだなぁという読後感に浸りました。中学3年生の内面が、実際にそうなのか、本当のところはわからないけれど、表現されているこの子たちの心情や行動が、すべて真に迫っている、圧倒的なリアリティを感じました。体感をともなって想像したり、共感を覚えたりしながら読むことができました。もしかしたら、主人公たちと同世代の読者には、ちょっと長かったかなぁというのは少し気になりましたが、ぜひ、中学生、高校生に読んでもらいたい本です。

ニャニャンガ:とてもおもしろく、ほぼ一気読みでした。スカッと気持ちのいい青春物語という印象です。題名の「スクラッチ」の意味がわかってからは、さらに物語に入り込みました。じつは表紙の絵があまり好みでなかったために読んでいなかったので、今回みんなで読む本になってよかったです。翻訳作品にはない日本語の自由さを感じたので、翻訳者としてうらやましく思いました。p237「によによ笑う」、p247「す、っと、はっかのような空気が僕の肺に流れこむ」などの表現がとくに印象に残りました。またp255の絵を描くシーンにはドキドキしました。千暁が転校してきた理由や、その後、人と深くかかわりをもってこなかった理由などがわかり、鈴音と文菜、健斗との交流を経て少しずつ心がほぐれていくようすがよかったです。千暁の読み方がなかなか覚えられなかったけれど、千の暁という名前が物語とつながり、ぞくぞくしました。最後は、浸水被害の被災を乗りこえる家族の姿に感動しました。

エーデルワイス:とてもよかったです。今どきの中学生が、ため口で本音を語り、清々しい。コロナ禍になって3年ですが、子どもたちにとって1か月でも1日でもかけがえのない日々です。制限や我慢の連続の影響が今後どのようにでるのだろうかと心配です。主人公の鈴音、千暁たち中学生のいらだち、希望がストレートに伝わりました。印象的な場面はたくさんありますが、鈴音の中学生活での最後のバレーボールの試合終了後の場面は青春! でした。千暁が両親と美術館へ行った帰り、カップラーメンを食べたいと提案すると、いつも完璧に美味しい食事をつくる母が賛成して震災直後よく食べていた銘柄を言うところは、震災を体験して心に傷を負いながらそれを言葉にしてこなかった家族がようやく復活した素敵な場面だと思いました。

ネズミ:コロナ時代の中学生活を描いていて、もやもやのたまった感じがよく出ていると思いました。中学生同士のやりとりは、中学生は「あるある」という感じで読むのかもしれませんが、この会話がリアルなのか、戯画化や誇張があるのか、私には判断がつかず、ちょっとやかましく感じられて、途中はとばして読んだところも。あと、途中で説明的と感じられるところもありました。千暁は賢くて、自分で説明をつけていくだけかもしれませんが、p160の4行目で「この病気は仮病だと疑われて理解されにくいこともある、みたいなこともレポートされていたっけ、と思い出す」、p161の6行目「僕自身も親が、特にお母さんが小さい子どもに注意するようにいまだに口うるさいことにうんざりすることもあったけれど……」とか、この子の説明ではなく、物語でわからせてくれたらいいのになと。

アンヌ:よくこのコロナ下の現状と被災者の気持ちというのを描いてくれたなと思いました。きれいな絵を描くことで、母親の期待に添い、過去から目を背け自分を押し殺していた千暁が自分自身を取り戻し、真の創作衝動を取り戻す。それに対して、並行した主人公であるはずの鈴音は魅力的な個性なのに、狂言回し的役割なのが残念です。ただ、千暁の冷静さが、おもしろさを阻んでいる気がしました。あまりに自分や家族を冷静に分析しすぎで、中学生というより作者が顔を出して語っているのをずっと聞いているような気がしました。恋愛的要素を実に繊細に排除しているのも少し不思議でした。

アカシア:私はアンヌさんと違う風にとっていました。千暁はコミュニケーション障害を持っていることを自覚していて、一つ一つをピンダウンしていかないと次に進めないんだと思うんです。それで、友だちもできにくいので、親もそれを心配しているわけですよね。だから、必ずしも理想的な家族じゃないと思うんです。それと、最初ざっと読んだときは、美術の先生が男性だと思ってたんですが、もう一度ちゃんと読んだら、女性だったのにびっくり。全体に、生きのいい日本語ですよね。翻訳ではなかなかこういうわけにはいきませんね。このくらい自由な日本語で翻訳もできるといいんですけど。リアルにコミュニケーションを取った時、人は他者の立っているところに気づき、その人ならではの困難に気づき、自分をより客観的に見ることができるようになっていくんですね。最後の部分ですが、はじめは「私は行くんだ」ですが、次は「私たちは、行くんだ」になっているのが、象徴的ですね。好感をもって、おもしろく読みました。

シア:気になっていた本だったので今回読めてよかったです。スクラッチ技法も好きなので楽しく読めました。流行りの言葉遣いや物、時代を反映したフランクな一人称ものってすぐに古くなるので苦手で、最初は抵抗があったんですがリズムのよい文章でテンポよく読めました。ラストに天気が自分の気持ちに寄り添わないというのもよかったです。虹がかかるとか、心地よい風とか締めの定型みたいなものを壊してもらえてすっきりしました。そして田舎の広さに憧れました。お庭でバーベキューができるとか、家庭菜園というレベルではないものを毎日食べられるなんて羨ましい限りです。この作品では羽化に例えていましたが、中学生くらいは体も心もさまざまな変化が訪れる年齢ですよね。それを汲み取ったよい成長ストーリーになっていると思いました。今の学校生活や学生に求められるものというのは、理不尽ですが明確な正解があって、それをなぞっていけばなかなかよい生活が送れてしまえるんですよね。そういうことをわかっている子は優等生として優遇され、そのレールに乗れば社会でも無難に過ごせます。でもそのせいで、早くから一芸に秀でるということができません。それが今の日本が世界から一歩、もしくは何歩も遅れ気味になっている原因の一つかもしれないですよね……。という風に、子どもたちの成長の話に関してはとても興味深く読めましたが、教員に関しては世間一般ではまだまだアップデートがされていないと感じました。読んでいてもかなり負担が大きくて、千暁のお母さんが言っていたような「呪いをかけ」られている感じです。教員のプライベートを度外視した、“生徒に寄り添うよい先生”が全体を通して描かれているんです。生徒や保護者にとってはよいことだし、今の世間的にも受け入れられていることなんですが、そういうひとつひとつが現在の教員を追い詰めていると感じます。粉骨砕身、滅私奉公、一人の人間としてではなく“生徒優先の正しい教員として過ごすべき”と価値観を押し付けてきた結果が、今日の教員不足に繋がっていると痛感します。聖職と考えて個人的に行う分にはいいと思います。これもフィクションだし、いいと思います。けれどこれを教員の「正解」として求められてしまうのはかなり苦しいと感じました。

アマリリス:今回、自分のなかでは、まったくノーマークだった2作を読む機会をいただけてよかったです。『スクラッチ』は、非常におもしろいと思いました。最初は、ネット用語的なものを盛り込みすぎて、読みづらく感じたのですが、慣れてくると違和感なく、むしろ心地よく読めました。何年か後に古びてしまうことを恐れないで“今”を切り取っているところに覚悟を感じます。美術やバレーに携わる人の成長を描く青春小説としては、そんなに大きく新しい要素はないと思いますが、コロナ禍の閉塞感が再現されていて、今の子どもたちが親近感を持って読めるお話だなと思いました。表紙が、ぱっと見ただけで岡野賢介さんのイラストだとわかりますね。インパクトがすごい。ただ、読み終わってみると、千暁の絵のイメージと、表紙の絵があまりにも違うので、千暁の絵のタッチに近いものを見てみたかったな、という気もしました。あと、文章の細かい表現がいろいろよかったです。たとえばp195「ふつふつとした炭酸のような笑いが、あとからあとから、体の内側に湧き上がってくる」、p314「俺らが全部やったんスよ。仙ちゃんは漂ってただけ」などがユニークだと思いました。

西山:すっごくおもしろかったです。教員像、仙先生が女性なのがおもしろいと思っていた程度で、出てくる教師たちの働き方は気にせず読んでいましたが、確かにアップデートは大事ですね。抑え込まれた痛みを、痛みとして受け止めることの大切さが書かれていて、『フラダン』(古内一絵/作 小峰書店)を思い出しながら読みました。人物やエピソードがばらけずにきちんとつながっていて、読み終えるのを惜しいと思うほど楽しみました。出だしは、少々エキセントリックな感じが鼻についたのですが、p17の5行目で「マシだマシだと思いながらやり過ごすことは、何の意味があるんだろうな」と出てきたとき、一気にこの作品は信用できるというモードに入りました。「被災っていうのは、ずっと続いていくんだな」(p284、6行目)とか、共感できる価値観や感覚が随所に出てくるだけでなく、p305で鈴音の渾身の一撃が決まって勝つわけですけれど、ページをめくると「でも。これが勝負か? これで勝負決まったって言えるのか?」と続いていて、いろいろ制約はあったけど、やれることはやったよね、めでたしめでたしとまとめなかったところ、中学生たちの悔しさに徹頭徹尾寄り添っていて、本当によかったです。千暁と鈴音、仙先生と高瀬先生のことも恋バナにおとしこまないところもよかったです。読めてよかったです。

コアラ:おもしろく読みました。まず文体がいいと思いました。内容に合っています。内容が本当によくて、p267の最終行に、千暁が描いた絵のことを「2020年の、僕たちの姿だ」とありますが、この作品そのものが、2020年夏の中学生を、コロナ禍の暗闇から削り出すように描いています。最近毎年のように起こっている災害についても描かれていて、2020年という年の姿を作品として残してくれて、作者に「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。ひとつ気になったのが、浴衣姿の鈴音が下駄を履いているところですが、最近は草履でなく下駄を履くんですね。

一同:浴衣は下駄ですかねえ。

シア:草履は履かないですね。足が痛いので下駄風サンダルなどで済ませることも多いです。

アカシア:この本、カバーをとると、表紙の絵はマスクをしてるんですよ。

シア:凝っていていいですね! 図書館の本なのでわからなかったです。カバーをとったらマスクもとれた、の方が仕掛けとしてはおもしろそうですが。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『ぼくたちはまだ出逢っていない』表紙

ぼくたちはまだ出逢っていない

『ぼくたちはまだ出逢っていない』をおすすめします。

英国人の父と日本人の母をもつ陸は学校で暴力的ないじめにあっている。母の再婚相手と暮らすことになった美雨は居場所を探して町をさまよう。樹(いつき)は生まれたとき穴があいていた腸の不調に今でも怯えている。不安を抱えたこの三人の中学生が、割れた瀬戸物を修復する金継ぎを通して触れ合い、時間をかけて美しい物を作り出す伝統工芸を知ることで新たな視野を獲得していく。中学生から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年11月26日掲載)

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『スネークダンス』表紙

スネークダンス

アカシア:とてもおもしろく読みました。イタリアと日本の文化の違いに、人間の生き方を重ねているのがおもしろいですね。同じ建物に住むバスケ仲間には、日本人やイタリア人のほかにインド人、韓国人、スコットランド人などもいて多様なのもいいですね。個人的におもしろいな、と思う表現がいろいろありました。[数をかぞえる単位がヨーロッパは3桁ずつ、日本は4桁ずつ]というところは、そういえばそうだと再認識しましたし、[母語や母国語ではなく母校語がいちばんしっくりくる]とか[日本の男子中高生の一人称は「オレ」]、[大理石の国から、木とたたみの国に来たんだ][イギリスはイタリアより差別が厳しい]、[ローマでは美術館などは無料で入れる]などというところ、著者の視点で私も新たに文化を見直すことができました。著者がふだんイタリアに住んでいる方なので、編集のほうでもう少しアドバイスすればいいのにな、と思うところもありました。たとえばp.11の「もちろんさ。マッテオは日本のアニメ大好きだもんな」は、二人称ではなくマッテオと言っているところが日本的な会話になっていて、さすがと思ったのですが、p.7の「いらないってば。この悪魔め!」は翻訳調ですし、p.120の歩のセリフ「あんがと。あとであたしが取りに来る」は、日本語だと「取りに行く」になるんじゃないかな。それと、p.165の圭人の独白「まっぴらごめん」は、今の子は使わない言葉かもしれません。そうそう、圭人(けいと)という名前ですが、ヨーロッパだとKateが女性名なので男の子にはつけない名前かも。著者はあえてそうなさっているのかもしれませんが。今回のテーマで言うと、アウトローの歩を圭人が惹かれたり否定したりしてとても気がかりな存在になっていく、というのがおもしろいと思いました。

ネズミ:私もとてもおもしろかったです。まず、主人公に寄り添って読んでいけるのがうまいなと思いました。そして、タイトルと表紙を見てダンスの話かと思ったら、そうじゃなくて、ストーリーもどんどん思いがけない展開があって、思ってもみないところに連れていかれます。予想がついてしまう物語も多いなか、自然な形で予想を裏切ってくれて、楽しめました。同じ作者の『アドリブ』(あすなろ書房)は音楽でしたが、この本ではローマの建築や絵の蘊蓄が盛りこまれていて、多分作者が意識的にしているのだと思いますが、10代の読者に新しい世界を受け止めやすい形で差し出しているところも好感を持ちました。

エーデルワイス:表紙のイラストとカバーイラストが違っていてオシャレです。題名の『スネークダンス』とカバー絵で主人公の杏里圭人と山中歩が踊っているので、ダンスの話かと勘違いしました。法隆寺の話になるとは! 圭人が宮大工になろうと意思を固める展開に驚きました。作者が住んでいるイタリアならではの内容で、読みごたえがありました。かつてコロッセオでは公開処刑を行っていたものの、今は死刑を廃止しているイタリア。世界中のどこかで死刑が廃止されると、コロッセオでセレモニーが行われることを本文で初めて知り、感銘を受けました。杏里圭人(あんりけいと)の名前は西洋風ですが、日本に「杏里」という苗字があるのでしょうか? 作者がアンリ・マティスが好きなせい? 終盤、圭人の父親を引き逃げした犯人が逮捕され、圭人の心にやっと平穏をもたらしますが、歩の家庭問題は解決していません。歩を理解してくれるおばあちゃんと古き良き家屋に住んでいますが、愛情を全く感じられない父親、若い義母、母親。続編があるのでしょうか?

まめじか:最初のほうでローマの建築の話が続くのですが、それに十分なページを割いてていねいに描いているから、圭人が建築に興味をもち、やがて宮大工を目指すようになる過程にも説得力がありました。先ほど歩の家庭の問題が解決されないという話がありましたが、こういうふうに親が子どもを養育しようとしないことって、現実の世界にもたくさんありますよね。歩は父親とわかり合えず、圭人は父親をひき逃げ事故で亡くし、ままならない現実にそれぞれ直面している。そこでつぶれてしまうのでなく、人との出会いや、好きなことや夢を、前に進む力に変えていく。レジリエンスというか、逆境の中でもちこたえる力を、五重塔の耐震構造に重ね、スネークダンスという言葉で表現しているのが見事だなあと。日本の景観の問題や、イギリスの差別のことなど、長くイタリアに住んでいる作家の方ならではの視点ですね。視野の広さを感じました。

花散里:ローマの古代建築と東京・下町の建築などの対比の中で物語が展開していくので、とても関心を持って読みました。父親を交通事故で失い、日本に帰らざるをえないときの主人公の心の機微も伝わってきました。日本に帰国してからの歩との出会いも興味深く展開して行き、作品の構成も上手だと思いました。法隆寺や宮大工についてもよく調べられていて、法隆寺の心柱の考え方を「スネークダンス」に繋げているところなどが印象的で読後感がよく、日本の作品のなかでも読み応えがある1冊だと感じました。

コアラ:私もおもしろく読みました。前半にローマのことがたくさん書かれているのがよかったと思います。p.26の後ろから4行目、「数は何語で数える?」以降が特に興味深かったです。圭人が日本に来てからは、歩のしゃべり方に少し違和感がありましたが、アウトローだからこういうしゃべり方もアリかなと思えたら、圭人との会話がおもしろく感じられました。p.131からの「11 心柱ゆらゆらゆらり」の章は特におもしろくて、p.133の最後の歩の発言には、そうそう、とうなずいてしまいました。読んでいて、歩の考え方に染まってしまいそうな勢いがありました。p.216の8行目から10行目については、私も以前、揺れることによって揺れを吸収するという方法を知って衝撃を覚えたので、「背筋がゾゾッとした」というのはよくわかると思いました。この本を読んで初めてこういうことを知った子がいるとしたら、やっぱり驚きがあるのではないかと思います。最後もうまくまとめられていて、子どもにおすすめの本だと思いました。

ミズタマリ:冒頭にタバコを吸うシーンがあって、攻めている児童書だなと、いい意味で驚きました。イタリアの文化、日本との違いを知ることができ、異文化に触れられる作品です。イタリア以外に、イギリスや周辺国のことにも言及していて、興味深く読みました。ただ、説明的に感じられる部分もありました。建造物についての説明が続く場面では、興味を持てない子もいるのではないか、そういう子はページをめくる手が鈍らないか、と、ちょっと気になりました。2人の友情は魅力的だし、最終的に、主人公が希望を見つけて終わるので、読後感はとてもいいです。1箇所だけ気になったところがありました。p.93で、「外見の似た女の子同士がうなずきあう」という場面。主人公が「この二人の名前を覚えるのに苦労しそうだ。」となっています。でも、主人公は写真のような詳細なスケッチを得意にしているのですよね。一般の人が、似ている女子同士、区別がつかないと思っても、主人公はぱっと違いに気づく、というようなキャラクター設定に思えたので、ここは若干矛盾を感じました。

ルパン:いい本だとは思いますが、おもしろかったかどうかというと、ちょっと…。最初の部分に説明が多くて、おもしろくなるまでに時間がかかってしまいました。子どもの読者は最後まで読み通せるでしょうか。すてきだと思った言葉は、p.217の「名をのこさず匠をのこす」です。あと、歩が親元を離れているのに、制服を着なかったり悪いことをしたりして、遠くから親の気をひこうとしているところが何とも切ないと思いました。

アンヌ:前半がずっと美術館やイタリアの遺跡の話で長いけれど、私は言葉だけでここまで景色を表現できるのか、住んでいる人の視点からの案内は違うなとおもしろく読みました。イタリアで温かい人間関係を築いていて、イギリス社会の構造とかを友人を通して知っている圭人が、なぜ日本ではこんなに消極的な姿勢で目立つまいとしているのかは少し不思議でした。先ほど、まめじかさんおっしゃっていたように、この作品は今までの作品よりさらに人物の奥行きが深くなっていて、その点も素晴らしいと思います。例えば、死んだ父親像を生きていた時の思い出だけではなく、本当は絵を描きたかったのじゃないかと考えさせて、もう一つ掘り下げて描いているところとか、歩のおばあちゃんがケイトの嘘を見抜いていた場面で、あれ?と思っていたら、あとからこの人は実は塾の先生で、ただ者じゃない人だったとかわかるところとか、ですね。また、建物の構造も、授業で見学に行ったと聞いた形でうまく説明されていると思いました。それにしても、法隆寺の構造とスネークダンスがつながるとは意外でした。歩のペイントが、いたずら書きからシャッターペイントに変わり、町の人とつながりが出てくるところ、それによって圭人も変わっていって最後に大声で叫ぶところなど、読後感もよかったです。

アカシア:今、圭人がなぜそこまでびくびくして構えているのか、という疑問が出たのですが、日本の同調圧力はすごいし、日本人学校などでも「目立つとたたかれる」なんていうことを聞いてたからじゃないかな、と私は思いました。父親がいないし、帰国子女だしなど、マジョリティと違う部分を圭人は持っているので、たたかれることを警戒したんじゃないかな。それから、なんだかこの作品を弁護しているようですが、ミズタマリさんがおっしゃったp.93の2人の女の子違いがなんだかはっきりしない、という場面ですが、私は人物より建物に興味をひかれている圭人ならありかと思ったし、イタリアだと髪や目の色も、着てる服も、肌の色もみんなそれぞれ違うでしょうから、日本人が同じような外見で同じような意見を言うのを前にして圭人がそう思うのも当然のように思いました。

ミズタマリ:私もそれはそう思うんですけど、キャラクター設定としてどうかな、と思ったんです。

アカシア:歩が、好きなことは徹底的に追求するところとか、アウトローぶりを発揮するところがとてもおもしろかったです。圭人も最初は嫌がっていますが、影響を受けていきますよね。それに、たぶん歩は圭人が好きなんじゃないかと思いますが、圭人がそれに気づいてないところも、おもしろいな、と思いました。

ネズミ:親じゃなくても、わかってくれる人がいることを書いているのかなと思いました。おばあちゃんは後になって、面倒見のいい塾の先生だったことがわかって、わが子はエリート弁護士になったとしても、孫の成長を見守っている大人だというのが想像されますよね。

ネズミ:谷根千では古い建物を生かしながらやっていこうとしている建築家の人たちがいます。佐藤さんともその人たちとつながりがあるのかもしれないと思いました。

アカシア:建物も、観光地として売り出すところまでいかないと、どんどん壊されていきますね。もったいないです。古い建物をリフォームして住んでいる人が、耐震はどうなのかときいたら、昔の建物のほうがしっかりしているんじゃないか、と言っていました。

花散里:奈良の宮大工棟梁の西岡常一さんの本など読むと、日本の建築の良さがよくわかりますね。

さららん(遅れて参加):『スネークダンス』というタイトルなので、ダンスのお話かと思って読み始めたら、作品のモチーフは建築。しかも大地が揺れると心柱も動くという、法隆寺の心柱の仕組みから来ていることがわかりました。その意外性がおもしろく、またローマと東京の町の景色の違い、文化の保存に対する意識の違いやなど、蘊蓄もふくめて興味深く読めました。圭人は、日本の中学校では周囲と同化するために、一人称を「ぼく」から「おれ」に変えなくてはと考えます。イタリア語だけを使って生きていれば、存在しない気苦労ですよね。そんなふうに、イタリアから帰国したばかりの主人公のナマの感覚、違う視点を、読者が自然に共有できる作品だと思いました。日本への帰国後、できるだけ目立たないようにする圭人と、父親に反発してグラフィティを続ける歩は対照的な存在です。けれど、古い町並みへの愛情では共通していて、ふたりが友情をはぐくむ過程は王道の児童文学という感じ。歩の父親とその恋人の描き方は漫画的ですが、この作品のエンタテイメント性というか、軽快さを保証するためには、そのぐらいでちょうどよかったのかもしれません。最後に帯のことを少し。「芸術の都ローマで生まれ育ったアンリは」とありますが、主人公の名前は圭人(けいと)だったはず。確認したところ、p.88にフルネームの「杏里圭人」が初めて出てきました。「アンリ」は間違いではないけれど、読者にとってはやはり「ケイト」か「圭人」でしょう。

しじみ71個分(遅れて参加):『スネークダンス』というタイトルから、どういうところに話が落ちつくのか期待を持ちながら読み進めました。はじめはイタリアの観光案内みたいだなと思ったところもありましたが、日本とイタリアの間で主人公のアイデンティティの揺らぎを描くには必要だったんだろうなと後から思いました。最後まで読んでいって、やっと主人公の揺らぎを法隆寺の心柱の揺らぎに重ねて、揺らぎながらしっかりと立つという、柔軟な強さにつなげたんだなと腹落ちしました。主人公が将来の夢を見つけて希望を感じさせて終わり、読後感もさわやかです。圭人の将来を決めさせてしまう、宮大工さんがかっこいいですね。「わたしたちは名を残さず、匠を残す」(p.217)の言葉は胸に沁みました。p.218の「和」の解釈で、「つかず離れずの間合いの『離』を保つことが『和』の前提」というところなどは本当にそのとおりと思いました。おもしろかったのですが、ただ、歩の家族の問題は解消されないで途中で消えてしまったのがちょっと残念だったのと、圭人と歩の怒りはどこで消えてしまったのかという、なんとなく不完全燃焼感はありました。若者が怒りをもって立ちあがるということを伝えるのはとても大事だと思って読みましたが、それをどうやって自分たちで解消したり、解決したり、折り合いをつけていくのかという示唆がないままだったのが気になったのと、「抵抗と抗議のちがい」について掘り下げがもうちょっとあってもよかったのかなと思ったりもしました。

アカシア:この作品は13歳の少年の一人称なので、抵抗と抗議はどう違うかは書けないでしょうね。

しじみ71個分:なるほど。語り手の人称の視点は、読んだときには欠けていました。

(2022年7月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『博物館の少女』表紙

博物館の少女〜怪異研究事始め

すあま:とてもおもしろく読みました。古道具屋の娘のままでもよさそうだけど、博物館で働く、というところがユニークでした。実在の人と建物が出てくるところもよいと思います。シリーズ前提の1作目ということなのか、まだ明らかになっていないことがいろいろあります。タイトルはちょっと古くて、魅力のない感じがしましたが、あえて少女小説のタイトルに寄せたのでしょうか。サブタイトルと合わせれば興味をひかれるということなのかもしれません。主人公は13歳ですが、すでにかなりの知識をもっていて、ちゃんと目利きができる。古道具屋で仕事をおぼえるところも読みたかったです。付録があって、地図が載っているので、読む時の助けになると思いましたが、とじ込みではないので図書館の本だとなくなってしまうかもしれません。

しじみ71個分:最初にこの本を知ったのは新聞広告で、富安さんの10年越しの作品ということでとても興味を持ち、出てすぐに買いました。最初から最後まで、流れるようななめらかな文章で、ワクワクしたまま最後まで読み切りました。これは子ども向けの本なのかしら、と思うほどに枠を感じさせないおもしろさでした。個人的には、上野界隈で数年過ごした経験があるので、東京国立博物館の裏手の木々の鬱蒼とした感じなど、とてもリアルに感じることができ、怪異研究所はあの広い敷地のあの辺りなのかな?など想像も膨らみ、本当に、とてもおもしろく読みました。明治の上野界隈のノスタルジックで、少し怪しげな雰囲気は、『夢見る帝国図書館』(中島京子著、文藝春秋)にも共通するところがありますね。明治になって世の中が変わって、大阪から東京に出てきて、すべてにわくわくする感じがすごくよく伝わってきました。主人公の少女イカルがまた大変に魅力的で、大人を負かすほどの文物に関する知識や、鑑定のできる感性を持っていて、とてもお茶目な女の子で、主人公と一緒になって物語の中で冒険できました。どういう怪異がこのあとのシリーズで起こってくるのかがとても楽しみです。今回の物語も、黒手匣の紛失から隠れキリシタンと不老不死の島にまでぶっ飛んでしまうというのも、展開やスケールがとても大きくて、驚くやら楽しいやらで、物語のおもしろさを存分に堪能しました。この先は、まだ登場してきていない町田さんがどう物語の軸に関わって動いていくのかが楽しみでなりません。怪異研究でも、文物の鑑定でも、イカルちゃんがこれからどんな出来事に出会って、苦難を乗り越えて、どう成長していくのかが楽しみです!

コアラ:おもしろかったです。明治時代がよく作り込まれていて、今では使われなくなったものや事柄や言い回しも使われていて、その時代の物語として堪能できました。1回読んだだけですが、細かいところまで読み込んでいくと、もっとおもしろいかなと思いました。子どもには馴染みのない言葉も出てくるので、本をたくさん読んできた子どもで、子ども向けの本に飽き足らなくなったくらいの子にちょうどいいかなと感じました。

西山:すっごくおもしろかったです。この作品には大きな謎があるけれど、その興味にただひっぱられてページを繰るのではなくて、読んでいる間ずっと楽しかった。途中の景色、風物、主人公の発言や感性、ぜんぶおもしろかった。たとえばキリンの場面。初めて見るイカルの目を通したキリンの姿、それへの驚き、それだけでもおもしろいのですが、「イカルの知らない、どこか遠い国の草原で、この麒麟という動物たちが走ったり、歩いたり、草を食べたりしているのかと思うと、それだけで愉快になった」(p.34)と続くところで、なんてひろびろとした愉快な感性だろうとイカルのことがすっかり好きになりました。あと、女の子が働くことへのエールになっているところもうれしかったです。アキラが「男だからとか、女のくせにとか、つまらないことにこだわらず、どうすれば仕事がはかどるか考える頭」を持っている(p.96)というのもうれしかったし、「生まれて初めて、自分自身でかせいだ一円二十三銭だ。自分自身で働いて給金をもらったのだ。そう思うだけで胸がわくわくした」(p.340)というところから、これから広がる人生へのときめきで閉じるラストもよかったです。

ルパン:ごめんなさい、前評判もすごかったし、富安陽子さんだし、ということで期待しすぎたせいか、私は正直そこまでおもしろいという感じではなかったです。好みの問題だと思いますが。歴史的な背景と怪異現象とが中途半端にまざっている感じで、うまく波に乗れないまま終わっちゃいました。

マリナーズ: 非常にさわやかで、魅力的な本でした。大変な境遇にある女の子が、いきいきと前に向かって進んでいく、元気の出る作品です。特に前半3分の1は、新しい場所で冒険が始まり、いろいろな人たちとの出会いが続きます。楽しく読ませよう、という読者サービスが徹底していることに感嘆しました。もっとも、黒手匣が登場してからは、長く感じるところもありました。話の展開上、同じ場所に2度忍び込まなくてはいけないのはわかるのですが、何かを見つけるとすぐ足音が聞こえてくる、など、似たパターンの描写が多くて、若干ダレました。あと、文章で間取りを説明するのは難しいのだな、と感じます。どこかへ必死に逃げているのですが、建物全体の作りが把握できていないので、緊迫感を感じられないところもありました。読み終わってから別添の資料に気がつき、意外とシンプルな間取りだったのだなと思いました。最後まで来るとカタルシスがあるので、そのあたりの冗長な部分も必要なものだったのだ、と納得できます。おみつの存在が非常に印象深かったです。あと、細かいところですが、p.171の上野動物園の「ケンゴロウ」ってなんだろうと一瞬考えて、カンガルーか! と気づいたときは笑いました。

サークルK:とても楽しく読み進みました。登場人物がいきいきしているし、私も上野の博物館界隈はとっても好きなので。黒手匣の謎解きが、最後に凝縮されているので読む速度のピッチが上がりました。表紙の雰囲気も裏表紙とつながっていて、実は重要な登場人物もさりげなく書き込まれているところが、読後に「そうだったのか」と思わせてくれる粋な図らいに感じました。朝ドラのヒロインのように、主人公が周りの人の温かさに応援されて自分の境遇に負けずに成長していくというところが爽快でした。続編が待ち遠しいです!

花散里:私も『夢見る帝国図書館』を思い出させるようなおもしろさを感じました。上野の国立博物館から寛永寺辺りは好きな場所ですが、図書館で借りた本には付録の地図はなかったので、子どもたちには歴史的な設定など物語の雰囲気が想像しにくいのではないかと思いました。13歳で目利きの才があるというのも無理があるように感じました。アキラの存在などはもっと伏線があってもおもしろかったのではないかと思いました。物語の結末が分かってからの最後の章はなくても良いように思いましたが、富安さんの作品の中では個人的にはいちばん好きな作品だと感じました。

さららん:生まれ育った場所と作品舞台が近いせいで、タイトルを聞いたときから、この本を身近に感じていました。両親を失ったものの、よき人たちに囲まれ、父親から叩き込まれた審美眼で自分の力で人生を切り拓いていく主人公のイカル。トノサマ、アキラなど脇役の描写も巧みで、怪異研究所という設定や、事実を積み重ねながら黒手匣の謎を解明していく展開にもそそられます。親友となる川鍋暁斎の娘トヨも頼もしい存在で、続編では暁斎も活躍するのかなと、期待がふくらみます。実在の人物名(例えば博物館の初代館長の町田さんや、二代目館長田中さん)を物語に取り込んだうえで、架空の人物を存分に活躍させる構成はよくありますが、その人間関係やセリフに厚みがあり、引きこまれました。見事な日本語で紡がれた物語で、優れた書き手から十分なおもてなしを受けたという感じがします。

アカシア:黒手匣、明の正体、ロッシュやおみつの存在など、謎がたくさん用意してあって、それで引っ張るし、時代考証もちゃんとしてあるので、フィクションは苦手という子でもどんどん読めるんじゃないかと思いました。イカルは、西山さんもおっしゃっていたように、この時代にあっても積極的で勇気ある存在に描かれているのがいいですね。舞台が明治期の博物館というのも、「怪異」を研究する場所だというのも、おもしろい! ただp.247-248で、アキラが床の下で会話を聞いているだけなのに、「黒手匣があるとしたら、聖堂以外は考えられない」というのは、ちょっと無理があるかもしれません。1つ1一つの文章を味わいながら、極上の読書体験ができました。

アンヌ:とてもおもしろくて、続きが待ちきれないほどです。始まりの座敷の怪異現象のところなどは、よくある話なので少しがっかりしたのですが、そこに超能力者らしい前館長が絡んできて、おまじないをし、手を開かない工夫を母がしてくれたという記憶をたどるところが、新鮮でとても素敵でした。わたしも、しじみ71個分さんがおっしゃったように、前館長に早く会いたいです。黒手匣の怪異話もあまり意外性がなく、この事件に絡む神父は、1人にしておいた方がすっきり読める気もしました。でも、それよりなにより、この主人公が魅力的でした。道具屋の女も認めるほどの目利きで、独りで知らない江戸も歩く勇気がある。私の持論に「孤児はお屋敷の扉をたたく」というものがありまして、たった1人で知らない場所に行くから物語は始まると思うんです。そのお屋敷が博物館!これは最高の物語になるぞと思いました。イカルは沈黙を強いられる養家から古蔵に行き、様々なものの知識をペラペラしゃべりだします。このお喋りな女の子には見覚えがあるぞと思い出したのがモンゴメリの『赤毛のアン』でした。先ほど、すあまさんが「少女小説」のような題名と言われたのにも納得がいきます。そして、p.333で唐突に義姉妹の約束を交わすトヨはダイアナではないでしょうか?ダイアナのようにトヨもちょっと体の大きいふっくらした女の子でした。実は私はのちに河鍋暁翠になるこのトヨに興味があります。『がいなもん 松浦武四郎一代』(河治和香著、小学館)では松浦から話を聞かされる狂言回し役として登場しますし、去年の直木賞の『星落ちて、なお』(澤田瞳子著、文芸春秋)の主人公でもあります。この時代の女の子にしては父親の弟子として様々なところに出入りをし、自分1人でも仕事に出かけるトヨは、明治の東京をイカルに案内するのに最適な役なのだろうと思います。続編には、暁斎も出てくるのだろうかとか、稀代の収集家である松浦はどうだろうかとか、ワクワクしながらこの2人の活躍を楽しみにしています。

ネズミ:刊行されたすぐに手にとったのですが、まず登場人物が魅力的でした。たとえばイカルの人物像が、博物館に初めて入ったときの驚き、古道具屋に入ったシーンなどで、説明的な言葉を使わないでくっきり浮かびあがるといったふうに、随所の描き方がすばらしい。大人の存在感が希薄なことの多い日本の児童文学作品の中にあって、まわりを固めている大人の人物が立体的に描かれているのもすごいなあと思いました。フェミニズムとは書いていないけれど、物語全体が女の子を応援するものであり、男女や年齢、職業その他で人を差別しない意識が感じられます。富安さんは現代のお話も書いていますけれど、この物語は少し昔の時代に舞台を置くことで、登場人物を自由に遊ばせられたのかなと思います。もちろん時代考証のためにたくさんの資料にあたられたとは思いますが。イカルとアキラとトヨとトノサマなど、一部の名前にカタカナが使ってあるのは、ひらがなでも埋もれてしまうからでしょうか。音だけで響いてくる感じがよかったです。

雪割草:冒頭から物語の世界観に引き込まれました。道具屋だった父親の商いの様子を、主人公がよく見て自分なりの感性で受けとめていることがわかり、道具屋を知らない読者にも、空気感含めその場がよく伝わってくる描写でした。物語の時代への興味がかきたてられましたし、時代は違っても、不安やわくわくする気持ちなど主人公の心の動きに読者もよりそいながら味わうことができました。この年齢にしては能力がありすぎにも思いましたが、マニアックなところはよく、そういう好きなものがある子への応援のメッセージにもなると思いました。付録がついていたのを今の今まで気がつきませんでしたが、地図はいいものの、登場人物まで視覚化しなくてもいいかなと思いました。

オカピ:仕事ものであり、成長譚であり、ミステリーや怪奇小説の要素もあり、ほんとうにおもしろく読みました。作者がこの時代のことを詳細に調べて、自分のものにして書いているのもすごいのですが、なにより文体の美しさに魅了されました。所作をあらわす言葉ひとつとっても、香るような言葉が物語にぴったり。これはYAなので、難しめの言葉を使えたというのもあるかと思いますが。富安さんの渾身の作だと思いました。大阪弁がぽんぽんはいってくるのも、作品の勢いにつながっています。人の生と死について考えさせるラストもよかった。人知を超えた不思議もこの世にあるという、希望のある結末で、これは書き手の力だなあと。ちょっとわからなかったのは表紙の英語タイトル。”A Girl at the Museum” となっているのですが、これはイカルのことなのだから、”The Girl at the Museum ” のほうがしっくりくるように感じました。

アカシア:この時代のどこにでもいる少女、というニュアンスを出したかったのかもしれませんよ。

エーデルワイス:最初の構想では少年「アキラ」が主人公だったと聞いてびっくりしました。主人公が少女「イカル」でよかったと思います。表紙を見たとき一瞬、富安陽子さんは時代劇小説に移ったか?!と思いましたが、明治を舞台に実在の人物も盛り込み、本当におもしろく読みました。附属のリーフレットを見た時はわくわくしました。登場人物のイラストと紹介や上野界隈の地図など、この本を読む子どもたちにもよい導入と思います。続編が楽しみです。

シア:とってもおもしろかったです。人気が高いのもうなずけます。絵や装丁も凝っていて、偕成社さん力を入れているなと感じました。付録のおかげで裏表紙におみつがいることに気づきました。明治時代のレトロな感じがしゃれていて、関西とは違う異国情緒真っ盛りの上野の輝きをイカルの驚きで表現してくれています。イカルの目利き能力や好奇心旺盛な性格も楽しめました。目利き能力については、こういう環境で育っていたらそうなるんじゃないかなと思います。似たような時代物の『はなの街オペラ』(森川成美著、くもん出版)よりも想定年齢は高いので、幅広い年齢層が読めそうです。ただ、読書家にとって満足度の高い本なので、本にあまりなじみのない子で、とくに女の子だと、もしかしたら『紙の心』の方がおもしろいかもしれません。イカルの幼少期の体験などから見知った怪異が出てくるのかと思っていましたが、珍しい方面からの話だったので意外性が高かったですね。そのおかげで大人っぽい余韻の残る良い話になりました。日本書紀は知らなくとも、有名な玉手箱の話で子どもも納得できる展開になっていると思いました。中高生に人気のある漫画にも非時香果が出てくるので、知っている子はより親近感がわくのではないでしょうか。そして、実在している人物や場所が登場するので、そのことについて調べたり、その場所に行ってみたくなると思います。教養を得るきっかけになりますね。とくに上野博物館は社会科見学や地方だと修学旅行などで行くことが多いと思うので、児童文学として出してもらえてとても嬉しく思います。神田天主堂はカトリック教会だからレノーも神父と表記しているところも細かいですね。また、付録がよくできています。図書館側からするとこういう本から離れてしまう付録は面倒ですが、補足や博物館の敷地や地図などわかりやすく書いてあります。視覚的な図は文章だけでは追いつかない子どもの理解の助けになります。地方や上野を知らない子の支えにもなったと思います。カラーなのも良かったですね。話の内容だけではなく、文体がとにかく綺麗で、言葉遣いもそうですが立ち居振る舞いが古風で美しく、目をみはりました。奥ゆかしさを始めそういう表現が随所にあり、イカルの育ちの良さを思わせます。関西弁も滑らかでした。後半のアキラとの関係も慎ましくて、明治の女の子らしさが垣間見えて良かったです。そしてそういう表現ができる作家さんは貴重なので、ぜひ続編をと、期待しています。ただ、この時代考証がしっかりしているため、「新しくお仕えする者は、だれより早く仕事場におもむき、上役のお出ましをお待ちするのが筋ですからね。」(p.122)という部分に、日本の仕事に対する姿勢の歴史の古さを感じて、少し頭が痛くなりました。とはいえ、女性のイカルは低く見られているのでボランティアなのだろうかと思っていたので、お給料がもらえてほっとしました。ところで、ケンゴロウというのは、カンガルーの過去の和名かと思ったのですが、カンガルーの聞き間違いなのですね。

ハル:みなさんのご意見がうかがえてよかったなぁと、いつも以上に、今日はしみじみ思います。読みやすく、時代設定も好きで、わくわくしながら読みましたが、「おもしろかった」以上の感想を持てずにいましたし、一方では「児童書なのかな?」とも思っていましたが……『赤毛のアン』! そう言われてみると確かに、枠というのか、ある種の様式美的なものも感じますね。わぁ、すごく腑に落ちました。著者も意識していたのでしょうか。そんな観点で、もう1回読みたくなりました。ありがとうございました。

西山ところで、ちょっと気になったのは、p.262の「あったりまえのコンコンチキや!」というところ。「あったりまえのコンコンチキ」って、ちゃきちゃきの江戸っ子の口調のイメージがあるのですが……。

シア:確かに「こんこんちき」は関西では聞きませんね。そもそも、今の時代使っている人がいないのでなんとも言えませんが。

(2022年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

 

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『紙の心』表紙

紙の心

ハル:顔を合わせない相手と、文字だけのやりとりでどんどん盛り上がっていって、口では言えないようなことも、文字でなら言葉にできて……そういう初々しさというか、瑞々しさというのは、わかるなーと思いながらも、ちょっともう見てらんないような気持ちにもなり、序盤で「えー、まだこんなにページ残ってるのに、どうするの?」と思ったのが正直なところです。もう少し早めに物語が動きだしてほしかったです。だけど、「訳者あとがき」の情報によると、イタリアの中学生の支持を集めているということなので、同年代の子たちにしたら、飽きるなんてこともないのかなぁ。そして、ここまで我慢して読んだんだから、これはきっと、とんでもないホラーが待っているのだと期待しすぎてしまったのもあって、結末にも驚きを感じませんでした。主人公以外の子どもたちは、どうなったんでしょうね。

シア:非常におもしろかったです。表紙に原題を大きく入れていておしゃれだと思いました。絵もさわやかな感じで良かったです。内容はさわやかではありませんでしたが。もっと近未来の話だと思っていたのに現代なので驚きましたし、ありえそうな話なので余計に考えさせられました。海外ではロボトミーを元にした話は結構多いので、わりとトラウマなのかなと思いました。半分以降からは一気に読みましたが、もどかしい恋愛ものは苦手なので、序盤はかなりイライラしながら読みました。ユーナがダンに会おうと言い出したので、これはページをめくったら急展開して、やっと研究所の謎についての話になるんだなと思ったのに、やっぱり会えないなんて尻込みするユーナがめんどくさすぎです。チラ見せは上手いのですが焦らされるので、惚気はいいから早く研究所の謎を! と別の意味でハラハラしてしまいました。「ウイルスのせいで全人類が滅亡して、ぼくたちだけが生き残った、そんな映画の一部みたいだ」(p.42)とあり、世界は平和なのかと肩透かしをくらいました。研究所内に鏡がないこととか白い制服や謎の薬など、いろいろと怪しい要素はあったのですが、蓋を開けてみればそこまで大仰な話ではなくて、少々やりすぎな感じもしました。シャワーが10分だけとか、職員が急に乱暴な口調になったりするところは管理される怖さが表れていると思います。この本は書簡体なので2人のタイムラグのようなものが出るところはおもしろかったです。メールなどで展開しそうですが、場所が場所なので手紙というのが研究所の異様さが出ていて好きですね。ただ、偶数時と奇数時でやり取りし合うというのがよくわからなくて、1時間いたら会ってしまうじゃないかと思ったんですが、2人は図書館あまり利用しないんですかね……。それにしても、最近はいわゆる毒親の話が増えてきたように感じます。親の影響力や圧力が注目され始めたのは、親子の関係性や教育を見つめ直す良い機会だと思います。「涙の壺」という表現もとてもロマンチックですが、涙が流れるような状態にしなければいいのではないかとユーナのお父さんに問いたいです。また、若者にはスポーツをさせておけば良いという今の学校教育の甘さも指摘されているように感じて、この辺はもっと主張したいですね。室内で読書をしている子がいたって良いと思います。「ぼくは、本を読めばいろんな場所に行けるんだ、って言い返したかった」(p.85)というダンの台詞がこの本の真のハイライトだと思います。この本には有名な児童文学がたくさん出てくるので、まさに『紙の心』だと思いました。あとがきで各作品について説明してくれているので、子どもたちが興味を持ってくれると良いと思います。でも、メインとなる『プークが丘の妖精パック』は日本人になじみのない本なので、子どもならさらに厳しいのではないでしょうか。題名を読めるのかどうかも心配。『プーク“が”丘の妖精パック』などと読みそうで不安です。気になったのは、「それから、トン川は食いしん坊に」(p.34)という訳がよくわかりませんでした。豚でしょうか。トンカツ? こういうときに訳者の苦労が窺えます。それから、「傷跡は、インディアンが戦いの前に描いて、誇らしげに見せつける、戦いのしるしみたいなものだ」(p.227)とあるのですが、“インディアン”という言葉は今は使わないと思います。

エーデルワイス:おもしろく読みました。主人公たちが暮らす施設を想像しました。清潔だけど、無機質で同じような部屋を移動するのですね。迷いそうです。「××をダンより」のように、形式的な手紙のやり取りをしていますが、顔が見えないほど想像力が働いて心が燃えていくのかもしれないと思いました。そして今どきの若い人のSNSの恋のやりとりも同じようなことかもしれないと思いました。終盤、研究所が火事(放火)で焼けて施設にいた子どもたちが助かるのですが、子どもたちはどうなっていくのでしょう? 元の家に戻るの? ちゃんと生きていけるのでしょうか? 心配です。親にとって都合の良い子ども、デザイナー・ベイビーなど問題提起のお話と思いました。主要なダン、ユーナたち5人は友人同士で、名作の登場人物からつけた仮の名前で、施設では番号とアルファベットで呼ばれ、本名は最後まで明かされませんでした。あえて必要なかったのでしょうか? 5人は元気に幸せに生きていけそうで安心しましたが。

オカピ:管理された場所にいる主人公たちが、人を愛することで、その生活に物足りなさを感じるようになる過程が描かれていて、おもしろく読みました。記憶すること、文字に残しておくことについて考えさせます。何を忘れて、何をおぼえておきたいかが人をつくるのだなと。「興味津々な人よ」(p.16)、「興味津々なこと」(p.107)という言い方は、話し言葉としてなじまないというか、ちょっとしっくりきませんでした。

雪割草:読んでいて最初の方でうんざりしてしまい、途中で休憩しました。イタリアだから情熱的なのかな、精神的に辛い経験をした子たちだから、心の拠りどころをもとめているからなのかなとは思ったものの、お互いを求めすぎていて、ついていけませんでした。近未来のテーマで人間がなんでもコントロールしようとするところから、『泥』(ルイス・サッカー著、小学館)を思い浮かべました。この研究所では、辛い経験を忘れさせるための治療をしていますが、それに対して主人公らが、忘れる以外の方法で生き抜く方法があることに、気がついていくところはいいなと思いました。あとがきにイタリアの中学生に支持されているとありましたが、日本語訳では訳はしっかりしているのはわかるのですが、若い人には受けない文体・言葉遣いだと思いました。それから、手紙でやりとりしている設定ですが、やりとりがすごく頻繁で手紙によっては長文で、ほんとに手紙なの?と思ってしまいました。

ネズミ:秘密をさぐりだそうとし始める後半からは、それがフックになってどんどん読めたのですが、2人のやりとりが中心の前半は、内容の問題なのか、文体のせいなのか、途中であきて、投げ出しそうになりました。後半はひきこまれたものの、都合のよい展開が気になりました。たとえば、骨形成不全症のポルトスが走るなど、ありえないだろうとか、どこかに潜入する計画が、たいがいうまくいくとか。体裁としては、ダンとユーナの手紙の書体を変えてあったらもっと読みやすかったかと思ったのですが、この本はキンドルでも出ているので、電子版を出すにあたって、書体が限られていたのだろうかと思いました。

しじみ71個分:書体に変化を持たせられるのが紙の本だけなのであれば、紙の本ならではの魅力になりますのにね。

シア:『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ著、岩波書店)では文字の色が変わっていましたね。

アカシア:紙の本ならではの工夫が、もう少しあってもよかったのにね。

アンヌ:書簡体小説は好きなので、それなりにおもしろく読み進んでいったのですが、いきなりp.14で「キスとハグを」と出てきたのでびっくりしました。これがただの挨拶なのが、外国小説という感じですよね。全体にSF的な設定が実に曖昧で、この研究所のセキュリティの甘さとか、最後に種明かしされた後も納得できないことが多いです。2人が実際に会わないところも、薬が効いているせいなのかと思ったりしたのですが、でも、それにしては男の子が3人いればやるような冒険に、あっさりダンは出かけたりしますよね。意志までが削られているわけではないらしいので、不思議です。最後まで行きついても、この5人がこれからどうなるのか、放火の罪に問われたりしないかとか、そのハッカーは大丈夫かとか、親との関係は何も解決してないままだとか、いろいろ後味が悪い思いが後を引いてしまい、読み返す意欲がわきませんでした。

アカシア:この本は時間的なリアリティがおかしいんじゃないですか? 手紙の交換で物語が進んで行きますが、1人が書いてから、休み時間にそれを図書館に持っていって本に挟む。それが偶数時だとすると、もう1人は、顔を合わせないために奇数時まで待ってから取りに行って、それから返事を書いて、次の奇数時の機会に図書館に行ってその返事をおく。そういうまだるっこしい方法でやりとりをしているので、たとえばp.115の最初の5つの文章はどれもユーナが書いたものですが、5つ目の文章を書くまでに、どんなに少なくとも9時間くらいはたっている計算になります。でもね、そういう計算だと成り立たないところがいっぱい出てきます。私は物語の構築を支えるリアリティにこだわる方なので、最初のときは途中で読む気がなくなって放り出してしまいました。それから、ダンたちは決死の覚悟で保管所に入ろうとするのですが、そこまでの展開では、保管所に何か重大な秘密があるというふうには読み取れなかったので、なぜそこまで?と思ってしまいました。全体としてすぐれた作品とは、残念ながら思えませんでした。

さららん:今回に関しては、訳者の文体と原文のスタイルが合わなかったのかな。私もみなさんと同じで、書簡体の形をとっているとはいえ、この世代の子たちの日常会話にリアリティがないように思えました。また研究所の中では、子どもたちの動きを阻止しようとする大きな敵は現れません。ダンたちに敵対心を燃やすカーという少年はいるけれど、それは体制側とは関係がない。戦う相手の顔が見えず、豆腐の中に手を埋めるような頼りなさを覚えました。でもひょっとすると、そこがおもしろさなのかも。色々な本の要素が出てくるところもいいし、あとがきも優れているけれど、ディストピアとしての物語に既視感があって、未知のものを解き明かす興奮がなかったのは残念です。

花散里:岩波のSTAMP BOOKSは出版されると期待して読むのですが、この作品が出版された2020年に読んだとき、書簡体で物語が進んで行き、今どきの中高生がどう読むのかなと思いながら読んだことを思い出しました。今回、読み直して、スマホに常に依存している日本の子どもたちが、図書室の本に挟んだ何通もの手紙のやり取りに対して、果たしてどう読むのかなと改めて感じました。前半の書簡体で続くストーリーは、今回も読みにくいと思いました。研究所の秘密が分かっていたということもありましたが、物語のおもしろさが感じられませんでした。巻末に本文に出てくる文学作品の紹介が入っていたり、図書室でのやり取りが舞台だったりしますが、読み返そうという作品ではないと思いました。

サークルK:手紙の部分のやり取りが長かったので、少しもどかしい思いをしながら物語を読み進めました。なぜこんなやり取りや状況に子どもたちが置かれているのだろう、という読み始めからの疑問が次第に解き明かされていくところは、『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 早川書房)を思い起こしました。誰に恋しているのかも実際にはわからないのに、よくこんなに妄想をふくらませながら、手紙で情熱を傾けられるなあと苦笑する表現もありましたが、イタリアの中学生にとても人気があったというので、興味深く感じました。こうやって練習(!)して、愛情表現の達人になっていくのかしら、と。小さな世界に閉じ込められて、監視されたり、洗脳されたりするさまは残酷なディストピア小説のミニチュアのようで、『1984』(ジョージ・オーウェル著 早川書房他)をほうふつとさせましたし、39章で「ワールドニュースオンライン版」という記事を使って、状況が説明されている構成は、『侍女の物語』マーガレット・アトウッド著、早川書房)の掘り起こされたカセットテープをめぐる研究者のレポートを思い出しました。物語を読んだ子どもたちがやがて上に挙げた大人の小説に巡り合った時、こんなイタリアの児童文学があったっけ、と逆照射されて思い出してもらえるかもしれません。

マリナーズ:お国柄の違いを感じながら読みました。日本で、中学生くらいの男女が同じように文通し合う物語だったら、こんなふうに恋の駆け引きっぽい言葉をやりとりして楽しむ感じにはなかなかならない気がします。実は、以前、1度読みかけたのですが、p.111あたりからの、お互いの容姿についてあれこれ想像し合うところでうんざりしてしまって、いったんやめたのでした。今回、読み通せてよかったです。後半に行くにつれて、主人公2人の苦しみや、ここに入るまでの経緯が明かされて行きますが、その明かし方が説明的なせいか、切実さがどうも伝わりにくいように思いました。でも、性格を変えることについて、身内が了承している、ということのせつなさ、やるせなさは感じました。自分のアイデンティティを考える、というテーマ自体はとてもよかったです。

ルパン:しょっぱなでつまずいたのは、このやりとり、イタリア語なのにどうして相手が男か女かがわかるんだろう、ということです。見知らぬ相手なのに、はじめから男女の区別がついているのって不思議でした。しかもすぐに恋に落ちるし。そのうえ、やたらに容姿の話が出てきますよね。相手がその子がどうかもわからないのに「赤毛の女の子が好きなんだ」なんて言ったり、デブだったり青白かったりしたらどうするの、みたいな文面もあるし。ヨランダが実際のポルトスを見て思いっきりけなす場面では本当に気が滅入ってしまいました。容姿に自信のない子がこれを読んだらどう思うんだろう。

アカシア:イタリア語だと形容詞などに女性形と男性形があるので、相手が男か女かはすぐわかるんじゃないかな。

西山:ほとんど言い尽くされている感じです(笑)。この研究所にどういう秘密があるのかという興味で読み進めましたけれど、先が知りたいだけでその場その場の描写とか、感覚とかを楽しむという読書の快楽はありませんでした。イタリアのお国柄というのもあるのかもしれませんが、こんなにすぐ男の子と女の子が恋愛感情で盛り上がり、延々それを読まされるのにうんざりしたというのが正直なところです。若い読者なら誰もが恋バナ展開にのめり込むかというと、そうでもないんじゃないかなと思っています。というのは、ジェンダー関連の授業で、何かの問題を男の子と女の子が一緒に取り組んで解決してきた物語で、最後の最後に性的な視線を差し込んで、「恋の始まり」みたいな展開にするのに出会うたびにがっかりするんだよねということを、おそるおそる話した回があったのですが、思いの外共感のコメントが多くて、恋愛テーマじゃないのに恋バナにするドラマとか多すぎるとか、子どもの頃仲のいい男女がからかわれることで気まずくなったとか、嫌な思いをしたとかそういう体験が続々とあがってきたのです。「10代は恋バナ好きにきまってる」という思い込みもそろそろ相対化した方がよいと思っていたところでこの作品を読むことになったので、否定的な感想になっています。あと、ユーナがどんどん受け身になっていって、つまらなくなっていったのが不満でした。本に手紙をはさむというユーナの魅力的な行動から始まったのに、ただただ、「待つ女」になってしまって……。ヨランダといっしょに研究所の秘密に迫っていけばよかったのに……。図書室の本を介した手紙のやりとりとは思えない、ラインのようなやりとりになってしまうところも興ざめでした。

コアラ:以前、本屋さんでこの本を見かけたときに、はじめのほうをちょっと読んで、いまいちかなと思ってすぐに棚に戻してしまったんですけれども、今回最後まで読んで、悪くはない本だと思いました。書簡体小説だと、お互い相手を騙すこともできるし、作者と読者の関係としても、作者は読者を騙すこともできるけれど、ダンもユーナも騙すことなく、お互い誠実で、作者と読者という関係でも作者から騙されることがなかったので、その点ではすっきりしてよかったと思います。研究所の謎とされたことが、少年少女たちの人間的な欠点の除去で、親の望み通りの人間に作り変えられてしまう、ということだったんですが、読んでいてそこに大きな衝撃はあまりありませんでした。そもそも、記憶を無くす薬を飲んでいる研究所というのが不気味で、そこがそもそもディストピアだなと思いました。訳者あとがきに、この本に出てくる本の紹介が書かれてあるのは、よかったと思います。

しじみ71個分:私も、みなさんが既に言われたのと同じように、前半の2人の手紙のやりとりがちょっとかったるいなと思い、読んでいて休憩をはさんでしまいました。また、ユーナかダンか、どっちがしゃべっているかわからなくなっちゃうところがあり、見た感じでパッと分かりやすい工夫があったらよかったなと思います。手紙のやりとりが頻繁すぎて、時間の経過もわかりにくい点がありました。ただ、著者はこういう書簡のやりとりで、心をかわし合うという形を描きたかったんだろうなと思います。頻繁すぎて、チャットのようではありましたが。作品を通じていいなと思ったのは、2人の書簡体の形をとりながら、過去の児童文学作品の紹介をしているところです。また、人と人とのコミュニケーションのツールとして本を使うという設定にも共感しました。『紙の心』というタイトルには、手紙に乗せた自分の心というだけではなくて、本を通じて交流するという意味もあったのかなとも思います。大人にとって都合の悪い、「いらない子ども」を除去してしまうっていうのは恐ろしいことで、本のテーマとしてとても重いと思ったのですが、結果が意外にソフトで、もう少し、ドラマチックな、誰かが死んだり、廃人にさせられてしまったりとか、おどろおどろしい展開があった方が、テーマがもっと生きて、物語も生き生きとしたのではないかなと思います。『私を離さないで』くらいのディストピアがあってもよかったかなと。また、表紙の絵を見ると、ガラス張りのとても近代的な建築物として描かれているのに、火事で燃えちゃうんだ、木造なんだ、というところはちょっと拍子抜けしてしまいました。建物が燃えただけで逃げられちゃうんだなというところは、少しあっさりしすぎていたかもしれません。前半の書簡体の恋愛部分が重くて、後半のスリリングな展開とのバランスがあまり取れていないのかもしれないと思いました。

すあま:読みながら、『ザ・ギバー』(ロイス・ローリー著 講談社)を思い出しました。忘れたい記憶をなくすことができる薬があったなら、犯罪被害者や虐待にあった人など、飲みたいと思う人がいるかもしれない。この物語では、さらにエスカレートして親の望む子どもに変える、という恐ろしい話になっています。逆に子どもが望む親にすることができたら、と思う人もいるのでは、とも思いました。現代の子どもが抱えている問題を解決することができる近未来の世界を描いているようで、実は大人にとって都合がよい、純粋無垢な子どもに変えようとする、時代を逆行するような話になっていきます。近未来の世界のようなのに、紙に書いて本にはさむという、古典的な文通の形をとっているのがおもしろいと思いました。メールやラインでコミュニケーションをとっている今の子どもたちにはかえって新鮮なのかなと。ラストはあっさりしていて、結局は親から逃げ出した、ということで終わったようで、ちょっと物足りない感じがしました。

(2022年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『ラスト・フレンズ』表紙

ラスト・フレンズ~わたしたちの最後の13日間

しじみ71個分:ページを開いてみて、はじめからびっくりしました。作者の実体験にもとづくコメントや、「いのちの電話」の紹介などがあって、また、タイトルも「ラスト・フレンズ」なので、どんな展開になるのか、ちょっと不安を抱きながら読みました。ですが、物語を読み進めていくと、3人の女の子のキャラクターもきっちりと書き分けられ、それぞれの苦しみが、リアルに嫌というほど伝わってきて、3人にとても共感しました。自分が若い頃、非常に精神的に不安定だったことも思い出されてきました。最も共感してしまったのはミーリーンで、わたしはリストカットまではしませんでしたが、自己を否定するネガティブな言葉が頭を支配する感じや、大勢の中で非常に強い孤独を感じるあたりは、すりむけたところがヒリヒリするようで、読んでいていたたまれなかったです。でも、ティーンエイジャーだったら、実際に鬱だったり、性的虐待にあったり、障害があったりしなくても、3人のどこかに共感する点を見つけられるのではないでしょうか。
それから、編集の荻原さんに原文がどうだったか、おうかがいしたかったのですが、例えばオリヴィアの章では、段頭がわざわざずらしてあったり、ミーリーンについても現状の認識と頭の中のネガティブな言葉とでフォントが変えてあったり、見た目の行の配置でも心の状況が分かるようになっていますね。これも、緊迫感を醸し出してとてもよかったと思います。自殺幇助のサイト、メメントモリの存在も物語にじわじわと恐怖感を与えていて、インターネットの危険性も伝わりますね。途中までは3人が自殺してしまうのではないかとドキドキし、後半はメメントモリからの攻撃でスリリングな展開になり、結局最後までドキドキしながら読みました。大変におもしろかったです。

コゲラ:表紙を見て、ていねいな前書きやインフォメーションを読み、おっかなびっくり読みはじめました。3人の少女の性格や、置かれている状況がしっかり描かれていて、それだけにページをめくる手が、ともすれば止まりそうになりました。でも、3人そろって服を選ぶ場面から明るい兆しが見えてきて、ほっとしました。前半とうってかわって、後半は悪意のあるネットのサイトの所有者との闘いで、まさに手に汗にぎる展開。一気に読めました。
作者はもちろんのこと、編集者、訳者の細かい心遣いと熱意が感じられる、よい本だと思います。ただ、図書館や学校で子どもたちに手渡す立場にある方は、神経を使うだろうなと思いました。むしろ、読書会などグループで読むときの課題本としたら、とてもよいのではないでしょうか。先日のニュースで、自殺をしたい子をネットで誘って監禁した事件を報道していましたが、日本の10代にとっても他人事ではないので。p12で、主人公のひとりのカーラ言っていっていますが、「サマリア人協会=サマリタンズ」は日本の「いのちの電話」のことで、カーラがふざけていっているということが、日本の読者にはわかりづらいのでは?

雪割草:展開が気になり、引き込まれて読みました。作者のメッセージが冒頭にあることで、読者への配慮や届けたいという思いが伝わってきました。3人それぞれが、母親との関係によって前に進めるようになるのもよく描かれていて、思春期の読者には伝わるものがあると思いました。それからメメントモリというサイトですが、グループワークを通して自殺をやめさせるいいサイトなのかもしれない、と最初は思ったりしてしました。でも実際は違って、ネットの恐ろしさや世の中の悪意、その子どもたちへの影響を考えさせられました。長く、内容もセンシティブで、出版社にとっては挑戦だったのではと思いました。

エーデルワイス:表紙イラストの3人の少女たちの顔に目鼻口がありません。物語を読む前から少女たちの心情がすでに伝わってくるようです。本文の文字の配列が視覚的に変化して、ミーリーンの苦しい心の叫びが伝わり、つらくなりました。オリヴィアの性的虐待に母親が正面から向き合ってくれてほっとしました。こういう状況の子たちを大人がいち早く気づいて守ってほしいと願います。問題を抱えている子どもに即刻ソーシャルワーカーがつくところがすばらしいですね。最後にミーリーン、カーラ、オリヴィアの3人が、自殺サイトの罠にも負けず、生還できたことにほっとしました。

キビタキ:カバー前袖の文章と、物語の前に「いのちの電話」などのサイトの紹介があるので、ちょっと身がまえてしまいました。読者は高校生くらいだと思いますが、ここを見て読んでみようと思う子と、逆にちょっと引いてしまう子がいるのではないでしょうか。それぞれの少女の一人称で語られる章が入れ替わりで出てくるという構成が、最初は読みにくくて、3人のことを把握するのに少し時間がかかりました。それぞれの抱えている苦しみや心の叫びがうまく描かれていましたが、その分、読み進むのはとてもつらくて、途中でやめたくなりました。後半は、やっと気持ちをわかってくれる相手が見つかったことで3人が楽になっていくので、読んでいるほうも救われるのですが、そう思う間もなく急展開が待っていて、ハラハラし通しだったと思います。3人の主人公は16歳なので、同世代の読者には響く部分が多いのではないかと思いました。

アンヌ:最初に「いのちの電話」が提示されて自殺について書いてあるとわかるので、戦争が始まったという今の状況でこの物語を読み始めるのはきつく、その上事故による下半身まひ、鬱、性的虐待という状況が描かれるので、もうそこから進めなくなってしまいました。でも時間をおいて読み直し始めたら、それからは一気読みでした。3人はごく普通の仲よしのティーンエイジャーのような生活、チェア・ウォーカーになったカーラができるとは思っていなかったような生活を楽しみます。まず、ショッピングモールでお買い物をし、ランチをとる。ここで、普段はグッチを着ているというオリヴィアの言葉に階級を感じましたけれど、でも、彼女のように服を見立てるのが得意な友だちと買い物に行くとお互いが満足できて楽しいですよね。ランチではミーリーンに、ちゃんとしたハラルのお肉を食べさせる店を見つけてあげる。好奇心から宗教上の禁止事項は訊いてくるけれど、そこから先に踏み込んでくれない人たちとは違って、カーラは解決法を一緒に見つけてくれる。いつも遠慮しているミーリーンが気を使ってもらえて喜ぶところは、読んでいて楽しくなりました。それから、性的虐待を逃れてするジャンクフードだらけのパジャマパーティ。ここも楽しくて、このマイナスとプラスの場面構成は、とても動的でリズムがあるなと思いました。ミーリーンが母親に絵を描くことを認めてもらう場面では、現代のムスリム女性が子どもたちには自由に生きてほしいと思っていることも知ることができました。ただ、ここから先のサイトからの反撃などが出てくる場面はスリル満点ですが、少々つらく、まだ読み返す勇気が湧いていません。私の好きな場面は、カーラが救急車に乗せられるミーリーンにスカーフを巻いてあげ、その気持ちが救急隊員の女性にも伝わるところです。他者に想像力をもって接することの大切さを訴えかける見事な小説だと思いますが、実際に死の誘惑を感じている子どもに手渡すのには注意が必要だとも思います。

オカピ:今、日本で、子どもの自死はとても多いですよね。最近、『ぼく』(谷川俊太郎/作 合田里美/絵 岩崎書店)という絵本の特集番組を見たのですが、「子どもの自死をテーマに児童書を出す上で、伝えたいのは “死なないで” ということだけど、それをそのままぶつけても届かない」と、編集者の方がおっしゃっていました。それをどうやって絵本とか、この本の場合はYAという作品にするのか、ということですよね。その番組で、「人間社会内孤独と自然宇宙内孤独がある」という谷川さんの言葉も印象的でした。私は中学のとき、「とくに悩みがあったわけじゃないけど、死にたいと思ったことは何度もある」と友人に言われて、驚いた記憶があります。いじめとか虐待とか、そうした具体的な理由がなくても、ふっと死に引きよせられることがあるんだなって。この『ラスト・フレンズ』では、鬱、性的虐待、父親の死に対する罪の意識など、死に向かう理由が示されていて、もちろんそういうケースもあるのですが。詩の形で書かれた本が今たくさん出ていて、この本でもオリヴィアの章はそうなっています。p115「ミーリーンが床からパソコンを拾って/いう」、p317「ミーリーンはぱっと顔を上げて、ちょっとだけ/ふら/ふら/歩いてから、いう」など原書通りの改行なのでしょうが、そのまま日本語の作品にするのはなかなか難しいのかなと。訳はp6の「ムリやり」「大っキラい」、p8「フツー」、p11「キツい」、p13「アガる」など、カタカナが多いのが古く感じられて、私にはちょっとしっくりきませんでした。地の文なんかは心の中で思っていることなので、今の言葉をそんなに使わなくてもいいような……。シリアスなテーマの本というのもあって、訳が少し浮いているように感じました。

みずたまり:近く感じる死を回避して、生きることに向かっていく少女たち、という大きな流れはとてもよくて、3人のやりとりを興味深く読みました。それぞれの背負っているものはとても重いけれど、友情があれば乗り越えられる、という力強さを感じました。ただ、自殺サイトのハッキングについて詳細が語られていなくて、カメラがいつも都合よく見たいものを撮影しているような気がしました。そのあたり、もう少し仔細に書いて納得させてもらいたかったです。あと、わたしは、3人が中盤で生きる決意をして、自殺サイトの正体を協力して暴いていく展開なのかと想像してしまいました。死と生に対して、よりポジティブに向かう方向を勝手に期待しすぎたので、ああ、そっちではないのね、と途中で軌道修正しながら読みました。

ハリネズミ:苦しい場面がずっと続くので途中で休み休み読みました。もう少しユーモラスなところとかがあると、休まず読み続けられたと思うんですけど。育った環境も文化も違う3人が自殺幇助サイトで知り合って、しだいに友情を結んでいくというストーリーですけど、こういうサイトは実際にありそうで怖いですね。そういう意味では、とても現代的な作品だと思います。性的虐待に関してですけど、この作品では、虐待をしていた男はすぐに逮捕されます。被害者の証言が重視されているということですよね。日本は伊藤詩織さんの件を見ても、まだまだ加害者に有利で残念です。下半身マヒのカーラが、過保護な母親をうるさいと思っていて、独りにしてほしいとあれだけ言っているのに、母親に恋人ができたのかといちいち気にして逆に母親の一挙一動に目を光らせるのは、ちょっと私の中では人物像が結びにくかったです。著者が一所懸命に書いているのは伝わってきましたが、あらかじめこういう流れで書こうという設計図があるせいか、ちょっと堅苦しさを感じました。もっと自然に登場人物が動いていくと、きっとユーモアも入ってくるのかもしれません。

サークルK:表紙の3人の肖像画を額縁に入れて図案化したものを、各章の名前の下に毎回入れている工夫がなされ、3人それぞれの事情を読むときに迷子にならずにすみました。冒頭に「いのちの電話」の案内などが書かれていることもあって身がまえる読者もいるかもしれませんけれど、あえて原題と異なる『ラスト・フレンズ』というタイトルになっているところに(ラストという語には動詞なら「続いていく」という意味もあるので)、これからも3人が友達関係を続けられるという希望を読める気がしました。作中の16歳の少女たちが巻き込まれている日常(たとえば自分と異なる宗教観や結婚観、人生観、罪悪感、性的虐待といったヘビーな内容)に想像力が追いつかないとしても、不気味な自殺幇助団体の「契約」に取り込まれていく様は、現代の日本でもうっかりWebをクリックして思わぬ犯罪に巻き込まれてしまう子どもたちへのリアルな警鐘となると思います。つらい展開のところもありましたが気がつくとぐいぐいと引き込まれて読んでしまいました。

ヤドカリ:読み終わったときに、読めてよかったと思えるような小説でした。著者の伝えたいという思いが強く出ていて、力のこもった作品だと思いました。3人のキャラクターそれぞれに、日本の読者もいろいろなポイントで共感できるのではないかと思います。母と娘の関係が大切な小説で、帯にいとうみくさんが言葉を寄せられているのも、それでなのかしら、と思ったりもしました。編集の面でも非常にていねいに配慮されているなと感じました。

コアラ:タイトル、特にサブタイトルの「最後の13日間」で手に取る人がいるのではないかと感じました。物語に入る前に、「いのちの電話」などの相談先が載っていて、この本を出版する上での気配りがされていると思いました。途中までは自殺に向かって準備を整えていくストーリだし、p5にあるように、よくない引き金を引いてしまわないとも限らない。最初に載せたら、読んでいる途中で気持ちが揺れても、相談先を思い出すことができるので、まず相談先を載せたというのは、とても配慮されていると思いました。カバーの人の絵が、版ズレしているようで、けっこう気になったのですが、p13で自殺サイトのデザインが「微妙にレイアウトがずれてるメニューバー」とあるので、そのイメージからきているのかなと考えたりもしました。性格も環境も全く違う女の子3人が自殺サイトのマッチングで出会います。最初の出会いのぎこちなさはよくあらわれていると思うし、それぞれのつらさも、読んでいて我が事のように迫ってきました。特に、ミーリーンの章の、太字のフォントで書かれている「カオス」の声は、こんな声がずっとしていたらたまらないというか、本当に死にたくなると思いました。p351のカオスの声に囲まれているようなレイアウトは、頭の中の状態、苦しさが、レイアウトでよくあらわれていると思いました。この物語では、自殺サイトで知り合った人や親が救いとなったけれど、現実の世界でも、苦しい状況では、友人や親からの救いを欲していると思うし、そういう生きることへの引きとめも心の底ではかすかに願って自殺サイトで人と知り合うことがあるかもしれない。でも現実では、小説のように心を打ち明けられる関係にはならず、お互いに死へと進んでしまうのかもしれない。そういうことを重く考えながら読みました。苦しんでいる人が、この本を読んで自分の気持ちを誰かに打ち明けられるようになればと思うし、周りの人も、苦しんでいる人の気持ちに寄り添えるようになればいいなと思います。

花散里:この本が出版されたとき、3人の顔が描かれていない表紙画、「自殺」やSNSの問題などを取り上げていることが話題になっていたのですぐに読みました。そのときに本書が著者のデビュー作であり、自身の体験をもとに書かれた作品であるということで力作だと思いました。今回、読み返してみて、中盤までは自殺のサイトで知り合った3人が次第に自殺を思いとどまっていくところ、SNS利用の怖さや、仲よくなった3人の中での葛藤などをていねいに描いていて、とても構成がうまいと改めて感じました。ブリティッシュ・ムスリムの著者は自身と重ね合わせて、後半の追いつめられていくミーリーンをいちばん描きたかったのではないかと思いました。最後にカウンセラーの対応の上手さなど、生きることへ希望をもたせ、読後感がさわやかに感じました。自殺サイト、性的虐待などを取り上げている点で大人にも読んでほしい作品であり、YA世代にはぜひ読んでほしいと思います。

荻原(編集担当者):「サマリア人協会」や「ほっぺ」、そのほか、皆さまご指摘ありがとうございます。オリヴィアのパートは原書のレイアウトになるべく近づけてみています。なかなか同じようにはいかなかったですけれども。また、相談先のリスト(日本語版は国内の各団体にご協力いただきました)は、原書では巻末にありました。それを巻頭にもってくることで、入り口に壁をつくってしまった点も課題になりましたが、今この主人公たちと同じような苦しみを抱えている読者が、もし、途中で本を閉じてしまったら……と考えて、巻頭に載せました。この作品は、著者自身がティーンエイジャーだったときに読みたかった本だ、とのこと。著者が求めた本の力を私も信じて、日本の読者にも届けたいと思ったのではありますが、本当のところ、読者にどんな影響を与えてしまうのか、不安もありました。この作品を選んだそのほかの理由のひとつとして、死生観が信仰に反することに苦しむ、という心情は、日本ではあまり触れる機会がないのではないかと思ったこともあります。カバーイラストの画風と、作中に登場するサイトのレイアウトとの関連は……全然考えていませんでした(笑)。実は、編集担当として、はじめて自分で選んでオファーした作品で、ボリュームも考えずに買っちゃったので、なんとかページ数をおさえようと、文字もぎっちぎちですみません。訳者の代田さんの力を借りて、ようやく形にできたという感じです。皆さまのご意見を、今後の編集の課題にしてがんばります。今日はありがとうございました。

しじみ71個分:この物語で行頭がずらしてあったりするのは、詩的な表現というよりは、頭の中の思考が千々に乱れたり、自分で考えたことを自分で否定したり、心の中で瞬間瞬間に湧き上がる苦悶や葛藤、思考の乱れを視覚的に演出しているだけなんじゃないでしょうか? たとえば、オリヴィアの思ったことに取り消し線が引いてあるのは、自分で考えたことを自分で打ち消しているのを表現しているのだと思いましたし、3人で打ち解けているときは行頭が揃っているので心の落ち着きを表現しているのかなと思いました。

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ネズミ(メール参加):読み応えがありましたが、読むのはつらかったです。この子たちがどうなるのか気になって読み進めましたが、話し言葉で展開するとはいえ、ページ数も多く、読者を選ぶ、ある程度本好きな読者でないと読み通すのがきびしいかなと思いました。
3人それぞれのかかえている問題が重たく、当事者となる読者に手渡してよいか、ためらわれます。むしろ、まわりの大人に読んでほしい。

(2022年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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顔のない男

女ばかりの家族の中で孤立し悩む14才の少年。夏の日,顔半分に火傷を負った男と出会い,現実を直視し愛を恐れずに生きることを知る。 (日本児童図書出版協会)

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『あたしが乗った列車は進む』表紙

あたしが乗った列車は進む

ハル:胸に迫るラストでした。思い出しても込み上げてくるものがありますね。素敵な物語でした。長距離列車や、広い大地や、人間関係も、海外の小説ならではの魅力もあって、読み応えもありますが、全体的に少しおしゃれというか、詩的な部分もあって、ところどころ、わかるような、わからないようなという部分もあったように思います。もともと機知とユーモアに富んだ、魅力的な主人公なんですよね。列車の中で出会ったひとたちが、みんな夢中になっちゃって、多少いい人が多すぎると思わないでもないですが、この子がここに至るまでを思うと、古い自分の殻を破るには、このくらいの応援が必要なのかもしれません。

ネズミ:すごく好きでした。地味な本ですが、いろんなことを考えさせられるいい作品だと思いました。列車に乗っているときって、できることは限られていて、景色を見ながら内省的になりますよね。そんな旅の最中の心の動きにそって物語が進んでいき、父親がわからず、母親が死に,おばあちゃんも死に居場所がない、この子のよるべのなさが浮かび上がっていくのがうまいなと。受けとめてくれる人が早く見つかってほしいと思いながら読み進めました。列車の中での人との出会いはどれもおもしろく、とくにテンダーチャンクスに詩の本をもらうというのが、意外性もあってとてもいい。ただ、この子の目の高さが違うという設定は、そうじゃなければならなかったのかなと思いました。『ほんとうの願いがかなうとき』(バーバラ・オコーナー/著 中野怜奈/訳 偕成社)のハワードが、足が悪かったのを思い出し、優しい声をかけてくれる人にそういう特徴を持たせなければならないのかなと。だけど、次に踏み出していく物語として、とてもいいなと思いました。求めている子どもの手に届けたい作品です。

ハル:私は最初、「目の高さがちがう」とあるのは、初恋の特徴的なものというか、意識しはじめた男の子の顔のこまかな特徴を、チャームポイントとしてロマンチックにとらえているのかな? と思っていましたが、読み進めていくと「いいほうの目」(p183)とあって、そこで初めて、そういうことかとわかりました。

西山:列車で移動していくという仕掛けが生きていると思いました。回想にふけったり、あちこちに思いが飛んだりすることで、ライダーの抱えているものが見えてくるのだけれど、それが、読者を謎で引きつけ続ける思わせぶりな方便では無く、長距離列車に揺られながらの物思いとしてとても自然です。車窓の風景が変わっていく様子、せっかく親しくなってもやがて訪れる別れ・・・人生の比喩としてまとまった世界でした。この本を読んでいるときに、ちょうど卒業生にメッセージを伝える機会があって、この中から1節を紹介しました。「悪いことはいっぱいあったけど、それでどうにかなったりしない。あたしは、自分で選んだふうにしかならない」(p162)。もう1カ所カルロスさんの言葉「もっともすばらしい人たちは、いろいろ感じることができて,心に希望を抱いている人間だよ。まあ、それはときに、傷ついたり失望したりするということだけれどね。ときにどころか、つねに傷ついたり失望したりしているのかもしれない」(p226)。望むからこそ傷つくこともあるけれど、「こうしたい」「こうありたい」という思いを捨てず、自分で自分の人生を選んでいってね、と伝えました。あと、心が解放されていく過程でトイレをめちゃくちゃにしたり、恋のめばえがあったり。一色でない心の動きが物語を味わい深くしていました。来年度、学生にすすめようと思います。

マリンゴ:ずいぶん前に読んだのですが、ぼろぼろ泣いてしまって困ったのを覚えています。どこで泣いたんだっけ、と思ってざっと再読してまた泣いてしまいました(笑)。やっぱりラストですね。深刻な内容ですけれど、電車の走る疾走感のおかげか、どこか爽やかさが漂うところが魅力だと思います。ヒロインが、お菓子やパンを手に入れると、計画的に少しずつ食べないで全部一気に消化してしまうシーンが印象的です。身体的な飢餓感は、精神的な飢餓感と直結しているのだなと思いました。

サンザシ:私もかなり前に読んで、読み直す時間がなかったので、細かいところは忘れています。日本は自己肯定感の低い若者が多いって言われてますけど、この本の主人公の少女も自己肯定感がとても低いんですね。『太陽はかがやいている』という小さな本をお守りのように持っているものの、自分は太陽と縁遠い存在だと思っています。助けはいらないし自力でなんとかしようと気を張っているけど、ひ弱でもある。読んでいくと、ドラッグ中毒の母親とニコチン中毒の祖母にネグレクトされた少女だということがわかるんですが、嘘もつくし万引きもします。しかもあったことのない大おじさんの住むシカゴに行かなきゃならない。読者もそれは大変だと思って読んでいくことになります。過去の出来事と現在の出来事の両方で物語は進みますが、現在の流れの中で出会うのはいい人たちばかり。列車の中の出会いがすべてプラスに働くというのは現実にはあり得ないかもしれないけど、まったく希望のなかった少女が未来への希望を取り戻していく物語としてはよくできていますね。鏡を割るのは、自分の存在を否定しようとしている自分を壊す行為なんだと私は思いました。そこが象徴的でとてもおもしろいと思いました。自己肯定感を持てない日本の子どもにも読んでもらいたいな。

まめじか:自己肯定感が低く、自分にも周囲にも価値を見出せないライダーはアレン・ギンズバーグの『吠える』を読んで、「生き残れない人たちは、べつにどこも悪くない」「正されなきゃいけないのは、その人たちを破滅させる世界のほう」だと悟ります。ライダーの怒りと心の叫び、それと汽車の警笛が響きあうラストが圧巻です。ライダーのような、困難な状況下の子どもが出てくる本を書いているアメリカの児童書作家のジェイソン・レノルズが前に「自分の中の人間的な部分のスイッチを切ってはいけない。泣いたり怒ったりするのを恐れるな」と若者に語っていたのを思いだしました。

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アンヌ(メール参加):実に、鉄ごころ、鉄道好きの人の心を打つ小説に出来上がっていて、だからこそ、男の子が主人公ではなくてよかったと思える作品でした。というのはラストの運転手席で警笛を鳴らす場面などは、まさしく鉄の夢だから。主人公を男の子にしてしまうと、ずっと鉄道に夢を抱いてきたということになってしまって、主題とはずれてしまうからです。そうではなくて、このラストは、主人公が怒りを吐き出しつつ近づいてくるシカゴに、未来に向かっていく場面で、でも、少し鉄の私にはうらやましい場面です。読んでいて主人公のつらい過去の出来事にも身をさいなまれたけれど、何より途中で本を置きたくなってしまうほどつらかったのは、主人公が飢えていて、それが相当深刻なものだということを、誰も本人でさえ気づかないということ。せっかく手にしたお金をブレスレットに変えてしまうところを読んで、もう、地団太踏んでしまうほどでしたが、でも、ここら辺から物語はかなり詩の世界に物語が滑り込んでいて、この現実感のない行動はまさしくティーンの物語だとも思えてきたし、まあ、ニールにプレゼントできるものがほしいよね、仕方ないなと思いました。おばあちゃんが作るパンケーキの場面はおいしそうで最高なのに、それが死と結びついてしまうところも、おいしいもの好きの私にはつらいところでした。

しじみ71個分(メール参加):カリフォルニア州パームスプリングから、シカゴまでの数日間で、肉親を亡くし、傷だらけの心を抱く少女“ライダー”が、車内で出会った人々とのつながりの中で心を開き、自分を見つめ、芽生えた新たな希望を持って新天地に向かうという話で、温かで穏やかな読後感をもたらします。車内での数日の間に、母は薬物中毒でそのために亡くなり、その後共に暮らした祖母は決して優しさを前面に表す人でもなかったこと、恐らく互いに思い合っているのに表せないまま死を以て家族と隔てられたこと、詩を解し、知恵があり、心優しく、美点を多く持ちながら、求める愛を得られなかったために自己肯定感を持てずに育ったことなど、ライダーの持つ背景が明らかになっていくと同時に、列車に同乗する人々が交流の中で、家族のようにみなライダーを応援し愛し支えていくという展開は巧みで引き込まれました。少女ライダーが詩を媒介にボーイスカウトの少年テンダーチャンクスとつかの間初恋を経験するくだりも美しいし、旅の途中で母の遺灰をまき、別れを告げる場面も非常に心に残ります。ニール、ドロシア、カルロスなど見守る大人も大変に魅力的です。短い文を重ねていく文体で、回想と現在の場面を鮮やかに交差させ織りなしていく手法も見事だと思いました。愛は肉親でなくても長期間でなくても子どもに自信と希望を与えうるという力強いメッセージも感じます。
ただ、しばらくして、もし、ライダーが特段賢くもなく、詩も愛さず、心優しくもなく、自己肯定感を持ちえず自暴自棄で粗暴で他人を傷つけることを厭わない子だったら、こんなに車内の大人たちは彼女に共感し、同情し、支えようとしただろうか、また、同乗する人々がこのように好人物でなければライダーはシカゴまでの間で希望を持てるだろうかとふと考えてしまいました。そう思うとこの物語は痛ましい経験を持ち傷だらけだけれども、素晴らしい才能を秘めた「選ばれた」子どもが、偶然にも包容力のある大人たちに囲まれて自分を発見し傷を癒し愛することを知る、非常に「幸運な」物語のように見えてきます。児童文学の向日性というのは時に大事な要素だと思いますが、そんなにうまくいくことが現実にどれくらいあるだろうかと思うと逆に切なくなり、少し白けた感が残りました。

エーデルワイス(メール参加):「あたし」の過酷な生い立ちがどんどん分かって、(特にp201の12行目など)列車を降りてからの生活が必ずしも幸せになるかどうかが分かりませんが、読後感が爽やかです。車中で出会った人たちが皆温かい。誕生日を祝ってくれ、ママの遺灰を森に撒くのを見守ってくれる。初めての恋と共にたくさんの愛情を知って、さらに詩人になると目標をもちます。列車の中でお腹をすかしたところはなんとも可哀想ですが、あれこれ考えお金を稼いでいるところがたくましいですね。精神科医ローラがp79で「なりたい自分になれるよう努力して。そして自分を愛するの。それができてはじめて、自分の気持ちや他人の意思を、心から信用できるようになるの」と言いますが、ここがこの物語で一番言いたいところかと思いました。

(2020年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ゴードン・コーマン『リスタート』表紙

リスタート

マリンゴ:非常に引き込まれる作品でした。この物語では、記憶を失った自分が「素」の自分で、記憶を失う直前の自分が、環境に影響された自分なんですね。どんな環境にいるかによって人は変わるし、その環境を自分がどういうふうに生かせるか、あるいは生かせないかによっても、人は変わるのだ、というメッセージが伝わってきました。一番悪いやつ、首謀者、と思われている人物も、周りがそうさせている部分が大きいかもしれないと思います。気になったのは、音楽室のチューバが泡だらけになるバトルシーン。描写は細かいのですが、具体的にどこに誰がいて何が起きたのか、わかりづらかったです。なので、後で動画で誤解が解けたときも、「なるほど!」という鮮やかな印象には至りませんでした。あと、ラストの裁判シーンが出来過ぎというか、うまくまとまり過ぎているように思います。

西山:『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳 徳間書店)のラガーマンの父親を思いだしたりして、マッチョな価値観が満ちている場は本当にいやだなと思いました。本筋とは関係無いのだけれど、「お前のかーちゃんでべそ」的、女親を蔑む悪口って、世界共通であるのだなと思うと、男親ではそういうのは聞かない気がして興味深いですね。たまたま最近読んだラテンアメリカの小説で久しぶりに「イホ・デ・プータ(売春婦の息子)」を見ていたので、気になったのですけれど。老人の戦争体験を今の子どもが知るというのは、よくあるパターンですが、ソルウェイさんの屈折の仕方がとてもおもしろかったです。勲章をもたらした戦場での活躍の実態が書かれていて、それを誇れない過去として無意識に封印しているらしいところに共感を覚えました。

ネズミ:うまいエンタメだなと思って読みました。章ごとに語り手が入れ替わって、その人の視点で語る手法は『エヴリデイ』(デイヴィッド・レヴィサン/作 三辺律子/訳 小峰書店)に似ていますね。これまでの自分をチャラにして、全く新しい自分で生き直したいというのは、誰しも一度は思ったことがあるのでは? なので、あり得ないハチャメチャな設定だけれど、おもしろく読めるだろうと思いました。ただ、日常の食べ物や生活ぶりなど背景はアメリカの文化が色濃いので、海外文学を読み慣れていない中学生にはややハードルが高いかな。わからないところは読みとばしてしまえばいいのでしょうけれど、たとえば、p277 「見た目は列車相手にチキンレースをして負けたみたいだ」のチキンレースとか、私もわからないところがありました。主人公は13歳だけれども、高校生ぐらいに思えてしまうし。ラストはできすぎているけれど、元気が出ますね。

サンザシ:最初にエンタメ系だと思って読めばよかったんだけど、そうじゃなかったので、記憶喪失した人の性格がまったく変わるなんてあり得ないし、ストーリーラインが漫画風だなと思ってしまいました。チェースのお父さんががらっと変わるのもどうかなと思ったし、最後にソルウェイさんの証言で少年刑務所行きを免れるのも出来すぎだし、昔のワル仲間のベアとアーロンが勲章を盗んだんじゃないかと疑うのも短絡的だと思って、物語の中に入り込めませんでした。あと、ブレンダンがユーチューブの企画をするわけですけど、三輪車で洗車マシンを通るとか、全身タイツにシロップをかけてローラーブレードで葉っぱの山に突っこむなんていうのが全然おもしろいと思えなくて。つまり、最初にイメージした物語と違う展開だったので、私は楽しめなかったということだと思います。青いドレスの少女の謎、というのはうまいなと思いました。ちょっとひっかかったのは、ソルウェイさんが戦争で手柄を立てたことを少年たちがすごいと思っているところと、ベアとアーロンがどうしてワルなのかという裏側が書かれていないところでした。

ネズミ:ユーチューバーになりたいとか、再生回数をあげようとかは、今の中学生は共感できるのではないでしょうか。

サンザシ:気持ちはわかるけどね。最後のだけはちょっとおもしろいだろうなと思いましたが。

まめじか:ランチルームをサバンナにたとえている箇所なんかすごくおもしろくて、ユーモアがありますよね。チェースは記憶をなくして自分探しをはじめるんですけど、自分という人間がわからなくなったり、自分という存在にも恐怖を感じたりするのは思春期の若者の普遍的な姿ですよね。そんなチェースが自分に似たソルウェイさんにシンパシーを感じ、必要とされる経験を通して成長していくのはいいなと思いました。ただ戦争で勲章をもらって英雄視されるのは、児童書・YAとしてどうなんでしょうね。アメリカの本にはときどきありますが。そういうところはなんだかマッチョな感じが鼻について、あんまり好きになれなかった。p132に「死んだ人間は、自分がどの軍服を着てたかなんて気にしない」とは書いてありますけど。

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しじみ71個分(メール参加):主人公チェースは中学アメフトの州大会チャンプであり、チームのキャプテンであるという輝かしい経歴を持ちながら、一方、暴力的で悪事を好み、学校の同級生たちを苛め抜き、転校させるまで追い込み、教師も止めることができないほどの暴君であったが、屋根から落ちた衝撃で記憶喪失となって性格が変わり、まっさらな他人の目で自分のやってきたことを見つめ、失敗したり誤解されたりしながら、学校の仲間や過去に迷惑をかけた老人たちの応援を受けて人生の再スタートのチャンスを得る物語で、そんなことってあるかと思いながらも面白く読みました。ただ、自分の犯した悪事に向き合うのは記憶喪失にならないでもできるのではないかとも思います。記憶喪失という装置を使って、半ば他人の目で自分の悪事を他人事として振り返るのと、自分の犯した罪に自覚的に向き合うのとでは葛藤の深さが違うようにも思われ、記憶喪失を利用したところは、作家のちょっとしたずるさを感じました。主人公は最後に全てを思い出して、正しい行動をとろうとするのですが、改心とか葛藤など心の揺れや苦しみをそのまま普通に描くことはできなかったのだろうか、と思います。ビデオクラブ部長のブレンダンの人物造形は魅力的です。YouTubeにのめり込んで何とか面白い動画を撮ろうとする姿は滑稽でありながら真摯で、今時のアメリカの若者の雰囲気を感じます。このビデオクラブの存在がチェースの再スタートのきっかけを与える重要な役割を果たしていますし、力は弱くともブレンダンの聡明さがチェースを救う構図もとても良く、昔のアメリカ製ホームドラマで描かれていたようなアメリカの良いところを思い起こさせられました。

エーデルワイス(メール参加):三谷幸喜監督の映画『記憶にございません』も同じ設定ですね。記憶喪失になって、良き人間になるという発想はよくあることなのでしょうか? 主人公のチェースはアメフトの花形スターですが、やはりアメフトのスターだった父親にコンプレックスを持ち、本当の愛情を求めていたのかもしれません。アメリカらしい大人気のアメフト、スマホ、ユーチューブと現代的ですね。父親の妻と娘(チェースの妹)に助けられるところに、新しい家族像が出ている気がします。チェース、ショシャーナ、ブレンダンが交互に一人称で語るのは、面白いと思いました。

(2020年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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『コピーボーイ』表紙

コピーボーイ

『コピーボーイ』をおすすめします。

前作『ペーパーボーイ』から6年経ち17歳になったヴィクターは、地元の新聞社で雑用係(コピーボーイ)として働いている。人生の大先輩として慕っていたスピロさんが亡くなり、ヴィクターは生前からの約束を果たそうと決意する。それは、「ミシシッピ川の河口に遺灰をまくこと」。約束を実現するための独り旅の中で、ヴィクターは様々な人と出会い、恋もし、吃音とも折り合いをつけて、新たな道を切り開いていく。若い読者にも、困難を乗り越えて未来を信じる力を与えてくれそうだ。(中学生から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年4月25日掲載)

キーワード:旅、恋、吃音、未来

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ルイス・サッカー『泥』表紙

『泥』をおすすめします。

森の中にある私立学校から、3人の生徒が行方不明になる。1人は皆勤賞の優等生タマヤ、もう1人はタマヤと通学している2歳年上のマーシャル、残る1人はマーシャルをいじめていた転校生チャド。そして、森で奇妙なねばねばの泥に触れたこの3人から、不思議な病が広がっていく。この病とは何なのか? 何が原因なのか? 治療方法はあるのか? 3人それぞれの物語にからむのは、粘菌を利用したクリーンエネルギーのついての聴聞会の証言と、不思議な数式。謎めいた起伏のある展開で読者をひきつけ、しかもバイオテクノロジーについて考えさせる見事な作品。怖いけれどおもしろいこの物語からは、作者が子どもに寄せる信頼感も感じ取れる。(小学校高学年以上)

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年9月29日掲載)

 


森の中にある私立学校から、5 年生の優等生タマヤ、7 年生のマーシャル、7 年のクラスに転校してきたいじめっ子のチャドが行方不明になる。やがて、この3人が森で奇妙な泥に触れたことから、不思議な病が広がっていることがわかる。この病は何なのか? 治療法はあるのか? 異質な3 人は、恐怖と孤独の中でたがいの間の距離を縮めていく。子どもたちをめぐる現在に、クリーンエネルギーについての公聴会の証言と、謎めいた数式がからむ。起伏のある展開で読者をひきつけ、バイオテクノロジーや現代文明の落とし穴についても考えさせる物語。

原作:アメリカ/13歳から/バイオテクノロジー エネルギー 粘菌 いじめ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『コピーボーイ』表紙

コピーボーイ

『コピーボーイ』をおすすめします。

前作『ペーパーボーイ』から6年経ち17歳になったヴィクターは、地元の新聞社で雑用係(コピーボーイ)として働いている。人生の大先輩として慕っていたスピロさんが亡くなり、ヴィクターは生前からの約束を果たそうと決意する。それは、「ミシシッピ川の河口に遺灰をまくこと」。約束を実現するための独り旅の中で、ヴィクターは様々な人と出会い、恋もし、吃音とも折り合いをつけて、新たな道を切り開いていく。若い読者にも、困難を乗り越えて未来を信じる力を与えてくれる。(中学生から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年4月25日掲載)

キーワード:旅、恋、吃音、未来

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『オオカミが来た朝』表紙

オオカミが来た朝

『オオカミが来た朝』をおすすめします。

オーストラリアのある一家4代の物語を、子どもをめぐるエピソードでつづっていく作品。一家にからめて語られるのは、不安や恐怖、認知症老人との触れあい、難読症の人や移民への差別、民族間の争い、家族との葛藤などだが、語り口にはユーモアと奥行きがあり、味わいながら読める。最初の物語の主人公ケニーが、最後の物語では曾孫の前に少年の姿で現れて「くじけるな」と呼びかけるのだが、その言葉は子どもたちみんなに向けた作者のメッセージにも思える。(中学生から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2019年10月26日掲載)

キーワード:家族、歴史、差別

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ソン・ウォンピョン『アーモンド』表紙

アーモンド

マリンゴ:非常に読み応えがありました。主人公と、ゴニ。どちらも、非常に極端なキャラで、一歩間違えれば非現実的な物語になりそうなのに、現実のなかに落とし込んでいるのがすごいと思います。人それぞれに成長のしかたやスピードは違って、考えることをあきらめなければ、少しずつ変わっていけるのだと、感じられる本でした。ただ、実在の本と架空の本を取り混ぜているのは、あまり好ましくない気がしました。p125で、『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著)とおぼしき内容の本が登場します。でも、p126のP.J.ノーランという作家は架空の人物なんですよね。注釈はついているのですが、別ページにあるため、それを見る前に、ノーランの名前を一生懸命検索してしまいました。少しくやしいというか腹立たしいですね(笑)。

サークルK:タイトルを見たとき、何のことだろうと不思議に思いました(読み進むうちに解明されましたが)。挿絵が斬新で、モダンな感じでした。(皆さんがおっしゃっていた、男の子の顔色が明るく変わっていくことには気づきませんでした。)始まりが衝撃的なシーンで、映画を見る思いで読みましたが、あとがきで作者が映像関係にも造詣が深いことを知り、納得しました。脱北者を扱った韓国映画では「クロッシング」(2008)があり、(「母をたずねて三千里」の父子・悲劇版とお考えいただければと思います)今回の3作品を読んで、その映画のことも思い出しました。

ルパン:おもしろく読みました。まず、プロローグがいい。「アーモンド」が何をさしているのかわからないのだけど、「あなたの一番大事な人も、一番嫌っている誰かも、それを持っている」という一文に心ひかれました。そしてp29でそれが脳の中の「扁桃体」であることがわかると、「アーモンド」が物語全体を支えるキーワードとなり、作者の言いたいことがひとことで言い表されている気がしました。ストーリーは映像的というか、殺人事件など非日常な場面がまるでテレビドラマか映画を見ているように目に浮かんできました。そういう意味ではエンタメなのかもしれませんが、この主人公がゴニに対する友情や、自身が生きるよろこびを感じ始めるところはとてもいいと思いました。

ハル:私自身も読んでおもしろかったし、YA世代の子が読んだらよりいっそう感じるものは多いと思うのですが、積極的にYAとしてその世代の子にすすめたいかというと、そうでもないのかなぁと思います。設定だったり、突然の悲劇だったり、ラストのもっていきかただったりが、うーん、これは一般文芸かなと思いました。いつも読む英米の翻訳の本とは違う文化に触れられたのも、新鮮でおもしろかったです。

さららん:どんどん読めてしまった。エンターテイメントとして見事でしたね。冒頭で、「怪物である僕がもう一人の怪物に出会う」との断りがあり、そのあと「その日、一人が怪我をし、六人が死んだ。・・・・・・」と事件の描写から、第1章が始まったので、猟奇的な物語かな?と覚悟をきめて読み出しました。でもすぐにトーンが変わり、むしろ感情のない少年の透明な悲しみに包まれた物語でした。p50-p51の描写(意味が心に響かない少年には、本の楽しみ方もほかの人とは違う)のところなど、この少年の感覚を表していて、リアリティを深めるのに役立っていたと思います。余談になりますが、私には、韓国の小説や映画は血が出て終わる、という印象があって、この作品もやはりそうでした。

アンヌ:主人公は扁桃体異常と言われるし、目の前で祖母も母親も襲われるし、この子はどうなっちゃうんだろうと思いながら読み始めましたが、意外に母親が周到に彼を守る方法を考えていてくれたので、ほっとしました。脳の異常ならば、成長と共に変わって行くだろうと推測がついていたので、ゴニが出て来てからは、そっちの方が心配でした。せっかく再会した親に、また捨てられていますよね。作者は最初にバーンと映像を出すような描き方がとてもうまくて、映画のようにぞれぞれの場面が目に浮かんできます。おばあさんが襲われるところとか、映画だったらここで、不意に無音になるだろうな、なんて思いました。けれど、逆にそれがちっとも怖くなかったりすることもあって、たとえば、不良の親玉のようなまんじゅうはともかく、針金の顔が美しいのは、ありきたりに思えてつまらない気がしました。ぼくは死んだと言いながら話が続いて行って、最後はちょっと拍子抜けという感じもしました。

木の葉:おもしろく読みました。主人公のユンジェと思われる表紙の少年が、章タイトルにも描かれてますが、だんだんと背景の色が明るくなっていくことに、今気がつきました。社会のありようは日本とさほど変わりなく、祖母を失い母を植物人間状態にするクリスマスイブの殺傷事件やそれへの反応なども、日本でもありうると感じたのですが、この物語のようなタイプの作品は日本では見かけない気がしました。タイトルのアーモンドは、扁桃体のことを差しますが、食べ物のアーモンドが上手く使われています。翻訳書も茶やオレンジが基調でどことなくアーモンドトーン。作者は映画関係ということで、視覚的にイメージしやすかったように思います。対比的に描かれるユンジェとゴニの緊張が終盤に向かって加速し、ちょっとドキドキしました。暴力シーンは苦手なので、つらいところもありましたが。ただ、ラストの母親のエピソードはやりすぎというか、快復の兆しぐらいで抑えてくれたほうが私の好みです。

ネズミ:入りづらかったです。感情を持たない主人公の1人称で書かれていますが、自分が幼かったときの出来事を、他人のせりふも再現しながら、3人称のように書いているのが、どうもしっくりこず、どうとらえていいかわからない感じでした。ゴニとの関係はおもしろく、こういう題材をとりあげることは、なるほどなあと思いましたが、かなり読者を選ぶ作品でしょうか。

西山:作者が映画畑の人だからということもあるのでしょうか、映画を観ているようでした。映画にすれば結構流血シーンの多い映画になるでしょうけれど、人は人との関係の中で変わるんだというところが作品の芯になっていると思うのでYAとして非常に好感を持って読みました。脳ってわからないから、身長が9センチ伸びたら「頭の中の地形図がかなり変わったんだと思う」(p198)というところや、「自分でも気付かないうちに僕の頭を追い抜いてしまった体が、夏に着る春のコートのように不必要でうっとうしく感じられた」(p199)といったところが、1年間で10センチぐらい軽く延びてしまう年頃の子どもにとって、とてもしっくりきます。おもしろいなと思ったところは、数々あるのですが、たとえば人の心がわからないから、根本的な問いを発する。「ほかの人と似てるって、どういうこと? 人はみんな違うのに、誰を基準にしてるの?」(p71)と、スマホとの対話アプリで質問しているところ、その行為自体が切ないのですが、ものすごくプリミティブな問いかけですよね。あと、p244で、テレビでとても不幸なニュースが流れていても、平気でチャンネルを変えたり、笑えるのはなぜかという疑問。これも、そもそも共感って何?という根源的な問いで、『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/著 原田勝/訳 徳間書店)のフィギスの逆パターンなんだなと思いました。フィギスは異様に高い共感能力で憑依を招くわけですから。設定の奇抜さで目を引くということではなく、深く読める作品だと思います。あと、中学生くらいで共感をよぶんじゃないかと思いまして、p87の心ない質問に「別に何ともないよ」と答えてしまうところ、いかにも中学生のリアクションだと思いながら読みました。その直前、レンギョウの芽に日が当たるように枝の向きを変えてやる場面に、なんてやさしい!と思いました。感情が分かるとか、優しさって何?と考えさせる場面があちこちにあって、ハッとすることが多かったです。ゴニもいい子で、たとえばp142の最後のところで、「褒めてるんだ。商売上手だって」と。「ぼく」に分かるように説明を加えるなんて! 蝶を使った感情教育のところ、―あれ、対人間の暴力シーンより怖かったんですけど―そういうことを思いつくゴニが愛しい! ティーンエイジャーにいいなと思った作品でした。

カピバラ:感情がないっていうのがどういうことか、なかなかすぐには理解できず、私も最初は違和感があったんですけど、次第に主人公の独特の世界に入り込んでいくという不思議な感じがあり、それがほかの本にはない体験でした。章の切れ目に、次を読まずにいられないような予告的な表現があるんですよね。p54で、母さんの顔にしわを見つけ、「母さんも、これからは歳をとっていくだけってことよ」と母さんが言いますが、そのあとに、「でも母さんの言ったことは間違っていた。運命は、母さんにそんな機会を与えなかった」と書いてあります。これはもう、母さんに何が起こるんだろうと、次を読まずにいられないじゃないですか。そういった予告的な表現が次へページをめくらせる効果を出していると思います。また、季節の変わり目を表す描写がとても美しく、記憶に残りました。例えばp151「季節の女王は五月だというけれど、僕の考えは少し違う。難しいのは、冬が春に変わることだ。凍った土がとけ、芽が出て、枯れた枝に色とりどりの花が咲き始めること。本当に大変なのはそっちのほうだ。夏は、ただ春の動力をもらって前に何歩か進むだけで来るのだ」 こういった美しい描写が節目ごとに書かれていて時の流れを伝えてくれます。また、章のはじめの絵のバックの色が変わったのには3章くらいで気づき、おもしろいなと思いました。これは原書にはなくて日本の装丁者の工夫なのかな。センスがいいですね。

さららん:1カ所だけ疑問に思ったところがありました。p65で「こうしてぼくは十七になった」と書いてあったけれど、p82で、アーモンドは高校に入学していますよね。17歳で入学なのでしょうか?

ルパン:数え年だからじゃないですか? 12月にうまれたときが1歳で、年が明けてすぐに2歳になるから、満年齢と2歳の差ができるのでは。

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エーデルワイス(メール参加):文学的に質の高い作品。児童書ではなく一般書の棚にありました。村上春樹、カズオ・イシグロのような印象を受けます。好きな作品としか感想がかけないのですが、この作者を今後も読みたいと思いました。

サンザシ(メール参加):とてもおもしろく読みました。ユンジェとゴニはどちらも怪物と呼ばれる人間で、足りないものを持っています。その2人が対立し、理解しようとし、友だちになっていきます。リアルであると同時にエンタテイニングで、先へ先へと読ませる力があります。しいてテーマを示すとするなら、愛による変化・成長といったところだと思いますが、フィクションだからこそ書ける作品かもしれません。文学が持つ力をひしひしと感じることができました。訳もとてもいいと思います。

(2020年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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エミリー・バー『フローラ』

フローラ

『フローラ』をおすすめします。

主人公のフローラは17歳。10歳の時に交通事故に遭い、それ以降の記憶は数時間しか保てなくなっている。そのフローラが恋をしたのは、親友ペイジの彼氏だったドレイク。このドレイクって男、見た目はいいけど、最初からどうもうさんくさい。フローラの記憶障害につけこんでいるふしがある。

でも、フローラは「ビーチでドレイクとキスした」ことを忘れないようにノートに書き、それを何度も見返し、ますます想像を膨らませて、ドレイクが引越した先のスヴァールバルへと出かけていく。

ところで、事故の際、車を運転していた母親は、この事故を自分のせいだと思い込み、娘のフローラを真綿でくるむようにして育て、常に精神安定剤や抗うつ剤を飲ませて、危険な目に遭わないように「守っている」。でも、フランスに住んでいる息子(フローラの異父兄)がガンで死にかけているというので、やむをえずフローラをペイジに託して夫と一緒に息子のもとへ駆けつける。ところが託された方のペイジは、フローラに彼氏を取られたと思い込み、付き添いを放棄してしまう。というわけで、家にだれもいなくなったすきに、フローラは旅に出るのだ。

こういう状態におかれたフローラが、自分ひとりで計画を練り、フライトや宿を予約し、旅の準備をするのは、ずいぶんと大変なことだ。でも、すべてメモを取って絶えずそれを確認しながら、なんとかやりとげていく。読者は、フローラの勇気に感心しながらも、不誠実らしいドレイクとはうまくいかないとだろうと予感して、ハラハラしながら物語を読み進めることになる。

甘いラブストーリーではない。スヴァールバルでフローラが出会った人が言う。「きみはここにドレイクを見つけにきたんじゃないと思うよ。自分自身を見つけにきたんだ」。そう、これは、母親が勝手に作ったイメージから脱け出して、本当の自分をさがそうとする、勇気ある女の子の物語でもある。

(「トーハン週報」Monthly YA 2018年8月13・20日合併号掲載)


交通事故の後遺症で、記憶が短時間しか保てない17 歳のフローラは、ドレイクに恋をした。交通事故が自分のせいだと思い込んでいる母親は、フローラに精神安定剤や抗鬱剤を飲ませ真綿でくるむように保護しているが、フランスに住む息子が癌で死にかけていると知らされ家を留守にする。そのすきにフローラは自分で苦労して計画を練り、ドレイクの引っ越し先スヴァールバルへと出かけていく。それは、母親から自立し、本当の自分を探すための旅でもあった。主人公の成長がリアルに伝わってくる。

原作:イギリス/13歳から/記憶障害 母親からの自立 自分探し

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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マイケル・ウィリアムズ『路上のストライカー』さくまゆみこ訳

路上のストライカー

南アフリカのフィクション。故郷のジンバブエの村で家族や友人を虐殺されたデオは、障碍を持つ兄のイノセントと一緒に逃げて、なんとか南アフリカにたどりつきます。でも、そこで遭遇したのは、外国人憎悪に駆られた人たちのヘイトスピーチと暴力。失意の底にあってシンナーに溺れていたデオを救ったのは、ホームレスのためのサッカーでした。ホームレス・ワールドカップという国際大会があるのを、私はこの本で知りました。切ないけど、勇気をもらえる作品です。著者は南アフリカ人。
(編集:須藤建さん)

*カーカスレビュー・ベストブック、ALAベスト・フィクション・ブック
*青少年読書感想文全国コンクールの課題図書(高校生)


シャーマン・アレクシー『はみだしインディアンのホントにホントの物語』さくまゆみこ訳

はみだしインディアンのホントにホントの物語

アメリカのYA小説。アメリカでたくさんの賞を受賞した北米先住民作家の自伝的小説です。著者は、78%が実体験だと語っています。主人公は、保留地で生まれ育った14歳のアーノルド。体も弱くいじめも受けています。でも、ある日、教科書をぶつけて鼻の骨を折ってしまった白人の先生から聞いた一言で、決意するのです。このままでは希望がない、保留地を出て白人のエリート校へ行こう、と。それは、ただ学校を変えることではなく、さまざまなことを意味していました。
私は翻訳する作品を探すために原書でいろいろ読みますが、この10年ではいちばんおもしろかった作品です。北米先住民の若者の今を知る好著というだけでなく、人間としての誇りとか、希望とか、生きるとは何かとか、そんなことも考えさせてくれます。すてきなおばあちゃんも登場します。
(装丁:城所潤さん 編集:喜入今日子さん)

*全米図書賞受賞
*ボストングローブ・ホーンブック賞受賞
*やまねこ賞読み物部門受賞

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<紹介記事>

・BOOKMARK 01号