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『スクラッチ』表紙

スクラッチ

まめじか:不要不急という言葉が押しつける我慢、大人が求めがちなものわかりのよさに、中学生が全力で抗う様子が頼もしく、気持ちよく読みました。災害やコロナなど、人生にはいろんなことがありますよね。思いがけないところから墨が降ってきて絵を汚されちゃったりもするし。でも、なんど闇が訪れても、光さす暁の瞬間は必ずあって、それはこの手でつくっていける、浮かびあがらせていけるというのに、ぐっときました。主人公たちが、ぜんぶ人になんとかしてもらおうとか、だれかのせいにするとかじゃないから、応援したくなるんですね。鈴音はディズニーランドに行こうとしている友人を非難したことで、それは帰省した姉を避ける近所の人と同じだと諭されて反省していましたが、そうやって自分のことを省みたり、千暁(かずあき)が絵を通して自分と向きあったりする様が、すがすがしかった。鈴音がすぐに泣いたり怒ったりして、生の感情をストレートに表せるのに対し、千暁はいつも冷静で、人との距離をはかりかねているようです。感情をむきだしにした鈴音の絵と、千暁が洪水のあと避難所で暗い感情を押し殺し、鮮やかなクレヨンで描いたタンポポの絵の対比が、見事だなあと。若干気になったのは、登場人物がみんないい人というのと、手の皮がむけるような過酷なトレーニングは、今の中学では行き過ぎた部活指導にあたり、指導として認められないのではないかということです。

シア:そういう指導の仕方は今の時代アウトですね。でも、残念なことにこういう学校がないとは言い切れないので、今後の部活動の在り方が問われますね。

まめじか:p. 3の「肌色」という言葉は、使わないほうがいいのでは……。「そんなキャラやったっけみのり?」(p 73)、「なんだそれふつうにひどい男じゃないかって思ったけれど」(p104)、「千暁みたいに頭よくないよどうせ」(p277)などは、読点がないのが少し気になりましたが、このほうが一気に読めて勢いが出るのかな。p191の千暁の章で「二宮(みのり)さん」とあるのは、千暁の心の声として「みのり」を括弧書きにしてるのか、それとも二宮さんがみのりのことだと、読者にわかるようにしているのか?

ハル:私はこの「(みのり)さん」の感じ、わかるなぁ。こういう子、いませんか? 親しみは感じているけれど、名前呼びするのは気後れするから、わざわざ括弧をつけて呼ぶ。ちょっと二次元的な表現なのかな。

ニャニャンガ:千暁にとって、この時点でまだ下の名前で呼ぶほどには打ち解けていない相手なので、括弧付けで名前を入れたのだと思いました。

まめじか:「べたべたとネットをくぐって」(p53)、「きゅっと僕を見た」(p104)、「きゅっと姿勢を正して」(p266)、「ペンギンのようにでべでべとかけて」(p149)、「雲が空をごんごん流れてきて」(p331)など、表現が独特ですね。「片手でわしっとつかんで」(p105)、「目元をにこにこさせて」(p109)などは日本語として正しいのかわかりませんが、そういうことを気にしすぎると、表現として窮屈になるのでしょうね。

アマリリス:一人称で書かれているので、この登場人物自身のボキャブラリーなのだと認識していました。だから、違和感なく読めましたよ。

ハル:久しぶりに、っていうと語弊があるかもしれませんが、久しぶりにいいYAを読んだなぁという読後感に浸りました。中学3年生の内面が、実際にそうなのか、本当のところはわからないけれど、表現されているこの子たちの心情や行動が、すべて真に迫っている、圧倒的なリアリティを感じました。体感をともなって想像したり、共感を覚えたりしながら読むことができました。もしかしたら、主人公たちと同世代の読者には、ちょっと長かったかなぁというのは少し気になりましたが、ぜひ、中学生、高校生に読んでもらいたい本です。

ニャニャンガ:とてもおもしろく、ほぼ一気読みでした。スカッと気持ちのいい青春物語という印象です。題名の「スクラッチ」の意味がわかってからは、さらに物語に入り込みました。じつは表紙の絵があまり好みでなかったために読んでいなかったので、今回みんなで読む本になってよかったです。翻訳作品にはない日本語の自由さを感じたので、翻訳者としてうらやましく思いました。p237「によによ笑う」、p247「す、っと、はっかのような空気が僕の肺に流れこむ」などの表現がとくに印象に残りました。またp255の絵を描くシーンにはドキドキしました。千暁が転校してきた理由や、その後、人と深くかかわりをもってこなかった理由などがわかり、鈴音と文菜、健斗との交流を経て少しずつ心がほぐれていくようすがよかったです。千暁の読み方がなかなか覚えられなかったけれど、千の暁という名前が物語とつながり、ぞくぞくしました。最後は、浸水被害の被災を乗りこえる家族の姿に感動しました。

エーデルワイス:とてもよかったです。今どきの中学生が、ため口で本音を語り、清々しい。コロナ禍になって3年ですが、子どもたちにとって1か月でも1日でもかけがえのない日々です。制限や我慢の連続の影響が今後どのようにでるのだろうかと心配です。主人公の鈴音、千暁たち中学生のいらだち、希望がストレートに伝わりました。印象的な場面はたくさんありますが、鈴音の中学生活での最後のバレーボールの試合終了後の場面は青春! でした。千暁が両親と美術館へ行った帰り、カップラーメンを食べたいと提案すると、いつも完璧に美味しい食事をつくる母が賛成して震災直後よく食べていた銘柄を言うところは、震災を体験して心に傷を負いながらそれを言葉にしてこなかった家族がようやく復活した素敵な場面だと思いました。

ネズミ:コロナ時代の中学生活を描いていて、もやもやのたまった感じがよく出ていると思いました。中学生同士のやりとりは、中学生は「あるある」という感じで読むのかもしれませんが、この会話がリアルなのか、戯画化や誇張があるのか、私には判断がつかず、ちょっとやかましく感じられて、途中はとばして読んだところも。あと、途中で説明的と感じられるところもありました。千暁は賢くて、自分で説明をつけていくだけかもしれませんが、p160の4行目で「この病気は仮病だと疑われて理解されにくいこともある、みたいなこともレポートされていたっけ、と思い出す」、p161の6行目「僕自身も親が、特にお母さんが小さい子どもに注意するようにいまだに口うるさいことにうんざりすることもあったけれど……」とか、この子の説明ではなく、物語でわからせてくれたらいいのになと。

アンヌ:よくこのコロナ下の現状と被災者の気持ちというのを描いてくれたなと思いました。きれいな絵を描くことで、母親の期待に添い、過去から目を背け自分を押し殺していた千暁が自分自身を取り戻し、真の創作衝動を取り戻す。それに対して、並行した主人公であるはずの鈴音は魅力的な個性なのに、狂言回し的役割なのが残念です。ただ、千暁の冷静さが、おもしろさを阻んでいる気がしました。あまりに自分や家族を冷静に分析しすぎで、中学生というより作者が顔を出して語っているのをずっと聞いているような気がしました。恋愛的要素を実に繊細に排除しているのも少し不思議でした。

アカシア:私はアンヌさんと違う風にとっていました。千暁はコミュニケーション障害を持っていることを自覚していて、一つ一つをピンダウンしていかないと次に進めないんだと思うんです。それで、友だちもできにくいので、親もそれを心配しているわけですよね。だから、必ずしも理想的な家族じゃないと思うんです。それと、最初ざっと読んだときは、美術の先生が男性だと思ってたんですが、もう一度ちゃんと読んだら、女性だったのにびっくり。全体に、生きのいい日本語ですよね。翻訳ではなかなかこういうわけにはいきませんね。このくらい自由な日本語で翻訳もできるといいんですけど。リアルにコミュニケーションを取った時、人は他者の立っているところに気づき、その人ならではの困難に気づき、自分をより客観的に見ることができるようになっていくんですね。最後の部分ですが、はじめは「私は行くんだ」ですが、次は「私たちは、行くんだ」になっているのが、象徴的ですね。好感をもって、おもしろく読みました。

シア:気になっていた本だったので今回読めてよかったです。スクラッチ技法も好きなので楽しく読めました。流行りの言葉遣いや物、時代を反映したフランクな一人称ものってすぐに古くなるので苦手で、最初は抵抗があったんですがリズムのよい文章でテンポよく読めました。ラストに天気が自分の気持ちに寄り添わないというのもよかったです。虹がかかるとか、心地よい風とか締めの定型みたいなものを壊してもらえてすっきりしました。そして田舎の広さに憧れました。お庭でバーベキューができるとか、家庭菜園というレベルではないものを毎日食べられるなんて羨ましい限りです。この作品では羽化に例えていましたが、中学生くらいは体も心もさまざまな変化が訪れる年齢ですよね。それを汲み取ったよい成長ストーリーになっていると思いました。今の学校生活や学生に求められるものというのは、理不尽ですが明確な正解があって、それをなぞっていけばなかなかよい生活が送れてしまえるんですよね。そういうことをわかっている子は優等生として優遇され、そのレールに乗れば社会でも無難に過ごせます。でもそのせいで、早くから一芸に秀でるということができません。それが今の日本が世界から一歩、もしくは何歩も遅れ気味になっている原因の一つかもしれないですよね……。という風に、子どもたちの成長の話に関してはとても興味深く読めましたが、教員に関しては世間一般ではまだまだアップデートがされていないと感じました。読んでいてもかなり負担が大きくて、千暁のお母さんが言っていたような「呪いをかけ」られている感じです。教員のプライベートを度外視した、“生徒に寄り添うよい先生”が全体を通して描かれているんです。生徒や保護者にとってはよいことだし、今の世間的にも受け入れられていることなんですが、そういうひとつひとつが現在の教員を追い詰めていると感じます。粉骨砕身、滅私奉公、一人の人間としてではなく“生徒優先の正しい教員として過ごすべき”と価値観を押し付けてきた結果が、今日の教員不足に繋がっていると痛感します。聖職と考えて個人的に行う分にはいいと思います。これもフィクションだし、いいと思います。けれどこれを教員の「正解」として求められてしまうのはかなり苦しいと感じました。

アマリリス:今回、自分のなかでは、まったくノーマークだった2作を読む機会をいただけてよかったです。『スクラッチ』は、非常におもしろいと思いました。最初は、ネット用語的なものを盛り込みすぎて、読みづらく感じたのですが、慣れてくると違和感なく、むしろ心地よく読めました。何年か後に古びてしまうことを恐れないで“今”を切り取っているところに覚悟を感じます。美術やバレーに携わる人の成長を描く青春小説としては、そんなに大きく新しい要素はないと思いますが、コロナ禍の閉塞感が再現されていて、今の子どもたちが親近感を持って読めるお話だなと思いました。表紙が、ぱっと見ただけで岡野賢介さんのイラストだとわかりますね。インパクトがすごい。ただ、読み終わってみると、千暁の絵のイメージと、表紙の絵があまりにも違うので、千暁の絵のタッチに近いものを見てみたかったな、という気もしました。あと、文章の細かい表現がいろいろよかったです。たとえばp195「ふつふつとした炭酸のような笑いが、あとからあとから、体の内側に湧き上がってくる」、p314「俺らが全部やったんスよ。仙ちゃんは漂ってただけ」などがユニークだと思いました。

西山:すっごくおもしろかったです。教員像、仙先生が女性なのがおもしろいと思っていた程度で、出てくる教師たちの働き方は気にせず読んでいましたが、確かにアップデートは大事ですね。抑え込まれた痛みを、痛みとして受け止めることの大切さが書かれていて、『フラダン』(古内一絵/作 小峰書店)を思い出しながら読みました。人物やエピソードがばらけずにきちんとつながっていて、読み終えるのを惜しいと思うほど楽しみました。出だしは、少々エキセントリックな感じが鼻についたのですが、p17の5行目で「マシだマシだと思いながらやり過ごすことは、何の意味があるんだろうな」と出てきたとき、一気にこの作品は信用できるというモードに入りました。「被災っていうのは、ずっと続いていくんだな」(p284、6行目)とか、共感できる価値観や感覚が随所に出てくるだけでなく、p305で鈴音の渾身の一撃が決まって勝つわけですけれど、ページをめくると「でも。これが勝負か? これで勝負決まったって言えるのか?」と続いていて、いろいろ制約はあったけど、やれることはやったよね、めでたしめでたしとまとめなかったところ、中学生たちの悔しさに徹頭徹尾寄り添っていて、本当によかったです。千暁と鈴音、仙先生と高瀬先生のことも恋バナにおとしこまないところもよかったです。読めてよかったです。

コアラ:おもしろく読みました。まず文体がいいと思いました。内容に合っています。内容が本当によくて、p267の最終行に、千暁が描いた絵のことを「2020年の、僕たちの姿だ」とありますが、この作品そのものが、2020年夏の中学生を、コロナ禍の暗闇から削り出すように描いています。最近毎年のように起こっている災害についても描かれていて、2020年という年の姿を作品として残してくれて、作者に「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。ひとつ気になったのが、浴衣姿の鈴音が下駄を履いているところですが、最近は草履でなく下駄を履くんですね。

一同:浴衣は下駄ですかねえ。

シア:草履は履かないですね。足が痛いので下駄風サンダルなどで済ませることも多いです。

アカシア:この本、カバーをとると、表紙の絵はマスクをしてるんですよ。

シア:凝っていていいですね! 図書館の本なのでわからなかったです。カバーをとったらマスクもとれた、の方が仕掛けとしてはおもしろそうですが。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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パトリシア・ポラッコ『ありがとう、チュウ先生:わたしが絵かきになったわけ』さくまゆみこ訳

ありがとう、チュウ先生〜わたしが絵かきになったわけ

アメリカの絵本。ディスレクシア(読字障害)をもっていたポラッコが、中国系のすてきな先生に出会って、美術の道を志すにいたるまでの経緯を描いた自伝的な絵本です。若き日のポラッコが、悩んだり、苦しんだり、喜んだり、ほっとしたり、得意になったりする様子が、生き生きと伝わってきます。子どもは愛情をかけられ、励まされて成長していくんですね。『ありがとう、フォルカーせんせい』(香咲 弥須子訳 岩崎書店)の、その後の物語。
(装丁:塚原麻衣子さん 編集:大塚奈緒さん)