ねねこ:これは、今とても話題になってる本よね。子どもの本ではないけど、少年が登場する物語ってことで、今回とりあげたわけだけど、しかけがうまくて、小説として実によくできてると思う。15歳の少年ミヒャエルと、36歳の女性ハンナの、ひとつの愛の形にとても感動しました。1度別れたふたりは思いもかけない場所、法廷で再会する。被告人と傍聴者のひとりとして。ミヒャエルは、ハンナを追いつめることなく、救うことができるのか、否か。そして、距離感を保ちながら、彼女を理解することができるのか、支えることができるのか……。難しい問題だよね。それと、文字の読み書きができないということは、ただ単に不便というだけではなく、人間としてたいへんな劣等感であり、屈辱であり、デメリットなんだっていうことを考えさせられた。同じテーマを扱った作品といえば『ロウフィールド館の惨劇』(ルース・レンデル著 小尾美佐訳 角川書店)もあったわね。これもまた、強烈な作品だった。

流&ひるね:そうそう。あれも強烈だったねー。

ねねこ:それにしても、刑務所に入ることを選ぶなんてね・・・。刑務所の中で文字をおぼえ、本を読みはじめてから、自分の犯した罪を含めて、自己の確認をしていくハンナの姿は、とても痛々しかった。最後のハンナの選択も、とてもよく理解できた。

カーコ:私はこの本、こんなに売れてるって知らなくて、図書館で予約しようとしたら88番目だったんで、びっくり! 結局、買って読んだんだけど、すごく好きな作品だった。全体の伏線の引き方、構成がすばらしい! 一息に読んじゃった。このふたりの関係は、いわゆる恋人同士というのとは少し違うと思うのね。ミヒャエルは、ハンナに恋愛感情を抱いていたけど、ハンナは恋愛という点ではどのくらいの感情をもっていたのか、ちょっとわからないから。ふたりの関係は、恋愛とはいえないかもしれない。でも、心の深い部分のつながりは、たしかに存在していて、人間と人間の関係の不思議を感じさせられた。こういう作品がベストセラーになるなんて、日本の読者も捨てたもんじゃないね。あと、戦後50年、戦争、ナチズム、ユダヤ迫害なんかが風化してきてる中で、こういう問題をつきつめようとするっていうのも、スゴイことだと思うな。

ウンポコ:ぼくは、今朝読み終わったところなんだけど、深く、重い感銘を受けたね。ここ数年で、いちばんショッキングな作品だった。ぼくはねー、いつでも主人公に自分を重ねあわせて読むタイプだから、最初の部分は、ちょっと受けつけないっていうか、好きじゃなかったの。ぼくが15歳の少年だったら、21歳も年上の女性なんて、どうしたって嫌だから。それで第1部はピンとこなくて、いやいやながら読んだんだよ。でも、第2部、第3部になると、謎だった部分、たとえばミヒャエルが学校に行きたくないっていったとき、どうしてハンナはあんなに怒ったのか・・・なんかが、だんだんわかってくる。おお、これはなんだ?! と激しく読書欲を刺激された。文学のすごさ、すばらしさを感じたね。ねえ、ナチスの側にいた人を描いた本って、ドイツにはたくさんあるの?

ウーテ:さあ、どうかしら。

ウンポコ:ここまで内面の深い部分をえぐりだしたものって、そうないんじゃない? こういう歴史の現実を、ぼくは重く受けとめた。ところでこの作品、訳がこなれてないね。何回読んでも、何をいっているのか理解できないところがあった。乱暴だし、逐語的訳文が多すぎるよ。もう1回くらい、訳し直す努力をしたら、よかったんじゃない?

ウォンバット:私も一息に読んじゃった。帰りの電車の中で読みはじめたんだけど、早く続きが知りたくて、家に着いても服も着替えず、お腹すいてたのに夕食も食べず、最後まで読んでしまいました。こんなに夢中になった本は、久しぶり。ハンナが文字が読めないっていうのは、ふたりが旅行にでかけたとき、ミヒャエルのメモがなくなってて、ハンナが激怒した……っていう場面で、すぐわかったの。これはテレビ「大草原の小さな家」のエドワーズおじさんだ! って。エドワーズおじさんって、とてもいい人で、インガルス一家の大切な友人なの。テレビでは、彼が主人公の回で、実は字が読めないんだということが露呈しちゃうって話があるのよ。あと、ハンナが出所目前に自殺してしまうっていうのも、やっぱりと思った。映画「ショーシャンクの空に」で、長いこと刑務所に入ってて、ようやく出所したのに自殺しちゃうおじいちゃんがいて、とても印象に残っていたから。でも、それ以外の部分は意外性があって、うーん読ませる! と、うなっちゃった。この、自分の内面をみつめて、どこまでも追いつめていく辛抱づよさ、ねばりづよさって、ドイツらしい感じ。それから、ミヒャエルは匂いにこだわっているでしょ。若いときの、身だしなみに気をくばり、いい匂いのするハンナと、年老いて、老人の匂いのするハンナとの違い。ドナ・ジョー・ナポリの『逃れの森の魔女』も、匂いに対するこだわりが感じられた。日本の作品には、匂いがこんなにはっきり出てくるものは少ないような気がして、日本とは違うなあと思った。

H:でも、日本人のほうが、匂いには敏感なんじゃないの? 今の若い子なんて、すごく匂いを気にするでしょ。

ウォンバット:それはそうだけど。でも「匂い」ってもののとらえ方が、日本と西洋は根本的に違うような気がする。何を「臭い」と思うかも違うしね。

モモンガ:私はこの作品、「こうなるだろう」と思ったようにはならなくて、予想を裏切る意外な展開の連続だった。はじめは、年の離れたふたりの関係に興味をもって読んでたのね。でも、それだけではなくて、謎解きの逆というのかしら。途中から、今までに書いてあった伏線を探りつつ読むっていうのかな。それが他にないおもしろさだと思った。意外な展開になるたびに、あそこが伏線だったの? っていうところを思い出しつつ考えるって感じ。こういう読ませ方は、新鮮だったな。この作品のテーマは、恋愛とはまた別に、ナチスの犯罪を若い人がどうとらえるかということだと思うんだけど、とても勉強になった。受け入れなくてはいけない部分と、許してはいけない部分との葛藤がよく描けている。それから恋愛については、ひとつの恋愛が一生に渡って影響を及ぼして、これほどまでに深く人生に関わっていくというのは、すごいことだと思うわ。でも、文章が難しいね。なんか難しげな言葉を使ってるから、3回くらい読んでも、わからないところがあった。そこが惜しい!

愁童:前回ちょっと孤独を感じ、今回は不登校ムードの愁童です。ひるねさんから電話をもらって、なんとか重い腰をあげてやってきました。さて、この作品、第1部は読みづらかった。バンホフ通りの描写なんて、さっぱりわからん。こんな日本語あるかよと思ったね。ハンナの心の揺れ動きは、胸に迫るね。こういう極端な状況設定って、うまいと思う反面、これでいいのかとも思う。前に、この会で『ナゲキバト』(ラリー・バークダル著 片岡しのぶ訳 あすなろ書房7)をとりあげたときのことを思い出した。ぼくはとてもいい作品だと思ったんだけど、あざとい設定にごまかされちゃいかん! と言われたコンプレックスが、未だに尾を引いているんでね。

:設定に無理があったり、あざとかったりする作品って、それがネックになっちゃうことが多いけど、テーマがしっかりしていれば、そういう障害やほころびなんて乗り越えちゃうっていうこと、あるよね。

ひるね:私は、我ながら頭がいいなと思ったんだけど、広告を見て、もうだいたいストーリーがわかっちゃったのね。この本、大々的に宣伝してるでしょ。「衝撃的な事実」っていうのも、ドイツの作品だから、きっとナチス関係だなと思ったし。文字が読めないっていうのも、気がついちゃった。広告を見ないで読んでたら、もっとおもしろかったんじゃないかと思う。あんまり内容がよくわかっちゃう宣伝も、罪よね。私は、前半のふたりがアパートで過ごすあたりなんか、古典を読んでるみたいな感じがして、好きだったな。後半で、雰囲気が一転するでしょ。その前半と後半のものすごいギャップが、また魅力的。古典的な描き方で、現代的なことを書いている。ダーっと惹きこまれて読んだというよりは、あーやっぱり……と思って読んだんだけどね。でもね、読み終わってから2〜3日たつうちに、なんだか感動が増してきたの。はっきり意味がわからなかったところは、皮膚の表面が風化して、古く汚い表面だけが、ぽろぽろとはがれ落ちるように消えていって、美しくなめらかな肌があらわれてくるように、感動的な部分だけがよみがえってきてね。こういう感覚、最近ではめずらしいことだったわ。あと、読み書きができないということに関して、日本人とヨーロッパ人は感覚が違うように思う。こうまでして、それを隠すなんて。

:ひねくれ者なので、売れてるものにはとりこまれないぞ! と思いながら読んだんだけど、やっぱり惹きこまれてしまいましたねー。私は、夫とともに、長いこと識字運動に関わってるので、こういう形で読み書きの問題を扱ったっていうことに、まず興味をもった。さっき「読み書きができないこと」に対する感覚が、日本とヨーロッパでは、違うんじゃないかって話があったけど、私は日本とヨーロッパの違いではないと思う。「文字が読めない」ということの深さというのかな。でも、文字が読めないということは、マイナスだけではないのよ。朗読を聴いているときの集中力なんかは、文字を読める人には真似できないものがある。だからプラスもマイナスも、両方もあると思うの。

オカリナ:この作品は子ども向けではなくて、はっきり大人向けの作品だと思う。私が13〜14歳のときに読んだとしても、深いところまではわからなかっただろうと思うから。子どもが出てくる大人のための本っておもしろいのが多いけど、この本もおもしろかったな。とくに惹きつけられたのは、ハンナの人物像。今、ノーブルに生きてる人って、少ないでしょ。ハンナは労働者階級で教養はなかったけど、生き方はたしかにノーブルだったと思うの。

ねねこ:15歳の少年が、36歳の女性に惹かれるというのは、どう?

ウンポコ:ぼくはさっきもいったけど、ダメだね。嫌悪感がある。

ウーテ:この本、友人からストーリーを聞かされて、読む前からどんな話か知ってたの。しかけもわかってたから、正当に評価できないんだけど・・・。この作品がドイツで出版されたとき、むこうでも大評判だったのよ。 ミステリーっぽい大衆的なしかけと、純文学の幸せなミックスって感じよね。どっちもいいバランスで、大衆的なところもマイナスに働いてないのが、成功の秘密だと思う。ただね、さっきも話に出たけれど、訳があまりよくないわね。意味不明のところがある。これだけ内容がすばらしいんだから、訳がよければもっとよかったのにと思うと、残念ね。私の友人は、最後にハンナが死ぬ必然性が、どうしても理解できないっていってたけど、みなさんはどうかしら?

ねねこ:ハンナは刑務所の中で変わりはじめるでしょ。字をおぼえて、それで世の中に出ていくことを拒否する……。

愁童:ぼくは、自殺に説得力があったと思う。うまいと思った。

オカリナ:私は、そういう彼女なりの「オトシマエのつけ方」もふくめて、ハンナの生き方はノーブルだと思う。ねえ、ミヒャエルはテープを送るばっかりで、どうして彼女に会いにいかなかったと思う? 私は、具体的な愛情が年月を経て抽象的な、いわばより高次の愛情に変化したからだと思うんだけど。

ねねこ:ミヒャエルが自分を許せないって部分があったんじゃない? 児童文学じゃないっていってたけど、青年時代の愛がその後の人生におよぼす影響の大きさって考えたら、YAっていってもいいと思う。ミヒャエルは、葛藤の中でずっと生きてる。愛こそが、この作品を貫いているのよね。深いね。

ウンポコ:ミヒャエルは、青年時代に熟女から与えられた性の呪縛に、一生とらわれてるっていうふうに思えるけどな。だって、他の女性とどんな交際をしても、だめだったんだろ。ハンナの呪縛から逃れられないんだ。ハンナに手紙を出さないことが、せめてもの抵抗だったんじゃない? ハンナも歴史の波に翻弄されたけど、ミヒャエルもたいへんだったなって思うよ。同情するね。

オカリナ:最初は性の呪縛があっても、年月を経てふたりの関係そのものの質が変わって行くんだと思うけどな。

愁童:この本は、トンボの目玉みたいに、うまくできてるんだよねー。「なぜ手紙を出さなかったのですか」って、ミヒャエルにいうのは、ハンナじゃなくて、刑務所の所長なんだよ。本人には、そういうことを言わせない。それと、読み書きのできない自分を利用した国家権力を、ハンナが間接的に告発してるっていう面もあるんじゃないかな。

ひるね:エンターティメント的要素も、ちゃんとあるわね。グレアム・グリーンの『情事の終わり』って、とても好きなんだけど、あれに通じるようなものがある。

ウーテ:読み書きについてなんだけど、日本人だったらどうっていうことではなくて、識字率の高い国で、文字が読めない存在として生きるというのは、ものすごい重荷だと思うのよ。はじめてローマに行ったとき、首からガバンをさげてうろうろしてる若い人がいっぱいいたのね。何してるのかと思ったら、申請する書類を代筆するアルバイトのために、文字の書けない人がくるのを待ってるの。まあ、昔の話だけど、そういう商売が成り立つくらい、当時のイタリアには読み書きのできない人がたくさんいたし、それを隠してもいなかったわけよね。読み書きができないことを恥と思って、それを命と引き換えにするかどうかってことは、その国の教育程度とか、国民性によって違うと思う。やっぱり識字率の高いドイツや日本で暮らすのは、たいへんでしょうね。

愁童:それと、ぼくは、ハンナの遺した貯金の使い方がとてもうまいと思った。あの収容所の生き残りの人に、ハンナのお金を届けるなんてさ。彼女は「お金はいらないけど、缶だけもらいます」って言うでしょ。「私も昔、こういう缶をもってて」なんて話してさ、説得力があるね。

ウーテ:性の呪縛も、リアリティがあって、うまいわね。だってミヒャエルにとって、ハンナは便利な存在でもあったわけでしょう。15歳なんて、性的欲求の強いときにそばにいてくれて、いつでも自分のエゴを満足させてくれる、都合のいい存在でもあったわけだから。

ウンポコ:匂いから逃れられない、男性の生理が描いてあるんだ。呪縛かどうかはわからないけど、男性の作家でなければ描けない世界だと思うね。

(2000年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)