『ウサギが丘のきびしい冬』
ロバート・ローソン/著 三原泉/訳
あすなろ書房
2006.2
原題:THE TOUGH WINTER by Robert Lawson, 1954

オビ語録:きびしい冬になると聞かされても/子ウサギのジョージは、初めてのことにわくわく!/しかし、おそろしい寒さは、もうすぐそこまで迫っていたのです……。/たくましく生きる動物たちを/あたたかく描いた動物物語の傑作!

愁童:おもしろいんだけど、擬人化が過ぎるんで、子どもの読者は読んでいるうちに人間の話だかウサギの話なのか、こんがらかって来ちゃうんじゃないかな。だいぶ昔に評価が高かった『ウォーターシップダウンのウサギたち』(リチャード・アダムズ著 神宮輝夫訳 評論社)と比べると作者の姿勢が対照的ですね。『ウォーターシップダウン〜』の方は、自然の中で生きる野生のウサギの生態に感情移入して読めるように書かれているけど、こっちはウサギがベッドでふとんかぶって寝てるわけだから、そんなに寒けりゃ、ストーブかエアコンで暖房すれば? なんて思う子もいるんじゃないかな。

みんな口々に:これって、原著が出たのが昔なんですよねえ……1954年ですもん。

ミッケ:この作者は、『はなのすきなうし』の画家で、『はなのすきなうし』が大好きだった人間としては、かなりわくわくして読みはじめたのですが、なんというか、さすがに時代がかっているなあ、という感じでした。いかにも、『ウォーターシップダウン〜』なんかが出てくる前の作品、という感じ。でも一方で、こののんびりした感じはいいなあ、と思わないでもない。こういうのんびりした感じは、今の作品には決してないから。お話としては特にぐっとくるところがあるわけではなかったけれど、訳はとても滑らかで、よく工夫してあると思いました。それから、後ろの方で主人公のおじさんにあたるウサギが、お父さんウサギがしょっちゅう吹聴している遙か遠くのグリーングラスという地方にあこがれて、そこに行ったつもりになって戻ってくるんだけれど、じつはちょっと下の庭師の家までいっただけだった、という作りは、とてもおもしろかった。愁童さんがおっしゃったように、ひじょうに擬人化されていて、たとえば、野ネズミが冬が厳しくなって大挙して移住していくところなんかは、シネスコの黄色みがかった西部劇の映画を観ているような感じでした。あと、ちょっと説教くさいところもありますね。

ねず:たしかに古めかしい本ではあるけれど、わたしはそれなりに楽しく読みました。良くも悪くも、この物語の特徴は擬人化された動物の世界と、リアルな人間の世界の両方を並行して書いていることですよね。前に取り上げた『天才コオロギ ニューヨークへ』(ジョージ・セルデン著 吉田新一訳 あすなろ書房)もそうでしたが、人間の世界と動物の世界を切り替えるときのテクニックがうまいと思いました。そのふたつの世界の間に位置しているのが、ペットである犬と猫で、これは全然しゃべってもいない。どっちつかずの、アホみたいな、かわいそうな位置にいるというのもおもしろいと思いました。だいたい、どうして子どもって動物を擬人化した物語をすんなりと受け入れるんでしょうね? 研究している方もいるかもしれないけれど、いつも不思議に思います。この物語のクリスマスの場面、アメリカにいるウサギはみんなクリスチャンなの?などと突っ込みたくもなりますが、光と食べ物がふんだんにあふれたこういう場面を読むと、小さい子どもたちはとっても幸せな気分になれるのでは?

アカシア:私はこの作品はもの足りませんでした。動物を擬人化すること自体はいいんですが、この作品は擬人化の度合いが一つの作品の中で統一されてないんですね。たとえばp.47では、ウサギのアナルダスおじさんが、ネコを助けられないかと母さんウサギに持ちかけられて、「自然のおきてに反しておる。そうだろう? いつからネズミとウサギが、ネコをたすけるようになったのだ? (中略)そうだ、わしは自然のおきてに反するようなまねは、したくない」と言うんですが、その一方ではウサギとキツネが仲良く話したり、キツネがたくわえている七面鳥の肉をノネズミが取りにいったりする。p.16-17の文章と絵にしても、父さんウサギはステッキをついて丘をのぼってくるのですが、ジョージーぼうやは擬人化されずにぴょんぴょんはねています。どうもご都合主義な感じがして、いただけません。また、この作品には物語の核がないんですね。ドラマティックな山がない。大人が昔風ののんびりした物語をなつかしむにはいいかもしれないけど、子どもにとってはわくわく感が足りないと思います。
良かったのは装丁(桂川潤さん)と、翻訳です。読みたいという気持ちにさせる美しい装丁だし、翻訳は、たくさん登場するキャラクターの特徴をうまくつかんで会話などの口調も訳し分けていますね。おかげで原文よりおもしろく読めるのではないでしょうか。
ああ、それから、野生の動物たちが人間に依存して暮らしているという設定も、私は嫌でした。

愁童:そうなんだよね、そのとおり!

ミッケ:いってみれば、人間に餌付けされてるんですよね。

愁童:動物のリアリティが感じられないよね。今は学校でウサギの飼育係なんてのをやってる子もいるから、そんな子は、ウサギは水が苦手なのを良く知っているし、p.54あたりの話や挿絵なんか見ると、「ありえなーい!!」ってなことになるんじゃないかな。

ウグイス:わたしは、動物の擬人化物語はとても好きなんです。この作品は、1950年代に書かれていることと、アメリカのコネティカットの田舎を舞台にしている、というのがポイントですよね。農場で暮らす子どもにとっては、いつも目にするなじみの小動物が、自分たちの知らないところで実はこういう暮らしをしているのか、と想像する楽しさがあると思うんです。そして、ユーモアも50年代らしく、大変おだやかで、ゆるやか。この時代ならではの良さが感じられるけど、今の子には退屈かもしれない。一見読みやすいけれど、物足りないでしょうね。装丁がすてきで、面白そうだなと思って期待したんだけれど、その割には、引き込まれるというところまではいかなかったわね。物語の核がないという意見に私も同感です。作家が身近な動物に愛情を注いで、楽しみながら作ったという感じ。

ねず:読み聞かせに使ったらどうかしら。

一同:う〜ん、どうかなあ。

愁童:日本にだって、野生のウサギを身近に見ながら生活している地方の子がいるわけで、そういう子にとっては、ウサギが籠に食べ物を入れて持ち歩く描写なんか読まされるとシラケるんじゃないかな?

ウグイス:動物が人間のように描かれているのはいいと思うの。そこがおもしろいんだから。

アカシア:作者は動物の生態を伝えるためにこれを書いたわけじゃないし、擬人化そのものが問題なんじゃないのよ。子どもは、擬人化されている動物物語は、そういうものとしてちゃんと理解するからね。ただ、一つの物語の中での世界の構築の仕方に揺らぎがあるから、まごついちゃう。

ウグイス:動物が、子どもには見えないところで実は人間くさいっていう、そこの齟齬がおもしろいんだと思う。

ねず:人間と動物の見ている物が違っている、そのずれのおもしろさがユーモアになっているのよね。でも、『天才コオロギ ニューヨークへ』では、人間も動物もそれぞれが、それなりに外側の厳しい世界にさらされていたけれど、この物語の動物は囲われているからね。

アカシア:50年前と違って今は自然が失われてしまったから、これよりは『ウォーターシップダウン』を勧めたいっていう愁童さんの気持ちは、私もよくわかります。今の子どもにまずこれを手渡したいという気持ちにはなれない。

愁童:お話はとても可愛らしいとは思うけど、この本からは、自然に対する畏敬とか、自分とは異なる生き方をするものに対する冷静な観察眼や思いやりは育ちにくいんと思うんだよね。

ねず、ウグイス:人間が動物のパトロン的なのよね。

うさこ:動物ファンタジーの難しさを感じました。内容としてはおもしろい。でも、人間はふつうで、動物の方だけファンタジーというのが中途半端な感じで。ぎくしゃくしてる。ファンタジーとしての枠が確立されていないから、混乱するんですよね。人間世界と動物世界に距離があるのはわかるけれど、物語世界として練れていない。ウサギの世界の中でも矛盾があって、ファンタジーと生態がごちゃごちゃ。たとえば、p.171の絵なんて、ジョージやノネズミはリアルな姿なのに、おじさんとお父さんは足を組んで肘掛け椅子にすわったり、パイプをくゆらしたりしてファンタジーの世界に入ってる。p.40-41もそう。一枚の絵の中にリアルな要素とファンタジーの要素が同居すると、え?という感じになります。絵もお話もかわいいけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年2月の記録)