月: 2004年4月

2004年04月 テーマ:少年の成長

日付 2004年4月22日
参加者 カーコ、むう、紙魚、裕、アカシア、すあま、きょん、トチ、愁童、流
テーマ 少年の成長

読んだ本:

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那須田淳『ペーターという名のオオカミ』

ペーターという名のオオカミ〜Tagebuch von Ryo

むう:オオカミと環境問題、ドイツを分断してきた壁が個人に及ぼした影響を絡めながら男の子の成長物語を作るという意図は、なるほどと思いました。それに、ドイツの田舎の風景描写は、ドイツに行ったことがないものだから、へえ、こんななのか、とおもしろかったです。ただ、切迫感がないというんでしょうか。たとえばオオカミなんですが、大人向けの作品だから同列に並べるのは無理があるかも知れないけれど、乃南アサの『凍える牙』(新潮社)を読んでみると、オオカミ犬の持つ魅力が生き生きと伝わってくるんですよね。でも、この本にはそういうのがないんです。オオカミは大事にしなきゃみたいに書かれてはいても、読者は心の底からほんとうにすばらしいと感じ、大事にしなきゃと思うことができないのではないかと。頭の中で作った、という感じがしました。

紙魚:お父さんの転勤から家出を決行するまでの気持ちの流れが、今ひとつわかりませんでした。しかも、両親は自分の子どもが家出して、こんなに平気でいられるものでしょうか。家族像がつかめなかったです。ペーターやオオカミの群れの描写があまりにも足りないし、オオカミを何としてでも帰さないといけないという危機感も持ちにくかったです。オオカミへのつのる愛しさのようなものを、もっと感じたかった。全体としては読みやすいし、ベルリンの様子などは、とてもおもしろかったです。

アカシア:まだ読んでいる途中なんですけど。疑問がひとつ。表紙のこれは、犬じゃなくてオオカミなんですか? それと、ドイツとかベルリンを紹介したいという気持ちがあるせいか、うるさいほど説明してありますけど、本筋からすると邪魔にならないのでしょうか。

カーコ:私はおもしろく読みました。拾ってきた子オオカミをどうするのかというストーリーで、最後まで引っぱっていってくれますよね。さまざまな問題意識を呼び覚まさせる、日本の児童文学のなかでは意欲的な作品だと思いました。第二次世界大戦を扱った名作の多くは、実際にその戦争を体験した書き手の作品ですが、これからは、間接的な体験で、風化しつつある大切な事実をとらえなおして、現代につなげていく、こういった書き方が、試みられていくのではないかと思います。ベルリンの壁について、世界史では表れない部分を見られて新鮮でした。

すあま:ビデオにとったことが、後々影響するわけでもなかったのね。説明が長くて、とばして読みたいところがたくさんあった。「あかずきん」の全文なんて、必要ないですよね。ベルリンの壁のあたりは、最近、映画『グッバイレーニン』を観たので思い出しながら読みました。表紙の子犬は、オオカミに は見えない。それから、Tagebuch von Ryo、つまり「Ryoの日記」という副題は必要でしょうか?

:それなりに読めたのですが、読み終わったとき、ハーハーしちゃったんです。盛り込みすぎ。この作者が何を伝えたかったのかはわからなかったです。『難民少年』は、対照的で、伝えたいことがはっきりわかりましたが。オオカミを帰すということで、いったい少年たちは変わったのかな? そもそも、この少年たちに問題があったんでしょうか。描写はいろいろあるんだけど、マックスの昔の恋人に木を届けるところなど、必要とは思えません。あと、オオカミの気持ちで書いている章がありましたが、あそこはわからなかったです。視点をかえるという実験的な試みなんでしょうが、効果があったとは思えません。

トチ:読み出したらおもしろくて、これはひょっとして大傑作なのではと思ったくらい。それが最後のところで、主人公が日本に帰って、帰国子女枠で大学の付属校に入れたから、受験勉強もしなくてすむようになった・・・・・というところを読んで、興ざめしちゃった。この少年は、オオカミと自分を重ねあわせて、自由に伸び伸びと生きたいと思っていたのでは? それがこんなにケチくさい根性でいいの? そしたら、なんだかこの少年のごっこ遊びにつきあわされたような気分になったわ。だいたい、せっぱつまっているときに、木を届けたり、お父さんを頼ったりなんて余裕があるのもおかしい。読者は、けっきょく新聞の特派員とか高名な音楽家とか、恵まれた家庭に育った子どもたちが、冒険めいたおもしろいことができて、帰国したら受験で苦しむこともなくて、いい気なもんだと思うんじゃない? 今の日本の子どもたちって、能天気に見えてもみんな受験の重圧を感じているんじゃないかしら。

愁童:今の子どもたちには、受験がぜったいにプレッシャーになってるよね。

カーコ:最後の結びはつけないほうが、余韻を楽しめてよかったと思います。帰国子女枠で私立校に行って、幸せにやっていると聞かされると、結局は特権階級のお話みたいで、せっかくよりそってきた読者は、突き放された感じがしそう。

すあま:リアリティーを持たせようとしずぎて、失敗したんじゃないですか。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年4月の記録)


ベンジャミン・ゼファニア『難民少年』

難民少年

アカシア:最初この書名は愛想がないな、と思ったんですけど、読んでみると合ってるのかもしれないと思いました。日本って、難民政策がひどいんですよね。だから、これを読んで日本の難民政策とくらべてほしいと思った。ボランティアの人たちがアレムに対して手厚く支えるじゃないですか。アレムは、清く美しく真面目で健気でという主人公だし、周囲の人もそうですよね。こういうストーリーが自ずと生まれてきたというより、こういう構成でつくろうとして書いたという印象ですね。躍動感、ダイナミズムがあると、もっといいかなと思いました。気になったところは、16ページでtribeを「部族」と訳しているけど、差別表現と言われそう。34ページの「肉と二種類の野菜」は、食堂のお品書きのことだとわかるように書いてあった方が親切。84ページ「あんたにきくんじゃないって思ったんだけどね」もわかりにくい。87ページの「何度も着て過ごした」は、「何度も着たり脱いだりして」とした方が。160ページ「帰る!」だと断定のようにとれるので「帰る?」の方がいいのでは。204ページの「アフリカ合衆国」も気になる。この本の主人公のような人がいて、それについて考えてほしいという気持ちは伝わってきたけど、物語としてもっとおもしろいとよかった。

きょん:前半は、おもしろく引き込まれて読みました。が、3分の1を過ぎたあたりから、解説的で、愛想がなくなってきて、物語としてつまらなくなってきた。アカシアさんの言い方で言うと、「ダイナミズムがなくなってきたからかな」と思った。いろいろな世界情勢を知るとか、歴史を知る上では、よくできている教科書的な本なのかもしれない。

:この本は、「平和学」という授業でとりあげました。難民の問題は、学問として学んでも遠く感じると思ったので、学生が学ぶ手段としては、この本はいいと思ったんですね。ただし、作品としてみると、イデオロギーが先行していて、あまりおもしろくない。文学としては、キャラクターの構築がイデオロギーの陰にかくれている。絶版になっていて、先ごろ復刊された『わたしの船長さん』(和田英昭/著 講談社)などは、基本的に子どもの成長ということが先にあるんですね。それにくらべて、アレムのキャラクターがステレオタイプ。視点にしても、彼の内側から見た目線が少ない。241ページに「ぼくが望んでいるのは、平和を育む文化なのです」というアレムの言葉がありますが、こういうことを14歳の子がい言うかしら? プロットはよくできている。お父さんが撃たれるとか、予期しないことがよく起こる。14章のタイトル「死後の生」は誤訳だと思う。「死後の暮らし」とか「生活」にすべきでは。

紙魚:この作品でいちばん好きなところは、10〜11ページの、エチオピア・エリトリアのそれぞれの国の側から、ひとつの事件を簡潔に書いている部分。結局、あるひとつの事象でも、立場がちがえば全くちがった見方になるということを端的に現していて、その温度差が難民を生んでいるというのが、わかりやすく伝わるし、迫力もあります。確かに、主人公が素直で、まわりの人たちも親切で、できすぎの物語かもしれませんが、難民の問題を考えるモデルになるような本だとは思います。

むう:私は前に『フェイス』(ベンジャミン・ゼファニア/著 金原瑞人/訳 講談社)を読んだときに、着想がいいというか、タイムリーなテーマを取り上げる作家だなと思ったんです。でも、『フェイス』は物語の終わり方が今ひとつ迫力不足だったので、この本はどうだろうって思って読みました。出だしの親の出身地が互いに敵対していて、どちらに帰っても排除されるというのは、なるほどと思って、とてもおもしろいなあと思って読みはじめたのですが、結局、読後感としてはいまひとつ迫力に欠けていて、ちょっとがっかりしました。お父さんが都合よく死んじゃったり、うまく運びすぎている感じなんですね。言いたいことが先にあるって感じて、なんかしらっとしてしまう。それと、主人公がいい子すぎるような感じはしました。でも、いい子だからこそ読者はシンパシーを感じやすいわけで、それはそれでいいのかも。はちゃめちゃだったりいわゆる悪い子が難民だという設定にして、しかも読者が主人公に心を寄り添わせられるように説得力を持たせようとすると、この長さではおそらく収まらない。おそらく話がもっと複雑になるでしょう。少し前に、フィリピン人と結婚しているミャンマー人の難民申請が却下され、入国管理局に収容されて家族がバラバラになりそうになった、というニュースがありましたよね。あのとき私も、どうしてこんなことが起こるんだ、と憤慨していたんですが、そうやって怒っている自分をちょっと引いてみたときに、ミャンマー人の男性がとてもまじめで家族思いな人だからこそ、いわば楽に心を沿わせられる自分にあらためて気づいたんです。さらにいえば、だからこそ、「なんであんなにいい人が、難民申請も認められずに収容されなくてはならないのか」という思いが多くの人に共有され得たのではないか、と。この作品でも、こんなにいい子がどうして送り返されなくてはいけないのか、という関心の持たれ方が可能で、つまり、主人公が優等生であるがゆえに、難民に強いられる苦労の理不尽さがよくわかるという面があるように思いました。それはそれでいいんだと思いますけど。

アカシア:主人公がいい子すぎるという意見が多いようですけど、家族内の秩序がはっきりしているアフリカなら、こういう子はいそうですよね。

むう:この子もお父さんも、とても控え目に動いている。それは、難民という身分では自由に振る舞うことができず、受け入れてもらうために必死でいい人、いい子であろうとしているわけだから、それ自体にリアリティがないとはいえませんよね。そのいい人、いい子にして、裁判という形で国に迫られることのつらさは、よく書けていると思いました。

アカシア:いい子すぎるから、嘘っぽいという捉え方をされてしまうと残念。

トチ:この作者は、明らかに自分の周囲にいるイギリスの子どもに向けて、この本を書いていますね。とても大雑把な分け方だけど、私は子どもの本って2種類あると思うの。ひとつは「ああ、そうなのか!」または、「そうだったのか!」と、読者の目を開かせるような本。『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/著 原田勝/訳 徳間書店)や『二つの旅の終わりに』(エイダン・チェンバーズ/著 原田勝/訳 徳間書店)みたいに。もうひとつは、「うんうん、そうだよね!その気持ち分かるわ」と、読者の共感を誘うような本。私は勝手に「なのか本」と「だよね本」って呼んでいるんだけど、日本はいま「だよね本」の花盛りじゃない? そのせいか、このごろ私は「なのか本」だというだけで、多少の欠点はあっても感動しちゃうのね。これだけはぜひとも子どもたちに伝えておきたいという、作者の熱い心が感じられて。この本もまさに「なのか本」。自分の周囲にいるイギリスの子どもたちに「君のそばにも主人公みたいな子どもがいるでしょう? それはこういう子どもたちなんだよ」と訴えている作者の声が聞こえてくるような気がしました。
最後に子どもたちがアレムを救う運動を起こすところなどは、〈イギリスでも夢物語に近いのでは? まして日本では、ほとんどファンタジー〉と、少し悲しくなりました。お父さんが死ぬところでは、ここまで書かなくてもと思ったけど、これが現実なのかもしれないわね。あと、最初は三人称であっても全てアレムの目を通して書かれているのだけれど、お母さんが死んだという知らせが来るところで、とつぜん第三者の目になるので、つきはなされたような感じがしました。最初からある程度アレムに距離を置いた書き方(訳し方)にすれば、少し感じが違ったのかな? 会話の部分はとても達者だったけど。

:みなさんの意見で出つくした感じです。

すあま:私も、このエチオピア・エリトリアのあたりのことは知らなかった。戦争の話は、知識がないといつの時代に起こっているのかわかりにくいけど、コン ピュータゲームなどが出てくるので、今の話だということがわかる。アレムは英語もしゃべれるし、そのまま暮らしていけそうだけど、お父さんが現れたのでどうなるんだろうと思っていた。そしたら、お父さんを死なすことで解決しちゃったような感じだったので、もう一工夫ほしかった。関心がなかった友だちがキャンペーンを始め、それが一気にもりあがっていくところが、あまりぴんとこなかった。

カーコ:13章までしか読めませんでした。確かにイデオロギーが先行している感じがしましたが、ここまで読んできて、最後まで読みたいなという気になっているのは、ストーリーに力があるからだと思います。肉付けの部分があると、もっとおもしろいのでは。たとえば、イギリスに行ってから、アレムの目からすると不思議なことがいっぱいあったはずですよね。そういうことの具体的な描写があると実感としてもっと迫ってくる気がしました。また文章で、104ページ、「三人にとって、これほど心を閉ざしたアレムを見るのは」と、急に視点がかわるところがひっかかりました。

トチ:1990年だったと思いますが、BBCでアフリカの難民を扱ったドラマを放送して話題になったことがあったの。難民の大群が徒歩でじりじりとヨーロッパ大陸に向かってきて、ヨーロッパじゅうが大騒ぎになるのね。テレビは毎日どこまで難民が達しているか放送するし、いろいろな国の首脳が連日会議を開き、論争する。難民のリーダーの主張は簡単なもので「あなたたちは猫や犬などペットを飼っているでしょう? そのペットにやるミルクをわたしたちにも分けてくれればいいのです。そのかわりに、わたしたちだって、手をなめろと言われればなめてあげますよ」というの。難民たちがジブラルタル海峡を渡って上陸しはじめたとき、軍とにらみあいになるの。そのとき、ひとりの難民の子どもが拾った銃をいたずらしていて空砲を撃ってしまい、とたんに軍の兵士に撃ち殺され、そこで終わりと言う衝撃的な結末。ヨーロッパの人たちにとっては、難民の問題って本当に切実で身近なものなんだなと思ったわ。

カーコ:難民って、ヨーロッパでは大きな問題ですよね。どの国も、国外の政治・経済の変動で、常に外国人を受けいれざるを得ない現実があるので、子どもでも、日本の読者よりずっと身近なこととして、こういうテーマを感じるのではないでしょうか。

トチ:日本の子どもは、難民も移民も区別がつかないのでは?

:日本の政府は、なかなか難民として認定しないしね。

すあま:子どもたちの感想も、難民の話なのにいつのまにか戦争についての話になっていたりする。

愁童:壁紙にしているところはいいなと思った。両親なんか好きじゃないっていうけど、あの描写はうまいなと思った。また、こういう難民認定みたいな問題では、お父さんの手紙を出しなさいと言われて、出しちゃったら認められないっていう変な現実ってあるんだろうね。ただルーツとか、アレムを書き込んでいる割には、裁判についての論理的な去就がいまいち分かり難い感じがした。でも、こういった問題を子供達にきちんと伝えようとする作者の熱意は伝わってくるよね。

すあま:イデオロギーは出てるけど、臭くはないですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年4月の記録)


ウォルター・ディーン マイヤーズ『バッドボーイ』

バッドボーイ

カーコ:自伝であることで、主観的なリアリティがありますね。真ん中までぐいぐいと、主人公の強い個性にひっぱられていきましたが、途中、本の記述が続くあたりから、息切れがしてしまいました。全体におもしろく読みはしましたが。苦しくなったのは、私がフィクションというスタンスで、この本を手にとってしまったせいかもしれません。フィクションとして見ると、構成が直線的でしょう。自伝ならあたりまえなんですけど。自分がいかに普段、構成のおもしろさを物語に求めているかがわかりました。

むう:おもしろかったんだけど、けっこう読みにくかった。ドキュメンタリーというか、完全にノンフィクションの手法ですね。そのこと自体は、読みにくい原因ではないと思うのだけれど。それにしても、この作家は誠実だなと思いました。自伝って、なかなかスタンスがとりにくくて、ついつい自分に甘くなったりするんだけれど、この人は誠実に事実を積み重ねて、その結果こういう人間になったんだということがよく書けている。ただ、ところどころに、えっ、これってなあに?という説明不足なところがあって、引っかかったし印象が散漫になった。過剰に意味をつけまい、よけいな説明をすまい、自分に甘くすまいとした結果、そういう印象になってしまったのかな。訳注でなんとかなる部分もかなりあるような気がします。作品としてはもう一歩という感じだった。世の中がぜんぜん平等じゃないというという気持ちは、よくわかりました。それと、前半の能天気な部分と後半のつながりがうまくいっていないように感じました。でも、アメリカの中でのマイノリティである黒人だというだけでなく、その中からもはずれてしまった人間の苦しみはとてもよく伝わってきて、おもしろかったです。なんとなく書き切れてないなあという印象を持ってしまったのは、まだ作者自身にとってこれが過去形になっていなくて、整理しきれていない部分があったからじゃないかと思います。

紙魚:すべては、「ぼくは、いままでに33冊の本を出版した。そして、いまもタイプしている……。」という最後の一文のためにある本だなと思います。作者が、本当に本が好きな気持ちが伝わってきて、ところどころの描写に胸打たれました。本好きの少年が、作家としての道を歩んでいく過程は、共感しながら読むことができましたが、すでに作家となった今、回顧して書いているので、どこか、距離も感じました。ただ、作家としての自負のようなものが、ずっと根底に流れていたのは、とてもよかったです。

:自伝がもつ意味というのは難しい。大人の文学でも自伝のプラスとマイナスがありますね。自伝文学の魅力は、その作家を知ってこそ成り立つ。ベイブ・ルースとかキュリー夫人であれば、子どもも読めるけど、物語としてのおもしろさがないと、子どもにはちょっとよくわからない。この作品は、読者に語りたいというメッセージが先行して、物語としてのおもしろさは感じられない。最後の文にたどりついても、作家になって何を書きたかったのが欠落している。文学が彼にあたえた力は書かれている。タイトルも『バッドボーイ』だとわからないですよね。自伝であるからこそいいところは、お父さんが文盲であることを受け止めるところとか、お母さんから旅立つところ。実体験だからこそきらきらと輝いている。

アカシア:育ての親の家庭にすっと入っていて、悩むところもないとか、黒人であることをある時点で意識しはじめるとか、スピーチに障害があるのもある時点までは気づかないとか、そういうところから作家の実像が浮かび上がって、私はおもしろかった。それに、本の力を受け止めていって、自分の中で醸成していく過程はよく書かれている。でも、翻訳はもう少していねいにやってほしかったな。矛盾している記述もあるし、意味が通りにくいところも多々ある。後書きにしても、「この本の中心には、愛があるのだと思う。最後は身を持ち崩していくお母さんへの愛、〜」とあるけれど、お母さんは身を持ち崩しているわけではないですよね。アフリカ系アメリカ人の子どもたちには当たり前のことでも、日本の子どもにはわからないこともあるんだから、もう少し親切に目をかけたり手をかけたりすることによって、橋を架けてほしかったな。

すあま:この作家は、『ニューヨーク145番通り』(小峰書店)がおもしろかったので、どういう人なんだろうと思いながら興味深く読んだけれど、もし知らない作家だったら興味がわかなかったかも。作家って、学校に行ったりしてなるものではなくて、書かずにはいられない人がなる、と聞いたことがあるけど、この人もそうなんだな、と感じました。黒人として生まれたことはどういうことか、というところも興味深い。ただ、日本の子どもたちで、作者が読んだような本を読んでるって子はいないと思うんですね。日本では大人の本として位置づけたほうがいい。いずれにせよ、この作家のほかの作品といっしょに読まれるといいんじゃないかな。

きょん:半分くらいまでしか読んでないのでわからなかったけど、これって自伝だったんですね。自伝だからなのか「いきなり」バラバラつながっているところが、とらえどころがない感じで、読みづらかった。しかし、ところどころ、ぐっと引き込まれるエピソードがあるのが印象的でした。「文学とのふれあい」や「出会い」「詩の世界に入る心の動き」など、興味深いところもありました。「ハーレムの風景」もおもしろかった。しかし、全体としては、ばらばらした落ち着かなさ、気持ち悪さがありました。

むう:アミスタッド号の原書を読んだときに思ったのですが、ノンフィクションを書くときのこの人の文章って、とてもストイックなんですよね。情緒に流さずに。この本でもそういうところがあって、そっけないくらいに乾いていると思います。

カーコ:前半は、フィクションとして読んでいけるんだけど、後半は、本好きでないと読み進めにくいかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年4月の記録)