月: 2008年6月

2008年06月 テーマ:日常をちょっぴり離れて

日付 2008年6月26日
参加者 サンシャイン、メリーさん、げた、みっけ、ハリネズミ、いずる、小麦
テーマ 日常をちょっぴり離れて

読んだ本:

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ルーマー・ゴッデン『帰ってきた船乗り人形』

帰ってきた船乗り人形

いずる:シャーンが人形たちの言葉を理解できているのかいないのか、よくわかりませんでした。最初は、わかっていないのかなと思いながら読みました。途中から理解できているんじゃないかと思ったりして……。最後にカーリーが、汚れてぼろぼろになって戻ってくるんだけど、人形がどういう冒険をしてきたかなど、まったくわからない小さい子なら汚れたことを嫌がるのではないかと思いました。でも、シャーンはそれを大喜びで受け入れるので、本当は人形の言葉はすべて理解しているのかな。ハッピーエンドの終わり方はちょっとできすぎだと思います。全員が戻ってくるのもご都合主義な感じがしました。大人になってから読んだから、そんなふうに思うのかもしれません。これを小さい時に読んでいたらどうでしょうね。私は自分も人形を持っていて、台詞をつけて遊んだりしていたので、楽しく読めたかもしれません。

サンシャイン:最初の方で、人間のシャーンと、人形たちの会話がごっちゃになって混乱しました。なんども前に戻って名前を確認しながら読み進みました。原文もこういう書き方なんでしょうかね? 日本語で読むと、人間と人形の書き分けがまったくされてないので、戸惑います。人間の世界にも人形の世界にもメイドがいるし、わかりにくい。まあ、受け入れちゃえば読めますが。ベルトランが人形を拾ったあたりから急にいい子になるのは、ちょっとどうなんでしょう? 話を進めるには必要だったんでしょうが、あまりにも突然改心しすぎるように思います。ちょっと苦しいんじゃないかな……

みっけ:私も、人形と人間が同じように書かれているのを読んで、ちょっと混乱しました。特に最初の方は、人形は動きませんというルールがあるはずなのに、なんだか動いているような感じで、あれ?という戸惑いがありました。後の方になると、作者がきっちり「風で飛ばされたのでしょうか」とか、「手が震えていて落ちてしまったのかもしれませんが」という形でフォローを入れているので、動いていないんだな、と確認できたのですが。

ハリネズミ:私もそこは気にして読んだんだけど、最初から最後まで人形は動いてないですよ。そこはきっちり書かれてるの。

みっけ:ベルトランがかなり急激に改心することについては、私はあんまり気になりませんでした。というのは、ベルトランは元々優等生で、本人は悪気がないのに、周りの人の気持ちがきちんとくみ取れないために嫌われるというタイプでしょう? だから、周りが自分を疎んじていることにいったん思い至れば、後はわりと楽にいい子になれると思うんです。私がこの本で一番印象的だったのは、ベルトランが海に飛び込んでカーリーを拾うシーンでした。人形が海底に落ちていって、海藻がゆらゆらと揺れて、という場面。とても印象的でした。今考えると、切迫した状況と、カーリーののんびりした感じ方のギャップが妙にリアルだったからかもしれませんね。とにかく全体に、お人形さんごっこでお人形がしゃべるのと、実際には動けない人形がいろいろなことに巻き込まれていく様子とのかみ合わせが、なんかしっくり来ませんでしたね。昔『人形の家』(ルーマー・ゴッデン著 瀬田貞二訳 岩波書店)を読んだときにはそんなふうに感じなかったんですけれど……。年を取ると気になっちゃうのかなあ?

メリーさん:『人形の家』の延長にある物語と聞いて、そちらとあわせて読みました。人形は、自分では動けないけれど意識はちゃんとあって、強く願えばその思いはかなうーーその設定が踏襲されたお話でした。主人公のカーリーも、そんなわけで自分では動けないけれど、強く願う。その思いが偶然を呼んで、事件を解決に導く。今の子どもたちは人形遊びをしないから、この物語はピンとこないかもしれないなと思いつつ、でも、人形たちは人間の知らないところでこんなことを考えているんだよ、という人形の側からの種明かしのような気もして、おもしろく読みました。

ハリネズミ:冒頭の部分は、登場キャラの数が多すぎるから確かに混乱しますね。カーリーが外に出て、ベルトランと出会うところからがメインだとすれば、最初の部分はもっと整理した方が読みやすかったのにね。ベルトランが出てくるあたりからは、登場人物もカーリーとベルトランの2人になるから、ぐっと読みやすくなります。でも、全体的に古すぎません? 最初に「この人形の家には、おとなの男の人形はいませんでした。なのに、どういうわけか、家の中には、魚とりあみや、剣、角帽といった、男の人形のためのものがありました」ってあるのね。「角帽というのは、大学の先生が卒業式のときにかぶる、黒くて四角くて平たい、ふさのついた帽子です」とも書いてある。今は女性の大学教授だっているし、女だって釣りくらいするでしょ。それ以外のところでも「男は強くたくましく」という価値観が貫かれていて、気になります。イギリスの児童文学は、長いこと中流階級以上の人が、中流階級以上の読者に向けて書いてきたんですね。この作品も、いかにもそんな感じですね。作品の根底にある価値観が古くさい。
それと、ベルトランが妹に頼んでシャーンに人形を送るシーンは、住所があやふやなのに、奇跡的に届いたという設定。あとでベルトランはカーリーを自分でシャーンの家に返しに行くんだから、まず自分宛に人形を送ってもらえばいいのにって思ったけど。あと、P164の「この町にカーリーと同じような水兵人形が売っている」という表現は誤植かな。

サンシャイン:この本は、ずっと訳されていなかったんですね。

ハリネズミ:出されていないものには、それなりの理由がある場合も多いですよね

げた:人間と人形がごっちゃになっているって感じたのは、私だけじゃなかったと知ってちょっとホッとしました。ドールハウスの人形はどうしたって動かないんだから、人間が人形を動かした結果にストーリーを与えて、物語をつくったっていうことなんですかね?このお話、ラストはみんな落ち着くとこへ落ち着いて、ハッピーエンドになっているのは、読み手に安心感を与えますね。カーリーも大佐も、友だちからも、親や家族からも疎まれていたベルトランも、帰るべきところへ帰ることができて、よかったねって。

小麦:私も人形と人間の会話が混同してしまい、最初の方は読みづらかったです。イラスト入りの登場人物表をつけるとぐっと読みやすくなったのでは? あと、『人形の家』のイラストは、いかにも人形という絵なのに対して、『帰ってきた船乗り人形』のイラストはより人間っぽい。カーリーなんかは、生きている人間の男の子に見えます。イラストをもっと、状況説明に利用してもよかったのかなと思います。これは好みの問題ですが、装丁も、最初見たときには翻訳ものというよりは、日本人作家の作品に見えて、ゴッデン作なんだとすぐには気づかなかった。ゴッデンの世界観が伝わるようなクラシックな装丁だったら、 読む方もある程度心構えができたような気がします。人形たちが人間の与り知らぬところで、いろいろなことを繰り広げているというのはいくつになっても心おどる設定で楽しめました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


本多明『幸子の庭』

幸子の庭

げた:最初、このところよくある、学校に行けない子どもの話かな、と思ったんですよ。でも、テーマはそれだけじゃなかったんです。この本を通じていちばん心を揺さぶられたのは、プロや専門家のすごさ、背筋がピンと伸びたようなすがすがしさですね。この本を読んだ子どもたちは、きっと庭師という職業に夢を持つんじゃないでしょうかね。この本を通して、とってもいい体験学習ができたんじゃないかな。私は、図書館の司書という本の専門家のはずなんだけど、本当に専門家といえるのかなあと、改めて自分自身に問い直すような気持ちにさせられました。主人公の幸子も友達関係がうまくいかなくなっていたんだけど、この庭師の若者と出会うことによって、庭のサルスベリの枝で飛びつくような明るい子に戻っている。読んだ後、明るい気持ちになれるいい本だなと思いました。

ハリネズミ:そうそう。今の時代は、どの分野でも半分アマチュアみたいな人が幅をきかせていて、プロがなかなか評価されないですけど、この作品にはプロのすごさが描かれていますね。真のプロとは何かが、子どもにもわかるように書いてあります。それから、自然が子どもに働きかける力を持っているってことも、もう一つのテーマになってる。植木屋さんというと寡黙なイメージがありますが、この人は幸子にいろいろ話をしてくれて、幸子から力を引き出してますね。

げた:この庭師の若者はもともと寡黙だったんですよ。親方にお前、もっと話せなくちゃだめだ、と言われて直した。そういう点ではつじつまは合っていると思いますよ。

ハリネズミ:私は自然のままがいいと思ってて、雑草さえなかなか抜けないでいたんですが、庭に風が通るようになったとか、庭師が空間に手を入れていく作業を読んで、すっきりした庭もいいもんだと思えるようになりました。 「木の一本、一本が、その木らしい装いで立っている 」(p207)なんてね。庭っていうのは、自然のままにしとけばいいっていう空間とは違うんですね。

メリーさん:とても読み応えのある骨太な文学だと思いました。女の子の物語と職人の生い立ちの2部構成になっていて、主人公だけでなく、出会う職人の人生も語られる。とてもいいなと思ったのは「銀二の木鋏はあらゆる花木の汁を吸い、香りをかいだ」などという、ハサミの描写。ハサミの立てる音や質感をうまく書き込んでいて、道具を大切にしているのがよくわかりました。それから、山の木と庭の木の違いの所、長い時間をかけて共存を勝ち得た自然と、人間の手によって個性をのばしてあげる木との区別。時間の存在を意識させるいい場面だと思います。いい大人と出会うと子どもは変わるのだな、と感じました。そんな意味で、前回の『スリースターズ』(梨屋アリエ著 講談社)の対極にある物語だと思いました。

みっけ:以前山登りをしている頃に、山で大きく育っている木々をたくさん目にしてきて、そういう木が大好きだったために、庭の木とそういう木の根本的な違いを理解するのにかなりの時間がかかったんです。そういう覚えがあるんで、そうなんだよなあという感じで読みました。庭の木というのは、人間が人間の都合で植えた木で、当然大本のところで人工的。でもその人工的な物の個性を生かして行くにはどうするか、というあたりが剪定の根本にあるんでしょうね。とにかくこの本を読むと、庭とか木といった長いスパンで見ていく必要のある自然と向き合うことの心地よさ、時間の流れの違いがよくわかる。それに、登場する職人に、木という生き物と付き合っている上等な人の持つ独特の背筋の伸びた感じがあって、それもすがすがしい。それに、ハサミの鳴る音の持つリズミカルな感じも、とても共感できました。ということで、基本的にはおもしろく読んだのですが、ひとついえば、ちょっと盛り込み過ぎかなあ、という気がしました。作者が好きなことやいいと思っていることを、とにかく入れたという感じがしてねえ。

ハリネズミ:この作者の1作目ですから、いろいろ入れたかったんでしょうね。

みっけ:なんか、有名な和菓子店のおいしい大福やらくず餅の話だの、方代さんの短歌の話だの、ちょっとうるさくて鼻につくなあと思ったんです。全体としてはいいなと思ったんですが、それにしてもてんこ盛りで、げっぷが出そう。ああ、そういうことが好きなんだね、わかる、わかる、と作者の好きなことが素直に伝わってくるんですけど。

ハリネズミ:私はそんなに気になりませんでした。お菓子の話はプロの仕事の例だろうし、山崎方代の短歌は、筋金入りの職人の清吉さんや銀二さんの人柄の奥行きをあらわしていると思って。まあ、方代さんの部分はちょっと長いかな。

サンシャイン:私も、また学校に行けない子の話かと思って読み始めたんですが、だんだん引き込まれていきました。今まで話題に出なかったこととしては、庭を見たがっているひいおばあちゃんの最後の旅を家族で準備をする、という所が好きです。女の4世代が揃うというのは、私の娘が小さい時に経験しましたが、壮観です。そしてサルスベリを回転しながら降りてくるというのが受け継がれている、というのも家の歴史を物語る素敵な設定だと思いました。熱い鉄を打って刃物を作る話、木々の話、こうした薀蓄も好きでした。いい本を紹介してもらったなと思います。

いずる:読み始めたときは、お母さんが美容室に出て行くときのわざとらしさなど、いくつか気になってしまうところがありました。でも、庭師が出てきてからは物語に引き込まれました。私は庭や樹木に関する知識がほとんどないのですが、それでも十分に楽しめるように書かれていると思います。それから、幸子が学校に行けなくなるきっかけについて、大きな事件が起きたりはしませんが、必要以上に空気を読まなければいけない今の社会の息苦しさを反映しようとしている姿勢がいいと思います。結局幸子が学校に行けるようになるのかどうかは、わからないんですよね。もしかしたら途中で帰ってきちゃうかもしれませんが、きっと行けるんだろうなと思います。この本に出てくる庭師はとても素敵でした。児童文学に出てくる素敵な男性といえば、私はたつみや章さんの作品に出てくる男の人を連想します。たつみやさんは別名義で架空の男の人を素敵に描くことが必要とされるジャンルの小説を書いているので、惹きつけられるのも当然だと思うのですが、本多さんは男性なのにこういう人物を描くことができてすごいなと思いました。

小麦:いい意味で作者の人となりが透けて見える本でした。勝手な想像ですが、みんなに信頼されている小学校の先生が書いているみたい。物語を通して、あたたかで誠実な作者像が見えてくる安心感というのを、最近の作品の中では久々に感じました。幸子の口調や性格なんかは、いかにも「おじさんが書いた少女像」という感じだし、植木屋さんも格好良すぎるんだけど、読後感がさわやかで物語に説得力もあるので「ま、それもいいのかな」って思える。変にひねったりしていないところも好感が持てました。地の文のところで、幸子の母親が「母」と出てきたり「お母さん」と出てきたり、健二の母親も「母」だったり「かあちゃん」だったりするところは気になりました。些細なことなんだけど、こういうひっかかりって物語の世界からふっと現実に引き戻されちゃうから、もったいない。全体的には、さわやかで読みごたえのある作品でした。手入れ後の清新な庭の空気など、日本の庭の佇まいをしっかり感じとれる日本人としてこの作品を読めて幸せだったなと思います。庭師の格好良さにも目覚めました!

複数:かっこよすぎ!

ハリネズミ:さっきの母親をどういう言葉で書くかは、その部分が三人称的なのか一人称的なのかで違ってくると思うな。私はあんまり違和感がなかった。きっといい人なんだろうなあ、この作者は。『曲芸師ハリドン』なんかを書くような作家とはタイプが違いますよね。ひねくれてない。どれもみんないいエピソードですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


ヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』

曲芸師ハリドン

サンシャイン:ざっと読んだんですけれど、あんまり印象に残っていないんです。船長さんがいなくなったらどうしようという不安な感じがあって、そこに読者も入っていけたら、作品に入れたという感じになるのかなあ……でもちょっとしつこい感じがしました。最後は船長がハリドンに、捨てたりしないよ、という感じなんですかねえ。

ハリネズミ:これは、ストーリーラインだけで読ませる作品じゃないから。

サンシャイン:過去のことなどもいろいろと書いてあって……でも途中でちょっと飽きちゃいました。最後が嫌な感じでなく終わったのが良かったかな。犬とやりとりするというのは、前にもそういう本がありましたね。でもこの本では犬はあまり信用されていないようです。

メリーさん:変わった本だよ、と言われていたのでドキドキしながら読んだのですが、とってもいいお話でした。たった一晩のまるで夢のような物語。主人公のハリドンと船長とのあいだには、友情というか、親子の情のようなものが感じられました。二人はとても深い絆で結ばれているのだけれど、血がつながっていないから、不安になる。結果としては、ハリドンが船長を灯台で見つけ、文字通り「灯台もと暗し」だったのだけれど、町中を走り回ったことで、彼の気持ちが改めて認識できたような気がしました。

ハリネズミ:これは、一つ一つの場面や情景の雰囲気を味わう本だと思うんです。夜の闇の中でのハリドンの不安、小さな野良犬の不安、カジノの喧噪、あやしい犬捕りの暗躍などが、不思議な模様を織りなしています。これは、菱木さんの訳でないと読めない本かもしれませんね。この訳者だからこそ、そういう一つ一つのものが醸し出すムードがきちんと伝わってくるんだと思います。原作者が描いた絵と文章のバランスも絶妙で、本にさらに味が加わってますね。
船長がエスペランザ号に乗って行ってしまったと思って、ハリドンが悲嘆にくれ、犬は不安に怯えて進めなくなり、という絶望の場面の次は、灯台に入って船長を見つけてホッと安心する場面が来るでしょ。普通ならここで、再会の喜びの情景を書くところだけど、ハリドンは船長が楽しい時間を過ごしてのを邪魔したくないので、自分の気持ちをおさえる。このあたりもうまいし、無邪気な犬がいるせいで、心の揺れや本当の気持ちが会話の中からうかびあがる。内面のドラマですよね。船長も、何が起きたか直接はわからないけれど、帽子があったり犬がいたりで何となく察する、そのあたりがいい。最後に船長が犬にエスペランザという名前をつけようとしているけど、それは、この犬を引き取ろうという気持ちの表れなんでしょうね。そのあたりの訳も、とても上手。表立って何かが起こる話じゃないけど、とてもおもしろかった。中学生の課題図書ですけど、これ、中学生にわかるんでしょうか?

げた:たった一晩の出来事だけれど、船長とハリドンのこれまでの人生や生き方が、お話を通して見えてくるんですね。船長は一か所にとどまらず、常に夢を追っかけている人なんだなあと思います。犬とハリドンの関係なんですが、犬のしゃべる言葉はハリドンの気持ちを表しているんでしょうね。読者対象は中学生以上だとは思うんですが、船長を通して、人間の生き方の一つを子どもたちに見せているのだと思います。それと、日本の子どもたちの日常とは違う、一見緩やかだけれども、緊張感があって、縛られない日常を描いて見せてくれているんですよね。

小麦:私は好きでした。一晩のうちにいろいろなことが起こる夜のお話っていうのがまず好き。あとは北欧のものって映画もそうですけど、どこか暗さや孤独を抱えているようなものが多くて、そこが味わい深いと思います。この作品の登場人物も、みなそれぞれに傷ついていたり、挫折してたりして、孤独と向き合ってます。しかもそれをことさらに主張したりせず、じっとわきまえて生きている感じがいいと思うんです。船長にしても、今回はハリドンのもとに帰ったけど、いつかふらっといなくなってしまいそうな感じもします。全体的に常に不安や孤独の気配が漂っていて、だからこそラストのあったかさが生きてくるんだと思います。ただ、雰囲気で読ませるタイプの本なので、これで読書感想文を書かせるのはちょっと酷じゃないかなぁ? 感じたことを言葉にするまでに、時間がかかる本だと思うので。

いずる:幼い頃、夜中に「親が突然いなくなってしまったらどうしよう」と不安に襲われていたことを思い出しました。この本は、子どもが感じる、身近な人がいなくなることへの不安に通じている気がします。それと、ここには名前の問題があると思います。まず、前半に、犬がハリドンに名前を尋ねる勇気がないという描写が出てきます。名前を尋ねられないというのは距離が離れているということです。それが、最後の場面で船長が犬に名前を与えるという場面に繋がっていきます。ここで名前を与えられるのは個人として認められたということで、船長やハリドンとの距離が近くなっていることを表現していると思います。ただ、〈船長〉はずっと通り名のままで名前が出てこないのですが、これがどういう意味なのか、よくわかりませんでした。

みっけ:雰囲気のあるおもしろい本だなあと思いながら読んだのですが、中学校の課題図書だということがわかって、はて、これって子ども向きの本なんだろうか、とひっかかり始めました。それからしばらく、この本から受けた印象を頭の中で転がしていたら、ある日ふと気がついたんです。この不安な感覚やアンバランスな感覚(カジノでハリドンが出会う人々などの不気味さや異様さ)って、子どもの感覚なんじゃないだろうか、なにかの時に親とはぐれたり、自分が眠っている間に親がどこかに出かけてしまったのに気がついたときの子どもの不安と同じなんじゃないかなって。そういう時には、たとえ親子の関係に満足している子どもでも、ひょっとしたら自分は置いてきぼりを食ったのかもしれないと思って不安になることがある。私自身がそういう気持ちと無縁でなかったので、そうか、これって子どもの感じ方なんだなあと思って、だったらやっぱり子どもの本なんだ、と思いました。この作者は決して、子ども時代に感じたことをノスタルジックに書いているわけではないし。夜になると、そこいら中の物がおっかなく見えたりするのも、子どもならよくあることですよね。
もう一つ、この本は、ひ弱でちっこい野良犬とハリドンの関係や、船長さんとハリドンの関係がべたっとしていないのがいいなあと思いました。ハリドンが必死になって船長さんを探し歩き、でも灯台で船長が話し込んでいるのがわかると、船長の邪魔をしないように、そっと自分だけ家に戻る。その辺りがなんというか切ない。べたな親子関係であれば、自分の中で渦巻いた感情をそのまま相手にぶつけることにもなるんだけれど、ここでそうならないのは、やはり血のつながりのような本能的な結びつきがないから、なんでしょうか。まあ、自分の感情をそのまま相手にぶつけられるような関係も、子どもにとっては大切だと思うけれど、でもこの手の配慮は、血のつながりのある親子の場合でも、しますよね。
たった一晩の出来事にすぎないし、しかも表向きは何事もなかったかのように終わるんだけど、でもそこにお互いの過去のことや、異様な人、奇妙な人が絡んできて、ハリドンの気持ちが激しく動き、船長とハリドンの関係は確実に変わる。実際にこういうふうにして人間の関係はできていくんだろうなあと思うし、そういう微妙なところを、とてもうまく書いていますね。
(ここでひとしきり、北欧の作品ってどうなんだろう、という北欧談義)

ハリネズミ:これって、何気ないようだけれど、訳がとてもうまいですよね。

げた:訳がうまいというのは、どんなところかな?

ハリネズミ:たとえばウフル・スタルクはいろいろな人が訳しているんですが、菱木さんの訳を読んだあと、他の人の訳を読むと、本当の味わいがそこなわれているような気がして不満を感じてしまうんです。菱木さんは必要最低限の言葉できちんと雰囲気を伝えることができるんでしょうね。擬態語や擬音語もうまく使ってるし、ひっかからないで読めます。一例ですが、p39には「このぶんでは雪になるだろう」という文があります。普通の訳者だと「このぶんでは」なんていう表現はなかなか出てこないんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)