月: 2012年1月

タミ・シェム=トヴ『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』

父さんの手紙はぜんぶおぼえた

ajian:しっかり取材に基づいて書かれている本で、10歳の子どもが細かいことまでよく覚えている。成績の場面など、この経験をした当事者じゃないとなかなか言えない気持ちだなと感じましたし、そういうところはほかにもたくさんあります。あとは何といっても、手紙がすごくいいですね。有名な学者さんらしいけど、日本では知られていないので、市井にこういう人がいたのかというような気持ちで読みました。最後に写真がたくさん載っていますが、ここもいい。

ルパン:最初はアンネの日記みたいな本かな、重いのかなと思ったけど、読みはじめるとおもしろくて、どんどん読みました。タイトルがいいですね。暗い時代にこういうユーモアがあふれる手紙を書いて、いいお父さんだなと思います。個人的に残念だったのが、タイトルから、この子が手紙をぜんぶ覚えるシーンがあるのかなと思ったんですけど、そういう場面はありませんでした。

ハリネズミ:タイトルは、でも日本でつけているものだから。

三酉:イディッシュ語はわからないけど、英語タイトルはLetters From Nowhereで、そのままでは日本語のタイトルにならないし、そこは難しかったと思います。

すあま:とてもよかったです。ただ、読んでほしい年齢の人に読んでもらうには字がちょっと小さいかなと思いました。字を大きくするとページが増えるので、苦渋の決断だとは思いますが…。そして、リーネケのおねえさん、ラヘルがとてもよかったです。ラヘルにもお父さんから手紙が来ていたのでしょうか。たまに登場すると料理がうまくなっていたり、発言が面白かったりするので、ラヘルの視点で書いた物語があったら読みたいと思いました。以前読んだ『木槿の咲く庭』(リンダ・スー・パーク著、新潮社)にもありましたが、名前を変えるというのは、とても大きなことだとあらためて思いました。

うさこ:とても重厚でまじめな物語ではありますが、心に残してくれるものが多い本だと思いました。名前を変えて自分の人格を否定して生きるというのは、どういうことかとか、リーネケに気持ちを寄せながら読んでいきました。お父さんの手紙の内容一つ一つに愛情があふれていていい。

プルメリア:表紙の手紙をみて、何だろうと思ったのですが、タイトルをみて、ああ、これはお父さんからの手紙なんだと思いました。作品の中に出てくるお父さんの手紙の題がおしゃれでとてもすてきです。「絵といっしょにおしゃべり」「5月24日 リーネケはたまごから飛びだした」など。現実と過去が交互に書かれている構成もおもしろいです。ドクターの家族がリーネケを家族の1員として愛情をもって見守るやさしさもいいですね。ドイツ兵が来たときには、ちょっと危ないのかなとドキドキしましたが、そのドイツ兵からタバコをもらっておじいちゃんにプレゼントし、おじいちゃんはタバコをケチケチと大事に1週間かけて吸い、その間じゅうクリスマス・ソングを歌い続ける場面はユーモラスです。怖い怖いとおびえる中にもこういう交流もあったのかな。戦争後、ドクターがリンゴごの木の下に隠しておいた手紙を出す場面が感動的でした。手紙に込められたお父さんのあつい思い、手紙を手元におけないリーネケの切ない思いを知っているから捨てることができなかったのでしょうね。ところどころに手紙が入っているので一息つけるし、次はどうなるのか展開が気になります。字は細かいけど読ませる作品でした。

ハリネズミ:この本にかぎらずユダヤ人の作家がホロコーストについて書くのはとても多いし、それは片方では必要なことなんだけど、もう片方では現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽することにもつながってしまうと思うんです。しかもパレスチナの側から書いたものは数が少なくて、ホロコーストものは次々に出版される。そうなると、またか、という気になるのも確かです。この本の主人公へのインタビューが巻末にあるんですけど、その最後は「見て下さい——のびのびと自分たちの地で暮らすユダヤのうるわしい大家族を」となっていて、パレスチナ人は視界にまったく入っていないんですね。ちょっとどうかと思いました。ユダヤ人だけを責めるわけではないんですが。日本の戦争物も加害者の視点なしに書かれているものは多いですからね。
 ただ、この本はお父さんの手紙がすごくいいですね。この手紙のおかげで、この子は戦時下の不安定な状況の中にあっても、守られているという感覚を持てたはずです。私は細切れの時間の中で読んだので、登場人物についてはちょっと混乱しました。登場人物リストがあってもよかったかも。翻訳はところどころ引っかかりました。p22の台詞の中は「粉剤」じゃなくて「粉ぐすり」でもいいのかな、とか、p28の「シンタクラースのプレゼントもいいかもしれない」は、どういうニュアンスで言っているのか、ちょっとつかめませんでした。p34の「もしかして、大きい動物を、家畜もペットも好きになるのをやめちゃったのかもね」というリーネケの台詞ですが、その前に「牛やヒツジ…をどんなに、知ってるだろ?」というお父さんの台詞があるので、つながらないような気がしました。またp66には『もじゃもじゃペーター』が出てきますが、ハインリッヒ・ホフマンの本のことを言ってるんだとすると、一冊の本の中にいくつかの話が入っているわけですから「シリーズの一冊」はおかしいのでは? などなどです。日本語版の書名や表紙はとてもすてきです。

三酉:父親たる身としては、すごいと思った。この人は、ユダヤの貴族階級がほれてしまうぐらいに魅力的な男だったのではないでしょうか。直接関係はないんですが、最近、ユングの『赤の書』という本が出ました。ずっと非公開だったんだけど、ユング財団が最近OKして。これがすごい。200ページの書き文字なんです。それで、そういう伝統ってあるんじゃないかと思いました。今世紀までは継承されていないかもしれませんが、こういう書き文字ができるという男がかつては結構いたんじゃないかと。

ハリネズミ:修道院の文化にかぎらず、子どもに絵手紙をおくるという文化はあるんじゃないですか。ビアトリクス・ポターの本も、そもそもは子どもに宛てた絵手紙だったし。

ajian:オランダも相当いろいろあったみたいなので、やっぱり相当幸運な家族じゃないかとは思います。

三酉:たしかに幸運もあったでしょう。だってほとんど全員生き延びて、死んだのは病気で死んだ母親だけだっていうんだから。それから、手紙についてだけど、子どもは画像的な記憶がすごい。我々が覚えるよりはるかに覚えられたんだと思います。特にすごいことだとも思わずに、ごく当たり前に覚えてしまってたんじゃないかな。

すあま:この手紙は何十年も経ってからじゃなくて、戦争が終わってすぐに出てきたわけですから。

ハリネズミ:手紙に使っていた名前が、本名じゃなかったから、見つかってもそれほど危険じゃなかったのかも知れませんね。それにしても、この本の主人公は戦後、戦時中の偽名を自分の名前として選び取るんですね。戦時下の体験がとてもつらいものだったら、普通は自分の本来の名前に戻るはずだと思うんですけど。たぶんお父さんの手紙や何かのおかげで、この子はそれほどつらい思いはしなかったんでしょうね。アンネ・フランクなどと比べてラッキーな面もあったのでしょう。

三酉:あと、この名前は、強制的に変えられたのではなくて、生き延びるために自分でつかんだ名前だということもあるよね。

ルパン:お母さんの名前なんですよね。

ハリネズミ:恵まれて、守られていたから、かえってこう、無反省になっちゃったという面もあるのかもしれませんね。

三酉:美しい話になっているので、本当だとわざわざ謳う必要があったのかなとは思う。

すあま:これまでにここで取り上げた本の中にも、本当の話だと思って読んだら、実は寓話だったというものもありましたから…。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


マイケル・モーパーゴ『カイト:パレスチナの風に希望をのせて』

カイト〜パレスチナの風に希望をのせて

シア:パレスチナと聞いて最初は重いなと思ったのですが、サイードがすごくかわいがられている描写があったり、「部屋いっぱいに悲しみが広がる」という変わった表現などが、すごく好きでした。ちょうど海外旅行に行った後に読んだので、ホテルのいやな感じとか、共有しやすかったですね。言葉が通じないということは、不要な苦労を強いられたり、国と国との間に溝ができやすかったりするものですよね。私も言葉が通じないところで苦労したので。それから、p69に「夢を信じきっている人間がいた」とありますが、サイードのことを子どもではなく一人の人間として扱っていて、作者の訴えたいことが詰まっている感じがしました。こういう問題は本当に難しいなと思います。平和に関する本というのはたくさん出ていますが、紛争が起きていなければ平和を意識することは難しいものです。長く平和が続いている国の子どもたちにとっては、全く環境の違うところと意識されてしまうかもしれません。この間の東日本大震災でも、関東圏で被害がなくて親戚もいないと、そういう人の言葉の端端から、ショックを受けるようなことがありました。「なんで自粛しなきゃいけないのか」とか、子どもたちの中からも冷たい言葉も出ました。今後どうすればいいのかという思いがあります。この物語では、お兄さんが誤射で死んでしまいますが、撃った方も泣いていたという、お互いの立場で悲しみが描いてあっていいですね。私は東北に親戚がいるので、今回の震災はそういう意味でも大変でした。無神経な人が身近にいたりするので、そういうすれ違いがだんだん戦争に発展するのかなとか、そんなことまで考えてしまいました。p79の兄が死ぬ場面で、「カイトをなおすんだ」という最後の言葉がありました。これがサイードのその後の行動につながっていて印象深かったです。これが憎しみにみちた言葉だったらそうはいかなかっただろうと思います。それにしても、モーパーゴさんの本は薄いのが多くて助かります。昨今の中高生は分厚いと読みたがらないので。

ajian:マックスが青い車椅子の子に会いに行く、と言っていたのは、どうなったのかなというのは感じますね。ただ、この問題は、この分量で書くのは難しすぎる気がします。パレスチナとわざわざ舞台設定をしているのだったら、もっと突っ込んだことも知りたいと思うけど、そうすると分量が増えてしまう。壁があって対立する二つのグループがあって、という象徴的な物語だったら、パレスチナじゃなくてもいい。嫌いな本ではないんですが……。あと、この絵もいい絵だけど、舞台設定とリンクしてないですね。おしゃれな感じはするけど。最後の和解の場面は、こんなに簡単なことではないよなと思いました。

ルパン:ストーリーがすごく好きです。この装丁だと子どもが手にとるでしょうか。横書きで字がぎっしりだし、ちょっともったいない。もっと子どもが手にとれるように工夫してもよかったんじゃないでしょうか。ひょっとしたら本当にあったことなのかと、誤解してしまいましたが、フィクションだと知ってちょっとがっかりしています。それから子どもが読むものとして、カイトというのはすぐわかるんでしょうか。凧って漢字にカイトってふりがなが振ってありましたが、凧を読めなければ、それもわからないだろうし。先にカイトって凧のことだと言っておくか、ぜんぶ凧で統一するかしたほうがいいような気もしました。

ハリネズミ:今はカイトっていう名前でも売ってますよね。逆にカイトのほうがわかりやすいってこともあるんじゃないでしょうか。

ルパン:それから、言葉のことですが、失語症のサイードが最後にやっとしゃべるときに英語でいいんでしょうか。

ajian:ラストサムライみたいですよね。

ルパン:最後の終わり方はすごく好きなんだけど。塀の向こう側でサイードが一生懸命つくって送り続けていたカイトをあげるというところですね。感動的なシーンでした。

すあま:私は低学年向けの話だとは思わなかった。高学年から中学生以上。ヤングアダルト向けなのではないでしょうか。横書きだとノンフィクションという感じを受けると思います。最初の方はわからないことだらけで、読み進めていくとだんだんとわかってくる。先を読まないとわからないことが多いというのは、それが気になって続きを読みたくなるのか、あるいはわからないから読むのをやめてしまうのか、難しいところだと思います。最近パレスチナやアフガニスタンなどを舞台にした話が多いのですが、この本も2008年という設定で、数年前のことかと思うとドキッとします。例えば第二次世界大戦の話だったら、昔の話だと思って読めますが、これはついこの間のことで、まだ終わっていない。子供たちに、同時代に他の国ではこういうことが起きているというのを知ってもらうのはいいことだと思います。ただ、自分から手に取る子はあまりいないと思うので、手渡し方には工夫がいると思います。
 それから、訳者のあとがきはあるけれど、作者あとがきもほしかったと思います。この本を書くきっかけとか、こういう子供にあってヒントを得ましたとか。何か作者自身の言葉もほしかったです。

うさこ:モーパーゴさんは現代の問題を子どもに分かりやすく伝えるのが、すごくうまい作家ですね。これも、きれいにまとめてあるなと思いました。子どもの力を信じるのはいいとしても、未来を子どもに託しすぎているような、理想を乗っけすぎているような気もします。

シア:お兄さんの死の場面の語りについては、サイードがいつも怖い夢を見ているようなので、その夢の説明か何かにしてもよかったかなとも思いますね。どんな夢を見るのか、具体的にはあまり書かれていないので。

プルメリア:私は、この作品を手に取って、横書きなんだということと、とても細かい字だなと思いました。地図があったので、位置がわかりやすく助かります。「カイト」が最初わからなくて、名前なのかなとも思いましたが、内容から凧のことだとわかりました。4日間の短い時間の中で、イギリス人マックスの目からと、サイードのお兄さんへの語りかけから、話が進んでいきますが、マックスの語りかけが読者を読ませていくのかなと思いました。青いスカーフの女の子は、最初に登場した時から印象的で覚えていましたが、こういう風につながるのかと納得しました。最後のページ、挿絵は白黒ですが、明るい凧のイメージで私は読みました。難しい話や、現実に殺されるリアルな場面があったりして、この作品を読んでいる子どもがどう感じるかなと思いましたが、現実にこういうことが起きているのだからしっかり受け止めてほしいです。日本にはあまりありませんが、外国にはこういう題材のノンフィクション、フィクションがたくさんあります。考えなければならない現実や思いがあるから、こういう作品が書かれるのでしょうね。

ハリネズミ:ジョン・レノンのイマジンを物語にするとこういう感じかなと思いました。ありえないことかもしれないけど、こうあるといいなという願い。最後に会わないのが気になる人もいるかもしれないけど、会うことにすると非現実的なありえない話になってしまう。だから凧をあげるというだけにとどめて、あり得るかもしれないというニュアンスを出してるんじゃないかな。舞台はどこでもよかったのかも知れないけど、いま起きていることという意味を持たせるためにパレスチナを選んだのではないでしょうか。ただパレスチナの問題をどうこうしたいというより、象徴的な舞台として使っている。横書きについていうと、原文は横書きでも、本にするときには日本の子どもに読みやすいという意味で縦書きの本として編集し直すことはありますよね。
 「わたしはおろかにも、この奇跡的な瞬間をカメラにおさめるのをすっかりわすれていたのだった」ということになってますが、胸がいっぱいになってカメラで撮れたか撮れなかったかは二の次だというのが一点。もう一点は、カメラで撮ったというと願望ではなくリアルになりすぎるというのがもう一点だと思います。そんなことを考えると、やっぱり小さい子ども向けの物語ではなくて、ジャンルとしてはYAなんでしょうね。

三酉:成功か失敗かのきわきわの作品だと思います。夢物語としてもここまで書いていいのか。最初は誤解しましたが、途中からノンフィクションじゃないんだと思いました。謎があとからあとから出てくるのは、こういう仕掛けなんですね。青いスカーフなんていうのはうまいです。イマジンというと、ほんとうにそうかもしれない。映像がとれなかったのは、これはお話ですという意味でしょう。率直にいうと、サイードの子どもの語りがべたついていて、読みづらかった。いかにもお涙ちょうだいというか。日本語というのは、難しいなと思います。銃撃の場面を子どもに語らせるというのは、お話の構造上仕方ないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


富安陽子『盆まねき』

盆まねき

ajian:おもしろく読みました。いつも自分の話をしてしまいますが、まだずっと子どもの頃、眠れなくてぐずぐずいっていたら、祖母が「いい子で寝ないと山の向こうから連れにくるよ」といったんですね。「何が」連れにくるのかはいわなかったんだけれども、とても怖かったので、よく覚えています。それで、お盆のときに「先祖が帰ってくる」と言いますが、あれは「山の向こうから」帰ってくるんだという考え方があるらしい。それを大人になって知ったときに、祖母が言っていた、連れにくるというのは、そういうことだったのかと思いました。柳田国男の本に「先祖の話」というものがあります。昭和20年に書かれたもので、この『盆まねき』に出てくる戦争の時代とも重なりますが、日本人の死生観について、柳田なりに捉えたものです。どういうことが書いてあるかというと、二つ特徴があって、一つは、個人の霊というのは、やがて忘れられていくけれど、個性を捨てて、融合して一つの霊になるというもの。もう一つは、死者の世界と、生者の世界が、すごく近くにあって、互いに行き来しているというもの。どちらもこの『盆まねき』の内容に重なると思いました。
 いわゆる「あの世」という言葉があります。これは、地獄とも天国とも違うけど、何となく知っているようで、実はよく知らない。ひょっとしたら、自分たちのことがいちばん理解するのが難しいのかもと思います。『盆まねき』は、この日本語の世界の、この狭い島国の、我々が知っているようでよく知らない、土着の死生観を、やさしい物語のなかに溶かし込んで描いて、ある程度成功していると思いました。最後戦争とつながりますよね。祖母の実家には戦争で亡くなった方の写真などがあって、僕ぐらいは、ぎりぎり身内でそういうことがあったのかと思うけど、僕の子どもの世代になるともうわからないだろうなと思う。伝えるには新しい物語が必要で、そういう意味で、富安さんがこの作品で試みられたことを評価したい。真正面から戦争について書かなくても、不思議なお話を読んでいくうちに、いつしか自然に、そういうことがあったんだと読めるところも良いです。

ルパン:すごくいいなと思いました。どのエピソードも、とてもおもしろかったです。お盆の時に親戚が集まるのは、自分が夏休みに田舎で過ごした思い出と重なりました。なっちゃんが置いてけぼりを食う場面がありましたが、こういうの、すごく覚えがある。私はやったほうなんだけど(笑)。当時は小さい子たちがうっとうしくって。いま大人になってしまうと、年が近くなって、あまり変わらなくなって。今回読んでいたら、やられた子の悲しみというのもよくわかって、申し訳ないなあと思いながら読みました。おおばあちゃんの声は、トトロに出てくる隣のおばあちゃんの声かな、なんて想像しながらね。亡くなったしゅんすけさんの思い出をとどめておくために書いたというあとがきも、すてきだなと思います。ちょっとひっかかるのは、戦争に行って20歳ぐらいで亡くなったはずなのに、現れる時は子どもの姿なんだなっていう。あとは、子どもが読んだらどう思うかはわかりませんが、このあとがきがすごくよかった。

うさこ:どこかなつかしい匂いを感じる物語でした。自分の小さいころの体験と重なります。やわらかい感じで運ぶ物語。おじいちゃんだったり、おおばあちゃんだったり、親戚の中にこんなにほら話ができる人がいて、いいなあと思って読みました。夜の虹など情景がすごくきれいです。個人的な話ですが、去年の夏に実家の犬がなくなって、とても悲しかったんですけど、前後に虹を見ました。それで、犬が亡くなって虹をわたっていったのかと、すとんと胸に落ちるものがあったので、この物語も、それに重ねて味わうことができました。一つ一つのお話も本当にうまいし、エピソードもおもしろい。ただ、最後の「もう一つのものがたり」にはちょっと違和感がありました。お話がすごくよかっただけに、現実に引き戻されたような印象で、物語の余韻がさーっと消えてしまった。あとがきでなくて、あくまで「もう一つのものがたり」にこだわった理由には、なにか作家さんの主張があるのでしょうね。例えば、講演会やインタビューなどで裏話的に語るということも、出来たと思うんですけど。結末は野間賞の選考委員のなかでも議論になったらしいですね。

プルメリア:この作品は夏休みに一度読んで、今回また読みました。最初に読んだときは、前半の楽しい話よりも最後の話「もう一つのものがたり」が印象的に残りました。「うそと、ホラは、すこしちがう。人をだますのが、うそ。人をたのしませるのが、ホラ」。おもしろく楽しく読みました。中学年も楽しめる作品と思いましたが、カッパの玉話あたりからだんだん怖くなり、盆踊りあたりは完全に怖い世界に入っています。高学年向きかも。男の子が、なっちゃんに言う「人間は、二回死ぬ」というフレーズが心に残りました。中学年ぐらいだと理解しにくいかも。最後に「もう一つのものがたり」があることで、作品全体が最初のほのぼのとした笑いがでる内容とは異なり現実的な話に二分化されたように感じました。子どもたちにとって、戦争の物語は手に取りにくいですが、この作品のように最後に書かれていると、すっと入っていけるのではないかとも思います。

ハリネズミ:お盆の時の田舎という舞台に、ほんとうにいろいろ盛り込んでいますね。ほら話も出てくれば、死ぬこと生きることについての考察も。それを読みやすい物語に落とし込んで、違和感を感じさせないのは、この作家のうまさだと思います。月の田んぼのイメージがすごく鮮烈で印象に残りました。月は兎がいるとかお姫様がいるなんて言われることはありますが、田圃があるという話も伝承の中にあるんでしょうか。表紙や挿絵も、はっきりリアルに描いてしまわないのがいいと思いました。ただ、最後はちょっとずるいかな、と。戦争って今の子どもは身近に体験したことがないので、作家がさまざまに工夫して子どもに届けようとするわけですよね。例えばロバート・ウェストールは『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)で、ジャッキー・フレンチは『ヒットラーのむすめ』(さくまゆみこ訳 鈴木出版)で、切り口をさんざんに考えたうえで今の時代の子どもたちになんとか戦争を身近に感じてもらおうとしているわけですね。でも、この作品ではフィクションにリアルな話をくっつけてしまうという比較的安易な方法でそれをやってしまっています。富安さんはとても力のある作家なので、フィクションの中でなんとか子どもに引きつける工夫をしてもらったら、さらによかったのかなと思いました。現状ではフィクションの本編より、本来おまけであるはずの「もうひとつの物語」のほうが強烈な印象を残してしまう。戦争を伝えたい大人たちはきっと飛びつくでしょうけど、文学的に見るとそこがもったいないなと思いました。

ルパン:私は、最後のは、てっきりあとがきだと思っていて、物語の一部だというのを、ここにきて初めて知りました。

ハリネズミ:文字の大きさがちがうので後書き風ではありますが、本文に入れたかったんだと思います。

シア:昔の日本の風景を描いていて、古い家の中のことやお盆の風景など、細かいことまでわかりやすかったです。親戚縁者で集まってお盆なんて最近はやらないから、スタンダードなお盆という見方からしても、非常に参考になる本でした。子どもたちもこういうことは知らないんじゃないかと思うので、そこをピックアップして読んであげても、おもしろいんじゃないでしょうか。表紙の絵もいいですね。読み終わってみると、すごく意味のある場面を描いているんだなということがわかりました。「そうめん」を「おそうめん」といったり、こういうていねいなところが、かわいらしいです。細かいところまでいきとどいた一冊ですね。知覧の話などは学校の授業でもやっているので、そういうことを教えるのにもいいと思います。戦争というものを教えるのに、導入としても使える本です。最後の「もう一つのものがたり」は、実体験に基づいてこの本を書いていったのだと思いますが、物語の一部かどうかというのは?

ハリネズミ:やっぱり、後書きじゃなくて、ここまでちゃんと読んでほしいという意識があるんじゃないでしょうか。後書きにすると、読まない子もいますからね。

シア:月のところのシーンで、「丸の中をのぞきこむ」というのが、イメージとしてちょっとわかりにくかったり、そういうところもほかにないわけではないですけど、全体としてはいい本だと思いました。

すあま:子供時代を思い出しながら読みました。今もこんなふうに田舎でお盆を過ごすんでしょうか。子どもが共感を持って読むのかどうかわからない。最後の「もう一つのものがたり」はなくてもいいのに、と思いました。あとがきでよかったのでは。私はこの部分に違和感があったために、読後感がよくなかったです。ここまでずっと物語の世界にいたのが、急に現実に連れ戻される感じがありました。対象年齢も雰囲気も変わるため、読み手がとまどうのではないでしょうか。ノンフィクションのようでフィクション、という本もありますが、この本の場合はノンフィクションでいいんでしょうか。

ハリネズミ:「もうひとつの物語」は、作者自身が「ほんとうのお話」と書いているの
で、ノンフィクションじゃないですか。

すあま:「もう一つのものがたり」が「あとがき」ではないなら、別に「あとがき」をつけて説明してほしかったなと思いました。

ルパン:私は「あとがき」に「もう一つのものがたり」というタイトルをつけるなんておしゃれだなと思って読んじゃったんです。

一同:ああー。

ajian:野間賞って、これが「あとがき」だったら、この部分は評価の対象には含めないですよね。でも、このエピソード込みの評価だったんじゃないですか。あるのとないのとでは全然ちがう。

ハリネズミ:これがあるから受賞したのかもしれませんよ。反戦思想がはっきりしてて
いいってことで。

すあま:そのままなっちゃんのその後の話として書いてもよかったような気もします。急に作者が出てくるから、あれ?主人公誰?という感じになりました。

ルパン:私という一人称が急に出てくるから、やっぱりあとがきなんじゃないですかね。

すあま:例えば、なっちゃんのお母さんやおばあさんの視点からのお話として書いてあったら、違和感なく読めたと思います。

ルパン:いいアイディアですね。

シア:この部分、冒頭で「さいごにほんとうのお話を一つ」という一文があるのが、やや興ざめです。これまでは、じゃあウソだったの?という。

すあま:たしかに…物語の中でなっちゃんが、何度も「本当の話なの?」って聞いているから、なおさらそう思いますよね。

ハリネズミ:「さいごにもう一つほんとうの話を」だったらよかったかもね。

プルメリア:たしかに子どもが読んだときどうかなというのは、ありますね。

すあま:やはり、あとがきにしたほうがすっきりするかも。そうすれば読む子は読むし、読まない子は読まないと思います。

ハリネズミ:ここだけ扉のデザインをがらっと変えるなんて手もあったでしょうね。ただ富安さんか編集の人か、それはわからないけれど、やっぱりここまで読んでもらいたかったんでしょう。

三酉:これはあとがきまで読まないといかん本だろうと思いました。富安さんはそこまで読んでほしくて書いたんだと思うし。フィクションとしてはルール違反だけど、確信犯でしょう。賞をとったのも、当然これが込みだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


2012年01月 テーマ:それぞれの大切なもの

 

日付 2012年01月19日
参加者 プルメリア、 シア、すあま、ハリネズミ、ajian、ルパン、うさこ、三酉
テーマ それぞれの大切なもの

読んだ本:

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