月: 2016年6月

2016年06月 テーマ:日常から生まれるドラマ

日付 2016年6月17日
参加者 アカザ、アンヌ、スナフキン、西山、花散里、ハリネズミ、ハル、マリ
ンゴ、ルパン、レジーナ、レン
テーマ 日常から生まれるドラマ

読んだ本:

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あの花火は消えない

マリンゴ: まず装丁がすばらしいですね。丹地さんのイラストも美しいし。本文は、描写がとてもきれいで、風景を想像しながら読みました。だからとても印象はいいのですが、少しだけ違和感を覚えたのは、一人称だというところ。主人公の女の子は、今の発達障碍の区分だとボーダーラインにある子かと思うので、見えている風景がもう少し違うのではないかと感じました。何かが目についたら、そのことしか考えられない、とか。非常に整った抑制された描写なので、少し気になって……。物語の途中で、ああ、これは大人になってから振り返ったものなのだ、とわかるので、なるほどとは思うのですけれど。

スナフキン:このおばあちゃんや自然がいきいきと色彩豊かに描いているのが魅力。おばあちゃんの声を、せんべいに例えていておもしろいと思いました。思い込みがはげしい透子がお母さんのことを祈る場面は切なかった。とてもおもしろく読みました。透子はぱんちゃんを気に入ってるけど、なぜ気に入ったのかをもっと書いた方がいいのでは。

西山:マリンゴさんがおっしゃったのと、全く同じことを言おうと思ってました。初めて読んだ時から、こういう子は、こういう風に考えてこういう風に話すのかな、と思ってしまったんです。長崎に連れて行ってしまうのはひどい。ぱんちゃんのような人をサポートしてきた人が、そんなに簡単に環境を変えるかな。ドラマを盛り上げるためだとしたら、作中に理不尽なことを持ち込むのは違うと思う。美しくしちゃっているところがひっかかってます。

レン:若狭の海辺の町の情景に引き込まれて一気に読みました。人それぞれの人生があるんだな、自分とは違うけど、それぞれに苦しみつつなんとかかんとか生きているんだな、というのを最後に感じられるのがいい。ぱんちゃんみたいな人のことは、身近にそのような人がいないと知る機会がないから、こんなふうに作品の中で出会うのは大切だと思いました。

レジーナ:発達障碍の傾向のある主人公が、友だちとトラブルになったり、周囲になじめなかったりするところにリアリティがあります。風景の描写もきれいですね。私がいちばん気になったのは、ぱんちゃんの描き方です。知的障碍のあるぱんちゃんは、無垢で純粋な存在として描かれているのですが、人間にはもっといろんな面があるし、欠点もあってこそ人間の魅力だと思うんですよね。しかも最後で、唐突に死んでしまうので、主人公の成長にとって必要なだけの存在になってしまっているように感じました。でも気になるところはあっても、どこか心に残る本です。一人称で描くことの難しさについては、自分では気づかなかったので、なるほどと思いました。

花散里:高学年の子どもたちが読むときに、チャボが生き返ったように書かれていたりして、リアルな箇所と空想的な部分が混在しているようで分かりにくいように感じました。父親との関係も、祖父母に預けることになった経緯は分かりますが、父親の会話などが気にかかりました。主人公や家族が障碍を持った人を描いた作品が、昨年も多く出ましたが、この作品には腑に落ちない点も多く、どのように子どもたちに薦めていったら良いのかと感じました。

アカザ:私は、発達障碍がある子どもの話とは、まったく考えずに読みました。だから、目くばせしている友だちを、いきなりビート板でなぐったりするのは嫌だなあと思ったし、おばあちゃんがそんな孫のことを、おまえは悪くないという場面も、そんなに甘やかしていいのかと不愉快になりました。読み方、まちがっていたのかな? ぱんちゃんも、どうして死ななきゃいけないのかしら? うまく言えないけれど、物語の展開のために、特にこういう障碍のある人たちを死なせてしまう話って、あまり好感が持てないんですよね。今回のほかの2冊は1度読んだだけで「いいな!」と思ったのですが、この本はよくわからなくて、読み返したんです。でも、やっぱり何をいいたかったのか分からない。回想の中の風景を、抒情的に書きたかっただけじゃないのかと……。

ルパン:私は、これは傑作だと思いました。一人称がすごく効いています。一人称でなければ、宇宙人を呼ぶシーンなどリアリティが出せないと思います。おこづかいでチャボを買ってあげる友だちも、それを生き返ったのだと信じる主人公もいとしく感じました。ぱんちゃんが死んだところもせつなく読みました。父親は、「ぱんちゃんは生き返らない」と言ってやったとき、初めて父親らしいことをしたのだな、と思いました。ハッピーエンドではないけれど、とても心に残る物語でした。

アンヌ:とても魅力的な作品で、何度も読み返してしまいました。表紙も、挿絵も素晴らしく、特にp23。一瞬の驚きと恐怖と音がうまく描かれていると思いました。主人公の繊細な感覚や世界に感じている違和感が、てんぷらの皮やおそばのだしの濃さで描かれていて、食べ物の描写の場面がとても好きです。主人公が、誰もが好きな賑やかで砂がくっつく砂浜が嫌いだけれど、水と戯れられる磯遊びは好きと描かれていて、夏の魅力とともに主人公の感覚がわかっていく感じも素晴らしいと思いました。暴力に走る場面でも、心の中にあるスイッチが入り暴力を振るう、その瞬間の喜びが見事に描かれています。けれども、暴力を受けた側については描かれていない。主人公が落ち込んだ姿はあっても相手への思いやりがないので、この主人公への共感が生まれにくいと感じました。主人公は、最終的に、学校へ通えないまま成長していき、おばあさんの言うように「人の心をいやすため」ではなく、自分のために絵を描き続けています。作者は、こういう主人公を描くことによって、普通の人間でなくても、それでも生きて行っていいのだと伝えたいのではないかと思います。

ハリネズミ:私は、一人称で書いていいんじゃないかと思いました。一人称だから、主人公が発達障碍だったとしても、それをはっきりさせなくてすむし。でも私はこの子が発達障碍だとは思いませんでした。このくらいの年齢って、普通でも感情の揺れによってこれくらいのことはあると思います。それに、ぱんちゃんが添え物だとも思いませんでした。愛される存在として書かれていますからね。ただ見守りが必要なのに一人で長崎に行くことになったところは、あれっと思いましたけどね。おばあちゃんは普段一緒に住んでいないし、この子のことを心配しているのでかばう気持ちが強いのは仕方がないです。いちばん気になったのは、チャボの替え玉にぱんちゃんもとこちゃんも気づかないところです。特にぱんちゃんは、とても気に入ってかわいがっているんだから、違う鳥だってわかるでしょうに。とこちゃんだって、これだけ感受性が強い子だったら、わかるはず。そこはリアリティがないな、と思いました。

花散里:チャボが生き返ったと子どもが信じているような表現は、私もどうかと思いました。

レン:この年齢で、死んだ生き物が生き返るとは普通は思っていないだろうから、これは「信じたい」ということなんだろうと、私は読みました。

ハリネズミ:だったら、一人称なんだから、信じたいという気持ちを書けばいいんじゃないかな。

ハル:一人称か三人称か、どっちがよかったということではないんですが、読んでいる途中で「あれ、最初から一人称だっけ?」とちょっとつっかかったので、気にはなりました。回想なので仕方ないんですけど、当時のとこちゃんとの精神年齢的な乖離があるからでしょうか。装丁も表現も、風景や色の「とうめいみどり」とか、とてもきれいで、美しい本だなぁと思いました。でも、やっぱり、ぱんちゃんを死なせないでほしかった。長崎に連れていかれたところでも、いつの時代の話?とは思いましたけど、あそこでとこちゃんと別れさせただけじゃだめだったのかな。でも、とこちゃんに「大丈夫や」って、「だからもう、呼びもどさんでもええのや」って言わせなきゃいけないから、この設定は仕方ないのかなとも思いますが……。

花散里:おばあさんの手紙も気にかかりました。児童文学はそのように終わらせなくても良いのではないかと感じました。

レン:でも、回想で書いていることで、希望があるのでは? 今は平坦ではない道も、いつかは切り拓いていけるという。ぱんちゃんが来るのは、この子が来る前から決まっていたことだから、そんなに不自然な感じはしませんでした。

西山:回想形式に私はもともと懐疑的です。叙情と切り離した回想はあまりない。どんなに大変なことも、回想の額縁の中で語れば、喉元過ぎればすべてよしとなってしまう。重松清がそう。どんなに凄惨な暴力を書いても、なんでもオッケーにしてしまう。この作者の持っている叙情性がどうも気にかかります。好みの問題と言ってしまえばそれまでですが。口の感覚の鋭敏さとか、一人称で書くしかないとは思うのですが……。

アンヌ:回想として語ってはいますが、主人公は「今」でも人との関係を築けるようにはなっていません。まだ、何も解決しているわけではないけれど、この子は世界に美しさを感じ、絵を描き、生きている。そのことが重要な気がします。この本を必要とする人の手に、ぜひ手渡してほしい本だと思います。

(2016年6月の言いたい放題)


いのちのパレード

アンヌ:ふた昔前の少女漫画のようなイメージでした。妊娠、カンパ、転校。ただ、違うのは現代なので、性教育の授業を男女一緒に受ける場面があり、妊娠と出産の重要性がここで書かれていること。さらに主人公の母親が産婦人科の看護婦ということで、出産と死産についても描かれています。また、心療内科の医師も、セナと倫に別れる必要は全然ないと言い、不要な罪悪感を取り除こうとしている点も目新しい。でも、全体に、女性に対して厳しい視点で書かれすぎている気がしました。死産や堕胎に対し、死は死として受け入れ生き直せと言うのではなく、ずっと背負って生きろと言われているようで、少女に対して懲罰的な気がします。気になったのは、倫という男の子の描き方。普通、大切な女の子を家庭内暴力で隔離されている兄と暮らす家に連れ込むでしょうか? 避妊もしないこんな男の子に愛を語る資格はないと思うのですが……。

ルパン:残念ながら私は合わなかったようです。語りすぎている感があったり、今どきすぎる言葉づかいなどに好感がもてないまま終わってしまいました。

アカザ:私はとても好きな作品でした。文章もユーモアがあって、力強いし、中高生にぜひ読んでもらいたいなと思いました。いろいろな登場人物の目から書いているのも、成功している。こういう書き方だと、誰が誰だか途中で分からなくなることがあるけれど、それぞれの性格や、家庭の事情がはっきり書けているので、そういう心配もなかったし。女の子だけに背負わせているとか、女性蔑視だとか、そういう感じはしなかったですね。倫もセナも、これまでのことを背負って生きていくのだろうと、最後のところで思いました。表面には出ないけれど、さまざまな事情を、さまざまなやり方で背負って生きている中高生は大勢いるでしょうし、親にはいわなくても身近にいると思うので、十代の読者の心に届く作品だと思いました。

花散里:構成がとても良いと思いました。八束さんの作品が好きで、この本も出版されてすぐに読みました。作者が『ちいさなちいさなベビー服』(新日本出版社)も出されましたので、その本を読んでから、今回また2度目に読んで感想が違ったように感じました。セナが妊娠してしまったところとか、腑に落ちないところもありましたが、全体として好きな作品です。『いのちのパレード』というタイトルは少し気になりました。『子どもの本棚』(2016.3)の「複眼書評」でも取り上げています。中学生が自分の問題として読める作品ではないでしょうか。これまでの八束さんの作品とつながる1冊だと思います。

レジーナ:「命」というテーマをいろんな視点から上手に描いていて、おもしろく読みました。ただ、複数の視点から描くと、どうしても印象が薄くなるように思います。日本ではまだ少ないですが、海外では十代の妊娠を描いたヤングアダルトはいろいろと出ていますよね。この本に出てくるセナは、母親に問題はあっても、家庭としては一応機能しています。今、公衆トイレで出産した、という話もニュースで聞きますが、そこまでいかなくても、だれにも気づいてもらえず、だれのサポートも受けられない、ぎりぎりの状況で子どもを産むということもあると思います。この本は安全ネットの上を描いているので、そうではない状況も、日本の児童文学の中でもっと描かれていくといいのではないでしょうか。

レン:とてもおもしろく読みました。今の中高生が読んで、すっと入っていけそうな会話がうまいなあと。それぞれの心情がよく伝わってきます。以前、『学校では教えない性教育の本』(ちくまプリマー新書)の著者で産婦人科医の河野美香先生の講演を聞いたことがあるんですけど、女子中高校生は、大人が思っているよりずっと多くを経験していて、望まない妊娠もあとをたたないと。だから、こういう問題はとても身近なことだと思います。まわりの家庭を見ていると、高校生が妊娠してしまったとき、自分もそれに近いことを経験している親だとそれほど動じず、まあ仕方ないと受け入れやすいようですが、セナみたいに、いい大学に行って、いい会社に入って、みたいに親が思っている家庭の子はより大変な状況に追い込まれるようです。だから、こんなふうに悩まないといけない。ラストの、修学旅行のシーンがいいなあと思いました。たまたま同じ班になった同士が、新しい関係を何げなく結んでいくようすが、生きることを励ましてくれるようで。

西山:八束澄子は好きだし、おお、デモの話か?と勘違いしてすぐ読んだんですけど、今回読み返す時間がなくて、すみません。怖いほど、思い出せない。

スナフキン:倫君はとんでもない男だと思います。セナの中絶の決意も描いてほしかった。あえて群像にした意味は? 群像にしている理由をあまり感じられませんでした。

マリンゴ:冒頭の、セナの告白が本人のセリフではなく、万里のリアクションのみで語られているところ、盛り上がりに欠けるなと思いました。でも、徐々にそれは意図的なものであることに気づきました。いのちと死を淡々と重ねていく手法によって、生きること死ぬことを、特別視せず、誰にでもどこにでもあたりまえにあるものであることを見せているのだなぁ、と。そのスタンスにとても共感しました。セナが出産しない選択をすることで、がむしゃらにいのちを讃美しないことを示し、でも、別の章でいのちの大切さを伝える……とてもバランスいいと思いました。ただ、読後しばらくすると本の印象がちょっと薄れてしまったかも。視点が次々変わる構成のせいかしら……。

ハル:この本の中に登場する性教育の授業のような、子どもの立場を理解して幸せを願うというスタンスで書かれた、とてもいい本だと思います。表紙はどうなんでしょう。大人が見れば良い絵だと思いますが、今の中学生にとっては? 興味深いテーマだと思いますし、もうちょっと気軽に手に取れそうな……アニメっぽい表紙がいいとは言いませんが、せっかくなので、手をのばすきっかけになるように、中学生の好みに寄せても良かったのかも?とも思います。難しいところですが。

ハリネズミ:私はとてもおもしろく読みました。出てくる家族がどれもぎくしゃくしていて、ステレオタイプではないのもいいですね。生後4日目で亡くなった昴のまわりを家族が取り囲んで、似ているところをさがす場面も、いいですね。そこだけじゃなく、全体に様々な人の思いや心情がうまく書けていると思いました。セナが決心するに至るまでの心の動きが書かれていないという意見が出ましたが、それはセナたちの気持ちがどうであろうと親が無理矢理動いてしまった結果なので、書けないと思います。同年齢だけで悩むのではなく年代的な広がりもあります。美月先生が、「人間はそんなに弱くない」というメッセージを伝えているのも、自然に書かれているので伝わります。最後のパレードの夢も私は好きです。個々の人間が孤立しているのではなく、みんな一緒にパレードしている場面を著者は書きたかったんだと思います。

花散里:『糸子の体重計』(いとうみく作 童心社)とか、こういう章立ては今の子どもたちには読みやすいと思います。お母さんも自分のことを語っています。それをセナに語るという筋立てもうまいと思います。登場人物の名前の付け方も良いなと感じました。倫君の想いがセナの心の中に残っているところも。希望を持たせる読後感が爽やかだと思います。中高生が、「読んでよかった」と思える本ではないでしょうか。いろいろな家庭がありますが、この本に共感する子は多いのではないかと感じました。

アカザ:亡くなっていく赤ちゃんが多いなか、美月先生の授業のときに後ろでお母さんに抱かれていた赤ちゃんの描写が、とてもいいですね。命そのものが輝いているようにキラキラしていて、感動しました。

西山:うーん、母と娘の確執がおもしろかったというのは、思い出しました。章ごとに語り手や、視点人物を変えてそれを重ねていく作りは今、本当に多いんです。先月も言ったかもしれませんけど、人が変わっても語り口や考えが同じだったり……。この本じゃなくて一般的には、それが必ずしもうまくいっていないところに、問題を感じてます。

(2016年6月の言いたい放題)


ぼくたちに翼があったころ〜コルチャック先生と107人の子どもたち

レン:志の高い本だと思いました。「こういうことを知らせたい」というのがある意欲的な作品。ただ、このタイトルはどうなのかなと思いました。足を悪くして盗みをできなくなった主人公がだんだんと変わっていくさまがおもしろいのだけれど、このタイトルだと、最初からすばらしいコルチャック先生ありきな感じがして、よい子の本っぽく見えてしまい、手にとる読者の幅を狭めてしまわないかと思いました。文章はところどころ読みにくいところがありました。「ねつ造」とか「えん罪」とか「みかじめ料」といった語も難しいなと。新聞記者志望だからかもしれないけれど、どこか唐突な感がありました。

西山:コルチャック先生というと、子どもたちと絶滅収容所で死んでいったという最期のエピソードしか知らなかったので、とても新鮮に読みました。失われたものの大きさが身にしみます。いかに豊かな生が断たれたのか。物語がどこまで書いているのかなんの情報もないまま読み進めていたので、ほんとにドキドキしながら読みました。最期の部分まで行かなかったら、その後どうなったかは、あとがきで書いてくれるだろうなとは思っていました。「戦争児童文学」で、いかに生きたかを書くことの大切さを改めて思い知らされた気がします。言葉の難しさの件ですが、「新聞派」の「記者」の言葉だから、いいんじゃないでしょうか。ごつごつしてるとは思わなかったけれど、でも、読者に理解が難しいような言葉が投げ出しっぱなしだとしたら、ほかにやりようがあったかもしれないとは思います。

スナフキン:主人公の設定からして、もっと反発する方が自然なのではと思いました。タイトルは良書感あっていいけれど、内容とはちょっと違うような……。

マリンゴ: 今回の3冊のなかでいちばん好きです。1章が短くて、負荷なく読めるところがいい。主人公が“生まれ変わった”あとの部分は、「人間が成長するためには」的なHOW TO本を読んでいるように思えてしまうところも若干ありましたけれど。物語の閉じ方(主人公はパレスチナに行き救われる)と、あとがき(コルチャック先生の不幸な末路の現実)のバランスがとてもいいと思いました。ただ、裁判を受けるシーンで、写真家くんの強い意志で裁判になったわりに、終わった後、写真家くんのリアクションが描かれていないのが気になりました。

ハル:私は、鈍感にも読んでいる途中にハッとタイトルの意味に気づいて、「翼がもがれてしまうところまで物語は進んでいくのかな、どうなるのかな」と途中からハラハラしながら読みました。主人公の少年ヤネクの成長に従って、だんだん言葉づかいも大人っぽくなっていきますよね。そのせいか、ヤネクに寄り添うような目線というか、不思議な立ち位置で読めた本でした。

ハリネズミ:コルチャック先生の、子どもの家での一面を知るという意味では、おもしろく読みました。ただ、翻訳が和訳調で、特に会話に生き生きした勢いがないのが気になりました。それと、もう少し適切に訳してほしいところがありました。たとえばp 204の「それきりでその警官のことは忘れられ」なんていうところですね。ヤネクがベイリスのことを調べていて、ジニアという少年に想いを寄せていくところとか、最後の場面なんか、いいところはたくさんあるんですけどね。ヤネクのお姉さんに対する感情のぶれとか、迷いなど微妙なところがあまりうまく訳せていないので、この子のリアリティが迫ってこない。そこをもう少しうまく訳せれば、もっとよかったですね。

アンヌ:映画になったことは知っていましたが、本で読むのは初めてです。作者はとにかく、この「孤児の家」について描きたかったのだと思います。子どもたちだけで運営される家と聞いて、なんとなくソ連時代の児童文学を思い浮かべていたら、カメラ泥棒の騒ぎの時のロージーの態度が、その頃のソ連や中国の児童文学作品の中の子どもたちのドグマティックな言動のようで、ぞっとしました。ところが、この孤児の家は、規則や言葉で縛られているのではなく、コルチャック先生の愛情で隅々まで目を配られて運営されている。その事が、コルチャック先生の爪切りの場面とか、告発の掲示板での猶予期間の長さのわけとかで、うまく描かれていると思いました。だから逆に、主人公のヤネクの人物造形や物語がうまくいっていない気もします。実家を訪ねないことや、姉の病気を聞いても見舞いに行こうとしないこととか、釈然としない感じでした。翻訳で、ヤネクのセリフが奇妙に大人びているのも気になりました。例えば、p 36のセリフ「大人は、昔は自分だって子どもだったのを、忘れちゃったんだろうか?」。これは思わず口走った言葉だから、もうちょっと単純な言い方じゃないと次のお姉さんの言葉につながらない気がしました。

ルパン:不勉強のためコルチャック先生について知りませんでした。実在の方なのですね。とても魅力的ですばらしい人物だと思います。女の子を棚に乗せて泣かせるところだけ、ちょっとなあ……と思いましたが。良い物語だと思いますが、文章はあちこち気になりました。p 54「ばれちゃったか、というふうに照れ笑いをした」とありますが、一人称のお話ですよね。「というふうに」というのは誰の目線なのでしょう。それから、p 69「とくに、貧しいと、裕福な人たちみたいにいいチャンスに恵まれないわ」のようなところ。大人が読めば文脈でわかるのでしょうが、私は子どものころこういう文に行きあたると「裕福なひとたちはチャンスに恵まれない」のか、「貧しいとチャンスに恵まれない」のか、どちらなんだろう、と考え込んでしまったものでした。ほかにもところどころ内容というよりは文章でひっかかるところがありました。テーマもストーリーもなかなか良いので残念です。

アカザ:ルパンさんにうかがいたいのですが、こういう本を子どもたちに手渡すとき、予備知識は与えないものなのですか?

ルパン:ふつうに手渡すときには、読む前に予備知識を入れる、ということは、基本的にはしないですね。ブックトークの時間であればやりますけど。

アカザ:知識があるかないかで感想も変わってくるのかもしれませんね。わたしもコルチャック先生が子どものための施設を作っていて、子どもたちが強制収容所に送られるときに、猶予の書類があったのに自分もいっしょに行ったということは漠然と知っていましたが、収容所に送られる前のことは全く知らなかったので、読んで良かったと心から思いました。事実に基づいて書かれているのだと思いますが、主人公は作者が創りだした少年なんですね。そのために、主人公の少年だけではなく、コルチャック先生もふくめて登場する人たちの心の奥底までしっかりと描けていて、とても良いと思いました。ノンフィクションで書いたら、もっとよそよそしくなるのでは? ただ、みなさんがおっしゃるように、翻訳はもっとどうにかならなかったのかと、歯がゆい感じで読みました。冒頭の主人公は、相当な悪ガキなのに自分を「ぼく」と呼んでいて、あんまり悪くなりきれていないようだし、後半は会話が説明文を読んでいるようで……。せっかくの素晴らしい本なのですから、もっと丁寧な本作りをしてくれないと、もったいない!

花散里:『子どもと読書』(2016.1・2月号)の「新刊紹介」の原稿で、「姉さんに入れられた孤児院で体罰を受け」という紹介文を読んで、“姉さんに孤児院に入れられた”ということが気になって、読んでみたいと思いました。「かけこみ所」と呼ばれる孤児院だったことが読んで分かりましたが……。作者、タミ・シェム=トヴの『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』(母袋夏生訳 岩波書店)を以前に読みましたが、とても心に残る1冊でした。本書の訳者は高校の時に外国に渡ったようですが、日本語の表現については、分かりにくいところが多かったように感じました。対象は中学生以上だと思いますが、原作をしっかりと読者に手渡してほしいと思いました。コルチャック先生について知るためにも、この物語が読めて良かったですが……。

レン:福音館のホームページでは対象は対象は小学校高学年以上になってます。

レジーナ:6年前明治大学で、国際コルチャック会議があったとき、コルチャック先生が子どもたちに「きみは何になりたいのか? 人間になりたいのか?」と問いかけた、という話を聞きました。コルチャック先生の本は日本でもいろいろと出ていますが、この本は、孤児院の子どもたちが収容所に送られる前の幸せな時代を描いているのがおもしろいと思いました。悪いことをした子どもがいたら、子どもたちが民主的に裁き、大人は子どもの自主性に任せ、信頼し見守ります。そうした環境の中で、ヤネクは人を信じることを学んでいきます。困難な時代にあっても、子どもをひとりの人間として尊重する、そんな場所があったのだとあらためて思いました。4年前ミュンヘン国際児童図書館で、『ブルムカの日記』(イヴォナ・フミェレフスカ作 田村和子・松方路子訳 石風社)の展示を見ました。作者のフミェレフスカさんはいろいろと調べた上で、煙草を吸っているコルチャック先生や、先生のベッドの下におかれたお酒の瓶を本の中で描いています。『ぼくたちに翼があったころ』でも、コルチャック先生は聖人ではなく、ひとりの人間として描かれています。装画とタイトルがすてきな本ですね。訳文はところどころ気になりました。

西山:けさ、「元少年」の死刑判決が出たけれど、更生を期して少年法で守られる必要がなくなったから、実名報道にしました、とかテレビで言っていて、この本を読んだばかりのところだったから、比べて、なんなんだこの国は、と暗澹たる気分になりました。人としてこれだけ手厚く育てようとしていることと比べて、24歳の若者を、もう良くならないから、殺すことにするって……。

(2016年6月の言いたい放題)


雨宮処凜『14歳からの戦争のリアル』

14歳からの戦争のリアル

『14歳からの戦争のリアル』をおすすめします。

戦争って、これまでは無関心でも生きてこられたけど、もうそういうわけにはいかなくなってきた。そう私は感じている。愚かな政治家と、私を含めだまされやすい民のせいで、「戦争をしない」という先人の決断がペケにされようとしているからだ。

戦争はいけないと呪文のように言われて育ってきたものの、「学校で習う『戦争』の話は、ひたすらに暗く、怖く、そして時に説教臭かった。『平和な時代』に生まれたことを、なんだか責められているような気になった」と著者は書く。

でも、戦争って、ほんとうはどんなものなのか? 誰が死んで誰が得をするのか? 著者は「戦争」に深くかかわった人たちにインタビューして疑問をぶつけ、リアルに迫ろうとする。

インタビューに登場するのは、イラク戦争に米海兵隊員として従軍したロス・カプーティさん、太平洋戦争でトラック島に攻め込んだ金子兜太さん、イラクでボランティアを続ける高遠菜穂子さん、戦争解決請負人と呼ばれる伊勢崎賢治さん、戦場出稼ぎ労働者からジャーナリストになった安田純平さん(今シリアで拘束されていますね)、徴兵拒否してフランスに亡命した韓国人のイ・イェダさん、元自衛官の泥憲和さん、女優として戦地を慰問した体験を持つ赤木春恵さんの8人。最前線で戦争を体験したこの8人の話からは、図式的ではないそれぞれの戦争現場でのリアルが浮かび上がってくる。

先日私はフォト・ジャーナリストとして世界各地の戦場を経験している高橋邦典さんの話を聞いた。彼も、「戦場の死体の匂いは、いったん知ると遠くにいても風向きしだいでわかるようになってしまう。戦争はぜったいに嫌だと思うようになる」と語っていた。

政治家や学者とは違って、生身で戦争のリアルと向き合い、そしてなんとか生き残った(安田さんにも生きて帰ってきてほしい)人たちの話は、ふだんメディアには流れない。とんでもないことになってしまう前に、読んで考えてみない?

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年6月13日号掲載)