月: 2016年12月

アン・M・マーティン『レイン』表紙

レイン〜雨を抱きしめて

『レイン〜雨を抱きしめて』をおすすめします

父親と暮らす5年生のローズは、高機能自閉症と診断され、周囲にうまく適応できない。拾ってきた犬のレインが友だちだが、ハリケーンで行方不明に。必死の捜索で見つかった後のローズの行動が、周りの状況を変えていく。

自分がほかの大勢とはどこか違うと感じている子どもたちに、元気をくれる本。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年12月24日掲載)


2016年12月 テーマ:遅ればせながら魔女

日付 2016年12月22日
参加者 アカシア、あさひ、アンヌ、げた、西山、ピラカンサ、ネズミ、ノン
ノン、マリンゴ、よもぎ、レジーナ、(くまざさ)
テーマ 遅ればせながら魔女

読んだ本:

(さらに…)

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王様に恋した魔女

西山:おもしろく読みました。調べもしてないのですが、これって、どこかに連載していたものを集めたのかしら。基本設定を繰り返したり、文体が不統一だったり・・・・・・。メモでも取りながら読めば、それぞれの物語がどう絡んでいるかがもっとはっきりしてもっとおもしろいのかもと思っています。さらさら普通に頁を繰っていくと、どこの誰だったかということは混ざっていって思い出せない。柏葉さんは、このタイプの、西欧中世的異世界のファンタジーを時々お書きになっていると思うのですが、私は、現代日本がベースとなっているファンタジーが柏葉作品の中心と理解しています。今日のテキストの中で魔女の歴史性を踏まえているのはこの作品。血でつながらない家族の有り様(p26)は、『岬のマヨイガ』(講談社)も思い出させて、柏葉さんのテーマの1つなんだろうと思います。でも、魔女の魔法の力は血で継がれるので、魔女は、血縁の抗いがたさと、そこからの解放を考えさせる絶妙の存在なのかもしれません。「カッコウの卵」の「竜まきの姫君」好きでした。(追記:「ラ・モネッタちゃん」を思い出しました。)

マリンゴ:とてもよかったです。『岬のマヨイガ』は、ストーリーがてんこ盛りだったのに対して、こちらは抑制されたトーンで、少ない言葉でたくさんのことを描いていて、正直、こちらの作品のほうが好きでした。大人向けの短編連作集のような作り方で、子どもに対して遠慮がないので、読む子たちは新鮮に感じるのではないでしょうか? ただ、最後の2編が「ですます調」になっていることに違和感がありました。世界観も違うので、これは省いて別の本に収録すればよかったのに、という気が。あと、説明の重複が多いですね。子供へのわかりやすさのためにわざとやっているのか、別々の時期に書いた短編をまとめたときに重複が生じたのか、わからないのですが。あと、どうでもいい余談ですが、74ページのイラスト、「真珠色の豊かな髪」という文章から想像する髪の毛とまったく違って(笑)。こんなソバージュっぽくはないかな、と思いました。

げた:魔女ってなんだって、あんまり考えたことなかったんですね。魔女って、歴史的にみれば、ものすごく能力のある女性が男性社会にいいように使われて、都合が悪くなったら、魔女狩りと称して抹殺される、そんな悲劇的な存在・・・だった。そういうことだったのかと今更ながらわかったような気がしました。新鮮な感じではありましたね。この魔女話集はどれも悲しいものばっかりですよね。私は基本的に楽しいお話が好きなんですけど、終わりの3つが、ハッピーエンド的で比較的楽しめるお話で終わってよかったかな。

ピラカンサ:お話はおもしろく読んだんですが、どこか落ち着かない気持ちになるのは、実際の魔女をめぐる歴史との齟齬があるからかもしれません。魔女狩りの時代は、「魔女」というレッテルを貼られた「普通」の女性が逮捕されたり処刑されたりしていた。でも、この作品では、かなり強い魔法を使える魔女が権力者につかまるのを恐れて隠れたりしている。子どもの読者が読んだら、びくびく隠れてないで魔法でなんとかすればいいんじゃないの、と思うんじゃないかな。佐竹さんの絵は素敵ですが、表紙の右上にあるネコだけコミカルに描かれていて、ちょっと笑えました。

あさひ:柏葉幸子の作品は、『霧のむこうのふしぎな町』(講談社)をはじめ何冊か読んでいて、どれも好きでした。今回、久しぶりに読むということで、楽しみにしていました。1章ごとに、お話がそれぞれバラバラで、これらがどう1つにまとまるのか、つながるのか、と期待して読んでいったら……最後までそのままで、拍子抜けしてしまいました。まさか、短編集とは……。全体で1つの物語になると思っていたので、個別のお話ごとに繰り返される、背景、状況の説明を、少しくどいかなと感じながら読みました。でも、物語の世界観や1つ1つのお話は、とてもおもしろかったです。なので、余計に、1つの物語としてつながった作品を読んでみたいと思いました。個人的には、このように、魔女狩りを設定にいかしている作品を他に読んだことがなかったのですが、子どもがどう受け取るかなどは気になりました。歴史を知らなかったら、魔女狩り自体が物語の世界のこと、と思ってしまう子もいるのでは?
先ほどお話があった、魔女という設定に関しては、個人的にはいろんな意味を持たせて描かなくてもいいのかなとは思っています。不思議な能力がある存在というだけで、物語に登場してもよいのではと思います。

ノンノン:読み応えというところで、もう一歩踏み込んでほしい印象でした。自分が編集担当だったら、読者が読み終わって、「短編が鎖のようにつながり『ああ! なるほど!』とすとんと落ちるようにつなげてください」とお願いするかも。そうすると、何度も読みたくなる作品に仕上がると思うので。文章がとても上手いと思ったんですが、少し書き足りてないところがあるのかも? 何回か戻らねば分からないというのが何か所かありました。あと、せっかくこの世界観で、佐竹美保さんの美しい絵でまとめていくのなら、短編すべてを淡々とした常体でまとめてもよかったのではと思いました。説明の重複も削ってもよかったかも? この本は魔女の話ですが、女性の気持ちも描かれているので、全編、わかりやすい形で掘り下げられたらすてきかな。本書のなかではシルバの話が好きでした。最後にお嫁にいくかどうかのシーンで「私を認めてくださった 好きになれる」というセリフ、すごくよかったです。小学生の自分の価値を認められていないと感じている子どもにすごく響くのではと思いました。あと蛇足ですが、たくさん姫君がいて嫁に出す話がありましたけど、息子いないのに全員嫁に出して跡継ぎどうする?と思いました(笑)。佐竹さんの絵も好きなんですが、想像したのと違う表情・しぐさの絵があって…。石工の奥さんのプラチナブロンドの長い髪がちりちりに描かれているところとか、あーん、違う〜と思いました(笑)。やっぱりさらさらヘアじゃないと、金髪は女子の憧れなので。

アンヌ:今回の作品の中では一番好きです。ロシアの怪談や民話から題材をとった短編集『魔女物語』(テッフィ著 群像社)を思い出しました。この物語の向こうにも日本の古典の物語が見えてくる気がします。「カッコウの卵」「魔女の縁談」の竜まきの姫君には、『虫めづる姫君』を思い出しました。もしこれを読んだ子どもが大きくなって『堤中納言物語』や『とりかえばや』『宇津保物語』などを学校で習った時、何か共通するものを感じるといいなと思います。私は魔法戦争が出てくる話が嫌いなのですが、この物語では実際に戦争で戦う場面はありません。いかにそれを避けて生きるかという話の方が多い。杖殿の説明が毎回あるのも、昔話の始まりのような繰り返しの心地よさを感じます。私は魔女について考えるのがとても好きで、それは同時にミソジニーとか異端であることについて考えていくことになると思っています。「ポイズン・カップ」の母も、弟を眠らせたら城主となることも可能だったろうに、女装して魔女のふりをして暮らす。闘わないことを選んだ一種の異端者のように感じます。残念なのは、最後の2つの話が魔女というより竜の話になっていったこと。この2つには違和感があります。

よもぎ:最後の2つの物語だけ敬体で書かれている点にも、違和感がありましたね。いろいろな雑誌に掲載した物語を集めたので、しかたがないのかしら? 私は、最後の2つが好きなので、こういう物語を集めた別の作品集を読みたいなと思いました。そしたら、対象年齢も、もっと低くなって、楽しい本になるんじゃないかな。物語自体は、読んでいるときは、それぞれおもしろかったし、美しいとも思いました。史実にある魔女(魔女と呼ばれた女たち)や、ジェンダーの問題も意識して書かれていると感じましたし。ただ、それぞれの話がつながっているような、いないような……。読み取れていないのかなと思って、何度も読みかえしてみたのですけれど。

ネズミ:カバーそでを読んで、1つの話だと思って読み始めたので、短編集だと認識するまでとても戸惑いました。会話の言葉遣いや、描写の美しさなど、さすがだなと思うし、女のさまざまな生き様が1編ずつに浮き彫りになるのはおもしろかったです。ただ、「名を名のらぬ魔女」がいる世界という共通点があっても、最後の2編だけ敬体になっているので、本づくりで疑問が残りました。雑誌などで発表されたお話を集めたのかなという印象を私も持って、巻末に何か書いていないかと探しました。あと、結婚とか、これからの生き方とか、この本で描かれているテーマは、小学生よりも中高校生が悩むことかなと思うと、体裁と対象年齢がずれている気がしました。四六版で、もう少し大人っぽいほうが、そういう人たちが手にとったかなと。

レジーナ:柏葉さんの本は子どもの頃大好きで、『霧のむこうのふしぎな町』(講談社)、『りんご畑の特別列車』(講談社)、『かくれ家は空の上』(講談社)など、何度読みかえしたかわかりません。この作品は短編集だからかもしれませんが、少し物足りない印象を受けました。描かれる恋愛の形もすごく古典的です。おとぎ話風に語るにしても、現代の問題への洞察があったり、『逃れの森の魔女』(ドナ・ジョー・ナポリ/著 金原瑞人・久慈美貴/共訳 青山出版社)が「ヘンゼルとグレーテル」を魔女の視点で描いているように、ジェンダー等の問題について現代の文脈で見直していたりすると、より深くなると思いました。

(2016年12月の言いたい放題)


賢女ひきいる魔法の旅は

ネズミ:私はもともとファンタジーは苦手で、ダイアナ・ウィン・ジョーンズもいつも最後まで読み進められないのですが、この本は読めました。叔母さんが賢女だと思っていたら、旅の途中からエイリーンががんばらなきゃならなくなって、どうなるのかと物語にひきこまれました。10代の読者もエイリーンを応援しながら読むのかな。でも、次々と出てくる登場人物やキャラクターが頭の中でごちゃごちゃになったので、人物紹介に絵があってよかったです。

よもぎ:わたしは、ただもうおもしろく読んでしまいました。おっしゃるように、登場人物が多いので、佐竹さんのイラストでしょっちゅう確かめていましたけれど……。エイリーンが憧れていたアイヴァー王子が、旅の途中でわがままな駄々っ子だとわかり、バカにしていたオゴのほうが頼もしく成長するというところなど、おもしろいと思いました。ただ、スコットランドらしき島から出発して、アイルランド、ウェールズらしき島を経てログラ島=イングランドに向かうという旅は、イギリスの読者にとっては楽しくても、日本の読者にはピンと来ないかもしれませんね。

アンヌ:ダイアナ・ウィン・ジョーンズは全作品読んでいますが、当たりはずれがある作家だと思います。この作品は以前に2回読んでいるはずなのに全然思い出せなくて……。たぶん、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ特有の大団円の醍醐味がないせいだと思います。彼女の作品にはいつも、様々な伏線やたくさんの登場人物について落ちがつく驚きと満足感があります。いつだったか『ファンタジーを書く: ダイアナ・ウィン・ジョーンズの回想』 (徳間書店)を読んで、彼女が写真記憶の持ち主だと知って、なるほどと思いました。今回はメモもなかったということなので、妹さんには細かい落ちまでは書き上げられなかったのだと思います。賢女の賛歌で謎を解いてワルドーの隠れ場所の噴水へ昇っていくところなど、かなり無理があるし、聖獣の存在の意味も、もう一つはっきりしていない。P.303の<お父さんは頭のてっぺんにキスをして(それで私は早くも冠を頭にいただいたお妃の気分に…)>のように意味が分かりづらい文章も多い気がします。

ピラカンサ:ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、私は苦手な作家です。自分のテイストには合わないということかもしれないけど。この作品もプロットだけのおもしろさで引っ張っていくように思えて、どうしてここでご都合主義的に風が吹くのだろうとか、アイヴァー王子がここまで排除される理由がよくわからないとか、いろいろ疑問を持ちました。ハリポタ的というか、キャラクターの厚みもあまりないし、才気あふれる作家なんでしょうけど、思いつきでプロットを推し進めていっているように思えてしまいました。

ノンノン:『ゲド戦記』とか「守り人」シリーズとか、もともとファンタジーが好きなんですが、ダイアナ・ウィン・ジョーンズは読んだことがなかったので、どんな作品を書く人なんだろうと楽しみに思って読みました。でも、これは引き込まれるところが弱かったです。文章が推敲途中なのかな? 中途半端な感じがありました。人物造形描写が甘いのかも。たとえば主人公のエイリーンは、自分はダメだと思っている割には、王子様と結婚できると思っている。変な自信があるんですよね。賢女の才能が目覚めたところも、どういう風に目覚めていくのか、自覚していくのかなどの描写が足りなくて、分かりにくかったです。島ごとの聖獣の特徴や、その存在価値、島を旅する理由なども伝わってこなかったし…。あと、途中で王子を救いにいく話はなくなって、お父さんに会いたいというところが繰り返されて、「あれ? 王子は…?」と思いました。

あさひ:登場人物たちの性格がつかみきれず、物語の途中で、この人こういう行動をとる人だっけ? とつっかかりながら読みました。ファンタジーで描かれる異世界は好きなのですが、本書では、独自の設定、ルール、詳細などが、楽しめるほど書き込めていないのかな、と思いました。主人公の恋物語の流れはおもしろかったです。

アンヌ:『魔女集会通り26番地』(偕成社)(新訳『魔女と暮らせば』《徳間書店》)とか、『グリフィンの年』(東京創元社)などは、本当におもしろくて見事なんですが。

げた:この本が読めないという方もいらっしゃって、私だけじゃないとわかってちょっと安心しました。これってロールプレイイングゲームみたいな感じでしょ? ビデオゲームって苦手なんですよ。魔女については、この本ではあんまり深く考えなくていいんじゃないかな。昔図書館で児童担当だったとき、『ハウルの動く城1 魔法使いハウルと火の悪魔(徳間書店)』を同僚におもしろいよって勧められたんですけどね、読めなくって挫折しちゃいました。今回はよまなくちゃと、メモを取りながら読んで、話の筋としてはうまく書けているのかなとは思いました。どこまでをダイアナが書いたもので、どこからアーシュラが書いたのかはよくわかりませんでした。なんとか読み切りましたけどね。結局こういうファンタジーってたいした内容はないわけですよね。勧善懲悪的で、これも、悪の権化みたいなワルドーを魔女としての才能を開花させたエイリーンが懲らしめるという、そんな冒険の過程を楽しめばいいってことかな。

マリンゴ: 私もだいぶ苦手でした(笑)。もともと、ハイファンタジーが得意ではないのですが、それでも楽しく読めるものもある中、これは厳しかったです。描写がそこそこあるのですが、イメージが湧かない。この作家さんの描写のスタイルが自分と相性よくないのかと思います。キャラクターもちょっと掴みづらくて、たとえばベック叔母さんは、みんなを引っ張っていく賢女のはずが、あんまり賢いと思えなかったり。あと、最後のほうは文章の流れがギクシャクしていて、テンポよく読めなかったのが残念でした。作者のことをくわしく知っていたり、作品の背景となったイギリスをよく知っていたりすると、また味わいが違ったのかもしれませんが。

レジーナ:私もダイアナ・ウィン・ジョーンズは苦手な作家で……。何か伝えたいことがあるとか、胸の奥底の思いに突き動かされて書いている作家ではないように思います。作って書いているというか、頭で書いているというか……。70ページで、「キンロス公(アイヴァ―王子の称号だと思われる)」と注がついています。作者が亡くなっていて、確かめようがなくてこうしたのだと思いますが、子どもが読むことを想定しているならば、この注は不要だと思いました。名前は統一した方が読みやすいです。

西山:苦手と言いつつ、みなさん読み切ってらっしゃるのに・・・・・・すみません。何日か持ち歩いたのですが、読み進められませんでした。ごめんなさい。

くまざさ(メール参加):この作品も、なんとなく流通しているイメージに安易に頼っているという点で、「楽をしている」作品だと思います。ファンタジーを描くのに、中世っぽい世界や、魔法が生きている世界っぽい道具立てを、これでもかと詰め込んでみせていますが、そのイメージを根底のところから作りあげているのではなく、あちこちから借りてきているだけで、深みも革新性もないと思いました。しかも作者の頭のなかでだけつじつまが合っていることを、それほど説明する気がないらしく、後出しじゃんけんのようにいろいろな設定が明らかになり、一々それに合わせて頭を切り替えなくてはならなかったので、そういう意味でも読者に不親切な作品だと思いました。主人公がまるで傍観者で、事件が起きても、あっさり流していくので、狂言回しとしてはこれでいいのでしょうけれど、物足りないです。たとえば、この主人公は、設定からいって海に船出するのははじめてのはずですよね。だけど、潮の香りや海に出たときの感激といったことはいっさい描かれず、ただたんたんと船内の描写などが続きます。彼女が物語を進めていくコマにしか過ぎないことがよくわかります。『アナと雪の女王』は魔法が生きている世界を描いていますが、すばらしいと思ったのは、危機一髪の時に男性の勇者があらわれて事態を収拾してしまうといった、紋切型のクライマックスをいっさい拒否して、姉妹の物語に収斂していくところです。『ズートピア』は動物たちが暮らす架空の世界を舞台に、エディ・マーフィーの『48時間』のストーリーをなぞったようなバディムービーですが、人種と偏見の問題に一歩も二歩も踏み込んでいて、作り手の志の高さを感じました。この2作品には、ファンタジー、あるいは異世界を描く意味がはっきりあります。『賢女ひきいる魔法の旅は』は、ファンタジーの皮をかぶった、あまりおもしろくないドタバタもの+自己評価が低い女の子と、実は王子さまだった男の子との、ありがちなロマンスもちょっとあるよ、といった感じで、異世界である意味もなく、モチーフは借り物か、あるものをつぎはぎにつなげた作りもの。こういうのわかるでしょ?という感じで想像力の多くの部分を、よくあるイメージにゆだねてしまっていて、残念な作品だと思います。

(2016年12月の言いたい放題)


きかせたがりやの魔女

よもぎ:今回取りあげる本が発表されたときに、「いまさら岡田淳さんの作品?」とか「いい本に決まってるのに、どうして?」という声もあったかと思いますが(笑)、やっぱり読んでよかったと思いました。特に素晴らしいと思った点を2つあげると、ひとつは学校が舞台の物語ですが、教室とか運動場のように広い場所だけでなく、踊り場とか、校庭の端にある茂みとか、隅っこにある小さな場所にスポットを当てているところです。はるか昔、小学校の図工の時間に、先生に「学校のなかの、誰も見ないような場所の絵を描きなさい」といわれて、みんな目を輝かせて階段の下とか、校舎の裏とかを探しまわったことを思いだしました。子どもって、そういう場所が好きですよね。その先生、このあいだ亡くなった、画家の堀越千秋さんのお父さんなのですが、その堀越先生も岡田淳さんも、子どもの心を良くわかっているなと思いました。もうひとつは「はずかしがりやの魔女」にあるように、この年齢の子どもが感じとれる抒情を見事に書いているところです。涙線をくすぐる感傷ではなくって……。最近、児童書に携わりたいと思っている若い人たちの話を聞くと、とかく絵本とYAにばかり興味が向いているような気がしてならないのですが、児童書の核になるのは、やはりこういった小学生向けの読み物だと思うんですよね。

ネズミ:今日みんなで話し合う3冊の中ではこれが一番すっとなじみました。小学校中学年くらいの子どもにわかりやすい、美しい言葉で書かれていて、安心して読める本だと思います。大きな話の中に、いくつものエピソードが入っているというつくりは、岡田さんの『ふしぎの時間割』(偕成社)と似ていますね(『放課後の時間割』か、どちらかと、やや議論あり)。ただ、1つ1つのエピソードは前作のほうが印象的だった気がします。もしも岡田さんの作品を1つも読んでいない子どもに薦めるなら、『ふしぎ〜』のほうかな。でも、こういうテーマを好きな子にはこの本もいいですね。

西山:児童文学の王道のプロの書き手だなあと改めて思いました。時々岡田さんがとる入れ子の構成はちょっとどうなのか、回想によって生じる感傷は今おっしゃった抒情とは違って、子ども読者にとって必要なのかどうかと、思います。くすっとしたり、おもしろかったところはたくさんあります。ちょっと挙げれば、「タワシの魔女」のぼんやり好き(p103)、「しおりの魔法使い」の「探検家になりたい」「なればいいではないか。」というやりとり(p134)とか好みです。1カ所だけあれ?と思ったのは、126ページの虫眼鏡を取り出して手帳の細かい字を見るところ。はたこうしろうさんの絵ではっきり描かれているように、体の小さな魔法使いが、彼からすれば巨大な手帳を見ているのだから、虫眼鏡はいりませんよね。ま、小さなことですが。

マリンゴ: 岡田淳さんの作品はすばらしいと思っています。児童書に携わるようになってから読み始めました。もし児童書と関わってなければ、岡田さんを読むことがなかったのだと思うと、なんだか怖ろしい気がします。この作品もよかったです。魔女の語るお話がことごとくおもしろくて、満足度が高かったです。敢えて言えば、40ページに「もっとクロツグミのことをよくみておけばよかった」と書いてあるのが伏線だと思って、次の章でクロツグミばかりみる展開になるのかな?と期待していたらそうでもなくって。それが、わずかに肩透かしでした(笑)

げた:この魔女はさし絵では若く描いてあるんで、お姉さんに見えちゃうんだけどな。定年退職した魔女という設定なんでしょ?

ピラカンサ:定年退職したといっても、そこは魔女だから、年の取り方が普通の人間とは違うんじゃない。

げた:そうか、なるほどね。まあ、そんな魔女が突然現れて、小学校の日常の時空に入り込み、魔女ばなしを20年前のぼくに聞かせたってわけですね。一読した時はそんなにおもしろいとは思わなかったんだけど、2回目読んだら、まず、踊り場の魔女では、踊り場を通った人全員が踊りだす。45分間踊りっぱなしで、終わったら、拍手が起こったなんて、とっても素敵な風景じゃない? はずかしがりやの魔女とシュウのはなしも、かわいくって好きだな。タワシの魔女もよかった。タワシが、タワシが・・・にも笑ってしまいました。ためになる本じゃないんですけど(笑い)楽しくなれる本ですね。

ピラカンサ:岡田さんの連作短編集は定評があり、傑作もたくさんあるので、それと比べてこれが特におもしろいということはなかったのですが、安心して読めます。どうしてこの魔女が話をしたかったのかという理由も最後に説明されていて、おもしろかった。はたさんの絵もすてきです。私がちょっと引っかかったのはp109のリミコのシーンなのですが、確かにこの子は嫌な子ではあるんだけど、こういう書き方だと子どもにさらに同調圧力をかけてしまうのでは? 「目立つな」というメッセージにも読めてしまいます。それと、「ぼく」がチヨジョさんという魔女に会ってびっくりするという外枠の中に、さまざまな学年の子が魔女や魔法使いに会ってまたびっくりするというお話が入っています。そのイメージがダブってしまうので、ちょっと残念な気がしました。

あさひ:今日の3冊のうち、一番おもしろく、読みやすかったです。はたこうしろうの絵は元から好きで、この本もいいなと思ったのですが、魔女のチヨジョさんだけは、お話を読んでイメージした印象とずいぶん異なりました。もう少し年配の女性かと思っていましたが、絵はとても若く、現役で活躍している魔女のように見えました。特徴として書かれている青いアイシャドウも、カラーイラストで見られなかったので、あれ?と思いました。ストーリーでは、「はずかしがりやの魔女」がとてもよかったです。さりげなく子どもに寄り添った内容で、読んだ子どもも、うれしい、いい気持ちになるのではと思います。一方、「たわしの魔女」の内容は、ピンとこないところがありました。それから、ラストのストーリテリングの先生をなぜあんなに意地悪な人にしたのか、と少し不思議に思いました。

ノンノン:このところ絵本ばかり読んできたので、久しぶりに児童書を読みました。岡田淳さんの作品、なつかしいです。子どもの頃に『放課後の時間割』を読んで、ものすごく引き込まれたのを思い出しました。岡田さんの作品は求心力がありますよね。大人になってを図書館で見つけて再読したのですが、やっぱり引き込まれました。対して、この作品は、『放課後の時間割』に比べて軽い印象でした。さくさく読めるというか。『放課後の時間割』は、子どもの心が描かれていて、それがぐっと引き込まれるポイントだと思うんですが、『きかせたがりの魔女』は感情移入できる部分が弱いのかも。『放課後の〜』に比べて、もっと低年齢を対象にしてるんでしょうか? その割に厚いように思いますが。この厚さなら、もう少し書き込めるんじゃないかな…? 章ごとに子どもが抱える問題が取り上げられていますが、それを1つ1つもう少し掘り下げるとか。でも、さらっと書かれているので、さらっと読むのにいいかなと思いました。

アンヌ:実は、岡田淳さんの作品は、処女作の『わすれものの森』(BL出版)しか読んだことがなくて、あの作品にみられる破天荒さがないのが残念でした。それぞれの物語は魅力的だと思うし、特に「はずかしがりやの魔女」は、とても詩的で好きです。ただ、魔女がストーリーテリングをしたかったからという種明かしのような話や、30代の僕が聞いた話という設定でつじつまを合わせる必要はなかったような気がします。

ネズミ:書き込み方ということに関してですが、今の本は昔の本より全体的に書き込みが少ないというのはあるかもしれません。でも小学校中学年くらいのグレードの本だと、あまり書き込みすぎても子どもがついてこられないから、ほどほどが大切な気がします。同じ岡田さんでも『二分間の冒険』は、もう少し上のグレードだからもっと複雑になっています。この書き方は対象年齢ゆえではないでしょうか。

レジーナ:岡田さんは安心して読める作家ですね。強く心に残る本ではないので、岡田さんの著作全体で見ると傑作ではないのかもしれませんが……。ひとつひとつの章がおもしろく、さっと読めるので、朝読書の時間に読むといいのでは。

くまざさ(メール参加):いきなりですが、どうして「魔女」をいま描くのか、という点が気になりつつ、今回の課題図書を読んでいました。中世の「魔女狩り」を持ち出すまでもなく、「魔女」という存在の造形の根底には、社会や規範から逸脱してしまった女性への蔑視がふくまれていると思います。ジャンヌ・ダルクが「魔女」と呼ばれたように、いったんあいつは魔女だと決めつけられてしまえば、人は平気で石を投げつけても火炙りにされてもいい存在に落とされてしまいました。それはまた終わったことではなく、いまでもたとえばタンザニアでは「魔女狩り」という理由で、女性が殺されるという事件が起きています。私は、魔女というキャラクターは、そうした蔑視の目線を最初からふくんで成立してきたものだと思います。「恐ろしいもの」や「異端」を排除しようとする民衆のヒステリーと、社会への不満のはけ口としてそれを利用してきた体制があったということも抜きにはできません。魔女という古びたモチーフを、敢えて今使うのであれば、魔女とは何なのか、現代社会においてそれはどういう存在なのか、歴史的背景もふまえた上で、再検討する必要があると私は思います。『きかせたがりやの魔女』では、そういったことが考察されているとはとても思えません。なんとなく流通しているイメージを無自覚になぞっているだけです。私はこれを「楽をしている」と思います。ここに出てくるのは、「不思議なことを起こせる便利な存在」であって、おばけでも精霊でも妖怪でもいいはずです。ならなぜ敢えて魔女を選ぶのか。たんに「不思議でおもしろい、ちょっと怖い」みたいなイメージを再生産しつづけるのは、少なくとも21世紀を生きる作家の仕事ではないはずです。内容についてちょっとだけ触れると、最後にストーリーテリングの話が出てくるのは謎でした。ストーリーテリングなんてそんな用語、児童書の関係者にしか通じない言葉です。何が言いたいのでしょうか。

(2016年12月の言いたい放題)


紅のトキの空

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『紅のトキの空』

が出ました

ジル・ルイス 作
さくまゆみこ 訳
平澤朋子 装画
中嶋香織 装丁
岡本稚歩美 編集
評論社 2016.12
原題:SCARLET IBIS by Gill Lewis, 2014

『ミサゴのくる谷』や『白いイルカの浜辺』でおなじみのジル・ルイスの作品です。ルイスは獣医でもあるので動物の描写が正確だし、困難な状況を抱えた子どもたちに寄り添おうとする気持ちが、この作品にも反映されています。

この作品に象徴的に登場するのは、ショウジョウトキ(スカーレット・アイビス)。トリニダード・トバゴに生息する真っ赤なトキです。そこから名前をつけられたスカーレットは12歳で、褐色の肌(写真でしか知らない父親がトリニダード・トバゴの人だったのです)。精神的な問題を抱えた母親と、発達が遅れている白い肌(父親が違うということですね)の弟との三人暮らし。毎日の生活をなんとか回しているのはスカーレットなのですが、なにせ12歳なのでそれにも限界があります。

スカーレットは母を心配し、弟を守ろうと懸命なのですが、住んでいるアパートが火事になったことから、これまでの暮らしとは違う世界に投げ出されてしまいます。
果たしてスカーレットたちは、自分の居場所を見つけることができるでしょうか?

この作品にも、傷ついた鳥や捨てられた鳥の世話をしているマダム・ポペスクという魅力的なおばあさんが登場します。

今回も平澤朋子さんがすてきな絵をつけてくださいました。

ジル・ルイスは後書きで、主人公スカーレットのような、家族の責任を自分が背負わなくてはいけないと思っている子どもが、英国にはたくさんいると書いています。また、「家」や子どもの居場所について考えて書いた本だとも述べています。