月: 2021年9月

ホーキング『宇宙への扉をあけよう』(さくま訳)の表紙

宇宙への扉をあけよう(ホーキング博士の宇宙ノンフィクション)

この本は、これまでに出ていたシリーズ6巻分の科学コラムやエッセイを集めて加筆し、新たなエッセイも加えて作られたものです。このシリーズの本当の最終刊、だと思います。ブラックホールなど最新の画像も入っています。

オビに言葉を寄せてくれた村木風海さんは、小学校4年生のときにおじいさんに『宇宙への秘密の鍵』をもらい、それをきっかけにサイエンティストになったのだそうです。そうか、もうそんなに長いことこのシリーズは続いているのか、と感慨深いものがあります。

原著の細かいところにいろいろ間違いがあり、佐藤先生にうかがいながらチェックしていきました。製本は、本の開きがとてもいいコデックス装になっています。

(編集:松岡由紀さん 装丁:坂川事務所)

 

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『オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし』(さくま訳)の表紙

オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし

まだこの世界が若かった頃、動物たちは川のほとりでみんな仲良く暮らしていましたが、やがて飢饉に襲われて食べるものがなくなってしまいます。そんなときカメがおいしい実がたくさんなる木の夢を見て、人間のおばあさんをたずね、その木が本当にあって、木の名前を当てると実をもらえると知り、その名が「オノモロンボンガ」だと聞いて、そこまで歩いて行く決心をします。途中で出会ったさまざまな動物がカメより自分のほうが足が速いし賢いと主張して自分こそ一番乗りしようと走って行きますが、みんな何かの拍子に木の名前を忘れてしまい、うまくいきません。

みんなが飢えている時にあらわれる魔法の木の名前をあてる、というモチーフの昔話はアフリカの各地にあり、これもその1つで、原著はフランスで出版されました。私はこれまでに類話の絵本を『ごちそうの木〜タンザニアのむかしばなし』(ジョン・キラカ再話 西村書店)、『ふしぎなボジャビの木』(ダイアン・ホフマイアー再話 ピート・フロブラー絵 光村教育図書)と、2冊訳していて、これが3冊目です。比べてみるのもおもしろいです。

ジョン・キラカさんが来日したときに『ごちそうの木』について話をうかがったのですが、キラカさんはほかの地域にも同じような昔話があることは知らず、自分が直接村で聞き取ったタンザニアの昔話を絵本にしたのだとおっしゃっていました。

(編集:鈴木真紀さん 装丁:城所潤さん+館林三恵さん)

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〈紹介記事〉

・「朝日小学生新聞」2021年12月2日

『オノモロンボンガ』朝小書評

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ジャクリーン・ウッドソン『わたしは夢を見つづける』(さくま訳)の表紙

わたしは夢を見つづける

国際アンデルセン賞、アストリッド・リンドグレーン賞を受賞したウッドソンが自分が生まれて、南部の祖父母の家とニューヨークの母のアパートを行ったり来たりしながら少女時代を過ごし、やがて文字や文章に興味をもって作家をめざすようになるまでの反省を散文詩で描いています。

これを訳すのは結構大変でした。詩のリズムを活かしながら意味が通って行くようにしなければならなかったし、そのままではわかりにくい言葉に注を入れなくてはならなかったし、詩らしい形を整えなくてはならなかったからです。

利発で成績もよい姉オデラの陰で読み書きもうまくできなくて劣等感を感じていたこと、おとなしい兄のホープが歌の才能に恵まれていたのを知り、自分にも隠れた才能があるのかと不安になったこと、肌の色も目の色も自分たちとは違う弟のローマンに最初は違和感を持つけれどやがて弟として大事に思うようになること、大好きだった祖父や、エホバの証人の信者だった祖母のこと、いつも陽気なロバートおじさんが逮捕されて収監され、刑務所に面会に行ったときのことなど、家族のこともたくさん書かれています。

それに加え、ブラックパンサー党やアンジェラ・デイヴィス、キング牧師、マルコムXなども登場し、当時のアフリカ系の人たちがどう考えていたのか、それを子どもの目がどうとらえていたのかをうかがい知ることもできます。

(編集:喜入今日子さん 装丁:アルビレオ イラスト:MARUU)

*全米図書賞受賞
*ニューベリー賞オナー受賞
*コレッタ・スコット・キング賞作家賞受賞
*E.B.ホワイト賞受賞

 

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〈訳者あとがき〉

本書は、2014年に出版され、全米図書賞、ニューベリー賞オナー、コレッタ・スコット・キング賞、E.B.ホワイト賞など、アメリカの主要な児童文学賞を総なめにしたジャクリーン・ウッドソンのbrown girl dreamingの翻訳です。

ウッドソンは、2015年から2017年までアメリカの「若い人たちのための桂冠詩人」を、2018年から2019年にはアメリカの児童文学大使をつとめています。また2018年にアストリッド・リンドグレーン記念文学賞、2020年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞しているので、まさに現代のアメリカの児童文学界を第一線で牽引している作家といってもいいでしょう。

本書はそんなウッドソンの代表作の一つで、オバマ元アメリカ大統領も、アメリカの人種問題を理解するために本書をすすめています。

最近アメリカでは、詩の形式で書かれた物語がたくさん出版されていますが、本書も散文詩で書かれています。それについてウッドソンは「普通の文章で書けば、時系列や因果関係や起承転結をはっきりさせないといけないけれど、これは頭に浮かんでくる思い出を書きとめたものなので、こういう形式がふさわしいと思ったのです」と語っています。

1963年にオハイオ州コロンバスに生まれたウッドソンは、若くして離婚した母親といっしょに、母親の実家があるサウスカロライナ州グリーンビルと、母親が引っ越した先のニューヨーク市ブルックリンを行ったり来たりしながら育ちます。本書はそんなウッドソンの半生記と言えますが、ウッドソンが幼いころから文字や言葉に興味をもっていたこと、それでも読んだり書いたりすることがうまくできずに優等生の姉にコンプレックスを抱いていたこと、先生に励まされて自分の才能に気づいて行くところなどもリリカルに語られており、彼女が作家になっていく道のりを垣間見ることができます。祖父母、父母、きょうだいなど家族のことも、ひとりひとりのイメージがくっきりとうかぶように描かれているのが、おもしろいところです。

また祖父母のいるサウスカロライナにまだ残っていた人種差別についても、キング牧師、マルコムX、アンジェラ・デイヴィスといった先輩たちの公民権運動やフェミニズム運動から受けた影響についても、子どもの視点から描写されているので、BSM(ブラックライブズマター)の背景についてもわかっていただけるのではないかと思います。

詩の翻訳はむずかしく、さまざまに迷いながら訳しましたが、若いみなさんに楽しんでいただければ幸いです。

 2021年7月 さくまゆみこ

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『子どもの本で平和をつくる〜イエラ・レップマンの目ざしたこと』(さくま訳)の表紙絵

子どもの本で平和をつくる〜イエラ・レップマンの目ざしたこと

ナチス政権下のドイツから国外に避難していたユダヤ人のイェラ・レップマンは、戦後ドイツにもどり、荒廃と貧困の中で育つ子どもたちを目の当たりにして、本をとおして夢や希望を提供しようと考えます。そして20の国に手紙を書いて、子どもの本を送ってくださいと頼み、それをもとにドイツ各地で図書展を開き、子どもが各国の本に接することができるようにします。やってきた子どもたちにレップマンは、送られて来た本をその場でドイツ語に訳して読んで聞かせます。

送本を依頼された国の中には、ベルギーのように、2度も攻め込んできたドイツに本など送れない、として断る国もありました。レップマンはめげずにもう1度、「ドイツの子どもたちに、あらたな出発をさせてやりたいのです。ほかの国ぐにから届いた本を見ることによって、子どもたちはお互いにつながっていると感じるでしょう。戦争が、また始まらないようにするには、それがいちばんではないでしょうか」と、書いた手紙を送ります。すると、ベルギーからも子どもの本が送られてきたのでした。

この絵本は、小さなドイツ人の女の子アンネリーゼとその弟ペーターが、その図書展でレップマンやいろいろな本に出会い、どんなふうに心を豊かにしていったかを中心に表現しています。想像力がはばたいている場面では、花のモチーフが絵に描かれています。

巻末には、イエラ・レップマンの紹介と、彼女が始めたIBBY(国際児童図書評議会)や、世界初の国際子ども図書館の説明があります。ミュンヘンの国際児童図書館は、市内にあった昔の建物から移って、今は郊外のブルーテンブルク城にあります。私はそのどちらにも訪れたことがあります。

(編集:喜入今日子さん 装丁:城所潤さん+館林三恵さん)

*全国学校図書館評議会 「えほん50」2022選定

SLA「えほん50」2022選定

 

<紹介記事>

・2021年9月21日の朝日新聞。原稿を書いてくださったのは記者の松本紗知さん。

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IBBYは、子どもの本に関わる人々を結ぶ世界的ネットワークで、スイスのバーゼルに本部がある。約80の国と地域が加盟していて、子どもの本を通した国際理解の促進や、良質な本を届けるための活動を行ってきた。そのIBBYや、世界で初めての国際児童図書館(ミュンヘン国際児童図書館)を創設した一人の女性イエラ・レップマンを題材にした絵本「子どもの本で平和をつくる 〜イエラ・レップマンの目ざしたこと〜』が、小学館から7月に出版された。

レップマンは、子どもの本が人々の心の架け橋になると信じ、第2次世界大戦後間もないドイツで、世界各国から送ってもらった子どもの本による図書展を開いた。この図書展の開催が、49年の国際児童図書館、53年のIBBYの設立へとつながっていった。

絵本は、弟と図書展を訪れた少女が主人公のフィクションで、姉弟の姿を通して、本が与えてくれる希望や力を描いている。翻訳したさくまゆみこさんは、「単なる理想ではなく、『子どもの本で平和をつくる』ことを,本当に目ざして行動した人がいたことが、具体的に描かれている」と話す。巻末には、レップマンに関する解説もある。

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2021年06月 テーマ:動物の化身に導かれて

日付 2021年6月22日(オンライン)
参加者 ハル、シア、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、まめじか、西山、さららん、カピバラ、ニャニャンガ、サークルK、マリンゴ、雪割草、しじみ71個分、ルパン
テーマ 動物の化身に導かれて

読んだ本:

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『イルカと少年の歌』表紙

イルカと少年の歌〜海を守りたい

マリンゴ: プラスチックの海洋ゴミの問題という、堅いテーマを、イルカの妖精にまつわるアイデアでくるんでいます。その世界観に、力技で読者を引っぱり込んでいる気もしますが、学校の仲間がフィンの変貌ぶりに驚く場面に心情を重ねられるので、違和感なく読めました。気になるのは、イルカや海中の描写が最低限しかないことですね。私の友人にドルフィンスイムをやる人がいるので、動画などいろいろ見せてもらったことがあります。その動画の迫力を思うと、イルカが目の前に迫ってきたり、仲間として一緒に泳いだりするリアルさに欠けている気がします。さらに、なぜ1頭のイルカとだけ友達になるのかもよくわかりませんでした。スーパーのイベントで風船をいよいよ飛ばす、という場面で、南京錠という小道具が生きてくるのは意外でした。最後の最後で偶然によって解決するというのは、若干肩透かしをくらった感じになりましたが、ステレオタイプな展開になるよりも、いっそいいのかな……とも考えました。

ニャニャンガ:テーマありきという印象を持ってしまったので、読者が純粋に物語を楽しめるのかなと思いました。それでも後半、風船が飛ばされるのを子どもたちがどうやって阻止するのかが気になり、読むスピードが増しました。挿絵のピーター・ベイリーの絵が昔話風なのに対し、現代が舞台の物語でファンタジー要素がからむ物語とのアンバランスさが残念でした。自戒を込めて訳文に対してコメントしますと……p32のほか全体的に読点が多いこと、主人公のお父さんの表記が段落内で不統一なのが気になりました。初出はミスター・マクフィー、ほかの場面ではフィンのお父さん、フィン目線ならお父さんなどにしてはと思います。p105で、フィンの視点で語られている段落内で「~イルカのなだめ方を心得ているらしい。やさしく~」が第三者の視点なので混乱しました。

雪割草:エディンバラにいた時にスカイ島に行ったことがあり、こじんまりした北の離島の雰囲気が似ていて懐かしくなりました。子どもたちが自ら行動して、偶然もあるけれどやり遂げるまでを描いているのはよいと思いました。でも、後半に出てくる二人組の男やサッカー選手など、登場人物のセリフがプツプツ切れていたり、不自然に感じるところが多々ありました。言葉のせいか、絵のせいか、作品の雰囲気がひと昔前の感じがしました。そして、セルキー伝説をもとにしているとあとがきにありましたが、それならばそうした要素をもっと取り入れるべきだと思いました。

アンヌ:まず、この副題は何だろう?と思いました。いきなり主題を手渡された感じです。最初のうちは、『月のケーキ』(ジョーン・エイキン著 三辺 律子訳 東京創元社刊)を思い出すようなさびれた漁村が挿絵でも描かれていて、ファンタジーの舞台として魅力を感じながら冒頭の詩に思いをはせていたのですが、どうも違ったようです。なんだか、ファンタジーが道具として利用されているような気がする物語でした。出てくる子どもたちは現代の子どもたちで、パソコンやスマホを使い、サッカー選手がスターで、環境問題も知っている。だから、このフィンの変身が全然説得力がない。いじめにあって海に落とされて、泳いでみたら泳げた。気が付いたら海と一体化した気分になっていた。イルカと遊んだ。風船を飲んだイルカが助けられなくて悲しい。これくらいは伝説や魔法がなくてもできることだと思います。さらに気になるのが、もう秘密がなくなったと言って、いきなり育児放棄をやめる父親のことです。彼だけはフィンと同じように伝説の中を生き、さらにフィンの母親殺しでもあるんだから、いっそこのまま身を持ち崩していても不思議ではないのに、妙に中途半端に救済されている感じです。後半のサッカー選手との絡みをワクワクする展開と言えば言えるけれど、そういう物語として終わらせるのなら、ますます伝説は必要ないと思えてきて、ファンタジー好きとしては納得がいかない感じでした。

エーデルワイス:アザラシ伝説の語りを聴いたことがあります。日本の羽衣伝説と似ています。挿絵は好きです。ファンタジーとしての物語と考えると、この挿絵は合っているのかもしれません。ですが、物語は海の環境問題とアザラシ伝説を無理やり組み合わせたようで、しっくりきません。主人公のフィンがイルカの乙女と漁師の間に生まれた子どもにしなくてもよかったのではと思いました。設定は別にいろいろと考えられます。p94の1行目から「わたしを見てよ。わたしのお母さんはアフリカ人。この村の人たちから見れば、これはすごく変わっているのよ。」……多種多様なお互いを認め合うシーンのようで好きです。余談ですが作家は素敵な挿絵をつけてもらえて(『きつねの橋』も)羨ましいと思いました。

ハリネズミ:私は、社会や子どもを取り巻く問題をテーマにして書く本は、とくべつおもしろく書かないといけないと思っています。そう考えると、この作品は、プラスチックの海洋汚染というテーマばかりが前面に出てしまい、キャラが立っていないもどかしさがありました。また訳も、あちこちに穴があってすらすら読めない。編集の点でも、もっと工夫する余地がある、という残念な本でした。私は、せっかく子どもが考えるよすがになるような本が、いい加減に出されていると、大変辛口な感想になってしまいます。
まず編集の点ですが、会話が原文どおりのサンドイッチ方式([ 「A」○○は言った。「B」] という形。AとBは同一人物の言葉)に訳されていて、しかもそれが日本語版では3行に改行されているので、何人もで会話している場面だと、誰の発言だかわからなくなります。たとえばp172の「そのとおり! まさにそういうこと」って、誰の台詞でしょう? また、挿し絵はピーター・ベイリーという昔から活躍している画家ですが、日本語版にはその名前がない。
つぎに原著の問題だと思いますが、海洋汚染といっても、イルカと風船に特化された話になっています。風船は毎日は飛ばさないと思いますが、ペットボトルやレジ袋などは毎日使い捨てにしている人がいるので、そっちの方が大きな問題かもしれない。入り口は風船でも、読者をもう少し大きな問題へと誘う書き方のほうがよかったのではないかと思いました。また、ほかの方もおっしゃっていますが、伝説と現実問題がうまく融合していない。それと、ジャスが防波堤から落ちる場面ですが、結構な高さがあるらしいのに、水深は浅いとあり、それなら溺れないのはいいとしても逆に首の骨を折るんじゃないかと心配になりました。挿し絵が少し昔風なのはいいとしても、ジャスがアフリカ系、アミールはパキスタン系なので、肌の色は白くない。でも、挿し絵からはそれがわからない。英語圏の人は名前から、ルーツを推測することができますが、日本の子どもにはそれができないので、肌の色の違いは絵からもわかるようになっている方がいいと思いました。
最後に翻訳の問題です。最初に出てくるドギーですが、ドギーって犬のことなので変だなあと思ってアマゾンで原書のLook insideを見てみました。するとDougieだったので、それなら「ダギー」だな、と。それからp9のチャーリーの台詞が「父ちゃんが家のちっちゃい舟で」と訳されているのですが、原文はin my own wee boat。家の舟ではなく、チャーリーはペギー・スー号という小型のヨットをもらっていて、それのことですよね。後でそのヨットで子どもたちが海に出る場面が出てくるので、それの伏線になっている。ほかにも、p32には、「フィンはひとりでいてもへいっちゃらなので」という訳がありますが、前の場面ではフィンは友だちがほしいと思っているわけだし、それで誕生日のパーティものぞき見しているわけですから「へいちゃらを装っているので」などの訳にしないとまずいし、p284の「言葉をかける前に」は、「答える前に」なんじゃないか、など随所に引っかかって、スムーズに読み進むことができませんでした。

ハル:ファンタジーとリアルが融合した構成自体を否定するつもりはないのですが、この作品に関してはちょっと、どう読んだらよいのかというとまどいがありました。イルカの妖精だったお母さんの死についても、どうとらえて良いのかわからない。お母さんが海に向かった理由も、歌の内容とはどうも違うようですし、作者は漁そのものを否定的にとらえている可能性もあるけれども、これが、イルカ漁やクジラ漁に限定してのことだったら、さまざま意見はあるだろうとは思います。それよりも、プラスチックごみは今現在、関心が高い事柄だと思うのですが、風船を飛ばすことの是非については、既にだいぶ認知されていることだと私は思っていました。なので、子どもはともかく、大人もそのことを知らないということは、このお話は30年前とか、少し前の時代の設定なのかな? でも読んでいくと、やっぱり現代の話だよなぁ……と、その点がいちばんひっかかりました。スコットランドがどうかは置いておいて、舞台は「片すみのとても小さな村」(p7)ということなので、もしかしたら、そういった情報が少ない土地ゆえの認識のズレ、ということもあるのかもしれませんが、ちょっとよくわかりません。フィンが、自分のもつパワーを知ったあとで、確かに切羽詰まった場面ではあるのですが、「ちがうよ、バカ」(p142)とか、「ばかじゃない?」(p260)とか、急に言葉がきつくなっていることにも戸惑いました。フィンを見直した友だちの、手のひらを返したような態度もしっくりきません。全体的には、悪者と良い者をはっきり決めて描くタイプの、子ども向け映画のような作品だと思いました。主人公たちと同じ年ごろの読者にとっては、わかりやすく、義憤というか、強い問題意識を芽生えさせるお話なのかもしれず、これはこれで良いのかもしれませんが、どうかなぁ……。

西山:伝説の詩からはじまるので、抒情的な世界を期待して読み始めたのですが、あっという間に伝説はそっちのけで現実の話だけになってしまって、ちぐはぐな印象を受けました。ファンタジー部分を全部削って、長さもずっと短く、子どもたちがおとなを「ぎゃふん」と言わせる小学校中学年ぐらい向け作品にしてしまったほうがよほど納得できます。タイトルもThe Song of a Dolphin Boy なのに、「イルカと少年の歌」でいいの?と思ったのですが……。でも、歌も、ドルフィンボーイも単なるつかみの設定だけのようだから、どちらにせよ大差ないとも言えますが。「イルカくん」(p62)には、びっくりするほど違和感を感じて、え?いつから「イルカくん」呼ばわり?と思い、読み直してしまいました。サッカー選手がちんぴらの暴力を止めるときの「がまんがならないことのひとつが、いじめだ」(p250)と言うセリフにも同様の軽薄な幼さを感じました。

まめじか:p188で、子どもたちが環境保護の運動をしようとしていると知ったら、大人はきっと応援してくれるはずだという箇所は、社会の問題や政治から子どもを遠ざけないあり方が透けて見えて、好意的に読みました。訳文については、三人称の文体の中に一人称が入るときの接続がうまくいってないのか、ぎこちない印象を受けました。現代の話なのに「きまってら」(p9)、「不公平ったらありゃしない」(p121)、「お食べ」(p162)、「へんちくりんだ」(p220)、「わしら」(p250)など、昔の児童文学に出てくるような言葉づかいも気になったし、「ドギーにはふさわしくない」(p8)、「スリッパでひっぱたいてやる、まちがいなく」(p66)、「ここはほんとにすばらしい」(p89ページ)、「家にいてくれなくちゃ!」(p107)などは原文をそのまま訳したようで、もっと磨けたのでは。一番ひっかかったのはp94の「アフリカ人」。エチオピアのルーツをもつジャスのことですが、大雑把にひとくくりにするような言葉にとまどいました。

サークルK:プラスチックごみという公害問題をあまり道徳臭くならないように、イルカと人間から生まれた男の子フィンの日常に託して描こうとしたのだろうと感じました。子どもたちの日常のなかには、仲間外れと和解、友達への尊敬、家族の交流も含まれますが、私はストロムヘッドという架空の漁村にいる、様々な親子の描き分けに魅かれました。母親を亡くしたフィンと愛妻を失った漁師のマクフィー氏、2人の子どもたちを溺愛するラム夫人、複雑なルーツを持つジャスとジェイミソン教授という親子関係など様々でおもしろかったです。ストロムヘッドの村の様子がわかる挿絵はノスタルジックで良かったのですが、登場人物のルーツのわかるような書き込みが少なく残念でした。

シア:ルーツや自分探しのファンタジー小説かと思ってワクワクしたんですが、いつの間にか頑張る環境保護少年団な展開になってしまい、ああ、これいつもの海外児童文学だとガッカリしてしまいました。イルカのお母さんという設定は素敵だったので、もっと生かすか、いっそなくすかしてほしかったですね。フィンは陸と海の架け橋的な存在になるのではなく、イルカのことしか頭にない少年になっています。「海を守りたい」という力強い副題を日本版はつけていますが、完全に「イルカを守りたい」でした。どちらかというとイルカとの交流よりも友達との交流がメインでしたし。フィンがやっと泳ぎ出してからなかなかドキドキしながら読んでいたんですけど、p60まできたところでイルカの挿絵があったので変身のネタバレされた! と思ったんですが、フィンは変身しておらず、そのことも加えて肩透かしを食らいました。p142でフィンは「体が引っ張られるような気がした」とあるんですが、その後は何も触れられることもなく、半分イルカであることの必然性が後半は皆無です。海の大切さについても、プラスチックごみの問題についても今話題になっているのでそれを書きたいのもわかるんですが、なんともテンプレ気味で、全てにおいて消化不良でした。

ルパン:正直、おもしろくなかったです。全体的に訳文が読みにくかったし、フィンが泳げるようになるところも、イルカが漁師と結婚するところも、唐突すぎてなんだか話に入り込めなかったし。

さららん:ファンタジーの設定のなかに、環境問題を取り上げた意欲作だとは感じました。背景の異なる子どもたちが、力を合わせて、環境を守るために行動をはじめるところは好感が持て、昔ながらの児童文学を読む楽しさがありました。ただ前半で何か所か、疑問を感じるところもあって……。ひとつは、海に落ちたフィンを見つけられないまま、子どもたちがあきらめて家に帰ってしまうところ(p52)。大人の助けをなぜ呼ばなかったのか?と疑問でした。もうひとつはp78で、息子に対して謝罪しつつ、母親の秘密を告白する父さんの心理の変化の早さです。作者はお話をどんどん先に進めたかったのでしょうね。

カピバラ:セルキー伝説はとても魅力的な題材なので、イルカと猟師の間に生まれた子どもというファンタジーの要素が取り入れられているのはいいなあと思ったのですが、ファンタジーよりも海洋プラスチック問題のほうが、著者の言いたかったことのようです。とまどった方が多かったようですが、私はおもしろいところもあったと思っていて、最初は仲間外れにされていた少年が、次第にまわりの子どもたちもまきこんで、環境問題に目を向けていくところや、親と子が一緒に取り組んでいく様子はおもしろかったと思います。

(2021年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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『きつねの橋』表紙

きつねの橋

まめじか: 貞道がキツネの葉月を助ける一方、葉月は大極殿のもののけを追いはらって貞道を救い、また斎院の姫のためになんとか扇を手に入れようとします。人と妖狐が境を越えて助け、助けられる古の世界のおおらかさ、そこに生きる者たちの懐の深さがいきいきと描かれていますね。手柄をたてたいと思いつつも損得考えずに行動し、義理堅くもある、若い三人の仲間関係もほほえましく読みました。

ハル:やっぱり、鬼や、人を化かすキツネがいた時代の物語には、ロマンを感じますね。このお話そのものもおもしろかったですし、カバーも挿絵も本当にお見事で、目でも楽しめました。読者対象は「小学高学年」になっているようですが、実際、5~6年生でどのくらい楽しめるものなんでしょうね。中学で『今昔物語』を習うころになったら、より楽しく読めるのかも? ほんとうのところはどうなんでしょう。とっても知りたいです。

ハリネズミ:エンタメとしておもしろく読みました。ただキツネというと、どうしても『孤笛のかなた』(上橋菜穂子著 理論社/新潮文庫)を思い出してしまうのですが、あっちはキツネの哀しさなども浮かびあがるように描かれていたのに、こっちの作品は3人の若者が大盗賊をとらえるのに策略をめぐらせ、キツネの力も借りるという設定で、深みはあまり感じませんでした。リアリティに疑問な点もいくつかありました。牛車の乗り心地の悪さなどは読んでいてなるほどと思ったのですが、当時牛車というのは身分の高い者しか乗れなかったのに、身分が高くない若者が君主の息子の牛車にためらいもなく乗ってしまうという設定。また上橋さんには人間とキツネは異種であるという視点が強くありましたが、これはそうでもない。それから、そもそもキツネの葉月はどうして斎院のお姫さまを可哀想に思ったのか、というのが、描かれてはいませんでした。当時は、庶民の中にもっともっと可哀想な子はいっぱいいたと思うし、キツネは神社につきものと言っても、斎院がいるのは賀茂神社で稲荷神社ではないのに。まあ、そんなことはさておいて、エンタメとして読めばいいのだと思いますが。

エーデルワイス:キツネの出てくる物語は好きです。これは時代を超えた青春ものと思いました。「麦縄(むぎなわ)」(p137 10行目、小麦粉と米粉をねって棒状にしたもの)が出てきて、当時から小麦粉があったのかと驚きました。(後日調べたら前弥生時代中期頃から日本で稲作と共に小麦粉は栽培されていたとか。)作者は貞道と葉月(人間とキツネ)の関係をもっと描きたいのでは? 続編がありそうで、楽しみです。

アンヌ:始めに貞道って誰だろうと調べてみたら、子どもの時から大好きだった『今昔物語』の牛車で酔う話に出てくる貞道で、<頼光の郎党共紫野に物見たる語>の季武、公時の3人が活躍する話なんだ、と思ってワクワクしました。『今昔物語』に出てくる女性は大声で笑ったり自分自身の足で出歩いたりしていて、他の物語のお姫様とは違う姿で登場します。ここでは葉月はキツネではありますが、『枕草子』の清少納言が定子に仕えたように、斎院に仕えて働くことに喜びを感じているようです。女房や女官や下働きの女性に化けたりする姿も、この時代の働く女性を映しているようです。五の君の姉上が斎院の扇や衣装をあつらえることに夢中になる様子に、この時代のお姫様は実はお針も使えなくちゃいけないんだということも思い出しました。ちょうど『御堂関白記』の周辺を調べていて、馬を献上することの重要性や、道長が物の怪を自身で調伏したことを知ったところなので、この作品の頼光や頼信と多田の領地の話や、鬼に対峙する五の君の姿には納得がいきました。『今昔物語』には盗賊の話が多くありますが。その中のスターと言えば袴垂。うまくキツネの話<高陽川のきつね女と変じて馬の尻にのりし語>と合わせて楽しい物語になったと思います。できれば続編で、鬼か酒呑童子が出てくる物語も読んでみたいと思っています。

雪割草:別の時代を舞台にした作品が好きなので楽しく読みました。人と動物という異なるもの境を超えて描いているのもいいと思いました。でも、当時の暮らしならではの言葉がたくさん出てきて、対象年齢の子どもはうまく想像できるのかなと疑問でした。聞いたことがあるものもいくつかありましたが、調べてやっとわかるものの方が多かったくらいです。地図や、「侍所」がどこにあるのかなど住まいの配置図がほしくなりました。この作品はすぐ映像になりそうだけれど、言葉で感じさせる世界が弱いなと思いました。

ニャニャンガ:恥ずかしながら物語が書かれた背景を知らないため、新鮮に感じるとともに、物語に入るのに時間がかかりました。貞道がキツネの葉月に出会い心を通わせて互いに助け合う点に集中することで物語に入れました。佐竹美保さんの絵が大好きなので楽しめました。「階(きざはし)」「渡殿(わたどの)」「殿舎(でんしゃ)」「蔀戸(しとみど)」など、なじみのない言葉にたびたび出くわしたので、注がほしくなりました。本文前に略図や周辺図があるので、同じように解説図があれば読む助けになったと思います。会話がわりとくだけた感じだったのが読みやすさに通じる一方、地の文とのアンバランスさを若干感じてしまいました。

マリンゴ: とても引き込まれる本でした。時代背景やこの物語の設定をうまく説明しながら、ストーリーに引っ張り込んでくれていると思いました。1つだけ気になったのは、五の君が大極殿に侵入したシーンです。キツネの葉月に会った後で、得体のしれない影に襲われるので、葉月に化かされているのかと思って気軽に読んでいたら、そうではなくて鬼のしわざ、と後でわかります。緊張感が薄れてもったいないなと思いました。ついでに言うと、終盤のクライマックスに至るところでは、おとりと本物の話がいくつも出てくるので、交錯してちょっと紛らわしかったです。動物としてのキツネの生態の描写がほとんどなかったのに、そこがまったく気にならなかったのは、「キツネが人を化かす」ということについて、日本人の共通認識があるからかなと思いました。外国語に翻訳されるときは、説明や注釈がかなり必要になるのかもしれません。

サークルK:最近の読書会では、いじめや青少年期に悩む子どもたちが主人公のお話を読む機会が多かったので、登場人物の冒険を共有しながら爽快な物語展開を楽しむことが出来ました。端正な挿絵も美しく、物語にぴったりです。貞道とキツネの葉月の出会いに始まり、五の君と鬼の遭遇や斎院の美しい扇をめぐる怪盗袴垂との戦いなどのエピソードが次々に繰り出されて宮部みゆきさんの時代物の作品を思い出しました。因縁のできた袴垂や、陰陽師にまたもや都への出入りを禁じられた葉月について、それでもまだ決着のついていないエピソードもあったので、これから続編が発表されるのであれば楽しみに待ちたいと思います。

西山:同じ年にでた『もえぎ草子』(久保田香里、くもん出版)と比べると、なんだか物足りないというのが、以前読んだときの印象でした。再読して、さらさら読めてしまうことが強みでもあるかもしれないけれど、平安時代にどっぷりつかりたいと思うと物足りなさになるなと思いました。例えば、3人が公友の家でくつろいでいるp137のシーンなど、アニメか何かで見たことあるような印象を受けます。繰り返しになりますが、それを敷居を低くしている利点と取るか、濃厚な物語世界を削ぐ欠点と取るか、分かれるところだと思います。

しじみ71個分:帰りの電車の中だけでツルツルッと読めてしまいました。歴史物としてはとてもおもしろかったのですが、貞道の人物像やキツネの葉月の内面が見えてはこなかったので、読んで深く感動するようなことはありませんでした。また、ルビはふってありましたが、子どもどころか、大人の自分でもわからない難しい言葉も多くて、説明や注がほしかったなとは思います。歴史好きな子たちが知らないことを楽しんで調べつつ読むような物語なのかな、と思いました。

カピパラ:今回は課題本を選ぶ係だったのですが、リアルな現代ものは最近ちょっと辛いものが多いので、純粋に物語を楽しめるような作品を読みたいなと思って探したところ、この表紙の絵と帯の文句がとても魅力的でこれに決めました。上橋さんの『鼓笛のかなた』のような話なのかな、と期待して読みました。一条大路を進む牛車とか、侍所での郎党たちの様子とか、内裏の御簾の奥にあかりが灯り、姫君や女房たちの姿が浮かんでいる情景とか、そういった舞台装置や装束の描写が多く、平安朝の雰囲気が味わえます。時代背景は平安だけれども、頼光に仕える若者たちの熱い青春物語といった雰囲気があります。会話が現代風なのは、厳密にいえば突っ込みどころですが、等身大の若者の気持ちが伝わるので、あまり難しく考えずに楽しめばよいと思いました。時代物は小学高学年にはわかりにくいという意見がありましたが、小学生でも漫画で昔の時代にタイムスリップする話などが人気なので、結構楽しめると思います。

さららん:最後まですっと読めました。主人公の平貞通と、親友で弓の名手の季武、大柄で人のいい公友の三人組の描かれ方が気持ちよく、心理的深さはなくても、活劇の登場人物としてちょうどよく感じました。平貞通はただがむしゃらなのではなく、主君たるべきものについて、考えることもあります。きつねの葉月に対する感情も、最初は人を化かす狐に対する警戒心が感じられましたが、葉月の斎宮に対する思いやりにほだされ、少しずつ、変化していくのがわかります。「まずはためしてみる。だめならほかのどこでもいってやる。西でも東でも、北でも南でも」(p213)という貞通の言葉に、葉月に対する深い理解と愛情が感じられました。体制の中で差別される弱いものを守ろうとする姿勢、共に行こうとする姿勢が自然体でいいな、と思いました。

シア:大変おもしろかったです。さすが時代物がお得意な久保田さんの作品という感じでした。頼光が主君というところでテンションが上がり、これはアクションものに違いないと確信し、楽しく読めました。頼光四天王が登場しているし、髭切も盗られたままなのでシリーズ化する気なのかなと期待しています。牛車の乗り心地までは考えたことがなかったので笑ってしまったりもしました。ただ、調度品が名前だけでは古典を習う中学生以上じゃないとわからないと思うので、巻頭の地図みたいに解説や絵があると良かったかもしれません。それから、ラストシーンで葉月は人間の姿にもかかわらずしっぽが出てしまうのですが、挿絵ではしっぽではなく耳が描かれていました。構図的に描きにくかったのでしょうか?耳についての表現は文章中になかったので、少し混乱しました。また、「そういう間柄だからこそ、姉君は手を差し伸べられるのだ。立場を競い合っているといっても、べつに相手を蹴おとしたいわけじゃない。けれど、家の隆盛はうつっていく。むかしはときめいていた家が、主をなくしてさみしくなる。それを姉君はかなしいと思われるんだ。」(p133)という五の君の台詞ですが、こんな綺麗事を言っているけどこれが後の満月オジサンなのかって感じですね。そしてこの姉君は詮子のことだと思われますから(彼女はかなり政治に介入して中宮定子を追い落としたのは有名な話なので)、いや、蹴おとしてるよね!と突っ込みを入れたくなりました。いくら子ども向けの本とはいえ、美化しすぎではないかと思います。久保田さんの作品の『もえぎ草子』では清少納言がかなりキツい性格に描かれていたので、もしかしたら久保田さんは式部派なのかもしれないと思いました。

しじみ71個分:源頼光というし、四天王も出てくるので大江山の鬼退治とかの華やかなエピソードが語られるのかと思ったら、割と地味な話の連続だったので、拍子抜けしたところがあったのかもしれません。ですが、終わり方を見ると、確かに続きがありそうな感じですね。そうすると、この先に貞道たちが試練を超えて強くなっていくような、盛り上がる話が出てくるのかもしれませんね。

ルパン:これはおもしろかったです。p14の4行目で「貞道は立ちあがった」とあり、8行目でまた「貞道は立ちあがった」とありますが、そのあいだにいつ座ったのかな?

(2021年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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