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『女たちの物語』表紙

女たちの物語〜アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話

国際アンデルセン賞作家のヴァージニア・ハミルトンは、母、おばなど親族の女たちからたくさん話を聞いて育ちました。そして自分でも、アフリカ系の女たちが登場するそうした話をまとめたいと思っていました。そして出した本書に載っているのは、動物が登場する昔話、ちょっと怖い伝説、ファンタジー、実話と種類はさまざまですが、どれも強く印象に残ります。ディロン夫妻の絵もすばらしいですよ。ハミルトン自身による解説と、なぜこの本を出すにいたったかというもう一つの物語もついています。

〈目次〉

◯女たちの動物の話

小さな女の子とバーラビー
リーナと大きなトラ
マリーと赤い魚
仲間を手に入れたミズ・ハティ

◯女たちのおとぎ話──妖精や魔女の話

ネコ皮かぶり
よいブランシュと、悪いローズと、おしゃべりする卵
メアリベルと人魚
光りかがやく妖精を見たベットおっかあ

◯女たちの超自然の話

ほう、ほう、ほほう
メイシーとブー・ハグ
ローナとネコ女
マリンディと小さな悪魔

◯女たちの暮らしぶりと伝説

最初、女と男は対等だった
ルエラとオウム
閉じこめられた人魚
アニー・クリスマス

◯女たちの実話

ミリー・エヴァンズ:プランテーション時代(ノースカロライナ)
レティス・ボイヤー(ノースカロライナ)
メアリ・ルー・ソーントン:わたしの家族(オハイオ)

 

〈訳者あとがき〉

本書をまとめたのは、アメリカの女性作家ヴァージニア・ハミルトンです。

ハミルトンは、1934年に生まれ(1936年という情報も出回っていますが、オフィシャルなウェブサイトには34年と書いてあります)オハイオ州南西部にある祖母の一族が持っていた農場で育ちました。子どものころは、著者あとがきにもあるように、家族や親族からたくさんの物語を聞いて育ちました。両親もすばらしい語り手で、アフリカ系の人々の歴史や文化を誇りをもって伝えてくれたと言います。祖父のレヴィ・ペリーは、幼い頃母親と一緒に売られた奴隷でしたが、1857年に母親の助けを借りてヴァージニア州からオハイオまでやって来て、自由人になった人です。レヴィを助けたのは、「自由への地下鉄道」という南部の奴隷を北部に逃がすための人間のネットワークでした。

ヴァージニア・ハミルトンは、1953年にはニューヨークに出て、博物館の受付やナイトクラブの歌手などをして生計を立てながら、作家になろうと努力していました。1960年には詩人のアーノルド・エイドフと結婚し、その後作家活動に専念するようになります。

作家としては、1967年に『わたしは女王を見たのか』(邦訳:鶴見俊輔 岩波書店)を発表して以来、41点の作品を出版しました。ジャンルは絵本、昔話、ミステリー、YA小説、伝記と多岐にわたっています。『ジュニア・ブラウンの惑星』(1971/邦訳:掛川恭子 岩波書店)でアメリカで最も権威あるニューベリー賞のオナーを受賞し、『偉大なるM.C.』(1974/邦訳:橋本福夫 岩波書店)で、ニューベリー賞とボストン・グローブ・ホーンブック賞と全米図書賞を受賞しました。ニューベリー賞の本賞をアフリカ系の作家が受賞したのは初めてのことでした。その後も、『マイゴーストアンクル』(1982/邦訳:島式子 原生林)でニューベリー賞オナーとコレッタ・スコット・キング賞とボストン・グローブ・ホーンブック賞、『人間だって空を飛べる〜アメリカ黒人民話集』(1985/邦訳:金関寿夫訳 福音館書店)と、本書『女たちの物語〜アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話』(1995)でコレッタ・スコット・キング賞と、数々の賞にかがやいています。

また1992年には、全業績が評価されて国際アンデルセン賞を受賞しています。これは世界で最も権威ある児童文学の作家・画家にあたえられる賞で、この賞をアフリカ系アメリカ人が受賞したのは初めてのことでした。さらに、1995年にはローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞しています。この賞はアメリカで作品を出版し、長年にわたって児童文学に多大な貢献をしてきた作家・画家にあたえられる賞ですが、ワイルダーの作品には人種差別的な表現が含まれていることから、名称が2018年に「児童文学遺産賞」へと変更されています。

ヴァージニア・ハミルトンは、アフリカ系アメリカ人の子どもたちを主人公にし、彼らが誇りをもって読めるようなフィクションを書くと同時に、アフリカ系の人たちの間に伝承されてきた昔話や伝説を、今の子どもたちに伝えることにも力を注ぎました。『人間だって空を飛べる』や本書は、その成果と言えるでしょう。

さらなる活躍を期待されていましたが、2002年に乳がんで死去しています。

アフリカ系アメリカ人の昔話といえば、ジョエル・チャンドラー・ハリスという白人のジャーナリストが南北戦争後に南部の黒人たちから話を聞き出して新聞に掲載し、後に本にまとめた『リーマスじいやの物語〜アメリカ黒人民話集』(1881)があります。当時ベストセラーになったこの民話集は、かつては奴隷だった「リーマスじいや」が、南部の黒人たちが使うだろうとハリスが考えた言葉遣いで、白人の子どもに語って聞かせるという体裁をとっていて、ブレアラビット(ウサギどん、ウサギ兄貴)など動物たちがいろいろ登場してきます。

私はイギリスの湖水地方で、ビアトリクス・ポターがこの本を読んで描いた絵というのを見たことがあります。ポターは、その影響もあってピーター・ラビットというちょっといたずらなウサギが登場する絵本を思いついたのかもしれません。ともあれ『リーマスじいやの物語』は、アメリカばかりでなくイギリスでも広く読まれていたようです。

本書にも、「バーラビー」と呼ばれるいたずら者のウサギが登場する話が載っています。ちなみにいたずら者のウサギは、アフリカの昔話とも深いかかわりがあります。アフリカではウサギ(ラビット)ではなくノウサギ(ヘア)として登場してきますが、アフリカ系アメリカ人の昔話とアフリカの昔話には、似たような話がたくさんあって、アフリカから連行された奴隷たちが、昔話もたずさえていき、それを文化として子どもたちに伝えていたことがよくわかります。

本書の挿絵をかいたレオ&ダイアン・ディロンは共同で絵を描き活躍していました。レオはブルックリンで、ダイアンはロサンジェルスで、ともに1933年に生まれ、1954年にニューヨーク市のデザイン学校で出会って結婚し、それ以来50年以上の間、一つのチームとして仕事をするようになりました。1976年と1977年に、『どうしてカは耳のそばでぶんぶんいうの?』(ヴェルナー・アールデマ文 邦訳:やぎたよしこ ほるぷ出版)と『絵本アフリカの人びと』(マスグローブ文 邦訳:西江雅之 偕成社)とで、アメリカで最もすぐれた絵本の画家にあたえられるコールデコット賞を受賞しています。本書の挿絵を見てもわかるように、アフリカ系の人たちを威厳と誇りをもった存在として描いているのが特徴の一つとして挙げられます。レオは、残念ながら2012年に死去しています。

本書には、アフリカ系アメリカ人の女性が登場する話が五つのジャンル別に全部で19編おさめられ、それに加え、著者自身の物語も入っています。シンデレラ物語もあれば、怪力の女性船頭についての伝説、バンパイアや魔女や人魚が登場する話や、神様やイエス・キリストが登場するものもあります。そして奴隷だった時代のことを語る実話も入っています。

原書では、一つ一つの話の最後に、ハミルトン自身による解説が入っていましたが、物語そのものとは対象になる読者も違うので、本書では後ろにまとめてあります。

アフリカの昔話と同様、一味ちがう趣をもった話が多いのですが、そこがおもしろいところだし、だからこそ印象に残る話も多いのではないかと私は思っています。ともあれ、ハミルトンが書いた「はじめに」にあるように、楽しく読んでいただければ幸いです。一つだけ言い添えておくと、本書は『女たちの物語』となっていますが、男性読者が読んでもおもしろいと私は思っています。

編集の坂本久恵さんに感謝いたします。

さくまゆみこ

 

 

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ジャクリーン・ウッドソン『わたしは夢を見つづける』(さくま訳)の表紙

わたしは夢を見つづける

国際アンデルセン賞、アストリッド・リンドグレーン賞を受賞したウッドソンが自分が生まれて、南部の祖父母の家とニューヨークの母のアパートを行ったり来たりしながら少女時代を過ごし、やがて文字や文章に興味をもって作家をめざすようになるまでの反省を散文詩で描いています。

これを訳すのは結構大変でした。詩のリズムを活かしながら意味が通って行くようにしなければならなかったし、そのままではわかりにくい言葉に注を入れなくてはならなかったし、詩らしい形を整えなくてはならなかったからです。

利発で成績もよい姉オデラの陰で読み書きもうまくできなくて劣等感を感じていたこと、おとなしい兄のホープが歌の才能に恵まれていたのを知り、自分にも隠れた才能があるのかと不安になったこと、肌の色も目の色も自分たちとは違う弟のローマンに最初は違和感を持つけれどやがて弟として大事に思うようになること、大好きだった祖父や、エホバの証人の信者だった祖母のこと、いつも陽気なロバートおじさんが逮捕されて収監され、刑務所に面会に行ったときのことなど、家族のこともたくさん書かれています。

それに加え、ブラックパンサー党やアンジェラ・デイヴィス、キング牧師、マルコムXなども登場し、当時のアフリカ系の人たちがどう考えていたのか、それを子どもの目がどうとらえていたのかをうかがい知ることもできます。

(編集:喜入今日子さん 装丁:アルビレオ イラスト:MARUU)

*全米図書賞受賞
*ニューベリー賞オナー受賞
*コレッタ・スコット・キング賞作家賞受賞
*E.B.ホワイト賞受賞

 

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〈訳者あとがき〉

本書は、2014年に出版され、全米図書賞、ニューベリー賞オナー、コレッタ・スコット・キング賞、E.B.ホワイト賞など、アメリカの主要な児童文学賞を総なめにしたジャクリーン・ウッドソンのbrown girl dreamingの翻訳です。

ウッドソンは、2015年から2017年までアメリカの「若い人たちのための桂冠詩人」を、2018年から2019年にはアメリカの児童文学大使をつとめています。また2018年にアストリッド・リンドグレーン記念文学賞、2020年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞しているので、まさに現代のアメリカの児童文学界を第一線で牽引している作家といってもいいでしょう。

本書はそんなウッドソンの代表作の一つで、オバマ元アメリカ大統領も、アメリカの人種問題を理解するために本書をすすめています。

最近アメリカでは、詩の形式で書かれた物語がたくさん出版されていますが、本書も散文詩で書かれています。それについてウッドソンは「普通の文章で書けば、時系列や因果関係や起承転結をはっきりさせないといけないけれど、これは頭に浮かんでくる思い出を書きとめたものなので、こういう形式がふさわしいと思ったのです」と語っています。

1963年にオハイオ州コロンバスに生まれたウッドソンは、若くして離婚した母親といっしょに、母親の実家があるサウスカロライナ州グリーンビルと、母親が引っ越した先のニューヨーク市ブルックリンを行ったり来たりしながら育ちます。本書はそんなウッドソンの半生記と言えますが、ウッドソンが幼いころから文字や言葉に興味をもっていたこと、それでも読んだり書いたりすることがうまくできずに優等生の姉にコンプレックスを抱いていたこと、先生に励まされて自分の才能に気づいて行くところなどもリリカルに語られており、彼女が作家になっていく道のりを垣間見ることができます。祖父母、父母、きょうだいなど家族のことも、ひとりひとりのイメージがくっきりとうかぶように描かれているのが、おもしろいところです。

また祖父母のいるサウスカロライナにまだ残っていた人種差別についても、キング牧師、マルコムX、アンジェラ・デイヴィスといった先輩たちの公民権運動やフェミニズム運動から受けた影響についても、子どもの視点から描写されているので、BSM(ブラックライブズマター)の背景についてもわかっていただけるのではないかと思います。

詩の翻訳はむずかしく、さまざまに迷いながら訳しましたが、若いみなさんに楽しんでいただければ幸いです。

 2021年7月 さくまゆみこ

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『彼方の光』表紙

彼方の光

木の葉:読み応えがありました。2人の逃亡を助けてくれるのは善人ばかりではないし、現代の考え方だと肯定できない人もいることにリアリティを感じました。黒人差別を扱った読み物では、主体的で向上心のある人物像が描かれることも多いですが、この本の主人公はそうではなく、境遇ゆえに、とくに最初の頃は無知で無力。いつまでも奴隷主をだんな様と言い続けるのが切なかったです。彼らを助けるさまざまな人の中では、川の男が心に残りました。とても苛烈ですが魅力的です。このところ日本でも多く翻訳されている黒人の苦難の物語を、アメリカの白人の子どもたちはどんな風に読むのか興味があります。というのは、日本の読者にとって、黒人差別の問題はホロコースト同様、ある意味では良心の呵責なく読むことができるからです。日本人がもっと取り組まねばならない日本の問題がある、ということでもあるのですが。それから、逃亡先としてのカナダという国について、もっと知りたくなりました。

ハル:それがもっとも悲しい部分なのかもしれませんが、主人公の少年が逃亡すること自体に消極的だったためか、劣悪な環境に私の気持ちが引っ張られすぎたからか、期待したほどハラハラドキドキはできませんでした。小説としてのおもしろさは、私にとっては満点じゃなかったです。木の葉さんもおっしゃっていましたが、白人の子や、いまの子たちが、どう読むのかなというのは、私も気になりました。

ルパン:私はとてもおもしろかったです。はじめ、サミュエルが、白人の所有者から逃げ出す意味が全然わかっていないところにイライラして、「ちゃんと言うこときいて!」とか「つべこべ言わずにハリソンについて行け」とか「なんでこの子を連れてくんだ!?」とか思いながら読んでいたんですけど、最後の最後で機転をきかせて、一緒にいたおとなたちも助かっちゃうところでは、「よーし!よくやった!」と、思わずガッツポーズでした。あと、せつなかったのは、白人のドレスを何枚も盗んで重ね着して逃げていく黒人女性が、「川の男」に、それを脱いで置いて行けと言われるのに脱ぎたくなくて、最後は川に流されてしまうところです。死と引き換えてでもきれいなドレスを着ていたかったのかな、と思うと・・・この女性も記録に名前が残っているんですよね。実在の人物とあるだけに、このあとどうなったかと思うと心が痛みます。

ネズミ:物語として楽しんで読みました。きっとカナデイにたどり着くのだろうと思って読み進めたのですが、途中で思いがけない展開があって、ドキドキしながら先を読まずにいられませんでした。当時のさまざまな事情が物語にとりこまれていますが、その一方で、予備知識がなくても楽しめる作品になっていると思います。ハリソンの冗談めかした口調など、登場人物の言葉づかいがていねいに訳され、物語としての豊かさを感じました。

花散里:表紙画から感じる重たい暗い印象が、読んでいてもずっと続いているような気がしました。顔を傷つけられたり、ろうそくの火に手をかざさせられたり、人としての尊厳を奪われ、まるで物や道具のように売り買いされ、家畜のようにこき使われた奴隷たちについて、現代の子どもたちはどのように読むのかと思いました。現在でも問題になっている黒人差別について、このような歴史的背景を知り、この本からも考えてもらえたらと思いました。川の男や、たくさんの服を着て香水をつけた女の人など、登場人物も印象的な人がいて、物語の厚みを感じましたが、「シゴーコーチョク」は子どもに意味がわかるのでしょうか。「あとがき」の字が小さくて大人に向けて書かれているのかと思いました。地下鉄道についてなどを知るためにも最後の地図は役立つと感じました。

カピバラ:タイトルから、きっと最後は光が見えるのだろうと予測できたのですが、それでもやはりハラハラどきどきの連続で、帯に書いてあるとおりまさに「一気読みの逃亡劇」でした。非常に過酷な状況が描かれていますが、主人公サミュエルの子どもらしい見方や考え方がときにほほえましく感じられるのに救われました。情景描写が細やかなので臨場感がありますが、すべてサミュエルの目を通して描かれているのが良かったと思います。たとえば、p165真ん中あたり、「頭の上には、大きな鉄製のランプが天井からさがっていた。思わず、黒いクモがあおむけになって、足の一本一本に白いロウソクをもっているところを思いうかべた」。情景がとてもよくわかると思います。
印象に残った描写が随所にありましたが、中でも、p113で川を渡してくれた男が語ったことです。「老人と旅をしたことがある」というんですね。8歳の時、年寄りの黒人と鎖でつながれて歩かされた。「その老人は、おれたちをつないでる鉄の鎖をもちあげて、その重さができるだけおれにかからないようにしてくれた」という部分です。ハリソンはぶっきら棒でサミュエルに優しい言葉などかけはしないけれど、この老人と同じ気持ちを持っていることを暗示していると感じられ、印象に残りました。だからこそ、ハリソンがおじいちゃんだと気づくところは感動しました。地下鉄道を扱った物語は今までもいくつか翻訳されており、私もそういったものを読んで初めてその歴史的事実を知りましたが、まだまだ数は少ないので、この本が翻訳されたことはとても良かったと思います。今またBlack Lives Matterで日本でも関心を寄せる人が増えてきたので、子どもたちにも知ってほしいと思います。一般文学では、奴隷制度を扱う場合にどうしても事実を知らせるという意味で残忍な描写を描くことが多いですが、児童文学は、奴隷制度に抵抗する活動として「地下鉄道」にかかわる人々の勇気や人間愛を描いて、過酷な運命や差別を乗り越える力を伝えようとすると思います。それが大人から子どもへのメッセージになっていると思います。

まめじか:サミュエルは物音に驚いて急に逃げだすような臆病な子で、絶対に川に入らないと言い張るなど、強情な面もあります。そんなふつうの、等身大の姿が描かれているのがよかったです。農場の狭い世界で育ち、トウモロコシ畑より先には行ったことのなかったサミュエルは、「わしらのもんはなにひとつない」「池という池、魚という魚はぜんぶ白人のもんだし、連中は、わしらのもってるもんはなんであれ取りつくそうとする」というハリソンのせりふに集約されるような状況で、自分の人生を取りもどすための旅に出ます。命がけの逃避行のあいだ、深い悲しみの中にあって現実と幻の境がつかなくなったテイラー夫人やグリーン・マードクなど、いろんな人に出会います。決して善意で動いているような人たちだけじゃないし、黒人谷で暮らす人々も、中には助けてくれる人もいれば、見捨てる人もいる。サミュエルは人に会うたびに、信用できるかを判断し、その過程で人を見る目が養われ、最後には知恵を働かせて危機を脱する。そこに説得力がありました。

ハリネズミ:アメリカの国内だとまだ奴隷所有者に雇われた追っ手に捕まる可能性があるので、別の国であるカナダに逃げるのですね。では、カナダが過去に人種差別のまったくない国だったかというと、そんなことはなくて、先住民に対する差別はずいぶんあったと聞いています。アメリカやカナダには、Black History Monthという黒人の歴史を学ぶための月があって、アフリカ系の人たちが連行されてきたことや、社会の中で果たしてきた役割を、学校などでも勉強するんですね(あとで調べたら、今はイギリス、アイルランド、オランダなどでも同様の月間があるようです)。そういう際には、このような本も使って、白人でもアジア系でもみんなアフリカ系の人たちのことを学び、多様な見方を身につけていくんですね。そしてそういうところから、たとえばローラ・インガルス・ワイルダー賞という名前も、白人の歴史しか見ていなかった作家の名前を冠しているのはまずいんじゃないかという意見が出てきて「児童文学遺産賞」に変わったりする。一方、社会を変えていくための様々な工夫が、日本ではとても少ないので、女性差別にしてもなかなか変わらないんじゃないかなと思います。この本で何を日本の子どもに伝えるか、という点で言うと、いちばんはカピバラさんもおっしゃっていたように、「地下鉄道」のことかと思います。実際に鉄道があったわけではなく奴隷を逃がすための人間のネットワークですが、この「地下鉄道」にかかわったいちばん有名な人はアフリカ系のハリエット・タブマンという女性で、「車掌」(案内人)になって、多くの奴隷の逃亡を手助けしました。タブマンは20ドル札の絵柄になることがオバマ政権で決まっていたのですが、トランプがストップさせ、今はまたバイデンが実行しようとしているようです。タブマンは黒人ですが、白人も先住民も逮捕覚悟でこの「地下鉄道」の担い手になっていたのです。中には金儲けになるからと考えた人もいるのでしょうが、それにしても見つかれば重罪になるわけですよね。そうした危険にもかかわらず、人間を人間として扱わないのはおかしいと考える人たちがいたことを知るのは、日本のこどもにとっても希望になると思います。斎藤さんの訳もいいし、ずっとこの子の視点から旅路を追っていくのがとてもいいと思いました。希望はなかなか見えてきませんが、「光」という言葉があるのでそれを頼りに読み進めることができると思います。

アンヌ:読み始めた時はサミュエルたちがカナダを目指しているとは気付かず、暗闇の中を行くような逃避行だと感じて読むのがつらく、何度か本を置きました。川の男に会って「自由黒人」という言葉を知り希望を持て、そこからは一気読みでした。黒人谷で病床のハリソンの枕元でベルが「沈黙は永遠の眠りを招く・・・だから、あたしは家のなかをたくさんの言葉で一杯にするの」と言う。このp235のベルの言葉は、言霊で命を結び付けようとするようで、好きな場面です。そして、そんな瀕死の時でもハリソンがサミュエルに祖父と名のらないほうがつらくなくていいと思い込んでいることに、とても悲しい思いがしました。読み終ってから地図があるのはよかったと思いました。表紙の絵は、原書では三日月と身をよじる少年の絵だったけれど、日本語版は満月と影絵で、なんとなく希望を感じられて、いい表紙だと思いました。

はこべ:最初は頼りない主人公が、逃避行をつづけるうちに成長していく様子と、史実に基づく重みが2本の柱になっている力強い物語で、一気に読んでしまいました。冒頭の、主の息子が主人公を残酷な目にあわせる場面にあるように、観念的ではなく、すべて細かい描写で綴っていく手法が効果的で、素晴らしいですね。特に、川の男。こういう人物を創り上げる作家はすごいと思ったら、実在の人物なんですね。主人公たちを救う活動に協力しながら、銃をつきつけて相対する未亡人も、実際にモデルがいたのではないかしら。克明な描写で登場人物の背景や心の内まで浮かびあがらせているのは、優れた翻訳の力があってこそだと思います。たしかに描かれている事実は暗いものだけれど、子どもの目で語られているので理解されないということはないし、暗いから、難しいからとためらわずに、ぜひ子どもたちに薦めていただきたい本だと思います。

コアラ:地下鉄道のことは、この本で初めて知りました。多くの人がサミュエルとハリソンを助けてくれますが、相手が本当に味方なのか、裏切られるんじゃないかという状況が、サミュエルの側に立って書かれています。ハリソンでさえ、途中で、訳のわからないうわごとみたいなことを言うんですよね。何を信じたらいいかわからない状況に放り込まれた感じで読みました。印象的だったのが、p169で、ハリソンが「紙に書いたものが嫌いだ」と言って、牧師が書いた自分たちの物語を破って捨てたこと。善意が相手に喜ばれるとは限らないことがよくわかったし、それほどハリソンがつらい思いをしてきたということが、読んでいてつらかったです。p266の4行目では「あのときのぼくはカナダのことを考えようとしていた」という文章が出てきます。あ、助かったんだな、助かった後でそのときのことを振り返った文章なんだな、と思いました。それで、そのあとの場面でつかまった時も、どんな風にこの絶体絶命の危機を乗り越えるんだろうと期待して読むことができました。「あのときのぼくは〜」のような文章は、けっこう大事だと思います。あと、花散里さんと同じように、私も「あとがき」の文字が小さいと思いました。地下鉄道という言葉は「あとがき」にしか出てこないんですよね。この文字の小ささだと、本文を読み終わった子どもが「あとがき」まで読むのかな、とちょっと残念でした。暗い感じの物語だけど、日本の子どもたちにも知ってほしいと思いました。

エーデルワイス:サミュエルが、賢い機転の利くような子ではなく、逃亡に引きずられるようについていくような、好奇心と少年らしい危うさがあり、そこが好きです。そして最後の最後でみんなを救うところが素敵。購入した本には「史実に基づいた・・・」とあるようですが、図書館の本には帯がないので、あとがきを読むまでそのことはわからない。地図は最後でよかったのか、最初にあった方がよかったのか、疑問に思いました。サミュエルが追い詰められる、不安な心境の表現に、p12に「ぼくはのどがつまるような気がした。まるで、大きなヘビがのどに巻きついたみたいだ」とありますが、この表現は度々出てくるので、いかに厳しい逃亡かわかります。ハリソンはサミュエルの母親の合図の毛糸玉を見て逃げることを決意するのですが、果てしない距離を、人から人へと繋いで運ばれてきたことを想像すると、すごいネットワークだと思います。またカナダまでの逃亡ルートがわかっていて底力みたいなものを感じました。

マリンゴ: 教育をあまり受けず、常に威圧されながら育った黒人の少年の、いつも怯えて追われているような、自由とは何かを考えたこともないような感じが、とてもよく伝わってきました。人に恵まれて、裏切られることがないので、逃亡劇としては順調だけれど、ハリソンが病気になったり、白人のパトロールが来たり、最後の最後、船に乗る前にクライマックスがあったり、山場が作られているので、ハラハラしながら一気に読めました。どうでもいいことをしゃべり倒している白人の行商人など、キャラクターがそれぞれ立っているので、物語がより魅力的に思えます。地図を見たい!と思ったら最後に用意してくれていたのもありがたいです。

しじみ21個分:大変に重厚で、読み応えがある作品でした。アメリカの作家が主にはアメリカの子に向けて自国の歴史について書いているのだろうと想像したのですが、今のブラック・ライブズ・マターを考える上で必ずアメリカ国民として知ってなければいけないことなのではないかと強く感じました。私は察しが悪くて、なんでハリソンが足手まといになるサミュエルを連れて逃げるのか、全然わからなかったのですが、あとで謎解きがあって、「あー!」と思いました。私も川の男の印象はとても強くて、ドレスにこだわって駄々をこねるヘイティの乗る舟を足で川にけり戻してしまうシビアさに、逃げる方も支援をする方も命懸けだったということを感じるとともに、彼がサミュエルに伝えた言葉が最後にサミュエルを鼓舞し、みんなを救ったという結末に結実してさらに印象深くなりました。逃避行の間、サミュエルとハリソンが暗い中でずっと息をひそめ、身を隠していなければならなかったつらさは想像を絶します。でも、逃げおおせて最後に「ヒャッホー」と終始気難しかったハリソンが歓声を上げて、青い空を見上げている場面には大きな解放感があり、とても読後感が気持ちよかったです。黒人奴隷の歴史の事実は、おそらくもっと陰惨で、家畜よりもかんたんに殺されていたのかもしれません。その過酷な事実を日本の子どもがどこまで感じ取れるかというのが肝だと思いましたが、歴史を知るということは非常に重要だと思います。あとは、これも察しが悪かったのですが、「カナデイ」が「カナダ」だとはじめはわからなかったし、レバノン川がどこなのかとずっと気になっていました。後半で突然、カナデイはカナダとして文章の中で通用し始めたところには少し違和感がありました。また、シゴーコーチョクというようにハリソンの喋りは、カタカナで傍点が、どういうなまりや言い間違いがあってこうなっているのか、元の英語がわからないので気になってモヤモヤしました。

さららん:自分が黒人の歴史をどのくらい理解し、自分のものとして捉えているかが、この本を読んで問われますね。BLMの報道を見るときの目が変わり、その意味でも読むべき1冊でした。主人公たちの状況はとても過酷です。命を失うことになっても、人間として生きてほしいとの思いから、老人ハリソンは大きな賭けに出たのですが、その怒ったような口調にも、サミュエルへの深い愛情を感じました。それは優れた訳だからこそですね。船を漕いで渡してくれた男は冷酷な一面を見せますが、同時にサミュエルにとても大事な教訓を与え、人間の複雑さを感じさせる魅力的な脇役でした。モデルがいたと聞いて、納得しました。最後に、サミュエルの機転を認めたカナダ国境の警察官の粋な計らいも忘れられません。

すあま:だれがいい人か悪い人かわからないため、最後まで読み終わらないと安心して眠れない、という感じでした。地下鉄道など、物語の背景についての知識があった上で読んだ方がいいのかな、と思ったけれど、逆にこの物語を読むことによって知ることができればそれでよいとも思いました。主人公が泣いてばかりでだめだったのが、次第に生き抜く力をつけ成長していくのがよかったです。お母さんについては、だんだんと何があったかわかってくるようになっていますが、だいぶ想像で補わなければならないので、もう少し明らかにしてほしかったと思います。最後は、後から回想する形であっさりした感じでした。ずっと重苦しいので、読むのはちょっとつらかったです。もう少しユーモアがあってもよかったかな。

サークルK:図書館に本が届いたのが当日だったため内容についての細かな個所はパスさせていただきますが、人種差別ということから、最近の映画で『ドリーム』(原題: Hidden Figures マーゴット・リー シェタリー/原作:邦訳『ドリーム〜NASAを支えた名もなき計算手たち』 山北めぐみ/訳 ハーパーコリンズ・ジャパン)というNASAで優秀な仕事をした黒人女性の実話を思い出しました。また、作中の「地下鉄道」という奴隷たちを逃すための秘密の手段についても、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』(斎藤英治/訳 ハヤカワepi文庫)の続編『誓願』(鴻巣友季子/訳 早川書房)に登場する「地下の逃亡路」を思い出し、『彼方の光』に描かれる実話が大人向けのフィクションにもつながっていくことを実感しました。これを児童図書として読む子どもたちの想像力を深く刺激して問題意識を持つきっかけになるのだろうな、とみなさんの感想を伺って思いました。

カピバラ:p180の「ボンネットをかぶると、つばが大きくて、目の前の小さな丸いすきま――大皿くらいの大きさだった――のほかにはなにも見えなかった」ですが、小さな丸い隙間なのに大皿ぐらいというのがよくわかりませんでした。

はこべ:顔の周囲をぐるっとおおうくらいつばが大きいボンネットだと、そういう状態になるんじゃないかな。

ハリネズミ:目の前が大皿の大きさくらいしかあいてないということなんじゃないかな。

カピバラ:「小さな」「すきま」だともっと小さいんじゃないかと思うのにどうして大皿?と思ったんです。

ハリネズミ:先日のイベントでは、翻訳者の斎藤さんが、この本での黒人の人たちの会話は、南部の黒人言葉でふつうの英語とは違うのでどう訳すか悩んだけれど、カナダをカナデイと言っているところだけはそのまま残したとおっしゃっていました。さっき、地図が前にあったらいいか後ろにあったらいいかという話が出ましたが、地図が前にあったらカナダまで行けるのがわかってしまうので、後ろでいいのだと思います。それから地下鉄道で逃げた人で、子連れというのはめずらしいようです。

ルパン:今、テレビ番組でアイヌを侮辱する発言があったということが問題になっていますが・・・「あ、イヌ」というダジャレを言った芸人だけでなく、番組を作るスタッフとか、テレビ局の人が誰もアイヌの歴史を知らなかったというところに問題を感じます。アイヌの人たちがそう言われて差別を受け続けてきたという事実を誰か1人でも知っている人はいなかったのかな、と。私は子どものときに『コタンの口笛』(石森延男/著 東都書房など)という本を読んでそのことを知りました。その時は意味がわかっていなかったけれど、ずいぶんあとに、大人になってから気がつきました。あの本を読んでいなかったら私もこういうことに鈍感になっていたかもしれない。児童書の役割って、そういうところにもあるのかな、と思います。ですから私はこの本は文庫の子どもたちに読んでもらいたいと思います。

ハリネズミ:『コタンの口笛』はよく読まれて映画にもなったと思いますが、批判もあります。今ならアイヌの人が書いた作品も読めるといいですね。BLMについては、アフリカ系の多くの作家が書いていますが、ピアソルは白人の作家です。だから白人の子どもたちにも読みやすいということも、もしかしたらあるのかもしれません。

エーデルワイス:逃亡中の食べ物の話はリアリティがあります。列車で逃亡したら、トイレにも行きたくなると思いますが、それは出てきませんね。大人の本だったらその辺も書くのでしょうか。私たち東北人は震災の時トイレで苦労したので。

(2021年03月のオンラインによる「子どもの本で言いたい放題」より)

 

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『希望の図書館』表紙

希望の図書館

たんぽぽ:おもしろかったです。最初は、差別を描いた本かなと思いましたが、違っていました。主人公に、心なごむ場、図書館があり、本当に良かったと思いました。個人的には、お母さんが好きな詩の作者の名前を自分につけてくれたことを、お父さんにも話し、心ゆくまで語り合ってほしかったです。

マリンゴ:非常に落ち着いた静かな筆致で、素敵な作品だと思いました。母が詩人ラングストン・ヒューズをとても好きだったことを主人公は知って、でもそれを父には言えない、というくだり。「本」に出会って、世界の見え方が変わってくる象徴的な場面で印象的でした。ほぼパーフェクトな本ですが、少し気になったのは、終盤まで、ラングストンが小学中学年くらいにしか思えない点でした。たとえば、階段を上がるフルトンさんのおしりを見るシーンが、幼い子の反応のように思えたりして。クレムと話すようになって、ライモンと対決するあたりで、急に中学生らしくなる印象がありました。

まめじか:ラングストンは11歳ですね。

マリンゴ:なるほど。11歳だと、小学中学年とは誤差の範囲内と言えますね。うーん、やはり幼い気はしちゃいますけども。あと、最後の7行くらいが、物語を総括しすぎていて、ないほうが余韻が残ったかもしれないとは思いました。

サークルK:原題は“Finding Langston”(ラングストンをさがして)というものですが、邦題は読者にわかりやすいように、主人公にとって図書館が希望そのものになっていくテーマそのものを表現していて良かったと思います。実在する詩人のラングストン・ヒューズの詩を知識として知っていたら、さらに重層的に楽しめるのだろうと思われました。フィクションの中に、このような形でノンフィクションをうまく取り込んでいるところがうまいと思います。母・妻を亡くして田舎から都会へ引っ越してきて、息子と父親がすれ違ってしまうのかと思いきや、徐々にまた歩み寄っていく描写や、フルトンさん(パール)が単なる隣人ではなくなっていく描写も行き届いていて、しみじみとさせられました。

カピバラ:まず、なんて素敵なタイトルでしょう。日本の読者はタイトルに「ラングストン」という名前があってもピンとこないでしょうから、変えたのだと思いますが、良いタイトルだと思います。本を読むのが好きな子どもが、はじめて図書館に行ったときの気持ちは想像しただけでワクワクするものがありますが、ラングストンは、帰り道がわからなくなったので聞こうと思って、偶然に図書館を見つけるわけですね。その場面の描写がとてもリアルで印象に残りました。閲覧室に通され、「図書館の空気を吸いこむと、古い紙や糊のにおいと、木のにおいがした。母さんがよく作ってくれた、ピーチパイよりいいにおいだ。ここにある何もかもが新しくみえ、ぼくのくたびれたくつが、もっとくたびれてみえた」(p46)と、目に入ったことと、においを描写しているのがリアルで良かったです。いちばん好きなところは、その後の「ぼくは本棚に近づいて片手ですうっとなで、帰り道をきくことなんてすっかり忘れていた」というところと、「どれでも好きな本を、借りられますよ」と司書に言われ、「どれでも好きな本」と、誰に言うともなくささやいた、という描写。気持ちが手に取るようにわかり感動しました。お父さんや亡くなったお母さんの描写もとてもうまく、どんな人なのか、息子とどんな関係性だったのか、よくわかりました。特にお父さんは、妻を失った悲しみが大きく、働くことにいっぱいいっぱいで、息子への愛情をうまく伝えられない。でも父と子は、たった2人の暮らしの中で、少しずつ理解しあっていくのがうれしかったです。ラングストンは、ラングストン・ヒューズの詩に大きな共感をおぼえ、勇気づけられていくのですが、優れた詩、あるいは文学には、どれほど子どもの背中を押す力があるのかがわかり、印象に残りました。2020年に読んだ本の中でいちばん好きな1冊でした。

木の葉:出版からほどなくして読んだのですが、今回再読する時間がとれず、あまり内容は覚えていません。ただ、とても読後感がよかったことだけは、よく覚えています。今回、パラパラと本をめくって、フルトンさんも素敵だったな、と思ったり。それから、ラングストン・ヒューズの詩をちゃんと読んでみたくなりました。本のサイズと形はどうなのでしょうか。私は広げて読むのに、ちょっと持ちづらいなと思いました。

さららん:私もp46の図書館に入ったときの描写、「図書館の空気を吸い込むと・・・ピーチパイよりいいにおいだ」というところが、いいなあと思いました。そこに至るまで、アラバマから父さんと2人でシカゴに来た主人公ラングストンの、暗い日々の描写が続いただけに、図書館で初めて解放された主人公の心情に、強く揺さぶられたんだと思います。リサ・クライン・ランサムはすごくいい作家だ、と感心しながら読み進めました。ラングストンが詩の中に見つけた母さんの秘密を、父さんにあえて明かさないところが、父さんと息子の関係に奥行きを与えています。そして物語全体を通して、言葉の力を信じる気持ちが強く伝わってきます。p136でフルトンさんの朗読を聞いたあと、ラングストンが「今夜はぼくの頭の中の〈声〉がぎこちなく詩を読むのをききたくはなかった」という一文がありましたね。フルトンさんの声をしみじみ味わっていたかったと感じる主人公は、そこで音の芸術としての本物の詩に出会ったんでしょう。司書のクックさんもふくめて、未知の大人との出会いにより、知らない世界に目を開かれ成長していく主人公を描き、その主人公が今度は父さんをも変えていくところに惹かれます。

まめじか:スコット・オデール賞を受賞したときから気になっていた本です。そのとき調べたので、11歳だということがわかった上で翻訳を読むことができましたが、たしかにラングストンの年齢はわかりにくいですね。言葉づかいも少し幼く感じました。p183で、なぜ詩が好きなのかときかれたラングストンは、「だれかがぼくだけに話しかけている感じがする」「ぼく以外のだれかが、ぼくのことをわかっていてくれている感じがする」と言いますが、これはまさに詩の本質ですよね。自分の心に直接語りかけてくるような親密さというか。北部への黒人の移住とか、ポートシカゴの事件とか、アメリカの歴史を背景に、南部にくらべてにぎやかすぎて寝つけないとか、ラングストンが五感で感じたことがしっかり描かれています。

しじみ21個分:コロナで読書会が延期になる前に読んで、今回読み直しましたが、ますますこの本いいなあと思いました。ラングストンの視点にずっと寄り添ってお話を読むことができました。また、表現が非常に体感的でリアルだったので、図書館の中に初めて足を踏み入れたときの感覚、中を見回す感触、図書館の請求記号がわからなかったり、図書館で知らない言葉をおぼえていくときの頭の中の動きの感じだったりとか、ラングストンの感覚を追体験することができ、映像が眼前に広がりました。また、息子から見たお父さんの姿っていうのもリアルで、田舎から大都会シカゴに出てきて働き詰めで、不器用で、不愛想で息子への愛情もうまく表現できないという人物像もしみじみと胸にしみてきました。アメリカと日本とで文化的な背景が異なるなと感じたのは、詩の描かれ方で、アメリカでは詩や詩人がより高く評価され、浸透していると感じました。ラングストン・ヒューズの詩も多く引用されていましたが、自分が好んで聞いていたブルースから受ける印象と全く同じで、物語の後ろにブルースが聞こえているような感じを受けました。図書館司書の描かれ方も親密すぎず、でもきちんと利用者のニーズに応えているという点がリアルで好感が持てました。また、フルトンさんが読んだ詩を思い出し、つっかえつっかえになった自分の声を思い出さないようにするというのもいじらしくて、胸にぐっときたところでした。

アンヌ:私はラングストン・ヒューズの詩を知らなかったのですが、以前読んだ『リフカの旅』(カレン・ヘス/作 伊藤比呂美+西更/訳 理論社)と同じく、児童書の中で詩と出会うと主人公になって詩を読めるので、この物語のおかげで国も言葉の違いも関係なく詩と出会うことができてうれしいです。引用されている詩を調べようとしている途中なのですが、元の詩の省略されている部分とかを知ると、なるほどこういうふうに作者は物語の中に生かそうとしたのだなと仕組みがわかってきてさらに楽しめます。図書館に行くと偶然手に取った本に運命を感じることがあるのですが、この主人公も図書館で詩に出会い、その中に自分に語りかけてくれる言葉を見つけることができたし、母の秘密を知ったりもするし、父や周囲の人と会話できるようにもなる。そんな図書館と詩の魅力が詰まった読み応えのある本でした。

エーデルワイス:『ソロモンの白いキツネ』(ジャッキー・モリス/著 千葉茂樹/訳 あすなろ書房)の設定によく似ているなと思いました。主人公の男の子が母親を亡くし、父親と都会に出て、学校でいじめられ、居場所がないという。この本の主人公ラングストンは図書館に居場所を見つけました。酒井駒子の絵の表紙が素敵で好きなのですが、原書にも元々の表紙があると思います。日本人に合わせて表紙を変えているのでしょうか?そこのところを教えて頂きたいです。都会にいる黒人が田舎から来た黒人を差別することもあるのですね。黒人を蔑視する言葉に、北部の「ニグロ」に対し、南部の「カラード」の言葉があるということも今回初めて知りました。ショックでした。あと、詩が日常的に、家庭でも暗唱、朗読されるというのが素敵でした。p152~153、p163、p164など印象に残っています。

サンザシ:原書のFinding Langstonの表紙には、日本語版と同じような服装のアフリカ系の少年が大都会のビルの狭間で立ち尽くしているところが描いてありますね。それだと図書館や本とのつながりがわからないから、酒井さんに依頼したのでしょうね。判型も小学校高学年から手にとってもらいたいということで、敢えてYAとは違えているんでしょう。ただ主人公のラングストンは、最初は寂しいんですけどかなりのエネルギーを持った子どもなんで、この表紙絵とはちょっとイメージが違うように私は思いました。それから当時のアメリカ南部と北部はずいぶん違ったのですね。南部のアラバマでは、黒人が図書館を利用できなかったことは、初めて知りました。それから、黒人の貧しい少年にとって、自分と同じような境遇の作家が書いた作品を読むと、そこに自分がいるような気になるし、主人公といっしょになって本の世界が体験でき、そこから次の一歩が踏み出せるようになるということが、よくわかりました。p183でクレムが「詩のどんなところがいいの?」ときいたのに対して、ラングストンが「そうだな……だれかがぼくだけに話しかけている感じがするのが好きだ。それに、ぼく以外のだれかが、ぼくのことをわかってくれている感じがする……ぼくの気持ちを」と言っているのですが、ここはとても重要だと思いました。p10に「まるで立派な住まいみたいに〈アパート〉って呼ぶけど」とありますが、日本のアパートのイメージとアメリカのアパートメントとは違うので、ちょっと違和感がありました。それから、ラングストンが親の手紙をこっそり読む場面で、p116「読めない部分もあるけど、読みたくない言葉もあった。〈ヘンリー〉とか、〈愛してる〉とか、〈ティーナ〉とか」とありますが、どうして読みたくないのかがよくわかりませんでした。

まめじか:自分の両親がストレートに愛情を示し合っているのが気恥ずかしかったんじゃないですか?

サンザシ:日本人ならそうでしょうが、アメリカ人だし、母親が亡くなっていて、2人が愛し合っていたということがわかるのはうれしいんじゃないかな、と思ったんですけど。

しじみ21個分:父と母との秘密、2人の心の奥底、に踏み込みたくはなかったということですかね?

サンザシ:主人公の年齢は、私も中学生かと思っていました。

アンヌ:p130に、「あと二年したら、ぼくも高校生になる」とあります。

サンザシ:私も中1だと思って、それにしては幼いなと思っていました。特に前半部分は小学校中学年くらいのイメージですよね。アメリカの学校制度は地域によっても違うのですね。この本だと中1だと思って読む読者が多いかもしれないので、もう少し工夫してもよかったかもしれませんね。

すあまラングストンに共感して読み進めることができました。自分が初めて大きな図書館に連れて行ってもらったときのうれしかった気持ちを思い出しました。そして、ラングストンが図書館で手にした本が物語ではなくて詩なのがよかったと思います。詩であったことで、ブルースの好きなお父さんにもわかってもらえたのでは。そして、一緒に図書館に行くというラストもいいなと思いました。フルトンさんは、最初はいやなおばさん、という印象だったのが、ラングストンの目を通してだんだん素敵な女性に思えてきました。表紙の絵の印象で、幼い男の子の話なのだと思って、これまで手にとっていませんでした。実際に読んでみたら、もっと男同士の親子の話で、ラングストンも体格がよくて、いい意味でイメージが違いました。それから、物語には出てこなかったけれど、ラングストンがいつか詩人のラングストンと図書館で会えるといいなと思いました。

花散里:この本が出版されたときにすぐ読んで、とても良い本だったという印象が今も強く残っています。今回、読み返して、やはりとても良い作品だと思いました。酒井駒子さんの絵はあまり好きではないので表紙画は気にかかりました。この作品に登場してくる図書館司書は良いと思いました。シカゴ公共図書館ジョージ・クリーブランド・ホール分館についても作者あとがきで知ることが出来て良かったです。ラングストンという名前を付けたお母さんのことは最初、読んだ時から印象に残っていましたが、今回、読み返して、お父さんがとても印象に残りました。フルトンさんも最初に登場した時の印象が段々と変わり、ラングストンに詩を読んでくれるときのフルトンさんの様子がとても良いと思いました。ラングストン・ヒューズの詩を読み返したりしたいと思い、本を購入しました。絵本『川のうた』(E.B.ルイス/絵 さくまゆみこ/訳 光村教育図書)も読み返しました。詩を読んでいくことなど、この作品を子どもにどうやって手渡すのかは難しいと感じていますが、読んでほしい作品だと思います。

ルパン:こちらは先ほどの作品と反対に「おもしろかった」ということしか覚えていないくらいです。最初から最後まで夢中で読みました。いちばん印象に残っているのは、フルトンさんのお尻が揺れる描写。インパクトありすぎて、なんかすごいおばさんというイメージだったので、お父さんと再婚する可能性があるとわかってびっくりしたことです。

シア:すごくいい本で、丁寧で心情豊かな描写で、文句の付けようがありません。話の軸もぶれていないですし、内容も素晴らしい。フィクションですがリアリティがすごいです。アメリカの当時の文化や歴史について理解しやすいし、興味がわいてきます。背景描写まで細かく書き込まれています。お母さんはかわいそうな設定ですが、「すきっぱ(透きっ歯)」という表現がされているので、幸せであることがわかります。「すきっぱ」はアメリカでは幸せを運んでくると言われていて、人気があるんです。そういうところが細かいなと。この本は図書館というものが古くから地道に社会に与えてきたものや及ぼす影響など、その偉大さについて伝えてくれます。最近の図書館は指定管理者制などが取り入れられ方向性を見失ってきているので、ぜひ、みなさんに読んでいただきたいと思います。図書館が連綿と守ってきたものを今一度教えてくれる1冊です。

ハル:先ほど話題に出たp116の「読みたくない言葉」(~読みたくない言葉もあった。〈ヘンリー〉とか、〈愛してる〉とか、〈ティーナ〉とか。)のところですが、私なんて一瞬「やだ、お父さん不倫?」とか勘違いしてしまいました(笑)。こんな人は少ないと思いますけど、やっぱり「読みたくない」は、もうちょっと気を使った表現でもよかったのかなと思いました。全体として、ラングストン少年の目で見た景色や感覚、なつかしいアラバマの描写も美しくて、引用されている詩もとても効果的で、良い本に出合えたなあという気持ちになりました。私はあまり「詩」にはなじんでこなかったので、私もこの本で、「詩」というものに出合えたような気がします。ただ、邦題の『希望の図書館』はちょっと違う話を連想させるような・・・。「希望の~」って、ちょっとテーマと違うんじゃないかな・・・と違和感を覚えました。でも、このタイトルで、この判型で、この装丁で、いかにも名書!という感じでまとまっていて。これも読者の手に届けるための工夫なんだろうなぁと、勉強になりました。

ネズミ:とてもよかったです。アメリカという国で図書館がとても大事にされているということを痛感しました。知というのか、知識に誰もがアクセスできるという、図書館の精神や理念というものがしっかりあるんだなと。私は、お父さんがラングストンと話すときに、妻のことは「お前の母さん」とか「母さん」と呼んでいるのに、自分のことを「おれ」と言っているのが、ちょっと気になったのですが、みなさんは気になりませんでしたか? 子どもと話すとき、自分のことを「父さん」と呼ぶかなと。全体にラングストンが幼い印象だったからかもしれませんが、なんか、ちょっと突き放した感じがして。

サンザシ:そこは日本人になじみやすい表現を使うか、文化を伝える方を前面に出すかで違ってくると思います。アメリカ人なら、日常会話の中で自分のことをyour fatherとは言わずやっぱりIを使いますよね。そういう文化だということを伝えるのも大事だと私は思います。PTAなどでも「○○の母です」と言う人が多いですが、欧米ではたいていファーストネームでやりとりしてますよね。○○の母、○○の父、○○の夫という規定の仕方がいいのかどうか、そこも考える必要があるのではないでしょうか。翻訳者の悩みどころの一つですね。それからこの本はシリーズになっていて、ライモンが主人公のとクレムが主人公のが出ています。あとの2冊も読みたいな。

(2021年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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『ゆきのひ』表紙

ゆきのひ

『ゆきのひ』をおすすめします。

朝起きると外は雪。ピーターは赤いマントを着て外ヘ出ると、足跡をつけたり、枝から雪を落としたり、雪だるまを作ったり、雪の山を滑り降りたり、ひとりで楽しく遊ぶ。原書刊行は1962年。アフリカ系の子どもを主人公にした絵本がまだ少ない時代に出され、時を超えて読者を獲得している。コラージュを主とした絵のデザインや色づかいは、今でも新鮮ですばらしい。(幼児から)

(朝日新聞「子どもの本棚・冬休み特集」2019年11月30日掲載)

キーワード:雪、遊び、アフリカ系、絵本

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ジェイソン・レノルズ『ゴースト』表紙

ゴースト

コアラ:タイトルを見て、幽霊が出てくる話だと思って期待して読み始めたのですが、主人公の男の子が自分につけたあだ名ということで、がっかりしました。タイトルで期待させて、ずるいと思いました。私はアラン・グラッツの『貸出禁止の本をすくえ!』の後でこれを読んだのですが、家族に向かって発砲するというショッキングなことが書かれているし、主人公が靴を盗んだりするので、これこそ「貸出禁止」になりそうな本だと思いました。アメリカの、銃の問題や暴力や家庭の問題は、今に始まったことではないと思いますが、アメリカの社会の現実を表している本なのかなと思います。「訳者あとがき」には「ノリのよさ」とありますが、全体的にちょっと荒っぽいなあという感想です。でも、p251の最終行、「自分という人間からは逃れられない。だが、なりたい自分に向かって走っていくことはできる」という言葉は、すごくストレートで、好感を持ちました。それから、アメリカの、学校の部活でない、地域のクラブチームとはどのようなものなのか知りたくなって、少しネットで調べたりしました。原題に「Book1」とありますが、シリーズものだったら、続きが読みたいと思いました。

ハリネズミ:私はとてもおもしろく読みました。今日11時に図書館で借りてきて、引きこまれてずっと読み、電車の中でも読んで読み終わったんです。こういう境遇の子どもはいっぱいいると思うんですが、まわりに手を差し伸べる大人がいるのがいいですね。お母さんもいっしょけんめいだし、おばさんとか、応援を派手にやるサニーのお母さんとかも。それぞれに背景があることも読んでいるうちにわかってきて、うまく作られているなあと感心しました。中華料理店で注文するものも庶民的だし、リアリティがうまく出ています。耳の遠いチャールズさんもいい味を出しているし、主人公のまわりに盛り上げ役の人たちがいっぱい登場するのも、おもしろかったです。シリーズだとすると楽しみです。

カピバラ:私もとてもおもしろかったです。主人公はものすごくシビアな状況を抱えているのに、明るくユーモアをもって語っているところがよかったです。ひとつひとつの描写が具体的で、例えばひまわりの種の食べ方でも、よくわかるように描かれているので、主人公が感じることを一緒に体感できると思います。また、母ちゃん、監督、チャールズさんなど、まわりの大人がよく描きわけられているし、主人公が口ではいろいろ言っていても、大人に対して意外に素直なところも好感をもちました。アメリカの児童文学では以前は白人は白人だけの社会、カラードはカラードだけの社会で別々に描かれていたけれど、今は普通の暮らしの中で自然に混ざり合っているんですね。この主人公はアフリカ系ですが、登場人物には白人もいて、そのような状態が日本の読者には、ちょっとわかりにくいかな、と思いました。本を読むときは姿かたちを想像しながら読むけれど、よくわからない場合もあるのではないかと思います。肌や髪の色がヒントにはなるけれど、すぐにわからないことも多いので。ジェームズ・ブラウンが白人だったらこんな顔、というような表現はわかりやすかったけど、ジェームズ・ブラウンってどんな顔かわからない読者もいますよね。

ハリネズミ:今、ジェームズ・ブラウンがわからなければYouTubeですぐ見られるので、わかると思います。

カピバラ:調べれば、ね。

ハリネズミ:興味があれば、とくに映像はすぐ検索する人が多いんじゃないですか。あと白人か黒人かというのは、どっちでもいいというふうに、この界隈ではなっているんじゃないでしょうか。だから、そこを書かなくてもいいんじゃないかな。

マリンゴ: 私も、選書しようかと、以前候補に入れていたことがありました。なので、読んだのが少し前で記憶が遠いのですが、よかったと思ったのは覚えています。ただ、本の帯やあらすじ紹介が、ちょっとミスリードしている気がしました。帯は、「銃声が聞こえたら走れ!」。あらすじの説明は、「あの銃声をきいた瞬間、逃げ足がいっそう速くなったってことだ。」。それを先に見た私は、足がとてつもなく速くなるファンタジーなのかと思ってしまい、当初戸惑いました。あと、監督が地元出身の五輪メダリストであることが後々わかるんですけど、こういう人って地元ではみんなが知る有名人なのではないかしら? 物語の都合上、知られていないことになっているのか、あるいはアメリカという国はメダリストも多くて、日本ほどメダルの価値が高くないから知らないのか、そのあたりがわからなかったです。

ハル:読み始めてすぐに、この主人公のことが好きになりました。ゴム製のアヒルを世界一たくさん集めるなんてブキミだと言ってみたり、いちいち口は悪いし、くすぶってるし、ひやひやさせられますが、とっても魅力的で、応援したくなります。他の登場人物たちもイキイキしていて、いろいろと映像を思い浮かべながら楽しく読めました。靴を万引きしたあと、なかなか発覚しないので逆にハラハラしました。でも、この決着のつけ方は、読者である子どもたちにとってはきっとうれしいでしょうし、味方になってくれる大人がいるんだと心強く思うかもしれませんが、お母さんからしたら、黙っていてほしくはなかったでしょうね。余談ですが、「歌手のジェームズ・ブラウンが白人だったらこんなだろうって顔をした人」(p9)というような表現は、白人の作家、あるいは白人の主人公のセリフとして書かれてあったら、読者の反応はどうなんだろうと思いました。

西山:どうなるのだろうという興味で読み進めましたが、全体としてはあまり賛成できなかったです。ディフェンダーズの新人食事会、それぞれの「不幸話」(敢えて言います)を打ち明け合うことで、一体感ができてしまう。監督も含めて。その展開はぺらぺらすぎる気がします。修学旅行の告白大会か?と言いたい。

ハリネズミ:私はそこはぺらぺらだと思わなくて、たとえばアン・ファインの『それぞれのかいだん』(灰島かり訳 評論社)だって、自分だけが特殊だと思っていた子どもたちが偶然集まった時、少しずつ話していくうちに、自分ひとりじゃない、ということがわかってくる。こういう界隈だと「自分ひとりがまわりと違う」と思っている子も多いと思うんですよね。それに告白大会ではなくて、ただ現実を話してるんですよ。

西山:だいたい、料理が来てから、あれを始めてしまう監督のやり方がとても嫌でした。温かいうちに食べようよ!

ハリネズミ:でも、料理が出てきて、うれしい気持ちにならないと、緊張はほぐれないし、言ったとしても表面的なことだけになってしまうのでは?

まめじか:監督も同じような過去を抱えているし、この子は、これまで心を開くということをやってこなかったんですよね。で、これがきっかけで初めて相手を信頼して自分の過去を出すことができる。たしかに軽いタッチでは書かれているけれど、シリアスにならずにどんどん読ませて、でもやっぱりとても考えてそこは出しているんだと思います。

ハリネズミ:ごちそうが出ているから、あったかいゆとりのある気持ちになっているんだと思うのね。教室で、ひとりずつ何か言いなさいというのとは違う。

西山:ところで、北京ダックって、どうやって食べればいいのかわからない料理の一つだと思うのですが、アメリカではそうではないのでしょうか。お高くて難しいメニューというイメージをもってしまっているので、それをするっと注文し、とまどいも無く食べるゴーストって?とひっかかりました。万引きも、解決としてあれで良いのか?と思います。盗んだ靴を履き続けることに抵抗はないのか。こちらも扱いの軽さに釈然としませんでした。現実問題として自分だけじゃないという共感はとても大事だと思いますが、作品を読みながら思ったのは、重い過去をもっていない子がいたら、どうなるのか、ということです。

ハリネズミ:そこは監督がわかってるんだと思いました。詳しいことはわからないでしょうが、監督も同じような育ちなので、バイブレーションのようなものは感じてるんだと思います。だから、最初は嫌がっていたゴーストも、p185「みんな、自分の家族についてすごく個人的な話をした。だからひょっとしたら、うちの話もだいじょうぶかも」となり、話した後はp186「おれは・・・・・・気分がよかった。さっぱりした気持ち。みんな、ぎょっとしたみたいだけど、おれのことをわかってくれたような気がした。やっとみんなと同じレースで、同じスピードで走ってるって気持ちになった」となる。それに、子どもたちから責められて、監督も自分の過去を話さざるを得ないという展開に、作者はもっていっています。

西山:監督も、負けず劣らずハードな過去を持っていることを明かすことで、ゴーストの反発が消える展開から、つまるところ、同じ境遇の存在同士しか本当にはわかり合えないのだという認識を突きつけられたようで、私は反発したのだと思います。

ネズミ:おもしろく読みました。『貸出禁止の本をすくえ!』もそうですが、はっきりとした声が伝わってくる文章がよかったです。貧困地区に住んでいるというだけで嫌な思いをさせられ、しかもこの子は怒りをコントロールできず、すぐに爆発してしまう性格。一度かかわった子どもを見放さない監督に出会えてよかった。ドキドキしながら、一気に読んでしまいました。靴を盗んだことがわかったp210からp211にかけての「罰をくらったり、母ちゃんともめたりするのがこわいわけじゃない」から始まるパラグラフは、口には出せない主人公の複雑な思いが言葉にしてあってとてもよかったです。外に出せずとも、いろいろなことを考えていること、人間の感情の複雑さが集約されていて、こういうことを文字で読めるのはすごくいいなあと。

まめじか:「体のなかに悲鳴がうずまいている」主人公は、怒りやフラストレーションをコントロールできず、自分をもてあましています。そんなゴーストが、過去と向きあうなかで自分と向きあいます。それまでは発砲する父親や、靴を盗んだ店から逃げるために走っていたのに、最後は未来に向かって走りだすのがいいですね。訳は読みやすかったのですが、p98「完全無欠の人間」はちょっと固いかなと思いました。またp30「かけっこの得意なミルク色のぼうや」、p85「かんべんしてよう」とか、p135で靴を「シルバーのかわいいやつ」と呼ぶのは、中学生っぽくないと感じました。バカにしたり、ふざけて言っていたりするのでしょうが、日本の中学生がそんなふうに言うのはあまり聞かないので。

彬夜:まず、タイトルだけ見みたら、まったく違う物語と誤解されないかな、と思いました。おもしろくなかったわけではないですが、いかにも若い作者が書いたのかな、という荒削りな印象がありました。それは、けっして言葉使い云々ということではありません。登場人物の中では、チャールズさんがよかったです。監督は良い人物なのですが、明かされる過去のことばかりでなく車の中が汚いことなども、いかにも「感」があって、あんまりおもしろい人物造型とは思えなかったです。ハリネズミさんがおっしゃるように、個々の子どもたちの裏までわかっているのだとしたら、りっぱすぎて却って興が削がれる。それに比べるとチャールズさんの人物造型は好感度が高くて、その差が何かと考えたら、言葉の量の差かも。語りすぎないほうがいいんですね。自戒を込めて。こうしたクラブがどの程度の水準なのかはわかりませんが、それにしても陸上競技の描き方が適当すぎるのでは?大会の位置づけもよくわからないし、スニーカーで走るの?とか、当日に出場種目の発表?とか。ブランドンの走力もわからないまま、いきなりラストで出てきて、そういうところが、読んでいてストレスでした。読後の自分のメモに「軽妙が持ち味だが、深刻な問題を軽妙に書けばいいというものでもないのでは?」と書いてあり、そう思ったのは、なんとなく大味な感じがしてしまい、ストンと腑に落ちる感がちょっと足りなかったのかもしれません。

ルパン:おもしろく読みました。靴を盗むシーンでは、読書会で「人のものを盗んではいけません」って発言するのを期待されるだろうなあと思いながら読んでました。確かに「いけないわ」とは思ったんですけど、だんだん本人が、後ろめたさを感じはじめる、罪悪感が芽生えてくるプロセスが読み取れて、好感がもてました。一番いいなと思ったのは、物語中でずっと「監督」と呼ばれている監督が、最後の最後に「オーティス」という名前だ、というのがわかったところです。主人公が急に監督に親近感をもったであろうことが感じられました。父親から銃を向けられるというのは、ありえないような体験ですが、実の父親に発砲されたことで足が(逃げ足が)速くなった、というこのストーリー仕立てはすごい、と感服しました。リアリティとお話の力を同時に感じながら読みました。

すあま:お父さんに銃を向けられその結果お父さんは牢屋に入っている、という日本の子どもでは体験することのない設定だけど、主人公の気持ちは共感して読めるだろうなと思いました。お父さんはいないけど、チャールズさんや監督という親ではない大人が見守ってくれる。ゴーストが、けんかをしたり万引きをしたりと陸上を始めてすぐに変わってしまうわけではないところも、よかったです。万引きの解決方法はちょっと甘い感じもしましたが、読後感がよく、おもしろく読めました。ただ、ラストの方でけんか相手の男の子が選手としてでてくるのは、ちょっとできすぎだったように思います。

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しじみ71個分(メール参加):読後感のさわやかな、気持ちいい本でした。ゴーストがどのように走って成果を出すかの直前のわくわく、ドキドキするところで終わっているのも心憎いなと思いました。父親と貧困の問題を抱えた少年が、理解のあるコーチとチームのメンバーとともに陸上に喜びを見出していくさまは読む人に希望を与えます。存分に走りたい気持ちから靴を盗んでしまう場面では胸が痛みますし、そのことから生まれる気持ちの悪さ、罪悪感を一緒に背負って読みました。監督に盗みの件が露見して、謝罪しに行き、許されて、監督に靴を買ってもらうというのはとてもでき過ぎのような気もしますが、読みながら自分の気持ちをゴーストの気持ちに重ねて、罪を犯してしまった苦悩とその昇華を疑似体験できたように思います。翻訳の面でいうと、他の作品を読んでも、どうしてもリズミカルなアフリカ系アメリカンの英語のポップさ、リズムを再現するのは難しいと感じる点はありますが、引っ掛かるところなくすいすいと読みました。人物として魅力的なのはチャールズさんでした。ジェームズ・ブラウンを白人にしたら、という表現は言い得て妙というか、人物像が浮かんできてとてもいいなぁ、と思ったところです。チームのメンバーもアルビノ、養子、片親等々さまざまな背景を抱えているだけでなく、個性的で魅力的だと思います。苦しい練習を仲間と乗り越えていく中で、心中に渦巻く嵐を抑制できるようになり成長するストーリーに重点があるのかもしれませんが、欲を言えば、せっかくスポーツを題材にした物語なので、走ることのすばらしさをゴーストの感覚を通じてもっと描写してくれたら、もっと表現が胸に迫ってきたのではないかなとも思います。

アンヌ(メール参加):これは痛快で、今回の3冊の中で一番好きだし、歌のような作品だと思った。アルコール依存症とはいえ、実の父親に拳銃で撃たれて、その時自分が足が速いと気づくなんて、ラップが聞こえてきそうな感じだ。でも、彼はPTSDで自分の部屋で眠ることができず、毛布を敷いてい寝ている。食堂で働く母親との生活も貧しい。あっという間に監督を信頼するところとか、監督もお金持ちの道楽ではないところがいい。母に心配をかけまいとする監督を叔父に仕立てるところとか、クラスメートを殴った理由をきちんと説明できるところとか、自分を開いていくことができる主人公に信頼感を持って読んでいけて楽しい。万引きのところもドキドキしたが、きちんと解決がついたところでホッとしたし、監督の出自も語られて同じ痛みを知っている人なのがわかるところもすごい。最後も勝ち負けを書かずにいるところで、未来が開けていく感じがしてよかった。

(2019年12月の「子どもの本で言いたい放題の会)

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ジュリアス・レスター文 ジェリー・ピンクニー絵『おしゃれなサムとバターになったトラ』さくまゆみこ訳

おしゃれなサムとバターになったトラ

アメリカの絵本。『ちびくろさんぼ』に違和感を持っていたアフリカ系作家のジュリアス・レスターとアフリカ系画家のジェリー・ピンクニーが作った絵本です。お話のおもしろさはそのままに、アフリカ系の子どもたちが誇りを持てるように考えられています。ピンクニーも、そのような点を意識して絵を描いています。


ニッキ・ジョヴァンニ文 ブライアン・コリアー絵『ローザ』さくまゆみこ訳

ローザ

アメリカのノンフィクション絵本。ローザとは、公民権運動の母とも言われるローザ・パークスのこと。ある日、ローザはバスの中で「白人に席をゆずりなさい」と言われて「ノー」と答えました。それをきっかけに多くの人があきらめるのをやめて立ち上がり、キング牧師たちの公民権運動につながっていきました。文章を書いたニッキ・ジョヴァンニは、ラングストン・ヒューズ賞も受けた女性詩人で、大学教授でもあります。絵を描いたブライアン・コリアーは、現在第一線で活躍するアフリカ系の男性。絵本の中のローザの後ろには金色の光がかがやいていますが、それはコリアーのローザ・パークスへのオマージュです。
いつも日本の子どもにあまりなじみのないテーマの作品を訳すときは、日本の子どもとどこでつながるかを考えます。この絵本は、それまでだまって我慢をしてきたローザが「ノー」と声をあげるところだと思いました。訳もそこに焦点があたるようにしました。
(装丁:則武弥さん 編集:相馬徹さん)

*コレッタ・スコット・キング賞(アメリカ)受賞
*コルデコット賞(アメリカ)銀賞受賞
*SLA「よい絵本」選定


ラングストン・ヒューズ詩 E.B.ルイス絵『川のうた』さくまゆみこ訳

川のうた

アメリカの絵本。ラングストン・ヒューズのジャズの本や詩の本を、私は学生時代によく読んでいました。ヒューズは今でもアフリカ系の人たちの尊敬を集めているのですね。この詩は、いろいろな先輩が訳されているので自分なりの訳にするのに深く考えなくてはなりませんでした。絵もただ美しいだけではなく、そこからいろいろな思いが伝わってきます。
(装丁:城所潤さん 編集:相馬徹さん)

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<紹介記事>

・「子どもの本棚」2012年6月号


リンカーンとダグラス

アメリカの絵本。奴隷解放宣言を出した米国大統領のエイブラハム・リンカーンと、奴隷から身を起こして黒人や女性の地位向上のために闘ったフレデリック・ダグラスの、肌の色を越えた友情の物語。『ローザ』のコンビの新作です。巻末に年表もついているので、大人がアメリカの歴史を学ぶにも役立つかもしれません。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬 徹さん)


ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ホワイト絵『むこうがわのあのこ』さくまゆみこ訳

むこうがわのあのこ

アメリカの絵本。こっち側とむこう側の境目には長くつづく高い柵があります。こっち側にはアフリカ系の人たちがくらし、むこう側には白人が住んでいます。こっち側の子どもたちは、むこう側の人たちとつきあってはいけないと、親たちに言われています。ある日、柵のむこうに白人の女の子があらわれて、じっとこっちを見ています。でも、こっち側の女の子たちは無視します。だけど、いつもぽつんとひとりでこっちを見ているあの女の子のことは、気になります。そのうち、こっち側の子どもとあっち側の子どもの距離がだんだん縮まって、とうとう女の子たちは、その境目を文字どおり乗りこえていくのです。おかげで未来も変わっていきそうです。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬徹さん)

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<紹介記事>

・「教育新聞」2010年12月17日


シェーン・W・エヴァンズ『じゆうをめざして』さくまゆみこ訳

じゆうをめざして

アメリカに奴隷制がしかれていた時代、南部の奴隷たちを北部やカナダに逃がす秘密のルートがありました。「自由への地下鉄道」です。アフリカ系の人たちだけでなく白人も先住民もこの地下鉄道にかかわっていました。彼らは自らの命の危険を覚悟して、奴隷たちをかくまったり、食べ物や必要品をあたえたり、道案内をしたりしていたのです。自由の地にたどりついたとき、赤ちゃんも生まれるんですよ。
(装丁:石倉昌樹さん 編集:木村美津穂さん)

*コレッタ・スコット・キング賞受賞


マーティン・ルーサー・キング・ジュニア文 カディール・ネルソン絵『わたしには夢がある』さくまゆみこ訳

わたしには夢がある

アメリカの絵本。キング牧師が「ワシントン大行進」で集まった人びとに向かって、リンカーン記念堂の前から有名な演説を行ったのは、1963年8月。半世紀前のことです。もちろんこの演説のことは私も知っていましたが、訳すにあたってもう一度考えながら読み直してみました。演説の映像も見てみました。キング牧師は最初のうち草稿を見ながら演説をしていますが、I have a dreamのあたりから、草稿を見ず、思うままに語り始めます。その後、1968年にキング牧師は暗殺され、犯人が逮捕されますが、ケネディの時と同じように、国家の上層部(CIAやFBIなど)がかかわる陰謀だという説が根強くあるようです。この絵本の巻末には、その日の演説の全文が載っています。格調の高い、勢いのある演説をなるべくわかりやすい言葉で訳すのに苦労しました。
(装丁:森枝雄司さん 編集:相馬徹さん)


ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ルイス絵『ひとりひとりのやさしさ』さくまゆみこ訳

ひとりひとりのやさしさ

アメリカの絵本。クローイの学校に、貧しい転校生がやってきました。その子がにっこりしたり遊びに誘ったりしても、クローイたちは知らん顔で無視。いじめの問題は、お題目を唱えたり、いじめた者を糾弾するだけでは解決しません。これは、自らもいろいろな差別や偏見にさらされてきたウッドソンが「いじめ」をテーマに書いた絵本です。ふつうの絵本にはない視点で、子どもの心の奥までおりていっています。ルイスの絵がまたすばらしいし、物語に出て来てやさしさを生徒たちに伝えようとする先生もすてきです。
(編集:渡邉侑子さん)

*シャーロット・ゾロトウ賞、コレッタ・スコット・キング賞銀賞受賞


ジャクリーン・ウッドソン『レーナ』表紙(さくまゆみこ訳 理論社)

レーナ

アメリカのフィクション。アフリカ系のマリーの父親は大学で教えていて、いい家に住んでいます。でも母親は家を出て世界各地を回って自分探しをしています。そんなマリーの学校に転校生のレーナがやってきました。白人のレーナの母親はガンで亡くなり、父親はいわゆる「プアホワイト」。このあたり、従来のアフリカ系の作家が書いた作品とは設定が逆転しています。マリーとレーナは肌の色が違うのを乗り越えて友だちになります。でも、レーナには秘密がありました。父親から性的虐待を受けていたのです・・・。
作者のウッドソンはアフリカ系アメリカ人の女性で、私、この人の大ファンです。表現はとてもリリカルなのに、きちんと社会問題(この作品は、人種問題、児童虐待など)を扱っているんです。父と娘二組の物語でもあります。ぜひ読んでください。沢田さんの表紙絵がまたいいですね。
(絵:沢田としきさん 装丁:高橋雅之さん 編集:平井拓さん)

*ジェーン・アダムズ児童図書賞銀賞受賞
*コレッタ・スコット・キング賞銀賞受賞


ジャクリーン・ウッドソン『マーガレットとメイゾン』さくまゆみこ訳

マーガレットとメイゾン

アメリカのフィクション。ニューヨークに住むアフリカン・アメリカンの少女の友情物語。『レーナ』の作者ジャクリーン・ウッドソンが自分の子ども時代を思い出して書いたシリーズ〈マディソン通りの少女たち〉の1巻目です。祖母に育てられたメイゾンと、父を亡くしたマーガレットが主役ですが、超能力をもつデルさん、北米先住民のおばあちゃんなど、脇役も魅力的です。
(装丁:鳥井和昌さん 編集:米村知子さん)

SLA夏休みの本(緑陰図書)選定
*JBBY賞・翻訳者賞(シリーズ対象)


ジャクリーン・ウッドソン『青い丘のメイゾン』さくまゆみこ訳

青い丘のメイゾン

アメリカのフィクション。「マディソン通りの少女たち」の第2巻。私立の寄宿学校に転校したメイゾンは、白人の少女たちの仲間にも、かといって数少ない黒人の少女たちの仲間にも入れず、孤独な日々を過ごします。作者のウッドソンは、今年コレッタ・スコット・キング賞を受賞しました。感受性の強い少女が生きていくのは、昔も今もそう簡単なことではないようです。
(絵:沢田としきさん 装丁:鳥井和昌さん 編集:米村知子さん)


ジャクリーン・ウッドソン『メイゾンともう一度』さくまゆみこ訳

メイゾンともう一度

アメリカのフィクション。「マディソン通りの少女たち」の第3巻。新しい学校に通い始めたメイゾンとマーガレットですが、メイゾンの前には蒸発した父親が現れます。マーガレットは、不自然なダイエットに苦しんだり、メイゾンとの仲がぎくしゃくするのに悩んだりします。キャロラインという白人の少女や、ボーという黒人の少年とも友だちになって、二人は成長していきます。
(絵:沢田としきさん 装丁:鳥井和昌さん 編集:米村知子さん)


ジャクリーン・ウッドソン『ミラクルズボーイズ』さくまゆみこ訳

ミラクルズ ボーイズ

アメリカのフィクション。ニューヨークのハーレムで、三人の兄弟が生き抜いていく物語です。兄弟の父はアフリカ系アメリカ人で、池で溺れそうになった白人女性を助けて低体温症になり、命を落としてしまいます。兄弟の母はプエルトリコ人で、病気で亡くなります。残された息子たちは、それぞれがトラウマを抱えながら、なんとか三人で生きていこうとします。
(絵:沢田としきさん 装丁:高橋雅之さん 編集:小宮山民人さん、奥田知子さん)

*コレッタ・スコット・キング賞受賞


ジャクリーン・ウッドソン『あなたはそっとやってくる』さくまゆみこ訳

あなたはそっとやってくる

アメリカのYA小説。ユダヤ系の少女エリーと、アフリカ系の少年ジェレマイアの、ラブストーリー。二人とも心の中にぽっかりとあいた穴を抱えています。それに、仲良く手をつないでいれば、街の黒人たちからも、白人たちからも、いぶかしげな目で見られます。からかう者たちもいます。つきささる視線や言葉をどうかわしていったらいいのでしょう。困難だらけの恋は切なくて苦しくて、それだからこそ二人の結びつきはしだいに強くなっていくのですが・・・。
(装画:植田真さん 装丁:タカハシデザイン室 編集:山浦真一さん)

*読書感想画中央コンクール指定図書(中学校・高等学校)


ジャクリーン・ウッドソン『わたしは、わたし』さくまゆみこ訳

わたしは、わたし

アメリカのYA小説。少女トスウィアの一家はアフリカ系で、父親は地区で数少ない黒人警官です。その父親が、ある日、同僚の白人警官たちが両手を挙げている黒人少年を射殺するのを見てしまいます。正義感の強い父親は、まわりの白人警官たちから要請されても、脅しを受けても、黙っているわけにはいかないと思ってしまいます。そして法廷で証言することになったせいで、一家は生命の危険にさらされることに。アメリカにには証人保護法という法律があり、一家はこれまでの人生を捨てて別人になり、よその土地に引っ越すことになります。でも、人生をリセットするのは、けっして簡単なことではないのですね。父親は無気力になり、母親は宗教に走り・・・イーヴィーと名前を変えた少女トスウィアも、自分は何者なのか、どう生きていけばいいのか、と思い悩みます。
さすがウッドソン、難しい問題をリリカルに書いています。
(絵:吉實恵さん 編集:今西大さん)

*厚生労働省:社会保障審議会推薦 児童福祉文化財(子どもたちに読んでほしい本)選定


キャロル・ボストン・ウェザフォード文 カディール・ネルソン絵『ハリエットの道』さくまゆみこ訳

ハリエットの道

アメリカのノンフィクション絵本。女奴隷だったハリエット・タブマンは、ある日、売りとばされそうになったため、フィラデルフィアまで一人で逃げて自由の身に。でも、それだけでハリエットは満足しません。こんどは逃亡奴隷を助ける「自由への地下鉄道」(本当の鉄道ではなく、人間のネットワーク)の「車掌」となって、大勢の奴隷を自由の地へと案内します。当時のアメリカは、奴隷制を認める南部と認めない北部に分かれていて、北部に逃げ込めば、あるいはもっと北のカナダまで行けば、自由の身分を勝ち取ることができたのです。

ハリエットを力強く勇気ある女性として描いたカディール・ネルソンの絵がすてきです。
(装丁:桂川潤さん 編集:加藤愛美さん)

*コルデコット賞銀賞、コレッタ・スコット・キング賞画家部門受賞