月: 2023年6月

2022年12月 テーマ:違和感を抱えて

 

日付 2022年12月13日
参加者 ネズミ、アンヌ、雪割草、ハル、エーデルワイス、マリオカート、シア、アカシア、ANNE、しじみ71個分、ルパン、西山、まめじか、
テーマ 違和感を抱えて

読んだ本:

(さらに…)

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『この海を越えれば、わたしは』表紙

この海を越えれば、わたしは

ルパン:これもおもしろかったです。ハンセン病ということで、『あん』(ドリアン助川著 ポプラ社)を思い出しました。世界中で、ハンセン病患者はこういう扱いを受けていたんだなあ、と……。ところで、ミス・マギーはいったい何歳くらいなのでしょう。とてもいい人で、苦労をしてきたことはわかるのですが、年齢とか風貌とかがいっさいわからない。はじめはすごく年とった人をイメージしていたんですけど、それにしては元気がいいなあ、とか、オッシュのこと好きなのかなあ、とか。そもそもオッシュもどんな年齢・外見なのかわからなくてイメージできないし。あと、泥棒のミスター・ケンドルも、いったいどうしてペキニーズ島に宝があるとわかったのか、とか。ほかにもいくつか「あれ、これはどうなってるんだろう?」と思うところがちょこちょこあり、そういうストレスをところどころで感じながらも、とりあえずストーリーのおもしろさで最後まで一気に読んじゃいました。

しじみ71個分:最初、表紙の絵とタイトルを見て、難民を取り扱った作品かと思ってしまいました。タイトルが、海を越えた先に何かが展開するというような印象を与えてしまうような気がします。内容は、アイデンティティの問題だったので、「海を越える」んではないんじゃないかと思い、ちょっと違和感がありました。同じ著者の『その年、わたしは噓をおぼえた』(さ・え・ら書房)より、ずーーーーっとおもしろかったですし、内容もハンセン病とそれに対する差別という非常に重くて、大事なテーマを扱っている点は非常に挑戦的で評価できると思います。また、クロウ、オッシュ、マギーといった人物もそれぞれ大変魅力的で本当におもしろいんですが、なんだか、どうしてかわからないのですが、ローレン・ウォークの何かが好きじゃなくてモヤモヤしています……。何なのかもう少し考えたいです。登場人物の人柄もとてもよく描かれていますし、後半は特に冒険譚としてドキドキしながら読めるんですが、ハンセン病そのものについてはあまり深い掘り下げがなく、材料にしてしまったという印象がぬぐえないのと、ミスター・ケンドルが悪者としてとても小さくて、ちゃちい感じがしてしまいました。木から落っこちて終わりだなんて……。宝も最後はみんな配ってしまうというオチですが、たとえば、ケンドルに追い詰められたクロウが財宝を使って窮地を逃れ、ケンドルは財宝もろとも海に落ち、海の藻屑となるくらいの、ちょっと壮大なイメージの、もう少し、人の悪そうな終わり方でもよかったなあという印象です。ですが、クロウが自らの出自を知ってアイデンティティの揺らぎを乗り越え、島での3人の生活がもどり、オッシュとマギーの間のつつましやかな愛情や、クロウの成長が希望を感じさせてくれる結末になっていて、読み終わってさわやかな気持ちが残り、ホッと安心できました。

ANNE:テーマがハンセン病ということで、私もドリアン助川さんの『あん』を思い出しました。隔離されている人々の心の切なさがひしひしと感じられる反面、キャプテンクックの宝探しという冒険譚の一面もあり、いろいろな読み方ができる作品だと思いました。主人公の女の子の頬にあるという「羽」がうまくイメージできませんでした。

まめじか:ルビーの指輪とともに小舟で流された赤ん坊。その子が12歳になって、対岸の無人島で燃える火を見る場面は、色鮮やかで強いイメージを残します。海賊の宝をめぐる冒険物語と、偏見や差別のテーマがうまくからみあっていますね。ペニキース島は、さまざまな国からアメリカに来た、ハンセン病患者が送られた場所です。クロウの肌は浅黒く、またペニキース島から来たのではないかと、カティハンク島の住人からは疑われ、避けられています。それまでペニキース島に近寄ろうとしなかった人々が、宝があるかもしれないといううわさを聞いたとたん、島に行って宝を探すというのはリアリティがありました。人間の欲や身勝手さがあらわれていますね。「わたしがこの島のくらし以外のことに目をむけると、オッシュは月そのものになってしまい、必死にわたしを引き戻そうとする。まるで、わたしの体が血ではなく海でできているかのように」(p11)、「ヴァインヤード海峡とバザーズ湾が出会い、大あばれで危険なダンスをする場所」(p47)、「雨と海が自分だけのおしゃべりをするのを聞いていた」(p269)など、文章が詩的です。

マリオカート: 序盤は、主人公の名前もいっしょに住んでいる人の素性も、いろいろ曖昧でわかりづらかったけれど、p100を超すあたりから引き込まれて、最後までおもしろく読むことができました。ペニキース島が実在して、史実をベースに書かれていることもあり、物語に重みがあります。ハンセン病の物語ということで、皆さんと同様、ドリアン助川さんの『あん』を思い出しながら読みました。ただ、物語を盛り上げるための謎が解決されないまま終わってしまい、1つならともかく2つ疑問が残ったので納得いかない気持ちです。1つめは「お兄さんはどこにいるのか」。たまたま船で手を振り合った人が兄だった、というのも安直なので、別人とわかったのは悪くないと思います。ただ、もう1つの「ミスター・ケンドルが、なぜここまで執着して逃げずに何度も現れたのか」が明らかにならないまま終わったのは不満です。さっさと姿を消せば、逃げ切れる可能性はあったのに、どうしてここまでしつこくしたのでしょう。わたしは、途中から、もしかしてこの人こそが探していた兄だったのではないか、恵まれない幼少期の生活のためにこうなってしまって、でも妹と会えたことでこれから改心していくのではないか、とまで妄想してしまいました(笑)

エーデルワイス:若い時、北條民雄の『いのちの初夜』を読んで感銘を受けたことを思い出しました。それはハンセン病を患った本人が書いた大人の小説でしたので、今回ハンセン病を扱った児童書は初めて読みました。物語をおもしろくするためにいろいろエピソードを盛り込んでいて、風景も美しく、ロマンチックな印象です。映画になりそう。主人公のクロウは、今が幸せでも自分のルーツをどうしても知りたいと願う、その切実さがよく伝わってきました。

ハル:謎に導かれて最後まで読みましたけど、途中からどうも、特にセリフの硬さが気になって、つっかかってしまいました。なんだか文字から想像する映像に人物がうまくはまらないというか、字幕みたいな話し方だなぁと思って。日本語の問題かなとも思いましたが、もしかしたら、先ほどご意見があったように、登場人物の様子が細かく描かれていない、という点も関係があるのかもしれません。オッシュも、最初は高齢の男性を想像していましたけど、どうもマギーはオッシュのことが好きなようだし、まだ恋愛するくらいの若い……って、今のは失言! 別に高齢だから恋愛しないわけじゃないし、いくつだろうと関係ないですよね。すみません。話題を変えます。宗教観の違いなのか、お母さんが残してくれた宝を、手放さずに貧しい人にほどこさないことが愚かだ、という考え方に「世界名作劇場」っぽさを感じました。お母さんが残してくれたものをお金に換えて、自分のことに使ったっていいじゃないかと思うのですが。でも、そういったお説教くささというか、重たさもふくめて、読み応えのあるお話ではあったので、もうちょっと、読みやすかったらなあと思いました。

雪割草:内容はおもしろかったけれど、言葉やプロットなど、生意気ながら意見したくなるところがあって、以前図書館で借りたのだけれど、読み進められず返してしまいました。でも今回読み終えて、オッシュのクロウへの愛情やふたりの絆があたたかく描かれているところがよかったです。この作品では、名前が大きな役割を果たしていて、例えばp374には、オッシュは「お父さん」、クロウは「娘」という意味だと言っています。そして、クロウがお母さんからもらったものの一つが「かがやく海」という意味のモーガンという名前で、自分が何者かというアイデンティティにも関係しています。なので、この作品の原題に「かがやく海」という言葉が入っているのを、意味も含めて残した方がよかったようには、思いました。同じくp374の、「おまえのすることが、おまえになる」という日本語も、日本語だけで読むとよくわかりませんでした。私自身も恥ずかしながら、大学に入って、母校の先輩でもある神谷美恵子の展示をすることになってはじめて、ハンセン病のことを知りました。特に若い世代は知らない人も多いので、編集部からのコメントで少し触れていますが、日本でのハンセン病政策について、これを機に読者にも知ってもらえるよう、もう少し情報を含めてほしかったです。

アンヌ:表紙を見て想像していたものよりファンタジーっぽいお話でした。この宝物は母親の形見で、ドイツのユダヤ人迫害の時のように、実はハンセン氏病の患者のものを取り上げたのではないかと最初は思っていたのですが、違うようですね。宝探しとそれを狙う悪者との戦いというのは実に典型的な冒険ものですが、奇妙に心躍らないのはなぜかと思いながら読み終わりました。深い言葉をぼそりという東洋の仙人じみたオッシュとの奇妙につながらない会話とか、お兄さんのような船員さんとの会話とか、泥棒の正体とか、判然としないものがいろいろあったせいかもしれません。

アカシア:私はおもしろく読みました。p20に「オッシュと、オッシュの前にわたしにさわっただれかをのぞけばだけど、わたしにさわったこともある手はミス・マギーの手だけだった。わたしは、わたしにさわった手をいつも数えていた」という文章があるのですが、ここからクロウが避けられていることが実感として伝わってきました。ただ、クロウ自身も、島の全員が自分を避けているわけじゃない、と考え直す場面もあります。p292「たぶん、一人ずつ別々に、考えるべきなんだろうね」なんていうところです。で、なぜクロウは避けれているのか? どこから来たのか? ペニキース島で何があったのか? クロウの頬の羽のような形のあざはどういう意味を持っているのか、野生保護員は本物なのか、文字が消えかかった手紙は何を語っているのか、など謎がたくさん用意されていて、それを解いていく楽しみもありました。さっき、泥棒がドジなだけで終わっていいのか、という声がありましたが、もともと小者の泥棒なのだと思って読みました。テーマはハンセン病とか、アイデンティティとかいろいろ出ましたが、私は何よりオッシュとクロウとミス・マギーという、背負っている背景がまったく違う血のつながらない3人がひとつの家族になっていくという物語として読みました。そうすると、無駄な部分はなくて、どの箇所も必要なのだと思えました。翻訳で気になったのは、「ビスケット」という言葉がたくさん出てくるのですが、これはアメリカの話なのでスコーンとか丸パンくらいに訳していいんじゃないかな。p107の「眠ったりしたことがない」は、誰かの腕に抱かれて眠ったりしたことがない、という意味なのでしょうから、もう少しつながるように訳したほうがいいかも。p188の帆船のルビなど、誤植がいくつかありました。それから、さっきオッシュとミス・マギーの年齢が書かれていないという声がありましたが、書いてしまうと、じゃあ、この二人は付き合ってもいいよね、とか、あるいはもう恋愛なんかする年齢じゃないだろうと読者が思うかもしれないので、あえて書いてないのかもしれません。

西山:急ぎ読む必要のある本があったせいで、途中で一旦何日か読まない時間をはさんでしまったのですが、そのせいかもしれませんが、表紙とタイトルと最初の部分で得た印象と、続きを一気読みした読後の印象が乖離しています。一気に読み終えて感じたのは妙ななつかしさ。なんだろうこの感じ、と思ったら、たぶん小学生のときにあれこれ読んだ宝探し冒険物語のノリなんですね。ハラハラ・ドキドキ・ヒヤヒヤ。不完全な手紙、宝探し、宝の発見、悪漢の登場、追跡、危機一髪、危機からの解放……。表紙の雰囲気とタイトルはずいぶん違いますけど、そのイメージが残りました。ただ、お兄さんが見つかっていたら、完全にエンタメで終わっていたのですが、彼の行方が知れないのは、過去を断ちたいという彼の意志があったからではないかと考えると、ハンセン病患者への政策と差別のことを思い出させられて、そうだ、ただのドキドキ冒険小説ではなかったのだと我に返った感じでした。あと、島の荒々しくも素朴な暮らしぶりがおもしろかったです。野趣溢れるけれど、あれこれおいしそうでした。

シア:メモしながら読んでいたのですが、それが途中から先が気になってもどかしくなってくるくらい読ませる作品でした。訳文のせいなのかはわかりませんが、淡々とした文章がとても心地良かったです。p36の「十一月のような声だった」、p220の「そよ風が、軽くおじぎするように、吹きぬけていった」など、比喩表現がたくさん出てきますが、そのどれもが美しいものでした。今回に限らず、海外作品は日本の児童書と比べて全体的に大人っぽいものが多い気がしますが、p25「あるものを食べ、ないもののことは考えなかった」や、p46「『人が何かをどうしてするのか? そんなことより、自分自身のことに注意をはらったほうがいい。人のことは人のこと』」のように、時に真理だったり、心に重々しく響くことを書いてくれると感じます。主人公のクロウも、p138「でも、わたしの勘は違うと言っていた。そして、わたしはそれを信じることに決めた」と、非常に意志が強く、12歳にしては大人顔負けの貫禄です。話の内容は『あん』もですが、なんとなく『ハイジ』(ヨハンナ・シュピリ著 岩波書店)みたいだなあと思いながら読んでいました。オッシュが、クロウが離れていくことに怯えるところはおじいさんのようですし、ミス・マギーはロッテンマイヤーのような人かと思っていました。でも、物語後半にはミス・マギーの乙女チックなところが見え隠れしたり、二人がクロウを慈しんで育てていることが表れていて、とても心温まるお話でした。オッシュの過去の話が出てこなかったところも謎めいていて良かったと思います。自分のルーツを知らない人がそのことを気に病む物語はよくありますし、いろいろ見聞きしてきました。私はなんらかの事情で子どもを手放した本当の両親よりも、育ててくれた人の方がよっぽど大変だし、大切なのではないかと思っています。たいていの場合は物語もそこに帰結します。でも、p65の「『後ろを見はじめると、自分の行く先を見のがすかもしれない』自分がどこでいつだれから生まれたのか、正確に知っている人だから言えること」というクロウの一言で、オッシュの言うことはもちろん、クロウの思うことのどちらも腑に落ちました。自分の生まれが不確かな場合、その足元は私が思うよりも不安定なんですね。その苦しみは当事者じゃないと理解できません。ハンセン病になった人もそうですが、無理解が人をバラバラにすると思いました。コロナ禍という、今の世の中でも情報が錯綜したり、未だに論争が続いていたりします。そうやって伝播していく人の恐怖心が伝染病よりも恐ろしいと感じました。と、真面目なことを考えながらも、やっぱり私は島の自然に圧倒されました。満天の星空や、動物たちが自由に歩いている町中など、都会育ちの私にとっては全てが新鮮かつ非日常で楽しかったです。ただ、雨水タンクからの水を清潔と表現したり、服を乾かしただけなのに綺麗だとか、果てはノミがついているかもしれない猫と寝ているというのは……。今回のテーマの違和感をこういうところに抱えてしまいましたが、まさにこれが大自然の中での生活なんですよね。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『セカイを科学せよ!』表紙

セカイを科学せよ!

ネズミ:ミックスルーツのことやステレオタイプからの解放など、意欲的なテーマだと思いました。ただ、いろいろなやり方でミジンコの写真を撮ろうといくところからはおもしろく読みましたが、中学生同士のやりとりにはしゃいだ感じがしたり、先生たちがあまりにもひどかったりというところは、ついていきにくかったです。こういうテーマなので、重くならないようにという配慮なのかもしれませんが。

アンヌ:生物の授業が好きだったので、題名といい目次といい、この物語はおもしろいぞと読み始めました。期待通り山口さんの虫好き度合いは普通ではなく魅力的でした。けれども、ミックスルーツの主人公が同調圧力につぶされそうな日本の中学生として、物語が始まっていくのは意外でした。梨々花の母親といい教頭といい、担任も校長も含めて、いい大人が全然出てこない物語でしたね。それだけに主人公たちの成長が気持ちよく読んでいけましたが……。ロシア語のことわざにもう少し解説があってもよかったのではないかと思いましたが、調べるといろいろおもしろくて、楽しむことができました。それから、お父さんがお兄さんに「ロシアには兵役があるぞ」という場面には、どきりとしました。

雪割草:学校の書き方が少しベタには感じましたが、虫という生きものをとりあげているのがおもしろかったです。敬語で話す山口さんや堅物な感じの校長先生は、キャラクターが漫画っぽいとは思いましたが、山口さんが風変わりな「好き」を貫く姿は、気持ちよかったです。自分の見方に固執して人のことを考えていない発言もあった山口さんが、パソコン班の人たちと一緒に研究に取り組んだり、と交流するうちに、相手の立場に立てるようになっていくのが、よく描かれていると思いました。それから、虫を気持ち悪いと言っていた子たちが、ちゃんと観察することで、案外かわいいじゃないと気が付くなど、「偏見」というものの見方について随所で描いているのも巧みだと思いました。

ハル:前回の『スクラッチ』(歌代朔作、あかね書房)と並んで、いま私のなかではトップクラスに好きな1冊です。今回のために読み直せなかった自分にがっかりするくらい好きです。p198で、「もしかして、お兄さん! 自分のことを外来種とか、外来種との雑種って思ってるんですか?」「違いますよっ」「人間は、同じひとつの『種』ですから」と山口さんが言うそのセリフを読んだときのわたしの高揚感! あの高揚感をいつも思い出します。人種とか、多様性とか、偏見とか、重たくなりがちなテーマだし、陰湿にもなりそうですが、それをここまで痛快に、そして読者の好奇心も焚き付けながら書き上げて、すばらしいなと思いました。もちろん、人間の社会は科学では割り切れないところもあるはずですが、「細胞が」とか「種が」とかで突破できるんじゃない? と思わせてくれるところが楽しかったです。

エーデルワイス:とっても楽しく読みました。表紙の絵が主人公たちの人間標本になっているところがおもしろいです。山口葉菜が何かと「ニマニマ笑う」表現がお気に入りです。
葉菜は虫女子ですが、小さい頃子どもはたいてい虫好きのように思います。ダンゴムシやミミズなどを触って。それがだんだん好きな子と嫌いな子に分かれてしまう。特に女の子は好きでも周りに併せて「虫キャー!」と、虫嫌いキャラになるのかもしれません。
ロシアの格言興味深いです。人間はホモ・サピエンス……の件は感動しました。

マリオカート: 昨年読みました。今回は再読できなかったので、当時書いた感想を話したいと思います。全体的にストーリー展開はユニークでおもしろく、引き込まれました。虫やマイナーな生物の話のなかに、人間のミックスルーツなどの話が組み合わされていますね。印象的な言葉が多く、ロシア語のよくわかるような、わからないようなことわざが、ちょいちょい入ってくるのも興味深かったです。ただ、敢えて言うと、物語の仕掛けを作ったときの力技な部分のしわ寄せが、全部、山口アビゲイル葉奈さんに行っている気がします。キャラとして、そんな子いるかなぁ、という若干の不自然さをまとっているように思いました。

まめじか:葉奈は生きものの分類にこだわっているわけですが、人間というのは、分類できない複雑さをもっています。それは、科学部のメンバーをはじめ登場人物のいろんな面が描かれることで、主人公のミハイルにも読者にもだんだんわかってきます。「人種」は社会的に創られた概念だという考え方もありますが、この本には、人間はみなホモ・サピエンス種なのだとはっきり書かれていますね。ちょっと気になったのは、実は研究発表はしなくてよくて、研究テーマさえ決めればよかったというオチです。校長はブツブツとつぶやくようなしゃべり方で、聞きとりにくかったと書いてあるものの、p148には「研究成果が出ることを期待しています」とあるので。ミハイルたちにはそういうふうに聞こえたということなのかもしれませんが、若干無理があるような。

シア:この本、とてもおもしろかったです。ラストの「他人の言うことにとらわれるな」というロシア語のことわざに全てが詰まっていると感じました。共感性というものが生活の軸になっている、今の子どもたちや社会をしっかりと表現していると思いました。ルーツに揺れる主人公たちの気持ちもていねいに描かれていて、第一印象が大事だとか、人は見た目が9割だとか言うイメージ先行型の考えを持っている人を柔軟にしてくれそうです。話の展開やキャラクターたち、そして読後感も良いので、中高生にぜひ読んでほしいと思います。JBBYのおすすめ本選定でほぼ満点を取った本というのもうなずけます。生徒たちがパソコンを使えないというのもリアルでした。今、学校で配布しているのもタブレットだし、保護者ですらスマホ中心の生活に移っているので、パソコンが家にない子もいるんですよね。小学校でパソコンの授業が必修化しましたが、若い教員やベテランでもパソコンが使えなかったりしますし、どうなることやら。それにしても、保護者にしても誰にしても、意見を言いやすい世の中になったと思います。ただ、それは意見というよりは言ってもいい相手に放つ言葉という感じがします。今の時代、共感を持たれやすい言葉を使うことが求められていて、ミハイルのように周りに合わせることが重要だと思う子が多くなりました。だから良いとは言えませんが、ミハイルの生き方は日本社会、こと学校では間違えていないし、梨々花がこんなにいろいろ言えるのは周りに受け入れられているからだと思います。でも、ミハイル本人の思いとは裏腹に今後彼は顔で受け入れられていきそうですね。理不尽が横行しがちな義務教育を乗り切れば、あとは顔面偏差値がものをいう世界でもありますから。何を言ったかではなく、誰が言ったかというところを重視されがちな世の中ですし。ユーリ兄ちゃんも日本にいればいいのになあ。個人的にすごく良かったのはp179の「俺たちは意味不明に張り切った」というところで、自分で決めた納得のいく目標が出来れば、この頃の子ってそれこそ意味不明に頑張れるんですよね。学校に限らず、そういう機会や選択肢を増やすことが大事だと思います。気になったのは蚊のところですね。p125で「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」と言っていますが、これはわざとと言えるのではないかと。根底に悪意が完全にないわけではないんじゃないかなって。悪意ある風評によって、「肝試し」「魔界」というマイナスな印象を持っているわけだし。それを否定せずにいること自体、悪意と言えるのではないでしょうか。そもそも忍び込むということ自体まずいですよね。謝ってすむとか、中1だからという風潮は良くないと思います。虫めがねを隠した子たちも含めて、軽い気持ちのいたずらがどういうことになるのか、ここで教師の出番のはずなのに何もフォローがないのが気になりました。嫌な教師や悪いことをした子たちが物語を展開するだけの道具になっていることが残念です。メグちゃんも新人だとしてもイライラするレベルです。それに生徒用(しかも科学部)のパソコンなのにノートパソコンで、しかも防犯用に固定もされていないなんて、この学校の危機管理はどうなっているのか問いたいくらいです。他にも部活動や教員関連で問題にしたい部分も散見されましたが、前回わりと散々言ったのでもういいかなって感じです。

アカシア:ユーモラスに問題を展開させていくという意味で『フラダン』(古内一絵著 小峰書店/小学館文庫)を思い出しながら読みました。あっちは高校生が主人公なので、もっと心理的には複雑なんですけど。おもしろくする工夫はいろいろあって、p11のミハイルが作ったチラシですが、不必要なアキがあったり、点が2つあったりなど、わざと間違いがあるままに出しています。p79の最後の文章とか、p122のボウフラのネットをはずして謝りにきた中1の男の子たちの描写とか、父親はこの人だと言って葉奈の母親がウィル・スミスの写真を見せるところだとか、笑える文章も随所にありました。ミハイルは考え方も話し方も日本的なんだけど、ところどころにロシア語のことわざがはさんであって、「あ、ミハイルのお母さんはロシア人だった。ダブルルーツの子だった」と思い起こさせてくれます。空気を読むことばかり気にして無難に世渡りしようと思っているミハイルに対し、空気を読むことに興味がない葉奈。両方外国ルーツも持つという共通項がありながら正反対の主人公を出しているのがおもしろいですねえ。そして、ステレオタイプに考える人たちと、それに反発するミックスルーツの人だけではなく、p110で「もっと深刻な悩みを持ってる人はいっぱいいるんじゃないかな。不治の病とか、親に虐待されてるとか、すんごい貧乏だとか」「こっちもいそがしいんだからさ。な、いちいち甘えんな」などと言ってしまう仁のようなキャラクターも出してくるので、読者も複合的な思考を迫られます。仁の存在はけっこう大きくて、その影響もあってミハイルも兄に対して「つらいのは自分だけみたいな顔しやがって。十八にもなって情けねーんだよ! 誰だって悩みのひとつやふたつくらいあるだろ。俺だってなー」(p194)という言葉をぶつけるわけですが、兄が本当に苦しげにギュッと拳を握りしめていることに気づいてハッとします。ここで、ミハイルは(そして読者も)さらに複雑な思考を獲得できそうです。山口葉奈の小動物についての蘊蓄も、ミジンコの心拍数をどう計測するかを考えていく過程も、おもしろかったですし、他者と合わせようとしない葉奈の存在そのものも、葉奈の発言も小気味よかったです。

ANNE:この会に初めて参加させていただきました。皆さんの感想が本当にそれぞれでおもしろいですね。私は2009年まで学校図書館にいましたが、当時の中学生はパソコンをもっと使いこなしていたイメージがあります。この十数年で子どもたちのIT環境もずいぶん変化してるんだなぁと改めて思いました。個性豊かな登場人物の中でも印象に残ったのは、主人公ミハイルの兄ユーリです。なかなか自分のアイディンティティを見いだせず、バイトもうまくいかない、いっそロシアに行って暮らそうかなどと考えているユーリの存在がこの物語の大きなキーワードになっているように思いました。ロシアで暮らしたいという長男に向かって母が言う「ロシアには徴兵制度があるのよ」という言葉が、現在の社会情勢とも相まって大変心に残りました。

しじみ71個分:この本はとてもおもしろかったのですが、残念なことに最初の出会いで失敗してしまいました。研究会の課題本になっていて、まだ読んでいないときに、先に人の意見を聞いてしまったんですね。なので、その印象が強くて…。多くの研究会参加者がおもしろいと言っていたのですが、葉菜の外見的な特徴で彼女のルーツについて表現しているという点で、こういった表現は既に海外では受け入れられないだろうという指摘もありました。なので、その印象に引きずられて読んでしまったかもしれません。でも、自分で読んでみたら、テーマも大変に挑戦的ですし、お話の内容もテンポも軽快で明るいですし読みやすく、やっぱり物語の作り方が非常にお上手だなと思いました。すべてのキャラクターも個性がはっきりしていてとっても読みやすいです。ただ、葉菜の「コーヒー色の肌」とか、「紅茶色」とか複数回出てくるので、キャラクターの紹介が既に終わっている段階だったら、肌の色についてはそんなに何回も記述しなくてもいいんじゃないかと思ったところはありました。また、アフリカにルーツのある人たちはバスケがうまいとか、そういったステレオタイプなイメージを破るために、あえて正反対の、虫好きの、運動が得意ではない人物を立ててきたおもしろさはあるのですが、それがある意味、逆にステレオタイプになっているかもしれないなとも、ちょっと感じてしまいました。ですが、後半にミハイルや葉菜のルーツの問題は置いておいて、生物班の存続のために、みんながミジンコの心拍数をどうやって計測するかについて、実験してトライアンドエラーを繰り返すあたりの場面はとても新鮮で、科学的な視点を持つことの重要性やおもしろさを伝えてくれましたし、葉菜のホモ・サピエンスについての考え方に表れているように、偏見とか先入観、思い込みといったものを科学的な視点で乗り越えていくこともできるんだと気づかせてくれ、読んで明るい希望も湧いてきました。

ルパン:おもしろく読みました。はじめ、「なんだ、部活ものか」という感じで、大仰なタイトルに合わないんじゃ、と思ったのですが、後半からぐいぐい来て、さいごはこのタイトルがぴたりとおさまりました。普通だったら腫れ物にさわるように避けてこられたようなテーマを正面から取り上げていて、すごいな、と思いました。しかも、誰も傷つけずにデリケートな問題に向かい合うことに成功している。「国際児童」「こじらせ系ハーフ」「コーヒー色の肌」、しまいには「北方領土をどっかの国からまもらなきゃ」まで言っちゃって、まさに「あっぱれ」です。

しじみ71個分:ネットで、バスケのオコエ桃仁花選手や、八村阿蓮選手が、日常的にTwitterなどで人種差別を受けているという記事を読んだり、自らのアイデンティティについて苦悩する八村選手の短編映画などを見たりしました。彼らに対して投げかけられた差別発言は目を覆うばかりの酷さです。この本は、そういった差別意識を乗り越える一つの方法を提示しているように思いますし、気持ちよく読んで、ミックスルーツ問題について考えるきっかけを得ることができると思うのですが、一方で、その前に、本当にひどい差別が社会に横行している事実や、差別で傷ついている人がいることを知らせる必要があるとも感じました。自分では気付かない差別意識が自分の中にあるのではないかと常に問いかけることを伝えてくれるような、そんな本もあったらいいなと思います。

アカシア:日本には差別がないと思っている人は多いんですけど、そんなことはないですよね。私は、若い時に反アパルトヘイト運動をやっていた方から、「子どもが好奇心をもって、アフリカ系の人の髪の毛にさわろうとしたりするのは差別ではない。それを差別だからとやめさせようとすると、見て見ないふりばかりするようになってしまう」と聞いて、なるほどと思ったことがあります。自戒を込めていうと、日本は、差別してないと思っている人でも、アフリカ系ならダンスがうまいだろうとか身体能力がすごいだろうなどとステレオタイプで見る場合が多いし、見て見ないふりの人も多いと思う。

西山:最後まで再読しきれなかったのですが、やっぱりおもしろかったです。「科学」の取り込み方が絶妙! 生きものの分類に対する興味とミックスルーツの自分の問題がかっちりはまっている。情緒的に「差別はいけません」「いじめはいけません」と説くより、よほど説得力があって、同調圧力のうっとうしい壁に風穴を開けてくれるのではないかと思います。課題図書にもなって、多くの中学生の手に取られることは喜ばしいと思いました。ボウフラのネットが外された事件も、山口さんの「よかった」「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」というつぶやきに、ミハイル同様「悪意というものがなかったことに救われた気持ち」(p125)になりました。この展開を結構大事なメッセージだと思っています。あと、ロシアのことわざがキュートですね。ロシアのウクライナ侵攻の前にこの作品が出ていてよかったと思います。ロシア人を、そういう文化を持っている人たちなんだ知っていることが、妙に重要になってしまったと感じています。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年11月 テーマ:クラブ活動

 

日付 2022年11月17日
参加者 ネズミ、ハル、シア、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、まめじか、西山、さららん、サークルK、ニャニャンガ、アマリリス
テーマ クラブ活動

読んだ本:

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『5番レーン』表紙

5番レーン

西山:本作りはきれいだけど、どうにも読みにくくて入って行けませんでした。冒頭の3行ですでにつまずいて……。「ナルは5番のスタート台にあがった。……ひとつだけちがったのは、ナルのレーンが5番じゃなかったということ」タイムが速い順に4番、5番なのかということがなんとなくわかって、なんとか理解はしましたが……。部活や学外のスポーツクラブの在り方が日本と全く違うのだなと、こういうことを知ることができるのが翻訳作品のおもしろさだなとは思いました。

コアラ:おもしろかったです。ただ、韓国のことをあまり知らなくて、いろいろわからないまま読み進めて、いろいろひっかかりながら、少しずつわかっていく、という感じで読みました。名前では、誰がどういう人なのかわからなくて、例えば、主人公のナルと仲のいいスンナムについては、p23で「オレが買った」とあったので、男子だったのかとようやくわかりました。年齢と学年についても、最初のほうで、小学校の水泳部でナルは小学6年生と出てきますが、p19の最後のほうで13歳となっています。日本でいうと中学1、2年生かと思いましたが、p44の中ほどの括弧で「(韓国は生まれたときを一歳とする数え年)」とあって、結局日本と同じ、小学6年生の12歳だとわかりました。これがわかるまで、年齢と学年はひっかかりになっていました。あと、小学校の水泳部とありますが、日本でイメージするような、ただの学校のクラブ活動でなく、オリンピックを目指す選手がお互い切磋琢磨するような、すごくハイレベルなところだとわかってきます。それから、水泳のこともよく知らなかったので、5番レーンの意味もよくわからないままでした。たぶん、4番レーンが予選で1位だった人、5番レーンが予選で2位だった人、ということなのかな、とは思いましたが、はっきりとは書いていなかったように思います。読み飛ばしてしまったかもしれません。それでも、いろいろわかってくると、すごくおもしろくなったし、p132の3行目の恋の始まりの表現など、すてきな表現がいくつもありました。ただ、どちらかというと大人びた表現のある物語なのに、絵がとても幼く感じられて、そこに違和感を感じました。絵が全部カラーで贅沢なつくりだし、きれいな本だとは思います。

アマリリス:ひたむきなスポーツ小説かと思ったら、ナルが水着を盗むシーンがあって、そっちの方へ行くのか! と度肝を抜かれました。そこからの展開は非常に読み応えがありました。幼馴染のスンナムが実はチョヒと付き合い始めていた、というオチもおもしろかったですね。チョヒが、もっとイヤな子なのかと思ったら意外と素敵なライバルとして描かれていたのが印象深かったです。子どもたちがそれぞれ、過去に盗んだものの話をして主人公を励ますのもよかったと思います。ただ文章自体は、ツッコミどころが多い気がしました。以前、すんみさんの別の翻訳を読んだときはスムーズに楽しめたので、今回の作品は原文に問題があるのでしょうか。特に気になったのは、三人称のブレ。ナルとテヨンの視点が、章ごと、段落ごとに入れ替わるぶんにはいいのですが、1行ごとにブレている場面がありました。あと、最初にチョヒの水着の描写があったとき、色は書いてなかったように思うのですが、途中から急に「ピンクの水着」と出てくるので、同じ水着の話をしているのか、遡って確認作業をしなくてはなりませんでした。午後の練習時間の長さもはっきりわかりづらいんですよね。放課後に練習を始めるけれど、毎日夕方6時に公園で月を見ることはできるなら、練習時間は短いのかしら、と気になりました。ところでカラーのイラストが文中にたくさんあるって素敵ですよね。これ、印刷のコストはかなり高いのではないでしょうか。

ニャニャンガ:当初は一部の挿絵を使う予定だったのが、すばらしい絵なので、すべての挿絵を使うために担当編集者が頑張られたと伺っています。

シア:冒頭の「テイク・ユア・マーク」の一文が真っ先に目に飛び込んできて、クールさにしびれました。訳さずにそのままなんですね。よく文章内でフルネームで呼ばれていますが、これはどういう意味合いなんでしょう? 日本やアメリカではフルネームはわりとネガティブな印象なので不思議でした。物語の内容以前に、国の教育レベルが全然違うことに衝撃を受けました。PISA調査でも結果は出ていましたが、日本は世界から完全に後れを取っていることを改めて突き付けられました。小学生のうちからこんな高度な特別チームで一生懸命練習をしていて、中学に入る前の時点でふるい落とされる……それが国全体でのレベルを上げるということなんでしょうね。p 221「国旗が描かれた名札」をつけるなど、強化選手でもないのに仰天なのですが、国を挙げて教育しているんだなと感じました。『スクラッチ』を読んでからこちらを読んだので、余計に日本の部活システムが子どもだましに思えました。部活なんかでお茶を濁しているのにオリンピックでメダルだなんて、日本は負けましたと言っているようなものです。日本でもプロを目指している子はそもそも部活には入らずに、地域のチームに所属しています。素人の教員(ほぼ無償)が指導する部活なんていります? 熱い思い出だけじゃ、世界と肩を並べる力になりませんよ。この作品に出てくるコーチは精神的な暑苦しさがなくて冷静でまさにプロです。揺れ動く子どもたちに余計な口出しもあまりしません。青少年育成のために運動をさせるなどという名目もありますが、世界を見据えるなら早急に考え直していただきたいです。部活動というものにメスを入れるために、学校関係者はぜひ『スクラッチ』とあわせて読んでほしいと思いました。とは言ったものの、小学生なのに古典的な恋愛模様を繰り広げていて、さすが韓ドラの国だと笑ってしまいました。挿絵はかわいらしいのに、トレンディドラマのようなシーンの数々に少々居心地が悪くなります。水着事件の際、一生を棒に振る覚悟で大騒ぎするような年齢相応の子どもなのに、色恋沙汰はレベルが高く、韓国は本当にいろいろ進んでいるなと思いました。

アカシア:こう来たか、と、私はまず本づくりに感動しました。新しい風が吹いてきた感じがします。絵やレイアウトもすばらしいです。韓国は、児童書に対しての国のバックアップがすごいんですよ。それで、こんなに勢いがあるんでしょうか。文章にはそんなにひっかかりませんでしたね。小学校6年生らしい子どもたちが登場して、その心理がとてもうまく書かれています。おとなは、出来心で盗ってしまったなら謝って早く返せばいいじゃないって思うけど、この年齢の子どもだから悩むんですね。恋愛も初々しい感じだし。p111に「だったらお姉ちゃんもいかせない、とアタシが水着をかくしたりしたから」は、みごとな伏線になっていますね。

サークルK:みなさんおっしゃっているように、たくさんの挿絵がとても素敵でページをめくるのが楽しかったです。全部カラーなんて贅沢ですよね。表紙をめくった見返しのところが水玉で(裏の見返しは緑色の水玉に変えてあって、おしゃれすぎます!)さわやかなソーダ水のようです。放課後の水泳部は決して甘いものではありませんが、友達との関係やほのかな恋心などが、重たくなりすぎず展開していくことを示してくれているみたいでした。私が特に気に入っているのは、ナルの姉ボドゥルです。水泳から飛び込みに競技変更した姉に対しナルは納得がいかず、ひどい言葉で姉をなじりますがそんな妹に対して素敵な言葉で今の自分の気持ちを語ります。「競技をやめたって世界は終わらない」(p192)、「あたしはやれることを全部やったから、もう心残りがないの……」(p193)、「水に落ちてるわけじゃないの。……自分で飛んでるの」(p194)、「自分の力で進んだなら、思ったのとちがって下に下に向かってしまったとしても、それは落ちてる事じゃなくて、飛んでることになるわけだから」(同)、これらの言葉はこの作品にとどまらず、手帳に書き留めておきたいくらいの珠玉の言葉と言えるでしょう。「飛び込み」は競技のひとつではありますが、いわゆる「飛び込み」は「死」を連想させる言葉にもなりえます。この本を手に取る子どもたちが、ボドゥルの前向きな「落ちてるんじゃなくて飛んでるんだ」という言葉に救われると良いなあとも思います。また、ナルの友だちテヤンが書く手紙(p 210)にある「僕はいつもナルの味方だよ。ナルが自分の味方になれないときでもね。わかった?」という言葉もこれ以上の励ましはないほどの温かい心のこもったもので(ラブレターと言ってしまっては陳腐な表現になってしまうので、あえてそうは言いたくないのですが)、落ち込んでいる人にはこんな言葉をかけてあげられる人になりたいものだ、と思いました。最後に、この本の中で扱われているテーマの一つに「成長期の子どもがはまり込むスポーツの弊害」もあるような気がします。最近読んだ平尾剛氏のコラムを思い起こしましたので以下をご参照ください。「勝つたびに『俺は特別だ』と思い込む…巨人・坂本勇人選手のような『非常識なスポーツバカ』が絶えないワケ」(PRESIDENT Online https://president.jp/articles/-/63326?page=1 2022年11月14日15:00)

アンヌ:まず挿絵が素晴らしいなと思いましたが、人物については線が柔らかすぎて、体形がスポーツマンというより、ふんにゃりして幼い気がしました。実は私は水泳部に少しだけいたことがあるので、主人公からプールのにおいがしたり、コーチが、p124で「一番遠くにある水を引っ張ってくると考えて」というところなど聞き覚えがある気がして、懐かしい気持ちがしました。p70のお姉さんがサイダーで飛び込みをたとえるところなど、想像できて美しいです。韓国と日本との部活の意味の違いとかに興味を持って読み進んでいたのですが、ナルが自分と勝ち負けだけにこだわっている子なので、だんだん飽きてきてしまいました。それでも、周囲の人々はみんな優しく、彼女を見守っていてくれるおかげで物語は進んでいきますが、もう一つ釈然としないまま、スポーツマンとして成長していこうというナルの意思が語られて終わったなあという感じでした。

ネズミ:私は最初からナルのキャラクターにひきつけられて読みました。水泳のことばかり考えていたナルが、テヤンが現れたことや、姉の変化などを通して少しずつ変わっていく微妙な心理が描かれていてとてもよかったです。はしばしの描き方もよかったです。p104の三日月を見るシーンで、「ああ、でも……月に行っても泳げる?」とナルが言い、テヤンが宇宙の知識を出してくるところ、それぞれの性格が会話の中にそれとなくにじみでています。p133の1行目「いいよ、いいね、どうしよう。このうちどれが、いまの気持ちにぴったりなのかがわからない」と思って、結局スタンプを送るなど、心の動きがうまく表現されているなと。

エーデルワイス:表紙、挿絵が水色と黄緑色を基調とした綺麗な本です。読む前にページをめくって楽しみました。以前リモートの「オランダを楽しむ会」に参加してオランダと日本の小学校教育の違いを丁寧に説明していただいて、どちらが良いとか悪いとかではない、というお話が心に残っていましたので、『5番レーン』を読んで、韓国と日本の教育や部活の違いを考えてしまいました。小学生のまだ体ができていないときに、過酷なトレーニングはどうなのだろうか? 英才教育も大事だけれども、仲間と共に楽しむ部活もいいのではないか? 全国のそんな部活の中から才能のある子たちが出てくるのでは? 世界的バレエコンクールで日本のバレリーナが毎年のように上位に入賞するのは、日本国内に大小たくさんのバレエ教室があるためと聞いたことがあります。子どもたちは楽しんでバレエレッスンしてその中から才能ある子が伸びてくるのだそうです。ナルたちがスマホでやりとりしていますが、日本の小学生はまだスマホは持てないと思うので(それともキッズ携帯?)、どうしても中学生のような設定の物語に思えます。11月15日付日経新聞に「お隣の韓国で、初の絵本が出版されたのは1980年代末。ソウル五輪のころ経済成長をとげ、言論や出版の自由が広がったのが背景だという。日韓の絵本を紹介する、千葉市美術館で開催中の展覧会で知った。大正期から100年超の日本とくらべ歴史の短さに驚く。」(春秋 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO65984750V11C22A1MM8000/ 日本経済新聞 2022年11月15日2:00 ※会員限定記事)という記事がありました。韓国での児童書に対する手厚い保護については聞いたことがありますが、なるほどと思いました。

さららん:思うようなタイムを出せず、今までの地位から落ちたカン・ナルは、自分で自分を受け入れられない葛藤を抱えています。そんな閉塞感とは対照的な、透明感のある広々とした空間のある絵が、物語の風穴になっているのかもしれないと思いました。そして幼馴染で水泳部部長のスンナム、親友サラン、転校生で水泳部に入ってくるテヤンをはじめ、群像がよく描けています。焦っているカン・ナルと反対に、テヤンは前向きでマイペース。ナルの姉ボドゥルも、葛藤を経てきたはずなのに、とにかく明るい。ナルの母親も、自己実現のために子どもに何かをさせている親ではありません。そんな周囲の人々が重いテーマの救いになっています。p224で、ナルは苦しい秘密をチームメートに告白しますが、みんなが「とにかくごはんを食べよう」と誘ってくれるところなど典型的です。またテヤンが科学者になりたいと思っていたり、ナルとスンナムとテヤンが公園に1か月通って、月の観察をしたりする章があることで、水泳がテーマの物語に思いがけない奥行が出ています。泳ぐことと空中遊泳の類似など、宇宙への広がりを覚え、気持ちのよい部分だなあと思いました。気になったのは、視点のギアチェンジが時々ぎくしゃくするところです。テヤンと交互に話が進むのかと思いきや、主人公はやはりカン・ナル。ほぼカン・ナルの気持ちに寄り添って読めるのですが、ただその視点が大きく揺れることがあるのです。例えばずっとナルの心理に寄り添った描写だったのに、急に突き放すような「八年の友情に危機がおとずれた」(p45)」という客観描写があって……「八年の友情もこれで終わるのだろうか」と書いてあれば、ついていけたのですが。

ニャニャンガ:ご近所なのに、あまり知らない韓国の学校事情がわかり興味深く読みました。水泳部の女子エース、小6のカン・ナルの目を通して、本気で水泳をすることの厳しさが伝わってきます。ライバルの水着を盗んでしまう場面にはドキドキしましたが、きちんと始末をつけていさぎよかったです。挿絵が豊富にあるおかげで読み進められる読者もいるのではと思いました。

まめじか:物語全体をとおして、ナルは水の中でもがきながら、前へ前へと進もうとします。競泳から飛込に転向した姉が、「自分の力で進んだなら、思ったのとちがって下に下に向かってしまったとしても、それは落ちてることじゃなくて飛んでることになる」(p194)とナルに語るのが、心に響きました。ボーイフレンドのテヤンやチームメイトとの関わりもよく描かれていますし、あたたかみのある絵がいいですねえ。最後の行にある「見てろ」は、日本語で読むと少し強いというか、闘争心をストレートに感じました。

ハル:私は、何人かの方がおっしゃっていたような、大人っぽさは感じませんでした。恋愛も、初恋の初々しい範囲かなと思います。それに、大人の私でも、もし自分がライバルの水着をとってきちゃったとしたらと考えると、それをいろいろ言いつくろって自然に返せる自信はないなぁ。シューズとかラケットとかだったらまだ「間違えちゃった」でごまかせるかもしれないけれど。なので、ナルが「もう水泳もできないかもしれない」というくらいに追い詰められたのも理解できます。全体的にはいいお話だったけれど、デビュー作だからなのか、皆さんがおっしゃるように、読みにくいところはあって、もう少しブラッシュアップできそうだなと思いました。そもそも、4番レーンと5番レーンの説明ってありましたっけ? 予選でいちばん速い子が4番レーンを泳げるんですよね? たぶん。その説明は、必要だったと思います。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『スクラッチ』表紙

スクラッチ

まめじか:不要不急という言葉が押しつける我慢、大人が求めがちなものわかりのよさに、中学生が全力で抗う様子が頼もしく、気持ちよく読みました。災害やコロナなど、人生にはいろんなことがありますよね。思いがけないところから墨が降ってきて絵を汚されちゃったりもするし。でも、なんど闇が訪れても、光さす暁の瞬間は必ずあって、それはこの手でつくっていける、浮かびあがらせていけるというのに、ぐっときました。主人公たちが、ぜんぶ人になんとかしてもらおうとか、だれかのせいにするとかじゃないから、応援したくなるんですね。鈴音はディズニーランドに行こうとしている友人を非難したことで、それは帰省した姉を避ける近所の人と同じだと諭されて反省していましたが、そうやって自分のことを省みたり、千暁(かずあき)が絵を通して自分と向きあったりする様が、すがすがしかった。鈴音がすぐに泣いたり怒ったりして、生の感情をストレートに表せるのに対し、千暁はいつも冷静で、人との距離をはかりかねているようです。感情をむきだしにした鈴音の絵と、千暁が洪水のあと避難所で暗い感情を押し殺し、鮮やかなクレヨンで描いたタンポポの絵の対比が、見事だなあと。若干気になったのは、登場人物がみんないい人というのと、手の皮がむけるような過酷なトレーニングは、今の中学では行き過ぎた部活指導にあたり、指導として認められないのではないかということです。

シア:そういう指導の仕方は今の時代アウトですね。でも、残念なことにこういう学校がないとは言い切れないので、今後の部活動の在り方が問われますね。

まめじか:p. 3の「肌色」という言葉は、使わないほうがいいのでは……。「そんなキャラやったっけみのり?」(p 73)、「なんだそれふつうにひどい男じゃないかって思ったけれど」(p104)、「千暁みたいに頭よくないよどうせ」(p277)などは、読点がないのが少し気になりましたが、このほうが一気に読めて勢いが出るのかな。p191の千暁の章で「二宮(みのり)さん」とあるのは、千暁の心の声として「みのり」を括弧書きにしてるのか、それとも二宮さんがみのりのことだと、読者にわかるようにしているのか?

ハル:私はこの「(みのり)さん」の感じ、わかるなぁ。こういう子、いませんか? 親しみは感じているけれど、名前呼びするのは気後れするから、わざわざ括弧をつけて呼ぶ。ちょっと二次元的な表現なのかな。

ニャニャンガ:千暁にとって、この時点でまだ下の名前で呼ぶほどには打ち解けていない相手なので、括弧付けで名前を入れたのだと思いました。

まめじか:「べたべたとネットをくぐって」(p53)、「きゅっと僕を見た」(p104)、「きゅっと姿勢を正して」(p266)、「ペンギンのようにでべでべとかけて」(p149)、「雲が空をごんごん流れてきて」(p331)など、表現が独特ですね。「片手でわしっとつかんで」(p105)、「目元をにこにこさせて」(p109)などは日本語として正しいのかわかりませんが、そういうことを気にしすぎると、表現として窮屈になるのでしょうね。

アマリリス:一人称で書かれているので、この登場人物自身のボキャブラリーなのだと認識していました。だから、違和感なく読めましたよ。

ハル:久しぶりに、っていうと語弊があるかもしれませんが、久しぶりにいいYAを読んだなぁという読後感に浸りました。中学3年生の内面が、実際にそうなのか、本当のところはわからないけれど、表現されているこの子たちの心情や行動が、すべて真に迫っている、圧倒的なリアリティを感じました。体感をともなって想像したり、共感を覚えたりしながら読むことができました。もしかしたら、主人公たちと同世代の読者には、ちょっと長かったかなぁというのは少し気になりましたが、ぜひ、中学生、高校生に読んでもらいたい本です。

ニャニャンガ:とてもおもしろく、ほぼ一気読みでした。スカッと気持ちのいい青春物語という印象です。題名の「スクラッチ」の意味がわかってからは、さらに物語に入り込みました。じつは表紙の絵があまり好みでなかったために読んでいなかったので、今回みんなで読む本になってよかったです。翻訳作品にはない日本語の自由さを感じたので、翻訳者としてうらやましく思いました。p237「によによ笑う」、p247「す、っと、はっかのような空気が僕の肺に流れこむ」などの表現がとくに印象に残りました。またp255の絵を描くシーンにはドキドキしました。千暁が転校してきた理由や、その後、人と深くかかわりをもってこなかった理由などがわかり、鈴音と文菜、健斗との交流を経て少しずつ心がほぐれていくようすがよかったです。千暁の読み方がなかなか覚えられなかったけれど、千の暁という名前が物語とつながり、ぞくぞくしました。最後は、浸水被害の被災を乗りこえる家族の姿に感動しました。

エーデルワイス:とてもよかったです。今どきの中学生が、ため口で本音を語り、清々しい。コロナ禍になって3年ですが、子どもたちにとって1か月でも1日でもかけがえのない日々です。制限や我慢の連続の影響が今後どのようにでるのだろうかと心配です。主人公の鈴音、千暁たち中学生のいらだち、希望がストレートに伝わりました。印象的な場面はたくさんありますが、鈴音の中学生活での最後のバレーボールの試合終了後の場面は青春! でした。千暁が両親と美術館へ行った帰り、カップラーメンを食べたいと提案すると、いつも完璧に美味しい食事をつくる母が賛成して震災直後よく食べていた銘柄を言うところは、震災を体験して心に傷を負いながらそれを言葉にしてこなかった家族がようやく復活した素敵な場面だと思いました。

ネズミ:コロナ時代の中学生活を描いていて、もやもやのたまった感じがよく出ていると思いました。中学生同士のやりとりは、中学生は「あるある」という感じで読むのかもしれませんが、この会話がリアルなのか、戯画化や誇張があるのか、私には判断がつかず、ちょっとやかましく感じられて、途中はとばして読んだところも。あと、途中で説明的と感じられるところもありました。千暁は賢くて、自分で説明をつけていくだけかもしれませんが、p160の4行目で「この病気は仮病だと疑われて理解されにくいこともある、みたいなこともレポートされていたっけ、と思い出す」、p161の6行目「僕自身も親が、特にお母さんが小さい子どもに注意するようにいまだに口うるさいことにうんざりすることもあったけれど……」とか、この子の説明ではなく、物語でわからせてくれたらいいのになと。

アンヌ:よくこのコロナ下の現状と被災者の気持ちというのを描いてくれたなと思いました。きれいな絵を描くことで、母親の期待に添い、過去から目を背け自分を押し殺していた千暁が自分自身を取り戻し、真の創作衝動を取り戻す。それに対して、並行した主人公であるはずの鈴音は魅力的な個性なのに、狂言回し的役割なのが残念です。ただ、千暁の冷静さが、おもしろさを阻んでいる気がしました。あまりに自分や家族を冷静に分析しすぎで、中学生というより作者が顔を出して語っているのをずっと聞いているような気がしました。恋愛的要素を実に繊細に排除しているのも少し不思議でした。

アカシア:私はアンヌさんと違う風にとっていました。千暁はコミュニケーション障害を持っていることを自覚していて、一つ一つをピンダウンしていかないと次に進めないんだと思うんです。それで、友だちもできにくいので、親もそれを心配しているわけですよね。だから、必ずしも理想的な家族じゃないと思うんです。それと、最初ざっと読んだときは、美術の先生が男性だと思ってたんですが、もう一度ちゃんと読んだら、女性だったのにびっくり。全体に、生きのいい日本語ですよね。翻訳ではなかなかこういうわけにはいきませんね。このくらい自由な日本語で翻訳もできるといいんですけど。リアルにコミュニケーションを取った時、人は他者の立っているところに気づき、その人ならではの困難に気づき、自分をより客観的に見ることができるようになっていくんですね。最後の部分ですが、はじめは「私は行くんだ」ですが、次は「私たちは、行くんだ」になっているのが、象徴的ですね。好感をもって、おもしろく読みました。

シア:気になっていた本だったので今回読めてよかったです。スクラッチ技法も好きなので楽しく読めました。流行りの言葉遣いや物、時代を反映したフランクな一人称ものってすぐに古くなるので苦手で、最初は抵抗があったんですがリズムのよい文章でテンポよく読めました。ラストに天気が自分の気持ちに寄り添わないというのもよかったです。虹がかかるとか、心地よい風とか締めの定型みたいなものを壊してもらえてすっきりしました。そして田舎の広さに憧れました。お庭でバーベキューができるとか、家庭菜園というレベルではないものを毎日食べられるなんて羨ましい限りです。この作品では羽化に例えていましたが、中学生くらいは体も心もさまざまな変化が訪れる年齢ですよね。それを汲み取ったよい成長ストーリーになっていると思いました。今の学校生活や学生に求められるものというのは、理不尽ですが明確な正解があって、それをなぞっていけばなかなかよい生活が送れてしまえるんですよね。そういうことをわかっている子は優等生として優遇され、そのレールに乗れば社会でも無難に過ごせます。でもそのせいで、早くから一芸に秀でるということができません。それが今の日本が世界から一歩、もしくは何歩も遅れ気味になっている原因の一つかもしれないですよね……。という風に、子どもたちの成長の話に関してはとても興味深く読めましたが、教員に関しては世間一般ではまだまだアップデートがされていないと感じました。読んでいてもかなり負担が大きくて、千暁のお母さんが言っていたような「呪いをかけ」られている感じです。教員のプライベートを度外視した、“生徒に寄り添うよい先生”が全体を通して描かれているんです。生徒や保護者にとってはよいことだし、今の世間的にも受け入れられていることなんですが、そういうひとつひとつが現在の教員を追い詰めていると感じます。粉骨砕身、滅私奉公、一人の人間としてではなく“生徒優先の正しい教員として過ごすべき”と価値観を押し付けてきた結果が、今日の教員不足に繋がっていると痛感します。聖職と考えて個人的に行う分にはいいと思います。これもフィクションだし、いいと思います。けれどこれを教員の「正解」として求められてしまうのはかなり苦しいと感じました。

アマリリス:今回、自分のなかでは、まったくノーマークだった2作を読む機会をいただけてよかったです。『スクラッチ』は、非常におもしろいと思いました。最初は、ネット用語的なものを盛り込みすぎて、読みづらく感じたのですが、慣れてくると違和感なく、むしろ心地よく読めました。何年か後に古びてしまうことを恐れないで“今”を切り取っているところに覚悟を感じます。美術やバレーに携わる人の成長を描く青春小説としては、そんなに大きく新しい要素はないと思いますが、コロナ禍の閉塞感が再現されていて、今の子どもたちが親近感を持って読めるお話だなと思いました。表紙が、ぱっと見ただけで岡野賢介さんのイラストだとわかりますね。インパクトがすごい。ただ、読み終わってみると、千暁の絵のイメージと、表紙の絵があまりにも違うので、千暁の絵のタッチに近いものを見てみたかったな、という気もしました。あと、文章の細かい表現がいろいろよかったです。たとえばp195「ふつふつとした炭酸のような笑いが、あとからあとから、体の内側に湧き上がってくる」、p314「俺らが全部やったんスよ。仙ちゃんは漂ってただけ」などがユニークだと思いました。

西山:すっごくおもしろかったです。教員像、仙先生が女性なのがおもしろいと思っていた程度で、出てくる教師たちの働き方は気にせず読んでいましたが、確かにアップデートは大事ですね。抑え込まれた痛みを、痛みとして受け止めることの大切さが書かれていて、『フラダン』(古内一絵/作 小峰書店)を思い出しながら読みました。人物やエピソードがばらけずにきちんとつながっていて、読み終えるのを惜しいと思うほど楽しみました。出だしは、少々エキセントリックな感じが鼻についたのですが、p17の5行目で「マシだマシだと思いながらやり過ごすことは、何の意味があるんだろうな」と出てきたとき、一気にこの作品は信用できるというモードに入りました。「被災っていうのは、ずっと続いていくんだな」(p284、6行目)とか、共感できる価値観や感覚が随所に出てくるだけでなく、p305で鈴音の渾身の一撃が決まって勝つわけですけれど、ページをめくると「でも。これが勝負か? これで勝負決まったって言えるのか?」と続いていて、いろいろ制約はあったけど、やれることはやったよね、めでたしめでたしとまとめなかったところ、中学生たちの悔しさに徹頭徹尾寄り添っていて、本当によかったです。千暁と鈴音、仙先生と高瀬先生のことも恋バナにおとしこまないところもよかったです。読めてよかったです。

コアラ:おもしろく読みました。まず文体がいいと思いました。内容に合っています。内容が本当によくて、p267の最終行に、千暁が描いた絵のことを「2020年の、僕たちの姿だ」とありますが、この作品そのものが、2020年夏の中学生を、コロナ禍の暗闇から削り出すように描いています。最近毎年のように起こっている災害についても描かれていて、2020年という年の姿を作品として残してくれて、作者に「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。ひとつ気になったのが、浴衣姿の鈴音が下駄を履いているところですが、最近は草履でなく下駄を履くんですね。

一同:浴衣は下駄ですかねえ。

シア:草履は履かないですね。足が痛いので下駄風サンダルなどで済ませることも多いです。

アカシア:この本、カバーをとると、表紙の絵はマスクをしてるんですよ。

シア:凝っていていいですね! 図書館の本なのでわからなかったです。カバーをとったらマスクもとれた、の方が仕掛けとしてはおもしろそうですが。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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