月: 2002年7月

2002年07月 テーマ:ノンフィクション

日付 2002年7月25日
参加者 ペガサス、アカシア、トチ、すあま、紙魚、羊、アサギ、ねむりねずみ
テーマ ノンフィクション

読んだ本:

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ネモの不思議な教科書

ねむりねずみ:うまい設定だなって感心しました。学問体系をそっくり丸ごと提示するのに、何もかも忘れちゃって感情すら忘れちゃった子どもという設定を考えついたのはうまい。お説教にもなってないし。これは、学者と雑誌の編集者の二人で書いているけど、物語としてへーそうなんだと納得できるのもよかった。最後、音楽で記憶が戻りますよね。物語としても読ませるけど、歴史とか人間の営みを作者がどうとらえているかがもろに出てるところが面白かった。音楽を、人間の言葉にならないところに訴えものと捉えているんだなと納得しました。最初の設定がきいて、議会でこの子が変なことをやっちゃうのも自然にうつるし、かなり感心して読みました。「夏休み中の子どもたちに大評判の一冊」というのもうなずけますね。あちらのノンフィクションを翻訳で出すのって、結構難しいと思うんですが、その点でも、フランスの本を訳すときの配慮を感じました。

:染色家で実際に記憶をなくされた方がいらっしゃいますよね。ごはんの食べ方も言葉も家族の顔も忘れちゃっているの。その方のことを思い出しました。気に入らなかったのは、テレビの取材という設定。この子が全部なくしてしまって、それをとり戻す話なんだけど、だからこそ浮かんでくる質問があったりして、その純粋さにうたれました。ネモがいとおしく思えた。

紙魚:記憶をなくすというというのにはリアリティは持てなかったです。もしも本当に記憶をなくしたら、こんなあっさりではすまされないはず。ただ、物語としては読みやすかったので、これは世界を読み解くための設定だと割り切れました。今回、『未来のたね』と『ネモの不思議な教科書』の2冊を読んで、巨視的な視野を持つということの大切さを感じました。なかなか日本では、歴史でも数学でも大枠で見る訓練をしないので、こういう本は生まれにくいですよね。

ペガサス:私も設定はうまいなとは思ったんだけど、途中の大人と子どもの会話が作為的でつまらなかったのね。こう続くと辟易しちゃう。さっき、羊さんはこのネモがピュアとおっしゃっていたけど、私には大人にとっての純粋な子ども像を押しつけられたように感じた。

アカシア:私は両方読む時間がなかったので、少しずつ最初の方を読んで『未来のたね』の方を読もうと決めたのね。こっちを読まなかったのは、ネモと女の子が出てくるあたりが、中途半端な作り事に思えたから。もう少し物語としてもきちんと書かれていれば、違っていたかも。

ねむりねずみ:私はともかく努力を買っちゃう。こういうのって味気ない知識ものになりがちで、物語にまとめるのはかなり難しいから。

トチ:ヨーロッパの歴史を調べるのなら、『ヨーロッパの歴史—欧州共通教科書』(フレレデリック・ドルーシュ/総合編集、木村尚三郎/監修、花上克己/訳、東京書籍)がいちばん便利。ヨーロッパの青少年のためにドイツ、イギリス、デンマークなど12カ国の歴史家が共同執筆したもので、1992年にEU加盟国で同時出版された分厚い本だけれど。それはともかく、この本には、よく言われる「子どもは未完成な大人」というフランス人の子ども観があらわれているのかしら?

ねむりねずみ:でも、そんなには教え込む姿勢が強いわけでもないですよ。おじさんもそう大人じゃないし。

トチ:日本には『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎/著 岩波文庫・ポプラ社)っていうのがあるわよね。

すあま:日本でこの手のもの、といったときに未だに『君たちはどう生きるか』が出るっていうことは、その後すぐれた新しい本が出ていないということなんでしょうか?


こっちみんなよ!

:私はこういうの、ページを開けないくらい苦手なんです……。よっぽど好きな人でないと、こういう表情の写真は撮れないのはわかるのだけど、気持ちがしっかりしてる時でないと、気味悪くて……。

アサギ:私も爬虫類が好きじゃないのだけど、おもしろかった。また、写真がセリフと合っているのよねー。特にタイトルの「こっちみんなよ!」というのが秀逸。きっと、子どもは好きよね。犬や猫は哺乳類だから表情があるのはわかるけど、爬虫類もこんなに表情が豊かなのね。それほど写真が優れているってことでしょうね。

アカシア:千石さんて、ほんとに詳しくて、この本は千石さんじゃなければ作れない本だったと思います。爬虫類って好きじゃない人が多いんだろうけど、この本は気持ち悪いと思わせないで、親しみを感じさせる。

トチ:でも、どんなにかわいいカエルでも、体のねばねばしているのは毒なんだって。だから、カエルに触ったら必ず手を洗わなくちゃいけないって、別の研究者が言ってたわよ。

すあま:最初タイトルだけ見たとき、「こっち みんな(皆)よ!」だと思っちゃったんです。こういう本は、下手をすると作者の意図がみえみえでつまらなくなる場合があるけど、これはうまくいっていると思います。解説も特になく、図鑑じゃないとはっきり言っているところがいいのかな。研究者ということですが、写真家としても腕がいい。職場でみんなに見せたら、人によっておもしろがるところが違った。一人で見ていてもおもしろいけど、みんなで一緒に眺めてもおもしろい。素直に楽しめました。

アサギ:爬虫類ってこんなにおもしろいって思わせるきっかけを作ってるっていう点では、かなり意義あるわよね。

ペガサス:これだけたくさん撮っている専門家だからこそ、遊んでみたかったのかもね。言葉は、ちょっと人間が勝手につけたと思えなくもないところもあったんだけど。まあ、おもしろかったことはおもしろかった。写真をつかった本で、たとえば、この『猫の手』(坂東寛司/写真 ネスコ)っていう本は、猫の手だけを写した写真集なんだけど、私はむしろ勝手なセリフがつかないこっちのほうが好き。これだって、猫の好きな人しか見ないけどね。『こっちみんなよ!』は、『ふゆめがっしょうだん』(冨成忠夫・茂木透/写真 長新太/文 福音館書店)なんかと似てるけど、セリフはちょっと大人っぽいわよね。

トチ: 私は小さいときは「虫めずる姫君」というあだながついていたほどの虫好きで(姫君の部分は?でしたけど)、もちろんカエル、イモリ、ヤモリの類も大好き。だからかもしれないけれど、このセリフはもちろん本人(本動物)が言っているわけじゃないし、本人の気持ちとはまるで逆かもしれない・・・そこがちょっとひっかかったし、なんだかかわいそうな気がした。

ペガサス:私もけっこう虫とか好きだったわ。私は中学のころ生物クラブに入っていて、実験材料とかを大学にもらいにいくと、研究室の箱の中にいっぱいヒキガエルが入っていて、それを手づかみで取ったりした。カエルは全然平気。だから私もトチさんと同じように、勝手なことを書いて、という気もした。

アカシア:でも、虫が好きなんていうのは、ペガサスさんの世代で終わりだと思うな。今の人たちは、もう犬とか猫とかペットじゃない動物は駄目な人がほとんどよ。そういう子たちには、この辺から入ってもらうのがいいんじゃない?

紙魚:そうですか。私は、小さい頃も今も、動物とか昆虫ものとかけっこう好きなんですけど、この本はちょっと物足りない感じでした。わーおもしろいなあっていう気分だけじゃなくて、もっと生態とかを深く知りたくなる本のほうが好きです。セリフひとことだけでは、満足できませんでした。

ねむりねずみ:私は買いたい派です。確かにセリフは後付けなんだけど、ほんとうに虫が好きな人は虫を虫とも思っていないだろうから。これをいっしょに読んで笑いたい人の顔がすぐに浮かびました。
(この後、各人の幼少時代の昆虫話が続く、続く、続く……)


未来のたね〜これからの科学、これからの人間

トチ:『世界のたね』の続編ね。厚い本でたいへんと思ったのだけど、読み出すとおもしろかったわ。考え方のバランスがとれている本でしたね。現在と未来、いいことと悪いことのバランスが取れてる。入門書としては、よい本だと思います。この中でおもしろいと思った事柄については、また別の方面につながっていくだろうし、子どものための知識本としては優れていると思う。大人が読んでも知らない知識もあったりして、1冊私もほしいなと思ったくらい。たとえば、昆虫ロボットが夜中にシーツを集めにくるなんてところは、ユーモアがあったわね。私が子どものころは、お正月の特大号の子ども欄に必ず未来の予想図なるものがあって、ビルの上に縦横に高速道路がはりめぐらされて、ロボットが大活躍している漫画が出ていたの。今の子どもたちはどんな未来予想図を描いているのかしらと、この本を読んで考えさせられました。それから、「農業イコール健全なもの」と漠然と思っていたけれど、農業とは自然との戦い、いってみれば反自然だという個所を読んで、目がさめたような気がしました。

ペガサス:この著者が、子どもに向けて語るという姿勢をきちっと持っているということがいいと思いました。問いかけてくるので、読者の子どもに考えさせていく。論の展開もわかりやすくて、「○○というのは簡単にいえば、〜ことだ」とまず言ってから入っていくので、とらえやすい。関心がもてるテーマを見つけられれば、テレビや新聞を読んで、またひろがっていく機会になると思う。こういうものは、その後同時多発テロが起こったりして、どんどん内容が古くなっていくんだけど、最後に作者からのメッセージがあって、自分で自分の本の価値を言っているのがおもしろかった。この時点に生きた人間がどういう未来を描いたのかというところが、いいのだってね。

紙魚:ふだん、自分の知識を体系づける機会はないのだけど、こういう本を読むと、ぱらぱらとした知識が折りたたまれていいものだなと思った。こういう本って、日本のものはなかなか見当たらないですよね。作家の世界観がそのまま出るし。なかなか自分からは読まない本なんだけど、読んでみるとおもしろい。

アサギ:ただ、本のつくりが読みづらい印象をうけました。

すあま:注を読むリズムがつかめないんですよね。かといって、割注でも難しいだろうし。前半は、警告するような内容で、後半はSFっぽい夢のある話へとつながっていく。私の知識がないこともあり、この人が考えたことなのか、他の科学者が考えたものなのか、区別できないところがありました。

トチ:けっこう子どもの方が、こういう科学ものを読みなれているのかもね。

すあま:いずれ内容が古くなるというのを作者はわかっていて、この本に書かれている作者の予測が実際はどうだったのかを後から読むほうがおもしろいんだよ、と言っているところが、うまいなあと感心しました。また、SFを書くなら、『2001年宇宙の旅』(アーサー・C・クラーク/著 伊藤典夫/訳 ハヤカワ文庫)みたいに年号を入れないほうがいいというのにも、なるほどと思いました。副題の「これからの科学、これからの人間」というのは、ちょっとカタイので、手にとりにくいですよね。

アカシア:『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル/著 池田香代子/訳 日本放送出版協会)と同じように、これは原著がノルウェーですよね。ノルウェーの人って、こういうふうに世界を読み解くのがうまいのかしらね。日本人には子ども向けのこういうのは、なかなか書けないのかも。私が子どもの頃は、科学はすばらしくて未来は夢のようだと信じていたけれど、今はそういう時代ではない。で、子どもにどういう未来像を渡すことができるのかわからないでいたんだけど、そうか、こういうふうに書けばいいんだなって感心しました。「ウイルスは生命体ではなく、メカニックな生き物」なんていうことは、全然知らなくて、えっそうなのと驚いたり。ただね、「ナノマシン」なんかは、わずかなマイナス面しか書かれていないんだけど、本当はもっと問題があるんだろうな、と思ったりもしました。宇宙ステーションだって、作るといろんなところにいろんな影響が出ていくんだろうな、と。未来のシナリオが、3バーション用意されているのは、おもしろかった。

ねむりねずみ:表紙見て中を開いて、教科書みたいだなと思いました。文章は読みやすいんだけど。科学技術の発達とか暗い面とか未来について萎縮せずに書かれているのはなるほどと思いました。これからの人類のシナリオのどれを選ぶかは一人一人の主体性にかかっているというあたりは、賢者クラブといわれていたローマクラブを引き継いでいろいろな警鐘を鳴らしているブダペストクラブの人と同じ姿勢。ただ、最近その手の物を続けて読んだので、またか、という感じもしちゃった。物語という感じでもないし、どういう場面でどういう人たちに読まれるのかわからない。あんまり魅力を感じなかったです。

すあま:おとなが紹介しながら子どもに渡さないといけない本ですよね。

ねむりねずみ:たしかに、おとなは今までの歴史などについての知識の重みで悲観的になってしまいがちだけれど、子どもはそのマイナスがないぶん元気がある。だから、未来は君たちにまかされているんだよと提示するのは大事ですよね。

すあま:「NHKスペシャル」とかでとりあげて、番組がつくれそうですよね。やっぱり、ノルウェーって冬は夜が長いから、こういうことをじっくりと考えるんでしょうね。

トチ:科学においても、文学をはじめ文化芸術においても、北欧って日本にはまだまだ紹介しつくされていないものがどっさりある宝庫かもしれないわね。