月: 2003年9月

2003年09月 テーマ:子どもをえがいた文芸書と、児童文学の境界をさぐる

日付 2003年9月24日
参加者 トチ、裕、カーコ、ペガサス、紙魚、せいうち、愁童、アカシア、むう、羊、アサギ、ブラックペッパー、すあま
テーマ 子どもをえがいた文芸書と、児童文学の境界をさぐる

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森絵都『永遠の出口』

永遠の出口

せいうち:ぼくは森絵都さんのファンなんですけど、これは最初のほうからかなり嫌悪感があったんですね。嫌なんだけどやめられない、という……。自分の爪の臭いをかぐような感じ、というか。『4TEEN』の男の子たちと対比して、女の子たちにはこんなものすごく恐ろしい世界が拡がっていたのかと、空恐ろしくなってしまいました。男の子だっていろいろと考えてはいるんだけど、友だちの数が奇数だとか偶数だとかなんて考えたこともなかった。恋愛みたいなものも、ここまでの比重はなかったし。ある種ホラーに近いショックを受けました。日本の女の子の文化を勉強するより、イギリスの文化を勉強しているほうが違和感がないくらいです。あんな童話を書く人がこれを書いているのかと思うと……。でも、結局はいいものを読んだような気もします。

愁童:『4TEEN』はうまい演出家のお芝居を観たという感じだけど、これは作者の骨格が見えてくるような作品ですね。ある意味、ユーモア小説で、笑っちゃう。誕生日会で優位に立とうとしたら、かえって……とかね。大人が読むと笑っちゃうけど、本人たちはまじめ。その辺の人生の機微みたいなものがうまく出ていて好感を持って読みました。

アカシア:図書館で借りられなかったんで買ったんですよ。なのに、読めないほど嫌だった。私、中・高は女子校だったんですけど、いっしょに連れ立ってトイレに行くとか、誕生日にプレゼント何あげるとか、お互いに遠慮しあったり牽制しあったりとか、そういうちまちましたことにいつもうんざりしてたのね。だから、せっかく遠ざかった世界をまたつきつけられるのかと思って嫌だったんです。最後まで読めなくて途中でやめました。まあ逆に言うと、それだけリアルに思い出させるうまさ、ってことかもしれないけど。私、森絵都のほかの作品は好きなんだけどね。

むう:私もこの本は嫌でした。理由は、児童文学じゃなくて大人のノスタルジーだから。たしかに「永遠」で子どもをくくるあたりは目のつけどころがとてもいいしうまいんだけど、郷愁だというのが致命的。『樹上のゆりかご』(荻原規子著 理論社)と一緒で、きちんと功なり名遂げた大人がぐちゃぐちゃだった子どものことを、あああのころはたいへんだったなあ、とばかりにふりかえって書くというスタンスが嫌だった。もう、最後のエピローグで爆発しちゃいました。

アカシア:私はね、この作品は文章も巧くないと思ったの。陳腐な表現もいっぱい出てきてね。わざとなのかな。それに比べれば、石田衣良のほうがずっとうまい。たとえば『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫)には、体言止めがじゃんじゃん出てくる。体言止めの文章って、へたな人が書くと読めないんだけど、石田衣良はうまいんですよね。

むう:これ、書かなくていいところまで書きすぎてますよね。

:私はおもしろく読んだんですよ。たしか、森絵都さんは、今いる私が知っている子どもなら書けると言ってたんですよ。講演会で、万引きをしたことなども話されてたので、自分が体験したエピソードだと思って笑いながら読みました。お父さんとお母さんが微妙にすれちがっている顛末も素直に笑えた。

ブラックペッパー:私はそんなに嫌じゃなかったんです。陳腐な表現もあるんだけど、「永遠の出口」なんて、キャッチーな言葉をつくるのがうまい。そういうきらめきがあった。小学校くらいの話は自分のことを笑いすぎで、それは嫌だった。お姉さんのいやらしさは、私だったら許せん! 中学生からはよくなった。

すあま:中学生のころって、先生を絶対視してたんだけど、同窓会でクラスの人たちに会ってみると、実はみんなはそうでもなかったりすることがわかる。この本は、読みながら自分の回想ばかりをしてしまい、本がおもしろいのか、思い出すことがおもしろいのか、わからなくなってしまいました。主人公に同化するのではなく、そのときどきで気持ちが重なるところに、カチッとスイッチが入るような感じ。でも、物語としては、読んだ後に残るものがなかった。結局、この作品じゃなくて自分の物語を読んでいたんですね。佐藤多佳子とかもそうだけど、世代が近いとそれだけで読んじゃいますね。

ブラックペッパー:体験がないと身近に感じられないものばかりなんですよね。

アサギ:私はおもしろくてうまい人だなと感心したわね。私、小学生のとき、はずれていて、教師のせいもあって「クラス八分」になったのね。だからなのか、新鮮でおもしろかった。『4TEEN』では、不良は向こうの別の世界にいるって感じだったけど、この本では、ふつうに暮らしていても「枝道」に入ることがあるというリアリティを感じた。ふっと向こうへ行ってしまう境界線が印象的。ただ、ぐれた生活のなかで、性的なことが何も起こらないのは、きれいごと。「恋」のデートなんて楽しいもんじゃないというのも新鮮だった。ただ、最後の「エピローグ」はよくなかったわね。連作ものって、最後をうまく行かせようと思うので無理が生じるのよね。あと、手垢のついた表現でも、ぴたっとはまればいいんじゃないかしら?

トチ:森絵都さんは、本当に「児童文学作家」なんだなと思いました。言葉をかえれば、児童文学を書くときほど、この作品は真剣に書いてないみたい。小説版「ちびまる子ちゃん」みたいでね。すらすら読めるけど、決して傑作ではない。友達同士で、本当に辛いことは隠して、楽しいことばかり言い合うような関係みたい。わたし、今は世に名を知られるようになった人が「昔、万引きしたことあるんですよね」って懐かしそうに話するの、大嫌いなのよね。タイトルには「永遠」ってあるけれど、あんまり「永遠」がのぞけるような作品じゃない。『ヘヴンアイズ』には永遠を感じたけど。

カーコ:私もだめでした。一般の読者向けにしては、展開も文章も、やや物足りない感じもするし。こういう世界自体、わかるからよけい嫌だというのがあるのかも。私は、小中学校時代、転校を何度も経験して、地縁の壁や集団の暴力を感じて育ったから。この子の場合、最後は救いがあるけれど、ずっと苦しいじゃないですか。また、連作短編という作りから、『黄色い目の魚』(佐藤多佳子著 新潮社)を思いだしたんですが、比べると、『黄色い〜』のほうが、読み応えがある。この本の場合、章が変わると、主人公が別人のように見えることもあって、全体にばらけた感じがしました。

すあま:同じ子には思えないですよね。違う子だといわれても納得しちゃう。

ペガサス:私は、『樹上のゆりかご』の方がおもしろかったな。大人の醒めた目で子ども時代をふりかえる話だけど、自分が思い出したくないようなことを如実に思い出させるから嫌なのよね。これを読むと、ますます男の子の世界のほうがいいなと思う。中途半端な年頃の、はっきり言葉では説明しにくいような微妙な気持ちや感覚をいちいち丁寧に説明してくれてるの。そんなこと別に事をわけて説明しなくてもいいですよ、って思う。「例えば、ここに一本の木があるとしよう。」なんてふうにね。ユーモアのタイプが児童文学と違うのね。

トチ:大人の読者には新鮮に映ったのかもね。大人の文学と子どもの文学のボーダーにあるかのような作品だから。

紙魚:そうですね。今、児童文学は、一般の文芸からすごい注目を集めていますよね。子どもの本をふだん読まない人にとっては、きっと児童文学には「新しい世界」を感じられると思うんです。だた、この本は、やっぱり連載ものだからか、ぷつぷつ途切れる感じが気になりました。もっとぐっとひきこまれる物語が読みたかったかな。ただ、感覚を言いあてるのがとってもうまいし、きらめく言葉がちりばめられているので、すらすらと軽く読めました。いやーな感じを、これだけいやーに表現できるのって、やっぱりすごいと思います。忘れていた嫌な気持ちを、これでもかこれでもかと、わざわざ掘り起こされました。

すあま:子どものときって、些細なことが特に気になったりするじゃないですか。思えば、嫌なことの連続でしたよね。

カーコ:大人が懐かしむには、よくできているってことじゃないですか。

アカシア:森絵都さんにとっては、一時期の少女特有の世界が嫌なことじゃなかったのかもね。

せいうち:もっと血みどろだったら、気持ち悪くなかったかもしれませんね。

トチ:同窓会に行ったらあんまりしゃべりすぎる人がいて、「あなたばかり話してないでよ」って感じだわ。

(「子どもの本で言いたい放題」2003年9月の記録)


デイヴィッド・アーモンド『ヘヴンアイズ』

ヘヴンアイズ

:フライトニング・フィクションという、読者にエモーショナルなリアクションを起こさせるジャンルでは、デイヴィッド・アーモンドは非常に評価が高いのね。ポジティブなフライトニングをもってきてるんですよね。『肩胛骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド作 山田順子訳 東京創元社)でもそうでしたが、この作品の中でも水かきのある少女とかグランパとか、ゴシック的な要素を読者が美しいものとして捉えられるポジティブな方向にもっていっている。心のなかにハッとさせる、現実とはちがう領域をつくっている。現実の中の非現実にリアリティがある。金原さんの訳もうまい。でもいっぱい難点はあって、たとえば親から遺棄された子どもたちの施設で働くモーリーが子どもの世界をわかっていないというあたり、単純な図式ですよね。子どもの世界を美化したロマン派の児童像を踏襲している。でも、難点はあっても、私は好きな作家です。

カーコ:ふしぎな読後感のあるお話。出てくる人もふしぎだし、お話もふしぎだし。おもしろいなと思ったのは、視点の置き方。一般の人々の中で生き難くて、筏にのって冒険に出る子どもたちは、最初、自分達対大人という世界で苦しんでいるのだけれど、グランパと出会って、グランパの目で、一般の人間や世界を見ることを迫られますよね。さらに、ヘヴンアイズの独特の視線が交錯する。自分だけじゃ気づかなかった視点で、ものを見ていくでしょう。ただ、誰にでも薦められる本ではありませんね。出会うべき子が出会ったら、印象に残る作品でしょう。

ペガサス:ひとことで言えば奇妙な読後感。なんで奇妙かっていうのは、カーコさんの話を聞いてわかった。『肩胛骨は翼のなごり』もそうだけど、ほかのどの作家にもない奇妙さにオリジナリティがある。子どもだけが体験することのできる、現実なのか非現実なのかわからない状況を描くのがうまいと思う。優しくてせつないというか……。文体も奇妙で、1文が短く、一見関連性のない文が次に来ることがある。はかない雰囲気を出しているのだろうか。意図的につくられているのかな。静かな心にしみる描写がところどころにあって、どんどん読む作品というよりは、合間合間に何かを見せてくれる物語。

紙魚:感想が言いにくい物語です。ともに筏で川をくだり、へヴンアイズと時間をともに過ごした感覚が残っているような不思議な体験でした。泥がまとわりつく感じとか、非常に体感的なんですよね。その筆力がすごいなと思いました。行間にとじこめられている匂いとか空気が、とても濃厚に感じられ、読後、その世界に包まれている感触が残りました。

せいうち:ぼくは、途中までしか読めなかったので、本質をつかめていなかったのが残念。

愁童:ちょっと方向は違うけど、宮沢賢治の作品の作り方に重なる部分があるような気がした。個性的な風景描写で、その中に登場人物の内面をさりげなく投影しちゃう。泥炭地の描写もいいね。

トチ:情景描写っていうより心象風景よね。

アカシア:このへヴンアイズは、『肩胛骨は翼のなごり』のスケリッグと同じような存在として書かれているのよね。でも、隔靴掻痒観というか、しっくりこない感じがあった。たとえばこの女の子の「だねだね」っていう口調が、すごく気になったの。スケリッグと同じイメージだとしたら、「だねだね」じゃなくて、もっと透明な存在を思わせる口調じゃないのかな? 奇妙な感覚ってしっくりくれば楽しめるけど、そうじゃないと読者の気持ちを遠ざけちゃうでしょ。原書で読んだらその奇妙な部分がもっと楽しめるのかな?

むう:原書を持っていたので、照らし合わせながら読みました。ひとつにはやはり「だねだね」口調に違和感を持ったのでそれを調べたり、あと何カ所か意味がよく掴めなくてそれを原書に当たったり。「だねだね」は、原書で言葉を重ねているところをそう訳しているみたいだけれど、ちょっと甘ったれた感じになってしまっている。出来事がどんどん起こってその勢いで読ませるタイプの本なら多少の不鮮明さがあっても大丈夫だけれど、イメージでつなぐタイプの本だと、一カ所不鮮明に訳したがために全体のイメージが不鮮明になることがある。この作品はぷつぷつと切れていながらつながっていくところに味があるタイプの作品。それがアーモンドの持ち味なんだと思うけれど。これを訳すのは大変だったと思う。
 それにしても、あとがきの「ハンカチの用意を!」というのはちょっと違うと思います。『肩胛骨〜』もそうだけれど、これもひゅうひゅうと寒い感じや、汚いものが書かれているにもかかわらず透明感を感じさせる作品であって、そこが、アーモンドらしい。ハンカチが必要になるような熱いものじゃない。この人が異形の者を使うのは、この世界、つまり現実とは違うという印なのかな。『肩胛骨〜』もそうだったけれど、聖人の書き方なんかもデリケートで、現実と非現実の間をたゆたうように行ったり来たりするところがほんとうにうまい。それと、いつも縁のところにいる者に目線があっているのがいい。ただし、最後の施設に帰ってからのところはどうなのか、よくわからなかった。あくまでもあくの強い主人公の目線で書かれているということからすると、ジャニュアリーの話よりも、モーリーンがヘヴンに慰められるところなんかがよかったと思う。ともかくすごい作家だと思う分、訳のことは気になった。

ペガサス:じゃ、ヘヴンのしゃべりかたは、舌ったらずなわけじゃないのね。

むう:うん。違うと思いますよ。

:よく考えてみれば、家出して向こう側に日常の世界が見えているわけですよね。ひょっとしたら違う世界に入っていくお話かと思ったら現実になったり、妙な世界にひきこまれたり、落ち着かない気分だった。泥のべたつく感じは、読んでいてすごく伝わってきた。グランパとヘヴンアイズの関係はどうなってるの? 痴呆症っぽいおじいさんが、ヘヴンアイズを拾ったってことなのよね?

一同:うんうんうん。

:妙な空気ばかりが残ってしまったわ。

ブラックペッパー:私はこの訳はひっかからずに読めました。ヘヴンの言葉もおかしいなとは思ったけど、読めちゃった。最後はどうなるかなんてことは気にせず読む物語。強く思ったことが2つあって、コンビーフとチョコレーはもうしばらく食べなくていいな(彼らがコンビーフとチョコばかり食べてるから)っていうことと、謎を解明したくなる気持ちが強いってこと。グランパとヘヴンアイズの正体はいかに?

すあま:夢に出てきてしまいました。最初、ジャニュアリーは「いまここにはいない」と書いてあるので、死んでしまうのかとずっと気になっていました。ジャニュアリーだけは馴染めないようなので心配してたのに、最後お母さんが迎えにきたので、なんとなく拍子抜けしてしまった。ヘヴンアイズは、カッパの女の子を思い描いてしまった。魚っぽい感じかな。でも、意外ときれいに収束してしまったのが、気になりました。ふしぎな世界の話って、もやもやとしたものが残るのに、水かき以外のことはきれいに片付いちゃった。超現実のようでリアリティがある話になってしまった。

トチ:アーモンドが書いているのは、『肩胛骨は翼のなごり』(ああ、なんて変な邦訳タイトル!)にしても、この作品にしても「奇跡の物語」なんじゃないかしら。普通だったら嫌悪感をもよおす人物や物体が奇跡を起こす。『肩胛骨〜』では、それが納屋にいるホームレスのような男だし、この作品では泥の中から出た死体というわけ。だから、最後にお母さんが現れるという個所も、私は「奇跡」と考えて感動しました。未訳の『カウンティング・スターズ』なんかも素晴らしいし、どの作品も文学的価値が高く、私は大ファンなんですけれど、ファンとしてはもう少し違うテーマのものも読みたいな。あと、この作品は一人称で、女の子の目から書かれているんだけど、心象風景の部分は高度に文学的な、大人の目で書かれているのね。女の子の子どもっぽい言葉と、心象風景の大人っぽい語り口のギャップが、訳すうえでとても難しいんじゃないかな。原文を読んでないからなんとも言えないけれど、そのギャップが訳を読んでいて少しひっかかりました。冒頭の女の子の言葉なんか、そんなに子どもっぽく訳さなくてもよかったのでは? ところで、「ヘヴンアイズ」ってなんなんでしょうね? 感動しながら読んだんだけど、非キリスト教国に生まれた私には、根っこの根っこまでしっかり理解できていないのかも。

(「子どもの本で言いたい放題」2003年9月の記録)


石田衣良『4TEEN』

4TEEN

トチ:今回は私とカーコさんが選書の係です。『4TEEN』と『永遠の出口』は「本の雑誌」で、たしか今年上半期のベストテンの中に入ってました。この会ではいつも一般書と児童書の境目が話題になるので、そのことを考えるには最適の2冊だと思ったのね。特に『4TEEN』は作者がテレビのインタビューで「私はいつも子どもを応援したい気持ちで作品を書いている」と言っていたことと、本について語る語り口が私の考える児童文学者の語り口そのものだったことから、今回選んでみました。さて、この『4TEEN』は、文章に透明感があるし、特に過食症の少女を書いた章など、ティーンエイジャーの恋愛を描いたもののなかでも最も美しいもののひとつではないかと思いました。ただ、一篇ずつ書いたものを後で本としてまとめたせいか、最後のほうは作者の生の声が出すぎていて、いただけなかったですが……「月島」という舞台も魅力的に、よく描けていた。好きな作品ですね。

:文章がすごくうまい。エイダン・チェンバーの対談相手に石田さんと交渉中らしいんだけど、何を話させるつもりなのかしら。そんなことを考えながら、私は読者に何を期待しているのかという視点で読みました。お父さんが過失致死になっちゃうでしょ。あの辺で、読者は子どもじゃなくて大人だなと思ったんですね。だから、チェンバーズと石田さんの読者は重ならないなあと思いました。子どもたちも読める文章ではあるけれど、石田さん自身が、むちゃくちゃな青春時代を過ごしてきた人だろうから、もっともっと書けるはず。でもきちんとしすぎてる。整合性がありすぎる。心の闇みたいなものが出ていないところが物足りない。整理してしまったなかの青年記という感じがしました。自転車が届いちゃうところなんかも、日本の作家のウェットさを感じました。

カーコ:スッとおもしろく読みました。それぞれ家庭環境も性格を違うけれど、4人がどこまで行っても文句なく友達だというところに、『トラベリングパンツ』(アン・ブラッシェアーズ作 大嶌双恵訳 理論社)との類似性を感じました。いいとか悪いとかではなくて、現実の子どもたちを温かく見つめて描いている感じ。でも、友達の病気とか、癌のおじさんのエピソードとか、あまりにたくさんのことが起こりすぎて、おとぎ話みたいな印象がありました。このあたり、同世代の読者はどう感じるのかなと思って、中2の息子に読ませたら、「おもしろかった。現実味がある。キャラ設定がうまい。こういうやつはいそうという気がした。自分はナオトがよかった」と言うんですね。

ペガサス:おもしろかったです。表紙もいい感じ。映画の「ウォーターボーイズ」もそうだけど、男の子の世界っておもしろくて。こんな子いそうって男の子がいて、章ごとにまとまっていて、一瞬一瞬切りとった感じはうまいんだけど、全体としての方向性は弱いかなと思いました。中学生が読めば、その世代の言葉とかが描かれているので共感をよぶと思う。いちばん成功しているのは、月島の空気感がすごくよく書かれてること。

紙魚:私は、おとぎ話でいいと思います。本を読んで、多少「こんなことってないよなあ」と思っても、少しでも「生きていくのって、悪いもんじゃない。なかなかいいもんだなあ」と思えることができれば、それがいちばん大切。この本は、まさにそういう本でした。私はもともと石田衣良さんの熱狂的なファンですが、これまでの著作のなかでも、圧倒的に好きです。石田さんの小説の登場人物には、しぜんと愛着を持ってしまうのですが、その愛着が本のなかだけにとどまらず、実生活のまわりの人たちへの愛情にひろがっていくような感じになるんです。

せいうち:かつて14歳の男の子だったぼくは、単純におもしろいというよりは身につまされて辛かったです。今となっては、なんてばかばかしいことにとらわれていたんだ、と思いますけど。子どもの世界の狭さというものが書かれていたような気がします。大人は簡単に夢をもてと言うんだけど、子どもは身の丈をわかってるんですよね。子どものとき、若いときって辛かったんだということを思い出しました。俯瞰でみると、おもしろいかもしれないけど。ぼくは単純に14歳に戻った気分で読んでしまったので、本を読んでいた電車を降りるとき、不思議な感じがしましたね。今の子に向けて書いているんだろうけど、20数年前の中学生が読んでも、普遍的にわかる部分がありました。自分が14歳のときに読んでいた本と違うのは、軽みを感じたこと。昔の本は、もっと現実から遠かったですよね。その子の将来の基本、あったらいいよねという基盤をつくる本が多かったと思います。書き手が歩み寄ったんでしょうか。これで、これからは今までとは少しずつ違う人間ができていくんだろうなあ、という寂しさもありますね。

愁童:たしかに文章はいいし、読後感はさわやかだし、印象は悪くないんですけど、直木賞と言われると、ちょと物足りない感じ。地元の読書会では、『永遠の出口』は微妙な年代差を理由に共感しない女性が多かったんだけど、『4 TEEN』は好感度が高かったですね。これは、ある意味で、女性からみた理想の少年像じゃないのかな。

紙魚:たしかに、石田衣良さんって、ホストになったらすごくもてそう。女性の感情の機微をとらえてますよね。

愁童:これって、様式美みたいな感じ。実際の男の子って、もっとどろどろしたところがあったり、理由無き反抗みたいなイライラ感の中で生きてると思うんだよね。そういうの、もてあまし気味で苦労してる母親って結構いるから、これだけさわやかにぴたりと決まった少年像を提示されると、ほっとして作品への好感度は高くなるだろうね。

紙魚:直木賞受賞後の記者会見で、記者たちが、最近多発している少年犯罪についての質問を浴びせたんですが、石田さんは、「子どもたちの力を信じたい」というようなことを言ったんですね。このところ、そういうまっとうなことを言う大人がいなかったので、とても気持ちよかったです。

せいうち:ぼくは男だからか、カッコつけようとしてもカッコわるい情けなさみたいなものはわかった。

アカシア:「月の草」の章なんかはあまりリアルだとは思わなかったんだけど、敢えてカッコつけて書いたと考えれば、これもリアルなのかもしれませんね。少年たちの若い世界観や正義感、それに今いる場所からどこにもいけない不自由さなんかはよく出てる。『スタンド・バイ・ミー』(スティーヴン・キング作 山田順子訳 新潮文庫)を思い出しましたが、4人のキャラがくっきり描かれていておもしろい。

愁童:まあ、そうだけどね。ぼくは、「歌舞伎町」っていう既成のイメージによっかかって書いてるなって感じがしてね。ちょっと…。

トチ:私は子どものころ親に黙って中野から新宿のけっこうディープな界隈に冒険に行ってたから、ここで作者が「歌舞伎町」って書いた感じ、よくわかるわ。

せいうち:ぼくの場合は、奈良市から郡山市でした。

むう:『永遠の出口』より子どもの目線に近い作品だと思う。とてもおもしろく読めました。確かにおとぎ話だし、いたって好都合にできているけれど、それでいいんじゃないかと思う。今の子どもたちの思いをすくい取っているとも思うし。最初の章で重力のことをGとか、ヒットエンドランみたいな笑顔とか、私にすればとても今風の言葉がどんどん出てきて、時代に置いてきぼりを食らったようなショックを受けたけれど、読み終わってみればそういう恐れは杞憂だった。今回の3冊のなかでは、いちばんぐちゃぐちゃと考えながら読みました。4人を主人公にして章ごとに時代を象徴するトピックが盛りこまれているのに気づいて、今度はどんなトピックだろうと考えるのも楽しみでした。もともと、ひこ・田中さんの『ごめん』(偕成社)みたいに、この年代の男の子が描かれているものが好きなんです。たしかに大人にも受け入れられるきれいなところだけを集めたからこういうかたちになっているんだろうし、「十四歳の情事」なんかいかにもカッコよすぎ。でもそれはそれでいいんじゃないかと思う。必ずしも大人が子どもの全部を理解していなければいけないとは思わないし、大人が誤解していても、それはそれで幸福な誤解というのもあって、そのなかで子どもがちゃんと育つのならいいと思うから。「ぼくたちがセックスについて話すこと」の章で、同性愛者のカズヤに対して、「だってカズヤが誰を好きになるかなんて、考えたらどうでもいいことだからね」と突き放したような優しい物言いがあって、さらに最後でカズヤがバレンタインにたくさんチョコレートをもらうという落ちも気に入った。ただし、最後の「十五歳の旅」の章はいただけない。特に最後の数ページは蛇足。こういう時代があったことをいつまでも忘れないでいようなんて、今を生きている少年たちがそんなこと言うかよ、という感じ。これでそれまでのいいイメージががらがらと崩れちゃった。なんだ、大人目線の懐古趣味じゃないかって。残念です。

:私は住んでいるところが月島に近いので、それがきちんと書かれていて雰囲気がよく伝わってきた。高校生だとやめて働くような出口があるけど、中学生くらいでは、そこでしか暮らせない感じはよくわかる。さわやかすぎるかもしれないけど、それでもいいかなと気持ちよく読める。この子たちには大人との接点があまりないけど、中学生くらいって、親ってそう身近に存在してなかった。友だちと「昨日、親と何回話した?」っていう話が出て、「おはよう」しか言わなかったのを思い出したこともある。さっき、歌舞伎町が意味があるかって話になったけど、同じ本を買うのでもある街に行って買うことが大事だった時代を思い出す。

ブラックペッパー:今回の3冊はどれも読みやすかったのですが、『4TEEN』は遠くから見てる感じで、あんまりひりひりするようなものは伝わってこなかった。上手すぎて、すーっといっちゃう。たまたま、テレビの「真夜中の王国」に石田衣良氏が出ていて、司会の鴻上尚史が、「この本、事実関係でちょっとまちがってるとこがありますよね」って言ったんです。「ストリップの場面で『誰も見てない』って言ってるけど、『ひとりは見てる』でしょ」って。実際はふたり見てるんですけど、石田氏は「いいんですよ。小説は生きものですから」って答えたのが、すごくよかったんですよ。不遜な感じもなく、力が抜けてて……。ゆとりある風情でした。修行時代には、1日に3冊読むことを決めていたとか、励んでいたらしいんですけど、なんだか新しい人だなあと思いました。ところで、石田衣良の名前の由来って誰か知ってますか? 本名なの? 大島弓子の『バナナブレッドのプディング』(白泉社)に「いらいらのいら」っていうのがあって、それからとったのかと。

紙魚:たしか、本名が石平(いしだいら)さんっていうんですよね。

アサギ:朝日新聞の書評で、川上弘美がほめてたでしょう。こんな文章を書く人がいるなんて信じられないというような書き方をしていたのね。私、川上弘美が好きだから、すぐにこの本読んだんです。私ね、これは大人の書いた14歳の少年像だと思ったの。だから子どもは共感するかどうか疑問だったのね。綿矢りさの『インストール』(河出書房新社)は、17歳が17歳を書いているでしょ。あれは、私には全くわからなかった。でも、この『4TEEN』の14歳は、ずっとわかりやすかった。その違いはなんだろうと考えたんだけど。たとえば『4TEEN』は、ページを開いたときの字面だけで大人が書いたと思う。あと、さっき話題になった歌舞伎町については、私にはリアリティがあったわ。子どもの行動半径は狭いからね。ブラックペッパーさんがおっしゃった「いいんですよ」っていう話について言うと、ドイツの本も細かいところは間違いだらけなのよね。紅茶と珈琲が話の途中で入れ替わっていたりね。でも編集者は、「そんなこと本質的じゃないから」っていうのね。ドイツの読者も気にしないらしいのよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2003年9月の記録)