月: 2006年3月

2006年03月 テーマ:エイズ

日付 2006年3月30日
参加者 羊、アカシア、ハマグリ、ポロン、紙魚、トチ、愁童、小麦
テーマ エイズ

読んだ本:

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山本直樹・美智子『新エイズの基礎知識』

新エイズの基礎知識

ポロン:私はこの本、むずかしくて読めなかった。読むというより、なんとか眺めたという感じ。だから、ひとことだけ感想を言います。「この本が、読める人はすごいなあ」

紙魚:そうなんですよね。これを子どもに読ませようとしているというのは、大人としてなんだかやるせないです。でも、この本ちゃんと重版かかっているし、こういう類のものでさえ他に類書がないので、きっと学校なんかでは参考図書としてよく使われているんだろうなと思います。これ、構成もよくないですよね。3章からはじまったほうが、まだよかったのでは?

アカシア:岩波の本は権威があると思われていて、引用されたりすることも多いと思うんですが、p151とp157は矛盾してます。p151の円グラフ(世界のエイズ患者の州別割合)では、感染者がいちばん多いのはアメリカで、全体の約半分を占めています。この同じグラフで、今回みんなで読んだ作品の舞台になっているアフリカの患者の数を見ると、70万6318人。グラフでも全体の三分の一くらい。ところが、p157の本文には「世界中のエイズ感染者のうち三分の二以上がサハラ砂漠以南に住み、その数は2100万人にのぼります」と書いてある。70万と2100万では差がありすぎます。円グラフの数字が正しいのかどうかも疑問ですが、正しいとするなら、なぜ2ケタも違うのかをきちんと説明してくれないと。政府が届けた数は意味がないと言いたいなら、実数に近いと思われるUNAIDSの推定数でつくった円グラフも載せておいてほしい。p151の円グラフは見やすいしインパクトが強いので、これを見たらエイズは主にアメリカの問題だと思ってしまう子も多いと思うんです。エイズは世界の貧困の問題とも大いに関係がありますが、この円グラフではその辺がまったく見えなくなってしまう。

ハマグリ:このようなグラフや表を載せる場合には、それをどのように読み解くかの解説も必要ですよね。

トチ:教室でエイズの勉強をするときなど、おそらく岩波で出したこの2冊を副読本のように使うんでしょうね。それだったら、もっと正確な、分かりやすい本にしてほしい。新聞記事は、いちばん読んでほしい重要なことから逆ピラミッド型に書いていくけれど、こういった本も作者が読者にいちばん伝えたいことをトップに持ってきて、最初の1、2章で飽きてしまった読者も、いちばん大切なことは知ることができたというような構成にすべきじゃないかしら。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年3月の記録)


アラン・ストラットン『沈黙のはてに』さくまゆみこ訳

沈黙のはてに

小麦:とにかく人物がよく書けていて、ひきこまれました。中でもマ・タファは、「いい人のような悪い人のような」というどっちつかずの造形がリアル。チャンダはマ・タファを終始「見栄っ張りのいやなおばさん」という調子で語るから、読者の私もそう思ってしまいそうなものだけど、なんでだかそうは思えない。マ・タファの、人の好さと口うるささが同居してるような「意地悪で言うんじゃないんだけど」っていう口癖も印象に残ります。一概に彼女を悪人とも善人とも言い切れない何かが文中に漂っていて、妙に気になりました。そんなだったので、ラストでマ・タファの秘密が明かされたときは、すごく腑に落ちました。マ・タファが、善人あるいは悪人のステレオタイプとして描かれていたら、エイズのお母さんを受け入れるシーンも、ありふれた予定調和の感動になってしまって、ここまで響かなかったと思います。マ・タファに限らず、登場人物すべての造形にふくらみがあってリアリティがある。著者が、それぞれの人物を一方向からではなく、多面的に愛情を持って見つめているなと感じました。ただエスターに関しては、もう少し書く余地があったのでは? 両親を失い、兄弟と暮らすために売春をし、挙げ句の果てにお客に顔を傷つけられてしまう。顔を切られるって大変なことです。しかも兄弟とも一緒に暮らせない。そんなやぶれかぶれの状態で、チャンダに今まで貯めてきたお金を貸してあげるかな?
きっと書かれてはいないけど、エスターに関しては、語られなかった物語がまだまだあるんだろうなと私は思います。ショックだったのは、エイズが科学的な治療を必要とする「病気」としてではなく、呪いや災いと同列の禍々しいものとして描かれていたこと。問題に対する無理解やいわれのない偏見が、事態を悪化させる。これってエイズに限らずなんでもそうだけど、チャンダのように、勇気をもってそれを打ち破ることが現状を変えていくと思います。そのためにも、この本は届くべきところに届いてほしい。先進国だけでなく、エイズが身近な恐怖としてすぐそばにある、アフリカやタイの読者にまで渡っていってほしいなと思いました。

紙魚:『炎の謎』は夢見心地な物語でしたが、これは、実際のアフリカをそのままトレースしているような、しっかりとした物語。さっき愁童さんが、『炎の謎』をヨーロッパ的だと言っていて、確かにそういうところがあるかもしれないと思いましたが、『沈黙のはてに』は、ちゃんとアフリカ文法で書かれているように感じられるほど、すべての部分にきちんと具体性がありました。エイズにまつわる様々な問題も、ちゃんと網羅されているのもすごいと思いました。

トチ:最初のところでいきなり、主人公が葬儀社で妹の棺を選ぶところが詳細に描かれていて、これが衝撃的でした。そのまま最後まで一気に読んでしまいました。『炎の謎』と決定的に違うのは、『炎の謎』の作者だったら、主人公が美しいコウノトリに再び出会うという詩的な場面で作品を終わらせると思うのね。でも、ストラットンさんのほうは、エピローグでチャンダとエスターのこれからの道筋を具体的に書いている。ここの部分で、アフリカの子どもたちをなんとかエイズから救いたいという作者の熱い思いを感じました。救援団体のセンターの玄関に白いシーツがかけられ、フェルトペンで寄せ書きが書いてあるというところ、胸がじーんとしました。
それから、事実を具体的にしっかり書いてあるだけでなく、文学としての力も感じました。登場人物がそれぞれくっきり書きわけられている。特に生意気ざかりの妹アイリス。こういう子って、いますよね。原文もこんなふうに格調高く、歯切れよく書かれているんでしょうか?うまいと思いました。それから、小麦さんがおっしゃったことだけど、これは絶対にアフリカ以外の人に向けて書かれているんだと思うけど……

アカシア:アフリカでは、こういう本でみんなに考えてもらうという間接的な方法よりも、とにかく性交渉には注意しろとか、コンドームを配るとか、どうしても直接的・即効的な手段が先だという状態の国が多いんじゃないかな。

小麦:私は、エイズの人が目の前にいるという状況にある人が啓蒙される本なのかと思いました。

アカシア:先進国で感染者が急増しているのって、日本だけってこと知ってました?

トチ:患者も、血液製剤の被害者は別として、隠されているというか見えてこないから、非常に危険な状態だといわれても、実感できないのでは?

愁童:今回の課題作品は非常に対照的だね。『沈黙のはてに』は、チャンダとエスターの関係や母親への気持ちがよく伝わってくる。エイズということを抜きにしても、主人公のチャンダと周囲の人達の人間関係がきちっと書き込まれていて読者の心を揺さぶってくる。特にチャンダとエスターの関係なんか、ぜひ日本の子どもたちに読ませたいですね。この作者は、アフリカの社会にどっぷり入りこんで書いているって感じ。母親の出自とそれによる、実家の人達の冷酷な扱いなんかもきちっと書いているから、それに立ち向かっていくチャンダの母親への思いや必死さが、ストレートに読者に伝わってくる。ところで、アフリカでは、「炭坑労働者」はインモラルと思われているのかしら?

アカシア:南アフリカでは、アパルトヘイトの時期に、炭坑へ単身の男性が出稼ぎに出て、不特定多数の女性と性交渉を持ってエイズが広まったという話もありますね。

愁童:今回の課題本は、両方ともあまりにも設定が似ているので、読んでいてこんがらがっちゃって、読み直したりしたんだけど、作品としての質の差は歴然。チャンダが、隣のマ・タファとけんかする場面なんか、あの子の必死さがすごく伝わってくる。こういう部分は、同じ年代の日本の子どもたちでも、すごく共感するだろうね。『炎の謎』の方は、けんかしても姉のローサとの姉妹ケンカの範囲でしかないけど。それと、『沈黙のはてに』は、後半で近所の子どもが穴に落っこちたけど助かるという挿話が、うまいなと思った。自分の子どもの責任になっちゃうところを、こんな父親でも役にたったという設定にしているところなど、この作者の、自分が創り出した作中人物に寄せる温かさみたいなものを感じて好感を持った。とことんダメな父親として切り捨てないで、ややブラック・ユーモア的な設定かもしれないけど、それなりに子どもを愛してたんだという作者のメッセージが何となく伝わってきてほっとさせられる。

トチ:私もここのところは感動しました。生きているときは本当にどうしようもない人間で、このうえもなく惨めな死に方をしたのに、自らの死体で、幼い子や、自分の娘を救うことになったなんて! 非常に奥深いものを感じました。

:読み始めたときから、チャンダがくっきりと存在感がありました。おせっかいな隣のおばさんマ・タファを鬱陶しく思うところや怒鳴るところなんか、16歳くらいだったら、そうだろうなって思えて気持ちよい。エスターの過酷過ぎる状況も、妹の反抗にしても、納得できます。エイズを抜きにしても、物語として読める。

愁童:こんなに過酷な状況でも、希望を失っていない。エスターを看病するところなんかも、熱いよね。

紙魚:なのに、看病するときは「手袋」をはめて、というようなところもきっちり書いているのは、すごいと思いました。

愁童:医者の免状が単なる製薬会社の営業販売会議への出席証書であることをチャンダが読み取ってしまう所なんかも面白かった。作者の目配りが、こんなところにも行き届いていて、チャンダという少女の存在感に繋げているのは見事だと思う。単なるエイズ告発キャンペーン作品と言うことよりも、主人公のチャンダを、きちんと書き込もうとする作者の姿勢に好感を持ったな。

ハマグリ:この本は、妹のお棺を選ぶという最初のシーンがとても現実感があって、最初から引き込まれました。チャンダが頭がよくて機転がきいて、自分の足を地につけている子だということが冒頭でよくわかる。うまい構成だと思います。この本のいいところは、この人はいばっているから嫌だとかではなくて、人間のいい面も悪い面もひっくるめてとらえようとしているところよね。子どもたちが置かれている深刻な状況には心が痛むし、p183のエスターのせりふ「あたしはエイズにかかるかもしれない。死ぬかもしれない。でも、それがなんなの? 今よりも悪くはならないのよ。」は、衝撃的でしたね。好きなのは、コウノトリが出てくるシーン。p229で「孤独だと、息をするのもつらくなることがある。……地面が私をぱっくりと飲みこんでくれればいいのに!」というところ、事態がどんどん悪い方へ向かっていき、主人公の気持ちが苦しくなるくらい読者に伝わる。そんなときにコウノトリが出てくるのはとても意外だったけど、1羽のコウノトリが、月の光に白いはねをかがやかせて、こっちを見ており、チャンダが思わずコウノトリに話しかける場面は、象徴的で美しく、心に残りました。コウノトリの存在は、ひとつの希望。どうしようもないほどの苦しみの中で、こんな形で希望を暗示する書き方がうまいと思ったの。『沈黙のはてに』という書名からは、暗く重い印象を受けたけど、実際はもっと希望や未来を感じる内容でした。これだけ過酷な状況でも、先生や看護師のように手をさしのべてくれる大人がいるというのもうれしい。

ポロン:この本のキーワードは、「衝撃」と「秘密」だと思いました。冒頭、16歳の少女が一人で妹の葬儀の手配をするのなんて、本当に衝撃的。そんなショッキングなできごとが、歯切れのよい文体で綴られていて、チャンダの緊迫感がびしびしと伝わってくる。それで、まず物語にぐぐっとひきつけられました。そのあとにもまだまだ衝撃! そして、秘密が! 両親がティロの村から出てきた秘密や、エスターが何をしているかとか、エイズのこと、となりのおばさんの秘密などつぎつぎ出てきて、すごーく読ませる。エイズを扱っていながらも、それだけではなくて、物語として読める稀な本。先月読んだ、松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』(偕成社)とはちがって、エイズがでてくる本だと知らないで読んでも、ダマサレタとは思わないと思う。完成度が高い。嫌だったのは、エスターがあまりにもかわいそうなところ。ここまでひどくなくても。本当にかわいそう。

愁童:エスターの面倒を見ているという叔父叔母の家にチャンダがエスターを探しに行き、「今度来たら警察を呼ぶぞ」と言われ「呼べばいいわよ」と激しく言葉を返す場面も、頭に来たこの年頃の女の子がうまく表現されていて好きですね。

ポロン:説得力がありますよね。

アカシア:エスターの存在は、日本にいて読むとひどすぎると思うけど、こういう状況におかれている子って、私たちに見えないだけで世界にはたくさんいるんだと思うんです。だから、著者がつくっているキャラじゃなくて、リアルなキャラだと思うんです。ところで、さっきポロンさんが言った、松谷みよ子さんの本だと「だまされた」と思うのはなぜ? 正義の側から書いているから?

ポロン:うーん……。なぜでしょう? 「物語」があるかどうかのちがいかも。私が読みたいのは「物語」だから。「こういう歴史的事実があったことを教えてさしあげましょう」というふうに描かれていて、もしもそれ以上のものがほかに感じられなかったら、「私は歴史が知りたかったわけじゃなかったのに」となって、ダマサレタと思っちゃう。でも、この本の場合は「エイズのこと、教えてさしあげましょう」という姿勢ではないし、物語はエイズのことだけじゃない。人がちゃんと描かれてる。エイズの話だと知らずに手にとったとしても、楽しめると思う。今回はエイズの話って知っていたから、この2冊を同じには比べられないけど。もし予想外の話だったとしても、読み終えて満足感があれば、ダマサレタとは感じない。そこが大きなちがいだと思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年3月の記録)


ヘニング・マンケル『炎の謎』

炎の謎

:これは事実に基づいた物語なんですよね。

アカシア:カバーの袖に「ノンフィクション」って書いてあるけと、いいのかしら? 事実に基づいてはいても、これはノンフィクションじゃなくて創作でしょ。紛らわしいな。

ハマグリ:前にこの会で『炎の謎』(ヘニング・マンケル/著 オスターグレン晴子/訳 講談社)と『家なき鳥』(グローリア・ウィーラン/著 代田亜香子/訳 白水社)を取り上げましたね。どちらも、こんなにつらいことがあるだろうかという内容なのに、主人公の女の子が自分をしっかり持って、前を向いて歩き出すという物語だったので、多くの人に読んでもらいたいと思い、あの後、よく紹介しました。『炎の謎』は、主人公が『炎の秘密』より大人になっているので、抱える問題も複雑になっていますね。パキスタンのチョリスターン砂漠で生きる女の子を主人公にした『シャバヌ』(スザンネ・ステープルズ/著 金原瑞人、築地誠子/訳 ポプラ社)も、日本の読者には想像もつかないような異文化の境遇の中で自分を見失わずに生きる女の子の物語という点では似ていて、これも成長してからの続編と2部作になっています。『炎の謎』は3冊目も予定されているようですね。知らない国の文化や風習には興味が尽きないし、主人公の身に起こるあまりにも劇的な運命に、一気に読んでしまう。

ポロン:前作は、読んだのに細部を忘れていたのですが、それでもすーっと読めました。こういう状況があるというのが、実感としてよく伝わってきました。こまかいことですが、気になったことがひとつあって、それは「おなかが冷たくなる」という表現。「背筋が凍る」という意味なのかと思ったら、本当に冷たくなったというふうに書かれているところもあって不思議に思いました。本当に冷たくなるってこと、あるのかな。それとも、これはアフリカならではの表現?

アカシア:アフリカならではということはないでしょう。あるとしたら、原著が書かれたスウェーデン語の特殊表現でしょうね。物語全体が夢みたいで不思議な雰囲気を持っているし、前作でいろいろな困難を抱えてしまった女の子が、元気に生きているということがわかって、よかったですね。ただ、おそらく文学的な作品だからなんでしょうけど、一人称と三人称が混ざって出てくるのでちょっと読みにくかったですね。私がいちばん気になったのは、繕いをたのまれたお客さんの青いシャツを切っちゃうところ。繕い物を受け取ったおじさんは、気づかなかったんでしょうかね? それに、P117に、この女の子自身(お姉さんとの共有かもしれないけど)も青いブラウスを持っていることが書かれているんですね。ここで、読者の私は一気に興ざめしてしまいました。だって、ここまでは大事なお客さんのシャツの布を切ってまで少年に会いたいのだと思っていたのに、自分も青い服を持っているんなら単なる身勝手としか思えないじゃないですか! ここは、読者が主人公と一体化できるかどうかという点でも、大きいところですよ。原文が同じ「青」という言葉なのだったら、作者に言って変えてもらったほうがよかったですね。

紙魚:なるほど。シャツを切られちゃって気づかないのはおかしいけど、このおじさんって、なんだか味わい深く書かれているので、もしかして気づいてもあえて言わなかったのかなと読みました。

アカシア:ほかにも細かいところ、気になりました。p18に「マリアはローサの姉弟でもあった」ってありますけど、どうして弟という言葉が入っているの? あと、「バスタード」と呼ばれている人が出てきて、「名前はバスタード。ぴったりの名前だ」って書いてありますが、バスタードの意味が説明されていないので、読者には何がぴったりだかわかりませんよね。こういうところこそ注をつけてほしい。p158の「クランデイロ」に「魔術師」という注がついていますが、魔術師というと魔法を使うみたい。呪術医とか伝統医という意味でしょうか? このクランデイロのことを母親は「ノムボーラさま」と呼んでいるのですが、p193の母親の台詞は「ノムボーラのところへ行ってね」と呼び捨てになっています。それに、p160ではお姉さんがクランデイロのところに行くと決心しているのに(「母さんとローサが決心したのだから」と書かれています)、p168だと「母さんは毎日ノムボーラさまのところへ行きなさい、とうるさくいっている。姉さん自身が決心するまで、そっとしておいてあげればいいのに」と、まだ決心していないような記述になっています。もっとていねいに本造りをしてほしいなあ。それに、バスタードが畑を奪おうとしますが、どういう背景でそうなるのか説明されていないので、ご都合主義的なストーリーづくりと思われてしまいます。挿絵は、ふくらみがあって、夢のような物語とうまくマッチしていました。マチャムバはmachamba、テムバはTembaでしょうか? だとすれば、マチャンバ、テンバでいいと思いますけど。

紙魚:この本の中でいいなあと思った部分は、主人公が恋の喜びを味わうところ。エイズの本というと、異性と付き合うのはこわいことです! みたいなものがあったりしますが、この本はそういう立場には立ってなくてよかったと思いました。とはいえ、とても夢見心地に進んでいく物語なので、途中、主観で語られる詩のような部分は、ちょっと読むのがつらかったです。エイズって、いろんな問題のまさに縮図で、恋愛、性はもちろん、家族、社会、国、貧富の差、経済など、問題が渦巻いているので、それをぐるりと丸くとらえられる本というのがあるといいなあと思います。

トチ:私も袖にある「ノンフィクション」という言葉には、えっと思いました。いろいろな子どもの話を集めたんでしょうか。この本も『沈黙のはてに』も、登場人物だけではなくて、その後ろにいる大勢の子どもたちの姿が見えてきて、辛かったです。ただ、こっちの本は、作者が文学を書こうとすればするほど、詩的に描こうとすればするほど、現実感が無くなっていっているような気がしました。また、最後のところで主人公と男の子の距離が縮まっていくんだけど、こういう状況に置かれた主人公に自分の恋とエイズに対する危機感が全く無いのがふしぎでした。あと、「(主人公の)おなかが冷たくなる」という表現ですが、初めのうちは「背筋が冷たくなる」と同じようなことかなと思っていたのですが、あんまり何度も出てくるので「ひょっとして病気の兆候なのかも」と思ってしまった。

アカシア:ソフィアは、地雷で足を失っているので、血液の循環がよくないのかも。

ハマグリ:だとしたら、そのことについて、ふれてほしいわね。

トチ:スウェーデンの表現なのか、アフリカの表現なのか、それとも本当におなかが冷たいのか?

紙魚:「おなかがきゅーっとする」というのは、ありますよね。

トチ:お母さんの台詞が、ぶつぶつ切れていて、ぶっきらぼうなのが気になりました。『沈黙のはてに』のお母さんのほうは、しなやかな、体温を感じられる言葉で話している(訳している)けれど……。よく、テレビのテロップや吹き替えでも、黒人の言葉を荒っぽく、野卑な感じに訳しているのを見たり聞いたりすることがあるけれど、なんかそんな感じがして、あまり愉快ではありませんでした。

愁童:前作の『炎の秘密』もそうだったんだけど、この作品にもあまり共感出来なかった。作品の背後に作者の白欧主義的な目線を感じちゃって……。地雷もエイズも確かに過酷で深刻な生活環境だけど、そこで必死に生きている人達への目線があまり温かくない感じがする。作者が、登場人物にきちんと寄り添って書いている感じがしないんだな。それと訳文でちょっと気になったんだけど、最後のエピローグの出だしに、「屋根にあたる雨だれがポツン、ポツン、だんだんと間遠になっていったとき」ってあるんだけど、日本語として変だよ。雨だれって軒先から落ちる水滴を表現する言葉のはずだけど。

:私は、前に読んだ『炎の謎』の方が好きでした。青いシャツのことですが、おじさんは深いものの見方ができる人で、シャツのことを知っていながら気が付かないふりをしていたんじゃないかな。ソフィアも初恋をして、たぶん普通に考えれば、親密につきあっていけば怖いこともあるかもしれない。さらに病院で治療も受けられないという状況にあって、そんなに気楽にいられないのにと思ってしまうけれど、母親が「人間として、人を愛することは最高の贈り物なの」って言って、異性への愛を肯定してくれるところは良かった。

アカシア:私はこの作品にはアフリカっぽさを感じませんでした。なぜかしら?

トチ:原作者と訳者のあいだに距離があるのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年3月の記録)