月: 2009年1月

2009年01月 テーマ:犬と人間の物語

日付 2009年1月22日
参加者 メリーさん、ウグイス、げた、クモッチ、セシ、うさこ、ハリネズミ、エクレア、サンシャイン、チェコ、ヨカ
テーマ 犬と人間の物語

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ヴァレリー・ハブズ『ぼくの羊をさがして』

ぼくの羊をさがして

ハリネズミ:この作品もやっぱり犬を通して人間を描いてるんですね。さっきメリーさんが、今日の3冊はほんとに犬がこんなことを思ってるのか、いぶかりながら読んだって言ってましたけど、たとえば81ページを見てください。ホラリンとスナッチが、犬をおいてきぼりにしたあと、この犬が人間の心理をくみ取って自分をなだめるところがあるでしょう。こんなこと、犬が思うわけないですよ。かなり擬人化されているんです。嫌な悪人はサーカスの団長くらいで、あとの登場人物はみんないい人たちですね。そしてみんな名前があるんですけど、ヤギを飼ってたおじいさんだけは名前がない。このおじいさんが1人で暮らしていて、他人から名前を呼ばれることがないからですね。構成としては、現在の状態が最初に出てきてから、過去にさかのぼります。苦しいことがたくさんあっても、今は幸せだっていうのがわかってるから、子どもが読んでいて安心できるかもしれません。子どもたちに、生きるということはどういうことかを伝えようとする箇所がたくさんあります。ヤギ飼いのおじいさんは哲学的で、へたをすると説教くさくなってしまいそうですが、犬に語りかける形なので、嫌みがなくていですね。日本語の書名から、この犬は最後にまた牧羊犬になるのだろうと思ってたら、ルークが自分を必要としているのを感じるという方が大きかった。ルークと犬の関係は短い言葉でうまく書かれてますね。この犬が、ルークと一緒にいようと決心するところも自然で、うまいなって思いました。

エクレア:おもしろく読みました。一難去ってまた一難。最後は生まれた所に戻らず少年と一緒になるストーリーは、予想とは違いました。サーカスでは、動物はいろんな技をしこまれ、リアルですが残酷でかわいそう。動物の苦労がよくわかりました。目次のタイトルがすごくおもしろかったです。いろいろな場面が設定された作品を、ペットでなく牧羊犬として生きたい思いの犬といっしょに冒険しながら読みました。ルークと一緒に犬もひきとられる終わり方にホッとしました。

ハリネズミ:翻訳がとてもじょうずですよね。ひょっとすると、原書で読むより味わい深いかもしれませんね。

ヨカ:訳がいい、というお話しのすぐ後で、ちょっと言いにくいんですが、私はこれはダメでした。片岡しのぶさんは、前にこの会で取り上げた『モギ』(リンダ・スー・パーク著 あすなろ書房)でも、訳がうまいなあと感心したのですが、この本に限っていえば、冒頭からつまずきました。「よ」とか「ね」とかいう語尾が多用されているのが、まとわりつくような感じでアウト。なんとなく、甘い感じが漂っていて、苦手だ!というのが先に来てしまいました。アメリカのロードムービーの犬版、という感じで、いろいろな人が出てくる、という展開のおもしろさはわかったし、最後にルークを何とか里親と結びつけようとして、主人公が宙返りをするあたりは、サーカスでの経験が生きていて、うまくできているなあ、と感心したんですが……。最初でつまずいてしまったせいか、入り込めませんでした。それに、おじいさんの話も、ちょっと説教くさいなあと思ったし。残念!

サンシャイン:安心して読みました。牧羊犬として働きたいと思いながら、あっちこっちを放浪する。でも最後には小規模だけど羊の管理もできるような所にたどり着く。いろいろな人間が出てきて、みなし子で孤独な男の子(犬が主人公ですが)の気持ちもよく感じられる。同じみなし子の少年が里親に気に入られるように手助けするところなど感動的でした。犬同士の、(人間的な)出会いとまた人間模様を描いたお話。いい本だと思いました。中1くらいに読ませたいですね。

メリーさん:この物語は、犬の視点で、できごとが語られますが、やはり描かれているのは、人間の気持ちだと思いました。たとえば、主人公の犬が自らの気持ちを誇りを持って語る場面とか、サーカスで、他の犬が主人公に対してエールを送る場面など。犬は本当にそう思っているのか?(たぶん思っていない)と感じました。ただ、最終章での、犬と少年ルークの描写だけはリアリティがある。どちらも長い旅を経て、理解しあえる相手を見つける力が備わった。そこでは、人間と犬を越えた信頼関係が成り立っています。その描写はとても素敵だと思いました。どこまで擬人化するのか?というのはとても難しい問題ですね。物語の前半ではもう少し擬人化をせずに、それぞれの個性のぶつかり合いが描かれるとよかったかな。

ウグイス:いろいろな人間が出てきますが、それを犬の視点から観察していておもしろかった。犬がこんなことを考えるのか、という疑問はあるかもしれないけど、犬が語り手になっていることを最初から納得して読んでいけば、わりあいすんなりと読めると思います。最後にボブさんと会えるのかなと思ったという人がいましたが、私は最初から会えないだろうな、と思ってました。でもきっとハッピーエンドになると思ったので、ボブさんに代わる人がきっと見つかるに違いないし、どういう幸せの形が用意されているのかな、という興味があったんです。そして、最初にルークが犬を見つけるところに「あれ、わんちゃんだ」(p130)というセリフがあります。この言葉にルークの子どもらしさがとても出ていて、「あっ、この子だな!」と私は思いました。前に男の子というものには犬が必要だ、ってことが書いてあって、男の子と犬には大人にはわからない気持ちのつながりがあり、特別な存在なんだということがてもよく書かれていた。
 とてもわかりやすくて、おもしろい本だったけど、書名のイメージとは違いました。羊というのは象徴的なもので、もっと寓話的な内容なのかなと思ってたんです。表紙の感じも、内容より大人っぽい。犬と子どもの話だということがわかれば、もう少し子どもが手に取りやすいのではないかな。帯には子どもと犬のイラストがついているんですね。でも図書館の本に帯はないし、よく見ると背に子どもと犬のイラストがあるけど、小さすぎてよくわからないですね。

げた:話の筋がはっきりしていて、盛り上がりもあり、最後にきちんとあるべきところにもどってこられて、ハッピーエンドで終わりというのがわかりやすかったかな。行きて帰りし物語ですね。この犬、牧羊犬としての生き方を貫き通すというのが、偉いなと思いつつ、もう少し融通をきかせた生き方もありなんじゃないか、なんて思いながら読みました。

チェコ:表紙のイメージからは、確かにこんな話だと思いませんでした。犬が主人公の本としては、成功していると感じました。盗みはしないとか、ゴミあさりはしないなど、わざとらしいという意見もありましたが、私はかえって、犬として誇り高いところなんだと思いました。私も、ボブさんとはもう会えないと思いながら読み進みましたが、ラストがどうなるか予想がつきませんでした。主人公が犬であるが故に、人間が主人公だったらありえないような過酷なシチュエーションが出てきて、そこもおもしろかったです。サーカスに入ったときは、相手が犬だから人間の残忍さが余計ストレートに描けていて、効果的だったと思います。おじいさんとの旅も、破天荒でおもしろかったです。

クモッチ:さっきからメリーさんが、主人公が犬であるっていうことにこだわった発言をされてますが、確かに言われてみると、そんな気高いこと犬が思うわけないよなというところがありますよね。でも同時に、犬が言うことだから説教くさくなく読めることもあって、犬を主人公にするって結構便利だなあと思いました。放浪させたりするのだって、人間だとリアルすぎるけど、犬だとコミカルに読むことができますね。それから、この物語には、生きていく中で何度か思い返したいようなフレーズがたくさん出てきます。例えば181ページ、ヤギを飼ってるおじいさんが言う、人間にとって幸せとは何なのか、というようなところ。年齢が上のYA世代が読んだら、響くものがあるのではないかな、と思ったりしました。

セシ:おもしろかったです。犬のキャラが立っていますよね。働く犬だという誇りがあって、すごく気骨がある。人の世話になるのも、人に使われるのもだめとか。170ページの5行目「ああいうフニャフニャ声は、ぼくは大きらいだ。ルークはああっさりあきらめてしまうけど、そこがよくない」というところ、きっぱり感がよく出ています。「羊のいるところにいかなきゃならない」というのがずっと通っているので、それにひっぱられて読み進められます。前にこの会で読んだ、ネズミが冒険していく『川の光』(松浦寿輝/著 中央公論新社)では教訓が鼻についたけれど、これは哲学的なことも盛り込んでいるけれどお説教くさくないですよね。あらためて、あちらは大人の視点の大人のための作品、こちらは子どものために書かれた本だというのがわかりました。この犬がどこまでもポジティブに進んでいるところ、今の子に読ませたいですね。

うさこ:楽しく読めました。犬がとても健気で、犬に気持ちを寄せやすかったです。ロードムービーのような、犬と一緒に旅をしている感じもしました。犬が出会った人間によって、それぞれの章で味わいが違っていて、よかったと思います。書名の『ぼくの羊をさがして』の「羊」に置き換わることばが、章によって、「ボブさん」だったり、「居場所」だったり、「ぼくの価値」だったり、「誇り」だったり、「未来」だったりと、作りもうまいなと思ました。おじいさんの話は、嫌みがなく、いろいろなことを伝えているなと思いました。最初に結末が書かれているので、犬が途中辛い目にあっても、結末はハッピーになるから、どういう形でハッピーエンドになるのかなと、安心して読めました。

ウグイス:私はYAよりももっと下の子に読んでほしいと思うの。わかりやすいし、4年生から6年生くらいに読んでほしい内容だと思います。確かにおじいさんの言葉など、難しい部分も出てくるけど、おじいさんはそういう言葉を言うのが得意な人、ということで出てくるので、理解できるでしょう。装丁も書名もYA向きとして出されているらしく、小学生には難しそうに見えるのが残念。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)


シャロン・クリーチ『あの犬が好き』

あの犬が好き

げた:この作品は、1人の少年が詩に出会って、詩人の言葉を借りつつ、だんだんと自分の言葉を獲得して成長していく話ですよね。図書館でも、なかなか子どもって詩の本を手に取ってくれないんですが、こういった形で、読み物として1冊の本にまとまっているものを子どもたちに伝えるのもいいのかなと思いました。文字を使って絵を描く、というのは日本語だとあんまりしっくりこないかな。どうなんでしょうね。

ウグイス:見た目も、内容も、すごくしゃれた本だと思いました。詩で書かれていることが大きな意味をもっているんだけど、詩を訳すというのはとても難しい。詩というより、主人公の独白のように訳されていますよね。詩という感じがしなかったけど、気持ちはとてもよく伝わった。アメリカでは詩を暗唱させるという授業があるので、ここに出てくる詩はたぶん皆が知っているんでしょう。それに則って自分の詩を書くというところが、1つのおもしろさになっているんだけど、そのあたりが日本の読者にはよく伝わらないのが残念。有名な詩であっても、日本だといろいろな訳があるので、皆が共通に持っている日本語訳がない場合が多いからね。文章は短くてすぐ読める本だけれど、内容は実はすごく難しいのでは?

メリーさん:とてもおもしろかったです。物語の展開に、現実の詩人が書いた詩がかかわっているのはおもしろいなと思いました。主人公は、詩なんて書けないと言っているけれど、つぶやきそのものが詩になっている。子どもが発する言葉は何でも詩になりうるのだな、と改めて思いました。主人公の気持ちがよくわかるのは、作家にあてたお便りのところ。読者からの手紙を彷彿させました。それから、自分の詩をワープロで打つくだり。手書きの文字が活字になると、とたんにそれらしく見える、という感覚はよくわかります。子どもが自分で読むのには、ちょっと難しいかなと思いますが、好きな1冊です。

サンシャイン:最初読んだとき、原文で読みたいなと思いました。日本語だとなかなか詩的に訳せないと思ったので。この子の成長物語として読めるところがとてもよかった。「あの男の子が好きだ」という詩の一部を変えて自分の詩を書くというくだりがありますが、日本語の詩の教育でもこういうことはやってるんでしょうか。短歌の本歌取りというのもありますが、もちろん子どもには無理だし、自由詩の場合もどうでしょうか、難しいのではと思います。ところで、オバマさんの就任式がありましたが、言葉の重み、演説の重みが日本とずいぶん違いますね。詩的に感じるところもありました。言葉に強い力もあったし。(原書を見て)詩集ではなく、novelとなってますね。お話として読む作品なんですね。

ヨカ:とてもいい話でした。最初は、あちらの言語で書かれた詩を日本語に訳すのって、どうなのかな、とちょっと身構えて読み始めたんです。でも、一番強く感じたのは、この子の成長物語なんだということでした。その意味で、とにかくうまい。最初はすっかり心を閉ざしていた子どもが、たぶん教員がいい詩を提示しながら上手につんつんと刺激を与えたことによって、卵からかえる雛のように、自分でも殻を破って心を開いていく。その様子が実に自然に感じられて、すばらしいなあと思いました。だれでも身に覚えのある迷いやこだわりといったことが、過不足なく書いてあって、ああ、こういう子っているよなあ、私もそう感じたことがあるよなあ、と実感できる。これは、子どもと教師と詩という教材の幸福な出会い、なんだろうけれど。日本でも、詩の授業はいろいろと実践されていますが、そういう取り組みをしてきた教師があらまほしく思っているのは、こういう出会いなんでしょうね。『フリーダム・ライターズ』(エリンとフリーダムライターズ/著 講談社)も、文学と子どもの関わりを書いた本だったけど、この作品も、そういう意味ですてき。しかもそのうえ、終盤にさしかかると、なんとウォルター・ディーン・マイヤーがこの子の学校に来てしまう! もうびっくりでした。ただし、詩とのかかわりという点でいうと、日本の子どもがこれを読むのは、かなりのハンディがあるのではないかな? だって、おそらくここに登場している詩は、向こうの子どもたちが学校で教わっていて暗唱できるくらい、あるいはどこかで読んだことがあるという程度に、親しんでいる作品のはずで、だから向こうの子がこの作品を読むときは、その知識に乗っかって、イメージをふくらませられる。でも、日本の子どもは、というよりも、日本の大人だって、全部の詩を知っているわけではないので、イメージがふくらみにくい。それに、1つの言語で書かれた詩を他の言語にすると、まったく違うものになってしまうので、その点でも、難しいところがあるなあ。その意味で、ぜひ原書を読んでみたいと思いました。

エクレア:この作品は、シャロン・クリーチのほかの作品と違うテイストで驚きました。「あの男の子が好き」という詩がとてもおもしろく、それを真似している男の子もおもしろい。リンゴと犬の形が文字でできている詩を拡大コピーして、クラスの5年生の子どもたちに見せたところ、とてもおもしろいと大喜びをしていました。タイガーの詩は虎の字が出ていて、たまたまこの本を薦めた虎太朗君はとてもうれしがっていました。「なんでも詩にしていいんだよ」というメッセージは、文章を書くことが苦手な子どもたちをホッとさせるでしょう。しかし児童詩とこの詩は違うので、ちょっとその辺は気になります。外国の詩を渡す機会がないので、これを機会に渡してみたいと思います。

ハリネズミ:この本は、詩の本ではなくて、子どもの成長の本だと思いました。『ぼくの羊をさがして』の続編のような。最初にこの子ジャックが書いたのは「問題なの/は/青い車。/どこだらけで/道をびゅんと走ってきた。」という詩です。そして、「なぜ青い車が問題なのか」ときかれても、言おうとしない。心がぴたっと閉じているんです。ここで、ストレッチベリ先生が「それがないと意味がわからないでしょ」なんて言ってたとしたら、この子の心は開いていかなかった。でも、この先生が無理強いしないで励ましていくうちに、ジャックはしだいに心を開いていき、やがて青い車とスカイという犬が出てくる長い詩を書くんですね。それを読むと、この子にとっては青い車が大問題だったということがよくわかる。自分の大好きな犬をその青い車がはねたんですから。その悲しさがこの子の心に中で大きな固まりになっていて、この子は心を閉ざしていたってことがわかるんです。ジャックが、詩を書くことによって気持ちをだんだんに解放していく課程は、とてもよく書かれています。私は最初に原書で読んだんですけど、やっぱり詩って翻訳が難しいだろうな、と思ってました。でも、別に韻を踏んでいるわけではないから、素直に子どもの気持ちによりそって訳せばよかったんだな、と、この日本語版を見て思いました。ウォルター・ディーン・マイヤーズはアフリカ系アメリカ人で、とてもやさしそうな、いい人そうな、作家です。

ウグイス:103ページで、「開かなかった」を「開か」「なかった」で改行してあるのはなぜ? 原書ではどうなっているのかな?

ハリネズミ:原書は、1単語ずつ改行してますね。he/never/opened/them/again/ever. 英語だと、胸がいっぱいになって、言葉がぽつぽつとしか出てこなくなっているというニュアンスを感じます。
(みんなで、原書をしみじみ読む)

うさこ:「詩」の本ということで読み始めましたが、最初はなかなか入っていきにくかったです。でも、読み終わったときにとても感動しました。詩という形をとっているけど、日記風な感じでもありますね。私も犬が大好きだから、自分の家の犬がいなくなったら、死んじゃったら、私どうなるんだろういう気持ちをいつも持っています。だから、この男の子の喪失感にとても共感できました。ものすごく悲しいときは、悲しい気持ちを何かの言葉に置き換えて胸の奥から出したいのに、なかなか言葉にできない。この作品は、そういう過程を上手に表現してあるし、言葉にすることによって、男の子の心が開放されていく様子がとてもよく描かれていたと思います。

セシ:詩の本だと思って読んでいくと、韻とか倒置法もなくて、つなげたらそのまま文章になるような言葉で書かれているので「あれっ」と思いました。なら、どうして詩の本なのって。子どもにとっては、文字が少なくて、読む進めやすい面もあるんでしょうけど、やっぱり翻訳は難しいですね。全体のストーリーはいいけれど、先生が読んでくれた詩の魅力が今ひとつ伝わってきません。最後に授業で使った詩をまとめて載せているけど、日本版では体裁を工夫して途中に詩を入れていくようにしたらよかったのでは? ネタばれでだめかな? 私たちが詩を聞いたとき、これは宮沢賢治だとか白秋だとかわかることがあるみたいに、ここにある詩は、英語圏の読者なら思いあたるものなのかしら。日本の読者にはそういう勘がまったく働かないので、ギャップがあって残念だと思いました。

クモッチ:年をとったせいか涙もろくなって(笑)、この本は泣きながら読みました。何に感動したのかというと、やはり1人の男の子が、だんだんに言葉を獲得していく流れが、とてもよく描かれていたからです。この男の子が、飼っている犬を事故で亡くして、それについての状況を詩に表現していくのですが、詩を書いた時点でその死を乗り越えていることがとてもよくわかりました。この詩をみんなの前に掲示したら、みんなが悲しい気持ちにならないだろうかと他の子のことまで心配している。言葉で何かを表現するということは、その事柄を乗り越えるということなのかも知れないなと思いました。さらに、この男の子は、乗り越えるだけでなく、この物語の最後に、「すきだった」という詩を書いてますよね。詩人の詩の言葉を借りてではあるけれど、死んでしまった自分の犬に対する気持ちをしみじみと書いているところに、さらなる感動を覚えました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)


三木卓『イヌのヒロシ』

イヌのヒロシ

メリーさん:読んだのは、今回が初めてです。物語の中では、「ゆうがた」「オニヤンマ」がおもしろかったです。ほかの2冊とともに読んでみて、動物と擬人化について考えました。動物は本当にこんなこと考えてるんだろうか、と。この本でいうと、動物がこういうことを考えているというよりは、人間(画家の先生)の気持ちが、一番身近な生き物(ヒロシ)に投影されているのではないかという気がしました。

ウグイス:感想が言いにくい本ですね。犬の気持ちになって書くという視点はとてもおもしろいんですけど、何かこうお行儀のいい感じがしました。著者がこういうふうに作りたいと思ったとおりにできあがった作品なんでしょうね。子どもにはきちんとしすぎてるっていうのか、こういう書き方はおもしろいのかな、と疑問な部分もありました。とても文章がよくできているので気持ちよく読めるんですけど、時々ふと眠くなってしまうようなところがあって。子どもは途中で飽きるんじゃないかという気がしました。おもしろかったのは、「サイダーは、ひえたこえでいいました」(p24)というところ。そういったユーモアがところどころにあって、いいなと思いました。

げた:印象としては、お父さんが子守唄代わりに子どもに思いついた空想話を話してあげているみたいな感じですね。文字で読むよりも、お父さんがお話しているという雰囲気で、読み聞かせしたらいいんじゃないかな。

クモッチ:なつかしい感じがする本だな〜、と思って読みました。1つ1つのお話が短くて、ソーダとか、パンとかが、普通に登場人物になっているところが絵本の世界と近い気がするので、絵本を卒業しつつある読者には貴重ですね。最近、ストーリーが複雑になりがちな中で、これは短くて読みやすいし、身近にある話なので、想像しやすくていいなと思います。ウチの小学校3年生は、大笑いしながら読んでましたし、サイダーにはとても同情してました。大人なら、犬がビーフジャーキーをどうやって送るのって思うかも知れませんが、子どもの読者はその辺すっとばして、受けるんじゃないかな。最後、犬のヒロシは死んじゃうんでしょうけど、こういうのを子どもはどう読むのかな。わかるんだろうか? わからないかもしれないですね。それから、ウチの子どもは、表紙の絵が怖いって言ってました。こういうぽっかりとした黒い目は、漫画だと、取りつかれてたり死んでしまったりしてることを意味するらしいんです。

セシ:全体に大きな筋のないオムニバスのような話は、読み進みにくい本が多いんですけど、これは1つ1つに意外性があって、おもしろく読めました。ところどころに詩が入っていますけど、全体が詩みたいな作品ですね。動物同士のとぼけたほのぼの感、そこはかとないユーモアが、『ともだちは海のにおい』(工藤直子/著 理論社)を思わせました。日常の何気ないものを詩的に切り取ってみせるっていうのは文学ですよね。文学的表現の入り口となる本だと思いました。

うさこ:出版されたときにタイトルが気になって、ずっと読んでみたいなって思っていたのに、読んでなかったんです。本屋さんに並んだ当時も、表紙の印象がクラシックで、今見るとなおさらクラシックなイメージなので、ずっと前に出たのかなと思ったら1995年でした。内容は、ほのぼのとした世界ではあるけど、とびぬけた奇想天外とかユーモアがぴりっときいているということもなく、そこがいい、とするのか、ちょっと物足りない、とするのか、判断つきかねました。短いお話の連作で、低学年の子どもにとっては読みやすいでしょうね。

ハリネズミ:私はとても好きな本です。子どもが読んでもおもしろいと思います。アリの会話に「…しくコケは特上にしたか」「はい。コシヒカリじるしです」なんていうところがあるし、サイダーは「キミを男とみこんで、ぜひたのみたいことがある」なんて言うし、ヒロシが落とした枝が「ああいてえ。こんどは腰を打ったじゃないか」と言うと、枝の腰ってどこなんだろうとヒロシが悩む。そんなプッと笑えるところがたくさん用意されている。犬は寿命が短いから飼い犬の死を体験する子どもは多いですよね。子どもがこの本の最後を読んでヒロシが死ぬと思うかどうかは別として、こういう本を読んでいれば、そういう時でも、ただ悲しいだけではない気持ちももてると思います。
犬は大体おひとよしですが、そんなヒロシの日々の様子が目にうかぶように書かれてます。書き方が、ただ情景を描くだけでなく、そのもう一つ向こうへ行ってしまっている感じもします。やさしさ、生きること、年を重ねること、ほかの生き物たちとの関わり合い、などをすべて混ぜ合わせて物語ができているんでしょう。今は、プロットだけで引きつけようという作品が多いけど、味わって読むタイプのこういう本を、文学の入り口にしてもらいたいな。

エクレア:この本は出版されたときに読みましたが、あらためて読むと、文章に擬人法が多いためか、間延びするようなところもあるんですね。でもそこに、絵が出てきたり、白抜き文字になっていたりして、目先が変わるように工夫されてる。詩も入っていて、ゆっくり時間がすぎていくようです。言葉がレトロっぽくて、今の子どもが使っている言葉じゃないから、逆に新鮮に思いました。

ヨカ:私はかなり好きでした。このあいだのネコの話(『おおやさんはねこ』福音館書店)と同じような、ゆったりとした、それでいた細やかな感じがして、三木卓さんの本をもっと読んでみたくなりました。あのネコの話は一つのストーリーになっていたために、逆に、筋を作らなくてはという無理が感じられたけれど、これはそういう縛りがなく、1つ1つが自由に広がっていて、さらにいい感じ。三木さんの目線って、すごく細かくて、人が意識化していないところを見ていて、しかもそれをユーモラスな感じですくっているのがいいなあ。主人公の犬のヒロシが、かなり間が抜けているんだけど、そういう自分でいいや、と思ってる。しかも、そういうとぼけた犬を、作者は決して下に見ていない。そこがいいんですね。しかも、飼い主である画家さんとすれ違っているあたりも、しっかり書いてある。だから、ひょっとしたらごく普通の日常にも、自分が気がついていないことがいろいろあるのかも、と思わせてくれる気がします。
とにかく、1つ1つの物語が、なんとも不思議な感じ。サイダーがおしょうゆを垂らしてビールになりたいとか、なんかおかしくて。そういうおかしさから、中盤で、毛虫に恋する葉っぱの話や、バッタとの飛び比べなんかが出てきて、「時」というものを感じさせる作品に移行して、最後は、たぶん「死」で終わっている。でもそれも、決して暗くなく、ふわっと書いてあって、わかってもわからなくてもいいよ、感じられるものを感じて、というスタンスなのが、この本の魅力だと思います。それと、言葉の使い方がうまくて、特に、カタカナが上手に使ってあるなあ。アタマとかマエアシとか、ふつうは漢字にするところをカタカナにしていることで、乾いた感じというのか、ちょっとゆるい感じになっていて、好きですね。

サンシャイン:ほんわかというのか、のんびりというのか、三木さんご自身を髣髴とさせるところがあります。4年生、5年生向きでしょうか。中学年くらいで最後まで読み通させたいなと思う本です。絵もうまいですね。

ヨカ:たとえば『ゆうやけ』なんかは、はじめはちょっとシンとした感じで大人っぽい。ところが、このまましんみりといくのかな、と思ってたら、最後のところで、ヒロシのハラとセナカが入れ替わろうといってヒロシをからかう、というふうに突拍子もなくおかしな話になる。つまり、シンとした情景にずぶずぶと入り込むのでなく、すいっとかわしていく。この切り替えの早さって、子どものものではないでしょうか。その意味で、子どもを意識して書いている作品なんだなあって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)