月: 2010年2月

2010年02月 テーマ:部活を通して異種の友だちをつくる

日付 2010年2月18日
参加者 ハマグリ、トントンミー、タンポポ、メリーさん、バリケン、アカシア、くもっち、プルメリア、レン
テーマ 部活を通して異種の友だちをつくる

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誉田哲也『武士道シックスティーン』

武士道シックスティーン

メリーさん:すごく好きなシリーズで、シックスティーンからエイティーンまで全部読んでます。とにかくキャラクターが魅力的。1回目に読んだときは、西荻のあのちょっとふわふわしているけれど芯が強いところにひかれたけれど、2回目に読んで、やっぱり磯山の不器用だけれど健気なところがいいなあと思ってしまいました。とにかく勝つことにこだわる磯山。お昼を食べるときには片手には五輪の書、もう片方には鉄アレイ……。一方の西荻は「お気楽不動心」の持ち主で、まったく無防備。そして自分のことが大好きな人間……。この鮮やかな対比が笑いを誘うし、感情移入をしやすくしている理由だと思います。皆どこかにそんな一部分を持っていると思うので。ただ、そんなふたりも、実は西荻が父との関係から勝ち負けにこだわるのを嫌だと思っていたのだとか、磯山も、剣道をする理由を見つけられずにもがいたりする。そういう描写が物語を深くしているなと思いました。著者の警察小説も好きですが、「疾風ガール」の系譜に連なる青春小説がこれからも楽しみです。

プルメリア:剣道の技や用具、衣装が詳しく書かれているのでよくわかり、剣道の試合では、糸を張ったようなすきのない緊張感を感じながら読みました。電車の中でこの作品を読んでいた時、磯山の行動や考え方がとてもおかしくて声を出して笑ってしまいました。男の子っぽいんだけど複雑な磯山、女の子の微妙に動く心情がわかりやすく伝わります。磯山と西荻、二人の少女が交互に登場しますが、よく考えないとどっちがどっちかわからないところがあって、読むのがむずかしかったです。最後に名前が変わった早苗に試合であう場面、とってもおもしろかったです。是非続きを読んでみたいです。

トントンミー:これもね、やっぱり装丁がいい。赤ですからね、本屋に並んだら目立ちます。イラストもかわいいです。いかにも手書きっぽいテイストで、防具とか竹刀の説明をはさんであります。目次もね、凝ってくださって、いやあ、つかみはOKですね。奇数は磯山。偶数は西荻。章タイトルの文体も書体もちゃんと書き分けてあって、二人の個性をすでに示唆してあるでしょ? ワクワクして、一気に読んじゃいました。二人の人物が同じ出来事を二つの視点で交互に語るっていう手法。川島誠さんの『800』(角川文庫)を思い出しました。最初から映像化を意識してるんだなって思うほど、キャラクターの個性が成立してましたね。西荻のお姉さんが、『ジェミーと走る夏』の主人公のお姉さんに似てました。世俗的なことを引き受ける役割ですね。あまりにもありえないキャラクターたちが主役ですから、読者との間をつなぐ役割が必要なんですよね。続編を読みたいという気持ちになりました。主役の二人がどう変化していくのか、気になります。

アカシア:エンターテイメントだと思うけれど、文章のテンポがよくて、中高生が考えるきっかけも含んでいます。おもしろかった。章タイトルが、太字で書いてあるのと、細字で書いてあるのと、交互に出てきますけど、細字で書いてあるのは語り手が西荻で、太い字の章は香織。最初は気付かなかったのですが、読んでるうちに「ああ」と気づきました。しおりが赤と白の2本ついているのも、剣道の試合のたすきを象徴してるんですね。いろいろ工夫された本づくり。「好きなことなら続ければいい。何か好きだと思えるモノを持っていることは、幸せなこと」というメッセージはあたりまえだけど、ほんとに読ませる力がある。だから、長くても飽きないで読めるんですね。

くもっち:とっても大好きな本の1冊で、このシリーズは『武士道エイティーン』まで全部読みました。この極端さがいいですね。磯山の。磯山香織ちゃんは、すごく強いし迷いが全然ないのだけれど、ある試合で負けてしまう。その相手が、日舞出身という設定。なんか、剣道やったことのない私のようなヒトでも、「あ〜、あるかもね〜」と思ってしまうなぜだかの説得力がおもしろいですね。自分にないものを相手が持っていることに気づき、盗もうとする。でも、そういうもんじゃない、ということも含めて、だんだんにお互いがわかってくる。香織ちゃんのゆるぎない精神がぐらぐらしちゃって、何のために剣道をやってるのか、ってとこまできちゃう。この流れがとてもおもしろく描かれていると思いました。実は、私は保土ヶ谷に住んでいるんですが、この作家がその辺にいるんじゃないかと、最近きょろきょろしてしまいます。(笑)

バリケン:私も、ときどき飛ばしながらでしたけど、おもしろく読みました。最初は、まったくこの作品のことを知らないで読んだので、二人が交互に話しているというのに気がつかず、とちゅうで「あれっ!」と思って、また最初から読みなおしました。キャラクターはみんなデフォルメされていてマンガ的だし、なかでも西荻のお姉さんと巧がリアリティに欠けていて物足りないと思ったのですが、続編で活躍するということをいま聞いて、それならこれでいいのかな……と。

レン:読み始めたら、どんどん読まずにいられない力がありますね。語り手が交互になるところは、私は読んでいるうちに、「ああ、そういうことか」と気づいて、そんなにひっかかりませんでした。そういう仕掛けの本なんだろうなと思って。これって、磯山だけじゃなくて、西荻のほうもありえないキャラクターなんですよね。今の中高校生は、みんなもっとまわりを気にかけながら暮らしていると思うんです。ところが西荻は、天然ボケというのか、そういうところがなく自分のことに集中しています。それに、高校生の女子がこれだけ集まったら、実際は人間関係で毎日いろいろありそうだけれど、そういうドロドロしたところには触れていない。フィクションというのか、現代のおとぎ話として楽しむ作品だと思いました。

アカシア:香織と早苗のキャラや家庭環境は、ある程度戯画化されてるし、だれもが持っている気持ちを肥大化させてキャラクターをつくっていますよね。

トントンミー:だから、磯山は登場からしてもう、異様なんですよね。言葉づかいも「戯れ言を」なんて。そんな高校生いないですよ。

くもっち:最近こういうデフォルメしたようなの、多いかもしれないですね。

アカシア:わかりやすすぎるとも言えるのかも。生身の人間ってわかりにくいじゃない? もう少し生身の人間を描いて、これくらいおもしろいのがあるといいんだけどな。

バリケン:そういうものをこういう作品に求めるのは、ないものねだりなのかもね。自分の半径何メートルのことを丁寧に、感受性豊かに書くだけじゃなくて、「ジェミー……」みたいに、社会とか世界につながるなにかを書いてもらいたいって気がするけど……。

アカシア:そういうの、日本の作家は弱いところかもしれないな。

バリケン:何十年も前には、もっぱら天下国家を論じるような作品がけっこう書かれたことがあったけれど、そういうものへの反発が強いのかな?

アカシア:そういう大上段にかまえた作品がつまんなかったから、逆におもしろさだけを追求する作品が多くなったのかな?

バリケン:日本の児童文学作家で、社会的なことをおもしろく書ける人ってだれかな?

一同:沈黙

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


魚住直子『園芸少年』

園芸少年

くもっち:とてもおもしろく読みました。特に秀逸だったのは、ダンボールをかぶった庄司くんが、動揺して去るシーンで、いつもするりと通っていく道で頭をぶつけてダンボールが傾いてしまう。とてもよく書けていて思わず笑ってしまいました。高校一年生なのに女子が出てきても主人公たちとあまりからまないところなど、まったくリアリティがないように思えますが、それがまたとてもおもしろい。「こうあってほしい」的な、高校男子のピュアな感じというのでしょうか。庄司くんから、大和田くん、それからまた主人公と変化が連動していくあたりも、説得力があると思いました。

バリケン:私もとてもおもしろかった。ひきこもりの子どもをそのまま描写すると、話が暗くて、読むのもつらくなりますが、ダンボールをかぶせたことでユーモラスになっていて、楽な気持ちで読み進めます。とてもうまいと思いました。どこかにモデルになった少年でもいるのかしら? それに、いつ、どういうきっかけでダンボールをぬぐかという興味もわいてきます。高校の男子と園芸なんて、いちばんかけ離れている感じのものを結びつけたところが、この物語の成功のカギだと思いました。出てくる大人たちも、付かず離れずの位置にいて、過剰に善人でもなく、かといって少年たちの敵でもない点が、とてもいいと思いました。

メリーさん:冒頭から、いつ庄司がダンボールを取るのかとずっと思いながら読んでいきました。とにかく大和田の気持ちのいい性格にひっぱられて進んでいったという感じです。外見と反して、不良から花を守ろうとするところや、細かいことはあまり気にせずに、率直に相手のことを口にするところなどは、胸がすっとしました。庄司に「お前はのろまだけど、頭がいい」とまじめにいえるのは、やはり大和田ならではで、思わず笑ってしまいました。『武士道シックスティーン』と同様、キャラクターで読ませる小説だなと思いました。ただ後半、文化祭のところ、主人公がけんかする場面などはもっと描きこんでほしいなと思いました。女の子が入部してくるところも、もう少し彼らの生活に変化が出そうな気がします(まあ、こんな男子たちだから変わらないのかもしれませんが)。そして、最後の庄司がダンボールを取るきっかけ。かぶっていたものをはずす理由が、火というのは、もう少し他になかったのかな……と。個人的には大和田たちの言葉の力ではずすのかなと思っていたので。とはいえ、とてもさわやかでおもしろかったです。

タンポポ:読みやすくて、あっという間に読みました。ダンボールをかぶっている子がとても切ないですね。女の子の話が出てきませんが、逆にそれだから小学生にも手渡せます。読んだ6年生の中では、大和田が好きという声が多かったです。読み終わったあと、もう少しストーリーがあってもいいかなと思いました。同じ作者の「Two Trains とぅーとれいんず」(学習研究社)はとても心に残っています。

プルメリア:魚住さんの作品は好きで、読むといつも何か残るのですが、これはさらっと読めて、こういう作品もあるのだなと思いました。花の名前が出くくる場面では花を想像して読みました。バスケをやっていた主人公の篠崎君、不良っぽい大和田君、ダンボール箱をかぶった庄司君、性格が違う3人の関わり方がおもしろかったです。ダンボール箱をかぶることで登校できるなら幸せかも、と思いました。小学校には、相談室通いの子どもたちがたくさんいます。こだわりがあってマスクを二重にかけている子どももいます。マスクを二重にすることによって、他の人と違うキャラクターになって落ち着き、ほっとするようです。庄司君も、ダンボールをかぶることで自分にとって落ち着く世界をつくっているんでしょうね。大和田君は外見に似合わずやさしい子どもなんですね。2週間休んで、退学するのかなとひやひやしましたが、眉を太くして登校して来る。魚住さんは書き方が上手だなと思いました。

トントンミー:この本は、手にとった感じが好きです。薄さといい、こじんまりした感じといい、装丁からして「園芸少年」っぽい。本は内容だけじゃないです。見た目も大事。魚住さんの本を読んだのは初めてです。読者が頭の中で映像化しやすいように書いてくれていますね。必要なシーンに、必要なだけの会話。無駄がないんですけど、セリフとセリフの行間が豊かで、たまんないですね。キャラクターの書き分けがしっかりしていて、うまい。主役ではない庄司くんが、ちょっと目立ちすぎですけどね。
大人たちが脇にひかえているのがいいですね。それぞれの家庭事情が全面に出てこないところも。最近の小説って、問題が家庭環境にあるっていう展開、多すぎるから。主人公は父子家庭で育っただけあって、処世術にたけていて、面倒なことに巻き込まれないようにいつも立ち回って、空気読んでる少年なんです。自分の感情は隠す。それが、植物という、しち面倒くさいものを相手しているうちに、だんだん変わっていく。最後、感情を爆発させて、植物を守ろうとする場面では思わず泣いてしまいました。大和田くんの行動もわかるな。進学校に受かって、昔つきあっていた不良たちとは縁が切れたように見えたけど、気持ちが弱くて優しくて、ふんぎりがつかない。自分がもといた場所から、つぎの場所へ向かうとき、ジャンプするのって大変なんですよ。ちょっと助走がいるっていうか、構えが必要っていうか。人間の弱さ、微妙さ、危うさ。思春期の三大特徴が凝縮されていて、ぐっときました。
 女の子の存在がないことは、そんなに不自然には感じなかったですね。何かに熱中するとき、異性のことを放っておいて打ち込むことはありえるから。ペチュニアに水をやるところ(p.132)はメッセージ性がありました。時期がくれば自然に花は咲く。大人が手を貸さず、その時期がくれば子どもも自然に草のように育っていく。いい作品だと思いました。

ハマグリ:私はまず『園芸少年』という題にとてもひかれました。高1の男の子とは最も遠いところにあるような園芸を題名で結びつけているから。最初に植物に興味をもつきっかけが、何気なくコップの水を鉢に捨てたら次の日に葉っぱが上を向いている、そのわかりやすさに感動してしまう、というのがおもしろいなと思いました。出てくるのは3人3様の個性がある少年たちですけど、その関係がまたおもしろくて、ふふっと笑えるところがたくさんありました。いちばんおかしかったのは、最後のほうで園芸しりとりをするところ。はじめはバラとチューリップぐらいしか知らなかったくせに、「おれたちは園芸しりとりをすることにした」ってあたりまえのように言うところが何ともおかしかった。それから、最初はこの主人公が今どきの冷めてる男の子なのかなと思ったら、意外と素直に友だちのいいところを見つけていくので、それも気持ちがよかった。欲をいえば、それぞれもうちょっと掘り下げてくれたらというところがあって、大和田がどうして中学の友だちと離れようとしたのか、庄司がどうして箱を脱げないのかなとかね。でも、そういったさらっとしたところがむしろこの本の持ち味なのかなとも思います。深くしていくと、重苦しくなるのかも。さらっとした感じなのは、女性が書いた男の子だからかな、とも思いました。

メリーさん:そうですね。すごく上手だと思います。幼いけれどもピュアな部分っていうのを もうちょっとドロドロした部分ってあるけど、男のいい部分をすくいあげているのか。男だとここまでコミカルにならないんですよね。

ハマグリ:誤植が2つありました。 p116 メコノシプス→メコノプシス、p142 すごくてショック→すごくショック。

レン:これくらいの子どもがまわりにたくさんいるので、重ね合わせながら読みました。主人公の男の子は今風ですね。表立って自分を出さずに、波風を立てずにまわりと合わせていくタイプ。草食系男子って感じです。でも、個性の強い大和田や、わけありげな庄司とつきあううちに、あっさりとすませられなくなるんですね。女子からすると、「男子ってバカだよね」という部分が出ていて、おもしろく読めました。庄司ダンボールをとるところは、ちょっとあっさりしすぎているかなと感じましたが。あと、登場人物の語りの書き分けがうまいですね。

アカシア:みなさんが全部言ってくださったので、それ以上あまり言うことがありません。文章はすごくうまいなと思いました。翻訳もこんなふうにできるといいんですけど。22pのバスケ部の子の台詞だけ気になったんですけど。「どこに一年がいるんだよ。今年はサッカーとテニスが体験入部帰還の前から動いて、運動部に入ってもいいという貴重な男子を全員とっていったんだ。どこを探しても、もういないよ」。ここだけ説明調なんですよね。それから、私は庄司くんがあっさり段ボールをぬいだとは思いませんでした。もうやめちまえって言われて、相談室に戻って考えるところが伏線としてあるんだろうし、だんだん脱ごうかと思いだしているうちに、ここできっかけをつかんだんだなと思いました。段ボールだったら逆にとても目立つので、実際にこんなことする子はいるのかと疑問だったんですけど、そんなことは気にならないくらいお話の中のリアリティがしっかりあって、ユーモアもあちこちにちりばめられていて、しっかり入り込めました。
 あと、主人公の達也は、すごい調子いい子だったんですけど、変わっていきますよね。それを象徴的にあらわすのに、最初のほうには達也が倒した自転車を大和田が手伝って起こすシーン、最後のほうには達也のせいでかつてはいじめられていたツンパカが倒した自転車を達也が手伝って起こし「そんなキャラだったっけ」と言われるシーンを置いています。同じ場所の同じようなシーンを、立場を逆転させて使うところなんかも、うまいなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


エイドリアン フォゲリン『ジェミーと走る夏』

ジェミーと走る夏

ハマグリ:出た時から書評で見て、読みたいと思っていました。大人が持っている偏見を、高いフェンスという目に見える形で描いている。大人は、今まで生きてきた経験から、どうしてもすぐには受け入れられないけれど、子どもはそういうことを抜きにして、自分と気の合う相手を、肌の色とは関係なくすっと見分けて受け入れられる。大人と違う子どもの自由な感性が、この本のテーマだと思います。主人公のキャスが素直な子どもで、ジェミーとすぐに仲良くなるところや、ジェミーが万引きをしたのではないかとつい疑ってしまう正直な気持ちにも、好感がもてますね。同じ1冊の本を二人で読むところは、とてもおもしろかった。それが『ジェーン・エア』という今の子どもには古くさい本なのにもかかわらず、主人公になりきって、喜怒哀楽を表すところがとても興味深いですね。また、二人のおばあさんの存在が印象的でした。ミス・リズは、亡くなっているので実際には顔を出しませんが、キャスの思い出のなかでは、たとえば人形のティーパーティーなど印象的な場面が多く、おもしろい人物でした。ジェミーのおばあさんは、今までに一番人種差別に傷ついてきただろうに、その過去を乗り越えてきた強さを持っています。子どもたちの一番の理解者になってくれて、隣に住むキャスの父や、自分の娘の偏見に満ちたかたくなな心を、うまい具合にときほぐす役割で、とてもいい味を出している。主人公はそんな二人のおばあちゃんがすごく好き。その気持ちがよく伝わってきました。

トントンミー:私、本を手にしたときどこを最初に見るかというと、まず目次なんですよ。目次に並んでいる章タイトルをじーっと見つめて、どんなことが書いてあるのかを、読む前に想像してみる。で、実際に読みすすめて、想像どおりの本なのか、想像を裏切るのか、わかれていくんだけど、想像を裏切ってくれる本がやっぱりおもしろい。目次は、ワクワク感をつのらせる演出だと思うから、書籍には欠かせないと思ってるんです。ああ、それなのに! この本ね、せっかく章タイトルがついているのに、目次のページ、ないんですよ。ちぇっ。けちだなあと思って、第一印象あんまりよくなかったです。そのせいかな。最初にフェンスが出てきて、白人と黒人が登場する、というシーン。あまりにも、あからさまな象徴をつかうので、「差別もの」の教訓の匂いがして、入りにくかった。物語の仕掛けも展開も、フェンス挟んで進むわけねっ、はいはいって感じで、冷めちゃうんです。
ただ、後半の「ジェーン・エア」が登場するあたりから、意外な展開してくんですよね。ふたりの間にあったフェンスが、こんどは1冊の本になる。フェンスじゃなくて、本を介して、ふたりが成長していく。へー、そうくるか、と思いました。
 タイトルに「走る」とあるので、「競技」ランナーの話かと思ったら、そういうわけじゃないんですね。まあ、最後はマラソンのレースの話になりますけど、二人の成長を促すのは、スポーツじゃなくて、文学ですね。全体的に「ジェーン・エア」の描写の方が多い。「走る夏」というより、「駆け抜ける夏」のほうが、ニュアンスが近いかな。
 興味深いのは、物語の背景です。黒人のジェミーが母子家庭、白人のキャスは両親そろっているけど、中流以下の家庭。黒人の母子家庭のほうが、教育も受けていて、やや裕福。キャスの家庭は白人だけど、「貧困」という差別をうけている。二人が、自分たちの不遇な環境について言い合いをするシーンがありますけど、現代のアメリカ社会の、格差の複雑さが透けて見えてくる(p115)。この本は著者のデビュー作ということですが、ちょっと気になったのは、饒舌な文体のわりに、説明不足の箇所が多いということ。主人公が12歳の女の子という設定で、全体が「おしゃべり」っぽく進むのは読みやすいんだけど、場面と場面のつなぎがだらだらしていて、わかりにくい。たまには俯瞰の描写もあると、つなぎがきれいになると思うんだけど、その辺は好みの問題かも。

タンポポ:壁の向こうとこっちで、キャスのお父さんに見つかるんじゃないかと、どきどきしているところ、こっちもどきどきしてしまいました。主人公も脇役もしっかり描かれていますね。出てすぐに私が勤めている学校にも置きました。6年生に、登場人物の中で誰が好きかと聞くと、キャスのお姉さんという声が多かったんです。いろいろ面倒を引き起こしてしまうけれど、最後には自分が悪いことをしたと認めるというところがいいらしんですね。「ジェーン・エア」を読むところも、あまりむずかしいとは感じなかったようです。

メリーさん:タイトルになっている「走る」というところ、キャスとジェミーが最初に会って、お互いの限度を探るように走る場面はとてもいいなと思いました。それが、「ジェーン・エア」の読み合いをするようになって、だんだん文学少女のようになっていく。その変化もおもしろいと思います。中でも、物語の登場人物に自分たちを重ね、本の中の難しい言葉をふたりにしかわからない合言葉のように使うところ。海辺で、ジェーンがもしいっしょに来ていたら、きっとこうするだろう、とキャスが想像するところなど。二人の周辺を見てみると、キャスの父親は、白人で労働者階級。一方、ジェミーの母は、アフリカンアメリカンで、高い教育を受けている。お互いに人種や階級について心の中で偏見があるのですが、その子どもたちはそんなこと関係なしに付き合っています。子どもは相手に対してもとても残酷になると同時に、相手を認めるきっかけさえあれば、互いの違いなんて簡単に乗り越える、その両面をよく描いていると思いました。

バリケン:作者のデビュー作とのことですが、とてもよく書けた本だと思いました。一面的でないキャラクター設定、「ジェーン・エア」とからませて、主人公の少女二人の心情を語っていく手法、二人が走る場面で大団円に持っていく構成……新人の作品とは思えないほどです。個人的には、「ジェーン・エア」は、私が生まれて初めて読んだ文庫本でもあり、懐かしかったけれど、いまの日本の子どもには縁遠い本なのかしら? 「嵐が丘」などは新訳がでているけれど、「ジェーン・エア」は出てないのでしょうか? この本を主人公にくれたおばあさんは亡くなっているので出てこないけれど、こういう本をくれたということ、そのほかいろいろなエピソードで、物語の背景にくっきりと姿が浮かびあがってくる……その辺も、この作品をより奥深いものにしていると思います。大人たちが歩みよろうとしないなか、少女たちが仲良くなっていくわけですが、あらためてそのすんなりとした、やわらかい近づき方がいいなあと思いました。大人になってからこういう作品を読んでも感動するけれど、子ども時代に読んだときの感動とは、まったく違うと思うんですね。ですから、「差別」とか「偏見」とか、自分の身のまわりのことだけでなく社会に目を開かせるような作品をぜひ子ども時代に読ませてあげたいと切に思いました。
 訳もとてもいいと思いましたが、一点だけ、キャスのお父さんが「わたしの目の黒いうちは……」といっているんですが、白人だったら目は黒くないだろ!と思ってしまったんだけど、そう思う私のほうがおかしいのかしら?

くもっち:現代のアメリカの黒人差別についての状況がわからなかったので、いつの時代の話かな?と思いながら読みました。現在でも、隣人が黒人だと知ってフェンスを立てるなんてことをあからさまにやっているんだろうか、と思ったからです。こんなにあからさまな差別があるのかなと。(あるよ〜という声あり)もし、少し前の話なら、それがわかるように書いてくれるといいなと思いました。
挿入されている話としての「ジェーン・エア」は、昔の話なので、読者には場面がわかりづらいだろうなと思いました。ただ、物語中のむずかしい言葉を友だちどうしの符丁にするというのはおもしろいと思うし、とてもいいシーンだと思いました。こういうシーンのおかげで、人種差別がテーマの話でも、それだけに終始するのではない、深みが出るんですよね。名作の借り方がうまいですね。
 今回「部活」というテーマでの選書ですが、「走る」シーンがあまりないということは、読んでいるときは、それほど気にならなかったです。これはそれが中心というわけではないということですね。

ハマグリ:物語の舞台がいつかってことですけど、パソコンを使うところが出てくるので、それほど昔ではないですよね。

くもっち:それでも2000年と2010年ではけっこう差があるでしょう。

ハマグリ:年代を推理する手がかりとしては、「1939年にミス・リズが世界旅行をした〜」とあるけど、はっきり特定はできないですね。

アカシア:この作品に出てくるのは、純粋には部活じゃないんですけど、「チーム」を作って、その中で全然違うタイプの人と出会うという意味でほかの2冊と共通しています。でも、この本の本来のテーマは原題が"Crossing Jordan"とあるように、人種差別をどう乗り超えるかっていうことなので、走るシーンが中心になってないのはしょうがない。
 この作品が著者にとっての最初の作品だそうですが、人種差別を抽象的に述べるのではなく、一人一人の状況がきちんと描写されているので、読者に伝わる力がありますね。偏見に満ちたキャスの父については、寮の管理人の仕事を得ようとしても優遇政策のためか黒人に取られてしまうなど、日常的に黒人を敵視せざるを得ない立場にあることが描かれています。ジェミーの母のレオナも、学校で白人たちにいじめられた体験を持っています。黒人と白人がお互いにわだかまりをもっている背景が、具体的にきちんと書かれているんですね。そしてその一方にいるのが、"Crossing Jordan"をいつも歌っているグレースばあちゃん。この人は、さまざまな差別を体験しながらも、「あたしぐらいの年になったらね、できるのは許すことぐらいなのさ。肌の色が黒い人間も白いのも赤いのも、黄色いのもスカイブルー・ピンクのも、みんな神の子だからね」なんて言って子どもたちの応援をしてるんですね。
 確かに目次がないですね。そういえば、あとがきもない。経費を節約したんでしょうか。読んでいてちょっとわかりにくいな、と思うところがいくつかありました。たとえばp.14 に 「年に何度か、コルテスさんは動物管理局の収容所に犬をとりもどしにいく。とりもどすには大金をはらわなくちゃいけないので、コルテスさんはかんかんにおこるけど、犬たちは車のドアがあくとすぐにまた逃げだしてしまう」とありますけど、「車のドアがあくとすぐに」は、アメリカでは当然車で犬を引き取りに行くってことがわかってないと、とまどいます。それからp19にはフェンスが「ヒョウタンを植えるときの支え」になるってありますけど、だとすれば、つるをからませることができるようなものなんでしょうか? どんなフェンスなのかよくわからない。そこまでは板塀のようなものだと思っていたので。このフェンスは象徴としてとても大事な要素だと思うので、はっきりわかるように伝えてほしいな、と思いました。それからp71ーp72にはハティーという黒い肌の人形が出てくるんですけど、ジェミーが「ハティーはいまでも召使なんだね」というのがなぜなのか、日本の子どもにはわからない。ハティーの衣装が典型的な黒人メイドの衣装だってこと、日本の子どもは知らないものね。それと、全編を通じてシャーロット・ブロンテがシャーロッ「テ」になっているのは、なぜ?

ハマグリ:大人には偏見があるのに子どもはやすやすと乗り越える、というテーマの本、と単純に言ってしまうのではなく、もっと細部のおもしろさや、人間の描き方を味わってほしい作品だと思います。

トントンミー:帯のコピーがねえ、「偏見をのりこえて」ですからね。いかにもねえ、って感じで。

アカシア:最初は黒人に反感を持っていたキャスのお父さんが、やがてそれが偏見だったことを知り隣の家に招かれて行くんですけど、まだ戸惑っていて振る舞いがとてもぎこちないなんていくところ、とてもリアルによく描かれていますよね。

タンポポ:最後はフェンスを取り外すんでしょうか?

複数の人:取り払うことを示唆して、物語が終わっているのでは。

プルメリア:白人社会と黒人社会が別々だというアメリカの現実社会がよくわかりました。黒人の堂々とした生き方が力強く描かれていると思いました。小説「ジェーン・エア」の主人公に二人の少女が感情を寄り添わせながら、和気あいあいと読んでいくところがいいですね。また、本の中から出てきたむずしい言葉を日常生活にいかして使っていくところもいい。走ることに対する楽しさも書かれているし、二人で一緒にゴールしたことを伝える新聞記事はあたたかい。両家の間にあるフェンスは、大人(特にキャスの父)の心の壁を象徴しているのではないかと思いました。

アカシア:ジャクリーン・ウッドソンの『あなたはそっとやってくる』(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)も、アフリカ系の少年とユダヤ系の少女が周囲の偏見を乗り越えようとする物語でしたね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)