月: 2014年2月

狛犬の佐助〜迷子の巻

プルメリア:文も絵もよかったです。身近だけど、神秘的な狛犬。6歳まで聞こえるのも、モモがいなくなるという設定もおもしろいです。また、命令調の親方と佐助のかけあいもよかったです。佐助が、戻れなくなるのもハラハラして子ども達は先をはやく読みたくなると思います。作品に登場してくる男の子が幼稚園なので、もう少し上だとよかったかな。でも、幼稚園児だけど、人間関係がぐちゃぐちゃしているので感情移入できるのでは。続きがあるような気がしますので、次作はどういうふうに展開されるのか楽しみです。

:おもしろく読みました。近所の神社の隣にも幼稚園があるので、とてもリアルに読みました。翔太って、大人から見たいい子ではなく、一人占めもするし、悪態もつくし、いるいる、こういう子って思いました。犬をめぐるやりとりはよくできていたし、生まれた子犬を引き取って丸く収まるところはさすが。佐助が戻れなくなるところでは、スリルもありました。あれ、プライドの象徴である玉を捨てると自由になれるんですね。

ヨメナ:安心して読める作品でした。江戸時代に作られた狛犬を主人公にしたところがおもしろかったし、子どもたちも日ごろ見慣れている神社の一角に、昔からの時の流れが続いているのをあらためて感じて、奥深い読後感を持つのではと思いました。続編でこれから語られていくのでしょうが、佐助の生きていた時代がどうだったのか、どんな出来事が佐助の身の回りに起こっていたのか、もっと知りたいと思いました。

:佐助の時代からここまで150年もあるから、続編はいろいろに展開できますね。

レン:ずいぶん難しいテーマを選んだなって思いました。狛犬自体が、子どもにとってそんな身近な存在ではないから。でも、親方と弟子のやりとりは、言葉遣いもおもしろくて、日本の作家ならではの力量を感じました。数えの7歳というのもいいなあと。だけど、耕平が、自分の犬がいなくなったいきさつを、ここまで説明的に狛犬に話しかけて話すというのは不自然に感じました。しっぽのかけらに乗り移ったところで、もう帰ってこられないと思ったら、親方が連れて帰ってくるというのは、びっくりでした。子弟の愛情が感じられていいけれど、やや強引かなと。

アカシア:大人である耕平が、心の中にあることの一部始終を毎日狛犬に話すというのは、不自然といえば不自然ですよね。それと、耕平がせっかくモモを探し当てたのに、本当にモモかどうか確信が持てないというところですが、いくら成長して毛の色や長さが変わっていても、犬好きの人はわかるんじゃないかな。外見じゃなくてちょっとした仕草とか癖とか本人にしかわからない意思疎通の仕方とかあるし、と思いました。でも、そういうことをさておいても、佐助と親方の会話がおもしろいので、楽しくどんどん読めます。それに、挿絵がいいですね。「狛犬に似ているかわいい犬」というのは描くのが難しいと思うんですけど、p26の絵はそれをうまく表していてすごい! 普通は動かない狛犬が動くかもしれないと思わせる絵になっているのもうまいし、p170の絵もおもしろい。そうそう、狛犬の会話で親方が「びびっている」という言葉を使っている(p98)のには、ちょっと違和感がありました。

レジーナ:ちょっと生意気なショウタをはじめ、人も狛犬もいきいきと描かれています。動かない狛犬を中心に、次々と人が登場するので、舞台のようです。また、親方の佐助に対する気持ちも伝わってきて、人を育てるというのは、こういうことなんだな、と思いました。決して出来がよかったり、見込みがあったり、大成しそうだから、目をかけるのでなくて、出来が悪くても、ひたむきさに打たれることがあるんですよね。人の命は有限で、その中で何を残せるかを考えたとき、弟子の未来にかけ、希望を託す。そうやって次の世代に伝えていくんだな、と思いました。また、狛犬は動けないので、ハンカチを使って、ショウタと耕平を会わせますが、小道具のハンカチの使い方がうまいと感じました。お金のない耕平がタクシーに乗る場面には、モモに会いたい気持ちがよく表れていますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


ゾウと旅した戦争の冬

:戦争の時代を扱ったいい作品はたくさんあるけれど、ゾウとは意外でした。こんなこともあったかもしれないと思わせることに成功しています。介護施設での思い出話という枠がしっかりしていて、その中でペーターとの出会いの話があるので納得できます。ただ、軍国主義のおじさん夫婦よりリベラルな両親の方が正しかったことも、戦争の結末も、後世の私たちにあらかじめ分かっているところからスタートしているずるさはあります。この作品の問題だけではないですが。

レジーナ:ゾウと旅をする設定に、ジリアン・クロスの『象と二人の大脱走』(中村妙子訳 評論社)を思い出しました。リジーが恋に落ちる敵兵は、カナダ人です。カナダは、民族的にはアメリカに近いけれど、ドイツ人にとっては、爆撃してきたイギリスやアメリカに比べると、敵対心が少なかったのでしょうか。また彼は、母親がスイス人で、ドイツ語も話せます。心を通わせる上で、同じ言葉が話せるというのは、大きいのでしょうね。舞台はドイツですが、英国側から描かれた作品なので、いい人はみんな、ドイツ人でも反ナチなんですよね。リジーの家族もそうですし、助けてくれる伯爵夫人の夫も、ナチに抵抗して、軍のクーデターを起こした人物です。翻訳で、10ページに「うれしそうにさわぐ」とありますが、「はしゃぐ」の方が自然ではないでしょうか。またp84に「喪に服す」とありますが、至る所で泣き叫んでいる声が聞こえている状況なので、世界中がうめき声を上げているかのように感じられたということでしょうか。p60の「ヴンダバー」は、ドイツ語です。英語とドイツ語はつづりが似ているので、英語圏の子どもにはこのままでいいのかもしれませんが、名前なのか、何のことなのか、日本の読者は分からないでしょうから、ふりがなが必要では。

:ムティはいい味を出しているのに、あくまで「お母さん」なので残念。ゾウには名前があるのに。

ヨメナ:戦争と動物……どちらもモーパーゴの得意なテーマですね。ゾウは、だれにでも愛されている動物ですし、うまいテーマを選んだなと思いました。介護施設に入っているおばあさんと女の子の話から戦争中の物語に入っていくわけですが、とても自然で、いま生きているお年寄りもこういう経験をしていたのだと子どもたちにあらためて感じさせる上手な持っていきかただなと思いました。大人が本当に伝えたいことを、上から目線でも押しつけがましくもなく、かといって懐古的でもなく物語っていける優れた作家のひとりだと、あらためて思いました。『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)や『発電所のねむる町』(杉田七重訳 あかね書房)もよかったし。

アカシア:今、ノンフィクションの一般書ですが、『象にささやく男』(ローレンス・アンソニー著 中嶋寛訳 築地書館)というのを読んでいるんですけど、そこに登場するリアルなゾウと比較すると、4歳のゾウの鼻だけ持って一緒に長旅をするというのは、ほんとうはあり得ないんじゃないかと思います。ただし、それ以前の暮らしの様子がとてもていねいにリアルに書かれているので、あり得るかもしれないと思わせる。この作品には、とてもリアルな部分と、話としてうまくできている部分の両方が出てきますね。たとえばリベラルな考えを持っていたリジーのお母さんが英国軍の兵士に会ったとたん、憎しみをむき出しにする部分はリアルですが、カーリの命を救ってもらったことで変わるという部分は、出来過ぎかと。構成はとてもじょうずにできています。ほかの作品でもモーパーゴは枠をうまく使いますが、この作品でも、老人ホームにいるリジーが語るという外枠がとても効果的ですね。
それから、リアリティに関して気づいたんですけど、最後に見せてもらうリジーのアルバムにはマレーネの写真は一枚だけしかないんですね。でも、前のほうではリジーの写真はたくさんあるけど、のばしてくる鼻がじゃまでちゃんとは写っていないと言っています。ということは、リジーの話全体がファンタジーだとも考えられるという仕掛けになっているんじゃないかしら。そう考えるとすごいですね。

:戦争のほかに、老人と子どもという児童文学独特のテーマも入っていますね。

プルメリア:さらりと読んだので、私はそれほどおもしろいとは思いませんでしたが、クラスの子どもたち(小学校5年生)に紹介したところ読み終えた女子は、「お母さんがマレーネを守るとすることに対してリジーが持つ嫉妬の気持ちが共感でき、戦争が昔あったことは知っているがどんな様子だったかはまったく知らなかったのでこの作品からドレスデンへの空爆のことがよくわかりました。おばあちゃんはユーモアのセンスがあるおばあちゃんみたいな気がしました。」と感想を言っていました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


おいでフレック、ぼくのところに

ヨメナ:とても、おもしろく読みました。長いことファンタジーを書いてきたイボットソンが最後に書いた作品だということですが、ずっとこういう物語を書きたかったんだろうなと思いました。ちょっと古い感じがしたし、小学生が読むとしたら長いのではとも思いましたが、読書力のある子どもだったら、物語のおもしろさにひきこまれて一気に読んでしまうでしょうね。犬の大好きな子もね。ただ、登場人物が多くて途中で分からなくなってしまったので、最初に紹介をつけておいてほしかった。お父さんとお母さんは、これほどマンガチックに書かなければいけないのかな?

レジーナ:イボットソンは、ひねりのきいたユーモアや大人の社会に対する痛烈な皮肉が、ロアルド・ダールに通じる作家ですね。『幽霊派遣会社』(三辺律子訳 偕成社)は入りこめませんでしたが、『ガンプ : 魔法の島への扉』(三辺律子訳 偕成社)はおもしろかったです。あまり奇想天外な設定より、日常にファンタジーの要素を持ちこみ、その中で起こるどたばた騒ぎを描くのがうまい作家です。今回の作品はファンタジーではないけど、犬からの視点が入っている点では、リアリズムでもなく……犬も人間もよく描けていますね。翻訳に関して、p252に、結婚によいイメージのないハルが、「結婚しなくても問題ない」と考える箇所があります。「結婚しなくてもかまわない」の方が、子どもには分かりやすいのではないでしょうか。気になったのは、正義感の強いケリーの妹が犬を逃がす場面です。ルームAの犬だけ逃がすのですが、ほかの部屋の犬はそのままでいいのでしょうか。

:とてもおもしろく読みました。旅の終わりに犬が1匹ずつ落ち着くべきところを見つけていく収束感があってよかったです。子どもは田舎で育つべきだという昔ながらの考え方が強調されていて、湖水地方に救われたポターのことも思い出しました。カントリーサイドへの憧れがありますよね。出てきた場所の中では、現代のオアシスのような温かい修道院がよかったです。気になったのは、犬も人も多いこと。時々混乱しました。あと、p215に「ケヴィン・ドークスは親切な男でした」と書いてあるけれど、実際は悪い人です。こういう皮肉は子どもの本には不要かなと思いました。戯画的な両親像は、一応つじつまが合っていて、これ以上書きこむとあまりに複雑になるのではないかと思います。お母さんも、最後の買い物のところで一応自己反省できていてよかったなと。

アカシア:ハルとフレックの関係は生き生きと書かれていて、とてもいいですね。後半に登場する人たちも、短い文章でその人らしさを浮かび上がらせているのもうまい。何より犬にも人間にもそれぞれ個性があり、協力し合って冒険するのが楽しい。ファンタジーではないのですが、かといってリアリティに徹しているかと言えば、そうでもない。だって子ども2人で、セントバーナードを含めて5匹の犬を連れて旅していたらかなり目立つので、すぐ見つかると思うし、両親もリアルというよりは戯画化されています。それに私も、ピッパがルームAにいる犬だけを放すのは不自然だと思いました。両方の間にある、希望や夢がつまった物語といったらいいのかな。さっき、ダールみたいという話がありましたが、ダールだったら、この母親はこてんぱんにやられてるでしょうね。この母親がほとんど変わらないことや、父親も一見行いを改めるようですが、結局はお金をケイリーに寄付してハッピーエンドになるところは、イギリスの旧来的なストーリー。中産階級以上の作家が中産階級以上の子どもに楽しいお話を書いていた、という意味でね。そこが、古い感じにつながっているのでしょうね。あと、細かいことですが、訳者の方はイギリスに行ったことがないのでしょうか? トッテンハムという言葉がたくさん出てきますが、これはトッテナム。サッカーでも有名なので、サッカーファンの子どももよく知っていると思います。トットナムという表記もありますが、トッテンハムではない。

:最後はお金で解決するところは、私もひっかかりました。

プルメリア:おもしろく、読み進めることができました。自分勝手な考え方がよく出ていました。長い作品ですが動物たち1匹1匹の性格がわかりやすくまたストーリの展開がおもしろかったです。犬を飼っていない作品を読んだクラス(小学5年生)の男子が「犬と一緒に生活している気持ちになったよ。」と感想を言っていました。

レン:おもしろく読みました。最後、犬を飼えてよかったね、と主人公の気持ちによりそって読めて、書き方がうまいと思いました。犬のほうは犬のほうで、ブレーメンの音楽隊みたい。人物の心理描写が細かいわけではなく、全体としては文学というよりはエンタメかな。本のおもしろさが伝わる本でした。

アカシア:読者対象はどれくらいなんでしょう? プルメリアさんとレンさんがおいでになる前に、犬も人もいっぱい出てくるので、全体を把握するのが小学生だと難しいのではないか、という声もあったのですが。

プルメリア:高学年だったら読める子は読むと思います。

アカシア:それと、最後の文章「生涯、一人の主人とともにいられれば、犬は、犬らしく自由に生きられるのです」というのは、どういう意味なんでしょう? レンタルペットショップではまずいというのはわかるんですが。

レジーナ:ここに登場する犬たちは、みんな新たな居場所を見つけて幸せになるのに。

アカシア:そういえば、この本の原題はOne Dog and His Boyで犬が主体なんですね。だから最後の文章だとニュアンスが逆ですよね。この原題と最後の文章が対になっているんでしょうか?

:本当だ。原題どおりにするなら『おいでハル、ぼくのところに』ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


Sangoma

Sangoma_2Sangoma (サンゴマ)

アーティスト:Miriam Makeba (ミリアム・マケバ)
レーベル:Warner Bros.

 

 

「ママ・アフリカ」と呼ばれ、歌手としてだけでなく人権活動家としても活躍したミリアム・マケバのCDを、私はたくさん持っています。10代のときから76歳で亡くなるまでマケバは舞台に立っていたし、CDもたくさん残していて、その歌い方や歌声は、年齢や時期によって、少しずつ変わっています。若くして故郷の南アフリカから追放処分を受けたマケバは、イギリス、アメリカ、ジャマイカ、マリなど世界各地を転々として暮らすのですが、ようやく故郷の土を踏むことができたのは、1990年。30年以上たっていました。

たくさんあるCDの中で私がいちばん好きなのは、これ。最初に発売されたのが1988年なので、50代のマケバの歌声です。自分のルーツを思い出して、子どもの時に聞いた歌や、村でみんなが歌っていた伝統的な歌を吹き込んでいます。楽器はほとんど入っていないアカペラで、女声コーラスがバックを務めています。

「サンゴマ」というのは、南アフリカの呪術医のことです。マケバのお母さんはある日、足にバイキンが入ったのか腫れ上がってしまい、どんな治療法でも治すことができなくなります。西洋医学のお医者さんでは埒があかないので、伝統的なお医者さんのところへ行きます。すると、「アマドロジがついているから、修行をして力をつけないと、その霊にのっとられてしまう」と怖いことを言われます。アマドロジというのはアフリカにたくさんいる霊の一つで、この霊にとりつかれると、サンゴマになるしかないのです。結局お母さんは苦しい修行(山伏の修行のようなものでしょうか)の末サンゴマになって、祖先の霊をよびよせたり、人々の病を治したりするようになります。マケバの娘のボンギにも、その力の一部が遺伝していたらしいのですが、ボンギは修行をする機会がなかったので、そのせいもあるのか、心の病にかかって亡くなっています。

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マジック・リアリズムという言葉は、南米の文学の特徴を説明するときによく登場しますが、アフリカの人が書いたものを読むと、普通のリアルな日常生活の中に不思議なことがいっぱい出てきます。マケバ自身も、お母さんから譲り受けた衣装を着て舞台に立ったときは、その時に起こったことをいつも何ひとつおぼえていない、と語っていますが、そんなこともマジック・リアリズムの一つでは?

マケバの自伝『わたしは歌う』(ミリアム・マケバの話したことをジェームズ・ホールが聞き書きしています。さくまゆみこ訳 福音館書店)は、もう版元品切れですが、興味のある方は古書店や図書館で探してみてください。

http://www.amazon.co.jp/Sangoma-Miriam-Makeba/dp/B009YRVSQA/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1393392069&sr=1-1&keywords=sangoma


2014年02月 テーマ:人の心を解きほぐしていく動物たち

 

日付 2014年02月20日
参加者 ヨメナ、レジーナ、慧、アカシア、レン、プルメリア
テーマ 人の心を解きほぐしていく動物たち

読んだ本:

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やくそく

イギリスの絵本。すさんだ大都会に暮らし、人の財布を盗んで生きていた少女は、ある日、おばあさんから中身のつまったカバンを引ったくろうとします。おばあさんは言います。「おまえさんにやるよ。これを植えるってやくそくするんならね」。

家に戻ってあけてみると、カバンの中身はたくさんのドングリ! でも、それを見た瞬間に少女はなぜか豊かな気持ちになるのです。ねずみ色の街にやがて緑の芽が顔をだし、街の風景も人の気持ちも変わっていくのですが、そのようすを伝える画家の絵がみごとです。最後に約束がつながっていくのもいいな。
(装丁:タカハシデザイン室 編集:江口和子さん)


Acoustic Africa

Accoustic_africaAcoustic Africa (アコースティックなアフリカ)

アーティスト:various
レーベル:Putumayo World Music

 

 

現代のアフリカ音楽を知ろうと思ったら、これがお薦めの一枚です。セネガル、ギニア・ビサウ、マダガスカル、ベナン、南アフリカ、コンゴ、マリ、コートジボワールなどアフリカ各地出身でいまワールド・ミュージックの舞台で活躍しているミュージシャンたちが登場しています。

アンジェリク・キジョー、ジェリマディ・トゥンカラ、ハビブ・コイテ、ヴシ・マラセーラといった大御所も入っていますが、それほど有名ではない人も入っています。それにPutumayoのプロデュースなので、信頼できます。

1曲目の「ソーリ」(移民)を歌っているジョガルは、セネガルの小さな漁村に生まれたミュージシャンで、今はパリに住んでいます。異国で暮らすアフリカ人がルーツや祖先の価値を思い出しているという内容です。

2曲目の「ミンジェー・ドス・メル」を歌っているエネイダ・マルタは、ギニア・ビサウの歌手で、歌のバックには水カラバッシュ(水桶に大きなヒョウタンをうかべてたたく伝統的な楽器)、コラ、ハープが入っています。女たちに平等を実現しようとよびかける歌です。

3曲目の「ミサフータカ・ニァカマ」を歌っているラジェリーは、マダガスカルのミュージシャンで、赤ちゃんのとき右手を失っていますが、それを感じさせないヴァリハ(竹でできた筒型の弦楽器。弦は自転車のブレーキの針金でつくるそうです)の名手です。庶民の日々の苦労をうたっています。

今は中古でしか手に入らないようです。


キンバリー・ウィリス・ホルト『ローズの小さな図書館』

ローズの小さな図書館

『ローズの小さな図書館』をおすすめします。

最初に登場するのは、父親が蒸発して貧しくなった家庭のローズ。家計を助けるために年齢を偽り、14歳で移動図書館車のドライバーとして働き始めます。1939-40年のことです。でも、この本の主人公はローズだけではありません。第二部はローズの息子のマール・ヘンリー(時代は1958-59年)、第三部はマール・ヘンリーの娘のアナベス(1973年)、第四部はアナベスの息子のカイル(2004年)が主人公になっています。

四部構成になったどの物語も図書館が舞台というわけではなく、主人公の中には本嫌いもいます。内容も、不注意でわなに愛犬がかかってしまった話、恋といじめの話、アルバイトで子どもの劇を手伝う話など、様々です。とはいえ、だれもが、なんらかのかたちで本や図書館にかかわっています。

この作品には、4世代にわたるアメリカの10代の日常の変遷を生き生きとたどれるおもしろさがあります。人によって本の読み方も、本に求めるものもいろいろだということも、よくわかります。21世紀に入ると、アメリカでもホームレスの人たちが図書館を昼の居場所にして、ハリー・ポッターなどを読んでいる、なんてこともわかります。ただし、カタカナ名前がたくさん出てくるので、本の最初のほうに載っている家系図を見ながら読み進めるといいでしょう。

そして最後の第五部には、ひいおばあちゃんになったローズがもう一度登場します。79歳のローズはこれまでの体験を本に書いてとうとう出版したのです。お祝いの場に、ここまでの物語に登場してきた人物が勢揃いする(亡くなった人は別ですが)のも、おもしろいところです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年2月10日号掲載)


マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド

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『マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド』

の読書会記録
フランシスコ・X・ストーク著 
千葉茂樹訳 
岩波書店 2013


クプクプ:おもしろかったです。マルセロは、特別な学校に行っているけど、お
父さんの会社で働くんですよね。アスペルガーだからなのか、自分なりの言葉で、自分の頭で考えて、リアルな世界に迫ろうとする。そこに読者も引き込まれて、
いっしょにリアルな世界ってなんなのか、見つけていくんです。彼はお父さんの不正を発見してしまうけれど、会社がつぶれるわけじゃない。マルセロの大きな
の魅力は、自分なりの言葉を積み上げて、一から世界を理解し、世界を創っていくところ。彼をサポートするジャスミンも魅力的な女の子ですね。ふたりとも音楽
が大好きで、いつしか惹かれあっていく。ジャスミンの父親のエイモスは、息子のジェイムズが馬にけり殺されてしまったのに、その馬を自分で飼い続ける選
択をしています。そんな価値観も、物語に奥行きを与えているみたい。死んだ息子といっしょに、その馬と生きる時間を受けとめていくんですよね。何が正しくて、何が間違っているのか。リアルな世界は複雑だけれど、マルセロは自分の耳に「正しい音が聞こえる」こことを大切にしていく。好感の持てる作品でした。

レジーナ:発達障碍を持つマルセロは、人の感情や人生には、善悪、嫉妬、本音と建前など、秩序立てることのできないものがあるのだと知っていきます。ジャスミンがマルセロに、訴訟問題にどう関わるか、自分で決めなければならないと話す場面がありますが、生きることが喪失の連続なのは、誰しも同じなんですよね。マルセロは、イステルとの出会いの中で、苦しみばかりの人
生をどう生きていけばいいのかという問題にぶつかり、人生に挑もうとします。どんな人にとっても、人生というのは、多かれ少なかれ生きづらいものです。この作品の魅力は、発達障碍の少年の目を通して描きながらも、すべての子どものための普遍的な成長物語になっている点だと思います。宗教に強い関心を抱くマ
ルセロは、聖書を暗記し、何度も心の中で思い返し、自分のものにしようとし、人間の矛盾を受け入れようとします。ピアノが弾けないことを、「ぼくの心のなかの配線は、ピアノを弾くのに必要なだけの電流に耐えられなかった」と言ったり、その場で思いついたことを「即興で演奏」と表現する独特の言葉づかいをしたりもします。マルセロ自身も、また彼の目に映る世界も、読者を惹きつける力があります。151ページで、マルセロは、自分の感情を非常に論理的に分析していますが、アスペルガー症候群の人は、これほど段階を追って考えるものなのでしょうか。また160ページに「ウェンデルはどうやって、ぼくの心のなかを知ったのだろ
う?」とありますが、アスペルガーの人は、人の感情を読み取るのが困難なだけで、感情というものが存在することはマルセロも知っているはずなので、この台詞は不自然ではないでしょうか。

アカシア:本当にリアルな世界とはなんなのか、ということを考えさせられました。実業界にいるお父さんがリアルだと思っている世界は、実はリアルではないのかもしれないと思ったんです。そして著者もそう言いたいのではないかな、
と。逆にこの作品では、マルセロの視点から見た周囲の世界がとてもリアルに書かれています。著者が障碍者の施設で働いたことがあり、自閉症の甥をもつこともあって、つくった話ではなく、登場人物にリアリティのある作品になっていると思いました。もちろん、こうなるといいな、という理想も書かれてはいると思いますけど。読者もマルセロに寄り添って物語の世界を歩いていくことができるし、ちょっと臭い台詞も、マルセロが言っていればそう思わないで素直に受け取れる。
発達障碍をもった人を主人公にした本だと『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン著 早川書房)がおもしろかったし、目を開かれた気持ちになったんですけど、この本はまた趣が違って別のおもしろさがあります。本文では「リアルな世界」となっていますが、書名は「リアル・ワールド」なんですね。一つ気になったのは、マルセロは定期的に脳をス
キャンされてますけど、どういう方法でなんでしょうか? 普通のCTスキャンだと健康に害がありますよね?


ajian
:第3章での父との会話。マルセロの父親は息子のためを思って、法律事務所で働くようにいうわけですが、マルセロにはそれが通じず、かえってストレスに思う。このすれちがう感じは、すごくよくわかる気がして、この辺りからぐっと引きこまれましたね。ラビとの会話は、最初原書で読んだときはちょっと難しくて、読むのに苦労したのですけど、翻訳で読んでみてかなりクリアになって、よかったです。

(2013年9月の言いたい放題)

あまんきみこ文 山内ふじ江絵『鳥よめ』

鳥よめ

『鳥よめ』をおすすめします。

今回は絵本をとりあげます。

日本の灯台は、今やすべて無人化されていますが、かつては灯台守と言われる職員が常駐して、灯をともしたり消したり、レンズをみがいたり、故障の修理をしたりして航路の安全を守っていました。この絵本はその灯台守の仕事をしている周平さんが主人公で、民話風に語られています。

「灯台のあかりを消すと、周平さんは、らせん階段をゆっくりおりていきました。右の足を、少しひきずっています」

日本が戦争をしていた時代、周平さんは、子どもの時のけがが原因で右ひざが曲がらず兵隊になれなかったので、苦労の多い灯台の仕事を自ら選んで引き受けています。

ある朝、周平さんの前にほっそりした娘があらわれます。この娘は、以前助けたカモメなのですが、海の神のところにいって人間に姿を変えてもらったのです(ここはちょっとアンデルセンの人魚姫みたいですね)。周平さんと娘は夫婦になりますが、娘は背中にたたんだ翼を一日一回広げて鳥に戻り、空を飛ばないと死んでしまいます。しかも、その時に人に見られてはならないというのです。

娘を大事に思っていた周平さんは、鳥よめに空を飛ぶ時間を保証してやり、その姿を見ることは決してせずに、二人で仲良く暮らしていました。

ところがある日、灯台の守備を任された兵隊が六人もやってきたことから悲劇が始まります。周平さんたちの貧しいながらも幸せな暮らしや、細やかな愛する心の通い合いは、「戦争」という大義名分に踏みつけにされてしまうのです。二人の深い悲しみが、切々と伝わってきます。

子ども時代に太平洋戦争を体験したあまんさんの文章に、山内さんの味わい深い絵がついています。漢字にルビが振ってありますが、小学生より、中学生、高校生に読んでもらいたい絵本です。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年2月掲載)


ローレンス・アンソニー『象にささやく男』

象にささやく男

『象にささやく男』をおすすめします。

これは厳密に言うと、児童書ではありません。一般書です。ルビもありません。でも、高校生くらいからなら、ずんずん引き込まれて、とてもおもしろく読めるノンフィクションです。

舞台は南アフリカの私立野生動物保護区トゥラ・トゥラ。別の保護区から脱走をくりかえし、処分されそうになっていたゾウの群れを著者がひきとることから物語が始まります。でも、このゾウたちは群れのリーダーと子どもを撃ち殺されて人間不信の固まりになっています。だから当然一筋縄ではいかないのですね。でも、時には命がけで、著者はこのゾウたちの信頼を勝ち取ろうと努力します。

この著者は、こんなふうに考える人です。「そもそも群れを引き取ったとき、ゾウはそのまま薮(ブッシュ=荒野)に放つつもりだった。彼らとつながりを持とうなどとは考えていなかったのである。私は、すべての野生動物はそうあるべきだと思う。すなわち、野生ということである。脱走劇や再定住の苦しみ、兄弟の処分などといった事情で、私はしぶしぶ介入せざるを得なくなったまでである。家長のナナに人間を少なくとも一人信用してもらって、人間全体に対する恨みを少しでも和らげてほしかったのである。それが実現し、彼女にも群れがもういじめられないことが分かった。これで、私の使命は終わったのだ。人間と接触しすぎると原野で必要とされる彼らの野生が損なわれることを、私は強く意識していた。」

著者の創意工夫と忍耐強さのおかげで、ゾウたちはトゥラ・トゥラが安心できる場所だということを理解し、徐々に穏やかさを取り戻していきます。そしてゾウはゾウ、人間は人間としてくらせるようになるのですが、著者とゾウの間にある強い結びつきはずっと消えなかったようで、不思議なことに著者が外国へ行って帰ってくる日には、ゾウたちがちゃんとわかっていていつも門のところで出迎えたそうです。赤ちゃんが生まれれば必ず見せにきたし、著者が亡くなった日も、ゾウの群れが家まで弔いにやってきたそうです。

ゾウだけではなく、密猟者、山火事、ライオン、サイ、水牛なども登場し、ハラハラ、ドキドキのとてもおもしろい本に仕上がっています。エンタメでもありながら考えさせられる種をちゃんともっている、そんな一冊です。

この著者はとても正義感の強い人らしく、2003年にはイラク戦争の開戦直後のバグダッドに行って、飢え死にしそうになっていた動物たちを救うという活動もしています。とくにアフリカの自然がどんどん破壊されていくことを憂い、野生生物が自由に生きられる場所をつくろうとしていました。亡くなられたのが本当に残念です。

翻訳者は、英語とフランス語のすばらしい同時通訳者、中嶋さんです。


羽生田有紀 文 島田興生 写真『ふるさとにかえりたい:リミヨおばあちゃんとヒバクの島』

ふるさとにかえりたい〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島

『ふるさとにかえりたい 〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島〜』をおすすめします。

語り手は73歳のリミヨおばあちゃん。おばあちゃんの生まれ故郷はロンゲラップ島。太平洋のマーシャル諸島共和国にあります。おばあちゃんは13歳の時(1954年)ヒバクしました。となりのビキニ環礁で水爆実験が行われたからです。この時の核爆弾は、広島型原爆の1000倍の爆発力をもつ水素爆弾で、ブラボー(なんという名前!)と呼ばれていました。アメリカは3年後に安全宣言をして、避難していたロンゲラップ島民の帰還を促したのですが、帰還した島民の多くが甲状腺に腫瘍ができ、子どもの多くが白血病で死亡したそうです。

この本はそうした事実を、もう一度今の時代に生きる私たちに知らせるだけではなく、ロンゲラップでヒバクし、マジュロ島に避難し、それから60年たった今も故郷に帰れずに毎日の暮らしを営んでいる一人の普通のおばあちゃんの、生きた証言です。ロンゲラップに帰島して小学校の先生になったとき、子どもたちの体が日に日に弱っていくのを目撃したこと、再避難が必要になってNGOのグリンピースが来てくれたこと(アメリカは再避難を認めなかったうえ、表土の除染さえ44年後まで行わなかったのです)、そして今考えていること、今感じていることが写真と文字で語られています。

私は、このリミヨおばあちゃんの話を読むまでは、ビキニの核実験が60年後の今でもなお島民の暮らしに大きな影を落としていることを知りませんでした。どうしても福島と重ねて考えてしまいます。