月: 2015年10月

2015年10月 テーマ:ボート

日付 2015年10月29日
参加者 アカザ、アンヌ、慧、ハリネズミ、パピルス、マリンゴ、ルパン、レ
ジーナ
テーマ ボート

読んだ本:

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岸辺のヤービ

:すごく好きな作家さんなのですが、当たり外れはあるかも。これは久々の新刊なので期待して読んだんですけど…。いろいろ考えたり、まな板に乗せたりする分にはおもしろいという感じでしょうか。翻訳風の装丁といい、イギリス好きの匂いといい、パロディというか、作者の遊びのような本でした。当然、『床下の小人たち』(メアリー・ノートン著 林容吉訳 岩波書店)とか『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる著 講談社)とかいろいろ浮かびますね。そういう素地があって生まれた話として海外に紹介してもおもしろいかもしれません。ただ、タガメのこともミルクのことも、いろんな問いかけをしていますが、答えを出さないところがいまどきというか、落ち着いているというか、投げたところで終わっている感じです。

レジーナ:わたしは、海外の児童文学を読んで育ちましたが、そうした翻訳作品に通じる雰囲気で、すらすら読みました。文体も、ネズビットやC・S・ルイスを思わせます。少しまどろっこしい言い回しもあって、子ども向けというより、梨木さんの作品が好きな二十代が読む作品だと思いました。ポリッジが出てくるような、イギリス児童文学の世界で、日本が憧れる、かわいらしい西洋が描かれていますが、実際の西洋とは隔たりがあるのでは……。佐藤さとるさんの『だれも知らない小さな国』と重なり、語り手は男性だと思っていましたが、女性なのでしょうか? 来年のカーネギー賞には、いぬいとみこさんの『木かげの家の小人たち』(福音館書店)がノミネートされています。海外に伝えるとすれば、そうした日本独自のファンタジーの方が良いのではないでしょうか。

アカザ:美しい本で、流れるような文章で、かわいい小動物がいっぱい出てきて、梨木さんファンには、たまらない一冊だと思います。でも、ずっと昔に読んだような……。ムーミンみたいな、『床下のこびとたち』みたいな……。梨木さんの世代の方々には、戦後の優れた翻訳児童文学が、すっかり身体のなかに入りこんで、それこそ血となり肉となっているんでしょうね。でも、わたしはファンタジーでもリアルな物語でも、今の日本の作家が今の日本の子どもに向けて書いた本を読みたい。でも、これって児童文学ではなくって、もともと大人向けの作品として出版したのかも。

ルパン:最初から最後まで、既視感がぬぐえませんでした。はっきりいって、新鮮さがまったくないです。すべてどこかで見たことのある設定・筋立てばかり。まさに私と同世代の人が、好きなように趣味で書いたみたいな作品、というイメージでした。今の子どもたちにとってはおもしろくないでしょうね。欧米文化へのあこがれがありませんから。それと、語り手として登場するこの人間は、いらないと思いました。

ハリネズミ:私はコロボックルより『床下の小人たち』を思い出しました。『床下〜』は冒頭で語り手の男の子が登場するので、それにならったのかもしれませんね。

ルパン:この作品では必要性がないと思うんです。ヤービの世界とかかわっていませんから。それに、随所に教訓を入れようとしていますよね。これも、言い古されたことばかりで新しさがないんです。テーマ自体は古くてもいいと思うんですよ。環境問題とか平和とか、永遠の課題ですから。でも、切り口は新しくしなければならないと思うんです。そうしないとせっかくの教訓が陳腐になってしまいます。

アンヌ:西洋の小人ものプラス佐藤さとるさんの『だれもしらない小さな国』のコロボックルという印象を受けました。冬眠の場面とか、様々な場面にトーベ・ヤンソンのムーミンを、語り手とボートの関係に、アーサ・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』(岩波書店)のシリーズを思い浮かべました。また、「おっそろしく」という言葉にモンゴメリーの『赤毛のアン』の村岡花子訳(新潮社他)を、お隠り谷の白い崖に宮沢賢治のイギリス海岸を思い起こし、それらへのオマージュなのかと思いました。作者が好きな世界をここでおもいきり展開してくのだ、いいなあと、読み手としてより書き手としてうらやましく感じました。けれども、地名が中途半端にカタカナ英語で、まるで外国の小説を翻訳しているような調子で語るのは、なぜだろうと思いました。佐藤さとるさんたちが始めたような、日本の新しいファンタジーを作るというわけではない気がします。小さなミルクキャンディをめぐる、小人ものにお決まりの食べ物場面や、思春期特有の拒食症じみた行動を、パパ・ヤービがさりげなく解決する言葉等は魅力的でした。後半に、環境の変化が物語の中で語られていて、ヤービの世界も変わっていく予感に満ちているのが残念です。もう少し、一つ一つの物語を積み重ねていき、この世界をしっかり作り上げてからでも良かったのではないかなと思います。

パピルス:時間がなくさっとななめ読みした後、他の本に移ってしまいました。すてきな本ですね。装丁も挿絵もフォントもしっくりきます。丁寧につくられているなと感じます。ストーリーは、自分のチャンネルを本の世界に会わせることが出来ず、字面は追っていても、内容が頭に入ってきませんでした。もう一度じっくり読み直します。

マリンゴ:文体も装丁も外国文学っぽいのは、「このまま外国語に翻訳して海外でどれだけ受け入れられるか」ということを考えて、戦略的につくられたためなのかな、と想像しながら読んでいました。ちょっと考えすぎかな? 緻密で素敵な物語だと思いました。ハイ・ファンタジーが苦手なので、語り手のウタドリさんがいてくれるおかげで、入りやすかったです。ただ、読みやすかったか、というとそうではなく、何度も読み返さないと頭に入ってこないシーンもありました。児童文学っぽくないと感じるのは、ミルク売りの仕事ができるのかできないのか、という部分が解決しないまま終わっているせいかと思いました。鳥の描写、虫のディテールなど、さすが説得力があって、魅力的な描写でした。

ハリネズミ:こういう世界をていねいにスケッチしているし、描写がうまいので梨木ファンは喜んで読むでしょうね。どこかで聞いたお話をもう一度読んでいる心地よさがあります。でも淡々と進んでいくので、子どもがおもしろいと思って読むかどうかは疑問です。さっき、慧さんが、いろいろな問題を取り上げているとおっしゃったのですが、ほんとに軽くふれているだけで、作者がそれについて一緒に悩んだり考えたりしているわけではないように思います。イギリスの伝統的な児童文学は、中流階級以上の作家が、中流階級以上の子どもに向けて書いてきたわけです。この本は、その部分のテイストを再現しようとしているように思えます。昔こういう本を読んだ人がなつかしく思って読む本なのかも。イラストがいいので子どもも手に取るとは思いますが、子どもが未来を切り開いていくための本とは思えませんでした。続編があるようなので、この先、もっと広がっていったりもっと焦点がしぼれてきたりするのかもしれませんが。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年10月の記録)


月にハミング

マリンゴ: もしかして『コービーの海』より好きかもしれない!と思いながら、夢中でページをめくって、一気に読了しました。が、しばらくたってみると、意外と後に残らなくて、少し熱が冷めました。戦争はいけない、人種間で争いあってはいけない、という、いいテーマではありますが、そのためにストーリーが終盤やや教訓的すぎる気もしました。潜水艦に助けられるシーンも、意図が透けて見えてしまうというか。

レジーナ:ルーシーは、母親やセリアを助けられず、ひとり生き残ったことに負い目を感じています。今、国際児童図書評議会(IBBY)も、難民の読書支援プロジェクトをいろいろと行っており、別の国に逃れ、ルーシーのように感じている子どもの心を、本や読書で支えようとしています。辛い体験をした子どもが、異なる国に渡り、人との交わりの中で少しずつ立ち直っていく様子は、マイロン・リーボイの『ナオミの秘密』(若林ひとみ訳 岩波書店)を思い出しました。ルーシーの心を開く助けになるのが、馬や音楽です。音楽は、言葉や国を越えるものですが、戦争の中でそうではなくなり、敵国であるドイツの音楽を聴くことも許されなくなります。モリソン牧師の演説の場面は、言葉のイデオロギーを振りかざす怖さを感じました。しかし、そんな厳しい時代にも、心ある人はいて、イギリス人の家族や、ドイツの潜水艦の乗組員、アイルランド人のブレンダン、カナダ人のウォルターのように、国を越え、さまざまな人がルーシーを助けます。モーパーゴは、人という存在、人間のあり方や、その生きる姿を描ける作家ですね。素姓のわからない少女が発見される冒頭から、英国北部に伝わるセルキ―伝説が、物語にからむのかと思ってしまったので、そうではなかったのが少し残念でした。

アカザ:わたしは、もともと「モーパーゴびいき」なのですが、やっぱり3冊のなかではこれがいちばん好きでした。初期のモーパーゴの作品は「なんだかなあ!」と思うようなものが多かったけれど、どんどん上手くなっていますね。ちょっと上手すぎで、できすぎって感じもするけれど……。特に、最後のダメ押し的な部分は、くどい気もしました。それでも、ルーシー、ジム、お医者さんと、いろんな人の目線で書いているのに、ちっとも読みにくくなっていないし、ストーリーもはっきりわかる。翻訳が上手いせいもあるんでしょうね。ルーシーの毛布にヴィルヘルムというドイツの名前が書いてあったのは何故かというミステリーの要素もあって、長い物語なのに一気に読めました。戦時下の暮らしが細かく描かれているのも、興味深かった。

アカザ:盛りだくさんだけれど、それぞれの出来事がうまく絡みあっている。物語がしっかりと構築されているという感じがします。

アンヌ:ものすごくおもしろい本で、読んでいる最中は、もうワクワクして物語にひたっていたのですが、もう一度読み直したい気分にはなりませんでした。推理小説仕立てのせいかもしれません。島での生活をしていく場面はすべて魅力的で、島が霧でホワイトアウトになったり、裸馬に乗って島中を歩きまわったりする様子は魔法の世界のようなのですが、謎が解けた後では二度とその魅力が味わえないような気がしています。思い出すと、セント・へレンズ島の廃墟とか、海に浮かぶグランドピアノの上の少女とか、その向こうに浮かぶ黒々とした潜水艦とか、実に鮮やかに映像が浮かぶ場面が多く、それだけに、作者の頭の中が見えてしまうような気がしてしまい、作者と語り手の違いがとわかると、作り物じみておもしろ味がなくなった気がしました。

パピルス:おもしろく読みました。主人公にとって辛い部分はしっかり辛く描かれていて、幸せな部分は読み手の心が十分満たされるくらい幸せに描かれていまた。そういうストーリー構成が気持ちよかったです。読後感も良く、さわやかな気持ちになりました。あえていえばルーシーのお母さんの描き方に違和感を感じました。戦時中、お父さんにわざわざ会いに行くものでしょうか。あの状況下で娘と二人で。

アカザ:危ない、と言われても、そんなに危なくないと思っていたのでは?

ハリネズミ:私も前に読んでその時はたいへんおもしろかったのですが、後で思い出そうとしたら、かなり忘れてしまっていました。モーパーゴはうますぎて、仕掛けはあるし、謎もあるし、後日談もわかるようになっているし、物語の作り方にもすきがないので、落ち着くところに落ち着くので、読後の満足感も強い。だから、というのも変ですが、妙にひっかかるところがないので、忘れてしまうのかもしれません。本当にうまくできた、いい話です。モーパーゴは、これと同じ時期に『走れ、風のように』(佐藤見果夢訳 評論社)というグレイハウンドを主人公にした本も出て、そっちもとてもおもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年10月の記録)


コービーの海

アンヌ:この物語は、いきなり大海原でモーターボートを自由に操る少女、コービーが登場するところから始まります。いきなり、コービーが義足であることや、片足だけ「ひれ」をつけて自由に泳げる場面が描かれていますが、そのことに読み手が慣れる前に、コービーがゴンドウクジラ(以下クジラ)と出会い、さらに出産を手伝うことになりました。そのあまりの展開の早さについていけず、物語にうまく入り込めませんでした。彼女の両親が喧嘩している理由も、いま一つはっきりしないまま離婚騒動が進んでいきます。ニッケル・ジャックとの友情も、学校での孤独な状況も掴めないままどんどん話が進んでいき、やっとコービーの気持ちに沿うことがきたのは、114ページに出てくるマックスが、「このクジラの赤ん坊の出産は昨夜ではない」とぴしゃりと言う場面でした。ここで、初めてコービーの体験やクジラとの友情は、専門家の人たちにとっても特殊なものなのだということが理解でき、コービーの立場に立って物語が読めるようになりました。コービーが、普段義足を着けている足の切断された部分を級友たちに見られてしまう場面。その時に、トレーシーが「コービーの心を見て」と語る場面からは、まるでパズルをはめるように見事に物語が展開していくと感じました。最後、クジラが海に帰る場面はとても美しく、ここでやっと、クジラの姿がちゃんと見えた気がします。コービーとパパのユーモアのセンスはなかなかきつくて、物語にうまく入り込めなかったのは、この感覚の違いにもあるようです。

アカザ:最初のうちは、私も物語になかなか入りこめませんでした。分かりにくいというより、「こういう物語は前にも読んだことがあるけれど、たぶんこんな展開になるんだろうな」という気がして先を読む気分になれず、途中で他の本を読んでしまいました。その後、また読み始めたら、クジラの親子が怪我をするところからハラハラしながら一気に読めました。ユーモアというか、ふざけ方はたしかにきついですね。それと、登場人物に奥行きがないのでは? ニッケル・ジャックにしても、どこかで読んだような……。テスだって、客観的に見れば親切で人のいいおばさんなのに、こんなに嫌っていいのかしら。

レジーナ:野生の生き物や障がいをテーマに書いている、マイケルセンらしい作品です。陸に打ち上げられ、動けなくなったクジラと、義足を使っていることで、いつもどこか窮屈な気持ちでいるコービーが重ねられています。学校では義足を気にして、のびのびと振る舞えないコービーも、海では体の不自由さを忘れ、ヨットを意のままに操ります。またコービーは、みすぼらしい身なりにとらわれず、ニッケル・ジャックと親しくしています。クラスメイトは、コービーという人間を「義足をつけている」ということだけで見ている――少なくとも、コービーはそう思っている。でもコービー自身も、はじめは人間性ではなく、外見で人を判断し、ベッキーをミス・パーフェクトと呼ぶんですね。しかしクジラはそうではなく、クジラと触れあうことで、コービーの心も自由になっていきます。クラスメイトが全員、片足でシャワーを浴びる場面は、描き方によっては嫌な印象を与えるかもしれませんが、さすがマイケルセン! とても好感が持てました。ローラースケート場で、義足をつけたスケートを滑らせたり、魚の頭を枕に入れたりするユーモアには驚きました。

:なくした足のこと、両親のこと、クジラのこと。いろんな要素が出てきますが、どれも深められきれずに並んでいる感じです。一番思ったのは、この子は足をなくす必要があったのかということ。何の喪失がなくても、クジラとはふれあえたのではないか、そのほうが、クジラとの関係がもっとクリアになるのではないかと思いました。でも、全体には海のイメージがとてもきれいで、フロリダを想像しながら読むことができました。

マリンゴ: とても好きな物語です。舞台となっているフロリダは前から“憧れの地”でしたし、船が家なんてうらやましいですし、自分用のモーターボートがあるなんて夢みたい、と冒頭から入り込んでしまいました。クジラの臭気が立ち上るシーンも印象的でした。匂いを強く感じさせる小説は、そう多くはないと思うので。主人公がクラスメイトと正面からぶつかるシーンは、アメリカならではの解決の仕方だと思いました。日本の児童文学でこれをやったら、リアルじゃないかもしれません。でも、だからこそ翻訳ものとして面白く読めました。映画化したら、一番“オイシイ”役はニッケル・ジャックですね。日本人がやるなら三上博史さん!と思いました(笑)

ハリネズミ:ぶつかるところが日本と違ってアメリカならではというのは?

マリンゴ:主人公がクラスメイトと、言いたいことをはっきり言い合って和解していくのが、アメリカ文学らしいな、という意味です。日本だったら、こんなふうにパーンとぶつからず、もっと婉曲的にやりとりして和解していくと思うので。

ルパン:主人公が片脚を失ったことが原因で、両親が不仲になるんですよね。でも、そのことを全然乗り越えられていないのが気になりました。クジラを助けたことと、家族のきずなの問題がきちんとリンクしていなくて、ちぐはぐな感じのまま終わるため、読後感がすっきりしませんでした。

ハリネズミ:コービの両親は、これからは経済的にはうまく行きそうなので、家族関係も好転しそうですよね。舟が沈んで保険金も入るし、お父さんも陸で働くことにして契約をとっているし。

アンヌ:そう、船の保険金や、お父さんは建築関係の仕事がたくさんできて、お金の問題は解決していますよね。

ルパン:たまたま経済的にどうにかなりそうだから一緒に暮らそう、という感じですよね。このままでは、「自分のせいで家族のきずなが壊れた」というコービーの罪悪感はなくならないと思います。

レジーナ:物語の中でコービーは成長するけれど、両親はきちんと問題に向き合っていないから、根本的な解決になっていないということでしょうか。

ルパン:そういうことだと思います。要は、家族の問題は何も解決していないし、クジラを助けたことも、そこでは何の役にも立っていない。お母さんも、テスの家がなくなったから仕方なく帰ってきたみたいだし。また家計が苦しくなって、そこへテスが戻ってきたら、お母さんは簡単に出ていってしまいそう。

: 寂しかったといいますが、ちょっと唐突ですね。

ハリネズミ:私はベン・マイケルセンが大好きなので期待して読んだのですが、『ピーティ』(千葉茂樹訳 鈴木出版)や『スピリットベアにふれた島』(原田勝訳 鈴木出版)と比べると、ちょっと弱い気がしました。もっと前に書いた作品というせいもあるでしょうが、様々に盛り込みすぎていたり、メロドラマみたいなシーンがあったりね。『ピーティ』や『スピリットベアにふれた島』は焦点が当たる場所がもっとはっきりしていたので、ぐんぐん引き込まれました。同じ時期にジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)も出ていましたね。イルカが登場するばかりでなく(※注:『コービーの海』にでてくるゴンドウクジラはマイルカ科の一種。クジラとイルカの明確な区別はされていない。)、障がいを持った子どもが出てくるし、主人公の家庭が不安定だし、女性の獣医さんも出てくるところなどもよく似ていました。『白いイルカの浜辺』のほうは作家が獣医でもあるので、イルカの吐く息を浴びると黴菌に感染するかもしれないとか、この先海に放すのであれば人間とはなるべく親しくしないほうがいいなど、もっとリアルに描かれていました。

パピルス:僕はこの本おもしろかったです。『クジラに乗った少女』という映画が好きなのですが、この話も同じ年くらいの女の子が、クジラと心を通わせて交流しますよね。主人公の状況や、家庭のトラブルなどいろいろ盛り込み過ぎているという感想もありましたが、YA小説として「このくらいの年齢の子は、こういうことを考えるんだろうな」と思いながら読んだので、気になりませんでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年10月の記録)


ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』表紙(さくまゆみこ訳 評論社)

白いイルカの浜辺

『白いイルカの浜辺』をおすすめします

今回は、私がかかわった本を紹介したい。

主人公は、難読症もあって学校でもいじめられている少女カラ。海洋生物学者の母親は、野生のイルカを調査している時に行方不明となってしまったが、カラはいつか帰ってくるものと信じている。カラの父親は、妻が行方不明になったショックや、自分も難読症を抱えているせいもあって、娘との生活をなかなか立て直せないでいる。カラと父親は、ベヴおばさんのもとに身を寄せているが、おばさんには近々赤ちゃんが生まれることになっており、カラたちは住む場所もさがさなくてはならない。

そんな時、カラの学校に転校生フィリクスがやってきた。裕福な家庭に生まれたフィリクスは、脳性麻痺で手足が不自由だが、人一倍の自信家でもあり、ITオタクでもある。

カラとフィリクスは育ちも興味も違う、いわば異文化的な存在なので最初は反発しあうのだが、お互いの異文化性を理解してからは仲間になっていく。

カラにとってはおなじみの、ヨットで海に出る楽しさをフィリクスも知ったことから、二人はお互いを再発見し、ケガをしたアルビノの子イルカの命を助けようとする気持ちが二人の結びつきを強める。

本書は、ハラハラどきどきの冒険物語(特に最後のあたり)であり、親と子の葛藤の物語でもあり、地域や政治とのかかわりの物語でもあり、大自然とITを対比する物語でもあり、そして何より動物について深く知ることのできる物語でもある。前作の『ミサゴのくる谷』同様、動物や自然についての描写は的確でウソがない。

子どもたちが、海の美しさを守りたいという気持ちから環境破壊に異議を唱え、底引き網漁を解禁しようとする利権社会やおとなの意識を崩していくあたりも、おもしろい。

平澤朋子さんの絵がまたとってもすてき。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年10月12日号掲載)