月: 2017年6月

2017年06月 テーマ:絵にまつわる物語

日付 2017年6月30日
参加者 アカザ、アカシア、アンヌ、カピバラ、すあま、ナガブチ、西山、ネズミ、
野坂、ハル、マリンゴ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ71個分)
テーマ 絵にまつわる物語

読んだ本:

(さらに…)

Read More

オイレ夫人の深夜画廊

ナガブチ:この作品は、難解でした。日本人の作家さんとは思えない文章でした。ただ、難しいところや描写を読み飛ばしても、なんとなく読める、ストーリーは追えるなと思いました。

レジーナ: 同じ作家の『ドローセルマイアーの人形劇場』『アルフレートの時計台』と同じように、雰囲気のある作品です。ドイツの冬の静謐さ、重苦しい感じはよく出ているのですが、物語でぐいぐいひっぱっていくような作品ではないので、読み手を選ぶ本です。わたしはあまり入りこめませんでした。雰囲気を味わうようなこういう本も、あっていいとは思いますが。

ネズミ:物語の世界にすっと入っていけました。確かなイメージが浮かんできて、うまいなと思いました。夜だけ開く画廊で、出会うべきものに出会って、最後に主人公の人生の方向が変わるというのも魅力的。物語の世界を楽しめました。このあいだ読んだ同じ著者の『アリスのうさぎ』(偕成社)よりも好きでしたが、主人公が青年というのは、子どもにはとっつきにくいでしょうか。こういう本がたまにはあっていいと私は思いますが。

西山:特に付箋をはることもなく、さら〜っと読んでしまいました。なぜか、安房直子をふと思い出して、ふわっと懐かしい気分を味わいました。だから、なに、という感想も特になく、すみません。

ハル:なんだかこれからおもしろいことが起こりそうなんだけど……眠い、と何度も心地よい眠りに誘われながら読んだら、ラストでぞくっとくるほど感動したので、こう言うのも変ですが、最後まで読んでよかったです。出版社のホームページでは読者対象が小学5〜6年生となっていましたが、どこまで読めるんだろう? というのは判断が難しいところだなと思います。

マリンゴ:最小限の言葉で、異国の不思議な空間を描き出すのは、さすが斉藤さんだと思いました。ただ、広場に行ったあたりから、私の想像力が追いつかず、イメージが曖昧になってしまいました。読後感はいいです。ただ、さらっとしていてあまり後には残りませんでした。p134の「だれだって、ヒントに出会うのです。ヒントは連続してあらわれますからね」は、「わかるわかる」と、とても納得できました。

すあま:私は『アルフレードの時計台』よりもおもしろかった。ただ、前半がまどろっこしい感じで、物語にうまく入っていけなかった。主人公が子ども時代にサモトラケのニケの頭と首がないのがこわかった、と感じたことに共感できた。著者はたくさんの作品を書いているが、これはあえて海外の作品のような感じにしている。登場人物の名前が難しいので、日本の物語を好んで読む子どもには読みにくいかもしれない。

アカシア:これは連作の3冊目ですね。1冊目の『ドローセルマイアーの人形劇場』には、ふしぎな人形と人形遣いが出てくるし、2冊目の『アルフレートの時計台』にはタイムファンタジーの要素もあって、どちらも不思議さの度合いがもっと濃厚です。この3冊目は、それに比べると、オイレ夫人のキャラもそうそうくっきりはしないので、単発の作品としては弱いかもしれません。また、リヒトホーフェン男爵が現れて、フランツが小さい時グライリッヒさんにあげた木のライオンを取り戻すという要素と、サモトラケのニケの顔がわかるか、という要素が入り交じっているので、読者がくっきりとした印象をもてない理由は、その辺にもあるかもしれません。ただ、前の2作に登場したクラウス・リヒト博士、時計台やアルフレートの絵、ドローセルマイアーさんなども再登場してきたり、2作目で不気味な役割を果たしていたフクロウがオイレ夫人と重なっているなど、連作で読むと、よりおもしろいのかと思います。
 画廊に立ち寄った哲学の学生であるフランツは、彫刻家になる決心をします。1作目では高校の数学教師だったエルンストが人形遣いになり、2作目でもやはり別の道を志していたクラウスが、親友の死に直面して小児科医になるなど、主人公たちはみんな、ふとしたきっかけをもらって、これまでとは別の道を歩み始めるというところも、3作に共通しています。p32の「どういたします?」は「どうなさいます?」かな。

ルパン:こういう雰囲気の物語は好きなのですが、オイレ夫人に魅力がなく、期待外れの感がありました。また、サモトラケのニケとかミロのヴィーナスの「失われた部分」に想像力がかきたてられる、というのは言い古されていることなので新鮮味がなかったです。でも、子どもにとってはおもしろいのかもしれません。p31の「複数形」に関しては、そこまで翻訳風に作らなくてもいいんじゃないかと思いました。ちょっとやりすぎ。

アンヌ:カフカやカミュを思わせる静かな始まりで、医師の言葉に、主人公はもうこの町から出られなくなるのかなとか、深夜画廊の客の様子に、『おもちゃ』(ハーヴィイ・ジェイコブス/作 ちくま文庫『魔法のお店』収録)を思い浮かべ、さあ、怪奇に行くかファンタジーに行くのかとワクワクしながら読み進めました。普通、過去の何かに出会う主人公は、取り戻せない時間に苦い思いを抱くのですが、この物語では未来を手に入れるところが新鮮でした。ただ、町見学の場面やオイレ夫人の描写に今一つ魅力がなく、主人公が若い大学生というより中年男性のようで、物語の謎もそのままで淡々と終わってしまったのが残念でした。

カピバラ:1作目から読んできたけど、異国の街で、時計塔、古いホテル、人形劇場、画廊などを出して、いかにも謎めいた、これからなにかが起こりそうな雰囲気を上手に出していると思います。3部作として読むと、前に出てきた人がまた出てくるなど、読者を楽しませる工夫があるんですが、出版の間隔があいているので、前作のことをほとんど忘れてしまって……。おもしろい作品というより、おもしろそうな作品という感じです。

アカザ:3部作のうちでは、私は『アルフレートの時計台』がいちばん好きで、いまも心に残っています。この作品も、とても上手く書かれていて、男爵があらわれる前に景色が少しずつモノクロに変わっていくところなど、素敵でした。ただ、フランツにどうしても木彫りのライオンを返したかったグライリッヒさんの思いとかがあっさりしすぎていて、強く伝わってこないんですね。美しい物語を読んだという気はするけれど、感動とまではいかなかった。

野坂:物語世界はよく構築されているので、すうっと読めました。でも、子どもにはどうなのか、少しわからない部分があります。前作の二つも読まないといけませんね。「どうせ考えたって、わからないんだから、奇妙だと感じても、まあ、そういうことなんだって、そうおもうしかないのよ」という少女の言葉に、主人公フランツは、自分には何か思い出せねばならないことがあるのだろうか、と考えこみます。そんなところに、虚構の世界に読者をからめとるレトリックの巧さを感じました。また「クルトがきみに何を思い出してほしいかは来るとの問題だし、きみが何を思い出すかは、やはりわたしの問題ではない」と明言する男爵の論理が、個人主義、ヨーロッパ的でおもしろく、男爵の存在感を際立たせていますね。YAとしても読める作品では。アカシア:ルビの振り方をみると、YA対象ではないですね。しじみ71個分(メール参加):まず、本を開いて、文字組みの視覚的な効果に感動しました。頭を揃えて、ほぼ1行1文で描かれた文章ですが、その形式だけで、幻想的な物語であることを端的にわからせる効果があると思いました。そこだけでぐっと引き込まれます。子ども向けというよりは、ヤングアダルト、もしかしたら大学生とか、就活中の人とか転職模索中の人とかでもいいような、青年層向けの自分探しの童話として受けとめました。主人公が木彫りのライオンとニケの像を見付けて、自分の夢が何だったのかに気づくという割とストレートなプロットですが、途中途中で描かれる美術品や街の表現が美しいのも良かったです。エーデルワイス(メール参加):さすがストーリーテラーの斉藤さん。おもしろく読者を引っ張って最後にすとんと落とす。わかりやすくて読みやすいです。挿絵もいいですね。ルーブル美術館には行ったことがあります。「サモトラケのニケ」は入口でお出迎えしてくれるようですね。どんな美女だったのか興味があります。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


スピニー通りの秘密の絵

ナガブチ:テンポもよく、読み進めるほどに、楽しく読めました。最後かなり加速しますが、中でもナチスについてのくだりでは、存命者リストの話や施設の話など、非常に具体的な情報が出てくるのが印象的です。1枚の絵が持っていた真の意味、重さを知った時、とても感動しました。

ネズミ:いろんな要素が盛り込まれている本だなと思いました。セオとボーディが仲良くなっていくところがおもしろかったです。でも、あまりに盛りだくさんすぎて、ここまでしないとおもしろい本にならないのか、読者はのってこないのかと、やや食傷気味にもなりました。こういうのが今風なんでしょうか。ナチスのことも出てきますが、実際の収容所の様子などはうかんでこなくて、筋だてのひとつの道具なのかなという感じ。冒頭で、ジャックがセオのおじいさんだということに、途中まで気づきませんでした。前のほうに書いてあったんでしょうか。

アカザ:わたしも、すぐに分からなくなりました。たしかに前のほうにおじいさんだって書いてあるけれど、1か所だけだとつい見落としてしまいますね。

西山:美術館に行きたくなりました。単純に絵画の読み解きは面白いなと。最初、私も貧困の話かと思いました。スピーディーに繰り出される情報と謎解きでだんだん加速してきたのですが、実はあと少しで読み終わっていません。謎解き部分なので、直前に慌ただしく目を通すのももったいないかと、帰りの電車を楽しみにしています。でも、お構いなく、語ってください(笑)

ハル:子ども向けといっても、こんなにおもしろいミステリーがあるんだ、と夢中になって読みました。絶望的な環境にもめげず、たくましく、しかも天才的な才能をもつ主人公の女の子も痛快です。終盤になって、もう残り何十ページもないけどほんとにお話が終わるのかな?というくらい駆け足になってしまったのがちょっと残念ですが、新しい発見もあり、勉強にもなり、絵画への好奇心もくすぐられて、とてもおもしろかったです。

マリンゴ:最初、読みづらいなと思っていたのですが、途中から一気に引き込まれました。ただ、ラストの部分、捜しまわっていた人が隣に住んでいた、というところで、びっくりするというか、それはちょっとないよ、と思いました。作者のサービス精神が旺盛すぎたのでしょうか。伏線がはられていなくて、後で弁解のようにいろいろ経緯が語られるスタイルで、ミステリー作家さんとかが読むと、いわゆる「ルール違反」ではないのかな、と思いました。あと、p114で、「超オタクの奇人レオナルド・ダ・ヴィンチは卒業総代をねらっている」など、画家たちを高校の生徒にたとえて説明する部分はとてもうまくて、読者もわかりやすいのではないかという気がします。

すあま:ちょっと主人公の境遇がひどいのではないかと思いながら読み進めましたが、主人公の世界が広がっていくにつれて、おもしろくなりました。終盤で話が急展開してちゃんとついていけず、探していた人物はおじいちゃんがとなりに住まわせていたのかと思ってしまいました。最後におじいちゃんの手紙を見つけるところは、なくても物語としては十分だったかもしれません。手紙を読まなかったのに、おじいちゃんの希望をかなえることができた、というところはおもしろいと思います。

アカシア:最初の展開から、ジャックが収容所で一緒だったマックスの話になり、マックスが娘の命を助けるために高価な絵を使ったのが明らかになる。そこまでの展開はみごとだと思いました。でも、最後が『小公女』みたいにご都合主義になってしまった。p252には「収容所を生きぬいたとしても、パリの死刑執行人の手から逃れるのは無理だったんじゃないかと思う」とありますが。p246では、その「パリの死刑執行人」ハンス・ブラントが、アンナの出所申請をしたと書いてあるので、流れに無理が。p252には「ボーディがラップスターのまねみたいな話し方をやめるなら」とありますが、ボーディの口調はそういう訳にはなっていないので、ひっかかりました。マダム・デュモンが自分の名前をおぼえていないということで、最後の展開につながっていくわけですが、自分ではおぼえていなかったにしても、「アンナ・トレンチャーを知らないか」ときかれれば、普通は思い出すのではないかと、そこもひっかかりました。あと一歩でおもしろくなりそうなので、ちょっと残念。

ルパン:とてもおもしろく読みました。エンタメとしては最高だと思います。そう思って読むと、となりの奥さんがさがしていた少女だったとか、最後にお金がたっぷり出てきて一安心、というのも、「どうぞどんどんやって」という感じで楽しめました。ただ、児童文学作品として考えると、あまりにご都合主義なのが残念。あちこちに『クローディアの秘密』(E.L.カニグズバーグ作 松永ふみ子訳 岩波書店)のオマージュなのかな、と思われるシーンがありますが、それにしてはちょっとお粗末な気がします。

アンヌ:主人公がニューヨークのど真ん中でビーツを育て酢漬けの瓶詰を作ったり、祖母の残した服を再利用したり、『家なき娘』 (エクトール・マロ作 二宮フサ訳 偕成社文庫)のように生活をやりくりする様子がとても楽しい物語でした。ナチスによる美術品の略奪話は推理小説にも多いのですが、この作品では、絵の謎だけではなく、祖父が盗人ではないということを解き明かすというスリルがあって、主人公と共にドキドキしながら読み進められました。絵の謎を解くために、ボーディがスマホを駆使し、図書館員がパソコンで調べてくれる。このいかにもスピーディーな現代の謎とき風景と、これに対比するように描かれる主人公が現物の絵画を見、参考資料を読みこんで謎を解こうとするところが実に魅力的で、作者の思い入れを感じます。愕然としたのはp264から始まる隣人と絵の関係がわかる場面です。あまりに描写が省略されすぎていて納得がいかず、作者がもともとは長々と書いていたのを削られたのかなと思いました。

カピバラ:この本で一番いいと思ったのは、ふたりの女の子の関係性です。育った環境も性格も全く違うのに、初対面から拒否反応を起こさず、すっと相手を認めていくところがすがすがしい。この年頃の女の子の、大人っぽくしたい、背伸びしている感じもよく出ています。図書館で調べるところもよかった。

アカザ:とてもおもしろくて、一気に読みました。主人公の女の子が魅力的だし、貧しいといっても豊かな貧しさというか、庭で飼っているニワトリに名前をつけたり、読者が憧れるような貧しさですよね。美術史を学んだ作者ならではの贋作の見分け方とかラファエロの絵の話とか、細部がとても魅力的な物語だと思いました。ただ、やっぱり最後ができすぎというか、やりすぎじゃないのかな。

野坂:作者はもともと美術研究者で、その専門を生かした、力のこもったデビュー作ですね。友情物語、謎解き物語として夢中で読みました。主人公セオは相棒ボーディと力をあわせ、死んだおじいちゃんが遺した絵の謎を探るのだけれど、最終的に絵の中にも失われた家族が描かれていたことがわかり、いくつもの家族の喪失と再生の物語が層になっている点、うーんやられたという感じ。絵そのものにも見えない層があって、絵の秘密を探るため、病気のふりをしてレントゲンにかけるところも、奇想天外な子どもたちのパワーを感じました。ただ、大円団の部分で、マダム・デュモン(いじわるな隣人)が、急にきれいな言葉で話しだし、人格が変わったように感じたのは残念。そして、セオはものすごく貧乏なんですが、ただの貧乏ではなく、そうしたことがアートのように感じられるのは、売れない画家だったおじいちゃんのセンス、生き方のおかげ。そんなおじいちゃん、セオの人物像にも、それなりに苦労しているセレブの娘ボーディの描かれ方にも、好感が持てました。

レジーナ:私も『クローディアの秘密』を思い出しながら、おもしろく読みました。ところどころわからない部分がありました。映画『黄金のアデーレ』は、ナチスに奪われたクリムトの絵を取りかえそうとした実在の人物の話ですが、奪われた絵を取りもどすことが、失われた過去を取りもどすことにつながっていて、その点ではマダム・デュモンの人生に重なりました。

しじみ71個分(メール参加):美術の専門家が書いただけあって、絵にまつわる謎解きがとてもリアルでしたし、モニュメンツ・メンという存在も初めて知り、非常におもしろく読みました。貧しく、頼りのおじいさんを亡くし、母は生活力がないという厳しい環境にありながら、知恵をフル回転させて、アナログを旨として生きる主人公のセオと、珍しい家族環境を持ち、ネット検索に非常に長けたボーディ(bodhi、菩提=悟り、知恵)という女の子の二人組が、本とネットという現代に必要とされる知性をそのまま象徴しているようで、その二人が絵にまつわる謎解きをするという構成がとても巧みだと思いました。私が特にいいなと思ったのは図書館員のエディで、タトゥーがあって型破りでありながら、図書館情報学修士号を持ち、専門的なサポートをしてくれる存在として描かれています。また、いかにも司書らしい容姿として描かれる専門図書館員の彼女もプロフェッショナルなスキルをフル動員して子どもたちを助けるというところで、アメリカにおける図書館員の認知度の高さが良くわかり、日本とは違うなぁと実感しました(多くの専門家がそこを目指しているとしてもまだ社会全体でそこまで到達していないという意味で)。セオがおじいさんの宝の絵を売って生活の足しにすることばかり考えて、途中、絵の持ち主探しに消極的に見えるように思えた点はちょっと残念にも思いましたが、生活に困窮しているという意味でリアルだったなとも思います。最後の、お前はニワトリだ、地面をつついて真実を探せ、というおじいちゃんのジャックの言葉はぐっときました。真実を探求する人の姿勢を端的に表した言葉だと思います。小学校高学年くらいの子どもには、ミステリ的な要素に知的好奇心をくすぐられておもしろいのではないかと思いますが、もしかしたらちょっと難しいでしょうか?

エーデルワイス(メール参加):極貧で、家の仕事と母の世話をするセオドラはたくましくもけなげです。言語と図書館と美術館とミステリーがあわさって、おもしろい作品に仕上がっています。訳もいいですね。ナチスの奪った絵画を洞窟から奪い返すという映画を何年か前に見たことがあります。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


ミスターオレンジ

ナガブチ:「ミスターオレンジ」がモンドリアンであるかどうか微妙で、ずっと読みながらひっかかっていて、最後の解説で、ああやっぱりそうだったのか、と腑に落ちました。モンドリアンの絵画は解釈が難しいですよね。一瞬、教育色の強い、戦争の愚かさを前面に伝える本かと思ったのですが、三原色とは何か、といった哲学的なところ、絵画の見方の提案にまで踏み込んでいっていて。それから印象に残ったのが「ミスタースーパー」です。狂言回し的な役回りで、読み易く、技法上必要なのかもしれませんが、どこか既視感もあって、本筋にとってどれくらい意味があるんだろうと思いながら、読んでいました。しかし、消滅後、もう出てこないと忘れていたら、最後に再登場し、驚きました。「想像力」の二面性を体現する存在として、どこか懐かしさを感じさせながらの登場に感動しました。最後ではっきりとこのキャラクターの意味が分かった気がします。ミスターオレンジは初登場の雰囲気から、この人は最後は死んじゃうんだろうなと予測しながら読んでいたので、それとは対照的でした。

ルパン:とてもおもしろく読みました。親友のリアムが悪い先輩と仲良くなってしまって気まずくなったあと、仲直りするシーンが印象に残りました。孤独なデ・ウィンター夫人の最後はせつなかったです。

アンヌ:以前に読んで、とてもいい本だけれど同時に心が重くなる本でもあるなと思っていました。作者はオレンジひとつで読者を物語の中に引き込むのを成功していると思います。その色、味わい、香り、形や重さを感じることによって、読み手は主人公の少年の日常からニューヨークでのモンドリアンの生活やその絵画にまで引き込まれます。作者はそれだけではなく、ブギウギというダンス音楽によって、当時のニューヨークの音と動きを本の中に引き込み、さらにモンドリアンの絵の象徴するものを感じさせることにも成功していて、実に手の込んだ作品だと思います。ただ、この時点で、ヨーロッパからやって来たモンドリアンには戦争はもう終わるとわかっているのに、この後、原爆が落とされたのだなと思うと暗然とする気分があります。ニューヨークの自由のまぶしさと戦争の残酷さが同時に感じられる物語でした。

カピバラ:とてもおもしろく読みました。この主人公の男の子の気持ちがとても素直に描かれていると思います。最初のうちは大好きなお兄さんが出征していくことを誇りに思っていたけれど、お母さんの微妙な反応に気づき、お兄さんからの手紙の中に父母だけが知っている真実があったことをだんだん知っていくのが自然と描かれていて、読者も主人公と一緒に成長していけるのがよかったです。お兄さんが出征している弟の話はほかにもありますが、ミスターオレンジに出会うことでまったく新しい自由な発想や、未来への希望といったものを絵や音楽から感覚として知っていくという感じがとても新しくてわくわくするようなものがあって、そこが今まで読んできたものにはない、新鮮な印象を与えてくれました。このミスターオレンジはナチスの手を逃れて新天地アメリカにわたってきたんですけど、「おさるのジョージ」の作者レイ夫妻も同時代にアメリカに渡ってきました。その当時のニューヨークの雰囲気がもっと描かれていてもよかったんじゃないかな、と思いました。日本版の装丁は、内容をよく表していていいですね。

アカザ:本当に、装幀は原書よりずっといいですね。物語の雰囲気をよくあらわしていて素敵です。物語そのものも、素晴らしい。英国や日本の児童文学では、実体験としての戦争が描かれていますが、参戦していても本土での戦いがなかったアメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどの国の子どもたちがどのように戦争を見ていたかがうかがえて、おもしろかったです。『ペーパーボーイ』(ヴィンス・ヴォーター作/岩波書店)と同じように、主人公のライナスがまったくの他人だけれど素晴らしい大人にめぐりあって、新しい考え方に触れ、変わっていくところが、とてもいいと思いました。お兄さんが描いた漫画の主人公と頭の中で会話をかわしながら少しずつライナスの戦争に対する考え方が変わっていくところも、とても上手い書き方をしているし、家族の描写もおもしろかった。ただ、想像力についてのくだりは感動的だけれど、ちょっと理屈っぽいかな。モンドリアンがモデルだということは物語の最後まで明かされないけれど、どこかに絵を入れたほうが良かったのではと、ちょっと思いました。口絵とか、栞とか……。

カピバラ:これは創作だから、はっきりした作品を出してないのでは?

アカシア:ヴィクトリー・ブギウギなんていう絵の名前が出てくると、モンドリアンだってわかりますけどね。表紙もモンドリアンの絵をモチーフにしてますね。

野坂:この本を訳しながら、何度も繰り返しテキスト全体を読み。読むたびに新しい発見がありました。そのつど、ひとつひとつのシーンが映画のように立ち上がってくるんです。でも実はライナスは、考えている時間のとても長い少年です。地の文、ライナスの意識の流れ、思考から地の文にもどるときの自然な着地・・・思考の部分は、二倍ダーシュを使ったり、括弧に入れたり。それに加えて、自由間接話法をかなり取りいれました。また空想の中でのミスタースーパーとのやりとりが際立つように、地の文とは違うゴシック系の書体を使いましたが、ライナスが空想から徐々に覚醒していくところでは、あえて明朝とゴシックを数行おきに混ぜて使いました(p184-p188)。
 これまでにも、いろいろな方から感想をいただいています。例えば、第二次世界大戦中の日本の子どもの日常は、山ほど読んできたけれど、海の向こうのアメリカの子どもが戦争をどう感じていたかは、ほとんど知らなかったとか。それから、「モンドリアンはもっと気難しく、複雑な人だと思っていた」と、画家さんに言われたこともありました。でも、正確なモンドリアン像を伝記のように描こうと、作家は意図したわけではありません。芸術や音楽、戦争とはなにか、ライナスにとって新しい視点を開いてくれる「だれか」として、その姿は描かれている。子どもの本として、このような書き方もありではないかと、私は受け止めています。家族や友人ひとりひとりの性格も、きちんと肉付けされている。迷いながら自分で考えを深め、自分なりの答えを見つけていくライナス。全体として、ライナスに象徴される「子ども時代」への応援歌になっている作品だと思っています。一方で、本来自由であるべき想像力が、戦争賛美の方向へコントロールされることもある。今も世界中で繰り返されている、そうした無言の圧力に、子どもがどう抗していくか、という物語にもなっています。
 それから、念のため作家に確認したところ、ライナスの一家はドイツ出身だそうです。「ミュラー」という名字が、本文にでてきます。お話のなかでは、何系の移民か、ということは大きな意味を持っていませんが。

レジーナ:装画がすごくすてきで、それに惹かれて読みました。とてもおもしろかったです。全体をとおして、空襲など、直接戦争の被害を受けない状況で、子どもが感じている不安がひしひしと伝わってきました。志願して戦争に行ったアプケが、目の前で人が死んでいくのを見るうちに、なんのために戦っているのかわからなくなるのも、戦争のリアルな現実を表しています。想像力についてのくだりは、私はそんなに理屈っぽいとは思いませんでした。「自由を奪われたら、人はかならず抵抗する」という台詞は現代にも通じます。困難な時代になにを信じ、たよりにするか、そういうとき、想像力や目に見えないものがどれだけ力になるか、そんなことを考えながら読みました。ブラジルの絵本作家のホジェル・メロさんが、「言論が弾圧された時代、ペンで権力に抵抗した人々が次々とどこかに連れていかれるのを見て、言葉がどれほど大きな力をもつか知った」と語っていたのを思いだします。ナチスがモンドリアンの絵を飾ることを禁じたと語る場面では、エリック・カールが、学生時代、美術の先生の家に遊びにいき、そのときナチスに禁じられた画家の絵をこっそり見せてもらって、それが自分の人生を決めたと言っていたのを思い出しました。

ネズミ:おもしろく読みました。最初は、戦争に行くお兄さんをかっこいいと思っていたライナスの戦争観がだんだんと変わっていき、お父さんやお母さん、そしてミスターオレンジと、それぞれの立場からの戦争の受けとめ方が見えていくところ、「ぼく」の描き方がよかったです。最初は、ミスタースーパーってなんだろうと思いましたが、ミスタースーパーがいるから、戦争の虚像と実像の対比があざやかになっていくのかなと思いました。ただ、読者を選ぶ本かなとは思います。最初と最後が1945年で、物語が展開するのは1943年。本を読みなれた子じゃないと、構成がすぐにはわからないかもしれませんね。

西山:共謀罪が成立しようとしていたとき、ちょうど95ページを読んでいたんです。「こうしたことは、長いプロセスなんだ。わたしが生まれるまえからはじまっていて、このあともずっと続いていく。もっともっと大勢の人の努力が必要で、そこがまさにすばらしいところなんだよ」と、ここが、あまりにも現実の政治状況と重なって、くさってる場合じゃないな、と、諭されたような気持ちになりました。全体に、今、この状況下で読むことで考えさせられる場面が多かったです。先ほど『あらしの前』『あらしのあと』(ドラ・ド ヨング著 吉野源三郎訳 岩波書店)の名前が出ていましたが、私もあの作品では、異年齢の子どもたちのそれぞれの感覚も好きな所の一つで、例えば、22ページ「アプケはいろんなことを子どもっぽいと感じないぐらい、大人なんだ」というちょっとしたところなどに、とてもおもしろさを感じました。みなさんがおっしゃっているように、勝った側のアメリカの戦争の子どものものの感じ方が新鮮でした。ミスタースーパーの両義性が、戦場へ人を送り込むのか、戦争に反対するのかどちらにはたらくのか、雑誌など、児童文化財の問題としても興味深いと思いました。(でも、この作品は「戦争に参加すること=正義」の側に立っていて、にわかに日本に置き換えられないなと、読書会を通して考えさせられました)ライナスの感性のするどさには、感心して読みました。部屋を見て、陽気な感じがする、と感じたり。「教わったばかりの、いままでとはちがう考え方を、ライナスは頭の中でごちゃまぜにしたくな」くて階段をゆっくり降りる(p97)とか、そういう細部を楽しみました。

ハル:とても良かったです。「ライナスはかけていく。水たまりをとびこえ、歩道のふちでバランスをとり……」という、リズミカルな冒頭の1行目から引きこまれました。爆撃を受けたり、防空壕に避難したりという実体験の戦争の恐ろしさを伝える物語とはまた違い、想像から始まる戦争の恐ろしさ、絶望も希望もうむ「想像力」のパワーを、物語を追いながらとてもわかりやすくイメージできました。この画家は誰だろうと思いながら、読み終わって改めてカバーを見たら「ああ〜」とわかりますね。素敵な装丁です。そして、先ほどアンヌさんがおっしゃっていましたが、私も読後は「1945年3月」には、ニューヨークではもうほとんど戦争が終わっていたんだなぁと、何とも言えない切なさも覚えました。

マリンゴ: とても素敵な物語だと思いました。お母さんの反対を押し切って戦争へ行ったお兄ちゃんは、主人公にとってヒーローでした。でも、お兄ちゃんが向こうでつらい思いをしていると知り、主人公は戦争の現実を知ります。その流れがとてもよかったです。あと、描かれているのが「戦勝国」の考え方だなぁと思いました。p207の「アプケは未来を想像できたから、戦争に行ったんだ。想像したのはいい未来だよ」に象徴されるように、戦争は正義なのだと捉えているところが少し気になりました。戦争には勝つ国と負ける国があるわけなのですが……。日本の戦争児童文学とはまた違う心理描写で、興味深く読みました。それと、「訳者よりみなさんへ」の部分で、この本が作られた経緯について紹介されていて、とても驚きました。「モンドリアン展」のために作品を書いてほしいと依頼された作家が、このような作品に仕上げるとは。普通なら、もうちょっとモンドリアンに寄せて、主人公として書くと思うのですが、ここまで大胆に作り上げたことがすごいと思いました。

すあま:非常におもしろかった。お兄さんが戦地に行ってしまって、家でのライナスの役割が上になり、がんばって背伸びをしている。でも戦争をすべて理解しているわけではない。ライナスはミスターオレンジに出会うことで成長していく。ミスターオレンジがライナスを子ども扱いせずにきちんと語りかけ、ライナスの世界が広がっていく。私はミスターオレンジのモデルがモンドリアンだと気付かなかったので、あとがきを読んでびっくりしました。読み手は、モンドリアンという画家にも興味をもつのではないでしょうか。

アカシア:いい作品だと思って、私がかかわったブックリストでも推薦しています。オランダでのモンドリアン展に際して依頼されて書いた作品とのことですが、モンドリアンとの距離が絶妙なのもすばらしい。ライナスの感受性の強さを「においには名前がない」のを不思議と思ったりする描写であらわしているのも、いい。1945年3月の出来事が最初と最後にあって、つながっているのですね。ただ2回目に読んで、もし自分が編集者だったら相談したいなというところが少し出てきました。たとえばp5に「ポスターに書かれている住所は、西五三番地十一番地」とありますが、これはニューヨーク近代美術館(MOMA)の住所です。でも、オランダの子ども以上に日本の子どもには、それがわからない。そことつながっている最後の章は、ライナスがこの美術館にやって来たところから始まりますが、「ビル」と訳されているのでそれが美術館かどうか読者にはまだわかりません。日本の子どもだとビルと美術館は別物だと思う子も多いと思います。ようやくp238で「こんな立派な美術館」と出てくるのですが、おとなの本ならこれでもいいと思いますが、子どもにとってはイメージがうまくつながらなくて盛り上がれないようにも思います。「ビル」じゃなくて「建物」とするとか、最初の章で、ライナスがこの住所にこれから向かうことをもっとはっきり打ち出すとか、何か工夫があるとさらによくなると思いました。p5には「ライナス、中へお入り・・・」という言葉が太字になっていますが、後のほうを読まないと、これがモンドリアンのいつもの台詞だということがわからない。謎が1箇所に1つなら子どもはその謎を抱えて読み進めますが、いくつも謎があると、わけがわからなくなってくるのではないかと危惧します。p52の「ヨードチンキの小びんを、ぐるりとまわした」は、ひょっとすると小瓶で、ぐるりと周りをさした、ということ? ちょっとよくわかりませんでした。p183の「ウィンドウに飾られたもう何個かの青い星」は、前に星が2個と出てくるのですが、それが増えているということ? だとすると、なぜ増えているのかよくわかりません。p187の「だったら、わたしにひとつ、例を見せだまえ!」も、もう少しすっとわかる表現になるといいな。p204の「あいつはだいじょうぶなんだよ」も、戦地でひどい目にあっているのですから、「まだ生きているんだよ」くらいの方がよかったのでは?
 それからこれは、この作品に限ったことではないのですが、欧米の作品の多くは、戦争にはひどい部分がたくさんあるけれど、それでも正義の戦争は必要だというスタンスですよね。そこに、今回気づきました。この作品でも、お兄さんの友だちが戦死したり、お兄さんが「こんなはずじゃなかった」と思うなど戦争への疑問は書かれていますが、p197「戦争に勝つことは、未来のために戦う意味があるんだよ」p207「アプケは未来を想像できたから、戦争にいったんだ。想像したのはいい未来だよ。敵のいうなりにならなくちゃいけない未来じゃなくて、別のやつ。みんなが、自分のしたいことができる未来なんだ。だからこそ、アプケは戦いに行った。そのためには戦わなくちゃいけないって、わかってたんだ」などというところがあって、ああやっぱり、と思いました。

ネズミ:登場人物のせりふにそういう表現が出てきたとしても、それは時代を反映して描いているからかもしれないし、作者のスタンスはわからないんじゃないでしょうか。批判をこめて書いている可能性もあるし。

アカシア:著者を責めているのではなく、欧米の著者はそういう視点にどうしても立ってしまう。兵役がある国では当然そういう教育がなされるので、それが普通なのだと思います。日本の子どもが読んだときに、どういうメッセージを受け取ってしまうか、ということを考えると、ちょっと不安です。

しじみ71個分(メール参加):モンドリアンを素材にして、戦時中のアメリカを描いていた点、とてもおもしろく思いました。未完の遺作になった「ヴィクトリー・ブギ=ウギ」の画像を確認してみて、物語の中でこの絵が非常によく表わされているなと思って感心しました。アメリカを、特にニューヨークを自由の象徴として描ており、自由をもとめてヨーロッパから逃げてきたモンドリアンと、自由を守るために戦地に旅立ったお兄さんとの対比がそのまま少年の葛藤になるあたり、おもしろく読めました。架空のヒーローが自分の心との対話にもなっていると思いますが、戦争賛美がまやかしであり、お兄さんが命を賭けていることに気づいた段で、ノートを縛って片づけるところが良かったと思います。兄弟が修理して靴を使いまわすところなど、「物がない」ということを具体的にイメージしやすく、生活臭があって良かったです。

エーデルワイス(メール参加):読みやすい訳ですね。心に響く言葉がたくさんありました。p99「未来にはだれもがみんなこんなふうに暮らせるはずなんだ」p197「自由を奪われたら人は必ず手行こうするものだ」などです。ピート・モンドリアンがとても重要な人物として登場しますが、あくまでライナス少年の成長を描いているのがいいですね。平田さんの挿絵もすてきです。モンドリアンをよく知らなかったので、図書館で大きな美術本を借りてカラーで印刷された作品を見ました。オランダでの初期の作品は風景画が中心で、具象から幾何学抽象への過渡期があり、新造形主義を確立していったようです。作品はニューヨークにもあるようですが、オランダに行く機会があったらハーグ市立美術館へ行って作品に会いたいです。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


ジュディス・カー『アルバートさんと赤ちゃんアザラシ』

アルバートさんと赤ちゃんアザラシ

『アルバートさんと赤ちゃんアザラシ』をおすすめします

店を売って生きがいをなくしていたアルバートさんが、海で、親を亡くしたアザラシの赤ちゃんに出会う。このままでは死んでしまうと連れ帰ることに。
でも、アパートはペット禁止で、うるさい管理人もいる。動物園で飼ってもらうもくろみもはずれ、さあ困った。
作者の父親の実体験をもとにしたお話で、絵も楽しい。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年6月24日掲載)


仕事を辞めて生きがいをなくしたアルバートさんが、海に出かけた時に、親を亡くしたアザラシの赤ちゃんに出会う。このままでは死んでしまうと連れ帰ることになったのはいいが、アルバートさんのアパートはペット禁止で、うるさい管理人もいる。なんとかごまかしてアパートで飼っていると、とんだ事件が次々に起こる。作者は、父親の実体験を下敷きにして、最後はアルバートさんにとってもアザラシにとっても幸せな、楽しいお話に仕上げている。

原作:イギリス/8歳から/アザラシ ペット 動物園

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)


鳴海風『円周率の謎を追う』

円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦

『円周率の謎を追う:江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』をおすすめします

関孝和という名前は知っていても、どんな人かを私は知らなかった。江戸時代の和算の達人ということを知っていただけである。本書はその関孝和を、血の通った人間として描き出そうとしている。数学が好きで儒学や剣術にはなかなか身が入らなかったこと、数学の師匠の娘である香奈と励まし合って学んだこと、数学好きのライバルたちと切磋琢磨したこと、けれども勤め(御用)をおろそかにできず数学だけを専門にするわけにはいかなかったことなどが、読みやすいストーリーとして語られているので、興味をもって読める。

後書きには、関孝和という人は、天才的な業績を残したにもかかわらず、いつどこで生まれたのかもわからず、その人生には謎が多いと書かれている。つまり、子どもの頃のことや折々に出会った人との会話などは、著者が想像して描いたフィクションとも言える。でも様々な文献に当たったうえでの想像であるからか、何かに一途になって心の中に消えない炎を持ち続けていた人だということが、無理なくしっかりと浮かび上がってくる。

私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて関が追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表現する方法を編み出すところなどが、スリルに富んだ推理小説のように描かれていて、おもしろい。出世やお金儲けには関係なくても、情熱を注げるものを持っていた人の楽しさが伝わってくる。

次は、「わたし、女数学者になります」と宣言して(ここもフィクションかもしれないが)、関を励ましつづけた香奈についても、もっと知りたくなった。

(「トーハン週報」Monthly YA 2017年6月12日号掲載)

 

関孝和の一生を、円周率を探る研究を核にして描いている。私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表す方法を編み出すところなどがスリルに富んだ推理小説のように描かれている。同時に、この数学者が何かを一途に追求し、消えない炎を持ち続けていたひとりの人間として浮かび上がってくるので、読み物としてもおもしろい。さまざまな文献を研究して書いた労作。

(「おすすめ! 日本の子どもの本2018」<ノンフィクション>掲載)

キーワード:数学、歴史、江戸時代、円周率、関孝和