タグ: 地図

しあわせなときの地図

『しあわせなときの地図』表紙
『しあわせなときの地図』
フラン・ヌニョ/文 ズザンナ・セレイ/絵 宇野和美/訳
ほるぷ出版
2020.10

『しあわせなときの地図』をおすすめします。

戦争のせいで生まれ育った町を離れ、知らない国に逃げて行かなくてはならなくなった少女ソエは、地図を開き、楽しい時をくれた場所を一つ一つ思い起こしては、そこにしるしをつけていく。幸せな思い出が、生きていく力をあたえてくれることを伝えるスペインの絵本。コロナ禍にある今だからこそ、さまざまな状況の子どもたちに思いを馳せてみたい。(小学校低学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年11月28日掲載)


暮らしていた町を戦争で破壊され、外国に逃げなくてはいけなくなった少女ソエは、机に町の地図を広げて、楽しい思い出がある場所に印をつけていく。自分の家、祖父母の家、楽しかった学校、わくわくしながら想像力をふくらませていた図書館や本屋、いっぱい遊んだ公園、魔法のスクリーンがある映画館、川や橋……。楽しかった体験を、これから避難していく場所での力にしようとする少女の心の内を、やさしいタッチの絵で表現している。最初の見開きと最後の見開きの対比が多くを伝えている。

原作:スペイン/9歳から/戦争、難民、思い出

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

 

Comment

セーラと宝の地図

エミリー・ロッダ『セーラと宝の地図』さくまゆみこ訳
『セーラと宝の地図』 チュウチュウ通り9番地

エミリー・ロッダ作 さくまゆみこ訳 たしろちさと絵
あすなろ書房
2011.03

オーストラリアの絵物語。チュウチュウ通り9番地に住んでいるのは船をつくる仕事をしているセーラ。ある日、郵便屋さんのスタンプが宝の島の地図を発見し、セーラといっしょに宝探しに出かけていきます。でも、海賊につかまってしまい、もう少しで海に沈められそうになりますが・・・。いつも思いますが、ロッダさんはすばらしいストーリーテラーですね。幼年童話をこんなにおもしろく書けるなんて、みごとです。
(装丁・タカハシデザイン室 編集:吉田亮子さん、山浦真一さん)


おとうさんのちず

ユリ・シュルヴィッツ『おとうさんのちず』さくまゆみこ訳
『おとうさんのちず』
ユリ・シュルヴィッツ作 さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2009.05

アメリカの絵本。絵本作家シュルヴィッツが自分の子ども時代のことを描いた絵本です。ポーランドのワルシャワで生まれたシュルヴィッツは、4歳のとき大空襲で家を焼かれ、家族とともにトルキスタンに逃げます。そこでは毎日の食べ物にも困るかつかつの暮らしをしていました。ある日、市場に出かけたお父さんは、パンを買うはずだったのに大きな地図を買ってきました。あまりのひもじさに、お父さんを恨む「ぼく」……。でもその地図は、魔法の時間をもってきてくれたのです。巻末には、トルキスタンにいた頃の少年シュルヴィッツの写真と、10歳のシュルヴィッツが便せんの裏に描いた地図と、13歳のシュルヴィッツがトルキスタンの中央市場を思い出して描いたマンガ風の絵も載っています。
(装丁:桂川 潤さん 編集:山浦真一さん)

コルデコット賞(アメリカ)銀賞受賞
*日本絵本賞翻訳絵本賞受賞
*SLA夏休みの本(緑陰図書)選定
*SLA「よい絵本」選定


ローワンと魔法の地図

エミリー・ロッダ『ローワンと魔法の地図』さくまゆみこ訳
『ローワンと魔法の地図』 (リンの谷のローワン1)

エミリー・ロッダ/著 さくまゆみこ/訳 佐竹美保/絵
あすなろ書房
2000.08

愁童:これはすごい。発売たちまち4刷! 売れてるんだねー。シンプル・イズ・ベストって感じ。安心して読めた。古典的ファンタジーの定石なんだけど、ゲーム的な要素も入ってる。あとがきを読むと、ジェンダーのこととか、ちょっと難しいことが書いてあるから混乱してしまうけど、強いといわれていた者たちがつぎつぎに脱落して、最後には弱者が使命をやりとげるというのは、おもしろかった。「ハリ・ポタ」やプルマンの理屈っぽい世界に比べると、この作品は、読みながら心の中で遊べる楽しさがある。ファンタジーのよさを再認識したね。

ウンポコ:ぼくも、おもしろかった。すらすら読めて、うれしかったよ。難をあげるなら、登場人物の姿がくっきり浮かんでこないってことくらいかな。ローワン、ストロング・ジョン、アランはOKだけど、その他の人は、男か女かもわかりにくい。ちょっとぼやっとしたところがあった。最初に登場人物の紹介でもついていたら、読書力のないぼくでも、わかったかもしれないけどさ。ちょっと難しいよ。と思っていたら、訳者あとがきに「男女差のない世界を描いている」とあった。ぼくは、そこまでは気づかなかったな。

ねむりねずみ:この本、装丁がいいわよねー。でも、私は基本的に理屈っぽいほうが好きなのかな。ローワンは臆病なんだけど、いい子でしょ。ちゃんと最後までやりとげるし。どこか、悪い子の部分もほしかったと思っちゃうのよね。憎らしくったって、私にはライラのほうが魅力的に見える。ローワンも、もうちょっと悪い子すればいいのに。2巻3巻では、やってくれるのかな? ジェンダーに関しては、ふたごのヴァルとエリスの性別がわからなかったから、気になった。

モモンガ:同感! 私も男か女かわかりにくいと思った。名前も、日本人の名前だったら、性別も、なんとなくわかるけど、ここに出てくるのは、ちょっとわからないものね。日本語は、英語みたいにheとかsheとか出てくるわけじゃないし。実際、双子はヴァルが女でエリスが男なんだけど、エリスのほうが、女の子の名前のような感じもするでしょ。

ねむりねずみ:最後のところ、p211の「ローワンの胸の中にあった古いしこり」って、ちょっとピンとこなかったんだけど……。

オカリナ:父が死んだのは自分のせいだっていう負い目と、母に臆病でひよわだと思われてるってということを言ってるんじゃない?

ねむりねずみ:そっか。あと、p188のローワンがジョンを気づかう場面。ローワンは、旅のはじめのほうでジョンが声をかけてくれたときのことを思い出してるんだけど、私はそこの場面とうまくジョイントしなかった。

モモンガ:謎ときに夢中になっちゃうわよね。ドラクエの世界。謎の詞にあてはめながら、最後まで読める。あの詞のページを、何度もぱらぱらめくったりして。この物語のおもしろさは、弱い子が主人公ってことだと思う。ローワンは弱虫だし、腕じまんの厳選メンバーの中に、ひとりだけ紛れこんだ子どもだけど、子どもならではの動物との交流とか、子どもにしか見つけられないこととか、ローワンだからこそできるっていうことが、ストーリーにうまくいかされてる。この子が最後に残るってことは、はじめからわかっちゃうのはいいんだけど、そこにもうひとつ、インパクトがほしかったな。ローワンは、妙に大人っぽくなっちゃうでしょ。みんなが眠っているところを見て、いとおしく思うところとか、やるのは自分しかいない! って決意したりするところなんか。そうじゃなくて、子どもっぽいままで、大人だったらできないけど、子どもだからこそできたってなったら、子ども読者はもっと喜ぶと思うのよ。

愁童:竜ののどにささったとげをとるところなんて、うまいと思ったけどな。

モモンガ:うーん。でも、いくらバクシャーのとげをとったことがあるにしても、おんなじようにはいかないんじゃない? だって、この絵(p196〜197)見て! すごい迫力! こんな、ものすごい竜のとげを、よくとったわね。

ひるね:けんかの弱い子とか、いじめられっ子って、犬とかウサギとかを愛でたりするでしょ。だからローワンも、痛がっている竜をかわいそうと思ったんじゃない?

ウォンバット:私は、それよりも使命感だと思ったな。ローワンはバクシャーを大切に思っていて、その心の交流には胸が熱くなるものがあるんだけど、その愛するバクシャーや村の人を救えるのは、今や自分しかいないんだ、やらねばっ!! ていう使命感。

ひるね:無意識でも、読者には期待があるのよね。登場する子どもに対して。あんまり優等生なのはイヤとか、やんちゃであってほしいとか、よくある子ども像からはずれると、物語に添っていけないようなところってあると思う。前に手がけた本で、風邪をひいた動物の子が悪夢をみるっていう本があってね。それに対して「子どもは、風邪をひいたくらいで悪夢なんてみません。子どもはもっと強いものです」って書いた書評があってびっくりしたことがあったわ。私は、弱者が主人公というのは、おもしろいと思ったけど。

モモンガ:私も、弱者が主人公というのは、おもしろいと思ったわ。

オカリナ:これは、ファンタジーとしての価値を論じるような作品ではなくて、エンタテイメントの楽しさがウリの本だと思うのよね。物語世界の厚みとかプロットの独自性を期待するんじゃなくて・・・。どこかで見たり聞いたりするようなプロットが使ってあるんだけど、それを組み合わせて、これだけ短くてこれだけおもしろい物語をつくりあげたっていうのが、すごいことじゃない? ファンタジーの名作とは比べられないけど、日本では「ハリー・ポッター」がああいう残念な形で世に出てしまったこともあるし、こういう本にがんばってもらいたい。本が嫌いな子でも楽しく読める要素があると思うの。

ねむりねずみ:ロールプレイニングっぽいよね。これだったら、ゲーム感覚で楽しめて、ふだんあんまり本を読まない人でも、親近感をもてるんじゃないかな。

ウンポコ:逆に、つぎつぎ襲いかかる苦難もクリアするだろうって、わかっちゃうから、大人は、物足りなさを感じたりもするんだがね。でも、子どもはわくわくするだろうね。爽快な感じで。文学へのとっかかりとしてはイイと思うな。

オカリナ:ジェンダーの問題だけど、まず私は、ランが男だと思っちゃったのね。「昔は偉大な戦士だった」というからには、男かな? と。でも、リンの村では「戦士=男」ではないの。ランも、実は老女。職業にしても、男だから女だからということに関係なく、それぞれの適性にあったことを仕事にしている。ふつうのエンターテイメントって、既成の男性像、女性像によりかかってるのが多いでしょ。その点、この作品は新しいと思うのよ。ひと味ちがう。

ひるね:私は、M駅前の児童書に力を入れてる書店でこの本を見て、涙が出るほど感激したのね。この、本づくりのすばらしさに。表紙、別丁の扉、紙の色、書体の選び方……すべてに神経がいきとどいてる。「ハリー・ポッター」とは、なんたる違い!

ウンポコ&モモンガ:感じのいい本だよねー!

愁童:ファンタジーって感じだよな。

モモンガ:表4なんかも、とってもいい雰囲気。佐竹さんの絵がいいのよ。

ウンポコ:このごろ、佐竹さん、大活躍だな。『魔女の宅急便3 キキともうひとりの魔女』(角野栄子著 福音館書店)の絵も、そうだよね。

オカリナ:えっ、3って、もう出たの?

ウンポコ:出たばかりだよ、今月(10月)かな。「魔女の宅急便」は、3作すべて絵描きさんが違うから、(『魔女の宅急便』林明子絵、1985、『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』広野多珂子絵、1993、すべて文は角野栄子、福音館書店)本としては不幸だけど、それぞれイメージは変わってないし、なかなかいいよね。

ひるね:今、大人の本の会社が子どもの本も手がけるようになってきてるでしょ。「ハリー・ポッター」にしても、プルマンにしても。あと、9月に、東京創元社から出版された『肩胛骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド著 山田順子訳)も、原書は児童書でしょ。それはそれで、よいものができあがれば何も問題ないけれど、残念なことに粗悪品も出回ってる。日本の翻訳児童書の装丁って、世界を見回してもとてもレベルが高いと思うの。外国の原作者に日本語版をみせると、いろんな国で翻訳出版されているけど、日本語版がいちばんいいって、みんな言うのよ。本の作り方が、日本ほどすばらしいところはないって。それは、児童書の編集者たちが、長い時間かけてつくりあげてきた文化だと思う。センダックも子ども時代をふりかえって、「本をもらったら、なでて、においをかいで、少しかじってみた」って言ってるけど、やっぱり子どもにとって、本って、特別なものだと思うのね。大人向けの本のノウハウしかない会社が児童書をつくるのは、ちょっと難しいんじゃないかしら。『神秘の短剣』と『ローワン』を比べてみても、違いは明らか。「ライラの冒険シリーズ」も『ローワン』と同じように、大人向けのコーナーと子ども向けコーナーと、両方に並ぶようになるといいのにね。

(2000年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


ローワンと魔法の地図

エミリー・ロッダ『ローワンと魔法の地図』さくまゆみこ訳
『ローワンと魔法の地図』 (リンの谷のローワン1)

エミリー・ロッダ著 さくまゆみこ訳 佐竹美保挿絵
あすなろ書房
2000.08

オーストラリアのバイロンベイに行ったときに何軒かの本屋さんを回って、今子どもが夢中で読んでいる本を教えてもらいました。その中から探し出した本です。本嫌いな子どもでも読書の楽しみを味わえるのではないかと思いました。
ローワンはバクシャーという家畜の世話をする少年。あるとき、村に水が流れてこなくなり、勇者をつのって水源である山に登って原因を確かめることになります。ローワンは勇者とはほど遠い臆病な少年なのですが、魔法の地図が読めるのがなぜかローワン一人だったため一緒に行くことになってしまいます。最後には竜も出て来て冒険とスリルに満ちています。
小学校高学年なら読めるように訳したつもりでしたが、課題図書の対象は中学生でした。全5巻のシリーズもので、どの巻でも弱虫のローワン君は、いつのまにか冒険にまきこまれてしまいます。個人的には、ハリー・ポッターよりこっちのシリーズの方がおもしろいのではないかと思っています。子どもたちから手紙がくるのが何よりうれしい。
(装丁:丸尾靖子さん 編集:山浦真一さん)

*オーストラリア児童図書賞・最優秀賞受賞
*毎日新聞青少年読書感想文全国コンクール課題図書

◇◇◇

〈訳者あとがき〉

この作品に最初に出会ったのは、オーストラリアのバイロン・ベイという海辺の町でした。岬からイルカやクジラが泳いでいるのが見えるその町で、本屋さんに入っていった私は、店員さんに、今、子どもたちが夢中になって読んでいる本があったら教えてほしいとたのみました。その店員さんが出してきてくれたのが、このローワン少年の出てくるシリーズでした。店員さんは、「このシリーズは、仕入れてもすぐ売れてしまうんです」と言って、その時には、二巻目は店にありませんでした。とりあえず一巻目と三巻目を買って帰って読んでみると、これがおもしろいのです。日本に帰ってから二巻目も取り寄せて、一気に読みました。

その後、このシリーズについて調べてみると、一巻目の本書はオーストラリア児童図書協会が選ぶ年間最優秀児童図書賞を受賞していることがわかりました。そして三巻目も同じ賞の優秀賞に選ばれていました。

この本には、竜、洞窟、クモ、底なし沼、魔法をかけられた地図など、ファンタジーの読者におなじみのものが登場し、読者をどきどき、わくわくさせるストーリーが展開していきます。そればかりか、この作品は、これまでのファンタジーにはない新しい魅力ももっています。その魅力の一つは、主人公が、内気で臆病で、いかにも冒険には不向きな男の子だという点です。これまでのファンタジー作品の主人公のほとんどが、最初から勇気があったり、修業が好きだったり、好奇心や冒険心に富んでいる者だったことを考えると、この点は異色だと思います。ローワンは、運命のいたずらで仕方なく山にでかけていき、途中でも怖い怖いと思いながら、それでもとうとう最後には、村人も家畜も竜も救うことになるのです。

もう一つの新しさは、ジェンダーをこえた男女差のない社会が描かれているという点です。はじめのほうに、リンの谷の村の最長老で村長の役割をしているランという人物が出てきますが、すっと読んだだけではランが男性なのか女性なのかわかりません。よく読んでみると、原文ではshe(彼女)という代名詞が出てきて、ランが女性であったことがわかります。また魔の山に出かけていく勇者たちは、ローワンを除くと男性三人、女性三人です。体格はストロング・ジョンが一番大きいらしいということはわかりますが、力や勇気や知恵の点では、男性も女性も同じように描かれています。つまり、従来の「男の役割」「女の役割」「男らしさ」「女らしさ」にとらわれず、それぞれの個人がその人にふさわしい役割を果たしていく社会が、作者の一つの理想として描かれているのです。

作者のエミリー・ロッダは、本名をジェニファー・ロウと言い、一九四八年にシドニーに生まれました。シドニー大学で英文学の修士号を取ったのち、出版社に職を得て、編集者になります。子どもの本を書くきっかけは、娘のケイトに、自分で作ったお話を聞かせたことでした。ケイトがこのお話をとても気に入ったので、出版を思い立ち、きちんとタイプして自分が勤めていた出版社に売り込んだのですが、そのときにペンネームとして祖母の名エミリー・ロッダを使いました。この初めての作品『とくべつなお話』は、一九八五年にオーストラリア児童図書最優秀賞を獲得しました。二作目の『ふしぎの国のレイチェル』も一九八七年の同じ最優秀賞に選ばれます。エミリー・ロッダは、その後もオーストラリアで最高の児童図書にあたえられるこの賞を、合計五回も受賞しています。パトリシア・ライトソンやアイヴァン・サウスオールなど何回か受賞した作家はほかにもいますが、五回も受賞したのは、エミリー・ロッダだけです。昨年末には、ローワンシリーズの四巻目が出版されましたが、これも、オーストラリアの子どもたちにはすでに大人気を博し、今年の最優秀児童図書賞の有力な候補となっています。

二〇〇〇年五月

さくまゆみこ