カテゴリー: 子どもの本で言いたい放題

アル・カポネによろしく

ジェニファー・チョールデンコウ『アル・カポネによろしく』
『アル・カポネによろしく』
ジェニファ・チョールデンコウ/著 こだまともこ/訳
あすなろ書房
2006.12

アカシア:主人公の男の子ムースの、いかにも要領の悪いようす、おたおたしてしまうようすが目に浮かぶように書けてますね。ほかの子どもたちもそれぞれ特徴があって、キャラクターとしてどれもなかなかいい。ムースのお姉さんは、本当は14歳なのに10歳で通しているわけですけど、ムースがちゃんと理解して世話をしているところとか、ほかの子どもたちもナタリーをそれなりに受け入れているところなんか、いいですね。ただね、刑務所に洗濯物を出して、アル・カポネにシャツを洗ってもらおうっていうところが、設定としてとてもおもしろいと思うんですけど、日本の今の子どもは、アル・カポネを知ってるんでしょうか?

ねず:アルカトラズは「ルパン三世」に出てきたけど。

アカシア:アル・カポネは極悪人なんだけど、表の世界ではできないことでも裏を通じてできるって子どもは思ってるわけでしょう? ナタリーのことも、アル・カポネがひそかに何とかしてくれたのかもしれないっていう、話の運び方ですよね。ストーリーが一本の筋というよりは何本かの筋がより合わさってできていて、それを統合しているキーワードがアル・カポネだと思うから、アル・カポネのイメージをしっかり持っているほうが楽しめますよね。

:アメリカではアル・カポネって、わかっている?

ねず:アメリカの子どもは知ってるんじゃないかしら?

:アル・カポネがわからなくても、楽しめる?

ポン:アル・カポネのことをあんまり知らなくても、物語自体のおもしろさがたくさんあるから、楽しめると思うなあ。

:充分楽しめるっていうのは、物語のおもしろさ?

ポン:物語のおもしろさもあるけれど、まず、なんといっても舞台設定のおもしろさがありますよね。刑務所の島で暮らすなんて! その発想に拍手をおくりたい気持ち。当時の島での暮らしぶりについても入念な取材をしたうえで描いたそうで、とてもリアリティがある。登場人物もみんな生き生きとしていて、それぞれのことをみんな好きになっちゃう。ちなみに、私のいちばんのお気に入りはテレサなんだけど。
ひとりひとりのことがすごくよくわかるように描かれていると思う。たとえば、54ページ。ナタリーがエスター・P・マーリノフに行ってしまったあと、ムースにはナタリーの部屋のドアが開けられないの。それで、お父さんがナタリーの部屋に行ってムースのグローブをとってきてくれるんだけど、そのときムースがナタリーのお気に入りの毛布が部屋に残されているのを見ちゃうっていう場面。ムースの複雑な気持ちがよく伝わってくるし、ナタリーのこと、大切に思っていることもよくわかる。
ストーリーもね、ほんとにいいんだなぁ。胸きゅんポイントがたくさんあるの。とくに好きだったのは、188ページ。自分の世界に、自分の奥深くにある遠い世界に行ってしまったナタリーを子どもたちがそれぞれのやり方で気づかう場面。ナタリーのほっぺたにとまったハエを、アニーがしーっと追い払ったり、無関心そうにしているジミーは何も言わないんだけど、器械をつくりながらナタリーのためにそっと石を積んであげたり……みんなやさしいよねえ。やっていること自体はユーモラスでオカシイんだけど、みんなの思いやりにじーん。あっ、309ページもいい。お父さんがムースとナタリーを抱きしめて、「おまえたちはおれの誇りだ」っていうところ。ほろっとしちゃった。

ミッケ:最初は、アル・カポネの話なんだ、と思いこんで読み始めたんだけれど、そのうちに、あれ、カポネは脇役なんだなってわかりました。こういう興味の引っ張り方は、うまいと思います。気づいてからは、最近日本でもようやくニュースなどでとりあげられるようになった、障碍がある子の兄弟や親のありようが中心なんだなあ、と思って読みました。そういう意味では、かなり大まじめなことを扱っているのに、それがちっとも暗くなくて深刻でないところが、この本のいいところだと思います。なんといっても、刑務所の島という舞台設定が生きていますね。なんか起こるんじゃないかというんで、ちょっとドキドキしながら読んでいける。その意味で、タイトルと設定が実にじょうず。もちろん、刑務所ならではのことがいろいろあるわけで、へえ、ふうん、と思わせられるんだけれど、全体を貫いているのは、ムースくんやお母さんやお父さんが、お姉さんをめぐってどういうふうに感じ、どう動いてどうなったかという、ある種の成長物語。それにしても、それぞれの子がよく書けていて、特にパイパーがとても印象に残りました。初めのうちは、主人公からすれば引っ張り回されてばかりでたまらない、っていう感じのかなりしたたかで計算高い所がある子なんだけれど、途中あたりから優しいところがちらちら見えてきて、でも憎まれ口をきいて、というのがいいですね。それと、カポネのことは、最後の最後で落語のおちみたいにちょろっと出てくるんだけれど、それがまた、にやっとしちゃう感じでよかったです。訳もとてもいいし、楽しく読みました。お姉さんを巡るムースの働きかけや状況の変化が、最後の320ページをすぎたあたりでパタパタと運んでいくのも、無理がなくて納得できました。

宇野:長い本だけれど、一章一章が短くてどんどん進んでいく構成が読みやすいですね。全体にそこはかとないユーモアがあって、ルイス・サッカー『穴』(講談社)を思い出しました。細部がおもしろくて。お姉さんをめぐる、家族それぞれのいろいろな思いがきちんと書かれていてよかったです。今年から特別支援教育というのが始まって、いろいろな子どもが教室にいて、そういう子どものお母さんも担任もコーディネーターも、みんなすごくたいへん。どうしていいかわからないのに、とにかく病院に行きなさいとか薬を飲みなさいとか迫られたり。子どもがどこまで読み取るか分からないけど、このお母さんの追いつめられた感じは真に迫っていて、大人として胸が痛くなりました。その一方で、子どもらしさもよく書かれているんですね。野球をしたくて約束するのに、その日にお母さんに呼ばれるというところとか。でもちがうことで自分を楽しませたりして、いじらしい。野球をするシーンでも、この子が野球が好きなことがひしひしと伝わってきました。ストーリーでは、ムースとパイパーの関係がかわっていくのが楽しかった。「うん」と思っていても「うん」と言わない、こんな子っているなって。表面はとげとげして見えるけれど、実はよく理解しているという関係が、表面仲良さそうなのに、実は何を考えているかわからない今の子の人間関係と対照的だなと思いました。すごく楽しかったです。

紙魚:この本は、アル・カポネという人がどういう存在なのかわからないと、せっかくのおもしろさが少し損なわれてしまいます。おそらく、日本の子どもたちは知らないと思うんですね。例えば、いちばん最初に、じゃーん、極悪人アル・カポネ登場! というような印象深いシーンがあったりしたら、それに引っ張られてもっとおもしろく読めるかなとは思いました。一章ごとが短いのは、とても小気味よいです。章ごとにおもしろいことが散りばめられていて、リズムもあるので、どんどん先に向かっていけます。それからタイトルと装画には、強さを感じました。

ケロ:まずタイトルが楽しそうで読んでみたいという気にさせられますね。ただ、読者にとって、アル・カポネがどんな強烈な人だったかがもっと分かっているとよかったのでは?たとえば、アル・カポネに洗濯してもらえる、というシーンで、みんながこぞって出すのが感覚としてピンとこない。洗いあがってきたときに、ただ洗ってあるだけじゃんってクラスのみんなが引くんですよね。そのあたり、クラスメイトたちが何を期待していたのか、よく分からないのでは? いやいや出しているのかなとか。
ルイス・サッカーの『穴』に似ているというのは、ムースの役回りなのかな。自分では普通にしているつもりでも、悲劇的に悪い役回りになるところとか。テーマは重いのだけど、この『穴』に似ているような、ユーモアが救っているし、おもしろく読ませるなと思いました。実際にあったアルカトラズ島をお話に結びつけたのはすごい思いつき。作者は、アルカトラズ島に関わりがあったのかなとか、いろいろ思いながら読みました。実際はアル・カポネは、アルカトラズ島にきたときには、もう権力を失っていたらしいですね。1936年のストに参加しなくてバッシングを受けたらしい。その直前のエピソードという設定なのですね。

ねず:原書の後ろを見ると、参考文献が40冊近くならんでいるから、著者は相当調べて書いたらしい。アルカトラズのガイドもしたとか。

ケロ:訳者あとがきも、フォローがきいているので、日本の読者に親切。

ポン:アル・カポネについては、8ページに書いてあるくらいでよいのでは? 読みはじめれば、わりと早い段階で(28ページ)テレサのカードが出てきて、アル・カポネのプロフィールはわかるし、どういう存在かっていうのも読んでいくうちにわかると思うけど……? 私もアル・カポネのこと、よく知らないまま読んだけど、楽しめました。

アカシア:私の年代だと、アル・カポネはテレビや映画でよく知ってるんですけど、今の日本の子どもに手渡すときにどうすればいいか、やっぱり考えちゃいますね。

ミッケ:たとえばカポネが関わった大事件を取り上げた一面トップの大見出し、みたいなのを扉絵かなにかで入れたりしたら、あんまり説明的でなくさりげなく、なんかカポネってすごいらしいぞ、というのが伝わるかも。

紙魚:ちゃんと読み進めていけば、実際のアル・カポネを知らなくても、だんだんとその悪者ぶりはわかってはくるんですけどね。

うさこ:いい物語だなと思いました。特にこの中に出てくる子どもたちの強さが好きでした。ただ、もったいないなあと思うところが、みなさんの意見にもあったように、物語のなかに誘いこむ導入のしかた。アル・カポネについて日本の子どもたちがどういう認識をもち、どのくらい知っているのかな、と思いながら読みました。どんどん読み進めていくと家族の物語で、カポネを全く知らなくても読めるのだけど、知っていたほうが登場する子どもたちに、より気持ちをよりそわせておもしろく読めると思う。作者あとがきを読んでそうだったのかと思うところもあるので、それをアレンジして前に持ってくるという手もあったかなと。

ねず:そのへんのところは、難しい問題だと思うわ。作者、訳者、編集者は、前置きなしに、すっと物語の世界に入っていってほしいと思うだろうし……

げた:タイトルが気に入って、アル・カポネがどんな人だったか、子どもにわかるか、なんていうことを考えずに、自分だけがおもしろがって読んでしまった。確かに、うちの子どもは、アル・カポネのこと知らないですね。図書館ではYAの新刊に入っています。ちっちゃい女の子パイパーにムースがもて遊ばれるあたりで、ムースとパイパーの関係にいらついたり、おもしろがったり。お姉さんとムースのことよりも、こっちの方が気になりました。でも、お姉さんが囚人105と出会った後の、ムースのお姉さんを護ろうとする、健気な思いも伝わってきました。長い読み物だけど一気に読めた。タイトルも表紙の絵も思わず、手にしたくなる魅力がありますね。

ねず:タイトルが魅力的で、すぐに手に取りました。作者のホームページで見たのですが、彼女はラブストーリーを書きたかったんですね。

アカシア:パイパーだけじゃなく、テレサもムースのことが好きなのよね。

ねず:ひとりひとりのキャラクターが、とても生き生きと描かれている。ナタリー自身の性格もよく描けていて、そこがこの本のいちばんの魅力。それから、アルカトラズ島はまさに職住接近の場所で、子どもたちも親の働いている姿をいつも見ているし、大人たちも子どもたちのことがよく分かっている。変な言い方だけど、アルカトラズ島は子育てには最適の場所だったのかも! そういう場所を舞台に選んだことで、物語がいっそう生き生きとしたんじゃないかしら。舞台の面白さと、自閉症の姉を持つという作者の経験がうまく結びついて、いい作品に仕上がったのだと思う。この本が第二作めだというから、これからの活躍が期待される作家ですよね。

ポン:訳もいいですよね〜。こういう文体って、なかなか難しいと思うんだけど、くだけかげんがほどよい感じ。いちばん最後の一文「例の件、終わった」が、また洒落ててすばらしい! ニクイ!

アカシア:この作品がアル・カポネを知らない日本の子どもたちにどう受け入れられるのか、私はまだ気になっています。たとえば『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著 講談社)は省略された文章ですけど、ピントが一直線でずれることがないので、読者がついていける。でも、この本では、障碍を持ったお姉さんが寄宿学校に入れるのか? ムースとパイパーの関係はどうなるのか? お父さんは失職することはないのか? ムースは居場所を見つけられるのか? ナタリーは囚人に恋してしまってだいじょうぶなのか? と、たくさん要素がある。長い文学作品に親しんできていない子どもには、ちょっとばかり難しいかもしれませんね。本をよく読む子には、逆にそこがおもしろいでしょうけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年4月の記録)


ピトゥスの動物園

サバスティア スリバス『ピトゥスの動物園』
『ピトゥスの動物園』
サバスティア・スリバス/著 宇野和美/訳 スギヤマカナヨ/絵
あすなろ書房
2006.12

ミッケ:これは、『アル・カポネによろしく』より対象年齢が低いんですよね。動物園を作る?と大人なら目が点になるようなことを大まじめに考えて、トラを借りてくるなんて言い出して、どうなることかと思っていたら、子どものトラを借りられることになったりで、えっ?というようなことがそれなりに現実になって、でもそれほどはちゃめちゃでもなくというところが、楽しかったです。とくに遠足にいったときのあれこれは、よく書けていたと思います。フクロウがそう簡単に捕まるかな? とは思ったけれど、でも、マネリトゥスがジャーンという感じで出てきて、みんなとあれこれやって、夕方バスで帰るみんなを見送り、もうこれでこの子の出番は終わったのかと思っていたら、最後でまた動物園に見に来るというのがよかった。本の作りも、全体に対象年齢がはっきりしていていいと思いました。

げた:子どもたちが、仲間のためにいっしょになって動物園をつくろうとしている姿に感動した。なかなか最近こういう、子どもたちが生き生きと活躍する本がないので、うちの図書館のブックリストに載せました。絵もかわいいじゃないですか。いかにもいい子ばっかりっていう感じがするんだけど、こういう子が活躍してほしいという気持ちもあって、おすすめの本にしました。きっと子どもたちがこんな風に生き生きするためには、しっかり見守っている、大人の存在が必要なのだろうなと思いました。

うさこ:病気の友だちのために子どもたちみんなで力を合わせて…と明るくて生き生きしていていいお話なのだけれど、作者は生活童話を書きながら、自分のユートピアの中にいる子どもたちを書いてしまったのかな、というのが感想でした。最もあれっ、と思ったところは、動物をつかまえてくるところはとてもていねいに書かれているのだけれど、その後、食べ物や排泄など世話をする、管理することは書かれていない。生き物を扱うときはその世話が最もたいへん。ここらあたりをあいまいにしているのが読んでいて消化不良でした。また、お金を扱う入場券のこととか、前日のパレードが絵のようにすっとできてしまうとか、物語を支える細部に疑問を持ち、とても残念でした。夏休みで宿題もせず、毎日毎日外出して怒られないのかなとも考えてしまった。

ポン:1966年の作品ですからね。

宇野:少なくとも、塾とかないし。

うさこ:かわいくていい絵なんだけど多く入れすぎて、読み手の想像力を奪ってしまっているし、ここぞというときの挿絵のインパクトが薄れてしまうようにも思いました。

ケロ:こういうタイプの本って、日本にはないですよね。新鮮な感じがしました。ただ、大人たちは出てこないけど、それなりに大がかりなことが動いている。バスが何台も出て動物をつかまえに行くとか。あれ、近所でやっていたんじゃなかったの? って思っていたら、きっと大人達がちゃんとからんでいたのね、って思ったりして。そのへんのピントが合わせづらかったです。

宇野:バスが8台というのはオーバーですよね。ただ多いってことを示したかっただけでしょう。

ケロ:現実ではなかなかないようなお話なんだけれど、中に書かれているエピソードが、子どもたちがみんなで何かやろうとしたときに、実際にありそうなことなので、とてもおっもしろく読みました。いいな、と思ったエピソードは、小さい子が、最初みんな掃除班に入れられてしまって泣いてしまうのを、もう一度割り振り直すところ。時代はちがっても共感できると思いました。ただ、友だちのために動物園をやろう、という話のわりに、ピトゥスは小道具的にしか使われていないですね。そこはちょっと残念。

アカシア:文学って、光と影の両方を伝えるものだと思うけど、これは、影の部分はなくて、光の部分だけを楽しく書いているんですね。小さい子向けだから、それでもいいと思うんですけど。だから、動物たちをつかまえるところは工夫が具体的に書かれてるんですけど、その後のめんどうな部分、影の部分は書かれていない。つかまえた動物の世話をするのも、お父さんお母さん。いいのかな、とちょっと思いました。チョウチョウを開園1週間前につかまえて小さな箱に入れておいてだいじょうぶなのかな、とか、死んじゃったらどうするのかな、とか、野鳥もつかまえてるけど禁止されてないのかな、とか、いろいろと考えてしまいました。それから、中高生のお兄さんは大工で、お姉さんは裁縫だなんて、ジェンダー的には古いですね。最初の子どものチームにも、女の子はひとりだけだし。おもしろかったけど、気になるところもありました。訳は、ていねいで、わかりやすくて、いいですね。

:1年半ぶりにこの会に参加したので、カルチャーショックがあったのかもしれないけれど、これは「上質なエンターテイメント」。可もなく不可もなく、これだけで本になっちゃうわけ? ピトゥスはどうなっちゃっているわけ? この経験はこの子どもたちにどう生きているわけ? 子どもは読むでしょうし、売れるでしょうが、それだけでいいの? ただ、力というのはあって、元気をもらえる。へたに深いところにふれていない。別れがないし、後腐れもない。日常生活とはちがうけれど、日常生活のエッセンスを入れた上手なバランス。『くまのプーさん』を思い出しました。現実世界に触れず、あの世界だけを上手にとどめて成功している。40年前の作品と聞いて納得しました。

ねず:子どもの目で、夢中になって読みました。とってもおもしろかった! 最初はグループ作りのおもしろさ、次は動物狩りのおもしろさ。作者もおもしろがって書いているので、ついついピトゥスのことを忘れちゃうのよね。それで、ときどき思い出したように、すまなそうにピトゥスのことが出てくる。たしかに童心主義というか、大人が見る子ども像という感じもしなくはないけど、このくらいの年齢の読者には、それでいいと思う。洞窟の場面など、どきどきさせるエピソードも盛りこんであるし、サービスいっぱい。子どもたちが読んだら、きっとわくわくするんじゃないかしら。訳も、それぞれのキャラクターにふさわしい口調で台詞を言わせているし、とても工夫されていて、いい訳だと思いました。

:そういう意味で、「上質のエンターテイメント」なんですよね。

アカシア:こういう楽しさって、日本の作家だとどうしてもリアリティが問題になるから、結局翻訳物で子どもに手渡すってことになるのかもしれませんね。

ミッケ:著者は小学校の先生だったそうですが、子どもたちのグループ分けの話だとか、細かいところに、なるほど先生としての経験が生きているなあ、と感じさせるところがありますね。

紙魚:この物語って、たくさん登場人物が出てきますよね。でも、あまりごちゃごちゃしないのは、それなりに性格がわかりやすく書き分けられているのと、スギヤマさんの絵にも助けられるからだと思います。もしもこれが一人称で書かれていたりしたら、子どもの目って近視眼的だから、ここまでいろいろな子がいることを書けなかったと思います。お話もとっても気に入りましたが、スギヤマさんの仕事ぶりになにしろ脱帽しました。先ほど、挿絵が多すぎるのではという意見もありましたが、私はこの絵の質と量がとてもいいと思いました。読み物といっても、文章と絵の関わりがかなり密接なんですね。本づくりの過程に興味がわきました。確かに、大人が子どもを見ているというのはあると思います。でも、年齢の低い人たちの場合には、そのことが安心感につながる場合もあると思います。

ポン:タネットはなんて立派なんだろうとか、私は子どもの心で読みました。ちょっとしたところに胸きゅん。握手しなおすところとか、いいですよね。光と影というようなことは、全然考えもしなかった。筆箱を供出した子が17人もいたっていうのは、びっくりしたけど。ちょっと軽率なやつがいたりするのも楽しい。宇野さんの訳はやさしくて、この作品の雰囲気をよく伝えてると思う。私が好きなのは、やっぱりこういう世界なのかも。

宇野:みなさんのおっしゃるとおりだと思います。10年以上前に本屋さんで、この本だけ20何刷かになっていたのを見て手にとったんです。原作がカタルーニャ語なんですが、スペイン語版の翻訳は悪いと人に言われ、カタルーニャ語で訳したいと思いました。スペインは内戦後、スペイン語以外の言語の本は出すことができない時代があって、この本はカタルーニャ語が解禁になってすぐに刊行された、記念すべきカタルーニャ児童読物なんです。実は、いろいろな日本の出版社に要約を見せて何度もボツになり、しまいに全訳して持ち込んでようやく採用された作品です。原書を読んだときは、原書の絵もいいなと思ったのですが、スギヤマさんの絵を見たらだんぜんこちらがよくて感激しました。大人が子どもを見て書いているという感じは、確かに全編にありますね。でも、原書にたくさんあった「子どもたちは〜」という主語は、できるだけ子どもの視点で読めるように気をつけて訳しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年4月の記録)


教室の祭り

草野たき『教室の祭り』
『教室の祭り』
草野たき/著
岩崎書店
2006.10

うさこ:タイトルがすごく気になって、今の子どもたちの日常を切り取った作品だなあと思って読み進めたのですが、この本で印象に残ったのは「強い人になりたい」ということば。スミコが友だち関係にすごく悩んでいることを本の3分の2くらいまで書いてありますが、でもそんなに大きな変化がない。それが18章で大きく展開し、ラストまでが急激な感じがしました。156ページ「心の強い人になるんだ」が、イコール「いじめに耐える人」という風に伝わってくる。いじめに耐えつつナオコと携帯でつながっているのだけれど、人間関係の描き方が希薄。携帯で通じ合ってる、メールでつながっているというだけで、それ以上に踏み込むのはいやがられるのが今の子の関係性なのでしょうか。人間関係の深みを感じられなくて、さびしい作品だなと思いました。疑問点として、スミコはナオコが気になっているのに電話すらしないのに、最後、携帯でメール、おやっと思いました。作品を通して、ナオコの人柄もよくつかめませんでした。

ケロ:タイトルはインパクトがありました。「祭り」ってこわいですね。女の子同士の確執からどう抜け出すか。このことに関しては、結論とか解決が出しづらい問題だとは思うのですが、なにか最後まで読んでも納得がいかないままになるお話だと感じました。ナオコという、弱いと思っていた子が強さを見せ、自分のほうが見捨てられていたんだと、ガーンとなるスミコ。作者は、そのインパクトが書きたかったのかな? 高学年のおそらく女の子が、この作品から何を受け取るのかな。知りたいなと思います。パーフェクトなお母さん像を描く必要はないと思うのだけれど、このお母さん像が今ひとつしっくりこなかった。大人になっていくと、あきらめることを選ぶことが必要と言うけれど、前半のお母さん像とズレを感じる。お母さんが「選ぶ」と言っていることと、友だちを「選ぶ」というのは、同レベルで考えられることなのかしら…。こういうお話は、ハッピーエンドでなくてもいいから、もっと元気の出るふうに結末を持ってきてくれるといいんだけど。

アカシア:いじめを書いている作家はたくさんいますが、作者がどういう位置に立って書くかが大事だと思うんです。この作家の立ち位置は、私には共感できませんでした。作者の考えはスミコのお母さんの言葉にあらわれていて、それは「AじゃなくBを選んでもいいんだ」ってことだと思うんですが、どっちかを選ばなくちゃ行けないっていうこと自体、私は嫌だったんです。それでは人間関係が狭くなるだけで豊かにはならないでしょう? いろんな人たちといろんな友だちの作り方がある、と私は思うから。それ以外にも、気になるところが多くて、楽しめませんでしたね。28ページ「バーカ、こないだの体育の…」今の子は、こんな長い会話はしませんよね。84ページでは、お母さんが自分は充分努力したって言うんですけど、努力している姿が書いてないんで、しらけちゃいました。カコとてっちゃんの描き方も薄っぺらだし。

ねず:日本の創作物については、いつも辛口になるので、まず最初にいいなと思ったところを言おうと思います。ナオコの家にクラスのみんなが押しかけるところ、無邪気さを装った底知れない悪意があって、なんともいえない迫力がありました。こういうところが、この作者は得意なのかしら? でも、読み終わって「いやなものを読んじゃった」という感じがしました。57ページ最後の「友だちっていうのは、選んでいいのよ」というお母さんの台詞を読んだときは、心がすうっと冷たくなるような気がしました。西川てつこともうひとりの友だちの平べったい書き方にも疑問を持ったし、共感をおぼえるような登場人物がひとりも出てこない。いじめ問題を取りあげるにしても、もっと人間の本質に迫るような、読者が大人になっても折りにふれて思い出すような、そういう作品を書いてほしいと思いました。こういうことしか書くことがないのかな。もっと子どもに語りたいことがあるでしょうに。それから、地の文と語り口調がまじっていて、「わーっと声に出して喜んだ」ではなく「わーって声に出して……」となっているような所がときどきあって、あんまり端正な文章ではないという気がしました。

ミッケ:みなさんのお話を聞きながら、あれこれ考えていたんですが、この本は、いじめをしたり、されたりしている子どものレベルを超えるものを提示してない気がします。主人公は、ふたりの女の子にいわば引っ張られるような形で、なんとなくもやもやを抱えながら親友と遠ざかるんだけれど、これじゃだめだっていうんで、ふたりの女の子に向かって、自分の思っていたことを言う。それ自体は悪くないんだけど、主人公と一緒に3人で楽しく過ごしていたと思いこんでいた2人にしたら、それってどういうこと?ってなっちゃう。そこへの目配りがないんですね。なにしろふたりにすれば、藪から棒に足下をすくわれたみたいな格好なわけで、そりゃあむっとしたり腹を立てたりもするでしょう。ここで、主人公の側が、自分が反省しているというあたりをきちんと相手に伝えきれないこともあって、そこからいじめが始まるわけですよね。こうなると、いじめられる側は、消極的な抗戦をして、徐々に仲間が増えていくのを待つしかない。まあ、こういう形で終わること自体は、子どもたちの現状からいってこうしか書けないだろうし、リアリティのある展開なんだろうと思うけれど、でもねえ、という気がする。たとえば、お母さんの「選んでいいのよ」っていう言い方や、この子が仲間に対して、わたしはあんたたちじゃなくあの子を選ぶ、みたいにスパッと相手を切り棄てるようなことをいうことからもわかるように、この本では、いじめたりいじめられたりする平面の中で物語が完結していて、そこからひとつ上にあがっていじめを乗り越えるという道が提示されていない。大人も含めて、子どもの狭い視野から抜け出せていなくて、子どもたちも最後までそういう狭い視野のままなんですね。あっちにつくか、こっちにつくかという同じレベルでの2分法で終わっている。いじめる側といじめられる側、というふうに決めつけておしまいという感じなんですね。だからこういうふうにしかなりようがない。それがこの本の限界だと思います。

アカシア:ナオコも結局スローガンで動いているみたいで、生きている立体的な人間という気がしないんですね。もっと登場人物を魅力的に書いてほしかったな。

ミッケ:冒頭から、主人公の澄子さんがだらだらしていて、魅力的じゃないんですよね。

:だから、みんな共感できない。魅力的じゃないのよ。

ねず:お母さんのことは、この子はどう思ってるの?

:お母さんはこう言うけれどって、反発するところがないのよ。親子のとらえ方が浅薄な原因かな。ただ著者は、いじめられてもしたたかな子どもを、書こうとしたんじゃないかな。

ねず:したたかさを書いても、おもしろい作品ならいいけれど……

紙魚:そういうところは、今の時代の傾向かなとも感じます。以前、お母さんたちが集まった席で、「自分の子どもが、いじめっ子になるのと、いじめられっ子になるのではどちらがいいか」という議論になったとき、一人のお母さんは「どうしても選ばなければならないのなら、いじめられっ子」と、もう一人のお母さんは「どちらもいや」とこたえました。あとのお母さんたちは全員が「いじめられるくらいなら、いじめっ子になった方がいい」と答えたんです。そういうことが大きな声で言えてしまうという今の風潮は確かにあると思うので、こういう作品はそうした時代のトレースなのかなとも感じたりします。

ポン:なんであんまりおもしろくなかったのか、今みんなの話を聞いて、わかった気がする……。ちっちゃい、ちっちゃいところで行われていることを書いているから、今同じような状況にある子が読んだら、すごく共感できるのかもしれないけど、その場にいない私にとっては、遠い世界。私の想像力は、うまく働きませんでした。

宇野:「友だちを選んでいい」というのは、よく言われる「みんな仲良く」に対する言葉かもしれませんね。

げた:私は、みなさんとはぜんぜん違うふうに読みました。ナオコが出てきた教室が祭りだっていうんだけど、そこにいる子どもたちは、ナオコの心の中は考えず、自分の気持ちや都合とその場のノリで行動している。そういうことに対して、スミコはほかの子どもたちから排斥されながらも、ナオコの気持ちをなんとか考え、なんとかしようとしている。その中で自分自身も変えていこう、強い人になりたいというスミコの変化を書いているのかな、と思ったんですよね。私は、スミコに共感できるものがありましたね。他人のことを思いやれる子ほど、かえって受難者になるという詩を読んだことがありますが、まさにスミコのことですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年4月の記録)


2007年04月 テーマ:子どもたちの強さ

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『2007年04月 テーマ:子どもたちの強さ』
日付 2007年4月19日
参加者 宇野和美、うさこ、ミッケ、ポン、げた、ケロ、アカシア、裕、ねず、紙魚
テーマ 子どもたちの強さ

読んだ本:

ジェニファー・チョールデンコウ『アル・カポネによろしく』
『アル・カポネによろしく』
原題:AL CAPONE DOES MY SHIRTS by Gennifer Choldenko, 2004
ジェニファ・チョールデンコウ/著 こだまともこ/訳
あすなろ書房
2006.12

オビ語録:巨悪のヒーロー、アル・カポネを筆頭に、選りぬきの極悪囚が送りこまれる島、アルカトラズ島。そんな〈悪魔の島〉にやってきたムース少年と5人の子どもたちが織りなす、涙と笑いの熱い友情物語! *2005年ニューベリー賞銀賞受賞作
サバスティア スリバス『ピトゥスの動物園』
『ピトゥスの動物園』
原題:EL ZOO D'EN PITUS by SABASTIA SORRIBAS, 1966
サバスティア・スリバス/著 宇野和美/訳 スギヤマカナヨ/絵
あすなろ書房
2006.12

オビ語録:病気になったピトゥスを救うために5人のなかまが考えたのは、一日だけの移動動物園!
草野たき『教室の祭り』
『教室の祭り』
草野たき/著
岩崎書店
2006.10

版元語録:5年生になって仲良しの直子とまた一緒になれたスミは喜ぶ。塾 にも行きなさいと母親に言われ、塾に通うことになるが、そこに はクラスでも目立つ友人二人も通っていた。

(さらに…)

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少年

ビートたけし『少年』
『少年』
ビートたけし/著
新潮文庫
1987

エーデルワイス:生徒たちはけっこう喜んで読むんですよね。ビートたけしの家族構成はよく知られていて、それをよく反映しているのが最初の短篇ですが、まあ、深みがあるわけではなく、漫画的な感じですね。でも徒競走のヒーローであるカラバカが熱を出して、それでもどてらを着て走って、倒れて、というドタバタに、後に偉くなって社長になりましたという落ちがついて、楽しめる話だと思います。次の短篇は、最後に兄弟が死ぬのかどうなのかということが、読んだ生徒たちの間で議論になります。兄弟は亡くなった父への想いをまだ断ち切れず学校でもいじめられ、一方母親は再婚へ、というあたりが切ない作品だと思います。3つ目は大人の世界をかいま見るというように、3つの作品の持ち味がそれぞれに違う。気軽に読める本の世界への入門編という感じですね。よく本を読んでいる生徒からは、「底が浅い」という感想も出ることがありますが、一般的には取っつきやすい作品だと思います。

アカシア:ビートたけしの本だから読んでみたらおもしろかった、というのは、たしかに本の世界への入り口としていいと思います。この小説には、ビートたけしにつきものの飛躍というかギャップがないから、編集の手も相当入っていると考えていいのでしょうか? 読みやすいですよね。カラバカみたいな子は今の時代にはいないでしょうけど、昔は得体の知れないおもしろい人がまわりにいっぱいいましたね。そういう得体の知れない人がまわりにいると、子どもはいろいろと考えたりすると思いますけど。エーデルワイスさんの学校の生徒は、この本のどういうところをおもしろいって言うんですか。

エーデルワイス:生徒たちの発言をどう引き出すかですが、まず、読んでこさせて、記憶に残っている場面や、気に入った登場人物を言わせると、一人一人違っていろいろ出てくるわけです。成績では振るわない子が、カラバカに対する熱い思い入れを語って「将来大物になるぞ」と宣言したり、兄の立場の子が作品中のお兄ちゃんに自分を重ねたり、弟はまた弟に自分を重ね合わせたり、あるいは、弟の立場でこんなお兄ちゃんがいればいいのに、とか。様々な人物が出てくるから、それぞれが作中人物に自分を重ねられる。子どもにとっては、感想が言いやすい本で、バラエティーに富んでいるので、おもしろかったという印象が生まれるんだと思います。選択教科の時間というのがあって、生徒が選んだ本を読み合うというのをやっていますが、そこで中3の子が選んできたのがこの本です。

アカシア:それぞれの短篇のイメージがくっきりしていますよね。人物の描き方は深いとはいえなくても、ステレオタイプでもないから、中学生くらいで読むにはいいと思います。わかりやすいし。

げた:アカシアさんと同じ感想です。ストーリーも人物設定もわかりやすい反面、ぼくはステレオタイプかなとも思わなくもないですけどね。カラバカが土建屋になって駅前にビルを建てました、というのはいかにもという感じかな。でもイメージはたしかにくっきりしていて、本になじみのない子にとっては、イメージがわきやすい。本に親しむための、とっかかりの本としていいと思います。

ミッケ:みなさんがおっしゃったとおりだと思います。いわば、昔の中学生が星新一から本格的な読書に入っていったような、そんな感じの位置づけ。特に新しいことがあるわけではないけれど、長さも短いしくっきりしているし、たけしの作品ということで近づきやすい。ただ、星新一の前回の作品に比べると、家族を扱っているという点で普遍性があるから、古びないかもしれない。でも、最初の短篇はかなり時代色が濃いですよね。今の子にとっては大丈夫なのかな?

アカシア:「菊次郎とサキ」みたいなのをお茶の間で見ているわけですから、子どももけっこうわかってるんじゃないかな。

ミッケ:エーデルワイスさんの学校の生徒たちは、たとえば第一作のようないわば昭和という時代の色が濃くて、大人が読むとノスタルジーを感じるようなものを読んだときに、こういう時代性にはどう反応するんですか?

エーデルワイス:それは、生徒によっていろいろですね。

げた:この話の中に登場する小道具は確かに古いけれど、運動会への思い入れという点では、今の子にも通じるところがあるから、わかるんじゃないかな。どてらを着たカラバカはさすがにいないだろうけど、それに近いくらいの子はいそうだし。私が見た運動会では、子どもたちは結構シビアに競走してますよ。

アカシア:今は学校の運動会でも、タイムをあらかじめ計っておいて同じようなレベルの子を競走させたりするので、カラバカタイプが注目されるチャンスが少なくなってるのでは? カラバカ、いいですよねえ。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年3月の記録)


カモ少年と謎のペンフレンド

ダニエル・ペナック『カモ少年と謎のペンフレンド』
『カモ少年と謎のペンフレンド』
ダニエル・ペナック/著 中井珠子/訳
白水社
2002.05

げた:カモと聞いて最初鳥の鴨かと思ったんですが、ああ名前なんだと気づきました。今日の3冊の中では2番目にイメージがわきやすいものだと思います。途中まで自分もカモと同じように、ひょっとしたら18世紀から来た手紙かなと思って、『これってファンタジー?』と思ったけど、実はとても現実的な話で、10カ国語を使える母と、英語修得をしなくてはいけない息子の話なんですね。ペナックのカモシリーズは日本ではこれしか出ていないようだけど、フランスでは人気作家だそうですね。このお母さん、妙に英語修得に熱心なんだけど、他の科目が悪くなっても英語の力をつけたいというのには理由があるのかな?

アカシア:フランス人はフランス語に対するプライドが高いから、外国語習得にしゃかりきになる人は少ない気がするけど。

エーデルワイス:このお母さんは、ユダヤ人ですよね、きっと。ロシアからドイツに来て、語学は得意みたいなことが書いてありました。語学が生存そのものに直結するんでしょう、歴史的に。だから息子にきちんと外国語を学ばせたくて、いろいろと考えたんでしょう。

げた:世界で一番話されている英語の力をつけたいという思いがあったのかしらね。

アカシア:おもしろいアイデアの本だと思います。過去から手紙が来るという設定で、『嵐が丘』の登場人物から手紙が来るんですもんね。ただ、イギリス人ならこのアイディアだけで1冊の本をつくったりはしないと思うんです。大体3か月で言語習得は無理でしょ。そういう意味でリアリティはなくて「これは作り話ですよ」というくくりの中で楽しめる本ですよね。この手のお話は、読んでてうまく仕掛けに乗れると読者の側にも快感があるんだけど、これ、それほどうまくは乗せてくれないんで、ちょっと残念。あと、フランス語のvous とtuを、「あなた」と「あんた」って訳してるんですけど、かなりニュアンス違いますよね。訳しづらいところだけど、もう少し工夫があるといいなと思いました。

ミッケ:このカモ君のシリーズは、英訳もされていて、児童書の本屋に置いてあったところをみると、それなりの人気があるんだろうと思います。でも、なんというかアイデアの本だなという感じがする。たとえば、たまたま私が持ってる同じシリーズの英訳本“Kamo`s escape”なんかは、カモ少年に一時的におじいちゃんが乗り移っちゃうという話で、おじいちゃんを通して第二次世界大戦のことを語っていたりするんですが、それだけがぽこんと浮いている感じで、結局書き切れていないというか、拍子抜けな本なんです。今日のこの本もやっぱり同じような印象で、過去の人との文通というアイデアはなかなかいい。でも、物語がふくらむ前に、さっさと友達が相手の正体を突き止めてきて、しかもそれがカモのお母さんだったという種明かしに進むというのは、なんとも肩すかしを食らった感じでした。そんなふうに簡単にだまされるかしらと思ってしまって、今ひとつリアリティがない。もう少しふくらませて、なるほどと思わせてほしいな。なんか淡々としているんですよね。英語版の経歴によると、作者はモロッコのカサブランカ生まれで、木こりをしたりタクシーの運転手をしたり、教師もしていて、その後作家になったそうです。あと、この人の読書に対する思い入れの強さは、この本からもわかりますね。

アカシア:手紙が来た時にカモ少年が取り付かれるというところで、私の場合はカモと自分の間にすでにギャップを感じて、入り込めなくなりました。

エーデルワイス:やはりアイデアがおもしろい作品だと思う。私は楽しく読めました。背後にいろいろな教養がちりばめられてあって、なかなかいい。『嵐が丘』を読みたくなりましたが、間に合わなかった。

アカシア:フランスの子どもの本には、なかなかいいのがないですね。

ミッケ:これも、大人の作品という感じがしますね。

エーデルワイス:話は変わるけど、フランスには高校生が選ぶ「高校生ゴンクール賞」というのがあります。高校生がきちんと議論してかなり高度な本を選ぶ。高校生を子ども扱いせず、立派な大人として扱っている。もう19回だとか。去年の受賞作は『マグヌス』という本ですが、読み応えがあります。

ミッケ:子どものなかで、議論したり知的な話をするという能力がちゃんと育っていくと、思春期になったときに、大人に議論をふっかけてみたり、知的な話で背伸びしたりというふうに、自分の力をあれこれ試してみたいという気持ちが出てくるはずで、大人の側がそれにきちんと対応してはじめて、物をしっかり考える力がつくのだと思います。でも、日本では、大人の側が受け止め切れていなくて、議論を避けたり圧殺したりする場合がかなり多いような気がします。おそらく社会の根底にある価値観にも関わるんだと思いますが。

アカシア:日本には、まだまだ議論で考えを深めていくという文化が育ってないんでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年3月の記録)


まぼろしの小さい犬

フィリパ・ピアス『まぼろしの小さい犬』
『まぼろしの小さい犬』
フィリパ・ピアス/著 猪熊葉子/訳
岩波書店
1989.07

アカシア:子どもの気持ちをよくとらえているし、どの人物もみなあたたかいし、ほんとうにピアスはすばらしいなあと思います。みんなを仕切るグレートマザーのおばあさんは、いわば敵役で、犬も嫌いだし、もっとひどい奴に書いてあっても不思議じゃないのに、ベンに「おまえ、犬をもらう約束だったね。約束はまもらなくちゃーーちゃんとね。わたしたちは、そうしなきゃいけなかったのだよ……」と言ったり、ベンが小犬たちをあやしているところを悪い足を引きずって見にきたりします。p4には、「おばあさんはひどくゆっくりと、うしろむきになって階段をおりてくるところだった。ひざがかたくなっていたので、いつもそうしてぎゃくむきにおりるのだ」という描写があります。本筋とは関係ないんですけど、2階からバスの到着を見ていたことがわかり、おばあさんなりにベンを待っていたんだろうと読者に想像させます。おじいさんの方も、「おじいさんはこういう人でした」と書くのではなく、しぐさや言葉の端々から読者に人物像を思い描かせる。読書好きの人にはたまらないおもしろさですよね。
こういう作品は、読むたびに新たな発見があるかもしれない。フラットに説明するんじゃなくて、読者の想像力に働きかけますから。この少年は果たして犬を飼えるのだろうか、という引っ張りもあるけれど、それより何より上質の味わいを楽しむ作品だと思います。筋しか追えない読者だと、最後に犬が手に入ったときに、それなのに犬を拒む気持ちや、でも呼び戻そうとする気持ちがわからないでしょうね。ほんとうは、こういう本こそ中学生なんかには読んでもらいたいんだけど、一方にハリポタのような展開が早くて筋で読ませる物があると、やっぱり負けちゃうんでしょうか? ピアスの作品は、どれもいいですよね。

げた:同じような気持ちです。舞台はちょっと昔で、5人兄弟の中で宙ぶらりんな立場の子という設定だけど、今時の子だと、まだ兄弟が小さいのにお姉さんがもう結婚するというのはぴんと来ないかも知れませんね。今日の3冊の中では、文章表現にいちばん厚みがあって、丹念に読んでいくと、情景がはっきりしてくる。それぞれの人となりがよくわかるような文章で、ちゃんと読めば読むほど味わいが出てくると思います。筋だけを追う読み方をすると、よくある話じゃん、で終わりになってしまう。要するに、犬がほしくて仕方ない子が、夢中になったあまり事故にあったりして、でも結局犬をもらうことができて……、みたいな感じでね。小学生に読ませようとすると、難しいかもしれませんね。大人が読んでも味わえる文章ですからね。前半でいうと、落っことした犬の絵が踏まれ、ゴミのように捨てられる場面の表現がすごく印象に残っています。ただ割れました、ですまさない。児童文学ってすごいなあと思いました。あとは、お父さんが引っ越し話でむくれるところなんかも、大人が読んでも面白い話ですね。

アカシア:でも、本に慣れていない子どもの場合、自分の力で読み取らなくてはならない部分がたくさんあるからきついかもしれないですねえ。

げた:読み聞かせしたほうがいいかもしれませんね。

エーデルワイス:ブックトークをするとしたら、どんな風にするんですか。

げた:たとえば、「今一番ほしい物」みたいなテーマを決めて、読み物や知識の本、絵本なんか5〜6冊用意しておいて、そのうちの最後の1冊として出すんでしょうね。

ミッケ:みなさんがおっしゃったことにつきると思います。ピアスの本は大好きで、なかでもこの本はとても好きで、自分でも買って持っています。今回課題になって、さっさと本棚から出してきたのだけれど、一昨日まで、なんだかんだと理由をつけて読まなかったんです。というのは、もう物語に引き込まれちゃって、たぶん涙が出てくるってわかってるものだから、おっかなくて。で、覚悟を決めて読み始めて、当然すっかり引き込まれたわけですが、それにしても、最後の部分を電車の中で読むことになったのは、大失敗でした。電車の中で涙が出そうになって、ひどく困りました。とにかく、岩波の本の223ページからあと、たった10ページちょっとしかないんだけれど、さっきアカシアさんがおっしゃった、念願かなって犬は手に入ったものの、それが自分の期待していたのと違っちゃったものだから、せっかく自分の物になった犬を受け入れられずにいて、でも結局はその犬を受け入れる、という部分が実にすばらしい。これがあるのとないのでは、もう雲泥の差だと思います。犬のほうも、人間に歓迎されていないことを悟って離れていこうとするあたりが何とも切なくて、でも結局はハッピーエンドになって読者はほっとする。とにかく大好きな作品です。

アカシア:最後の部分は、子どもに実体験があれば、それに裏付けられて読みが深まるという形になるんでしょうけど、今の子に、こういう本の読みを裏付ける経験はあるかなあ?

げた:今の子は何でも手にはいるから。

ミッケ:今の時代は、携帯とかゲームとかがたくさんあって、とにかく、ぼーっとしていて、何をするでもなく自分とはあまり関係ない物を見たり感じたりするという時間や経験をなくそう、なくそうとする圧力がとても強いように思います。自分と関係がなさそうな物に対しては、関心を持たなくなってきている。物事を丁寧に感じ、丁寧に見ようという余裕がなくなってきていて、そういう意味で、相手の気持ちを想像したり、あるいは外見や行動から相手の中身を探っていくという実体験は減っているのかもしれない。文章の読み取りの訓練としては、難しい文章の読み取りもある程度訓練できるのかもしれないけれど、実体験での裏付けとなると難しいかも。ということは、読みの豊かさが失われることにもなりそうですね。

エーデルワイス:ピアスの『トムは真夜中の庭で』(高杉一郎訳 岩波書店)は中学生に読ませましたが、この本はやっていません。トムの場合も丁寧に読んでいかないと、なかなかその世界に入れないところがあります。今の作品は会話でポンポン、テンポよく読ませる本ばかりなので、これは難しいかもしれませんね。じっくり読めるようになるには訓練が必要ですから。

アカシア:ピアスでも短編集の『幽霊を見た10の話』(高杉一郎訳 岩波書店)なんかはちょっと怖い話だから、入りやすいかもしれませんね。

ミッケ:これって、売れてるんでしょうかね?

アカシア:本の好きな子って、いつの時代にも一定数はいますから……

エーデルワイス:『トムは真夜中の庭で』を学校で取り上げたときに、フィリパ・ピアスを読んだことある人、と聞いたら、ほとんどいませんでした。男の子だけですが。ちょっと残念です。広く読んでほしい作家ですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年3月の記録)


2007年03月 テーマ:少年の心

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『2007年03月 テーマ:少年の心』
日付 2007年3月22日
参加者 エーデルワイス、ミッケ、げた、アカシア
テーマ 少年の心

読んだ本:

ビートたけし『少年』
『少年』
ビートたけし/著
新潮文庫
1987

版元語録:ノスタルジーなんかじゃない。少年はオレにとっての現在だ。天才たけしが自らの行動原理を浮き彫りにする「元気の出る」小説3編。
ダニエル・ペナック『カモ少年と謎のペンフレンド』
『カモ少年と謎のペンフレンド』
原題:KAMO L'AGENCE BABEL by Daniel Pennac, 1992
ダニエル・ペナック/著 中井珠子/訳
白水社
2002.05

版元語録:ぼくの親友で英語嫌いのカモは、謎のイギリス人少女と文通を始め、やがて誰とも口をきかなくなる。ぼくは真相解明のため、ペンフレンド紹介所に侵入し、驚くべき事実を発見する。フランスの少年少女に大人気の愉快な物語。
フィリパ・ピアス『まぼろしの小さい犬』
『まぼろしの小さい犬』
原題:A DOG SO SMALL by Philippa Pearce, 1962
フィリパ・ピアス/著 猪熊葉子/訳
岩波書店
1989.07

版元語録:ベンの望みは犬を飼うこと.だがロンドンに住むベンには,それが許されない.田舎の祖父母の家で犬のいる生活を経験してからは,ベンの犬への思いは強まるばかり.少年の心の渇望をくっきりと写した傑作.

(さらに…)

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ウサギが丘のきびしい冬

ロバート・ローソン『ウサギが丘のきびしい冬』
『ウサギが丘のきびしい冬』
ロバート・ローソン/著 三原泉/訳
あすなろ書房
2006.2

愁童:おもしろいんだけど、擬人化が過ぎるんで、子どもの読者は読んでいるうちに人間の話だかウサギの話なのか、こんがらかって来ちゃうんじゃないかな。だいぶ昔に評価が高かった『ウォーターシップダウンのウサギたち』(リチャード・アダムズ著 神宮輝夫訳 評論社)と比べると作者の姿勢が対照的ですね。『ウォーターシップダウン〜』の方は、自然の中で生きる野生のウサギの生態に感情移入して読めるように書かれているけど、こっちはウサギがベッドでふとんかぶって寝てるわけだから、そんなに寒けりゃ、ストーブかエアコンで暖房すれば? なんて思う子もいるんじゃないかな。

みんな口々に:これって、原著が出たのが昔なんですよねえ……1954年ですもん。

ミッケ:この作者は、『はなのすきなうし』の画家で、『はなのすきなうし』が大好きだった人間としては、かなりわくわくして読みはじめたのですが、なんというか、さすがに時代がかっているなあ、という感じでした。いかにも、『ウォーターシップダウン〜』なんかが出てくる前の作品、という感じ。でも一方で、こののんびりした感じはいいなあ、と思わないでもない。こういうのんびりした感じは、今の作品には決してないから。お話としては特にぐっとくるところがあるわけではなかったけれど、訳はとても滑らかで、よく工夫してあると思いました。それから、後ろの方で主人公のおじさんにあたるウサギが、お父さんウサギがしょっちゅう吹聴している遙か遠くのグリーングラスという地方にあこがれて、そこに行ったつもりになって戻ってくるんだけれど、じつはちょっと下の庭師の家までいっただけだった、という作りは、とてもおもしろかった。愁童さんがおっしゃったように、ひじょうに擬人化されていて、たとえば、野ネズミが冬が厳しくなって大挙して移住していくところなんかは、シネスコの黄色みがかった西部劇の映画を観ているような感じでした。あと、ちょっと説教くさいところもありますね。

ねず:たしかに古めかしい本ではあるけれど、わたしはそれなりに楽しく読みました。良くも悪くも、この物語の特徴は擬人化された動物の世界と、リアルな人間の世界の両方を並行して書いていることですよね。前に取り上げた『天才コオロギ ニューヨークへ』(ジョージ・セルデン著 吉田新一訳 あすなろ書房)もそうでしたが、人間の世界と動物の世界を切り替えるときのテクニックがうまいと思いました。そのふたつの世界の間に位置しているのが、ペットである犬と猫で、これは全然しゃべってもいない。どっちつかずの、アホみたいな、かわいそうな位置にいるというのもおもしろいと思いました。だいたい、どうして子どもって動物を擬人化した物語をすんなりと受け入れるんでしょうね? 研究している方もいるかもしれないけれど、いつも不思議に思います。この物語のクリスマスの場面、アメリカにいるウサギはみんなクリスチャンなの?などと突っ込みたくもなりますが、光と食べ物がふんだんにあふれたこういう場面を読むと、小さい子どもたちはとっても幸せな気分になれるのでは?

アカシア:私はこの作品はもの足りませんでした。動物を擬人化すること自体はいいんですが、この作品は擬人化の度合いが一つの作品の中で統一されてないんですね。たとえばp.47では、ウサギのアナルダスおじさんが、ネコを助けられないかと母さんウサギに持ちかけられて、「自然のおきてに反しておる。そうだろう? いつからネズミとウサギが、ネコをたすけるようになったのだ? (中略)そうだ、わしは自然のおきてに反するようなまねは、したくない」と言うんですが、その一方ではウサギとキツネが仲良く話したり、キツネがたくわえている七面鳥の肉をノネズミが取りにいったりする。p.16-17の文章と絵にしても、父さんウサギはステッキをついて丘をのぼってくるのですが、ジョージーぼうやは擬人化されずにぴょんぴょんはねています。どうもご都合主義な感じがして、いただけません。また、この作品には物語の核がないんですね。ドラマティックな山がない。大人が昔風ののんびりした物語をなつかしむにはいいかもしれないけど、子どもにとってはわくわく感が足りないと思います。
良かったのは装丁(桂川潤さん)と、翻訳です。読みたいという気持ちにさせる美しい装丁だし、翻訳は、たくさん登場するキャラクターの特徴をうまくつかんで会話などの口調も訳し分けていますね。おかげで原文よりおもしろく読めるのではないでしょうか。
ああ、それから、野生の動物たちが人間に依存して暮らしているという設定も、私は嫌でした。

愁童:そうなんだよね、そのとおり!

ミッケ:いってみれば、人間に餌付けされてるんですよね。

愁童:動物のリアリティが感じられないよね。今は学校でウサギの飼育係なんてのをやってる子もいるから、そんな子は、ウサギは水が苦手なのを良く知っているし、p.54あたりの話や挿絵なんか見ると、「ありえなーい!!」ってなことになるんじゃないかな。

ウグイス:わたしは、動物の擬人化物語はとても好きなんです。この作品は、1950年代に書かれていることと、アメリカのコネティカットの田舎を舞台にしている、というのがポイントですよね。農場で暮らす子どもにとっては、いつも目にするなじみの小動物が、自分たちの知らないところで実はこういう暮らしをしているのか、と想像する楽しさがあると思うんです。そして、ユーモアも50年代らしく、大変おだやかで、ゆるやか。この時代ならではの良さが感じられるけど、今の子には退屈かもしれない。一見読みやすいけれど、物足りないでしょうね。装丁がすてきで、面白そうだなと思って期待したんだけれど、その割には、引き込まれるというところまではいかなかったわね。物語の核がないという意見に私も同感です。作家が身近な動物に愛情を注いで、楽しみながら作ったという感じ。

ねず:読み聞かせに使ったらどうかしら。

一同:う〜ん、どうかなあ。

愁童:日本にだって、野生のウサギを身近に見ながら生活している地方の子がいるわけで、そういう子にとっては、ウサギが籠に食べ物を入れて持ち歩く描写なんか読まされるとシラケるんじゃないかな?

ウグイス:動物が人間のように描かれているのはいいと思うの。そこがおもしろいんだから。

アカシア:作者は動物の生態を伝えるためにこれを書いたわけじゃないし、擬人化そのものが問題なんじゃないのよ。子どもは、擬人化されている動物物語は、そういうものとしてちゃんと理解するからね。ただ、一つの物語の中での世界の構築の仕方に揺らぎがあるから、まごついちゃう。

ウグイス:動物が、子どもには見えないところで実は人間くさいっていう、そこの齟齬がおもしろいんだと思う。

ねず:人間と動物の見ている物が違っている、そのずれのおもしろさがユーモアになっているのよね。でも、『天才コオロギ ニューヨークへ』では、人間も動物もそれぞれが、それなりに外側の厳しい世界にさらされていたけれど、この物語の動物は囲われているからね。

アカシア:50年前と違って今は自然が失われてしまったから、これよりは『ウォーターシップダウン』を勧めたいっていう愁童さんの気持ちは、私もよくわかります。今の子どもにまずこれを手渡したいという気持ちにはなれない。

愁童:お話はとても可愛らしいとは思うけど、この本からは、自然に対する畏敬とか、自分とは異なる生き方をするものに対する冷静な観察眼や思いやりは育ちにくいんと思うんだよね。

ねず、ウグイス:人間が動物のパトロン的なのよね。

うさこ:動物ファンタジーの難しさを感じました。内容としてはおもしろい。でも、人間はふつうで、動物の方だけファンタジーというのが中途半端な感じで。ぎくしゃくしてる。ファンタジーとしての枠が確立されていないから、混乱するんですよね。人間世界と動物世界に距離があるのはわかるけれど、物語世界として練れていない。ウサギの世界の中でも矛盾があって、ファンタジーと生態がごちゃごちゃ。たとえば、p.171の絵なんて、ジョージやノネズミはリアルな姿なのに、おじさんとお父さんは足を組んで肘掛け椅子にすわったり、パイプをくゆらしたりしてファンタジーの世界に入ってる。p.40-41もそう。一枚の絵の中にリアルな要素とファンタジーの要素が同居すると、え?という感じになります。絵もお話もかわいいけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年2月の記録)


シルバーウイング〜銀翼のコウモリ1

ケネス・オッペル『シルバーウィング』
『シルバーウイング〜銀翼のコウモリ1』
ケネス・オッペル/著 嶋田水子/訳
小学館
2004.11

ミッケ:コウモリが主人公だなんて、おもしろいなあと思って読み始めたんですが……。たまたまちょっと前にコウモリのエコーロケーションシステムについての科学の本を読んだりしていたので、その影響でちょっと乗れなかった部分があります。というのは、エコーロケーションシステムというのは、音波を送ってその跳ね返りで物体までの距離を判断するから、実は裏側がどうなっているかはわからない、前面しかわからないはずなんですよね。だから、人間が見ている世界とはかなり見え方が違うはずなんじゃないかと思うんです。ちょっとシュールな感じかな。この本ではその感じがあまりなくて、ちょっといい加減だなあ、と思ったんです。そう思っちゃったもんだから、その後もなんかいまいち乗れない部分があって……。歌なんかをじょうずに使っていることや、空を飛んでいるときの描写なんかは、うまいなあと思う部分もあるんだけれど、全体としては、ふーん、なるほど、なるほど、という感じでした。動物と鳥の戦争の間で……というのは、ヨーロッパではイソップなんかでおなじみだから、なるほどそれをうまく使っているのね、というふうに、ちょっと引いた感じで読んじゃった。あと、今回読んだ3冊の中では、いちばん日本語に引っかかりました。「彼」とか「彼女」とか、もうやめてくれ〜という感じ。それも、この物語に乗れなかった大きな原因だと思う。

アカシア:空を飛ぶ部分はとてもうまく書けてるし、ストーリーラインの作り方も、あちこちに謎を置いていくなど、うまい。でも、作品世界には私も入り込めなかったんです。その理由の一つは、主人公のシェードが、ひとりよがりだったり、優越感にひたってばかりいたり、戦争好きだったりして、共感のもてるキャラじゃないという点。これは原文の問題ではなく、欠点があっても魅力的な主人公に訳し切れていないという訳の問題かもしれませんが。
もう一つは、物語の作り方がいい加減な点。たとえば、「こだまの洞」というのがあって、そこには何百年も前から代々の長老が歌った歴史が半永久的にこだましていて、洞の中に入るとそれが聞こえてくるという設定です。シェードとフリーダはそのこだまを聞くわけですけど、洞の中で二匹でべらべらべらべら会話している。すると、当然そこでしゃべった言葉も半永久的にこだまして、大事な歴史の邪魔をすることになるはずでしょう? こんないい加減な物語でいいんですか!! まじめに読んでたら、馬鹿みたいです。途中でほかの銀翼コウモリに会っても、仲間の群れを捜しているはずのシェードが話しかけさえしないのも不自然です。
それから、三つ目は訳の問題。たとえばp.11に「シェードがはじめて飛び上がり、翼をばたばたさせて空中に浮かんだあと、ぶざまに墜落したときは、群れのだれもがおどろいたものだ。これならだいじょうぶ、生きていけるだろう。」とありますが、どういう意味? p.119の終わりの方ではシェードとマリーナが笑ってますが、なぜおかしいかが伝わらない。19章に出てくるプリンスとレムスは同一キャラですが、すぐにはわからない、などなど、ひっかかるところがずいぶんありました。私は、単に情報やストーリーラインを伝えるだけでなく、味わいとか余韻も本の要素としてほしいと思っているので、それまで伝えるように訳してほしいです。

ウグイス:細かいことは気にしなかったので、どんどん読めて私はとてもおもしろかった。コウモリに興味があるせいもあるけど、コウモリになって飛んでいる気持ちになれて楽しかったんです。1章ずつが短く、必ずその章で何かおこり、章末に、次へつながる文章があって、先を読まずにはいられなくなる。長い物語を読みなれない子どもでもひっぱっていく力があるんじゃないかな。単純にひっぱられて楽しく読みました。いろんなコウモリの特徴もおもしろかったし、ものを見る方法も、食べるものも興味深い。科学的に正しいかといえば、違う種類が恋人同士になるというのはおかしいけれど。コウモリは、不思議な生き物。ありきたりの動物でないものの世界を見せてくれる作品としてもおもしろい。シェードのキャラクターに感情移入できないという意見がありましたが、これは3巻ものなので、1巻だけでは中途半端だということがあると思います。3巻目はシェードの息子が主人公になって、1巻目で語られなかった部分も明かされていくんです。

愁童:おもしろく読んだ。コウモリの生活環境によって行動様式や主たる食物が異なっていて、それらが物語に登場する個体のキャラクターや体の大きさに影響していることを、さりげなく書いていて、説得力があると思ったな。主人公のコウモリがカブトムシを捕らえて食べるところの描写なんか、微妙な感覚までうまく表現されていて、好感を持って読みました。母コウモリから地図を伝達されているという設定も、超音波を使うコウモリの生態の説明がきちんとされているので読み手は想像力を刺激されて、コウモリの情報伝達手段に神秘的な魅力を抱かされてしまったりして、うまいなと思った。

サンシャイン:キャラクターの名前ですが、バテシバとか、レムス・ロムルスとか、何かを思い出させる名前です。バテシバは旧約聖書のダビデと関わった人。レムス・ロムルスはローマ建国の時に登場します。綴りが一緒なら、西洋の人は何か一定のイメージを思い浮かべるんでしょうか。

愁童:輪をはめているコウモリが、次は人間になれるというところは、人間中心主義的な感じで、ちょっぴり引っかかったですね。

ミッケ:それは、輪をはめているコウモリをほかのコウモリが仲間はずれにする、仲間はずれにされると、どうしても同類同士が集まって、選民思想で自分たちを支えるしかなくなるということで、リアリティがあるというか、納得できると思いますけど。

サンシャイン:コウモリは太陽を見てはいけないという戒律があって、フクロウがそれを厳しく監視している。主人公はそれに反発して、自由な世の中、広い世界を求めるけど、多くのコウモリにはもうそれを打ち破っていこうという意欲もないーーこういう話の作り方はおもしろいなと思いました。

愁童:母コウモリから伝達されている地図の情景で、実際にオオカミの耳のような山の間を飛ぶシーンなんか、うまいなぁと思いました。

アカシア:空を飛ぶ話は、この会でもいろいろ読みましたが、その中ではこの作品がいちばんうまく書けているようには思ったんです。でもね、ファンタジー世界の中のリアリティがお粗末なのが嫌だったんです。

愁童:同感。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年2月の記録)


本朝奇談 天狗童子

佐藤さとる『天狗童子』
『本朝奇談 天狗童子』
佐藤さとる/著 村上豊/絵
あかね書房
2006,06

うさこ:わりと厚みのある本だったけど、どうなるのどうなるのと先が気になり、つるつると読めました。特におもしろかったのは、作者のこだわりが見える、天狗の世界観。しきたり、階級、ルール、食事、術、住まいなどがきちんと構築してあったところ。九郎丸の脱いだカラス簑の様子とか、与平がカラス簑を焼くところとか、大天狗がヒョウタンの中にとじこめてしまった庭とか、縮地法とかは、とてもおもしろくて好きな部分でした。
でも、物語としては完成度が低いのかな、というのが読み終わったあとの感想です。途中はおもしろいのだけど、読み終わってみると、わりと平面的な物語というのかな、山あり谷あり、敵あり、迷いあり、悲しさ辛さ、喜び、達成感などはあまりなく、山場がなかったなあという印象です。完成度が低いと思った理由をあげると……与平が九郎丸に笛をしこむように頼まれて、天狗からあずけられることから物語は始まるのに、最後、笛の修業の件はうやむや。与平が九郎丸を人間に戻してやりたいというところや、九郎丸が本当の父親に会ったところも、九郎丸の気持ちはつかみにくかった。与平は大天狗との約束で、九郎丸を人間に戻す代わりに身元請負人になったけど、本当の父に会わせるまでで、最後は寺男となって、光明寺や円覚寺を行ったり来たりするだけ。与平の九郎丸に対する思いも伝わってこない。
与平、九郎丸、大天狗など、登場人物の外見や様子は書いてあるのだけど、気持ちや心の内のことはあまり書かれていないので、いまひとつ伝ってくるものが弱かったと思います。また、出てくる人物は、九郎丸にとって敵らしい敵はいなくて、一様にみな親切で好意的。ちょっと都合よすぎかなとも思いました。気になったのは、光明寺の高円坊=乱波(忍者)。忍びの者として伊勢方から光明寺に入っていたのに、あっさり身元をあかし、忍んでいたところの者たちと仲良くなり、忍者なのにと、ちょっと疑問でした。しかも、西安さまにほれこんで、こちら側に寝返るとかなんとかいっていたのに、結局、九郎丸の世話役を引き受け、従者のようなことをした、という終わり方で、登場人物のなかで一番芯の通っていない人物のように感じました。天狗と人との「因縁で結ばれる」というところ、もっと随所でこれがキーになるのかな、と思ったけど、そうでもなかった。結末は、歴史的な解説でばたばたと後片付けするように終わったなあ、と思いました。

アカシア:天狗の世界のあれこれは、とてもおもしろかったんですが、部分的におもしろいところがあっても……。連載の限界があるなと思いました。
まず物語の焦点がどこなのかわかりにくい。天狗が人間に笛を習いにくるというのはおもしろいので、ちゃんと習得できるのかと興味をもつのですが、いつのまにかそれはどうでもよくなる。与平が天狗に戻るための蓑を火にくべてしまい、命をかけて九郎丸を天狗から取り戻す決意なのだと思っていると、そうでもない。大天狗は九郎丸に与平の命を取りに行けと言うだけは言いますが、その日にはもう護法天狗が与平をさらってしまいますからね。九郎丸が父親と対面できるかどうかが山場かと思うと、父親は「おお、達者で暮らせ」というだけでまたすぐ別れてしまう。
つまり、読者は次から次へと肩すかしを食らわされていくんです。物語がどこで焦点を結ぶのか、それがあいまいなせいでしょう。それに、与平は九郎丸を天狗の手から取り戻したいと思っているけれど、九郎丸は天狗のままでいたいと強く思っている。それなのに九郎丸は、与平の意志を大天狗に伝えるという設定にもリアリティがありません。『だれも知らない小さな国』が好きだった私にとっては、ひどく物足りない本でした。

ねず:やっぱりうまいなあ……とまず最初に思いました。天狗の世界が生き生きと描かれていて、おしまいまでわくわくしながら読みました。けっきょく、佐藤さんの書きたかったのは、天狗の世界だけだったのでは? 私としては、こんなにおもしろい世界を見せてもらったので、それだけで十分という気持ちもするけれど、やっぱりこの世界のなかで繰り広げられる物語も読みたかった。でも、作者はもうお年なので、作品のなかの子どもたちが悲しい目や苦しい目にあうのが嫌だったんじゃないかしら? それでさらっと書き流してあるのでは? 出てくる大人たちもいい人ばかりだしね。
いちばん疑問として残ったのは、なぜ与平が九郎丸を人間に戻してやりたいと思ったのかということ。私くらいの年代だと、妖怪はかわいそうで、人間のほうがずっといいとすんなり思うのだけど、今の子どもたちは「人間より空を飛べる天狗のほうがずっといいじゃん!」と思うのでは? そのへんの作者の心のうちの説明があったほうがよかったのではと思います。

ミッケ:多少なりとも自分の知っているあたりが登場する作品の楽しみというのは、日本の物にはあるから、そういう意味でおもしろかったです。鎌倉なんかは、鎌倉幕府のすぐ後からだーっと一気に寂れていって、明治になってようやく違う角度から注目されるようになり、今ではそれなりに人気があるわけだけど、そういう寂れかかった時代の鎌倉を登場させているのも、リアルだと思いました。それに、天狗の世界もよく書けていたし。日本に昔からある豊かな世界を感じさせるし、古い時代の雰囲気がとてもよく出ていて。
ただ、そういう古い時代って、近代自我とは無縁で、庶民とは関係のないところで世の中が動いていくし、偉い人でも城をとったりとられたり、というかなり単純な構造なものだから、そのままだと、今にアピールする葛藤とかがなくて物語にならない。そういう意味で、食い足りない感じになったんだと思います。半分天狗になった九郎丸も、お父さんに一度は会うけれど、すぐにさようならとなるのは、当時だったらそうなのだろうし、与平が本人の意向も考えずに九郎丸は天狗よりも人間になったほうがいいんだ、と考えて行動に出ちゃうあたりも、当時の人らしいんだけれど、今の人間からするとなんか物足りない。とってもよく調べてあって豊かな舞台なんだけれど、そこで展開されるお話はあんまり迫力がない。天狗の館の話だとか、あと、九郎丸が半分焼けた天狗簑で大山に飛んでいく道中なんかは、ほんとうにわくわくしましたけれど。残念。

愁童:安心して読めました。日本では天狗という存在が昔から語り継がれてきているので、今の子にあらためてこんなお話を読んでもらうのは意味があることだな、なんて思いました。ただ、天狗は、今の子にとって昔ほど身近な存在ではないので、この題名だとちょっと手にとって貰いにくいんじゃないかな、なんて余計な事を考えてしまいました。

ウグイス:この読書会のための選書は、日本の作品を何にするかでいつも悩みます。天狗は動物ではないけれど、人間以外のものということで他の2冊と一緒に読んでもいいかなと思い、選びました。
まず日本語がわかりやすく、目に見えるように書かれています。日本の文化をきちんとした日本のことばで伝えるこのような作品を大事にしたいと思いました。会話にもリアリティがあり、特にせりふとせりふの間に、「〜と言いました」だけではなく、「身を乗り出して」「わらいたいのを我慢して」「まるで子どもをさとすように」というような文章をはさんで、状況が目に見えるようにしている。ユーモアのある書き方もいいですね。げらげら笑うということではなく、思わずくすっと笑いたくなるユーモアがちりばめられています。確かにストーリーのつめは甘いと思います。連載だったから、という難点もあります。
でも私がこの本で一番いいなと思ったのは、子どもを見るまなざしが温かい、ということです。それは、与平が九郎丸を見る目に一番現れているのですが、それは作者の思いでもあると思います。最近の日本の児童文学は、苦しい状況にある迷える子どもをこれでもかこれでもかと書く傾向にあるんですが、子ども本来がもつ純粋な部分を温かく見守る態度は、今の児童文学に欠けているかもしれないと思って、ほっとする感じがありました。愁童さんがおっしゃるように、この装丁や書名だと、子どもが自主的に手にとりにくいとは思います。

サンシャイン:楽しくは読めましたが、最後は話を締めくくるために無理矢理終わらせた感じです。篠笛は、日本で生まれた唯一の楽器らしいですよ。他の楽器はみんな、外国から来たものだとか。笛をきっかけにして人間と天狗の出会いがあるんですが、笛の話があまり出てこないんですね。結末で「篠笛のふき合わせを…」と書いてありますが、とってつけた印象です。本全体を貫く一貫性には欠けているかもしれない。それぞれの場面は楽しく読めたが、完成度は低いのではないでしょうか。

ねず:ひょうたんのなかに広がる世界とか、縮地法とか、とてもおもしろかった。子どもより、おじさん、おばさんの世代が好きな話なのかも。

愁童:今は天狗になじみのない子も多いから、そのおもしろさがわかるかなぁ。でも、九郎丸の天狗蓑の描写や手触り感などの表現はさすがだなって思ったですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年2月の記録)


2007年02月 テーマ:動物プラス天狗

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『2007年02月 テーマ:動物プラス天狗』
日付 2007年2月22日
参加者 愁童、ねず、ミッケ、ウグイス、うさこ、サンシャイン、アカシア
テーマ 動物プラス天狗

読んだ本:

ロバート・ローソン『ウサギが丘のきびしい冬』
『ウサギが丘のきびしい冬』
原題:THE TOUGH WINTER by Robert Lawson, 1954
ロバート・ローソン/著 三原泉/訳
あすなろ書房
2006.2

オビ語録:きびしい冬になると聞かされても/子ウサギのジョージは、初めてのことにわくわく!/しかし、おそろしい寒さは、もうすぐそこまで迫っていたのです……。/たくましく生きる動物たちを/あたたかく描いた動物物語の傑作!
ケネス・オッペル『シルバーウィング』
『シルバーウイング〜銀翼のコウモリ1』
原題:SILVERWING by Kenneth Oppel, 1997
ケネス・オッペル/著 嶋田水子/訳
小学館
2004.11

オビ語録:世界14か国で翻訳された心が元気になる動物ファンタジー/「禁断の太陽が見たい!」/小さな翼でコウモリのシェードは冒険の旅へと飛び立った
佐藤さとる『天狗童子』
『本朝奇談 天狗童子』
佐藤さとる/著 村上豊/絵
あかね書房
2006,06

版元語録:九郎丸というカラス天狗の数奇な運命が、細やかな筆致で描かれ、不思議な展開に息をのむ、壮大な歴史ファンタジー。ファン待望の新作。

(さらに…)

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冬の龍

藤江じゅん『冬の龍』
『冬の龍』
藤江じゅん/作 GEN/画
福音館書店
2006.10

カーコ:ストーリー自体はおもしろいと思ったし、あちこちで石を探しながら今まで知らなかった町の歴史や人の生き様を知っていくというのもいいな、と思ったんですけど、全体の書き方になじめませんでした。なんでか、と考えてみてみると、会話が全体に長くて説明的なんですね。長い独白で説明しているところが多くて、つくりものっぽく思えました。それに、この子たちの会話も、6年生の子どもにしてはお行儀がよくて、今の子じゃないような感じがしました。

ミッケ:けっこう期待して読んだのですが、なんか残らない。欅の精が出てきたりして、それはいいんだけれど、登場人物がページから立ち上がってこないというか、迫り来る感じがなかった。いまひとつ説得力が感じられなくて、拍子抜けしちゃった。それで、どうしてかなあと思って、今日来るときにもう一度ちらっと見てみたんですが……たとえば、最初のほうで、問題の玉が災いをもたらすという話が出てきて、それがどうやら人びとの気持ちをささくれ立たせてぎすぎすした感じにするとか、そういうことらしい、とわかるわけだけれど、でもそれって災いとしてはなんかわかりにくくない?と思っちゃう。なんかもっと、バシッとした災いなら、男の子たちがしゃかりきになるのもわかるけど。ふうん、そうなんだ、終わり、という感じで、弱い。これと同じようなことが、ほかのところでもあったから、全体が薄い感じなんだなあと思いました。絵は、よかったです。

ウグイス:この本はとても真面目に一生懸命に書いていることが感じられて好感がもてます。早稲田界隈という私たちがよく知っている場所を書いているのも馴染みやすいし。子どもが神社とか井戸にまつわる昔の話に興味をもち、図書館で借りた本から知識を得るといったことが出てくるのは、なかなかいいと思いました。ただ、会話が説明的というだけじゃなくて、この本全体が説明的。著者の前に正座させられて話を聞かされている感じがして、くつろげない。次々に、それでどうなるの?と聞きたくなる感じではなく、「はい、はい、わかりました」と答える感じで、ちょっと押しつけがましい。主人公は、出来事を語らせるために登場させたようなもので、魅力的な子ども像にはなっていない。あとになって印象的に思い返すようなタイプではないんですよね。

ケロ:冬休みにじっくりと読みました。物語自体、おもしろい要素がたくさんあって、一気に読み終わってしまった感じでした。でも、読み進むうちに、ひっかかるところや進んでほしいところで進まないもどかしさを感じるところが出てきて、私も、どうしてなんだろう、と考えてみました。すると、最初に物語の構想があり、それに合わせて人物を動かしているからかな、という気がしてきました。欅の化身があり、歴史的な出来事があり、という骨組みがあってそれに合わせて登場人物、特に主人公たちを動かしているような印象なんです。「欅の化身」も一緒に探すとはいいながら、すぐ行方不明になってほとんどいないし、古本屋の友だちの両親がほとんどいないし。骨組みに当てはめるために無理している感じがします。最後、テンポよく進んでいろいろなことが明かされたりしていってほしいところで、ほとんどの人が風邪ひいてダウンして、みんな動けなかったり。もどかしかったです。主人公がもっと生き生きと動いてほしいのにそうなっていかないのは、まず構想ありきだったからなのかな、と思ってしまいました。それが、残念。

紙魚:読む前から、手にとっただけで風格を感じさせる正しいたたずまいの装丁にはまず感服しました。謎をといていくような冒険小説で、調べ物をしていくくだりなどもとてもおもしろいはずなのに、肝心のどきどきわくわくという体感がないのが残念です。それから、主人公が欅の精の存在をすっとかんたんに受け入れて、たいして疑問を抱かずに話が進んでいくのに違和感をもちました。ファンタジーの存在をもっと信じさせてほしかったです。

げた:私はみなさんとちがって一気に読みました。子どもたちが心霊写真を撮りに行って、龍の玉を探す一生懸命さがよくて読後感もよかった。現実感のある話だけど、中心は欅の精と龍の玉さがしなんだから、ファンタジーなんですよね。おもしろかったので、冬のおすすめ本の候補になりました。図書館のシーンなどは、どうやって調べていくのか、どきどきしましたね。書籍姫という言葉は初めて知りました。今の公立図書館には、書籍姫なんていう人もいにくくなっているんです。

サンシャイン:私、この辺に住んでいるものですから、そのあたりのディテールはよく書けていて共感しました。ただ欅の精の話あたりからどうも入り込めませんでした。全体的に「調べ物」という感じですね。子どもたちが地域の人たちに協力してもらいながら、調べていっていろいろなことを発見する、その過程はおもしろかったですが、内容が架空の話なので、現実味はないかな。210ページの『想山著聞奇集』って実際にあるんでしょうか。欅の精の設定は受け入れて読んでいくべきなのでしょうか。火が出る場面はもっと騒ぎになるはずですよね。

げた:龍の玉が見つかってからが、ちょっとあっけないんですよね。

サンシャイン:リアリティが感じられなかったんです。

うさこ:けっこうおもしろく読みました。早稲田界隈の言い伝えや知識が盛りだくさんで、勉強になったなあと。最後、本を閉じて「ありがとうございました」という感じでした。怪談話や古書店、水神伝説など、興味をひくところが多かったです。この作家はそれらをまとめて物語にしたかったのだろうなと思いました。ただ、読者には、玉が見つかる過程でどれだけおもしろいかということが大事だと思うのですが、冒険ものとしてはちょっと危機感に乏しく、大きな変化がないのも残念でした。知識とか説明を「へえー、へえー」と感心しながら読んでいました。せっかく欅の化身として出てきた二郎さんが中途半端。子どもたちの主体性はそこそこあったと思うのですが、二郎さんにはとても物足りなさを感じました。玉が九月館にあったという結末は、突拍子もない感じではなく、この物語だとこういうところに落ちつくのかな、と一人納得しました。女性の背取師の登場はかっこよかったです。あと疑問点ですが、この写真はデジカメじゃないんですよね。カメラがデジカメでないところで、これは現代の物語じゃないのかな、と一瞬思ってしまいました。

げた:それは女の子から借りたカメラだからかな。

アカシア:女の子の家は写真店なのよね。証拠にしたいと思ったのかも。

げた:使い捨てカメラって日付が入るのかな。

ウグイス:使い捨てカメラだったら、いったん撮ったら日付の変更はできないものね。

アカシア:現代の都会で冒険ものを書くのはなかなか難しいと思うので、期待しながら読みました。おもしろくて、どんどん読んでいったのですが、387ページで五十嵐さんが小学生のシゲルに自分の来し方行く末を説明しているところまで来て、まてよ、と思っちゃった。邪険にお母さんを追い出した五十嵐さんだけど、やっぱり家族のことをちゃんと考えてるんだ、ってことを書きたかったんだと思うけど、それだったら、なにがしかの行為を描写して示したほうがいい。こんなふうに会話の中でべらべら説明してしまい、しかもそれがあんまりリアルじゃないのはまずいなあ。そう思って見ると、ほかの方たちも言っているように、ここと同じような説明をしているところが多いんですね。あとは、いろんな要素が入りすぎていて、話に骨太の感じがなくなってしまっているのが残念。木の精の存在の秘密とか、シゲルとお父さんとの関係はどうなるのかとか、下宿人たちの人間関係とか、それに加えて龍の玉とか、あまりにも要素が多すぎるんだと思います。二郎さんが途中で行方不明になりますが、ここは荷物まで持って出ていく必然性がないので、疑問が残ります。部分的にはとてもいい描写がたくさんあるし、魅力的な人物も登場するし、子どもたちが龍の玉について調べていく道筋はちゃんと書けていておもしろい。今後はきっといい作家になる方じゃないでしょうか。

愁童:日本の作家が龍を書いてる作品で、あまり感心した児童書に出逢ったことがないんで、ある予断を持って読んじゃったんですけど、この作品は意外に良かったなって思います。女性の方々の感想を聞いてて、女性はリアリストだってよく言われるけど、ホントだな、なんて思っちゃった。小学校高学年あたりからの女の子の読者も、似たような感覚で読むのかなって思うと、ちょっとさびしいけど、でも、街の様子や登場人物達がくっきりと鮮明にイメージに残るように描かれているので、そんなわけないいじゃん、みたいな反発が出てくるのも作者の力量のなせる業かもね。

アカシア:ファンタジーの部分がいけないというんじゃなくて、ファンタジーの中でのリアリティにほころびがあるのよ。あと一歩。

愁童:龍の卵や雷の玉探しみたいなファンタジックなことより、この作者は、人情話だけで書いたほうが説得力があったのかもしれないなんて思ったりもしますけどね。

ポロン:まずは、私にとってたいへん身近な地名が出てきて、びっくりしました。それで、冒頭の1〜2ページって、漢字がすごく多いの。パッと見た感じも黒々しくて難解そうに見えるので、私に読めるかしら、そして小学校5〜6年生の子に読めるかしらとちょっと心配になりました。読みはじめてみたら、すーっと読めたのでだいじょうぶだったのですが……。内容は、筋書きはたいへん見事でしたが、残念ながらあまり魅力を感じませんでした。なんというか……たとえるなら、千疋屋のイチゴみたい。とってもキレイな粒のそろったイチゴが、箱の中にお行儀よく、きっちりつまっている感じ。高級で(実際、千疋屋はお値段も高級)お味もいいけれども、まあ庶民が自分のためにちょくちょく買うものではないといいましょうか。多少でこぼこしていてもいいから、小粒だけど甘いとか、つぶしてお砂糖と牛乳をかけて食べたらすごーく美味しいとか、印象に残るイチゴが食べたいなあ……。と、イチゴの話はこのへんにして、他に気になったこと。私も「五十嵐さん」は気になりました。144ページの5行目あたり、毎日のように夜中に一人で泣いたり歌ったりしている大学生って、ちょっと……。

アカシア:でも、今の時代、どんな人がいてもおかしくないと思うよ。私はこういう人っていると思うな。

愁童:図書館員の女の子が、同じ下宿人の本の返却が遅れている男の部屋へ行って図書館の本を探す手際のよさみたいなことをさりげなく書いたりしている場面なんか、うまいなって思いました。

サンシャイン:あの、「書籍姫」っていう用語は、図書館の世界で一般的な用語なんですか? いい響きですよね。

げた:いいえ、私の図書館では、そういうタイプの人はたまにいますが、最近はあんまり見かけないですね。

きょん:物語はおもしろいといえばおもしろくて読みやすいのだけど、説明的なんですね。シゲルがいちいち説明するところが多すぎる。わりとうまくととのっているのだけど、説明的な部分が多いので、つじつま合わせをしているように見えちゃう。説明しちゃうと文学的じゃなくなっちゃう。

愁童:最初のほうに、男の子3人で幽霊の写真を撮りにいくじゃない。あのあたりの男の子と女の子の関係ってうまく書けていると思うんだよね。今の小学生が読んだら素直に入っていけると思う。そう思いません?

ケロ:いや、いいとは思うんですけど、途中からなんでだろうというところが出てくるんですよ。

きょん:著者紹介の文中に「第十回児童文学ファンタジー大賞奨励賞を受賞。本作品は単行本化にあたり、同受賞作に大幅な加筆修正をほどこしたもの」ってありますよね。説明的な部分って、編集が手を入れて「大幅に加筆修正」した部分だったりして?

ポロン:しかも「大幅に」ってわざわざ書いてあるところに、意味を感じますよね。

ミッケ:この本からは、洋物のファンタジーだけでなく、日本にもファンタジーの素材としてうんとふくらませられそうな題材がいっぱいあるんだなあって思わせられて、そこはおもしろかったんです。だけど、要するにこの本って、サスペンス物の2時間ドラマのイメージなんだと思う。ああいうドラマって、なんだかんだといろいろあって、最後にジャジャーンっていって、断崖絶壁で犯人やら主人公やらが延々と背景を説明して、終わりになりますよね。あれと同じで、全部説明しちゃってるものだから、ああそうですか、っていってこっちとしては拝聴するしかない感じ。

愁童:じゃあ、二郎さんが木に耳をつけて木の声をきくなんて部分も気になりますか?

一同:それはいいの! そこは説明してるわけじゃないもの。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年1月の記録)


王への手紙(上・下)

トンケ・ドラフト『王への手紙』
『王への手紙(上・下)』
トンケ・ドラフト/著 西村由美/訳
岩波少年文庫
2005.11

げた:ゲーム感覚で読みました。王へ手紙を届けるために旅に出て、いろんな敵がやってきて倒して、使命を成就して、またもとのところへ戻ってくるという、行きて帰りし物語の基本的なスタイルをとっていますよね。最終的にうまくいくことがわかっていても、それに至る過程を楽しむエンターテイメントですね。漢字が多いので、私の図書館ではYAのコーナーに置いていますが、小学生でも、読めると思います。オランダで石筆賞をとったらしいですが、なるほどという感じでした。

サンシャイン:おもしろく読みました。トールキンの『指輪物語』が出たのが55年で、これは60年ですから、やはり『指輪物語』の影響を受けているのでしょう。地図を見てもわかるように、単純な道筋なんですね。最初の辺りのお話はロールプレイングゲームのような気がしました。しゃべっちゃいけないという約束を守って騎士になるというのは、子どもたちも喜ぶでしょう。その約束を破って冒険に出るわけですから。

うさこ:最後まで読んでいなくて、途中まで読んでの感想なのですが、冒険ものの王道ですよね。正しい者が最後に勝つというのがなんとなくわかっているので安心して読めます。こういうタイプの物語は、読者はきっと好きだろうなと思います。この話の続きとして、ティウリとピアックが主人公の別の物語も昨年末に訳本が出たんですよね。

アカシア:クラッシックな感じのするお話だなと思いました。でも、その割に描写がきびきびしているので、わくわくしながら読める。ストーリーテラーとしての力が作者にあるので、おもしろかったですね。ゲーム的な作品というより、こういう冒険物語を元にしてゲームのストーリーがつくられていったんだと思います。だけどこれは、ネオファンタジーと違って登場人物の人となりや特徴などもちゃんと描かれている。ただ、一つひっかかったのは、最初の場面で、ティウリが割と簡単にドアを開けて出ていってしまうように思えたこと。なにがあっても開けてはいけないという決まりなのだから、もう少しためらったりした方がよかったのではないかと。そうすると最後の方でも、「自分はあのときこう決めたんだから」という割り切りがはっきりと出来てよかったのではないかと思いました。わからなかったところは、(下)124ページのボートを漕ぐシーン。ピアックが「こぐの手つだえない?」ときくと、ティウリが「いいよ」と言うんだけど、ピアックには漕がせない。なぜかな?

ウグイス:「いいよ」は、英語で言うと「Yes」ではなく「No thank you」なのよ。でも文面をみていくと、まぎらわしいですね。

愁童:ぼくは、あまりおもしろくは読めなかった。かなり冗長な感じもするし。「岩波は何をメッセージとして伝えたくて今の読者にこの物語を届けるのかな?」とききたい感じがする。ティウリ家柄もいいし騎士になるけど、ピアックの方は盾持ちにしかなれないわけでしょう。格差社会を肯定しているし、今の子に読ませてどうしようっての? 王様が絶対存在だっていうのも気になるしね。主人公は秘密の暗号で書かれた自分では意味の分からない「王への手紙」を最後まで分からないまま届けるんだよね。文面が最後まで分からないのも不満。ずるいよー、って感じ。こんなストーリーは、劇画で見せれば充分なのでは。

一同:(そうではないという反論あり)

ポロン:この激しい議論のあとでは申し上げにくいのですが……私の感想は「騎士は、カッコイイなあ」です。わくわくしながら読みました。ちょっと残念だったのは、章タイトルで内容がわかってしまうところ。「さあ、どうする? どうなる?!」と思いながら読んでいるのに、章が変わるところで、その後の展開がわかっちゃうところがいくつかありました。章立てがこまかくて、それぞれ章タイトルがついているのは、読者にとっていい道しるべになると思うのです。ここにもうちょっと工夫があれば、「この先、どうなるの?」心が、さらに盛り上がったと思うんだけど……。

ミッケ:するすると、おもしろく読みました。けっこう引っ張られて、ぐいぐい読み進む感じだった。この作品は、西欧の古くからの伝説や伝承がいっぱい積み重なったがっしりとした土台をしっかりふまえていて、その安定感が、読んでいてとても気持ちいいんだろうと思います。まあ、その上で何を書くかが問題になるわけだけれど。いろいろな場面での主人公の葛藤がちょっと物足りない気もしたけれど、要するにこの子は根がとてもいい子なんだなあと、一応納得。読後感がさわやかで、特に最後のところで、いったんは別れたピアックがもう一度現れるシーンはとても気に入りました。それと、最初のほうで、灰色の騎士の正体が読者にも主人公にもわからず、向こうも主人公のことを誤解しているという設定は、なかなかスリリングでじょうずだと思いました。

もぷしー:個人的にファンタジーには食傷していたので、ちょっと抵抗感もあって読み始めたんですが、ティアックとティウリが前向きでさわやかなのと、山河など旅の情景が心が洗われるほど美しかったので、好感を持って読み進められました。人名、国名などがたくさん出てくるため混乱しがちな構成なのに、それを騎士の色で区別して、わかりやすく表現しているのが賢いと思います。ちょっと気になったのは、人物の心の葛藤が浅いという点。アクションシーンよりも迷うシーンが多いのがこのお話の良いところだと思うのだけれど、迷っている人物のその葛藤が浅いのが物足りない。迷っても、「まあ、いいやとりあえずやってみよう」的に展開してしまう。善と悪の分け方も、気になりました。父王が「弟が邪悪だ」と言い切るシーンがあるけれど、我が子を悪と弾劾するまでの心の葛藤があまり書かれていないと思うので。スルーポルも最も怖い存在として引っ張ってきたのに、とらわれたとき、自分が何を考えて徹底悪に走ったか上手く告白できていない気がするんです。そこが書かれていればもっと良かったかな。

アカシア:我が子を悪と弾劾するって、286ページの、「王は言った。『いま、わかったであろう。エヴィラン王は、いまなお、われらの敵だ。彼に、この国を統治させてはならぬ。なぜなら、彼は悪だから! 彼はわたしの息子だ。わたしは彼を愛している。だが、彼は、悪だ。彼が王になれば、この国じゅうが苦しむであろう!』」っていうところですか? 私はここは、父親である王としての葛藤が表現されているんじゃないかって思ったけどな。スルーポルも、私には、悪人としての矜持みたいなものが伝わってきましたよ。それに、善悪をはっきり分けるのは、古典的ファンタジーの一つの特徴だからね。

紙魚:私も、286ページのこの部分はちょっとひっかかりました。ただ、善悪の問題というよりは、訳文の影響もあるかなという気がしました。「なぜなら、彼は悪だから! 彼はわたしの息子だ。わたしは彼を愛している。だが、彼は悪だ。」の部分などは、確かに原文ではそうなっているのでしょうけど、もう少し余韻があるような言葉で訳したら、印象もちがってたように思います。こういう文って、訳の特徴が出るところだと思うんですよね。

ウグイス:私も楽しく読みました。章数が多く、物語を小分けにして次へ次へと引っ張っていくので読みやすい。テンポの速さがいい。冒頭からすぐに冒険が始まるので、そんなに読書慣れしていない子でも、知らず知らずのうちに読み進められると思う。最後は成功するとわかっているから、途中にどんな試練があっても安心して読んでいけるのもいいですよね。話が長いし、いろんな人物がカタカナ名で出てくるので区別つきにくいんですけど、この作品は、赤い騎士、白い騎士というように色で分けたり、はじめて出てきた人の特徴をまず形から説明する(背の高さとか、ひげがあるとか、帽子とか)ので、イメージしやすい。子どもに親切な書き方だと思います。善悪がはっきりしてるって、もぷしーさんは言ってたけど、私はメナウレスさまの言葉に「もっともよい人と思える人こそ悪い」というのがあったので、ピアックも悪い人ではないか、と不安に思っちゃったのね。目次を見ると、そうではないことがわかってひとまず安心したんですが。この目次はたしかにネタバレになっていて、楽しみを削いでしまう部分もありますね。それからさっき愁童さんから、ピアックが盾持ちにしかなれないのは差別だという意見が出ましたが、騎士はどんな人でもまず盾持ちから入って修行を積んでいくわけだから、差別には当たらないと思うんです。将来ピアックも騎士になれるかもしれないわけだし、描き方も見下した感じはしないので、そこは階級差別とは言えないと思います。

ケロ:私はおもしろく読みました。主人公が経験を重ねながら成長していくというストーリーの王道を行っていると思います。それが、「よくある話」となる場合もあると思いますが、この話の場合、それぞれの思いが描かれているので安心しながら冒険につきあえる、という印象を受けました。たとえば、お金を払わなくては川が渡れず、ボートで渡ろうとして失敗するシーン。主人公は領主の姿を見て、あの人が信頼できる人かどうか、逡巡しますよね。こういうところ、現代でもあると思うんです。それが当たるかはずれるか、実社会ならもっとはずれることもあったりするんでしょうが。おもしろいシーンだと思います。また、最後に主人公が王に会い、任務を終えた後で、王がみんなの前で「この手紙を読まなかったら、息子の国と和平を結んでいただろう」というようなことを言ったとき、主人公はショックを受けて自分のやったことは余計なことだったのだろうか、と目の前が真っ暗になりますね。このシーンも王の苦しみや、主人公の気持ちがとてもうまく描かれていると思いました。

紙魚:すごろくのゲーム板のうえを、コマが進んでいくというような、シンプルな物語ですよね。わかりやすいし、楽しくも読めたのですが、私には最初の「使命」の必然性があまり強く感じられませんでした。何をティウリは信じたんだろう? 最初の約束を破っても騎士になれるのだとしたら、しゃべってはいけないという約束の意味は何だったんだろう? などと考えてしまいました。章ごとに入る、作者自身の絵はとてもよかったです。

アカシア: 26ページの叙任式の前夜の場面には、「(ドアを)開ければ、規則を破ったことになる……ティウリは思った。そうすれば、ぼくは、明日、騎士になることができない」と書いてあります。それでもドアを開けるのだから、ティウリは騎士になるのは断念して、それなりの覚悟をしたのだろうと思っていると、後の方では、断念しているわけではないらしい描写がたびたび出てきます。ストーリー的には、断念したのに思いがけず騎士になれた、という方がインパクトがあると思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年1月の記録)


2007年01月 テーマ:冬休みに読んで楽しい冒険物語

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『2007年01月 テーマ:冬休みに読んで楽しい冒険物語』
日付 2007年1月25日
参加者 カーコ、ミッケ、ウグイス、ケロ、紙魚、サンシャイン、うさこ、ポロン、愁童、 きょん、もぷしー、アカシア、小麦、げた
テーマ 冬休みに読んで楽しい冒険物語

読んだ本:

藤江じゅん『冬の龍』
『冬の龍』
藤江じゅん/作 GEN/画
福音館書店
2006.10

版元語録:ケヤキの化身を名のる男に「大晦日までに雷の玉を捜して龍に返さないと大変なことが…」と告げられた小6の3人組。冒険が始まる!
トンケ・ドラフト『王への手紙』
『王への手紙(上・下)』
原題:DE BRIEF VOOR DE KONIG by Tonke Dragt, 1962
トンケ・ドラフト/著 西村由美/訳
岩波少年文庫
2005.11

版元語録:騎士になるための最後の試練の夜に、思いがけず重大な使命を与えられた少年ティウリは、隣国へと旅立つ。謎めいた隠者、陰険なスパイ……手に汗にぎる、オランダの人気冒険小説。

(さらに…)

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わたしは生きていける

メグ・ローソフ『わたしは生きている』
『わたしは生きていける』
メグ・ローゾフ/作 小原亜美/訳
理論社
2005.04

ミッケ:この本を読んで、思ったことが二つあります。一つ目は、原作がうまいなあ、ということ。戦争の書き方が斬新で、感心しました。過去の戦争を書くというのはよくあるけれど、それでは戦争を知らない子どもにとっては、フーンで終わってしまうようなところもあり、かといって未来の戦争というふうにすると、今度はSFめいてしまって、やっぱり読者から遠くなる。ところがこれは、時代背景などが細かく書かれていないために、逆に読者にすればリアルに感じられる。携帯電話やなにかが出てくるところを見ると、昔の話ではない、でも、今とそんなに変わっているふうでもないから、ごく近い未来か、それともすぐそばの今なのかもしれない。そういう形で、戦争を経験したことのない人に戦争を追体験させるという手法が見事だと思いました。また、戦争を、攻撃する側としてでもなく、攻撃される側としてでもなく書いているのも、すごいと思う。戦争の持っている残酷さだとか、戦争に影響を受け、振り回されていく様子がかなり身近に感じられるように描かれている。そういう意味でとても新鮮でした。
もう一つ思ったことは、翻訳がひどい。もう、途中で読めなくなりそうでした。たまたま原書を持っていたので、原書を見てみたところ、とても今風な女の子の語り、という感じで書かれているんだけれど、翻訳のほうは、NYで物質的には不自由ない暮らしをしていても精神的には飢えている子、という像がきちんと結べていなくて、読んでいてとても疲れる。トーンがひどく不統一な感じで、色々なところでひっかかりました。冒頭から引っかかりっぱなしで、「時代遅れのの女王様か、死人みたいに」というところも、一瞬、どういうこと?と思うし、「それまで」っていつまで?「はじめっから、」っていつから?「あの戦争」って第二次大戦のこと? みたいに、疑問だらけになっちゃいました。今時の女の子の省略のきいた語り口は、そのまま日本語にしたんじゃあ伝わらない。かなり言葉を補っていかないとまずかったんじゃないかな。とにかく読むのがたいへんで、原書の持っている力が、うまく伝わってこなかった。

ケロ:この物語は、現代の延長線上にある戦争に巻き込まれてしまった女の子の話だな、ということがわかった中盤以降は、引きこまれるように読んで、印象的な物語だなと思いました。このような設定で書かれた本は、日本にはないと思うし、とてもリアルですごい試みだと感心しました。ただ、最初にこの設定に入るまでは、結構とまどったんです。というのは、携帯電話などから現代だとは感じていたものの、主人公が引き取られた先がイギリスの田舎で、子どもたちが動物などの世話をしている古めかしい家なので、あれれと思ってしまった。いくら田舎でも、こんな暮らしがあるんだろうかと、読み返してしまった。すると前の方に「あの戦争」という言葉があったんですけど、それがどの戦争を指すのかもはっきりしなくて、とまどいました。主人公とパイパーがさまようシーンは、読者にとってわかりやすく、その中で主人公が食欲を含めて「生きる」ことに前向きになっていく様子が、自然に書かれていたと思います。

エーデルワイス:9.11のテロの後、それがもとで戦争になったという設定は、趣向が新しくてとてもおもしろいと思います。ただ、世界がどのように戦争状態になったのかという全体像は、はっきり描かれてはいませんね。主人公たちは田舎にいて、戦闘に直接的にはかかわらない。遠くで戦争が行われているという、のんびりした感じです。ちょっと離れているところで情報がないと、こうなるのかなと思いました。わからなかったのは、最後のところで、父親から電話があって、具合の悪くなった主人公が帰っていくくだり。主人公はニューヨークという都会で辛い思いをしていて、イギリスの田舎に移動した後で戦争にあって再生するという話なわけで、最後はすっきりしなかった。

ミッケ:この本は、戦争を書いているんだけれど、あまりドンパチやっているところとか、陣取り合戦とかは出てこない。どうやら占領されちゃったらしいよ、というようなとても曖昧な戦争で、ほぼ日常と変わらない感じが続いているみたいにも見えるのに、それがどこかで突然沸点に達して虐殺が起こったりする。そういうふうに書いてあります。これは、ある意味で戦争の怖さの本質のような気がします。そういう意味でとてもうまい。それと、主人公の恋人のエドモンドが心を閉ざしてしまうきっかけになる虐殺のシーンでも、虐殺後の様子は、主人公とパイパーが顔見知りを捜してていねいに見ていくということで、かなり詳しく出てくる。そして、エドモンドが心を閉ざしてしまったという結果としての現実も書かれている。でも、エドモンドが虐殺を目撃したというシーンそのものは出てこない。そうやってそのシーンの強烈さを読者に推し量らせている。そういう省略の仕方がこの作者は非常にうまい。そういう箇所が随所にあって、感心しました。

げた(メール参加):家庭環境になじめない女の子が、外国のいとこたちとの出会い、新しい感情が芽生え成長していくと言う話ではじまりました。それが、突然、近未来SF小説のような展開になり、戦争にまきこまれていくという、意外なストーリー展開に引き込まれました。

アカシア:翻訳をもう少しきちんとしてほしいな。たとえば、P6の「さがしてさがして、みんなは立ち去っていくのに…」。さがしてさがしての主語は「私」ですが、読点の後の主語は「みんな」だから、すとんと胸に落ちない。どういう意味かなあと頭をひねる箇所もたくさんありました。p17の「ほら、あたしはまた結論に飛びつこうとしている」は、何を指して言ってるんでしょうか? 同じページの「これという理由は思いつかなかったけど、自分は何世紀も前から、ずっと、この家の住人だったような気がした。そんなこと、かなわない夢だったのかもしれないけど」も、ぴんときません。こういう話し言葉口調は、訳すのがむずかしいでしょうけど、ニュアンスが伝わるようにもっと工夫してほしいな。それと、くだけた口調で話してるかと思うと、P31には「あたしには選択の余地はなかった」、P73には「もしくは……もとより……」なんていう硬い表現や古くさい表現が出てくる。これでは主人公の像が結べないですね。焦点が合わない感じで。P50の「血がつながった家族はもとより、」も、この文章がどこにつながるのか不明です。他にも、もどかしい箇所がいっぱいあって、私は読むのがつらかったです。編集者の人も何をしているのでしょうか? せっかくの作品がこれではかわいそうです。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年12月の記録)


ジュリエッタ荘の幽霊

ベアトリーチェ・ソリナス ドンギ 『ジュリエッタ荘の幽霊』
『ジュリエッタ荘の幽霊』
ベアトリーチェ・ソリナス・ドンギ/作 エマヌエーラ・ブッソラーティ/絵 長野徹/訳
小峰書店
2005.07

エーデルワイス:ユダヤ人の女の子をかくまって、それを他に知られないようにするというストーリーで、主人公ほか子どもたちはすべてを知らされていませんが、リッリの母親もよくわかっているし、村全体がパルチザンをかくまっているという設定。イタリアでもこのようなナチスへの抵抗運動があったのか、と勉強になりました。とても引きつけられて読んだ。いい作品でした。

ケロ:これは、過去の戦争の話ですね。でも、日本と違う事情のある中での戦争ということで、日本の戦争の話には嫌気のさしているような子でも、結構新鮮に読めるのではないでしょうか。ただ、パルチザンとドイツ軍の関係がちょっとわかりにくかったり、陸続きに国境があるということもわかりにくいかも知れない。まわりのおとなたちも、こわいと思っていた人が実はパルチザンをかくまっていたり、勇気ある行動をとっていたことがわかるなど、信頼できるいい人として描かれているので、安心して読むことができるますね。

ミッケ:この本をイタリア人の子が読んだら、自分たちが住んでいるところで起こったことでもあるし、ナチスと一緒に戦争を起こしてさっさと降伏しただけじゃなくて、イタリア人だってパルチザンとして抵抗もしていたし、このおじいさんみたいな反骨の人もいたんだ、ということがあらためてわかるから、とても楽しめると思う。ただ、日本の子はイタリアの歴史を知らないから、そのあたりで、ちょっと距離があるかなと思いました。そうはいっても、この子がしゃべっちゃうんじゃないかとか、ハラハラするところもあるし、主人公にとっては見えていないさまざまな謎もあるしで、おもしろく読ませる本だと思います。主人公の女の子の一人称で書かれているにしては、ちょっと堅めかなとも思ったけれど、昔の話だということを考えれば、やむを得ないかな。子どもを一人かくまっていて、その子どもを隠すために、もう一人の子どもを家に通わせるというあたりは、うまいことを考えるなあと、感心しました。イタリアの子に向けてイタリアのおとなが書いた、心のこもった作品という感じがします。

げた(メール参加):タイトルから受けた最初の印象と内容の深刻さのギャップがおもしろいと思いました。時間的には短い間の出来事なので、分量的には少々あっけない感じもしました。

アカシア:イタリアが降伏したころのドイツにはイタリアに侵攻する余裕などなかっただろうと思っていたので、意外な事実を知らされましたね。ほんとうに幽霊はいるのだろうか、という謎が仕掛けてあって、おもしろく読めます。ユダヤ人に対する迫害は、日本の子どもたちもよく知っていると思いますが、パルチザンについては、本文の中で、もう少し補ったらさらにわかるようになったと思います。みんないい人だったということがわかる終わり方も、ホッとできていいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年12月の記録)


シャングリラをあとにして

マイケル・モーパーゴ『シャングリラをあとにして』
『シャングリラをあとにして』
マイケル・モーパーゴ/作 永瀬比奈/訳
徳間書店
2002.08

ケロ:読みやすいし、話の展開もわかりやすいですね。ただ、おじいちゃんの記憶をなくす過程が、ちょっと安易な気がしました。また、おじいちゃんが「シャングリラには行きたくない」とうわごとのように言うので、シャングリラってどんなひどい場所かと思うのですが、結局これはおじいちゃんが友だちから最近聞いた老人ホームだった、とわかります。そこが、どうも納得いかなかったですね。自分がどこに住んでいるかなど最近のことをショックで忘れている、という状況の中で、「シャングリラ」は書名にもなっているし、何をあらわすのか興味がわいたのですが、それがただの老人ホームだったとは! もっと、おじいちゃんの根元的な何かの記憶と結びついているのかなと思っていたので、ひっかかってしまいました。最初の場面で、このおじいちゃんは雨の中にずっと立っているわけですが、そこはあんまりリアルには感じられませんでしたね。

ミッケ:以前読書会で取り上げた同じモーパーゴの『ケンスケの王国』(佐藤見果夢訳 評論社)が今ひとつだったので、どうかなあと思いながら読み始めたんだけれど、これはとてもおもしろく読めました。自分は捨てられたと思っている息子と父の再会という要素と、老人の自主決定権の問題という要素と、戦争の傷という要素、この三つの要素がうまく絡み合っていて、ぐんぐん引っ張られる本。それに、このおじいちゃんのありようも、私はかなりリアルだと思いました。息子から見ればひどい仕打ちをしているにも関わらず、どうしても会いたいといって押しかけて来ちゃったり、それで歓迎されないと今度はひどく落ち込んじゃったりする、ちょっとお調子者な感じも、とてもよくわかる。それと、自分の暮らしを自分で決めていきたいという気持ちも。最後が、会いたいと思っていた人に結局は会えない、というのもいいと思う。これが会えちゃったりすると、嘘くさく甘くなるけれど。こういう本を読むと、欧米には戦争体験をちゃんと次の世代に伝えようとする人がいるんだな、と感じられますね。この作品は、作者が様々な作品を発表するようになってだいぶ経ってから書いたようですが、そのあたりも、興味深いなあと思いました。

エーデルワイス:私もよくできているな、という印象を受けました。ただ、子どもの本だな、という感想も。というのは、悪い人が出てこない。シャーリーはいじめっ子ですが、反省して途中から和解するし。たしかに老人ホームの鬼ばばというのも出ではきますけど。おじいちゃんは若かりし頃に、ルーシーアリスに助けられ、恋をする。おそらくルーシーは、敵をかくまっていたことがばれて、どこかへ連れていかれ、殺されたんでしょうね。そんな過去を持ったおじいちゃんがとてもうまく描けていると思いました。ビートルズの曲が要所要所に登場しますが、とてもうまく使われています。「ひとりぼっちのあいつ」という訳になってる曲は、原題は「Nowhere Man」で、どこにもいない男、ということですよね。まさしくこのおじいちゃんのことを言ってるんだなあ、と思いました。

げた(メール参加):以前読書会で読んだ『カチューシャ』(野中ともそ著 理論社)を思い出しました。『カチューシャ』の祖父の過去が十分伝わってこなかったのに比べて、こっちは、おじいさんの過去を探ろうとするセシーの姿から過去が読者によく伝わってきているのではないかと思いました。お父さんやお母さんの気持ちよく伝わってきました。その他の登場人物もその性格がはっきり伝わってきて、読み取りやすかったと思います。

アカシア:老人ホームの人たちが脱走して船出するところなんか、とってもおもしろいなと思いました。おじいちゃんの元恋人捜しとか、このおじいちゃんの素性とか、謎もたくさんあって、戦争を扱っていると言っても楽しく読めます。私もシャングリラについては、ケロさん同様インパクトは弱いと思いましたが、おじいちゃんのキャラは全体から浮かび上がってきました。それと、シャングリラっていうのは、英語では架空の楽園という意味だから、この書名には「想像上の楽園を捨てて、厳しくはあっても現実と向き合おう」っていうニュアンスが含まれているのではないかな? 日本語にしてしまうとなかなか通じないけど。モーパーゴという作家は、戦争を自分のテーマの一つにすえて、説教くさくなく楽しく読んで、しかも考えてもらおうという点に心を砕いています。別れ別れになった親子ということでは、モーパーゴ自身が、お父さんのことを知らずに育って、後に再会しているんですね。再会してから30年近くたって、自分の体験も書けるようになったのかな、と思いました。P199に「ベル」と出てきますが、これは「鐘」のことでは? ともあれ、『わたしは生きて行ける』と比べると、少女の一人称という点では同じなのに、こっちの方がずっとずっと読みやすい。編集力の差でしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題」2006年12月の記録)


2006年12月 テーマ:戦争

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『2006年12月 テーマ:戦争』
日付 2006年12月21日
参加者 ミッケ、エーデルワイス、ケロ、アカシア、(げた)
テーマ 戦争

読んだ本:

メグ・ローソフ『わたしは生きている』
『わたしは生きていける』
原題:HOW I LIVE NOW by Meg Rosoff, 2004
メグ・ローゾフ/作 小原亜美/訳
理論社
2005.04

オビ語録:世界を涙で包み込んだ愛と癒しの物語/ガーディアン賞・プリンツ賞受賞の超話題作!/すべての想いが花になるために/これはひとつの奇跡 愛と恐怖と希望と救いについての稀なる物語
ベアトリーチェ・ソリナス ドンギ 『ジュリエッタ荘の幽霊』
『ジュリエッタ荘の幽霊』
原題:IL FANTASMA DEL VILLINO by Beatrice Solinas Donghi,1992
ベアトリーチェ・ソリナス・ドンギ/作 エマヌエーラ・ブッソラーティ/絵 長野徹/訳
小峰書店
2005.07

オビ語録:忘れられないあの夏… 第二次世界大戦末期、母親の田舎に疎開していたリッリ。北イタリアの小さな村でみつけた秘密と友情。
マイケル・モーパーゴ『シャングリラをあとにして』
『シャングリラをあとにして』
原題:ESCAPE FROM SHANGRI-LA by Michael Morpurgo, 2001
マイケル・モーパーゴ/作 永瀬比奈/訳
徳間書店
2002.08

版元語録:11歳の女の子、セシーの前に、ある日突然あらわれた浮浪者のようなおじいちゃん…。記憶を共有することで深まっていく親と子、祖父と孫の絆を鮮やかに描く。

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ブランコのむこうで

星新一『ブランコのむこうで』
『ブランコのむこうで』
星新一/作
新潮文庫
1978/2005

アカシア:私はおもしろくなかった。作品を構築していくというよりは、思いついたことを思いつくままに書いていくという感じですよね。この作品が書かれた頃は、夢の世界の描き方もこれで新鮮だったのかもしれませんが、今は多様なイメージのファンタジーが氾濫しているから、新鮮みもないし、作者のつくりごとに無理矢理つきあわされる感じになってしまいます。すなおに作品世界に入って楽しめなかったです。次の夢に入るというのも、どこかで読んだことがあるという感じでしたし……

カーコ:ここ数年の出版傾向として、ファンタジーとならんで復刊ものが多いと聞いているので、そうやって再び子どもに投げかけられた作品が実際のところどうなのだろう、というのを考えてみたくて、このテーマを選んだんです。この作品は、この表紙になってから、中高校生にもよく売れているという記事を読んだことがあったので選びました。調べてみると、もともと新潮少年文庫というシリーズの一冊としてで出ているもの。ほかのラインナップからすると大人の作家が若い読者向けに書いたものを集めたシリーズのようなんです。お話は、特に目新しくもないけど、短い言葉で場面をくっきり描いているところがうまいと思いました。場面が変わるごとに、どういうところに来たのか、よくイメージできる。ショートショートで、簡潔に場面を作りあげているからかなあ。取り立てて、心に残るというのではないけれど、ショートショートと一緒にこの本を手にとった読者が、長い作品にも近づいていければいいのでは?

アカシア:新潮の星さんの本は、シリーズ全体が新しい装丁になったので、中高生も手に取りやすくなったかもしれませんね。

ミッケ:星新一の本は、中学の頃かな、さくさくと読んでいた記憶があります。でも、今読むと、なんというか、時代を感じますね。星新一が出てきた頃は、とても新鮮だったんだろうけれど。この本に関していえば、次々に場面が変わっていくやり方は、次はどうやって変わるんだろう、どこに行くんだろう、という感じがあっておもしろかった。それに、砂だけの世界に入ってしまうところなんか、アイデアだなあと思いました。でも、全体としては中途半端。子どもの目線で書いているとは思えないな。夢の中でお父さんに会いそうになるのなんかはいいんだけれど、先のほうで、実際の世界で満たされないものが夢の世界で満たされるんだ、みたいな感じになるのは、理に落ちるというか、説教くさい。わがまま放題の王子とか、子どもを追いかけるお母さんの話とか、夢の中でひどい皇帝になっている人の中にかろうじて残っている良心が若者の姿で現れる話とか、子どもがほんとうに喜ぶんでしょうか? しらけるんじゃないかな。やっぱりこの作者はアイデアの人だと思った。

エーデルワイス:内容が薄いなっていうのが正直なところでした。夢に入っていくんですよね。ピアスの『トムは真夜中の庭で』を思い出しましたが、それとも違いますね。

アカシア:ショートショートなら、ぴりっとしたアイデアだけでおもしろいんですが、これはもっと長いので、ちょっとつらいですね。これだけでは物足りない。

ウグイス:ショートショートは、今の中学生にも読まれているんですか?

エーデルワイス:そうですね。好きな子は、次から次へと読破していますが、そればっかりになって、そこから出ることが出来ていない子も見受けられます。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)


この湖にボート禁止

ジェフリー・トリーズ『この湖にボート禁止』
『この湖にボート禁止』
ジェフリー・トリーズ/作 多賀京子/訳
福音館文庫
2006.06

きょん:すなおな冒険ストーリーで読みやすいので、どんどん読んでいきました。ボートを見つけて小島にわたるあたりまではよかったんですけど、宝探しがなかなか始まらない。出た当時は新鮮だったんでしょうか? 今読むと、とってつけたような結末で、ちょっとがっかりしました。

カーコ:今の読者向けに新しく出たのを評価している書評を読んだんですが、手にとってみると表紙の絵が古臭くて昔の本のようで、まず「えっ」と思いました。物語は、最後がどうなるのかに引かれて、思ったよりすらすらと読み進んでいけました。でも、やっぱり古くさい、一昔前の話だと思ってしまいました。この作品が出た1979年当時は、男の子が女の子に思いを寄せることをにおわせる場面があるというだけで、批判をあびたというけれど、今の子がワクワクして読むのかどうか疑問です。ただ、時代がかっているけれど、校長先生が尊敬できる人だと言うところだけは、いいなあと思いました。今の実情を照らし合わせると、こんなことはありえないのだけれど、日本の子どもの本では、たいがい先生や大人の影が薄いので。あと、会話のあちこちに、ひねりがあるのだろう、と思われる部分があったのだけれど、おもしろさが伝わってきませんでした。この本は、もともと難しい言葉で書かれているので、わざと同じように難しく訳しているのかと思ったほど。人に聞くと、イギリスの読み物は、アメリカの読み物よりも凝った文章のものが多いとは言われましたが。

アカシア:私は福武文庫で最初に読みました。そのときも古めかしい感じがしたんです。今度は新訳だから期待したんですが、もっと古めかしいですね。たとえばp171には「へえ、そりゃ、おことばだね」、p172には「してやったり」、p191には「はなはだ肉食のすぎる人に見受けられたわ」なんていう表現が続出します。今の子どもたちに読んでもらおうとするなら、ここまで時代色を出さなくてもいいのでは? 内容的にも、男女の役割分担がはっきりしていて、キャンプに行けば女の子が料理をするものと思われている。それに、アルフレッド卿という人が悪者というよりは軽蔑される対象になっているわけですが、イギリスの階級社会の中で商人の成り上がり者として下に見られている構図が見えて嫌らしい。そういう時代の枠組みを超えておもしろければそれでもいいのですが、話の運びもそうそうおもしろいわけではない。新訳でまたわざわざ出す意味がわかりませんでした。

エーデルワイス:ストーリーとしては結構おもしろかったんですけど、現在ではひと時代前のお話という印象。楽しくは読めました。シェークスピアの引用とか、千年前にノルマン人が来たとか、イギリスの子どもなら教養として知っているであろうことを前提に書いているのでしょう。裁判の場面、陪審員とのやりとりが、わかりにくかったですね。これも文化の問題かな。

アカシア:裁判のシーンのp324のところで、「もし〈埋蔵物〉ではないなら、国としてはそれ以上の関与はしない。発掘されたものは発見者の所有となる」とあるんですが、だとすると〈埋蔵物〉でないと証明されれば、発見者である子どもたちのものになるということですよね? だけどその後に「もしアルフレッド卿が、発掘された異物が〈埋蔵物〉ではないと証明することができたら、こちらとしてはひきさがるしかない」と出てきます。よくわからなくなっちゃうんです。このシーンは田中明子訳の福武文庫版の方がずっとよくわかります。

ウグイス:学研文庫で出たときのこの話は、少し前のいかにもイギリスらしい雰囲気を味わえるものとして人気があったんだと思います。古めかしい感じに良さあるので、新訳だからといってあまり今っぽくすると、逆に違和感が出てしまうんだと思うの。女の子はおしとやかにしてたほうがいいとか、古い価値観で描かれた部分があるので、訳文もある程度古くてもいいんじゃないかしら。女の子の言葉で、「…じゃないこと?」とか、「…ですわ」とか言っているのは、直したほうがいいけれど。しかしこの新訳には、わかりにくいところがたくさんあった。p191の4行目「そうすれば自転車で来るのもすこしはらくだと思うの」のせりふの意味がよくわからない。旧訳では、「自転車で往復しなくてすむし」となっていて、意味がよくわかる。p190の11行目で靴下を繕っているお母さんがジャガイモくらいある爪先の穴を見て「やれやれ、新ジャガの季節だものね」と言うんですが、これもわからない。学研文庫版は「そういう頃だものね」福武文庫版は「穴があくころなのよね」です。そろそろ穴があくころだったから仕方がない、というニュアンスなのでは? p76の4行目「するとアルフレッド卿は、まるで自分が保護区にいる…」も、わからない。旧訳よりわかりにくい訳になってしまったら、訳し直す意味がないのでは?

アカシア:歴史的に意味がある作品だというのはわかるけれど。

ウグイス:70年代に学研文庫で出たときは、当時としてはすごくおもしろかったのよ。だから、その頃からこの本が好きだった人は、ずっと手に入らなくなったのを残念に思ってたから、新しい版が出た、ウェルカムという感じなんじゃない? 図書館でも古いのはぼろぼろになったりしているから。

ミッケ:せっかくだからというので、旧訳と新訳を読み比べようと思って、まず旧訳を半分くらいまで読んだんです。それで、ふうん古くさいところもなくはないけれど、けっこうわかりやすい柔らかい訳だなあと思ったところで、時間切れであわてて新訳をまた最初から読み始めたら、なんかこの訳者は力はいりすぎてるみたいだ、これって男の子の一人称だからわざと堅くしたのかなあ、それにしてもちょっとやりすぎじゃあないかな、という感じで、結局、かえって古い訳のほうが読みやすいという結論に達しました。だから、皆さんがおっしゃったとおり、どうして新訳を出したの?という感じです。新訳は、よく意味の通らない箇所があるし……。さっきからお話を聞いていると、どうやら旧訳の訳者は、学研文庫の訳を福武の文庫本にするときにも、訳に手を入れているようで、ていねいだと思うけれど、新訳はちょっと……。アーサー・ランサムが一時期大好きだった人間からすると、同じ湖水地方の同じように湖と島の冒険なので、ついついランサムを思い出してしまうけれど、ランサムに比べると、かなり弱い気がします。

アカシア:私もランサムのほうがうまいと思う。ヨットの帆を操作する部分とか、情景とか、細かく目にうかぶように描かれていますよね。

ミッケ:たしかにランサムも、いかにも大英帝国という価値観とか、女性のあり方とか、今とはずれているところもがあって、古いといえばいえるけれど、でもやっぱりしっかり書けているからこそ、あれだけいろいろなエピソードが出てきて、物語が展開されていったわけで、それに比べるとこの作品はかなり見劣りがすると思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)


小さい水の精

オトフリート・プロイスラー『小さい水の精』
『小さい水の精』
オトフリート・プロイスラー/著 はたさわゆうこ/訳
徳間書店
2003.03

ウグイス:ほのぼのとして、安心して読めるファンタジーで、すごくよく読まれた本なんですよね。私は同じプロイスラーの『小さい水の精』と『小さい魔女』だと、『小さい魔女』のほうが好きだったんだけれど、水の精が大好き、という人もたくさんいます。『この湖にボート禁止』のような本と違って、ファンタジーなので古びないですね。旧版が手に入らなくなっているから、こういうのを出してくれるのはうれしい。3、4年生の読めるものは少ないからね。大塚勇三さんの訳は独特の暖かさがあって大好きだけど、新訳も、水の精のあどけなさとか、雰囲気をとらえて訳されていると思います。

エーデルワイス:いかにもドイツのお話というとらえ方でいいんでしょうか。かわいらしい感じ。

アカシア:ドイツはもっと理屈っぽい作品も多いから、プロイスラーの楽しさはむしろ例外かもしれませんよ。今回読んだ3冊の中では、今の子どもにもお薦めっていうのはこれ1冊ですね。訳も悪くなかったし、学研版と比べてそんなに変わっていない感じがしました。大塚さんとは持ち味が違うけど、新たに読めるようになってよかったなと思います。いたずらっ子で、危ないことまでやってしまうところも、子どもたちの共感を得るでしょうし、いやな釣り人をこらしめたりするところも、痛快に思うんじゃないかな。1章ずつばらばらでも読めるので、短いのしか読めない子にもいいですね。

ウグイス:大塚さんの訳って、「ええ」っていうのをよく使うじゃない? 古いほうのp94「……と、かんがえましたが、それもなんにもなりませんでした!……ええ、どうやってもだめでした」っていうふうに。そこは新訳でも「……とも思いましたが、それもなんにもなりません。……そうです、なにをどうやっても、だめでした。」となっている。これを見ると、プロイスラーが、もともとこういう語りかける口調を使っているようですね。

カーコ:昔小さいときに学研のシリーズをたくさん持っていて読みました。当時「ヤツメウナギ」がとても不気味だったのや、お祝いのごちそうがすごく不思議だったのをおぼえています。今読み返すと、家族がとてもいいですね。お母さんは心配するけれど、お父さんが水の精をどんどん連れ出す。だけど、肝心なところでは、しっかり守ってくれているんですよね。それと、端々の文章がおもしろかったです。たとえばp54、「空気」の話をしているところで、「空気っていうのは、その中では、泳げないものなんだ」とか。水の中から見るとこう見えるというところがいっぱいあって。小さい水の精はいたずらっ子で、次から次へといろいろなことをするので、だいじょうぶかなあ、と読者はハラハラすると思うんだけど、最後は、必ずおうちに帰って丸くおさまるので、安心感があるんですね。

ウグイス:表紙の絵はあまりかわいくないけど、中の絵はお話のほのぼのした感じが良く出ていて、かわいいと思う。

きょん:子どもの頃にうちにあって読んだんですけど、おぼえてなかった。今回あらたに読んでみて、とてもおもしろかったです。小さな水の精の感動が新鮮で、みずみずしく、読んでいて楽しかった。仲良しのコイのチプリヌスおじさんとのやりとりもおもしろい。読者対象は3,4年生かしら?

ウグイス:内容から言ったら低学年だけど、漢字も多いし、1,2年生には読めないわよね。あと、うちの近所の図書館には、旧版はあったけど、新版はなかったの。最近は図書館の予算も限られているから、古い版に問題があれば別だけど、まだ読める状態ならば新しいのは入れないのね。書名が変わったりすれば買うと思うけど。新しい書名でリクエストがくると、古い版を使うことはできないからね。この場合は書名がまったく同じだし、学研版にも問題はないから買い換えなかったのでしょう。そうすると、出版社は本が動かなくてたいへんよね。

ミッケ:現実の中での男性らしさとか女性らしさといった問題、ジェンダーの問題とは別に、原型としての父親の役割、母親の役割というのがあると思うんだけれど、この本には、それがちゃんと機能している世界が書かれている。そのなかでは、子どもが安心して子どもらしく育っていけるわけで、そういう世界がちゃんと書けている本は、幼い子どもが読む本として貴重だと思います。だからこの本は、時代を超えて古びずに生き残っていく本だろうなあと思いました。今時のこの本を自分で読める年齢の子からしたら、ちょっと幼稚すぎる感じもありそうだから、むしろ、おとなが1章1章語り聞かせるといいような気がします。アカシアさんが言ってたたみたいに、この本はひとつひとつの章が独立している感じだから、そういう読み聞かせも可能だと思う。訳は、両方ともよかったです。なんといっても主人公のいたずらなところがいいですね。それと、たとえば人間の子に、焼いた石(ジャガイモのこと)をもらって、お返しに食べ物を持って行くんだけれど、人間の子どもは決して口をつけない。それで、あきらめて今度は貝やなにかを持っていくというところなんかも、うまくするっと書いてあって、さっぱりした印象で進んでいくのがいい。おとなはこういうところで変にこだわりがちだけど、それがない。あと、最後に氷が張って冬眠するという終わり方もよかった。

ウグイス:今思ったんだけど、お父さんは外、お母さんは内を守るっていうような古めかしい役割分担なども、これがリアリズムの話だと、今の価値観と違うってことになるけれど、これは水の精の世界のお話で、人間世界とは違うということで、あまり目くじらたてないで読めるのかも。ファンタジーはそういう制約を受けないってこともあるんじゃない?

ミッケ:たとえば、主人公が粉屋さんの船にひとりで乗っていたら、見つかったものだから水に飛び込む。青くなった粉屋さんが、必死で主人公を探し続けるのを見て、主人公がp87で「…ずっと、さがしていればいいや! 粉屋さんが、木の箱をひとりじめしてるから、こんなことになるんだ!」って言うでしょう。この終わり方が、いかにも子ども目線でいいですよね。傘を持った男の人を池にはめちゃって、最後はミジンコなんかもいっしょにけらけら笑っていました、という終わり方も、子どもにすれば大喜びだと思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)


2006年11月 テーマ:復刊の作品を読む

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『2006年11月 テーマ:復刊の作品を読む』
日付 2006年11月30日
参加者 アカシア、きょん、エーデルワイス、ミッケ、ウグイス、カーコ
テーマ 復刊の作品を読む

読んだ本:

星新一『ブランコのむこうで』
『ブランコのむこうで』
星新一/作
新潮文庫
1978/2005

版元語録:ある日学校の帰り道に、「もうひとりのぼく」に出会った。鏡のむこうから抜け出てきたようなぼくにそっくりの顔。信じてみらえるかな。ぼくは目に見えない糸で引っぱられるように男の子のあとをつけていった。その子は長いこと歩いたあげく知らない家に入っていったんだ。そこでぼくも続いて中に入ろうとしたら……。少年の愉快で、不思議で、すばらしい冒険を描く長編ファンタジー。
ジェフリー・トリーズ『この湖にボート禁止』
『この湖にボート禁止』
原題:NO BOATS ON BANNERMERE by Geoffrey Trease, 1949
ジェフリー・トリーズ/作 多賀京子/訳
福音館文庫
2006.06

版元語録:湖の島にこぎ渡ることを禁じられたビルたちは,謎を追い,島の持ち主アルフレッド卿に立ち向かう。傑作冒険物語が新訳で登場!
オトフリート・プロイスラー『小さい水の精』
『小さい水の精』
原題:DER KLEINE WASSERMANN by Otfried Preussler, 1958
オトフリート・プロイスラー/著 はたさわゆうこ/訳
徳間書店
2003.03

版元語録:水車の池の底にある小さな家に生まれた小さい水の精は、髪も目も緑色の、元気な男の子。毎日池じゅうあちこち探検します。コイのおじいさんの背中に乗せてもらったり、人間の子ども達と友達になったり…。ドイツを代表する作家が、元気な男の子をいきいきと描く作品。原書の絵を忠実に収録し、新訳でお届けします。

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オリーブの海

ケヴィン・ヘンクス『オリーブの海』
『オリーブの海』
ケヴィン・ヘンクス/著 代田亜香子/訳
白水社
2005

愁童:つまんなかったです。細かいところに目がいきすぎている割には主人公のデッサンが貧弱。主人公とオリーブの関係がよく読者に伝わらないのに、題名が「オリーブの海」って言われても、作者が何を伝えたかったのかさっぱり分からない。

むう:だいぶ前に読んだっきり、あまりよく覚えていないんです。原書も最初のほうは読んだんですが、印象が薄かった。最近のYAものの一つの路線として、このタイプのものがけっこうあるような気がしてしす。癒し系、というのでもないんでしょうが、強いラインがない。スライドみたいにきれいなイメージをつないでいって、あわあわあわっと進んでいく感じ。ただ、Sun and Spoon もそうだったけれど、色のきれいな絵を見ているような感じ、あたたかい感じはこの人の持ち味なんだろうなと思いました。この子にとってオリーブの日記はひどく唐突なんだけれど、それをこの子は決して切り捨ててはいない。最後に海のかけらをオリーブのところに持って行くあたりも、この子の優しさなんだろうと思う。そういう死を巡ることが基本にあって、その間におばあちゃんとか、ジミーといろんなことがあるという形はよくわかるんだけれど、今ひとつ迫ってくるものが感じられなかった。

ウグイス:ストーリーに起伏がないので印象は弱いんだけど、思春期の女の子の心情をていねいに描いていると思うの。著者はとても繊細な人なのではないかしら。お父さん、おばあちゃん、お兄ちゃん、5人兄弟、それぞれとの関係を書きながら、マーサの感じたことや、小さな心の揺れをとらえている。オリーブは仲がよかったわけではないので、書かれていなくても仕方がないのでは? それが後から届いた日記を読んで、だんだんに存在を意識するようになるところがおもしろいのだから。インパクトのある作品ではないけど、読んでいるときは心地よく納得しながら読んでいきました。章立てが細かいのも読みやすかったし。

たんぽぽ:私はおもしろくって、あっという間に読んでしまいました。最初の手紙が、この物語全体の何か重大なメッセージとなるのかと思いましたが、そうではなかった。少女と家族のつながり、祖母との対話を通して生きるということ、老いるということが伝わってきました。海でおぼれかけたとき、自分が死んでも周りはひとつも変わらないと感じた少女の気持ちが、よく伝わってきました。最後の海の水を持って帰ってあげるところで、この子は純粋で優しい子なんだなと、思い、ここで最初の、友達の手紙の内容とつながった気がしました。

ミラボー:全体的な印象はよかった。死んでしまった子とのかかわりがもっと出てくるのかな、と思いつつ読んでいましたが、はぐらかされるというか、あまり出てきませんでした。作品の最初と最後に出てくるけれど、本の帯の宣伝文句とはずれていて、死んじゃった子のことが薄いような気がします。

アカシア:主人公のマーサは12歳なので、それまで特に仲良しではなくても、クラスメイトが死んじゃったというのはショックだと思うんです。しかも、その子オリーブが自分のことを考えていたとわかれば、そこから何かを考えはじめるのは自然だし、見えている世界が何かの拍子にパッと変わってしまうところなどはよく書けてますよね。お父さんやおばあさんが、とてもいい人だという点はクラシックですね。私は、海の水を持ってオリーブのお母さんを訪ねていくところとか、筆をとって水がなくなるまで描いていくというあたりは好きですね。でもね、こういうありふれた日常の中での心の揺れを書くのは、日本の作家のほうがうまいと思うの。だから、あえてこれを翻訳しなくたっていいじゃないかと思ってしまった。

きょん:半分くらいしか読めませんでした。すてきな雰囲気なのですが、忙しくて時間がなくて短い時間に読みつなげていたので、バラバラしていて世界に入れませんでした。落ち着いて、この世界にひたって読んだらもっと良かったのかもしれません。

みんな:どうしてこれが課題図書なの?

アカシア:生や死を扱っていて、嫌みがないからじゃない?

カーコ:前に読んだとき、感じのいい作品だったという記憶はあったんですけど、ストーリーはすっかり忘れてしまって、今回全部斜め読みしました。主人公のまわりの人たちは、年端のいかないルーシー以外、みなそれぞれの人生があって、主人公はその中でいろいろなことを考えていくんですね。それはおもしろいんだけど、大きな事件は起こらないので、山あり谷ありの派手なストーリーを求める子には、読みにくいかもしれないと思いました。ゴッビーは、主人公を導いてくれる大事な人物なので、もう少し強烈な印象があると、もっと全体のメリハリが出てきたんじゃないかしら。

むう:オリーブが死んだということと、夏休みのいろいろな出来事で現されるものとの対比が弱いんじゃないかな。「死」という通奏低音の部分がもっとしっかり流れていると、上に乗っている「生」のほうも、決して派手ではなく、強いストーリーがなくても、もっとくっきり浮かび上がってくる気がするけど。

カーコ:確かに、8ページの、オリーブの日記を読んだときの主人公の気持ちが書いてある部分も、弱い感じがしますよね。「ぞっとした」というのが、どういう感じなのかつかみにくいんじゃないかなあ。

アカシア:ヘンクスは、ストーリーの起伏で読ませるタイプの作家ではないので、翻訳だと、そのへんの機微がわかりにくくなるのかもしれない。p141の詩もぴんとこないものね。

愁童:あまりうまい作品とは言えないんじゃないか。家族のこともきちんと描かれていないし。12歳の子が共感するだろうと訳者後書きにあるけれど、家の方の図書館では子どもは全然借りていないんだよね。だから、ぼくはすぐ借りられたけどね。

ねず:白水社のこのシリーズって、読者対象はどうなんでしょうね。

だれか:やっぱりYAじゃない?

ウグイス:小学生でもわかるところもあるわよ。

アカシア:物語を構築するんじゃなくて、情景を重ねていくタイプのこういう作品は、翻訳すると、よほどうまく訳さないかぎり原文の微妙な味わいも消えてしまうと思うの。

ウグイス:作者が21歳の時に出たデビュー作All Alone は、男の子がたった一人で自然の中で光や音を感じるという静かな絵本。あわあわとしているのね。この人自身が静かな人なんじゃないかな。2005年に『まんまるおつきさまをおいかけて』(福音館書店)でコールデコット賞もとってるのよね。

アカシア:『夏の丘、石のことば』(多賀京子訳 徳間書店)は、二人の視点から描かれていて、もう少しくっきりしたわね。

たんぽぽ:子どもって、しっかり、うけとめているけれど、あっさりしている。薄情というのではなくて、なんか、さっぱりしているところがあるのではないかなと思います。

小麦:最初の出だしには、すごくひきつけられたんだけど、期待したほどおもしろくはなかったです。マーサの気持ちの変化や、他者との関係についての説明があまりされてなくて、全体的にあわあわとしていて感情移入ができず、物語をぼんやりながめた感じで終わってしまいました。どうしてジミーを好きになったのかとか、オリーブに対する気持ちとか、さらっとは書いてあるんだけど物足りない。そういったところに、12歳ならではの気まぐれさや、自己完結的で言葉足らずな面があらわれていると思えば、まあそうなんだけど。本文の組み方なんかを見ても、白水社のYAシリーズは完全に大人向けだと思いますが、この本は大人の私には物足りなかったな。かといって、12歳の子がこの本を読んでマーサに共感するようにも思えないし……。

げた:亡くなったクラスメイトの母親が突然訪ねてくるという、ちょっと変わった始まり方に、まずひきつけられました。夏休みのおばあちゃんちでのジミーたち兄弟との出会いや、ジミーの裏切りにとまどい、ゆれる12歳の女の子の、まあこの時期特有の心の動きに共感できる部分がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年10月の記録)


秘密の手紙0から10

シュジー・モルゲンステルン『秘密の手紙0から10』
『秘密の手紙0から10』
シュジー・モルゲンステルン/著 河野万里子/訳
白水社
2002

たんぽぽ:まだ半分しか読めてないんですけど、早く先が読みたい。ヴィクトワールが楽しくって。こんな子がとなりにいたら楽しいだろうな。

ウグイス:この本はとても好きですね。最初、この男の子の生活がすごく変わっているので、なんなんだろうってひきこまれるでしょう? ちょっと昔風で、普通の子どもの暮らしとあまりにもかけ離れている。それが、女の子が出てくるところから、がらっと変わってしまう、その落差が激しいところがおもしろかった。そんな展開になるなんて意外で。題は『秘密の手紙0から10』となっているんだけれど、その割にはお父さんの手紙はあまり重要ではないので、違和感があった。これを題にするなら、お父さんとエルネストのことをもう少し書いてもいいのに。

むう:この作品は、『オリーブの海』とは対照的にとてもくっきりしていて、楽しかったです。この女の子のパワーがなんといっても強烈で、魅力的。エルネストっていう子も、こういう生い立ちだと、ひきずられるだろうなと納得できる。女の子の13人の兄弟もそれぞれ強烈だし、その出会いとかエルネストの変わっていく様子もとてもおもしろい。それに、なんだろう、なんだろう、といっていた秘密の手紙が、なんていうことのない内容なのもおもしろいし。それに比べると、お父さんのことは、つけたしっていう感じでしたね。

ねず:女の子が元気良く生き生きと描けていて、おもしろかった。ほかの登場人物も、ほんの少ししか出てこない人もふくめて、よく書けていると思います。英米児童文学とはまったく趣のちがう、まさにヨーロッパ本土のにおいがする。ただ、「だからどうした?」と言われると、なんてことない話なんだけどね。フランスで権威のある児童文学賞を受賞しているし、主人公は10歳ということだけど、こんなに凝った文章ーー暗喩が非常に多い文章を、フランスの子どもはすらすらと読めるのかしら? けっして、感心したり疑ったりしているわけではなく、素直に「誰かにきいてみたいな」と、思いました。ただ、お父さんの最後の手紙には、腹が立ちましたね。あまりにも無責任で、言い訳がましくて……そんな親に主人公が怒りを感じないと言うのも不自然だし。

カーコ:ヴィクトワールがおもしろかったです。それに、細部の表現がおもしろかったです。p177の「ヴィクトワールがいないということが、エルネストの心のなかでは、とてつもない大きさにふくれあがっていた。穴に落ちないようにわざわざまわり道をしたのに、あまりにも気にかけすぎて、けっきょくその穴におちてしまったみたいな感じだ」とか、p133のインフルエンザの場面で「ヴィクトワールは、ばい菌の巣くつをエルネストのとなりに移し」とか。お父さんの手紙はあんまりじゃないの、と思ったけれど、生後3日で捨てられたことを気にしていたエルネストにとっては、ハッピーエンドでよかったのかな、と思いました。でも、この本の題名の「秘密の手紙0から10」っていうのは、どういう意味なんですか? おばあちゃんが大事にしていた手紙は1通だけでしょう? 原題では、「愛の手紙」だけど。

だれか:お父さんの送ってきた手紙が、10冊のファイルだったからじゃない?

げた:でも0から10だと、11冊になるよ。

カーコ:あと、白水社は目次を立てない方針なんでしょうか? 『オリーブの海』は細々としていたから目次がないのもわかるけれど、こちらはそれぞれに人の名前がついていて、目次として並べることにも意味があるような気がしますけど。

きょん:タイトルの意味がよくわかりませんでした。表紙もいまいちわかりにくいと思います。でも、読んでみるとおもしろかったので、一気に読んでしまいました。私は、ヴィクトワールよりもエルネストにひかれました。我慢強くて、こうだと思いこんだらきまじめにそれをするところ、たとえば、まっすぐに寄り道しないで帰らなくちゃいけない、おばあちゃんが待っているから……とか、おばあちゃんの言うとおりにしないといけないとか……、こういう極端なきまじめな部分は、どんな子どもの心の中にもあるもので、それが、ストレートに嫌みなく描けていて、よかった。そこから解き放たれていく子どもの心の成長もよかった。「一度も」したことがないから「初めて」するに置き換えていくっていうところも素直に気持ちが伝わってよかった。そして、ちょっとしたことで生活が変わっていくというのがさわやかに楽しく描けている。それを手助けしてくれる女の子の存在もなかなか愉快だと思いました。

アカシア:確かにヴィクトワールはおもしろかったし、エルネストとおばあちゃんの生活もよかったけれど、最後お父さんとこの子の関係に話を持ってきているのが不満でした。なんでここでお父さんのことに持っていくの? そのことで作品の世界が小さくなって、「小さな家庭のささやかな悲劇」に終わってしまったような気がします。p46「人道主義的なすばらしい大志だね」などなど、10歳の子どもの言い方とはとても思えない口調のところが気になりました。私は、この作品もわざわざ翻訳して出すことはないと思ってしまいました。

ウグイス:お父さんが見つかって、無理やりまとめてしまった感があるわね。別に見つからなくてもよかったのに。

げた:うちの図書館では、この本は一般書の棚に置かれています。主人公は10歳という設定だけど、いくらフランスだって10歳の子がここまで言うのは無理だろうと思うようなことを言うんですよね。エルネストもおばあちゃんも、お手伝いさんや、ヴィクトワールの家族も、登場人物がくっきり描かれていてわかりやすかったです。お父さんの糸口を見つけるのが、初めて行ったスーパーマーケットというのは、おもしろいけど。でも、このお父さん、ひどいですよね。放りっぱなしにしておいて、今更という感じがしますね。

むう:若いエルネスト自身は、お父さんの不在なんか乗り越えてさっさと自分の世界を作っていくわけだけれど、おばあちゃんにとっては、エルネストのお父さんが出てこないと一件落着しないからかもしれませんね。

ねず:昔から、フランスでは子どもを未完成の大人と見ているから、児童文学があまりおもしろくないと言われてきたけれど、確かにこの作品も子どものほうを向いて書いているとは思えないわね。

アカシア:大人の感覚でひねってあったりして、ストレートなおもしろさに欠けるのが多いのよね。

ミラボー:まず前半のヴィクトワールとエルネストの出会いはおもしろかった。陽気なヴィクトワールと出会って、全然知らなかった世界に触れて、世界が広がっていくのも極端な話でおもしろい。父親の話は、あまりに不自然だと思う。この言い訳おやじめ、という感じ。毎日息子宛に手紙を書いてたっていうけど、息子から突然手紙をもらって、それで初めて過去に書き溜めた手紙を全部送るっていうのは、それはないでしょう。最後、切符が3枚届いて、わいわいわいと終わるって感じでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年10月の記録)


カチューシャ

野中ともそ『カチューシャ』
『カチューシャ』
野中ともそ/著
理論社
2005

げた:極端なキャラクター設定で、話としてはとってもおもしろく読みました。モーって、極端にスローで、テストでも時間が足りなくなってしまう。この本の読者は中・高生だと思うんだけど、モーみたいな子は結構いて、例えば『決められた時間の中で答えを出すのはできないんだけど、おれは本当は数学が好きなんだ』なんていうところは共感できるんじゃないかな。カチューシャは、映画化したらどんな女優さんがやるのかな? カチューシャがおじいちゃんの戦争体験を思って、文化祭でみんながつくった戦車をめちゃくちゃにしてしまうのだけど、どうしてこんなに思い入れるのかな、おじいちゃんの戦争体験とおじいちゃんの戦争に対する思いが、この本からは読みとれなかったなあ。モーのお父さん、なかなかいい親父だなと思います。でも、朝、時々違う女の人が食卓でコーヒーを飲んでいるのをモーが受け容れているんですけど、本当に受け容れられるのかな? ちょっとおもしろおかしく作りすぎているんじゃないの?

ミラボー:私はこのお父さんは、結構気に入りました。全体的には、読みづらいっていうか、読むのに時間がかかっちゃったな。筋がだらだらしてるからでしょうか。文化祭で戦車に顔をつけちゃったというのは、ありがちな感じ。作品としてはあまり評価できないです。設定に無理がありますよね

小麦:おもしろくは読んだんですけど、なんていうか手の込んだ幕の内弁当という印象。作者のサービスがいたれりつくせりで、ちょっと食傷気味になってしまいました。かじおのキャラクターも好感が持てるし、ストーリー運びもうまいと思う。それだけで十分読み進んでいけるのに、余計なところでおもしろくしようとするから、かえってそれが鼻についちゃう。お父さんが女の人と朝、コーヒーを飲んでたりとか、浴衣姿の編集者とキャンプファイアに来てたりとか……。エピソードとしても、戦争が出てきたり、かじおのお母さんの話が出てきたり、盛りだくさん。うす味系の『オリーブの海』のあとにこの本を読んだので、2冊の差がおもしろかったです。実力のある作家だと思うし、だからこそ色々と細かなところまで気がまわるのだと思うけど、なんでも先回りして用意してくれちゃう感じで、途中からおなかがいっぱいになってしまう。もっと読者にゆだねるところがあってもいいし、ディディールの味つけも、もう少し減らしてくれれば物語に集中できるのになー、と思いました。

たんぽぽ:3冊とも全部おもしろくて、私は幕の内弁当おいしゅうございました。3人それぞれ性格が魅力的で、組み合わせもおもしろかった。ショウセイの過去が、戦争とか恋人だけじゃなくてもう少し何かひとひねりあったらよかったんじゃないかな、と思いました。カチューシャもショウセイも自分を肯定しているところがいいなと。この表紙はフォークダンスなんですね。

ウグイス:主人公のかじおくんていう子が、周りとはちょっと違った時間軸を持った子どもだというのと、カチューシャが頭の回転が速くて世渡り上手な女の子っていう対照が、『秘密の手紙0から10』と一緒に取り上げるのにいいと思ったんです。全く違うように見える2人だけど、おじいさんに対する思いやりには共通のものがあって、そこからつながっていくという図式はわかりやすいと思いました。今のこの忙しい時代にスローライフをよしとするという主人公の設定はとてもいいと思うんだけど、お話としては特に何が起こるというんでもないんですよね。それから、かじおの一人称で書かれてるんだけれど、途中で著者の一人称みたいに聞こえてきてしまい、ちょっと鼻につくようになりました。著者が結局何を言いかったのかというと、ゆっくり生きていこうよっていうのと、戦争はやめようよ、くらいなんですよね。メッセージだけで読ませると弱いので、それならもうちょっとストーリー展開をおもしろくしてほしかったかな。

むう:設定やなにかはおもしろかったです。のんびりした男の子、力強い女の子、そしておじいさんに、クラシックな不良と、いろいろな人が絡んでいくのもおもしろかったし、かじおとカチューシャが実は前に会ったことがありました、というのもおもしろかった。ただ、途中で、カチューシャが戦車のはりぼてにいたずらするあたりは、ううん、これは付け足しめいているなあと思った。ちょっとてんこ盛り過ぎて、こっちがくたびれた部分もありました。かじおだけでも十分面白くて、たとえばマラソンの途中でコースを逸れちゃうところとか、なんともいえずいい感じなんだけれど、途中から、かじおの部分とカチューシャとショウセイの部分がちょっと拡散する印象があった。そのへんがいまひとつでしたが、基本的にはおもしろかったです。お父さんの造作も、いかにも今風でおもしろかった。

愁童:おもしろく読みました。才能がある作家だなと思ったですね。でも、この人の不幸は、いい編集者に出会っていないことなんじゃないかな。作家としての自分の文体が確立されてない気がします。日本語として首を傾げたくなるような表現が散見されて、興を殺がれてしまうのが残念。例えば 「にくまれ口をつぶやきながら」とか、「上のほうから俯瞰した」「髪にはめる」みたいな文章を日本語として、12歳ぐらいの子に読んで欲しくないですね。もう少しこなれた、しっかりした文章で書いてくれたら、大人の読者も充分引き込まれる魅力的な作品になるのに、惜しいなと思いました。

ねず:作者の生の言葉と、主人公のモノローグが混ざっているような感じがあって、気にかかりました。「金時豆がふっくら煮えてる」なんて、男の子は言うかな……とか。それから、非常に説明的だと思われるところもあって、やっぱりストーリーで語ってもらいたいなと思いました。だから、後半ストーリーが動くところからは、安心して読めました。そういうところをのぞけば、設定はおもしろいし、なにより主人公の立ち位置、万事スローで勉強もできないけれど、いじめられるわけでもなく、ちょっとみんなの輪から離れたところにいるーーそんなところに自分自身の経験からも共感をおぼえました。ショウセイは、バカ丁寧な話し方が原因なのか、ちょっと心のうちまで分からないという気がして……戦争体験も、とってつけたような感じがして。主人公のお父さんはけっこう好きです。朝、知らない女の人とコーヒー飲んでいるところなんか、なかなかいいじゃないか、なんて。こういう作家が、これからもどんどん書いていってほしいなと思います。「児童文学は卒業、これから大人のものだけ書きます」なんてならないで!

きょん:去年読んで、その時の印象だと、とても好感の持てる作品だと思ったのですが、印象が薄かったのか、ストーリーの細かいところを忘れてしまっていました。人よりもちょっとゆっくりでトロい男の子が、女の子に出会ってから、自分の居場所をみつけるという学園ストーリーが、軽快に描けていて、おもしろかったと思います。ショウセイの存在は、男の子にとっても女の子にとっても癒しの存在だったと思いますが、ショウセイの戦争体験については、老人に対するステレオタイプのイメージかも。戦車をめちゃめちゃにするところは、ちょっと理屈っぽすぎる感もありました。でも、全体的に個性的なユニークなキャラクターが出てきて、楽しめました。

アカシア:ほかの2冊の翻訳書に比べると、日本の人が書いているので、会話などがずっと生き生きしてますよね。文学というよりエンターテインメントだと思って、とっても楽しく読みました。キャラクターもちゃんと書き分けられて、特徴が出ているし。スローな子を魅力的に見せるのは難しいと思うんですけど、うまく書けてますね。「金時豆がふっくら煮えてる」というところも、この子のお父さんは料理研究家だし、料理の本などでは決まり文句なんだから、この子が言って不思議じゃない、と私は思います。ただショウセイのしゃべり方が疑似外国人風で、そこにリアリティは感じられませんでした。お母さんが風邪で死ぬというところも、リアリティからいうとイマイチかな。

ウグイス:p107「過去系で言うなって。」は、「過去形」の誤植ですよね。

ミラボー:お母さんはミャンマーの人なんですかね。

アカシア:日本人なのよ。日本に帰ってきて、免疫がなくて死んじゃうの。だけど私も、この人はこれからいい作家になるんじゃないかなって思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年10月の記録)


2006年10月 テーマ:違うタイプの少年と少女の出会い

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『2006年10月 テーマ:違うタイプの少年と少女の出会い』
日付 2006年10月26日
参加者 愁童、むう、小麦、ウグイス、たんぽぽ、ミラボー、きょん、ねず、アカシア、げた、カーコ
テーマ 違うタイプの少年と少女の出会い

読んだ本:

ケヴィン・ヘンクス『オリーブの海』
『オリーブの海』
原題:OLIVE'S OCEAN by Kevin Henkes, 2003
ケヴィン・ヘンクス/著 代田亜香子/訳
白水社
2005

オビ語録:ほとんど口をきいたこともないクラスメイトの少女が事故で死んだ。彼女が残した日記の1ページが、わたしの心を強くゆさぶった……多感な少女のひと夏の体験を描いて心にしみるニューベリー賞オナー受賞作
シュジー・モルゲンステルン『秘密の手紙0から10』
『秘密の手紙0から10』
原題:LETTRES D'AMOUR DE 0 A 10 by Susie morgenstern, 1996
シュジー・モルゲンステルン/著 河野万里子/訳
白水社
2002

オビ語録:欧米で16の賞に輝いた愉快で元気の出るヤングアダルト小説/祖母と二人でさびしい暮らしを送るエルネスト少年の前に現れた転校生少女。彼女はエルネストに、愛と、笑いと、生きる楽しさをもってきた。
野中ともそ『カチューシャ』
『カチューシャ』
野中ともそ/著
理論社
2005

オビ語録:僕をとりまく宇宙のその中心に、あの子はすとんと落下してきた。口が悪くて、すばしっこくて、とびきりいけてる女の子??カチューシャ。/『宇宙でいちばんあかるい屋根』で、絶賛され、1年。ヤングアダルトの新しい旗手、待望の新作。

(さらに…)

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ふるさとは、夏

柴田勝茂『ふるさとは、夏』
『ふるさとは、夏』
芝田勝茂/作 小林敏也/画 
福音館文庫
2004

ミラボー:アニミズムというか、あらゆるものに神様が宿っていて、その神様たちが楽しく活躍するという話は気に入りました。方言がきついので、入れているのはとってもいいですけど、読みにくいといえば読みにくい。だれが矢を射たのか、推理小説っぽく仕立てています。男の子と女の子のいる間に立つので、キューピットの矢かな、と最初から予想は立ちますが……。1990年の作品だけど、村の統合合併のことが話題になっていて、去年、今年あたりでもちょうど当てはまって、時代をとらえていると思います。

たんぽぽ:おもしろかったです。白羽の矢が立ってからあとも、短く感じました。方言が楽しくて、映画を見るような、おもしろさでした。

カーコ:とてもおもしろかったです。何の説明もなく方言が出てきて最初とまどったんですけど、これは読者が主人公のみち夫と同じ視線で読んでいけるようにわざとこうしているんだなあ、と途中で思いました。ほかの登場人物も神様も魅力的で、五尾村という世界がおもしろいんですね。矢のことを知りたいと思って読み進むんだけど、最後は、この世界を味わった満足感があるので、結末はどうでもいい感じがしました。物語が三人称で語られるからこそ、安心してひたりきれるのかも。p344の「おらちゃ、どっから来たがやろ。ほして、どこへ行くがやろ」というせりふが、生きることの不思議さを象徴しているようで心に残りました。

ウグイス:日本の児童文学らしい作品。この田舎は私の父の出身地と似ていて懐かしかった。子どもの頃、夏休みにひとりで田舎に長く滞在したことがあって、田んぼを抜けていくと川があって鎮守の森があってという風景を覚えています。バンニョモサといった呪文のような名前が出てきますが、村では近所同士苗字で呼ばずにその家のおじいさんの名前で「〜〜さ」と呼ぶ場合が多いんですね。この物語では主人公が田舎に行って、自分は誰も知らないのに、村の人々はみな自分のことを知っているという感じを受けますが、私も子どものとき同じような感じを味わいました。自分は初めて会う人ばかりなのに、村の人々は「〜〜さの何番目の息子の子」と知っていて、話しかけてくるんです。人間臭い神様が出てきますけど、村のおじいさん、おばあさんも、神様も、子どもにとっては同じようなものでしょう。生まれたときから見守ってくれる木とか、安心できる、ゆったりとした気持ちになる存在。会話が方言なのでとても雰囲気があって良いんですが、字で読むと読みづらく、子ども読むと苦労するかも。最後、主人公が家族のところに戻ったところも、自然な感じでいいですね。

アカシア:ファンタジーワールドをどこに作るか、ってことなんですけど、過去にさかのぼったり、まったく別の異世界をつくったりと、作家によっていろいろ苦労しています。この作品は、日本の現代で空間移動して、都会の子にとっては不思議な方言や風習が存在する「田舎」をファンタジーワールドにしてしまったところが、まずおもしろいですね。ブンガブンガキャー、ジンミョー、ゴロヨモサ、バンニョモサなど、神様や人の名前が片仮名で出てくると、それだけで不思議な感じがつくれる。神様がアロハシャツを着て温泉に出かけたりするのもおもしろいし、神様のくせに人間にたのんだりするのも意外。小林さんの挿絵もいいですね。方言の使い方も、わからないところは呪文のようにリズムを楽しんでいるうちに、だんだんわかってくるという状態をを主人公と一緒に体験できるので、これでいいのだと思います。
ただヒスイが、最初は引っ込み思案で、「きゃあ」と叫んで立ちすくんだり、みち夫にしがみついてふるえたりする場面があるかと思うと、後ろの方ではたいへん気丈な挑戦的で元気な女の子に描かれている。キャラクター設定に揺らぎがあるんですね。ひょっとすると、この男性作者の中に、憧れの女の子像と、児童文学としてはこう書かねば、という立て前とが乖離していて、こうなるのかな、と勘ぐってしまいました。白羽の矢をだれが射たのか、という謎で物語を引っ張りますが、村人たちは「神がかりしたり、ちょっと気がふれたりした村の者が射る」と考えているのに、神様たちは「人間ではなくて神様のだれかが射るのだ」と信じている。この辺があいまいなので、その後の犯人さがしもイメージがあいまいになっているのが残念。それから巻末に、この文庫版は1990年の福音館版の復刻で、別に加筆訂正したものが1996年にパロル舎から出ているとありますが、どんなふうに加筆訂正してあるのか知りたいと思いました。

うさこ:おもしろかったです。夏休みという限られた時間のなかで、行きたくなくて行った父親の故郷でおこる不思議な体験と空間と神様との出会いなど、設定は目新しくないですが、実にうまく書かれていて、物語のなかで十分に田舎の夏休みを体験できて楽しめました。暑い、汗、虫の声、ムシムシする風など、細部もうるさくないくらいに程良く描かれ、どっぷりと夏の舞台を満喫できた印象です。いろいろな神様がでてきて、それがどれもユニーク。明るくとぼけていて神秘的でない神様像もよかった。どちらかというとゲゲゲの鬼太郎の妖怪風なイメージだったけど。村の伝統行事、村独特の名称の付け方、人々の交わり方など物語の骨組がしっかりしていたのも、話にすんなり入れなじめた理由ではないでしょうか。この物語の山場は、「白羽の矢の犯人をあてる」シーンでしょうか。そこまでが、つまり神社ごもりの夜、白羽の矢をはなった犯人探しのところまでが、途中とっても長く感じられ、しかも方言の会話文を読み続けるのが少々辛かったかな……。

げた(メール紹介):ちょっと前の本ですが、うちの図書館では基本図書にしています。しかし、装丁などが古めかしいせいか、貸し出しはあまりないようです。私は今回初めて読んだのですが、意外に厚みのある構成と内容だなと思いました。家族、都会と田舎、色々な土着の神様たち、などいろいろ考えさせられる内容でした。白羽の矢は誰が?と推理仕立てになって、最後までひっぱってくれます。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年9月の記録)


キップをなくして

池澤夏樹『キップをなくして』
『キップをなくして』
池澤夏樹/作
角川書店
2006

うさこ:作者の、命をみる眼差しのあたたかさを感じた作品です。生きていることだけがすべてではない、魂の温もりというか、魂どうしの結びつきというか、そういうものを作品の中に感じました。キップをなくした子は駅から出られないという、一瞬ギョッとするような設定でうまく物語を展開させている。食事は駅の職員の食堂で、必要なものはキヨスクでただでもらえ、衣類は遺失物取扱から着替えを選ぶ。なんと、ここには子供用のパジャマもあり……と、一見突拍子もないことも、ついつい納得させられて物語を読み進めました。ステーション・キッズの仕事もなかなかユニークで、時に時間を止めるなどの魔法も使える。駅での集団生活も、社会的仕事をこなしながら夜はみんなで勉強と、すっかり「駅の子」社会を作り上げていましたね。そのなかにミンちゃんがいて、死んだら何も食べなくていいとか、なんで自分ばっかりと悔やんで向こうの世界へ旅立てないでいる……ミンちゃんの語ることばが実にリアルでした。ミンちゃんが旅立つために、と、おばあちゃんのお墓がある北海道までみんなで旅をして思い出を作ったあと、向こうの世界へ送る子どもたちの姿がすごく自然に描かれていました。

ウグイス:「キップはなくしてはいけないよ。なくしたら出られなくなるからね」という言葉は、子どもならだれでも親に言われたことがあると思います。本当になくしてしまったらどうなるんだろう? というところから始まるので、子どもはもちろん、そう言われた記憶のある大人も引き込まれてしまう。毎日大勢の人が駅に着いて、改札を出ていくけれど、それは皆キップを持っているから出られるわけですよね。駅というのは、どこか他の場所へ行くための通過点にすぎないのに、そこにとどまったらどういうことになるか、という話ですね。ところが、そこで生活するのは全く問題ない。食堂やトイレがあるし、仮眠室にはシャワーもあるし、着るものや日用品は期限切れの遺失物で間に合う。キオスクでは、お菓子を買おうと駅弁を買おうと全部タダ! 散髪も、本屋で本を買うのもタダ! 駅で働く人々はみな駅の子のことを知っていて、とてもやさしく接してくれる。子どもにとって、なんだか楽しい場所なんですね。しかも子どもだけの生活。絶対的な存在である駅長さんという人物が背後にいるけれど、子どもだけで考え、ルールを決めながら集団生活をする。年功序列的な構造ができていて、一つの社会が構成されている。しかも、大切な任務があり、きちんと自分のするべき仕事をこなしていく。うまくいかないときは、何と時間を止められる! 一人一人に責任もあり、子どもがいっぱしの大人のように暮らせるのは、子どもにとってとてもうれしいと思う。駅の子になれば、少し問題ありそうな子でもそれなりにきちんと受け入れられ、ちゃんと一人一人に居場所がある。そうやって、なんだか楽しい物語が進んでいくんだけど、あまり食べないミンちゃんが、「わたし死んでるの」という場面で、読者はドキッとさせられますね。ここから読者の読み方もがらっと変わり、なんとなくそうなのかなーと思っていたことが、「やっぱりそうだったんだ、この子たちは!」と思わせられる。
 そのあとは、ミンちゃんがぐっと表に出てきて、死後の世界の話という色が濃くなってくる。それからさらに局面が変わるのは、新入りの中学生が「キップをなくしても、清算券を買えば出られる」という、考えてみればあたりまえのことを言うとき。閉じ込められてるわけじゃない、出たければ出られる。そこで、自分はどうしたいのか、という問題をつきつけられる。そのあたりから、前半と雰囲気が変わってきますね。最初は、東京駅構内の細部の描写にリアリティがあり、ぐんぐん読み進んでいくんだけど、だんだんにちょっとした小さい疑問が積み重なってくる感じがしました。この子たちはどうして駅の子として選ばれたのか? 何らかの理由があって駅の子になるのでしょうが、何なのかはっきりしない。自分からキップを捨てる子もいるけど、どうしてなのかよくわからなかった。一生いるのではなくて、いつか出られるのだけど、出るきっかけも不明。親たちにはちゃんと連絡がいっているから心配していない、というけど、どういう連絡がいってるのか、疑問に思いました。

カーコ:私はこの作者が好きでいろいろ読んできたんだけど、この作品は全体に今ひとつ楽しんで読めなかったんですよね。自立した子どもの共同体という設定は、最初おもしろいと思ったんだけど。なぜおもしろくなかったのかな、と考えてみると、一つには、出てくる子どもたちが、全体にもののよくわかったいい子ばかり。みんな自分の役割を悟って、とても素直に行動するでしょう? 実際の子どもというのは、もっとハチャメチャなものだと思うんですよね。大人の見た子ども、という感じがしてしまって。また、最後に駅長さんが具体的な人として出てくるあたりでなんだかがっかりして、そのあと物語についていけなくなりました。グランマの語る死後の世界を、なるほどと読めるかどうかで、読後感が違ってくるんじゃないかしら。

たんぽぽ:キップをなくして出られなかったらどうしよう、家では心配してるだろうな、と思ったけれど、子どもたちはそんなことを考えずに暮らしているし、みんな、死んだ子かと思ったら、それも違っていた。後半は斜め読みになってしまいました。

ミラボー:作者は相当な鉄道ファンですね。設定も、青函連絡船があった時代ということが途中でわかります。鉄道好きな子に勧めてみたい。最後に子どもたちは家に帰りますが、そのあとどうなったんでしょう? 終わりが完結していないところが気になります。死生観や輪廻のことが出てきますが、p80に「生きているものが死ななければ、赤ん坊が生まれることもできなくなる」と書いてあるのを読んでドキッとさせられました。そうなのでしょうか?

アカシア:この作品は、まず設定がおもしろいですね。大人のいないところで子どもだけで段取りをして暮らしていくというのがおもしろい。カニグズバーグの『クローディアの秘密』(岩波書店)では子どもたちが美術館で暮らしますが、ここでは東京駅。そんなところでも暮らしていける、という発想がユニークです。駅のディテールもしっかりとらえて書いているところがいいですね。作者はインタビューで、イギリスの児童文学にあるような「行って帰る話」を書いた、と語っていますが、イギリスの児童文学は、帰ってからどうなったかも書かれているのに、この作品は、どうなったかが読者の想像にまかされています。大人の読者にはいいですが、小学生くらいだと大人よりもっと物語に入り込んで読みますから、疑問もあれこれ生まれてくるでしょうね。
 宇宙全体の大きな大きな心の中にいるコロッコたちが集まって新しい次の命をつくる、そしてコロッコは永遠に転生する、という考え方には、ひかれましたね。駅で暮らす子どもたちという意外性から物語が始まり、途中からミンちゃんの話になっていきます。ミンちゃんに関しては、読者も素直についていけて最後も安心しますが、他の子のことは書いてないのは、どうなんでしょう?

げた(メール参加):『キップをなくして』は身近なところに、非日常の世界を作り出して子どもたちを一時その中に引っ張りこむ話です。発想はおもしろいと思いましたが、読み終わって、子どもにとって「駅の子」になるということにどういう意味があるのか、と思いました。駅長さんや「死んだ子」を取り上げる中で「死」について作者の意見表明をしていますが、子どもはどういうふうに捉えるのでしょうか。なお、図書館ではこの本は一般書扱いになっています。

カーコ:一つわからなかったのは、この子たちが駅の子でいつづけた理由が釈然としないのに、最後に主人公は夏休み後、駅に戻るというでしょ? どれほどの動機があったんでしょうね。

アカシア:自分たちが果たしてきた役割を誰かが次の子たちに伝えなきゃいけないから、と書いてありましたよ。

カーコ:一人残らなければならないというのはわかるけど、なぜこの子がその一人になろうと思うのかしら?

アカシア:日常のリアルな世界との関連を考えていくと、なかなか難しいわね。

カーコ:ミンちゃん以外は、家族のことは全く書いていないし。

うさこ:キップをなくしたところで、もう魔法がかかっていると思ったので、私はあまり違和感はなかったけど。

アカシア:行って帰る話だと、帰ってみると現実の時間はストップしていたのがわかるとか、あるいは浦島太郎みたいに現実の世界でははるかに時間が進んでいたとか、とにかくファンタジー界と現実界では時間の流れ方が違うのが普通だけど、これは現実に学校に行く子どもたちを助けるところが出てくるので、現実世界と接点があり、そういう処理ができませんよね。子どもが読んだら、その間親たちや学校の仲間たちはどう納得していたんだろうか、とか、捜索願は出てなかったんだろうかとか、ひっかかるんじゃないかな?

(「子どもの本で言いたい放題」2006年9月の記録)


バスにのらないひとたち

ジャン・マーク『バスにのらないひとたち』
『バスにのらないひとたち』
ジャン・マーク/著  三辺律子/訳
パロル舎
1998.12

アカシア:私はジャン・マークの短編が好きなんです。日常の中のちょっとした裂け目をのぞきこんで不思議なお話を作るのが上手な作家ですよね。大人になって、雑事に追われているとつい見逃してしまいがちな感覚を、しっかり思い起こさせてくれます。この作品も、「大人の私」はおもしろく読みました。ただ、いくつかひっかかったところがあります。「通信」は、暗号のようなものがモールス信号だったことはわかったけど、具体的にはどうなっているのかよくわからなかった。後書きでもう少し説明してくれると、よかったですね。p181のトンネルと線路と歩道と車道の関係もうまくイメージできませんね。
「バスにのらない ひとたち」の話の原題はThey Wait。バスに乗らない人なら自分とはかかわらない感じですが、「待っている人」だと何を待っているのかわからなくてもっと怖い。文章の表記は、漢字とひらがなのバランスをもう少し考えると、もっと読みやすくなったと思います。p84あたりに日本語のイタリックが出てきますが、これ読みにくいですね。

ミラボー:私も「通信」はどうしてもわからなかった。今日ここで、わかった人に聞いて理解して帰ろうと思っていたんですが……。みなさんもわからなかったようで残念。個人的にイギリス文学でもケルト的な多神教の話は好きです。「かざられない写真」の話は、よくわかります。ぶきみな感じの話が多かったですね。

たんぽぽ:子どもたちは怖い話が好きなので、もっと子どもたちが楽しめる工夫がほしかった。読みにくかったです。

ウグイス:子どもだけにしか見えないものを描いて、なんとなくこわい雰囲気のある作品として、『キップをなくして』と共通のものがあると思ったんです。「バスにのらないひとたち」「お誕生日の女の子」などはわかりやすい話だけど、中には、情景がきちんと思い描けずに何回か繰り返して読まなければならないものもありました。もう少し工夫してほしかったわね。私も「バスにのらないひとたち」の原題がThey Wait なので、日本語から受ける感じとニュアンスが違うのではないかと思いました。p80でジェニーが最後に答える「バスにのらないひとたち」というところも、原著とは違ってくるのかも。
げた(メール):非常に読みにくかったです。内容的には高学年から中学生向きなのに比較的容易な漢字が平仮名になっていたりもするし。また、訳文から情景がイメージしづらかったですね。ですから、おもしろい本なのでしょうが、私にはその良さがわかりませんでした。日本の子どもにも、むずかしいのではありませんか?

(「子どもの本で言いたい放題」2006年9月の記録)


2006年09月 テーマ:日常の中のこの世ならぬもの

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『2006年09月 テーマ:日常の中のこの世ならぬもの』
日付 2006年9月26日
参加者 ミラボー、たんぽぽ、カーコ、ウグイス、アカシア、うさこ、(げた)
テーマ 日常の中のこの世ならぬもの

読んだ本:

柴田勝茂『ふるさとは、夏』
『ふるさとは、夏』
原題:(パロル舎 1996)
芝田勝茂/作 小林敏也/画 
福音館文庫
2004

版元語録:夏休みに父の故郷を訪れたみち夫は,ふしぎな少女とともに,奇妙な世界に引きこまれて……方言の魅力と郷愁溢れるファンタジー。
池澤夏樹『キップをなくして』
『キップをなくして』
池澤夏樹/作
角川書店
2006

オビ語録:キミは今日から、駅の子になる。/学校も家もないけれど、仲間がいるから大丈夫。/電車は乗りたい放題、時間だって止められるんだ!/子どもたちの冒険/心躍る鉄道ファンタジー
ジャン・マーク『バスにのらないひとたち』
『バスにのらないひとたち』
原題:IN BLACK AND WHITE by Jan Mark, 1980, 83, 86, 91
ジャン・マーク/著  三辺律子/訳
パロル舎
1998.12

版元語録:誰もいないバス停に人の気配を感じて近寄れないジェニー、具合が悪くなることに憧れるエマ、こむずかしい言葉を好んでつかうデニスなど、50年代の英国を舞台に、不思議な子どもたちが繰り広げる物語七編を収録。ごわいやつ/チョット変な子どもはおもしろい

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少年アメリカ

E.R.フランク『少年アメリカ』
『少年アメリカ』
E・R・フランク/著 冨永星/訳
日本評論社
2006.04

愁童:おもしろかったです。文学作品としてはどうかと思うけど、翻訳者の仕事ぶりがおもしろかった。言葉の選び方や文章のリズムが巧みで、読み手が鬱や心身症を疑似体験させられるような感じに引き込まれてしまうのが印象的だった。後半でセラピー描写が前面に出すぎてくるのが惜しい。前半と同じようなパターンで物語が進んでくれれば、この翻訳者の文体で少年アメリカの内的変遷を疑似体験できるとてもユニークな翻訳書という印象で読了できただろうに、その点がちょっと残念でした。

ネズ:難しい作品だな、と思いました。こういうものをフィクションで書くのと、ノンフィクションで書くのとどっちがいいか、考えさせられました。主人公の生い立ちの部分はおもしろいけれど、私はセラピストの仕事というものをまったく知らないので、セラピストがどのように向かい合ったから、主人公が立ち直ったのか、そのへんがよく分からず、難しかった。こういう本は、同じような境遇にある子は絶対に読まないし、こういう境遇にない子は、自分とは違うと思って読まないのでは? 読者対象をどこに置いているのかしらね?

アサギ:解離性障害というのは、つらい現実から逃避するためのひとつの形だと言うこととは漠然と知ってましたが、こういうことなのか、と私は興味深かったですね。この本はアメリカの若者に人気があるとのことですが、どういう子に支持されてるのかしら?

驟雨:普通の子ですよね。作者は、普通の高校の本棚に置く本として作った。この作品は作者の2作目ですが、若い子からの反応がより鮮明なのは1冊目のほうだということです。

アサギ:少年犯罪は日本でも多発していますけど、罪を犯した子どもたちの更生はどうなっているのかと興味がありました。この本を読んで更生の可能性が感じられ、そこがよかったですね。翻訳は難しかったと思うけれど、とても読みやすかった。それから、こういう子どもたちって大きく見るとけっこう共通項があると思うのね。共通項があるということは、導くための一定の方法もありうることになりますね。むろん、人間は一人一人ちがった個性の持ち主だと言うことは大前提だけど……。それからあらためて思ったのは??この子は料理に関心をもったことがターニングポイントになったけど??好きなこと、得意なことがあるってこんなにも大切なんだということでした。

ミラボー:すごい本だと思った。転落していく過程がよく書かれていたし、ドクター・Bとのカウンセリングの過程が延々と続き、なかなか先が見えないんですが、最後には救われる。イタリックに字体を変え、主人公がふっと別のところに離れて、また戻ってくるというのがわかるように書かれてますね。作品としては最後に救いがあってよかった。訳すのは大変だったろうと思います。特にののしり言葉などは、日本語のほうが少ないので大変だったでしょう。

ウグイス:あまりにも生々しくて、つらくなるような描写が続く中で、一つとても印象に残ったのは、小さいとき、ハーパーさんから隠れると、「ほうら、見つけた! もしもし、あなた、そこにいるのが見えますよう」といって見つけてくれる。「それでおれは、金切り声をあげる。見えるっていうのはほんとうに気持ちのいいことだから。」(p29)というところ。誰からもちゃんと見てもらえない子どもの心情がとてもよくわかる部分でした。最後まで読むと、これが伏線になっていることがわかり、感動しました。

アカシア:フィクションかノンフィクションかという点ですが、作者はきっと、この子のような子と何人も接してきたのでしょう。でもこの作品では、そういう子どもたちの代表として「アメリカ」という少年をつくりだし、フィクション仕立てにしているわけですよね。内容はとても重いですが、読んでよかったと思いました。ただ、読者対象はどの辺なのか、作り手の側はどう考えたのでしょう?

驟雨:アメリカではこの本は若い人向けに出ていて、「自分たちと同じようなことに関心があって、同じような言葉(汚い言葉)を使っている子がここにいる」という読まれ方をしているけれど、それをそのまま日本に持ってきても、距離感があるから同年代では読めない。だから、読者対象としては、そういう虐待などを受けて苦しんでいる子たちを相手にする、たとえば福祉関係などの大人を想定していると思います。

アカシア:子どもの本ではないんですね。巻末に広告が載ってる夜回り先生(水谷修氏)の本は、実際に救いを求めている子が読んでますよね。これは、それとは違って、本当に問題をかかえている子には難しい。時系列が行ったり来たりするので、本を読み慣れていなければ読みにくい。少年アメリカがセラピストとやりとりをしている現在の部分と、過去を思い出す部分が交互に出てきますが、回想の部分の会話は、もっと子どもらしい言葉づかいにしてもよかったのでは? たとえば「書類」(p36)は、幼い子どもの言葉ではないから。ハーパーさんの言葉づかいも、もう少し統一されると人間像がつかみやすくなると思いました。この作品は、甘いところをすべて排除してきりっとしてるんだけど、その分、読者としては読みにくいかもしれない。それから、セラピストはいい人ではあるんでしょうけどこの本からは人間味が感じられなくて。職業柄仕方ないのかも知れませんが、すごく嫌な、少年アメリカでなくても蹴っとばしたくなるような人に感じられました。なので、主人公にも感情移入しにくいし、セラピストにも感情移入できない。

ネズ:セラピストがマニュアル通りにやっているので、こうなるのでは?

驟雨:本人の言葉をそのまま繰り返しながら、本人に自分の内面と向き合わせるというのが、このセラピストのアプローチだと思うんです。この子は、それまでにもいろいろなセラピストと対面してきて、大人との回路はほとんど遮断したような状態で自分を守っているから、たとえば親しみを前面に押し出すようなアプローチでは、この子にすればうさんくさいだけだということになる。だから、主人公とドクターBというセラピストとの会話は、普通の人との会話ではなく、そっけない感じになるのは仕方ないと思います。

アカシア:本人が言ったことをただ繰り返すセラピストを、私はマニュアル通りに応対するお役人みたいだと思っちゃったんです。

ウグイス:でも、少年アメリカにとっては嫌な奴なんだから、彼の感じ方で描くとこうなるんじゃないのかな。

アカシア:そういうのはあるかもね。でも、子どもの本だと読者は誰かに寄り添って読みたいのに、この作品はそういう人が誰もいない。

げた:図書館ではこの本は一般書にはいっています。時間の流れが行ったり来たりして、構成がむずかしくって、なかなか理解しにくいですよね。読みにくい部分もあるし、映画を見るように自分で映像をイメージしながらしっかり状況をつかんでいかないと、会話だけがどんどん流れていってしまう。ぼくも、少し前に戻って読み直したり、何日か時間をかけて読まなければなりませんでした。最終的には救いがあり、野菜を育てて、土の感触を得て前向きな生き方になっていくのが感じられて良かった。作者はまえがきで、これは「教訓話」じゃなくて「優れた物語」を作ろうとしたと書いているですけど、なかなか物語として楽しむところまではいきませんでした。セラピストの助けを借りながら立ち直っていく子どもの生き様を扱ったドキュメンタリーのような読み方しかできませんでした。

驟雨:イギリス版の原題はAmerica is Meで、アメリカ版ではAmerica となっています。イギリスでは、YAコーナーと一般書の場所に、どちらもたくさん並んでいました。万人受けするタイプの作家ではなくて、ツボにはまって熱狂的なファンがつくタイプの作家で、ああいいな、と思う人が何人かはいるという感じだと思う。アメリカでの若者の反応も、すっと入っていけてすごく感激したという感想もあれば、自分とはまったく違う世界だし、何でこんなものを読まなきゃなんないの、と不満を前面に出した感想とに分かれていました。デビュー作が圧倒的に若者の支持を得ているのに対して、こちらはもう少し年齢が上の人たちまでターゲットに含めているようなところがあります。私自身、問題行動といわれる行動をとる若者をどう書くかに関心があって、けっこうアメリカやイギリスのそういう本を読んでみたりもしているけれど、家庭内暴力の被害者、ドラッグ常習者などが転落していく過程はリアルに書けても、そこからある程度のところまで回復していくのを書ける作家はほとんどいないといっていいと感じていました。つまり、回復過程にリアリティがない本が多いのだけれど、この本は、その部分がかなりしっかり書けている。それは、作者のセラピストとしての経験があるからでしょうが、たとえば少年アメリカが小さいことが目に入るようになってくるといった変化が、ちゃんとポイントを押さえて書かれているので、リアリティがあるのだと思います。現実にこういう子どもたちと接している大人たちは、様々な迷いを抱えながら、とにかく子どもと向き合わなければならないわけで、そういう大人に読んでほしい本です。ひとつ不思議な気がするのは、原書は、「本があまり好きでない子ども向け」の本として、リストに入っていること。主人公の、ものすごくヒリヒリした感じを出しながら、でもどこかでは温かいものとつながっている感じは、同世代の子には伝わると思います。でも、日本語となると、表現の仕方がとても難しい。原書は、話し言葉がそのまま文になったような作品で、そのままでは日本語にならないという問題もあります。

ミラボー:主人公が予想する調書の文面が出てきて、この少年の育ってきた過程がわかるけれども、それとは別に実際に起こったことも書かれているので、それらを総合して読んでいけばいいのでしょうね。

驟雨:セラピストによるセラピーというのは、向き合っている子の影の中に、その子の過去がいっぱいつまっていて、それが必要以上にふくれあがっているのを、原寸に戻して、その子にも受け止められるような形に持って行くことだと思います。その意味で、たとえばブラウニングの、主人公を安心させておいてから根底から覆すという行為の残酷さをちゃんと理解して、主人公が、そういう人に対して敵意を持つのは当然なんだと支えてあげる。それでいながら、人を殺すようなことはいけないことだということも押さえる。そういうバランスを本人一人でとることは、ほとんど不可能に近いわけで、それを助けるのがセラピストなのだと思うんですね。セラピストという存在は、自転車の練習をするときの補助輪のような存在だと思う。ちなみに、この本はイタリアとドイツでも翻訳されていて、ドイツではYAの賞の候補にもなっています。

アサギ:私はセラピストの口調がそれほど嫌だとは思わなかったけど。

げた:最後の解説で、この本の最大の魅力はセラピストが解離した人格を統合に向けるプロセスをリアルに描いていることであると言っているから、セラピストはそもそも、そういうやり方をするんだなと思ったんですけどね。

ウグイス:エイダン・チェンバーズの『おれの墓で踊れ』(浅羽莢子訳 徳間書店)の構成に似てると思いました。あれも、現在の取調べの場面と、本当に起こったことの回想部分とが交互に出てくるでしょ。

ネズ:私も『おれの墓で踊れ』の最後の部分を思い出しました。でも、あれは警察官の言葉を借りて事実を述べているわけだから、少し違うのかもしれないけれど……文章の字体を変えているところは、原書ではどうなっているのかしら?

アカシア:それとスラングがたくさん出てくる作品は、同じ作品でもアメリカ版とイギリス版でかなり違う表現になっている場合があるけど、これはどうなんですか?

驟雨:書体を変えたのは、日本語版の工夫です。それから英語はこの本では、イギリス版もアメリカ版もほとんど変わっていない。なぜなら、この本は、アメリカという国についての話でもあるから。

げた:でも、アメリカでは読書に慣れていない子にすすめる本とはね。うちの高校生の息子にもすすめてみようかな。

ネズ:いつも自分で使っているようなスラングがいっぱい出てくるから、ラップを聞くみたいにすーっと読めてしまうのでは?

愁童:ぼくは、やはりセラピストが書いているという限界を感じちゃった。少年アメリカがよく見えてこない。この子の本体は何なのかが、イマイチわからないでしょう? ハーパーさんと暮らしたほうが幸せだったのか、あるいはブルックリンとのことは彼にどういう影響を与えたのかを書いて少年アメリカ像を読者の前に提示しようというよりは、こんな子にはセラピーが必要なんだってことが前面に出てきちゃってる感じがする。

驟雨:逆に、この子の本体が見えないということで、少年アメリカ自身が自分を掴めなくて混乱してる状況がくっきりと浮き彫りになる気がするけれど。

愁童:確かにそういう面はあると思うけど、フィクションとして書かれているという前提で読むと物足りない。鬱だの心身症で生まれてくる子はいないわけで、そんな普通の少年アメリカが、どんな対人関係で、どんな生育環境で育ってきて今セラピーを受けるような状態になっているのか、そこら辺がよくわからないのが残念。推察はできるけど、作者は、あまり明確には書きこんでないのがもどかしい。

ネズ:プライバシーがうるさいから、ノンフィクションでは書けなかったのかな?

アサギ:名前を「アメリカ」にしたっていうのは、きっとそういう意味があるのよ。

愁童:小説として読めば、こういうふうになったプロセスにこそドラマがあるわけで、そこがあまり書かれていないので、何となくセラピーPR本みたいな印象になっちゃうのが残念でしたね。

驟雨:むしろこの著者は、子どもをとりまく大人たちの状況、社会の状況に対する怒りが一つのエネルギーとなって、創作に向かっていると思うけれど。

愁童:セラピストと少年アメリカの対話の中で、少年像が透けて見えるような書き方があると読者はもう少し想像力を刺激されて、興味深く読めたんじゃないかな。

アサギ:セラピーというのはこういうものなんだな、ということはわかったわ。こういうふうに人間って変わっていくんだな、と。

ネズ:私の大好きな作品『地下鉄少年スレイク:121日の小さな冒険』(フェリス・ホルマン作 遠藤育枝訳 原生林)は、少年アメリカほどじゃないけれど、家族も友だちもいず、精神的に追い詰められていた少年がNYの地下鉄に逃げ込み、121日間の地下生活をするうちに、それこそ袖擦りあうだけの人々との関わりによって救われ、ついに地上に出るという物語なんだけど、今の時代、こういうのはまったくの夢物語で、セラピストの登場を待たなければ救われないということなのかしら?

アカシア:小説として出すのか、それとも一種のケーススタディとして出すのか、本の出し方がどっちつかずなのでは?

驟雨:こういう本を出すときに、すぐに思いつくのが、スキャンダラスな部分を強調したり、実話だぞ、という点をうたい文句にした売り方だけれど、そういうふうに扱うべき本ではないと思うし、そのあたりは難しいと思います。

アカシア:とにかく翻訳が難しいタイプの作品ですよね。少年アメリカの一人称は英語ならすべて「I(アイ)」ですむけど、日本語では逆に小さいときの回想まで「おれ」で通しちゃうと違和感が出てきてしまう。

驟雨:一人称の問題ももちろんあるし、あと、米国でよく使われている固有名詞を使ってる部分などは日本語にできないから、そこで読者との距離感が出てしまうということもあると思います。この著者は、英語という言語を非常にうまく活用して書いているので、そこを日本語に移すときの減速感は否めない。

愁童:主人公の不安定な気持ちがせっかくここまで伝わっているのに、最後が説得力に欠ける。ドクターと会話しているうちに、急に優しくなったり、ものがわかるようになるというのに、ちょっと違和感を持ちました。セラピストのどんな言葉が、どんな態度物腰が少年を癒し、変えたのかがイマイチ明確には書かれていないのが物足りない。

驟雨:でも、少年アメリカが一人でぽつんと孤立していて、まったく手がかりのない状態、自殺願望を持っている状態から、ようやく一筋の光が見えるところまで行く過程は、かなりよく書けていると思います。外界のいろいろなものと、内面の変化が呼応しながら進んでいくあたりは、様々な記憶がよみがえっていく順序とか、心の動きはかなりリアルですし。

愁童:作者はこの本の冒頭で「優れた物語を書きたかっただけ」って言ってるよね。でも最後の解説を読むと、セラピー事例としての捉え方がされていて、何だ、結局そう言うことだったのか、みたいな感じになってしまうんだよ。

ネズ:冒頭の作者の言葉にあるように、あくまでも物語として読ませるなら解説はいらなかったし、セラピストとか、プロを読者対象にすえるなら、冒頭の作者の言葉は違和感がある……。

ウグイス:セラピストというものに対するうさんくささが、この解説で惹起されてしまう?!

アカシア:あと主人公の少年自身の魅力が、もう少し出てくるとよかったね。

驟雨:少年アメリカの人柄はかなりよく出ていると、私は思いました。たとえば、セメントの四角い隅に靴跡があって、そこを踏んづけたらハーパーさんちのドアが開いて、「お帰り」といってくれたというところは、実は偶然なんだけれど、幼い子どもにはそう見えたりする。それに、ライザに対する好意があっても、ブラウニングのいたずらが始まると、どんどん混線して、逆にライザを遠ざけようとするのもリアルです。結果としては、人を殺すことになりながら、それでいて本人はとても素直なところ、感受性の強いところがあるというあたりも、うまく書けていると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年8月の記録)


ベラスケスの十字の謎

エリアセル・カンシーノ『ベラスケスの十字の謎』
『ベラスケスの十字の謎』
エリアセル・カンシーノ/作 宇野和美/訳
徳間書店
2006.05

アカシア:今回は3冊とも、最初は状況がよくわからない謎の部分から入っていく本でしたね。この本ではまず少年が上げ底の木靴をはかされる場面がでてきて、え?と思っていると、読んでいるうちにだんだんとわかってきます。子どもが読む物語として、主人公の少年にくっついて興味をつなげて読んでいける、よくできた作品だと思いました。訳者の方はご苦労なさったようですが、とてもわかりやすい形になっているなあと感心しました。おもしろかったです。ベラスケスの絵に描かれている赤い十字架の謎を解くというプロットもいいですね。また、本の後ろに人物紹介があって、「ラス・メニーナス」の絵には登場しない人までいくつか絵が入っています。日本の読者にとってはありがたい工夫だと思いますが、これは日本語版だけなのでしょうか。

ウグイス:日本の子どもにはベラスケスといってもわからないし、この表紙の絵も知らない。スペインの宮廷の話で、まして17世紀ともなれば、時代背景は日本の読者には非常に遠い。読者対象はどうしても中学生かなと思います。でも、この本は、状況設定がそれほど遠いにもかかわらず、読者が最初から主人公にくっついていける構造をもっているので、意外にすらすら読めますね。まずお母さんが死んで、かわいがってくれるのは乳母だけ、それなのに引き離されて、父親に売られて、見知らぬ人ばかりの船に乗って……と、これはどうしたって主人公の味方にならざるを得ない始まり方。そして、船に乗ったところからは、何か途轍もないことが始まるという予感がして、次のページをめくらずにはいられない。その上、主人公の感情や気持ちに忠実に書かれているから、ぴったりついていきやすいと思います。しっかりした冒険ものとしての枠組みがあり、一気に読めます。長さも程よくて読みやすく、日常とまったく別の不思議な世界に連れて行ってくれる作品だと思います。

ミラボー:この絵は実物を2回見たことがあります。著者はスペインの子に向かって書いているから、前提としている知識が二つあると思いました。一つは絵の中の十字架は、王様がベラスケスの功績を称えて、死後に書き加えさせたといわれていること。二つ目は、当時のスペイン宮廷には矮人がいっぱい集められていて、ベラスケスは矮人に対してあたたかい愛情をもって描いていること。エル・プリモなどはとても有名です。なお私は絵の右の子(ニコラスに相当)は普通の女の子だと思っていたのですが、それも矮人だったのかとこの本を読んで初めて知りました。この二つのことはおそらくスペインではよく知られていることなので、日本の読者に向けては、それをどこかで補った方が親切かもしれません。ネルバルが悪魔で、ベラスケスは魂を売っても永遠の命を作品に求め、最後に十字架でベラスケス自身の救いを得て大逆転というのは、フィクションとしてよくできていると思います。私の中学では全員に読ませてみようと思っています。まず絵を解説しスライドを見せておいてから本を渡すつもりで、そうすれば基礎知識が得られて、お話に入りづらい子も減ると思います。

ネズ:アニメやゲームには、悪魔に魂を売るという話がけっこう出てきそうな気がするけれど……「悪魔」とはっきり言い切っていないところもいいですね。

ミラボー:どこにも書いていないけれど、やっぱりネルバルは「悪魔」であると読むんでしょうね。十字架を描き加える時に、ろうそくを消したりして抵抗しているわけですよね。

アサギ:悪魔を封じる十字架というふうには出てきますよ。この絵は、プラド展に来ていましたね。あそこではマリバルボラについておかしな解説が付いていたので、この本で初めてこびとだったのだとわかりました。とてもおもしろく読みました。ストーリーそのものもミステリアスで興味深かったし、宮廷にこういう道化がいることは知っていましたが、こんなふうに人買いのように集めていくことや、その宮廷での立場など、かれらをとりまく史実を知らなかったので、とても新鮮でした。未知の世界に入りこむおもしろさがいちばんだったかな。もちろん、ストーリーもうまくできていて、最初、え?と思っていたら、すとんと落ちるべきところに落ち、なるほど、という感じでした。翻訳もすらすら読めて、よかったですね。スペインのことだけでなく、宮廷画家という存在についてもあまりよく知らなかったので興味深く読みました。子どもはベラスケスや宮廷についてなどむろんぴんとこないでしょうが、ストーリー展開のおもしろさでついていくと思います。

ネズ:とてもおもしろくて、私も一気に読みました。ベラスケスの絵のことや、スペインの宮廷の知識がなくても、じゅうぶんに楽しめると思います。異文化や、知らない世界の遠い時代のことを知るというのも翻訳本の楽しみのひとつですが、この本はそういった楽しみを存分に与えてくれる。それに、いわゆるフリークの悲しさもとても上手く書けている。差別的な感じや、自分を高所に置いた哀れみの視線をまったく感じさせないのは、そういう子どもを主人公にして、その子の視線で書いているからだと思いますが、作者の配慮が感じられ、見事だと思いました。『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著 角川書店)の影響で、古典的な芸術や、いわゆる名画に興味を持つようになった子どもも大勢いると思うので、そういう子にぜひ読んでもらいたい。訳文も美しく、p63の真ん中あたりの訳など、本当にうまいなあと思いました。

驟雨:なんというか、私が小さい頃になじんでいた、岩波や福音館の児童図書みたいな、これぞ児童図書正統派という感じでした。豊かな感じがして、自分の知らない世界をじょうずに見せてくれる。文章も構成もきっちりしているし、とてもいいなあと思いました。この題材になった絵は、プラドでも暗くした特別な部屋に一つだけ飾ってあって、見ている人がその絵のなかに入ったような感じがするのだけれど、それに通じるものがこの物語にはある気がしました。謎めいたムードがあって、それが決して安っぽくない。伝統をきっちり踏まえている感じですね。あと、最初のところが木靴の話で、え?という感じで入るからこそ、子どもたちは、矮人である主人公の気持ちにすっと入っていける気がしました。これが最初から矮人だとわかってしまうと、子どもたちは自分とは違うと感じてしまって、なかなか入れないかもしれないけれど。とにかくおもしろかったです。

愁童:『少年アメリカ』と続けて読んだので、双方の作者の立場の違いみたいなものが、作品に反映されていて興味深かったですね。小さい子が主人公で、その子は父親が嫌い、というあたりは『少年アメリカ』にも通じるものがあるけれど、聖体拝受のエピソードで、坊さんを倒してしまうといったとても印象的な場面をぽんと置いて、少年像がきっちり読者の心に残るような配慮をしながら作品を作っている点など、童話作家としての巧みさを感じました。

げた:次はどうなるんだろう、という感じで読み継いでいけるので、読みやすい本です。歴史知識が必要なので、中学生向きかと思います。ニコラの出世物語ということで、中身自体はそれほど難しくないし、分量的にも中学生で本を読み慣れていない子にも読めると思います。

ミラボー:表紙で犬とニコラスだけに色がついていますが、これは、犬と少年が主人公ですよ、ということですね。
ひとしきり、ベラスケスの絵の話で盛り上がる。

ミラボー:冒頭の、ガブリエル・マルセルの言葉については、どう思われました?

アサギ:最後につながるんじゃない。ベラスケスの作品が完成したことが神秘なのかしら?

ウグイス:私は素直にふうん、そうなんだ、と思って読んだけど。

ネズ:神秘というのは運命のことかしら。

驟雨:この言葉がここにあるために、この本には不思議なことが出てくるぞ、という感じが醸し出されているんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年8月の記録)


白狐魔記 源平の風

斉藤洋『白狐魔記 源平の風』
『白狐魔記 源平の風』
斉藤洋/作
偕成社
1996.02

アカシア:この本は子どもによく読まれているし、シリーズの4作目が最近出て、話題になってますね。

愁童:ぼくの居住地の図書館には入ってなくて、借りられなかったので読んでません。

驟雨:この作家の本は、読書会でも、『サマー・オブ・パールズ』、『ルドルフとイッパイアッテナ』(どちらも講談社)と、これまでにたしか2冊取り上げていて、これが3冊目だけれど、『サマー・オブ・パールズ』が、男の書いた都合のいい女の子だと不評だったのと表裏一体で、こういう男の世界を書かせると、この人はうまいなあと思いました。お話として、とてもおもしろく読みました。最後に、キツネが仙人のところにとことこと戻っていくあたりの書き方も、いいなあと。シリーズの次の巻も読んでみたいなあと思わせられました。おもしろかったです。

ミラボー:私は正直言ってあまり好きじゃなかった。「フォレスト・ガンプ」という映画でいろんな史実に立ち会うという設定があって、そういう感じかと思って読んでいたら、思ったほどは史実に立ち会わなかったんで、拍子抜けしたのかもしれないな。なんだか説教臭くて、人間とはこういうものであるとか、修行はこういうものだとか、キツネがまじめくさっていて……。

アカシア・ウグイス:そこがおもしろいんじゃない! わざとそういうふうにしてるのよ。

ミラボー:私は嘘くさかったり説教臭いように感じたんだけど。この著者の本を初めて読んだんで、他のを読むと違うのかもしれない。

ウグイス:歴史のことは少ししか出てこないけれど、とにかくこのキツネがおもしろい。仙人について修行したりするけれど、その仙人が不真面目なのがおかしいの。かるーく読むべき本だと思う。このキツネ、ばかみたい、とか思いながら読まないと。坊主の話を床下で聞いているところのおかしさとかね。ユーモア小説だと思う。もったいぶって、大上段に構えているところが、またおかしいの。私はこの本はとても気に入って、おもしろいと言ったら、別の人は「こんなのくだらん!」と言ってた。まじめな人だったから、まじめに読んじゃったのね。この本は、まじめに読んじゃだめ。おかしい話として、アハハと笑って読めばいい。

げた:斉藤さんは、説教くさい話が大嫌いなタイプですよ。図書館に来てもらって話してもらったときも、そう言ってました。これはシリーズで4巻目まで出てますけど、1巻目がいちばん新鮮でおもしろかったですね。キツネが修行して、自由に人を化かせるように成長していく様子がおもしろかったですね。4巻目はキツネのことよりも、信長のことなど史実をたどることに力点が置かれているようで、物語のおもしろさが少なかったかな。

驟雨:あの、キツネが街道で人に出会って、化けてみたら、相手そっくりになってしまい、それで相手が逃げだすというエピソードは、おもしろかったですよね。

アカシア:斉藤さんは、ストーリーテラーで、エンターテインメントのおもしろさに徹しているんだと思うな。変身の過程を細かく書いている本って、あんまりないんだけど、この本は、尻尾の処理がうまくいかないのは「空」にしなければならないからだ、という。そのあたりなんかもうまいですよね。リアリティを追求するんじゃなく、笑って読む本。ただし本をよく読む人にとっては、サービス過剰が鼻につくかもしれませんけど。ところで冒頭に出てきた猟師は謎めいてるけど、だれなの?
誰もわからず。

げた:私は斉藤さんの作品の中では、最初の作品「ルドルフとイッパイアッテナ」がいちばん好きですね。あれは傑作だ。

ウグイス:私はこっちのほうが好き。

アサギ:この人、浪花節よね。基本的に。だから日本人に受け入れられやすい。ときどき悪のりしたりするけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年8月の記録)


2006年08月 テーマ:話題の本

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『2006年08月 テーマ:話題の本』
日付 2006年8月29日
参加者 愁童、ネズ、アサギ、驟雨、ミラボー、アカシア、げた、ウグイス
テーマ 話題の本

読んだ本:

E.R.フランク『少年アメリカ』
『少年アメリカ』
原題:AMERICA by E.R.Frank, 2001
E・R・フランク/著 冨永星/訳
日本評論社
2006.04

版元語録:心のなかで、人々のなかで、制度のなかで、少年は迷子になった。自分の居場所を見つけたいすべての人に贈る、セラピスト兼作家の「荒々しいまでに誠実」な物語、初めての邦訳。
エリアセル・カンシーノ『ベラスケスの十字の謎』
『ベラスケスの十字の謎』
原題:EL MISTERIO VELAZQUEZ by Eliacer Cansino, 1998
エリアセル・カンシーノ/作 宇野和美/訳
徳間書店
2006.05

オビ語録:あの絵の中に「足を踏み入れた」日のことをぼくはけっして忘れない……/異国の宮廷で生きる少年が語る、画家ベラスケスの絵の謎とは……
斉藤洋『白狐魔記 源平の風』
『白狐魔記 源平の風』
斉藤洋/作
偕成社
1996.02

版元語録:仙人のもとで修業し、さまざまな術を身につけたきつね白狐魔丸が、源義経と会い武士とは何なのかを考える大河ファンタジー。

(さらに…)

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いぬうえくんがやってきた

きたやまようこ『いぬうえくんがやってきた』
『いぬうえくんがやってきた』 いぬうえくんとくまざわくん1

きたやまようこ/作・絵
あかね書房
1996.12

むう:今日は、低学年ものの本について勉強しようと思ってここに来ました。YAのように読者対象の年齢が上の場合は、大人の想像力である程度何とかなるけど、幼年ものはまったく大人と違う気がします。その意味で、いぬうえくんはちょっと不思議だった。すらすらさくさくと読んでいったら、いぬうえくんはなんとなくくまざわ君の家に住み着いて、それからちょっとぶつかったら勝手に出て行って、それでまた、何となく戻ってきてっていう感じで、「変なの」という気がしました。それでも、まあそういうこともあるかと思ったんですけど、最後のp78で、くまざわくんが、またいぬうえくんと一緒に住むんだよなあ、というふうな感じで捉えているのが腑に落ちなくて。いい年した私にとっては、いぬうえくんというのはとんでもなくわがままで自分勝手にしか映らないんだけど、そういう相手を、こういうふうにまたすんなりと受け入れるのかなあ、それが子どもなのかなあ、とよくわからなかったんです。

ウグイス:p78は大人の感覚。いぬうえくんのキャラはおもしろいんだけど、一人になってさみしいだけじゃ、説得力が弱い。何かしようとしたら、いなくて困ったというならわかるのですが。この作家は、言葉遣いはおもしろいけど、大人が喜ぶ感じがあって、ほんとに子どもが喜ぶのだろうかと、疑問に思う部分があります。

愁童:ぼくはつまらなかった。子どもの目線というより、しつけ副読本的で、何もお話がない。こんなに気を使わなければならない友達なんて、もういいよーという感じにもなるのでは? 読んで楽しくないですね。

ウグイス:なぜ二人が一つのところで暮らすのか、なぜ、一緒にいるのかというところに、説得力がないんですね。

ミラボー:カルチャーの違う男女が夫婦になって初めてわかるカルチャーショック、でもそれを乗り越えて…という寓意かと思って読みました。子どもはどう受け取るのか、わかりません。

うさこ:絵はいいですね。なんともとぼけた表情やかわいい場面が見ていてホッとします。低学年ものはやはり絵が大事。でも話は、気のいいクマと一方的な犬という図式ですね。いぬうえくんというキャラクター性が読者にしっかりアピールできてないうちに、「〜がいい」「〜がいい」といって、くまざわくんの家におしかけてくるいぬうえくんに、最初の章はとても唐突な印象を受けました。家に来たあとも「〜がいい」「〜がいい」とくまざわくんの住まいなのに、いぬうえくんの価値観を押しつけすぎ。くまざわくんの気持ちを思いやって、「〜がいい」といっているわけではない。いぬうえくんって、ちょっと図々しくて自分本位なんじゃないかと思いました。二人が暮らす必然性がどこにあるのか、見えてきませんでした。p78の最後の一文は、作者の大人感覚の遊びで、きっと子どもの読者はぽかんとしているのではないかな。

たんぽぽ:小学校1、2年生では、このおもしろさはわからないかな。5、6年くらいだと、よくわかるのではないかと思います。

アカシア:いぬうえくんは、図々しいキャラなんですが、それはそれで嫌みにならずに笑っちゃえるんじゃないかな。しつけを押しつけている本だとは、私はまったく思いませんでした。図々しいと思える友だちでも、やっぱりいなくなったら寂しい。いてくれたほうがいいな、っていうことをクマの方は感じる。それが素直に表現されていると思います。

愁童:クマと犬という設定自体が、この作品のテーマを支えるキャラとしてはかなりしんどいんじゃないかな。大自然の中では本能的に敵対関係になる両者がどうして一緒に住むようになったのか、そこをきちんと書いてくれないと、動物好きの子どもたちは、お話の中の絵空事としてしか受け取ってくれないのでは。

アカシア:くまざわくんといぬうえくんは、自然の中のクマと犬じゃなくて、「まったく違うタイプの人」を動物の姿を借りてあらわしているんでしょう。絵もそうだし。だから、読んでる子どもは、実際のクマやイヌをイメージしないと思うけど。

ウグイス:でも、なぜくまざわくんが、一人じゃいけないのか? これでは読みとれない。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


ケイゾウさんは四月がきらいです

市川宣子『ケイゾウさんは四月がきらいです。』
『ケイゾウさんは四月がきらいです』
市川宣子/作 さとうあや/絵
福音館書店
2006.04

たんぽぽ:これも、小学校1、2年生では無理かな。読んでて、大人が小さい子どもの心を知るための本のような気がしました。小さい子が、これを読んでおもしろいと思うのかな?

うさこ:私はとてもおもしろく読みました。久々に痛快な幼年ものを読んだなと思いました。「ケイゾウさん」というのがニワトリの名前だったというところで、まず「おおーっ」と思い、話にひきこまれてしまいました。ニワトリのぼやき、ぼそっと思う(言う)コメントがずばっと気持ちにはまり、おかしくておかしくて。ウサギのみみことの対比がさらにおもしろさをひきたてていました。人間側と生き物側の見解のギャップにユーモアがあり、目新しい視点で書かれていたと思います。ただ、ここに描かれている幼稚園児は主に年長さんだと思うのですが、そのものの言い方や動きなど幼児と感じられないところがいくつありました。

ミラボー:ニワトリの目を通して幼稚園の1年間が書いてある、お母さん用の本だと思いました。幼稚園の様子がいきいきと書かれています。

アカシア:おもしろく読みました。書名だけでなく章タイトルがすべて「ケイゾウさんは遠足がきらいです」「ケイゾウさんはサーフィンがきらいです」と、すべて「ケイゾウさんは〜がきらいです」になっているのにも、ひきつけられます。『いぬうえくん〜』と同じように、この本でもケイゾウさんとウサギのみみこは最初から仲がいいわけではない。でもいっしょにいろいろな出来事を経験するうちに結びつきができていく。物語はケイゾウさんの視点で進みますが、子どもたちの成長もちゃんとわかるようにできている。うまいですね。著者は幼稚園の先生なんでしょうか? ただこれは幼児が読む本ではなく、裏表紙にも「じぶんで読むなら小学校中級〜おとなまで」と書いてあります。幼稚園のことが書いてある本を、たとえば3、4年生の子が喜んで読むの?

ウグイス:今は『いやいやえん』(中川李枝子文 大村百合子絵 福音館書店)を小学校5、6年生が読むというから、高学年でも普段あまり読まない子にはすすめられるのではないかしら。

愁童:おもしろく読みました。こういう作品って好きですね。これだけ「きらい」なことを並べて、ユーモラスにその理由を語ってくれているので、子どもたちは爽快感をもって話に引き込まれるんじゃないかな。

ウグイス:私もおもしろく読みました。ケイゾウとみみこのキャラづくりがおもしろい。なおかつ、動物と人間のギャップが出ていて、ちょっとずれてるところがなんともユーモラスでよかった。子どもは冒頭からすぐにケイゾウさんの立場になって読むと思います。こいつ、おもしろいやつらしいぞ、と思わせ、すぐに何か事が起こりそうな気配。次のページをめくってみようと思わせる。本をひとりで読めるようになったばかりの子どもには、とにかく次のページをめくらせなければいけないので、その点でこの本は成功しているわね。タイトルもおもしろいし、エピソードを一つづつ読んでいけるのもいい。楽しい絵がフルカラーでたくさんはいっているのも、子どもには読みやすい。

愁童:ニワトリやウサギの生態をきちんと押さえて書かれているので、ケイゾウさんの「きらい」な理由に子どもたちも素直に納得できて共感するんじゃないかな。ウサギのみみこの描き方も秀逸で、こんな女の子に悩まされる男の子って結構いるから、そんな点でも子供達に素直に受け入れられる作品だと思いました。男の子はこの作品好きだと思うな。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


おともださにナリマ小

たかどのほうこ『おともださにナリマ小』
『おともださにナリマ小』
たかどのほうこ/作 にしむらあつこ/絵
フレーベル館
2005.05

うさこ:たかどのさんの作品はどれも好きです。たかどのさんのファンタジーは、素材は普通でも物語がどっちの方へいって最終的にどこにたどりつくのか、話の途中では全くわからないところが魅力的。この作品もとてもおもしろいし、好きなお話でした。キツネの真剣な姿、でも誤りも多かったり、手紙の間違いなどもクスクスっと笑ってしまう。特に好きだったのが、最後に人間の子どもたちがキツネの学校へ遊びにいくところ。どんなに楽しかったかというのは、1枚の見開きの絵になっています。そこを一つづつ丁寧に見ていくと、人間の子どもに化けたキツネの子とほんものの人間の子がうまく楽しそうに描いてある。キツネの子の「よれよれ」ぶりもいいですね。楽しかったことをことばで綴るより、この見せ方のほうが読者にお話をあずけ、想像力を引き出してくれますね。最終ページのその後の両方の学校の交流ぶりもいい余韻で終わっていると思います。

たんぽぽ:たかどのさんは、おもしろいですね。ただ、最初の部分がちょっと、こみいっているかな。

むう:なんか、なつかしい感じがしました。昔から日本にある、キツネが人間を化かすという枠を使って、うまく書いてあるなあと思います。読んでいて、宮沢賢治の『雪わたり』を連想しました。キツネの子の学校に人間の子がぽんと一人入っていくという設定も、その子がかえってほめられて戻ってくるのもおもしろい。お手紙のへんてこさも楽しかった。

ウグイス:すごく好き。たかどのさんは、幼年もののほうが断然うまいわね。まずタイトルにやられた。何だろうと思わせる、うまいつけ方。最初書店で見つけてその場で全部読んでしまったんですけど、手元に置いておきたくて買って帰りました。キツネたちの正体が途中でばれるんだけど、ばれるところが子どもには楽しい。キツネの子が字を間違えますが、字を習っている最中の読者も同じような間違いを経験してるはずなので、ほほえましく思えるでしょう。ただ、たんぽぽさんも言ってたように冒頭の部分は、状況がすっと飲み込めないのではないでしょうか。いきなり3人の名前が出てくるし、しっかり読んでおかないと次に進めません。小さい子どもが読む本は、『ケイゾウさんは四月がきらいです』みたいに、端的に状況が把握できて、もっとぱっぱっぱっと進んでいかないと。あと、こんなに薄い本なのに、この本にはちゃんと目次があるところがうれしいですね。今まで絵本ばかり読んできた子どもたちにとって、「目次がある本」を読むというのは、いっぱしの大人の本を読んだという満足を与えてくれますから。だから、内容的には絵本とほとんど変わらないものでも、きちんと目次がある本は、ひとり読みを始めたばかりの子どもにはとても大切だと思うの。最初の1章をを大人が読んであげて、あとは子どもが自分で読むようにしむけることもできますね。

アカシア:私もとってもおもしろかった。まず書名を見て、いったい何だろうと惹かれます。キツネの学校に行くと、山本さんに化けた子が鉛筆を耳にさしているなんていう一つ一つのディテールも、それぞれおもしろい。キツネの子どもたちの言葉の間違いも、ほほえましくもとっても愉快。校長先生まで間違ってる! 最後の見開きのイラストも本当にいいですね。よく見ると、キツネの子には尻尾がついていたり、ひげがついていたり……。たっぷり楽しみました。ただ、確かに言われてみると、冒頭の部分はすっと入ってこないわね。一文が長いのかな?

もぷしー:あまり湿度を感じず、とても晴れ晴れした読後感でした。校長先生の文やキツネたちの化け方など、すべてちょっとずつ間違っていて、でも登場人物たちは精一杯頑張っていて、そののびのびとした姿が、読んでいて気持ちよかったです。子どもたちに、ぜひ読んでほしい。もう一つこの本で良いなと思ったのは、読み聞かせがしにくい本だということ。読み聞かせてもらうのは私も大好きだし、とても楽しいけれど、自分で読む力も育まなければいけないと思うので、まちがった字などを見つけながら、楽しく自分読みをして、ワクワク感を味わってほしいなと思いました。

ドサンコ:宮沢賢治の作品を、より軽快に描いた印象です。たぶん賢治の作風をそのままにすると、物語は「それからキツネの校長先生から手紙がきました。そこでクラス全員で、赤い鳥居をくぐってキツネの学校を訪ねていきますと、そこにはただ、草が風にゆれているだけでした」というような終わり方になっていたと思います。このさし絵は、ゆかいなまちがいもふくめてですが、文章のていねいさと呼吸がとても合っているなと思いました。本文の書体や、キツネの校長先生からの手紙のページ全体がキツネ色だったこと、その手紙の文字も、作品を味わい深くしているなと思います。

ミラボー:かわいい本という印象です。どきどきする場面と、大丈夫だなと安心できる場面が交互に出てくる。最後のイラストと、後日談もとてもユニーク。人間があまりきちんとしすぎない方がいい、という作者の価値観が出ていると思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


ちびねこグルのぼうけん

アン・ピートリ『ちびねこグルのぼうけん』
『ちびねこグルのぼうけん』
アン・ピートリ/作 古川博巳+黒沢優子/訳 大社怜子/絵
福音館書店
2003.06

ミラボー:さあっと読んでしまって、特にこれといった感想がありません。

ドサンコ:これは、安心して読める本、こう言ってしまうと悲しいですが、印象が薄い本でした。ひとりで本を読める子ども向き、でしょうか。表紙の猫の目が、動物を描くときによくあるような愛らしさがなくて、むしろやや怖いのが印象的でした。かわいいばかりがいい、ということでもないのですが。お話は大きな事件はなく、小さな出来事が全体をとおしていくつか描かれている…という印象ですよね。あえて言うなら、どろぼうが来るエピソードが最大の山でしょうか。グルがドラッグストアにおいてもらえることになる決定打はここにあると思うので…。でもこのエピソードは後半なので、前半にもう少し動きがあると、あきずに読める子どもが増えるのかなと思いました。

もぷしー:私は楽しめなかった。一話一話のどこが悪いというわけではないけれど、これだけの長さの物語を読ませるには、ドラマが足りないのかなと思ってしまいました。猫に共感して読もうとしても、出会う相手が一期一会でどんどん変わったりするので、気持ちがついて行けなかった。この本は、長さからして、中学年くらいの子向けに作られているのかと思いますが、そうだとしたら、おじいさん、おばあさんの話ばかりでこの長さはきびしいかな。猫の言葉が通じる相手が、努力とかコミュニケーションの末に増えていくわけではなく、年齢条件で当てはまる人のみというのも、私にはしっくり来ませんでした。

アカシア:これは課題図書になった本なんで、私もどうかなと思って読んだんですが、意外におもしろかったんです。もぶしーさんが、猫の言葉がわかる相手が年齢で限定されているのがどうか、と言いましたが、老人と子どもだけがわかるというのはむしろ自然なんですね。夢の中に生きている部分が大きい人たちなわけですから。猫の描写もリアルです。予定調和的にお話が収束するところはクラシックですが。もっとすごい事件が次々に起こらないと飽きてしまうと感じる人もいるでしょうが、子どもって、ささいな出来事でも大きな印象を受けますから、このくらいでもドラマを感じるんじゃないでしょうか? 今風のお話と比べるとテンポがゆっくりですが、お話を味わいながら読むのにはいいんじゃないかな。

ミラボー:アメリカの一,二時代前の文化を描いているという感じですね。

愁童:ぼくは『いぬうえくんがやってきた』と同じ雰囲気が感じられて、あまりおもしろくは読めなかった。猫の擬人化が過ぎていて、猫らしさが失われてしまっている。何か猫の着ぐるみの芝居を見るようで、むしろ人間の子どもにした方が理解しやすいのでは?

ウグイス:ていねいに描いてありますが、全体に平坦に進むので、途中でちょっと退屈してしまいました。グルもそこまでひきつけるキャラではないし、たいしたことも起こらない。最初におじさんの家にもらわれたとき、おばさんがちょっと冷たい人という設定に思えて、この人とは何かあるぞ、と思わせるのに、あとですぐにひざにのせてくれて、「えっ、そうなの?」と思ったり。子どももとまどうのではないかな。表紙の絵も魅力に欠けますね。

むう:なんというか、のんびりしているなあという印象でした。今時のテンポとはまったく違う。それが良さでもあるように思うけど、必然性があまり感じられずに、ふわふわと動いていく印象で、最後にお約束という感じでちょっとした冒険があって、無事暮らすことができたという筋もクラシック。ただ、老人と子どもだけとはネコと話をできるというあたりは、そうだろうなあという感じで、それほど違和感は持たなかったし、読者である子どもたちもまた、すっと受け入れるんだろうと思いました。

たんぽぽ:この本は子どもによく読まれています。これくらいの長さのもので、安心して薦められるものが出た、という感じです。これを読んで、長いものへと進む子がいます。

うさこ:グルの様々なかっこうの絵がなんともいえずいいですね。しっぽが短いところ、缶詰に前脚をはさまれたところ。話は大事件がおこるわけでもなく、わりと平和な展開。ドラッグストアにどろぼうが入って、グルが活躍…といった展開にはあまり新鮮さを感じませんでした。ピーターとおじいさんだけに、グルの声が聞こえる。ドラッグストアのおじさんが、おじさんからおじいさんへかわるから動物の声も聞こえるように…というくだりはふんふんとうなずいて読みました。そんなにおもしろいと思った作品ではなかったので、この本が子どもに多く読まれているということを聞いて、ちょっとびっくり。おもしろいという定義に、大人と子どもの体温差を感じてしまいました。

ウグイス:本の体裁は、子どもの読者に程よいかと思います。挿絵がたくさんあり、字面の感じも読みやすい。1冊読み通せたという満足感を子どもに与えてくれると思います。

アカシア:著者はアフリカ系アメリカ人の女性です。時代背景からすると、不満や矛盾に直面しているアフリカ系の子どもたちに、「もう少し忍耐強くやってみようよ」と呼びかける意図もあったのかもしれませんね。愁童さんは、猫が擬人化されすぎて自然じゃないとおっしゃってましたが、私はそうは思わなかった。子猫の自然な姿がよく描かれていると思いました。

げた:訳文がとても読みやすかったですね。冒頭、グルがどういう猫で、これからどんな話が展開するのかわかりやすく書かれていて、お話の中に入りやすかった。読み手の子どもたちもきっとグルに同化して、グルと一緒にいろんな冒険ができると思いますよ。何も起こらないと言っている人もいますが、小さく見えるかもしれないけどグルにとっては大きな事件、というか冒険がありますよ。グルの成長も頼もしく思いました。本文の挿絵は内容を的確に表現していると思いましたが、表紙がいまひとつ、かな。刺激的な内容ではないですが、ゆったりした気持ちで楽しめる本でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


ソフィーとカタツムリ

ディック・キング=スミス『ソフィーとカタツムリ』
『ソフィーとカタツムリ』
ディック・キング・スミス=作・デイヴィッド・パーキンズ=絵 石随じゅん=訳
評論社
2004.09

ドサンコ:全体として楽しく読めました。たいていの女の子は虫が苦手ですが、そうじゃないところがいい。クラシックなストーリーの部類に入るでしょうか。リンドグレーンの話も通じるかな。

ミラボー:双子のお兄さんは個性がありませんね。妹のソフィーは個性的。ドーンという女の子、おばあちゃんの登場など、お話の対比的な構成がはっきりしています。カタツムリが生きて帰ってきてよかった!

うさこ:ソフィーという4歳の女の子が生き物が大好きなのはありだし、その生き物好きの描き方が上手だと思いました。でも、絵がどうしても受け入れがたかったですね。オーソドックスというか古いというか。今の日本の低学年の子が親しみをもったり好んだりするような絵ではないと思うのですが。4歳のソフィーがふけてみえるのは、私だけかな? 絵がお話を台無しにしている印象、というのは言い過ぎでしょうか。

たんぽぽ:短いお話が集まっていて、小さい子には読みやすい本です。カタツムリが流れていくところでアッと思いますが、最後にまた会えるところもいいですね。

むう:とにかく、主人公の描き方がいい。女の子が持っていたポニーの人形を壊しちゃったり、ちょっと乱暴になりかねないけれど、自分なりの筋を通しているというか、そのあたりがとても魅力的。牧場貯金の話も、ええ、そんな途方もない、という感じだし、お兄ちゃん二人がつっこんでいる通り、かなりへんてこ話なんだけれど、子どもはそういうことを考えそうだし。両親がそれなりにフォローして、さらにおばあさんがもっとソフィーに近い気持ちで協力するというあたりも、よく書けています。楽しくてユーモアがあって。作者が、大人にとって都合のいい子どもを書いていないのがいい。それに絵も、ぶすっとしたソフィーの姿なんかは、私はぴったりだと思ったな。

ウグイス:好きなお話でした。ソフィーが個性的て魅力的。「一度決めたらやりぬく子」という訳し方も印象的です。名前の「キラキラあんよ」「はしかのブタ」とかの訳し方にも工夫があっておもしろい。「エイプリル」と「メイ」がどっちがすてきな季節か、という部分がありますが、子どもの読者には、これが四月と五月ということがわかるでしょうか。括弧で意味を付記したほうがおもしろさが増したのでは?

愁童:登場人物が簡潔な表現で実に良く描かれていて楽しいし、子どもの読者にイメージしやすいような配慮も感じられて、うまいと思いました。新しく越してきた近所の女の子ドーンとの葛藤なども秀逸で、冒頭からソフィーの人物像を読者の中に鮮明に定着させてしまうところなど、さすがだと思います。

アカシア:訳に工夫がいっぱいありますね。小さな子どもの英語のちょっとした間違いなんかも、同じように感じられる日本語になっています。あとクラシックなストーリーというと、子どもを守ってくれる親が登場してきますが、この作品は明らかに現代の特徴を持っていて、ソフィーは親に期待していないんですね。大事に育てていたダンゴムシをドーンに踏みつぶされた仕返しに、ソフィーはドーンのおもちゃを壊してしまう。そのいきさつを親に話したのか、ときく兄たちに対してソフィーは、「どうせ『わざとやったわけじゃない』とか、『ただのダンゴムシだろう』とか言われるだけだからさ」(p81)と諦めています。そして実際にその通りだったということを作者はp83に出しています。それから挿絵は、もう少しなんとかしてほしかったです。全部が変な絵というわけではないのですが、表紙にも魅力がないし、p103のお医者さんの絵などホラーみたいです。どの絵も1ページ大にしているのがよくないのかも。

げた:表紙の絵はおとなしくて、クラシックですね。でも、本文の挿絵はソフィーの野性的なキャラクターを的確に表現していると思います。ドーンの人形を踏んづけているところはリアルに表現されていますよね。このシリーズ、うちの区の図書館では全館においています。ものすごく貸し出しが多い本ではないけど、夏・冬・春のおすすめ本にも指定して、たくさんの子どもたちに手にとってもらおうと思っています。

もぷしー:勢いとユーモアがあって、引き込まれました。とても読みやすい日本語だったので、翻訳にはすごくいろんな工夫があるのでは? 幼年童話の翻訳物を出すのは、表現や文化の違いなどで難しいことが多いけれど、これは比較的ストレートでシンプルな文で読みやすい。お話の内容としても、キャラの立ったアリスおばさんがまず魅力的。それに、ソフィーが常に頭をつかって、「やりたいことを実現するにはどうしたらいいか」を具体的に考えている姿も好感がもてました。でも、表紙は日本人受けしないと思う……。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


2006年07月 テーマ:小学校低学年・中学年が読む本

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『2006年07月 テーマ:小学校低学年・中学年が読む本』
日付 2006年7月28日
参加者 むう、ウグイス、愁童、ミラボー、うさこ、たんぽぽ、アカシア、もぷしー、ドサンコ、げた
テーマ 小学校低学年・中学年が読む本

読んだ本:

きたやまようこ『いぬうえくんがやってきた』
『いぬうえくんがやってきた』 いぬうえくんとくまざわくん1

きたやまようこ/作・絵
あかね書房
1996.12

版元語録:小さないぬうえくんと大きなくまざわくん。きちょうめんないぬうえくんとのんびりやのくまざわくん。いっしょに暮らすのは大変?
市川宣子『ケイゾウさんは四月がきらいです。』
『ケイゾウさんは四月がきらいです』
市川宣子/作 さとうあや/絵
福音館書店
2006.04

版元語録:ケイゾウさんは幼稚園に住むにわとりです。うさぎのみみこがやってきてから、ケイゾウさんの暮らしは一変しました。月刊雑誌「母の友」掲載時から人気沸騰。主人公ふたりの織りなす10のお話を季節感あふれる絵とともにお届けいたします。
たかどのほうこ『おともださにナリマ小』
『おともださにナリマ小』
たかどのほうこ/作 にしむらあつこ/絵
フレーベル館
2005.05

版元語録:月曜日の朝から、ハルオ君には不思議なことばかりです。ハルオ君は「なんだか変だぞ?」と思い始めます。ハルオ君がある少年と出会うことで、すべてのナゾが解けるのですが…。ところが、話はそこで終わりではありません! 読み終わった後はハルオ君たちがちょっぴりうらやましくなってしまうかも? タイトルは間違いではないんです。ちゃんと読めばその意味がわかるはずです!
アン・ピートリ『ちびねこグルのぼうけん』
『ちびねこグルのぼうけん』
原題:THE DRUGSTORE CAT by Ann Petry, 1949(アメリカ)
アン・ピートリ/作 古川博巳+黒沢優子/訳 大社怜子/絵
福音館書店
2003.06

版元語録:ちょっと短気でやんちゃな子猫がくり広げる、愉快で楽しいお話。こんなに魅力的で、けなげな子猫にはそう簡単にお目にかかれません。ネコ好きには、たまらない一冊です。
ディック・キング=スミス『ソフィーとカタツムリ』
『ソフィーとカタツムリ』
原題:SOPHIE’S SNAIL by Dick King=Smith, 1988(イギリス)
ディック・キング・スミス=作・デイヴィッド・パーキンズ=絵 石随じゅん=訳
評論社
2004.09

版元語録:ソフィーは動物が大すき。自分の農場をもつのが夢。ある日、庭で黄色い小さなカタツムリを見つけたソフィーは…。ソフィーは小さいけれど、いちど決めたらやりぬく子。ソフィーが元気をくれるよ! イギリスを代表する人気作家の、ユーモラスな物語。

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平成マシンガンズ

三並夏『平成マシンガンズ』
『平成マシンガンズ』
三並夏/著
河出書房新社
2005.11

愁童:今回は選書の妙。対照的な作品が読めて興味深かった。『平成マシンガンズ』は小説としておもしろくない。本人の感想はわかっても、相手の像がきちんと読者に伝わるように書かれていないので、綴り方風身辺雑記みたいな印象しか残らない。『ジョナさん』に比べると格段の差を感じたな。

カーコ:苦手でした。うちの子がちょうどこのくらいの年齢で、こんな言葉づかいで暮らしているんですけど、それを作品にするとこうなるかという感じ。まず後味が悪いんですよね。『ジョナさん』は、理解しようという方向性が全体にあるのですが、こっちは否定したところから始まり、ずっとそのまま。どんどんつながっていく文章はおもしろいと思ったけれど、何度読んでも意味がわからない箇所があちこちにありました。

紙魚:感じが悪いですよね。でも、この感じの悪さって、この年齢独特のもので、そればっかりはしっかり伝わってきました。中学生って、何かが足りないという気持ちと、何かをもてあましている気持ちを同居させている面倒くさい年ごろだと思うのですが、そのあたりもよく出ていた。ただ、表現は幼い。言いっぱなしという感じ。独白を読まされているようで、後味も悪かったです。誰かをことさら強く撃ってはいけないというのは、新しく感じました。

アカシア:文学というより、中学生の女の子がブログにでも書いたことをつなげているようなものですね。文学作品として評価することは、とてもじゃないけどできません。内容にも文体にも新鮮さを感じないし。よく賞を取りましたね。人物造形が薄っぺらすぎる。文学を書くということは、書く技術と書く内容が必要なのだけど、この人にはまだ足りない。これは子どもが読むものではなくて、大人が読んで子どもはこうなのかなと思う作文でしょうね。

アサギ:amazonで見たら評判が悪かったですね。売らんかなの小説という印象は否めない。読後感もよくない。句点をつけずにだらだら書くのは、とりとめのなさを出したいのではないかしら? 文体自体はちがうけど、金井恵美子なんかもこんなふうにえんえんと書きますよね。でも句点なしで書いてわかるって、単語の並べ方が正しいのよね。村上春樹のフィッツジェラルドの翻訳を読んだときに点がないのに驚いて、ああ、語順が正しいとつけなくてもすむのかな、と思ったことがあります。だから自分で翻訳するとき、読点をつけなくてもすむ文章を目標にしてます??むろん実際には視覚的に読みづらいので、つけますが。主人公が愚にもつかないことでハブられていくのはリアリティがあったわね。ただ、現実がこうなのか、それとも作家や評論家が中学生ってこうだよね、と言っていることに作者が無意識に寄りそってしまっているのか、それはわからなかった。

アカシア:でも、いじめの描写は、これまでにもいろいろ書かれてるわよ。大体たいした理由もなくシカトされるのよ。現実もそう。

アサギ:ただ、ひとつ、現役中学生が発するという重みというか説得力がある。

愁童:迎合的な感じがするな。作者自身の痛みや悔しさが作品を書くバネになっているようには読めなかった。いじめられて「私のせいじゃないよね」みたいなメールがたくさんくる部分なんか、オジサン向けにはいいだろうけど、今時の中学生のシカトの現実の冷酷さみたいなものを、この作者は理解してないんじゃないかな。

アサギ:でも、あのメールは熱い関係を表してるんじゃなくて、自己保身じゃないのかしら。相沢くんと彼女とは状況がちがったのかな、という気がしたけど。メールがきたのは友情からじゃないんじゃない?

むう:先生が、最初に出てくる不登校になった男の子の時と同じように、みんなを集めて何か演説したとか、そういうことがあって、みんなこれはやばいと思って、それでメールを出したのかと思ったけれど。先生に対しては悪意がある書き方ですよね。全然教師を信頼していなくて。

アサギ:読後感はよくないけど、これも現実かなと思ったの。

むう:『蛇にピアス』(金原ひとみ)を読んだときに感じたのと同じような後味の悪さでしたね。若い人が、自分の感じているいらいらをなすりつけたのを読まされているような感じ。この人の場合は、ある程度書けるから、なすりつけている感じはぐっと読者に伝わってくる。ただ、大人が子どものいらいらを書くのと、その年代の子がいらいらをなすりつけるのでは、本質的に違う気がする。だって、本人にはいらいらをなすりつけるしかないから。そういう意味で、こういう本に賞をあげてもてはやしている大人の視線に、見せ物を見るのと同質なものを感じて、不愉快だった。子どもの大人に対する不信感は、一つには今の大人たちに原因があるのに、それを棚に上げている危うさを感じます。子どもが大人を全く頼れないという点は、フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』に似たものを感じたけれど、立場が全く違うから。大人が子どものことを書くときは想像力が必要だけれど、子どもが子どものことを書くときは、文章力は必要でも、想像力はどうなんだろう?

アカシア:中学生のころって、人間は不愉快な存在だって思う年代でしょうから不愉快なことを書くのは当然なんだけど、もっとうまく書いてほしいな。文学として成立するように書いてほしい。

むう:でも、それなりに力があるから、嫌な感じも迫ってくるんじゃないかと思うけど。

アサギ:とにかく「史上最年少」とつけたかった意図が見えるような気がする。

アカシア:今は毎日ブログ書いてる子もたくさんいるんだろうから、この程度なら書ける子はいっぱいいると思うけどな。

ミラボー:心理的にうまく泳いでいたのに溺れてしまうあたりは、うまく書けていた。そのなかの現場にいる人が、現時点で書いたのかな。家庭環境で異常な状況をつくりだして、そのなかで中学生の女の子が感じていることを書いたんでしょう。

ケロ:自分がおかれている危ういバランスを書いているという意味では上手だなと思いました。たまった悪意などの迫力を感じましたね。ただ、まわりの人がどれだけ書けているかというと、キビシイですね。特に、お父さんに関して感じました。最後のシーンで、お父さんとこんなに会話ができるのなら、前半の苦労はなあに?という感じです。もっとえげつなく書いてもいい部分もあるだろうし、中学生であったとしてももっと客観的に書ける人はいるだろうな。夢に出てくる死に神は、出刃包丁とマシンガンを持っているのだけれど、マシンガンと用途が違う出刃包丁は、なんの象徴なのかしら?とか、ふつう作品を読んでいると考えながら読み進むのだけれど、そういうことを真面目にしていると疲れる作品。それが心地いい疲れではないのが、読後感の悪さということなのかな。

ブラックペッパー:今回は、3作品とも気乗りがしませんで、なかなか読む気にならなかったのですが……この本は楽しくなかったですね。後味が悪くて、どんよりしてしまいました。前に「王様のブランチ」で松田哲夫さんは絶賛していたのですが、おじさまは、こういうの好きなのかな? 中学生が書いたとは思えない作品。いい意味では文章が上手っていうことなんだけど、あんまり新鮮さもなくて、「今の中学生ってこうなんだ!」っていうような発見もなかった。こういうお話だったら、やっぱり山田詠美の『風葬の教室』がいいなあ。

アサギ:山田詠美は、とっくに中学時代を乗り越えて書いているわけでしょ。渦中にいるときは距離をもって見るのは無理よ。

アカシア:でも出て来るおとなが人間として書けてなくて、どうにも類型的でつまらない。大人社会への攻撃性みたいなのを書いてもいいんだけど、なるほどと思わせるだけの力がないのは残念。

ブラックペッパー:均等に撃て! というのはおもしろいなと思ったけど、でもそれも夢だから……。

愁童:今では死語になっちゃったけど、これって「私小説」だよね。選考会では、こんな若い子が「私小説」風な作品を書いているということで評価されたのかな? でも、同世代の子には読まれてないみたいですね。『ジョナさん』は、ぼくの地元の図書館ではずっと予約20人待ち状態が続いてるけど、こっちは予約ゼロで、すぐ借りられたし……。

ブラックペッパー:これを読んでよかったと思う人がいるのかな? 問題も解決しないし。

愁童:部分的には光るところも確かにあるんだよね。

アサギ:まわりのことが書けていないというのは、逆にリアルに感じたわね。

うさこ:年齢というよりも作家の技量として書けないんですかね。

ブラックペッパー:私はわざとそうしているのかと思いました。だって、父親や愛人の描写はスゴイ。

カーコ:選考委員の斎藤美奈子さんは、家族の部分になると急にうそっぽくなると評しています。確かに、いじめなら重松清の方がずっと、それぞれの心理に迫って書いていると私も思いますね。

アサギ:だいたいこの年齢では、分析できないものだと思うけど。

愁童:主人公以外の登場人物の造形が貧弱だから、小説としてはおもしろく読めないんだよね。

むう:感じたことを、そのままを書いちゃってる感じ。小説というのは、自分を離れたところに置かないとかけないと思うけど。前にも議論になったことがあるけれど、子どもの視点で書くと、設定年齢によっては、描写が限定されて、たとえば人物描写に深みがなくなったりすることがある。この作品にも、それに通じる薄さがあると思う。

アカシア:読者対象はどの辺なんだろう?

小麦:インターネットのブログなんかでは、同世代の子の「才能ある作家が出た」とか「これは読まなくては」なんて熱狂的な意見も、あることはありました。

うさこ:読後感は消化不良という感じです。主人公はちょっと背伸びし、大人ぶった冷静な味方や自己分析しているわりには、母に向けた言動や父へ抱いている感情やクラスでの友人への対応は、ことのほか幼いなあ、という印象でした。まあ、それが等身大といえば等身大なのでしょうか。こんなに冷静に(いや、冷静を装ってる?)まわりを見ることができるのであれば、問題のある家庭や学校でももっと違う立ち位置を築けたのではないかなと思いました。結末は単なる逃避行という感じで「なんだあ、こんなラスト…」と不満が残りました。夢の中の男、マシンガンなど、ある象徴ではあるけれど、一つのアイテムレベルに終わっているのがもったいない…。

小麦:これって系譜としては『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー)と同じだと思います。大人が汚く見える年齢の主人公が、ひたすら悪態をつくっていう。でも大きく違うのは『キャッチャー……』には、希望やホールデンなりの信条がある。たとえば妹のフィービーのことを語る箇所なんかは、文章中にやわらかい感情が満ちていて、ホールデンが確かな拠り所としているものがあるんだなと、読んでてうれしくなる。でも、『平成マシンガンズ』には全頁を通して希望が感じられず、嫌な閉塞感が最後まで残りました。出てくるのがみんな嫌な人ばかりで、主人公にも好感が持てず、小説としては魅力がなかった。帯に書かれた錚々たる方々のコメントを読んで、本を買うときは胸躍りましたが、実際に読んでみると「うーん……」と正直、しらけてしまった。文学賞が話題作りの一環になってないかな、という思いと、若い才能に対して、大人たちの腰がちょっとひけてない?というのが率直な感想です。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)


ジョナさん

片川優子『ジョナさん』
『ジョナさん』
片川優子/著
講談社
2005.10

ミラボー:『平成マシンガンズ』よりも安心して読める。おじいちゃんに対するマイナスイメージをのりこえ、最後解決して終わっている。ゲートボール場で週一回会える彼は、顔がよくてモテて、うらやましいですね。

むう:なんというか、文章がとげとげしていなくて、つるつると気持ちよく読めました。デビュー作の『佐藤さん』のときのような、極端に最後が破綻しているということもなかったし、おもしろかった。家族のことは、どうだろう、うまく書けているのかな? 父親の出てき方が唐突な気がしたな。前にもうちょっと書き込んだほうがいいと思いましたね。

アサギ:ストーリーがうまくできていると思いました。危なげなくまとめていて、破綻がない。とくに会話がうまいですね。まあ、インターネットで発言している人も多いから、一見気のきいた文章を書ける人はふえているという面はあるけど。主人公の名がサコで茶畑からとったことや犬が実は兄弟など、いろいろ伏線があって、最後にいたって物語が収斂していくとこなどもうまい。一方で、まだ高校2年なのに、こんなにきちんとまとまってしまっていいのかな、って言う気もしましたね。146ページ、高卒でフリーターという状態に対する自分の差別意識については、けっきょくどうなったのか疑問が残りました。苦い缶コーヒーは大人の味、ジャンジャエールは子ども、のエピソードは古典的ね。1956年頃の雑誌『ジュニアそれいゆ』にも、同じような描写があったのを思い出しました。

アカシア:『佐藤さん』よりうまくなっていますね。犬のギバちゃんという、本筋とは関係ない存在を出してきているのもうまい。会話もジョナさんの口調をのぞき、おおむねうまい。文体もリズムがあってとてもいい。ただ、おじいちゃんが好きだったのに、嫌いになっていく過程があまりちゃんと書かれていない。62ページで、介護するお母さんがおじいちゃんの悪口を言い続けるとありますが、普通は好きなおじいちゃんが悪口を言われたら、嫌いになるよりは味方をしたくなるのでは? 185ページでは、「大好きだったおじいちゃんが、毎日老い、衰えていくさまを目のあたりにするのはつらかった」とありますが、その次が「おじいちゃんのことを忘れることにしました。はじめから嫌いだと思ったなら、つらくないと思ったから」だけでは、読んでて物足りない。
私がいちばんひっかかったのは、この年齢の男性で、ジョナさんみたいな人がいるとは思えないということ。主人公がジョナさんを美化してるので容貌についてはリアリティがなくても仕方がないと思うんだけど、なんのために毎週この子のとこに来るんでしょうね? 好きでもないのに? 来る理由は本の中で一応説明されてますが、説得力がありません。もうちょっと年齢が上だったら、まだわかるんだけど。P181では「うん、がんばるよ。今までずいぶん回り道もしたけど。でもそれが結果的にはよかったと思うんだ。この仕事に出会わなかったらたぶんこんなふうに思うことはなかったと思う」なんてクサい台詞を言うんですが、これもリアリティがない。女の子の会話はとてもリアルなのにね。

アサギ:確かに人間像は安易な感じ。福祉の仕事をやる、とか。

ウグイス:どうしてこの主人公は毎週犬を連れて公園に行くのか、きっとおじいちゃんと何かあったんだろうな、次第にそれが明らかになっていくのかな、と思って読み進むんですが、最初に期待していたほどのことはないままに終わっちゃうわね。トキコとの会話が生き生きしていて読ませてしまうが、ストーリーとしては場面がどんどん展開していかないので、途中で飽きてしまう。もう少し何か事が起こってほしい。『佐藤さん』のときはアハハと笑える描写がたくさんあって、そこが好きだったけれど、前よりユーモアが消えちゃったのが残念。私は『佐藤さん』のほうが、新鮮な感じがした。表紙の絵は平凡で魅力を感じないな。それに、ギバちゃん、もこみち、キムタク……、なんて出てきますが、今の読者にはぴったりでも5年もすれば古くなっちゃう。もったいない気がする。

紙魚:『佐藤さん』に比べると、なんだか人間としても、作家としても、大人になったなあと感じさせられました。『平成マシンガンズ』と決定的にちがうのは、人間に対して気持ちが素直で、手探りに懸命でいるところ。人を向こう側まで見ようとして、好きになろうとしている姿勢は本当にほほえましい。それに会話のセンスがいい。いくら作者が若いからといっても、やはり書く力がないと、物語の登場人物にここまで小気味よく会話させられないと思います。おじいちゃんについては、もっと秘密があるのかと思いましたが、なんだかちょっと消化不良な感じ。『平成マシンガンズ』は、自分のことばっかりで、まわりに目がいってない。『ジョナさん』は、自分とトキコという関係性を書こうとしている。そして、『わたしの、好きな人』は、もっと世界が広がって、家族とか他人とか、社会も出てくる。こういうちがいって、やはり作者の年齢もあるのかなと思いました。そう考えると、子どもが読む本を大人が書くということには、やはり意味があるのだと思います。

カーコ:おもしろく読みました。先が読みたいと思わされて。『佐藤さん』のときよりずっとうまくなりましたよね。まず、会話がよかった。今風の高校生の会話だけど、決して下品ではなく、気持ちよく読める、その加減がうまいと思いました。それから、トキコの見えない部分が見えてきたり、昔のことを思い出したり、いろんなことがからみあって自分や相手を理解していく過程、二人の関係がおもしろかったです。それがあるから、今まで目をそらせていたお父さんやお母さんに、だんだんと目を向けていくんですよね。高校生がこんなふうに考え、書いてくれるのがうれしい。

愁童:好きでした。『平成マシンガンズ』と比べて印象的だったのは、主人公の相手役になる人物像の描き方の巧拙。『平成〜』のリカちゃんはエロ本が机の上に積まれていたということだけで、何故そんなことをされるようになるのか、読者には不明のまま。こちらはトキコの「私、大学行かないよ」の一言の背景を簡潔に、読者に分かるように書いていて、その後の主人公とトキコの関係に説得力と立体感を与えていて好感が持てた。文章のリズムもいいし、若いけど、フリーター、やニートみたいな生き方への視点もきちんと持っている。ひさし君が定職に就くことになって、作った一番最初の名刺を貰う、なんてややクサイ感じはあるけど上手いと思う。同世代の読者に支持される理由がこの辺にあるのかなとも思いました。

うさこ:『佐藤さん』ほどパンチ力はないけど、読み手を引き込む何かはあるな、と思って読みました。トキコとの関係が気持ちいい。媚びるのでもなく、大げさでもなく、何か読み手のなかにストンと落ちていく感じがいい。前半はおもしろかったけど、後半の「ジョナさんについてジョナサンで語ろう」の章あたりはかったるいし、なんかわざとらしい感じが。おじいちゃんの魅力をもっと書いてほしかった。ホステスさんのことを「女神様」とよんだりしているところにこのおじいちゃんの深さがあるのではないかと思ったけど、それしか書いていなかった。どこがどう好きとかもう少し書けていれば、深みが出たと思う。最後、犬が兄弟の犬と会いたいということが本当にあるのか、疑問に思いました。

アサギ:おぼえてないって言うわよね。

アカシア:何かわかるみたいよ。においとか。どのくらい長く一緒に過ごしたのか、というのとも関係があると思うけど。

ブラックペッパー:私、それ、疑問点その1でした。犬って、自分の兄弟がわかるものなのかしら? わからなかったっていう話を聞いたことがあったもので。疑問点その2は、なぜジョナさんは主人公に声をかけたのか? この主人公、外見はごく普通の子だし、そんなに魅力的な女の子とは思えないんだけど……。

アサギ:主人公が高2で、将来のことを悩んでいるのを見て、自分の高校時代を思い出し、気になったのでは?

アカシア:普通この年齢の男の子なら、百歩譲って気になっていたとしても、毎週会いになんか来ないでしょ。

小麦:ジョナさんは、チャコが自分に憧れているのを十分知ってて、自分のファンの女の子が悩んでいるのを知って、お兄さん風を吹かせて、毎週来ていたという解釈はないですか? この年齢の男の子って、多少ナルシストっぽい面があってもおかしくないと思うし……

ブラックペッパー:疑問点その3は、横浜線の鴨居からホステスとして銀座に通うのは、たいへんすぎるのでは? ということ。終電も早そうだし、タクシーに乗るにしても遠いでしょ。ま、それは小さなことなんですけどね。全体としては、たらーっとした空気は好きだったけど、深みがないといいましょうか、なんだか、あんまり……。それはそうと、この表紙、このしろーい感じは「きょうの猫村さん」(ほしよりこ マガジンハウス)に似てない?

ケロ:作者は、この時点で自分が受験の渦中にいたわけで、そこで、その気持ちを忘れないために書いた、とあとがきにあります。渦中にいたら、結論なんて言えないんだろうな。自分が置いていかれそうな不安と焦りを描いたとして、そこに何かを見つけた、みたいなことも書き加えたかったんだろうな。でも、本人に結論が出ていないから、ちょっとそのへんが介護という安易な選択を口走らせているのではないでしょうか? 後半になって、昔のこと、おじいちゃんのことを思い出していきますが、この感覚わかるな。けっこうよく忘れるんですよね、このくらいの世代は。で、大人になったあとから赤面したりして。でも、その思い出し方がちょっと。172ページの「おじいちゃんにゲートボールをすすめたのは、確か……確かーー」と173ページの「ギバちゃん、シャンプーのにおいするね。誰かに洗ってもらったの?」は、シャンプーは日常のことだし、わざとらしい感じがしました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)


わたしの、好きな人

八束澄子『わたしの、好きな人』
『わたしの、好きな人』
八束澄子/著
講談社
2006.04

ウグイス:八束さんは好きな作家で、この本もおもしろかった。ひとむかし前のTVドラマを観ているみたいな感じがしました。最後まで読んで、これは「小さい女の子から見た、違う年齢の男の生き様を描いた作品」なのだと気づきました。猫の小太郎もいい味を出している。その辺がおもしろかったです。ただ、小学生の女の子にしては、いろいろな感覚が大人びていて、もう少し年齢の高い子が少し前の事を思い出している感じがしました。

紙魚:『平成マシンガンズ』や『ジョナさん』に比べると、やはり描写力のうまさを感じます。その場のにおいや湿度、たとえば工場の油のにおいなど、感覚に訴えるように迫ってきました。生活の音も、すごくがちゃがちゃしてうるさい感じが伝わってくる。人間関係も、その場にいるような気にさせてもらえました。ご飯を作るときの描写なども、本当においしそう。細部の描写によって、全体が支えられているのがよかったです。

愁童:おもしろかった。ぼくも技術系の仕事をしていたので、油臭い小さな町工場のようすなど、よく書けていると思いました。70年安保のことが出てくるけど、ここはしらけたな。作者がこの作品で書いているようなキャラの男が内ゲバみたいな先鋭的な部分に関わることもかなり不自然。作者はだから町工場に職を求めざるを得なかったという設定で書きたかったのだろうけど、そこからすきま風が吹き込んでくる感じ。

うさこ:期待して読んだのですが、ちょっと期待はずれでした。どこがというと、杉田の人物像がつかめるようでつかめない。さやか一人が舞い上がっている感じ。さやかが口にするほど杉田の魅力が読み手に伝わってこない。リアル感がない。杉田は、小さい頃からいっしょ、というより育ててもらった人で、家族や家族以上のつながりのある男性を、いつの日か恋心をもって意識しはじめるというのは、ただぽうっとした感情だけではないはず。12歳の女の子、思春期の入り口あるいはまっただ中に、男性として杉田を好きになったとしたら、もっと生々しい情景があるのではないか? 例えば、杉田の後にお風呂に入りたくないとか、いつもの食事も変に意識して食べられないとか、かっこつけようとして失敗するとか……。設定はおもしろいだけに、細部のリアル感の欠落で、物語がぎくしゃくしている。おっさん、杉田という呼び方も違和感あります。照れ隠しな言い方かもしれないけど、もっと素直な呼び方にしてもよかったのではないかと思うんです。2時間ドラマの原作になるような……、というのは反対に言うと、その程度の作品なのかなあ、とも思いました。

ブラックペッパー:私は、読む前に杉田の正体を知っていたので、クールに読み進みました。でも、「恋って、非日常」のものだと思うので、半分家族みたいなこういう人に恋心を抱くかな? しかも初恋なのに! 家族とはもっと遠い、別世界のものに憧れるのが恋だと思うんだけど……。杉田という人を描きたくて書いた作品みたいなので仕方ないのかもしれませんが、ちょっと不思議に思いました。憧れる、恋するって感覚が、12歳の心ではないみたい。50歳の心をもった12歳の女の子って感じ。

紙魚:この本では、作者の年齢は伏せられているんですよね。他の著作には、作者は1950年生まれと書いてあります。

ケロ:私も、こんなに近しい親のような人に、恋心を抱くというのは、あり得ないのではないかと思いました。主人公は、父親のやっている工場を継ごうとか、愛してるとか全然思っていないわけで、その油にまみれた工場にいる存在の杉田に、恋心を抱くというのは、ちょっと考えられない。でも、もしかしたら12歳のこの主人公にとっては恋愛だけれど、本当は恋愛感情ではないのかもしれませんね。それを超越するような「大事な存在」ということを主人公が、勘違いしているのだとすれば、分かる気がする。杉田は、自分が一番頼りたい人で、出ていってほしくない大事な人だから。でも、そうだったらそう言う表現がどこかに必要なのでは? ありえなーい、と思わせてしまうのは、作者の責任かと思います。

小麦:『平成マシンガンズ』の殺伐とした世界のすぐ後に読んだので、ことさら安心して読めたような……。描写力があり、物語自体に力があるので、ぐいぐいと読めますが、ところどころひっかかる部分があったのも事実です。杉田が12歳の女の子の恋愛対象になりうるのか、とか、お兄ちゃんの改心があまりにも唐突で、ご都合主義に感じるとか……。ただ、私はこの作品にリアリティを求めるというよりも、ある種のファンタジーとして読んだので、みなさんが違和感を感じた点については、あんまり気になりませんでした。小学生の女の子がこんな直球の手紙を書くかなっていうのはありますが、最後に主人公が、文字にすることで、自分の気持ちに決着をつけるというのも、すごくいいなと思いました。

ミラボー:あり得ない設定をあえて書いて、それで物語を作っていこうとしている感じを受けました。杉田や、お兄ちゃんにリアリティがない。男の立場から見ても変だな、と感じます。それに、顔がいい男が、やっぱり得なんだな! この3冊の中では、自分の生徒たちにすすめるなら『ジョナさん』かな。

むう:作者の年が気になったのは、なぜかというと、学生運動をリアルタイムで知っていた人なのかどうか疑問だったから。学生運動をリアルタイムで知らない人なら、「普通の人、あるいはむしろ崇高な理想を持った人だけど、間違って罪をおかしてしまった」という設定に学生運動を使うだろうけれど、リアルタイムで知っていたら使わないだろうと思ったんです。この作者の年齢からするとリアルタイムで知っていたはずですよね。こういうふうに使うのかな? ちょっとご都合主義の感じ。70年代後半の学生運動というのは、そういうものではなかったように思うんです。まあ、12歳がとらえた像としては、ありなのかもしれないけれど。この主人公は、50代の人の中に生きている12歳の少女、という感じがしました。つまり生の12歳でもなければ、生の50代でもない「少女」。関西弁の雰囲気や、工場の様子は、おもしろかったです。

アカシア:私はとてもおもしろく読みました。この12歳は、私はリアルだと思ったんですね。13歳、14歳だと性を意識するだろうから、こういう憧れ的恋心とはまた違うと思うんです。おしめを替えてもらった相手に恋愛感情がもてるか、ということだったけど、替えてもらったほうは赤ちゃんで覚えてないわけだから、恋愛感情はもてると思うんです。少女のほうは、さっきケロさんが言ったように「いてほしい人」という思いが強くて本当の恋愛感情ではないかもしれないけど、自分では恋愛だと思っている。でも、赤ちゃんの頃から見てきた杉田のほうでは、少女の気持ちをうすうすは感じながらも保護者的な思いが働くし、もっといろいろなことを大人として考えなきゃいけない。そのずれを、とても的確に表現している。ただ兄が引きこもりから家出して新聞配達をし、もどってきて工場を背負うようになるという、この変貌ぶりだけは、私もちょっと抵抗がありました。でも、全体にユーモアもあるし、うまいですよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)


2006年06月 テーマ:世代のちがう女性作家による少女像

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『2006年06月 テーマ:世代のちがう女性作家による少女像』
日付 2006年6月29日
参加者 愁童、カーコ、紙魚、アカシア、アサギ、むう、ミラボー、ケロ、ブラックペッパー、うさこ、ウグイス、小麦
テーマ 世代のちがう女性作家による少女像

読んだ本:

三並夏『平成マシンガンズ』
『平成マシンガンズ』
三並夏/著
河出書房新社
2005.11

オビ語録:“この凶器はお前のものだ”あたしの夢の中で死神は言った/史上最年少15歳/第42回文藝賞受賞作
片川優子『ジョナさん』
『ジョナさん』
片川優子/著
講談社
2005.10

版元語録:高2の夏,チャコは進路問題,男性との出会い,家族の死に直面する。笑い,涙しながらの毎日をいとおしく思える青春小説。
八束澄子『わたしの、好きな人』
『わたしの、好きな人』
八束澄子/著
講談社
2006.04

版元語録:さやかは小学6年生の女の子。彼女の好きな人は,家の工場で住み込みで働いている36歳の男性・杉田だった。

(さらに…)

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あたまをひねろう!

ジョージ・シャノン『あたまをひねろう!』
『あたまをひねろう!』 (世界のなぞかけ昔話2)

ジョージ・シャノン/文 ピーター・シス/絵 福本友美子/訳
晶文社
2005.10

トチ:子ども向けなのに、答えが分からないものばかりで悔しい! 『ラクリッツ探偵団』のほうは絵解きですけど、こちらは文字通り頭をひねらなくちゃいけないものばかりですね。子ども向けのクイズというと言葉遊びのようなものが多いような気がするけれど、こうやって頭をひねる練習っていいですね。子どもだけじゃなくて、頭が固くなった大人にもぜひすすめたい一冊です。作者がストーリーテリングをしている人だけあって、さすが面白い話ばかり集めていると思いました。なぞかけのおもしろさと、昔話のおもしろさが融けあって、すばらしい本になっています。そのうえストーリーテリングのうまい訳者が訳しているから、ページを開くと作者と訳者の声が聞こえてくるような気がして楽しかった。ピーター・シスの絵のすばらしさは、いまさら言うまでもないことだし……

紙魚:もともとシスの絵が好きなのと、内容的にもおもしろかったので、原書を見て前から気になっていた本です。晶文社から出るというのが意外ですよね。原書はモノクロのイラストであっさりしていましたが、2色にすることによって、みちがえるようにきれいで楽しい本になっていると思います。2色×1色の構成も折ごとにうまくいっていて、経済的に考えられていますよね。品がよくてしかも小気味よい感じがすてきです。これや『ラクリッツ探偵団』のような、謎解き本は小さい頃好きだったので、大人になった今でもときめきます。どちらも対象年齢は同じくらいの本ですが、書店や図書館の同じ棚にはなかなか並ばなさそうなのは残念。内容的にも、ユーモアある気持ちのよい謎解き具合でおもしろかったです。文と絵、そして造本が見事で、とっても楽しい本でした。

カーコ:わが子に「おもしろいよ、読んでごらん」と手渡すとプレッシャーをあたえるので、それとなく部屋に置いておいたら、まず高校生の長男が気づいてページをめくり、はまりました。小6の次男は、「何かおもしろい本なーい?」と来たので渡したら、声に出してその場で読みはじめ、「お母さんわかる?」といちいちきいてきて、答えがわかるたびに「頭いいねー」って。3冊とも同じように読み、あとから、家族や友達に話しては「なんでかわかる?」とたずねていました。友だち同士何人か集まって、「ふーん」と楽しめる本ですね。音にしたとき、心地よく頭に入ってくるように訳されているんだな、と感心しました。2番目のたねあかし「五、十」は、あんまりだと思いましたが。絵も本当にきれい。本づくりがとてもいいですね。

げた:さがしものの絵本というのはたくさん出ていて食傷気味ですが、なぞなぞ話みたいなものは出ていないので珍しいと思って、図書館にも何冊か入れました。話はおもしろいと思いました。再話した民話がそうなっていたんでしょうけど、「条件をあらかじめ提示してくれないと答えられないなあ」と思うものもありました。

むう:絵がなんとも魅力的でした。甘ったるくなくて、味がある。パズルというのはかなり理系的なところもあって、パズルは人間の本能だという記号学者の本も出ているくらいだけれど、こういう昔からの言い伝えのなぞなぞを集めた本を見ると、なんというか、納得してしまうところがあります。子どもはとにかく、大人の目でいうと、そういう意味でも各地の話を集めてきた本というのは興味深いですね。1の雪だるまはよくわからなかったというか、肩すかしを食らった気がしたのですが、あとにいくほどマジになってむきになって、最後のほうは数学の本や哲学の本ともかなり重なる気がしました。いわゆる論理学系ですけれど。最後の船の話は、アン・ファインがこの謎を取り上げて短編を書いていて、そっちもなかなかおもしろかったです。でも、答えがないと言われると、ちょっとほかとレベルが違うから、あれ?という気がしますね。

ブラックペッパー:とっても楽しい本。先に3を読んでいて、答えは難しいということがわかっていたので、あんまり考えこむことなく楽しく読めました。私も、カーコさんの次男さんと同じように、もうどれも「あったまイイ!」「りこうだわぁ」と思いながら読みました。どのページも絵がとってもきれいで、すみずみまで楽しめる本ですよね。「たねあかし」という言葉も好き。とくにお気に入りは、10の「さいごのねがい」。この圧倒的な感じは、ババーン! って効果音がきこえてくるようだった。いっしょに死んでほしいという言い方もおもしろい。「いっしょに死んでください」とか言ってしまいそうだけど、「死んでほしい」っていうところがいいよね。最後の問題の答えがないというところも好きです。ほんとは、むうさんみたいにピンとくるものがあれば、もっといい読者になれたと思いますが……。教訓的でないところもいいですね。

アカシア:ピーター・シスの絵にほれぼれとしながら読んだんですが、本当に原本より数段いいですね。訳も、昔話を聞いているみたいに、語っている人の声が聞こえてくるようです。実際の昔話が土台になっていると思いますが、その土台の昔話の方も読みたくなります。ていねいにつくられたきれいな本ですけど、今の子どもたちは小さくて薄い本を持ちたがりますよね。持って歩くには、『ラクリッツ〜』みたいな形の方が人気が出るのかな。

ケロ:はじめは謎解きのくりかえしの本だな、という印象で読んでいたんですが、作者はこの本で、すばらしい編集作業をしているということがわかってきました。様々な国に伝わる、いわゆるとんち話の「謎の部分」を抽出して、おもしろく再構成しているんですよね。こういうふうにまとめてしっくりくる形にするのは、すごい。絵のおかげでもありますね。そして、日本語版になったときでもさらにすごいということで、その積み重ねの見事さに感心しました。ルビが適当にないのも、いい感じでした。表4の絵と帯の文章が連動しているところまで作り込まれているようで、きめ細かい仕事だと感心しました。

うさこ:絵も好きで、すてきな本だなあと思いました。いつかこういうのが作れたらなあと思った1冊でした。謎かけは、ストレートな答えあり、とんちがきいてるものあり、「ええっ、これが答え? やられたなあ」と思うものありと、いろいろバラエティがありました。謎かけに真っ向勝負!的に真剣に読んでいくと、答えに肩すかしをくらわされて、出題者の作者がむこう側でへへへと笑っているような感じがします。タイトルどおり、ほんとに頭をふにゃふにゃにして読むことが、この本を楽しむコツかな。絵の見せ方、本の作り方が、原本よりずっといい。「あたまをひねろう」というタイトルづけや、「たねあかし」「10歳以上のみんな」など、言葉のひとつひとつの使い方もよかったと思います。

たんぽぽ:きれいな本で、手元におきたい本。雪だるまの話など、最初答えがわかりませんでしたが、ミルクのところで、納得。だんだん頭がほぐれてきました。私は1巻のほうが、わかりやすいかなと思いました。原典に当たりたいと思ってくれる子が出てきたらいいなと思います。

愁童:今の子どもの状況を考えると、いい本が出たなって思いました。ちゃんと言葉に向き合わないと謎も解けないって、すごく大事なことをゲーム感覚でさりげなく伝えているところがいいですね。「あたまをひねる」なんて言葉、今の子どもたちにとっては死語だろうけど。でも、大人が使ってきた言葉をこういう形できちんと伝えようという姿勢が感じられて、この翻訳、とても気分がよかったです。

アサギ:私は、もともとミステリーを読むときもせっかちで、半分くらい読むと、最後の方を読んじゃうくらい。謎解きももともと下手な方なので、たねあかしをふくめてひとつのお話として読みました。そう思って読んだので、楽しめました。シスの絵っていい。人気があるだけのことはありますね。ただね、雪だるまの話は納得しにくい。

たんぽぽ:途中で読むのをやめたいと思わなかった。だんだんはまっていきます。

むう:いろいろな場所のなぞなぞを集めてきたのに、印象が散漫じゃないことに感心しました。なんというか、昔話をひとつ読んだよ、という感じかな。それがよかった。

ウグイス:「世界のなぞかけ昔話」全3巻の原題は、”Story to Solve”“More Stories to Solve” “Still More Stories to Solve”ですね。 邦訳1巻目は『どうしてかわかる?』、2巻目は『あたまをひねろう!』、3巻目は『やっとわかったぞ!』で、1ではちょっとむずかしくても、2で頭をひねるこつをつかみ、3では頭がほぐれやすくなって解けるようになる、という段階をふんでいく感じを出しています。ただおもしろく読むだけではなく、子どもたちに頭をつかって考えてもらいたい、という意図があるんですね。作者が裏で「フフフ、解けたかい?」と言っている感じがあって、読者は作者に挑戦するような気分で読めると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年5月の記録)


ラクリッツ探偵団〜イエロー・ドラゴンのなぞ

ユリアン・プレス『ラクリッツ探偵団』
『ラクリッツ探偵団〜イエロー・ドラゴンのなぞ』
ユリアン・プレス/作・絵 荒川みひ/訳
講談社
2006.01

トチ:「タンタン」を思わせるクラシックな、ほのぼのと品のいい絵。特に表紙がすてき。内容は絵解きですが、大人の私は細かい絵をじっくり見ていく根気がなく、『あたまをひねろう』と別の意味で難しかった。ただ、子どもたちにはおもしろいでしょうね。それと、時間がたっぷりあるお年寄りにも向いているかもしれない。ただ残念だったのは、絵がメインで、ストーリーそのものはあんまりおもしろくなかったこと。本作りの意図がそこにはなかったんでしょうけど。

たんぽぽ:心に残るというより、「ミッケ」のような遊びの感覚で、子どもは親しみやすいと思う。

うさこ:こういう手法はありだな、と思いました。同じパターンだけれど、繰り返しのリズムがある。内容的にはワンパターン。でも、10歳くらいの子は、そのパターンが好きなんだろうな。あまり物語を読まない子は、こういうものから入っていくのでは、と思いました。絵の中で、わかりにくいところがありました。79ページの注射器がわからなかった。表紙の女の子の絵も、手と足が同じ方が出ていて、変。絵解きのお話なので、絵にもっと気をつかってほしいなと思いました。

紙魚:注射器は、たしかにわかりにくいですね。絵は、線が簡潔で、なかなかいいんですが。原書では、答えは文章を読まないとわからないようになっているのですが、せっかく探しても「本当にこれでいいのかな?」と迷う人がいそうなので、答えの部分の絵を切り抜いて、ひと目でわかるようにしてあります。

うさこ:問題があって、ページを開いて「正解はズバリ」という言い方で、原書も統一されているのですか?

紙魚:原書は、問題の文章、答えの文章というようにはっきり分かれていないんです。文章でそのままずらずらと書かれているだけ。でも、例えば読者を「青い鳥文庫」の読者くらいと想定すると、きちんと分かれていないとわかりづらいかなと思って、そのような構成にしました。「ズバリ」というのも、ここからが答えですと、はっきりと明示するためです。

うさこ:全部の答えをつなげていくと、読み終わった後、全体でもなにか種明かしのような、答えがあるのかなと思って書き出していったけど、なかった。私の考えすぎですね。

紙魚:あー、そうだったらまたおもしろいんですよね。もともと、文章から謎を解くのではなくて、絵から答えをさがすというスタイルなので、一つのストーリーとしてつながりを持たせるのは難しいのかもしれません。でも、次に期待したい! とはいえ、ゆるやかにつながっているので、あまり出来がよくないからといって、問題を1問はずすということもできません。そのあたりは、やるせないですね。

ケロ:もっと謎解きかと思ったけど、絵さがしなんですよね、全体的に。その中で、ちょっと気になったのは、絵の中の活字。原書はどうだったのかな。p17で鍵穴から部屋の中をのぞくとき、日本語の活字がまず目にぱっと入ってくるので、すぐに答えがわかってしまう。絵の中に活字があると、そこから目に入ってしまうので、登場人物がすぐにわからないのはおかしいという感じになってしまっている。

紙魚:原書は、描き文字で絵の中にとけ込んでしまっていて、むしろ文字だかなんだかわからない感じ。どのくらいの難易度にしようか、ずいぶん迷いましたが、これだけの文章量と問題数があって、解けない問題が続くより、すぐに答えがわかる問題が続く方がいいかなあと思って、活字にしました。

むう:私も、絵の中の活字って最初に目に飛びこんでくるから、簡単すぎるよなあと思いました。それと、お話として厚みがないのが残念。ほとんどくり返しみたいになって飽きてきちゃいました。後ろにわざわざ登場人物紹介があるんだけど、なるほど、そういう子なんだなあ、と思わせるところまで書けていないから、その点も不満でした。

げた:絵解きのレベルにくらべ、文章が多いような気がします。読書対象年齢がはっきりしないと思いました。ストーリーは盛り上がりがなく平板な感じで、図書館での複本購入はちょっと難しいかな……

ウグイス:持ったときの本の大きさ、手ごろな厚み、カジュアルな感じにまず好感をもちました。ふつうのお話の本じゃなく、おもしろそうだなという雰囲気を作っているのはいいですね。探偵ものの児童書はいろいろあり、謎解き自体は凝っていなくてもキャラクターやストーリーがおもしろいというものが多いですね。これは、ストーリーに入り込んでいくほど、深い内容ではないのね。しっかり文章を読んだ上で謎を解くというより、さっと読んで絵の中を探す、という形。子どもに次々ページをめくらせるという意味ではクイズ本的な作りにしたのは、成功していますね。

アサギ:薄くて軽く、読みやすい所は良かったと思います。ただ、絵解きなのに、ちょっと易しすぎるという印象がありましたね。私みたいに謎解きが下手な人間でもすぐわかっちゃったから。話も単調で、途中で飽きてきてしまった。でも、対象年齢が低いなら、これでいいかもしれないので、実際にどういう子が読むのか、知りたいですね。

カーコ:この手の本としての本作りに徹しているのがよかったです。表紙の虫めがねとか、レイアウトとか、子どもが最大限楽しめるように作ってありますよね。文章も全体に読みやすいし、きちんとしていると思いました。「ラクリッツ」と言うと、日本の子にはただの固有名詞に聞こえてしまうけれど、ドイツでは独特の味が連想されて、おもしろみがあるんでしょうね。そんなにおいしいものだとは思えないけれど、ドイツの子は好きなのかしら? 本のタイトルにするくらいに。

すあま:最初見たとき、ハンス・ユルゲン・プレスの『くろて団は名探偵』(佑学社)という今は絶版になっている本の第2弾かと思ったら、息子さんの作品でした。絵や雰囲気が似ていますね。お父さんの作品も同じような絵解き推理物語ですが、おもしろさではお父さんの方が勝っているように思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年5月の記録)


2006年05月 テーマ:謎

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『2006年05月 テーマ:謎』
日付 2006年5月25日
参加者 トチ、紙魚、カーコ、げた、むう、ブラックペッパー、アカシア、ケロ、うさこ、たんぽぽ、愁童、アサギ、ウグイス、すあま
テーマ

読んだ本:

ジョージ・シャノン『あたまをひねろう!』
『あたまをひねろう!』 (世界のなぞかけ昔話2)

原題:MORE STORY TO SOLVE by George W.B.Shannon, Peter Sis 1991(アメリカ)
ジョージ・シャノン/文 ピーター・シス/絵 福本友美子/訳
晶文社
2005.10

オビ語録:みんなお手上げ! そんなとき、どうする?/センスをみがく、コツをおぼえよう。世界で語りつがれるなぞかけ昔話15編。/ピーター・シスの絵本
ユリアン・プレス『ラクリッツ探偵団』
『ラクリッツ探偵団〜イエロー・ドラゴンのなぞ』
原題:DIE LAKRITZBANDE1:Aktion Gelber Drache by Julian Press 2000(ドイツ)
ユリアン・プレス/作・絵 荒川みひ/訳
講談社
2006.01

オビ語録:60の絵の中に決定的なしょうこがかくれている!/きみは8つのじけんを解決できるか!?

(さらに…)

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赤い鳥の国へ

アストリッド・リンドグレーン『赤い鳥の国へ』
『赤い鳥の国へ』
アストリッド・リンドグレーン/著 マリット・テルンクヴィスト/絵 石井登志子/訳
徳間書店
2005

トチ:今回選書係のたんぽぽさんによると「いつまでも頭から離れない話」ということでしたが、本当にいつまでも心に残る話でした。語り方も絵もさすがにうまいと思ったし、虐げられている子どもたちへの時代を超えた作者の愛情や、怒りも感じました。特に41ページの「ミナミノハラがなかったら……」という台詞など、こんなに悲しい言葉があっていいの?とまで思いました。『マッチ売りの少女』の世界だわね。ただ、訳者の後書きに「(この物語は)悲しいまま終わっていません」とあったけれど、「??」と思ってしまった。日本の子どもたちは、この物語は死で終わっていると理解するでしょうし、キリスト教の世界ではいざ知らず、日本の読者にとっては「死=悲しいこと」のでは? たとえ天国に行けたって早死にしちゃいけない、そう考えるほうが「まっとうな」気がするんだけど。

たんぽぽ:悲しすぎて、自分の学校の図書館には置いていません。絵本でも、文字量が多いと子どもは手にとりにくいのだけれど、このように幼年読み物にすると、子どもが手にとれるかなとは思いました。

げた:扉を閉めることで兄弟は天国に行ってしまったという、悲しい結末。悲しいから、私の区では全館には置かなかった。絵もいいし、子どもの心に入ってくると思うが。せっかく学校に行ったのに、ひどい目にあうし。

カーコ:何度も何度も同じ言葉でたたみかけられて、イメージが心に焼きついてくるようでした。最初の灰色の世界と、赤い鳥の対比のあざやかさが見事でした。個人的には、『エーミルと小さなイーダ』(さんぺいけいこ訳 岩波書店)のような明るい作品のほうが好きですが。

ハマグリ:リンドグレンの中では、悲しいお話なんだけれど、子どもはたまに悲しーいお話を読みたいと思うときがありますよね。貧しくて、みなしご……それだけで、子どもをひきつける。リンドグレンの作品集(岩波書店)の中でも、とくに『小さいきょうだい』や『ミオよわたしのミオ』が好きだという子どもも時々いるんですよ。赤い鳥の国とは、キリスト教でいう天国を表していて、現世では救われないんだけれど、最後に救いがあるということでしょうか。『小さいきょうだい』には全部で4話の短編がはいっていますが、その中の1編をこのような形で1冊の本として出してくれると、読みやすいし、読者が広がるのがいいですね。岩波版の訳者大塚勇三の独特の口調は捨てがたいですが、石井登志子訳はくせがなく平易だと思いました。挿絵画家も違い、こちらは、村の中でも森の中でも、兄弟の姿をことさら小さく描いていて、読者が心を寄せざるをえないんですね。前後の見返しの絵もいい。

アカシア:新しい作品だと思って読み始めて、途中から「ああ、これは『小さいきょうだい』で読んだ話だな」と思い出しました。リンドグレンは多才な作家ですよね。楽しい作品もあれば、悲しい作品もあるし、子どもの日常を描いた作品もあれば、ファンタジーもある。年齢対象もいろいろです。扉を閉めるというのは、自殺することなんでしょうか? リンドグレンは、本当に辛いとき、そういう道を選ぶことも認めているんでしょうか?

アサギ:私は悲しいお話はあまり好きじゃないけど、悲しい話を読みたいというのは、確かにあるわよね。

トチ:読者である自分を安全なところに置いたままカタルシスを味わうというのは、ちょっと後ろめたい気がするけどね。特に子どもの本の場合は。

アサギ:最後に死んでしまうのだから、悲しくてやっぱりわたしはだめ。『人魚姫』(アンデルセン作)とか『フランダースの犬』(ウィーダ作)とか、子どものときは読んでいたけど。これはたぶん年齢とも関係あると思うんだけど、だんだん悲しいものは辛くなってきた。

トチ:わたしはハマグリさんの意見と同じで、こういう本があってもいいんじゃないと思うけど。

アカシア:子どもの読者は、最後死んだとは思わないんじゃない?

トチ:いや、子どもはもっと読書力があると思う。

アカシア:そうじゃなくて、今の子はファンタジーも読んでいるから、アナザーワールドに行ったと思うかも。リンドグレンは、天国を信じているんでしょうから、現世では辛い体験しかあたえられない子どもたちに、ここで救いを与えているのだと思いますね。

愁童:僕はこれを読んで、これまであったリンドグレーンへの好感度を自分の中から削除しちゃった。悲しいお話が好きな子は確かにいるけど、何かこの作品、そんな読者を意識したショーバイ・ショーバイって感じがして好きになれない。こんな本読んで育つから、練炭持っていって一緒に死のうみたいな若者にが増えるんじゃないの? せめて、『青い鳥』(メーテルリンク)じゃないけど、どこかに青い鳥がいるから自分でさがしに行ってごらん程度のメッセージがあってもいいんじゃないかな。苦しかったら死んじゃいな、みたいなことを、自分は安全な所にいる大人から言われたんじゃ、子どもはたまらないぜ!

トチ:たしかに作者は善意で書いているし、こういう子どもたちへの愛情や大人たちへの怒りも感じるけれど、愁童さんに言われてみると、これは愛情ではなく哀れみなのかも、って気もしてきたわ。

げた:子どもに向けて、手渡すのに抵抗を感じたのは、これでは子どもが救われない、悲惨すぎると思ったからなんです。

アカシア:でも、物語の舞台は今の日本じゃないですよね。日本にいると見えないけど、今だってこの子たちみたいな子はいっぱいいる。その子たちに向かって、「おまえたち死んじゃだめだ」っていうだけで、現実には何もしなかったら、もっと救いがないのでは?
(このあと、リンドグレーンの姿勢について熱い議論が続く)

(「子どもの本で言いたい放題」2006年4月の記録)


真夜中のまほう

エクルズ・ウィリアムズ『真夜中のまほう』
『真夜中のまほう』
フィリス・アークル/著 エクルズ・ウィリアムズ/絵 飯田佳奈絵/訳
BL出版
2006

アサギ:看板から動物が飛び出すという発想がおもしろかった。でも翻訳はところどころ安易で(おそらく年寄りで知恵のあることになっているふくろうが、「わしは・・・じゃ」とするなど)、気になりました。話を聞いてもらえない男の子ダンを通して、さりげなく大人への皮肉もこめられていますね。ファンタジーの中には、最初はおもしろくても落としどころが悪いのもあるけど、これはすとんと自然に終わっていていいと思います。

アカシア:お話の運びはおもしろかったのですが、文章は気になるところがいっぱいありました。13ページにはマガモが「バチャバチャと手足を動かして」とあります。四本足の動物なら前足を手ということもあるけど、カモは足が2本しかないから表現として変ですね。14ページ「さかなが頭をポンッと」だけど51ページは「魚がポンと頭を」になってる。読みにくいけど小さいツを入れるなら入れるで統一してほしいです。「ミッドナイト・イン・サイン・クラブ」は、日本語のおもしろい表現にしたほうがよかったと思います。50ページの「マガモは、今回、なにが待ちかまえているのか、なんとなく思うふしがありましたが、」も日本語として変ですね。28ページの「ショートさんは、その日、看板をみようともしませんでした。ですから、マガモが教会のある西の方角ではなく、古い救貧院がある東の方角を向いていることには、だれも気づくことはありませんでした」も、看板は宿の主人が自分の看板を見るよりも通りがかりの人や旅人が見るほうが多いと普通は思うので、何が「ですから」だかわかりません。それから、これは原文もそうなのでしょうけど、110ページに人魚が「わすれっぽいのって、女の人だけだと思ってたわ」と言いますが、ジェンダー的には問題ありますよね。せっかく小学生が楽しく読めるおもしろい物語なのですから、編集者が訳者を助けてちゃんと見てくれると、もっとずっといい本になったのにね。

ハマグリ:感じのいい表紙で、挿絵も味があり、文字の大きさも手ごろで、手に取ったときにまず好感が持てました。小学校中学年くらいでどんどん読めるといいけど、けっこうむずかしい漢字が出てきますね。それと、マガモのキャラクターのおもしろさが、原文にはもっとあるのではないかしら? まじめなばかりではなくおかしさが出ると、もっともっと魅力的な話になると思う。訳文は、「ですから」「ですので」「だから」をどう使い分けているんでしょう? はっきりした理由がないのなら統一したほうがいいですね。

カーコ:楽しいお話でした。次々に特徴のある新しい動物が加わっていくのもおもしろいし、ハラハラドキドキさせられるところもあって。低学年の子がおもしろがりそうなのに、漢字にルビが少ないのが残念。私も気になる言葉はありましたが、1つだけ言うと、10ページの、「つめたっ。」今の子は、「あつい」を「あつ」とか、「すごい」を「すご」とか、「い」ぬき言葉を使うけれど、幼年童話で使うのはどうかな、と思いました。

げた:じみな表紙で、ハラハラドキドキといってもそれほど山あり谷ありではありませんが、発想がよくて私の区では全館に入れました。言葉遣いは、気になりませんでした。選書のときは一日30冊くらい読むので、そこまで注意が行き届かないということもありますが。挿絵もシンプルで、かえってお話の中から子どもたちに想像させる効果があると思いました。

たんぽぽ:私はこの本が好きで、挿絵もいいなと思いました。看板から抜け出してくるのが楽しくて、子どもも喜んで、図書館ではよく動いています。最後が、ストンとうまく落ちている。

トチ:物語はとってもおもしろいし、訳者も楽しんで訳していると思いました。でも、編集者がちゃんとチェックしたのかな? 訳者のデビュー作なのに、これでは気の毒。動物の名前が平仮名だったり、カタカナだったりするし、マイルやインチなども、子どもの本の場合はキロやセンチで訳さなきゃ。「ナショナル・ギャラリー」や「オークション」も子どもはどういう場所か、どういうことかわからないでしょうし。106ページの「ダンは、あどけなくこたえました」という箇所、きっと innocently とあるのでしょうけど、この場合「しらばっくれて」ということなのでは?「あどけなく」では「ぶりっ子」みたいで、トロいと周囲に思われていても本当は賢いダンのイメージが変わってしまう。「(ダンに看板のことを指摘された店主の)ショートさんの顔がさーっと青ざめました」という箇所も、ショートさんが大変な秘密でも持っていて、ダンにばれそうになったので青くなったのかなと思ったら、ただ腹を立てただけだった……こういう細かいところのズレが積み重なると物語の全体がわかりにくくなる。せっかく良い本なのに、惜しいなと思いました。

アサギ:全体として、ばらつきのある翻訳という印象。すごくうまいなと思うところと、変だなと思うところがある。

愁童:この訳者の日本語の語感がずれている感じがする。「なんとなく思うふしがありましたが」なんていわれても、この本読む子にはそんなニュアンス分からないでしょう。本の内容からすれば、もっとリズム感のある日本語で語ってほしいね。せっかくの楽しいお話なんだから。

トチ:作家も翻訳者も編集者に育てられるものと、私はいつも思っています。たとえ編集者のほうがずっと年下でもね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年4月の記録)