カテゴリー: 子どもの本で言いたい放題

ひらがなだいぼうけん

宮下すずか『ひらがなだいぼうけん』
『ひらがなだいぼうけん』
宮下すずか作 みやざきひろかず絵
偕成社
2008

げた:第一話「い、ち、も、く、さ、ん」がとてもよかった。絵がいいですよね。文の内容を理解するのに、とてもいい効果になってます。言葉と楽しく遊べる本はたくさんあったほうがいいので、私はお薦めできる本だなと思とました。

うさこ:ひらがな文字のもじならべ、もじで顔の七変化など3話ともそれぞれうまい構成でできているなと思いました。49ページの「へっくしょん」のところがちょっと説明的すぎるかな。69〜70ページももう少しおもしろくできたのかな、とちょっと残念。印象的だったのは、絵の見せ方。絵と文がうまく構成されている。文字がしゃべっているところなど、デザイン的にうまく処理されていて、絵にしづらいところなど描きすぎず、説明的にならずに、とてもよく考えられて絵を配置している。ただ、26〜27ページなど、異国の感じがします。日本語や、日本のことばをあつかった作品なので、もっと和風な感じのほうがよかったかな、とも思います。

カワセミ:この本は、小学校でちょうどひらがなを全部習ったばかりの子にとっては、とてもおもしろく読めるのではないかと思います。幼年童話というのは、まじめすぎておもしろみがなかったり、逆にあまりにもくだらなかったりして、薦めたい本がなかなかない分野なんですけど、この本は、このおしゃれな感じがなかなかいいと思いました。字を覚えはじめた子どもって、文字を形としてとらえるところがあるので、そういう興味によく沿っている。「へ」と「く」が似ているとか、「わ」と「れ」を間違えやすいということは実感があると思うのでおもしろく読めると思います。ただ、「さ」を反対にすると「ち」になるというところは、わかりにくいのではないかしら。「さ」は続けて書く形では習わないので、おかしいと思うのでは? また、「ピーターパン」が「ピーターペン」になってしまうところ、ひらがなの話なのに、ここだけカタカナだからおかしい。ひらがなの文字を文中でも描き文字にしてあるのはわかりやすくてよかった。

クモッチ:NHKのニュースでこの本がとりあげられ、「メールなどで人を傷つけることが多くなっている中で、ことばの楽しさを伝えたい」という内容の作者の言葉が紹介されてました。そういう意図があったんですね。小学生向けの学年雑誌では、ひらがなを子どもに楽しんでもらうための企画として、こういうことはよくやるので、それほどアイデアを新しいとは感じなかったんですが、これが読み物の単行本の企画として成り立つんだというところが新鮮でした。「さ」と「ち」のところは混乱するのではないでしょうか。ひらがなの習い始めでは、鏡文字を書きやすい時期なので、その時期に読む本を作る人は、もっと気をつかわなければならないのでは? 本の背に文字がかくれてしまうというアイデアは、いまいち。たとえば、「はだかの王さま」の「の」だけが黒い文字なので隠れていることがわかる、とありますが、他のところの挿絵では、隠れている文字が黒くないので、なんでかな?と思います。また、「く」の上に「へ」がくっついているが、疲れてきて「へ」に戻ってしまったとありますが、そしたら「へ」と「く」が重なって見えるのではないかな。重箱の隅をつつくようですが、こういうところがきちんとしていないと、子どもだって疑問に思うのではないかしら。

ササキ:文字が視覚的に動いているという効果があって、おもしろかったです。

サンシャイン:さっと読んでしまいました。小学校1、2年の子向きに書かれた作品ですね。教育的効果も考えて作られているのでしょうか。

ショコラ:「へのへのもへじ」タイプの変形がいろいろあっておもしろいです。発想がすばらしい。挿絵の色が落ち着いたトーンでまとまり、絵と文のハーモニーがとってもよく、楽しみながら読めました。文字だけのページがありますが、他のページに比べると、ちょっと1年生には無理かも。話題になっている「さ」の形は、学校で習う教科書の文字とはちがいます。「さ」を教えるときは、左の部分を離して教えるので、「さ」と「ち」は鏡文字にはなりません。そういうところは、とても残念です。

メリーさん:文字そのものが動き出すというアイデアがおもしろいなと思いました。幼稚園のとき、鏡文字をすごくうまく書く友人がいたのですが、小さな子どもはひらがなを文字としてよりも絵として見るのだな、とつくづく思いました。内容では、「へっくしょん」「へのへのもへじ」がおもしろかったです。欲をいえば、最初の物語で、文字があわてていて、最初の文章と変わってしまうところ、意味の違う別の詩になっていれば、なおよかったなあと思いました(むずかしいとは思いますが)。

カワセミ:1年生では少し無理で、ひらがな全部をマスターしたあとの子が読むとおもしろいのかも。2年生くらい? 自分はわかっているから、「これ違うよ〜」って優位に立てる。

げた:幼年童話はキャクターが強烈すぎるものが多いので、こういったものがあるのはいいですね。

ショコラ:この女の子のポニーテールがいつもぴんと上にあがっているのは、子どもに受けるのかもね。

メリーさん:らっちゃんって、本名は何なんでしょう? らで始まる名前、あんまりないですよね?

カワセミ:らっちゃんって、字づらも音のひびきもかわいくていいね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年6月の記録)


2009年06月 テーマ:受賞作を読もう

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『2009年06月 テーマ:受賞作を読もう』
日付 2009年6月11日
参加者 サンシャイン、メリーさん、げた、うさこ、カワセミ、クモッチ、ショコラ、ハリネズミ、ササキ
テーマ 受賞作を読もう

読んだ本:

瀬尾まいこ『戸村飯店青春100連発』
『戸村飯店青春100連発』
瀬尾まいこ/著
理論社
2008-03

版元語録:大阪の下町にある中華料理店・戸村飯店の二人の息子は、性格も見た目もまるで正反対。東京、大阪と離れてくらす兄弟が再会をきっかけに人生を見つめ直していく。一番大切なことは近すぎて見えないもの。単純でバカでかっこわるいけどかっこいい男子の姿を見事に描いた、瀬尾まいこ・渾身の一作。
サリー・ニコルズ『永遠に生きるために』
『永遠に生きるために』
原題:WAYS TO LIVE FOREVER by Sally Nicholls, 2008
サリー・ニコルズ著 野の水生訳
偕成社  
2009-02

版元語録:白血病の11歳の男の子、サムの日記。からっとかわいた筆致でぐっと読ませ、その深い味わいにイギリスで大きな話題をよんだ一冊。
宮下すずか『ひらがなだいぼうけん』
『ひらがなだいぼうけん』
宮下すずか作 みやざきひろかず絵
偕成社
2008

版元語録:本のなかの文字たちが、夜の間どうしているかしってる? 本から飛び出た文字たちの冒険を、笑いながら楽しめる一冊です。

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銀のロバ

ソーニャ・ハートネット『銀のロバ』
『銀のロバ』
ソーニャ・ハートネット/著 野沢佳織/訳
主婦の友社
2006.10

セシ:読みごたえのある作品でした。小さな姉妹が2人で好奇心から兵士に近づいていくという設定なので、読者がいっしょに物語に入っていけるのがおもしろいですね。リアリティですが、ちょっと寓話的に感じられる部分もありました。中尉がなぜ目が見えなくなっていたかとか、国に帰るのをなぜファブリースがそこまで助けてくれようとしたのかとか、理由が書いてあるものの、もうちょっと強い動機づけがあるといいのに、と思いました。そういうところは、リアルにとらえるより、寓話的にとらえて読めばいいのかな。兵士がなぜ銀のロバを残していったのか、いろんな読み方ができるので、ただ行ってしまったというよりも、読者に印象深く伝わりますね。

カワセミ:このお話の舞台は、ほとんどが森の中と姉妹の家の2つだけなんだけど、場面場面の様子がとても映像的にたちあらわれてきました。またその描写が美しくて印象的。冒頭の数ページで、幼い姉妹がどういう子どもか、性格や心理がとてもよくわかるように書いてあって、うまいですね。中尉が語る4つの物語は、どれも物語として引きこまれる要素があります。それぞれが物語全体にどのようなかかわりがあるのか、中尉の人生や考え方に対する示唆があるのだろうか、ということは、はっきりとはわからないけど、著者は読者がどのように感じてもいいんですよと言っているように思えます。4つの話はすべてがロバにまつわる話で、ロバの純粋さ、善、強さなどを表してるのよね。だから4つの話を聞くことで、小さな銀色のロバそのものも、ますます価値が高く思えてくる。最後に子どもたちが中尉を見送るけど、はたして無事に家にたどりついたのか、弟のジョンに会えたのか、それも読者の想像にまかされているところが、いいですね。そのことを言うかわりにある最終章が、また特によくできてます。一見、何の関係もないような、豚を洗う場面、何かを暗示しているかのような黒っぽい虫の細かい描写など、とっても印象に残る終わり方。リアリスティックフィクションの工夫という点でいえば、4つのロバの物語をはさんだ構成や、筋だけを言わないで、まわりの描写を描くことによって場面を想像させるといったところでしょうか。2006年度のIBBYのオナーリストでオーストラリアの優良作品に挙がっています。

ハリネズミ:オーストラリア児童図書賞もとってますよね。

ショコラ:作品の最後の部分でほっとしました。情景描写がていねいに書かれているので、風景、動物、町並み、家の作りとかがイメージしやすかったです。幼いい女の子たちが恐い気持ちをもちながらも、兵士に好奇心で近づいていく心情が、とてもよくわかりました。戦争の悲惨さがよくあらわれ、兵士が戦場で一生懸命がんばって戦っているのがよくわかります。間延びしないように4つの話が入っているのがよかったです。4つの話の最後に兵士の弟ジョンが出てきますが、容態がかなり悪いのだろうなという思いと、兵士が家に帰るころには、ひょっとして亡くなっているのでは、という不安を抱かせます。184〜185ページに「チューイさんは言ってた。このロバは、信頼できる勇敢な人のものなんだって」と書いてあって、ココがロバを見つける。その場面で私もほっとしました。最初は読むのがかったるかったのですが、読んでいくうちに物語の中に入っていき、一気に読めました。ロバに対しても好感を持ち、いい作品だったなと思いました。人間のもつ思いやり、好奇心やワクワク感、兵士の孤独感など登場人物ひとりひとりの内面がよく伝わってきた作品でした。

ハリネズミ:よくできた、いろんなことを語っている作品ですね。若い兵士は脱走兵で目が見えないということだけで、どんな人かそれ以上は描写されていない。弟が病気だという話だって嘘かもしれない。でも、兵士が語るロバの寓話を読むと、人柄が浮かび上がってきます。このロバの物語はどれも愛の物語ですが、戦争と対比されていて、効果的に使われています。それから、この作品はあらゆる意味で嘘っぽくないんですね。それぞれの年齢の子どもの心理が、とてもうまく書けてます。さっきセシさんがリアリティがイマイチだと言ってましたけど、栄養失調で目が見えなくなる場合もあるし、ファブリーズはコンプレックスの裏返しで兵士を助けようとするわけだし、私はリアルだと思いました。どの人間も、安っぽい同情でかかわりあうのではなく、自分の必然性をもってつながりあうというのがいい。しかも、たいへんリアルでありながら、ひとつのあったかい雰囲気の世界をつくっている。すばらしい力量を持った作家ですね。翻訳もうまく雰囲気を出しています。図書館で借りてきて読み始めたのですが、この本はそばに置きたいと思って、私はあらためて買いました。

カワセミ:ただ、この表紙を見て、子どもはおもしろいと思うかな?

ハリネズミ:あんまり小さい子にはわからないよね。

カワセミ:きっと本当のロバの話かと思うんじゃないかな?

ハリネズミ:でも、銀色のロバっていないから。

ササキ:今月の3冊のなかで、私はいちばん入りにくかったんです。間に入った4つの物語が、流れをとぎらせてしまうような気がして。大切にしていたロバを、兵士が最後に残していったのは、帰る不安が薄れたのかなと思いました。兵隊が無事に家に帰ることができたかどうかは読み手の想像にまかされてますけど、このロバを残していったことで、無事に帰れたんじゃないかなと、私は感じました。

紙魚:冒頭、姉のマルセルが「死人をみつけたなんてすごい」と、ときめきます。大人なら一瞬、非常識とも思ってしまいそうな気持ちが、素直に表現されているのを読んで、ああ、この作者は信頼できる、という気持ちになりました。登場する子どもたちの年齢や性格が、そのつど、行動や言葉からそれぞれ伝わってきて、作者が、人物ごとの目線を持って、この世界を書いているのだと安心できました。挿入されている4つの寓話的な物語が効果的で、彩りをあたえていると思いますが、その書式で気になるところがありました。初めの3話は、兵士の語りが地の文で表されているのですが、「よっつめの話」は、カギ括弧を使っています。しかも、カギで始まった文章が、カギで閉じられていないのが続いて、混乱しました。寓話的にする意味でも、この部分も地の文にしてよかったのではないかなと思います。

ハリネズミ:英文では誰かが長い話をしている場合、はじめのカギ括弧だけでつなげていきますが、日本語ではそういう使い方はしないので、混乱を招きますね。編集の人がもう少し注意すればよかったのにね。

メリーさん: 今月の3冊の中で、この本が一番好きでした。兵士と子どもたちの出会う森が、とても象徴的な場所だと思いました。戦争は現実に兵士の心を傷つけているのだけれど、子どもたちの生活はいたって平穏。何だか2つの異なる現実があって、片方が幻想のような……。ロバに関する挿話は、1つ1つが短編小説のようで、とてもいいなと思いました。もう何度となく語られてきたであろう、ヨセフとマリアの話も、「ロバ」というテーマでまた別の視点を与えられて、おもしろいと思いました。やはりリアルなのは、戦争の場面。戦争が国対国、思想対思想だというのは、あくまで幻想で、実際には肉体と肉体、人間の精神と精神の傷つけあいに他ならないことがよく出ていると思います。彼が部下のことをよく覚えようとすればするほど、自分の目的と現実の間に溝が生まれてくる…とてもリアルで悲しい心情がよく描かれていると思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年5月の記録)


ユーウツなつうしんぼ

アンドリュー・クレメンツ『ユーウツなつうしんぼ』
『ユーウツなつうしんぼ』
アンドリュー・クレメンツ/著 田中奈津子/訳
講談社
2005.03

ショコラ:頭のいい子ってすごいんだなと思いました。アメリカの学校の生活、兄弟関係、両親の気持ち、学力への取り組みなどが出ていて、現実的なお話として読みました。最後に、『自分の内面を充実させることが大切』と書かれていましたが、子どもたちはこの部分でほっとするのかな。

ハリネズミ:今回取り上げた3冊はリアリスティックフィクションに分類されると思うんですが、どれもファンタジー的な要素を取り込んで、作品に深みを出してますよね。『銀のロバ』は、間に挿入される兵士の物語がそうだし、『となりのウチナーンチュ』は、青蛙神みたいな不思議な存在を登場させるところ、そしてこの作品は、主人公の女の子のノラ自身がそうです。ふつう、通信簿にこだわるのは意味がないって言おうとすると、成績は悪いけど人間的にいい子みたいなのを主人公にするわけだけど、クレメンツは切り口が違う。超天才少女を出してきて、そこから見たらどうなのだろうというふうに書いていく。私は笑いながら読んだんです。リアルでないところはいっぱいあるけれど、現実の問題をとりあげて、子どもの興味をひこうとする工夫があります。ノラのお母さんは、最初ステレオタイプの教育ママかと思わせるんだけど、そうではなくて、1人の大人としてちゃんと書かれている。そこもいい。

ササキ:ノラ自身がファンタジーといわれると、すとんと落ちますね。作者が感じているアメリカの学生が受けなければいけない試験システムへの警鐘とも感じることができました。コネチカット州は裕福な人の多い州なので、それも影響しているかもしれません。ひとつ注目したいのは、学校司書の人がよく書かれている点です。作者自身の経験を踏まえているんでしょうか。日本の作品にはあまり司書が出てこなくて残念です。

紙魚:『こちら「ランドリー新聞」編集部』『ナタリーはひみつの作家』(そちらも田中奈津子訳 講談社)など、子どもたちが新しいことに気づきながら、具体的な力を得て、大人の社会に参加していく姿を描くクレメンツは、大好きな作家です。一歩踏みだそうとした子どもたちに、力をあたえてくれる大人が必ずいるというというのも、すてきです。作家自身が子どもたちへ、自らの大人の責任を示しているようで、安心感があります。ただ、この『ユーウツなつうしんぼ』は、これまでの作品に比べると、ちょっと印象が違いました。「学力」をテーマにしていることもあって、読み終えた後に、具体的なアクションをどう起こせばいいのかわからなくて、もやもやするんです。きっとクレメンツ自身もそうはわかっているのだけれど、「学力」について問いたかったのだと思います。そのせいか、装丁も、これまでの中〜高学年対象というより、もうちょっと上の趣ですね。むしろ、大人が読んで考える本かもしれません。

セシ:テンポよく読めました。だけど、あまりにも頭のいい子のお話なので、読む人は気を悪くしないかな? 両親や先生との子どものかかわり方が、日本とは違うかなと思います。通信簿を読みあげなさいと言われたときに、ノラが拒否して親が根負けしてしまうところとか。このくらい意地っ張りの子もいるけれど、日本の親だったら、親の権威でねじふせるかもしれないな。ただ、今の中学生を見てて感じるんですけど、問題はむしろ通信簿のいい悪いによる自尊心うんぬんよりも、二極化した子どもたちが、学ぶことに対してあまりにも無関心になってしまうこと、大人の示す価値に後ろ向きなまま育ってしまうことにあるように思えるんです。とすると、そういう子たちの多くはこの話では救われない。

紙魚:これまでのクレメンツの作品だと、主人公の行動をおもしろく読んでいくうちに、自分もその気になって何か私にもできるかも!と思わされるのだけれど、今回のはそれが持ちにくいんですよね。

カワセミ:成績や通信簿のことは日本の子どもたちにとっても大きな関心事なので、その点ではおもしろく読めると思うけれど、主人公のノラの考え方があまりにも大人びていて、あまり共感できないのではないかと思ったんです。学校では、成績のよしあしによって、何もかも決められてしまう。成績の悪い子は自分はバカだと思い、良い子はますます鼻が高くなっていく。成績にふりまわされて、どの子も競争したり比べたりし始める。親や先生は子どもを支えてくれるはずなのに、がんばれがんばれってもっとテストを出してしめつけるだけ。それに対する反発心には共感できる。でも、本当は良くできるのに、それを隠してDをとるのはあまり楽しい話ではないし、先生たちがだれもそれに気づかないというのは現実味がなさすぎる。ノラの考え方が大人びているというのは、語り手が本人だからということもあるけど、たとえば次のような感じ方を、子どもがするかしら?
p181の5行目(最後に教育長まで来て会議になる場面。教育長と校長の様子を見て、ノラが言う場面)「みんなの目に明らかだったこと。力のある、知性あふれる女性が二人とも、つぎの一歩を踏み出すのをためらっているのだ。私は二人がとても気の毒になった。とどのつまり、みんなをこんなに混乱させた張本人は、この私だからだ。なんとかしてあげたいと思った。」賢い子だからなのかもしれないけど、ちょっと子どもらしくないのでは? p191の最後から4行目からの、全校生徒を前にしてのノラの大演説の口ぶりも、立派すぎます。
これまでのクレメンツの作品は、『合言葉はフリンドル!』『こちら「ランドリー新聞」編集部』『ナタリーはひみつの作家』など、大人顔負けの子どもが活躍して、スカッとする話だから、ずっと子どもらしくてよかった。読んだ後にやる気が出るような感じがあったしね。こちらは装丁を変え、読者対象を上げたのだと思うけど、中学生が読むには、主人公の年齢が低いからおもしろくないのではないかしら。

小麦:クレメンツの作品は初めて読みました。私はノラが小5の女の子には思えなかった。プロフィールで著者が小学校の先生だったという情報を得てしまったせいか、どうも著者が教育現場で感じたもやもやを、ノラの口をかりて言っているように感じてしまって……。ちょっと前に、学校について人と話す機会があったんですけど、今は不公平にならないようにみんなに同じ分量の台詞を言わせる主役のいない学芸会や、1位を決めずに全員で手をつないでゴールする運動会があるそうなんですね。これって、抜きん出た才能をならして目立たせないってことですよね。ノラもせっかくの才能をひた隠しにしている。横並びが好きな日本ではそうだろうけど、アメリカでもそうなのか、と思いました。物語運びはテンポよく楽しめたんですけど、読み進むうちに、なんだか教育現場や子どもをとりまく状況についてじめじめ考えこんじゃって、私がユーウツになってしまいました。

ショコラ:でも、ファンタジーとして読むと、読み方がまったくちがってきますね。

紙魚:ノラに、もうちょっと奇天烈なところがあるとよかったのかな。IQは高いのだけれど、どこかものすごく変てこなところがあるとか。「頭がいい」というファンタジー性をもっと高めると、かえって問題が浮き上がることもあったかもしれません。

ショコラ:片づけができないとかね。

小麦:でも、ノラにも憎めないところありますよね。頭がよすぎるわりには、出てくる作戦が中途半端だったり。緻密に計算したわけじゃなく、とりあえず悪い成績をとっちゃえという。それで事態が大きくなっていって、どうしていいかわからなくなっちゃうあたりは、子どもらしくてリアリティがありました。

メリーさん:自分とまったく違う考えの人の頭の中をのぞきこむような物語(『アルジャーノンに花束を』のような)は、とてもおもしろいと思う反面、本当にそう思っているのかな……などと思いながら読みます。このノラの物語は無理なく、おもしろく読めました。もちろん天才的な頭脳を持っている子どもの話なのですが、イメージとしては、クラスの中でも少しだけ大人な女の子の話、という感じです。話中で好きだったのは、ふつうになりたい、と願う彼女に理解者が現れるくだりでした。バーン先生は、子どもが救われる気持ちになる、大人という意味では一番大きな存在ですし、スティーブンはいつのまにか彼女のことをよく理解する「パートナー」になっています。「ふつう」になりたい、という言うこと自体、自分と他人を相当比べている証拠ですが、比べる対象が少しでもこちらを理解してくれると、その子は救われるのだな、と思いました。ノラは自分が、孤独ではないとわかったときに、自分の才能も受け入れることができたのではないかと思います。ページをめくらせる、おもしろい物語でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年5月の記録)


となりのウチナーンチュ

早見裕司『となりのウチナーンチュ』
『となりのウチナーンチュ』
早見裕司/著
理論社
2007-12

紙魚:刊行されたころに読みましたが、正直なところ、あんまり記憶に残っていないくて……。軽くすらすら読めたという印象です。ファンタジーが生まれやすい場所というのがあると思うのですが、そうか、最近は、沖縄というのもあるんですね。それも、現在の沖縄。作者が、沖縄在住ということもあって、沖縄に関する記述は信頼できそうです。

ササキ:これって、課題図書ですよね。図書館でもずっと貸し出し中でした。キャラクターが個性的で、それぞれの登場人物がわかりやすく、読みやすいのかな。テンポはよかったんですけど。お母さんがゴーストになって出てきたのには驚きました。あそこまでのゴーストにしなくても。課題図書で、子どもがどういうふうに読書感想文を書くのか気になりますね。想像を膨らませにくい、一方向でしか読めない作品かなと感じました。

ハリネズミ:出てくる人たちは、みんな個性的でおもしろいんですね。沖縄の生活事情や、基地のことなどもわかる。ところどころにユーモラスなところもあったり、沖縄の人たちの楽しい会話もあったりする。でもね、夏海のお母さんは、あまりにも不自然じゃない? 最初は家庭内別居をしていて、後には娘にとりつくほどの教育ママであれば、娘をつれて出ていくんじゃないのかな? お母さんが言うことに客観性もないし、妄想を生で見せられている感じで気分もよくない。夏海の登校拒否の原因がお母さんだとするなら、お母さんのキャラクターづくりをしっかりしておかないと、物語そのものの構造が弱くなってしまう。沖縄については、間違いがないように、真面目な態度で取り組もうとしているのがわかるんですが。

ショコラ:沖縄の生活がリアルに書かれています。台風の場面は、迫力があり、すごいなと思いました。作品の中の沖縄の言葉1つ1つに対して意味が出ているので、わかりやすかったです。テレビドラマ「ちゅらさん」のアットホームな家庭の雰囲気に対して、2つの家族が異なっているのがおもしろい設定だと思いました。お母さんが出てくるのはホラー的だし、さらにお母さんが台風のときに東京からやって来るのがしつこすぎます。表紙のイラストから、男の子と女の子の話なのかなと思いましたが、作品を読み終わってから表紙のイラストが表しているものがわかりました。昨年の中学校課題図書になった作品なので、子どもたちの感想を聞いてみたいです。

小麦:私も去年課題図書になった時に読んだんですけど、内容が残ってなくて今回一から読み直しました。装丁がすごくいいですよね。内容は、イメージの沖縄でなく、実際の沖縄がしっかり描かれていて楽しめました。著者が実際に沖縄に移住しているということもあり、「へー、こんなこと知らなかった」と、エッセイのように読めたところもありました。彩花の性格もすごくリアルに感じられました。この子なら、隣の子となれなれしく、すっと友達になっちゃうのもわかります。夏海と彩花のベタベタしすぎない友情も、さわやかで自然で好感がもてました。でも、それらをガラガラと崩してしまったのが、お母さんの存在。キャラクターがあまりにも類型的で、なにもそこまでっていうくらい感じが悪い。問題をお母さんひとりに集約して、悪者退治でもするような展開に、物語からどんどん気持ちが離れてしまいました。お母さんは去ったけど、まだ問題は残っていますよという終わり方には、沖縄の描き方同様リアリティがありました。

カワセミ:第1章は、彩香の家族の話。第2章になると、急に夏海の話になったので、短編集かと思ってしまいました。読み進めるうちに、別の家族として彩香が登場してきたので、こういうふうにつながっていくのかと、急におもしろくなってきた。でもその後は、ずっと夏海中心になって彩香が脇役になってしまったのが残念。私は彩香の方に興味をもったんです。今までにない主人公だから。夏海のほうは、傷ついていて癒しを求めているというありきたりな設定で、あまり興味がもてなかったの。書き方は、最初からリアリズムだったのに、急に置物のカエルがしゃべりだすという突飛なところがあります。でも、このカエルとの会話がユーモラスなので、あまり違和感なく楽しく読めました。私もお母さんの出し方はあんまりだと思ったけど、この作家は、ホラーを書いている人だから、どうしてもその要素を入れたくなったのかな。この年頃の女の子が母親に対してこうした気持ちをもつことはあると思うし。だから、本当の母親は出さない方がよかったわね。生き霊よりも現実の母親はもっとひどいんですもんね。ちょっとやりすぎだと思う。私も沖縄の家庭というと「ちゅらさん」くらいの知識しかないのだけど、沖縄の人たちの、遠慮はないけどあったかい、独特のベースが感じられた。食べ物の描写や、言葉の使い方もおもしろかったし、沖縄のことがいろいろわかってよかった。ただ、夏海が最後の312ページで言うセリフ、「私の心も同じだもの。とがって痛いほどだったのを、海と、沖縄が丸くしてくれたから。……でも私は、沖縄に来たいって思って、来られて、受けいれてもらえた。……私は沖縄が大事だ、って思ったから、沖縄が助けてくれたの。このビーチグラスは、私の心なんだよ」これはとっても浮いてます。夏海ってこんなこと言う子じゃないし、いかにも「言わせた」という感じで、がっかりしました。沖縄を舞台にしたものって、だいたいそうなりがちでしょう。傷ついた心が沖縄のあたたかい人たちに囲まれて癒されていくっていう……。せっかくちょっとおもしろい工夫があるなと思ったのに、結局これも同じだったのか、という感じがしてしまう。いいと思ったのは、2人の女の子がそれぞれに痛みを抱えているけれど、ありのままの心でつながっていくというところ。ほっと心なごむものがあった。今までの児童文学にはないよさも散りばめられていて、新しい感じではあると思うけれど、やっぱりちょっと残念な部分もあるわね。

セシ:よかったところは、今の中学生が読むとこの3冊の中でいちばん読みやすそうなこと。彩香とか夏海とか、おっと思わせる、魅力あるキャラクターに仕上がっていると思います。だけど、この本はこの子たちのことより、沖縄のことを書いたお話のように感じられました。マンガでスポーツを知るように、小説で沖縄を知るというような。きれいな浜だけど、天然ではなくて砂を運んできていることとか、言葉とか食べ物とか。沖縄で癒されると思われがちだけれど、こんなに不便なところがあるとか。夏海のお母さんのエピソードは、やっぱりあんまりですね。九州から南ってまじない師のような文化があるじゃないですか。もしかすると作者は、ユタに代表される文化と、お母さんとを結びつけたかったのかな。でもやっぱり違和感がある。彩香のお父さんは、これで暮らしていけるのだろうか、貯金はあるのだろうかとか心配になるけれど、細かいところは書かれてなくて感覚的だと思いました。沖縄の人は時間に驚くほどおおらかだと、沖縄人と結婚した知人から聞いたこともあるから、もしかすると風土自体がこんな感じなのかもしれないけれど。

カワセミ:フィクションじゃなくエッセイとして書いた方がよかったのかもね。沖縄のことはいろいろわかるし。

メリーさん:これは、楽しみに読み始めたのですが、期待はずれでした。沖縄の現実を語るといっておきながら(「ちゅらさん」ではない)、カッコ書きで沖縄の言葉を説明したり、沖縄のウンチクを語ってしまうところや、母親の描き方が一面的で深みがないところ、極めつけは、蛙の神様と、病院、お守りをくれた神様がまったく活きていないというところがとても残念でした。彩華のキャラクターはいいと思いますが、そんな簡単に友だちになれるのかな? 台風のエピソードもご都合主義にしか見えませんでした。個人的に沖縄については詳しくなく、まさに「ちゅらさん」から仕入れた知識くらいのものですが、沖縄の風土をうまく使いきれていない、というのが印象です。これを読んだ子どもはどういう感想文を書くのでしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題」2009年5月の記録)


2009年05月 テーマ:リアリスティックフィクションの工夫

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『2009年05月 テーマ:リアリスティックフィクションの工夫』
日付 2009年5月14日
参加者 セシ、カワセミ、ハリネズミ、ショコラ、紙魚、ササキ、小麦、メリーさん(メール参加)
テーマ リアリスティックフィクションの工夫

読んだ本:

ソーニャ・ハートネット『銀のロバ』
『銀のロバ』
原題:THE SILVER DONKEY by Sonya Hartnett, 2004
ソーニャ・ハートネット/著 野沢佳織/訳
主婦の友社
2006.10

オビ語録:ほんとうの勇気とは? 思いやりとは? 愛情とは? 心に深くしみいる寓話の傑作!/ふたりの少女が森の奥深くでであった兵士がかたる物語は、ふしぎと哀しみにみちていた----
アンドリュー・クレメンツ『ユーウツなつうしんぼ』
『ユーウツなつうしんぼ』
原題:THE REPORT CARD by Andrew Clements, 2004
アンドリュー・クレメンツ/著 田中奈津子/訳
講談社
2005.03

オビ語録:天才少女反乱!/Cが一つに、あとはオールD。これがノラの成績。でも、じつは彼女、IQ180以上の超天才!
早見裕司『となりのウチナーンチュ』
『となりのウチナーンチュ』
早見裕司/著
理論社
2007-12

版元語録:友だちなんかいらない、と思っていた。あなたに出会うまでは…。沖縄を舞台に少女たちの出会いと絆を描く不思議さと温かさいっぱいの物語。

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ふしぎなロシア人形バーバ

ルース・エインズワース『ふしぎなロシア人形バーバ』
『ふしぎなロシア人形バーバ』
ルース・エインズワース/作 ジョーン・ヒクソン/画 多賀京子/訳
福音館書店
2007

ハリネズミ:人形の本ってあんまり読んだことがなかったんですけど、今回のは読んでみたら3冊ともおもしろかったです。この本には2編入ってるけど、「バラやしきにようこそ」のほうが私はおもしろかったな。バーバはマトリョーシカ人形なんだけど、日本の子どもも知ってるから、楽しめると思います。夜中に盗み食いするところなんか、いつ見つかるか、いつ見つかるかと、どきどきして読み進むことができるし、つきぬけたユーモアみたいなのがあって、いいですね。2編目のほうは、1編目ほどはおもしろくなくて、続きを書かなくちゃって書いた感じがしました。この本の中のお人形は食べたり飲んだりするのに、おなかがパカッと割れて中から別の人形が出てくるわけだから、おなかの中はどうなってるのかなって不思議でした。変だな、と思う子どもの読者もいるかもしれないな。

カワセミ:食べたり飲んだりしない人形の話っていうのもありますよね。でもこれは、食べるところがおもしろいのよね。お人形っていうのは、顔かたちや着ているものが一定なので、いろいろな人形が出てきても、把握しやすいと思います。だから、中学年くらいの子でも読みやすいんじゃないかな。性格が誇張してあっても、人形だからあまり不思議じゃないし、生身の人間だったらもっと複雑な要素があるけど、性格付けがわかりやすいと思う。人形っていうのが子どもに身近な存在だし、人形が話をするのも、子どもにとっては自然に受け入れられますよね。お話は3,4年生向きだと思うけれど、3年生が読むには字が細かいですね。2編入れないで、最初の1編だけをもっと大きな字にして1冊にしたほうがよかったのかなと思いました。文章はていねいに書かれていて、挿絵もおもしろかった。

ショコラ:2つに分かれていましたが、一気に読んでしまいました。マトリョーシカの態度がおもしろくて謎めいているし、47ページのフルーツケーキの場面、67ページの山のような洗濯をほしてる場面、ロシアの魔女についての話など、どれも楽しめました。私も次から次に出てくる人形が食べ物を食べるのが不思議な感じがして、お話だけど無理っぽいなと思いました。兄弟(姉妹)の名前が変わっていて、食べ物の名前がついてるのも、おもしろいですね。ただ、子どもたちには字が小さいので読みにくいと思います。低学年向きに字を大きくしてほしいな。最初のお話だけでも十分読み応えがあるし、楽しめると思います。装丁が違うと、もっと手に取る子がふえるかなとも思いました。

セシ:私もこれはすごくおもしろかった。12ページに、この家の「だんろの日は、チカチカッとも、ポッとも、もえません。それは火が、しわくちゃの赤い紙でできていたからです。それにおふろにはいっても、じゃぐちからは、お湯もお水もでてきません」と書いてあるのに、あとでお料理してるから、ちょっとあれっと思うけれども、キャラクターがなんとも楽しいし、おもしろく読めました。一方で、バーバがやってきたところで、「わたしは、とにかくよく食べるんです。六にん分くらい、いただくかもしれませんわ」と、ちゃんと伏線があるんですね。みなさんと同じで1編目のほうがおもしろくて、2編目は、ハチミツが帰ってからあとは蛇足っぽくなっているので、どうなんでしょう。内容的には2、3年生から楽しい本だと思うので、1編目だけ大きな字で1冊にしたほうが手にとりやすいですよね。1編目は、男の子の人形のウィリーも中心になって動くので、こんなにピンクの装丁にしなければ男の子も手にとりやすいだろうに、もったいない。

ハリネズミ:2つ目の話はこれが芯だっていう要素がはっきりしないのよね。あちこちに話が広がってしまっている。

セシ:この絵もおもしろいんだけど、フレデリックって、おじいさんの人形のはずなのにあまりにも若々しいから、間違えたかと思って何度も見直してしまいました。65ページのイチゴをとっているところの絵なんか若者みたい。

ハリネズミ:最初からおじいさんの人形ってあんまりいないし、人形だから成長もしないわけでしょ。ここでおじいさんの人形って言ってるのは、古くなった人形っていう意味なんじゃない?

ショコラ:バーバという名前がかわいいですね。

ハリネズミ:ロシアの昔話のバーバヤガーからきているんでしょうね。

ショコラ:海に行ったあとに歌をうたっているけれど、終わりがちょっと中途半端かなと思いました。

ハリネズミ:海に行く途中なのよね。なんとなく楽しい雰囲気で、みんなで海に行きましょうってことなんでしょう。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年3月の記録)


気むずかしやの伯爵夫人

サリー・ガードナー『気むずかしやの伯爵夫人』
『気むずかしやの伯爵夫人』
サリー・ガードナー/作 村上利佳/訳
偕成社
2007

セシ:この本はちょっと苦手でした。お話はわかるんだけど……。途中で苦手と思ってしまったのがいけないのか……。お話はわかるんだけど、だからどうなのって気がして、自分がひかれるところが見つけられなかったんです。こういうお話も、中学年にありだなと思って読んだんだけど、心をひかれませんでした。

ハリネズミ:私はおもしろく読みました。伯爵夫人が心を入れ替えるところは、人形作りの親方がハート形の心臓を物理的にも入れ替えてくれるのよね。そこを読んで、ああそうか、と思いました。最初のほうは、みんながいっしょうけんめい仲間に入れてあげようと努力しているのに、伯爵夫人があまりにもとんでもないことを言ったりしたりするんで、反感をもってたんですけどね。絵も、顔の描き方が違って、雑多な人形が集まってる感じがよく出てますよね。写真と合わせたコラージュもよかった。絵がたくさん入っているので、3、4年生でも読みやすいんじゃないかな。

ショコラ:最初本を手にとったとき、絵と写真が合成になっていたりして、おもしろいつくりだなと思いました。いろんな国のお人形が登場し、性格もそれぞれ違っています。ねずみ夫婦がお互いを気遣う場面もよかったです。チンタンには「ハンドメイド」、伯爵夫人には「デリケート」の洗濯表示のタグがありますよね。「ハンドメイド」と「デリケート」の表示で伯爵夫人が格をあげているこだわりがおもしろかったです。伯爵夫人の中身がごわごわしたおがくずだったのが、こわれたため中身を直すときに綿とハートをいれてもらって性格が変わったところも、おもしろいなと思いました。伯爵夫人は性格が悪くてわがままなんだけど、汚れてみずぼらしくなった挿絵を見て、私はいたいたしさを感じて同情してしまいました。ミスター・ウルフはこわそうですが、いろいろな悩みごとを解決してくれる神様みたいな存在なんですね。最後の場面で、体がやわらかくなり性格も変わった伯爵夫人が戻ってきたので、幸せな終わり方でほっとしました。

カワセミ:私も、最初に登場人物の紹介があることや、各見開きに挿絵が入っているなど、子どもが読みやすいつくりになっていることに、まず好感を持ちました。お話も、1つの小さなお人形の家の中の出来事というんじゃなくて、広い公園に置き去りにされるっていうのが変わっているし、いろいろ危険な目にあうけど、最後はきっとうまくいくんだろうなって安心して読める1冊。お人形たちだけじゃなくて、ねずみ夫婦がとてもユーモラスに描かれているのも楽しかったですね。セシさんは、どういうところが好きになれなかったの?

セシ:この伯爵夫人のキャラクターに、ついていこうという気になれなかったからかな。いやな性格だし、この絵の顔も好きになれなかったし。

カワセミ:でも、この本は文字組もゆったりしていて(みんなで『かりんちゃん』と比べてみると、字の大きさは同じようだが、ページあたりの行数があちらは14行、こちらは12行だとわかって納得)、この年齢の子には読みやすいわよね。

ショコラ:私も、ぜひうちの小学校の図書室に入れたいと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年3月の記録)


かりんちゃんと十五人のおひなさま

なかがわちひろ『かりんちゃんと十五人のおひなさま』
『かりんちゃんと十五人のおひなさま』
なかがわちひろ/作
偕成社
2009

ショコラ:先日ある町の図書館で、小学生対象の「おひな様」のブックトークをしたときに、この本を紹介しました。集まったのが男の子8人で大変だったんだけど。『りかさん』(梨木香歩著 新潮文庫)よりも中学年向けなのでこの本を選んだんです。ブックトークでは、七段飾りの紹介の後にこの本を紹介しました。15人の人形の性格がそれぞれ出ているし、「ことわざ」もいいなと思いました。でも、1年生に「ことわざ」を紹介したところ、どれもわからないものばかりでした。物語を読んでいけば理解できるのかな。

カワセミ:ことわざは学校では教えないの?

ショコラ:自分で調べてみようというスタンスの教科書が多いですね。5年生の学級で聞いても、知らないものが多くて、ちょっとむずかしいようでした。かりんちゃんが持っているおひな様をはじめ、いろいろなおひな様の種類などが紹介されているのは、とてもわかりやすかったです。友だち3人の人間関係なども最近よくある話だなと思いました。かりんちゃんのお母さんが手作りのおかしを作る場面はあたたかく、五人ばやしの絵もすごくかわいかったです。子どもが読んで楽しい本だなと思いました。

カワセミ:3人の女の子が、今の読者と同じような子なので、親しみがもてるのがいいですね。おひな様っていうのは、日本の伝統的な行事の中でもなじみのあるものだと思うんですね。自分の家になくても、保育園や学校で大きな段飾りは見ることが多いし、子どもたちは、人形の着物や道具にも興味を持っているので、そういうものをとりあげているのがとてもいい。おひな様を飾る意味、子どもの成長を願うとか、身代わりになって守ってくれるということとか、自分のお母さんやおばあさんからの願いが受け継がれていくものだというのも示していますね。ただ3月だから飾るというのではなくて、行事の深い意味を伝えようとしているところがいいなと思いました。子どもだから、おひな様を比べて、大きいほうがいいとか、豪華なほうがいいとか、あれちょっとぼろいねとか言ってしまうんだけど、おひな様のファンタジーの世界とかかわることで、受け継がれている思いを感じられるようになっていくのが自然に書いてあって、よかったと思います。これも挿絵がいっぱいあって、おひな様ようすがよくわかった。
私も子どものころ、おひな様を箱から出して飾ったり、しまったりするのが楽しかった思い出があるし、一人一人性格が違うような感じはよくわかるので、おもしろかった。おひな様は昔の人だから、難しいことわざを言うのもうなずけます。読者の子どもには難しくて意味がわからないものもあると思うけど、どんどん出てくるから、「また言った」みたいな楽しさもあると思うんですね。その時はわからなくても、興味を持つ子がいるでしょうね。ユーモラスに言うので、楽しめると思う。こういう身近な話は、子どもたちに薦めやすいですね。男の子の反応はいかがでしたか?

ショコラ:ブックトークでは、笛がなくなることを話題にしたり、「15人とはだれでしょう?」をクイズのようにしました。ことわざが、雛人形の言葉として文の中に入ってくるのもいいなと思いました。5年生のクラスの子に紹介したところ、女の子がすぐに読んで、「女の子の関係が自分たちに似てる」と言ってました。

カワセミ:おひな様の出てくる話としては、『菜緒のふしぎ物語』(竹内もと代著 アリス館)っていうのもあります。主人公の女の子が、ひいおばあちゃんの住む古い家で不思議なものたちに出会うというファンタジーで、おひな様は一部にしか出てこないんだけど、この季節に紹介できますね。

ハリネズミ:『三月ひなのつき』(石井桃子著 福音館書店)っていうのもあるわよね。私はすーっと読んだんですけど、3冊比べてみると、この本は、おひな様のいわれとか、ことわざの説明など目配りがしてあるし、貧しいおひな様でも心がこもっていればいい、悪口を言うと気分が悪くなる、など、教育的にも配慮されてる。ただ、感受性の強い子は、作者が子どもたちに教えようとする意識を感じて、うっとうしくなるかもしれませんね。冒頭と最後にグレイのページがあり、それぞれ「はじまりのまえに」と「おしまいのあとで」となっていて、まだ箱の中にいるおひな様の様子が描かれている。これも、うまい。ただ、「はじまりのまえに」っていうところに、「かりんちゃんも、ずいぶんむつかしいご本が読めるようになったのねえ……と、小桜は、ぼんやりつぶやきました」って書いてあります。これ、いいのかな。まだ、ひいおばあさんのものだったことしかおひな様は知らないわけでしょ? 夢だからいいのかな。

カワセミ:おひな様が長い長い夢を見ていたのは、かりんちゃんの夢を見てたってことなんでしょうね。

ハリネズミ:おばあちゃんが、かりんちゃんにあげようと思ってたから、かりんちゃんの夢を見てたってこと? それから、おひめ様に「けれど、ここでおこることの半分は、かりんちゃんの夢。あとの半分は、わたくしたち、ひなの夢」って言わせてますけど、そこもうまいですね。

ショコラ:感想文が書きやすい作品ですね。
ハリネズミ:よい子はすぐに感想を書けますよね。欲を言えば、まとまりすぎて突き抜けるところがない。私は大人として読んでおもしろかったんですけど、そんなに教育的な配慮ばかりしなくてもいいんじゃないかな。その方が、もっとスケールの大きい話になるのかも。

カワセミ:6年生くらいになると、教育的な意図を感じるかも。

ハリネズミ:かりんちゃんたちは何年生なのかな。書いてありませんよね。

ショコラ:絵を見ると中学年っぽく見えませんか。

カワセミ:何年生って限定しないのもいいのかもね。

ハリネズミ:お人形って、そんなに動けないじゃないですか。前に読んだ『帰ってきた船乗り人形』(ルーマー・ゴッデン著 徳間書店)は、自分では動けないってなってたけど、これはどんどん動いちゃうから、おもむきが違うわよね。ユーモアっていう意味では、『ふしぎなロシア人形バーバ』の最初の物語がいちばんおもしろいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年3月の記録)


2009年03月 テーマ:おひな様と人形たちの本(中学年向き)

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『2009年03月 テーマ:おひな様と人形たちの本(中学年向き)』
日付 2009年3月26日
参加者 ショコラ、ハリネズミ、カワセミ、セシ
テーマ おひな様と人形たちの本(中学年向き)

読んだ本:

ルース・エインズワース『ふしぎなロシア人形バーバ』
『ふしぎなロシア人形バーバ』
原題:THE MYSTERIOUS BABA AND HER MAGIC CARAVAN by Ruth Ainsworth, 1980
ルース・エインズワース/作 ジョーン・ヒクソン/画 多賀京子/訳
福音館書店
2007

版元語録:個性豊かな人形たちが住む<バラやしき>に、ある日ロシア人形のバーバがやってきます。バーバにはみんな驚く秘密が……。人形たちのにぎやかな毎日を生き生きと描いた作品。
サリー・ガードナー『気むずかしやの伯爵夫人』
『気むずかしやの伯爵夫人』
原題:THE COUNTESS’S CALAMITY by Sally Gardner, 2003
サリー・ガードナー/作 村上利佳/訳
偕成社
2007

版元語録:捨てられた人形たちにとって、外の世界は不思議なことだらけ! でもわがままな伯爵夫人の行動で、みんなに危険がせまります……。
なかがわちひろ『かりんちゃんと十五人のおひなさま』
『かりんちゃんと十五人のおひなさま』
なかがわちひろ/作
偕成社
2009

版元語録:ひな人形たちは、守り子のかりんにだけ、自分たちの本当の姿を見せてくれました。小さなおひなさまたちが活躍する楽しいファンタジー。

(さらに…)

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時の扉をくぐり

甲田天『時の扉をくぐり』
『時の扉をくぐり』
甲田天/著 太田大八/絵
BL出版
2008.02

カワセミ:まず、すごくおもしろいことを考えたなあ、と思いました。たぶん作者はゴッホに興味をもっているからこそこういうことを思いついたんだろうし、これを表現するには児童文学が向いていると思ったのでしょう。発想がユニークなのはいいんだけど、全体的に何か違和感がありました。1つは、ゴッホがゴーストみたいになって出てくるのや言葉の問題に無理があるということ。もう1つは、この語り手の左吉っていう子が13歳で、修行してるという設定なんだけど、この子のやたら饒舌な語り口調が子どものイメージとどうも合わないところ。13歳っていうともう大人として扱っているのかもしれないけど。
それと、どういう絵かということを文章で説明するって難しいと思うんですよね。大人なら、北斎や広重でもなんとなくわかりながら読めておもしろいんだけど、その辺が子どもの読者だとどうなのかな? 中学生ならわかるのかしらね。ゴッホの絵を見た佐吉が、「なんたって絵にいきおいっていうのがある」って書いているところなど、これだけでピンとくればいいんですけどね。それから、この装丁だと中学じゃないと手にとらないですよね。ゴッホに興味がある子ならおもしろいかもしれないけど。でも、作品自体、難しいことに挑戦しているな、というところでは好感がもてました。

セシ:同じような印象です。題材はおもしろいけれど、今ひとつ乗れなかったところがあります。私も、語りが13歳の子かな、と疑問に思いました。83ページの「溜飲が下がった」のような言い回しや慣用句をたくさん入れていて、じじくさいというか、知識を鼻にかけている気がしました。それに、150ページで又三に「又さん、あんた、大変な宝もの、もってるだろう?」という話し方をするんですね。13歳の子がずっと年長の大人にこんな話し方をするのかなって。そんなふうに、あちこちであれっと思う部分がありました。あと1つひっかかったのは、71ページのお師匠さんのせりふ。「その想いにちゃんとこたえねえと、江戸っ子の、いや、日本の恥というもんだ」とあるんですけど、この時代に、日本という言い方をしてたんでしょうか? 江戸とは思っても、日本という観念を持つのかなと疑問に思いました。

ショコラ:以前オランダのゴッホ美術館に行ったとき、江戸時代の浮世絵や有田焼が数多くあったので不思議に思いました。一緒に行った友達から「オランダは江戸時代に日本と貿易があった国だから、日本の文化が伝わって当然」といわれ納得しました。ゴッホと日本の美術文化の結びつきを、作家も目にしていたのかなと思いました。登場人物の言葉に標準語と江戸言葉と関西弁が入っており性格もよく出ていました。3人の画家が出てきますが、3人それぞれの画風がよく表されているので絵のイメージが広がりました。活気ある江戸の生活様子が書かれており、また美しい秋の自然の景色がよく出ていておもしろいと思いました。ゴッホは幽霊なのに食事をしたりして、生きている人のように描かれているのが、ちょっと無理かなという気持ちもありましたが。「人間は人に出会って生き方が変わっていく」という作家のメッセージは受けとめました。

ハリネズミ:ゴッホが日本美術に惹かれていたことは有名なので、作家はもちろんそれを知っていたと思います。私は、細かいところにこだわらずにさっとおもしろく読みました。よく考えると、ゴッホがだんだん言葉に不自由しなくなるところとか、厳しい関所があるはずなのにどんどん旅ができてしまうところなど、リアリティがないかもしれませんが、まあゴーストなんだからいいじゃありませんか。西洋の画風と日本の画風の違いがうまく描かれているのも、おもしろかったです。一緒にスケッチをしても、ゴッホはパターンで描いているわけでなく実物を見ないと描けない、一方広重はツバメが飛んでなくてもツバメを描きこめるんですね。それに、ゴッホや広重は小学生でも知ってると思いますよ。同じ時期に、いせひでこさんが『にいさん』(偕成社)でゴッホを取り上げてますけど、日本にもゴッホファンはたくさんいるし、波瀾万丈の人生を送った画家だということは子でもでも知っているんじゃないかな。私も子どものころ、ゴッホが耳を切り落としたのはどうしてなんだろうと、ずっと考えてたことがありました。

バリケン:最初のところで、おまんじゅうやら白玉やら、おいしそうなものがたくさん出てくるところが、まず気に入りました。ジャポニズムや、西洋の絵画と日本画のちがい、遠近法と平面的な絵のちがいなど、大人は知っているけれど、子どもたちが読めば新鮮で、おもしろいでしょうね。こういうものを読むと、絵画にも興味を抱くようになるし、歴史物語にも親しめるようになるんじゃないかしら。ゴッホは、あの世に行ってるせいか、「炎の人」みたいではない。最後はどうやって消えるのかと思ったらそのままなので、ちょっと心配になりました。でも、主人公の佐吉自身は、最後に自分の進む道を見つけることができるので、児童向けの物語として、きちんとできていると思いました。佐吉の口調が最初のうちはわずらわしくて落ち着かない感じもしましたが、好感の持てる作品だと思います。

ハリネズミ:広重と北斎のあつれきも歴史的事実を押さえているんでしょうね。このテーマは、藤沢周平も「溟い海」で取り上げていますよね。佐吉が13歳なのに又三に偉そうな口をきいているのはどうか、という意見がありましたが、バリケンさんは気になりましたか?

バリケン:あまり気にならなかったんですけど、又三は同じくらいの年でしたっけ?

ハリネズミ:ずっと年上ですが、同じくらいの歳に感じられるような口調でしたよね。

バリケン:妙にすれてる感じはしますね。

ショコラ:この作品は、中学生の感想画コンクールの課題図書にもなりましたね。

バリケン:ゴッホは絵の具の混ぜ方が素晴らしくて、それでいつまでたっても絵の色があざやかなんですってね。絵描きなら誰でも知ってることだと、画家からきいたことがあるけれど。

もぷしー:おもしろく読みました。なんといっても、広重、北斎、ゴッホが出会うっていう設定が、予想を超えていて、いいですね。そういうやり方があったんだなって。ただ、この物語は児童文学として出されてますけど、子どもはついてこられるのかな? ゴッホは知っていても、日本の画家のことはかえって知らないのかな、と。ある程度、画家たちに関心を持ってないと、読みきれないかなと思って。若い読者たちの反応を知りたいです。内容に関しては、登場人物それぞれのこだわりとかコンプレックスがそれぞれの行動に具体的に表されていて、人物像がつかみやすかったです。お師匠さんが、北斎に会う前に具合が悪くなっちゃったりとかっていうのは、架空の出来事でも人物像に体温が感じられるので、物語に説得力が出ますよね。その点は大好きでした。あと素敵だなと思ったところは、各世代の成長のようすが描かれていた点。たとえば佐吉は、初めは特にこれができるというわけでもない、人の手伝いをする立場の人だったんですけど、最後には自分の追求したい道を見つける。又三は、外国語ができたり料理ができたり既に特技があるのに、道を定められずにいた人。それが、この物語中に自分の役立て方を知るという成長を遂げる。ゴッホは本当は死んでしまっているので成長を語るのも妙ですが、既に自分の道は決めた人で、その道で、さらにワザを極めていこうと行動を起こした。広重、北斎は、既にある分野で世の中に認められた人で、後の世代を導いてやるという役割を自覚することでコンプレックスを乗り越え、一段と高みに上る。そんな、人生における成長段階を読者に暗示してくれているんじゃないかなと思いました。全体を通して、物語がとても健全な感じですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年2月の記録)


ぼくは夜に旅をする

キャサリン・マーシュ『ぼくは夜に旅をする』
『ぼくは夜に旅をする』
キャサリン・マーシュ/著 堀川志野舞/訳
早川書房
2008-1

ショコラ:とてもスリリングな場面がたくさんあり、ニューヨークのようすがすごくリアルに描かれ、おもしろくて一気に読みました。地下に死の世界があって入っていく発想がおもしろく、お母さんといつ会えるのだろうと思うわくわく感、ドキドキ感もありました。読んだ後に残ったのは、次はどうなるのかなという思いでした。お母さんは死んでいるのに、お父さんとどう出会って現実の世界にきて生活できていたのかが疑問です。そのあたりの謎を続きを書いて解きほぐしてくれるといいな。

カワセミ:去年NYに行ったときに、電車でニューヘイブンまで行き、友人にイェール大学構内を案内してもらったので、イェール大学の情景から始まる物語の最初からひきこまれました。また、グランドセントラル駅のドームのところで、ささやくとそばにいるように耳元で声が聞こえるというのを、実際に友人とやってみたこともあります。ここは有名なスポットだったのね。なんの先入観もなく読み始めたので、リアリティのある話だと思って読んでいたら、たちまちゴーストの世界にひきこまれてしまいました。導入がとても上手に書かれていると思います。NYの町が、実は上のほうにも下のほうにも死んだ人がぞろぞろいるという図を思い浮かべると、今までに読んだことのない不思議な感じがしておもしろかった。セントラルパーク、コロンバスサークル、ブルックリンブリッジなど有名な場所が出てくるので、高いビルであったり、広い広場だったり、実際に思い浮かべて読めばおもしろいと思うんだけど、日本の読者では限界があるかな。これが東京タワーとか、日比谷公園だったらもっと楽しいのにね。仕方ないけど。物語には死んだ人がたくさん出てきますが、いろんな死に方があって、みな死ということを納得できないでいる。テーマとしては重いと思いました。会話の1つ1つにすごく意味があるので、じっくり読んでその意味を解釈するっていうのは、かなり難しい読書になるでしょうね。筋としては、お母さんに会えるのかどうか、主人公が戻れるのかどうかということでひっぱられながら読めるけれど、内容的には重いものでした。あと、日本の読者のためには、NYの地図を入れたらもっとよかったのかなって思いました。距離的にはずいぶん移動しているから、そういうこともわかるし。

セシ:筋は、この子がお母さんに会えるのかというのと、女の子と地上に帰れるのかというのでひっぱられて、先を読まされるのだけれど、こういうミステリー的なものは私は結構苦手で、トークンがあったら入れるとか、噴水に行ったら帰れるとか、途中で頭がごちゃごちゃになり、わけがわからなくなってしまいました。すごくメタフィクションナルですよね。オヴィディウスの『変身物語』や詩の言葉がひっかかっていて、ミステリーだけど教養的なおもしろさもあるので、ジュブナイル賞をとっているけれど、そういうところは大人の読者も楽しめるのかなと思いました。でも不満だったのは、お母さんに会いたいというのでひっぱる割には、お母さんをどうしてそこまで思い続けるのかとか、会った後にどれほど満足したのかは、詳しく書いてないんですよね。この作家は、ミステリーの仕掛けやメタフィクションが大事で、人を描くことにはあまり興味がないのかなという気がしました。

バリケン:私はミステリーやホラーものが好きなので、大いに期待して読みはじめたのですが、主人公が入院している病院で誰かが怪しげな会話をしているところで、なんとなく筋が分かっちゃって、なあんだ!と思ってしまいました。軽い話だなあって思いました。死の扱い方がとても軽くって、この世とあの世が簡単に行ったり来たりできるようで、ゲーム的というか、死の切実さが出てないというか。なにがなんでも重々しく描けばいいというわけではないけれど、違和感がありました。映画の「ゴースト」とオルフェウスの話を足して2で割ったような作品ですね。キリスト教的な世界観が、こういう若い世代のアメリカの作家からは無くなっているのかな。その点も、ちょっとショックを受けました。プルマンなどは、キリスト教的なものを意識的に壊そうとしているけれど、この作品の場合は意識せずにそういうものから抜け出ているというか。宗教的な世界観に対比するものが、ゲーム的な世界観なのかな?

ハリネズミ:たとえば『カラフル』(森絵都著/理論社1998)とか、死んだ人が来るっていう話はよくあるじゃないですか。そういうのとはまた違うタイプの作品ですよね。

カワセミ:『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著/偕成社2007)にも、ゴーストみたいな存在が出てきましたよね。

バリケン:そういうのが多くなっているのかもしれないわよね。

ハリネズミ:私は全体がいかにも作り話という気がして、楽しめませんでした。まあ、作り話なのはファンタジーだから当たり前なんだけど、ファンタジー世界の成り立ちがしっかりしてないな、と思って。主人公のお母さんは、死者の世界から出てきちゃった人ですよね。死者の世界と生者の世界は厳然と隔てられていて、めったなことじゃそれを越えられない。だから、お母さんもやっとのことで生者の世界へ出てきたでしょうのに、「ほんのすこしのあいだだけ、黄泉の国に戻りたかっただけで、もう帰れなくなるとは思っていなかった」だなんて! ファンタジー世界の中のリアリティが希薄に思えて、入っていけませんでした。ファンタジーってことを考えると、1970年代までの人は緻密にその世界をつくりあげて、ありえない話をありうるように書きあげていったけど、今の若い作家たちはそういうことをしないで、アイデアだけで走ってる感じもします。物語の中の構成がぐらぐらしてるし、お気軽に書いてて、とってもゲーム的。まじめに読んでたんですけど、なんだかばからしい気持ちになりました。

バリケン:ビルから落ちて死ぬかなと思ったところでも、この子は死なないのね。じゃあ、既に死んでるのかなと思ったら、そうでもない……。

ハリネズミ:半分幽霊だからできるのよね。でもそれが説明されていない。

カワセミ:だから、さっきセシさんが言っていたみたいに、わからなくなっちゃうのかもね。

バリケン:探偵作家グラブ賞を受賞しているわけだけれど、探偵作家というのは作品の破綻とかそういうことに厳しいんじゃないのかしら?

ハリネズミ:私が作品世界のきまりごとをつかめないのか、作者がそういうのを持ってないのか、翻訳のニュアンスがまずいのか、わからなくなったんですけど。

バリケン:やっぱり作家が持ってないんじゃないの。

もぷしー:かなり前に読んだので、詳しくは覚えていません。ごめんなさい。物語の設定はおもしろいなって思ったんですけど、そんなに登場人物同士の心のつながりや変化が描かれていなかったような気がして、あまりのめりこめませんでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年2月の記録)


夢の彼方への旅

エヴァ・イボットソン『夢の彼方への旅』
『夢の彼方への旅』
エヴァ・イボットソン/著 三辺律子/訳
偕成社
2008-06

ショコラ:おもしろかったです。アマゾンの自然や暮らしのようすもよくわかったし、主人公のマイアがいろんなことに興味をもつこと、イギリス社会の住居のようすもよく書かれていると思いました。マイアがいっしょに暮らすアマゾンの生活にとけこめない夫人、変わったコレクションを持っているご主人、友達になれると思っていた双子など家族の性格描写がよく描き分けられていました。フィンと行く湖がとてもきれい。ミントン先生はマイアをあたたかく見守っている先生ですが、ミントン先生とフィンの関係もわかり、人と人との関係がつながっていておもしろかったです。読んでいて情景がよくわかったので、子どもも読みやすいだろうと思いました。

もぷしー:場所の移動とか違った生き方をしてきた人間の紹介が、きちんと整理されてとてもスムーズに描かれているところに、作者の達者さを感じました。マイアが引っ越した先の環境も、現地の湿度とか、周囲の人の行動とか趣味などを通じて書かれているので、無理なく立体的な世界が作り出されているのだと思います。ただ、これは好ききらいの問題になると思いますが、『小公子』になぞらえて書いているからか、登場人物がよい人、悪い人にくっきり分けられていて、あまりに通り一遍。たとえば双子ですけど、2人セットで描かれて、意地悪をするという特徴しかない。自然の情景描写とかはものすごく詳しく描かれてるのに対して、双子が意地悪に育ってしまった理由っていうのはほとんど描かれていなくて、キャラの現実味が薄くなっているなって。意地悪キャラの現実味がないと、それと闘っていくマイアの良さ、強さの現実味もなくなる感じがしてもったいない。他に気になったのは、お金持ちの子どもが親を失い、意地悪な人に囲まれて苦労したけれど、最後にはいい人に出会って、お金にも恵まれて幸せになりました、というシンデレラストーリーが、現代の子どもに対して説得力があるのかなという点。あまりに現実とかけ離れているので、子どもがこれを読んでどういう刺激を受けるのか、知りたいです。

カワセミ:確かに、『小公子』、『小公女』を思わせるような、一昔前の児童文学らしい作品だなと思いました。わかりやすい構図をたくさん用意しているので、とても読みやすい。よい人物と、いけすかない人物もはっきりしている。インディオの人たちの自然にとけこむ暮らしと、カーター家の人々に代表される、自然をシャットアウトする暮らし方の対比。フィンのおじいさんのように血筋にこだわる人たちと、身寄りはなくなっても出会った人とのきずなを大切にする人たちの対比。そして、3人の子どもが出てくるけど、3人とも親がいない孤児。これも子どもの読者をひきつける要因ですね。3人とも今の境遇に満足していなくて、自分の居場所を求めている。3人とも魅力的なキャラで、子どもが共感できる部分を持っている。そんな3人の境遇をいろいろ織りまぜながら語っていくので、飽きずに読んでいける。しかも読みながら、この3人の結末は必ずハッピーエンドになるという確信があって、安心して読める。そういうところも、一昔前の児童文学に似ているのでしょう。舞台になったがアマゾンの自然もとても魅力的。それから、随所に見られるユーモア。双子の描写や、カーター家の家族は戯画化され、おもしろく描かれている。ピンクのブタみたい、という戯画化した描き方なので、最後の顛末があわれでも、あまりかわいそうと思わず笑って読めてしまう。2人のカラスも、本人たちのきまじめさと、はたからみた様子のギャップがおもしろいし、ミントン先生がコルセットをはずす場面も、おかしい。『小公子』の時代の児童文学と比べて、インディオの人たちの描き方は、どう変わっているんでしょう? 登場人物たちはこの時代のイギリス人だから、差別的な見方をする人も出てくるわけで、それはいいんだけど、作者の姿勢としてはこれでいいのかな? 自然と暮らす人々へのあこがれとか尊敬の念というのが出てはいるんだけど。

ハリネズミ:舞台は何年でしたっけ?

バリケン:1910年って書いてありましたよ。

カワセミ:インディオのそれぞれの部族の人たちの描き方って、難しいですよね。全体的には共感を持って書いているんだろうけど、ちょっと微妙だなって。

セシ:よかったのは、マイアが生き生きしたキャラクターで読者をひっぱるところ。でも全体としてみると、それほどいい本とは思いませんでした。ものごとの考え方の構図がありきたりというか、二項対立なんですよね。文明と未開、善と悪。未開な部分は善であるし、アマゾンの人々は素朴であるけれども、自分たちより未開で劣っているというような意識を感じました。外の人間がラテンアメリカのことを書くのと、ラテンアメリカの人が自分たちのことを書くのとは、やっぱり違う。現地の人が書いたものなら、あちらのようすを描くのに、部族の風習や食べ物、まじない師や、自然と結びついたアニミズム的な考え方などが、たいてい自然に盛り込まれているので。これは、イギリスの植民者の視点ですよね。

カワセミ:作者はそういう気持ちはないのかもしれないけど、舞台が古いのである程度そういう描き方をしなければならなかったのでは?

セシ:作者が実際に現地のことを知らないんじゃないかしら? 知識だけで書いている感じがします。

バリケン:物語としてはおもしろいし、ユーモアのある語り口もいいと思いました。これだけの厚さのものを物語のおもしろさにひかれて一気に読めば、子どもも満腹感があるだろうし、その辺は評価したいと思います。でも、それ以上感動するとか、魅かれるという作品じゃありませんね。あくまでもエンターテインメントで、深みがないというか。アマゾンの描き方も、行ったことのない人や、観光旅行でちょっと滞在した人が憧れる楽園のよう。セシさんと同じように、作者はブラジルには行ってないと思うわね。『小公女』のブラジル版というか。イーヴリン・ウォーの『黒いいたずら』(白水社)も作者は読んでいるだろうし、そういうものを重ねあわせたような作品。それから、双子一家の描き方って、ハリポタのおじさん一家の描き方と同じよね。意地悪な子を「太ってる」とか「ブタみたい」と書いてあるのを読んで、太った子がとても悲しがったとアメリカに行ったときに学校の先生が言っていたけれど、そういう書き方はどうなんでしょうね?

ハリネズミ:この作品は、ステレオタイプのストーリーをうまく組み合わせて、お定まりのキャラクターをうまくちりばめたエンタメですよね。フィンていうのは、あこがれの少年、クロヴィスは『王子と乞食』、マイアは『小公子』、『小公女』。それはいいんだけど、現代の作家が書くんだからもっと新しい視点がほしいのに、それはないんですね。リアリティも希薄。
フィンはキニーネを飲まなきゃって書いてありますけど、ずっと飲みつづけてたら体をこわします。訳語についても、おかしいと思うところがいろいろありました。たとえば、日本ではアリゲーターもクロコダイルもワニですが、この本にはアリゲーターは普通のワニとは違うって書いてある。普通のワニっていうのがクロコダイルなんですね。これでいいのかな? もっと引っかかったのは、酋長という訳語です。酋長っていうのは、歴史的にみると、侮蔑的に使われてきた言葉です。この訳者がわざと使っているのか、それとも知らないで使っているのか。

バリケン:chiefは、たいていは族長とかリーダーとか訳すわよね。

ハリネズミ:「酋長」って訳語を使っていいとか悪いとか言う前に、私はこの訳語を使うことで、物語全体の構図がへんなふうになっちゃう、と思ったの。著者はインディオ(インディヘーナ)の人たちをある種のあこがれをもって、プラスイメージで描いているわけですよね。殺虫剤を所かまわずまいている人たちと対比してるわけですから。でも、酋長という言葉を使うことによって、そのプラスイメージが割り引きされちゃうんですね。未開で遅れた人たちというイメージが前面に出てきちゃいますから。その結果、本当にすばらしいのは、西欧的な価値観にのっとったうえで、自然の中でインディオのまねごとをして暮らすフィンみたいな人たちだっていう図式になっちゃう。著者が言いたかったのは、本当にそういうことなのかな?

バリケン:たとえばイングランドだって、なんとか族とかいうけど、そういうのは族長って言いますよね。すべての古い社会の長に「酋長」って言葉を使ってるわけじゃない。

ハリネズミ:翻訳者って、歴史やら文化人類学やら民族学やらいろいろと知らないといけなくて大変だとは思うんですけど。でも、もし舞台が古いから古い言葉を使おうっていうんで「酋長」を持ってきたとすれば、安易すぎる。言葉って生きてるから、元の意味だけじゃなくて、使われている間に付与されてきたものもたくさん含んでいるでしょ。その全体をとらえたうえで使ってほしいな。

カワセミ:最後に4人はアマゾンに戻っていくんだけど、結局めずらしい動物がとれるとか、そういう興味で行くっていうんじゃ、作者自身の限界も感じるわよね。

バリケン:観光客的ね。

カワセミ:博物館にいって、めずらしいものを見てみたいって思うところにとどまってる。

バリケン:作者はいろんなことを調べたって書いているけど、植物なんかは調べても、歴史的なことは調べてないんじゃないかしら。

ハリネズミ:エンタメ系でも、エイキンとか、もっと考えている人は考えているけど、この作者には、おもしろければそれだけでいい、っていう危うさがあるのかも。

バリケン:訳語についてもう一言。原文読んでないけどわからないけど、28ページ「ベスト」ってシャツのことじゃない? アメリカだとvestはベストだけど、イギリスでは下着のシャツなのよね。

もぷしー:お定まりのキャラクターだと思って読めない部分もありますよね。めずらしい昆虫をつかまえたとき、本国に送ったらすごく高く売れるとか、妙になまなましい。今後も、めずらしい昆虫なんかをつかまえて暮らすのかなって。

バリケン:それで絶滅しちゃったりしてね。

ハリネズミ:そういうところは、危ういよね。うまい作家で読ませてしまうから、よけい危うい。

カワセミ:そういところに、無意識の甘さが出ちゃうのよね。ポロっと書いちゃうのよ。

バリケン:ジャクリーン・ウィルソンの作品みたいに、環境は変わらないけれど、主人公は変わっていって、生きる力を得ることができるというのとちがって、いろんな意味でひと昔前の物語って感じがするわね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年2月の記録)


2009年02月 テーマ:旅の末につかんだものは

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『2009年02月 テーマ:旅の末につかんだものは』
日付 2009年2月27日
参加者 カワセミ、セシ、ショコラ、バリケン、ハリネズミ、もぷしー
テーマ 旅の末につかんだものは

読んだ本:

甲田天『時の扉をくぐり』
『時の扉をくぐり』
甲田天/著 太田大八/絵
BL出版
2008.02

版元語録:佐吉は、歌川広重先生のところで見習い絵師をしている。ある晩、庭にあらわれた赤毛の男にびっくり仰天した。なんと、その男はゴッホの幽霊だったのだ!
キャサリン・マーシュ『ぼくは夜に旅をする』
『ぼくは夜に旅をする』
原題:THE NIGHT TOURIST by Katherine Marsh, 2007
キャサリン・マーシュ/著 堀川志野舞/訳
早川書房
2008-1

版元語録:人づきあいが苦手な14歳のジャックは、交通事故にあってから、不思議な体験をするようになった。人が消えうせるのを見たり、奇妙な会話を聞いたりするようになったのだ。診察を受けるためニューヨークを訪れたジャックは、グランドセントラル駅で謎の少女ユーリに出会う。そしてユーリといっしょに向かった駅の地下9階、そこは死者の世界への入り口だった!
エヴァ・イボットソン『夢の彼方への旅』
『夢の彼方への旅』
原題:JOURNEY TO THE RIVER SEA by Eva Ibbotson, 2001
エヴァ・イボットソン/著 三辺律子/訳
偕成社
2008-06

版元語録:20世紀初頭のロンドンからアマゾンの奥地へ。ヨーロッパの文明と大自然が混在する世界で、少女マイアを待ち受ける恋と冒険の物語。

(さらに…)

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イヌのヒロシ

三木卓『イヌのヒロシ』
『イヌのヒロシ』
三木卓/著 渡辺良重/絵
理論社
1995-12

メリーさん:読んだのは、今回が初めてです。物語の中では、「ゆうがた」「オニヤンマ」がおもしろかったです。ほかの2冊とともに読んでみて、動物と擬人化について考えました。動物は本当にこんなこと考えてるんだろうか、と。この本でいうと、動物がこういうことを考えているというよりは、人間(画家の先生)の気持ちが、一番身近な生き物(ヒロシ)に投影されているのではないかという気がしました。

ウグイス:感想が言いにくい本ですね。犬の気持ちになって書くという視点はとてもおもしろいんですけど、何かこうお行儀のいい感じがしました。著者がこういうふうに作りたいと思ったとおりにできあがった作品なんでしょうね。子どもにはきちんとしすぎてるっていうのか、こういう書き方はおもしろいのかな、と疑問な部分もありました。とても文章がよくできているので気持ちよく読めるんですけど、時々ふと眠くなってしまうようなところがあって。子どもは途中で飽きるんじゃないかという気がしました。おもしろかったのは、「サイダーは、ひえたこえでいいました」(p24)というところ。そういったユーモアがところどころにあって、いいなと思いました。

げた:印象としては、お父さんが子守唄代わりに子どもに思いついた空想話を話してあげているみたいな感じですね。文字で読むよりも、お父さんがお話しているという雰囲気で、読み聞かせしたらいいんじゃないかな。

クモッチ:なつかしい感じがする本だな〜、と思って読みました。1つ1つのお話が短くて、ソーダとか、パンとかが、普通に登場人物になっているところが絵本の世界と近い気がするので、絵本を卒業しつつある読者には貴重ですね。最近、ストーリーが複雑になりがちな中で、これは短くて読みやすいし、身近にある話なので、想像しやすくていいなと思います。ウチの小学校3年生は、大笑いしながら読んでましたし、サイダーにはとても同情してました。大人なら、犬がビーフジャーキーをどうやって送るのって思うかも知れませんが、子どもの読者はその辺すっとばして、受けるんじゃないかな。最後、犬のヒロシは死んじゃうんでしょうけど、こういうのを子どもはどう読むのかな。わかるんだろうか? わからないかもしれないですね。それから、ウチの子どもは、表紙の絵が怖いって言ってました。こういうぽっかりとした黒い目は、漫画だと、取りつかれてたり死んでしまったりしてることを意味するらしいんです。

セシ:全体に大きな筋のないオムニバスのような話は、読み進みにくい本が多いんですけど、これは1つ1つに意外性があって、おもしろく読めました。ところどころに詩が入っていますけど、全体が詩みたいな作品ですね。動物同士のとぼけたほのぼの感、そこはかとないユーモアが、『ともだちは海のにおい』(工藤直子/著 理論社)を思わせました。日常の何気ないものを詩的に切り取ってみせるっていうのは文学ですよね。文学的表現の入り口となる本だと思いました。

うさこ:出版されたときにタイトルが気になって、ずっと読んでみたいなって思っていたのに、読んでなかったんです。本屋さんに並んだ当時も、表紙の印象がクラシックで、今見るとなおさらクラシックなイメージなので、ずっと前に出たのかなと思ったら1995年でした。内容は、ほのぼのとした世界ではあるけど、とびぬけた奇想天外とかユーモアがぴりっときいているということもなく、そこがいい、とするのか、ちょっと物足りない、とするのか、判断つきかねました。短いお話の連作で、低学年の子どもにとっては読みやすいでしょうね。

ハリネズミ:私はとても好きな本です。子どもが読んでもおもしろいと思います。アリの会話に「…しくコケは特上にしたか」「はい。コシヒカリじるしです」なんていうところがあるし、サイダーは「キミを男とみこんで、ぜひたのみたいことがある」なんて言うし、ヒロシが落とした枝が「ああいてえ。こんどは腰を打ったじゃないか」と言うと、枝の腰ってどこなんだろうとヒロシが悩む。そんなプッと笑えるところがたくさん用意されている。犬は寿命が短いから飼い犬の死を体験する子どもは多いですよね。子どもがこの本の最後を読んでヒロシが死ぬと思うかどうかは別として、こういう本を読んでいれば、そういう時でも、ただ悲しいだけではない気持ちももてると思います。
犬は大体おひとよしですが、そんなヒロシの日々の様子が目にうかぶように書かれてます。書き方が、ただ情景を描くだけでなく、そのもう一つ向こうへ行ってしまっている感じもします。やさしさ、生きること、年を重ねること、ほかの生き物たちとの関わり合い、などをすべて混ぜ合わせて物語ができているんでしょう。今は、プロットだけで引きつけようという作品が多いけど、味わって読むタイプのこういう本を、文学の入り口にしてもらいたいな。

エクレア:この本は出版されたときに読みましたが、あらためて読むと、文章に擬人法が多いためか、間延びするようなところもあるんですね。でもそこに、絵が出てきたり、白抜き文字になっていたりして、目先が変わるように工夫されてる。詩も入っていて、ゆっくり時間がすぎていくようです。言葉がレトロっぽくて、今の子どもが使っている言葉じゃないから、逆に新鮮に思いました。

ヨカ:私はかなり好きでした。このあいだのネコの話(『おおやさんはねこ』福音館書店)と同じような、ゆったりとした、それでいた細やかな感じがして、三木卓さんの本をもっと読んでみたくなりました。あのネコの話は一つのストーリーになっていたために、逆に、筋を作らなくてはという無理が感じられたけれど、これはそういう縛りがなく、1つ1つが自由に広がっていて、さらにいい感じ。三木さんの目線って、すごく細かくて、人が意識化していないところを見ていて、しかもそれをユーモラスな感じですくっているのがいいなあ。主人公の犬のヒロシが、かなり間が抜けているんだけど、そういう自分でいいや、と思ってる。しかも、そういうとぼけた犬を、作者は決して下に見ていない。そこがいいんですね。しかも、飼い主である画家さんとすれ違っているあたりも、しっかり書いてある。だから、ひょっとしたらごく普通の日常にも、自分が気がついていないことがいろいろあるのかも、と思わせてくれる気がします。
とにかく、1つ1つの物語が、なんとも不思議な感じ。サイダーがおしょうゆを垂らしてビールになりたいとか、なんかおかしくて。そういうおかしさから、中盤で、毛虫に恋する葉っぱの話や、バッタとの飛び比べなんかが出てきて、「時」というものを感じさせる作品に移行して、最後は、たぶん「死」で終わっている。でもそれも、決して暗くなく、ふわっと書いてあって、わかってもわからなくてもいいよ、感じられるものを感じて、というスタンスなのが、この本の魅力だと思います。それと、言葉の使い方がうまくて、特に、カタカナが上手に使ってあるなあ。アタマとかマエアシとか、ふつうは漢字にするところをカタカナにしていることで、乾いた感じというのか、ちょっとゆるい感じになっていて、好きですね。

サンシャイン:ほんわかというのか、のんびりというのか、三木さんご自身を髣髴とさせるところがあります。4年生、5年生向きでしょうか。中学年くらいで最後まで読み通させたいなと思う本です。絵もうまいですね。

ヨカ:たとえば『ゆうやけ』なんかは、はじめはちょっとシンとした感じで大人っぽい。ところが、このまましんみりといくのかな、と思ってたら、最後のところで、ヒロシのハラとセナカが入れ替わろうといってヒロシをからかう、というふうに突拍子もなくおかしな話になる。つまり、シンとした情景にずぶずぶと入り込むのでなく、すいっとかわしていく。この切り替えの早さって、子どものものではないでしょうか。その意味で、子どもを意識して書いている作品なんだなあって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)


あの犬が好き

シャロン・クリーチ『あの犬が好き』
『あの犬が好き』
シャロン・クリーチ/著 金原瑞人/訳
偕成社
2008-1

げた:この作品は、1人の少年が詩に出会って、詩人の言葉を借りつつ、だんだんと自分の言葉を獲得して成長していく話ですよね。図書館でも、なかなか子どもって詩の本を手に取ってくれないんですが、こういった形で、読み物として1冊の本にまとまっているものを子どもたちに伝えるのもいいのかなと思いました。文字を使って絵を描く、というのは日本語だとあんまりしっくりこないかな。どうなんでしょうね。

ウグイス:見た目も、内容も、すごくしゃれた本だと思いました。詩で書かれていることが大きな意味をもっているんだけど、詩を訳すというのはとても難しい。詩というより、主人公の独白のように訳されていますよね。詩という感じがしなかったけど、気持ちはとてもよく伝わった。アメリカでは詩を暗唱させるという授業があるので、ここに出てくる詩はたぶん皆が知っているんでしょう。それに則って自分の詩を書くというところが、1つのおもしろさになっているんだけど、そのあたりが日本の読者にはよく伝わらないのが残念。有名な詩であっても、日本だといろいろな訳があるので、皆が共通に持っている日本語訳がない場合が多いからね。文章は短くてすぐ読める本だけれど、内容は実はすごく難しいのでは?

メリーさん:とてもおもしろかったです。物語の展開に、現実の詩人が書いた詩がかかわっているのはおもしろいなと思いました。主人公は、詩なんて書けないと言っているけれど、つぶやきそのものが詩になっている。子どもが発する言葉は何でも詩になりうるのだな、と改めて思いました。主人公の気持ちがよくわかるのは、作家にあてたお便りのところ。読者からの手紙を彷彿させました。それから、自分の詩をワープロで打つくだり。手書きの文字が活字になると、とたんにそれらしく見える、という感覚はよくわかります。子どもが自分で読むのには、ちょっと難しいかなと思いますが、好きな1冊です。

サンシャイン:最初読んだとき、原文で読みたいなと思いました。日本語だとなかなか詩的に訳せないと思ったので。この子の成長物語として読めるところがとてもよかった。「あの男の子が好きだ」という詩の一部を変えて自分の詩を書くというくだりがありますが、日本語の詩の教育でもこういうことはやってるんでしょうか。短歌の本歌取りというのもありますが、もちろん子どもには無理だし、自由詩の場合もどうでしょうか、難しいのではと思います。ところで、オバマさんの就任式がありましたが、言葉の重み、演説の重みが日本とずいぶん違いますね。詩的に感じるところもありました。言葉に強い力もあったし。(原書を見て)詩集ではなく、novelとなってますね。お話として読む作品なんですね。

ヨカ:とてもいい話でした。最初は、あちらの言語で書かれた詩を日本語に訳すのって、どうなのかな、とちょっと身構えて読み始めたんです。でも、一番強く感じたのは、この子の成長物語なんだということでした。その意味で、とにかくうまい。最初はすっかり心を閉ざしていた子どもが、たぶん教員がいい詩を提示しながら上手につんつんと刺激を与えたことによって、卵からかえる雛のように、自分でも殻を破って心を開いていく。その様子が実に自然に感じられて、すばらしいなあと思いました。だれでも身に覚えのある迷いやこだわりといったことが、過不足なく書いてあって、ああ、こういう子っているよなあ、私もそう感じたことがあるよなあ、と実感できる。これは、子どもと教師と詩という教材の幸福な出会い、なんだろうけれど。日本でも、詩の授業はいろいろと実践されていますが、そういう取り組みをしてきた教師があらまほしく思っているのは、こういう出会いなんでしょうね。『フリーダム・ライターズ』(エリンとフリーダムライターズ/著 講談社)も、文学と子どもの関わりを書いた本だったけど、この作品も、そういう意味ですてき。しかもそのうえ、終盤にさしかかると、なんとウォルター・ディーン・マイヤーがこの子の学校に来てしまう! もうびっくりでした。ただし、詩とのかかわりという点でいうと、日本の子どもがこれを読むのは、かなりのハンディがあるのではないかな? だって、おそらくここに登場している詩は、向こうの子どもたちが学校で教わっていて暗唱できるくらい、あるいはどこかで読んだことがあるという程度に、親しんでいる作品のはずで、だから向こうの子がこの作品を読むときは、その知識に乗っかって、イメージをふくらませられる。でも、日本の子どもは、というよりも、日本の大人だって、全部の詩を知っているわけではないので、イメージがふくらみにくい。それに、1つの言語で書かれた詩を他の言語にすると、まったく違うものになってしまうので、その点でも、難しいところがあるなあ。その意味で、ぜひ原書を読んでみたいと思いました。

エクレア:この作品は、シャロン・クリーチのほかの作品と違うテイストで驚きました。「あの男の子が好き」という詩がとてもおもしろく、それを真似している男の子もおもしろい。リンゴと犬の形が文字でできている詩を拡大コピーして、クラスの5年生の子どもたちに見せたところ、とてもおもしろいと大喜びをしていました。タイガーの詩は虎の字が出ていて、たまたまこの本を薦めた虎太朗君はとてもうれしがっていました。「なんでも詩にしていいんだよ」というメッセージは、文章を書くことが苦手な子どもたちをホッとさせるでしょう。しかし児童詩とこの詩は違うので、ちょっとその辺は気になります。外国の詩を渡す機会がないので、これを機会に渡してみたいと思います。

ハリネズミ:この本は、詩の本ではなくて、子どもの成長の本だと思いました。『ぼくの羊をさがして』の続編のような。最初にこの子ジャックが書いたのは「問題なの/は/青い車。/どこだらけで/道をびゅんと走ってきた。」という詩です。そして、「なぜ青い車が問題なのか」ときかれても、言おうとしない。心がぴたっと閉じているんです。ここで、ストレッチベリ先生が「それがないと意味がわからないでしょ」なんて言ってたとしたら、この子の心は開いていかなかった。でも、この先生が無理強いしないで励ましていくうちに、ジャックはしだいに心を開いていき、やがて青い車とスカイという犬が出てくる長い詩を書くんですね。それを読むと、この子にとっては青い車が大問題だったということがよくわかる。自分の大好きな犬をその青い車がはねたんですから。その悲しさがこの子の心に中で大きな固まりになっていて、この子は心を閉ざしていたってことがわかるんです。ジャックが、詩を書くことによって気持ちをだんだんに解放していく課程は、とてもよく書かれています。私は最初に原書で読んだんですけど、やっぱり詩って翻訳が難しいだろうな、と思ってました。でも、別に韻を踏んでいるわけではないから、素直に子どもの気持ちによりそって訳せばよかったんだな、と、この日本語版を見て思いました。ウォルター・ディーン・マイヤーズはアフリカ系アメリカ人で、とてもやさしそうな、いい人そうな、作家です。

ウグイス:103ページで、「開かなかった」を「開か」「なかった」で改行してあるのはなぜ? 原書ではどうなっているのかな?

ハリネズミ:原書は、1単語ずつ改行してますね。he/never/opened/them/again/ever. 英語だと、胸がいっぱいになって、言葉がぽつぽつとしか出てこなくなっているというニュアンスを感じます。
(みんなで、原書をしみじみ読む)

うさこ:「詩」の本ということで読み始めましたが、最初はなかなか入っていきにくかったです。でも、読み終わったときにとても感動しました。詩という形をとっているけど、日記風な感じでもありますね。私も犬が大好きだから、自分の家の犬がいなくなったら、死んじゃったら、私どうなるんだろういう気持ちをいつも持っています。だから、この男の子の喪失感にとても共感できました。ものすごく悲しいときは、悲しい気持ちを何かの言葉に置き換えて胸の奥から出したいのに、なかなか言葉にできない。この作品は、そういう過程を上手に表現してあるし、言葉にすることによって、男の子の心が開放されていく様子がとてもよく描かれていたと思います。

セシ:詩の本だと思って読んでいくと、韻とか倒置法もなくて、つなげたらそのまま文章になるような言葉で書かれているので「あれっ」と思いました。なら、どうして詩の本なのって。子どもにとっては、文字が少なくて、読む進めやすい面もあるんでしょうけど、やっぱり翻訳は難しいですね。全体のストーリーはいいけれど、先生が読んでくれた詩の魅力が今ひとつ伝わってきません。最後に授業で使った詩をまとめて載せているけど、日本版では体裁を工夫して途中に詩を入れていくようにしたらよかったのでは? ネタばれでだめかな? 私たちが詩を聞いたとき、これは宮沢賢治だとか白秋だとかわかることがあるみたいに、ここにある詩は、英語圏の読者なら思いあたるものなのかしら。日本の読者にはそういう勘がまったく働かないので、ギャップがあって残念だと思いました。

クモッチ:年をとったせいか涙もろくなって(笑)、この本は泣きながら読みました。何に感動したのかというと、やはり1人の男の子が、だんだんに言葉を獲得していく流れが、とてもよく描かれていたからです。この男の子が、飼っている犬を事故で亡くして、それについての状況を詩に表現していくのですが、詩を書いた時点でその死を乗り越えていることがとてもよくわかりました。この詩をみんなの前に掲示したら、みんなが悲しい気持ちにならないだろうかと他の子のことまで心配している。言葉で何かを表現するということは、その事柄を乗り越えるということなのかも知れないなと思いました。さらに、この男の子は、乗り越えるだけでなく、この物語の最後に、「すきだった」という詩を書いてますよね。詩人の詩の言葉を借りてではあるけれど、死んでしまった自分の犬に対する気持ちをしみじみと書いているところに、さらなる感動を覚えました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)


ぼくの羊をさがして

ヴァレリー・ハブズ『ぼくの羊をさがして』
『ぼくの羊をさがして』
ヴァレリー・ハブズ/著 片岡しのぶ/訳
あすなろ書房
2008-04

ハリネズミ:この作品もやっぱり犬を通して人間を描いてるんですね。さっきメリーさんが、今日の3冊はほんとに犬がこんなことを思ってるのか、いぶかりながら読んだって言ってましたけど、たとえば81ページを見てください。ホラリンとスナッチが、犬をおいてきぼりにしたあと、この犬が人間の心理をくみ取って自分をなだめるところがあるでしょう。こんなこと、犬が思うわけないですよ。かなり擬人化されているんです。嫌な悪人はサーカスの団長くらいで、あとの登場人物はみんないい人たちですね。そしてみんな名前があるんですけど、ヤギを飼ってたおじいさんだけは名前がない。このおじいさんが1人で暮らしていて、他人から名前を呼ばれることがないからですね。構成としては、現在の状態が最初に出てきてから、過去にさかのぼります。苦しいことがたくさんあっても、今は幸せだっていうのがわかってるから、子どもが読んでいて安心できるかもしれません。子どもたちに、生きるということはどういうことかを伝えようとする箇所がたくさんあります。ヤギ飼いのおじいさんは哲学的で、へたをすると説教くさくなってしまいそうですが、犬に語りかける形なので、嫌みがなくていですね。日本語の書名から、この犬は最後にまた牧羊犬になるのだろうと思ってたら、ルークが自分を必要としているのを感じるという方が大きかった。ルークと犬の関係は短い言葉でうまく書かれてますね。この犬が、ルークと一緒にいようと決心するところも自然で、うまいなって思いました。

エクレア:おもしろく読みました。一難去ってまた一難。最後は生まれた所に戻らず少年と一緒になるストーリーは、予想とは違いました。サーカスでは、動物はいろんな技をしこまれ、リアルですが残酷でかわいそう。動物の苦労がよくわかりました。目次のタイトルがすごくおもしろかったです。いろいろな場面が設定された作品を、ペットでなく牧羊犬として生きたい思いの犬といっしょに冒険しながら読みました。ルークと一緒に犬もひきとられる終わり方にホッとしました。

ハリネズミ:翻訳がとてもじょうずですよね。ひょっとすると、原書で読むより味わい深いかもしれませんね。

ヨカ:訳がいい、というお話しのすぐ後で、ちょっと言いにくいんですが、私はこれはダメでした。片岡しのぶさんは、前にこの会で取り上げた『モギ』(リンダ・スー・パーク著 あすなろ書房)でも、訳がうまいなあと感心したのですが、この本に限っていえば、冒頭からつまずきました。「よ」とか「ね」とかいう語尾が多用されているのが、まとわりつくような感じでアウト。なんとなく、甘い感じが漂っていて、苦手だ!というのが先に来てしまいました。アメリカのロードムービーの犬版、という感じで、いろいろな人が出てくる、という展開のおもしろさはわかったし、最後にルークを何とか里親と結びつけようとして、主人公が宙返りをするあたりは、サーカスでの経験が生きていて、うまくできているなあ、と感心したんですが……。最初でつまずいてしまったせいか、入り込めませんでした。それに、おじいさんの話も、ちょっと説教くさいなあと思ったし。残念!

サンシャイン:安心して読みました。牧羊犬として働きたいと思いながら、あっちこっちを放浪する。でも最後には小規模だけど羊の管理もできるような所にたどり着く。いろいろな人間が出てきて、みなし子で孤独な男の子(犬が主人公ですが)の気持ちもよく感じられる。同じみなし子の少年が里親に気に入られるように手助けするところなど感動的でした。犬同士の、(人間的な)出会いとまた人間模様を描いたお話。いい本だと思いました。中1くらいに読ませたいですね。

メリーさん:この物語は、犬の視点で、できごとが語られますが、やはり描かれているのは、人間の気持ちだと思いました。たとえば、主人公の犬が自らの気持ちを誇りを持って語る場面とか、サーカスで、他の犬が主人公に対してエールを送る場面など。犬は本当にそう思っているのか?(たぶん思っていない)と感じました。ただ、最終章での、犬と少年ルークの描写だけはリアリティがある。どちらも長い旅を経て、理解しあえる相手を見つける力が備わった。そこでは、人間と犬を越えた信頼関係が成り立っています。その描写はとても素敵だと思いました。どこまで擬人化するのか?というのはとても難しい問題ですね。物語の前半ではもう少し擬人化をせずに、それぞれの個性のぶつかり合いが描かれるとよかったかな。

ウグイス:いろいろな人間が出てきますが、それを犬の視点から観察していておもしろかった。犬がこんなことを考えるのか、という疑問はあるかもしれないけど、犬が語り手になっていることを最初から納得して読んでいけば、わりあいすんなりと読めると思います。最後にボブさんと会えるのかなと思ったという人がいましたが、私は最初から会えないだろうな、と思ってました。でもきっとハッピーエンドになると思ったので、ボブさんに代わる人がきっと見つかるに違いないし、どういう幸せの形が用意されているのかな、という興味があったんです。そして、最初にルークが犬を見つけるところに「あれ、わんちゃんだ」(p130)というセリフがあります。この言葉にルークの子どもらしさがとても出ていて、「あっ、この子だな!」と私は思いました。前に男の子というものには犬が必要だ、ってことが書いてあって、男の子と犬には大人にはわからない気持ちのつながりがあり、特別な存在なんだということがてもよく書かれていた。
 とてもわかりやすくて、おもしろい本だったけど、書名のイメージとは違いました。羊というのは象徴的なもので、もっと寓話的な内容なのかなと思ってたんです。表紙の感じも、内容より大人っぽい。犬と子どもの話だということがわかれば、もう少し子どもが手に取りやすいのではないかな。帯には子どもと犬のイラストがついているんですね。でも図書館の本に帯はないし、よく見ると背に子どもと犬のイラストがあるけど、小さすぎてよくわからないですね。

げた:話の筋がはっきりしていて、盛り上がりもあり、最後にきちんとあるべきところにもどってこられて、ハッピーエンドで終わりというのがわかりやすかったかな。行きて帰りし物語ですね。この犬、牧羊犬としての生き方を貫き通すというのが、偉いなと思いつつ、もう少し融通をきかせた生き方もありなんじゃないか、なんて思いながら読みました。

チェコ:表紙のイメージからは、確かにこんな話だと思いませんでした。犬が主人公の本としては、成功していると感じました。盗みはしないとか、ゴミあさりはしないなど、わざとらしいという意見もありましたが、私はかえって、犬として誇り高いところなんだと思いました。私も、ボブさんとはもう会えないと思いながら読み進みましたが、ラストがどうなるか予想がつきませんでした。主人公が犬であるが故に、人間が主人公だったらありえないような過酷なシチュエーションが出てきて、そこもおもしろかったです。サーカスに入ったときは、相手が犬だから人間の残忍さが余計ストレートに描けていて、効果的だったと思います。おじいさんとの旅も、破天荒でおもしろかったです。

クモッチ:さっきからメリーさんが、主人公が犬であるっていうことにこだわった発言をされてますが、確かに言われてみると、そんな気高いこと犬が思うわけないよなというところがありますよね。でも同時に、犬が言うことだから説教くさくなく読めることもあって、犬を主人公にするって結構便利だなあと思いました。放浪させたりするのだって、人間だとリアルすぎるけど、犬だとコミカルに読むことができますね。それから、この物語には、生きていく中で何度か思い返したいようなフレーズがたくさん出てきます。例えば181ページ、ヤギを飼ってるおじいさんが言う、人間にとって幸せとは何なのか、というようなところ。年齢が上のYA世代が読んだら、響くものがあるのではないかな、と思ったりしました。

セシ:おもしろかったです。犬のキャラが立っていますよね。働く犬だという誇りがあって、すごく気骨がある。人の世話になるのも、人に使われるのもだめとか。170ページの5行目「ああいうフニャフニャ声は、ぼくは大きらいだ。ルークはああっさりあきらめてしまうけど、そこがよくない」というところ、きっぱり感がよく出ています。「羊のいるところにいかなきゃならない」というのがずっと通っているので、それにひっぱられて読み進められます。前にこの会で読んだ、ネズミが冒険していく『川の光』(松浦寿輝/著 中央公論新社)では教訓が鼻についたけれど、これは哲学的なことも盛り込んでいるけれどお説教くさくないですよね。あらためて、あちらは大人の視点の大人のための作品、こちらは子どものために書かれた本だというのがわかりました。この犬がどこまでもポジティブに進んでいるところ、今の子に読ませたいですね。

うさこ:楽しく読めました。犬がとても健気で、犬に気持ちを寄せやすかったです。ロードムービーのような、犬と一緒に旅をしている感じもしました。犬が出会った人間によって、それぞれの章で味わいが違っていて、よかったと思います。書名の『ぼくの羊をさがして』の「羊」に置き換わることばが、章によって、「ボブさん」だったり、「居場所」だったり、「ぼくの価値」だったり、「誇り」だったり、「未来」だったりと、作りもうまいなと思ました。おじいさんの話は、嫌みがなく、いろいろなことを伝えているなと思いました。最初に結末が書かれているので、犬が途中辛い目にあっても、結末はハッピーになるから、どういう形でハッピーエンドになるのかなと、安心して読めました。

ウグイス:私はYAよりももっと下の子に読んでほしいと思うの。わかりやすいし、4年生から6年生くらいに読んでほしい内容だと思います。確かにおじいさんの言葉など、難しい部分も出てくるけど、おじいさんはそういう言葉を言うのが得意な人、ということで出てくるので、理解できるでしょう。装丁も書名もYA向きとして出されているらしく、小学生には難しそうに見えるのが残念。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)


2009年01月 テーマ:犬と人間の物語

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『2009年01月 テーマ:犬と人間の物語』
日付 2009年1月22日
参加者 メリーさん、ウグイス、げた、クモッチ、セシ、うさこ、ハリネズミ、エクレア、サンシャイン、チェコ、ヨカ
テーマ 犬と人間の物語

読んだ本:

三木卓『イヌのヒロシ』
『イヌのヒロシ』
三木卓/著 渡辺良重/絵
理論社
1995-12

版元語録:おひとよしの犬のヒロシのほのぼのとしたお話です。アリとラグビーをしたり、空と海のおしゃべりをきいたりする犬の生活です。
シャロン・クリーチ『あの犬が好き』
『あの犬が好き』
原題:LOVE THAT DOG by Sharon Creech, 2001
シャロン・クリーチ/著 金原瑞人/訳
偕成社
2008-1

版元語録:「詩なんて書けない」と思っていたジャックが、すぐれた詩に出会い、書くことで、抱えていた悲しみから解きはなたれていきます。
ヴァレリー・ハブズ『ぼくの羊をさがして』
『ぼくの羊をさがして』
原題:SHEEP by Valerie Hobbs, 2006
ヴァレリー・ハブズ/著 片岡しのぶ/訳
あすなろ書房
2008-04

版元語録:りっぱな牧羊犬になるために、ひとりぼっちのボーダー・コリー、ジャックは旅に出た。けなげな子犬の姿が胸をうつ感動の物語。

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耳の聞こえない子がわたります

マーリー・マトリン『耳の聞こえない子がわたります』
『耳の聞こえない子がわたります』
マーリー・マトリン/作 日当陽子/訳 矢島眞澄/絵
フレーベル館
2007-08

ハリネズミ:シチュエーションはおもしろいし、ミーガンという耳の聞こえない子と、となりに引っ越してきたシンディとの気持の交流もよく書けている。ただ、一番大事なキャラクターのミーガンがあまり魅力的に描かれてないのね。心の起伏はあって当然だし、いい子である必要もないんだけど、魅力的に書かれていないと、子どもの読者は入り込みにくい。ストーリー的にも、話の山場がなんなのか、どこがクライマックスでどこが解決点なのか、もっとはっきりしてる方がよかったかな。そして、もう少し翻訳を工夫してもらうとよくなる点もありました。たとえば地の文ですけど、基本的には三人称で書いてあるのに、一人称も頻出します。それが整理されてないので、小さい子が読むとわかりにくい。それと、会話体にもミーガンとシンディの差があまりないので、よけいどっちがどっちだかわからなくなっちゃう。細かいところではp130《「大きな声でうたって、シンディ。あたしたち、耳が聞こえないとでもいうの?」ミーガンがいうと、みんな笑った。》がピンときません。p145には、リジーがミーガンに、シンディへの手話の通訳をたのんでいますが、シンディは一応手話がわかるという設定ですから、何かの間違いかな。

メリーさん:とても読みやすくて一気に読みました。障害を持った子どもの物語というと、日本の創作の場合、暗くなったり、不自然にシリアスになりがちなのですが、この本は主人公がとにかく明るい。自分のほうから「私、耳が聞こえないんだよ」と言って、友だちにアプローチするというところがおもしろいなと思いました。途中で訳文の主語がはっきりせずに、どちらがどちらの言葉かわからなくなるのは、ちょっと問題だなとは思いましたが……。キャンプのシーンで、シンディが、自分は耳の聞こえない子のグループに入るのか、健常者のグループに入るのか悩むところがありますが、あの場面はもっと盛り上がってもいい。もう少し彼女のゆれる心情を書き込んでもいいのではないかと思いました。

ウグイス:女の子2人の友情物語っていうのはよくあるけれど、このシチュエーションは珍しい。障碍も1つの個性であるっていう視点で書かれているのは好感が持てるわね。けれども、ハリネズミさんも言ってたけど、書き方にわかりにくいところがあるの。かぎカッコで書かれた会話部分と、地の文の中に一人称で書かれた部分があり、読みにくいんです。ミーガンの側から書いている部分とシンディの側から書いている部分が交互なんだけど、それが同じ調子なので、区別がつかないんですよね。もっと個性の差が出ていれば読みやすいんだけど。会話がこれだけ多いと、翻訳の文体に左右されちゃうと思うんですよね。しゃべり方に性格が表れるから。それに、明るい感じはいいけど、ミーガンの性格としゃべっている言葉に違和感がありましたね。ミーガンに今ひとつ魅力が感じられないのは、言葉づかいからくるのかもしれません。手話で会話しているところがたくさん出てくるんだけど、活字で書いてあるのを手話でやっていると想像するのも、ちょっとわかりにくいかな。

カプチーノ:私は5年生を担任しています。この本は高学年課題図書の1冊です。「読んでみない」と子どもたちに勧めたところ、子どもたちは順番を決めて喜んで手にしていましたが、「先生、なんかわかりにくい。」「絵はいいのに、読みにくい。」と不評でした。「話がおもしろくないの?」と聞くと「むずかしい。」「言葉がわからない。」「だれが言っているかわからないから……。」私も読んでみたところ、子どもたちが言っていたことがわかりました。主人公のことが書いてあると思ってたら、友だちの方から見て書いてあったりするから、わかりにくかったのでしょうね。主人公が前向きな明るい女の子だというところには、好感をもちました。手話が太字でわかりやすいです。書名と内容の関係も、よくわかりませんでした。そういえば『耳がきこえないエイミーのねがい』(ルー・アン・ウォーカー/著 マイケル・エイブラムソン/写真 偕成社)という本もありましたね。この本を読んでいて思い出しました。表紙の絵がいいと思います。

ネズ:課題本の3冊のうちで、この本だけタイトルを知っていて期待して読んだのですが……。実は、最初の何ページかを読んでやめてしまったんです。とにかくつまらなくて! 他の2冊を読んでから、もう一度トライして、最後まで読みましたけどね。みなさんがおっしゃるように、大人が読んでもミーガンとシンディのどっちが耳が聞こえないのか、わからなくなっちゃうんですよね。翻訳に問題があると思いました。こういう内容だったら、ですます調でわかりやすく訳しても、よかったんじゃないかしら。それに、1章ごとにミーガンの視点、シンディの視点と代わりばんこになっているでしょう? そのへんで何か編集の工夫はできなかったのかしら。テーマや内容はとても良いのに、残念です。課題図書になったという話ですけど、先生に「読め、読め」とプレッシャーをかけられる子どもたちもいると思うと気の毒。もっとも、読みにくいものを頑張って読むと、読む力がつくかも!

ジーナ 私は飽きることなく、けっこうおもしろく読みました。ミーガンとシンディが、お互い内心いやだと思うことをうまく伝えられなくてぎくしゃくしてしまうところがおもしろかったです。ひっかかったのは、「クール」とか「セクシー」という言葉。どちらも日本の小学生には意味が伝わらないんじゃないかしら。

ウグイス:「こうまんちき」っていうのも最近使わないわよね。

みっけ:私は、かなり元気のよい話でおもしろいな、と思いました。確かに途中でどっちがどっちかわからなくなる、と思いましたが。後ろの作者紹介を見ると、作者自身が聾であるということで、なるほどなあ、と思わせられるところがいろいろありました。たとえば、キャンプでみんなが笑っているんだけれど、自分はなぜみんなが笑っているのかがわからなくて疎外感を感じ、ついつい疑心暗鬼になってしまうとか、そういった細かい実感があちこちに埋め込んであるのがいいなあ、と。聾の子どもが聾同士で固まってしまいがちだ、という話を聞いたことがあるんですが、そうなるのも無理はないなあとか、けっこう発見がありました。それと、冒頭がミーガンから始まっているのが、おもしろい。今までに私が読んだ本では、障碍がある子の友達の視点から書かれているものが圧倒的に多かったんだけれど、この本は耳が聞こえない子の視点から入っていくんですよね。そこでちょっとドキッとする。そういうふうにいろいろと魅力的なところがあるんだけれど、物語としての印象がなんとなく散漫なのは、エピソードを盛り込みすぎているからかもしれませんね。さらにふくらませればおもしろくなりそうなエピソードがいくつもあるのに、全部駆け足で紹介している感じで、ちょっとあわただしい。もったいない気がしました。ただ、ミーガン自身のキャラクターについていえば、元気が余って乱暴、みたいに描かれているのを読んでいて、『リバウンド』(エリック・ウォルターズ、福音館書店)に登場する車いすの転校生デーヴィッドを思い出しました。まあ、デーヴィッドほど鬱屈してはいないにしても、やはり、とんがるぐらいにがんばっていないと、押しつぶされそうになるのでしょうし、ミーガンがそれほど魅力がない子どもだとは思いませんでした。たとえば、電話が大嫌いだというエピソード一つとっても、耳が聞こえる人たちに囲まれて暮らしていると、自分が感じていることをわかってもらえずに、いらだつ場面はたくさんありそうだから。

ハリネズミ:大人は作者自身が聾者だとわかって共感するかもしれないけど、子どもにはおもしろくないと。そうじゃないと、「聾者のことをわかってあげなさい」というメッセージばかりが全面に出てしまうと思うのよね。

ウグイス:主人公が9歳だから、中学年向きの本だけど、読みにくかったら致命的。読みなれている子なら、薦められれば読めるかもしれないけど、このくらいの年の子が読むもので読みにくかったら、本を閉じてしまうでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)


フュージョン

濱野京子『フュージョン』
『フュージョン』
濱野京子/作
講談社
2008.02

ネズ:「また例のヒリヒリ系かな、いやだな」と思いつつ読みはじめたのですが、とってもおもしろかった! 特にダブルダッチのおもしろさに引き込まれました。最初は、ヒリヒリ系によくあるように、母親のことを自分の敵のように書いているし、家出したお兄さんの消息がわかったのに両親に知らせなかったりしているけれど、お兄さんの友だちが出てきて、そんな風に頑なに考えるのは良くないと言われるあたりから、ちょっと違うなと思って、ほっとしました。ただ、喫茶店をやってるおじさんっていうのが、ちょっとはっきりしない。まあ、中学生の目から見たら魅力があるんでしょうけどね。

カプチーノ:読みやすく、わかりやすい内容だと思いました。ダブルダッチは小学校でも3学期になると高学年の女の子たちが校庭でよくやっていますが、いろんな飛び方があることをこの作品から知りました。美咲という女の子に似た2面性をもつ子は最近よくいます。中心人物4人の性格や家庭環境は違いますが、バラバラだけどまとまれるのがこの作品の魅力なのかな。類というおじさんは、この子たちにとって憧れ的な存在じゃないかな? お兄さんが携帯メールを送ってくるのは、現実的だし、お兄さんの友だちが登場してお母さんとの関係も変わっていくんですね。中学生に手にとってほしい1冊です。

ウグイス:女の子が5人出てくるんですよね。どれも漢字2文字のきれいな名前で、ごちゃごちゃになりそうなところだけど、ひとりひとりが書き分けられているので、おもしろかったです。主人公の一人称で、主人公が他の子たちをどう見てるかという視点で一定しているから、わかりやすいんでしょうね。語り手とそれぞれの子との関係がよくわかるし、どういう子かもわかってくる。だからおもしろく読めるんだろうな。いろんな友だちとのいろんな力関係とか、相手が自分をどう思っているのか、探り探り近づいていくっていう付き合い方が今の子どもらしい。この子が親に対して何が不満なのかっていうのがちょっとわからなかったですね。自分でも何に不満かわからないけどすべてが嫌、という年頃なのかもしれないけれど。またお兄さんが、どうしていなくなったかよくわからないから、ちょっとひっかかる。お兄さんのことはこの話にとって必要なのかな。お兄さんからメールが来ているのを親にも言わないっていうのもどうかなあと思っていたので、最後にお兄さんの友人が、言わなきゃと言ってくれてほっとした。物語の雰囲気は印象に残るけれど、ストーリーの山場があるわけではないので、内容はすぐに忘れそう。この年代の女の子の気持ちっていうのは、よく書けてるかな。

メリーさん:野球、陸上、飛び込みとスポーツを題材にしたYAはいろいろあるけれど、今回は大縄跳びか!と思って読みはじめました。主人公をとりまく女の子たちの会話はとてもリアルだなと感じました。特徴的だなと思ったのが、69ページのところ。お互いのプライベートな面には興味がなく、ただ、ダブルダッチをすることだけに集中するという彼女たちの関係性。少し前の話だったら、表面では世の中のことを何一つ考えていなさそうで、実は考えている子、というのが多かったような気がします。でも今は、社会にうまく順応しているように見せて、実は心の中では他人に本当に無関心。実際の中学生はどうなんでしょう? 自分以外の人やものごとに無関心なのか、聞いてみたいと思いました。好きな場面はラストの学園祭ジャックのシーン。主人公と美咲はきっとお互いが似ているということをわかっていたのだと思います。鏡のような存在だから嫌で、でもそれがまた相手を理解するきっかけになる、というところがよかったです。

ハリネズミ:今メリーさんは、この子たちは他人に無関心だって言ったけど、この作者の書き方はそうじゃないですよ。逆だと思うんです。だって、朋花が出場できそうにないと見てとると美咲は家にまで乗り込んできて一芝居打つわけだし、玖美も玲奈をかばって大騒ぎしたりする。一見クールだけど中は熱いというふうに作者は書いてます。私は、いろんな意味でとてもリアルだと思いました。お兄さんが、客観的に見ればちょっとしたことで家出してしまうのもわかります。私のまわりにも、そういう高校生、いましたよ。類さんは漫画のキャラみたいですが、不思議な雰囲気で時々いいことを言ったりしてて、しかもゲイだなんて、中学生の女の子には魅力的ですよ。
この4人はタイプが違うから、普通だったら付き合いがないだろうのに、ダブルダッチを通じてわかり合う。ベタな友情を結ぶっていうんじゃなくて、それぞれを異なる存在として理解し合うっていうのが、いいなあと思いました。言葉遣いも自然な感じでいい。ひっかかったのは、表紙の絵ですね。私は古い感じがしちゃったんですけど、今の中学生には魅力的なんでしょうか? ダブルダッチはYouTubeでパフォーマンスを見てみましたが、奥が深そうですね。

ネズ:今の児童文学には、いろいろな世代の人が子どもとかかわって、お互いに影響されていくっていうのが、なくなってきたわね。断絶されちゃって、子どもは子ども、大人は大人っていうふうに……。

ハリネズミ:いい大人っていうのが、出てこなくなりましたよね。

みっけ:子どもたちを取り囲む大人が、非常に限定されてきているせいなんでしょうね。だって最近の子どもにとっては、大人といえば親か教師になってしまうでしょう? 盆正月など、節目節目に大家族が全員集合して、そのときに、親戚のおじさんやおばさんに会うとか、そういったこともなくなってきているし、隣近所との関わりというのも、少なくなってきているし。だから、こういう作品にも、大人が登場しにくくなっているんじゃないかな。日本のこの年代の子を対象とするリアル系の本は、わりと暗くて心が痛くなるようなものばかりが目についていたんですが、この本は暗い感じで終わらずに、ちゃんと成長があって、明るく終わっているのがいいなあ、と思いました。古典的というか、安心して読めるというか。それというのも、主人公をはじめとする子どもたちが、たがいに異質な存在である同級生を認め合えるようになって、何かを成し遂げているからなんでしょうね。自分とは異質な存在を認めるというのは、実はそう簡単なことではない。では、何がきっかけになるのかというと、ひとつの目標を共有したり、あるいはなにかの作業に一緒に取り組むといったことが、きっかけになるんだと思うんです。そういう中で、次第に相手を理解することができるようになる。正面衝突したのでは、一杯一杯で相手を理解するだけのゆとりがなくなるけれど、なにかを一緒にするという形であれば、ある程度のゆとりが持てて、相手のことも理解できるんじゃないかな。だから装置としての学校でも、そういう作業をわざといろいろ設定して、子どもたちが互いをわかり合えるように持っていくんでしょうけれど。理解という点でいえば、少し前にこの会で取り上げた『スリースターズ』(梨屋アリエ/著 講談社)は、一見この作品とはまるで違うように見えますが、やはりあの中でも、集団自殺をする、という目標を共有する中で、いわゆる優等生タイプの女の子といわゆる崩壊家庭で保護遺棄されたような状態にある女の子が、互いを少しだけ理解できるようになる。それと同じように、この作品では、ダブルダッチを通して主人公たちが互いを理解するようになる。きっかけとして、ダブルダッチは理想的だと思うんです。たかが縄跳び、されど縄跳びで、難しくて、かっこいい。ストリート系の魅力があって説教くさくない。しかも、回す人たちと飛ぶ人たちとが呼吸を合わせないといけないから、共同作業としてもかなり高度だし。
主人公の親は、物わかりがよさそうで、理知的な姿勢を見せながら、最後のところで、子どもに向かって「まあやってごらん」と言い切れない、そういう親の弱さに対して敏感になる年頃だから、あちこちにこういう家庭があるだろうな、というリアリティを感じました。今時の、たとえばいじめを題材にした読後感が暗めになるYA作品と比べて、この作品に出てくる子どもたちは、それぞれがいくつもの世界を持っていて、その場面場面で見せる顔を変えてはいても、一つの人間としてきちんとまとまっていて、分裂していないような気がします。タフというか、確固たる一人の人間がいるという感じがする。だからこそ、異質な存在を認めることもできれば、つながることもできるんだろうし、前向きにもなれるのかな。今時のいじめを題材にした作品だと、そのあたりがもっとひ弱な感じがするんですよね。とにかく、ようやくヒリヒリするだけではない作品があった、と思いました。作者の年齢とも関係しているんでしょうかね。

ジーナ:この年代の子たちに、私は普段比較的よく接しているんですけど、あの子たちは友だち関係が希薄になってると言われるけど、やっぱりだれかとつながりたいという気持ちがすごくあるんですね。うちの子も中学生の頃、制服のポケットの中にいつも紙をおりたたんだ手紙がどっさり入っていて、友だち関係のことで毎日感情がアップダウンしていました。クラスはもちろん、部活動には異質な子も集まっているから、毎日がぶつかり合い。だから、玖美が友だちをかばって謹慎になるところなどは、とてもリアルだと思いました。母親の描き方が前半はすごく嫌でしたが。友だちとの関係がいろんな人とのかかわりの中でだんだんに変わってきて、最後は今までよりこの子たちの世界が少し広がるようなところがいいと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)


つぐみ通りのトーベ

ビルイット・ロン『つぐみ通りのトーベ』
『つぐみ通りのトーベ』
ビルイット・ロン/作 佐伯愛子/訳 いちかわなつこ/絵
徳間書店
2008.03

カプチーノ:カバー袖に低学年にぴったりと書かれてありますが、友達とのかかわりはもうちょっと学年が上でないとわからないのではないのかしら。トーベに対するお母さんやお父さんのあたたかい愛情いっぱいの接し方や家庭での様子、木登り、消防自動車は低学年にぴったりの内容です。が友だち関係の複雑さは中学年以上の子どもの方が心情がよくわかり、共感できるのではないでしょうか。

ネズ:とっても好きな作品で、おもしろかった。自分の子どものころのことも、思いだしたりして。低学年の子どもの心の動きがていねいに書かれているし、赤ちゃんの描写やお父さんとレストランごっこをするところなども、ユーモアがあって。エンマの誕生会のところも、大人にとっては何でもないことで傷つく子どもの心がちゃんと描いてあるし、ネズミを飼いたいという子どもに反対するのがお父さんで、お母さんは見に行きたがる……日本の児童文学では、たいていお母さんのほうが反対するわよね。するとお父さんが「この裏切り者。こういう人と僕は結婚してたのか……」などとぼやくところもおもしろかった。低学年では読めないのかしらね?

ハリネズミ:読む子は読むと思いますけど、この文字の大きさでこの量では普通は無理じゃないかな?

ウグイス:逆に中学年でこれを読むと、主人公が幼すぎるんじゃないかな?

カプチーノ:今日仲がよかったのに明日はぷつんと別れてしまうなんていうところは、高学年で経験するんですね。低学年では、それがわかるかどうか。

ジーナ:私は読みにくく感じました。絵がかわいいし、表紙も読んでみたい感じになるけれど、子どもたちの言葉づかいが、実際の年齢より上の感じがしました。男の子から好きといわれたことがあるとかないとか、2年生の子がそんなに話題にするかしらと思ったし。仲がいいのに、ちやほやされているのを見て嫉妬心を感じるエンマとの関係がどうなるかが、このお話の中心だと思いこんで読んでいったので、最後にそのあたりが解決されたのかどうかすっきりしないのが不満でした。ネズミをもらいにいったとき、お母さんが同級生と再会して盛り上がるといった類の、わき道にそれたエピソードも、話を拡散させるようで、どうなのかな、と思いました。

ネズ:最後、なわとびのなわを持つところで解決してるんじゃないの?

ハリネズミ:エンマがこの子のことを少し見直したというだけだから、解決してないんじゃないの?

ジーナ:もうちょっとはっきり書いてくれてもよかったかな。

みっけ:私は、年齢の低い人たち向けの本としてどうなのか、といった目配りはできないものだから、結果としては結構おもしろく読みました。さくさくと、ああ、こういうことってあるだろうなあ、と思いながら。この本は、何かすごく深いものを追及するとかいうのではなく、ちょっとおかしなことや、ちょっと嫌なことや、すごく嬉しいことなどがたくさんちりばめられた小学校低学年の子どもの日常を、明るい感じで書いた作品だと思うんです。友達の誕生会で、大人から見ればささいなことでドーンと落ち込む様子や、バスに乗ったらどこだかわからないところへ連れて行かれちゃって焦る様子や、木に登ったまではいいけれど降りられなくなったり消防車に乗って意気揚々と帰ってくる様子とか、おもしろいなあ、こういう感じだよなあ、と思いながら読んでいました。それと、この作品の親の書き方が、いかにも北欧の作品の親の書き方だなあ、と思いました。日本の作品なんかにもよく出てくる、いかにも親らしい対応しかしないのっぺらぼうな親ではなく、ごく普通に個性がある血の通った人間としての親が描かれていて、それが子どもへの対し方からもわかる。そのあたりが、気持ちよかったです。

ハリネズミ:話はおもしろかったんだけど、この文字の大きさでこの量では、対象年齢にはなかなか難しいんじゃないかな。話自体も細かく見ていくと、たとえば1ページ目に「のろのろあるきなのは、先生がくるまえに、教室につきたくないからです」と書いてありますが、どうしてそうなのかがわからない。訳も、ところどころ引っかかりました。自転車の男の子たちがトーベを追い越そうとして発した言葉は「気をつけろよ」って訳されてますけど、「どけ、危ないぞ」くらいのほうはいいのでは? エンマの夢は歌手だけどトーベの夢は空をとびたい、というのはおもしろいですね。エンマに圧倒されているトーベがだんだんに自分らしさを取り戻していく、というのが話の核ですが、同じような味わいの作品はラモーナ・シリーズ(ベバリイ・クリアリー/著 学習研究社)とかクレメンタイン・シリーズ(サラ・ペニーパッカー/著 ほるぷ出版)とかあるわけですから、それらと比べると、ちょっと弱いと思います。

ネズ:私はのんびりしているところが好きなんだけどな。お母さんが幼なじみに偶然出会うところなんかも、小春日和みたいにほっこりしていて、いい感じだったわ。

メリーさん:女の子同士の関係って本当にむずかしい。ちょっと華やかな子と地味な子が友だちで、その関係に悩むというのは日本の物語にもよく出てくるテーマです。その上でこの本の特徴は何なのか、考えながら読みました。最後の場面で、主人公が、けんかした女の子の悪口を他の友だちから聞くところがありますが、いろいろ学んだ主人公は、そこでその友だちのことをあまり相手にしない。ほんの少しだけ成長したわけですが、そんな主人公の変化の部分をもう少し読みたかったなと思いました。内容は低学年なのですが、このくらいの文章量だったら、この大きな判型ではないほうがいいのではないかと思いました。

ハリネズミ:日本人が書くのなら同じようなものがたくさんあってもいいと思いますが、学校や家庭環境そのものが日本とは異なる外国の作品だと、よほどちゃんと選んで出さないと。

みっけ:外国の作品の中でも、対象年齢が低いリアル系のものは、日本で翻訳を出すのがとりわけ難しいんじゃないでしょうか。というのも、年齢の低い読者はかなり狭い世界しか知らないわけで、そういう読者を対象とした作品は、当然、狭い日常の世界で話が展開されることになる。しかも作者は、読者がその狭い世界の細々したことを熟知しているという前提に立って、説明抜きで話を展開していきます。そうでないと、話がまだるっこしくなって、台無しになるから。ところが、そういった日常生活のささいな点に限って、外国と日本とではひどく違っていることが多い。それで結局、そんな違いなど知るよしもない日本の幼い子どもたちにすれば、ちんぷんかんぷんになりかねないわけですから。

ウグイス:私は低学年向けって頭で最初から読んでしまったので、クレメンタインやラモーナと比べてみることはなかったんですよね。むしろスウェーデンなので、やかまし村と比べていました。あれは男の子と女の子がはっきりわかれていて、「男の子ってどうしてこうなんでしょう、まったく困ったものです」って女の子たちが言ったりして、時代的な男女観も出ているんだけど、こっちは男の子が、高いところに登った女の子をかっこいいと思ったりする。そこが、今の子の感じ。読み始めはあまりおもしろくなかったんだけど、木に登るところくらいからぐっとおもしろくなった。高いところに登ったことを男の子たちが感心し、トーベはそれに対して「夏になるまでいるつもり」って言ったりするのもとてもおもしろかったです。それから、あとで電話番号を教えてもらって電話がかかってくるとき、私のことが好きだって告白するのかしらって思うところや、エンマに男の子2人とつきあってるのとびっくりされて、そういうふうに思わせとこうと思うところとか、生き生きとしていた。お父さんとお母さんの書き方もありきたりではなく、ネズミを飼うところでも、予想に反してお母さんが賛成するのがおもしろい。消防車に乗って帰るところも子どもとしてはとても楽しい場面。やっぱりこれは、低学年が楽しいものだと思うんですよね。絵は低学年向けなんだけど、もう少し低学年に読みやすい本づくりにしてくれたらよかったのに残念ですね。「挿絵が豊富で低学年の子が読むのにぴったりです」って書いてあるけど、挿絵が豊富なだけではね。読んでもらえば低学年でも楽しめるけど、やっぱりこの本は自分で読んでもらいたいわよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)


2008年12月 テーマ:子どももいろいろ悩むんです

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『2008年12月 テーマ:子どももいろいろ悩むんです』
日付 2008年12月19日
参加者 ハリネズミ、みっけ、メリーさん、ウグイス、ネズ、カプチーノ、ジーナ
テーマ 子どももいろいろ悩むんです

読んだ本:

マーリー・マトリン『耳の聞こえない子がわたります』
『耳の聞こえない子がわたります』
原題:DEAF CHILD CROSSING by Marlee Matlin, 2002
マーリー・マトリン/作 日当陽子/訳 矢島眞澄/絵
フレーベル館
2007-08

版元語録:アカデミー賞主演女優賞史上最年少受賞女優の、自伝的小説。耳が聞こえない少女ミーガンと、聞こえる少女シンディが交互に語る手法で、ふたりの心の成長をいきいきと鮮やかに描きます。
濱野京子『フュージョン』
『フュージョン』
濱野京子/作
講談社
2008.02

版元語録:2本の縄に包まれて、高く、軽やかに、跳ぶ。ダブルダッチって最高!/何なの、これ? 何やってんだよ、あいつら。それが、あたしとヤツらの、そして、あたしとダブルダッチの出会いだったーー/いま人気のスポーツを題材に、少女たちの交流と成長を描いた、感動のYA青春小説!
ビルイット・ロン『つぐみ通りのトーベ』
『つぐみ通りのトーベ』
原題:LYCKAN AREN RATTA by Birgit Lonn, 2001
ビルイット・ロン/作 佐伯愛子/訳 いちかわなつこ/絵
徳間書店
2008.03

版元語録:トーベは小学校2年生の女の子。親友の誕生日パーティで皆に笑われてこっそり抜け出した後、迷子になってしまいます。女の子の成長を楽しく描く。

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川の光

松浦寿輝『川の光』
『川の光』
松浦寿輝/著
中央公論新社
2007.07

サンシャイン:かわいらしく書けていると思いました。子どもの目でみるとドキドキすることもあり、最後までまあ、よくできているんじゃないかなと思います。作者が楽しみながら書いたんでしょうね。地図も入れて、ネズミの視点だと人間よりずっと遠くまで冒険するって感じも出ています。

もぷしー:私はちょっと厳しく読んでしまいました。『ウォーターシップダウンのウサギたち』のほうを先に読んでいたので、よけい厳しい目で読んでしまったのかもしれないですけど。主人公たちが努力をしながら生き抜くという話である割に、幸運に救われる場面が多いな、と。幸運に恵まれるなら、そこで得たものを生かして次の危機にのぞんでくれるとお話としてつながっていきますけど、「新しいところで、新しいだれかに救われる」が繰り返されているのが気になってしまって。タータが、自分が救われたようにスズメの子を救ってやろうとするシーンもあったけれど、生き延びるための冒険を描く物語としては、自力で解決する要素がもうちょっと強調されてもいいんじゃないかと思います。でも、作者はとってもいい方で、世の中には他人を助ける人がこんなにいるんだよと伝えたいんだろうな。
あと気になったのは、もとが連載だったからだと思うんですが、イベントがものすごく頻繁に入ってくるところ。一難去ってまた一難。もうちょっと一つ一つのドラマを大きく組立て直して単行本化することもできたんじゃないかと思います。導入の部分はとてもいいと思ったんですよ。たとえば6pのところなんですけど、「そんなことはできないに決まっているけれど…行ってみるといいと思う」の描写は、読者をネズミの世界にすーっとひきこんでくれる、とても素敵な表現でした。ただ、後半に向けて、作者が読者を引っ張る感じがたまに強引。234p、獣医の田中先生のところ。「田中先生はこんな人」という説明が地の文としてずいぶん長く続くけれど、そういうことは、作家の説明より物語のエピソードでわからせてほしかった。ほかに、349pでタミーが去っていったシーン。「友だちって、いいね」と繰り返されていますが、単行本内でタータとタミーの接点は「友だち」になりきれるほどたくさんは描かれていないように思います。「友だちって、いいね」という言葉が、物語を飛び越えた作者の生の意見のように思えてしまいました。最後に366pのあたり、突然作者登場という感じがして、後書きのような印象。ここまで直接的に作者が読者に語りかけるなら、前半から、作者が登場するようなリズムを作っておかないと、この章だけ浮いてしまう印象でした。と、いろいろ言ってしまいましたが、本や物語のあたたかい雰囲気には好感が持てました。

ジーナ:私ももぷしーさんに近い感想でした。今回『ウォーターシップ・ダウン〜』と比べ読みしたのはおもしろかったです。『ウォーターシップ・ダウン〜』は完全にウサギの視点で描かれていますが、こちらは作者の視点、人間の視点があちこちで混ざってくるので、完全にネズミの視点になりきって読むことができませんでした。本当は仲良くない動物との友情も、一組くらいなら自然に入れますが、ここではあちこちで出てくるし、病院のケージから逃げだすときにピンを使うという、習性からするとありえないことが出てきて、ややさめてしまいました。タータとチッチは子どもらしいキャラクターですが、子ども心がある書き手が書いたというよりは、子どもってこんな感じかなと大人が想像して書いている感じがしました。特にタータが妙に幼く描かれている部分と、もう一人前のように書かれている部分があって、どれくらいの経験を積んだネズミのイメージなのか、つかみにくかったです。大人が読むにはいいのかもしれないけれど、子どもにすすめるなら別の本があるかなと思いました。

ハリネズミ:一気にさーっと読んだんですけど、366pのところでえっと思いました。これって大人の本なんだ、と思ったんですね。子どもも読めるのと子どものために書いているのは違います。小さい動物がたくさんいて、いろんなことをしようとしているんだけど、人間はそれに気を留めることなく地球をどんどん壊していっているというのが著者のメッセージだと思いますが、作品の中で登場する人間は田中病院の先生くらいなので、子どもが読んだら伝わりにくいんじゃないかな。そういえば図書館でも大人の本の棚にあったんですね。そう思って見直すと、子どもの本のつくりじゃないですね。ネズミたちの冒険そのものはとてもおもしろいので、子ども向けにも書いてくれたらよかったのにな。

ジーナ:そうですね。川がなくなるなど、生物が住めない環境を人間がつくっていくことへの告発はこの本の大きなテーマだと思いますが、それを子ども向けに書くなら、ネズミやイタチが住む場所を移すだけではなく、もっといろいろな生物が具体的にどうなるかなどにも触れてほしかったですね。

もぷしー:主人公がネズミだったのが厳しかったのかな。ネズミは都会でも暮らせるから、田舎や川辺にすみたいという目的が、生死の問題ではなく好みの問題になってしまうし。

ジーナ:このネズミたちは川暮らしなのに、ハンバーガーだとかポテトだとか、よく知っているんですよね。

ハリネズミ:この著者はケネス・グレアムの『たのしい川べ』が好きだそうですね。あれも、川ネズミやモグラやヒキガエルが旅しますからね。この本の中の川の描写にも、グレアムの文章を彷彿とさせるところがあります。著者は、大人として、そういうのを書きたかったんじゃないかな。牧歌的な暮らしにあこがれて、それが可能な場所をとどめておきたいって気持が強いかもしれませんね。ネズミを主人公にしたのは、弱い動物の象徴として出しているのだと思いますけど。雌犬のタミーが「ぼく」なんていうところは、大人にはおもしろいけど子どもにはどうなんでしょう? ドブネズミの帝国は、『ウォーターシップ・ダウン〜』をヒントにしたのかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年11月の記録)


ウォーターシップ・ダウンのウサギたち(上・下)

『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち(上・下)』
リチャード・アダムズ/著 神宮輝夫/訳
評論社
2006.09

サンシャイン:上巻が読みにくかったですね。名前をメモして読みましたが、なかなか覚えきれませんでした。どのウサギも植物などの名前のようですが、カタカナでは実感がわきません。後半になってくると、話も一つの方向ではっきりしてきてテンポよく読めましたが。正直、あんまりおもしろくは読めなかったです。ウサギだけの視点でお話は統一されていましたが、人間の世界を反映させているんだろうなと思いつつ読みました。壮大なウサギの世界観が作者にあるんでしょうね。最後まで読み終われてよかったっていう感じです。

もぷしー:人間のことを、うまくウサギにのせて表現しているところに著者の力量を感じました。天敵を助けたりするなど現実を超えたところもあるんですけど、それにしても、情で助けているのではなく、助けた後の見返りを期待するなど利害関係を前提にお互いに助け合っている。そういうむき出しの関係は日本では嫌われるかもしれないから、この物語の好き嫌いは別れると思うけど。でも、そのむき出しな様子が物語のリアル感をアップさせてる事は間違いありません。人間から感じ取られることをうまくウサギに載せて語ってます。巣穴の中のようすや作りをすごくリアルに描いているし、糞のこととか、病気の治し方、病気が蔓延しないよう気にするところなど、野生動物の暮らしを想像させてくれて楽しい。自分と他者を助けられるようになるために自分の力を磨き、他者の特長を認めてお互いを生かしていくという骨の部分が、この物語に説得力をもたせていると思います。描写に関して巧みだなと思った事を二つ。一つは、作者が言いたい教訓的な部分はエル・アライヤーの物語として神話的に語ることで、物語の中に自然にとけ込ませている点。もう一つは、「安心した」などの直接的な表現のかわりに、風の吹き具合や、鳥の声、食べ物の味や食べるスピードで、仲間同士がどのくらい安心して暮らしているかを表している点。五感を使った描写がとてもていねいだと思いました。作者は従軍経験があることのこと。その時の経験をいっぱい書いているんじゃないかと想像させられます。自分が生き抜くこと、集団として生き残るということを、きれいごとですまさず、つきつめて考えた経験がある人ならではのブレのない厳しさが、この物語にあらわれているんじゃないかと。そのひたすら厳しいというところで、やっぱり好き嫌いは別れると思うけど。本づくりで思ったのが、ウサギの名前は日本語に直すとこんな意味だよとか、どこかに一覧を出してくださると、キャラクターのイメージがもっとつかみやすくなると思いました。あと、下巻185pの戦いで最高に緊迫しているシーンでバーンと地図が出てきて、ここで物語が分断されて頭がもとにもどってしまうのがもったいない。地図は前付として載せていてもいいんじゃないかな。

ハリネズミ:でも、冒頭に出したら、ネタばれになってしまうんじゃない? この章の後ろでもいいですよね。

ジーナ:最後まで読めていなくて、すみません。ウサギの視点で描かれる物語の構造や、それぞれのウサギの名前や性格をのみこむのにしばらく時間がかかって。最初は読みにくかったのですが、登場人物の関係がつかめたら、ウサギの宇宙に入りこんでどんどん引きこまれました。ウサギの視点で描かれているけれど、目線と高さの違いによる人間とウサギの見え方の違いなども説明されているのが、子どもの本として行きとどいている感じがしました。ただ、登場人物の名前やウサギ語が覚えにくいですね。ウサギ語は、章末に注がついているけれども、注のところに元の言葉を書いていないので、「なんだったけ」と後からはなかなか行きつけないのが残念でした。ウサギの神話が盛り込まれて重層構造になっているところが、大人の近代小説を読んでいるような感じ。ただ、ウサギ同士の話し言葉がかしこまっている気がしました。とてもていねいに訳している感じ。挿入された神話にはぴったりですが、話し言葉としては古めかしくて入りにくいかな。ただ、今はやたら子どもにわかりやすく、わかりやすくという本が多いので、こういう、わからないところが残る書き方も、それはそれでいいのかも。上下巻の色がきれいで、感じのいい表紙ですね。今はソフトカバーが流行りなのかしら?

ハリネズミ:ハードカバーだとかさばるし、重くなるので歓迎しない子どももいるようですよ。

ジーナ:私たちが高校生のころ(30年くらい前)、図書室に並んでいて、よく貸し出されてましたよね。

ハリネズミ:私は72年に旧版が出たときすぐに読んで、とてもおもしろいと思いました。今回は新版を読んで、最初はちょっと読みにくいなと思ったんです。もしかするとそれは、今の創作児童文学の軽い文章に慣れすぎてしまったからかもしれませんね。でもいったんこの文体に慣れてしまえば、どんどん読めますね。世界がしっかり構築されているので、安心して読める。この作品については、イギリスでも称賛と批判と両方あったと聞きます。能動的なのはすべて男性で、女性はついていくだけというのがジェンダー的によくない、という声もあったそうです。ウサギの名前については、たとえばタンポポではなくダンディライアンとした理由が訳者後書きに書いてあります。でも英語圏の子どもはこの名前を聞いてタンポポのイメージも思い浮かべるだろうし、語源にもあるライオンも思い浮かべるでしょう。でもダンディライアンでは日本の子どもにはなんのイメージも浮かばないという不便さがありますね。ヘイズルという名からもイメージは浮かびにくい。ヘイゼルならまた違うでしょうけど。こういう名前は、なるべく原書通りにするのか、それとも瀬田貞二さんみたいに、思い切って日本語にしてしまって(たとえば『指輪物語』でStriderを馳夫とするなど)日本の子どもにもわかりやすくするのか、悩ましいところですね。中学生くらいから読める作品なのに、名前ばかりでなくウサギ特有の言葉遣いも出て来て、カタカナ表記の多さで読者を遠ざけているのが気になります。ジェンダー的な問題は感じませんでしたか?

サンシャイン:ローマの建国の時に隣の国から女性たちを連れてきてしまうというのがありましたっけ。その話を下敷きにしているのかなと思いました。女性の意思を無視して連れてきたりしてるわけじゃないので、気になりませんでした。

ハリネズミ:上巻p47のリーマスおじさんについての注はよくわかりませんね。

サンシャイン:旧版はどんな版だったんですか?

ハリネズミ:私はペーパーバックで読んだような気がします。読者対象は高校生から上で、中学生は無理だったよね。

ジーナ:何がきっかけで新版を出したんでしょうね?

ハリネズミ:新旧を比べてみると、おもしろそうですね。

サンシャイン:アニメは角川だから、日本でも公開されたんでしょうね。

ハリネズミ:装丁は新版の方がずっときれいですね。このころのイギリスのファンタジーは、きちっと世界観を作って描いているから、重厚ですよね。

サンシャイン:実際に実在している場所を使って、地図も載せて、そこでお話作っています。

ハリネズミ:ウサギって、犬や猫と比べて表情がないし、ペットとしてはコミュニケーションがとりにくいイメージ。そういうのを野生の中において、作家がイマジネーションを膨らませて細やかに描いているのがおもしろいですね。

ジーナ:イギリスって、ウサギが多くて身近なんでしょうか? ピーターラビットもいるし。

ハリネズミ:エジンバラの町の中だって普通にいましたよ。

ジーナ:ヘイズルたちはラビットですか? それともノウサギ(ヘア)?

ハリネズミ:ラビットですね。イギリスでは肉屋さんでもウサギの肉を売ってます。

サンシャイン:ローマの話は、建国当時隣の国から女性を奪ってきて、後から奪われた方の国の男性が攻めてきたけど、女性たちがとりなして和解させたという話だったかと記憶しています。絵の題材にもなっています。この本の戦闘シーンの中の地図は、塩野七生さんの「ローマ人の物語」にある戦場の地図に似ています。作者は戦争経験者だし、そこにパッと戦場の様子を地図として入れたくなったんでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年11月の記録)


2008年11月 テーマ:動物たちの冒険

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『2008年11月 テーマ:動物たちの冒険』
日付 2008年11月28日
参加者 サンシャイン、もぷしー、ジーナ、ハリネズミ
テーマ 動物たちの冒険

読んだ本:

松浦寿輝『川の光』
『川の光』
松浦寿輝/著
中央公論新社
2007.07

版元語録:『読売新聞』大人気連載の単行本化。川辺の棲みかを追われたネズミ一家が、新天地を求めて旅に出る。小さな命の躍動を余すことなく描き出した冒険物語
『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち(上・下)』
原題:WATERSHIP DOWN by Richard Adams, 1972
リチャード・アダムズ/著 神宮輝夫/訳
評論社
2006.09

版元語録:やっとたどりついた理想の地ウォーターシップ・ダウン。だが、そこには…。次々と襲いかかる困難に、勇気と知恵と友情で立ち向かうウサギたち。小さくも勇敢なウサギたちの感動の物語。待望の〈改訳新版〉。

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水のしろたえ

末吉暁子『水のしろたえ』
『水のしろたえ』
末吉暁子/著  丹地陽子/絵
理論社
2008.06

ハリネズミ:きれいな物語で悪くはないと思ったし、羽衣伝説を踏まえたうえで史実を織り込んで書いているのには好感が持てました。でも、ちょっと物足りない。物語の核は、真玉が地上で暮らすのか、水底の国に帰るのかというところだと思いますが、水底の国の魅力が書かれてないし、真玉がそこに惹かれる気持ちも書かれていないんですね。そのせいで、最後に真玉が地上に残る決心をする最後も、今ひとつ迫ってこない。それが残念。真玉と高丘の淡い恋もあるんですけど、それが原因で真玉が地上にとどまるにはまだ弱すぎる。高丘の方はこの間まで真玉を男の子だと思ってるわけだし、その後は仏門に入っちゃうわけでしょ。真玉の父親の伊加富は、エミシの女に命を助けられただけでなく、恋心を抱いていたのかもしれませんね。でないと、自分の命を危険にさらすまでに至る過程がよくわからない。でも、そこも児童文学だから遠慮したのか、書いてないんですね。

チョコレート:題名がおもしろいので興味があり読みました。お父さんは本当は生きてるんじゃないかと期待しましたが、結果は残念ながら亡くなっていました。天皇家の人物が出ていますが、系図があった方が出来事や時代背景がもっとわかっていいなと思いました。映画を見ている感じでさらりと流れ、ちょっと物足りなさを感じました。ギョイは妖怪なのかな? いろいろな場面に出てくるのがおもしろかったです。

サンシャイン:私は絵がダメでした。男としては読むのが恥ずかしい。明らかに女の子の読者を想定して描いたものですね。お父さんの現地での恋が詳しく書いてないので、5年か6年生の女の子向きという想定でしょう。ギョイは狂言回しかな。薬子の乱とか、歴史的な出来事に絡めて書いているところはよく書けていると思いました。

みっけ:読んだのがかなり前なので、かなり忘れてしまいました。たぶん、印象がさらりとしていたからだとも思うんですが……。私もやはり、この絵は苦手です。印象が妙にきれいになる感じで、現実離れしてしまうというか、甘いというか。こういう日本の昔を舞台にしたものを読むときには、匂いや光といったもの、また今のように衛生的でなかった頃のある種汚いところや汗臭さといったものが、今とは違うんだよなあ、という感じで興味深いんだけれど、この本にはそれがあまりなくて、さらにそれをこの絵がつるりとしたものに仕上げている感じがしました。羽衣伝説その後、という感じで書かれているのはわかるんだけれど、なんか最後のところがぐっと迫ってこなかった。主人公の葛藤がイマイチ伝わってこないから、決断も迫ってこない。印象が薄いんですよね。それまでの書き方が淡かったからでしょうかね。残念です。

ウグイス:作者が自分のよく知っている地元の風土や歴史を良く調べて書いていることが感じられ、雰囲気はよく伝わってくると思います。日本の読者にはなじみやすい。確かに物足りないところはあったけれど、最近読んだものの中ではわりにおもしろかった。

ハリネズミ:ひとつ新らしいと思ったのはエミシの描き方。アテルイやモイの側から史実を見る試みがなされるようになったのは最近のことらしいんですけど、児童文学でこんなふうにりっぱな人物として取り上げる試みが新鮮でした。

みっけ:真玉が田村麻呂と出会って、父の死の真相を話すのは、なるほどねえと思いました。でも、そのあとの真玉が号泣しているところで、田村麻呂が「あのときは、わしだとて、腰を抜かして落馬しそうになった。伊加冨殿は、乱心したのだとしか思えなかった。だが、あれからわしも少し大人になった。エミシだろいうが倭人だろうが、人として生きるのに何の違いもない。ようやくそう思えるようになった」と言って、さらにアテルイとモレの除名を嘆願したがかなわなかったと続くところで、「あれから私も少し大人になった」で片付けられてもなあ、という違和感がありましたね。もっと肉付けをしてくれないと、わからないよ、という感じ。

ハリネズミ:この場面で田村麻呂の心情を詳細に書くのは、ストーリーラインから外れるし、史実からも外れちゃうんじゃないかな。田村麻呂は、実際にアテルイとモイの助命嘆願をしたそうですし、この人たちの霊を弔うためにお寺も建てたとは言われていますね。ただね、田村麻呂にしろ薬子にしろ、子どもの真玉に自分の心の奥底にあることをこんなふうに話すかな? それが、ちょっと気になりました。まあ、小学生向きの物語なので、リアリティから離れるのは仕方ないのかもしれませんが。

ウグイス:やっぱりこの表紙の絵では、男の子は読まないよね。

ハリネズミ:男の子の読者は、はじめから対象にしてないつくり方ですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


漂泊の王の伝説

ラウラ・ガジェゴ・ガルシア『漂泊の王の伝説』
『漂泊の王の伝説』
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア/著 松下直弘/訳
偕成社 
2008.03

サンシャイン:王子の人物像が、最初の印象とずれてきて、あれ、と思いました。書き出しは立派な王子として書いているのに、実はそうではない。詩の優勝者を閉じ込めて意地悪して……という人物像に違和感を覚えました。もちろん後半は経験を積んで立派になるのですが。詩のよしあしは、この文章だけではわからない。まあまあおもしろく読めたともいえます。スペインのファンタジーの一つのパターンがあるのかな、と思いました。

チョコレート:夏休みに読みました。あらすじの先がみえましたが、逆にそこがおもしろかったです。自信満々の詩のコンクールで負けたことが原因で傲慢かつわがままな王子になりますが、いろいろな苦難に遭って成長していく成長物語として私は読みました。身分の高い王子に戻るのではなく、たくましく成長した一人間として話が終わることで、書名『漂泊の王の伝説』がさらに印象的になりました。王子がおこなった過ちに対して登場人物達が話すそれぞれの言葉(勇気づける励ましの言葉)に共感し、はらはらどきどきする場面などでは王子自身になりきってしまいました。この作品を通して砂漠の生活がよくわかり、またじゅうたんや生活の一部として詩がありその詩を朗読するなど日本にはない異国文化をたくさん知ることができてよかったです。

ハリネズミ:ます物語の中に出てくるカスィーダという長詩の構成、詩のコンクールの様子、絨毯を織る様子、ベドウィンの暮らし、都会ダマスカスの様子など、一つ一つがとてもおもしろかった。ストーリー運びもおもしろいですね。さっきワリードの人物像についてサンシャインさんが言ったことは、私も感じました。冒頭にはワリードが「体や顔つきが美しいだけでなく、心も美しかった。あふれでた水の流れのように気前がよく、愛する民をよろこばせるときには、財力をおしみなくつかった。実際、民に対しては、寛大さと公平さをもって接していた。品格と優雅さが感じられる、もうしぶんのない王子であった」って書いてあるし、その後も何度かワリードが完璧な人物だということが繰り返されているのに、ハンマードの詩についてはワリードは最初から「身分の低い男のへたくそなカスィーダ」とけなし、ハンマードを陥れようと画策するんですね。そのあたり、私もちょっと混乱しました。ここは、「りっぱだと思われている」あるいは「りっぱだとうたわれている」という風に訳したほうがよかったのかも。あるいは詩に関してだけは、ワリードは欠点をさらけ出してしまうということなら、そこを訳できっちり出してもらった方がいいかも。でも、そこを差し引いても、物語としてとてもおもしろかった。あと、父王、偉大な詩人アンナービガ、牧人ハサーン、商人ラシードなどがところどころで知恵ある言葉を語るのもいいですね。それが物語の進展の前触れになっているのもうまいな。
ただね、アラビアの人の長い名前はおぼえにくくて、途中でだれがだれだったかわからなくなってしまいそうでした。ちょっとした人物紹介があったらよかったのに。文章は、少しだけわかりにくいところがありました。たとえば25p3行目に「後ろだてに対する賛辞」とあるんですけど、「後ろだて」ってここで初めて出てくるので、何が言いたいか子どもにはわからないんじゃないかな。

みっけ:けっこうおもしろく読みました。プロローグで、突然相手に剣で切られて、走馬燈のように今までの一生が浮かんだ……みたいに始まるので、じゃあ、この人が死ぬまでの話なんだろうか、それもおもしろいなあ、と思って読み始めました。王子の人物像については、すばらしい人なのだけれど、こと詩に関しては、ほとんど狂気に近い執着で相手に無理難題を押しつけていく、というふうに解釈したので、それほど違和感はありませんでした。この王子は基本的に恵まれていて、しかも優秀でいい人で、そのうえ人の期待や考えにわりと敏感にうまく合わせる器用さもあるという感じだったんじゃないかな。逆に言えば、自分の欲望をコントロールしなければならないような決定的な場面にはほとんど直面してこなかった。ところが、詩に関してはこの人の生の欲望が出る。自分が一番ほしいと感じるもの、でも望んでも得られないものを目の前にしたときに、そういう脆弱さが一気に出て、暴走するっていう感じなんだろうなあと。まあ、暴走ぶりがかなりすさまじいわけだけれど。あんまりすさまじいものだから、後悔したときは時すでに遅しで、旅に出ることになる。なるほどなるほど、と読み進んで、主人公が絨毯織りの1人目の息子に出会ったときは、へえ、と意外性がありました。2人目は、ふうん、そう来るんだ、という感じで、こうなれば、3人目にも会うんだろうなあ、と見当がつきましたが、3人の息子それぞれのやっていることが違っていて、そういう3人に出会ったことで、主人公が変わっていく、そのあたりがうまくできていると思いました。3人に出会ったこともだけれど、この王子自体の身の処し方というのもポイントになっているため、ただ成り行きに流されていくのではなく、本人の成長が納得できる展開だと思いました。だから最初に読んだときは、再び盗賊に会って殺されたとしても、本人は満足という終わり方でいいような気がしたんです。ところが、実は死んでいない。あれっと思ったんですが、今またぱらぱらとめくってみたら、漂泊のマリクと呼ばれた実在の詩人をモデルにしたということだから、やっぱり最後に無名の人間として詩のコンテストに勝つというのが必要なんだ、とまあ納得しました。アラブ世界のお話は、あまり読んだことがないので、そういう意味でもおもしろかったです。それに、王子の連れ合いになるザーラという女性の立ち居振る舞いを見ても、砂漠の民、という感じで新鮮でした。

ハリネズミ:プロローグの場面は、あとでもう一度出てくるんですよね。そこにも構成の工夫がありますね。

みっけ:そうなんですよね、286pに出てくるんだけど、そっちは冒頭と同じシーンがずっと語られて最後に、「深い闇の中にしずむ前に、彼は自分の人生をもう一度、生きなおした」とつけ加わっているんですよね。それで私は、ここまでですっかり完結した気分になってしまったんです。それでもいいんじゃないかなあ、死ぬんだとしても、本人は納得しているんだし。

ハリネズミ:ワリード的にはそれでもいいでしょうけど、息子の一人がワリードを殺すことになるのは、やっぱりまずいんじゃない?

サンシャイン:同じスペインの『イスカンダルと伝説の庭園』(ジョアン・マヌエル・ジズベルト著 宇野和美訳 徳間書店)に似てるでしょうか?

ウグイス:あれは建築、こちらは絨毯というものを使って、人間の生き方を表しているというところが似てるのかもね。

みっけ:絨毯に機械とかテレビなんかが出てくるのもおもしろいですよね。本当に未来のことが出てくるのが、へえっと言う感じでした。

ウグイス:私は今回の選書係だったんですけど、今までにない雰囲気のファンタジーということで選びました。この本は、最初の詩のコンクールの場面から珍しくて引き込まれる。詩人の作った詩を読み手が詠唱し、それを耳で聞いて感動するというのがおもしろいわよね。ワリードの良いところを賛美するのも、詩で讃えるということがあるからでしょうね。そして、それほど讃えられた立派な人物であっても、嫉妬心というような自分の中の悪の部分があるのだということを書いているんだと思います。権力を持った人の弱さということもわかる。ファンタジーというと、悪と闘ったり、魔女と対決したりといったものが多いけど、これは自分の内面との戦いを描いているので、他とは一味違うファンタジーといえると思います。寓話的なところもあるし、アラビアの砂漠の物語ということで、ハウフの『隊商』とか、『アラビアンナイト』のような異国情緒も楽しめますよね。

ハリネズミ:ファンタジーの中の善悪の表現の流れからいうと、『ゲド戦記』で自分の中の悪と闘うと要素がせっかく出てきたのに、ハリポタ以来、自分の外に悪がいるというストーリーが氾濫してましたよね。そういう意味でも、この作品は、時代は古くても逆に新鮮な感じがしました。

サインシャイン:『ベラスケスの十字の謎』(エリアセル・カンシーノ/著 宇野和美/訳 徳間書店)も、八割がた現実の話のようにしていて、その中にいくつか現実にはありえないファンタジーの要素が入ってきますよね。そういうのが、スペイン文学の伝統としてあるんでしょうか? イスラム教誕生以前の世界、という設定には興味を惹かれました。ジンという精霊が自分を守ってくれるんですね。

ウグイス:最後にジンが出てくるところが急にファンタジーになるね。

ハリネズミ:ジンと魔法のじゅうたんのところがね。

みっけ:この主人公がどうしてもほしい名誉を3度さらわれるんだけれど、それは絨毯織りが3人の息子に身を立てるための資金を与えたかったからで、そうやって資金をもらった人たちに、あとで王子が出くわすっていうのも、うまくできていますよね。

ハリネズミ:長男は商人として出世してるけど、あとの2人はどうだっけ?

みっけ:末息子の場合は、村を襲った部族が金を盗んでいったんで盗賊になったって146pに書いてありますね。次のお兄さんは、174pに羊の群れを買ったとある。

ハリネズミ:そうだったわね。その後、次男は羊の群れを売ってラクダのつがいを買ったってありますけど、一生使い切れないほどの賞金をもらったはずなのに、ラクダってそんなに高価なのかな?

サンシャイン:盗賊になった人も気持ち的には立派なんですよね。義賊みたいで。

みっけ:盗賊が再び主人公と出会うことになるのも、ジンが呼び寄せるんですよね。わざと会わせる。そのあたりもおもしろい。

ハリネズミ:赤いターバンの人も不思議よね。そこもファンタジー的。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


天山の巫女ソニン1:黄金の燕

菅野雪虫『天山の巫女ソニン』
『天山の巫女ソニン1:黄金の燕』
菅野雪虫著
講談社 
2006.06

チョコレート:表紙と著者名に惹かれて手に取りました。最初からこの本の世界に入り、おもしろくて一気に読みました。その後出会う人ごとにこの作品をお薦めしたことを思い出しました。現在第3巻まで出版されていますが、全部気に入ってます。古代韓国王朝みたいな舞台で展開されるファンタジーで、人間関係、心情、情景などが読み手に大変わかりやすく描かれています。各巻ごとに成長していくソニンと王子の今後が楽しみです。

ハリネズミ:ストーリーが波乱万丈でとてもおもしろいのね。悪人もレンヒとヤンジンが出てくるけど、ただ悪いというだけじゃなくて、ヤンジンはレンヒにたぶらかされたと書いてあるし、レンヒは物心ついてから山に行かされ、15歳で山から下ろされたことで世の中を斜めに見るようになっている。それに、ソニンは家庭に暖かく迎えられたのに比べ、レンヒはそうでなかったという対比も書かれてますよね。悪人にもちゃんといきさつや奥行きを持たせているのは、さすがですね。一つだけ気になったのは、登場人物の言葉づかい。現代文明の産物は登場しないので、異世界であってもちょっと時代が古い。そう思って読んでいると、ソニンが「〜じゃん」なんて言うんで、その異世界が破れちゃう。現代風の口調にするにしても、やりすぎじゃないかな? あと、p35「屋台では〜が売っていました」は日本語として変じゃない?

ウグイス:私はとにかくわかりやすく書かれているのがいいと思いました。ソニンの感じたことが、色とか匂いとか具体的に書かれているし、道端の花や窓から見える雲などの情景も細かく書いてある。物事が起こった順に書かれているので、ストーリーの流れにすんなりついていける。それに一つ一つの章の終わりが、次を読みたいと思わせる書き方で終わっているから、次々にページをめくらせるのよね。この物語の舞台は架空の国なんだけど、日本のようでありながら、設定は古い時代の韓国っぽい。だから顔かたちや服装や家の中を頭の中でどうイメージしていいか、私はよくわからなかった。なんとなく、宮崎アニメの雰囲気がして、「魔女の宅急便」や「千と千尋」の主人公の顔を思い浮かべてしまったわ。アニメにしやすいんじゃないかな。小学校高学年の子にも十分楽しめる物語だと思うけど、装丁が大人向きで、図書館でもYAにはいっているのが残念。でも、そうしないと売れないのかな。3巻まで出ているけど、どんどんおもしろくなってくるの?

みっけ:3巻までコンスタントにおもしろいですよ。ハリネズミさんがおっしゃったように、悪い人もただ悪いというように平板に書かれていないから、おもしろく読めますよね。一番はじめのところで、巫女修行に失敗しました、はい、さよなら、というところから始まるのにも、惹かれました。え、どうなっちゃうんだろうって。その後もいろいろなことが起こって、どうなるんだろう、どうなるんだろう、と、どんどん先が読みたくなる。巫女修行に失敗はしたけれど、なんとなく不思議な力が残っていて、というところもおもしろくて、これをどう使うのかな、と思っていたら、天山にもう1度行って、王子たちの行方を捜す夢見をするでしょう? そしてうまくいくんだけれど、天山での生活に疑問を抱いたとたんに、門は開かなくなってそれっきりになってしまう。この展開も、惜しげがなくていいなあ、ご都合主義じゃないんだな、というふうに納得できて、うまいなあと思いました。この第1巻で、ソニンは隣国のクワン王子をちょっとうさんくさいなあと感じていて、その印象で終わっている。そのクワン王子が、第2巻で違う形で登場するのもおもしろいです。続きはここしばらく出てませんが、まだ続くんでしょうかね?

ハリネズミ:細部まで気を配って、奥行きをもたせて書いていけば、当然時間はかかるでしょうね。1年に1冊のペースなのかも。

みっけ:1巻、2巻、3巻と、ソニン自身も何かを解決して少しずつ変わっていくんですよね。それがそれぞれに違っていて、しかもそういうふうに成長していくということが納得できるようになっていて、そのあたりもいいんですよね。ソニンの天山生活からのリハビリ、地上生活への順応、みたいなところもあって。

サンシャイン:ダライラマは亡くなるとすぐに赤ん坊をつれてきて次に据えるんでしたっけ?

ハリネズミ:生まれ変わりを探すんですよね。ダライラマだけじゃなくて、他の地域にもそういう風習はありますね。

サンシャイン:食べ物がたくさん出てくるとか、カタカナの人物が登場するところとか、上橋菜穂子さんの作品に似ているのでは? 誰が悪いのかがわからないので最後まで引っ張られました。

ハリネズミ:悪いやつはすぐにわかるんじゃない? そうそう、このカットもよかったですね。舞台が韓国とは書いてないけど、なんとなく韓国を思わせる絵よね。邪魔にならないで雰囲気を出していていいですね。

サンシャイン:私は3冊の中ではこれがいちばん楽しかった。

ウグイス:この本なら男の子にも薦められますか?

サンシャイン:どうかなぁ? 薦めるとしても数人ですかね。やはり女の子っぽいし、残念ながら男の子全員に薦められるとは言えないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


2008年10月 テーマ:設定がユニークなファンタジー

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『2008年10月 テーマ:設定がユニークなファンタジー』
日付 2008年10月23日
参加者 ハリネズミ、チョコレート、サンシャイン、みっけ、ウグイス
テーマ 設定がユニークなファンタジー

読んだ本:

末吉暁子『水のしろたえ』
『水のしろたえ』
末吉暁子/著  丹地陽子/絵
理論社
2008.06

オビ語録:子守り唄にこめられた真実とは?/父のゆくえは? 母のふるさとは?/自らのルーツを求め 生きる場所を探す少女の半生/「羽衣伝説」を下じきにした 平安朝歴史ロマン
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア『漂泊の王の伝説』
『漂泊の王の伝説』
原題:LA LAYENDA DEL REY ERRATE by Laura Gallego Garcia, 2002
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア/著 松下直弘/訳
偕成社 
2008.03

オビ語録:呪われた絨毯を追って、ひとりの男が旅立った。これは、うしなわれた王国の王子であり のちに《漂泊の王》と呼ばれる男の物語である。/スペイン発 世界8カ国で翻訳された異色のファンタジー
菅野雪虫『天山の巫女ソニン』
『天山の巫女ソニン1:黄金の燕』
菅野雪虫著
講談社 
2006.06

版元語録:生後まもなく、巫女に見こまれた天山につれていかれたソニンは、十二年間の修行の後、素質がないと里に帰される。家族との温かい生活に戻ったのもつかのま、今度は思いがけない役割をになってお城に召されるが…。三つの国を舞台に、運命に翻弄されつつも明るく誠実に生きる、落ちこぼれの巫女ソニンの物語、第一部。新しいファンタジーの誕生!

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わすれんぼライリー、大統領になる!

クラウディア・ミルズ『わすれんぼライリー、大統領になる!』
『わすれんぼライリー、大統領になる!』
クラウディア・ミルズ/著 三辺律子/訳
あすなろ書房
2008.12

サンシャイン:楽しく読ませてもらいました。アメリカの小学校での授業のあり方っていうんですか、伝記を読んで、みんなその人に扮装して集まってパーティーをやるっていうのは、日本にはないですね。アメリカでは、いかにもありそうな話です。サックスがほしいけれど、貧乏で、思うようにいかなくて、でも最後は手に入れるというストーリーもいいと思います。日本の子どもから見ると、なんだかピンとこない話かもしれないけれど、よく書けていると思います。

プルメリア:私は、すごくおもしろかったです。小学校で6年生の担任をしていますが、ライリーのような子どもっているなと思いました。教師が言った忘れ物の回数をライリーがしっかりおぼえている場面では、自分のことに置き換えてドキッとしました。くじをひいて、当たった人物に関する本を探し、見つけた本を読んでレポートを書き、人物になりきって仮装パーティーに参加するという活動、うらやましいなって思いました。私のクラスの子どもたちは、歴史上の人物というと聖徳太子はよく知っていますが、他の人物になると何をしたのかがわからなくなり、ごちゃごちゃになってしまいます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の中から好きな武将を調べ、新聞を作る活動では、ほとんどの子どもたちが年表を書きました。「なぜ年表を書くの」と聞くと「一生がわかるから」と答えます。子どもたちにとって何年に何をしたかが大変興味あることのようですが、何をしたかだけでなく、どうしてそうしたかを調べてほしいなと思いました。グラントがライリーに18ドルをさらりとあげてしまったこと、日本では考えられないと思うのは、金銭感覚の違いかな。

ハリネズミ:私もおもしろかった。私が子どもの頃に読んだ伝記は、偉い人が成し遂げたずばらしいことしか書いてなくて、あまりおもしろくなかったんですけど、今は、偉いだけじゃなくて人間的な側面も書かれたのがたくさん出ているから、いいですね。それにしても小学校4年生で、100ページ以上の本を読んで、参考資料を3つは使って5枚のレポートを書くっていうのは、すごい。自分で調べたり、考えたりする力がつくでしょうね。ところで、エリカっていう子は、自分がしたいことしかしないんですね。そういう障碍を持っているのか単に性格なのかは、よくわかりませんが、みんながそういう子はそういう子として自然につきあっていくのも、いいですね。伝記の主人公を雲の上の偉人ととらえるのではなく、子どもに結びつけて、自分だってがんばってできるんだという方向にもっていくのは、おもしろいなあ、と思いました。

カワセミ:私も子どもたちが偉い人たちになりきるっていうのがまずおもしろかったです。扮装をして、普段からその人になりきっているところがおもしろいし、先生も親も友達も、その子がなりきることに協力して、すべてがそのことに結びついていくっていうところがすごくいいな、と思いました。まず図書館にいって本を読んで、そのことについて調べ、たくさんの本を読んで準備する。日本の学校ではそこまでやらないと思うので、おもしろいなと思いました。でも、ここに出てくる偉い人って、日本のこの年齢の子どもはどのくらい知ってるのかな。その偉人のことを知らなければ日本の子どもたちにはおもしろさが伝わりにくいですよね。今は学校に伝記のシリーズなどはあるのかしら。

プルメリア:まんがの伝記がありますね。お姫様みたいな表紙が女の子に大人気です。

カワセミ:子どもって本当にあった話が好きだから、偉人の話って興味があると思うんですよね。ヘレン・ケラーやナイチンゲールは知ってる子がいても、肝心のルーズベルト大統領とか、オルコットとか、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといわれても、わからないとちょっと残念ですよね。でも、登場する子どもたちが個性的だし、楽しく読める本だと思います。

セシ:ストーリーがはっきりしていて、中学年向けとして読みやすいお話だと思いました。主人公が忘れんぼうなのも親しみやすいです。ただ、ときどき翻訳調というのか、文章がぽんぽんと飛んで流れがつかみにくいところがありました。たとえば、75ページの最後の行から次のページにかけての「…ライリーにとっては今日のほうが最低だった。三十枚のメモがみつかった! 急流をひとつ、わたったぞ! あと必要なのは、サックスだけだ。」のようなところ。また金銭感覚でアメリカと日本の違いを感じました。『がんばれヘンリーくん』(クリアリー/著 松岡享子/訳 学研)にも、ミミズでお金をかせぐというのが出てきて、子どもの頃うらやましく思ったものです。アメリカでは子どもが頭を働かせて小遣い稼ぎをするのを親はむしろ喜ばしく思って見ている部分があるけれど、日本人には、いいことをやっても代償にお金をもらうのはよくないという感性がありますよね。子どもだけでフリーマーケットなんてとんでもないことだし。ガンジーになった子が頭をそってきてしまうなんてびっくりだし、登場人物が優等生ばかりじゃないこういう本は間口が広くて、いろんな子が楽しめる本だと思います。

カワセミ:子どもがお金を稼ぐシーンは、日本の物語にはほとんど出てこないんですよね。日本ではお手伝いは当然無償でやるべきことという考えがあって、文化が違うんでしょうね。

サンシャイン:アメリカに住んでいたとき、雪がふると、「10ドルで雪かきします」なんて、子どもが来ましたよ。

プルメリア:夏休みに上映していた映画『ナイトミュージアム』の2に、ルーズベルトが出てきたような気がします。この映画を見た子どもたちはルーズベルトについてはわかると思います。ガンジーを調べた子どもが、最初は無関心だったのにだんだんが変わっていくのはおもしろいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


リンゴの丘のベッツィー

ドロシー・キャンフィールド・フィッシャー『リンゴの丘のベッツィー』
『リンゴの丘のベッツィー』
ドロシー・キャンフィールド/著 多賀京子/訳 佐竹美保/絵
徳間書店
2008.11

カワセミ:すごく古い話なんですよね。昔翻訳されていた『ベッチー物語』っていうのは聞いたことがあるけど、読んだのは初めて。いろいろなおばさんや大おばさんが入れ替わり立ち替わり出てきて名前がおぼえらえないんだけど、佐竹さんの具体的な挿絵のおかげで、とても読みやすくなっていると思いました。昔の本だからかもしれないけれど、書き方がわかりやすくて、主人公の女の子の目線できちんと描写されているので、最初から主人公の気持についていけるし、楽しく読める。子どもらしいものの考え方が描かれているのがよかった。最初に一緒に暮らしていたおばさん、大おばさんとはまったく違う環境に行くんだけれど、それをこの子が、1つ1つじいっと見て、全部自分の小さな頭の中で、これはどういう意味なんだろうと考えていく。子どものものの考え方に即して書いているところが、大人は興味深いし、子どもは「そんなふうに思うよね」って共感できるんじゃないかと思いました。それとやっぱり、最初の家庭ではすべて大人が先へ先へと手をまわしてくれたので、自分から着替えることすらしなかったんだけれど、次の家では自分のできることはさせるので、やがてはモリーを小さなお姉さんのように守ってやれるようにもなるし、この子なりに成長していくのがわかる。そして、農場の暮らしを楽しむ、楽しく毎日をすごせるようになるっていうのが、読んでいて心地よかったです。そういう子どもになっていくっていうのが、うれしく思えるんですね。訳文と挿絵を新しくしたおかげで、古めかしさもそんなにないし、よくなったんじゃないかなと思います。

セシ:昔懐かしいような感じの本で、時代的にも『大草原の小さな家』や『赤毛のアン』を思い出させる作品でした。古い作品でも、本の作り方でこんなに読みやすくなるんですね。翻訳文は今の言葉だけれど、ときどきちょっとお行儀のいい言葉が使ってあるのがいい感じでした。アンおばさんならどう考えるかしらと自問しながら、ベッツィーの考え方がどんどん変わっていくところ、ダメなことがあってもそこから何とかしようというポジティブな発想に変わっていくところが好きでした。また、農場の暮らしは町の暮らしより大変だけれど、昔はもっと大変だったんだよと言って、道具がないのにうまく工夫していた昔の人のすばらしさをたたえるところで、たくましさや生きる力を教えられる。お誕生日のエピソードでは、この子がいかにたくましくなったかが如実に表れていてよかったです。でも男の子はなかなか手にとらない本かな。

サンシャイン:オビを読むと話の先がわかってしまいますが、たまたま私はオビをはずして読み始めたのでよかったです。両親のいない子を面倒見る親戚が、違う側の親戚のことをひどく悪く言っているので、もっともっと辛いことがあるのかと思って読み始めました。違う親戚のもとに預けられて、もちろん苦労やつらさはあったには違いないけれど、印象としてはすっとアジャストできた感じです。頭のいい子で、それまで一方的に守られていたけれど実は柔軟性もあったということでしょうか。早く適応できています。そういう意味で本全体に悪意がない。ドロドロしたところ、辛いところ、苦しいところがない。そう思いながら読んでいったら20世紀前半のことだとわかり、ああそうだったのか、と納得しました。現代だともっと辛いことがあり、それでもなおそれを克服する話になるでしょうけど。日本でも最初は50年代に翻訳されたそうで、悪意のなさがいい感じでもありますが、現代的にみるとちょっと刺激が足りないのかな、とも思いました。「いいお話」という感じです。話の結末も、迎えに来た人の気持ちを主人公が察してお互いに思いやりながら本心を理解し合って農場に残る、それぞれめでたしめでたしとなる。今ではまれな作品なのかもしれませんね。アメリカの素朴な生活の様子も出てきたし、昔の古き良き時代のお話として心温まる作品です。

プルメリア:佐竹さんの絵が好きなので、表紙を見てすぐ読みました。まわりの人々に守られながら生きていた主人公が、環境が変わり大自然の中で自分で考え行動しながらたくましく成長していく姿は読んでいてとてもほほえましい。二人の女の人の生き方も対照的です。バター、メイプルシロップ、ポップコーンなど手作りの楽しさも伝わってきます。自給自足、ものをとても大切にすること、まわりの大自然が美しいことに読んでいて心がほっとします。私はこの作品が大好きで学校の図書室にも入れて、いちばん目立つ場所に表紙を見せて並べています。3年生の女の子が数人楽しそうに本を手にとったんですが、本の中を見ると「あー」と言って戻してしまいました。字が小さいので、もう一歩進めないようです。高学年でも同じかなと思います。そこを克服することができる工夫をしないと読み始めることができないので、本を手に取ることができるような紹介を考えたいと思っています。

ハリネズミ:大人の暮らしを子どもがきちんと見ていますよね。そのことが、変ないじめなどがないことにつながっていくのかもしれません。大人もぶらぶら生きているわけでなく、まっとうに暮らしているんですから。図書館では何冊も借りられていて人気がありました。ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズは、ふつうの子どもには長すぎる。大学生でも、「描写がこまかすぎて話がなかなか前に進まないので、うざったい」と言ったりします。かといってプロットばかりの本は読ませたくないと思うと、このくらいの長さでまとまっているほうが手にとりやすいかもしれません。

セシ:メイプルシロップを作るシーンの描写は、ようすがよくわかってすてきですよね。こういう文章を読むおもしろさに、今の子どもはなかなか気づかないのかもしれませんね。映像や音に慣れてしまって、見てすぐわかることしか味わえなくて。おもしろいところを2、3ページでもいいから読んでやって紹介すれば、読んでみようと思うんじゃないかしら。

サンシャイン:詩の場面はとてもよかった。夕食後の団欒の場面で大おじさんが自分の気に入っている詩を子どもに読んでもらう。覚えているところはともに唱和する。テレビのない時代のすばらしさ。こういう文化があるのがいいなと思いました。日本は詩というと主に抒情詩なので、こういうドラマチックなものはないのかな。国民詩人みたいな方がいたり、好きな詩を暗唱・朗誦したりということ、いいですねえ。

カワセミ:テレビも何もない時代の家族の楽しみはこうだったのね。

ハリネズミ:衣食住だけでなく、娯楽もみんな自分たちで作り出していくのよね。

セシ:週末農園がはやってきているのも、生きる手ごたえが求められてきていることの表れかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


世界がぼくを笑っても

笹生陽子『世界がぼくを笑っても』
『世界がぼくを笑っても』
笹生陽子/著
講談社
2009.05

サンシャイン:読んでいて、知らない言葉が出てくるんです。「おなしょう」、「セフレ」、「わきキャラ」、サブキャラでしょうか。「たっぱがある」「こてはん」。今どきの本なんでしょうけど、こういうのを今の子は喜んで読むのでしょうか。これが今の普通? ところで、すごい先生がやってくるっていううわさを受けて話が始まるんですが、それってこのほぼ主人公の先生のことなんですか。違いますよねえ。

ハリネズミ:そういう言葉は、今の中学生ならわかると思いますよ。それから、すごい先生っていうのは、最初は担任のオヅちゃんかと思うのですが、実は違って別の女の先生だったというふうに書いてあります。

サンシャイン:家庭にニューハーフの人が出入りするとか、話の展開に利用しているんでしょうけど、安易じゃありません? あまり中学生には読ませたくないなって思いました。

プルメリア:笹生さんが書くものは、いつも日常生活に起きているような話、現実的な話が多く心に残る作品がたくさんあります。この作品では、学級崩壊したらどうしようって心配していましたが、子どもたちのチームワークが最後に出てきてほっとしました。携帯メールが頻繁に使われる日常生活や、それが子どもたちの中でわだかまりになっていたのが徐々にそうでなくなり、1つにまとまっていく姿を読んでいて、人間っていいなと思いました。父子家庭や現代的な風潮も書き込まれ、この作品も今までの作品同様おもしろく読めました。

ハリネズミ:この作品は、今風の言葉づかいがたくさん出てくるので、しばらくすると逆に古くなっちゃうかもしれないとは思います。でも、先生が薦める名作ものにはそっぽを向いている子どもたちにとっては、窓があいてる感じがすると思うんです。現代の状況を取り上げた作品は、暗い方向に行くことが多いけど、この作品はリアルでありながらそう行かないところが新しい。まずどう見てもだめな先生が出てきて、裏サイトでも先生の悪口の言い放題になる。そこで、この先生はつぶれちゃうのかな、と思うと、子どもたちは「こんな先生でもいいところもある」と思うようになる。普通、中学生は先生に反発するだけで、生徒の方から歩み寄ったりしないかもしれませんが、でも子どもにはやさしさもありますからね。人間のだめな面だけじゃなく、いい面だって実は見てるんですよ。ただ、その辺を嘘っぽくなくリアルに書くのはむずかしい。笹生さんはうまいです。ハルトのお父さんも世間的にはりっぱな人間とは言えなくて、ギャンブルやったり子どもをだましたりしてる。でも、中学生を「中坊」って呼ぶところなんかからもわかるように、大人としての存在感は持ってる。ユーモアも随所にあります。お父さんの言葉もなかなかおもしろいし、p24-25の親子のやりとりも絶妙だし、p34の鉄道マニアの長谷川の会話も笑えます。
書名の『世界がぼくを笑っても』の「ぼく」は、この頼りない先生「オヅちゃん」なんですね。p137でオヅちゃんが「だれかにひどく笑われた時は、笑い返せばいいんです。自分を笑った人間と、自分がいまいる世界に向けて、これ以上なというくらい、元気に笑えばいいんです。そうすると胸がすっとして、弱い自分に勝てた気がします。いままで、さんざん笑われて生きてきたぼくの特技です」って言ってます。このあたりは、作者から中学生に向けての応援歌になってるんじゃないかな。
学校の裏サイトなどをうまく利用して、いろいろな子どもに言い合いをさせたり……とうまくつくってあります。多様な人間を描いていておもしろいです。

カワセミ:この作者の作品はわりと好きだけど、これは今まで読んだものにくらべるとちょっと勢いがないというか、スケールが小さいというか、少し期待はずれでしたね。携帯サイトのこととか、今の子どもたちの言葉とか、上手に盛り込んでいるんだけど、この本っておもしろいところはどこなのかな。いろいろな相手との会話はおもしろかったですね。出てくるのは、小津先生にしても、友達の長谷川にしても、ニューハーフのアキさんにしても、本人とちょっと波長のずれた人たちばかり。本人の意図と関係なくつきあわなきゃいけない、こういった人たちとのずれた感じがおもしろいなと思いました。きわめつけはお母さんで、ハルトがお母さんに会いに行く場面は、どっちも言葉少なで、ぎこちない感じがよく表れていた。でもこの主人公はいったいどんな子なのかっていうのが、あまりつかめなかったです。表紙のかっこいい感じとも、ちょっと違ってたし、今一つつかみきれないところがあったかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


「ふじこさん」(『ふじこさん』所収)  

大島真寿美『ふじこさん』
『「ふじこさん」(『ふじこさん』所収)  』
大島真寿美/著
講談社
2007.06

愁童:3冊並べると、取り合わせの妙でおもしろかったんですけど、この作品は積極的にコメントしたいような内容じゃなかったな。子ども向けじゃないものね。小学校6年生の子が読んでも、好きになれないんじゃないかな。

ハリネズミ:子ども時代を書いた本は必ずしも子どもの本ではないんで、これは大人の本ですよね。大人から子どもの時代を見てる。ふじこさんっていう個性的な人と出会って、成長したということを、大人になってからの目線で、大人の文体で書いてる。ふじこさんが魅力的な人だというのは伝わってきましたけど。私もこの会で話し合う本ではないと思い、それ以上考える気になりませんでした。

愁童:「子どもだって絶望する」なんて書かれても困っちゃうよね。

ハリネズミ:「子どもだって」って、この「だって」にひっかかりますよね。私は、子どもの方がよっぽど絶望すると思うから。だって、時間的にも空間的にも大人より自由度が少ないでしょ。ほかの2冊に比べると、この本は、子どもに対する認識度が違いますね。

みっけ:こういうふうな息苦しさを感じている子どもは、今までにもいっぱいいたろうし、今もいるんだろうと思います。それと、このふじこさんは、親や教師以外の大人、一昔前の映画や物語でいうと、ちょっと無責任的なところがあったりして、その分自由で外の風を運んできてくれる独身のおじさんやおばさんみたいな存在なんだろうな。この本を読んで、すごく嫌だ、とまでは思わなかったんですけれど、なんか、日本の子どもって勢いないなあ、という感じはしました。この子は疲れていて、しかも、自分でなにか積極的に動くわけでもないでしょう? ふじこさんに会ったのだって、すごく強い気持ちがあって出会ったのではなく、非常にネガティブにふらふらしていて、いわば偶然に出くわしたわけだし。大人を斜に見ていながら、自分は積極的なアクションに出ていない。こう子の物語を読んでも、今渦中にいる人は、そんなにおもしろくないだろうなあ、という気はします。

ジーナ:両親が別居中に、お父さんのつきあっている女性が現われて、これまでの価値観をくつがえすような衝撃を与えるという設定が、長嶋有の『サイドカーに犬』(『猛スピードで母は』に収載 文藝春秋社)と似ているなとまず思いました。みなさんがおっしゃるように、私はこれは大人が読む作品だと思ったし、そうだとすると『サイドカー〜』のほうがおもしろかったです。学校も家庭もたいへんだと書かれていて、結果として絶望していると言葉では言っているけど、具体的にどういうことがあったかはあまり書かれていないから、感覚的で胸に迫ってこないんですよね。それに、ダンナをこきおろしてばかりで子どもを見ていない母親や、鈍感な父親を、そういうものだと決めつけて描いているところが、似たような世代の子を持つ者としては不愉快で、子どもに手渡したいと思いませんでした。

メリーさん:子どもが共感するかというと、ちょっとむずかしいかなと思いました。ただ、この著者の初期の作品は、女の子の気持ちによりそっていて、共感できるものが多かったなと思うのですが。個人的には、このような世界はけっこう好きで、著者の言おうとしていることはわかる気がします。「ふじこさん」という名前から、きっとおばあさんだろうと思いながら読み進めたのですが、見事に裏切られたのもおもしろかったです。「絶望」という言葉が議論になりましたが、自分の進むべき方向がわからない、というくらいの意味だと思います。主人公が、自分の道を模索しているときに、突破口としての大人。自分と違う魅力を持っていて、主人公を子ども扱いせず、対等に見てくれる人。やっぱり出会いというのは宝物なのだ、という実感がよく伝わってきました。

げた:みなさんおっしゃったように、子ども向きの本ではないと判断して、私の図書館では一般書の棚に置いてあります。いきなり「子どもだって絶望する」なんて、衝撃的なんですよね。自分は子どものころこんなこと考えてたかな、自分の子を見ても、こんなふうじゃないとは思いますね。でも、確かに学校と塾のだけの生活の繰り返しで、身勝手な親たちに振り回されてると、考えるのかな? 創作だから、極端につくってるんだろうけれど、一般的な雰囲気としてこんなのがあるとすると怖いな。小学生は読みたいとは思わないだろうし、中学生、高校生でも、どうかな。生きる力を与える本にはならないと思うな。

小麦:他2冊とはまるでちがう1冊。アメリカの能天気な小学生に比べると、日本の小学生は息苦しそう……。まあ、この作品は、主人公が大人になってからの回想というスタンスで描かれているので、比較にはなりませんけど。好きだったのは、ふじこさんがイタリアの椅子と出会って、夢に向かって留学することを主人公に打ち明けるシーン。この時のふじこさんはきらきらぴかぴかと光っていて、主人公はそのまぶしさの前に、夢を見つけて光りだした人の前では、どんなに自分がふてくされようが、駄々をこねようがなんにもならないと悟るんですよね。自分だけの宝物を見つけ、自ら人生を切り拓く希望のようなものが、おしつけがましくなく提示されていて、すごくいいと思いました。ふじこさんの造型も、風変わりすぎず、自然でいいと思いました。私の周りの友だちなんかに、いかにもいそうな感じ。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年9月の記録)


どうなっちゃってるの!? クレメンタイン

サラ・ペニーパッカー『どうなっちゃってるの!? クレメンタイン』
『どうなっちゃってるの!? クレメンタイン』
サラ・ペニーパッカー/著 マーラ・フレイジー/絵 前沢明枝/訳
ほるぷ出版
2008.05

みっけ:この本は、読んでいて楽しかったです。この本がいいのは、主人公がかなりハチャメチャをやって、友達の髪の毛を切っちゃったりするんだけれど、相手もそれをすごく嫌がっているとか、一方的に被害を受けていると感じているっていうわけではないところだと思います。傍から見たらクレメンタインの方がすごいことをやるんだけれど、かといって、友達のマーガレットから完全に浮いているわけでなく、ちゃんとふたりで楽しく過ごしているっていうところが、読んでいて気持ちがいいんですね。お父さんやお母さんも、困ったなあと思っているところがないわけではないんだけれど、でも、クレメンタインと上手につきあっていく。たとえば、真夜中の鳩撃退大作戦を始めたり。しかも、クレメンタインがいつも用事を頼まれているおばさんのところにいったことから鳩問題が無事解決、なんていう展開もうまくできているし。そこがいいなあって思いました。前にこの会でジャック・ガントスの『ぼく、カギをのんじゃった!』を取り上げたことがあって、あのときに、たとえばADHDとかLDとか診断をつけてしまうことの持つマイナス面が話題になりました。あのとき私は、でも、クラス担任としては……というようなことを考えていて、診断をつけたり、薬を使ったりするのもある程度必要なんじゃないかな、と思ったりしたのですが、このクレメンタインを読んで、そのあたりのことを改めて考えさせられました。こういうふうに、みんなと接点を保ちながらごく自然に成長できるのならば、診断とか薬に頼らなくてもいいのかな……というふうに。一斉授業を粛々と進めようとする先生にとって、この子は明らかにお荷物になるんだろうけれど……。それと、この本は、外からは集中力がないと見られているクレメンタインが、実は本人の理屈で言えば集中しているんだ、ということや、周りにどう思われようとかまわないようなことをしているように見えて、ちゃんと親のことなんかを気にしているんだ、というあたりがちゃんと書かれていて、クレメンタインの気持ちがとてもよくわかる。それがよかったです。クレメンタインが、自分があまりにもトラブルを起こすものだから、家族にやっかいばらいされるんだと思いこみ……という展開で最後の最後まで冷や冷やさせて、でも実は大はずれでハッピーエンドというのも、いい読後感につながっているのでしょうね。始めから終わりまで、ケラケラ笑って読みました。おもしろかったです。

ハリネズミ:私もこれは、今回の3冊の中でいちばんおもしろかった。『グレッグのダメ日記』はおんなじように書かれているんだけど、翻訳がちょっと。これは、前沢さんの翻訳がはまっていて、楽しいし、おもしろいし、子どもが読んでも愉快でしょうね。短いお話の中に一人一人の特徴もよく出ています。たとえば、きれい好きのマーガレットは、トイレにすわりこんですねている時でも、お尻の下にペーパータオルを何枚も重ねてる。そういう部分が、おかしいと同時に、その人物を端的にあらわしてもいて、うまい。クレメンタインはおおまじめなのに、まわりの大人と噛み合なくて事件を引き起こしてしまうんだけど、読者が主人公に共感できるように、ちゃんと書いてある。だから、「問題児だけど理解してあげなくちゃ」じゃなくて、愛すべき存在としてうかびあがってくるんですね。クレメンタインの観察力の鋭さも随所に表現されてます。「校長先生は、『おこらないようにがまんしてるけど、そろそろげんかいです』っていうちょうしでいった」(p20)とか「ママのねているところは、あまいシナモンロールのにおいがするんだ。パパのねているところは、まつぼっくりのにおい」(p59)とか。両親は、この子のおかげで大変な思いもしてるんでしょうけど、ちゃんとこの子の個性を評価して、この子も両親を信頼している。そこもいいですね。それに、あちこちにユーモアがあるのが最高。楽しいし、翻訳もいい。現代の「ラモーナ」(ベバリイ・クリアリー著 松岡享子訳 学習研究社)じゃないかな。しかも、「ラモーナ」より短くて、今の子には読みやすい。中学年くらいにお薦めできる本が少ないなかで、これはお薦めです。

小麦:このところ学校と合わない子どもの話が続いていて、ちょっと食傷気味だったんですけど、クレメンタインはのびのびと明るくて、楽しんで読めました。訳文が、クレメンタインのキャラクターにぴったり寄り添っていて、とてもよかった。小学生の語彙で、さらに、いかにもクレメンタインみたいな子が使いそうな言葉がちゃんと使われています。P12の「そのとき顔を見たら、目のあたりがキュッってちぢこまって、『あとちょっとで泣きます』っていう目になっていた」とか、P65の「とがった物を消すには、丸っぽい物を見るしかない」とか、うまいなーと思う箇所がたくさんありました。クレメンタインも、私にはそれほど困った子には思えなくて、ごく普通のことを普通にやっているのに、なんで大人はわからないの?って困惑する感じが愉快で楽しかったです。先生のスカーフの卵のしみをじっと見て、ペリカンみたいに見えるのを発見したり……こんなこと、私も子どもの頃よくしてました。

げた:私もみなさんがおっしゃっているようなことを思いながら読みました。挿絵もいいなと思いました。内容にぴったり合っていて、イメージを与えてくれてますよね。「ラモーナ」に似ているなと私も思いました。「ラモーナ」が最初に出てきた頃より、日本とアメリカの生活様式が似通ってきて、日本の子どもたちも、違和感なく読めるんじゃないかな。

愁童:日本の作家も、「子どもだって絶望する」なんて書いてないで、クレメンタインとかグレッグみたいな、自由闊達な子どもを書いてほしいな。去年楽しい体験があったんです。水を引いてる田んぼに、2年生の子たち2人が飛び込んで遊んでるんですよ。子どもって、そういうところがあるんですよね。大人は、それができる環境を与えてやりたいですよね。

メリーさん:この3冊の中では『クレメンタイン』が一番おもしろかったです。とりたてて大きな事件は起こらないけれど、ストーリーの展開がいいし、主人公と彼女をとりまく友達と家族がとてもいい。あっという間に読んでしまいました。クレメンタインのような子どもは、大人やほかの子どもたちからすると、一見、どうしてああいう行動をしているのか理解しがたいんでしょうけど、本人としては、きちんとつじつまがあって、彼女なりの考え方にしたがって動いている、っていうことがよくわかる。彼女の頭の中の種明かしを見ているみたいでした。弟をかわいがる(?)ところは、おなかをかかえて笑いました。著者紹介も凝っていてよかったです。

ジーナ:おもしろかったです。ユーモアの質がよいというのか、気持ちのいい笑いでした。この子は日本の学校に入っていたら、もしかすると「他動」だとか「ADHD」だとかいわれるような子かもしれないんですけど、両親はこの子の感性をしっかりと受けとめて、この子を無条件で認めていますよね。だから、子どもがのびのびと安心していられる。それがとてもすてきだと思いました。

愁童:訳文が軽快で、ぴったりだよね。うまいね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年9月の記録)


グレッグのダメ日記〜グレッグ・へフリーの記録

ジェフ・キニー『グレッグのダメ日記』
『グレッグのダメ日記〜グレッグ・へフリーの記録』
ジェフ・キニー/著 中井はるの/訳
ポプラ社
2008.05

小麦:これは、読んでとにかくおもしろかったんですよね。バカバカしいことも多いんだけど、エピソードの一つ一つがほんとにダメで笑っちゃう。クラスにおけるグレッグの立ち位置もいかにもダメ。ダサめのクラスメートを心の中で見下しつつ、実は自分もそんなに変わらないとか。かといって、クールに構えてるわけではなくて、ハロウィンに変な仮装で繰り出したり、お化け屋敷をつくったり、ギャグ漫画を投稿したり、いろいろがんばっている(笑)いろいろな本がありますけど、こういうスコーンと突き抜けたユーモアのある本って絶対必要だし、子どもたちにも読んでほしいな。私自身、くよくよと落ち込んでいる時に救ってくれるのが、どうしようもないコメディだったりするんですよね。やっぱりおなかの底からの笑いっていうのはパワーがある。笑いの効能を実感させてくれる本でした。

げた:どっちかっていうと、私、まず横書きだっていうのと、コミック的な挿絵っていうのが、ちょっと苦手なんですよ。マンガはダメな方なんで、最初ちょっととっつきにくい感じだったんです。相手を骨折させちゃうとか、ハチャメチャなところのおもしろさっていうのがだんだんわかってきました。

小麦:しょうもないことが多いですもんね。

げた:そうなんですよね。でも、こういうのがあってもいいかなって。

愁童:おもしろかったですね。日本でも、こういう子ども目線の作品がもっとあるといいな。挿絵も楽しいし。

ジーナ:たかどのほうこさんの低学年ものは、そういうところあるんじゃないですか? でも、全体的に見ると数は少ないかな?

メリーさん:これもまた違った意味でおもしろかったです。『クレメンタイン』の方は素直で純真なところから出るいたずらだとすると、こっちはちょっと悪知恵が働いているといった感じ。自分自身の小学生時代を思い返して、クラスの中に、こんな憎めないけれど、悪い子っていたなと思いました。ばかばかしいけど楽しい。痛快な感じがしました。

ハリネズミ:私はうまく入り込めなくて、楽しめなかったんです。学校が舞台の翻訳ユーモア作品って、制度も日常感覚も日本の子どもと違うから、ちょっと外すと笑えない。訳も難しい。p170の禁煙ポスターの一等賞作品なんて、どこが楽しいかよくわかりませんでした。生徒会の選挙で相手の中傷をポスターに書くとか、票集めのためにキャンデーを配るとか、体育でレスリングをやるなんてとこも、日本の状況と違う。だいたいグレッグって何歳くらいなんでしょう? 小学校の5、6年生なのかなって思ったんですけど、絵を見ると、同級生にもっと大きい子もいるみたいだし。でも、それにしては「おまえのかあちゃんデベソ」なんて幼児しか言わない表現とか、「チーズえんがちょ」なんて低年齢向きの言い方が出てくる。違和感があります。それに、グレッグがロウリーにぬれぎぬを着せて平気でいるところとか、フレグリーの家で気絶して朝帰りしてるのに親はちっとも心配してないところとかも、気になっちゃって。そんなことをあれこれ考えてしまうと、ちっとも笑えませんでした。考えなきゃよかったんでしょうけど。原書は書き文字みたいな字体で、人の日記をのぞいている感じなんだけど、日本語版は明らかに印刷文字っていうのも、どうなのかな? 一所懸命笑わそうとしてるのに、私にとってははずれまくって白けちゃった、という作品でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年9月の記録)


2008年09月 テーマ:小学生の日常

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『2008年09月 テーマ:小学生の日常』
日付 2008年9月18日
参加者 愁童、メリーさん、みっけ、げた、ハリネズミ、小麦、ジーナ
テーマ 小学生の日常

読んだ本:

大島真寿美『ふじこさん』
『「ふじこさん」(『ふじこさん』所収)  』
大島真寿美/著
講談社
2007.06

版元語録:離婚寸前の父と母にはさまれ、何も楽しいことのない毎日を送るリサの前に現れたふじこさんは、乱暴できれいで、あっけらかんとしていて、今まで見たことのない、へんな大人だった…。
サラ・ペニーパッカー『どうなっちゃってるの!? クレメンタイン』
『どうなっちゃってるの!? クレメンタイン』
原題:CLEMENTINE by Sara Pennypacker and Marla Frazee, 2006
サラ・ペニーパッカー/著 マーラ・フレイジー/絵 前沢明枝/訳
ほるぷ出版
2008.05

版元語録:「先生は集中しなさいってしかるけど、あたしはいつだって集中してるの」元気いっぱいの女の子クレメンタインが活躍する楽しい物語。
ジェフ・キニー『グレッグのダメ日記』
『グレッグのダメ日記〜グレッグ・へフリーの記録』
原題:Diary of a Wimpy Kid by Jeff Kinney, 2007
ジェフ・キニー/著 中井はるの/訳
ポプラ社
2008.05

版元語録:この日記を書くことにした理由はただひとつ。ボクが将来金持ちの有名人になった時、ばかばかしい質問にも、これを出せば一発で解決するからね。

(さらに…)

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兵士ピースフル

マイケル・モーパーゴ『兵士ピースフル』
『兵士ピースフル』
マイケル・モーパーゴ/著 佐藤見果夢/訳
評論社
2007.08

クモッチ:いつでもそうですが、戦争の話は悲しいことがわかっているので、避けたくなるようなところがあります。でも、『ジャック・デロッシュの日記』(ジャン・モラ著 岩崎書店)もそうだったんですけど、この作品でも同じ軍隊の中でのある種見せしめのような処刑について書かれていて、他国の戦争とはいえ、まだまだ知らないでいる事実が多いなと思いました。この本のテーマは過酷だけれど、戦争の悲惨さだけでなく、主人公が人間としてどんな人生を生きてきたのかをきっちり積み重ねて描いています。そのおかげで尊いひとつの命を、戦争というものが簡単に終わらせてしまうところが効果的に迫ってくると思いました。この本の構成は、明日の朝に命の終りを予感している兵士の呟きから、過去にフィードバックしていくようになっています。最後に処刑されるのが本人なのではないかと思って読み進めていったので、結末が意外でした。作者のモーパーゴは、この戦時中の事実を知って書かなければと思ったと、後書きに書いていますが、最近は戦争物でも、このような新事実にもとづいた作品を出版するようになってきてると思います。また、戦地を直接描くという方法ではなく、そこで粗末に扱われる命の背景を丁寧に描くことで、戦争で失われる命の重さを表現する作品も多いと思います。

ハリネズミ:最初、構造に気付かないでぱっと読んで、途中でそれに気づいて、もう一度読み直しました。各章の冒頭に現在時間(午後10時5分から翌朝の午前6時まで)の思いがあって、その後に回想部分が続く。うまい構成だなと感心しました。それに、トモが戦場でしたこと感じたことが、リアルに描かれてますね。恐怖に襲われたり、弱虫じゃないんだと自分に言い聞かせたり、心が麻痺したり、新兵に対して先輩面をしたり??いかにも普通の若者らしいリアリティがあるな、と思いました。ジョー兄ちゃんという、脳に障碍をもった兄の存在が全体に深みをもたせてます。弟のチャーリーとトモが、ジョー兄ちゃんを大切にしてるんだけど、いたずら心を起こしてウサギの糞を食べさせちゃうなんていうエピソードも、いかにも子どもらしい現実感が出てます。ピースフルという名字は、象徴的でもあるし皮肉でもありますね。モーパーゴの作品の中でもとてもすぐれた作品なんじゃないかと思いました。今回翻訳ものが2つありましたが、翻訳はこっちのほうがリズムがあっていいですね。

ウグイス:久しぶりに、一気に読まずにはいられない、最後に行くまではやめられないという本でした。主人公の僕は強くたくましくもなく、勇気もないごくごく普通の子なので、国も時代も違うけれど、日本の子どもたちも共感するのではないでしょうか。前半は農村ののどかな生活が描かれるので、後半がいっそう衝撃的。対比が鮮烈で、結末が胸にひびく。そういう書き方がすごくうまいなと思いました。戦争の描き方は、単に敵と味方というのではない、いろいろな角度からの書き方が増えてるんだなと思いました。中学生くらいにすごく読んでほしい作品。

フェリシア:高等学校の部の課題図書です。中学生には少し難しいかもしれません。今回の3冊の中では一番引き込まれて読みました。私も最初、お話の構造がよくわからなくて読んでました。後半の戦争という異常空間で行われる兵士たちの残虐さとむごさに、読みながら目をふせたくなりました。訳も非常にうまいなと思います。前半読んでいくうちは、どうして兵士ピースフルなのかなととても疑問でしたが、前半あっての後半。前半ののどかなっていうよりも、貧しい田舎の生活が、すでに過酷な運命で。それも細かく描かれていたので、僕とモリー、ジョー兄ちゃんとの関係や設定が、読んでいる人にぴったり入っていって、本の中の世界に感情移入できるようになります。ジョー兄ちゃんの存在は、残虐さやむごさと対照的でひとつの救いになっているように感じました。“純粋な善”の象徴として対照的に描いているんだなと。ここに出てくる軍隊の残虐さはどこにでも存在したもんじゃないですか? 中国の日本軍とか。でも歴史の知識として語られるものは迫ってこない気がしますが、これは読者が感情移入できる主人公の目を通して語られるので、目の前に広がってきますね。

ジーナ:私も一気に読みました。構成のおもしろさという話がさっきもありましたけど、確かにそうだなと思います。過去の出来事が一人称で書かれるんですけど、これがとても分析的なんですね。こういうふうに語りをもってきたからこそ、この物語がよけいおもしろく読めると思いました。さきほど、後半の残虐さという話がありましたが、ハンリー軍曹だけではなく、前半にもマニングズ先生とか地主の大佐とか、権力を盾にした気ままな暴力が出てくるんですよね。私は作者は、戦争だけではなく日常の中の戦争の芽のようなことも語っている気がします。頼りにしているチャーリー、みんなが大事にしているジョー兄ちゃんのことなど、兄弟の書き方もとてもよかったです。1か所だけ疑問に思ったところがあって、133ページの後ろから3行目、「この戦場で演じるのは自分自身の人生であること。そして、その多くが死にいたることを。」。原文を見ていないのでわかりませんが、「ここでは、命がかかっている」ではないかなと思いました。

ハリネズミ:読んでいて、ケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』という映画を思い出しました。貧しいながらも絆をもって愛し合っている家族が戦争で壊されて行くという点が共通してるな、と。あの映画は、イギリスとアイルランドの間の戦争で、最後正規軍に入ったお兄さんがゲリラの弟を処刑しなくてはならないというすごい設定ですが、戦争の理不尽さが両方ともよく出てる。

クモッチ:前の読書会でも、『屋根裏部屋の秘密』(松谷みよ子著 偕成社)を読んだとき、今の子に読んでもらえる戦争ものとはどんなものなんだろう、という話が出ましたよね。この作品は、戦争以前の人生がきちんと描かれているということですよね。

ジーナ:そうですね。たとえば、お父さんが自分のせいで死んだという負い目が最後までつながっているところなんか、うまいですよね。

ウグイス:そうそう、最後になって「知ってたよ」って言われて解放されるのよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年8月の記録)


北のはてのイービク

ピーパルク・フロイゲン『北のはてのイービク』
『北のはてのイービク』
ビーパルク・フロイゲン/著 イングリッド・ヴァン・ニイマン/絵 野村ひろし/訳 
岩波書店(少年文庫)
2008.5

ジーナ:ストーリーはおもしろかったけれど、文章が読みにくくて、対象年齢としている小学4、5年生に読めるのかしらと思いました。あとがきに「エスキモーの生き方や考え方がが感傷をまじえずに客観的に描かれている」とあって、ああそういうことかと思いましたが。たとえば、124ページの2行目の、犬をあげるシーンのせりふなど、この回りくどさがおもしろいんだけれど、そういうものだということがわかるまで時間がかかりそう。あと、わかりにくいところがちょこちょこあって、たとえば9ページの6行目、「それもまずいほうのがわへ」という部分、どうまずいのか、具体的にどちら側なのかよくわからない。こういうところをもう少し親切に書いてくれるといいのにと思いました。

フェリシア:このたどたどしい訳はなんだろう?と、はじめ思いました。昔の本かなと思って、奥付を確認したら出版されたばかりだった。復刊でもなく。訳の文体がすごく古めかしい。訳者がご年配だったので、そのせいかもしれないと思いました。でも途中から、それが心地よくなってきました。淡々と語られるので、事実をそのままレポートされているような感じで。でも、今の子供たちにはどうなのかな? 読みにくいかもしれませんね。後半はとても楽しかった。特に、イービクが一人で旅に出るところから、エスキモーの価値観などがよくわかってくる。特に、人間関係のとり方がおもしろかったです。環境が厳しいために、ストレートな言い方はしないとか、他人に対する思いやりとか…。それが新鮮で、今の子どもたちにメッセージとしてひびくところもあるだろうし、現代社会も学ぶところがあるように思います。解説を読むと、現在はエスキモーの人たちにとってもそんな価値観は過去のものになっているようですけど。どこの国も変化は避けられないのですね。

ウグイス:始まってたった5ページ目でいきなりお父さんが死んでしまうというのは、とても惹きつけられる出だし。最初からすぐに物語が動き出すので、一体どうなるんだろうって、先を読まずにはいられないでしょ。一文が短いので、確かに文章がぶっきらぼうな感じだけど、イービクが今やらなければならないことがとてもわかりやすく描かれていると思います。最後に「父をなくしたイービクがクマを殺し、そして一家を養った話は、これでおわり」で終わるけど、まったくその通り、それだけが書かれている。ぶっきらぼうな語り口が、むしろこのプリミティブな世界をよく表現しているのでは? ひもじくて犬のひもをちょっとずつ噛んでいるところなど、今の子どもたちも目を丸くするのではないかしら。人間が食べて生きていくという基本的なこと、文明社会では忘れているようなことが描かれてます。大人と子どもの世界がきちんと分けられている秩序も興味深かったし、親戚の男の人のほめ方も独特でおもしろかった。頼りなかったイービクが大人のような活躍をして、大人に認められたという誇らしい気持ちがわかりやすく伝わり、読者を満足させてくれると思う。家族のもとへ帰って感激の再会をする最後のいい場面の途中に、唐突に「エスキモーはこんなくらし方をしている」という見開きの挿絵がはいっているのは、気がそがれてしまった。暮らし方も興味あるけど、今はいいところなんだからちょっと待ってよ、って感じ。どこかほかに入れたほうがよかったのではないかしら。(章と章の間に入れればいいのにという声)

ジーナ:68、69ページの皮のひもをかじるところなんか、すごくリアルですよねえ。

ハリネズミ:大人の私としては、エスキモーの伝統的な暮らしぶりがまずおもしろかったです。野村さんの訳は今まで読みにくいと思ったことはなかったんですけど、この本では、学者風というか原文に忠実なあまり、おもしろさに欠けるのかもしれませんね。「北のはて、グリーンランドの北部は、今が夏の盛りである」で始まりますが、「である調」は、子どもにはしんどいかも。それと、たとえばイービクの目の前でお父さんが死にそうになってる場面では、「今イービクがしなくてはならないいちばん大事なことは、なんとかしておとうさんを助けることだ」とあります。正しい訳なんでしょうけど、「わっ、たいへん」と思う読者の緊迫感との間に落差があるように思います。それにしても、主人公は何歳なんでしょう? お父さんに狩りに連れていってもらえる年齢って、何歳なのかな? 挿絵ではずいぶん小さく見えますが。

フェリシア:10歳くらいなんですかね。

クモッチ:描かれているのは過酷な世界なのですが、舞台がちょっと離れたところだし、挿絵のタッチともあいまって、おかしいなと思いながら読みました。イヌイットの生活がとてもうまく描かれていると思います。特に、イヌイット同士の会話がとても間接的なのがおもしろかったです。このように自然が過酷な場合、人間同士の会話もストレートになるのではないかと思っていたのですが、自然が過酷だと、仲間に対する気遣いがさらに必要なのかもしれませんね。男の子がだんだんと一人前になる自信をつけていく過程が、独特な口調で語られていておもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年8月の記録)


氷石

久保田香里『氷石』
『氷石』
久保田香里/著 飯野和好/画
くもん出版
2008.01

ウグイス:最近読んだ日本の創作の中では、これはとてもおもしろかったんですね。お母さんが死んじゃって、お父さんも帰ってくるかどうかわからないという辛い状況の中で、石を売ったり、お札を書いて売ったりなど、子どもなりの知恵をつかってひとりで生きていこうとする主人公に共感を持ちました。むせかえるような夏の空気感みたいなのも伝わって、細かい描写が上手に書けていると思う。子どもの気持ちがよく出ているし、登場人物もそれぞれよく書き分けられていると思います。最後は希望を持って終わるような書き方で、続編が出るのかな、という感じをもちました。

ハリネズミ:私もおもしろかった。千広と宿奈の淡い恋心みたいなのもあるし、安都とか伊真さんとかステレオタイプ的ではあるけど、いろいろなキャラクターを書き分けて物語を進めていくのもいいな、と。ただ、この本だけで終わるんなら、ちょっと物足りない。学問の世界とストリートの世界の間で揺れ動く千広はどう決着をつけるんだろう、とか、お父さんは帰ってくるのかな、とか、宿奈との恋はどうなるのかな、と先が知りたくなりますね。続きを出してほしいな。

クモッチ:天平9年、738年という時代のものを読むおもしろさが一つと、そういう時代を描きながら、主人公のお父さんに対する気持ちがとてもよくわかるように書かれていたのがおもしろかったです。これは、万葉集成立よりも前の時代のことなんですね。風土記が、天皇の命令で各地で編纂されている頃なので、風土記の文献から、イメージを広げていけたんだろうなと思いました。新しい知識を得たいという欲求から、家族をかえりみることなく唐にとどまってしまう父。その父に対して、とても納得ができない千広が、だんだんに父の気持ちを理解していく過程がよく描かれていると思いました。惜しいのは、宿奈とのことがいま一つわからなかったことです。氷石というタイトルもテーマがよく見えなかった。でも、とてもおもしろく、続きが読みたいと思いました。

ジーナ:さあっと楽しんで読めたんですけど、私はやや物足りなかったです。おもしろい部分もあるのだけれど、たとえば千広と宿奈や伊真さんが、なぜそれほどつながったか、そういう部分の具体的な描写が少ないように思いました。いじめられているところにちょうど伊真さんが出てきたり、しばらく出てこなかった宿奈がいきなり病気であらわれたりするところで、都合がよすぎる感じがしてしまって。

フェリシア:この本は、すごく前に読んだので、読み返さなきゃと思ったんですけどその時間が取れませんでした。前に読んだときは、さあっとおもしろく読んだんですけど、2か月、3か月たつと印象が薄くなってしまいました。それでも、ひとつ印象的だったのは、少年のお父さんに対する気持ちの変化です。最初は、帰ってこない父に対する怒りだったんですよね。しかし、苦しい生活の中で、札に文字を書いて売ったり、医薬院の看板の文字を見たりするとき、否定していたお父さんの影響を自分の中に発見していく。そして、次第に、お父さんに対する気持ちが怒りから尊敬に変わっていくところがとてもよく伝わってきてよかったです。「氷石」っていうタイトルはとても魅力的で、女の子にプレゼントするなど、何か起こるのかなと期待したのですが、特にこれといって印象的なことはなく、氷石というアイテムが生きてきていない気がします。もう少し少年の気持ちの象徴的なものとして描けていたらよかったように思います。

ウグイス:読者を知らない時代に連れていってくれるっていうのが、この本の魅力だけど、それを取り去ると少し弱いところがあるのかもね。場面場面は主人公によりそってうまく書けているし、この時代の雰囲気は印象に残ると思う。ここまで書けるんだから、これからもっと書いてほしいですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年8月の記録)


2008年08月 テーマ:過酷な運命の中の少年

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『2008年08月 テーマ:過酷な運命の中の少年』
日付 2008年8月29日
参加者 クモッチ、ハリネズミ、ウグイス、フェリシア、ジーナ
テーマ 過酷な運命の中の少年

読んだ本:

マイケル・モーパーゴ『兵士ピースフル』
『兵士ピースフル』
原題:PRIVATE PEACEFUL by Michael Morpurgo, 2003
マイケル・モーパーゴ/著 佐藤見果夢/訳
評論社
2007.08

版元語録:明日の朝6時、運命の「時」はやってくる。それまでに何もかもを思い出しておきたい。起こったことを、起こったとおりに…。第一次世界大戦中のヨーロッパ。ほんのはずみで戦場に行くことに決めた兄弟に、理不尽な運命が襲いかかる。そこでは憎むべき相手は敵だけではなかった…。★第54回・課題図書
ピーパルク・フロイゲン『北のはてのイービク』
『北のはてのイービク』
原題:IVIK:Den Faderlose by Pipaluk Freuchen, 1945
ビーパルク・フロイゲン/著 イングリッド・ヴァン・ニイマン/絵 野村ひろし/訳 
岩波書店(少年文庫)
2008.5

版元語録:極北のグリーンランド.狩猟の名人だった父を失ったイービクの一家は,飢餓におちいる.少年は,母や祖父,幼い弟妹たちを救うため危険な旅に出て,白クマと命がけで戦う.
久保田香里『氷石』
『氷石』
久保田香里/著 飯野和好/画
くもん出版
2008.01

版元語録:天平9年、平城京の夏を駆け抜けた少年がいた。疫病におかされた都で、ひとり生きる少年・千広。母を亡くし、父の不在をうらみ、かわきかけた心をひと夏の出会いが変えていく…。

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ユゴーの不思議な発明

ブライアン・セルズニック『ユゴーの不思議な発明』
『ユゴーの不思議な発明』
ブライアン・セルズニック/著 金原瑞人/訳
アスペクト
2008.01

マタタビ:惹きつけられる作品でした。絵と文が贅沢にかみ合っていて、後半になって構成の謎が解けていく。絵から音が聞こえてくるんだあと思いました。街や駅のざわめきや足音なんかが聞こえてくる。不思議な感覚でした。本の中心は文章だけど、これだけインパクトのある絵がふんだんに入ることによって、絵からも様々な感覚が呼び覚まされるんですね。内容は小学生にはちょっと難しいかなあ。でも、少し読書量のある高学年の子が出会ったら、びっくりすると思います。私自身すごくびっくりしました。本の新しい可能性を感じました。

ジーナ:さくさくと読んだのだけれど、後で何も思い出せないんです。一時楽しいけれど、絵が特に心を打つわけでもなく、筋を読む本かなあと思いました。なぜ思い出せないのかというと、文を読むのと絵を見るのとは働きが違うからでしょうか。文字で一つ一つ書きあらわされたのを読むと、心にイメージがくっきり刻まれますよね。でも、この本では絵の部分はぱっぱっとめくってしまって、絵でストーリーが進む部分があるのに、そこの印象が薄いみたいなんですよね。だから、読み物としては物足りない。それにしても大きな本ですよね。絵がいっぱい入っているのを考えると、よくこの値段で出せたなとは思いますが、手元に置いておこうと思うのは、この絵が好きな人かな。

みっけ:私もさらさらと読みましたが、なんかうまく入れなかった。急いでいたせいもあるんでしょうが、とってもおもしろいとまでは思えませんでした。ある程度固まって出てくる文章を、読む速度でするすると読んでいくと、突然絵がどどどっと出てきて、文字がまったくなくなる。そうなると、こんどは文字を追うのとは違って、一枚一枚を見ていく感じになって、がくん、がくん、がくんというリズムになる。ようやく絵を見るのに慣れたと思ったら、また今度はするするが始まるという調子で、最後までリズムに乗りきれませんでした。絵も、私の好みで言うともう一つという気がします。うまいですけどね。内容として、からくり人形の話やら映画が初めて登場した頃の話は、とてもおもしろかったし、ああこの人は、からくり人形や映画が大好きなのだなあ、というのが伝わってはきたのですが、それ以上とまではいかなかった。絵と文章が肌別れしているんですよね。文章を、無声映画の台詞みたいな字体で書いたりすれば、もっとしっくりきたのかもしれませんね。でも、文章の量が多いから、それも難しいかな。

ハリネズミ:この本は、絵でコルデコット賞をとっているんですよね。普通は絵本が取る賞です。小説の文法と絵本の文法は違いますが、この本は絵本の手法で書かれているのかも。小説として完成させるなら、もっときちんと説明したほうがいいところがあります。たとえば、ジョルジュ・メリエスは実在の人物ですが、この本からだけではなぜこの人が映画を拒否しているのかよくわからないので、もう少し書き込んでほしいところです。それからお父さんが火事で死に、おじさんも行方不明になってユゴーは孤児になるわけですが、物語だったらそうそう都合よくすませてしまうことはできない。
この絵は、私は好きです。映画みたいに引いたり寄ったりで、スライドのような効果が出てますね。それに、次々に謎が出てきて読者を引っ張っていくのもいいと思いました。一つ変だなと思ったのは、本文冒頭に舞台は「1931年パリ」と書かれているのに、訳者あとがきには「時代は20世紀、おそらく第一次大戦と第二次大戦のあいだのいつか」と書かれているんです。なんなんでしょうね?

球磨:こんなに厚くてどうしよう、と思って本を開いたら絵が多くてすぐ読めてしまいました。ですが、小説としては完成していないというハリネズミさんの指摘には納得です。なるほどと思いました。絵はとてもよく描けていると思います。実話を元にして初期の映画のことなんかをこんなにおもしろくできるんだなあと、感心しました。翻訳に統一性がないのが残念ですね。題名は、原題は「ユゴーが作り出したもの」でしょうか、日本語では「不思議」を入れて子どもたちを引っ張るんでしょうね。『レ・ミゼラブル』の地下道を思わせるような箇所もありますね、パリの裏の魅力というか。あんまり本が好きでない子にも薦められるかもしれません。

ハリネズミ:原書の表紙はカラーですよね。日本語版の表紙はモノクロで、趣はありますが、楽しい感じは削がれてますね。
この後、本作りのことで盛り上がる。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年7月の記録)


宇宙への秘密の鍵

ルーシー&スティーヴン・ホーキング『宇宙への秘密の鍵』さくまゆみこ訳
『宇宙への秘密の鍵』 ホーキング博士のスペース・アドベンチャー1

ルーシー&スティーヴン・ホーキング/著 さくまゆみこ/訳 牧野千穂/画 佐藤克彦/監修
岩崎書店
2008.02

ネズ:友人の小学4年生の息子さんが、買ったその日に一気に読んでしまったとか。普通こういう本は、子どもが案内役でいろいろなことを説明してまわるという形が多いのに、この本はストーリーと科学の知識がしっかり絡み合ってますね。それにストーリーそのものも、意外といっていいほどおもしろかった。悪役が学校の先生というのは、けっこう子どもにとって怖いですよね。ホーキング博士の本は、前に読んで途中でやめた覚えがあるけれど、こういう本を読めるなんて、今の子どもは恵まれてますね。中の写真がきれいで、感激しました。これは、CGではなく、本当に撮影した写真なのかしら?

ハリネズミ:ホーキング博士がかかわっているからには勝手にCGをつくったりはしないでしょう。コンピュータ処理をした画像は、ちゃんと断り書きがしてありますね。

ネズ:ブラックホールなんて、知ったつもりで日常ジョークに使ったりしているけれど、実はよく知らなかったんだなあと思いました。ブラックホールから脱出できるなんてね! 続きが楽しみです。もうできあがっているんでしょうか?

ハリネズミ:全部で3巻とのことですが、出版社の人に聞いたら、2巻の原著原稿はまだこれから上がってくるそうです。

ジーナ:図書館は予約がいっぱいだったので、夏休みに中学生の息子に読ませようと思って買いました。読み始めたらおもしろくて。科学というのは諸刃の剣だと思うのですが、「科学の誓い」のところに著者の考え方が表れていて、信頼感を持って読み進められました。私は星のことはまったくわからないけれど、わかりやすくておもしろかったです。主人公が、ベジタリアンで自然志向の両親のせいで肩身の狭い思いをしているところがリアルで、その科学アレルギーの父親が物語に巻きこまれていくので、この先どうなるかが楽しみです。写真の入れ方や説明文の入れ方が、わかりやすいですね。説明がじゃまにならない。これは絶対に続きを読まなくちゃ、という終わり方ですね。悪者の先生はハリー・ポッターにも出てきて、その流れかなと思いました。とても読みやすく、ぜひ子どもに薦めたい本です。

マタタビ:キャンペーンに来た本屋さんの熱気に感心して、すぐに買いました。私のような文系人間にわかるのかなと心配だったけど、ストーリー中心で読めて楽しめました。宇宙についての解説コーナーでは、昔の物理の授業がよみがえってきて、少し懐かしくなりました。始めは構えていたんですが、とても読みやすかったのでホッとしました。子どもも、その子その子でいろいろな読み方ができると思います。興味のありよう次第で、理科から行ってもいいし、物語からいってもいい。おもしろい本ですね。
『なぜ、めい王星は惑星じゃないの?』(布施哲治著 くもん出版)という本を以前読んで、それはそれで内容はおもしろかったんだけれど、終始説明的なので、子どもがこれを全部読み切れるかな、と感じてました。この本で楽しみながら得た知識と、『なぜ、めい王星〜』で得た知識と比べたらどうなんでしょう? この本なら400番台を読めない子でも楽しめますね。子どもの目を科学に向けるために、こんな手があったんだ! 難しい科学の知識とストーリーをこういう風に組み合わせられるんだ。さすがホーキングさん。楽しかったです。特に最初の方に出てくる「科学の誓い」に感心しました。子どもに科学の楽しさをこういう風に手渡せるといいですよね。

球磨:知り合いの理科の先生に言ったら、まだ読んでなかったんで紹介したんです。お話もおもしろく、また写真や説明もおもしろくて、宇宙について納得しながら読みました。冥王星についてなど最新の知識も入っているし、次が楽しみですね。すぐにその先生に貸そうと思ってます。

ネズ:「誰かに読ませたい〜!」という本ですよね。

球磨:本当にそうですよね。

ハリネズミ:私は天文の知識がそんなにないんですけど、子どもたちが彗星に乗って惑星を見て行くところが、生き生きとしてて臨場感もあって、おもしろかったですね。こんなふうに書かれたのを読んだのは初めて。ホーキング博士の知識の裏付けがあるので、安心して読めるし。私は文系なんで、科学をお勉強として教えるのではなくて、物語としておもしろく読めて、副産物として科学の知識も身に付くような本があるといいな、と以前から思ってたんですけど、これはそんな思いに答えてくれました。監修の先生は、ホーキング博士のお友だちだそうです。宇宙に詳しい方にうかがったら、子どもの本にこれだけ新しい宇宙の写真が出ているのは珍しいそうです。この本に出てくるブラックホールの説明も、ホーキング博士が考えだした新しい説で、今ではそれが定説になってきているようです。

ネズ:私が子どものころは、八杉龍一著『動物の子どもたち』や、お魚博士の末広恭雄さんの本など、子どもにも大人にも読めるベストセラーになるような本があって愛読していた覚えがあるけれど、最近はどうなのかしら?『動物の子どもたち』は、毎日出版文化賞を受賞しているから、大人も子どもも楽しめる本だったってことですよね?
この後ひとしきり、科学読み物談義で盛り上がる。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年7月の記録)


おおやさんはねこ

三木卓『おおやさんはねこ』
『おおやさんはねこ』
三木卓/著 荻太郎/画
福音館書店(福音館文庫)
2006

球磨:また鎌倉が舞台の話ですね。もうちょっと漢字を入れて上の学年の子もすっと入れるようにしてもいいのではないでしょうか。内容は、好感をもって読めました。最後の終わり方が今ひとつ物足りません。

マタタビ:一話一話楽しみに読みました。一見ほのぼのとした童話ですが、じっくり読むと、大人にはツンとくるペーソスや味わい深いユーモアがあって、しみじみしました。でも、そういった楽しみって、大人読みすればわかるけれど、子どもには味わえるかな? 何とも言えない軽みや、かすかな哀愁、きっと著者ご自身、自分で楽しみながら書かれたんだろうと思います。ストーリー自体は、ビールを飲む楽しみについてや、銀行からのお金の話など、大人ならそのおもしろさがよくわかる内容が多く、子ども向けとは言えない。単に動物が出てくる童話として、幼い子どもに与えたのではと少しもったいないかな。大人のことが理解できる大きな子に読んでほしい。

ジーナ:楽しいというより、愉快という感じでした。うまいですね。とても上質なフィクションだと思いました。はしばしが楽しめて。整理券のするめを食べてしまうところなんて、とてもおもしろいですよね。店子のぼくも足を1本食べてしまうとか。あと、この本は哲学的なところがあって、たとえば252ページ。猫の毎日はつらいことばかりだと言われたぼくが、「にんげんだってそうですよ。(中略)すばらしい日もありますけれど、それは、その生き物の一生からみれば、たいていの日はつらいものです。だからすばらしい日は、よけいすばらしくもなるのですけれどね。」という言葉にはじーんとしました。今の書き手はなかなか書かない世界だと思いました。今の子に読んでほしいですね。

みっけ:なんか、ふにゃふにゃっとしていて、それがなんとも心地よく、おもしろかったです。くすくす、にやりと笑ってばかりでした。この人間さんがまるでカリカリしていないのもいいですよね。心底納得とか、そういう激しい関係ではなく、しょうがないなあ、と思いながらもそれなりにつきあっていて、それを自分も楽しんでいる。そのスタンスがとってもいい感じだと思いました。私は、子どもは子どもなりに十分楽しめると思いました。だって、もうあっちこっちがおかしくて、笑えるもの。初めて猫と出会うところで、一切説明も言い訳もなく猫がすぐにしゃべりだして会話が成立してしまうあたりも、下手するととてもぎこちなくなったり嘘くさくなるんだけど、そういう感じがないんですよね。ほんとうには起こりえないのに、この作者の世界にすっかり入り込んで、話がするすると展開していく。そのあたりがうまいですねえ。最後で猫を眠らせて全部外に出す、という展開は、こういうふうに納めるしかなかった、という感じでしょうかね。暴力を使うわけにもいかず、でも何らかのけりをつけなくてはならなくて。30年前の作品なのに、あまり古くなった感じがしないのもいいなと思いました。

ネズ:「母の友」に連載されていたころ、愛読していました。いまあらためて読んでみたら、文章のうまいこと、うまいこと! 子どもの本の文章は、こうでなくちゃと感激しました。「すずしいさがし」など、ちょっと書き方をあやまると、甘ったるくて嫌らしくなってしまうけれど、心を揺さぶられてしまう。猫は実は苦手なんだけど、本当にこんな風に感じたり、考えたりしているのかなと思ってしまいました。荻太郎さんの絵も、すばらしいですね。この世代の作者の文章を読むと、落語とか講談とか、日本の伝統的な話芸のベースがあるのを感じます。今の子どもにはわかりにくいところもあるかもしれないけれど、わからないなりに心に残っていて、大人になって「あっ、そうだったのか!」とわかることもある。子どもなりにすてきだなって思った文章は、ずっと覚えていますし、子どものときにいい文章を読むって、本当に大切なことだと思います。終わり方はすっきりしないところもあったけれど、無事に終わらせるにはこれしか仕方がないのかと……。

みっけ:なんていうか、作者の視線にすごいていねいさを感じますよね。文章もだし、いろいろなものを見ているその視線にも。

ハリネズミ:特に最初のほうは、人間と猫のやりとりがおもしろいですねえ。寿司屋に就職するブラックとか、アゲハに恋するトラノスケとか、大家49匹にいろいろ特徴があるのもいいですね。それに、随所にユーモアがちりばめられていて、笑えます。文章はいいんですけど、平仮名が多すぎるのは逆に読みにくいんじゃないかな。それから、タイヨー石は謎のままになってますね。最後のまとめ方だけはちょっと不満です。「私は今もねこたちとくらしています」で終わってもよかったのに。子孫が戻ってくるなんて、今の子には「ありえない」なんて言われそう。三木さんには犬の本もあって、私は『イヌのヒロシ』(理論社)も大好きです。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年7月の記録)


2008年07月 テーマ:夏休みに読みたい本

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『2008年07月 テーマ:夏休みに読みたい本』
日付 2008年7月24日
参加者 マタタビ、ジーナ、みっけ、ハリネズミ、球磨、ネズ
テーマ 夏休みに読みたい本

読んだ本:

ブライアン・セルズニック『ユゴーの不思議な発明』
『ユゴーの不思議な発明』
原題:THE INVENTION OF HUGO CABRET by Brian Selznick, 2007
ブライアン・セルズニック/著 金原瑞人/訳
アスペクト
2008.01

版元語録:舞台は1930年代のパリ。主人公はパリ駅の時計台に隠れ住む12歳の孤児ユゴー。彼は、父が遺したからくり人形に隠された秘密を探っていくうちに、不思議な少女イザベルに出会う。からくり人形には二人の運命をも変えていく秘密が隠されていたのだ。......からくり人形のぜんまいが動き始めるとき、眠っていた物語が動き出す!
ルーシー&スティーヴン・ホーキング『宇宙への秘密の鍵』さくまゆみこ訳
『宇宙への秘密の鍵』 ホーキング博士のスペース・アドベンチャー1

原題:GEORGE'S SECRET KEY TO THE UNIVERSE by Lucy and Steven Hawking, 2007
ルーシー&スティーヴン・ホーキング/著 さくまゆみこ/訳 牧野千穂/画 佐藤克彦/監修
岩崎書店
2008.02

版元語録:あのホーキング博士が、子どもたちのために書いた、スペース・アドベンチャー。物語の力で「科学する心」を育てる画期的な本! 物語を楽しく読みながら、宇宙の起源、太陽系、ブラックホールなどの最先端の知識が身につき、19のコラムと32頁の美しいカラー写真が、科学の基礎として、すぐれたガイドになっている。
三木卓『おおやさんはねこ』
『おおやさんはねこ』
三木卓/著 荻太郎/画
福音館書店(福音館文庫)
2006

版元語録:ぼくが引っ越そうと思い部屋を探していると、不動産屋に格安の物件がありました。しかし、条件の一つに「毎日、お魚を食べる方」と書いてあったのです。芥川賞作家が子どもたちに贈る、動物ファンタジーの傑作。

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曲芸師ハリドン

ヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』
『曲芸師ハリドン』
ヤコブ・ヴェゲリウス/作/絵 菱木晃子/訳
あすなろ書房
2007.08

サンシャイン:ざっと読んだんですけれど、あんまり印象に残っていないんです。船長さんがいなくなったらどうしようという不安な感じがあって、そこに読者も入っていけたら、作品に入れたという感じになるのかなあ……でもちょっとしつこい感じがしました。最後は船長がハリドンに、捨てたりしないよ、という感じなんですかねえ。

ハリネズミ:これは、ストーリーラインだけで読ませる作品じゃないから。

サンシャイン:過去のことなどもいろいろと書いてあって……でも途中でちょっと飽きちゃいました。最後が嫌な感じでなく終わったのが良かったかな。犬とやりとりするというのは、前にもそういう本がありましたね。でもこの本では犬はあまり信用されていないようです。

メリーさん:変わった本だよ、と言われていたのでドキドキしながら読んだのですが、とってもいいお話でした。たった一晩のまるで夢のような物語。主人公のハリドンと船長とのあいだには、友情というか、親子の情のようなものが感じられました。二人はとても深い絆で結ばれているのだけれど、血がつながっていないから、不安になる。結果としては、ハリドンが船長を灯台で見つけ、文字通り「灯台もと暗し」だったのだけれど、町中を走り回ったことで、彼の気持ちが改めて認識できたような気がしました。

ハリネズミ:これは、一つ一つの場面や情景の雰囲気を味わう本だと思うんです。夜の闇の中でのハリドンの不安、小さな野良犬の不安、カジノの喧噪、あやしい犬捕りの暗躍などが、不思議な模様を織りなしています。これは、菱木さんの訳でないと読めない本かもしれませんね。この訳者だからこそ、そういう一つ一つのものが醸し出すムードがきちんと伝わってくるんだと思います。原作者が描いた絵と文章のバランスも絶妙で、本にさらに味が加わってますね。
船長がエスペランザ号に乗って行ってしまったと思って、ハリドンが悲嘆にくれ、犬は不安に怯えて進めなくなり、という絶望の場面の次は、灯台に入って船長を見つけてホッと安心する場面が来るでしょ。普通ならここで、再会の喜びの情景を書くところだけど、ハリドンは船長が楽しい時間を過ごしてのを邪魔したくないので、自分の気持ちをおさえる。このあたりもうまいし、無邪気な犬がいるせいで、心の揺れや本当の気持ちが会話の中からうかびあがる。内面のドラマですよね。船長も、何が起きたか直接はわからないけれど、帽子があったり犬がいたりで何となく察する、そのあたりがいい。最後に船長が犬にエスペランザという名前をつけようとしているけど、それは、この犬を引き取ろうという気持ちの表れなんでしょうね。そのあたりの訳も、とても上手。表立って何かが起こる話じゃないけど、とてもおもしろかった。中学生の課題図書ですけど、これ、中学生にわかるんでしょうか?

げた:たった一晩の出来事だけれど、船長とハリドンのこれまでの人生や生き方が、お話を通して見えてくるんですね。船長は一か所にとどまらず、常に夢を追っかけている人なんだなあと思います。犬とハリドンの関係なんですが、犬のしゃべる言葉はハリドンの気持ちを表しているんでしょうね。読者対象は中学生以上だとは思うんですが、船長を通して、人間の生き方の一つを子どもたちに見せているのだと思います。それと、日本の子どもたちの日常とは違う、一見緩やかだけれども、緊張感があって、縛られない日常を描いて見せてくれているんですよね。

小麦:私は好きでした。一晩のうちにいろいろなことが起こる夜のお話っていうのがまず好き。あとは北欧のものって映画もそうですけど、どこか暗さや孤独を抱えているようなものが多くて、そこが味わい深いと思います。この作品の登場人物も、みなそれぞれに傷ついていたり、挫折してたりして、孤独と向き合ってます。しかもそれをことさらに主張したりせず、じっとわきまえて生きている感じがいいと思うんです。船長にしても、今回はハリドンのもとに帰ったけど、いつかふらっといなくなってしまいそうな感じもします。全体的に常に不安や孤独の気配が漂っていて、だからこそラストのあったかさが生きてくるんだと思います。ただ、雰囲気で読ませるタイプの本なので、これで読書感想文を書かせるのはちょっと酷じゃないかなぁ? 感じたことを言葉にするまでに、時間がかかる本だと思うので。

いずる:幼い頃、夜中に「親が突然いなくなってしまったらどうしよう」と不安に襲われていたことを思い出しました。この本は、子どもが感じる、身近な人がいなくなることへの不安に通じている気がします。それと、ここには名前の問題があると思います。まず、前半に、犬がハリドンに名前を尋ねる勇気がないという描写が出てきます。名前を尋ねられないというのは距離が離れているということです。それが、最後の場面で船長が犬に名前を与えるという場面に繋がっていきます。ここで名前を与えられるのは個人として認められたということで、船長やハリドンとの距離が近くなっていることを表現していると思います。ただ、〈船長〉はずっと通り名のままで名前が出てこないのですが、これがどういう意味なのか、よくわかりませんでした。

みっけ:雰囲気のあるおもしろい本だなあと思いながら読んだのですが、中学校の課題図書だということがわかって、はて、これって子ども向きの本なんだろうか、とひっかかり始めました。それからしばらく、この本から受けた印象を頭の中で転がしていたら、ある日ふと気がついたんです。この不安な感覚やアンバランスな感覚(カジノでハリドンが出会う人々などの不気味さや異様さ)って、子どもの感覚なんじゃないだろうか、なにかの時に親とはぐれたり、自分が眠っている間に親がどこかに出かけてしまったのに気がついたときの子どもの不安と同じなんじゃないかなって。そういう時には、たとえ親子の関係に満足している子どもでも、ひょっとしたら自分は置いてきぼりを食ったのかもしれないと思って不安になることがある。私自身がそういう気持ちと無縁でなかったので、そうか、これって子どもの感じ方なんだなあと思って、だったらやっぱり子どもの本なんだ、と思いました。この作者は決して、子ども時代に感じたことをノスタルジックに書いているわけではないし。夜になると、そこいら中の物がおっかなく見えたりするのも、子どもならよくあることですよね。
もう一つ、この本は、ひ弱でちっこい野良犬とハリドンの関係や、船長さんとハリドンの関係がべたっとしていないのがいいなあと思いました。ハリドンが必死になって船長さんを探し歩き、でも灯台で船長が話し込んでいるのがわかると、船長の邪魔をしないように、そっと自分だけ家に戻る。その辺りがなんというか切ない。べたな親子関係であれば、自分の中で渦巻いた感情をそのまま相手にぶつけることにもなるんだけれど、ここでそうならないのは、やはり血のつながりのような本能的な結びつきがないから、なんでしょうか。まあ、自分の感情をそのまま相手にぶつけられるような関係も、子どもにとっては大切だと思うけれど、でもこの手の配慮は、血のつながりのある親子の場合でも、しますよね。
たった一晩の出来事にすぎないし、しかも表向きは何事もなかったかのように終わるんだけど、でもそこにお互いの過去のことや、異様な人、奇妙な人が絡んできて、ハリドンの気持ちが激しく動き、船長とハリドンの関係は確実に変わる。実際にこういうふうにして人間の関係はできていくんだろうなあと思うし、そういう微妙なところを、とてもうまく書いていますね。
(ここでひとしきり、北欧の作品ってどうなんだろう、という北欧談義)

ハリネズミ:これって、何気ないようだけれど、訳がとてもうまいですよね。

げた:訳がうまいというのは、どんなところかな?

ハリネズミ:たとえばウフル・スタルクはいろいろな人が訳しているんですが、菱木さんの訳を読んだあと、他の人の訳を読むと、本当の味わいがそこなわれているような気がして不満を感じてしまうんです。菱木さんは必要最低限の言葉できちんと雰囲気を伝えることができるんでしょうね。擬態語や擬音語もうまく使ってるし、ひっかからないで読めます。一例ですが、p39には「このぶんでは雪になるだろう」という文があります。普通の訳者だと「このぶんでは」なんていう表現はなかなか出てこないんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


幸子の庭

本多明『幸子の庭』
『幸子の庭』
本多明/著 北見隆/絵
小峰書店
2007.09

げた:最初、このところよくある、学校に行けない子どもの話かな、と思ったんですよ。でも、テーマはそれだけじゃなかったんです。この本を通じていちばん心を揺さぶられたのは、プロや専門家のすごさ、背筋がピンと伸びたようなすがすがしさですね。この本を読んだ子どもたちは、きっと庭師という職業に夢を持つんじゃないでしょうかね。この本を通して、とってもいい体験学習ができたんじゃないかな。私は、図書館の司書という本の専門家のはずなんだけど、本当に専門家といえるのかなあと、改めて自分自身に問い直すような気持ちにさせられました。主人公の幸子も友達関係がうまくいかなくなっていたんだけど、この庭師の若者と出会うことによって、庭のサルスベリの枝で飛びつくような明るい子に戻っている。読んだ後、明るい気持ちになれるいい本だなと思いました。

ハリネズミ:そうそう。今の時代は、どの分野でも半分アマチュアみたいな人が幅をきかせていて、プロがなかなか評価されないですけど、この作品にはプロのすごさが描かれていますね。真のプロとは何かが、子どもにもわかるように書いてあります。それから、自然が子どもに働きかける力を持っているってことも、もう一つのテーマになってる。植木屋さんというと寡黙なイメージがありますが、この人は幸子にいろいろ話をしてくれて、幸子から力を引き出してますね。

げた:この庭師の若者はもともと寡黙だったんですよ。親方にお前、もっと話せなくちゃだめだ、と言われて直した。そういう点ではつじつまは合っていると思いますよ。

ハリネズミ:私は自然のままがいいと思ってて、雑草さえなかなか抜けないでいたんですが、庭に風が通るようになったとか、庭師が空間に手を入れていく作業を読んで、すっきりした庭もいいもんだと思えるようになりました。 「木の一本、一本が、その木らしい装いで立っている 」(p207)なんてね。庭っていうのは、自然のままにしとけばいいっていう空間とは違うんですね。

メリーさん:とても読み応えのある骨太な文学だと思いました。女の子の物語と職人の生い立ちの2部構成になっていて、主人公だけでなく、出会う職人の人生も語られる。とてもいいなと思ったのは「銀二の木鋏はあらゆる花木の汁を吸い、香りをかいだ」などという、ハサミの描写。ハサミの立てる音や質感をうまく書き込んでいて、道具を大切にしているのがよくわかりました。それから、山の木と庭の木の違いの所、長い時間をかけて共存を勝ち得た自然と、人間の手によって個性をのばしてあげる木との区別。時間の存在を意識させるいい場面だと思います。いい大人と出会うと子どもは変わるのだな、と感じました。そんな意味で、前回の『スリースターズ』(梨屋アリエ著 講談社)の対極にある物語だと思いました。

みっけ:以前山登りをしている頃に、山で大きく育っている木々をたくさん目にしてきて、そういう木が大好きだったために、庭の木とそういう木の根本的な違いを理解するのにかなりの時間がかかったんです。そういう覚えがあるんで、そうなんだよなあという感じで読みました。庭の木というのは、人間が人間の都合で植えた木で、当然大本のところで人工的。でもその人工的な物の個性を生かして行くにはどうするか、というあたりが剪定の根本にあるんでしょうね。とにかくこの本を読むと、庭とか木といった長いスパンで見ていく必要のある自然と向き合うことの心地よさ、時間の流れの違いがよくわかる。それに、登場する職人に、木という生き物と付き合っている上等な人の持つ独特の背筋の伸びた感じがあって、それもすがすがしい。それに、ハサミの鳴る音の持つリズミカルな感じも、とても共感できました。ということで、基本的にはおもしろく読んだのですが、ひとついえば、ちょっと盛り込み過ぎかなあ、という気がしました。作者が好きなことやいいと思っていることを、とにかく入れたという感じがしてねえ。

ハリネズミ:この作者の1作目ですから、いろいろ入れたかったんでしょうね。

みっけ:なんか、有名な和菓子店のおいしい大福やらくず餅の話だの、方代さんの短歌の話だの、ちょっとうるさくて鼻につくなあと思ったんです。全体としてはいいなと思ったんですが、それにしてもてんこ盛りで、げっぷが出そう。ああ、そういうことが好きなんだね、わかる、わかる、と作者の好きなことが素直に伝わってくるんですけど。

ハリネズミ:私はそんなに気になりませんでした。お菓子の話はプロの仕事の例だろうし、山崎方代の短歌は、筋金入りの職人の清吉さんや銀二さんの人柄の奥行きをあらわしていると思って。まあ、方代さんの部分はちょっと長いかな。

サンシャイン:私も、また学校に行けない子の話かと思って読み始めたんですが、だんだん引き込まれていきました。今まで話題に出なかったこととしては、庭を見たがっているひいおばあちゃんの最後の旅を家族で準備をする、という所が好きです。女の4世代が揃うというのは、私の娘が小さい時に経験しましたが、壮観です。そしてサルスベリを回転しながら降りてくるというのが受け継がれている、というのも家の歴史を物語る素敵な設定だと思いました。熱い鉄を打って刃物を作る話、木々の話、こうした薀蓄も好きでした。いい本を紹介してもらったなと思います。

いずる:読み始めたときは、お母さんが美容室に出て行くときのわざとらしさなど、いくつか気になってしまうところがありました。でも、庭師が出てきてからは物語に引き込まれました。私は庭や樹木に関する知識がほとんどないのですが、それでも十分に楽しめるように書かれていると思います。それから、幸子が学校に行けなくなるきっかけについて、大きな事件が起きたりはしませんが、必要以上に空気を読まなければいけない今の社会の息苦しさを反映しようとしている姿勢がいいと思います。結局幸子が学校に行けるようになるのかどうかは、わからないんですよね。もしかしたら途中で帰ってきちゃうかもしれませんが、きっと行けるんだろうなと思います。この本に出てくる庭師はとても素敵でした。児童文学に出てくる素敵な男性といえば、私はたつみや章さんの作品に出てくる男の人を連想します。たつみやさんは別名義で架空の男の人を素敵に描くことが必要とされるジャンルの小説を書いているので、惹きつけられるのも当然だと思うのですが、本多さんは男性なのにこういう人物を描くことができてすごいなと思いました。

小麦:いい意味で作者の人となりが透けて見える本でした。勝手な想像ですが、みんなに信頼されている小学校の先生が書いているみたい。物語を通して、あたたかで誠実な作者像が見えてくる安心感というのを、最近の作品の中では久々に感じました。幸子の口調や性格なんかは、いかにも「おじさんが書いた少女像」という感じだし、植木屋さんも格好良すぎるんだけど、読後感がさわやかで物語に説得力もあるので「ま、それもいいのかな」って思える。変にひねったりしていないところも好感が持てました。地の文のところで、幸子の母親が「母」と出てきたり「お母さん」と出てきたり、健二の母親も「母」だったり「かあちゃん」だったりするところは気になりました。些細なことなんだけど、こういうひっかかりって物語の世界からふっと現実に引き戻されちゃうから、もったいない。全体的には、さわやかで読みごたえのある作品でした。手入れ後の清新な庭の空気など、日本の庭の佇まいをしっかり感じとれる日本人としてこの作品を読めて幸せだったなと思います。庭師の格好良さにも目覚めました!

複数:かっこよすぎ!

ハリネズミ:さっきの母親をどういう言葉で書くかは、その部分が三人称的なのか一人称的なのかで違ってくると思うな。私はあんまり違和感がなかった。きっといい人なんだろうなあ、この作者は。『曲芸師ハリドン』なんかを書くような作家とはタイプが違いますよね。ひねくれてない。どれもみんないいエピソードですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


帰ってきた船乗り人形

ルーマー・ゴッデン『帰ってきた船乗り人形』
『帰ってきた船乗り人形』
ルーマー・ゴッデン/著 おびかゆうこ/訳 たかおゆうこ/絵
徳間書店 
2007.04

いずる:シャーンが人形たちの言葉を理解できているのかいないのか、よくわかりませんでした。最初は、わかっていないのかなと思いながら読みました。途中から理解できているんじゃないかと思ったりして……。最後にカーリーが、汚れてぼろぼろになって戻ってくるんだけど、人形がどういう冒険をしてきたかなど、まったくわからない小さい子なら汚れたことを嫌がるのではないかと思いました。でも、シャーンはそれを大喜びで受け入れるので、本当は人形の言葉はすべて理解しているのかな。ハッピーエンドの終わり方はちょっとできすぎだと思います。全員が戻ってくるのもご都合主義な感じがしました。大人になってから読んだから、そんなふうに思うのかもしれません。これを小さい時に読んでいたらどうでしょうね。私は自分も人形を持っていて、台詞をつけて遊んだりしていたので、楽しく読めたかもしれません。

サンシャイン:最初の方で、人間のシャーンと、人形たちの会話がごっちゃになって混乱しました。なんども前に戻って名前を確認しながら読み進みました。原文もこういう書き方なんでしょうかね? 日本語で読むと、人間と人形の書き分けがまったくされてないので、戸惑います。人間の世界にも人形の世界にもメイドがいるし、わかりにくい。まあ、受け入れちゃえば読めますが。ベルトランが人形を拾ったあたりから急にいい子になるのは、ちょっとどうなんでしょう? 話を進めるには必要だったんでしょうが、あまりにも突然改心しすぎるように思います。ちょっと苦しいんじゃないかな……

みっけ:私も、人形と人間が同じように書かれているのを読んで、ちょっと混乱しました。特に最初の方は、人形は動きませんというルールがあるはずなのに、なんだか動いているような感じで、あれ?という戸惑いがありました。後の方になると、作者がきっちり「風で飛ばされたのでしょうか」とか、「手が震えていて落ちてしまったのかもしれませんが」という形でフォローを入れているので、動いていないんだな、と確認できたのですが。

ハリネズミ:私もそこは気にして読んだんだけど、最初から最後まで人形は動いてないですよ。そこはきっちり書かれてるの。

みっけ:ベルトランがかなり急激に改心することについては、私はあんまり気になりませんでした。というのは、ベルトランは元々優等生で、本人は悪気がないのに、周りの人の気持ちがきちんとくみ取れないために嫌われるというタイプでしょう? だから、周りが自分を疎んじていることにいったん思い至れば、後はわりと楽にいい子になれると思うんです。私がこの本で一番印象的だったのは、ベルトランが海に飛び込んでカーリーを拾うシーンでした。人形が海底に落ちていって、海藻がゆらゆらと揺れて、という場面。とても印象的でした。今考えると、切迫した状況と、カーリーののんびりした感じ方のギャップが妙にリアルだったからかもしれませんね。とにかく全体に、お人形さんごっこでお人形がしゃべるのと、実際には動けない人形がいろいろなことに巻き込まれていく様子とのかみ合わせが、なんかしっくり来ませんでしたね。昔『人形の家』(ルーマー・ゴッデン著 瀬田貞二訳 岩波書店)を読んだときにはそんなふうに感じなかったんですけれど……。年を取ると気になっちゃうのかなあ?

メリーさん:『人形の家』の延長にある物語と聞いて、そちらとあわせて読みました。人形は、自分では動けないけれど意識はちゃんとあって、強く願えばその思いはかなうーーその設定が踏襲されたお話でした。主人公のカーリーも、そんなわけで自分では動けないけれど、強く願う。その思いが偶然を呼んで、事件を解決に導く。今の子どもたちは人形遊びをしないから、この物語はピンとこないかもしれないなと思いつつ、でも、人形たちは人間の知らないところでこんなことを考えているんだよ、という人形の側からの種明かしのような気もして、おもしろく読みました。

ハリネズミ:冒頭の部分は、登場キャラの数が多すぎるから確かに混乱しますね。カーリーが外に出て、ベルトランと出会うところからがメインだとすれば、最初の部分はもっと整理した方が読みやすかったのにね。ベルトランが出てくるあたりからは、登場人物もカーリーとベルトランの2人になるから、ぐっと読みやすくなります。でも、全体的に古すぎません? 最初に「この人形の家には、おとなの男の人形はいませんでした。なのに、どういうわけか、家の中には、魚とりあみや、剣、角帽といった、男の人形のためのものがありました」ってあるのね。「角帽というのは、大学の先生が卒業式のときにかぶる、黒くて四角くて平たい、ふさのついた帽子です」とも書いてある。今は女性の大学教授だっているし、女だって釣りくらいするでしょ。それ以外のところでも「男は強くたくましく」という価値観が貫かれていて、気になります。イギリスの児童文学は、長いこと中流階級以上の人が、中流階級以上の読者に向けて書いてきたんですね。この作品も、いかにもそんな感じですね。作品の根底にある価値観が古くさい。
それと、ベルトランが妹に頼んでシャーンに人形を送るシーンは、住所があやふやなのに、奇跡的に届いたという設定。あとでベルトランはカーリーを自分でシャーンの家に返しに行くんだから、まず自分宛に人形を送ってもらえばいいのにって思ったけど。あと、P164の「この町にカーリーと同じような水兵人形が売っている」という表現は誤植かな。

サンシャイン:この本は、ずっと訳されていなかったんですね。

ハリネズミ:出されていないものには、それなりの理由がある場合も多いですよね

げた:人間と人形がごっちゃになっているって感じたのは、私だけじゃなかったと知ってちょっとホッとしました。ドールハウスの人形はどうしたって動かないんだから、人間が人形を動かした結果にストーリーを与えて、物語をつくったっていうことなんですかね?このお話、ラストはみんな落ち着くとこへ落ち着いて、ハッピーエンドになっているのは、読み手に安心感を与えますね。カーリーも大佐も、友だちからも、親や家族からも疎まれていたベルトランも、帰るべきところへ帰ることができて、よかったねって。

小麦:私も人形と人間の会話が混同してしまい、最初の方は読みづらかったです。イラスト入りの登場人物表をつけるとぐっと読みやすくなったのでは? あと、『人形の家』のイラストは、いかにも人形という絵なのに対して、『帰ってきた船乗り人形』のイラストはより人間っぽい。カーリーなんかは、生きている人間の男の子に見えます。イラストをもっと、状況説明に利用してもよかったのかなと思います。これは好みの問題ですが、装丁も、最初見たときには翻訳ものというよりは、日本人作家の作品に見えて、ゴッデン作なんだとすぐには気づかなかった。ゴッデンの世界観が伝わるようなクラシックな装丁だったら、 読む方もある程度心構えができたような気がします。人形たちが人間の与り知らぬところで、いろいろなことを繰り広げているというのはいくつになっても心おどる設定で楽しめました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


2008年06月 テーマ:日常をちょっぴり離れて

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『2008年06月 テーマ:日常をちょっぴり離れて』
日付 2008年6月26日
参加者 サンシャイン、メリーさん、げた、みっけ、ハリネズミ、いずる、小麦
テーマ 日常をちょっぴり離れて

読んだ本:

ヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』
『曲芸師ハリドン』
原題:ESPERANZA by Jacob Wegelius
ヤコブ・ヴェゲリウス/作/絵 菱木晃子/訳
あすなろ書房
2007.08

版元語録:「他人を信用しないこと」を信条に生きてきた曲芸師の少年ハリドンは、たったひとりの友をさがしに、夜の街へととびだした-。スウェーデンからやってきた現代のおとぎばなし。
本多明『幸子の庭』
『幸子の庭』
本多明/著 北見隆/絵
小峰書店
2007.09

版元語録:幸子の家には、志郎曾お爺ちゃんが造った大きな庭がある。でも、今は荒れ放題になっている。そこへ、96歳になる久子曾お婆ちゃんが庭を見に上京することに…。 *日本児童文学者協会第5回長編児童文学新人賞受賞 *産経児童出版文化賞受賞
ルーマー・ゴッデン『帰ってきた船乗り人形』
『帰ってきた船乗り人形』
原題:HOME IS THE SAILOR by Rumer Godden
ルーマー・ゴッデン/著 おびかゆうこ/訳 たかおゆうこ/絵
徳間書店 
2007.04

版元語録:子どもたちと人形たちの悲しみや喜び、わくわくする冒険を名手ゴッデンが繊細に描く、正統派英国児童文学の知られざる名作。

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ブルーバック

ティム・ウィントン『ブルーバック』
『ブルーバック』
ティム・ウィントン/作 小竹由美子/訳 橋本礼奈/絵
さ・え・ら書房
2007.07

みっけ:本を見ただけで、なんとなく先入観が先に立って、環境保護の本なのかなあと思って読み始めたら、案の定、環境保護の本でしたね。別に読みにくいわけではなく、主人公の少年がブルー・バックと最初に出会うあたりの感じはなかなかよかったし、画面として取り出してみれば、けっこうきれいな箇所がいくつかあったのだけれど、最終的には印象の薄い本でした。この主人公とお母さんの暮らし方などは、たしかにおもしろいなあと思ったのですが……。104ページあたりに、自分たちは捕鯨で生計を立ててきて、だから自分たちの暮らしを支えてくれた自然を守らなくては……という話がちらっと出てきますが、白くて大きな骨がたくさん浜に林立するイメージにはハッとさせられるけれど、それにしっかり肉付けがなされるところまでいっていない気がします。なんとなく、書いてあることがこっちに迫ってこない感じで、全体としては食い足りなかった。

紙魚:前半、エイベルが海の気持ちよさや偉大さに魅了され、ブルーバックとの出会いによって、ますますそれが高まっていく過程は、とても自然に伝わってきました。海に入ったときの体感がうまく表現されているところもところどころにあり、文学的だなと思う表現もありました。ただ、後半になると、その体感が薄れます。エイベルが研究者となるあたりから、前半描かれていた、海のやさしさ、偉大さ、驚異というようなものが、環境問題等に置き換えられて、せっかくの物語の心地よさが狭まっていくように感じました。彼自身が抱く、海への感覚がもっと書かれていると、海の不思議もさらに伝わってきたのになと思います。

クモッチ:最初の、ブルーバックと出会うところは、自分が潜っていないのにそう感じられるほどで、気持ちよさが伝わってきたので、おもしろく読みました。39ページ2行目、「数秒後に、〜ドラ・ジャクソンが〜」とあるのに、つぎの行に「母さんは〜」とある。ドラ・ジャクソンって、お母さんのことですよね。読みながら、ん?ドラ・ジャクソンってだれだっけ?と思ってしまう。こういうところが何か所かあって、読みにくかったです。中盤以降については、お母さんが、「海が変わってきている」と言ったり、主人公が「海のことが知りたい」と思ったりすることは書いてあっても、何か具体的でない感じがしました。大人だったら、ああ環境破壊のことを言っているんだなとかわかるんですが、あまりに抽象的なので、最後読み終わったときに、得られたものがなかったな、という気持ちになってしまった。物語自体の印象が浅いというか。もっと、主人公の海を愛する気持ちで感動したいのに、簡単な粗筋で終わっているように感じました。

みっけ:海洋学者の人たちって、ただ研究をして実験をするだけでなく、実際に海に潜ったりするじゃないですか。おそらく、そうやって実際に海に潜ることによって、やはり自分は海が好きだ、ということを再確認しながら、抽象的だったりやたら細かかったりする研究にも耐えていくんだと思うんです。だからこの本でも、主人公が海洋学者になってから、たとえばほかの海に潜ってそこで感じたことから自分の故郷を思うとか、あるいは海洋汚染の現場で潜ってみていろいろなことを考えるとか、そういう体験を書けば、もっと物語が立ち上がってきたかもしれませんね。

クモッチ:体の感覚として、もっと伝わるといいのかな。海の生き物との出会いとか、水の気持ちよさとか。

メリーさん:本文が、直訳調でちょっと気になりました。もう少し心理描写もあったらよかったのになと思います。それでも、ブルーバックのくだりを読んで思い出したのが、縄文杉。人間よりはるかに長生きしている生き物と、ちっぽけな人間との対比。主人公が子どもの頃出会った魚に、大人になって再び会い、自らが年を重ねていくことを感じるところはいいなと思いました。そして、場面をもっと書き込んでほしかったです。

ハリネズミ:海の中の描写とか、この子が海に抱いている思いは、とってもいいなあと思って読みました。ただ筋がご都合主義的で、悪い人たちが、主人公たちが何も行動しないうちに、都合よく水産庁につかまってしまう。私は、写真を撮って知らせるとか、ここから何か運動が始まるのかな、と思ったのに。皆さんが言っているように、後半が文学というより説明になってしまってますね。お母さんの変化は主人公も感じ、読者にも伝わりますが、海をどう見ているのかは伝わってこない。メッセージ性が先に立ってしまったんでしょうか。エイベルの妻が「海にいるのと、〜どっちがいい?」って二者択一の問いかけをするんだけど、海にいながら、結局最後は科学者になるわけですよね。最初から二つを結びつけた選択だってできたんじゃないかと思ってしまいました。あと、117ページの絵が悲しそうなので、子どもが死んじゃったのかと思いました。

クモッチ:「海について話すのと、海にいるのとどっちがいい」という話題は、子どもにわかるのかな? とても大人っぽいテーマを含んでいると思いますね。

ハリネズミ:これ、課題図書なんですってね。感想は書きやすいのかもしれません。ただ本当に海の大切さを感じさせたかったら、後半にももう少しふくらみがあるとよかったですね。

クモッチ:この作者は、お母さんのことが書きたかったのかもしれないですね。

ユトリロ:日本風にいえば、このお母さんは海女なんでしょ。78ページ後半「人食いザメは、飢えと疲れで死にかけていた。見ていると哀れで、エイベルは気分が悪くなった。銃をもっていたら、船を横につけて頭を撃ちぬいて楽にしてやるところだ」の部分が、おお出た、西洋人!という感じでした。日本的にはない考え方ですね。日本人は犬が飼えなくなったらそっと捨てて誰かに拾ってもらうのがやさしさで、逆に西洋人は飼えなくなったら自分の責任で安楽死させるという考え方。まあ、サメですから日本の子どもたちも別に違和感を持たないかもしれませんが。全体としては、粗筋っぽい感じがしますね。きれいな本ではあるんですが。子どもたちが読んで楽しめるのでしょうか。課題図書って、何冊ずつ決まるんですか?

クモッチ:4冊ずつですね。小学校低学年・中学年・高学年・中学・高校で、計20冊。

フェリシア:すごくおもしろい!ということもなかったけれど、つまらなくてひどいということもなく普通に読みました。少年は、海を理解したくて研究を続けているうちに、大好きだった海からどんどん遠ざかっていってしまった。そのことに気がついて、また海に戻ってくるというあたりは、人生観としておもしろく読みました。研究を続けて海洋学者になっていくのだけど、合間に戻ってきたときに、お母さんが年をとっていくのが、印象的に描かれています。主人公は、お母さんがここで生きていくのはきついなとか、再婚した方がいいなどと思うんですけど、最後まで彼は何もしないところが、何となく違和感がありました。環境問題などの他、自分の生き方を選択していく過程、家族など、いろんなテーマもほどよく入っているので、子どもが読ませたい本として課題図書になったのかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年5月の記録)


花になった子どもたち

ジャネット・テイラー・ライル『花になった子どもたち』
『花になった子どもたち』
ジャネット・テーラー・ライル/著 多賀京子/訳 市川里美/絵
福音館書店
2007.11

メリーさん:安心して読める、安定感のあるお話でした。目新しさはないけれど、日常に隠れている、ふとしたできごとに目が向くお話だと思います。姉妹がけんかをし、妹のほうが息をつめて、庭の茂みに隠れる場面は印象的でした。土のにおいや草のにおい、罪悪感を抱えながら、物語の登場人物に自分を投影している妹の描写は真に迫っていると思います。姉が母親を恋しく思い、天井に天国の地図を描くところなども、いいなあと思いました。最後、姉妹の性格ががらりと変わるのは、少し唐突な気もしましたが、(おばさんの麦わら帽子から髪が出ているところを悪くないと思うように)少しずつ他人を受け入れる素地が作られていったのだなと思い、納得です。

クモッチ:私は、この本は結構好きでした。はじめ、古めかしい本のように思ったんですが、読み進むうちに、とても現代的でシビアな問題をきちんと描いていることがわかってきます。この姉妹は、お母さんを亡くして不安定な状態にいて、二人を引き受けなくちゃならなくなったミンティーおばさんは、とても注意深く接し、この子たちを少しでもいい状態にもっていきたいと思っているんですね。手探りで彼女たちのようすをうかがっているのがとてもよく伝わってきました。二人がそんな辛い時期を乗り越えるのが庭だった、というのは、新鮮でした。ガーデニングとかいっていやされるのは、大人のような気がするのだけれど、物語中の、もうひとつのお話の効力によって、花が人に思えてきて、子どももその不気味さもひっくるめて、興味を持つのでしょうね。その辺がおもしろかったです。上手だな、と思ったのは、近所の子どもが遊びに来て、妹がそれを台無しにしてしまうシーンの後、お姉ちゃんが天井の地図を見ながら考えていて「ネリーには私がついているけど私はひとりぼっちなんだ」とあらためて思う場面。とても切ない気持ちが伝わってきました。

紙魚:装丁の感じや、読み始めた印象から、ずいぶん昔の本なのかなと思いましたが、途中、電話の子機が出てきて、あっ、現代の物語なのだと気づきました。子どもがおもしろく読むのかどうかはちょっとわかりませんが、大人として読むには、とても楽しめる本でした。それまで、庭になんて目をとめなかった子どもたちが、花になった子どもたちを想像することで、ぐんぐんと庭の存在感を強く感じとっていくさまは、おもしろかったです。ティーカップさがしをするのが目的ではなくて、そのことがきっかけとなって、姉妹が大きくなっていくのですよね。市川里美さんのていねいな挿絵も、とても素敵でした。128〜129ページの見開きの絵などは、何度も何度も、すみずみまで見てしまいました。物語を読み進める、いい目印になりました。

みっけ:私は、かなり好きなお話でした。安定した構造で、大叔母さんのところに行かされたらそこに草ぼうぼうの庭があって……という展開は、いかにもクラシックなものだけれど、ここに書かれている子どもたちの変化がとてもリアルで、ちゃんと子どもが書かれているなあ、と思えたんです。姉妹で年齢に差があるせいもあると思うのですが、たとえばお母さんの死であるとか、大叔母さんの家で暮らすことになるとか、そういった出来事に対する受け止め方に差があって、そのあたりもきっちり書かれていると思います。だいたい、最初のうちの妹のわがまま放題な様子もかなりすごいけれど、こういうことってあると思うんです。ごく小さいときに大きな変化を被ると、すごく不安になって、せめて自分でいろいろなきまりを作って、それをかたくなに守ることで、自分にもコントロールできるところがある、という気持ちを持たないとやっていられない。
この姉妹の違いという点で言えば、途中でお姉ちゃんが「花になった子どもたち」のお話をしてあげると、お姉ちゃんの予想以上に妹の方が夢中になりはじめますよね。これってたぶん、一番小さな子に自分を重ねているんだろうと思うんですが、そうすると今度は、お姉ちゃんがちょっと引きはじめる。このあたりの機微もリアルだと思いました。それに、妹がぐいぐいと変わっていくあたりも、そうだろうなあと思いました。何らかのこだわりを持っていた人間が、それとは全く別のことに夢中になることで、こだわる必要を感じなくなる。また、夢中になって行動を起こすうちに、今まで人とは関わりたがらなかった人でも、他人がそばにいることをある程度自然に受け止められるようになる。そういう変化もリアルに書けている。
もうひとつ、大叔母さんの設定もリアルだと思いました。子どもにとってはいい大人なんだと思うんですが、この人は、自分にとって理解できないところの多い相手とのつきあい方を、焦ることなく探っていくでしょう。相手がわがままをいったからといって、すぐに正面衝突するのではなく、うまく流しながら相手を理解していく。そのあたりが、ゆったりしていていいですよね。それと、ティーカップ探しは読者を引っ張る一つの大きな要素なんだけれど、どうなるんだろう、真相はどうなんだろう、と思っていると、最後のあたりで、なんだ大叔母さんが仕組んだことか、ということになる。ところが最後のところで、でもひょっとしたら?という感じで締めくくっているのが、とても楽しかった。

ハリネズミ:私は、妹の変わり方が腑に落ちなくて、そこにひっかかりましたね。いろんな決まりを自分でつくっているだけでなく、気に入らないことがあったら石を投げちゃうくらいの子なのよね。病的なほど、自分でいろいろ決まりをつくっている。それがこれほどあっけなく変わっちゃうんでしょうか? 自然が子どもの気持ちをいやすというのは、『秘密の花園』にも書かれているし、昔からよくあるテーマですよね。大人は、この終わり方もいいと思うかもしれないけど、子どもは、謎が解決されないので、すっきりしないのでは?

紙魚:私も、子どもが読んだら、実際にはどうなんだろうと思います。かなり大人っぽい話ですよね。

ハリネズミ:ポットがふたつあるのはおかしいと思うのでは? 大人は、不思議でいいやと思うかもしれないけど、子どもは納得しにくい。

フェリシア:おばさんが仕込んで埋めているのだけれど、読者には、本当に埋まっていたかもしれないと思わせるようにしているのでしょうか。

クモッチ:もし、最後にポットがまた発見されないと、なんだおばさんが埋めたんだな、という事になってしまうので、おもしろくなくなってしまいますね。だから、最後におばさんも知らないポットが発見された、という終わりかたをしたのかな。ネリーは、本の世界に夢中になり、庭にのめりこむことで、花に変えられた子どもたちと、友だちになったように感じ、だんだんに心を開いていったのかな。だから、実際に近所の子たちが来たときに、抵抗なく接することができた、という感じで流れを理解することができました。

小麦:最初は「ネリーって、なんていやな子」と思ったんですけど、中盤ティーカップ探しにネリーが夢中になっていくあたりから、どんどん好きになっていきました。今まで他人に対して心を開かなかったネリーが、お兄ちゃんたちに手伝いを頼んじゃったり、どんどんたくましくなっていく。ティーパーティを再現する時も、本の通りにやらなくちゃいけないかしら? というおばさんに「クッキーでじゅうぶん」なんて、さばさば答えたりしていて、おかしいです。冒頭では、気難しく病的な子どものように書かれているけど、それは今までの事情で感情がくすぶっているからで、本来ネリーは、のびのびした、子どもらしい子なんだと思います。後半、ティーカップ探しに夢中になるにつれ、ネリーが自分らしさを取り戻していく感じがいいと思いました。
ティーカップの魔法は結局とけないわけだけど、ネリーはたいして気にしないんですよね。子どもたちが集ってパーティーがはじまり、すっかりそっちに夢中になっちゃう。最初は「こんなのあり?」って思ったんですけど、ネリーのキャラクタ?を考えると、ありえるなと。細かいことなんて飛んじゃって、目の前のものに夢中になることってありますよね。私も子どもの頃、烈火のごとく怒り狂っていたはずが、次の瞬間けろりと笑ってたりなんてこと、よくありましたし。

フェリシア:里美さんのさし絵は、素敵ですが、装丁の絵は少し古めかしい感じがします。妹のネリーについては、私も最初は病的な感じがしていました。友だちとかかわりを持てなかったり、お姉さんとしか話さなかったり、自分だけの奇妙な規則を作ったり……自閉症的な感じがしたので、てっきり自閉症の子なのだと思いました。ですので、話の途中で急速に変化していくので、あれっ?と思いました。そのあたりは、しっくりこなかったです。いちばんしっくりこなかったのは、男の子に手伝ってもらうところ。心をひらいて第三者を受け入れるということを言うがために、男の子を登場させたように感じてしまったのね。ああ、ここでネリーの成長を書きたかったんだと。また、保護者となるおばあちゃんと子どもたちの関係が、手探りで子どもとかかわっていくところ、すべて受け入れようとするしているところなど、『スリー・スターズ』とは対照的で、興味深いです。また、ネリーがまともになっていくのと同時に、ミンティーおばさんも元気を取り戻して再生していく感じが心地よかったです。

ユトリロ:筆者の視点は登場人物全てに等距離というわけではなく、姉のオリヴィアに近いんですね。ネリーは母親を亡くしたつらさをルールを決めて自分を縛ることで表現しているんだけども、オリヴィアの視点から書かれているので、妹はきっとこうなのよねという感じになっている。自分のなかでルール通りにいかないとヒステリーになるような妹を、お姉ちゃんはカバーしてあげていて、おばさんも「落とし穴に落ちちゃう」というような表現をしている。お父さんよりもおばさんの受け止め方の方がうまくて、おばさんとの関わり方のなかで、ネリーも癒されていったのかな。ところで結局、このカップはどうしたんでしょうね? おばさんが埋めたんですか? ひと時代前にこの家に作家が住んでいて、そしておばさんの家族が住むようになって、おばさんは庭の世話をしていた。そこに、母親が亡くなった姉妹がやってきた、という筋でいいんですよね。それでやっぱりおばさんがカップを埋めたという解釈でいいんですか?

フェリシア:おばあさんも、子どものときにその本を読んでいるのですから、子どものときに同じように、テーブルセッティングしていて、遊んでいたのではないですか? 私の想像ですが。

クモッチ:47ページで、おばさんが「これまでだって、いろんなものを見つけましたよ…」と言うんですよね。これ、どういう意味だったのかな。これが伏線になって、空想の世界(お話の世界)がひろがっているんだけど、ここからして、おばさんが仕組んでいたのかな?

フェリシア:でも、深くから出てきたのもあったんですよね。

小麦:でも、最初のカップはおばさんが見つけています。やっぱりおばさんがやっているんですよ。こっそり埋めて。

フェリシア:そんなに大きな問題じゃないんです。

ハリネズミ:でも、知りたい。

フェリシア:それを考えながら読むんですよね。

ユトリロ:いかにもイギリスの話かと思っていたら、アメリカの作品なんですよね。それから、邪悪な妖精っているんですか。私は「精」という言葉に引っ張られて、割合いいイメージを持っていたんですが。

ハリネズミ:フェアリーの中にも、悪いのや醜悪なのがいっぱいいるんですよね。『妖精事典』(キャサリン・ブリグズ/著 平野敬一他/訳 冨山房)を見ると、たくさん出てきます。いい妖精でも、いたずら好きだし。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年5月の記録)