カテゴリー: 子どもの本で言いたい放題

やまの動物病院

『やまの動物病院』表紙
『やまの動物病院』
なかがわちひろ/作・絵
徳間書店
2022.08

さららん:短いお話ですし、すっと読めました。ストーリーと絵がぴったり一致していて、各ページの絵のレイアウトにも心地よいリズムがあり、ひとりの作家が絵も文も手がけた作品の強さを感じます。線のおもしろさを生かしつつ、要所要所に色を入れる手法が成功しています。例えば、「まちの動物病院」や猫の「とらまる」が初めて登場するとき、黄色でアクセントがつけられていて、そのページで語られていることがひと目でわかり、字を読むのに慣れていない子どもたちにとって手助けになるはずです。とらまるが、夜になると「やまの動物病院」を開いて、先生をしのぐ腕前を見せるところなど、猫好きの私としては胸がすく思いがしました。犬のジュリアちゃんの歯を抜く場面では 病院に通う動物たちみんなの力を借ります。棚からぼたもち式に、その歯がみごとに抜けて、爽快な展開です。絵本から物語へ一歩踏み出す子どもたちにぜひお薦めしたい1冊。絵の中に、ジュリアの飼い主田中さんと、まちの先生のラブストーリーもこっそり入っているように見えます。そんな遊び心もおもしろいと思いました。

コアラ:すごくおもしろかったです。絵と文章が連動しているのがとてもいいと思いました。p15のとらまるの絵もいいですよね。片目でしっかり先生を観察しています。ところで、とらまるの治療をみると、病院の薬や注射をどんどん使っているようで、知らない間に減っていることを人間のまちの先生は気づかないのだろうか、と思ったけれど、そんなことに神経質になるような人ではなさそうなキャラクター設定がされているので、薬などはなくなったら補充する、程度の管理かなとも思われます。あと、p53でジュリアの歯が抜けているところが絵に描かれているのも、楽しくていいなと思いました。

雪割草:絵を眺めているだけでも楽しくて、スポットライトのように当てられた色まるが、ポイントかつコントラストになっていてよかったです。まちの先生は暇で、とらまるのやまの動物病院は大忙し。山田さんが「きれがあまったから、ついでに、とらまるのもつくっちゃいました」と言って、まちの先生ととらまるにくれた白衣には、ふたりおそろいで胸にとらまるのマークが付いている。主人公はとらまるだ、というのが随所に描かれていて、それを見つけてまた愉快な気持ちになりました。よく見ると、とらまるとジュリアちゃんは人間といるときはよそ顔で、動物たちといるときはいろんな表情があって、それもおもしろかったです。何度も読んで眺めたくなる作品です。

花散里:この物語は、「よい作品」としか言いようがないと思いました。子どもの本の選定会議を毎月、行っていますが、日本の幼年児童文学に秀逸な作品が本当に少なくて、読み継がれていく作品、残っていく作品が少ないと常に感じています。今回、じっくりと読み返して、この物語はとびぬけてよい作品だと改めて思いました。文章はもちろんですが、絵も楽しめて、かつおもしろい。画面の展開、色の使い方も上手で本当にうまいと思います。特に猫の表情などが微笑ましくて、片目をあけている絵など見入ってしまいます。絵本から児童文学へ移行して行く子どもたちに手渡したい作品であり、これからも読み継がれていく物語だと思います。

wind24:楽しく読みました。中川さんの絵もストーリーも優れていて、絵本から読み物に移行する幼年童話として素晴らしい作品だと思いました。また子どもだけではなく大人の読み手も楽しませてくれると思います。最初の挿絵にもあり、あとがきにも書いてありますが、「ほこら」がまちの病院とやまの病院を結ぶ役割を果たしています。日本にはいたるところに祠があり、モチーフとして身近で、ワクワク感があります。
そしておもしろいのは昼間の「まちの病院」がお客さんが少なく閑散としているのに対して、飼い猫とらまるの夜の「やまの病院」が大繁盛しているところです。昼間寝たふりをして先生の診察するところを真剣に盗み見て、夜の診察に生かすとらまるの表情がおかしくて、おなかをかかえて笑いたくなります。
犬のジュリアの歯を抜くときの構図が「おおきなかぶ」に、またどなたか言われていましたが、動物たちが診察のお礼に持ってくる山の物が「ごんぎつね」にと、親しんだお話が盛り込まれているなど楽しい気づきがありました。私もまちの先生と山田さんこれから良い関係に発展していくのでは?と思いました。おしまいのほうの、 まちの先生の頬の赤みがそれまでより大きく、LOVEの文字の風船が意味深で、もともと山田さん(多分未亡人?)は、まちの先生(多分独身?)に気があったのですよね? 鈍いまちの先生もさすがに気が付くでしょうか(笑)など大人の妄想も膨らむのでした。

繁内:私もこの作品とっても好きで、去年の親地連のセミナーの1年間の振り返りの中でも選ばせてもらった作品です。本当に、図書館で幼年文学を並べていると、同じ人の作品ばっかりで、なかなか新しい人のラインアップが生まれてこないんですね。新しい幼年の本を選ぶのをどうしようと悩むんですが、この物語は、幼年文学として楽しめる、とてもいい作品だと思います。のんびりやでお年寄りの、まちの先生と、ふとっちょの猫のとらまるという取り合わせも、最高です。この物語がおもしろいなと思うのは、私も猫好きで猫3匹飼ってるんですけど、とらまるが診察の前に、バリバリッとつめをとぐところなんかは、しっかり猫なんです。動物としての特徴とか、性質、本性を残したまんま、診察に励んでいるところがすごくおもしろくて、その診察は丁寧で、昼間は寝ているとらまるが、夜は、いいお医者さんだというのも落差がおもしろいです。
子どもたちも読んでて、その辺にいる猫ちゃんも、もしかしたら夜になったら違う顔をしているんじゃないかなとか、ちょっと思ったりするんじゃないかと思うんです。異界への入り口が、ちゃんと用意されているのが、素敵だなって思います。病院の横に祠があって、ここに祠があるってことが、ここにあるのが、町の世界と山の世界の境界で、祠があるってことが印なんだなって、私も見て思ったんですけど、最後読んだら後書きでネタバレされているんです(笑)。これはネタバレがあって楽しいのか、なかったほうが楽しいのか、でも、そういう仕掛けも楽しくて、読みながら細かいことがよく書き込まれていて、いろんな発見ができるのがいいです。
さっきどなたかおっしゃってましたが、『おおきなかぶ』を思わせるようなシーンがあったり、動物たちがお礼を置いていくのは、あれは『ごんぎつね』の世界へのオマージュかなとも思うんですね。子どもたちが読んだことがあって親しみ深いそういう絵本の世界が取り入れられているっていうことも、この物語に入りやすい。絵本から、次の物語へ、っていう段階にある子どもたちが、「あっ、これ知ってる」っていうことって、なじみ深い楽しいことなのだと思って。そういう仕掛けもすごく考えられているということも楽しいところではないかと思います。
絵もすごく好きで、すっぽーんって瓶が抜けたときに、ジュリアちゃんの歯が、抜けてるんですが、そのちっちゃい歯がちゃんと書かれていて、「あ、抜けたね!」と思えるんですよね。子どもたちは、ここを見つけて嬉しいんじゃないかと。こういうところが最高にいいです。みんな動物たちが助け合って生きているっていうのは、子どもにとって好ましくて、そういう気持ちになれるんじゃないかなと思います。

アンヌ:最高に楽しんで読みました。私はまず「ほこら」と「耳毛」でこれは何かが起きるぞと感じたのですが、文章にも絵にも、あちこちに不思議要素がうまく置かれていると思いました。おもしろい推理小説を読み返す楽しみというのは作者が張った伏線を回収したり、ヒントを見つけていくことにあると思うのですが、この物語も同じように、作者が仕掛けた仕組みを再読して見つけることができると思います。何度も読みなおして楽しめるというのは児童文学として重要な要素だと思うので、そういう点でも素晴らしいと思います。私の好きな絵は「やまの動物病院」の札の絵です。作者が「どうぶつたちにはわかります」と説明してくれているけれど、読めない文字が描かれていて、その札が出てくる度に物語のリズムと不思議な動物世界の始まりを感じさせてくれます。

サンザシ:私もこの本の欠点を上げる人はいないと思ったので、この会では議論にならないだろうなと思っていたんです。でも、みなさんの意見を聞いていて、ここが気にいった、というところがそれぞれ違っていたので、そこもおもしろかったです。とらまるは、田中さんのことは気に入ってないんですね。p16やp58のとらまるの表情を見れば、それがわかります。だから、田中さんの作った白衣をすぐには着ないんだろうな、と思ってたんです。田中さんも、「どうせ きないでしょうけど」と言ってるし。でも、その夜、とらまるはすました顔でその白衣を着てるんですね。ここはちょっと笑ってしまいました。絵だけを見ていても、お話が楽しめるという点では、絵本の次に読むものとして、ふさわしいですよね。楽しい読書ができますね。

ハル:お話自体は、構成も決して珍しくはないけれど、動物病院の裏庭に、小さな祠がある、として、それを「あとがき」で、祠は「ふしぎなことがおきた場所にたてられることが多い」と受けるところとか、いかにも本当にこの動物病院が存在していそうに思わせ、物語と現実の世界とをつないでくれているところに、これがファンタジーなのよ! という思いがありました。カモシカのひづめに小石がはさまった、とかも。ああ、これは動物同士で診察できるお医者さんがいなくちゃだめだ、むしろいないと困る、と思わせてくれる説得力があります。この説得力が、物語の吸引力を高めていくんだなと、とても勉強になりました。

ルパン:この読書会でこういう素材はめずらしいなと思いました。何もいうことはありません。全ページに挿絵がある幼年童話、絵本から読み物への移行期の子どもたちに手渡したいですね。いちばんおもしろかったのはみなさんのコメントです。さららんさんの「まちの先生と田中さんのラブ」には「その視点があったか!」と、目からうろこ。コアラさんの「薬補充しなきゃ」には笑った!

シマリス:おもしろいお話だなぁと思いました。子どもが出てこなくて、大人と動物の物語ですが、子どもも感情移入しやすく楽しい本ですね。綱引きみたいにひっぱる場面で、はなみずをたらしたキツネと、おなかかぜのタヌキが、まわりの動物に感染させないか、と心配してしまうのは、コロナ禍の“後遺症”なんでしょうか(笑)

アオジ:わたしも「すばらしい!」というよりほかない作品だと思いました。絵本から物語に移る年齢の子どもたちは、夢中になるでしょうね。私が好きだったのは、やまの病院の、猫がひっかいたような看板です。「大人たちにはわからないけど、本を読んでいる私にはわかるもんね!」と、子どもたちはとてもいい気持になるのでは? 私も、ずいぶん昔にカエルのお医者さんの物語を3つ、4つ書いたことがありますが、プラセボとか、詐欺師とか、誘拐事件とか、なんかこねくりまわして失敗したなと、いまさらながら反省しています! あと、さららんさんがラブストーリーっておっしゃったけど、これは田中さんの片思いなのでは? トラマルは、それに気づいているから、いやな顔をしているんでしょうね。

しじみ71個分:こちらの本は私が選書したのですが、読んで全く素直におもしろいなと思ったのが理由です。この読書会では、YAの本を読むことが多かったので、絵本から読物に移行する年齢層が読んでおもしろい幼年文学、幼年物語というのはどんなものか、ということが今一つ分からないままでした。で、自分がおもしろいと思ったこと自体にあまり自信が持てなかったのですが、みなさんのご意見をうかがって、よいと思ったのは間違いじゃなかったんだなぁと腑に落ちました。テーマ性とか、何とかそういうものでなく、まず読んでおもしろいことが大事でいいんだなと思いました。まず、絵がよくて、まちの先生も、とらまる先生も魅力的だし、最初の動物病院がある場所の絵の中に祠が描いてあったのには、何か起こりそうな予感がしましたし、病院が町と山の境あたりにあるというのも、『西の果ての白馬』と同じように、異界と現世のあわいを象徴していることが後からわかります。繁内さんもご指摘なさったように、動物たちからのお礼が置いてあるのは「ごんぎつね」、アヒルの頭を瓶から抜くのは「おおきなかぶ」と、お話の種があちこちに撒かれているなと思いました。とにかく、読んで可愛くて、楽しくて、とてもおもしろかったです。みなさんと一緒に読めてよかったです。

サンザシ:猫がお医者さんになる話は他にもありますね。『ねこの小児科医ローベルト」(木地雅映子文 五十嵐大介絵 偕成社)は、猫が子どもの病気を治すお医者さんになる話で、とてもおもしろかったです。カエルがお医者さんになる「キダマッチ先生」シリーズ(今井恭子文 岡本順絵 BL出版)もゆかいですが。それに比べ犬がお医者さんになるという話はあまりないような気がします。どうしてかな?

(2023年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)

Comment

西の果ての白馬

『西の果ての白馬』表紙
『西の果ての白馬』
マイケル・モーパーゴ/作 ないとうふみこ/訳
徳間書店
2023.03

アオジ:わたしは第一作の「巨人のネックレス」をSinging for Mrs.Pettigrew: A Storymaker’s Journey(Walker Books, 2007)というモーパーゴの短編集で既に読んでいたんです。タイトルにある『発電所のねむるまち』(あかね書房、2012)や『モーツァルトはおことわり』(岩崎書店、2010)等、邦訳されている作品を含む優れた短編を作者の言葉と共に載せている、とても良い短編集で、未訳の魅力的な短編も6つほど入っています。でも、「巨人のネックレス」だけはモーパーゴらしくなくて、なぜこんなに悲しい短編を書いたのか不思議に思っていました。女の子が好きなことを一所けんめいにやった結果がこれ?と思って。作者も、「子どものころゼナー近くの浜辺でタカラガイを集めた思い出から書いた」と述べているだけです。この短編は絵本にもなっており、amazonでは好意的なレビューもありますが、子どもに薦めたくないという意見もあります。という訳で、最初から素直な気持ちでは読みすすめられなかったというのが正直なところです。それに、2話から5話までの主人公が地元の自然のなかで生きている子どもたちなのに、ネックレスのチェリーは避暑でここに来ていた女の子なんですね。それで余計に疎外感を感じたのかもしれません。
「アザラシと泳いだ少年」も寂しいお話ですが、「西の果ての白馬」と「ネコにミルク」はさすがモーパーゴらしい、よくできた短編だと思いました。
訳文もなめらかだと思いましたが、「巨人のネックレス」のp36で、チェリーが「あなた、(溺れかけたひとを)たくさん助けたのね」というと、幽霊が「まあね。何人か」という。そのさみしそうな声にチェリーの胸がしめつけられて……という箇所ですが、“Singing for Mrs.Pettigrew”では、「何人か」と幽霊がうなずき、「何人か」と繰りかえす、その声が悲しそうなので、チェリーが元気づけようと思って……となっています。幽霊のほうはチェリーが死んでいるとわかっているのに、チェリーは気がついておらず幽霊を元気づけようと思っている……こういうところは本当に上手だなと思ったのですが。でも、モーパーゴは同じ作品を絵本にしたり、短編集のなかの一話として発表したものと単行本にしたものでは、文章を増やすなどして変えたりしているので、この部分も短編集にするときに変えたのかもしれませんね。

シマリス:とても魅力的な短編集でした。悲しいお話と、ハッピーエンドのお話の混ざり具合がいいな、と感じました。冒頭に「巨人のネックレス」があることで、次以降の作品も、ハッピーエンドとは限らない、とドキドキしながら読めました。「アザラシと泳いだ少年」は、今の時代だと、新しい作品として書きづらいかもしれないなと思います。モーパーゴであり、古い作品だから、許容されたのかなぁ、と。1982年に刊行されたものが、なぜ今のタイミングなのか、裏話をお聞きしたい気もしました。順番に読んでくれ、と書いてあるけれど、最後のお話だけ最後に読んでくれ、じゃだめなんですかね? 1つめから4つめまでの短編は、そんなに順番に読む必然性を感じなかったのですが、何か見落としているのかしら……。コーンウォール地方には行ったことがなくて、ネットで検索しました。頭のなかで想像していた風景とほぼ同じものが出てきて、うれしくなりました。コーンウォール地方に行かれた方がいたら、お話をうかがいたいです。

アオジ:児童文学の舞台としては、古いですけれど、スーザン・クーパーの『コーンウォールの聖杯』(武内孝夫訳 学研プラス、2002)がありますね。子どもたちアーサー王伝説にまつわる古文書を発見することから物語が始まると記憶していますが。コーンウォールは、ペンザンス、セントアイブス、エクセターなど何度か滞在したことがありますが、とても魅力的なところです。浜辺を歩いていて普通にアザラシに遭遇したり、沖にイルカが海水浴客と競争して泳いでいたりするようなところです。英国では唯一といっていいくらい陽光に恵まれたところなので、画家がおおぜい住んでいると聞きました。セントアイブスは、特に芸術家の集まっていたところで、バーナード・リーチの工房や、バーバラ・ヘップワースのアトリエ、テート・セントアイブスなどもあります。ヴァージニア・ウルフは、子どものころ休暇で滞在したセントアイブスの灯台を頭に描いて『灯台へ』を書いたといわれていますが、白く輝くその灯台を見て、時の流れと距離の関係が腑に落ちた(ような気がした!)のを覚えています。

サンザシ:私は、ロンドンで下宿させてもらっていた人がコーンウォールに山小屋をもっていて、2回はそこに行かせてもらったのと、1回は、友達と旅行で行きました。印象的だったのは、ゲール語系のコーンウォールの言葉を教育でも取り入れようとしていて、道路標識等も英語との併記になっていたことです。都会と違って荒々しいとも言える自然があって、アーサー王にまつわる場所もたくさんありました。

ルパン:この本ですが、どれもおもしろかったですが、やっぱり「巨人のネックレス」の読後感がよくなかったかな。海にとりのこされたチェリーの絶望感がつたわってきて、自分まで悲しくなりました。死んでしまったというのも残酷だし、その前に親は何していたんだとかも思っちゃって。海に子どもひとり残して帰るな、とか、なかなかもどってこなかったらすぐに迎えに行かなきゃ、とか。だから、つぎの「西の果ての白馬」も、きっと「一年と一日」の約束を忘れてひどいことになるんだろうと心配していたら、ちゃんと覚えていてよかったなと思いました。「ネコにミルク」も。さいごに「ミス・マーニー」を読んで、ああ、チェリーが死んだのはお話のなか、という設定なんだな、と思ってちょっとホッとしました。

ハル:私も、特に最初のお話なんか、昔話独特の気持ち悪さみたいなものも感じますし、どうしてあえてこのお話を……という気持ちもありますけれど、やっぱり、マイケル・モーパーゴってすごいなぁと思いました。伝承の、物語としての稚拙さを自然におぎないながら、1冊全体でエンターテインメントとしてきれいにまとまっている感じがしました。佐竹美保さんのカバーイラストも、特に表4、裏表紙側のイラスト(これは……何かちょっとわからなかったけど)に、いつもに増した凄みを感じます。

西山:私もこの「巨人のネックレス」のラストはショックでした。この展開はまったく予測していなくて不意打ちという感じです。そして、とにかく順番通りに読んでいくと、「巨人のネックレス」から始まっていなかったら、他の作品をここまでひやひやドキドキしながら読まなかったろうと思いました。また、残念なことになるんじゃないか、こわいことになるんじゃないかと油断できませんでしたね。してやられたという感じです。ですから最初と最後は不動で後は入れ替わっても大丈夫なのかなと。「アザラシと泳いだ少年」は、たしかに異様で不穏なイメージも覆っているのですが、たとえばp103のアザラシがぬっとあらわれて見つめあう場面や、p114のアザラシの面談の場面など、目に浮かんで笑えてくるほど好きでした。他の作品でも、動物の描写がゆかいで、『やまの動物病院』とペアにしたのはこういうことか! と勝手に納得していました。「ネコにミルク」の最後「いま話したら、きっとおまえは信じるだろうが、大人になってそのお話がほんとうに大切になるとき、信じようとしなくなるかもしれない」という言葉がとても新鮮でした。こういう言い伝えに幼いときに触れてそれを信じることはよいこと、という価値観を持っていたことに気づかされました。それにしても、ノッカーはなんて気がいいんでしょうね。

サンザシ:どのお話もおもしろく読みました。最初の「巨人のネックレス」の主人公が死んでいるとわかるところはびっくりしましたが、嫌だとは思いませんでした。コーンウォールは、伝説や昔話がいっぱいある場所なので。たしか「ゼナーのチェリー」という伝説もあったかと。モーパーゴはそういうのを下敷きにしているのかもしれませんし、普通に私たちが考える死とは違う部分もあるかもしれません。鉱山にいる親子も、生きている人たちのすぐとなりにいて、生きている者たちを見守っているみたいだし。2つ目の話と4つ目の話は、やっぱりこの順番で読むべきでしょう。以前は妖精やこびとを信じて折り合いをつけるのが大事だと考えていた人たちもたくさんいたのに、時代が下ると、そういう人は希少になると言っているので。ストーリーテラーとしてのうまさということで言うと、モーパーゴは随所に本筋とは一見関係がないエピソードを入れて、それぞれの人の暮らしの片鱗を垣間見せ、短いストーリーの中でも人物をうまく浮かび上がらせています。「巨人のネックレス」でも、4人の兄たちとチェリーのやりとりなどを入れて、物語に深みを持たせています。「西の果ての白馬」では、ノッカーという妖精がもたらした幸運だけではなく、村人たちの心配りも書いて、ベルーナさんが働き者で信望も厚いということを浮かび上がらせています。また、ノッカーから借りた馬との別れがつらいことを、「ペガサスの背にまたがったまましばらくいっしょに海をながめた」という文章で表現しています。「アザラシと泳いだ少年」では、すでに話に出ていますが、アザラシに話しかけたりする場面を入れることで、ウィリアムの人となりをあらわし、読者が感情移入できるようにしています。「ネコのミルク」では、さっき西山さんもおっしゃいましたが、「いま話したら、きっとおまえは信じるだろうが、大人になってそのお話がほんとうに大切になる時、信じようとしなくなるかもしれない」(p152)という部分に、モーパーゴらしさを感じました。世の常識やステレオタイプを超えた知恵を子どもに伝えようとしているのかな、と。
全体をとおして、超自然的な要素が登場し、数や効率や論理では割り切れないものが確かにあること、それを畏敬する感覚を子どもにも伝えようとしているのだと感じました。
「最後の一編を読んだとき、すべてのつながりが明らかになる」と訳者あとがきにありますが、1回読んだだけでは「すべて」のつながりは、まだよくわかりませんでした。それと、「はじめに」には、「この本に書いたのは昔話ではない」という著者の言葉があるので、モーパーゴが書いたのだと思って読み始めると、最後は、どの話もミス・マーニーが書いたということになっていて、物語世界の中に矛盾が生じていると思ってしまいました。

アンヌ:私も最初の「巨人のネックレス」の少女の死にショックを受けたのですが、前書きに順番に読んでほしいとあり出版社の内容解説にも「順番に最後まで読むとこころあたたまる」とあったので、きっと最後には大どんでん返しがあってチェリーが生き返るんじゃないか、それならどういう話になるんだろうとあれこれ想像しながら読んでいったので、最後まで読んで、がっかりしてしまいました。「アザラシと泳いだ少年」は主人公が幸福になった話とも読めますが、『ケルト民話集』(フィオナ・マクラウド著 荒俣宏訳 ちくま文庫)の「神の裁き」にある、アザラシになってしまった男の恐ろしい民話が背後にあるようで、異界に行ってしまった少年の物語として心がひやりとしました。だから、ノームを救ったり友達になったりする楽しい「西の果ての白馬」についても、いつかはアニーが白馬に乗ったまま海に入って帰れなくなるんじゃないかとか心配しています。「ネコにミルク」のノームは本当に農民に親切で、同じ土地に住んでいる者同士として環境を保全していくという作者のメッセージを感じましたが、ちょっとノームが自分で説明しすぎとも思いました。「ミス・マーニー」では、ケイトがおもしろい子で楽しい物語でしたが、マーニーの異能もいつかまた社会の中で排除される時が来るだろうなと感じ、全体を読み終わっても心温まるとは言えない感じがしました。翻訳で気になったのがp144の「お牛」で、一瞬なぜ丁寧語なんだろうと思いました。ここは「牡牛」にふりがなでいいと思います。

繁内:モーパーゴは結構、テーマ性がいつも強い作家だと思って読むんですけど。この作品は、ケルト文化のファンタジー要素がもとになっているので、物語としての豊かさがとても感じられる連作短編になっていると思います。「巨人のネックレス」で、確かにチェリーが死んでしまうのは、もうほんとにかわいそうなんですけど、チェリーが遭難するシーンとかが、すごい迫力があるなと思って。どの短編もそうなんですが、1回目に読むのと2回目に読むのとでは、おもしろさが違いました。チェリーの物語も1回目に読んだときは、最後まで死んでると思わなかったんですけど、2回目に読むと、ある時点から幽霊になってしまっているという小さな伏線がいっぱい書かれていて、そういう伏線の張り方を2回目に読む楽しみがありました。確かにチェリーが死んでしまうのはとてもつらいことなんですけど、これが最初に書かれていることでコーンウォールという場所自体が、なんだか生と死のあわいっていうんですか、境界線上のような場所だということを提示する役割になっているのではと。チェリーが壁を上りながら、集めた貝を、どこに置いたのは捜索隊が壁の途中で見つけているから、そこまでは生きてる。でも、どこで死んでしまったのか、ほんとうは定かではない。チェリーという、読み手には身近な感じの女の子が、ふっと、生と死のあわいというか、神話の強い磁場みたいなところに取り込まれてしまうということが、この物語全体のひとつの大きな伏線になっているのではと思いながら読みました。「西の果ての白馬」は、タイトルになっているんですけど、典型的な、なんというか、妖精に贈り物をして、それを返してくれるという話なんですけど。ノッカーは土地の顕現するものというか。土地の表しているもののような気がして。自然の力といっしょに生きるということを象徴していることが2番目に書かれていて、それが4番目の「ネコにミルク」と対になっているというところが、やっぱり上手だなと思いました。
「ネコにミルク」で、除草剤、殺虫剤をまかないでほしいというところも、モーパーゴらしい。環境問題にすごく関心があると思うので。さっき、サンザシさんもおっしゃってましたけど、時代とともに、土地とのつながりが薄れてしまうという、モーパーゴのひとつの問いかけなんだろうなと思いました。p135で、土地は誰のものでもない、生きているあいだ、この土地を拝借しているだけなのだ、というところが、いろんな意味で心にしみました。モーバーゴは原発の問題も取り上げてるので、土地についても強い思いがあるんだなと。「アザラシと泳いだ少年」も、辛いお話なんですけど。人間の世界で生きづらいウィリアムが、アザラシの世界にいってしまうんですが、これはセルキー神話ですよね。アザラシの皮をかぶったらアザラシになって、脱いだら人間になるっていう。障がいのある者への深い差別感が描かれているのでは。多分、土地との繋がりが深くて、地元にずっと生きてる人たちが、繋がりが強い分、違う人に対しては排斥しがちになる、というところがうまく書かれていると思うんです。お父さんがウィリアムを見下す気持ちの底に、男らしさっていうのか、自分がウィリアムの姿を見るたびに、自分が男としても人間としてもダメな奴だと思い知らされるような気がしてあまり関わらないようになるって書かれてるんですが、なんかこう、男らしさとかって、人間界の神話じゃないですか。人間の世界の思い込みや神話にとらわれているうちに、息子をあっちの世界に追いやってしまう切なさがあるなって。
いろんなおとぎ話の中に今の社会に対する批判も、取り入れているのも、モーパーゴらしいです。最後の「ミス・マーニー」は、さっきサンザシさんが、ミス・マーニーとモーパーゴと、作者がふたりいるんじゃないかとおっしゃっていましたけど、ミス・マーニーは女の人なんですけど、モーパーゴの分身の分身のような気がして。モーパーゴが分身として、この地にやってきて、語った物語が、この連作短編なんじゃないかなっていう風に思いながら読みました。マーニーが心の目で見たこの村のことが、モーパーゴが自分の胸に住まわせている、この土地への思いが集まったものがマーニーであって、彼女に語らせてるけど、本当はモーパーゴが語っているというか。分身じゃないかなと思いました。全体として、人間の豊かさは何なんですか、という問いかけがあるように思いました。今の時代しか見ない人に対して、それは豊かじゃないんじゃないかっていう、神話とか土地の歴史とか、厚みとか、それを子どもたちにミス・マーニーが受け継いで語っていくというのは、過去から未来への受け継ぎじゃないかと思いながら読みました。

wind24:今回紹介していただかなかったら読まなかった書籍かもしれません。良い機会をいただきありがとうございます。みなさんが言われるように、生と死の境界線がなく、さまざまないのちが交差した世界観だと思いました。
私の友人がコーンウォールにも近い南部デボン州のダートムーア国立公園内でペンションを営んでおり、数日でしたが滞在する機会がありました。荒涼とした原野や湿地、少し行けば赤土の崖がそびえる海が広がっていて霧が発生しやすく、その雰囲気が奇々怪々としていて多くの妖精伝説や魔女伝説があるのも納得の風土でした。
「巨人のネックレス」は、私も最後の最後までチェリーは生きていると信じて読み進めましたので、あっ、そうなんだ、と。この世の人ではなくなったチェリーに驚いたとともに、残念な気持ちでした。映画「シックスセンス」を彷彿とさせ、日本人の死者の描き方とはちがうなぁと感じました。また鉱山で出会う炭鉱夫の幽霊の会話文が少し耳障りでしたので、訳者が違えばどのような文体にされるかのかと思ったりしました。
この本に限っては順番通りに読んでくれと何度か書かれていたので、どんなどんでん返しが待っているのだろうか、と期待しながら読みましたが、「ミス・マーニー」は案外拍子抜けする展開でした。でもp195、おしまいにマーニーがケイトに「時間がなくてまだ書いていない物語がある。ミス・マーニーという変わり者のおばあさんのおはなしさ」といったことが書かれていて、モーパーゴさんのストーリーテラーとしての優れた一面をみた思いです。
印象に残っているのは「ネコにミルク」で好き勝手をするトーマスに老人が言うセリフがあります。「土地はだれのものでもない。おまえさんのものでも、わしらのものでもない。わしらはただ、生きているあいだこの土地を拝借しているだけなのだ。そしてまたつぎの者にひきわたすんじゃよ」。(p134)これはネイティブ・アメリカンはじめ多くの先住民族に共通する考え方。SDGsにも通じるこの知恵を今一度掘り起こし、次の世代に引き継いでいきたいと思いました。

花散里:中等部高等部の学校図書館に勤務しています。国語の授業でなるべく長編小説を読んでほしいという取り組みがあり、長編小説になかなか手の届かない生徒たちに短編小説を手渡したいという依頼を受けました。日本の短編小説、古典から新刊本、外国文学からも選書を行い、この『西の果ての白馬』も選びました。教員が広い机に短編小説を面出しして、テーマごとに並べたのですが、この作品はタイトルや佐竹美保さんの表紙画が良かったのか、借りられていました。5編の短編集の中から、「西の果ての白馬」がタイトルに選ばれたのがよかったのかと思いました。本書が刊行されてすぐに読みましたが、今回、読み返して、「西の果ての白馬」と最後の「ミス・マーニー」が強く印象に残りました。特に「ミス・マーニー」にはモーパーゴの作品に対する思いが詰まっていると感じました。『子どもと読書』(親子読書地域文庫全国連絡会発行)の編集を担当していますが、特集の「作品世界」に外国の作家として初めてモーパーゴを取り上げました(№431 2018年9・10月号)。その特集の中で、日本に翻訳されていない作品が多いということを記していただきました。本作も1982年の作品ですが、刊行されて本当によかったと思います。モーパーゴの作品には戦争を背景とした物語が多いのですが、本作のような妖精や幽霊など、昔話のおもしろさを描いたものも秀逸で、読み応えがあると思いました。「ネコにミルク」に書かれた 殺虫剤の使用についてなどを読んでいて、『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著 新潮社他)第9章「死の川」で、DDT撒布でサケが大量に死んでしまったことなどを思い返しました。モーパーゴの伝えたいと思うこと、環境問題についてなども、どのように作品を子どもたちに手渡していくのかということも考えました。「アザラシと泳いだ少年」は、あまり印象に残っていなかったのですが、読み返してみて、いじめ、身体的な障害、海に入ったときに泳げるようになったことなど、「自分はアザラシに救われた」ということが、子どもたちに勇気を与えているのではないか、と感じました。外国の作品は、「知らない世界を知る」ということからも、子どもたちが読むことの意義は大きいと思います。本作の5編とも、子どもたちは心を寄せながら読めるのではないかと思います。短編の良さが詰まっている作品として、子どもたちに手渡して行きたいと思います。

雪割草:おもしろかったです。モーパーゴのストーリーテラーとしての巧みな語りに引き込まれました。それぞれのお話がゆるくつながっている、とモーパーゴのまえがきに書かれていたけれど、2、4、5話のつながり以外はよくわかりませんでした。個人的には、白馬やアザラシなど動物が出てくる話が好きでした。どのお話にも子どもが出てきて、おとなよりも自然に近い存在として描かれていると思いました。子どもたちは生きものへの愛情があって、心が通い合うさまがよく描かれていてよかったです。今の子どもも、こういうところに共感できたらいいなと思います。原書の初版は40年前のようですが、なんで今出したのか知りたいと思いました。土地に根ざした民話は、日本にもたくさんあると思うので、子ども向けによい作品が出たらいいなと思います。

コアラ:私も、原書は1982年刊行で40年前の本なので、どうして今出版したのかな、と思いました。でも、今読んでも、パソコンとかスマホとかテレビとか、時代をあらわすような「物」が出てこないので、古びることのない物語になっていると思います。全編にわたって、生き物に対する愛情や、自然を人間の支配下に置くのではなく共存するというような眼差しが感じられて、読んでいてやわらかい気持ちになりました。「はじめに」の最後に「順番どおりに読んでほしい」とあるので、どんな仕掛けが最後に待っているのかと楽しみにしていたのですが、ミス・マーニーのお話だった、というのは、ちょっと拍子抜けするものでした。p180で、ミス・マーニーがケイトに最初に話して聞かせた物語は、「巨人のネックレス」だけれど、翌日に話して聞かせた物語は、アザラシと少年の話で、この短編集では3番目になっています。話して聞かせた順番にはなっていないようなので、気になりました。結局「順番どおりに読んでほしい」というのはどういう意味なのか、自分なりにつながりを読み取っていきましたが、作者の意図がわかったかどうかいまいち自信がないままでした。でも、今みなさんのお話を聞いて、「巨人のネックレス」を最初にもってきたりとか、いろいろよく考えられているんだろうなと思いました。

さららん:「巨人のネックレス」、「西の果ての白馬」、「アザラシと泳いだ少年」……と、作者の言葉通り順番ごとに読み進むうち、体ごと、コーンウォールのゼナーの世界にもっていかれた印象がありました。なかでも印象が強かったのは、「巨人のネックレス」です。チェリーは死んでいるんだろうと途中でわかってきたけれど、私自身は嫌な感じというより、現実と伝承のあわいの、不思議な世界に投げ込まれた感じがしました。貝をつないで巨人のネックレスをつくる行為そのものに作者は象徴的な意味をこめたのかもしれない、そんなふうにも思えます――これからさまざまな話をつないでゼナーの自然(=巨人)に捧げる、というような。独特の地形や海の中から現れる不思議な存在がゼナーと言う未知の場所を形作り、陰影もふくめて、子どもの読者に出会ってほしい世界です。訳もこなれていて読みやすいのですが、「ネコにミルク」の章のp140「め牛」とp144「お牛」の表記で、おや?と思い、ここは「雌牛」「雄牛」にしてルビを振るなど別の選択肢もあったかも、と思いました。この章では、「牛たちが、じぶんの乳房をいきおくよく吸って乳を飲んでいたのだ」(p137)という描写がおもしろく、「ありえない!」と思いながら、牛の格好を想像して笑ってしまいました。調べないとわかりませんが、牛の乳の出が悪いとき、土地の人たちが言い合うお気に入りの冗談なのかもしません。人間にとっての悲劇をまえに、「ごぞんじのとおり、農場ではよくあることじゃ」(p145)と、しゃあしゃあといってのけるノッカーにはふてぶてしいユーモアさえあり、そんな細部にもモーパーゴのストーリーテラーとしての手腕を感じます。

しじみ71個分:モーバーゴは本当に物語がうまいなあと思います。今回も感服しました。前書きから話が進んでいくのは、『最後のオオカミ』(はらるい訳 文研出版)でも使われていた手法だと思います。その時は、モーパーゴと思しきマイケル・マクロードなる人物が孫娘にパソコンを教えてもらって家系について調べたら、ひいひいひいひいひいひいじいさんの回想録が見つかった、というところから物語を始めていますが、同じようにモーパーゴ自身のような人物を置いて、あたかも現実の問題から歴史や物語を紐解いていくようなスタイルが共通していると思います。それによって、読む人が現実のような現代の話から境界線や時代を緩やかに超えて、フィクションの世界に自然に没入していくことができるわけで、モーパーゴ自身を語り部として物語とフィクションをつないで行っているように思います。「巨人のネックレス」では、人の生き死にが、わりとそっけなく投げ出されている感じが、昔話や伝説の再話と同じような印象を与えます。遠野物語に共通しているようなところがあると思いました。昔話の中には、登場人物が死んでしまったのか、それとも行方不明になったのか、突き詰めて明確に描かず、不思議を不思議のまま残していく話もあります。この出だしの物語が、会話を現代調にすることで、リアリティを増しながら、昔話的世界にいきなり入って行かせる役割を果たしているように思いました。遠野もそうですが、このゼナーという土地も、おそらく厳しい自然との結びつきが強くて、こういう不思議な話がそこかしこに存在する場所なのではないかと思いました。厳しい自然とともに生きるところに、自然への怖れや敬意が生まれ、物語が残るというのは現代にも共通するものではないかなと思います。

(2023年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2023年6月 テーマ:親と子どもの関係

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『2023年6月 テーマ:親と子どもの関係』
日付 2023年6月20日
参加者 ネズミ、ハル、スズメ、花散里、すあま、オカリナ、きなこみみ、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、さららん、ANNE、ニャニャンガ、マリーナ、雪割草、まめじか
テーマ 親と子どもの関係

読んだ本:

キャンピングカーの屋根に男の子がのっている絵の表紙
『住所、不定』 STAMP BOOKS

原題:NO FIXED ADDRESS by Susin Nielsen, 2018
スーザン・ニールセン/作 長友恵子/訳
岩波書店
2022.06

〈版元語録〉4か月前、ぼくとママはキャンピングカーで暮らしはじめた。アパートを追い出されホームレスになったんだ。ところが一時的なはずの車上生活は長引き、しだいに身も心も追いつめられていく。親友に噓をつくのも、もう限界! TV番組に出て賞金を獲得すれば何もかも解決する――ぼくはそう信じた。少年の涙と希望の物語。
男の子が弁当を食べている絵の表紙画
『あした、弁当を作る。』
ひこ・田中/著
講談社
2023.03

〈版元語録〉母さんに触られた。ゾクッと寒気がした。いったい、ぼくはどうなってしまったのだろう?──ひこ・田中が描く、中学生男子の反抗期!

(さらに…)

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あした、弁当を作る。

男の子が弁当を食べている絵の表紙画
『あした、弁当を作る。』
ひこ・田中/著
講談社
2023.03

すあま:読んだ後の率直な感想としては、おもしろくなかった。主人公と非常に古臭い考え方を持つ両親との会話が平行線でかみ合わないまま、ずっと続いていくのを読み続けるのが辛かったからです。大人対子どもの構図も日本の児童文学によくある感じで、もうちょっといい大人、ちゃんとした大人に登場してほしかった。主人公の友だちは、みんな主人公の気持ちや状況をわかってくれるけれど、それぞれの個性が見えないというか、だれがだれだか途中でわからなくなり、女の子たち3人は、3人いる必要があったのかな、と思いました。

さららん:しばらく前に読んだので、忘れているところもありますが、おもしろいなと思ったのは、主人公が、お弁当の冷凍食品の買い方や、おかずの作り方など、友だちのアドバイスでだんだんうまくなっていくところ。中学生の男の子の、身の丈にあった生活感に好感を持ちました。封建的な父親と、父親にいいなりの、子どもの世話を生きがいにしている母親の在り方はステレオタイプで、ひこさんがふだん描く両親の在り方と全くちがっています。私は、ひこさん的な、子どもを対等な存在として接する両親が大好きなんですが、この物語は自立がテーマなので、あえて古いタイプの両親を出したんじゃないかな。うちの両親も(ここまで露骨じゃないけれど)かなり封建的だったので、そんな中でどう主人公が自立していくか、応援するような気持ちで読みました。彼は決してめげずに、また自暴自棄にも陥らず、自分を保ってよく闘っていると思うし、この両親と共に暮らしていく以上、いくじがない闘いかもしれないけれど、弁当作りは(そして洗濯も)ずっと続けていくんでしょう。立ちはだかる「壁」にボールを投げては受け取り、投げては受け取りしながら、子どもは子どもなりに成長していく。これまでのひこさんの作品とは違うけれど、共感を覚える子はきっといると思うのです。

コアラ:まず、カバーの袖の文を読んで、あまりピンとこないな、と思いました。読み始めても共感できないままで、主人公のタツキの姿が全く立ち上がってこない。最後まで、どの登場人物も、体温のある生身の人間という感じがしませんでした。たとえば、p136〜p137のタツキとカホの会話。タツキが、母親に触られたくなかったこと、気持ちが悪かったことをカホに話し、「どうしてだろう」とカホに聞きます。カホが、お母さんから自立したいからだと指摘すると、「母親からの自立?」とタツキが驚きます。中1にもなって、子どもから大人になる時期に自分がいる、という発想をしていなかったタツキに、どうしても違和感があって、リアルさが感じられませんでした。親を疎ましく思う反抗期の感覚と、男女の役割分担の問題、子どもを支配する親の問題などが、書かれてはいるけれども、ストーリーになっていない感じがしました。ただ、最近の子どもはやさしいし、人を傷つけたくない、特に親を傷つけたくない、と思っている子が、そう思ったまま反抗期に突入したら、親を疎ましく思う感情と、傷つけたくないという気持ちとで、引き裂かれてつらいかもしれない、とは思いました。親に対する反発が芽生えてくる時期を、荒れる様子で描くのではなく、弁当を作ったり洗濯を自分でしたりするという、自立の方向で描く、というのは、アイディアとしてはおもしろいけれど、この作品については、物語として私はおもしろいとは思えませんでした。そのなかで、装丁のタイトルの書体は、うまく表しているなあと思いました。

ハル:ちょうど最近、何の記事だったか、「子どもの反抗期がなくなっている」という記事を読んで(親側に理解がありすぎて、子どもは反抗する理由がない、という内容でした)、ほんとかなぁとは思いながらも、そう言われてみると、児童文学の中でも、最近は「親子の絆」「きょうだいの絆」が強くて、会話も多くて愛があって、意見が食い違ったとしてもきちんと対話できる素直な子か、よっぽどひりひりする内容で、家族が崩壊していて達観している子かのどちらかで、いわゆる普通の家庭だけど、理由もなく親が嫌いで、話しかけられるといらっとくる、という子は見かけず、ほんとに反抗期ってないのかも? と思っていたところでした。なので、ある朝、いつものように母親に背中を触られたらぞくっときた、という描写に、きたー! とわくわくしたのですが、読み進めてみると、この家の親があまりに気持ち悪すぎて、残念でした。これは、逃げなきゃいけないやつ。もっと自然な、みんなが通る道(でもないのかもしれませんが)の反抗期を読みたかったです。もしかして、これは、反抗期じゃなくて、虐待を描いているのでしょうか?

スズメ:私は、とっても面白い作品だと思いました。さすがひこさん、上手いなあと。子どもたちの会話も生き生きしているし、「後ろ向きに歩く」っていうのがたびたび出てきて、そうそう、大人ってぜったい後ろ向きに歩かないけど、子どものころはそうだったなあと思いだしました。この登校のときにいっしょになる3人の友だちが、「マクベス」の3人の魔女みたいに、良いアクセントになっていて、それでいて魔女たちと違って、ちゃんと意味のある言葉を吐いて狂言回しの役目も果たしている。見事だなあと思いました。それでいて、子どもたちの姿かたちや服装などは詳しく描写せずに、お弁当の中身や、主人公の家の父親がいるときは7品、8品の豪華版、母と子だけのときは2品の食事は、目に見えるようにくっきりと詳しく描いている。こういうところも上手いと思いました。 ただ、作者の考えがあるのだろうとは思いましたが、主人公の親が「いつの時代のひと?」と思うほど古めかしいのが気になりました。読者のなかには、おもしろく読んだあとで「うちの親は、これほどじゃないよ」とか、「お弁当作りがお母さんの楽しみなんだから、奪うこともないんじゃない?」という感想をいだくだけで終わりになってしまう人がいるんじゃないかな。物語のなかには、作者が「こういう世界を作ったから、見にきて!」と誘いこむ作品と、「これ、どう思う?」と読者に問いかける作品があると思うけど、これは後者だと思うんですね。だから、ぜひグループで読んで、いろんな感想を出しあって、いろんなことに気づいてほしいと思いました。

オカリナ:おもしろく読めるし、時系列が一直線なのでわかりやすいといえばわかりやすいのですが、ワンテーマでこれだけ一直線に長々とていねいに書かれると、途中で飽きる読者も出てくるかも。たとえば『住所、不定』(スーザン・ニールセン作 長友恵子訳 岩波書店)では、なんだかわからないところから始まって、それが徐々にときほぐされていく、読ませる構成になっています。そういう工夫はあえてしていないのでしょうか。この作品では、親にかわいがられて、それに甘んじていた少年が、それを不気味だと思うようになる過程もていねいに描かれています。ただ、暮らしという観点から見ると、家事をやるとしても深くは考えずにただやってきた男性が書いたものという気がどうしても少ししてしまいました。たとえば冷凍食品は、味がどうこうという前に、農薬、添加物などの問題もあるし、この本では、洗濯も白物と色物をわけていないのはともかく、洗剤、柔軟剤、漂白剤を当然のように使っています。どうせ書くなら、そのあたりをも作者が意識を広げたうえで書いてほしかったなあ、と思ってしまったんですね。それと、お弁当は、アメリカとかヨーロッパだと、パンにハムをはさむとかピーナツバターをはさむとかして、あとはリンゴなどですます、簡単なランチボックスが多いですよね。日本は、きちんとかわいく作りすぎているかも。タツキにも、まったく違うものを作るという発想はないんですよね。

しじみ71個分:好きか嫌いかというと、そんなに好きなタイプの物語ではないですけれど、読んで本当におもしろいと思いました。母親にさわられて、体がゾクッと気持ち悪さを感じてしまう、というところなどは、私にとっては「気持ちわるっ!」とてもリアルに感じられて、「わー、ひこさん、すごい!!」と思いました。なんで、そんな気持ち悪いお母さん像が描かれているのかと思っているうちに、もっと気持ち悪いお父さん像がさらに描かれて、これまたすごいことになって、心臓に悪いなぁと思いながら読みました。この家族は既に内面的には崩壊しているし、お母さんもアイデンティティを見失って、夫と息子に依存して生きているわけですよね。なので、弁当を自分で作るというのは、母の弁当に象徴される支配を脱却して、生きるための闘いなんだろうと私は受け止めて読みました。弁当を自分で作る、自分で自分のものを洗濯すると宣言してからの、主人公龍樹の闘いというのが、ほんとすごくて、家庭内でネチネチネチネチと交わされる会話がすごい!もー、ホントにひこさんすごいと思いました。もうちょっと若い人の観点でこの物語を作ったら、父親は暴力をふるうだろうし、子どももバットを持ち出して、家庭が崩壊していく様子を描きそうなものですが、微妙な心の機微をずーっと追って、少年の自立を描いていくこの作品は、そういうのとは一線を画していると思います。それと、この物語を読み終わって、あ、親のことを嫌いでもいいんだ、ずっと好きていなくていいんだと、許されたような解放感を覚えました。両親たちを恨み、亡き者としなくても、嫌いなら嫌いなままで、なんとなく生きていくっていうのもありなんだと。これは、けっこう、多くの子どもたちの救いになるんじゃないかなと思います。親から解放される術として、弁当をつくり、洗濯をして、静かに抵抗するというのは、けっこうすごいことだし、やりきって偉いですよね。母親からも最後には「手際がよくなった」などと認める発言を引き出すまでになっています。お友だちがコントみたいに出てくるのも、場面展開としていいなと思いますし、友だちが繰り返し出てきては、「後ろ向いて歩くのはやめなよ」とか、友だちと幼馴染の定義とか、同じような発言や行動を重ねていくあたりは、コントのような、定番の安心感を生んでいます。人物を絞り込んでデフォルメして、生活のリアルから少し離れた感を出しつつ、内面描写に凝縮していく展開は、濃密に煮込んだ舞台や戯曲のようだと感じました。

きなこみみ:この作品は、とても身につまされて読みました。『住所、不定』よりも、こっちのほうが私にはリアルっていうか。このお父さんとお母さん、確かにとっても気持ち悪いんですけど、このお母さんの気持ち悪さは私も自分のなかに持っているし、他人事ではない感じなんです。デフォルメはされているんですけど、家父長制の権化のようなお父さんと、その価値観を内面化しているお母さん。でも家父長制の病理って、まだ日本の中にはすごく根強くあるし、日常に深く深く食い込んでいると思うんです。一見何も問題ないように見えている家庭のなかのレイシズムとか家父長制の暴力的なところとか、初めに主人公のタツキがぞくっとする感覚って、言葉にはならなくても、子どもの鋭い感受性がそれを感じたんじゃないかなと。この子は、あれ、おかしいな、と思う自分の中の感覚を見据えて、体で感じた違和感と向かい合って、なんとか言語化しようとします。この作品は、「家父長制」という言葉も、「フェミニズム」という言葉も使わないで、日常のなかに、おかしいことこんなにあるよね、と見せてくれる。p202で、タツキの友だちが、「弁当を作る男子は変わっていて、女子は普通だと思っているんだよ。多くの男子はそうだよ」と気づくシーンがあるんです。これは無意識のマイクロアグレッション、日常に埋め込まれている無自覚な差別です。これは、家庭もそうだし、社会にも、もしかしたら都会よりも地方にいくほど、それは非常に強く残っているかもしれません。この物語はそういうものを、可視化したものだなと、ひこさんの非常に野心的な作品だと思いながら読みました。この家庭がどこか嘘っぽいのは、母親っていう役割、父親っていう役割、子どもっていう役割を、ずっと演じ続けてきたせいかなと思います。p15で、「鏡に映っている自分の顔を見たとき、どんな表情をすればいいか困ってしまうのだ。無表情でいればいいのだろうけれど、それではいけないような気持ちになってしまう」とあるのは、そういうことなんじゃないかなと。タツキの両親に、全く言葉が通じない感じって、日本の今の政府に似ているように思うんです。父親が、タツキが弁当作りをやめないなら、小遣いをとめる、というんですね。これって、マイナカードを使わない自治体は交付金も減らしちゃいますよ、保険証も廃止しちゃいますよ、使わない人は診療費高くなるからね~、っていうのと一緒の発想やん、と思っちゃいました。あなたたちこういうもん、こういう病理持っているでしょと、日本人につきつけられてるように思って、変な話、ちょっと興奮しながら読みました。

雪割草:率直にいってお母さんが怖く、お父さんは亭主関白で、「ぼく」も自立と言いながら母親にあまり強く言えなく中途半端で、なかなか入り込めませんでした。自分で洗濯するといっても洗濯機を使うわけで、お弁当を作るにも冷凍食品、家族が少ないのに自分だけ好きにするのはわがままに思えてしまいました。洗濯に洗剤、漂白剤、柔軟剤を使うのは、人にも環境にも悪く、当たり前のように書かないでほしかったです。ジェンダーや家族の問題を描きたくて、そのアイディアからはじまったのかなと思うほど、作品の印象がそのテーマに引っ張られました。子どもたちが、女と男に対する常識についてやりとりするところも、理屈っぽく感じました。よかったところをあげるなら、子どもも意見してよいことをはっきり書いているところです。敢えての設定だとしても、この親は私と同年代なわけで、こんな親はいるだろうか、古いのではと思いました。

アンヌ:おいしいお弁当を作る話かと思って読み始めたら、全然違うお話でした。親の作るお弁当が嫌ならば、まずは最低限の空腹を満たすために梅干し入りのおにぎりを握って家を飛び出すとかすると思うのですが、この物語では冷凍食品を組み合わせて母親が作るような「おかず入りのお弁当」を作って見せます。なんだか、お弁当がとても象徴的で、空腹を満たすものではないことに気味の悪さを感じました。しかも、そのお弁当に入れるご飯は自分で炊くわけではないし、家にある材料や調味料は使う。自立的な行為としては中途半端だと思います。さらに、母親の作るお菓子はとてもおいしそうなのに、母親の人間性を表す小道具として扱われていたりして、食べ物への嫌悪感が強くて、読み続けるのがつらい気分がしました。けれども後半、一方的な会話ではありますが、親と話すことで、タツキは父親を意地悪している子供みたいだとか、母親は自分をいつまでも小さい子供にしておきたいんだとか判断していき、自立したい自分というものをしっかり自覚することができるようになるので、ほっとしました。

まめじか:ジェンダーステレオタイプや不均衡について考えさせる作品として、おもしろく読みました。こんなにはっきり見える形ではないとしても、日本の社会の中に根強くあることだと思うので。主人公が母親に背中をふれられてゾクッとしたり、母親のつくったお弁当をプレッシャーに感じて気分が悪くなったり、母親と話すネタをためていたりするのがリアルでした。ひこさんの作品は、ものわかりのいい、友だちのような親がよく出てきますが、この作品はそうではないのがこれまでとは違いますね。親の描写については、極端だという意見も先ほどありましたが、これまで親の支配下にあった主人公がそこからぬけだそうとする過程を描く上で、必要な設定ではないかと思います。経済力で家族をコントロールしようとする父親の横暴さ、父親に従うことに甘んじている母親のずるさに気づきながら、自分はどんな大人になりたいかと考える主人公がたのもしく感じられました。

ANNE:ひこ・田中さんの作品は、小学生の男の子の初恋と性に関する戸惑いをテーマにした『ごめん』が印象に残っているのですが、このお話はまた違った味わいでおもしろく読みました。中学1年生の男の子の親離れのきっかけは「お弁当」ですが、私が住んでいる地域では中学生が毎日お弁当を持っていくという状況がまずないので、そこをうまく思い浮かべられませんでした。「男は仕事、女は家庭」というお父さんと、家族の世話をすることが生きがいのようなお母さんが、あまりにもステレオタイプ過ぎて少し違和感もありました。子どものおやつにシューを焼いて、食べる分だけクリームを詰めてくれるお母さんなんて実際にいるのかしら?お母さんに「今日、学校はどうだった?」と聞かれたときのために、学校でのエピソードが複数あった日は一つだけ話してあとはストックしておくという技にもちょっと笑えました。毎日一緒に登校する友人たちとの会話や、隣の席の女の子とのやり取りなどが少し理屈っぽいなとも思ったのですが、読後感はとても良かったです。

マリーナ:専業主婦で、子どもの世話に全力を尽くすお母さん、というのが、今の児童書では少なくなってきているので、新鮮でした。思春期の男の子の心情がとてもよくわかって、ああ、なるほど、と思うことが多かったです。一つだけ気になったのは、地の文の父、母の表現が「父親、母親」に統一されていたことです。友だちとの会話も、ほとんどそうだったかと思います。でも、「お父さん」「父さん」「親父」「父」などいろんな表現があると思うので、全部が同じというのは、若干違和感がありました。主人公も、自立に目覚めるまでは、「お母さん」などの言い方でもよかったんじゃないかと。

ニャニャンガ:興味深く読んだものの、母親が中学1年生の息子にべったりなのを気持ち悪く感じてしまいました。主人公のタツキが母親に触れられるのを嫌がるようになったのは自然な流れだと思いますが、個人差はあれど中学生というのは少し遅いように感じました。それだけタツキは箱入り息子だったのかもしれません。ただ物語は、タツキの視点で語られているので、もしかしたら母親はひとりのときは自分の趣味などを楽しんでいるのかもしれないと想像してみたのですが無理があるでしょうか。父親が言葉で息子を追い詰める感じは、『ベランダのあの子』(四月猫あらし著 小峰書店2020.10)の父親を思い出すほど怖かったです。両親の反対を押し切り自分で考え行動していくタツキには成長を感じました。

ネズミ:これまでのひこさんの作品は、いつも今ふうの両親だったので、この作品を読んだときまず、めずらしいなと思いました。主人公は内心穏やかではないのに、表面的には親の言うことにうなずいて、波風を立てない態度をとるのですが、そのたびに「ぼくは最低の人間かもしれない」「父親を軽蔑した。軽蔑する自分が怖かった」というふうに、身を削られていくんですね。管理され、支配下におかれている人間が、いかに身を削られ、発言できなくなっていくかが如実に描かれ、すごいと思いました。それでも、お弁当を作らずにいられない。タツキが、自分に対してと父親に対してとで違うことをいう母親や、前の発言と食い違う論理で叱る父親の矛盾を、しつこいほど追求していくのを読んで、大人だっておかしいところがあるし「ノー」と声をあげてもいいんだよ、男だって料理したって洗濯したっておかしくないよと、作者が読者を励ましているように感じられました。

オカリナ:この両親は、ひどすぎますよね。だから、読んだ子どもは、逆にうちはここまでじゃないといって、そこで考えをストップしてしまうこともありそうです。

しじみ71個分:確かに、家父長独裁で専業主婦なんていうのは全く今風ではないと思いますが、逆に今風な理解のある、進歩的な親ばかりを描いていたら、今、実際に子どもたちが被害者になる事件が多発しているわけで、その今の闇みたいなものを描けないんじゃないでしょうか。

オカリナ:今風のだめな親を描いた作品もたくさんあるので、ここまで古くさくしなくてもよかったんじゃないかな。親に異議を申し立てるという点では、『小やぎのかんむり』(市川朔久子著 講談社)や『いいたいことがあります!』(魚住直子著 偕成社)が、おもしろかったです。

しじみ71個分:私が思ったのは、この家族は、前回読んだ『ベランダのあの子』(四月猫あらし著 小峰書店2020.10)の手前の状態なんだろうなということです。父親の発言も支配的でひどいし、父親のいないところでは悪口をいうくせに、本人の前では追随する母親も共依存状態で、責められる息子を救うよりも自分に累が及ばないことを優先しているし、親を肯定できない自分が悪いのではないかと自己肯定感が失われつつあって、すでにソフト虐待状態ですよね。痛ましい事件も起こっていますが、虐待の実態にはさまざまグラデーションがあるとも思いますし、その背景に煮詰まった家族関係による苦悩があるかもしれない、と想像してもらえるのではないでしょうか。

オカリナ:極端すぎて、自分のことと思えないってことはないんですか?

アンヌ:極端なものを読むことによって、似たような気配を感じるきっかけにはなるかもしれません。

オカリナ:自分にもかかわることとしてリアルに感じるといいんですけど、パロディだと思われてしまうかも。

きなこみみ:この物語を、パロディじゃんって感じる子は、この物語を必要としていないのかもしれないんですけど…お父さんが投げかけてくる、こういうゴリ押しの理不尽さって、誰でも人生のどこかで出会うと思うんです。だから、お父さんのやり方に、どこがおかしいのか、どうして違和感を覚えるのか、ぐるぐる自分の頭で考えるタツキの言葉って、そんな理不尽さに遭遇してしまったときのサンプルパターンというか…あ、あのとき、こんな理不尽なこと言ってくる大人のこと書いたお話あったなって、いつか、ふっと思い出せるかもしれないなと思って。日常のなかで、うまく言葉にできない、でも、もやっとすることを可視化するのは子どもの物語の一つの役割だと思うんですよね。自分の家庭以外のことって、案外わからないものなんで、この物語の家庭は確かに極端だけど、これを必要としている子はたくさんいて、その子たちが読むことで解放される面があるのでは。

オカリナ:なるほど。

しじみ71個分:私も、この本を読み終わったあと、正直、解放感を感じました。別に、親と特別仲が悪いとか、そいういうわけではないのですが、自分でも自覚しないうちに、親を大切に思わないといけない、親を悪く思ってはいけないというような価値観がやはりどこかに埋め込まれているんじゃないか、だから解放感を感じたのかなと思いました。そう考えてみると、そういうふうに知らず知らずのうちに思い込まされているのは、決して私だけじゃないのではないかとも思います。

ニャニャンガ:とはいっても、今の中学生の親世代で、こういう人たちはめずらしいのでは?

きなこみみ:学校って、今も古い価値観が結構根強く残っていますし。道徳の教科書も、「父母や祖父母を敬愛すること」が求められたりするんで、どの子も無関係じゃないようにも思ったりします。

(2023年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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住所、不定

キャンピングカーの屋根に男の子がのっている絵の表紙
『住所、不定』 STAMP BOOKS

スーザン・ニールセン/作 長友恵子/訳
岩波書店
2022.06

花散里:出版されたとき、話題になったのですぐに読みました。「住所」がなく、トイレもシャワーもないキャンピングカーでの暮らし、頼る人もなく、友だちにも嘘を重ねていく主人公の姿は、今回読み直していてもつらくなりました。母親には母親の考えがあること、それをフィーリックスが理解していることも、痛々しいくらいでした。そんな中で、友だちに支えてもらっていること、万引きをした店の店長や、レストランの人など、周りの人たちの描かれ方が良いと思いました。後半、クイズ番組にエントリーするところなどは興味深く読めましたが、日本の中高生がどうやって読んでいくのでしょうね。

ANNE:精神的に弱いところがある母親と二人でキャンピングカー暮らしを続けている12歳の男の子が主人公です。さまざまな不自由を強いられる中でも、母親の万引き行為を目撃してしまう場面は、本当につらく胸が締め付けられるように感じました。ただ、自らも難民である食料品店主の夫婦や、妥協することが苦手で周囲に溶け込めない友人などが、彼に温かく手を差し伸べてくれるのが救いでした。文章の中にところどころ太字で書かれている部分がありますが、原書ではどのように表記されているのかが気になりました。久しぶりに会った(生物学上の)父親が主人公に「好きな子ができたのかい? どんな女の子? それとも男の子かな?」とさらりと尋ねるシーンも印象的でした。作者はカナダの児童文学作家だそうですが、これもお国柄なのでしょうか? 今を生きる若い読者にぜひ薦めたい一冊です。

まめじか:主人公を助ける人たちの描き方がとてもよかったです。シリアからの難民のアーマディさんなど、日本の児童文学ではなかなか描かれないような人物ですよね。物語の中に、住宅価格の高騰などの社会問題が自然に組みこまれていると感じました。物語の後半、主人公がクイズ大会に出て優勝するまでの部分は、いまひとつはいりこめませんでした。いろいろな大学で幅広く学んだアストリッドや、クイズ番組が好きだったおばあちゃんといっしょにいたことで、主人公はクイズが得意だという設定なのですが、それで歴史の年号など細かいことまでおぼえられるものなのか……。

アンヌ:キャンピングカー生活の奇妙にウキウキする感じと、芸術家気質で魅力的な母親との工夫とウソに満ちた生活がとても魅力的に描かれていくのですが、そこからどんどん悲惨な感じになっていって、読んでいてつらくなりました。作者は、読者をドキドキさせるのがとてもうまいけれど、賞金を18歳まで受け取れないと知って窓に向かうところでは、自殺するんだと思ってしまい先が読めないほど怖く、この後の落ちといい、見事ではありますがつらい場面だと思いました。最後のほうの友だちと3人で神様はいっぱいいると語り合って、何か人間には計り知れない力もこの世にはあるということを話し合う場面は好きです。そして最終的に「人間を信じる」という、母親とは違う価値観を持って終わるのもよかったと思います。あとがきに、恋人ができたというと男女どちらと聞くところがカナダらしいと書かれていましたが、図書館や車を襲う変態男たちが、少年である主人公も狙っているという性暴力の現実を描いているのも重要だと思いました。

雪割草:「ぼく」の一人称の語りは、そのキャラクターがよく感じられて、どんどん引き込まれて読みました。内容も、おばあちゃんが亡くなって、家を売って、買ったマンションにトラブルがあって、シングルマザーなのに母親が失業し、鬱で、キャンピングカー生活になり、とありうるリアルな設定だと感じました。母親が万引きの常習犯になり、ヒーターのような大きなものまで盗んでしまうのは驚きでした。「ぼく」が母親に頼れず、ハツカネズミやおばあちゃんの形見のトムテを心のよりどころにしているのは、胸が痛むけれど子どもらしく、生きものや文化的なものを大事にしていて共感できました。アーマディさんがシリアから逃れ難民キャンプで生活していたというのも今的で、だからこそ「ぼく」の力になってくれるのも、人が支え合って生きていることを描いていてよかったです。最後に、「信じられる人」に出会うことの大切さを書いているのもあたたかな気持ちになりましたし、「ぼく」は強いけれど、その強さには無理がなく、子どもらしさもあって見事だと思いました。

きなこみみ:とてもおもしろく読みました。この物語は、主人公フィーリックスのお母さんの存在がとても大きく描かれています。彼女は、子どものときに父親から虐待を受けていたり、同性愛者のお兄さんが、お父さんに追い出された挙句に、孤独のうちに死んでしまったところを見てしまったりして、深い鬱症状を抱えているんですよね。世の中も、他人も、信じられないんです。だから、誰にも頼れなくて、息子と密室状態で、引きこもっていく。そこのところがうまく描かれているなあと思いました。『ノマドランド』という映画(クロエ・ジャオ監督.2021)も、キャンピングカーで転々としながら、生きていくというお話でしたが、やっぱりそうやって転々としていくのは、非正規雇用とか生き難さと深く結びついているんだなあと、この作品を読んで改めて思ったんです。いちばんつらいなと思ったのは、二人が生活しているキャンピングカーに、トイレがないんです。p88で、「ぼくは、こんなトイレがほしかった。」とフィーリックスが泣きながら思うシーンがあって、私も泣けてしまいました。家がない、っていうことは、いちばんプライベートで人に見せたくないところが守られないんだなって。トイレとかシャワーという、体にまつわる痛みが伝わってくるところが、とてもうまいです。アストリッドにとって、息子だけが信じられる存在なんですね。だから、息子に依存していって、どんどん二人の関係が逆転していって、追い詰められていくのが真に迫ってつらい。救いは、まわりの人たちが二人に手をさしのべてくれるところで、私は特に、我が道をゆく、空気を読まない女の子ウィニーが好きでした。フィーリックスも、はじめは嫌だなと思っていたのに、その性格がまわりまわってフィーリックスの救いになっていくのが良くて。最後、クイズ番組で優勝するのは、上手くいきすぎだなあと思っていたら、賞金をもらえるのが18歳からで、ラッキーチャンスでめでたしめでたしじゃなくて、まわりの人が手を差しのべることで、未来に繋がっていく、というのが良かった。誰にも頼らないで生きることにこだわっていた「不信」が、「信頼」に塗り替わるラストに、希望を感じました。あと、小さなことなんですが、p92に「公文で落第」というところがあるんですが、これが私の知ってる公文式の教室なら、落第ってあるのかな?と不思議に思いました。

オカリナ:フィーリックスの気持ちをリアルに想像しながら読めるのがとてもいいと思いました。お母さんは、読者をいらいらさせる存在ですが、『タトゥー・ママ』(ジャクリーン・ウィルソン作 小竹由美子訳 偕成社)のお母さんと一緒で、自分なりに子どもを愛しているのは伝わるので、どこか憎めないところがありますね。母子関係や、他者の支援を受けてはいけないと思い込むところなどは、ウィルソンの作品とも共通しています。日本は一斉教育で突出した個性や特異な考えはたたかれますが、資本主義に反対だと言って万引きをするところなど、フィーリックスのお母さんだけではなく、ほかの国にはこういう人ってけっこういるような気がします。アジア系の子どもとヨーロッパ系の子どもが親しくなるのは、最近の一つの傾向かも。自分が落ち着ける安定した場所を持てない子どもたちがたくさんいることに気づかせてくれる作品です。

スズメ:ちょっと盛りこみすぎかなと思ったけれど、とにかくおもしろかった。お母さんのことを子ども時代から現在にいたるまで、実にくわしく描いていて、すぐそばにいるような感じがしました。万引きをすることや、ときどき「スランプ」になることも含めて、チャーミングですね、お母さんの主人公に抱く愛情は、自己愛に近いものだけれど本物の愛情なのですが、メンタルの病をかかえていることもあって、坂道を転がりおちるように悪いほうへ、悪いほうへ落ちていってしまう様子が、読者の納得がいくように描かれていて、見事だと思いました。
母親にくらべて、主人公は胸が痛くなるほど健気なのですが、作者は主人公を孤立させずに、ふたりの親友を配しているので、安心して読めました。クイズの場面は、まさにアメリカンドリームですが、こうでもしないと救われなかったんじゃないかな。少し話がずれるかもしれないけど、主人公に手を差しのべるのがシリア系移民の食料雑貨店の店主というところを読んで、桐野夏生さんの『砂に埋もれる犬』(朝日新聞出版 2021.10)を思いだしました。もちろん児童書ではありませんが、親にネグレクトされた子どもが主人公で、その子を救うのがコンビニの店長さん夫婦なんですね。今の時代、近所付き合いは希薄ですし、小さい子どもほど警察や交番に親のことを訴えでるのに二の足を踏むといいますから、こういう地元のお店とかコンビニに協力してもらうということができないのかなと思いました。

ハル:もう、はらはらしながら読みました。ユーモアもあって、登場人物も個性的で、立体的に描かれているので、引き込まれて読むのですが、気づけば結構過酷な状況にどんどんはまっていく展開に、人生、一寸先は闇で、明日は我が身だなぁと思わされます。母親の体験として、だれかに援助を求めたり、福祉に見つかったりしたらとんでもないことになる、というトラウマが描かれているので、大人向けの小説だったら、このまま、社会的養護体制の課題を浮き彫りにした、で終わってもいいのかもしれないけれど……と思いながら読みましたが、そこはしっかり児童文学として着地していて、ほっとしましたし、感動しました。

コアラ:とてもよかったです。主人公のフィーリックスと一緒に苦楽を共に味わうように読んできて、最後にこんな素晴らしい言葉が出てくるなんて思わなくて、p311の7行目以降、「でも今、〜それは人だ。」のところは、声をあげて泣いてしまいました。ただ、クイズで賞金獲得して貧しさから脱するという設定は、映画の「スラムドッグ$ミリオネア」(ダニー・ボイル監督.2008)を思い起こさせたし、登場人物のウィニーが、ハリーポッターシリーズのハーマイオニーを思い起こさせるところがあると思いました。設定には既視感がありました。母親のアストリッドについては、人間味があって、万引きは共感できないけれど、彼女の弱さが私は憎めませんでした。どんなに生活が落ちていっても、子どもを捨てて逃げる、ということをせずに、食べ物も息子に多く与えたりして、息子を愛しているということが伝わってきました。フィーリックスのクイズの賞金の話のところでも、p210の後ろから6行目「あなたのお金よ」とアストリッドが言います。喉から手が出るくらいほしいはずのお金なのに、どんなに落ちても清らかな心は失っていないと思いました。フィーリックスについても、世の中に対する見方や考え方が、『あした、弁当を作る。』の同い年の主人公に比べて人間味があると思いました。p40〜p43の「アストリッド流『うそのつき方』」なんて、よく分析しているし、あたたかみがありますよね。気になったのは、最初の見出し。「午前十二時五分」となっていますが、夜中の「午前零時五分」ではないでしょうか。

さららん:アストリッドと「ぼく」の親子関係はもちろん、周囲の人たちとの関係に説得力があり、脇役の使い方もうまくて、引き込まれました。たとえばアストリッドの教え子だったけれど、今は売れっ子の画家でいるソレイユ。親切な人なのですが、アストリッドは明らかに嫉妬を覚えている。そしてソレイユの留守宅に入って、お金まで盗んでしまう。アストリッドは万引きの常習犯で、なにもかも正当化してしまう非常識な人物ですが、適応障害を感じさせ、息子への愛情は深い。「ぼく」は、アストリッドへの違和感を募らせていくけれど、その行動を止められない。キャンピングカーに籠る匂いにも、空き家のガレージで暮らしていたとき、人に見つかって、延長コードをあわてて抜いて逃げるところにも、リアリティがありました。個人的に納得できなかったのは、ついに「ぼく」が出場できることになったクイズ大会に、アストリッドの盗んだコンバースをはいていくところ。ここは、別のクツを履いてほしかった……! 最後の最後まで、気を抜かずに話を回収していくのは、脚本家でもある作者の資質なのかもしれませんね。

ニャニャンガ:物語の構成が巧みで読ませる作品でした。こんなに簡単に住所不定になってしまうものなのかと怖くなるほどリアルで、主人公のフィーリックスが、家がないことを隠すようすが痛々しかったです。はじめは苦手な相手だったウィニーが、彼女なりの方法で応援してくれたのがナイスと思いました。もうひとりのナイスな登場人物は、アーマディさんで、現実では出会うことが難しいけれど物語にはぜったい必要な存在だと思いました。また、母親の行動にハラハラし通しで、フィーリックスはヤングケアラーだと思いました。

ネズミ:とてもおもしろく読みました。自分勝手な論理でまずいことをして、職場で問題を起こしてクビになり、子どもに対しても世話をできない母親というのは、日本でもいるし、嘘っぽい話ではないと思いました。よかったのは、ディランとウィニーという友だちの存在です。ずけずけとものを言いながらも、相手に面目ない思いをさせない、互いへの深く思いやりのあるあたたかな関係が見える描き方がとてもいいなあと。万引きの場面については、フィーリックスの苦しみも見えて、これを読んで、万引きをしてもいいとは誰も思わないと思うので、これを書くこと自体がいけないとは私は思いませんでした。人物の描き方が全体によく考えられていて、たとえばアーマディさんは、難民だと書かれたあとで、シリアふうの食べ物が出てシリア難民だとわかるなど、うまいなと思いました。ユーモアもあるし、中学生くらいから読んでほしいです。

すあま:はらはらしながら読み進めました。お母さんのように、プライドが高くて他人の手を借りることができず、生活保護も受けない、という人は実際に多いのではないかと思います。こういう人たちをどう支援していくのかは、難しい課題です。主人公が万引きで捕まり、それがきっかけで、難民としてつらい思いをしたアーマディさんが助けてくれるところがよかったです。そして、主人公が賞金を狙ってクイズ大会に出場したのに、その賞金を手に入れることができない、という展開も意外性があったし、ラストは明日につながる感じで読後感がよかったです。クイズ大会の様子は、ウィリーが書いた記事でわかるのもおもしろかった。最後に訳者のあとがきから、著者の『ぼくだけのぶちまけ日記』(岩波書店)の主人公たちが登場していることがわかり、そっちももう一度読み返したくなりました。

マリーナ:読み応えがありすぎて、ヒリヒリします。ページを途中で閉じたくなるけど、やめられず、ノンストップで読了しました。家のこと、お母さんのこと、少しずつお金が減っていく過程がわかりやすく描かれています。かなりシビアな状況だけれど、からっとした文体と、この主人公の強さのおかげで、ディテールの友情部分やキャンピングカーの序盤の生活など、楽しんで読める部分も多かったです。LGBTQの話が、メインではなくさらっと出てくるあたり、いいなと思いました。ひとつ気になったのは猫の体重について話す場面です。p68「うわあ。九キロくらいありそうだな」が、ちょっと不自然だなと思いました。「10キロくらい」ならわかるのですが、ネコの体重を8キロとか9キロとか、ずばり推定するのは相当なネコマニアかと思うので……。おそらく原文は「20ポンドくらい」なんですよね。翻訳が難しいところかと思いますが。

(2023年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2023年5月 テーマ:おとなと闘う子どもたち

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『2023年5月 テーマ:おとなと闘う子どもたち』

 

日付 2023年05月29日
参加者 ネズミ、ハル、花散里、アカシア、きなこみみ、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、サークルK、ニャニャンガ、オマリー、雪割草、オカピ
テーマ おとなと闘う子どもたち

読んだ本:

『わたしのアメリカンドリーム』表紙
『わたしのアメリカンドリーム』
原題:FRONT DESK by Kelly Yang, 2018
ケリー・ヤン/著 田中奈津子/訳
講談社
2022.01

〈版元語録〉移民としてアメリカで厳しい生活をしている、5年生のミアとその家族。一家は住み込みで、モーテルの管理人をすることになりました。しかしオーナーがとてもいじわるで、モーテルでは毎日おどろくような事件がたくさんおきます。ミアはモーテルのフロントデスク(受付)で知恵をしぼり、しあわせをつかもうとがんばります。アジア系などの移民をめぐってアメリカのリアルな姿が描かれる、等身大の力強い物語です!
『ベランダのあの子』表紙
『ベランダのあの子』
四月猫あらし/著
小学館
2022.10

〈版元語録〉中学受験を控える小学6年の颯(はやて)には、親友にも話せない秘密があった。たびたび暴力をふるう父。父親の顔色をうかがい見て見ぬふりの母。そして怒りや恐怖を栄養に体内を蝕んでいく自分自身のどす黒い感情。そんな時、颯は見てしまう。向かいのアパートの部屋。だれもいないはずの真っ暗なベランダに、じっとひざを抱えて泣いている女の子のすがたを……。日本児童文学者協会第20回「長編児童文学新人賞」入選作

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ベランダのあの子

『ベランダのあの子』表紙
『ベランダのあの子』
四月猫あらし/著
小学館
2022.10

ハル虐待については、小学高学年といわず、もっと小さい子たちも直面する大きな問題だし、人知れず耐えていたり、洗脳状態にあったりということもあると思うので、あなたが、または、あなたの友だちが受けているそれは虐待ですよ、と伝えることはとても大事なことだと思います。だから、児童書のテーマとしては、文句はないというより、大賛成なのですが、小学高学年向けなら、もしかしたら違う書き方ができたのではないかという思いがあります。主人公を支える友人も、キャラクターとしてその役割を果たさせるために老成した子どもになりましたし、いつも駄洒落を言っている教師も、子どもたちに真摯に向き合うこと=友だち感覚で気軽に付き合うことと履き違えているようで、ステレオタイプというか。リアルなのかもしれませんが、必ずしもリアルなことが良い小説ではないと思いますし、保健室は安全地帯であってほしかったなぁとも思いました。

オマリー著者はとても筆力のある方で、物語がどうなるのだろうと、引き込まれながら一気に読みました。主人公が追い詰められていく心情、ベランダの子を見て揺れる思いなど、よく伝わってきます。どうにもならないときに、友情が救いになるという展開にも共感できます。ただ、その上で思うのは、この本は果たして児童書なんだろうか、ということです。著者は、どんな子どもに向けて、書いているのだろう、と疑問に思いました。同じような境遇の子ども? あるいは周りにそういう子がいるかもしれない子たち? 同じような境遇の子は、そこに至るまでにしんどくて読み切れないのではないか、と心配になります。大人の方が、この本のメッセージをまっすぐ受け止められるかもと感じました。

コアラカバーの袖の言葉がいいと思いました。いちばん読んでほしいと思う、主人公と同じ境遇の子が見たとしたら、共感というか、自分に関係のある本だと感じる言葉ではないかと思います。主人公の颯が父親から暴力を受けるだけでなく、颯自身の中にも暴力性が蓄積されて爆発するようになるのが怖かったです。ベランダの女の子を見ても、最初は、罰を受けて当然、というような考え方をしていて、読んでいてぞっとしましたが、それは、父親の価値観が刷り込まれていったからだと思いました。父親は、物理的な暴力だけでなく、論理を振りかざしていて、それは歪んだ論理だけれど、母親も見て見ぬふりをするし、誰も「それは間違っている」と言わないから、父親が振りかざす間違った論理が颯にも刷り込まれていく。それがいちばん怖いと思いました。颯は、もやもやとするけれど、それを覆すような論理は持てないでいます。だから、理という友達がいるということが、本当に救いになっていると思いました。理はすごく良いことを言っていて、p114の1行目の「殴られてもいい人間なんて、いないってこと」とか、p145の最後から2行目の「自分だけは最後まで自分の味方でいろ」とかが、読者にとっても救いになると良いと思いました。この物語では、颯がベランダの女の子を助けることによって、人に打ち明けるという行動に出ることができましたが、実際には、人に打ち明けられるようなきっかけもなく、ひたすら我慢して辛い思いをしている子もいるかもしれません。『ベランダのあの子』というタイトルは、ベランダの女の子の意味だと思いますが、ベランダに置き去りにされているような子どもを、周りの人が「ベランダのあの子」として気がつかなければいけないのではないか、という気もしました。見過ごしてはならない、という意味では、大人が読むべき本かもしれないと思いました。

しじみ71個分とてもリアリティのある物語で、あっという間に読んでしまい、衝撃を受けました。これは子どもが読む児童文学なのだろうか、と思ってしまいました。紹介に、スマホで書かれたと書いてありますが、確かにケータイ小説に通じる雰囲気があるように感じました。同人に参加されている作家さんだから、普段は机に向かって書いておられるのが、この物語はあえてスマホで書かれたのではないかなとも思いました。何というのか、机で推敲するのとは違う、スピード感や切迫感があって……。とにかく一人称の気持ちを全て吐き出す感が文章から伝わってきました。
著者に表現力、筆力がとてもあるので、読んで痛みを感じるほどリアルだし、胸をえぐる表現もありました。父親から暴力をふるわれたときの身体の表現がとにかくリアルで、本当に経験をした人でないとここまで書けないのではないかとすら思いました。ただ、虐待を受ける痛みが、ここまでリアル過ぎると、どう読んでいいかわからず……子どもたちにどうやって手渡すかなと……。YA世代以上のほうがこの物語は意味もあるし、向いているんじゃないかなとも思います。
暴力を受け続けたことで自己肯定感が失われ、自分の中に暴力が生まれる過程も、虐待される方が悪い、と虐待が正当化されて再生産されていく過程も描かれていることもとても重要だと思いました。ハワイで射撃場に行って、銃を撃つときに標的に父親の顔が浮かぶというシーンもゾッとしました。それから、p130に、主人公が身体の痛みから、混乱し屈辱感にさいなまれるという場面も、衝撃を受けるくらいに共感してしまい、辛くなりました。最後には、理解してくれる大人が救済してくれて、支配されていた母親もやっと父親から離れることができるという結末で、解決方法も描かれるので、その点は良かったですが、それまでの主人公の経験した痛みや苦しみ、絶望感が重たすぎて、希望のある終わり方にはなっていないかもしれません。ですが、著者に力があることは間違いないので、次回作以降、この作家さんが何を書くのかとても楽しみです。
ひとつだけ、イチャモンを付けたいのですが、ベランダの籠に閉じ込められた女の子を助けに行くのに、4階のベランダの手すりに乗って隣の家に入るというのはちょっと無茶ではないかと思いました。集合住宅は、家と家の境が蹴り破れるようになっていて、緊急時には避難できるようになっているはずで、何も小学生にベランダを渡らせるような危ない真似をさせなくても良かったのではないかと思いました。主人公を危険な目にあわせることで、ベランダの女の子と自分を重ねて、生死の境目を心が行き来する様子を書きたかったのかなとも思うのですが、大人(隣のおばあさん)が側にいる設定なら、現実的にベランダの仕切りを壊して女の子を救出すべきだったのではないかと思いました。話は逸れますが、虐待をテーマとして、「痛み」がリアルに描かれている点で、桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(富士見書房 2004)と共通する点があるなと思いました。

きなこみみ暴力表現が真に迫っていて、読み出したら止まらなかったです。怖いんだけれど最後まで読まずにいられない。暴力をふるい続けるお父さんとそれを見ないふりをするお母さん、特にお父さんの描写が、こういうDVをする人の見事な典型で、きっと取材したり、いろんな本を読んだりして書かれたのではないかなあと思いました。お父さんが子どもに暴力をふるっておきながら、最後にはそれが子ども自身の責任と選択であるように話を持っていくんですね。虐待がばれないように、身体検査の日に学校をさぼらせて家族で釣りに行くんですが、そういう時も、休むか休まないか、おまえが選んでいいんだよ、と言いながら、子どもには選択肢がないように追い詰めるんです。そういうDV、家庭の中の暴力の描き方が見事でした。でも、それだけに、かえってひとりひとりの人たちが像を結ばなかったというか。全員じゃないですけれど、周りの人たちが人間として像を結ばなかったというのがありました。それって、この子の家庭での閉塞感をそういうふうに表して書いていたのかな、とも思うんですけど、暴力をすごく突っ込んで書こうとしたあまり、暴力を書くことに力点がいってしまったようにも思ったり。物語を読むというより、DVの解説書を読むように読んでしまったというところがありました。

ネズミ親の虐待という意欲的なテーマだと思いましたが、とても後味が悪かったです。テーマがテーマなので、嫌な気持ちになるというのは、描き方がうまいということかもしれませんが、読み進めるのが辛かったです。文章は、説明的に感じる文章が多めかなという気がしました。また、違和感のある表現がちらほらありました。たとえば、p51「それはあんまり見事で潔かった。」の「潔かった」とか。世代の差のせいでしょうか。ともかく辛い内容なので、どんなふうに子どもに手渡せるのかなと思いました。

アンヌ昨日やっと手に入って一気読みして、すごいなあ、うまいなあと思いました。けれども、一種のホラー小説のような物語だなとも感じました。作者は父親の壮絶な暴力だけではなく、主人公が母親や教師からも見捨てられたと感じた場面を描いています。さらにハワイの射撃場の場面で、主人公に自分の中にある暴力への衝動を見させて、自分自身への不信にとらわれる様子も描く。その出口のない状況を打ち破って、檻に閉じ込められた女の子を必死の思いで助け、友人と信頼し合える関係を築けて先へ進もうとしたところで、保健の先生の無理解に出合わせる。これではもう窓から飛び出すしかないじゃないか、と主人公と同化して読んでいると思えてきてしまって、この暗澹たる気持ちは、その後の救いの物語よりインパクトがありました。父親が離婚に同意していないことなど読んでいくと、現在の共同親権問題や養育費の未払いの実情など思い浮かべて辛くなります。ただ、怖くて辛い物語でも、最後に福祉につながる道があるということを語っているので、こういう問題提起的な物語も必要とされる時期なのだと思いました。

雪割草大人だから読みすすめられましたが、自分が子どもだったら最後まで読めただろうか、どういう子どもに手渡せるのだろうか、と考えてしまいました。最後の方の自分の気持ちを吐露する部分を読んだときは、あまりにリアルで、作者自身が経験したことなのだろうと思いました。同じような境遇の子どもや大人にもひびくのだろうと思います。岩木先生の対応は素晴らしいですが、学校で働いていたことがあるので、先生がここまでできるかなと疑問には思ってしまいました。大手商社に勤める父親と、逆らえない母親、家族旅行はハワイというのは、ステレオタイプで古く感じました。それから、今日の2冊を並べてみると表紙も対照的で、こちらの作品の閉じ込められた子どもは、自分の気持ちを表現することが難しい、今の日本の子どもらしいとも感じました。

アカシア:颯が、ここまで父親をかばったり、自分を徹底的に責めるのは、リアルなことだと思ったのですが、読んでいて胸が痛くなりました。こういう状況にある子どもって、自分と同じような子を目の当たりにしないと、自分のことを客観的に見たり、親を非難したりできないんですね。たしかに人間については、颯のことしか書いてなくて、あとは背景になっていますね。私も、担任の先生がつまらないダジャレを飛ばすのは嫌だなと思っていたのですが、最後まで読んで、ああ、先生という権威をつまらないダジャレによってすべて捨て去って、生徒との間の敷居を低くしてるんだな、と思いました。こういう本は、紹介だけして、そっとどこかに置いておけば、必要な子は読んでヒントを得るというものかな、と思うんですけど、この表紙だと読みたいという気にならないかも。

しじみ71個分私は、ダジャレ先生が意外といい味出しているなと思って、割と好きでした……。

ニャニャンガ暴力シーンがリアルな表現だったので、辛い辛いと思いながら読みました。そして子どもに手渡す作品なのだろうかと考えてしまいました。
颯に対する父親の行動が異常すぎて理解できませんでしたが、世間で起きている事件を見るとあり得ない話ではないのだろうと想像しました。ここまでひどくないにしても、父親の機嫌を見ながら生活する母子は少なからず存在するのでしょう。経済的自立ができないせいで母親が子どもを守れないのは、ほかに手だてがなかったのか考えてしまいました。親友の理がいなかったらどうなっていたのか、というか友だちにより救われて良かったです。ベランダのあの子が主人公自身だと気づいていながら否定したい気持ちがいやというほど胸に迫りました。

花散里最初にこの表紙を見たとき、タイトルからしてもそうでしたが。嫌な表紙画だと感じて、書架で面出しにしたくない本だと思いました。この作者のプロフィールを見ると、元学校図書館司書とありますが、子どもたちに本を薦める立場にいた人がこの作品を書いたのだろうかと複雑な思いが残りました。「春休みが嫌いだ」という主人公の言葉、学校の方が家より良いということが作品の内容に繋がっていくのですが、そうではない子どもたちの方が多いということを踏まえたうえでの描かれ方なのかと……。先生の描き方も気になった箇所が多く、父親から縄跳びの紐で殴られた後の両親への対処や、後半、学校の先生の誰かに相談しようとして向かった時の保健の先生の対応には疑問を感じました。保健室は子どもの逃げ場でもあるのに、こういうふうに描いてしまうのはどうなのだろうかと思いました。プロフィールのところに、「スマホで書いた」とありますが、なんのために記載したかったのかと感じました。虐待やDVのことをテーマにした作品だと思いますが、虐待をする人は子ども時代に虐待を受けてきた人が多いこと、虐待を受けている子どもは虐待する親を庇うことが多いと言われています。本作では虐待の描き方がリアルで、加えてDVの描き方、さらにベランダの子は小さい子だと描かれ、食べ物を与えられていないことを含ませているようで、子どもたちに読ませたいとは到底思えませんでした。読むのは大人では、と。颯が女の子に暴力を振るいそうになるとき、自分も父親と同じなのではないかというところなど、読んでいて辛いところが多く、後味が良くない読後感で、子どもたちに薦めたいとは思えませんでした。

オカピ真に迫る描写で、リアリティに圧倒されました。書きたいテーマがしっかりとある本です。解決策がきちんと示されているのがいいと思いました。虐待の問題を描いた作品はいろいろありますが、そうした本を手にとる中学生は「泣ける本」「感動する本」ばかり求めることもあり、そんな状況を見ていると、感情だけで読むことの危うさを感じます。岩瀬成子さんの『ぼくが弟にしたこと』(理論社 2015)も、主人公は父親から虐待を受けていて、暴力性を弟に向けてしまったときのことが描かれていましたが、作者の人間理解の深さを感じる作品でした。『ベランダのあの子』は、主人公以外の登場人物がいまひとつ立ちあがってこない感じがしたのと、ところどころ文章に引っかかってしまいました。「興味本位の話で盛り上がって終わるだけじゃないか」(p96)などは、小学6年生の言葉には感じられず、「パパもお祭り自体は嫌いじゃないみたいだったけど、それでも塾を休んでもいいかなんて聞くのはばかげたことに思えた」(p82)というのも説明的だと感じました。

しじみ71個分みんながみんな、最初から岩瀬さんみたいにはなれないですよね(笑)。

オカピさきほど表紙の話が出ましたが、どこがよくないと思われたのですか。

アカシア:いえ、読みたくなる表紙じゃないなと私は思ったんです。

サークルK:p22にある「認めてもらえたらこの家にいてもいいんだ。」という颯のいう言葉にハッとさせられました。子供の「居場所」と一口に言っても、「学校」が辛い子もいれば、「家」が辛い子もいることを考えなければならないのですね。子どもたちの閉塞感をぱあっと放てるのはいったいどんなところなのでしょう。
みなさんの感想をうかがって、主役が登場人物なのではなく、「虐待」そのものになっているという指摘に共感しました。あまりに辛いシチュエーションに、果たして読者である子どもたちはついていけるのか、という疑問ももっともだと思います。興味本位で読むことのできない問題だからこそ、子どもの受けとめ方が気になるところです。

アカシア:絵本でも『パパと怒り鬼〜話してごらん、だれかに』(グロー・ダーレ作 スヴァイン・ニーフース絵 大島かおり&青木順子訳 ひさかたチャイルド)というのがありましたね。あれも、父親がふとしたことで怒り鬼にとりつかれたように暴力をふるい、母親もすてきな家族を演じたいせいかたよりにならない。そんな、いつもびくびくする状況におかれた子どもを描いていました。でも、自分では解決できなくて、王様に手紙を書いてようやく解決法が見えてくるという結末でしたね。日本だと王様に手紙を書くという手段は使えないから、どうすればいいのかな、と思っていましたが。

(2023年5月29日の「子どもの本で言いたい放題」より)

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わたしのアメリカンドリーム

『わたしのアメリカンドリーム』表紙
『わたしのアメリカンドリーム』
ケリー・ヤン/著 田中奈津子/訳
講談社
2022.01

きなこみ:貧しい移民の一家が、自分の手でモーテルという居場所をつかむまでの、まさにアメリカンドリームなんですが、これは「多くの人々の力を借りて成功する」という新しい形のアメリカンドリームではないかと思います。アメリカが階級社会であることや、アフリカ系やアジア系の人々へのレイシズムもきちんと描きこまれていながら、それでも他者と少しずつ連帯していく強さがあるんじゃないでしょうか。その連帯の鍵が「言葉」と「手紙」であることがとてもいいと思いました。p87に、「あなたは白人の子たちみたいに、英語はうまくなれないの。だって英語はその子たちの言葉なんだもの」とママが言うシーンがあるんです。この言葉は、私のように英語が苦手な人間にはとっても刺さるんですが、この物語には、ネイティブのようにはなれなくとも、言葉はいつも開かれているんだなということが書かれています。私たちは言葉でできていて、伝え合うことができるという希望が詰め込まれている一冊だと思います。子どもたちへの励ましをとても感じる本でした。

ネズミ:とても面白く読みました。移民、難民という立場の人たちは日本にもいます。留学など、自分の意思で外国に行くのと、移民、難民の大きな違いは、もとの国にやすやすと帰れないことだと思います。そういう立場の人びとの望郷の念と、簡単に片付けられない複雑な感情、一言では言えない苦難などが非常によく伝わってくる作品だと思いました。健康保険に入れない問題は、在留許可が下りていない在日外国人にも通じることです。この作品では、中国人だけでなく、ヒスパニックのルーペ、黒人のハンクさんなど、人種差別を体感しているほかの人たちも出てきます。アメリカのことというよりも、日本にいるさまざまな国から来た外国人のことを想像するために、読まれるといいなと思いました。アメリカ的だと思ったのは、お金のことが細かく書かれているところ。古くはベバリイ・クリアリーの「ヘンリーくん」シリーズ(松岡享子訳 学研プラス)にも、小遣い稼ぎが描かれていましたが、日本の作品では金銭的なことはあまり具体的に書かれないのではないかなと。ハッピーエンドは希望だと思いました。

アンヌ:とても面白い物語で、移民への迫害や黒人差別のことなどが描かれていて、さらに主人公がその状況を手紙で、言葉で、変えていく様子は実に読み応えがあり痛快でした。ただ、言葉を訂正しながら書いていた手紙より後半のきちんと書かれた手紙や作文コンクールの文章がつまらなかったりするのは、どうしてなんだろうと思いました。お金の事とかきちんと書かれているのに、最後の投資話の話があいまいで、契約に弁護士が必要なら、こちらも会計士とかきちんとした書類がいるんじゃないかとか、最後の方は心配してしまいました。

雪割草:移民の人たちの生活の過酷さを描きながらも、モーテルの定住者、移民の友だち、たずねてくる中国人などいろんな人たちが登場し、ユーモアがあって、そこに人のあたたかさも感じられて、楽しく読むことができました。作者は子どもの頃、この主人公と同じようにモーテルの管理人をしている親のもとで育ったと書いてありましたが、作者が体験として知っているから描けるリアルさが、この作品の強みだと感じました。作文コンクールではなく、モーテルをみんなで買うという部分は、本当にあり得るか疑問ではありましたが、エンディングには好感が持てました。

アカシア:おもしろく読みました。ミアが魅力的な少女として描かれているので、ひきこまれて一気に読めました。中国系の人たちばかりでなく、ほかの人たちに対する差別も、ミアの体験を通して描かれているのがいいですね。前半で、高利貸しにお金を借りて返せなくなる人、車を盗まれたと言って保険金をだましとる人、契約を途中で勝手に変更する人、決めつける教師など、さまざまな困った人が出てくるので、最後でトントン拍子に何もかもがうまくいくのは、ちょっと出来すぎ感がありました。みんなからお金を集めて買っても、その後もいろいろ大変だろうな、と思ったりして。家族を大事にしているところは、中国人らしいですね。

ニャニャンガ:女の子が困難を乗り越える物語が好きということもあり、本作も好みでした。1993年当時の中国からアメリカに渡った移民の様子がよく分かるとともに、日々の暮らしに苦労する姿が切なかったです。中国に残った親戚が裕福になったのに、金銭面で助けてくれなかったのは冷たいと思いました。ミアはとても頭のいい子で、アイディアを考え、すぐ実行に移すのは作者自身と同じだったのだろうと想像しました。黒人のハンクがひどい人種差別を受けているのは、本当に腹立たしかったです。
中国人らしさが表現されていると感じるエピソードとして、ブランドのお店の袋を喜んで拾うお母さん(p.157)、レストランで、だれが払うかで取っ組み合いのけんかになる(p.166)、「自分が食べる米の量を忘れるな」(p.228)がありました。みんなに投資してもらうことで解決する方法について、配当金はどうやって支払うのか、計算方法や契約の内容について触れていないのが気になり少し残念でした。

花散里:とても関心を持って読みました。中国からの移民の問題、ミアがモーテルのフロントで体験すること、経済感覚に長けているとか、日本の児童文学では描かれないようなことが作品に盛り込まれていると感じました。表紙画は、表裏、広げてみたときに物語の内容が描かれているようでとても良いと思いました。モーテルの所有者、ヤオさんに対して不満は満載なのに、管理人として働かざるを得ない両親。お金がないのに、そんな中でも父親たちは中国の人を匿ったりするところ、モーテルに集う登場人物たちが心に残りました。作者の実体験を基に描かれた「アメリカンドリーム」、日本の子どもたちに手渡して行きたい作品だと思いました。

オカピ:算数が得意だと思われがちだという、中国系の人へのステレオタイプな見方、黒人に対する差別、医療保険の問題など、いろんな要素が盛りこまれていて、面白く読みました。お金がないときにクーポン券で支払うなど、ところどころにユーモアがあるのも良かったです。ミアは作文コンテストで優勝できると本気で思っていて、そこはちょっとついていけず……。モーテルの住人の中で、ビリー・ボブさんがどういう人物なのかいまひとつわからなかったです。また、いとこのシェンが女の子だと思って読んでいたら、p137あたりで男の子だと分かったりして、もう少し早く人物像を知りたかったな、と思いました。アメリカの本だなあと思ったのは、「あんなふうに撃墜されちゃ、そのあとにやさしくしようなんて無理でしょ。核武装するだけだ」(p101)という表現です。「核武装」という言葉に引っかかってしまいました。ここは、例えている箇所で、言葉は変えられると思うので、そうしたほうが良かったのではないかと。

サークルK:子どもに分かりやすく、けれどリアルな移民の暮らしと差別が描かれているところが良かったです。ホテルではなくモーテルが舞台。日本の子どもたちはモーテルにはあまりなじみがないと思います(民宿とも違うし、最近は修学旅行でもきれいなホテルが好まれると聞いたことがあります)。いろいろな状況の人が滞在している雑駁感がこのお話の雰囲気に合っていました。
モーテルの主、ヤオさんは徹底的に悪人として描かれていましたが、中国系の成功した移民の仲間の頂点(少なくともこの物語の中では権力者なので)に立つ裏には、おそらく白人社会で大変な差別と屈辱を味わってきてここまでになったはずなので、その哀しみや弱さ、屈折についても考えさせられました。
最近の日本では、弱者が必ずしも弱者に寄り添わずに、自分よりもさらに弱い立場の人をいじめたり、叩いたりすることが問題となっています。ヤオさんが、自分がされたことを同胞に仕返ししているのではないだろうか、と気になり、なお一層ミアたちの仲間を応援する気持ちで読みました。

ハル:実はまだ100ページくらいしか読めていないのですが、とても面白く読んでいます。ユーモアもあって、ああ、こういうふうに書いてくれたら(訳してくれたら)、日本の子たちも、物語を楽しみながら、移民や人種問題についてより親身に感じることができるんだろうなぁと思いました。大きな夢を抱いてアメリカに渡ったこの一家から労働力を搾取するのが、同胞の移民だという設定も上手だなと思います。これが、アメリカ人から搾取されるのだったら、読み手のしんどさがまた違っていたように思います。(後日談:読了しました。思っていたよりも過酷でした。作文コンクールの結果について、本人はいいとして、大人たちの反応はちょっと贔屓目がすぎましたかね。でも、面白かったです)

オマリー: 今日みんなで読む2冊はどちらも、前から気になっていたけれど読んでなかった本で、今回読む機会をいただけて良かったなと思います。この本は、素晴らしいですね。中国からの移民であるミアがモーテル経営の手伝いで頑張る姿の中に、さまざまな問題を織り込んでいます。人種問題にしても、アジア系だけではなく黒人、メキシコなど複数の視点がありますし、経済的な問題についても、どうして貧困が起きるのかという構造的なところから提示しています。難しく説明せずに、子どもにも分かりやすいように腐心しているところもいいですね。主人公のミアが、10歳にしてこれだけ活発にアイディアを生み出し、経営に加わっているのが、普通ならリアリティがないと言いたくなるところですが、著者のプロフィールに、同じことが書いてあって、さらに13歳で大学に入学したと記されているので、自分の体験をもとにしているんだろうなぁ、と。この著者自身の生い立ちも気になるところです。続編が原書では5巻まで出ているようで、ぜひ読みたいなと思いましたが、今のところ続巻が出る予定はないみたいで、残念です。で、それを調べているときに気づきましたが、この原書は8歳から12歳をターゲットにしているようですね。日本の感覚だと、この分厚さならYAだから、びっくりしました。

コアラ:面白く読みました。カバーの絵が、真っ青なカリフォルニアの空の下、プールサイドで日光浴をして大きなハンバーガーがあって、と、私がイメージするアメリカンドリームそのもの。ですが、主人公が中国からの移民ということで、自由に対する考え方や思いは、日本人の私とは違う特別なものがあると感じました。p221には、文化大革命のことと両親の思いが書いてありますが、日本と異なる、中国系移民ならではのものが感じられて、興味深かったです。同じ中国系なのに、ヤオさんからひどい扱いを受けますが、日本では同胞からひどい扱いを受けるような書き方はあまりしないのではないでしょうか。これも、中国系ならではなのかなと思いました。もちろん日本と共通する、みんなが憧れるアメリカンドリームというものも描かれていて、それは、実力で勝ち取らないといけないものでもあります。ミアが手紙を書くことを重ねることで英語力をアップしていって、モーテルの作文コンテストでは落選したけれども、ヤオさんからモーテルを購入するための賛同者を集めることができたし、努力して実力をつけていく姿が良かったです。ミアがいろんな、言わばウソの手紙を書いていったように、圧倒的な不公平の前では、正攻法だけでは解決できない、というのも、アメリカの実情を表しているように思いました。仲間をつくって人脈を広げることも大切だし、ヤオさんが都合よくモーテルを売りに出したように、運も必要ですよね。まさにアメリカンドリームを描いた、清々しい本でした。ただ、アメリカでの成功を夢見る、というのは、今の日本では、あまり時代の流れではないかもしれません。だからこそ、違う世界がある、というのを子どもが感じてくれればいいなと思いました。

しじみ71個分:とても前向きな、明るい物語で、楽しく読みました。生活のために家族でモーテル経営をしますが、モーテルの人間模様や学校生活など、日常を描く中で、アメリカに根強くある黒人の人たちに対する人種差別や、移民の貧困の問題、それだけでなく中国の発言や思想の自由のなさなど、社会問題に自然に、主人公ミアの関心が向いて、気づくようになっていくという、物語のつくりがとてもうまいなと思いました。また、ミアが困難にぶち当たって、その解決法を考えて実践する姿を読者に見せてくれるので、そういった点からも、子どもたちに読んでもらいたい本だと思いました。生き生きとしたミアは人物としてとても魅力があるのですが、著者紹介を読むと、作者自身が天才少女で、飛び級で有名大学に行くような人なので、著者の姿や実体験が多少投影されているのかもしれませんが、ちょっと諸々うまく行き過ぎな点もあるような気がします。しかし、モーテルの住人や友だちなど、まわりの人を家族のように大事にして、気持ちを通わせ、連帯していき、問題を解決するという話の流れには希望を感じましたし、大事なことだと思いました。
一つだけ、意地悪なモーテルのオーナー、ヤオさんが、英会話がうまくないのを、割とステレオタイプな「日本語が下手な中国人」のように翻訳して表現されていた点が少し気になりました。どう日本語にするかは確かに難しいだろうなと思うのですが、ちょっと引っかかりました。

(2023年5月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2023年04月 テーマ:人生はひみつに満ちている

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『2023年04月 テーマ:人生はひみつに満ちている』
日付 2023年4月18日
参加者 ネズミ、ヨシキリ、ルパン、花散里、すあま、アカシア、アンヌ、西山、サークルK、ニャニャンガ、ヒダマリ、雪割草、まめじか
テーマ 人生はひみつに満ちている

読んだ本:

『春のウサギ』表紙
『春のウサギ』
原題:SWEEPING UP THE HEART by Kevin Henkes, 2019
ケヴィン・ヘンクス/著 大澤聡子・原田勝/訳
小学館
2021.04

〈版元語録〉陶芸工房に通うアミーリアは、ウサギの置物作りに熱中していた。春休みになり、いろんなポーズのウサギを毎日作って並べて楽しんでいた。そこで出会ったケイシーと意気投合。誰にも話したことのない悩みを話すようになる。アミ―リアは、小さいころに死に別れたお母さんと会いたいとケイシーに打ち明けた。すると、ケイシーはある提案をする。「あそこにいる女性がお母さんだと仮定してみようよ」と。物語は、思わぬ方向に展開していくのだが…。
『ひみつの犬』表紙
『ひみつの犬』
岩瀬成子/著
岩崎書店
2022.10

〈版元語録〉小学5年生の羽美は、黒が好きで、服も持ち物も黒。同じマンションに引っ越してきた細田くんの相談にのるうちに、まわりで起きた事件が気になり、その真相をつきとめるべく、犯人さがしにのめりこんでゆく。パトカー、誘拐、空き巣、カエンビン、へんな手紙……複雑に謎がからみあう。とりまく大人たちの間でさまざまな問題にぶつかる、羽美、細田くんとトミオ。ゆれる心境をこまやかに描く。

(さらに…)

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ひみつの犬

『ひみつの犬』表紙
『ひみつの犬』
岩瀬成子/著
岩崎書店
2022.10

ヨシキリ:岩瀬さんの作品は、どれも人間がしっかり描けていますよね。それも、形容詞で表現するのではなく、黒い色にこだわる羽美、狭いところにはまる細田くん、時間割が好きなお姉ちゃん、子どもにビラ配りを頼む整体医の佐々村さん等々、具体的なことで人物をあらわしている。良いところも悪いところもあり、一風変わったところもあるという、一面的でない人間像が魅力的です。同じ作家の短編集『ジャングルジム』(ゴブリン書房)も、人間がしっかり描けているという点では同じですが、この作品は犬のトミオがどうなってしまうのかというサスペンスと、いったい佐々村さんとは何者なのかというミステリーで、最後まで読者をひっぱっていく。かなりページ数はありますが、小さい読者もしっかりついていけると思いました。また、トミオを守りたい一心の細田くんと、佐々村さんの正体を探りたい羽美の気持ちのすれちがいが描かれているところもおもしろかった。それにしても、人間の気持ちをしっかり分かって我慢しているトミオの姿が切ないですね。ラブラドール・レトリバー好きの私はじーんときました。

西山:すごい作品だと思いました。岩瀬さんは次々と新作を発表されるけれど、そのたびに新しい人間が出てきて、本当にすごいと思います。ちょっと常識からずれたような不思議な行動をとる大人と子ども。コミュニティって、こんなふうに不可解で、気に食わない人たちもいっぱいいるものだというのが、図式的でなく、人間のおもしろさとしてすくい取られていて本当に興味深かったです。「子どもの権利」という観点でも、「先生が怒ると生徒があやまる」(p3)とか、「もしかしたら大人に利用されているんじゃないか、と、子どもはいつも注意を払ってなきゃいけない」(p62)とか、随所ではっとさせられて、徹底して子どもの側に立っている作品だと思いました。

花散里:一つ一つの文章が読ませる内容ではある、というのが全体的な印象でした。登場人物、一人一人を実にうまく描いていると思います。細田君の犬など、はらはらさせられるところや、カイロプラクティックの箇所など。ほっとするところと、そうではないところのつなげ方も上手だと思いました。図書館員のお父さんがスマホを片手に川柳を作っているというところは、そういう見方をされているのかとも思いましたが…。読後感としては、大人は共感するけど、子どもはどんなふうに読むのかという点で、手渡し方が難しい本のようにも感じました。

ヒダマリ:とても魅力的な本でした。今まで読んだ岩瀬成子さんの作品のなかで、一番好きかもしれません。ものごとの善悪をシンプルに考える時期、自分もあったなぁ、と子ども時代を思い出させる本でした。それぞれの登場人物の心理がていねいに描かれています。主人公は思い込みが激しく、プライド高く、大人に対して疑いを持っています。強いキャラだけれど、揺れ動く。そのブレがとてもよく掴めました。また、細田くん、お姉さん、そしてお母さんも、さらに犬のトミオまで、それぞれの生きづらさが伝わってきました。犬がどうなっちゃうのか、脇山さんに見つかっちゃうのか、佐々村さんは、本当はどんな人なのか、椿カイロプラクティックを攻撃しているのはだれなのか、なぞが重なって、一気に読ませる工夫もありました。そういう引っ張る力が、他の岩瀬さんの作品よりも強かった気がします。1つだけ気になったのはp154「煮詰まる」という言葉が誤用されているところ。「二人とも煮詰まってるぞ。煮詰まっちゃいかん。ろくなことにならんよ、煮詰まると」。煮詰まるは、話し合いなどでじゅうぶん意見が出尽くして、そろそろ結論が出る、という意味合いが本当ですよね。お父さんが間違った意味合いで使っているにしても、フォローがないので、作者が誤用しているというふうにしか読めません。編集者、校閲が気づくべきだと思いました。

アカシア:子どものときに、こんなふうに子どもの感受性を子どもの視点で書ける人の作品を読みたかったなあ、と思います。羽美は黒いものばかりにこだわり、細田くんは狭い隙間にはさまるのが好き。どちらもちょっと変わっていますが、羽美については、担任がきっちりした人で小言ばかり言う描写があったりしますね。細田くんのほうは犬のトミオを飼っていることを秘密にしなくては、なんとかトミオの居場所を確保しなければ、といつも緊張している。子どもは、ちょっとしたことで他と同じ規格品にはなれないんですよね。羽美が、ササムラさんを疑ったり、証拠をつかまないとと焦ったり、探偵ごっこまがいのことをしたりするのは、この年齢ならではの正義感をもつ子どもらしいし、それよりトミオが心配な細野くんとの距離があいていくのもよくわかります。ただ、怪しい人物についての謎が、前にこの会でも取り上げたシヴォーン・ダウドの『ロンドン・アイの謎』のように解明されていくわけではなく、羽美の勘違いという結末になるので、そこを多くの子どもが読んでおもしろいかというと、そうでもないように思います。いろいろな人が出てきて、物語の本質からしてどの人も善悪では割り切れないので、くっきりしたイメージを持ちにくいですね。ただ、好きな子どもはとても好きだと思います。さっき、『春のウサギ』が岩瀬成子的とおっしゃった方がありましたが、私はそんなふうには思いませんでした。岩瀬さんの言葉には、ひとことで10か20の背景を思い起こさせるふくらみがあり、そこが『春のウサギ』とはかなり違うんじゃないかな。

ニャニャンガ:これまで読んだ岩瀬成子さんの作品の中で、いちばんおもしろく読んだのは大人目線だからでしょうか。犬を飼ってはいけないマンションで犬を飼っている状況にドキドキしながら読みました。細田くんのトミオを思う一途さがかわいかったです。この作品には大人のずるさや利己的な面が書かれている一方で、狭い世界で生きる羽美が、自分のものさしの短さに気づいてゴムのようにのばすことができたのがよかったなと思います。人にはさまざまな面がある(羽美の姉、羽美のお母さん、佐々村さんなど)のを学んだのではと思います。羽美が犯人探しに夢中になるあまり、細田君の犬のトミオの引き取り手探しがおろそかになるあたりは子どもらしく感じました。大道仏具店のおばあさんがトミオを引き取ってくれそうだなというのは薄々わかったものの、そこから椿マンションに引っ越せるとわかるまでは想像できませんでした。学校の先生の指導に違和感を覚えたり、正義感を通そうとしたりする羽美に共感しつつ、こだわりの強い子だなと思うのは自分にも似た面があるからかもしれません。

まめじか:大人の欺瞞にだまされまいと気をつけていたのに、それでも自分は見抜けなかったと、羽美がくやしさをおぼえる場面があります。そうやっていろんな経験を重ねる中で、羽美は自分をふりかえり、また周囲のことも少しずつ理解していきます。正義感から突っ走ってしまう羽美に対し、親は事なかれ主義の対応をしますが、子ども対大人の単純な構図にしていないのが、すばらしいなあと思いました。子どもにも大人にも、見えているものと見えていないものがあるんですよね。それがとてもよく描かれていますね。時間割をつくることで何かと戦っているようなお姉ちゃんは、子ども時代と自分を切り離そうとしているようで、羽美をとりまく人たちもそんなふうに、厚みのある人物として感じられました。

ネズミ:岩瀬さんの物語は、登場人物を一方的に決めつけないというのが徹底していると思いました。黒い服を着ている主人公とか、狭いところに入る細田君とか、奇妙に見えるけれど、だからといって特別視しないし、何かの型にはめたりもしない。分断しないから、読んでいると、こういう見方もあるなと、目をひらかされていきます。物語としても、犬がどうなるかというのと、左々村さんの謎があって、先にひっぱられていきますね。主人公の論理は、やや独善的にもなるのですが、それがまわりにも本人にも自然に伝わり、ゆるやかに本人が変わっていく書き方がみごとだと思いました。冒頭の先生との掃除の場面と、仏具屋のおばあさんのネコの場面に、呼応する場面が最後にあるのもいいですね。

ルパン:岩瀬成子は好きなんですけど、この作品はちょっとすっきりしませんでした。私の理解力が足りないのかもしれませんけど。まず、最後のほうでお姉ちゃんが突然饒舌になるところに違和感があったのと、あと、この子の「黒」へのこだわりや、細田君が狭いところにはさまりたがるところなども、おもしろいんだけど、それが何につながっているのかなあ、という不完全燃焼感がありました。佐々村さんはちょっといやな大人で、疑われたってしょうがないじゃない、と思ってしまいました。

雪割草:次が気になってどんどん読めました。羽美とお姉ちゃんとの会話など、この年代の子の心もようの描写が上手で、いつもすごいなと思います。佐々村さんは理解できなかったし、子どもの権利的にも批判されるべきだけれど、こういう大人はいると思うので、リアルに感じました。それから良い、悪いについても、役に立ちたいと思って相手を傷つけてしまったお姉ちゃんの話があって、それに対して羽美は、最初は自分のことばかり考えてやっていたことが、結果的に感謝されるなど、良い、悪いは見方によって変わるのだということが体験を通じて理解できました。岩瀬さんの動物へのまなざしも好きです。

アカシア:細田君は、犬のトミオのことがものすごく心配で、それが棘のように心に刺さっているんですね。それが、はさまるという行為につながっている部分もあるんだと私は思いました。羽美が黒い服を来ているのも、感受性が鋭くて、何かを棘として感じてるからじゃないかと思います。わけのわからない変わってる子を出してきてるというより、どの子にもありうることなんじゃないかな。細田君は、羽美が同じような棘を抱えていることを感じたから、ひみつの犬のことを話したんでしょうね。私は、『春のウサギ』よりこの作品のほうが、ずっと印象に強く残りました。

ヨシキリ:『春のうさぎ』には棘のようなものは書かれていないので、あまり印象に残らないのでは? ヘンクスは、子どもの本なので、そこまでは書かないと決めているのかも。

アカシア:ヘンクスには引っかかりが少ないっていうことですか。

ヨシキリ:子どもの読者には、ゴミを捨てるおばあさんや、佐々村さんのことを、「いやな人だな!」と思ってほしくないな。岩瀬さんも、そう思っているんじゃないかしら。まだ文学を読む力が育ってない子は、そういう感想になるのかもしれませんが。

西山:細田君がすきまにはさまる理由は、p75に出てきますよね。「ぼくは成長しているでしょ。(略)大きくなると入れなくなるんだよね。そして一度入れなくなったら二度と入れないの」って、子どもは子どものままでいられないという、成長とは何かを失っていくことでもあるという、深遠で切ないような真実がふいに突きつけられた気がしたところです。

ヨシキリ:「成長をたしかめる」というのは、細田くんがついたウソですね。細田くん自身も、うまく説明できないのでは? 自分の部屋や戸棚に閉じこもって、うずくまっているのではなく、真昼間に街なかではさまっている。実は私、この作品の中で一番気に入っているところです!

西山:はさまるとか、黒い服をいつも着てるなんていくところがおもしろいので、子どもはそういうところに惹かれて読めるかと思います。

アカシア:岩瀬さんは日本からのアンデルセン賞作家部門の候補ですが、翻訳が難しい作家かもしれません。余白とか行間を読み取るという部分がかなりあると思うので。

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エーデルワイス(メール参加):これまた主人公の石上羽美ちゃんの心の声がずっと聞こえる本でした。冒頭で担任の先生から注意される羽美ちゃん。p62「大人に利用される・・・・」もうこれだけ読んでいて心がめげそうになりました。5年生の羽美ちゃんは黒にこだわり、4年生の細田君は狭いところにはさまろうとする。二人とも相当のものです。飼ってはいけない家でなんとか犬と一緒にいたいと思う子どもの物語は、岩瀬さんにかかるとこのような独特な物語になるのですね。正しさを振りかざす脇山さん、綺麗好きで孤独な今井さん、時間割にこだわるお姉ちゃん、いつも疲れているお母さんなどなど大人がたくさんでて、善悪をひとくくりにできないことを伝えていますが、ちょっと教訓っぽい感じです。最後、犬のトミオと細田君が離れることなく、が幸せになれてとにかくよかった。

(2023年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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春のウサギ

『春のウサギ』表紙
『春のウサギ』
ケヴィン・ヘンクス/著 大澤聡子・原田勝/訳
小学館
2021.04

雪割草:おもしろく読みました。「エピファニー」という言葉とその描写には、懐かしい児童文学のにおいを感じました。たとえばp72には、「一瞬」のなかに、アミーリアが自分という存在や世界との出会いを見出すさまが描かれています。それから、父の恋人のハナを通じて、アミーリアは、記憶にも残っていない母と向き合うことができます。ケイシーと恋愛もして、父を一人の人間としてみることができるようになります。オブライアンさんのような、寄り添ってくれる大人がいてよかったです。ときどき、ケイシーの発言は無神経に感じることはありました。原題は”sweeping up the heart”のところ、邦題はいいなと思いました。

ルパン:オブライエンさんは何歳なんだろう、というのが気になりました。70代のお友達をぞろぞろ連れてくるのでおばあさんなんだろうなと思って読んでいたのですが、p128に「結婚してすぐだんなさんが亡くなり、そのことがきっかけでオブライエンさんとアミーリアのお父さんとのきずなが強くなった」とあります。アミーリアのお母さんが亡くなったのはアミーリアが2歳のときで、アミーリアは今12歳か13歳。オブライエンさんの夫が「結婚してすぐ亡くなった」のが10年前ならオブライエンさんもお父さんと同年代ということになります。ところが、そうかと思うと最後のほうでアミーリアはオブライエンさんが死んでしまうことを心配している。いったい、この人は何歳でどういう人なんだろう、というのが引っかかります。それから、アミーリアは友だちから「変人」と呼ばれているけれど、どういうところがどのくらい変人なのかがわからず、ちょっとストレスでした。以上2点が気になりましたが、お話はおもしろかったです。

ネズミ:繊細なお話だなと思いました。お父さんが外に出かけるのが好きではなくて、どこにも行けない春休み。母親が亡くなってから立ち直れない父親が描かれていて、こういう父親像って日本の作品ではあまり見かけないけれど、前にこの読書会で読んだ作品にもあったので、海外では一定数あるのかなと思いました。陶芸教室の場面がよかったです。ただ、ときどきちょっとぴんとこない文章がありました。たとえば、p40からp41で、名前をつけて、どんな人物か考えて遊ぶところ。「なんて楽しいんだろう」とあるのですが、会話を読むと、そんなにおもしろいと思えなくて。状況はわかるのですが。

まめじか:子どもの頭の中で想像がどんどん広がっていき、それが現実と混ざってしまったり、茫漠とした不安やよるべなさを感じていて、これから続く人生の大きさに圧倒されていたりする感じは、よく伝わってきました。ただ、好みの作品かどうかというと、全体としてなんかぼんやりした雰囲気で、あまり印象に残らず…。

アンヌ:最後はすべてうまくいく、とてもほっとする物語だとは思うのですが、どうも私はこのお父さんが受け入れがたくて、納得がいきませんでした。「かわいそうにとみんながいう」ような家庭状況におかれていて、母が死んでから10年以上、旅行にも連れて行ってもらったことのいない小学生である主人公。そうなったのは、お父さんがずっと辛い思いをして動き出すこともできないからなんだと思っていたら、とっくに、自分自身は新しい恋をしていたという話になっていくので、あれれと思いました。オブライエンさんについても、実の祖母のように賢く主人公を愛し保護してくれているようだけれど、先ほどルパンさんがおっしゃったように、子供が欲しかったという記述から見ると、何か年齢的なずれがあるようで、ここら辺の関係も奇妙に思えて、主人公自身の物語に入り込めませんでした。

ニャニャンガ:ケヴィン・ヘンクスの読み物が大好きで、本作は翻訳された4冊目だと思います。刊行後すぐに読んだものの内容が思いだせず、今回読み直したところ、ヘンクスらしいナイーブな作品で新鮮に楽しめました。口数の少ないお父さんは存在感が薄いですが、お向かいに住むオブライエンさん、陶芸工房のルイーズさん、親が離婚間近のケイシーたちの、包み込まれるような愛に囲まれているアミーリアは幸せだと思いました。それでも、2歳で母親を失ったことはアミーリアにとっては欠けたピースのようにいつまでも埋まらない穴であり、埋めたいのだなと感じます。ケイシーの突飛な発想には少しハラハラしましたが、ふたりの距離が縮まり恋に発展するようすをほほえましく読みました。エピファニーと名付けた人が父親の交際相手でハナだったことは偶然の幸運といえるし、ちょっと出来過ぎとも思いました。読み始めではオブライエンさんの年齢がわからず、もしかして父親のことが好きなのかもと想像しましたが、詩のサークル仲間が70代ということからそれはないとわかりました。それでもアミーリアに無償の愛をささげ続けてきたオブライエンさんが、父親の再婚を機に疎遠になったとしたら、少しかわいそうな気もします。

アカシア:出てすぐに読んだのですが、タイトルのせいもあってか、どんな話だかぱっと思い出せませんでした。どんなウサギの話だったけと思ったりして。で、もう一度読んだのですが、いつもの原田さん訳の作品と違って、すっと入ってこないもどかしさがありました。もしかしたら、それは共訳のせいかもしれないですね。若い翻訳者を育てるという意味では共訳も必要なのかもしれませんが、私はもっとなんというか言霊みたいなものがあると思っていて、その作品のエッセンスをどうとらえるかは人によって微妙に違っているので、ばらばらの言霊が聞こえてきてしまうのかもしれません。子どもの言語感覚が分かる人に下訳をしてもらうという人もいますが、共訳の場合たいていは波長の違うちぐはぐなうねりを感じて、とまどいます。p66に「わたし、名字なしで名前だけの人が好き」とありますが、そういう人はめったにいないので、「名前だけのほうが好き」くらいでしょうかね。それと、冒頭で、オブライエンさんがアミーリアのことをしょっちゅう「かわいそうに」と言う、とありますが、本文では言ってないみたいだし、それですますような人にも思えないので、ちょっとひっかかりました。まあ、私が「かわいそう」って上から目線だと思っていて好きではないからかもしれませんが。でも、アミーリアの心情に沿って読めるところはたくさんあって、たとえば父親からこれまで声に出してほめられたことのなかったアミーリアが、ハナも呼んでの食事のとき、二人からほめられてうれしくなったり、そのあと自分の意見が否定されたと思って怒る気持ちなどは、寄り添って読めますね。

ヒダマリ: うーん、読んでいるときは先が気になるし、読後感もさわやかなのですが、あまり残らない作品でした。実は、1年半前に1度読んでいるんだけれど、今回、内容をすっかり忘れてしまっていました。印象が弱い理由を考えて、2つあるのではないかと思いました。1つは、主人公が恵まれていること。2歳のときにお母さんが亡くなって、お父さんは理解がない、ということが冒頭で強調されていますが、オブライエンさんは、おそらく実の母以上に優しく、常に理解してくれるし、途中から現れる父の交際相手のハナ・バーンズさんも理想的ないい人です。友人のケイシーは、元気づけてくれて、工房の先生も優しいんですよね。もう1つの理由は、主人公が常に受け身であること。内向きな性格でさびしい思いをしている、というのはわかるんですけど、自分から行動せず、常に与えられるものによって、少しずつ変わっています。特に気になったのは、ハナ・バーンズとの件が佳境にあるとき、一度たりともケイシーのことを思い出さないんですよね。この子の視野の狭さが浮き彫りになっているストーリーならいいのですが、頑張ってるいい子として描かれているので…物足りなさを感じました。

花散里:2021年に刊行されたときに最初に読みました。その時、評価が高い本だったと記憶していますが、今回、タイトルを聞いたときに物語がすぐに思い出せませんでした。読み直して、1章「かわいそうなわたし」から、お母さんが亡くなっていることなどを思い出しました。お父さんが前半ではオブライエンさん任せきりで、子育てに関心がないように描かれていますが、p165、後ろから5行目の文章「あなたが小さいころ、お父さんは、あなたをねかしつけるために毎晩抱っこして歩いていたこと。(中略)すぐに泣いてしまうから」が印象的でした。お父さんがうまく愛情表現できないのを、上手にオブライエンさんがカバーしてくれているということが全般的に良く伝わってきて、お父さんにとってもオブライエンさんが欠かせない存在であることも良く描かれていると思いました。アミーリア自身、友だちの作り方がうまくいっていないなかでケイシーと出会ったことなどが、子どもたちにも好感を持って読まれるのではないかと感じました。『春のウサギ』、このタイトルと表紙がそぐわないように感じました。子どもたちが読んでみようかなと本を手にするとき、タイトル、そして表紙の画は大事だと思います。どうして「春のウサギ」なのかなと。この物語を子どもたちに手渡すときの印象からすると、違ったほうが良かったのではないかと思っています。

西山:今回、岩瀬さんの作品と抱き合わせにして続けて読んだせいもあるでしょうが、すごく岩瀬成子的と思いながら読みました。大きな事件が起きるわけではなくて、筋は忘れてしまう気がしますが,読み返したら随所がおもしろくて、何度でも味わえそうです。人間観がやわらかくて好き。子どもの身体性を伴った、包まれている安心感というのが描かれていて、その温かさを新鮮に感じました。『春のウサギ』というタイトルは、全体を覆う温かなものに包まれた安心感にあっているのかもしれません。私も、最初はオブライエンさんと「教授」の関係が気になっていましたが、「教授」との恋愛感情があるとかないとか、そうじゃないんだなと思うに至りました。愛し合う男女がペアになって子どもを育てるという定型ではなく、お向かいのおばさんがこんなにアミーリアを無条件に受け止めてくれる、こういうあり方は新鮮でした。「教授」の不器用さはひどいとも思いましたが、p175の6行目ではっきり自覚されているように、アミーリア自身お父さんに似ています。おもしろい人間像を見せてもらったという感じです。「教授」の「あの子がおまえと遊ばなくなって、よかったと思っている。意地の悪い子だと思ってたんだ」(p177)というひとことなど、普通言うかそんなこと、とびっくりしましたが、そういう、馴染んだ人間観をこえてくるところがおもしろかったですね。

ヨシキリ:主人公の心の動きを繊細に描いた、温かくて、感じのいい物語だと思いました。ふと見かけただけ女の人を、実のお母さんであってほしいと思うアミーリアの心情は、両親が離婚寸前というケイシーに影響を受けているんでしょうね。お父さんはアミーリアを虐待しているわけではなく、鬱状態にあるだけだと思います。不器用な人なんですね。また、オブライエンさんも、アミーリアたちに無償で尽くしているのではなく、きちんとした雇用関係に基づいて働いていて、そのうえで春のようにアミーリアを包みこむ愛情は本物だと思いました。タイトルも表紙も、私は好きですね。こういう名前のカフェがあったら、入っちゃうかも。後漢の歴史家がのこした「養之如春(これを養うこと春の如し)」という言葉を思いだしました。春のように子どもをふんわりと見守るというのと、ウサギのように一歩前へ跳びだすという意味を兼ねているような感じがして…。原書のタイトルに使われているエミリー・ディキンスンの詩は、物語の結末とは違うような気がして、なかなかトリッキーなタイトルだと思いますので、そのまま訳しても読者に届くかどうか。まあ、私は子どものときに読んだ本でわからないことがあっても、大人になって「ああ、そうだったのか?」と思うことがよくあり、それはそれで読書の楽しみのひとつだと思いますが。訳書のタイトルのつけ方は、本当に難しい!いくら子どもが手に取りやすいからといって、「謎」とか「秘密」とかいう言葉をやたらにつけるのもどうかと思いますし…。

花散里:子どもたちが本を選ぶとき、タイトルは大きいと思います。

サークルK: 4月の課題本として3月半ばから読み始めたので、イースターの季節にぴったりのタイトルと表紙の緑色やウサギの絵に手に取った時から心が和みました。様々な表情のウサギたちは、アミーリアの作る粘土のウサギのことだったのだと読み始めてわかり、あらためて眺めることになりました。作中の表現で特に心に残ったのは、登場人物たちの「ふれあい」です。p28で友達になったケイシーが「2度ほど、自分の腕をアミーリアの腕を軽くかすらせた」とかp162-3ページでは「ハナの腕がアミーリアの肩に触れたが、やわらかな感触がびっくりするくらい心地よかった。」とか、p165「知ってる?あなたが小さいころ、お父さんは、あなたをねかしつけるために毎晩抱っこして歩いてたこと」など、さびしい心持をしているアミーリアに温かい人の手が何度も差し伸べられ、実際に「手当されている」ということがよくわかります。彼女は決して放っておかれているわけではなく、皆さんの感想にもあったように実はとても恵まれているのだと思えます。p112でオブライエンさんの手が「急にあわただしく動きはじめ」、「アミーリアの髪をなで、両肩をぎゅっとつかんだかと思うと、シャツについていたごみをはらいおとし、ほほにふれた」とあります。髪にふれるという行為は、p167にはハナが「なにも言わずにポケットに手を入れ、小さな青い玉のついたヘアゴムを取り出して(中略)ベッドの上ですわりなおすと、アミーリアの髪の毛をていねいにたばね、おだんごにまとめた」という形で再現されています。大人の小説だと、官能的な愛情表現につながるような行為ですが、親しいものがこのようにして子どもの髪をなでるという表現には独特の親密さや言葉にはしにくいながらも優しさや温かさが表現されていると感じました。続く最後の行、「きつすぎず、ゆるすぎず。ちょうどいい感じに」という表現は特に素敵でした。大人がべたべたと、あるいはずかずかと子どもの心に入ろうとしているのではないことがよくわかったからです。

すあま:このタイトルだとどんな話かわからないので、ブックトークなどで紹介しないと手に取りにくいかな、と思いました。夏休みの物語は多いけれど、春休みの話はあまりないかも。日本とは学校の学期の始まりや休みが違うからかもしれません。春であり、1999年という年であることに意味がありそう。アミーリアとケイシー、一人はお母さんが亡くなっていてお父さんしかいない、もう一人は両親が離婚しそうな状態で、どちらも家族についての悩みや痛みを抱えています。そこに家族ではないけれども、支えてくれる大人がいるというのをきちんと書かれているのがとてもよかったです。家ではない居場所があり、そこでは家族ではない人が自分を見守ってくれている。物語の最後、何もかも解決したわけではないけれど、アミーリアの成長が感じられて、この先いろんなことがうまくいきそうな予感を残していたので、読後感がよかったです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):時代設定は1999年。確かに携帯(ガラケー)もまだまだこれからでした。主人公のアミーリアは寡黙なお父さんとあまり意思に疎通がないようだけれど面倒をみてくれるオブライエンさんいて平和な日常をおくることができています、オブライエンさんの手作りマフィン、クッキー、ケーキ、アミーリアの通う陶芸教室などゆったり感満載ですね。両親の離婚問題で悩むケイシーとカフェに行くなんて。12歳なのにオシャレです。通りかかる人に勝手に名前をつけてその物語をつくる遊びは高度。二人とも成熟していると感じました。アミーリアのお母さんは亡くなっているはずなのに、見かけた女性をお母さんかもしれないと想像を膨らませるところはいじらしいです。その女性はお父さんの恋人でしたが、この本の続編が書かれるのかもと思ったりしました。アミーリアの心の軌跡が丁寧に書かれていると思ったし、装丁と挿絵はいかにも日本らしいと思いました。

(2023年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2023年03月 テーマ:他者の靴をはいてみる

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『2023年03月 テーマ:他者の靴をはいてみる』

 

日付 2023年3月16日
参加者 ルパン、花散里、すあま、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、まめじか、西山、サークルK、マリオカート、雪割草
テーマ 他者の靴をはいてみる

読んだ本:

『ロンドン・アイの謎』表紙
『ロンドン・アイの謎』
原題:THE LONDON EYE MYSTERY by Siobhan Dowd, 2007
シヴォーン・ダウド/著 越前敏弥/訳
東京創元社
2022.07

〈版元語録〉12歳のテッドは、姉といとこのサリムと観覧車ロンドン・アイに乗りにでかけた。見知らぬ男がチケットを1枚だけくれたので、サリムは大勢の乗客と一緒に観覧車のカプセルに乗りこんだ。だがカプセルが一周しても、サリムは降りてこなかった。閉ざされた場所からなぜ、どうやって消えてしまったのか? 「ふつうの人とはちがう」脳の仕組みを持ち、大人顔負けの論理を駆使する少年テッドが謎に挑む! カーネギー賞受賞作家が贈る清々しい謎解き長編。
『笹森くんのスカート』表紙
『笹森くんのスカート』
神戸遥真/著
講談社
2022.06

〈版元語録〉笹森くんのすらりとした引きしまった長い脚が、今日はまた一段と際立っていた。 笹森くんが、ひだの均等なスカートを穿いていたから。 教室の入り口でそれに気が付いたぼくは、ゆっくりと二度瞬きした。・・・篠原智也 夏休みあけ、いきなりスカートで登校をはじめた笹森くんをめぐる4人の物語。

(さらに…)

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笹森くんのスカート

『笹森くんのスカート』表紙
『笹森くんのスカート』
神戸遥真/著
講談社
2022.06

すあま:さらっと読みやすかったので、小学校高学年くらいでも読みやすいだろうと思いました。1章ずつ主人公(語り手)が変わっていく手法に新しさは感じないけど、クラスのいろんな子の視点で描いていくのは嫌いじゃないので、よかったと思います。セリフなど、今の高校生という感じはよく出ているけれど、はやりの言葉や道具は賞味期限が短いので、時がたつと古さを感じてしまうことになるから難しいですね。テーマ的にも、今読んでもらえればいいということなのかもしれないけど。ストーリーについては、笹森君がスカートをはいたことで、周りのみんなが自分に引き付けていろいろと考え、それぞれの性格の違いが直接質問したりできなかったりする行動の違いに表れていたところはおもしろかったです。最後は、笹森君がスカートをはくことにした理由がわかり、ある意味解決したように思うので、この後はどうなるのか、スカートをはくのをやめるのかな、と気になりました。この学校は校則もゆるそうなので、ある程度レベルの高い学校なのかな。物語の設定なのでこれはこれとして、制服を選べるようにするくらいなら、私服にすればいいのに、というのが私の考えです。

ハリネズミ:笹森君(ひろ)のキャラが、理想的ないい人として描かれていますね。彼は、リアルな人物というより、まわりの人の思いを映す鏡的な存在なので、あえてそういう設定にしているのかもしれません。いろんな視点から描かれているので、中高生にも多様な考えがあるということが伝わると思います。高校生男子を主人公にした作品だと、たとえば川島誠とか昭和初期の男性作家の作品とか、性を描かないとおかしいくらいのスタンスで描かれたものもたくさんあって、それは逆に多様じゃないなと思っていたので、この作品に性的な要素がほとんど登場しないのが逆に新鮮でした。

コアラ:おもしろく読みました。装丁や文字の大きさが、高校生が主人公にしては幼いと思ったし、登場人物たちの恋愛も、高校生にしては幼く感じたので、どのくらいを読者対象にしているのかな、と思いました。さわやかなイケメンがスカートをはいてきた、とか、ぽっちゃりして外見にコンプレックスを持っている女の子が面食いで告白しまくっては振られるとか、ありがちな設定だけれど、ありがちだからこそ、さらっと読めてメッセージが伝わりやすい物語になっています。読みやすい中で、ところどころに、目が引っかかる、心に引っかかる言葉が挟まっていて、たとえばp28の後ろから3行目の「敗北感」とか、p39の終わりから3行目からの「傲慢」とか、さらっとしているだけじゃない成分が入っているのはいいと思いました。制服で、女子がスラックスをはいたり、男子がスカートをはいたりするのに、特段の理由がなくてもいい、自由に選べるようにすればいいんじゃないか、というようなメッセージが書かれていて、新鮮な感じはないけれど、こういうメッセージが増えれば、固定観念に縛られずにラクになる人も増えるかもしれないと思います。それから、今回の読書会のテーマが「他者の靴をはいてみる」ですが、この本はどんぴしゃりだと思いました。

マリオカート:多視点の物語で、それぞれの登場人物の事情や個性がよくわかり楽しく読めました。特に私は、「わかるわかる」を繰り返す倉内さんというキャラクターが興味深くて注目していました。あとは、つるまない女子の西原さんが、カラオケに強引に連れていかれる場面も好きです。p76「部屋にはタンバリンやマラカスもあり、ここは鳴らして盛り上げるべきなのかもと一瞬迷ったけど。スクールバッグを人質に取られている私がすることじゃないな」という文章から、西原さんって根はやさしくてユニークな子なんだなというのが伝わってきました。最後、笹森くん自身が登場し、スカートにした理由も納得できる展開だったのですが、お父さんとお母さんが妙に物分かりがよすぎる気がしました。あと、私が注目していた倉内さんが、最後の章にまったく登場しなかったのが残念です。ところでひとつお聞きしたいことがあります。p86の最後の行で、「「カッコいー」」と、カギかっこが二重になっていますよね。これは、2人が同時に言っているという表現で、児童文庫では当たり前になってますが、いわゆる普通の児童書でも、スタンダードになってきているんでしょうか?

コアラ:たまに見かけるようになりました。

ハリネズミ:私も見たことはありますが、そっちが多くなったということはないと思います。

マリオカート:エンタメ特有の表現かと思っていましたが、だんだん広がっているのかなぁ、と。

花散里:制服のことを取り上げていて、性的マイノリティがテーマである作品かと思いました。中・高校の図書館に勤務しているので、今の高校生のことを、しっかりと描けているのだろうかと感じながら読みました。スカートをはいた笹森君に対して、章ごとに変わる主人公が、どのように考えているのかという構成はおもしろいとは思いましたが、それぞれの登場人物を描き切れていないように感じました。p83「母親が二人いるの」というところなど、もっと踏み込んで書いてほしかったと思いました。登場人物は高校生ですが、グレードは中学生くらいからでも読めるような軽い感じがしました。

サークルK:『ロンドン・アイの謎』(シヴォーン・ダウド著 東京創元社)を先に読んで盛り上がってしまって、特別な感想が持てない状況になってしまいました。軽く読めるけれど,言葉の使い方が今風すぎてついていけないな、中高生とは話ができなくなっているかも、とあきらめにも似た気分になりました。笹森君はかっこいいし、中学生だったらおもしろく読んでしまうのかもしれませんが、軽さと内容の繊細さの微妙なライン上にある作品だと思いました。繊細な内容というのは細野さんの体形にまつわる「ルッキズム」、笹森君は単純にはいてみたかった“スカート”が象徴する「セクシャリティ」のカミングアウトのことです。もう少しそれぞれの心の内をしっかりした筆致で読みたい気持ちがしたし、確実なことが言えないところが中高生らしいのかもしれないし、悩ましいところです。中高生のアイドル的な存在の人の中にも最近では自分に正直に生きる、自分の嗜好/志向を表明する人が増えてきているようなので(例えばりゅうちぇるさん、ぺこさんのカップル等)、重たくならずに多様性の問題を考えるきっかけとするには手に取りやすい本だと思います。

雪割草:読みやすかったです。ひとつのことについて、違う人物の視点で語る構成で『ワンダー』(R・J・パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版)を思い出しました。同じ外見のことでも、服と身体的なこととの違いのためか、『ワンダー』に比べて内容も軽く感じましたし、スカートをはくという行動は勇気がいったと思うし、もっと深いところを知りたくはなりました。でも、他人の目を意識する日本の若者のリアルさは伝わってきました。私も小学校に入ってすぐに、絵の具セットを買うので青を選んだら、全校の女子はみんな赤で、男子はみんな青だったのでいじめられたことがありました。ジェンダーレスな制服より、私服でいいのではと思ってしまいます。

西山:地元の図書館でずっと貸し出されていて,読み返せていません。手元に本がないので、具体的に話せなくてすみません。この作品、高校生が主人公の割に、造本が幼いという指摘がありましたが、中身としては、高校生だからこその物語だなと思い、そこがもっとも印象的だった所です。これが、中学生たちだったら、「ふつうじゃない」同級生に攻撃的に干渉してしまったのではないかと思うんです。『笹森くんのスカート』の高校生たちは、やはり、中学生とは違う「おとな」であって、違いを認めなければならないという価値観を持っています。ですから、排斥などしないけれど、でも確実にかき乱されている。そこが新鮮でとてもおもしろかったです。違いが攻撃される軋轢をドラマにして、「違ってもいいんだよ」というメッセージに行くのではなくて、いろんな人がいることは当たり前の前提なのだけれど、そこでどうしてもざわざわしてしまう自分の正直な現実をまず受け止める物語は、新しい切り口だと思います。

エーデルワイス:楽しく読みました。「ぼくもわかるよ 篠原智也」の章が好きです。思い込みの強い倉内さんが責められても仕方ないところを、それでも倉内さんのことを好きだと思う篠原君はいい子だと思いました。ただスカートをはいてみたかったと淡々と言ってのける笹森くんが、本当の理由が従妹のためだということが分かり、推測していなかったので新鮮でした。最後のバンド演奏でバンド名「スカーツ」で全員スカートをはいてのステージは素敵です。「きみなら話せる 西原文乃」の章には、二人の母、母親と同姓のパートナーの話がでてきます。『君色パレット(2)いつも側にいるあの人』(岩崎書店)の中にあった、いとうみくの「にじいろ」と同じ設定ですね。私の中高は普通の公立でしたが、北国のせいか女子はスカートのみということはなくスラックスをはいても全くかまいませんでした。また昔はそれほど服を買えなかったように思います。私など高校まで服を買ってもらえず母の手作りの洋服を着ていました。そういう意味では制服は、昔は必要だったのかもしれません。

アンヌ:去年の九月くらいに一度読んだのですが、LGBTQXに触れているようで触れていないような話で、最後に「笹森君がなぜスカートをはいたのか」という種明かしもされていないなと思って、がっかりしました。でも、こうやって皆さんのお話を聞いていると、主題はそこではないのですね。今回読み直してみると一応は、いとこの真緒が制服を選ぶには強制的なカミングアウトのような状況に追い込まれると知って不登校になった。その苦悩を知るために、あえてカミングアウトと誤解されるようなスカートをはいたのだと語られていました。でも、「スカーツ」の演奏を聴きに行った真緒は、突きつけられた自分自身への疑問や学校の体制への不満から、果たして自由になれるのかな?などと、いまだに思い悩んでいます。

ルパン:おもしろく読みました。残念なのは、最後の笹森君のところがほかの子のところほどおもしろくなかったこと。「笹森君」は、それまで、みんなの目からミステリアスに描かれていたので、最後まで出てこないほうがよかったかも。まあ、ないならないで文句を言われるだろうから仕方ないですが。出すなら思いっきりドラスティックな理由でスカートはいたか、逆に「え、それだけでそこまでやっちゃうの?」という肩透かしくらいならおもしろかったかな。中途半端に優等生な理由で、おもしろくなかったです。それならいっそ冒頭に出しちゃって、「たったそれだけのことなのにまわりがめちゃくちゃふりまわされる」というほうがよかったかも。

まめじか:笹盛くんは苦しんでいるいとこを見て、スカートをはくってどんな感じなんだろうと思って、はいてみるんですね。笹森くんがスカートをはく経緯が、少し軽いのではないかという意見もありましたが、私はこの軽やかさがいいと思いました。理解してあげなきゃって思いつめると、みんなが息苦しくなってしまうので。さわやか男子の笹森くん以外の登場人物も、眼鏡を取ったら美少女とか、声が高くて人気のある女の子とか、少女漫画っぽさが少し鼻につく感じはありました。

ハリネズミ:この作品はジャンルからするとエンタメだと思んです。LGBTQとか、友人関係の問題を深く追求しているわけではない。でも、エンタメでこういう作品が出ることがおもしろいし、とってもいいなあ、と思います。他者の立場になってみるためにちょっとやってみました、っていうのも新鮮でした。マイノリティの描き方にしても、深く考えるばかりじゃなくて、さりげなく出てくる作品も必要だと思っています。たとえば、椎野直弥さんの『僕は上手にしゃべれない』(ポプラ社)は吃音の中学生が主人公で、自分の悩みや困難や、それを乗り越えていく過程を語っていきます。つまり吃音の克服をメインテーマにしてその問題と正面から取り組んでいます。一方ヴィンス・ヴォーターの『ペーパーボーイ』(原田勝訳 岩波書店)も同じ年頃の吃音の少年が主人公ですが、吃音は作品の多様な要素の中の一つにすぎません。でも、伝わるものはあるし文学としてもすぐれています。LGBTQにしても、翻訳作品だとさらっと登場する場合が多いですよね。そのほうが多様な世の中をあたりまえに感じることができるような気もします。
それから制服なんですけど、最初は私も制服をジェンダーレスにするより撤廃したほうがいいと思ってたんですけど、貧困問題の側面から考えると、そうばかりも言えないような気がしています。制服だと「あいつ1週間同じ服着てるよね」と言われたりはしない、ということもあるかと。私自身は制服は大嫌いですけど。

雪割草:通っていた高校が旧制男子中学校だったので、男子だけ制服で女子は私服でした。でも、制服がほしいというニーズもあり、今は女子の制服もできたと聞いています。

すあま:経済状況との関わりでいうと、逆に制服が高いので私服にしてほしいとの声もあり、制服のリサイクルもあるそう。制服があって同じ格好をしている方が安心とか、おしゃれな制服で学校を選ぶというのもあり、制服はなくならないのかもしれません。

(2023年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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魔女だったかもしれないわたし

『魔女だったかもしれないわたし』
エル・マクニコル/作 櫛田理絵/訳
PHP研究所
2022.08

マリンバ:とても読み応えがありました。主人公が、視覚的にものを見る、ということを言葉で表現するのはとても難しいと思うのですが、それがうまくいっています。作者自身が自閉スペクトラム症と診断された、と知って納得です。あと、魔女裁判のことを調べるのに熱中していること、サメが好きであること、すべてに理由があって、無駄のない構成になっていると思いました。クライマックスも、終わり方も、よかったです。エミリーの弱点を知って、それを仕返しにクラスのみんなに伝えるような展開になるのでは、と心配しましたが、杞憂でほっとしました。今、日本でも発達障害のグレーゾーンがよく話題になります。そういうことに悩む人たちにも届けたい作品だと思いました。ただ1つ気になるのは装丁です。インパクトがなくて、物語の強さと合っていない気がしました。

花散里:表紙から受けたイメージと作品の内容がかなり違うと私も感じました。読んでみると、登場人物、一人ひとりがしっかり描かれていて読み応えのある作品でした。今、特別支援学校で読み聞かせをしています。以前には公立小学校の特別支援学級で13年間、読み聞かせをしていました。通常学級にも支援が必要な子どもたちがいましたが、その頃は、「自閉症の子ども」という言い方をしていたと思うので、本作で、自閉症ではなく、「自閉的」というところや、スティミング(自己刺激行動)についてなど、いろいろと学ばせてもらったという思いでした。主人公、その双子の姉、キーディとのやりとり、ニナとの後半での会話などが印象的で作品全体の構成が良くて、主人公、家族、友だちなど周りの人々、特に図書室のアリソン先生、魔女の慰霊碑建立に資金提供してくれたというミリアムなどがしっかりと描かれていると思いました。全体的に人と人との関りについての描かれ方が印象に残りました。

ハリネズミ:おもしろく読みました。自閉的な人は、それぞれずいぶん多様なんだと思いますけど、感覚過敏だったり、人の表情をうまく読み取れなかったり、騒音や接触が苦手だったり、共感力が強くなりすぎることがあったりと、アディのような人がどんなところで苦労しているのかが、リアルに伝わってきました。呪われた子とか、現代の悲劇とか、知恵おくれなどという周囲の偏見に対しても、病気なのではなく他の人とは認知の仕方が違うのだということが、はっきり書かれていました。それだけではなく、物語としてもおもしろかったです。ほかの登場人物も、リアルに浮かび上がってきました。マーフィ先生だけは、こんなにひどい人が本当にいるのかと思ったんですけど、著者が自分の体験の中でこんなふうに差別されたことがあったのかもしれませんね。アディの家族がみんなでアディを支えているところも、最近の作品の中では逆に新鮮でした。

雪割草:障がいのある子に対する偏見について、魔女裁判の例を重ねて描くというアイディアがおもしろいと思いました。自閉症についてよく知らなかったので勉強にもなりました。それからアディが魅力的だと思いました。物事への洞察力があり、思いやりもあって謙虚。周りの人を動かす力もあることに納得しました。エディンバラの郊外が舞台になっていて、留学していたので懐かしく思います。よくわからなかったのは、ミリアムだけさん付けではなく呼び捨てなこと。有名人だからでしょうか。この作品はBBCの実写版になっていて、オードリーが褐色の肌の子でした。作品のなかでは、黒い目で黒い髪でロンドンから来たためだと思いますがアクセントが村の人と違うとだけありました。それから、牛の目が毛の下に隠れているといった記述がありましたが、ふさふさの毛のハイランドの牛だと思います。なので、ただ「牛」ではなく日本の牛と違うことを明記した方がよかったと思うし、表紙の牛は違いますね。私も表紙自体が作品の内容と合っていないと思いますが、牛もちゃんと描いてほしかったです。

ハリネズミ:この本の中ではオードリーの肌の色は描写されていないんですけど、映画とか絵本にする場合は、登場人物を多様にしないといけないんでしょうね。

wind24:とてもおもしろく読みました。3姉妹を中心に話が進みますが、自閉症の長女と自閉的傾向のある三女。通常発達の次女はその板挟みで無関心を装うしかなく辛く孤独を抱えた立場であったでしょう。中世は魔女としてたくさんの女性たちが殺されました。その中には自閉症やアスペルガーなど、今で言う発達障がいの方も多くいたのではないかと思います。人は自分と違うものを排除しようとする傾向があります。キーディやアデラインはその時代に生まれていたら魔女として死刑になっていたかもしれません。アデラインはそのことを他人事ではなく自分の事として感じています。このジェニパーで魔女として殺された人たちの慰霊碑を立てるのはアデラインが前に進むためにはどうしても成し遂げなければならなかったことです。町を巻き込み、反対派を説得し、理解者や協力者を得ていく、アデラインの不屈な精神力が素晴らしい。p139でマッキントッシュさんに「自閉症の子」と言われたアデラインが言い返す言葉が印象的です。「私は自閉的な人間というだけで、病気などではありません!」
子どもたちを見守り続ける両親、和解し絆を深めるニナとの関係性。そしていちばんの理解者キーディ。そんな家族に囲まれたアデラインだからこそ、自分の意思をつらぬき、道を切り開いていくことができるだろう、これからも、と思いました。

ハル:とてもおもしろかったです。魔女裁判をこういう視点で考えたことがなかったので、根本に潜む恐ろしさに改めて気づかされました。キーディも素敵でしたが、ニナの存在も大きいですね。自閉的なキーディとアディの間で、定型発達のニナにだっていろんな思いがある。それぞれに自分を置き換えながら読むことができる1冊でした。

ハリネズミ:表紙をどうするのかは難しいところですね。シリアスなテーマだからシリアスな絵にしたら、誰も手に取らないかもしれないですもの。それにしても、この表紙はちょっと違いますね。

しじみ71個分:前に1度読んだきりなので再読しようと思ったら、図書館で予約が8人待ちになっていて、かないませんでした。図書館の開架にあったのですが表紙がふんわりしすぎて魅力的に見えず、最初は手に取って読もうとは思いませんでした。でも、必要があったので、しょうがないと思って読んだら、内容はかなりハードで、とても興味深い本だったので驚きました。表紙が内容にそぐわないのはちょっと損してるなぁと思います。お話はとても興味深くて、重要なテーマを扱っていると思います。主人公のセリフで自閉症と自閉的であることは違うと知りましたし、自閉スペクトラムの特性を持つアディを通して、音、光、触感、味覚などの刺激に弱い等、生活上の困難がよく分かりました。姉のキーディ、友だちのオードリーの存在、アディの精神的なタフさが物語に安定感をもたらしているので、執拗ないじめに遭うような場面でも信頼を持って読めました。見えにくく、理解されにくい発達障害には、周囲の理解が重要だということがよく分かるので、子どもたちに広く読まれ、知られるといいですね。キーディの描写からも鋭い痛みが伝わり、重み、厚みがあって胸にこたえました。普通(普通とは何だ?という疑問も当然浮かんできますが)と違うということで差別されたり偏見を持って見られたり、攻撃の対象にされたりするのはあってはならないことで、自閉スペクトラムの自分を魔女狩りに遭った魔女に例えられて処刑されていたかも、と言われるなんてのは、生きることを否定されているみたいでとても怖いですよね。先生の無理解やいじめの場面は読むと辛いですが、読む人がちゃんと考えるべきことを伝えてくれていると思います。最後に、魔女狩りにあった女性たちの慰霊碑を建てることができ、きちんとアディの自己実現がなされるという結末には救われる思いがしました。読んで本当によかった作品です。

エーデルワイス:自閉スペクトラムである主人公のアディが冷静に自分の症状を説明しているところが驚きでした。一つのことが気になると、もうそればかりで我慢できないとか。親友のオードリーに人から触られる(一部除いて)のが嫌なのでハグができないとか。(最後の方でオードリーと軽くハグするところが微笑ましい。)アディの双子の姉の一人キーディが大学で自分が自閉スペクトラムであることを隠しているところからは、ありのままでいられない苦しさが伝わってきます。11歳の時、教師から受けた精神的な暴力のせいでしょうか? 大学には診断書が提出されていないのでしょうか? ADHD(注意欠陥多動症)の講演会とその当事者の体験談を聴く機会があり、周囲の理解や助けで普通に生活できることを知りました。
5歳の孫(男の子)は自閉スペクトラムと診断されました。それまでは、集団に入れず、大声で喚いたり自分の興味のあることしかしないので、こども園ではお荷物敵存在でしたが、診断がつくことにより理解が進み、選任の保育士さんが一人ついて、こども園の生活が良くなりました。孫が、このアディの視覚、聴覚、感じ方など同じだと思い、私にとってはテキストのように読みました。とてもよかったです。

きなこみみ:おもしろく読みました。自閉スペクトラム症ということがとても具体的に描かれていて、サメになぞらえられていたり、子どもにも伝わりやすい、感覚として伝わりやすい例というか、それをたくさん挙げて説明されているなと思いながら読みました。自分と違う人を排除するっていうのは、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』(小学館/新潮文庫)も。あれは自閉スペクトラムではなかったですけれど、やっぱり自分と違うものを排除するっていうのが、テーマの一つだったと思うんで。魔女の歴史っていうものを踏まえて、過去と今とを繋いでいるっていう意味でも、とても良い本ではないかなと思いました。あと、アディに対して、加害を繰り返すいじめっ子って、さっきも出てましたけど、誇張されているとは思うんです。マーフィ先生も、こんな先生がいるのかと思うぐらい激しいですね。アディとキーディが自閉スペクトラムの自覚があるっていうことは、学校にもそれは伝わっているんだと思うんですけど、今の時代のイギリスでこの対応はあまりに酷いと思うんです。でも、そこから伝わってくるものを選択されたんですよね、きっとね。加害する側と被害を受ける側の区分けがはっきりしすぎてるかな、とは少し思いました。
ただ、もう一ついいなと思ったのは、いじめを何も言わずに見ている人たちのことが、ちゃんと書かれているところです。p216で、アディの辞書がびりびりにされたことについて、「もしもだれかが、ジェンナの大切なものを取ろうとしたら、わたしなら止める。もしジェンナの悪口をいう人がいたら、わたしなら、だまれっていう。それが友だちってものだから。それが正しい人間がすることだから。でもジェンナは、ただつっ立ってみていた」ってアディが言うと、ジェンナが「わたしだけじゃない。みんなだってそうだよ」って言うんですね。みんなもそうだから、私は悪くない、っていうことをジェンナは言ってるんです。それに対して、アディは「オードリーは違ったよ。アリソン先生も」って、ぴしゃりと言い返します。傍観者になることは加害のひとつであるっていうことが、とてもしっかり書かれているので、この作者はそういうことについて、深く考えを張り巡らせておられるんだな、と。こないだ、朽木祥さんの講演会に言ってきて、そこで朽木さんが、「加害者になるな、被害者になるな、そして傍観者になるな」という言葉をあげてらっしゃいましたけど、その言葉がこの本を読みながらも、また、思い浮かびました。これはやっぱり、いろんな差別とかレイシズムの図式にもあてはまることなので、声を上げ続けるアディの強さが、子どもたちに伝わるといいなと思います。そして、殺されていった魔女たちの慰霊碑を作るっていうのは、過去を忘れずに、そこに向き合うっていうことなので、そこも良いと思うんです。過去と向き合わないと、実りある未来には進んでいけない。「われわれはすべて背中から未来へ入っていく」つまり、現在と過去を見る賢者だけが、未來を見ることができる、と『未来からの挨拶』(筑摩書房)で堀田善衛が言っていましたが、過去のつらい、悲しい魔女の記憶をきちんと持ちながら未来に進んでいこうとするこの物語には、とても大切なことが詰まっていると思います。

アンヌ:最初はファンタジーだと思って読み始めていたので、魔女への共感が慰霊碑の形になるとは思ってもみませんでした。定型発達とか自閉的という言葉の意味をこの物語の中から読み取るべきなのだろうけれど、やはり、わたしは最初のうちに注がほしかったと思います。ニナについては、親の言いつけを無視したりするところに、ヤングケアラー的な重圧を感じていたのだろうなと思いながら読みました。気になったのがp185でアディがマーフィ先生に算数の答えをカンニングしたと決めつけられていたことを、その時にはまだ来ていないキディが知っていて、p192で先生に言うところ。誰もまだそのことを口にしていないので、奇妙です。

ニャニャンガ:仮面をかぶって学校生活を送るアディの苦しさが胸にせまる内容でした。ニューロダイバーシティという言葉を知ったのは最近で、自閉症スペクトラムはなんとなく知っていたものの、こんなにもさまざまな状態の人がいるとは知りませんでした。作者自身が自閉スペクトラム症のため、表現がリアルで、アディとキーディの特性やしんどさがとても伝わってきます。アディに姉のキーディがいてくれてよかったのと同じように、キーディと双子のニナが、疎外感を感じるせいで反発しているようでいて、支えてくれる姿が愛おしかったです。ロンドンから来たオードリーは、閉鎖的な村社会とは対照的な存在で、アディを偏見で見ずに理解しようとする姿勢があり、理想的な友人の事例と感じました。この物語では、わかりやすい無理解者としてエリーとマーフィー先生が登場し、アディを苦しめ、残酷でつらかったです。また、自分のコンプレックスからエリーがアディをいじめるのは、親の問題もあり小さな村では今後が心配な気がします。また、現代の魔女的な存在であるミリアムを登場させたのは、うまい流れだと思いました。アディが自分を魔女と重ねで存在を否定されているように感じ、慰霊碑を作ることで昇華させようと活動するなかで成長し、それを影でミリアムが支援してくれたことは喜ばしいです。
気になるというか要望としては、スティミングについての説明のように、定型発達(ニューロティピカル)や作業療法など固有の言葉についてももう少し補足がほしかったです。可能であれば、あとがきか解説をつけてくれたら理解が深まったのではと思いました。

さららん;自分でメモしておいたことが、ほとんど全部出てしまったので、私なりに気がついたことを言います。たとえば、森の中を案内してくれたパターソンさんは、わかったようなことを、思い込みで言ってしまうタイプ。悪気はなくても相手を傷つけてしまうんです。そんなパターソンさんにまっすぐ切り返す主人公を見ていると、これまでの苦労がよくわかります。私もパターソンさんみたいにならないよう、注意しないと。また子どもと大人と対等に発言でき、村で殺された魔女たちを忘れないように記念碑を作りたいと、アディが提案できる委員会があることが、うらやましいと思いました。村の委員会の議長であるマッキントッシュさんは、なかなか手ごわい相手ですが、アディもめげずに工夫を重ねながら3回も提案するのです。その粘り強さは見習わなくては! アディにいろいろなことを教えてくれる姉キーディが語った言葉――「みんなが求めているのは事実じゃない(中略)みんなが聞きたいのは物語なんだ。だから一部始終を語らなきゃ」(p174)を聞いて、人を動かす力を持つ物語とはなんなのか考えさせられました。さらにキーディが言った「いいことと正しいことは違う」(p176)という言葉にはハッとさせられ、小学校高学年の読者にそれを伝えておくのは、これからの価値基準を作るうえでとても大事だと思うのです。いわゆる「歴史」を、自分自身でホントにそうなのか?と問い直すきっかけにもなります。過ちを繰り返さないために歴史を学んでいるはずなのに、私たちは少しも前進せず、同じ過ちをしています。女の子の小さな訴えが、そんな大きな歴史にも、この世界全体の在り方にもつながる、読み応えのある物語でした。

ハリネズミ:自閉症という言葉は今は使われなくなったんですか? この本の中では病気じゃない、と言っているので「症」という語は適切ではないのかな、と思ったのですが。

ニャニャンガ:見える障害と見えない障害があり、見えない障害は本人が申告したくない場合もあるため、支援を受けることの難しさがあるのではと思います。アディは自分で認知しているのに、周囲の理解が得られないのは問題だと思いました。

ハリネズミ:日本では、診断がつくと補助の先生がつくので楽になるけれど、親に診断を進めても、うちはいいという方も多いと聞きます。そのあたりは難しいところですね。

エーデルワイス:就学前そのお子さんの診断によって、普通学級、特別支援学級、特別支援学校へと分かれていくようです。私の文庫の近くに「放課後デイサービス」があります。契約を結んだ子どもたちの学校(小、中、高)へ、デイサービス職員が車で直接迎えに行き、放課後を過ごし(宿題をしたり遊んだり)、終了後にそれぞれの家まで送るシステムです。保護者にとってありがたいことだと思います。文庫にその子どもたちが本を読みに来てくれます。絵本やストーリーテリングも聴いてくれます。

しじみ71個分:放課後デイサービスは、私の地元でもとても増えています。発達障害の診断がつかないと使えない施設ですが、増えていることには何らかの意味があるんだろうと思います。日本の学校では、統合教育よりも分離教育の方が多いと思いますが、先生が多忙な上に、何しろ1クラスの子どもの人数が多すぎるのだと思います。先生の手も回りませんし、子どもに目が行き届かないです。それでは統合教育は進まないと思います。保育の現場でも同様で、先生1人に対する子どもの数が多すぎて子どもたち一人ひとりに目が届くような保育は難しい現状です。発達障害の診断がついてやっと先生の加配がなされるので、障害のある子どもを受け入れるには、診断がつかないと現場が回りません。保育園側から診断を受けてみたら、と保護者に伝えるには慎重にコミュニケーションを取らないと難しく、保護者自身も育てにくさやつらさを感じているのだと思いますが、なかなか言い出せるものではないと聞きました。でも、1回診断を受けて専門家のサポートを受け始めると保護者も保育園側もみんな楽になります。
とにかく日本では、障害を受容する環境が整っていないと思います。アメリカの図書館界では、自閉症の子どもを図書館に受け入れるためのツールキットも公開されていて、司書がトレーニングを受けることで、自閉症の子どもたちを含め、情報や教育、図書館にアクセスしにくい障壁をなくしていくという運動も進んでいます。自閉症の子がはねたり、声を出したりすると、周りの利用者からうるさいと言われ、図書館側も迷惑がるというようなことが往々にしてありますが、そういった気持ちのバリアをなくして、物理的な環境も改善していくことが大事だという学びを共有していっているんですね。物語の中でも大学の環境が整っていないためにキーディが大変な辛さを経験する場面がありますが、多様な脳の特性のある人を受け入れる環境改善と理解の促進への取組は日本でも早急に進めていくべきだと感じています。

ハリネズミ:障碍者というのは、その人に障害があるのではなく、社会の側がその人が暮らして行くときに障害になっているのだと聞きました。気の毒だとか親切に、とかいうことではなく、社会のほうをもっと整備していかないと、ということですよね。

しじみ71個分:日本の図書館でも「世界自閉症啓発デー」に合わせた展示を行うなど、自閉症に関する学びを深めつつありますので、これから少しずつ改善されていくのかなと思っています。

(2023年11月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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きみの話を聞かせてくれよ

学校の屋上で男子と女子が話をしている
『きみの話を聞かせてくれよ』
村上雅郁/作
フレーベル館
2023.04

きなこみみ:人の心って、外に出ている部分はほんの氷山の一角なんですけど、でも、人はその無限さを覗くのがめんどうくさくて、簡単に目に見える部分で他者を分類したがるんですよね。そんな目に見えない小さな抑圧や暴力に対する静かな告発の物語だと思います。いちばん共感したところは、p229で梢恵が「これってさ、私が弱いせいなのかな、みんなは、平気なのかな。私が、私が出来損ないで、ほかの人が気にしないようなちいさなことできずつくような、ほんとうにどうしようもない人間だから―私が、悪いのかな」というセリフがあるんですけど、こういうセンシティブな部分を「弱さ」として恥ずかしいと思ったり、消化できないでいたりすることって、私自身、こんな年齢でもよくあって。パレスチナで、今、起きているジェノサイドのことを考えると、ものすごく鬱々としてしまうんですけど、一応大人だし、と思って、表向きなんにも感じてません、ていう顔して日常生活まわしてるんです。でも、そんな自分にまた傷ついて、という繰り返しをしてるんですよね。ひとりでこの世界に立ち向かうのは、とっても勇気がいって、特に日本人はそこが苦手なんですけど、そんなとき、連帯してくれるのは、やっぱり物語だなと思うんです。この物語は連作短編で、みんな一対一の関係で苦しんでるように思えるんですけど、実はこれはマジョリティと向き合う、「ひとり」の物語で、そのひとりを繋ぐ糸が、野良猫みたいな雰囲気の黒野くんで、細い糸が連帯になっていくんだなと思います。物語が作るそういう連帯って、他者と自分を考えるときの心の足場になってくれる、それも文学の役割だなって、思いました。

エーデルワイス:登場人物が多いので似顔絵を見て確かめながら読みました。しかし読み進めていくと、頭の中ではそれぞれ似顔絵とは別の顔が浮かびました。学園ものだけれど、学年、男女を超えた繊細さがあり、新鮮でした。黒野良輔君は「くろノラ」の生まれ変わりかと思うほど不思議な存在。こんな子がいてくれたらどんなにいいでしょう。轟虎之助君がウサギ王子の祇園寺羽紗さんにタルトタタンを作りに行くところがいいです。p83にスーパーで黒野君と轟君がりんごの紅玉を買うシーンにあれっ?と思いました。梅雨明けの6月下旬7月初めに東京のスーパーでは紅玉を売っているのでしょうか。岩手では10月初旬に紅玉が出ます。出荷期間が短く、毎年知り合いのりんご農家に頼んで箱で買い、秋の私はせっせとアップルパイを作っています。ですから不思議に思いました。

しじみ71個分:前に読んだ同じ著者の『りぼんちゃん』(フレーベル館)より好感が持てました。登場人物がうまく書き分けられていると思いましたし、黒野君が狂言回しになって、友だちの間で話を聞くことで閉ざされた心の内を開いていって、問題を少しずつ明るい方向に向けていく連作短編でおもしろかったです。青春期のつらい気持ちは誰でも経験があると思うので、読めば共感できると思うし、苦しいときの参考にもできるのではないかと思いました。そういう意味では魅力的な本だと思います。タイトルのとおり、黒野君が人の話を聞きに行って、最終的に自分の心を見つめて、考えて、溝ができてしまった相手に向き合うよう促している。それぞれの人物の思いは胸を打つところがありました。否定されずに、人に聞いてもらいたい気持ちは誰でも皆あるんじゃないでしょうか。困っているときに、そういう機会が持てればいいと思いますし、対話の大切さが伝わると思いました。
ただ、ちょっと黒野君が大人っぽすぎるかなと思わなくもないです。私は死んだ猫のくろノラがお墓参りしたときに乗り移ったとか、そんな展開なのかと思ったくらいです。結局、普通の人間の少年でしたが、そうだとするとちょっと大人っぽすぎるかな。黒野君が等身大の14歳の少年だったらどうなっていたかなと思います。それと、ウサギ王子は特にですが、描かれている子どもたちの悩みがかなり極端だなと思われる点もありました。『りぼんちゃん』のときもそうでしたが、作者の言いたいことをそのまま登場人物に言わせるようなところがあって、どうしても大人の考えがにじみ出ています。それが気になるところではありますが、さわやかな話だし、子どもたちはおもしろいと思うのではないかなと思いました。

ハル:読者の声に耳を傾けよう、心に寄り添おう、としていることはよくわかるのですが、私は苦手でした。登場人物たちが生身な感じがしなくて、この物語の中に「この子たちは本当に存在しているの?」という疑問がわきました。私を型にはめないで! という感情は、もっと普遍的なものだと思っていたのですが、特別なケースとして描かれているような印象があって、それが共感できなかった理由かもしれません。それに、美術部って団体競技でもないのに、ひとりだけ真面目に描いてたからって、そんなんで浮きますか? 美術部の描き方に不満ありです。それから、人目につくところでタルトタタンが食べられないという理由も、どれだけ説明してくれてもよくわかりません。見た目にも、特に女性的も男性的もないようなお菓子じゃないですか。どうしてタルトタタンにしたんでしょう。音がおしゃれだからですか。と、いろいろ好き放題言ってしまいましたが、黒野くんが猫じゃなくて、そこはほっとしました。

雪割草:日本の作品は学園ものが多く好きではありませんが、先ほど意見が出ていたように登場人物の関係性がフラットで好感がもてました。章ごとに語り手、視点が変わるので、一つの物事に対していろんな見方ができておもしろく、次が読みたくなりました。読者にとっても、他の人の立場に立つ練習になり、よいかもしれません。でも後半の章になってくると、きれいすぎるというか、作者の理想が溢れていてついていけませんでした。黒野くんは、私も達観しすぎているかと思います。どの登場人物も自分に自信がなく、そうした自信のなさに黒野くんが「大丈夫。困ったことにはならない」と言ってあげる。そういう安心を子どもたちは必要としているというのは伝わってきました。

wind24:ティーンエイジャーの気持ちに入り込めないところも多々ありましたが、漫画の連載にしたら同じ年ごろの子どもたちの共感を得て、興味を持たれるのではないだろうかと思いながら読みました。黒野君、いそうでなかなかいない魅力的な性格。本当に中学生?と思うくらい含蓄深い言動に驚かされました。自分を振り返っても(半世紀前!?)少し背伸びして人生のこととかを語り合う友がいて、ありったけの言葉を駆使して言い負かそうとし合っていたことを懐かしく思い出しました。「ヘラクレイトスの川」の章では思春期の子を持つ親御さんに是非読んでもらいたいと思います。不登校の子どもの気持ちや寄り添うことの大切さ、結局は周りのアドバイスは本人にとっては圧でしかないということ。梢ちゃんの場合は兄の正樹の言動が救いになっていく。寄り添うという意味では最後の章の「くろノラ」がそうでした。いきなりの「です。ます。」調に戸惑いはありましたが、保健の三澄先生の語りかけということで納得。彼女もまた孤独を抱えながら中学生活を過ごしていたことが明かされます。そして、剣道部のウサは思うに自分の性に違和感を感じています。性自認が何であるかは明らかにされていませんが、今LGBTQのことが話題にできる時代になってきているので、もう少し突っ込んで書いてほしかったです。肯定的な書き方をすれば、救われる読者もいるのでは?

ハリネズミ:私はこの本は好きです。飄飄とした黒野君を狂言回しにして、6人の生徒と養護教諭が一人称で語っていく連作短編集で、それぞれの短編がかかわりあっているおもしろさがあります。私がいいなあと思って新鮮に感じたのは、たとえば兄に「人がなんと言おうと関係ない。自分の道を行けよ」と言われた轟虎之助が、p97で「少なくともぼくは、だれかに『人がなんて言おうと関係ない』なんて、言えない。/人になにかを言われることは、つらい。/自分の道を歩いているだけで、その道に勝手な名前をつけられるのは、歩き方に文句をつけられるのは、どんなに好意的でも笑われるのは、ほんとうにつらい」と心のうちを明かすところや、p230で兄に「変わらなくてもいいよ。梢恵はそのままで、いいよ」と言われた柏木梢恵がp230で「いいじゃん。お兄ちゃんは。強いからそういうことが言えるんだよ。きずつかないから。きずついても、ちゃんと立ちあがれるから。私には無理なんだよ。苦しくて、つらくて、変わりたいけれど、変わるのも苦しくて、どうしようもないんだよ……!」「変わらなくていいだなんて! じゃあ、ずっと、ずっと苦しめって言うの?」と反論するところ。「他人の意見なんか気にしなくていいんだ」とか、「変わらなくてそのままでいいんだ」とかは、子どもに関わる人や児童文学が伝えがちなメッセージですよね。でも、そう言われて逆につらくなる子どもたちがいるんだということがリアルに伝わってきました。
それから、冒頭にある「クラスになじめなかったり、大切な人とすれちがってしまったり、だれにも理解されずに、ひとりぼっちでとほうにくれている(中略)そういう子って、きっとこの世界にたくさんいるんだと思います。助けてあげてください。私に、そうしてくれたみたいに」と養護教諭の西島先生がネコ(くろノラ)に言っている言葉が全体のテーマのように掲げてあるので、黒野君はそのネコの役目を引き継いだかに見えるわけですが、最後の章で黒野君はp324「くろノラは、だれかを助けてやろうとか、そんなこと、ぜんぜん思っていなかったって。ただただ、おもしろかったんですよ。この学校に通ったいろいろな子たちと関わるのが」と言い、自分も助けようと思ったわけではなく、楽しいからいろいろな友だちと関わってきた、って言うんですね。ネコが乗り移ったわけでもなく、先生の願いやネコの遺志をついだわけでもなく、自分が楽しいから、というところが、いいなあ。
4つ目のエピソードでは、男子たちのいたずらがあまりにも稚すぎて笑ってしまうんですが、それが最後に登場するウサギ王子と小畑玲衣の仲直りの場面の伏線になっているんですね。

花散里:一人ひとりの人物の描き方、友情についてなどがしっかりと描かれていなくて、物語に入れず、どの章も私はおもしろく読めませんでした。登場人物の心の機微などをていねいに描いてほしいと思いました。くろノラの存在、三澄先生を絡めてのストーリー展開、構成もどうなのかと思いました。私は中・高の学校図書館に勤務しており、国語科の教員と協働で生徒たちに本を読んでほしいと、様々な取り組みをしています。読み応えのある外国の児童文学のような良い作品を常に手渡したいと思っています。日本の児童文学からも読みごたえのある作品と出合いたいと思いながら、読んだ作品でした。

マリンバ: これまで、2人の主人公の話を書くことの多かった著者が、短編連作に挑戦している“意欲作”だと思います。物語が複雑に絡まり合って、おもしろく読めました。ただ、人は増えても、みんなメンタルに不安を抱えている繊細な人たちで、ふり返ったときに、どの子もちょっと似ている気がしました。5章の柏木正樹くんなどガサツな登場人物も、最終的には繊細な相手を理解する、という展開になっていて、ガサツな人がガサツなまま繊細な人とふれあうのは、著者としては否定的なのかなと思いました。あと、たとえばp228「だけど、私、かなしかった……そして、こわくなった」というように、かなしい、こわい、楽しい、といった言葉が頻繁に登場するのが、やや安易な気もしました。ただ、子どもたちにとても好まれているようなので、こういうストレートで徹底的に心理描写を描くものが、今の子には伝わりやすいのかなとも思います。

ニャニャンガ:読みはじめは登場人物を把握できず、登場人物紹介を何度も見ながら確認する手間がありましたが、それを乗りこえる価値がある作品だと思いました。これだけ主要な登場人物が多い作品はめずらしい気もしますが、作者がきちんとまとめあげていてすごいです。わたしが好きなのはエピソード2の「タルトタタンの作り方」です。あのときの祇園寺先輩が語ったコンプレックスが後半で生きてくるあたりが好きです。本作の登場人物もほんとうの自分を出せないでいる子が多く、今回のテーマである「正体を隠して生きる?」につながりました。ただ、轟くんが何度も「ちいさく笑う」などと「ちいさく」を多用するのは自分が小さいからなのかと思ってしまいました。

ハリネズミ:さっき、ハルさんからは羽紗がタルトタタンにそれほどまでにこだわるのが理解できないとか、エーデルワイスさんからはこの時期に紅玉が手に入るのか、いう話がありましたが、そのあたりはどうですか?

ニャニャンガ:リンゴは一般的に6月から8月まで手に入りずらく、紅玉はもっと季節が限られていると思います。

ハリネズミ:タルトタタンって、別に女子っぽいお菓子でもないんじゃないか、という意見もありましたが。

マリンバ: タルトタタンというケーキの名前は、けっこう小説に使われている気がします。たとえば、一般書になりますが、近藤史恵さんの『タルト・タタンの夢』(東京創元社)や、中島京子さんの『樽とタタン』(新潮社)が頭に浮かびました。

ニャニャンガ:祇園寺先輩の性自認についてですが、この物語では女子として読みました。性自認というより、クラスメートや後輩たちから見られているイメージを崩さないためではないでしょうか?

さららん:7つの章はそれぞれモチーフもメインキャラクターも異なり、一見、断片的のようなんですが、登場人物が絡み合い、かなり凝った構成だと思いました。最後に羽紗はなぜタルトタタンにこだわるのか?という大きな謎が解決し、二人の少女の小学校時代からの行き違いが解けるところも気持ちよかったです。だれにもプライドやこだわりがあって、それがちょっとしたすれ違いで、友だちとの間に亀裂を作ります。でも違う視点から、さりげなく言葉をかける黒野くんの存在によって、みんなの小さな誤解やわだかまりが溶けていくんです。たとえ小さな悩みに見えても、子どもにとって人間関係は大きな悩み。自分のさりげなく発した言葉が相手をどんなに傷つけたかを知り、そこからどう立ち直るかを、対話を通して丹念に描いている。「あなたは二度と同じ川に入れない。二度目に入ったときは、一度目とはちがう水が流れているから」という意味を持つ「ヘラクレイトスの川」という言葉は、不登校になった子どもたちにそのまま伝えたい、と思いました。小さかったとき、立ち止まって歩き出した自分は、そのまま歩き続けた自分とは違う自分なんじゃないかと思って、友だちにそう話したら、バカか、という目で見られましたが……。トリックスターの黒野くんは、もしかしたらファンタジー的な存在かと危惧したのですが、最終章、「くろノラの物語」のところで、彼がどうしてそんな子になったのか、エピソードが挿入されます。黒野くんが地に足のついた存在になって、よかった! わかったようなことを言わないで、相手の言葉にただ耳を傾ける姿勢は、作者が児童館に勤務する中で身につけた姿勢なのでしょう。そのことにより相手も、自分のほんとの気持ちに気づくようになるんですね。

(2023年11月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ロンドン・アイの謎

『ロンドン・アイの謎』表紙
『ロンドン・アイの謎』
シヴォーン・ダウド/著 越前敏弥/訳
東京創元社
2022.07

エーデルワイス:作者がこの作品を発表してから2か月後に47歳で亡くなっていることにショックを受けました。ミステリーの犯人捜しが苦手な私は、読んでいて謎を解き明かすことができません。作者の独特な言い回しのせいか、なかなか読み進めませんでしたが、中盤から一気に読めました。読み終えてから、あそこにここにとヒントがあったのですね、と。主人公テッドの口癖「んんん」は原文でも「nnn」なのでしょうか?出番は少ないのですが私服の女性警部、ピアース警部が素敵です。グローおばさんとサリムのニューヨーク行き飛行機のチケットを待ってもらうなんて、良心的な飛行機会社ですね。サリムのパパがインド系、サリムの親友のマーカスの母がバングラデッシュ、父がアイルランド……というように他民族そして差別も描いています。サリムの行方不明事件の顛末は、日本でしたら親が世間から非難されそうですね。

西山:おもしろく読みました。いきなりの「序文」で「真相にたどり着くための手がかりは、ひとつ残らずこの本のなかに書かれています」しかし、謎を解くのは「一度読んだだけでは至難の業でしょう」って、なんだ、いきなり読者への挑戦状か?! と思いまして、受けて立とうじゃないのと身構えて読み始めたのですが、そのうちそれも忘れて、ただおもしろく読んでいました。あ、でも、ロンドン・アイでサリムが乗り込んだはずのカプセルから降りてきた人の数は数えて、乗り込んだのと同じ21人であることは確認しましたけれど。“症候群”のテッドの感性と考え方から生まれるユーモアや、例えば人がかっこいいかどうかとか分からないテッドは「ぼくには、どの人もその人にしか見えない」(p25)というところなど、すてきな人間観として読めて、謎解きだけで引っ張られるわけではない、細部を楽しめる読書となりました。

雪割草:おもしろくて、先が気になってどんどん読み進めることができました。序文で、「テッドが真相にたどり着くための手がかりは、ひとつ残らず本のなかに書かれています」とあったので、細部に注意したつもりでしたが、いろいろ気が付けず、仕掛けが見事だと思いました。また、ミステリーでありながらそれだけに終始せず、サリムが母とふたり暮らしだったり、父はインド系だったり、学校でいじめにあったり、社会的な背景などいろいろ描きこんでいるのもわかりました。それから、テッドは「症候群」と自分で言っていて、あとがきにはアスペルガー症候群と書かれていますが、その率直な観察視点で描かれるのも、ミステリーやこの作品に合っていると思いました。p33でテッドとサリムが会話しているのが描かれていますが、サリムはおとなっぽいというか、ミステリアスなところがあり、それも魅力的に思いました。

サークルK:ミステリーとしても子どもの成長物語としても、本当におもしろい内容でぐいぐいと引き込まれてしまいました。これぞ本を読む喜び!という感覚で、あまりのおもしろさに続編(ダウドが亡くなってしまったので原案のみで、本書の序文を書いたロビン・スティーブンスが本編を執筆した『グッゲンハイムの謎』)も一気に読んでしまいました。テッドが自閉症スペクトラム「症候群」であるために、家族の心配りがどうしても必要でそのしわ寄せを引き受ける「きょうだい児」の姉カット、母親の姉であるグロリアの家族の問題も盛り込まれて、現代のロウワーミドルクラスにあたるような一家の状況は一筋縄ではいかないのですが、お互いに文句を言いながらも温かい家庭であることが伝わってきました。そこにいとこの行方不明事件が勃発!これはおもしろくならないわけがありません。お互いに面倒くさいなと思いながらも姉弟が協力して、ひとつひとつ可能性をつぶしながら真実に近づいていく様子がていねいに描かれていました。ダウドご本人の作品がもう読めないのが残念でたまりません、もっともっと読みたかったです!

花散里:『ボグ・チャイルド』(ゴブリン書房)など、40代で逝去してしまったシヴォーン・ダウドの作品はとても心に残っていたので、本作も注目して読みました。2022年に読んだ本の中で、特に印象深い作品でしたが、続編の『グッゲンハイムの謎』(シヴォーン・ダウド原案 ロビン・スティーヴンス著 東京創元社)もとてもおもしろく読みました。自閉スペクトラム症のテッドが鮮やかな推理で解決していくというミステリーで読み応えがありました。

マリオカート:ロンドンにはずいぶん長いこと行っていないので、このロンドン・アイのある風景を知らず、見てみたいなーと思いました。物語の途中まで、ミステリー的にそんなに絶賛されるほどの作品かな、と思っていたのですが、終盤で一気にたたみかけてくる展開に圧倒されました。主人公のキャラクターが秀逸ですよね。“症候群”の様子が、気象をモチーフにした本人のモノローグでよく伝わってきます。彼が何か言おうとしても、大人たちは聞いてくれない場面が多々あります。前回の読書会で読んだ本には、物理的に会話できない主人公が登場していました。今回の主人公も、言葉を発することはできるけれど実質大人に届いていないわけで、少し近いものを感じました。それでもあきらめない主人公が、最後はとてもカッコよくて、読み応えがありました。著者が早く亡くなられたのがとても残念です。

コアラ:おもしろかったです。自分で推理するつもりで読んでいきました。私も、サリムがそもそもロンドン・アイのカプセルに乗らなかったんじゃないかと最初のうちは思っていました。でも途中でその説が却下されたので、あとはいろいろな可能性を考えながら読みました。サリムがどこにいるか、ということでは、父親の家に行っているんじゃないかと思っていました。最後の解き明かしは、読者が本文中に明かされた手がかりだけでは推理できないことだったので、ミステリーとして素晴らしいというほどには感じなかったのですが、やっぱり子どもが活躍するというところで、おもしろかったです。気になったところと言えば、訳文がちょっと気持ち悪いところがありました。たとえばp27の後ろから8行目などですが、ストーリーに引き込まれてからは気にならなくなりました。印象に残ったのはp33からの「夜のおしゃべり」の場面。テッドは、グロリアおばさんや姉のカットからも、変てこな存在だとみなされていますが、サリムはテッドと同じティーンエイジャーの男の子同士として話をしていて、とてもいいなと思いました。あと、テッドがよく「んんん」と言いますが、その、唸っているという、言葉になっていないけれど、ちゃんと反応しているというのが、テッドらしさを表している表現に思えて、しかも字面が「んんん」ってなんだかかわいらしくて、やさしい気持ちで読むことができました。すごくプラスになっている翻訳というか表現だと思います。

ハリネズミ:ミステリー仕立てというだけでなく、人間模様がていねいに描かれているのがすばらしいですね。ダウドがすごい作家だということがそこからもよくわかります。アスペルガー症候群(とあとがきに書いてあります)をかかえ、ひとりで電車に乗ってこともなかったテッドが、その推理力で、いとこの命を助ける活躍をします。アスペルガー的な数へのこだわりや、決まった手順へのこだわり、ウソがつけないなどの特性を活かしながら、事件を解決していくところがいいなあと思いました。テッドの意見に家族が聞く耳を持たないときに、女性刑事がちゃんと話を聞いて解決に役立てるという設定もいいですね。人種のからむいじめの問題、アスペルガーの人が抱える問題、労働者階級の子どもの教育の問題なども描かれています。教育の部分は、バングラデッシュ人の母とアイルランド人の父を持つマーカスは、スクールカーストの最底辺にいるし、兄のクリスティは警備員の仕事もまじめにはやらず、いつもお金に困っていることなどから感じました。グローおばさん(グロリア)は、最初はとんでもない人かと思ったのですが、p224からの描写にはこうあります。「マーカスがドアへ向かおうとしたとき、グロリアおばさんが立ちあがった。/『マーカス』部屋は静まり返った。マーカスは立ち止まったけれど、振り返りはしなかった。/『聞いてちょうだい、マーカス。サリムの母親として言います。あなたは何も悪くないから』この一言でイメージを逆転させているんですね。見事だと思いました。

アンヌ:私は推理小説が好きで『名探偵カッレ君』(アストリッド・リンドグレーン著 岩波少年文庫)や江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズで育ってきたので、おもしろいと評判だったこの本を選んでみました。読んでみたらおもしろくて2冊目の『グッケンハイムの謎』(ロビン・スティーヴンス著 シヴォーン・ダウド原案 越前敏弥訳 東京創元社)も読んでしまったのですが、やはりこちらの方が、主人公のテッドのASDについて、特性や苦悩がていねいに書いてあると思いました。インド系のサリムやその友達が受けている差別など、今のイギリス社会の状況もしっかり描かれていると思います。推理小説としては謎が二つもあり、特に後の方は時間との戦いというスリリングな要素もあって実に見事だと思いました。また、大人たちが誰も話を聞いてくれないのに、女性の警部に電話して問題が解決されるという展開は、警察への信頼感があって、古き良きミステリーのようなほっとする感じがありました。

まめじか:よくできているミステリーだと思いました。家族の目は発達障碍のあるテッドに向きがちで、そんな中、姉のカットが感じている思い、サリムを見つけようと奮闘する中で二人の心が近づいていく過程もていねいに描かれていますね。若干気になったのは、p67「ナースは女の人の仕事だけど、ぼくは男だ。ナースにはなれない」とか、p68「よくあるのとは逆で、女の人のほうが責任者だっていうことだ」など、ジェンダーバイアスを感じさせる部分です。この本では、女性の警部がとても好意的に描かれていますし、きっと作者にそういう意図はないのでしょうが、読んでいて引っかかってしまいました。この本が書かれたのは2007年なんですよね。今の児童書だったら、こういう書き方はしないと思います。そういうところは、日本語版を出すときに訳で工夫してもよかったかもしれません。

すあま:この著者の作品は以前『ボグ・チャイルド』(ゴブリン書房)を読んだことがあります。生前発表された作品が少ないので、翻訳されたのがうれしいです。『ボグ・チャイルド』とは違う雰囲気ですが、ミステリーとしても楽しく読みました。登場人物がそれぞれ個性的で、どんな人なのかくっきりと描かれていました。主人公のテッドは発達障碍なんですが、読んでいてそれが才能や個性だと感じられるような描き方をされていたと思います。特に、お姉さんのカットは、テッドのような弟がいる姉の気持ちがよく伝わってきて、ていねいに描かれているな、と思いました。それから、テッドが仮説を立てて一つ一つ検証していくところは、調べ学習の進め方のようでもあり、おもしろかったです。

ルパン:おもしろかったです! ただ、謎解きの点でいうと、この主人公、いつもいろんなものの数を数えていて、サリムが観覧車に乗るときもちゃんと人数を数えてるんですよ。なのに、降りたときはわざとのように数えてない。それで、降りた人の数を足してみたら21人だったから、絶対変装だ、ってわかっちゃったんですよね。だから、推理小説としては私の勝ちだな、って思っちゃいました。

(2023年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2023年02月 テーマ:頭の中でおきていること

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『2023年02月 テーマ:頭の中でおきていること』
日付 2023年2月14日
参加者 小方、ハル、アオジ、ルパン、ハリネズミ、アンヌ、コアラ、オカピ、しじみ71個分、西山、さららん、サークルK、ANNE、ニャニャンガ、サンマリノ、雪割草、(エーデルワイス)
テーマ 頭の中でおきていること

読んだ本:

『チェスターとガス』表紙
『チェスターとガス』
原題:CHESTER AND GUS by Cammie McGovern, 2017
ケイミー・マガヴァン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2021.09

〈版元語録〉テストに通らず、補助犬になれずにいたチェスターは、自閉症の少年ガスが暮らす家に迎えられることに。何とかガスの助けになりたいと願うチェスターだが…。落ちこぼれチェスターと孤独な少年の密やかな友情の物語。
『たぶんみんなは知らないこと』表紙
『たぶんみんなは知らないこと』
福田隆浩/著
講談社
2022.05

〈版元語録〉「いってきまーす! みんなには聞こえないけど、私は大きな声を上げた」知的障害のある小五のすずと兄、周りの人達の優しい物語

(さらに…)

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たぶんみんなは知らないこと

『たぶんみんなは知らないこと』表紙
『たぶんみんなは知らないこと』
福田隆浩/著
講談社
2022.05

アンヌ:大変感動して読みました。作者が特別支援学校の先生ということも知り、心の中で生徒の言葉をずっと聞いていて書いたのだろうと思いました。物語の中で成長していく子どもの様子が見えてくるのは感動的です。けれど、すずもらん君もそれぞれ状態が悪くなる可能性も書かれています。そんな子どもたちがフェスタで披露する劇に対する親たちの思いや、子供の成長を促してフェスタで見せようとする先生たちの活動も胸に迫りました。みのり小学校とかなで特別支援学校との交流会の後の、男の子の手紙は理想的すぎると思いましたが、水族館で携帯電話に夢中になる父親の様子とか、バスの中のおばあさんとか、ダメな大人もしっかり描けているし、さらにそれぞれを救い上げているところも素晴らしいです。少し理想郷じみたこの支援学校ですが、すずが転校することも最初から描かれています。そして、少しずつ成長しているすずだから次の場所でも頑張れるだろうなという希望と共に読み終えられるところも、素晴らしいと思いました。

さららん:福田隆浩さんの本をはじめて読みました。「わたし」の語りで始まる文章が最初は読みにくく、例えばp10~11はオノマトペのオンパレード(ばらばらばら、びりびり、どんどん、くるくる、ぐるぐる、ぶるぶる、くねくね)で、うーんと立ち止まってしまいました。でも、主人公すずちゃんの独特の感覚は、きっとそういうふうにしか伝えられないんだと割り切って読み進むうちに、だんだんおもしろくなってきました。p64の、「ぺんぎんさん」を見ている「わたし」の現実と想像の折り重なり方など、うまいなあと唸りました。すずちゃんのふわふわした語りの中で「いったいなにが起こってるんだろう?」と読者を宙ぶらりんにさせ、連絡帳や学級通信、お兄ちゃんの辛口のブログで、出来事をきちっと補っていく構成が巧みです。「かなでフェスタ」では、子どもたちの発達と興味に合わせたおはなしを先生が考えて、大勢の人の前での発表につなげ、子どもたちが一歩先に踏み出せるようにするところなど実際の指導のための手引書のようでもありましたp125にはステージ配置図までついていたので、福田さんの勤務する特別支援学校で、これに似た発表があったのでしょうか。機会があれば確認してみたいです。

ニャニャンガ:しんやゆうこさんの表紙が、ふんわりしていていいなと思いました。実際の保護帽子は、残念ながらかわいい感じがしないので配慮されたのかもしれません。小学5年のすずちゃんの心のうちを描けるのは、特別支援学校勤務の作者ならではと感じ、子どもによりそった作品を作られていた絵本作家のかがくいひろしさんを思いだしました。すずちゃんをとりまく環境はリアルですし、複数の視点で書かれることで全体が見え、考えさせられました。障碍のある子が身近にいない、まったく知らない人に読んでもらうことで距離が縮まる可能性を感じます。

ハル:おばあさんが蝶の髪飾りをくれる場面、思い出しても泣けてきます。バスの中で急に後ろから髪の毛を引っ張られたら、驚きますよね。ただ、思わずどなってしまうまではあるとして、登場人物のひとりであるおばあさんに、ここまでひどいこと言わせなくてもいいじゃない、とも思いましたが、人間、カッとなったり、心に余裕がなかったり、追い詰められたりすると、想像以上にきつい言葉を吐いてしまうものですね。野間児童文芸賞の講評を読みましたが、「登場人物が並べて理解ある人々であることに、わたしは違和感を覚えた」「善意に支えられた世界」といった意見があり、確かに、良い人ばかりで、もしかしたら現実はもっと冷たいのかもしれませんが、読者である子どもたちに、善意だけを見せたらいけないんだろうか、とも思います。特に、普通学級の子供たちとの交流で、「お世話をする」「何かしてあげる」のではなく、いつもと同じように接する、という考え方は、読者にとってもなかなか得がたい発見になったのではないかと思います。

サークルK:当事者のすず、母親、その兄、支援学級のクラスメート、担任の先生、交流先の子どもたちなどの様々な視点からの語りによって一つの光景を作っているので、それぞれの文体に読み慣れるとわかりやすかったです。すずの周囲の人がみな、“良い人”(妹を持て余して時折意地悪をしてくる兄もブログでは妹への理解を吐露しており)で、温かい気持ちで読み進められました。しかし、すずにとって近しい人であるはずの父親だけが一人称の語りには登場せず、鈴鹿らも物語からも遠い存在に感じられました。経緯は不明ですが母親と離婚が決まり、すずと2人だけで水族館に行った時に、彼女を置いて誰かからの電話に出てしまう(しかも楽しそうに!)というエピソードに、それまで築いた家庭が彼にとって重く、それらから逃避したかったのではないかという気配を感じました。
交流先の子どもたちの作文に、すずを邪険にしてしまった反省文らしきものがありました(p55)が、その中の「[すずのような仲間をお世話するという意識を持たないように]もっとがんばりたい」という一節があり、子どもにそういう心持にさせてしまう社会の息苦しさを少し感じました。起承転結の求められる良い作文、先生に褒められる作文の最後の締めの言葉として「もっとがんばります」という言葉はとても都合の良い言葉と思えます。それだけに、p98~99の「…そんなことより早く家に帰ろうと思った。だからおれは妹と手をつなぎ、ゆっくりと歩いた。」という兄の言葉はとても意義深く読みました。矛盾する言葉が並んでいるように思われますが、本当に人に寄り添うということの難しさと行動はシンプルでよいのだという安心感が伝わりました。

雪割草:私もすずの擬態語の多用が気になって、最後の方になってやっと慣れる感じでした。でも、作者が特別支援学校の先生だけあって、連絡帳のやりとりや、かなでフェスタなどから学校の様子がよくわかりました。この作品は、どんな読者に向けて書いているのだろうかと正直わからなかったのですが、お兄ちゃんの視点が、読者が共感しやすいところなのかなと思いました。お兄ちゃんはブログを書いていて、p27では、もっと妹はひとりでできるはずなのにと愚痴っているけれど、p151では歩いているように見えるけれど、妹にとっては走っているのが兄だからわかると自信をもって言っているところなど、妹に対し反発しながらも、ちゃんと大事に思っているきょうだいの距離感をうまく描いていると思いました。中学の頃に読んでとても心に残っている『ぼくのお姉さん』(丘修三作 偕成社)のことをふと思い出しました。

ANNE:学級だよりの文面や、連絡帳の書き方など、現役の学校の先生ならではの世界観が随所に感じられました。主人公のすずちゃんの一人語りで淡々と描かれていますが、転倒用のヘッドギアを装着しているとか、オムツをしているなど、彼女の障碍がとても重いものだということが読み取れました。私の勤務している公共図書館にも、さまざまな障碍を持った方が来館されます。皆さん、それぞれお好きな本も違うし図書館での過ごし方もいろいろですが、自由にこの空間や時間を楽しんでいてくれると嬉しいなぁ。

しじみ71個分:読書量が少ないせいではありますが、自分が読んだ日本の子どもの本では、障碍のある子の一人称語りの物語を読んだことはなかったんで、すごい!と思って、大きなショックを受けたというか、感動しました。実際、福田さんは特別支援学校の先生だとのことで、そうでなければここまでは描けないのではないでしょうか。表現も見事、本当にうまいなと思うところが随所にありました。たとえば、p6に「でもこの帽子はとくべつの帽子。ふつうのお店とかにはきっと売ってない。病院の先生が頭のあちこちをなんどもはかって、……かぶってると、どんとぶつかってもごろんとひっくりかえっても、だいじょうぶなんだって」とこの部分だけで、すずちゃんにてんかんがあるらしいことがわかりますし、子どもの読者も転んだり倒れたりする子なんだと伝わるのではないでしょうか。また、おしゃべりができない、おむつをしているなどの描写から、かなり重度の障碍がある子どもなんですね。
本当に先生として細かく子どもたちを観察して、こういうときにいやと言うんだな、こういう勉強をいやだと思っているんだな、と反応をひとつひとつ見て記憶しているからこそ、その時々のすずちゃんの思いを代弁できるんだなぁと、ただ感心してしまいました。また、子どもの一人称語りの物語だと、その中に大人の気持ちを描きにくいように思うのですが、それを連絡帳やおたよりといった形にすることで、大人の気持ち、周囲の状況などをうまく説明して、不自然さがありません。これもすごくうまいし、とてもいいと思いました。
以前読んだ『家族セッション』(辻みゆき著 講談社)では、主人公のお母さんの一人称の語りをはさむことで、赤ちゃんの取り換え事件や病院の立場などを説明してしまったため、とても違和感がありました。それと比較すると、非常に自然に大人たちが子どもたちを思う気持ちが表されていると感じました。ランちゃんやリュウちゃんについても、どんな症名でどんな障碍で、ということを説明しなくても、行動からどんな障碍があるのか、どんな気持ちなのかが読み取れ、障碍のある子の気持ちをうまく描いていて本当に感動的です。バスの中で髪を引っ張られて、つい意地悪なことを言ってしまうおばあさんも再登場させて、すずちゃんを救う場面を設けることで、おそらく彼女自身の老いの辛さや孤独から、お兄ちゃんとすずちゃんに意地悪を言ってしまった、彼女自身も傷ついた存在だったんだと読者に想像させるのも優しいなぁと思いました。
ただ一点、惜しいのは、みのり小学校の5年生の男の子の反省文です。ちょっとあまりにも正しい、前向きなことばかり書かれていて、子どもの反省文らしさが欠けてしまったところが残念でした。作者が言いたいことを登場人物に書かせてしまったのかなと思います。ですが、この交流会の最後の場面で、ミヤ先生が「みんなはもっとソーゾーリョクを持ちましょうね」(p53)と話すところは素晴らしくて、先生が具体的に語った内容は少しも書かれていないけれど、想像力を持つってどういうこと?と考えさせる問題提起になっていると思います。障碍のある人たちばかりではなく、ありとあらゆる困難を抱える人たちと共に生きるには「想像力」を持って相手を思うことが必要なんだと端的に伝えてくれていると思います。すずちゃんの両親が離婚しているという設定も、実際に当事者の人たちや支援している人たちから話を聞いたところ、障碍のある子どものいる世帯では本当に離婚率が高いそうで、しかもかなり重度の場合も多いとのこと。こういった実情もおそらく現場の先生として見てこられたんだろうと、本当にリアルだなと思いました。

ルパン:私もこのお兄ちゃんがいいなと思いました。現実には障碍を抱えた子のきょうだいには重い課題があるのだと思いますし、「いい子すぎる」という意見もあるかと思いますが、同じ境遇の子が励まされ、そうでない子に少しでも理解が深まったらいいなと思います。それにp98に「すぐに根にもつうちの妹のことだから」とあるように、ちゃんとすずちゃんの性格というか、個性をちゃんとつかんでいて、こういうところは兄ならではだなと思います。ずっと以前ですが、NHKで、実際に脳性麻痺の子どもたちが演じるドラマがあって、アフレコでその子たちの気もちが語られるんですけど、それを見て、見かけだけで判断してはいけないことがよくわかりました。話せなくても、動けなくても、知能や感情はハンデのない人と同じだけあるということをそのとき初めて知りました。この本もそのような手がかりとなるといいなと思います。

サンマリノ:主人公の一人称のほか、家族、担任などいろんな視点から語られているので、物語を理解しやすかったです。特別支援学校勤務という著者のプロフィールから、実際にたくさんの経験をされているのだろうなと、説得力を感じました。でも逆に、だからこそ書きづらいこともあるのでは、と思います。交流する小学校の子たちが、よだれに対して嫌がる反応をするけれど、すぐに反省しますよね。その感じが、ちょっといい子過ぎる気がしたのです。が、教育の現場にいる人として、子どもを「悪意のある存在」としては描きづらいのではないかな、と思いました。あとは、ラストの部分がちょっと残念です。こういう子は、環境が変わって適応するのがすごく大変な気がするので、引っ越すところで終わっているのが消化不良でした。物語の2/3あたりで引っ越して、その先を見せてほしかったなと思います。

コアラ:優しい物語だと思いました。すずの目で捉えた世界と、それを補う大人やお兄ちゃんの文章のバランスがとてもよかったです。p105あたりから、かなでフェスタで行う劇について、リュウちゃんやすずが好きなものを登場させる『セッケンくんのぼうけん』を新しく作ったというところは、先生たちはすばらしいなと思いました。嫌なことを言われたおばあさんとも、最後に仲良くなれたし、みんないい人で、がんばりすぎず、できる範囲でやっている、というところも、優しい、癒しのある物語でした。障碍のある子どものことを、何をしでかすかわからない、とか、何を考えているかわからない、と関わりを避けるのではなく、こういうことを考えているのかも、と内面を想像してみる、という意味では、いい本だと思います。仕事で教育関係の雑誌に携わっているので、インクルーシブ教育システムというのはよく目にします。障碍のない子どもたちと特別支援学校の子どもたちが交流することは増えていくと思うので、子どもたちがこの本を読んで、相手のことを想像するといいなと思います。ただ、一人称で、すずに感情移入できるように書いてあるからこそ、私は、障碍のある人が本当にこんな風に考えているかわからないな、と用心してしまいます。科学や技術が進歩して、コミュニケーションが取りづらい人が何を考えてどういう感情を持っているか、直接知ることができるようになればいいなと、この本を読んで改めて思いました。

ハリネズミ:言葉が出せない子どもがどんなことを感じ、どんなことを考えているのかを書くのはとても難しいと思うのですが、この本は、いつもそういう子どもたちを間近に見ている人が一人称で代弁し、それに加え、親や教員からの連絡帳、お兄ちゃんのブログ、学級通信などを用いて立体的に表現しているので、状況がよくわかり、すずの気持ちも伝わってきます。この作家は、たくさん作品を書いておいでですが、障碍を持った子どもを主人公にしているのは、これだけでしょうか? そうだとすると、職業柄接しているだけでは書けない難しいテーマなのでしょうし、ずっと考えておられて作品にしたのかもしれませんね。
このお兄ちゃんにはすばらしいという声が多く出ていましたが、お兄ちゃんはp97でまず「役に立たなかったらだめなんだろうかって。生きていく意味がないのだろうかって」と自問します。ここで私は相模原の事件を思い出し、作者はあの犯人に反論したい気持ちも強かったのだろうなと思いました。でも、その後すぐに、p98で「妹が将来、人の役に立とうが立つまいがそんなことは関係ない。/妹がこれから、たくさんの人の世話になっていくかなんてそんなことも関係ない。/妹がこうやって、同じ世界に生きていることが自分にとっては大事なことなんだ。雨音をこわがったり、雨粒を手にうけて喜んだり、ときどき大声をあげたり、窓をたたいたり、空を見上げたり、首をかしげたり、息をすいこんだり、そんなことすべてがおれにとってはとても大事で大切なことなんだ」と思うのですが、ここは読者に考える暇をあたえず、やや性急に結論を出してしまっている気がして、ちょっと残念でした。その思いに至るまでのさまざまな葛藤は、丘修三さんの作品のほうがていねいに描いているかもしれません。この作品だと、読者もそうだな、と思うことはあっても、自分の体験として深く考えてみる機会は持てないかもしれません。書名は作品全体にかかっているのでしょうが、2度目に読んだときは、最後にすずが、誰にも知られずに「ばい、ばい」と言えるようになった部分が強く浮かび上がってきました。

西山:すっごくよかったです。すずたちの外から見た様子(たとえば耳を覆ったり、急に声をあげたり)に、こういう理由があるのかと教えてくれたのは、まさに物語の力だと思いました。発話に困難がある子どもを主人公にした作品としては、灰谷健次郎の『だれもしらない』(長谷川集平絵 あかね書房)を思い出しますが、今回、初めてそういう障碍を抱えた子どもに出逢った気がしました。『だれもしらない』は短い作品ですから、一概に比較はできないと思いますが、読み直して違いを考えてみたいと思いました。『たぶんみんなは知らないこと』というタイトル自体『だれもしらない』を意識しているようにも見えますね。
それはともかく、この作品の多声的なところがとても良かったです。すず、兄、お母さん、離婚したお父さん、学校(先生)、そして、保護者同士のやりとりもあり、バスでトラブルになったおばあさんという同じコミュニティに住む他人をちゃんと登場させている。世界の膨らみがそこから生まれていたように思います。「子どもの権利」をテーマにイベントを企画していて勉強中なのですが、子どもにとって最善のことをするのが基本だけれど、「子どもにとって最善のこと」とは何か、それは子どもに聞かなければ分からないんですね。おとなの思惑を押しつけることではない。でも、自ら意見表明できる子ばかりではない。赤ちゃんの声も、すずのような子どもの声にも耳を傾けなくてはならない。そういうとき、こういう作品の意義が大きいのだなとしみじみ思いました。
気になったのは、好きな色とか、この子に選ばせていないことです。ヘッドギアの色について、すずは車の色とおそろいの赤で結局良かったと思っていますが、青が好きとも書いてあるんですね。父親とのお出かけの場面でのパンケーキも、すずが好きな方が用意されるわけだけれど。彼女が言葉で答えられないとしても、結局それを選ぶとしても「どっちがいい?」と問うステップが書かれたらよかったのにと思います。あと、作者が現場にいる方だから問題ないのでしょうけれど、劇でねずみたちがわっと出てくるサプライズ演出や照明がぴかぴかするのは、パニックを起こさないか、ちょっとヒヤヒヤしました。あと、らんちゃんの進行する病状は、丘修三さんの『ぼくのじんせい シゲルの場合』(ポプラ社)を思い出します。未読の方は、ぜひお読みください。長くなってごめんなさい。

オカピ:まわりの人が向ける思いが、その人を唯一無二の存在にするという、作者の姿勢を感じられたのはよかったです。ただ、障碍のある子もない子も、みんなががんばったり、一生懸命理解しあおうとしたりしている感じが、なんか教師目線の描写というか……。グスティという絵本作家は、「ぼくたちは天使じゃない」(未訳)という作品を描いていて、そこではダウン症のある子たちも決して天使などではなく、同じ子どもなんだという姿勢をはっきり打ち出しています。この本にはなんだか、大人が望む健気な子ども像を感じてしまいました。またペンギン王子と出会ってハッピーエンドという劇のお話は、今のジェンダーの視点からは問題があるのでは?

小方:帯に「おしゃべりができない」、カバー見返しに「みんなには聞こえないけど、大きな声をあげた」と書かれているにも関わらず、読み始めた最初のほうで、「クジラ号って呼んでいる」とか、本当に声で表現できているのかなと思ってしまいながら、読み進めていました。表紙の絵も、そうと感じられないけれど、たしかに帯に「重度の知的障がいのある小の女の子」とありましたね。すずちゃんの心の中で、こんな風にすずちゃんは言っているよ、という作者の虚構の世界なのだということに、皆さんのお話を聞いていて改めて気づきました。なので、すずちゃんに赤のヘルメットをつけてあげるのも、ペンギンのピンクの手袋を用意したのも、まわりがその子のことを特別に考えている「思い」なのですね。
先生を良く描く児童書が少ないのは残念です。でもこの先生たちはすごい。すずちゃんたちが成長を表現できるように、とことん考え直します。この結果として3人がかけがえのない成長を表現することができたのはとてもうれしかったです。ひとつ、お父さんが発表会の最後のシーンで、すずちゃんのことをずっと「あの子」と呼ぶのを、なんでかな?と思いました。普通なら、「すず、がんばったなあ」とか言うんじゃないかなと。

ルパン:遠くから見ているからじゃないかな。客席から舞台を見ているので。この距離だと自分でも言うかな、と思うので、違和感はありませんでした。

ハリネズミ:障碍を持っている子どもは、障害の種類によっても違い、また同じ障害でも個々に違って様々だと思うので、この作品を読めば知的障害についてわかるとか、こっちを読めば自閉症についてわかる、ということではないように思います。だからもっといろいろな作品がこれからも書かれるといいですよね。

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エーデルワイス(メール参加):特別支援学校勤務の作者ならではの内容でした。主人公のすずちゃん、すずちゃんのママ、すずちゃんのお兄ちゃんの目線。学校での様子。どれも説明し過ぎずに内容が素直に伝わってきました。すずちゃんや、同級生の嵐くんの身体的ことには胸が痛みました。すずちゃんのママの、医学は日々進歩しているから希望を持ちたいとの件はその通りと思いました。バスの中でいじわるしたおばあさんが、一人で外へ出かけて家に戻ることができなくなったすずちゃんを助けてくれます。あの時は悪かったね、と。説明はこれといってありませんが、おばあさんの境遇が分かるような気がします。タイトルですが、大抵の人が特別支援学校に通う子どもとたちについて知らないのだと思いました。何度か特別支援が学校へおはなし会に伺ったことがあります。コロナ禍になり事前の打ち合わせ訪問はできませんが、電話で先生と打ち合わせをして、一人一人の子どもたちの好みや様子を伺います。年齢問わず楽しめる内容を心がけています。

(2023年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

Comment

チェスターとガス

『チェスターとガス』表紙
『チェスターとガス』
ケイミー・マガヴァン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2021.09

小方:主人公が自分の気持ちを表現できない。そういう状況の物語をどんな風に描くんだろうと思って読みました。自閉症だったり、障碍があったりする子が身近にいる作者だから描けるのでしょうね。この物語は、チェスターの視点から語られます。なんとこの犬はテレパシーのようにガスなどと気持ちを伝えることができるという、おもしろい発想ですが違和感がなく読めました。むしろ夜外に出て、吠え声を返してくる犬より、人間を仲間に感じているところがおもしろいです。アメリカを発見したのはコロンブスではない、というような流れから、犬なんですが人間みたいな存在に読者が感じられるようにしているのがうまいですね。チェスターはガスを描く語り役ですが、チェスターもまた、いくら吠えても気持ちを交わすことができないという悲しみを抱えた存在です。チェスターもガスも、ボキャブラリーはあっても伝えられないというくだりがとても悲しいと感じました。

ハル:随所、随所で、泣けて泣けて仕方なかったです。ひとくくりに自閉症といっても、ひとそれぞれ違いがありますよね。『自閉症のぼくが飛び跳ねる理由』(エスコアール出版部)の著者の東田直樹さんは、著書の中で、壊れたロボットの操縦席にいるような感じなのだとおっしゃっていました。この物語の中でさえ、ガスの心の本当のところまではわかりませんが、障碍のあるなしにも関係なく、誰と接するときにも、思い込みを捨てて、想像力を持つことは大事だと改めて思いました。ラストの手前でペニーが、まるでアメリカのアニメ映画にありそうな雰囲気で、にわかに暗黒面に落ちたような雰囲気になったときは、ああ、こういう展開はいやだなぁと思いましたが、ペニーの気持ちにも寄り添えるようなラストでよかったです。子どもたちにもぜひ読んでほしい1冊でした。

アオジ:ガスに心のうちを語らせるのではなく、犬のチェスターから見た(感じた)ガスの姿を描いている点がユニークなんでしょうね。犬が語るという物語は、ほかにもたくさんありますが。私は、アメリカの学校の現場を目に見えるように描いているところが、いちばんおもしろかったし、勉強にもなりました。作品のために取材したのではなく、自閉症の子どもの親である作者の体験がもとになっているので、痛いほどよくわかりました。
ただ、ガスの両親をはじめ、登場人物がどちらかといえばシンプルに書かれているのに、ペニーさんだけが複雑。読みはじめたときに、言葉遣いが乱暴で、どういう人となのかなと思いましたが、ハルさんがおっしゃるように後半にいくにつれて「悪者感」が増してきて、この本の対象年齢の子どもには理解しがたいのかなと思うし、裏切られたような感じがするかも。また、後半でペニーさんの母親が、知っているはずもない「ガス」という名前を口にする場面は、いくらなんでもやりすぎかな
あと、犬が人間の役に立ちたいと思っているのは本当だし、チェスターのひたむきさには拍手をおくりたいけど、「断然イヌ派」の人間としては、もっと犬の体温を感じさせるような書き方はできなかったのかなと思いました。ひたすらガスの役に立ちたいと思っているチェスターの姿が、だんだん生きている犬ではなくアイボに思えてきて……。

ハリネズミ:私もおもしろく読んだのですが、引っかかったのは、ペニーの人物設定でした。言葉遣いがほかの人とは違うので、そこで特殊性を出そうとしているのかもしれませんが、普通に社会で仕事をして生活していながら、平気で人を騙そうとします。最初からそれを匂わせる書き方、訳し方をされているならともかく、ちょっと日本の子どもには人物像が伝わりにくいかと思いました。それと、犬のありようが、リアリティとはかなり離れていて、どこまでリアルな存在としてとらえればいいか戸惑いました。人間の心理を読むことはできても、人間と同じような思考はしないと思うので。犬と人間の結びつきを書いた本はいろいろありますが、この本はファンタジーとリアリティの境目がよくわからず、自然を超えたスーパードッグというふうに私は読みました。そうすると、今度はガスのほうのリアリティもどうなのだろうと思えてくるので、設定にもうひと工夫あるとよかったかな。

アンヌ:表紙がさみしいような水色の背景に、窓の外の鳥を見ているガスとその足元のチェスターの姿で、読後にこの絵の意味が分かる仕組みもあるのがいいなと思いました。ガスの状態を理解するまでとても時間がかかってしまい、今でも、てんかんの症状だと言葉が出てくるというのがよくわからないままです。この物語で印象に残ったのは、サラがガスには学校で教育を受ける権利があって学校側はそれに対応しなくてはならないと言うところです。どの子供にも人権があるのだという主張を感じます。ペニーについては、犬の訓練士のプロなのかどうか、よくわからない感じで、少し捉えどころがないですね。チェスターがペニーのママとテレパシーで通じ合うところや、ガスともテレパシーが働いてしまうところは、ちょっとファンタジーだと思いましたが、移民のマンマが言葉以外の方法で、身振りや感じでガスを理解するように、たぶん言語だけがこの世界の生き物のコミュニュケーションの全てではないのかもしれないとも思いました。

コアラ:とてもよかったです。ガスが少しずつ変化していくのが、チェスターの目を通して語られます。人間だったらもっと直接的なコミュニケーションになりそうなところですが、犬と人間だからこその寄り添い方、心の通わせ方が描かれていて、心温まる物語でした。食堂のマンマもよかったし、チェスターを介したアメリアとのコミュニケーションの場面、ガスの変化がとてもよかったです。p135の5行目から、初めてアメリアに手をのばすところ、それから、p257の最終行から、チェスターのベストの「仕事中です、さわらないで」という文字をかくして、いつでもさわっていいよと伝えようとしたところ。両方とも、アメリアと目を合わせなかったというところがとてもリアルで、目を合わせないけれども、手が内面を伝えている、というところが感動的でした。p215では、ガスが疲れたせいで言葉が出てくる、というように書かれていて、実際にそうであればいいのに、と思いネットで少し調べたのですが、現実はそんなに簡単に言葉が出るわけではないようです。それでも、著者あとがきを読むと、ストーリーのきっかけは全くのフィクションではないようだし、希望の持てる物語でした。自閉症でなくても、人との関わりに疲れた、というときでも心を癒してくれるような本だと思いました。ただ、p244の3行目あたり、犬の言葉をペニーのお母さんが聞き取ったというような場面は、ちょっとやりすぎかなと感じました。

しじみ71個分:優しくて、愛にあふれた物語でした。読み終わってほわほわとあったかい気持ちになりました。人と犬との関わりの深さや信頼がよく表現されていると思います。自閉症のガスがチェスターと出会って、少しずつ周囲とコミュニケーションができるようになっていくのと同時に、補助犬の試験に落第したチェスターはある意味、落ちこぼれともいえると思うのですが、ガスと出会って、ガスのパートナーになると決意して、仕事をがんばり、てんかん発作を起こしたガスの危機を救い、ガスのパートナーとして自信をつけ、家族としてなくてはならない存在になっていきます。そういう意味ではチェスターの成長物語でもありますね。すごく気持ちのいい物語でした。テレパシーでガスと会話できてしまうのは、確かにちょっと便利すぎかなとも思いますが、「こうだったらいいな」という気持ちで、作者が書いたんじゃないかなと思います。ただ、ちょっと、p132で、ガスのクラスメートのアメリアの名前が、誤植で「アメリカ」になっていたのは残念でした。あと、もう一か所、p133の6~7行目に「そのうちガスは口はしをつりあげた。僕の知るかぎり、ガスはこの顔をママにしか向けたことがない。笑顔だ」とありますが、ここは「ママ」ではなくて「マンマ」じゃないかと思ったのですが、どうでしょう? ガスが笑顔を人に対して見せるという記述は、p96の、ガスがマンマと笑顔でしゃべりあっているという箇所以外、見つけられなかったような気がするのですが……。

オカピ:チェスターもガスも感覚が過敏で、また自分の中にうずまく感情を他者に伝えられません。そんなチェスターとガスが、相通じるものを感じて心を通わせていくのはわかるのですが、p61でガスの声がチェスターに聞こえるのは、少し唐突に感じました。また、お祈りのポーズをするように、チェスターがガスに伝えたり、会ったばかりなのに、ペニーのお母さんと意思疎通できたりするのはなんだかテレパシーのようで、リアリティが感じられませんでした。人とうまく関係を築けないペニーにも、なんらかの特性があるようですね。もう少し魅力的な人物として描かれていたら、感情移入しやすかったような……。母犬が子犬といるのがつまらなそうだったというのは、ドライな親子関係でおもしろいなと思いました。

西山:たいへんおもしろく読みました。犬のチェスターを通して、ガスの「頭の中」が伝わらないもどかしさを追体験した感じです。食堂のマンマとの交流など、周りのおとながちゃんと見ていない。いつもスマホばかり見ているクーパー先生なんて、ちょっとダメすぎて本当にもどかしく思いました。ガスが怪我をさせられた件も連絡帳に書いただけだったり、ちょっとそのへんは非現実的ではないかと思います。チェスターの能力に関しては、非現実的だとひっかかってしまうことはなかったのですが。ペニーもなにか困難を抱えているらしいけれど、あまり伝わってこなくて共感しづらかったのは皆さんと同じです。

さららん:チェスターはガスの感情の変化や、てんかんの発作の匂い(「ガスの体から薬品みたいなにおいがしている。ガスがもえてしそうなにおい。」p212)まで察知します。以前読んだことのある『おいで、アラスカ!』(アンナ・ウォルツ作 野坂悦子訳 フレーベル館)のアラスカもてんかん犬の資質を持っていましたが、そちらは二人の人間の視点から交互に語られ、犬の内面は描かれなかったので、犬の感覚描写が私にはおもしろく感じられました。チェスターは弱点のせいで正式な補助犬にはなれなかったけれど、ほかの人には聞こえないガスの心の声が聞こえるようになります。障碍のあるガスはもちろんですが、学校で働く移民のマンマ、認知症のペニーのお母さんに至るまで、弱い立場のものたちへの愛情と、その可能性を信じる作者の目に揺るぎないものを感じました。p220で再登場するペニーがらみの意外な展開をのぞくと、ストーリーに起伏が少ないように感じられましたが、言葉数の少ないガスの変化や成長を、チェスターが読み取ることで読者に伝わるこの物語を子どもたちが読むとき、障碍のある友だちの心を想像する良いきっかけになりそうです。とはいえ、犬の一人称で書きとおすには、相当の苦労が必要だったと思います。

サークルK:人と犬とが補い合って一緒に想いを通わせようとする物語で読んでいて楽しかったです。ガスを取り巻く社会だけでなく、どうやら問題を抱えているらしいペニー、学校の問題など言葉が通じるからこそかえって相手を誤解したりわかってもらえないことに苦しんだりする場面が多いので、それを解決するために時々チェスターの声がガスに聞こえ(ているらしい)、ガスの声がチェスターに届いている(らしい)描写が盛り込まれているように感じました。そんな閉塞感に満ちた部分と、ファンタジーな解決の部分が物語の中心になる中でチェスターがガスのところに引き取られるまでの個所で、犬の母親、兄弟たちとのやり取りが(ここは全くのフィクションでしょうが)軽妙でおもしろかったです。母犬は心配性なチェスターに、訓練士の前では堂々とふるまうようにと有益なアドバイスをしてくれますが、そのうちに次々と生まれる仔犬のことや自分のことで頭がいっぱいなのか、チェスターのことにいつまでも心を向けなくなります(p15)。動物の本能的なふるまいに人間のような愛情を読み込みすぎず、あっさりとした犬の親子関係が逆に気が楽な面もあるのでこの最初の場面はとてもおもしろかったです。
ペニーのことを乱暴な口調や振舞いからはじめは女性とは思わずに読んでいましたが(「あたし」という訳がついていてもLGBTQの人なのだろうか、などとも)彼女の母親の病室にチェスターを連れて行ったときにようやくはっきり女性だとわかりました。

ANNE:チェスターを引き取って訓練するペニーがいい人なのか、そうではないのか、ずっとあいまいでしたが、最後にはきちんとチェスターをしつけてガスのもとに戻してくれたので安心しました。ペニーには、きっと別の犬が見つかると思います。犬が主人公の物語なので、2021年に出版されたセラピードッグの絵本、『いぬのせんせい』(ジェーン・グドール作 ジュリー・リッティ絵 ふしみみさを訳 グランまま社)を思い出しました。

ニャニャンガ:まめふくさんの表紙が、やわらかくてすてきですね。犬の視点で進行する本を訳したとき、犬が考えそうもないことや知るよしもないことを書いてしまうとリアリティを感じられないので、どのように犬らしさを出すかが難しかったのを思い出しました。本作はもう少し犬らしい感じがあってもよかったのではと思いました。

サンマリノ:あとがきに熱量があって、ちょっと泣きそうになりました。ハッピーエンドだし、いいお話です。ただ、非常に息苦しく感じました。犬のチェスターがあまりにも孤軍奮闘しているからです。サラやマルクや先生に考えていることを伝えられず、ガスとも最低限の会話しかできず、近所の犬たちとも交流しないまま、思いが溢れた状態でずっと過ごしています。自閉症の子も、同じような状況なのだということを説明するためなのだとしたら、非常に効果的だとは思うのですけども。できれば、となりの家の犬と、ちょこっと1日数分でもおしゃべりするとか、猫か鳥と雑談できるとか、ほんの少し安らげる場面があったら、と思いました。いいなぁと感じたのは、ガスには好きな大人マンマと、お気に入りの女の子アメリアがいるところ、そしてエドのようなイヤなやつに魅力を感じてしまう部分です。一方、気になったシーンもあります。p186で「ガスはおもしろい音が大好きだから、まわりでおもしろい音がしないときは、自分で音を立てる」と書いてありますが、p54では、「ぼくがほえたり、つめでカチカチ音を立てて部屋の外を通ったりすると、こわがる。音で耳が痛くなるんだ」と書いてあって、ちょっと矛盾するようにも思えてわかりづらかったです。あと、先生が数人でてきますが、描写が最低限すぎるので、特にクーパー先生の存在がイメージしづらいなと思いました。『たぶんみんなは知らないこと』(福田隆浩著 講談社)とは逆に、先生があまりいい存在として描かれていないことが印象的でした。

雪割草:おもしろく読みました。でも、ガスの声をもっと聞きたかったという、もやもや感が残りました。作者が実際に母の立場だからというのもあると思いますが、ガスよりもサラの方が不安など気持ちの起伏の細かなところまで描かれていてよく伝わってきました。チェスターが犬らしくないという感想がありましたが、p163のカバーを洗わないでほしいなとつぶやいているところは、犬らしさが描かれているごく少ないひとつだと思います。それからペニーについては、チェスターをスターにしたいという欲があって、その時はチェスターの声が聞こえない。でも欲が消えると、不思議とチェスターの声が通じるようになる。確かにちょっとテレパシーの域かもしれないけれど、ペニーの母にはチェスターの声が届く。食堂のマンマには、ガスの思いが何となく通じている。そして、ガスとチェスターも通じあえる。思いが通じ合えるかどうかというのは、本当はみんなできるはずで、欲だったり不安だったり、他のことが邪魔をしているのかもしれませんねということを、ペニーを通じて描いているように、私は感じました。

ルパン:仕事で探知犬について調べたことがあって、犬の能力のすごさがわかっているので、かなりリアルに近い感じで読みました。また、犬の訓練所とか南極の犬ぞりのことなどについて書いた本によると、犬も人間のように感情とかプライドとかがすごくて驚かされます。飼い主の発作を事前に感知するというのも現実の事例としてかなりあるようです。これを読む子どもが、本当のことと思って読んでくれたらいいなと思います。みなさんから「やりすぎ」と言われるシーンも、私はけっこう心に残りました。

ハリネズミ:犬の能力が高いというのはその通りですが、なんでもできるわけではないですよね。たとえばp240の「可能性は低いけど、サラやマルクやガスが来ているかもしれない」とチェスターが思うところ。可能性の低さを犬が云々するなんてことは、ないんじゃないかな。p188にもチェスターが「ガスもぼくも口でちゃんとしゃべれないよね。心の中だけでしゃべっているんだ。まわりの人にはあんまり伝わらない。ていうか、ほかのだれにも伝わらない。会話の方法としてはあんまりよくないんだ」と思ったりします。これもおとなの人間なみの客観的な思考ですよね。

しじみ71個分:チェスターの言葉があまりにも人間っぽいというのは、実際に自閉症児の母である作者の視点が、サラの視点と、チェスターの視点の双方から描かれているからではないでしょうか。チェスターから語りかけ過ぎてガスが黙ってしまう様子などは、実際の母親としての作家の経験から生まれた表現のように思えました。なので、チェスターがやたら人間っぽいのはそういう理由かなと思ったり。あと、ペニーについてですが、ペニー自身もチェスターが最初の試験で落第したことで、犬の訓練士としての能力が低い、と否定された気になって、チェスターに文字を教え込んで特別な犬だと証明することで自分の価値を認めさせて自信を持ちたかったんだろうなぁと思いました。最後にチェスターはそんなペニーにも自信を与えて立ち直らせていますよね。あとでネットで調べましたが、アメリカでも日本でもドッグトレーナーには国家資格などなくて、ただ経験の積み重ねによるんだそうです。だからなおさら人からの評価が気になるという設定なのかもしれませんね。

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エーデルワイス(メール参加):とても好きな作品です。心がホカホカします。犬のチェスターの目線の物語。自閉症でてんかんの発作を起こすガス、ガスのママとパパの様子、犬の訓練士のペニーの性格がよく伝わってきます。フィクションなのに、ノンフィクションかと思われるほどチェスターとガスが心の中で会話しているのが当たり前のように思われ、他にもたくさん例があるのではと、思いました。犬って人間に尽くしてくれるのですね。チェスターが余りにも健気です。日本でも補助犬がもっと普及するといいなと思いました。

(2023年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2023年01月 テーマ:子どもの目-相手の見えないところが見えたとき

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『2023年01月 テーマ:子どもの目-相手の見えないところが見えたとき』
日付 2023年1月12日
参加者 ハル、シア、花散里、すあま、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、まめじか、しふぉん、サークルK 、ANNE、伊万里(さららん、西山)
テーマ 子どもの目-相手の見えないところが見えたとき

読んだ本:

『マンチキンの夏』表紙
『マンチキンの夏』
原題:SHORT by Holly Goldberg Sloan, 2017
ホリー・ゴールドバーグ・スローン/作  三辺律子/訳
小学館
2022.03

〈版元語録〉ジュリアは、小人役のマンチキンとしてオーディションに合格、芝居に出ることに。平和で退屈な日常が一変!わくわくの夏物語。
『君色パレット1』表紙
『君色パレット(1)ちょっと気になるあの人』
戸森しるこ、ひこ・田中、吉田桃子、魚住直子/作
岩崎書店
2022.01

〈版元語録〉どうして気になっているんだろう クラスの気になる同級生、いつもと何か違う家族、 ノートに返事を書いてくれる誰か、おしゃれなあの子。 多様性をテーマに『ちょっと気になる人』を描く4つの物語。

(さらに…)

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君色パレット(1)ちょっと気になるあの人

『君色パレット1』表紙
『君色パレット(1)ちょっと気になるあの人』
戸森しるこ、ひこ・田中、吉田桃子、魚住直子/作
岩崎書店
2022.01

すあま:『マンチキンの夏』の後に読んだせいか、物足りなさを感じました。「日傘のきみ」は、設定はおもしろいと思ったけど、最後になぜ別の傘に乗り換えたのかわからないままで、もう少し長い話であればよかったのに、と思いました。「恋になった日」は、ノートでやりとりした相手が想像通りで、意外性がなかったのが残念でした。「Hello Blue! 」は、ファンタジーで、洋品店の男の子が実在の人物ではないのかと思って読んでいたら、そうじゃなかった。短編なので仕方ないけど、もうちょっと登場人物がしっかり描かれていれば共感して読めるのに、と思いました。多様性というテーマは、短編では語りつくせない難しさがあると思います。

アンヌ:「日傘の君」は、よくわかりませんでした。アリガトウと言ったのは傘なのか谷岡なのか、タピ岡でなくなったのは友情が芽生えたという意味と捉えていいのかどうかとか……。「親がいる」の状況は、実はもう現実にいろいろな家庭で起きている話だと思います。主人公と親の過去の関係が全然見えてこないので、ほんの一瞬を切り取ることで、コロナ下の物語としたのかなと思いました。「恋になった日」は王道の恋物語で、同じものを見るというところから恋は始まるという感じで、すみれ色のテレビ塔の伏線はなかなかうまいと思いました。「Hello Blue!」は完全にファンタジーとして読んだのですが、多様性という意味では一番うまく描かれていると思います。特に帽子の青を空や海の色として説明するところは、目が見えない人でも同じ世界にいて、その人が見えないからといって理解できないわけではないということを見事に語っています。服を拾ったり、強盗に服をあげたりするところも、現実にはあり得ないけれど、お伽話の世界につながっていくような心地よさがありました。

コアラ:4つの短編のどれも、心になにかしら引っかかりを作る感じで、よかったと思います。テレワークで、家で仕事をしている親を見る、というのは、子どもにとっては知らない親の一面を見るという意味で、新鮮な体験だろうなと思ったし、物に恋をするという人の存在を本当に受け入れたら、その物がただの物とは思えなくなる、というのも、リアリティを持って感じることができました。多様性というところではないけれど、「恋になった日」のp105『好きです。』とノートに書いて消す場面が、私はけっこう好きで、中学生の恋心がよく表れていると思ったし、消しゴムで消しても跡が残るところが、ノートに書くということの特性だと思いました。SNSで告白するとしたら、SNSならではの迷いとか言葉の使い方とかの描き方があると思うし、この物語では、ノートに書くという特性を生かしていてよかったと思います。ただ最後、両思いになったときにp113「カバンが、急にずしんと重く感じた。」というのは、ちょっと違うんじゃないか、別の締めくくり方をしてほしかったと思いました。イラストは、全体的に人物が大きく描かれていて、けっこう主張しているように感じました。4人別々の作者の短編集だけど、イラストのテイストが共通しているのが、短編集にまとまりを持たせていて、私はいいなと思いました。男の子なんだけど女の子にも見えるような描き方とか、決めつけない感じにも好感を持ちました。装丁には一言言いたい。図書館から借りてきた本は、背の部分がもう色が褪せてきています。ショッキングピンクは褪色しやすいので、残念に思いました。

まめじか:「日傘のきみ」は、登場人物が対物性愛者というのが新しいと思いましたが、タピ岡の心変わりの経緯がわからず、消化不良でした。「恋になった日」は、好きな人ができた主人公が、「たいせつなこと、考えてた」と言ったとき、友だちの琴子がさみしそうに笑いながら、それ以上なにも聞かないというのに、二人の関係性がうかがえました。「Hello Blue!」では、目の見えない主人公はたくさんのことに気づいていて、それに対し、男の人はスカートをはかないなど、固定観念のある母親には見えないものがあるというのがおもしろかったです。強盗が出てくるのは、ちょっと唐突では……。

サークルK:挿絵がかわいらしく、中学生が手に取りやすい厚さの本だと思います。「多様性を見つめる」という今の時代にふさわしいテーマがどのように語られているのかを楽しみに読みましたが、全体的にふわふわとした感じでとらえどころがないように感じられました。たとえば1作目「日傘のきみ」では、セクション1がポエムのような始まり方で、主人公の出自や両親、ふるさととの関係が紹介されているのに、セクション2以降それはあまり深く掘り下げられることなしに話が進行して、友達が「対物性愛者」であることの衝撃に関心がさらわれて行ってしまいます。2作目「親がいる。」は挿絵の幼さと内容のギャップに驚き、しっくり頭に入らないまま話が終わってしまいました。各掌編の終わりに1行コメントを置き、心に残ったことを読者に考えてもらうような呼びかけがあるのは、おもしろい試みでした。ただ余白が多すぎるのではないかなと少し気になりました。

しふぉん:「日傘のきみ」のタピ岡は、将来結婚したいとも思っていた日傘・キョウコさんの柄に〈イママデアリガトウ〉と彫りつけて、渚とよく会っていた場所にどうして捨てたんだろう? キョウコさんとの出会いがネットショッピングだったからなのかな? そして新しい相手・黒い日傘とはどうやって出会って、恋に落ちたんだろうか? よくわからないまま終わってしまいました。「恋になった日」は、なんだか懐かしい青春時代を思い起こさせてくれました。昔は、駅に伝言板があったり、いろいろな所で伝言ノートを見たような気がします。家庭科室の教卓の中におかれたノートの書き込み。相手がどんな人かもわからずに、書かれている言葉の中に、自分と共通する感性にふれる喜びが伝わってきました。そんな風に恋が芽生えた島本くんと星那がずっとうまくいくといいなあと願いました。「Hello Blue!」はどうしてこのタイトルなんだろう? Blueって元洋品店の子・国崎蒼のことなのかな? だとしたら上手いタイトルだなあって思いました。それとも話の中に、青いシャツ、裏地が青のフェルト帽、青いデニムのジャンバースカートと出てきてくるからなの? お話全体に、この蒼の優しさが溢れていました。莉紗が怒りに任せて公園の屑籠に捨ててしまったジャンバースカートを 拾って洗濯し、糊付けまでしてショウウィンドウに飾ったり、蒼は服が好きなんだろうなと思いました。自分に対してひどいことを言う強盗にまで、食パンや牛乳を出し、服も一式プレゼントして、心もお腹まで満たしてあげて……。そんな中学生がいたらすごいと思います。今は学校に行けてないみたいだけど、とてもいい子なので、服飾関係に進んだりして、蒼の未来が明るいものであればいいなと思いました。

ANNE:見返し用紙が透けていたり、余白が多かったりと、装丁が今風だと思いましたが、背表紙はすぐに抜けてしまう色合いなので、図書館員としては少し気を使うところです。オムニバス形式は私にはちょっと物足りない感じですが、子どもたちには読みやすくていいのかもしれませんね。ひこ・田中さんや魚住直子さんなど、ベテランの児童文学作家さんが、世相に合わせた作品を発表されているところがすごいと思いました。

花散里:中・高校の図書館に勤務していて、中学生が「3分間」や「5分間」で読めるようなシリーズ本を好んで読んでいるので、「ショートストーリー」と題した短編小説だったので関心を持って読みましたが、全体的にとても物足りなかったです。読み終わってから、しばらくするとどんな物語だったか記憶に残っていないような読後感でした。作者はそうそうたる方たちですが、こういう短編シリーズの依頼が来た時にどのように取り組まれているのかと思いました。本のタイトルは「読んでみたい」と思わせましたし、多様性を取り上げていて、テーマは斬新だと思いましたが、どの作品にも魅力は感じられませんでした。絵がどの作品も同じなのも受け入れられませんでした。図書館員として手渡したいと作品と、実際に好まれ、読まれている作品とのギャップについて改めて考えさせられました。

シア:非常に読みやすい本なので中学生の朝読書などにいいかもしません。絵も本の薄さもかなり中学生好みにしている感じがしました。色の褪せやすいショッキングピンクですが、書棚でも本屋でも目に入りやすいと思います。内容も薄めだし、退色したら捨てるくらいの消費物的な本だと思います。本の読めない子、嫌いな子がアクセスしやすい本だと思うので、不読者対策としてこういう軽めな本が出回るのは仕方のないことかもしれません。こういった本から入って、しっかりとしたものまで読めるような呼び水になればと思いますが、厳しい内容のものも多く、選ぶのは困難を極めます。さて、この本なんですが、1作目がかなり人を選ぶ話なので、ここでつまずく子どもが出そうです。なぜこれを1作目に持ってきてしまったのか……。対物性愛者の話は珍しいですが、タピ岡が日傘を捨てる心境に至った理由をテスト問題にしたら誰も答えられないと思います。でも、4作目の洋服で繋がる友達というのは良かったです。服というアイテムは多様性を表しやすいし。ただ、やけっぱちになっていたとはいえ、男のしたことは犯罪なので、そんな男に一番価格が高くなるワンセットをあげてしまうというのはなんだか釈然としませんでした。個人的には2作目が一番おもしろく読めました。コロナ禍を扱った物語は多いけれど、テレワークで両親の仕事をしている姿を垣間見て世界の広がりを感じるという観点の本はあまりなかったと思います。身近な人間の働いている姿を間近で見ることは、子どもの視野を広げるという意味でとても重要だと感じます。紛らわしかったのは、1作目のタピ岡と4作目の国崎蒼が挿絵も似ていることもあって同じに見えてしまったことです。日傘が好きなのは服屋さんだからかと妙な納得をしていたんですが、よく考えたら名前も違う別人で、作者も違いましたね。

伊万里:最近のアンソロジーは、テーマで勝負する方向が強くなっていて、その結果、極端というか過激というか、怖いお話を集めていたり、驚かせるような強めのテーマが多くなったりしています。そのなかで、このアンソロジーは、「ちょっと気になるあの人」という、ゆるめのテーマなのがいいなと思いました。戸森さんの作品は、非現実的にも思えますが、後から頭に絵が残る作品だなと感じました。ひこ・田中さんの作品は、コロナ禍のリアルを取り上げています。親の別の一面を見る展開が、地味ではありますが好きでした。魚住さんの作品も、童話とリアルの境目のようなところが興味深かったです。吉田さんの作品は、ほのぼのしてますが、島本くんをいったん否定して、けれどやっぱり島本くんだった、とわかったときに、サプライズ感のまったくないところが少し残念でした。

アカシア:「日傘のきみ」ではp26で「お前なんかよりも日傘の方がたよりになると、見限られたような気がした」という表現が出てくるのですが、この段階では主人公は谷岡に思い入れがあるように書かれていないので、「見限られた」という表現が浮いてしまっています。「親がいる」は暮らしの表面をなぞっているだけで、インサイトがもっとあればいいのにと思いました。「恋になった日」は、p95に「いびつな文字」とか「右上がりになるくせのある文字」と文章にはあるのにp94の挿絵はどちらも書体が同じ。こういうのって、入り込んで読んでいた読者を裏切ることになるので、もっとちゃんと考えて本造りをしてほしいです。島本くんを好きでも嫌いでもいいのですが、言ってみれば花占いのような短編を読まされて、読者の子どもは何かがわかったりするのでしょうか。クリシェに寄りかかっていて意外性がなくて、新しい世界は見えてきません。「Hello Blue」はちょっとおもしろいと思ったのですが、泥棒が出てこなくてもいいように思いました。短編は一面しか描けないとしても、もっとその奥がうかがえるような書き方だったらおもしろいと思うんです。でもこの本は、そうそうたる作家さんたちの良さも生かされていなくて、編集者の気配が感じられません。どれも文章や表現に緊張感がありません。さっき「不読者対策が必要」という声もあり、それはわかるのですが、ただ短い時間で読めるというだけでは、本のおもしろさを知って読者になっていくということにつながらないと思います。もっとちゃんと本をつくってほしいです。

エーデルワイス:1つのテーマで複数の作家が短篇を書くのは大変なことと思いました。また作家の力量がでますね。テーマに沿った内容はもちろん織り込みつつ、独自性をだすのですから。文学の香りもほしいです。『日傘のきみ』が好きです。『Hello Blue!』さすが魚住直子さんと思いました。「多様性」ということを子どもたちに知って読んでもらうには、このような本の作りは効果があると思いました。けれど子どもたちはゲーム、コミック、アニメなどから「多様性」がすでに浸透しているような気がしています。

ハル:戸森さんの「日傘のきみ」以外は、「多様性」のテーマに答えているのかどうか、ちょっとよくわかりませんでした。サブタイトルにはあっていますけどね。それで「日傘のきみ」は、さすが戸森さん、一歩先に進んでいるなぁと思ったし、文学としてはおもしろかったのですが、おそらく道徳的な狙いでつくられたこの企画としては、それに応えられているのかどうか……。愛していたキョウコさんの柄に文字を彫るのはありなのかなとか、この感覚も「◯◯性愛者」だとくくってしまってはいけなくて、人によって違うのかもしれません。対物性愛とか、動物性愛とか、小児性愛とか、どこまでが多様性なのかもちょっと考えてしまいますが、とにかく、共感できなくても理解はしようとする姿勢は、どんなケースにおいても必要なのかもしれません。

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さららん(メール参加):どの話も日常の中でほんの少し視点をずらすことで、まったく見えなかったことが見えてくるところが、マンチキンとつながると思いました。でも描き方は全く別。本の作りも、挿絵がたくさん入っていて、子どもたちが手に取りやすい工夫を感じました。本を返してしまって、また借りるのが間に合わなかったので、あまり細かく書けないのですが、戸森しるこさんの対物性愛者(と呼んでいいのか)のお話は、それほどいやらしさはなく、目の前にこんな人がいたらちょっとたじろぐけれど、これを読んでいたら、少し受け入れやすくなるかもしれない、と思いました。短編ならではの「落ち」を生かした書き方でしたね。どれも良かったのですが最後の魚住さんの「Hello Blue!」の男の子の話は、物語性で読ませます。『自分を生きるのは自分』という言葉はきっと子どもたちに届くと思います。

西山(メール参加):読んだことを忘れていました。全部読み始めたら思い出しましたけれど、また忘れそうです。

(2023年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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マンチキンの夏

『マンチキンの夏』表紙
『マンチキンの夏』
ホリー・ゴールドバーグ・スローン/作  三辺律子/訳
小学館
2022.03

ハル:まだ途中までしか読めていなくてすみません。でも、うまくまとまりませんが、テーマにしても、書き方にしても、日本の作家さん書いたら、なかなかこうは仕上がらないだろうなという作品で、こういう本こそ、翻訳書として日本の読者に紹介する価値があるんだよなぁと思いました。どっちがいいというのではなくて、日本の作家さんに書いてもらったほうが読者に届くテーマもあるでしょうし、海外の作家さんでないと書けない作品もあるだろうな、ということです。(後日談です。全部読んでみても楽しかったですが、たしかに、ちょっと冗長で散漫に感じる部分もありました。でも、この先自分が、平均身長くらいまでは背がのびることを知って泣いた主人公の気持ちは、私は違和感なく読みました)

アカシア:いいなあと思ったところは、いろいろな意味で多様な人たちが登場してくるところ。オリーヴは茶色い肌で、大人だけどとても背が低いので、差別する人もいるけれど、堂々と生きています。そして主人公のジュリアは、このオリーヴをお手本にするのですね。ほかにも中国系のチャンさんや、イタリア系だろうジャンニなど、さまざまな背景の人たちが登場してきます。登場人物の紹介が最初にあるのは、翻訳物を敬遠する子どもも多い今、助けになると思います。細かいところでひっかかったのは、p93の「ギルバートとサリバン」はギルバート・オサリバンのことだと思うので、それがわかるような注があるとよかったですね。p173の「マンチキンのくつをはいてみた。ぴったりだ」は、p108でもはいてみてぴったりだということがわかっているので、違和感がありました。p232で、犬用のビーフジャーキーがしょっぱいとありますが、犬用のジャーキーは人間用のと違って味付けがされていないのが普通です。原文が間違っているのでしょうか。p250の「チャンさんがいただくなら」は日本語として違和感がありました。「チャンさんが召し上がるなら」じゃないかな。あと、原書の出版年が記されていないのも気になりました。それと、原題はShortですよね。Shortだと背が低いという意味はもちろんあるでしょうが、足りない、不足というニュアンスが強く出てきます。そう思って読むと、子どもなので社会のことがまだよくわかっていない主人公が、はじめてのことが多い大人の社会に接して、自分はまだ子どもでいろいろなことが不足していると思いながらも、子どもの視点で社会を観察しているというテーマがくっきりするのかと思いました。そこがこの本のキモだと思うのですが、どうでしょうか? 原文が饒舌体だとすると、ていねいに訳すことでリズムが失われているのかもしれません。

エーデルワイス:映画の脚本、監督などを手掛けている作者らしい作品と思いました。主人公のジュリアが愛犬ラモンの死を必死で乗り越えて成長していく姿、練習風景やリハーサル本番含め演劇の舞台は映像になります。オリーヴが魅力的です。最初にプロの役者、背が低い、おしゃれ・・・とだんだん様子が明らかになっていき、オリーブが黒髪、有色人種、低身長の女性だと分かりハッとしました。p131のオリーヴが黙って一緒にアイスクリームを食べながらジュリアの話を聴くシーンは素敵です。別れ際の「じゃあ明日ね」のオリーヴの一言で、ジュリアの悩みは吹っ切れているのですから。登場する大人はみんな子ども扱いせず、同じ次元で対応しているところがいいですね。うんちくや格言がやたら多くて後半ちょっと食傷気味でした。アカシアさんが仰るように訳のせいかもしれません。

伊万里:あまり積極的でなかった女の子が、ひと夏、大勢の人と出会って、大きく成長します。魅力的な大人がたくさん出てくるのが、この本のポイントだと思いました。後半で、大人たちの三角関係というか、恋愛の状況をいろいろ目撃して、子どもなりに解釈していくのも新鮮でした。お芝居を作り上げる過程が徹底的に描かれ、リアルに感じられるところもよかったです。ただ一人称なのが、一長一短な気がしました。主人公は、物事を決めつける傾向があって、それが覆されたときに成長します。なので、もともと傍若無人な発言が多いわけです。冒頭p14「脊髄が真っ二つに折れちゃったとしたら、一生歩けなくなるわけでしょ。」と語っていますが、これ、かなり無神経ですよね。あと、最後に、身長が162センチまで伸びることがわかった、というくだりも、なんとなく残念です。この物語を読んでいた低身長の子が、がっかりするのではないかと。低身長のままではダメだったのかな、とちょっと思いました。

シア:主人公がペットロスから立ち直っていく姿はとても良かったです。ただ、全体的に登場人物が身勝手な印象で話に入り込めませんでした。冒頭のジュリアの背丈に対する両親の会話でショックを受けてしまって、なんて空々しい家族なんだろうと嫌な気分になりました。おばあさんは千秋楽に来ないし、お母さんは仕事に夢中だし、読み終わってもどうにも希薄な家族関係に思えました。自分が愛されているのは感じつつも、そういう家庭のせいか自己肯定感が低いジュリアは、心の拠り所だったラモンを失って、その穴を埋めるかのようにショーン・バーに怖いほど心酔していきます。ジュリアはお父さんが言ってたことを実践し、大切な木彫りのラモンをショーン・バーにあげてしまうんですが、自分にとって大切なものでも相手にとっては違うと思うんですよね。ほんとにこの家族はろくなことを言いません。だいたい、ショーン・バーという男はかなりうさんくさいんですよ。木彫りの犬なんて誰にもらったかも忘れて捨てるんじゃないかと思います。もう少しエピソードがあれば違ったのかもしれませんが、私はショーン・バーはどうにも信用できませんでした。それから、チャンさんは空飛ぶサルの役がやりたいと言い出すんですが、それがチャンさんの人生にとってどういう意味なのかわからないので、ただのわがままにしか見えませんでした。しかも、大学生の卒業制作であるライオンの衣装を勝手に手直しするのはいかがなものかと。でもされた側の大学生は喜んでいて、不正がまかり通っていることに不満を覚えました。この大学生は自分のアートに対する気持ちとかないんでしょうか。それに、チャンさんの役のことを差別の話を持ち出すほど引っ張るから、てっきりオリーヴかジュリアが役を失うと思ったのにそのままというのは展開的にどうなんでしょうか。嫉妬の話はなんだったのかと。その気持ちを乗り越えるとかないんでしょうか。差別の話を無理やり入れたいだけだと思えました。そもそも、ブンブン飛んでいるのが大人ひとり分プラスされたら、安全面とか見栄え的に邪魔だと思うんですけど。演出のこと何も考えてないなって。やっぱりショーン・バーは信用ならないです。そして、ジュリア自身は自分の力ではないのにトントン拍子に進んでしまい、いびつな成功体験をしてしまったと思いました。自分は特別と思い込んで、弟やマンチキンの子など周りを見下すことは終始変わりませんでした。また、章ごとに入る挿絵が使いまわしでテンションが下がりました。ラストや表紙にも描かれているマンチキンの靴が文章と形状が異なるのも気になりました。つま先はポンポンではなく輪っかなはずです。こういうところはしっかり本文に合わせて欲しいと思います。それから、ジュリアがWikipediaの内容を引用するシーンがありますが、そもそもWikipediaは引用するものではないので、児童書で使わないでほしいです。と、終始イライラしながら読んだのですが、弟のランディだけは伸びやかに過ごしていると感じました。ジュリアと違って誰かに頼ったりしませんでした。自分でオーディションを望んで、自らの才能で役も親友も手に入れました。ランディこそが夏を満喫しました。ランディが真の主役ですね。

ANNE:ジュリアの一人称で語られることで、本人の気持ちがそのまま伝わってくるように思いました。死んでしまった愛犬ラモンの毛をスクラップブックに貼っているのは、いつか科学が発達してその毛のDNAから本物のラモンが作られるかもしれないからなのですが、p51「それって大きな夢だけど、小さな夢をたくさん見るよりよくない?」、苦手だったピアノのレッスンを辞めた時は、p25「刑務所の刑期を終えたときってこんな気持ち」など、彼女の独特の言い回しが、この本の魅力だと感じました。少女のひと夏の成長物語ですが、背景にある『オズの魔法使い』の世界観を知っていて読むのとそうでないのとでは、ずいぶん受け取り方も違うのではないかと思いました。

しふぉん:ひと夏で、子どもってこんなに大きく心が成長するんだなあと思わせてくれました。でも、それには日常とかけ離れた出来事や、素晴らしい大人との出会いは不可欠なんだろうなと思いました。オーラを放つ監督・ショーン・バーや、かつて多彩な芸術性で活躍したヤン・チャンさん、身長差別とたたかっているプロの歌手・ダンサーのオリーヴと関わりながら交流を深めていくうちに、ジュリアの内面が豊かに大きくなっていったのだと思います。初日が終わった後、劇評論家・ブロック・パットの酷評を目にした後、自分を失いそうになったジュリアに対して、弟のランディは「だんだんうまくなるよ」「そいつがどう思ったかなんて、どうして気にするの?」と意に介さない様子はどうしてなんだろうと考えました。ランディは、3人兄弟の末っ子で、みんなから愛情をたっぷり注がれていただろうし、何より人に誇れるものを持っているからなのかなあ? たとえば、甘い歌声とか、正確にメロディを歌い上げることができちゃうことか。自分に自信があるから人から何を言われても動じないのかもしれないなあって思いました。それに対してジュリアは、劣等感を持っている子ですよね。背が低いこと、音楽が苦手なことをとっても気にしています。ちょっと上の兄さんは何をしても許されるのに、自分は弟の面倒を見なきゃいけない。両親は自分のことをどう思っているのか、不安も感じていただろうなって思う。そんなことも、2人の反応の違いにつながっているのかなと思いました。それと、ジュリアのこの芝居にかける情熱の大きさも関係しているんだろうなと思います。また、ジュリアは言葉に対して鋭い感覚を持っている子だと感じました。p167「わたしには、耐えられない言葉がいっぱいある。(中略)そういう言葉は使わないようにしてる。なにがいいって、言いたいことを言う言い方はひとつだけじゃないってこと。だから、言葉って大事なんだと思う。それどころか、そのために言葉は発明されたのかも」とか。リーダーダンサーになって重責に押しつぶされそうな時、オリーヴがただ黙って一緒にアイスクリームを食べてくれた時に出てくるp131「話を聞いてもらうために、しゃべる必要はないのかもしれない。こんなにいろいろなことを語る沈黙は、はじめてだった」とか。ミトンおばあちゃんから聞いた言葉として出てくるp127「これ以上、重荷を背負うのは無理だね」、p153「人生は学びの連続だよ」、p215「その人がおもしろいかどうかは、背を見ればわかる」という言葉を自分が体験したことと結び合わせて思いだしたりしてるから。そして、あんなに嫌がっていた芝居に出たいと思ったのも、監督ショーン・バーの放った初日の言葉によってだったから……。

サークルK:原題の「Short」が『マンチキンの夏』と具体的になり、劇中劇の「オズの魔法使い」のあらすじの説明されたページが始めについていることで、それを知っていても知らなくても、読者にとても親切だと感じました。主人公は自分の背が伸びないのではないか、ととても心配しています。ジュリアが劇中劇でマンチキンの役を与えられ、みんなで練習する喧噪の風景は、昔見たことのある大道芸やサーカスで活躍していた、まさに「マンチキン」の人たちを思い出させてくれました。映画『オズの魔法使い』でドロシーを演じたジュディ・ガーランドの栄光と悲劇を描いた『ジュディ:虹の彼方へ』を観たので、虚構の世界が作り出す癒しや、虚構の世界があることで少しずつ前向きになっていく主人公の姿に救われる思いでした。

まめじか:原書が出たときに読んで、そのときは小人症の話なのかと思って読みはじめたら、主人公のジュリアはこれから背がのびると告げられる場面があって驚きました。ジュリアがオリーヴに憧れるところはいいなあと思いましたし、芝居を通してものづくりの喜びを感じ、芸術にふれ、いろんなことを感じて、それをスクラップブックに残すというのはおもしろかったです。最後に「わたしは今年の夏、成長した」(p362)とあるのですが、成長物語として読むと少し物足りなくて……。ジュリアがオリーヴの恋愛模様など、大人の世界をのぞいて、それが成長だと思っているように感じたのです。大人の中に入りたがる子もいるので、リアルではあるのですが、「この一か月で、わたしはなぜか自分のことを大学生だと思いはじめていた」「ここにいるほかのマンチキンたちは、子どもだって」(p287)とあるように、お芝居をやっている同年代の子とは交わろうとしないんですよね。ジュリアは知らない言葉の意味を推測します。p286で、お芝居をはじめてずいぶんたつのに、「公演」の意味がわからなくて、それを「公園」だと思うのは、若干無理があるような。p232に、犬のビーフジャーキーがしょっぱいとありますが、犬用のジャーキーに塩気はないはずです。各章のはじめの絵は何パターンかあり、とてもすてきです。内容に合わせて変えているのか、ランダムなのかはわかりませんでした。

コアラ:おもしろく読みました。12歳の特別な夏を、一人称で語られる主人公ジュリアと一緒に体験することができました。ジュリアは少しひねくれているというか、言葉の捉え方が独特で、例えばp71「舞台の上にいると、しょっちゅう『背中に目をつけろ』って言われる。もちろん背中に目なんかついてない。そうじゃなくて、うしろをちゃんと見ろという意味だ」こういう表現がよく出てきます。それが、最後の部分に生きていて、p362「わたしは今年の夏、成長した。外側じゃなくて、内側が。そう、大切なのは内側の成長なのだ」ここが本当にいいと思いました。原題は「Short」。私も背が低いので、とても共感しながら読みました。子どもも、大人に比べると背が低いわけで、その背が低い時期の子どもに読んでほしいな、心の成長を、この本で一緒に味わってほしいなと思いました。それから、p266などに出てくる「スタン」は、ハリウッドの特殊メイクで有名なスタン・ウィンストンだと思うので、作者が登場させているのにびっくりしました。

アンヌ:以前読んだ『世界を7で数えたら』(ホリー・ゴールドバーク著 三辺律子訳 小学館)の時もそうでしたが、この作者の物語の中で何かがうまくいきだすきっかけというのが、どうも納得がいかなくて苦手です。だから主人公の像がつかみにくく、例えば背が低いのが悩みのはずなのに、背が伸びると知って泣き出すところなどは、なんでこんな風に書くのだろうと思いました。ただ、ひと夏の劇団体験というのは実に魅力的な設定で楽しく読めました。今回大人はとてもよく書けていると思います。オリーヴの初々しい恋の模様や、ジャンニのくれた薔薇への扱いで、オリーヴがその恋を終わらせたとわかるところなど見事です。チャンさんもどういう人なのだろうと思っていたら、元プリマバレリーナで、なるほど最初から着地がうまかったわけだとわかるところや、ショーン・バーがケガで休んでいる間にそのすごさがわかるところなどは、うまいと思いました。

すあま:おもしろかったし、読んでよかったです。ずっと一人称で語られ、ジュリアのおしゃべりを聞き続けているようで途中でくたびれたけど、ジュリアの気持ちはリアルに感じられました。背が低いのがいやだったのが、しだいに受け入れられるようになって、今度は背が伸びると言われて逆にがっかりするところは、何となくわかる気がしました。大学生や大人たちと会話する中で、意味がわからない言葉が出てきたときに、自分なりに解釈しているところもおもしろかったです。自分も子どものとき、本を読んでいて意味がわからない言葉を勝手に解釈して、大人になってから思い違いに気づくことがあったことを思い出しました。タイトルについては、読み終わらないと意味がわからないので手に取りにくいんじゃないかな。『オズの魔法使い』は知っていても「マンチキン」と結びつかない人が多いと思うので。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さららん(メール参加):細部まで行き届いた訳のおかげで、主人公のおもしろさが際立っていました。いろいろ経験した夏だったよねー。私自身、芝居を一度プロデュースしたことがあるので、なんだかひとごととは思えない部分がたくさん! ホリー・ゴールドバーグ・スローンは『世界を7で数えたら』の作者でしたね。饒舌な主人公の語りによるスピード感と、障害をむしろ恵みに変えてしまう書き方は一貫してます。子どもたちも出演する「オズの魔法使い」上演をめざすストーリーなので、最後はみんな舞台に立つんだろうな、という安心感があるけど、マンネリになっていないのは、脇役やエピソードが鮮明に描けているから。たとえば舞台監督のショーン・バー。p223で語られる演劇論には感動します。例えば「われわれは世の中に、自分やおたがいを別の目で見てくれと訴えているんだ」という言葉。読んでいるうちに、本音で子どもにぶつかるショーン・バーが、オズの魔法使いに見えてきました。それから、オリーブは主人公の憧れの人なんだけれど、例えばp222にオリーヴの立場が書いてある。つまり「背が低い」「有色人種」「女」のトリプルパンチ。その中でどう生きるかも見せてくれる。大人たちの恋愛のくだらなさまで主人公はしっかり見ている。大人と子どもの両方の見方を生かしうことでお芝居は大成功するし、この世界もずっと暮らしやすいところになるんだ、ということを実感させてくれた物語でした。一番好きなところはp165のこの文章です。「わたしはうれしくてさけんだ『そう、わたしは空飛ぶサル!』うしろの座席かランディが身をのりだして、なんでもないみたいに言った。『ぼくはマンチキン国の市長だよ』と」

西山(メール参加):たいへんおもしろく読みました。寒い中ですが、「マンチキンの夏」を過ごしたような充足感です。ジュリアの一人称がうるさく感じたり、奇をてらっているように感じたりということがなく、「子ども」の良さを思い出したというような印象を持ちました。芝居作りにのめり込んでいくどきどきとわくわく、愛犬を失った喪失感で一杯だった彼女の胸の内が、思いもしなかった新しい出来事(おもしろい、興味深いおとなたち)でいっぱいになっていく様が愉快でした。ジュリアの感覚になんども、こっそり吹き出しました。例えば『オズの魔法使い』の作者名を初めて知って「作家って腰が低い」って、想像を超えたリアクションでした(p186ページ後ろから3行目)。「異議あり」が「意義がある」かもしれない(p220L-7)など、原文はどうなっているんでしょうか。

(2023年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録

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2022年12月 テーマ:違和感を抱えて

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『2022年12月 テーマ:違和感を抱えて』

 

日付 2022年12月13日
参加者 ネズミ、アンヌ、雪割草、ハル、エーデルワイス、マリオカート、シア、アカシア、ANNE、しじみ71個分、ルパン、西山、まめじか、
テーマ 違和感を抱えて

読んだ本:

『セカイを科学せよ!』表紙
『セカイを科学せよ!』
安田夏菜/著
講談社
2021.10

〈版元語録〉ルーツが日米の「蟲」好き転校生女子とルーツが日露のイケメン男子。ミックスルーツの中学生が繰り広げるバイオロジカルコメディ
『この海を越えれば、わたしは』表紙
『この海を越えれば、わたしは』
原題:BEYOND THE BRIGHT SEA by Lauren Wolk, 2017
ローレン・ウォーク/作 中井はるの・中井川玲子/訳
さ・え・ら書房
2019.11

〈版元語録〉「わたしはあの島から来たのだろうか」――かつてハンセン病患者のいた島。自分の過去を知るために、少女は海を越える。

(さらに…)

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この海を越えれば、わたしは

『この海を越えれば、わたしは』表紙
『この海を越えれば、わたしは』
ローレン・ウォーク/作 中井はるの・中井川玲子/訳
さ・え・ら書房
2019.11

ルパン:これもおもしろかったです。ハンセン病ということで、『あん』(ドリアン助川著 ポプラ社)を思い出しました。世界中で、ハンセン病患者はこういう扱いを受けていたんだなあ、と……。ところで、ミス・マギーはいったい何歳くらいなのでしょう。とてもいい人で、苦労をしてきたことはわかるのですが、年齢とか風貌とかがいっさいわからない。はじめはすごく年とった人をイメージしていたんですけど、それにしては元気がいいなあ、とか、オッシュのこと好きなのかなあ、とか。そもそもオッシュもどんな年齢・外見なのかわからなくてイメージできないし。あと、泥棒のミスター・ケンドルも、いったいどうしてペキニーズ島に宝があるとわかったのか、とか。ほかにもいくつか「あれ、これはどうなってるんだろう?」と思うところがちょこちょこあり、そういうストレスをところどころで感じながらも、とりあえずストーリーのおもしろさで最後まで一気に読んじゃいました。

しじみ71個分:最初、表紙の絵とタイトルを見て、難民を取り扱った作品かと思ってしまいました。タイトルが、海を越えた先に何かが展開するというような印象を与えてしまうような気がします。内容は、アイデンティティの問題だったので、「海を越える」んではないんじゃないかと思い、ちょっと違和感がありました。同じ著者の『その年、わたしは噓をおぼえた』(さ・え・ら書房)より、ずーーーーっとおもしろかったですし、内容もハンセン病とそれに対する差別という非常に重くて、大事なテーマを扱っている点は非常に挑戦的で評価できると思います。また、クロウ、オッシュ、マギーといった人物もそれぞれ大変魅力的で本当におもしろいんですが、なんだか、どうしてかわからないのですが、ローレン・ウォークの何かが好きじゃなくてモヤモヤしています……。何なのかもう少し考えたいです。登場人物の人柄もとてもよく描かれていますし、後半は特に冒険譚としてドキドキしながら読めるんですが、ハンセン病そのものについてはあまり深い掘り下げがなく、材料にしてしまったという印象がぬぐえないのと、ミスター・ケンドルが悪者としてとても小さくて、ちゃちい感じがしてしまいました。木から落っこちて終わりだなんて……。宝も最後はみんな配ってしまうというオチですが、たとえば、ケンドルに追い詰められたクロウが財宝を使って窮地を逃れ、ケンドルは財宝もろとも海に落ち、海の藻屑となるくらいの、ちょっと壮大なイメージの、もう少し、人の悪そうな終わり方でもよかったなあという印象です。ですが、クロウが自らの出自を知ってアイデンティティの揺らぎを乗り越え、島での3人の生活がもどり、オッシュとマギーの間のつつましやかな愛情や、クロウの成長が希望を感じさせてくれる結末になっていて、読み終わってさわやかな気持ちが残り、ホッと安心できました。

ANNE:テーマがハンセン病ということで、私もドリアン助川さんの『あん』を思い出しました。隔離されている人々の心の切なさがひしひしと感じられる反面、キャプテンクックの宝探しという冒険譚の一面もあり、いろいろな読み方ができる作品だと思いました。主人公の女の子の頬にあるという「羽」がうまくイメージできませんでした。

まめじか:ルビーの指輪とともに小舟で流された赤ん坊。その子が12歳になって、対岸の無人島で燃える火を見る場面は、色鮮やかで強いイメージを残します。海賊の宝をめぐる冒険物語と、偏見や差別のテーマがうまくからみあっていますね。ペニキース島は、さまざまな国からアメリカに来た、ハンセン病患者が送られた場所です。クロウの肌は浅黒く、またペニキース島から来たのではないかと、カティハンク島の住人からは疑われ、避けられています。それまでペニキース島に近寄ろうとしなかった人々が、宝があるかもしれないといううわさを聞いたとたん、島に行って宝を探すというのはリアリティがありました。人間の欲や身勝手さがあらわれていますね。「わたしがこの島のくらし以外のことに目をむけると、オッシュは月そのものになってしまい、必死にわたしを引き戻そうとする。まるで、わたしの体が血ではなく海でできているかのように」(p11)、「ヴァインヤード海峡とバザーズ湾が出会い、大あばれで危険なダンスをする場所」(p47)、「雨と海が自分だけのおしゃべりをするのを聞いていた」(p269)など、文章が詩的です。

マリオカート: 序盤は、主人公の名前もいっしょに住んでいる人の素性も、いろいろ曖昧でわかりづらかったけれど、p100を超すあたりから引き込まれて、最後までおもしろく読むことができました。ペニキース島が実在して、史実をベースに書かれていることもあり、物語に重みがあります。ハンセン病の物語ということで、皆さんと同様、ドリアン助川さんの『あん』を思い出しながら読みました。ただ、物語を盛り上げるための謎が解決されないまま終わってしまい、1つならともかく2つ疑問が残ったので納得いかない気持ちです。1つめは「お兄さんはどこにいるのか」。たまたま船で手を振り合った人が兄だった、というのも安直なので、別人とわかったのは悪くないと思います。ただ、もう1つの「ミスター・ケンドルが、なぜここまで執着して逃げずに何度も現れたのか」が明らかにならないまま終わったのは不満です。さっさと姿を消せば、逃げ切れる可能性はあったのに、どうしてここまでしつこくしたのでしょう。わたしは、途中から、もしかしてこの人こそが探していた兄だったのではないか、恵まれない幼少期の生活のためにこうなってしまって、でも妹と会えたことでこれから改心していくのではないか、とまで妄想してしまいました(笑)

エーデルワイス:若い時、北條民雄の『いのちの初夜』を読んで感銘を受けたことを思い出しました。それはハンセン病を患った本人が書いた大人の小説でしたので、今回ハンセン病を扱った児童書は初めて読みました。物語をおもしろくするためにいろいろエピソードを盛り込んでいて、風景も美しく、ロマンチックな印象です。映画になりそう。主人公のクロウは、今が幸せでも自分のルーツをどうしても知りたいと願う、その切実さがよく伝わってきました。

ハル:謎に導かれて最後まで読みましたけど、途中からどうも、特にセリフの硬さが気になって、つっかかってしまいました。なんだか文字から想像する映像に人物がうまくはまらないというか、字幕みたいな話し方だなぁと思って。日本語の問題かなとも思いましたが、もしかしたら、先ほどご意見があったように、登場人物の様子が細かく描かれていない、という点も関係があるのかもしれません。オッシュも、最初は高齢の男性を想像していましたけど、どうもマギーはオッシュのことが好きなようだし、まだ恋愛するくらいの若い……って、今のは失言! 別に高齢だから恋愛しないわけじゃないし、いくつだろうと関係ないですよね。すみません。話題を変えます。宗教観の違いなのか、お母さんが残してくれた宝を、手放さずに貧しい人にほどこさないことが愚かだ、という考え方に「世界名作劇場」っぽさを感じました。お母さんが残してくれたものをお金に換えて、自分のことに使ったっていいじゃないかと思うのですが。でも、そういったお説教くささというか、重たさもふくめて、読み応えのあるお話ではあったので、もうちょっと、読みやすかったらなあと思いました。

雪割草:内容はおもしろかったけれど、言葉やプロットなど、生意気ながら意見したくなるところがあって、以前図書館で借りたのだけれど、読み進められず返してしまいました。でも今回読み終えて、オッシュのクロウへの愛情やふたりの絆があたたかく描かれているところがよかったです。この作品では、名前が大きな役割を果たしていて、例えばp374には、オッシュは「お父さん」、クロウは「娘」という意味だと言っています。そして、クロウがお母さんからもらったものの一つが「かがやく海」という意味のモーガンという名前で、自分が何者かというアイデンティティにも関係しています。なので、この作品の原題に「かがやく海」という言葉が入っているのを、意味も含めて残した方がよかったようには、思いました。同じくp374の、「おまえのすることが、おまえになる」という日本語も、日本語だけで読むとよくわかりませんでした。私自身も恥ずかしながら、大学に入って、母校の先輩でもある神谷美恵子の展示をすることになってはじめて、ハンセン病のことを知りました。特に若い世代は知らない人も多いので、編集部からのコメントで少し触れていますが、日本でのハンセン病政策について、これを機に読者にも知ってもらえるよう、もう少し情報を含めてほしかったです。

アンヌ:表紙を見て想像していたものよりファンタジーっぽいお話でした。この宝物は母親の形見で、ドイツのユダヤ人迫害の時のように、実はハンセン氏病の患者のものを取り上げたのではないかと最初は思っていたのですが、違うようですね。宝探しとそれを狙う悪者との戦いというのは実に典型的な冒険ものですが、奇妙に心躍らないのはなぜかと思いながら読み終わりました。深い言葉をぼそりという東洋の仙人じみたオッシュとの奇妙につながらない会話とか、お兄さんのような船員さんとの会話とか、泥棒の正体とか、判然としないものがいろいろあったせいかもしれません。

アカシア:私はおもしろく読みました。p20に「オッシュと、オッシュの前にわたしにさわっただれかをのぞけばだけど、わたしにさわったこともある手はミス・マギーの手だけだった。わたしは、わたしにさわった手をいつも数えていた」という文章があるのですが、ここからクロウが避けられていることが実感として伝わってきました。ただ、クロウ自身も、島の全員が自分を避けているわけじゃない、と考え直す場面もあります。p292「たぶん、一人ずつ別々に、考えるべきなんだろうね」なんていうところです。で、なぜクロウは避けれているのか? どこから来たのか? ペニキース島で何があったのか? クロウの頬の羽のような形のあざはどういう意味を持っているのか、野生保護員は本物なのか、文字が消えかかった手紙は何を語っているのか、など謎がたくさん用意されていて、それを解いていく楽しみもありました。さっき、泥棒がドジなだけで終わっていいのか、という声がありましたが、もともと小者の泥棒なのだと思って読みました。テーマはハンセン病とか、アイデンティティとかいろいろ出ましたが、私は何よりオッシュとクロウとミス・マギーという、背負っている背景がまったく違う血のつながらない3人がひとつの家族になっていくという物語として読みました。そうすると、無駄な部分はなくて、どの箇所も必要なのだと思えました。翻訳で気になったのは、「ビスケット」という言葉がたくさん出てくるのですが、これはアメリカの話なのでスコーンとか丸パンくらいに訳していいんじゃないかな。p107の「眠ったりしたことがない」は、誰かの腕に抱かれて眠ったりしたことがない、という意味なのでしょうから、もう少しつながるように訳したほうがいいかも。p188の帆船のルビなど、誤植がいくつかありました。それから、さっきオッシュとミス・マギーの年齢が書かれていないという声がありましたが、書いてしまうと、じゃあ、この二人は付き合ってもいいよね、とか、あるいはもう恋愛なんかする年齢じゃないだろうと読者が思うかもしれないので、あえて書いてないのかもしれません。

西山:急ぎ読む必要のある本があったせいで、途中で一旦何日か読まない時間をはさんでしまったのですが、そのせいかもしれませんが、表紙とタイトルと最初の部分で得た印象と、続きを一気読みした読後の印象が乖離しています。一気に読み終えて感じたのは妙ななつかしさ。なんだろうこの感じ、と思ったら、たぶん小学生のときにあれこれ読んだ宝探し冒険物語のノリなんですね。ハラハラ・ドキドキ・ヒヤヒヤ。不完全な手紙、宝探し、宝の発見、悪漢の登場、追跡、危機一髪、危機からの解放……。表紙の雰囲気とタイトルはずいぶん違いますけど、そのイメージが残りました。ただ、お兄さんが見つかっていたら、完全にエンタメで終わっていたのですが、彼の行方が知れないのは、過去を断ちたいという彼の意志があったからではないかと考えると、ハンセン病患者への政策と差別のことを思い出させられて、そうだ、ただのドキドキ冒険小説ではなかったのだと我に返った感じでした。あと、島の荒々しくも素朴な暮らしぶりがおもしろかったです。野趣溢れるけれど、あれこれおいしそうでした。

シア:メモしながら読んでいたのですが、それが途中から先が気になってもどかしくなってくるくらい読ませる作品でした。訳文のせいなのかはわかりませんが、淡々とした文章がとても心地良かったです。p36の「十一月のような声だった」、p220の「そよ風が、軽くおじぎするように、吹きぬけていった」など、比喩表現がたくさん出てきますが、そのどれもが美しいものでした。今回に限らず、海外作品は日本の児童書と比べて全体的に大人っぽいものが多い気がしますが、p25「あるものを食べ、ないもののことは考えなかった」や、p46「『人が何かをどうしてするのか? そんなことより、自分自身のことに注意をはらったほうがいい。人のことは人のこと』」のように、時に真理だったり、心に重々しく響くことを書いてくれると感じます。主人公のクロウも、p138「でも、わたしの勘は違うと言っていた。そして、わたしはそれを信じることに決めた」と、非常に意志が強く、12歳にしては大人顔負けの貫禄です。話の内容は『あん』もですが、なんとなく『ハイジ』(ヨハンナ・シュピリ著 岩波書店)みたいだなあと思いながら読んでいました。オッシュが、クロウが離れていくことに怯えるところはおじいさんのようですし、ミス・マギーはロッテンマイヤーのような人かと思っていました。でも、物語後半にはミス・マギーの乙女チックなところが見え隠れしたり、二人がクロウを慈しんで育てていることが表れていて、とても心温まるお話でした。オッシュの過去の話が出てこなかったところも謎めいていて良かったと思います。自分のルーツを知らない人がそのことを気に病む物語はよくありますし、いろいろ見聞きしてきました。私はなんらかの事情で子どもを手放した本当の両親よりも、育ててくれた人の方がよっぽど大変だし、大切なのではないかと思っています。たいていの場合は物語もそこに帰結します。でも、p65の「『後ろを見はじめると、自分の行く先を見のがすかもしれない』自分がどこでいつだれから生まれたのか、正確に知っている人だから言えること」というクロウの一言で、オッシュの言うことはもちろん、クロウの思うことのどちらも腑に落ちました。自分の生まれが不確かな場合、その足元は私が思うよりも不安定なんですね。その苦しみは当事者じゃないと理解できません。ハンセン病になった人もそうですが、無理解が人をバラバラにすると思いました。コロナ禍という、今の世の中でも情報が錯綜したり、未だに論争が続いていたりします。そうやって伝播していく人の恐怖心が伝染病よりも恐ろしいと感じました。と、真面目なことを考えながらも、やっぱり私は島の自然に圧倒されました。満天の星空や、動物たちが自由に歩いている町中など、都会育ちの私にとっては全てが新鮮かつ非日常で楽しかったです。ただ、雨水タンクからの水を清潔と表現したり、服を乾かしただけなのに綺麗だとか、果てはノミがついているかもしれない猫と寝ているというのは……。今回のテーマの違和感をこういうところに抱えてしまいましたが、まさにこれが大自然の中での生活なんですよね。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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セカイを科学せよ!

『セカイを科学せよ!』表紙
『セカイを科学せよ!』
安田夏菜/著
講談社
2021.10

ネズミ:ミックスルーツのことやステレオタイプからの解放など、意欲的なテーマだと思いました。ただ、いろいろなやり方でミジンコの写真を撮ろうといくところからはおもしろく読みましたが、中学生同士のやりとりにはしゃいだ感じがしたり、先生たちがあまりにもひどかったりというところは、ついていきにくかったです。こういうテーマなので、重くならないようにという配慮なのかもしれませんが。

アンヌ:生物の授業が好きだったので、題名といい目次といい、この物語はおもしろいぞと読み始めました。期待通り山口さんの虫好き度合いは普通ではなく魅力的でした。けれども、ミックスルーツの主人公が同調圧力につぶされそうな日本の中学生として、物語が始まっていくのは意外でした。梨々花の母親といい教頭といい、担任も校長も含めて、いい大人が全然出てこない物語でしたね。それだけに主人公たちの成長が気持ちよく読んでいけましたが……。ロシア語のことわざにもう少し解説があってもよかったのではないかと思いましたが、調べるといろいろおもしろくて、楽しむことができました。それから、お父さんがお兄さんに「ロシアには兵役があるぞ」という場面には、どきりとしました。

雪割草:学校の書き方が少しベタには感じましたが、虫という生きものをとりあげているのがおもしろかったです。敬語で話す山口さんや堅物な感じの校長先生は、キャラクターが漫画っぽいとは思いましたが、山口さんが風変わりな「好き」を貫く姿は、気持ちよかったです。自分の見方に固執して人のことを考えていない発言もあった山口さんが、パソコン班の人たちと一緒に研究に取り組んだり、と交流するうちに、相手の立場に立てるようになっていくのが、よく描かれていると思いました。それから、虫を気持ち悪いと言っていた子たちが、ちゃんと観察することで、案外かわいいじゃないと気が付くなど、「偏見」というものの見方について随所で描いているのも巧みだと思いました。

ハル:前回の『スクラッチ』(歌代朔作、あかね書房)と並んで、いま私のなかではトップクラスに好きな1冊です。今回のために読み直せなかった自分にがっかりするくらい好きです。p198で、「もしかして、お兄さん! 自分のことを外来種とか、外来種との雑種って思ってるんですか?」「違いますよっ」「人間は、同じひとつの『種』ですから」と山口さんが言うそのセリフを読んだときのわたしの高揚感! あの高揚感をいつも思い出します。人種とか、多様性とか、偏見とか、重たくなりがちなテーマだし、陰湿にもなりそうですが、それをここまで痛快に、そして読者の好奇心も焚き付けながら書き上げて、すばらしいなと思いました。もちろん、人間の社会は科学では割り切れないところもあるはずですが、「細胞が」とか「種が」とかで突破できるんじゃない? と思わせてくれるところが楽しかったです。

エーデルワイス:とっても楽しく読みました。表紙の絵が主人公たちの人間標本になっているところがおもしろいです。山口葉菜が何かと「ニマニマ笑う」表現がお気に入りです。
葉菜は虫女子ですが、小さい頃子どもはたいてい虫好きのように思います。ダンゴムシやミミズなどを触って。それがだんだん好きな子と嫌いな子に分かれてしまう。特に女の子は好きでも周りに併せて「虫キャー!」と、虫嫌いキャラになるのかもしれません。
ロシアの格言興味深いです。人間はホモ・サピエンス……の件は感動しました。

マリオカート: 昨年読みました。今回は再読できなかったので、当時書いた感想を話したいと思います。全体的にストーリー展開はユニークでおもしろく、引き込まれました。虫やマイナーな生物の話のなかに、人間のミックスルーツなどの話が組み合わされていますね。印象的な言葉が多く、ロシア語のよくわかるような、わからないようなことわざが、ちょいちょい入ってくるのも興味深かったです。ただ、敢えて言うと、物語の仕掛けを作ったときの力技な部分のしわ寄せが、全部、山口アビゲイル葉奈さんに行っている気がします。キャラとして、そんな子いるかなぁ、という若干の不自然さをまとっているように思いました。

まめじか:葉奈は生きものの分類にこだわっているわけですが、人間というのは、分類できない複雑さをもっています。それは、科学部のメンバーをはじめ登場人物のいろんな面が描かれることで、主人公のミハイルにも読者にもだんだんわかってきます。「人種」は社会的に創られた概念だという考え方もありますが、この本には、人間はみなホモ・サピエンス種なのだとはっきり書かれていますね。ちょっと気になったのは、実は研究発表はしなくてよくて、研究テーマさえ決めればよかったというオチです。校長はブツブツとつぶやくようなしゃべり方で、聞きとりにくかったと書いてあるものの、p148には「研究成果が出ることを期待しています」とあるので。ミハイルたちにはそういうふうに聞こえたということなのかもしれませんが、若干無理があるような。

シア:この本、とてもおもしろかったです。ラストの「他人の言うことにとらわれるな」というロシア語のことわざに全てが詰まっていると感じました。共感性というものが生活の軸になっている、今の子どもたちや社会をしっかりと表現していると思いました。ルーツに揺れる主人公たちの気持ちもていねいに描かれていて、第一印象が大事だとか、人は見た目が9割だとか言うイメージ先行型の考えを持っている人を柔軟にしてくれそうです。話の展開やキャラクターたち、そして読後感も良いので、中高生にぜひ読んでほしいと思います。JBBYのおすすめ本選定でほぼ満点を取った本というのもうなずけます。生徒たちがパソコンを使えないというのもリアルでした。今、学校で配布しているのもタブレットだし、保護者ですらスマホ中心の生活に移っているので、パソコンが家にない子もいるんですよね。小学校でパソコンの授業が必修化しましたが、若い教員やベテランでもパソコンが使えなかったりしますし、どうなることやら。それにしても、保護者にしても誰にしても、意見を言いやすい世の中になったと思います。ただ、それは意見というよりは言ってもいい相手に放つ言葉という感じがします。今の時代、共感を持たれやすい言葉を使うことが求められていて、ミハイルのように周りに合わせることが重要だと思う子が多くなりました。だから良いとは言えませんが、ミハイルの生き方は日本社会、こと学校では間違えていないし、梨々花がこんなにいろいろ言えるのは周りに受け入れられているからだと思います。でも、ミハイル本人の思いとは裏腹に今後彼は顔で受け入れられていきそうですね。理不尽が横行しがちな義務教育を乗り切れば、あとは顔面偏差値がものをいう世界でもありますから。何を言ったかではなく、誰が言ったかというところを重視されがちな世の中ですし。ユーリ兄ちゃんも日本にいればいいのになあ。個人的にすごく良かったのはp179の「俺たちは意味不明に張り切った」というところで、自分で決めた納得のいく目標が出来れば、この頃の子ってそれこそ意味不明に頑張れるんですよね。学校に限らず、そういう機会や選択肢を増やすことが大事だと思います。気になったのは蚊のところですね。p125で「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」と言っていますが、これはわざとと言えるのではないかと。根底に悪意が完全にないわけではないんじゃないかなって。悪意ある風評によって、「肝試し」「魔界」というマイナスな印象を持っているわけだし。それを否定せずにいること自体、悪意と言えるのではないでしょうか。そもそも忍び込むということ自体まずいですよね。謝ってすむとか、中1だからという風潮は良くないと思います。虫めがねを隠した子たちも含めて、軽い気持ちのいたずらがどういうことになるのか、ここで教師の出番のはずなのに何もフォローがないのが気になりました。嫌な教師や悪いことをした子たちが物語を展開するだけの道具になっていることが残念です。メグちゃんも新人だとしてもイライラするレベルです。それに生徒用(しかも科学部)のパソコンなのにノートパソコンで、しかも防犯用に固定もされていないなんて、この学校の危機管理はどうなっているのか問いたいくらいです。他にも部活動や教員関連で問題にしたい部分も散見されましたが、前回わりと散々言ったのでもういいかなって感じです。

アカシア:ユーモラスに問題を展開させていくという意味で『フラダン』(古内一絵著 小峰書店/小学館文庫)を思い出しながら読みました。あっちは高校生が主人公なので、もっと心理的には複雑なんですけど。おもしろくする工夫はいろいろあって、p11のミハイルが作ったチラシですが、不必要なアキがあったり、点が2つあったりなど、わざと間違いがあるままに出しています。p79の最後の文章とか、p122のボウフラのネットをはずして謝りにきた中1の男の子たちの描写とか、父親はこの人だと言って葉奈の母親がウィル・スミスの写真を見せるところだとか、笑える文章も随所にありました。ミハイルは考え方も話し方も日本的なんだけど、ところどころにロシア語のことわざがはさんであって、「あ、ミハイルのお母さんはロシア人だった。ダブルルーツの子だった」と思い起こさせてくれます。空気を読むことばかり気にして無難に世渡りしようと思っているミハイルに対し、空気を読むことに興味がない葉奈。両方外国ルーツも持つという共通項がありながら正反対の主人公を出しているのがおもしろいですねえ。そして、ステレオタイプに考える人たちと、それに反発するミックスルーツの人だけではなく、p110で「もっと深刻な悩みを持ってる人はいっぱいいるんじゃないかな。不治の病とか、親に虐待されてるとか、すんごい貧乏だとか」「こっちもいそがしいんだからさ。な、いちいち甘えんな」などと言ってしまう仁のようなキャラクターも出してくるので、読者も複合的な思考を迫られます。仁の存在はけっこう大きくて、その影響もあってミハイルも兄に対して「つらいのは自分だけみたいな顔しやがって。十八にもなって情けねーんだよ! 誰だって悩みのひとつやふたつくらいあるだろ。俺だってなー」(p194)という言葉をぶつけるわけですが、兄が本当に苦しげにギュッと拳を握りしめていることに気づいてハッとします。ここで、ミハイルは(そして読者も)さらに複雑な思考を獲得できそうです。山口葉奈の小動物についての蘊蓄も、ミジンコの心拍数をどう計測するかを考えていく過程も、おもしろかったですし、他者と合わせようとしない葉奈の存在そのものも、葉奈の発言も小気味よかったです。

ANNE:この会に初めて参加させていただきました。皆さんの感想が本当にそれぞれでおもしろいですね。私は2009年まで学校図書館にいましたが、当時の中学生はパソコンをもっと使いこなしていたイメージがあります。この十数年で子どもたちのIT環境もずいぶん変化してるんだなぁと改めて思いました。個性豊かな登場人物の中でも印象に残ったのは、主人公ミハイルの兄ユーリです。なかなか自分のアイディンティティを見いだせず、バイトもうまくいかない、いっそロシアに行って暮らそうかなどと考えているユーリの存在がこの物語の大きなキーワードになっているように思いました。ロシアで暮らしたいという長男に向かって母が言う「ロシアには徴兵制度があるのよ」という言葉が、現在の社会情勢とも相まって大変心に残りました。

しじみ71個分:この本はとてもおもしろかったのですが、残念なことに最初の出会いで失敗してしまいました。研究会の課題本になっていて、まだ読んでいないときに、先に人の意見を聞いてしまったんですね。なので、その印象が強くて…。多くの研究会参加者がおもしろいと言っていたのですが、葉菜の外見的な特徴で彼女のルーツについて表現しているという点で、こういった表現は既に海外では受け入れられないだろうという指摘もありました。なので、その印象に引きずられて読んでしまったかもしれません。でも、自分で読んでみたら、テーマも大変に挑戦的ですし、お話の内容もテンポも軽快で明るいですし読みやすく、やっぱり物語の作り方が非常にお上手だなと思いました。すべてのキャラクターも個性がはっきりしていてとっても読みやすいです。ただ、葉菜の「コーヒー色の肌」とか、「紅茶色」とか複数回出てくるので、キャラクターの紹介が既に終わっている段階だったら、肌の色についてはそんなに何回も記述しなくてもいいんじゃないかと思ったところはありました。また、アフリカにルーツのある人たちはバスケがうまいとか、そういったステレオタイプなイメージを破るために、あえて正反対の、虫好きの、運動が得意ではない人物を立ててきたおもしろさはあるのですが、それがある意味、逆にステレオタイプになっているかもしれないなとも、ちょっと感じてしまいました。ですが、後半にミハイルや葉菜のルーツの問題は置いておいて、生物班の存続のために、みんながミジンコの心拍数をどうやって計測するかについて、実験してトライアンドエラーを繰り返すあたりの場面はとても新鮮で、科学的な視点を持つことの重要性やおもしろさを伝えてくれましたし、葉菜のホモ・サピエンスについての考え方に表れているように、偏見とか先入観、思い込みといったものを科学的な視点で乗り越えていくこともできるんだと気づかせてくれ、読んで明るい希望も湧いてきました。

ルパン:おもしろく読みました。はじめ、「なんだ、部活ものか」という感じで、大仰なタイトルに合わないんじゃ、と思ったのですが、後半からぐいぐい来て、さいごはこのタイトルがぴたりとおさまりました。普通だったら腫れ物にさわるように避けてこられたようなテーマを正面から取り上げていて、すごいな、と思いました。しかも、誰も傷つけずにデリケートな問題に向かい合うことに成功している。「国際児童」「こじらせ系ハーフ」「コーヒー色の肌」、しまいには「北方領土をどっかの国からまもらなきゃ」まで言っちゃって、まさに「あっぱれ」です。

しじみ71個分:ネットで、バスケのオコエ桃仁花選手や、八村阿蓮選手が、日常的にTwitterなどで人種差別を受けているという記事を読んだり、自らのアイデンティティについて苦悩する八村選手の短編映画などを見たりしました。彼らに対して投げかけられた差別発言は目を覆うばかりの酷さです。この本は、そういった差別意識を乗り越える一つの方法を提示しているように思いますし、気持ちよく読んで、ミックスルーツ問題について考えるきっかけを得ることができると思うのですが、一方で、その前に、本当にひどい差別が社会に横行している事実や、差別で傷ついている人がいることを知らせる必要があるとも感じました。自分では気付かない差別意識が自分の中にあるのではないかと常に問いかけることを伝えてくれるような、そんな本もあったらいいなと思います。

アカシア:日本には差別がないと思っている人は多いんですけど、そんなことはないですよね。私は、若い時に反アパルトヘイト運動をやっていた方から、「子どもが好奇心をもって、アフリカ系の人の髪の毛にさわろうとしたりするのは差別ではない。それを差別だからとやめさせようとすると、見て見ないふりばかりするようになってしまう」と聞いて、なるほどと思ったことがあります。自戒を込めていうと、日本は、差別してないと思っている人でも、アフリカ系ならダンスがうまいだろうとか身体能力がすごいだろうなどとステレオタイプで見る場合が多いし、見て見ないふりの人も多いと思う。

西山:最後まで再読しきれなかったのですが、やっぱりおもしろかったです。「科学」の取り込み方が絶妙! 生きものの分類に対する興味とミックスルーツの自分の問題がかっちりはまっている。情緒的に「差別はいけません」「いじめはいけません」と説くより、よほど説得力があって、同調圧力のうっとうしい壁に風穴を開けてくれるのではないかと思います。課題図書にもなって、多くの中学生の手に取られることは喜ばしいと思いました。ボウフラのネットが外された事件も、山口さんの「よかった」「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」というつぶやきに、ミハイル同様「悪意というものがなかったことに救われた気持ち」(p125)になりました。この展開を結構大事なメッセージだと思っています。あと、ロシアのことわざがキュートですね。ロシアのウクライナ侵攻の前にこの作品が出ていてよかったと思います。ロシア人を、そういう文化を持っている人たちなんだ知っていることが、妙に重要になってしまったと感じています。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年11月 テーマ:クラブ活動

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『2022年11月 テーマ:クラブ活動』

 

日付 2022年11月17日
参加者 ネズミ、ハル、シア、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、まめじか、西山、さららん、サークルK、ニャニャンガ、アマリリス
テーマ クラブ活動

読んだ本:

『スクラッチ』表紙
『スクラッチ』
歌代朔/作
あかね書房
2022.06

〈版元語録〉コロナ禍で「総体」が中止になったバレー部キャプテンの鈴音。美術部部長の千暁は出展する予定の「市郡展」も審査が中止。「平常心」と自分に言い聞かせ「カラフルな運動部の群像」の出展作を描き続ける千暁のキャンバスに、鈴音が不注意から墨を飛ばしてしまい…。コロナ禍で黒く塗りつぶされた中三の夏。そのなかでもがきながら自分たちらしい生き方を掴み取っていく中学生たちの、疾走する”爪痕”を描く物語。
『5番レーン』表紙
『5番レーン』
原題:5번 레인 by응 소호르 2020.
ウン・ソホル/作 ノ・インギョン/絵 すんみ/訳
鈴木出版
2020.09

〈版元語録〉急に速くなったライバルに勝てなくなり悩んでいた。ライバルの水着が承認されていないモデルではないかと疑うことから引き起こした事件をきっかけに、大きく成長する姿を描く。韓国の文学トンネ児童文学賞大賞を受賞した、瑞々しくさわやかな青春ストーリー。

(さらに…)

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5番レーン

『5番レーン』表紙
『5番レーン』
ウン・ソホル/作 ノ・インギョン/絵 すんみ/訳
鈴木出版
2020.09

西山:本作りはきれいだけど、どうにも読みにくくて入って行けませんでした。冒頭の3行ですでにつまずいて……。「ナルは5番のスタート台にあがった。……ひとつだけちがったのは、ナルのレーンが5番じゃなかったということ」タイムが速い順に4番、5番なのかということがなんとなくわかって、なんとか理解はしましたが……。部活や学外のスポーツクラブの在り方が日本と全く違うのだなと、こういうことを知ることができるのが翻訳作品のおもしろさだなとは思いました。

コアラ:おもしろかったです。ただ、韓国のことをあまり知らなくて、いろいろわからないまま読み進めて、いろいろひっかかりながら、少しずつわかっていく、という感じで読みました。名前では、誰がどういう人なのかわからなくて、例えば、主人公のナルと仲のいいスンナムについては、p23で「オレが買った」とあったので、男子だったのかとようやくわかりました。年齢と学年についても、最初のほうで、小学校の水泳部でナルは小学6年生と出てきますが、p19の最後のほうで13歳となっています。日本でいうと中学1、2年生かと思いましたが、p44の中ほどの括弧で「(韓国は生まれたときを一歳とする数え年)」とあって、結局日本と同じ、小学6年生の12歳だとわかりました。これがわかるまで、年齢と学年はひっかかりになっていました。あと、小学校の水泳部とありますが、日本でイメージするような、ただの学校のクラブ活動でなく、オリンピックを目指す選手がお互い切磋琢磨するような、すごくハイレベルなところだとわかってきます。それから、水泳のこともよく知らなかったので、5番レーンの意味もよくわからないままでした。たぶん、4番レーンが予選で1位だった人、5番レーンが予選で2位だった人、ということなのかな、とは思いましたが、はっきりとは書いていなかったように思います。読み飛ばしてしまったかもしれません。それでも、いろいろわかってくると、すごくおもしろくなったし、p132の3行目の恋の始まりの表現など、すてきな表現がいくつもありました。ただ、どちらかというと大人びた表現のある物語なのに、絵がとても幼く感じられて、そこに違和感を感じました。絵が全部カラーで贅沢なつくりだし、きれいな本だとは思います。

アマリリス:ひたむきなスポーツ小説かと思ったら、ナルが水着を盗むシーンがあって、そっちの方へ行くのか! と度肝を抜かれました。そこからの展開は非常に読み応えがありました。幼馴染のスンナムが実はチョヒと付き合い始めていた、というオチもおもしろかったですね。チョヒが、もっとイヤな子なのかと思ったら意外と素敵なライバルとして描かれていたのが印象深かったです。子どもたちがそれぞれ、過去に盗んだものの話をして主人公を励ますのもよかったと思います。ただ文章自体は、ツッコミどころが多い気がしました。以前、すんみさんの別の翻訳を読んだときはスムーズに楽しめたので、今回の作品は原文に問題があるのでしょうか。特に気になったのは、三人称のブレ。ナルとテヨンの視点が、章ごと、段落ごとに入れ替わるぶんにはいいのですが、1行ごとにブレている場面がありました。あと、最初にチョヒの水着の描写があったとき、色は書いてなかったように思うのですが、途中から急に「ピンクの水着」と出てくるので、同じ水着の話をしているのか、遡って確認作業をしなくてはなりませんでした。午後の練習時間の長さもはっきりわかりづらいんですよね。放課後に練習を始めるけれど、毎日夕方6時に公園で月を見ることはできるなら、練習時間は短いのかしら、と気になりました。ところでカラーのイラストが文中にたくさんあるって素敵ですよね。これ、印刷のコストはかなり高いのではないでしょうか。

ニャニャンガ:当初は一部の挿絵を使う予定だったのが、すばらしい絵なので、すべての挿絵を使うために担当編集者が頑張られたと伺っています。

シア:冒頭の「テイク・ユア・マーク」の一文が真っ先に目に飛び込んできて、クールさにしびれました。訳さずにそのままなんですね。よく文章内でフルネームで呼ばれていますが、これはどういう意味合いなんでしょう? 日本やアメリカではフルネームはわりとネガティブな印象なので不思議でした。物語の内容以前に、国の教育レベルが全然違うことに衝撃を受けました。PISA調査でも結果は出ていましたが、日本は世界から完全に後れを取っていることを改めて突き付けられました。小学生のうちからこんな高度な特別チームで一生懸命練習をしていて、中学に入る前の時点でふるい落とされる……それが国全体でのレベルを上げるということなんでしょうね。p 221「国旗が描かれた名札」をつけるなど、強化選手でもないのに仰天なのですが、国を挙げて教育しているんだなと感じました。『スクラッチ』を読んでからこちらを読んだので、余計に日本の部活システムが子どもだましに思えました。部活なんかでお茶を濁しているのにオリンピックでメダルだなんて、日本は負けましたと言っているようなものです。日本でもプロを目指している子はそもそも部活には入らずに、地域のチームに所属しています。素人の教員(ほぼ無償)が指導する部活なんていります? 熱い思い出だけじゃ、世界と肩を並べる力になりませんよ。この作品に出てくるコーチは精神的な暑苦しさがなくて冷静でまさにプロです。揺れ動く子どもたちに余計な口出しもあまりしません。青少年育成のために運動をさせるなどという名目もありますが、世界を見据えるなら早急に考え直していただきたいです。部活動というものにメスを入れるために、学校関係者はぜひ『スクラッチ』とあわせて読んでほしいと思いました。とは言ったものの、小学生なのに古典的な恋愛模様を繰り広げていて、さすが韓ドラの国だと笑ってしまいました。挿絵はかわいらしいのに、トレンディドラマのようなシーンの数々に少々居心地が悪くなります。水着事件の際、一生を棒に振る覚悟で大騒ぎするような年齢相応の子どもなのに、色恋沙汰はレベルが高く、韓国は本当にいろいろ進んでいるなと思いました。

アカシア:こう来たか、と、私はまず本づくりに感動しました。新しい風が吹いてきた感じがします。絵やレイアウトもすばらしいです。韓国は、児童書に対しての国のバックアップがすごいんですよ。それで、こんなに勢いがあるんでしょうか。文章にはそんなにひっかかりませんでしたね。小学校6年生らしい子どもたちが登場して、その心理がとてもうまく書かれています。おとなは、出来心で盗ってしまったなら謝って早く返せばいいじゃないって思うけど、この年齢の子どもだから悩むんですね。恋愛も初々しい感じだし。p111に「だったらお姉ちゃんもいかせない、とアタシが水着をかくしたりしたから」は、みごとな伏線になっていますね。

サークルK:みなさんおっしゃっているように、たくさんの挿絵がとても素敵でページをめくるのが楽しかったです。全部カラーなんて贅沢ですよね。表紙をめくった見返しのところが水玉で(裏の見返しは緑色の水玉に変えてあって、おしゃれすぎます!)さわやかなソーダ水のようです。放課後の水泳部は決して甘いものではありませんが、友達との関係やほのかな恋心などが、重たくなりすぎず展開していくことを示してくれているみたいでした。私が特に気に入っているのは、ナルの姉ボドゥルです。水泳から飛び込みに競技変更した姉に対しナルは納得がいかず、ひどい言葉で姉をなじりますがそんな妹に対して素敵な言葉で今の自分の気持ちを語ります。「競技をやめたって世界は終わらない」(p192)、「あたしはやれることを全部やったから、もう心残りがないの……」(p193)、「水に落ちてるわけじゃないの。……自分で飛んでるの」(p194)、「自分の力で進んだなら、思ったのとちがって下に下に向かってしまったとしても、それは落ちてる事じゃなくて、飛んでることになるわけだから」(同)、これらの言葉はこの作品にとどまらず、手帳に書き留めておきたいくらいの珠玉の言葉と言えるでしょう。「飛び込み」は競技のひとつではありますが、いわゆる「飛び込み」は「死」を連想させる言葉にもなりえます。この本を手に取る子どもたちが、ボドゥルの前向きな「落ちてるんじゃなくて飛んでるんだ」という言葉に救われると良いなあとも思います。また、ナルの友だちテヤンが書く手紙(p 210)にある「僕はいつもナルの味方だよ。ナルが自分の味方になれないときでもね。わかった?」という言葉もこれ以上の励ましはないほどの温かい心のこもったもので(ラブレターと言ってしまっては陳腐な表現になってしまうので、あえてそうは言いたくないのですが)、落ち込んでいる人にはこんな言葉をかけてあげられる人になりたいものだ、と思いました。最後に、この本の中で扱われているテーマの一つに「成長期の子どもがはまり込むスポーツの弊害」もあるような気がします。最近読んだ平尾剛氏のコラムを思い起こしましたので以下をご参照ください。「勝つたびに『俺は特別だ』と思い込む…巨人・坂本勇人選手のような『非常識なスポーツバカ』が絶えないワケ」(PRESIDENT Online https://president.jp/articles/-/63326?page=1 2022年11月14日15:00)

アンヌ:まず挿絵が素晴らしいなと思いましたが、人物については線が柔らかすぎて、体形がスポーツマンというより、ふんにゃりして幼い気がしました。実は私は水泳部に少しだけいたことがあるので、主人公からプールのにおいがしたり、コーチが、p124で「一番遠くにある水を引っ張ってくると考えて」というところなど聞き覚えがある気がして、懐かしい気持ちがしました。p70のお姉さんがサイダーで飛び込みをたとえるところなど、想像できて美しいです。韓国と日本との部活の意味の違いとかに興味を持って読み進んでいたのですが、ナルが自分と勝ち負けだけにこだわっている子なので、だんだん飽きてきてしまいました。それでも、周囲の人々はみんな優しく、彼女を見守っていてくれるおかげで物語は進んでいきますが、もう一つ釈然としないまま、スポーツマンとして成長していこうというナルの意思が語られて終わったなあという感じでした。

ネズミ:私は最初からナルのキャラクターにひきつけられて読みました。水泳のことばかり考えていたナルが、テヤンが現れたことや、姉の変化などを通して少しずつ変わっていく微妙な心理が描かれていてとてもよかったです。はしばしの描き方もよかったです。p104の三日月を見るシーンで、「ああ、でも……月に行っても泳げる?」とナルが言い、テヤンが宇宙の知識を出してくるところ、それぞれの性格が会話の中にそれとなくにじみでています。p133の1行目「いいよ、いいね、どうしよう。このうちどれが、いまの気持ちにぴったりなのかがわからない」と思って、結局スタンプを送るなど、心の動きがうまく表現されているなと。

エーデルワイス:表紙、挿絵が水色と黄緑色を基調とした綺麗な本です。読む前にページをめくって楽しみました。以前リモートの「オランダを楽しむ会」に参加してオランダと日本の小学校教育の違いを丁寧に説明していただいて、どちらが良いとか悪いとかではない、というお話が心に残っていましたので、『5番レーン』を読んで、韓国と日本の教育や部活の違いを考えてしまいました。小学生のまだ体ができていないときに、過酷なトレーニングはどうなのだろうか? 英才教育も大事だけれども、仲間と共に楽しむ部活もいいのではないか? 全国のそんな部活の中から才能のある子たちが出てくるのでは? 世界的バレエコンクールで日本のバレリーナが毎年のように上位に入賞するのは、日本国内に大小たくさんのバレエ教室があるためと聞いたことがあります。子どもたちは楽しんでバレエレッスンしてその中から才能ある子が伸びてくるのだそうです。ナルたちがスマホでやりとりしていますが、日本の小学生はまだスマホは持てないと思うので(それともキッズ携帯?)、どうしても中学生のような設定の物語に思えます。11月15日付日経新聞に「お隣の韓国で、初の絵本が出版されたのは1980年代末。ソウル五輪のころ経済成長をとげ、言論や出版の自由が広がったのが背景だという。日韓の絵本を紹介する、千葉市美術館で開催中の展覧会で知った。大正期から100年超の日本とくらべ歴史の短さに驚く。」(春秋 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO65984750V11C22A1MM8000/ 日本経済新聞 2022年11月15日2:00 ※会員限定記事)という記事がありました。韓国での児童書に対する手厚い保護については聞いたことがありますが、なるほどと思いました。

さららん:思うようなタイムを出せず、今までの地位から落ちたカン・ナルは、自分で自分を受け入れられない葛藤を抱えています。そんな閉塞感とは対照的な、透明感のある広々とした空間のある絵が、物語の風穴になっているのかもしれないと思いました。そして幼馴染で水泳部部長のスンナム、親友サラン、転校生で水泳部に入ってくるテヤンをはじめ、群像がよく描けています。焦っているカン・ナルと反対に、テヤンは前向きでマイペース。ナルの姉ボドゥルも、葛藤を経てきたはずなのに、とにかく明るい。ナルの母親も、自己実現のために子どもに何かをさせている親ではありません。そんな周囲の人々が重いテーマの救いになっています。p224で、ナルは苦しい秘密をチームメートに告白しますが、みんなが「とにかくごはんを食べよう」と誘ってくれるところなど典型的です。またテヤンが科学者になりたいと思っていたり、ナルとスンナムとテヤンが公園に1か月通って、月の観察をしたりする章があることで、水泳がテーマの物語に思いがけない奥行が出ています。泳ぐことと空中遊泳の類似など、宇宙への広がりを覚え、気持ちのよい部分だなあと思いました。気になったのは、視点のギアチェンジが時々ぎくしゃくするところです。テヤンと交互に話が進むのかと思いきや、主人公はやはりカン・ナル。ほぼカン・ナルの気持ちに寄り添って読めるのですが、ただその視点が大きく揺れることがあるのです。例えばずっとナルの心理に寄り添った描写だったのに、急に突き放すような「八年の友情に危機がおとずれた」(p45)」という客観描写があって……「八年の友情もこれで終わるのだろうか」と書いてあれば、ついていけたのですが。

ニャニャンガ:ご近所なのに、あまり知らない韓国の学校事情がわかり興味深く読みました。水泳部の女子エース、小6のカン・ナルの目を通して、本気で水泳をすることの厳しさが伝わってきます。ライバルの水着を盗んでしまう場面にはドキドキしましたが、きちんと始末をつけていさぎよかったです。挿絵が豊富にあるおかげで読み進められる読者もいるのではと思いました。

まめじか:物語全体をとおして、ナルは水の中でもがきながら、前へ前へと進もうとします。競泳から飛込に転向した姉が、「自分の力で進んだなら、思ったのとちがって下に下に向かってしまったとしても、それは落ちてることじゃなくて飛んでることになる」(p194)とナルに語るのが、心に響きました。ボーイフレンドのテヤンやチームメイトとの関わりもよく描かれていますし、あたたかみのある絵がいいですねえ。最後の行にある「見てろ」は、日本語で読むと少し強いというか、闘争心をストレートに感じました。

ハル:私は、何人かの方がおっしゃっていたような、大人っぽさは感じませんでした。恋愛も、初恋の初々しい範囲かなと思います。それに、大人の私でも、もし自分がライバルの水着をとってきちゃったとしたらと考えると、それをいろいろ言いつくろって自然に返せる自信はないなぁ。シューズとかラケットとかだったらまだ「間違えちゃった」でごまかせるかもしれないけれど。なので、ナルが「もう水泳もできないかもしれない」というくらいに追い詰められたのも理解できます。全体的にはいいお話だったけれど、デビュー作だからなのか、皆さんがおっしゃるように、読みにくいところはあって、もう少しブラッシュアップできそうだなと思いました。そもそも、4番レーンと5番レーンの説明ってありましたっけ? 予選でいちばん速い子が4番レーンを泳げるんですよね? たぶん。その説明は、必要だったと思います。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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スクラッチ

『スクラッチ』表紙
『スクラッチ』
歌代朔/作
あかね書房
2022.06

まめじか:不要不急という言葉が押しつける我慢、大人が求めがちなものわかりのよさに、中学生が全力で抗う様子が頼もしく、気持ちよく読みました。災害やコロナなど、人生にはいろんなことがありますよね。思いがけないところから墨が降ってきて絵を汚されちゃったりもするし。でも、なんど闇が訪れても、光さす暁の瞬間は必ずあって、それはこの手でつくっていける、浮かびあがらせていけるというのに、ぐっときました。主人公たちが、ぜんぶ人になんとかしてもらおうとか、だれかのせいにするとかじゃないから、応援したくなるんですね。鈴音はディズニーランドに行こうとしている友人を非難したことで、それは帰省した姉を避ける近所の人と同じだと諭されて反省していましたが、そうやって自分のことを省みたり、千暁(かずあき)が絵を通して自分と向きあったりする様が、すがすがしかった。鈴音がすぐに泣いたり怒ったりして、生の感情をストレートに表せるのに対し、千暁はいつも冷静で、人との距離をはかりかねているようです。感情をむきだしにした鈴音の絵と、千暁が洪水のあと避難所で暗い感情を押し殺し、鮮やかなクレヨンで描いたタンポポの絵の対比が、見事だなあと。若干気になったのは、登場人物がみんないい人というのと、手の皮がむけるような過酷なトレーニングは、今の中学では行き過ぎた部活指導にあたり、指導として認められないのではないかということです。

シア:そういう指導の仕方は今の時代アウトですね。でも、残念なことにこういう学校がないとは言い切れないので、今後の部活動の在り方が問われますね。

まめじか:p. 3の「肌色」という言葉は、使わないほうがいいのでは……。「そんなキャラやったっけみのり?」(p 73)、「なんだそれふつうにひどい男じゃないかって思ったけれど」(p104)、「千暁みたいに頭よくないよどうせ」(p277)などは、読点がないのが少し気になりましたが、このほうが一気に読めて勢いが出るのかな。p191の千暁の章で「二宮(みのり)さん」とあるのは、千暁の心の声として「みのり」を括弧書きにしてるのか、それとも二宮さんがみのりのことだと、読者にわかるようにしているのか?

ハル:私はこの「(みのり)さん」の感じ、わかるなぁ。こういう子、いませんか? 親しみは感じているけれど、名前呼びするのは気後れするから、わざわざ括弧をつけて呼ぶ。ちょっと二次元的な表現なのかな。

ニャニャンガ:千暁にとって、この時点でまだ下の名前で呼ぶほどには打ち解けていない相手なので、括弧付けで名前を入れたのだと思いました。

まめじか:「べたべたとネットをくぐって」(p53)、「きゅっと僕を見た」(p104)、「きゅっと姿勢を正して」(p266)、「ペンギンのようにでべでべとかけて」(p149)、「雲が空をごんごん流れてきて」(p331)など、表現が独特ですね。「片手でわしっとつかんで」(p105)、「目元をにこにこさせて」(p109)などは日本語として正しいのかわかりませんが、そういうことを気にしすぎると、表現として窮屈になるのでしょうね。

アマリリス:一人称で書かれているので、この登場人物自身のボキャブラリーなのだと認識していました。だから、違和感なく読めましたよ。

ハル:久しぶりに、っていうと語弊があるかもしれませんが、久しぶりにいいYAを読んだなぁという読後感に浸りました。中学3年生の内面が、実際にそうなのか、本当のところはわからないけれど、表現されているこの子たちの心情や行動が、すべて真に迫っている、圧倒的なリアリティを感じました。体感をともなって想像したり、共感を覚えたりしながら読むことができました。もしかしたら、主人公たちと同世代の読者には、ちょっと長かったかなぁというのは少し気になりましたが、ぜひ、中学生、高校生に読んでもらいたい本です。

ニャニャンガ:とてもおもしろく、ほぼ一気読みでした。スカッと気持ちのいい青春物語という印象です。題名の「スクラッチ」の意味がわかってからは、さらに物語に入り込みました。じつは表紙の絵があまり好みでなかったために読んでいなかったので、今回みんなで読む本になってよかったです。翻訳作品にはない日本語の自由さを感じたので、翻訳者としてうらやましく思いました。p237「によによ笑う」、p247「す、っと、はっかのような空気が僕の肺に流れこむ」などの表現がとくに印象に残りました。またp255の絵を描くシーンにはドキドキしました。千暁が転校してきた理由や、その後、人と深くかかわりをもってこなかった理由などがわかり、鈴音と文菜、健斗との交流を経て少しずつ心がほぐれていくようすがよかったです。千暁の読み方がなかなか覚えられなかったけれど、千の暁という名前が物語とつながり、ぞくぞくしました。最後は、浸水被害の被災を乗りこえる家族の姿に感動しました。

エーデルワイス:とてもよかったです。今どきの中学生が、ため口で本音を語り、清々しい。コロナ禍になって3年ですが、子どもたちにとって1か月でも1日でもかけがえのない日々です。制限や我慢の連続の影響が今後どのようにでるのだろうかと心配です。主人公の鈴音、千暁たち中学生のいらだち、希望がストレートに伝わりました。印象的な場面はたくさんありますが、鈴音の中学生活での最後のバレーボールの試合終了後の場面は青春! でした。千暁が両親と美術館へ行った帰り、カップラーメンを食べたいと提案すると、いつも完璧に美味しい食事をつくる母が賛成して震災直後よく食べていた銘柄を言うところは、震災を体験して心に傷を負いながらそれを言葉にしてこなかった家族がようやく復活した素敵な場面だと思いました。

ネズミ:コロナ時代の中学生活を描いていて、もやもやのたまった感じがよく出ていると思いました。中学生同士のやりとりは、中学生は「あるある」という感じで読むのかもしれませんが、この会話がリアルなのか、戯画化や誇張があるのか、私には判断がつかず、ちょっとやかましく感じられて、途中はとばして読んだところも。あと、途中で説明的と感じられるところもありました。千暁は賢くて、自分で説明をつけていくだけかもしれませんが、p160の4行目で「この病気は仮病だと疑われて理解されにくいこともある、みたいなこともレポートされていたっけ、と思い出す」、p161の6行目「僕自身も親が、特にお母さんが小さい子どもに注意するようにいまだに口うるさいことにうんざりすることもあったけれど……」とか、この子の説明ではなく、物語でわからせてくれたらいいのになと。

アンヌ:よくこのコロナ下の現状と被災者の気持ちというのを描いてくれたなと思いました。きれいな絵を描くことで、母親の期待に添い、過去から目を背け自分を押し殺していた千暁が自分自身を取り戻し、真の創作衝動を取り戻す。それに対して、並行した主人公であるはずの鈴音は魅力的な個性なのに、狂言回し的役割なのが残念です。ただ、千暁の冷静さが、おもしろさを阻んでいる気がしました。あまりに自分や家族を冷静に分析しすぎで、中学生というより作者が顔を出して語っているのをずっと聞いているような気がしました。恋愛的要素を実に繊細に排除しているのも少し不思議でした。

アカシア:私はアンヌさんと違う風にとっていました。千暁はコミュニケーション障害を持っていることを自覚していて、一つ一つをピンダウンしていかないと次に進めないんだと思うんです。それで、友だちもできにくいので、親もそれを心配しているわけですよね。だから、必ずしも理想的な家族じゃないと思うんです。それと、最初ざっと読んだときは、美術の先生が男性だと思ってたんですが、もう一度ちゃんと読んだら、女性だったのにびっくり。全体に、生きのいい日本語ですよね。翻訳ではなかなかこういうわけにはいきませんね。このくらい自由な日本語で翻訳もできるといいんですけど。リアルにコミュニケーションを取った時、人は他者の立っているところに気づき、その人ならではの困難に気づき、自分をより客観的に見ることができるようになっていくんですね。最後の部分ですが、はじめは「私は行くんだ」ですが、次は「私たちは、行くんだ」になっているのが、象徴的ですね。好感をもって、おもしろく読みました。

シア:気になっていた本だったので今回読めてよかったです。スクラッチ技法も好きなので楽しく読めました。流行りの言葉遣いや物、時代を反映したフランクな一人称ものってすぐに古くなるので苦手で、最初は抵抗があったんですがリズムのよい文章でテンポよく読めました。ラストに天気が自分の気持ちに寄り添わないというのもよかったです。虹がかかるとか、心地よい風とか締めの定型みたいなものを壊してもらえてすっきりしました。そして田舎の広さに憧れました。お庭でバーベキューができるとか、家庭菜園というレベルではないものを毎日食べられるなんて羨ましい限りです。この作品では羽化に例えていましたが、中学生くらいは体も心もさまざまな変化が訪れる年齢ですよね。それを汲み取ったよい成長ストーリーになっていると思いました。今の学校生活や学生に求められるものというのは、理不尽ですが明確な正解があって、それをなぞっていけばなかなかよい生活が送れてしまえるんですよね。そういうことをわかっている子は優等生として優遇され、そのレールに乗れば社会でも無難に過ごせます。でもそのせいで、早くから一芸に秀でるということができません。それが今の日本が世界から一歩、もしくは何歩も遅れ気味になっている原因の一つかもしれないですよね……。という風に、子どもたちの成長の話に関してはとても興味深く読めましたが、教員に関しては世間一般ではまだまだアップデートがされていないと感じました。読んでいてもかなり負担が大きくて、千暁のお母さんが言っていたような「呪いをかけ」られている感じです。教員のプライベートを度外視した、“生徒に寄り添うよい先生”が全体を通して描かれているんです。生徒や保護者にとってはよいことだし、今の世間的にも受け入れられていることなんですが、そういうひとつひとつが現在の教員を追い詰めていると感じます。粉骨砕身、滅私奉公、一人の人間としてではなく“生徒優先の正しい教員として過ごすべき”と価値観を押し付けてきた結果が、今日の教員不足に繋がっていると痛感します。聖職と考えて個人的に行う分にはいいと思います。これもフィクションだし、いいと思います。けれどこれを教員の「正解」として求められてしまうのはかなり苦しいと感じました。

アマリリス:今回、自分のなかでは、まったくノーマークだった2作を読む機会をいただけてよかったです。『スクラッチ』は、非常におもしろいと思いました。最初は、ネット用語的なものを盛り込みすぎて、読みづらく感じたのですが、慣れてくると違和感なく、むしろ心地よく読めました。何年か後に古びてしまうことを恐れないで“今”を切り取っているところに覚悟を感じます。美術やバレーに携わる人の成長を描く青春小説としては、そんなに大きく新しい要素はないと思いますが、コロナ禍の閉塞感が再現されていて、今の子どもたちが親近感を持って読めるお話だなと思いました。表紙が、ぱっと見ただけで岡野賢介さんのイラストだとわかりますね。インパクトがすごい。ただ、読み終わってみると、千暁の絵のイメージと、表紙の絵があまりにも違うので、千暁の絵のタッチに近いものを見てみたかったな、という気もしました。あと、文章の細かい表現がいろいろよかったです。たとえばp195「ふつふつとした炭酸のような笑いが、あとからあとから、体の内側に湧き上がってくる」、p314「俺らが全部やったんスよ。仙ちゃんは漂ってただけ」などがユニークだと思いました。

西山:すっごくおもしろかったです。教員像、仙先生が女性なのがおもしろいと思っていた程度で、出てくる教師たちの働き方は気にせず読んでいましたが、確かにアップデートは大事ですね。抑え込まれた痛みを、痛みとして受け止めることの大切さが書かれていて、『フラダン』(古内一絵/作 小峰書店)を思い出しながら読みました。人物やエピソードがばらけずにきちんとつながっていて、読み終えるのを惜しいと思うほど楽しみました。出だしは、少々エキセントリックな感じが鼻についたのですが、p17の5行目で「マシだマシだと思いながらやり過ごすことは、何の意味があるんだろうな」と出てきたとき、一気にこの作品は信用できるというモードに入りました。「被災っていうのは、ずっと続いていくんだな」(p284、6行目)とか、共感できる価値観や感覚が随所に出てくるだけでなく、p305で鈴音の渾身の一撃が決まって勝つわけですけれど、ページをめくると「でも。これが勝負か? これで勝負決まったって言えるのか?」と続いていて、いろいろ制約はあったけど、やれることはやったよね、めでたしめでたしとまとめなかったところ、中学生たちの悔しさに徹頭徹尾寄り添っていて、本当によかったです。千暁と鈴音、仙先生と高瀬先生のことも恋バナにおとしこまないところもよかったです。読めてよかったです。

コアラ:おもしろく読みました。まず文体がいいと思いました。内容に合っています。内容が本当によくて、p267の最終行に、千暁が描いた絵のことを「2020年の、僕たちの姿だ」とありますが、この作品そのものが、2020年夏の中学生を、コロナ禍の暗闇から削り出すように描いています。最近毎年のように起こっている災害についても描かれていて、2020年という年の姿を作品として残してくれて、作者に「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。ひとつ気になったのが、浴衣姿の鈴音が下駄を履いているところですが、最近は草履でなく下駄を履くんですね。

一同:浴衣は下駄ですかねえ。

シア:草履は履かないですね。足が痛いので下駄風サンダルなどで済ませることも多いです。

アカシア:この本、カバーをとると、表紙の絵はマスクをしてるんですよ。

シア:凝っていていいですね! 図書館の本なのでわからなかったです。カバーをとったらマスクもとれた、の方が仕掛けとしてはおもしろそうですが。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年10月 テーマ:「記憶」を未来に伝えていくということ

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『2022年10月 テーマ:「記憶」を未来に伝えていくということ』
日付 2022年10月20日
参加者 ハル、イヌタデ、花散里、すあま、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、オカピ、西山、ニャニャンガ、雪割草
テーマ 「記憶」を未来に伝えていくということ

読んだ本:

『パンに書かれた言葉』表紙
『パンに書かれた言葉』
朽木祥/著
小学館
2022.06

〈版元語録〉2011年震災後、少女エリーは親戚のいるイタリアに少しの間避難する。おいしいものと温かい人たちに迎えられ人心地つくが、思いもよらない歴史に触れ、エリーの名前のSに込められた本当の意味を知ることになる。戦争を乗り越えて生きてきた人々の“希望”を描く、ヒロシマとイタリアをつなぐ物語。
『シリアからきたバレリーナ』表紙
『シリアからきたバレリーナ』
原題:NO BALLET SHOES IN SYRIA Catherine Bruton, 2019
キャサリン・ブルートン/著 尾崎愛子/訳 平澤朋子/絵
偕成社
2022.02

版元語録:シリア人の少女アーヤは、イギリスで難民認定を待っているところだ。内戦で住めなくなったシリアを脱出し、ようやくマンチェスターに辿り着いた。途中、小さなボートで海を渡る際に父と離れ離れになり、気力を失った母を支えながら赤ちゃんの弟をつれて、毎日、難民支援センターに通っている。ある日、同じ建物にバレエ教室があることに気づく。シリアでバレエを習っていたアーヤは、そこで明るい少女ドッティや先生ミス・ヘレナに出会い、踊ることで息を吹き返していく。希望とあたたかさと人間性に満ちた、2020年〈カーネギー賞〉ノミネート作品。

(さらに…)

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シリアからきたバレリーナ

『シリアからきたバレリーナ』表紙
『シリアからきたバレリーナ』
キャサリン・ブルートン/著 尾崎愛子/訳 平澤朋子/絵
偕成社
2022.02

コアラ:難民の少女が主人公ですが、明るさと美しさのある物語という印象でした。美しさがあるのは、やっぱりバレエを扱っているからだと思います。カバーのイラストがアラベスクのポーズだと思いますが、物語に出てくるバレエのポーズや踊りを想像しながら読みました。バレエのポーズなどの専門用語の注が、そのページか見開きの最後に書かれてあって、読みやすかったし、言葉で説明するのが難しい用語であっても簡潔に説明されていて、うまいなと思いました。明るさについては、特に後半から、住むところが提供されたり、オーディションにみんな受かったり、いじわるなキアラと最後に友達になれたり、家族でイギリスに住み続けられるようになったりと、何もかもうまくいくようになっていて、ありえない、という感じでしたが、私はこういう物語もあっていいと思いました。というのも、p 272の6行目にあるように、親切や寛大さというのがこの物語のテーマになっています。シリアの内戦や難民についてのひどい状況をそのまま伝えるノンフィクションも必要だけれど、一方で、親切が繰り返されることによって、世界がよりよくなっていく、希望のある未来につながっていく、というような本があってもいいと思いました。フィクションだからこそ、希望のある読書体験ができると思いました。あとがきやキーワードが最後に付いているのも、背景について理解を深められるようになっていていいと思います。あと、途中に挟まっている、ゴシック体の回想部分について。なんだか胸騒ぎのするような怖さがあって、内容的に、この後恐ろしい未来が待っているのが分かっているからかなと思いながら読んでいましたが、実はページの上に、グレーのグラデーションが入っています。それが胸騒ぎのする怖さを醸し出していたと気がつきました。

すあま:読んでよかったと思いました。現代の戦争と過去の戦争が入れ子のように語られるところが、『パンに書かれた言葉』(朽木祥著 小学館)と共通していました。厳しい状況の中で、子どもだけががんばるのではなく、大人たちが助け合っていくところがよかったです。アーヤと友達になるドッティが魅力的。恵まれた家庭環境でアーヤとは対照的だけど、彼女は彼女なりに悩んでいることがわかってくる。また、アーヤがイギリスにたどり着くまでに何があったのか、読み進むうちに徐々に明らかになってくるのも、謎が解けていくようで読むのがやめられなくなりました。大変なことがたくさん起こってハッピーエンドとなりますが、子どもの本なので読後感がいいのは大事だと思います。ウクライナの問題が起きている今、子どもたちがシリアで起きていること、過去に世界で起きたことに関心をもってくれるといいと思います。本を読みながら、登場人物と一緒に体験をして、いろんな知識が得られたり、興味が深まったりするような本が好きです。

雪割草:とてもいい作品でした。フィクションこそ、現実を伝える力があることをあらわしていると思います。エディンバラに留学していたときに、シリアから避難してきた難民の家族にインタビューして、証言の翻訳について研究していたことがあったので、シリア難民のことを伝える作品を紹介したいと探していましたが、なかなかいい作品が見つからないままでした。この作品は、難民になるというのはどういうことなのか、戦争の体験やその影響による心の傷など、それぞれがよく描かれています。そして、主人公がミス・ヘレナと出会い、前に進んでいくことができるように、人との出会いが大きいことも伝わってきました。p. 261にもあるように、心の痛みをダンスで表現することを通し、「心の痛みに価値をあたえる」、その過程が美しく、リアルに、等身大で描かれていると思いました。

西山:『明日をさがす旅』(アラン・グラッツ作 さくまゆみこ訳 福音館書店)を思い出しながら読みました。ミス・ヘレナと主人公の背景も、『明日をさがす旅』と重なっているということは、多くのシリア難民に共通する体験なのだろうと思います。以前、シリアの難民支援をしている方が、内戦がはじまる前のアレッポの写真を見せて下さったのを思い出しました。都内の通りかと思うような町並みなんですよね。そういう近代的な町が破壊される。最初からがれきの街なのではないということはとても大事な認識だと思います。p.69に「あたしは難民として生まれたわけじゃない」という言葉もあるように、この作品は、内戦の前の日常も回想されて、最初から戦場や難民が存在するわけではないというあたりまえの基本をきちんと腑に落としてくれる。それに、クラシックバレエという切り口も、「難民」を貧しくて、文化的に劣っているイメージで捉える偏見を砕くのにとても効果的だったと思います。そして何と言ってもドッティがいい! おしゃべりで、よく失敗すると自覚しながら、アーヤに対してはらはらするほど率直に話しかけていく。例えば、p.195でドッティの豪邸に招いたとき「アーヤの家って、どんなだった?」なんて聞いてしまうのは、「ここでそれ聞く? 難民の子に?」と思ってしまいますが、ドッティのこの率直さがアーヤと対等な関係を拓いています。これは、日本のティーンエイジャーにとって、とても素敵なお手本になると思います。出会えてよかったです!

ニャニャンガ:イギリスに来てからの話と、シリアから逃れてきたときの話が交互に書かれているので、読者をひきつけるいい形式だと思いました。また、シリアからイギリスにたどりつくまでのページでは上部が黒くなっているのは象徴的に感じました。難民申請についての説明がていねいで勉強になりました。読んでいるうちに、アーヤを応援する気持ちになりましたし、読後感がとてもよかったです。バレエ教室の先生のミス・ヘレナ自身が経験して受けた苦悩が、アーヤのものと重なり、力になったことで前に進むきっかけとなり、安心しました。ただ、表紙がかわいらしくて内容とかみあわず読者を逃している気がします。また、一文に読点が多すぎる箇所があり読みにくさを感じました。

オカピ:とても好きな作品でした。英語圏でも難民をテーマにした本はたくさん出ていますが、読んでいてつらくなるような本も多いです。でも、この本が現実の厳しさを描きつつも、暗くなりすぎないのは、アーヤにはバレエという、すごく好きなものがあって、それに救われているからだと思うし、またドッティや年少クラスのちびっこの描写など、ところどころにユーモアがあるからでは。あと、「わたしたちは、誇りをもって傷をまとう」(p. 87)というミス・ヘレナのせりふもありましたが、難民をけして、一方的に助けられるだけのかわいそうな人たちというふうに描いてないのがよかった。バレエで自分の物語を語るというのが、ストーリーの中ですごく効果的に使われていますね。アーヤはたくさんの喪失を越えて、悲しみや痛みを力に変えます。そして新たな出会いの中で、自分の居場所を見つけていきます。ミス・ヘレナが「この世を去った人たちや、いまだに苦しみつづけている人たちとの約束をやぶることなく、生きていく方法はある」「約束を守る方法は、最初に思ったよりもたくさんある」(p. 262)と語るところなど、読んでいて胸がつまるような場面がいくつもありました。

ハリネズミ:とてもおもしろかったし、難民のことを身近に感じられるいい本だと思います。回想部分と、現在の部分でページの作り方を変えてありますね。回想部分では、アレッポでの中流階級の楽しい暮らしとそれが変わってしまった困難な状況が描かれ、現在進行中の部分では、ボランティアに頼っての英国の難民対応の問題や、バレエに心を向けることによって困難を乗り越えようとするアーヤの心情が描かれています。その2つが交互に出て来ることによって、物語が立体的に感じられます。でも、ごちゃごちゃにならないように工夫してあるんですね。それと、かわいそうにという同情や憐れみが、どんなに人を傷つけるかも書かれているのもリアルで、この作品の骨格がしっかりしていることを物語っています。ほかに日本とは違うなあと思ったのは、有名なバレエスクールのオーディションを控えた子どもたちが結構くつろいでいたり、ほかの企画を立てたりしているところ。ちょっと惜しいと思ったのは、最後がうまくおさまりすぎだと思えた点です。いじめていたキアラと和解し、三人とも入学が許可され、しかもドッティは新設のミュージカルコースに行けることになった(コース設置が決まっているのに知らなかったなんてあり得る?)うえに、パパまで現れる(これは空想かもしれないのですが)? もう一つ、ジェンダー的にちょっとひっかかったのは、p.91の「やっぱり女の子たちの得意技は、ペナルティーキックではなくビルエットだった」という箇所で、「女の子たち」一般ではなく「この女の子たち」だったらよかったのに、と思いました。訳の問題かもしれませんが。

アンヌ:最初は読むのがつらく何度も本を置きました。果てしなく待たされる難民支援センターで、主人公の少女に課せられた弟の面倒や母の通訳と看病等々を見て行くのは、つらくて。けれども、バレエ教室にふと足を踏み入れ、ドッティという友人もできるあたりから、ルーマ・ゴッテンの『バレエダンサー』(渡辺南都子訳 偕成社)や『トウシューズ』(渡辺南都子訳、偕成社)を読んできた身としては、どんなことがあろうともこの子は踊り続けるだろうと思えて読んでいけました。園内にシカのいるバレエ学校ってところは、絶対、ルーマ・ゴッテンへのオマージュですよね? それにしても主人公のたどってきた過酷な道程の記憶が、バレエの道が切り開かれていくにつれ、よみがえって来るというこの物語の仕組みは見事ですが、きつい。読みながら、今、難民として日本に辿り着いた人々も様々な道程を経てきているということを肝に命じておかなくてはならないなと思いました。最後にあっさりパパに会えたとしなかった作者の思いを、読者はあれこれ考えていく終わり方で、それも心に残って忘れさせない仕組みだなと思いました。

ハル:特にラストで胸を打たれて、この本に出合えてよかったなぁと思いますが、この本を子どもたちがラストまで読むには、これだけいろいろ工夫がされていてもなお、ハードルが高いかもしれないなぁと思いました。物語としては、ずっと意地悪だったキアラの心を「不安だったんだ」と気づかせてくれたところもとても良かったです。やはり、文化の違うところから来た人たちとか、難民への偏見をなくすには、まずは知ること、知ろうとすることが大事だったんだと気づかせてくれます。ふと、もしもアーヤが、真剣は真剣でもバレエの才能はまったくなかったら、ここまで道は開かれなかったのだろうかとか、ブロンテ・ブキャナンもアーヤが娘と一緒にレッスンを受けることを認めただろうかと思ってしまいました。その場合は、芸術の道は同情では開けないというお話になったのかな……それは、それで、別のテーマになるか。

エーデルワイス:総合芸術と言われるバレエをテーマにしたのは、世界中の人が同時に共感感動できるからなのですね。作者自身バレエが好きでバレエを習ったことがあるので、バレエレッスンなどの描写がよく伝わってきました。表紙、イラストには好みがあると思いますが、この表紙に惹きつけられて手に取った子どもたちが最後まで読み進めてほしいと願います。シリアのアレッポからコンテナ列車、トルコのイズミル、地中海を渡りキオス島、難民キャンプ・・・ロンドンに辿り着くまでの気の遠くなる程の長い道のり。その間主人公のアーヤはバレエのレッスンをしていなかったのにも拘らずバレエの才能を発揮するのですね。
昨年東京はじめ日本各地でウクライナのキエフ(キーウ)バレエ団のガラコンサートが開催されました。私は盛岡で観劇しました。前の列にはウクライナ人と思われる若い女性が数人ウクライナの国旗を掲げて応援していました。このガラコンサートはリハーサルをバレエ教室に所属している子どもたちに無料で招待して交流を図っていました。最近のニュースで知りましたが、コロナ禍で3年ほど延期されていたロシアバレエ団の東京公演開催には賛否両論があったそうです。芸術には罪はありませんが、ウクライナに侵攻攻撃しているロシアに対してはバレエ公演でも複雑な気持ちになります。

花散里:ドイツ、キューバ、シリアの難民の子どもたちが、それぞれの故郷を追われ、旅立った姿を描いた『明日をさがす旅』でも、日本の子どもたちに読み易いように工夫され編集されたことをお聞きしましたが、本書も〈注〉の付け方や回想の部分のページを工夫しているので小学校高学年の子どもが読むときに読みやすいのではと感じました。挿絵が助けになるのではないかとも思います。表紙裏の地図も難民として主人公が辿った道のりが伝わってきて、とても良いと感じました。
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが8月20日の朝日新聞・読書欄の「ひもとく」、「戦争と平和3」に『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 三浦 みどり訳 岩波現代文庫)などとともに本書を取り上げていて、一般書を読む人たちにも知ってもらえたのが良いと思いました。病弱な母親や小さな弟の面倒を見るヤングケアラーのようなアーヤが、バレエをするときに弟を預かってもらって、ほっとする場面など、心の機微が伝わってくるところも心に残りました。

エーデルワイス:作中に出てくるシリア出身のバレエダンサー『アハマド・ジュデ』の動画を観たんですけど、瓦礫の中で踊ってました。彼は、お母さんがシリア人で、お父さんがパレスチナ人なんですね。お父さんにバレエを反対されながらも意思を貫いて踊り続け、現在はオランダ国籍を取得しているそうです。

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しじみ71個分(メール参加):とても胸を打つ物語でした。どうしても「難民」という言葉で、戦争などでひどい目にあって、故郷を追われた「かわいそうな」人々というイメージを想起してしまいがちですが、この物語を読んで、「難民」という一つの言葉で人々をくくってしまうことがいかに乱暴なことなのかに気付かされました。「難民」という言葉は、ただ置かれた環境を指すだけなんだなぁと。母国からの過酷な逃避行の前には、温かな家庭や友だちとの楽しい時間、充実した学校や職業生活などが普通の人生があったんだ、という当たり前で、とても大事なことを思い出させてくれましたし、穏やかな日常や生命を暴力で奪い去る戦争がどれほど非人道的なものなのかを改めて実感しました。バレエを愛するアーヤがイギリスでバレエと再び出会い、第二次世界大戦でナチスの迫害を逃れてプラハからイギリスにやってきたバレエの先生、ミス・ヘレナと出会ったことにより、住む家を得て、難民申請もかない、バレエ学校にも入学でき、そしてパパを失った悲しみとも向き合いながら、生きる希望を見つけていくという物語展開に、読む人も希望を感じられます。アーヤと友だちになるドッティの存在もとてもよかったです。ドッティは明るく、物おじせず、「難民」だからという型にはまった考え方をせずに、アーヤに向き合い、友だちになろうとする姿がとてもさわやかでした。過酷な環境にある人を、腫れ物に触るようにしてアンタッチャブルな存在にしてしまうより、ときどきコミュニケーションに失敗しても、率直に突っ込んでいく方がいいんじゃないかとも思わされました。アーヤのトラウマやパニックの苦しさや、ドッティのミュージカル俳優になりたい思いと、有名なバレエダンサーの母の期待との間での苦悩など、少女たちのそれぞれの苦悩もとてもていねいに描かれていて、共感できました。尾崎愛子さんの翻訳は華美ではないのに、やさしく、ナチュラルで、胸にすとんと落ちる感じでした。原文は分からないですが、ミス・ヘレナの「わたしたちは誇りをもって傷をまとうの」という言葉がぐっと胸に迫りました。美しい言葉だと思います。こういう物語を読むと、日本の難民認定の率の非常な低さや、入管での痛ましい事件なども思い出されて胸が痛みます。

(2022年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

 

 

 

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パンに書かれた言葉

『パンに書かれた言葉』表紙
『パンに書かれた言葉』
朽木祥/著
小学館
2022.06

ハル:「あとがき」に、著者自身への問いとして「物語ることが先か、伝えることが先か」がある、と書かれていますが、ほんとに、そこだなぁと思いました。エリーと同じ中2、中3の子がこの本を読み切るのは、なかなか骨が折れるんじゃないかなと思いもし、でも、だからってこういう本がなくなってしまったら困りますし……。この本に限らず、伝えるための本を、売れる本に仕上げていくというのは、大きな課題だなと思いました。それは置いておいても、『シリアからきたバレリーナ』(キャサリン・ブルートン著 偕成社)もそうですが、今月の本は2冊とも、つらい体験を語ることや、伝えていくことは何のためなのかということを気づかせてくれる本でした。語ること、伝えることは、希望なのですね。

アンヌ:もしかすると、朽木さんの本で私はいちばん好きかもしれません。まず、震災の後の不安の日々の状況を、書いてくれたのがうれしい。水一杯でさえ、汚染されているのではないかと恐怖に震えながら飲んだ日々を忘れてはいけないと思うから。そして、その状況から離れてイタリアに行くところも、いったん恐怖と痛みから話がそれて、不安から過食に走った主人公が、おいしものを食べられるようになるところが好きです。さらに、イタリアで少しずつ物語られる形で話が続くのもいい。いっぺんにすべては重過ぎるし、推理したりする余地があって想像力が膨らみます。そして、イタリアの少年にしろ広島の少女にしろ、生きていた人たちの姿が今回は、生き生きと描かれているのも、読んでいて心が温まる原因かもしれません。おいしいこと楽しいこと、生きることのすばらしさをきちんと味わいながら、忘れないで生きていくことこそが死者への敬意になるのではないかと思うからです。呆然と頭を抱えこまず、詩や言葉を味わって生きていくこと。これこそ「希望」なんだなと主題を感じずにはいられませんでした。

イヌタデ:まず、被爆二世として、一貫してヒロシマのことを書いてきた作者に敬意を表したいと思います。私は柴崎友香さんの『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)という作品が好きなのですが、その作品の主人公は第二次世界大戦の被害があった土地、自分の祖父がいた広島、テレビに映る世界の戦場といった「わたしがいなかった街」に思いをめぐらし、時間という縦軸、距離という横軸の同じグラフの上にいる自分の位置を確かめていきます。もちろん朽木さんとは伝えたいことが違っているとは思うのですが、通いあうものを感じました。小さい読者が、戦争を遠い過去のことと感じるのではなく、自分も位置こそ違え、同じグラフの上に立っていると感じることが大切だと思いますので。また、パオロのノートや真美子の日記をはさんでいるのも、巧みな手法だと思いました。モノローグで書かれたものを入れることによって、ナチスと原爆の犠牲者である二人の声と主人公の思いを結び、さらに読者との距離も近いものにしていると感じました。
ただ、作者もあとがきで、物語ることと記録することについて少しだけ触れているのですが、物語として、文学作品として読むと、もやもやしたものが残りました。偶然にも、昨夜読んでいた東山彰良さんの小説『怪物』(新潮社)のなかに、その「もやもや」をはっきり言葉で表した下りがありました。主人公の作家が「戦争は小説のテーマになりえますか?」と問われるのですが、「どうでしょう……個人的には結論がひとつしかないものは小説のテーマになりにくいのではないかと思います」と答え、さらに「結論がひとつだけなら、どのように書いても、解釈もひととおりしかないということになります。それはとても国語の教科書的なものです」といってから「ただし、戦争という題材はずっと書き継がれるべきだと思います」と述べます。「そこで作家は戦争を勇気や受難の物語にすり替えて書きます。そこでは戦争は人間性を試す極限の状況を提供するだけなので、ユーモアが生じることもある」とも。
それからもうひとつ、戦争は被害と加害の両面を持っていますが、当たり前のことですが子どもたちはいつも被害者です。ですから、児童文学でも、被害者である子どもたちの姿が描かれることが多いわけです。でも、それだけでいいのかなと、いつも思ってしまうのです。リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』(上田真而子訳 岩波少年文庫)、ウェストールの『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)、モーパーゴの短編『カルロスへ、父からの手紙』、日本では三木卓『ほろびた国の旅』(講談社ほか)、乙骨淑子『ぴいちゃあしゃん』(理論社)など、戦争を多面的に捉えようとしている作品もあるのですが……。

ハリネズミ:緻密に構成された作品で、福島、広島、ヨーロッパをつなぎ、また過去と現在をつないでいます。子どもたちに戦争を身近なものとして感じてほしいという、著者の思いも伝わってきます。とてもよくできた物語で、おとなにも読んでもらいたいと思います。あえて斜めから見ると、登場人物たちの役割がはっきりしていて、意外なことをする人は出てこないので、安心して読めるのですが、読者も著者が設定した結論に向かって歩かされている感じが無きにしもあらずですね。それと、もう少しユーモアがあってもよかったかも。パルチザンとか白バラとか、おとなはわかりますが、子どもは息がつまるかもしれないですね。

オカピ:言葉の力をテーマに、イタリアのパルチザンやミュンヘンの白バラの活動をつなげ、福島の原発事故から広島の原爆までたどっていくという構成が、見事だなと思います。収容所で亡くなった子どもたちは、広島で亡くなった子どもたちの姿に重なり、心におぼえていくこと、伝えていくことについて書きたいという、作者の思いもよくわかりました。参考文献の量からも、長年の構想の集大成として書かれたのだな、と。ただ、読み手が引っかからないようにしたいという意図もわかるのですが、「ユーロ」や「牧童」にまで註がなくてもいいような……。これは、読書に慣れている子が手にとる本ではないかと思うので。また、目次の前のページのフランス語の引用は、参考文献を見ると、おそらくオリジナルがイタリア語だった本の英訳からで、下の英語の説明部分は訳されていません。フランス語の引用はこれでいいと思いますが、英語の説明部分はそのまま載せないで、日本語にしたほうがよかったのでは。

ニャニャンガ:巧みな構成で夢中になって読みました。主人公の光が日本からイタリアにわたり、現地の人から話を聞く設定なので、物語に入りやすかったです。ノンナから聞いたパオロの話とパオロが残したノート、祖父から聞いた真美子さんの話、そして真美子さん自身の日記が絡み合い、光の心にしっかり残ったことで読者もメッセージを受け取ったと思います。父親が日本人、母親がイタリア人の自分のことを「国際人」という表現が新鮮でよかったです。ひとつ疑問に思ったのは、主人公は春休みに行ったはずなのに、その年のバスクア(復活祭)は4月24日で終わっているという点でした。

ハリネズミ:そこは、私もおかしいと思いました。時系列が合わなくなりますよね。

西山:第二次世界大戦に関して、ドイツのことは児童文学でも映画でもたくさんの作品に触れてきましたが、イタリアについてはそれに比べて圧倒的に知識が不足していたので、まずは、その情報が新鮮でした。この作品からは離れますが、イタリアの児童文学が第二次世界大戦をどのように伝えているのか知りたいです。本作に関しては、朽木さん、思い切ったなと。『八月の光』(偕成社/小学館)など、とても小説的で文学性が高い作品の方ですよね。それが、あとがきからわかりますが、「物語ること」と「伝えること」の間で悩みながら、この作品では「伝えること」に軸足を置くことを選ばれた。「3.11」に関しても、登場人物と同年代の14歳の子たちは直接体験としての記憶はほぼ無いといっていいでしょう。だから、戦争だけでなく、東日本大震災直後の空気も、伝える素材に入っているのだと思います。「伝えること」として、日本が、ドイツ、イタリアと同盟したファシズム陣営だったことは、はっきり書いてもらった方がよかったかなと思います。第2部の広島のエピソードからは被害側の印象で終わってしまうので。イタリア語、日本語、広島弁、残された記録……と多声的ですが、それがカオスとなるイメージはありませんでした。それにしても、日本では抵抗運動なかったのか、出てくるのが与謝野晶子だけというのは、改めて考えさせられます。

ハリネズミ:イタリアのパルチザンのことは、『ジュリエッタ荘の幽霊』(ビアトリーチェ・ソリナス・ドンギ作 エマヌエーラ ブッソラーティ絵 長野徹訳 偕成社)にも出てきましたね。

雪割草:イタリア、広島、福島とすごく盛りだくさんの作品だと思いました。あとがきにもあるように、作者の「伝えなければいけない」という強い意思が伝わってきました。ただ、説明的にも感じました。中高生が読むかな? おもしろいかな?というのは疑問に感じていて、私が子どもだったら読まないと思います。当事者の語りの章は見事でした。全体を通し、「言葉の力」を強調していますが、その大切さがあまり心に刻まれませんでした。

すあま:1冊の本にしては、いろんなテーマ、トピックを詰め込みすぎている感じがしました。イタリア編、広島編として上下巻のようになっていれば、それぞれの物語をもう少しゆっくり味わえたのではないかと思います。p.109に父親から、「災害」という言葉には人為的なものも含まれる、という言葉が送られてきていますが、これがこの物語の柱にもなっているのかなと思いました。主人公は東日本大震災を経験した後すぐにイタリアに行って、そこでホロコーストやパルチザンの話を聞く。さらに夏には広島に行って被爆者の話を聞く、ということになっているけれども、そんなに次々と重い話を聞き続けるのは自分だったら耐えられないかもしれないと思いました。また、主人公は「聞き手」で終わっていて、もっと気持ちの動きとか、内面の成長を描いてほしかったです。父親が広島出身、母親がイタリア出身という設定も、両方の実家へ行って話を聞くための設定のようで、主人公のアイデンティティなど、せっかくの設定が生かされていないように思いました。興味深い話、大事な話がたくさん盛り込まれていますが、情報量が多すぎて、逆に登場人物の魅力や物語のおもしろさの面で物足りない感じがしました。

コアラ:内容が盛りだくさんで、テーマも重く、読むのにエネルギーがいる本でした。主人公のエリーについて、p.180の9行目に「自分のなかの、自分でもよくわからない部分にスイッチが入ったみたいになったのだ」という文章がありますが、今、ロシアのウクライナ侵攻があって、テレビで毎日戦争状態の映像が流れています。エリーみたいに、スイッチが入ったみたいな状態の子どもがいるかもしれません。そういうタイミングの子にとって、この作品は、それに応える本になると思いました。それから、この本のイタリアの舞台が、フリウリという地域で、前回読んだ本の舞台でもあったので、馴染みのある地名だなと思いながら読みました。地図があるとよかったかもしれません。あと、注について。章の最後に注がまとめられていて、読んでいてすぐに参照できないので、読みにくいなと思っていましたが、たとえば、p. 259の「ショア記念館」などは、きちんと読んだ方がいい項目ですし、文章の中で読み飛ばさず、注でいったん立ち止まって考えを巡らす、という意味では、章の最後に注をまとめる、という方法も案外効果的だなと思いました。

エーデルワイス:花散里さんが選書してくださり、感謝しています。選書担当だったのに楽をしてしまいました。表紙の絵も内容も美しいと思いました。作家は作品を仕上げるために資料を集め、読み解きますが、最後に掲載された膨大な資料参考を見ると、被爆二世の朽木祥さんの使命感、今ここで書かねばならないという強い意志を感じます。最近出た、こどものとも2022年10月号『おやどのこてんぐ』(朽木祥作 ささめやゆき絵)は昔話をモチーフにした楽しい絵本です。重厚な物語のあとは楽しいもの、このようにして作家の方は精神のバランスを保っているのかしらと想像しています。

花散里:朽木祥さんの作品はとても好きです。本作品も刊行されてすぐに読みました。 「イタリア」と「ヒロシマ」、二つの物語として、それぞれのストーリーをもっと深く、とも思いましたが、あまり長編になると子どもは読めないかなとも感じました。『八月の光』(小学館)もとても良い作品ですが、子どもたちにどのように手渡したら良いのかといつも思っています。本書は表紙が素敵な絵で良いですし、タイトルにも興味が湧くのではないでしょうか。子どもに手渡しやすい本だと思いました。確かに内容は盛り沢山ではありますが、これ以上、詳しくすると中高生が読むには大変なのではないかと思います。3.11、イタリア、ヒロシマを取り上げ、物語の構成、展開の仕方がとても良い作品だと思いました。イタリアの児童文学で手渡していけるものが少ないので、イタリアの作品をもっと読んでみたいという子どもが出てくると良いのではないか、とも感じました。広島の本町高校の高校生が、高齢の被爆者から話を聞き、絵を描いて原爆資料館に展示されていることも思い返しました。被害者、加害者の視点からも描かれていて、「あとがき」からも朽木さんのこの作品に対する思いが伝わりました。

オカピ:先ほど、子どもが加害者の視点で描くのは難しいという話がありましたが、パオロは、パルチザンの活動で亡くなった市民の数を書きのこしているので、この本ではそうした点にも目配りされているのかと。

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しじみ71個分(メール参加):戦争体験を語り継ぐという、難しくかつ大変に重要なテーマに取り組まれた力作だと思います。第二次世界大戦について、ドイツに近い北部イタリアの人の視点で語るというのも新鮮でした。ファシスト政権下でのユダヤ人迫害については知らないことが多く、学ぶところが多かったです。日本人の父とイタリア人の母を持ち、それぞれの国の戦争の記憶を祖父母から引き継ぐ主人公エリーのミドルネームが、「希望」という意味のイタリア語であり、レジスタンスとして17歳で処刑された大叔父のパオロが血でパンにしたためた言葉と同じであったという結末はとても見事だと思いました。同時に気になった点も少しありました。エリーが祖母エレナから戦争体験を聞くことになったきっかけが、東日本大震災からの逃避であったということです。エリーの心の持ちようの変化のきっかけとして震災体験が位置付けられているのですが、その後、震災について物語の中で深められることがなかったように感じました。震災とのつながりは、戦争が人によって起こされる災害、人災であるという点以外にあまり感じられず、震災の扱いが軽いように思われたところです。2つ目の点は、イタリアの戦争の記憶についてていねいに語られていますが、やはり広島の真美子の被爆体験の方がリアルで胸に迫ったということ、3点目は戦争体験は、生き残った人が語り継ぐしかないわけですが、サラとパオロ、真美子の、戦争で命を落とした当事者たちの描写が挿入されてはいるものの、それで戦争で亡くなった人たちの気持ちに寄り添えるほど深いところまでは読んで到達できなかったような気がします。そのため少し中途半端な印象が残ってしまい、傍観者的な感覚が物語に漂ってしまった気がします。4点目は、広島の方言にすべて注釈がついていたのが少し煩雑でした。全部わからなくてもいいのにな、もう少し流れるような雰囲気を味わいたかったなと思いました。5点目は、震災によって引き起こされた放射能被害を避けて海外に避難できてしまうという設定に、お金持ちなんだなぁと思わされてしまったこと、そして6点目が、エリーの存在が戦争体験を受けとめる媒体に特化してしまって、あまりエリー自身の人柄や思いが色濃く描かれなかったような気がした点です。とは言っても、戦争経験を次世代に語り継ぐという、とても難しい課題に取り組んだ意欲作ですし、広島の描写にはやはりうならされました。子どもたちと読んで語り合いたいと思う物語でした。

(2022年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年09月 テーマ:反発と自立-親子って楽じゃない

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『2022年09月 テーマ:反発と自立-親子って楽じゃない』

 

日付 2022年09月20日
参加者 ハル、ルパン、アカシア、エーデルワイス、コアラ、アンヌ、しじみ71個分、まめじか、さららん、サークルK、雪割草、(末摘花)
テーマ 反発と自立-親子って楽じゃない

読んだ本:

『タブレット・チルドレン』表紙
『タブレット・チルドレン』
村上しいこ/作
さ・え・ら書房
2022.02

〈版元語録〉1人1台タブレットの時代。あたえられた課題はなんと子育て!? 生徒2人がペアになり、タブレットの中で人工知能の子どもを育てるという。心夏と温斗のペアがさずかったのは、超毒舌小学生マミだった…。
『13枚のピンぼけ写真』表紙
『13枚のピンボケ写真』
原題:FUORI FUOCO by Chiara Carminati,
キアラ・カルミナーティ/作 関口英子/訳
岩波書店
2022.03

〈版元語録〉第一次世界大戦時の北イタリア。父と兄たちが戦場へいったあと、13歳のイオランダと妹は、母親とも離ればなれになってしまう。戦争が激しくなるなか、家族の秘密を知った姉妹は、祖母を探す危険な旅を決意する……。もつれた家族の糸をほぐし、生きる力をつかみとっていく少女の感動の物語。ストレーガ賞児童書部門受賞作。

(さらに…)

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13枚のピンボケ写真

『13枚のピンぼけ写真』表紙
『13枚のピンボケ写真』
キアラ・カルミナーティ/作 関口英子/訳
岩波書店
2022.03

ルパン:これもおもしろかったです。『タブレット・チルドレン』(村上しいこ作 さ・え・ら書房)とはちがう、Interesting の方のおもしろさですね。ただ、この13枚のピンぼけ写真、実は実在する写真で、それが最後に出てくるんじゃないかと思いながら読んだのに、結局何も出てこなくて、肩すかしをくらった気分でした。このご時世なので、どうしても読みながらウクライナ侵攻を思わざるを得なくて、ふつうの生活がどんどん戦争に侵されていく恐ろしさを感じました。物語は、結局主人公もそのまわりの人々も誰一人犠牲になることなく終わるのですが、ほっとすると同時に、ハッピーエンドでよかったのかという、割り切れない気持ちも残りました。戦争で多くの人が命を落としたことは間違いないはずなのだけど、児童文学だから、ここに出てきた人はみな無事でした、で終わってよかったのか、それとも、子どもたちにも、現実はそう都合よくはいかないということに向き合わせて、戦争は絶対にしてはいけないと伝えるべきなのか……ここはみなさんのご意見も伺いたいところです。

さららん:1か月前に読んだ印象をお話しすると……。以前もこの会でイタリアの『紙の心』(エリーザ・プリチェッリ・グエッラ作、長野徹訳、岩波書店)を読みましたが、イタリアの作品では恋愛の要素が重要なんだ、とまず思いました。今回の作品でもサンドロがちょいちょい出てきて、主人公の少女イオランダにちょっかいを出します。(後半ではそのサンドロが主人公の心の支えになりましたね。)もうひとつ思ったのは、知らなかった歴史の側面を教えてもらえた、ということ。この作品はオーストリアで戦争が起きると、すぐにイタリアに帰らざるをえない貧しい家族を取り上げています。国境を行ったり来たりして暮らし、戦争になるとまっ先に被害を受けるヨーロッパの人たちの話をあまり読んだことがなくて、新しい歴史の見方がありました。家を追われたイオランダと妹が身を寄せるのは、目の見えないアデーレおばさん。おばさんは堅実に暮らしていて、障碍のある人が、社会で当たり前に受けいられてきたことに好感が持てました。イオランダたちの状況は悲惨で、母親は逮捕され、自宅にも住めなくなり、その後の旅も苦労の連続ですが、登場する人物の温かさに救われます。反発しあっていたお母さんとおばあちゃんが、戦争の中で再会して、和解していく。戦争は悪いことだけれど、悪いことばかりではない。絶望的な戦争のなかに人間の希望の物語があり、若い読者に自信をもってお薦めできる作品だと思いました。ただ、イラストで入っているピンぼけの写真の意味が読み取れなくて……。みなさんの意見を聞きたいです。

アカシア:私は出てすぐ読んだのですが、細部を忘れていて、もう1度読み直しました。戦時下にあっても、名前も知らなかったアデーレおばさんと会い、いないと思っていた祖母に出会い、出産に立ち会い、オーストリア兵に遭遇するなど、子どもはいろいろと見たり聞いたり吸収したりしていって、そう簡単には戦争につぶされないんだというところが描かれているのがとてもおもしろかったです。この挿絵ですが、まったくの抽象模様になっているので、意味があるのかと思って目をこらしているうちにフラストレーションがたまりました。訳文で気になったのは、p.66に「ホバリングというのは、飛んでいる鳥が翼をすばやく動かして、体をほとんど垂直に起こしながら、空の一点で位置を変えずに静止している状態」とありますが、これは違うと思います。ハチドリの場合は垂直ですけど、ワシ・タカ類などは水平なのでは?

まめじか:「戦争はわたしたちの首すじに息を吹きかけ、家々から男たちを吸いあげて連れ去ってしまう。そうして、かみくだいた骨だけを吐き出すつもりらしかった」(p.35)、「戦争という獰猛な鳥は、それからもしばらくわたしたちの頭上でホバリングを続け、一九一七年八月のある日、恐ろしい勢いで急降下してきた」(p.66)など、戦争の暴力性を詩的な言葉でとらえていますね。「兄さんの目にくっきりと映っているのは、戦闘や司令官、敵兵、それに勇気や名誉だけ。わたしたちはその背景に追いやられ、ピントがぼけ、ほとんど見えないくらいにかすんでいた」(p.116)とありますが、この本が描いているのは、戦争が壊す日常で、その1コマ、1コマが、ぼやけた写真に目を凝らすうちに見えてくる。戦争中に流れるデマや検閲など、ちょっとした描写にもリアリティがあります。気になったのは、9歳だったイオランダが人前でサンドロにキスされて、「わたしは、泥のなかでとけてしまうか、地面の割れ目にのみこまれるかして、いなくなりたかった。皮がむけるくらいにくちびるを何度もこすりながら、その場から走り去った。恥をかかされたことに対して、猛烈な怒りがこみあげた」(p.19)というふうに感じたと、書かれていることです。たとえばアメリカや、今は日本でも徐々に、子どもが小さいときから性的同意について教えようという流れがあって、そういう絵本もいろいろ出版されています。この作品の時代設定は昔ですが、読むのは現代の若い人たちなのだから、原書か翻訳で配慮するか、もしくはあとがきでフォローしたほうがよかったのでは。最終的に二人は結ばれたのだから、もしかしたらイオランダも実はまんざらではなかったのかもしれませんが、でも、この時点では、一人称の語りを読むかぎり、本当に嫌だったように読めるので。

コアラ:この本は第一次世界大戦の話だけれど、男の人たちが戦争にかりだされ、残った人たちも爆撃を受けて、街がめちゃめちゃに破壊される、というのは、まさに今も起こっていて、とても戦争を身近に感じながら読みました。人も動物も無残に死んでいく中で、お産婆さんの仕事という、命を取り上げる仕事が、とても尊いものに思えました。というか、生と死を対比させるように描いているのかなと思いました。主人公のイオランダは、この旅でいろいろなものを得たと思いますが、カバー袖の文章にもあるように、「もつれた家族の糸をほぐす」という旅だったと思います。その中で、出産に立ち会って、生まれたばかりの赤ちゃんを腕に抱いたという体験も大きかったと思います。それから、恋の話。嫌い嫌いも好きのうち、というか、最初は拒絶していたはずなのに、いつの間にか恋の相手として描かれている。気持ちの変化はていねいには描かれていなくて、手紙を読む場面とかで読み取れなくもないのですが、恋の描き方はちょっと違和感がありました。あと、妹のマファルダが私はすごく好きで、読んでいて、こういう子は大好き、と思いました。初めておばあちゃんを訪ねていって、何が望みなの、みたいに言われて気まずい空気になったときに、p.169の3行目、「あたしは、お水が一杯ほしいです」と言う場面。単なる無邪気な子ではない、というのも、それまでに描かれていて、こういう子はすごく好きだなと思いました。ただ、タイトルにもなっている「ピンぼけ写真」というのがあまりピンとこなくて、訳者あとがきを読んで考えないといけなかったのが、ちょっと残念でした。

サークルK:「戦争」という大きなものに対峙する、「命を取り上げるお産婆さん」という小さな存在の活躍が描かれているところや、イタリア北東部、オーストリアやハンガリーの小さな辺境のある地域に限定されて焦点が当てられているところが良かったです。顔の見えない歴史上の出来事に回収されない、ひとりひとりの人生が具体性を帯びて立ち上がってくるからです。母をたずねて、母の秘密を追いかける謎解きもあり、読者を引き込む力を感じました。ヒロインのイオレの妹マファルダが「男の人って、仕事がなくてぶらぶらしてると、くさっちゃうんだね」(p.22)と言った鋭い言葉に、子どもの目は侮れないと強く思いました。アレクシエーヴィッチの『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ作、三浦みどり訳、岩波書店)にも通じる「戦争というのはね、……男の人たちがはじめるものなのに、それによって多くを失うのは、女の人たちなの」(p.11)という言葉にも首肯しました。ピンぼけ写真をどう考えていいものかよくわからなかったので、みなさんの感想を伺うのが楽しみです。

雪割草:とてもおもしろく読みました。女性たちの目から見た戦争、ピンぼけの中にこそある、日常の生きた証、産婆を通して描く命の誕生といった、これまでも戦争を伝える文学で使われてきた手法ではあったけれど、作品として伝わってくるものがありました。主人公のイオランダは、おとなに近づいていく年齢で、母親、アデーレおばさん、祖母といったしっかり芯のある自立した女性たちと接し、その中で母親の過去とも出会い、一人の人間として見られるようになり、自分を構築し、成長していくのがよくわかりました。文章も詩的で、たとえばp.207の、おばあちゃんの言葉が出てくるさまを描いた箇所などとても素敵でした。それから、すごく子どもらしい妹のキャラクターも、クスッと笑ってしまう愛らしさがあって好きでした。ピンぼけ写真については、私も何かシルエットが浮かびあがってくるはず、と一所懸命目を凝らして見たりしましたが、わからず、疲れてきてあきらめました。

エーデルワイス:最初にある地図を見て場所を確認しながら読みました。美しい文章ですね。たとえばp.228「暮れていく夕日よ おまえはみんなのことが見えるのだから 愛する人のいる場所まで わたしの想いをとどけておくれ……」など。ロバのモデスティーネが好きなのですが、戦争のさなか人間さえ危ういのに動物は……と心配しました。最後まで生き残っているのでほっとしました。お母さんの名前が『アントニア』でお兄さんが『アントニオ』、似ているのですね。日本語の『春子』と『春男』のような感じでしょうか。物語の文章と別に、13枚のピンぼけ写真のイラストと説明文は新しい試みとは思いましたが、そのモアーとした絵にモヤモヤしました。(後日さくまゆみこさんを通じて、原書の挿絵はもっとわからないし、その絵は原作者の意向と知り仕方なく思いました。)

しじみ71個分:こちらの本は、大変におもしろく読んで、深く感じるところがありました。戦時下のイタリアでの子どもの姿が描かれていましたが、物語では戦禍を逃れて一家がバラバラになり、子どもたちは知らないおばあさんのところに身を寄せたり、血のつながった祖母を探したりで、とても苦労はするものの、一貫して、戦争に負けない命の輝きというか、生命力の強さが描かれていて、文章全体が明るく、そのたくましさに信頼感を持って読みつづけることができました。そこがとてもよかったです。戦禍を逃れて苦しむ中でも熱烈なキスを思い出してみたり、逃避行の中で新しい命が生まれたり、おばあさんたちがお産婆さんという命をこの世に送り出す仕事をする職業婦人だったり、戦後に本人も助産師の学校に行ったりと、それぞれのエピソードが物語の中で生命力を語っていました。まあ、ところどころ、オーストリア兵が空腹でチーズを食べただけで何もせずに出て行ったり、警察に捕まったお母さんに何事もなかったり、みんな死なずに男たちが戦争から帰ってきたり、というのはちょっとご都合主義というか、楽観主義かという気もしましたが、辛いことばかりの戦争児童文学だけでなくてもいいですし、こういう戦禍を切り抜けるたくましい話なら子どもたちも読んで希望を持てるのではないかなと思いました。ただ、私もピンぼけ写真には意味のある絵が描かれているんだろうと、最初は一所懸命に読み解こうとしてしまい、また、何か基づく資料写真があるのかなと思ったものの、いくら見ても見えず、解説もなく、あとでやっと、これは文を読んで想像するようになってるのかと気づいて、拍子抜けしてしまいました。

アンヌ:最初に地図を見たので、難民としてイタリア中をさまよう話なのかと思いましたが、家系を遡る話でしたね。子どもたち二人だけになった時も、司教さんとかアデーレおばさんとか頼れる人が次々現れるのには、ほっとしました。最初に猫のお産にお姉ちゃんの手が必要というセリフがあったのも、産婆という職業への伏線だったのかと、あとで気づいてニヤリとしました。ただp.131のキス場面については、最初はさすがイタリア文学、エロスの目覚めも書くのかと思いましたが、やはり主人公がもう少し自分の中にサンドロへの愛が芽生えている部分を書いておかないと誤解を招きかねないと思いました。

ハル:先ほどの原題のことは、「訳者あとがき」にありましたね。『(原題は、イタリア語で「ピンぼけ」を意味するFuori fuoco――フオリ フオーコ――)』ということです。さておき、私もやっぱり、この写真の意図が最初は全然わからなくて、出てくるたびに混乱してしまいました。だんだん慣れてくると、お話の中には盛り込めなかった当時の様子が、ちょっとカメラを横にふったような景色として補足されていて、おもしろくはなってきたのですが、でもこの写真の趣旨も後半にいくにしたがってずれてきているような気も……。最後なんて、エピローグ的な役目を果たしちゃっていますもんね。それに、この、ピントどころの問題じゃなくて現像できてない「もやもやの画面」を見ながら景色を頭に想像することと、挿絵がない本文を読みながら景色を想像することとの違いは、何かあるんだろうか……とも思えました。また、好きの裏返しとは言え、サンドロが同意を得ないキスをする場面は、読んでいてあまり気持ちがよくありませんでした。まあ、文学であって教科書ではないので、かたいことも言えないのかもしれませんが、児童書なので「これは文学だからありなのであって」というのは、ちょっと難しいようにも。やはり少し配慮があってもいいのかなと思いました。もうひとつ、男が起こした戦争に、女(と子ども)が苦労するという構図も、どこか文学のテーマとして捉えられているような気もしないでもなく。おとな向けの本だったらそれでいいですし、過去の時代を描いた作品に今の感覚を入れていくのは危険だとは思うけれど、これからは、女性だって、戦争を男性のせいにしていてはいけないわけで……過去の出来事を未来のために子どもたちに伝えていくときの難しさも、今回は感じました。

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末摘花(メール参加):この物語では何もかもを破壊しつくす戦争という極限状態にあっても人間は小さな命に希望の光を見出だし、災禍に見舞われた人々を励ましていくという様子が描かれています。戦争に踏みにじられた数多くの人々の姿、歴史の裏にかくれた戦禍の中で懸命に生きた人々の姿が13枚の写真に写っているように感じました。自分の運命を切り開いていく少女の成長を描いている希望の物語で、戦争の愚かさ、戦争を起こして弱い市民を顧みないことの非道を訴えているとも思いました。キャプションを読むと、ぼやけた輪郭線の向こうの人々の叫びが聞こえてくるようですが、戦禍の中で生きた人々の苦しみや痛みを伝えるということからも子どもたちに手渡したい作品だと思います。

*後に岩波書店の編集部から原書の挿絵を見せていただきました。原書にも、どれも同じ「ピンぼけ写真」が13枚入っているそうです。編集部からは日本語版の挿絵について別の提案をなさったそうですが、作者の意向でビジュアル戦略としてこうしているとのことだったそうです。

(2022年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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タブレット・チルドレン

『タブレット・チルドレン』表紙
『タブレット・チルドレン』
村上しいこ/作
さ・え・ら書房
2022.02

ハル:初っ端からすみません! 少し前に読んで、どこがという具体的なことを忘れてしまったのですが、読み終わって、おもしろかった! と思ったことはよく覚えています。軽快でユーモアがあって、その中にふと、なるほどなぁと考えさせられるポイントがうまく仕込まれていて……ただ、著者のこれまでの作品を読んだときには感じなかったような、雑さも感じた記憶があります。テンポの良さにのって、私が読み落としてしまったのかもしれませんけれど。

アンヌ:このAIで子育ての仕組みがよくわからなくて、そこに引っかかっていました。現実の授業でもゲームを使ってパソコンの使い方を習っていると思うのですが、この子育てゲームは次元が違っていて、とても怖いなと思いました。主人公の個人情報が入力されているようだし、先生は命の大切さを学ばせようとしたと言っているけれど、これを作った近未来の教育委員会とかの本当の意図は何だったのでしょう。それぞれの子どもの適性とか攻撃性とかが記録され政府によって利用されるんじゃないかなどと思ってしまいました。でも特に説明がなくて、そこは拍子抜けしました。物語自体はとても楽しく後味がよい話でした。AIの子どものセリフと主人公自身の親子関係がダブっていて、主人公が自分を逆の立場から見ることができて、実際の親子関係も少し変わっていく。失恋しても、そこで実際の漫画家に会うという話になり、安易ではあるけれど、主人公が失恋に深刻にならないのも面白い。特に主人公のマンガ脳には親近感が湧きました。

しじみ71個分:テーマ設定が独特で、とてもおもしろいと思ってサクサクと読みました。なのですが、子育てをアプリでゲーム感覚で体験するというのは、やはり私も「たまごっち」を思い出して、どうなのかなとは思いました。私は妊娠中、小学校の総合学習に協力してくれと依頼されて、エコーでお腹の中の子どもが動く様子を見せたり、赤ん坊の心音を子どもたちに聞かせたりしました。中学校だと違うのかもしれませんが、そんな学習の感じかなと想像はしたのですが、その小学生たちは、赤ん坊の様子を見たり、妊婦のお腹に触ったりというところで、戸惑いとか気持ち悪そうな感じを見せていたのが印象的で、アプリだとそういう反応はないだろうなとは思いました。設定があまりリアルではない気がして、おもしろい、おもしろいだけで終わってしまった印象です。子育てをテーマにするなら、もっと命とか、親子の関係とかを深められて、どこかにリアリティがあればもっとよかったなとは思いました。主人公はかわいいですね。能力とか魅力とかに、でこぼこがある女の子で、とても魅力的でした。内省や親や妹との関係で悩んでいるところは、こまかい心情も描かれていて、ぐっとつかまれるところもありました。一方、AIがアプリで子どものキャラクターにしゃべらせて、人間の心夏の心情を読んで意地悪なことを言ったり、怖いことを言ったり、相当高度に描かれていますが、その割に背景の社会状況がそんなに今と変わらず、近未来でもなさそうで、AI技術の進歩度合と社会が合ってない気はしました。また、アプリでは子どもが子どもを育てていることにはなっていますが、遠慮のない家族のような、友だちのような対話相手になっていて、子育て体験をアプリでするというより、むしろ心夏の内省の道具だったのかもしれませんね。AIとの対話から自分や家族を振り返る点では、言葉に説得力がありました。なのですが、それが命の勉強になるとは思えず、いくらAIだとしても、ちょっと軽くて、入り込めないところはありました。また、自分が子どもを亡くしたという先生の告白が唐突でちょっと安易だったかなという感じが否めませんでした。また、白石君に失恋しても、漫画家の先生とつながることができたというのも、できすぎだったかなと思いました。

エーデルワイス:タブレットの世界と現実の中学生活、漫画の世界とおもしろく読みました。ペアを組んで仮想の子育ては斬新な発想と思いました。いろんなタイプの子が出てきて、ユーモアがあり、悪い子はいなかったと思います。主人公の心夏ちゃんが子育てペアの温斗君といい感じかと思えば、親友の美乃里ちゃんと付き合うことに。次に親身になってくれる白石君と仲良くなるのかな?と思えば白石君には彼女あり。結局心夏ちゃんは漫画に邁進する結末が楽しく感じました。

雪割草:私も、テーマが興味深く、おもしろく読みました。村上さんの他の作品に比べ会話が多く、テンポもよくて漫画を読んでいるようでした。タブレット・チルドレンはよいとは思えないけれど、タブチルをすることで、心夏は親の立場にたって、はじめて自分と母親や妹との関係を見つめたり、ペアになった相手との会話を通していろんな気づきがあったりする点は、読者にも一緒に考えさせるので上手だなと思いました。タブチルのようなバーチャルな体験ができる時代が来ていることを思うと、子どもたちの置かれた環境の複雑さを痛感しました。が、子育てや人間関係、人のいのちに関わることは、ゲームでなくリアルに体験していく必要があると思います。あと、温斗がなぜ施設と関係があるのか、なぜ父親が泣くからごはんの支度をする必要があるのかは、よくわからず、踏み込まないスタンスなのかもしれないけれど、意図も少し不明でした。

サークルK:テンポの良い進行だと思いましたが、その会話の速さや漫画的な展開についていくことができず、最後まであまり乗り切れませんでした。タブレット・チルドレンであるマミが「本当の人間になれますように」(p.162)と願う箇所はピノキオの願いを思い出しました。このタブレット・チルドレンたちの造形がもう少し深まるとおもしろかったように思います。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、早川書房)のなかのクローン人間が自分のルーツやオリジナルを求めてさまよう展開も想起させられました。読書会の後、「メタバース」についてのテレビ番組を視聴し、アバターがもうひとつの宇宙で動き回る世界がもう少しでやってくる、という話を聞いて、いつかこの作品が実際に起こる可能性もあるのかも、と少し怖くなりました。

コアラ:おもしろく読みました。タブレットで中学生が子育てをする、という設定がおもしろいと思ったし、テンポがよくて言葉のやりとりもおもしろかったです。p.26に「いいよ、もう。お母さんには無理」というマミの言葉があるけれど、同じようなことを心夏も自分の母親に言っていたと気がついて、母親の気持ちに思いを馳せられるようになる。そういう、心夏の成長について、わかりやすく、読者がついていきやすく書かれていると思いました。装丁も銀色でメタリックな雰囲気で、タブレット・チルドレンというのをうまく表しています。p.84の4行目で、カギカッコが2つ重ねてあって、2人が同時に発言しているというのを表現していますが、この方法は、私は初めて見たような気がします。全体として、さらっと読めて、子どもにもオススメだと思いました。

まめじか:「どちらかが、絶対にいやだとか、それは無理だとか言って拒否したら、家族ってどうしようもない。完全に機能しなくなる」(p.142)など、家族というものをずっとつきつめて考えてきた、作者の内から出てくる言葉だなあと思いました。AIの子どもを育てるというテーマは新鮮でしたが、ちょっと気になったのは、みんな男女のペアで育てているようなので、それは社会のステレオタイプを固定することにならないのかな、と。子育てはひとりでも、同性同士でしてもいいのだから。「異性でも同性でも」(p.206)という先生のせりふがありましたが、性も家族もいろんなあり方があるので。

アカシア:最初に読んだときには、あまりにもリアリティがないと思って、おもしろくなかったのですが、もう一度読んでみたら、会話やキャラクター設定はおもしろいと思いました。まあ、子育てについてのインサイトや考えるヒントがあるわけではないので、エンタテインメントですね。同じテーマならアン・ファインの『フラワー・ベイビー』(評論社)のほうが、訳はイマイチですがよく描けていると思います。小麦粉を入れた袋を新生児と同じ重さにしてそれを絶えず持ち歩かないといけないという設定ですが、タブレットよりはリアルに子育てを考えられます。子育てって、何よりもリアルな体験ですからね。先生の子どもが若くしてなくなったから生徒たちにも失敗しないでほしいとか、温斗が施設にいたことがあるなどは、話の大筋に関係ないので、とってつけたような感じだと思ってしまいました。タブチルそのものが、きちんとした教育プログラムにはなっていないですね。

さららん:私が感じていたことは、これまでにほぼ全部出てきたので、つけたす意見はあまりないんです。私もアン・ファインの作品のことを、思い出していました。今回の「反発と自立-親子って楽じゃない」というテーマから考えてみると、主人公の心夏は、母親に対しては反抗期ガンガンだけれど、美乃里ちゃんを始め、友だちとは仲よく普通につきあっています。タブレット・チルドレンのマミのトゲのある言葉にぶつかって、心夏は初めて自分を母親の立場において考えられるようになり、親子関係が少し変わっていく。その辺はまっとうな児童文学、という印象を持ちました。タブレット・チルドレンの存在は近未来なのか、SFなのかわかりませんが、こういうこともあるかもね、というぐらいのビミョーな設定です。ありえないー!ってことも起こるんですが、それも含めて、作家の掌で転がされている感じがします。書き方によっては暗くも重くもなりそうなテーマを、軽い笑い(マミが出てくるところはシニカルな笑い)に包んで、読ませます。物語の展開がいつも少しずつずれていくところは、心夏の頭の中と同じで、漫画的なのかな。心夏が、漫画のネタとして周囲の出来事を捉えているので、べたつかずに読み進められ、小学校高学年から楽しめる作品じゃないかと思いました。作家の村上さんは身近なタブレットを使って、一種の思考実験をやってみたかったのかもしれませんね。

ルパン:『タブレット・チルドレン』という題名を見て、タブレットに振り回される子どもたちの話なんだろうと思いきや、タブレットの中にチルドレンがいたというのには驚きました。ものすごく斬新で、ぐいぐい読めてしまったのですが、ところどころにちぐはぐ感もありました。主人公は「スクールカースト最下位」といいながら、友だちもいるし、男の子ともふつうに口をきいているし、キリエもこの子をいじめているんだけど、案外好きなんじゃないかと思えるくらいかまってくるし……そのちぐはぐ感が楽しかったんですけど、最後の最後に、急に先生の話で重くなっちゃって、一気に臨界を超えてしまった気がしました。そこまでは、ちぐはぐなところもまた心地よく読めていたのですが、さすがに自分の子どもを亡くして、中学生が将来そうならないためにバーチャルの子どもを育てさせる、というのは……いくらなんでも無理があります。あと、この主人公が最後にタブレット・チルドレンのマミちゃんを育てることにする、というのもちょっとなあ……と。私もたまごっちを育てたことがあるので、バーチャルなものに感情移入する気持ちはわかるんですけど、この子はまだ中学生で、これからリアルな友情とか恋とかを経験しないといけないのに、所詮はプログラミングされた映像に過ぎないマミちゃんのために時間を使い続けるなんて。「やめた方がいいよ」「電源切ったらいなくなるよ」って言ってあげなきゃ、と真剣に思ってしまいました。あ、本に感情移入してしまう自分もアブナイのかな……?

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末摘花(メール参加):GIGAスクール構想が始まり、子どもたちが1人1台端末を持って授業を受け、家に持ち帰って宿題をするという今、このような児童文学作品が登場してくるようになったのかと思いながら読みました。中学生が担任の提案でランダムにコンピューターが決めた男女ペアになってタブレットの中に設定されたタブレット・チルドレンを育てるということ、会話文が多用されて物語が進んでいくことに違和感を覚えながらも、中学生がタブチルを通して自分を問い直して成長していく姿に、子どもたちは共感して読んでいくのではないかと感じました。

(2022年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年08月 テーマ:「親ガチャ」からのスタート

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『2022年08月 テーマ:「親ガチャ」からのスタート』
日付 2022年8月17日
参加者 ネズミ、エーデルワイス、アンヌ、つるぼ、ハル、雪割草、シマリス、しじみ71個分、ルパン、まめじか、西山、ハリネズミ
テーマ 「親ガチャ」からのスタート

読んだ本:

『ペイント』表紙
『ペイント』
原題:페인트(Par-Int)
イ・ヒヨン/著 小山内園子/訳
イースト・プレス
2021.11

〈版元語録〉少子化が限界を越え、「人口絶壁」状態となった近未来。国は少子化対策として、親に代わって国が子どもを養育するセンターを設立し…。“子どもが親を選べるとしたら”という人類の究極のIFに挑んだティーン小説。
『りぼんちゃん』表紙
『りぼんちゃん』
村上雅郁/著
フレーベル館
2021.07

〈版元語録〉第2回フレーベル館ものがたり新人賞大賞受賞作「ハロー・マイ・フレンド」改題『あの子の秘密』でデビューし、同作が第49回児童文芸新人賞受賞というラッキーな作家人生をスタートさせた村上雅郁。3作目の今作は、20代最後に贈る「祈り」の物語。

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りぼんちゃん

『りぼんちゃん』表紙
『りぼんちゃん』
村上雅郁/著
フレーベル館
2021.07

しじみ71個分:この本もとてもおもしろかったです。暴力をふるわれる虐待ではなく、威嚇やどなるタイプの心理的虐待にあう友だちを助けたい主人公の視点から描かれた作品で、いろいろと考えさせられました。主人公の朱理は虐待にあう友だちの理緒を助けたいのに、普段から背が小さいために赤ちゃん扱いされ、まともに取り合ってくれない周囲を動かし、理緒を助け、自分も成長していくという構成になっていましたが、たくさんのテーマが含まれていて、いろいろ深く考えられた物語でした。とてもおもしろかったのですが、いくつか気になった点がありまして、まず、彼女の心の中の物語世界なのですが、自問自答、内省を良い形で表しているなとは思うのですが、前半の水の精の話が特に冗長で、ちょっと物語の本筋から読み手の気持ちが離れて行ってしまう感じがありました。また、例えばp9の「頭の中に国語辞典でもあるの? ナポレオンなの?」というところとか、作者が前面に出てきてしまう感じの不要な文がはさまっていたりして、ときどき物語の進行を作者が邪魔しているような部分があったのですが、なのに途中でドンと胸に迫る表現があったりして、この作者の世界観は独特だなと思いました。あるいは、若さゆえのコントロールの甘さか、アンバランスさかとも思ったり…。朱理が、理緒のお父さんに突然、バドミントンをさせないでくださいと言ってしまうのは、これはその後どうなるのかを思うと、本当に怖かったです。大人がちゃんと子どもの話を聞いてやらなくちゃいけなかったと思いました。最終的にはお父さんが気付いてくれて、お母さんもお姉ちゃんもみんな味方になってくれて、問題が解決されてよかったのですが、理緒のお父さんがわりと簡単に改心しているのは、そんな簡単な問題ではないと思うので、ご都合主義かなとも思いました。ですが、作者が虐待、友人関係、家族との信頼関係、自己肯定感と自己主張といった難しいテーマに果敢に取り組みつつ、その主人公を支えるのが言葉であり、物語であるという点まで、モリモリのてんこ盛りになった意欲作だと思いました。

西山父親のありようとか、解決の仕方とか注目すべき読みどころはいくつもありますが、私がいちばん新鮮に思ったのは、朱理ちゃんのありようです。難しい言葉を知っているところと知らないところ、あぶなっかしいところも、そのアンバランスさが、ああ、こういう年齢の子どもの姿としてあるかもと思えて、とてもおもしろく興味深く読みました。子どもあつかいされるのをいやがっているけれど、実のところ幼いところもある。そこが子ども像として新鮮に感じました。体の大きさの違いも、子どもにとって切実なのだということが、ちょっとした仕草、赤ちゃん扱いするクラスメイトとのやりとりなどからしっかり伝わってきました。そんな朱理が、自分の言葉を聞いてくれないおとなに絶望していくわけです。父親も母親も朱理をがっかりさせる。朱理がそれぞれを見限る瞬間は印象的です。がっかりの深さが痛みとして胸に響きます。でも、そこで終わるのではなく、もう一度おとなを信頼するほうに転じさせる展開に、大変共感しています。

シマリス: 文章も物語の構成もうまいなぁ、と新作が出るたびに気になっている作家さんで、この本も発売されて間もない頃に読みました。かわいがられつつ、小柄なことでからかわれる朱理のキャラクターが独特で魅力的でした。前作までは、クライマックスでも冗長な会話があって、せっかくの勢いが弱まっていたんですけど、今回は終盤に疾走感があってよかったです。後半に専門知識がまとまって出てくるのですが、その部分が押しつけがましくなくて適量だなと思いました。ただ、ラストの部分、皆まで言うな!!と止めたいくらい、作者の言いたいことを語り倒していて余韻のないのが残念でした。

ハリネズミ:朱理の一途な気もちはよく伝わってきました。おとなが頼りにならないときに子ども同士が助け合おうとするのは、現代的な設定ですね。ちょっとひっかかったのは以下の点です。p119におばあちゃんが朱理に目に見えないオオカミの話をするところがありますが、小学校に上がったばかりの子に、こんな理屈っぽいことを言うでしょうか? p180の後ろ5行はおとなの視点ですね。特におばあちゃんが出てくるところなど、ところどころに大人の視点が出てきて解説しているのが残念でした。

雪割草:おもしろく読みました。赤ずきんちゃんの物語と現実の経験が交錯しながらすすんでいくところやおばあちゃんの言葉がよかったです。ただ、朱理の言葉がときどき自分の言葉ではないみたいで、おばあちゃんの言葉もそうですし、物語が好きで、書くことで世界に関係したいというところなど、作者の姿が見える感じで、もう少し控えめにした方がよいとは思いました。エンディングも、りぼんちゃんのお父さんの態度の変わりようなど、こんなにうまくいくだろうかと疑問に感じました。それから、赤ずきんちゃんの物語をもとにして、狼=悪のイメージで用いていますが、狼は生きもので、狼の目線の世界もあるわけで、悪として描いてしまうのは問題があるように感じました。

ハル:「虐待」の設定がとてもリアルだなと思いました。身体的な暴力だけが虐待なのではなくて、もしかしたらいま読者自身やその友人が抱えているかもしれないその違和感、緊張感、心が重たくなるような感覚、これはひょっとして異常なことなんじゃないか、と気づくきっかけになりうる本だと思いますので、その点では子どもに寄り添った本だなと思いました。ただちょっと、登場人物が作者の思いを語りすぎな気もちょっと。全部がせりふとして書き起こされている感じがします。このくらいわかりやすいほうが、若い読者には読みやすいのかなぁ? でも、私は圧迫感を覚えました。

つるぼ:表紙の早川世詩男さんの絵が、とってもいいと思いました。子どもが手に取りやすいですよね。文章も生き生きしていて、引きこまれる(ちょっと余計な言葉が多すぎる感じはしたけれど!)。そうしていくうちに語り手の朱理が友だちの深刻な問題に気がつき、自分の悩みを考えるのと同時に成長していくという物語の作り方は、とてもよく考えられているし、しっかり調べて書いてあると好感を持ちました。自分の周囲にある輪を1歩乗りこえて、児童相談所という社会にコンタクトしているという点も好感が持てました。ただ、あかずきんちゃんや魔女の話は、作者にとっては物語に欠かせない要素なのかもしれないけれど、あまりおもしろくないし、生硬な感じがしました。それに、児童書としてはこれでいいのかもしれないけれど、大人の読者にとっては絶対にここでは終わらないと予想がつくだけに、ある意味とっても怖い話でした。それに、どうして理緒ちゃんを主人公にして語らせなかったんでしょうね? こういう「友だちにこういう子がいて……」と主人公が語る物語を読むと、わたしはいつも「その子に語らせたらどうなのよ?」と思ってしまうんですけどね。

アンヌ:前半の朱理についての記述と矛盾するような、物語を作る力のある朱理の描写が続くのでおもしろかったのですが、その物語には少々退屈しました。好きなシリーズ本の中の魔女の話と、朱理の物語の中の魔女とおばあちゃんの語りと、記憶の中のおばあちゃんの言葉があって、ここだけで少々へとへとになりました。でも、ここまで来てこの子は考える力を持っている子なんだとわかって、友達の家庭内問題まで立ち入れる人間なんだとわかってくるわけですよね。後半は、本当にこうなったらいいなあ、少なくとも現実に苦しんでいる子が、先生以外の大人にも助けを求めていいんだとわかればいいなと思いました。作者が描くイメージは時にとても美しく、p.26の図書館での「同じ本を読む意味」や、p.40の「おしゃべりに花を咲かせる」ところの描写はとても魅力的でした。

エーデルワイス:ほとんど皆様の感想と同じです。児童書ですから安心した結末になっていますが、理緒ちゃんのお父さんについては心配です。改心しているかもしれませんが、人はすぐには変われません。長い時間理緒ちゃんとお父さんは離れた方が良いと思いました。朱理ちゃんが書いた物語が度々登場し、それが深い意味を持っています。小川糸さんは、幼い時から実のお母さんとの確執があり、その苦しい胸の内を学校の先生にも打ち明けることもできず、作文や物語を書いたところ大変評価され、それで作家になったそうです。文章力を持っている子は困難を乗り越える力があるのですね。朱理ちゃんをよく理解していつも味方でいてくれたおばあちゃん。そのおばあちゃんを亡くし、温かい家庭で暮らしていても孤独感にさいなまれる朱理ちゃん。こんな子はたくさんいるのでしょうね。周囲で気が付いて話を聴いてあげたいです。表紙のイラストには驚きましたが、納得して感心してしまいました。
以前身近でこんなことがありました。複雑な家庭環境の知り合いの女性から、高校生の長男が、両親や祖母の誰にも相談することなく自ら児童相談所に行き、保護されたという電話を受けたことがあります。家族と長男はしばらく面会謝絶。その長男は生き延びることができたと思いました。その女性には「お子さんは頭の良い子ですね。まずは生きていることが大事。いつか会える日がきますよ」と、言いました。その後連絡はありません。

まめじか:一時保護所については、自由がなくて、子どもにとって非常にストレスのかかる場になっているという報道も聞きます。この本ではポジティブに描かれていて、きっといろんな施設があるのだろうとは思いますが、実際のところはどうなのでしょうね。

ネズミ:おもしろかったです。友だちとの会話など、これまで読んだことのない文体でした。今の子どもはこんなふうに話すのかなと思って読み進めました。慣れるまで入りにくく感じましたが、途中からはぐいぐいひきこまれました。理緒の問題は、心あるおとなが見れば、何か変だとすぐ気づくのかもしれませんが、朱理の理解ではそこまで至らないところに、6年生の限界があるのかと思いました。同年代の読者が共感すると先ほど出ましたが、それは子どもの目線で描かれているからでしょうか。朱理が最後、本気で求めたとき家族がそれぞれにこたえてくれるところは、できすぎ感もありますが、安心できました。理緒の父親が改心するというのは、実際はきっとすぐにはうまくいかないだろうという予感も感じられ、ある意味でリアルだと思いました。

ルパン:私は正直あんまりおもしろいと思いませんでした。物語の形式をとっているけれど、結局、朱理がぜんぶしゃべっていて、さいごまで作者の長ゼリフを聞かされている気がしました。劇中劇の中で語られるおとぎ話のアイデアのほうが楽しそうで、その話を書いたらおもしろいんじゃないかと思いました。

(2022年08月の「子どもの本で言いたい放題』の記録)

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ペイント

『ペイント』表紙
『ペイント』
イ・ヒヨン/著 小山内園子/訳
イースト・プレス
2021.11

ネズミ:ディストピア小説だなと思って、おもしろく読みました。管理されたなかで理想的な子どもを育て、理想的な親とマッチングさせていくという。ここで行われているやり方を見て、拒絶感を感じたり、なるほどと思ったり、いろいろと考えさせられる物語だと思いました。めんどうくささ、理論や効率だけでは片付けられない緩みのようなところに親子関係の機微があると思うのですが、それがハナの夫婦の箇所であぶり出されるのがおもしろいと思いました。

エーデルワイス:8月7日JBBY主催オンライン講座『非血縁の家族について考える~里親で育つ子どもたち』に参加して感銘を受けたばかりで、今回の課題図書はタイムリーと思いました。この物語では、養子縁組を結ぶ場合、親になる人が子どもを選ぶのではなく、子どもが親になる人を選ぶというところが新鮮でした。最近でも親の養育放棄で幼い子が亡くなるという痛ましいニュースが続いています。実の親に子どもを育てる能力がなかったら国が親に替わって子どもを大切に育てるこの近未来の内容が、いつか実現するかもしれないと思ったりもしました。終盤主人公の「ジェヌ301」が養子縁組をすると思いきや、自分で巣立つという選択をしたところが予想を裏切られて爽快でした。韓国でこの本が青少年に大いに支持されているそうですが、生の感想をぜひうかがいたいと思いました。

アンヌ:私は初読の時あまりにあっけなくて、上下巻の上だけで終わったような気分になりました。外界の様子がはっきりと描かれていないので、養子になれなかったら過酷な運命が待っていて、差別の待ち受けている一般社会に一人で立ち向かうことになるという設定がピンときませんでした。政府が子どもを養育しているなら、才能のある子を見出して英才教育をするだろうとか、19歳で外界に出て居場所がないならまず兵役じゃないかとか考えてしまい、設定に納得がいかなくて物語に入り込めなかったようです。主人公は4年近く様々な養父母候補と会っていて、養子制度のうさん臭さに冷めているようですが、お金や小説の種を目当てにペアリングを申し込んできたハナ夫婦とは友情を結びます。親子関係ではなく、彼らや施設長との友情を基に、主人公は外界に出て一人で生きていくのでしょうか? いずれにしろ続きの物語がないと、物足りない気がします。

つるぼ:ディストピアの物語ということで『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 早川書房)を真っ先に思い出し、なにか悲劇的な事件が起こるのではないかと、はらはらしながら読みましたが、満足のいく結末でほっとしました。わたしはアンヌさんと反対で、設定が非常に巧みで、よく考えられていると思いました。外の世界から切り離された、男子のみの施設に舞台を設定したことでYAには欠かせない恋愛とか、その他もろもろのことがすっぱりと削ぎおとされ、親とは、家庭とはという作者の問いかけが真っ直ぐに伝わってきていると思います。まるで一幕物の舞台を観ているようでした。ただ、主人公の年齢が、本来なら家庭を離れて自立していくころなのに、なぜ家庭を必要としなければいけないのかという点が、少々気にかかりました。韓国は家父長制が重んじられ、血筋を大切にすると聞いたことがありますが、その辺のところが日本の読者と受け止め方が違ってくるのかな? 親が決まらず施設を出た子どもが差別され、生きにくさを抱えるということも書いてありましたが……。

ハル:この本は韓国ではYAとして出版されているんだと思うんですけれども、日本ではおとな向けのカテゴリーですね。一読目は私もおとな目線で読んだと言いますか、里親制度は子どものための制度なんだけれど、本当に子どもに軸足を置けているのかな(施設で働く方々ということではなくて、社会が、という意味です)ということを考えさせられました。p21の「ココアはセンターを訪れるプレフォスターの笑顔に似ていた。適度に温かくて、過剰に甘い」といった一文にドキッとしたり。でも、二読目になると、これはやはりYA世代の人にこそ読んでほしい本だという思いが強くなりました。「ぼくの親は何点かな」とか「ペイントで自分の親と面談したら選ぶかな」とかいうことじゃなくて、将来、自分が親になるかもしれない、新しい家族をつくっていくかもしれないことに思いを馳せ、視野を広げる1冊になるんじゃないかと思います。だから、日本でも児童書として出してほしかったなあと思いました。とてもおもしろかったです。

雪割草:興味深く読みました。日本でも非血縁の家族など家族のあり方を考える機会がふえていますが、韓国は血筋を大事にする社会と聞いていたので、そのようななかでこういった作品を書くのは挑戦的だったのではないかと思いました。最後のジェヌの選択は、作者の社会における差別や偏見に対する姿勢があらわれているように思いました。プレフォスターの面接の場面が子ども目線で描かれることで、子どもも親に対して期待を抱くことや、ハナの母親のように子どもを自分の欲求を満たす手段にする親、パクの父親のように虐待する親などさまざまな家族の関係が描かれていて、家族のあやうさについて考えました。子どもだけでなくおとなにも広く読んでもらいたいです。

 

ハリネズミ:とてもおもしろかったです。施設に入っている子どもを養子にするという場合、たいていはおとなが子どもを選びますが、この作品では逆で、子どもが選ぶというのがおもしろいですね。少子化に歯止めをかけるため、産むだけは産んでもらって、育てるのが嫌なら国で育てるという政策になっている近未来ですね。ただ思春期になって複雑な心を抱える子どもを、これまでの積み重ねなしに突然引き取っても難しいと思うので、そこはちょっとリアリティに欠けるかと思いました。まあ、だからこそ思惑があって引き取ろうという人に対しては、センター長やガーディが目を光らせているのでしょうね。ジェヌが最後にペイントをした夫婦は、これまでと違う、飾り気なしで本音を言ってしまうところがあり、だからこそジェヌは気に入ったんですよね。ということは、たいていが美辞麗句を言う人たちだったんでしょうか。2回読んで、結末はどう考えればいいかと思案したんですが、センター長のようにしっかり子どもを見てくれている人がいて、その人の生き方も手本になるとすれば、親はなくてもしっかり歩んでいける、ということなのでしょうか?

シマリス: とてもおもしろく読みました。こういう謎の組織に隔離されている話って、組織に悪が潜んでいたり裏の目的があったりして、システムの目的を暴いていくのが焦点になりがちです。でも、この作品では、そこは最初にさらっと明かされていて、焦点は「親子とは何か」「家族とは何か」に絞り込まれていました。リアルな話でこのようにテーマが明確すぎると、説教臭かったり作者の言いたいことの押し付けになったりするかもしれませんが、近未来の架空の設定にすることによって、そういう生臭さが消えています。素直に、家族とは何か、親とは、血縁とは、そんなことを考えることができました。

西山:たいへんおもしろく読みました。ラストでこれは児童文学だと思いました。悲惨な展開になりはしないかとちょっとひやひやする部分もあったものですから。途中、主人公のジェヌはガーディのパクと親子になるのではないか、ペイント(面接)を進めたあの2人と縁組みするのではないか、そうなればよいのにとどこかで思いながら読んでいたことが、良い方向にひっくり返されました。私の甘い期待は結局親子関係を紡ぐことをハッピーエンドとしていたわけで、染みついた固定観念を突かれた感じです。そうではない着地点を見せてくれたことが、家族とは何かを問う作品として芯が通っていて大いに刺激されました。父母面接を13歳以上の子どものみに可能とした経緯は、p30からp31にかけて書かれていましたね。初読時は、単にこの世界の設定部分としてさらっと読み飛ばしていたのですが、「嫌なことや間違いを口で言える十三歳以上の子どもにだけ父母面接を可能にした」という部分は、もう1冊のテキスト『りぼんちゃん』(村上雅郁著 フレーベル館)とも通じる大事な観点だったなと思っています。読めてよかったです。

しじみ71個分:本当に、とてもおもしろく読みました! 親が産んだ子どもを育てることをしないで、国家に預けて育ててもらうという設定なので、ディストピア的な暗い話かと思ったのですが、ガーディが子どもたちを思い、愛情をもってしっかり育てているし、アキのような、愛らしいまっすぐな子が幸せになり、ジェヌのような冷静な大人っぽい子がちゃんと育って独り立ちしていくという、希望を持って終わる物語になっていて、これは作者が子どもに届けたくて書いているのだなと強く感じました。「親は選べない」と世の中では言われているけれど、それをひっくりかえして、親を子どもが選べる設定になっており、最後までどう物語が進んでいくのか、ずっと興味を引かれながら読み通しました。ジェヌが「ペイント」(=ペアレンツインタビュー)をしたり、ガーディたちのことを考えたり探ったりと、彼による大人の観察を通して、物語が進んでいきますが、その観察がとてもていねいに書かれており、読んで大人として痛いやら、身に沁みるやらでした。手当をもらうために子どもをもらおうとする夫婦や、夫が妻を支配する夫婦が来て、期待できない大人を見てしまいますが、それと一線を画し、親になる自信のなさも含めて正直に自分を見せてくれる大人、ハナとヘオルムが会いにきて、親子という関係をこえて、信頼できる大人としてジェヌの前に現れたのもとてもよかったです。ガーディのパクとチェの存在の描かれ方も、本当によかったなと思いました。血縁でなくても、自分を思ってくれる人がいるということは、どんなに心強いかというメッセージにもなっていると思います。結末も、親子関係の中に自分を置くことを選ばず、自立していこうと希望を持って終わったので、読後にとてもすがすがしい開放感がありました。親子や大人と自我との葛藤は、思春期だと必ずぶつかるテーマだと思うのですが、それに対する作者からの1つのヒントになっていると思います。最近の韓国ドラマを見ても、各所に過去まで遡った家系や学歴、貧富や家族関係など、出自に関する言及が本当に多くあって、韓国社会の中では個人のバックグラウンドはやはりとても気にされるんだと思います。そんな社会であれば、この物語は韓国の子どもたちにインパクトがあるだろうと思いました。細かい点ですが、アキの名前は一人だけ日本語の「秋」に翻訳されてしまっていて、ちょっと日本っぽさを思いだしてしまうので、韓国語の秋の音で「カウル」にした方がよかったんじゃないかとか、年下の人が年上の男性を呼ぶときに「ヒョン」と呼びかけますが、それも毎回、「兄さん」と訳さなくてもよかったんじゃないかなど、素人ながら翻訳はちょっと気になることがあったのですが、物語としてとてもとてもおもしろかったです!

ルパン:未来小説だと思いますが、近未来世界というか、本当にそうなるかも、って思わせる設定で、おもしろかったです。ヘオルムとハナを里親にしなかったのは正解だと思いました。友だちみたいな親はいらないし。この二人なら、お金をもらえなくても、ジェヌが卒業後に会いに行ったら喜んでくれると思います。ガーディのパクはこのあとどんな人生を送るのか気になりました。

(2022年8月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年07月 テーマ:アウトローと友だちになる

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『2022年07月 テーマ:アウトローと友だちになる』
日付 2022年7月19日
参加者 ネズミ、ルパン、花散里、アカシア、エーデルワイス、コアラ、アンヌ、しじみ71個分、まめじか、西山、さららん、ミズタマリ
テーマ アウトローと友だちになる

読んだ本:

『スネークダンス』表紙
『スネークダンス』
佐藤まどか/著
小学館
2022.03

〈版元語録〉芸術の町ローマで生まれた圭人は、父親が亡くなったことを機に母と日本に帰国する。東京の町をスケッチしていたある日、圭人はスプレー缶を持ちダイナミックに落書きをしている風変わりな少女と出会い…。
『サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと』表紙
『サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと』
原題:WHAT’S THAT IN DOG YEARS! by Ben Davis, 2019
ベン・デイヴィス/著 杉田七重/訳
小学館
2021.06

〈版元語録〉愛犬ギズモが老い先短いことを知ったジョージは、ギズモにさせてあげたいことリストを作り実行していく。さまざまな困難を解決していく物語の面白さと、深刻な背景を持ちながらも魅力的なキャラクター達の愛しさにぐいぐいとひっぱられる、笑えて泣けるドタバタ感動ストーリー。

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サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと

『サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと』表紙
『サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと』
ベン・デイヴィス/著 杉田七重/訳
小学館
2021.06

ルパン:全般的にはおもしろかったのですが、シャロンの描かれ方がどうも…リブは、ほかのだれからも仕事をもらえないのに、シャロンだけが雇ってくれるんですよね。信頼もされていた。なのに、シャロンがずいぶん悪者みたいに描かれているのが違和感ありました。それから、この夫婦が離婚してしまうほど決定的な事件が、ジョージの怪我だったというのも「え?」という感じです。この父親と母親、責任のなすりあいして離婚してしまうわけですよね。ジョージはそのことでいっそう傷ついているのではないでしょうか。

ミズタマリ:正直、前半は間延びしているように思いましたが、読後感はとてもよかったです。犬との友情をはじめ、いろんな形の友情、人間関係が描かれています。ギズモ、つまり犬の一人称だと思っていた章が、最後まで読むと、ジョージとリブが書いたお話を分散して載せていたということがわかります。その仕掛けがとてもおもしろかったし、犬の一人称としては人間に寄り過ぎではないかという疑問も解決しました。気になるところはいくつかありました。まず、犬の腎機能の衰えなのですが、こんな急激に悪化するでしょうか。あと、p.123で、ローザは犬の毛のアレルギーなのだと言います。でも、正確には犬アレルギーは、皮脂などに含まれるたんぱく質由来のはずです。なので、ローザがいい加減なことを言う大人なのだというイメージが焼き付き、後半で誠実な人柄とわかって驚きました。また、p.133で、リブが「約束通り、来てくれたか」と言うシーンがあるのですが、これが男っぽくて、リブは女子だと思っていたけれど本当は男子だっけ、と遡って確認してしまいました。あともう1つ、p.331にギズモが語ることとして「ある種類の肉を買い忘れてしまった」とあるのですが、ある種類、という言葉が不自然に思えました。

西山:最初私はなかなかのっていけなかったんですが、p.81でシャロンがギズモにキスされて声をあげて笑う場面で、ああ、この人は本当に犬が好きな人なのだと好感をもって、やっと作品に入れた気がしたのです。ところがどうもそうじゃなかったということが早々に分かって、好きになれるポイントがなくて戸惑ったままでした。いじめっ子側にべったりになってしまったマットにしてもシャロンにしても、日本の創作だったらこれほど切り捨てなかったのではないか、もっとこまやかに彼らのことも嫌いになれない背景がちらりと書き込まれていたのではないかと思うと、そもそも読み方を変えなきゃいけなかったのかなと、テイストの違いを感じます。安楽死の提案には驚いて、不当な感じがしました。後半がばたばた。そこまでの長さと、後半のエンタメ的なドタバタの連続が不釣り合いに感じて、もっと薄くて、勢い良く展開する本でもよかったのに、と思ってしまいました。1つ質問です。リブの人種って、言葉上では書かれていませんが、表紙の絵で有色人種とわかります。あとp.155に肌の黒いリブが登場しますし、あえて言う必要はないとは思うんですけど、どうしてこういうことになっているのでしょう。

ルパン:p.232ページの挿絵、リブですよね? ここだけリブの肌が白いんですが。

アカシア:そこは私も違和感がありました。そこだけ白い肌で、あとはそうじゃないんですよね。

アンヌ:私は、ギズモの話す章をジョージが書いているとしばらく気づかず、漱石の『吾輩は猫である』の犬版だなあと思いながら読んでいました。リブがシャロンをだましたりけなしたりする場面でも、シャロンは実はリブの母親だから平気なんだろうと思ってしまいました。シャロンは解雇するとき恩着せがましいことを言っているけれど、きっと、リブはかなり劣悪な条件で働かされていたんだろうと思います。ジョージのパニック発作の原因が両親のけんかというのはもう一つすっきりしない説明だと思いつつ、とにかく、老犬の割には大活躍のギズモが楽しくて、ジョージの腕の中で眠る最後でほっとしました。私は『ヘリオット先生奮戦記』(ジェイムズ・ヘリオット著 大橋義之訳 早川文庫)が大好きで、あのシリーズでは、獣医である主人公が動物に苦痛を与えないための決断だとして安楽死を行う場面がいくつかあるのですが、今回はあまり必然性がないようで、それを迫る親たちの態度に疑問を感じました。ジョージはきちんと別れの儀式を組んでいるのですものね。

花散里:いじめられっこのジョージと愛犬ギズモの物語はおもしろさが伝わり、子どもたちもとても読みやすいのではないかと思いました。作者はイギリスの学校をまわって文芸創作のワークショップをしているので、子どもたちを見て作品づくりに生かしているのが伝わってくるようでした。後半に向かって、どんどん読ませる構成がとても上手だなと思いました。犬との触れ合いがよく書かれていて、表紙画とともに子どもたちが手に取りやすいのではないかと感じました。この作者の新しい作品、『ぼくたちのスープ運動』(渋谷弘子訳 評論社)も読んでほしいと思います。

まめじか:タイトルは「ギズモにさせてあげたい」となっていますが、丘に登るとか、有名になるとかは、主人公がしたいことですよね。飼い主目線というか、飼い主の思い出づくりのように感じてしまって……。p.59に、「このころから、ジョージは文字を書くのがあまり得意じゃなかった」とあるのですが、ジョージはディスレクシアなのでしょうか? お話はずっと書いているようなのですが。

花散里:パニック障害はあるんですよね。そういうところとつながっているのかな。

アカシア:ディスレクシアではないんじゃない? スペリングが苦手なのかも。

まめじか:p.98で、マットに対して「きみ」という二人称を使っていたり、「こっけい」(p.248)という言葉で表現していたり、13歳らしからぬ言葉づかいなのは、この子が周囲から浮いてるから?

エーデルワイス:日本語の書名は原題とは違うので、翻訳はおもしろいですね。「死ぬまでにしたい10のこと」という映画 がありましが、それもどきでしょうか? 読んでいて想像する部分が多かったです。両親の離婚は、ジョージの事故がきっかけに過ぎず、前々より隙間風が吹いていたのかもしれないし、親友だったマットがこれでもかこれでもかといじめる理由が全くわかりませんでした。ジョージの何か言った一言が気に障ったのかな? それどもジョージが幼すぎたのでしょうか。p.339の12行目「この一瞬を生きるんだよ」はいいですね。雑種犬コンテストの賞金が400ポンド。1ポンドを164.35円に換算すると65,740円になります。確かにジョージにとって大金ですね。

ネズミ:非常にうまい構成の物語でさっと読めましたが、物足りなかったです。ゴールデンビーチに行くことで、めでたしめでたしのように見えるけれども、両親の離婚でパニック障害気味でひとりぼっちというジョージのかかえている問題も、ヤングケアラーとしてのリブの問題も、それで本質的に解決したわけではない気がして、後半は特に都合のよい展開が多く感じられました。エンタメと思いましたが、それにしては言葉が多く、よく読める読者じゃないと読みとおせそうにありませんし。でも、p.230の高い丘から町を見下ろすシーンは好きでした。視野を広げるのって大切だなと。ただ、気にかかったところがところどころにあって、たとえばp.48の「中華料理を注文した」。少し言葉を足さないと、バーベキューができなかったから出前を頼んだと、読者にわからないかもしれません。また、p.190の5行目など数箇所で「いつぶりだろう」は違和感がありました(参加者から「若者言葉だ」という発言あり)。あと、どうかなと思ったのは、ギズモの一人称の部分の文体。人間の年でいえば78歳の老犬なので、私はもっとおじいさんぽい口調になるかなと思ったのですが、書いているのは主にジョージなのでこれでいいのでしょうか。みなさんがどう思ったか、お聞きしたかったです。

アカシア:読む前にネットで梗概をを見たら、ドタバタって書いてあったで、ああ、ドタバタの話なんだなと思って読み始めました。ジャックは、中学生なのに昔のヒーローの衣装を着て犬にも着せて友達のパーティに行ったりするところを読むと、もしかすると発達がゆっくりなのかもしれません。そのジャックが、空気が読めなくて仲間はずれにされたり笑われたりするシリアスな場面と、老犬ギズモがやらかすドタバタな部分の落差はかなりあります。そこをどう評価するかは、人によって違うかと思うのですが、私は子どもの本として絶妙なミックス具合だと思いました。愛犬が高齢で体力もなくなったときに、死ぬまでに何をやりたいかを考えてリストを作り、一つ一つ実現していくというのも、いいですね。ギズモに何かをやらせてあげるというよりは、ギズモと自分で思い出をちゃんと作ろうということなんだと私は理解しました。医者も家族も安楽死を勧めたのに、それを拒否してもっとすばらしい最期を迎えさせてやれたところも好きでした。タイトルですけど、「9のこと」はすわりが悪いので「9つのこと」くらいでいいような。あと、ギズモがコンテストで優勝するとか、悪党を退治するなんていう部分は、ちょっとできすぎかもしれません。

しじみ71個分:前の選書当番のときに、なんとなくエンタメっぽいかと思ってやめた本でしたが、改めてちゃんと読んでみると案外おもしろかったです。犬の看取りの物語なのかと思えば、そこにちゃんと主人公の成長も重ねてあってよかったです。ジョージがみなさんのおっしゃるように、ちょっと発達に遅れのある子なのかなと思うほど、ちょっと幼くて、友だちのマットの心変わりに気付かず、いじめの対象になってしまいますが、ギズモと思い出作りをしながら過ごす中で、もう自分を大事にしない人は友だちでないと思えるようになり、たくましくなっていくのが心に残りました。リブもヤングケアラーで、貧困のせいでいじめられたりもしますが、ギズモの活躍のおかげで行政の支援が受けられるようになってホッとしました。物語の中では、子どもが大怪我をしたからといって離婚にまでなってしまうかなと思ったし、リブがギズモとコンテストに出ると言った時点で、本番にはリブは来ないなと読めてしまうのでありがちかなとも思いましたし、ギズモが強盗の急所にかみついて御用になるとかは、ちょっとご都合主義だなと思いましたが、最後にゴールデンビーチで夕陽を見ながら家族が和解する中ギズモが旅立つというシーンは、ちょっとぐっと来ました。痛快だったのは、ジョージとギズモが仮装してパーティーにいってみんなに笑われて帰るところ。マットの靴の中にギズモが糞をしてしまうのは最高に痛快でしたね。あと、タイトルが「ギズモにさせたい」というより、「ギズモとしたい」の方がしっくりきたんじゃないかなと後から思いました。

さららん:前半では、何度いじわるされてもまったくめげずに、かつては親友だったマットと仲直りできると信じて突き進むジョージに、どうしても共感できませんでした。現実に起きていることと、ジョージの認識の間に差がありすぎて……。「おいおい」と、つっこみを入れながら読んでいたのですが、ジョージには何か障害があって、人の感情を読み取るのが苦手な子なんだと思いなおすと、違う視野が開けてきますね。ともあれp.131で、ジョージがマットと決別する決心をしてくれて、ホッとしました。両親の離婚は自分のせいだと抱え込んでいる部分もあるジョージですが、一方で、なんとかなるさと前向きに行動するところが大きな長所です。リブに助けながら、ギズモが「死ぬまでにやっておきたいリスト」の項目を1つずつ実現させていく。そしてジョージはリブとの友情を深めるなかで、それまで知らなかったいろんなことに気づきはじめる。最後にギズモは死んでしまうけれど、全体として悲しくてたまらない物語にはなっていないところがいいな、と思いました。物語の終盤で、ギズモが泥棒に果敢に食らいついてやっつけるエピソードでは、瀕死のギズモにそんな体力が?と、つっこみを入れたくなりましたが、ともあれ死を迎える愛犬との暮らしをコミカルに明るく描いた、ユニークな物語です。細かい部分をあまり気にせずに読んでいければ、読者の子どもたちも「ギズモと知り合えたぼくは、よりよい人生を勇敢に送っていかなきゃ」(p.359)というジョージの言葉を素直に受け止められるでしょう。

アカシア:シャロンのキャラクター設定が揺れてるんじゃないか、という声がありましたが、最初は笑ってますけど、あとは「うすら笑い」となっているので、一応ちゃんと書いているかな、と思いました。今回のテーマは「アウトローと友だちになる」ですが、この作品でも『スネークダンス』でも、両方ともアウトローは女の子です。どちらも社会に反発を感じて、家族という点では大変なものを抱えていますが、この女の子のアウトローたちが男の子たちを成長させていき、それによって自分たちも少しずつ変わっていくという設定がおもしろいなと思いました。

まめじか:ジョージは「ウルトラボーイとワンダードッグ」のお話をずっと書いていて、そのことはギズモの章にも出てきます。最後にギズモの自伝をリブに見せる場面があるので、つまりそれは、ワンダードッグのお話とは別に、ギズモの自伝も書いていたということですよね?

アカシア:そういえば確かに、そこははっきりしませんね。

(2022年7月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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スネークダンス

『スネークダンス』表紙
『スネークダンス』
佐藤まどか/著
小学館
2022.03

アカシア:とてもおもしろく読みました。イタリアと日本の文化の違いに、人間の生き方を重ねているのがおもしろいですね。同じ建物に住むバスケ仲間には、日本人やイタリア人のほかにインド人、韓国人、スコットランド人などもいて多様なのもいいですね。個人的におもしろいな、と思う表現がいろいろありました。[数をかぞえる単位がヨーロッパは3桁ずつ、日本は4桁ずつ]というところは、そういえばそうだと再認識しましたし、[母語や母国語ではなく母校語がいちばんしっくりくる]とか[日本の男子中高生の一人称は「オレ」]、[大理石の国から、木とたたみの国に来たんだ][イギリスはイタリアより差別が厳しい]、[ローマでは美術館などは無料で入れる]などというところ、著者の視点で私も新たに文化を見直すことができました。著者がふだんイタリアに住んでいる方なので、編集のほうでもう少しアドバイスすればいいのにな、と思うところもありました。たとえばp.11の「もちろんさ。マッテオは日本のアニメ大好きだもんな」は、二人称ではなくマッテオと言っているところが日本的な会話になっていて、さすがと思ったのですが、p.7の「いらないってば。この悪魔め!」は翻訳調ですし、p.120の歩のセリフ「あんがと。あとであたしが取りに来る」は、日本語だと「取りに行く」になるんじゃないかな。それと、p.165の圭人の独白「まっぴらごめん」は、今の子は使わない言葉かもしれません。そうそう、圭人(けいと)という名前ですが、ヨーロッパだとKateが女性名なので男の子にはつけない名前かも。著者はあえてそうなさっているのかもしれませんが。今回のテーマで言うと、アウトローの歩を圭人が惹かれたり否定したりしてとても気がかりな存在になっていく、というのがおもしろいと思いました。

ネズミ:私もとてもおもしろかったです。まず、主人公に寄り添って読んでいけるのがうまいなと思いました。そして、タイトルと表紙を見てダンスの話かと思ったら、そうじゃなくて、ストーリーもどんどん思いがけない展開があって、思ってもみないところに連れていかれます。予想がついてしまう物語も多いなか、自然な形で予想を裏切ってくれて、楽しめました。同じ作者の『アドリブ』(あすなろ書房)は音楽でしたが、この本ではローマの建築や絵の蘊蓄が盛りこまれていて、多分作者が意識的にしているのだと思いますが、10代の読者に新しい世界を受け止めやすい形で差し出しているところも好感を持ちました。

エーデルワイス:表紙のイラストとカバーイラストが違っていてオシャレです。題名の『スネークダンス』とカバー絵で主人公の杏里圭人と山中歩が踊っているので、ダンスの話かと勘違いしました。法隆寺の話になるとは! 圭人が宮大工になろうと意思を固める展開に驚きました。作者が住んでいるイタリアならではの内容で、読みごたえがありました。かつてコロッセオでは公開処刑を行っていたものの、今は死刑を廃止しているイタリア。世界中のどこかで死刑が廃止されると、コロッセオでセレモニーが行われることを本文で初めて知り、感銘を受けました。杏里圭人(あんりけいと)の名前は西洋風ですが、日本に「杏里」という苗字があるのでしょうか? 作者がアンリ・マティスが好きなせい? 終盤、圭人の父親を引き逃げした犯人が逮捕され、圭人の心にやっと平穏をもたらしますが、歩の家庭問題は解決していません。歩を理解してくれるおばあちゃんと古き良き家屋に住んでいますが、愛情を全く感じられない父親、若い義母、母親。続編があるのでしょうか?

まめじか:最初のほうでローマの建築の話が続くのですが、それに十分なページを割いてていねいに描いているから、圭人が建築に興味をもち、やがて宮大工を目指すようになる過程にも説得力がありました。先ほど歩の家庭の問題が解決されないという話がありましたが、こういうふうに親が子どもを養育しようとしないことって、現実の世界にもたくさんありますよね。歩は父親とわかり合えず、圭人は父親をひき逃げ事故で亡くし、ままならない現実にそれぞれ直面している。そこでつぶれてしまうのでなく、人との出会いや、好きなことや夢を、前に進む力に変えていく。レジリエンスというか、逆境の中でもちこたえる力を、五重塔の耐震構造に重ね、スネークダンスという言葉で表現しているのが見事だなあと。日本の景観の問題や、イギリスの差別のことなど、長くイタリアに住んでいる作家の方ならではの視点ですね。視野の広さを感じました。

花散里:ローマの古代建築と東京・下町の建築などの対比の中で物語が展開していくので、とても関心を持って読みました。父親を交通事故で失い、日本に帰らざるをえないときの主人公の心の機微も伝わってきました。日本に帰国してからの歩との出会いも興味深く展開して行き、作品の構成も上手だと思いました。法隆寺や宮大工についてもよく調べられていて、法隆寺の心柱の考え方を「スネークダンス」に繋げているところなどが印象的で読後感がよく、日本の作品のなかでも読み応えがある1冊だと感じました。

コアラ:私もおもしろく読みました。前半にローマのことがたくさん書かれているのがよかったと思います。p.26の後ろから4行目、「数は何語で数える?」以降が特に興味深かったです。圭人が日本に来てからは、歩のしゃべり方に少し違和感がありましたが、アウトローだからこういうしゃべり方もアリかなと思えたら、圭人との会話がおもしろく感じられました。p.131からの「11 心柱ゆらゆらゆらり」の章は特におもしろくて、p.133の最後の歩の発言には、そうそう、とうなずいてしまいました。読んでいて、歩の考え方に染まってしまいそうな勢いがありました。p.216の8行目から10行目については、私も以前、揺れることによって揺れを吸収するという方法を知って衝撃を覚えたので、「背筋がゾゾッとした」というのはよくわかると思いました。この本を読んで初めてこういうことを知った子がいるとしたら、やっぱり驚きがあるのではないかと思います。最後もうまくまとめられていて、子どもにおすすめの本だと思いました。

ミズタマリ:冒頭にタバコを吸うシーンがあって、攻めている児童書だなと、いい意味で驚きました。イタリアの文化、日本との違いを知ることができ、異文化に触れられる作品です。イタリア以外に、イギリスや周辺国のことにも言及していて、興味深く読みました。ただ、説明的に感じられる部分もありました。建造物についての説明が続く場面では、興味を持てない子もいるのではないか、そういう子はページをめくる手が鈍らないか、と、ちょっと気になりました。2人の友情は魅力的だし、最終的に、主人公が希望を見つけて終わるので、読後感はとてもいいです。1箇所だけ気になったところがありました。p.93で、「外見の似た女の子同士がうなずきあう」という場面。主人公が「この二人の名前を覚えるのに苦労しそうだ。」となっています。でも、主人公は写真のような詳細なスケッチを得意にしているのですよね。一般の人が、似ている女子同士、区別がつかないと思っても、主人公はぱっと違いに気づく、というようなキャラクター設定に思えたので、ここは若干矛盾を感じました。

ルパン:いい本だとは思いますが、おもしろかったかどうかというと、ちょっと…。最初の部分に説明が多くて、おもしろくなるまでに時間がかかってしまいました。子どもの読者は最後まで読み通せるでしょうか。すてきだと思った言葉は、p.217の「名をのこさず匠をのこす」です。あと、歩が親元を離れているのに、制服を着なかったり悪いことをしたりして、遠くから親の気をひこうとしているところが何とも切ないと思いました。

アンヌ:前半がずっと美術館やイタリアの遺跡の話で長いけれど、私は言葉だけでここまで景色を表現できるのか、住んでいる人の視点からの案内は違うなとおもしろく読みました。イタリアで温かい人間関係を築いていて、イギリス社会の構造とかを友人を通して知っている圭人が、なぜ日本ではこんなに消極的な姿勢で目立つまいとしているのかは少し不思議でした。先ほど、まめじかさんおっしゃっていたように、この作品は今までの作品よりさらに人物の奥行きが深くなっていて、その点も素晴らしいと思います。例えば、死んだ父親像を生きていた時の思い出だけではなく、本当は絵を描きたかったのじゃないかと考えさせて、もう一つ掘り下げて描いているところとか、歩のおばあちゃんがケイトの嘘を見抜いていた場面で、あれ?と思っていたら、あとからこの人は実は塾の先生で、ただ者じゃない人だったとかわかるところとか、ですね。また、建物の構造も、授業で見学に行ったと聞いた形でうまく説明されていると思いました。それにしても、法隆寺の構造とスネークダンスがつながるとは意外でした。歩のペイントが、いたずら書きからシャッターペイントに変わり、町の人とつながりが出てくるところ、それによって圭人も変わっていって最後に大声で叫ぶところなど、読後感もよかったです。

アカシア:今、圭人がなぜそこまでびくびくして構えているのか、という疑問が出たのですが、日本の同調圧力はすごいし、日本人学校などでも「目立つとたたかれる」なんていうことを聞いてたからじゃないかな、と私は思いました。父親がいないし、帰国子女だしなど、マジョリティと違う部分を圭人は持っているので、たたかれることを警戒したんじゃないかな。それから、なんだかこの作品を弁護しているようですが、ミズタマリさんがおっしゃったp.93の2人の女の子違いがなんだかはっきりしない、という場面ですが、私は人物より建物に興味をひかれている圭人ならありかと思ったし、イタリアだと髪や目の色も、着てる服も、肌の色もみんなそれぞれ違うでしょうから、日本人が同じような外見で同じような意見を言うのを前にして圭人がそう思うのも当然のように思いました。

ミズタマリ:私もそれはそう思うんですけど、キャラクター設定としてどうかな、と思ったんです。

アカシア:歩が、好きなことは徹底的に追求するところとか、アウトローぶりを発揮するところがとてもおもしろかったです。圭人も最初は嫌がっていますが、影響を受けていきますよね。それに、たぶん歩は圭人が好きなんじゃないかと思いますが、圭人がそれに気づいてないところも、おもしろいな、と思いました。

ネズミ:親じゃなくても、わかってくれる人がいることを書いているのかなと思いました。おばあちゃんは後になって、面倒見のいい塾の先生だったことがわかって、わが子はエリート弁護士になったとしても、孫の成長を見守っている大人だというのが想像されますよね。

ネズミ:谷根千では古い建物を生かしながらやっていこうとしている建築家の人たちがいます。佐藤さんともその人たちとつながりがあるのかもしれないと思いました。

アカシア:建物も、観光地として売り出すところまでいかないと、どんどん壊されていきますね。もったいないです。古い建物をリフォームして住んでいる人が、耐震はどうなのかときいたら、昔の建物のほうがしっかりしているんじゃないか、と言っていました。

花散里:奈良の宮大工棟梁の西岡常一さんの本など読むと、日本の建築の良さがよくわかりますね。

さららん(遅れて参加):『スネークダンス』というタイトルなので、ダンスのお話かと思って読み始めたら、作品のモチーフは建築。しかも大地が揺れると心柱も動くという、法隆寺の心柱の仕組みから来ていることがわかりました。その意外性がおもしろく、またローマと東京の町の景色の違い、文化の保存に対する意識の違いやなど、蘊蓄もふくめて興味深く読めました。圭人は、日本の中学校では周囲と同化するために、一人称を「ぼく」から「おれ」に変えなくてはと考えます。イタリア語だけを使って生きていれば、存在しない気苦労ですよね。そんなふうに、イタリアから帰国したばかりの主人公のナマの感覚、違う視点を、読者が自然に共有できる作品だと思いました。日本への帰国後、できるだけ目立たないようにする圭人と、父親に反発してグラフィティを続ける歩は対照的な存在です。けれど、古い町並みへの愛情では共通していて、ふたりが友情をはぐくむ過程は王道の児童文学という感じ。歩の父親とその恋人の描き方は漫画的ですが、この作品のエンタテイメント性というか、軽快さを保証するためには、そのぐらいでちょうどよかったのかもしれません。最後に帯のことを少し。「芸術の都ローマで生まれ育ったアンリは」とありますが、主人公の名前は圭人(けいと)だったはず。確認したところ、p.88にフルネームの「杏里圭人」が初めて出てきました。「アンリ」は間違いではないけれど、読者にとってはやはり「ケイト」か「圭人」でしょう。

しじみ71個分(遅れて参加):『スネークダンス』というタイトルから、どういうところに話が落ちつくのか期待を持ちながら読み進めました。はじめはイタリアの観光案内みたいだなと思ったところもありましたが、日本とイタリアの間で主人公のアイデンティティの揺らぎを描くには必要だったんだろうなと後から思いました。最後まで読んでいって、やっと主人公の揺らぎを法隆寺の心柱の揺らぎに重ねて、揺らぎながらしっかりと立つという、柔軟な強さにつなげたんだなと腹落ちしました。主人公が将来の夢を見つけて希望を感じさせて終わり、読後感もさわやかです。圭人の将来を決めさせてしまう、宮大工さんがかっこいいですね。「わたしたちは名を残さず、匠を残す」(p.217)の言葉は胸に沁みました。p.218の「和」の解釈で、「つかず離れずの間合いの『離』を保つことが『和』の前提」というところなどは本当にそのとおりと思いました。おもしろかったのですが、ただ、歩の家族の問題は解消されないで途中で消えてしまったのがちょっと残念だったのと、圭人と歩の怒りはどこで消えてしまったのかという、なんとなく不完全燃焼感はありました。若者が怒りをもって立ちあがるということを伝えるのはとても大事だと思って読みましたが、それをどうやって自分たちで解消したり、解決したり、折り合いをつけていくのかという示唆がないままだったのが気になったのと、「抵抗と抗議のちがい」について掘り下げがもうちょっとあってもよかったのかなと思ったりもしました。

アカシア:この作品は13歳の少年の一人称なので、抵抗と抗議はどう違うかは書けないでしょうね。

しじみ71個分:なるほど。語り手の人称の視点は、読んだときには欠けていました。

(2022年7月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年06月 テーマ:謎の研究

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『2022年06月 テーマ:謎の研究』
日付 2022年06月21日
参加者 ネズミ、ハル、シア、ルパン、花散里、すあま、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、オカピ、西山、さららん、サークルK、マリナーズ、雪割草
テーマ 謎の研究

読んだ本:

『紙の心』表紙
『紙の心』
原題:CUORI DI CARTA by Elisa Puricelli Guerra, 2012
エリーザ・プリチェッリ・グエッラ/作 長野徹/訳
岩波書店
2020.08

〈版元語録〉「はじめまして、だれかさん! 」少年はある日、図書館でほこりをかぶる本の間にはさまれていた手紙を見つける。顔も名前も知らないまま文通を重ねるうちに、思いをつのらせるふたり。お互いの日常をつづるなか、ふたりが暮らす「研究所」の不穏な実体が暴かれていくが……。紙のようにもろく燃えやすい心を繊細にえがいた青春書簡小説。
『博物館の少女』表紙
『博物館の少女〜怪異研究事始め』
富安陽子/作
偕成社
2021.12

〈版元語録〉明治16年、文明開化の東京にやってきた、大阪の古物商の娘・花岡イカルは、上野の博物館の古蔵で怪異の研究をしている老人の手伝いをすることになる。博物館を舞台に、謎が謎を呼ぶ事件を描くミステリアスな長篇。

(さらに…)

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博物館の少女〜怪異研究事始め

『博物館の少女』表紙
『博物館の少女〜怪異研究事始め』
富安陽子/作
偕成社
2021.12

すあま:とてもおもしろく読みました。古道具屋の娘のままでもよさそうだけど、博物館で働く、というところがユニークでした。実在の人と建物が出てくるところもよいと思います。シリーズ前提の1作目ということなのか、まだ明らかになっていないことがいろいろあります。タイトルはちょっと古くて、魅力のない感じがしましたが、あえて少女小説のタイトルに寄せたのでしょうか。サブタイトルと合わせれば興味をひかれるということなのかもしれません。主人公は13歳ですが、すでにかなりの知識をもっていて、ちゃんと目利きができる。古道具屋で仕事をおぼえるところも読みたかったです。付録があって、地図が載っているので、読む時の助けになると思いましたが、とじ込みではないので図書館の本だとなくなってしまうかもしれません。

しじみ71個分:最初にこの本を知ったのは新聞広告で、富安さんの10年越しの作品ということでとても興味を持ち、出てすぐに買いました。最初から最後まで、流れるようななめらかな文章で、ワクワクしたまま最後まで読み切りました。これは子ども向けの本なのかしら、と思うほどに枠を感じさせないおもしろさでした。個人的には、上野界隈で数年過ごした経験があるので、東京国立博物館の裏手の木々の鬱蒼とした感じなど、とてもリアルに感じることができ、怪異研究所はあの広い敷地のあの辺りなのかな?など想像も膨らみ、本当に、とてもおもしろく読みました。明治の上野界隈のノスタルジックで、少し怪しげな雰囲気は、『夢見る帝国図書館』(中島京子著、文藝春秋)にも共通するところがありますね。明治になって世の中が変わって、大阪から東京に出てきて、すべてにわくわくする感じがすごくよく伝わってきました。主人公の少女イカルがまた大変に魅力的で、大人を負かすほどの文物に関する知識や、鑑定のできる感性を持っていて、とてもお茶目な女の子で、主人公と一緒になって物語の中で冒険できました。どういう怪異がこのあとのシリーズで起こってくるのかがとても楽しみです。今回の物語も、黒手匣の紛失から隠れキリシタンと不老不死の島にまでぶっ飛んでしまうというのも、展開やスケールがとても大きくて、驚くやら楽しいやらで、物語のおもしろさを存分に堪能しました。この先は、まだ登場してきていない町田さんがどう物語の軸に関わって動いていくのかが楽しみでなりません。怪異研究でも、文物の鑑定でも、イカルちゃんがこれからどんな出来事に出会って、苦難を乗り越えて、どう成長していくのかが楽しみです!

コアラ:おもしろかったです。明治時代がよく作り込まれていて、今では使われなくなったものや事柄や言い回しも使われていて、その時代の物語として堪能できました。1回読んだだけですが、細かいところまで読み込んでいくと、もっとおもしろいかなと思いました。子どもには馴染みのない言葉も出てくるので、本をたくさん読んできた子どもで、子ども向けの本に飽き足らなくなったくらいの子にちょうどいいかなと感じました。

西山:すっごくおもしろかったです。この作品には大きな謎があるけれど、その興味にただひっぱられてページを繰るのではなくて、読んでいる間ずっと楽しかった。途中の景色、風物、主人公の発言や感性、ぜんぶおもしろかった。たとえばキリンの場面。初めて見るイカルの目を通したキリンの姿、それへの驚き、それだけでもおもしろいのですが、「イカルの知らない、どこか遠い国の草原で、この麒麟という動物たちが走ったり、歩いたり、草を食べたりしているのかと思うと、それだけで愉快になった」(p.34)と続くところで、なんてひろびろとした愉快な感性だろうとイカルのことがすっかり好きになりました。あと、女の子が働くことへのエールになっているところもうれしかったです。アキラが「男だからとか、女のくせにとか、つまらないことにこだわらず、どうすれば仕事がはかどるか考える頭」を持っている(p.96)というのもうれしかったし、「生まれて初めて、自分自身でかせいだ一円二十三銭だ。自分自身で働いて給金をもらったのだ。そう思うだけで胸がわくわくした」(p.340)というところから、これから広がる人生へのときめきで閉じるラストもよかったです。

ルパン:ごめんなさい、前評判もすごかったし、富安陽子さんだし、ということで期待しすぎたせいか、私は正直そこまでおもしろいという感じではなかったです。好みの問題だと思いますが。歴史的な背景と怪異現象とが中途半端にまざっている感じで、うまく波に乗れないまま終わっちゃいました。

マリナーズ: 非常にさわやかで、魅力的な本でした。大変な境遇にある女の子が、いきいきと前に向かって進んでいく、元気の出る作品です。特に前半3分の1は、新しい場所で冒険が始まり、いろいろな人たちとの出会いが続きます。楽しく読ませよう、という読者サービスが徹底していることに感嘆しました。もっとも、黒手匣が登場してからは、長く感じるところもありました。話の展開上、同じ場所に2度忍び込まなくてはいけないのはわかるのですが、何かを見つけるとすぐ足音が聞こえてくる、など、似たパターンの描写が多くて、若干ダレました。あと、文章で間取りを説明するのは難しいのだな、と感じます。どこかへ必死に逃げているのですが、建物全体の作りが把握できていないので、緊迫感を感じられないところもありました。読み終わってから別添の資料に気がつき、意外とシンプルな間取りだったのだなと思いました。最後まで来るとカタルシスがあるので、そのあたりの冗長な部分も必要なものだったのだ、と納得できます。おみつの存在が非常に印象深かったです。あと、細かいところですが、p.171の上野動物園の「ケンゴロウ」ってなんだろうと一瞬考えて、カンガルーか! と気づいたときは笑いました。

サークルK:とても楽しく読み進みました。登場人物がいきいきしているし、私も上野の博物館界隈はとっても好きなので。黒手匣の謎解きが、最後に凝縮されているので読む速度のピッチが上がりました。表紙の雰囲気も裏表紙とつながっていて、実は重要な登場人物もさりげなく書き込まれているところが、読後に「そうだったのか」と思わせてくれる粋な図らいに感じました。朝ドラのヒロインのように、主人公が周りの人の温かさに応援されて自分の境遇に負けずに成長していくというところが爽快でした。続編が待ち遠しいです!

花散里:私も『夢見る帝国図書館』を思い出させるようなおもしろさを感じました。上野の国立博物館から寛永寺辺りは好きな場所ですが、図書館で借りた本には付録の地図はなかったので、子どもたちには歴史的な設定など物語の雰囲気が想像しにくいのではないかと思いました。13歳で目利きの才があるというのも無理があるように感じました。アキラの存在などはもっと伏線があってもおもしろかったのではないかと思いました。物語の結末が分かってからの最後の章はなくても良いように思いましたが、富安さんの作品の中では個人的にはいちばん好きな作品だと感じました。

さららん:生まれ育った場所と作品舞台が近いせいで、タイトルを聞いたときから、この本を身近に感じていました。両親を失ったものの、よき人たちに囲まれ、父親から叩き込まれた審美眼で自分の力で人生を切り拓いていく主人公のイカル。トノサマ、アキラなど脇役の描写も巧みで、怪異研究所という設定や、事実を積み重ねながら黒手匣の謎を解明していく展開にもそそられます。親友となる川鍋暁斎の娘トヨも頼もしい存在で、続編では暁斎も活躍するのかなと、期待がふくらみます。実在の人物名(例えば博物館の初代館長の町田さんや、二代目館長田中さん)を物語に取り込んだうえで、架空の人物を存分に活躍させる構成はよくありますが、その人間関係やセリフに厚みがあり、引きこまれました。見事な日本語で紡がれた物語で、優れた書き手から十分なおもてなしを受けたという感じがします。

アカシア:黒手匣、明の正体、ロッシュやおみつの存在など、謎がたくさん用意してあって、それで引っ張るし、時代考証もちゃんとしてあるので、フィクションは苦手という子でもどんどん読めるんじゃないかと思いました。イカルは、西山さんもおっしゃっていたように、この時代にあっても積極的で勇気ある存在に描かれているのがいいですね。舞台が明治期の博物館というのも、「怪異」を研究する場所だというのも、おもしろい! ただp.247-248で、アキラが床の下で会話を聞いているだけなのに、「黒手匣があるとしたら、聖堂以外は考えられない」というのは、ちょっと無理があるかもしれません。1つ1一つの文章を味わいながら、極上の読書体験ができました。

アンヌ:とてもおもしろくて、続きが待ちきれないほどです。始まりの座敷の怪異現象のところなどは、よくある話なので少しがっかりしたのですが、そこに超能力者らしい前館長が絡んできて、おまじないをし、手を開かない工夫を母がしてくれたという記憶をたどるところが、新鮮でとても素敵でした。わたしも、しじみ71個分さんがおっしゃったように、前館長に早く会いたいです。黒手匣の怪異話もあまり意外性がなく、この事件に絡む神父は、1人にしておいた方がすっきり読める気もしました。でも、それよりなにより、この主人公が魅力的でした。道具屋の女も認めるほどの目利きで、独りで知らない江戸も歩く勇気がある。私の持論に「孤児はお屋敷の扉をたたく」というものがありまして、たった1人で知らない場所に行くから物語は始まると思うんです。そのお屋敷が博物館!これは最高の物語になるぞと思いました。イカルは沈黙を強いられる養家から古蔵に行き、様々なものの知識をペラペラしゃべりだします。このお喋りな女の子には見覚えがあるぞと思い出したのがモンゴメリの『赤毛のアン』でした。先ほど、すあまさんが「少女小説」のような題名と言われたのにも納得がいきます。そして、p.333で唐突に義姉妹の約束を交わすトヨはダイアナではないでしょうか?ダイアナのようにトヨもちょっと体の大きいふっくらした女の子でした。実は私はのちに河鍋暁翠になるこのトヨに興味があります。『がいなもん 松浦武四郎一代』(河治和香著、小学館)では松浦から話を聞かされる狂言回し役として登場しますし、去年の直木賞の『星落ちて、なお』(澤田瞳子著、文芸春秋)の主人公でもあります。この時代の女の子にしては父親の弟子として様々なところに出入りをし、自分1人でも仕事に出かけるトヨは、明治の東京をイカルに案内するのに最適な役なのだろうと思います。続編には、暁斎も出てくるのだろうかとか、稀代の収集家である松浦はどうだろうかとか、ワクワクしながらこの2人の活躍を楽しみにしています。

ネズミ:刊行されたすぐに手にとったのですが、まず登場人物が魅力的でした。たとえばイカルの人物像が、博物館に初めて入ったときの驚き、古道具屋に入ったシーンなどで、説明的な言葉を使わないでくっきり浮かびあがるといったふうに、随所の描き方がすばらしい。大人の存在感が希薄なことの多い日本の児童文学作品の中にあって、まわりを固めている大人の人物が立体的に描かれているのもすごいなあと思いました。フェミニズムとは書いていないけれど、物語全体が女の子を応援するものであり、男女や年齢、職業その他で人を差別しない意識が感じられます。富安さんは現代のお話も書いていますけれど、この物語は少し昔の時代に舞台を置くことで、登場人物を自由に遊ばせられたのかなと思います。もちろん時代考証のためにたくさんの資料にあたられたとは思いますが。イカルとアキラとトヨとトノサマなど、一部の名前にカタカナが使ってあるのは、ひらがなでも埋もれてしまうからでしょうか。音だけで響いてくる感じがよかったです。

雪割草:冒頭から物語の世界観に引き込まれました。道具屋だった父親の商いの様子を、主人公がよく見て自分なりの感性で受けとめていることがわかり、道具屋を知らない読者にも、空気感含めその場がよく伝わってくる描写でした。物語の時代への興味がかきたてられましたし、時代は違っても、不安やわくわくする気持ちなど主人公の心の動きに読者もよりそいながら味わうことができました。この年齢にしては能力がありすぎにも思いましたが、マニアックなところはよく、そういう好きなものがある子への応援のメッセージにもなると思いました。付録がついていたのを今の今まで気がつきませんでしたが、地図はいいものの、登場人物まで視覚化しなくてもいいかなと思いました。

オカピ:仕事ものであり、成長譚であり、ミステリーや怪奇小説の要素もあり、ほんとうにおもしろく読みました。作者がこの時代のことを詳細に調べて、自分のものにして書いているのもすごいのですが、なにより文体の美しさに魅了されました。所作をあらわす言葉ひとつとっても、香るような言葉が物語にぴったり。これはYAなので、難しめの言葉を使えたというのもあるかと思いますが。富安さんの渾身の作だと思いました。大阪弁がぽんぽんはいってくるのも、作品の勢いにつながっています。人の生と死について考えさせるラストもよかった。人知を超えた不思議もこの世にあるという、希望のある結末で、これは書き手の力だなあと。ちょっとわからなかったのは表紙の英語タイトル。”A Girl at the Museum” となっているのですが、これはイカルのことなのだから、”The Girl at the Museum ” のほうがしっくりくるように感じました。

アカシア:この時代のどこにでもいる少女、というニュアンスを出したかったのかもしれませんよ。

エーデルワイス:最初の構想では少年「アキラ」が主人公だったと聞いてびっくりしました。主人公が少女「イカル」でよかったと思います。表紙を見たとき一瞬、富安陽子さんは時代劇小説に移ったか?!と思いましたが、明治を舞台に実在の人物も盛り込み、本当におもしろく読みました。附属のリーフレットを見た時はわくわくしました。登場人物のイラストと紹介や上野界隈の地図など、この本を読む子どもたちにもよい導入と思います。続編が楽しみです。

シア:とってもおもしろかったです。人気が高いのもうなずけます。絵や装丁も凝っていて、偕成社さん力を入れているなと感じました。付録のおかげで裏表紙におみつがいることに気づきました。明治時代のレトロな感じがしゃれていて、関西とは違う異国情緒真っ盛りの上野の輝きをイカルの驚きで表現してくれています。イカルの目利き能力や好奇心旺盛な性格も楽しめました。目利き能力については、こういう環境で育っていたらそうなるんじゃないかなと思います。似たような時代物の『はなの街オペラ』(森川成美著、くもん出版)よりも想定年齢は高いので、幅広い年齢層が読めそうです。ただ、読書家にとって満足度の高い本なので、本にあまりなじみのない子で、とくに女の子だと、もしかしたら『紙の心』の方がおもしろいかもしれません。イカルの幼少期の体験などから見知った怪異が出てくるのかと思っていましたが、珍しい方面からの話だったので意外性が高かったですね。そのおかげで大人っぽい余韻の残る良い話になりました。日本書紀は知らなくとも、有名な玉手箱の話で子どもも納得できる展開になっていると思いました。中高生に人気のある漫画にも非時香果が出てくるので、知っている子はより親近感がわくのではないでしょうか。そして、実在している人物や場所が登場するので、そのことについて調べたり、その場所に行ってみたくなると思います。教養を得るきっかけになりますね。とくに上野博物館は社会科見学や地方だと修学旅行などで行くことが多いと思うので、児童文学として出してもらえてとても嬉しく思います。神田天主堂はカトリック教会だからレノーも神父と表記しているところも細かいですね。また、付録がよくできています。図書館側からするとこういう本から離れてしまう付録は面倒ですが、補足や博物館の敷地や地図などわかりやすく書いてあります。視覚的な図は文章だけでは追いつかない子どもの理解の助けになります。地方や上野を知らない子の支えにもなったと思います。カラーなのも良かったですね。話の内容だけではなく、文体がとにかく綺麗で、言葉遣いもそうですが立ち居振る舞いが古風で美しく、目をみはりました。奥ゆかしさを始めそういう表現が随所にあり、イカルの育ちの良さを思わせます。関西弁も滑らかでした。後半のアキラとの関係も慎ましくて、明治の女の子らしさが垣間見えて良かったです。そしてそういう表現ができる作家さんは貴重なので、ぜひ続編をと、期待しています。ただ、この時代考証がしっかりしているため、「新しくお仕えする者は、だれより早く仕事場におもむき、上役のお出ましをお待ちするのが筋ですからね。」(p.122)という部分に、日本の仕事に対する姿勢の歴史の古さを感じて、少し頭が痛くなりました。とはいえ、女性のイカルは低く見られているのでボランティアなのだろうかと思っていたので、お給料がもらえてほっとしました。ところで、ケンゴロウというのは、カンガルーの過去の和名かと思ったのですが、カンガルーの聞き間違いなのですね。

ハル:みなさんのご意見がうかがえてよかったなぁと、いつも以上に、今日はしみじみ思います。読みやすく、時代設定も好きで、わくわくしながら読みましたが、「おもしろかった」以上の感想を持てずにいましたし、一方では「児童書なのかな?」とも思っていましたが……『赤毛のアン』! そう言われてみると確かに、枠というのか、ある種の様式美的なものも感じますね。わぁ、すごく腑に落ちました。著者も意識していたのでしょうか。そんな観点で、もう1回読みたくなりました。ありがとうございました。

西山ところで、ちょっと気になったのは、p.262の「あったりまえのコンコンチキや!」というところ。「あったりまえのコンコンチキ」って、ちゃきちゃきの江戸っ子の口調のイメージがあるのですが……。

シア:確かに「こんこんちき」は関西では聞きませんね。そもそも、今の時代使っている人がいないのでなんとも言えませんが。

(2022年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

 

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紙の心

『紙の心』表紙
『紙の心』
エリーザ・プリチェッリ・グエッラ/作 長野徹/訳
岩波書店
2020.08

ハル:顔を合わせない相手と、文字だけのやりとりでどんどん盛り上がっていって、口では言えないようなことも、文字でなら言葉にできて……そういう初々しさというか、瑞々しさというのは、わかるなーと思いながらも、ちょっともう見てらんないような気持ちにもなり、序盤で「えー、まだこんなにページ残ってるのに、どうするの?」と思ったのが正直なところです。もう少し早めに物語が動きだしてほしかったです。だけど、「訳者あとがき」の情報によると、イタリアの中学生の支持を集めているということなので、同年代の子たちにしたら、飽きるなんてこともないのかなぁ。そして、ここまで我慢して読んだんだから、これはきっと、とんでもないホラーが待っているのだと期待しすぎてしまったのもあって、結末にも驚きを感じませんでした。主人公以外の子どもたちは、どうなったんでしょうね。

シア:非常におもしろかったです。表紙に原題を大きく入れていておしゃれだと思いました。絵もさわやかな感じで良かったです。内容はさわやかではありませんでしたが。もっと近未来の話だと思っていたのに現代なので驚きましたし、ありえそうな話なので余計に考えさせられました。海外ではロボトミーを元にした話は結構多いので、わりとトラウマなのかなと思いました。半分以降からは一気に読みましたが、もどかしい恋愛ものは苦手なので、序盤はかなりイライラしながら読みました。ユーナがダンに会おうと言い出したので、これはページをめくったら急展開して、やっと研究所の謎についての話になるんだなと思ったのに、やっぱり会えないなんて尻込みするユーナがめんどくさすぎです。チラ見せは上手いのですが焦らされるので、惚気はいいから早く研究所の謎を! と別の意味でハラハラしてしまいました。「ウイルスのせいで全人類が滅亡して、ぼくたちだけが生き残った、そんな映画の一部みたいだ」(p.42)とあり、世界は平和なのかと肩透かしをくらいました。研究所内に鏡がないこととか白い制服や謎の薬など、いろいろと怪しい要素はあったのですが、蓋を開けてみればそこまで大仰な話ではなくて、少々やりすぎな感じもしました。シャワーが10分だけとか、職員が急に乱暴な口調になったりするところは管理される怖さが表れていると思います。この本は書簡体なので2人のタイムラグのようなものが出るところはおもしろかったです。メールなどで展開しそうですが、場所が場所なので手紙というのが研究所の異様さが出ていて好きですね。ただ、偶数時と奇数時でやり取りし合うというのがよくわからなくて、1時間いたら会ってしまうじゃないかと思ったんですが、2人は図書館あまり利用しないんですかね……。それにしても、最近はいわゆる毒親の話が増えてきたように感じます。親の影響力や圧力が注目され始めたのは、親子の関係性や教育を見つめ直す良い機会だと思います。「涙の壺」という表現もとてもロマンチックですが、涙が流れるような状態にしなければいいのではないかとユーナのお父さんに問いたいです。また、若者にはスポーツをさせておけば良いという今の学校教育の甘さも指摘されているように感じて、この辺はもっと主張したいですね。室内で読書をしている子がいたって良いと思います。「ぼくは、本を読めばいろんな場所に行けるんだ、って言い返したかった」(p.85)というダンの台詞がこの本の真のハイライトだと思います。この本には有名な児童文学がたくさん出てくるので、まさに『紙の心』だと思いました。あとがきで各作品について説明してくれているので、子どもたちが興味を持ってくれると良いと思います。でも、メインとなる『プークが丘の妖精パック』は日本人になじみのない本なので、子どもならさらに厳しいのではないでしょうか。題名を読めるのかどうかも心配。『プーク“が”丘の妖精パック』などと読みそうで不安です。気になったのは、「それから、トン川は食いしん坊に」(p.34)という訳がよくわかりませんでした。豚でしょうか。トンカツ? こういうときに訳者の苦労が窺えます。それから、「傷跡は、インディアンが戦いの前に描いて、誇らしげに見せつける、戦いのしるしみたいなものだ」(p.227)とあるのですが、“インディアン”という言葉は今は使わないと思います。

エーデルワイス:おもしろく読みました。主人公たちが暮らす施設を想像しました。清潔だけど、無機質で同じような部屋を移動するのですね。迷いそうです。「××をダンより」のように、形式的な手紙のやり取りをしていますが、顔が見えないほど想像力が働いて心が燃えていくのかもしれないと思いました。そして今どきの若い人のSNSの恋のやりとりも同じようなことかもしれないと思いました。終盤、研究所が火事(放火)で焼けて施設にいた子どもたちが助かるのですが、子どもたちはどうなっていくのでしょう? 元の家に戻るの? ちゃんと生きていけるのでしょうか? 心配です。親にとって都合の良い子ども、デザイナー・ベイビーなど問題提起のお話と思いました。主要なダン、ユーナたち5人は友人同士で、名作の登場人物からつけた仮の名前で、施設では番号とアルファベットで呼ばれ、本名は最後まで明かされませんでした。あえて必要なかったのでしょうか? 5人は元気に幸せに生きていけそうで安心しましたが。

オカピ:管理された場所にいる主人公たちが、人を愛することで、その生活に物足りなさを感じるようになる過程が描かれていて、おもしろく読みました。記憶すること、文字に残しておくことについて考えさせます。何を忘れて、何をおぼえておきたいかが人をつくるのだなと。「興味津々な人よ」(p.16)、「興味津々なこと」(p.107)という言い方は、話し言葉としてなじまないというか、ちょっとしっくりきませんでした。

雪割草:読んでいて最初の方でうんざりしてしまい、途中で休憩しました。イタリアだから情熱的なのかな、精神的に辛い経験をした子たちだから、心の拠りどころをもとめているからなのかなとは思ったものの、お互いを求めすぎていて、ついていけませんでした。近未来のテーマで人間がなんでもコントロールしようとするところから、『泥』(ルイス・サッカー著、小学館)を思い浮かべました。この研究所では、辛い経験を忘れさせるための治療をしていますが、それに対して主人公らが、忘れる以外の方法で生き抜く方法があることに、気がついていくところはいいなと思いました。あとがきにイタリアの中学生に支持されているとありましたが、日本語訳では訳はしっかりしているのはわかるのですが、若い人には受けない文体・言葉遣いだと思いました。それから、手紙でやりとりしている設定ですが、やりとりがすごく頻繁で手紙によっては長文で、ほんとに手紙なの?と思ってしまいました。

ネズミ:秘密をさぐりだそうとし始める後半からは、それがフックになってどんどん読めたのですが、2人のやりとりが中心の前半は、内容の問題なのか、文体のせいなのか、途中であきて、投げ出しそうになりました。後半はひきこまれたものの、都合のよい展開が気になりました。たとえば、骨形成不全症のポルトスが走るなど、ありえないだろうとか、どこかに潜入する計画が、たいがいうまくいくとか。体裁としては、ダンとユーナの手紙の書体を変えてあったらもっと読みやすかったかと思ったのですが、この本はキンドルでも出ているので、電子版を出すにあたって、書体が限られていたのだろうかと思いました。

しじみ71個分:書体に変化を持たせられるのが紙の本だけなのであれば、紙の本ならではの魅力になりますのにね。

シア:『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ著、岩波書店)では文字の色が変わっていましたね。

アカシア:紙の本ならではの工夫が、もう少しあってもよかったのにね。

アンヌ:書簡体小説は好きなので、それなりにおもしろく読み進んでいったのですが、いきなりp.14で「キスとハグを」と出てきたのでびっくりしました。これがただの挨拶なのが、外国小説という感じですよね。全体にSF的な設定が実に曖昧で、この研究所のセキュリティの甘さとか、最後に種明かしされた後も納得できないことが多いです。2人が実際に会わないところも、薬が効いているせいなのかと思ったりしたのですが、でも、それにしては男の子が3人いればやるような冒険に、あっさりダンは出かけたりしますよね。意志までが削られているわけではないらしいので、不思議です。最後まで行きついても、この5人がこれからどうなるのか、放火の罪に問われたりしないかとか、そのハッカーは大丈夫かとか、親との関係は何も解決してないままだとか、いろいろ後味が悪い思いが後を引いてしまい、読み返す意欲がわきませんでした。

アカシア:この本は時間的なリアリティがおかしいんじゃないですか? 手紙の交換で物語が進んで行きますが、1人が書いてから、休み時間にそれを図書館に持っていって本に挟む。それが偶数時だとすると、もう1人は、顔を合わせないために奇数時まで待ってから取りに行って、それから返事を書いて、次の奇数時の機会に図書館に行ってその返事をおく。そういうまだるっこしい方法でやりとりをしているので、たとえばp.115の最初の5つの文章はどれもユーナが書いたものですが、5つ目の文章を書くまでに、どんなに少なくとも9時間くらいはたっている計算になります。でもね、そういう計算だと成り立たないところがいっぱい出てきます。私は物語の構築を支えるリアリティにこだわる方なので、最初のときは途中で読む気がなくなって放り出してしまいました。それから、ダンたちは決死の覚悟で保管所に入ろうとするのですが、そこまでの展開では、保管所に何か重大な秘密があるというふうには読み取れなかったので、なぜそこまで?と思ってしまいました。全体としてすぐれた作品とは、残念ながら思えませんでした。

さららん:今回に関しては、訳者の文体と原文のスタイルが合わなかったのかな。私もみなさんと同じで、書簡体の形をとっているとはいえ、この世代の子たちの日常会話にリアリティがないように思えました。また研究所の中では、子どもたちの動きを阻止しようとする大きな敵は現れません。ダンたちに敵対心を燃やすカーという少年はいるけれど、それは体制側とは関係がない。戦う相手の顔が見えず、豆腐の中に手を埋めるような頼りなさを覚えました。でもひょっとすると、そこがおもしろさなのかも。色々な本の要素が出てくるところもいいし、あとがきも優れているけれど、ディストピアとしての物語に既視感があって、未知のものを解き明かす興奮がなかったのは残念です。

花散里:岩波のSTAMP BOOKSは出版されると期待して読むのですが、この作品が出版された2020年に読んだとき、書簡体で物語が進んで行き、今どきの中高生がどう読むのかなと思いながら読んだことを思い出しました。今回、読み直して、スマホに常に依存している日本の子どもたちが、図書室の本に挟んだ何通もの手紙のやり取りに対して、果たしてどう読むのかなと改めて感じました。前半の書簡体で続くストーリーは、今回も読みにくいと思いました。研究所の秘密が分かっていたということもありましたが、物語のおもしろさが感じられませんでした。巻末に本文に出てくる文学作品の紹介が入っていたり、図書室でのやり取りが舞台だったりしますが、読み返そうという作品ではないと思いました。

サークルK:手紙の部分のやり取りが長かったので、少しもどかしい思いをしながら物語を読み進めました。なぜこんなやり取りや状況に子どもたちが置かれているのだろう、という読み始めからの疑問が次第に解き明かされていくところは、『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 早川書房)を思い起こしました。誰に恋しているのかも実際にはわからないのに、よくこんなに妄想をふくらませながら、手紙で情熱を傾けられるなあと苦笑する表現もありましたが、イタリアの中学生にとても人気があったというので、興味深く感じました。こうやって練習(!)して、愛情表現の達人になっていくのかしら、と。小さな世界に閉じ込められて、監視されたり、洗脳されたりするさまは残酷なディストピア小説のミニチュアのようで、『1984』(ジョージ・オーウェル著 早川書房他)をほうふつとさせましたし、39章で「ワールドニュースオンライン版」という記事を使って、状況が説明されている構成は、『侍女の物語』マーガレット・アトウッド著、早川書房)の掘り起こされたカセットテープをめぐる研究者のレポートを思い出しました。物語を読んだ子どもたちがやがて上に挙げた大人の小説に巡り合った時、こんなイタリアの児童文学があったっけ、と逆照射されて思い出してもらえるかもしれません。

マリナーズ:お国柄の違いを感じながら読みました。日本で、中学生くらいの男女が同じように文通し合う物語だったら、こんなふうに恋の駆け引きっぽい言葉をやりとりして楽しむ感じにはなかなかならない気がします。実は、以前、1度読みかけたのですが、p.111あたりからの、お互いの容姿についてあれこれ想像し合うところでうんざりしてしまって、いったんやめたのでした。今回、読み通せてよかったです。後半に行くにつれて、主人公2人の苦しみや、ここに入るまでの経緯が明かされて行きますが、その明かし方が説明的なせいか、切実さがどうも伝わりにくいように思いました。でも、性格を変えることについて、身内が了承している、ということのせつなさ、やるせなさは感じました。自分のアイデンティティを考える、というテーマ自体はとてもよかったです。

ルパン:しょっぱなでつまずいたのは、このやりとり、イタリア語なのにどうして相手が男か女かがわかるんだろう、ということです。見知らぬ相手なのに、はじめから男女の区別がついているのって不思議でした。しかもすぐに恋に落ちるし。そのうえ、やたらに容姿の話が出てきますよね。相手がその子がどうかもわからないのに「赤毛の女の子が好きなんだ」なんて言ったり、デブだったり青白かったりしたらどうするの、みたいな文面もあるし。ヨランダが実際のポルトスを見て思いっきりけなす場面では本当に気が滅入ってしまいました。容姿に自信のない子がこれを読んだらどう思うんだろう。

アカシア:イタリア語だと形容詞などに女性形と男性形があるので、相手が男か女かはすぐわかるんじゃないかな。

西山:ほとんど言い尽くされている感じです(笑)。この研究所にどういう秘密があるのかという興味で読み進めましたけれど、先が知りたいだけでその場その場の描写とか、感覚とかを楽しむという読書の快楽はありませんでした。イタリアのお国柄というのもあるのかもしれませんが、こんなにすぐ男の子と女の子が恋愛感情で盛り上がり、延々それを読まされるのにうんざりしたというのが正直なところです。若い読者なら誰もが恋バナ展開にのめり込むかというと、そうでもないんじゃないかなと思っています。というのは、ジェンダー関連の授業で、何かの問題を男の子と女の子が一緒に取り組んで解決してきた物語で、最後の最後に性的な視線を差し込んで、「恋の始まり」みたいな展開にするのに出会うたびにがっかりするんだよねということを、おそるおそる話した回があったのですが、思いの外共感のコメントが多くて、恋愛テーマじゃないのに恋バナにするドラマとか多すぎるとか、子どもの頃仲のいい男女がからかわれることで気まずくなったとか、嫌な思いをしたとかそういう体験が続々とあがってきたのです。「10代は恋バナ好きにきまってる」という思い込みもそろそろ相対化した方がよいと思っていたところでこの作品を読むことになったので、否定的な感想になっています。あと、ユーナがどんどん受け身になっていって、つまらなくなっていったのが不満でした。本に手紙をはさむというユーナの魅力的な行動から始まったのに、ただただ、「待つ女」になってしまって……。ヨランダといっしょに研究所の秘密に迫っていけばよかったのに……。図書室の本を介した手紙のやりとりとは思えない、ラインのようなやりとりになってしまうところも興ざめでした。

コアラ:以前、本屋さんでこの本を見かけたときに、はじめのほうをちょっと読んで、いまいちかなと思ってすぐに棚に戻してしまったんですけれども、今回最後まで読んで、悪くはない本だと思いました。書簡体小説だと、お互い相手を騙すこともできるし、作者と読者の関係としても、作者は読者を騙すこともできるけれど、ダンもユーナも騙すことなく、お互い誠実で、作者と読者という関係でも作者から騙されることがなかったので、その点ではすっきりしてよかったと思います。研究所の謎とされたことが、少年少女たちの人間的な欠点の除去で、親の望み通りの人間に作り変えられてしまう、ということだったんですが、読んでいてそこに大きな衝撃はあまりありませんでした。そもそも、記憶を無くす薬を飲んでいる研究所というのが不気味で、そこがそもそもディストピアだなと思いました。訳者あとがきに、この本に出てくる本の紹介が書かれてあるのは、よかったと思います。

しじみ71個分:私も、みなさんが既に言われたのと同じように、前半の2人の手紙のやりとりがちょっとかったるいなと思い、読んでいて休憩をはさんでしまいました。また、ユーナかダンか、どっちがしゃべっているかわからなくなっちゃうところがあり、見た感じでパッと分かりやすい工夫があったらよかったなと思います。手紙のやりとりが頻繁すぎて、時間の経過もわかりにくい点がありました。ただ、著者はこういう書簡のやりとりで、心をかわし合うという形を描きたかったんだろうなと思います。頻繁すぎて、チャットのようではありましたが。作品を通じていいなと思ったのは、2人の書簡体の形をとりながら、過去の児童文学作品の紹介をしているところです。また、人と人とのコミュニケーションのツールとして本を使うという設定にも共感しました。『紙の心』というタイトルには、手紙に乗せた自分の心というだけではなくて、本を通じて交流するという意味もあったのかなとも思います。大人にとって都合の悪い、「いらない子ども」を除去してしまうっていうのは恐ろしいことで、本のテーマとしてとても重いと思ったのですが、結果が意外にソフトで、もう少し、ドラマチックな、誰かが死んだり、廃人にさせられてしまったりとか、おどろおどろしい展開があった方が、テーマがもっと生きて、物語も生き生きとしたのではないかなと思います。『私を離さないで』くらいのディストピアがあってもよかったかなと。また、表紙の絵を見ると、ガラス張りのとても近代的な建築物として描かれているのに、火事で燃えちゃうんだ、木造なんだ、というところはちょっと拍子抜けしてしまいました。建物が燃えただけで逃げられちゃうんだなというところは、少しあっさりしすぎていたかもしれません。前半の書簡体の恋愛部分が重くて、後半のスリリングな展開とのバランスがあまり取れていないのかもしれないと思いました。

すあま:読みながら、『ザ・ギバー』(ロイス・ローリー著 講談社)を思い出しました。忘れたい記憶をなくすことができる薬があったなら、犯罪被害者や虐待にあった人など、飲みたいと思う人がいるかもしれない。この物語では、さらにエスカレートして親の望む子どもに変える、という恐ろしい話になっています。逆に子どもが望む親にすることができたら、と思う人もいるのでは、とも思いました。現代の子どもが抱えている問題を解決することができる近未来の世界を描いているようで、実は大人にとって都合がよい、純粋無垢な子どもに変えようとする、時代を逆行するような話になっていきます。近未来の世界のようなのに、紙に書いて本にはさむという、古典的な文通の形をとっているのがおもしろいと思いました。メールやラインでコミュニケーションをとっている今の子どもたちにはかえって新鮮なのかなと。ラストはあっさりしていて、結局は親から逃げ出した、ということで終わったようで、ちょっと物足りない感じがしました。

(2022年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年05月 テーマ:闇と光の境

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『2022年05月 テーマ:闇と光の境』
日付 2022年05月24日
参加者 ネズミ、ハル、シア、ルパン、すあま、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、しじみ71個分、オカピ、西山、サークルK、マリナーラ、雪割草、ヒトデ
テーマ 闇と光の境

読んだ本:

『夜叉神川』表紙
『夜叉神川』
安東みきえ/著 田中千智/絵
講談社
2021.01

〈版元語録〉全ての人間の心の中にある恐ろしい夜叉と優しい神、その恐怖と祝福とを描く短編集。「川釣り」「青い金魚鉢」「鬼が守神社」「スノードロップ」「果ての浜」   夜叉神川の上流から下流へ、そして海へと続く全五話を収録。
『荒野にヒバリをさがして』表紙
『荒野にヒバリを探して』
原題:LARK by Anthony McGowan, 2019
アンソニー・マゴーワン/著  野口絵美/訳
徳間書店
2022.02

〈版元語録〉ヒバリを見るため、犬のティナを連れて、田舎へハイキングに出かけたニッキーと兄のケニー。ところが季節外れの雪で道に迷い…。ヨークシャーの荒野を舞台に、兄弟、家族の絆をドラマティックに描く。2020年カーネギー賞受賞作。

(さらに…)

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荒野にヒバリを探して

『荒野にヒバリをさがして』表紙
『荒野にヒバリを探して』
アンソニー・マゴーワン/著  野口絵美/訳
徳間書店
2022.02

サークルK:表紙の絵がソフトな感じだったので、2人の兄弟が雪の中で遭難しても最後は助かるのだろうな、と予想しながらも、本当に助かるのだろうか、どんな形で助けがくるのかとても気になって、ぐいぐい読みました。けれど、そのストーリーを追いかけ終わってしまうと、思った通りのお話だったと安心してしまい、強く印象に残ったことを時間をおいて思い出そうとしても、なかなか難しかったです。おそらく引っかかるところがあまりなく、とにかく救助を急げ!という気持ちでしか読めなかったからかもしれません。「40年後」という形での振り返りが書かれているのは親切だと思いました。ケニーが兄に看取られる場面では、その後のニッキーの結婚生活や子どもたちのことも垣間見られて、本編のたった1日の出来事が、「その後」のファミリーにとても重要な役割を果たしていたことがわかりました。

すあま:どんどん大変な状況になっていき、とにかく早く助かってくれ、という気持ちで読み進めました。1日の出来事を描いているんですが、回想の中で2人のことがどんどんわかってきます。読みながら2人に共感していき、最後何とか助かって、ほっとして終わったという感じです。

西山:前回読んだ『青いつばさ』(シェフ・アールツ著 長山さき訳 徳間書店)と構図が一緒なんですね。知的障害を持つ兄と兄を支えるという責任を負う弟2人の、冒険。途中からサバイブできるのかっていう興味で読ませますが、出だしからしばらくは、語り手である弟の「おれ」のものの感じ方、考え方をおもしろく読んでいました。例えば、p.29の最後、車の通る道路から遊歩道へ入ったときに「本を読みはじめたときに似ている」と言ったり、p.74のキジの描写の美しさ。つづく丸焼きはうって変わってひどい臭いが行間から漂い出すような惨状ではありますが、ともかく、キジの姿が目に浮かぶような描写でした。p.81の痛みに関する考察もとてもおもしろかった。崖から落ちて、2人の状況が危機的になってからは理不尽だという思いの方が強くなりました。p.27でティナに危機が訪れそうな、フラグは立っていましたが、ティナの死は人間の不用意でもたらされたものです。なんだか、いい話のようにまとめられた気がしますが、ティナを死なせてしまったことに「おれ」はもっと傷つくべき、悔やむべきでないのでしょうか。人間は死なせなくても動物は殺す。そのドラマ作りには私は違和感を持っています。ところで、「ジョージなんて古くさい名前のやつ、今どきいるか?」(p.109)にはっとしました。日本以外でも、時代によって名前の流行り廃りがあっても当然ですが、考えたことがなかったので。キラキラネームみたいなのあるんでしょうかね。

ルパン:ともかく、この2人の子どもがどうなってしまうのかが心配で一気に読んだのですが、そのためか、読み終わったあと何も残らず…はて、何の話だったかな?という感じでした。表紙の見返しに「家族やこの数年間のことを思い出す」とあるので、ああ、そういうことか、と思いましたが、お母さんが出て行ったことも、お兄さんに障害があることも、お父さんが依存症のことも、それぞれ大変なことなのでしょうが、この生きるか死ぬかの遭難の事実のほうがよっぽど重くて、逆に家族の問題が軽く思えてしまいます。ちょっと手法をまちがえたかと…。犬のティナのえらさだけは印象に残りましたが。最後に、数十年後のことが書いてあって、あれ、ふられたはずの女の子と結婚してる、とか思いましたが、こういう蛇足はそんなに嫌いじゃないです。

ヒトデ:はじめのうちは、ハードボイルドな語り口と、書籍のページ数と文字組から想像した内容とのギャップに驚かされましたが、物語のつかみのうまさに引き込まれ、この2人はどうなってしまうんだろうと思いながら、最後まで一気に読み進めました。なんとなく映画ギルバート・グレイブ」を思い出すような兄弟の物語が印象的でした。2人がはじめて空港にいくシーンが、とてもいいなと思いました。最後のエピローグで、一気に時間を飛ばしてしまったのには、少し驚かされましたけど、ティナやサラの伏線を回収していくためには、必要だったのかしら、とも思いました。読めてよかった作品でした。

雪割草:巧みな語りなのだろうと思いましたが、正直、心が入っていけない作品でした。その理由の1つが、主人公の「おれ」という主語で、古臭い感じがしました。最後の方で、主人公がおじさんになっていて、語り手はおじさんの設定だったのだろうか、であればと少し納得しました。「おれ」は、おじさんぽい言葉遣いが多々あり、たとえば、p.109の「『あの人、偉そうにしないのね。素敵』女の子が言う。おれは…」などです。一人称の語りなので、地の文でももっと「おれ」を省略してほしいと思いました。p.124には、点の打ち忘れか空白があり、p.120の「最悪のことはまだ、もっとあと…」とくどい感じの文、p.8の「灰色の空が、どこまでもどんより広がっているだけなんだ」とすわりが悪く感じられる文、それから全体的に文がばらばらに感じられて、原書を読んでみたいと思いました。それから、ティナは死なせなくてよかったと思います。

エーデルワイス:自然の厳しさがよく出ていました。私は以前よく山に登り自然に親しんでいましたが、方向音痴で誰かと一緒でないと道に迷うタイプで、一歩間違うとこのように遭難しそうです。しかし、ちょっとしたハイキングであっても、最低限の水、食料、防寒具など持参するもの。ニッキーとケニーは甘かったと思います。宮沢賢治の『虔十公園林』をストーリーテリングで覚えている最中で「ひばりは高く高くのぼってチーチクチーチクやりました。」の一節がこの物語とダブりました。死んでしまった犬のティナを、救助の人にニッキーが必死に埋めるように頼むところが納得できず、私だったら連れ帰るのに……と思いましたが、あくまで兄のケニーのことを思ってのことなのですね。

マリナーラ:短いお話なんですけれど、ずっと緊迫感がありました。もうさすがにそろそろ助かるだろうというあたりで、水かさが増してきてピンチが発生して、ページを早くめくりたい気持ちと、めくるのが怖い気持ちが両方ありました。主人公の大変な歩みが、回想の中に垣間見えて、でも、多くは語りすぎないところに余韻がありました。映画『127時間』を思い出しました。アメリカが舞台で、峡谷で岩に手が挟まれて抜けなくなって、だれも助けに来てくれない、という話です。ところで、ヨークシャーといえば、私のなかでは『嵐が丘』だったので、そのイメージも重ねながら読んでいたのですが、後で地図を見たら、この国定公園とブロンテ姉妹の故郷は100キロくらい離れていました。

ハル:心に余裕がないからか、私はちょっとうんざりしてしまいました。下品な笑いが苦手なのもあって、途中まで、私はいったい何を読まされているんだろうという思いでいっぱいでした。この人たち、何をしにきたんだっけ? って。読み終わってみると、心に残るものがないわけじゃないので、場面、場面で、映像的に訴えるものとか、心に迫るものはあったんだと思います。でも、この物語の場合、この結構なひどい状況には、弟がお兄さんを巻き込んだのであって、お兄さんに知的障害があろうがなかろうが、関係なかったんじゃないかという思いもぬぐいきれません。障害のある兄といつも一緒にいる弟=兄弟の深い絆、美しい、というのはどうなのかという思いもあります。でも、たぶん、いろいろ読み落としてたんだろうな、と、いま皆さんの意見を聞きながら思ってはいます。

シア:まず、イギリスはバスに普通に犬を乗せて良いところに衝撃を受けました。ガイトラッシュという魔物も初耳でした。こういう文化の違いなどを目の当たりにできるから海外文学はおもしろいですね。だから積極的に読みたいし、子どもたちにも読ませたいです。2階建てバスもイギリスらしくてテンションが上がりますし、2階建てバスに乗った子どもがどういうリアクションをするのかも表現されていて楽しかったです。この本も薄いですし文字の大きさもほどほどで、子どもたちにはちょうど良いのではないかと思います。特別支援学校に通う兄を持つ主人公の話なのでその辺りも理解に繋がるし、障がいを持つ人が身近にいる子の共感にも繋がるのではないかと思います。1つ違いなのに体は弟のニッキーより大きくて逞しい点が個性もありますが一般的に早熟な障がい者の大変さとか、ケニーを守らなきゃというニッキーの使命に近い気持ちなど、こういう子の世話のシビアさがよく出ていると思います。物語自体は1日の出来事でそこまで盛り上がるわけではないのですが、表現が1つ1つ丁寧で、冗談も下ネタが出るなど子どもらしさがあって微笑ましかったです。また、複雑な家庭の話と相まって内容は真に迫っており、犬のティナの魂がヒバリとなって飛んでいくところは涙を誘いました。先に読んだ『夜叉神川』(安東みきえ著 講談社)のゴンちゃんを思い出しました。やっぱり犬は裏切りません。ラストにケニーのことがヒバリの声として表現されるところでティナとの絆を感じて、良い読後感に繋がりました。でも、この本も田舎っぽさと都会っぽさが混在している気がしました。バス3本乗っただけでスマホが圏外になるイギリスの荒野に行くのに、軽装でヒバリを見に行こうという発想が不思議でした。まるで都会っ子の余裕です。それから、40年後の奥さんがサラなのが世界の狭い田舎のイメージ丸出しでウッときました。「ここから出ていきたい、新しいものを見たい」と言っていたのに、結局田舎から外に出てないじゃないかと。もしくは戻ってきてしまったのかと残念な気持ちになりました。ケニーを抱えているからなのか、田舎のせいなのかはわかりませんが。そして、p.30「去年、ハイタカに食べられそうになっていたところをおれたちが助けたミヤマガラスのことだ。」とありますが、生態系を考えたら動物を助けることにならないのではないかと思います。こういう場面に出会うことのある田舎住まいの動物好きならこういうことには配慮できるのではないかと感じます。

アカシア:山や森をけっこう歩いていた私としては、この2人がきちんと準備もせずに薄着で出発することや、遊歩道から離れてはだめだと言われたのに離れてしまうとか、水の上に身を乗り出してスマホを落とすとか、スマホを取ろうとして崖から落ちるなど、愚かな行動を積み重ねていくことにいら立ち、物語の中に入り込めませんでした。何も愚かなことをしていないのに困難な状況に突き落とされる子どもたちが世界にはたくさんいることを思うと、自らの愚行で困難な状況に入り込んでしまう子どもを主人公にした物語は、”先進国“だからこそ成立しているのかもしれません。物語が家族の中で完結していて、そこから外への広がりはあんまりないのも残念でした。

オカピ:この本は、“The Truth of Things” というシリーズの最終巻なんですよね。p.30にミヤマガラスのエピソードが出てきますが、その巻を読んだことがあります。原書は、ディスレクシアの若い人たちが読みやすいように、字体やレイアウトを工夫しています。たとえば日本の本で、梨屋アリエさんの『きみの存在を意識する』(ポプラ社)もフォントに配慮していましたね。この翻訳の『荒野にヒバリをさがして』は、ディスレクシアの人たちに向けたつくり方をしているわけではなく、だけど、そうだとすると、1冊の物語としては物足りなくて、なんか中途半端だなと思いました。また原書は読みやすいように、「飛ぶことも歌うことも、ヒバリにとっては労働なのだ。不屈の勇気なのだ。そして、それは美しい」(p.130)など、短文を重ねた文体なのかもしれませんが、それをそのまま日本語にすると、ちょっとぎこちないような。「おれ」という一人称の中学生が、「ポンポンのついた毛糸の帽子」(p.21)のようにかわいらしい言葉をときどき使うのも、あまりしっくりきませんでした。

アカシア:そのシリーズ、全部で何巻出てるんですか?

オカピ:全4巻だと思います。

アンヌ:一言で言って、とても痛い物語でした。表紙からして雪山で遭難することは最初からわかってしまっていて、初読の時は、とにかく無事に帰ってほしいの一言で上の空でいました。2度目はもう少し落ち着いて読めたのですが、p.81、82の痛みというものへの考察や、p.113の、折れていない方の足を添え木にするという技術を読みながら、素晴らしいけれど辛い知識だなあと思っていました。p.131のヒバリに身を変えて去っていった魂は、ティナだったんですね。ところどころ詩的で美しい場面があり、カラスやアナグマという動物についての思い出が出て来て興味をひかれたのですが、でも語られることがなくて奇妙だったのは、4巻目だからなんだと今納得がいきました。このハイキングについて行かなかった父親に、読みながら猛烈に怒っていました。自分は荒野に詳しい父に連れて行ってもらったのに、子どもだけで行かせてしまうなんて。2人を追い出したかったんだろうかと考えたりしました。読み終えてみれば、雪山の冒険と家族関係、父親のアル中や疾走した母親についても描かれていて、2人の冒険する少年が厚みを持った人間であることもわかります。「お話」の持つ力を感じさせ、この物語の成立を語るラストもいい話なんだろうけれど、常にケニーの面倒を見るという形で「お話」が出現することにも痛みを感じずにいられない物語でもありました。

ネズミ:先が気になってさっと読みました。ただ、カバー袖に、窮地の中で「家族やこの数年のできとごとに思いをめぐらす」とあるのと、読んだ印象はやや異なりました。今直面している困難が非常にリアルなのに対して、過去の困難については、キジをオーブンで焼いたエピソード以外は具体的な記述が少なくて印象がうすく、また、主人公が知識や思考力を持っている賢い子なのに、雲行きの怪しいなかこんな軽装で出てきてしまったことがちぐはぐに思えて、どこか納得できない気持ちが残りました。

しじみ71個分:わりとあっさり読んでしまって、大変に失礼ながら、「カーネギー賞ってこれくらいで取れちゃうの?」と思ったくらいでした。『青いつばさ』と同じように、お兄ちゃんに障害があり、弟がお兄ちゃんの世話をするという構成ですが、荒野にヒバリを見に行こうとピクニックに出かけたら遭難してしまい、弟は生死の境をさまよう羽目になり、犬のティナはニッキーに体温をあげて自分は死んでしまうという、1日の非常に短い時間の間に起こる出来事と、事件を通して兄弟のきずなや、家族の在り方が見えてきます。決して悪い話じゃないし、兄弟愛が伝わる話だけれど、なんだか言いようのない物足りなさを感じたのですが、それがなぜなのかは、オカピさんのお話を聞いて、やっと納得がいきました。どうして出版社はこの巻だけで出版してしまったんでしょうか…やっぱりちょっとわからないです。でも、この巻だけでもいいところもたくさんあって、私が特によかったと思ったのは、遭難したニッキーが死にかけて生死の境目をさまようところで、ヒバリについて「ヒバリは高く高くのぼっていき、地球の重力からもときはなたれ、そしてとつぜん、なんの努力もいらなくなったようにかるがると舞い上がる。」(p.130)のくだりあたりは、言葉と場面が非常に美しくて、とてもよかったと思いました。また、子ども時代には、ニッキーが遭難して死にかけますが、エピローグで病のために生死の境をさまようのは、兄のケニーになっていて、その立場が反転するうまさはさすがだなと思いました。一点、兄弟の関係性がもっと深く表現できたのではないかと残念に思ったのは、「お話」のことでした。兄のケニーが弟のニッキーに向かって「なにか話をして」とせがむのは兄弟のきずなや愛の深さを物語る、決め台詞だと思うのですが、物語の中で、ニッキーがケニーに語る物語がどのように功を奏しているのかがよく見えてこないので、決め台詞のインパクトが伝わってこないもどかしさがありました。全巻そろってまとめて読めたら、もっと違った感じに感じられたでしょうか。もう1つ魅力的だなと思ったのが、父親の恋人のジェニーの存在でした。妻に去られて、父親はアルコール浸りという辛い家庭の設定ですが、ジェニーのおかげで父親は更生しつつあり、兄弟もジェニーの優しい心遣いに見守られています。この存在がなかったらこの物語はもっともっと辛かっただろうなぁと思います。血がつながらないけれど大事な家族というのが、さりげなく普通に描かれているのは素敵だと思いました。

(2022年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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夜叉神川

『夜叉神川』表紙
『夜叉神川』
安東みきえ/著 田中千智/絵
講談社
2021.01

ネズミ:とてもおもしろかったです。人によっていろんなふうに読める作品だと思いました。悪意とか無関心とか憎悪とか嫉妬とか、どの話も負の感情を扱っているんですね。普段しちゃいけない、言っちゃいけないと言われている感情をうまく顕在化させて、善悪ということではなく考えさせてくれます。オーディションとかカードゲームとか沖縄旅行とか、今の子どもたちも興味をもちそうなことをきっかけにして、不思議なことに広げていくのがうまいなと思いました。情景の描き方が美しく、p.230あたりからの「果ての浜」の文章は特に魅力的でした。いろんな人にすすめたい作品です。

アンヌ:読んでいて一番怖かったのが、最初の「川釣り」です。霧の中の女の人みたいな怪異や川の主みたいな魚の化け物が出てきててんこ盛りなんだけれど、それよりも前半の心臓を取り出すのに夢中になっている辻君に感じる恐怖心の方が上でした。そのせいか、辻君の横暴な物言いや異常性格的な描写はなくてもいいような気もします。川の怪異が懲罰みたいな役割なのも少し残念な点です。「青い金魚鉢」は特殊な能力を持つ「物」に魅入られる話として読みましたが、家に閉じ込められていた昔の人と金魚鉢の能力の関係に説明がないのが残念でした。「鬼が森神社」は、p.100のアイドルを目指すリョウの魅力をちょっと百合的な描写で感覚的に描いているところなどとてもうまいと思うし、宝塚ファンの人たちの暴走のニュースなど昔から聞いたことがあるので、苺の行動もまあ、あるんだろうなと思いました。最後には呪いも解いたし、未来に向かって進もうとしている主人公が橋のところで語り掛ける描写もよかったし、なんといっても、鬼が情けない顔をしているラストがよかったです。「スノードロップ」は少年の心の中にある、他者の死を願う気持ちの変遷の話だから、これにはあまり興味を感じませんでした。私は怪談好きですが、幽霊は苦手です。怪談というのはこの世の物語で、この世には人間などの測り知れない世界もあるというのが魅力だと思っていますが、幽霊は人間とその死後の世界のことなので……。うらみはらさでおくべきやと化けて出るような、目的を持ってこの世に帰る幽霊ならともかく、自分たちが死んだと気づいていないような子どもの幽霊は、とてもつらい。だから最後の「果ての浜」は、戦争の悲劇や理不尽さを伝えている点は素晴らしいと思うし、さらにそこから徹底的に目をそらそうとする主人公もリアルでおもしろいと思うのですが、子どもたちの幽霊から弟を守ろうと戦うような感じのところは、受け入れがたい気がしました。

オカピ:これまでに読んだ安東さんの本の中で、いちばん好きでした。鬼神である夜叉はけして、まったくの悪というわけではなく、そうした善とも悪ともいえないような、人間の複雑な部分をとらえた作品です。欲とか暴力とか戦争とか、人の業の深さを思いました。どの話の中でも生と死のドラマが展開するのですが、一話一話がおもしろい。水源から河口に向かい、やがて海に出るという全体の構成もみごとでした。

アカシア:私も、安東さんの作品の中でいちばんおもしろかったです。人が、ふとしたときに見せる怖いものが、どんどん肥大化していくことを、とてもうまいストーリーテリングで表現していますね。さらに怖くする工夫もあるし、はぐらかしもあります。文章表現がとてもじょうずだと思いました。「鬼ケ守神社」の最後の一行は、実は鬼より人間のほうが怖いということを言っているようです。「スノードロップ」のp.158から最後にかけての「自分の命を自分で決めて悪いか?」をめぐるぼくと松井さんとのやりとりは、表面的ではなく深いところからの知恵が湧いてきているように思えて、道徳の教科書とは違ってひきつけられました。「果ての浜」では、子どもの自然な発想として、受験後につらい話をしないでほしいという気持ちをもつ岳が、弟をさがしているうちにトウキビ畑で昔の子どもたちの声を聞いたのがきっかけで、変わっていくのですが、その気持の変化に無理なく寄り添うことができました。p.231の「くりかえし蹴っていた山下の靴。あの靴を自分も履いていたのかもしれない。/今もずっとくりかえし、あの少年を蹴っているような気さえした」という部分は、沖縄の歴史を知らない子どもたちにもすんなり伝わるでしょうか?

シア:おどろおどろしい雰囲気でおもしろかったです。生徒にも気に入られるのではないでしょうか。本の厚みはないし、表紙もダークメルヘンで好まれそうです。オムニバス形式で人の心に棲む鬼を描いているんですが、形式のせいでばらけた感じがしました。最後の「果ての浜」が秀逸だったので、この話だけで書いても良かったかなと思いました。というのも、夜叉神川で繋げるのはいいにしても、夜叉神川の由来など川自体の話が出てこないなと思いまして。「果ての浜」では山下だけでなく、主人公の無関心さを鬼にしたのは良かったと思います。実際、戦争の話は悲惨だし関係ないからと嫌う子も多いし、昔のことや酷い話は自分には関係なくて、もっとハッピーな気持ちでいたいという今の若い世代の気持ちをよく表現していると感じました。愚痴やら暗い話は嫌がられるんですよね。生徒たちの好きなSNSでもとくに嫌われる行為です。でも、暗い気持ちになるようなことをしでかすのも大体この年齢が多いので、その矛盾をこの本はうまくついていると思いました。また、さんぴん茶の名前や味でツボるのはわかりますし、そういう意味でもこの作者は10代っぽさの表現が上手ですね。出てくる子は現代っ子や都会っ子なイメージを受けるのですが、全体的な田舎っぽさもうかがえます。例えばp.184に「女にまるめこまれ、きげんよく鼻歌を歌っている弟が情けない。」とあるのですが、ここは「大人にまるめこまれ」で良かったのではないかと思いました。1話目の辻くんはそういうキャラクターということで主人公から指摘もされていましたが、この岳くんの言葉は田舎の男女差別を思わせます。また、2話目の引きこもりの子の表現なのですが、琴ちゃんは「こだわりが強い」「変わっている」などと発達の問題を疑わせる部分はちょっとどうなのだろうと思いました。引きこもってしまうのは基本的に繊細な子が多いので、そういうことで良かったのではないでしょうか。琴ちゃんのお母さんも食前に害虫の話をするなど変人すぎると思います。そのせいで発達障がいの遺伝について考えてしまいます。それに、敏感な子を大なり小なりこういう状況に追い込む加害者がいけないのに、愛奈ちゃんは「おとなしめになった」というだけで事態の責任に関して何も気づけていません。1話目の「川釣り」のような物事の繋がりを考えた上での罪悪感が生まれないのではないかと思いました。3話目の主人公も改心しているのに、連作の繋がりに違和感を覚えました。違和感といえば、この本は助詞など文章に気になるところも散見されたので、児童書ですし編集者もとくに注意して見てほしいと思いました。p.215「ヌギリヌパ教室が楽しかった」「ヌギリヌバと呼ばれる岩かげに」など、パとバがどっちなのかわかりませんでした。

ハル:1話目で、グッときました。2話目の「青い金魚鉢」は、ちょっと私がつかみきれていないのですが、「末代まで」の怖さが印象に残っています。もしかしたら、強者への無自覚なあこがれもあるのかなぁ。……などなど、ときどき面食らうようなところもありつつ、川さながらに緩急つけながら全体のうねりを高めていって、最後に「果ての浜」に到達する構成が、もう、すごいなぁと思いました。読者、つまり子どもに寄せた書き方ではないのに、非常にこの不安定で繊細な時期の、今の子どもたちに寄り添っているように思え、なんというか、ほんとにグッときました。すごみを感じます。

マリナーラ:タイトルから、本格的なファンタジーかと思っていましたが、日常からちょっとはみ出た別の世界を描く物語で、個人的にはとても好みでした。人が一瞬垣間見せる悪意が、どのお話にも書かれていました。映像的で、ガラスの金魚鉢がゆがんで見える、というのも想像つくし、サトウキビ畑で姿が見えなくなる、というのもイメージが容易だし、その空間に浸らせてくれる物語だと思います。序盤の2話と3話は、夜叉神川をめぐる連作であることがすぐ掴めるように、川の名前が早めに出てきてわかりやすかったです。最後の戦争の話は、工夫を随所に感じました。そういう話は聞きたくないのだ、という主人公の気持ちに寄り添いながらも、戦時中の出来事に少しずつ引き込んでいきます。当時の波照間島、西表島のことは知らなかったので、勉強になりました。

雪割草:主人公の負の感情を超自然的な現象と結びつけて書いていて、おもしろいなと思いました。割と年配の作家さんなのにヤングな設定を描けていて、すごいなとも思いました。なかでも私は「スノードロップ」と「果ての浜」がよかったです。「スノードロップ」は、なぜ松井さんは怒ってばかりいるのかを、子どもの視点で無理なくときほぐして描いていると思いました。「果ての浜」では、まず戦争中の波照間のことを私は知りませんでしたし、その出来事を主人公らが知る方法も、奇妙だけれどリアルでなるほどと思いました。

ヒトデ:1話目の『川釣り』からひきこまれて読みました。辻くんの純粋な悪意みたいなものが本当に怖くて、でもそれが自分の身に引きつけられないものではない、というか。絶妙なバランスで書かれていました。2話目の「青い金魚鉢」も最後のきつねの伏線で、う~ん、さすがだな、という感じでした。4話目の「スノードロップ」、5話目の「果ての浜」は、1話~3話から少しテイストを変えて、闇の中から光へ進んでいく話という印象でした。とくに5話目の「果ての浜」では、主人公の「どうして戦争の話をきかなければならないのか」という問いに、物語のなかでしっかり答えを出しているところが、とってもいいなと思いました。

しじみ71個分:映画でも本でも、私は本当に怖いものが苦手で、1話目を読んで、やっぱり怖くなって後悔したのですが、読み進めるうちに本当に文章がうまいなぁとつくづく思わされ、読み通してしまいました。この本は「子ども向け」に分かりやすく書いてないし、大人向けといってもいいほどです。1話ごとに、表現や構成が練られていて、短い連作集なのに大変に読みごたえがありました。夜叉神川の上流から物語がスタートし、中流、下流へと流れていき、最後に「果ての浜」をもってきて、海に流れ込んでいくという構成にはうなりました。テーマを「光と闇の境」としたのは、各話で日常生活に生じた、ちょっとした亀裂から、登場人物の悪意が溢れて出てきてしまうのですが、その日常の中の善悪の紙一重な感じが、光と闇の世界の薄い境目のように思われたからです。各話で、悪意が吹き出していく人物がいろんな形で描かれ、そのまま「あっち側」に行ってしまいそうなところを、視点になっている主人公が、「こっちに戻っておいで」というように境目で止めてくれて、それが児童文学としての救いの部分なのかなと思いました。1話目の「川釣り」がいちばん怖かったです。魚の命を奪うことを楽しみ、残虐性が発展して、「ぼく」をも脅して楽しんでいた辻くんが、さらに恐ろしい人間になってしまいかねないところを川の神か山女魚の妖怪かに襲われ苦しむ姿を見て、「ぼく」が「クツクツクツ」と笑い、「ぼく」も喜んで闇を発露させるのですが、ここがいちばん怖かったです!「ぼく」は我に返って辻くんを助け、「清らかな流れを見ていたら、なぜだか祈るような気持ちになった」(p.41)、「そしてこの先、ぼくたちがおそろしいばけものになったりしないよう、どうかまもってほしい」(p.42)、という場面で終わります。残虐性は誰もが持っていて、あちらに行ってしまうか、こちらにいるかは紙一重だという恐ろしさを突き付けるとともに、それに自分で気づいた「ぼく」が境目で踏みとどまり、闇に落ちないように祈って終わるという、この展開の鮮やかさは素晴らしいと思いました。あとはやはり最後の「果ての浜」にやられました。この話では、善悪の境を突き破るのは、島にやってきた山下という青年教師で、突然、豹変し、日本刀で島民を脅して、波照間島から西表島に強制疎開させたため、西表島で病や飢えで島民がたくさん亡くなるという惨劇が起きます。でも、境目に立つ主人公の「おれ」は、残虐さに落ちた山下ではなく、西表に追いやられ、亡くなった子どもたちの魂に、ヤギの人形をあげることで浄化させ、連れて行かれそうになった弟を助けますが、海へと川が流れ込み、浄化されるという大きな構成になっていて素晴らしいと思いました。戦争という大きな悪意に、目を向けないこと自体が大きな悪だという強いメッセージを感じますし、そこに主人公が気付くところで、人間性への期待を持たせる物語だなと思います。

ルパン:とてもおもしろく読みました。最初の「川釣り」に出てくる、川の神なのか化け物なのかが言うセリフ、「命をとったら食べてやらなくちゃねえ」というのが名文句だと思いました。ただ、この人(神?)がこのあとも出てくるのかと思ったらこれっきりで、いったい何者だったのかが気になりました。「青い金魚鉢」は、愛奈さんが何の気づきもなく終わるのが消化不良。ちほちゃんの善意で救われてそれで終わり、本人は何の反省も成長もないまま。何の話なのかな、と、ちょっと首をかしげました。「鬼が守神社」は、p.126の「リョウがいない時のわたしたちには、話すことがほとんどなかった」というのが、女子の関係をよくつかんでいると思いました。「スノードロップ」はいちばん好きな話で、「松井さんが死んだらゴンに悪いです!」とさけぶ男の子に好感がもてました。「果ての浜」は…またそういうことを言う、と言われそうですが、この塾の先生たち、こんな南の果ての病院もないところに子どもたち連れて行っちゃって、何かあったらどうするんだろう、とか、この夫婦にまかせてそんな遠くに子ども行かせちゃう親とかが気になっちゃって、お話にすっぽり入ることができず。でも、こういう歴史を知ることができてよかった、と思いました。ちょうど『アジアの虐殺・弾圧痕を歩く』(藤田賀久著 えにし書房)という本を読んだところだったので、それもあって、自国や近隣の国の歴史の闇についてあまりにも無知だったと考えさせられました。

サークルK:どのエピソードにも畏敬の念という気持ちを子どもが感じられるような不思議な存在が表現された、興味深い作品でした。神様と化け物は紙一重の存在であるとか、川そのものも、普段のあそび場と同じ感覚でいると全く違う表情を見せる怖い場にもなりうるとか、二項対立には収まらない「何だかわからないけれど確かに存在しているもの」への畏れ多さが良く伝わりました。またp.16、p.36の血にまつわる表現はとてもエロティックで大人が読んでもぞくぞくっとしました。古いところでは、映画「禁じられた遊び」に描かれた子どもにも残虐性があることを思い起こすならば、子どもだからと言ってエロス(という言葉は知らなくても)がわからないはずはないのですよね。残虐性とエロスの表裏一体なところをこのような形で表現しているところはすばらしいと思います。これらは最後のエピソード「果ての浜」に出てくる「血の島」につながるのでしょうから、伏線としてもとても心に残りました。

西山:まず「川釣り」で、すごいところをお書きになったなと、いろんな意味でどきどきしました。以前、高校の国語の教材で釣りに関するあるエッセイの一部「姫(ヒメマス)殺しの快感」だったか、そういう表現がカットされていたのを思い出しました。釣りは自然との交歓でありつつ、でも、殺生は殺生。幼児期にどれだけ虫を殺したかが命を尊ぶことにつながるといった発言を目にしたことがありますが、命への興味が「殺す」という行為になっているとして、それが命を尊ぶことにどうつながるのか……。とっとと道徳的に無難な出口を目指すのではなく、すごく危ういところのぎりぎりを見せつけられて、「ぼくたちがおそろしいばけものになったりしないよう、どうか守ってほしい」(p.42)という祈りが深く刺さります。そして、作品を重ねて最後にまさか『ハテルマシキナ』が出てくるとは! この構成全体で光を見せていっていると思いました。余談ですが、「青い金魚鉢」で、皿海達哉の短編集『EE’症候群』(小峰書店 1998年)を思い出しました。先生が落ちこぼれの子どもを金魚に変えてしまうんです。こちらも怖いですよ。

エーデルワイス:最近好きな何名かの作家の短篇を読みましたが、長編でおもしろく読んでいた作家も、短篇は?と、思いました。短篇ならではの難しさがあるようです。それに比べ、この作家さんは本当にうまい!と思いました。「川釣り」は怖かったです。個人的には「青い金魚鉢」が好きです。情景が美しいと思いました。

すあま:私はこのタイプの話が苦手で、最初の話から読むのがつらかったです。怖さというよりも、悪意がむきだしなところや、最後に救いがあるのかと思ったら、あるような、ないようなところも、読みづらかったんです。「果ての浜」まできて、これを描きたかったのかなと思いました。夜叉神川をモチーフにしているので、出てくる子どもたちの間に何かつながりがあったらおもしろかったかもしれません。読み手を選ぶ話だと思うので、うまく手渡すことができれば、合う子もいるのかなと思いました。

しじみ71個分:この物語の中ではすべての登場人物が、改心するどうかはわからないまま、オープンエンドになっていますよね。で、主人公の子たちは人間の善性に対して祈るだけなんですよね。実際に、祈っても悪意から帰ってこられない人はいっぱいいるわけで、そこがオープンになって結末まで書かれていないところがミソだし、リアリティなんじゃないかなと思います。

(2022年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年04月 テーマ:おいしそうなタイトルの本

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『2022年04月 テーマ:おいしそうなタイトルの本』
日付 2022年4月19日
参加者 アンヌ、エーデルワイス、オカピ、カタマリ、サークルK、さららん、シア、しじみ71個分、西山、ネズミ、ハリネズミ、ハル、ヒトデ、雪割草、ルパン
テーマ おいしそうなタイトルの本

読んだ本:

『サンドイッチクラブ』表紙
『サンドイッチクラブ』
長江優子/作
岩波書店
2020.06

〈版元語録〉珠子はダブル塾通いをする小学6年生。ぼんやりむかえた夏休みに、無心に砂像を作るヒカルと出会う。強烈な個性をもち、成績もトップクラスのヒカルは「戦争をなくすためにアメリカの大統領になる」という。家庭環境も性格も異なるふたりの少女が、たがいを受け入れ、まっすぐに世界と向きあっていく姿をさわやかに描く。 *2021年度小学生高学年読書感想文課題図書 *第68回産経児童出版文化賞〔フジテレビ賞〕
『タフィー』表紙
『タフィー』
原題:TOFFEE by Sarah Crossan, 2019
サラ・クロッサン/作  三辺律子/訳
岩波書店
2021.10

〈版元語録〉父さんの暴力から逃れ、家を飛びだしたアリソン。古い家の納屋に身を隠すが、家主のマーラという老女に見つかってしまう。認知症のマーラは、彼女を昔の友人・タフィーと間違えているようで――。孤独を抱えたふたりが出会い、思いがけない同居生活がはじまる。カーネギー賞作家が詩でつむぐ、友情と再生の物語。

(さらに…)

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タフィー

『タフィー』表紙
『タフィー』
サラ・クロッサン/作  三辺律子/訳
岩波書店
2021.10

カタマリ:詩の形態のYAを読むのは『エレベーター』(ジェイソン・レナルズ著 青木千鶴 訳 早川書房)以来でしたが、やはりこちらもとても読みやすかったです。話があっちこっちに行ったり、時間が前後したりしても、詩だとわかりやすいですね。正直、文章のインパクトといい、詩の言葉の力といい、『エレベーター』のほうがより力強いかなと思いました。が、こちらの本も、読んでいくにつれ、彼女のやるせない想いが波のように次々と押し寄せてくるのが伝わってきて、せつなく感じました。最後、希望のある終わり方でよかったです。ただ、自分の年齢のせいか、アリソンだけでなくマーラの視点にも立って読んだのですが、そうすると後味の悪い物語なんですよね。認知症だからこそ感じる恐怖があると思うのですが、アリソンはそれを増幅させています。マーラが混乱していても「すぐ忘れちゃうから」とアリソンが軽く通り過ぎる場面がありました。アリソン自身いくら大変な状況にあるとはいっても、ちょっと若さゆえの残酷さだなあ、と。なので、アリソンがいたことでマーラも救われた、というニュアンスのエンディングが少しご都合主義だなと思いました。

ヒトデ:ラップのリリックのような文体に惹きつけられながら読みました。以前、『エレベーター』を読んだときにも感じたことですが、散文、詩の形式で語られる一人称の物語って、すごく「入ってくる(=自分のものとして読める)」気がします。そうしたわけで、アリソンの絶望的な状況とか、たくましさとか、そのなかでちょっと見えてくる希望とか、ユーモアとか、自然の描写とか……そんなアリソンを通して見えてくるあれこれが、胸に迫ってきました。父親の暴力の描写は、本当につらかったです。日本でも、この形式の物語があるといいのになと思います。「一瞬の出会い」という詩が、『サンドイッチクラブ』(長江優子著 岩波書店)っぽいなと思って読みました。

ネズミ:詩で綴られた形式というのが、新たな発見というか、こういう書き方があるのだとショックなほどおもしろかったです。横組みというのも、短い文章に合っていると思いました。散文で書くと論理性が必要で、整合性を持たせながら順序よく語っていかなければなりませんが、これは短い詩で、断片的だからこそ、時間も場所も自由に出たり入ったりできるんですね。ハードな内容もあるストーリーですが、読んで苦しい場面が続くのを避けられるという利点も。行ったり来たりしながら、だんだんと深く入りこんでいく感じがとてもよかったです。『詩人になりたいわたしX』(エリザベス・アセヴェド著 田中亜希子訳 小学館)や、『わたしは夢を見つづける』(ジャクリーン・ウッドソン作 さくまゆみこ訳 小学館)も、詩の形式でおもしろく読みました。

オカピ:アリソンは父親から虐待を受け、知り合ったルーシーには利用され、マーラの家も荒らされてしまいます。暴力にみちた世界で、砂の城とか、死んでしまうクロウタドリとか、喪失のイメージが重ねられていきます。アリソンもマーラも、手からこぼれ落ちていくものを必死でにぎりしめていますね。アリソンは父親の愛情をあきらめきれず、マーラは記憶を失いつつあって、娘のメアリーが死んでしまったことは忘れているのに、娘がいたことは忘れられない。アリソンの父親は、妻の死にとらわれたままでいる。物語は、アリソンは勇気をもってみずから手を放し、新たな人生を生きはじめるところで終わっています。それが、ヘレナの誕生に象徴されているように感じました。訳もよかったです。日本語の本にしたとき違和感がないように、改行や文字組が工夫されていると思いました。1か所、違うかなと思ったのは、あとがきの「~も詩人による詩形式の小説だ。今年(2021年)もその傾向は変わらず、カーネギー賞はジェイソン・レナルズのLook Both Ways が受賞」という箇所です。前に読んだことがありますが、これは詩で書かれてないので。

ハリネズミ:散文詩だけど、ストーリーがはっきりしていておもしろいと思いました。ただ時間軸が行ったり来たりするので、対象年齢は高校生くらいでしょうか。父親の暴力に怯えて家出をしたアリソンと認知症のマーラが出会うわけですが、ふだんの日常だとまず出会わないふたりが出会うというのが新鮮。その過程でアリソンはだんだん自分の仮面を取っていくし自分の話もするようになって、素の自分に戻っていきます。それも、読者にはよく伝わってくるな、と思いました。さっきマーラの目から見てどうなのかという話が出たんだけど、私もそこは引っかかりました。だれかがそばにいて自分のことを気にかけてくれているのはいいと思うんですが、マーラが最後に行くのは、たぶん孫が住んでいるところの近くにある施設ですよね。でも、この孫のルイーズはお話にほとんど登場しないし、会いに来てもいない。もし著者がルイーズにとってもハッピーエンドにしたいのであれば、このルイーズをもっと登場させておいたほうがよかったのに、と思いました。アリソンは非常に知的な女の子なんですが、16歳になっているのに、父親のことを客観的に見ることができていないのはちょっと不思議。父親については暴力をふるっている場面が多く、いいお父さんの部分は少ししか描かれていない。そうすると、なんでこの子はここまでガマンしてるんだ、というふうに読者は思うんじゃないかな。あとがきのp411「描いてみせた」は、当事者も読むことを考えると、私はひっかかりました。

エーデルワイス:表紙がいつもと反対で中身は横書き。縦書きではないのでドキリとしました。そのうち文章が『詩』の文体で、横書きであることの必然性が分かりました。あとは読みやすかったです。タフィーだと思い込んでいるマーラが切なくて、愛おしい。生きていくには生活が大切です。トフィーことアリーが食べ物を買うためにアルバイトを引き受けたり、家の中を整えたりと具体的に書かれていて好感を持ちました。「トチの実は落ちて・・・」(p.145)のところですが、盛岡市に中央通りというメインストリート(夏の『さんさ踊り』パレードがあるところ)があって、そこはトチの並木道になっています。6月頃マロニエの花が咲き、秋になるとトチの実がバラバラと落ちてきます。頭上に注意と立て看板がでます。私もよく拾いにゆきます。そんなことを思い出しました。

雪割草:いい作品だと思いました。詩の形で綴られた小説には、はじめは違和感があったけれど、だんだん慣れてきて、この形式自体が若者の声を象徴していて、若者は親近感が持てるのかなと思うこの頃です。この作品では、散文詩のぷつぷつと場面が切れる、内的独白の調子が、主人公の置かれた状況の厳しさに合っていると思いました。虐待を受け、守ってくれる大人がいない主人公の女の子と、認知症で家族にも厄介者扱いされている高齢の女性と、2人とも心のどこかで誰かの助けを必要としている気持ちがあって、心を通わせるのがよく描かれていると思いました。そして、主人公が父親から逃れて、携帯をなくし、現実から距離を置いていた時間と、認知症で心がどこかに行ってしまうマーラの時間と、ある意味、2人は特別な時間の中で出会い、一緒に過ごすという描き方も上手だと思いました。「自分の悪いところ、わかってる?そうやってくだらないことばっかり、言ってるところよ」(p.266)など、マーラの放つ鋭い一言もよかったです。エンディングは、大きくはないけれど、ささやかな希望が感じられて、こうしたささやかな温かいことの積み重ねが人生なのかな、と読者も受け取れるのではないかと思います。

アンヌ:横書きだからとためらっていたけれど、読み始めたら止まらず、一気読みでした。認知症の合間に蘇る若いマーラ、恋をしたりダンスをしたりした、一人の人間としてのマーラが見えてくる過程を、時間を行ったり来たりさせながら描いていくところは素晴らしいと思いました。詩ならではの短い言葉による暗示は読者の想像力を駆り立てるし、アリソンがこの家にいるのがいつばれるだろうというスリルもあって、ドキドキしながら読み進みました。それと同時に、アリソンのやけどの理由、父親のDVや、どう見ても悪だくみをしそうなルーシーとの関係は予想がつくから、ページをめくるのがつらいけれどやめられないという感じでもありました。透明人間みたいだったアリソンが、マーラの怪我の後に、きちんと他の大人にも対応できる場面を見ると、尊厳を取り戻したんだなとわかってホッとしました。最後の詩は、かけがえのない友人同士となった2人の別れの場面ですが、マーラが自分を忘れてしまう悲しさと、忘れる自由もある事を歌っているのようにも思えます。詩というのは読み返すとそのたびに違う顔を見せるものだから、もう少し年を取ってから又読みなおしてみたいなと思いました。

サークルK:横書きの体裁でも『エレベーター』を読んで慣れていたこともあり、すんなりお話に入っていくことが出来ました。空白の多い詩の形式ではあるけれど、中身が詰まっていて散文を読むような感覚でストーリーに引き込まれました。以前読書会で読んだ『神さまの貨物』(ジャン=クロード・グランベール著 河野万里子訳 ポプラ社)が散文であるにもかかわらず詩的だな、と思ったことを対照的に思い出しました。父親の暴力から逃れられないアリソンの様子は凄惨すぎて胸が詰まりましたが、実際日常的に暴力を受け続けてしまうと、気力がなえて抵抗できない状態に陥ることがある、と聞いたことがあるので、彼女の場合もそうなのではないかと推察します。それでも彼女は繊細で頭が良く、認知症のマーラが、時々ドキリとするようなことを直言し(「顔はどうしたの」)その一言を糸口にして、すべてを語ってしまいそうになるアリソンの心模様に共感できました。最後に父親にやられたことをアリソンが正直に言うことが出来て良かったです。認知症の当事者と虐待の当事者という全く違う世界を背負っている2人なのに、なぜかリンクしている世界が描かれていることが素晴らしかったです。

しじみ71個分:散文詩で全編が構成されている作品を読むのは初めてでした。ですが、非常に物語性が豊かなので、普通の物語と同じように筋を追ってすんなり読めました。言葉をギリギリまで絞り込んで、主人公から吐き出される気持ちのエッセンスを抽出して描いているように思います。なので、主人公の切迫した心情や痛みが、ダイレクトに響くので、読んで痛くて、つらいところはありました。アリソンは、父の暴力から逃げて、認知症のマーラの家に無理やり入り込み、彼女の世話をしながら生活しますが、介助の人や息子が家を訪れたときには見つからないかと読んでハラハラし、この秘密の生活がどうなるかというスリルもありました。アリソンは、マーラの昔の友人で、すてきな女の子だったタフィーの幻影を借りて、マーラの前で生きていきます。それは親から暴力を受け続け、存在を否定されたことによる自己の喪失を象徴しているのかなと思いますが、読んでいて本当に悲しくつらいと思ったことでした。マーラも認知症で自分が自分でなくなっていく恐怖やつらさを抱えているので、2人の間にはそこに共通点があるのですね。記憶が行ったり来たりする中で、マーラの元気だったときのエピソードが見え隠れしますが、認知症になる前は、おおらかで朗らかな女性だったことがだんだん見えてきて、マーラの温かさや包容力で、アリソンは救われていく様子が分かります。火傷の痕について、マーラに「顔をどうしたの」と聞かれて、1回目は答えなかったアリソンが、2回目に同じことを聞かれて父さんにやられた、と素直に答えたのに対し、マーラが「あなたは何も悪くない」というシーンは胸にしみました。マーラとの暮らしと、ルーシーから頼まれた裏バイトでお金を稼ぐことで、だんだんアリソンには自己肯定感が生まれてきます。アリソンの視点からだけで語られているので、マーラが何をどう考えているのかはつぶさには分からないのですが、アリソンが次第にマーラに対する愛情を深めていき、クリスマスツリーをつくってあげようと考えたところで、改行の工夫で、詩がクリスマスツリーの形になっている(p.317)のは、アリソンのうきうきした楽しい、やさしい気持ちを視覚的に表しているんだと思って、かわいいなと思いました。稼いだお金でマーラが好きなジャズシューズを買ってあげるのも素敵です。結末に向かっていくところですが、ケリーアンが病院で産気づき、それをマーラがさらりと受けてナースコールを押す場面や、パートナーや家族のいない出産におびえるケリーアンを、「みんなひとりきり」といって慰める場面もマーラの強さと魅力を存分に物語っています。そして、最後に、マーラがそれまでタフィーと混乱して認識していたアリソンを、アリソン自身とちゃんと認識して、名前を呼びかけたことで、アリソンが自己の存在を肯定し、自分を自分として認められるようになりますが、そのことを語る「わたしはアリソン」という詩は、物語のクライマックスとして大変に感銘を受けました。3人のこれからがどうなるかという結末ははっきりとしませんし、おそらく施設に入るマーラと、ケリーアンと赤ちゃんと3人で暮らすだろうアリソンたちのそれぞれの人生が本当にうまくいくのか、いかないのかは分からない微妙な感じで終わりますが、登場人物たちに希望を持って、がんばってほしいと思ってしまいました。

西山:いちばんびっくりしたのは、最後に訳者あとがきを読んで初めて、これが「詩」だということを知ったことです。自分にびっくりです。確かに見た目は詩形式ですが、いまどき、1文ごとに改行している作品もあるし、一人称でほぼ心の声でできているような作品にもなじんできたので、その類いかと……。つまり、「筋」と「意味」ばかり追う読み方をしてしまいました。(追記。読書会中は「散文詩」と言われていましたし、自分も使ったと思いますが、これは「散文詩」でしょうか。「散文詩」というのは、見た目は完全に、普通の小説のような感じで、でも、イメージの飛躍などで、明らかに言葉の質が一般的な散文とちがうものと認識していました。) その「筋」「意味」で特に新鮮だったのは、認知症の現れ方で、幼女のようになってしまうのではなく、性欲というのか、異性への意識が出てくる部分です。p.255ページからの「紅茶とカップケーキでおしゃべり」で若者のお尻に注目しているし、p.371からすると、付き合っていた「変わり者のじいさん」は妻子持ちだったんですよね。断片的に見えてくるマーラの人生が興味深かったです。

ハル:いま、海外小説ではこの散文詩の形態がトレンドだということで、1度みんなで読んでみたいな、というより、皆さんに読み方を教えていただきたいなと思っていました。私自身は、「詩」というものにあまりなじんでこなかったので、詩の定義ってなんだ? と思っていましたが、何冊か読んでみて、ようやく、こういう形態でこそ表現できるものがあるんだな、というのがわかりはじめてきたところです。「詩」というと、美しく包んで飾っているようなイメージがありましたが、タフィーの物語は、この形でこそ、むしろ飾らず、うそいつわりのない言葉で綴れるんだろうなぁと思います。なんというか、そのとき、そのときの気持ちに素直で、読者としても整合性を気にせずに受け止められるというか。ただ、私は頭がかたいので、やっぱり縦書きで読みたいなぁと思いながら読み始めましたが、最後のほうでクリスマスツリーが出てきたので、だから横書きだったのか、と納得しつつ、ちょっと笑ってしまいました。もっとも、途中からは縦書きか、横書きかなんて、気にならなくなっていましたが。

ルパン:内容はとてもおもしろかったのですが、正直、私は詩の形式でなくふつうの物語形式で読みたかったです。タフィーがどんな人物で、マーラとどういう関係だったのかとか、もっともっと具体的に知りたい、と思うところがたくさんあって。あと、p.38みたいな形式が何か所かあるんですが、先に左の列を縦に読んでしまい、それから右の列に行ったので、わけがわからなくなりました。これは各行を横に読むべきなんですね。それがわからなくて読みにくかったです。

ネズミ:どっちから読んでもいいように書いているんじゃないかな。

ハリネズミ:ここは、ホットクロスバンていうイースターに食べる、十字が入っているパンの形になっているんだと思うけど。

ルパン:あと、地の文と、だれかのせりふの部分で字体を変えているようですが、それも目立った変え方ではないので、ずいぶん読み進めてから初めて気がつきました。

ハリネズミ:原文はイタリックなんでしょうね。日本語の本ではイタリックは読みにくいしきれいでもないので、普通は使いませんよね。で、イタリックにしただけじゃわからないから太字にしてるのかも。日本で出すならカギカッコにしてもいいのかも。

ルパン:同じ行に2つの字体が入り交じっていたりしますよね。

ハリネズミ:原文どおりなんでしょうね、きっと。日本語版はもう少し工夫してもよかったのかも。

ルパン:ところどころ、せりふは字下げで始まる場合もあるんですけど、そうでないところもあり、まちまちですよね。たとえばp.81は、父さんのせりふは字下げがなく、ケリーアンのせりふは字下げがあり、その次の地の文もそのまま字下げに頭を合わせていて……そういうところが、ちょっと気になりました。

シア:散文詩形式の本は珍しいので、目新しさを感じました。でも読むと普通に読みやすくて、一気に読めました。とはいえ、かなり重い内容なため、こういう形式だと情緒的になるので、さらに苦しさが増すような気もしました。そこも狙いだと思いますが。短い文章が続くので、生徒など若い世代には更に読みやすいのではないかと思います。ただ、本の見た目が分厚いので、そこをどうクリアさせるかが問題ですが。貧困やDV、キャラクターの掘り下げは、さすが海外作品らしい切り込みの鋭さがありました。その辺りは長江優子さんの『サンドイッチクラブ』とは一線を画していますね。とにかく、子どもたちがポエムというものに触れるには良い本だと思います。表紙もオシャレで素敵な作品でした。表紙の女の子の顔に葉っぱついてるよ、と思ったらとんでもなかったって話ですが。

ハリネズミ:アメリカで賞をとる作品は、今、散文詩の形式の物が多いですね。時間軸でしばられず、パッチワークのように書いて全体像を浮かび上がらせることができるという特徴があるようです。あと認知症にもいろいろな段階があって、まだら認知症の人は、意識がはっきりしている時とそうでない時があるようです。昔に戻って若い頃の自分が出てしまったりする人、子どもに戻ってしまう人もいるらしいですね。マーラも、その状況なので、認知機能が戻ったときはきっとつらいのではないかしら。

ネズミ:私は、この本の中では、マーラがアリソンと最後、ダンスを披露するシーンが好きでした。

ルパン:私は、時計をルーシーに盗られてしまったあと、マーラが、それがあった場所をじっと見つめたまま何も言わない、というシーンは、せつなくて本当に泣きそうになりました。

西山:ちょっとうかがっていいですか? これが「詩」だと分かっていたら、改行ごとに間を置いたりして、もっと違う受け止め方ができたのにと反省していて思いついたのですが、こういう作品、欧米では朗読する機会など多いのでしょうか? これ、声に出して読み合ったらおもしろそうだと思いまして。

ハリネズミ:学校で詩を声に出して読むことはよくあると思うし、著者が学校を訪ねて自分の散文詩作品を読むこともしょっちゅうあるかと思います。

オカピ:『詩人になりたいわたしX』(田中亜希子訳 小学館)の著者のエリザベス・アセヴェドは、自身もポエトリースラムをしていますよね。

(2022年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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サンドイッチクラブ

『サンドイッチクラブ』表紙
『サンドイッチクラブ』
長江優子/作
岩波書店
2020.06

アンヌ:表紙も題名もおいしそうだったのに、残念ながらサンドは砂でした。それでがっかりしたせいか、おもしろく読めませんでした。特に勝田家の兄弟が苦手で、弟のアイネとハイネたちは傍若無人で、葉真(ヨーマ)もヒカルに「一生負け犬だ」なんて言う。彼の言動を「すがすがしいほど自己中心的」なんていう風に肯定的に感じられませんでした。砂像作家のシラベさんは、ホッとする人格で、最後に「きれいなのは砂が砕かれた地球の一部だからじゃないかな。ひと粒一粒にこの星の誕生から今日までの記憶が宿ってるんだ」(p.236)なんて、心に残ることを語ってくれて、砂は悪くないと思えました。物語の舞台は高級住宅地でしょうか? 500円のクロワッサンが飛ぶように売れて、2つの塾に通わせて私立校を受験させる親がいる安全な場所。そこに、シラベさんの海外での体験や現実の隣国のミサイル実験から、ヒカルの祖母の「戦争はまだ続いている」という言葉が現実として入り込んでくる。けれど、その戦争に関する意識がヒカルや珠子のなかで、どうなって行くのかわからないまま終わっている気がしました。

雪割草:あまりおもしろいとは思えませんでした。さわやかで、砂像というアイディアはおもしろかったけれど、キャラクター設定が漫画っぽい感じがしました。葉真が好きなことがわかっていて、それをやるんだと決めている姿は気持ちよく映りました。でも、家族みんなアーティストで、だから自分もアーティストになるんだという決め方にはなぜ?と思いました。それから、ヒカルがおばあちゃん子なのはわかるけれど、戦争のかぶれ方が極端だと思いました。最後までお母さんも登場せず、ヒカルはどんな家庭の子なんだろうと気になったので、もっと早く家族関係を描いてほしかったです。そして、主人公の珠子の心の整理を受験や塾で表現するのに違和感を覚えました。実際、今の子はこうした環境に置かれているのかもしれないけれど、いいとは思えませんでした。

エーデルワイス:前に読んだきり内容を忘れて慌てました。主人公の珠子とヒカルの対比がおもしろかったです。ヒカルはおばあちゃんの影響が大きくて、おばあちゃんの言葉に囚われているようで心配になりました。現代は塾が大きく存在を発揮して、塾は当たり前のこととして書かれているので、改めてそうなのかと思いました。小学校6年生女子の会話がまるで中高生のような会話に聞こえ、ずいぶん大人びていると感じました。砂の彫刻について知らなかったので、そこが新鮮でした。

ハリネズミ:ずいぶん前に読んだので印象が薄れているのですが、この本は小学校高学年の感想文の課題図書なんですね。私がおもしろいと思ったのは、見えているものだけで判断しないほうがいい、という考え方がずっと一貫しているところです。それと、著者が今の子どもと、歴史とか外の世界を結びつけようとしているのもいいな、と思いました。砂の彫刻については私も知らなかったので、へえ、そうなんだと思ったし、時間をかけてていねいに作ったものでも崩れてしまうとか崩してしまう、というところもおもしろいですね。ヒカルが戦争にここまでこだわるのは、もちろんおばあちゃんの影響もあるのでしょうが、私も少し疑問に思いました。キャラクターは、あえて少しずつデフォルメしているのだと思ったので、リアリティに対する違和感はあまりありませんでした。

さららん:タイトルのつけ方が秀逸で、読むまでは、ずっとサンドイッチの話だと思っていました。目次の言葉選びにも意外性があって、読者を惹きつけます。作者は、少しずつずらしながらイメージの関連性をつくるのがうまくて、例えば珠子がタマゴと呼ばれ、そのタマゴの持ってきたのが「ポンデケージョ」という丸いパン。そのパンも小道具として効果的に使われていますね。ヒカルの家の「漂白剤」の匂いも、ヒカルや祖母の潔癖さの象徴のように感覚に残りました。そして砂像づくりという、まったく知らないアートの世界を通して、子どもたちの成長を伝える点がとにかくユニーク。違う時間軸の中に生きるシラベさんと出会えたことが、人生の岐路にある子どもたちにとって、大きな意味をもちますよね。お金はあるけど、やりたいことがわからない珠子と、貧乏だけれど、頭がよくて、「大統領になったら、戦争のない世界を作りたい…(中略)…世界があたしを置きざりにするつもりなら、ダッシュして先頭に立ってやる」というほど、つっぱったヒカル。2人の立場もキャラクターは対照的で、この2人にちゃんと共感できれば、勝田葉真との砂像づくり対決の物語に夢中になれるはずなんですが、2人の切実さに私はいまひとつ、ついていけなかった。作者には、社会にまず伝えたいメッセージがあり、それに合うキャラクターを持ってきてドラマを作ったのではないかと感じてしまったんです。最後の頁のタマゴの思い、「変わらない景色の中で、砂はたえず動いている。毎日は同じことのくりかえしのようで、そうではないはず。見えない変化が積みかさなって、新しい自分になっていくはず。明日のわたしは今日のわたしじゃない」(p.237)は、少しまとめすぎに感じられ、お話全体の中でこのことを感じさせてほしかったです。このセリフは、ややテレビドラマ寄りだと思いました。

オカピ:塾と学校という、狭い世界で生きていた珠子は、新たな友だちと砂像彫刻に出会い、視野を広げていきます。シラベさんが海外で、銃弾や赤ちゃんのおしゃぶりを砂の中に見つけたという話を聞く場面では、近所の公園から、戦争や難民の問題につなげているのがいいなあと思いました。ペンギンの骨格を調べ、それを砂像づくりに生かすのは、それまでやらされていた勉強が、知りたいことに結びつく瞬間ですね。ヒカルが「ケンペー」という言葉をよく口にするのは、少し違和感がありました。もし今の時代に戦争が起きて、憲兵のような人たちが出てきたとしても、それはべつの名前になるだろうから。p143にあるように、ヒカルは「心だけ別の世界に行ってしまう」ということなのでしょうが。

ネズミ:中学受験や塾に行くのが前提になっている日常というのが、今の小学生にはあたり前のものなのかなと思いながら読み始めました。地方でもそうなのでしょうか。

エーデルワイス:東京とは違い、私が住んでいる地方では、私立中学受験がないわけではありませんが、少ないです。小学生は『くもん』に通っていますね。

ネズミ:そうなんですね。小学6年生にして進路選択を迫られるとこうなるのかもしれませんが、ヒカルや珠子の心持ちや人物像を私は今ひとつはっきりととらえられず、物語に入り込めませんでした。だからか、作者がいろんな問題意識を読者に投げかけているのは好感を持ちますが、やや全体にごつごつした印象というか、取って付けたような感じがしてしまいました。たとえば、p133の、マルタ島の赤ちゃんのおしゃぶりに始まる難民の説明とか。思いがけないところで私たちのすることは世界につながっているというのを、作者は示したかったのかもしれませんが。

ヒトデ:「砂像」というテーマに、著者のセンスが光っていると思いました。タイトルの付け方も魅力的で、著者ならではのものだと感じました。「現代の子どもたちに、戦争のことをどう伝えるか、どう考えてもらうか」という難しい課題に、ハムと祖母とのやりとりや日常に影を落とすように出てくる「ミサイル」という装置を使いながら、この物語ならではの方法でアプローチしているところがいいなと思いました。現代が過去とつながっていること、戦争が決して、断絶した「過去」の話ではなく、現代そして未来にも起こり得るものであることを伝えているところが、とってもいいと思いながら読みました。

カタマリ:初めて読んだときは、砂像の話に引き込まれつつ、要素がいろいろ盛り込まれ過ぎているため、少し散漫かなと思いました。今回再読したときは、散漫には感じず、とてもおもしろく読みました。砂像のはかなく消えてしまう、という特質が物語全体にいい味をもたらしています。登場人物の女の子たちの書き分けもうまいなと思いました。塾で女の子たちがわちゃわちゃ会話していても、誰かと誰かがごっちゃになることもなく、スムーズに読めました。敢えて1つ言うとすれば、砂像バトルが盛り上がりに欠けるんですよね。それは、大会などではなく、私的な勝負だからということもあるのですが、いちばんの理由は、主人公とヒカルは成長しているのに、ライバルの葉真が成長していないからではないかと考えました。最初からすごくできる人で、ずっと似たものを作り続けているんですよね。彼が壁を突き抜けてさらに成長するシーンがあると、主人公たちの頑張りも際立つのかなと思いました。

シア:砂像アーティストというのを知らなかったので、おもしろく読みました。受験期の子どもがストレスから別のものにハマるという話は多くありますが、この本は保護者が適度な距離を持って接している理想的な形だと思いました。そのため、主人公はそれを理解したうえでゆとりを持って自分の進路を考えることができました。現実ではなかなかこうはいきまません。実際、中学説明会の教師ひとりの面談で決めるというのは微妙ですしね。だからそういった意味でもフィクションな面が強いし、戦争や貧困などいろいろな問題も盛り込まれていましたが、どれもふわっとさせていて、なんとも小綺麗なまとめ方をしたなと思いました。まあ、そういうのは嫌いじゃないので、それはそれでありかなとは感じました。まるでサンドイッチの断面のような、作られた美しさではありますが。「サンドイッチクラブ」という題名も“サンド”と“砂”とひっかけていて、ここも上手くまとめていますね。

ルパン:これは、申し訳ないけれどおもしろいと思えませんでした。いろいろ盛り込まれているんですが、何もかも中途半端な感じで。砂像、中学受験、経済格差、ミサイル問題、友人関係……。唯一筋が1本通っているのは葉真かな。「教室の中でじっとしていられないから外に出て砂像をつくる。そして世界的なアーティストになる」という。でも、それも、誰かに何かを伝えたいとか、何かを主張したい、という感じではなくて、ただ有名になりたいだけみたいだし。それでも、よくわからない方向転換を繰り返すヒカルや珠子よりはましかな、という気がしました。葉真の弟たちもなぜふたごの設定なのかよくわからない。このお洒落な名前を出したかっただけかも、と思っちゃいました。ただ、砂像というのはいいモチーフだと思いました。検索したら、すばらしい砂像がたくさん出てきて、感心しました。砂像の迫力とはかなさの魅力をもっと物語の中で活かせたらよかったんじゃないかな、と思いました。

ハル:いろいろな要素がからまっていて、とてもおもしろかったけれど、すごく上手かといったらそうでもないような。ところどころで「どうしてこういう表現になるのかな?」と浮いてしまうような部分もあり、それは私の読み込みが足りないだけじゃなくて、書き込みも足りないんじゃないか……という感じがしました。印象に残っているのは、「世界にはばたくリーダーとなれ」なんてスローガンをかかげている学校の先生が、とてもいい大人だったこと。ヒカルのような子がいる一方で、珠子のように、将来の夢なんてわからない、という読者のことも、それでいいんだと包んでくれて、とても心強く思いました。もうひとつは、ヒカルのおばあさんは、実は戦争を体験していなかったというところ。隔世の感がある、と言うと語弊があるかもしれませんが、ぞくっときました。呪いのように残り続ける憎しみこそが、次の戦争の種になるんだということでしょうか。

西山:どうも腑に落ちない……。長江さんは他の作品でも戦争をめぐる題材を持ち込んで書かれていて、それ自体は賛成だし、題材の選び方も珍しかったりするし、そういう問題意識には共感するのですが、作品というまとまったイメージとして、捕まえ切れません。なんでだろう……。たとえば、ヒカルは最初アニメ的なエキセントリックな設定と感じたのですが、おばあちゃんの呪いに囚われていて、ミサイルへの異様なまでの危機感(危機感を持っていない方が「異様」とも言えると思いますが)とか、その辺がアンバランスで、どう読めばよいのかよくわかりません。ヒカルにさんざん戦争体験を語り聞かせていた祖母が実は戦後生まれだと知った後の、「たぶん、昔話として孫に戦争を語っても、伝わらないって思ったんじゃないかな。自分が体験したように話したほうが迫力でるでしょ」(p55、1行目)は、相当強烈な皮肉と平和の語り方に対する問題提起になっているけれど、この件はこれで放り出されているまま。戦争に怯えているヒカルの状態は病的と言って良いほどだと思いますが、それもほったらかされている。ヒカルは自分に敵対する言動に対する反撃として「ケンペー」を口にしますし、「そうだね。あたしたち、シャベルの使い方がうまいから防空棒を掘るときに重宝されるよ。ケンペーだって、あたしたちに一目おくにきまってる」(p142-143)ともあって、憲兵が味方みたいな位置付けなのも腑に落ちません。おばあちゃんは「戦争体験」どんなふうに伝えたんだろうと。すごくアグレッシブに問題提起しているんだろうけれど、つかみあぐねる感じです。絶妙な表紙絵ですし、ハムとタマゴで「サンドイッチクラブ」なのも楽しい仕掛けではありますが、おいしそうなサンドイッチの話でないことにがっかりする子どももいると思います。小学生の頃、吉田としの『小説の書き方』(あかね書房)が、全然「小説の書き方」の本じゃなかったことにがっかりした経験を思い出しました。

しじみ71個分:この本は再読ですが、料理に関する本かなとタイトルで手に取りましたので、「やられたな(笑)」と思った記憶があります。1回目に読んだときは、砂像を作る話だという以外は、あまり印象に残っていなかったのですが、JBBYのイベントで、長江さんのお話を伺い、こういうことを考えておられる作家さんだったのかと思い、今回、興味を持って改めて読み返しました。はじめて読んだときは、メッセージを伝える素材である砂像から世界が見えるということや、戦争のイメージを刷り込まれた子どもが登場するなどということはあまり記憶に残らなかったのですが、読み直すと、少し作家の考えやメッセージがストーリーから飛び出している感じを受けました。なので、背景やら、物語の彩りの部分を除けば、珠子という主人公の朗らかな女の子が、ヒカルと出会ってサンドアートを体験し、自分で自分のことを考えるようになり、孤独だったヒカルも友だちを得て、日常とのバランスを取り戻していく、というシンプルな友情の物語だな、という印象です。サンドアートはおもしろい着眼点だと思いますが、世界や戦争などの要素が、2人の少女たちの関係や心持ち、成長といった物語の柱に対して、それほど効果を生んでいないのかなという気もしました。表現はところどころ、とてもいいなと思いました。たとえば、ヒカリがライオンの砂像にまわし蹴りをくらわすところで、「ふりあげた足からビーチサンダルがぬげて、雨の中をロケットみたいに飛んでいく。」(p.42)とか、「光の粒子がまぶたをすりぬけて、星のように暗闇の中でチカチカとまたたいている。」(p.128)とか、体感的ですてきな表現がありました。美しい表現をされる作家さんなので、これからの作品にも期待しています。

サークルK:受験を控えた6年生女子のモヤモヤが言語化されていて、受験することがつらくなって逃避していく展開なのかと思いましたが、砂像をめぐる新しい友人たちとの出会いによって自分を見つめなおす機会が生まれていくという物語になっていたのだとわかりました。(ただ、夏休みをここまで使ってもう1度受験勉強生活に戻っても、時間的に間に合うのだろうか、やる気だけでは乗り切れないのではないのかという現実的な心配がありますが。)p.57ページのヒカルの独白は、2022年4月の現在に起きているウクライナでの戦争を踏まえれば、より一層重いものと受け止めました。ヒカルが、だからアメリカに行きたい、と短絡的に発想する所には、世界を救うために飛び出していく行先がやっぱり欧米が主体になってしまうのだな、と少々苦笑してしまいました。

(2022年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年03月 テーマ:心に問いかけていくことは

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『2022年03月 テーマ:心に問いかけていくことは』
日付 20227年03月22日
参加者 ハル、コゲラ、花散里、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、オカピ、キビタキ、サークルK、みずたまり、雪割草、ヤドカリ、(ネズミ))
テーマ 心に問いかけていくことは

読んだ本:

『ラスト・フレンズ』表紙
『ラスト・フレンズ~わたしたちの最後の13日間』
原題:ALL THE THINGS WE NEVER SAID by Yasmin Rahman, 2019
ヤスミン・ラーマン/作 代田亜香子/訳
静山社
2021.06

〈版元語録〉16歳の3人の少女たちはあるマッチング・サイトで出会った。彼女たちの目的は……。衝撃の展開に、ラストまで目が離せない感動作!
『家族セッション』表紙
『家族セッション』
辻みゆき/作
講談社
2021.07

〈版元語録〉普通の家庭に育った千鈴、お嬢様育ちの姫乃、シングルファーザー家庭の菜種。中1に進学する春、3人はそれぞれの親から、「赤ちゃんのときにすり替えられていた。」という衝撃の事実を知らされる。それぞれの家へホームステイをしながら、3人はそれぞれの思いを抱え、悩み、葛藤する。ほんとうの家族とは何か、真の愛情とは――。運命に翻弄されながらも、3人は新しい一歩を踏み出していく。

(さらに…)

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