月: 2005年6月

2005年06月 テーマ:動物ファンタジー

日付 2005年6月23日
参加者 ハマグリ、トチ、驟雨、羊、きょん、カーコ、流、ケロ、ブラックペッパー、小麦、 アカシア
テーマ 動物ファンタジー

読んだ本:

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テリー・プラチェット『天才ネコ モーリスとその仲間たち』

天才ネコモーリスとその仲間たち

ケロ:この本は、興味をそそられる感じの本だったので、随分前に買ってあったのですが、お話の最初のところで、なかなか入れなくて、じつは置いてしまってたんです。でも、途中から勢いがついて、中盤以降はばあーっと読めました。モーリスのキャラも、ハードボイルドで渋くていいし。世界観が複雑なので、頭の中がごちゃごちゃになってしまいましたが、パロディが色々入っていたり、ストーリーよりもこまかいやりとりが笑えて楽しめる大人向きの作品ですね。モーリスがいう言葉、ネズミがいう言葉で、後でふっと生活の中で思い出しそうな哲学的なひと言にたくさん出会えました。章のはじめに記されている「うさぎのバンシーの冒険」が、最後までかちっとはまらなかったです。

ハマグリ:魔法使いのゴミを食べて急に賢くなったネズミたちが、そこにあった缶に書いてあった言葉から適当に名前をつけてしまうというというのがおもしろい。このユニークな名前の訳は、初出だけ日本語訳にカタカナのルビをつけ、2回目からはカタカナ名を使ってありますよね。工夫されていると思うけど、やはりカタカナでは意味がわからなくなるので、全部は無理かもしれないが、例えば「サーディン」なんかは「イワシ」と日本語に直してもよかったのでは? いろいろな名前のネズミが次々に登場するので、個性と名前が一致してくるまで苦労しました。最初は情景がなかなかすっと思い描けなくて、そのわけを考えてみると、一つの描写の次にくる文章が、必ずしも前の文章の続きではないような書き方をしている。だから『天才コオロギ』のように、順番どおり素直に読んで情景を積み重ねて読むというわけにいかないんですね。独特のぶっとんだ感じがあって、訳文はそれをよく伝えていると思うけど、それに慣れるのに時間がかかった。途中で、この一見脈絡のない描写の連続、瞬時に視点が変わる動きは、アニメやコミックなんだな、と気がつきました。それで映像的に頭に思い浮かべるようにしていくと、だんだんついていけるようになったの。それでもよくわからなかったのは、91ページの最初の描写。ネズミたちの配置や動きがよくわからなかった。また、うさぎのバンシーさんの冒険を章の最初に出すのは、ちょっと凝りすぎかな。本文との関連がよくわからない章もあったし。マリシアがとてもおもしろい子なので、マリシアが出てきてから会話にメリハリがついておもしろくなりましたね。この作品自体が「ハーメルンの笛吹き」を下敷きにしている上、数々のパロディが使われているんだけど、そのおもしろさが、日本の子どもにはわからないのが残念ね。本当はもっとおもしろいことが随所にあるんだろうけれど、仕方ないですね。作者が知的な遊びをこれでもかこれでもかと楽しんでいることはわかるんだけど、読者も一緒に堪能するには、限界があるんでしょうね。

トチ:みなさんがひっかかった最初の場面ですけど、暗い馬車のなかで、御者に後部座席の怪しい話し声が聞こえてくるっていうところ、わたしは大好き。わくわくする始まり方だと思ったわ。一行がたどり着く町も、カフカの世界を思わせる、不条理というか、官僚がはびこっている奇妙な町。ビッグラットの正体も、ああこういうことなのかと、おもしろく読みました。ただ、ネズミが続々と出てくるので、ピーチ以外のネズミがすぐにわからなくなってしまう。登場人物紹介のページとか、しおりのようなものがあったら、もっと読みやすかったと思います。あっさり味の「サンゴロウ」にくらべて、こちらは中身がぎゅっと詰まっているコンビーフ缶みたいで、少しずつかじっていくとすごくおいしい。でも、一般的に日本ではほのぼのとした、のんきなユーモアが好きだという気がするので、こういう風に次から次へとたたみかけるように繰り出してこられると、息苦しくなるかも。たしかに大人は楽しめると思うけれど、文化的なギャップのある日本の子どもたちはどうかしら。本国での読まれ方と、日本での読まれ方が非常に違う種類の本だと思いました。

:この前に、『半島を出よ』(村上龍著 幻冬社刊)を読んでたんです。あれも登場人物がずらっと出てくるし、しかも朝鮮名などは、なかなか覚えられなくて。この本も、ネズミがいっぱい出てきたけど、だいたい見当をつけて読んだので、登場人物は大丈夫でした。モーリスが魅力的で、ネコの本能と戦うところもおかしかったし。ネズミとり器の名前とか、毒の名前とか、笑えるところがたくさんありました。ネズミと戦う場面の緊迫感、次のページにいくと、モーリスとマリシアのしゃれた場面。場面の緩急がおもしろかった。食器棚が倒れるところで、奇跡的に無傷な皿が、ぐるぐる円を描いてグロイユオイユオイユウウイインという音とともに回る、って表現には、目に見えるようで、笑ってしまいました。こんな風に回る皿を実際に見たことがあったし。マリシアが、ピーターラビットの本をよく言わないのは、作者の評価なのかしら。

きょん:キャラクターの多さと、カタカナ名前で、途中で止まってしまいました。

ブラックペッパー:こういう本はちょっと苦手。いろんなことが同時に起こる、すばやい展開に、頭の回転のかんばしくない私は、ついていくのが大変でした。テリー・プラチェットは、教養あふれる人なんだろうけれど、饒舌で一言多いって感じがして、時々「しずかに」と言いたくなる。ヨーロッパ教養人にとっては常識っていうようなことがベースになっているので、そういうことに疎い日本人にはわかりにくいかも。とってもよくできていて面白い物語だけど、やっぱりハードルは高い……。翻訳は、日本人にも受け入れられやすいようにと、よく工夫されていると思うのだけれど。

小麦:最初、文章が映像化されて頭に入ってくるまでに時間がかかりました。どうしてかって考えたんですけど、日本の昔の物語なんかでは、主人公(語り手)と読者が一緒になって、ほぼリアルタイムで事件や出来事を追っていくという時間の描き方が多いのに対して、この本は、あとから事実関係が明らかにされたり、別のエピソードが突然挿入されたりと、物語中の時間の描き方が変則的なんですね。それに加えて、シーンごとにトーンが変わる。例えば、ネズミ取りにかかって死んだ仲間を前に、死について語ったり、そのネズミを食べちゃうことについて考えたりするシーンがあります。考える能力を手にしたが故の苦悩という感じで、スーパーラットたちが、哲学的なこととか、倫理的なこととかを考える。こちらも「そうよねぇ……」なんて同じトーンで読んでいると、突然コメディタッチのシーンに、ぱっと切り替わったりするんですよね。読んでいる方はあれれっとなっちゃう。物語に寄り添って読むというより、作者に翻弄されているような感じがしました。
文章が映像的という指摘もあったように、本当に最初に映像ありき、というタイプの作品だと思いました。映画のスラップスティックコメディを、文章に落としていったような感じ。今までにあまり読んだことがなかったタイプの作品なので、「こういうのもあるんだなぁー」と思って面白かったです。ただ、『天才ネコモーリスとその仲間たち』という割には、モーリスの存在がやや希薄な感じ。むしろ、ネズミたちの物語という方がしっくりくる感じがしました。

アカシア:今日の課題本の3冊のうち、これを最後に読み始めたんですけど、おしまいまで行き着けませんでした。うまく物語に乗れなかったんですけど、この作品はポストモダンなんでしょうか?

驟雨:私は、これはコミックだと思って読みました。根は生真面目なのを、わざとおちゃらけてみせているような気がしました。

アカシア:翻訳が難しい本ですね。話を頭に入れるまでに時間がかかります。それに、ネズミの名前ですけど、英語圏の子どもならデンジャラスビーンズと言われてもイメージがわくけど、日本の子どもはただ長ったらしい名前だと思うだけでしょう。ちょっとくらい意味は違っても、子どもにわかる名前に変えてしまったほうがよかったのでは? RATHAUS(ドイツ語で市役所)でネズミを駆除している(ここはハメルンの笛吹きから借りてきているんですよね)という設定も、ドイツ語では市町村議会のことを指すRATが英語ではドブネズミを指すってことがわからずに「ネズミの家(ルビ:ラトハウス)気付けネズミ駆除係」と書かれていても面白くない。それに、謎がどうなっているのかよくわからない。細部にはおもしろいところがあるけれど、日本ではついていける読者は少ないと思います。いろいろな下敷きの上に物語が構築されているようなので、その下敷きの知識がないと楽しめない部分が多いのかもしれません。子どもが読むには高尚すぎるんじゃないでしょうか。

トチ:出版社は子ども向けに出したのかしら? 作者は?

驟雨:プラチェットという作家は、出す本、出す本ベストセラーなのに、文学の評論家からは無視されて、ちょっと変な作家という扱いを受けてきたと聞いたことがあります。実際、この本を読んでいても、根は大まじめな人間が、わざとおちゃらけて尻尾をつかませまいとしているような感じがしました。この人のほかの子ども向けの本も読んだことがありますが、ややもすると達者さが空回りしかねないタイプのようですね。その中では、小手先でないというか、達者さが空回りしていないという点で、この本はいいと思いました。カーネギー賞を受賞した理由は、高尚なことを問いかけながらも、笑いをまぶして子どもに楽しめるようにしている点にあったということですが、まったくその通りだと思います。ただちょっと、わからない人はわからなくてもいい、というようなところがありますね。年齢が低い人にはわからなくていい、というのとは違う意味で。なんというか、舞台に登場するのに、スマートに登場せず、わざと転がり出てきて、もうもうと埃を立ててみんなの注意を引く、みたいな感じのところがあって、そのあたりからも、わからない人はそれでいい、みたいな感じを受けました。それと、ひじょうに映像的な書き方をする人だと思いました。ぐっと引いたイメージになるかと思うと、すっと目線が動いたり、今度はクローズアップとか、映画を見ているような気がしました。子ども向きかどうかという点でいうと、やはり子どもに向かって書いているんでしょうね。ネズミとネコを主人公として、意表をつく展開が連続するテンポの速い物語にすることで、哲学的なことがわからなくても楽しめるようにしてある点など、子どものことを意識していると思いました。結末も決して一筋縄のハッピーエンドではありませんが、この本にはそうとう倫理的な側面があって、全体として、著者がこれからを生きていく人たちに伝えたいことがあって書いた、という印象を受けました。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年6月の記録)


ジョージ・セルデン『天才コオロギ ニューヨークへ』

天才コオロギ ニューヨークへ

ハマグリ:だーい好きな作品。最初に翻訳されたのが74年なので、なんと今から30年前。それなのに挿し絵の一枚一枚を印象的に覚えています。お話も好きで楽しめた。今回の新版は、訳文自体は変わってないけど、漢字が多くなっている。昔は3,4年生の読むシリーズだったけれど、今の3,4年生では読めなくなっているから、それなら5,6年生から中学生に向く体裁に、という意図でこうなったのかなと思います。でも、本当は3,4年生から読んでほしいですね。古きよき時代のアメリカの雰囲気があって、それがまたいい。ネコもネズミもコオロギも、キャラクターがきちっと描かれていますもんね。このあと動物ものは山ほど出ているけれど、これは傑作だと思う。

トチ:吉田新一さんの訳、あらためてうまいなあと思いました。はるか昔、小学生のころ、わくわくしながら物語を読んだ気分を、また味わうことができました。特に好きなのは、マリオがチャイナタウンに行くところ。おじぎを何度もするところや、部屋の様子や、お料理やお皿の描写とか……ああ、子どものころ、こういうところが好きだったなあと思い出しました。それから、ネコとネズミとコオロギが、マリオのために良かれと思ってしたことが、大変な結果になってしまう。子どもって、こういうことがよくあるわよね。この3匹の切ない気持ちが、子どもには身にしみてわかるんじゃないかしら。動物と人間の作品上の住み分けが見事にできている点も、すごいと思いました。視点がコロコロかわる話——マリオの視点、ネズミの視点というように——は、普通は難しいのでは?

:誰だったか詩人が、昆虫の鳴き声を楽しむというのは、日本人にしかない感性だと言ってたと思うんですけど、ここではコオロギの声をアメリカの人たちが喜んで聞く。そこが興味深かったですね。だからチャイナタウンで、サイ・フォンと出会いコオロギの物語を聞いたり、素敵な皇帝のコオロギのかごを手に入れる場面は、バランスが良いなぁと思いました。登場人物のどの視点になっても違和感がなくって、気持ちが良い作品。絵もぴったり。なんと品のいい作品なのでしょう。

カーコ:安心して読める作品でした。なぜこんなに安心できるのかなと考えたのですが、コオロギとネズミ、コオロギとネコ、男の子と周りの大人、どの関係を見ても、視線がとても暖かいんですね。また、3匹が引き起こす事件もおもしろいのだけれど、周りの大人もとても魅力的。最近の日本の作品は特に、大人の存在感が薄いものが多くて、子どもががんばったり苦しんでいる姿は出てきても、大人のステキな部分が出ていないことが多い。ところがこの作品では、スメドレーさんとか車掌のポールさんとか中国人のおじさんとか、大人がステキ。60ページ後ろから4行目で、スメドレーさんが「コオロギは、いちばんりっぱな先生にちゃんとついているんだよ、マリオ。自然の女神にね。……」という語り口を見ても、大人が子どもにきちんと向き合って話をしていると思いました。

驟雨:現代にはないような、ほんわりした世界ですね。アメリカがまだ夢と希望にあふれていた、挫折を知らない時代のお話だなあと思いました。それがいい意味で出ていて、おおらかで、作者の視線がやさしい。本当に安心して読める本ですね。チャイナタウンでちょっとエキゾチックだったり、主人公のコオロギやネズミやネコ、それにマリオの家族など、子どもを引きつける魅力がいっぱいある。それと、悪い人がひとりも出てこなくて、みんな一生懸命に生きているんですね。バブリーになってしまう前の堅実な雰囲気がある。ラストの、ネズミたちが「田舎にいってもいいよね」という終わり方もいいなあと思いました。

:今回あらためてきちんと読みました。挿絵も、特にマリオのお母さんの表情がいいですね。少年マリオと大人のかかわりが、きちんと書かれているので、読んでいて気持ちがよかった。

ブラックペッパー:読んで楽しい本というのは、こういう本だよなと思います。古きよき時代。人々も動物も生き生きしていて、ユーモアもあって。お互いに思いやりがあって、それもとってつけたようじゃなくって、ちゃんとすっとしみこんでくるような。

アカシア:私もこの本は前から好きだったんです。たとえば21ページの「コオロギは、用心ぶかくチョコレートのほうに頭をもちあげ、ちょっとにおいをかぐようにしてから、ひと口食べました。マリオは、コオロギに手のチョコレートを食べてもらったとき、うれしくて、体じゅうがぞうぞくっとふるえました」というところ。今の作品には、こういう描写は出てこないような気がします。それからマリオの家族なんですけど、いつもはお母さんが威張っていますが、「パパがきっぱりと、しずかな口調でいったときには、話はそこでおしまい、ということでした。ママも、それ以上は、もうとやかくいいませんでした」とあります。この家族なりの個性が、こういう一言によく出ています。それから66ページでチャイナタウンを描写するディテール。「入り口にさがっているかんばんには、『サイ=フォン——中国珍品堂』と書いてあり、その下に小さな文字で、『せんたくのとりつぎもいたします』と書いてありました」というんですが、洗濯のことなんてこの物語には関係ないのに、こうしたディテールがあることによって、人の暮らし方のほうにも読者の想像が働く。たっぷり物語を堪能できる要素がちゃんとそろっています。ガース・ウィリアムズの挿絵にも味があって、私は51ページの絵なんかほんとに好きです。
ただね、大人は「古きよき時代のアメリカ」なんて言うけど、子どもにはそんなこと関係ないでしょ。今の子どもたちにも楽しんでもらえるのか、ちょっと不安。テンポがゆっくりだと、大学生でも読めなかったりするんですよ。それに5,6年生向けだとすると、「ネコとネズミとコオロギが仲良くするなんてあり得ないよ」なんて言われないかな? それから「訳者あとがき」に、『シャーロットのおくりもの』とこの作品が〈二〇世紀アメリカの児童文学の古典〉の名に恥じない二大傑作だと、書いてあるんですけど、『シャーロット〜』の方は、死ということをちゃんと取り上げてるんですね。でも、こちらはコオロギが秋になると死んでしまうという現実を、田舎に帰るということにして回避しています。そのへんの甘さが、5、6年生だときついかも。

ケロ:大学生でも、テンポが遅いとつまらなくなってしまう、ということですか?

アカシア:見開きで一つ事件が起きるような話だと、ずんずん読めるんですけどね。

トチ:マーガレット・ミークは、読書力のある人は、さっと読むところととゆっくり読むところがわかると言っているわね。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年6月の記録)


竹下文子『キララの海へ』(黒ねこサンゴロウ2)

キララの海へ

ハマグリ:サンゴロウのシリーズは10巻出ていて、図書館でも子どもたちに読まれているシリーズですね。最初が1994年に1−5巻、96年に6−10巻が出て刷も重ね、結構よく読まれています。1巻目は、ケンという男の子が語り手で、ネコと宝探しにいく話。サンゴロウの船をマリン号と命名したのは、1巻に出てくるケン。装丁とか挿絵の感じがよく、読みやすい組み方で、子どもが手にとりやすい本づくりにまず好感を持ちました。登場人物の紹介が1巻1巻出てくるのもいい。絵を書いているのが夫の鈴木まもるさんなので、息がぴったり合っている。1巻1巻起承転結がはっきりしていて読みやすいけれど、私としては、サンゴロウをかっこよく書きすぎかな、と。もうちょっとユーモラスな面を出してほしいなと思いました。例えば37ページの最初のところに「火をおこして魚を焼いて食べた」とあるけど、これ、すごくおかしいでしょう? だってネコなのに魚を焼いて食べるなんて。あとで、魚を干物にするところもある。でも、ひたすらかっこいい路線で、文章全体がまじめ。ネコが魚を焼いて食べるおかしさみたいな、ふふっと笑える部分を、ところどころにもっと出してほしいな、と、これは私の好みなんですが、思いました。

トチ:今回の選書の仕方がおもしろいなあと思ったのは、「黒ねこサンゴロウ」は、動物を人間と同じように書いている話、「天才コオロギ」は動物と人間の住み分けがしっかりできている話、「天才ネコモーリス」は住み分けができている世界なのに、不思議な力で動物と人間が対等になっている話……と、それぞれが違う動物の扱いをしているところです。「黒ねこサンゴロウ」は安心してすらすら読めますし、本のつくりも絵も、とてもいいですね。小学生が本当に楽しんで読めるシリーズだと思いました。おもしろかったのは、あとの翻訳もの2冊に比べて、非常にあっさりしていること。さっぱりしていて、こてこてしていない。たとえば「モーリス」では、ビッグラットの正体が最後にはわかるけれど、こちらの闇ネコは何者か分からない、怪しい存在。そこまでつきつめて書いてない。小学生向きだから、これで良いのかなとも思うけれど、「……魚を何びきかつった。なまえは知らないが、黄色いしまのある青い魚だ」などというところを読むと、なんの魚か教えてよ、って気になってします。作者が創造した魚でもいいから。『星とトランペット』という、いってみれば日本風の、安房直子風のファンタジーで出発した著者なので、終わり方もいかにもそれらしい終わり方だなあとおもいました。ところで、サンゴロウの住んでいる海と流れ着いた海はどういう位置関係なの? どんどん航海していくと、人間の世界にたどりつくって、そういう設定なの?

ハマグリ:あんまりきちっと書いていないんじゃないかしら。

驟雨:1巻に、日本の海岸に住んでいたウミネコ族が、追われて島に引っ越すというような話がありますね。

:全部読めていないんですけど、サンゴロウが「この島は見覚えがある」というのは、最後には解決していないの?

驟雨:1巻に、サンゴロウが男の子と一緒に船の設計図をとりにいくところが書かれてて、訪れたことがあるからでしょう。

きょん:シリーズ中この1冊しか読んでいないんですけど、すごく好きです。とても心地よい話。装丁もすてき。カバーをはずすと、別の絵が描いてある。読んでてびっくりしたのは、読後感が安房直子さんと似ているということ。不思議な浮遊感があって心地よい。あっさりしているというのは、確かにそうですね。ミリとのかかわりもそうだけど、要所要所で押さえている。「心の波」というのもいい。最後も、猫の世界と人間の世界の境目が漠然としていて、書き込んでいないのがいいですね。

カーコ:図書館に並んでいる背表紙を見ても、本の作りがとてもいいですね。何で今まで手にとらなかったのだろうと思いました。長さも、小学生が読みやすそうな長さで。この本の前に、竹下さんの『ドルフィンエクスプレス 流れ星レース』というのも読んだのだけれど、そちらは一つ一つの文章がさらに短くて、もっと勢いがあって、ストーリーがはっきりしていました。現代的な話題も盛り込んであって。でも、ネコだけの世界のファンタジーで、この本のような不思議さはなかったです。この本は、主人公の印象が強烈なので、ひっぱられて読めてしまう。あと、短い言葉で情景を表していくのがうまいと思いました。16ページの二章の冒頭の描写もそう。色とか匂いとかが、短い文章でくっきりと浮かび上がってくる。そういうところがあちこちにあって楽しめました。ストーリー的には、キララの海でガラス貝を採って、闇ネコにあって遭難するところで、うまく助かりすぎるのが、ちょっとひっかかりました。その辺を書き込まないのが、この作品なのでしょうけれど。

驟雨:安定した感じの本だと思いました。子どもの本ってこういう感じだなという典型のような、古典的というのか、そういう印象。そしてまた、こういう本がずっと受け入れられていく素地があるのが、子どもの本の世界なんだなあとも思いました。子どもの中に、今の過剰で過激なまでの刺激に反応していく部分と、こういうクラシックな世界に反応する部分があるんだろうなあ、と思いました。

:本作りはとてもいいし、ていねいに書かれてます。でも、なぜって考えると、わからないことがありました。カバー袖に「記憶をなくすサンゴロウ」って出てきますけど、記憶をどこまで失っているのか、よくわからない。ナギヒコ先生が、サンゴロウにたのむ理由も、こじつけっぽいですね。

ケロ:なぜでしょう? この作品の場合、いろいろ想像で補いながら読んでるところがありますね。今のところも、ナギヒコ先生に救われたという過去がきっとあって、恩義を感じているのかなとなぜか納得してました。

ブラックペッパー:手にとったとき、ネコが服を着ているので、こういうのって下手すると甘くなりやすいのよねって思ったけれど、この本はそれなりのリアリティがあって、楽しく好きな世界でした。ミリの夢が、鳥になりたいというのが、むむむ。

小麦:すごく人気のあるシリーズなので、存在自体は知っていたんですが、今まで手にする機会がなく、今回初めて読みました。装丁や造本などが、よく子どもの事をよく考えているなという感じ。手に持った感じなんかも好きでした。お話自体は、ほどよく事件があって、ほどよくドキドキして、最後にはうまく収まるという、どちらかといえば平易なものだけれど、この「ほどよさ」が、今の時代にあって、かえって支持されるのではないかなと思いました。子どもたちが暮らす現実は、インターネットやメールなんかが、びゅんびゅんと加速度的に進化するせわしない世界なんだけど、この本の中では、ずっと同じゆるかやな時間が流れている。この本を開けば、いつでもサンゴロウの世界に戻っていけるという意味で、子どもたちも安心して読める本なんじゃないかな、と思いました。

アカシア:「ドルフィンエキスプレス」のほうは、鈴木さんの挿絵もはっきりしてますけど、こっちはもっとぼやっと描いている。それが雰囲気をつくってますね。安心して読めるのもいい。最後は、サンゴロウがサンゴの鳥をお店から買って空を飛ばす、という終わり方ですが、ちょっと腑に落ちなくて、もっと違う終わり方があったんじゃないかな、と思いました。同じファンタジーでも、欧米の作家は立体的に世界を構築していくところがあるけど、日本の作家はイメージにひっぱられて雰囲気をつくっていく、という感じがします。だから、あっさりしてもいるし、下手すると矛盾が出てぐずぐずになってしまう。この作品はぐずぐずにならずにおさまってますけど。

小麦:サンゴロウの設定が、海の男という感じで、かっこいい。小学校の中学年くらいが読むと思うのだけれど、波があって、ほどよい感じ。

ケロ:1、2巻を読んだんですけど、1と2で登場人物や作品世界が違うので、びっくりしました。1で出てくる男の子とのことが、もっと読みたいなと思っていたから、とまどいました。ホテルが出てくるところで、ケンがまた出てくるのかと思ったけれど、そうでもなくて。いきあたりばったりなのか、最初からこういう形で構築して書いたのかどっちなのかなあ、と勘ぐりたくなったりして。よくも悪くも、明らかにならないところが多くて期待が裏切られる感じ。知りたいなと思う部分を、想像しながら読むのか、わからないままにするのか……。どっちがいいんでしょうね?

トチ:最後のサンゴの小鳥が飛んでいくところ、私もこれでいいのかなあって思っちゃった。伏線として、例えばサンゴ屋のおやじが大変な名人で、いままでにも彫った魚が泳ぎだしたとか、なんかそういうことが欲しいと思ったけど、どうなのかしら?

ケロ:「信じていい」で、飛べるかっていったら、人間にはやっぱり不可能ですしね。でも、サンゴロウのように、信じてついていけるキャラクターは、読んで気持ちが安定しますよね。今は、途中で主人公がブラックになったり、ひねったりしているのが多いので。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年6月の記録)