月: 2005年11月

2005年11月 テーマ:森の力

日付 2005年11月24日
参加者 愁童、紙魚、アカシア、うさこ、トチ
テーマ 森の力

読んだ本:

(さらに…)

Read More

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『虚空の森ヘックスウッド』

魔空の森へックスウッド

アカシア:すみません。5分の1まで読んだのですが、よくわからないし、訳にも引っかかって先が読めなくなってしまいました。

愁童:行間に何もない。設定が宇宙規模で多彩な割には、ストーリーは貧弱ですね。

紙魚:読んでいる最中は、なにしろ読みにくくて面白くなかったんですが、冷静に設定をふりかえってみると、要素はなかなかよくできているんです。アンという13歳の主人公が空想でつくりだした、「王様」「奴隷」「少年」「囚人」が、実際に登場人物として動き出し、アン自身もその物語の中にとりこまれていく。もう少し、物語の構造が整理されていたら、面白くなりそうです。もしかして、訳もあまりよくないのかもしれません。一文の中で行ったり来たりするので、頭に入りにくい。

愁童:訳文についてはいろいろあるけど、たとえば20ページ6行目のところなんて、何を言ってるかわからないんだよね。「あの赤い目に自分の姿は見えていないようだ。そう覚った少年は自分が来た道を、静かに急いで戻っていくことにした。/銀色の怪物が視界から消えるまで、彼は懸命に走った。」いったい少年はどう動いたのかね?

アカシア:翻訳者にもいろいろいて、まず全体を読んで作品世界を理解したうえで訳す人と、読まないで頭から訳していく人と両方いるんですよね。作品世界を把握しないで取りかかると、伏線なんかにも気づかなかったりするし、どっかで必ずボロが出ます。とくにダイアナ・ウィン・ジョーンズって癖があって一筋縄ではいかないから、よくよく物語世界を理解しておかないと訳せないと思うんですが、この訳者はどうなんでしょうね?

うさこ:最初の20ページくらい読んだところで、何だか物語に入っていけなくて、あとがきから読みました。それを読んでも、この訳者の文、とてもまわりくどくて、わかりにくい。しかも、あとがきだけで、誤植が2つもあるのにはうんざり。それから、本文の文字組みのレイアウトがひどい。分厚い本、長いお話であればあるほど、読みやすい文字組など読書環境を整えることは大事だと思うんですが。いろいろなマイナス要素が多くて、読みたい気持ちがなえてしまって、読む気になれませんでした。

紙魚:ルビのつけ方も気になりました。こんなにたくさんつけるなら、もう少し漢字をひらいてもいいのにと思うくらい。それから、森の描き方でいえば、『オオカミ族の少年』からは、森への畏れや作者の願いみたいなものを感じましたが、この森は、手につかみとれるような安易で軽い森。どんな森でどんな風が吹いていて、磁場が具体的にどうかわるのかというようなことには、全然ふれずに過ぎてしまう。お手軽な森でした。『こそあどの森』は、やっぱり西洋的な森のイメージなのかしら。

アカシア:日本の森のイメージと、ヨーロッパの森のイメージはかなり違うんじゃないかしら? 日本の森は、森林浴とか小鳥の声とか癒しとか、プラスのイメージと結びついていると思いますが、たとえばドイツの昔話の解釈の本なんか見てると、森は、混沌とか魔物が出てくる得体の知れない場所とか、マイナスのイメージも持っていることがわかります。
*このあと、子どもをとりまく環境・変化する小説・日本の政治など、話は多岐にわたり盛りあがりました。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年11月の記録)


ミシェル・ペイヴァー『オオカミ族の少年』(クロニクル千古の闇1)さくまゆみこ訳

オオカミ族の少年

紙魚:『魔空の森』はどこに向かって読んでいけばいいのか、てんでわからない物語だったのですが、この『オオカミ族の少年』は、どこからはじまりどこへ向かうのかということをしっかりと明示してくれるので、とっても読みやすかったです。見返しの地図もおおいに頼りになり、道筋の線をたどりながら、自分が今どの地点にいるかということを把握できました。だからこそ、少年やウルフが成長していく様も実感できたんですね。シンプルな構成ですが、シンプルな分、余計なことに気を散らせずに、自分が想像する世界観がどんどん重層的になっていく。1巻を読んだだけでは、謎がぜんぜん解明されないので、続きが読みたくなります。欲をいえば、紀元前4000年の世界って全く知らないので、もっともっと細かく知りたかった。あとがきを読むと、作者の方はきちんと調べて思い描きながら書いていらっしゃるようなので、その部分ももう少し読みたかったです。あと、匂いの描写がきわだっていましたね。

愁童:今回の3冊のなかでいちばん面白かった。あとの2冊があまりピンとこなかったので、これを読んで救われましたね。作家の思いが行間にあふれている。登場人物たちの人間関係もきっちりと分かりやすく語られていて説得力があると思った。森を書いても、森そのものの湿気とか寒さとか、情景が読み手の中に自由に拡がって行く力があるね。書かれている文章の何倍も読み手の想像力を刺激してイメージを膨らませてくれる楽しさがある。

アカシア:章の最後がどれも、「その先どうなるの?」と気をもませる所で終わるんですね。まだ1巻目なので、疑問はいろいろあって、それがこの先少しずつ解決されるかと思うと楽しみです。人物も、簡潔ながらふくらみのある描写になっていて、アイテムとプロットだけで引っ張っていくネオファンタジーとはひと味違うと思いました。

愁童:父親の「後ろを見るように」という教えを、時折思い出すところなんかもうまい。その時代を生きているトラクに、しっかりしたリアリティを感じさせる効果があるね。

アカシア:オオカミの視点から見て書いている部分は、色がないところなんかも面白いですね。

うさこ:12歳のトラクが父を亡くし、ウルフと後からレンが加わり、知恵と勇気をふりしぼってつき進む姿は、さあ、これからどんな試練が待ち受けていて、どう乗り切っていくのかと、わくわくしながら、引き込まれるように読みました。読み進めていくと、迫力あるリアリティと臨場感にあふれる物語で、実際は6000年前のこの土地や民族、文化を全く知らなくても、まるでそこにいていっしょに冒険しているような感覚にとらわれました。最後の一行まで何がおこるかわからないといった物語のよい緊張感と迫力で、話のなかに没頭してしまいました。

アカシア:読んでいて、「またここでひっくりかえすのか!」という意外性がありましたね。

うさこ:構成は案外シンプルだけど、ディテールがしっかり書き込まれていて、そこが物語をしっかり支え、生き生きとしたリアリティをもってストーリーを展開させています。しかも、ディテールが書き込まれすぎると、全体の流れが悪くなったり読み疲れたりするものですが、それが全く感じられませんでした。
この時代の衣(着ているもの、着方、服や靴の作り方)・食(食料、調理方法、食べ方)・住〈火のおこし方、ねぐらの確保)・祈り・信仰・魂のとらえ方・墓・大自然の一部としての生きのびかた・他のものとの共存やルールなど、いろいろ興味深い点が多かったです。しかも既刊の本にないステレオタイプな表現が一つもなかった。そして、そういう匂いとか皮膚感覚とかがずいぶんリアルだと思い、本や資料の上だけの考察ではないなあと思ってこの原作者のことを調べたら、原作者は実際、東フィンランドからラップランドまで300マイル馬に乗って渡り、原始生活の体験をしている。どおりで、やけに土臭いと感じました。p218レンがオオライチョウをとってきて、調理して食べているシーンは実際食べたいとは思わなかったけど、実においしそうなにおいがしてきました。訳者は実際原始生活体験などはしていないと思うけど、それをほんとにここまで表現できるのはすごいなあと思いました。

愁童:少年と子オオカミのウルフは、親を亡くしたという同じ設定で書かれているけど、きちんと書き分けられているのに感心した。ウルフの感情を擬人化して書いていても、読み手には、いつもオオカミとして感じさせるだけの配慮がされていてうまいなと思った。

アカシア:トラクは、最初子オオカミを食べようとしますよね。そのあたりもリアル。

愁童:そうそう。あの時代なら、食べても当然。

アカシア:子どものオオカミって、大人のオオカミが一度食べて吐き出したたものを食べて育つらしいんですよ。この本では、トラクはたまたま熱があって吐いたんだけど、それをウルフが食べることによって関係が成立していく。そういうところも、ちゃんと書かれているんですね。

うさこ:ちゃんと生態をおさえて書いているところなどは、ウルフをまったく擬人化せず、オオカミとして扱っているってことですよね。

愁童:だから最後、トラクとウルフが助け合っていくというのも、説得力がある。今風のペットと飼い主の関係じゃなくてね。

うさこ:物質的な世界だけをすべてととらえていない。氷河を生き物としてとらえていたりもするし。

アカシア:アニミズム的なとらえ方をしている描写があちこちに出てきますよね。

うさこ:今は、人間が中心で、そこに実在するものだけが世界を構成するすべてとなりがちだけど、この時代、死んですぐの死体に触れちゃいけないとか、死(体)へのルールというか、魂のとらえ方一つとっても、ものすごく多面的にとらえて書いている。この時代に生きた人間は、自分を「ヒト」と自覚していたのかな? 動物や他の生物、鉱物のなかの一つ、くらいに思っていたのかな?

アカシア:human beingとはいえないのかもしれませんね。ほかのものとは少しちがう存在というくらいなのかしら。

愁童:古代人のところまできちっと戻って、その生態を描き出そうとする、作者の意欲と努力みたいな熱気がすごく伝わってくるよね。当時のトラク達の氏族がオオカミとつながって生きていたということに何の違和感も感じさせない世界を見事に描き出して居ると思った。

紙魚:現代が舞台だと自我の問題が軸になる小説が多いですが、やはり古代だからか、自我の問題が影をひそめ、生き抜くということが色濃く出てることに新鮮さを覚えましたね。

トチ:一気に読んでしまいました。原初の森の魅力が存分に描けているところが、ほかのファンタジーと一味違うところ。動植物の名前がたくさん出てきますが、私も読みながら、どんな色でどんな形のものか分かったらもっと楽しめるのにと悔しくなりました。少年、少女、オオカミがいっしょになって冒険するという話なので、男の子も女の子も、そして私のような動物好きの大人も楽しめる、それからさっき言ったように植物が好きな人も……というわけで、ベストセラーになった理由もよく分かります。まんなかへんで出てくる、鳩の腐った死体をすすっている、気のふれた男……あまりにも迫力があるので夢に出てきました! こういうものを読んでいる時いちばんハラハラするのが、主人公が死にはしないかということですが、その点シリーズものは、どんなことがあっても死ぬはずがないと安心して読めるので助かりました。去っていったウルフが、きっと続刊で群れのリーダーとしてあらわれ、トラクを危機一髪のところで救うのでしょうね。続編が楽しみです。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年11月の記録)


岡田淳『だれかのぞむもの』

だれかののぞむもの

愁童:先月の2作と作品の構造が似ていて、またか、という感じで読んだ。他人が望むとおりにかわっていくことなんてつまらないよという、作者のメッセージは分かるけど、作品としては物足りなかった。『魔空の森へックスウッド』もそうだけど、舞台装置は面白いけど、役者が芝居をしていないドラマを見せられているような気分になってしまう。

紙魚:『オオカミ族の少年』の舞台は、まるで実在の森のような湿度や匂いが伝わる、いわばリアリズムの森の延長上にひろがるファンタジーの森。それにくらべて、この物語の舞台は、作者がつくった箱庭的な森。中学年くらいの人たちが安心して歩きまわれるのではないかと思います。他人が望むままに変じていくフーという存在を見せられて、読者は自分自身におきかえて考えてみるという作業もできそうです。そうしたメッセージ性をそそぎこむ、作家の思いのようなものを感じられてよかったです。こうした低年齢の人たち向けの童話って、このところ書く人が少ないので、応援したい。

アカシア:この巻だけを読むと、物足りない感じというか、よくわからないところがあるかもしれませんね。スミレさんとギーコさんがキスする場面なんかも、それぞれの登場人物がもつ背景がもっとわかったほうが、面白さが増しますよね。1巻目を読むと、それぞれの人物の特徴づけとか、物語世界の背景がよくわかります。でも、この巻だけ読んでも、謎でひっぱっていきながら物語の面白さでも読ませるという、そのブレンドの具合が心地よいと私は思いました。挿絵は、岡田さんがご自分で描いているのですが、これは、どうなんでしょう?

紙魚:背景は丹念に描きこんであるのに、キャラクターは単純な線。かなり変わっていますよね。

アカシア:ほかの人の挿絵でも読んでみたいな。かなり違う絵になるかもしれませんよ。これはシリーズの7巻目ですけど、どれもそれなりにひっぱっていく力があるので、ずっと続けて読んでいく子どもたちも多いんじゃないかな。小学校中学年くらいの人が読む本は少ないし。

紙魚:今回の話って観念的ですよね。でもこれまでの巻で、ある程度具体的な説明が積み重ねられているので、作者も安心して観念的になれるのかもしれません。

うさこ:初めて読みましたが、面白かったです。読んでいる途中、居心地のいい空間にいられました。争いや戦いなどが起こらない、いわゆるユートピア的な場所とユニークな登場人物、おもしろいカップリングで、しずしずとつづっている物語。少しも嫌な気持ちがせず、「心地よさ」という余韻を残してくれました。。香草のことなど、大人向けのテイストが入っているんだけど、変にメルヘン的でもなく、小学生向きということを強く意識したものでもなく、作家が自分だけの世界で遊んでいるわけでもなく、そこが読み手に心地よいのかもしれないと思いました。最後読み終わったら、予定調和的だとは思いましたが、このシリーズを読んでいる人はそれがよいのではないでしょうか。晴れた日に、外で読むのもいい。タビトの口調がまるで日本の武士のようで、イラストの雰囲気とギャップがありました。イラストは「上手な絵」という枠には入らないと思うけど、自分の描こうとしている世界をきちんと読者に伝えようとしている、「誠実な絵」だと思いました。

アカシア:タビトの言い方は、テレビで時代劇見てる子どもには、この人はほかとは違うしゃべり方だって、すぐわかりますよね。

紙魚:中学年くらいの読者には、ちょうどいいのでは? 私は全体をとおして、適度な不親切さを感じました。前半では、森の住人たちがそれぞれ、会うはずのない人に出会うという独立したエピソードが続き、バーバからの手紙が届くところではじめて、それらのエピソードが束ねられていく。前半で何もかも明るみにしないで、ゆっくりと読者の想像力を泳がせてくれるところが、よかったです。ふつうの言葉をつかい、やたらと飛躍することもない。むやみに凝ってないところがいいんですね。

トチ:初めて読んだのですが、登場人物が老若男女それにトマトあり、ポットありと工夫されていて、きっと子どもは楽しんで読むだろうなと思いました。初めてこのシリーズを、しかも途中の巻から読む私にとっては、ちょっとお説教くさい話が続いている感じがしたのですが、ほかの巻もそうなのでしょうか? こういうものって、テレビの連続ドラマのように、登場人物が一度しっかりと読者の心のなかに入りこんでしまうと、次からは「あのひと、どんなことしてるのかな?」という興味で、どんどん読みすすめることができ、また次の巻、また次の巻ということになるんでしょうね。ですから、続刊のストーリーは、あまり大事ではなくなるのかも……と思ったりもしました。あんまりよく言えませんが。森ということに関しては、『オオカミ族の少年』のほうが戦わなければならない森であるのにくらべ、こっちは自分の世界を守ってくれる森。グリムの森ではなく、ぐりとぐらの森ですね。

アカシア:小学校の先生をしていた作家なので、子どもが何がわかって何がわかっていないという頃合いをちゃんと知ってるんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年11月の記録)