月: 2007年9月

2007年09月 テーマ:自分を好きになれないとき

日付 2007年9月27日
参加者 mari777、愁童、アカシア、クモッチ、ジーナ、きょん、サンシャイン、げた
テーマ 自分を好きになれないとき

読んだ本:

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K.L.ゴーイング『ビッグTと呼んでくれ』

ビッグTと呼んでくれ

アカシア:とてもおもしろかった。主人公のトロイは、自分にはいろいろな点でマイナスのレッテルを貼りまくっています。まわりの目を気にしすぎるし、〈デブ〉という脅迫観念にとらわれすぎている。それで、まわりの人たちには逆にプラスイメージのレッテルを貼りまくる。自分のことも他人のことも等身大にとらえることができないでね。弟は「どこにいてもしっくり適応できる」し、お父さんは「元海兵隊でびしっとしてて、背が高いけど筋肉質でデブじゃない」。カート・マックレーのことも、最初はやはり実像でなくレッテルで見てしまって「やせてる」、「まわりをまったく気にしない」「かっこいい」「自己表現できる」と、自分とは正反対のプラスイメージで最初はとらえている。でも、しだいに自分のことも他者のことも客観的に見ることができるようになっていきます。そのへんの過程が、うまく書けてますよね。最後、元海兵隊のお父さんの手をかりて、カートといっしょに住もうっていうのは、ちょっとやりすぎかなって思ったけど、カートはほかに救いようがないから、これしかないのかもしれません。カートみたいな子っていうのも想像できるし、トロイみたいな子もいっぱいいるだろうし。極端なプラスイメージや極端なマイナスイメージを出してオーバーに書いている部分など、コミカルな感じもあって。まじめなテーマだけど、笑えるところもあるって、いいじゃないですか。翻訳もうまい。

愁童:作者の創作姿勢がよく似ていて、『トモ〜』と読み比べる感じでおもしろく読めましたね。パンクロックがはやっていた時代にちょっと寄りかかりすぎてて、生活臭が感じられなくて、やや物足りない面もあるけど、自分のデブを鬱陶しく思う主人公の心情が良く書けていて、共感をもって読めたですね。

アカシア:パンクロックって、今でもまだ白人の間でははやってるんじゃないかな。この作者は、けっこう細かいところもきちんと書いてますよ。たとえばこのお父さんだけど、p33に「外に出ると、不審者が侵入しないよう、建物の入口をしっかりロックしてから、つかつかっとこっちにやってきた」なんて書いてます。p55には「部屋の奥にある窓の外に、一文字掛けた〈アン ィーク〉という赤いネオンサインがあって、けばけばしい光が部屋にさしこんでいる」なんていう描写もあるわよ。

mari777:私は今月の3冊の中でいちばんひきこまれて読みました。表紙の絵を見て、自分では絶対に買わない本だと思ったんですけど。内容的にはかなり特殊な世界を描いてるけど、翻訳ものっていうのがプラスに作用しているように思いました。ニューヨークを舞台にしていることで、距離がとれるっていうか、現代の日本の高校生が読んでも、逆にすんなり世界に入っていけるんじゃないかなと。翻訳はうまいなって思いました。最初から最後まで、ていねいに訳している感じです。ただ、割注が多いのが気になりました。割注ってどうなんでしょうね。

アカシア:読みたくない子はすっとばせばいいから、いいんじゃない?

クモッチ:翻訳物って、当たり前ですが外国のことなので、分からないことが結構ありますよね。そのぼんやりした感じもけっこう好きなんですが、脚注を読みながら、へ〜えと思う感覚も好きです。135ページの「デッドマン・ウォーキング」なんかはこれでよくわかるし。159ページの「あまーい空気…」についてる(マリファナはあまい香りがする)は、よけいかな。でも、おもしろい。207ページのように話の流れが速いところのベスピオ火山なんかは、無意識に読み飛ばしてたみたい。最後にまとめて注がついているのは、逆に話が中断してしまうので読みにくいと思ってしまいます。

げた:『トモ〜』もそうですけど、イメージがすぐにぱっと広がる感じです。タイトルを見ただけで、「何だろう?!」と手にとりたくなりますよね。主役の登場の仕方もおもしろい。地下鉄でふらふらしていたところを声をかけられて、おごらされちゃう。そしたら、それがロックの神様。伝説のロックスター。どうしてTがそんなに気に入られたのか、わかんないところもありますけどね。自虐的な「デブ」がどこまで、ビッグになるのかなって、期待させるところもおもしろいです。やっと、ライブにこぎつけたんだけど、いいところで、ゲロ吐いちゃって。でも、二度目の挑戦でスティックを持つところで終わって、ビッグなTを予感させる終わり方がよかった。すごく映像イメージがしやすくて、映画になりそうだなって思いました。一気に読者をひっぱっていってくれる本ですね。

クモッチ:私もおもしろくて一気に読んじゃいました。でも、カートの人物像がぶれちゃって、よくわからなくなったんですけど、先ほどおっしゃったように、主人公の目線で書いているので、それでかなと納得した感じです。でも、『トモ…』も1人称なんですよね。うーん、『トモ…』は、ぶれなかったんだけど。ぶれてしまうのは、「マンハッタンの高校生像」てのが、よくわからないからかな? カートの弱い面とスルドイ発言をする面に、私の中では折り合いがつかなかったという感じです。それにしても、この作品は、強烈です。臭かったり、うるさかったり、トロイがすごく食べるんで、読んでいて、だんだん気持ち悪くなってきちゃって。まあ、気分が悪くなるくらいリアル、ということなんですが、ほんと、キモチ悪かったです、これ。それにしても、父親が完璧なんですよね。中盤以降よく登場するこの父親は、どうしてトロイが過食症になっちゃったんだろう、というくらい良い父親ですよね。

アカシア:いや、いい人だけど、きっとそんなに完璧でもないんですよ。他者にはみんなプラスのレッテルを貼ってるトロイの目から見ると完璧に見えるけど、よく読むと、子どものことで悩んでる姿とか、「〈落胆している役たたずの片親です〉の電光掲示板が、頭上でチカチカ輝いている」なんて書いてありますもん。

クモッチ:最後のほうで、カートが「あのカップルを見ろよ」って言って、トロイが見ているうちにだんだんわかってくるシーンは、おもしろかった。こういうところも、カートはどこまでわかってるんだろう、と思いました。

アカシア:こういう子っていますよ。感受性はめちゃめちゃ鋭いんです。そのくせ、自分のことをかまってくれる人がいないから、正反対のタイプなのにトロイのお父さんみたいな人にちょっとなついちゃう。

きょん:私もカートのことがよくわからなくて、たぶんトロイの一人称で書いているから、カートのことを最初のうちは語れなかったんですね。

ジーナ:勢いのあるストーリーだと思いました。ぐいぐい読ませる。まさに、気持ち悪いほどのリアリティ。ここまでストロングな作品はなかなかないなーと。トロイが、カートというはちゃめちゃな子と出会って変わっていくのですが、ほかの人も変わっていくんですね。お父さんは、すごく厳格な人なのに、173ページで、カートは自分が盗みをしたのは「腹が減ってたし、疲れてたからっすよ」だなんてとんでもないことを言われても、鬼軍曹に豹変せず、カートに対して、予想と違う面を見せていくでしょ? だれもが、ステレオタイプにはまらずに、ストーリーの中で意外性を見せていくところがとてもおもしろいと思いました。ロックの場面の迫力は圧倒的で、すごい音が聞こえてきそう。ロック好きの息子に読めと勧めてしまいました。こういう場面を、文章でこんなふうに表現できるのだということを伝えたくて。

きょん:すごくおもしろく読みました。自分に自信を持つまでのストーリーで、ハチャメチャなところがおもしろいです。が、デブとしてのいじけた気持ちが前半延々と語られるのが、もういいやという感じもしました。デブの息遣いが聞こえてくるようで、私も気持ち悪くなってしまった。でも、カートとで会って変わっていって、ゲロを吐くところで、あまりな展開にびっくりして、そのあとぐいぐい読みました。人物の描き方がとてもうまい。カートが主人公のことをとても認めていたことに、トロイが気づくところもおもしろい。カートが、「お前も自分をさらして生きているんだ」というところ、カートがTを精神的に救ってくれた。でも、弟とのかかわりで、少しひっかかりました。デブの兄を前半さげすんで嫌っているが、わりとすっと認めていく様子に変わっていくところ。そんなふうにすっといくのかな?という感じがしました。

アカシア:前半は弟が「〜と思っているにちがいない」と言うくだりが多いんです。トロイが弟の実像を見ているわけじゃなくて、「きっと自分のことをさげすんで嫌ってるんだろう」と思い込んでる。それが、だんだん等身大の人物像として感じられるようになってくるんです。人物像がぶれてるわけじゃなくて、トロイの見方が変わって行くんじゃないかな。

愁童:終わり方が『トモ〜』と似ているなって、ちょっと思いましたね。最後の最後で、ギターと会話をしていくというのに、ドラムにスティックをたたきつけるという表現にはちょっと違和感を持ちました。ま、訳の影響もあるかもしれないけどね。

アカシア:最初の大事なステージではゲロ吐いちゃうんですよ。だから、ここでは叩きつけるほどでないとだめなんじゃないですか。

愁童:作者は、かなりの枚数を使って、主人公がギタリストのギターとの会話風なドラム演奏の練習シーンを詳しく説明的に書いてますよね。それだけに、作品の流れにそって読んでくると、「さぁ、会話の時間だ」という切っ掛けの言葉に反応してスティックをドラムにたたきつける、という表現が浮いてしまっているように読めちゃうんだけどな。まぁ、読み方次第では、これは主人公の最初のライブ演奏にスタートする意気込みの表現と受け取ってもいいんだろうとは思いますけどね。

一同:いや〜そんなもんじゃないよ。これでいいんじゃない?

(「子どもの本で言いたい放題」2007年9月の記録)


なかがわちひろ『しらぎくさんのどんぐりパン』

しらぎくさんのどんぐりパン

クモッチ:著者の名前は随分前から知っていましたが、ちゃんと作品を読むのは初めてでした。イラストもご本人なんですか。おばあさんがいて、手品のような魔法のようなことをする話っていうのは、いつ読んでも心が落ち着くなと思いながら読みました。子どもにとってのおばあさんというには、この絵は、ちょっと年をとってますね。それは、いいのかな? いずれにしても、何か困ったことがあったときに、お父さんやお母さんと違った接し方をしてくれるっていうのが、心を安定させてくれるんですね。でも、しらぎくさんっていうのは、あまり存在感のない人ですね。しらぎくさんは、どうしてこの子たちのところに現れたんだろうとか、お父さんも会っているというのは、どうしてなんだろうとか、そんな疑問がわいてきます。すてきなファンタジーなんだけど。作者の中には、ご自分のおばあさんの思い出があり、それが作品に反映されていると思うのですが、わざと、血縁のあるものとして描いていません。それが、いいのかどうかはわかりませんが、一つの家族との関わりだけを描いた形で本が完結しているのに、関係が明らかにされないので、印象が薄くなっている気がします。

ジーナ:なかがわさんの本は、絵本や翻訳はよく見かけても、長めの創作はこの会で読んだことがなかったので取り上げてみました。中学年くらいに、今このようなお話はあまり書かれないので、貴重だと思います。ちょっと困っている子どもたちのところに現れて、力を与えてくれるという設定が、『菜の子先生がやってきた』(富安陽子/著 福音館書店)に似ていますよね。しらぎくさんはおばあさんなんだけど、言葉遣いは昔話のおばあさんみたいじゃなくて、今風のしゃべり方なのも自然でよかったです。どんぐりパンとか青いスカラベとかガラス瓶などの小道具も、名前からして、想像力をふくらませてくれます。何気ないものから始まる想像のようなものを、作者がこのお話で子どもに届けたかったのかなと思いました。なにげない風景が、うまく書かれていますよね。せいやくんもさわこちゃんも、何かうまくいかないことがあってしらぎくさんに出会うけれど、それが何かとか、どうやって解決したとか全部言語化せずに、立ち直っていくところが、子どもの現実の姿をよくうつしていると思いました。

アカシア:安心して、おもしろく読みました。ただ、ファンタジーの世界の中のリアリティは希薄じゃないかな。お汁に食べたシジミやアサリの貝殻を下駄で踏んでつくる道が真っ白く見えるかなあとか、ドングリってアクを取ったりが大変で、すぐにはパンにならないだろうなあ、とか思ってしまいました。あとこのサルの絵は、いとうひろしっぽいですね。作者はきっと古きよきクラッシックな作品をたくさん読んで育った人なんでしょうね。古いよき懐かしさを感じる作品です。

mari777:表紙をぱっと見て、うわあ、かわいい、と思いました。しらぎくさんが魅力的なので、もっとしらぎくさんを読みたかったかなという感じ。人魚姫の部分は、入っていけなかった。6年生の女の子にリアリティを感じられなくて。あまんさんの作品もこのようなファンタジーが多いと思いますが、それと比べると最後の書き込みがもうひとつかな、という印象を持ちました。

げた:表紙の感じは、ちょっと地味かな。子どもたちにアピールできるのか、疑問ですね。話としては、好きなんだけど、ストーリーの高低があまりないので、どうなのかな? 中学年ぐらいの子どもにとっては、文章は読みやすいし、分量としては適しているのでしょうが、子どもたちをぐいぐい引っ張る力があるのかな、と疑問を感じました。かなり強くおすすめしないと、子どもたちには読んでもらえないかな? 子どもの心を解きほぐしてくれる、しらぎくさんの魅力が一読しただけでは伝わらないのではないかと思いました。

サンシャイン:作者本人が絵を描いたと伺って、こういうおばあさんのイメージだったのね、とわかりました。おばあさんに出会うためには、子どもの中になにかつらいことが必要なんでしょうねえ。66〜67ページで家族がやけに冷たいというか、冷えたハンバーグを食べさせたりして……。こんな家族って、ありますかねえ?

ジーナ:うちはこんなことありますけどー。ほかのことをしていると、自分であっためてという感じで。この子も、落ち込んでいたから黙っていたのであって、普通のときなら「あっためて」とか自分から言うのでは?

サンシャイン:あまりしらぎくさんと出会う根拠がはっきりしないな、という印象がありました。人魚姫の話については、思わず筆が進んでしまったのかなー、バランスの悪さを感じました。ちょっと中途半端な印象。

アカシア:せいやくんの話のほうは、自分の問題について乗り越えたというのが分かりやすいけど、さわこのほうの話は、その辺がはっきりしませんね。

ジーナ:この倍くらいの量があって、しらぎくさんのことがもっとわかると、おもしろくなるかもしれませんね。

クモッチ:でも、読者対象からすると、これ以上本が厚いと手を出しにくいかも。中学年向けくらいの作品で、私たちが読むともの足りないと思うようなことは、この本に限らずよくありますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年9月の記録)


香坂直『トモ、ぼくは元気です』

トモ、ぼくは元気です

mari777:リアリティがあるなと思いました。前半はぐいぐい読めて。関西弁の小説は苦手なのですが、この作品には抵抗感がありませんでした。阪神タイガースなどステレオタイプかなとも思いましたが、女の子たちも魅力的だなと。ただ、障害をもつ二組の兄弟姉妹という設定が、自分としては今ひとつのれなかった感じです。

愁童:おもしろく読みました。登場人物の体温が感じられるような児童書で好感を持って楽しく読めたですね。商店街の雰囲気や、そこに暮らす大人たちのイメージがちゃんと伝わってきて、作者の書く作品世界が読者の脳裏に確かな存在感で拡がっていく、巧みな作品だと思いました。ただ、ちょっと残念だなと思ったのは、最後の帰宅の描写で主人公が発する「トモ、帰ったぞー」という言葉。作者がそれまで、ていねいに書き込んでいる主人公のトモに対する微妙な思いなどに共感して読んでくると、帰宅の言葉が、こんなオヤジ風なものになるのには、かなり違和感がありましたね。画竜点睛を欠いた感じ。

アカシア:そこは、オヤジみたいなイントネーションじゃなくて、「帰ったぞー」って、張り切ってる感じのイントネーションで読めばいいと思うけどな。

愁童:帰宅の途中に日向と日陰があって、こっちが夏…、こっちが秋というようなところは主人公の少年らしさが見事に表現されていて、とても印象に残りましたね。

アカシア:私もおもしろかったですね。最初はよくわからない謎の部分がたくさんあって、読んでいくうちにだんだんわかってくるっていうつくり方もうまいなと思いました。大阪弁がいっぱい出てくるっていうだけじゃなくて、大阪弁の人たちと和樹のテンポの違いっていうのもちゃんと書いてる。いつも居眠りしてる刀屋のおじいさんとか、紅白の服をいつも着ている夏美の祖父母とか、アニマル柄の服でいつも自転車をぶつけてくるおばちゃんとか、商店街の人たちのさまざまな人間模様も効果的に登場します。霧満茶炉と書いてキリマンジャロと読ませる喫茶店も、いかにもありそう。舞台がちゃんと書けているので、子どもたちの姿も浮かび上がってきます。文章の生きもすごくよかったし、和樹がお兄さんのお守りとお母さんの期待の重圧に耐えかねて切れてしまうところも説得力がある。和樹と夏美の幼い恋愛感情もいいですねえ。夏美の妹の桃花ちゃんと、和樹のおにいちゃんが同じような障碍っていうのは、ちょっとできすぎですが。この作家さんは、『走れ、セナ』のときよりずっとうまくなってますよね。一箇所だけひっかかったのは、233ページ。和樹くんが拓に対して、「ぼくもそうだった。…いらいらする」って、長い説明をしちゃってる。でも気になるところはごくわずかで、どんどん調子よく読めて、とてもおもしろいと思いました。

ジーナ:すごくよかったです。6年生の夏休みに一人で大阪に行かなくてはならないという設定がうまいですね。大阪の子が大阪を舞台にして展開すると、ほかの地方の人には入りづらいだろうけれど、東京から来た主人公という設定で、子どもの目線で見たものをていねいに描いているからすっと入っていけますよね。学習塾に行くんだけど、ただ受験が目標というのではない、いろいろな子どもの姿も見えてくる。ゴーイングもそうだと思いましたが、作者が、いい人はいい人、悪者は悪者と決めつけないところがいいなと思いました。いやな不動産屋の子も、最後に本屋で和樹と出会うシーンで、ちゃんすくいあげている。子どもに向かって書いているなあって。今の日本の作品にしてはめずらしく、大人がしっかり描けているから厚みがあるのかも。和樹はお父さんのことも、発見するんですよね。読むと元気の出る作品だと思いました。

クモッチ:日本児童文学者協会新人賞の賞を取られたときに読みました。『走れ、セナ』のときは、う〜ん?という感想でしたが、この作品は、とてもよかったです。一気に読んでしまいました。昔ながらの商店街を描く児童書ってけっこう多いですよね。でも、「いいよね、こういう昔ながらのところって」で終わらせていないので、印象に残りました。細かい人物描写や、金魚すくいの伝統の一戦の部分など、多面的に描かれているから、印象に残ったのだと思います。障碍者を描くのも、児童書には多いですよね。そのせいか、あ、また?という感じで最初はひいてしまったんですけれど、主人公が抱えていたものや、どう乗り越えていくかがきちんと描かれていたので、最後まで引き込まれて読みました。

愁童:夏美、千夏、桃花の三人姉妹に、すごくリアリティがあるんだよね。三人がうまく書き分けられていて、作者の目配りの確かさに感心しました。タコヤキ屋のおばちゃんが、がんばれよってタコヤキを口に入れてくれるところなんか実にうまいですね。主人公の少年が口の中の熱いタコヤキにへどもどするような雰囲気が文章の背後にきちんと伝わってくるもんね。

アカシア:匂いとか触感とか、ちゃんと書けてるんですよね。

愁童:商店街の雰囲気や、そこに暮らす人たちが的確に描写されているので、こんな本を読んで育っていく子どもたちなら、空気が読めない大人にはならないでしょうね。K・Y人間撲滅推薦図書にしたいくらい。

サンシャイン:私も楽しく読ませてもらいました。いい本と出会ったなと思いました。伏線がうまく書けていて、次へ次へと読ませます。彼女のアタックが唐突で激しいんだけど、嘘くさくなくうまく書けてるかな。障害のあるお兄ちゃんに対する気持ちもいろいろあって、母親の前で爆発しちゃって、ある一定期間よそにいっていて、成長して戻ってくるっていう話。確かに、最後が気になりますね。帰ったところでトモとどうなるかも、もっと書いてあるといいんじゃないですか。

アカシア:いえいえ、そこを書いちゃったら書き過ぎです。読者に先を想像させるからいいんですよ。

愁童:帰る前に、ネコのうんちみたいなかりんとうを送るところがあるでしょ。母親にはネコのうんちなんて言えないけど、トモや父親とはそんなことを話題にしながら一緒にかりんとうを食べたいなって思う描写なんかも、この年頃の男の子らしくてうまいなって思いました。そんなこと考えながら帰って来たんだから、最後の帰宅の第一声に、もうちょっと工夫があると良かったな、なんて思っちゃった。

アカシア:でも、ここで水しぶきがとんでいて、虹をつくろうとしているのがわかりますよね。だから読者も想像できる。こういうところも、うまいと思う。

げた:『走れ、セナ』もそうだったんだけど、人物設定がはっきりしていて、わかりやすい。ということは、ステレオタイプだという感じにもなるんですけどね。豹柄のおばちゃんといい、夏美や千夏の描き方といい、いかにも大阪人という感じですね。和樹が大阪に来ることになった理由は、大阪での和樹の経験や東京で和樹のまわりに起こった出来事が語られていくなかで、だんだん読み進むうちにわかってくるというストーリーの展開のおもしろさがありますね。和樹は、それまでの自分を全く否定されたわけじゃないけど、一夏の経験を通して、一つ壁を乗り越えて、成長したわけですよね。そんな和樹が見られて、とてもすがすがしい気持ちになり、納得できました。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年9月の記録)