月: 2008年10月

2008年10月 テーマ:設定がユニークなファンタジー

日付 2008年10月23日
参加者 ハリネズミ、チョコレート、サンシャイン、みっけ、ウグイス
テーマ 設定がユニークなファンタジー

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菅野雪虫『天山の巫女ソニン』

天山の巫女ソニン1:黄金の燕

チョコレート:表紙と著者名に惹かれて手に取りました。最初からこの本の世界に入り、おもしろくて一気に読みました。その後出会う人ごとにこの作品をお薦めしたことを思い出しました。現在第3巻まで出版されていますが、全部気に入ってます。古代韓国王朝みたいな舞台で展開されるファンタジーで、人間関係、心情、情景などが読み手に大変わかりやすく描かれています。各巻ごとに成長していくソニンと王子の今後が楽しみです。

ハリネズミ:ストーリーが波乱万丈でとてもおもしろいのね。悪人もレンヒとヤンジンが出てくるけど、ただ悪いというだけじゃなくて、ヤンジンはレンヒにたぶらかされたと書いてあるし、レンヒは物心ついてから山に行かされ、15歳で山から下ろされたことで世の中を斜めに見るようになっている。それに、ソニンは家庭に暖かく迎えられたのに比べ、レンヒはそうでなかったという対比も書かれてますよね。悪人にもちゃんといきさつや奥行きを持たせているのは、さすがですね。一つだけ気になったのは、登場人物の言葉づかい。現代文明の産物は登場しないので、異世界であってもちょっと時代が古い。そう思って読んでいると、ソニンが「〜じゃん」なんて言うんで、その異世界が破れちゃう。現代風の口調にするにしても、やりすぎじゃないかな? あと、p35「屋台では〜が売っていました」は日本語として変じゃない?

ウグイス:私はとにかくわかりやすく書かれているのがいいと思いました。ソニンの感じたことが、色とか匂いとか具体的に書かれているし、道端の花や窓から見える雲などの情景も細かく書いてある。物事が起こった順に書かれているので、ストーリーの流れにすんなりついていける。それに一つ一つの章の終わりが、次を読みたいと思わせる書き方で終わっているから、次々にページをめくらせるのよね。この物語の舞台は架空の国なんだけど、日本のようでありながら、設定は古い時代の韓国っぽい。だから顔かたちや服装や家の中を頭の中でどうイメージしていいか、私はよくわからなかった。なんとなく、宮崎アニメの雰囲気がして、「魔女の宅急便」や「千と千尋」の主人公の顔を思い浮かべてしまったわ。アニメにしやすいんじゃないかな。小学校高学年の子にも十分楽しめる物語だと思うけど、装丁が大人向きで、図書館でもYAにはいっているのが残念。でも、そうしないと売れないのかな。3巻まで出ているけど、どんどんおもしろくなってくるの?

みっけ:3巻までコンスタントにおもしろいですよ。ハリネズミさんがおっしゃったように、悪い人もただ悪いというように平板に書かれていないから、おもしろく読めますよね。一番はじめのところで、巫女修行に失敗しました、はい、さよなら、というところから始まるのにも、惹かれました。え、どうなっちゃうんだろうって。その後もいろいろなことが起こって、どうなるんだろう、どうなるんだろう、と、どんどん先が読みたくなる。巫女修行に失敗はしたけれど、なんとなく不思議な力が残っていて、というところもおもしろくて、これをどう使うのかな、と思っていたら、天山にもう1度行って、王子たちの行方を捜す夢見をするでしょう? そしてうまくいくんだけれど、天山での生活に疑問を抱いたとたんに、門は開かなくなってそれっきりになってしまう。この展開も、惜しげがなくていいなあ、ご都合主義じゃないんだな、というふうに納得できて、うまいなあと思いました。この第1巻で、ソニンは隣国のクワン王子をちょっとうさんくさいなあと感じていて、その印象で終わっている。そのクワン王子が、第2巻で違う形で登場するのもおもしろいです。続きはここしばらく出てませんが、まだ続くんでしょうかね?

ハリネズミ:細部まで気を配って、奥行きをもたせて書いていけば、当然時間はかかるでしょうね。1年に1冊のペースなのかも。

みっけ:1巻、2巻、3巻と、ソニン自身も何かを解決して少しずつ変わっていくんですよね。それがそれぞれに違っていて、しかもそういうふうに成長していくということが納得できるようになっていて、そのあたりもいいんですよね。ソニンの天山生活からのリハビリ、地上生活への順応、みたいなところもあって。

サンシャイン:ダライラマは亡くなるとすぐに赤ん坊をつれてきて次に据えるんでしたっけ?

ハリネズミ:生まれ変わりを探すんですよね。ダライラマだけじゃなくて、他の地域にもそういう風習はありますね。

サンシャイン:食べ物がたくさん出てくるとか、カタカナの人物が登場するところとか、上橋菜穂子さんの作品に似ているのでは? 誰が悪いのかがわからないので最後まで引っ張られました。

ハリネズミ:悪いやつはすぐにわかるんじゃない? そうそう、このカットもよかったですね。舞台が韓国とは書いてないけど、なんとなく韓国を思わせる絵よね。邪魔にならないで雰囲気を出していていいですね。

サンシャイン:私は3冊の中ではこれがいちばん楽しかった。

ウグイス:この本なら男の子にも薦められますか?

サンシャイン:どうかなぁ? 薦めるとしても数人ですかね。やはり女の子っぽいし、残念ながら男の子全員に薦められるとは言えないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


ラウラ・ガジェゴ・ガルシア『漂泊の王の伝説』

漂泊の王の伝説

サンシャイン:王子の人物像が、最初の印象とずれてきて、あれ、と思いました。書き出しは立派な王子として書いているのに、実はそうではない。詩の優勝者を閉じ込めて意地悪して……という人物像に違和感を覚えました。もちろん後半は経験を積んで立派になるのですが。詩のよしあしは、この文章だけではわからない。まあまあおもしろく読めたともいえます。スペインのファンタジーの一つのパターンがあるのかな、と思いました。

チョコレート:夏休みに読みました。あらすじの先がみえましたが、逆にそこがおもしろかったです。自信満々の詩のコンクールで負けたことが原因で傲慢かつわがままな王子になりますが、いろいろな苦難に遭って成長していく成長物語として私は読みました。身分の高い王子に戻るのではなく、たくましく成長した一人間として話が終わることで、書名『漂泊の王の伝説』がさらに印象的になりました。王子がおこなった過ちに対して登場人物達が話すそれぞれの言葉(勇気づける励ましの言葉)に共感し、はらはらどきどきする場面などでは王子自身になりきってしまいました。この作品を通して砂漠の生活がよくわかり、またじゅうたんや生活の一部として詩がありその詩を朗読するなど日本にはない異国文化をたくさん知ることができてよかったです。

ハリネズミ:ます物語の中に出てくるカスィーダという長詩の構成、詩のコンクールの様子、絨毯を織る様子、ベドウィンの暮らし、都会ダマスカスの様子など、一つ一つがとてもおもしろかった。ストーリー運びもおもしろいですね。さっきワリードの人物像についてサンシャインさんが言ったことは、私も感じました。冒頭にはワリードが「体や顔つきが美しいだけでなく、心も美しかった。あふれでた水の流れのように気前がよく、愛する民をよろこばせるときには、財力をおしみなくつかった。実際、民に対しては、寛大さと公平さをもって接していた。品格と優雅さが感じられる、もうしぶんのない王子であった」って書いてあるし、その後も何度かワリードが完璧な人物だということが繰り返されているのに、ハンマードの詩についてはワリードは最初から「身分の低い男のへたくそなカスィーダ」とけなし、ハンマードを陥れようと画策するんですね。そのあたり、私もちょっと混乱しました。ここは、「りっぱだと思われている」あるいは「りっぱだとうたわれている」という風に訳したほうがよかったのかも。あるいは詩に関してだけは、ワリードは欠点をさらけ出してしまうということなら、そこを訳できっちり出してもらった方がいいかも。でも、そこを差し引いても、物語としてとてもおもしろかった。あと、父王、偉大な詩人アンナービガ、牧人ハサーン、商人ラシードなどがところどころで知恵ある言葉を語るのもいいですね。それが物語の進展の前触れになっているのもうまいな。
ただね、アラビアの人の長い名前はおぼえにくくて、途中でだれがだれだったかわからなくなってしまいそうでした。ちょっとした人物紹介があったらよかったのに。文章は、少しだけわかりにくいところがありました。たとえば25p3行目に「後ろだてに対する賛辞」とあるんですけど、「後ろだて」ってここで初めて出てくるので、何が言いたいか子どもにはわからないんじゃないかな。

みっけ:けっこうおもしろく読みました。プロローグで、突然相手に剣で切られて、走馬燈のように今までの一生が浮かんだ……みたいに始まるので、じゃあ、この人が死ぬまでの話なんだろうか、それもおもしろいなあ、と思って読み始めました。王子の人物像については、すばらしい人なのだけれど、こと詩に関しては、ほとんど狂気に近い執着で相手に無理難題を押しつけていく、というふうに解釈したので、それほど違和感はありませんでした。この王子は基本的に恵まれていて、しかも優秀でいい人で、そのうえ人の期待や考えにわりと敏感にうまく合わせる器用さもあるという感じだったんじゃないかな。逆に言えば、自分の欲望をコントロールしなければならないような決定的な場面にはほとんど直面してこなかった。ところが、詩に関してはこの人の生の欲望が出る。自分が一番ほしいと感じるもの、でも望んでも得られないものを目の前にしたときに、そういう脆弱さが一気に出て、暴走するっていう感じなんだろうなあと。まあ、暴走ぶりがかなりすさまじいわけだけれど。あんまりすさまじいものだから、後悔したときは時すでに遅しで、旅に出ることになる。なるほどなるほど、と読み進んで、主人公が絨毯織りの1人目の息子に出会ったときは、へえ、と意外性がありました。2人目は、ふうん、そう来るんだ、という感じで、こうなれば、3人目にも会うんだろうなあ、と見当がつきましたが、3人の息子それぞれのやっていることが違っていて、そういう3人に出会ったことで、主人公が変わっていく、そのあたりがうまくできていると思いました。3人に出会ったこともだけれど、この王子自体の身の処し方というのもポイントになっているため、ただ成り行きに流されていくのではなく、本人の成長が納得できる展開だと思いました。だから最初に読んだときは、再び盗賊に会って殺されたとしても、本人は満足という終わり方でいいような気がしたんです。ところが、実は死んでいない。あれっと思ったんですが、今またぱらぱらとめくってみたら、漂泊のマリクと呼ばれた実在の詩人をモデルにしたということだから、やっぱり最後に無名の人間として詩のコンテストに勝つというのが必要なんだ、とまあ納得しました。アラブ世界のお話は、あまり読んだことがないので、そういう意味でもおもしろかったです。それに、王子の連れ合いになるザーラという女性の立ち居振る舞いを見ても、砂漠の民、という感じで新鮮でした。

ハリネズミ:プロローグの場面は、あとでもう一度出てくるんですよね。そこにも構成の工夫がありますね。

みっけ:そうなんですよね、286pに出てくるんだけど、そっちは冒頭と同じシーンがずっと語られて最後に、「深い闇の中にしずむ前に、彼は自分の人生をもう一度、生きなおした」とつけ加わっているんですよね。それで私は、ここまでですっかり完結した気分になってしまったんです。それでもいいんじゃないかなあ、死ぬんだとしても、本人は納得しているんだし。

ハリネズミ:ワリード的にはそれでもいいでしょうけど、息子の一人がワリードを殺すことになるのは、やっぱりまずいんじゃない?

サンシャイン:同じスペインの『イスカンダルと伝説の庭園』(ジョアン・マヌエル・ジズベルト著 宇野和美訳 徳間書店)に似てるでしょうか?

ウグイス:あれは建築、こちらは絨毯というものを使って、人間の生き方を表しているというところが似てるのかもね。

みっけ:絨毯に機械とかテレビなんかが出てくるのもおもしろいですよね。本当に未来のことが出てくるのが、へえっと言う感じでした。

ウグイス:私は今回の選書係だったんですけど、今までにない雰囲気のファンタジーということで選びました。この本は、最初の詩のコンクールの場面から珍しくて引き込まれる。詩人の作った詩を読み手が詠唱し、それを耳で聞いて感動するというのがおもしろいわよね。ワリードの良いところを賛美するのも、詩で讃えるということがあるからでしょうね。そして、それほど讃えられた立派な人物であっても、嫉妬心というような自分の中の悪の部分があるのだということを書いているんだと思います。権力を持った人の弱さということもわかる。ファンタジーというと、悪と闘ったり、魔女と対決したりといったものが多いけど、これは自分の内面との戦いを描いているので、他とは一味違うファンタジーといえると思います。寓話的なところもあるし、アラビアの砂漠の物語ということで、ハウフの『隊商』とか、『アラビアンナイト』のような異国情緒も楽しめますよね。

ハリネズミ:ファンタジーの中の善悪の表現の流れからいうと、『ゲド戦記』で自分の中の悪と闘うと要素がせっかく出てきたのに、ハリポタ以来、自分の外に悪がいるというストーリーが氾濫してましたよね。そういう意味でも、この作品は、時代は古くても逆に新鮮な感じがしました。

サインシャイン:『ベラスケスの十字の謎』(エリアセル・カンシーノ/著 宇野和美/訳 徳間書店)も、八割がた現実の話のようにしていて、その中にいくつか現実にはありえないファンタジーの要素が入ってきますよね。そういうのが、スペイン文学の伝統としてあるんでしょうか? イスラム教誕生以前の世界、という設定には興味を惹かれました。ジンという精霊が自分を守ってくれるんですね。

ウグイス:最後にジンが出てくるところが急にファンタジーになるね。

ハリネズミ:ジンと魔法のじゅうたんのところがね。

みっけ:この主人公がどうしてもほしい名誉を3度さらわれるんだけれど、それは絨毯織りが3人の息子に身を立てるための資金を与えたかったからで、そうやって資金をもらった人たちに、あとで王子が出くわすっていうのも、うまくできていますよね。

ハリネズミ:長男は商人として出世してるけど、あとの2人はどうだっけ?

みっけ:末息子の場合は、村を襲った部族が金を盗んでいったんで盗賊になったって146pに書いてありますね。次のお兄さんは、174pに羊の群れを買ったとある。

ハリネズミ:そうだったわね。その後、次男は羊の群れを売ってラクダのつがいを買ったってありますけど、一生使い切れないほどの賞金をもらったはずなのに、ラクダってそんなに高価なのかな?

サンシャイン:盗賊になった人も気持ち的には立派なんですよね。義賊みたいで。

みっけ:盗賊が再び主人公と出会うことになるのも、ジンが呼び寄せるんですよね。わざと会わせる。そのあたりもおもしろい。

ハリネズミ:赤いターバンの人も不思議よね。そこもファンタジー的。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


末吉暁子『水のしろたえ』

水のしろたえ

ハリネズミ:きれいな物語で悪くはないと思ったし、羽衣伝説を踏まえたうえで史実を織り込んで書いているのには好感が持てました。でも、ちょっと物足りない。物語の核は、真玉が地上で暮らすのか、水底の国に帰るのかというところだと思いますが、水底の国の魅力が書かれてないし、真玉がそこに惹かれる気持ちも書かれていないんですね。そのせいで、最後に真玉が地上に残る決心をする最後も、今ひとつ迫ってこない。それが残念。真玉と高丘の淡い恋もあるんですけど、それが原因で真玉が地上にとどまるにはまだ弱すぎる。高丘の方はこの間まで真玉を男の子だと思ってるわけだし、その後は仏門に入っちゃうわけでしょ。真玉の父親の伊加富は、エミシの女に命を助けられただけでなく、恋心を抱いていたのかもしれませんね。でないと、自分の命を危険にさらすまでに至る過程がよくわからない。でも、そこも児童文学だから遠慮したのか、書いてないんですね。

チョコレート:題名がおもしろいので興味があり読みました。お父さんは本当は生きてるんじゃないかと期待しましたが、結果は残念ながら亡くなっていました。天皇家の人物が出ていますが、系図があった方が出来事や時代背景がもっとわかっていいなと思いました。映画を見ている感じでさらりと流れ、ちょっと物足りなさを感じました。ギョイは妖怪なのかな? いろいろな場面に出てくるのがおもしろかったです。

サンシャイン:私は絵がダメでした。男としては読むのが恥ずかしい。明らかに女の子の読者を想定して描いたものですね。お父さんの現地での恋が詳しく書いてないので、5年か6年生の女の子向きという想定でしょう。ギョイは狂言回しかな。薬子の乱とか、歴史的な出来事に絡めて書いているところはよく書けていると思いました。

みっけ:読んだのがかなり前なので、かなり忘れてしまいました。たぶん、印象がさらりとしていたからだとも思うんですが……。私もやはり、この絵は苦手です。印象が妙にきれいになる感じで、現実離れしてしまうというか、甘いというか。こういう日本の昔を舞台にしたものを読むときには、匂いや光といったもの、また今のように衛生的でなかった頃のある種汚いところや汗臭さといったものが、今とは違うんだよなあ、という感じで興味深いんだけれど、この本にはそれがあまりなくて、さらにそれをこの絵がつるりとしたものに仕上げている感じがしました。羽衣伝説その後、という感じで書かれているのはわかるんだけれど、なんか最後のところがぐっと迫ってこなかった。主人公の葛藤がイマイチ伝わってこないから、決断も迫ってこない。印象が薄いんですよね。それまでの書き方が淡かったからでしょうかね。残念です。

ウグイス:作者が自分のよく知っている地元の風土や歴史を良く調べて書いていることが感じられ、雰囲気はよく伝わってくると思います。日本の読者にはなじみやすい。確かに物足りないところはあったけれど、最近読んだものの中ではわりにおもしろかった。

ハリネズミ:ひとつ新らしいと思ったのはエミシの描き方。アテルイやモイの側から史実を見る試みがなされるようになったのは最近のことらしいんですけど、児童文学でこんなふうにりっぱな人物として取り上げる試みが新鮮でした。

みっけ:真玉が田村麻呂と出会って、父の死の真相を話すのは、なるほどねえと思いました。でも、そのあとの真玉が号泣しているところで、田村麻呂が「あのときは、わしだとて、腰を抜かして落馬しそうになった。伊加冨殿は、乱心したのだとしか思えなかった。だが、あれからわしも少し大人になった。エミシだろいうが倭人だろうが、人として生きるのに何の違いもない。ようやくそう思えるようになった」と言って、さらにアテルイとモレの除名を嘆願したがかなわなかったと続くところで、「あれから私も少し大人になった」で片付けられてもなあ、という違和感がありましたね。もっと肉付けをしてくれないと、わからないよ、という感じ。

ハリネズミ:この場面で田村麻呂の心情を詳細に書くのは、ストーリーラインから外れるし、史実からも外れちゃうんじゃないかな。田村麻呂は、実際にアテルイとモイの助命嘆願をしたそうですし、この人たちの霊を弔うためにお寺も建てたとは言われていますね。ただね、田村麻呂にしろ薬子にしろ、子どもの真玉に自分の心の奥底にあることをこんなふうに話すかな? それが、ちょっと気になりました。まあ、小学生向きの物語なので、リアリティから離れるのは仕方ないのかもしれませんが。

ウグイス:やっぱりこの表紙の絵では、男の子は読まないよね。

ハリネズミ:男の子の読者は、はじめから対象にしてないつくり方ですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


笹生陽子『世界がぼくを笑っても』

世界がぼくを笑っても

サンシャイン:読んでいて、知らない言葉が出てくるんです。「おなしょう」、「セフレ」、「わきキャラ」、サブキャラでしょうか。「たっぱがある」「こてはん」。今どきの本なんでしょうけど、こういうのを今の子は喜んで読むのでしょうか。これが今の普通? ところで、すごい先生がやってくるっていううわさを受けて話が始まるんですが、それってこのほぼ主人公の先生のことなんですか。違いますよねえ。

ハリネズミ:そういう言葉は、今の中学生ならわかると思いますよ。それから、すごい先生っていうのは、最初は担任のオヅちゃんかと思うのですが、実は違って別の女の先生だったというふうに書いてあります。

サンシャイン:家庭にニューハーフの人が出入りするとか、話の展開に利用しているんでしょうけど、安易じゃありません? あまり中学生には読ませたくないなって思いました。

プルメリア:笹生さんが書くものは、いつも日常生活に起きているような話、現実的な話が多く心に残る作品がたくさんあります。この作品では、学級崩壊したらどうしようって心配していましたが、子どもたちのチームワークが最後に出てきてほっとしました。携帯メールが頻繁に使われる日常生活や、それが子どもたちの中でわだかまりになっていたのが徐々にそうでなくなり、1つにまとまっていく姿を読んでいて、人間っていいなと思いました。父子家庭や現代的な風潮も書き込まれ、この作品も今までの作品同様おもしろく読めました。

ハリネズミ:この作品は、今風の言葉づかいがたくさん出てくるので、しばらくすると逆に古くなっちゃうかもしれないとは思います。でも、先生が薦める名作ものにはそっぽを向いている子どもたちにとっては、窓があいてる感じがすると思うんです。現代の状況を取り上げた作品は、暗い方向に行くことが多いけど、この作品はリアルでありながらそう行かないところが新しい。まずどう見てもだめな先生が出てきて、裏サイトでも先生の悪口の言い放題になる。そこで、この先生はつぶれちゃうのかな、と思うと、子どもたちは「こんな先生でもいいところもある」と思うようになる。普通、中学生は先生に反発するだけで、生徒の方から歩み寄ったりしないかもしれませんが、でも子どもにはやさしさもありますからね。人間のだめな面だけじゃなく、いい面だって実は見てるんですよ。ただ、その辺を嘘っぽくなくリアルに書くのはむずかしい。笹生さんはうまいです。ハルトのお父さんも世間的にはりっぱな人間とは言えなくて、ギャンブルやったり子どもをだましたりしてる。でも、中学生を「中坊」って呼ぶところなんかからもわかるように、大人としての存在感は持ってる。ユーモアも随所にあります。お父さんの言葉もなかなかおもしろいし、p24-25の親子のやりとりも絶妙だし、p34の鉄道マニアの長谷川の会話も笑えます。
書名の『世界がぼくを笑っても』の「ぼく」は、この頼りない先生「オヅちゃん」なんですね。p137でオヅちゃんが「だれかにひどく笑われた時は、笑い返せばいいんです。自分を笑った人間と、自分がいまいる世界に向けて、これ以上なというくらい、元気に笑えばいいんです。そうすると胸がすっとして、弱い自分に勝てた気がします。いままで、さんざん笑われて生きてきたぼくの特技です」って言ってます。このあたりは、作者から中学生に向けての応援歌になってるんじゃないかな。
学校の裏サイトなどをうまく利用して、いろいろな子どもに言い合いをさせたり……とうまくつくってあります。多様な人間を描いていておもしろいです。

カワセミ:この作者の作品はわりと好きだけど、これは今まで読んだものにくらべるとちょっと勢いがないというか、スケールが小さいというか、少し期待はずれでしたね。携帯サイトのこととか、今の子どもたちの言葉とか、上手に盛り込んでいるんだけど、この本っておもしろいところはどこなのかな。いろいろな相手との会話はおもしろかったですね。出てくるのは、小津先生にしても、友達の長谷川にしても、ニューハーフのアキさんにしても、本人とちょっと波長のずれた人たちばかり。本人の意図と関係なくつきあわなきゃいけない、こういった人たちとのずれた感じがおもしろいなと思いました。きわめつけはお母さんで、ハルトがお母さんに会いに行く場面は、どっちも言葉少なで、ぎこちない感じがよく表れていた。でもこの主人公はいったいどんな子なのかっていうのが、あまりつかめなかったです。表紙のかっこいい感じとも、ちょっと違ってたし、今一つつかみきれないところがあったかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


ドロシー・キャンフィールド・フィッシャー『リンゴの丘のベッツィー』

リンゴの丘のベッツィー

カワセミ:すごく古い話なんですよね。昔翻訳されていた『ベッチー物語』っていうのは聞いたことがあるけど、読んだのは初めて。いろいろなおばさんや大おばさんが入れ替わり立ち替わり出てきて名前がおぼえらえないんだけど、佐竹さんの具体的な挿絵のおかげで、とても読みやすくなっていると思いました。昔の本だからかもしれないけれど、書き方がわかりやすくて、主人公の女の子の目線できちんと描写されているので、最初から主人公の気持についていけるし、楽しく読める。子どもらしいものの考え方が描かれているのがよかった。最初に一緒に暮らしていたおばさん、大おばさんとはまったく違う環境に行くんだけれど、それをこの子が、1つ1つじいっと見て、全部自分の小さな頭の中で、これはどういう意味なんだろうと考えていく。子どものものの考え方に即して書いているところが、大人は興味深いし、子どもは「そんなふうに思うよね」って共感できるんじゃないかと思いました。それとやっぱり、最初の家庭ではすべて大人が先へ先へと手をまわしてくれたので、自分から着替えることすらしなかったんだけれど、次の家では自分のできることはさせるので、やがてはモリーを小さなお姉さんのように守ってやれるようにもなるし、この子なりに成長していくのがわかる。そして、農場の暮らしを楽しむ、楽しく毎日をすごせるようになるっていうのが、読んでいて心地よかったです。そういう子どもになっていくっていうのが、うれしく思えるんですね。訳文と挿絵を新しくしたおかげで、古めかしさもそんなにないし、よくなったんじゃないかなと思います。

セシ:昔懐かしいような感じの本で、時代的にも『大草原の小さな家』や『赤毛のアン』を思い出させる作品でした。古い作品でも、本の作り方でこんなに読みやすくなるんですね。翻訳文は今の言葉だけれど、ときどきちょっとお行儀のいい言葉が使ってあるのがいい感じでした。アンおばさんならどう考えるかしらと自問しながら、ベッツィーの考え方がどんどん変わっていくところ、ダメなことがあってもそこから何とかしようというポジティブな発想に変わっていくところが好きでした。また、農場の暮らしは町の暮らしより大変だけれど、昔はもっと大変だったんだよと言って、道具がないのにうまく工夫していた昔の人のすばらしさをたたえるところで、たくましさや生きる力を教えられる。お誕生日のエピソードでは、この子がいかにたくましくなったかが如実に表れていてよかったです。でも男の子はなかなか手にとらない本かな。

サンシャイン:オビを読むと話の先がわかってしまいますが、たまたま私はオビをはずして読み始めたのでよかったです。両親のいない子を面倒見る親戚が、違う側の親戚のことをひどく悪く言っているので、もっともっと辛いことがあるのかと思って読み始めました。違う親戚のもとに預けられて、もちろん苦労やつらさはあったには違いないけれど、印象としてはすっとアジャストできた感じです。頭のいい子で、それまで一方的に守られていたけれど実は柔軟性もあったということでしょうか。早く適応できています。そういう意味で本全体に悪意がない。ドロドロしたところ、辛いところ、苦しいところがない。そう思いながら読んでいったら20世紀前半のことだとわかり、ああそうだったのか、と納得しました。現代だともっと辛いことがあり、それでもなおそれを克服する話になるでしょうけど。日本でも最初は50年代に翻訳されたそうで、悪意のなさがいい感じでもありますが、現代的にみるとちょっと刺激が足りないのかな、とも思いました。「いいお話」という感じです。話の結末も、迎えに来た人の気持ちを主人公が察してお互いに思いやりながら本心を理解し合って農場に残る、それぞれめでたしめでたしとなる。今ではまれな作品なのかもしれませんね。アメリカの素朴な生活の様子も出てきたし、昔の古き良き時代のお話として心温まる作品です。

プルメリア:佐竹さんの絵が好きなので、表紙を見てすぐ読みました。まわりの人々に守られながら生きていた主人公が、環境が変わり大自然の中で自分で考え行動しながらたくましく成長していく姿は読んでいてとてもほほえましい。二人の女の人の生き方も対照的です。バター、メイプルシロップ、ポップコーンなど手作りの楽しさも伝わってきます。自給自足、ものをとても大切にすること、まわりの大自然が美しいことに読んでいて心がほっとします。私はこの作品が大好きで学校の図書室にも入れて、いちばん目立つ場所に表紙を見せて並べています。3年生の女の子が数人楽しそうに本を手にとったんですが、本の中を見ると「あー」と言って戻してしまいました。字が小さいので、もう一歩進めないようです。高学年でも同じかなと思います。そこを克服することができる工夫をしないと読み始めることができないので、本を手に取ることができるような紹介を考えたいと思っています。

ハリネズミ:大人の暮らしを子どもがきちんと見ていますよね。そのことが、変ないじめなどがないことにつながっていくのかもしれません。大人もぶらぶら生きているわけでなく、まっとうに暮らしているんですから。図書館では何冊も借りられていて人気がありました。ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズは、ふつうの子どもには長すぎる。大学生でも、「描写がこまかすぎて話がなかなか前に進まないので、うざったい」と言ったりします。かといってプロットばかりの本は読ませたくないと思うと、このくらいの長さでまとまっているほうが手にとりやすいかもしれません。

セシ:メイプルシロップを作るシーンの描写は、ようすがよくわかってすてきですよね。こういう文章を読むおもしろさに、今の子どもはなかなか気づかないのかもしれませんね。映像や音に慣れてしまって、見てすぐわかることしか味わえなくて。おもしろいところを2、3ページでもいいから読んでやって紹介すれば、読んでみようと思うんじゃないかしら。

サンシャイン:詩の場面はとてもよかった。夕食後の団欒の場面で大おじさんが自分の気に入っている詩を子どもに読んでもらう。覚えているところはともに唱和する。テレビのない時代のすばらしさ。こういう文化があるのがいいなと思いました。日本は詩というと主に抒情詩なので、こういうドラマチックなものはないのかな。国民詩人みたいな方がいたり、好きな詩を暗唱・朗誦したりということ、いいですねえ。

カワセミ:テレビも何もない時代の家族の楽しみはこうだったのね。

ハリネズミ:衣食住だけでなく、娯楽もみんな自分たちで作り出していくのよね。

セシ:週末農園がはやってきているのも、生きる手ごたえが求められてきていることの表れかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


クラウディア・ミルズ『わすれんぼライリー、大統領になる!』

わすれんぼライリー、大統領になる!

サンシャイン:楽しく読ませてもらいました。アメリカの小学校での授業のあり方っていうんですか、伝記を読んで、みんなその人に扮装して集まってパーティーをやるっていうのは、日本にはないですね。アメリカでは、いかにもありそうな話です。サックスがほしいけれど、貧乏で、思うようにいかなくて、でも最後は手に入れるというストーリーもいいと思います。日本の子どもから見ると、なんだかピンとこない話かもしれないけれど、よく書けていると思います。

プルメリア:私は、すごくおもしろかったです。小学校で6年生の担任をしていますが、ライリーのような子どもっているなと思いました。教師が言った忘れ物の回数をライリーがしっかりおぼえている場面では、自分のことに置き換えてドキッとしました。くじをひいて、当たった人物に関する本を探し、見つけた本を読んでレポートを書き、人物になりきって仮装パーティーに参加するという活動、うらやましいなって思いました。私のクラスの子どもたちは、歴史上の人物というと聖徳太子はよく知っていますが、他の人物になると何をしたのかがわからなくなり、ごちゃごちゃになってしまいます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の中から好きな武将を調べ、新聞を作る活動では、ほとんどの子どもたちが年表を書きました。「なぜ年表を書くの」と聞くと「一生がわかるから」と答えます。子どもたちにとって何年に何をしたかが大変興味あることのようですが、何をしたかだけでなく、どうしてそうしたかを調べてほしいなと思いました。グラントがライリーに18ドルをさらりとあげてしまったこと、日本では考えられないと思うのは、金銭感覚の違いかな。

ハリネズミ:私もおもしろかった。私が子どもの頃に読んだ伝記は、偉い人が成し遂げたずばらしいことしか書いてなくて、あまりおもしろくなかったんですけど、今は、偉いだけじゃなくて人間的な側面も書かれたのがたくさん出ているから、いいですね。それにしても小学校4年生で、100ページ以上の本を読んで、参考資料を3つは使って5枚のレポートを書くっていうのは、すごい。自分で調べたり、考えたりする力がつくでしょうね。ところで、エリカっていう子は、自分がしたいことしかしないんですね。そういう障碍を持っているのか単に性格なのかは、よくわかりませんが、みんながそういう子はそういう子として自然につきあっていくのも、いいですね。伝記の主人公を雲の上の偉人ととらえるのではなく、子どもに結びつけて、自分だってがんばってできるんだという方向にもっていくのは、おもしろいなあ、と思いました。

カワセミ:私も子どもたちが偉い人たちになりきるっていうのがまずおもしろかったです。扮装をして、普段からその人になりきっているところがおもしろいし、先生も親も友達も、その子がなりきることに協力して、すべてがそのことに結びついていくっていうところがすごくいいな、と思いました。まず図書館にいって本を読んで、そのことについて調べ、たくさんの本を読んで準備する。日本の学校ではそこまでやらないと思うので、おもしろいなと思いました。でも、ここに出てくる偉い人って、日本のこの年齢の子どもはどのくらい知ってるのかな。その偉人のことを知らなければ日本の子どもたちにはおもしろさが伝わりにくいですよね。今は学校に伝記のシリーズなどはあるのかしら。

プルメリア:まんがの伝記がありますね。お姫様みたいな表紙が女の子に大人気です。

カワセミ:子どもって本当にあった話が好きだから、偉人の話って興味があると思うんですよね。ヘレン・ケラーやナイチンゲールは知ってる子がいても、肝心のルーズベルト大統領とか、オルコットとか、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといわれても、わからないとちょっと残念ですよね。でも、登場する子どもたちが個性的だし、楽しく読める本だと思います。

セシ:ストーリーがはっきりしていて、中学年向けとして読みやすいお話だと思いました。主人公が忘れんぼうなのも親しみやすいです。ただ、ときどき翻訳調というのか、文章がぽんぽんと飛んで流れがつかみにくいところがありました。たとえば、75ページの最後の行から次のページにかけての「…ライリーにとっては今日のほうが最低だった。三十枚のメモがみつかった! 急流をひとつ、わたったぞ! あと必要なのは、サックスだけだ。」のようなところ。また金銭感覚でアメリカと日本の違いを感じました。『がんばれヘンリーくん』(クリアリー/著 松岡享子/訳 学研)にも、ミミズでお金をかせぐというのが出てきて、子どもの頃うらやましく思ったものです。アメリカでは子どもが頭を働かせて小遣い稼ぎをするのを親はむしろ喜ばしく思って見ている部分があるけれど、日本人には、いいことをやっても代償にお金をもらうのはよくないという感性がありますよね。子どもだけでフリーマーケットなんてとんでもないことだし。ガンジーになった子が頭をそってきてしまうなんてびっくりだし、登場人物が優等生ばかりじゃないこういう本は間口が広くて、いろんな子が楽しめる本だと思います。

カワセミ:子どもがお金を稼ぐシーンは、日本の物語にはほとんど出てこないんですよね。日本ではお手伝いは当然無償でやるべきことという考えがあって、文化が違うんでしょうね。

サンシャイン:アメリカに住んでいたとき、雪がふると、「10ドルで雪かきします」なんて、子どもが来ましたよ。

プルメリア:夏休みに上映していた映画『ナイトミュージアム』の2に、ルーズベルトが出てきたような気がします。この映画を見た子どもたちはルーズベルトについてはわかると思います。ガンジーを調べた子どもが、最初は無関心だったのにだんだんが変わっていくのはおもしろいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)