月: 2009年8月

2009年08月 テーマ:それぞれのサバイバル

日付 2009年8月20日
参加者 サンシャイン、プルメリア、セシ、カワセミ、ハリネズミ、みっけ
テーマ それぞれのサバイバル

読んだ本:

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スーザン・パトロン『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』

ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日

カワセミ:主人公ラッキーは、非常に子どもらしい子ども。1つの疑問が頭に浮かぶと、次から次へと想像が膨らんでしまう。いろいろなことが気にかかり、頭の中がいっぱいになってしまう。でも自分の論理で納得できる答えがみつかれば安心する。子どもにはこういうところがあるので、共感する子どもはいると思います。あるアメリカの書評に、ラモーナと似ていると書いてあったけど、独自の論理の中で生きている、ちょっと変わった子という見方をすると、確かによく似ていると思います。そういう意味で、ラッキーの言動は興味深いのですが、物語の筋がはっきりしていないので、読みにくい本でした。ストーリーよりも、ラッキーをはじめとする登場人物たちの一風変わった言動を詳しく見ていくというタイプの本なので、人間観察に興味がなければ、読みづらい。小学校高学年では無理かな、中学生以上なら読めるかな。ニューベリー賞受賞作で、アメリカでは高く評価されているわけですが、カリフォルニアの砂漠の町という設定は、アメリカでは地方色が感じられてそれだけでもおもしろいのでしょう。でも日本では、この設定はピンとこないですね。

ハリネズミ:最初は細切れの時間の中で読んだので、何が書きたいのかわからなくなってしまい、もう一度読み直したんですね。そうしたら、文学作品としてよくできてるな、って感心しました。生みのお母さんの骨壷が小道具として出てきますが、マイルズっていう男の子がいて持っている絵本が「あなたがぼくのおかあさん」。あちこちに、それなりの伏線が引かれているんですね。登場人物も、それぞれ特徴をもってかき分けられています。ひも結びオタクのリンカンも、貯水タンクに住んでいるショート・サミーも、存在感があります。ブリジットが「オー・ラ・バシュ!」「オー・ララ」なんてフランス語を交えて会話するのも人物像をリアルにするのに効果的。カワセミさんが言ったように、ストーリーで引っぱっていく要素は弱いので、やっぱり本好きな子どもにお勧めする本でしょうか。メモのところは、邦訳があるものは翻訳書名も出してほうが親切ですね。

みっけ:表紙の感じそのままの印象です。わりとうすい感じ。つまらないというわけではないし、納得もできる。でも、こちらの体調など外部要因もあったのかもしれないけれど、淡々とした感じでした。絵は好きだったし、妙にリンカンが好きになっちゃったりで、決して嫌いな本ではないんですが。それに、主人公が妙に意地悪になったりする気持ちの動き方なんか、結構リアルだったりもするし。でも、全体として、うわあ、とってもいい作品だなあ、大好き!というふうにまではなれませんでした。

サンシャイン:砂漠の中の人口が43人、働いている人は3人しかいない貧乏な村。でも人々の気持ちはいいんですね。親を失ったラッキーにフランス人の後見人が来て、そのブリジットにずっといてほしいっていう思いが貫かれた作品。『荷抜け』と比べると、人物の姿が立っている。それぞれ特色を持っていて、癖もあって変わっているけど、小説としてはある種計算されていてうまく書かれているのでしょう。母親の骨壷が出てきて、最後に灰をまくとか、お話としての筋は通っています。アメリカ人から見たフランス人というのも、おもしろく読めました。日本の子がおもしろく読めるかどうかはわからないけど。

プルメリア:私は表紙がすごくかわいいなと思いました。赤いドレスが大きすぎてミスマッチですが、そのわけが本を読んでわかりました。主人公ラッキーは女の子ですがダーウィンが好き、虫が好き。最近の子って男の子でも虫は苦手な子が多いので、好感をもちました。登場人物は少ないですが、細々と生きている人たちの様子や生活がわかりやすく、一人一人がていねいに書かれています。ブリジットが赤いドレスを着てくるところが印象的でした。お母さんの遺骨をまくところやその時まわりの人々に話す言葉は、上手な書き方をしていると思いました。賞をとったものはよく読むんですけど、蛇が乾燥機に入り込んだり乾燥機から出ていったりするところはとってもリアルでした。私は蛇が嫌いなのでブリジットの心情や行動には共感します。

セシ:2度読んだのですが、最初に読んだときから好きな作品でした。お母さんが死んじゃって一人になったこの子は、お父さんの元妻という血のつながりのないフランス人がずっと自分の面倒をみてくれるのかを、ずっと気にかけているわけですよね。そして最後は丸くおさまる。子どもってやっぱり親に見捨てられたくないという気持ちがどんなときにもあるものでしょう。それが結局最後、後見人のままでいてくれる形におさまるのは、子どもにしてみればすごくうれしい、希望のある終わり方だなと思いました。「あんたのことなんか知らないわ」と言われつけている子どもも、安心できますよね。30ページ「リンカンが七歳のころ、リンカンの脳は、ヒモむすびをしたくなる分泌液をどんどん毛細血管に送りはじめた」とか、ひとつひとつの表現がおもしろくてひきつけられました。サミーの人物像も、すごくおかしくて好きでした。くっきりした脇役がストーリーを支えているんですね。舞台は超ローカルだけれど、超ローカルなことでも普遍的になりうると思います。文学はいろんな方向性があるから。砂漠の町の、普段思いもつかないような人々の暮らしぶりを、小説を通して想像してみるのも楽しいと思います。

ハリネズミ:さっきも言いましたが、文学としてとてもよくできてる。配給のチーズのところもおもしろいし。パセリきざみの道具も、ちゃんと理由があって持っている。最初はぬすみ聞きしていろんなことがわかっちゃうわけだけど、最後にその穴をパテで埋めて、耳をすましたが中からは何の音も聞こえてこない。自分で盗み聞きの穴を埋めて成長するという描き方もうまい。現代のリアリスティックフィクションに登場する家族は、血のつながらない家族が多くて、他人だった者同士がどうかかわりをもっていくかを書いていくわけですが、この本もそうですね。まったくほつれがないひもを見てラッキーがこんなふうに人間もいけたらいいな、と思うところがありますけど、この本も、いろいろな糸がほつれないでちゃんとまとまるようにうまくつくられています。この作品に登場するさまざまな人たちが一つの共同体をつくっているのと同様に。ラッキーの不安は、ブリジットだけじゃなくて、コミュニティの人間同士の支え合いのなかでうまく解消されていくんですね。ほかの作品をおさえてこれがニューベリー賞を取ったのも、なるほどと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年8月の記録)


岡崎ひでたか『荷抜け』

荷抜け

ハリネズミ:一昔前の雪国の暮らしぶりとか、牛方とかぼっかの様子がわかるのはいいなと思ったんですけど、テーマが先にあって、そのテーマに沿ってこしらえた物語だという気がしました。役人や問屋たちは悪くて牛方たちは正義という視点がはっきりしていて、そのせいで人間の掘り下げ方が足りなくなってしまったんじゃないでしょうか。主人公の大吉も模範少年だし。ひとりひとりの心理がもう少していねいに描かれていれば、もっとおもしろい作品になったと思いますね。大吉のお父さんの仙造が、陰で大きな役割を果たしているんですね。殺されそうになったけれども逃げて、旅をしながら牛方のために画策している。でも実際に仙造がどういう役割をしているか書かれていないので、今ひとつ人物像が結べない。そのへんがもっと書かれているといいのにな。表紙の絵の人は荷物も持っていないし、のんびりとした雪国のたたずまいって感じですが、シリアスな内容とはずいぶんかけ離れていますね。

カワセミ:翻訳ものではなく日本のものだから、読みやすいのかなと思いながら、しっかり読んでいったつもりなんだけれど、なんか頭に入ってこなくて、読みづらい本でした。いろんな登場人物がでてくるんだけど、立場とか、性格とか、あまり区別がつかない。せりふが多いんだけど、方言のせいか、どの人のせりふも同じようで。果たすべき目的のある話なんだから、筋は通っているはずなんけど、どうにもまどろっこしいというか、おもしろくなかったですね。この地域特有の自然描写はよく書けていると思うんですけど、人間の心理描写となると、あまり書きこまれてない。大吉っていう主人公も、今ひとつ魅力が感じられず、サバイバルできるかどうかの状況なのに、「頑張れ!」という気持ちより、「早く行動すれば」みたいな気持ちになっちゃって、途中で飽きてしまいました。設定からすると、もっとドラマチックなことが起こって、はらはらドキドキの展開にできそうに思うけど、物足りなかったです。

セシ:この作者は、民衆が協力して成し遂げたこの事件のことや、当時の山里の厳しく苦しい暮らしを生きぬいていく人々のことを伝えたかったんだと思うんですね。嵐が来れば収穫もないし、やっと得た収穫も年貢でとられてしまう、ただ必死で生きていく生活。ていねいな描き方にその心意気を感じて、この会で読んでみたいと思ったのですが、でもやっぱり整理しきれていないのかもしれませんね。焦点がしぼりきれていない感じ。描きたいことがいっぱいありすぎたのかもしれないけれど。お行儀のよい優等生という感じがしてしまうのが惜しいですね。作家ならあたりまえなのかもしれないけれど、何度も現地を訪れ、40何キロの荷物を実際にしょってみたり、雪の中をかんじきで歩いたりして書いたと聞いています。冒険的な部分で子どもをひきこんでいく時代小説はあるけれども、これはノンフィクションに近くて、昔のことを伝えていこうという作品。こういう姿勢の書き手は今少ないと思うので、がんばってほしいと思います。

プルメリア:日本の作品で、冬の様子が描かれていたので、この暑さの中で読んだら涼しくなるだろうと期待して読みました。が、場面を考えながら読んだら、寒さ以上にしんどいものを感じました。牛方の仕事のたいへんさ、登場人物たちの利害関係などはよく書かれていました。みんなで力を合わせる打ちこわしのようなエネルギーがいろいろな場所であったということもわかりました。殴られる場面は、読むのが苦しかったですが、悪い人だと思った人たちが、本当はいい人でほっとする部分もありました。冬で始まり最後がまた銀世界で終わるというのも、よかったです。牛飼いたちが塩を運んでいることもまったく知らなかったので、この本で歴史を学ぶこともできました。

サンシャイン:作者は江戸時代にこういう事件があったよということを伝えたかったんでしょうね。荷抜けのところがよくわからなかった。預かったものをお客まで運ばずに自分たちでキープして、借りたことにしていずれ返すからということにして自分の資本にするということなんでしょうか? お上というか武士たちが気づかなかったのかな、とか、ばれなかったのかな、などと考えると、現実感が今ひとつありませんでした。

セシ:一揆のときの血判が、首謀者がわからないように巧妙につくられていたことなど、その辺の詳しいことは本の中には出てきませんよね。

サンシャイン:先ほど言いましたように、私は荷抜けということが今ひとつうまく読みとれませんでしたが、貧しい人たちが権力に対抗して成功した例として書きたかったのでしょう。父親が雪道から谷にすべって落ちてすぐに見に行くところがありますが、地図で見るとずいぶん離れていて家からすぐに行けるような距離ではないように思います。人物像も統一感がないように思います。例えばサヨは、最初かなり悪い女に描かれていたのに、後で仲良くなるのも、そんなにうまくいくのかなと思いました。サヨの父親も後半唐突に出てきます。人物描写にあまり神経が行っていないのかな。隣の家のハツは、売られていった先で大吉の一大事を立ち聞きして、遊女小屋から飛び出してマムシにかまれた若者を助け、結局うまくつかまらずに大吉を助けるのですが、そんなに簡単に抜けられるかなあなんて考えるのはいじわるですかね? 江戸時代のしいたげられた人々が反抗した姿を描きたいというのはよーくわかって共感もしますが、その場その場でご都合主義的に描かれているのではないでしょうか。歴史的な事実があり、そのことを小説の形で伝えたいという気持ちは理解できますが、やっぱり人物描写のゆれ、人間関係の不自然さ、無理がめだつというのが正直なところです。だいたい死んだといわれた仙造が大吉に会わないままというのも、息子にまで隠しておく必要があるのか、そこまで身を隠す根拠が見えてこない。周辺では活動しているわけですからね。

カワセミ:小さな腑に落ちないことがたくさんありますよね。

みっけ:私はこの本、途中で挫折しました。信州には親近感があるので、へえ、塩の道の話なんだ、と思って読み始めて、当時の庶民の暮らしが書かれているあたりはおもしろいなあと思ったんですが、いかんせん、主人公をはじめとする登場人物が立ち上がってこない。おもしろい素材なんだけれど、素材に気持ちがいきすぎているのかな。

サンシャイン:この人の作品はほかのものも読んでいますが、伊能忠敬の伝記『天と地を測った男』(くもん出版)はよかったですよ。「鬼が瀬物語」シリーズ(くもん出版)は千葉の漁民の話で、こういう人たちががんばっているよというのは伝わってきました。でも、もしかすると思い余って表現足らずかな。

みっけ:子どもに広く事実を提示して、こういうことについて考えてみてほしいと思うのだったら、事実大好き少年少女だけでなく、ほかの子どもにもアピールする必要があると思うんです。そこの橋渡しをするのが、物語りとしての魅力なのではないかなあ。読者が感情移入できる人間を登場させて物語の魅力で事実へと迫っていくというアプローチが必要な気がするんですが、この本はいささか力不足のような気がします。

ハリネズミ:それができないと、いい文学とはいえませんよね。こういうテーマだと課題図書の感想文はいくらでもうまく書けると思うけど、読者が作品の中にどっぷり浸かって生きてみて、そこから得た感想を書くということには、なかなかならないですよね。そういう作品を安易に課題図書にしてはいけないんじゃないかな。この作者はとってもいい人だと思うし、こういうテーマに目を向ける作家は日本には少ないので、がんばってほしい。もう少し深く入り込めるように書いてほしいな。

セシ:作者は子ども向けのつもりで書いたけど、出版社側が、大人も読めるから大人向きにと判断して、こういう形で出したそうですよ。

みっけ:大人向けの時代物だと、たとえば藤沢周平みたいに、もっと書きこんで場面を立ち上げていくんだろうけれど、子ども向きということで、あまり書き込みすぎてもまずいと思ったのかしらん。それで、物語の力が弱くなったのかもしれない。少ない書き込みで、どう立ち上がらせるかとか、どれを省いてどの視点をとれば読者に強く訴えられるか、というのは、たぶん作家の修業によって体得するものなんだろうけど、そのあたりが弱いんでしょうね。

ハリネズミ:子どもの文学だからキャラクターはいい加減でいいということはないですよ。いっぱい人が出てきてわかりにくいなら、もっと整理して書けばいい。

サンシャイン:隣の女の子が遊女になるところは、子ども向きの本だからと考えてかあまり書いてない。

ハリネズミ:だったら、中途半端に書くよりは、いっそ書かなくてもよかったんでは? そてとも、ここはわかる読者にだけわかればいい、というスタンスでしょうか。

サンシャイン:最初にあまり出てこないのに、後半ちょっと出てくるなんていうところが、ご都合主義だと思ったんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年8月の記録)


デイヴィッド・ライス『国境まで10マイル』

国境まで10マイル〜コーラとアボカドの味がする九つの物語

サンシャイン:国境近くに住んでいるメキシコ系アメリカ人の話。日本語の題名はつけにくかったんでしょうね。工夫していますね。ヒスパニックの物語というのとは違うんでしょうか? アメリカに住んでいる人なら違いが分かるんでしょうね。いい話だなと思ったのは、「パパ・ラロ」。最後、おじいちゃんが死んじゃって、しゃれたタキシードを着せてあげるっていう話です。教会の侍者をする少年の話「最後のミサ」もよかった。不良の侍者の1人が死んじゃって、その子のためにミサをするという話ね。アメリカ社会一般の話と読むか、テキサス州のメキシコとの国境地帯でのローカルな話と取るか、よくはわからないけど、印象に残りました。

プルメリア:今月の3冊の中でこれが一番おもしろかったです。地図を見ながら読みました。2つめの話は、アメリカ人なのかメキシコ人なのかわかりませんでしたが、人々の気質や料理が詳しく書かれていて、暗いことでもユーモラスに描かれていることに好感をもちました。「最後のミサ」に出てくる侍者をした少年と、バチカン市国でクリスマスのミサを見たとき侍者をしていた少年が重なりました。本人よりも家族が誇らしげにしていたのを思い出しました。「さあ、飛びなさい!」は、インコを全部放してしまうダイナミックさ、日本人とはまったく違う発想の違いがおもしろかったです。

セシ:私は出たばかりのころに読んで気にいりました。すごくおもしろいなと思ったのは、いろんな人生が出てくるところです。日本の中学生を見ていると、似たような大人に囲まれていて、こんな大人になりたいという理想像も、小さくかたまりがち。でも、この本に出てくる人たちは、とてもさまざま。いろんな人生があって、喜びや悲しみがある。いろんな価値観が出てきて、こんなふうにも生きられるのか、と考えさせられました。国境を行ったり来たりするメキシコ人をとおして、国境があること、国が分かれてしまうことのむずかしさや、そのはざまで生きていく人の様子もよく伝わってきました。お手伝いさんの話や、その家に行ったら主人公が自分の家に行ったみたいだったという「もうひとりの息子」や「カリフォルニアのいとこたち」が印象に残りました。ユーモアのスケールが大きい。あっけらかんとして爽快でした。

カワセミ:子ども向きの短編集はむずかしいなと思うんですよね。この本は、日本の子どもが想像もつかないような環境だし、大人が読めばテックス・メックスの文化が興味深いところもあるんだけど、一つ一つのオチが微妙なものが多くて、子どもはストレートにおもしろいと思えないじゃないかなと思います。児童文学としてどうなのかな? 伝わりにくい部分があるんじゃないかなと思いました。その中では「ぶっとんだロコ」がおもしろかった。犬がいなくなっちゃうので本当は悲しい話なんだけど、犬が車を運転してったって考えると、なんだかおかしい。どうしようもないやりきれなさみたいな感じが、どの話にも漂っているものの、決して暗くはない、そういう気分は、あまりほかの本では味わったことがないですね。

ハリネズミ:冒頭の短編に、「まさかのときにスペイン宗教裁判!」とか「しゃれ者の遅刻」なんていうジョークが出てくるんだけど、日本ではそう言われてもちっともおもしろくないので、すべってしまうんですね。それで、最初は白けながら読んでたんですが、読んでいくうちに、おもしろい短編もあることがわかってきました。カワセミさんがあげた「ぶっとんだロコ」なんか挿絵もやたらおかしくって、犬ごと車が盗まれてしまったという悲劇を別の視点から見ることができる。悲しかったり、つらかったり、嘆かわしかったりすることもきっと多い人たちの話ですが、それを笑い飛ばす勢いがあるんですね。「パパ・ラロ」のおじいちゃんも、バリバリ存在感があっていいですね。「さあ、飛びなさい」の、鳥をぱあっと放すイメージと女の子の未来が重なるところもいい。味わいのある話が並んでいますが、読書好きの子どもじゃないとそれを十分に味わうのは難しいかもしれませんね。本に読者対象は書いてないんですが、対象は読書好きの中学生といったところかな。この場所で暮らした人でないと書けないことを書いているので、貴重な本だなと思いました。

みっけ:うん、私もかなりおもしろかった、読んでよかった、という感想です。最初の作品の、あっけらかんと色恋を取り上げているあたりは、自分の中でのラテンのイメージにぴったりはまって、やっぱりメキシカンだなあ、と一人納得。でもそれ以外にも、ちょっとシュールな作品があったり、とても信仰心の厚い人が出てきたり、家族の絆が強かったりするところは、ラテンの世界だなあと思ったし、おもしろかった。カリフォルニアにはヒスパニックが多くて、ソトをはじめとする書き手もいるけれど、この本は、そういうのとは明らかに違う気がしました。もっと、自分たちのルーツに近いところで生きている感じですよね。それに、トイレの話だの犬の話だの、独特のほら話的な感じがとても愉快でした。「もうひとりの息子」では、長い国境線の両側にまったく違う生活をする人が住んでいるという現状に対する想像力を刺激されました。いろいろとたいへんなことがあっても、その中でタフに生きていく、荒っぽさはないんだけれど笑いにくるみながら強じんに生きていくのがすごい。「パパ・ラロ」の話も、年齢の差を越えて男同士どこか通じてるところがあって、おもしろい。爆弾を打ち上げ花火の代わりに使おうなんて、結構危なっかしいんだけれど、勢いのある感じが伝わってきますね。「最後のミサ」で従者をする男の子の話はかなり微妙で、読みなれてない子だと、なんだかよくわからないまま終わってしまうかもしれません。ちょっと高級というか、大人っぽい気がしました。日本で出すことの意味はさておき、アメリカはとっても広いから、自分たちの国にこういう人たちも住んでいるんだよ、ということを知らせる意味でも、出版は意味があることなんだろうなあ、と思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年8月の記録)