月: 2010年1月

2010年01月 テーマ:家族不在でも力強く生きる子どもたち

日付 2010年1月14日
参加者 バリケン、アカシア、メリーさん、ダンテス、プルメリア、げた、セシ
テーマ 家族不在でも力強く生きる子どもたち

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柳広司『虎と月』

虎と月

セシ:おもしろいと思ったのは、作者自身が長年愛読してきた好きな作品を、こんなふうに翻案して今の読者に近づけたこと。それから、このちょっととぼけた軽妙な語り口。中島敦の『山月記』と比べてみてはいないのですが、お父さんさがしというストーリーで、冒険小説のように読めました。

バリケン:この本も、とてもおもしろくて、最後まで一気に読んでしまいました。若い人たちは、みんな『山月記』を教科書で読んでるんですってね。私も昔読んだっきりで忘れていたので、筑摩書房の「現代日本文学大系」をひっぱりだして、読みなおしました。『山月記』は変身物語だけれど、『虎と月』は最後は本当に虎になったわけじゃないんですよね?

アカシア:なったかもしれないし、ならなかったのかもしれないという、オープンエンティングなんじゃない?

バリケン:『山月記』を下敷きにして、まったく違うストーリーにしているところがおもしろいですね。ミステリー仕立てで、読者をぐいぐいひっぱっていくし、語り口も軽妙で、とてもうまいなあと思いました。漢詩で謎解きをしているわけですが、私はまったく詳しくないので、感心するばかりでした。中島敦は代々儒者の家柄で、伯父さんたちも漢学者だったということですが、この作者もたいしたものだと思いました。柳広司さんの作品は、十代の子どもたちによく読まれているようですね。すらすらと読めるし、子どもたちにぜひ薦めたい一冊だと思います。

メリーさん:『山月記』は教科書に載っていました。その時の中島敦の説明もとてもよく覚えています。それから、名作の続きを自分で創作する、という国語の授業も思い出しました。漢詩の素養はまったくないのですが、一文字変わると、詩全体の意味がこれほどまでに変わるのか!と驚きました。今の高校生は『山月記』をよく知っているので、この本をおもしろく読むのではないかと思いました。一つだけ、本文の書体がゴシックなのには、ちょっと目が疲れました。

プルメリア:表紙を見て現代の話かと思って読み出したら、昔の話でした。個性豊かな人物が登場し、キャラクターがおもしろかったです。漢詩の文字のトリックは、さすがでした。お父さんはどうなっちゃたのかな? 父親の存在がはっきりしないとことがかえっておもしろいのでしょうか。文章が、まとまって書かれているところと、一行ずつの文体になってわけて書かれているところが気になりました。

アカシア:私も『山月記』をひっぱりだしてもう一度読んでみたら、あっちは結構難しい話なんですね。詩で認められたいと思う男が、「尊大な羞恥心」(自意識ってことかな)のせいで果たせず、その思いが肥大化して虎になってしまう。中学生くらいで、そんなことわかるのかな? それと比べて、こっちは子どもにもわかるおもしろい話になっている。最後の2行は、『山月記』とまったく同じ。うまくおさめていますよね。虎になるというのも重層的なイメージで描かれていて、怒りが爆発して暴れるのも虎、瘧にかかるのも虎、義賊も虎、そして本物の虎も登場するんですね。お父さんはどうなったんだろうという興味で読んでいくと、いろいろな「虎」が出てきて、次々に謎がふくらむ。ちょっと気になったのは、14pでお母さんが袁參をめかしこんで訪ねていき、帰ってから「少しも気のきかない男だ」となじる場面があるんですけど、妾にでもしてもらおうと思ってたんですかね? こんなに軽い女に書かなくたっていいじゃないかと私は思ったんですけど。でも、お父さんが家族のもとへ帰らなかったことの伏線なのかな? お父さんが義賊になっただけなら、この子が訪ねていったときに、村人たちはもっとストレートな反応をするんじゃないかと思うので、やっぱり本当の虎になったという可能性を残しているんでしょうね。

げた:この本の元は中島敦の『山月記』なんですけど、『山月記』も中国の「人虎伝」を種本に書かれたものなんですね。戦前「人虎伝」ブームというようなものがあって、佐藤春夫や今東光が翻訳したりしているようですよ。このことについては中島敦生誕100年っていうのでいろいろ本が出ています。才能はあるのに、認められず不遇であった李徴が、同僚官僚であったところの袁參に妻子の援助を頼むという話なんだけど、『山月記』が国語の教科書に載っているのは、李徴イコール中島敦を哀れんだ、袁參イコール文部官僚氏によるものらしいですよ。私は『山月記』よりも、この本のほうが、今の中高生にとってはずっとおもしろく、楽しめるんじゃないかと思いました。

ダンテス:作者のこと、詳しいことは書かれていませんが、高校の国語の先生でもやっていた方かなと推測しました。私もおもしろく読ませてもらいました。軽いのりの文章ですが、中身は教養が溢れていておもしろいなと思います。不思議な老人は李白のイメージ、伏線もよく計算されています。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


ヨハンナ・ティデル『天井に星の輝く』

天井に星の輝く

アカシア:いいなと思ったのはスウェーデンの若い人たちの気持ちがとてもリアルに書かれているところですね。主人公のイェンナは中学1年生なんですけど、思春期特有の偏狭な気持ちが片一方にありながら、殻を破って行きたいというのがもう片一方にあるっていうところが、うまく伝わってくる。ただ最初の方では、主人公のイェンナがウッリスのことをねたんで悪くばかり言うし、理由もなく乗馬スクールを辞めちゃうし、親友と言いながらスサンナのことはあまり考えていないみたいだしで、嫌な人物に思えてしまったんですね。まあ思春期のことなんかあんまり思い出したくないので、自分も持っていた嫌な面をつきつけられたような気がしたのかもしれませんけど。それから母親の癌をイェンナは隠すんですけど、母親は松葉杖をついて買い物に行ったりしてるわけだから、隠したってしょうがないのになんて思って、ちょっと物語の中のリアリティに入っていけない箇所がありました。冒頭で、イェンナは「母親が死んだら自分も命を絶つ」という内容の詩を天井の星の裏に隠し、最後はその詩を「母さんが死んでも あたしは生きていくよ。母さんのために」と書き換えて、また同じように星の裏に隠すんですね。その二つの詩の間でイェンナが成長したことをちゃんと書いている。そこはいいですね。あと、この本はきれいだな、と思いました。黄色と青と、この星が。

プルメリア:母が乳癌で死ぬという重い作品だったので、読むのが苦しかったです。なにかと控えめなスサンナと、とても自信満々のウッリスが関わり合う場面からストーリーの流れが自然とおもしろくなってきました。異性に対する思春期の揺れ動く少女の心情が伝わりました。ウッリスの行動も、スサンナやあこがれの男の子との関係も、リアルによく書けているなと思いました。13歳なのに、ワインを飲んだりタバコを吸ったり……国が違うとずいぶん子どもたちの生活や遊びも違うんですね。ガンと戦っている娘や母親をなくし一人になる孫娘を心配する祖父母の心情もよくわかり、母親の死をのりこえる子どもの心情が痛々しかったです。泣きながら読みました。

メリーさん:この物語は登場人物の心情や、シチュエーションがとてもリアルでおもしろかったです。ストーリーそのものには目新しさはないのですが、とにかく描写がすごいと感じました。特に、悲しみの表現といたたまれない気持ちの部分。母親とふたりの生活に、祖父母がずかずか入ってきてしまうことに主人公がいらだつセリフ「栓抜きは四番目の引き出しに入れることになっているんだけど!」。電話越しに母親と笑いながら話すのだけれど、それがかえってふたりの距離を遠くしている感じなどは主人公の悲しみをとてもよく描いていると思いました。また、祖父母が母親の使う歩行器をあからさまにほめるところや、お見舞いにいきたくない主人公の気持ちをわからないまま、冗談をいってはげますところなどは、気まずい雰囲気が細かく描写されていて、こちらがいたたまれない気分になりました。

バリケン:ウッリスがイェンナのお母さんを助けたところは、その場面でははっきり書いてないけれど、お母さんが亡くなったあとで、実はお母さんもそのときにウッリスにとてもいいアドバイスをしてあげていたということを、主人公が知るわけですよね。それで、主人公も悲しみにくれるだけではなくて、一歩踏みだしてみようという気持ちになる。生きていこうと思う。亡くなったお母さんが、ここのところで娘の背中を押してあげているわけで、とってもうまい書き方だと思って感動しました。
ストーリーはとても単純なんだけど、細かいところが実によく書けている。特に余命あとわずかの母を持つ娘の怒りやいらだち。実際に家族が癌になったりすると、まず最初にぶつけどころのない怒りを感じると思うのね。主人公も、自分の怒りやいらだちをウッリスに向けたり、おばあちゃんに向けたりしている。それから、スウェーデンの十代の子の暮らしの様子……男の子との交際や、お酒やタバコのことなどが分かって、おもしろく読みました。周囲の大人たちも、日本と同じように、そういうことに対して眉をひそめるけれど、だからといって教師がすぐに停学だの退学だのとは言い出さないのよね。主人公の友だちの、奔放なウッリスと、優等生のスサンナも、うまく書きわけられていて、おもしろかった。

セシ:言いたいことはもうほとんど出尽くした感じですが。「天井に星の輝く」というタイトル、最初は意味がわからなかったのですが、天井にはった星が出てきたところできれいなイメージだなと思いました。物語が進むにつれて、ウッリスへの見方、関係がどんどん変わっていくところがよかったです。ただ、ここに出てくる中学生の行動や言葉づかいは、私の周囲にいる日本の中学生のそれとはかけはなれていて、日本の読者がすんなりと物語に入っていけるのかなと思いました。スウェーデンだからこんなふうだと、すぐに頭を切りかえて、違いをおもしろがって読めるんでしょうか。

げた:確かに表現的には13歳にしてはちょっとというところもありますもんね。訳者あとがきにも日本の読者の目には少し早熟に映るかもしれないとあったけれど、日常生活は日本の子どもたちに比べると随分早熟に見えますね。でも、体と心のバランスがとれていないところがあって、中身そのものは中学生かなって思いました。天井にはった星の下に隠している国語の時間に書いた詩が、「命をたつよ」から「母さんが死んでもあたしは生きていく」って成長していくところって、そんなに日本の中学生と変わらないなと。行動自体は、お酒やたばこが頻繁に出てきたりして、かなり過激だけど、友だちとの関係は日本の子どもたちとそんなに変わらないかなと思います。私は祖父母との関係が気になったんです。祖父母は一生懸命孫になんとかしようとしているのに、イェンナは受け入れられないんですね。匂いがいやだとか何とか言って。マリッサっておばさんには、違和感なくなじんでいるんだけど、彼女には母を感じられるからかな。文章は、全体的にちょっと読みにくい感じはありました。

こだま:聞き慣れない名前がいろいろ出てくるんで、男か女かわかんなくなっちゃうんですね。

ダンテス:おばあちゃんと孫の間の人間関係が、うまくいっていない。両者とも娘・母親のことが心配なのに、気持ちがつながらなくてすれ違っていることが、この作品のベースにありますね。この作品の中では、おばあちゃんとの関係がうまくいかないことからも、母親が死んだら自分も死ぬという思いを強くしていたのかも。ウッリスがおかあさんにカードを贈っていた、というのは、ウッリスと主人公の関係性の改善につながるよくできた伏線だと思いました。スウェーデンのカルチャーや、若者の現実をそのままうつした作品なんんでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


カレン・クシュマン『ロジーナのあした:孤児列車に乗って』

ロジーナのあした〜孤児列車に乗って

バリケン:おもしろい物語でした。孤児列車という存在そのものも知らなかったし、孤児を養子にしたいという人々のなかに、単に重労働をさせる働き手がほしいとか、重体の奥さんに代わる、次の女性を求めているとかいう人々もいて(もちろん、子どもとして、かわいがって育てたいという人たちもいるのですが)、当時のアメリカの様子が垣間見えるような気がしました。特に、物語のなかで汽車が通った地図も出ているので、アメリカの子どもは、ここでこんなことがあったのかと、より深く読めるでしょうね。訳はとてもていねいで、訳注がこれでもか、これでもかとばかり出ていて……これくらい訳注を載せるべきなのかと、ちょっと反省しました。
 ただ、主人公が職業訓練学校に行くのがどうしてもいやで、ドクターキャットといっしょに住むことにするという結末、職業訓練学校に行って、技術を身につけて独り立ちしたほうがいいのではないかと思ったのですが、どうなんでしょう? 家族を無くしてしまった子が、人との触れあいのぬくもりを求めて……という気持ちは分かるのですが、ひとりの人間の生き方として、誰かによりかかって暮らすよりいいのでは、とも思うんだけど。

アカシア:職業訓練校っていっても、私たちが持つイメージとは違って、孤児が行く場所だって書いてありましたよね? 孤児列車ではみんな新しい家庭に引き取られていったのに、自分だけだれからもほしがられなかったのは辛いと思うな。この子はまだ12歳だから、自分を愛して世話をしてくれる人が必要なんじゃないかしら? それに、女性が職業をもつことについては、女先生を通して著者は励ましのメッセージを送っていますよ。

メリーさん:とてもおもしろく読みました。こういう列車があることはまったく知らなかったです。孤児というので『あしながおじさん』のようなストーリーを想像しながら読みはじめたのですが、列車で旅する、ロードムービーのような物語でした。みんなより少し年が上で、お話をつくるのが上手な主人公、かわいいけれどちょっと間がぬけている女の子、さわがしい男の子など……列車の中が、一種の疑似家族で、旅が進むにつれて、お互いのきずなが深まっていくのがとてもいいなと思いました。自分が誰からもほしがられていないという現実は、主人公を深く傷つけます。そういう意味で、丘をくりぬいて家にしている家族との出会いは印象的でした。あの家の母親が、父親をいさめたとき、ロジーナは母の力強さとともに、自分を大切にするということを感じたのではないかと思いました。

プルメリア:私もおもしろく読みました。1880年代のことが、この作品からよくわかりました。新しい家族との出会いでは、期待より不安のほうが伝わってきます。少女ロジーナの家族構成が少しずつ明らかになっていく中で、いろいろな場面に出てくるお父さんの言葉が作品全体を明るくしているような気がしました。孤児たちは一人一人個性があって、性格がよくわかりました。大草原の穴倉で暮らす貧しい子だくさんの家族は、住まいも生活も大変なんでしょうが、実の母親に対する子どもたちの対応が希薄すぎ悲しく思いました。作品を読んでアメリカの土地感、気候、温度の違いがよくわかり、この物語といっしょに旅をし、いろいろな人に出会う体験をしました。

アカシア:私もとてもおもしろく読みました。普通この時代だったら、子どもがいろんな暮らし方の人に出会うことはあまりないでしょうけど、列車に乗っていろいろな場所に立ち寄っていくので、様々な暮らしぶりを垣間見ることができる。まず、その設定がおもしろいなと思いました。『のっぽのサラ』(パトリシア・マクラクラン著 金原瑞人訳 徳間書店)に出てくるような花嫁募集の広告が張り出してあるなど、その頃の情景も描かれているし。それから、どの子もとても子どもらしく描かれていますね。大人については、ロジーナを妻がわりにしようとする男や、孤児列車に自分の子を乗せておいてやっぱりやめようと思う親など、ずいぶんと身勝手な大人も出てくるけど、孤児に付き添うシュプロットさんとか女先生は、多面的・立体的に造型してあります。シュプロットさんが、子どもを奴隷代わりにしようとする男を殴るところがあったり、女先生も最初はむっつりして子ども嫌いに思えるけど、実際はやさしい心も持っている。そういうところが、物語に陰影をつけています。この時代の女性については、いろいろなタイプを出してきてますね。医者の資格を取ったけど仕事にあぶれる女先生、結婚して夢を失った穴倉暮らしの奥さん、花嫁募集広告に応じて見知らぬ土地へ向かうマーリーンさんなど、人生観もそれぞれ違う。最初はとっても嫌な子に思えるロジーナが、だんだん変っていく姿もきちんと描かれていて、ほんとにおもしろい作品だなと思いました。

セシ:うまい作家だなと思いました。『アリスの見習い物語』(あすなろ書房)など、前の作品もひきこまれましたがこれもぐいぐい。ロジーナは本能的に、自分自身の人権を守る方向に動いていくんですね。子どもたちがいっぱい出てきて、ときどきどの子がどの子かわからなくなってしまうんですけど、子どもらしさがあってよかったです。翻訳はとってもていねいな感じですが、ときどきひっかかりました。たとえば冒頭の11ページの5行目。「なぜ知ってるかというと…」というところは、目的語が何か、とっさにわからず読み返しました。

バリケン:穴ぐらの家の「ダグアウト」は、ローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズにも出てくるし、花嫁募集の広告は『のっぽのサラ』にも出てきますね。でも、「大草原」のダグアウトは、なんだかとっても楽しそうだったし、のっぽのサラも、幸せな結婚をした。けれども、この本のダグアウトは悲惨だし、花嫁募集の広告で知らない土地におりたった女の人も、これからどうなるかと不安な感じがしますよね。いままで他の本で知っていたつもりのそういう事柄が、新しい側面でとらえられていて、おもしろかった。

アカシア:ダグアウトって、大草原シリーズのを復元したところに実際に見に行ってみると、すごくじめじめして暗い所なんですって。ローラ・インガルス・ワイルダーは、60歳過ぎて何の心配もなくなってから書いてるわけですから、すべてが楽しい思い出になっているんじゃないかな?

ダンテス:地図が載っているので、新しい土地名が出てくるとこの辺かなと確かめて楽しみながら読みました。時代のこともよく調べて書いていると思います。先住民が列車の連結部に乗らされて車両に入れないことなんかも、知りませんでした。アメリカの子どもたちはきっと喜んで読むかなと思います。作者の意図はどこにあったのかと気になりました。きっと孤児列車というものがあったことを伝えたかったんだろうな。そでに「感動の物語」と書いてあるので、最後はどうなるのかなと思いながら読みました。結局女先生と一対一になって、結末の予想がついてしまいました。ただ意外だったのは、少女の方から先生に言い出したことです。逆だろうと予想していましたから。「感動の物語」なんて書かない方がよかったのかなと思いますが、本を出す方はつい書きたくなるんでしょうね。行方不明になってしまって、牛のあいだで見つかったレイシーとか、もらわれてもすぐ出てきてしまう男の子とか、一人一人の書き分けも出来ていると思いました。

げた:この本は、12歳の少女ロジーナの目線、ロジーナの言葉で語っている本なんですよね。ロジーナの女先生への見方が、旅を続けるうちに変わっていくのがおもしろかったですね。最初は、ドクターが冷たくって自分たちのことはほうりだして自分の考え事ばかりしてるって思ってたんですよね。むずかる小さな子をどこかにほうりだしたんだとロジーナは思ってたんだけど、実はちゃんと病院に連れていっていたということを後で知って、女先生の見方も変わっていくんですね。ひどい大人ばかりじゃなくて、ちゃんと子どものことを守ってくれる大人もいるんだということがわかってよかったなと思いました。東から西にずっと鉄道の旅をしていくんだけど、本を読みながら読者も景色が変わっていくのを楽しめると思います。19世紀末のアメリカの歴史や事情にふれることができるのもいいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)