月: 2016年2月

2016年02月 テーマ:わたしの声は伝わりますか

日付 2016年2月18日
参加者 アカシア、カピバラ、さらら、シア、紙魚、ペレソッソ、マリンゴ、レ
ン、レジーナ、ルパン
テーマ わたしの声は伝わりますか

読んだ本:

(さらに…)

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うたうとは小さないのちひろいあげ

ペレソッソ:しばらく前に読んだきりで再読していなくて、みごとに忘れてます。部活ものだなというのと、歌がよかったという印象だけです。

レン:読後感のよい作品でした。好きなところもたくさんありました。この年代の主人公を扱った日本の作品は大人の存在が希薄なものが多いけど、この本は自分の親は出てこないけれど先生だとか清らさんの家族とか大人の存在感があって、信頼感を感じさせてくれるのがいいなと思いました。頼りなさそうな先生だけど、いいところもある。ただ、彩はなくてはならない登場人物ですけど、どうしてそこまで綾美を気にするか納得がいかなくて、わざとらしい感じがぬぐえませんでした。古の人が読んだうたに今の私たちも何かを感じる、時代も場所も超えて言葉で伝わるものがあるというのが、いいなと思いました。

レジーナ:おもしろく読みました。「うた部」というテーマも新しいですし、登場人物にリアリティがあって、キャラクター的でなく、等身大の姿を切り取っているように感じました。短歌は、わたしの好みとは少し違いましたが、詩や短歌は、人によって好き嫌いがありますもんね。

マリンゴ:最初の50ページくらいまでは、どの子がどういうキャラクターなのか、ちょっと掴みづらかったです。でも、その先は楽しく読みました。一番大事なシーンで出てくる大事な短歌の上の句が、本のタイトルになっているのだと、気づいたときに、そのリンクのおもしろさにゾクッとしました。とても効果的だったと思います。また、最初はヘタな歌が少しずつうまくなっていくなど、短歌の内容で成長を描けているのがすごいと思いました。たとえばスポーツものの小説だったら、いろんな技術を習得していくなど、成長の過程を描きやすいのですが、歌がうまくなっていくのを描くのは非常に難しいと思うので。

シア:最初の印象は、読みにくくてつまらないというものでした。同じ会で読んだ『マザーランドの月』(サリー・ガードナー 三辺律子訳 小学館)とは違う形ながらこちらも文章がぶつ切りなのが気になってしまって。ラノベや、今は懐かしい携帯小説のような感じで苦手でした。細かいところも気になってしまいました。高校行くのに片道410円って高すぎではないでしょうか。それから名前も、「清ら」というのは名前としてどうなんだと思ってしまいました。頑張っても「きよら」じゃないのかとか。女子の名前は多く見ていますが、漢字仮名交じりはさすがに見たことがありません。業平というのも安直ではないかなとか。ブログの台詞回しが痛いなとか。内容としては、短歌を取り上げたのはとても良かったと思います。古典嫌いの子が多いので、少しでも興味を持ってもらえるきっかけになれば嬉しいし。今の高校生の目線を大事にして描いているのを感じました。つまらないことで引きこもっていたり、「犯した罪は背負わなければならない」などの中二病なくだりは苦笑してしまいました。でも、「リス顔」はあまり聞かない言葉です。いつも思うのですが、リアルさを追求して今の時代の言葉を出すと、後で読んだときに古臭さが出るのが心配です。近頃の本はすぐ絶版になって消費されていくものだから、あまり気にしないのでしょうか。本がそこまで回転しない学校図書館としては少々困ります。それに、そのリアルさは作者のフィクションなので、現実とのズレや引っ掛かりを感じるときがあります。若い作家の感覚がリアルなどと言われて受賞したりしますが、単に読んだ側が知らない世界なだけではないかと思ってしまうんです。この本にしても、歌のせいか、恋、恋、恋、と男女関係が生々しく、なんだかんだ言って、そうではない子の方が多いのにと思ってしまいました。中高生がこれを読んで、学校生活の物差しにはしてほしくないと思います。最近、この手の青春ものが多い気がします。高校生を知っている側から見ると、妙な違和感がありました。中高生なら共感するでしょ、というのに悲しいズレ。ドロドロさせて引っ張ったわりにはあっさり終わりました。歌が大変だったのか、イベントが少ない気がしました。最後に、表紙の女の子はちょっとどうにかならなかったのでしょうか。いじめの話かと思いました。

カピバラ:この時期の子どもって、大人から見ればささいなことで身動きが取れなくなってしまう。そのこわばった心が短歌で少しずつほぐれていく様子がよく描かれていたと思います。今回の選書のテーマ「わたしの声が届きますか」にぴったりな内容でした。短歌とブログという二つの表現方法を対比させるような感じで、言葉の可能性を問いかけているかのようでした。ブログが気持ち悪いという意見があったけど、わざと軽々しい口調にして痛々しさを出しているのではないかと思います。登場人物たちのかかえているものは重いけど、書きぶりにユーモアがあるので楽しく読めました。部活ものは昨今たくさん出てきていますが、いろいろなタイプの生徒たちが出てくるのはどれも似たり寄ったりで、おもしろく読んでもすぐに忘れてしまう。その中で印象に残るのは、やはり部活の内容に興味が持てるものじゃないでしょうか。うた部というマイナーな部活をとりあげて、短歌のおもしろさを書いているところがとてもよかったと思います。

ルパン:おもしろく読みました。ただ、表紙の写真がなんだかぞっとするんですけど。教室で自殺した子の亡霊なのかなあ、と思っちゃいました。あと、彩という友だちがちょっと余計な存在に感じました。やたらと解説口調で、いろいろ語るし。作者が調べたことをそのままこの子に説明させている、というのが透けて見えていて、興ざめでした。

カピバラ:そういううざい子を描いているんじゃない?
ルパン:でも、この彩っていう子にはリアリティがない気がするんです。こういう子もいるかもしれませんが、いてもうまく仲間になれないでしょう。それから、競技会の高校生のアルビノーニの歌はものすごく気障で気に入りませんでした。清らの歌のほうがずっとよかった。あと、最後に先生がうた部のみんなを送っていかなきゃならなくて、そのために好きな人にフラれてしまうのが気の毒でした。

アカシア:私はこの本が出たときに借りてすぐ読んだのですが、だいぶん忘れているので、もう一度借りようと思ったんですね。でも、私の区の図書館は全館に入っているのに、すべて貸し出し中でした。多くの人に読まれているんですね。だからもう一度読むのに苦労したんですが、いちばんすごいと思ったのは、登場人物それぞれの短歌がだんだんじょうずになっていく段階をちゃんと書いていること。その上達ぶりが読者にもうまく伝わります。最後のまとめ方もうまい。短歌甲子園というのは知らなかったので、具体的に書いてあって、それもおもしろかった。それから、この年代はいろんな形ではみ出す子がいるので、綾みたいにおせっかいでうざい子もいると私は思って、リアリティがないとは思わなかった。表紙については、この子の表情が強すぎて、中身を読むときのじゃまになるんじゃないかと心配しました。

紙魚:読み終えて、いい本だなと思いました。最近、児童書にも、ネット上の人間関係を描いたものなどがみられるようになってきましたが、こうして、人と人が面とむかってぶつかり合うのは、やっぱりいいものだと思います。ユーモアいっぱいの幼年童話を書いてきた作者が、こうした長い読み物でも、読者を懸命に笑わせてくれるし楽しませてくれる。ちょっと謎があったりもして。いわゆる純文学とエンタテイメントのいい融合というような本でした。ひとりの作家として、幼年童話ではないものを書こうとした作者の姿勢にも、胸をうたれます。それから、作中の短歌が、だんだんうまくなっていくのが上手に表現されているという話が出ましたが、さらに、ひとりひとりの登場人物らしい歌になっていることにも、驚きを覚えました。

アカシア:さっき、今風にしたいつもりで、ちょっと古い表現になってしまっているという話がありましたが、使う言葉や言い方は地域によって違いますよね。ある場所では古くても、ほかの場所では違う。

紙魚:それに、現実の高校生をトレースしたようなリアルさがあればいい本なのかというと、必ずしもそうではないと思います。たとえ、完璧なリアルがなかったとしても、作者の真摯な願いがこめられているものにこそ、私は信頼を抱きます。

シア:あとがきのところですが、「嬉しい」という書き方について、ここまで編集者の方はツッコむんですね。驚きました。

紙魚:この本、多少、読書が苦手でも、読みやすいので読みきれるんじゃないかな。だけど、読み終えた後には、かならず、その人のなかに何かが残ると思います。

シア:高校生なら、もっと受験のことも短歌に読んだりするんじゃないかと思うんですが。3年生もいたのに、全然進路の悩みとか出てこないのが不思議でした。高校生の短歌コンクールの作品集なども見るのですが、そういうのには受験の歌が入ってますし。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年2月の記録)


マザーランドの月

ペレソッソ:気になっていた本なので読めてよかったです。勤め先の司書さんから薦められていたんです。読みはじめるとやめられない。読んだことのないタイプで、どう読んだらいいのか、戸惑っているままです。何が子どもに、核となって残るか・・・・・・。勤め先の学校では、司書さんのおすすめで中学一年生が何人も読んでいて、最後に泣いたと言っていた子もいるそうです。

さらら:造本に工夫があり、数字の位置や、ページごとにレイアウトが変わります。内容のきついところを、装丁でやわらげようとしたのでしょう。ただ、左下に頻出する、ボールを蹴る男の子のイラストは不要だと思いました。近未来というか、ありえたかもしれない別の現実を舞台にした作品は、私は大好きなんです。ディスレクシアで、学校では知的に遅れていると思われている男の子が主人公なんですが、体制が嘘だと気付き、最後には自力でそれを暴きにいく。先生が生徒に対して振るう暴力が半端でないのに、驚きました。この作品は、単に暗い味わいのエンタテイメントではないでしょうか。とはいうものの誇張された架空の世界の中に、私たちの生きる管理社会と通じるところがあり、このまま沈黙を守り体制に押しつぶされてよいのか、という問いかけも潜んでいますね。

ペレソッソ:数字が上下したり、空き方が違ったりするのに、法則性はあるのでしょうか。気になったけれど、分からなくて。

レン:今回選書係だったのですが、この本は世界的に非常に高く評価されているのに、どう読んでいいか、まったくわからなかったので、ぜひみなさんの意見を聞いてみたいと思ってとりあげました。人や社会のシステムはどこまで残酷になれるのかとか、暴力でおさえつける支配社会の恐ろしさとかを訴えているのかなとか思いましたが、読者に何が伝わるのかよくわかりませんでした。最後どうなるのか気になって読んでしまったのは、この作品の力なんでしょうけれど。読みにくかったですが、短い章だてなので、なんとか読み続けられました。それから、この物語を一人称で書かねばならなかったのはなぜかなというのも思いました。これは手記ではなく、フィクショナルな語りですよね。主人公は最後死んでしまうのだから。これって死んでしまったんですよね?

ペレソッソ:読みにくいのは、主人公が難読症という設定だからでは。

レジーナ:ガードナーの本は、『コリアンダーと妖精の国』(斎藤倫子訳 主婦の友社)も好きです。『マザーランドの月』は、数年前にコスタ賞をとったときから、気になっていました。原作は、タイトルが「Maggot Moon」で、ウジ虫が月から出ている表紙です。気づいたときには取り返しがつかないほど、権力が大きくなっていて、民衆が情報操作される世界が描かれています。現代性があり、今、出版する価値のある作品ではないでしょうか。「ナチスが第二次世界大戦で勝ったとしたら、どうなっていたか」を想像する中で生まれた作品だと、作者は語っています。月面着陸の都市伝説を取り入れているのも、おもしろいですね。主人公が死んでしまう結末を含め、読者に妥協しないので、賛否が分かれる作品かもしれません。スタンディッシュの口調は、15歳にしては大人っぽい気がします。また、ディスレクシアのスタンディッシュの語りは、ときどき一字違う言葉になっていたりします。ディスレクシアの人は、読み書きが苦手なのだと思っていましたが、言い間違いもするのでしょうか? この本は、スタンディッシュの一人称で語られるので、書き間違いというより、言い間違いをしているような印象を受けます。

マリンゴ:最初、苦手でした。どこからどこまでが現実で、どの部分が妄想なのかわからなかったからです。たとえば、へクターも想像上の友達なのかと。それで、普段はこういうことはしないのですが、今回はあとがきを先に一部読んで、妄想ではないのだということを確認してから、先を読みました。100ページ目あたりから一気に引き込まれて、ページを繰るのが早くなりました。一般的に児童書は、ラストに救いがあって読後感のいいものが多いですが、これは読後感が悪いぶん、逆に尾を引きました。数日たっても「あのシーンはああいうことかな」と考えたり。そういう意味では異色のYAだと思いました。

シア:表紙を一目見て、少年たちの冒険小説かと思いました。しかし、場面がぶつ切りで非常に読みにくく、物語の時間の流れもわかりにくいと感じました。主人公が難読症ということでこの書き方なのでしょうが、果たしてこの設定はいるのでしょうか。難読症で文字が読めないというのはわかりますが(P53「4歳児並みの〜」)、それだから想像力が発達しているというのがよくわからないし、難読症ならではの想像力の持ち主であるから、主人公が重要人物であるという動機づけがどうも納得いきません。あとがきにありましたが、作者も最初から主人公のこの設定を意識して取り入れていたわけではないようですし、都合がよすぎて、RPGのお手軽な勇者設定みたいです。それでも、途中からサスペンス要素が多くなって俄然おもしろくなりましたが、内容としてはかなり大人向きだと思いました。あまりにも残酷なシーンが多すぎますし、おじいさんとフィリップス先生のラブロマンスなどもはいらないのではないかと思いました。フィリップス先生の行動が信念に基づいていたり、先生として生徒を愛するものであったりしてほしいのに、この設定では「愛する人の孫だから可愛がる」ようにも見えてしまいます。自分が教師なせいか、教師に対する目は厳しいかもしれません。とにかく、YAなわりには内容が難しいので、子どもには不可思議な気味の悪さくらいしか通じないではないでしょうか。この手のテーマの本では、『茶色の朝』(フランク・パヴロフ 藤本一勇訳 大月書店)くらいが丁度良いのではないかと思います。この本は1956年に起きた話という設定なのですが、だいぶ昔なのでこの年に何があったのか調べました。ロシアが無人宇宙船で月の裏側に行ったようです。アポロの月着陸は1969年です。作者は1954年生まれです。『カプリコン1』(真鍋譲司 新書館)や『20世紀少年』(滝沢直樹 小学館)など、月着陸の話が出てくる話は多くあります。この時代に生きる人々には、多大な影響を与えたんだなと思います。子どもたちには時代背景についての知識がないとわかりにくいかもしれません。訴えるテーマは重いし、個人的にはおもしろい本ではありましたが、YAと言われると違うのではないかと思いますし、子どもにはおすすめ出来ない本です。エンタテイメント性は高いのでサスペンス映画になったらおもしろいのではないかと思います。

ルパン:これは仮想世界ということでいいのでしょうか? 私の読解力不足なのかもしれませんが、理解に苦しむところが多々ありました。生理的に受け付けられない場面や表現も。子どもが目をえぐられて死んだり、母親の舌が切り取られたり、救いようのないシーンばかりだし。唯一興味をひかれたのは、アポロ着陸演出説。月面着陸が虚構だったかもしれないという説があるというのは初めて知りましたし、それに着想を得たらしい設定はおもしろいと思いました。

アカシア:私はサリー・ガードナーとは相性が悪いのかもしれませんが、大きな賞をたくさん取って世界各地で翻訳されているこの作品にも、あまり感動できませんでした。一つは、月着陸などのセッティングがあまりにもちゃちだったりして、物語中のリアリティが上出来とは言えないこと。1956年という設定で、米ソの宇宙開発競走が始まるのは翌年だとしても、室内の子どもの細工みたいなセットで人体を吊して撮影しているなんて、信憑性がないでしょう? アポロ陰謀説と照らし合わせれば笑えますが、子どもはそれも知らないから笑えないですよね。56年だと宇宙競争をするくらいの国なら録画もできてもおかしくないのに、どうして実況にこだわるのか、とか。放射線が着陸の障害になるはずと言っているところはヴァン・アレン帯のことを言っているらしいけど、障害があるとしても着陸時ではないし、今は影響がほとんどないと思われているわけだから、わざわざ持ち出す意味はどこにあるのか、とか。あと、家の中は盗聴されているかもしれないので、おじいちゃんが孫を外に連れだして話をする場面がありますが、後の方では大事なことを家の中でべらべらしゃべっていたりもします。
 二つ目には、この作品にはほとんどあたたかみがないこと。ユーモアもありませんね。それも楽しめなかった理由の一つかもしれません。三つ目は、訳のおさまりが悪いところがいくつかあって、気になりました。地下室、地下室通り、トンネルなど似たような言葉が出て来るので、どれがどれだかわからなくなりました。原文どおりなのかもしれませんが、少し整理してわかりやすくしてもらえるといいな、と思いました。それから例えば32ページに「気のきいた考え」と出てきますが、しっくり来ませんでした。たぶん、現実にはどこにも一度もなかった過去の話で、私たちは過去にこういう空間・時間はなかったと知っているわけだから、どっちにしても居心地悪い気がするのかもしれません。

紙魚:今回のテーマは、「わたしの声は伝わりますか」ですが、これは、主人公の声が読者に伝わるかということに加えて、はたして作者が伝えようとしていることが読者に伝わっているかどうかということでもあると思います。そういう意味では、3冊のうち、この本だけは、伝わりにくいと感じました。数々の賞をとっているので、おそらく、「伝わった」人も確かに、しかも大勢いたのだと思いますが、どうしても私には受け取れませんでした。読書って、読み進めながら、小さな納得が積み重なっていくと、作者への信頼につながっていくと思うのですが、この本は残念ながら最後まで、作者を信頼しきることができず、物語のかたちが見えないまま終わってしまいました。

レン:これって、気持ち悪がらせようとして書いているわけじゃありませんよね。

さらら:日本の若者に比べ、欧米の若者は不満を外に発散させることが多いですね。たとえば誰かの車に火をつけるなど破壊行為、暴力行為は日常茶飯事です。ひょっとしたら海外のほうが、暴力描写に対する感じ方が、日本より鈍いのかもしれません。話は変わりますが、ロアルド・ダールは『マチルダは小さな大天才』(宮下嶺夫訳 評論社)で、鞭をもって日常的に生徒に暴力をふるう校長先生を登場させ、コミカルなストーリーの中で猛烈に批判していますよね。

アカシア:でもYAものの受賞作でここまで暴力的な表現が積み重なったものって、ほかにないんじゃないかな。

シア:残酷な描写を好きな子もいますが、この作品の知的レベルにはついていけないでしょうね。

ペレソッソ:閉塞感とグロテスクな場面ということで『進撃の巨人』(諫山創 講談社)を連想しました。映画しか観てませんけど。そういうところが今の若い人の何かにフィットするということはあるのかもしれない。あと、勤め先の司書さんは、現在のきな臭い動きに危機感を抱いていて、生徒にも全体主義的な動きに問題意識を持ってほしいという気持ちもあって、この作品を薦めたと言ってました。それに共感もしますが、どうしてこういう世界になったのか、その課程が書かれていないので、戦争や平和を考える事ができる児童文学としては挙げないかな。

アカシア:今の時代に切り込もうという意図は見えていますが、そういう意図があるイコールいい作品だ、とは言えないですよね。私は、なぜこの作品が受賞したのか、よくわかりませんでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年2月の記録)


リフカの旅

ペレソッソ:アメリカへの憧れがさんざん書かれた果てに、入国審査で髪の毛が無いことで足止めを食うとか、「ロシアの百姓」への恨みに反して、目の前の少年を世話してしまうとか、いろんなものが相対化されていくのがおもしろかったです。「百姓」呼ばわりには、違和感を持ちつつでしたが・・・。でも、そうやって、目の前の隣人に憎悪や差別をすり込むのが国のやり方だったわけですね。

紙魚:同じ時に読んだ『マザーランドの月』(サリー・ガードナー 三辺律子訳 小学館)が散漫な点のような物語だとすれば、これは一直線の物語。主人公の視点が一貫していて、とても読みやすかったです。過酷な場面が続くので、主人公に寄り添って読んでいくのはつらいものの、ところどころで、つぎの一歩を進める力を感じることができたのもよかったです。p62の「手が、リュックの中の、プーシキン詩集にふれた。取り出して、考えてることを書きとめたくなった。トヴァ、この本のページはどんどん埋まっていくよ。こんなに小さい文字で細かく書いてるのに。」で、読むことと書くことが同時にあるのを感じ、胸にせまりました。人がたいへんな思いをしているときに、読むことと、書くことの両方が力になるのを感じました。p85で、シスター・カトリナがリフカに触れるシーンでは、ああ、この一瞬があってよかったと感じました。

アカシア:確かに主人公に寄り添って一直線に読んでいける作品ですね。辛いことはたくさんありますが、ベルギーでの人々との出会いとか、イリヤを助けるところとか、あたたかい部分も出てくるので、心に届きます。今問題になっている難民がテーマなので、そんなことも考えながら読みました。ユダヤ系の作家って、どこかで必ずホロコーストの物語を書きますよね。そのうえこの作者は多文化を体験しているから読ませる作品になる。日本でもホロコーストものはたくさん翻訳されています。でも、それが、今イスラエルがしていることから目をそらさせることにもなっている気がして、私は手放しでいいとは思っていません。でも、この作品はよかった。この本を読んで、今問題になっているシリアなど中東の難民の人たちにも思いを馳せられるようになるといいですね。ユダヤ系の人たちは行った先々で作家になっていたりして声が届きますが、今渦中にあるアラブ系の人たちの声はまだまだ届いてきません。書けるような状態にないので当然のことですけど。

ルパン:私がこの作品のなかで一番好きな場面は、p97〜99、リフカが道に迷って牛乳屋のおじさんに送ってもらうところです。リフカは外国語を覚えるのが得意なのですが、ここでは言葉が通じないまま心が通い合っています。とても心に残るシーンでした。悲しかったのは、髪がないリフカのことを好きだと言ってくれた船員の少年が亡くなってしまうところです。ずっといじわるだったお兄さんがラストで迎えに来るところもよかったです。ただ、物語中ずっとくりかえされているキーワード「シャローム」の意味が、さいごの註にしか出てこないのは残念でした。物語のはじめに意味がわかっていたらもっとよかったののに。私はもちろん知っていましたが、これを読む子どもたちはさいごまでわからないわけですから。

アカシア:註はわざと最後においているんじゃないかな。物語そのものをまず味わってほしいと考えると、途中で注が出てくるのは邪魔になりますからね。その場その場でわからなくて疑問を抱いたまま読んでいっても、ストーリーそのものが強ければ、大丈夫です。最後までいって、ああそういうことか、とわかってもいいと思うんです。物語は勉強ではないので。

カピバラ:作者の前書きに主人公のモデルであるルーシーおばさんが元気に電話に出てくる様子が書かれているので、どんなに過酷な状況にあっても、この子は今でも生きているのだ、死なないんだ、と安心できてよかったです。リフカのその時どきの気持ちがとてもリアルに綴られているので、最初からリフカにぴったり寄り添って読めました。とくにうまいな、と思ったのは、リフカが目で見たことだけでなく、耳から聞こえたこと、鼻でかいだ匂い、体で触れたこと……五感で感じたことを、子どもらしい表現で書いているところです。例えば55ページで、モツィフの人が「ワルシャワ」を「ヴァルシャーヴァー(はー)!」っていうふうに言うから、ワルシャワってきっとすばらしいところなんだと思う、という描写。大人は聞き逃すようなことですが、子どもの感性にはそういうところがひっかかる。そこをうまくとらえていて、リアリティがあると思いました。

シア:こういう本を求めていました! これは、第27回読書感想画中央コンクール中高生の部の指定図書なので、だいぶ前に読みました。今回一番安心して読める1冊でした。優しい表情で手に取りやすい表紙ですね。やはり生徒たちには一番人気がある指定図書でした。用語解説などもついていてわかりやすく、内容も重すぎません。『マザーランドの月』を読んで思いましたが、時代背景がわからないとやはり子どもたちには難しいように感じます。手紙形式なので、生徒たちには『アンネの日記』のハッピーエンド版だと紹介しています。時代のせいもありますが、「ハゲは結婚できない」というくだりが何度もしつこく、ジェンダー論まっしぐらなところは気になりました。生徒たちもその部分を気にしてそれを題材に絵にしている子もいました。しかし、このような歴史があるということもわかりやすいし、主人公もいい子で、イベントの起伏も少女漫画的な盛り上がりでおもしろく、かっちりとまとまった円熟した作品です。つらいシーンは、この本ぐらいのショッキングさが子どもには良いです。頑張るとか、希望を捨てないという意味を良く描けていると思います。ユダヤ人は元々とても勉強する民族ですが、リフカはさらに前向きさと迫力を持って勉強しています。こういうお手本になりそうな子が主人公の本が良いと思う私は、嫌な大人でしょうか? リフカとイリヤのやりとりの場面では、たとえ国同士が争っていても、個人間での敵対の無意味さも表していました。リフカは信じられないほどいい子です。隙があって苦労するけれど、親切で、知的好奇心のある少女は大好きです。YAのラストはハッピーエンドでお願いします!

マリンゴ:非常にまっすぐでひたむきな、冒険小説であり成長小説であると思いました。満足度はとても高かったです。ただ、作者がとても優しい性格の方なのか、冒頭でネタバレしすぎてくれているような気がしました。ルーシーおばさんが生きている、のみならず作者が直接会って、髪の毛を「おだんご」にしているのを見るシーンまであるので、終盤の、髪にまつわるハラハラする場面のときにも、「でもこの後を知っているからな〜」とつい思ってしまいました。

さらら:「この物語が生まれるまで」がとても親切だけど、いっぽうで主人公が生き延びることが最初にわかってしまいますよね。原書でも前書きとして、加えてあるんでしょうか?
ペレソッソ:カットが親切とも思いました。解説的なタイミングで。

レジーナ:紙さえ十分にない逃避行の間、たった1冊持っていたプーシキンの本の余白に、手紙や詩を書く場面には、胸がいっぱいになりました。トヴァへの手紙なのに、p91で、「トヴァの背中が曲がっているから結婚できない」と書いているのが、少し不思議でした。表紙の色合いや題字は、ちょっと古めかしい印象です。とても素敵な作品なので、もう少し、子どもが手に取りやすいデザインの方がいいのでは……。

アカシア:余白に書いていても、実際には手紙として出せないから独白みたいなもんなんじゃないかな。

レン:昨年の秋ごろに読んで、今回また読みましたが、好きな本でした。ところどころに、いいなあと思うすてきな表現があります。ユダヤ人なのにカトリックのお祈りを教えられるところが示唆的でした。自由な国アメリカなのに、髪の毛がないと結婚できないから入国が許されないというのは初めて知って、へえーと思いました。まるで最初から日本語で書かれたお話を読んでいるみたいで、訳文はみごとでした。伊藤さんはどんなふうにお嬢さんと共訳したのかなと思いました。

さらら:アントワープの牛乳屋のおじさんに親切にされたリフカは、そのおじさんと別れるとき、お別れのいえなかったゼブおじさんにお別れをいえた気がする。さりげない一文なんだけど、誰かと、別の誰かがどこかでつながっているように感じられる人生の瞬間を、見事にとらえています。最後のアメリカへの入国審査の場面で、それまでリフカが守っていたロシア人の子どもが、「リフカには詩が書けるんだ!」と言ってくれる。立場が逆転して、その子がリフカを守ってくれたところも嬉しかった。残念だったのは、例えばp99に出てくるアントワープの「キングストリート」という表現。名前のせいで、英語圏にある通りのように感じられます。翻訳の際に、「コーニング通り」(オランダ語でコーニング=キング)とか「王様通り」等に変更する配慮が必要だったかもしれません。また、あとがきに「フラマン語はオランダ語に近い」と出ていますが、フラマン(フレミッシュ、フランドル語とも呼ばれる)はオランダ語と言語的には同じです。関西弁と関東弁程度の違いしかないんです。ともあれリフカの目を通して、19世紀初頭の、人の行き来の要所となった、経済的にも豊かなアントワープを実感することができたのは、予想外の収穫でした。

ペレソッソ:今のお話を聞いて、インド映画『きっとうまくいく』(ラージクマール・ヒラニ監督)を思い出しました。これ、主人公たちがそれぞれに安定した生活を送っている現在から回想で過去のことが描かれるので、何があっても「きっとうまくいく」と安心して見ていられるんです。最初にハッピーエンドになると示しておくことで安心させる、エンタメのひとつのハードルの下げ方かもしれません。

シア:子どもは、本を読む前に最後を知りたがります。だから私は、ハッピーエンドだよ、くらいは教えてあげます。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年2月の記録)


R.J.パラシオ『ワンダー』

ワンダー

『ワンダー』をおすすめします。

初めてだれかに会ったとき、最初に意識するのはその人の顔だろう。私たちはお互いに顔を見てコミュニケーションをする生物なのだから。でも、その顔の造作やバランスがほかの人のそれとは大きく違っていたら、私たちはどんな反応をするだろうか? 凝視する? 目をそらす? それとも顔の奥にあるその人の心をのぞこうとする?

この物語の主人公はオーガスト(オギー)。「外見については説明しない。きみがどう想像したって、きっとそれよりひどいから」と自分で述べているのだが、先天的に顔に障碍があり、生まれてから27回も手術を繰り返していた。そして学校には行かずに、母親から勉強を教わってきた。

ところがオーガストは、中学にあがる年齢(アメリカの話なので、5年生から中学生なのだが)になって、初めて学校というものに行くことになる。当然のことながら、オーガストは緊張と不安に押しつぶされそうになっている。懸念は的中し、オーガストは学校で、奇形児とかゾンビっ子とかペスト菌などと呼ばれることになる。この世界は、オーガストのような存在には決してやさしくないのだ。

語り手は、オーガストばかりでなく、姉のヴィア、いつもオーガストと一緒にお昼を食べているサマー、親友だけど途中でぎくしゃくしてしまうジャック、ヴィアのボーイフレンドのジャスティン、ヴィアの以前の親友ミランダ、と次々変わっていく。複数の視点を通して、立体的に状況が浮かび上がる。オーガストの存在を鏡にして、周囲の人たちの人となりも浮かび上がる。

障碍を持った人には親切にしなくてはならないとお題目を唱える本ではない。理想的なあるべき姿を提示する本でもない。リアルである。けれど、そう甘くはないこの世界にも、はかない者、弱い者を守ろうとする人たちが存在することを、この作品はきちんと描いていく。「かわいそう」という視点がないのが、何よりいい。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年2月8日号掲載)