月: 2016年5月

2016年05月 テーマ:生きるための旅

日付 2016年5月20日
参加者 アンヌ、さらら、西山、ハリネズミ、ハル、マリンゴ、ルパン、レ
ジーナ、レン
テーマ 生きるための旅

読んだ本:

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生きる〜劉連仁の物語

アンヌ:この物語を読んで驚いたのは、過酷な拉致と労働の事だけではなく、戦争が終わったのも知らないまま主人公が13年間もたった一人で生きていたことです。横井庄一さんや小野田さんを思い出します。でも、劉さんは特殊訓練を受けた軍人などではないただの農民。それなのに、雪の北海道という過酷な土地で、恐怖が彼を穴から出さなかったと知り慄然としました。そして、物語があっさり終わり、エピローグと資料が50ページあるという作りにちょっと茫然としました。そこに書かれたドイツとの戦後補償の仕方の違いとか、いろいろ考えさせられました。

ルパン:劉さんの物語を全部読み終わったあとで、それを裏打ちする資料がついているところが私はいいと思いました。これなら子どもでも興味をもって史実の資料に目を通します。地図もついていてわかりやすいし。劉連仁さんは、過酷な運命のなかでも、生きて帰れて家族と再会できたけれど、命を落とした人がたくさんいたと思うと心がいたみます。これは実話ですが、物語としてもよく書けていると思います。よけいな感情移入がほとんど感じられないし、それでいて人物や情景の描写がゆきとどいています。時系列も一直線で迫力があります。ともかく、圧倒されました。

ハリネズミ:プロローグとエピローグをのぞくと、物語は一直線に進みますもんね。

さらら:谷口正樹さんの装丁が、とてもきれい。以前に、茨城のり子が詩を書いた『りゅうりぇんれんの物語』を読んだり舞台で見たりして、劉連仁の人生は知っていました。描写が細かくて、白菜みたいなのにニラまいて食べるところなど、具体的にどんなものを食べていたかがわかりますね。炭鉱から逃げて、どのように生き延びたか、実感を持って読むことができました。また説明的なところは一字下げてあったり、資料を入れるバランスなど、編集としての工夫にも拍手したい。でも物語として読み始めたのに、エピローグでがらっと文章が説明調になり、少し違和感を覚えました。例えば、エピローグには劉さんが日本国の強制労働の不法性を訴える声明文が出てきますが、これも劉さんの肉声なのでしょうか。物語で深く劉さんの心に入っていただけに、エピローグで急に外側から伝えたいことに内容が変わり、「エピローグ」という言葉の使い方がふさわしかったのか、よくわかりませんでした。さらに読者の子どもに感じてほしいことまで、エピローグに盛られている気もします。

ルパン:子どもに史実を伝えるためには、それも必要だと思いますが。

レジーナ:加害者としての日本は、日本の児童文学ではなかなか描かれないので、意欲的な作品だと思いました。肥だめにもぐって逃げたという話はときどき聞きますが、連仁が体験したことのにおいや寒さも伝わってきました。よく調べて書かれていますし、ていねいにつくられている本ですね。事実に基づく話なので、物語としてのおもしろさとは少し違いますが、こういう本を子どもに手渡していきたいと思いました。

レン:私もおもしろく読みました。中国から連行されてきた人がいたのは知っていましたが、その内実は知らなかったし、私はこの人物のことも知りませんでした。たくさんの資料を、よく整理して、わかるように書いているのがすごいなと。子どもの読者に伝わるように書かれています。ルビが多い黒々とした字面でつらそうな話だけど、劉さんが生きのびるとわかっているので安心して読めます。エピローグの部分は、物語の中に入れるという方法もあるのでしょうけれど、これはそうしないで成功していると思います。これを全部物語に盛り込んで途中で説明していったら、リズムも出てこなくて、物語がつまらなくなってしまいそうです。劉さんの苦闘に焦点をしぼっているから、生き生きとして臨場感が出ているのだなと。要所要所で心の声を地の文に入れた自由間接話法もとても効果的です。こういう難しいテーマの本をていねいに作って出し続けている版元さんがエライと思いました。

西山:茨木のり子の詩をいつ読んだのか、どう知ったのか・・・・・・なんとなく「りゅうりぇんれん」という名前は切なく懐かしく親しく感じてきました。強制連行の事実を認めようとしない発言などに対抗できる具体性が印象的です。例えば、軍服?着せて写真撮れば一般人じゃないと言えてしまうからくりとか。ともかく、一冊の本としての作りがすごいと思います。内容的には、好みの問題ですが、例えば、p138の短文を重ねていく描写とかが、意地悪な言い方かもしれませんが自己陶酔気味に感じられて、かえって作品の重厚さを損なっているようにも感じました。もっと押さえて書いても良かったのではないかと。あと、p226で同じ歴史を繰り返さないために中国人も日本人と一緒に努力しなければならないというのは、劉さんは、何の反省も必要じゃないと思うので、ひっかかりました。

ハル:「課題図書」ってこういう本のためにあるんだと思います。ドキュメンタリーではなくて物語として書き上げることの意義を強く感じました。日本はほんとうにひどいことをしてしまったのに、劉さんがとても優しくて、それがまたつらい。苛酷な環境でも、仲間を思うとき「思い出すのはなぜか笑顔」だったというところや、憎たらしい日本人の鬼監督のことまで「本当は怖かったんじゃないか」と思いやるところとか、思い出すだけでも胸がつまります。最後の「エピローグ」は、「資料編」として別にする手もあったと思いますが、そうすると読まなくなっちゃうから「エピローグ」にしたのかな。おかげで飛ばすことなく読めてよかったです。だけど、せっかくここまで著者の伝えたいことを表現のなかに織り交ぜてきたのに、最後で少し意見を押し付けられたような印象を受けました。この本で読書感想文を書こうと思いながら読んでいたら、「もう、いま自分もこういうことを書こうと思ったのに!」って思う子もいそう。自分なりの考えがもてるように、読者に時間を与えてほしかったです。

マリンゴ:劉連仁さんの史実を知らなかったので、勉強不足で申し訳ないと思いながら読みました。これが課題図書になったのがすごいと思います。臨場感があって、北に向かってしまうときは、「あー、そっち行っちゃダメ―!」とさけびたくなりました(笑)。ただ、エピローグで、少し盛り込みすぎている気がしました。小説のなかの強制雇用を、現在の非正規雇用の問題につなげて、さらに原発問題につなげて、これらが劉さんの働かされていた炭鉱と「大きなちがいがあるでしょうか」と結びつけてしまうのは、やや乱暴に思えました。この本では、あくまで劉さんの話に終始しておいたほうが、伝わりやすかったかなと感じています。

ハリネズミ:私も、日本の子どもの本で、加害者としての日本の側面を書いた本は少ないので、貴重だと思いました。童心社は日・中・韓平和絵本も出していますね。それについての話をうかがったとき、たとえば従軍慰安婦などについても右翼からクレームが来るから、クレームが来ても対応できるだけの事実をきちんと押さえておくと編集の方がおっしゃっていました。この作品も日本軍の強制連行を扱っているので、そういう配慮もちゃんとしながら、それでも出すというところが素晴らしい。私は小野田さんや横井さんについては知っていましたが、劉さんについては何も知らなかったので、初めて知って申し訳ないという気持ちと、この方の強さにも胸を打たれました。誤解を恐れずに言うと、劉さんの逃避行はサバイバル物語としても読めると思うんです。でも、エピローグには、奇跡の生還を遂げてからも「言語障害や対人恐怖症などの後遺症に、劉さんは長い間苦しめられました。また、悪夢にうなされ、山林に入るとパニックを起こす逃亡生活の後遺症は、終生癒えることがなかったといいます」と書いてあるのを読んでドキッとしました。実人生は、ふるさとに帰れればハッピーエンドってわけにはいかないんだと。欲を言えば、物語として読んだ時に、一緒に逃げたほかの人たちは見つかった後無事に故郷に帰れたのだろうか、なんていうことが気になったので、エピローグでもちょっと触れてくれると、さらによかったかな、と思いました。最後のところなど、ちょっと浪花節っぽい記述もあるんですが、とにかくこんな方がいたんだという事実に圧倒されてしまいました。あと、作者が劉さんの足跡をていねいにたどっているので、劉さん=善 日本人=悪という図式にとどまらないリアリティが『ラミッツの旅』(グニッラ・ルンドグレーン著 きただいえりこ訳 さえら書房)より感じられます。

ルパン:p182に、「隆二は戦争を知らない。日清・日露の戦争は教科書で習った。でも、父さんたちが知っている戦争がどんな戦争だったのかは、だれもちゃんと話してくれたことがない」とあります。これは、現代の子どもにも通じるのでは。今でも、日本の子どもや中高生は、現代史は学校でほとんど教わらないのです。

西山:「戦争児童文学」という言葉を使い始めた石上正夫さんが東京大空襲の被害が激しかった地域の小学校に赴任したとき、子どもたちが東京大空襲のことを知らなかったとおっしゃっていたことを思い出しました。校庭の隅を掘れば白骨が出てくるような時代に。親たちはあまりにも辛い体験で、口を閉ざしていたというのですね。近すぎると返って語れないというのがあると思います。

ハリネズミ:広島や長崎の被爆者の中にも、子どもの結婚などを考えると自分が被曝したことをなかなか語れなかったとおっしゃる方がいます。

ルパン:戦争が終わって10年以上が経っても、劉さんの中で戦争はずっと続いていたのですよね。ものすごく切なく感じました。

ハリネズミ:さっき、西山さんがp226の「劉さんはその生涯をかけて、子孫たちが再びこうした目にあわないことを願い、同じ歴史をくり返さないために、中国人も日本人と一緒に努力しなければならないことを説いて、幽界の人となりました」というところで、「中国人にはなにも責められる点はないのに」とおっしゃいましたが、私はちょっと違うように思います。ナチスにあんなに苦しめられたユダヤ人が、今パレスチナ人に対して同じような理不尽な扱いを平気でしているのを見ると、劉さんは、日本人が悪いという気持ちを最終的には超えて、中国人だって同じような状況におかれれば同じような過ちをすることがあるかもしれない、というところまで認識が深まっていたんじゃないでしょうか?

(2016年5月の言いたい放題)


そして、ぼくの旅はつづく

マリンゴ: 苦手です。以上。なんて(笑)。こういう右脳で書いた純文学っぽい本が、もともと不得手でして。いや、それでも、興味深く読めるものもあるのですが、この本の場合は、主人公に特別な才能があって、“特殊な物語”というふうに読めてしまうので、感情移入しづらい。自分が子どもの頃でも、あまり入り込めなかったと思います。

ハル:単館上映の映画のような雰囲気のある作品ですね。世界が優しくてきれいで、出てくるひともみんなあたたかくて、読後に余韻が残るような。だけど、これは好みの問題なんだと思いますが、読むのが退屈でした。どうしてこの子は人前でヴァイオリンを弾きたがらなくなったんだろうといったことにはじまり、さまざまな登場人物たちのさざ波のような心の機微に寄り添えなくて、これは一体なんの話なんだろうと、実はラストの手前あたりにくるまで、よくわからないまま読みました。

西山:すらすらとページはめくれませんでした。地名は出て来ますけど、ロードムービーのような移動していく旅の感覚は無かった。あくまでも音楽の物語で、おじいさんと孫のお話。そのおじいさんとメールや電話でつながっていても、やはり物理的に離れている切なさはありましたが。あんまり、のめり込んでは読めませんでした。

レン:私は、時間はかからず読めました。でも、ヴァイオリンの才能があって、外国に行っても、わりにすぐ英語も話すようになって順応して、6歳の頃からわがままも言わず、お母さんにもこれほど思いやりを持っている、こういう優等生というのか、天使のような子のどこに、ごく普通の日本の子どもは心を寄り添わせるのかしらと思いました。何をおもしろがればいいのか、私はよくわかりませんでした。だれにでもぜひ、と勧めたいとは思いませんね。

レジーナ:口当たりのよい作品ですが、淡々と描かれているので、捉えどころのない印象を受けます。おじいさんの死を予感させる場面から、死んだあとの場面への切り替えは映画的ですね。おじいさんの死についてははっきりと描かれていなくて、読者にはそれでもわかるし、作者はわざとそうしているのでしょうが、作品の中で重要な部分なので、正面からぶつかって描いてもよかったのでは。福音館は、読み物の装画(小林万希子)もすてきですね。 

さらら:翻訳の工夫なのか、ドイツ語のあとにかならず日本語の訳が入っている。主人公のアイデンティティは、ドイツにあるのかな。

ハリネズミ:でも、ドイツ語はだんだんに忘れてしまいますよ。

さらら:ところどころに入る音楽や心情の描写は、とても巧みだったけれど。

ルパン:音楽を文章で表現することはとても難しいと思うのですが、それが成功しているところが随所にあって、その点ではものすごい筆力だと思いました。ただ、残念なことに、それとストーリーがリンクしていなくて、物語の奥行きを広げることにつながっていない気がします。読み終わったときに、いったい何の話だったのか、というのがよくわからない。ものすごくドラマチックでなくてもいいんです。日常の小さな場面をつなぎあわせたような物語はたくさんありますから。ただ、この本は、その小さな場面がつながっていないし、メリハリもない。一人称の書き方がまずい気がします。地の文に統一性がないので、読者に語っているのか、オーパへのメールなのかがわかりにくかったり…これは翻訳の問題なのでしょうか? それから、時系列が行ったり来たりするのも、手法の使い方がうまくない気がします。混乱を招くだけのような。クライマックスは、亡くなったオーパに宛てたメールを継父のジェイミーに見つかる場面なのでしょうが、それのどこがいけないのかがわからないから説得力に欠けますよね。実父へのメールであれば継父が傷つくであろうことも理解できるのですが…おじいちゃんなのだから、いつまでも慕っていても、別にいいですよね? あとから現れた継父があれこれ言うのは筋違い。そう思うと、この場面、むしろ興ざめになってしまいます。

アンヌ:なんというか、ピンと張った糸のようなうまい物語ではないと感じました。エピソードが絡み合っていなくて、最初の方に出てくる金曜日の少年も、もう少し子供同士の物語があればいいのに、もったいないなと思いました。各章で繰り返されるドイツ語の言葉は、外国に暮らすとこういう感覚になるのかなと興味深く感じました。ヴァイオリンの練習場面がとても多く描かれ、それでも教師とうまくいかないエピソードとかもあり、生まれつきの才能を持つこの主人公が、じっくり音楽家として成長していく過程を描きたかったのだろうかと思いました。

ハリネズミ:確かに才能のある子どもの話だし、もっとドラマチックな物語と比べると盛り上がりに欠けるかもしれません。私も最初読んだときはそう思ったのですが、訳者の方の後書きにはこうあります。「新しい土地、新しい言葉、新しい父親――これほどまでに環境が変わったのでは、身がまえない子はいないでしょう。かたくなにならないほうがふしぎです。それにアリは、大好きなオーパからも引き離されているのです。自分を抑え、目立つまいとするあまり、ヴァイオリンを弾くことを、学校ではみんなにないしょにしていました。そして、ひとり、カフェの庭でヴァイオリンを弾きながら、幼いころを振り返り、出会いを思い、別れを思い、時の流れを行きつ戻りつするうちに、閉ざされていた、一枚の、心の扉の前に立つ……。」そうなんですね。感受性の強いアリのような子どもにとっては、生き死にがかかわらないことでも、やはり大きな問題で、いい子でいるのも、自分をなるべく抑えようとしているからなのかもしれません。そう考えてもう一度読んでみると、いろいろな点でなるほどと思うところがありました。

レン:これほどバイオリンのうまい子でも新しい先生になじめないんだと思ったという意見がさっき出ましたが、この子は手作りの練習曲集でおじいちゃんに習うのに慣れていたから、普通の音楽教育に近いリー先生のやり方になじめなかったのではないでしょうか。

(2016年5月の言いたい放題)


ラミッツの旅〜ロマの難民少年のものがたり

アンヌ:ドイツの赤十字でボランティアをしている女の人が、父親はナチスだったと語っているのが印象的でした。ラミッツたちが難民と認められるまでの、内外からの様々な妨害や彼らに援助の手を差し伸べる人々の姿が、短い物語の中にくっきりと描かれていますね。父親が語るロマの人々の姿、ダンスや音楽の話に、あまり知られていないこの民族の生活を知ることができました。ボランティアのドイツ人が語る贖罪の思いに、ドイツ政府の移民や留学生への手厚い保護の源泉を見る気がします。これからの難民の受け入れも変わっていくだろうなとか、ラミッツがこれからも二重の差別を受け続けるのだろうか等の不安は感じましたが、明るい気分で読み終えられました。

ルパン:読みやすく、最後まで一気に読みました。事実にもとづいている、ということで、内容も重く受け止めました。主人公が、口がきけなくなるほど人が信じられなくなる、ということが移民の現実の悲惨さを語っていると思いました。唯一の救いはお父さんと再会できたことです。この家族の未来が明るいものになるように、すべての難民問題が一日も早く解決するように、と願わずにはいられません。

さらら:原著はスウェーデンで出たんですよね。私の知人のクルド人の一家も、難民としてスウェーデンに逃れたので、さまざまな苦労を具体的に知ることができました。北欧はもちろん、ベルギーやオランダでもそうですが、先生はクラスの子どもたちに、難民の子どもたちがなぜ「ここ」にいるのか伝える必要があります。こんな本をきっかけに、お互いの理解を深めていけるのでしょう。主人公ラミッツにはスウェーデンに到着する前に、ドイツからいったんコソボに送り返されるなど、複雑なバックグラウンドがあります。紛争中のコソボを逃れるため、偽造パスポートを用意し、業者にお金をわたしてトラックに乗せてもらったり。私の友人が決して話そうとしない闇の部分がよくわかり、興味深く感じました。ラミッツたちが収容されるのは「難民宿舎」ですが、宿舎とは名ばかり。それを「宿舎」と名付けたところに、翻訳上の配慮を感じました。日本の子どもによくわからない「難民」という存在を知るうえではいい本かもしれませんが、作品としては掘り下げが足りない。例えばストレスのせいで、ラミッツは言葉を失い、お姉ちゃんは歩けなくなってしまう。そうした心の動きを子どもに共感できるように、もっときちんと書いたほうがよいのでは。事実にひっぱられ、物語としての深みに欠けるのが残念です。

レジーナ:以前、難民の人たちの持ち物の展示がありました。鍋など、生活に絶対必要なものだけでなく、歯ブラシやヘアワックスもあって、人間というのは、ぎりぎりの状況でも人間らしくあろうとし、人としての尊厳を失わずに生きようとするのだと感じました。この本を読んでそうしたことを思いだしました。これは実話に基づく話ですが、ノンフィクションとして書かれてもよかったかと思います。私は、この主人公の気持ちに寄り添って読めなかったので……。

レン:テーマ的にはおもしろかったです。日本にないけれど、知っておきたいことだから、出すのは意義のあることだと思いました。ただ、物語を読んでいくうえの味わいが今ひとつかな。一つには、ヨーロッパ全体の地図がほしかったです。ドイツからコソボ、スウェーデンの移動を実感するのに、子どものためには特に必要ではないでしょうか。それと、この作品の場合、一人称で書くのが果たしてよかったのかなと思いました。一人称にしてしまうと、その子が見たこと、知っていたことは書けるけれど、まわりの人たちのことは書けないですよね。援助している人たちや家族の思いなどは、三人称のほうが伝わります。15歳の少年の語りの限界のようなものを感じてしまいました。

さらら:文章に、つっかかるところが多い本でした。「〜だった、〜だった」と描写され、過去のことかと思ったら、「〜なんだ」と、急に現在にひっぱられたりして。

ハリネズミ:過去形と現在形が混じっているから、よけい時系列がごちゃごちゃになるってことですか?

レン:日本人の作家の中学生向けの一人称の作品は親しみやすく、読者が手にとりやすいものになっていると思うんですけど、これはちょっと違うかなと。読んでいても主人公の印象が固まってこないんですよね。

ハリネズミ:トーンが統一されてないのかな。

ハル:知らなかったことを知るという意味で、読書体験としては「読んでよかった」と思うんですけど……これはてっきりご本人が書かれたんだと思っていました。別に作者がいるんですね。冒頭から「こんな嫌な先生っているの!?」って、いくらなんでも信じられないと思うけど、このたどたどしい雰囲気で綴られると、「実際に体験したことなんだな、本当にこういう先生もいるのかもな」という気にもなりました。でもやっぱり、この後で読んだ『生きる:劉連仁の物語』(森越智子著 童心社)と比べると、心に迫ってくるものがなくて残念です。世界を知るための勉強として読む分には、貴重な本なのかなぁと思います。

マリンゴ: 2013年、ギリシャのロマ人の夫婦のもとに金髪の白人少女がいる、と通報があったニュースを思い出しました。誘拐や人身売買の疑いで夫婦は逮捕されたんですが、後日、DNA鑑定で実子とわかって釈放されたそうです。そのときに、ロマ人というのはそういう扱いを受けているのか、と驚いたのですが、掘り下げて調べなかったので、今回の本でとても勉強になりました。しかし読むのが気の進まない本でした。理由は二つあって、まず一つは、本の内容の問題。『リフカの旅』(カレン・ヘス著 伊藤比呂美他訳 理論社)みたいに、過酷であっても自分の意志で決めながら前に進んでいく本は読みやすいのですが、本書のように、運命と家族に翻弄される物語はしんどかったです。でも、実話をもとにしているので、これは仕方ないと言えます。もう一つは、構成の問題。父親と主人公の男の子、二つの話が混ざっていて、どちらの話なのか一部わかりづらくなって、ややこしかったです。父親の過去については会話形式で語るか、あるいは書体を変えるか、工夫して差別化してもよかったのでは、と思いました。あ、これは翻訳ではなく、原文に対しての意見ですが。

西山:内容とは直接関係ないんですけど、扉に「登場人物の名前は変えてあります。」に続けて「ラミッ・ラマダニーの本名は、マーション・ペイジャです。」と書いてありますよね。いいんですか、これ?

ハリネズミ:そこ、おかしいな、と私も思いました。コピーライトを見ると、この作家の名前に加えて主人公の名前も入っている。だったら、日本語版の作者名に仮名でも実名でもいいから入れておくべきなんじゃないかな。難民はいろいろな立場の人がいて、実名を出すとまずいという人もいると思いますが、そうだったら、すぐに実名を書いてしまっているのは変ですね。どっちにしてもその部分に配慮がないような気がしました。

さらら:実体験した人から、作家が話を聞いて書いた作品なら、その両方の名前を作者として出すべきですよね。

レン:『夢へ翔けて: 戦争孤児から世界的バレリーナへ』(ミケーラ・デプリンス, エレーン・デプリンス著 田中奈津子訳 ポプラ社)も、本人と養母の共著で、両方の名前を出していますね。

西山:翻弄される様子はどんどん読めて、事実を知るおもしろさはありました。

さらら:この本では、ロマの子どもが学校に来てほしくないと言われたり、意地悪されたりします。でも日本の子には、ロマがなぜそんなふうに差別されるか、よくわからないはず。バックグラウンドがないだけに、簡単なようで読むのがむずかしい部分があります。白紙の状態で読んでいく子どもに、マイナスの刷り込みをするべきじゃない。この本は、ロマの家族愛や伝統も描かれていて、そこがよさでもあるけど、どうしてこんなに意地悪されるんだろうって読者は思うでしょうね。

ハリネズミ:ロマの人たちが自分の国を持っていない、ふるさとのない人たちだということは、この物語からも伝わってきましたよ。

西山:別の話になりますが、アンリ・ボスコの『犬のバルボッシュ』(天沢退二郎訳 福音館書店)に出てくる「カラク」って、ロマのことでしょうか。

ハリネズミ:ロマについてですが、たとえば、エミリー・ロッダの「ローワン」シリーズには「旅の人」というのが出て来ますね。定住しないで移動して暮らしている人たちで芸術を愛している。そして、定住民からはうさんくさいと思われている。でも、彼らには彼らにしかないいいところがある、という書き方です。ああいう形で子どものための物語に登場させるやり方もあると思います。この作品は、ロマの難民を描くという意味では貴重ですが、私は、こういうものこそ、すぐれた質のものを出してほしいと思ってるんです。だから、そういう目で見ると物足りない。何よりも気になるのは、人物像がステレオタイプで、しかもそれを支えるリアリティが薄いということ。たとえば、冒頭でドイツの学校の先生が「この中のだれかが、クラスのお金をぬすんだのよ。クラス旅行のためにみんなでためていたお金を。これで旅行はなくなったわ」と言い、ヒルダという子が「ラミッツとメメットが犯人だと思います」と言い出すところなど、日本だってここまでひどい状況は考えにくい。ケータイ小説じゃないんだから、もっとリアルに書いてほしいものです。かわいそうなロマのラミッツという設定を打ち出したいがために、リアリティから離れてしまう。それによって、読むほうはラミッツの心の中にまでは入っていけない。それに、この作品を読んだ日本の子どもたちは、スウェーデン人は親切だけどドイツ人はひどいという感想をひょっとすると持つかもしれない。 
 訳にももうちょっと工夫がほしかった。p38には子どもの会話の中に「アルコール依存症」という言葉が出てきますが、この年齢の子がこうは言わないでしょう? 第2章ではラミッツが学校へ行かなくなっていますが、p44のお父さんの言葉をこう訳しただけでは、お父さんの複雑な気持ちは読者に伝わりません。ラミッツの親の結婚についての話でも、お父さんのバイラムは、妻のジェミーラはとても貧しい家庭の出身だったのに、ジェミーラの親が結婚に反対したとあります。それがどうしてか、よくわかりません。ジェミーラがロマではなかったからなのか、あるいは後で「はじめの部分は、ちょっと変えているけどな」とお父さんが言っているので、同じロマでも貧しいのはバイラムの方だったのか、あいまいなままです。p76の「よく気がついたな」も、会話の流れがわかりません。
 また実際にはロマの宗教は様々でイスラム教の人はむしろ少ないと思いますが、ロマのことを知らない日本の子どもたちはみんなイスラム教なのだと思うかもしれません。そういうことは、後書きででも触れてくれるとよかったなと思いました。それから、日本は極端に難民を受け入れない国ですが、そういうことも後書きで触れられれば、日本の子どもももう一つ考えるきっかけをもらえたのに、と思います。

(2016年5月の言いたい放題)


ポーラ・メトカーフ文 スザンヌ・バートン絵『いもうとガイドブック』

いもうとガイドブック

『いもうとガイドブック』をおすすめします。

姉から見た妹を描いた絵本。兄弟や姉妹について描いた絵本はたくさんあるが、その多くは年上の子どもが年下の子どもに親をとられたように感じて複雑な気持ちを抱く様子を表現している。この絵本にもその要素はあるが、それだけではないのがおもしろいところ。

絵も軽妙でゆかいだが、それ以上にユーモアにあふれた文章が楽しく、クスッと笑わせてくれる。

このくらいの年齢の姉妹なら似たような経験をしたことがあるはずで、それぞれの体験と重ね合わせて読めば、実際の兄弟姉妹関係にも余裕が生まれるのではないだろうか。

あたたかいユーモアを短い言葉でうまく訳すのはとても難しいものだが、翻訳はそのユーモアを、細かいニュアンスまで含めてみごとに日本語に移しかえている。そのおかげで、日本の子どもにも十分に楽しめる絵本になった。

(産経新聞児童出版文化賞講評2016.05.05掲載)


あべ弘士『宮沢賢治「旭川。」より』

宮沢賢治「旭川。」より

『宮沢賢治「旭川。」より』をおすすめします。

宮沢賢治の「旭川」という詩を基にして、そのエッセンスを活かしながら、言葉を紡ぎ、絵で表現した絵本。

賢治の詩が内包するさわやかさや軽やかさを、みごとに表現している。動物中心の絵本を数多く出してきた作者だが、この絵本の主人公は、帽子をかぶって馬車に乗る賢治。しかし、その周囲には動物も登場し、馬ばかりでなく大きな蝶やフクロウやオオジシギが随所に登場している。

中でも原詩には出てこないオオジシギを、作者は、「天に思いを届け、天の声を聞いて返ってくる使者のようだ」として、三見開きを使って、大きく扱っている。この鳥に、賢治を象徴させているのだろうか。

画面ごとの構成や、余白の使い方、流れや変化のつけ方もすばらしく、この作者がこの絵本で新たな境地を切りひらいたことを思わせる。

(産経新聞児童出版文化賞講評2016.05.05掲載)