日付 2005年10月27日
参加者 きょん、羊、月、カーコ、愁童、アカシア、うさこ、ケロ、ブラックペッパー、ちゃちゃ、小麦
テーマ 逆境に負けない女の子

読んだ本:

『コララインとボタンの魔女 』
ニール・ゲイマン/著 金原瑞人・中村浩美/訳 スドウピウ/絵   角川書店   2003
CORALINE by Neil Gaiman, 2002
版元語録:秘密の扉の向こうの世界に住む、真っ黒なボタンの目の両親たちとの生活を楽しみ始めたコララインだが、やがてその世界に閉じこめられていることに気づいて−−!この秋一押しの傑作ファンタジー!


『みんなワッフルにのせて 』
ポリー・ホーヴァート/著 代田亜香子/訳   白水社   2003
EVERYTHING ON A WAFFLE by Polly Horvath, 2001
版元語録:港町に住む少女プリムローズの両親が嵐の日に海で行方不明になり、町の人は死んだと決め込む。それを信じない少女が巻き起こす珍事件を素敵におかしく描いたニューベリー賞オナー賞受賞作。


『走っていこう(『キス』の第二話) 』
安藤由希/著   BL出版   2004

版元語録(『キス』):うまく伝えられない思い、すれ違う思い。でも通いあわせたい……。三人の中学生が抱えるそれぞれの事件。そして三人が出合った三つの「キス」とは……。あたたかな気持ちを届けるオムニバス。


『コララインとボタンの魔女』

ニール・ゲイマン/著 金原瑞人・中村浩美/訳 スドウピウ/絵
角川書店
2003

きょん:忙しい中、細切れに読んでいたので、読み込みが足りないのかもしれませんが……。扉の向こうは夢の世界なのか? 不思議な、暗示的なストーリーだなという印象でした。しかし、なんの暗示なのか、よくわからなくて。両親を助け出すために、知恵を絞り、小さな少女コララインが必死にがんばるんだけれど、ボタンの魔女がいったいなんだったのか、よくわからなかった。“もう一人のママ”というのが、意味を持ったものなのかと思っていたら、最後まではっきりしなくて。案内役だった猫は、こちらの世界でどこへ行ってしまったのか? コララインが助けた3人は、いったい誰だったのか? 訳が、あまりひっかからなくて、盛り上がりもなくさっと読めたのも、印象が薄い要因かもしれませんね。

:不思議な感じのする始まり方ですね。家自体、住んでいる人自身が不思議で何かが起こりそうな舞台設定。コララインは家族にあまりかわいがられていない感じなので、魔女がかわいがるから子どもが寄っていくのかな? でも、なぜ魔女がそうなのかわからない。魔女と対決するあたりは、いちばん盛り上がりがあるところですけど、あの魔女はなんだったの? という違和感が残ります。

:動機が甘いファンタジーだなと思いました。簡単にファンタジーの世界に入りすぎてしまって、ボタンの魔女がなんだったのかもわからなかったし、この物語を通して作者が何を言いたかったのかもわからない。現実の世界に何か不満をもっていたのかどうかもよく伝わってこない。また親との結びつきが書きたかったのかというと、そこも最後まで伝わってこない。そのわりに、主人公が賢すぎて、冒険を簡単にクリアしていく。このイラストレーターは他の作品では好きな人ですけど、この話には合ってませんね。この作品は、アメリカでは、子どもたちと大人の読者の反応が分かれたそうですが、おそらく大人は魅力を感じなくて、子どもに支持されたんでしょう。日本の作品でいうと、例えば「大海あかし」の魅力に近いのではないでしょうか。子どもは、それほど動機づけがなくても、ぞくぞくわくわくするストーリーがあれば、さほど気にせず読み通してしまう。そんな点で、子どもに支持されたのでしょうか。

カーコ:アイテムとストーリーのお話という感じでした。目がボタンの人間のイメージとか、同じ家に住む不思議な人たち、穴のあいた石、黒ネコなど、おもしろそうな道具だてを組み合わせて、ストーリーが作られている。ドキドキするところがあって、子どもには面白いのでしょうけれど、文学として味わったり、考えさせられたりする作品ではありませんでした。あと、コララインは何歳かわかりませんでした。絵を見たら小さい子だけれど、母親とのやりとりからすると10歳くらいかしら。ストーリーからすると読者対象は小学校3、4年くらいかなと思ったのですが、それにしてはこの文章はかたいように思いました。訳もひっかかって、ところどころ何を言っているのかわからないところもありました。

愁童:お化け屋敷のガイドブックみたい。ディテールは、うまく書けていて説得力もあるけど、主人公のイメージが湧いてこない。舞台装置は立派だけど、役者が出てこない芝居を見せられているような感じ。

アカシア:ファンタジーの構造としては、古い家に引越してきて退屈している子どもが、孤独な時間のなかで日常の世界をつきぬけてアナザーワールドに行ってしまうというもので、ピアスの『トムは真夜中の庭で』とかジョーン・ロビンソンの『思い出のマーニー』なんかと同じですね。まわりに遊び相手の子どもがいなくて、つきあうのは大人だけという設定なので、そういう子どもの抑圧した心理状態を書いているのかなと思うんだけど、その辺はよくわかりませんね。文学というよりゲームみたい。ボタンの目の家族っていうのは、アイデアとしては面白いけど、もう一人の母親が魔女というだけで、それがなんなのか背景などは書かれていない。コララインが魔女と対決して囚われの魂を取り戻すところでは、困難の描き方が単純なので、ハラハラドキドキできない。一時代前のファンタジーは、隅々まで世界を構築してからその一部を作品にする、というものも多かったんですが、これは今風のゲーム的ファンタジーで、読者の頭の中に物語世界が構築できませんね。想像もできない。英語のアマゾンなどでは、クリーピーストーリー(不気味な物語)という評でしたが、それを薄めるためにこのイラストにしたのかしら?

うさこ:興味深く読んだのですが、この物語の感想は、まさに疑問の多さ。もう一人のママの目的はなんだったんだろう。ネコの言葉では「たぶん愛する相手がほしいんだろう…」、3人の子どもによれば「命を奪うこと、喜びも奪われる」っていうことですけど、奪ってどうするつもりなのだろうという疑問が残ります。また、ボタンの魔女が「あなたを愛しているのよ」→コラライン「愛していることはわかっていた」ボタンの魔女「あなたを愛しているのは知ってるわね」→コラライン「でも、愛情の示し方がへん」というやりとりがありますが、具体的に書かれていないので伝わってこない。おなかがすいているときにチーズオムレツを作ってくれたことが愛情なのかな?
こっちの世界とあっちの世界が必ずしも対称的になっているわけではないですけど、両方の世界観のバランスが悪いという印象。
p103の「マントルピースの上にスノーグローブがあって…」のところは、コララインはここで両親だとピンときていない。スノーグローブのなかに小さな人間が二人入っているというのは、確認しているのに。この二人を何だと思ったのかしら? p184でようやくマントルピースに手をのばし、スノーグローブをつかみ、ポケットへ。物語の構成が甘いと思いました。それに、コララインはボタンの魔女をずっと「もう一人のママ」という言い方をしてますが、最初は別として実質上だんだんそう思わなくなってからも言い方が変わらないのには違和感を覚えました。
イラストは、p136で「自分のパジャマとガウンに着替えスリッパにはきかえ…」と文にあるのに、p153,154,168のイラストはもう一人のママが用意した(p100で着替えたはずなのに)グレーのセーター、黒いジーンズ、オレンジのブーツのまま。p181で突然ガウンのみはおっているが、足はスリッパかな? p90とp99のガウンの色が違うのはなぜ? p22-23のレイアウトは面白いが、犬は3匹では…など、絵のチェックはどうなってるんでしょう? 大事に作ってほしいので残念。

ケロ:「逆境に負けない女の子」というテーマに沿って読もうとすると難しかったですね。それでは、この本は何の話なのかなと思うと、わからない。主人公の女の子は、引っ越したばかりで近くに遊ぶ友だちもいない。親も仕事が忙しいので遊んでくれない。また、新学期前の中途半端な時期で、新しい環境への不安もあるだろうと思います。そんな自己閉塞感から、妄想の世界を作ってそこで遊ぶ、というのは、子ども的には、すぐにポンと行けるアナザーワールドなのだと思います。妄想しやすい他の階の住人もいますし。その世界に遊ぶことと、その誘惑を断ち切って、現実に立ち向かう強さを手に入れて帰ってくる、という儀式のようなものなのかな、とも思うのですが、深読みのしすぎでしょうか? 気になったのは、ハリーポッターの賢者の石や、アダムスファミリーの手など、なんか、どっかで見たなーというようなものがずいぶんありました。

ブラックペッパー:たいへん読みづらくて、一回向こうの世界から戻ってきて、また向こうの世界に行ったあたりから、行き詰りました。苦しく思いながら読み進めてもコララインを応援する気持ちにはなれなくて、ママがゴキブリを食べるところがすごくいやだった。「毛のないゼリー」って出てくるのですが、ゼリーには普通毛がないのでイメージしにくい。ま、ここはヘンな生物についての描写なので、わかりづらいのは仕方ない、ということはありますが……。あと、イラストが文章と合ってないところがいくつかあって気になりました。p63のナイフを投げる人の服装や、p180のママの髪がよじれてるはずがストレートだったりするところなど。しかし、話自体に熱中できなかったのに、読み終わってみると、嫌な物語というわけでもなかった。

ちゃちゃ:作者のゲイマンは、親や児童書を扱う図書館司書のような大人の女性は「とにかくぞっとする」などというネガティブな反応なのに対して、子どもはけっこう面白がって読むといった話をしていたらしいんですね。私ははじめに原文を読み、次に訳書を読んだところ、日本語版では恐ろしさがすっかり薄まっている気がしました。原書は、筋立ての気味の悪さをイラストが何十倍にも強めているようなところがあって、たとえば魔女がゴキブリを食べるシーンがイラストになっていたり、魔女の目もボタンがとても大きくなっていて、不気味このうえない。ただ、小さな男の子だと、ゴキブリを食べるとか、そういう大人の汚がることを面白がる傾向が強く出る時期があるので、大人よりハードルが低いようにも思います。また、コララインの反応の細かいところが、基本的に子どもの考えそうなこと、やりそうなことなので、そういう意味で子どもは「ある、ある」と思って読んでいくのではないかとも思います。ゲイマン本人は、親がいなくなるというのは大人にとってはとても怖いことだが、子どもにとっては、この世の中はハッピーエンドの物語と同じなので、自分がジェームズ・ボンドになったような冒険気分で読めるのではないかと言っていたらしいですが、この本は女の子が主人公でありながら、実は男の子の感覚に近いものがあるような気がします。ただ、魔女の作った奇妙で空っぽでぼわっとした世界が、そういう世界としての輪郭をきちんと持っていないような気がします。ぼわっとしていて奇妙だというところがリアルに伝わらないため、印象がぼやけているのが残念です。今、映画化が進んでいると聞きました。

小麦:私はするすると面白く読みました。クラシックな作品とは一線を画す、まさに現代のファンタジー。主人公の内面の葛藤や心理、周囲との関係性を軸に描く のではなく、ひたすらストーリーの展開の面白さで、テンポよく引っ張っていく。行間で読ませる『キス』とは対照的だなと思いました。主人公のコララインは、迷ったり悩んだりしないで、彼女自身がストーリーテラーのように元気に物語を切り開いていく。ちょっとロールプレイングゲームっぽいかも。映画やゲームのノベライズ作品を読むときって、小説とは違った、一気に読める爽快感のようなものがあるけれど、この作品もそれに似た読後感がありました。著者のプロフィールに「コミックの原作をしている」とあって、なんか妙に納得してしまいました。文章も映像的。ボタンの魔女の世界で、近所のおばあさん姉妹の舞台を、客席にずらりと犬が座って見ているシーンなんか、なんとも不気味で、デビット・リンチの映像なんかで出てきそう。シーンごとの不気味な雰囲気づくりがうまいなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年10月の記録)


『みんなワッフルにのせて』

ポリー・ホーヴァート/著 代田亜香子/訳
白水社
2003

ブラックペッパー:読みやすくて、さっと読めたんですけど、笑っていいものなのかというのがわからない。「明るいブラックユーモアで定評のある作家」らしいけど、指をなくしたりするのも明るいブラックユーモア? 指をなくす場面も、それほど痛そうじゃない。得るものと失うものがあることを示す一つとして指を失うのかもしれないけど、でもなんでそんなショッキングなことにならないといけなかったのか、そういうところがわからない。章の終わりにレシピがついていて、私はレシピを読むのが好きなのでうれしく読んだのですが、ちょっと気になったのはバニラエッセンスの分量。p35の「ティリーおばさんのレモンシュガークッキー」とp73の「ティービスケット」では小さじ2はい。p64の「シナモンロール」では小さじ1ぱいとなっているのですが、日本でよく売られているものは、ほんのぽっちりでいい(材料1kgにつき2〜3mlと表示されています)ので、そんなに入れたら多いのでは……? カナダのものは味の濃さが違うのかしら? それともさじの大きさが違うとか? 1カップの分量も日本は200ccだけど、国によって違ったりしますよね。

ケロ:私は、こういう話はけっこう好きです。章立てで、「足の指をなくす」? えー、なんて思ってたら、「また指をなくす」なんてあって、ブラックだなあ、と笑いながら引っ張られるように読みました。このようなお話なら、「親は帰ってこない、でも、乗り越えたよ」という展開がふつうだと思うんですが、なんていうんだろう、このお話のとぼけた感じとか、不思議なことが起こりそうな感じからか、途中から、両親は帰ってくるんじゃないかな、と思いながら読んでいる自分に気づきました。そんな、ファンタジーとリアリティの中間のふわふわする感じを描くのがうまいなあと感じました。それは、痛そうな話をリアルに描かないこととか、幽霊が出てくるところとかから、作り上げられているのかな?とも思います。それと対照的に、気持ちの流れ、感情は、とてもリアルに描かれていて面白いですね。まわりの大人が、すごく面白かったです。ハニーカット先生とか、すごくいやなやつなんだけど、あー、こういう人いるかもね、と気の毒になりながら読んだりして。

うさこ:ファンタジーではなく、生活物語だと思って読みました。なのに、浮かんでくる映像が、実写ではなく、どこかアニメの映像をみているような気がしました。実質的な人間の世界のことではないというのか……。この子自身が、明るいというか強いというか冷静で、弱さや痛みがあまり書かれていないせいか、胸に迫ってくるものが弱く、感情移入するところまでいきませんでした。わざとリアル感を薄めようとしたのかもしれないけど、あまりにも感覚的な物語で着地しています。
 レシピを集めてどうしたんでしょう? 何か気持ちを整理できたということでは、この子の心の支えとなったのかな……。章ごとに出てきた食べ物をレシピとして紹介しているのは、2時間ドラマのTVコマーシャルで「ちょっとティーブレイク」的な感じもしましたが、深刻な話のなか(特にp81)に、(レシピはのちほど)とあると、話がぬるくなり、効果的ではないように思います。それにレシピはおいしそうだったけど、カットが弱い。せっかく絵を入れるなら、もっと読むのを助けるカットにしてほしかった。レシピでできたものを見てみたいと思うのに、素材ばかりが並べてありますもんね。イラストの役割をもっと大事にしてほしかった。
この本、主人公は11歳なのに、図書館では一般書コーナーにありましたよ。YAシリーズの位置づけが、図書館でも書店でもあいまいなんですね。読む年令と書棚にギャップがあって、読者にきちんとこの本が届いているかどうか疑問に思いました。レイアウトは字が小さくて、しかも教科書体は意外に読みにくいという印象です。書体や行間なども、もう一工夫してほしかった。

アカシア:足の指のところがブラックユーモアだとは、私は思わなかったな。ブラックユーモアというとダールを思い出しますが、それとは違いますよね。主人公の女の子は、まわりの人みんなが親は死んだというのに、生存を信じて待っている。待っている間に、親がいれば出会わないような様々な人に出会うという話。パーフィディさんとかハニーカット先生とかジャックおじさんとかバウザーさんとか、脇役の人たちにリアリティがあって面白い。「作者は明るいブラックユーモアの作風で人気」と訳者後書きには書いてありますが、この作品がブラックユーモアを基調にしているとは私は思いませんでした。訳は軽快で、心地よさがあります。現実には大変なことがいろいろ起こるけど、明るい気持ちでなんとか生きていこうとするこの子の感じが、いいですよね。ただ明るいだけじゃない、という微妙な感じがもう少し出ると、もっと面白かったかな。この作品は、『コラライン』と違って、生活もちゃんと書こうとしてるんですよね。だから生活に密着したレシピも出してくるのかな、と私は想像しました。p63だって、深刻な話をしているのに、生活者のバウザーさんは手を休めない。コララインはゲーム的ですが、この作者はもう少していねいに状況や人物を描写しています。ただ、最後に両親が帰ってくる場面は、この子の夢が報われてハッピーエンドになるのはいいけれど、なんだかバタバタと唐突な感じがして、もう少していねいに書いてほしかったな。読者は、プリムローズといっしょになって読んでいるので。

愁童:両方読んで、印象がごちゃごちゃになってしまった。かたっぽは、ファンタジックなおばけのところをぐるぐるまわる、こっちは現実のいろんな人のところをぐるぐるまわる。主人公が、積極的に周囲の人や状況にかかわっていくようには描かれていない。ご近所の人たちのようすは、よく書けているけれど、主人公の女の子が何を考えているのかよく分からない。おじさんが町を再開発しようとしていて、町の人の反発の様子も書かれているのに、肝心の主人公はどうなのか全然解らない。

アカシア:おじさんの再開発計画についても、主人公の女の子はまだわからないんだと思います。バウザーさんとの対立はちゃんと書かれていますよ。

愁童:まだらボケのおばさんに預けられた後、その家を出て、着るものを忘れてきたのを思いだして取りに行ったら無かった時の女の子の気持ちなんかもう少しきちんと書き込んでくれてもいいんじゃないかな。ここではむしろマダラぼけのおばさんの描写のエピソードとして使われているだけで、主人公側への目配りが薄い気がした。なんか、隔靴掻痒というか、主人公の女の子が何を考えているのかわからない。

ブラックペッパー:そう、女の子が何を考えているか、最後までよくわからない。

アカシア:私はそこは想像できたんですよね。主人公の内的な動きではなくて、表の意識にのぼるものだけを書いて想像させるという手法なんだと思ったんです。だって、この子は本当はつらいんです。だけど、つらいとか悲しいとかを書いていったら、逆につまらなくなる。

ちゃちゃ:この作品は少女の一人称で、一人称の場合、その年代の意識や分析能力などの制約を受けますよね。この場合は、この少女の一人称であることによって、痛みの感覚が完全に切り離されてしまっているのかもしれません。でも、アカシアさんが言われたように、ほんとうは痛いんだけれど、というところがもっと読者に伝わらないと奥行きが出ない。なんだかつるっとした奇妙な感じで、バタバタと終わったような印象を受けました。すらすらと読んだんですけど、最後のところで親が唐突に帰ってきたのは、かなり興ざめでした。

カーコ:私はけっこう面白く読みました。ちゃちゃさんがおっしゃったように、さびしいとか辛いとか痛いとか、負の感情はほとんど出てこないんですね。独立心旺盛で、人に依存しまいとしている主人公像を感じました。それに、脇役がユニークで面白い。人のために動いているようで、実は自分中心のハニーカット先生。ジャックおじさんは、面白そうだけど、近くにいたら大変そう。パーフィディさんのクッキーが、防虫剤臭いというのが、すごくリアルでおかしかったです。そういう細部がとても面白かった。最後に両親が帰ってくるかどうかは、どっちでもいいと思いました。

:深みのあるいい作品になりそうなのに、完成度が低いのが残念だと思いました。人生の真実のようなことをまわりの人がさりげなく言ったり、この子が両親が生きていると信じ続けるとか、魅力的な要素はたくさんあるけど完成度が低い。というのは、大事なバウザーさんが唐突に現れますが、もっと早い段階で現れるべきだったし、重要な役目のおじさんが場所によってイメージが違って全体像がつかめないところなどに、そう感じました。またしゃれたジョークっぽく、レシピはのちほどとか、小見出しでドキッとさせるなど演出がありますが、そういうのが邪魔で、もっとシンプルに書いたほうがぐっと深みが増すのではないでしょうか。それから一人称の文章というのは難しいなとあらためて思わせる作品でした。「レシピはのちほど」は、誰に向かって言っているのかなと。

:時間がなくてp67までしか読めなかったんです。でも、この子のつらさはp16の「こうしてあたしは、服や身のまわりの物を三か所にわかれて待つことになった。まず、ジャックおじさんが買った家。それから、パーフィディさんの家。ここにはお母さんに編んでもらったセーターを、虫に食われないようにおいておいた。それから、もともと住んでいた家。ここはおじさんが貸家に出した。そんなわけであたしは、体が三つにわかれているような、おかしな夢心地みたいな気分だった。あたしはもう、どこでも生活していない……お母さんとお父さんを待つために桟橋にいくとちゅう、あたしは思った。あたしの心は体の中にうまくおさまってない。きわどいところをただよっている。ふわふわ浮かんでいる」なんていう所に表現されていると思いました。現実を横にを置いておかないと苦しすぎるんだなあ、と私には思えました。

きょん:「理由もないのに心の奥に確信していることある?」と、繰り返し出てくるその言葉が、プリムローズの心の叫びなのかな? いろんな大人が出てきて、人物がとてもよく書けていて、そのエピソードがさりげなく断片的に出てきていて、淡々とした感じ、あっけない感じが、この本の魅力でしょうか? ただ、そういうふうにいろんな人やものを書くことで、それらに取り囲まれた主人公プリムローズが浮き彫りになっているところが上手だと思いました。セーターがなくなっちゃうと聞いて、どうなっちゃうのかなと気になってひきつけられる。そんなふうに、いろんなエピソードにひかれながら、読めていく。ラスト、「だけど、べつにかまわない。だって、わたしは知っているから。ここに住んでいれば、なんでも好きなものが手にはいるってことを。しかも、ワッフル(レシピはのちほど)の上にのって。」のところが、すごく好き。ただ、訳者あとがきに「この物語を読んでいたら、希望や喜びというものは人間に本来備わっているものなのではないか、ほんとうの絶望なんてありえないものなのではないか、と思えてきました」とありますが、これはちょっと言い過ぎかしらと思い、不快でした。ハッピーエンドをいっているのかもしれないけど…。

ケロ:p91に、「…きっと喜びって、両親とか、十本そろった足の指とか、自分で必要だと思ってるようなものがなくても生まれてくるんだ。それ自体、いのちを持っているんだな」とあって、そこにもつながっているのかも。私はそこが好きだったんですけど。

小麦:ホーヴァートは大好きな作家です。世の中から3センチくらい浮いた「変な人」を書くのがうまくて、「変なの〜」なんて油断して楽しく読んでいると、いつのまにか最後のところですっと感動させられたりする。おもて向き、いかにも「感動作」なんて顔をしていないし、なんとも飄々としているので、こちらも構えずに読んでいる分、最後の作者の優しさやメッセージが、すっと素直に入ってきます。最近出た『ブルーベリー・ソースの季節』(目黒条訳 早川書房)もそう。「変だけど、それなりに一所懸命生きてる」という、私の好きなキャラクターがたくさん出てくる、好きな作品でした。
帯に「完全なスラップスティックコメディー」とあるように、私もこの作品をある種のコメディーだと思って読みました。帯に引っぱられた部分は大きいとは思いますが。編集の方は、あのラストシーンを読んでこの帯を書いたんじゃないかな? 次々困難に襲われながらも、ことさら騒いだりしない、淡々としたプリムローズの姿勢は、笑っちゃうと同時に共感も覚えます。ほんとうに、困った事が起きた時って、私もこんな風なんじゃないかな、なんて思って。この本はヤングアダルトというカテゴリーに入るんだとは思うけど、組みや造本は大人向き。テキストの量を考えたら仕方がないのかもしれないけど、こういった本をもっと子どもたちに読んでほしいなと思ったので、そこはちょっと残念でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年10月の記録)


『走っていこう(『キス』の第二話)』

安藤由希/著
BL出版
2004

カーコ:最初にこの第2話だけ読んだときは印象が薄かったのですが、1と3を読んでみたらけっこうよかったので、第2話を読み返しました。大事件が起こるのではない、日常の中の、中学生の微妙な心理が書いてあるのがよかった。だれしも、多かれ少なかれ問題や悩みを抱えていて、それぞれの子がそれを解決しようとするのだけれど、それがうまくいったりいかなかったり。中学生の、そういう当たり前の心情、心の揺れが書けていると思いました。でも、3話のキスはわりに自然だけれど、1話と2話のキスは、嘘っぽい感じがしました。

:ありがちないい話だけど、さわやかでいい作品だと思いました。第一話ですけど、自分の子どもが、こういう男の子に育ったら自慢だなと。自分が中学生だったら、外見の良さにばかりとらわれてしまって、その人の内面的なものまで見抜くことができないから、良さに気づかないような男の子なのだけど。それで私はとても面白く読んだのですが、同僚の男性は、「かつて少年だったぼくとしては、あの男の子は作りすぎで女の人が描いた男の子という感じがする。男ってこんなものじゃない」と批判的だったのが面白かった。自分だけの感覚ではわからないものだなと、つくづく思いました。

きょん:すごく前に読んだんですよ。すらっと読めたのですが、印象が薄くて細部は残念ながら忘れてしまいました。主人公の“あたし”のおとうさんに対する気持ちが、最初はきらいだったのが、マヌケだけど守ってあげたくなる、ずっと一緒にいてあげようという気持ちに変わっていく。この子の心の成長がすごく素直に書けていて好感を持てます。他に好きな人ができて家を出て行ってしまったお母さんが、お父さんが買ってくれたロードレーサーに、これまでは一度もみんなと一緒に乗らなかったけどふと乗りたくなってしまう。そんなお母さんの気持ちも、わかる気がして、ちょっとキュンとなります。また、そのお母さんをだんだん理解して、許していく主人公の気持ちの揺れも、よく描けていると思いました。

ブラックペッパー:たいへんすばやくさらっと読めて、ふわっといい気持ちになりました。でも、これって、良くも悪くも歌の歌詞みたいな文章で、子ども向けの本というよりも、大人が思い出して書いてるって感じ。

:ちなみに、恩田陸の『夜のピクニック』(新潮社)の男の子たちは「あり」ですか?って、先ほどの同僚の男性に聞いたのですけど、あれは「あり」だそうです。

うさこ:読み終わった直後は、行間で読ませる、ちょっとせつない物語だなあと思いました。が、ちょっと離れて考えてみると、この子は冷静でわりと大人で、自己完結している子ですよね。自分なりに消化していくんだけれど、それがどこか嘘っぽい印象。この作者は、主人公と等身大の読者を前に書いているのかな? かつて少女だった、もう少女に戻れない大人が読むとフーンと距離をおいて読めるけど、今、この年齢の子が読んで、本当に感情移入できたり落ち着くところに落ち着けるのか疑問が残りました。結構、コレ的な話は多くて(持ち込み作品などにもあるような…)あんまり新鮮さを感じられませんでした。ささめやさんの絵があるので、どうしても良さげに見えますが。だいたい、お父さんとお母さんがキスするところなんて、中学生の女の子なら、嫌悪感を持つんじゃないかな? そのへんも作りものくさいなあ〜と。

カーコ:でも、この子にとっては、キスはすごくうれしいことだったんじゃないかと思うんですよね。今は不仲な両親にも、昔は愛し合っていたときがあると、信じていたいという気持ちがあるから。私はとてもリアルだと思いましたよ。

アカシア:最初は、時間が前後してフラッシュバックしているのでわかりにくかったんですけど、2度目に読んだら、ロードレーサーに乗りながらいろいろ思い出しているという設定もわかって、この作者はうまいと思いました。第1話の男の子の描き方はともかく、この第2話は、おとうさんのかっこ悪さがよく書けていると思います。宿題を自信たっぷりのおとうさんにやってもらったら全部間違ってたとか、すぐゲップをするとか、しわくちゃのTシャツに着古したジャージという格好とか、かっこ悪いですよ。p96の「『おかあさんはな、ほかにすきなひとがいるらしい』おとうさんがそう言ったとき、あたしはおとうさんってほんとうにばかだ、とおもった。なにを言ってるんだろう、とおもった」も、細かく書き込みはしないけれど、行間からいろんな想像ができるじゃないですか。p93には「おかあさんはなにかすごいものがじぶんの前にある、という手つきでサドルを一度だけゆっくりなでた。/でもどうでもいいわ。/そんな顔をしていた」も情景が浮かんできます。冒頭のトラックの運転手さんとのやりとりとか、テーブルの上のふきんが四角くたたまれていたことからお母さんが来たのを主人公が感じるところにしても、この作品には、ゲーム的ファンタジーにはない細部の描写がちゃんとあります。しかも書き込みすぎていないのがいい。一つだけ残念なのは、中学生くらいの男の子って、「キス」っていう言葉が書名にあると、恥ずかしくて本が買えないんですって。本当にそうらしいの。

小麦:「嘘っぽい」という意見が出ていましたが、私もそれは感じました。この作家はとても器用な方なんだと思います。言葉は悪いけれど、こう書いたらこうなる、ここでこうしたら読者を引き込める、といったことが明確にわかっている。それを書きながら自分でうまくコントロールできるんだと思います。よく剪定された優れた作品だとは思うけど、剪定されすぎて印象に残りにくいという気がします。文中では、中学生の女の子が語り手におかれてますけど、私は「成長して大人になった主人公が、自分の大切な物語を思い出すように書いた」というスタンスでこの作品を読みました。成長して、時を経るにつれ、実際のなまなましさや嫌悪感なんかがうまく濾過されて、この物語が残ったというような。かといって大げさにならず、淡々と文章を紡ぐ感じは、清々しくて好きでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年10月の記録)