月: 2000年5月

2000年05月 テーマ:家出

日付 2000年5月18日
参加者 ウンポコ、愁童、ねねこ、ウォンバット、ひるね、
オカリナ、ウーテ、モモンガ
テーマ 家出

読んだ本:

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柏葉幸子『ざしきわらし一郎太の修学旅行』

ざしきわらし一郎太の修学旅行

ねねこ:これは、柏葉さんの作品としては、できがあんまりよくない。この作品が、今年の青少年読書感想文全国コンクールの課題図書になってしまうっていうのは残念。憂えるべき、日本児童文学の現状。

オカリナ:ざしきわらしを現代にいかそうとしているのはいいと思うけど、いかんせん作品としての完成度が高くない。

ねねこ:柏葉さんって、読者対象が高い方が文章が上手だと思う。

オカリナ:これはリアリティがなさすぎ。お母さんがすぐにあたふたするとか、ざしきわらしを誘拐するところとか・・・。

ねねこ:自分の世界に、自分ひとりだけワーッて入っていっちゃって、説明不足になってるんじゃないかな。それじゃ読者はついていけなくなるから、筆を足したり、少し客観的に描写しないといけないんだけどね。男性像、女性像も、ちょっと古いとこあるのよねえ。それに、単身赴任中のお父さんの住んでるとこへ行くのは「家出」じゃなくて、「家移り」。だって、どっちも自分の家じゃん。

ウンポコ:ぼくも滅入っちゃったな。ざしきわらしに、ちっとも魅力がないんだもん。柏葉さんって、いい作品がいっぱいあると思ってたけどな。今、忘れられかけてるざしきわらしを、現代にいかそうというのは、とてもいいことだと思うんだけど・・・。

ねねこ:柏葉さんの永遠のテーマなんだよね、ざしきわらしって。ざしきわらしの話、たくさん書いているもの。柏葉さん、最近ちょっとマンネリぎみかもしれない。日本の作家って、ともすると起承転結にこだわりすぎるように思うんだけど、それが物語をつまらなくさせてるんじゃない? 『霧のむこうのふしぎな町』(講談社 青い鳥文庫にも)には、日本ばなれしたのびやかなおもしろさがあったのに、残念。

オカリナ:なんていっても、これが課題図書っていうのは、どうなの?「いじめに立ち向かう」っていう点で評価されたのかもしれないけど、それは、この作品の中ではただの図式でしかないのに。

ウンポコ:登場するざしきわらしが、ざしきわらしとしての魅力をちゃんと備えていれば、ちょっとくらいストーリーが破綻してたって、問題ないんだよ。この作品は、ざしきわらしがもってるはずのミステリアスな魅力が失われちゃってる! なんだか今日は、さえない終わり方になっちゃったなあ。

(2000年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


ヘルトリング『テオの家出』

テオの家出

モモンガ:これは『クローディアの秘密』と『ダンデライオン』の、ちょうど中間に位置する作品かしら。全体に暗い感じはするけど、味方になってくれる大人がいてくれて、そのパパフンフンとテオの心の結びつきが、とってもいい。これからテオが何かを見つけるっていう安心感、将来の希望が感じられた。

ひるね:私も、おもしろかった。テオの心情の移り変わりが、とても自然に描かれてるわね。パパフンフンだけではなく、途中で出会う人びとが印象的。ケマルとか、店番をしている女の子とかね。深刻になりすぎないで、ユーモアをまじえて描いているところがいいと思う。読んでくうちに、パパフンフンに惹かれていくのよね。テオの成長の過程も、きちんと見えるし。先代の三遊亭金馬の「藪入り」ってあるじゃない? 私、大好きなんだけど、家族から離れることで子どもが目覚ましく成長していくところなんか、あれみたいだと思った。メルヴィン・バージェスの『ダンデライオン』のジェンマより、テオの方がよっぽど自分で選択してると思うし、これから先しっかり生きていけそう。明るさを感じるわ。でも、これはテオが10歳だったからであって、もしもっと年齢が上だったとしたら、こんなふうにはいかなかったんじゃないかしらね。テオの両親が離婚しちゃったのにも、どきっとさせられたわ。あまく流されていないっていうのかな。
この作品も『ダンデライオン』も、作者の社会を見る目、子どもを見る目が、しっかりしてる。真実を誠実に伝えようという姿勢が伝わってくる。主人公だけでなく大人の描き方にしても、それを感じた。パパフンフンに家族のことをたずねたら、「いない」とすぐにきっぱり答えた、というところがあるでしょ。この1行だけで、パパフンフンのそれまでの人生が、よくわかる。それとか「学校ではヒョーキンもののテオが、家に帰ると変わってしまう」っていうところなんかも、作者はきちんと見てるんだなあと思った。今、ティーンエイジャーの犯罪が社会問題になってるけど、犯人の少年についてまわりの大人は「彼がこんなことをするなんて信じられない。ヒョーキンで明るい子だったのに」なんて、簡単に発言したりするでしょ。親も先生も、子どもに対して無関心で、表面的なことしか見てない大人が多いんじゃないかと思う。だって実際には「ヒョーキン=明るい」ということには、ならないのにね。ヒョーキンを「演じてる」ってことだってあるから・・・。誤解だよね。そういうところ、ヘルトリングはちゃんとわかってるんだなあと思ったな。

ねねこ:今回の4冊の中で、心情的にはこの作品がいちばん自分の家出に近いと思った。テオは自分が死んで、両親が嘆き悲しんでるときのことを想像したりするでしょ。これなんて私もよくやったし、その気持ちはよくわかる。子どもの無力感みたいなものが、よく描けていると思う。テオみたいな、苛酷な状況にあったとき、子どもに何ができるの? って考えてみると、どうしようもないのよね。結局、子どもには何もできないわけじゃない? 子どもは、どんな状況でも受け入れるしかない。そういう厳しさが、とてもよく描けていると思った。子どもの内面の深みとか、そのつきつめ方が『クローディアの秘密』とは全然違う。どんなに苛酷な状況だったとしても、がまんしなくちゃいけない期間ってあるでしょ。子どもは、その時代をなんとかやりすごす術というのを、身につけなくてはいけないのよね。

愁童:ぼくはこの本を読んで、「なんで本を読むのか」というか「本を読む原点」みたいなものを、思い出した。読んでよかったと思える本。やっぱりパパフンフンに会えるっていう体験・・・人生の先輩、尊敬できる先輩に会えるというのかな。疑似体験だけど、それが楽しめるから、本を読むんだと思うんだよ。今回の4冊の中では、いちばん安心して読めた。

ウォンバット:私も、おもしろかった。やっぱりパパフンフンが好き。風貌もふくめて、とっても魅力が感じられた。全体的なトーンは、グレーではじまりグレーでおわるって感じなんだけど、暗すぎないし、嘘っぽくないと思うな。

オカリナ:テオみたいな、こういう状況だからこそ、家出するのよね。閉塞状況がとてもよく描けていると思った。「ここじゃないどこか」に行きたくて、転々とするわけだけど、そこで起こる出会いのひとつひとつについて、もうあとひと筆でも、あったらもっとよかったのにと思った。そこが、ちょっと物足りなかった。残念。それに絵も・・・暗すぎると思うんだけど。

ウォンバット:同感。

愁童:ぼくは好きな絵じゃないけど、効果的な絵だと思ったよ。

ウンポコ:ぼくは、この絵、好きだな。とくにパパフンフンがテオを抱きしめるところ(p180)なんて、いいなあ。成功してると思うよ。他の絵描きさんでは、この雰囲気を出すの、難しいんじゃない? 物語もよかったよ。ぼく、ヘルトリング好きなの。『おばあちゃん』(上田真而子訳 偕成社)と『ヨーンじいちゃん』(上田真而子訳 偕成社)が、とくに好き。ヘルトリングは大人を描くのが、うまいと思うんだよね。子どもは残念ながら、自分で家族を選べないわけだけど、パパフンフンみたいな大人もいるんだよっていうのは、子どもを勇気づけると思う。テオみたいな子どもに対する応援歌になってるんじゃないかなあ。エレベーターで出くわす「安ものの香水の女」も、いかにもいそうな感じ。現実には、好き嫌いに関わらず、こういう人に会っちゃうことってあるだろ? いかにもありそうなことなんだけど、こういうことまで書く人、日本の作家にはいないよね。現実には、こういう人ともうまくやっていかなくちゃいけないのにね。

ねねこ:ねえ、親ってなんなんだろうね。

ウンポコ:どんな親であれ、子どもは親に対して満足できないもんだと思うよ。それにしても、ヘルトリングって「この人こそ、少年の物語を書く人」っていう気がする。健全な作家姿勢を感じるね。メッセージも、しっかり伝わってくるし。

オカリナ:私も、ヘルトリングって誠実な人だと思う。最近の彼の作品は、ちょっと暗いものが多いんだけど、社会状況が悪くなってるから、しかたないって部分はあるんじゃない? こんな世の中で、嘘っぽくなく、つくりものっぽくないものを書こうとしたら、どうしたって暗くなっちゃう。そらぞらしいことの書けない、まじめな人だから、現実を書こうとすれば、暗くなってあたりまえ。

ウーテ:これは1977年の作品だから、まだパパフンフンが存在してたんだけど、今はパパフンフンみたいな人って、いなくなっちゃったでしょ。このごろのヘルトリング作品に、温かさが感じられなくなったのは、ヘルトリングが変わったのではなく、社会が変わったんだと思う。ヘルトリングの生い立ちは、悲劇的なのよね。彼は1933年生まれで、お父さんは弁護士だったんだけど、ちょうどヒットラーの全盛のときでしょ。アンチ・ヒットラーだったお父さんは収容所に送られて亡くなり、お母さんは、その後やってきたソ連兵に子どもたちの目の前でレイプされて、自殺。結局、孤児になってしまったのね。そんなふうに小さいときに家族を失ってしまったから、「家族」というものに対する憧れとか思い入れが、人一倍強いんじゃないかしら。もともとは詩でデビューした、大人向けのものを書く作家だったのよ。それが、自分に子どもが生まれてみたら、子どもに読ませたい本がない、だったら自分で書こうって、子どもの本の世界に足を踏み入れた人なのよね。とっても良心的で、適当なことなんて書けない人。詩人だから、「行間で勝負!」という感じで、言葉が少ないのね。だから、翻訳はとても難しいと思う。詩人的な要素のある人の作品は、難しいものよね、翻訳するのが。反対に、ネストリンガーなんかはとっても饒舌だから、訳しやすいと思うけど。

ねねこ:「無口な男ほど理解しにくい」ってのと、一緒よぉ。

愁童:『ダンデライオン』に出てくる煙草屋さんって、ちょっとパパフンフンと似た存在なんだけど、ジェンマやタールに対してもっと冷たいし、まるっきり無責任だよね。彼のような存在に対する扱い方が、ヘルトリングとバージェスでは全然違う。作家の姿勢の違いを痛感するところだね。やっぱり子ども読者を意識してる作家だったら、作品のどこかに明るさがなくっちゃね。いろいろとつらいことはあるだろうけど、がんばって生きていけよっていうようなさ。

オカリナ:絵空ごとになっちゃいけないわけだから、良心的であろうとすればするほど、時代とともに作品は暗くなっちゃうんじゃないかな。

ウーテ:フィクションには普遍性が必要だから、難しいわよね。ノンフィクションだったら、ちょっとくらいヘンでも「事実です」ってことで、すんじゃうけど、フィクションは、そうはいかないから。ヘルトリングって、ほんとにまじめないい人なのよ。

愁童:テオが街の子に会って元気づけられるっていうところ、あったね。あそこもあったかい感じがして、よかったな。一方『ダンデライオン』は、街の子に会って落ち込んでいくんだよ。この違いも大きい。

ひるね:『ダンデライオン』と『テオの家出』では、主人公の年齢による差もあると思うわ。テオがタールの年だったら、またちがったでしょうね。

ウンポコ:翻訳者が苦労して訳してくれたおかげで、日本の子どももこのすばらしい作品を読むことができるんだ。ぼくは、日本の子どもを代表して、訳者にお礼をいいたい気持ちだよ。

(2000年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


カニグズバーグ『クローディアの秘密』

クローディアの秘密

オカリナ:これは、もう評価の定まった作品だけど、「家出」をテーマにするなら、はずせない作品よね。でも、メルヴィン・バージェスの『ダンデライオン』とは、主人公の階層もちがうし……。まあ、ひとつの自分探しの物語だけど、私は何度読んでも、強い印象をあまり受けないの。どうしてかな?

ウーテ:私は、この作品は3回くらい読んだけど、なんといっても家出する先がメトロポリタン美術館だというのが斬新で、わくわくするわね。家出って、子どものとき、みんな憧れるものでしょう。どうしてこの作品が名作といわれてるのか、その秘密について今日は考えてみたいと思ってるんだけど。

ひるね:以前に読んだときも思ったんだけど、やっぱりキャラクターの作り方が、うまいのよね。フランクワイラー夫人もクローディアもジェイミーも、どのキャラクターも生き生きしてる。とってもよく描けていると思う。ただし、フランクワイラー夫人の弁護士が、実はクローディアのおじいさんだったというオチは、ちょっとやりすぎ、というか筆がすべっちゃったという感もあるけどね。だって、クローディアは大冒険をしたつもりだったけど、結局安全な範囲内で動いていたということになっちゃうわけでしょ。でも、名作といわれるだけのことはあるわね。アメリカでの出版が1967年だから、もう30年以上も前の作品だけど、今読んでも楽しめるもの。

ねねこ:この作品は「家出」というより「冒険」の物語よね。私には家出は一人でするものという思い込みがあるの。そこで味わう孤独感や浮遊感こそが、家出の醍醐味、大切な部分だと思うから。クローディアの場合、悲壮感はあまりないし、弟を連れていくってことで、どこか家のにおいをひきずり、安心感に包まれている感じがする。私も子どものころよく家出したんだけど、そうねえ、1年に2回はしてたかな。姉といっしょの時と一人の時では、緊張感がまったく違った。あのころは「ここじゃないどこかへ行きたい」という気持ちが、いつもどこかにあったのよねえ。

モモンガ:私は、この作品、初めて読んだときの印象が、ものすごく強烈だったの。今読んでも、やっぱりいいなと思う。今でも名作を紹介するブックリストなんかを作るときには、必ず入れる作品。新しい新しいと思ってたけど、もう30年も前の作品になっちゃったのねえ。『ダンデライオン』とちがって、クローディアには、何か大きな不幸があるわけじゃない。この作品は、一言でいえば「アイデンティティの確立」ってことになるんだけど、家出して自分の力で何かをやりとげる、内面的な何かを得るっていう物語。さっきの『ダンデライオン』と比較してみると、『ダンデライオン』には「何かを得る」って手応えが感じられないのよね。あと、最初に出てくるフランクワイラー夫人の手紙の意味が、あとになってわかるっていうからくりも、とても新鮮だった。クローディアの冒険がおもしろいものだから、最初の手紙のことはすっかり忘れて読み進んでしまうんだけど、最後になってはじめからすべて仕組まれていたことがわかり、やられたっていう驚きがあって。今はそういう凝った趣向の作品もいろいろあるけど、あのころはまだそんなになかったでしょ。

ねねこ:印象に残る場面、視覚的にぱっと目に蘇ってくる場面がたくさんあるわね。

愁童:とてもよくできてるよね。さすが名作といわれるだけのことはあるね。この作品の魅力は、知的なおもしろさだと思う。「知」の部分がとっても綿密。だけど、少しばかり「知」偏重かもしれない。というのは、「情」の部分に、ちょっと物足りなさを感じるんだよな。できすぎというか、作られすぎで、意外性が感じられないっていうか……。

ウンポコ:ぼくはこの作品、タイトルは知ってたけど、読んでなかったの。今回読む機会があって、本当によかった! とってもおもしろかった。もうねぇ、かなり好きな作品。クローディアもジェイミーも、とってもいい子なの。一所懸命でさ。アグレッシブなんだよね。そんな彼らがいじらしくて……。おじさんは、いとおしくなってしまったぞ。彼らといっしょにメトロポリタン美術館に潜んでるような気持ちになった。疑似体験できたね。ぼくもずっと、早く家を出たいと思ってた子どもだったんだよ。それで大学に受かったときに、やっと波風立てず、合法的に家を出られることになって、ひとりで東京に出てきたんだけど、そのときの喜びとか解放感というのを、なつかしく思い出した。それは家出ではなかったけど、でも家から離れる、ある種、家を捨てるということでは同じだからね。ぼくは、この本、多くの人に薦めたい! しかけもうまいし、ストーリーもとてもいいと思うから。

ウォンバット:私はこの本大好きで、小学校4年生のときに出会って以来、何十回もくりかえし読んでて、もうすっかり自分の血となり肉と・・・それも脳とか心臓とかのだいじな部分になっちゃってる本だから、論じるっていうのは難しいなあ。あんまり好きすぎて、分析できない。映画や音楽、恋人もだけど、あまりにも好きなものって、そうならない? この本を好きな理由でいちばんに思い浮かぶのは、クローディアのキャラクターかな。オール5でいちばん上の子で、しかも女の子だからって不公平が多すぎると思ってる・・・そのくらいはだれでも書きそうだけど、それだけではないの。遠足に行っても、虫がいっぱいいたり、カップケーキのお砂糖がとけたりするのが不愉快だとか、お母さんたちに「私たち家出するけど、FBIを呼ばないで」って手紙を送るときに、もう1通投函するんだけど、それがコーンフレークスメーカーの懸賞。こんなときに! 全然うわついてないのよね。細かいことなんだけど、こういうことで彼女の性格が、とてもよくわかる。おかげでクローディアの姿は、輪郭だけじゃなく頭のてっぺんからつまさきまで、つぶさに目に浮かぶようになってくる。とってもリアリティがあるのよね。この本に出会う前に読んでいた本の主人公は、「いかにも本の中の人」という感じで、身近に感じられることってなかったような気がする。クローディアは私が、近しく感じた最初の主人公かも。それでね、クローディアの家出の計画が、実に具体的で用意周到。もう、あったまいい! やっるぅーって感じ。あと、ジェイミーの台詞も好き。読み返すたびに、うれしくなっちゃう。「家出にいく」とか「ちぇっ、ぼろっちいの」とかね。「ぼろっちい」って、今だったら「さえねぇー」とか「超カッコわりぃ」っていうとこだろうけど。たしかにこの物語は「家出」というより「冒険」の物語だと思う。だからこそ「家出にいく」っていう台詞もあるわけで、全然悲壮感がない。「家から逃げる」んじゃなくて「私の価値を思い知らせてやる」ための行動だから。こういう威勢のよさ、プライドの高さも、私好み。今気づいたけど、この本とあとの3冊との大きな違いは、それかなあ。あとの3冊は「家から逃げる」ための行動なわけでしょ。それこそが、ほんとの家出なんだけど。

モモンガ:表面的には、クローディアって家出する必然性のなさそうな子に見えるけど、そういう子だって、実は心の中には、いろいろなものを抱えてるのよね。

ウォンバット:そうそう、そうなの! そういうことをわかってくれてるってのがウレシイ。優等生とか、何も問題がないとされてる、いわゆる普通の子だって、不満を表に出してないだけであって、何も感じてないってわけではないのよ。

ウンポコ:この物語には、ちゃんとわかってくれて、見守ってくれる大人がいるから、安心感があるね。

オカリナ:『テオの家出』に出てくるパパフンフンとかね。両親ではなくて他人なんだけど、支えてくれる大人がちゃんと存在していて、受け止めてくれるって、いいよね。

(2000年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


メルヴィン・バージェス『ダンデライオン』

ダンデライオン

愁童:これは、おもしろかった。すいすい読めたね。レベルの高い作品だと思う。でも、今回の「家出」というテーマでとりあげるのは違和感があるな。家出するシーンから始まるんだけど、「家出」そのものというよりは、そこに端を発したディープな世界を描いた物語だからね。だけど、この作品をフィクションとして世に問うっていうのは、どういうことなんだろう? とっても現実感があって、よく描けていると思うけど、これだったら、ルポを読んだ方がいいんじゃないかって気がするんだ。どうも読後感がよくなくて。おもしろくてレベルの高い作品だけど、「これをどう評価するか」ということになると、迷うよね。いいのか悪いのか、よくわからない。大人が文学として楽しむのはいいけど、あえて子どもに読ませたい内容ではないからね。何かストンと落ち着かないものがあってさ。最初の3分の1くらいで、もう結末も想像がついちゃうし。あと、文体なんだけど、一人称で章ごとに話者がころころ変わるから、こんがらがるね。原文は、どうなんだろう。もっと識別しやすくなってるのかな? それにしても、16歳から失業保険がもらえるなんて、イギリスはすごい国だねえ。

モモンガ:私はこの本、図書館で借りられなくて、昨日買ったの。だから、まだ途中なんだけど、おもしろく読める本ね。とくに女の子が生き生きと、よく描けていると思う。これは、書店では一般書、大人向けの文学の棚においてあったんだけど、作者は、だれに向けて、だれに読んでもらいたいと思って書いたのかなあ。

ねねこ:私も、やっと昨日借りられたの。まだ30ページしか読んでないから、ちょっとコメントは無理みたい。

ひるね:これは、ガーディアンとカーネギーのW受賞作品なのよね。そのころ、私ちょうどイギリスに滞在していたんだけど、普通の先生や図書館員たちは、この作品の受賞に眉をひそめてた。こんなに暗いものを、あえて子どもに勧めることはないのにって。そういうこともあって読みそびれてたんだけど、今回読んでみたら、おもしろかったわ。そして、痛ましかった・・・。バージェスの作品に出てくる子どもたちは、みんな普通の子なのね。そういう子が、泥沼にはまっていく様子が、よくわかった。キャラクターが、実にはっきりと描かれているし、登場する大人もステレオタイプじゃなくて、いいわあ。あと「家出」と「ドラッグ」って、全然関係ないように思ってたけど、実は、密接な関係にあったということに気がついたの。家出した子がドラッグと出会ってしまうのって、道ばたの石ころでつまずくようなアクシデントではないのね。当然のことだったんだって、はじめて気づいた。家出するのもドラッグにはまるのも、動機はいっしょなのよ。両方とも「ここから脱出したい、逃避したい」というところから始まるわけでしょ。この作品、若い人はどんなふうに読むのかしら。バージェスファンの子は、あまりのひどい状況に「もうやめてよ」と、思いながら読んだって言ってたたけど。たしかにひどい状況なんだけど、ラストのジェンマの選択には、希望が感じられて、よかった。
バージェスって、一見冷たくて、つきはなした描き方をするんだけど、最後まで読むと、何かあったかいものが感じられるのね。人間、まちがえちゃうこともあるけど、まちがえたら軌道修正しながら、生きていけばいいんだよっていうような。あとタイトルなんだけど、この本、原題は
Junk なのよね。私は、日本語のタイトルは『ダンデライオン』でよかったと思うけど、もしバージェスが知ったら、嫌だと思うかもね。あますぎるって言うと思う。全体に、訳がとてもよかった。この人の訳、『シズコズドーター』(キョウコ・モリ著、青山出版社、1995)は、いまひとつだったけど、今回はよかった。あれは作品としては、おもしろかったんだけどね。そういえば、『シズコズドーター』はアメリカではYAの棚に置かれてるのに、日本では、大人の外国文学の棚に置いてあるわね。あと、どうしてこの本、あとがきが訳者じゃないのかしら。そんなに特別なことが書いてあるわけでもないのに。

ウーテ:私はこの本読めなかったんだけど、なぜかタイトルだけはよくおぼえてたの。書評で見かけたのかしら。たくさんとりあげられてた? 今ここで見せてもらってたんだけど、ちょっとびっくりしちゃった。「〜なのよ」とか「〜だわ」という口調! 今の女の子って、こんなふうにしゃべらないでしょ。これは抵抗あるなあ。リアリティがないと思う。

オカリナ:でも、これは子どもの本ではなくて大人の本として出版されているから。大人の本では符牒になっちゃってるからね、こういう口調。子どもの本の方がそういうところ、神経を使ってるんじゃない?

ウーテ:翻訳専門語っていうの、あるわよね。それにしても、この会話はキレイすぎる。30年前の言葉じゃないの?

ねねこ:たしかに本の中にしかない言葉って、存在すると思う。今現実には、ほとんど使わない言い方。幼い女の子が一人称で「〜だわ」を多用するファンタジーなんか、時代は確実に変わっていると思う。

ひるね:先月もいったけど、キムタクのドラマ「ビューティフルライフ」の会話は、リアリティがあって、そのへん、とても上手だったわよ。

オカリナ:私、今日は資料をいろいろ用意してたのに、忘れてきちゃった。原本とかバージェスのインタビューとか、みんなに見せようと思ってたのにな。私も、この作品おもしろかった。救いがなくて、暗い気持ちになったけどね。ウチも上の子が裏街道系だから、こういう思考ってすごくよくわかるの。主人公の二人は、14歳の男の子と女の子なんだけど、男の子は性格的に弱いって設定なのよね。彼の明るい未来が感じられないまま、物語は終わってしまう。ヘロイン中毒は脱出したけど、メタドン中毒のままで、ジ・エンド。女の子の方はすっかり立ち直って、希望のもてるラストになってるんだけど。
私は、タイトルは『ジャンク』のままの方がよかったと思うんだ。日本には今、ヘロインってそんなに入ってきてないけど、安心していられる状況ではないでしょ。日本の子どもたちにとっても、そのうち麻薬は人ごとじゃなくなると思うのね。不安や不満をいっぱい抱えてるティーンエイジャーにとって、ヘロインとかLSDって大きな誘惑になると思うから。それでね、この本の登場人物タールやジェンマに共感できるような子たちにぜひ読んでもらいたい本なのに、『ダンデライオン』っていうタイトルでは、そういう子は、手にとらないと思うの。裏街道系の10代には、アピールしないタイトルじゃない? だから、ちょっと残念。アメリカ版はJunk ではなくて、Smackというタイトルだった。あと、最初に登場人物紹介があるけど、これが中途半端でよくなかった。だって、たとえば「リチャード=アナーキスト」って書いてあるんだけど、読んでいくと必ずしもそうじゃないのよね。

ひるね:登場人物の紹介が最初にあるのって、大人のミステリー本の作り方よね。

オカリナ:図書館の人なんかに、人物紹介があった方が子どもにはわかりやすくていいって言われたんだけど、紹介文を工夫してほしい。前もいったけど、私は今「現代児童文学における家族像の変遷」というテーマで考えてるの。「家族」っていう単位に、求心力がなくなってきて、バラバラになっちゃってるでしょ。何かで読んだけど、今、イギリスの家庭の3分の1は、血のつながってない子どもを育ててるんだってね。親が親として機能しない、というかちゃんと親の責任を果
たせない人が、親になっちゃってる時代よね。この物語では、ジェンマの家庭はまあ普通だけど、しいていえば親が過干渉。タールのところは、典型的な暴力父とアル中母。それで家を出て、自分の居場所を探しにいくわけだけど・・・。今の家庭に希望がもてなくて、外に出て新たな自分の家族を探すっていう物語は、たくさんあるよね。『ジュニア・ブラウンの惑星』(ヴァジニア・ハミルトン著 掛川恭子訳 岩波書店)とか、スピネッリの『クレージー・マギーの伝説』(菊島伊久栄訳 偕成社)とかね。もう、これって文学の中だけの問題じゃなくなってきてる。今の子どもたちにとって、身近な、切実な問題になってきてるんだよね。

ウーテ:だからといって、この作品、若い子が共感できるかしら?

オカリナ:表面的ではない、ひとつの体験ができると思うな。まあ、疑似体験だけどね。

ウォンバット:私はリアルに疑似体験しすぎて、読んでるうちに身体に変調をきたしちゃった。なんだか気持ち悪くなっちゃって。ヤクの禁断症状がいっぱい出てくるからじゃないかと思うんだけど。具合悪くなりながらも、早く続きが知りたくてばーっと読んじゃった。おもしろかったな。イギリスのダークな部分を強く感じた。やっぱりパンクの本場イギリスはちがうなあと思ったね。音楽でも、日本やアメリカのパンクロックって、形だけっていうか、あまっちょろい雰囲気があるけど、イギリスのパンクは「魂の叫び」って感じ。やっぱり歴史のある国は、抑圧に反発するパワーがたくさん必要なのかなあ。「スクワッター」っていえばね、4〜5年前、姉と自由ヶ丘かどこかを散歩してて、ここしばらくだれも使ってませんって感じのビルの前を通りかかったことがあったの。それで私が「こんなに栄えている場所に、突然荒れ果てたビルがあるのって不気味だね」っていったら、姉が「イギリスだったら、こういうビルなんて、占拠されちゃうんだから」って言いだして、私はそのときスクワッターって知らなかったから、「えっなにそれ。こわーい」とかなんとかいったんだけど、そのときの会話を思い出した。これのことだったのねえ。だけど、ここに出てくるスクワッターってよくわかんないな。ポリシーがありそうで、なさそう。
あと、さっき登場人物紹介の話があったけど、私は人物紹介はなくてよかったと思うな。こういうところにパンクって書いてあるのも、ヘンな感じ。あんまり有効な情報とは思えないし。ま、それはいいとして、彼らがずぶずぶ泥沼にはまっていく様子が、とってもよく描けてると思った。14歳とか15歳って、いちばん危険な年頃よね。なんだかわけもなく、不満があるというか、なんでもないことなのに、無性に腹が立ったりして。そういうイライラ感を、なつかしく思い出しましたね。

ウンポコ:ぼくはねえ・・・こういう本って苦手なんだなあ。なんとか半分くらい読んだけどさ。登場人物のだれにも共感できないんだよ。ドキュメンタリーを読むような興味だけで、なんとかここまできたけど、全部読むのは苦痛だね、たいへん。こういう「単なるスケッチ」みたいな作品は、好きじゃないの。角田光代の『学校の青空』(河出書房新社)にも、同じことを感じたんだけど、切り取り方の問題だと思うんだよ。ぼくは作者のメッセージを、しっかり感じたいタイプなんだよね。だから、作者の姿勢が見えてこないのは、どうもだめだ。

愁童:この本のメッセージって、なんなんだろう?

ひるね:「麻薬は怖い」というだけではないと思うのよ。何かを大々的にばーんと掲げているわけではないんだけど・・・。さっき「救いがない」っていう話があったけど、最後の方に出てくる、タールのお父さんとジェンマとのふれあいが、唯一、救いといえば救いよね。

ウーテ:話は変わるけど、ティーンエイジャーが自分たちのことを書くっていう作品もあるでしょ。この作品はそうではなくて、大人がティーンエイジャーを描いているわけだけど。今まさに渦中にある若者が執筆するのと、大人になった作者が10代のころを振り返って執筆するのって、何か違いがあるのかしら? やっぱり大人になってから書くと、そこに評価や追憶が加わるのかなあ。私の目下の関心は、それだわ。ねえ、みなさんはどう思う?

(2000年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)