月: 2016年4月

2016年04月 テーマ:寛容と赦し

日付 2016年4月22日
参加者 アカザ、アカシア、アンヌ、ルパン、西山、マリンゴ、カピバラ、ハル、
さらら、レン、げた、レジーナ、きゃべつ
テーマ 寛容と赦し

読んだ本:

(さらに…)

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ワンダー

さらら:去年3月オランダの本屋さんで、とにかくこれがおすすめと、『ワンダー』の原書を手渡され、そのあと日本語版を読みました。そして日本人の作家がなかなか書けないこと、日本語では語られてこなかったことを巧みに書いているな、という印象を持ちました。オーガストは素直でとてもいい子。温かい家族の中でまっすぐに育っているけど、自分の障碍のことは常に意識しているし、傷つくことだってあれば、自分を「奇形」と呼ぶことだってある。でも全体に自分のとらえ方がクールであまり感傷的にはならず、そこに好感が持てました。いじめがあっても陰湿じゃなくて、解決に向かって動き出す。日本の現状のなかで、もしこんな男の子がいたらまわりはどう受け止めるだろうかと考えると、そこからリアリティを持って書こうと思ったら、もっとストーリーも暗く、文章も重くなりそう。とにかく、いいお話でした。ただ最後のほうで展開が速くなり、オーガストをいじめている男の子が転校しちゃったという解決が、やや安易な気がしました。

アカザ:なぜワンダーというタイトルをつけたのかと思っていましたが、最後まで読んで、主人公のオギーがワンダーなのだと分かりました。こういう障碍があるのに、真っ直ぐに育つなんて。何ページか忘れましたが、「自分には障碍はない」という言葉が印象的でした。障碍は、むしろ周りの人たちにあって、その人たちが試されている。そういう様々な人たちの視点で書かれているところが、この作品が成功した理由だと思います。サマーという女の子は出来過ぎだし、ジュリアンはステレオタイプ。わたしも含めて、ほとんどの人たちは、サマーとジュリアンの間にいると思うので、ジャックにいちばん共感をおぼえました。リアルな作品に見えて、実はファンタジーだと思うのですが、読んだ子どもたちがどんなことを考えるか、聞いてみたい気がします。

さらら:『ワンダー』という言葉をタイトルにするにあたって、ナタリー・マーチャントの詩が一部冒頭に引用されていますね。ロアルド・ダールの『マチルダ』のミュージカルも、冒頭に、新しく生まれてきたどんな命も「ミラクル」という詩があって、すごく似てるなーと思いました。
 https://sites.google.com/site/qitranscripts/matilda-act-1
 http://www.azlyrics.com/lyrics/nataliemerchant/wonder.html

ルパン:原書で前半を読んで、途中から日本語訳で読んだのですが、そんなに違和感なく移行できました。私はこれはすばらしい物語だと思って読みました。ただ、最後でオーガストが表彰されるのは、なかったらよかったのにと思います。彼はうれしいのだろうかと、腑に落ちない部分がありました。

アンヌ:初めて手に取った時、目次も註も後書きもなく、「第一章」ではなくpart1と書いてあるのに驚いて、小学生対象なのに読めるのかなと気になりました。各章の冒頭に詩や文学作品の引用が書かれているのですが、この本では歌詞も多く、YouTubeで音楽を聞きながら楽しみました。ジャスティンの章(part5)の最後で、ジャスティンがオギーのことを考え暗い気持ちでいる時に、ふと民族音楽の音階を思い浮かべて心が和らぐところがあります。ここは、音楽で世界をとらえている少年の気持ちがとてもうまく描かれていて、好きな場面です。野外学習で、仲が良くないクラスメイトが、よその学校の子供たちからオギーを守り、それをきっかけに学校中の生徒がオギーにうちとけるという展開には、『町から来た少女』(リュボーフィ F.ヴォロンコーワ著 小学館他)のけんかの場面を思い出し、外敵から守ってそこで身内になるんだなと納得しました。ラストは少しくどいと思いましたが、初めて学校に行き、ブドウでさえ半分に切らないと食べられないような体で1年間を生き抜いたのだから、スタンディングオベーションを受けてもいいと思いました。

アカシア:おもしろく読みました。オギーについて書いた本と言うより、オギ-を鏡にしての周りの人たちの反応やそれぞれのスタンスを書いた本だと思います。最後の部分は余計じゃないかという声もありましたが、私はこれは必要だと思います。大勢がスタンディング・オベーションをしたということは、多くの人が最初は奇妙な顔でしかなかったオギーを、一人の人間として認識するようになったということを表してる。こういう本は、下手な人が書くと「かわいそう」という視点がどこかに入ってきてしまったり、主人公に肩入れするあまりほかの人間が書けていなかったり、ということが多いけど、この作品には「かわいそう」という視点もまったくないし、さまざまな人間も書けている。それがすばらしい。最初のほうで、おならばかりしてる看護師さんが登場したり、校長先生がおしりという名前だったりと、笑わせるところがあります。読書が苦手な子もこういう手で作品に引っ張り込もうとしてるのかな、と思いました。ジュリアンとその家族だけはステレオタイプにしか描かれていないと思ったんですけど、考えてみれば現実にもこういう人っているんですよね。

西山:すっごくおもしろかったです。視点人物を変える書き方は、日本の創作文学ではやりすぎというほど増えているけど、この作品を読んだらこの方法が生きている思いました。たとえを思いついたんですけど、語り手がライトを持っていると考える。例えば、語り手を変えていっても、人(語り手=ライトの持ち手)はかわるけど同じ方向に光をあてているパターンの作品。これは、世界の広がりは立ち現れないし、結局語り手を変えた意味が無い。あるいは、それぞれが照らす方向がみんなばらばらでリンクしていかないパターン。これまた、作品世界は広がった大きなひとつのまとまりにならない。でも、『ワンダー』は、一人称の語り手を章ごとに変えていく手法がとても有効だと思いました。それに、あくまでこういう等身大の子と思って読めました。これから書こうと思う人は勉強になる本だと思いました。それと、いじめは許さないというのは、日本の小説の中では、犯罪に近いものでもけっこう許されているんじゃないかと、気づかされました。処罰されるべきことだというのが足りないかも。たいへん新鮮でした。たくさんの人に読んでほしいと思います。

マリンゴ: 発売直後から書店でよく見かけてましたが、帯の文字が大きすぎて、タイトルは「きっと、ふるえる」だと当初思い込んでました(笑)。とてもおもしろくて、いい作品だなと思いました。オーガストの視点で進むのかと思ったら、次々他の人の視点に代わって、さまざまな角度から物語が進んでいくところがよかったです。312ページに、誰もが一生に一度はスタンディングオベーションを受けるべき、と書いてあって、ああこれは伏線だな、と思っていたのですが、そのことを程よく忘れた頃、ラストに再び出てきて、うまいなと思いました。さらに最後の最後、格言で締めているところも。あと、終盤の映画と森のシーン。物語の展開として、そろそろ主人公に「友達を助ける」経験をさせたいと思うのが、一般的かと思うんですけど、この物語は「友達に助けられる」ことで輪が広がっていきます。その流れが興味深く、とてもリアルだと思いました。

ハル:これはもう、一晩で読んでしまいました。読み終わって最初に思ったのは、「あぁ、こういう本を選べる出版者になりたいなぁ」って。障害にからんで結構きわどい表現もありますし、本のつくりも大胆なところもあるので、こういう本をつくれるようになりたいと思いました。中でも印象的だったのは、ハロウィンのシーンで、ジャックがなんの理由もなく、たとえば嫉妬とか、むしゃくしゃしてたとか、そういったわかりやすい理由もなく、ぽんっと意地悪を言ってしまうところです。児童書の世界って、いい子はいい子、悪い子は悪い子、悪い子もだんだんいい子になって……、というふうにはっきりしているように思いますが、その意味でジャックの行動はとてもリアル。こういった描かれ方をしているのをこれまで私は見たことがなかったので、良い意味で、すごくインパクトがありました。読者の子供たちはこの場面をどう受け止めるのかな、共感されるのかな、というのは興味深いです。

カピバラ:だいぶ前から持っていたんですが、帯の「きっと、ふるえる」を見て、あまりふるえたくはないなと思い、なかなか読み始められませんでした。たまたま今朝のNHK「あさイチ」で中江有里さんがこの本を紹介しており、この本は「普通」というのはどういうことなのかを考えさせてくれる本でしたとコメントしていました。確かにそういう面はあると思います。いろんな子どもたちが出てきて、それぞれの視点から書かれているのがおもしろかったです。一人の人間の中にも、良い面も悪い面もあるところが描けていますよね。オギーが明るすぎるくらいに明るく描かれているんだけど、障碍のある登場人物を描くときによくありがちな、かわいそうとか、哀れむ感情を排除しているところが良かった。たまたまオギーは外見に障害があるけれど、他の人たちは外見ではなく性格に障害があったりするわけですからね。オギー以外では、おねえちゃんの気持ちに共感できましたね。それとお姉ちゃんの彼氏の気持ちも。

レン:半年ほど前に読んだまま、読み返さなかったので細部を忘れてしまったのですが、いろんな子どもの視点で書かれているのがおもしろかったです。共感するところがあったり、そうでもなかったりしながら、さまざまな立場や考え方に触れていける。一度読み始めると、ぐいぐい引きこんでいくストーリーの強さがある。どの子も共感したり、そうでもなかったりしながら、ひきつけられて読み進められるから、全世界で300万人も読んだのかなと思いました。

レジーナ:私は今回の選書係でした。この本は4年前に原書で読んで、日本でも出版されるといいなと思っていました。ドイツ児童文学賞の青少年審査員賞も受賞しています。オーガストをどう受け入れるか、周囲の人間も悩みながら成長していきます。難しい主題の作品ですが、家族の温かさに救われますね。外見が派手になっても、オーガストのことをずっと気にかけているミランダなど、人物造形がしっかりしています。複数の人物の視点で書かれた物語は、内容が薄くなることもありますが、この本はそうではなく、ちゃんと残るものがあります。ナルニアの引用は、瀬田さんの詩的な訳文を使ってほしかったです。最後の表彰の場面は、なくてもよかったのでは。全体的にもう少し短くてよかったかな。オーガストは、悩みながらも障碍を明るく笑い飛ばしていて、すごく強い人間ですよね。私にはとてもできないので、共感しきれない部分もありました。

アカシア:さっきも言ったんですけど、私は最後の場面には二つ意味があると思います。そこまでしないと認められないってことじゃなくて、一つは、周りの人がオギーと付き合った結果外見じゃなく一人の人間として認めるようになったこと。もう一つは、この本は広範な読者に読んでもらおうとしているので、読書嫌いの子どもにとっては、スタンディングオベーションがあったほうがイメージがはっきりしてわかりやすい、ということ。

レジーナ:p130に「ゲームのせいでオギーがゾンビみたいになっちゃうのは、すごくイヤ」とあるのは、どういう意味でしょうか。

西山:ゲームに夢中になって反応しないっていう様子じゃないかな・・・。

さらら:さっき、「ワンダー」や「ミラクル」のという言葉の話が出ましたが、どんな命も神の奇跡、というキリスト教的な意味が、この『ワンダー』に入ってるんでしょうか…? 欧米の読者は、タイトルからして、すでにそう感じるのかしらね。

アカザ:入っているんじゃないかしら。

アンヌ:註を入れないと、小学生にはわからない表現がありますよね。たとえばインクルーシブ教育とか。

アカシア:そこは文中でうまく説明してあります。註は子どもの読者にとっては物語の流れを邪魔する場合も多いので、入れないほうがいいこともあります。これは、そのあたりがよく考えられています。それから、オギーは体も弱く、差別の対象にもなってしまいがちな子ですが、親がちゃんと意志を尊重しようとしている。そこもいいな、と思いました。

げた:ごめんなさい。まだ、最初の100ページくらいしか、読めてないんです。この後、読了したいと思います。楽しみにしています。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年4月の記録)


先生、しゅくだいわすれました

げた:今の小学校には宿題の点検係っていう係があるんですかね。それはともかく、宿題を忘れた時、言い訳を話すことで許してもらえる。子どもたちにそれが受けて、わざと忘れてきて、おもしろい話をしようするようになるという展開になって、お話の発表会の場のようになってきちゃうんですよね。現実には、こんな風にはならないでしょうけどね。職場でも月曜の朝礼の時に、順番にフリーテーマで話すということをしていたことがあったんですが、なかなか大変だったことを思い出しましたよ。おもしろいと思わせる話をするのは難しいですもんね。

アンヌ:物語の枠にとらわれない「ウソ」というのがおもしろいお話でした。ファンタジーの決まり事では、物語の最後に何か証拠が残るような仕組みを置くのだけれど、ここではウソなので何もない。例えば、お話の中で頭をぶつけても「目が覚めたらたんこぶがあって昨日の話は本当だった」となるところが、ウソなので「たんこぶもありませんでした」 となるのが新鮮でした。先生のお話も、生徒たちが引き込まれていって新しいウソの目撃談を誰かが口にすると、それも物語の中にとり込んでしまう。そして、ぐんぐん伸びていく物語は「宿題が出来なかった、作れなかった」 という着地点に収まる。なんだか、一瞬の夢が言葉で語られ教室の中でふっと消えていく感じが、伝承されない物語という感じで新鮮でした。表紙の中にも隠し絵があるし、p.64、p.67の竜のお母さんの挿絵も、 みだれ髪といい裸足といい、怪しそうにおもしろく描けていると思いました。

ルパン:私はあんまりおもしろくありませんでした。子どもたちが「宿題をやらなかった言い訳」として作るお話が、つまらないんです。どれも陳腐でたいしたことないから、宿題忘れが帳消しになっていいと思えるほどの説得力がない。やっぱり、宿題って、やらなきゃいけないものなんです。ましてや、先生が自分で出した宿題を「やらなくていい」というからには、それでもいいやと思えるほどのあっといわせるものがないと。そこが中途半端だと、むしろ「読ませたくない話」になってしまいます。

アカザ:子どもがすらすら読める本だと思いました。特にいやだなという点はなくて気持ちよく読み進めましたが、おもしろかったかときかれれば、ちょっとね。宿題を忘れた言い訳を考えさせるというのはいいのですが、肝心のウソの話がつまらない。ウソ話が奇想天外にふくれあがって、学校が大変なことになるとか、いくらでも冒険できると思うのだけれど、肝心のファンタジーの部分がおもしろくないので、すぐに忘れてしまいそうです。

レジーナ:たわいのない話で、『きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは・・』(市川宣子作 ひさかたチャイルド)に少し似ていますが、私はこういう本はいろいろあっていいと思うし、読んだあとに満足感が得られる短い作品というのはなかなか見つからないので、積極的に子どもに手渡していきたいです。表紙にも工夫がありますね。今の学校現場は、いじめや貧困などいろんな問題を抱え、児童文学でもそうした問題が描かれることが多いですが、この本は、先生と子どものやりとりをほのぼの描いていて、「そういえば学校って楽しい場所だったよね」と思いださせてくれる作品です。

レン:さっと読めましたが、私はそんなにおもしろくありませんでした。宿題忘れちゃうというだけで、おもしろそうと思って子どもは手に取るのかな。中に出てくるつくり話を、私は楽しめませんでした。やらなくてもいい宿題なら、最初から出さなくていいのにって思っちゃいます。子どものときに読んだら、好きじゃない本だったと思います。生活童話のたぐいがとても苦手だったんです。そんなこと言ったって、学校なんて楽しくないのにって思っているヘソ曲がりだったから。

カピバラ:4年生の学級の話なので中学年向けですが、幼年童話かと思うほどの造りですね。4年生向けの本だともっと文章量のある本を想定してしまうけど、今の4年生の読書力が落ちていることを考えると、この薄さ、いかにもおもしろそうなタイトル、ほとんどのページに挿絵入りで、カラーページもたくさんあり、挿絵なしのページは下に余白をたっぷりとって字がぎっしり詰まっていない……読書が苦手な子も何とか読めるように、と考えたところに努力賞をあげたいです。

ハル:そうか、この本は、中学年向けなんですね! もう少し下の子向けかと。ちょっと今そのことに感心してしまって、感想が飛んでしまいそうです。えっと、タイトルから何か、古典的な名作といったものを期待しすぎてしまって、ちょっと物足りなかったなというのが正直なところです。つまらなくはないんですけど。途中で「宿題、もう忘れたくない!」という展開になったところで、新たな展開やオチを期待してしまったんですけど、そこで先生のつくり話がきて終わってしまったので、やっぱりちょっと、ぼやっとした印象を受けました。

マリンゴ: シンプルな話っていうのはこういうものなのだな、と。決して悪い意味ではなくて、むしろいい意味で、お手本になると思いました。自分だったら、みんなのついたウソが一つの物語につながる、というような、もう一段階凝ったストーリーを考えてしまいがちですが、そうなると文章が長くなって本が分厚くなって、中学年向けではなくなってしまう。このくらいの文章量と絵の多さが、中学年の子が楽しく読めるスタンダードなのかも、と感じました。今の子は読書力が落ちていると聞くので……。

西山:読みましたけど、よそに差し上げちゃって手元になくて、地元の図書館では貸し出し中で読み返せませんでした。いまさっとめくって、学校の息苦しい現状が進行していて、学校は重くなりがちだから、こういう軽さは意外と技が必要なのかもと思います。それと、「仕方ないねぇ」っていう緩さが、今回のテーマに沿うんだなと納得。先日テレビで「エイプリルフールズ」という映画を観ました。出てくる人物が全員ウソをついてて、それがちゃんと絡んでいくし、こっちが思っているウソと真相が逆だったり、とてもおもしろかった。作り話がからんでいくとか、どんでん返しがあるとか、中学年向きでも試みてもよかったのではと、欲が出なくもないです。

アカシア:さあっと読めて楽しかったんですけど、後には残らなかった。市川宣子さんの『きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは・・・』と同じつくりですが、あっちは、一人のお父さんがほら話をするので、お父さん像もだんだん浮かび上がってくる。こっちは、一人一人ばらばらに話をするので、ばらばらな感じ。小学生が次々にこんなうまい話を長々とするわけもないので、リアリティもない。想像力の訓練として、あなただったら、どんな話をする? という方向に持って行ければ、それもおもしろいのかもしれないけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年4月の記録)


世界の果てのこどもたち

マリンゴ:非常にいい物語だと思います。私自身、満州での生活など、知らないことがいろいろあって勉強になりました。ただ、児童文学として子どもに積極的に推す気にはなれないかも。やっぱり大人向けの文学だと思います。というのも、引き揚げのとき、中国の人がいかに残酷だったかを描いているシーンがあまりに鮮烈で、そこが強く頭に残りそうだから。高校生以上だったら満州ができた経緯など、基本的なことを知っているので、その上でこの小説を読めるでしょうが、そのあたりの歴史をほとんど何も知らない中学生だと、日本はひどいことをされた被害者だ、という印象のみを強く持つようになってしまうかな、と。

ハル:途中読むのがつらくなるくらい、ドキュメンタリーのような写実性を感じるけど、小説として素晴らしい作品だと思います。一方で、日本人ってこんなに素直だったのかなぁとも思いました。当時のこの悲惨で過酷な状況の中で、「自分たちはこんなにひどいことをしたんだ」と、加害者としての立場をこんなに素直に受け入れられたのかなと、ちょっと主人公たちが都合よくまとまっているような感じもします。この作品にかぎったことではないですが、この先、戦争体験者もどんどんいなくなっていくなかで、記録や体験として残していかなければいけない。でもそこには、伝承者にも読者にも、主観や政治的思想もからんでくるので、戦争を語り継いでいく意義と責任と、改めてこわさも感じました。

カピバラ:育ち方や性格がまったく違う3人の少女が、3人3様の強さをもって困難を乗り越えていくところに感動しました。子ども時代は子どもの視点でよく描かれていて、例えば満州の広い広いトウモロコシ畑で働くシーンなど、ありありと情景が目に浮かびました。子ども時代の部分は児童文学でもいいかなと思ったけど、全体としては児童文学ではないと思います。とてもよく調べ、事実をもとにして書いていると思いました。わたしの母が子どものころ、叔父が朝鮮人の奥さんを連れて引き揚げてきた。その人が翡翠の腕輪をはめていたことや、「チョーセンジンと馬鹿にするな」とよく言っていたことを覚えているそうです。けれどそういう記憶をもってる人は、今はもう2世代前になってしまった。だからこういう本は貴重だし、広く読んでほしいと思います。

レジーナ:児童文学でないというのは、どういう点でしょうか。

カピバラ:戦争や人種のことなど、歴史的背景を知ったうえでないと、偏った印象をもつかもしれないという意味です。

アカシア:出し方が、子どもの本じゃない?

ルパン:出し方が児童文学じゃないというのは?

カピバラ:子どもには隠した方がいいというのではなくて、やはり描き方だと思う。後半、ショッキングな場面が続きますからね。

レン:非常に意欲的な作品だと思いました。最後にたくさん参考文献があるので、こういうことをこの作家さんは書きたいと思ったのだなと。でも、児童文学ではないと思いました。戦前、日本も貧しくて、国内では食い詰めて外国に出て行く人がいたこととか、学校でも政治の場でも暴力がまかりとおっていたのだなということなど、改めて考えさせられました。ただ、私もうは少しウェットに書いてくれるといいのになとも思いました。作者が意図的にそうしたのかもしれませんが、事実が積み重ねられていく感じの部分が多くて。読みながら、ロバート・ウェストールの『真夜中の電話』(原田勝訳 徳間書店)の、触ったものや匂ったものの感じが伝わる文章を思い出して、ひとつひとつの体感がもうちょっとあるとよかったなと。でも、朝鮮だから、中国だから、というのではなく、どこの国の人でもいい人もいれば、そうでない人もいるというのは、よく伝わってきました。もう少ししぼって書いたらYAになるのかなと思う反面、3人を描くことで、この当時の満州の群像劇になっているとも思います。なかなかないテーマに取り組んだ、力のこもった作品だと思いました。

レジーナ:この本は一般書として出版されているので、今回、みんなで読む本に選んでよいか少し迷いましたが、クラウス・コルドンの『ベルリン』(理論社)3部作や、マークース・ズーサックの『本泥棒』(早川書房)のように、戦争というものが多面的に描かれていること、日本人が中国人や朝鮮人の土地を奪ったり搾取したりしたことにも触れていて、加害者としての日本が子どもの目で捉えられていることを考えると、ぜひ中高生に読んでほしいと思ったので選びました。人が生きるというのはどういうことか、国を越えて人と人とが心を通わせるというのはどういうことなのか考えさせる作品です。日本がアジアの中で近隣諸国とどのように向き合っていけばいいか、そのヒントがここにあるように感じました。ウェットな描き方ではありませんが、凍りついたトイレなど、満州での生活の描写はリアルですよね。3人は、おにぎりのことを人生で何度も思いだしていて、その場面がリフレインのようにくりかえし出てくるので、最初はさらっと描かれているからこそ、あとになって胸に迫るように感じました。戦争の時代はすべてがつらかったように思いがちですが、けっしてそうではなくて、のどかな日常もあって、それを奪うところに戦争の悲劇性があるんですよね。

きゃべつ:日本の戦争児童文学では、これまであまり触れられてこなかった部分を描いています。角田光代さんの『ツリーハウス』(文藝春秋)は同じく満州から始まる親子三世代の話ですが、それが縦軸だとすると、これは立場の違う3者を主人公にしていて、横軸的。その当時の中国や朝鮮の人の暮らしを知らなかったので、とても新鮮でした。これだけのものを書きあげてくださったのは素晴らしいと思います。読んでいて、よく調べて書いたことが分かりますが、事実を積みあげていけばリアルに近づくのか、という疑問も持ちました。どんなに日本人の加害行為が描かれても、どこか、読んでいる日本人がほっとできるというか、やむをえないなどと責任転嫁できてしまう余地を残してしまうのでは? それが虚構だとしても司馬遼太郎の歴史小説のように、事実を積みあげているからこそ、読んでいてその部分を見抜くことができない。戦争を知らない世代が描き、戦争を知らない世代が読むということは、その恐れがつねにあるかもしれない。戦争に関する本に携わるとき、自分自身、事実を詰めこめば嘘にならないだろうと思ってしまうところがあります。まじめになりすぎて、当事者だったら入れられたであろうユーモアを入れられなくなってしまったりします。どうやって、軽みを出していくのがいいのか、考えていくきっかけになりました。

レン:先日、浅田次郎さんのお話を聞く機会があったのですが、戦争を知らない人間が戦争を書くのはおこがましいという人もいるけれど、生の形で伝わるように書かねばならないと言っていました。書くことは貴重だと思います。

アカシア:たとえばアメリカのアフリカ系でレズビアンの作家ジャクリーン・ウッドソンは、たとえば白人が黒人の問題を書くとか、レズビアンじゃない人がレズビアンを登場させるといったことについて、書いた人が自分の問題としてとらえているのなら、いいじゃないか、と言っています。表面的にとか、ファッションで書くんじゃなくてね。

きゃべつ:もっと、コミカルに描く作品があってもいいかと思います。

アカシア:当事者でも、そうでなくても、ユーモアを持って書ける作家はいます。ウーリー・オルレブなんか、ユダヤ人で戦禍に脅えているのに戦争ごっこなんかやってる子どもを描いているし、ソーニャ・ハートネットも『銀のロバ』(主婦の友社)で死にそうな脱走兵を子どもたちが興味津々で見に行ったりする。子どもはいつでも子どもだと捉えれば、そこにユーモアもおのずと出てくるような気がします。

アカザ:とても力のこもった作品で、感動しました。現代史を十分に学んでいない中高生もいると聞くので、ぜひ読んでもらいたいと思います。被害者としての子どもたちを描くだけでなく、バランスをとって書こうとしている作者の心配りが感じられました。3人の少女の個人史を語っているので、視点が広がっていると思います。児童文学として書かれたものではないけれど、3人が優等生すぎるというか、健気すぎるところが児童文学的。この作者には、もっともっと子ども向けの作品を書いてもらいたいと思いました。戦後の部分が駆け足になってしまった感じはしますけれど。

ルパン:たいへんな意欲作だと思います。子どもが読んでも、それほど善人悪人という色分けは感じないのではないかと思います。中国人が悪いとか日本人が悪いとかいう偏った書き方はしていないから。私がいちばん強烈に印象に残ったのは、にぎった手をこじあけられて、たったひとつのキャラメルを奪われる場面です。いろいろな意味で、リアルにぞっとしました。その記憶を持つ少女がおとなになって好きな人との結婚に踏み切れなかったのはせつなすぎました。児童文学という観点からすれば、主人公が必ず幸せになる予定調和がほしかった。

アンヌ:かなり読むのに時間がかかりました。児童文学だと思い込んでいて、ロシア兵に襲われる場面で違うと気づきました。3人のうちでいちばん心の傷が深いのが、ずっと日本にいた茉莉という設定には、少し納得がいきませんでした。孤児になってからの他人の仕打ちが心に残って、迎えに来た兄と慕う人と結婚しない。ここで茉莉が拒絶したかったのは何なのかが、うまく読み解けませんでした。私は祖父母や親の世代が、引き揚げてきた人たちについてこっそり話しているのを聞いた世代ですが、そういうことを次の世代にどう手渡せばいいのか、この小説を読みながら、考えさせられました。

げた:最初は、これってノンフィクションかなあと思いながら、読み始めました。フィクションなんだけど、ドキュメンタリーみたいだなあと思いつつ、一気に読みました。全編、泣きながら読みました。生命力の弱い幼い子から順番に亡くなっていくんですよね。ひどい話です。大人がいがみ合い、そのつけを幼い子たちが支払うなんてひどいです。許せません。こういった事態を作ったのは為政者、権力者ですよね。がそういう状況をつくってしまう。中国の人だけがひどく描かれているという風には思いませんでした。開拓団の土地はもともと中国の人たちのもの。それを奪ったのは日本人でしょ。作者は私よりずっと若い人なんですが、そんな若い人に書いてもらって申し訳ないという思いもありますね。この本は、歴史の勉強をしながら、高校生ぐらいの人たちに読んでほしいですね。

アカシア:おとなは、戦争はひどいことが常時行われていると知っていますけど、それさえほとんど知らない若い人が読むとどうなのか、という点に興味があります。さっき中国人の残虐性が強く印象にのこるんじゃないかという話がありましたが、珠子は、p265で「もうわらえない。わたしも日本人だから。酷いことをした日本人のひとりだから」と言ってるし、茉莉もp289から次のページにかけて「わたしの手を無理やりに開いてキャラメルを取っていったおばさん。わたしのお皿のじゃがいもを食べたおじさん。かっちゃんにみつけてもらうまで、だれもわたしを助けてくれなかった。養護施設ではひどい目にあわされた。/自分だけじゃない。道ばたで死んでいる人たちの懐から財布を盗んでいった人。空襲で親を失い、不自由な体になってなお、守られるどころか、いじめ抜かれた戦災孤児たち。/こんな日本人なんていらない。この世界に、憎むべき日本人を増やしたくない。/そして。/茉莉にはわかっていた。/日本人。それは、わたしも。/日の丸の旗を振って、進一お兄ちゃまをフィリピンに送り込んだ。鉄を集めて、弾丸切手を買って、鉄砲の弾を送った。シンガポール陥落のときも提灯行列をして祝った。『陥落』されたシンガポールの人たちがどうなったのか、考えもせずに」と思っています。だから二人の頭の中には中国人の酷さより日本人のひどさの方が強く印象づけられているんだと思います。でも、飢えの経験がない読者の中には、キャラメルやジャガイモを取られるより、権力者の宣伝に乗ってほかの国を侵略するより、引き揚げの際に満人が襲ってくる怖さの方を感じてしまう人がいるのも確かかもしれない。マリンゴさんがおっしゃるように。戦争が実感としてない世代にどう伝えればいいのか、難しいところだと思います。
 実際には戦争になると国家がおとなに加害し、おとなが子どもに加害するという弱肉強食の世界が生じる。で、より弱い立場の者がいちばん犠牲になるってことを、この作品はちゃんと書いてます。それと、立場も国籍も育ち方も違う3人の女性の生きていく様子を書いているので、視点が複合的になって全体がよくわかる。それがすばらしい。時代の流れの中で個々に人間の生き方を書くのは、日本の児童文学作家が苦手とするところだと思って来ましたが、この作家は書けますね。これからが楽しみです。それと、残虐なシーンがあるから子どもには読ませないというんだったら、『マザーランドの月』もだめですよね。あっちはもっと訳のわからない残虐さだから。

きゃべつ:『マザーランドの月』は、子どもがわかるだけの範囲で切りとられているので、そういう作品はもっとあってもいいのではないかと思います。読んだときにそれが何を指し示しているかわからなくても、大人になってからわかることもあります。興味を持つきっかけになればいいかと。

西山:私は、これは児童文学じゃないと考えています。私にとっての線引きは、残虐な描写があるかどうかとかいうことではなく、その作品の中心部分が、どういう世代にとっての切実か。それで考えたいと思っています。この作品は、子どもの切実がメインではない。ただ、児童文学を刺激する作品だし、作者も児童文学の人だと思うから今回みんなで読む本になったことにまったく異論はありません。好きな作品です。長いスパンで近現代史を描いているところが新鮮です。戦争を描くときにそれは必要だと思ってます。この作品には、いくつも屈折があって、戦争と人間の様がほんとうに多様で複雑だということを感じさせてくれるから、ネトウヨ云々の心配は感じません。珠子を育てた中国人の両親の印象が強いから、中国の兵隊が残酷だったなんていう印象がひとり歩きすることはない気がする。それと、過ごしてきた時間で家族ができるという家族観も貴重だと思いました。戦争を背景とする物語には、引き裂かれた家族の悲劇とか多いと思うんです。日本に帰ってきて母親含め肉親と再会したにもかかわらず、日本語をすっかり忘れてしまっている珠子の物語は厳しくて新鮮でした。3人の生活の違いもおもしろく、貴重だと思った点です。食い詰めて満州に行くような高知の寒村の暮らしと同じ時代に、おふろあがりにイチゴをつぶしてミルクをかけて食べるような暮らしもあったという。ほんとにおもしろいと思います。中高生と付き合ってて、戦争中は昔で、昔はみんな貧乏で、食べ物もなかったと思っているらしいと気づいたことがあるので、戦前のハイカラな生活が出てくるのは重要だと思います。あれが丸、バツというようにはならない、たくさんの側面が書かれているからこの作品を支持します。身体感覚に寄り添った表現がないと読むのがつらいという話もでてますが、私は、作品始まってまもなく、前の道路が広くて子どもたちが走ってしまうところなんかにあっという間に、心がわしづかみされた口です。多くの10代にはハードルの高い作品ではあるけれど、3人の人生に寄り添って読めるし、誤解しそうな子は最初から読まないから、どんどん紹介していっていいと思います。

レン:印象的な部分を2,3分朗読すると、読んでみようと思うかもしれませんね。この作品は方言がとてもいいですよね。

きゃべつ:きれいな日本語を話す美子が、方言をいっしょうけんめい覚えるところはおかしかったし、かわいかった。

アカシア:気の毒な人たちのことを代弁して書いてあげるという態度だと、自分のものにならないからだめですよね。子どもの時遠いお寺に三人で出かけて雨に降りこめられておむすびを分けあったエピソードですが、何度もくり返し思い出しては語られます。でも、最初の場面で、私はそれほど強い印象を持たなかったので、それを3人3様にことあるごとに思い出すのかなあ、と疑問に思ったんです。そこをキーにするなら、飽食の時代の若い人たちにももう少し強い印象が残るように書いたほうがよかったんじゃないかな?

きゃべつ:私も、饅頭の材料が小麦粉だと上等で、コーリャンだとあまりおいしくない、といった違いが、あまりよくわからないというか、身に迫ってきませんでした。

カピバラ:おにぎりを食べたとき、茉莉は特になにも感じずに大きいほうをもらって食べたけど、あとになっていろいろな体験を経るうちに気づくんですよね。それが美子たちとの唯一の記憶になるくらい大きなものになっていく。

アカシア:飽食の時代の読者にアピールするには、そこをもっと書き込んだほうがいいように思ったんだけどな。

西山:雨の中でのんきに歌ってる。あの場面も大好きです。おとなたちは村を挙げて生死を心配して駆けつけたというのに。そして、歌声を聞いて、おとなたちも笑ってしまう。あの、ほがらかな感じがとても好き。だから、そこにでてきたおにぎりも、場面丸ごとで重要な意味を帯びていくんだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年4月の記録)


『10代のためのYAブックガイド150!』

今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150!

『今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150!』

近頃の中高生はあまり本を読まないという。小学生は、読書推進ボランティアが読み聞かせをしたり、ブックトークをしたり、朝読なども盛んだったりするので、まだ読むのだが、中高生になるとほかに面白いことも、塾や部活など忙しいことも出てくるから、本なんか読んでらんないということらしい。

それに町の本屋さんに行っても、近頃は味のある本はあまり置いてない。まして児童書などは少しでもあればいいほうだ。私の近所でも、駅前の本屋さんがつぶれてしまった。というわけで、本は中高生の目になかなか触れなくなってもきている。この年齢だと、学校の先生がおすすめする本への猜疑心も強いだろう。だからこそ当コラムを役立ててもらうといいとは私も思っているのだが、たまには1冊ずつのおすすめじゃなくて、たくさんのおすすめの中から選びたいと思う生徒もいるだろう。

そこで、今回はこのブックガイド。中は (1)10代の「今」を感じる本 (2)社会を知る、未来を考える本 (3)見知らぬ世界を旅する本 (4)言葉をまるごと味わう本 (5)現実を見つめる本、と5つの章に分かれている。そして各章が、たとえば1章だったら、「学校のリアル」「部活へGO!」「自分って何者?」「友情、恋、冒険、青春!」なんていうふうにまた分類されているので、自分が気に入ったジャンルで本をさがしやすい。執筆者は、評論家、書店員、作家(森絵都、佐藤多佳子、那須田淳も書いている)、研究者、司書、編集者など25人。それぞれの人が気に入った作品について、おすすめのポイントを熱っぽく語っているのがうれしい。

ちょっと時間ができたけど、何を読んでいいかわからないな、という人たちは、ぜひこれをパラパラとめくってみてほしい。軽妙なエンタメから重厚な社会派までよりどりみどりだ。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年4月11日号掲載)