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『雪山のエンジェル』(さくまゆみこ訳)表紙

雪山のエンジェル

主人公はマケナというケニア人の女の子。山岳ガイドを務める父親と、理科の教師をしている母親との3人家族でナイロビに暮らしていましたが、シエラレオネに出かけた父親と母親がエボラ出血熱で死亡し、マケナは身寄りがなくなります。しばらくは父親の弟の家族に引き取られていたものの、女中同然の扱いを受けてそこにはいられなくなり、路上の暮らしを余儀なくされます。そこで出会ったのが、スノウと呼ばれるアルビノの少女。マケナとスノウは、スラムで何とか生きぬこうとします。やはり身よりのないスノウは、1日に少なくとも3回は魔法の瞬間があるから、それを楽しみに生きていけばいいと、マケナに言います。不思議そうな顔をするマケナに、スノウは言います。

「まず、日の出と日の入り。これで二つね。マザレ(スラムの名)で、おなかぺこぺこで不安なまま目をさまして、スラム街から死ぬまで抜け出せないから生きててもしょうがないと思ったとしても、空を見上げさえすればいいの。お日さまは、マザレ・バレーだろうと、アメリカの金色にかがやく摩天楼だろうと、同じように照らしてくれるのよ。お日さまはいつも、いちばんすてきな服を着て顔を出すの。ハッとするほどすてきな日の出が見られることもあるし、どの朝もほかの朝とはちがうのがいいでしょ。『毎朝が新たな始まりだと思って顔を出すのだから、あなたたちもそうしなさい』って言ってるみたいにね」
「じゃあ、三つ目は?」マケナがたずねた。
「探せば、いつでも見つかるもの。四つ目だって五つ目だって,二十個目だって同じ。ほら、今だって、あたしにとっては魔法の瞬間よ」

日の出と日の入りが毎日違うとスノウが言っても、東京にいたらそんなものかなあ、という程度の理解で終わっていたかもしれません。でも、木曽にいると,空が毎日違うということを実感します。光の具合も、雲の散らばり具合も、空気感も、風の吹き方も、本当に毎日違うのです。

マケナもスノウも命を落とす瀬戸際で助けられ,最後にはそれぞれの居場所を見つけるのですが、マケナを助けるのは、時々顔を出す神秘的なキツネ。スノウの不屈の精神を支えているのは、ミカエラ・デプリンスについて写真と文で伝える雑誌記事。ミカエラ・デプリンスは、シエラレオネで戦争孤児となり、その後プロのバレエダンサーになった女性で、今はオランダ国立バレエ団でソリストを務めています。

(編集:岡本稚歩美さん 装丁:内海由さん)

キーワード:ケニア、スラム、孤児、養子、魔法の瞬間、バレエ、スコットランド

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<訳者あとがき>

本書は、ローデシア(今のジンバブエ)で生まれ、動物保護区で育ち、すでに『白いキリンを追って』『砂の上のイルカ』などで日本でもおなじみになった作家ローレン・セントジョンの作品です。セントジョンは、よく動物を作品に登場させますが、本書にもさまざまな種類のキツネが姿をあらわします。この作品に登場するキツネは、現実のものもあれば、特定の人だけに見えるものもあるらしいのですが、必死に生きようとしている子どもの味方をしてくれているようです。

でも、セントジョンがこの作品で描きたかったのは、キツネよりも「忘れられた子どもたち」のことだったと言います。マケナは親をエボラ出血熱という感染症で失って孤児になってしまいましたし、スノウもアルビノであることで迫害されそうになり、やはり孤児になってスラムに住んでいます。ほかにも、スラムでたくましく生きぬいている子どもたちが登場しています。

ときどき日本の新聞でも話題になるエボラ出血熱は、比較的新しい感染症だと言えますが、致死率が高いので恐れられています。初めて発生したのは1976年で、南スーダンとコンゴ民主共和国でのことでした。近年では2014年からギニアやシエラレオネなどで感染が拡大して「エボラ危機」と言われました。その後いったん終息したかに見え、シエラレオネやギニアでは終息宣言も出されましたが、また2018年からコンゴ民主共和国で流行しています。今、世界の多くの国々は新型コロナウィルスの感染をどう食い止めるかで必死ですが、アフリカにはまだエボラ出血熱とたたかっている人々もいるのです。

セントジョンは、たとえエボラ出血熱が終息したとしても、「エボラ孤児が姿を消したわけではなく、偏見や迷信のせいで村人からつまはじきにされるケースも多々ある」と述べています。エイズ孤児も同様だと思います。セントジョンが生まれ育ったジンバブエにも、孤児が百万人以上いるそうです。首都のハラレから半径10キロ以内で見ても、子どもが家長になっている家庭が6万戸もあるそうです。

また、アルビノの子どもたちが迫害されるというケースも、セントジョンはこの作品で取り上げています。アルビノは、先天的にメラニンが欠乏して肌が白くなる遺伝子疾患ですが、教育がすみずみまでは行きわたっていない場所では、大多数とは違う状態の人がいると、そこには何か魔力が潜んでいると思う人々もまだいます。それで、アルビノの人の体の一部を手に入れて高く売ろうなどという、とんでもないことを考える犯罪者も出てくるのです。

本書でも、スノウはタンザニアで死の危険を感じたのでしたが、そのタンザニアでは、2008年にアル・シャイマー・クウェギールさんという女性が、アルビノ初の国会議員になりました。彼女も子どものころは「人間ではなく幽霊だ」と言われたり、いじめられたりしたと言いますが、人々に自分の体験を話し、アルビノに対する偏見を取り除こうとしています。

また西アフリカのマリ出身のミュージシャン、サリフ・ケイタもアルビノですが、古代のマリ帝国の王家の子孫であるにもかかわらず、白い肌のために迫害され、親族からも拒否されて、若い頃は生活が貧しかったといいます。サリフ・ケイタは、今では世界的に有名なアーティストになり、アルビノの人たちの支援活動を積極的に続けています。

それから本書には、スノウに大きな影響をあたえた人物としてミカエラ・デプリンス(ミケーラと表記されることもあります)が登場しています。ミカエラの本は日本でも出ているので(『夢へ翔けて』ポプラ社)ご存知の方もいらしゃるかもしれません。シエラレオネで戦争孤児になったミカエラは、やがてアメリカ人家庭の養女になり、なみなみならぬ努力を経て、世界で活躍するバレエダンサーになるという夢を実現するのです。

バレエ界に黒人はまだとても少なく、ミカエラには肌に白斑もあることから、その夢を実現するのは、並大抵のことではなかったと思います。

「黄色いスイセンがたくさん咲いている中に、赤いポピーが一つ咲いていたとすると、ポピーは目立ってしまう。どうすればいいかというと、ポピーをつみとるのではなく、ポピーをもっとふやせばいいのだ」という言葉には、ミカエラの強い決意があらわれていて、スノウだけではなく多くの人に勇気をあたえてくれていると思います。

またローレン・セントジョンは環境保護に熱心な作家で、動物保護を目的とした組織ボーン・フリー財団の大使も務めています。

さくまゆみこ

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『雪山のエンジェル』紹介文
「子どもと読書」2021.3-4月号紹介

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「雪山のエンジェル」書評・朝日中高生新聞

「朝日中高生新聞」2020.11.29紹介

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『クラバート』表紙

クラバート

『クラバート』をおすすめします。

<生きること、死ぬこと、愛すること>

「ハリー・ポッター」シリーズや「ゲド戦記」シリーズには、魔法を学べる学校が出てきましたね。そんな学校に通ってみたいと思っている子どもは多いかもしれません。この本にも魔法を学ぶ学校が出てきます。でも、読んだあとでこの魔法学校に行きたいという子どもは、ほとんどいないでしょう。それくらい、この魔法学校は怖いのです。

主人公は、ヴェンド人の孤児クラバートで、物乞いをしながら暮らしています。ヴェンド人というのは、ドイツの少数民族です。ある晩、夢の中にカラスが現れ、クラバートを水車小屋へと誘います。西洋では、水車は時の象徴や、運命や永遠のシンボルだそうですし、カラスは生と死に関するシンボルです。伝説を下敷きにしているこの作品は、そんないろいろなシンボルに満ちています。

クラバートは、この水車小屋で働くことになるのですが、そこは不思議な場所で、徒弟たちはどんなにがんばっても脱出することはできないし、自殺することさえできないうえ、毎年一人ずつ命を落としていくのです。それに、そこは魔法学校でもあって、親方しか読めない魔法の本に書いてあることを、カラスの姿になった徒弟たちは口伝えに学んでいきます。

食べるものは十分に与えられ、魔法を使えば仕事もそうきつくはありません。そのせいか、他の徒弟たちはずっとこの水車小屋で酷使され、遠からず悲惨な死を迎える運命に甘んじているようです。権力者の親方をやっつければ失うとされる魔法の力にも、しがみついていたいのでしょう。

でも、魔法よりもっと大切なものがあるのではないでしょうか? クラバートはなんとか親方をやっつけて、この運命からも、この水車小屋からも抜け出したいと思うようになります。そんなクラバートを助けるのが、村の、声の美しい娘。二人は、命の危険を顧みず勇敢に親方と対決するのです。

コワーイ本だけど、ハラハラ、ドキドキしながら、生きること、死ぬこと、愛することについて思いをめぐらせることができる作品です。

(「子とともにゆう&ゆう」2012年12月号掲載)

キーワード:魔法、孤児、カラス、夢、生と死

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リ・ソンジュ『ソンジュの見た星』表紙

ソンジュの見た星〜路上で生きぬいた少年

カピバラ:あまりにも過酷な状況に目を背けたくなるところがこれでもか、これでもかと続いていくんだけど、目を背けてはいけないという思いで読み進みました。実体験だとわかっているのでよけいにつらいけれど、主人公は、今は脱北してこの本を書けるようになったんだ、という事実を希望にして読みました。北朝鮮の状況を書いたものを読む機会は少ないので、関心もあったし、日本にも責任があるところがつらくもありました。政府によって洗脳されるおそろしさや、子どもたちがまず犠牲になるのは多くの国が経験していることだけれど、これがついこの間のことだということ、現在もどこまで状況が改善されているかわからないことに胸をつかれました。つらい中でも、おもしろいと思った点は、子どもたちが、子どもなりの知恵を働かせ、団結して1つの小さい社会を形作っていくところ。〇〇はぼくらの目だ、〇〇はぼくらの声だ、というように、それぞれの長所を生かした役割でお互いに認め合っていく。そしてそれが実の家族よりも強い絆になっていくところです。

西山:何が衝撃的と言って、つい最近のことという事実です。読みだしたら止まりませんでした。p190の、子どものころの夢を語り合っている部分は、軍の指揮官という夢は、社会背景を映したその時のそこだからこその内容ですが、それを、「そんな夢を持ってたなんて、別の人生っていうか、ぼくじゃないだれかの人生みたいな気がするよ」というところがすごく切なかったです。(追記:エルサルバドルの内戦下を舞台とした映画「イノセント・ボイス 12歳の戦場」で屋根の上に逃れて星空を見ているシーンを不意に思い出しました。この映画、ものすごくつらい内容ですが、一見の価値あります。作者の境遇と言い『ソンジュ』と共通する部分が多いと今気づきました。)p261の「人間が別の人間に対してする最悪のこと」を「尊いものや、いいものや、純粋なものを信じられないようにすることじゃないかな」と語り合っているところも本当に胸にしみました。普遍性のある作品だと思いました。

ネズミ:ノンフィクションみたいなフィクション、と思って読んだのですが、ノンフィクションだったんですね。事実のすさまじさに圧倒されました。文学的な企みではなく、そこにある事実の重さが迫ってきて。主人公がどうなるか知りたくて、最後まで読まずにいられなかったけれど、凄惨な場面もあるので、子どもだと、怖くて途中で投げ出してしまう読者もいるかも。父親から教わった、小石を3つ使った戦術が主人公を何度も危機から救うというのが印象的で、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のかくれんぼを思い出しました。

まめじか: キム・イルソン主席の伝説や国の偉大さを信じこんでいた主人公は、しだいに自分の頭で考えるようになります。なんの疑問ももたずに命じられたとおりにするのが、権力者にとって都合のいい人間だという文章にハッとしました。一番ひどい仕打ちは、家や仕事や親を取りあげることではなくて、善なるものや希望を信じられないようにすることだというせりふは、人は何をよりどころにして生きるのか、何をもって最悪の時を乗りきるのかを考えさせます。北朝鮮には、メディアから得たイメージしかなかったのですが、p291の景色の描写はほんとうに美しいですね。主人公の移動した経路がわかりにくいので、地図があったらよかったです。

木の葉:今回、選書係だったのですが、翻訳ものは欧米、特に英語圏のものが圧倒的に多いので、できるだけアジアの作品をと、思いました。とはいえ、これは原書が英語ですが。北朝鮮の脱北者の体験を描いたもので、体制糾弾目的のものだったら、やめようと思っていましたが、読了後に取りあげることにしました。すでに意見として出ていますが、脱北が成功していることがわかっているので、ある意味では安心して読むことはできたのですが、それにしても、前半はきつかったです。ただ、読み進めるにつれて、子どもたちのギャングぶりにたくましさを感じて、ワルといってしまえばワルなのですが、生き抜く知恵と力を感じました。野沢さんが訳者あとがきで「朝鮮半島はアメリカとソ連によって南北に分断され、七十年以上たった今もふたつの国に分かれたままです。歴史は「現在」につながっています。もし、朝鮮半島が日本の植民地ではなく、ひとつの独立国だったならば、こんなことは起こらず、社会のしくみや人々の暮らしも今とはちがっていたかもしれないのです」(p372)と書いてます。読者にはここもしっかり読んでほしいと思いました。朝鮮半島が分断国家になったことに、日本が深く関与していることをちゃんと理解してほしいと思います。

アンヌ:以前に、北朝鮮を渡った在日の女の子が出てくる小説を読んだことがあったので、悲惨な状況を覚悟して読みました。主人公が頭を使ってたくましく生きていく場面は格好がいいけれど、前にパンを恵んでくれたおばあさんからパンを盗む場面は読んでいてつらいし、収容所でも看守に乱暴される女の子たちとは違う。だから、生き抜くたくましさに感動するというより悲惨さを感じながら読み続けました。おじいさんとの再会と、その後の場面は天国のようにのどかで、ほっとしました。でも、おじいさんはこの後も生活が続けていけたのか心配です。韓国での扱いを見ると父親はかなりの機密を知っていた軍人だと思うので。身元がわからないようにするために、原文から削ったりした場面は多いのだろうとも思いました。例えばp308「その老人の横の貼り紙」といきなり出てきますが、何の貼り紙か全然状況がわからない。あとの方でどうもガラス瓶が置いてあったり自転車もあったりしたようなことがわかるけれど、情景描写の部分が変に抜けているように思ったのでそう感じました。

さららん:テレビのニュースに映る平壌の都会の人は幸せそうですよね。けれども農村は疲弊しているはずで、その関係がどうなっているのか想像できなかった。この本を読んでその空白部分が埋まりました。形はあっても稼働していない工場。山のリスまで捕まえて食べる生活。生活は限界を越えていても、父親が、次に母親が家を出て消えてしまっても、この主人公は自分を投げ出さない。盗みは日常茶飯事だし、ときには麻薬に手を出し、自暴自棄になって危ういところまでいきます。それでも仲間には公平で、強い正義感を持っています。ぎりぎりの生活の中でこそ、人としての品格が問われるのだと思いました。その点で、ホロコーストをテーマにした作品と共通するものを感じました。国外への脱出劇が、また実にリアルで印象深かったです。父さんの友だちと称する人を信じられるのかどうか。著者は最初は国境を越えて中国に行き、それから韓国に行き、そして今は脱北者の救済活動をしているということです。少年の日々を、長いスパンで克明に描いたものだからこそ、具体性があって読み応えがありましたが、このとき、あなたは本当はどう感じたの?と聞きたい部分はありました。人物の心の奥深くまで入りたかったです。

コアラ:これが最近の出来事というのがショックでした。1997年頃、北朝鮮が飢饉でひどい状態だというのはニュースで聞いた記憶がありますが、ここまでひどい状態だとは知りませんでした。一番印象に残ったのは、p103からの第9章の、母親がおばさんのところに食料をもらいに行くと行って、ソンジュが起きたら母親がいなくなっていたところ。父親がいなくなり、母親までいなくなって、どんなに悲しく心細かっただろうと思うと、本当に読んでいてつらくなりました。鍋におかゆがつくってあったというのも、もしかすると父親が帰ってきた時のために残しておいた食料だったかもしれず、最後に母親がそれを使い切って、ソンジュの食べるものを作ってあげたのかもしれないと思うと、子どもを残して行く母親の思いはどうだっただろうとか、読み終わってからもいろいろ考えてしまいました。少年たちがコッチェビ団を結成して生き延びていく様子も、胸が痛かったのですが、語弊がある言い方かもしれませんが、フィクションだったらおもしろく読めた部分かもしれません。それでもやはりノンフィクションだからこその凄みを感じました。途中で、少年たちは、強くなるために体を鍛えたりします。これは、日本の子どもたちにも通ずるというか、想像を絶する状況にあって、意外と健康的な普通の子どもたちのように思えて、ちょっとほっとした部分でもありました。北朝鮮のことを知る機会はほとんどないので、貴重な本だと思います。子どもに読んでほしい本だと思いました。

ハル:衝撃的でした。ああ、こういうことだったのか、と、長年の疑問や誤解がとけていく、本当に衝撃的な1冊でした。北朝鮮のこととなると、でたらめで、どこかおもしろおかしくなってしまっているニュースも多いように感じますが、その向こうにはこんなに苦しんでいる人々がいる。中盤は読み進めるのに勇気がいるような、つらい場面もありました。そして、こんなに過酷な環境なのに、ヨンボムのおばあさんは、日本の植民地時代に比べれば「まだまだ」(p141)だと言っています。私たちは日本人として、世界の中の一人として、一体何ができるんだろうと考えさせられます。

ルパン:まさに衝撃でした。「路上で生きぬいた少年」というサブタイトルがついていますが、生き抜けなかった少年や少女、そしておとなもいたと思うとたまらない気持ちです。現実にはもっと悲惨な状況もあると思うし、政治によってこうも人生が変わってしまうかと思うと、それだけで戦慄をおぼえてしまいます。平壌にいれば資源が豊富でいいかというと、ソンジュの父のようにある日突然追放される恐怖と向き合って生きなければならない辛さもあるでしょうし。『九時の月』(デボラ・エリス著、もりうちすみこ訳、さ・え・ら書房)を読んだ時にも思いましたが、ある国に生まれただけで不幸になる、というようなことが21世紀になってもまだなくならないことが悲しいです。

サークルK:北朝鮮の文学ははじめて読みました。話題の映画「パラサイト 半地下の住人」(2019)を見たばかりなので、過酷な暮らしをしている人々の物語に入り込みやすかったです。映画では現代の貧困家庭と上級家族の対比が視覚化されていました。

マリンゴ: 知らなかったことが多すぎて、圧倒されました。物語の展開がシビアで凄まじくて、波乱万丈すぎますよね。もう終盤かしらとページ数を確認してみたとき、まだ全体の1/3までしか進んでいなくて、これからどうなるのー!と怯えました(笑)。北朝鮮の地方都市の普通の生活を描いたものを読んだことがなかったので、こんな大変な状況なのか、と、重い現実を感じました。敢えて言えば、序盤がやや読みづらいでしょうか。夢の話と現実が交差するせいかもしれません。あと、主人公はリーダーシップがあるのだということが途中、急にわかって驚きました。それまでは塩をなめ続けて体がふくれあがってしまうなど、トラブルの多くて、助けてもらう側の子かと思っていたので。そのあたりは、自分がリーダーシップがある、と早いうちから書き込むことに遠慮があったのかもしれませんね。ノンフィクションだけに。

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エーデルワイス(メール参加):実話なのですが、まさに生き抜くサバイバル。忘れないように付箋を付けながら読み勧めたら付箋だらけになりました。食べ物を探しに、父、母といなくなり、妹もさらわれ一人ぼっちになるところで宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』を思い出しました。それにしても子どもを大事にしない国家は滅びると思います。11歳で信じていたものが崩れ、何を信じて生きるのか自問していく苦悩が伝わってきました。韓国での差別を体験し、北朝鮮は韓国より劣っているという偏見を覆し、平和な南北統一を目指したいとの作者。その日が来るといいのですが。

サンザシ(メール参加):ノンフィクションだと思いますが、疑問点もありました。著者が、韓国や大韓民国を中国の一部だと思い込んでいたというのがわかりません。脚色なのでしょうか? また父も母も出ていったあと、著者は自分の家で寝泊まりせず野宿をしているうちに、ピンチプパリ(仲介業者)に家を売られてしまいますが、なぜ自分の家で寝泊まりしなかったのかがわかりませんでした。コッチェビのことは日本でも報道されて知っていましたが、これほどたくさんいたのは知りませんでした。サバイバルのための壮絶な苦労話が中心で、p216やp261後半のような洞察がもっとあるといいのに、と思いました。拉致被害者については日本人も知っていて憤慨していますが、プロローグにあるような朝鮮半島の歴史はほとんどの人が知らないのではないでしょうか。そういう意味では、この部分について書かれた文学がもっとあるといいですね。『1945 鉄原(チョロン)』や『あの夏のソウル』(イ ヒョン/著 影書房)は1945年からの時代を描いていると思いますが、もっといい翻訳で出さないと文学として読めないので残念です。

(2020年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 

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