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『ジャングルジム』表紙

ジャングルジム

『ジャングルジム』をおすすめします。

良太が風来坊のおじさんにだんだんひかれていく「黄色いひらひら」、すみれが姉をいじめた子に“ふくしゅう”しようとする「ジャングルジム」、一平が離婚した父との新たな暮らしと折り合いをつけようとする「リュック」、まみが病死した父のカバンの中にあった色鉛筆で父との思い出を描く「色えんぴつ」、春木がお試し同居にやってきたおじいちゃんを心配する「からあげ」の5編が入った短編集。
どの物語でも、その時々に子どもが感じたこと、考えたことがリアルに描写されている。それぞれの子どもの個性が浮かび上がるだけでなく、おとなについても、ちょっとした言葉でその人の生きてきた道を伝えている。上質の文学。小学校中学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2023年3月25日掲載)

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『せんそうがやってきた日』表紙

せんそうがやってきた日

『せんそうがやってきた日』(絵本)をおすすめします。

おだやかな日常の暮らしのなかに、戦争がやってきた。女の子はひとりで逃げる。そしてようやく難民キャンプにたどりつくが、そこにも戦争が追いかけてきて、女の子の心を占領してしまう。ふと窓の向こうを見るとそこは学校。女の子は入ろうとするが、いすがないと先生に拒絶されてしまう。ところが女の子が小屋で寝ていると、学校にいた子どもたちがいすを持ってきて、一緒に学校へ行こうと誘ってくれた。オリジナリティのある視点で、戦争が子どもの心身をむしばむ様子と、子どもたちが助け合う姿を伝えている。

原作:イギリス/7歳から/戦争、難民、学校、 友だち

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『マララのまほうのえんぴつ』表紙

マララのまほうのえんぴつ

『マララのまほうのえんぴつ』(NF絵本)をおすすめします。

誰かが声を上げないと、と感じたとき、パキスタンの少女マララは、「まって……、だれかじゃなくて、わたし?」と、ネットでの発信を始める。その後銃撃されて瀕死の重傷を負ったマララは、回復するとさらに歩みを進める。そして、小さいころ夢見ていた魔法の鉛筆は、自分の言葉と行動のなかにあるのだと確信する。ノーベル平和賞を受けたマララの本はたくさん出ているが、この絵本は彼女が自分の言葉で文章をつづっている。流れもスムーズでわかりやすい。

原作:アメリカ/6歳から/マララ、魔法、言葉、学ぶ権利

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『すごいね!みんなの通学路』表紙

すごいね! みんなの通学路

『すごいね! みんなの通学路』(NF写真絵本)をおすすめします。

他の国の子どもたちは、どんな道を通って学校に行くのかな? スクールバスに乗る子もいるけど、ボートや犬ぞりや、ロバとか牛に乗って通っている子もいるよ。ちゃんとした道や、ちゃんとした橋がないところを通っていく子もいるね。水を入れたたらいや机をかついで行く子もいる。国際慈善団体で働いてきた著者が、日本、フィリピン、カンボジア、中国、ミャンマー、ガーナ、ウガンダ、ハイチ、コロンビアなど、世界各地の通学する子どもたちを写真で紹介する絵本。

原作:カナダ/6歳から/学校 通学路 子ども 写真絵本

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『ぼくたち負け組クラブ』表紙

ぼくたち負け組クラブ

『ぼくたち負け組クラブ』(読み物)をおすすめします。

6年生のアレックは、大の本好き。授業も聞かずに本を読むので、しょっちゅう先生に注意されている。放課後プログラムで、ひとりで好きな本を読むために「読書クラブ」を作ることにしたアレックは、誰も来ないように、わざと「負け組クラブ」という名をつけて登録。しかし、次々にメンバーが増え、思いがけないことが起こる。アレックは、いやでもさまざまな大人や子どもとかかわりを持つことになり、世界が開けていく。いろいろな本が登場するのも楽しい。

原作:アメリカ/10歳から/本、読書、放課後

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『科学でナゾとき!わらう人体模型事件』表紙

科学でナゾとき!〜 わらう人体模型事件

『科学でナゾとき!〜 わらう人体模型事件』(読み物)をおすすめします。

科学の知識を盛り込んだ、学校が舞台の物語。6年生の彰吾は、自信過剰な児童会長。中学教師の父親が、小学校でも科学実験の指導をするために彰吾の学校にもやってくることに。父親を評価していない彰吾は、学校では家族関係を隠すようにと父親に釘を刺す。

ところが彰吾の学校では、次々に不思議な事件が起こる。最初は、理科実験室で人体模型がギャハハと笑ったという事件。生徒たちが脅えているのを知ると、彰吾の父親のキリン先生(背が高くポケットにキリンのぬいぐるみを入れている)は、みんなを公園に連れて行き、準備しておいたホースを使って、実験室の水道管が音を伝えたことを実証してみせる。

2つ目は、離島から来た転校生が海の夕陽を緑色に描いて、ヘンだと言われた事件。3つ目は、なくなったリップクリームが花壇に泥だらけで落ちていた事件。最後は、図書館においた人魚姫の人形が赤い涙を流す事件。どれもキリン先生が謎を解き明かし、光の波長や、液状化現象や、化学薬品のアルカリ性・酸性の問題など、事件の裏にある科学的事実を説明してくれる。彰吾も父親を見直す。科学知識が物語のなかに溶け込んでいて、おもしろく読める。

11歳から/学校 謎 科学 父と息子

 

Solving Riddles Through Science!

Set in a school, the story relates four episodes rich in scientific knowledge. Shogo, a cocky sixth-grader, is head of the children’s association. His father is a science teacher who teaches at many different schools, one of which is Shogo’s. But Shogo is embarrassed by his father’s clumsiness and begs him not to let anyone know they are related.

However, mysterious things are happening at Shogo’s school. First, the anatomical model in the science room bursts out laughing. When Shogo’s tall, lanky father, who carries a giraffe toy in his pocket and has been dubbed Professor Giraffe, hears that the children are frightened, he takes them to a park and uses a hose to show them that sound travel can long distances. It becomes clear that the sound of laughter must have traveled along an unused water pipe from another location.

The second mystery surrounds a transfer student from a distant island who is upset that his classmates laughed because he painted the sunset green. The third mystery involves a tube of lip gloss that disappears from the classroom and shows up in a flower bed. In the final episode, a mermaid doll in the school library weeps red tears. Professor Giraffe conducts experiments to solve each case, explaining the scientific facts behind them, such as light wavelength, liquefaction, and the alkalinity and acidity of chemicals. During this process, Shogo’s opinion of his father changes. The author expertly weaves scientific information into the story to make this a fascinating and informative read. (Sakuma)

  • text: Asada, Rin | illus. Sato, Odori | spv. Takayanagi, Yuichi
  • Kaiseisha
  • 2020
  • 208 pages
  • 19×13
  • ISBN 9784036491407
  • Age 11 +

School, Mystery, Science, Father and son

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2021」より)

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吉野万理子『部長会議はじまります』

部長会議はじまります

『部長会議はじまります』(読み物)をおすすめします。

中高一貫教育の私立学校の中等部を舞台にした学園物語。第1 部は文化部の部長会議、第2 部は運動部の部長会議で、それぞれ各部の部長が一人称で語っていく設定になっている。

第1 部は、美術部が文化祭のために作ったジオラマがいたずらされた事件をめぐって展開する。登場するのは怒っている美術部の部長、怪しげな部活だと思われて悩んでいるオカルト研究部部長、いろいろなことに自信のない園芸部部長、ミス・パーフェクトといわれる華道部部長、恋をしている理科部部長。犯人はだれなのか? いじめがからんでいるのか? それとも恨みか? 会議は紛糾する。

第2 部は、解体されることになった第2 体育室を使っていた卓球部と和太鼓部にも、運動場やグラウンドの使用を認めるための会議。初めのうちはほとんどの部長が、自分の部が損にならないように立ち回ろうとするが、だんだんに解決策を見いだしていく。卓球部、バスケ部、バレー部、和太鼓部、サッカー部、野球部の各部長に、パラスポーツをやりたいという人工関節の生徒もからんで、意外な展開になっていく。

それぞれ個性的な各部長の語りが複合的に絡み合って、読者には出来事が立体的に見えてくる。また各人が、他者にはうかがい知れない悩みを抱えていることもわかってくる。楽しく読めて、読んだ後は、まわりの人にちょっぴりやさしくなれそうだ。

13歳から/部活動 学校生活 友情

 

The Captains’ Meeting Will Come to Order

This novel unfolds in a private middle school in Japan. Part 1 is a meeting of the student captains of culturerelated clubs, and Part 2 is a meeting of the student captains of sports clubs. The novel unfolds with each captain speaking in the first person. (School club activities in Japan happen after school, each led by a captain. If a problem occurs, club captains meet to discuss it.)

In Part 1, the art club’s diorama for a school festival has been vandalized. Participating in the culture club meeting are an angry art club captain, a discouraged occult research club captain, a less-than-confident gardening club captain, a Miss Perfect-like flower-arrangement club captain, and a deep-inlove cooking club captain. Who committed the crime? Did the vandalism stem from bullying? From a grudge? The captains’ opinions clash at first, but they eventually find an answer.

In Part 2, one of the gyms is being razed, so the table tennis and Japanese drumming clubs that used it need new spaces to practice. At first, the various sports captains try to defend their own clubs’ practice spots, but then they work toward a fix. The captains of table tennis, basketball, ballet, drumming, soccer, baseball and even ParaSports—a student with a prosthesis—find themselves in unexpected territory.

In this book, as various captains’ distinctive voices weave together, the reader starts to see the full picture. The reader also gathers that each captain faces struggles the others could never know. While entertaining to read, this book promises to make readers a bit kinder to others, too. (Sakuma)

  • Yoshino, Mariko
  • Asahi Gakusei Shimbun
  • 2019
  • 264 pages
  • 19×13
  • ISBN 9784909064738
  • Age 13 +

School clubs, School life, Friendship

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2020」より)

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『ゆかいな床井くん』表紙

ゆかいな床井くん

『ゆかいな床井くん』(読み物)をおすすめします。

6 年生になった暦(こよみ)の隣には、人気者の床井(とこい)君が座っている。クラスでいちばん背が低い床井君はウンコの話もするし下品だけど、クラスでいちばん背が高い暦のことを「いいなあ」と純粋にうらやましがる。そのおかげで、「巨人族」とか「デカ女」という悪口も影をひそめている。暦は、クラスの同調圧力に一応気を使って思ったことをはっきり言わないこともあるが、床井君は、自分の意見をはっきり言うし、どの人にもいいところがあることをよく見ている。そんな床井君に暦はしだいに好意を持つようになる。

全部で14 章あるが、1章ごとにひとつのエピソードが紹介されていく。性への関心が強まり教育実習生に「巨乳じゃん」と言ってしまうトーヤ、学校のトイレで生理になり困ってしまう小森さん、塾では普通に話すのに学校では言葉を発することができない鈴木さん、父親が失業し友だちに八つ当たりしてしまう勝田さんなど、クラスにはさまざまな生徒がいる。なにかが起こるたびに暦は考え、床井君の反応に感心し、違う見方ができるようになって次のステップを踏み出していく。

11歳から/学校 視点 ユーモア

 

Happy Tokoi

This novel vividly portrays a year in the class of two Japanese sixth-grade students: Koyomi, a girl, and Tokoi, a boy.

One episode unfolds per chapter. In one episode, a boy named Toya blurts out that a student teacher has large breasts. In another, a girl named Omori realizes in the school bathroom that she’s gotten her period and doesn’t know what to do. Another girl, Suzuki, can speak freely at cram school but struggles to speak at school. Katsuta’s father has lost his job and unfortunately takes his stress out on her, so she takes her stress out on her classmates. Many different stories fill the class.

For her part, Koyomi is the tallest student and has been called “Giant” and “Amazon Woman,” but the shortest student in the class, Tokoi, once expressed jealousy of her, saying, “I wish I could be tall.” Now, nobody makes fun of height. Koyomi often feels pressured by classmates but dislikes playing along with them; in contrast, Tokoi voices his thoughts freely and finds the good in everyone. Koyomi gradually comes to admire Tokoi; when something happens, she considers it, observes Tokoi’s reaction, and takes a step toward trying someone else’s point of view.

Humorously narrated and filled with the appeal of Tokoi, this book keeps readers turning pages and offers them the appeal of new viewpoints. Winner of the Noma Children’s Literature Prize. (Sakuma)

  • Tomori, Shiruko
  • Kodansha
  • 2018
  • 192 pages
  • 20×14
  • ISBN 9784065139059
  • Age 11 +

School, Point of view, Humor

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2020」より)

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『まなぶ』表紙

まなぶ

『まなぶ』(NF 写真絵本)をおすすめします。

キューバ、アフガニスタン、ミクロネシア、アンゴラ、ウズベキスタン、スリランカ、そして日本など、世界各地の子どもや若者たちが、学校や家や高原や旅先で学んでいる姿をすばらしい写真で紹介し、「学ぶ」ことにはどんな意味があり、「学ぶ」ことでどんなふうに世界が開け、「学ぶ」ことで何が受け継がれ、「学ぶ」ことがいかに平和につながっていくかを伝えている。子どもたちの真剣な表情と、未来を見つめている笑顔が印象的。同じシリーズに『はたらく』と『いのる』がある。

6歳から/学習 学校 文化

 

Learning

This photo picture book includes striking photos of children and young adults from Japan, Cuba, Afghanistan, Micronesia, Angora, Uzbekistan, Sri Lanka, Cambodia and other places around the world as they learn, both at school and at home, on the high plains and while travelling. Through them we can see what it means to learn, how the world opens up when we learn, what we inherit when we learn, and how learning is linked to peace. It is hard to forget the serious faces of the children, and their smiling faces as they look to the future. The same photo book series includes the titles Working and Praying (published 2017). (Sakuma)

  • Text/Photos: Nagakura, Hiromi
  • Alice-kan
  • 2018
  • 40 pages
  • 26×20
  • ISBN 978-4-7520-0843-9
  • Age 6 +

Study, School, Culture

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2019」より)

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戸森しるこ『理科準備室のヴィーナス』

理科準備室のヴィーナス

『理科準備室のヴィーナス』(読み物)をおすすめします。

中学1年生の瞳は、母親とふたり暮らしで、学校では疎外感を感じている。そんな瞳は、保健室に居合わせた理科の教師・人見先生に手当をしてもらったことから、アウトロー的なこの先生に魅了されていく。人見先生は第二理科準備室で授業のない時間を過ごすことが多く、顔がヴィーナスに似ていて、シングルマザーで幼い子どももいるらしい。そのうち瞳は、一風変わった男子の正木君も人見先生に惹かれているのに気づく。正木君と瞳は、美人でやさしく、しかも危険な匂いのするこの先生を「たったひとりの、特別な、かわりのきかない存在」だと考えて、第二理科準備室に入り浸る。性別の違うふたりの生徒と先生の、微妙なバランスの上で揺れる三角関係だ。大きな事件が起こるわけではないが、憧れに胸を焦がし、細かく揺れ動く思春期前期の子どもの心の情景を見事に描いた作品。

12歳から/憧憬 教師 学校

 

The Venus of the Science Lab

Hitomi Yuuki is in the first year at junior high. She lives with her mother, and she hardly ever sees her father since her parents divorced. She feels alienated at school. After she is tripped up in the classroom and falls, she goes to the sickroom for first aid treatment and has a conversation with the science teacher Ms. Hitomi, who happens to be there at the time. She develops a crush on the young teacher, whose surname Hitomi sounds like her own first name. Ms. Hitomi often spends time when she doesn’t have classes in the #2 Science Lab, and her face resembles Botticelli’s Venus. She is thirty-one, considerably older than student Hitomi, and is a single mother with a young child. She openly flouts school rules, eating sweets in front of her pupils, and to Hitomi she is the most beautiful, kindest, and also the most dangerous person she has ever known.
One day, Hitomi notices another boy, Masaki, staring at Ms. Hitomi. Masaki and Hitomi start spending all their time in #2 Science Lab, and both desire the teacher in slightly different ways. Nevertheless, both of them feel that she is a special, unique, and irreplaceable person in their lives. The three-way relationship between the two pupils, boy and girl, and their teacher maintains a delicate and complex balance. In the end it breaks down, but by then Hitomi has begun to think of Masaki, who is eccentric and tends to take chances, as a kindred spirit. “He was necessary in order to get close to something out of reach,” she thought.
Nothing dramatic happens in this book, but it wonderfully portrays the fluctuating emotions of children in early adolescence being consumed by longing. (Sakuma)

  • Text: Tomori, Shiruko
  • Kodansha
  • 2017
  • 206 pages
  • 20×14
  • ISBN 978-4-06-220634-1
  • Age 12 +

Aspirations, Teachers, School

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2019」より)

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『青がやってきた』表紙

青(はる)がやってきた

『青がやってきた』(読み物)をおすすめします。

青(ハル)は小学校5年生の男の子だが、父親が「ドリーム・サーカス」のマジシャン(ハルにいわせれば本物の魔法使い)で、サーカスが鹿児島、福岡、山口、大阪、千葉と興業先を転々とするたびに自分も転校し、行く先々でさまざまな子どもたちに出会う。勉強や容姿にコンプレックスをもつ子もいるし、給食の野菜が嫌いで食べられない子もいるし、かと思うと、自分のだといい張るおじいさんからサーカスの犬を取り返してくれる子もいる。宮城にいたときに津波で父親を失った子は、マジシャンの修業をしているなら、亡くなった父親をマジックでだしてくれとハルに迫る。多様な状況にいる5年生を描く短編集だが、ハルと出会ったのがきっかけで、どの子も最後には精神的な成長を見せる。一編ずつが短いなりにまとまっているので、読書慣れしていない子どもにも薦められる。

10歳から/転校 サーカス 不思議

 

Here Comes Haru!

This collection of short stories realistically portrays the daily lives, environments, and problems of elementary school fifth grade children in five regions of Japan. Haru, a circus boy who never spends much time in one school as his family is constantly on the move, plays a supporting role throughout the book. His father is a magician in the world-famous Dream Circus, and Haru makes new friends at every new school he attends. Mio, who lives in Kagoshima, is worried about being bad at studying, while Mai, who lives in Fukuoka, has a complex about her appearance and an awkward relationship with her best friend. In Yamaguchi, Haru catches straight A student Shu sneaking the vegetables from school lunch into a plastic bag to hide them, and in Osaka he asks Kazuki to help him get a circus dog back from the mean old man next door, while in Chiba Koki presses Haru to use magic to bring back his father who was swept away when the tsunami hit in Miyagi. The book ends with a conversation between Haru and his father in the car as the circus heads to its next location. The children Haru meets all grow psychologically, but is that because the eccentric new boy Haru placed a spell on them, or was it a natural result from having met him? The author leaves this point open to the reader’s imagination. Each of the stories ends on an upbeat note, making the reader feel positive, so it is recommended for children not generally fond of reading. (Sakuma)

  • Text: Mahara, Mito | Illus. Tanaka, Hirotaka
  • Kaiseisha
  • 2017
  • 214 pages
  • 19×13
  • ISBN 978-4-03-649050-9
  • Age 10 +

School transfers, Circuses, Magic

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2019」より)

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『フラダン』表紙

フラダン

『フラダン』(読み物)をおすすめします。

笑いながら読める青春小説だが、福島の原発事故をめぐる状況や、多様な人々とのぶつかりあいや交流なども書かれていて味わいが深い。工業高校に通う辻本穣は、水泳部をやめたとたん「フラダンス愛好会」に強引に勧誘される。しぶしぶいってみると、女子ばかり。ところが、シンガポールからのイケメン転校生、オッサンタイプの柔道部員、父親が東電に勤める軟弱男子も加入してくる。穣は男子チームを率いることになり、最初は嫌々だが、だんだんおもしろさもわかってきて、真剣になっていく。

15歳から/フラダンス 青春 震災 福島

 

Hula Boys

This is a laugh-out-loud youth novel, but its description of the circumstances surrounding the Fukushima nuclear disaster is thought-provoking. Yutaka, who attends a technical high school, leaves the swimming club only to be dragged into Hula Dance Club. When he grudgingly goes to take a look, he finds it full of girls. However, some other boys also join; Okihiko, a heart-throb type who has just moved from Singapore, Taiga, a geezer-type who also belongs to the judo club, and Kenichi, a weedy type whose dad works for TEPCO which is extremely unpopular in the wake of the nuclear disaster. Yutaka is put in charge of the boys team. (Sakuma)

  • Text: Furuuchi, Kazue
  • Komine Shoten
  • 2016
  • 290 pages
  • 20×14
  • ISBN 9784338287104
  • Age 15 +

Hula dance, Fukushima, Friendship

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2018」より)

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山本悦子『神隠しの教室』

神隠しの教室

『神隠しの教室』(読み物)をおすすめします。

ある日、5人の子どもたちが学校で行方不明になる。5人とは、いじめを受けていた加奈、ガイジンといわれているブラジル人のバネッサ、虐待されているみはる、情緒不安定の母親にネグレクトされている聖哉、そして単身赴任の父親と2年も会っていない亮太。みんな「どこかへ行ってしまいたい」と思っていた子どもたちだ。この子たちは、戻ってこられるのか? 戻るには何が必要なのか? 読者は謎にひかれて読み進むうちに、現代日本の子どもをとりまく社会にも目を向けることになる。野間児童文芸賞受賞作。

10歳から/いじめ ネグレクト ミステリー

 

The Hidden Classroom

A novel dealing with the problems that Japanese children these days have to deal with. One day, five children disappear from school: Kana, a girl who was being bullied; Vanessa, a Brazilian singled out for being a foreigner; Miharu, a girl who is abused by her mother’s lover; Seiya, a boy who is neglected by his emotionally unstable mother; and Ryota, a boy whose father has been away for work for two years. Will they be able to find their way back from their “parallel school”? What do they need to do in order to return? Noma Prize for Juvenile Literature.

  • Text: Yamamoto, Etsuko | Illus. Maruyama, Yuki
  • Doshinsha
  • 2016
  • 383 pages
  • 20×14
  • ISBN 9784494020492
  • Age 10 +

Bullying, Neglect, Mystery

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2018」より)

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ヒューゴとジョセフィーン (北国の虹ものがたり・2)

スウェーデンの少女ジョセフィーンの、小学校の入学式からクリスマスまでの生活を、不思議な少年ヒューゴとのかかわりで描く。 (日本図書館協会)

型やぶりの少年ヒューゴと多感な少女ジョセフィーン。二人の”規格外”の子どもが,小学校に通うようになりました。 (日本児童図書出版協会)

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『わたしたちのカメムシずかん』表紙

わたしたちのカメムシずかん

『わたしたちのカメムシずかん』をおすすめします。

カメムシは触ると臭い、だから嫌いという人も多い。この嫌われ者の虫に夢中になり、もっと知りたくなり、自分たちでカメムシ図鑑まで作り、やがてカメムシは宝だと言うようになった子どもたちがいる。どうしてそんなことになったのかを楽しく描いたのが、このノンフィクション絵本。カメムシはどうして臭いのか、どうして集まるのかについても、わかるよ。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年7月25日掲載)

キーワード:ノンフィクション、虫、学校

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『クラバート』表紙

クラバート

『クラバート』をおすすめします。

<生きること、死ぬこと、愛すること>

「ハリー・ポッター」シリーズや「ゲド戦記」シリーズには、魔法を学べる学校が出てきましたね。そんな学校に通ってみたいと思っている子どもは多いかもしれません。この本にも魔法を学ぶ学校が出てきます。でも、読んだあとでこの魔法学校に行きたいという子どもは、ほとんどいないでしょう。それくらい、この魔法学校は怖いのです。

主人公は、ヴェンド人の孤児クラバートで、物乞いをしながら暮らしています。ヴェンド人というのは、ドイツの少数民族です。ある晩、夢の中にカラスが現れ、クラバートを水車小屋へと誘います。西洋では、水車は時の象徴や、運命や永遠のシンボルだそうですし、カラスは生と死に関するシンボルです。伝説を下敷きにしているこの作品は、そんないろいろなシンボルに満ちています。

クラバートは、この水車小屋で働くことになるのですが、そこは不思議な場所で、徒弟たちはどんなにがんばっても脱出することはできないし、自殺することさえできないうえ、毎年一人ずつ命を落としていくのです。それに、そこは魔法学校でもあって、親方しか読めない魔法の本に書いてあることを、カラスの姿になった徒弟たちは口伝えに学んでいきます。

食べるものは十分に与えられ、魔法を使えば仕事もそうきつくはありません。そのせいか、他の徒弟たちはずっとこの水車小屋で酷使され、遠からず悲惨な死を迎える運命に甘んじているようです。権力者の親方をやっつければ失うとされる魔法の力にも、しがみついていたいのでしょう。

でも、魔法よりもっと大切なものがあるのではないでしょうか? クラバートはなんとか親方をやっつけて、この運命からも、この水車小屋からも抜け出したいと思うようになります。そんなクラバートを助けるのが、村の、声の美しい娘。二人は、命の危険を顧みず勇敢に親方と対決するのです。

コワーイ本だけど、ハラハラ、ドキドキしながら、生きること、死ぬこと、愛することについて思いをめぐらせることができる作品です。

(「子とともにゆう&ゆう」2012年12月号掲載)

キーワード:魔法、孤児、カラス、夢、生と死

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『天才ルーシーの計算ちがい』表紙

天才ルーシーの計算ちがい

『天才ルーシーの計算ちがい』をおすすめします。

12歳のルーシーは雷に打たれて以来、どんな難問でも解ける数学の天才になった。ある日ルーシーは、親代わりの祖母から、ホームスクールを卒業して学校に行くように言われるのだが、極端な潔癖症だし変な癖もあるのでいじめを受け、すぐに学校が嫌になってしまう。そんなルーシーが、数学以外の世界でも自分の居場所を見つける物語。(小学校高学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2019年7月27日掲載)

キーワード:学校、いじめ、数学(算数)、居場所

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『ゆかいな床井くん』表紙

ゆかいな床井くん

『ゆかいな床井(とこい)くん』をおすすめします。

6年生になった暦の隣には、人気者の床井君が座っている。小柄な床井君は下品な話もするけれど、背の高い暦を「デカ女」と呼ばずにうらやましいと言ってくれる。2人と、同じ暮らすにいる多様な子どもたちの1年間を描く短編集。楽しく読んでいくうちに、この2人と一緒に読者も「別の見方」ができるようになるかも。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2019年1月26日掲載)

キーワード:学校、差別、多様性、友情

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アラン・グラッツ『貸出禁止の本をすくえ』表紙

貸出禁止の本をすくえ!

西山:ほんっとにおもしろかったです! 架空の作品も混ぜているのかと思っていたので、最後に驚きました。アメリカの図書館で「異議申し立て申請」という制度が日常的に活用されていること、貸し出し禁止措置が取られることがあるということへの新鮮な驚きがあります。日本の図書館のことも、私は知らないことだらけだと思うので、いろいろうかがいたいです。図書館の蔵書に対して「異議申し立て」という発想自体が私には無かったので、ギョッとするような申し立てもできるシステムがあって、それに反論なりしながら、図書館の自由を守るというのは、鍛え続けられる人権意識だなと思いました。あいトリ「表現の不自由展」への、見もしないで行われた攻撃、『はじめてのはたらくくるま』(講談社ビーシー)への異議申し立てを出版社相手に行ったこと、堂々と売られ続け棚に並び続ける『かわいそうなぞう』(土家由岐雄作 金の星社)、『ママがおばけになっちゃった』(のぶみ作 講談社)批判、少し前の『はだしのゲン』(中沢啓治作 汐文社)閉架措置問題など、いろいろ思い出しながら読みました。「異議申し立て」が「貸し出し禁止」(ひいては発行禁止)に及ぶのではなく、中身への論理的批判が無いところに、「配慮」や「忖度」による、議論抜きの決定事項としての「禁止」が来るのではないかと思いつきましたが、どうでしょう。作品から離れた事ばかり考えさせられたというのではなく、もちろん、どきどきひやひやワクワクしながら読みました。エイミー・アンの家の騒々しさには、読んでいてこっちまで「わーっ」となりそうでしたし、多分、ものすごく表情を変えながらのめり込んで読んでいたと思います。『クローディアの秘密』(E.L.カニグズバーグ作 岩波書店)を「今は、冒険みたいにわくわくするところが気に入っている」(p321)と、同じ作品でも読み手の経験やその時々で変わってくるという、読書とはどういう行為なのかということを語っているところ、共感しながら読みました。一つだけひっかかるのは、この本を読んでいいとかいけないとか言う権利が保護者にはあるのかということです。それで行くとマービンは『スーパーヒーロー・パンツマン』(デイブ・ピルキー作 徳間書店)その他を読めないことになります。「子どもの権利」という観点からどうなのだろう。「憲法修正第一条」は成人の成人のみを対象にするということになるのでしょうか。あと「行儀のいい女に、歴史はつくれない」(p298)という名文句が、オリジナルのフレーズなのか、そういう慣用句があるのか、ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

ハル:おもしろかったです。私は子どもの頃、両親に漫画を禁止されていましたし、私の家だけでなく、大人が下品だと思う本やテレビ番組が禁止されるというのはよくあったことで、また禁止されると余計に興味がわくものです。隠れてこっそり読んだり見たりしていました。なので、もしかしたら日本の子には、ある本が学校の図書館で貸出禁止になったところで、ここまで大問題に思うかどうか、新鮮に感じるかもしれないなぁと思いました。p39で司書のジョーンズさんが「教育者としてのわたしたちのつとめは、子どもたちにできるかぎり多様な本、多様な視点にふれさせることです。~~」と、語ってしまうのですが、これは読者の子どもがあとから知ればいいことで、先に明かさなくてもいいんじゃないかと思いました。でも、今回この本を読んで、私もついつい「こんなことを子供が読んで真似したら危ないんじゃないか」と臆病になってしまうところがあるなぁと反省しました。もっと子どもを信頼しないといけませんよね。

マリンゴ:とても読み応えのある本で、ほぼ突っ込みどころがなかったです。子どもにこんなことを伝えたいと、与える側は思うけれど、子どもがどう受け止めるかは全くの自由で、それこそが読書の醍醐味なのだと改めて感じさせられる作品でした。主人公は家で、やっかいな妹たちのこととかで大変なんですけど、それが絶妙な匙加減で、「ユーモラス」と「かわいそう」の境目にあるため、深刻になりすぎないのがよかったと思います。それと、『スーパーヒーロー・パンツマン』の作者のデイブ・ビルキーさんが実名で登場する、その仕掛けが興味深かったです。実際に作者同士、知り合いなのでしょうか? 主人公が、この作者を別に好きじゃないというスタンスなのがおもしろかったです。普通、こうやって作品に登場してもらうからには、もう少し配慮して、主人公が大ファンという設定でもおかしくないと思うので。

カピバラ:主人公は、たくさんの本を読んでいるだけじゃなくて、気に入った本は何度も読みます。こんな子がいるって、なんてうれしいんでしょう! しかも実在の書名がたくさんでてくるので、その本を読んだことのある読者はうれしくなりますよね。例えばp197「本の山は、宝の山。わたしはきゅうに、自分が『ホビットの冒険』(J.R.R.トールキン作 岩波書店)に出てくる竜のスマウグになって、金や宝石の山の上にすわりこみ、ホビットやドワーフたちに宝をとりかえされないよう、必死にまもっているような気がしてきた」という引用など、感じがよくわかるし、同じ本を読んでいればこその楽しみがあります。読書好きの子にとってはたまらない1冊でしょうね。逆に読んだことのない本ならば、これをきっかけに手にとってくれればいいですね。『クローディアの秘密』なんて、おもしろそうだな、って思うんじゃないでしょうか。主人公はとても感受性が豊かで、いろんなことを考えているけれど、それを口には出さないんですね。頭の中でいろいろ妄想するところは子どもらしい発想でおもしろかったです。読者の共感をよぶと思います。また、大人が子どもから遠ざけたいと思う理由のくだらなさも皮肉です。西山さんがおっしゃった「貸出禁止の権利があるのは保護者だけ」というのは、ジョーンズさんが言っていることなのでは?

ハリネズミ:私はおもしろくずんずん読んだんですが、メール参加のアンヌさんの意見をさっきちらっと見たら、「これは設定が変だ」って書いてあったんですね。それで、ああなるほど、と思ったりはしました。最初からちゃんとした手続きをしてもらえばよかったのに、となると、子どもの活躍はなくなってしまうんですよね。多作の作家は、あまり緻密じゃない部分もあるのかもしれません。それと、エイミー・アンが、いろいろなことが言えるように変化するのはすてきだけど、最後は「理不尽なことには抗議するけど、親の言うことは聞く」というふうになるので、だとすると道徳の教科書みたいで、予定調和的。そこはちょっと物足りなく思いました。それから、アメリカは学校図書館や公共図書館に「こんな本を置いておいていいのか」と抗議ができるようになっていて、抗議が多かった本については、書棚から引っこめるというのを州単位で決めるんですね。そのリストは毎年発表されるんですが、それを見るとみなさんびっくりすると思います。マヤ・アンジェロウもだめだし、ハック・フィンもだめになっていたりする。信心深い人は、「ハリー・ポッター」は子どもが魔法を信じるようになるのでダメとか、性的な言葉が出てきたり、汚い言葉が出て来たりするのもダメになったりします。でも、逆に、そういう本を読みましょうという運動もあったりするのがおもしろいところですね。

コアラ:タイトルで、おもしろそう!と期待して読みました。期待に違わず、おもしろく読んだのですが、途中で、教育的なニオイがするなあとも思いました。p57で、作者はレベッカに「(貸出禁止になった本は)おもしろいに決まってるじゃない」「だから大人が、貸出禁止なんかにするんだよ」と言わせていますが、“本はおもしろいから読め読め”という作者の意図を感じるというか、作者が子どもに本を読ませたいから、そう書いているんでしょ、と思えてしまいました。権利章典について調べる学習も、それで権利や自由を学ばせるのね、子どもにその視点を持たせたいのね、と思えてしまって、押し付けがましさを感じました。それでも、クライマックスの教育委員会の会議での、レベッカやエイミー・アンの発言は、痛快でした。自由を侵されたら、異議を申し立てる、自由を守るために戦う、というアメリカ精神が前面に出ている本だと思います。後ろに本のリストがありますが、この本から別の本に手を伸ばしていけるといいと思いました。日本では、貸出禁止問題はどうなっているのでしょうか。

すあま:久々におもしろい本を読んだという感想です。最初からいきなり衝撃的な事件が起こり、大人に対抗して子どもが団結するという話で、おもしろく読めました。この物語の中で貸出禁止になる本は、長く読み継がれてきたもので、禁止した大人も子ども時代に読んだ本。実際の本が登場するので、この本をきっかけに読んでくれるといいと思います。禁止になった本を子どもたちがこっそり読んでいるのは、禁止されると読みたくなる、ということで、本を読んでもらうために禁止したのでは、とすら思えてしまいました。解決策に図書カードの貸出記録を使ったところは気になりましたが、学校司書がフォローしていたのでちょっと安心しました。この本は、大人が子どもの読む本を制限するということだけでなく、言いたいことが言えなかった子が、言いたいことをちゃんと言えるようになる様子を描いているのがよいと思いました。

ルパン:p275で、エイミー・アンが家族への不満をぶちまけるところで、泣けて泣けて。ちょうど電車の中で読んでいたのですが、「これはまずい」と思えるほど涙があふれてしまいました。ただ、荷物をまとめて家を出て行くところまでは拍手喝采だったのだけど、ママが追いかけてきたとたんにすぐにあやまってしまうところで、ものわかりよすぎるなあ、と、ちょっと拍子抜けでした。この両親にはもうちょっとわからせてやらなければならない、と。しかも、結局エイミーは自分の部屋をもらうんですが、もともと客間だのトレーニングルームだのがあったことに驚きです。妹のひとりは個室をもっていたのだから、この子ももっと早く自分の部屋をもらえてもよかったのに。貸出し禁止をやめさせるアイデアはスカッとしました。大人の論理を逆手にとって、たいした逆転劇でした。スペンサーさんの読書記録を晒さずに、これだけで勝ちにもっていったらもっとよかった。たとえば、ネットや本で簡単に調べられるような、有名人や偉人の読書経験などを引き合いに出すだけでも、この論理で行けたはずなので。

彬夜:これは、今回の3冊の中でいちばんおもしろかったです。大人に対峙して、子どもたちだけで工夫をしながら抗うのが痛快です。エンタメ作品で子どもが活躍するというのはいくらでもあるでしょうが、暴力的な反抗などでなく、子どもたちだけで大人に一泡吹かせるというか、刃向かっていく、という物語は、あまり日本で見ないような気がします。それをリードするのが、言いたいことが言えないエイミー・アンという子であるのが、またいいですね。家族の中での立ち位置についても、特に読み手が長女だったら、共感できる子が多いのではないでしょうか。物語の方向はある程度見えてしまって、まあ、予想通りのハッピーエンドと成長が語られるわけですが、それでも、読後がよかったです。保護者が子どもの読む本を禁止できるというのは、私もちょっとひっかかりました。あと、校長のリアクションが書いてなかったので、そこもちょっと知りたかったです。

まめじか:「本は宝の山」と言う主人公が、本を大切に思う気持ちが伝わってきました。主人公は最後に、「本でおそわったからやったんじゃない。本を貸出禁止にされたから、うそをついたり、ぬすんだり、大人にさからったりしたんだ」と言っています。ブラジルの画家のホジェル・メロさんは国際アンデルセン賞を受賞したとき、かつて軍事政権が本を禁じるのを見て、「彼らが恐れるほどの力が本にあるのを知った」と語っていました。自分が好きではない本も守るのが、多様な意見や表現の自由につながりますし、図書館は知る権利を守る場ですよね。アメリカには毎年、禁書週間があって、撤去要望の多かった本を展示するキャンペーンを書店や図書館が行っています。あと物語について言えば、あたたかな家庭なのに居場所のない感じがリアルでした。p229「だれも、わたしのことを、いわれたとおりにするいい子だって、思ってくれない」という文を読んだときは心配になりましたが、そのあとp246「なにも意見をいわず、問題もおこさないエイミー・アンがいい子? それとも教育委員会のまちがいをだまって受けいれず、それを正すために行動をおこすのがいい子なの?」とちゃんと言わせているのもいいですね。

ネズミ:すごくおもしろかったです。主人公が、人に言えないけれど、心の中でああでもない、こうでもないと考えているところ、大人がすることに対しても、それでいいのかと、いろんな方向から考え、立ち向かっていくところがとてもよかったです。ロッカー図書館がだめになったり、大事な紙をシュレッダーにかけられてしまったり、困難にぶつかりながらも、それでくじけないところは、子どもに勇気を与えてくれそう。「三つ編みをしゃぶる」など、深刻にならず、ユーモラスに感情が表現されているのもいい。長いけれど、読んでほしい本だと思いました。

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しじみ71個分(メール参加):以前、中野怜奈さんが子どもの読書の制限に関するニュースを国際子ども図書館のサイトで紹介してくださったのですが、「差別的表現」「暴力的な場面」「薬物・飲酒・喫煙」「同性愛」「性描写」「対象とする読者の年齢に合わない」「宗教上ふさわしくない」等が理由で、学校等で利用制限が要望された本のトップ10をALA(米国図書館協会)が4月に発表しているとか、子どもたちの読んだ本を保護者に公開している、というような事例が実際に米国であるということを情報として得、子どもの読書の権利について以前から問題意識があったので、とても興味深く読みました。
話の筋としては、思ったことを口に出して言えない女の子が貸出禁止の本を貸すロッカー図書館を始めたことで、大事なことを言えるように成長すること、本や読書への愛情、本の中で子どもがさまざまな事柄を体験し、時には閉ざした心を揺らし、動かすといった、本が子どもに与える影響などが描かれていて、おもしろく読みましたが、図書館員としてどうしてもこれはダメだと思うのは、スペンサーさんの読書歴をエイミー・アンが暴露することです。図書館の自由に関する宣言では、図書館活動に従事するすべての人は、利用者の読書の事実を守らなければならないと述べています。なので、多くの図書館では、貸出記録が利用者の目に触れる方式はもう採用していないと思います。読んでいる最中で、エイミー・アンが重要証拠としてスペンサーさんの貸出記録のあるカードを見つけて、それを逆転劇の場面で使うことは容易に想像できてしまいました。この利用者の読書の秘密を保持する件については、教育委員会での演説のあと、司書のジョーンズさんがエイミー・アンに読書の秘密を守ることについて一言述べるだけに留まっているのにはどうしても大きな違和を感じます。また、ジョーンズさんが繰り返し、子どもの読書について制限していいのは保護者だけ、と言い、エイミー・アンもそれについて納得しており、最後の場面では親から子の本は早すぎる、と言われて抵抗しないのもちょっと納得がいきません。国際子ども図書館の同僚間でも、子どもは未熟な存在だから大人が導き、優れた本を紹介するのだ、という議論が定着していて、そのような発言を聞いて、子どもの読書の権利をどう考えるべきか、ずっと疑問に感じていました。子どもたちは大人の薦める良書のみを読まねばならないのだとしたら、それはどうなのか、と今でも悩んでいます。大人からしたら悪書でも読みたいときがあるのではないかと思います。
展開もスピーディーでハラハラ、ドキドキもあり、お姉ちゃんの我慢とか家族の問題もあり、主人公の成長もありで、物語自体はおもしろく読めたのですが、図書館の自由と子どもの読む権利の2点において、とても大きな引っ掛かりを覚えた本でした。

アンヌ(メール参加)本好きにはたまらなくおもしろい本だと思うのだが、少々疑問点がある。まず大前提である、「本を貸出禁止にする仕組み」を、なぜ教育委員会が無視したかということだ。スペンサーさんが独走することを、校長を含め、なぜ教師たちが許したのかがわからないまま話が進む。結局、もともとの規則に従おうということで終わるのだから、教育委員会という名のPTAの暴走への戦いの物語なのだろうか。まあ、それはそれとしてとてもおもしろかった。本以外に行き場のない主人公、クラスでも家庭でも言いたいことを胸にためたまま、人の言うなりに過ごしてきた少女が、唯一の居場所である図書館と、心のよりどころである本を取り上げられたら、それは変身するしかないだろうと納得がいく。それにしても主人公は注意深いというか、一概に人を決めつけるところがないのがいい。私は特に、偽の表紙と題名をつける場面が好きだ。聞いたことがあるようなでたらめな題名がおもしろいし、p204の『17番目のお姫様』の表紙にあったお話を作る場面を読みながら、 私なら『おれの指をかげ』をどんな話にするかと考えて楽しんだ。 そうしていたら、耳は聞こえず目も見えない愛犬の起こし方というネットの動画が流れてきて、そっと鼻先に指を出して、匂いをかがせて起こすというのがあって、 これで感動的な物語ができるなと思った。
二度目の教育委員会の会議で、「禁止本を読んでいた」と、スペンサーさんを指摘するところで終わらず、 でもいい人に育ったというところは、
いいような悪いような落ちつきのない気分にさせられた。うまく丸くまとめたという感じがする。でも、そこで終わらず、主人公の家庭内での関係も変わったのだから、いいことにしようというめでたしめでたしの物語で終わったので、まあよかったと言えるかもしれない。

(2019年12月の「子どもの本で言いたい放題」)

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西田俊也『12歳で死んだあの子は』表紙

12歳で死んだあの子は

まめじか: 亡くなった子への思いも距離感も様々なクラスメイトが、その死をあらためて考える話です。主人公は受験に失敗したこととか、友だちをつくらなかったこととか、自分の過去に向きあうのですが、言葉にしがたい部分を丁寧にすくいとっています。p202「自分の手でつかんだものは裏切らない」「受験や学校のことなんて、自分の手でつかんだうちに入らない」というせりふからは、主人公たちは自分で考え、鈴元君の死を悼んだ経験をとおして、そう思い至ったのだなぁと思いました。鈴元君が亡くなったときに、クラスメイトに迷惑をかけたとわびた母親に、迷惑なんかじゃなかったと言う場面はいいですね。弱い立場にある人を排除したり、あるいはその人たちが、自分は足並みを乱しているのではないかと遠慮してしまったりする風潮を感じるので。

ネズミ:友だちが死んでしまったという状況を書くのは、おもしろいなと思いました。でも、ちょっと息苦しくて、課題本でなければ途中でやめてたかも。主人公は付属小学校から付属中に上がれなかった中学生で、付属中に行けないと「島流し」と呼ばれているという設定。そういうエリートの世界を書かれてもな、と思ってしまったところもありました。それまであまり関係してこなかった子どもたちが集まって、こういう空間を共有するというのは、現実にはありえなく思えるけれど、つくってみたいという作者の願いのようなものがあったのか。最後のほうは、結末が知りたくて一気に読みました。

ハル:ごめんなさい。ちょっと・・・私は人にはすすめられないです。主人公含め、ここに登場している人たちがどういう人物なのか、全然見えてこなくて、どれが誰のセリフかわかりにくい場面もありました。ところどころで、このセリフは本当に必要なのかなというのもありましたし、どこか座談会のテープ起こしを読んでいるような。人物像があやふやなところも、同級生の死に何かしらの意味を見出そうとやっきになってしまうところも、その同級生とは特別親しかったわけでもないところも、とてもリアルだとも言えますし、きっと著者にとっても思い入れの強い題材だったのだと思いますが、もっと、小説として読ませてほしいと思いました。受験の真っ最中に息子が死んだことで同級生に動揺を与えたことを「迷惑をかけた」という母親に対して、(同級生の死により)「学校では教えてくれない、大事なことを学びました」「感謝してるんです」(p195)って、これもちょっとないなと思います。

マリンゴ: 私は非常にいい物語だと思いました。主人公が、死んだ同級生とそれほど親しくなかったところがよかったです。同窓会で、その同級生の話題が出ないで終わるところも、リアルだと思いました。前向きな姿勢があちこちに見えて、死のことを描いてるのに希望がありますね。たとえば「告白しなかったから、始まる未来もあるんだ」(p148)とか。相手が生きていた頃にもっとああすればよかった、こうすればよかったと考えがちですけど、今からでもできることがあるんだ、という提案が伝わってきます。また、鈴元くんの父が登場するシーンですが、クライマックスなのに会話が静かなのが、押しつけがましくなくてよかったです。1つ気になるのは、修学旅行の場面。単身赴任している父に会いに行きたい場合、普通は学校に相談しませんかね? 学校もそういう事情なら許可を出すだろうし、親が堂々とホテルのロビーに面会に来るなり迎えに来るなりするのではないか、と。小学生がこっそり会いに行くのは、不自然な気がしました。

ハリネズミ:私は、小学校の頃ひたすら死というものが怖かったんですね。祖母が亡くなったからかもしれませんが。なので、こういう計画を立ててちゃんと送ってあげるということが子どもに可能なのかと、まずびっくりしました。ずいぶん大人っぽい行為のように感じたし、登場人物が老成していて、みんなきちんと考えているんだなあ、と。いいところは随所にあるけれど、私にはリアルに感じられなかったし、物語全体は少し長いかもしれません。表紙は、ちょっと不気味という印象を受けました。

コアラ:作者と物語の距離が取れていないように感じました。あとがきで、実際の体験をもとに書いた、とありましたので、やっぱりそうなんだ、と思いました。死の受け入れ方、向き合い方は人それぞれ、というようなことを、中学の先生が言っています。でも、この物語からは、同調圧力を感じるところもありました。「みんな」とか「友だち」などの言葉の使い方から、そう感じたのかもしれません。誰が話しているのかわかりにくい会話もあったし、◯◯がいった、という表現が続いたりして、たどたどしさを感じる作品でもありました。それでも、言いにくいことをきちんと言葉にしている場面もあって、特に、p158の7行目、「ぼくのことを怒ってませんか? 友だちがいのないやつだって」という発言は、胸にささりました。同じクラスの子の死、というものを真正面から描いたという意味で、こういう本もあってもいいとは思いました。

彬夜:静かな物語だなと思いました。読み手の感性によって、印象が分かれそうですね。ただ、私には合わなかったかな、という感じです。正直なところ、けっこう読むのがきつかったです。そもそも、2年後に、親しくもない子の墓参りにみんなで行くとか、あんなふうに、あちこちたずね歩くといった行動に、ついていけませんでした。親しくはなかったけれど、若死にした元同級生について、何かの折にしんみりと考えるとか、一人ひっそりお墓をたずねてみる、というのならわかるんですが。終盤、p249の「おーい、鈴元!」という箇所では、あ、だめ!と思って、思わず本をパタッと閉じてしまいました。会話と独白だけで進むのですが、なかなか物語に没頭できなずに、ちょっと油断すると迷子になってページを前に戻ったりしました。それから、だれの会話かわかりづらい箇所もあります。どの子も老成していて考え深そうに見える。けれど、感情の折り合いの付け方がとても整理され(仕分けされ?)ていて、そんなもんじゃないでしょう、と思ってしまいました。もっともやもやしたものがあるはずだし。作者自身の体験を踏まえた物語のようですが、なんでこの年代の子として書いたのでしょう。

西山:何を読まされているのだろうという思いで、とにかく読み終えはしました。まず、中学2年の秋に、小6の時の「同窓会」をやるという設定自体で、どうしても乗れませんでした。中2が、2年前を懐かしみ集まりたがるというのがどうしても腑に落ちない。それも、「参加者の多くは、そのまま同じ大学の附属中学に通っていた」(p6)のに、です。ぴんとこないまま読み進めると「ピンクのワンピースのえりからのぞく白いうなじを見て、どきっとした。」(p12)、で、また出たよ、何を読まされるんだよと、鼻白み、あとは「女子だけなのかと思ってた。男子もそうだったなんて」(p46)に始まり、やたらと、女子だ男子だという(p37,66)のに、古くさい印象を受けて、14歳の男子が世慣れた大人のように、初対面の自転車屋のおじさんに「めずらしいですね、これ」と話しかけたり(p131)、花屋さんに死んだ友人云々をきちんと話したり、鈴元くんの家族とも結構話せて、もう、今まで読み馴染んできた児童文学やYAの中ではお目にかかれない14歳男子で、かちんと来ることが多すぎました。生きていたら友だちになっていたかも知れないという思い方はいいと思ったのですけれど、その何倍もなんだこれ?が多すぎて、なかなか苦しい読書となりました。

ネズミ:昔自分が感じたやり場のなさや中途半端な思いを作者が完結させたくて、14歳にしたんでしょうか。

すあま:小学6年のときのクラスメイトが2年後に同窓会で再会する話ですが、内容としては高校生や大人でもよかったのではないかと思いました。クラスメイトがそれぞれ違う思い出を持っていて、次第に亡くなった同級生がどんな子だったのかがわかってくるところはおもしろいと思いましたが、物語自体は全体的にセンチメンタルな感じでおもしろいと思えませんでした。スマホとかメールを使っているのに、水着のアイドルのテレカとかバナナシェイクとか、どうも古くさい感じで、いつの時代の話なのかと考えてしまいました。作者の思い出が元になっているので、作者が中学生のころの話を今の時代に持ってきたのかな、と勝手に解釈してしまいました。

ルパン:私は、まったく受けつけませんでした。なんでこんな本が出ているんだろう、と首をかしげたくなるくらい。読書会の本でなかったら絶対すぐに読むのをやめていたと思います。この主人公、いったい何なんでしょう。読みながらもう腹が立って腹が立って。最後に、作者が自分の経験を書いた、とあって、「ああ、やっぱりな」という感じでした。おとなが少年の口を借りてしゃべっているようで、どのせりふも気持ち悪い。そもそも、仲良くなかった子のお墓参りにどうしてそんなにこだわるんでしょう? 要は、「夏野」っていう女の子が好きで、「島流し」にあっているのに同窓会に行ったのもその子に会いたいからで、死んだ子のことを思い出したのも、その子が卒業文集に彼への追悼文を書いたことが気になっていたからですよね。お墓参りなんてひとりですればいいのに、みんなで行くことにこだわったのも、企画すればその子と話す機会がふえるからじゃないですか。それに、夏野と亡くなった鈴元との関係も気になっているから、そこも知りたかった、というところでしょう。ともかく、卒業して2年たって、同窓会で夏野と再会して「白いうなじを見てどきっと」してから急に死んだ同級生のことで動き始めるんですが、そのプロセスのなかで何度も「彼とは、生きていたときには仲が良かったわけじゃない」ということを繰り返し言ってるんですよね。何が言いたいのかと思ってしまいます。仲良くなかった子のことを思い出している自分がえらい、っていうアピールをしたがっているとしか思えない。物語が、タイトルの『12歳で死んだあの子は』の続きにも答えにもなっていないんですよ。主人公だってまだ14歳なんだから、たった12歳で死に向き合わなければならなかった同級生がどんなに怖かったか、悔しかったか、悲しかったか、想像して寄り添うところがあってもいいはずなんですが、そこがまったく出てこない。この子の「お墓参りしよう」という発案を大人たちがほめるところも気に入らない。私がこの子の親だったら止めると思うし、死んだ子の親だったら「イベントにしないで」と言いたくなると思います。亡くなった子を知らない友達まで来て墓参りするところもなんだかいやでした。

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しじみ71個分(メール参加):あまり仲が良かったとは言えない同級生が6年生の3学期に亡くなり、その子の亡くなった2年後にみんなでお墓参りに行くことを企画する中で生や死、友情とは何かを改めて見つめなおし、新たに友情が育まれていくという物語と受け止めました。ただ、私は、今回、この本を読んでもおもしろさを感じることができず、読み進めるのに珍しく困難を感じました。すべてぼんやりしている印象を受けます。
物語でも再三書かれているのですが、特に親友でもなかったクラスメートの死を彼の不在によって同窓会で改めて再確認したというだけで、みんなでお墓参りに行こうといいうモチベーションになるかなという疑問と、行きたきゃ一人で行けばいいじゃん、という腹立たしさを拭えず、共感が湧いてこなかったということがあります。須藤という主人公に魅力を感じることができませんでした。
また、文体がどこかもったいぶっているように感じられ、結果的に全体的にどの子もキャラクターの輪郭がぼやけてしまっている気がします。また、中学2年生の台詞としては練れすぎた印象もあります。附属中学に行くか行かないかという子たちなので、賢いのかもしれませんが。
みんなが故人に対する思いを寄せあうことで、故人の違った側面や魅力が改めて見えてくるという仕組みはあって、それは一つサブストーリーとしてあるように見えますが、小野田を除いて誰一人として深い関係を持っていなかったために、喪失の思いが深く掘り下げられることがないのが残念です。小野田が主人公ならもっと苦悩が深まり、お墓参りで苦悩が昇華されるという物語にもできたのではないかと思ってしまいます。なので、読むと須藤がお墓参りで何か得ようとする自己満足にしか見えず、それが主人公の心情の発露としてなされるというよりは作者の想い先行のような居心地の悪さを感じます。合田里美さんの表紙の絵とタイトルから想起させられるイメージよりだいぶ小さな物語になってしまったように思います。

アンヌ(メール参加):死者を悼むということは思い出すということ。そういう大前提はわかっているのだが、苦手な物語だった。主人公の少年は、行動力がないようでふらっといろいろなところへ行ったりする。その人間像が最後までうまくつかめないままだった。まあ、それはともかく書き方で気になった点は、p147で主人公をあざ笑う渡辺が、p240でいきなり現れるところ。そうとう悪役で、家まで上がり込むんであきれるとか、「腹を抱えて笑う」という、変な表現で主人公と小野田をあざ笑っていたのに、唐突に現れるところがまあ、居心地が悪い。公園での望遠鏡とお父さんのやり取りとか、主人公のお父さんとのやり取りとかもなんか居心地悪い。だいたい、p60のかなりの高熱が一日で治るところも、奇妙だ。普通はこの時点で、親も気付くというか、気にしださないか? 高見順の詩の引用も、スタンダールの『恋愛論』も、かなり高度の読み解きがなされていてすごい。全体に、ひこ田中の『ぼくは本を読んでいる』(講談社)の
作者の変容でしかない主人公を思い出す。とにかく、何をいおうとこれは事実なんだと言われると、批評できないようでつらい物語だった。

(2019年12月の「子どもの本で言いたい放題」)

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『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』表紙

リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ

鏡文字:タイトルがいいですね。これを読んだ人は、マレー語で5と7は、言えるようになるのでは? 講談社の児童文学新人賞の受賞作らしい、読後感のよいさわやかな物語だと思いました。いくつかの謎が提示されながら物語が進むので、さくさく読んでいけます。謎のうち、母親の浮気を疑って探る、というのは、ありがちなエピソードかもしれません。比喩的な表現が私には少しうるさく感じました。p4の「新種の生き物を見つけたみたい」、p8の「お湯のなかで溶けきらなかったスープの粉」、p10の「飼い主に命じられた犬のように」などなど、てんこ盛りで、比喩が好きな人にはいいのかもしれませが、私はそこで比喩として提示されているものに感覚がひっぱられて読書が停頓してしまい、かえって妨げになりました。もう少し数をしぼって、ぴりっと効かせたほうがいいのではと思います。日本の学校についてのネット情報等に翻弄されるところはおもしろかったのですけれど、銀行強盗への連想は、ちょっとやりすぎかな、という感じで笑えませんでした。ときどき出てきた語尾の「~もん」というのが舌足らずというか、いささか幼稚な感じがしました。私は自分が非宗教的人間なので、なにも子どもが親に従うこともなかろうと思ってしまい、そのところは、ざらっとした違和感が残ります。それから、朋香ちゃんがいいキャラで、こういう子、好きなので、もう少し出番が多いとうれしかったです。

まめじか:必死に日本の学校生活になじもうとしている帰国子女の主人公が、マレーシア語を入れた短歌を詠むというのが新鮮でした。杉並区は、ムスリムの生徒には、豚肉を使わず、豚肉を調理した油などもまじっていない給食を提供しています。この本の学校では、お弁当を持っていかなくてはいけないんですね。

マリンゴ:ずいぶん前に読んだので、記憶が遠くて、あまり細かいことは語れなくて恐縮です。文章が非常に読みやすくて、マレーシア語の言葉のまざり方もいいなと思いました。タイトルも好きです。唯一気がかりだったのは、イスラム教徒の描かれ方。私が中学生なら、この本を読んで、「イスラム教徒と結婚したら大変だな」と、ネガティブに受け止めてしまう気がするんですよね。義母がイスラム教徒で、自分も改宗に同意したとしても、ここまですぐストイックに学校でお祈りなどを実行するだろうか? という疑問もありました。作者はイスラム教にくわしいようなので、一般的な日本人が知らない、ムスリムのポジティブなところも描いてもらえたらなと思いました。

リック:私も、比喩表現が多用されているのは気になりました。「スープの粉みたいに」「ベーキングパウダーみたいに」など、作家の個性だけれど、どうも気になってしまします。その点以外では、さわやかで、とってもいいお話です。マレーシア語の響きもかわいく、マレーシアへの興味関心が高まりました。でも、イスラム教徒になる港くんが素直すぎませんか。港くんのお父さんも、息子がイスラム教徒になるのは抵抗あったのでは? そのあたりが何も書かれてないのは不自然に感じます。

カピバラ:まずタイトルがなんのことかな、と手にとってページをめくりたくなります。表紙の絵やデザインも気軽に読めそうな感じがしますね。帰国子女が日本で暮らしていくときの小さな違和感がよくわかるし、短歌のおもしろさも伝わってきます。マレーシアの食生活など、文化の違いも興味深い。深く掘りさげてはいないけれど、今まで知らなかった世界を垣間見ることができるという意味で、中学生に気軽にすすめられる本だと思います。

イバラ:最初の、督促女王にギンコーに行くと言われ、何も聞かずについていくというところ、長すぎるしリアリティがないように思って残念でした。マレーシア帰りの沙弥が、先輩にどう話していいかわからず、ヘンテコな敬語を使うところは笑いました。書名はどういう意味かと思って謎のまま読んでいくと、途中で種明かしされるのがおもしろいですね。2年半いたマレーシアから帰国した沙弥も、父が新たにマレーシア人と結婚してイスラム教徒になった港も、音大の附属中学から途中で転校してきた莉々子も、学校で疎外感を感じています。沙弥は周りに合わせようとしていますが、莉々子は開き直って学校以外の短歌の世界に居場所を見出そうとし、港は自分の状況をわからせる方向で社会に向き合わず、あきらめて孤独のなかに身を置くことに甘んじています。ひとりひとりが違う、ということをこの作品はきちんと伝えていて、好感がもてました。タンカードNo.1が港の机の中からでてきたのはなぜか、など途中で謎も設けてあって、新人の作品にしては、とてもよくできていると思いました。これからが期待できますね。

コアラ:タイトルではどんな内容かまったく見当がつきませんでした。カバーの袖のところでも、「魔法の言葉みたいな響き」としか書いていないので、なんだろうと好奇心を持って読み始めました。途中で、マレーシア語の「57577」、つまり短歌の文字数とわかって、なるほどと納得できたし、音の響きもおもしろいので、いいタイトルだと思いました。マレーシア語やマレーシアの食べ物、宗教のことも出てきて、読むなかで無理なくマレーシアのことがわかるようになっています。マレーシアのことはあまりよく知らなかったので、新鮮でした。私は2回読んだのですが、p26の4〜6行目で、「『マレーシア……? 花岡さん、マレーシアにいたの?』(中略)きっと、どんな国か、イメージがわかないんだろうな」とあって、最初に読んだ時には、確かにマレーシアがどんな国かイメージがわかないな、と読み進めていったのですが、ここで「督促女王は呆然とした顔になっていた」と書いてあるんですね。後で判明するけれど、少し前まで督促女王は藤枝港と短歌を詠んでいて、藤枝港はマレーシアと縁がある。それで、呆然とした顔になるわけで、そうだったんだ、と2回目に読んで思いました。作者は設定がわかっているから、「呆然とした顔」と書いて、でもその理由を「きっと、どんな国か、イメージがわかないんだろうな」という方向に読者を持っていっているんですね。タネを明かさないというのは、うまいなと思いました。
いろいろな短歌が出てきますが、そのままの感情を詠んだものも多いし、「これだったら自分も作れそう」と思う中学生もいるのではないでしょうか。本が好きだったり言葉に敏感だったりする子どもが、短歌という形式を知って自己表現の手段を手にいれることができれば、とてもいいことだと思いました。それから比喩がいろいろ出てきますが、私は独自の表現でおもしろいと思いました。鏡文字さんがあげたp8とp10のほかにも、p17「歯が生え変わるように、同じ場所に別のお店が自然におさまっている」、p29「ベーキングパウダーを注入されたみたいに、やってみたい気持ちがぷくぷくと膨らんでいく」、p139「嘲笑と好奇心を混ぜた言葉のボールが、窓ガラスを割るように藤枝の後頭部に飛んできた」など、印象に残りました。
全体的には、自然体で、マレーシアの帰国子女というちょっと変わった設定が無理なく展開していき、終わり方もさわやかで、とてもよかったです。

ハル:主人公=作者ではないですが、初々しく、表現することの喜びがはしばしから伝わってくるような、読んで楽しい1冊でした。私は、大人が選んだ宗教に子どもが縛られていくということに抵抗を覚えるので、両親の再婚によってイスラム教徒になった藤枝に、やはり不自由なものを感じました。日本での仏教と、マレーシアでのイスラム教では、そもそもの考え方や在り方がまったく違うのかもしれませんし、それこそ、自分のものさしだけで考えてはいけないのかもしれませんけどね。

しじみ71個分:とにかくタイトルの音がかわいくて、それにひかれて、期待をふくらませて読みました。最初から期待しているので甘く読んでいるかもしれないけど、とてもおもしろかったです。夏に児童文学者協会のがっぴょうけんに参加したのですが、その際、コピー用紙に印刷された未発表原稿を拝読しました。それはとても新鮮な経験でしたが、この作品にそれと同じような新鮮さを感じながら読み終わりました。主人公がマレーシアからの帰国子女であるという設定がされていますが、それだけにこだわらず、和歌、恋、イスラム教など幅広な要素を取り入れてかつ破綻せずにうまく物語の多様性として生かしているところがとてもいいと思いました。主人公の恋が失恋に終わるのもビターでいいなと思います。結末も気持ちよく、読後感もさわやかでした。全体にマレーシア語の音のおもしろさが生きていて、物語の魅力をふくらませていると思います。

すあま:タイトルの意味に意外性があっていいと思います。短歌は短い言葉で豊かなことを伝える反面、言葉が足りなくて誤解を生んでしまうこともある、という両面を描いていておもしろかったです。主人公とお母さん、佐藤先輩と藤枝くん、イスラム教など、いろんな誤解と理解の話を、短歌をうまくつかって書いている。部活ではなく、二人で交換日記のように短歌を詠みあうのも新鮮でした。それから主人公が失恋するのも意外だったし、おもしろかったです。でも国際交流、異文化交流もテーマとなっているとはいえ、学校司書まで国際結婚させなくてもよかったのでは。それから、クラスメートの朋香ちゃんはもうちょっと物語にからんでいたらおもしろかったのではと思いました。

西山:マレー語がおもしろくて、マレーシアへの関心を刺激する作品だと思います。例えば赤という意味の「メラメラ」、もしかして火が燃え上がる様子の擬態語の語源? などと思ってしまいました。自分だけ違っていることに神経質な今の若い人には共感できる部分が多いだろうと思います。その分、今いる場所がすべてではないというメッセージは力を持つと思います。p105の歌「それぞれの午後二時四十三分に左の指で歌を唱える」の「二時四十三分」にはどきりとしました。東日本大震災が「2時46分」その3分前。これは、意識してのことなのではないかと勝手に思っています。

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エーデルワイス(メール参加):不思議な書名は、マレーシアの言葉からだったのですね。響きがいいし、しゃれています。物語から体験がにじみ出ているように感じたのですが、作者はマレーシアに言ったことがあるのでしょうか? 帰国子女としての体験もあるのでしょうか?

(2019年11月の「子どもの本で言いたい放題」)

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蒔田浩平『チギータ!』

チギータ!

西山:まさかの小選挙区制と比例代表制をわかりやすく説いて、民主主義ってなに、多数決ってなに、という話でびっくりしました。おもしろかった。今回のテーマが何だったか案内を見直しもせず、子どものエンパワーメントが3冊の共通テーマかと思ったぐらいです。何かを実現していくための知恵をつけるというのは、とても良いと思います。ただ残念なのが、女の子と描き方。4章のタイトル「リーダーは女の子」になんだ?と思ったり、ホームルームでも、卓球の試合でも共に戦った同志のはずの松林に対して、美人かどうかとか顔立ちのことを言う(p158)のに、かなりがっかりしました。作者の那須正幹さんに対する思いには共感してあとがきを読みましたが、女の子の描き方は那須さんには学んでほしくないと切に思います。

まめじか:楽しく読みながら、民主主義のありかたや、いろんな意見を尊重することの意味を考えさせる物語です。男の子のせりふは生き生きしているのですが、女の子はアニメのキャラみたい。「あまいわ」(p68)、「勝負しなさいよ」(p124)「あなたが決めなさい」(p139)、「あら」(p157)など。こんなしゃべり方をする子に会ったことがないので。

彬夜:卓球ものというよりは、多数決の是非を問う物語として読みました。その問題意識はおもしろかったですが、いろいろひっかかる点もあったし、物語に奥行きを感じませんでした。別の本で、チキータという技は、小学生にはむずかしいというようなことを読んでいたので、まずそこから疑問だったし、卓球は、昔と違って日本はけっこう強く、けっして不人気な地味なスポーツという認識ではなくなっているのでは? 選択肢でも、ポートボールが人気、というのも今一つピンとこなかったというか。ポートボールは小学校の体育の授業だけといってもいいスポーツで、話題になることもあまりないし。それから、最初に登場する人気女子、四条と高沢の2人はいったい何だったんでしょうね。もっと話にからんでくるかと思ってました。他の人物たちも、何というのか、それぞれの役割を演じている感じで、物語としてはちょっと物足りなかったかな、という印象でした。たしかに、小さい声を届けることは大事で、そこが達成できたことはよかったですが、「ふみだすべき『前』という方向があっただけだったんだ」(p150)という寛仁の述懐も、今一つしっくりと落ちなかったです。

すあま:最初につまずいたのは、「上忍」と「下忍」が何かわからなかったこと。こういう言葉って、今の子たちにはわかるんだろうけど、時間がたつと古くさくなることもある。登場人物が、食べるのが好きな太めの子や気の強い女の子などステレオタイプで、主な3人以外の子たちや担任の先生に魅力がないと思いました。卓球は人気が出てきているから、子どもたちも興味を持って読めるはずなので、ちょっと中途半端で残念な感じがしました。

アンヌ:私は松林さんの描き方が大人っぽくて、母親的役割を求める感じがしてしまいました。松林さんが算数を応用していくところは、なかなかおもしろいぞと読んで行ったのですが、そこ以外での描き方は疑問です。卓球の作戦も冷静で強引ですし、最後の方の場面で、水商売の年上の女性の言葉にこんなふうに返すことが小学生にできるでしょうか? 同じマンションの男の子を訪ねていく場面にはとてもリアリティを感じたので、作者の女の子への視点に、疑問を持ちました。

ハリネズミ:一気にさらっと読めましたが、まず主人公がさえない男の子、友だちが太った男の子、もう一人はできる女の子というのが、ステレオタイプだなあと思いました。民主主義という考え方もできると思いますが、声の大きい「上忍」の男子たちに対して、千木田たちは「小さい声」に正義ありとして少数派をまとめていくのですが、裏で多数派工作をしている点では同じだと思えて、私はあまり好感が持てませんでした。タイガが秘密にしているらしい家庭の事情を、原口があっさり千木田に話してしまうところは、嘘っぽいように思いました。マッスーのキャラ造形はこれでいいのでしょうか? デブがバカにされているように思ってしまいました。

マリンゴ:小学校のクラスの物語に「小選挙区制の弊害」の話が出てくるのがとても興味深いと思いました。多数決は絶対正義だという考え方に疑問を呈して、子どもたちの視野が広がる物語なのではないでしょうか。ただ、ラストの卓球の試合は、盛り上げようとする意図はわかるのですが、後味が悪いですよね。0-8までわざと技を封印するということは、相手を舐めている、という意味になりますから、最後に惜しくも負けても「自業自得」という感じになってしまいます。それでも、デビュー作で、選挙の多数決について取り上げる、というユニークさがとてもおもしろかったです。著者の次作が気になります。

彬夜:実体験も含まれているようなので、作者の学校ではそうだったのかもしれないですが、私は、小学校の体育は男女一緒でした。それでちょっとネットで調べてみたところ、小学校では一緒、というところが多いみたいです。

西山:名前が古くないですか? 虎一って・・・・・・。

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エーデルワイス(メール参加):とにかく自分たちで考え、決めて実行するところが素晴らしい。スポーツ根性ものとは違うところがいいですね。「少数の意見を小さな声をつぶすのはやめてください」という言葉が何度も出てくるので、ここが作者の大切に思うところでしょうか。爽やかなラストで嬉しかった。

オオバコ(メール参加):スポーツものと思ったけれど、実は多数決について考えさせる、おもしろいねらいの本でした。クラスの話になると、どんどん内向きになっていく息苦しい物語が多いような気がしますけれど、こういう外へ、外へと広がっていく、社会性をもった物語は、とてもいいと思います。ただ、作者が25年前の自分の記憶から綴った物語ということですが、今の小学生が読んだときに違和感はないのかな? 今の学校の様子を知らないので、わかりませんが・・・・・・。

さららん(メール参加):このタイトルが何を意味するのかわからず、それが知りたくてまず手に取りました。主人公の名前が千木田くんだったので、たぶんあだ名だろうと予想はしたのですが、それだけじゃあなかった。(個人的な話ですが、選挙で自分が投票した候補者が当選した試しがほとんどありません。1度だけ、参議院選で中山千夏に入れてしまい、彼女がほぼトップで当選したときには、失敗したと思ったぐらい)。選挙の意味と虚しさを同時に感じている身としては、1票の格差が違憲、と判決が出ても行政が変わらない世の中に歯ぎしりするばかり。少しでも公正で公平な選挙が実現してほしいと思うのです。というわけで、小学校の「レク」でのスポーツ人気投票を素材に、何が正義かという正面からの問いをぶつけ、「ぼくらの小さな声がみんなに届く」ようにがんばるぼく、マッスー、知的な松林さんの奮闘ぶりを、応援したくなりました! 「上忍」でスポーツ万能の榎元派が脅し(?)を使えば、無記名の投票で対抗する知恵合戦も工夫され、最後は卓球で真正面から勝負! キャラクターの立て方が類型的、漫画的かもしれませんが、「最初からあきらめないで。きみの手でクラスを、社会を、変えることができるかもしれない」そんな可能性を、具体的にリアリティをもって、しかも楽しく子どもたちに伝えていく作品として評価できると思います。

ルパン(メール参加):これは、私は正直あんまりおもしろくなかったです。まず「上忍」「下忍」で引っかかりました。言いたいことはわかるけど、知らないマンガだし。知っていたとしてもあまり好感はもてなかったと思います。p16の「ナンバーワンの火影」というのもマンガの登場人物でしょうか。こういう言葉を使わずに表現することはできないのかな、と最初に思ってしまいました。あと、ミヤコさんもねー・・・「50をかなりこえてる」ってあるけど、私と同世代か若いくらいでこれはあんまりだ、と思いました。80歳くらいなら許せるかもしれませんが。クラスのヒエラルキーとか「親友」という言葉に対する思いとかはよく書けているなと思いましたが、なにしろクラスのレクリエーション決めというストーリーが退屈で、この先どうなるんだろうというわくわく感やドキドキ感に欠け、電車の中で読もうとしたのですがすぐに眠くなってしまって、なかなか最後までたどりつけませんでした。

(2019年10月の「子どもの本で言いたい放題」)

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マカナルティ『天才ルーシーの計算ちがい』表紙

天才ルーシーの計算ちがい

アンヌ:この物語は大好きで、落ちこんだときに読むと元気になれる本です。このところ主人公が天才という本を何冊か読みましたが、たとえば『世界を7で数えたら』(ホリー・ゴールドバーグ・スローン作 三辺律子訳 小学館)に比べたら、数字で頭の中が混乱する描写等で、天才でもできないことがあるというイメージがわかりやすく書けています。3回も座りなおさないと座れないとか、除菌シートを手放せない等というのは、日本の小学生や中学生にもよくあるので、周囲が慣れてしまえば大丈夫だろうとあまり深刻にならずに読んでいけたし、いじめにあっても先生から理解されなくても、いっしょに教室を出てくれる仲間が2人もいれば怖くないなと思いました。苦手な犬に好かれたせいで世界がどんどん広がるというところは、私も身に覚えがあって、初めてなめられたり、犬の糞を拾ったりするときの気持ちとか、笑いながら楽しめました。いじめっ子のマディーが受けているストレスも書きこまれていて、ルーシーが気づくところまでいくのは見事でした。気になったのは、p54、p272で、パソコンのチャットにルーシーの気持ちが書きこまれているところ。チャットの書き間違いかと一瞬思いました。字体は変えてあるけれど、つまっていてわかりにくいです。欲をいえば、もう少し数学的な挿絵とか用語解説があればいいのにと思いました。

ハリネズミ:後天的なサヴァン症候群の子どもを主人公にして、リアルな描写でとても読ませる作品だと思いました。どの子も悪く書かないとか、助けてくれる大人も出て来るというところが王道の児童文学で、安心して読めますね。この子がわざとらしくない自然なきっかけで視野を広げていくのがいいですね。翻訳もとても軽快でどんどん読めました。

マリンゴ:数字が得意、という天才的主人公の物語はときどきありますが、天才ぶりについていけなかったり、数式の羅列が読みづらかったりするので、この本もそうかな、とちょっと警戒しました。でも、実際にはそうではなく引きこまれていきました。ルーシーの数学の活用法が非常に物語にうまくはまっていると思います。犬が引きとられるまでの日数の分析、数値化など、とてもわかりやすいし、親近感のわく数学ですよね。友情の輪が、わざとらしくなく、変に感動的ではなく、静かに温かく広がっていくのがいい感じで、読後感もとてもよかったです。気になるのは表紙のイラストですが、主人公の実年齢よりも幼い気がして、ギャップを感じました。あとは、助けてくれる先生のハンドルネームが「数学マスター」だったというところですが、たしかに数学マスターは出てきているんですけれど、印象が薄い登場だったので、「ああ、あの人か!」と手を打つ感じではなかったです。もちろん、わざとらしくならないよう、あえて著者がそうしたのだとは思いますが。

ハル:中学生くらいのときに、こんな本を読みたかったなぁと思いました。ルーシーは数学の天才だけれど、実生活に生かせるような数学的とらえ方を紹介してくれているので、当時の私が読んでいたら、数学の授業ももう少し頑張れたかもしれなかったです。ウェンディやリーヴァイも「いい子」ではなく、それぞれ何かしら癖があるところもリアルでいいですね。おもしろかったです。

西山:みなさんのお話を聞くまでページの多さは気にしていませんでした。意外と長かったんですね。今回の選書テーマが何だったのか、案内を見返しもせず、『たいせつな人へ』に続けてこれを読んで、「兵士」つながり?なんて思ってしまいました。アフガニスタンに2度も行っているポールおじさんの話にハッとして、ハロウィンでもルーシーがおじさんのお古の戦闘服(あ、いま、「せんとう」と打ったら、まず「銭湯」とでました!平和~(^_^))を着ますよね(p181)。「退役軍人の日の振り替え休日」(p237)とさらっと出てくるし、ものすごく異文化を感じました。日常の風景の中に「軍人」がいるんですね。もどかしかったのが、先生に事情を明かさないこと。ストウカー先生は話せば理解してくれるだろうことが、最初から結構はっきりしていますよね。おばあちゃんだって、うまい具合に伝えてくれてもよかったのに、おとなたちはもっと適切な連携やサポートができるはずなのにと、思いました。それによって全てが円満解決するはずもなく、しんどさは依然として残るでしょうし、新たな困難も生まれるかも知れません。それをドラマ化した方が読みたいと私は思います。対人関係ぬきにも、潔癖というのはルーシーの不自由さでもあって、でも、その点はパイがほどいていく。文学的ドラマが無くなるわけではないと思います。ルーシーがパイのうんちをひろったとき、おばあちゃんが感動するのはよくわかります。誕生日パーティーで友だちを招待してスイートルームにお泊まりなんて、これまた異文化体験でしたが、自分だけ簡易ベッドでそれだけでも十分惨めなのに、そこに悪口が聞こえてくるなんて、どんなにつらいか・・・・・・そういう感覚が素直に伝わってきました。スライダーも意外とおもしろかったりなど、ルーシーを設定優先でない、ひとりの女の子として伝えてくれる場面がたくさんあったと思います。全体に読みやすかったのだけれど、p268〜p269の仲直りのシーンはちょっとおいていかれた感じはしました。

まめじか:成長物語というだけでなく、子どもたちが自分たちにできることを考えて、社会をよい方向に変えていこうとする姿が描かれているのがいいですね。p201、クララがパイを里親に出せないと言いながら、「子どものころね、大人たちが『人生は公平じゃない』っていうのが大きらいだった」と語るのが、そうだよなぁと思いました。ウィンディはルーシーの秘密をついしゃべってしまいます。こういうのって、子どものころありましたよね。それで傷ついたり、傷つけたり。なにかひとつでもそういうことがあると、もうこの人は信じられないと、子どもは思ってしまいますが、けしてそうではなくて、許すことを学んで大人になっていくんですよね。

しじみ71個分:表紙の絵がポップだったので、割と小さい子向けの本なのかしらと思ったら、字が小さくてビッシリ書いてあったので、ギャップにびっくりしました。アスペルガーやディスレクシアなど障がいのある子たちが天才的な能力や賢さを持っていて、周囲との軋轢を超えて、友だちや家族の中で成長していくというような物語は、『レイン 雨を抱きしめて』(アン・M・マーティン作 西本かおる訳、小峰書店)、『世界を7で数えたら』(ホリー・ゴールドバーグ・スローン作 三辺律子訳、小学館、2016)、『木の中の魚』(リンダ・マラリー・ハント著、中井はるの訳、講談社)など、前例が多いので新鮮味はないなぁ、という感じはありました。ディレクシア、主人公と心を通わせる重要な存在としての「犬」も、既視感があったのは否めませんでした。でも、過去に読んだ作品より、主人公がポジティブで力強いところは新鮮味がありました。ウィンディが誕生日パーティで、ルーシーは天才なのだと周囲にバラしてしまったときにも、怒りを表して立ち向かっていくし、自分は天才だから、と自認もしています。最後のパイとのお別れの場面で糞を拾わざるを得なくなって、「わたしの犬じゃないし!」と正直に言ってしまうところなどとてもユニークでユーモラスでした。ただ、こういう作品によくある、障がいのせいで周囲となじめない、理解されない場面は読むと切なくなってしまって、理解ある先生なんだから正直に事情を話せばすむのに、とはいつも思ってしまいます。言わないことでドラマを作るのが英米文学なのかな。でも、この作品はそういった点も含めて明るく読めました。それから、友だちのリーヴァイの人物像は非常に好ましかったです。

鏡文字:おもしろく読みました。物語の方向が予想を裏切るものではなく、ある意味、安心して読み進めることができました。動物が苦手な私としては、また犬か、というか、犬のエピソードに長くひっぱられた感はあったものの、全体的に一つ一つのエピソードがうまくかみ合っていたと思います。人物像という点では、中学生としては、全般的に幼いな、という印象を持ちました。カバーイラストのイメージで、小学校中~高学年向けかと思ったのですが、中学生の物語で文字量も多く、なんと1ページ17行。きつきつ感が否めず、かなり無理して詰め込んでいますが、たとえページ数が増えたとしても、ゆったり作ってほしかった気がします。翻訳物にはたいてい添えられている、訳者のあとがきも読みたかったです。

ルパン:一気読みでした。とてもおもしろかったです。読み終わってから、サヴァン症候群について調べてみたりもしました。習ったことも聞いたこともないことがわかったりするって、とても不思議なことですが、実際に存在するんですね。

田中:この本の訳者として裏を明かすと、原書はかなりのボリュームがありますが、仕上がりのページ数を減らすために、編集部からの注文で原作を削ったところがだいぶあります。字が小さいのも、行間を取ったほうがいいところで取ってないのも、ページ数を減らすためです。一部分を削ると前後のつながりがおかしくなるところが出てくるので、そこは流れがつながるように文章を工夫しました。それと、p275の数学マスターの顔文字「T_T」ですが、原書では「:(」となっています。悲しいという意味だそうで、日本式に涙の顔文字になりました。

ハリネズミ:教育現場の人たちが読むと、障碍があることを言えばいいのに、と思われると思いますが、そうすると「障碍があるから助けなくては」という認識になります。ところが、この本の中ではサヴァン症候群と言わなくても、ウィンディやリーヴァイは、折に触れて助けようとしたり、思いやったりしていますね。そこがすばらしいと思いました。今、日本の学校では、この子はこういう問題をもってる、あの子はこういう障碍をもってるという腑分けが進んでいて、先生たちもそれを知って配慮していく。それが悪いとは言えないですが、その子の前面に問題や障碍が出てしまうような気もします。文学作品ではあえてそれを取っ払って人間を描くというのもありだと思います。それから、リーヴァイにはお母さんが二人いる家庭だというのがさりげなく出てくるのが、いいなあと思いました。

西山:べつに、全員にカミングアウトしろということではないんです。この作品では、先生も感づいているので、もっと助けを求めてもいいし、理解者のサポートがあってしかるべきだろうと思いました。『きみの存在を意識する』(梨屋アリエ作 ポプラ社)を読んだばかりなので、なおのことそういう風に考えたのだと思います。理解し、適切な支援ができる教師がいても、それでも困難は残るし、生徒同士の関係は複雑なまま残るでしょうから、ドラマはそこから始まってもいいのではないかと思います。これは、様々な作品に対して常々思うことです。現実とリンクする困難を描くときには、それに対する現実の制度やなんとかしようとしている存在も描いてほしい。学童の運営に苦労していたとき、学童などなきがごとき作品にがっかりした体験を思いだして、そんなことを考えます。

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ネズミ(メール参加):特殊な状況にある子どもを主人公にした作品って、近年英米ではよく書かれるのでしょうか。おもしろく読みましたが、こういうテイストのものに、やや食傷ぎみです・・・・・・。4年間も人と交わらずに過ごしていたなら、適応にもっと苦労しそうなものだけれど、そこはエンタメだから、おもしろおかしいところだけとってきているのかな。アメリカの文化を知らないとわかりにくいなと思うところや、文章としてひっかかるところがちらちらとありました。読書量の多い子どもには勧めてもいいけれど、年間に何冊かしか読まないような子どもには、勧めようと思わないかなと思いました。

(2019年9月の「子どもの本で言いたい放題」)

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佐藤まどか『つくられた心』表紙

つくられた心

マリンゴ:装丁が非常に魅力的で、目を引きます。導入部で一気に引きこまれますし、AIという、児童書として比較的新しい材料を料理しているそのアイデア力は素晴らしいなと思います。ただ、全体的に描写が少なくて、どういう世界なのかわかりづらい部分がありました。サイエンスフィクションは、ディテールが緻密で、目に浮かぶように描かれないと、プロットっぽい感じになってしまうのかもしれません。もっとも、物語の分量的にはちょうど子どもが読みやすいボリュームだとは思います。あと、誰がアンドロイドなのかという謎で引っ張ると、読者はミステリーとして読むと思うので、はっきりとした結論がある、もしくは結論のない理由が明確であるほうが、ミステリーのルールにはかなっている気がしました。ちなみに、わたしはミカかなと思って読んでいました。

西山:おもしろく読みました。最初に座席表を見て、日本以外のルーツと分かる名前が16人中3人もいて、まずおもしろそうだと思って、期待とともに読み始めました。出だしの会議の様子は、なかなか現代社会に対して批判的で小気味よさを感じました。ITがらみの未来小説として『キズナキス』(梨屋アリエ著 静山社)を思いだして、『キズナキス』のいろんなことをぶちこんだ重層的なボリュームと比べて、一つのテーマだけでドラマを引っ張っていることから、薄い印象を持ってしまいました。p154「冷酷な人と慈悲深いアンドロイドなら、どっちを信用する?」というところを子どもにも考えさせることになるでしょうか。私は、p150の最後の行のミカが「いいにおいのするあたたかい母の胸」に顔を埋めて泣き止む場面で、瞬間的にアンドロイドはミカだと思ったのですが、中学生の読書会で使うと、誰がアンドロイドだろうと盛り上がるだろうと思います。

まめじか:AIと人間はどこが違うかという議論は、バーナード・ベケットの『創世の島』(小野田和子訳 早川書房)にも出てきますね。『創世の島』では、人類はすでに滅びていて、人間の記憶を移されたAIだけがいる世界だと、最後にわかります。

しじみ71個分:子どもたちが学校にいる監視用アンドロイド探しをする中で、友だちとは何かとか、心とは何かなどいろいろ考えるストーリーが、冒頭と末尾にある、大人の会議描写に挟まれる形になっていて、種明かしをすれば大人の思惑どおりになりました、という物語になっていて、正直、読後感はあまりよくなかったです。伝えたいのが、監視社会の恐怖や不安なのか、それを乗り越える力なのか友情なのか、子どもに何を伝えたいのか、今ひとつ重点の置きどころがはっきりしなかったような印象です。表現は、抽象性が高くて、『泥』(ルイス・サッカー作 千葉茂樹訳 小学館)を思い出しましたが、欧米のフィクションっぽいという印象を受けました。人物の背景等を書きこみ、心情を描写して人物像や関係性を描くいう手法をとらず、ほぼ子どもたちの背景を語らないまま、会話だけでアンドロイド探しの話を読ませていくという表現は新鮮でした。抽象性が高いので舞台劇にしたらおもしろいんじゃないかとも思いました。大人との対話があるのは、物語終わりかけのお母さんとミカとの会話の場面だけですが、その中で人の心とはとか、友情とはとかについて話すのですが、あまり深く掘り下げないまま薄い感じで終わらせ、かつ大人の会議の場面が最後に結末として呈されて、友情やら心やらの問題が重要だったのではなかったんだと、もやもや感を残したまま終わるようになっています。テーマの重要性はよく分かるのですが、最終的に子どもたちがそれをつかめるかなぁ、という疑問は残りました。

鏡文字:再読する時間がなく、細部は忘れてますが、全体の印象は残っています。座席表というと、『なりたて中学生』(ひこ・田中著 講談社)を連想させますが、名前に外国ルーツの人が何人も入っているところなど、イタリア在住の作者ならでは、と思いました。はっと目につく表紙で、中表紙もきれいですね。現代の監視社会への問題意識に共感します。冒頭とラストの会議の場面がいかにも嘘くさくてリアリティを感じなかったのですが、でも、現実はもっと嘘くさいことがまかり通っているという気もします。監視社会といっても、きれいな監視社会・・・・・・エネルギーは太陽光だったりと、今風な部分もありますが、会議のいかにも昭和なイメージ(ザ男社会!)は、敢えてのことだったのでしょうか。冒頭とラストが、真ん中に挟まれた子どもたちの物語とは、必ずしもうまくリンクしていないような印象でした。どんな物語が始まるのかな、と期待しながら読んだけれど、やや肩すかしをくらってしまったという感じでしょうか。子どもたちがある意味、無邪気なんですよね。その分、人物造型が薄く物足りない気がしました。こういう社会の下で、それなりに友情が育まれるけれど、それを希望と呼べるのかどうか、作者の意図はどうだったのでしょうか。アンドロイドが誰かということが話題に上りました。読み手としては知りたいところかもしれませんが、私は、それはどうでもいいような気がしました。人間そっくりのアンドロイドなんて、これまでいくらでもフィクションに登場しているし、恋愛の対象にさえなり得るもので、それを否定できるものでもありません。現実には、監視社会がアンドロイドという形を要求しているわけではなく、監視や管理はもっと違う方法で進行していると認識しています。物語に会議が入る構成に『泥』を思い出しました。あれは怖かったけれど、この物語からは、あまり恐怖は感じませんでした。

サマー:おもしろく読みました。監視社会や管理社会ということで思い出したのは『ギヴァー:記憶を注ぐ者』(ロイス・ローリー著 島津やよい訳 新評論)でした。『ギヴァー』は色のない世界で、いらなくなった人間はリリースされるという恐ろしい未来社会でした。『つくられた心』はそこまで恐ろしくはないけれど、子どもたちが疑心暗鬼になってアンドロイドを探す構造になっています。推理、なぞ解きを楽しむ要素があるので、教室で読書会をするといろんな意見が出ておもしろいのかなと思います。登場人物が大勢出てきますが、作者は工夫してそれぞれ口調を変えたりして、人物がキャラ立ちしていると思います。ただ、この物語は何年先の設定にしているのか。50~60年先のことだとしたら、主役に近い仁の口調が今どきすぎないでしょうか? はたして数十年後に今の子どもたちが使っているような口調がそのまま残っているのかな? と疑問を感じました。

ルパン:タイトルにすごく惹かれたんですけど・・・・・・私はこれは失敗作かと思ってしまいました。テーマは何なのか・・・・・・。読み始めてすぐにミカがアンドロイドなんだな、と思ってしまったので、ガードロイド探しの部分も楽しめなかったし。時代設定のちぐはぐ感もあります。スマホを「おばあちゃんがもってる長方形のもの」といったり、レストランや介護の従業員がみなアンドロイド、など、未来社会を思わせる設定で入ったわりには、家が飴屋とか、昭和感があったり、生活ぶりが今と変わらなかったり。物語の世界に入り込めませんでした。最後の会議のところも今ひとつピンときませんでした。ガードロイドがいなくても、子どもたちはこうなるのでは? 信じられないような理想教育クラスというほどでもないので中途半端に終わった感じです。物語世界のイメージがわいてこなかったんです。

アンヌ:わたしは、アンドロイドは鈴奈だと思いました。読者もいっしょにアンドロイドを探す推理小説仕立ての作品だと思い、それならば作者が出したヒントを使おうと考えて、親が役者、でも現実には姿を現わさない、そして実生活が話すことと違うという点がアンドロイドっぽいかなと推理しました。でも答えはないし、大人の会議場面は妙に薄っぺらくて管理社会の恐さがそれほど見えてこないし、どこに向かっているのかわからない奇妙な物語だと感じました。

ハリネズミ:今私たちが気づいていないけれど、確実に存在するAI社会の危険性を提示してくれているという意味で、とてもおもしろかったです。日本にいると自分がいる場がすごい管理社会だということは見えにくいですが、イタリアにいる著者だからこそ見えるのかもしれません。この作品で象徴的に描かれているのと同じようなことはすでに起こっている、あるいはもうすぐ起ころうとしているのではないでしょうか? 一時AIが人間を超える時代は来るのかということが問題になりましたが、今見ていると人間のほうがどんどん劣化して、感覚も麻痺してきて、自分の頭で考えることをやめて、管理社会に対しても疑問を持たなくなっている。人間にはAIにはできない複雑なことができるはずなのに、考えるのは面倒臭いと思って「まあいいか」と思ってしまうと、AIにのっとられる。あるいはAIを使って権力を握ろうとする人の思うままになってしまう。たとえば見守りロボットは、いじめを防止するという目的で導入されますが、盗聴や監視を行うスパイで、それを管理する権力者は、いくらでも都合のよいようにまわりの人間を操作していくことができるわけです。無邪気にアンドロイド探しをする4人の子どもたちは、結局友だちは信頼するしかないという結論に達します。でも、怖いのはその後で、p172では、人間と見分けがつかないようなアンドロイドをつくって、その心もリモコンで操作し、しかもそのアンドロイドには自分は人間だと思い込ませるという仕掛けまでしていたことが明かされます。このシステムは、「友だちを信頼しよう」と思っている子どもたちをあざ笑っている。ガードロイドの正体はわからないままですが、作者はあえてそうしているのでしょう。だからこそよけいに管理社会が子どもを裏切っていく様子が浮かびあがってきて、読んでいてゾッとしました。『ギヴァー』とは時代もつくりも違ってきて、スマート管理が進んでいる社会の恐ろしさ。深読みかもしれませんが、子どものうちから思想を管理しようとする権力者のありようを、鋭く描いているように思いました。日本もこのままいくと、ちょっと先にこれが立ち現れるような気がします。

西山:「深読み」かも知れないとおっしゃっていたけれど、ものすごく「深い読み」だと刺激されました。ベンサムの円形監獄の世界なのですね。監視塔を中心にぐるりに作られた監房。囚人からは看守の姿は見えないので、たとえ監視塔の中に看守がいなくても、囚人は監視されていると考える。これ、「パノプティコン(全展望監視システム)」という言葉があるようです。監視されていると思わせるだけで行動を自粛させ管理下に置ける――本当に怖い現代批評になっていると思います。ただ、エピローグ的最終章の「理想教育委員会」の会議内容が、ガードロイドを紛れ込ませなくても生徒の管理はできるという成果を語るのではなく、最新型アンドロイドの存在の拡大を不穏な未来像として示して終わるので、監視社会の気持ち悪さより、AIの進化の方に目が向くように思います。学生の読書会テキストにしたとしても、私のようにアンドロイドは誰?みたいな興味に議論が集中してしまう気がします。

しじみ71個分:誰がアンドロイドなのかはどうでもいいという描き方ですよね。アンドロイドが紛れているという情報の効果はすごく出ていて、大人の掌の上で子どもの心を弄んでいる感じですよね。最後のところでも親が言いくるめて終わっていて、子どもたちは完全に大人たちにやられちゃってますよね。事実としてアンドロイドがいてもいなくても、相互に監視し合って、それを納得させられてしまって、完全に管理されてしまっていますよね。そこが何とも気持ち悪いですよねぇ。

サマー:子どもの本は、もっと後味がいいものだと思っていたのですが。

ハリネズミ:起承転結がはっきりしてハッピーエンドの物語も必要ですが、考える種をまいているようなこんな作品があってもいいと思うのですが。

しじみ71個分:この作品の気持ち悪さは、子どもたちの力で問題を乗り越えるとか、何か問題を解決できたり、超越できたりという希望がないところなのかなぁ。『泥』は、まだ、友だちを助け出せたというところにカタルシスがあったような気がするのですが・・・・・・。

西山:ものすごく未来の設定のはずなのに、会議の「昭和感」がすごい。それこそブラックですよね。

ハル:これはまた、いかにも課題図書的なタイトルだなぁと警戒しながら読んだのですが、おもしろかったです。このままAIが進化していったら、未来の世界はこうなっているのかな? と考えさせられるところもありますし、このごろなんでも「厳罰化」そして「監視強化」に世論が向かっているようで、それも怖いなと思っていたところでしたので、とてもタイムリーな感じもしました。いじめにしても、監視カメラや会話の録音で管理すれば、子供たちが守られる面も当然あるでしょうし、反面、表面的に抑圧されるだけなのかもしれません。実際にいま現在、いじめや暴力に苦しんでいる人の前ではきれいごとかもしれませんが、そうやって管理されることによって育まれていく心は、アンドロイドとどう違うのか。タイトルの『つくられた心』も、アンドロイドは誰か? ではなく、私の心はつくりものではないと、本当に言えますか? という問いかけなんだと思います。

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ネズミ(メール参加):管理された社会のおそろしさ、薄気味悪さを感じながら、ぐいぐいとひきこまれて一気に読みました。後味が非常に悪かったのは作者の意図したことでしょうから、それだけ作者の力量があるということか。あとで振り返ると、登場人物たちはみな立場と状況だけしか与えられていなくて、中学生の頃のぐちゃぐちゃした感情は描かれていません。観念的に書かれた作品という感じがしました。

(2019年9月の「子どもの本で言いたい放題」)

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トルーディ・ラドウィッグ文 パトリス・バートン絵『みんなからみえないブライアン』さくまゆみこ訳

みんなからみえないブライアン

アメリカの絵本。目立たない子どもを主人公にしています。私が前に訳した『ひとりひとりのやさしさ』(ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ルイス絵 BL出版)には、転校生をわざと無視したり、あざけったりするいじめが出てきました。いじめは、子どもをめぐる大きな問題なので、子どもの本でも取り上げられることの多いテーマです。でも、この絵本のブライアンは積極的ないじめを受けているというより、目立たないために、みんなからついつい忘れられてしまうのです。友だちから忘れられるだけではありません。ほかに手のかかる生徒を抱えていれば、先生までその子がいることになかなか気づきません。

でも、そんな体験をたくさんしてきたせいか、ブライアンは人の痛みがわかる子どもです。なので、転校してきたジャスティンがからかわれた時に、得意な絵をつけた手紙を書かずにはいられなかったのでしょう。それをきっかけにして、友だちの輪が広がっていくのがすてきです。

この絵本は、どうぞ後ろの見返しまで見てくださいね。
(装丁:森枝雄司さん 編集:宮本友紀子さん)

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<紹介記事>

・「公明新聞」2015年11月28日

・「AERA with Kids」2015年9月号

 

・「朝日小学生新聞」2015年11月号

 

・「教育家庭新聞」2015年7月20日

 

・「教育新聞」2015年6月25日

 

 

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ジャクリーン・ウッドソン『青い丘のメイゾン』さくまゆみこ訳

青い丘のメイゾン

アメリカのフィクション。「マディソン通りの少女たち」の第2巻。私立の寄宿学校に転校したメイゾンは、白人の少女たちの仲間にも、かといって数少ない黒人の少女たちの仲間にも入れず、孤独な日々を過ごします。作者のウッドソンは、今年コレッタ・スコット・キング賞を受賞しました。感受性の強い少女が生きていくのは、昔も今もそう簡単なことではないようです。
(絵:沢田としきさん 装丁:鳥井和昌さん 編集:米村知子さん)


ジョゼフ・レマソライ・レクトン『ぼくはマサイ:ライオンの大地で育つ』さくまゆみこ訳

ぼくはマサイ〜ライオンの大地で育つ

原マサイの著者が書いたノンフィクション。ケニア北部の遊牧民の子として生まれ、キリスト教の学校に入り、伝統文化と西欧文化の間で悩みながら成長した著者の半生記。ライオン狩りの恐怖、初めて学校に入ったときのとまどい、伝統的な遊牧民の暮らし、サッカーで大統領の応援を受けたこと、アメリカに渡るときの不安などが、素朴で真摯な語り口で語られていきます。渇きで死にそうになったとき牛の鼻をなめて生き延びたという話など、びっくりするようなエピソードも。
著者のレクトンさんは、その後1年の半分はアメリカで教え、もう半分はケニアの遊牧民の福祉のために活動していましたが、今はケニアの政治家になっておいでのようです。
(編集:服部義治さん)