ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳
岩波書店
2023.09
ハル:ものすごくおもしろかった。難しそうだし、ボリュームもあるし、読み始めるのは勇気がいったけど、読み始めたら一気読み。現実にこういう世界があったのですし、誰が裏切っているのかわからない、この先がどうなるかわからないスリリングな展開を「おもしろい」というのは語弊があるかもしれないけれど、小説としても引き込まれましたし、知らなかったことを知ったという意味でも、読み終わってすぐに誰かにすすめたくなる1冊でした。国民が立ち上がっていく姿には深く感動しましたが、半面で、若い子には安全なところにいさせてあげたいという気持ちも抱きます。いつも己に恥じぬ生き方、なんて捨てて、とにかく生き延びてほしいと思います。いつかこうなる前に、おかしいと思ったらいつも声をあげていかなくては、意見をしっかりと口にしなければ、という焦燥感も覚えました。でも、やっぱり、いくら信じ難いほどの独裁者であれ、一方的な裁判ですぐに死刑が執行されたというのは、ほんの30年、40年前の話とは思えないなと改めて衝撃を受けます。クリスティアン自身も「こんな終わりかたで本当によかったのか?」(p361)と、とまどいを覚えていますが、当事者たちが感じたものとは違うかもしれないけれど、読者としても考えたい問いです。
ルパン:私も一気に読みました。以前、北朝鮮でスパイの疑いをかけられた一家の悲惨な運命をアニメーションで描いた映画を見たことがありますが、そのときと同じくらいショッキングでした。ヨーロッパでも独裁者の国で一般の人々が圧政を受け、盗聴や密告におびえながら極貧の生活をしていたことに衝撃を受けました。コマネチの亡命の数日後に独裁者チャウシェスクが斃されるという劇的な歴史のひとコマをオンタイムのニュースで見ていましたが、一般の人々が実際にどういう暮らしをしていたのかは全く知らなかったので、この作品を読んでよかったと思いましたし、若い世代にも読んでもらいたいと思いました。息もつかせぬ物語の展開でしたが、最後の最後に母親もまた密告者だったことを知るというショッキングな結末に、しばらく暗い気持ちを引きずってしまったほどでした。
花散里:ルータ・セペティスさんの作品は『灰色の地平線のかなたに』、『凍てつく海のむこうに』(野沢佳織訳 岩波書店)を読んでいたので、この本が刊行された時もすぐに読んで、衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。セペティスさんは父親がリトアニアからの亡命者で、先にあげた2作品も綿密な取材に基づいた歴史フィクションだったので、ルーマニアの独裁政治のなかで物語が繰り広げられていく本書も衝撃を受けながら一気に読みました。今回、再読だったので、ラストの家族の中での密告について、特に姉や母親の描かれ方など注視して読みました。祖父の薬を得たいがために密告者となること、その自責の念や、親友を密告者ではないかと疑ったこと、社会主義国家チャウシェスク政権下で秘密警察・セクリターテに監視され弾圧されて生きている人々の姿が恐怖とともに伝わってきました。電気も配給制の食料も乏しく、抑圧された日々の中での、女子高生リリアナ、アメリカ人外交官の息子との交流など、高校生としての主人公クリスティアンの姿も上手に描かれて行きますが、クリスティアンにとって祖父の存在が大きかったことがp77の言葉などから特に印象に残りました。ルーマニアの独裁政治などについて、巻末の参考資料とともに、ぜひ中高校生に知ってほしいと思う作品でした。読んでほしい作品として、勤務校で高校生に手渡しました。
アカシア:出てすぐに読み、私もみなさんにおすすめした本です。まず、膨大な資料を集め、現地で体験者の声もいろいろ聞いて、この物語を立体的につくりあげた作者の力量がすばらしいと思いました。あとがきを見ると、この時代のルーマニアでは、市民の1割は密告者に仕立て上げられていたとありますが、この家族は、反体制派のおじいちゃんがいるという弱みを握られて脅されたのでしょうか、結局母親、クリスティアン、姉のチチの3人もが密告者の役目を押し付けられます。盗聴や監視も日常茶飯事に行われ、間に挿入されている「情報提供者からの報告」とか「公式報告書」などを見ると、だれもいないと思っていた空間での一挙手一投足が全部筒抜けになっている。そういう環境では、だれもが疑心暗鬼になり、家族も恋人も親友も信じられなくなり、絶望的な孤独に陥るということが、とてもリアルに伝わってきました。
これは、1989年のルーマニアの話ですが、ルーマニア革命については、まだまだわかっていないこともあるようですね。でも、社会主義とか共産主義に関係なく、少数の権力者が情報を握って、支配しようとする社会では、どこでも起こりうることとして読みました。ちょっと気になったのは、表紙画が日本人みたいだな、ということと、「やばい」とか「ぶっちゃけ」という言葉が会話に出てくるのですが、時代に照らし合わせていいのか、と疑問に思いました。
あと、最後にクリスティアンがセクリターテだったラケットハンドを訪問して何かをたずねようとするわけですが、これは何をたずねようとしたのか、私にはよくわかりませんでした。こうじゃないか、と思った方がいたら、教えていただきたいと思った点です。
アンヌ:お姉さんのことだと思いました。p371にも「姉に関しては、答えの出ない疑問がいくつか残った」とありますし、姉の死に責任を感じている主人公は真実を知りたかったのだと思います。それにしても、元情報部員は自分を守るために武器を持っていただろうし、危険はないのかとかドキドキしながら読んでいたので、その先がないのには驚きました。
レジーナ:p371に、「姉に関しては、答えの出ない疑問がいくつも残った」とあるので、主人公がラケットハンドにききたかったのは、姉に関することかと思いました。
アカシア:実際に手を下したのは別の人ってこと? ダブルスパイ?
シマリス:センチメンタルに考えると、お姉さんのことを本当に好きだったのかを、ききたかったのかな?とか。
ルパン:これは作者にたずねてみたいところですね。
エーデルワイス:手元に本を置いたまま、重い内容と推測できるので、すぐには読めませんでした。ところが読み出すと止まらなくて一気に読みました。表紙のイラストは日本人の若者にしか見えませんでした。最初の方のページに、「TIME」と外国製たばこ「KENT」のイラストが描かれているのは物語の象徴のように思えます。それにしても「KENT」に大いなる賄賂の力があることに驚きです。一家に3人もの密告者を作る独裁国家。主人公クリスティアンのおじいさんの白血病がチェルノブイリによるのではなく、放射性物質を入れられたコーヒーを飲んだことによるものと分かって背筋が凍りました。その上おじいさんは滅多打ちされ殺されるのですから。お母さん、お姉さんのチチが密告者と分かりますが、心情などもう少し書いてもらえたらよかったと思いました。20年後、クリスティアンが英語教師に、恋人のリリアナが書店店主になったとありましたが、2人は結婚したのか気になります。最後、クリスティアンが元秘密警察のラケットハンドの家を訪ねたのは、国家の使命の仕事とはいえラケットハンド自身に葛藤はなかったのか、チチについてのこと、多くの密告者をどう思っていたのか、その情報をどのように反映させていたのか、多くの善良な市民が亡くなったことに罪悪感はないのか──もし少しでもラケットハンドが罪悪感を感じているなら、クリスティアンは救われるかもしれない──そのようなことをききたいのではと、想像しています。例え絶望的な答えが返ってきても、クリスティアンは決着をつけたいと思ったのでは?
ルパン:2人が結婚したのか気になるけれど、結婚していたらこういう書き方はしないのでは?
アカシア:そこは本質的な部分には関係ないので、書かなかったのでは? 結婚したとかしないとか書いてしまうと、そっちに目が奪われるか、それで終わってしまう読者もいそうです。
アンヌ:北朝鮮の拉致被害者の話を思い出しながら読みました。施設内にある家の中の会話も盗聴されていたと。ルーマニアでは、それが普通の国民生活の中でも行われていたのかと思い、自分の国なのに独裁者がいる限り自由になれないのだと知って震え上がりました。中国の文化大革命時の話なども思い出したり、祖父のコーヒーに入れられた放射性物質の話には、現実にあった毒殺事件などを思い出したりしました。クリスティアンとリリアナの恋の物語がなかったら、それと、クリスティアンがノートに書き付けていく詩がなかったら、読み続けられなかったと思います。それにしても、さっきも言いましたがラストが気になって、クリスティアンに「危ない! 気をつけて!」と声をかけたくなったりしたので、その先を知りたかったと思っています。
きなこみみ:緻密な取材に裏打ちされた重厚な作品で、一気に読みました。チャウシェスク政権が崩壊したときはテレビ報道などを見ていて、夫妻が贅沢な生活を送っていたことなどは知っていたんですけれど、実際の国民の暮らしの大変さをこの物語を読んで初めて実感しました。「密告」がどんなに人と人の関係を損ない、深い傷を残すかを知って恐ろしくなるほどでした。友人だけではなく、家族のなかに幾重にも密告という網が張り巡らされているのが恐ろしすぎます。「抑圧」の究極の状況、八方ふさがりの状況のなかで、それでも人間として誠実に生きたいともがくクリスティアンの心に打たれて、共に悩みながら読むことができたのもよかったです。団地の一室で秘密の映画上映が行われていたり、アメリカからのラジオ放送に耳を傾けたり、リリアナという女の子とドキドキする初恋を経験したりという、クリスティアンの若者らしい一面がしっかり描かれているので、どんな状況のなかにいても変わらない、普遍的な価値観も感じられて、そこも物語の厚みになっていると思います。
しかし、いちばん恐ろしいと思ったのは、最後まで読んで、なぜ物語のはじめに「草稿」と書かれていたのかがわかったときでした。20年以上かかっても、まだ真実にはたどり着かないということ。まだ、あのときの真実は明かされていないのだということ。だから、いい感じで終わる物語は実は決定稿ではなくて、これからずっと歴史は検証され続けていかねばならないんだということを示唆しているラストではないかと思います。戦争もそうですが、歴史の検証には長い時間と、検証し続ける努力と誠意が必要とされます。でも、そうすることでしか、未来の明るい扉は開かれない。この物語でも、クリスティアンの家族を監視する50人もの密告者がいたこと、その恐ろしい監視社会の解決されていない部分は、これからもずっと検証され、書き直されなければならないという問いかけが、冒頭の「草稿」という言葉とともに、この物語のエピローグに込められていたと思います。政治の暗部がすべて秘密裡に行われ、公開されないことは、ルーマニアだけの問題ではないと思います。今の日本社会にも、自分が思うことを自由に口にできない。政治の話が世間話としても忌み嫌われる風潮があります。今の若者たちにとって、タブーとされていることが、どんな抑圧から生まれているのか、この物語を読んで改めて気になりました。
ルパン:そういう意味では、まだ終わっていない物語なんですよね。世界のどこかで今も苦しんでいる国民がいるし、これからもどこかの国がそうなるかもしれないし。そう思うとほんとうに怖いですね。
しじみ71個分:ルータ・セペティスの3作はどれも本当に好きです。野沢佳織さんの訳のお力もありますが、硬めの文体も好きで、スピード感のある展開にスリル感があふれていて、厚めでもあっという間に読んでしまいました。まだ読みが足らなくて、分かりきらなかったところがたくさんあるので、もう1度しっかり読み直したいです。歴史的な事実に基づいて、ていねいな時代考証や調査を行い、ハードな物語を作り上げる力量には読むたびに感動を覚えます。歴史的な記述がしっかりしているというだけでなく、キャラクターの描き方もとても魅力的で、クリスティアンもリリアナもそこにいるのではないかと思わせられるほどのリアルさ、心情への肉薄を感じます。
セペティスは、リトアニアからの亡命者の父を持ち、アメリカで育つというバックグラウンドがある作者なので、場合によっては、無意識にでも社会主義国の在り方に厳しい見方を持っている可能性もありますが、現代史の闇に切り込んだ、とても貴重な力強い作品で、本当に感動しました。
この本を読んで、ものすごく怖いと思ったのは、密告と独裁の間の親和性が非常に高いところです。独裁政治の中で、一部の支配層が人々の生活の隅々にわたる情報を握り切ることで人をコントロールし、人を疑心暗鬼にし、連帯を不可能にし、恐怖で支配していくという仕組みが描かれてあり、本当に背筋が凍る思いでした。表面をとり繕いながらも、誰に本当の気持ちを打ち明けていいものかわからない孤独、投獄や拷問の恐怖、家を暖める燃料もなく、食べ物も配給しかなくいつもひもじいところまで追い詰められると、人は理性や希望を失って、その弱みを独裁、恐怖政治が突いてくる……。そんな風になったら自分はすぐ負けちゃうな、とても立ち向えないなと思わずにいられませんでした。
過去には、ソ連とソ連時代の東欧諸国、カンボジア、天安門事件など、共産主義と独裁政治が極端に結び付いた事例が多いので、過去の特別に恐ろしい事態を描いているようにも思われますが、でも実際は、アラブの春、チュニジアのジャスミン革命、香港の雨傘革命など、今も革命と呼ばれる市民の抗議は続いて起きていて、現代になっても何一つ解決されていないです。イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシアなど、戦争状態のところもありますし、いつまでも人権侵害が繰り返される世界で無力さに打ちのめされますが、それでもこのような本が出て、多くの若い人たちに世界を変えていく希望を伝えてくれることがとてもありがたいです。
本の中では、クリスティアンやおじいさんの気持ちを支えるものとして、西側のラジオ放送が重要な役割を果たします。自由国家からの情報発信は、西側の戦略でもあるけれど、自由主義国家の暮らしぶりに憧れをいだき、それが政権への疑念不満へとつながっていきますが、近年、中東やアジアで起こった民衆の蜂起を見ると同じような構造があったのではないかと思います。翻って考えると、情報戦略は正確な情報を流さないことを含めて、私たちの日常にも潜んでいることでもあるなと怖くなります。日常生活の中で、密告や投獄、拷問がないので、その点無意識に生きているけれど、本当にそうなのか、と考えるきっかけにもできそうです。私たちの個人情報はいろいろなところから、たくさん漏れていて、個人の特定は容易になされ得る状況です。私たちにとっても、この情報の掌握からの独裁というのは対岸の火事ではないと思うと本当に怖いです。
アメリカの作家が西側視点からでなく、真に中立的な立場で書くことができるのか、あるいは革命を目の当たりにしたルーマニアの当事者が書くことができるのかなど、考え始めると問題が深すぎて迷宮に入り込んでしまいます。なので、本当に何度も読み返して考えたい作品です。時間がかかると思いますが、参考文献も読みたいと思います。ああ、作品中に書かれていますが、コーヒーに放射性物質が混ぜられて、おじいさんが白血病みたいな病気にさせられたというくだりは本当に怖かったです。本当にこんなことがないように祈るばかりです……。
レジーナ:以前、セペティスが、「これまで十分に語られてこなかった物語や、隠された歴史を書くことに関心がある」「歴史は、過去の決断を検証する機会を与えてくれる。それは悲しみや痛みの記憶であったとしても、勇気や自由や希望を照らしだし、人間の精神がいかに素晴らしいかを教えてくれる」と語っているのを読んだことがあります。この作品もセペティスの他の作品も、これまであまり語られてこなかった歴史を描くことによって、そこに生きた人々の声をよみがえらせようとしているのを感じます。『凍てつく海のむこうに』も大変すばらしいのですが、日本では品切れなのが残念ですね。
西山:私にとっても1989年はついこの間の感覚です。天安門事件も同じ年ですね。これだけ近い時代の、テレビなどで知っていた史実の内側に入れたのは、やはり文学、物語の力 だと思います。アルゼンチンなどラテンアメリカの軍事独裁政権を題材にした映画を思い出しながら読みました。主人公のとまどいも書かれていますが(p361)、チャウシェスク夫妻の死刑執行があっという間だったことは、追随した人の責任や事の真相の追究がうやむやになって、その後の苦難の原因にもなったのではないかと思いました。ひとつ気になったのは、社会主義、共産主義という言葉の使い方。訳者あとがきでフォローされていますが、一党支配の独裁体制や情報統制と社会主義体制はイコールではないと思うので、若い読者がこれを読んで残る印象が、「社会主義」、「共産主義」、「共産党」は怖いというものだとちょっとまずいのではないかと懸念します。最近『その魔球に、まだ名前はない』(エレン・クレイジズ著 橋本恵訳 あすなろ出版)を読み返しました。1957年が舞台の作品ですが、ソ連のスプートニク打ち上げ成功に先を越されて開発を急ぐアメリカのロケット開発も言及されているんですね。そのなかで、主人公の父親がナチスのV2ロケットを開発したフォン・ブラウン博士と一緒に働いているという話題が出てきているんです。西側の闇も相当ありますよね。それを、この作品に入れたほうがいいということでは全くないのですが。
シマリス:読み終わって、これは本当に児童書なのか?と思ってしまいました。版元が岩波書店なだけに、一般書なのではないかと。文章が長いこと、内容が容赦ないことがその理由です。みなさんがおっしゃっていたように、わたしもルーマニアのことはリアルタイムで記憶しています。コマネチの亡命のことも覚えています。でも、これほどまでに一般市民が抑圧されていたとは! 文化的な生活を破壊されているのみならず、衣食住もままならないとは思いもよりませんでした。密告社会の恐ろしさを感じます。この著者の『凍てつく海のむこうに』『灰色の地平線のかなたに』を読んだときも思いましたが、綿密にいろいろ取材されていますよね。とても読み応えがありました。
雪割草:ルーマニアで起きたことについて全く知らなかったので、この作品を読めてよかったです。フィクションの力を改めて感じることができた作品でもありました。もちろん、証言には生の声だからこそのリアリティもありますが、フィクションは、主人公というひとりの人間を通じて、その視点で経験することで、他人の体験をきくのとは別のかたちでリアルに感じ考えることができるなと思いました。作品全体を通じ、密告をテーマに人への不信が描かれています。原題もI Must Betray You(わたしはあなたを裏切らなければならない)ですが、日本語版のタイトル『モノクロの街の夜明けに』は素敵なものの、密告の要素が抜け落ちてしまったように感じました。それから、主人公は生き延びますし、ある程度救いがありますが、お姉さんは本当に悲惨で胸が詰まる思いがしました。社会主義と共産主義の言葉の使い分けについて、あとがきにあったのはよかったです。最後のほうで主人公がラケットハンドを訪ねていって何をきこうとしているのかは、「事態は複雑で、数々の疑問が残り」とあとがきのp383に書かれているように、具体的にはわかりませんが、ききたいことがきっとたくさんあったのだろうと想像しました。原文はわかりませんが、p374の「答えを聞くときだ」の「答え」という表現がわかりにくくしているのかもしれません。
さららん:ちょうど今日読了しました。チャウシェスクの話はいろいろ聞いていたけれど、少年の目を通して、密告が当たり前のルーマニアに入り込んだ気持ちになったのは初めてで、文学の力を感じました。冗談ひとつ取っても 「ルーマニアの冬は世話なしだ……コートを着る手間がはぶけて、時間の節約になる。」(p131)というじいちゃんの言葉のあとに、「コートを着ないのは、家の中でもぬがないからだ」と説明があります。主観だけでなく、読者に対しての説明が自然で、途方にくれずに読み進められました。作家が徹底的な事実調査をふまえて書いた本ですから、さしはさまれる冗談も取材の賜物なのでしょう。密告書の日付を見ながら、若者の立ち上がる日が迫るのを刻々と感じ、その日ですべて終わるのかと思いきや、物語はまだ終わらず……拷問の方法や痛みの表現が具体的で、主人公とリリアンがひどい目に合うのがつらかったです。主人公は、月日を経たのち、ラケットハンドにまで会おうとします。それは少しでも現実に近づこうとした、作者の執念の表れのようにも思えました。
ルパン:確かに、こんな状況でもユーモアの心を忘れないというのはすごいことですね。
さららん:主人公の秘密のノートの存在は、アンネ・フランクの日記のようですね。主人公の文学的な才能は詩を読んでも明らかですが、そこにこの物語の救い、というか、希望を感じました。
レジーナ:この本は2023年に、カーネギー賞ショートリストの中から子どもたちが選ぶ Shadowers’ Choice Award に選ばれています。イギリスの子どもたちはきっと、いま起きているロシアとウクライナの戦争を念頭に、この本を読んでいるでしょうし、そうすると読者の読み方はどうしても、西側の視点になるのではないかと思いました。
アカシア:作家がどういう人生を送ってきたかは、それぞれ違うので、東欧にルーツをもちアメリカで作家活動をしているセペティスさんならではの視点が出ているのは、当然のことだと思います。でも私は、この作品に反共プロパガンダのような要素は感じませんでした。たぶんそれは誠実に人間を書こうとしているからでしょうね。
(2024年08年の「子どもの本で言いたい放題」より)