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ぼくの心は炎に焼かれる〜植民地のふたりの少年

丘の上に立っている二人の少年と犬
『ぼくの心は炎に焼かれる〜植民地のふたりの少年』
ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳
徳間書店
2024.03

エーデルワイス:題名から内容が想像できたので覚悟して読みましたが、素晴らしい作品で紹介して頂き感謝しています。二人の少年のどちらの側からも描かれていて、最後二人の少年が本当に炎に焼かれるような心情が伝わってきました。白人のマシューは普通の少年で、良心も持ち合わせているし、好奇心もあれば冒険もしたいと、不自由なくすくすく育っているのに対し、ケニヤ人のムゴは、白人に従うことを義務とし、賢い子で機転も利いて、生きる術を身につけています。主従関係でありながら友情も感じていた二人でしたが、根本的に世界が違うと、どうすることもできない。永遠の別れのシーンは切ないです。できたら続編で成人したムゴとマシューのそれぞれの希望に溢れる幸せな姿を読みたいと思いました。
ムゴのお父さんは白人と同じ教育を子どもたちに受けさせて、白人から土地を取り戻そうと考える人格者ですが、理不尽な取り調べで投獄されるところは、やりきれません。1950年代アフリカから遠く離れたイギリスの子どもたちが「マウマウがくるぞ」脅かされていたとすれば、よほど恐ろしいものだったのでしょう。日本でも鎌倉時代に2度蒙古襲来がありますが、昭和の時代、夫が子どもの頃何か悪いことをすると祖母に「もうこくるよ」と脅されたそうです。子どもの時はなんのことか分からないけれど、恐いものの象徴ですね。読んでいてケニヤの壮大な自然、植物、鳥、動物の様子を思い描くことができました。冒頭の「だれも、ほかの人のように歩くことはできない(ルビ:ゴティレ・オキニャガ・モキニェレ・ワ・オンゲ゙)」やp221「心の中の言葉は、語ることによってひきだされる(ケレ・ンゴロ・ケルタグ・ウォ・ナ・メアリオ)」をキクユ語の発音で実際に聴いてみたいと思いました。

ANNE:タイトル・内容ともに、自分自身の選書ではきっと読まないジャンルの物語だと思います。今回、一読の機会をいただき、出会えて良かったと心から思える一冊でした。白人の少年マシューの父親は、周囲の人々と比べると使用人に理解があり、決して現地の人を迫害している様子はないのですが、それでも「絶対に彼らに銃を渡してはいけない」と息子に言い聞かせているという言動があり、切なくやるせない気持ちになりました。時代背景や社会状況を鑑みると致し方ないことだったのでしょうが。この物語はハッピーエンドとは言えない結末を迎えます。できれば、マシューもムコも幸せに暮らしているという続編を読みたいと思いました。

雪割草:力強く、心がざわついたままいろいろな感情が残る作品で、読むことができてよかったです。大学院時代にアフリカ文学のゼミをとっていたことがあり、グギやアチェべなどの作品を読みました。あとがきにも、作者はグギ・ワ・ジオンゴのことを書いていますが、グギの『一粒の麦』(小林信次郎訳 門土社 1981)を思い出しました。主人公が同じ名前のムゴで、この作品でムゴが木彫りの象をつくりますがグギの作品にも家具職人が出てきます。この作品では一粒の麦ならぬ「ビスケット」がモチーフになっています。マシューがムゴにビスケットを渡そうと思って地面に落としてしまう場面は、マシューと作者自身が重なり、断絶された他者へ手を伸ばそうとしても、個人の努力では決して手の届かないことへの悲痛な思いが、読んでいて痛いほど伝わってきました。ポストコロニアルのアフリカの作家の作品との出会いは、私にとって衝撃的でしたが、この作品も怒りと悲しみが渦巻き、グギの作品に迫る力強さを感じました。

ルパン:非常に「読ませる作品」だと思いました。それぞれの階級社会におけるムゴとマシューの気もちがあますところなく描かれています。親しいけれど、ほんとうの友達にはなれないふたりの宿命のようなものが感じられます。ムゴはあくまで使用人であり、マシューに対して自分の意見を通すことができない。はじめから対等でなかった、ということにムゴが気づく最後のシーンがいいです。ビスケットを渡せば自分の立場も気持ちもわかってもらえるだろうというマシューの甘い期待と、「あの白人の男の子」と、つきはなすムゴの対比があまりにも切なくて、読後感はけっしてよくない。その分、これからどうなるんだろう、どうしたらいいんだろう、ということを考えさせる作品になっていると思います。「読み終わって終わり」でないところがすごいと思いました。

ハリネズミ:この作品は、作者のナイドゥさんの子ども時代を大きく反映しているんじゃないかと思います。白人の彼女は、大学に入るまでは白人の視線で白人の社会の事柄だけを見ていて、黒人の人たちのことはほとんど見えていなかったそうです。大学に入ってから、社会に対する視野が広がり、不公正なアパルトヘイト体制がおかしいと思い、抗議行動に参加して逮捕されたりしています。なので、マシューには、その「気づいていなかった」子供時代の自分を重ね合わせているのではないかと思うんです。この作品は、単に二人の友情が破綻した悲劇というのではなく、マシューは白人入植者の歴史を否応なく背負っており、ムゴは否応なく差別された黒人の居場所におかれてしまっている。二人の少年は、現在だけを共有しているのであれば、友情も成立するのかもしれませんが、何かが起こって、侵略者の側と、侵略されて奪われた側の間に亀裂が走ると、不信感も強く大きくなっていってしまいます。子どもにふりかかる理不尽さは、白人と黒人でその重さが違うんですね。白人の子どもの方は、両親に照らし合わせてじっくり考えたり、一時的に忘れたりすることができますが、黒人の子どものほうが一挙に生存さえ脅かされてしまう。
だったら、白人の方は自由なのかというと、それも違うんですね。南アフリカ出身のノーベル賞文学賞作家は、ナディン・ゴーディマーとJ.M.クッツェーでどちらも白人です。でも二人とも、他者を暴力で抑圧する欺瞞的な社会では、白人も不自由で檻の中におかれている、ということを書いてます。p11で、マシューが感じる檻と、ムゴたちが閉じ込められる檻が、差別社会では、差別する側も差別される側もいわば檻に入っているようなもので、自由ではないということを象徴的に語っているのだと思います。
ムゴは、この状況を経て、おとなになっていきます。p208でまだ子どものままのマシューは、「せめてビスケットをムゴにわたせれば、ムゴもわかってくれるだろう。マシューがあやまりたいと思っていること、いかないでほしいと思っていることを」と思うわけですが、ムゴのほうはそんな段階はとうに置き去りにしてきている。
また、ムゴのお父さんは教育によって奪われた土地を取り戻そうとしますが、ムゴのお兄さんは、そんなことでは取り戻せないと気づいています。個人がどんなにがんばっても、問題は解決できないことが、この作品ではとてもうまく表現されています。「イッチマエ鳥を殺すな」というのは先住民に伝わるタブーですが、それを白人のランスが破り、マシューも加担せざるをえなくなることによって、結局罰が下るというストーリー展開にも、先住民の文化を尊重したい作家の気持ちが表れていると思います。

すあま:読んでいてつらい話でしたが、知らなかったことがたくさん書かれていました。主人公二人の視点により、交代で物語が進んでいくのはおもしろいのですが、時間が飛んだり視点が移り変わったりするので、ある程度読書力のある子でないと難しいかもしれないと思いました。二人の少年の視点から描かれ、大人の側の視点がないので、状況や実際に何があったかなど書かれていないことも多く、知識がないこともあり、物語についていくのが難しかったです。子どもに紹介するなら、あとがきを先に読んでもらうとか、関連する本も合わせて紹介するといった工夫がいるかもしれません。
二人の少年、その父親同士、どちらも長いつきあいで、仲が良いように思えるけれど、やはり圧倒的な立場の違いがあるので、友達ではない、友達にはなれないんだな、ということもわかり、寂しい気持ちになりました。そんなに長くない作品で二人の少年が交互に描かれるので、二人に共感しながら読むというよりも、二人の目を通して当時の出来事を知る本なのだと思いました。タイトルは、原題からそうなるのだと思うけど、ちょっときつい、怖い印象で、手に取りにくいのでは? ラストも唐突に終わる感じで、この先彼らがどうなるのか、歴史や背景を知っていれば想像がつくのかもしれないけれど、読者にとって難しい終わり方だと思いました。

しじみ71個分:本当に重厚な、素晴らしい本で、読めてよかったです。ただ、まだ全然ちゃんと読み込めてないので、これからも考えていきたい作品です。ひとつ、深く心に残ったのが、マシューは悪い子ではないし、父親も悪い農場主ではないですが、マシューも白人の子どもで、社会の構造的に強い立場にいる子どもであるからこそ、子どもらしい、ちょっとした我儘を、従順にならざるを得ない使用人であるムゴに甘えて言ってしまうところです。それがどのようにムゴや家族たちを危機に立たせ苦しめるのか、まったく想像できない。その無自覚さが差別の構造の危なさなのかも、と思いました。たとえ、マシューがムゴを対等だと思っていたとしても、構造的に最初から上位に立っていて、従順さを共感だと履き違えて、相手を傷つける悲しさ……。本当の友情でなかったと、後から気づくと、恥ずかしく、辛い、罰のような傷になりますよね。社会の構造が分断を招いて、子どもたちを傷つける残酷さが刺さりました。
一方で、使用人であるムゴの方には、だんだんに怒りが生まれ、燃え盛っていく過程が、鮮やかに対比されて、非常にうまく描かれていると思いました。こうやって、心の炎、怒りを抑えられない状態が双方に折り重なって、暴力の応酬が起こっていくのかもしれないとも思いました。面白いのは、白人の子ども同士である、ランスとマシューの間にも権力構造というか、上下関係みたいなものがあって、人が人をいじめたり、マウントを取ろうしたりする構図が、さまざまな場所で描かれていることにハッとさせられました。肌の色や、力の強弱、貧富、疑心暗鬼などが、人と人のあいだに境目=分断を作られ、そこに差別や暴力が生まれていくのが恐ろしいと思いました。これは本当に、白人と黒人というだけではなく、古今東西、世界中で見られる構造ですよね。人間の性なのでしょうか……暗澹とした気持ちになります。
また、前書きの、マウマウについて書かれているところ(p8)でイギリスの主張が、「アフリカの人々は子どもと同じで、独立するにはまだ早い」というものだったと紹介されていますが、白人が指導しないといけない、未熟な民族という、根拠のない優越感には既視感がありました。まさに、日本とアジアとの関係にも通じるものだと思って、これも胸にグサッと刺さりました。分断と差別の構造は、本当に世界中で起こっていますし、この構造はいまだになくならないし、乗り越えられていないわけで……。人が人を力ずくで虐げる構造を、強烈なパンチ力で、つぶさに物語の中で見せられた気持ちです。ですが、これは本当に読まなければならない、読まれなければならない本だと思いました。この物語は、中脇初枝さんの『伝言』(講談社、2023)を思い出させますね。

きなこみみ:私は今回選書担当だったのですが、この本を選書したいと思ったのは、植民地というものに最近興味があって。野坂悦子さんが訳された『どんぐり喰い』(エルス・ペルフロム 作、福音館書店、2021)を読んでいろいろ調べたとき、植民地主義というのが、西欧には骨の髄までしみ込んでいるんだなと思ったんですが、そのあともガザのことがずっと頭にあって。第二次世界大戦も植民地思想がその発端ですが、この全世界を構造的にとりまくものの根深さについて、この年になってようやく尻尾ぐらい見えてきたような気がしています。そのときにこの本を読んで、ほんとに小さな部分まで考え尽くして書かれているなと。でも、アフリカについては私もまだまだ知らないことが多すぎて。どちらかというと大人の作品…クッツェーや、チママンダ・ンゴズイ・アディーチェなんかは読んでいるんですけど、子どもの視点からこんな風に植民地のことが書かれている作品を初めて読みました。恐ろしい差別の構造を子どもの目から描いた作品だなと思います。支配する側と、支配される側。二人の少年の視点から書くことで、非対称性や、まなざしの違いがくっきりと鮮やかです。
冒頭、マシューがムゴをブッシュに連れていくエピソードで、ムゴはずっと台所の下働きの自分の仕事のこと、後で怒られるとかいうことがずっと気になっているのに、マシューはそんなことにちっとも気が付かないんです。無自覚なんですね。マシューがピカピカの空気銃を持っている、というのは、その二人の非対称性、二人の裂け目にあるものをくっきり表しています。有無をいわさず抑え込む圧倒的な武力の象徴をマシューは持っているんです。子どもなのに、もう構造的な力に支配されてる。そこにとてもドキドキしました。でも、マシューが一方的に支配する側なのかというと、それも違って、やはりランスという居丈高な少年との間に、上下関係がある。寄宿学校というのは、非常に上下関係が強いところで、マシューもそこでの自分の地位が非常に気になるようです。ランスのような少年をトップにするヒエラルキーがあるんだなという描写もあって、まさに上下関係の「構造」のなかに子どもたちが生きていることがあって、私たちはいつもそこに支配されてしまうのかと思ったりします。
でも、少年たちの心には、それだけでは収まらない様々な感情があって、揺れ動いていく。そこを読むのが物語の醍醐味だなと。二人の心が揺れ動いていく過程をていねいに描いていて、読んでいるあいだ、ずっと心が引き裂かれます。この、心が引き裂かれる感覚を持ち続けられることが、物語の力だなと思います。子どもたちが構造のなかに生きてる。それを感じるのがp182のランスがマシューを見る眼差しですが、もうひとつ、物語のなかでマシューはムゴのことを「ムゴ」と名前で呼ぶんですが、ムゴはマシューを絶対名前で呼ばない。「ぼっちゃん」なんですが、事件が起こって、最後にムゴが居留地にいく車のなかで自分にクッキーを渡そうとしたことを思い出すとき、マシューのことを「あの白人の男の子」と呼び始める。非常に遠い、心を動かされる存在じゃなくなるんです。p213に「その炎に心まで食われてはだめだ」という言葉があるんですが、この言葉がこれからのムゴにどのように育つのか。続きが非常に気になる結末でした。それは自分で考えることなのかもしれないんですが。見事な作品だと思いました。続きをぜひ読みたいです。

花散里:イギリスの植民地だったころのケニアを舞台に、白人の少年マシューと黒人のムゴ、二人の少年の視点から物語が展開されていき、白人から土地を取り戻そうとするマウマウの独立闘争など、ケニアの歴史を知る思いで読みましたが、ムゴの兄はどうしたのか、これで物語は終わってしまうのか、という希望が見いだせないような読後感でした。白人に土地を奪われ、使用人として働いていたムゴの父、「静かな戦士」という意味の名前であるカマウは、兄・ギタウを学校に入れ、ムゴも学校に行かせたいと思っていました。そのカマウがマシューに昔話を語る場面(p61)が印象に残りました。マウマウの時代、ケニアやアフリカの歴史を知っていくうえでも、中高校生に読んでほしい作品だと思います。

マリナーズ:ケニアにこのような戦いがあったことを知りませんでした。戦いというのは、敵と味方の二つだけではなくて、その間にさまざまな立場や思いの人たちがいるのだ、ということも改めて教えてもらった気がします。黒人のムゴが、戦いの構図の全貌や解決の難しさを把握しているのが印象的でした。ただ、白人読者にとって読み心地のよいストーリーになっているようにも思いました。比較的良心的な一家が物語の中心にいて、雇っている黒人たちにも親切にして、あまり恨まれる覚えはないのに、争いに巻き込まれてしまう、という不条理がクローズアップされているように読めました。あと、タイトルが強烈で、子どもの頃だったら、怖いなと思って、手に取らなかったかもしれないなと思いました。

ハリネズミ:白人の側の不条理を感じたということですか?

マリナーズ:この物語は、主人公がムゴ一人でも成立するような気がしたのです。その方が、不条理な状況や怒りが伝わりやすくなったかと思います。でも、それだと、欧米の白人読者にとっては“読み心地の悪い”作品になるので、作者は読まれる工夫として、白人のマシューと黒人のムゴ、二人の視点からの物語にしたのではないか、と。それがいい悪いではなく、伝えたいメッセージを届けるためにはどういう構成にしたらいいのかということを作家は考えるものなのかなと思ったのでした。

ハリネズミ:私は、作者の生い立ちから言っても、白人と黒人の二人を主人公にする必要があったと思っています。白人農場主がすべてランスの父親のような人ではないし、黒人に理解を示すマシューのお父さんのような人もいたのですよね。でも、「いい白人」も社会構造的には抑圧者の側に立っているので、疑念が生じたときには結果としてひどいことに無意識に加担してしまう。それによって個々の子どもの友情などは簡単に引き裂かれてしまいます。この時代のケニアでは、見ようと思えばそうした状況がすぐ目の前にあったわけです。
この作品は、むしろ「いい白人」(それは、過去の作者自身でもあるのでしょうが)に鋭い刃を向けています。「いい白人」も、簡単に抑圧者に変わってしまうのですから。

しじみ71個分:植民地に入植してくる白人の階層というのは、お金持ちじゃない層なのでしょうか? 満州の開拓団を想像してしまいますが……

ハリネズミ:私もそこはよく知りませんが、ケニアが独立して半世紀以上たった今でも、白人が広大な土地を所有していたりしますね。

しじみ71個分:貧しさから抜け出して、一攫千金を狙っていく人もいるのかな、と思ったのですが……。

雪割草:デンマークからケニアに移住し、その経験を書いたアイザック・ディネーセンという作家がいて、その作品はハリウッド映画「愛と哀しみの果てに」で知られていますが、ディネーセンはむしろ貴族で裕福な家庭でした。なので、そういうわけではないかと。

しじみ71個分:日本の満州開拓などの場合は、国策として貧しい農家の次男坊以下に積極的に入植や移民を勧めましたよね。でも、一方で、植民地で銀行やら何やら、ホワイトカラーのお金持ちもいましたよね。そもそも、人の土地を奪って、どうしてそれが正当化できると思うのか、そこがどうしても理解できないです……。

ハリネズミ:その頃は、白人が優秀で黒人は劣っているから、管理してやったり、治めてやったりするのは当然で、いいことだと思っている人も大勢いたと思います。ガボンで医療をおこなったシュヴァイツァーも、アフリカの人たちを子ども扱いしていたと今は批判されています。「暗黒」とか「未開」といわれる場所にも、独自のすばらしい文化があるという理解が広がっていくのは、歴史的にはもっと後のことになります。

しじみ71個分:侵略の背後には、侵略側が被侵略側に対して、文明化の恩恵をもたらすという考え方があると思うのですが、その無自覚な高慢、傲慢は本当に恐ろしいと思います。自分の身に置き換えると、同じようなものが自分の中にも芽があるかもしれないと思うと、こわいです……。マシューも無自覚な高慢を知らないうちに持たされた子どもとして育つわけで、本人の問題ではなくて、むしろマシューは優しい子なので、構造的な問題だからこそ、こわいです。

きなこみみ:イスラエルとパレスチナのことを見ても、結局パレスチナにヨーロッパのつけを押し付けてしまったところがあって。そこにもヨーロッパの差別構造とか意識の違いがあって。自分たちは上の立場だと無意識に思ってるところが、自分たち、日本も含めてすごく根が深いなと思います。その根深さに刺さるような作品で、この作品を見つけて翻訳された徳間書店は、ほんとに目が高いなと思いました。

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(メール参加)ハル:読んでいてほんとうに苦しかったです。怒りも悲しみも湧きました。生まれたときはみんな無垢だったはずなのに、すっかり染まってしまったランスのことを思っても悲しかったし、この先、この子たちが、また大人たちも、「その炎に心まで食われ」ずに生きていけるだろうか思うと、絶望的な気持ちにもなりました。作家がこうして物語に書き起こしてくれたこと、それを日本語で読めること、物語を通して、何も知らなかった私も、日本の子どもたちも、過去に目を向け、想像することとが希望を生んでいくことになるんだと思います。

(2025年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

Comment

モノクロの街の夜明けに

若い男性と女性が色彩のない街の中にいる
『モノクロの街の夜明けに』
ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳
岩波書店
2023.09

ハル:ものすごくおもしろかった。難しそうだし、ボリュームもあるし、読み始めるのは勇気がいったけど、読み始めたら一気読み。現実にこういう世界があったのですし、誰が裏切っているのかわからない、この先がどうなるかわからないスリリングな展開を「おもしろい」というのは語弊があるかもしれないけれど、小説としても引き込まれましたし、知らなかったことを知ったという意味でも、読み終わってすぐに誰かにすすめたくなる1冊でした。国民が立ち上がっていく姿には深く感動しましたが、半面で、若い子には安全なところにいさせてあげたいという気持ちも抱きます。いつも己に恥じぬ生き方、なんて捨てて、とにかく生き延びてほしいと思います。いつかこうなる前に、おかしいと思ったらいつも声をあげていかなくては、意見をしっかりと口にしなければ、という焦燥感も覚えました。でも、やっぱり、いくら信じ難いほどの独裁者であれ、一方的な裁判ですぐに死刑が執行されたというのは、ほんの30年、40年前の話とは思えないなと改めて衝撃を受けます。クリスティアン自身も「こんな終わりかたで本当によかったのか?」(p361)と、とまどいを覚えていますが、当事者たちが感じたものとは違うかもしれないけれど、読者としても考えたい問いです。

ルパン:私も一気に読みました。以前、北朝鮮でスパイの疑いをかけられた一家の悲惨な運命をアニメーションで描いた映画を見たことがありますが、そのときと同じくらいショッキングでした。ヨーロッパでも独裁者の国で一般の人々が圧政を受け、盗聴や密告におびえながら極貧の生活をしていたことに衝撃を受けました。コマネチの亡命の数日後に独裁者チャウシェスクが斃されるという劇的な歴史のひとコマをオンタイムのニュースで見ていましたが、一般の人々が実際にどういう暮らしをしていたのかは全く知らなかったので、この作品を読んでよかったと思いましたし、若い世代にも読んでもらいたいと思いました。息もつかせぬ物語の展開でしたが、最後の最後に母親もまた密告者だったことを知るというショッキングな結末に、しばらく暗い気持ちを引きずってしまったほどでした。

花散里:ルータ・セペティスさんの作品は『灰色の地平線のかなたに』、『凍てつく海のむこうに』(野沢佳織訳 岩波書店)を読んでいたので、この本が刊行された時もすぐに読んで、衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。セペティスさんは父親がリトアニアからの亡命者で、先にあげた2作品も綿密な取材に基づいた歴史フィクションだったので、ルーマニアの独裁政治のなかで物語が繰り広げられていく本書も衝撃を受けながら一気に読みました。今回、再読だったので、ラストの家族の中での密告について、特に姉や母親の描かれ方など注視して読みました。祖父の薬を得たいがために密告者となること、その自責の念や、親友を密告者ではないかと疑ったこと、社会主義国家チャウシェスク政権下で秘密警察・セクリターテに監視され弾圧されて生きている人々の姿が恐怖とともに伝わってきました。電気も配給制の食料も乏しく、抑圧された日々の中での、女子高生リリアナ、アメリカ人外交官の息子との交流など、高校生としての主人公クリスティアンの姿も上手に描かれて行きますが、クリスティアンにとって祖父の存在が大きかったことがp77の言葉などから特に印象に残りました。ルーマニアの独裁政治などについて、巻末の参考資料とともに、ぜひ中高校生に知ってほしいと思う作品でした。読んでほしい作品として、勤務校で高校生に手渡しました。

アカシア:出てすぐに読み、私もみなさんにおすすめした本です。まず、膨大な資料を集め、現地で体験者の声もいろいろ聞いて、この物語を立体的につくりあげた作者の力量がすばらしいと思いました。あとがきを見ると、この時代のルーマニアでは、市民の1割は密告者に仕立て上げられていたとありますが、この家族は、反体制派のおじいちゃんがいるという弱みを握られて脅されたのでしょうか、結局母親、クリスティアン、姉のチチの3人もが密告者の役目を押し付けられます。盗聴や監視も日常茶飯事に行われ、間に挿入されている「情報提供者からの報告」とか「公式報告書」などを見ると、だれもいないと思っていた空間での一挙手一投足が全部筒抜けになっている。そういう環境では、だれもが疑心暗鬼になり、家族も恋人も親友も信じられなくなり、絶望的な孤独に陥るということが、とてもリアルに伝わってきました。
これは、1989年のルーマニアの話ですが、ルーマニア革命については、まだまだわかっていないこともあるようですね。でも、社会主義とか共産主義に関係なく、少数の権力者が情報を握って、支配しようとする社会では、どこでも起こりうることとして読みました。ちょっと気になったのは、表紙画が日本人みたいだな、ということと、「やばい」とか「ぶっちゃけ」という言葉が会話に出てくるのですが、時代に照らし合わせていいのか、と疑問に思いました。
あと、最後にクリスティアンがセクリターテだったラケットハンドを訪問して何かをたずねようとするわけですが、これは何をたずねようとしたのか、私にはよくわかりませんでした。こうじゃないか、と思った方がいたら、教えていただきたいと思った点です。

アンヌ:お姉さんのことだと思いました。p371にも「姉に関しては、答えの出ない疑問がいくつか残った」とありますし、姉の死に責任を感じている主人公は真実を知りたかったのだと思います。それにしても、元情報部員は自分を守るために武器を持っていただろうし、危険はないのかとかドキドキしながら読んでいたので、その先がないのには驚きました。

レジーナ:p371に、「姉に関しては、答えの出ない疑問がいくつも残った」とあるので、主人公がラケットハンドにききたかったのは、姉に関することかと思いました。

アカシア:実際に手を下したのは別の人ってこと? ダブルスパイ?

シマリス:センチメンタルに考えると、お姉さんのことを本当に好きだったのかを、ききたかったのかな?とか。

ルパン:これは作者にたずねてみたいところですね。

エーデルワイス:手元に本を置いたまま、重い内容と推測できるので、すぐには読めませんでした。ところが読み出すと止まらなくて一気に読みました。表紙のイラストは日本人の若者にしか見えませんでした。最初の方のページに、「TIME」と外国製たばこ「KENT」のイラストが描かれているのは物語の象徴のように思えます。それにしても「KENT」に大いなる賄賂の力があることに驚きです。一家に3人もの密告者を作る独裁国家。主人公クリスティアンのおじいさんの白血病がチェルノブイリによるのではなく、放射性物質を入れられたコーヒーを飲んだことによるものと分かって背筋が凍りました。その上おじいさんは滅多打ちされ殺されるのですから。お母さん、お姉さんのチチが密告者と分かりますが、心情などもう少し書いてもらえたらよかったと思いました。20年後、クリスティアンが英語教師に、恋人のリリアナが書店店主になったとありましたが、2人は結婚したのか気になります。最後、クリスティアンが元秘密警察のラケットハンドの家を訪ねたのは、国家の使命の仕事とはいえラケットハンド自身に葛藤はなかったのか、チチについてのこと、多くの密告者をどう思っていたのか、その情報をどのように反映させていたのか、多くの善良な市民が亡くなったことに罪悪感はないのか──もし少しでもラケットハンドが罪悪感を感じているなら、クリスティアンは救われるかもしれない──そのようなことをききたいのではと、想像しています。例え絶望的な答えが返ってきても、クリスティアンは決着をつけたいと思ったのでは?

ルパン:2人が結婚したのか気になるけれど、結婚していたらこういう書き方はしないのでは?

アカシア:そこは本質的な部分には関係ないので、書かなかったのでは? 結婚したとかしないとか書いてしまうと、そっちに目が奪われるか、それで終わってしまう読者もいそうです。

アンヌ:北朝鮮の拉致被害者の話を思い出しながら読みました。施設内にある家の中の会話も盗聴されていたと。ルーマニアでは、それが普通の国民生活の中でも行われていたのかと思い、自分の国なのに独裁者がいる限り自由になれないのだと知って震え上がりました。中国の文化大革命時の話なども思い出したり、祖父のコーヒーに入れられた放射性物質の話には、現実にあった毒殺事件などを思い出したりしました。クリスティアンとリリアナの恋の物語がなかったら、それと、クリスティアンがノートに書き付けていく詩がなかったら、読み続けられなかったと思います。それにしても、さっきも言いましたがラストが気になって、クリスティアンに「危ない! 気をつけて!」と声をかけたくなったりしたので、その先を知りたかったと思っています。

きなこみみ:緻密な取材に裏打ちされた重厚な作品で、一気に読みました。チャウシェスク政権が崩壊したときはテレビ報道などを見ていて、夫妻が贅沢な生活を送っていたことなどは知っていたんですけれど、実際の国民の暮らしの大変さをこの物語を読んで初めて実感しました。「密告」がどんなに人と人の関係を損ない、深い傷を残すかを知って恐ろしくなるほどでした。友人だけではなく、家族のなかに幾重にも密告という網が張り巡らされているのが恐ろしすぎます。「抑圧」の究極の状況、八方ふさがりの状況のなかで、それでも人間として誠実に生きたいともがくクリスティアンの心に打たれて、共に悩みながら読むことができたのもよかったです。団地の一室で秘密の映画上映が行われていたり、アメリカからのラジオ放送に耳を傾けたり、リリアナという女の子とドキドキする初恋を経験したりという、クリスティアンの若者らしい一面がしっかり描かれているので、どんな状況のなかにいても変わらない、普遍的な価値観も感じられて、そこも物語の厚みになっていると思います。
しかし、いちばん恐ろしいと思ったのは、最後まで読んで、なぜ物語のはじめに「草稿」と書かれていたのかがわかったときでした。20年以上かかっても、まだ真実にはたどり着かないということ。まだ、あのときの真実は明かされていないのだということ。だから、いい感じで終わる物語は実は決定稿ではなくて、これからずっと歴史は検証され続けていかねばならないんだということを示唆しているラストではないかと思います。戦争もそうですが、歴史の検証には長い時間と、検証し続ける努力と誠意が必要とされます。でも、そうすることでしか、未来の明るい扉は開かれない。この物語でも、クリスティアンの家族を監視する50人もの密告者がいたこと、その恐ろしい監視社会の解決されていない部分は、これからもずっと検証され、書き直されなければならないという問いかけが、冒頭の「草稿」という言葉とともに、この物語のエピローグに込められていたと思います。政治の暗部がすべて秘密裡に行われ、公開されないことは、ルーマニアだけの問題ではないと思います。今の日本社会にも、自分が思うことを自由に口にできない。政治の話が世間話としても忌み嫌われる風潮があります。今の若者たちにとって、タブーとされていることが、どんな抑圧から生まれているのか、この物語を読んで改めて気になりました。

ルパン:そういう意味では、まだ終わっていない物語なんですよね。世界のどこかで今も苦しんでいる国民がいるし、これからもどこかの国がそうなるかもしれないし。そう思うとほんとうに怖いですね。

しじみ71個分:ルータ・セペティスの3作はどれも本当に好きです。野沢佳織さんの訳のお力もありますが、硬めの文体も好きで、スピード感のある展開にスリル感があふれていて、厚めでもあっという間に読んでしまいました。まだ読みが足らなくて、分かりきらなかったところがたくさんあるので、もう1度しっかり読み直したいです。歴史的な事実に基づいて、ていねいな時代考証や調査を行い、ハードな物語を作り上げる力量には読むたびに感動を覚えます。歴史的な記述がしっかりしているというだけでなく、キャラクターの描き方もとても魅力的で、クリスティアンもリリアナもそこにいるのではないかと思わせられるほどのリアルさ、心情への肉薄を感じます。
セペティスは、リトアニアからの亡命者の父を持ち、アメリカで育つというバックグラウンドがある作者なので、場合によっては、無意識にでも社会主義国の在り方に厳しい見方を持っている可能性もありますが、現代史の闇に切り込んだ、とても貴重な力強い作品で、本当に感動しました。
この本を読んで、ものすごく怖いと思ったのは、密告と独裁の間の親和性が非常に高いところです。独裁政治の中で、一部の支配層が人々の生活の隅々にわたる情報を握り切ることで人をコントロールし、人を疑心暗鬼にし、連帯を不可能にし、恐怖で支配していくという仕組みが描かれてあり、本当に背筋が凍る思いでした。表面をとり繕いながらも、誰に本当の気持ちを打ち明けていいものかわからない孤独、投獄や拷問の恐怖、家を暖める燃料もなく、食べ物も配給しかなくいつもひもじいところまで追い詰められると、人は理性や希望を失って、その弱みを独裁、恐怖政治が突いてくる……。そんな風になったら自分はすぐ負けちゃうな、とても立ち向えないなと思わずにいられませんでした。
過去には、ソ連とソ連時代の東欧諸国、カンボジア、天安門事件など、共産主義と独裁政治が極端に結び付いた事例が多いので、過去の特別に恐ろしい事態を描いているようにも思われますが、でも実際は、アラブの春、チュニジアのジャスミン革命、香港の雨傘革命など、今も革命と呼ばれる市民の抗議は続いて起きていて、現代になっても何一つ解決されていないです。イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシアなど、戦争状態のところもありますし、いつまでも人権侵害が繰り返される世界で無力さに打ちのめされますが、それでもこのような本が出て、多くの若い人たちに世界を変えていく希望を伝えてくれることがとてもありがたいです。
本の中では、クリスティアンやおじいさんの気持ちを支えるものとして、西側のラジオ放送が重要な役割を果たします。自由国家からの情報発信は、西側の戦略でもあるけれど、自由主義国家の暮らしぶりに憧れをいだき、それが政権への疑念不満へとつながっていきますが、近年、中東やアジアで起こった民衆の蜂起を見ると同じような構造があったのではないかと思います。翻って考えると、情報戦略は正確な情報を流さないことを含めて、私たちの日常にも潜んでいることでもあるなと怖くなります。日常生活の中で、密告や投獄、拷問がないので、その点無意識に生きているけれど、本当にそうなのか、と考えるきっかけにもできそうです。私たちの個人情報はいろいろなところから、たくさん漏れていて、個人の特定は容易になされ得る状況です。私たちにとっても、この情報の掌握からの独裁というのは対岸の火事ではないと思うと本当に怖いです。
アメリカの作家が西側視点からでなく、真に中立的な立場で書くことができるのか、あるいは革命を目の当たりにしたルーマニアの当事者が書くことができるのかなど、考え始めると問題が深すぎて迷宮に入り込んでしまいます。なので、本当に何度も読み返して考えたい作品です。時間がかかると思いますが、参考文献も読みたいと思います。ああ、作品中に書かれていますが、コーヒーに放射性物質が混ぜられて、おじいさんが白血病みたいな病気にさせられたというくだりは本当に怖かったです。本当にこんなことがないように祈るばかりです……。

レジーナ:以前、セペティスが、「これまで十分に語られてこなかった物語や、隠された歴史を書くことに関心がある」「歴史は、過去の決断を検証する機会を与えてくれる。それは悲しみや痛みの記憶であったとしても、勇気や自由や希望を照らしだし、人間の精神がいかに素晴らしいかを教えてくれる」と語っているのを読んだことがあります。この作品もセペティスの他の作品も、これまであまり語られてこなかった歴史を描くことによって、そこに生きた人々の声をよみがえらせようとしているのを感じます。『凍てつく海のむこうに』も大変すばらしいのですが、日本では品切れなのが残念ですね。

西山:私にとっても1989年はついこの間の感覚です。天安門事件も同じ年ですね。これだけ近い時代の、テレビなどで知っていた史実の内側に入れたのは、やはり文学、物語の力 だと思います。アルゼンチンなどラテンアメリカの軍事独裁政権を題材にした映画を思い出しながら読みました。主人公のとまどいも書かれていますが(p361)、チャウシェスク夫妻の死刑執行があっという間だったことは、追随した人の責任や事の真相の追究がうやむやになって、その後の苦難の原因にもなったのではないかと思いました。ひとつ気になったのは、社会主義、共産主義という言葉の使い方。訳者あとがきでフォローされていますが、一党支配の独裁体制や情報統制と社会主義体制はイコールではないと思うので、若い読者がこれを読んで残る印象が、「社会主義」、「共産主義」、「共産党」は怖いというものだとちょっとまずいのではないかと懸念します。最近『その魔球に、まだ名前はない』(エレン・クレイジズ著 橋本恵訳 あすなろ出版)を読み返しました。1957年が舞台の作品ですが、ソ連のスプートニク打ち上げ成功に先を越されて開発を急ぐアメリカのロケット開発も言及されているんですね。そのなかで、主人公の父親がナチスのV2ロケットを開発したフォン・ブラウン博士と一緒に働いているという話題が出てきているんです。西側の闇も相当ありますよね。それを、この作品に入れたほうがいいということでは全くないのですが。

シマリス:読み終わって、これは本当に児童書なのか?と思ってしまいました。版元が岩波書店なだけに、一般書なのではないかと。文章が長いこと、内容が容赦ないことがその理由です。みなさんがおっしゃっていたように、わたしもルーマニアのことはリアルタイムで記憶しています。コマネチの亡命のことも覚えています。でも、これほどまでに一般市民が抑圧されていたとは! 文化的な生活を破壊されているのみならず、衣食住もままならないとは思いもよりませんでした。密告社会の恐ろしさを感じます。この著者の『凍てつく海のむこうに』『灰色の地平線のかなたに』を読んだときも思いましたが、綿密にいろいろ取材されていますよね。とても読み応えがありました。

雪割草:ルーマニアで起きたことについて全く知らなかったので、この作品を読めてよかったです。フィクションの力を改めて感じることができた作品でもありました。もちろん、証言には生の声だからこそのリアリティもありますが、フィクションは、主人公というひとりの人間を通じて、その視点で経験することで、他人の体験をきくのとは別のかたちでリアルに感じ考えることができるなと思いました。作品全体を通じ、密告をテーマに人への不信が描かれています。原題もI Must Betray You(わたしはあなたを裏切らなければならない)ですが、日本語版のタイトル『モノクロの街の夜明けに』は素敵なものの、密告の要素が抜け落ちてしまったように感じました。それから、主人公は生き延びますし、ある程度救いがありますが、お姉さんは本当に悲惨で胸が詰まる思いがしました。社会主義と共産主義の言葉の使い分けについて、あとがきにあったのはよかったです。最後のほうで主人公がラケットハンドを訪ねていって何をきこうとしているのかは、「事態は複雑で、数々の疑問が残り」とあとがきのp383に書かれているように、具体的にはわかりませんが、ききたいことがきっとたくさんあったのだろうと想像しました。原文はわかりませんが、p374の「答えを聞くときだ」の「答え」という表現がわかりにくくしているのかもしれません。

さららん:ちょうど今日読了しました。チャウシェスクの話はいろいろ聞いていたけれど、少年の目を通して、密告が当たり前のルーマニアに入り込んだ気持ちになったのは初めてで、文学の力を感じました。冗談ひとつ取っても 「ルーマニアの冬は世話なしだ……コートを着る手間がはぶけて、時間の節約になる。」(p131)というじいちゃんの言葉のあとに、「コートを着ないのは、家の中でもぬがないからだ」と説明があります。主観だけでなく、読者に対しての説明が自然で、途方にくれずに読み進められました。作家が徹底的な事実調査をふまえて書いた本ですから、さしはさまれる冗談も取材の賜物なのでしょう。密告書の日付を見ながら、若者の立ち上がる日が迫るのを刻々と感じ、その日ですべて終わるのかと思いきや、物語はまだ終わらず……拷問の方法や痛みの表現が具体的で、主人公とリリアンがひどい目に合うのがつらかったです。主人公は、月日を経たのち、ラケットハンドにまで会おうとします。それは少しでも現実に近づこうとした、作者の執念の表れのようにも思えました。

ルパン:確かに、こんな状況でもユーモアの心を忘れないというのはすごいことですね。

さららん:主人公の秘密のノートの存在は、アンネ・フランクの日記のようですね。主人公の文学的な才能は詩を読んでも明らかですが、そこにこの物語の救い、というか、希望を感じました。

レジーナ:この本は2023年に、カーネギー賞ショートリストの中から子どもたちが選ぶ Shadowers’ Choice Award に選ばれています。イギリスの子どもたちはきっと、いま起きているロシアとウクライナの戦争を念頭に、この本を読んでいるでしょうし、そうすると読者の読み方はどうしても、西側の視点になるのではないかと思いました。

アカシア:作家がどういう人生を送ってきたかは、それぞれ違うので、東欧にルーツをもちアメリカで作家活動をしているセペティスさんならではの視点が出ているのは、当然のことだと思います。でも私は、この作品に反共プロパガンダのような要素は感じませんでした。たぶんそれは誠実に人間を書こうとしているからでしょうね。

(2024年08年の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ベアトリスの予言

『ベアトリスの予言』表紙
『ベアトリスの予言』
ケイト・ディカミロ/作 ソフィー・ブラッコール/絵 宮下嶺夫/訳
評論社
2023.04

ハル:最初から言いづらいのですが、もう、勇気を出して白状すると、p150くらいまで、何が書いてあるのか全然頭に入ってきませんでした。p150くらいからだんだんおもしろくなってきたけれど、開き直ると、そのあとも眠気との戦いでした。テーマはよくわかりますし、文字を覚えていく場面はわくわくしまし、きっと読む人が読めば良い本なんだと思いながらも……私の読書力の限界。「彼女」が繰り返し出てくるところや(母親のこともベアトリスは「彼女」と呼んでいましたし)、国王がベアトリスを呼ぶのは「あんた」でいいのかなぁ、とか、なんとなくキャラクターがつかみづらかったです。

アンヌ:ファンタジー世界の作りがとても雑な気がして、読みながら次々に疑問がわいきてしまいました。「悲しみの年代記」に書かれる予言はどうやって王室に伝わるのを一般市民は知るのか?女性が文字の読み書きができないと信じられてる国ならば、ベアトリスの母はどうやって文字を知ったか?人魚は何をしたくて外に出たか?等々です。でも、それと同時に、タリバン統治下で学校に行くことを禁じられたアフガニスタンの女の子たちはどうなってしまうのだろうと思わされたので、この物語に今の現実が反映されていると感じました。

サンザシ:物語はおもしろく、記憶を喪失していたベアトリス、頑固なヤギのアンスウェリカ、読み書きはできないが機転のきく素朴な少年ジャック・ドリー、森の中でクラス元の王エーレンガード(カノック)、修道院で予言の書を文字にしていたエディック修道士と、それぞれ違う立場、違う文化を背負っているキャラクターが、会ってすぐに勘が働いて親しくなるのもいいし、ベアトリスの人魚の物語が本編をなぞっていくのもいいですね。ただし翻訳は、彼、彼女、それ、きみ、といった不必要な代名詞が頻出するので、読みにくく、スムーズは物語の流れを阻んでいるように思いました。イラストもいいのに、残念ですね。それと、エディック修道士の一人称が、「ぼく」と「わたし」の2通りになっていました。

エーデルワイス;久しぶりの厚いファンタジーの本にわくわくして読みました。飾り文字、挿絵、装丁どれも素敵です。読みやすい文章だと思いましたが、教訓めいた言葉ばかりで嫌気がさしてきました。また内容をただただ長くしているだけではと思ってしまいました。もっと別の構成があるのでは?と、思いました。

wind24:短い章立てになっていてお話がブツブツ切れてしまう印象ですが、子どもたちの読書力を考え、読みやすくしているのでしょうか。物語としては印象的なモチーフが散りばめられていているので易しく読み進めることができると思います。ヤギのアンスウェリカが狂言回し的役割でお話の全体を通して重要な位置にあると思います。ベアトリスのいる世界と王国での出来事が同時進行的に書かれているのはおもしろいと思いますが、王国での内容が予言が中心で、予言に出てくる少女を捜しだすことに終始しているので途中で飽きてきました。国民は反抗せずに王室の命令に従うべき存在で黙々と働き税金を納め、命令がでれば戦場に赴く…今も世界中、政府と国民の関係性は似ている国が多いのでは? 特に発展途上国には多いと感じます。
おしまいに新たな国王の座にベアトリスの母が就きますが、話の中で母親の存在が感じられなかっただけに、いささか唐突に思えました。本来ベアトリスが王座に就く流れと思いますが、もう少し見分を広め経験を積むまでのつなぎともいえるでしょうか。
最後に一番大切なものは「愛」で締めくくられていますが、それまでの内容に愛を感じさせるものがありませんでしたので、水戸黄門の紋所のようで違和感を覚えました。

コゲラ:小学生のころの私が読んだら、おもしろくて夢中になって、何度でも読みかえしたと思います。昔話風の物語で、謎の少女ベアトリスが目的地に向かう途中で魅力的な仲間がどんどん増えていくところも、昔話の定番。ある日、とつぜん王位を捨てたカノックやジャック・ドリーもいいけれど、なんといってもヤギのアンスウェリカが最高ですね。読み終えたあとも、短い毛の生えた柔らかい耳や、石みたいに固い頭の手ざわりが残っています。そんな昔話のような物語のなかに、女の子の読み書きを禁じることの残酷さや、手に持つと振るわずにいられない剣とか、作者にいいたいこと、現代的なテーマがきちんと込められている。イラストも、もちろん素敵だし。ただ、「彼」「彼女」を執拗に使っているのは、訳者のなにかこだわりがあるのかな? 日本語は主語がなくても成立する言葉だし、そのほうがずっと自然なのに……。

ニャニャンガ:同じヤギを指すのでも、原書でsheとなっているところは「彼女」、goatとなっているところは「ヤギ」とそのまま訳されています。

サンザシ:機械的に訳語をおきかえている、ということですか?

ニャニャンガ:もしや編集されていないのではと思ってしまうほどでした。

サンザシ:こういう訳し方にこだわったというわけではないんでしょうね。

ニャニャンガ:編集者さんが、翻訳家の方にコメントしづらい状況にあったのでしょうか。

サンザシ:ベテランの翻訳者の方なので、編集者もおかしいと思っても強くは言えなかったのかもしれませんね。

コゲラ:私は、こうすべきだっていう、なにか特別な思いが翻訳者にあるんじゃないかって思ってしまったわけ。それが残念だなあと思いました。この本が大好きな子には余計に。でも本好きの子は、そういうところをすっとばして読むかもしれませんね。原文で読みたくなりました。

ニャニャンガ:ケイト・ディカミロも、ソフィー・ブラッコールも大好きなので私は原書を読んでいて、邦訳が出るのを楽しみにしていました。ところが、児童書なのに「彼」「彼女」が頻出し、対象年齢の読者にとってわかりにくのではと心配になりました。訳者あとがきに「日本のおさない読者に読みやすいように」とありますが、そうは思えずとても残念です。悔しいというのも変ですけど、もっとよい作品になっていたはずです。原書で読んだときは、登場人物がそれぞれ特徴的であり魅力的だったので、感情移入して読みましたし、物語にとても愛を感じました。ベアトリスの記憶がなかったときからはじまり、断片的な記憶がもどっていく過程で、大切なものは何かが伝わってくる、胸が熱くなるお話でした。日本語訳で読んで気づいた点としては、この国の王は世襲制ではないのですね。最後にアベラール家のベアトリスのお母さんが王になるのは少しだけ意外な気がしました。

シア:ニャニャンガさんのご指摘なんですが、話の途中でアベラール一家が城に住んでいる描写が出てくるので、公爵あたりの王に近い血筋なのかなと思いました。さて、この本は1ページ目から妙なんですよね。全部夢の中なのかなと思えるほど、安易で奇妙な世界なんです。ヤギのあたりのくだりなどギャグでしかありませんでした。文章は小さい子向けだと思います。訳者が「なるべく、すらすら読んでほしいという思いから」このようにしたみたいですが、なんとも古く、往年の児童文学を思い起こさせる雰囲気でした。ロアルド・ダールの訳を手掛けていたみたいですし、お年を召した方なんですね。その年代の書き方なのかもしれません。訳文の奇妙さもありますが、内容もどう読んでいいのかわかりませんでした。例えばベアトリスが正体を隠しているはずが突然名乗ったり、p94で「『わたしは絶対におそれない』ベアトリスはまた言いました」とありますが、その直後のp95で「しかし、彼女はおそれました」と、早々に前言撤回されたので、おそれるんかーい! と、お笑い芸人のようなツッコミをしてしまいました。関西風ツッコミを入れざるを得ない箇所が多い上に、とにかく古臭いんです。つまらないやり取りをする英語や道徳の教科書かというレベルで、おもしろくありません。なぜふいにギャグ調になるのかもわかりません。p128「その人はぐるりと宙をまわってからもどってきて着地し、そのまま横たわっていました。男でした」とあるんですが、ヤギに攻撃されて突然男がぐるりと宙をまわるという表現が読んでいてなんとも居心地が悪く、続けて「男でした」とぼそっと入ってくるところで思わず苦笑していました。p132「ジャック・ドリーは木の枝の上に立っていました。そのとなりにはベアトリス。木の根もとにはヤギと得体の知れない男。ジャック・ドリーは剣を手にしています。鳥たちがさえずっています」という風に、文章が台本みたいにたたみかけてくるんですよね。ちょっと読みにくいと感じました。登場人物たちも行動に矛盾点が多く、行動に一貫性がありません。ご都合主義な展開ばかりで読んでいてつらかったです。ラストで囚われていただけの母親が女王になるなど、もう噴飯ものです。p296「愛。そして愛を描くさまざまな物語。それらが世界を変えるのです」と締めくくっていますが、ハッピーエンド至上主義のディズニーだって、こんなに子どもだましではありません。こんな感じでモヤモヤしながらあとがきに入ったら、p299「主人公がすばらしい。この本のすべてがすばらしい。だれもがこの本を好きになってしまうだろう」(〈ニューヨークタイムズ・ブックレビュー〉)なんて書かれていたので、もうニューヨークタイムズのブックレビューは信じません。映画化されるとありましたがどうなることやら。オシャレな装丁やさしい絵は良かったです。そこが救いでした。

ルパン:みなさんのコメントのとおり、としか言いようがありません。発言の順番が最初の方だったら、今までのご意見、ぜんぶ私が言ったのに、という感じです。最後の「愛」も、ぎゃふんという感じでした。原書で読めばおもしろいというお話があったのですが、訳がうまくてもカバーしきれない部分はあったのでは
メインの登場人物のなかで、成長しているらしいのはエディック修道士でしょうか。主人公も、直感だけに頼って行動し、結局は都合よく助けられるので、どこがどう成長したのかわからない。王様だったカノックに至っては、ある日、突然お城を出て行って王冠を池に捨てちゃう。その理由もわからないし、無責任きわまりないですよね。ヤギも何者なのか。どうしてヤギがこんなヤギなのかも説明がない。いろんな人やいろんなもの、いろんな場面が次々現れるけれど、とりとめのない感じで、私はあまりおもしろいとは思いませんでした。

花散里:子どもたちに本を手渡す立場の者として、海外の優れた絵本、児童文学を翻訳者の方が選んで訳してくださり、編集者の方との協働により刊行してくださることによって、私たちは子どもたちに外国文学を手渡すことが出来るのだと思っています。より良い海外の作品を子どもたちに手渡したいと思います。本作は小学校高学年でも、読書力のない子には読みにくい作品だと感じました。登場人物、ひとりひとりはすごく魅力的で、特にヤギの行動について興味深く感じました。ファンタジーと言えるのかどうかと思いましたが、物語の展開がおもしろいのと、装丁、挿絵が素敵だと感じました。そういう意味からも、「この本、おもしろいよ」と手渡せるような、よい訳文で読みたかったと思いました。

雪割草:私は読みやすかいと思ったのですが、内容は正直よくわかりませんでした。読み終わって、よかったところを考えたときに、絵だけだと思ってしまいました。p296に「結局、重要なのは予言などではないということです」とありますが、この話自体が予言を軸に展開していて、登場人物らも予言に突き動かされていると思ったので、どうも腑に落ちませんでした。世界を変えるのは「愛」というメッセージも、心に入ってくるように描けているとは思えませんでした。人魚の物語もどう作用しているのでしょうか。この訳者の『マチルダは大天才』(評論社)は小学生のときに読んで好きでした。おとなになってから読み直していないのではっきりしたことは言えませんが、この作品では訳がとても気になりました。ヤギを「彼女」と訳されているのを読んだとき、読み間違えかと思って前後読み直しましたし、わざとなのだろうと理解していますが、たぶん意図した効果は子どもには伝わりづらく、人と同等に扱いたいのであれば、主語以外でどうにかした方がよかったのでは思いました。またp289にあるように、文末に「です」が多用されており、実況中継みたいで落ち着きませんでした。それから、4人が簡単にお城に侵入できたり、母は捕まっても殺されずにいたり、物語としても甘さ、ゆるさを感じました。

きなこみみ:まず、装丁が美しいことに惹かれました。見返しも表題紙も挿絵も、細かいところまで神経が行き届いていて、「本」への愛情がまず感じられます。物語は世界観が作りこまれたハイファンタジーというより、寓話のような物語で、タイトルと装丁を考えると、この本そのものが、予言書のような形でディカミロは書いたのではと思うんです。だから、物語としてはつじつまが合いにくかったり、わかりにくいところもあるんですが、今の時代への問いかけ、ジェンダーの問題を含め、この世界の暴力にどうやって立ち向かえばよいのか、という問いかけだと思います。印象的な場面がたくさんあって、たとえばベアトリスがヤギの片耳を握って眠っているシーンや、空が真っ青で光り輝いているときに、啓示が下りてくると感じられたりする、そういう詩のような場面やイメージを積み重ねることで、ディカミロは強いメッセージをこの物語に込めたかったのではないかな、と思いながら読みました。だから、みなさんのおっしゃるように、訳がもっと良ければ、全く違った物語になったんじゃないかなと残念です。
後書きを読むと、ディカミロは児童文学大使を務めていて、アメリカの児童文学会の重鎮としての役割を果たしてらっしゃるので、p88の「だれもが自由に読み書きし、さまざまな意見を発表する」ことへの抑圧に屈しないための励ましや、ひょっとしたら宣言みたいな気持ちもあったのではないかと思うのです。「女の子は読み書きしてはならない」という縛りは今も世界中にあって、他ならない自分の国の内閣も男の人ばっかりずらっと並んだ光景を見ると、ああ、私もこのベアトリスの世界に住んでいるんだなあと思ったりするんです。私はヤギのアンスウェリカがとても好きなんですが、ベアトリスとヤギの結びつきが、全く言葉を必要としない繋がりで、それがずっとこの物語の根底にある。それは体の温かさを通じた強い愛情です。そして、ベアトリス、ジャック・ドリ―、エディック修道士との関係も、絵や、口笛や、歌などの「美」で繋がった仲間たちと、支配的な暴力に向かい合う。そういう構図になっています。ジャック・ドリーが、人殺しの剣を手にしたとき、復讐の殺意が芽生えるところ。武器というものを手にしたときの人間の心の動きが描かれているところ。そこを、言葉の力で乗り越えるのが、強いメッセージだなと思います。ラストの「愛。そして愛を描くさまざまな物語。それらが世界を変えるのです」というところ、どうも評判が悪いのですが、そこまでのメッセージを訳文がちゃんと伝えられていたら、もっと違う感動があったのかもしれないです。

アンヌ:ニャニャンガさんにお伺いしたいのですが、原文はもっと韻を踏んでいるとか詩的な感じですか?

ニャンガニャンガ:韻を踏んでいた印象はないです。ディカミロは、子どもの頃にお父さんに暴力を振るわれていたそうなので、暴力に打ち勝つのは「愛だ」ということは伝えたかったのではないでしょうか。

アンヌ:確かに、エデイック修道士の頭の中に常に彼を否定する父親の声が響いていて、彼が生まれてからずっとDVを受けていて、父親が死んだ後もその影響を受けているのがわかりますね。

ニャニャンガ:それを乗り越えていくのを書きたかったのではと思います。ただ、昔話風の物語でありながら、セリフが今風な箇所があるのでアンバランスな印象を受けました。そのせいで余計読みづらいのではと思います。

サンザシ:原書どおりの直訳ではなくて、文章などは入れ替えて訳されていますね。そういうところには、工夫なさっているのでしょう。でも、イメージがくっきり浮かび上がってこなかったです。

コゲラ:原文は、現在形ですか?

サンザシ:アマゾンのサンプルを見ると、過去形のようです。

コアラ:私は選書係だったのですが、風刺を含んだファンタジーで、いろいろな解釈ができそうだと思って選びました。絵がすばらしいです。どういう時代でどういうタイプの物語なのか、絵が雄弁に物語っています。中世のヨーロッパを思わせる時代背景で、一般の人々は読み書きができなくて、p70の5行目に「村の人たちは、ジャック・ドリーに、古い物語を語ってほしいと頼みました」とあるように、物語を語って人々がそれを聞いて楽しむという文化がある設定になっています。この『ベアトリスの予言』も、ストーリーを先へ先へと進める展開になっていて、登場人物もストーリーのためだけに存在しているような書き方になっているところが、口承文芸のようだと思いました。言葉が重要な役割を果たしていて、p238あたりの場面ですが、ジャック・ドリーはベアトリスから文字を教わることで、無益な復讐をせずにすんだし、その後ベアトリス自身も、武器ではなく、物語を語ることで敵対する国王と対峙しました。p10の本文1行目に「この物語は、ある戦争の時代に起きたことです」とありますが、武力ではない、言葉の力、物語の力を感じることができた作品でした。p68で、ビブスピークおばばが、ジャック・ドリーに何度も自分の名前を言わせるところが、とても印象的でした。物語の展開が都合よすぎるのはどうかとも思いましたが、全体的に、美しさと、存在に対する肯定を感じる物語でした。

西山:私はとても楽しく読みました。ああ、おもしろかった、で特に言うことはない感じなんですけれど……。修道士を手玉に取るヤギがおもしろくて、冒頭から完全におとぎ話として読む構えができたので、細かいことは気にならなかったのだと思います。それでいて、今の戦争を思わせて、兵士の傷つき方、心の壊れ方が胸に迫りました。翻訳上の代名詞の件は私はそういう観点を知らなかったのですが、この作品の場合、あの乱暴で荒々しいヤギが「彼女」であること、つまり、女性であることを愉快に読んでいました。新しいタイプの戦争と平和を考えさせてくれる児童文学を読んだと感じています。

すあま:私は児童文学でもミステリーでも中世の修道院ものが好きなので、期待して読み始めたけれど、舞台としては物語の最初のところだけだったので残念でした。予言があって、そのとおりになっていくことを予想しながら読み進めました。途中で旅の仲間が増えていくのはおもしろいものの、キャラクターが次々と出てくるゲームのような感じもしました。登場人物がそれぞれに抱えている悲しみを、ベアトリスを救うことで癒していく物語。楽しいところもあるけれど、読んでいてつらいところもあり、特に兵士の懺悔をどうしてベアトリスに聞かせる必要があったのか、ちょっとひどいな、と思いました。読みながら、意味がわからないところにひっかかってしまい、子どもにも読みにくいように感じました。乱暴なヤギの活躍にも期待していたのに、途中からベアトリスを癒す役割になってしまい、もうちょっと暴れてほしかったかな。

(2023年09月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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わたしとあなたのものがたり

『わたしとあなたのものがたり』表紙
『わたしとあなたのものがたり』
アドリア・シオドア/文 エリン・K・ロビンソン/絵 さくまゆみこ/訳
光村教育図書
2022.06

アメリカの絵本。「クラスには、茶色いはだの子どもは、ひとりしかいなかった。それが、わたし」という文章で、この絵本は始まります。「学校で、奴隷制について勉強した時、みんなが、わたしをじっと見ているような気がしたものよ。奴隷たちが大農園で綿つみをさせられたことや、ほったて小屋にすんでいたことや、子どもたちが、ばらばらに売られていったことを先生がはなすと、わたしは消えてしまいたいとおもったわね」

アメリカの学校には、アフリカ系アメリカ人の歴史をふりかえるBlack History Monthが設けられています。アフリカから奴隷が連れて来られてプランテーションなどで強制労働をさせられ、奴隷解放宣言が出てからも差別され、公民権運動が起こり、少しずつ権利を獲得していった歴史を学ぶのです。過去の歴史を学ぶことによって未来をもっとよくしようという意味がそこにはあるのでしょう。でも、そんなとき、肩身の狭い思いをしていた子どもがいることには、私はこの絵本に出会うまでは気づいていませんでした。語り手の「わたし」は、白人の男の子に「リンカーン大統領がいなかったら、おまえはまだ、おれたちの奴隷だったんだぞ!」なんていく言葉を投げかけられたりもしています。

そんな「わたし」が、やはりクラスでたった一人の茶色い肌の娘に向かって、「あなたには、すがたをかくしたり、消えてしまいたいとおもったりしないでほしいの」「どうどうと立って、空高くはばたいていってほしいの。・・・だって、だいじなのは、ほかの人にどう見えるか、じゃなくて、鏡にうつった自分に『なにが見える?』って といかけてみることだから」と語りかけています。

(編集:相馬徹さん 装丁:森枝雄司さん)

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やとのいえ

『やとのいえ』表紙
『やとのいえ』
八尾慶次/作
偕成社
2020

『やとのいえ』(NF絵本)をおすすめします。

石の十六羅漢さんが語るという体裁で、谷戸に建てられた一軒の農家と、それを取り巻く環境の、150年にわたる変化を伝えている絵本。水田や麦畑や林に囲まれていたかやぶき屋根の家は、今やモノレールやデパートやマンションやアパートに囲まれた瓦屋根の家に変わっている。農作業、子どもの遊び、お祭り、嫁入り、葬儀、開発の様子など人間の暮らしばかりでなく、ある時期までは野鳥や野生の動物も羅漢さんをしばしば訪れていたことも、ていねいな絵が伝えている。巻末には詳しい解説があって、モデルになった多摩丘陵の変遷もわかる。

9歳から/家 開発 都市化 十六羅漢

 

Yato Home

This picture book portrays 150 years in the life of a farmhouse in a yato area, with gently sloping hills and valleys. The book is narrated by stone statues of the sixteen arhats (disciples of the historical Buddha) that stand nearby. The farmhouse with thatched roof is first surrounded by rice paddies, fields, and forests; later, it becomes enclosed by a monorail, department store, and condominiums and apartment buildings. It is given a tiled roof. Planting and threshing processes, children’s play, festivals, weddings, funerals, and development are all depicted in detail. Until a certain period, wild birds and animals also visit the stone statues. The backmatter contains detailed explanations, including about the Tama Hills in southwest Tokyo/northeast Kanagawa, which served as the model for this book. (Sakuma)

  • text/illus. Yatsuo, Keiji | spv. Senni, Kei
  • Kaiseisha
  • 2020
  • 40 pages
  • 22×31
  • ISBN 9784034379004
  • Age 9 +

Home, Development, Urbanization, Sixteen arhats

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2021」より)

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円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦

『円周率の謎を追う』表紙
『円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』
鳴海風/作 伊野孝行/画
くもん出版
2016

『円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』(NF)をおすすめします。

関孝和の一生を、円周率を探る研究を核にして描いている。私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表す方法を編み出すところなどがスリルに富んだ推理小説のように描かれている。同時に、この数学者が何かを一途に追求し消えない炎を持ち続けていたひとりの人間として浮かび上がってくるので、読み物としてもおもしろい。さまざまな文献を研究して書いた労作。

11歳から/数学 歴史 江戸時代 円周率 関孝和

 

Solving the Mystery of Pi

ーThe Genius Mathematician of Edo, Seki Takakazu

Portrays the life of Seki Takakazu, the master of Japanese mathematics known as wasan, with particular focus on his research on pi. We learn at school that pi is about 3.14, but when Seki started his studies it was thought to be 3.16. The process of working through the doubts he felt about this until he was convinced, and the way he devised a method to express numerical formulae based on Chinese kanbun writing is as thrilling as a mystery novel. This mathematician emerges as one human being who single-mindedly pursued something with unextinguished passion. Based on thorough research. (Sakuma)

  • Text: Narumi, Fu | Illus. Ino, Takayuki
  • Kumon Shuppan
  • 2016
  • 208 pages
  • 19×14
  • ISBN 9784774325521
  • Age 11 +

Mathematics, Edo period (1603-1868), Pi

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2018」より)

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彼の名はウォルター

エミリー・ロッダ『彼の名はウォルター』表紙
『彼の名はウォルター』
エミリー・ロッダ/著 さくまゆみこ/訳
あすなろ書房
2022.01

ロッダさんの、シリーズではない単発の作品で、オーストラリア児童図書賞を(またもや!)受賞しています。テーマは歴史、多様性、ミステリー、権力に翻弄される若者といったところでしょうか。

学校の遠足で歴史的な町を訪れるはずだったのに、途中でバスが故障します。ほかの生徒たちはそこから歩いて目的地に向かいますが、コリン(転校生)、グレース(足の怪我で松葉杖をついている)、ルーカス(コンピュータ好き)、タラ(バスの中で鼻血を出した)の4人は、フィオーリ先生(イタリア系、遠足の責任者)と共に、その場でタクシーが来るのを待つことになります。

今にも嵐が来そうな天候です。バスを回収に来たレッカー車の運転手に、丘の上の古い館で待つといいと助言され、5人はひとまずその館に避難します。ところがタクシーは現れず、5人はその古い館で夜を明かすことに。コリンは、キッチンにおいてあった書き物机の秘密の引き出しに手作りの美しい本が入っていたのを見つけ、タラと一緒に読み始めます。その本の書名は『彼の名はウォルター』。

ところが、何者かがその本を読ませないようにしているらしく、不気味な館では不気味な現象が次々に起こります。この館では過去に何があったのか、その本にはどんな真実が書かれていたのか──見た目も性格もバラバラで友だちでさえなかった4人の子どもたちが、その謎を解き明かしていきます。

現在と過去を1冊の本で結びつけるロッダさんのストーリーテリングが、すばらしい! 館の不気味さと謎でグイグイ引っ張っていきます。

自分で持ち込んで出してもらった本ですが、原書が276ページ、日本語版が350ページ。ページ数が多いので、訳者あとがきはありません。

(編集:山浦真一さん 表紙イラスト:都築まゆ美さん 装丁:城所潤さん+大谷浩介さん)

 

紹介記事

・「朝日新聞」(子どもの本棚)2022年03月26日掲載

週末の遠足でグロルステンという歴史的な町へ出かけた子どもたち。乗っていたミニバスが途中で故障し、フィオーリ先生と4人の生徒は田舎道で立ち往生し、丘のてっぺんにある2階建ての古い屋敷で一晩を過ごすことにした。屋敷の中にあった書き物机から、コリンは表紙に『彼の名はウォルター』と書かれた手書きの本を見つける。不安な夜をその本を読み合うことで切り抜けようとするが、物語の世界が現実に侵食してきて、いいようのない恐怖感に包まれていく。スリル満点のストーリー展開に身がすくむ思いがした。(エミリー・ロッダ著、さくまゆみこ訳、あすなろ書房、税込み1760円、小学校高学年から)【ちいさいおうち書店店長 越高一夫さん】

 

<紹介映像>

・大阪国際児童文学振興財団 「本の海大冒険」土居安子さんによる紹介

<紹介記事>

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やとのいえ

『やとのいえ』表紙
『やとのいえ』
八尾慶次/作
偕成社
2020.07

『やとのいえ』をおすすめします。

多摩丘陵の谷戸に建てられた一軒のかやぶき屋根の農家と、その周辺の環境の変化を見つめた絵本。1868年から約150年間の変遷を、ていねいな絵とわかりやすい文章で表現している。最初は、この農家の周辺は雑木林や畑や田んぼで、人々は農業や炭焼き、養蚕やカゴ作りなどをして暮らしている。子どもたちは空き地や川で遊び、家畜ばかりでなく野生の生き物とも触れあっている。ところが、1970年代に入ると開発の波が押し寄せ、あっという間に森林が伐採され、舗装道路や団地や分譲住宅ができ、鉄道やモノレールが通る。やがて古くなったこの農家も壊されて、瓦屋根の住宅に建て替えられる。

環境の変化の歴史と同時に、季節ごとの農作業、婚礼や葬儀、お祭りなども描かれ、その時々の人々の暮らしぶりもわかる。変化していくものとは対照的に、この家の庭の隅にはずっと変わらず石造りの十六羅漢さんが置かれているのもおもしろい。

巻末にはそれぞれの場面に描かれているものについての詳細な説明があり、絵と対比しながら読むとまた新たな発見がある。

(産経新聞「産経児童出版文化賞:大賞講評」2021年5月5日掲載)

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あまねく神竜住まう国

『あまねく神竜住まう国』表紙
『あまねく神竜住まう国』
荻原規子/作
徳間書店
2015.02

『あまねく神竜住まう国』をおすすめします。

学校で習う歴史は何年に何があったという事実が中心で、そこに生きていた人物がなかなか浮かび上がってきません。そういう意味では、歴史上の人物を主人公にした文学作品を読むのはおもしろいものです。どこまでが事実で、どこからがフィクションなのかはもちろんあいまいだとしても、作者もいろいろ調べたうえで書いているので、その作者なりに思い描く歴史上の人物が立体的に立ち現れてきます。

本書は、10代半ばの源頼朝を主人公にすえた作品です。調べてみると、伊豆に流されていた頃の頼朝についての史実はほとんどわかっていないらしいので、大部分がフィクションということになるのでしょう。大多数の日本人には義経の敵として人気の低い頼朝を敢えて取り上げていることに、まず興味がわきます。そしてその頼朝にからむのが、『風神秘抄』の主人公である草十郎と糸世です。

冒頭に登場する頼朝は、ひ弱で死の予感につぶされそうになっています。(「元服をしてもまだ幼顔を残しており、体も発育途上の細さだった。(中略)その上、伊豆では見かけないような色白の肌であり、『ひ弱な若様』と言い落とされるのも無理はなかった」)。糸世の勧めで敵の目を欺くために女装しても、だれにも怪しまれないほど線が細いのです。しかし、走湯権現に参詣した際、真っ暗闇の回廊にひとりで入りこみ、権現の真の姿と言われる神竜を心眼で見ます。このあたりは、アフリカなどでは今も行われている成人儀礼を思い起こさせる記述ですね。頼朝はその頃から自分の立場を客観的に見たり、自分の意志をはっきり持ったりするようになり、やがて死んだ姉・万寿姫の化身である大蛇とも対峙することができるようになります。

謎めいた存在である草十郎に興味を持った人は、小学館児童出版文化賞、産経児童出版文化賞、日本児童文学者協会賞など様々な賞を受賞している『風神秘抄』もぜひ読んでみてください。

(トーハン週報「Monthly YA」2015年6月8日号掲載)

キーワード:源頼朝、歴史、竜

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オオカミが来た朝

『オオカミが来た朝』表紙
『オオカミが来た朝』
ジュディス・クラーク/著 ふなとよし子/訳
福音館書店
2019.09

『オオカミが来た朝』をおすすめします。

オーストラリアのある一家4代の物語を、子どもをめぐるエピソードでつづっていく作品。一家にからめて語られるのは、不安や恐怖、認知症老人との触れあい、難読症の人や移民への差別、民族間の争い、家族との葛藤などだが、語り口にはユーモアと奥行きがあり、味わいながら読める。最初の物語の主人公ケニーが、最後の物語では曾孫の前に少年の姿で現れて「くじけるな」と呼びかけるのだが、その言葉は子どもたちみんなに向けた作者のメッセージにも思える。(中学生から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2019年10月26日掲載)

キーワード:家族、歴史、差別

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バイバイ。

李慶子『バイバイ。』表紙
『バイバイ。』
李慶子/著 下田昌克/絵
アートン
2002.11

さららん:2002年初版の本だとは知らずに読み始め、すぐに『じゃりン子チエ』(はるき 悦巳/作)の世界を思い出しました。主人公「和ちゃん」の家族も、親友のホルモン焼き屋のスナちゃんの家族も朝鮮の人たち。そんな子どもたちをとりまく人間模様が描かれています。「朝鮮人のおとうちゃんなんかうちはいらんや」という日本人の女の子もいるし、同じ区域には、もっと貧しい暮らしをしている朝鮮部落もあります。和ちゃんは家族が大好きだけれど、自分が朝鮮だとは、学校では明かせません。朝鮮人ってからかわれたスナちゃんをかばえない。戦争中に日本人として無理やり日本に連れてこられたのに、戦争が終わったとたん外国人登録が必要になった朝鮮の人たち。126号という特別な居住許可のことを、父さんは和ちゃんにちゃんと説明します。国に帰りたくても、今の生活を全部捨てなくてはならない背景が読者にもわかってきます。政治にふりまわされる庶民の悲しみや怒りが、のどかな子ども時代のエピソードに織り込まれ、なんども考えさせられました。大人の社会の差別をそのまま映し出して、子どもたちは傷つけあうこともあるのですが、たくましく旅立つ親友のスナちゃんを見送り、和ちゃんが朝鮮人としての誇りを持って生きようと思うところで物語は終わります。大人の自分には理解できるし、読んでよかったと思います。でも今の子どもたちが予備知識なしで読むのは相当難しい作品ではないでしょうか。学習の一環で、在日二世や三世がなぜ日本にいて、どのように生きてきたか、ということを知るのには良いかもしれませんが・・・・・・。対象年齢は5-6年生ではなく、ずっと上の世代になると思いました。

アンヌ:なんだか昔読んだ『綴方教室』(豊田正子/著)を思い出すようなリアリティのある日常生活の描写が続いていくなと思いながら読みました。男の子の跡継ぎが生まれないと、お妾さんを囲って生ませたりする。そんな理不尽な大人の世界を描いていくので、3人姉妹の主人公の家も最後は酒乱のお父さんが暴力をふるって家庭を壊してというパターンになるのかなと思っていたら、逆に、謝り方を教えてくれ、「父さんの自慢の子や」と言ってくれて、主人公が自己肯定できたのにはほっとしました。最後にスナちゃんとお別れが言えてよかったと思えた、後口のいい物語でした。

木の葉:本の出版は2002年ですが、書かれている時代はそれよりかなり前。作者の実体験が含まれているのかどうかはわかりませんが、主人公が生まれたのは1949年で、作者自身の子ども時代とほぼ重なります。まず思ったのは、今の子どもが読んでもなかなか理解できないだろうな、ということでした。時代背景と在日の韓国・朝鮮の人たちの状況という二重のわかりづらさがあるな、と。大人でも、理解できない人も多いですから。これは、子どもが読むには解説が必要なのではないかと思いました。想像力だけでは無理で、そういう歴史を学んだ上で、読むことに一定の意味はあるように思いました。内容は、文学的というのか、女の子たちの心情をていねいに追っています。せつなさを感じる物語です。大阪などでなく地方都市が舞台というのもいいですね。ただ、韓国・朝鮮に対して加害者である日本人という立場を負わずに、作品に向き合うことの難しさをちょっと考え込んでしまいました。けっして正しい態度ではないことは承知の上ですが、かまえができてしまうというか、ある種の批評しづらさというものがあるような気がしてしまうのです。なので、いろいろ不自由というか窮屈だな、という感が否めません。歴史を知ること、学ぶこと、アイディンティティを大切にすることは重要ですが、外国ルーツの人からも、多様な切り口の「日本語」文学が出てくればおもしろいし、日本人(定義は難しいのですが)作家も、この作品の背景のようなテーマに、取り組むことができたら、という思いもあります。

まめじか:その時々の主人公の心の動きを追っている物語だからでしょうか。三宅君が唐突に現れた印象をうけました。「男のやることに、女ががたがた口出すな!」と父親が言うのは、昔の話だからということもあるのかな。

西山:『児童文学10の冒険 自分からの抜け道』(偕成社、2018)の解説を書くのに読み返した時、確かに作品の背景は古いけれど、今も読めると思ったんです。みなさんおっしゃるように、いろいろ説明が必要なことは多いと思います。解説で外国人登録の指紋押捺がいつなくなったとかは書きました。そういう補足は必要だと思います。でも、出だしのほうのシーンで、ウェディングドレスが着たいというのがごく自然に出ていて、ある時代のある女の子の生きたようすというのは普遍的に読めると思うんです。過酷ですけれど、「在日」の置かれた状況を肩肘張らず淡々とリアルに伝えている。李さんには、今の話をさらに書いていってほしいと思います。

コアラ:まず本のつくりが古いなと思いました。刊行が2002年ということですけど、もっと古く、昭和時代に刊行された本のように感じました。物語の設定が1960年代なので、狙ってその時代のように作ったのかもしれないとも思いました。内容は、1960年代の在日朝鮮人の生活を子どもの目から見ていて、今の子どもに知ってほしいから書いたんだなという作者の思いが伝わってきました。p87では、徴用という言葉も出てきて、今の日本と韓国の問題としてニュースで出てくる問題だし、意外と今が読むのにいいタイミングかもしれないと思ったりしました。タイトルも本のつくりも、子どもが手に取りたいと思わせるような感じではないのが残念です。クラスに在日の人がいるとか、過去を知りたいとか何かのきっかけで今の子どもが読んでくれるとうれしいなと思います。

ネズミ:在日に対する考え方が、1960年代と今では変わってきているでしょうね。

ハル:こういう時代が、こういう社会が、あったんだなと、知りたいことが書かれているお話で、全体の雰囲気も私は好きでしたが、ところどころ「この人はどのひとの誰だっけ?」ということがわかりにくかったり、ちょっと頭の中で推察して補いながら読まないと状況がわかりにくかったり。もうちょっと書いてほしい、もうちょっと読みたい、という部分も感じました。もしかしたらこの作品は、大人向けなんじゃないかなと思いました。

ルパン:先に『アーモンド』(ソン・ウォンピョン/著 矢島暁子/訳 祥伝社)を読んでしまったので、こちらは、最初なんだかちょっと退屈というか、ゆったり話が進んでいる気がしましたが、読み進めていくうちに、鉄浩おじさんのこととかスナちゃんの家のこと、そして最終的に在日朝鮮人の生きにくさなど、リアルに迫ってきてつらくなってきました。そのなかで、子どものもつたくましさや前向きな気持ち、そしてスナちゃんとの純粋な友情も生き生きと語られていて、すべてハッピーとは言えないなかで、読後感のいい作品でした。

サークルK:挿絵が世界観をよくあらわしていると思います、既視感のある風景が内容を助けているように思います。また、焼肉屋さんの匂いまで伝わってくるような描写がいいな、と思いました。大人の事情がだんだん呑み込めていく様子がていねいに描かれていて、一種のビルディングスロマンなのだろうと思いました。

マリンゴ: この本のこと知らなかったので、今回読む機会をいただけてよかったです。戦後の地方都市で、在日朝鮮人がどういう生活を送っていたのか、知らないことが多くて、描写を隅々まで味わいました。選択肢が非常に少ない生活だったのですね。日常をていねいに綴っていて、物語が立ち上がってくる印象があります。もっとも、中盤以降、若干冗長に感じる部分もありました。今日話し合うことになっている他の2冊が波乱万丈すぎるので、これが静かに感じられたのかもしれません。

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エーデルワイス(メール参加):作者の自伝でしょうか。在日朝鮮人の家族の物語ですが、貧しい時代の日本の家族の物語ともいえるかも。優秀な勝ち気な姉とわがままな妹にはさまれた主人公は、自分ばかり損をしているのではないかと思っています。裕福な鉄浩おじさんと春子おばさんの養子に行っていれば・・・それでも両親は養子に応じなかったことは嬉しいことでした。スナちゃんを二度も裏切った形の和子。だがラストが爽やかだったので救われました。

(2020年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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文様えほん

谷山彩子『文様えほん』
『文様えほん』
谷山彩子/作
あすなろ書房
2017.09

『文様えほん』をおすすめします。

文様とは、「着るものや日用品、建物などを飾りつけるために描かれた模様」とのこと。日本でも、縄文時代からヘラや竹筒や貝殻や爪を使って土器や人形に描かれていたし、現代でもラーメン鉢や衣服に描かれている。モチーフは、植物、動物、天体や自然など様々だし、線や図形を組みあわせた幾何学文様もある。

本書は、そうした文様の種類を教えてくれるだけではない。地図で、世界各地の文様の違いや、伝播による変容を見せたり、四季折々の生活や町の風景の中にひそんでいる文様を示したりもする。巻末に用語集や豆知識もついたノンフィクション絵本だが、読んだあとの子どもたちには、身のまわりのあちこちに文様を発見していく楽しみが待っていそうだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年11月25日掲載)

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円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦

鳴海風『円周率の謎を追う』
『円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』
鳴海風/著 伊野孝行/挿絵 
くもん出版
2016.11

『円周率の謎を追う:江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』をおすすめします

関孝和という名前は知っていても、どんな人かを私は知らなかった。江戸時代の和算の達人ということを知っていただけである。本書はその関孝和を、血の通った人間として描き出そうとしている。数学が好きで儒学や剣術にはなかなか身が入らなかったこと、数学の師匠の娘である香奈と励まし合って学んだこと、数学好きのライバルたちと切磋琢磨したこと、けれども勤め(御用)をおろそかにできず数学だけを専門にするわけにはいかなかったことなどが、読みやすいストーリーとして語られているので、興味をもって読める。

後書きには、関孝和という人は、天才的な業績を残したにもかかわらず、いつどこで生まれたのかもわからず、その人生には謎が多いと書かれている。つまり、子どもの頃のことや折々に出会った人との会話などは、著者が想像して描いたフィクションとも言える。でも様々な文献に当たったうえでの想像であるからか、何かに一途になって心の中に消えない炎を持ち続けていた人だということが、無理なくしっかりと浮かび上がってくる。

私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて関が追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表現する方法を編み出すところなどが、スリルに富んだ推理小説のように描かれていて、おもしろい。出世やお金儲けには関係なくても、情熱を注げるものを持っていた人の楽しさが伝わってくる。

次は、「わたし、女数学者になります」と宣言して(ここもフィクションかもしれないが)、関を励ましつづけた香奈についても、もっと知りたくなった。

(「トーハン週報」Monthly YA 2017年6月12日号掲載)

 

関孝和の一生を、円周率を探る研究を核にして描いている。私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表す方法を編み出すところなどがスリルに富んだ推理小説のように描かれている。同時に、この数学者が何かを一途に追求し、消えない炎を持ち続けていたひとりの人間として浮かび上がってくるので、読み物としてもおもしろい。さまざまな文献を研究して書いた労作。

(「おすすめ! 日本の子どもの本2018」<ノンフィクション>掲載)

キーワード:数学、歴史、江戸時代、円周率、関孝和


ローワンとゼバックの黒い影

エミリー・ロッダ『ローワンとゼバックの黒い影』さくまゆみこ訳
『ローワンとゼバックの黒い影』 (リンの谷のローワン4)

エミリー・ロッダ著 さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2002.12

オーストラリアのファンタジー。ローワン・シリーズの第4作目。妹のアナドが怪物に誘拐されたため、ローワンはゼバックの地に乗り込んでいきます。そこで出会ったのが、絹に絵を描いてきた家族。そして、300年ものあいだ隠されていたリンの歴史の秘密が明らかになります。異世界ファンタジーですが、著者のロッダさんは、やっぱりこの異世界の成り立ちまでしっかり考えてシリーズを作られていたのですね。
(絵:佐竹美保さん 装丁:丸尾靖子さん 編集:山浦真一さん、佐近忠弘さん)

訳者あとがき

オーストラリアで生まれて、日本でも大人気の〈リンの谷のローワン〉シリーズの4巻目をおおくりします。

このシリーズは、それぞれの巻が独立した物語になっているので、どの巻から読んでいただいてもいいのですが、本書から読みはじめる方のために、かんたんな説明をしておきます。

1巻目の『ローワンと魔法の地図』では、リンの村でバクシャーという家畜の世話係をしているローワンが、ほかの村人六人といっしょに、〈禁じられた山〉に登る羽目になります。ローワン以外はみんな勇敢でたくましい大人たちです。ところが、〈禁じられた山〉は一行7人を次々に試練にかけてゆき、一人また一人と脱落してしまいます。最後には、村に水が流れてこなくなった原因が突き止められ、リンはまた豊かな水に恵まれた村としてよみがえります。「勇気」をテーマにしたこの作品には、リンの村の成り立ちや、ローワンの家庭環境についても、くわしく書かれています。

2巻目の『ローワンと黄金の谷の謎』には、リンの村人と、〈旅の人〉たちの反目が描かれています。奇妙な眠り病に襲われたリンの村人たちは、〈旅の人〉が呪文をかけたのではないかと疑うのです。ところが、病の原因は思いがけないところにあり、それを発見したローワンは、村人を助けるために空を飛んで大活躍します。エコロジーの観点も取り入れた作品です。

3巻目の『ローワンと伝説の水晶』の舞台は、海ぞいのマリスの地です。マリスの民のリーダー〈水晶の司〉は、3氏族の代表の中から選ばれるのですが、選ぶ役目はリンの〈選びの司〉。リーダー選びの際には各氏族の思惑が入り乱れ、マリスの地は混乱に陥ります。その混乱に乗じて、海の向こうからゼバックが攻めてきます。〈水晶の司〉にふさわしいのは誰なのか? 果たしてゼバックは撃退できるのか? 最後にはあっと驚くどんでん返しが待っています。

作者のエミリー・ロッダは、すでに60点以上の児童書を書いている人気作家です。『デルトラ・クエスト』(邦訳は岩崎書店)などゲーム的なおもしろさを前面に押し出した作品もありますが、文学としての味わいの深い作品もあり、オーストラリア児童図書賞を何度も受賞しています。このローワンのシリーズは、ロッダの作品の中では子どもの人気がいちばん高く、またご自分でもいちばん楽しく執筆できたシリーズとのことで、1巻目が児童図書賞の最優秀賞を、3巻目が優秀賞を獲得し、4巻目以降も候補作に挙がりました。図書館でも高い評価を受けています。

この秋には5巻目が出版されると聞いているので、今度はどんな展開になるか、私も楽しみにしています。

2002年5月

さくまゆみこ