ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳
徳間書店
2024.03
エーデルワイス:題名から内容が想像できたので覚悟して読みましたが、素晴らしい作品で紹介して頂き感謝しています。二人の少年のどちらの側からも描かれていて、最後二人の少年が本当に炎に焼かれるような心情が伝わってきました。白人のマシューは普通の少年で、良心も持ち合わせているし、好奇心もあれば冒険もしたいと、不自由なくすくすく育っているのに対し、ケニヤ人のムゴは、白人に従うことを義務とし、賢い子で機転も利いて、生きる術を身につけています。主従関係でありながら友情も感じていた二人でしたが、根本的に世界が違うと、どうすることもできない。永遠の別れのシーンは切ないです。できたら続編で成人したムゴとマシューのそれぞれの希望に溢れる幸せな姿を読みたいと思いました。
ムゴのお父さんは白人と同じ教育を子どもたちに受けさせて、白人から土地を取り戻そうと考える人格者ですが、理不尽な取り調べで投獄されるところは、やりきれません。1950年代アフリカから遠く離れたイギリスの子どもたちが「マウマウがくるぞ」脅かされていたとすれば、よほど恐ろしいものだったのでしょう。日本でも鎌倉時代に2度蒙古襲来がありますが、昭和の時代、夫が子どもの頃何か悪いことをすると祖母に「もうこくるよ」と脅されたそうです。子どもの時はなんのことか分からないけれど、恐いものの象徴ですね。読んでいてケニヤの壮大な自然、植物、鳥、動物の様子を思い描くことができました。冒頭の「だれも、ほかの人のように歩くことはできない(ルビ:ゴティレ・オキニャガ・モキニェレ・ワ・オンゲ゙)」やp221「心の中の言葉は、語ることによってひきだされる(ケレ・ンゴロ・ケルタグ・ウォ・ナ・メアリオ)」をキクユ語の発音で実際に聴いてみたいと思いました。
ANNE:タイトル・内容ともに、自分自身の選書ではきっと読まないジャンルの物語だと思います。今回、一読の機会をいただき、出会えて良かったと心から思える一冊でした。白人の少年マシューの父親は、周囲の人々と比べると使用人に理解があり、決して現地の人を迫害している様子はないのですが、それでも「絶対に彼らに銃を渡してはいけない」と息子に言い聞かせているという言動があり、切なくやるせない気持ちになりました。時代背景や社会状況を鑑みると致し方ないことだったのでしょうが。この物語はハッピーエンドとは言えない結末を迎えます。できれば、マシューもムコも幸せに暮らしているという続編を読みたいと思いました。
雪割草:力強く、心がざわついたままいろいろな感情が残る作品で、読むことができてよかったです。大学院時代にアフリカ文学のゼミをとっていたことがあり、グギやアチェべなどの作品を読みました。あとがきにも、作者はグギ・ワ・ジオンゴのことを書いていますが、グギの『一粒の麦』(小林信次郎訳 門土社 1981)を思い出しました。主人公が同じ名前のムゴで、この作品でムゴが木彫りの象をつくりますがグギの作品にも家具職人が出てきます。この作品では一粒の麦ならぬ「ビスケット」がモチーフになっています。マシューがムゴにビスケットを渡そうと思って地面に落としてしまう場面は、マシューと作者自身が重なり、断絶された他者へ手を伸ばそうとしても、個人の努力では決して手の届かないことへの悲痛な思いが、読んでいて痛いほど伝わってきました。ポストコロニアルのアフリカの作家の作品との出会いは、私にとって衝撃的でしたが、この作品も怒りと悲しみが渦巻き、グギの作品に迫る力強さを感じました。
ルパン:非常に「読ませる作品」だと思いました。それぞれの階級社会におけるムゴとマシューの気もちがあますところなく描かれています。親しいけれど、ほんとうの友達にはなれないふたりの宿命のようなものが感じられます。ムゴはあくまで使用人であり、マシューに対して自分の意見を通すことができない。はじめから対等でなかった、ということにムゴが気づく最後のシーンがいいです。ビスケットを渡せば自分の立場も気持ちもわかってもらえるだろうというマシューの甘い期待と、「あの白人の男の子」と、つきはなすムゴの対比があまりにも切なくて、読後感はけっしてよくない。その分、これからどうなるんだろう、どうしたらいいんだろう、ということを考えさせる作品になっていると思います。「読み終わって終わり」でないところがすごいと思いました。
ハリネズミ:この作品は、作者のナイドゥさんの子ども時代を大きく反映しているんじゃないかと思います。白人の彼女は、大学に入るまでは白人の視線で白人の社会の事柄だけを見ていて、黒人の人たちのことはほとんど見えていなかったそうです。大学に入ってから、社会に対する視野が広がり、不公正なアパルトヘイト体制がおかしいと思い、抗議行動に参加して逮捕されたりしています。なので、マシューには、その「気づいていなかった」子供時代の自分を重ね合わせているのではないかと思うんです。この作品は、単に二人の友情が破綻した悲劇というのではなく、マシューは白人入植者の歴史を否応なく背負っており、ムゴは否応なく差別された黒人の居場所におかれてしまっている。二人の少年は、現在だけを共有しているのであれば、友情も成立するのかもしれませんが、何かが起こって、侵略者の側と、侵略されて奪われた側の間に亀裂が走ると、不信感も強く大きくなっていってしまいます。子どもにふりかかる理不尽さは、白人と黒人でその重さが違うんですね。白人の子どもの方は、両親に照らし合わせてじっくり考えたり、一時的に忘れたりすることができますが、黒人の子どものほうが一挙に生存さえ脅かされてしまう。
だったら、白人の方は自由なのかというと、それも違うんですね。南アフリカ出身のノーベル賞文学賞作家は、ナディン・ゴーディマーとJ.M.クッツェーでどちらも白人です。でも二人とも、他者を暴力で抑圧する欺瞞的な社会では、白人も不自由で檻の中におかれている、ということを書いてます。p11で、マシューが感じる檻と、ムゴたちが閉じ込められる檻が、差別社会では、差別する側も差別される側もいわば檻に入っているようなもので、自由ではないということを象徴的に語っているのだと思います。
ムゴは、この状況を経て、おとなになっていきます。p208でまだ子どものままのマシューは、「せめてビスケットをムゴにわたせれば、ムゴもわかってくれるだろう。マシューがあやまりたいと思っていること、いかないでほしいと思っていることを」と思うわけですが、ムゴのほうはそんな段階はとうに置き去りにしてきている。
また、ムゴのお父さんは教育によって奪われた土地を取り戻そうとしますが、ムゴのお兄さんは、そんなことでは取り戻せないと気づいています。個人がどんなにがんばっても、問題は解決できないことが、この作品ではとてもうまく表現されています。「イッチマエ鳥を殺すな」というのは先住民に伝わるタブーですが、それを白人のランスが破り、マシューも加担せざるをえなくなることによって、結局罰が下るというストーリー展開にも、先住民の文化を尊重したい作家の気持ちが表れていると思います。
すあま:読んでいてつらい話でしたが、知らなかったことがたくさん書かれていました。主人公二人の視点により、交代で物語が進んでいくのはおもしろいのですが、時間が飛んだり視点が移り変わったりするので、ある程度読書力のある子でないと難しいかもしれないと思いました。二人の少年の視点から描かれ、大人の側の視点がないので、状況や実際に何があったかなど書かれていないことも多く、知識がないこともあり、物語についていくのが難しかったです。子どもに紹介するなら、あとがきを先に読んでもらうとか、関連する本も合わせて紹介するといった工夫がいるかもしれません。
二人の少年、その父親同士、どちらも長いつきあいで、仲が良いように思えるけれど、やはり圧倒的な立場の違いがあるので、友達ではない、友達にはなれないんだな、ということもわかり、寂しい気持ちになりました。そんなに長くない作品で二人の少年が交互に描かれるので、二人に共感しながら読むというよりも、二人の目を通して当時の出来事を知る本なのだと思いました。タイトルは、原題からそうなるのだと思うけど、ちょっときつい、怖い印象で、手に取りにくいのでは? ラストも唐突に終わる感じで、この先彼らがどうなるのか、歴史や背景を知っていれば想像がつくのかもしれないけれど、読者にとって難しい終わり方だと思いました。
しじみ71個分:本当に重厚な、素晴らしい本で、読めてよかったです。ただ、まだ全然ちゃんと読み込めてないので、これからも考えていきたい作品です。ひとつ、深く心に残ったのが、マシューは悪い子ではないし、父親も悪い農場主ではないですが、マシューも白人の子どもで、社会の構造的に強い立場にいる子どもであるからこそ、子どもらしい、ちょっとした我儘を、従順にならざるを得ない使用人であるムゴに甘えて言ってしまうところです。それがどのようにムゴや家族たちを危機に立たせ苦しめるのか、まったく想像できない。その無自覚さが差別の構造の危なさなのかも、と思いました。たとえ、マシューがムゴを対等だと思っていたとしても、構造的に最初から上位に立っていて、従順さを共感だと履き違えて、相手を傷つける悲しさ……。本当の友情でなかったと、後から気づくと、恥ずかしく、辛い、罰のような傷になりますよね。社会の構造が分断を招いて、子どもたちを傷つける残酷さが刺さりました。
一方で、使用人であるムゴの方には、だんだんに怒りが生まれ、燃え盛っていく過程が、鮮やかに対比されて、非常にうまく描かれていると思いました。こうやって、心の炎、怒りを抑えられない状態が双方に折り重なって、暴力の応酬が起こっていくのかもしれないとも思いました。面白いのは、白人の子ども同士である、ランスとマシューの間にも権力構造というか、上下関係みたいなものがあって、人が人をいじめたり、マウントを取ろうしたりする構図が、さまざまな場所で描かれていることにハッとさせられました。肌の色や、力の強弱、貧富、疑心暗鬼などが、人と人のあいだに境目=分断を作られ、そこに差別や暴力が生まれていくのが恐ろしいと思いました。これは本当に、白人と黒人というだけではなく、古今東西、世界中で見られる構造ですよね。人間の性なのでしょうか……暗澹とした気持ちになります。
また、前書きの、マウマウについて書かれているところ(p8)でイギリスの主張が、「アフリカの人々は子どもと同じで、独立するにはまだ早い」というものだったと紹介されていますが、白人が指導しないといけない、未熟な民族という、根拠のない優越感には既視感がありました。まさに、日本とアジアとの関係にも通じるものだと思って、これも胸にグサッと刺さりました。分断と差別の構造は、本当に世界中で起こっていますし、この構造はいまだになくならないし、乗り越えられていないわけで……。人が人を力ずくで虐げる構造を、強烈なパンチ力で、つぶさに物語の中で見せられた気持ちです。ですが、これは本当に読まなければならない、読まれなければならない本だと思いました。この物語は、中脇初枝さんの『伝言』(講談社、2023)を思い出させますね。
きなこみみ:私は今回選書担当だったのですが、この本を選書したいと思ったのは、植民地というものに最近興味があって。野坂悦子さんが訳された『どんぐり喰い』(エルス・ペルフロム 作、福音館書店、2021)を読んでいろいろ調べたとき、植民地主義というのが、西欧には骨の髄までしみ込んでいるんだなと思ったんですが、そのあともガザのことがずっと頭にあって。第二次世界大戦も植民地思想がその発端ですが、この全世界を構造的にとりまくものの根深さについて、この年になってようやく尻尾ぐらい見えてきたような気がしています。そのときにこの本を読んで、ほんとに小さな部分まで考え尽くして書かれているなと。でも、アフリカについては私もまだまだ知らないことが多すぎて。どちらかというと大人の作品…クッツェーや、チママンダ・ンゴズイ・アディーチェなんかは読んでいるんですけど、子どもの視点からこんな風に植民地のことが書かれている作品を初めて読みました。恐ろしい差別の構造を子どもの目から描いた作品だなと思います。支配する側と、支配される側。二人の少年の視点から書くことで、非対称性や、まなざしの違いがくっきりと鮮やかです。
冒頭、マシューがムゴをブッシュに連れていくエピソードで、ムゴはずっと台所の下働きの自分の仕事のこと、後で怒られるとかいうことがずっと気になっているのに、マシューはそんなことにちっとも気が付かないんです。無自覚なんですね。マシューがピカピカの空気銃を持っている、というのは、その二人の非対称性、二人の裂け目にあるものをくっきり表しています。有無をいわさず抑え込む圧倒的な武力の象徴をマシューは持っているんです。子どもなのに、もう構造的な力に支配されてる。そこにとてもドキドキしました。でも、マシューが一方的に支配する側なのかというと、それも違って、やはりランスという居丈高な少年との間に、上下関係がある。寄宿学校というのは、非常に上下関係が強いところで、マシューもそこでの自分の地位が非常に気になるようです。ランスのような少年をトップにするヒエラルキーがあるんだなという描写もあって、まさに上下関係の「構造」のなかに子どもたちが生きていることがあって、私たちはいつもそこに支配されてしまうのかと思ったりします。
でも、少年たちの心には、それだけでは収まらない様々な感情があって、揺れ動いていく。そこを読むのが物語の醍醐味だなと。二人の心が揺れ動いていく過程をていねいに描いていて、読んでいるあいだ、ずっと心が引き裂かれます。この、心が引き裂かれる感覚を持ち続けられることが、物語の力だなと思います。子どもたちが構造のなかに生きてる。それを感じるのがp182のランスがマシューを見る眼差しですが、もうひとつ、物語のなかでマシューはムゴのことを「ムゴ」と名前で呼ぶんですが、ムゴはマシューを絶対名前で呼ばない。「ぼっちゃん」なんですが、事件が起こって、最後にムゴが居留地にいく車のなかで自分にクッキーを渡そうとしたことを思い出すとき、マシューのことを「あの白人の男の子」と呼び始める。非常に遠い、心を動かされる存在じゃなくなるんです。p213に「その炎に心まで食われてはだめだ」という言葉があるんですが、この言葉がこれからのムゴにどのように育つのか。続きが非常に気になる結末でした。それは自分で考えることなのかもしれないんですが。見事な作品だと思いました。続きをぜひ読みたいです。
花散里:イギリスの植民地だったころのケニアを舞台に、白人の少年マシューと黒人のムゴ、二人の少年の視点から物語が展開されていき、白人から土地を取り戻そうとするマウマウの独立闘争など、ケニアの歴史を知る思いで読みましたが、ムゴの兄はどうしたのか、これで物語は終わってしまうのか、という希望が見いだせないような読後感でした。白人に土地を奪われ、使用人として働いていたムゴの父、「静かな戦士」という意味の名前であるカマウは、兄・ギタウを学校に入れ、ムゴも学校に行かせたいと思っていました。そのカマウがマシューに昔話を語る場面(p61)が印象に残りました。マウマウの時代、ケニアやアフリカの歴史を知っていくうえでも、中高校生に読んでほしい作品だと思います。
マリナーズ:ケニアにこのような戦いがあったことを知りませんでした。戦いというのは、敵と味方の二つだけではなくて、その間にさまざまな立場や思いの人たちがいるのだ、ということも改めて教えてもらった気がします。黒人のムゴが、戦いの構図の全貌や解決の難しさを把握しているのが印象的でした。ただ、白人読者にとって読み心地のよいストーリーになっているようにも思いました。比較的良心的な一家が物語の中心にいて、雇っている黒人たちにも親切にして、あまり恨まれる覚えはないのに、争いに巻き込まれてしまう、という不条理がクローズアップされているように読めました。あと、タイトルが強烈で、子どもの頃だったら、怖いなと思って、手に取らなかったかもしれないなと思いました。
ハリネズミ:白人の側の不条理を感じたということですか?
マリナーズ:この物語は、主人公がムゴ一人でも成立するような気がしたのです。その方が、不条理な状況や怒りが伝わりやすくなったかと思います。でも、それだと、欧米の白人読者にとっては“読み心地の悪い”作品になるので、作者は読まれる工夫として、白人のマシューと黒人のムゴ、二人の視点からの物語にしたのではないか、と。それがいい悪いではなく、伝えたいメッセージを届けるためにはどういう構成にしたらいいのかということを作家は考えるものなのかなと思ったのでした。
ハリネズミ:私は、作者の生い立ちから言っても、白人と黒人の二人を主人公にする必要があったと思っています。白人農場主がすべてランスの父親のような人ではないし、黒人に理解を示すマシューのお父さんのような人もいたのですよね。でも、「いい白人」も社会構造的には抑圧者の側に立っているので、疑念が生じたときには結果としてひどいことに無意識に加担してしまう。それによって個々の子どもの友情などは簡単に引き裂かれてしまいます。この時代のケニアでは、見ようと思えばそうした状況がすぐ目の前にあったわけです。
この作品は、むしろ「いい白人」(それは、過去の作者自身でもあるのでしょうが)に鋭い刃を向けています。「いい白人」も、簡単に抑圧者に変わってしまうのですから。
しじみ71個分:植民地に入植してくる白人の階層というのは、お金持ちじゃない層なのでしょうか? 満州の開拓団を想像してしまいますが……
ハリネズミ:私もそこはよく知りませんが、ケニアが独立して半世紀以上たった今でも、白人が広大な土地を所有していたりしますね。
しじみ71個分:貧しさから抜け出して、一攫千金を狙っていく人もいるのかな、と思ったのですが……。
雪割草:デンマークからケニアに移住し、その経験を書いたアイザック・ディネーセンという作家がいて、その作品はハリウッド映画「愛と哀しみの果てに」で知られていますが、ディネーセンはむしろ貴族で裕福な家庭でした。なので、そういうわけではないかと。
しじみ71個分:日本の満州開拓などの場合は、国策として貧しい農家の次男坊以下に積極的に入植や移民を勧めましたよね。でも、一方で、植民地で銀行やら何やら、ホワイトカラーのお金持ちもいましたよね。そもそも、人の土地を奪って、どうしてそれが正当化できると思うのか、そこがどうしても理解できないです……。
ハリネズミ:その頃は、白人が優秀で黒人は劣っているから、管理してやったり、治めてやったりするのは当然で、いいことだと思っている人も大勢いたと思います。ガボンで医療をおこなったシュヴァイツァーも、アフリカの人たちを子ども扱いしていたと今は批判されています。「暗黒」とか「未開」といわれる場所にも、独自のすばらしい文化があるという理解が広がっていくのは、歴史的にはもっと後のことになります。
しじみ71個分:侵略の背後には、侵略側が被侵略側に対して、文明化の恩恵をもたらすという考え方があると思うのですが、その無自覚な高慢、傲慢は本当に恐ろしいと思います。自分の身に置き換えると、同じようなものが自分の中にも芽があるかもしれないと思うと、こわいです……。マシューも無自覚な高慢を知らないうちに持たされた子どもとして育つわけで、本人の問題ではなくて、むしろマシューは優しい子なので、構造的な問題だからこそ、こわいです。
きなこみみ:イスラエルとパレスチナのことを見ても、結局パレスチナにヨーロッパのつけを押し付けてしまったところがあって。そこにもヨーロッパの差別構造とか意識の違いがあって。自分たちは上の立場だと無意識に思ってるところが、自分たち、日本も含めてすごく根が深いなと思います。その根深さに刺さるような作品で、この作品を見つけて翻訳された徳間書店は、ほんとに目が高いなと思いました。
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(メール参加)ハル:読んでいてほんとうに苦しかったです。怒りも悲しみも湧きました。生まれたときはみんな無垢だったはずなのに、すっかり染まってしまったランスのことを思っても悲しかったし、この先、この子たちが、また大人たちも、「その炎に心まで食われ」ずに生きていけるだろうか思うと、絶望的な気持ちにもなりました。作家がこうして物語に書き起こしてくれたこと、それを日本語で読めること、物語を通して、何も知らなかった私も、日本の子どもたちも、過去に目を向け、想像することとが希望を生んでいくことになるんだと思います。
(2025年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)