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わたしのアメリカンドリーム

『わたしのアメリカンドリーム』表紙
『わたしのアメリカンドリーム』
ケリー・ヤン/著 田中奈津子/訳
講談社
2022.01

きなこみ:貧しい移民の一家が、自分の手でモーテルという居場所をつかむまでの、まさにアメリカンドリームなんですが、これは「多くの人々の力を借りて成功する」という新しい形のアメリカンドリームではないかと思います。アメリカが階級社会であることや、アフリカ系やアジア系の人々へのレイシズムもきちんと描きこまれていながら、それでも他者と少しずつ連帯していく強さがあるんじゃないでしょうか。その連帯の鍵が「言葉」と「手紙」であることがとてもいいと思いました。p87に、「あなたは白人の子たちみたいに、英語はうまくなれないの。だって英語はその子たちの言葉なんだもの」とママが言うシーンがあるんです。この言葉は、私のように英語が苦手な人間にはとっても刺さるんですが、この物語には、ネイティブのようにはなれなくとも、言葉はいつも開かれているんだなということが書かれています。私たちは言葉でできていて、伝え合うことができるという希望が詰め込まれている一冊だと思います。子どもたちへの励ましをとても感じる本でした。

ネズミ:とても面白く読みました。移民、難民という立場の人たちは日本にもいます。留学など、自分の意思で外国に行くのと、移民、難民の大きな違いは、もとの国にやすやすと帰れないことだと思います。そういう立場の人びとの望郷の念と、簡単に片付けられない複雑な感情、一言では言えない苦難などが非常によく伝わってくる作品だと思いました。健康保険に入れない問題は、在留許可が下りていない在日外国人にも通じることです。この作品では、中国人だけでなく、ヒスパニックのルーペ、黒人のハンクさんなど、人種差別を体感しているほかの人たちも出てきます。アメリカのことというよりも、日本にいるさまざまな国から来た外国人のことを想像するために、読まれるといいなと思いました。アメリカ的だと思ったのは、お金のことが細かく書かれているところ。古くはベバリイ・クリアリーの「ヘンリーくん」シリーズ(松岡享子訳 学研プラス)にも、小遣い稼ぎが描かれていましたが、日本の作品では金銭的なことはあまり具体的に書かれないのではないかなと。ハッピーエンドは希望だと思いました。

アンヌ:とても面白い物語で、移民への迫害や黒人差別のことなどが描かれていて、さらに主人公がその状況を手紙で、言葉で、変えていく様子は実に読み応えがあり痛快でした。ただ、言葉を訂正しながら書いていた手紙より後半のきちんと書かれた手紙や作文コンクールの文章がつまらなかったりするのは、どうしてなんだろうと思いました。お金の事とかきちんと書かれているのに、最後の投資話の話があいまいで、契約に弁護士が必要なら、こちらも会計士とかきちんとした書類がいるんじゃないかとか、最後の方は心配してしまいました。

雪割草:移民の人たちの生活の過酷さを描きながらも、モーテルの定住者、移民の友だち、たずねてくる中国人などいろんな人たちが登場し、ユーモアがあって、そこに人のあたたかさも感じられて、楽しく読むことができました。作者は子どもの頃、この主人公と同じようにモーテルの管理人をしている親のもとで育ったと書いてありましたが、作者が体験として知っているから描けるリアルさが、この作品の強みだと感じました。作文コンクールではなく、モーテルをみんなで買うという部分は、本当にあり得るか疑問ではありましたが、エンディングには好感が持てました。

アカシア:おもしろく読みました。ミアが魅力的な少女として描かれているので、ひきこまれて一気に読めました。中国系の人たちばかりでなく、ほかの人たちに対する差別も、ミアの体験を通して描かれているのがいいですね。前半で、高利貸しにお金を借りて返せなくなる人、車を盗まれたと言って保険金をだましとる人、契約を途中で勝手に変更する人、決めつける教師など、さまざまな困った人が出てくるので、最後でトントン拍子に何もかもがうまくいくのは、ちょっと出来すぎ感がありました。みんなからお金を集めて買っても、その後もいろいろ大変だろうな、と思ったりして。家族を大事にしているところは、中国人らしいですね。

ニャニャンガ:女の子が困難を乗り越える物語が好きということもあり、本作も好みでした。1993年当時の中国からアメリカに渡った移民の様子がよく分かるとともに、日々の暮らしに苦労する姿が切なかったです。中国に残った親戚が裕福になったのに、金銭面で助けてくれなかったのは冷たいと思いました。ミアはとても頭のいい子で、アイディアを考え、すぐ実行に移すのは作者自身と同じだったのだろうと想像しました。黒人のハンクがひどい人種差別を受けているのは、本当に腹立たしかったです。
中国人らしさが表現されていると感じるエピソードとして、ブランドのお店の袋を喜んで拾うお母さん(p.157)、レストランで、だれが払うかで取っ組み合いのけんかになる(p.166)、「自分が食べる米の量を忘れるな」(p.228)がありました。みんなに投資してもらうことで解決する方法について、配当金はどうやって支払うのか、計算方法や契約の内容について触れていないのが気になり少し残念でした。

花散里:とても関心を持って読みました。中国からの移民の問題、ミアがモーテルのフロントで体験すること、経済感覚に長けているとか、日本の児童文学では描かれないようなことが作品に盛り込まれていると感じました。表紙画は、表裏、広げてみたときに物語の内容が描かれているようでとても良いと思いました。モーテルの所有者、ヤオさんに対して不満は満載なのに、管理人として働かざるを得ない両親。お金がないのに、そんな中でも父親たちは中国の人を匿ったりするところ、モーテルに集う登場人物たちが心に残りました。作者の実体験を基に描かれた「アメリカンドリーム」、日本の子どもたちに手渡して行きたい作品だと思いました。

オカピ:算数が得意だと思われがちだという、中国系の人へのステレオタイプな見方、黒人に対する差別、医療保険の問題など、いろんな要素が盛りこまれていて、面白く読みました。お金がないときにクーポン券で支払うなど、ところどころにユーモアがあるのも良かったです。ミアは作文コンテストで優勝できると本気で思っていて、そこはちょっとついていけず……。モーテルの住人の中で、ビリー・ボブさんがどういう人物なのかいまひとつわからなかったです。また、いとこのシェンが女の子だと思って読んでいたら、p137あたりで男の子だと分かったりして、もう少し早く人物像を知りたかったな、と思いました。アメリカの本だなあと思ったのは、「あんなふうに撃墜されちゃ、そのあとにやさしくしようなんて無理でしょ。核武装するだけだ」(p101)という表現です。「核武装」という言葉に引っかかってしまいました。ここは、例えている箇所で、言葉は変えられると思うので、そうしたほうが良かったのではないかと。

サークルK:子どもに分かりやすく、けれどリアルな移民の暮らしと差別が描かれているところが良かったです。ホテルではなくモーテルが舞台。日本の子どもたちはモーテルにはあまりなじみがないと思います(民宿とも違うし、最近は修学旅行でもきれいなホテルが好まれると聞いたことがあります)。いろいろな状況の人が滞在している雑駁感がこのお話の雰囲気に合っていました。
モーテルの主、ヤオさんは徹底的に悪人として描かれていましたが、中国系の成功した移民の仲間の頂点(少なくともこの物語の中では権力者なので)に立つ裏には、おそらく白人社会で大変な差別と屈辱を味わってきてここまでになったはずなので、その哀しみや弱さ、屈折についても考えさせられました。
最近の日本では、弱者が必ずしも弱者に寄り添わずに、自分よりもさらに弱い立場の人をいじめたり、叩いたりすることが問題となっています。ヤオさんが、自分がされたことを同胞に仕返ししているのではないだろうか、と気になり、なお一層ミアたちの仲間を応援する気持ちで読みました。

ハル:実はまだ100ページくらいしか読めていないのですが、とても面白く読んでいます。ユーモアもあって、ああ、こういうふうに書いてくれたら(訳してくれたら)、日本の子たちも、物語を楽しみながら、移民や人種問題についてより親身に感じることができるんだろうなぁと思いました。大きな夢を抱いてアメリカに渡ったこの一家から労働力を搾取するのが、同胞の移民だという設定も上手だなと思います。これが、アメリカ人から搾取されるのだったら、読み手のしんどさがまた違っていたように思います。(後日談:読了しました。思っていたよりも過酷でした。作文コンクールの結果について、本人はいいとして、大人たちの反応はちょっと贔屓目がすぎましたかね。でも、面白かったです)

オマリー: 今日みんなで読む2冊はどちらも、前から気になっていたけれど読んでなかった本で、今回読む機会をいただけて良かったなと思います。この本は、素晴らしいですね。中国からの移民であるミアがモーテル経営の手伝いで頑張る姿の中に、さまざまな問題を織り込んでいます。人種問題にしても、アジア系だけではなく黒人、メキシコなど複数の視点がありますし、経済的な問題についても、どうして貧困が起きるのかという構造的なところから提示しています。難しく説明せずに、子どもにも分かりやすいように腐心しているところもいいですね。主人公のミアが、10歳にしてこれだけ活発にアイディアを生み出し、経営に加わっているのが、普通ならリアリティがないと言いたくなるところですが、著者のプロフィールに、同じことが書いてあって、さらに13歳で大学に入学したと記されているので、自分の体験をもとにしているんだろうなぁ、と。この著者自身の生い立ちも気になるところです。続編が原書では5巻まで出ているようで、ぜひ読みたいなと思いましたが、今のところ続巻が出る予定はないみたいで、残念です。で、それを調べているときに気づきましたが、この原書は8歳から12歳をターゲットにしているようですね。日本の感覚だと、この分厚さならYAだから、びっくりしました。

コアラ:面白く読みました。カバーの絵が、真っ青なカリフォルニアの空の下、プールサイドで日光浴をして大きなハンバーガーがあって、と、私がイメージするアメリカンドリームそのもの。ですが、主人公が中国からの移民ということで、自由に対する考え方や思いは、日本人の私とは違う特別なものがあると感じました。p221には、文化大革命のことと両親の思いが書いてありますが、日本と異なる、中国系移民ならではのものが感じられて、興味深かったです。同じ中国系なのに、ヤオさんからひどい扱いを受けますが、日本では同胞からひどい扱いを受けるような書き方はあまりしないのではないでしょうか。これも、中国系ならではなのかなと思いました。もちろん日本と共通する、みんなが憧れるアメリカンドリームというものも描かれていて、それは、実力で勝ち取らないといけないものでもあります。ミアが手紙を書くことを重ねることで英語力をアップしていって、モーテルの作文コンテストでは落選したけれども、ヤオさんからモーテルを購入するための賛同者を集めることができたし、努力して実力をつけていく姿が良かったです。ミアがいろんな、言わばウソの手紙を書いていったように、圧倒的な不公平の前では、正攻法だけでは解決できない、というのも、アメリカの実情を表しているように思いました。仲間をつくって人脈を広げることも大切だし、ヤオさんが都合よくモーテルを売りに出したように、運も必要ですよね。まさにアメリカンドリームを描いた、清々しい本でした。ただ、アメリカでの成功を夢見る、というのは、今の日本では、あまり時代の流れではないかもしれません。だからこそ、違う世界がある、というのを子どもが感じてくれればいいなと思いました。

しじみ71個分:とても前向きな、明るい物語で、楽しく読みました。生活のために家族でモーテル経営をしますが、モーテルの人間模様や学校生活など、日常を描く中で、アメリカに根強くある黒人の人たちに対する人種差別や、移民の貧困の問題、それだけでなく中国の発言や思想の自由のなさなど、社会問題に自然に、主人公ミアの関心が向いて、気づくようになっていくという、物語のつくりがとてもうまいなと思いました。また、ミアが困難にぶち当たって、その解決法を考えて実践する姿を読者に見せてくれるので、そういった点からも、子どもたちに読んでもらいたい本だと思いました。生き生きとしたミアは人物としてとても魅力があるのですが、著者紹介を読むと、作者自身が天才少女で、飛び級で有名大学に行くような人なので、著者の姿や実体験が多少投影されているのかもしれませんが、ちょっと諸々うまく行き過ぎな点もあるような気がします。しかし、モーテルの住人や友だちなど、まわりの人を家族のように大事にして、気持ちを通わせ、連帯していき、問題を解決するという話の流れには希望を感じましたし、大事なことだと思いました。
一つだけ、意地悪なモーテルのオーナー、ヤオさんが、英会話がうまくないのを、割とステレオタイプな「日本語が下手な中国人」のように翻訳して表現されていた点が少し気になりました。どう日本語にするかは確かに難しいだろうなと思うのですが、ちょっと引っかかりました。

(2023年5月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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この海を越えれば、わたしは

『この海を越えれば、わたしは』表紙
『この海を越えれば、わたしは』
ローレン・ウォーク/作 中井はるの・中井川玲子/訳
さ・え・ら書房
2019.11

ルパン:これもおもしろかったです。ハンセン病ということで、『あん』(ドリアン助川著 ポプラ社)を思い出しました。世界中で、ハンセン病患者はこういう扱いを受けていたんだなあ、と……。ところで、ミス・マギーはいったい何歳くらいなのでしょう。とてもいい人で、苦労をしてきたことはわかるのですが、年齢とか風貌とかがいっさいわからない。はじめはすごく年とった人をイメージしていたんですけど、それにしては元気がいいなあ、とか、オッシュのこと好きなのかなあ、とか。そもそもオッシュもどんな年齢・外見なのかわからなくてイメージできないし。あと、泥棒のミスター・ケンドルも、いったいどうしてペキニーズ島に宝があるとわかったのか、とか。ほかにもいくつか「あれ、これはどうなってるんだろう?」と思うところがちょこちょこあり、そういうストレスをところどころで感じながらも、とりあえずストーリーのおもしろさで最後まで一気に読んじゃいました。

しじみ71個分:最初、表紙の絵とタイトルを見て、難民を取り扱った作品かと思ってしまいました。タイトルが、海を越えた先に何かが展開するというような印象を与えてしまうような気がします。内容は、アイデンティティの問題だったので、「海を越える」んではないんじゃないかと思い、ちょっと違和感がありました。同じ著者の『その年、わたしは噓をおぼえた』(さ・え・ら書房)より、ずーーーーっとおもしろかったですし、内容もハンセン病とそれに対する差別という非常に重くて、大事なテーマを扱っている点は非常に挑戦的で評価できると思います。また、クロウ、オッシュ、マギーといった人物もそれぞれ大変魅力的で本当におもしろいんですが、なんだか、どうしてかわからないのですが、ローレン・ウォークの何かが好きじゃなくてモヤモヤしています……。何なのかもう少し考えたいです。登場人物の人柄もとてもよく描かれていますし、後半は特に冒険譚としてドキドキしながら読めるんですが、ハンセン病そのものについてはあまり深い掘り下げがなく、材料にしてしまったという印象がぬぐえないのと、ミスター・ケンドルが悪者としてとても小さくて、ちゃちい感じがしてしまいました。木から落っこちて終わりだなんて……。宝も最後はみんな配ってしまうというオチですが、たとえば、ケンドルに追い詰められたクロウが財宝を使って窮地を逃れ、ケンドルは財宝もろとも海に落ち、海の藻屑となるくらいの、ちょっと壮大なイメージの、もう少し、人の悪そうな終わり方でもよかったなあという印象です。ですが、クロウが自らの出自を知ってアイデンティティの揺らぎを乗り越え、島での3人の生活がもどり、オッシュとマギーの間のつつましやかな愛情や、クロウの成長が希望を感じさせてくれる結末になっていて、読み終わってさわやかな気持ちが残り、ホッと安心できました。

ANNE:テーマがハンセン病ということで、私もドリアン助川さんの『あん』を思い出しました。隔離されている人々の心の切なさがひしひしと感じられる反面、キャプテンクックの宝探しという冒険譚の一面もあり、いろいろな読み方ができる作品だと思いました。主人公の女の子の頬にあるという「羽」がうまくイメージできませんでした。

まめじか:ルビーの指輪とともに小舟で流された赤ん坊。その子が12歳になって、対岸の無人島で燃える火を見る場面は、色鮮やかで強いイメージを残します。海賊の宝をめぐる冒険物語と、偏見や差別のテーマがうまくからみあっていますね。ペニキース島は、さまざまな国からアメリカに来た、ハンセン病患者が送られた場所です。クロウの肌は浅黒く、またペニキース島から来たのではないかと、カティハンク島の住人からは疑われ、避けられています。それまでペニキース島に近寄ろうとしなかった人々が、宝があるかもしれないといううわさを聞いたとたん、島に行って宝を探すというのはリアリティがありました。人間の欲や身勝手さがあらわれていますね。「わたしがこの島のくらし以外のことに目をむけると、オッシュは月そのものになってしまい、必死にわたしを引き戻そうとする。まるで、わたしの体が血ではなく海でできているかのように」(p11)、「ヴァインヤード海峡とバザーズ湾が出会い、大あばれで危険なダンスをする場所」(p47)、「雨と海が自分だけのおしゃべりをするのを聞いていた」(p269)など、文章が詩的です。

マリオカート: 序盤は、主人公の名前もいっしょに住んでいる人の素性も、いろいろ曖昧でわかりづらかったけれど、p100を超すあたりから引き込まれて、最後までおもしろく読むことができました。ペニキース島が実在して、史実をベースに書かれていることもあり、物語に重みがあります。ハンセン病の物語ということで、皆さんと同様、ドリアン助川さんの『あん』を思い出しながら読みました。ただ、物語を盛り上げるための謎が解決されないまま終わってしまい、1つならともかく2つ疑問が残ったので納得いかない気持ちです。1つめは「お兄さんはどこにいるのか」。たまたま船で手を振り合った人が兄だった、というのも安直なので、別人とわかったのは悪くないと思います。ただ、もう1つの「ミスター・ケンドルが、なぜここまで執着して逃げずに何度も現れたのか」が明らかにならないまま終わったのは不満です。さっさと姿を消せば、逃げ切れる可能性はあったのに、どうしてここまでしつこくしたのでしょう。わたしは、途中から、もしかしてこの人こそが探していた兄だったのではないか、恵まれない幼少期の生活のためにこうなってしまって、でも妹と会えたことでこれから改心していくのではないか、とまで妄想してしまいました(笑)

エーデルワイス:若い時、北條民雄の『いのちの初夜』を読んで感銘を受けたことを思い出しました。それはハンセン病を患った本人が書いた大人の小説でしたので、今回ハンセン病を扱った児童書は初めて読みました。物語をおもしろくするためにいろいろエピソードを盛り込んでいて、風景も美しく、ロマンチックな印象です。映画になりそう。主人公のクロウは、今が幸せでも自分のルーツをどうしても知りたいと願う、その切実さがよく伝わってきました。

ハル:謎に導かれて最後まで読みましたけど、途中からどうも、特にセリフの硬さが気になって、つっかかってしまいました。なんだか文字から想像する映像に人物がうまくはまらないというか、字幕みたいな話し方だなぁと思って。日本語の問題かなとも思いましたが、もしかしたら、先ほどご意見があったように、登場人物の様子が細かく描かれていない、という点も関係があるのかもしれません。オッシュも、最初は高齢の男性を想像していましたけど、どうもマギーはオッシュのことが好きなようだし、まだ恋愛するくらいの若い……って、今のは失言! 別に高齢だから恋愛しないわけじゃないし、いくつだろうと関係ないですよね。すみません。話題を変えます。宗教観の違いなのか、お母さんが残してくれた宝を、手放さずに貧しい人にほどこさないことが愚かだ、という考え方に「世界名作劇場」っぽさを感じました。お母さんが残してくれたものをお金に換えて、自分のことに使ったっていいじゃないかと思うのですが。でも、そういったお説教くささというか、重たさもふくめて、読み応えのあるお話ではあったので、もうちょっと、読みやすかったらなあと思いました。

雪割草:内容はおもしろかったけれど、言葉やプロットなど、生意気ながら意見したくなるところがあって、以前図書館で借りたのだけれど、読み進められず返してしまいました。でも今回読み終えて、オッシュのクロウへの愛情やふたりの絆があたたかく描かれているところがよかったです。この作品では、名前が大きな役割を果たしていて、例えばp374には、オッシュは「お父さん」、クロウは「娘」という意味だと言っています。そして、クロウがお母さんからもらったものの一つが「かがやく海」という意味のモーガンという名前で、自分が何者かというアイデンティティにも関係しています。なので、この作品の原題に「かがやく海」という言葉が入っているのを、意味も含めて残した方がよかったようには、思いました。同じくp374の、「おまえのすることが、おまえになる」という日本語も、日本語だけで読むとよくわかりませんでした。私自身も恥ずかしながら、大学に入って、母校の先輩でもある神谷美恵子の展示をすることになってはじめて、ハンセン病のことを知りました。特に若い世代は知らない人も多いので、編集部からのコメントで少し触れていますが、日本でのハンセン病政策について、これを機に読者にも知ってもらえるよう、もう少し情報を含めてほしかったです。

アンヌ:表紙を見て想像していたものよりファンタジーっぽいお話でした。この宝物は母親の形見で、ドイツのユダヤ人迫害の時のように、実はハンセン氏病の患者のものを取り上げたのではないかと最初は思っていたのですが、違うようですね。宝探しとそれを狙う悪者との戦いというのは実に典型的な冒険ものですが、奇妙に心躍らないのはなぜかと思いながら読み終わりました。深い言葉をぼそりという東洋の仙人じみたオッシュとの奇妙につながらない会話とか、お兄さんのような船員さんとの会話とか、泥棒の正体とか、判然としないものがいろいろあったせいかもしれません。

アカシア:私はおもしろく読みました。p20に「オッシュと、オッシュの前にわたしにさわっただれかをのぞけばだけど、わたしにさわったこともある手はミス・マギーの手だけだった。わたしは、わたしにさわった手をいつも数えていた」という文章があるのですが、ここからクロウが避けられていることが実感として伝わってきました。ただ、クロウ自身も、島の全員が自分を避けているわけじゃない、と考え直す場面もあります。p292「たぶん、一人ずつ別々に、考えるべきなんだろうね」なんていうところです。で、なぜクロウは避けれているのか? どこから来たのか? ペニキース島で何があったのか? クロウの頬の羽のような形のあざはどういう意味を持っているのか、野生保護員は本物なのか、文字が消えかかった手紙は何を語っているのか、など謎がたくさん用意されていて、それを解いていく楽しみもありました。さっき、泥棒がドジなだけで終わっていいのか、という声がありましたが、もともと小者の泥棒なのだと思って読みました。テーマはハンセン病とか、アイデンティティとかいろいろ出ましたが、私は何よりオッシュとクロウとミス・マギーという、背負っている背景がまったく違う血のつながらない3人がひとつの家族になっていくという物語として読みました。そうすると、無駄な部分はなくて、どの箇所も必要なのだと思えました。翻訳で気になったのは、「ビスケット」という言葉がたくさん出てくるのですが、これはアメリカの話なのでスコーンとか丸パンくらいに訳していいんじゃないかな。p107の「眠ったりしたことがない」は、誰かの腕に抱かれて眠ったりしたことがない、という意味なのでしょうから、もう少しつながるように訳したほうがいいかも。p188の帆船のルビなど、誤植がいくつかありました。それから、さっきオッシュとミス・マギーの年齢が書かれていないという声がありましたが、書いてしまうと、じゃあ、この二人は付き合ってもいいよね、とか、あるいはもう恋愛なんかする年齢じゃないだろうと読者が思うかもしれないので、あえて書いてないのかもしれません。

西山:急ぎ読む必要のある本があったせいで、途中で一旦何日か読まない時間をはさんでしまったのですが、そのせいかもしれませんが、表紙とタイトルと最初の部分で得た印象と、続きを一気読みした読後の印象が乖離しています。一気に読み終えて感じたのは妙ななつかしさ。なんだろうこの感じ、と思ったら、たぶん小学生のときにあれこれ読んだ宝探し冒険物語のノリなんですね。ハラハラ・ドキドキ・ヒヤヒヤ。不完全な手紙、宝探し、宝の発見、悪漢の登場、追跡、危機一髪、危機からの解放……。表紙の雰囲気とタイトルはずいぶん違いますけど、そのイメージが残りました。ただ、お兄さんが見つかっていたら、完全にエンタメで終わっていたのですが、彼の行方が知れないのは、過去を断ちたいという彼の意志があったからではないかと考えると、ハンセン病患者への政策と差別のことを思い出させられて、そうだ、ただのドキドキ冒険小説ではなかったのだと我に返った感じでした。あと、島の荒々しくも素朴な暮らしぶりがおもしろかったです。野趣溢れるけれど、あれこれおいしそうでした。

シア:メモしながら読んでいたのですが、それが途中から先が気になってもどかしくなってくるくらい読ませる作品でした。訳文のせいなのかはわかりませんが、淡々とした文章がとても心地良かったです。p36の「十一月のような声だった」、p220の「そよ風が、軽くおじぎするように、吹きぬけていった」など、比喩表現がたくさん出てきますが、そのどれもが美しいものでした。今回に限らず、海外作品は日本の児童書と比べて全体的に大人っぽいものが多い気がしますが、p25「あるものを食べ、ないもののことは考えなかった」や、p46「『人が何かをどうしてするのか? そんなことより、自分自身のことに注意をはらったほうがいい。人のことは人のこと』」のように、時に真理だったり、心に重々しく響くことを書いてくれると感じます。主人公のクロウも、p138「でも、わたしの勘は違うと言っていた。そして、わたしはそれを信じることに決めた」と、非常に意志が強く、12歳にしては大人顔負けの貫禄です。話の内容は『あん』もですが、なんとなく『ハイジ』(ヨハンナ・シュピリ著 岩波書店)みたいだなあと思いながら読んでいました。オッシュが、クロウが離れていくことに怯えるところはおじいさんのようですし、ミス・マギーはロッテンマイヤーのような人かと思っていました。でも、物語後半にはミス・マギーの乙女チックなところが見え隠れしたり、二人がクロウを慈しんで育てていることが表れていて、とても心温まるお話でした。オッシュの過去の話が出てこなかったところも謎めいていて良かったと思います。自分のルーツを知らない人がそのことを気に病む物語はよくありますし、いろいろ見聞きしてきました。私はなんらかの事情で子どもを手放した本当の両親よりも、育ててくれた人の方がよっぽど大変だし、大切なのではないかと思っています。たいていの場合は物語もそこに帰結します。でも、p65の「『後ろを見はじめると、自分の行く先を見のがすかもしれない』自分がどこでいつだれから生まれたのか、正確に知っている人だから言えること」というクロウの一言で、オッシュの言うことはもちろん、クロウの思うことのどちらも腑に落ちました。自分の生まれが不確かな場合、その足元は私が思うよりも不安定なんですね。その苦しみは当事者じゃないと理解できません。ハンセン病になった人もそうですが、無理解が人をバラバラにすると思いました。コロナ禍という、今の世の中でも情報が錯綜したり、未だに論争が続いていたりします。そうやって伝播していく人の恐怖心が伝染病よりも恐ろしいと感じました。と、真面目なことを考えながらも、やっぱり私は島の自然に圧倒されました。満天の星空や、動物たちが自由に歩いている町中など、都会育ちの私にとっては全てが新鮮かつ非日常で楽しかったです。ただ、雨水タンクからの水を清潔と表現したり、服を乾かしただけなのに綺麗だとか、果てはノミがついているかもしれない猫と寝ているというのは……。今回のテーマの違和感をこういうところに抱えてしまいましたが、まさにこれが大自然の中での生活なんですよね。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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わたしは反対〜社会をかえたアメリカ最高裁判事RBG(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)

『わたしは反対!』表紙
『わたしは反対〜社会をかえたアメリカ最高裁判事RBG(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)』
デビー・リヴィ/文 エリザベス・バドリー/絵 さくまゆみこ/訳
子どもの未来社
2022.11

アメリカの絵本。かなり強いタイトルですが、長いものに巻かれたり、上の方々の言いなりになるのではなく、考えが違う場合は、はっきりそう言いましょう、という思いでつけています。

幼いころ、「犬とユダヤ人はおことわり」という立て札を見て、そのときの嫌な気持ちを忘れずにいました。そして、時代遅れの考え方や、不公平や、不平等や、弱者が虐げられたのを見ると、反対したり、意義を唱えたりしました。それは、最高裁の判事になっても変わりませんでした。

「ルース・ベイダー・ギンズバーグをもっと知るために」という後書きには、その生涯がもう少し詳しく書かれています。また編集の方で用意してくださった「RGBの生きた時代とアメリカの女性に関する主なできごと」という年表もついています。

原書には書き文字がついていて、それが日本語でうまく表現できるかどうか心配だったのですが、デザインの方がうまく処理してくださいました。

(編集:二宮直子さん デザイン:藤本孝明さん、藤本有香さん)

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わたしとあなたのものがたり

『わたしとあなたのものがたり』表紙
『わたしとあなたのものがたり』
アドリア・シオドア/文 エリン・K・ロビンソン/絵 さくまゆみこ/訳
光村教育図書
2022.06

アメリカの絵本。「クラスには、茶色いはだの子どもは、ひとりしかいなかった。それが、わたし」という文章で、この絵本は始まります。「学校で、奴隷制について勉強した時、みんなが、わたしをじっと見ているような気がしたものよ。奴隷たちが大農園で綿つみをさせられたことや、ほったて小屋にすんでいたことや、子どもたちが、ばらばらに売られていったことを先生がはなすと、わたしは消えてしまいたいとおもったわね」

アメリカの学校には、アフリカ系アメリカ人の歴史をふりかえるBlack History Monthが設けられています。アフリカから奴隷が連れて来られてプランテーションなどで強制労働をさせられ、奴隷解放宣言が出てからも差別され、公民権運動が起こり、少しずつ権利を獲得していった歴史を学ぶのです。過去の歴史を学ぶことによって未来をもっとよくしようという意味がそこにはあるのでしょう。でも、そんなとき、肩身の狭い思いをしていた子どもがいることには、私はこの絵本に出会うまでは気づいていませんでした。語り手の「わたし」は、白人の男の子に「リンカーン大統領がいなかったら、おまえはまだ、おれたちの奴隷だったんだぞ!」なんていく言葉を投げかけられたりもしています。

そんな「わたし」が、やはりクラスでたった一人の茶色い肌の娘に向かって、「あなたには、すがたをかくしたり、消えてしまいたいとおもったりしないでほしいの」「どうどうと立って、空高くはばたいていってほしいの。・・・だって、だいじなのは、ほかの人にどう見えるか、じゃなくて、鏡にうつった自分に『なにが見える?』って といかけてみることだから」と語りかけています。

(編集:相馬徹さん 装丁:森枝雄司さん)

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マララのまほうのえんぴつ

『マララのまほうのえんぴつ』表紙
『マララのまほうのえんぴつ』
マララ・ユスフザイ/作 キャラスクエット/絵  木坂涼/訳
ポプラ社
2017

『マララのまほうのえんぴつ』(NF絵本)をおすすめします。

誰かが声を上げないと、と感じたとき、パキスタンの少女マララは、「まって……、だれかじゃなくて、わたし?」と、ネットでの発信を始める。その後銃撃されて瀕死の重傷を負ったマララは、回復するとさらに歩みを進める。そして、小さいころ夢見ていた魔法の鉛筆は、自分の言葉と行動のなかにあるのだと確信する。ノーベル平和賞を受けたマララの本はたくさん出ているが、この絵本は彼女が自分の言葉で文章をつづっている。流れもスムーズでわかりやすい。

原作:アメリカ/6歳から/マララ、魔法、言葉、学ぶ権利

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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オオカミが来た朝

『オオカミが来た朝』表紙
『オオカミが来た朝』
ジュディス・クラーク/著 ふなとよし子/訳
福音館書店
2019.09

カピバラ:オーストラリアを舞台にした物語を久しぶりに読んだ気がします。時代が少しずつ新しくなっていく構成がおもしろかった。最初は、1編が短すぎて、もっとその主人公のことが知りたいのにすぐに次の話へ移ってしまうのが物足りないように思いましたが、しだいにこの本の全体に共通するテーマが現れてきました。貧困、老人、ディスレクシア、障害のある人、難民、移民といった人々を登場させ、そういう人たちにくもりのない目で接していく子どもたちが、人間とは単なる見た目とちがう面をもっているということや、大人の価値観の裏にちがう真実がかくされているということを、ふとした瞬間に気づく。そういうところをとてもうまく描いています。その子どもたちが大人になったときにきっと良い効果をもたらすだろうことを予感させるので、つらい場面も多いけれど希望をもって読めるというところが良かったです。そして大人になってから再登場する人物もいるのでおもしろかったです。

さくま:私もとてもおもしろく読みました。4代の家族の物語ですが、児童労働、難読症や貧困や有色人種への差別、他者への無関心などかなりシリアスな問題が入ってきています。でも語り口がユーモラスで、短い文章の中で、その人その人が浮かびあがるような描写をしてます。たとえばp21ですが、ケニーとダンは父親が亡くなった次の日、母親につらい思いをさせたくないと、そっと物干し紐から父親の衣類をはずします。ちょっとしたエピソードですが、家族を思いやる心情をうまく表現しています。エピソードのつながりも随所でうまく使われています。ケニーは入れ歯なので弟にからかわれたりするというエピソードが最初の章に出てきますが、世代が変わっての章にも、ケニーはそれがゆえに弟にも会わないというところが出てきたりします。またクライティとフランシスはケンカすると頭を冷やすために外を別々に走ってくるというのが第2章に出てきますが、5章では大人になった二人が、別の国に住んでいるにもかかわらず同じことをする。そんなつながりがいっぱいあるので、前のエピソードを思い出しながら読めて深みが増すように感じました。最初の物語に登場するケニーが、最後の物語では曾孫の前に少年の姿であらわれて励ましてくれるのもいいですね。翻訳もじょうずだと思いました。

花散里:『オオカミが来た朝』というタイトルが印象的で読んでみたい作品だと感じました。6つの話がひとつひとつちがうようでいて、つながっていくという構成がおもしろいと思いました。「オオカミが来た朝」のケニーが仕事を探そうと古自転車で荒れ地を行く場面にハラハラし、次の「メイおばさん」ではケニーの2人の娘、クライティとフランシスがおばさんに振り回され、「字の読めない少女」ボニーの話と続き、世代を越えて物語が進んでいき、後半では一層、引き込まれるように興味深く読みました。

サークルK:本の最初にあるファミリーツリーの人物像をたどりながら読み進めることができました。生没年などもはっきり書いてあることで、物語に登場しない人たちも多数いましたが、その不在がかえって、登場人物の人生を下支えするようにも思えました。姉妹の喧嘩の描写も親密だからこそ傷つけてしまう関係であることが分かりましたし、ケニーの父親が亡くなってその洗濯物を母から見えなくするという思いやりも、後半のストーリーに生かされていて、書き手のうまさを感じました。エピソードとしては、列車から投げられた赤ちゃんの個所は、ほんの2~3行でありながらあまりにも残酷で、何度も読み返してしまうほどでした。

さららん:ひとりひとりの人物像がとても印象的です。なかでも字の読めないボニーの存在が心に残りました。すごく意地悪な部分と優しさの混然一体としたところに実在感があり、予定調和的でない結末が気に入りました。この本のどの話もナラティブが自然で、作為を感じさせません。章末にある注のつけ方もいい。「思い出のディルクシャ」では、物語の最初に登場したケニーが、脇役の大人として再登場し、バラバラに見えた話を静かにつなげています。父親の洗濯物を隠すケニーたち、赤い服を着た妹のことを親には話さないカンティをはじめ、悲しみを抱える大人をさらに傷つけないよう、心を配る子どもたちの繊細さを見て、大人と子どもは、互いに守り、守られながら生きているんだと思いました。p156で、カンティは憎むべき兵士のことを思い出し、あの若い兵士は洗脳されていて、でも洗脳されたらだれでも暴徒になるんだと、考える。善人と悪人、敵と味方を単純に分けないこういう考え方、想像力こそ、今の時代に必要なのだと思います。

木の葉:よくも悪くも自己主張の強くない本だなと思いました。読んだのはそれほど前ではないのですが、強く印象に残っているものがないのです。たまたま英語圏の翻訳ものを続けて読んだせいもあるかもしれませんが。かなり深刻なテーマもあり、優れた短編連作なのだとは思います。文学的な香りもします。が、もともと長編が好きなので、ここに書いてない部分の物語を読みたかったな、と思いました。そんななか、字を読めないボニーという少女のことは立ち上がってくるようで記憶に残りました。この中では、「メイおばさん」の話が好きです。

ルパン:いちばん強烈に残ったシーンは、インド人の家族の女の子が列車の窓から投げ捨てられるところです。映像が浮かんでしまって、ほかの場面がかすんでしまうほどショックでした。このできごとを引きずって生きなければならない遺族の悲しみ、さらに、知的で豊かな生活を取り上げられ、貧しく差別される人生、それでも故国に帰るよりまし、という悲惨な人々が今もたくさんいるのだろうと思いました。最後の「チョコレート・アイシング」の章では、毎晩激しいケンカをしている両親が心配ですが、ふたりを案じている息子のジェイムズが、ひいおじいちゃんのまぼろしを見ますよね。その光景がとても感動的でした。自転車に乗って仕事を探しに行く、少年だった曽祖父の姿を見て、自分もがんばろうと思うんですが、きっとケニーの物語が代々語り継がれていたからですよね。親の話、祖父の話、曽祖父の話を子どもに伝える親がいるから伝わっていく。日本では、戦後まだ75年しか経っていないのに、語り継ぐということがほとんどできていなくて、みんなすっかり遠い昔の話だと思っている気がします。私自身、父から戦争の話を聞いているのに、そういうことをほとんど子どもには伝えてきませんでした。自戒をこめて、伝えることの大切さを訴えていかなければならない、と思いました。

まめじか:カンティがおかれた状況は、いまの難民の人たちにも通じますね。弟がうそをついたと決めつける先生に反発しながらも、カンティがなにも言えない場面では、子どもの自尊心がよく描かれています。また列車の窓から妹を放り投げた兵士を思い出したカンティは、戦争になると、ふつうの人も洗脳されてひどいことをするようになると気づき、また迫害は憎しみや軽蔑からはじまるのだからと、意地悪な隣人も見下すまいと思います。世界に対する子どもの洞察や、憎しみに心を奪われない善性は、時代を経ても変わらないのだと、どの章でも感じました。ジェイムズは、海に入った母親がもどってきたときに大きな喜びをおぼえ、自転車に乗ってやってくるケニーの姿を月の中に見て励まされます。ボニーをかばったフランシスは、だからといってボニーが感謝することはなく、おびえた姿を見られたために、よりいっそう自分を憎むと悟ります。フランシスとケイティは、認知症のおばさんが想像の世界で幸せそうなのを見て、頭が混乱するのもそう悪くないと考えます。子どもたちの日常はそれぞれ厳しく、甘ったるい、ただのいい話でない中で生の断片を切り取っているのが、クラウス・コルドンの『人食い』(松沢あさか/訳 さ・え・ら書房)を思わせますね。障がいのあるデフィーに、ディスレクシアのボニーが読み方を教える場面なんかも。

ハル:この表紙と、「前書き」なのか「献辞」なのか、わかるようでわからない冒頭の1ページの感じや、何世代もの謎の家系図から、どうも最初は入り込めなくて。1話目のオオカミが登場するあたりまでは全然頭に入ってこなくて、これは困ったなと思っていました。でも、そこから一気にぐっと引き込まれましたので、読まず嫌いしなくてよかった! と思いました。この本が書店の目につくところに並んでいたとして、私のような人もいるだろうと思うと、もったいないなぁと思います。そして、のめり込んで読んでからは、家系図がいいなと思いました。大人に振り回されて犠牲になるのはいつも子どもたち。戦争もそうですし、家庭内の争いごともそう。「字の読めない少女」のボニー・ケニーも、とばっちりで前歯が欠ける大けがをしたジェニーも、子どもたちをとりまく環境は、ほんとうに理不尽です。そこから立ち上がる子どものたくましさ、生きる力を感じました。「想い出のディルクシャ」に登場する妹のようなことは、少なくとも当時、実際にこういうことがあっても不思議ではなかったということですよね。3歳の少女を目の前にして、こんな残虐なことができるとは、信じたくない気持ちです。

マリンゴ: 一家の家系図が冒頭にあるのだけれど、それでも章ごとに主人公が変わり年代が変わるので、少しつかみにくかったです。逆に、家系図があるがゆえに、登場人物がどこにいるか毎回探してしまったり、この人が今回取り上げられる意図は? とチェックしすぎてしまったかもしれません。普通に短編集だと思わせておいて実はつながっていると、気づく形でもよかったのではないかなぁ、と。これは読書が大好きな子ども向けの本で、読み慣れていない子が手に取ると、難しく感じる可能性もあると思いました。なお、最近読んだ『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン/著 岸本佐知子/訳 講談社)も、断片的でひりひりしたエピソードが続き、最後まで読むと作者の人生が立ち上がってくるので、『オオカミが来た朝』が好きな人は、こちらも好みかもしれませんよ。

トマト:すごく好きです。でも表紙が暗い印象で、これでは読んでもらえないのではと思い、とっても残念。第1話のケニーの入れ歯の話が印象深いです。急死した父親の葬式のとき、ケニーは悲しむよりも、自分が入れ歯だと知られたくないという気持ちが先行してしまうけど、そんな自分をひどい人間だと責めている。子どもは、大人が思う以上にいろいろ苦悩しながら一生懸命生きているんだということがよく分かります。ケニーがどれほど入れ歯のことで傷ついていたかは、ケニーが死にそうになるまで入れ歯を外さず、娘すら父親が入れ歯だと知らなかったというエピソードで裏付けされますが、このケニーの心情が実に細やかに、いい感じのユーモアを交えて描いてあるから重くなりすぎていません。姉妹の出てくる話は、イギリスの兄弟姉妹を描く古き良き物語のようで、楽しく読めました。あんたバカね、と言われていた妹のほうが、賢そうにしていた姉より機転がきくというエピソードがおもしろくて、ユーモアのある会話に魅力があります。私は、家系図が冒頭にあっても気になりませんでした。読みながらたびたび家系図を見て、それぞれの物語の登場人物のつながりも確認できたから、良かったと思います。すべての物語の中で、子どもたちが心を痛めたり、自分を励ましたりしながら一生懸命に生きています。この本の最後の物語は、両親の激しい言い争いを毎晩2階の子ども部屋で聞いておびえるお兄ちゃんと弟の物語です。それまでの物語では、貧困や戦争に翻弄される家族と子どもを描いていましたが、この「両親の不仲」という問題は、子どもにとって最も身近で、最も怖くて、誰にも相談できない重大な問題だと思うので、これを最後にもってきたことがスゴイと思いました。自分だって怖いのに、弟を不安がらせまいとして一生懸命なお兄ちゃんの気持ちがよく伝わってきます。最後に、このお兄ちゃんの祖先であるケニーが、自転車に乗って現れる場面は、「子どもだってたくさん辛いことがあるんだよな。分かるよ。頑張れよ!」と応援しているのだと思い、深く感動して泣いてしまいました。

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エーデルワイス(メール参加):作者の意図することは充分に分かりますが、この構成は読みにくかった。「メイおばさん」の章で認知症のメイおばさんを、子どものクライティとフランシスだけに預けて母親がでかけてしまうところとか、「チョコレート・アイシング」で、ケニーが出て来て両親の不仲に胸を痛めているジェイムズに「くじけるな」というところなど、腹が立ちました。何の解決にもなっていないのに励ましてどうする、という気持ちです。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 

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フラミンゴボーイ

『フラミンゴボーイ』表紙
『フラミンゴボーイ』
マイケル・モーパーゴ/著 杉田七重/訳
小学館
2019.10

『フラミンゴボーイ』をおすすめします。

イギリスの青年ヴィンセントが旅先の南フランスで話を聞くという枠の中に、フラミンゴが大好きで動物と気持ちを通じ合えるロレンゾと、社会から排斥されてきたロマ人のケジアの物語がおさまっている。ナチスの脅威、戦争に翻弄される人間、差別、動物保護など様々なテーマを扱いながら、巧みなストーリー展開で読者をひきつけ、おもしろく読ませる。(小学校高学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚・冬休み特集」2019年11月30日掲載)

キーワード:動物、差別、戦争

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オオカミが来た朝

『オオカミが来た朝』表紙
『オオカミが来た朝』
ジュディス・クラーク/著 ふなとよし子/訳
福音館書店
2019.09

『オオカミが来た朝』をおすすめします。

オーストラリアのある一家4代の物語を、子どもをめぐるエピソードでつづっていく作品。一家にからめて語られるのは、不安や恐怖、認知症老人との触れあい、難読症の人や移民への差別、民族間の争い、家族との葛藤などだが、語り口にはユーモアと奥行きがあり、味わいながら読める。最初の物語の主人公ケニーが、最後の物語では曾孫の前に少年の姿で現れて「くじけるな」と呼びかけるのだが、その言葉は子どもたちみんなに向けた作者のメッセージにも思える。(中学生から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2019年10月26日掲載)

キーワード:家族、歴史、差別

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ゆかいな床井くん

『ゆかいな床井くん』表紙
『ゆかいな床井くん』
戸森しるこ/作 早川世詩男/画
講談社
2018.12

『ゆかいな床井(とこい)くん』をおすすめします。

6年生になった暦の隣には、人気者の床井君が座っている。小柄な床井君は下品な話もするけれど、背の高い暦を「デカ女」と呼ばずにうらやましいと言ってくれる。2人と、同じ暮らすにいる多様な子どもたちの1年間を描く短編集。楽しく読んでいくうちに、この2人と一緒に読者も「別の見方」ができるようになるかも。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2019年1月26日掲載)

キーワード:学校、差別、多様性、友情

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ひとりひとりのやさしさ

ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ルイス絵『ひとりひとりのやさしさ』さくまゆみこ訳
『ひとりひとりのやさしさ』
ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ルイス画 さくまゆみこ訳
BL出版
2013.07

アメリカの絵本。クローイの学校に、貧しい転校生がやってきました。その子がにっこりしたり遊びに誘ったりしても、クローイたちは知らん顔で無視。いじめの問題は、お題目を唱えたり、いじめた者を糾弾するだけでは解決しません。これは、自らもいろいろな差別や偏見にさらされてきたウッドソンが「いじめ」をテーマに書いた絵本です。ふつうの絵本にはない視点で、子どもの心の奥までおりていっています。ルイスの絵がまたすばらしいし、物語に出て来てやさしさを生徒たちに伝えようとする先生もすてきです。
(編集:渡邉侑子さん)

*シャーロット・ゾロトウ賞、コレッタ・スコット・キング賞銀賞受賞


むこうがわのあのこ

ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ホワイト絵『むこうがわのあのこ』さくまゆみこ訳
『むこうがわのあのこ』
ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ルイス絵 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2010.11

アメリカの絵本。こっち側とむこう側の境目には長くつづく高い柵があります。こっち側にはアフリカ系の人たちがくらし、むこう側には白人が住んでいます。こっち側の子どもたちは、むこう側の人たちとつきあってはいけないと、親たちに言われています。ある日、柵のむこうに白人の女の子があらわれて、じっとこっちを見ています。でも、こっち側の女の子たちは無視します。だけど、いつもぽつんとひとりでこっちを見ているあの女の子のことは、気になります。そのうち、こっち側の子どもとあっち側の子どもの距離がだんだん縮まって、とうとう女の子たちは、その境目を文字どおり乗りこえていくのです。おかげで未来も変わっていきそうです。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬徹さん)

***

<紹介記事>

・「教育新聞」2010年12月17日


あなたはそっとやってくる

ジャクリーン・ウッドソン『あなたはそっとやってくる』さくまゆみこ訳
『あなたはそっとやってくる』
ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2008.03

アメリカのYA小説。ユダヤ系の少女エリーと、アフリカ系の少年ジェレマイアの、ラブストーリー。二人とも心の中にぽっかりとあいた穴を抱えています。それに、仲良く手をつないでいれば、街の黒人たちからも、白人たちからも、いぶかしげな目で見られます。からかう者たちもいます。つきささる視線や言葉をどうかわしていったらいいのでしょう。困難だらけの恋は切なくて苦しくて、それだからこそ二人の結びつきはしだいに強くなっていくのですが・・・。
(装画:植田真さん 装丁:タカハシデザイン室 編集:山浦真一さん)

*読書感想画中央コンクール指定図書(中学校・高等学校)


ローザ

ニッキ・ジョヴァンニ文 ブライアン・コリアー絵『ローザ』さくまゆみこ訳
『ローザ』
ニッキ・ジョヴァンニ文 ブライアン・コリアー絵 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2007.05

アメリカのノンフィクション絵本。ローザとは、公民権運動の母とも言われるローザ・パークスのこと。ある日、ローザはバスの中で「白人に席をゆずりなさい」と言われて「ノー」と答えました。それをきっかけに多くの人があきらめるのをやめて立ち上がり、キング牧師たちの公民権運動につながっていきました。文章を書いたニッキ・ジョヴァンニは、ラングストン・ヒューズ賞も受けた女性詩人で、大学教授でもあります。絵を描いたブライアン・コリアーは、現在第一線で活躍するアフリカ系の男性。絵本の中のローザの後ろには金色の光がかがやいていますが、それはコリアーのローザ・パークスへのオマージュです。
いつも日本の子どもにあまりなじみのないテーマの作品を訳すときは、日本の子どもとどこでつながるかを考えます。この絵本は、それまでだまって我慢をしてきたローザが「ノー」と声をあげるところだと思いました。訳もそこに焦点があたるようにしました。
(装丁:則武弥さん 編集:相馬徹さん)

*コレッタ・スコット・キング賞(アメリカ)受賞
*コルデコット賞(アメリカ)銀賞受賞
*SLA「よい絵本」選定


青い丘のメイゾン

ジャクリーン・ウッドソン『青い丘のメイゾン』さくまゆみこ訳
『青い丘のメイゾン』 (マディソン通りの少女たち2)

ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳
ポプラ社
2001.01

アメリカのフィクション。「マディソン通りの少女たち」の第2巻。私立の寄宿学校に転校したメイゾンは、白人の少女たちの仲間にも、かといって数少ない黒人の少女たちの仲間にも入れず、孤独な日々を過ごします。作者のウッドソンは、今年コレッタ・スコット・キング賞を受賞しました。感受性の強い少女が生きていくのは、昔も今もそう簡単なことではないようです。
(絵:沢田としきさん 装丁:鳥井和昌さん 編集:米村知子さん)


オーブンの中のオウム

ヴィクター・マルティネス『オーブンの中のオウム』さくまゆみこ訳
『オーブンの中のオウム』
ヴィクター・マルティネス著 さくまゆみこ訳
講談社
1998.11

メキシコ系アメリカ人の詩人が初めて書いたYA文学で、メキシコからの移民チカーノの少年の息づかいが伝わってきます。父親は飲んだくれのうえに暴力をふるう。兄や姉はいつもトラブルに巻きこまれる。一家はいつも貧困と差別と暴力にさらされているけれど、その家族を見る著者の目には、ぬくもりも感じられます。アメリカ人やスペイン語の得意な方に聞いてもわからないチカーノ特有の表現がたくさん出てくるので、作者に何度もe-mailで問い合わせたりして、翻訳には苦労しました。
(表紙絵:木村タカヒロさん 装丁:鈴木成一さん 編集:神田侑子さん、長田道子さん、沼田敦子さん)

*全米図書賞受賞、産経児童出版文化賞受賞