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西の果ての白馬

『西の果ての白馬』表紙
『西の果ての白馬』
マイケル・モーパーゴ/作 ないとうふみこ/訳
徳間書店
2023.03

アオジ:わたしは第一作の「巨人のネックレス」をSinging for Mrs.Pettigrew: A Storymaker’s Journey(Walker Books, 2007)というモーパーゴの短編集で既に読んでいたんです。タイトルにある『発電所のねむるまち』(あかね書房、2012)や『モーツァルトはおことわり』(岩崎書店、2010)等、邦訳されている作品を含む優れた短編を作者の言葉と共に載せている、とても良い短編集で、未訳の魅力的な短編も6つほど入っています。でも、「巨人のネックレス」だけはモーパーゴらしくなくて、なぜこんなに悲しい短編を書いたのか不思議に思っていました。女の子が好きなことを一所けんめいにやった結果がこれ?と思って。作者も、「子どものころゼナー近くの浜辺でタカラガイを集めた思い出から書いた」と述べているだけです。この短編は絵本にもなっており、amazonでは好意的なレビューもありますが、子どもに薦めたくないという意見もあります。という訳で、最初から素直な気持ちでは読みすすめられなかったというのが正直なところです。それに、2話から5話までの主人公が地元の自然のなかで生きている子どもたちなのに、ネックレスのチェリーは避暑でここに来ていた女の子なんですね。それで余計に疎外感を感じたのかもしれません。
「アザラシと泳いだ少年」も寂しいお話ですが、「西の果ての白馬」と「ネコにミルク」はさすがモーパーゴらしい、よくできた短編だと思いました。
訳文もなめらかだと思いましたが、「巨人のネックレス」のp36で、チェリーが「あなた、(溺れかけたひとを)たくさん助けたのね」というと、幽霊が「まあね。何人か」という。そのさみしそうな声にチェリーの胸がしめつけられて……という箇所ですが、“Singing for Mrs.Pettigrew”では、「何人か」と幽霊がうなずき、「何人か」と繰りかえす、その声が悲しそうなので、チェリーが元気づけようと思って……となっています。幽霊のほうはチェリーが死んでいるとわかっているのに、チェリーは気がついておらず幽霊を元気づけようと思っている……こういうところは本当に上手だなと思ったのですが。でも、モーパーゴは同じ作品を絵本にしたり、短編集のなかの一話として発表したものと単行本にしたものでは、文章を増やすなどして変えたりしているので、この部分も短編集にするときに変えたのかもしれませんね。

シマリス:とても魅力的な短編集でした。悲しいお話と、ハッピーエンドのお話の混ざり具合がいいな、と感じました。冒頭に「巨人のネックレス」があることで、次以降の作品も、ハッピーエンドとは限らない、とドキドキしながら読めました。「アザラシと泳いだ少年」は、今の時代だと、新しい作品として書きづらいかもしれないなと思います。モーパーゴであり、古い作品だから、許容されたのかなぁ、と。1982年に刊行されたものが、なぜ今のタイミングなのか、裏話をお聞きしたい気もしました。順番に読んでくれ、と書いてあるけれど、最後のお話だけ最後に読んでくれ、じゃだめなんですかね? 1つめから4つめまでの短編は、そんなに順番に読む必然性を感じなかったのですが、何か見落としているのかしら……。コーンウォール地方には行ったことがなくて、ネットで検索しました。頭のなかで想像していた風景とほぼ同じものが出てきて、うれしくなりました。コーンウォール地方に行かれた方がいたら、お話をうかがいたいです。

アオジ:児童文学の舞台としては、古いですけれど、スーザン・クーパーの『コーンウォールの聖杯』(武内孝夫訳 学研プラス、2002)がありますね。子どもたちアーサー王伝説にまつわる古文書を発見することから物語が始まると記憶していますが。コーンウォールは、ペンザンス、セントアイブス、エクセターなど何度か滞在したことがありますが、とても魅力的なところです。浜辺を歩いていて普通にアザラシに遭遇したり、沖にイルカが海水浴客と競争して泳いでいたりするようなところです。英国では唯一といっていいくらい陽光に恵まれたところなので、画家がおおぜい住んでいると聞きました。セントアイブスは、特に芸術家の集まっていたところで、バーナード・リーチの工房や、バーバラ・ヘップワースのアトリエ、テート・セントアイブスなどもあります。ヴァージニア・ウルフは、子どものころ休暇で滞在したセントアイブスの灯台を頭に描いて『灯台へ』を書いたといわれていますが、白く輝くその灯台を見て、時の流れと距離の関係が腑に落ちた(ような気がした!)のを覚えています。

サンザシ:私は、ロンドンで下宿させてもらっていた人がコーンウォールに山小屋をもっていて、2回はそこに行かせてもらったのと、1回は、友達と旅行で行きました。印象的だったのは、ゲール語系のコーンウォールの言葉を教育でも取り入れようとしていて、道路標識等も英語との併記になっていたことです。都会と違って荒々しいとも言える自然があって、アーサー王にまつわる場所もたくさんありました。

ルパン:この本ですが、どれもおもしろかったですが、やっぱり「巨人のネックレス」の読後感がよくなかったかな。海にとりのこされたチェリーの絶望感がつたわってきて、自分まで悲しくなりました。死んでしまったというのも残酷だし、その前に親は何していたんだとかも思っちゃって。海に子どもひとり残して帰るな、とか、なかなかもどってこなかったらすぐに迎えに行かなきゃ、とか。だから、つぎの「西の果ての白馬」も、きっと「一年と一日」の約束を忘れてひどいことになるんだろうと心配していたら、ちゃんと覚えていてよかったなと思いました。「ネコにミルク」も。さいごに「ミス・マーニー」を読んで、ああ、チェリーが死んだのはお話のなか、という設定なんだな、と思ってちょっとホッとしました。

ハル:私も、特に最初のお話なんか、昔話独特の気持ち悪さみたいなものも感じますし、どうしてあえてこのお話を……という気持ちもありますけれど、やっぱり、マイケル・モーパーゴってすごいなぁと思いました。伝承の、物語としての稚拙さを自然におぎないながら、1冊全体でエンターテインメントとしてきれいにまとまっている感じがしました。佐竹美保さんのカバーイラストも、特に表4、裏表紙側のイラスト(これは……何かちょっとわからなかったけど)に、いつもに増した凄みを感じます。

西山:私もこの「巨人のネックレス」のラストはショックでした。この展開はまったく予測していなくて不意打ちという感じです。そして、とにかく順番通りに読んでいくと、「巨人のネックレス」から始まっていなかったら、他の作品をここまでひやひやドキドキしながら読まなかったろうと思いました。また、残念なことになるんじゃないか、こわいことになるんじゃないかと油断できませんでしたね。してやられたという感じです。ですから最初と最後は不動で後は入れ替わっても大丈夫なのかなと。「アザラシと泳いだ少年」は、たしかに異様で不穏なイメージも覆っているのですが、たとえばp103のアザラシがぬっとあらわれて見つめあう場面や、p114のアザラシの面談の場面など、目に浮かんで笑えてくるほど好きでした。他の作品でも、動物の描写がゆかいで、『やまの動物病院』とペアにしたのはこういうことか! と勝手に納得していました。「ネコにミルク」の最後「いま話したら、きっとおまえは信じるだろうが、大人になってそのお話がほんとうに大切になるとき、信じようとしなくなるかもしれない」という言葉がとても新鮮でした。こういう言い伝えに幼いときに触れてそれを信じることはよいこと、という価値観を持っていたことに気づかされました。それにしても、ノッカーはなんて気がいいんでしょうね。

サンザシ:どのお話もおもしろく読みました。最初の「巨人のネックレス」の主人公が死んでいるとわかるところはびっくりしましたが、嫌だとは思いませんでした。コーンウォールは、伝説や昔話がいっぱいある場所なので。たしか「ゼナーのチェリー」という伝説もあったかと。モーパーゴはそういうのを下敷きにしているのかもしれませんし、普通に私たちが考える死とは違う部分もあるかもしれません。鉱山にいる親子も、生きている人たちのすぐとなりにいて、生きている者たちを見守っているみたいだし。2つ目の話と4つ目の話は、やっぱりこの順番で読むべきでしょう。以前は妖精やこびとを信じて折り合いをつけるのが大事だと考えていた人たちもたくさんいたのに、時代が下ると、そういう人は希少になると言っているので。ストーリーテラーとしてのうまさということで言うと、モーパーゴは随所に本筋とは一見関係がないエピソードを入れて、それぞれの人の暮らしの片鱗を垣間見せ、短いストーリーの中でも人物をうまく浮かび上がらせています。「巨人のネックレス」でも、4人の兄たちとチェリーのやりとりなどを入れて、物語に深みを持たせています。「西の果ての白馬」では、ノッカーという妖精がもたらした幸運だけではなく、村人たちの心配りも書いて、ベルーナさんが働き者で信望も厚いということを浮かび上がらせています。また、ノッカーから借りた馬との別れがつらいことを、「ペガサスの背にまたがったまましばらくいっしょに海をながめた」という文章で表現しています。「アザラシと泳いだ少年」では、すでに話に出ていますが、アザラシに話しかけたりする場面を入れることで、ウィリアムの人となりをあらわし、読者が感情移入できるようにしています。「ネコのミルク」では、さっき西山さんもおっしゃいましたが、「いま話したら、きっとおまえは信じるだろうが、大人になってそのお話がほんとうに大切になる時、信じようとしなくなるかもしれない」(p152)という部分に、モーパーゴらしさを感じました。世の常識やステレオタイプを超えた知恵を子どもに伝えようとしているのかな、と。
全体をとおして、超自然的な要素が登場し、数や効率や論理では割り切れないものが確かにあること、それを畏敬する感覚を子どもにも伝えようとしているのだと感じました。
「最後の一編を読んだとき、すべてのつながりが明らかになる」と訳者あとがきにありますが、1回読んだだけでは「すべて」のつながりは、まだよくわかりませんでした。それと、「はじめに」には、「この本に書いたのは昔話ではない」という著者の言葉があるので、モーパーゴが書いたのだと思って読み始めると、最後は、どの話もミス・マーニーが書いたということになっていて、物語世界の中に矛盾が生じていると思ってしまいました。

アンヌ:私も最初の「巨人のネックレス」の少女の死にショックを受けたのですが、前書きに順番に読んでほしいとあり出版社の内容解説にも「順番に最後まで読むとこころあたたまる」とあったので、きっと最後には大どんでん返しがあってチェリーが生き返るんじゃないか、それならどういう話になるんだろうとあれこれ想像しながら読んでいったので、最後まで読んで、がっかりしてしまいました。「アザラシと泳いだ少年」は主人公が幸福になった話とも読めますが、『ケルト民話集』(フィオナ・マクラウド著 荒俣宏訳 ちくま文庫)の「神の裁き」にある、アザラシになってしまった男の恐ろしい民話が背後にあるようで、異界に行ってしまった少年の物語として心がひやりとしました。だから、ノームを救ったり友達になったりする楽しい「西の果ての白馬」についても、いつかはアニーが白馬に乗ったまま海に入って帰れなくなるんじゃないかとか心配しています。「ネコにミルク」のノームは本当に農民に親切で、同じ土地に住んでいる者同士として環境を保全していくという作者のメッセージを感じましたが、ちょっとノームが自分で説明しすぎとも思いました。「ミス・マーニー」では、ケイトがおもしろい子で楽しい物語でしたが、マーニーの異能もいつかまた社会の中で排除される時が来るだろうなと感じ、全体を読み終わっても心温まるとは言えない感じがしました。翻訳で気になったのがp144の「お牛」で、一瞬なぜ丁寧語なんだろうと思いました。ここは「牡牛」にふりがなでいいと思います。

繁内:モーパーゴは結構、テーマ性がいつも強い作家だと思って読むんですけど。この作品は、ケルト文化のファンタジー要素がもとになっているので、物語としての豊かさがとても感じられる連作短編になっていると思います。「巨人のネックレス」で、確かにチェリーが死んでしまうのは、もうほんとにかわいそうなんですけど、チェリーが遭難するシーンとかが、すごい迫力があるなと思って。どの短編もそうなんですが、1回目に読むのと2回目に読むのとでは、おもしろさが違いました。チェリーの物語も1回目に読んだときは、最後まで死んでると思わなかったんですけど、2回目に読むと、ある時点から幽霊になってしまっているという小さな伏線がいっぱい書かれていて、そういう伏線の張り方を2回目に読む楽しみがありました。確かにチェリーが死んでしまうのはとてもつらいことなんですけど、これが最初に書かれていることでコーンウォールという場所自体が、なんだか生と死のあわいっていうんですか、境界線上のような場所だということを提示する役割になっているのではと。チェリーが壁を上りながら、集めた貝を、どこに置いたのは捜索隊が壁の途中で見つけているから、そこまでは生きてる。でも、どこで死んでしまったのか、ほんとうは定かではない。チェリーという、読み手には身近な感じの女の子が、ふっと、生と死のあわいというか、神話の強い磁場みたいなところに取り込まれてしまうということが、この物語全体のひとつの大きな伏線になっているのではと思いながら読みました。「西の果ての白馬」は、タイトルになっているんですけど、典型的な、なんというか、妖精に贈り物をして、それを返してくれるという話なんですけど。ノッカーは土地の顕現するものというか。土地の表しているもののような気がして。自然の力といっしょに生きるということを象徴していることが2番目に書かれていて、それが4番目の「ネコにミルク」と対になっているというところが、やっぱり上手だなと思いました。
「ネコにミルク」で、除草剤、殺虫剤をまかないでほしいというところも、モーパーゴらしい。環境問題にすごく関心があると思うので。さっき、サンザシさんもおっしゃってましたけど、時代とともに、土地とのつながりが薄れてしまうという、モーパーゴのひとつの問いかけなんだろうなと思いました。p135で、土地は誰のものでもない、生きているあいだ、この土地を拝借しているだけなのだ、というところが、いろんな意味で心にしみました。モーバーゴは原発の問題も取り上げてるので、土地についても強い思いがあるんだなと。「アザラシと泳いだ少年」も、辛いお話なんですけど。人間の世界で生きづらいウィリアムが、アザラシの世界にいってしまうんですが、これはセルキー神話ですよね。アザラシの皮をかぶったらアザラシになって、脱いだら人間になるっていう。障がいのある者への深い差別感が描かれているのでは。多分、土地との繋がりが深くて、地元にずっと生きてる人たちが、繋がりが強い分、違う人に対しては排斥しがちになる、というところがうまく書かれていると思うんです。お父さんがウィリアムを見下す気持ちの底に、男らしさっていうのか、自分がウィリアムの姿を見るたびに、自分が男としても人間としてもダメな奴だと思い知らされるような気がしてあまり関わらないようになるって書かれてるんですが、なんかこう、男らしさとかって、人間界の神話じゃないですか。人間の世界の思い込みや神話にとらわれているうちに、息子をあっちの世界に追いやってしまう切なさがあるなって。
いろんなおとぎ話の中に今の社会に対する批判も、取り入れているのも、モーパーゴらしいです。最後の「ミス・マーニー」は、さっきサンザシさんが、ミス・マーニーとモーパーゴと、作者がふたりいるんじゃないかとおっしゃっていましたけど、ミス・マーニーは女の人なんですけど、モーパーゴの分身の分身のような気がして。モーパーゴが分身として、この地にやってきて、語った物語が、この連作短編なんじゃないかなっていう風に思いながら読みました。マーニーが心の目で見たこの村のことが、モーパーゴが自分の胸に住まわせている、この土地への思いが集まったものがマーニーであって、彼女に語らせてるけど、本当はモーパーゴが語っているというか。分身じゃないかなと思いました。全体として、人間の豊かさは何なんですか、という問いかけがあるように思いました。今の時代しか見ない人に対して、それは豊かじゃないんじゃないかっていう、神話とか土地の歴史とか、厚みとか、それを子どもたちにミス・マーニーが受け継いで語っていくというのは、過去から未来への受け継ぎじゃないかと思いながら読みました。

wind24:今回紹介していただかなかったら読まなかった書籍かもしれません。良い機会をいただきありがとうございます。みなさんが言われるように、生と死の境界線がなく、さまざまないのちが交差した世界観だと思いました。
私の友人がコーンウォールにも近い南部デボン州のダートムーア国立公園内でペンションを営んでおり、数日でしたが滞在する機会がありました。荒涼とした原野や湿地、少し行けば赤土の崖がそびえる海が広がっていて霧が発生しやすく、その雰囲気が奇々怪々としていて多くの妖精伝説や魔女伝説があるのも納得の風土でした。
「巨人のネックレス」は、私も最後の最後までチェリーは生きていると信じて読み進めましたので、あっ、そうなんだ、と。この世の人ではなくなったチェリーに驚いたとともに、残念な気持ちでした。映画「シックスセンス」を彷彿とさせ、日本人の死者の描き方とはちがうなぁと感じました。また鉱山で出会う炭鉱夫の幽霊の会話文が少し耳障りでしたので、訳者が違えばどのような文体にされるかのかと思ったりしました。
この本に限っては順番通りに読んでくれと何度か書かれていたので、どんなどんでん返しが待っているのだろうか、と期待しながら読みましたが、「ミス・マーニー」は案外拍子抜けする展開でした。でもp195、おしまいにマーニーがケイトに「時間がなくてまだ書いていない物語がある。ミス・マーニーという変わり者のおばあさんのおはなしさ」といったことが書かれていて、モーパーゴさんのストーリーテラーとしての優れた一面をみた思いです。
印象に残っているのは「ネコにミルク」で好き勝手をするトーマスに老人が言うセリフがあります。「土地はだれのものでもない。おまえさんのものでも、わしらのものでもない。わしらはただ、生きているあいだこの土地を拝借しているだけなのだ。そしてまたつぎの者にひきわたすんじゃよ」。(p134)これはネイティブ・アメリカンはじめ多くの先住民族に共通する考え方。SDGsにも通じるこの知恵を今一度掘り起こし、次の世代に引き継いでいきたいと思いました。

花散里:中等部高等部の学校図書館に勤務しています。国語の授業でなるべく長編小説を読んでほしいという取り組みがあり、長編小説になかなか手の届かない生徒たちに短編小説を手渡したいという依頼を受けました。日本の短編小説、古典から新刊本、外国文学からも選書を行い、この『西の果ての白馬』も選びました。教員が広い机に短編小説を面出しして、テーマごとに並べたのですが、この作品はタイトルや佐竹美保さんの表紙画が良かったのか、借りられていました。5編の短編集の中から、「西の果ての白馬」がタイトルに選ばれたのがよかったのかと思いました。本書が刊行されてすぐに読みましたが、今回、読み返して、「西の果ての白馬」と最後の「ミス・マーニー」が強く印象に残りました。特に「ミス・マーニー」にはモーパーゴの作品に対する思いが詰まっていると感じました。『子どもと読書』(親子読書地域文庫全国連絡会発行)の編集を担当していますが、特集の「作品世界」に外国の作家として初めてモーパーゴを取り上げました(№431 2018年9・10月号)。その特集の中で、日本に翻訳されていない作品が多いということを記していただきました。本作も1982年の作品ですが、刊行されて本当によかったと思います。モーパーゴの作品には戦争を背景とした物語が多いのですが、本作のような妖精や幽霊など、昔話のおもしろさを描いたものも秀逸で、読み応えがあると思いました。「ネコにミルク」に書かれた 殺虫剤の使用についてなどを読んでいて、『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著 新潮社他)第9章「死の川」で、DDT撒布でサケが大量に死んでしまったことなどを思い返しました。モーパーゴの伝えたいと思うこと、環境問題についてなども、どのように作品を子どもたちに手渡していくのかということも考えました。「アザラシと泳いだ少年」は、あまり印象に残っていなかったのですが、読み返してみて、いじめ、身体的な障害、海に入ったときに泳げるようになったことなど、「自分はアザラシに救われた」ということが、子どもたちに勇気を与えているのではないか、と感じました。外国の作品は、「知らない世界を知る」ということからも、子どもたちが読むことの意義は大きいと思います。本作の5編とも、子どもたちは心を寄せながら読めるのではないかと思います。短編の良さが詰まっている作品として、子どもたちに手渡して行きたいと思います。

雪割草:おもしろかったです。モーパーゴのストーリーテラーとしての巧みな語りに引き込まれました。それぞれのお話がゆるくつながっている、とモーパーゴのまえがきに書かれていたけれど、2、4、5話のつながり以外はよくわかりませんでした。個人的には、白馬やアザラシなど動物が出てくる話が好きでした。どのお話にも子どもが出てきて、おとなよりも自然に近い存在として描かれていると思いました。子どもたちは生きものへの愛情があって、心が通い合うさまがよく描かれていてよかったです。今の子どもも、こういうところに共感できたらいいなと思います。原書の初版は40年前のようですが、なんで今出したのか知りたいと思いました。土地に根ざした民話は、日本にもたくさんあると思うので、子ども向けによい作品が出たらいいなと思います。

コアラ:私も、原書は1982年刊行で40年前の本なので、どうして今出版したのかな、と思いました。でも、今読んでも、パソコンとかスマホとかテレビとか、時代をあらわすような「物」が出てこないので、古びることのない物語になっていると思います。全編にわたって、生き物に対する愛情や、自然を人間の支配下に置くのではなく共存するというような眼差しが感じられて、読んでいてやわらかい気持ちになりました。「はじめに」の最後に「順番どおりに読んでほしい」とあるので、どんな仕掛けが最後に待っているのかと楽しみにしていたのですが、ミス・マーニーのお話だった、というのは、ちょっと拍子抜けするものでした。p180で、ミス・マーニーがケイトに最初に話して聞かせた物語は、「巨人のネックレス」だけれど、翌日に話して聞かせた物語は、アザラシと少年の話で、この短編集では3番目になっています。話して聞かせた順番にはなっていないようなので、気になりました。結局「順番どおりに読んでほしい」というのはどういう意味なのか、自分なりにつながりを読み取っていきましたが、作者の意図がわかったかどうかいまいち自信がないままでした。でも、今みなさんのお話を聞いて、「巨人のネックレス」を最初にもってきたりとか、いろいろよく考えられているんだろうなと思いました。

さららん:「巨人のネックレス」、「西の果ての白馬」、「アザラシと泳いだ少年」……と、作者の言葉通り順番ごとに読み進むうち、体ごと、コーンウォールのゼナーの世界にもっていかれた印象がありました。なかでも印象が強かったのは、「巨人のネックレス」です。チェリーは死んでいるんだろうと途中でわかってきたけれど、私自身は嫌な感じというより、現実と伝承のあわいの、不思議な世界に投げ込まれた感じがしました。貝をつないで巨人のネックレスをつくる行為そのものに作者は象徴的な意味をこめたのかもしれない、そんなふうにも思えます――これからさまざまな話をつないでゼナーの自然(=巨人)に捧げる、というような。独特の地形や海の中から現れる不思議な存在がゼナーと言う未知の場所を形作り、陰影もふくめて、子どもの読者に出会ってほしい世界です。訳もこなれていて読みやすいのですが、「ネコにミルク」の章のp140「め牛」とp144「お牛」の表記で、おや?と思い、ここは「雌牛」「雄牛」にしてルビを振るなど別の選択肢もあったかも、と思いました。この章では、「牛たちが、じぶんの乳房をいきおくよく吸って乳を飲んでいたのだ」(p137)という描写がおもしろく、「ありえない!」と思いながら、牛の格好を想像して笑ってしまいました。調べないとわかりませんが、牛の乳の出が悪いとき、土地の人たちが言い合うお気に入りの冗談なのかもしません。人間にとっての悲劇をまえに、「ごぞんじのとおり、農場ではよくあることじゃ」(p145)と、しゃあしゃあといってのけるノッカーにはふてぶてしいユーモアさえあり、そんな細部にもモーパーゴのストーリーテラーとしての手腕を感じます。

しじみ71個分:モーバーゴは本当に物語がうまいなあと思います。今回も感服しました。前書きから話が進んでいくのは、『最後のオオカミ』(はらるい訳 文研出版)でも使われていた手法だと思います。その時は、モーパーゴと思しきマイケル・マクロードなる人物が孫娘にパソコンを教えてもらって家系について調べたら、ひいひいひいひいひいひいじいさんの回想録が見つかった、というところから物語を始めていますが、同じようにモーパーゴ自身のような人物を置いて、あたかも現実の問題から歴史や物語を紐解いていくようなスタイルが共通していると思います。それによって、読む人が現実のような現代の話から境界線や時代を緩やかに超えて、フィクションの世界に自然に没入していくことができるわけで、モーパーゴ自身を語り部として物語とフィクションをつないで行っているように思います。「巨人のネックレス」では、人の生き死にが、わりとそっけなく投げ出されている感じが、昔話や伝説の再話と同じような印象を与えます。遠野物語に共通しているようなところがあると思いました。昔話の中には、登場人物が死んでしまったのか、それとも行方不明になったのか、突き詰めて明確に描かず、不思議を不思議のまま残していく話もあります。この出だしの物語が、会話を現代調にすることで、リアリティを増しながら、昔話的世界にいきなり入って行かせる役割を果たしているように思いました。遠野もそうですが、このゼナーという土地も、おそらく厳しい自然との結びつきが強くて、こういう不思議な話がそこかしこに存在する場所なのではないかと思いました。厳しい自然とともに生きるところに、自然への怖れや敬意が生まれ、物語が残るというのは現代にも共通するものではないかなと思います。

(2023年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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1400個のコヤスガイ〜西アフリカ・ヨルバ人の昔話

『1400個のコヤスガイ』表紙
『1400個のコヤスガイ〜西アフリカ・ヨルバ人の昔話』 小学館世界J文学館

アバヨミ・フジャ/編 さくまゆみこ/訳 千海博美/絵
小学館
2022.12

西アフリカに暮らすヨルバ人の昔話を、ナイジェリアに生まれ育ったフジャが再話しています。おもしろいお話が多いので、いつか日本の読者にも届けたいと思っていました。その後、「ふたご」の話には、ほかの地域にも同じような昔話があるなど、おもしろいことがわかってきました。どこの地域の人間も共通に持っている要素から同時発生的に同じような話が生まれてくるのか、それともおもしろい話はどんどんほかの地域にも伝わっていくのか、そのあたりもとても興味深いです。

〈目次〉

1400個のコヤスガイ
ネコとカメのレスリング
ヒョウとハリネズミ
オタマジャクジの悲しいお話
魔法のヤムイモ
天まで運んだお供え
カタツムリとヒョウ
ふたご
めんどりとタカ
エガとひなたち
ゾウとおんどり
152本のしっぽをもつ動物
キンキンとネコ
鳴らないタイコ
みなしごアジャオと魔法の小枝
かしこい犬
働いてはいけないアランテレ
雄牛とハエ
〈よそ者〉と〈旅の者〉
狩人オジョと魔法の笛
カエルの骨

 

〈訳者あとがき〉

本書の原題はFourteen Hundred Cowries: Traditional stories of the Yoruba。私が持っている原書はペーパーバックで、1967年にオックスフォード大学出版局イバダン支局から出版されています。イバダンは、ナイジェリア南西部の大きな都市です。この本は、たぶん私がロンドンに暮らしていたときに、アフリカ・ブック・センターで手に入れたのだと思います。いろいろな情報にあたってみると、ハードカバーは、それより前の1962年に出ているようです。本書はアメリカでも1971年にアン・ペロウスキーの序文と別の人の挿絵がついたものがのが出ていますし、ポーランド語版も出ています。

イギリスに植民地にされていたナイジェリアが独立したのは、1960年。それまでは学校教育でも、イギリスの学校で使われているようなものがそのまま使われていたといいます。独立後、ナイジェリアの子どもにはナイジェリアの文化や伝承を教えようということで、ナイジェリアの人が収集した昔話の本なども出るようになるのですが、本書はその先駆けとなりました。

私が持っている原書には、著者の情報や序文などもついていないのですが、アメリカ版やポーランド版によれば、著者のアバヨミ・フジャは1900年に生まれて、ナイジェリア最大の都市ラゴスで学校教育を受け、1938年に自分の民族であるヨルバ人の民話の収集を始めたようです。「ヨルバの人たちの間には、夜になると──月の明るい夜だとなおさらですが──子どもたちを集めてこうしたお話を語ってやる習慣がありました」とあり、また著者が語りを職業をするソコトという人から、お話をたくさん聞いたということも書いてあります。

ともあれ、著者のアバヨミ・フジャは、国際的に出版されている本がこの1冊のみで情報が少なく、翻訳権の処理が非常に困難でした。この「世界J文学館」の責任者である塚原伸郎さんが東奔西走してくださった結果、なんとか出せるようになったのです。

ヨルバ人というのは、ナイジェリア南西部のほか、ベナン、トーゴにも暮らしていて、ヨルバ語を話しています。著者のフジャは、ナイジェリア人です。

ナイジェリアは、西アフリカにある国で、アフリカ大陸の中では最も人口が多く、2億人以上が暮らしています。多民族国家で、一つのナイジェリアという国の中に500を超える民族が共存しています。ヨーロッパに植民地にされる前は、いろいろな王国が栄えていて、独自のすぐれた文化を持っていました。

多くのみなさんは、サッカーが強い国としてご存知かもしれません。ナショナルチームはスーパーイーグルスという名前で、オリンピックでも何度かメダルを取っています。

映画産業もさかんで、ナイジェリアの映画産業はノリウッド(ナイジェリアのハリウッドとという意味)で年間約2000本の映画が制作されています。音楽の分野でもアフロビーツのフェラ・クティやジュジュミュージックのキング・サニー・アデといった国際的なスターを生み出しています。また土や銅やブロンズで作った彫刻には、ほんとうにすばらしいものがあります。

食べ物についていえば、本書にも出てくるフーフーはイモをつぶして作るもので、ナイジェリアの人たちの主食の一つです。お米ではよくジョロフライスというものを作りますが、これは肉、タマネギ、トマト、スパイスなどを入れてたいたお料理です。ヤムイモは、根を食べるヤマノイモ科のイモで、ナイジェリアは世界一の産地です。コーラナッツは、コーラの木の種子で、カフェインを含むので、ナイジェリアではドライバーがよくかじっています。また儀式のときにも必ず出されるものです。初期のコカ・コーラの原料にはコーラナッツが使われていたといいます。味は苦味があり、ナイジェリアを旅行したときに何度も食べてみましたが、私はそうおいしいとは思いませんでした。でもいつもかじっていると、やみつきになるのかもしれません。飲み物では、本書にはひんぱんにヤシ酒が出てきますが、これはヤシの樹液を発酵させて作るお酒です。

本書には、ジュジュという言葉もよく登場しますが、ジュジュとは魔力のことでもあり、魔力がこめられた物のことも指します。「ネコとカメのレスリング」では、強力なジュジュを持っている者が勝利をおさめるし、「めんどりとタカ」では、タカにジュジュをもらっためんどりが敵に襲われなくなります。「働いてはいけないアランテレ」では、子のない夫婦が祈祷師のジュジュのおかげで娘を授かるし、「カエルの骨」では強力なジュジュを持つカエルをだれもが恐れています。

また歌や踊りも、力を持っているものです。「オタマジャクシの悲しいお話」では、オタマジャクシが即位式の前に酔っ払っておどりまくります。「男の子と魔法のヤムイモ」では、男の子が歌をうたうと、動物たちはうっとりと聞きほれて繰り返すようたのみ、やがてはその歌に合わせておどりだします。また「キンキンとネコ」では、キンキンがうたうと、畑が一瞬にして草ぼうぼうになってしまいます。また、「鳴らないタイコ」からは、儀式でタイコが重要な役割を果たしていたことがうかがえます。

本書のタイトルにもなっている最初の「1400個のコヤスガイ」はいわゆる「積み重ね歌」あるいは「積み上げ歌」と言われるものです。イギリスのマザーグースにある「これはジャックが建てた家」などが有名ですが、ヨルバ人に伝わるこの話はまた少し趣が違うのがおもしろいところです。また最後の「カエルの骨」では、カエルが人形につけたゴムの樹液で身動きがとれなくなりますが、これを読んで、アフリカ系アメリカ人の昔話にある「タールベイビー」を思い出す方もおいでだと思います。「タールベイビー」では、ウサギが人形に塗ったタールのせいで身動きがとれなくなっていました。アフリカのほかの地域にもいたずら者がねばねばしたもののせいで人形に貼り付いてしまう昔話があり、それが奴隷といっしょに海をわたってアメリカまで伝わっていたことがわかります。

「ふたご」の話は、タイウォ、ケヒンデというふたごが主人公でした。ヨルバ人のふたごには、伝統的にタイウォ(もともとの意味は、世界を味わう者)とケヒンデ(もともとの意味は、あとから来た者)という名前がついています。私が個人的に知っているタイウォさんは女性でしたが、やはりケヒンデさんというふたごがいました。

ナイジェリアやヨルバの人たちの文化に思いをはせながら、本書の昔話を楽しんでいただけると幸いです。

編集の坂本久恵さんにはお世話になりました。ありがとうございました。

さくまゆみこ

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女たちの物語〜アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話

『女たちの物語』表紙
『女たちの物語〜アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話』 小学館世界J文学館

ヴァージニア・ハミルトン/編 さくまゆみこ/訳 レオ&ダイアン・ディロン/絵
小学館
2022.12

国際アンデルセン賞作家のヴァージニア・ハミルトンは、母、おばなど親族の女たちからたくさん話を聞いて育ちました。そして自分でも、アフリカ系の女たちが登場するそうした話をまとめたいと思っていました。そして出した本書に載っているのは、動物が登場する昔話、ちょっと怖い伝説、ファンタジー、実話と種類はさまざまですが、どれも強く印象に残ります。ディロン夫妻の絵もすばらしいですよ。ハミルトン自身による解説と、なぜこの本を出すにいたったかというもう一つの物語もついています。

〈目次〉

◯女たちの動物の話

小さな女の子とバーラビー
リーナと大きなトラ
マリーと赤い魚
仲間を手に入れたミズ・ハティ

◯女たちのおとぎ話──妖精や魔女の話

ネコ皮かぶり
よいブランシュと、悪いローズと、おしゃべりする卵
メアリベルと人魚
光りかがやく妖精を見たベットおっかあ

◯女たちの超自然の話

ほう、ほう、ほほう
メイシーとブー・ハグ
ローナとネコ女
マリンディと小さな悪魔

◯女たちの暮らしぶりと伝説

最初、女と男は対等だった
ルエラとオウム
閉じこめられた人魚
アニー・クリスマス

◯女たちの実話

ミリー・エヴァンズ:プランテーション時代(ノースカロライナ)
レティス・ボイヤー(ノースカロライナ)
メアリ・ルー・ソーントン:わたしの家族(オハイオ)

 

〈訳者あとがき〉

本書をまとめたのは、アメリカの女性作家ヴァージニア・ハミルトンです。

ハミルトンは、1934年に生まれ(1936年という情報も出回っていますが、オフィシャルなウェブサイトには34年と書いてあります)オハイオ州南西部にある祖母の一族が持っていた農場で育ちました。子どものころは、著者あとがきにもあるように、家族や親族からたくさんの物語を聞いて育ちました。両親もすばらしい語り手で、アフリカ系の人々の歴史や文化を誇りをもって伝えてくれたと言います。祖父のレヴィ・ペリーは、幼い頃母親と一緒に売られた奴隷でしたが、1857年に母親の助けを借りてヴァージニア州からオハイオまでやって来て、自由人になった人です。レヴィを助けたのは、「自由への地下鉄道」という南部の奴隷を北部に逃がすための人間のネットワークでした。

ヴァージニア・ハミルトンは、1953年にはニューヨークに出て、博物館の受付やナイトクラブの歌手などをして生計を立てながら、作家になろうと努力していました。1960年には詩人のアーノルド・エイドフと結婚し、その後作家活動に専念するようになります。

作家としては、1967年に『わたしは女王を見たのか』(邦訳:鶴見俊輔 岩波書店)を発表して以来、41点の作品を出版しました。ジャンルは絵本、昔話、ミステリー、YA小説、伝記と多岐にわたっています。『ジュニア・ブラウンの惑星』(1971/邦訳:掛川恭子 岩波書店)でアメリカで最も権威あるニューベリー賞のオナーを受賞し、『偉大なるM.C.』(1974/邦訳:橋本福夫 岩波書店)で、ニューベリー賞とボストン・グローブ・ホーンブック賞と全米図書賞を受賞しました。ニューベリー賞の本賞をアフリカ系の作家が受賞したのは初めてのことでした。その後も、『マイゴーストアンクル』(1982/邦訳:島式子 原生林)でニューベリー賞オナーとコレッタ・スコット・キング賞とボストン・グローブ・ホーンブック賞、『人間だって空を飛べる〜アメリカ黒人民話集』(1985/邦訳:金関寿夫訳 福音館書店)と、本書『女たちの物語〜アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話』(1995)でコレッタ・スコット・キング賞と、数々の賞にかがやいています。

また1992年には、全業績が評価されて国際アンデルセン賞を受賞しています。これは世界で最も権威ある児童文学の作家・画家にあたえられる賞で、この賞をアフリカ系アメリカ人が受賞したのは初めてのことでした。さらに、1995年にはローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞しています。この賞はアメリカで作品を出版し、長年にわたって児童文学に多大な貢献をしてきた作家・画家にあたえられる賞ですが、ワイルダーの作品には人種差別的な表現が含まれていることから、名称が2018年に「児童文学遺産賞」へと変更されています。

ヴァージニア・ハミルトンは、アフリカ系アメリカ人の子どもたちを主人公にし、彼らが誇りをもって読めるようなフィクションを書くと同時に、アフリカ系の人たちの間に伝承されてきた昔話や伝説を、今の子どもたちに伝えることにも力を注ぎました。『人間だって空を飛べる』や本書は、その成果と言えるでしょう。

さらなる活躍を期待されていましたが、2002年に乳がんで死去しています。

アフリカ系アメリカ人の昔話といえば、ジョエル・チャンドラー・ハリスという白人のジャーナリストが南北戦争後に南部の黒人たちから話を聞き出して新聞に掲載し、後に本にまとめた『リーマスじいやの物語〜アメリカ黒人民話集』(1881)があります。当時ベストセラーになったこの民話集は、かつては奴隷だった「リーマスじいや」が、南部の黒人たちが使うだろうとハリスが考えた言葉遣いで、白人の子どもに語って聞かせるという体裁をとっていて、ブレアラビット(ウサギどん、ウサギ兄貴)など動物たちがいろいろ登場してきます。

私はイギリスの湖水地方で、ビアトリクス・ポターがこの本を読んで描いた絵というのを見たことがあります。ポターは、その影響もあってピーター・ラビットというちょっといたずらなウサギが登場する絵本を思いついたのかもしれません。ともあれ『リーマスじいやの物語』は、アメリカばかりでなくイギリスでも広く読まれていたようです。

本書にも、「バーラビー」と呼ばれるいたずら者のウサギが登場する話が載っています。ちなみにいたずら者のウサギは、アフリカの昔話とも深いかかわりがあります。アフリカではウサギ(ラビット)ではなくノウサギ(ヘア)として登場してきますが、アフリカ系アメリカ人の昔話とアフリカの昔話には、似たような話がたくさんあって、アフリカから連行された奴隷たちが、昔話もたずさえていき、それを文化として子どもたちに伝えていたことがよくわかります。

本書の挿絵をかいたレオ&ダイアン・ディロンは共同で絵を描き活躍していました。レオはブルックリンで、ダイアンはロサンジェルスで、ともに1933年に生まれ、1954年にニューヨーク市のデザイン学校で出会って結婚し、それ以来50年以上の間、一つのチームとして仕事をするようになりました。1976年と1977年に、『どうしてカは耳のそばでぶんぶんいうの?』(ヴェルナー・アールデマ文 邦訳:やぎたよしこ ほるぷ出版)と『絵本アフリカの人びと』(マスグローブ文 邦訳:西江雅之 偕成社)とで、アメリカで最もすぐれた絵本の画家にあたえられるコールデコット賞を受賞しています。本書の挿絵を見てもわかるように、アフリカ系の人たちを威厳と誇りをもった存在として描いているのが特徴の一つとして挙げられます。レオは、残念ながら2012年に死去しています。

本書には、アフリカ系アメリカ人の女性が登場する話が五つのジャンル別に全部で19編おさめられ、それに加え、著者自身の物語も入っています。シンデレラ物語もあれば、怪力の女性船頭についての伝説、バンパイアや魔女や人魚が登場する話や、神様やイエス・キリストが登場するものもあります。そして奴隷だった時代のことを語る実話も入っています。

原書では、一つ一つの話の最後に、ハミルトン自身による解説が入っていましたが、物語そのものとは対象になる読者も違うので、本書では後ろにまとめてあります。

アフリカの昔話と同様、一味ちがう趣をもった話が多いのですが、そこがおもしろいところだし、だからこそ印象に残る話も多いのではないかと私は思っています。ともあれ、ハミルトンが書いた「はじめに」にあるように、楽しく読んでいただければ幸いです。一つだけ言い添えておくと、本書は『女たちの物語』となっていますが、男性読者が読んでもおもしろいと私は思っています。

編集の坂本久恵さんに感謝いたします。

さくまゆみこ

 

 

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アフリカン・マジック〜ネルソン・マンデラが選んだ昔話と物語

『アフリカン・マジック』表紙
『アフリカン・マジック〜ネルソン・マンデラが選んだ昔話と物語』 小学館世界J文学館

ネルソン・マンデラ/編 さくまゆみこ/訳 末山りん/絵
小学館
2022.12

南アフリカの出版社が出した昔話と物語です。語り伝えられてきた昔話と、昔話をもとにした創作物語の両方が入っています。後ろの方にある「本書の物語について」というところには、一つ一つの物語の由来が書いてあります。

〈目次〉

1)怪鳥のふしぎな歌(タンザニア)
2)ネコはどうして家の中でくらすようになったのか(ジンバブウェ)
3)動物たちはどうやって草と水を手に入れたのか(南部アフリカ・サン人)
4)ライオン王のおくりもの(南部アフリカ・コイコイ人)
5)月のお使い(ナミビア)
6)ヘビの呪い(西アフリカ/ズールーランド)
7)怪物とフラカニャナの知恵くらべ(南部アフリカ・ングニ人)
8)サンカンビのあまい言葉(南部アフリカ・ヴェンダ人)
9)ノウサギとハイエナ(ボツワナ)
10)ライオンとノウサギとハイエナ(ケニア)
11)言うことを聞かなかったマディペツァネ(レソト)
12)川から来たカミヨ(トランスカイ)
13)クモとカラスとワニ(ナイジェリア)
14)ダンスに出かけたナティキ(南アフリカ・ナマクアランド)
15)ノウサギと木の精霊(南部アフリカ・コーサ人)
16)カマキリと月(南部アフリカ・サン人)
17)七つ頭のヘビ(南部アフリカ・コーサ人)
18)ノウサギの仕返し(ザンビア)向けと
19)オオカミの妃(南アフリカ・ケープのマレー人)
20)ファン・フンクスと悪魔(南アフリカ・ケープのオランダ人)
21)オオカミとジャッカルとバターのたる(南アフリカ・ケープのオランダ人)
22)雲の国のお姫様(エスワティニ)
23)水場を守るヘビ(中央アフリカ/ズールーランド)
24)アリとスルタンのむすめ(南アフリカ・ケープのマレー人)
25)王様の指輪
26)かしこいヘビ使い(モロッコ)
27)びんに閉じこめられたアスモデウス(南アフリカ・ケープのイギリス人)
28)美しい若者サクナカ(ジンバブウェ)
29)〈すべての子どもの母〉(マラウィ)
30)妹がほしかったピピディ(ボツワナ)
31)フェシト、市場へ行く(ウガンダ)
32)魔女と竜と異国の紳士(南アフリカ・ケープのイギリス人)

 

〈訳者あとがき〉

本書はもともと南アフリカの出版社が英語で出したもので、原著にはアフリカ人画家の挿絵が入っています。原書の書名は「マディバ・マジック」。マディバというのは、ネルソン・マンデラの氏族の名前だそうですが、南アフリカの人々がマンデラ元大統領を尊敬と親しみをこめて呼ぶ言葉です。私は2004年にケープタウンで子どもの本世界大会に参加したとき、ケープタウンの本屋さんで原書を見つけて購入し、いつか日本でも紹介したいと思っていました。

今回の『世界J文学館』についての企画を考える時、アフリカ地域から選ぶとしたら何がいいだろうと、いろいろ考えたました。アフリカといっても広い大陸で、教科書以外の子どもの本を出している国もいくつかあります。その中には日本と同じように、学校物語や家族の気持ちのすれ違いや初恋などを描いている作品もあります。でも、日本の今の子どもたちが読んでおもしろいと思えるかどうかが疑問でした。

アフリカ地域から日本の子どもたちへぜひ読んでほしいのは、やはり昔話が中心になるかもしれないと、私は思いました。そこで、まず候補に挙げたのが本書です。

長くヨーロッパの植民地にされていたアフリカ各国では、一九六〇年代に独立するまでは、学校でも、生徒たちはヨーロッパ人が書いた物語や詩を勉強していました。でも、それでは自分たちの文化がすたれてしまうし、アフリカで暮らす子どもたちのためにはならないと思って、作家たちは危機をいだきました。そして目を向けたのが、アフリカの伝統の中にある「声の文化」でした。アフリカには歴史的に文字の文化(読む・書くの文化)より声の文化(話す・聞く)のほうが豊かにありました。そこに自分たちの文化のルーツの一つがあると作家たちも考えたのです。なので、独立後にアフリカの人たちがまとめた子どもの本の中には昔話がたくさんあるし、昔話から発展した物語もあります。

本書は、マンデラさんが南アフリカで実現しようとした「虹の国」(人種差別をやめて、肌の色にかかわらず、みんなで協力してつくる国)の理想を、体現している本だとも言えます。南アフリカがアパルトヘイトという人種差別的な政治を行っていたとき、黒人たちの文化は無視されていました。でも、本書には、アフリカ大陸に最も古くから住んでいたサン、コイコイ、ナマ、今の南アフリカをになうズールー、ヴェンダ、コーサといった人たちの昔話ばかりでなく、オランダ系、イギリス系、アジア系の人たちに伝わる昔話も入っています。それに加え、タンザニア、ジンバブウェ、ナミビア、ボツワナ、ケニア、レソト、ナイジェリア、ザンビア、エスワティニ、モロッコ、マラウィ、ウガンダといった南アフリカ以外の国の昔話や創作物語も収められています。

再話・創作したのは、主に南アフリカに暮らす多様な人々ですが、そのうち私はチナ・ムショーペさんとジェイ・ヒールさんにはお目にかかって話したことがあります。チナさんは、コーサ人の母とズールー人の父の間に生まれ、女優、詩人、戯曲作家、ストーリーテラーとして世界で活躍しています。南アフリカが民主化するまでは、アパルトヘイトを廃止させようとする活動も行っていました。チナさんのストーリーテリングは日本でも、南アフリカでも聞きましたが、演劇の要素が入ったすばらしいものでした。ジェイさんは、ロンドンに生まれてオックスフォード大学で修士号まで取り、イギリスや南アフリカの学校で子どもたちを教え、その後子どもの本を書いたり、編集・出版したり、読書普及活動をしたりなさっていました。ケープタウンの子どもの本の世界大会のときにはIBBY南アフリカ支部の会長をしておいででした。今回この本を訳すにあたっていろいろと調べてみると、ジェイさんは昨年暮れに亡くなられていたことがわかりました。とてもまじめて→おもしろい方だったので残念です。

ここに集められたアフリカの昔話には、アフリカ全体の昔話の特徴もよくあらわれています。まず動物が登場する話が多いことにお気づきだと思います。アフリカの人は人間を主人公にして話すと、あとで角が立つので、擬人化した動物を登場されるといいます。アフリカの人たちは、知恵(時には悪知恵も)を使って、小さくて弱い動物が、大きくて強い動物を出しぬく話が大好きです。本書にもいたずら者のノウサギやカメが登場する話が、収められています。動物ではありませんが、怪物と知恵くらべをするフラカニャナや、サルたちをだますサンカンビも、知恵を使って生きのびたり、今ある秩序をひっくり返したりするいたずら者(トリックスター)の話です。ヘビが登場する話も三つ入っています。ほかに、動物と人間の両方が登場する話、魔力を持つ者や妖怪が登場する話などもあります。

また歌が入ってくるのも、アフリカの多くの昔話に見られる特徴です。チナさんのストーリーテリングも、最初は静かにお話を語ることから始まり、そのうちに歌や太鼓や踊りにつながっていきました。日本のストーリーテリングは声色も使わず、どちらかというと淡々と語っていきますが、アフリカのストーリーテリングはもっと演劇的な要素、ミュージカル的な要素が強いと言えるかもしれません。

グリム昔話や日本の昔話に親しんできた方たちの中には、意外な展開に驚かれたり、ちょっと残酷かと思われたり、いたずら者やだまし上手な存在が主人公になっていることに眉をひそめる方もおいでだと思います。しかし、昔話というのは、もともと暗い夜に燃える火を囲んで、日常とは切り離された別次元で起こる出来事が語られるのを聞いて楽しむものでした。欧米や日本では、語りの文化が弱くなり文字の文化が主流になったとき、子どもに聞かせるお話の中からトリックスターや残酷な要素は排除されてしまいました。でも、アフリカではまだその要素が残っているということかもしれません。そういう意味では、昔話の原型やダイナミズムを感じていただけるのではないかと思います。

本書を翻訳するにあたっては、編集の坂本久恵さんと塚原伸郎さん、ツワナ語の歌の意味を教えてくださった国際協力機構(JICA)ボツワナ支所と京都大学の高田明先生には特にお世話になりました。ありがとうございました。

アフリカの子どもたちが楽しんでいる昔話や創作物語を、日本の読者のみなさんも楽しんでいただけるとうれしいです。

さくまゆみこ

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クリスマスの小屋〜アイルランドの妖精のおはなし

『クリスマスの小屋』表紙
『クリスマスの小屋〜アイルランドの妖精のおはなし』
ルース・ソーヤー/再話 上條由美子/訳 岸野衣 里子 画
福音館書店
2020

『クリスマスの小屋』(読み物)をおすすめします。

捨て子だったオーナは長じて働き者になったが、自分の家はなく家族はいない。飢饉に襲われたあるクリスマスイブのこと、年老いたオーナは、食べものは子どもたちに譲ろうと自分は死を覚悟し、丘に登る。すると小さな妖精たちがやってきて、小屋を建ててくれる。それからは、ホワイトクリスマスになるたび、その小屋が孤独な者、悲しみを抱えた者を受け入れてくれるようになったという。すぐれたストーリーテラーが、幼い頃に乳母から聞いた昔話を再話している。挿し絵も幻想的な雰囲気を伝えている。

原作:アメリカ/9歳から/クリスマス、妖精、昔話

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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チンチラカと大男〜ジョージアのむかしばなし

『チンチラカと大男』表紙
『チンチラカと大男〜ジョージアのむかしばなし』
片山ふえ/ 文 スズキコージ/絵
BL出版
2019

『チンチラカと大男』(絵本)をおすすめします。

知恵が回るので有名なチンチラカは、気まぐれな王様に、魔の山にすむ大男から黄金のつぼや、人間の言葉を話す黄金のパンドゥリ(楽器)を取ってくるように次々命じられる。チンチラカがそれに成功すると、今度は大男をつかまえてこいとの命令が。チンチラカは大男をなんとかだまして箱に入れて連れてくるのだが、王様が箱を開けてしまい、大男は王様や家来を飲み込んでしまう。怖いところもあるがハッピーエンドなのでご安心を。コーカサス地方にある国ジョージアの昔話に、ダイナミックで魅力的な絵がついている。

3歳から/知恵 大男 王様 ジョージア

 

Chinchiraka and the Giant

A folktale from Georgia in the Caucasus unfolds
in this dynamically illustrated picture book.
Chinchiraka, the youngest of three brothers known for his wisdom, is commanded by a moody king to snatch a golden vase from a giant who lives inside a magic mountain. When Chinchiraka succeeds, he is told to go take a golden panduri instrument that speaks human language. After that, he must go and catch the giant himself. Chinchiraka somehow tricks the giant into a box and catches him, but when the giant comes out of the box, he gobbles up the king and his servants! Scary parts are balanced by a happy ending, in which Chinchiraka becomes the king. (Sakuma)

  • text: Katayama, Fue | illus. Suzuki Koji
  • BL Shuppan
  • 2019
  • 32 pages
  • 29×22
  • ISBN 9784776409274
  • Age 3 +

Wisdom, Giant, King, Georgia

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2021」より)

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まめつぶこぞうパトゥフェ〜スペイン・カタルーニャの むかしばなし

『まめつぶこぞうパトゥフェ』表紙
『まめつぶこぞうパトゥフェ〜スペイン・カタルーニャの むかしばなし』
宇野和美/文 ささめやゆき/絵
BL出版
2018

『まめつぶこぞうパトゥフェ』(絵本)をおすすめします。

パトゥフェは、体は豆粒ぐらい小さいのに、なんでもやろうとする元気な男の子。お母さんにたのまれたおつかいも、踏みつぶされないように「パタン パティン パトン」と歌いながら歩いていき、ちゃんとなしとげる。ところが、お父さんにお弁当を届けに行こうとしてキャベツの葉の下で雨宿りしているとき、牛に飲み込まれてしまう。さあ、どうしよう。パトゥフェは牛のお腹の中でも歌って、お父さんとお母さんに居場所を知らせ、牛のおならとともに外に飛び出す。絵も文もゆかいで楽しい。

3歳から/昔話 牛 おなら おつかい

 

The Pea-sized Boy Patufet

ーA Folktale from Catalonia, Spain

Patufet is an active little boy who tries to do everything even though he is pea-sized. When his mother asks him to go and buy some saffron, he successfully fulfills his mission. To make sure no one steps on him, he sings “Patan, patine, paton” the whole way there. When he goes to take lunch to his father, however, it begins to rain. Patufet shelters under a cabbage leaf, but is swallowed by a cow that eats the cabbage. What does he do? The resourceful boy sings loudly inside the cow’s stomach so that his parents can find him and leaps out when the cow farts. The illustrations and text are fun and entertaining. (Sakuma)

  • Text: Uno, Kazumi | Illus. Sasameya, Yuki
  • BL Shuppan
  • 2018
  • 32 pages
  • 29×22
  • ISBN 9784776408628
  • Age 3 +

Folktale, Cow, Fart, Errand

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2020」より)

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ノウサギの家にいるのはだれだ?〜ケニア マサイにつたわるおはなし

『ノウサギの家にいるのはだれだ?〜ケニア マサイにつたわるおはなし』
さくまゆみこ/再話 斎藤隆夫/絵
玉川大学出版部
2022.04

ノウサギが外から戻ってくると家の中にはだれかがいる。だれだと問うと、そいつが「おれは強くて勇敢な戦士だぞ。サイを張り倒すことだって、ゾウを踏みつぶすことだって、ちょいのちょいだ」というので、ノウサギは怖くなって、ほかの動物に助けを求める。ジャッカル、ヒョウ、サイ、ゾウが助けにくるものの、みんな怖くなって逃げていく。最後にカエルがやってきて、とうとう中にいたものが最後にわかって、みんなで大笑い。

斎藤さんの絵がとてもいいので、見てください。
(編集:檀上聖子さん 装丁:中浜小織さん)

 

〈マサイの人たちに伝わる昔話〉(あとがき)

本書は、東アフリカに暮らすマサイの人たちに伝わる昔話で、勇敢な戦士であることが重んじられていたマサイの人たちの価値観が色濃く反映されているように思います。力の弱い者が家をのっとられて、ほかの動物に加勢を頼みます。加勢してくれる動物たちは、しだいに大きく強くなっていきますが、中から聞こえてくる大言壮語にみんな怖気づいてしまいます。偉そうに声を張り上げていた者の正体が最後にわかると、みんながびっくりする、という展開がとてもゆかいですね。

マサイの人たちは、ケニアとタンザニア北部に暮らしています。もともとは遊牧民ですが、今はあちこちに動物保護区や国立公園ができてしまい、自由に動き回ることができなくなっています。伝統的な文化や風習を重んじる人も多いのですが、なかには『ぼくはマサイ〜ライオンの大地で育つ』(さくま訳 さ・え・ら書房)の著者ジョゼフ・レマソライ・レクトンさんのように外国に留学して政治家になった人もいます。

マサイの昔話は、以前『ウサギのいえにいるのはだれだ?』(ヴェルナ・アールデマ文、レオ・ディロン&ダイアン・ディロン絵 やぎたよしこ訳 ほるぷ出版)という絵本が日本でも翻訳出版されていました。登場する動物たちはほぼ同じですが、マサイの人たちが上演する劇という形をとっていて、話そのものももう少し複雑なので、本書とは趣がずいぶん違います。本書のようなシンプルな昔話をもとにして、いろいろなバージョンが生まれてきたのだと思います。

同じような昔話は、ロシアにもあります。『きつねとうさぎ』(ユーリー・ノルシュテイン絵 フランチェスカ・ヤールブソワ絵 こじまひろこ訳 福音館書店)という絵本では、家をのっとられたのはウサギで、のっとったキツネを追い出そうとします。東アフリカとロシアではずいぶん離れているし、文化も違うのに、同じようなお話が伝わっているのは、おもしろいですね。

本書では斎藤隆夫さんが、東アフリカの風土や動物たちの特徴と魅力をじゅうぶんに生かした、とてもおもしろい絵を描いてくださいました。マサイの人たちが暮らすサバンナに行ったつもりで、お話を楽しんでいただければ幸いです。

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巨人の花よめ〜スウェーデン・サーメのむかしばなし

『巨人の花よめ』表紙
『巨人の花よめ〜スウェーデン・サーメのむかしばなし』
菱木晃子/文 平澤朋子/ 絵
BL出版
2018

『巨人の花よめ』をおすすめします。

スウェーデンの少数民族に伝わる昔話の絵本。サーメ人の美しい娘チャルミが、山の恐ろしい巨人に結婚を迫られる。チャルミは知恵を働かせて巨人の手から逃れようとするが、なかなかうまくいかない。とうとう婚礼の宴が開かれ、巨人もお客も浮かれているすきに、テントの中に身代わりの丸太を置いて、チャルミは逃げ出す。そして川の氷に大きな穴を掘り、村人を困らせていた巨人を退治する。現地に取材した画家の絵がダイナミック。

5歳から/サーメ 巨人退治 知恵

 

The Bride of the Giant

A Swedish to Japanese translator retells the legends of the Saami people of Lapland in Sweden, and an artist provides wonderful illustrations researched on location. When a giant who lives in the mountains falls in love at first sight with a beautiful Saami girl, Charmie, she wracks her brains to find a way to escape from him but things don’t go well. Finally their wedding banquet is held, and she takes advantage of the giant and his guests making merry to dress a log in her bridal clothes and make her getaway. She digs a large hole in the ice on the river to exterminate the giant that had caused so many problems for the villagers. (Sakuma)

  • Text: Hishiki, Akirako | Illus. Hirasawa, Tomoko
  • BL Shuppan
  • 2018
  • 32 pages
  • 30×22
  • ISBN 978-4-7764-0836-9
  • Age 5 +

Saami, Giants, Wisdom

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2019」より)

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ダチョウのくびはなぜながい? 〜 アフリカのむかしばなし

『ダチョウのくびはなぜながい? 〜 アフリカのむかしばなし』
ヴァーナ・アーダマ/文 マーシャ・ブラウン/絵 まつおかきょうこ/訳
冨山房
1996.10

昔むかし,首の短いダチョウがワニに虫歯の治療をたのまれて……。ケニヤに伝わる昔話を,カルデコット賞に輝くコンビが絵本化。 (日本児童図書出版協会)

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白雪姫と七人の小人たち (改訂版)

『白雪姫と七人の小人たち (改訂版)』
グリム/文 ナンシー・エコーム・バーカート/画 八木田宜子/訳
冨山房
1996.08

有名なグリム童話の絵本決定版。画家のひたむきな努力が実をむすび,物語の雰囲気をよく伝えています。格調の高い作品です。 (日本児童図書出版協会)

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パンはころころ〜ロシアのものがたり(改訂版)

『パンはころころ〜ロシアのものがたり(改訂版)』
マーシャ・ブラウン/作 八木田宜子/訳
冨山房
1994.02

ころんころんところがり出たパンは,いろいろな動物からねらわれますがうまく逃げるので大丈夫。得意になってキツネの鼻へ……。 (日本児童図書出版協会)

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よるの森のひみつ 〜スイス南部の昔話より

『よるの森のひみつ 〜スイス南部の昔話より』
ケティ・ベント/絵 エベリーン・ハスラー/文 若林ひとみ/訳
冨山房
1993.11

南スイスの昔話をもとにした現代版「こぶとり」の物語絵本。動物や植物と仲良くすることの大切さを,美しい絵で表現しています。 (日本児童図書出版協会)

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七わのからす

『七わのからす』
グリム/作 リスベート・ツヴェルガー/画 池田香代子/訳
冨山房
1985.04

かしこくて勇敢な女の子が,からすになった七人の兄さんたちを助けだすというグリムの有名な話に,美しい絵がつきました。 (日本児童図書出版協会)

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あかずきん

『あかずきん』
グリム/作 リスベート・ツヴェルガー/画 池田香代子/訳
冨山房
1983.11

数々の絵本賞,美術賞にかがやくツヴェルガーが,グリムの世界の雰囲気をそのまま伝えます。赤ずきん絵本の決定版。 (日本児童図書出版協会)

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ヴォドニークの水の館 〜チェコのむかしばなし

『ヴォドニークの水の館』表紙
『ヴォドニークの水の館 〜チェコのむかしばなし』
まきあつこ/文 降矢なな/絵
BL出版
2021.03

『ヴォドニークの水の館』をおすすめします。

チェコ語の翻訳者が再話し、スロバキア在住の画家が絵をつけた昔話絵本。貧しさに希望を失って川に身を投げようとした娘が水の魔物ヴォドニークにさらわれ、水中の館を掃除することになる。娘はやがて、館にたくさんあるつぼの中に溺れた人たちの魂がとらわれていることに気づき、その魂をすべて解放し、自分も逃げて地上にもどる。女の子の冒険物語としても楽しめるし、緑色でカッパにも似たヴォドニークが不思議で、いろいろ工夫のある幻想的な絵もすばらしい。
小学校低学年から

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年4月24日掲載)

チェコ語の翻訳者が再話し、スロバキア在住の画家が絵をつけた昔話絵本。貧しさのあまり身投げしようとした娘が、ヴォドニークという水の魔物にさらわれて水中の館で働かされる。娘はやがて館を脱出し、囚われていた他の魂も解放して生の世界に帰っていく。生と死と再生の物語ともとれるこの絵本では、窓からのぞく娘の目の前を魚が泳いでいる表紙がまず読者の目を引くが、絵は場面展開の仕方も周到に考えられ、娘の姿も、水中の館にいるときは静、行動を起こして陸に上がるときは動と、描き分けられている。
視点や色彩の変化の付け方、チェコらしい刺繍の服やつぼの模様といった細部にも十分に目配りがされ、昔話の世界を見事に伝えている。

(産経児童出版文化賞/美術賞選評 産経新聞2022年05月05日掲載)

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オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし

『オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし』(さくま訳)の表紙
『オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし』
アルベナ・イヴァノヴィッチ=レア/再話 ニコラ・トレーヴ/絵 さくまゆみこ/訳
光村教育図書
2021.09

フランスの絵本。まだこの世界が若かった頃、動物たちは川のほとりでみんな仲良く暮らしていましたが、やがて飢饉に襲われて食べるものがなくなってしまいます。そんなときカメがおいしい実がたくさんなる木の夢を見て、人間のおばあさんをたずね、その木が本当にあって、木の名前を当てると実をもらえると知り、その名が「オノモロンボンガ」だと聞いて、そこまで歩いて行く決心をします。途中で出会ったさまざまな動物がカメより自分のほうが足が速いし賢いと主張して自分こそ一番乗りしようと走って行きますが、みんな何かの拍子に木の名前を忘れてしまい、うまくいきません。

みんなが飢えている時にあらわれる魔法の木の名前をあてる、というモチーフの昔話はアフリカの各地にあり、これもその1つで、原著はフランスで出版されました。私はこれまでに類話の絵本を『ごちそうの木〜タンザニアのむかしばなし』(ジョン・キラカ再話 西村書店)、『ふしぎなボジャビの木』(ダイアン・ホフマイアー再話 ピート・フロブラー絵 光村教育図書)と、2冊訳していて、これが3冊目です。比べてみるのもおもしろいです。

ジョン・キラカさんが来日したときに『ごちそうの木』について話をうかがったのですが、キラカさんはほかの地域にも同じような昔話があることは知らず、自分が直接村で聞き取ったタンザニアの昔話を絵本にしたのだとおっしゃっていました。

(編集:鈴木真紀さん 装丁:城所潤さん+館林三恵さん)

◆◆◆

〈紹介記事〉

・「朝日小学生新聞」2021年12月2日

『オノモロンボンガ』朝小書評

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まめつぶこぞうパトゥフェ〜スペイン・カタルーニャのむかしばなし

『まめつぶこぞうパトゥフェ』表紙
『まめつぶこぞうパトゥフェ〜スペイン・カタルーニャのむかしばなし』
宇野和美/文 ささめやゆき/絵
BL出版
2018.10

『まめつぶこぞうパトゥフェ〜スペイン・カタルーニャのむかしばなし』をおすすめします。

パトゥフェは、豆粒くらい小さいけれど、なんでもやろうとする男の子。踏みつぶされないように「パタン パティン パトン」と歌ってみんなの注意を引きながら歩いていく。ところが、お父さんにお弁当を届けにいく途中、牛に食べられてしまったから、さあ大変。ゆかいで楽しい絵本。(幼児から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年12月29日掲載)

キーワード:絵本、スペイン、牛、昔話

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ノウサギのムトゥラ〜南部アフリカのむかしばなし

ビヴァリー・ナイドゥー『ノウサギのムトゥラ〜南部アフリカのむかしばなし』さくまゆみこ訳 岩波書店
『ノウサギのムトゥラ〜南部アフリカのむかしばなし』
ビヴァリー・ナイドゥー/著 ピート・フロブラー/絵 さくまゆみこ/訳
岩波書店
2019.03

南部アフリカに暮らすツワナ人に伝わるノウサギの昔話集。南アで生まれ育ったナイドゥーさんが、再話しています。

どのお話でも、体の小さなノウサギが、知恵を使って体の大きな動物たちを出し抜きます。

ナイドゥーさんによる「日本の読者へ」という序文もついています。またフロブラーさんの挿絵は、ノウサギのムトゥラのキャラクターをとてもよく表現していて、ユーモラスです。

入っている昔話は、以下の8つです。

1.ゾウとカバのつなひき
2.ノウサギのしっぽ
3.にごった水たまり
4.ノウサギとカメの競走
5.恋するライオン王
6.夕ごはんはどこへ?
7.角を生やしたノウサギ
8.親切のお返し

この本、当初は昨年秋に出るはずだったのですが、翻訳権の取得に時間がかかり、ようやく出ました。

(編集:松原あやかさん)

 

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<訳者あとがき>

この本は、アフリカ南部のツワナの人たちに伝わる昔話を、ビヴァリー・ナイドゥーさんが再話したものです。ツワナの人たちは、ボツワナ、ナミビア、南アフリカ共和国にまたがって暮らしています。アフリカ大陸は、かつてヨーロッパの国々が地図上で線引きをして国を分け、植民地にしていたので、一つの国の中に多様な民族が暮らし、一つの民族がいくつもの国に分かれて住んでいるのです。ちなみにボツワナというのは、「ツワナ人の国」という意味で、国民の九割がツワナ人ですが、南アフリカ共和国には、それより多い数のツワナ人が住んでいます。

アフリカの昔話には、いたずら者の動物がよく登場してきます。たとえば、日本でも知る人が多いクモのアナンシは、神さまから指示されたものを、ほかの動物をだまして集めたりしています。アナンシはもともとはガーナのアシャンティ地方の昔話に登場するキャラクターでしたが、それが近隣の国の人々にも伝わったり、奴隷貿易の影響でアメリカや西インド諸島にも伝わりました。

世界各地の昔話や神話に登場する、こうしたいたずら者を、文化人類学などではトリックスターとよんでいます。トリックスターは、いたずらや思いがけない行動をして、社会のきまりや力の関係を混乱させます。でも、それだけではなく、トリックスターは新たな価値をつくりだす役割も担っています。まわりの者たちをしょっちゅうこまらせているけれど、どこか憎めない——トリックスターは、そんな存在なのです。

私は、アフリカ各地に伝わる昔話の本をたくさん収集していますが、そうした本にトリックスターとして登場する機会がいちばん多いのが、ノウサギだと思います。カメ、クモなどがトリックスターになるお話もあります。

本書に主人公として登場するノウサギのムトゥラも、そんなトリックスターだと言えるでしょう。身体は小さいし力も弱いのに、知恵(ときには悪知恵)を使って、ゾウやライオンやカバなど力の強い大きな動物たちを出し抜いたり、だましたりしています。力の強い動物にとっては、ノウサギはやっかいないたずら者でしょうが、いつもいじめられている、力の弱い小さな動物たちにとっては、胸がすっとするヒーローかもしれません。でも、時には、ノウサギがもっと弱い動物(たとえばカメ)にへこまされたりするのも、おもしろいところです。日本でもよく知られている「ウサギとカメ」に似たようなお話も、この本の中には入っています。

ムトゥラというのは、ツワナ語でノウサギという意味ですが、すべてのノウサギをさすのではなく、固有名詞として使われています。原書では、ほかの動物たちもツワナ語で登場していた(たとえばカバはクブ、ジャッカルはポコジェー、カメはクードゥというように)のですが、日本の読者にはなじみがないので、ムトゥラ以外は、日本語にしました。

動物が登場するこうした昔話は、じつは人間のことを語っているといいます。お話の中に人間のだれかを登場させると、「ばかにされた」と思ったり、「嫌みを言われた」と思ったりする人も出てきて、村のなかの人間関係がうまくいかなくなる場合があるので、動物の姿を借りて間接的に語るのだそうです。

アフリカ大陸の多くの地域では、「読む・書く」の文字の文化よりも「語る・聞く」の声の文化のほうが尊重されてきました。民族や村の歴史や、叙事詩なども、語り部の人たちが語り、みんなでそれを聞くことによって、伝えられてきたのです。地域によっては「語り」を職業とする人たちがいましたし、夜になると人々が集まって語り合ったり、年配者が子どもたちに昔話を聞かせたりすることも、よく行われていました。けれども、今はアフリカにもテレビやスクリーンメディアが入りこみ、そうした伝統は失われかけています。

昔は、欧米の学者の人たちが、伝承の物語や昔話を集めて出版していましたが、通訳を介しての記録だったり、欧米の昔話風に再話されることも多かったようです。今は、自分たちの文化の源が消えていくことを心配したアフリカの人たちが、あちこちを回って伝承の物語を自分たちで集めるようになりました。たとえば大学の先生が学生たちに、長い休みの期間に祖父母や長老から昔話を聞いて書きとめるようにという宿題を出し、集まったものをまとめて本にするなどということも行われています。またタンザニアの絵本作家ジョン・キラカさんのように、あちこちの村をまわってお話じょうずの人たちから昔話を聞き、それに基づいて絵本をつくっている人もいます。現地のようすをよく知る人たちが集めたり再話したりした本のほうが、語られるときの雰囲気なども伝わってくるので、より楽しく読めるのではないかと私は思っています。

本書も、子どものころ聞いた昔話が楽しかったことを思い出したナイドゥーさんが、今の子どもたちに向けてその楽しさを伝えようと、再話して本にまとめたものです。ナイドゥーさんの作品は、人種差別がはげしかったアパルトヘイト時代の南アフリカの子どもたちを主人公にした『ヨハネスブルクへの旅』(もりうちすみこ訳 さ・え・ら書房)や『炎の鎖をつないで〜南アフリカの子どもたち』(さくまゆみこ訳 偕成社)、父親を殺されてナイジェリアからロンドンへ脱出する子どもたちを描いた『真実の裏側』(もりうちすみこ訳 めるくまーる)が、これまでに日本でも翻訳されていますが、昔話の再話の本が日本で紹介されるのは本書がはじめてです。

ナイドゥーさんは、黒人差別のはげしい時代に南アフリカのヨハネスブルクで生まれました。子どものころは白人だけの学校に通っていたのですが、そのころは目隠しをつけて走る馬みたいに周囲のことが見えていなかったそうです。大学生のときに目隠しをはずすことができたナイドゥーさんは、人種差別はおかしいと思い始め、政府に反対する運動に加わって逮捕され、牢屋に入れられた経験をもっています。その後イギリスに亡命して作家となりましたが、最初の作品『ヨハネスブルクへの旅』は、ネルソン・マンデラが牢獄から釈放されて自由になった一年後の一九九一年まで、南アフリカの子どもたちが読むことはできませんでした。ナイドゥーさんはほかにも、アフリカの子どもが抱える困難や、アフリカの文化や暮らしを伝える本を書いています。私は二〇〇八年にケープタウンで開かれたIBBYの世界大会でお目にかかり、親しくお話をさせていただきました。今回も、お願いすると快く「日本の読者のみなさんへ」というメッセージを寄せてくださいました。

私は「アフリカ子どもの本プロジェクト」というNGOにかかわって、仲間といっしょにアフリカの子どもたちに本を送ったり、ケニアに設立した子ども図書館を支えたり、日本で出ているアフリカ関係の子どもの本を残らず読んで、おすすめ本を紹介したり、おすすめ本をみなさんに見てもらう「アフリカを読む、知る、楽しむ子どもの本」展を開いたりしています。この本を読んで、アフリカの昔話っておもしろいな、と思った方は、「アフリカ子どもの本プロジェクト」のウェブサイト(http://africa-kodomo.com)を開いて、「おすすめ本」の中の「昔話」のところをクリックしてみてください。そこにも、おすすめの昔話絵本や、昔話集がのっていますよ。

二〇一八年冬           さくまゆみこ

 

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キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし(岩波少年文庫版)

さくまゆみこ編訳『キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし』岩波書店
『キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし(岩波少年文庫版)』 岩波少年文庫 247

さくまゆみこ/編訳 太田大八/挿絵
岩波書店
2019.03

あまたあるアフリカの昔話の中から、私が「ふしぎ」をキーワードにおもしろい話を選び出し、翻訳したもので、以下の13の昔話が入っています。

・恩を忘れたおばあさん(ガーナ)
・山と川はどうしてできたか(ケニア)
・魔法のぼうしとさいふと杖(チャド)
・カムワチと小さなしゃれこうべ(ケニア)
・動物をこわがらせた赤ん坊(セネガル)
・力もちイコロ(ナイジェリア)
・キバラカと魔法の馬(スワヒリ)
・ヘビのお嫁さん(タンザニア)
・悪魔をだましたふたご(リベリア)
・ニシキヘビと猟師(コートジボワール)
・ワニおばさんとの約束(ナイジェリア)
・村をそっくり飲みこんだディキシ(ボツワナ)
・あかつきの王女の物語(スワヒリ)

*スワヒリというのは、スワヒリ語で語り伝えられてきた物語という意味です。ロンドンでお目にかかったこともあるヤン・クナッパートさんが編集したMYTHS & LEGENDS OF THE SWAHILIという本から選んだ昔話なので、こうなっています。

*この本は、もともと冨山房で出版されていました。原稿を冨山房に持ち込んだ時の私はフリーの翻訳者でしたが、なかなか本にならないので、何度も問い合わせをしているうちに、なぜか編集者として冨山房に入社することになりました。そして編集者の私が最初に手掛けた本が、この作品だったのです。

(編集:須藤建さん)

ちなみに、冨山房版はこちら

 

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<あとがき>

アフリカというと、どこかとても遠いところで、人びとの生活や考え方も、日本人とは全然違うと思っている方もあるかもしれません。たしかにアフリカは地理的にも近くはないし、私たちとは違った文化や風習ももっています。けれどもそれ以上に、同じ地球の上に暮らしている人間として、共通していることもたくさんあります。

たとえば、日本でも昔は、子どもたちが、いろりばたで、おじいさんやおばあさんの話す物語に耳を傾けました。アフリカでも、夜になると、子どもたちは火のまわりに集まって、お年寄りやおとなが話してくれる物語を聞きます。そんな時、物語に引きこまれて夢中になった子どもたちの目が、きらきら輝いているのは、世界のどこでも同じだと思います。

この本には、アフリカ大陸のあちこちで語られてきた物語の中から、魔法の話や、ふしぎな精霊や魔神の出てくるものを集めて、まとめてあります。

どの物語が、どの国に住んでいる人たちのものか、ということについては、八頁に載っているアフリカの地図を見てください。

ただし、スワヒリの物語と書いてあるものについては、ちょっと説明がいるでしょう。地図を見てもおわかりのように、スワヒリという国はありません。スワヒリの物語というのは、スワヒリ語という言語で語り伝えられてきた物語、という意味です。スワヒリ語は、アフリカのバンツー語に、アラビア語の影響が入ってできた言葉です。もともとは、東アフリカのインド洋沿岸で話されていましたが、今ではもっと広い地域に普及しています。

スワヒリの物語を読んで、『千夜一夜物語』などのアラビアの物語を連想した方もあるでしょう。それも、もっともです。スワヒリ人と呼ばれる人びとは、アラビア文化の影響を強く受けています。昔、アラビアの人たちは、紅海やインド洋を越えて海からアフリカへ入り、また砂漠を越えて、北アフリカや西アフリカまでも入って行きました。ですから、チャドの物語『魔法のぼうしとさいふと杖』にスルタンが出てくるのですね。

テレビやラジオや映画など、受身の娯楽が少ない地域には、自分たちで積極的に娯楽をつくり出していく良さがあります。そこでは、踊りや歌や楽器の演奏などと並んで、物語(ストーリーテリング)が人びとの生活になくてはならない楽しみになっています。

アフリカでは物語といっても、本を棒読みするように抑揚なく話すわけではありません。歌を混じえたり、物まねや踊りを入れたり、身ぶり手ぶりを加えたりしながら話すのです。

またアフリカには、職業的な語り部(西アフリカではグリオ、ジェリ、ジャリなどと呼ばれています)もいます。この人たちは、物語を聞かせることを専門の仕事にしていて、民族の歴史や、王の系譜や、伝統的な行事歌や褒め歌、叙事詩などを語り聞かせています。自分で楽器を弾きながら、それにあわせて歌い語りをすることも多いようです。また聞き手のほうも、合いの手を入れたり、かけ声をかけたり、熱が入ってくれば踊り出したりします。

アフリカの日常生活の中では、たいてい一日の仕事が終わって日も暮れたころに、語りが始まります。「昼間話すと、語り手の母親に死が訪れる」という言い伝えがあって、物語は夜のものと決まっている地方もあります。

時が夜というのは、大事なことかもしれません。夜の闇は、人間の想像力をとき放ち、昼間の太陽の下では見ることのできない世界へと、私たちを導いてくれます。昼間はふつうの木が、夜見るとふしぎな力をもった魔物のように思えたことはありませんか? 人間がものを思い描いたり、想像したりする力は、夜の闇の中で無限に広がってゆくものです。この本の中に出てくる、ふしぎな力をもった魔性の者たちも、きっとそうした闇の中から生まれてきたのでしょう。

特に、テレビとかラジオもなく、電灯さえないようなところでは、人間がむき出しの自然に接することも多くなり、夜のもつ魔力も、都会とくらべるとずっと強いといえそうです。

一九七五年、私はナイジェリアで、たまたま夜行の貨物列車で旅をしなければならなくなったことがありました。その時の風景は、今でも忘れられません。ナイジェリアは、当時アフリカではいちばん人口の多い国だったのですが、夜の風に吹かれながら屋根なしの貨車に乗っていると、まるで無人の荒野を走っているような気がしたものです。日本なら、へんぴなところでも、必ずどこかに人家のあかりが見えたり、走ってゆく車のヘッドライトが見えたりして、ああ、あそこに人がいるんだな、とわかりますが、そのころのナイジェリアは、まだ大都市以外には電灯がなく、もちろん、照明看板やネオンが見えるわけではありません。夜行貨物列車は、闇の海の中を、ゴトンゴトンとどこまでも走っていきました。あの時は、だれにもじゃまされずに、夜そのものと向かいあっているような気がしましたし、この本に出てくるようなふしぎなものたちが、あそこにもここにも、身をひそめているように感じたものです。

その後、私は東京であわただしい毎日を送っています。あの時のように、夜のもつふしぎな力を感じることも少なくなってしまいました。都会というのは、たしかに便利ですが、その反面、私は大事な忘れ物をしてしまっているようです。

読者のみなさんには、なるべくなら夜、窓をあけ放って、そして、アフリカのおじいさんやおばあさんに話してもらっているような気持ちになって、この本を読んでいただければ、と思っているのですが……。

本書は最初、冨山房から出版されて版を重ねましたが、その後長いこと入手できなくなっていました。思えば、この本の出版がきっかけになって、様々な出会いがありました。「アフリカ子どもの本プロジェクト」というNGOも、そんな出会いが重なって生まれたものです。このNGOでは、アフリカの子どもたちが必要としていれば本を送ったり、ケニアに二つある図書館を支えたり、日本の子どもたちに本を通してアフリカの文化や子どもの状況を伝えたりする活動を、仲間といっしょに行っています。私はその後も、さまざまなアフリカについての本を翻訳してきましたが、この本はそんな活動の源にあるような、自分にとってはとても大事な本です。今回、岩波書店さんが再刊してくださることになり、とてもうれしく思っています。気に入ってくださって、しっかり見てくださった須藤さん、ありがとうございました。

二〇一八年十一月     さくまゆみこ

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スホーの馬〜アジア・アフリカの民話

『スホーの馬〜アジア・アフリカの民話』 世界おはなし名作全集第10巻

さくまゆみこ文(再話)
小学館
1990.08

私がこの本のために選んで再話したのは、つぎの5話です。オムニバスなのでごちゃまぜ感もありますが、まじめに選んでまじめに訳しました。巻末の「アジア・アフリカ民話の舞台」と「さまざまな動物物語」も書いています。

◆「スホーの馬」・・・モンゴル
絵は、梶山俊夫さん。赤羽さんの絵本で有名な、馬頭琴の由来を語るお話です。私は東京外語大のモンゴル語の教授・蓮見治雄先生に原話を見せていただいて再話しました。「スホー」という名前は、蓮見先生は「スヘ」に近い発音だとおっしゃったのですが、それは何となく変だし、かといって赤羽さんの「スーホ」も使えないかなと思って、こうしました。

◆「アナンシのへびたいじ」・・・ガーナ
絵は本信公久さん。アシャンティの人たちの間に伝わるクモのアナンシを主人公にした昔話です。

◆「ジャッカルとらくだ」・・・東アフリカ
絵は、タンザニアのティンガティンガ派の画家デービッド・ムズグノさんです。タンザニアにいる友人経由で特別にたのんで描いてもらいました。

◆「のうさぎのちえ」・・・中央アフリカ
絵は、長野博一さん。アフリカ民話にたくさん登場するトリックスターのノウサギが活躍しています。

◆「どうぶつのおんがえし」・・・インド
絵は、井上洋介さん。古代インドの説話集「パンチャタントラ」に出てくるお話です。

(編集:桑原勝明さん)


ごちそうの木〜タンザニアのむかしばなし

ジョン・キラカ『ごちそうの木』さくまゆみこ訳
『ごちそうの木〜タンザニアのむかしばなし』
ジョン・キラカ作 さくまゆみこ訳
西村書店
2017.08

最初はスイスで出た絵本です。ドイツ語で出たのですが、キラカさんはもともと英語でテキストを作られていたので、英語版を中心にして訳しました。

キラカさんがご自分で村人から聞き取った昔話を絵本にしています。キラカさんの最初の絵本『チンパンジーとさかなどろぼう』(若林ひとみ訳 岩波書店)には、伝統的な衣装を着た動物たちが登場しますが、この絵本に登場する動物たちは、現代風の衣装を着ています。「なぜ?」とたずねてみると、今はタンザニアの田舎でも伝統的な衣装を着る人が少なくなり、子どもたちに絵本を見せると、「どうしてこんな変わった服を着ているの?」と言われるからだと、おっしゃっていました。

キラカさんは来日の際、この絵本のストーリーテリングをあちこちでしてくださいました。ご覧になったみなさんは、アフリカのストーリーテリングが パフォーマンスだということを目の当たりにして、その楽しさを充分味わうことができたのではないかと思います。

この昔話の基本形はアフリカ各地にあり、たとえば光村教育図書から出た『ふしぎなボジャビのき』(ダイアン・ホフマイアー文 ピート・フローブラー絵 さくま訳)も、とても似た昔話を絵本にしたものです。ほそえさちよさんのご尽力で、西村書店が2017年夏のキラカさんの来日に間に合うように出してくださいました。
(書き文字デザイン:ほんまちひろさん 編集:植村志保理さん)

*厚生労働省:社会保障審議会推薦 児童福祉文化財(子どもたちに読んでほしい本)選定

◆◆◆

<訳者あとがき>
アフリカには、まだ農業が天気に左右されているせいで、日照りがつづくと飢える人が出てしまう地域があります。それを考えると、この絵本にあるような「ごちそうの木」の存在は夢であり、あこがれをもってくり返し語られてきたのもうなずけます。これはタンザニアの昔話ですが、類話はアフリカ各地にあって、南アフリカの作家と画家による絵本『ふしぎなボジャビの木』(光村教育図書)も、同じテーマをあつかっています。
アフリカの多くの地域は文字をもたず、歴史や叙事詩や物語は口伝えで語りつがれてきました。そういう社会では、きちんと記憶することが生死にかかわるくらい重要だったのかもしれません。
またここにも、アフリカ各地の昔話に姿を見せるノウサギが登場しています。英語の原書では「ウサギ」となっていましたが、作者に確認したうえで「ノウサギ」と訳しました。ノウサギは、体は小さいのに知恵のある存在で、大きな動物をぎゃふんといわせるトリックスターでもあります。
おとなたち(とくに祖父母)が1日の仕事が終わった夜、子どもたちに昔話を語って聞かせ、そのなかで社会の決まりや価値観や歴史を伝えていくという文化が、アフリカにはあります。こうしたお話の時間は、歌や踊りが入ることもある楽しいひとときです。しかし、近代化の波におされて、今はその文化も消えていこうとしています。そのため、学者だけでなくキラカさんのような方も、故郷の昔話や伝説を集め、語りの楽しさもふくめて子どもたちに伝えていこうと努力しているのです。
ところで、「ン」で始まる言葉や人名が、アフリカにはあります。「ントゥングル・メンゲニェ」は、「びっくりするほどすばらしいもの」という意味で、こうした語りのなかでだけ使われる言葉だそうです。

さくまゆみこ

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アイヌのむかしばなし ひまなこなべ

萱野茂文 どいかや絵『ひまなこなべ:アイヌのむかしばなし』
『アイヌのむかしばなし ひまなこなべ』
萱野茂/文 どいかや/絵 
あすなろ書房
2016.08

『アイヌのむかしばなし ひまなこなべ』をおすすめします。

心根のいいアイヌに仕留められたクマの神様は、その魂を天の国へ送る宴で目にした若者の素晴らしい踊りが忘れられません。クマの姿で何度も地上にやって来ては同じアイヌの矢に当たり、宴で若者の正体をつきとめようとします。このアイヌは、クマの肉や毛糸をたくさんもらって裕福に。さて「暇な小鍋」とは?

アイヌ文化の継承に力を尽くした萱野が採集したこのお話には、道具には魂が宿ると考え、カムイ(神)として敬ってきたアイヌの人たちの考え方がよくあらわれています。人間は他の生命をいただいて生きている、ということの重みも伝わります。独特の文様を取り入れた絵も子どもにわかりやすくて楽しい絵本に仕上がっています。

(「朝日新聞 子どもの本棚」2016年9月24日掲載)


ふしぎなボジャビのき〜アフリカのむかしばなし

ホフマイア再話 フロブラー絵『ふしぎなボジャビのき』さくまゆみこ訳
『ふしぎなボジャビのき〜アフリカのむかしばなし』
ダイアン・ホフマイアー再話 ピート・フロブラー絵 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2013.05

南アフリカの絵本。アフリカの平原に飢饉が来て、動物たちはみんなおなかをすかせています。おいしそうな実のなる木を見つけたのですが、なんとそこには大きなヘビが巻き付いていて、木の名前をあてないと実を食べさせてくれません。その名前を知っているのは、サバンナの王さまのライオンだけ。そこで動物の代表がライオンのところに出かけ、木の名前を聞いてくるのですが、いつも帰る途中でほかのことを考えたり、転んだりして、名前を忘れてしまいます。そこに登場するのは、小さくても賢いカメです。再話も絵も、南アフリカで生まれ育った人たちです。
(編集:吉崎麻有子さん 装丁・書き文字:森枝雄司さん)

*厚生労働省:社会保障審議会推薦 児童福祉文化財(子どもたちに読んでほしい本)選定

***

<紹介記事>

・「女性のひろば」2013年11月号

 

・「朝日小学生新聞」2013年10月5日


1つぶのおこめ〜さんすうのむかしばなし

デミ『1つぶのおこめ:さんすうのむかしばなし』さくまゆみこ訳
『1つぶのおこめ〜さんすうのむかしばなし』
デミ作 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2009.09

昔話と数の絵本。王様にお米を取り上げられて困っていた村を、知恵のある女の子ラーニが救います。数の絵本にもなっていて、牛やラクダやゾウが、お米を運んでくる場面がすばらしい! 絵を見ただけで、お米が次々に倍になっていくようすや、大きな数を実感することができます。金色を使ってインドの細密画風に描かれた、デミの絵がユニークです。
(装丁:辻村益朗さん 編集:鈴木真紀さん)

*厚生労働省:社会保障審議会推薦 児童福祉文化財(子どもたちに読んでほしい本)選定


クモのつな〜西アフリカ・シエラレオネの昔話

さくまゆみこ文 斎藤隆夫画『クモのつな』(こどものとも)
『クモのつな〜西アフリカ・シエラレオネの昔話』 (「こどものとも」2008年11月号)

さくまゆみこ訳 斎藤隆夫画
福音館書店
2008.11

シエラレオネの昔話を絵本にしました。日照りになってみんなが困っているのに、クモだけは元気です。不思議に思ったノウサギがクモにきいてみると、クモはどこに食べ物があるかを内緒で教えてくれます。ところがノウサギがほかのみんなにも教えてしまったので、さあ大変。ユーモラスなお話です。


ほーら、これでいい〜リベリア民話

ウォン・ディ・ペイ他『ほーら・これでいい!:リベリア民話』さくまゆみこ訳
『ほーら、これでいい〜リベリア民話』
ウォン=ディ・ペイ & マーガレット・H・リッパート再話 ジュリー・パシュキス絵 さくまゆみこ訳
アートン
2006.10

アフリカの昔話絵本。西アフリカのリベリア北部にくらすダンの人々に昔から伝わる物語。ばらばらに存在していた頭、腕、足、胴体が出会い、合体していく愉快なストーリーを通して、社会の中でもひとりひとりが大事なのだということを子どもたちに教えていたそうです。アートンのアフリカ絵本シリーズ4作目。
(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+米倉ミチルさん)

◆◆◆

<訳者あとがき>

西アフリカにあるリベリアは、解放された奴隷の人たちがつくった国です。つまり、アメリカに連れていかれて奴隷として働かされていた人たちが解放後アフリカにもどって19世紀にリベリアという国をつくったのです。リベリアという名前も「自由の国」という意味です。しかし、1980年代からリベリアでは政治が不安定になり、内戦が始まり、多くの人が亡くなったり、難民になったりしました。またこの内戦は、子どもの兵士が大勢使われたことでも知られています。

今は、民主的選挙で選ばれたアフリカ初の女性大統領エレン・ジョンソン=サーリーフさんが国の立て直しや学校教育に力を注いだ結果、外国に逃げていた難民たちも戻り、平和な日々がふたたび訪れようとしています。ただし内戦で荒れ果てた国土や経済をもとにもどすには、まだまだ時間がかかるようです。

この絵本の文章を書いたウォン=ディ・ペイさんは、リベリア北東部のタビタに暮らす語り部の一家に生まれました。ダンの人々に伝わる物語は、おばあさんから教わったそうですが、それだけでなく太鼓をたたいたり、楽器をつくったり、踊ったり、仮面をつくったり、木彫りをしたり、布を染めたり、壁に絵を描いたりすることなども家族から学びました。

今ペイさんはアメリカに住んで、絵本をつくるだけでなく、主に子どもたちのために楽器を演奏しながらリベリアの昔話を語ったり、リベリアのダンスを教えたり、仮面ダンスの公演を行ったりしています。

物語の中にサクラが出て来ます。サクラというと日本の木というイメージが強いかもしれませんが、リベリアの熱帯雨林には野生のサクラの木がたくさん生えていると、ペイさんが教えてくださいました。野生のサクラだと、サクランボも日本のお店で売っているのよりは小さくてかわいい実なのでしょうね(後で調べてみると、アフリカのチェリーは、日本のとまた少しちがうようです)。

この絵本の絵は、ガーナのファンティの人々の間に伝わる「アサフォの旗」からインスピレーションを得て描かれたといいます。アサフォというのは民兵という意味で、地域を守る組織ですが、それぞれの組織が独特の絵柄をアップリケや刺繍で表現した旗を持っているのです。そのデザインや色がおもしろいので、「アサフォの旗」は、今は美術工芸品としても評価されています。

さくまゆみこ


モロッコのむかし話〜愛のカフタン

『モロッコのむかし話〜愛のカフタン』 (大人と子どものための世界のむかし話)

ヤン・クナッパート/編 さくまゆみこ/訳
偕成社
1990.04

ロンドン大学で教えていたヤン・クナッパートさんをお訪ねしたとき、まだ本になっていないブックレット状態のこの本を見せていただき、翻訳させてもらうことにしました。クナッパートさんは、アフリカ各地の神話・伝説をご自分で収集して、本や事典を出しておられる学者です。

モロッコはイスラム教の国なので、イスラム文化にも触れたおもしろいお話が集めてあります。「丘の上のおばけやしき」「ふしぎなさかな」「愛のカフタン」「ひみつのとびら」「妖精にそだてられたむすめ」「ファディルとハットゥーシャ」「かしこいむすめと砂漠の王さま」「すなおなおよめさん」「アッラーのなさること」が入っています。

(編集:家井雪子さん)

 


キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし

さくま編訳『キバラカと魔法の馬』表紙
『キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし』
さくまゆみこ編/訳 太田大八/画
冨山房
1979.09

アフリカ各地に伝わる昔話から、不思議なおはなしを自分で選んで訳しました。「恩を忘れたおばあさん」「魔法のぼうしとさいふと杖」「山と川はどうしてできたか」「ヘビのお嫁さん」「力もちイコロ」「動物をこわがらせた赤ん坊」「カワムチと小さなしゃれこうべ」「ワニおばさんの約束」「あかつきの王女の物語」「村をそっくりのみこんだディキシ」「ニシキヘビと猟師」「悪魔をだましたふたご」が入っています。

この本がきっかけで、私は冨山房に入社し編集部で働くようになりました。つまり入って最初に編集したのがこの本だったのです。