カテゴリー: 言いたい放題でとりあげた本

あの犬が好き

シャロン・クリーチ『あの犬が好き』
『あの犬が好き』
原題:LOVE THAT DOG by Sharon Creech, 2001
シャロン・クリーチ/著 金原瑞人/訳
偕成社
2008-1

版元語録:「詩なんて書けない」と思っていたジャックが、すぐれた詩に出会い、書くことで、抱えていた悲しみから解きはなたれていきます。

げた:この作品は、1人の少年が詩に出会って、詩人の言葉を借りつつ、だんだんと自分の言葉を獲得して成長していく話ですよね。図書館でも、なかなか子どもって詩の本を手に取ってくれないんですが、こういった形で、読み物として1冊の本にまとまっているものを子どもたちに伝えるのもいいのかなと思いました。文字を使って絵を描く、というのは日本語だとあんまりしっくりこないかな。どうなんでしょうね。

ウグイス:見た目も、内容も、すごくしゃれた本だと思いました。詩で書かれていることが大きな意味をもっているんだけど、詩を訳すというのはとても難しい。詩というより、主人公の独白のように訳されていますよね。詩という感じがしなかったけど、気持ちはとてもよく伝わった。アメリカでは詩を暗唱させるという授業があるので、ここに出てくる詩はたぶん皆が知っているんでしょう。それに則って自分の詩を書くというところが、1つのおもしろさになっているんだけど、そのあたりが日本の読者にはよく伝わらないのが残念。有名な詩であっても、日本だといろいろな訳があるので、皆が共通に持っている日本語訳がない場合が多いからね。文章は短くてすぐ読める本だけれど、内容は実はすごく難しいのでは?

メリーさん:とてもおもしろかったです。物語の展開に、現実の詩人が書いた詩がかかわっているのはおもしろいなと思いました。主人公は、詩なんて書けないと言っているけれど、つぶやきそのものが詩になっている。子どもが発する言葉は何でも詩になりうるのだな、と改めて思いました。主人公の気持ちがよくわかるのは、作家にあてたお便りのところ。読者からの手紙を彷彿させました。それから、自分の詩をワープロで打つくだり。手書きの文字が活字になると、とたんにそれらしく見える、という感覚はよくわかります。子どもが自分で読むのには、ちょっと難しいかなと思いますが、好きな1冊です。

サンシャイン:最初読んだとき、原文で読みたいなと思いました。日本語だとなかなか詩的に訳せないと思ったので。この子の成長物語として読めるところがとてもよかった。「あの男の子が好きだ」という詩の一部を変えて自分の詩を書くというくだりがありますが、日本語の詩の教育でもこういうことはやってるんでしょうか。短歌の本歌取りというのもありますが、もちろん子どもには無理だし、自由詩の場合もどうでしょうか、難しいのではと思います。ところで、オバマさんの就任式がありましたが、言葉の重み、演説の重みが日本とずいぶん違いますね。詩的に感じるところもありました。言葉に強い力もあったし。(原書を見て)詩集ではなく、novelとなってますね。お話として読む作品なんですね。

ヨカ:とてもいい話でした。最初は、あちらの言語で書かれた詩を日本語に訳すのって、どうなのかな、とちょっと身構えて読み始めたんです。でも、一番強く感じたのは、この子の成長物語なんだということでした。その意味で、とにかくうまい。最初はすっかり心を閉ざしていた子どもが、たぶん教員がいい詩を提示しながら上手につんつんと刺激を与えたことによって、卵からかえる雛のように、自分でも殻を破って心を開いていく。その様子が実に自然に感じられて、すばらしいなあと思いました。だれでも身に覚えのある迷いやこだわりといったことが、過不足なく書いてあって、ああ、こういう子っているよなあ、私もそう感じたことがあるよなあ、と実感できる。これは、子どもと教師と詩という教材の幸福な出会い、なんだろうけれど。日本でも、詩の授業はいろいろと実践されていますが、そういう取り組みをしてきた教師があらまほしく思っているのは、こういう出会いなんでしょうね。『フリーダム・ライターズ』(エリンとフリーダムライターズ/著 講談社)も、文学と子どもの関わりを書いた本だったけど、この作品も、そういう意味ですてき。しかもそのうえ、終盤にさしかかると、なんとウォルター・ディーン・マイヤーがこの子の学校に来てしまう! もうびっくりでした。ただし、詩とのかかわりという点でいうと、日本の子どもがこれを読むのは、かなりのハンディがあるのではないかな? だって、おそらくここに登場している詩は、向こうの子どもたちが学校で教わっていて暗唱できるくらい、あるいはどこかで読んだことがあるという程度に、親しんでいる作品のはずで、だから向こうの子がこの作品を読むときは、その知識に乗っかって、イメージをふくらませられる。でも、日本の子どもは、というよりも、日本の大人だって、全部の詩を知っているわけではないので、イメージがふくらみにくい。それに、1つの言語で書かれた詩を他の言語にすると、まったく違うものになってしまうので、その点でも、難しいところがあるなあ。その意味で、ぜひ原書を読んでみたいと思いました。

エクレア:この作品は、シャロン・クリーチのほかの作品と違うテイストで驚きました。「あの男の子が好き」という詩がとてもおもしろく、それを真似している男の子もおもしろい。リンゴと犬の形が文字でできている詩を拡大コピーして、クラスの5年生の子どもたちに見せたところ、とてもおもしろいと大喜びをしていました。タイガーの詩は虎の字が出ていて、たまたまこの本を薦めた虎太朗君はとてもうれしがっていました。「なんでも詩にしていいんだよ」というメッセージは、文章を書くことが苦手な子どもたちをホッとさせるでしょう。しかし児童詩とこの詩は違うので、ちょっとその辺は気になります。外国の詩を渡す機会がないので、これを機会に渡してみたいと思います。

ハリネズミ:この本は、詩の本ではなくて、子どもの成長の本だと思いました。『ぼくの羊をさがして』の続編のような。最初にこの子ジャックが書いたのは「問題なの/は/青い車。/どこだらけで/道をびゅんと走ってきた。」という詩です。そして、「なぜ青い車が問題なのか」ときかれても、言おうとしない。心がぴたっと閉じているんです。ここで、ストレッチベリ先生が「それがないと意味がわからないでしょ」なんて言ってたとしたら、この子の心は開いていかなかった。でも、この先生が無理強いしないで励ましていくうちに、ジャックはしだいに心を開いていき、やがて青い車とスカイという犬が出てくる長い詩を書くんですね。それを読むと、この子にとっては青い車が大問題だったということがよくわかる。自分の大好きな犬をその青い車がはねたんですから。その悲しさがこの子の心に中で大きな固まりになっていて、この子は心を閉ざしていたってことがわかるんです。ジャックが、詩を書くことによって気持ちをだんだんに解放していく課程は、とてもよく書かれています。私は最初に原書で読んだんですけど、やっぱり詩って翻訳が難しいだろうな、と思ってました。でも、別に韻を踏んでいるわけではないから、素直に子どもの気持ちによりそって訳せばよかったんだな、と、この日本語版を見て思いました。ウォルター・ディーン・マイヤーズはアフリカ系アメリカ人で、とてもやさしそうな、いい人そうな、作家です。

ウグイス:103ページで、「開かなかった」を「開か」「なかった」で改行してあるのはなぜ? 原書ではどうなっているのかな?

ハリネズミ:原書は、1単語ずつ改行してますね。he/never/opened/them/again/ever. 英語だと、胸がいっぱいになって、言葉がぽつぽつとしか出てこなくなっているというニュアンスを感じます。
(みんなで、原書をしみじみ読む)

うさこ:「詩」の本ということで読み始めましたが、最初はなかなか入っていきにくかったです。でも、読み終わったときにとても感動しました。詩という形をとっているけど、日記風な感じでもありますね。私も犬が大好きだから、自分の家の犬がいなくなったら、死んじゃったら、私どうなるんだろういう気持ちをいつも持っています。だから、この男の子の喪失感にとても共感できました。ものすごく悲しいときは、悲しい気持ちを何かの言葉に置き換えて胸の奥から出したいのに、なかなか言葉にできない。この作品は、そういう過程を上手に表現してあるし、言葉にすることによって、男の子の心が開放されていく様子がとてもよく描かれていたと思います。

セシ:詩の本だと思って読んでいくと、韻とか倒置法もなくて、つなげたらそのまま文章になるような言葉で書かれているので「あれっ」と思いました。なら、どうして詩の本なのって。子どもにとっては、文字が少なくて、読む進めやすい面もあるんでしょうけど、やっぱり翻訳は難しいですね。全体のストーリーはいいけれど、先生が読んでくれた詩の魅力が今ひとつ伝わってきません。最後に授業で使った詩をまとめて載せているけど、日本版では体裁を工夫して途中に詩を入れていくようにしたらよかったのでは? ネタばれでだめかな? 私たちが詩を聞いたとき、これは宮沢賢治だとか白秋だとかわかることがあるみたいに、ここにある詩は、英語圏の読者なら思いあたるものなのかしら。日本の読者にはそういう勘がまったく働かないので、ギャップがあって残念だと思いました。

クモッチ:年をとったせいか涙もろくなって(笑)、この本は泣きながら読みました。何に感動したのかというと、やはり1人の男の子が、だんだんに言葉を獲得していく流れが、とてもよく描かれていたからです。この男の子が、飼っている犬を事故で亡くして、それについての状況を詩に表現していくのですが、詩を書いた時点でその死を乗り越えていることがとてもよくわかりました。この詩をみんなの前に掲示したら、みんなが悲しい気持ちにならないだろうかと他の子のことまで心配している。言葉で何かを表現するということは、その事柄を乗り越えるということなのかも知れないなと思いました。さらに、この男の子は、乗り越えるだけでなく、この物語の最後に、「すきだった」という詩を書いてますよね。詩人の詩の言葉を借りてではあるけれど、死んでしまった自分の犬に対する気持ちをしみじみと書いているところに、さらなる感動を覚えました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)


ぼくの羊をさがして

ヴァレリー・ハブズ『ぼくの羊をさがして』
『ぼくの羊をさがして』
原題:SHEEP by Valerie Hobbs, 2006
ヴァレリー・ハブズ/著 片岡しのぶ/訳
あすなろ書房
2008-04

版元語録:りっぱな牧羊犬になるために、ひとりぼっちのボーダー・コリー、ジャックは旅に出た。けなげな子犬の姿が胸をうつ感動の物語。

ハリネズミ:この作品もやっぱり犬を通して人間を描いてるんですね。さっきメリーさんが、今日の3冊はほんとに犬がこんなことを思ってるのか、いぶかりながら読んだって言ってましたけど、たとえば81ページを見てください。ホラリンとスナッチが、犬をおいてきぼりにしたあと、この犬が人間の心理をくみ取って自分をなだめるところがあるでしょう。こんなこと、犬が思うわけないですよ。かなり擬人化されているんです。嫌な悪人はサーカスの団長くらいで、あとの登場人物はみんないい人たちですね。そしてみんな名前があるんですけど、ヤギを飼ってたおじいさんだけは名前がない。このおじいさんが1人で暮らしていて、他人から名前を呼ばれることがないからですね。構成としては、現在の状態が最初に出てきてから、過去にさかのぼります。苦しいことがたくさんあっても、今は幸せだっていうのがわかってるから、子どもが読んでいて安心できるかもしれません。子どもたちに、生きるということはどういうことかを伝えようとする箇所がたくさんあります。ヤギ飼いのおじいさんは哲学的で、へたをすると説教くさくなってしまいそうですが、犬に語りかける形なので、嫌みがなくていですね。日本語の書名から、この犬は最後にまた牧羊犬になるのだろうと思ってたら、ルークが自分を必要としているのを感じるという方が大きかった。ルークと犬の関係は短い言葉でうまく書かれてますね。この犬が、ルークと一緒にいようと決心するところも自然で、うまいなって思いました。

エクレア:おもしろく読みました。一難去ってまた一難。最後は生まれた所に戻らず少年と一緒になるストーリーは、予想とは違いました。サーカスでは、動物はいろんな技をしこまれ、リアルですが残酷でかわいそう。動物の苦労がよくわかりました。目次のタイトルがすごくおもしろかったです。いろいろな場面が設定された作品を、ペットでなく牧羊犬として生きたい思いの犬といっしょに冒険しながら読みました。ルークと一緒に犬もひきとられる終わり方にホッとしました。

ハリネズミ:翻訳がとてもじょうずですよね。ひょっとすると、原書で読むより味わい深いかもしれませんね。

ヨカ:訳がいい、というお話しのすぐ後で、ちょっと言いにくいんですが、私はこれはダメでした。片岡しのぶさんは、前にこの会で取り上げた『モギ』(リンダ・スー・パーク著 あすなろ書房)でも、訳がうまいなあと感心したのですが、この本に限っていえば、冒頭からつまずきました。「よ」とか「ね」とかいう語尾が多用されているのが、まとわりつくような感じでアウト。なんとなく、甘い感じが漂っていて、苦手だ!というのが先に来てしまいました。アメリカのロードムービーの犬版、という感じで、いろいろな人が出てくる、という展開のおもしろさはわかったし、最後にルークを何とか里親と結びつけようとして、主人公が宙返りをするあたりは、サーカスでの経験が生きていて、うまくできているなあ、と感心したんですが……。最初でつまずいてしまったせいか、入り込めませんでした。それに、おじいさんの話も、ちょっと説教くさいなあと思ったし。残念!

サンシャイン:安心して読みました。牧羊犬として働きたいと思いながら、あっちこっちを放浪する。でも最後には小規模だけど羊の管理もできるような所にたどり着く。いろいろな人間が出てきて、みなし子で孤独な男の子(犬が主人公ですが)の気持ちもよく感じられる。同じみなし子の少年が里親に気に入られるように手助けするところなど感動的でした。犬同士の、(人間的な)出会いとまた人間模様を描いたお話。いい本だと思いました。中1くらいに読ませたいですね。

メリーさん:この物語は、犬の視点で、できごとが語られますが、やはり描かれているのは、人間の気持ちだと思いました。たとえば、主人公の犬が自らの気持ちを誇りを持って語る場面とか、サーカスで、他の犬が主人公に対してエールを送る場面など。犬は本当にそう思っているのか?(たぶん思っていない)と感じました。ただ、最終章での、犬と少年ルークの描写だけはリアリティがある。どちらも長い旅を経て、理解しあえる相手を見つける力が備わった。そこでは、人間と犬を越えた信頼関係が成り立っています。その描写はとても素敵だと思いました。どこまで擬人化するのか?というのはとても難しい問題ですね。物語の前半ではもう少し擬人化をせずに、それぞれの個性のぶつかり合いが描かれるとよかったかな。

ウグイス:いろいろな人間が出てきますが、それを犬の視点から観察していておもしろかった。犬がこんなことを考えるのか、という疑問はあるかもしれないけど、犬が語り手になっていることを最初から納得して読んでいけば、わりあいすんなりと読めると思います。最後にボブさんと会えるのかなと思ったという人がいましたが、私は最初から会えないだろうな、と思ってました。でもきっとハッピーエンドになると思ったので、ボブさんに代わる人がきっと見つかるに違いないし、どういう幸せの形が用意されているのかな、という興味があったんです。そして、最初にルークが犬を見つけるところに「あれ、わんちゃんだ」(p130)というセリフがあります。この言葉にルークの子どもらしさがとても出ていて、「あっ、この子だな!」と私は思いました。前に男の子というものには犬が必要だ、ってことが書いてあって、男の子と犬には大人にはわからない気持ちのつながりがあり、特別な存在なんだということがてもよく書かれていた。
 とてもわかりやすくて、おもしろい本だったけど、書名のイメージとは違いました。羊というのは象徴的なもので、もっと寓話的な内容なのかなと思ってたんです。表紙の感じも、内容より大人っぽい。犬と子どもの話だということがわかれば、もう少し子どもが手に取りやすいのではないかな。帯には子どもと犬のイラストがついているんですね。でも図書館の本に帯はないし、よく見ると背に子どもと犬のイラストがあるけど、小さすぎてよくわからないですね。

げた:話の筋がはっきりしていて、盛り上がりもあり、最後にきちんとあるべきところにもどってこられて、ハッピーエンドで終わりというのがわかりやすかったかな。行きて帰りし物語ですね。この犬、牧羊犬としての生き方を貫き通すというのが、偉いなと思いつつ、もう少し融通をきかせた生き方もありなんじゃないか、なんて思いながら読みました。

チェコ:表紙のイメージからは、確かにこんな話だと思いませんでした。犬が主人公の本としては、成功していると感じました。盗みはしないとか、ゴミあさりはしないなど、わざとらしいという意見もありましたが、私はかえって、犬として誇り高いところなんだと思いました。私も、ボブさんとはもう会えないと思いながら読み進みましたが、ラストがどうなるか予想がつきませんでした。主人公が犬であるが故に、人間が主人公だったらありえないような過酷なシチュエーションが出てきて、そこもおもしろかったです。サーカスに入ったときは、相手が犬だから人間の残忍さが余計ストレートに描けていて、効果的だったと思います。おじいさんとの旅も、破天荒でおもしろかったです。

クモッチ:さっきからメリーさんが、主人公が犬であるっていうことにこだわった発言をされてますが、確かに言われてみると、そんな気高いこと犬が思うわけないよなというところがありますよね。でも同時に、犬が言うことだから説教くさくなく読めることもあって、犬を主人公にするって結構便利だなあと思いました。放浪させたりするのだって、人間だとリアルすぎるけど、犬だとコミカルに読むことができますね。それから、この物語には、生きていく中で何度か思い返したいようなフレーズがたくさん出てきます。例えば181ページ、ヤギを飼ってるおじいさんが言う、人間にとって幸せとは何なのか、というようなところ。年齢が上のYA世代が読んだら、響くものがあるのではないかな、と思ったりしました。

セシ:おもしろかったです。犬のキャラが立っていますよね。働く犬だという誇りがあって、すごく気骨がある。人の世話になるのも、人に使われるのもだめとか。170ページの5行目「ああいうフニャフニャ声は、ぼくは大きらいだ。ルークはああっさりあきらめてしまうけど、そこがよくない」というところ、きっぱり感がよく出ています。「羊のいるところにいかなきゃならない」というのがずっと通っているので、それにひっぱられて読み進められます。前にこの会で読んだ、ネズミが冒険していく『川の光』(松浦寿輝/著 中央公論新社)では教訓が鼻についたけれど、これは哲学的なことも盛り込んでいるけれどお説教くさくないですよね。あらためて、あちらは大人の視点の大人のための作品、こちらは子どものために書かれた本だというのがわかりました。この犬がどこまでもポジティブに進んでいるところ、今の子に読ませたいですね。

うさこ:楽しく読めました。犬がとても健気で、犬に気持ちを寄せやすかったです。ロードムービーのような、犬と一緒に旅をしている感じもしました。犬が出会った人間によって、それぞれの章で味わいが違っていて、よかったと思います。書名の『ぼくの羊をさがして』の「羊」に置き換わることばが、章によって、「ボブさん」だったり、「居場所」だったり、「ぼくの価値」だったり、「誇り」だったり、「未来」だったりと、作りもうまいなと思ました。おじいさんの話は、嫌みがなく、いろいろなことを伝えているなと思いました。最初に結末が書かれているので、犬が途中辛い目にあっても、結末はハッピーになるから、どういう形でハッピーエンドになるのかなと、安心して読めました。

ウグイス:私はYAよりももっと下の子に読んでほしいと思うの。わかりやすいし、4年生から6年生くらいに読んでほしい内容だと思います。確かにおじいさんの言葉など、難しい部分も出てくるけど、おじいさんはそういう言葉を言うのが得意な人、ということで出てくるので、理解できるでしょう。装丁も書名もYA向きとして出されているらしく、小学生には難しそうに見えるのが残念。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年1月の記録)


耳の聞こえない子がわたります

マーリー・マトリン『耳の聞こえない子がわたります』
『耳の聞こえない子がわたります』
原題:DEAF CHILD CROSSING by Marlee Matlin, 2002
マーリー・マトリン/作 日当陽子/訳 矢島眞澄/絵
フレーベル館
2007-08

版元語録:アカデミー賞主演女優賞史上最年少受賞女優の、自伝的小説。耳が聞こえない少女ミーガンと、聞こえる少女シンディが交互に語る手法で、ふたりの心の成長をいきいきと鮮やかに描きます。

ハリネズミ:シチュエーションはおもしろいし、ミーガンという耳の聞こえない子と、となりに引っ越してきたシンディとの気持の交流もよく書けている。ただ、一番大事なキャラクターのミーガンがあまり魅力的に描かれてないのね。心の起伏はあって当然だし、いい子である必要もないんだけど、魅力的に書かれていないと、子どもの読者は入り込みにくい。ストーリー的にも、話の山場がなんなのか、どこがクライマックスでどこが解決点なのか、もっとはっきりしてる方がよかったかな。そして、もう少し翻訳を工夫してもらうとよくなる点もありました。たとえば地の文ですけど、基本的には三人称で書いてあるのに、一人称も頻出します。それが整理されてないので、小さい子が読むとわかりにくい。それと、会話体にもミーガンとシンディの差があまりないので、よけいどっちがどっちだかわからなくなっちゃう。細かいところではp130《「大きな声でうたって、シンディ。あたしたち、耳が聞こえないとでもいうの?」ミーガンがいうと、みんな笑った。》がピンときません。p145には、リジーがミーガンに、シンディへの手話の通訳をたのんでいますが、シンディは一応手話がわかるという設定ですから、何かの間違いかな。

メリーさん:とても読みやすくて一気に読みました。障害を持った子どもの物語というと、日本の創作の場合、暗くなったり、不自然にシリアスになりがちなのですが、この本は主人公がとにかく明るい。自分のほうから「私、耳が聞こえないんだよ」と言って、友だちにアプローチするというところがおもしろいなと思いました。途中で訳文の主語がはっきりせずに、どちらがどちらの言葉かわからなくなるのは、ちょっと問題だなとは思いましたが……。キャンプのシーンで、シンディが、自分は耳の聞こえない子のグループに入るのか、健常者のグループに入るのか悩むところがありますが、あの場面はもっと盛り上がってもいい。もう少し彼女のゆれる心情を書き込んでもいいのではないかと思いました。

ウグイス:女の子2人の友情物語っていうのはよくあるけれど、このシチュエーションは珍しい。障碍も1つの個性であるっていう視点で書かれているのは好感が持てるわね。けれども、ハリネズミさんも言ってたけど、書き方にわかりにくいところがあるの。かぎカッコで書かれた会話部分と、地の文の中に一人称で書かれた部分があり、読みにくいんです。ミーガンの側から書いている部分とシンディの側から書いている部分が交互なんだけど、それが同じ調子なので、区別がつかないんですよね。もっと個性の差が出ていれば読みやすいんだけど。会話がこれだけ多いと、翻訳の文体に左右されちゃうと思うんですよね。しゃべり方に性格が表れるから。それに、明るい感じはいいけど、ミーガンの性格としゃべっている言葉に違和感がありましたね。ミーガンに今ひとつ魅力が感じられないのは、言葉づかいからくるのかもしれません。手話で会話しているところがたくさん出てくるんだけど、活字で書いてあるのを手話でやっていると想像するのも、ちょっとわかりにくいかな。

カプチーノ:私は5年生を担任しています。この本は高学年課題図書の1冊です。「読んでみない」と子どもたちに勧めたところ、子どもたちは順番を決めて喜んで手にしていましたが、「先生、なんかわかりにくい。」「絵はいいのに、読みにくい。」と不評でした。「話がおもしろくないの?」と聞くと「むずかしい。」「言葉がわからない。」「だれが言っているかわからないから……。」私も読んでみたところ、子どもたちが言っていたことがわかりました。主人公のことが書いてあると思ってたら、友だちの方から見て書いてあったりするから、わかりにくかったのでしょうね。主人公が前向きな明るい女の子だというところには、好感をもちました。手話が太字でわかりやすいです。書名と内容の関係も、よくわかりませんでした。そういえば『耳がきこえないエイミーのねがい』(ルー・アン・ウォーカー/著 マイケル・エイブラムソン/写真 偕成社)という本もありましたね。この本を読んでいて思い出しました。表紙の絵がいいと思います。

ネズ:課題本の3冊のうちで、この本だけタイトルを知っていて期待して読んだのですが……。実は、最初の何ページかを読んでやめてしまったんです。とにかくつまらなくて! 他の2冊を読んでから、もう一度トライして、最後まで読みましたけどね。みなさんがおっしゃるように、大人が読んでもミーガンとシンディのどっちが耳が聞こえないのか、わからなくなっちゃうんですよね。翻訳に問題があると思いました。こういう内容だったら、ですます調でわかりやすく訳しても、よかったんじゃないかしら。それに、1章ごとにミーガンの視点、シンディの視点と代わりばんこになっているでしょう? そのへんで何か編集の工夫はできなかったのかしら。テーマや内容はとても良いのに、残念です。課題図書になったという話ですけど、先生に「読め、読め」とプレッシャーをかけられる子どもたちもいると思うと気の毒。もっとも、読みにくいものを頑張って読むと、読む力がつくかも!

ジーナ 私は飽きることなく、けっこうおもしろく読みました。ミーガンとシンディが、お互い内心いやだと思うことをうまく伝えられなくてぎくしゃくしてしまうところがおもしろかったです。ひっかかったのは、「クール」とか「セクシー」という言葉。どちらも日本の小学生には意味が伝わらないんじゃないかしら。

ウグイス:「こうまんちき」っていうのも最近使わないわよね。

みっけ:私は、かなり元気のよい話でおもしろいな、と思いました。確かに途中でどっちがどっちかわからなくなる、と思いましたが。後ろの作者紹介を見ると、作者自身が聾であるということで、なるほどなあ、と思わせられるところがいろいろありました。たとえば、キャンプでみんなが笑っているんだけれど、自分はなぜみんなが笑っているのかがわからなくて疎外感を感じ、ついつい疑心暗鬼になってしまうとか、そういった細かい実感があちこちに埋め込んであるのがいいなあ、と。聾の子どもが聾同士で固まってしまいがちだ、という話を聞いたことがあるんですが、そうなるのも無理はないなあとか、けっこう発見がありました。それと、冒頭がミーガンから始まっているのが、おもしろい。今までに私が読んだ本では、障碍がある子の友達の視点から書かれているものが圧倒的に多かったんだけれど、この本は耳が聞こえない子の視点から入っていくんですよね。そこでちょっとドキッとする。そういうふうにいろいろと魅力的なところがあるんだけれど、物語としての印象がなんとなく散漫なのは、エピソードを盛り込みすぎているからかもしれませんね。さらにふくらませればおもしろくなりそうなエピソードがいくつもあるのに、全部駆け足で紹介している感じで、ちょっとあわただしい。もったいない気がしました。ただ、ミーガン自身のキャラクターについていえば、元気が余って乱暴、みたいに描かれているのを読んでいて、『リバウンド』(エリック・ウォルターズ、福音館書店)に登場する車いすの転校生デーヴィッドを思い出しました。まあ、デーヴィッドほど鬱屈してはいないにしても、やはり、とんがるぐらいにがんばっていないと、押しつぶされそうになるのでしょうし、ミーガンがそれほど魅力がない子どもだとは思いませんでした。たとえば、電話が大嫌いだというエピソード一つとっても、耳が聞こえる人たちに囲まれて暮らしていると、自分が感じていることをわかってもらえずに、いらだつ場面はたくさんありそうだから。

ハリネズミ:大人は作者自身が聾者だとわかって共感するかもしれないけど、子どもにはおもしろくないと。そうじゃないと、「聾者のことをわかってあげなさい」というメッセージばかりが全面に出てしまうと思うのよね。

ウグイス:主人公が9歳だから、中学年向きの本だけど、読みにくかったら致命的。読みなれている子なら、薦められれば読めるかもしれないけど、このくらいの年の子が読むもので読みにくかったら、本を閉じてしまうでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)


フュージョン

濱野京子『フュージョン』
『フュージョン』
濱野京子/作
講談社
2008.02

版元語録:2本の縄に包まれて、高く、軽やかに、跳ぶ。ダブルダッチって最高!/何なの、これ? 何やってんだよ、あいつら。それが、あたしとヤツらの、そして、あたしとダブルダッチの出会いだったーー/いま人気のスポーツを題材に、少女たちの交流と成長を描いた、感動のYA青春小説!

ネズ:「また例のヒリヒリ系かな、いやだな」と思いつつ読みはじめたのですが、とってもおもしろかった! 特にダブルダッチのおもしろさに引き込まれました。最初は、ヒリヒリ系によくあるように、母親のことを自分の敵のように書いているし、家出したお兄さんの消息がわかったのに両親に知らせなかったりしているけれど、お兄さんの友だちが出てきて、そんな風に頑なに考えるのは良くないと言われるあたりから、ちょっと違うなと思って、ほっとしました。ただ、喫茶店をやってるおじさんっていうのが、ちょっとはっきりしない。まあ、中学生の目から見たら魅力があるんでしょうけどね。

カプチーノ:読みやすく、わかりやすい内容だと思いました。ダブルダッチは小学校でも3学期になると高学年の女の子たちが校庭でよくやっていますが、いろんな飛び方があることをこの作品から知りました。美咲という女の子に似た2面性をもつ子は最近よくいます。中心人物4人の性格や家庭環境は違いますが、バラバラだけどまとまれるのがこの作品の魅力なのかな。類というおじさんは、この子たちにとって憧れ的な存在じゃないかな? お兄さんが携帯メールを送ってくるのは、現実的だし、お兄さんの友だちが登場してお母さんとの関係も変わっていくんですね。中学生に手にとってほしい1冊です。

ウグイス:女の子が5人出てくるんですよね。どれも漢字2文字のきれいな名前で、ごちゃごちゃになりそうなところだけど、ひとりひとりが書き分けられているので、おもしろかったです。主人公の一人称で、主人公が他の子たちをどう見てるかという視点で一定しているから、わかりやすいんでしょうね。語り手とそれぞれの子との関係がよくわかるし、どういう子かもわかってくる。だからおもしろく読めるんだろうな。いろんな友だちとのいろんな力関係とか、相手が自分をどう思っているのか、探り探り近づいていくっていう付き合い方が今の子どもらしい。この子が親に対して何が不満なのかっていうのがちょっとわからなかったですね。自分でも何に不満かわからないけどすべてが嫌、という年頃なのかもしれないけれど。またお兄さんが、どうしていなくなったかよくわからないから、ちょっとひっかかる。お兄さんのことはこの話にとって必要なのかな。お兄さんからメールが来ているのを親にも言わないっていうのもどうかなあと思っていたので、最後にお兄さんの友人が、言わなきゃと言ってくれてほっとした。物語の雰囲気は印象に残るけれど、ストーリーの山場があるわけではないので、内容はすぐに忘れそう。この年代の女の子の気持ちっていうのは、よく書けてるかな。

メリーさん:野球、陸上、飛び込みとスポーツを題材にしたYAはいろいろあるけれど、今回は大縄跳びか!と思って読みはじめました。主人公をとりまく女の子たちの会話はとてもリアルだなと感じました。特徴的だなと思ったのが、69ページのところ。お互いのプライベートな面には興味がなく、ただ、ダブルダッチをすることだけに集中するという彼女たちの関係性。少し前の話だったら、表面では世の中のことを何一つ考えていなさそうで、実は考えている子、というのが多かったような気がします。でも今は、社会にうまく順応しているように見せて、実は心の中では他人に本当に無関心。実際の中学生はどうなんでしょう? 自分以外の人やものごとに無関心なのか、聞いてみたいと思いました。好きな場面はラストの学園祭ジャックのシーン。主人公と美咲はきっとお互いが似ているということをわかっていたのだと思います。鏡のような存在だから嫌で、でもそれがまた相手を理解するきっかけになる、というところがよかったです。

ハリネズミ:今メリーさんは、この子たちは他人に無関心だって言ったけど、この作者の書き方はそうじゃないですよ。逆だと思うんです。だって、朋花が出場できそうにないと見てとると美咲は家にまで乗り込んできて一芝居打つわけだし、玖美も玲奈をかばって大騒ぎしたりする。一見クールだけど中は熱いというふうに作者は書いてます。私は、いろんな意味でとてもリアルだと思いました。お兄さんが、客観的に見ればちょっとしたことで家出してしまうのもわかります。私のまわりにも、そういう高校生、いましたよ。類さんは漫画のキャラみたいですが、不思議な雰囲気で時々いいことを言ったりしてて、しかもゲイだなんて、中学生の女の子には魅力的ですよ。
この4人はタイプが違うから、普通だったら付き合いがないだろうのに、ダブルダッチを通じてわかり合う。ベタな友情を結ぶっていうんじゃなくて、それぞれを異なる存在として理解し合うっていうのが、いいなあと思いました。言葉遣いも自然な感じでいい。ひっかかったのは、表紙の絵ですね。私は古い感じがしちゃったんですけど、今の中学生には魅力的なんでしょうか? ダブルダッチはYouTubeでパフォーマンスを見てみましたが、奥が深そうですね。

ネズ:今の児童文学には、いろいろな世代の人が子どもとかかわって、お互いに影響されていくっていうのが、なくなってきたわね。断絶されちゃって、子どもは子ども、大人は大人っていうふうに……。

ハリネズミ:いい大人っていうのが、出てこなくなりましたよね。

みっけ:子どもたちを取り囲む大人が、非常に限定されてきているせいなんでしょうね。だって最近の子どもにとっては、大人といえば親か教師になってしまうでしょう? 盆正月など、節目節目に大家族が全員集合して、そのときに、親戚のおじさんやおばさんに会うとか、そういったこともなくなってきているし、隣近所との関わりというのも、少なくなってきているし。だから、こういう作品にも、大人が登場しにくくなっているんじゃないかな。日本のこの年代の子を対象とするリアル系の本は、わりと暗くて心が痛くなるようなものばかりが目についていたんですが、この本は暗い感じで終わらずに、ちゃんと成長があって、明るく終わっているのがいいなあ、と思いました。古典的というか、安心して読めるというか。それというのも、主人公をはじめとする子どもたちが、たがいに異質な存在である同級生を認め合えるようになって、何かを成し遂げているからなんでしょうね。自分とは異質な存在を認めるというのは、実はそう簡単なことではない。では、何がきっかけになるのかというと、ひとつの目標を共有したり、あるいはなにかの作業に一緒に取り組むといったことが、きっかけになるんだと思うんです。そういう中で、次第に相手を理解することができるようになる。正面衝突したのでは、一杯一杯で相手を理解するだけのゆとりがなくなるけれど、なにかを一緒にするという形であれば、ある程度のゆとりが持てて、相手のことも理解できるんじゃないかな。だから装置としての学校でも、そういう作業をわざといろいろ設定して、子どもたちが互いをわかり合えるように持っていくんでしょうけれど。理解という点でいえば、少し前にこの会で取り上げた『スリースターズ』(梨屋アリエ/著 講談社)は、一見この作品とはまるで違うように見えますが、やはりあの中でも、集団自殺をする、という目標を共有する中で、いわゆる優等生タイプの女の子といわゆる崩壊家庭で保護遺棄されたような状態にある女の子が、互いを少しだけ理解できるようになる。それと同じように、この作品では、ダブルダッチを通して主人公たちが互いを理解するようになる。きっかけとして、ダブルダッチは理想的だと思うんです。たかが縄跳び、されど縄跳びで、難しくて、かっこいい。ストリート系の魅力があって説教くさくない。しかも、回す人たちと飛ぶ人たちとが呼吸を合わせないといけないから、共同作業としてもかなり高度だし。
主人公の親は、物わかりがよさそうで、理知的な姿勢を見せながら、最後のところで、子どもに向かって「まあやってごらん」と言い切れない、そういう親の弱さに対して敏感になる年頃だから、あちこちにこういう家庭があるだろうな、というリアリティを感じました。今時の、たとえばいじめを題材にした読後感が暗めになるYA作品と比べて、この作品に出てくる子どもたちは、それぞれがいくつもの世界を持っていて、その場面場面で見せる顔を変えてはいても、一つの人間としてきちんとまとまっていて、分裂していないような気がします。タフというか、確固たる一人の人間がいるという感じがする。だからこそ、異質な存在を認めることもできれば、つながることもできるんだろうし、前向きにもなれるのかな。今時のいじめを題材にした作品だと、そのあたりがもっとひ弱な感じがするんですよね。とにかく、ようやくヒリヒリするだけではない作品があった、と思いました。作者の年齢とも関係しているんでしょうかね。

ジーナ:この年代の子たちに、私は普段比較的よく接しているんですけど、あの子たちは友だち関係が希薄になってると言われるけど、やっぱりだれかとつながりたいという気持ちがすごくあるんですね。うちの子も中学生の頃、制服のポケットの中にいつも紙をおりたたんだ手紙がどっさり入っていて、友だち関係のことで毎日感情がアップダウンしていました。クラスはもちろん、部活動には異質な子も集まっているから、毎日がぶつかり合い。だから、玖美が友だちをかばって謹慎になるところなどは、とてもリアルだと思いました。母親の描き方が前半はすごく嫌でしたが。友だちとの関係がいろんな人とのかかわりの中でだんだんに変わってきて、最後は今までよりこの子たちの世界が少し広がるようなところがいいと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)


つぐみ通りのトーベ

ビルイット・ロン『つぐみ通りのトーベ』
『つぐみ通りのトーベ』
原題:LYCKAN AREN RATTA by Birgit Lonn, 2001
ビルイット・ロン/作 佐伯愛子/訳 いちかわなつこ/絵
徳間書店
2008.03

版元語録:トーベは小学校2年生の女の子。親友の誕生日パーティで皆に笑われてこっそり抜け出した後、迷子になってしまいます。女の子の成長を楽しく描く。

カプチーノ:カバー袖に低学年にぴったりと書かれてありますが、友達とのかかわりはもうちょっと学年が上でないとわからないのではないのかしら。トーベに対するお母さんやお父さんのあたたかい愛情いっぱいの接し方や家庭での様子、木登り、消防自動車は低学年にぴったりの内容です。が友だち関係の複雑さは中学年以上の子どもの方が心情がよくわかり、共感できるのではないでしょうか。

ネズ:とっても好きな作品で、おもしろかった。自分の子どものころのことも、思いだしたりして。低学年の子どもの心の動きがていねいに書かれているし、赤ちゃんの描写やお父さんとレストランごっこをするところなども、ユーモアがあって。エンマの誕生会のところも、大人にとっては何でもないことで傷つく子どもの心がちゃんと描いてあるし、ネズミを飼いたいという子どもに反対するのがお父さんで、お母さんは見に行きたがる……日本の児童文学では、たいていお母さんのほうが反対するわよね。するとお父さんが「この裏切り者。こういう人と僕は結婚してたのか……」などとぼやくところもおもしろかった。低学年では読めないのかしらね?

ハリネズミ:読む子は読むと思いますけど、この文字の大きさでこの量では普通は無理じゃないかな?

ウグイス:逆に中学年でこれを読むと、主人公が幼すぎるんじゃないかな?

カプチーノ:今日仲がよかったのに明日はぷつんと別れてしまうなんていうところは、高学年で経験するんですね。低学年では、それがわかるかどうか。

ジーナ:私は読みにくく感じました。絵がかわいいし、表紙も読んでみたい感じになるけれど、子どもたちの言葉づかいが、実際の年齢より上の感じがしました。男の子から好きといわれたことがあるとかないとか、2年生の子がそんなに話題にするかしらと思ったし。仲がいいのに、ちやほやされているのを見て嫉妬心を感じるエンマとの関係がどうなるかが、このお話の中心だと思いこんで読んでいったので、最後にそのあたりが解決されたのかどうかすっきりしないのが不満でした。ネズミをもらいにいったとき、お母さんが同級生と再会して盛り上がるといった類の、わき道にそれたエピソードも、話を拡散させるようで、どうなのかな、と思いました。

ネズ:最後、なわとびのなわを持つところで解決してるんじゃないの?

ハリネズミ:エンマがこの子のことを少し見直したというだけだから、解決してないんじゃないの?

ジーナ:もうちょっとはっきり書いてくれてもよかったかな。

みっけ:私は、年齢の低い人たち向けの本としてどうなのか、といった目配りはできないものだから、結果としては結構おもしろく読みました。さくさくと、ああ、こういうことってあるだろうなあ、と思いながら。この本は、何かすごく深いものを追及するとかいうのではなく、ちょっとおかしなことや、ちょっと嫌なことや、すごく嬉しいことなどがたくさんちりばめられた小学校低学年の子どもの日常を、明るい感じで書いた作品だと思うんです。友達の誕生会で、大人から見ればささいなことでドーンと落ち込む様子や、バスに乗ったらどこだかわからないところへ連れて行かれちゃって焦る様子や、木に登ったまではいいけれど降りられなくなったり消防車に乗って意気揚々と帰ってくる様子とか、おもしろいなあ、こういう感じだよなあ、と思いながら読んでいました。それと、この作品の親の書き方が、いかにも北欧の作品の親の書き方だなあ、と思いました。日本の作品なんかにもよく出てくる、いかにも親らしい対応しかしないのっぺらぼうな親ではなく、ごく普通に個性がある血の通った人間としての親が描かれていて、それが子どもへの対し方からもわかる。そのあたりが、気持ちよかったです。

ハリネズミ:話はおもしろかったんだけど、この文字の大きさでこの量では、対象年齢にはなかなか難しいんじゃないかな。話自体も細かく見ていくと、たとえば1ページ目に「のろのろあるきなのは、先生がくるまえに、教室につきたくないからです」と書いてありますが、どうしてそうなのかがわからない。訳も、ところどころ引っかかりました。自転車の男の子たちがトーベを追い越そうとして発した言葉は「気をつけろよ」って訳されてますけど、「どけ、危ないぞ」くらいのほうはいいのでは? エンマの夢は歌手だけどトーベの夢は空をとびたい、というのはおもしろいですね。エンマに圧倒されているトーベがだんだんに自分らしさを取り戻していく、というのが話の核ですが、同じような味わいの作品はラモーナ・シリーズ(ベバリイ・クリアリー/著 学習研究社)とかクレメンタイン・シリーズ(サラ・ペニーパッカー/著 ほるぷ出版)とかあるわけですから、それらと比べると、ちょっと弱いと思います。

ネズ:私はのんびりしているところが好きなんだけどな。お母さんが幼なじみに偶然出会うところなんかも、小春日和みたいにほっこりしていて、いい感じだったわ。

メリーさん:女の子同士の関係って本当にむずかしい。ちょっと華やかな子と地味な子が友だちで、その関係に悩むというのは日本の物語にもよく出てくるテーマです。その上でこの本の特徴は何なのか、考えながら読みました。最後の場面で、主人公が、けんかした女の子の悪口を他の友だちから聞くところがありますが、いろいろ学んだ主人公は、そこでその友だちのことをあまり相手にしない。ほんの少しだけ成長したわけですが、そんな主人公の変化の部分をもう少し読みたかったなと思いました。内容は低学年なのですが、このくらいの文章量だったら、この大きな判型ではないほうがいいのではないかと思いました。

ハリネズミ:日本人が書くのなら同じようなものがたくさんあってもいいと思いますが、学校や家庭環境そのものが日本とは異なる外国の作品だと、よほどちゃんと選んで出さないと。

みっけ:外国の作品の中でも、対象年齢が低いリアル系のものは、日本で翻訳を出すのがとりわけ難しいんじゃないでしょうか。というのも、年齢の低い読者はかなり狭い世界しか知らないわけで、そういう読者を対象とした作品は、当然、狭い日常の世界で話が展開されることになる。しかも作者は、読者がその狭い世界の細々したことを熟知しているという前提に立って、説明抜きで話を展開していきます。そうでないと、話がまだるっこしくなって、台無しになるから。ところが、そういった日常生活のささいな点に限って、外国と日本とではひどく違っていることが多い。それで結局、そんな違いなど知るよしもない日本の幼い子どもたちにすれば、ちんぷんかんぷんになりかねないわけですから。

ウグイス:私は低学年向けって頭で最初から読んでしまったので、クレメンタインやラモーナと比べてみることはなかったんですよね。むしろスウェーデンなので、やかまし村と比べていました。あれは男の子と女の子がはっきりわかれていて、「男の子ってどうしてこうなんでしょう、まったく困ったものです」って女の子たちが言ったりして、時代的な男女観も出ているんだけど、こっちは男の子が、高いところに登った女の子をかっこいいと思ったりする。そこが、今の子の感じ。読み始めはあまりおもしろくなかったんだけど、木に登るところくらいからぐっとおもしろくなった。高いところに登ったことを男の子たちが感心し、トーベはそれに対して「夏になるまでいるつもり」って言ったりするのもとてもおもしろかったです。それから、あとで電話番号を教えてもらって電話がかかってくるとき、私のことが好きだって告白するのかしらって思うところや、エンマに男の子2人とつきあってるのとびっくりされて、そういうふうに思わせとこうと思うところとか、生き生きとしていた。お父さんとお母さんの書き方もありきたりではなく、ネズミを飼うところでも、予想に反してお母さんが賛成するのがおもしろい。消防車に乗って帰るところも子どもとしてはとても楽しい場面。やっぱりこれは、低学年が楽しいものだと思うんですよね。絵は低学年向けなんだけど、もう少し低学年に読みやすい本づくりにしてくれたらよかったのに残念ですね。「挿絵が豊富で低学年の子が読むのにぴったりです」って書いてあるけど、挿絵が豊富なだけではね。読んでもらえば低学年でも楽しめるけど、やっぱりこの本は自分で読んでもらいたいわよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)


川の光

松浦寿輝『川の光』
『川の光』
松浦寿輝/著
中央公論新社
2007.07

版元語録:『読売新聞』大人気連載の単行本化。川辺の棲みかを追われたネズミ一家が、新天地を求めて旅に出る。小さな命の躍動を余すことなく描き出した冒険物語

サンシャイン:かわいらしく書けていると思いました。子どもの目でみるとドキドキすることもあり、最後までまあ、よくできているんじゃないかなと思います。作者が楽しみながら書いたんでしょうね。地図も入れて、ネズミの視点だと人間よりずっと遠くまで冒険するって感じも出ています。

もぷしー:私はちょっと厳しく読んでしまいました。『ウォーターシップダウンのウサギたち』のほうを先に読んでいたので、よけい厳しい目で読んでしまったのかもしれないですけど。主人公たちが努力をしながら生き抜くという話である割に、幸運に救われる場面が多いな、と。幸運に恵まれるなら、そこで得たものを生かして次の危機にのぞんでくれるとお話としてつながっていきますけど、「新しいところで、新しいだれかに救われる」が繰り返されているのが気になってしまって。タータが、自分が救われたようにスズメの子を救ってやろうとするシーンもあったけれど、生き延びるための冒険を描く物語としては、自力で解決する要素がもうちょっと強調されてもいいんじゃないかと思います。でも、作者はとってもいい方で、世の中には他人を助ける人がこんなにいるんだよと伝えたいんだろうな。
あと気になったのは、もとが連載だったからだと思うんですが、イベントがものすごく頻繁に入ってくるところ。一難去ってまた一難。もうちょっと一つ一つのドラマを大きく組立て直して単行本化することもできたんじゃないかと思います。導入の部分はとてもいいと思ったんですよ。たとえば6pのところなんですけど、「そんなことはできないに決まっているけれど…行ってみるといいと思う」の描写は、読者をネズミの世界にすーっとひきこんでくれる、とても素敵な表現でした。ただ、後半に向けて、作者が読者を引っ張る感じがたまに強引。234p、獣医の田中先生のところ。「田中先生はこんな人」という説明が地の文としてずいぶん長く続くけれど、そういうことは、作家の説明より物語のエピソードでわからせてほしかった。ほかに、349pでタミーが去っていったシーン。「友だちって、いいね」と繰り返されていますが、単行本内でタータとタミーの接点は「友だち」になりきれるほどたくさんは描かれていないように思います。「友だちって、いいね」という言葉が、物語を飛び越えた作者の生の意見のように思えてしまいました。最後に366pのあたり、突然作者登場という感じがして、後書きのような印象。ここまで直接的に作者が読者に語りかけるなら、前半から、作者が登場するようなリズムを作っておかないと、この章だけ浮いてしまう印象でした。と、いろいろ言ってしまいましたが、本や物語のあたたかい雰囲気には好感が持てました。

ジーナ:私ももぷしーさんに近い感想でした。今回『ウォーターシップ・ダウン〜』と比べ読みしたのはおもしろかったです。『ウォーターシップ・ダウン〜』は完全にウサギの視点で描かれていますが、こちらは作者の視点、人間の視点があちこちで混ざってくるので、完全にネズミの視点になりきって読むことができませんでした。本当は仲良くない動物との友情も、一組くらいなら自然に入れますが、ここではあちこちで出てくるし、病院のケージから逃げだすときにピンを使うという、習性からするとありえないことが出てきて、ややさめてしまいました。タータとチッチは子どもらしいキャラクターですが、子ども心がある書き手が書いたというよりは、子どもってこんな感じかなと大人が想像して書いている感じがしました。特にタータが妙に幼く描かれている部分と、もう一人前のように書かれている部分があって、どれくらいの経験を積んだネズミのイメージなのか、つかみにくかったです。大人が読むにはいいのかもしれないけれど、子どもにすすめるなら別の本があるかなと思いました。

ハリネズミ:一気にさーっと読んだんですけど、366pのところでえっと思いました。これって大人の本なんだ、と思ったんですね。子どもも読めるのと子どものために書いているのは違います。小さい動物がたくさんいて、いろんなことをしようとしているんだけど、人間はそれに気を留めることなく地球をどんどん壊していっているというのが著者のメッセージだと思いますが、作品の中で登場する人間は田中病院の先生くらいなので、子どもが読んだら伝わりにくいんじゃないかな。そういえば図書館でも大人の本の棚にあったんですね。そう思って見直すと、子どもの本のつくりじゃないですね。ネズミたちの冒険そのものはとてもおもしろいので、子ども向けにも書いてくれたらよかったのにな。

ジーナ:そうですね。川がなくなるなど、生物が住めない環境を人間がつくっていくことへの告発はこの本の大きなテーマだと思いますが、それを子ども向けに書くなら、ネズミやイタチが住む場所を移すだけではなく、もっといろいろな生物が具体的にどうなるかなどにも触れてほしかったですね。

もぷしー:主人公がネズミだったのが厳しかったのかな。ネズミは都会でも暮らせるから、田舎や川辺にすみたいという目的が、生死の問題ではなく好みの問題になってしまうし。

ジーナ:このネズミたちは川暮らしなのに、ハンバーガーだとかポテトだとか、よく知っているんですよね。

ハリネズミ:この著者はケネス・グレアムの『たのしい川べ』が好きだそうですね。あれも、川ネズミやモグラやヒキガエルが旅しますからね。この本の中の川の描写にも、グレアムの文章を彷彿とさせるところがあります。著者は、大人として、そういうのを書きたかったんじゃないかな。牧歌的な暮らしにあこがれて、それが可能な場所をとどめておきたいって気持が強いかもしれませんね。ネズミを主人公にしたのは、弱い動物の象徴として出しているのだと思いますけど。雌犬のタミーが「ぼく」なんていうところは、大人にはおもしろいけど子どもにはどうなんでしょう? ドブネズミの帝国は、『ウォーターシップ・ダウン〜』をヒントにしたのかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年11月の記録)


ウォーターシップ・ダウンのウサギたち(上・下)

『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち(上・下)』
原題:WATERSHIP DOWN by Richard Adams, 1972
リチャード・アダムズ/著 神宮輝夫/訳
評論社
2006.09

版元語録:やっとたどりついた理想の地ウォーターシップ・ダウン。だが、そこには…。次々と襲いかかる困難に、勇気と知恵と友情で立ち向かうウサギたち。小さくも勇敢なウサギたちの感動の物語。待望の〈改訳新版〉。

サンシャイン:上巻が読みにくかったですね。名前をメモして読みましたが、なかなか覚えきれませんでした。どのウサギも植物などの名前のようですが、カタカナでは実感がわきません。後半になってくると、話も一つの方向ではっきりしてきてテンポよく読めましたが。正直、あんまりおもしろくは読めなかったです。ウサギだけの視点でお話は統一されていましたが、人間の世界を反映させているんだろうなと思いつつ読みました。壮大なウサギの世界観が作者にあるんでしょうね。最後まで読み終われてよかったっていう感じです。

もぷしー:人間のことを、うまくウサギにのせて表現しているところに著者の力量を感じました。天敵を助けたりするなど現実を超えたところもあるんですけど、それにしても、情で助けているのではなく、助けた後の見返りを期待するなど利害関係を前提にお互いに助け合っている。そういうむき出しの関係は日本では嫌われるかもしれないから、この物語の好き嫌いは別れると思うけど。でも、そのむき出しな様子が物語のリアル感をアップさせてる事は間違いありません。人間から感じ取られることをうまくウサギに載せて語ってます。巣穴の中のようすや作りをすごくリアルに描いているし、糞のこととか、病気の治し方、病気が蔓延しないよう気にするところなど、野生動物の暮らしを想像させてくれて楽しい。自分と他者を助けられるようになるために自分の力を磨き、他者の特長を認めてお互いを生かしていくという骨の部分が、この物語に説得力をもたせていると思います。描写に関して巧みだなと思った事を二つ。一つは、作者が言いたい教訓的な部分はエル・アライヤーの物語として神話的に語ることで、物語の中に自然にとけ込ませている点。もう一つは、「安心した」などの直接的な表現のかわりに、風の吹き具合や、鳥の声、食べ物の味や食べるスピードで、仲間同士がどのくらい安心して暮らしているかを表している点。五感を使った描写がとてもていねいだと思いました。作者は従軍経験があることのこと。その時の経験をいっぱい書いているんじゃないかと想像させられます。自分が生き抜くこと、集団として生き残るということを、きれいごとですまさず、つきつめて考えた経験がある人ならではのブレのない厳しさが、この物語にあらわれているんじゃないかと。そのひたすら厳しいというところで、やっぱり好き嫌いは別れると思うけど。本づくりで思ったのが、ウサギの名前は日本語に直すとこんな意味だよとか、どこかに一覧を出してくださると、キャラクターのイメージがもっとつかみやすくなると思いました。あと、下巻185pの戦いで最高に緊迫しているシーンでバーンと地図が出てきて、ここで物語が分断されて頭がもとにもどってしまうのがもったいない。地図は前付として載せていてもいいんじゃないかな。

ハリネズミ:でも、冒頭に出したら、ネタばれになってしまうんじゃない? この章の後ろでもいいですよね。

ジーナ:最後まで読めていなくて、すみません。ウサギの視点で描かれる物語の構造や、それぞれのウサギの名前や性格をのみこむのにしばらく時間がかかって。最初は読みにくかったのですが、登場人物の関係がつかめたら、ウサギの宇宙に入りこんでどんどん引きこまれました。ウサギの視点で描かれているけれど、目線と高さの違いによる人間とウサギの見え方の違いなども説明されているのが、子どもの本として行きとどいている感じがしました。ただ、登場人物の名前やウサギ語が覚えにくいですね。ウサギ語は、章末に注がついているけれども、注のところに元の言葉を書いていないので、「なんだったけ」と後からはなかなか行きつけないのが残念でした。ウサギの神話が盛り込まれて重層構造になっているところが、大人の近代小説を読んでいるような感じ。ただ、ウサギ同士の話し言葉がかしこまっている気がしました。とてもていねいに訳している感じ。挿入された神話にはぴったりですが、話し言葉としては古めかしくて入りにくいかな。ただ、今はやたら子どもにわかりやすく、わかりやすくという本が多いので、こういう、わからないところが残る書き方も、それはそれでいいのかも。上下巻の色がきれいで、感じのいい表紙ですね。今はソフトカバーが流行りなのかしら?

ハリネズミ:ハードカバーだとかさばるし、重くなるので歓迎しない子どももいるようですよ。

ジーナ:私たちが高校生のころ(30年くらい前)、図書室に並んでいて、よく貸し出されてましたよね。

ハリネズミ:私は72年に旧版が出たときすぐに読んで、とてもおもしろいと思いました。今回は新版を読んで、最初はちょっと読みにくいなと思ったんです。もしかするとそれは、今の創作児童文学の軽い文章に慣れすぎてしまったからかもしれませんね。でもいったんこの文体に慣れてしまえば、どんどん読めますね。世界がしっかり構築されているので、安心して読める。この作品については、イギリスでも称賛と批判と両方あったと聞きます。能動的なのはすべて男性で、女性はついていくだけというのがジェンダー的によくない、という声もあったそうです。ウサギの名前については、たとえばタンポポではなくダンディライアンとした理由が訳者後書きに書いてあります。でも英語圏の子どもはこの名前を聞いてタンポポのイメージも思い浮かべるだろうし、語源にもあるライオンも思い浮かべるでしょう。でもダンディライアンでは日本の子どもにはなんのイメージも浮かばないという不便さがありますね。ヘイズルという名からもイメージは浮かびにくい。ヘイゼルならまた違うでしょうけど。こういう名前は、なるべく原書通りにするのか、それとも瀬田貞二さんみたいに、思い切って日本語にしてしまって(たとえば『指輪物語』でStriderを馳夫とするなど)日本の子どもにもわかりやすくするのか、悩ましいところですね。中学生くらいから読める作品なのに、名前ばかりでなくウサギ特有の言葉遣いも出て来て、カタカナ表記の多さで読者を遠ざけているのが気になります。ジェンダー的な問題は感じませんでしたか?

サンシャイン:ローマの建国の時に隣の国から女性たちを連れてきてしまうというのがありましたっけ。その話を下敷きにしているのかなと思いました。女性の意思を無視して連れてきたりしてるわけじゃないので、気になりませんでした。

ハリネズミ:上巻p47のリーマスおじさんについての注はよくわかりませんね。

サンシャイン:旧版はどんな版だったんですか?

ハリネズミ:私はペーパーバックで読んだような気がします。読者対象は高校生から上で、中学生は無理だったよね。

ジーナ:何がきっかけで新版を出したんでしょうね?

ハリネズミ:新旧を比べてみると、おもしろそうですね。

サンシャイン:アニメは角川だから、日本でも公開されたんでしょうね。

ハリネズミ:装丁は新版の方がずっときれいですね。このころのイギリスのファンタジーは、きちっと世界観を作って描いているから、重厚ですよね。

サンシャイン:実際に実在している場所を使って、地図も載せて、そこでお話作っています。

ハリネズミ:ウサギって、犬や猫と比べて表情がないし、ペットとしてはコミュニケーションがとりにくいイメージ。そういうのを野生の中において、作家がイマジネーションを膨らませて細やかに描いているのがおもしろいですね。

ジーナ:イギリスって、ウサギが多くて身近なんでしょうか? ピーターラビットもいるし。

ハリネズミ:エジンバラの町の中だって普通にいましたよ。

ジーナ:ヘイズルたちはラビットですか? それともノウサギ(ヘア)?

ハリネズミ:ラビットですね。イギリスでは肉屋さんでもウサギの肉を売ってます。

サンシャイン:ローマの話は、建国当時隣の国から女性を奪ってきて、後から奪われた方の国の男性が攻めてきたけど、女性たちがとりなして和解させたという話だったかと記憶しています。絵の題材にもなっています。この本の戦闘シーンの中の地図は、塩野七生さんの「ローマ人の物語」にある戦場の地図に似ています。作者は戦争経験者だし、そこにパッと戦場の様子を地図として入れたくなったんでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年11月の記録)


水のしろたえ

末吉暁子『水のしろたえ』
『水のしろたえ』
末吉暁子/著  丹地陽子/絵
理論社
2008.06

オビ語録:子守り唄にこめられた真実とは?/父のゆくえは? 母のふるさとは?/自らのルーツを求め 生きる場所を探す少女の半生/「羽衣伝説」を下じきにした 平安朝歴史ロマン

ハリネズミ:きれいな物語で悪くはないと思ったし、羽衣伝説を踏まえたうえで史実を織り込んで書いているのには好感が持てました。でも、ちょっと物足りない。物語の核は、真玉が地上で暮らすのか、水底の国に帰るのかというところだと思いますが、水底の国の魅力が書かれてないし、真玉がそこに惹かれる気持ちも書かれていないんですね。そのせいで、最後に真玉が地上に残る決心をする最後も、今ひとつ迫ってこない。それが残念。真玉と高丘の淡い恋もあるんですけど、それが原因で真玉が地上にとどまるにはまだ弱すぎる。高丘の方はこの間まで真玉を男の子だと思ってるわけだし、その後は仏門に入っちゃうわけでしょ。真玉の父親の伊加富は、エミシの女に命を助けられただけでなく、恋心を抱いていたのかもしれませんね。でないと、自分の命を危険にさらすまでに至る過程がよくわからない。でも、そこも児童文学だから遠慮したのか、書いてないんですね。

チョコレート:題名がおもしろいので興味があり読みました。お父さんは本当は生きてるんじゃないかと期待しましたが、結果は残念ながら亡くなっていました。天皇家の人物が出ていますが、系図があった方が出来事や時代背景がもっとわかっていいなと思いました。映画を見ている感じでさらりと流れ、ちょっと物足りなさを感じました。ギョイは妖怪なのかな? いろいろな場面に出てくるのがおもしろかったです。

サンシャイン:私は絵がダメでした。男としては読むのが恥ずかしい。明らかに女の子の読者を想定して描いたものですね。お父さんの現地での恋が詳しく書いてないので、5年か6年生の女の子向きという想定でしょう。ギョイは狂言回しかな。薬子の乱とか、歴史的な出来事に絡めて書いているところはよく書けていると思いました。

みっけ:読んだのがかなり前なので、かなり忘れてしまいました。たぶん、印象がさらりとしていたからだとも思うんですが……。私もやはり、この絵は苦手です。印象が妙にきれいになる感じで、現実離れしてしまうというか、甘いというか。こういう日本の昔を舞台にしたものを読むときには、匂いや光といったもの、また今のように衛生的でなかった頃のある種汚いところや汗臭さといったものが、今とは違うんだよなあ、という感じで興味深いんだけれど、この本にはそれがあまりなくて、さらにそれをこの絵がつるりとしたものに仕上げている感じがしました。羽衣伝説その後、という感じで書かれているのはわかるんだけれど、なんか最後のところがぐっと迫ってこなかった。主人公の葛藤がイマイチ伝わってこないから、決断も迫ってこない。印象が薄いんですよね。それまでの書き方が淡かったからでしょうかね。残念です。

ウグイス:作者が自分のよく知っている地元の風土や歴史を良く調べて書いていることが感じられ、雰囲気はよく伝わってくると思います。日本の読者にはなじみやすい。確かに物足りないところはあったけれど、最近読んだものの中ではわりにおもしろかった。

ハリネズミ:ひとつ新らしいと思ったのはエミシの描き方。アテルイやモイの側から史実を見る試みがなされるようになったのは最近のことらしいんですけど、児童文学でこんなふうにりっぱな人物として取り上げる試みが新鮮でした。

みっけ:真玉が田村麻呂と出会って、父の死の真相を話すのは、なるほどねえと思いました。でも、そのあとの真玉が号泣しているところで、田村麻呂が「あのときは、わしだとて、腰を抜かして落馬しそうになった。伊加冨殿は、乱心したのだとしか思えなかった。だが、あれからわしも少し大人になった。エミシだろいうが倭人だろうが、人として生きるのに何の違いもない。ようやくそう思えるようになった」と言って、さらにアテルイとモレの除名を嘆願したがかなわなかったと続くところで、「あれから私も少し大人になった」で片付けられてもなあ、という違和感がありましたね。もっと肉付けをしてくれないと、わからないよ、という感じ。

ハリネズミ:この場面で田村麻呂の心情を詳細に書くのは、ストーリーラインから外れるし、史実からも外れちゃうんじゃないかな。田村麻呂は、実際にアテルイとモイの助命嘆願をしたそうですし、この人たちの霊を弔うためにお寺も建てたとは言われていますね。ただね、田村麻呂にしろ薬子にしろ、子どもの真玉に自分の心の奥底にあることをこんなふうに話すかな? それが、ちょっと気になりました。まあ、小学生向きの物語なので、リアリティから離れるのは仕方ないのかもしれませんが。

ウグイス:やっぱりこの表紙の絵では、男の子は読まないよね。

ハリネズミ:男の子の読者は、はじめから対象にしてないつくり方ですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


漂泊の王の伝説

ラウラ・ガジェゴ・ガルシア『漂泊の王の伝説』
『漂泊の王の伝説』
原題:LA LAYENDA DEL REY ERRATE by Laura Gallego Garcia, 2002
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア/著 松下直弘/訳
偕成社 
2008.03

オビ語録:呪われた絨毯を追って、ひとりの男が旅立った。これは、うしなわれた王国の王子であり のちに《漂泊の王》と呼ばれる男の物語である。/スペイン発 世界8カ国で翻訳された異色のファンタジー

サンシャイン:王子の人物像が、最初の印象とずれてきて、あれ、と思いました。書き出しは立派な王子として書いているのに、実はそうではない。詩の優勝者を閉じ込めて意地悪して……という人物像に違和感を覚えました。もちろん後半は経験を積んで立派になるのですが。詩のよしあしは、この文章だけではわからない。まあまあおもしろく読めたともいえます。スペインのファンタジーの一つのパターンがあるのかな、と思いました。

チョコレート:夏休みに読みました。あらすじの先がみえましたが、逆にそこがおもしろかったです。自信満々の詩のコンクールで負けたことが原因で傲慢かつわがままな王子になりますが、いろいろな苦難に遭って成長していく成長物語として私は読みました。身分の高い王子に戻るのではなく、たくましく成長した一人間として話が終わることで、書名『漂泊の王の伝説』がさらに印象的になりました。王子がおこなった過ちに対して登場人物達が話すそれぞれの言葉(勇気づける励ましの言葉)に共感し、はらはらどきどきする場面などでは王子自身になりきってしまいました。この作品を通して砂漠の生活がよくわかり、またじゅうたんや生活の一部として詩がありその詩を朗読するなど日本にはない異国文化をたくさん知ることができてよかったです。

ハリネズミ:ます物語の中に出てくるカスィーダという長詩の構成、詩のコンクールの様子、絨毯を織る様子、ベドウィンの暮らし、都会ダマスカスの様子など、一つ一つがとてもおもしろかった。ストーリー運びもおもしろいですね。さっきワリードの人物像についてサンシャインさんが言ったことは、私も感じました。冒頭にはワリードが「体や顔つきが美しいだけでなく、心も美しかった。あふれでた水の流れのように気前がよく、愛する民をよろこばせるときには、財力をおしみなくつかった。実際、民に対しては、寛大さと公平さをもって接していた。品格と優雅さが感じられる、もうしぶんのない王子であった」って書いてあるし、その後も何度かワリードが完璧な人物だということが繰り返されているのに、ハンマードの詩についてはワリードは最初から「身分の低い男のへたくそなカスィーダ」とけなし、ハンマードを陥れようと画策するんですね。そのあたり、私もちょっと混乱しました。ここは、「りっぱだと思われている」あるいは「りっぱだとうたわれている」という風に訳したほうがよかったのかも。あるいは詩に関してだけは、ワリードは欠点をさらけ出してしまうということなら、そこを訳できっちり出してもらった方がいいかも。でも、そこを差し引いても、物語としてとてもおもしろかった。あと、父王、偉大な詩人アンナービガ、牧人ハサーン、商人ラシードなどがところどころで知恵ある言葉を語るのもいいですね。それが物語の進展の前触れになっているのもうまいな。
ただね、アラビアの人の長い名前はおぼえにくくて、途中でだれがだれだったかわからなくなってしまいそうでした。ちょっとした人物紹介があったらよかったのに。文章は、少しだけわかりにくいところがありました。たとえば25p3行目に「後ろだてに対する賛辞」とあるんですけど、「後ろだて」ってここで初めて出てくるので、何が言いたいか子どもにはわからないんじゃないかな。

みっけ:けっこうおもしろく読みました。プロローグで、突然相手に剣で切られて、走馬燈のように今までの一生が浮かんだ……みたいに始まるので、じゃあ、この人が死ぬまでの話なんだろうか、それもおもしろいなあ、と思って読み始めました。王子の人物像については、すばらしい人なのだけれど、こと詩に関しては、ほとんど狂気に近い執着で相手に無理難題を押しつけていく、というふうに解釈したので、それほど違和感はありませんでした。この王子は基本的に恵まれていて、しかも優秀でいい人で、そのうえ人の期待や考えにわりと敏感にうまく合わせる器用さもあるという感じだったんじゃないかな。逆に言えば、自分の欲望をコントロールしなければならないような決定的な場面にはほとんど直面してこなかった。ところが、詩に関してはこの人の生の欲望が出る。自分が一番ほしいと感じるもの、でも望んでも得られないものを目の前にしたときに、そういう脆弱さが一気に出て、暴走するっていう感じなんだろうなあと。まあ、暴走ぶりがかなりすさまじいわけだけれど。あんまりすさまじいものだから、後悔したときは時すでに遅しで、旅に出ることになる。なるほどなるほど、と読み進んで、主人公が絨毯織りの1人目の息子に出会ったときは、へえ、と意外性がありました。2人目は、ふうん、そう来るんだ、という感じで、こうなれば、3人目にも会うんだろうなあ、と見当がつきましたが、3人の息子それぞれのやっていることが違っていて、そういう3人に出会ったことで、主人公が変わっていく、そのあたりがうまくできていると思いました。3人に出会ったこともだけれど、この王子自体の身の処し方というのもポイントになっているため、ただ成り行きに流されていくのではなく、本人の成長が納得できる展開だと思いました。だから最初に読んだときは、再び盗賊に会って殺されたとしても、本人は満足という終わり方でいいような気がしたんです。ところが、実は死んでいない。あれっと思ったんですが、今またぱらぱらとめくってみたら、漂泊のマリクと呼ばれた実在の詩人をモデルにしたということだから、やっぱり最後に無名の人間として詩のコンテストに勝つというのが必要なんだ、とまあ納得しました。アラブ世界のお話は、あまり読んだことがないので、そういう意味でもおもしろかったです。それに、王子の連れ合いになるザーラという女性の立ち居振る舞いを見ても、砂漠の民、という感じで新鮮でした。

ハリネズミ:プロローグの場面は、あとでもう一度出てくるんですよね。そこにも構成の工夫がありますね。

みっけ:そうなんですよね、286pに出てくるんだけど、そっちは冒頭と同じシーンがずっと語られて最後に、「深い闇の中にしずむ前に、彼は自分の人生をもう一度、生きなおした」とつけ加わっているんですよね。それで私は、ここまでですっかり完結した気分になってしまったんです。それでもいいんじゃないかなあ、死ぬんだとしても、本人は納得しているんだし。

ハリネズミ:ワリード的にはそれでもいいでしょうけど、息子の一人がワリードを殺すことになるのは、やっぱりまずいんじゃない?

サンシャイン:同じスペインの『イスカンダルと伝説の庭園』(ジョアン・マヌエル・ジズベルト著 宇野和美訳 徳間書店)に似てるでしょうか?

ウグイス:あれは建築、こちらは絨毯というものを使って、人間の生き方を表しているというところが似てるのかもね。

みっけ:絨毯に機械とかテレビなんかが出てくるのもおもしろいですよね。本当に未来のことが出てくるのが、へえっと言う感じでした。

ウグイス:私は今回の選書係だったんですけど、今までにない雰囲気のファンタジーということで選びました。この本は、最初の詩のコンクールの場面から珍しくて引き込まれる。詩人の作った詩を読み手が詠唱し、それを耳で聞いて感動するというのがおもしろいわよね。ワリードの良いところを賛美するのも、詩で讃えるということがあるからでしょうね。そして、それほど讃えられた立派な人物であっても、嫉妬心というような自分の中の悪の部分があるのだということを書いているんだと思います。権力を持った人の弱さということもわかる。ファンタジーというと、悪と闘ったり、魔女と対決したりといったものが多いけど、これは自分の内面との戦いを描いているので、他とは一味違うファンタジーといえると思います。寓話的なところもあるし、アラビアの砂漠の物語ということで、ハウフの『隊商』とか、『アラビアンナイト』のような異国情緒も楽しめますよね。

ハリネズミ:ファンタジーの中の善悪の表現の流れからいうと、『ゲド戦記』で自分の中の悪と闘うと要素がせっかく出てきたのに、ハリポタ以来、自分の外に悪がいるというストーリーが氾濫してましたよね。そういう意味でも、この作品は、時代は古くても逆に新鮮な感じがしました。

サインシャイン:『ベラスケスの十字の謎』(エリアセル・カンシーノ/著 宇野和美/訳 徳間書店)も、八割がた現実の話のようにしていて、その中にいくつか現実にはありえないファンタジーの要素が入ってきますよね。そういうのが、スペイン文学の伝統としてあるんでしょうか? イスラム教誕生以前の世界、という設定には興味を惹かれました。ジンという精霊が自分を守ってくれるんですね。

ウグイス:最後にジンが出てくるところが急にファンタジーになるね。

ハリネズミ:ジンと魔法のじゅうたんのところがね。

みっけ:この主人公がどうしてもほしい名誉を3度さらわれるんだけれど、それは絨毯織りが3人の息子に身を立てるための資金を与えたかったからで、そうやって資金をもらった人たちに、あとで王子が出くわすっていうのも、うまくできていますよね。

ハリネズミ:長男は商人として出世してるけど、あとの2人はどうだっけ?

みっけ:末息子の場合は、村を襲った部族が金を盗んでいったんで盗賊になったって146pに書いてありますね。次のお兄さんは、174pに羊の群れを買ったとある。

ハリネズミ:そうだったわね。その後、次男は羊の群れを売ってラクダのつがいを買ったってありますけど、一生使い切れないほどの賞金をもらったはずなのに、ラクダってそんなに高価なのかな?

サンシャイン:盗賊になった人も気持ち的には立派なんですよね。義賊みたいで。

みっけ:盗賊が再び主人公と出会うことになるのも、ジンが呼び寄せるんですよね。わざと会わせる。そのあたりもおもしろい。

ハリネズミ:赤いターバンの人も不思議よね。そこもファンタジー的。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


天山の巫女ソニン1:黄金の燕

菅野雪虫『天山の巫女ソニン』
『天山の巫女ソニン1:黄金の燕』
菅野雪虫著
講談社 
2006.06

版元語録:生後まもなく、巫女に見こまれた天山につれていかれたソニンは、十二年間の修行の後、素質がないと里に帰される。家族との温かい生活に戻ったのもつかのま、今度は思いがけない役割をになってお城に召されるが…。三つの国を舞台に、運命に翻弄されつつも明るく誠実に生きる、落ちこぼれの巫女ソニンの物語、第一部。新しいファンタジーの誕生!

チョコレート:表紙と著者名に惹かれて手に取りました。最初からこの本の世界に入り、おもしろくて一気に読みました。その後出会う人ごとにこの作品をお薦めしたことを思い出しました。現在第3巻まで出版されていますが、全部気に入ってます。古代韓国王朝みたいな舞台で展開されるファンタジーで、人間関係、心情、情景などが読み手に大変わかりやすく描かれています。各巻ごとに成長していくソニンと王子の今後が楽しみです。

ハリネズミ:ストーリーが波乱万丈でとてもおもしろいのね。悪人もレンヒとヤンジンが出てくるけど、ただ悪いというだけじゃなくて、ヤンジンはレンヒにたぶらかされたと書いてあるし、レンヒは物心ついてから山に行かされ、15歳で山から下ろされたことで世の中を斜めに見るようになっている。それに、ソニンは家庭に暖かく迎えられたのに比べ、レンヒはそうでなかったという対比も書かれてますよね。悪人にもちゃんといきさつや奥行きを持たせているのは、さすがですね。一つだけ気になったのは、登場人物の言葉づかい。現代文明の産物は登場しないので、異世界であってもちょっと時代が古い。そう思って読んでいると、ソニンが「〜じゃん」なんて言うんで、その異世界が破れちゃう。現代風の口調にするにしても、やりすぎじゃないかな? あと、p35「屋台では〜が売っていました」は日本語として変じゃない?

ウグイス:私はとにかくわかりやすく書かれているのがいいと思いました。ソニンの感じたことが、色とか匂いとか具体的に書かれているし、道端の花や窓から見える雲などの情景も細かく書いてある。物事が起こった順に書かれているので、ストーリーの流れにすんなりついていける。それに一つ一つの章の終わりが、次を読みたいと思わせる書き方で終わっているから、次々にページをめくらせるのよね。この物語の舞台は架空の国なんだけど、日本のようでありながら、設定は古い時代の韓国っぽい。だから顔かたちや服装や家の中を頭の中でどうイメージしていいか、私はよくわからなかった。なんとなく、宮崎アニメの雰囲気がして、「魔女の宅急便」や「千と千尋」の主人公の顔を思い浮かべてしまったわ。アニメにしやすいんじゃないかな。小学校高学年の子にも十分楽しめる物語だと思うけど、装丁が大人向きで、図書館でもYAにはいっているのが残念。でも、そうしないと売れないのかな。3巻まで出ているけど、どんどんおもしろくなってくるの?

みっけ:3巻までコンスタントにおもしろいですよ。ハリネズミさんがおっしゃったように、悪い人もただ悪いというように平板に書かれていないから、おもしろく読めますよね。一番はじめのところで、巫女修行に失敗しました、はい、さよなら、というところから始まるのにも、惹かれました。え、どうなっちゃうんだろうって。その後もいろいろなことが起こって、どうなるんだろう、どうなるんだろう、と、どんどん先が読みたくなる。巫女修行に失敗はしたけれど、なんとなく不思議な力が残っていて、というところもおもしろくて、これをどう使うのかな、と思っていたら、天山にもう1度行って、王子たちの行方を捜す夢見をするでしょう? そしてうまくいくんだけれど、天山での生活に疑問を抱いたとたんに、門は開かなくなってそれっきりになってしまう。この展開も、惜しげがなくていいなあ、ご都合主義じゃないんだな、というふうに納得できて、うまいなあと思いました。この第1巻で、ソニンは隣国のクワン王子をちょっとうさんくさいなあと感じていて、その印象で終わっている。そのクワン王子が、第2巻で違う形で登場するのもおもしろいです。続きはここしばらく出てませんが、まだ続くんでしょうかね?

ハリネズミ:細部まで気を配って、奥行きをもたせて書いていけば、当然時間はかかるでしょうね。1年に1冊のペースなのかも。

みっけ:1巻、2巻、3巻と、ソニン自身も何かを解決して少しずつ変わっていくんですよね。それがそれぞれに違っていて、しかもそういうふうに成長していくということが納得できるようになっていて、そのあたりもいいんですよね。ソニンの天山生活からのリハビリ、地上生活への順応、みたいなところもあって。

サンシャイン:ダライラマは亡くなるとすぐに赤ん坊をつれてきて次に据えるんでしたっけ?

ハリネズミ:生まれ変わりを探すんですよね。ダライラマだけじゃなくて、他の地域にもそういう風習はありますね。

サンシャイン:食べ物がたくさん出てくるとか、カタカナの人物が登場するところとか、上橋菜穂子さんの作品に似ているのでは? 誰が悪いのかがわからないので最後まで引っ張られました。

ハリネズミ:悪いやつはすぐにわかるんじゃない? そうそう、このカットもよかったですね。舞台が韓国とは書いてないけど、なんとなく韓国を思わせる絵よね。邪魔にならないで雰囲気を出していていいですね。

サンシャイン:私は3冊の中ではこれがいちばん楽しかった。

ウグイス:この本なら男の子にも薦められますか?

サンシャイン:どうかなぁ? 薦めるとしても数人ですかね。やはり女の子っぽいし、残念ながら男の子全員に薦められるとは言えないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年10月の記録)


わすれんぼライリー、大統領になる!

クラウディア・ミルズ『わすれんぼライリー、大統領になる!』
『わすれんぼライリー、大統領になる!』
原題:BEING TEDDY ROOSEVELT by Claudia Mills, 2007
クラウディア・ミルズ/著 三辺律子/訳
あすなろ書房
2008.12

版元語録:いろいろなタイプの子どもたちが、ひとつの教室で共に学ぶことのすばらしさを描いたユニークな学校讃歌の物語!

サンシャイン:楽しく読ませてもらいました。アメリカの小学校での授業のあり方っていうんですか、伝記を読んで、みんなその人に扮装して集まってパーティーをやるっていうのは、日本にはないですね。アメリカでは、いかにもありそうな話です。サックスがほしいけれど、貧乏で、思うようにいかなくて、でも最後は手に入れるというストーリーもいいと思います。日本の子どもから見ると、なんだかピンとこない話かもしれないけれど、よく書けていると思います。

プルメリア:私は、すごくおもしろかったです。小学校で6年生の担任をしていますが、ライリーのような子どもっているなと思いました。教師が言った忘れ物の回数をライリーがしっかりおぼえている場面では、自分のことに置き換えてドキッとしました。くじをひいて、当たった人物に関する本を探し、見つけた本を読んでレポートを書き、人物になりきって仮装パーティーに参加するという活動、うらやましいなって思いました。私のクラスの子どもたちは、歴史上の人物というと聖徳太子はよく知っていますが、他の人物になると何をしたのかがわからなくなり、ごちゃごちゃになってしまいます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の中から好きな武将を調べ、新聞を作る活動では、ほとんどの子どもたちが年表を書きました。「なぜ年表を書くの」と聞くと「一生がわかるから」と答えます。子どもたちにとって何年に何をしたかが大変興味あることのようですが、何をしたかだけでなく、どうしてそうしたかを調べてほしいなと思いました。グラントがライリーに18ドルをさらりとあげてしまったこと、日本では考えられないと思うのは、金銭感覚の違いかな。

ハリネズミ:私もおもしろかった。私が子どもの頃に読んだ伝記は、偉い人が成し遂げたずばらしいことしか書いてなくて、あまりおもしろくなかったんですけど、今は、偉いだけじゃなくて人間的な側面も書かれたのがたくさん出ているから、いいですね。それにしても小学校4年生で、100ページ以上の本を読んで、参考資料を3つは使って5枚のレポートを書くっていうのは、すごい。自分で調べたり、考えたりする力がつくでしょうね。ところで、エリカっていう子は、自分がしたいことしかしないんですね。そういう障碍を持っているのか単に性格なのかは、よくわかりませんが、みんながそういう子はそういう子として自然につきあっていくのも、いいですね。伝記の主人公を雲の上の偉人ととらえるのではなく、子どもに結びつけて、自分だってがんばってできるんだという方向にもっていくのは、おもしろいなあ、と思いました。

カワセミ:私も子どもたちが偉い人たちになりきるっていうのがまずおもしろかったです。扮装をして、普段からその人になりきっているところがおもしろいし、先生も親も友達も、その子がなりきることに協力して、すべてがそのことに結びついていくっていうところがすごくいいな、と思いました。まず図書館にいって本を読んで、そのことについて調べ、たくさんの本を読んで準備する。日本の学校ではそこまでやらないと思うので、おもしろいなと思いました。でも、ここに出てくる偉い人って、日本のこの年齢の子どもはどのくらい知ってるのかな。その偉人のことを知らなければ日本の子どもたちにはおもしろさが伝わりにくいですよね。今は学校に伝記のシリーズなどはあるのかしら。

プルメリア:まんがの伝記がありますね。お姫様みたいな表紙が女の子に大人気です。

カワセミ:子どもって本当にあった話が好きだから、偉人の話って興味があると思うんですよね。ヘレン・ケラーやナイチンゲールは知ってる子がいても、肝心のルーズベルト大統領とか、オルコットとか、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといわれても、わからないとちょっと残念ですよね。でも、登場する子どもたちが個性的だし、楽しく読める本だと思います。

セシ:ストーリーがはっきりしていて、中学年向けとして読みやすいお話だと思いました。主人公が忘れんぼうなのも親しみやすいです。ただ、ときどき翻訳調というのか、文章がぽんぽんと飛んで流れがつかみにくいところがありました。たとえば、75ページの最後の行から次のページにかけての「…ライリーにとっては今日のほうが最低だった。三十枚のメモがみつかった! 急流をひとつ、わたったぞ! あと必要なのは、サックスだけだ。」のようなところ。また金銭感覚でアメリカと日本の違いを感じました。『がんばれヘンリーくん』(クリアリー/著 松岡享子/訳 学研)にも、ミミズでお金をかせぐというのが出てきて、子どもの頃うらやましく思ったものです。アメリカでは子どもが頭を働かせて小遣い稼ぎをするのを親はむしろ喜ばしく思って見ている部分があるけれど、日本人には、いいことをやっても代償にお金をもらうのはよくないという感性がありますよね。子どもだけでフリーマーケットなんてとんでもないことだし。ガンジーになった子が頭をそってきてしまうなんてびっくりだし、登場人物が優等生ばかりじゃないこういう本は間口が広くて、いろんな子が楽しめる本だと思います。

カワセミ:子どもがお金を稼ぐシーンは、日本の物語にはほとんど出てこないんですよね。日本ではお手伝いは当然無償でやるべきことという考えがあって、文化が違うんでしょうね。

サンシャイン:アメリカに住んでいたとき、雪がふると、「10ドルで雪かきします」なんて、子どもが来ましたよ。

プルメリア:夏休みに上映していた映画『ナイトミュージアム』の2に、ルーズベルトが出てきたような気がします。この映画を見た子どもたちはルーズベルトについてはわかると思います。ガンジーを調べた子どもが、最初は無関心だったのにだんだんが変わっていくのはおもしろいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


リンゴの丘のベッツィー

ドロシー・キャンフィールド・フィッシャー『リンゴの丘のベッツィー』
『リンゴの丘のベッツィー』
原題:UNDERSTOOD BETSY by Dorothy Canfield Fisher, 1917
ドロシー・キャンフィールド/著 多賀京子/訳 佐竹美保/絵
徳間書店
2008.11

版元語録:1917年にアメリカで刊行され、百年近く読みつがれてきた名作古典児童文学。孤児の少女ベッツィーが田舎の農場にひきとられ、たくましく温かい家族を得て、すこやかに成長していく姿を描いた物語。『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』が大好きな読者へ贈ります!

カワセミ:すごく古い話なんですよね。昔翻訳されていた『ベッチー物語』っていうのは聞いたことがあるけど、読んだのは初めて。いろいろなおばさんや大おばさんが入れ替わり立ち替わり出てきて名前がおぼえらえないんだけど、佐竹さんの具体的な挿絵のおかげで、とても読みやすくなっていると思いました。昔の本だからかもしれないけれど、書き方がわかりやすくて、主人公の女の子の目線できちんと描写されているので、最初から主人公の気持についていけるし、楽しく読める。子どもらしいものの考え方が描かれているのがよかった。最初に一緒に暮らしていたおばさん、大おばさんとはまったく違う環境に行くんだけれど、それをこの子が、1つ1つじいっと見て、全部自分の小さな頭の中で、これはどういう意味なんだろうと考えていく。子どものものの考え方に即して書いているところが、大人は興味深いし、子どもは「そんなふうに思うよね」って共感できるんじゃないかと思いました。それとやっぱり、最初の家庭ではすべて大人が先へ先へと手をまわしてくれたので、自分から着替えることすらしなかったんだけれど、次の家では自分のできることはさせるので、やがてはモリーを小さなお姉さんのように守ってやれるようにもなるし、この子なりに成長していくのがわかる。そして、農場の暮らしを楽しむ、楽しく毎日をすごせるようになるっていうのが、読んでいて心地よかったです。そういう子どもになっていくっていうのが、うれしく思えるんですね。訳文と挿絵を新しくしたおかげで、古めかしさもそんなにないし、よくなったんじゃないかなと思います。

セシ:昔懐かしいような感じの本で、時代的にも『大草原の小さな家』や『赤毛のアン』を思い出させる作品でした。古い作品でも、本の作り方でこんなに読みやすくなるんですね。翻訳文は今の言葉だけれど、ときどきちょっとお行儀のいい言葉が使ってあるのがいい感じでした。アンおばさんならどう考えるかしらと自問しながら、ベッツィーの考え方がどんどん変わっていくところ、ダメなことがあってもそこから何とかしようというポジティブな発想に変わっていくところが好きでした。また、農場の暮らしは町の暮らしより大変だけれど、昔はもっと大変だったんだよと言って、道具がないのにうまく工夫していた昔の人のすばらしさをたたえるところで、たくましさや生きる力を教えられる。お誕生日のエピソードでは、この子がいかにたくましくなったかが如実に表れていてよかったです。でも男の子はなかなか手にとらない本かな。

サンシャイン:オビを読むと話の先がわかってしまいますが、たまたま私はオビをはずして読み始めたのでよかったです。両親のいない子を面倒見る親戚が、違う側の親戚のことをひどく悪く言っているので、もっともっと辛いことがあるのかと思って読み始めました。違う親戚のもとに預けられて、もちろん苦労やつらさはあったには違いないけれど、印象としてはすっとアジャストできた感じです。頭のいい子で、それまで一方的に守られていたけれど実は柔軟性もあったということでしょうか。早く適応できています。そういう意味で本全体に悪意がない。ドロドロしたところ、辛いところ、苦しいところがない。そう思いながら読んでいったら20世紀前半のことだとわかり、ああそうだったのか、と納得しました。現代だともっと辛いことがあり、それでもなおそれを克服する話になるでしょうけど。日本でも最初は50年代に翻訳されたそうで、悪意のなさがいい感じでもありますが、現代的にみるとちょっと刺激が足りないのかな、とも思いました。「いいお話」という感じです。話の結末も、迎えに来た人の気持ちを主人公が察してお互いに思いやりながら本心を理解し合って農場に残る、それぞれめでたしめでたしとなる。今ではまれな作品なのかもしれませんね。アメリカの素朴な生活の様子も出てきたし、昔の古き良き時代のお話として心温まる作品です。

プルメリア:佐竹さんの絵が好きなので、表紙を見てすぐ読みました。まわりの人々に守られながら生きていた主人公が、環境が変わり大自然の中で自分で考え行動しながらたくましく成長していく姿は読んでいてとてもほほえましい。二人の女の人の生き方も対照的です。バター、メイプルシロップ、ポップコーンなど手作りの楽しさも伝わってきます。自給自足、ものをとても大切にすること、まわりの大自然が美しいことに読んでいて心がほっとします。私はこの作品が大好きで学校の図書室にも入れて、いちばん目立つ場所に表紙を見せて並べています。3年生の女の子が数人楽しそうに本を手にとったんですが、本の中を見ると「あー」と言って戻してしまいました。字が小さいので、もう一歩進めないようです。高学年でも同じかなと思います。そこを克服することができる工夫をしないと読み始めることができないので、本を手に取ることができるような紹介を考えたいと思っています。

ハリネズミ:大人の暮らしを子どもがきちんと見ていますよね。そのことが、変ないじめなどがないことにつながっていくのかもしれません。大人もぶらぶら生きているわけでなく、まっとうに暮らしているんですから。図書館では何冊も借りられていて人気がありました。ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズは、ふつうの子どもには長すぎる。大学生でも、「描写がこまかすぎて話がなかなか前に進まないので、うざったい」と言ったりします。かといってプロットばかりの本は読ませたくないと思うと、このくらいの長さでまとまっているほうが手にとりやすいかもしれません。

セシ:メイプルシロップを作るシーンの描写は、ようすがよくわかってすてきですよね。こういう文章を読むおもしろさに、今の子どもはなかなか気づかないのかもしれませんね。映像や音に慣れてしまって、見てすぐわかることしか味わえなくて。おもしろいところを2、3ページでもいいから読んでやって紹介すれば、読んでみようと思うんじゃないかしら。

サンシャイン:詩の場面はとてもよかった。夕食後の団欒の場面で大おじさんが自分の気に入っている詩を子どもに読んでもらう。覚えているところはともに唱和する。テレビのない時代のすばらしさ。こういう文化があるのがいいなと思いました。日本は詩というと主に抒情詩なので、こういうドラマチックなものはないのかな。国民詩人みたいな方がいたり、好きな詩を暗唱・朗誦したりということ、いいですねえ。

カワセミ:テレビも何もない時代の家族の楽しみはこうだったのね。

ハリネズミ:衣食住だけでなく、娯楽もみんな自分たちで作り出していくのよね。

セシ:週末農園がはやってきているのも、生きる手ごたえが求められてきていることの表れかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


世界がぼくを笑っても

笹生陽子『世界がぼくを笑っても』
『世界がぼくを笑っても』
笹生陽子/著
講談社
2009.05

版元語録:主人公・北村ハルトは浦沢中学の2年生。母親はハルトが3歳のときに家を出ていき、父親と二人暮らしの生活を送っている。そのかわり、父の友人で、ニューハーフのアキさんが家の手伝いに来てくれている。ハルトが1年生のとき、学校は”破壊神”を気取る山辺たちのグループが学級崩壊を起こしていた。そんななか、新学年になって、転任してきた小津ケイイチロウという教師が、ハルトたちの2年D組の担任となって現れる。この小津先生がとんでもないダメ教師。新任の挨拶で緊張のあまり倒れたり、社会科見学の引率をして道に迷ったり……。

サンシャイン:読んでいて、知らない言葉が出てくるんです。「おなしょう」、「セフレ」、「わきキャラ」、サブキャラでしょうか。「たっぱがある」「こてはん」。今どきの本なんでしょうけど、こういうのを今の子は喜んで読むのでしょうか。これが今の普通? ところで、すごい先生がやってくるっていううわさを受けて話が始まるんですが、それってこのほぼ主人公の先生のことなんですか。違いますよねえ。

ハリネズミ:そういう言葉は、今の中学生ならわかると思いますよ。それから、すごい先生っていうのは、最初は担任のオヅちゃんかと思うのですが、実は違って別の女の先生だったというふうに書いてあります。

サンシャイン:家庭にニューハーフの人が出入りするとか、話の展開に利用しているんでしょうけど、安易じゃありません? あまり中学生には読ませたくないなって思いました。

プルメリア:笹生さんが書くものは、いつも日常生活に起きているような話、現実的な話が多く心に残る作品がたくさんあります。この作品では、学級崩壊したらどうしようって心配していましたが、子どもたちのチームワークが最後に出てきてほっとしました。携帯メールが頻繁に使われる日常生活や、それが子どもたちの中でわだかまりになっていたのが徐々にそうでなくなり、1つにまとまっていく姿を読んでいて、人間っていいなと思いました。父子家庭や現代的な風潮も書き込まれ、この作品も今までの作品同様おもしろく読めました。

ハリネズミ:この作品は、今風の言葉づかいがたくさん出てくるので、しばらくすると逆に古くなっちゃうかもしれないとは思います。でも、先生が薦める名作ものにはそっぽを向いている子どもたちにとっては、窓があいてる感じがすると思うんです。現代の状況を取り上げた作品は、暗い方向に行くことが多いけど、この作品はリアルでありながらそう行かないところが新しい。まずどう見てもだめな先生が出てきて、裏サイトでも先生の悪口の言い放題になる。そこで、この先生はつぶれちゃうのかな、と思うと、子どもたちは「こんな先生でもいいところもある」と思うようになる。普通、中学生は先生に反発するだけで、生徒の方から歩み寄ったりしないかもしれませんが、でも子どもにはやさしさもありますからね。人間のだめな面だけじゃなく、いい面だって実は見てるんですよ。ただ、その辺を嘘っぽくなくリアルに書くのはむずかしい。笹生さんはうまいです。ハルトのお父さんも世間的にはりっぱな人間とは言えなくて、ギャンブルやったり子どもをだましたりしてる。でも、中学生を「中坊」って呼ぶところなんかからもわかるように、大人としての存在感は持ってる。ユーモアも随所にあります。お父さんの言葉もなかなかおもしろいし、p24-25の親子のやりとりも絶妙だし、p34の鉄道マニアの長谷川の会話も笑えます。
書名の『世界がぼくを笑っても』の「ぼく」は、この頼りない先生「オヅちゃん」なんですね。p137でオヅちゃんが「だれかにひどく笑われた時は、笑い返せばいいんです。自分を笑った人間と、自分がいまいる世界に向けて、これ以上なというくらい、元気に笑えばいいんです。そうすると胸がすっとして、弱い自分に勝てた気がします。いままで、さんざん笑われて生きてきたぼくの特技です」って言ってます。このあたりは、作者から中学生に向けての応援歌になってるんじゃないかな。
学校の裏サイトなどをうまく利用して、いろいろな子どもに言い合いをさせたり……とうまくつくってあります。多様な人間を描いていておもしろいです。

カワセミ:この作者の作品はわりと好きだけど、これは今まで読んだものにくらべるとちょっと勢いがないというか、スケールが小さいというか、少し期待はずれでしたね。携帯サイトのこととか、今の子どもたちの言葉とか、上手に盛り込んでいるんだけど、この本っておもしろいところはどこなのかな。いろいろな相手との会話はおもしろかったですね。出てくるのは、小津先生にしても、友達の長谷川にしても、ニューハーフのアキさんにしても、本人とちょっと波長のずれた人たちばかり。本人の意図と関係なくつきあわなきゃいけない、こういった人たちとのずれた感じがおもしろいなと思いました。きわめつけはお母さんで、ハルトがお母さんに会いに行く場面は、どっちも言葉少なで、ぎこちない感じがよく表れていた。でもこの主人公はいったいどんな子なのかっていうのが、あまりつかめなかったです。表紙のかっこいい感じとも、ちょっと違ってたし、今一つつかみきれないところがあったかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


「ふじこさん」(『ふじこさん』所収)  

大島真寿美『ふじこさん』
『「ふじこさん」(『ふじこさん』所収)  』
大島真寿美/著
講談社
2007.06

版元語録:離婚寸前の父と母にはさまれ、何も楽しいことのない毎日を送るリサの前に現れたふじこさんは、乱暴できれいで、あっけらかんとしていて、今まで見たことのない、へんな大人だった…。

愁童:3冊並べると、取り合わせの妙でおもしろかったんですけど、この作品は積極的にコメントしたいような内容じゃなかったな。子ども向けじゃないものね。小学校6年生の子が読んでも、好きになれないんじゃないかな。

ハリネズミ:子ども時代を書いた本は必ずしも子どもの本ではないんで、これは大人の本ですよね。大人から子どもの時代を見てる。ふじこさんっていう個性的な人と出会って、成長したということを、大人になってからの目線で、大人の文体で書いてる。ふじこさんが魅力的な人だというのは伝わってきましたけど。私もこの会で話し合う本ではないと思い、それ以上考える気になりませんでした。

愁童:「子どもだって絶望する」なんて書かれても困っちゃうよね。

ハリネズミ:「子どもだって」って、この「だって」にひっかかりますよね。私は、子どもの方がよっぽど絶望すると思うから。だって、時間的にも空間的にも大人より自由度が少ないでしょ。ほかの2冊に比べると、この本は、子どもに対する認識度が違いますね。

みっけ:こういうふうな息苦しさを感じている子どもは、今までにもいっぱいいたろうし、今もいるんだろうと思います。それと、このふじこさんは、親や教師以外の大人、一昔前の映画や物語でいうと、ちょっと無責任的なところがあったりして、その分自由で外の風を運んできてくれる独身のおじさんやおばさんみたいな存在なんだろうな。この本を読んで、すごく嫌だ、とまでは思わなかったんですけれど、なんか、日本の子どもって勢いないなあ、という感じはしました。この子は疲れていて、しかも、自分でなにか積極的に動くわけでもないでしょう? ふじこさんに会ったのだって、すごく強い気持ちがあって出会ったのではなく、非常にネガティブにふらふらしていて、いわば偶然に出くわしたわけだし。大人を斜に見ていながら、自分は積極的なアクションに出ていない。こう子の物語を読んでも、今渦中にいる人は、そんなにおもしろくないだろうなあ、という気はします。

ジーナ:両親が別居中に、お父さんのつきあっている女性が現われて、これまでの価値観をくつがえすような衝撃を与えるという設定が、長嶋有の『サイドカーに犬』(『猛スピードで母は』に収載 文藝春秋社)と似ているなとまず思いました。みなさんがおっしゃるように、私はこれは大人が読む作品だと思ったし、そうだとすると『サイドカー〜』のほうがおもしろかったです。学校も家庭もたいへんだと書かれていて、結果として絶望していると言葉では言っているけど、具体的にどういうことがあったかはあまり書かれていないから、感覚的で胸に迫ってこないんですよね。それに、ダンナをこきおろしてばかりで子どもを見ていない母親や、鈍感な父親を、そういうものだと決めつけて描いているところが、似たような世代の子を持つ者としては不愉快で、子どもに手渡したいと思いませんでした。

メリーさん:子どもが共感するかというと、ちょっとむずかしいかなと思いました。ただ、この著者の初期の作品は、女の子の気持ちによりそっていて、共感できるものが多かったなと思うのですが。個人的には、このような世界はけっこう好きで、著者の言おうとしていることはわかる気がします。「ふじこさん」という名前から、きっとおばあさんだろうと思いながら読み進めたのですが、見事に裏切られたのもおもしろかったです。「絶望」という言葉が議論になりましたが、自分の進むべき方向がわからない、というくらいの意味だと思います。主人公が、自分の道を模索しているときに、突破口としての大人。自分と違う魅力を持っていて、主人公を子ども扱いせず、対等に見てくれる人。やっぱり出会いというのは宝物なのだ、という実感がよく伝わってきました。

げた:みなさんおっしゃったように、子ども向きの本ではないと判断して、私の図書館では一般書の棚に置いてあります。いきなり「子どもだって絶望する」なんて、衝撃的なんですよね。自分は子どものころこんなこと考えてたかな、自分の子を見ても、こんなふうじゃないとは思いますね。でも、確かに学校と塾のだけの生活の繰り返しで、身勝手な親たちに振り回されてると、考えるのかな? 創作だから、極端につくってるんだろうけれど、一般的な雰囲気としてこんなのがあるとすると怖いな。小学生は読みたいとは思わないだろうし、中学生、高校生でも、どうかな。生きる力を与える本にはならないと思うな。

小麦:他2冊とはまるでちがう1冊。アメリカの能天気な小学生に比べると、日本の小学生は息苦しそう……。まあ、この作品は、主人公が大人になってからの回想というスタンスで描かれているので、比較にはなりませんけど。好きだったのは、ふじこさんがイタリアの椅子と出会って、夢に向かって留学することを主人公に打ち明けるシーン。この時のふじこさんはきらきらぴかぴかと光っていて、主人公はそのまぶしさの前に、夢を見つけて光りだした人の前では、どんなに自分がふてくされようが、駄々をこねようがなんにもならないと悟るんですよね。自分だけの宝物を見つけ、自ら人生を切り拓く希望のようなものが、おしつけがましくなく提示されていて、すごくいいと思いました。ふじこさんの造型も、風変わりすぎず、自然でいいと思いました。私の周りの友だちなんかに、いかにもいそうな感じ。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年9月の記録)


どうなっちゃってるの!? クレメンタイン

サラ・ペニーパッカー『どうなっちゃってるの!? クレメンタイン』
『どうなっちゃってるの!? クレメンタイン』
原題:CLEMENTINE by Sara Pennypacker and Marla Frazee, 2006
サラ・ペニーパッカー/著 マーラ・フレイジー/絵 前沢明枝/訳
ほるぷ出版
2008.05

版元語録:「先生は集中しなさいってしかるけど、あたしはいつだって集中してるの」元気いっぱいの女の子クレメンタインが活躍する楽しい物語。

みっけ:この本は、読んでいて楽しかったです。この本がいいのは、主人公がかなりハチャメチャをやって、友達の髪の毛を切っちゃったりするんだけれど、相手もそれをすごく嫌がっているとか、一方的に被害を受けていると感じているっていうわけではないところだと思います。傍から見たらクレメンタインの方がすごいことをやるんだけれど、かといって、友達のマーガレットから完全に浮いているわけでなく、ちゃんとふたりで楽しく過ごしているっていうところが、読んでいて気持ちがいいんですね。お父さんやお母さんも、困ったなあと思っているところがないわけではないんだけれど、でも、クレメンタインと上手につきあっていく。たとえば、真夜中の鳩撃退大作戦を始めたり。しかも、クレメンタインがいつも用事を頼まれているおばさんのところにいったことから鳩問題が無事解決、なんていう展開もうまくできているし。そこがいいなあって思いました。前にこの会でジャック・ガントスの『ぼく、カギをのんじゃった!』を取り上げたことがあって、あのときに、たとえばADHDとかLDとか診断をつけてしまうことの持つマイナス面が話題になりました。あのとき私は、でも、クラス担任としては……というようなことを考えていて、診断をつけたり、薬を使ったりするのもある程度必要なんじゃないかな、と思ったりしたのですが、このクレメンタインを読んで、そのあたりのことを改めて考えさせられました。こういうふうに、みんなと接点を保ちながらごく自然に成長できるのならば、診断とか薬に頼らなくてもいいのかな……というふうに。一斉授業を粛々と進めようとする先生にとって、この子は明らかにお荷物になるんだろうけれど……。それと、この本は、外からは集中力がないと見られているクレメンタインが、実は本人の理屈で言えば集中しているんだ、ということや、周りにどう思われようとかまわないようなことをしているように見えて、ちゃんと親のことなんかを気にしているんだ、というあたりがちゃんと書かれていて、クレメンタインの気持ちがとてもよくわかる。それがよかったです。クレメンタインが、自分があまりにもトラブルを起こすものだから、家族にやっかいばらいされるんだと思いこみ……という展開で最後の最後まで冷や冷やさせて、でも実は大はずれでハッピーエンドというのも、いい読後感につながっているのでしょうね。始めから終わりまで、ケラケラ笑って読みました。おもしろかったです。

ハリネズミ:私もこれは、今回の3冊の中でいちばんおもしろかった。『グレッグのダメ日記』はおんなじように書かれているんだけど、翻訳がちょっと。これは、前沢さんの翻訳がはまっていて、楽しいし、おもしろいし、子どもが読んでも愉快でしょうね。短いお話の中に一人一人の特徴もよく出ています。たとえば、きれい好きのマーガレットは、トイレにすわりこんですねている時でも、お尻の下にペーパータオルを何枚も重ねてる。そういう部分が、おかしいと同時に、その人物を端的にあらわしてもいて、うまい。クレメンタインはおおまじめなのに、まわりの大人と噛み合なくて事件を引き起こしてしまうんだけど、読者が主人公に共感できるように、ちゃんと書いてある。だから、「問題児だけど理解してあげなくちゃ」じゃなくて、愛すべき存在としてうかびあがってくるんですね。クレメンタインの観察力の鋭さも随所に表現されてます。「校長先生は、『おこらないようにがまんしてるけど、そろそろげんかいです』っていうちょうしでいった」(p20)とか「ママのねているところは、あまいシナモンロールのにおいがするんだ。パパのねているところは、まつぼっくりのにおい」(p59)とか。両親は、この子のおかげで大変な思いもしてるんでしょうけど、ちゃんとこの子の個性を評価して、この子も両親を信頼している。そこもいいですね。それに、あちこちにユーモアがあるのが最高。楽しいし、翻訳もいい。現代の「ラモーナ」(ベバリイ・クリアリー著 松岡享子訳 学習研究社)じゃないかな。しかも、「ラモーナ」より短くて、今の子には読みやすい。中学年くらいにお薦めできる本が少ないなかで、これはお薦めです。

小麦:このところ学校と合わない子どもの話が続いていて、ちょっと食傷気味だったんですけど、クレメンタインはのびのびと明るくて、楽しんで読めました。訳文が、クレメンタインのキャラクターにぴったり寄り添っていて、とてもよかった。小学生の語彙で、さらに、いかにもクレメンタインみたいな子が使いそうな言葉がちゃんと使われています。P12の「そのとき顔を見たら、目のあたりがキュッってちぢこまって、『あとちょっとで泣きます』っていう目になっていた」とか、P65の「とがった物を消すには、丸っぽい物を見るしかない」とか、うまいなーと思う箇所がたくさんありました。クレメンタインも、私にはそれほど困った子には思えなくて、ごく普通のことを普通にやっているのに、なんで大人はわからないの?って困惑する感じが愉快で楽しかったです。先生のスカーフの卵のしみをじっと見て、ペリカンみたいに見えるのを発見したり……こんなこと、私も子どもの頃よくしてました。

げた:私もみなさんがおっしゃっているようなことを思いながら読みました。挿絵もいいなと思いました。内容にぴったり合っていて、イメージを与えてくれてますよね。「ラモーナ」に似ているなと私も思いました。「ラモーナ」が最初に出てきた頃より、日本とアメリカの生活様式が似通ってきて、日本の子どもたちも、違和感なく読めるんじゃないかな。

愁童:日本の作家も、「子どもだって絶望する」なんて書いてないで、クレメンタインとかグレッグみたいな、自由闊達な子どもを書いてほしいな。去年楽しい体験があったんです。水を引いてる田んぼに、2年生の子たち2人が飛び込んで遊んでるんですよ。子どもって、そういうところがあるんですよね。大人は、それができる環境を与えてやりたいですよね。

メリーさん:この3冊の中では『クレメンタイン』が一番おもしろかったです。とりたてて大きな事件は起こらないけれど、ストーリーの展開がいいし、主人公と彼女をとりまく友達と家族がとてもいい。あっという間に読んでしまいました。クレメンタインのような子どもは、大人やほかの子どもたちからすると、一見、どうしてああいう行動をしているのか理解しがたいんでしょうけど、本人としては、きちんとつじつまがあって、彼女なりの考え方にしたがって動いている、っていうことがよくわかる。彼女の頭の中の種明かしを見ているみたいでした。弟をかわいがる(?)ところは、おなかをかかえて笑いました。著者紹介も凝っていてよかったです。

ジーナ:おもしろかったです。ユーモアの質がよいというのか、気持ちのいい笑いでした。この子は日本の学校に入っていたら、もしかすると「他動」だとか「ADHD」だとかいわれるような子かもしれないんですけど、両親はこの子の感性をしっかりと受けとめて、この子を無条件で認めていますよね。だから、子どもがのびのびと安心していられる。それがとてもすてきだと思いました。

愁童:訳文が軽快で、ぴったりだよね。うまいね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年9月の記録)


グレッグのダメ日記〜グレッグ・へフリーの記録

ジェフ・キニー『グレッグのダメ日記』
『グレッグのダメ日記〜グレッグ・へフリーの記録』
原題:Diary of a Wimpy Kid by Jeff Kinney, 2007
ジェフ・キニー/著 中井はるの/訳
ポプラ社
2008.05

版元語録:この日記を書くことにした理由はただひとつ。ボクが将来金持ちの有名人になった時、ばかばかしい質問にも、これを出せば一発で解決するからね。

小麦:これは、読んでとにかくおもしろかったんですよね。バカバカしいことも多いんだけど、エピソードの一つ一つがほんとにダメで笑っちゃう。クラスにおけるグレッグの立ち位置もいかにもダメ。ダサめのクラスメートを心の中で見下しつつ、実は自分もそんなに変わらないとか。かといって、クールに構えてるわけではなくて、ハロウィンに変な仮装で繰り出したり、お化け屋敷をつくったり、ギャグ漫画を投稿したり、いろいろがんばっている(笑)いろいろな本がありますけど、こういうスコーンと突き抜けたユーモアのある本って絶対必要だし、子どもたちにも読んでほしいな。私自身、くよくよと落ち込んでいる時に救ってくれるのが、どうしようもないコメディだったりするんですよね。やっぱりおなかの底からの笑いっていうのはパワーがある。笑いの効能を実感させてくれる本でした。

げた:どっちかっていうと、私、まず横書きだっていうのと、コミック的な挿絵っていうのが、ちょっと苦手なんですよ。マンガはダメな方なんで、最初ちょっととっつきにくい感じだったんです。相手を骨折させちゃうとか、ハチャメチャなところのおもしろさっていうのがだんだんわかってきました。

小麦:しょうもないことが多いですもんね。

げた:そうなんですよね。でも、こういうのがあってもいいかなって。

愁童:おもしろかったですね。日本でも、こういう子ども目線の作品がもっとあるといいな。挿絵も楽しいし。

ジーナ:たかどのほうこさんの低学年ものは、そういうところあるんじゃないですか? でも、全体的に見ると数は少ないかな?

メリーさん:これもまた違った意味でおもしろかったです。『クレメンタイン』の方は素直で純真なところから出るいたずらだとすると、こっちはちょっと悪知恵が働いているといった感じ。自分自身の小学生時代を思い返して、クラスの中に、こんな憎めないけれど、悪い子っていたなと思いました。ばかばかしいけど楽しい。痛快な感じがしました。

ハリネズミ:私はうまく入り込めなくて、楽しめなかったんです。学校が舞台の翻訳ユーモア作品って、制度も日常感覚も日本の子どもと違うから、ちょっと外すと笑えない。訳も難しい。p170の禁煙ポスターの一等賞作品なんて、どこが楽しいかよくわかりませんでした。生徒会の選挙で相手の中傷をポスターに書くとか、票集めのためにキャンデーを配るとか、体育でレスリングをやるなんてとこも、日本の状況と違う。だいたいグレッグって何歳くらいなんでしょう? 小学校の5、6年生なのかなって思ったんですけど、絵を見ると、同級生にもっと大きい子もいるみたいだし。でも、それにしては「おまえのかあちゃんデベソ」なんて幼児しか言わない表現とか、「チーズえんがちょ」なんて低年齢向きの言い方が出てくる。違和感があります。それに、グレッグがロウリーにぬれぎぬを着せて平気でいるところとか、フレグリーの家で気絶して朝帰りしてるのに親はちっとも心配してないところとかも、気になっちゃって。そんなことをあれこれ考えてしまうと、ちっとも笑えませんでした。考えなきゃよかったんでしょうけど。原書は書き文字みたいな字体で、人の日記をのぞいている感じなんだけど、日本語版は明らかに印刷文字っていうのも、どうなのかな? 一所懸命笑わそうとしてるのに、私にとってははずれまくって白けちゃった、という作品でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年9月の記録)


兵士ピースフル

マイケル・モーパーゴ『兵士ピースフル』
『兵士ピースフル』
原題:PRIVATE PEACEFUL by Michael Morpurgo, 2003
マイケル・モーパーゴ/著 佐藤見果夢/訳
評論社
2007.08

版元語録:明日の朝6時、運命の「時」はやってくる。それまでに何もかもを思い出しておきたい。起こったことを、起こったとおりに…。第一次世界大戦中のヨーロッパ。ほんのはずみで戦場に行くことに決めた兄弟に、理不尽な運命が襲いかかる。そこでは憎むべき相手は敵だけではなかった…。★第54回・課題図書

クモッチ:いつでもそうですが、戦争の話は悲しいことがわかっているので、避けたくなるようなところがあります。でも、『ジャック・デロッシュの日記』(ジャン・モラ著 岩崎書店)もそうだったんですけど、この作品でも同じ軍隊の中でのある種見せしめのような処刑について書かれていて、他国の戦争とはいえ、まだまだ知らないでいる事実が多いなと思いました。この本のテーマは過酷だけれど、戦争の悲惨さだけでなく、主人公が人間としてどんな人生を生きてきたのかをきっちり積み重ねて描いています。そのおかげで尊いひとつの命を、戦争というものが簡単に終わらせてしまうところが効果的に迫ってくると思いました。この本の構成は、明日の朝に命の終りを予感している兵士の呟きから、過去にフィードバックしていくようになっています。最後に処刑されるのが本人なのではないかと思って読み進めていったので、結末が意外でした。作者のモーパーゴは、この戦時中の事実を知って書かなければと思ったと、後書きに書いていますが、最近は戦争物でも、このような新事実にもとづいた作品を出版するようになってきてると思います。また、戦地を直接描くという方法ではなく、そこで粗末に扱われる命の背景を丁寧に描くことで、戦争で失われる命の重さを表現する作品も多いと思います。

ハリネズミ:最初、構造に気付かないでぱっと読んで、途中でそれに気づいて、もう一度読み直しました。各章の冒頭に現在時間(午後10時5分から翌朝の午前6時まで)の思いがあって、その後に回想部分が続く。うまい構成だなと感心しました。それに、トモが戦場でしたこと感じたことが、リアルに描かれてますね。恐怖に襲われたり、弱虫じゃないんだと自分に言い聞かせたり、心が麻痺したり、新兵に対して先輩面をしたり??いかにも普通の若者らしいリアリティがあるな、と思いました。ジョー兄ちゃんという、脳に障碍をもった兄の存在が全体に深みをもたせてます。弟のチャーリーとトモが、ジョー兄ちゃんを大切にしてるんだけど、いたずら心を起こしてウサギの糞を食べさせちゃうなんていうエピソードも、いかにも子どもらしい現実感が出てます。ピースフルという名字は、象徴的でもあるし皮肉でもありますね。モーパーゴの作品の中でもとてもすぐれた作品なんじゃないかと思いました。今回翻訳ものが2つありましたが、翻訳はこっちのほうがリズムがあっていいですね。

ウグイス:久しぶりに、一気に読まずにはいられない、最後に行くまではやめられないという本でした。主人公の僕は強くたくましくもなく、勇気もないごくごく普通の子なので、国も時代も違うけれど、日本の子どもたちも共感するのではないでしょうか。前半は農村ののどかな生活が描かれるので、後半がいっそう衝撃的。対比が鮮烈で、結末が胸にひびく。そういう書き方がすごくうまいなと思いました。戦争の描き方は、単に敵と味方というのではない、いろいろな角度からの書き方が増えてるんだなと思いました。中学生くらいにすごく読んでほしい作品。

フェリシア:高等学校の部の課題図書です。中学生には少し難しいかもしれません。今回の3冊の中では一番引き込まれて読みました。私も最初、お話の構造がよくわからなくて読んでました。後半の戦争という異常空間で行われる兵士たちの残虐さとむごさに、読みながら目をふせたくなりました。訳も非常にうまいなと思います。前半読んでいくうちは、どうして兵士ピースフルなのかなととても疑問でしたが、前半あっての後半。前半ののどかなっていうよりも、貧しい田舎の生活が、すでに過酷な運命で。それも細かく描かれていたので、僕とモリー、ジョー兄ちゃんとの関係や設定が、読んでいる人にぴったり入っていって、本の中の世界に感情移入できるようになります。ジョー兄ちゃんの存在は、残虐さやむごさと対照的でひとつの救いになっているように感じました。“純粋な善”の象徴として対照的に描いているんだなと。ここに出てくる軍隊の残虐さはどこにでも存在したもんじゃないですか? 中国の日本軍とか。でも歴史の知識として語られるものは迫ってこない気がしますが、これは読者が感情移入できる主人公の目を通して語られるので、目の前に広がってきますね。

ジーナ:私も一気に読みました。構成のおもしろさという話がさっきもありましたけど、確かにそうだなと思います。過去の出来事が一人称で書かれるんですけど、これがとても分析的なんですね。こういうふうに語りをもってきたからこそ、この物語がよけいおもしろく読めると思いました。さきほど、後半の残虐さという話がありましたが、ハンリー軍曹だけではなく、前半にもマニングズ先生とか地主の大佐とか、権力を盾にした気ままな暴力が出てくるんですよね。私は作者は、戦争だけではなく日常の中の戦争の芽のようなことも語っている気がします。頼りにしているチャーリー、みんなが大事にしているジョー兄ちゃんのことなど、兄弟の書き方もとてもよかったです。1か所だけ疑問に思ったところがあって、133ページの後ろから3行目、「この戦場で演じるのは自分自身の人生であること。そして、その多くが死にいたることを。」。原文を見ていないのでわかりませんが、「ここでは、命がかかっている」ではないかなと思いました。

ハリネズミ:読んでいて、ケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』という映画を思い出しました。貧しいながらも絆をもって愛し合っている家族が戦争で壊されて行くという点が共通してるな、と。あの映画は、イギリスとアイルランドの間の戦争で、最後正規軍に入ったお兄さんがゲリラの弟を処刑しなくてはならないというすごい設定ですが、戦争の理不尽さが両方ともよく出てる。

クモッチ:前の読書会でも、『屋根裏部屋の秘密』(松谷みよ子著 偕成社)を読んだとき、今の子に読んでもらえる戦争ものとはどんなものなんだろう、という話が出ましたよね。この作品は、戦争以前の人生がきちんと描かれているということですよね。

ジーナ:そうですね。たとえば、お父さんが自分のせいで死んだという負い目が最後までつながっているところなんか、うまいですよね。

ウグイス:そうそう、最後になって「知ってたよ」って言われて解放されるのよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年8月の記録)


北のはてのイービク

ピーパルク・フロイゲン『北のはてのイービク』
『北のはてのイービク』
原題:IVIK:Den Faderlose by Pipaluk Freuchen, 1945
ビーパルク・フロイゲン/著 イングリッド・ヴァン・ニイマン/絵 野村ひろし/訳 
岩波書店(少年文庫)
2008.5

版元語録:極北のグリーンランド.狩猟の名人だった父を失ったイービクの一家は,飢餓におちいる.少年は,母や祖父,幼い弟妹たちを救うため危険な旅に出て,白クマと命がけで戦う.

ジーナ:ストーリーはおもしろかったけれど、文章が読みにくくて、対象年齢としている小学4、5年生に読めるのかしらと思いました。あとがきに「エスキモーの生き方や考え方がが感傷をまじえずに客観的に描かれている」とあって、ああそういうことかと思いましたが。たとえば、124ページの2行目の、犬をあげるシーンのせりふなど、この回りくどさがおもしろいんだけれど、そういうものだということがわかるまで時間がかかりそう。あと、わかりにくいところがちょこちょこあって、たとえば9ページの6行目、「それもまずいほうのがわへ」という部分、どうまずいのか、具体的にどちら側なのかよくわからない。こういうところをもう少し親切に書いてくれるといいのにと思いました。

フェリシア:このたどたどしい訳はなんだろう?と、はじめ思いました。昔の本かなと思って、奥付を確認したら出版されたばかりだった。復刊でもなく。訳の文体がすごく古めかしい。訳者がご年配だったので、そのせいかもしれないと思いました。でも途中から、それが心地よくなってきました。淡々と語られるので、事実をそのままレポートされているような感じで。でも、今の子供たちにはどうなのかな? 読みにくいかもしれませんね。後半はとても楽しかった。特に、イービクが一人で旅に出るところから、エスキモーの価値観などがよくわかってくる。特に、人間関係のとり方がおもしろかったです。環境が厳しいために、ストレートな言い方はしないとか、他人に対する思いやりとか…。それが新鮮で、今の子どもたちにメッセージとしてひびくところもあるだろうし、現代社会も学ぶところがあるように思います。解説を読むと、現在はエスキモーの人たちにとってもそんな価値観は過去のものになっているようですけど。どこの国も変化は避けられないのですね。

ウグイス:始まってたった5ページ目でいきなりお父さんが死んでしまうというのは、とても惹きつけられる出だし。最初からすぐに物語が動き出すので、一体どうなるんだろうって、先を読まずにはいられないでしょ。一文が短いので、確かに文章がぶっきらぼうな感じだけど、イービクが今やらなければならないことがとてもわかりやすく描かれていると思います。最後に「父をなくしたイービクがクマを殺し、そして一家を養った話は、これでおわり」で終わるけど、まったくその通り、それだけが書かれている。ぶっきらぼうな語り口が、むしろこのプリミティブな世界をよく表現しているのでは? ひもじくて犬のひもをちょっとずつ噛んでいるところなど、今の子どもたちも目を丸くするのではないかしら。人間が食べて生きていくという基本的なこと、文明社会では忘れているようなことが描かれてます。大人と子どもの世界がきちんと分けられている秩序も興味深かったし、親戚の男の人のほめ方も独特でおもしろかった。頼りなかったイービクが大人のような活躍をして、大人に認められたという誇らしい気持ちがわかりやすく伝わり、読者を満足させてくれると思う。家族のもとへ帰って感激の再会をする最後のいい場面の途中に、唐突に「エスキモーはこんなくらし方をしている」という見開きの挿絵がはいっているのは、気がそがれてしまった。暮らし方も興味あるけど、今はいいところなんだからちょっと待ってよ、って感じ。どこかほかに入れたほうがよかったのではないかしら。(章と章の間に入れればいいのにという声)

ジーナ:68、69ページの皮のひもをかじるところなんか、すごくリアルですよねえ。

ハリネズミ:大人の私としては、エスキモーの伝統的な暮らしぶりがまずおもしろかったです。野村さんの訳は今まで読みにくいと思ったことはなかったんですけど、この本では、学者風というか原文に忠実なあまり、おもしろさに欠けるのかもしれませんね。「北のはて、グリーンランドの北部は、今が夏の盛りである」で始まりますが、「である調」は、子どもにはしんどいかも。それと、たとえばイービクの目の前でお父さんが死にそうになってる場面では、「今イービクがしなくてはならないいちばん大事なことは、なんとかしておとうさんを助けることだ」とあります。正しい訳なんでしょうけど、「わっ、たいへん」と思う読者の緊迫感との間に落差があるように思います。それにしても、主人公は何歳なんでしょう? お父さんに狩りに連れていってもらえる年齢って、何歳なのかな? 挿絵ではずいぶん小さく見えますが。

フェリシア:10歳くらいなんですかね。

クモッチ:描かれているのは過酷な世界なのですが、舞台がちょっと離れたところだし、挿絵のタッチともあいまって、おかしいなと思いながら読みました。イヌイットの生活がとてもうまく描かれていると思います。特に、イヌイット同士の会話がとても間接的なのがおもしろかったです。このように自然が過酷な場合、人間同士の会話もストレートになるのではないかと思っていたのですが、自然が過酷だと、仲間に対する気遣いがさらに必要なのかもしれませんね。男の子がだんだんと一人前になる自信をつけていく過程が、独特な口調で語られていておもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年8月の記録)


氷石

久保田香里『氷石』
『氷石』
久保田香里/著 飯野和好/画
くもん出版
2008.01

版元語録:天平9年、平城京の夏を駆け抜けた少年がいた。疫病におかされた都で、ひとり生きる少年・千広。母を亡くし、父の不在をうらみ、かわきかけた心をひと夏の出会いが変えていく…。

ウグイス:最近読んだ日本の創作の中では、これはとてもおもしろかったんですね。お母さんが死んじゃって、お父さんも帰ってくるかどうかわからないという辛い状況の中で、石を売ったり、お札を書いて売ったりなど、子どもなりの知恵をつかってひとりで生きていこうとする主人公に共感を持ちました。むせかえるような夏の空気感みたいなのも伝わって、細かい描写が上手に書けていると思う。子どもの気持ちがよく出ているし、登場人物もそれぞれよく書き分けられていると思います。最後は希望を持って終わるような書き方で、続編が出るのかな、という感じをもちました。

ハリネズミ:私もおもしろかった。千広と宿奈の淡い恋心みたいなのもあるし、安都とか伊真さんとかステレオタイプ的ではあるけど、いろいろなキャラクターを書き分けて物語を進めていくのもいいな、と。ただ、この本だけで終わるんなら、ちょっと物足りない。学問の世界とストリートの世界の間で揺れ動く千広はどう決着をつけるんだろう、とか、お父さんは帰ってくるのかな、とか、宿奈との恋はどうなるのかな、と先が知りたくなりますね。続きを出してほしいな。

クモッチ:天平9年、738年という時代のものを読むおもしろさが一つと、そういう時代を描きながら、主人公のお父さんに対する気持ちがとてもよくわかるように書かれていたのがおもしろかったです。これは、万葉集成立よりも前の時代のことなんですね。風土記が、天皇の命令で各地で編纂されている頃なので、風土記の文献から、イメージを広げていけたんだろうなと思いました。新しい知識を得たいという欲求から、家族をかえりみることなく唐にとどまってしまう父。その父に対して、とても納得ができない千広が、だんだんに父の気持ちを理解していく過程がよく描かれていると思いました。惜しいのは、宿奈とのことがいま一つわからなかったことです。氷石というタイトルもテーマがよく見えなかった。でも、とてもおもしろく、続きが読みたいと思いました。

ジーナ:さあっと楽しんで読めたんですけど、私はやや物足りなかったです。おもしろい部分もあるのだけれど、たとえば千広と宿奈や伊真さんが、なぜそれほどつながったか、そういう部分の具体的な描写が少ないように思いました。いじめられているところにちょうど伊真さんが出てきたり、しばらく出てこなかった宿奈がいきなり病気であらわれたりするところで、都合がよすぎる感じがしてしまって。

フェリシア:この本は、すごく前に読んだので、読み返さなきゃと思ったんですけどその時間が取れませんでした。前に読んだときは、さあっとおもしろく読んだんですけど、2か月、3か月たつと印象が薄くなってしまいました。それでも、ひとつ印象的だったのは、少年のお父さんに対する気持ちの変化です。最初は、帰ってこない父に対する怒りだったんですよね。しかし、苦しい生活の中で、札に文字を書いて売ったり、医薬院の看板の文字を見たりするとき、否定していたお父さんの影響を自分の中に発見していく。そして、次第に、お父さんに対する気持ちが怒りから尊敬に変わっていくところがとてもよく伝わってきてよかったです。「氷石」っていうタイトルはとても魅力的で、女の子にプレゼントするなど、何か起こるのかなと期待したのですが、特にこれといって印象的なことはなく、氷石というアイテムが生きてきていない気がします。もう少し少年の気持ちの象徴的なものとして描けていたらよかったように思います。

ウグイス:読者を知らない時代に連れていってくれるっていうのが、この本の魅力だけど、それを取り去ると少し弱いところがあるのかもね。場面場面は主人公によりそってうまく書けているし、この時代の雰囲気は印象に残ると思う。ここまで書けるんだから、これからもっと書いてほしいですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年8月の記録)


ユゴーの不思議な発明

ブライアン・セルズニック『ユゴーの不思議な発明』
『ユゴーの不思議な発明』
原題:THE INVENTION OF HUGO CABRET by Brian Selznick, 2007
ブライアン・セルズニック/著 金原瑞人/訳
アスペクト
2008.01

版元語録:舞台は1930年代のパリ。主人公はパリ駅の時計台に隠れ住む12歳の孤児ユゴー。彼は、父が遺したからくり人形に隠された秘密を探っていくうちに、不思議な少女イザベルに出会う。からくり人形には二人の運命をも変えていく秘密が隠されていたのだ。......からくり人形のぜんまいが動き始めるとき、眠っていた物語が動き出す!

マタタビ:惹きつけられる作品でした。絵と文が贅沢にかみ合っていて、後半になって構成の謎が解けていく。絵から音が聞こえてくるんだあと思いました。街や駅のざわめきや足音なんかが聞こえてくる。不思議な感覚でした。本の中心は文章だけど、これだけインパクトのある絵がふんだんに入ることによって、絵からも様々な感覚が呼び覚まされるんですね。内容は小学生にはちょっと難しいかなあ。でも、少し読書量のある高学年の子が出会ったら、びっくりすると思います。私自身すごくびっくりしました。本の新しい可能性を感じました。

ジーナ:さくさくと読んだのだけれど、後で何も思い出せないんです。一時楽しいけれど、絵が特に心を打つわけでもなく、筋を読む本かなあと思いました。なぜ思い出せないのかというと、文を読むのと絵を見るのとは働きが違うからでしょうか。文字で一つ一つ書きあらわされたのを読むと、心にイメージがくっきり刻まれますよね。でも、この本では絵の部分はぱっぱっとめくってしまって、絵でストーリーが進む部分があるのに、そこの印象が薄いみたいなんですよね。だから、読み物としては物足りない。それにしても大きな本ですよね。絵がいっぱい入っているのを考えると、よくこの値段で出せたなとは思いますが、手元に置いておこうと思うのは、この絵が好きな人かな。

みっけ:私もさらさらと読みましたが、なんかうまく入れなかった。急いでいたせいもあるんでしょうが、とってもおもしろいとまでは思えませんでした。ある程度固まって出てくる文章を、読む速度でするすると読んでいくと、突然絵がどどどっと出てきて、文字がまったくなくなる。そうなると、こんどは文字を追うのとは違って、一枚一枚を見ていく感じになって、がくん、がくん、がくんというリズムになる。ようやく絵を見るのに慣れたと思ったら、また今度はするするが始まるという調子で、最後までリズムに乗りきれませんでした。絵も、私の好みで言うともう一つという気がします。うまいですけどね。内容として、からくり人形の話やら映画が初めて登場した頃の話は、とてもおもしろかったし、ああこの人は、からくり人形や映画が大好きなのだなあ、というのが伝わってはきたのですが、それ以上とまではいかなかった。絵と文章が肌別れしているんですよね。文章を、無声映画の台詞みたいな字体で書いたりすれば、もっとしっくりきたのかもしれませんね。でも、文章の量が多いから、それも難しいかな。

ハリネズミ:この本は、絵でコルデコット賞をとっているんですよね。普通は絵本が取る賞です。小説の文法と絵本の文法は違いますが、この本は絵本の手法で書かれているのかも。小説として完成させるなら、もっときちんと説明したほうがいいところがあります。たとえば、ジョルジュ・メリエスは実在の人物ですが、この本からだけではなぜこの人が映画を拒否しているのかよくわからないので、もう少し書き込んでほしいところです。それからお父さんが火事で死に、おじさんも行方不明になってユゴーは孤児になるわけですが、物語だったらそうそう都合よくすませてしまうことはできない。
この絵は、私は好きです。映画みたいに引いたり寄ったりで、スライドのような効果が出てますね。それに、次々に謎が出てきて読者を引っ張っていくのもいいと思いました。一つ変だなと思ったのは、本文冒頭に舞台は「1931年パリ」と書かれているのに、訳者あとがきには「時代は20世紀、おそらく第一次大戦と第二次大戦のあいだのいつか」と書かれているんです。なんなんでしょうね?

球磨:こんなに厚くてどうしよう、と思って本を開いたら絵が多くてすぐ読めてしまいました。ですが、小説としては完成していないというハリネズミさんの指摘には納得です。なるほどと思いました。絵はとてもよく描けていると思います。実話を元にして初期の映画のことなんかをこんなにおもしろくできるんだなあと、感心しました。翻訳に統一性がないのが残念ですね。題名は、原題は「ユゴーが作り出したもの」でしょうか、日本語では「不思議」を入れて子どもたちを引っ張るんでしょうね。『レ・ミゼラブル』の地下道を思わせるような箇所もありますね、パリの裏の魅力というか。あんまり本が好きでない子にも薦められるかもしれません。

ハリネズミ:原書の表紙はカラーですよね。日本語版の表紙はモノクロで、趣はありますが、楽しい感じは削がれてますね。
この後、本作りのことで盛り上がる。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年7月の記録)


宇宙への秘密の鍵

ルーシー&スティーヴン・ホーキング『宇宙への秘密の鍵』さくまゆみこ訳
『宇宙への秘密の鍵』 ホーキング博士のスペース・アドベンチャー1

原題:GEORGE'S SECRET KEY TO THE UNIVERSE by Lucy and Steven Hawking, 2007
ルーシー&スティーヴン・ホーキング/著 さくまゆみこ/訳 牧野千穂/画 佐藤克彦/監修
岩崎書店
2008.02

版元語録:あのホーキング博士が、子どもたちのために書いた、スペース・アドベンチャー。物語の力で「科学する心」を育てる画期的な本! 物語を楽しく読みながら、宇宙の起源、太陽系、ブラックホールなどの最先端の知識が身につき、19のコラムと32頁の美しいカラー写真が、科学の基礎として、すぐれたガイドになっている。

ネズ:友人の小学4年生の息子さんが、買ったその日に一気に読んでしまったとか。普通こういう本は、子どもが案内役でいろいろなことを説明してまわるという形が多いのに、この本はストーリーと科学の知識がしっかり絡み合ってますね。それにストーリーそのものも、意外といっていいほどおもしろかった。悪役が学校の先生というのは、けっこう子どもにとって怖いですよね。ホーキング博士の本は、前に読んで途中でやめた覚えがあるけれど、こういう本を読めるなんて、今の子どもは恵まれてますね。中の写真がきれいで、感激しました。これは、CGではなく、本当に撮影した写真なのかしら?

ハリネズミ:ホーキング博士がかかわっているからには勝手にCGをつくったりはしないでしょう。コンピュータ処理をした画像は、ちゃんと断り書きがしてありますね。

ネズ:ブラックホールなんて、知ったつもりで日常ジョークに使ったりしているけれど、実はよく知らなかったんだなあと思いました。ブラックホールから脱出できるなんてね! 続きが楽しみです。もうできあがっているんでしょうか?

ハリネズミ:全部で3巻とのことですが、出版社の人に聞いたら、2巻の原著原稿はまだこれから上がってくるそうです。

ジーナ:図書館は予約がいっぱいだったので、夏休みに中学生の息子に読ませようと思って買いました。読み始めたらおもしろくて。科学というのは諸刃の剣だと思うのですが、「科学の誓い」のところに著者の考え方が表れていて、信頼感を持って読み進められました。私は星のことはまったくわからないけれど、わかりやすくておもしろかったです。主人公が、ベジタリアンで自然志向の両親のせいで肩身の狭い思いをしているところがリアルで、その科学アレルギーの父親が物語に巻きこまれていくので、この先どうなるかが楽しみです。写真の入れ方や説明文の入れ方が、わかりやすいですね。説明がじゃまにならない。これは絶対に続きを読まなくちゃ、という終わり方ですね。悪者の先生はハリー・ポッターにも出てきて、その流れかなと思いました。とても読みやすく、ぜひ子どもに薦めたい本です。

マタタビ:キャンペーンに来た本屋さんの熱気に感心して、すぐに買いました。私のような文系人間にわかるのかなと心配だったけど、ストーリー中心で読めて楽しめました。宇宙についての解説コーナーでは、昔の物理の授業がよみがえってきて、少し懐かしくなりました。始めは構えていたんですが、とても読みやすかったのでホッとしました。子どもも、その子その子でいろいろな読み方ができると思います。興味のありよう次第で、理科から行ってもいいし、物語からいってもいい。おもしろい本ですね。
『なぜ、めい王星は惑星じゃないの?』(布施哲治著 くもん出版)という本を以前読んで、それはそれで内容はおもしろかったんだけれど、終始説明的なので、子どもがこれを全部読み切れるかな、と感じてました。この本で楽しみながら得た知識と、『なぜ、めい王星〜』で得た知識と比べたらどうなんでしょう? この本なら400番台を読めない子でも楽しめますね。子どもの目を科学に向けるために、こんな手があったんだ! 難しい科学の知識とストーリーをこういう風に組み合わせられるんだ。さすがホーキングさん。楽しかったです。特に最初の方に出てくる「科学の誓い」に感心しました。子どもに科学の楽しさをこういう風に手渡せるといいですよね。

球磨:知り合いの理科の先生に言ったら、まだ読んでなかったんで紹介したんです。お話もおもしろく、また写真や説明もおもしろくて、宇宙について納得しながら読みました。冥王星についてなど最新の知識も入っているし、次が楽しみですね。すぐにその先生に貸そうと思ってます。

ネズ:「誰かに読ませたい〜!」という本ですよね。

球磨:本当にそうですよね。

ハリネズミ:私は天文の知識がそんなにないんですけど、子どもたちが彗星に乗って惑星を見て行くところが、生き生きとしてて臨場感もあって、おもしろかったですね。こんなふうに書かれたのを読んだのは初めて。ホーキング博士の知識の裏付けがあるので、安心して読めるし。私は文系なんで、科学をお勉強として教えるのではなくて、物語としておもしろく読めて、副産物として科学の知識も身に付くような本があるといいな、と以前から思ってたんですけど、これはそんな思いに答えてくれました。監修の先生は、ホーキング博士のお友だちだそうです。宇宙に詳しい方にうかがったら、子どもの本にこれだけ新しい宇宙の写真が出ているのは珍しいそうです。この本に出てくるブラックホールの説明も、ホーキング博士が考えだした新しい説で、今ではそれが定説になってきているようです。

ネズ:私が子どものころは、八杉龍一著『動物の子どもたち』や、お魚博士の末広恭雄さんの本など、子どもにも大人にも読めるベストセラーになるような本があって愛読していた覚えがあるけれど、最近はどうなのかしら?『動物の子どもたち』は、毎日出版文化賞を受賞しているから、大人も子どもも楽しめる本だったってことですよね?
この後ひとしきり、科学読み物談義で盛り上がる。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年7月の記録)


おおやさんはねこ

三木卓『おおやさんはねこ』
『おおやさんはねこ』
三木卓/著 荻太郎/画
福音館書店(福音館文庫)
2006

版元語録:ぼくが引っ越そうと思い部屋を探していると、不動産屋に格安の物件がありました。しかし、条件の一つに「毎日、お魚を食べる方」と書いてあったのです。芥川賞作家が子どもたちに贈る、動物ファンタジーの傑作。

球磨:また鎌倉が舞台の話ですね。もうちょっと漢字を入れて上の学年の子もすっと入れるようにしてもいいのではないでしょうか。内容は、好感をもって読めました。最後の終わり方が今ひとつ物足りません。

マタタビ:一話一話楽しみに読みました。一見ほのぼのとした童話ですが、じっくり読むと、大人にはツンとくるペーソスや味わい深いユーモアがあって、しみじみしました。でも、そういった楽しみって、大人読みすればわかるけれど、子どもには味わえるかな? 何とも言えない軽みや、かすかな哀愁、きっと著者ご自身、自分で楽しみながら書かれたんだろうと思います。ストーリー自体は、ビールを飲む楽しみについてや、銀行からのお金の話など、大人ならそのおもしろさがよくわかる内容が多く、子ども向けとは言えない。単に動物が出てくる童話として、幼い子どもに与えたのではと少しもったいないかな。大人のことが理解できる大きな子に読んでほしい。

ジーナ:楽しいというより、愉快という感じでした。うまいですね。とても上質なフィクションだと思いました。はしばしが楽しめて。整理券のするめを食べてしまうところなんて、とてもおもしろいですよね。店子のぼくも足を1本食べてしまうとか。あと、この本は哲学的なところがあって、たとえば252ページ。猫の毎日はつらいことばかりだと言われたぼくが、「にんげんだってそうですよ。(中略)すばらしい日もありますけれど、それは、その生き物の一生からみれば、たいていの日はつらいものです。だからすばらしい日は、よけいすばらしくもなるのですけれどね。」という言葉にはじーんとしました。今の書き手はなかなか書かない世界だと思いました。今の子に読んでほしいですね。

みっけ:なんか、ふにゃふにゃっとしていて、それがなんとも心地よく、おもしろかったです。くすくす、にやりと笑ってばかりでした。この人間さんがまるでカリカリしていないのもいいですよね。心底納得とか、そういう激しい関係ではなく、しょうがないなあ、と思いながらもそれなりにつきあっていて、それを自分も楽しんでいる。そのスタンスがとってもいい感じだと思いました。私は、子どもは子どもなりに十分楽しめると思いました。だって、もうあっちこっちがおかしくて、笑えるもの。初めて猫と出会うところで、一切説明も言い訳もなく猫がすぐにしゃべりだして会話が成立してしまうあたりも、下手するととてもぎこちなくなったり嘘くさくなるんだけど、そういう感じがないんですよね。ほんとうには起こりえないのに、この作者の世界にすっかり入り込んで、話がするすると展開していく。そのあたりがうまいですねえ。最後で猫を眠らせて全部外に出す、という展開は、こういうふうに納めるしかなかった、という感じでしょうかね。暴力を使うわけにもいかず、でも何らかのけりをつけなくてはならなくて。30年前の作品なのに、あまり古くなった感じがしないのもいいなと思いました。

ネズ:「母の友」に連載されていたころ、愛読していました。いまあらためて読んでみたら、文章のうまいこと、うまいこと! 子どもの本の文章は、こうでなくちゃと感激しました。「すずしいさがし」など、ちょっと書き方をあやまると、甘ったるくて嫌らしくなってしまうけれど、心を揺さぶられてしまう。猫は実は苦手なんだけど、本当にこんな風に感じたり、考えたりしているのかなと思ってしまいました。荻太郎さんの絵も、すばらしいですね。この世代の作者の文章を読むと、落語とか講談とか、日本の伝統的な話芸のベースがあるのを感じます。今の子どもにはわかりにくいところもあるかもしれないけれど、わからないなりに心に残っていて、大人になって「あっ、そうだったのか!」とわかることもある。子どもなりにすてきだなって思った文章は、ずっと覚えていますし、子どものときにいい文章を読むって、本当に大切なことだと思います。終わり方はすっきりしないところもあったけれど、無事に終わらせるにはこれしか仕方がないのかと……。

みっけ:なんていうか、作者の視線にすごいていねいさを感じますよね。文章もだし、いろいろなものを見ているその視線にも。

ハリネズミ:特に最初のほうは、人間と猫のやりとりがおもしろいですねえ。寿司屋に就職するブラックとか、アゲハに恋するトラノスケとか、大家49匹にいろいろ特徴があるのもいいですね。それに、随所にユーモアがちりばめられていて、笑えます。文章はいいんですけど、平仮名が多すぎるのは逆に読みにくいんじゃないかな。それから、タイヨー石は謎のままになってますね。最後のまとめ方だけはちょっと不満です。「私は今もねこたちとくらしています」で終わってもよかったのに。子孫が戻ってくるなんて、今の子には「ありえない」なんて言われそう。三木さんには犬の本もあって、私は『イヌのヒロシ』(理論社)も大好きです。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年7月の記録)


曲芸師ハリドン

ヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』
『曲芸師ハリドン』
原題:ESPERANZA by Jacob Wegelius
ヤコブ・ヴェゲリウス/作/絵 菱木晃子/訳
あすなろ書房
2007.08

版元語録:「他人を信用しないこと」を信条に生きてきた曲芸師の少年ハリドンは、たったひとりの友をさがしに、夜の街へととびだした-。スウェーデンからやってきた現代のおとぎばなし。

サンシャイン:ざっと読んだんですけれど、あんまり印象に残っていないんです。船長さんがいなくなったらどうしようという不安な感じがあって、そこに読者も入っていけたら、作品に入れたという感じになるのかなあ……でもちょっとしつこい感じがしました。最後は船長がハリドンに、捨てたりしないよ、という感じなんですかねえ。

ハリネズミ:これは、ストーリーラインだけで読ませる作品じゃないから。

サンシャイン:過去のことなどもいろいろと書いてあって……でも途中でちょっと飽きちゃいました。最後が嫌な感じでなく終わったのが良かったかな。犬とやりとりするというのは、前にもそういう本がありましたね。でもこの本では犬はあまり信用されていないようです。

メリーさん:変わった本だよ、と言われていたのでドキドキしながら読んだのですが、とってもいいお話でした。たった一晩のまるで夢のような物語。主人公のハリドンと船長とのあいだには、友情というか、親子の情のようなものが感じられました。二人はとても深い絆で結ばれているのだけれど、血がつながっていないから、不安になる。結果としては、ハリドンが船長を灯台で見つけ、文字通り「灯台もと暗し」だったのだけれど、町中を走り回ったことで、彼の気持ちが改めて認識できたような気がしました。

ハリネズミ:これは、一つ一つの場面や情景の雰囲気を味わう本だと思うんです。夜の闇の中でのハリドンの不安、小さな野良犬の不安、カジノの喧噪、あやしい犬捕りの暗躍などが、不思議な模様を織りなしています。これは、菱木さんの訳でないと読めない本かもしれませんね。この訳者だからこそ、そういう一つ一つのものが醸し出すムードがきちんと伝わってくるんだと思います。原作者が描いた絵と文章のバランスも絶妙で、本にさらに味が加わってますね。
船長がエスペランザ号に乗って行ってしまったと思って、ハリドンが悲嘆にくれ、犬は不安に怯えて進めなくなり、という絶望の場面の次は、灯台に入って船長を見つけてホッと安心する場面が来るでしょ。普通ならここで、再会の喜びの情景を書くところだけど、ハリドンは船長が楽しい時間を過ごしてのを邪魔したくないので、自分の気持ちをおさえる。このあたりもうまいし、無邪気な犬がいるせいで、心の揺れや本当の気持ちが会話の中からうかびあがる。内面のドラマですよね。船長も、何が起きたか直接はわからないけれど、帽子があったり犬がいたりで何となく察する、そのあたりがいい。最後に船長が犬にエスペランザという名前をつけようとしているけど、それは、この犬を引き取ろうという気持ちの表れなんでしょうね。そのあたりの訳も、とても上手。表立って何かが起こる話じゃないけど、とてもおもしろかった。中学生の課題図書ですけど、これ、中学生にわかるんでしょうか?

げた:たった一晩の出来事だけれど、船長とハリドンのこれまでの人生や生き方が、お話を通して見えてくるんですね。船長は一か所にとどまらず、常に夢を追っかけている人なんだなあと思います。犬とハリドンの関係なんですが、犬のしゃべる言葉はハリドンの気持ちを表しているんでしょうね。読者対象は中学生以上だとは思うんですが、船長を通して、人間の生き方の一つを子どもたちに見せているのだと思います。それと、日本の子どもたちの日常とは違う、一見緩やかだけれども、緊張感があって、縛られない日常を描いて見せてくれているんですよね。

小麦:私は好きでした。一晩のうちにいろいろなことが起こる夜のお話っていうのがまず好き。あとは北欧のものって映画もそうですけど、どこか暗さや孤独を抱えているようなものが多くて、そこが味わい深いと思います。この作品の登場人物も、みなそれぞれに傷ついていたり、挫折してたりして、孤独と向き合ってます。しかもそれをことさらに主張したりせず、じっとわきまえて生きている感じがいいと思うんです。船長にしても、今回はハリドンのもとに帰ったけど、いつかふらっといなくなってしまいそうな感じもします。全体的に常に不安や孤独の気配が漂っていて、だからこそラストのあったかさが生きてくるんだと思います。ただ、雰囲気で読ませるタイプの本なので、これで読書感想文を書かせるのはちょっと酷じゃないかなぁ? 感じたことを言葉にするまでに、時間がかかる本だと思うので。

いずる:幼い頃、夜中に「親が突然いなくなってしまったらどうしよう」と不安に襲われていたことを思い出しました。この本は、子どもが感じる、身近な人がいなくなることへの不安に通じている気がします。それと、ここには名前の問題があると思います。まず、前半に、犬がハリドンに名前を尋ねる勇気がないという描写が出てきます。名前を尋ねられないというのは距離が離れているということです。それが、最後の場面で船長が犬に名前を与えるという場面に繋がっていきます。ここで名前を与えられるのは個人として認められたということで、船長やハリドンとの距離が近くなっていることを表現していると思います。ただ、〈船長〉はずっと通り名のままで名前が出てこないのですが、これがどういう意味なのか、よくわかりませんでした。

みっけ:雰囲気のあるおもしろい本だなあと思いながら読んだのですが、中学校の課題図書だということがわかって、はて、これって子ども向きの本なんだろうか、とひっかかり始めました。それからしばらく、この本から受けた印象を頭の中で転がしていたら、ある日ふと気がついたんです。この不安な感覚やアンバランスな感覚(カジノでハリドンが出会う人々などの不気味さや異様さ)って、子どもの感覚なんじゃないだろうか、なにかの時に親とはぐれたり、自分が眠っている間に親がどこかに出かけてしまったのに気がついたときの子どもの不安と同じなんじゃないかなって。そういう時には、たとえ親子の関係に満足している子どもでも、ひょっとしたら自分は置いてきぼりを食ったのかもしれないと思って不安になることがある。私自身がそういう気持ちと無縁でなかったので、そうか、これって子どもの感じ方なんだなあと思って、だったらやっぱり子どもの本なんだ、と思いました。この作者は決して、子ども時代に感じたことをノスタルジックに書いているわけではないし。夜になると、そこいら中の物がおっかなく見えたりするのも、子どもならよくあることですよね。
もう一つ、この本は、ひ弱でちっこい野良犬とハリドンの関係や、船長さんとハリドンの関係がべたっとしていないのがいいなあと思いました。ハリドンが必死になって船長さんを探し歩き、でも灯台で船長が話し込んでいるのがわかると、船長の邪魔をしないように、そっと自分だけ家に戻る。その辺りがなんというか切ない。べたな親子関係であれば、自分の中で渦巻いた感情をそのまま相手にぶつけることにもなるんだけれど、ここでそうならないのは、やはり血のつながりのような本能的な結びつきがないから、なんでしょうか。まあ、自分の感情をそのまま相手にぶつけられるような関係も、子どもにとっては大切だと思うけれど、でもこの手の配慮は、血のつながりのある親子の場合でも、しますよね。
たった一晩の出来事にすぎないし、しかも表向きは何事もなかったかのように終わるんだけど、でもそこにお互いの過去のことや、異様な人、奇妙な人が絡んできて、ハリドンの気持ちが激しく動き、船長とハリドンの関係は確実に変わる。実際にこういうふうにして人間の関係はできていくんだろうなあと思うし、そういう微妙なところを、とてもうまく書いていますね。
(ここでひとしきり、北欧の作品ってどうなんだろう、という北欧談義)

ハリネズミ:これって、何気ないようだけれど、訳がとてもうまいですよね。

げた:訳がうまいというのは、どんなところかな?

ハリネズミ:たとえばウフル・スタルクはいろいろな人が訳しているんですが、菱木さんの訳を読んだあと、他の人の訳を読むと、本当の味わいがそこなわれているような気がして不満を感じてしまうんです。菱木さんは必要最低限の言葉できちんと雰囲気を伝えることができるんでしょうね。擬態語や擬音語もうまく使ってるし、ひっかからないで読めます。一例ですが、p39には「このぶんでは雪になるだろう」という文があります。普通の訳者だと「このぶんでは」なんていう表現はなかなか出てこないんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


幸子の庭

本多明『幸子の庭』
『幸子の庭』
本多明/著 北見隆/絵
小峰書店
2007.09

版元語録:幸子の家には、志郎曾お爺ちゃんが造った大きな庭がある。でも、今は荒れ放題になっている。そこへ、96歳になる久子曾お婆ちゃんが庭を見に上京することに…。 *日本児童文学者協会第5回長編児童文学新人賞受賞 *産経児童出版文化賞受賞

げた:最初、このところよくある、学校に行けない子どもの話かな、と思ったんですよ。でも、テーマはそれだけじゃなかったんです。この本を通じていちばん心を揺さぶられたのは、プロや専門家のすごさ、背筋がピンと伸びたようなすがすがしさですね。この本を読んだ子どもたちは、きっと庭師という職業に夢を持つんじゃないでしょうかね。この本を通して、とってもいい体験学習ができたんじゃないかな。私は、図書館の司書という本の専門家のはずなんだけど、本当に専門家といえるのかなあと、改めて自分自身に問い直すような気持ちにさせられました。主人公の幸子も友達関係がうまくいかなくなっていたんだけど、この庭師の若者と出会うことによって、庭のサルスベリの枝で飛びつくような明るい子に戻っている。読んだ後、明るい気持ちになれるいい本だなと思いました。

ハリネズミ:そうそう。今の時代は、どの分野でも半分アマチュアみたいな人が幅をきかせていて、プロがなかなか評価されないですけど、この作品にはプロのすごさが描かれていますね。真のプロとは何かが、子どもにもわかるように書いてあります。それから、自然が子どもに働きかける力を持っているってことも、もう一つのテーマになってる。植木屋さんというと寡黙なイメージがありますが、この人は幸子にいろいろ話をしてくれて、幸子から力を引き出してますね。

げた:この庭師の若者はもともと寡黙だったんですよ。親方にお前、もっと話せなくちゃだめだ、と言われて直した。そういう点ではつじつまは合っていると思いますよ。

ハリネズミ:私は自然のままがいいと思ってて、雑草さえなかなか抜けないでいたんですが、庭に風が通るようになったとか、庭師が空間に手を入れていく作業を読んで、すっきりした庭もいいもんだと思えるようになりました。 「木の一本、一本が、その木らしい装いで立っている 」(p207)なんてね。庭っていうのは、自然のままにしとけばいいっていう空間とは違うんですね。

メリーさん:とても読み応えのある骨太な文学だと思いました。女の子の物語と職人の生い立ちの2部構成になっていて、主人公だけでなく、出会う職人の人生も語られる。とてもいいなと思ったのは「銀二の木鋏はあらゆる花木の汁を吸い、香りをかいだ」などという、ハサミの描写。ハサミの立てる音や質感をうまく書き込んでいて、道具を大切にしているのがよくわかりました。それから、山の木と庭の木の違いの所、長い時間をかけて共存を勝ち得た自然と、人間の手によって個性をのばしてあげる木との区別。時間の存在を意識させるいい場面だと思います。いい大人と出会うと子どもは変わるのだな、と感じました。そんな意味で、前回の『スリースターズ』(梨屋アリエ著 講談社)の対極にある物語だと思いました。

みっけ:以前山登りをしている頃に、山で大きく育っている木々をたくさん目にしてきて、そういう木が大好きだったために、庭の木とそういう木の根本的な違いを理解するのにかなりの時間がかかったんです。そういう覚えがあるんで、そうなんだよなあという感じで読みました。庭の木というのは、人間が人間の都合で植えた木で、当然大本のところで人工的。でもその人工的な物の個性を生かして行くにはどうするか、というあたりが剪定の根本にあるんでしょうね。とにかくこの本を読むと、庭とか木といった長いスパンで見ていく必要のある自然と向き合うことの心地よさ、時間の流れの違いがよくわかる。それに、登場する職人に、木という生き物と付き合っている上等な人の持つ独特の背筋の伸びた感じがあって、それもすがすがしい。それに、ハサミの鳴る音の持つリズミカルな感じも、とても共感できました。ということで、基本的にはおもしろく読んだのですが、ひとついえば、ちょっと盛り込み過ぎかなあ、という気がしました。作者が好きなことやいいと思っていることを、とにかく入れたという感じがしてねえ。

ハリネズミ:この作者の1作目ですから、いろいろ入れたかったんでしょうね。

みっけ:なんか、有名な和菓子店のおいしい大福やらくず餅の話だの、方代さんの短歌の話だの、ちょっとうるさくて鼻につくなあと思ったんです。全体としてはいいなと思ったんですが、それにしてもてんこ盛りで、げっぷが出そう。ああ、そういうことが好きなんだね、わかる、わかる、と作者の好きなことが素直に伝わってくるんですけど。

ハリネズミ:私はそんなに気になりませんでした。お菓子の話はプロの仕事の例だろうし、山崎方代の短歌は、筋金入りの職人の清吉さんや銀二さんの人柄の奥行きをあらわしていると思って。まあ、方代さんの部分はちょっと長いかな。

サンシャイン:私も、また学校に行けない子の話かと思って読み始めたんですが、だんだん引き込まれていきました。今まで話題に出なかったこととしては、庭を見たがっているひいおばあちゃんの最後の旅を家族で準備をする、という所が好きです。女の4世代が揃うというのは、私の娘が小さい時に経験しましたが、壮観です。そしてサルスベリを回転しながら降りてくるというのが受け継がれている、というのも家の歴史を物語る素敵な設定だと思いました。熱い鉄を打って刃物を作る話、木々の話、こうした薀蓄も好きでした。いい本を紹介してもらったなと思います。

いずる:読み始めたときは、お母さんが美容室に出て行くときのわざとらしさなど、いくつか気になってしまうところがありました。でも、庭師が出てきてからは物語に引き込まれました。私は庭や樹木に関する知識がほとんどないのですが、それでも十分に楽しめるように書かれていると思います。それから、幸子が学校に行けなくなるきっかけについて、大きな事件が起きたりはしませんが、必要以上に空気を読まなければいけない今の社会の息苦しさを反映しようとしている姿勢がいいと思います。結局幸子が学校に行けるようになるのかどうかは、わからないんですよね。もしかしたら途中で帰ってきちゃうかもしれませんが、きっと行けるんだろうなと思います。この本に出てくる庭師はとても素敵でした。児童文学に出てくる素敵な男性といえば、私はたつみや章さんの作品に出てくる男の人を連想します。たつみやさんは別名義で架空の男の人を素敵に描くことが必要とされるジャンルの小説を書いているので、惹きつけられるのも当然だと思うのですが、本多さんは男性なのにこういう人物を描くことができてすごいなと思いました。

小麦:いい意味で作者の人となりが透けて見える本でした。勝手な想像ですが、みんなに信頼されている小学校の先生が書いているみたい。物語を通して、あたたかで誠実な作者像が見えてくる安心感というのを、最近の作品の中では久々に感じました。幸子の口調や性格なんかは、いかにも「おじさんが書いた少女像」という感じだし、植木屋さんも格好良すぎるんだけど、読後感がさわやかで物語に説得力もあるので「ま、それもいいのかな」って思える。変にひねったりしていないところも好感が持てました。地の文のところで、幸子の母親が「母」と出てきたり「お母さん」と出てきたり、健二の母親も「母」だったり「かあちゃん」だったりするところは気になりました。些細なことなんだけど、こういうひっかかりって物語の世界からふっと現実に引き戻されちゃうから、もったいない。全体的には、さわやかで読みごたえのある作品でした。手入れ後の清新な庭の空気など、日本の庭の佇まいをしっかり感じとれる日本人としてこの作品を読めて幸せだったなと思います。庭師の格好良さにも目覚めました!

複数:かっこよすぎ!

ハリネズミ:さっきの母親をどういう言葉で書くかは、その部分が三人称的なのか一人称的なのかで違ってくると思うな。私はあんまり違和感がなかった。きっといい人なんだろうなあ、この作者は。『曲芸師ハリドン』なんかを書くような作家とはタイプが違いますよね。ひねくれてない。どれもみんないいエピソードですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


帰ってきた船乗り人形

ルーマー・ゴッデン『帰ってきた船乗り人形』
『帰ってきた船乗り人形』
原題:HOME IS THE SAILOR by Rumer Godden
ルーマー・ゴッデン/著 おびかゆうこ/訳 たかおゆうこ/絵
徳間書店 
2007.04

版元語録:子どもたちと人形たちの悲しみや喜び、わくわくする冒険を名手ゴッデンが繊細に描く、正統派英国児童文学の知られざる名作。

いずる:シャーンが人形たちの言葉を理解できているのかいないのか、よくわかりませんでした。最初は、わかっていないのかなと思いながら読みました。途中から理解できているんじゃないかと思ったりして……。最後にカーリーが、汚れてぼろぼろになって戻ってくるんだけど、人形がどういう冒険をしてきたかなど、まったくわからない小さい子なら汚れたことを嫌がるのではないかと思いました。でも、シャーンはそれを大喜びで受け入れるので、本当は人形の言葉はすべて理解しているのかな。ハッピーエンドの終わり方はちょっとできすぎだと思います。全員が戻ってくるのもご都合主義な感じがしました。大人になってから読んだから、そんなふうに思うのかもしれません。これを小さい時に読んでいたらどうでしょうね。私は自分も人形を持っていて、台詞をつけて遊んだりしていたので、楽しく読めたかもしれません。

サンシャイン:最初の方で、人間のシャーンと、人形たちの会話がごっちゃになって混乱しました。なんども前に戻って名前を確認しながら読み進みました。原文もこういう書き方なんでしょうかね? 日本語で読むと、人間と人形の書き分けがまったくされてないので、戸惑います。人間の世界にも人形の世界にもメイドがいるし、わかりにくい。まあ、受け入れちゃえば読めますが。ベルトランが人形を拾ったあたりから急にいい子になるのは、ちょっとどうなんでしょう? 話を進めるには必要だったんでしょうが、あまりにも突然改心しすぎるように思います。ちょっと苦しいんじゃないかな……

みっけ:私も、人形と人間が同じように書かれているのを読んで、ちょっと混乱しました。特に最初の方は、人形は動きませんというルールがあるはずなのに、なんだか動いているような感じで、あれ?という戸惑いがありました。後の方になると、作者がきっちり「風で飛ばされたのでしょうか」とか、「手が震えていて落ちてしまったのかもしれませんが」という形でフォローを入れているので、動いていないんだな、と確認できたのですが。

ハリネズミ:私もそこは気にして読んだんだけど、最初から最後まで人形は動いてないですよ。そこはきっちり書かれてるの。

みっけ:ベルトランがかなり急激に改心することについては、私はあんまり気になりませんでした。というのは、ベルトランは元々優等生で、本人は悪気がないのに、周りの人の気持ちがきちんとくみ取れないために嫌われるというタイプでしょう? だから、周りが自分を疎んじていることにいったん思い至れば、後はわりと楽にいい子になれると思うんです。私がこの本で一番印象的だったのは、ベルトランが海に飛び込んでカーリーを拾うシーンでした。人形が海底に落ちていって、海藻がゆらゆらと揺れて、という場面。とても印象的でした。今考えると、切迫した状況と、カーリーののんびりした感じ方のギャップが妙にリアルだったからかもしれませんね。とにかく全体に、お人形さんごっこでお人形がしゃべるのと、実際には動けない人形がいろいろなことに巻き込まれていく様子とのかみ合わせが、なんかしっくり来ませんでしたね。昔『人形の家』(ルーマー・ゴッデン著 瀬田貞二訳 岩波書店)を読んだときにはそんなふうに感じなかったんですけれど……。年を取ると気になっちゃうのかなあ?

メリーさん:『人形の家』の延長にある物語と聞いて、そちらとあわせて読みました。人形は、自分では動けないけれど意識はちゃんとあって、強く願えばその思いはかなうーーその設定が踏襲されたお話でした。主人公のカーリーも、そんなわけで自分では動けないけれど、強く願う。その思いが偶然を呼んで、事件を解決に導く。今の子どもたちは人形遊びをしないから、この物語はピンとこないかもしれないなと思いつつ、でも、人形たちは人間の知らないところでこんなことを考えているんだよ、という人形の側からの種明かしのような気もして、おもしろく読みました。

ハリネズミ:冒頭の部分は、登場キャラの数が多すぎるから確かに混乱しますね。カーリーが外に出て、ベルトランと出会うところからがメインだとすれば、最初の部分はもっと整理した方が読みやすかったのにね。ベルトランが出てくるあたりからは、登場人物もカーリーとベルトランの2人になるから、ぐっと読みやすくなります。でも、全体的に古すぎません? 最初に「この人形の家には、おとなの男の人形はいませんでした。なのに、どういうわけか、家の中には、魚とりあみや、剣、角帽といった、男の人形のためのものがありました」ってあるのね。「角帽というのは、大学の先生が卒業式のときにかぶる、黒くて四角くて平たい、ふさのついた帽子です」とも書いてある。今は女性の大学教授だっているし、女だって釣りくらいするでしょ。それ以外のところでも「男は強くたくましく」という価値観が貫かれていて、気になります。イギリスの児童文学は、長いこと中流階級以上の人が、中流階級以上の読者に向けて書いてきたんですね。この作品も、いかにもそんな感じですね。作品の根底にある価値観が古くさい。
それと、ベルトランが妹に頼んでシャーンに人形を送るシーンは、住所があやふやなのに、奇跡的に届いたという設定。あとでベルトランはカーリーを自分でシャーンの家に返しに行くんだから、まず自分宛に人形を送ってもらえばいいのにって思ったけど。あと、P164の「この町にカーリーと同じような水兵人形が売っている」という表現は誤植かな。

サンシャイン:この本は、ずっと訳されていなかったんですね。

ハリネズミ:出されていないものには、それなりの理由がある場合も多いですよね

げた:人間と人形がごっちゃになっているって感じたのは、私だけじゃなかったと知ってちょっとホッとしました。ドールハウスの人形はどうしたって動かないんだから、人間が人形を動かした結果にストーリーを与えて、物語をつくったっていうことなんですかね?このお話、ラストはみんな落ち着くとこへ落ち着いて、ハッピーエンドになっているのは、読み手に安心感を与えますね。カーリーも大佐も、友だちからも、親や家族からも疎まれていたベルトランも、帰るべきところへ帰ることができて、よかったねって。

小麦:私も人形と人間の会話が混同してしまい、最初の方は読みづらかったです。イラスト入りの登場人物表をつけるとぐっと読みやすくなったのでは? あと、『人形の家』のイラストは、いかにも人形という絵なのに対して、『帰ってきた船乗り人形』のイラストはより人間っぽい。カーリーなんかは、生きている人間の男の子に見えます。イラストをもっと、状況説明に利用してもよかったのかなと思います。これは好みの問題ですが、装丁も、最初見たときには翻訳ものというよりは、日本人作家の作品に見えて、ゴッデン作なんだとすぐには気づかなかった。ゴッデンの世界観が伝わるようなクラシックな装丁だったら、 読む方もある程度心構えができたような気がします。人形たちが人間の与り知らぬところで、いろいろなことを繰り広げているというのはいくつになっても心おどる設定で楽しめました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)


ブルーバック

ティム・ウィントン『ブルーバック』
『ブルーバック』
原題:BLUEBACK by Tim Wintons, 1997
ティム・ウィントン/作 小竹由美子/訳 橋本礼奈/絵
さ・え・ら書房
2007.07

オビ語録:「あたしたちは海からきたんだ。海があたしたちの故郷なんだよ」/豊かにあたえ、そして奪う海を、終生愛し守りぬいたドラ。その心は息子に、そして孫へとうけつがれる。大きな青い魚、ブルーバックに見守られながら。

みっけ:本を見ただけで、なんとなく先入観が先に立って、環境保護の本なのかなあと思って読み始めたら、案の定、環境保護の本でしたね。別に読みにくいわけではなく、主人公の少年がブルー・バックと最初に出会うあたりの感じはなかなかよかったし、画面として取り出してみれば、けっこうきれいな箇所がいくつかあったのだけれど、最終的には印象の薄い本でした。この主人公とお母さんの暮らし方などは、たしかにおもしろいなあと思ったのですが……。104ページあたりに、自分たちは捕鯨で生計を立ててきて、だから自分たちの暮らしを支えてくれた自然を守らなくては……という話がちらっと出てきますが、白くて大きな骨がたくさん浜に林立するイメージにはハッとさせられるけれど、それにしっかり肉付けがなされるところまでいっていない気がします。なんとなく、書いてあることがこっちに迫ってこない感じで、全体としては食い足りなかった。

紙魚:前半、エイベルが海の気持ちよさや偉大さに魅了され、ブルーバックとの出会いによって、ますますそれが高まっていく過程は、とても自然に伝わってきました。海に入ったときの体感がうまく表現されているところもところどころにあり、文学的だなと思う表現もありました。ただ、後半になると、その体感が薄れます。エイベルが研究者となるあたりから、前半描かれていた、海のやさしさ、偉大さ、驚異というようなものが、環境問題等に置き換えられて、せっかくの物語の心地よさが狭まっていくように感じました。彼自身が抱く、海への感覚がもっと書かれていると、海の不思議もさらに伝わってきたのになと思います。

クモッチ:最初の、ブルーバックと出会うところは、自分が潜っていないのにそう感じられるほどで、気持ちよさが伝わってきたので、おもしろく読みました。39ページ2行目、「数秒後に、〜ドラ・ジャクソンが〜」とあるのに、つぎの行に「母さんは〜」とある。ドラ・ジャクソンって、お母さんのことですよね。読みながら、ん?ドラ・ジャクソンってだれだっけ?と思ってしまう。こういうところが何か所かあって、読みにくかったです。中盤以降については、お母さんが、「海が変わってきている」と言ったり、主人公が「海のことが知りたい」と思ったりすることは書いてあっても、何か具体的でない感じがしました。大人だったら、ああ環境破壊のことを言っているんだなとかわかるんですが、あまりに抽象的なので、最後読み終わったときに、得られたものがなかったな、という気持ちになってしまった。物語自体の印象が浅いというか。もっと、主人公の海を愛する気持ちで感動したいのに、簡単な粗筋で終わっているように感じました。

みっけ:海洋学者の人たちって、ただ研究をして実験をするだけでなく、実際に海に潜ったりするじゃないですか。おそらく、そうやって実際に海に潜ることによって、やはり自分は海が好きだ、ということを再確認しながら、抽象的だったりやたら細かかったりする研究にも耐えていくんだと思うんです。だからこの本でも、主人公が海洋学者になってから、たとえばほかの海に潜ってそこで感じたことから自分の故郷を思うとか、あるいは海洋汚染の現場で潜ってみていろいろなことを考えるとか、そういう体験を書けば、もっと物語が立ち上がってきたかもしれませんね。

クモッチ:体の感覚として、もっと伝わるといいのかな。海の生き物との出会いとか、水の気持ちよさとか。

メリーさん:本文が、直訳調でちょっと気になりました。もう少し心理描写もあったらよかったのになと思います。それでも、ブルーバックのくだりを読んで思い出したのが、縄文杉。人間よりはるかに長生きしている生き物と、ちっぽけな人間との対比。主人公が子どもの頃出会った魚に、大人になって再び会い、自らが年を重ねていくことを感じるところはいいなと思いました。そして、場面をもっと書き込んでほしかったです。

ハリネズミ:海の中の描写とか、この子が海に抱いている思いは、とってもいいなあと思って読みました。ただ筋がご都合主義的で、悪い人たちが、主人公たちが何も行動しないうちに、都合よく水産庁につかまってしまう。私は、写真を撮って知らせるとか、ここから何か運動が始まるのかな、と思ったのに。皆さんが言っているように、後半が文学というより説明になってしまってますね。お母さんの変化は主人公も感じ、読者にも伝わりますが、海をどう見ているのかは伝わってこない。メッセージ性が先に立ってしまったんでしょうか。エイベルの妻が「海にいるのと、〜どっちがいい?」って二者択一の問いかけをするんだけど、海にいながら、結局最後は科学者になるわけですよね。最初から二つを結びつけた選択だってできたんじゃないかと思ってしまいました。あと、117ページの絵が悲しそうなので、子どもが死んじゃったのかと思いました。

クモッチ:「海について話すのと、海にいるのとどっちがいい」という話題は、子どもにわかるのかな? とても大人っぽいテーマを含んでいると思いますね。

ハリネズミ:これ、課題図書なんですってね。感想は書きやすいのかもしれません。ただ本当に海の大切さを感じさせたかったら、後半にももう少しふくらみがあるとよかったですね。

クモッチ:この作者は、お母さんのことが書きたかったのかもしれないですね。

ユトリロ:日本風にいえば、このお母さんは海女なんでしょ。78ページ後半「人食いザメは、飢えと疲れで死にかけていた。見ていると哀れで、エイベルは気分が悪くなった。銃をもっていたら、船を横につけて頭を撃ちぬいて楽にしてやるところだ」の部分が、おお出た、西洋人!という感じでした。日本的にはない考え方ですね。日本人は犬が飼えなくなったらそっと捨てて誰かに拾ってもらうのがやさしさで、逆に西洋人は飼えなくなったら自分の責任で安楽死させるという考え方。まあ、サメですから日本の子どもたちも別に違和感を持たないかもしれませんが。全体としては、粗筋っぽい感じがしますね。きれいな本ではあるんですが。子どもたちが読んで楽しめるのでしょうか。課題図書って、何冊ずつ決まるんですか?

クモッチ:4冊ずつですね。小学校低学年・中学年・高学年・中学・高校で、計20冊。

フェリシア:すごくおもしろい!ということもなかったけれど、つまらなくてひどいということもなく普通に読みました。少年は、海を理解したくて研究を続けているうちに、大好きだった海からどんどん遠ざかっていってしまった。そのことに気がついて、また海に戻ってくるというあたりは、人生観としておもしろく読みました。研究を続けて海洋学者になっていくのだけど、合間に戻ってきたときに、お母さんが年をとっていくのが、印象的に描かれています。主人公は、お母さんがここで生きていくのはきついなとか、再婚した方がいいなどと思うんですけど、最後まで彼は何もしないところが、何となく違和感がありました。環境問題などの他、自分の生き方を選択していく過程、家族など、いろんなテーマもほどよく入っているので、子どもが読ませたい本として課題図書になったのかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年5月の記録)


花になった子どもたち

ジャネット・テイラー・ライル『花になった子どもたち』
『花になった子どもたち』
原題:THE LOST FLOWER CHILDREN by Janet Taylor Lisle,1999
ジャネット・テーラー・ライル/著 多賀京子/訳 市川里美/絵
福音館書店
2007.11

オビ語録:妖精の物語にみちびかれて、古い庭で姉妹が見つけたものはーー/オリヴィアは9歳、ネリーは5歳。ふたりがひと夏身をよせたおばさんの家には、草深い大きな庭があった。

メリーさん:安心して読める、安定感のあるお話でした。目新しさはないけれど、日常に隠れている、ふとしたできごとに目が向くお話だと思います。姉妹がけんかをし、妹のほうが息をつめて、庭の茂みに隠れる場面は印象的でした。土のにおいや草のにおい、罪悪感を抱えながら、物語の登場人物に自分を投影している妹の描写は真に迫っていると思います。姉が母親を恋しく思い、天井に天国の地図を描くところなども、いいなあと思いました。最後、姉妹の性格ががらりと変わるのは、少し唐突な気もしましたが、(おばさんの麦わら帽子から髪が出ているところを悪くないと思うように)少しずつ他人を受け入れる素地が作られていったのだなと思い、納得です。

クモッチ:私は、この本は結構好きでした。はじめ、古めかしい本のように思ったんですが、読み進むうちに、とても現代的でシビアな問題をきちんと描いていることがわかってきます。この姉妹は、お母さんを亡くして不安定な状態にいて、二人を引き受けなくちゃならなくなったミンティーおばさんは、とても注意深く接し、この子たちを少しでもいい状態にもっていきたいと思っているんですね。手探りで彼女たちのようすをうかがっているのがとてもよく伝わってきました。二人がそんな辛い時期を乗り越えるのが庭だった、というのは、新鮮でした。ガーデニングとかいっていやされるのは、大人のような気がするのだけれど、物語中の、もうひとつのお話の効力によって、花が人に思えてきて、子どももその不気味さもひっくるめて、興味を持つのでしょうね。その辺がおもしろかったです。上手だな、と思ったのは、近所の子どもが遊びに来て、妹がそれを台無しにしてしまうシーンの後、お姉ちゃんが天井の地図を見ながら考えていて「ネリーには私がついているけど私はひとりぼっちなんだ」とあらためて思う場面。とても切ない気持ちが伝わってきました。

紙魚:装丁の感じや、読み始めた印象から、ずいぶん昔の本なのかなと思いましたが、途中、電話の子機が出てきて、あっ、現代の物語なのだと気づきました。子どもがおもしろく読むのかどうかはちょっとわかりませんが、大人として読むには、とても楽しめる本でした。それまで、庭になんて目をとめなかった子どもたちが、花になった子どもたちを想像することで、ぐんぐんと庭の存在感を強く感じとっていくさまは、おもしろかったです。ティーカップさがしをするのが目的ではなくて、そのことがきっかけとなって、姉妹が大きくなっていくのですよね。市川里美さんのていねいな挿絵も、とても素敵でした。128〜129ページの見開きの絵などは、何度も何度も、すみずみまで見てしまいました。物語を読み進める、いい目印になりました。

みっけ:私は、かなり好きなお話でした。安定した構造で、大叔母さんのところに行かされたらそこに草ぼうぼうの庭があって……という展開は、いかにもクラシックなものだけれど、ここに書かれている子どもたちの変化がとてもリアルで、ちゃんと子どもが書かれているなあ、と思えたんです。姉妹で年齢に差があるせいもあると思うのですが、たとえばお母さんの死であるとか、大叔母さんの家で暮らすことになるとか、そういった出来事に対する受け止め方に差があって、そのあたりもきっちり書かれていると思います。だいたい、最初のうちの妹のわがまま放題な様子もかなりすごいけれど、こういうことってあると思うんです。ごく小さいときに大きな変化を被ると、すごく不安になって、せめて自分でいろいろなきまりを作って、それをかたくなに守ることで、自分にもコントロールできるところがある、という気持ちを持たないとやっていられない。
この姉妹の違いという点で言えば、途中でお姉ちゃんが「花になった子どもたち」のお話をしてあげると、お姉ちゃんの予想以上に妹の方が夢中になりはじめますよね。これってたぶん、一番小さな子に自分を重ねているんだろうと思うんですが、そうすると今度は、お姉ちゃんがちょっと引きはじめる。このあたりの機微もリアルだと思いました。それに、妹がぐいぐいと変わっていくあたりも、そうだろうなあと思いました。何らかのこだわりを持っていた人間が、それとは全く別のことに夢中になることで、こだわる必要を感じなくなる。また、夢中になって行動を起こすうちに、今まで人とは関わりたがらなかった人でも、他人がそばにいることをある程度自然に受け止められるようになる。そういう変化もリアルに書けている。
もうひとつ、大叔母さんの設定もリアルだと思いました。子どもにとってはいい大人なんだと思うんですが、この人は、自分にとって理解できないところの多い相手とのつきあい方を、焦ることなく探っていくでしょう。相手がわがままをいったからといって、すぐに正面衝突するのではなく、うまく流しながら相手を理解していく。そのあたりが、ゆったりしていていいですよね。それと、ティーカップ探しは読者を引っ張る一つの大きな要素なんだけれど、どうなるんだろう、真相はどうなんだろう、と思っていると、最後のあたりで、なんだ大叔母さんが仕組んだことか、ということになる。ところが最後のところで、でもひょっとしたら?という感じで締めくくっているのが、とても楽しかった。

ハリネズミ:私は、妹の変わり方が腑に落ちなくて、そこにひっかかりましたね。いろんな決まりを自分でつくっているだけでなく、気に入らないことがあったら石を投げちゃうくらいの子なのよね。病的なほど、自分でいろいろ決まりをつくっている。それがこれほどあっけなく変わっちゃうんでしょうか? 自然が子どもの気持ちをいやすというのは、『秘密の花園』にも書かれているし、昔からよくあるテーマですよね。大人は、この終わり方もいいと思うかもしれないけど、子どもは、謎が解決されないので、すっきりしないのでは?

紙魚:私も、子どもが読んだら、実際にはどうなんだろうと思います。かなり大人っぽい話ですよね。

ハリネズミ:ポットがふたつあるのはおかしいと思うのでは? 大人は、不思議でいいやと思うかもしれないけど、子どもは納得しにくい。

フェリシア:おばさんが仕込んで埋めているのだけれど、読者には、本当に埋まっていたかもしれないと思わせるようにしているのでしょうか。

クモッチ:もし、最後にポットがまた発見されないと、なんだおばさんが埋めたんだな、という事になってしまうので、おもしろくなくなってしまいますね。だから、最後におばさんも知らないポットが発見された、という終わりかたをしたのかな。ネリーは、本の世界に夢中になり、庭にのめりこむことで、花に変えられた子どもたちと、友だちになったように感じ、だんだんに心を開いていったのかな。だから、実際に近所の子たちが来たときに、抵抗なく接することができた、という感じで流れを理解することができました。

小麦:最初は「ネリーって、なんていやな子」と思ったんですけど、中盤ティーカップ探しにネリーが夢中になっていくあたりから、どんどん好きになっていきました。今まで他人に対して心を開かなかったネリーが、お兄ちゃんたちに手伝いを頼んじゃったり、どんどんたくましくなっていく。ティーパーティを再現する時も、本の通りにやらなくちゃいけないかしら? というおばさんに「クッキーでじゅうぶん」なんて、さばさば答えたりしていて、おかしいです。冒頭では、気難しく病的な子どものように書かれているけど、それは今までの事情で感情がくすぶっているからで、本来ネリーは、のびのびした、子どもらしい子なんだと思います。後半、ティーカップ探しに夢中になるにつれ、ネリーが自分らしさを取り戻していく感じがいいと思いました。
ティーカップの魔法は結局とけないわけだけど、ネリーはたいして気にしないんですよね。子どもたちが集ってパーティーがはじまり、すっかりそっちに夢中になっちゃう。最初は「こんなのあり?」って思ったんですけど、ネリーのキャラクタ?を考えると、ありえるなと。細かいことなんて飛んじゃって、目の前のものに夢中になることってありますよね。私も子どもの頃、烈火のごとく怒り狂っていたはずが、次の瞬間けろりと笑ってたりなんてこと、よくありましたし。

フェリシア:里美さんのさし絵は、素敵ですが、装丁の絵は少し古めかしい感じがします。妹のネリーについては、私も最初は病的な感じがしていました。友だちとかかわりを持てなかったり、お姉さんとしか話さなかったり、自分だけの奇妙な規則を作ったり……自閉症的な感じがしたので、てっきり自閉症の子なのだと思いました。ですので、話の途中で急速に変化していくので、あれっ?と思いました。そのあたりは、しっくりこなかったです。いちばんしっくりこなかったのは、男の子に手伝ってもらうところ。心をひらいて第三者を受け入れるということを言うがために、男の子を登場させたように感じてしまったのね。ああ、ここでネリーの成長を書きたかったんだと。また、保護者となるおばあちゃんと子どもたちの関係が、手探りで子どもとかかわっていくところ、すべて受け入れようとするしているところなど、『スリー・スターズ』とは対照的で、興味深いです。また、ネリーがまともになっていくのと同時に、ミンティーおばさんも元気を取り戻して再生していく感じが心地よかったです。

ユトリロ:筆者の視点は登場人物全てに等距離というわけではなく、姉のオリヴィアに近いんですね。ネリーは母親を亡くしたつらさをルールを決めて自分を縛ることで表現しているんだけども、オリヴィアの視点から書かれているので、妹はきっとこうなのよねという感じになっている。自分のなかでルール通りにいかないとヒステリーになるような妹を、お姉ちゃんはカバーしてあげていて、おばさんも「落とし穴に落ちちゃう」というような表現をしている。お父さんよりもおばさんの受け止め方の方がうまくて、おばさんとの関わり方のなかで、ネリーも癒されていったのかな。ところで結局、このカップはどうしたんでしょうね? おばさんが埋めたんですか? ひと時代前にこの家に作家が住んでいて、そしておばさんの家族が住むようになって、おばさんは庭の世話をしていた。そこに、母親が亡くなった姉妹がやってきた、という筋でいいんですよね。それでやっぱりおばさんがカップを埋めたという解釈でいいんですか?

フェリシア:おばあさんも、子どものときにその本を読んでいるのですから、子どものときに同じように、テーブルセッティングしていて、遊んでいたのではないですか? 私の想像ですが。

クモッチ:47ページで、おばさんが「これまでだって、いろんなものを見つけましたよ…」と言うんですよね。これ、どういう意味だったのかな。これが伏線になって、空想の世界(お話の世界)がひろがっているんだけど、ここからして、おばさんが仕組んでいたのかな?

フェリシア:でも、深くから出てきたのもあったんですよね。

小麦:でも、最初のカップはおばさんが見つけています。やっぱりおばさんがやっているんですよ。こっそり埋めて。

フェリシア:そんなに大きな問題じゃないんです。

ハリネズミ:でも、知りたい。

フェリシア:それを考えながら読むんですよね。

ユトリロ:いかにもイギリスの話かと思っていたら、アメリカの作品なんですよね。それから、邪悪な妖精っているんですか。私は「精」という言葉に引っ張られて、割合いいイメージを持っていたんですが。

ハリネズミ:フェアリーの中にも、悪いのや醜悪なのがいっぱいいるんですよね。『妖精事典』(キャサリン・ブリグズ/著 平野敬一他/訳 冨山房)を見ると、たくさん出てきます。いい妖精でも、いたずら好きだし。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年5月の記録)


スリースターズ

梨屋アリエ『スリースターズ』
『スリースターズ』
梨屋アリエ/著
講談社 
2007.09

オビ語録:ヤングアダルトというジャンルから、こんなとんでもない作品が飛び出すとは思わなかった。ぎりぎりと胸に迫ってくるこの力と、この切なさを例える言葉が見つからないーー金原瑞人氏/YA文学の旗手、梨屋アリエが放つ衝撃の問題作!

クモッチ:前半部分は、3人の女の子たちの状況説明みたいな感じでそれが長いので、読むのがしんどかったです。すごく極端で(これってファンタジー?と思うような極端さ)嫌な感じだったから。でも、真ん中あたりから、話の展開が早くなって、どうなって行くんだろう?と引っ張られてどんどん読みました。このあたりから、登場人物、特に女の子たちが、等身大の中学生になってきたのね。たとえば、弥生が Marchの綴りを間違えるところとか、水晶の結構おっちょこちょいの部分とか、ユーモアもあって。作者は、勢いで書いている感じがあって、後半は地の文が、誰が言っているのかわからないところもありましたけど。よく言えば勢いがある。悪くいえばちょっと雑かな。ストーリーのおさめかたも、同じ事が言えてると思いました。水晶が、だんだんと生きていく方向に目が向いていく過程はとてもよく書けているけれど、弥生の闇は深すぎて水晶が「弥生を助けたい」と思ったりしても、ちょっと無理だよなと思いますよね。読者対象の中学生は、どんな風に感じるのか、ほんと聞いてみたいな。自分の状況も辛いけど、これほどじゃないな、ということでほっとしたり、突き放しておもしろく読んだりできるんでしょうか? あと、愛弓がほれっぽいという部分ですが、前半でたくさんの子とつきあったり、後半エッチなおじさんのところに愛弓が行ってしまう、それもそんなに嫌そうじゃない部分などは、性的な描写を書かないと、なぜ行ってしまうかという気持ちの揺れが伝わらないのでは?と思いましたね。

ハリネズミ:愛弓は、性的な衝動というより、最初は食べ物をもらいたいからおじさんのところへ行くんじゃないの?

フェリシア:父性の変わりに受け入れてもらえる安心感があるのだと読み取れると思います。ありのままの自分を受け入れてくれる存在(そこには、大きな代償を払っているだけれど、本人はそうとは気づいていない)として、あらがえない気持ちがあるのでしょう。

メリーさん:今の子どもたちが読むと、リアルだというのかもしれないですが、正直言って、半分まで読むのがつらかったです。世の中は、砂糖菓子みたいに甘くなく、不条理だということはわかるのですが…。中盤を過ぎて、自殺に失敗するあたりから、おもしろくなりました。最初の予想は、性格も境遇も全くことなる3人が仲良くなって終わる、というものだったのですが、見事に裏切られました。水晶と愛弓は携帯電話で意志の疎通をはかるのだけれど、弥生とは最後までそうはならない。着地点を見つけられないまま終わったので、逆の意味でリアルでした。
とくに強烈だったのが「嘘をつく」ということ。弥生は状況に応じて嘘をつき、使いわけ(!)、論理が破綻すれば、「死ね」で断絶して終わり。これまでの子どもだったら、嘘のほころびで、状況は多少変わるのだけれど、弥生の場合はどこまでいっても本音がない。それぞれの物語もやはり自分なので、自己同一性に悩むこともない。弥生はすごいなと思いました。
実は、ケータイ小説を買って読み比べてみたのですが、この本が深いなと思ったのは、最後の場面。著者が3人と対等に向き合って、お前はどうするんだ?と問いかけている気がした点です。3人は今の子どもの類型で、大人の言葉は通じるけれど、心はまだ大人ではない(水晶)、大人の言葉も通じないし、心も子ども(愛弓)、大人の言葉も通じないし、心も子どもを卒業している(弥生)の3つ。信頼できる大人がいないこの世界で、君たちはどう生きるのか?それを問い続けながら、終わっているような気がして、いろいろなことを考えてしまいました。

小麦:いい大人はひとりも出てこないですよね。

フェリシア:この読書会の課題として適当かどうか迷ったのですが、私は、とても衝撃的で、おもしろかったし、現代の話としてちょっと注目したかったので選びました。読み始めは、ただのエンタメかもしれないと思いました。出てくる子が、かなり典型的な子どもたち。そして子どもと保護者との関係も、それぞれのパターンが典型的に設定されていて、極端すぎるけれど、なさそうでありそうなところが怖い。お金持ちだけれど愛情に飢えた子、ネグレクトされていて寂しがり屋の子、賢くて親の期待を一身に集めているけど自我の目覚めと共に「いい子」の枠からはみ出しはじめた子。極端だけれど、絶対にどこにでもいる子だと思いました。ブログで知り合った子どもたちが、なんとなく共謀して寄り添っていくのも、今っぽい関係なのかなと思いました。今の子どもたちって、ケータイ依存症なので、だからこそ怖いですよね。そして、親が見たらびっくりするくらい子どもくさくて、ばかげているところも、リアリティを感じました。
「世直しテロをしよう」と考えるようになる経緯など、子どもの身勝手さもよく描けているように思いました。それでも、最後に、死ぬのはやめて生きていこうと思う、自分で生きていくしかないということをわかる、この「自力で生きていくこと」を勝ち取るところが、この話のすごいところだと思います。誰も助けてくれないというのは極端だけど、今の世の中、だれも助けてくれるわけじゃないから、自分で生きていこうというメッセージがこの本にはあるので、子どもたちはそこに何かを感じるのではないかなと思います。最後に、ちゃんと着地してほっとしました。

小麦:読み終えて最初に思った感想は「この時代に中学生じゃなくてよかった……」です。中学生の話し言葉や、メールの気持ち悪い文体なんかはとてもリアル。大人が取材して頑張って書いたという感じが一切ないですよね。文章もスピード感があって、ぐんぐん読めます。全体的に極端な設定も多いんだけど、あえて味付けを濃くして、読者を引っぱっているんだなと思いました。ただ、いまいちどこに向けて書いているのかがわかりませんでした。ラストで水晶が、生きて行く希望らしきものを見いだします。弥生を助けたいというような事も書かれているけど、この年頃の子どもの気まぐれのようにも思えて、ラストに据える希望としては、あまりに心もとない。多分、弥生が変わることはないだろうと予測できてしまいます。今の中学生をリアルに写し取って、その先に作者の思いなり、答えが提示されるべきだと思うけど、その先がすっぽりないように思いました。文学の醍醐味って、自分の想像しえない世界に連れていってくれるとか、とにかく変でおもしろいとか、色々あると思うんですが、私はこの本に関しては、そうした何かしらの魅力を見つけられませんでした。

ハリネズミ:最初のうちは、「えー、こんなやついるわけないじゃない」と思ったり、言葉とか行動で人物をあらわすのでなくて説明しちゃってるところにひっかっていたんですが、途中からこれは寓話みたいなものだと思いはじめたんですね。中学生って、自分自身をうまく扱えないし、いかようにも揺れるし、みんなで自殺やテロをやりましょうと言いかねない。親にしても、ここまで極端ではなくても、近い親はいっぱいいる。それぞれの典型を提示して、ありうるぎりぎりのところを書いている。そこが、おもしろくなったんですね。弥生は救いがたい世界にいるわけですよね。何かしたって救えないんだけど、それでも全然タイプの違う少女が手をのばそうとしている。
今の英米の児童文学だと、いい大人が出てくる物語が少なくなってます。時代がそうだからでしょうけど、大人はまったく頼りにならなくて、子どもどうしで支え合っていかなければならない。創作児童文学では、そういう設定をあまり見かけなかったのですが、これを読んで、ああ、日本でも出てきたんだと思いました。最初は読んでも時間のむだかな、なんて思ってたんですけど、読んでよかった本です。

フェリシア:私も最初、エンタメかなと思ったのですが、途中から、この関係性がリアルだと感じました。この関係性の危うさが怖いと。誰が読むのって言われると困るんだけど、「自分はこの子たちと違って幸せだわ」って読むんじゃなくて、「自分も一歩まちがえたらここに行く」という感じ? または、自分の中にある、“この子たち要素”を感じながら読むのでしょうか? どちらにしても、息苦しい気持ちで毎日生きている中学生くらいの子どもたちに、この著者の「自分が自分の力で生きていく」というメッセージは、伝わると思いますし、その力強さを感じる作品です。

小麦:解決はしませんっていう終わり方ですか。

メリーさん:爆弾3つあるので、このまま進んだら、生き延びようとしてた弥生がいちばん最初に死んじゃいますよね。

小麦:死んじゃわないんですよ。火花が散るくらいで。でも、解決はしないですよね。

ハリネズミ:読者はそれぞれの少女のどこかの部分に強く共感して読むんじゃないでしょうか。

小麦:私が中学生だったころは、本によって別の世界に行けるというのがあったんですよね。

ハリネズミ:そういう読書は、今だってあると思う。

紙魚:たとえば、尾崎豊の歌って、大人がきくと、まあ、それなりにわかるかなという感じなのだけれど、ある年代や、ある層には、絶大な信頼を持たれていましたよね。まさに若者の教祖というように。歌と自分の状況がぴったり同じでなくても、その歌に描かれている世界が、一部でも自分と重なることで、力をあたえられることはあると思う。

みっけ:第一章の「みさきと弥生」を読み終えた段階で、あれ?と思いました。なんだこれ、今時の子どもの描写かい。描写は上手だけれど、それでどうするんだろう、とちょっと意地悪く見てしまったのです。その次に、今度はあゆの話が出てきて、さらに水晶の話が出てきたところで、これは今時の子どものサンプル集だろうか?と思っていたら、その次の章で、登場人物が携帯を通してつながり始めた。このあたりから、これはかなりすごい構成なのかもしれないと思い始めて、それからは、いったいこの子たちどうなってしまうんだろう、と引っ張られて、かなりのスピードで読みました。携帯とは無縁な生活をしている人間からすれば、ふうん、こうなんだ、へえ、といろいろと目新しいことばかり。でも、そういうディテールも話の終わり方も、実にリアルだなあと思いました。
弥生がなあ……と思ったのは事実ですが、これでお手軽に救済されたら、とたんにリアリティーがなくなるし。こういう本って、読者が、登場人物と自分を完全には重ねられなくても、自分の一部が重なることでほっとするというか、けっこうきつい毎日を送っている自分と重なる人間をこんなにリアルに書いてくれる人がいる、ちゃんと見ていてすくいとってくれる人間がいるということにほっとする、という読み方をするのかもしれませんね。ここまで極端でなくても、登場人物が自分と地続きだと感じる子はたくさんいるはずだから。今時の風俗のオンパレードなんだけれど、それが展覧会で終わらずに、ちゃんと読者を引っ張っていく仕掛けになっている。練炭自殺実行のあたりからは、もうどうなっちゃうのかと先が気になってしかたがない。練炭自殺をしようとして、弥生が外から目張りしているのにほかの2人が気づくあたりには、感心しました。この作品を読んで、ついに日本でも、現実に即して子どもに直接エールを送るタイプの作品が出てきたんだなあ、と思いました。

ハリネズミ:生きていてもいいかと思うようになるまでの過程も、それなりに書かれています。

みっけ:水晶とあゆなんかは、おそらく今の学校だと、学校内では接点がなさそう。あゆは水晶をお高くとまった優等生だと決め込むだろうし、水晶はあゆを馬鹿にして鼻も引っかけないだろうし。その2人が接点を持てたのは、携帯で一緒に自殺をという異様な状況になったからです。ところが、そうやって接点を持ってみると、お互いに相手のことをそれなりに観察し、自分のことも相手のことも肯定できるようになっていく。この2人はそうやって救われていっている気がするんです。あゆにすれば、水晶に髪の毛をほめられれば嬉しいし、水晶にすれば、自分には考えられないような状況でけろりとしたところを失わないあゆをすごいと思う。そうやってお互いにちょっと視野が広がり、それがある意味で成長にもなり、生きていってもいいかな、という感じにもなる。でも、この作品では弥生は最後まで他の人と出会わないんですよね。それが弥生の救いのなさにつながっているんじゃないかな。この先弥生が他者と出会えるかどうか……出会えるといいですけれど。

ユトリロ:私は教師なんで、個人的には、好きになれない人がいっぱい出てきます。例えば愛弓の両親も嫌だし、水晶の親も嫌だし。だけど、作品としてよく書けているなと思います。愛弓、水晶、弥生3人とも私の今まで出会った人で、よく似た人物が頭に浮かんできました。「さがしたら殺す」と書く愛弓の母のような親も20何年前だっていましたから。水晶みたいに、5分に1度とはいわなくても、親に徹底的に管理されている子もいますしね。GPSで居場所を知らされるとか。作品としては、弥生だけ描写が足りないような気がします。親との関係やら。その分、作品の最後でも救いもない感じだし。だからこそ、最後の最後で弥生に疑いをもつ2人が、離れていくようになるんでしょう。私の身近にも、お金持ちだけどニヒルという子はいますよ。どうしてなんでしょうかね。

フェリシア:まわりの大人たちが真剣にその子にかかわっていないと、どうしても子どもはニヒルになってしまうのではないかしら。愛情のない両親、当たり障りのない先生、無関心な近所の人……。小さいころから、関心を持たれない子どもは、どうやって自己表現したらよいのかわからなくなってしまう。だから、友だちともうまく関係を作れない。

ユトリロ:お金がある分ハートがない親は確実にいて、高校生になってから、ものすごい悪いことをするというような子もいる。この本は、そういう意味でも、よく書けている。もしかしたら、すごい作品なのかもしれないですね。

紙魚:中学時代のある短い時期、何に怒りを抱いているのかうまく説明できないけれど、親や学校や社会に強い怒りを抱いているという、本当に特殊な瞬間というのがあると思います。大人になると、その、自分をコントロールできなかった厳しいつらさを忘れてしまうのだけれど、梨屋アリエさんは、それを忘れずにじっと持ち続けているのかな。私は、この女の子たちは、さほど極端だとは思えません。この物語と同じ状況にはないかもしれないけれど、同じような方向性の気持ちを持った子が読んで、救われる気にはなると思う。そういう意味では、すごい作品だと思います。それから、ゲームの登場が子どもの遊びの文法を変えたように、やはり携帯電話の登場というのは、人間関係の文法を変えましたね。これはどうしようもないことなのだけど、携帯以前と携帯以後では、人とのつながり方がちがう。梨屋さんは、今の子どもたちの現状を、批判することなく、そのまま書いているように感じられました。それから、弥生の「リスペクトしなさい。」という言葉は、この物語と、今の子どもたちの心を、象徴しているように思います。それにしても、『空色の地図』(金の星社)や『ツー・ステップス!』(岩崎書店)を書いている人と同じだなんて、作家というのはすごいですね。

フェリシア:『空色の地図』よりも、『スリースターズ』の方が、ずっとよかった。

ハリネズミ:『チューリップタッチ』(アン・ファイン/著 灰島かり/訳 評論社)のチューリップの場合は、父親に猫を殺すよう言いつけられるという部分が強烈で、そこを読んだだけで、チューリップの闇がわかりますよね。弥生の闇も、短くてもいいからもう少し具体的に書かれていればもう少しくっきりしてきたかもしれません。警察につかまっても親が迎えに来ないというだけでは弱いと思います。

みっけ:でも、チューリップの闇が多少は他の人との関わりがあって生まれた闇なのに対して、弥生の闇というのはもっととらえどころのないものだと思います。つまり、周りに人がひとりもいない、人とのやりとりがまるでない、自分をぶつける相手が見えない、みたいな。だからチューリップよりももっとがらんとしていて、そういう状況を、書いて伝えるのは難しそうだなあ。特に、本人に沿った形で書いていく場合は難しいと思う。弥生の心情については、第1章で語られているみさきとの家出の話の中でも、「こいつもあたしみたいに寂しいのかと思ったら、なんだ全然甘いじゃん。絶望したふりなんかすんなよ」みたいな、ひりひりする感じが書かれていて、そのみさきが火事で死んだときの弥生のリアクションのなんともねじれた感じからも、本人がとてもしんどい状況だということが伝わるんだけれど、徹底的な精神的ネグレクトというのは、接触や衝突がないだけにとても書きにくいんだと思います。なんか、大きくて真っ暗な穴ぼこのような感じなんでしょうけれど。

フェリシア:長くなって、だらだらしているのも、エンタメとして読める秘訣かもしれない。

小麦:自分が共感して読むんだったら、だらだらしていた方が感情移入しやすいですよね。メールの文体はうまいですよね。

メリーさん:ケータイ小説よりも、ずっとうまいです。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年5月の記録)


リバウンド

エリック・ウォルターズ『リバウンド』
『リバウンド』
原題:REBOUND by Eric Walters, 2000
エリック・ウォルターズ/著 深川直美/訳
福音館書店
2007.11

版元語録:ショーンはカナダの中学二年生。車いすにのった転校生のデーヴィッドと,バスケットボールをとおして仲良くなっていきます。

ウグイス:バスケットボールに熱中する少年たちの話だと思っていたんですけど、読んでみたら、スポーツというよりは、障碍をもつ人の物語という意味合いの方が強かったですね。スポーツものが読みたいと思った人には、バスケットの部分が少ないので物足りないでしょう。この物語は、急な事故で障碍者となり、車椅子での生活を余儀なくされたデーヴィッドの気持ちがとてもよくわかるように描かれていますね。デーヴィッドが、こんなふうに扱われたら嫌だ、と思っていることをする大人が何人か登場しますが、障碍をもつ子どもが登場する児童文学は、今までどちらかというと、そういった大人の視点で書いたものが多かったと思います。そういう点では、目を開かされる物語でした。ストーリーとしては、とくに何か大きなことが起こるわけではなく、心理描写が多いし、主人公とデーヴィッドの会話からいろいろなことを読み取らなくてはいけないので、物語を読み慣れている子に薦める本かな。

みっけ:確かに、バスケットの試合なんかのシーンはあまり出てこなかったですね。だからちょっと、あれ?とは思いました。2人がつながっていくのはバスケットの部分なんだけれど、私はバスケットにあまり詳しくないので、よくわからない横文字のシュートがあるらしい、それがすごく難しそうで、でもデーヴィッドは軽々とやってのけているらしい、すごいんだろうなあ、という感じで止まってしまった。でも全体としては、とてもおもしろかったです。冒頭に2人が取っ組み合うシーンがあって、これによって、デーヴィッドのパワフルさが強烈に印象づけられる。そして、ショーンが、なんか気むずかしいところがあるなあ、と思いながらも次第にデーヴィッドと親しくなっていく。そのあたりがとても自然に書けているし、そうやって近くなっていても、まだどこか壁がある。そういう関係が、ショーンを丸一日車椅子に乗せるというデーヴィッドの行動によってさらに変わっていく。
 この「丸一日車椅子に」というところには感心しましたし、読んでいるときも、ショーンの目線から、そうか、デーヴィッドの世界はこうなんだ、だからあんなに気むずかしくもなるんだ、と素直に納得できました。ニュースなどで時々、障碍のある人の立場になってみるという企画が紹介されていて、数分間とか数時間車椅子に乗るというようなのはあるけれど、こうやって丸一日車椅子で連れ回されるとなると、数分とか数時間ではわからないこと、簡単にわかったと言ってしまえない部分が見えてくる。それがいいですね。デーヴィッドは、ショーンから見れば強いのだけれど、実はその強さはデーヴィッド自身の弱さの裏返しで、最後にデーヴィッドがほんとうに追い詰められたことから、結局2人がそれぞれに成長していく。障碍がある人との友情といった物語の場合、ややもすると障碍者の存在によって相手が深く物を考えて成長するというシチュエーションに陥りやすく、2人の成長が非対称になりがちなだけに、この本は心から納得できて、気持ちよかったです。とてもおもしろかった。

ジーナ:私もこれは読んでよかったなと思った本です。ストーリーもプロットもよくできていて、ぐいぐい読ませるし、先ほども出たように、デーヴィッドの現実を見て、ショーンがその見えない部分を想像していく過程、友だちがこんなふうに大変なのか、こういうふうに思うのかと気づいていく過程を、読者が追体験しながら読めるところがいいですね。車椅子バスケのマンガで『リアル』(井上雄彦作/集英社)というのがあって、あれは、車椅子に乗ることになったときに、若者1人1人が直面する苦悩や困難、家族や友だちと関係などがとてもよく描かれていて、マンガってここまで描けるのかと感動するのですが、私はデーヴィッドの葛藤を、あのマンガと重ねあわせながら想像して読みました。あと、この表紙と挿絵は、中学生には見えないし、バスケの迫力もないのが残念です。

紙魚:バスケ・車椅子バスケとくれば、井上雄彦の『スラムダンク』『リアル』というすばらしい名作があるので、どうしてもそれと比較すると厳しくなってしまいます。はたして『スラムダンク』に一喜一憂した子どもたちが、この本をもっとおもしろく感じてくれるかと考えると、マンガを超えるくらいおもしろい本でなければ、手にはとってもらうのは難しいのではと。そもそもスポーツというのは、言葉のない世界でもあると思うので、その言葉にしていない部分をどうやって魅力的な言葉におきかえていくかは、ものすごく難しい作業だと思いますし。それから、『DIVE!!』(森絵都/著 講談社)にしても『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子/著 講談社)にしても、そのスポーツのことを知らなくても、競技の描写の部分もその気になって充分に楽しめます。それが、スポーツ小説のなかにはときどき、スポーツの場面を読み飛ばしたくなるようなものがあったりします。私はバスケ部だったのですが、そういう意味では、この本のバスケシーンはちょっと入りこめなかったかな。とはいっても、この本はバスケ小説というくくりではないかもしれませんね。
 いいなあと思ったのは、作者が、そして主人公のショーンが、デーヴィッドを「車椅子の少年」という視点から、単なる「デーヴィッド」として認識していく過程です。330ページに、「顔をあげると、反対側からコートに入ってくるデーヴィッドの姿が見えた。」とありますが、このときに、「顔をあげると、反対側からコートに入ってくる車椅子が見えた。」とあるよりも、ずっといいです。こうした細部に、作者の繊細さがあらわれるように思います。

ピョン吉:今回のテーマ、「スポーツもの」と限定せずに読んだとき、かなり綿密な取材をして描かれている物語だというのが第一印象でした。デーヴィッドとショーンのスタンスがわかりやすく、ショーンは感情移入しやすい立場として描かれているので、抵抗なく入っていけますね。ショーンの立場からデーヴィッドを見ているので、デーヴィッドの考えていることというのが、最初わかりづらかった。もう、ある程度自分に起こったことを乗り越えているように思えたんです。ところが段々にデーヴィッドの心のうちが見えてくるので、ああ、そこまでつらかったのねー、という感じでわかってきますね。ちょっとわからなかったのが、デーヴィッドは、父親の運転する車に乗っていて事故にあうんですけど、この父親はどう思っていたのかということ。もっと態度に表れてもいいのではないかという気がしました。とてもよかったシーンは、危険な崖での2人のシーン。ショーンがデーヴィッドに「わかる」というのだけれど、それまでの描かれ方がていねいに積み重ねられているので、浮いた言葉でなく読者にも伝わってきました。

うさこ:私もこの物語は好きで、ぐいぐいひっぱられながら読んで、最後、感動しました。読者はショーンとデーヴィッド、それぞれに共感できるだけでなく、2人の関係性にも共感できると思ったんです。ショーンは普通の男の子でこの年頃特有の悩みを抱えている、デーヴィッドはハンディキャップからくる絶望に近い思いや大きな挫折感も持ちながら、ひそかな希望も持っている。そういう点に読者はそれぞれに共感できると思いました。2人は、バスケへの思いという共通点を持ちながら近づいていくんだけど、残念ながら、バスケのシーンはそれほど出てきませんね。でも、つねに自分がデーヴィッドへの同情心から発言していないかと考えるショーンと、それを鋭く見抜こうとしているデーヴィッドの、2人の緊張感が、いっしょに行動しながら、だんだんと緩和されていき、自分の弱さもさらけだせるまでになり、相手のなかに1歩踏み込んでいく展開は、読者が、自分のなかの壁をのりこえていくことに重ねあわせて読めると思うのでよかったです。
 それと印象に残ったのが、デーヴィッドのいじらしさ。先生や女の子の前では強がったりおどけたりしているのに、ショーンと2人のときには辛い気持ちとか必死さや本音が垣間見え、ほろりとしてしまいました。ふだんの生活のなかで、障碍のある人を助けてあげたいと思いながらも、その人が本当に望むことは何でどうやって手を添えてあげたらいいのかわからないことが多いです。相手によって、それぞれ求めることも違うだろうし、そういう人を支えることって難しいなと思いました。会話のテンポのよさをさまたげない、一人称の地の文のリズムなどもよかったです。ひとつわからなかったのが、208ページ1行目「デーヴィッドが立っていた。」という描写で、車椅子なのに? と思ってしまいました。

たんぽぽ:すごくおもしろかったです。2人の気持になって、思わずふきだしたり、落ち込んでいるときは、「がんばれ!」なんて思ったりしました。ただ絵はお話のイメージと、ちょっと違うかなと思いました。

メリーさん:自分自身はインドア派だったので、スポーツものを読むと、こんなふうにスポーツを楽しめたらいいなと、半分あこがれの気持ちを持ちます。それでも、知らず知らずのうちに主人公に感情移入しているのは、やはり描写の力だと思います。スポーツものには、よく知られているスポーツを題材に、主人公たちの心理描写を重ねていくものと、新しいことにチャレンジする主人公たちを通して、スポーツそのもののおもしろさを描くものがあると思います。これは、よく知られているバスケットボールを通して、主人公の心を描く、前者だと思いますが、もう少しスポーツの描写があってもいいかなと感じました。運動が好きな子どもたちに、スポーツものを読んでもらうにはどうすればいいか、考えさせられます。いいなと思ったのは、ふたりの間に障碍という壁がありながらも、お互いの気持ちをわかりあおうとする部分。「お前におれの気持ちなんてわからない」と言われた後でも、あきらめない主人公に素直に共感できました。

ハリネズミ:スポーツものには、『一瞬の風になれ』みたいに、読みながら自分も一緒に走っているような気持ちになれるのもあるけど、これは、そういう作品とは違いますね。でも、これはこれで上質の文学だと思います。障碍者を理解しましょうとか、みんな仲良くしましょうなんて、表面的に言われても、なかなか心には届きませんが、この作品くらい心理の動きが綿密に書かれていると、読者も一緒になって体験できる。
 ショーンとデーヴィッドという異質な2人が仲良くなっていくという設定にも無理がなくてリアルよね。転校してきたデーヴィッドは、つっぱってるから周りになかなか理解してもらえないんだけど、内心では自分を特別視しない友だちを痛切にほしいと思っている。ショーンは、最初デーヴィッドを嫌なやつだと思っているんだけど、バスケのレギュラーになるためには停学処分を避けなくてはならないし、ワルのスコットとの付き合いもやめたいので、仕方なくデーヴィッドの世話役をやっている。そのうちに、お互いの距離が近づいて行くという設定です。車椅子体験をしてみる部分も、ショーンは「大変なことがよくわかった」のではなく、「その大変さは本人にしかわからない」ことを理解するんですね。深いな、と思いました。障碍者が登場する作品というと、『新ちゃんがないた』(佐藤州男著 文研出版)のように、「よく出来た」障碍者から学ぶという物語もありますが、この作品は障碍を負ったデーヴィッドのマイナス面や弱い面も描いていて、そこもリアル。
 それから表紙や挿絵ですが、どう見ても小学校3、4年生の体つきですよね。主人公たちは8年生なので、中学生に読んでもらいたい作品ですが、これだと中学生がなかなか手を伸ばさないのではないかと思います。

一同:うーん。確かに。

ウグイス:表紙の絵を見て、私はこの子は白人じゃないと思って読み始めてしまいました。挿絵も最初の方は顔が黒っぽいんだけど、途中に白人のような顔つきも出てくる。自分のイメージをさまたげるような挿絵だったのが残念。

ミラボー:ぼくも、いい本に出会えたなあと思いました。透明なカバーの装丁はかっこいいなと思ったんだけど、絵がよくないですね。人種が何かといった記述は出てこないようです。もしかすると原書では、スラングなどの言葉遣いからだいたいわかるようになっているのかもしれませんが。デーヴィッドは車椅子生活という障害を克服して強く生きているんだなと思いながら読んでいたのだけど、じつは想像した以上に障碍が重くて、後半でしたっけ、おしっこを漏らすシーンがありますよね、おしっこのコントロールもできないということは、はっきり言ってしまえばおそらく性的な能力もだめになっているでしょうから、相当なショックでしょう。特に元気な時はバスケットのヒーローだったわけですから。それで、崖のシーンにつながってきます。デーヴィッドがずっと立派な障碍者であったわけではない。ドライブスルーで無理やり乗り切ってしまう場面からは、相当な苛立ちが見て取れます。生きていてもしょうがないと思うようになる流れにうまくつながっていると思います。
 この本はデーヴィッドが車椅子バスケットの試合に出場する場面で終わりますが、現状をありのままに受け入れて前向きに生きていこうということでしょう。デーヴィッドの人間的な面が書かれていて、すぐれた作品であると評価できます。ショーン自身も、悪い友だちにひっぱられて処分をくらうような問題児であったのが、デーヴィッドの助けもあり学校代表のバスケットチームに選ばれていく所など、ユーモラスに描かれてますよね。

マタタビ:障碍をもっていることのいろんな側面を生かしている作品で、新鮮な感動がありました。最初はショーンがデーヴィッドのペースにひっぱられているのだけれど、障碍を越えた人間としての生々しい葛藤や痛みが描かれることで、単に友情をたたえるというさわやかな結末ではなく、いろんなことを考えさせられるものになっている点がすごいなと思いました。2人が車椅子で街を抜けて走っていく部分がリアルで、読んでいて実感できました。この部分を読んで、障碍がある人の生活を体験するっていうことが、そういう人のおかれている状況を知る上で何より近道であることがわかりました。作者自身、実際に車椅子体験をして書いているようなので、説得力のある文章になるんですね。
 デーヴィッドの家庭で、「のりこえていくのは簡単じゃない」とお母さんが言いますが、障碍を抱えて生きて行かなくてはならない現実の厳しさ、そのしんどさから目をそらさないで、2人が本当の友だちになっていくところが、この作品が子どもたちをひっぱっていくところでしょうか。「リバウンド」という言葉の意味も、作品の主題としてしっかり活かされているなあと思います。何回も失敗してもまたひろって次にチャレンジしていくというメッセージにもつながっていて、ティーンエイジャーの子どもたちにぜひ読ませたい。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年4月の記録)


ゴールライン

秋木 真『ゴールライン』
『ゴールライン』
秋木真/著 ゴツボXリュウジ/絵
岩崎書店
2007.10

版元語録:小6の和希は校内一の俊足を誇ったが、軽い気持ちで入った陸上クラブでは、全国チャンピオンの前で無惨にも敗れる。ゴールラインに向かい夢中で疾走する少年たちの物語。

ミラボー:私はね、中学が陸上部だったんですよ。タイムを競うところなんか、いろいろ思い出したりして、楽しく読めました。ただ私は、マンガ風の挿絵がだめだったな。今の中学生には、今風で抵抗なく受け入れられるような挿絵なんでしょうけど。内容的には、冒頭でお姉ちゃんにあいつに負けないように走れと言われて陸上部に入り、しっかり全国大会に行くという、安易といえば安易な流れ。子ども向けならいいと思うのか、子ども向けでも安易すぎるのか、どちらでしょうか?

ハリネズミ:さっと読めて、それなりに楽しいと思ったんですけど、『リバウンド』と比較すると、リアリティがいかにも希薄。まず、なぜ美沙が弟に書道、野球、サッカー、水泳、と次々やらせるのかがわからない。もう一人の姉の百合に「なにかに打ちこんでほしかったんじゃないかな」なんて言わせてるけど、「打ち込んでほしい」なら、なぜかんたんに前の習い事をやめさせて、次のものに向かわせるの? 安易なストーリーづくりとしか思えません。走ることに対する子どもたちのさまざまな思いは書けていると思うけど、登場人物がステレオタイプ。それに最後は和希が「走ることに意味なんて求めちゃいけないんだ」という結論に達するけど、小学校6年生でこんなこと言うのかな? 『リバウンド』には、最初はバスケット、それもレギュラーチームに入れるかどうかだけを心配していたショーンが、デーヴィッドのことを思って、客観的に自分を見つめたり、社会的に視野を広げたりしていくところが描かれています(p299〜)。ところが、この作品は方向が逆ですね。

メリーさん:適度に起伏があって、すぐに読めた1冊でした。これまでのスポーツ小説は、ただ単純に好きで好きでしょうがなくて(あるいはたとえつらくても、それが自分のアイデンティティだから)そのスポーツをやっている主人公、というものが多かった気がします。反対にこの物語では、主人公がずっと走る意味について考えていて、最後の最後で、悩まなくていいんだという結論に達している。今の子どもはこういうふうに考えているのかなと思いました。

マタタビ:今の子向けに書かれているなと思いました。お姉さんがどうして陸上をすすめるのか、最後にわかるのではと思いながら読んでいったのですが、あれ?という感じで、終わってしまって、謎ときの楽しみは少なかったんですけど。まあ、今の子どもは、ページが少なかったり、ストーリー展開がはっきりして前に進むものを好むので、こういう作品だったら読めるのかなと思いました。大人の私はどうしてもストーリーの複雑さや味を求めてしまうので……。でも、子どもはどうなんでしょう。自分も走ってみたくなるのかな。出てくるおじいさんが全国で100メートル2番目というのも、都合がいいなあと思いました。このおじいさんも、もっと物語にからんでもよかったし、ほかの人物同士のからみあいがもう少しあってもよかったんではないかと思いました。私にとっては珍しい挿絵でした。今、ティーンズの文庫なども、こういう絵で読ませていくものが多いので、取り入れているのでしょうか。好き嫌いで言うと、ここまで漫画化しなくてもいいんじゃないかと感じました。それに文字までは入れなくていいのでは。

うさこ:大きなドラマはないけれど、走ることが気持ちいいというのはそれなりに伝わってきました。冒頭での陸上部に入った動機の軽さや、挿絵の印象が軽いせいで、なかなか話のなかに入っていけなかったです。ストーリーは単純だけれど、スポーツって案外そんなもんだよな、とか、男の子って単純でそんなもんだよなと思いながら読みましたが、読後、心に残るものは少なかったですね。この主人公は、人との関係とか、走ることへの意味とか、どれもあっさり自己完結してしまっています。陸上は個人競技だからかもしれないけど、人との関係に深まりがないなとも思いました。

ピョン吉:おもしろがりながら、読んでいました。スポーツ物をおもしろく読ませるのには、どうしたらいいのかなあ、などと思案しながら。この作品では、主人公の入ったスポーツクラブとクラスのリレーの顛末が、もう少しうまくリンクしていくと、なるほど〜、という感じになるのかなあ? 最後の主人公が出した「走ることの意味」にも、わかりやすさが加わるのでは? それにしても、百合姉ちゃんが唐突に出てくるわ、美沙姉ちゃんもけっこう弟に強引だわ、マンガチックなところが多く、それでこういう挿絵になるのね、と納得しました。あと、細かいところですが、名前の「ゆうき」と「かずき」が似ていて、読んでいて少し混乱しました。

ハリネズミ:マンガのノベライゼーションみたいなものだったら、マンガそのものを読んだ方がいいんじゃないの?

ピョン吉:これだったら、中学年でも1日あれば読めると思う。

ハリネズミ:読むのが苦手な子だったらマンガの方がおもしろいと思うだろうし、読める子だったら物足りないと思うの。この作品は中途半端じゃないのかな。

ジーナ:私も中途半端な感じがしました。小学校中学年と中学生のあいだの読み物として、こういうテーマでこのくらいの読みでのものは必要かなと思う一方で、積極的に手渡したいかというと考えてしまい、自分として結論が出ませんでした。人に言われてはじめた陸上が、最後は自分からやろうというものに変わっていくのを書きたかったのかな。でも、自分の子の小学校でのスポーツ体験からすると、今の子は塾もあるし、ゲームもしたいしテレビも見たいし、ここまで深く考えて1つのスポーツに毎日打ちこんでいる子はほとんどいないんですよね。切磋琢磨することより、仲間との温度差というような問題の方が先に立ちはだかる。だから、この物語は、現実とは離れていると思います。全員リレーのシーンはおもしろかったです。個人プレーで勝ってしまったことに後味の悪い思いをするところ。こういうところが、もう少しあとまで生かせたらよかったのに。若い作家だけれど会話はうまいなと思いました。

みっけ:さくさくとは読めましたけれど、おもしろかったかといわれると、ううむ。なんというか、設定に説得力がない気がして。都合がいいところで、不思議なおじいさんが出てきたりするのもなあ……と。この子も、悪い子ではないのだろうけれど、ふにゃふにゃした感じであまり魅力的に感じられない。クラス全員リレーの話も、クラス内のやりとりがほとんどないんですよね。これは今の学校のクラスを反映しているのかもしれないけれど、そういうほかの子との葛藤などもなく、ただ、自分ともう1人のクラブ員の女の子の2人だけの力で勝っちゃう。でもこれは、あくまでもクラスのありようの問題であって、それがこの子にとって、走ることの意味への懐疑につながるというのが解せない。なんかとってつけたようで……。だから、これが走るということなのかもしれないと言われてもなあ……という感じでした。

ウグイス:最初、本を見て、おもしろそうだな、と思いました。5,6年生のとくに男の子に薦められる本って本当に少ないので、あ、手に取りやすそうだな、と。主人公は、「ようやく水泳から解放された」と書いてあるので、水泳も好きでやっていたわけではなかった。それなのにまたお姉ちゃんに言われて陸上を始めたわけですね。しかも最初に、自分としてはよくわけがわからないまま坂本くんと走ることになり、というように、この子はなんでも他力本願なんですよね。こういうタイプの子って、結構いそう。でも、そこで坂本くんにタイムで大差をつけられて、悔しい気持ちになる、というのはよくわかるし、一人称で書いてあるので、主人公の気持ちになって、とんとんと読める。あんまり、本を読まないようなスポーツ好きの男の子に薦められると思います。でも、薦めても、おもしろくないと言われてしまうかもしれないな、とも思ったり。そういう子に薦めて「おもしろかった、もっと読みたい」と言わせるまでの力があるのかどうか、となると自信がありません。登場人物がステレオタイプだとかは、このくらいの文章量の中ではある程度は仕方がないけれど、この子の気持ちが今ひとつしっかり書かれていないというのが弱い点かな。真面目に書いていると思うし、読みやすくは書けているので、応援したい気持ちはあるんですけどね。ところで25ページの左上の字はなんでしょう?

一同:うーん、「ド」でしょうか。「ドヒュ!」。

ウグイス:文章で気になるところがいくつかありました。47ページ最後から5行の文章中「〜つつ」という表現が3回出てくるのが気になったわ。155ページ8行目「話がまとまると、さっそく和希たちはおじいさんの家に向かった」では、「和希たち」というともう1人子どもがいるのかと思ってしまった。「和希とおじいさん」とは思えなかった。

紙魚:男の子が読みたくなりそうな世界というのは、やっぱり、マンガによって表現されているので、そっちを読んじゃうのでは。

たんぽぽ:野球が好きで野球の本が読みたい子どもがたくさんいます。「バッテリー」(あさのあつこ著 教育画劇)を読みたがるのですが、小学生だと難しくて読めないんです。

ジーナ:やっぱりスポーツを表現するのに、マンガってすごく向いているんでしょうね。言葉ではなく、体の表現で伝わる部分がそのまま描けるから。

ウグイス:今回はスポーツものということで3冊選びました。『DIVE!!』(森絵都著 講談社)『一瞬の風になれ』『バッテリー』を取り上げたいところでしたが、図書館で予約待ちで借りられそうもないということでやめたんです。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年4月の記録)


チームふたり

吉野万理子『チームふたり』
『チームふたり』
吉野万里子/著 宮尾和孝/絵
学習研究社
2007.10

版元語録:ぼくは,卓球部の部長。小学生最後の大会をひかえ,市のベスト8に残りたいと思っていた。しかしダブルスの相手は後輩だった。

たんぽぽ:働くお母さんは、今たくさんいるので、専業主婦の母親が働くことと、貧しさがつながるかなと、ちょっと思いました。それから、チームメイトの靴を心配して、子どもが自分のお小遣い出すかなっーて。

マタタビ:小学3年生に読めるのかなと思ったら、2日で読んできた子が2人いたので、字の大きさ、読みやすさの点から、確かに中学年から読める作品だと思います。ただしリアル感の問題はいろいろあるかなと思いました。小学校のクラブは週で1時間程度ですから、ここで描かれているクラブは、特別クラブと言われているものでしょうか。でも、作者が伝えたいことは、読み慣れていない子にも伝わっていました。ストーリーや人物どうしの関係が整理されていると思います。うーん、最後の、靴を買ってあげてほしいとお金を届けるところはやりすぎかなとは思いましたが。女子が抱えている問題については、どうして女子の中で話し合わなかったのかなと思いました。そういった点で、確かに細かいところを見るとどうなのかなと思うところもありますが、作者が「チームふたり」という言葉にこめて届けたいと思った気持ちは、子どもに届いたと思います。分量もこのくらいのものならば、最後まで集中して読めると思います。子どもたちが、こんなふうになったらいいなとか、こんなことを考えながら生きていくのが大事なのかなと思える本だと思います。

メリーさん:楽しく読みました。キャラクターの中では、お母さんが意外でおもしろかったです。中学年向けの読み物は、低学年の絵本、高学年の読み物と違い、読者の集中力が続く時間が限られているので、どうやったら読者を楽しませることができるかといつも考えます。おもしろくて、キャラクターが立っていて、しかも無理のない設定というのはとてもむずかしい。マンガなら多少の矛盾や破綻があっても、キャラクターに力があれば読めてしまいますが。この本は、きちんと人間を描こうとしていて、おもしろくしようとしているのがわかります。ただ、キャラクターの数はしぼってもよかったかも。表紙の絵がとてもいいので、目にとまると思います。

ハリネズミ:この作家は、文章、とくに会話にリズムがあっていいなと思いました。ただ内容的には、中学年くらい対象だと文章量が限られるので、そのなかでまとめるのは難しいとは思うけど、本のおもしろさが、ゲームのおもしろさやマンガのおもしろさに勝てるように、もう少しがんばってほしいな。最近はマンガを映像化してそれをまたノベライズしたような感じの作品が多くて、これもそんな感じがします。本ならではの世界を味わえるような作品がなかなか出てこない。この作品は今年の課題図書ですけど、キャラもステレオタイプだし、リアリティも弱い。いろんな人間を描こうとしてる努力はわかるんです。でも、7時に帰ってくるお母さんがお弁当屋の「残り物」をもらってきたり(お弁当屋さんって、普通もっと遅くまで開いてるから7時に残り物なんかもらえないんじゃないかな)、これほどまじめなお父さんが毎晩酒飲んでクビになったり(このお父さんのキャラだったら、翌朝の勤務があるのにそう毎晩お酒は飲まないでしょう)、純が自分の小遣いで大地に靴を買ってほしいと言いにきたり(大地が嫌がるはずだけどな)……えっ、そんな設定や展開でいいの? と思ってしまいました。感想文を書けるポイントはいくつもあると思いますが、子どもはこれを読んでちゃんと深く考えられるんでしょうか? それとも、中学年くらいが対象なら、これでいいんでしょうか? 私も小学生のころは、リアリティがそれほどきっちりしていない作品をおもしろく読んでいたのを思い出すと、これでいいのかな、とも思うし。その辺が、よくわかりませんでした。

ミラボー:『ゴールライン』とくらべると、家族でいつも行く宿があって、そこで卓球をやっていたのが、卓球に打ち込むきっかけになっているというのは、納得できます。たまたま荻村伊智朗の生涯を書いた『ピンポンさん』(城島充著/講談社)を読んでいて、卓球の試合の様子の描写を読み比べてしまいました。『チームふたり』は、子どもが読むにはこんなものかなと思いました。後輩との組み合わせで悩んだり、家庭のゴタゴタがあって苦しんだりしながら、最後には希望を持たせている点がいいと思います。高学年の課題図書なんですか? ちょっとそれは合わないような気がします。

マタタビ:中学年でもいいですよね。

ミラボー:前向きな、いい方向に話が進んでいくというのはいいけれど、深みはないですね。

ウグイス:この本も『ゴールライン』と同じように、本を読み慣れていない子どもに薦められるかな、と思って選びました。何といっても、外国ものより設定が身近で読みやすいという点がいいと思います。スポーツものといっても、ただ頑張って勝つというだけではなく、主人公が家庭内のことでも、女子部の問題でも、いろいろ周囲のことに気づきながら進んでいく様子が書かれていて、興味がもてると思います。ダブルスで組みたかった相手と組めなかった悔しさもよくわかるし、不本意なチームだったけれど、その子の良さもだんだんにわかって、最後にはいいチームに成長していくのも、わかりやすく納得できる。
あと、装丁がとてもよくて、おもしろそうだなと思わせるし、目次のデザインや、章の頭のピンポンのデザインもしゃれている。同年齢の子どもたちは、結構おもしろく読むんじゃないかな。ただ、皆さんがおっしゃったように、純が新しいシューズのお金を持ってくるというところは、そんなことをしても大地が喜ぶわけないとわかりそうなものなのに、と不自然に思いました。ところどころ問題はあるにしても、5年生のふつうの男の子をとりまくいろいろな問題をちりばめ、飽きさせずに先へ先へと読めるように書けているし、読後感も良いので、薦めたいと思います。

みっけ:さくさくと読めたのは読めたんですけれど、お母さんが専業主婦でお父さんがクビになって、というところで、え?と思ってしまって。あまりにも作り物めいているというか、なんというか……。それと、女子部のエピソードがいまひとつしっくりこなくて、とってつけたような感じがしました。さっきから皆さんのお話を伺いながら、この女子部のエピソードなしでは、ほんとうにこの話は成立しないのかなあ、と考えていたんですが……。年齢によって、書き込みすぎると対象とする読者層の力量を超えて、本来の読者層に届かなくなるということは理解できます。だから、この読者対象だと、それほど深みがあるという感じにならないのは致し方ないのかもしれない。そう思ったりもするのですが、やっぱり少し物足りない。それと、さっきさくさく読めた、と申し上げたんですけれど、唯一、三人称の「彼」にはひっかかりました。テレビでけっこう力作と思われるドラマのセリフに、太平洋戦争時の設定であるにもかかわらず、執事が若主人をさして「彼は」という台詞があったりするのを考えると、こういう本で使ってもおかしくないというのが今の流れなのかもしれないけれど……。30年くらい前までは、日本語で「彼、彼女」というと、たとえば恋愛関係にある相手を指すような、かなり思い入れのあるというか、特殊な言葉だったように記憶しています。それに、元来日本語では、三人称の人称代名詞をそれほど使わないという印象があります。誰かを指すときも、名前や人称代名詞を使わず、役割や役職といったもので代用することが多いように思うんです。「彼」といわれると、もったいをつけたというか、しゃっちょこばった感じになる。そういう印象があるので、子ども向けの本に「彼」が出てくると、あれ?と思ってしまう。こちらの感覚が古いのかもしれませんけれど……。

ジーナ:全体の構成とか、本づくりがいいと思いました。ちょっと納得できない部分もあるんですけど、主人公がパートナーの5年生の子のことや、お母さんの知らなかった部分を発見していくとか、今まで見えていなかったところが見えていくのがおもしろかったです。でも、文章がひっかかっちゃったんだなあ。59ページ7行目「『やった!』好物なので、大地は大声をあげた。」とあるんだけど、「やった!」で好物なのはわかるので、説明過多かな。ちょこんちょこんと、そういうところがありました。あと、小学生の子が、友だちに自分のお父さんのことを話すのに「おやじ」って言うのかな。ふざけて「父ちゃん」とかは聞くけど、「おやじ」って使いはじめるのはもうちょっと大きくなってからじゃないかな。

ミラボー:言う子もいるかな。

ジーナ:あと、最後が試合の途中で終わるから、成功しちゃったという嘘っぽさがありませんよね。最後がひらかれているのがよかったです。

ピョン吉(編集担当者):この作家さんは、『秋の大三角』(新潮社)で石田衣良氏が審査する新潮社エンターテインメント新人賞を受賞されました。児童書は初めてだったのですが、ご本人がずっとされてきた卓球を舞台に、友情や家族など、「ふたり」という組み合わせを描きたい、というところから始まっています。主人公と後輩の純、女子部の部長と副部長、父と母。うまくいく「ふたり」もあれば、平行線の「ふたり」もある。いずれにしても、努力を重ねたり、一方のことを思いやったりする気持ちがとても重要なのだと思います。その辺が、うまく伝わるといいなあと思いますね。先ほども出ましたが、スポーツ物をおもしろく描くときにスポーツシーンをどれくらいの割合入れるかという話ですが、ここでは、卓球をしていない子も楽しく読んでもらえるように調整した経緯があります。一部、ネットで「この作者はあまり卓球のことを知らないのでは?」などと言われてしまったようですが(笑)、そんなことはありません。でも、スポーツの上達の過程で、出来なかったことが出来るようになるというのは、読者にとって「快感」だと思うので、その辺は大切にしていきたいですね。

ジーナ:ラケットを見にいって、プレースタイルを探るというのは、へーと思いました。

ピョン吉:画家の方も卓球経験者で、細かいところまで目配りをしてもらいました。目次や中ページは、デザイナーさんもアイデアを出してくれたんですね。「『チームふたり』チーム」という感じで、本作りもおもしろかったです。

マタタビ:この本は、家の人と家族について話し合える本だなと思ったんです。家庭での読書の意義という点で考えると、家族にこんなことが起こったらどうする? とか、ストーリーにリアル感がないゆえに一種の抽象性みたいなところあって、かえって自分の問題として話がしやすいかもしれない。子どもたちで完結している物語ではなく家族の問題をからませることで、家族で読める可能性をもった本になったのでは。だれでも手にとって読めるという分量もいいと思います。

たんぽぽ:誠実なお父さんは、報われてほしい……。どんな形でも、特に小学生には、なんか納得できる、心におさまる、終わり方であったらいいなと思います。

ピョン吉:最近の児童文学では、「パーフェクトペアレンツ」という像がかなりくずれているので、これはまっとうな方の親かなと思いましたが。酒気帯びで自主的に辞めるというのも、実際の事例があったんですね。

ハリネズミ:そういう事例はもちろんあるでしょうが、事件があったときにこれほどまじめに対応しようとするお父さんが、クビになった同僚を心配するあまり毎晩酒浸りになり、その結果朝の検査で不合格になるなんていうのは、どうなんでしょう? 同じキャラとは思えない。私の中ではイメージが乖離しちゃってます。

マタタビ:大人はリアリティを読みますが、子どもたちは、筋とか流れを見ていくことが多いと思います。ある意味の抽象性というのも、どの子にも多少あてはまるといった共感性があるというのが強いですね。

ハリネズミ:小学校中学年のあまり本が好きじゃない男の子には、学校では何を薦めるんですか?

マタタビ:科学読み物ですかね。福音館書店の「どきどき自然シリーズ」とか。科学の秘密をわかっていくのは楽しい。「学校の怪談」とか「怪談レストラン」とかは、薦めなくても読んでいますから。本が好きな子は、少し部分的に読み聞かせたり、紹介すると「トガリやまのぼうけん」シリーズ(いわむらかずお作/理論社)や岩波おはなしの本なんかを読み始めていますよ。

たんぽぽ:「黒ねこサンゴロウ」シリーズ(竹下文子著/偕成社)や、岡田淳さんの本なんかを薦めると、もっと、読みたいと言ってくれたりします。

マタタビ:4年生は「パスワード」シリーズ(松原秀行作/講談社)やはやみねかおるの「名探偵夢水清志郎」シリーズ(講談社)、令丈ヒロ子さんの作品などを夢中になって読んでます。あと、やはりハリーポッターは絶大な人気ですね。

うさこ:これでいいのだろうかと思いつつ、作家さんの書く底力に疑問を感じるところもあって、みなさんがおっしゃるそのままが私の感想でもあります。でも、この作品で評価できるところは、ふつうの子を主人公にして、作品にしようとした点だと思いました。『チームふたり』というタイトルを最初見たとき、「劇団ひとり」のような、ちょっと皮肉ったタイトルづけ? おちゃらけているの? と思ったんですが、読み始めると、ストーリーはまじめに展開。出てくる子は、いずれも親や先生が理想とするようないい子ばかりで破綻がないので、読者はどこに共感してくれるのかなと思います。文章では、三人称の「彼は」が気になりましたね。

紙魚:最後に、読んでいない私が言えることなのですが、今回の選書3冊が並んでいたら、装丁で読みたくなるのは、ぜったいに『チームふたり』です!

(「子どもの本で言いたい放題」2008年4月の記録)


黄色いハートをつけた犬

ユッタ リヒター『黄色いハートをつけたイヌ』
『黄色いハートをつけた犬』
原題:Der Hund mit dem gelben Herzen by Jutta Richter, 2000
ユッタ・リヒター/著 松沢あさか/訳 陣崎草子/絵
さ・え・ら書房
2007

版元語録:イヌという名の犬が語る「創世記」。あなたの知らない楽園のこと、創造主のこと、そして人間誕生の話

サンシャイン:正直、あまりよくわかりませんでした。グ・オッドがゴットなんだって後書きに書いてありましたが、どうもスッとは心に入ってきません。ロボコヴィッツは、神様のアンチテーゼ的存在として出てきたのかなとは思いましたが、関係性もうすっぺらな感じです。日本の子どもが読んで、この本を楽しめるのか疑問です。

マタタビ:創世記がもとになっているので、ヨーロッパの子どもにとっては示唆に富んだ話なのかなと思います。ロブコヴィッツって人の存在もおもしろいですね。ロボットではないのかな? この本は2回読みました。間にネズミとの戦いとか入ってくるんですけど、そうしたエピソードを入れた作者の意図はなんなのでしょう。だめだと思ったけど、立ち向かってみたらできたというイヌの成長? それとグ・オッドとロブコヴィッツの本筋とのあいだのからみがよくわかりませんでした。人が神様を待っている話っていうのはよくあるけど、これは神様が人を待っているっていうのかな。いまだに神の門は閉じているようなので、ある種の哲学書かな。今の子どもたちで、読める子がどれくれいいるんでしょう? 児童書という位置づけが適当なんでしょうか?

クモッチ:たしかに、だれに向けて訳された本なのか?という疑問が浮かぶ本でした。「だれにも愛されない犬が、子ども二人に心を開いて、かけがえのないものになっていく」っていう筋が一つあるけれど、読み進めていくと、どうもそれがこの物語の本筋ではないように思えます。犬が語る話が、後半ボリュームを増していくので。で、こちらの話が、犬が本当に経験した話なのか、犬の創作した話なのか、わからない。読者が立ち位置をどこに置いたらいいのか分からない感じがします。そのため何度か前に戻って読んだりしたのですが、疑問が渦巻きました。

ジーナ:ロッタの視点で物語が始まったかと思うと、次にノイマンぼうやの視点に移り、次に犬になりと、だれに寄り添って読み進めればいいか、わかりにくかったです。私はあとがきを先に読まなかったので、犬の語る物語が始まったところで、「この本は、犬の話すとてつもないファンタジー、おかしな人物を楽しむ本か」と思ったのだけれど、だんだんその内容が難しくなってきて。ロッタ自身の葛藤はあまり描かれていないので、中学年向けくらいの本かなと最初思ったけれど、犬の話を読むと高学年でないとわかりそうにないし、視点をずらしていく構成はかなり大人っぽい。でも、高学年にしても、この文体はかたくて、難しいと思いました。もしかしたら原書は、それぞれの人物の語り口がすごくおもしろかったりするのかなとも思いましたが、わかりませんね。

たんぽぽ:大人が読む分には、最後まで読めたけど、子どもはロブコヴィッツが出てくる時点でやめるだろうなと思いました。酔っ払いの3人が出てくるのが、ほかのコピーだったらよかったのになって。最後読みおわって、なんだか欲求不満でした。

ハリネズミ:これは寝る前に読む本にしてたんだんだけど、すぐ寝ちゃうのね。ぜんぜん進まなくって。それで、ちゃんと机に向かって最後まで読んだんですけど、疲れましたね。日本で出すんなら、もっと編集や翻訳の人が工夫しないと無理ですね。日本の子どもに届かない。この本、二人称がみんな「あんた」なんですよ。幼いノイマンぼうやが犬に「あんた」って言うんです。ドイツ語のduをすべて「あんた」にしちゃったのかな。さえらの本って、科学書はいいのに、物語はもう少し工夫してほしい、と思うことがよくあります。グ・オッドは、G.Ottなんですね。原書では明らかに神を示唆する言葉ですが、グ・オッドじゃあ日本の子どもには伝わりません。お酒の名前がいっぱい出てきますが、キャンティはチャンティになってるし……読んでいくうちに、変だな、と思う気持ちばかりがふくらんでいきました。

クモッチ:結局、だれに向けた、なんの本なんでしょうかね?

マタタビ:黄色いハートに意味があるんだろうな、だれかのオンリーワンになれるという話なのかなと思ったら、そうでもなくて。

ハリネズミ:もともとの本がこうなんでしょうか? それとも日本語版の問題なんでしょうか?

マタタビ:今回の3点のうち、この本だけは犬の視点ですよね。

クモッチ:おじいちゃんが、ロブコヴィッツを知ってるんですよね。ここで犬の世界とシンクロしている? その意味も知りたいですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年3月の記録)


きいてほしいの、あたしのこと〜ウィン・ディキシーのいた夏

ケイト・ディカミロ『きいてほしいの、あたしのこと:ウィン・ディキシーのいた夏』
『きいてほしいの、あたしのこと〜ウィン・ディキシーのいた夏』
原題:Because of Winn-Dixie by Kate DiCamillo, 2000
ケイト・ディカミロ/著 片岡しのぶ/訳 津尾美智子/絵
ポプラ社
2002

版元語録:スーパーの中で出会った、おかしな犬ウィン・ディキシー。さみしがりやで、笑った顔がとくいで、びっくりすると、くしゃみがでるの。ウィン・ディキシーのおかげで、ひっこしてきたばかりの町で、あたしにはすてきな友だちができたわ。そして、パパとも——。アメリカ南部、フロリダの小さな町を舞台に、いやされないさみしさをかかえた少女が、犬とのふれあいをとおして人のいたみを知り、心をひらいて父親とのきずなをとりもどしていく……。あたたかな感動の物語。

ハリネズミ:これは前からとても好きな本なんです。この年齢の子ども向けの本としては、まれにみるよくできた本。何度読んでも、やっぱりいいなあと思います。まず、訳がすごくうまい。原文にもユーモアがあるんでしょうけど、それをうまく訳しているので、日本語でもちゃんと伝わってくる。図書館に熊が入ってくる話もおもしろいし、ウィン・ディキシーも、にやーっと笑ったり、くしゃみをしたり、仲間はずれが嫌で割り込んできたりする、おもしろい犬。グロリアとかオティスとかミス・フラニーとか、どこか奇妙な登場人物が出てきますが、その人たちのこれまで生きてきた人生っていうのを感じさせる書き方もすごいですね。主人公の少女は、引っ越してきたばかりで友だちもいないし、母親の不在も抱えて不安なわけですけど、ウィン・ディキシーを介していろいろな人に出会って成長していきます。そうした核になるストーリーは比較的単純ですが、登場人物のそれぞれが短い会話や言葉で浮き彫りになるような書き方をしている。人生経験を積んだ老人たちの知恵ある言葉にも含蓄がある。雷が鳴ってウィン・ディキシーがいなくなってしまったと読者も心配しますが、最後に絆がいっそう深くなるという終わり方もいい。文学として、とてもよくできていると思います。このページ数で、これだけの深みがある本って、ほかにはなかなかないですよね。

ジーナ:本当に楽しめるお話でした。片岡さんの訳がとてもうまい。日本人が日本語で書いたみたいに。要所要所の言葉も味わいがあって、p.95の、人のことを過去ではかっちゃだめ、こんな人と決めつけてはだめというところなど、心にひびきました。「あの本に、こんな言葉があったな」と、あとで思い出す本になりそう。一人一人の人物が、ストーリーのためにいるんじゃなくて、それぞれ生きて、とてもよく描かれていますよね。ただ、題名がちょっと残念かな。「ウィン・ディキシーといた夏」というと、ウィン・ディキシーが最後にいなくなっちゃうみたいだし。もうちょっと内容がわかる、手にとられやすいタイトルがなかったかなと。

クモッチ:わかりやすくよくまとまっていますね。長くなりがちな作品群の中で、この長さで感動が得られるいいお話を読めるというのも、いいなと思いました。好きだったシーンは、お父さんと女の子がウィン・ディキシーをさがしにいったところで、お母さんのことを話すところですね。「お母さんをとめなかったんでしょ?」と女の子も本音をお父さんにぶつけ、お父さんも、「お母さんは、もうかえってこないとわかったよ」と、女の子に自分の気持ちをはっきり伝えます。きちんと向き合う場面があるのがいいなと。また、このシーンは、犬がいなくなってさがしている間の会話で、オーバーラップのさせ方も、わかりやすいと思いました。

マタタビ:とてもあたたかい気持ちで読み終われて、いい本でした。登場人物それぞれが、どっかにからっぽの場所を持っていて、そのからっぽの場所を、ウィン・ディキシーと主人公がかかわりあっていくお互いの関係の中で埋められていくっていうのがいいなって。ジグソーパズルがくっついていくみたいに。それぞれの大人がとってもよく書けています。きれいごとではなく、言わなきゃいけないことがちゃんと書かれている。アメがね、おもしろいなって。アメが隠し味になって、だれもが持っているそういうものを引き出していく。心憎い使い方をしているなあって。片岡しのぶさんの訳だったので期待していました。ディカミロは前に『ねずみの騎士デスペローの物語』を読んで、ぴんとこなかったんですけど、今回はすばらしかった。

サンシャイン:私も今回の3冊を比べると、いちばん社会性が出ていて好感をもって読みました。『ベストフレンド』がほぼ自分の心だけの話だったのに比べて、父子家庭できちんと娘に相対していないお父さん、南北戦争の歴史的なこと、魔女と呼ばれているけどいいおばあちゃん、牢屋に入れられたことがあるギターがうまい青年など人物や状況が生き生きしています。主人公が世の中で生きている存在っていうのが、よく描かれていると思います。犬が人間の友達っていう物語はアメリカですからきっとたくさんあるんでしょうけど、いい読後感でした。題名のBecause of Win-Dixieというのは、どういう意味ですか?

ハリネズミ:ウィン・ディキシーをきっかけにして、変わっていけたっていう意味でしょうか?

サンシャイン:最後にオウムを含めてみんな登場するっていう、お話の終わり方もうまいと思います。

クモッチ:91ページ グロリアさんの家に木があって、あきびんをつるしているって。こういうことする人って、普通いるのかしら。やっぱりアメリカでも変なことですよね。

ハリネズミ:変というか個性が強いから、魔女って言われてるんでしょうね。

マタタビ:日本でも、犬と一緒に散歩してると、友達になるっていうのがありますよね。オウムのガートルードもいいんですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年3月の記録)


ベストフレンド〜あたしと犬と!

堀直子『ベストフレンド あたしと犬と!』
『ベストフレンド〜あたしと犬と!』
堀直子/著 ミヤハラヨウコ/絵
あかね書房
2006

版元語録:飼い犬を亡くし立ち直れずにいた千織は、「捨て犬の里親を探す活動」をする人々に出会う。犬によって希望を取り戻す少女の感動物語。

サンシャイン:繊細な女の子でね、飼っていた犬のライオンが死んでつらい気持ちは、よくかけてるんだろうなと思いましたが、あまりにも社会性がないのが残念。作者自身の経験をもとにって書いているのはよくわかって、悪く言うのもいやなのですが、作品としては成熟していない所が目立ちます。ライオンに似ているコウチャを自分のところにおきたいと思いつつ、預かっているだけだからと心を抑える所は、良く書けているとは思います。だけど、コウチャを見て車椅子の男の人が立ちあがるっていうのが、ちょっとやりすぎというか、正直うそくさいと思ってしまいます。

マタタビ:作者の犬に対する思い入れがすごく強いんだなって、感じました。犬を失った喪失感はよく書けてているなって思いました。ストーリーとは関係ないんですけど、こういう本を子どもが読んだとき、捨てられる犬を処分する施設を子どもは悪いところだと思ってしまうんじゃないかと心配です。そういう仕事に携わる人の尊厳にもかかわるので、短絡的にとらえてしまうんじゃないかとひやひやするところも。その辺の痛みをどのくらい感じながら、書いたのでしょうか。

クモッチ:今おっしゃったところは、45ページですね。最近のお話は、こういう立場の人の苦しい気持ちっていうのも、きちんと書いているものが増えていますよね。ここに登場する遠山さんも、救える犬は救いたいというスタンスで描かれていますね。

マタタビ:今の子はわりに表面的に読むので、読んだあとは話し合いをしたほうがいいかなと思いました。

クモッチ:処分されてしまう犬のことを扱った話は、ノンフィクションではよく読みますが、これは、フィクションですよね。事実を伝えようとするために、お話がどうしても中盤以降説明的になって、お話そのものの楽しさより、事実がそうなんだという流れになってきてしまっています。フィクションなら、多くの関係者のそれぞれの気持ちを描く、ということが自由にできると思うのですが、このお話の場合、千織ちゃんがひきずっている気持ちっていうのが、悲しい、悲しい、という一辺倒になってしまっているようで残念。フィクションなんだからうまく表現して、もうちょっと奥ゆきが出ると、この作品の意味ももっと出てくると思いました。脇を固める、お父さんとお母さん、えりかさんの描き方も、創作ものにする以上、奥行きをもたせたいなあと思いました。

ジーナ:この本が伝えたいメッセージは、はっきりしてますよね。だけど、この作品でスッと伝わってくるかというと、疑問でした。最後にコウチャを飼いたがっているおじさんが立ち上がるシーンを含めて、都合よすぎる感じがするところが多くて、物語を楽しめませんでした。それが残念。文章も、ときどき引っかかるところがありました。

ハリネズミ:日本語が素人っぽいなと思いました。書き出しの「ぶどう色の空が、ほうきではいたように、しゅっしゅっと明るい白味を増していった頃」も、あれっと思ったし、随所に「翔馬が髪をかきむしった」なんていう陳腐な表現も見られます。台詞にしても、エリカの人物造型と「きゃーすてき」なんていう台詞がちぐはぐ。捨て犬の保護活動をしている人たちの様子については、よくわかったし、千織が回復していく様子もわかりやすい。おしっこをさせるシーンなど、実体験に沿ったことは、とてもよく書けている。犬の本や猫の本って、客観性を失ったまま書く人がいると思うんですけど、この本も全体の印象はそんな感じでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年3月の記録)


一億百万光年先に住むウサギ

那須田淳『一億百万光年先に住むウサギ』
『一億百万光年先に住むウサギ』
那須田淳/著
理論社
2006.09

版元語録:宇宙服を着たウサギが走っていた。星の上をはね、両手を広げて踊り、そして宙返りをしてみせる。それからまた走り出し、たったったと加速して…湘南を舞台に描く青春ストーリー。

サンシャイン:よく知っている場所が舞台なんで土地勘があって楽しく読めました。かわいらしい感じですね。話題があちこちに飛んでいって、一つ一つのことについて蘊蓄を語るという進み方をしています。前半は、あっち行ったりこっち行ったりして、後半、話のテンポをあげて終わりにもっていっているという書き方をしています。

メリーさん:楽しく読みました。全体を通してさわやかな印象なのですが、それぞれのエピソードについて、もう少し読みたいなというところで終わってしまうのが残念でした。エピソードをしぼって書き込むか、人物のドラマに焦点をあてるかのどちらかにした方がいいなと思いました。

ウグイス:ウサギのイメージだとか、恋樹(こいのき)のエピソードだとか、アムゼル亭とか、心ひかれるイメージは出てくるのですが、中学生の少年少女はどちらかというと脇役になっていて、おじさんおばさんの青春時代の謎を解説されるのを聞くというスタンスのように思いました。語り手は中学生だけど、中学生が読んでおもしろいと思うのでしょうか? かゆいところに手が届かないというか、大人の側から自分たちが過ごしてきたものを伝えようとする気が強すぎると思う。ドリス・デイの歌とか、コーヒーへのこだわりとか、今の子どもたちにも魅力あるものとして提示されてはいないような気がします。いろんな人物が出てくるのですが、その人たちは物事を「解説」するために出てくるんですよね。だから、出てくると滔々としゃべる。喫茶店の先代のマスターなんかも、突然出てきてしゃべるしゃべる。だから、リアリティのある生きた人物としての魅力が今ひとつ感じられませんでした。最初の方に出てきた恋樹の、文通相手もわりあいあっさりと明かされてしまう。いろんな秘密がにおわされて、ちょっとひきつけるんだけども結局たいしたことなく終わってしまい、はぐらかされた気分。自分の中にあとになってまで残る作品ではないと思いました。

みっけ:私の心の表面をつるつるつるんとすべっていって、どこかに消えちゃった、という感じでした。食い込んでくるものがない。前にこの会で同じ著者の『ペーターという名のオオカミ』(小峰書店)を取り上げたときもそう感じたんだけれど、これが書きたいんだ!という勢いみたいなものがなく、おぼろな幕の向こう側であれこれやっているなあ、という感じで終わってしまった。途中から、我慢できなくなってぴょんぴょん拾い読みになってしまいました。同じ湘南を舞台にしたものでも、たとえば佐藤多佳子さんの『黄色い目の魚』(新潮社)の方が、ずっと生き生きとした青春ものになっている。ウサギが出てきたり、あれこれ工夫しているんだろうなあ……という気はしたけれど、ぴんと来ませんでした。

紙魚:じつは、今月の本を選書していたとき、日本の作品だけがなかなか決まりませんでした。確かに、ほかの2作品との共通性がないかもしれません。ただ、あまり古い作品にもしたくなかったので。この本に感じたことは、青春のイメージがパッチワークのように紡がれてはいるのだけれど、そこにひそむ汗とか体温とか、友情とか裏切りとか、また自分のなかでの悩みや葛藤というような、生の感覚があまり伝わってこないということでした。この本は、中学校の課題図書に選ばれているんですよね。もし私が中学生で、この本の感想を書けと言われたら、何を書けばいいんだろうって困ったと思います。

ジーナ:なかなか好きになれなくて、最後まで読むには読んだのですが、中に入れませんでした。というのは、主人公の中学3年生の男の子が語るんですけど、口調が中学生じゃないみたいなんですね。私も翻訳したものを、「あなたは中学生のつもりで書いているんだろうけど、それはつもりなだけ」と編集者から注意されることがあるんですが、そんな感じ。中学生がサンドイッチについて「ニンニクとオリーブで香り付けられた鶏肉は、かむと肉汁がはじけ、バジルの葉とレタスが先に吸収していた油とマヨネーズと溶け合う」なんて蘊蓄たれる? 中学生と言えば、受験のことや学校の友だち関係とかいろいろあるだろうに、同年代で関わるのはケイちゃんぐらいで、その辺はあっさりしている。人物の魅力に欠けるのかな。日本のヤングアダルト作品にはなかなか大人が出てこないけど、これは大人ばかりが出過ぎている感じ。マンガ本の蘊蓄はすっと読めるけれど、この本に出てくる芸術や音楽の知識は、教えられているようで、いまいち惹かれない。趣味の問題でしょうか。多くの子が共感できる本ではないと思いました。

げた:舞台が鎌倉で、登場人物もそれなりに魅力的でかっこいい感じなのだけど、私自身は、いまひとつ中に入りこめませんでしたね。今日読んだ3冊の中では、この1冊が異質だと思うんですが、「いいかげんな大人たちに翻弄される子どもたち」というあたりでつながってるって感じかな。タイトルが謎めいていて装画もいいから、とっかかりはいいので、手にとられやすい本だと思います。

ききょう:課題図書になっていたので前に読んでいたはずなのですが、私もけっこう読むのが大変でした。那須田さんがもっている趣味をいかして書きたかったのでしょうか。物語の勢いのようなものが感じられないし、ストーリーでも人物でも読めないので、目の前のコーヒーのいい匂いだけ嗅がされている感じ。私も教員なので、どうやって子どもたちにアピールしようかなと思うのですが、中に出てくるのが意外と渋いディテールなので、子ども達はここから新しい世界を見ていくのかもしれないとは思うけど、私も中学の課題図書にはきついかなと思います。ストーリーの一貫性みたいなものも感じられませんでした。

もぷしー:大人がノスタルジーを集めて、それに社会的な問題も加えてまとめたような印象を受けました。これを子どものための本とするのかどうか、読み物としておもしろいのかどうか、という二つの視点があると思います。子どもの本と考えたとき引っかかるのは、会話の口調。「〜なのだ」は、中学生とも思えないし、大人でも使わないような、ある意味正しすぎる日本語。言葉の表現にリアルさが感じられず、入り込みにくかった。歌の「ケセラセラ」も、繰り返し使うモチーフとしては、子どもには遠い存在だと思う。児童書としてではなく、物語としてどうかというのは趣味の問題だけど、まとまりがなかったのが私には読みづらかった。ウサギだとか恋樹とか、アイテムはたくさんあるのだけれど、かなり早い段階で種明かしされて置き去りにされている。もっと引っぱりたければ、ここまでの長編にせずにまとめた方が楽しく読めたかもしれない。

ハリネズミ:途中までしか読んでいないけど、会話にはすごくひっかかりましたね。著者はドイツにずっと住んでいたようなので、自然な日本語から離れてしまったのかな。これだと、抽象的な会話に感じてしまいますね。

紙魚:たとえば、村上春樹の小説などに書かれている会話は、現実に話されているような会話ではないのだけれど、ある独自の世界として成立しているからリアリティを感じるときがあります。もしかしたら、この本では、そういったところがちぐはぐなのでしょうか。

サンシャイン:私はこの感じ、芥川賞作家の保坂和志の作品に似ているなと思いましたね。鎌倉という舞台も一緒ですし。

ききょう:ケイちゃんは、学校では特異な存在のはずなのですが、あまりそういう感じがしないですよね。

うさこ:私は好きな物語でした。物語にいる居心地のよさのようなものを感じました。バランスがいいというか、大人の存在がとてもきいているというか、中学生の存在を守りながら自立性に向き合う姿に好感がもてました。大人たちもバラエティに富んでいるし、おおげさではなく、ある日常のこととしてドラマが展開されていく。長いけれど破綻がない。ウサギや歌などのアイテムがうまくからみながら、それぞれのエピソードや景色が描かれていたと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年2月の記録)


ジャック・デロシュの日記〜隠されたホロコースト

ジャン・モラ『ジャック・デロシュの日記』
『ジャック・デロシュの日記〜隠されたホロコースト』
原題:SOBIBOR by Jean Molla
ジャン・モラ/著 横川晶子/訳
岩崎書店
2007.07

版元語録:ナチスの収容所でユダヤ人を「処理」していた男の日記が祖母の部屋にあった。恐ろしい事実を知ったエマの摂食障害は悪化し…。

げた:衝撃的でした。16歳の女の子が彼氏のひとことから、痩せなきゃという思いでダイエットが始まって、それがおばあちゃんの死、日記との出会いによって、空白を埋めるように過食になり、自分より前の世代の荷物を背負って立ち向かっていく姿は、悲惨ではあるけれど、一方、なんとかしようと立ち向かう気持ちは健気ですごいなと思いました。それから、日本でも、戦争の加害者としての立場から描いた児童文学が、七三一部隊関連でありますが、少ないので、そういった意味でもすごいなと思いました。デロシュの日記の中で、民族の優位性を保つ考え方にもあらためて恐怖を感じました。

ききょう:読めるかなとどきどきしながら読み始めましたが、結局一気に読みました。加害者側がどんなことを考えて向かっていったのかということを知る貴重な体験でした。日本では、松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』(偕成社)などが定評がありますが、それくらいですね。本人が祖父を告発していくところに凄さを感じました。自分が何かの事実を背負ったときに、とどめておかないでアクションに結びつけていくーー若い人の事実と向き合ったときのエネルギーの凄さを思いました。最近、ナチスに関わった87歳の老人が逮捕された報道がありましたが、戦争は終わっていないのですよね。

サンシャイン:いやあ、相当驚きました。フィクションだとすると、すごくよく考えていて、作品としての完成度が高いです。まさかこの日記の筆者が、あの人であったとは気づきませんでした。そこにたどり着いた時の驚きを思い出します。ホロコースト文学といっていいのでしょうか、こういう形で言葉で告発するとは! ノンフィクションではないかたちで読ませてくれた、みごとな作品だと思います。作者はフランス人ですよね。

メリーさん:ホロコーストという大切なテーマを扱いながら、本として謎解きのおもしろさもあって、一気に読んでしまいました。これからもくりかえし伝えていかなければならない問題だと思います。一方で、主人公の少女が最後に祖父を断罪する場面ですが、フィクションなだけに、この結末はできることならば著者と相談したい所でした。時代の波に翻弄されながらも、罪を背負って生きることを選んだ一人の人を、現在の人間がはたして裁くことができるのか? 少女の心情は一方的ではなかったか? 死ぬことより、生きることのほうがつらいはずのこの世界で、未来につながる結末にしたほうがよかったのではないかと思いました。「シンドラーのリスト」や「硫黄島からの手紙」など、映画もいろいろ思い出した本でした。

ハリネズミ:おじいさんの日記の部分と、少女の視点で語られている部分の、書体がかえられていて読みやすかったです。歴史に関する注も日記の部分の下側に入れられていて、工夫されているなと思いました。時間が行ったり来たりするので、読み慣れていない子どもには難しいかもしれないけれど、読み慣れている子にはそこが逆におもしろいかもしれません。ナチスについてはいまだに関係者の捜索や逮捕が行われているんですよね。そういう意味でも、必要な本だと思いました。ただ読んでいる間ずっと苦しかったですね。主人公の少女は、苦しいままで快復してはいかない。最後までつらいままです。おじいちゃんを一直線に断罪するわけですが、そこには自分がもし同じ立場に置かれていたら、という想像力は働いていない。それも読んでいる側にはつらい。おじいちゃんにだって歴史の中で翻弄された被害者という側面もあるはずなので、そういう部分がもし書かれていれば、文学としてのふくらみももっと出たんじゃないかな。

ウグイス:歴史の事実を若い世代にどう伝えていくか。主人公の年頃の子どもたちにとって、決して遠いことではなく、今の自分とつながっているのだということをいかに伝えるか。それを小説というかたちで非常にうまく提示したひとつの見事な例だと思います。題名が重いのだけれど、最初、現代の女の子の苦しみがリアリティをもって書かれているので、ぐっと惹き込まれていく。その子の大好きなおばあちゃんの過去をどんどんさかのぼっていくという手法が、とてもうまい。いきなりホロコーストといってもぴんとこないところが、摂食障害というところから上手に入っていって、一見なんの関係もないと思えたことが関係あると思わせていくのは、構成の力ですね。最後のおじいちゃんへの断罪は、小説としては成功していると思うけど、子どもにどういうふうに薦めたらいいのかと考えたときには、薦める子を選んでしまいますね。大人として読むには価値があるけど、子どもに対しては、注意深く考えなければいけない作品。それから、過食症は自分が大人になりたくない人がなると書いてありましたが、事実なのかしら? 摂食障害の部分は、読んでいて苦しかった。

みっけ:英語の児童文学を見ても、児童文学の書き手たちが、第二次大戦やホロコーストなど放っておいたら風化してしまう事柄をなんとか今の子どもとつないでいこうといろいろな形の作品を試みています。この本もそういう1冊なんだなあ、と思いながら読みました。ホロコーストを加害者の側から伝えている部分は、読み手に非常に重たいものを突きつける形で、とてもよく書けているなあと思いましたが、ちょっと気になったのが、摂食障害とそういうふうにうまく(というのは言葉が変かもしれませんが)リンクするのかなあ、という点でした。ちょっと安直に見えなくもない。摂食障害の子が自分を振り返って書いている文章だから、この子のなかではこう整理されているのかもしれないけれど……。でも、こういう子だからこそ、おじいちゃんを自殺へと追いつめる流れに説得力があるような気はしました。正直、摂食障害を患ってきた子、今もその傾斜を残している子の一人称で書かれているために、全体が非常にがりがりした印象になっていて、読むのはきつかった。
フランス映画にも、こういう精神的にかなり追い詰められた人の心をずっと追っていくというタイプの作品がありますけれど、このとがり方は、ああフランスだなあっていう感じがしました。この子自身が、自分はおじいちゃんやおばあちゃんのことを尊敬し親しみを持っていた、というようなことを書いているわけだけれど、それだけでは読者のイメージは今ひとつふくらまない。徹頭徹尾一人称ではなく、たとえば冒頭にでも、この子が摂食障害になる前のおじいちゃんやおばあちゃんとのエピソードがさらっと置かれていたりすれば、それだけで読者のイメージがふくらんで、摂食障害のことも説得力が増したのではないかと思います。こういう子だから、おじいちゃんを追い詰めることにもなったろうし、おじいちゃんがそれでも生きなければならなかったというところまでは思いが及ばなかったんだろうと、そこは納得できるんですが。

ハリネズミ:私が知ってる摂食障害の子は、自分には厳しい目を向けても、他者にはやさしいですよ。

みっけ:でも摂食障害は、アグレッシブな行為が自分に向かっているという意味ではアグレッシブであることと無関係ではないし。この子の場合、摂食障害という形で自分に対してアグレッシブなだけでなく、両親への見方や恋人への見方や店屋での態度など、他人に対してもかなりアグレッシブな気がします。これは、おじいちゃんを責めたのが正しいとかいうことではなくて、そういうアグレッシブな子だから、おじいちゃんをああいうふうに責め立てるという展開も納得できる気がしたんです。

ウグイス:この子が摂食障害ではなければ、こういう結末にはならなかったということ?

みっけ:摂食障害だからこうなったという因果関係ではなく、この子の有り様からして、摂食障害にもなるだろうし、また、おじいちゃんを追い詰めることもするだろう。そういう意味で、この本で語られていることから見えてくる主人公の造形とさまざまな出来事とがきちんと結びついている、と思ったんです。ある意味で、おじいちゃんに対してこれだけ面と向かって攻撃性をむき出しにしたことや、自分のこれまでを振り返ってこういう手記を書いたこと自体、この子の治癒への可能性を予感させるもの、といえるのかもしれませんね。

紙魚:私も、結末についてはええっと驚きましたが、フランスってもともと、児童文学というジャンルが薄いですよね。なので、これは子ども観、児童文学観の違いなのかなと思いました。以前、松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』をとりあげたときに、フィクション部分とノンフィクション部分が乖離しているというような感想が出ましたが、あれは、あの時代に児童文学として七三一部隊をとりあげたということを評価するべきだと思います。ただ、この作者は、主人公を拒食症にすることによって、そのあたりをうまく融合させています。文学として進化を遂げているように感じました。それから、『フリーダム・ライターズ』もそうなのですが、痛みを持っている人は、やはり痛みへの共感があって快復をとげていくと感じました。この主人公が健康な体だったら、ここまでの物語になったかどうか。フィクションのもつ力を感じました。それから、地の文と日記文の書体の使い分けや、注釈の入れ方など、編集がゆきとどいて、とても読みやすかったです。

ジーナ:ハードな内容にもかかわらず、一気に読んでしまい、物語の力を感じました。拒食症についての記述がリアルかどうかはわからないのですが、主人公の、大人に理解されていないという気持ちが、万引きの場面とかでまず出てきますよね。そういうことって、この年代の子はみな持っていると思うので、読者は主人公に心をよりそわせて、物語に入っていけるのだと思います。原題は「ソビブル」なんですよね。日本語でも、ふしぎな秘密めいた響きがあって、ストーリーの中で生きていますね。ふつうに生活していたら知らないでいたことに、本を通して目を開かされるというのがいい。主人公がぼろぼろになるまで向き合った事実に、読者も向き合えて。繰り返し語っていくことの大事さ、本の中で過去の事実を知らせていくことの大事さを感じました。本づくりのよさにも感心しました。書体も行間も、とても読みやすかったです。

うさこ:衝撃的な内容で、読みながら自然と力が入っていきました。ずっとひりひりしながら読んでいました。自分がこの女の子だったらどうしただろうか、おじいちゃんだったら、おばあちゃんだったら、家族だったら、万引きした店の店長だったらと、登場人物一人一人と自分とを照らし合わせるのがすごくひりひりして、こわい作業でした。戦争だったから仕方なかったんだ、この時代ではしょうがなかったんだというような言い訳は通用しない、ということを作品のなかできちっと言っていて、じゃあ、この異常な社会のなかで個はどう生きればいいのかという自分への問いにぶつかりました。これはすぐに答がみつかるものではないけど、自分のなかにすえておいて、これからも考えていくことが大事だと思います。そういう風に読み手に投げかけるところなど、この本は文学の力が強い。作者が難しいテーマに対して工夫しながら、一歩もひかずに書いた姿勢がいい。日記を読んでいる気分になるというところは、編集の工夫だなと感心しました。

山北(担当編集者):私自身、だれにでもお薦めするとは言い切れない本かもしれません。ラスト部分を読者がどう受け止めるか、とても気にかかります。一人称で一方的な見方に引っぱっておいてそのまま終わるというやり方は、日本児童文学的に期待されていないことでもあるので、どうなんだろうと考えたんですね。けれど、エンディングに賛否はあっても、この本にはすごい価値があると思いました。被害者ではなく、加害者の側から書いている文学であるというところ。そして、フィクションの中でホロコーストを追体験させ、人道問題に対する普遍的な理解へ導いているというところ。作者は、安全圏にいようと思ったらできないようなこともいっぱいしていると思うんです。直接体験をしていない人がミステリータッチでホロコーストを書くということは、責められたりもしていると思うんですね。それをおしても出版するだけのきちんとした下調べとメッセージがつまっている本だと思います。
上手く描かれているなあと思うのは、死や他人の感覚に対して無感覚になっていくことの怖さ。読者も、デロシュの日記を読んでいるうちに、初めは信じられないと思っていても、人の死や、感覚を遮断することに慣れていってしまう。その怖さを感じました。もともと原文も、淡々とした文章で書かれているのですが、それを翻訳でも表現していただくようにしました。
エンディングについての解釈ですが、私はおじいちゃんを糾弾するエマの姿は、おじいちゃんに重なっていると思っています。ジャックは、任務だと思って、ある種使命感に基づいて無感覚に人を殺していく。エマも、おじいちゃんは罪を償うべきだという自分の見解を疑うことなく、使命感に基づいておじいちゃんを追いつめる。結果、おじいちゃんを殺してしまう。おじいちゃんもそうですが、エマもこれから、自分のしてしまったことを背負って生きていかなければならないという暗示があるのでは。愛読者カードが大人からしかこないので、子どもがどういうふうに読んでいるかはわからないです。ちなみに、14もの海外文学賞と帯に書きましたが、そのうち3つは、学生が選ぶ賞なんですね。私はそこにすごくひかれました。フランスでは、この作品は子どもの心にも添っていたのだと思います。
編集的なことでいえば、エマの語り部分は極力リズムをくずさないため注などつけないようにして、日記に関しては、注のせいで集中がとぎれないようにと、注は同ページの下に設けました。訳注なんかもかなりつけています。調べていくうち、デロシュという人物はフィクションなのですが、各収容所で働く人物などは大方が実在人物なのだとわかりました。現在は行方不明という人や、逮捕された人もかなりいらっしゃいます。実際にあった出来事を物語にした作品ということで背筋をのばして編集したので、相当手間がかかりました。つねに一気読みという感じで、内容も心に突き刺さるようなので、本当にへとへとに。参考資料に書いてありますが、『ショア』は、8時間半におよぶホロコーストに関するインタビュー映画です。お薦めします。

サンシャイン:『マグヌス』(シルヴィー・ジェルマン/著 辻由美/訳 みすず書房)はご存知ですか? 同じくフランスの作家の作品です。フランスの高校生が選ぶ高校生ゴンクール賞を取ったんですが、おそらく、とても日本の高校生が読めるとは思えない。日本では、大人が読む本と位置づけられるでしょうね。

メリーさん:この本のドイツでの反応はどうなんですか?

山北:そこまではわからないですね。日本語版を出した当時は、まだドイツ語には翻訳されてなかったと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年2月の記録)


フリーダム・ライターズ

エリンとフリーダムライターズ『フリーダム・ライターズ』
『フリーダム・ライターズ』
原題:THE FREEDOM WRITERS DIARY : How a Teacher and 150 Teens Used Writing to Change Themselves and the World Around Them by The Freedom Writers with Erin Gruwell
エリン・グルーウェルとフリーダム・ライターズ/著 田中奈津子/訳
講談社
2007.06

オビ語録:若き教師と生徒たちが起こした奇跡の実話!/高校は戦場だ。オレたちは憎み、傷つけ合う。だけど、ノートに綴った日記が救ってくれた。

ハリネズミ:この本の構成が最初よくわからなかったんですね。「日記へ」という言葉があるんだけど、これはなに? 先生が何か書いて、それを受けて生徒が日記へとつなげていくってこと? 日記を書いている一人一人全部違うのか、同じ人物もいるのか? どうまとめていったのか? など、頭の中に疑問符をうかべながら読んでいきました。最後まで読むと、全部違う生徒が書いていることはわかりましたが。もう少し最初に説明が会った方がわかりやすいと思います。内容的には、『ジャック・デロシュの日記』とは反対に、みんな希望を見つけていくんですね。その希望の見つけ方も150人それぞれで、大きくジャンプして希望が見えてくる子もいるし、表向きは変わらないけど自分を再確認することによって希望を見いだす子もいる。そして途中には、だまっていないで声をあげることが大事というメッセージが流れている。
教師ががんばって、だめな生徒たちやクラスを立て直して行くという話はよくありますが、これは生徒の側からの直接の声が聞こえるのでいいですね。これは翻訳だからしょうがないのだけど、原文だともっと口調にそれぞれの子の特徴が出てるんじゃないかなと思います。この訳はわかりやすいし、少しずつ変えて苦労しているのは見えるんですけど、言い方の違いみたいなことまで出して行くのは難しい。だから、5人くらいが交替で書いているのかな、と最初に思っちゃった。
私が個人的に引っかかったのは、ホロコーストに関する部分です。340ページに「第二次世界大戦〜いかに似ているかを学んだ。〜訴えていることも知った。」とありますが、意地悪く見れば、このユダヤ人の先生は、現在のイスラエルが加害者になってしまっていることまでは、生徒たちに語っていないようです。それによって、この本が伝えんとする一種の理想主義がちょっと薄っぺらくなってしまっていると、私は思ったんです。あとね、今のアメリカの貧困地域の公立学校の実情が、この本を読むとよくわかりますよね。

山北:私は『ジャック・デロシュの日記』のときに、ミステリータッチのフィクションで重い問題を扱うことに不安と迷いを感じていたので、どんなテーマであれ、この本のように本物であるということは説得力があるなあと思いました。読み始め、この本がどういう構成なのかわかりにくかったので、先に説明があった方がすっきりするタイプの本だと思います。日本版を刊行するにあたって、冒頭の「覚書」あたりに日記プロジェクトの説明を加えていたら、もっと身を入れて読めたように思います。日本人はアメリカの高校生っていうと華やかな部分を想像すると思うので、スラム街でいろんなことをあきらめている人がいることを知るだけでも重要。日本で虐待に遭ったりチャンスをもらえないでいる子たちにも意義ある本になると思う。日本だと、つらい目に遭っているこの比率がここまで高くないので、周囲に相談を持ちかけづらいと思うんですね。その子たちに、150とおりの問題、その解決のヒントが届けば意義深いと思いました。生徒自身が、それも日記という個人的なものに書いた文章であるだけに、読者もかまえがとれると思うんですね。読後感もよかったです。

メリーさん:アメリカらしいサクセスストーリーで、とてもおもしろかったです。文章で自分を表現できるということを知った時の、子どもたちの姿がとても素敵でした。「書く」ということは、「話す」以上に、自分と向き合い、他人に伝える努力をする。それが自分も、自分のまわりも変えていくいい例だと思います。そうやって考え、伝える努力をした結果、遠くはなれたサラエボの戦争についても、自分の身近な問題と関連づけて考えることができるようになる。「書く」ということを武器にした子どもたちはすごいなと思いました。

サンシャイン:この先生が新任で、やる気のない先生たちの中で頑張ってやっていったというところが、おもしろかったです。9.11前なので、またアメリカの現状は変わっているかもしれませんが。宣戦布告なき戦争、人種の対立など、21世紀に入る前のアメリカのひとつの姿。アメリカって人間が「なま」だなあとつくづく思います。日本の場合は、「なま」にはなかなかなれないで、回りの人の目とか世間体とか常識とかによって、ほんわかと包まれている。若い頃住んでいた時はおもしろくもあったのですが、年をとると住むのはつらいなと思っています。

ハリネズミ:人間が「なま」って、どういうこと?

サンシャイン:うう、なんというか、はっきり言えば男と女の問題ですけど。欲望のままに行動するというか。日本では世間体があるからそうしようかと思っても行動に移せない、やっぱりやめておこうかといった判断をさせる空気があると思います。それに対してアメリカにはある種むき出しの人間がいる、という感じが否めません。

メリーさん:すごいことまで告白していますよね。ここまでいくには相当時間がかかっていると思うんですが。自分の「なま」なところまで出したものを、あとから編集しているんだとは思うのですが。

ハリネズミ:昔、日本にも綴り方教室なんかの運動がありましたよね。「書く」という教育でいろいろ引き出せるってこと、あるんですね。

サンシャイン:日本の綴り方教室の時代に、どこまで書かせていたのかはわかりませんが、この本でいえば書かれていることが赤裸々だってことかな。それから、いい先生を徹底して持ち上げる文化、サポートして資金も援助してっていうところがすごいですね。奨学金がつくとか。コンピュータを35台でしたっけ、寄付してくれたり。初任から同じ生徒を持ち上がった4年間で、彼女もある意味のしあがったわけでしょう。たぶん日本の職場では、こうはうまくいかないと思いますよ。嫉妬やら、足を引っ張ることがあったりして。それがさっき行ったほんわかと包まれていることのマイナス面ですね。集団の中で目立たせないという空気です。

ハリネズミ:ここまで徹底的にやって評価されればいいけれど、そこまで行けないとアメリカでもきっと批判されますよ。

サンシャイン:この先生の心の中に差別意識がないこと、ラベルをつけて一くくりにしないことが素晴らしいです。9.11後だったら、もっと違ったかたちになったのでは?

紙魚:私は、9.11前でも9.11後でも、書く内容には多少の影響が出たかもしれませんが、目の前のあまりにも苛酷な状況に必死で、なかなか視野を広げられなかった高校生たちの目がどんどん開いていくということには、変わりはなかったように思います。

サンシャイン:それから、宗教的なことがいっさい出てこないところがおもしろかったですね。

ききょう:目が離せない本でした。いろんな思いをさせてもらいました。いろんなというのは、私自身が教師なので、学習指導・児童指導はもとより、様々な報告やら何やらで本当に現場はものすごいんですね。やればやるほど仕事がきます。ひとつは、この先生に対するうらやましさと、いったいどうやって時間をやりくりしていたんだろうということ。週末もアルバイトをやっていて、時間のやりくりが相当大変だったはずです。そういう点からも彼女の情熱を感じました。同時に彼女の周囲の非協力的な人やねたみが、非常に現実的に感じられました。残念ながら今の日本ではこうはできません。それが痛くもあり、いろんな思いをかきたてられました。とにかく、私が置かれている状況では、出る杭は打たれるんです。先生のクラスだけ違うことをやっていると言われる。「あの先生のクラスでいいなあ」と思われることがよくない。親も、「あの先生だったらやってくれるのに」と言ったりするので、こういうふうにやってみたくても絶対にできないんですね。私ももっと子どもたちにやってあげたいことがあるのに、様々な軋轢でできないでいるので、複雑な気持ちで読みました。私が初任で行った中学校は、家庭的な問題を抱えている子どもが多かったのですが、荒々しい言動の奥に、「ぼくを見て」「私を見て」という本音だったり甘えだったりがあったのを思い出しました。学校教育って、本当はこうしていかなければならないなと、教師という立場で読んでしまいました。
それから、日本にも、「書く」ことの力をつかって一歩踏み出していく教育が行われていたんですけど、今の国語の学習は「書く」より「話す」なんです。内容がないにもかかわらず、話すテクニックばかりを身につけていくんです。中身をどう掘りおこしていくのかということが大事なのだけど、それをこの先生はやっているなと思いました。また、授業の中で生徒たちによく本を読ませ、そこから様々な活動をスタートさせている点に感銘を受けました。今、日本で行われている子ども向けの読書推進というと、本の冊数だったり、時間だったりするんですね。本を読んだ先のことはあまり問われないんです。『アンネの日記』のようなスタンダードな本が可能性をもっているということを感じて、励まされました。「書く」ことって子どもには大事ですね。私は「日記へ」というのは、75ページのところで、「『アンネの日記』などが出てきますが、日記に向かって書くというスタンスなのだと解釈しました。日本の国語教育は、いろんなものを掘りおこしていく可能性があると思って、1冊紹介します。朝読が言われはじめたときに、国語の書かせる授業のなかで出していた「高校生新聞」というのがあるんですね。タイトルは、『私の目は死んでない!』(評論社)です。当時入手したときには、日本の作品のなかでは画期的でした。『フリーダム・ライターズ』とくらべると、ステーキとおすましくらいの違いはありますが。書くことは、自分の見方がかわっていくという、すばらしい行為なのだなと思いました。私にとっては、大切な本です。

げた:文学としてというより、記録として読みました。カリフォルニアって、こんなにすごい状況なんですね。確かにそういえば、ピストルの撃ち合いとかあったなと思い出しました。長男が高校生のときにホームステイしたんですが、ほとんど白人ばかりでこういう経験はありませんでした。感動した点が二つあります。まず一つは、この先生がすごいなと思いました。子どもたちをとんでもない現実から救い出すには、とにかく、経済的に自立させるために大学へ進学させることを目標にしで、それを本当に実現しちゃった。すごいですよね。ほとんどの子どもたちが、高校を卒業した家族がいないという状況で、ですよ。もう一つは、「寛容」という言葉です。偏狭な民族主義はいちばん嫌いなんですが、自分の考えにもぴったりきました。それからこの「フリーダムライターズ」の根源が、図書館のブックリストにとりあげている『ローザ』(ニッキ・ジョヴァンニ文 ブライアン・コリアー絵 さくまゆみこ訳 光村教育図書)からつながっているんだということについても気づきました。

うさこ:活字の力が、生きる力を呼び覚ます、といった内容でとてもよかったです。読み進むにつれ、夢とか希望とか明るい方向へ向かっていくことが読んでいて爽快でした。日記を通して、自分と向き合うことで自己回復していくさまがよく伝わってきます。日記を書くってなんだろう、と深く考えてしまいました。書いてる生徒一人一人、それぞれの状況や立場は違うのだけれど、一つ一つのエピソードがうまくつながって1冊の本として完成している。これはノンフィクションの強さだなと思いました。残念だったのは、日記一つ一つに番号がついているけれど、まるで囚人番号か何かのようで冷たい感じがしました。例えば、ニックネームでもペンネームでもいいので名前をつけてほしかったです。それと、日記の語り口調がどれも同じ。150人の感性や個性もあるので、個々の語り口にしてもよかったのかなとも思いましたが、本の形で読者に読ませるには、ある程度、平らにならさなければいけなかったのでしょうね。

紙魚:この本は、150人の日記を編んでいるので、読みながら、散漫なものをよりあわせて総括していく作業が必要ですよね。なかなか辛抱が必要だともいえるのですが、でも、これを先生の成功物語のようなフィクションにしてしまっては、この感動は得られなかったのではと思いました。言ってみれば、フィクションよりもずっと嘘みたいな話です。でも、日記という現実に書かれたものであるという重しが、これだけの説得力を持たせてくれました。それにしてもこの先生は、授業の設計が見事! 最近、「話す」力もそうですが、「読む」力というのもよく言われていますよね。でも、「書く」力の大切さってほとんど聞きません。自分が手紙を書いたりするときに、いやというほど実感するのに。私自身も「書く」ことを続けようと思いました。

みっけ:とてもおもしろかったです。彼我の差についても、実話とフィクションについても、本当にいろいろ考えさせられた本でした。それにしても、生徒たちの内面が実に見事に変わって、軽々とハードルを越えて育っていく様子は、ああこれが若さなんだろうな、とまぶしいくらいでした。そういう意味で、この本を読んだ人たちは、生徒たちと教師のがんばりや変化、そしてそこに加勢する人々の行為から、アメリカンドリームを再確認できるんじゃないでしょうか。そういう意味で、アメリカでは大いに歓迎される本だろうなと思いました。もちろん日本人にも、十分おもしろく読めるわけですが。実話に基づいているだけあって、最初のうちは、ちょっと散漫な感じで長いなあと思ったりするんですが、その散漫な感じや長いなあという感じがないと、後半のぐぐっと変化していくところ、高まっていくところが生きてこないんですね。この構成も、現実をかなりうまく表現していて、感心しました。みなさんがおっしゃるような活字の力もですが、わたしはそういう活字を手渡す人の力も感じました。この先生は、『ロミオとジュリエット』のことをチカーノとブラックのギャング団の話なんだ、みたいなことをいったりするわけで、そうやって文学と生徒とをつないでいく。本好きではない子の場合、こういう仲介者がいて初めて活字と向き合えることだってあるわけです。
この作品には、いい材料、つまりよい文学作品とうまくそれを手渡す人と、もうひとつ、教室マジックがあると思いました。1回こっきりの講演などとは違って、クラスというのは、同じメンバーがある程度定期的に同じ教師と向き合って、授業の内容(この場合は文学作品やものを書くこと)に向き合わざるを得ない装置です。こうやって同じ方向を向くという経験を繰り返していくなかで、作品の中で「家族みたい」と書かれている雰囲気が生まれ、それがまた文学との出逢いを深いものにしていっている気がします。それと、書くことの力という点については、この子たちがある程度書けるようになるまでも、かなりの時間や教師の働きかけが必要だったのでしょうが、とにかくそれぞれがそれなりに文章を書けるようになり、自分自身を出すようになってから、今度は互いの文章を編集させるんですね。この本では206ページで、編集がはじまった、という話が出てくるんだけれど、それぞれの書いたものを、同じ場を共有している子が読んで編集する、という作業が始まる。これは大きな変化だと思うんです。編集することによって、同じ教室にいる子の感じていることがわかってくる。つまり、203番教室に来るまでは、自分一人で孤立した部分を抱えていた子どもたちが、まず、アンネ・フランクをはじめとするさまざまな文学作品の中の人物に向かって、自分と同じ事で悩んでいる、苦しんでいる、喜んでいる、という形で開かれ、絆を感じ始める。それが今度は、同級生の文章を編集するという経験を通して、匿名とはいえ、もっと身近な人に向かって開かれて、絆を感じ始める。さらにここにきて、読む自分と書く自分がひとつになって、読むことや書くことの意味をさらに深く実感するようになる。実に周到に組み立てられた授業ですよね。本当に感心しました。ただ残念なことに、日本ではこういう実践は難しいだろうなと思いました。学校内の事情もあるし、社会風土も違うし。あと、みなさんもおっしゃっていたけれど、日本語の文でももうちょっと個々人の個性が出ていると、さらにわかりやすかったなあ、と思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年2月の記録)


そのぬくもりはきえない

岩瀬成子『そのぬくもりはきえない』
『そのぬくもりはきえない』
岩瀬成子/著
偕成社 
2007

オビ語録:みんなが持っているのにだれも書かなかったこんな気持ち/犬の散歩をひきうけて出入りするようになった家で出会った不思議な男の子。/なんだかちぐはぐなのに、どうしようもなく響きあう心と心。/子どもたちの現在を描き続けてきた児童文学作家による待望の長編。

メリーさん:『時の旅人』を最初に読んだので、それと比べるとこの本は描写がちょっとものたりないですが、日常ととなりあわせのファンタジーとしておもしろいと思います。この本の「売り」は、現代の女の子というところ。いい子というか、優等生というか。お母さんにはなんて言おうとか、友達はどう思うかなんて、まわりに気をつかってます。最後ではそんな目をふりきって水族館に冒険し、ちょっとだけ変わるのがいいですね。

ジーナ:ひきこまれました。あれこれ論じたくないほど好きでした。最後、真麻ちゃんが水族館に迎えにくるところや、朝夫くんの作文を見つけるのはどうかなと思わなくもなかったけれど、情景描写や波の心理描写がていねいでため息がでました。会話もとても自然で、どの人物も奥行きがあって。いつもお母さんが正しいと思ってしまい、自分の言葉をなくしていた波の気持ちが手にとるようにわかるし、波が自分のしたいことを言えるようになってきて、お母さんも変わっていくあたりもいい。子どもに希望や勇気を与える本だと思いました。

ウグイス:私も好きな作品でした。波の気持ちがよくわかるし、まわりの人物もよく描けている。特に女の子の世界をうまくとらえていると思います。お誕生会でかくれんぼをするシーンの、女の子同士の微妙な力関係にとても臨場感があっておもしろかった。中でも真麻は、とても魅力的な女の子です。波が反発しようと思ってもできないでいる事に、真麻は正面から立ち向かっています。他人に寄って立たない自立した子どもで、まぶしい力強さがありますね。この年頃の子どもの感覚をとてもうまくとらえています。大人たちも子どもの目を通して描かれているので、波のお母さん、お父さん、おばあさんに対する気持ちが、描写は少なくても、関係性がよくわかります。犬を飼っているおばあさんや、ヘルパーさんなども、人物像がよくわかる書き方がしてあります。『時の旅人』と同じように時間のファンタジーで、昔住んでいた人との交流を描いていますが、波の側から考えれば、本当に心を分かち合える友だちを求めていたために、古い家の昔のままの部屋に行って朝夫に出会うのはわかるけれど、朝夫の側から見ると、何で出てきたのでしょうね? そこがちょっとわかりませんでした。最後の手紙は、ちょっとやりすぎって気もしますが……。時間のファンタジーはつじつまを合わせるのが難しいけど、あとはそれほど大きな破綻もなくうまく描かれていると思います。

アカシア:『トムは真夜中の庭で』(フィリッパ・ピアス、岩波書店)を思い出しました。ピアスのオマージュとして書いたのかなって思ったくらい。朝夫くんなんて名前からして古くて、現代の子じゃない雰囲気がありますね。波と朝夫が会話を重ねていくうちに、心を通わせていく経過もとてもうまく書けています。トムは夢の中に入って行き、バーソロミューおばあさんのなかにも少女の部分があることを発見するわけですが、岩瀬さんのこの作品にはそれだけじゃなく、波がそこから力を得てまた歩き出すところも書かれています。手紙は、波が自分の気持ちを整理するうえで必要だったんじゃないかしら。おとなが読者だと、そこまで書かなくてもいいかもしれませんが、子どもが読者の場合は、あったほうがずっとメリハリがはっきりするんじゃないかな。朝夫の側からの波と出会う必然性ってことですけど、朝夫は学校でいじめられていて、そのせいで今は怪我しているわけですから、やっぱり心を分かち合える友だちを求めていたんじゃないでしょうか。岩瀬さんは、瞬間、瞬間をうまくとらえて描写していますね。

うさこ:とても不思議な余韻に包まれる作品だなっていうのが、読んだあとの感想です。読んでいる間、なんだかぼんやりとした霞の中にいるような気分になりました。ちょっと幻想的。でも、そこがいいんですね。なぜ波は朝夫くんと出会ったのか、なぜ水族館で別れたのか、などについては少々疑問も残るし、ファンタジーの入口、出口の規則性がないような気もしましたが、それを超えたところに、この人の作品世界があるんだなって思いました。あんまり分析するものではなくって、こういうのもありだなって、自分のなかに落ちました。今の子どもたちが読んでどう思うだろうと考えたとき、ファンタジーを受け入れる成熟した感性や土壌が要求される作品かもしれないなと思いました。波を中心とした人物との関係性がとってもうまく書かれていて、この点もうまいと思いました。最初に登場するカマキリのエピソードは、波の人物をあらわしているのかなっと思ったけど、その明確な答は物語のなかになかったような気がします。

サンシャイン:『トムは真夜中の庭で』をずっと考えながら読んでいました。2階の朝夫くんに会いにいく理由づけがちょっと弱いかなって思いましたが、波の成長のほうに重点があるのでしょう。トムのほうは、時計が13回鳴って異世界に入るよっていう境界線がきちんとありますよね。その点、それがあまりないのが、日本的なのかなとも思いました。

アカシア:『時の旅人』はイギリスの作品ですが、もっと境界線がないですよね。だから境界の有無をもって日本的かどうかは言えないのでは?

ウグイス:この家の2階は、息子が出ていった時のままになっていて、おばあさんは今は全く2階には行かず、そのままになっているわけですね。私もそういう家をいくつか見たことがあるけど、その部屋にはいると昔の情景がよみがえるような感じって、ありますよね。

クモッチ:最初のカマキリのエピソードで、私はちょっとひいちゃったんですね。主人公の波がカマキリの死骸を友だちの机に悪意なく入れる、というのが、低学年の子だったらわかるのですが、4年生だとするとちょっとずれる感じ。でも、朝夫くんと波との交流は、感動しました。「今」に対して消極的なところで二人は共通している。波は、お母さんの言われるままになって積極的に自分の未来を描けていない。朝夫くんも、いじめられて学校に絶望していて未来が見えない。そんな二人が(お互い未来、過去を行き来していることを何となくわかって)出会うことによって、波の方は、朝夫くんの今、ピアニストになっている今を知っているから、波自身の未来についても見えてくる、というか見ようとする。朝夫くんの方は、ハムラーと一緒に未来を見て、今は苦しいけれど、未来につながる確かな「時間」を感じて、生きよう、という気がおこってくる。282ページに「ドアをあけるとき目をつむって、外に出て目をあけたら、ぐるっと時間がまわって……」とあって、ハムラーにあてた手紙に、朝夫くんが水族館を見て生きようと思ったことがわかります。それで、朝夫くんの姿が消えたのですね。二人が、お互いの姿を見ることで、未来への希望を見いだしているというところが、すごくいいと思いました。時間をこえて二人が出会った意味があるな、と。

げた:波と朝夫くん出会った意味ってのが、よくわからなかったんです。波ちゃんってのはあまり元気のない子なんですよね。何か、はかなげで、いつも思い通りにはいかなくて。ちょっと、元気づけてあげたくなるような。そんな子が朝夫くんと出会う意味ってなんだろうなって。今、クモッチさんの話聞いて、なるほどって思いました。表紙の酒井さんの絵は個人的にいいと思ってます。

アカシア:私も岩瀬さんの雰囲気にぴったりでいいと思うし、好きなのですが、表紙に描かれた少女は主人公よりはずっと幼いですね。

サンシャイン:おばあちゃんが後半元気になりますよね。最初は、生きがいもなく捨てられたような老人かなと思いましたが、波との交流を通して血がだんだん通ってくる感じがあってよかったですね。

ウグイス:おばあさんと朝夫君の親子関係はどんなだったのか、過去に何があったのかわ、よくわからないですよね。

アカシア:波ばかりでなく、このおばあさんも朝夫くんの気配を感じたんですよね。それで、再び家族がいる感覚を思い出して、一緒に住むことを考え始めるのでは?

ウグイス:それから、犬もうまくつかっていますね。さりげなく色々なものを結びつける存在になっている。犬が出てくると何かほっとさせる役割もあって、うまいなと思いました。

うさこ:犬は、過去を振り返らず、「今」という時間だけを生きている存在ですね。

サンシャイン:ピアノの音がおばあちゃんにも聞こえている所がありますよね。息子は死んでしまっているけれどピアノの音は聞こえるという設定かと思いましたが、実際には朝夫君は生きている。もしかすると、作者はそういうありがちな話にしたくなかったのかもしれません。

小麦:数分間に1回事件がおこったり、不思議なことが次から次へとおこったりという、最近のつめこみ型、ストーリー先行型のファンタジーの逆を行く作品ですよね。導入がていねいに描かれていて、ファンタジーに入っていくまでがわりに長い。一見、ストーリーと関係ないように思える出来事とか、波の感情とかがゆっくりとしたテンポで丹念に書いてある。そのテンポに沿って読むことで、ぬるいお湯にゆっくり浸って、物語世界の体温を自分のものにしていくような心地よさがありました。波の世界にすっぽりくるみこまれるからこそ、不思議な出来事も自分に起こったことのように素直に入ってくる。「こういう読み方って大事だよなー、時間がたっぷりあった子どもの頃って、こんな風に読んでいたよなー」ということを思い出させてくれた作品でした。造本もこの本のムードにぴったりですね。色使いとか、見返しの色とか。ただ、ラストで朝夫くんが現実にいるってわかっても、波は会いに行かないんですよね。私が波だったら、きっと会いに行くんじゃないかな。好奇心を抑えきれないんじゃないかなぁ……。

アカシア:波は心の中に抱えていたものを乗り越えたわけだから、会わなくてもいい。会いにいかないっていう可能性もあると思うけどな。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年1月の記録)


時の旅人

アリソン・アトリー『時の旅人』
『時の旅人』
原題:A TRAVELLER IN TIME by Alison Utterley, 1939
アリソン・アトリー/著 松野正子/訳
岩波(少年文庫)
2000.11

版元語録:母方の農場にやってきたペネロピーは,ふとしたことから16世紀の荘園に迷い込み,そこで繰り広げられていた王位継承権にまつわる事件に巻きこまれる.時を往復する少女の冒険.

サンシャイン:描写が細かい作品を、久しぶりに読んだという感じ。最近のものはもっとスピーディーで、描写が丁寧だとなかなか読者がついていけない時代かもしれません。私もすらすらとは読めませんでした。せっかくの描写を丁寧に読まなくては、と思って心して読みました。昔に入りこんじゃう話ですが、作品としてはピアスより先なんですね。でも、こちらのほうは、過去の世界と今の世界が混在していて、その境目がはっきりしないです。そういう作品もあるんだなと感じました。時代考証などきちんとしてあるんでしょうが、詳細は我々にはわからない所があります。

アカシア:情景描写や、当時の人たちの暮らしぶりがとても細かく書いてあります。昔の人は、プロットの展開が早い物語より、こういうじっくり描写してある作品の方がおもしろかったんだとおもいます。ただしこの作品には、内面的な描写はあまりないんですね。メアリー・スチュアートは、まあ日本で言ったら義経みたいなもので、向こうの子どもは悲劇の主人公としてだれでも知ってるんでしょうけど、日本の子どもにはそれだけのイメージはありません。なので、イギリスの歴史に興味を持っているおとなには楽しめる作品だと思いますが、日本の今の子どもたちには難しいでしょうね。もちろん中にはこういうのが好きな子もいるとは思いますが。それから、アンソニーが自分の命がかかっているような秘密を、よくは知らないペネロピーに話すわけですが、そこはリアリティに欠けるんじゃないでしょうか?

ウグイス:ざっと読んでしまうのはもったいない、一字一句、味わいたい本ですね。懇切丁寧な情景描写をじっくり読むことによって作品世界をありありと思い描くことができる本。でも今の子どもたちが手にする本の中には、ここまで細かいのはなかなかないので、読み進むのはむずかしいのではないかと思います。この文庫には小学校の高学年くらいから読める作品が入っていますが、映画やテレビなどでこの時代のことを観たことがないと、映像的に思い描くのは難しいのでは? イギリスのマナーハウスや古い家に行った時に、時代を遡るような不思議な感覚にとらわれることがあるけど、『そのぬくもりはきえない』のように日本家屋が舞台の場合と違って、ああわかるわかる、という感じにはならないでしょう。あと、この作品でよかったのは、農家の人たちの地に足をつけた暮らしぶりがしっかり描かれていること。国も時代も違うけど確かに生きているという感じがして、この存在が作品に厚みを与えていますね。

クモッチ:確かに、ボリューム満点という感じですね。最初、ピアスよりもこちらの方が後に書かれたのかな?と思って見てみたら、ピアスよりずっと先だったんですね。ということは、ピアスが影響受けたりしてるんだろうな、と襟を正してしまいました。おもしろかったのですが、この作品で過去に行く意味は、今使っている物が昔も使われていることから、時間が続いているのを再認識するということなのでしょうか。主人公のペネロピーは、歴史を変えられないということを背負っているために、過去に行っても主体的に何かをするという訳ではなく、その時代を見る目としかなりません。そのうち、未来に対する自分の記憶も曖昧になってしまったりして。その辺がもどかしくもありました。

ジーナ:岩瀬さんの本の次に読み始めたんですけど、途中で進まなくなって、あわてて高楼さんのを先に読みました。そんなわけで、この作品は途中までしか読めませんでした。それにしても、このシリーズの字の小さいこと! 今どきの大人の文庫より小さいですよね。前に読んだのは、評論社版だったのですが、あのときは一気に読んだおぼえがあるんです。なぜだろう? 前は、ぺネロピーが最後どうなってしまうのか知りたくて読み進んだのだと思いますが、今回読んで、こんなに細部の描写が細かかったかとびっくりしました。ひょっとして、評論社版の訳はどこか短かくしていたのかしら?

アカシア:松野さんの訳はとてもていねいでいいのですが、ですます調なので、余計長く感じるのかもしれませんね。

ジーナ:昔のことを語るような口調ですよね。非常に読者を選ぶ本だと思いました。はまる子ははまると思いますが、男の子は入りにくいのでは?

メリーさん:ぼくは男ですが、実は手に取ったのは初めてだったのに、とてもおもしろく読みました。みなさんが言うように、現代の子どもが読むのは大変だと思いますけど、好きな子は逆にのめりこむと思います。圧倒的な描写の力。台所や食べ物の描写、ハーブについてのくだりとか。まさに匂いがしてきそう。タイトルがSFみたいなので、どんな装置でタイムスリップするのかと思ったのだが、ぼくたちが名所旧跡に行って過去に思いをはせるときに、風景がパーッと変わっていくような、そんな感覚に似ていました。そういう心の動きがファンタジーの入口になっている、というのがおもしろい。ロケットを見つけるところも、過去の人物との関係を大切にする主人公のけなげな感じがとてもよかった。

げた:ごめんなさい。指定の本じゃなくって、評論社の小野章訳を読んできました。児童室の棚にあるんですけど、読み直してみて、これは小学生ではむずかしいなと感ました。書かれたのが、70年近く前ですから、そこからまたさらに過去へとワープしなくちゃいけない。現代の読者には、二重に想像力が必要となるんですよね。そこが難しいと思いましたね。それに、イギリスやヨーロッパの歴史についての基礎知識がないと、読み進むのは大変かな。

ジーナ:ヨーロッパは石の文化なので、昔の建物が今も使われていることが多いですよね。普段そういうものを目にして、今の生活ととなりあわせに歴史を見ている西洋人と、古いものがほとんどないような日常を生きている日本人とは、歴史との距離感が違うのかもしれないですね。

ウグイス:今の日本では、文化財指定になるようなものは別として、日常的に何百年も前の家を目にすることはないでしょう。イギリスでは普通の人が家探しをする場合でも、古いものほど良いというのがあるけど、今の日本ではみな新しいものを求める。そういう意味で違う価値観なのでは。

アカシア:日本は地震があるものね。『トムは真夜中の庭で』の舞台になってる家も古い家だし、ルーシー・ボストンの「グリーンノウ」シリーズの舞台は12世紀の初めからある家で、そこに実際に今でも人が住んでるんですからね。

小麦:余裕のない読み方をしたせいか、私は入り込めなくて残念でした。物語が最初から破滅に向かっていて、主人公も何かを変えられるわけではない。あらかじめ結果のわかっている物語を追うっていう構造がだめだったのかもしれません。アトリーならではの緻密な描写は素晴らしかったんですが。でも、『そのぬくもりはきえない』では物語世界を立ち上げるのに、ディティールやエピソードが丁寧に描きこまれているような感じたけど、これはそう思えなかった。ディティールの書き込みの比重が、ストーリーの展開よりもはるかに勝っていて、それぞれがうまく絡みあわずに別個のものとして乖離しているような印象がありました。いいなと思ったのは、かなりの数の単語を文中で説明するんじゃなくて、注釈処理にしているところ。例えば「ポセット」という言葉ひとつとっても、そのまま残すことで、音の響きも含めて想像力が刺激されるし、物語の雰囲気も高まる。子どもがすらすら読めるようになんでもかみくだいて説明しちゃうのって、必ずしもいいことではないんですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年1月の記録)


緑の模様画

高楼方子『緑の模様画』
『緑の模様画』
高楼方子/著
福音館書店
2007

版元語録:海の見える坂の街で、多感な三人の女の子が過ごすきらきらとして濃密な時間。早春から初夏へ、緑の濃淡が心模様を映し出す。『小公女』への思いが開く心の窓、時間の扉……。

クモッチ:3人の女の子が出会って成長(?)する話。思い返すと、この時期というのは、自分がいいなと思う物について「そうだよね」って答えてくれる存在や、素敵だなと思う部分を持つ存在を、親などから離れたところで発見していく時期なんですね。そして、未完成な部分もたくさんあって、不用意なことを言って友だちを傷つけてしまうこともあったり、自分が傷ついたり……。それが、その後の人生でも大切な財産になるのでしょう。作者は、そういう「友情」が好きなんだろうな。中、高学年向けのこの作者の作品を読むと、それを感じます。独特な世界を持っていますよね。ただ、この作品では、「透さん」というのがわからなくて、どうして3人のところに現れ、助けることまでできたのか。『小公女』を妹たちに楽しく教えた時代に戻りたかった? それだけだと説得力に欠けるし、ちょっと気持ちが悪い。そこに違和感がありました。あ、あと、この作品は、章ごとに視点がかわるんですよね。1章がまゆ子、2章がアミ、3章が透さん、4章がテト。それを不自然にならずに書いているのがすごいと思いました。もう少しこの効果があらわれても良かった気がしますが。

アカシア:私は『小公女』という作品も好きじゃないし、いわば少女っぽいフリルのついた憧れっていうか、乙女チックな世界が個人的に嫌いなんです。だからなのか、素直に入り込めなくて、やっぱり高楼さんは小さい子向けに書いた作品のほうがずっと楽しいな、って思ってしまいました。テトとアミとまゆ子という3人の少女の個性もあまりくっきりしていないし。若さの時間にいる人と、老いの時間にいる人が出会うという設定はおもしろかったんですけど。

うさこ:高楼さんの作品はどれも好ましく読んで、わりとファンなので、これも楽しく読みました。少女向け小説、少女文学として無理なくほどよく清潔に書かれたものだなって思いました。少女から少しずつ大人へと成長していくみずみずしい感覚と、ちょっとあやうい、もろい面を持ちあわせる少女たち。謎の青年に出会うときのファンタジーのスイッチのオンオフがはっきりしていたので、3人いっしょだからまた不思議なことがおこるかも、と期待感をもって読めました。大人の描き方っていうのも、わりにすてきかな。ミズネズとかまゆ子のお母さんとかも、完成された大人じゃないけれど、すてきな人物として登場する。森さんもそう。アミの両親の奈良のシカのエピソードなんか、すごくおもしろくて、このあたり、高楼さんのユーモアが出ています。透さんの3章は、ちょっと「ええっ」てひいちゃっいました。75,6歳のおじいさんにしては、少々メルヘンチックかな。透さんが純日本人じゃなくてハーフだとしたらもっと納得できるかもしれません。この作家の感性のみずみずしさは、情景描写の描き方や、人物の様子を書き表すのが説明的でなく上手で、すっと読み手に伝わって入ってくる。自然のうつりかわりの描写もよくて、好きでした。

サンシャイン:私もおもしろく読みはじめました。謎があるのかなと思わせながら、同一人物のような違うような青年が出てきます。女の子たちの心の働きはよく書けていると思います。ミステリアスなちょっとすてきな青年が現れて、女の子たちが本当は惹かれているんだけど、好意を示してはいけないと思ってわざと無視するっていうのはよく書けていると思います。私も第3章に入って白けてしまいました。説明しすぎという印象。老人の人生をたどろうとしている所は計算が先に立っていて、あまりいただけません。

げた:3人の会話や関係がとても新鮮でした。少女趣味ということになるのかもしれないけど、男同士にはないものなので、こんな世界もあるのかと興味深く読みました。『小公女』がキーワードですが、中身は、あまり関係ないですよね。『小公女』を読んだ頃のことが忘れられないおじいさんが、たまたま同じバスに乗り合わせた少女たちの会話の中の『小公女』ということばに引き込まれたことから、このファンタジーが始まるわけなんですよね。『時計坂の家』(リブリオ出版)は、おばあちゃんの過去の謎にせまるような話だったと思いますが、身近な人の謎解きのようなファンタジーもいいかな、と思いました。

小麦:高楼さんの作品ってすごく好きなのですが、色々な引き出しがある中で惹かれるのは、やっぱりユーモア路線。今回の乙女路線は、少女期の渦中にいる時に読んだらきっと夢中になったんだろうなあ……という感じ。大人になってしまった今では、その甘さが鼻についたりもするんだけど、この「きれいなものは、きれい」というきっぱり自己完結した、ある意味閉ざされた世界観というのはわかる気もします。自分たちだけの世界にすっぽり包まれて幸せ、というような。でも、大人の私が読むと物足りなかったです。ちょうどこの本を読んだ後で、『対岸の彼女』(角田光代著 文芸春秋)を読んだんですけど、あの作品では、二人の少女が自己完結した世界のなかで仲良くなって、暴走して、家出して、事件をおこす。それから時を経て、主人公が現実を生きている今が描かれています。主人公が経営する小さな会社では、社員がクーデターをおこしてやめちゃったりして、結構ハードな現実なんだけど、学生時代の濃密な時間や思い出が、一歩踏み出す強さを与えてくれている。そこがすごくいいなと思ったんです。でも、『緑の模様画』は、甘く心地いい空間が描かれているだけで、そこから踏み出す強さや現実が描かれていない。そこが物足りなく感じてしまったんだろうなぁと思います。

うさこ:この丘の上学園という限られた守られた特別な世界。

アカシア:現代の吉屋信子って感じ。

クモッチ:でも、ここまで幅広く書けて、絵も描ける力のある人は、ほかに見当たらないと思いますよね。

メリーさん:設定は、少女小説や少女マンガにとても近いですね。乙女的、閉じた空間というところはありますが、時間と空間の描写はおもしろい。過去と未来を行き来する感じが、とても軽やか。『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著 中央公論社)ではないですが、人間は時間に束縛されているのではなく、自らが時間を作り出していく。時間は自分が決めるものなのだと、この作品を読みながらつくづく思いました。

ジーナ:少女趣味なところは、私も好きではないのだけれど、作品全体としては、とてもいいと思いました。立ちあがってくるイメージがおもしろく、場面が目に浮かんできます。たとえば、47ページ「かかとに体重をのせ、ふんふん、とはずむように歩く、しっとりとした夕暮れの道は……」のような表現は独特ですよね。ほかにもあちこちこういう表現が出てきて、うっとりしました。私も、この本の一つのテーマは友情だと思うんです。まゆ子、お母さん、森さんという、3世代の友情があり、さらに大人の友情の中に、ずっと離れていても、あったときに通じ合える関係を描くことで、まゆ子たちの友情にも希望を感じさせてくれていると思いました。また、まゆ子が小学校のとき学校に行けなくなるけれど、中学になってなんとなくその危機を乗り越えるというところ。私はここで、大人の善悪を押しつけない、「べき」だとか「こうじゃなくちゃ」という規範的な目がない書き方が、とてもいいと思いました。なんでも答えを出して、白黒つけなくても生きていけると思わせる書き方です。視点をずらせるのもうまいんですね。目の前に見えることだけじゃなくて、不思議なことがひそんでいるとか。こういう、リアルなものにひねりを加えたおもしろさは、高楼さんのほかの作品にも共通していると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年1月の記録)


ひげねずみくんへ

アン・ホワイトヘッド・ナグダ『ひげねずみくんへ』
『ひげねずみくんへ』
原題:DEAR WHISKERS by Ann Whitehead Nagda、2000
アン・ホワイトヘッド・ナグダ/著 高畠リサ/訳 井川ゆり子/絵
福音館書店
2005.06

版元語録:小学4年生のジェニーのクラスでは、授業でねずみになったつもりで2年生のクラスに手紙を書きます。ジェニーはこんなのばかげてる、と思ってちっとも乗り気じゃなかったのですが、返ってきたのはふしぎな手紙でした。ジェニーのペンパルには何か秘密がありそうです。言葉の通じない転校生との交流をあたたかく、そしてユーモラスに描いた傑作。

みっけ:ネットには、けっこうおもしろいと出ていたのですが、私は今ひとつピンときませんでした。後の方で、主人公の女の子がクッキーをつかって年下のクラスの子たちをひきつけていくところから関係がほぐれてくるのは、なるほどなと思いましたが、今ひとつこちらに迫ってこなかった。

ネズ:上級生と下級生が手紙を交換して、それによって国語の勉強をするというアイディアはおもしろいと思いました。主人公の4年生が手紙を出す相手がサウジアラビアからの移民という設定ですけど、上級生が一方的に下級生を指導するのではなく、後半になってサウジアラビアのことも学んでいくという姿勢も出てきたので、良かったと思いました。「移民の子」が、最近は日本でもめずらしくなくなり、小学校でも昔と違った問題が出てきたり、いろいろな取り組みをする学校が増えてきたんでしょうね。それがこの本を出版した動機でしょうか。
ただ、設定が非常にわかりにくく、最初の部分を何度も読みなおしました。4年生の子がネズミになって2年生の子に手紙を書き、2年生の子がそのネズミ宛に返事を出すんだけれど、4年生の子の名前、ネズミの名前、2年生の子の名前、さらに4年生の子の友だちが考えたネズミの名前、その手紙を受けとった2年生の子の名前……と、いろんな名前がごちゃごちゃになって、わけがわからなくなる。こういう作品の場合、原文になくても最初に設定がわかるように書いておくべきだと思いました。それから、とかくこういうテーマのものにありがちだけれど、移民の子の祖国について触れていても、アメリカと対等の国という意識というか、敬意が感じられない。どうしても、アメリカより劣った国から来た、かわいそうな子に親切にしてあげるという、保護者的な意識が鼻についてしまって……。
それから、翻訳がこなれていなくて、本にする前の段階という感じ。英語と日本語はまったく違った言語だから、国語としての英語の授業をそのまま日本語にしても、読者は混乱してしまうのでは? 手紙の書き方だって違うし。21ページのように、「スミアは虫のしみだから……」なんて言葉がポンと出てくるし、ラットとマウスが出てくるけれど、その違いを説明してもいない。「ペンパル」なんて言葉もいきなり出てくるし。いちばん違和感があったのが、挿絵。なんで絵のなかに英語が書いてあるのかしら? 最初は、原書の絵をそのまま使ったと思っていたけど。訳者の問題というより、編集者の問題かも……。

アカシア:最初の導入がもたもたしていて魅力的じゃないし、設定もわかりにくかったですね。小さい子どもの本って、最初でかなりひきつけないと読んでもらえないのに。19ページには「わたしの生徒は〜」と唐突に出てきますが、この子は教えているのかなと誤解してしまいました。「わたしの文通相手は」くらいにしないと、手紙を出した相手の2年生のことをさしているとは、すぐにわかりません。物語が自然に生まれたというより、わざと作っているという感じもあります。主人公は文通相手がスペリングも不十分だし文章も書けないという裏に事情があると察していいはずなのに、30ページに「サミーラにきらわれてしまった。〜」という表現が出てくるのも不自然。人物像にも厚みがなくて、スーザンといういかにも嫌みな優等生が出てくるのはステレオタイプ。日本でどうしてこの本を出すのかが、わかりませんでした。後半、ジェニーが工夫をしてコミュニケーションをとろうとする部分はいいと思いましたが、前半はいただけない。全体として不完全な本を読まされている感じがぬぐえませんでrした。

サンシャイン:こういう作品は、あんまり日本語に訳す意味がないかもしれません。ニューカマーズが苦労してアメリカの偉大な文化に包まれて英語ができるようになるという、アメリカ礼賛の物語。うちの子も、ESLにお世話になったので、そういうこともあったねとは読めるけど、日本の子どもが読んでもあまりピンとこないでしょう。アメリカで子どもを育てている日本人が対象の本でしょうか。翻訳者もそういった経験があるのかもしれません。37ページにカギ括弧がぬけているところがありましたね。福音館の本ですが。

ネズ:アメリカと日本では、読まれ方がまったく違うでしょうね。

げた:そうか……。確かに、出だしがわかりにくかったんですね。ただ、今回読んでみて、読後感としては、幸せそうな子どもたちや周りのあたたかい大人たち。それぞれ穏やかでやさしいお友達の顔がうかんできてよかったなと思いました。だから、以前図書館の選書で目を通した時より、案外いいかなと思ったんですね。2年生と4年生の文通による国語教育というのもおもしろいと思うし。子どもたちが、自分たちにもこういう機会があったらいいかなと思えるかもしれない。でも、今、皆さんのお話をきいて、確かに問題があるかもしれないと思ったところです。

mari777:予想通りの展開だけれど、私はわりとおもしろく読みました。小学校国語の「書くこと」の分野で、目的をもって書くということが重視されているということもあって、「なりきり作文」って、日本でも最近はよく行われている学習活動なんです。高学年の子どもと低学年の子どもが文通するという活動も、最近の日本の国語教育では、わりとありがち。あまり新味は感じません。この年ごろの子でもによくある、ちょっと背のびしたいような気分や、学校の課題に対してちょっとひいちゃうような、しらけた気分は、よく書けていたと思います。ただ、ラストはありきたり。教訓的な感じで残念。

ジーナ:私も、中途半端な感じを持ちました。さっきもどなたかおっしゃったけれど、日本でも日本語がぜんぜんわからない外国の子どもが入ってくるという状況はよくあるから、テーマはよいと思ったんですけど、学校のようすが日本とすごく違うでしょ? 下級生と文通はあるかなと思ったけれど、手紙が来なかったときに、教室に行ったり、クッキーを持ってきていきなり食べちゃったり。日本の子は、いいなあと思って読むのか、違和感を持つのか、わかりませんでした。あと、絵ですけど、サウジアラビアの子どもに見えないと思いました。私が知っているアフガニスタンやモロッコ出身のイスラム教徒の家の女の子は、ズボンをはいて、肌をむきだしにしないようにしているので。

ネズ:難しいですよね、小さな子どもの本は。文化や、教育のしかたや、様々な面でギャップが大きいから、訳すときにどれくらいつけたしたらいいか、いつも考えなくては。この本の場合、「文」、「文章」「行」が混在していたり、罫線という意味で「行」と書いているのかなと思ったり……。大きく意味がわかればいいという考えなのかもしれないけれど、ちょっと大雑把だなと思います。

ジーナ:「形容詞は助ける言葉」というのも、わかりにくい。編集の人が、注意しそうなものですけど。

ネズ:71ページで、先生が『スチュアート・リトル』のことを、「これは、ファンタジーです」って生徒に説明しているけれど、読者にわかるのかしら? ねずみレターのことをファンタジーと言ってるんだと思うかもしれない。それに、この本は翻訳が出ているんですから、邦題を書いておいたほうが親切です。

ジーナ:まあ、わからないところは、わからないなりに、子どもは読んじゃうんでしょうけれどね。

ネズ:43ページの「今朝はサミーラがはっぱの〜」って文章なんて、読点がまったくないのよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年12月の記録)


マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!

ジャンニ・ロダーリ『マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!』
『マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!』
原題:STORIE DI MARCO E MIRKO by Gianni Rodari
ジャンニ・ロダーリ/著 関口英子/訳 片岡樹里/絵
くもん出版
2006.07

版元語録:マルコとミルコはふたごの兄弟です。でも、ただのふたごではありません。お父さんやお母さんも手を焼く“最強無敵”のふたごなのです。このふたりにかかっては、強盗もお化けもたじたじ。でも、そんなふたりにも、ひとつだけ弱点が……。国際アンデルセン賞作家ジャンニ・ロダーリが、世界の子どもたちに贈る、とびっきりゆかいな7つの物語。

サンシャイン:ロダーリは、『猫とともに去りぬ』に続いて2冊目。おもしろく読めました。とんかちを使って、世の中をぶっこわし、うまくおさめちゃうというのは、子どもたちはおもしろく読むんだろうな。笑えるからいいんじゃないかなという感じです。

げた:私はね、小さい子どもが金槌ふりまわしているというのに抵抗があったので、初めからおもしろいという気持ちになれなかったんですよ。7つのお話もとりわけ奇抜なお話というわけでもなかったしね。訳者あとがきに、音のおもしろさについても書かれているけれど、「マル」の響きについても、日本語だとそこまで感じられない。赤ずきんちゃんの話をこわがるというのがオチなのだけれど、今ひとつ、そのおもしろさも感じられない。挿絵も平面的な感じで、好きじゃないな。

mari777:私もです。世界に入れませんでした。『猫とともに〜』も読んで、表題作はおもしろかったんだけど、それ以外は合わなかった。この作品もそうなんですけど、登場人物に葛藤がないんですよね。楽しいのかもしれないけど、悩んだりしない。訳は読みやすくてうまいなと思いました。

ジーナ:私は楽しめました。荒唐無稽で、ありえない展開の話だというのが最初から見えるので、フィクションとして、今回はどんなやつをやっつけるのだろうと、楽しんで読めました。金槌をふりまわすのと、それがブーメランみたいに戻ってくるというのがばかばかしいのだけれど、こういう本もあっていいかなと思います。ユーモアってすごく難しくて、笑うところが国によってだいぶ違いますよね。現地で楽しく読まれていても、日本に持ってくると、ちっともおもしろくないということがよくある。これは、イタリアの子のほうがもっと楽しめるのだろうけれど、日本でも通じると思いました。一つ気づいたのは、人の名前がたくさん出てきますよね。イタリア人の名前は、日本の子には聞きなれず、おぼえにくいものもあるので、ひびきのおもしろさもあるのだろうけれど、チョイ役の登場人物については少し削ったほうが、日本の子どもに読みやすかったかなと思います。

みっけ:そうなんですよね。ブーメラン金槌っていうのは、かなりきついですが、割合さくさく読めました。影とか襞とか、そいういうのではなくて、荒唐無稽な展開を楽しむというお話ですよね。第3話の、双子が赤ちゃんのお守りをしているうちに、赤ちゃんを喜ばそうと食器を割りはじめるんだけれど、その行動も実はお母さんには読まれていた、という展開なんか、かなり気に入りました。荒唐無稽な部分と、親にちゃんと見ていてもらっているという子どもの安心感と、両方があって、子どもは楽しめるんじゃないかな。あと第7話の、謎の潜水艦が実は自分には釣れもしない魚を手に入れるために金持ちが雇ったものだったという荒唐無稽さも、第1話の、強盗が双子の策略にまんまと乗せられてみんなの嫌っていた品々を持たされるあたりも、なんというかほんわりしてて、ばかばかしくていいですね。この人は『チポリーノの冒険』でもそうだけれど、からっとした感じがしますね。

mari777:ロダーリの作品は、短編集『猫とともに去りぬ』が同じ訳者で光文社の古典新訳文庫に入っています。あと、もう絶版かもしれませんが、図書館で『ロダーリのゆかいなお話』という5巻本を見ました。タイトルどおり、荒唐無稽な「ゆかいなお話」満載の短編集です。

ネズ:すらすらおもしろく読みました。落語を読んでいるみたいで。翻訳もなんとか日本語でも言葉遊びの面白さを伝えようと訳者が努力しているのが伝わってきました。おなかをかかえて笑ったかというと、そこまではいかなかったけれど。私もげたさんとおなじで、子どもが金槌を持っているというのが気になって……。イタリアの人が読むと、金槌になにか意味があるのかな? 最後の「かなづち坊やたち」というお母さんの台詞がけっこう好きなので、タイトルも「かなづちぼうや」とかにしたら、「アンパンマン」みたいにキャラクターの設定ができて、金槌も気にならなかったのかも。イラストも、本文にぴったりあっていて好きです。

アカシア:私もイラストはこれでいいと思いました。上のほうはパラパラ漫画になってるのよ。これは、いろんなところから集めてきた短編なのよね。

ネズ:そうか! だから統一がとれてないような気がするのね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年12月の記録)


あぶくアキラのあわの旅

いとうひろし『あぶくアキラのあわの旅』
『あぶくアキラのあわの旅』
いとうひろし/著
理論社
2005.03

版元語録:おふろで変な石けんを使ったせいで、あぶくのかたまりになってしまったアキラ。お湯と一緒に下水に流され、ドブネズミたちの住みかへ─。「おさるシリーズ」などの絵どうわや『くもくん』『ルラルさん』シリーズなどの絵本で定評のある作家の初長編。冒険ものがたり。

小麦:出だしの、体があわになってしまうところが強烈で、これは期待できるぞ!と思ったんだけど、そうでもなくて・・・。あぶく人間に関するディテールはすごくよくできていて、ひきこまれるんですよね。あわがはぜる時にパチパチ痛いとか、腕がとれる瞬間はすごく痛いんだけど、何事もなかったかのようにくっつくとか。でも、そんなあぶく人間の魅力に比べると、ストーリーの方は割とオーソドックスな冒険物語で、長い割にはちょっと物足りなかったです。アキラもあぶく人間なだけに割と受け身の主人公で、いまひとつ盛り上がれませんでした。

サンシャイン:話が散漫だという印象です。無理やりこのページ数にのばしたのかな。あまり楽しめなかった。下水に入っていくのは汚いと思ってしまったし。お話はいとうひろしさんの絵本と似たようなタッチですね。ドラドンを退治する所も、ちょっと無理があるような気がしました。

アカシア:個人的には、いとうさんの作品は、短いものの方が好きです。短いからこそおもしろい、という要素をもっている作家さんだと思っています。ユーモアは感じますけど、こういう作品はそれだけでは終えられない。地の部分や、サスペンスが立脚しているところがユーモアなので、どうもアンバランスで、しまらない感じがしてしまいました。254ページ、「そちらからははらへらしが〜」という箇所、「せっけんのうで」ではなく「あぶくのうで」では?

みっけ:クスクス笑えるおもしろいところがいっぱいあるんだけれど、冒険物語としてクライマックスに向かって盛りあがっていくという感じに今ひとつ欠ける感じがして。気に入った箇所は結構いろいろあったんだけれど、今のアカシアさんの話には、納得です。キャラクターとしてはモグラの「おおぶろしき」がかなり気に入りました。それに、本物の竜が実は気が弱かったり、ガマガエルのおばあさんが取り戻したがっていたお宝が、「あおがえるの皮で作った雨合羽」だというあたりも、なんとも脱力感があって、楽しかったです。

ジーナ:どうなるかと思って読み始めたんですけど、途中で失速してしまいました。ドラドンはもうどうでもいいやという気になってしまって。でも、うまいなと思ったのが、それぞれの登場人物の語り口。どの人物も、それらしい口調をつくりあげてあるのはさすが。こういうのは、日本の創作でなければなかなか出てこないおもしろさですね。あぶくアキラについていく気になれなかったのが残念です。

小麦:アキラって、わりと他力本願なんですよね。

ジーナ:三人称で書かれているのに、アキラの声を聞いているみたいに、アキラの細かな感情の動きが伝わってくるのも、うまいなと思いました。でも、全体となると、ストーリーの引っ張り方いまひとつなのかな。

mari777:私はおもしろく読みました。宝探し、鬼探しという古典的な設定と、現代的なキャラクターがうまくブレンドされていてよかった。アキラがヒーロータイプではなくて「だめ」なところも現代的ですよね。「はらへらし」なども、ひと癖ふた癖あって、必ずしも「善玉」ではないのに、最後には好きになってしまいました。男キャラがなさけなく、女キャラがおばあさんというのは、よくあるパターンなのかな、と思いました。

げた:私も楽しく読みました。姿をかえられて元に戻ろうと旅をする物語。その道連れのもぐらとふくろうというキャラクターがまたユニーク。それぞれ、一物腹にあって、まっすぐではないけれど、義理人情的に描かれていますよね。もしかして、すごく古い話なのかな。だから古い私には、おもしろかったのかもしれません。図書館で、2年前、「おすすめの本」にしたのだけれど、残念ながら期待したほど借りられていません。今回貸し出し回数を見て、がっかりしました。内容だけじゃなくて、アキラっていうネーミングも古い感じだからなあ。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年12月の記録)


ぼく、カギをのんじゃった!

ジャック・ギャントス『ぼく、カギをのんじゃった!』
『ぼく、カギをのんじゃった!』 もう、ジョーイったら!1

原題:JOEY PIGZA SWALLOWED THE KEY by Jack Gantos, 1998
ジャック・ギャントス/著 前沢秋枝/訳
徳間書店
2007.08

版元語録:ジョーイは小学4年生の男の子。いつも考えるより先に行動をしてしまい、騒ぎをおこします。悪気はないのに…個性豊かな少年の内面を描く。

ネズ:この本は、出版されてすぐに原書で読みました。内容はおもしろいし、作者の意気込みも感じられていいなと思いましたけど、2つほど問題があると思ったのを覚えています。ひとつは、ADHDの子どもを薬で治療しているという点。文中では、ADHDという言葉を意識的に出さないようにしていますが、後書きにもあるように、この子は明らかにそうですよね。ちょうど同じころ、ADHDの子どもがいるクラスを持っている、小学校教師の話を聞く機会があったのですが、日本では(当時はということですけど)、医療に頼らずに、ありのままに育てたいという親が多くて、学校側が病院に行くことをすすめても、かえって反発されるということでした。治療の内容や、程度の問題もあると思うけれど、日本とアメリカとの医療に対する考え方の違いもあるし、もし日本で翻訳出版ということになると、どうやってクリアしていくか難しいなと思った記憶があります。第2巻では、薬がさらに重要なファクターになってくるし……。それと、主人公のおばちゃんやお父さんも、非常にハイになりやすい性格に描かれているし、お母さんもエキセントリックなところがある。だから、ADHDが遺伝するものだとか、環境によるものだとか、単純に思われてしまうのでは……という危惧も感じました。障碍や病気を扱った本って、とても難しいから、皮肉でもなんでもなく、徳間書店は勇気があるなと思いました。
でも、女の子の鼻先を切ってしまう場面は、ちょっとね。どぎつい印象を与えるし、この女の子にとっては大変なことなのに、さらっとしすぎていない?

みっけ:ADHDの原因については遺伝という説とか、いろいろと説があるみたいだけれど……。『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン/著 小尾芙佐/訳 早川書房)はアスペルガー症候群の男の子が主人公の一人称だし、E.R.フランクの短編集『天国にいちばん近い場所』の中にもADHDの男の子が主人公で一人称で書かれた話が出てくるんですが、この本を読んでいて一番気になったのは、主人公が3年生でしかも一人称でここまで説明できるだろうか、という点でした。ほかの2作品では、そのあたりにあまり違和感がなかったのですが……。ふーん、なるほどなあと思いながら読み進みはしたものの、そこはひっかかりましたね。最後に作者があとがきに書いているように、まわりにこういう子たちがいるにも関わらず、そういう子たちの物語がなかったというのはなるほどなあと思うのだけれど、私のなかで今ひとつ納得できませんでした。この子自身はいい子なんですけれどね。

紙魚:ADHDはこういう子だという書き方ではなく、こんな子どもがいるという個人の個性からアプローチしている書いているのはいいと思いました。とくに、本文中にADHDという言葉は1回も出てこないのですよね。やはりこういう言葉は強いので、ADHDという言葉が1度出てしまうと、ADHDを読むというようになってしまうのですが、そう陥らずに最後まで読めました。ただ訳者は、あとがきで「ADHDという障害」という言葉をつかっています。こういうところの表現は難しいですね。実際に子どもたちはどう読むのかなと気になりました。それから、全体として散漫な感じがしたのですが、それが、この子の性質・性格によるものなのか、物語が散漫なのかは、わかりません。

げた:私は、ADHDという病気自体をよく知らないんですけどね。主人公の男の子の特異な行動は、先天的なものだけでなく、環境という後天的な影響があったわけですよね。かなりひどいことをおばちゃんにされていたんだから、そういうことが資質を高めたかもしれないとは考えられませんか?

みっけ:ADHDも自閉症も、脳の一部の問題とされていますよね。お母さんが妊娠中に麻薬をすると、率が高まるとアメリカでは言われています。

サンシャイン:お酒を飲んで妊娠した場合は、酩酊児とも言われるそうですね。

ネズ:エジソンもそうだったっていうじゃない。

げた:この病気のことを知らないと、突然変わった行動が出てくるのには、ついて行きづらいんじゃないかな。鼻を切ってしまうのも、ちょっとずれていたらと思うと怖いしね。こういう子どもたちの本を読んだ、まわりの子どもたちは、どう思うんだろう? この病気についての理解と思いやりが深まるのかどうかは疑問だな。

アカシア:この本については「よくぞ訳してくれた」という手紙も来ているそうですよ。ただ、薬さえ飲めば大丈夫と受け取られかねないですね。

みっけ:学校に行かせないで育てられれば、それはそれでいいのだけれど。そういうわけにはいかないとなると、集団の中で過ごすために薬の力も借りよう、ということなのでしょうね。とにかく集団として教員が見ていけるようなレベルにまで、ぎりぎり症状を抑えようという感じではないかしら。薬を飲むか飲まないか、ではなくて、集団の中である程度はみ出さないでいられるようにしておいて、ほかの子との交わりの中で成長していくという感じではないかと思いますけど。

アカシア:いろいろなケースがあるのでしょうが、この子が集団の中にいたらほかの子を傷づける可能性もあるわけだから、先生はたいへん。

みっけ:ここに書かれているような行動をとる子がクラスにいたとすると、担任としては、一時も気が休まらないんじゃないかな。

紙魚:何かやってしまったあとに割合けろっとしているのは、この子の個性なのか、それともADHDの特徴なのか、作者はどの程度、そのあたりを意識して書いているのでしょう?

アカシア:ここまでの症状が出ると病気だから何らかの治療をしたほうがいいのかもしれませんが、今は、ちょっとほかの子と違うと、自閉症とか多動児とか、いろいろな名前をつけて障碍だということにされてしまうような気もします。学校では、ADHDっていう言葉を使うのかな?

サンシャイン:ADHDとまでは言わなくても、「多動性がある」という言葉は、よく使いますね。幼稚園に入る前からゲームを野放図にやらせているとそうなるとか。

アカシア:鼻を切られてしまった女の子については、読者の子どもも心配すると思うんですが、その後どうなったかは書かれてませんね。

みっけ:この作品は、複眼にした方がよかったんじゃないかな。説明的な部分も、ほかの人の視点が入ってくれば、無理なく収まったんじゃないかしら。

アカシア:一人称でも、できなくはないと思うけど。

サンシャイン:私は、カバー袖に書かれているあらすじを先に読んでしまったので、支援センターに行くことを前提として読んでしまったんですね。だから、支援センターに行って初めて救われる話なのかなと思ってしまいました。

アカシア:この子は、変わったおばあちゃんと暮らしていたので、必要な情報がなかったんですよね。情報がなくて困っている人たちに、手をさしのべる物語とも考えられるわね。

紙魚:こういう子どもたちのことを考えてもらおうとする真面目に姿勢は、伝わってきますよね。

ネズ:自分の子どものころのことを思い出すと、今だったら「ADHDだから、病院に相談に行ったら?」と教師にすすめられるような人は、たくさんいたんじゃないかな? 落ち着きが無かったり暴れたりするのが、その子の個性かどうかっていう線引きは難しいわね。

アカシア:その子がハチャメチャなだけならいいいけど、他人に危害が及ぶかもしれないとなると問題ですよね。アメリカには専門の人がいるから、こうした場合アドバイスできるんですね。日本にも、適切なアドバイスができる専門家がいるんでしょうか?

サンシャイン:となると、これはアメリカならではの物語として読んだほうがいいのかもしれないですね。

アカシア:一度レッテルを貼られたら、特殊な施設に入れられてしまうだけだと怖いですね。この作品の中では、クラスの中で手に余ると判断されたら支援センターへ行って、そこでその子にあった訓練を受けてまたクラスに戻ってくるということになってますけど、それでうまくいったら、いいですね。

みっけ:特別なクラスに入れて、そのまま戻って来られない、というのはよくないですよね。その点この本では、行ったり来たりできているけれど。

アカシア:今の日本にはまだないのでしょうが、こういう形があるというのは、その本を読んでわかりました。

ネズ:大人が読んだ方がいいっていう本なのかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年11月の記録)


チューリップ・タッチ

アン・ファイン『チューリップ・タッチ』
『チューリップ・タッチ』
原題:THE TULIP TOUCH by Anne Fine
アン・ファイン/著 灰島かり/訳
評論社
2004.11

オビ語録:生まれつき邪悪な人間なんて、いない!/少女の心の闇を救う手立てはあるか?/英国で熱い議論を巻き起こした問題作、ついに翻訳出版! *ウィットブレッド賞受賞

げた:こわくなりました。どうしていいかわからなくなりました。というのは、チューリップがこうなったのは、彼女の父親のせいですものね。一方、ナタリーのお父さんは、私は自分自身の立場に置き換えて読んでしまいました。もし、自分がナタリーの父親だったら、どうするんだろうとね。彼のナタリーへの接し方は普通なのかなと思いましたね。いずれにしても、こういう子どもに接したことがないので、突き刺されるようにこわかったです。

紙魚:帯に「邪悪な人間なんて、いない」と書かれているので、最初からそういう人物の物語を読むつもりで読んでしまいました。私には、ナタリーがチューリップにひかれていく過程はつかみにくかったです。ただ、ひたひたとおそろしさがつのっていく書き手の力はすごいです。ただ、年齢の低い人にすすめたいとは思いにくい本です。

みっけ:すごく強烈で、ぐいぐい引き込まれたけれど、どうやら私はチューリップの方に感情移入しちゃったらしく、ナタリーがなんとも嫌で、大人も非力で、なんか嫌な気分が残りました。確かにナタリーはああするしかなかったわけだけれど、それでもあるところからすっと離れていくじゃないですか。突然離れて行かれる方はたまらないよなあって、そう思っちゃった。アン・ファイン自身がぜひ書きたいと思っていたと、訳者後書きにあったし、たしかにそれだけの力のこもったよく書けた作品だけれど、これを子どもに向けて出してどうするの?と思っちゃった。大人が読め!っていう感じですね。ナタリーにこれ以上何かを要求するのも無理だし、ナタリーのお父さんたちがチューリップに気をつかっているのもわかるし、本当に痛々しかったです。

ネズ:この本は、大変な傑作だと私は思っています。作者は本気で書いているし、訳者も本気で訳している。すごいなと思ったのは、麦畑の場面。最初に、黄金色に輝く麦畑の中に、女の子が子猫を抱いて立っているというルノアールの絵のような、美しい光景が出てくる。それが、後半、なぜこの子が、このとき子猫を抱いていたのかということが分かったとたんに、それまで読者の心の中にあった泰西名画のような場面が一気にモノクロの、陰惨な場面に変わるのよね。見事だなあと思いました。それから、ナタリーが、チューリップを敬遠するようになるころから、チューリップがナタリーの中で生きはじめてくるというか、だんだんチューリップのモノローグなのか、ナタリーのなのかわからなくなり、ひとりの人間の中でふたつの人格がせめぎあっているようなサスペンスを感じました。
この本が出たときは、イギリスでも子どもに読ませるべき本かどうかという議論があったと聞きました。よく児童文学は「子どもについて」書いた文学ではなく、「子どものために」書いた文学だって言われるわよね。この「ために」というのは、子どもが読むためにという意味だけど、アン・ファインはこの作品を「子どもが読むために」というより、「子どもの味方になって、子どもを擁護するために」書いたような気もします。何度も読みたくなるような楽しい作品じゃないけれど英国の児童文学の質というか、レベルに圧倒される作品だし、ぜひ大勢のひとに読んでもらいたいと思う。

みっけ:大人に読ませるという感じは、確かにしましたね。

アカシア:私もすごい作品だなと思いました。それに私は、大人だけじゃなく、この作品を必要としている子どもも確実にいると思います。ナタリーのように、悪魔的な魅力をもった者にどうしようもなく惹かれてしまうことって、子どもにもあるじゃないですか。それにチューリップのように、否応なくこうなってしまう子だっている。そして今の時代の親は、特に児童文学に描かれる親はそうですが、あんまり子どもの力にはなれなくなっている。ナタリーの親は普通の良心をもちながらも、チューリップに対しては中途半端な善意を持ってしまいますが、そういうのも自分も含めてよくある大人だと思います。そんななかでナタリーはどうしたらいいかわからなくなるわけですけど、アン・ファインがすごいのは、結論をあたえるのではなく、いっしょに考えていくところ。いっしょに悩んでいるところ。
『新ちゃんがないた』のような本も必要だと思いますが、大きな違いは『新ちゃんがないた』は、正解を作者が用意していて、ちゃんと読めばその正解にたどりつく。逆に言うと、その正解にしかたどりつかない、とも言える。それに比べ、この作品は、もっといろいろなところへ考えが広がっていく。読者の中に考える種として残って、のちのちまたさらに枝を広げていくかもしれない。
作品のリアリティについては、ナタリーがチューリップにひかれていく気持ちや、だんだん重荷になっていく気持ちは、とてもていねいに描かれていると思います。もちろん低年齢の子どもには向かないと思いますが、中学生以上の子どもにはぜひ読んでもらいたいと思います。

サンシャイン:チューリップのような人が、とりついてきて、はなれられなくなるというのは、自分にも経験があります。ホテルの火事の場面もすごいですね。

アカシア:徹底的にリアルよね。

ネズ:ホテルで働いている人たちの描写もリアル。

サンシャイン:チューリップには、ヨーロッパの魔女のイメージも重ねあわされているような気がします。それからチューリップの激しい言葉に、まわりの大人たちが驚くというのも、イギリスの階級的な空気??この言葉はこの階級の人は絶対に人前では言わないとか??が反映しているのでしょうね。翻訳されるとわかりにくくなってしまいますが。

アカシア:最後の一文「チューリップを狂わせたのは、あたしだと。」というのは、原文と照らし合わせてみると、ずいぶん強い感じがしますが、どうなんでしょう。

ネズ:「あたしにも罪がある」くらいじゃ弱いと、訳者が思ったんでしょうね。

アカシア:ハッピーエンドになりようがないわけですけど、現実世界をリアルに描くとこうなるしかないんでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年11月の記録)


新ちゃんがないた!

佐藤州男『新ちゃんがないた!』
『新ちゃんがないた!』
佐藤州男/著 長谷川集平/絵
文研出版
1986.06

版元語録:新ちゃんは小学5年生。この春から幼なじみの剛と同じ学校に通うことになった。四肢性マヒという障害のためリハビリをしていたのだ。

げた:個人的な話なんですが、友達に、この新ちゃんと同じような子がいたんです。40歳くらいで亡くなったから、どちらかというとこのお話に出てくる先輩みたいな子かな。どんどん筋力が落ちて、最後は目だけで反応していて。小学校には同級で入学したんですけど、やっぱり新ちゃんみたいに途中でしばらく施設に行ったんですが、それでもよくならなくて、戻ってきました。そういう記憶がよみがえってきて、あの頃のことをいろいろ思い出しました。障碍がある子も同じように生きているんだよ、ということをわかってもらうには、いい本だと思いました。

みっけ:お話そのものの展開は、一種予定調和的というか、問題もすべてすらすらと解決されてしまうので、そういう意味のインパクトは少ないけれど、新ちゃんの描写の細かいところが、とてもリアルでいいなあと思いました。トイレで苦労する話とか、足を引きずってズボンが破けてしまう話とか、そういったことがぐぐっと迫ってくる気がしました。20年以上前の作品だからというのもあるかもしれませんが、新ちゃんの親友である語り手が、なんというか熱くて元気で明るくて、全体にトーンが明るいのもいいなあと思いました。

ネズ:作者も同じ障碍を持っているということを知って、だからこういう作品が書けたのだと納得しました。具体的に新ちゃんが困っているというトイレの場面など、この作者だからこんなにリアルに書けたんでしょうね。『チューリップ・タッチ』のような作品は難しくてわからないという子どもたちも、こういう作品なら素直に理解できるんじゃないかしら。でも、主人公も新ちゃんも、ちょっとばかりいい子すぎるのでは? あと、タイトルがねえ……。

サンシャイン:乙武さんみたいに、障碍のある子も一緒と、アピールしている本だと思います。すごく楽観的な本で、子どもは結構感激したりするんじゃないかな。ただ毒がなさ過ぎるとも言えます。悪い話じゃないんだけども、登場人物がいい子すぎる。乱暴な感じの子が、夏休みに本を2回も読んじゃったりして。そこがちょっと気になりました。筆者自身がその病をかかえているので、そうありたいという祈りが込められているのでしょう。

アカシア:障碍についてきちんと伝わるように書くというのは、難しいことですよね。この作品は、作者も同じように苦労されているから伝わる力を持っているわけですが、へたすると、障碍があっても必死で頑張れば一人前になれる、という結論になってしまう。でも、頑張りたくても頑張れない人だっているんじゃないですか。最近、病院の職員が迷惑な入院患者を公園に捨てたっていう事件がありましたよね。新ちゃんや乙武さんは、頑張っているし迷惑もかけないからいいけど、そうじゃない人は捨てられてもしょうがないんだ、みたいになってしまうとまずい。
こういう立場から書いた本は少ないから。そういう意味では貴重ですね。頑張るという点も、作者の理想が、新ちゃんやお兄ちゃんに投影されているのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年11月の記録)


いたずらおばあさん

『いたずらおばあさん』
たかどのほうこ/著 千葉史子/絵
フレーベル館
1995

版元語録:洋服研究家のエラババ先生が開発したのは、なんと1枚着るごとに1歳若返るという不思議な服でした…。

ウグイス:たかどのさんは幼年ものがうまい作家で、子どもにもたいへん人気があり、よく読まれてます。タイトルや表紙がまずおもしろそうで、ユーモラス。内容も明るいユーモアが感じられ、安心して読めるわね。登場人物のネーミングがおもしろい。エラババ、ヒョコルさんなど名前を聞いただけで、子どもはおもしろがります。翻訳ものだと、ネーミングのおもしろさは伝わりにくけど、日本の創作だとこれが味わえてうれしい。おばあさんたちのいたずらは、ちょっと嫌なやつをへこませるという悪気のないものばかりで、後くされがなく、ハハッと笑って終われるところがいいですね。主人公は68歳と84歳のおばあさんなんだけど、そんな歳になっても子どもの部分があるというのを垣間見る感じで、おもしろかった。

ペロ:おもしろく読みました。痛快ですね〜。24ページで、ヒョコルさんがはじめて若返るとき、「50歳くらいになれば、もうじゅうぶんなのではありませんか?」ってエラババ先生に言ったら、エラババ先生の返事がふるってる! 「もういちど子どもになって、思いっきり遊べるっていうときに、さかあがりひとつやれない中年のおばさんになって、それでじゅうぶんだなんて、こころざしが低すぎて、ばちがあたりますよ!」だって。楽しい! いろんないたずらもおもしろかったのですが、1箇所、音楽祭のところはちょっと無理があると思いました。発表会のときは、ピアノを習い始めたばかりの子でも、暗譜して弾くものだと思うし、ましてゲゲノキ先生は音楽の先生ですから……。でも、このお話は、そういうことにこだわってちゃダメなのよね。

愁童:おもしろく読みました。エラババ先生みたいなユーモラスなネーミングの登場人物の設定なんか、読者の子供達に素直に受け入れられそうでうまいなって思いました。ただ、最後の行政批判みたいな箇所は、ちょっとウザイかなと……。

ネズ:私も、たかどのさんは幼年童話がとてもうまいと思う。この作品も、すらすら読めて、ゲラゲラ笑えて、子どもたちに人気がある理由がよくわかります。登場人物のネーミングもおもしろい。最後の章については、私も愁童さんとおなじで、ちょっと理屈っぽくなったかなと思ったけれど、こういう章をおしまいに持ってきたことで物語がうまくまとまったとも言えるのでは? おばあさんを書いたもので、私が大傑作だと思っているのが、以前に学研で出たミラ・ローベの『リンゴの木の上のおばあさん』。物語のなかのキャラクターとしてのおばあさんと、現実のおばあさんを書きわけていて胸を打たれますが、この作品にはそれほどの奥行きや深みはないわね。でも、そこまで望むのは望みすぎかしら?

mari777:発想が斬新で、おばあさんが二人とも生き生きしています。二人のおばあさんのキャラクターがきちんと書き分けてあるのもよかった。

みっけ:楽しく読みました。いたずらの仕方やいたずらを仕掛ける相手が、いかにも子どもたちの共感を呼びそうで、おもしろかったです。子どもって、いばっている大人が大嫌いだから。でも、最後の章だけは、ちょっとこなれてない感じというか、お説教くさいような気がして、もう少し違う形で終わったらよかったのになあ、と思いました。

アカシア:たかどのさんの本は、やっぱりこのくらいの長さのものがおもしろいわね。ユーモアたっぷりで笑えるし。いやな大人がいても子どもはなかなかやっつけることができないけど、この作品だと正体はおばあさんだから、懲らしめることができるんですよね。そこも痛快。最後の話も、読んでる子どもは痛快なんじゃないかな。リアリティを言い出すときりがないけど、この作品はそういう種類のものじゃないから、私は楽しく読みました。

うさこ:たかどのさんは幼年童話ものがうまい作家さん。日本語で日本人が読むものとして書いてますけど、ユーモアのセンスや発想が、どこか遠くて近い外国の人が書いているような感覚で、とても楽しく読めました。おばあさんたちの茶目っ気たっぷりのユーモアがとてもおもしろかった。人物名はじめ、その他に音や音の響きを有効につかって表現しているところがたくさんありました。会話文のおかしさを地の文でフォローして、さらにおもしろくさせたり細部まできちんと書きたい作家さんだと思います。うまへたな絵もこの物語に合ってますよね。続刊が出てないのはなぜでしょう?

げた:洋服を重ね着すると、重ね着した服の数だけ若返られるなんて、大人が読んでもおもしろいと思います。どちらかというと大人の発想なのかという気もしますね。「若返り変身願望」は大人のものですもんね。「夢見る少女の会」のおばさんたちの言動なんかも、子どもにはピンとこないんじゃないでしょうかね。挿し絵はちょっと古めかしいかな。エラちゃんは子どもに変身しても、しもぶくれ顔は変わってませんね。そこがおもしろいといえばおもしろいんですけど。

愁童:おばあさんたちが子どもに変身した場面に、『まあちゃんのながいかみ』(福音館書店)にあったような子どもの目線が生きていると、もっと説得力が出たんじゃないかなって思いました。

ネズ:おばあちゃんにもどったときは、もう少しおばあちゃんらしく、腰が痛いだの、目がしょぼしょぼするだの書いたらどうだったのかしら?

(「子どもの本で言いたい放題」2007年10月の記録)


マチルダばあやといたずらきょうだい

『マチルダばあやといたずらきょうだい』
原題:NURSE MATILDA by Christianna Brand, 1964
クリスティアナ・ブランド/著 こだまともこ/訳 エドワード・アーディゾーニ/絵
あすなろ書房
2007.06

版元語録:おぎょうぎが悪くて、ひどいいたずらばかりするブラウン家の子どもたちと家庭教師マチルダの物語。

愁童:ちょっと個人的な感慨になっちゃうんだけど、久しぶりに同人誌時代の若い頃のこだまさんと、おしゃべりしているような雰囲気を感じながら楽しく読んじゃいました。幼児語の翻訳なんか、なかなか秀逸だと思いました。原作の持つかなりハチャメチャな雰囲気と訳者の体質がうまくマッチしていて楽しい翻訳本になってますよね。

mari777:懐かしい感じのテイストが好き。昔の岩波書店の翻訳シリーズを読んでいるような感じ。7つのおけいこの構成がミステリ仕立てだな、と思いながら読んでいたら、この作家、ミステリ作家だったんですね。書きなれているという印象で、安心して読めました。ただ、せっかくなら魔法ではなくて知恵とか気持ちの持ち方で解決していってほしかったなと思うようなところもあります。最後に約束どおり、ばあやが子どもたちを離れていく、というストーリー展開は、予想がついたけれどもほろり。装丁も懐かしい感じがしていいなと思いました。

みっけ:子どもに媚びていない感じがあちこちにあって、おもしろかったです。たとえば、7ページで、「あんまりたくさんいたので、名前はいちいち書かないことにします。……ぜんぶで何人いるか、足し算してくださいね。」なんていうところには、おっと、こうきたか!という感じでした。それでいて、いかにもおばあちゃんが話してくれている雰囲気が出ていて、そのあたりが絶妙でした。語り手のおばあちゃんのたたずまいまで想像できてしまう訳文だと思いました。きっと、とても礼儀正しくてきちんとした人だけど、それでいて、いたずらっぽく目がきらっと光っているような人なんじゃないかなあ。読み始めてからしばらくのあいだは、子どもたちが何か悪さをするたびに大騒ぎになって、でも、マチルダばあやにSOSを出すと一件落着!みたいな感じで話が進んでいきます。心のどこかで「大丈夫なのかなあ」とちょっと腑に落ちない感じもしました。ところがそのまま読み進めたら、最後の一回になって、子どもたちの悪さでひどい目にあった人たちが勢揃いして、子どもたちがたいへん怖い思いをする。この展開には感心しました。妙に救済したりしていないところが、いいなあと思います。どことなく意地悪というか、ぴりっとした隠し味が聞いている。ただ、大おばさんにイバンジェリンがもらわれていく話は、これでいいのかな、と思いましたけど。あと、アーディゾー二の挿絵は、もうそれだけで古き良き時代に連れ戻してくれる感じで、いいですね。

アカシア:この本は昔から知ってたんですけど、上流階級の子どもの話だし、とてもイギリス的な乳母の話なので、今の日本では受け入れられないだろうな、と考えていたんです。でも、今回この本を読んで、あまり古いという感じがしませんでした。逆に、古い部分よりもおもしろい部分がきわだつ訳になっていて、ああ、こういうふうにすればこの作品も原題に生きてくるんだな、と思いました。訳者の力ですね。舌足らずの子どものセリフも、ちょっと考えると意味がわかるようになっていて、うまいですね。

みっけ:ラストは、出っ歯が落ちて、それが宝箱になって、そこから出てくるおもちゃに夢中になっていると、マチルダばあやがいなくなっているという展開で、なんというか、肩すかしを食らったような不思議な終わり方ですよね。

愁童:マチルダばあやを、単なる雇い人として描くのじゃなくて子どもたちに君臨する動かし難い大人として書いているのがいいな、なんて思いました。

アカシア:ばあやは、メアリー・ポピンズと同じで、ずっと不機嫌な顔をしている。厳格なイギリスの乳母の典型ですよね。ただね、下層の子が身代わりになって嫌なおばさんの養子になり、それでめでたしめでたしなんていうところには、作者の階級意識があらわれているかも。

うさこ:ある日突然どこかからやってきた人の物語は、またある日いずこへか帰っていくというお約束があるのだけど、このお話はどういう展開で結末を迎えるのかなと楽しみでした。「1つめのおけいこ」の章の流れが各章のおけいこのある規則性を示しているのかなと思ったけど、どの章もちがうかたちでいたずらと「おけいこが終わりました」でまとめられている。どの章も「…でも歯はでっ歯でした」の表現が妙にインパクトがあるなと思ったら、最後のとっておきのごほうびとうまく結びついて楽しかった。

ウグイス:以前は、G社が出していた世界の童話シリーズの中の1冊。このシリーズの中では、この『ふしぎなマチルダばあや』だけが他と比べて古めかしい印象があったので、正直言って今さら新訳?と思ったんですけど、読んで見ると古めかしさより軽快な楽しさが感じられておもしろかった。原文もそうなんでしょうけど、翻訳もとても丁寧で上品な言葉使い。そういう言葉使いなのに実はとてもおかしなことを言っている、というのがこの本のおもしろさだと思う。旧版は、明らかに3〜4年生を対象にした作りでしたが、この装丁や字の大きさを見るともっと年齢が上の子をターゲットに作ったのかな? 内容的には3、4年生に読んでほしいんだけど。

ペロ:この装丁は、原書とだいたい同じ。この原書、天地155ミリ×左右110ミリと、小ぶりでかわいい! 今の子どもたちは、読める子と読めない子との差が大きくて3〜4年生でも読める子はどんどん読むし、5年生でも、読めない子は低中学年向きの本も読むのがたいへんという話だから、読者対象をどのくらいに設定するかっていうのは、なかなか難しい問題だと思います。

げた:子どもたちのいたずらの内容など、よく考えてみれば、とんでもない話ですよね。ロバに女の子の洋服を着せて身代わりにするなんて、ドタバタ劇になっちゃうような話ですよ。描き方によっては、とっても下品な感じになるんだけど、それがちゃんと上品な仕上がりになっているのがすごいなと思いました。アーディゾーニの挿絵の効果もありますよね。

ネズ:大人の本でも新訳ものが続々と出てきていて、旧訳と読みくらべてみると楽しいですよね。特に子どもの本は、その時代の子どもや児童文学に対する考え方があらわれてくるのでおもしろい。それから、アカシアさんの話にもあったけれど、この本にかぎらずこういう古い作品は、どこかに差別的な物の見方などがちらちら現れたりするので、訳すのに神経を使いますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年10月の記録)


頭のうちどころが悪かった熊の話

『頭のうちどころが悪かった熊の話』
安東みきえ/著 下和田サチヨ/絵
理論社
2007.04

版元語録:「小さな童話大賞」(毎日新聞社主催)受賞作「いただきます」を含む,人生について考える7つの動物寓話。

げた:この本は、今、人気の本なんです。うちの図書館も、気づいたら予約がいっぱいになってて、びっくり! 最初1冊しか購入していなかったのですが、あわてて3冊追加購入しました。うちの図書館では、分類は「児童書」にしたんですけど、実は今、ちょっとまずかったかもと思ってまして……。圧倒的に、子どもよりも、大人に読まれているんですよね。予約をしている人も、ほとんどが大人。で、僕もざーっと読んでみたんですけど、やっぱり子どもの本ではないですね。YAでもキツイかも。一般書かな。書評でとりあげられたこともあって、今は予約がいっぱいなので、しばらくはこのまま行きますが、一段落したらYA棚か一般書に移そうかと思案中。お話はおもしろいけど、やっぱり児童書としては扱えないので……。僕は、7編のうち「頭のうちどころが悪かった熊の話」「いただきます」「ヘビの恩返し」あたりが、特におもしろかったな。「頭のうちどころの悪かった熊の話」の最後、熊のセリフで、そういえばレディベアをお嫁さんにしたとき、友だちの月の輪熊に「どこか頭のうちどころを悪くしたか」ってたずねられたけど、あれはどういう意味だったんだろうなんていうところ、ニヤッとしちゃった。

うさこ:私は、大人のための寓話だなと思いました。読み終わってから、ふと「こういうお話が読みたいときって、どんなときだろう?」って考えたんです。さみしいときかなあとか、なにか特別なときかなあとか。もやもやしてるときに読むのもいいかと思いますね。読後感もそれなりにおもしろいし、読んだ後、スーッとして、ミント味のキャンディをなめたみたいな感じも。読んだときどきで、感想も変わりそうです。例えば、88ページの終わりから2行目、「自由なたましいに縄がかけられないことを父さんは知っていた」というフレーズは、気持ちに何かかかえているときに読むと、「そうだよな〜」と共感して読めるけど、フツウの気分のときに読むと「大げさな…」と感じるかもね。

ケロ:やっぱり、大人に向けた寓話かな。寓話っていっても、イソップなんかとは、だいぶ違いますよね。私は「いただきます」が、とくに好き。7編が、1冊の最後になって、まとまりを見せるという構成もおもしろかったな。

アカシア:私も図書館で借りようと思ったら、たいへんな順番待ちになってて借りられず、買って読みました。やっぱり、子どもには難しいかも……。この本、子ども向けの本ではないですね。たとえば「りっぱな牡鹿」なんかは、子どもにはわからないんじゃない?「ないものねだりのカラス」は、ちょっと宮沢賢治の「よだかの星」に似たテイストがあるんだけど、こういうのって、子どもにはどうかなぁ? いや、こういうお話って、大人でも、好きな人は好きだと思うんだけど、でも、普遍的でだれにでも愛されるっていうのとはちょっとタイプがちがうかも。理論社のYA路線のうまさもあるよね。ちょっとひねってあって、メッセージもあって、っていう……。

みっけ:私も図書館では借りられず、買って読みました。うーん。おもしろかったのは、おもしろかったんだけれど。とても奇妙な味わい。どちらかというと、さみしいような、やさしいような、ふしぎな雰囲気で、たしかに、子どもにはちょっと難しいかも。読んでると、なんかこう、「カクッ」とくるようなところがあって、人生いろいろあるという大人にすればおもしろいところなんだと思うけれど、書いてあることだけを追って読む子どもには、通じにくいかもしれない。決して嫌いな本ではないし、読んで損したとも思わないけど、でも、子ども向けの本ではないような気がします。初出の雑誌から見ても、もともと子どもに向けて書いたのではなくて、子どもの周辺にいる人に向けて書いたようだし。

mari777:国語の教科書関係の仕事をしているので、短編を読むときは「教科書に載せられるかな?」と、ついつい考えながら読んでいます。今回も、やっぱりそういうことを考えながら読みました。教科書に掲載する作品って「おもしろかった」で終わってしまうものはあまり向いてない。いろいろな読み方のできる作品のほうが、教材としてはとりあげやすいんです。表題作の「頭のうちどころが悪かった熊の話」と、「池の中の王様」は、内容としてまとまっていて長さも適当だし、コミュニケーション不全についてのメッセージとしても読めるかな、案外、小中学校ではなくて高校の教科書に載せたらどうだろう、などと思いましたが、やっぱりちょっときついかな。高校生も含め、子どもが楽しく読む、という類の本ではない、という気がしました。でも、表紙の絵がかわいくて、ちょっとおしゃれな感じで、こういうのも人気の秘密なのかな。

ウグイス:この本、興味があったのよね〜。まず、タイトルがおもしろいでしょ。それに、小泉今日子が書評でとりあげてから、スゴイ人気になってるみたいだったし。それで、期待して読んだんだけど、人間のもっている、いろいろな、ままならない感情をうまく表現してるなあと思いました。部分的には、そういう感情あるあるって思うんだけど、1つ1つの点がつながって1本の線となったときに、一体どうなっているのか、よくわからなくなる。そういうことから考えると、子ども向きではなくて、大人向きですね。といっても、子どもが笑いそうなところもあるのよね。子どもの本としておもしろいかなと思ったのは、「池の中の王様」で、オタマジャクシの「ハテ?」が、おばあさんに「顔、洗って、きちんとしといで」って、いわれるところとか、「りっぱな牡鹿」で、アライグマがげんなりやつれて、目のまわりが茶色になってしまった、なーんていうところ。大人より子どものほうが、こういうのをおもしろがると思うの。だから、子どもを意識して書けば、それはそれでおもしろいものになったんじゃないかという気もする。

みっけ:なんか、最後がなんとなく尻切れトンボというか、よくわからないで終わっちゃうのが多いんですよね。

ウグイス:最後に、「あっ、そういうことか!」って思うこともあるんだけど、いや、でもやっぱり違うかもっていう気もしてきたり……ほんとによくわからない。こう、煙にまかれる感じ……。

みっけ:そう、そう、煙にまかれるの!

ウグイス・みっけ・アカシア:そして、それをわかってて、わざとやってるって感じ!

みっけ:ラストは、読者にぽーんって預けちゃう感じ。

ウグイス:あと、この本、動物の短編集だけど、この動物だからこの話っていう必然性はあんまりないのよね。あ、ヘビの話は例外で、これはヘビならではのお話だけど。その他は、あんまり動物の生態とは関係がなくて、例えばクマの話は、別にクマである必要はなく、キツネでもいいというような感じ。だから、動物の話というよりは、動物の皮をかぶった人間の話なんでしょうね。

こだま:ふふふ。「とくにこの本が」、ということではないんだけど、わけのわからない本を、書評なんかで「おもしろい」っていうと、なんとなーくおしゃれに見えるっていうこと、あるわね。

ウグイス:ともあれ、大人に「おもしろい、おもしろい」と言われて売れるっていうのも、それはそれで、結構なことだと思うわぁ。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年10月の記録)


トモ、ぼくは元気です

香坂直『トモ、ぼくは元気です』
『トモ、ぼくは元気です』
香坂直/著
講談社
2006.08

版元語録:ぼく、松本和樹は中学受験を控えた小学6年生。障害を抱える兄トモをめぐって家で問題をおこし、「罰」として夏休みのあいだ、祖父母の家に預けられることに…浪速の商店街の夏。

mari777:リアリティがあるなと思いました。前半はぐいぐい読めて。関西弁の小説は苦手なのですが、この作品には抵抗感がありませんでした。阪神タイガースなどステレオタイプかなとも思いましたが、女の子たちも魅力的だなと。ただ、障害をもつ二組の兄弟姉妹という設定が、自分としては今ひとつのれなかった感じです。

愁童:おもしろく読みました。登場人物の体温が感じられるような児童書で好感を持って楽しく読めたですね。商店街の雰囲気や、そこに暮らす大人たちのイメージがちゃんと伝わってきて、作者の書く作品世界が読者の脳裏に確かな存在感で拡がっていく、巧みな作品だと思いました。ただ、ちょっと残念だなと思ったのは、最後の帰宅の描写で主人公が発する「トモ、帰ったぞー」という言葉。作者がそれまで、ていねいに書き込んでいる主人公のトモに対する微妙な思いなどに共感して読んでくると、帰宅の言葉が、こんなオヤジ風なものになるのには、かなり違和感がありましたね。画竜点睛を欠いた感じ。

アカシア:そこは、オヤジみたいなイントネーションじゃなくて、「帰ったぞー」って、張り切ってる感じのイントネーションで読めばいいと思うけどな。

愁童:帰宅の途中に日向と日陰があって、こっちが夏…、こっちが秋というようなところは主人公の少年らしさが見事に表現されていて、とても印象に残りましたね。

アカシア:私もおもしろかったですね。最初はよくわからない謎の部分がたくさんあって、読んでいくうちにだんだんわかってくるっていうつくり方もうまいなと思いました。大阪弁がいっぱい出てくるっていうだけじゃなくて、大阪弁の人たちと和樹のテンポの違いっていうのもちゃんと書いてる。いつも居眠りしてる刀屋のおじいさんとか、紅白の服をいつも着ている夏美の祖父母とか、アニマル柄の服でいつも自転車をぶつけてくるおばちゃんとか、商店街の人たちのさまざまな人間模様も効果的に登場します。霧満茶炉と書いてキリマンジャロと読ませる喫茶店も、いかにもありそう。舞台がちゃんと書けているので、子どもたちの姿も浮かび上がってきます。文章の生きもすごくよかったし、和樹がお兄さんのお守りとお母さんの期待の重圧に耐えかねて切れてしまうところも説得力がある。和樹と夏美の幼い恋愛感情もいいですねえ。夏美の妹の桃花ちゃんと、和樹のおにいちゃんが同じような障碍っていうのは、ちょっとできすぎですが。この作家さんは、『走れ、セナ』のときよりずっとうまくなってますよね。一箇所だけひっかかったのは、233ページ。和樹くんが拓に対して、「ぼくもそうだった。…いらいらする」って、長い説明をしちゃってる。でも気になるところはごくわずかで、どんどん調子よく読めて、とてもおもしろいと思いました。

ジーナ:すごくよかったです。6年生の夏休みに一人で大阪に行かなくてはならないという設定がうまいですね。大阪の子が大阪を舞台にして展開すると、ほかの地方の人には入りづらいだろうけれど、東京から来た主人公という設定で、子どもの目線で見たものをていねいに描いているからすっと入っていけますよね。学習塾に行くんだけど、ただ受験が目標というのではない、いろいろな子どもの姿も見えてくる。ゴーイングもそうだと思いましたが、作者が、いい人はいい人、悪者は悪者と決めつけないところがいいなと思いました。いやな不動産屋の子も、最後に本屋で和樹と出会うシーンで、ちゃんすくいあげている。子どもに向かって書いているなあって。今の日本の作品にしてはめずらしく、大人がしっかり描けているから厚みがあるのかも。和樹はお父さんのことも、発見するんですよね。読むと元気の出る作品だと思いました。

クモッチ:日本児童文学者協会新人賞の賞を取られたときに読みました。『走れ、セナ』のときは、う〜ん?という感想でしたが、この作品は、とてもよかったです。一気に読んでしまいました。昔ながらの商店街を描く児童書ってけっこう多いですよね。でも、「いいよね、こういう昔ながらのところって」で終わらせていないので、印象に残りました。細かい人物描写や、金魚すくいの伝統の一戦の部分など、多面的に描かれているから、印象に残ったのだと思います。障碍者を描くのも、児童書には多いですよね。そのせいか、あ、また?という感じで最初はひいてしまったんですけれど、主人公が抱えていたものや、どう乗り越えていくかがきちんと描かれていたので、最後まで引き込まれて読みました。

愁童:夏美、千夏、桃花の三人姉妹に、すごくリアリティがあるんだよね。三人がうまく書き分けられていて、作者の目配りの確かさに感心しました。タコヤキ屋のおばちゃんが、がんばれよってタコヤキを口に入れてくれるところなんか実にうまいですね。主人公の少年が口の中の熱いタコヤキにへどもどするような雰囲気が文章の背後にきちんと伝わってくるもんね。

アカシア:匂いとか触感とか、ちゃんと書けてるんですよね。

愁童:商店街の雰囲気や、そこに暮らす人たちが的確に描写されているので、こんな本を読んで育っていく子どもたちなら、空気が読めない大人にはならないでしょうね。K・Y人間撲滅推薦図書にしたいくらい。

サンシャイン:私も楽しく読ませてもらいました。いい本と出会ったなと思いました。伏線がうまく書けていて、次へ次へと読ませます。彼女のアタックが唐突で激しいんだけど、嘘くさくなくうまく書けてるかな。障害のあるお兄ちゃんに対する気持ちもいろいろあって、母親の前で爆発しちゃって、ある一定期間よそにいっていて、成長して戻ってくるっていう話。確かに、最後が気になりますね。帰ったところでトモとどうなるかも、もっと書いてあるといいんじゃないですか。

アカシア:いえいえ、そこを書いちゃったら書き過ぎです。読者に先を想像させるからいいんですよ。

愁童:帰る前に、ネコのうんちみたいなかりんとうを送るところがあるでしょ。母親にはネコのうんちなんて言えないけど、トモや父親とはそんなことを話題にしながら一緒にかりんとうを食べたいなって思う描写なんかも、この年頃の男の子らしくてうまいなって思いました。そんなこと考えながら帰って来たんだから、最後の帰宅の第一声に、もうちょっと工夫があると良かったな、なんて思っちゃった。

アカシア:でも、ここで水しぶきがとんでいて、虹をつくろうとしているのがわかりますよね。だから読者も想像できる。こういうところも、うまいと思う。

げた:『走れ、セナ』もそうだったんだけど、人物設定がはっきりしていて、わかりやすい。ということは、ステレオタイプだという感じにもなるんですけどね。豹柄のおばちゃんといい、夏美や千夏の描き方といい、いかにも大阪人という感じですね。和樹が大阪に来ることになった理由は、大阪での和樹の経験や東京で和樹のまわりに起こった出来事が語られていくなかで、だんだん読み進むうちにわかってくるというストーリーの展開のおもしろさがありますね。和樹は、それまでの自分を全く否定されたわけじゃないけど、一夏の経験を通して、一つ壁を乗り越えて、成長したわけですよね。そんな和樹が見られて、とてもすがすがしい気持ちになり、納得できました。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年9月の記録)