投稿者: sakuma

希望の海へ

マイケル・モーパーゴ『希望の海へ』
『希望の海へ』
マイケル・モーパーゴ/作 佐藤見果夢/訳
評論社
2014.08

『希望の海へ』をおすすめします。

社会的な視点をもちながらストーリーテラーの腕も抜群というマイケル・モーパーゴが、本書で扱うのは、最近になってわかってきた児童移民の問題です。イギリスから「孤児」(本当の孤児はわずか)たちがオーストラリア、カナダ、南アフリカなどへ送られ、第二次大戦後にはその人数もピークに達したと言われています。

第一部を語るのは、アーサー・ホブハウス。まだ幼いうちに船に乗せられイギリスからオーストラリアにやって来たものの、引き取られた先の農場で奴隷としてこき使われます。さんざん我慢を重ねた後にアーサーは年上の友と一緒に逃げ出し、黒い肌の人たち(先住民ですね)に助けられ、「ノアの方舟」と呼ばれる場所でようやく愛を注いでくれる人に出会います。でも、そこでずっと幸せに暮らしたわけではありません。まだまだ山あり谷ありの人生が彼を待ち受けていました。アーサーがその波瀾万丈の人生の中で持ち続けていた唯一のものは、小さな鍵です。それは姉のキティをさがす鍵でもありました。

そして第二部を語るのは、アーサーの娘のアリーです。父親のかわりにまだ見ぬ伯母キティに会うためひとりでヨットに乗り、数々の困難を乗りこえてイギリスまで航海します。複数の文化を背負った(母親はギリシア人)女の子アリーが単独で冒険するという設定がなかなかいいうえに、航海についてくるアホウドリ、アリーと宇宙飛行士との交信、そして父親から手渡された鍵の謎など、第二部にもさまざまな仕掛けがつまっています。果たしてアリーは、伯母のキティを捜し当て、鍵で何かをあけることができたでしょうか?

わくわくしながら読めます。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年10月13日号掲載)


シャイローがきた夏

フィリス・レイノルズ・ネイラー著 さくまゆみこ訳 『シャイローがきた夏』
『シャイローがきた夏』
フィリス・レイノルズ・ネイラー作 岡本順挿絵 さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2014.09

アメリカのフィクション。アメリカでは長く読みつがれている作品です。山の村に住む少年マーティがビーグル犬に出会い、最初に出会った場所の名前をもらってシャイローと名づけます。ところがこのビーグル犬には持ち主がいて、自分の飼っている猟犬たちを虐待しているのでした。マーティは、シャイローを虐待している飼い主からなんとか救い出そうとします。このあたりは、ひと昔前のよきアメリカが反映されているかもしれません。少年とシャイローの間に通い合う気持ちが生き生きとフレッシュに表現されているのが、私は気に入っています。前は別の出版社から別のタイトルで出ていた作品ですが、新たに訳し直しました。うちにもビーグル犬がいるので、ずっと気になっていた作品です。3部作なので続編もあるのですが、3作とも映画になっていて、DVDで見ることができます。

*ニューベリー賞(アメリカ)受賞
*SLA夏休みの本(緑陰図書)選定

Comment

リーコとオスカーともっと深い影

アンドレアス・シュタインヘーフェル『リーコとオスカーともっと深い影』
『リーコとオスカーともっと深い影』
アンドレアス・シュタインヘーフェル/作 森川弘子/訳 
岩波書店
2009.04

ルパン:今回の3冊のなかでは、私はこれが一番よかったです。ただ……すごい冒険ですよね。障害のある子どもに一人称で語らせることにまず驚きました。ストーリー性があるので、最後までおもしろく読みました。ただ、最後まで今回のテーマである「石」が出てこないので、この本でよかったんだっけ?と気になっちゃいましたけど。あと、この、リーコのお母さん、いいですよね。

アンヌ:とても、おもしろい本でした。石の謎を知りたくて、続きの2つの巻『リーコとオスカーとつぶれそうな心臓たち』『リーコとオスカーと幸せなどろぼう石』も読みました。楽しくて、何度か読み返しました。オスカーは、リーコを上から見ている部分があったりして最初は嫌な奴だけれど、繊細な部分がわかってくる。知能が高すぎる子どもの立場の難しさもよく書いてあると思いました。本当はうまく文章が書けないリーコだけれど、作者はパソコンで日記を書かせることによって、文章訂正機能で訂正されることにしていて、うまいと思いました。子どもの心の中では、矛盾しないような情景がいくつかあって、例えば、この巻ではないけれど「石を育てる」ことができるということを、すんなり受け入れるところとか、立ち止まらずに、ストーリーがどんどん進んでいくところがよかったと思います。デーナーというファストフードが出てきて、トルコ料理のデーナーケバブ風の食べ物という註が付いていたので、トルコの移民の文化がドイツに根付いているのだなと感じました。 

ワトソン:障害のある子どもを主人公としているけれど、物語の流れとして無理なく読むことが出来ました。四角で囲ってあるところの説明がリーコ的な独特な表現で興味深かったです。翻訳の作品を久しぶりに読んだので、日本のものにはないおもしろさを改めて感じました。ぜひ、続きを読んでみたいです。 

レジーナ:「モグモグちゃん」等、リーコの独特の言葉づかいは本来、作品の大きな魅力になっているのでしょうが、日本語版からは伝わってきませんでした。p18で、リーコがマカロニをフィッツケに見せると、フィッツケが「落ちてきただけか?」と聞き、リーコは「だれが、ですか?」と聞き返すのですが、これはきっとリーコが、名詞の性を人だと勘違いしたのでしょうね。もう少し訳を工夫しないと、日本の読者にはわからないでしょう。p104の「衝立(パラヴェント)」を、リーコは「スペインふうの壁」と説明していますが、何のことかよくわかりませんでした。p122の「ミスター・ストリンガーはミス・マープルのいちばんの友だちなんだけど、太りすぎているだけじゃなくて、ミス・マープルの結婚相手にしては頭が悪すぎるんだ。でも、ミス・マープルにはそうなんだ。」や、p153で部屋が散らかっていることをビュールさんに謝られて、リーコが「かたづけが習慣になっているなら、ママと結婚することになった場合、大歓迎だからだ」と考える箇所は、前後の文脈がつながっていないように感じました。元の文章がそうなのか、翻訳の問題なのか……。リーコの目で捉えた世界を、翻訳にも生かしてほしかったのですが。周囲の大人が、リーコに対等に接しているところや、夜の仕事をしつつも愛情深くリーコを育てている母さんが、道に迷うリーコのために、家からまっすぐ歩いたところにある学校を見つけてくるところは、とても好感が持てました。リーコも愛情を受け止めながら育っているから、すぐに大人に頼るのではなく、自分で問題を解決しようとし、「友達になりたかったのではなく、事件を解決したくて近づいた」と告白したオスカーを、許すことができるのでしょう。3巻まで読み進める内に、私もリーコをそばで見守っている気持ちになり、最後の場面では、数々の冒険をくぐり抜けたリーコの、何てことはないけれど、でも確かな成長の一歩が感じられて、胸が熱くなりました。 

夏子:こういう子どもの一人称で書くのは、冒険ですよね。でもすぐれた作家だということは、よくわかります。完成度の高い優れた作品だと思う。主人公ふたりはもちろん、周りの大人も個性がくっきりとしていて、それぞれ魅力がありますよね。地面に落ちていたマカロニを、おじさんが食べちゃったのには、びっくり。ところが問題は翻訳で、私はまったく気に入りません。何も考えずに訳しているんじゃないかと疑ってしまうほど。リーコの一人称で書かれているわけだけど、いかにも知的障がいのある子どもの文章という風ではいけないと思う。だけどね、一方でこの設定に無理がない、と感じさせてくれないと話が成り立たないでしょ。ところが日本語は、努力した跡が見えません。小学生の男子が絶対に使わないような言葉のオンパレードじゃないですか! 少しだけ例をあげると、p177「足の速い小型車」とか、p178「あまり悪くはない男前」とか、どうしてこういう言葉が出てきちゃうの! 

レン:原語の形をそのまま素直に訳したのかしら。よいと思ったのは、大人も子どももいろんな登場人物が出てきて、リーコがその中で暮らしている感じがよく出ていること。だけど、私も文章に引っかかって苦労しました。冒頭のp5にある「日本の読者へ」から引っかかってしまいました。3行目の「でたらめの思いつきの産物」という言葉、子どもがピンとくるかなと。リーコが、「ときどき頭の中がビンゴマシーンの中みたいにゴチャゴチャになる」という表現も、大人にはパッとわかるおもしろい比喩だけれど、ビンゴマシーンを見たことがない子はイメージしにくそう。p135の「階段室は死にたえたように静かだった」とか、p142「いまいましい6階め」とか、「ン?」と思った表現はほかにもいろいろ。翻訳の問題ではなく、リーコだからこういう表現なのかしら。 

:これ、障がいを持っているという設定にする必要があるんでしょうかね。障がいと冒険の関係の焦点がぼけているし、翻訳もものすごく読みにくかった。つまらなくてわかりにくかった。素直にいいキャラクターだと思ったのは刑事さんだけで、アパートの住人にも魅力がなかったです。 

アカシア:私も、主人公が障がいを持っている設定にする必要があったのか、と疑問を持ちました。この長さで小学生に読ませるとなると、よほどおもしろく翻訳しないとまずいですよね。リーコには知的障がいがあって、オスカーの方は人並み外れて高い知能があるという設定の難しさはあります。でも、残念ながら翻訳や編集にもう一工夫必要ですね。おそらく原文はおもしろく書けていて構成もいいんでしょうけど、それが現状の日本語版では伝わってこない。 

夏子:障がいとプロットの絡みとしては、リーコが人の家に入りたがって、どんどん入っていくところでは? そういう子じゃないと、この話は成り立たないわけなので。 

アンヌ:四角で囲ってある註のような文章は、難しい言葉の説明なんですが、リーコが書いたことになっていて、巻末ではなく、そのまま文章の中に入っているんですよね。リーコのお母さんって、ロシア人でしたっけ。名前がターニャですけれど。 

レジーナ:ドイツ人にもターニャっていう名前がありますよ。

アカシア:このコラムみたいな部分も、本文との関係がぱっとわからないところがあって、もう一工夫したらよかったのにね。ドイツでは小学生が読んでいるのかもしれませんが、日本の小学生は最初の「みっけマカロニ」のところで「何これ?」とつまずくでしょう。かといってプロットが単純だから中学生は読まないでしょうし。難しいですね。タイトルも、「もっと深い」って何と比較して?と、思いました。

アンヌ:作者の「日本の読者へ」が巻頭にありますが、いきなりショーペンハウアーの引用文で始まって、たじろぎました。これは巻末でいいのでは。子どもの時、翻訳小説のわからないところは棚上げにして読んでいた気がします。今回も、読み返すときは、四角に入った註は、飛ばして読んでいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年9月の記録)


石の神

田中彩子『石の神』
『石の神』
田中彩子/作 一色/挿絵
福音館書店
2014.04

:とてもおもしろかった。差別を受ける人たちの集落の様子も、石を彫るようになる過程も、石の神に魅入られるさまも、模索も。全部。 

夏子:この作品は、時代はいつになっているんでしたっけ? 

:江戸時代ですね。18世紀の終わりです。 

夏子:この作家さん、まだ新人と呼んでいいのかしら? 応援したいと思いました。でも同時に、欠点も目につきます。主人公のひとりの寛次郎は、モーツアルトに対するサリエリではないけれど(素直な若者なので、サリエリとは似ていません)、常識的で優等生的。もうひとりの捨吉は破天荒な天才であって、まさしくモーツアルトですよね。こういう二つのキャラクターの絡み合うような対立が、つまらないはずがない。ただ捨吉のような子どもは、自ら内面を語ったりしないでしょう。だからこちらに視点が移って、捨吉の側から語られるところになると、無理が生じるのでは? 捨吉は、差別されている地域で育てられ、しかしそこの出身者ではないことから、周りの人々が村に戻れるようにと努力する。でもそれを振り切って、放浪の旅に出てしまう。これは、説得力に欠けると思いました。また周りの大人の個性が、もう少し描き切れているといいですね。育ての親、職人の親方、流れの職人と、それぞれ援助者の役割を果たしますが、みんな似ているんです。どの大人も粒立っておらず、平面的な感じがします。 

レジーナ:日本の児童文学の独特の空気感があり、長谷川摂子の『人形の旅立ち』(福音館書店)を思い出しました。人を守るだけでなく祟りもする石神は、土着の信仰の対象であり、善悪を越えた荒ぶる神ですね。ひとつひとつの場面が印象的でした。捨吉の彫った地蔵の気迫、洞窟の中、石仏という圧倒的な力を前にして、自分が空っぽになる感覚にはリアリティがあります。石神に取り憑かれた捨吉が、並はずれた力ですばらしい作品を次々に生み出すことに快感をおぼえる一方、「こつこつと人の世を生きる道に戻れなくなるのではないか」と恐怖を感じる場面には、狂気と紙一重の芸術のこわさがよく描かれています。

ルパン:うーん、これは一度読んだだけではよくわからなかったですね。『天狗ノオト』(理論社)よりはだいぶすっきりしていて、ずっとよいとは思いましたが。私にはちょっと難しかったです。これ、読者対象年齢は何歳くらいなんでしょう。視点が捨吉になったり寛次郎になったりするのだけど、そのバランスがよくないように思います。主人公は捨吉でしょう、たぶん。最初と最後は捨吉なんだけど、間はほとんど寛次郎。どちらが主人公なんだろうと思いながら読み、結局どちらにもあまり感情移入できないまま終わりました。特に、主役であるはずの捨吉の気持ちがよくわからなくて。石神の役割も。結局、捨吉は今後、人を感動させるものを作っていくのでしょうか? 

:もう作らないと思いますよ。 

ワトソン:『天狗ノオト』よりは大分読みやすくなっていて、よかったです。日本古来に伝わる畏怖につながる世界観を書くのがとても上手な作家だと思います。個人的には好きな世界観です。ただ、これを理解するのはなかなか難しいという印象は否めません。特に前半は入っていきにくく、そこを乗り越えれば物語の世界に入っていけると思いました。年齢を考えなければこの作品でよいのかもという印象です。 

アンヌ:石神の謎を解き明かそうと読みこみました。けれど難しくて、参考に前作の『天狗ノオト』も読みました。その結果、太古の神の存在が作者の中心にあるのではないかと思いました。そのうえで、「先生」が龍の絵を描いて説明したときに語られたような、要石のように、太古の神を止めるために、石神があるのではないかと思いました。村を出た捨吉が八つ当たりをするようにいくつも石神を倒したから、自由になった太古の神が捨吉の中に入ったのではないかと。寛次郎にも山の中の神社に行ったとき、そこに閉ざされていた太古の神の誘いがあったのだと思います。捨吉が、仏ではなく、太古の神を思わせる異様な風貌の石神を彫ってしまったり、洞窟の壁を彫りたくなってしまったりするのは、捨吉の中にいる太古の神のせいだと考えました。ただ、そう考えていくと、p203の「石工の掘るのは、神でも仏でもない、こうありたい、こうなるといいという、ただその、ひとのこころでしかないのだ」とある、作者自身の謎ときにうまくつながらない気もします。捨吉が、村から連れ出そうとしてくれた先生から逃げ出し、さらに村に戻らなかったのはなぜか。それは、役人が切り殺された夜に連れ出されたことや、労働をしたことがない先生のぬるりとした手を触ったとき、全然違う別社会に連れ出されそうになると感じたからではないかと思いました。中央とつながりのある、けれど、社会の裏側にあるような世界を暗示しているようで。石工の親方の家で場面では、職人の生活を自由に書いていて、そこを主に会話で成り立たせている所など、池波正太郎の作品にあるような楽しさを感じました。

アカシア:序章の最後で、「はたしておれは、そちらに行かなくてよかったのだろうか」と寛次郎が思っているのですが、これは、捨吉のような天才になれなかったことへの後悔も少しあるっていうことなんでしょうか? 

:寛次郎は捨吉に嫉妬していたけど、石神による力だったと分かって、やっぱりこれでよかったのだと納得しているのではないでしょうか。 

アカシア:p217に登場する背の高い翁は石神なんですね。ここで、寛次郎は申吉を人間の世界に引き戻して、申吉も普通の人になるってこと? 私はおもしろく読んだのですが、序章にもその後にも道に迷う場面が出てきて紛らわしかったり、双助が村に侵入した賊に匕首で切られて負傷したとき、又五郎が村の差別に憤慨するが、具体的に何があったのか書かれていないので、読者はとまどうだろうとか、細かい表現に疑問を感じるようなところ(たとえば、p21の「体を丸めた龍は目を剥いて、頭の後ろをにらもうとしている」)はあって、まだまだ荒削りだなとは思ったのですが、これからきっとおもしろい作品が書ける人だろうな、という予感はありました。カットの絵もいいですね。 

さらら:『石の神』は、『石を抱くエイリアン』よりおもしろく読めました。それは、完成までにかかった時間と関係する部分もありそうです。受賞から8年かけて、単行本の形になるまで、編集者とがっぷり組んで、文章を練り上げていったはず。加筆しては削り、また加筆しては削り、形を変えて、そこからまた書き直して……と繰り返された時間は、「石を刻む」作業に似ている気がします。作者は、書きこむことで、少しずつ見えてきた「像」をさら彫りこんでいったのではないかしら。捨吉が住んでいた「荒れ地」――そこに歴史的な裏づけがあるのかどうかは、わかりません。史実としては疑問をさしはさむ余地はあったけれど、私は、歴史に場を借りた一種のファンタジー、ひとつの物語として読みました。「荒れ地」から放り出された捨吉が、石を彫る親方のもとに転がりこむ。そして寛次郎との友情を育んでいく。「友情物語」として紹介した書評もどこかで読んだけれど、単なる友情物語ではない。そうくくってしまっては、多くのものが抜け落ちます。寛次郎が石を彫るなかで、いつしか求めた素朴な祈りとしての神仏と、捨吉の表現した、闇の中に引っ張りこむ力としての神仏。石があって、人があって、神仏がいる。その三つが、それぞれ「存在」としてリアルに描かれている点に魅かれました。荒削りだけど、「もの」の手触りのあるところが、良さになっているんじゃないかな。 

夏子:もしかして非差別部落が成立するより前の時代なのかな? 被差別部落が成立する以前には、差別を受けているグループがもう少しぼんやりとした形で、あちこちに点在していたということはありませんか? そういうグループのひとつかな、と思って読んでいました。 

アンヌ:おじいさんは、首切り役人の手伝いをしていたとあります。ここが、被差別部落の出身を示唆しているのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年9月の記録)


石を抱くエイリアン

濱野京子『石を抱くエイリアン』
『石を抱くエイリアン』
濱野京子/著 
偕成社
2014.03

ルパン:自分の娘と同じ学年の少女が主人公だったので、身近な感覚で読みました。ちょうど中学卒業のときに震災だったり。ただ、辞書を切り取るシーンから始まるところがちょっと……。辞書も本ですから、よほどのことがないと切ったりしないんじゃないかと思ったんですけど、たいした理由もなく家族全員分の辞書を切っちゃうところが、なんだか生理的にいやな感じがしました。あと、いかにも「作家が調べたことを登場人物に言わせている」というのが透けて見えるようなところが随所に見られるのが気になりました。『レガッタ!』よりはこちらのほうがいいですけれど。説明的なところが多いと、お話のわくわく感が止まっちゃってつまらなくなるのがもったいないところです。偉生はけっこう好きでした。キャラがしっかり立っていて。 

レジーナ:私たちの電力は原発に依存しているのではなく、原発は一度稼働すると止めるのが難しいという事実は、これまで知りませんでした。原発を地方に押しつけていることへの作者の強い問題意識が、全面的に押し出された作品ですね。頭で書いている印象を受けました。人物像にもう少し厚みがあり、生き生きと動いていたら、もっとよかったと思います。夏希の存在が、途中から急に薄くなります。原発の問題に気づいた登場人物の一人は弁護士を目指しますが、動機がよくわかりませんでした。これについては、主人公も理解できないと言っていますが……。 

レン:けっこうおもしろく読みました。翻訳だと、こういう文体にはなかなかもっていけないんですね。創作ならではの、中学生のリアルな空気感があって。主人公もほんとうに普通の子で、優等生でもなく、とりたてて取り柄もなく、そして、ふしぎ君の偉生君。こういう子っているよな、と。べったりせず、でも毎日学校で顔を合わせる中学生の感じが出ていると思いました。中学生の読者が読んだら、どう思うかな。何気なく手にとって、震災のことをふりかえって考えるんじゃないかな。いい印象で読みました。 

:日本の児童文学として、とてもおもしろかったです。今どきの文体で始まってありきたりかと思いきや、途中からどんどん引きこまれて。成熟した偉生がとっても好きになったので、死んじゃうのがショックでした。偉生と姉さん以外の子どもたちの関係も良かったですね。青春群像というか、集団の楽しさがあって、足を引っ張り合うでもなく、仲がいい。中学生の現状というのはよく知らないのですが、クラス全員の前で告白をしてもすぐに交際に発展することもなく、まわりも静かに見守っている感じが大人っぽいなあと思いました。キュンとしました。 

アンヌ:なんだか題材が並べられているだけのような気がして、もう一度書き直してもらいたいような気分になりました。辞書を切る気持ちとか、うまくつながっていかなかったです。主人公は、人から見たら面倒見のいい「姉さん」で、偉生から、こんなところやあんなところがいいと言われるのだけれど、どうも一致しない。少女漫画にして、外からこの主人公の魅力をもうひと描きしてくれたらいいんじゃないかと思いました。削られた部分があったのかもしれないとも思えました。偉生は何となく宮沢賢治を思わせる鉱物少年で、魅力的でした。 

ワトソン:今回の3冊の中では私はこれが一番読みやすかったです。文章がすんなりと入ってきました。登場人物の苗字から原発関連の話になるのかなという予想ができました。辞書から「希望」を切りとるところは、新しい版の辞書買うというラストへ結びつけるためのものという印象が残ってしまいました。あとがきから、1995年生まれの子の物語をという依頼だったようなので、この時代について残すという意味で書かれた話なのかなと思いました。そういう意味では意義ある作品と言えると思います。ただ、同じ年に生まれた娘にも感想を聞いたら、幸いこの話のように友達を亡くすというようなつらい体験もしなかったし、ゆとり世代といわれるけれど、世間が思うほど自分が生まれた年を意識することはないと言っていました。 

アカシア:おもしろかったです。2010年から11年という一年間の友だち関係の出来事に、チリの鉱山の落盤事故、ニュージーランドの地震、新燃岳噴火、はやぶさの帰還、タイガーマスクのランドセル寄贈なんていう折々の社会の出来事を織り交ぜて書いているのもいいですね。内側だけの心模様だけじゃなく外の出来事にも目を向けてほしい、という著者の気持ちが表れているのかもしれません。そしてもちろん地震と原発事故が3月には起こります。3.11の後、日本中が動揺していたことを、読みながら私もまざまざと思い出しました。欲を言えば、原発について話し合うところが、やっぱり硬い表現になってしまっているのが残念。やわらかい表現では話せないことだというのはわかりますが、もう少し技術用語を超えたものになっているとよかったかな。もっとも著者は意図的に日常になじまないことをわざと強調しているのかもしれませんが。それから、さっき他の方がおっしゃっていましたが、私も会話の文体のテンポのよさに、翻訳文学だとここまでできないなあと差を痛感しました。たとえば最初の方に「ねえよ、そんなの」という市子の独白があるのですが、翻訳だったら女の子の台詞はこうは訳せない。ここまでやれるとおもしろいですけどね。ちょっと疑問に思ったのは、会話の中では苗字で言い合っているのに、地の文では名前になっている。どうしてなんだろうな、と思いました。それと、辞書を破くというのは、この年代の子どもなら大いにあり得ると思います。 

ルパン:でも、切っちゃったページ、裏に大事な言葉が載っているかもしれないのに。 

アカシア:子どもって、大人の想像の範囲を軽々と超えていく存在だと思うんです。で、児童文学作家なら当然のことながら、そこを書きたいんじゃないかな。 

レン:はやぶさの帰還に「希望、感じるよね」という同級生に反発を感じるのは、わかりますよね。 

夏子:「希望」という歌が上手に使われていますよね。岸洋子さんという歌手は、上手なこともあって、ねっとりとせまってくる感じ。 

:薄っぺらい希望は切り取ったけど、震災や苦しみを越えた後に自分の希望は見える、ということでしょうか。 

アカシア:辞書も後で同じのを買うわけじゃないんですよ。切り取ったのは、岩波国語辞典第六版横組だけど、最後に自分のお小遣いで買ったのは同じ辞典の第七版普通版なんです。だから一歩前に進んでる。 

さらら:濱野さんの作品はもともと大好き。だから期待して読みました。原発事故や、その後に起きたことを書きたいという気持ちはよくわかり、意欲的な作品だと思いました。いっぽうで、冒頭で「希望」という字が出ている辞書のページを冒破った主人公が、最後に、辛いこともあったけれど、行方不明になった友人の「希望」を受け入れる決心をして新しい辞書を買うところに、計算が透けてみえて、やや残念でした。会話は生き生きしていて、軽妙です。なのに、どこかテーマにあわせて書かれたのでは、という意識が読み手の私の心にひっかかって、人物がしっかり動いてこなかった。特に、大震災の後の主人公の心理の動き、喪失からの立ち直りが、すこし早すぎるような気がしました。中学生や高校生が実際に読むと、違う感想を持つのかもしれません。でも大きな喪失、そこからの再生、その肝心のところがまだ十分に書けていない気がします。もともと連載だったので、しかたがない部分はありますが、作家のなかで人物像が完全に熟していないうちに、外に出してしまった印象を持ちました。このテーマで、もう一回書いてほしいな、濱野さんには。 

ワトソン:どうして「石を抱いた」なんでしょうね。

アカシア:「石」と「意志」は掛詞になっています。p178-179に「洋一、変なやつだった、っていわなかったな。洋一の思いが、今ごろになってじんわりと伝わってくるようだった。臆面もなく語る夢。気恥ずかしくなるような希望。/偉生は、意志を抱いていた」ってあります。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年9月の記録)


2014年09月 テーマ:石

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『2014年09月 テーマ:石』

 

日付 2014年09月18日
参加者 アカシア、アンヌ、慧、さらら、夏子、ルパン、レン、ワトソン、レ
ジーナ
テーマ

読んだ本:

濱野京子『石を抱くエイリアン』
『石を抱くエイリアン』
濱野京子/著 
偕成社
2014.03

版元語録:わたしの辞書に「希望」なんかない。1995年に生まれ、2011年3月に卒業式をむかえた15歳たちの1年間。中学生から。
田中彩子『石の神』
『石の神』
田中彩子/作 一色/挿絵
福音館書店
2014.04

版元語録:江戸時代、上州の石屋「大江屋」に、石工見習いのふたりの少年がいた。ひとりは、一流の石工をめざし一心に修行に励む寛次郎。もうひとりは、天才肌で素性の謎めいた申吉。申吉は実の名を捨吉といい、「石神」を祀る「荒れ地」からやってきたのだった……。宿神思想に想を得て、ふたりの少年の成長を描いた意欲作。第12回児童文学ファンタジー大賞佳作受賞作
アンドレアス・シュタインヘーフェル『リーコとオスカーともっと深い影』
『リーコとオスカーともっと深い影』
原題:RICO, OSKAR UND DIE TIEFERSCHATTEN by Andreas Steinhoefel, 2008
アンドレアス・シュタインヘーフェル/作 森川弘子/訳 
岩波書店
2009.04

版元語録:特別支援学校に通うリーコは、誘拐犯に連れ去られた親友オスカーを救うため、ひとりで町に飛び出します……。ケストナー文学賞受賞作家の話題作!

(さらに…)

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トビのめんどり

ポリー・アラキジャ『トビのめんどり』さくまゆみこ訳
『トビのめんどり』
ポリー・アラキジャ作 さくまゆみこ訳
さ・え・ら書房
2014.08

西アフリカのナイジェリアを舞台にした絵本。主人公はトビという名前の男の子。友だちのアデが飼っている雌牛は月曜日に1匹赤ちゃんをうみ、トゥンデが飼っている羊は火曜日に2匹赤ちゃんをうみ、ビシが飼っているヤギは水曜日に3匹赤ちゃんをうみ…というふうに、村の子どもたちが飼っている動物には、次々に子どもが生まれていくのに、トビはずっと待っています。でも、3週間たつと、とうとう卵がかえって、ヒヨコが誕生!

村の人々の暮らしぶりを伝えながら、曜日や数についてもわかるように考えられた絵本です。最後の見開きには、「ぜんぶで なんば いるのかな?」と、たくさん描いてあるニワトリを数えてみる楽しさがあります。

作者はイギリスに生まれて、ナイジェリア人と結婚し、長年ナイジェリアに住んでいた画家です。作品が紹介されているホームページはここにあります。
http://www.pollyalakija.com/

◆◆◆

<紹介記事>

・「子どもと読書」2014年11.12月号の「新刊紹介」で北村明恵さんがご紹介くださいました。

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トビはめんどりを、友達はそれぞれ牛・羊・ヤギ・ネコなどを飼っています。月曜日、友達のアデの牝牛が赤ちゃんを一匹産み、トビのめんどりは卵を一つ産みました。火曜日、トゥンデの羊が赤ちゃんを二匹産み、めんどりは二個目の卵を産みました。こうしてどんどん赤ちゃんと卵が生まれ、七日目の日曜日、卵は七個になりました。三週間たって、他の赤ちゃんは大きくなって動きまわるようになりました。トビとめんどりは、卵がかえるのを待っています。

数がどんどん増えていく数の絵本でもあり、絵の中の動物を探して数える絵本でもあります。また、まわりで働く大人達や、動物と共に暮らすアフリカの暮らしが絵から伝わってきます。

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『ネルソン・マンデラ』の紹介記事

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『『ネルソン・マンデラ』の紹介記事』

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『ネルソン・マンデラ』

が紹介されました。

やまねこ翻訳クラブの三好美香さんが、「月刊児童文学翻訳」No.157(2014年6月号)で『ネルソン・マンデラ』を紹介してくださいました。

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●注目の本(邦訳絵本)●人種の融和を成し遂げた南アフリカの父
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『ネルソン・マンデラ』 カディール・ネルソン文・絵/さくまゆみこ訳
鈴木出版 定価1,900円(本体) 2014.02 38ページ ISBN 978-4790252771
"Nelson Mandela" by Kadir Nelson
HarperCollins Children's Books, 2013
 南アフリカの黒人が入植者に奪われたものは土地と自由。本書は、すべての国民に
自由を取り戻す闘いを続けたネルソン・マンデラの伝記絵本だ。
 ネルソン・マンデラはクヌ村で幸せな子ども時代を過ごした。9歳で父が亡くなり、
預けられた遠方の親戚のもとで、黒人が背負ってきた悲しい歴史を知る。そして、不
当な扱いを受ける黒人を守るために、より一層勉学に励み弁護士となるも、法律だけ
ではかなわぬことから、アパルトヘイト撤廃の活動へ身を投じる。抗議デモや集会を
組織する彼を政府は逮捕した。獄中生活は長く厳しいものだった。しかし、政府は国
際世論の非難を受けてアパルトヘイト撤廃へと方針を変え、投獄から27年を経てよう
やく彼を釈放した。そして彼は、全人種選挙で大統領に選ばれた。
 不屈の精神で非凡な人生を送ったネルソン・マンデラを、作者は平易な言葉と力強
い絵で描き出す。人物や背景に、太い線と艶を消した色を使うことで、絵はより本質
に迫り、時代色まで描写する。私が特に心を引かれたのは、冒頭の場面だ。クヌ村の
丘陵を、逆光と影の黒色を用いて描き、幸せな子ども時代が長く続かないことを予感
させる。次のページでは、父の死を語る文章と、厳しい表情で見つめ合う母子の絵で、
身を切るほどの悲しみを表す。父から受け継いだ民族の誇りと、「ゆうきを出すんだ
よ」と別れを告げた母の言葉が、彼の原点だと感じた。類いまれなる統率力と高潔な
人格をもって信念を貫き、彼は、「アマンドラ(力を)」の合言葉で民衆の心を1つ
にまとめ、大統領に選ばれた。人種差別のない社会への幕開けだ。作者は晴れ渡る空
を背にした彼を描き、天にいる先祖も国民も世界も南アフリカを祝福したと語る。そ
の青天には、この日を待たずに命を落とした多くの仲間やその家族も、先祖として描
かれているように思えた。
 読み終えて、表紙いっぱいに描かれたネルソン・マンデラの肖像画に見入った。そ
の背後にある彼の歴史。そして彼の視線の先に広がる未来。見つめられている私たち
は彼にとっての未来だ。その瞳が読者に真っすぐに問いかけてくる。人間は平等だ、
君は、差別を許さない勇気を持っているかと。長く読み継がれてほしい作品だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【文・絵】カディール・ネルソン(Kadir Nelson):米国サンディエゴ在住。ニュー
ヨークのプラット・インスティテュートで学ぶ。絵本作家として、またイラストレー
ターとして、幅広く活躍。邦訳に、『わたしには夢がある』(マーティン・ルーサー
・キング・ジュニア文/さくまゆみこ訳/光村教育図書)、『ヘンリー・ブラウンの
誕生日』(エレン・レヴァイン文/千葉茂樹訳/鈴木出版)などがある。
【訳】さくまゆみこ:1947年、東京生まれ。青山学院女子短期大学教授。文化出版局、
冨山房で児童書編集に携わり、現在、翻訳家として多くの作品を手掛ける。最近の訳
書に『やくそく』(ニコラ・デイビス文/ローラ・カーリン絵/BL出版)、『海の
ひかり』(モリー・バング&ペニー・チザム作/評論社)、『ひとりでおとまりした
よるに』(フィリパ・ピアス文/ヘレン・クレイグ絵/徳間書店)などがある。
【参考】
▼カディール・ネルソン公式ウェブサイト
http://www.kadirnelson.com/
▼さくまゆみこ公式ウェブサイト
http://members.jcom.home.ne.jp/baobab-star/
▽さくまゆみこ訳書・著作リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)
http://www.yamaneko.org/bookdb/int/ls/ysakuma.htm
▽さくまゆみこインタビュー(やまねこ翻訳クラブ資料室)
http://www.yamaneko.org/bookdb/int/ysakuma.htm
                                (三好美香)



『奇跡の子』熊本子どもの本研究会から

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『『奇跡の子』熊本子どもの本研究会から』

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『奇跡の子』

の紹介を載せてくださいました。

ディック・キング=スミス 著
さくまゆみこ訳
講談社
2001.07

「熊本子どもの本研究会」の菊島紘子さんが、会報No.372(2014年8月6日発行)に『奇跡の子』について書いてくださいました。
私は大好きな本ですが、今は絶版になっているようです。

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「kisekinokokumamoto.pdf」をダウンロード

 


戦場のオレンジ

エリザベス・レアード『戦場のオレンジ』
『戦場のオレンジ』
エリザベス・レアード/作 石谷尚子/訳
評論社
2014.04

『戦場のオレンジ』をおすすめします。

いい作品を書いているのはわかるけれど、なぜか心の奥底まで響かない作家がいます。私にとってエリザベス・レアードはそんな作家の一人でした。きっと読者である私との相性の問題なのでしょう。

なので今回も、この作品を取り上げようと即決したわけではありませんでした。でも、迷っているとき、雨宮処凜さんの「若い女性に戦争の現実味を伝えるには、服が汚れる、おしゃれが出来なくなると説明するのがいちばん響く」という言葉が目にとびこんできました。

爆撃される、殺されるというのは、今やバーチャル世界の出来事となり、実感が持てないのだと思います。服が汚れるなんていうのは、日常世界でも体験することなので、逆にリアリティをもって迫ってくるのでしょう。

それならと、今回はこの本を取り上げることにしました。これを読めば、もう少しリアルなイメージが持てるようになるかもしれないと思ったからです。

本書の舞台は内戦下のベイルートで、敵と味方の間にグリーンラインと呼ばれる境界線が走っています。主人公は10歳のアイーシャ。父親は外国に出稼ぎに行き、母親は家に爆弾が落ちてから行方不明で、アイーシャを頭に3人の子どもがおばあさんと暮らしています。そのおばあさんが生きていくのに必要な薬を手に入れるため、アイーシャはグリーンラインを越えて敵の領域まで侵入し、お医者さんを訪ねます。

物語の中には、このお医者さんをはじめ、やわらかい心を持った人たちが登場してきます。でも、戦争という状況は、そのやわらかい心がのびやかに息づくのを許してはくれません。そのあたりのことがとてもよく書かれています。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年8月11日号掲載)


2014年07月 テーマ:家族のありかた

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『2014年07月 テーマ:家族のありかた』

 

日付 2014年07月31日
参加者 アカシア、夏子、ルパン、慧、シオデ、ウグイス、ヤマネ、レタマ、プル
メリア、げた、ajian
テーマ 家族のありかた

読んだ本:

『ローズの小さな図書館』
原題:PART OF ME by Kimberly Willis Holt, 2006
キンバリー・ウィルス・ホルト/作 谷口由美子/訳 
徳間書店
2013

版元語録: 1939年、パパが家を出ていき、ママは、私と弟と妹をつれて故郷ルイジアナに移ることに決めてしまった…。14歳のローズは、家族のために図書館バスのドライバーとして働きはじめる。でも、作家になる夢はずっと忘れなかった…。ローズの物語から始まり、息子、孫、ひ孫と、四人の十代の姿を生き生きと描く。本への愛がつなぐ、家族の五つの物語。
『ゼバスチアンからの電話[新版]』
原題:EIN ANRUF VON SEBASTIAN by Irina Korschunow 1981
イリーナ・コルシュノフ/著 石川素子+吉原高志/訳 
白水社
2014

版元語録:夫やボーイフレンドの意向ばかり気にする43歳の母シャルロッテと17歳の娘ザビーネ。ある日、母が夫に相談せずに車の免許をとる決断をすることから、それぞれのあり方が変化していく。
『カレンダー』
ひこ・田中/作 
福音館書店
2014

版元語録:13歳の女の子翼が見つめる現在、過去、未来。老若男女、生者も死者も入り交じり、ひととひととのつながりの不思議さ、おもしろさが、みずみずしい筆致で描き出される。

(さらに…)

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カレンダー

『カレンダー』
ひこ・田中/作 
福音館書店
2014

レタマ:同じように家族を扱っていても『ゼバスチアンからの電話』と非常に対照的でした。あちらの両親は古きよき家庭にありがちなキャラクターですが、こちらは型にはまらない人々が次々と出てくる。日本の児童文学は大人の存在感が希薄なものが多いのですが、これは大人がたくさん描かれていて新鮮でした。しかも、若い登場人物だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんも、読み進むにつれて変化します。料理やレッサーパンダやダーツなど小道具づかいに、人びとのさまざまな価値観が感じられました。20年前に書かれているのに、古い感じがせず自由で、かえって今の若い書き手のほうが保守的な価値観にとらわれている感じしました。ひこ・田中さんには、こういうYAをもっと書いてほしいと思いました。

ヤマネ:ひこ・田中さんは評論家の印象が強くて、作品は初めて読んだんですが、とてもおもしろかった。内容も新しい感じがする。福音館書店から発売されたのは今年2014年で、もともとは1997年に書かれている本ですが、全く古さを感じなかった。福音館書店版は表記の仕方や本のつくりが新しい感じで実験的な部分がいろいろあると感じました。たとえばp139の家の中の座席の表現など縦書きの文章のなかにいきなり図版が入ってきて驚きました。他ではバナナシェイクの文字だけ太字になっていたり。最初に装丁を見た時は斬新だと思いましたが、お話の内容を読んだら合ってますね。対象年齢になっている小学6年生はどういう感じで手に取るのでしょう。もしかしたら対象はもう少し上の中高生あたりかも。日記や手紙などの入れ方も上手だと思いました。

げた:昔文庫で読みました。文庫版のあとがきで作者自身が冒頭シーンが相当いい加減と言っているんだけど、全体に筋の設定が何となく無理やりな感じがしますね。それに、人物像もはっきりしないですよね。林君との初恋も、彼女が彼のどこにどういうふうに惹かれたのか、わかりません。筋的には突拍子もないところから始まって、おもしろい展開ではあるんですけどね。ちょうど40年前に京都に1年いたので、その頃のことを思い出しながら読みました。

プルメリア:独特の雰囲気を持つ女の子の挿絵と背表紙や表紙の一部分がキラキラしているのが印象的です。手紙があったり日記があったり、未来の自分への手紙があったり、会話文が長く挿入されていたりなどさまざまな構成が組み入れられている作品だなと思いました。ダーツは家庭にあったりダーツバーがあったりしますが、中学校の部活でやるのは難しいかも。方言、お寺、地名から京都が身近に感じられました。

アカシア:いろいろなキャラクターが浮かび上がるように書いてあります。谷口極などのキャラクターは、書かれた当時よりも今の方がリアリティがあるかも。ふつうこういうYAは同世代のやり取りしか書いてないけど、さまざまな大人との対話が書かれているところがいいですね。リアルな家族というよりは、理想が書かれている。イデオロギーが先にあるというふうに言えなくもないのだけど、『ゼバスチアンからの電話』などとちがって翻訳物じゃないので、日本語の魅力で引っ張っていくことができる。内面を書くとき、ふつうは会話や行動で書くものですが、日記や会話を使うのはちょっとずるいかな(笑)。読んだときはそれほど気にならなくて、仕掛けとしておもしろく感じたんですけどね。

ウグイス:冒頭で、主人公が赤ん坊の時に両親を交通事故で亡くしたと書いてあり、ああ作者は親のいない話を書きたかったんだな、とわかりました。両親ではない大人との関係を書いて成功していると思います。いろいろな人がいて、いろいろな価値観があるというのが分かり始める年代の子どもの気持ちがよく書かれていますよね。大人顔負けの考え方をする、ちょっとひねくれてはいるけれど、明るく前向きで、へこたれない女の子像というのは、90年代の特徴かもしれません。

ルパン:私はこの本は楽しめませんでした。吐く場面から始まるし、せっかく声かけた女の子に「なんか文句あんの?」っていう大人が出てきた時点でもう…。しかもこの人たちを家に入れちゃって、ずっと物語が続いていくんだけど、ぜんぜん共感できないから、このあとどうなるんだろう、っていうワクワク感もなくて。

シオデ:私も、冒頭から吐いたり、下痢をしたりする場面に生理的な嫌悪感をおぼえたのと、京都弁が多用されるのが字にすると騒がしくて、途中で読むのをやめてしまいましたが、何日かたって続きを読んだら、今度は一気に読めました。世代も環境も違う人たちと触れあいながら成長していくのは、理想というよりむしろリアルなんじゃないかな。そういうリアルな触れあいを書いたところが新鮮で、なかなかいいなと思いました。でも、新版の最後にある現代の部分は、いまの読者に読んでもらいたいという配慮なんでしょうが、本当に必要なんでしょうか? それから、おばあちゃんは、とっても魅力的なんだけど、最後にサークルを作って雑誌を発行するというのは、つまらないところに着地したなと・・・。

アカシア:そこは、あるあるなんじゃないですか? わざとそうしてるのかも。

シオデ:いるけど、だからがっかりしたというか。

ajian:台詞や文体でひっぱるおもしろさや、それぞれの日記や手紙で内面がぽんと出てきたりするおもしろさがあって、ぐいぐい読めました。コンセプトが先にあっても、けして類型的なキャラクターはなくて、主人公の女の子も不思議な魅力があり、ひょうひょうとしています。私はガッツがある子が好きなので、吐いている人にけりを入れてやろうかというあたりに、いいぞと思いました。かといって短気というわけでもなく、魅力的。なかなかおもしろかったです。最後の章はなくてもいいかな。

:『お引っ越し』『カレンダー』『ごめん』も読んだし、映画も見ましたけど、やっぱり、ひこさんは評論や書評がいいのでは。舞台にしている京都については、生活的な部分があいまいで、ひこさんが大学時代に過ごして知っている部分だけが突出しているようで、気持ちが悪い。日記とか『ヴォイス』など、書くという行為も、結局、ひこさんが知っている世界なだけですよね。その上で、登場人物にひこさんの理想を投影しているだけ。リアリティがあまり感じられない。

シオデ:俗にいう京都のいやらしさもよく出ているんじゃないですか。主人公が、修学旅行の生徒のふりをするところとか。

ajian:個人的には、この本を読んで京都に対する好感も上がりました。

シオデ:私は、京都でずっと暮らしていた上野遼さんの作品がとても好きなんだけど、上野さんの作品は、またちょっと違いますよね。この作品に出てくる人たちって、おじいちゃんは元大学教授だし、翼の両親と転がりこんでくるふたりは、関西の名門大学の卒業生だし、いわゆるインテリ(今は死語かも)ばかりってところがちょっと鼻につく……。

アカシア:慧さんがリアリティがないとおっしゃったのは……。

:海と極に両親の服を着せるところは、つくりものめいている。

アカシア:服はそうかもしれないけど、海と極みたいな人はいるのでは?

:あと、この生活の余裕感は今はないですね。ちょっとアルバイトしたりとか……。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年7月の記録)


ゼバスチアンからの電話[新版]

『ゼバスチアンからの電話[新版]』
イリーナ・コルシュノフ/著 石川素子+吉原高志/訳 
白水社
2014

レタマ:大昔に読んだけど、内容をすっかり忘れてしまい読み直しました。ザビーネの両親の姿が私の両親とあまりにも似ていて、読んでいると息苦しくなるぐらい。何気ない日常の中でのザビーネの気持ちの動きがこまやかに描かれているところがよかったです。最後に家族全員に変化があるけれど、そこに行き着くまでが長いので、山あり谷ありのストーリーに慣れている子どもには、起伏がなくて読みづらいのかも。前はYAの作りだったのが、今回大人の本として再刊されたのはどうしてでしょう。中高校生では読みこなせなくなったから?

げた:福武書店の版で読みました。ドイツでも、すごく(価値観が)古いんだなとびっくりしました。もっとも、原書は1981年の本で30年以上前のドイツのことだから、今はどうだかはわかりませんけどね。ゼバスチアンのお母さんが、ザビーネにゼバスチアンの世話を頼もうと旅行に誘い出すあたりなどは、ちょっと怖いものすら感じましたよ。ただ、最近の若い子たちは束縛されたがっているところもあって、このザビーネのように自分の生き方を貫いていく強さがあるといいなとも思いました。

アカシア:今の若い人たちが束縛されたがっているとは思わないけど、専業主婦が楽だと思っている人はいるかもしれません。楽なほうに行きたいというか。

げた:結果としては同じになってしまうんですよ。だから、若い子たちに読んでもらいたいと思いました。それから、ゼバスチアンっていうキャラクターなんだけど、こういう男っているんですよね。若い女の子にモテて、嫌味なやつが。私はどちらかというとアンドレアスタイプだったんですけどね。

アカシア:白水社版は、せっかく新版にしたのに誤植が多いですね。内容はすっかり忘れていたのでもう1度読みましたが、あまりおもしろくなかった。いかにも古い。ザビーネの恋愛の対象がゼバスチアンかアンドレアスかという2択だけど、今はもっとたくさんのタイプがいるのに。両親の人物造形も類型的。ユーモアがないのもまずい。クソまじめでおもしろくない。トルコ人が出てくるところの書き方にも引っかかりました。今の若い学生が読みたがるとは思えません。作家に言いたいメッセージがあって書いているところが、ちょっと鼻についたりもします。だから楽しくないのかも。

ウグイス:最寄りの図書館には新版は1冊もありませんでした。予算がないからか、旧版が入っている場合には買わないことが多いみたい。訳者やタイトルが変わると買うけれど。原書が出たのが1981年、福武で出たのが1990年。恋愛というより母親からの自立の物語として印象に残る作品で、ヤングアダルトというジャンルが形成された8、90年代には、親からの精神的な自立というのは一つの重要なテーマだったと思います。この黒い装丁も当時はおしゃれで、中学生、高校生ぐらいによく読まれたのだと思いますね。今になってどうして新訳されたのかはわかりませんが……。ザビーネの一人称で書かれていて、時系列どおりに話が進まず、回想シーンが入ったり、気持ちのゆれに合わせて場面が転換していくあたりも、当時は新鮮だったのではないかと思います。

シオデ:たしかに作者の言いたいことが前面に出ていて、今の若い人たちには古いと思われるかもしれないけれど、私はおもしろく読みました。大人の読者には、共感できる部分も多いのではないでしょうか? だから、いま大人向けに出したというのも分かる気がします。新版なのに誤植が多いのは、私も気になりました。

アカシア:あとザビーネがとてもいやなキャラクターよね。

シオデ:弟をのぞいては、みんな、それほど好感を持てるキャラクターじゃないわね。それが、けっこうリアルだと思ったけど……。

アカシア:キャラクターが立体的でないのは、やっぱりイデオロギーが先にあるからじゃないかしら。

夏子:まあ、それなりにおもしろく読みました。ただ最初からずっと、気に入らない気に入らないとひっかかりながら読んでいて、何にひっかかるのだろうと、考えていたんです。結局、イデオロギーが先行しているからだと思い当たりました。ザビーネの母親からの自立と、母親本人の自立、それが平行して描かれているところが、いちばん興味深かったです。とはいえ今読むと古くて、子どもが読んでおもしろいとは思えないなぁ。ティーンエイジャーの恋愛が描かれていて、セックスにひかれているということだってあるはずなのに、そのあたりはまったく無視していますよね。読んでいて「そんなもんじゃないだろう!」と不満でした。

ajian:イデオロギーはたしかに先に立っているし古いところもあるけれど、2歳年下の同僚は、「すごく分かるところがある」と言ってました。ゼバスチアンはいやなキャラクターですが、こういうやつは今もいるので、アクチュアルな感じもこの本は持っていると思います。さっさとそういう男から卒業して幸せになってもらいたいと若い女の子には思っているけど。

夏子:だけどね、ゼバスチアンからすると、「あなたのためになります」という女の子に迫られたら、まるでお母さんがふたりできるみたいで、すごくうっとうしいと思うよ。ゼバスチアンが逃げたくなる気持ちも、よくわかる。

ajian:ぼくやげたさんは男性なのでゼバスチアンに辛口なんだと思う。

夏子:そんなにいやなやつじゃないと思うけどな。

ajian:デートDVとかしそうじゃないですか。

アカシア、レタマ:そういうタイプじゃないよ。

アカシア:サビーネみたいな、お世話します系はどうですか?

レタマ:でも、ザビーネが、相手に合わせようとしてしまって後で悔やんだり、勇気のない自分をお母さんと同じだと思ったりするところは、おもしろかったです。恋人の前で、自分が思っていたことと違うことを言ってしまったりするあたり。

夏子:そうそう、そのあたりはよく書かれている。

:おもしろかった。のめりこんで読みました。ザビーネは、ピルの心配など大人びているところもありますが、その大人っぽさゆえに、免許を取って仕事を得て家計を支えはじめるお母さんの姿や、得意科目以外は勉強しないベアティの男の子っぽさをとてもよく見ています。で、このお母さんは、一昔前っぽいけれど、案外今でもいそう。だから、高卒で就職か大学進学かという悩みは現在とはちょっと違うけれど、古さはほとんど感じなかったです。ゼバスチアンはいやなやつですね。でも、彼はあまり関係ない。最後に、自分から電話をかけるザビーネは、ゼバスチアンかアンドレアスに選ばれるという2択ではなく、自分自身で決めるという第3の選択ができている。立派な成長です。

アカシア:古いと思うのは訳し方のせいもあるのかも。こういうお母さんもゼバスチアンみたいな人もまだいることはいるけど、「〜わ」で終わる口調などはいかにも古い。

レタマ:一つ思い出したことですが、この頃の「電話」のドキドキする感じが、今の人にはわかりにくいかもしれませんね。当時は携帯電話もメールもなく、長距離電話にはお金がかかって、顔を合わせていない時間は連絡がとりにくかったし、電話の会話は家族に筒抜けでしたが、今はぜんぜん違うので。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年7月の記録)


ローズの小さな図書館

『ローズの小さな図書館』
キンバリー・ウィルス・ホルト/作 谷口由美子/訳 
徳間書店
2013

アカシア:ずいぶん前に読んだので思い出す部分と思い出さない部分があります。5部構成になっていて、4世代のそれぞれの物語をそのうちの4部をつかって書き、第5部で亡くなった登場人物以外の全員がそろうという構成がおもしろい。すべてのエピソードの舞台が図書館ではないけど、本や図書館にまつわる人を4世代にわたって描いています。アメリカの十代の普通の人たちがどんな暮らしをしていたのか、世代をまたがってたどれるところもおもしろかったです。わなにかかった犬の話など印象的なエピソードも登場します。おまけのおもしろさとしては、ホームレスの人が図書館でハリー・ポッターを読んでいるなんていうところ。平日の昼間、行き場のない人が図書館にいくのは、日本もアメリカも同じなのかと思いました。系図があるのでそれを見ながら読んでいけるのもいいですね。大傑作とは思いませんでしたが、佳作。気持ちのよい本でした。

ウグイス:4世代にわたる家族の物語で、最終章で79歳になった主人公ローズの現在が語られています。とてもつらい境遇にありながら、本が大好きで、移動図書館の運転手として本にかかわっていくローズ。どんな運命も受け入れていく主人公の芯の強さに共感を覚えました。最初の章の展開がおもしろく、この子がどうなっていくのかと期待が高まります。その後の章で、ローズの生き方や本に対する気持ちが、次の世代の家族にどう伝わっていくかが描かれています。2章以降は三人称で書かれているのでより客観的に物語が進み、描かれている期間もローズの章より短いので、ちょっと物足りなさも感じるのですが、読み進むにつれ、書かれていない部分にどんなことが起こったのかを想像する楽しみもあることに気づきました。例えば「アナベス」では3人の男性が出てきますが、次の「カイル」の章を読むと、アナベスの結婚相手は別の男性だとわかります。結局アナベスが選んだのはどんな人なのか、「カイル」を読んで知ることになるわけですが、その間の出来事は読者の想像にゆだねられているのです。人物描写は短いながら的確で、読者の想像をかき立てるので、十分に物語の中にひきこまれます。ローズの子ども、孫、曾孫の中には、ローズと同じように本が好きで図書館に通う者もいれば、本とは関係のない生活をする者もいるけれど、どこかで必ず本にかかわっていくところがおもしろい。どの章にも常にどこかにローズの存在があり、最後にローズの夢がかなうというのは、幸せな余韻が残る終わりかただと思いました。
 各世代の描写の中からは、それぞれの人生のほんの一部を垣間見ることしかできませんが、前の章からのつながりが随所に見られるので、読者は満足できます。そういった小さな描写が、その後の章への大切な伏線となって物語に深みを与えていると思います。たとえば、ローズは後に夫となるルーサーに出会ったとき、しわくちゃなシャツが気になるという描写があって、次の章では、ルーサーが「糊のきいたシャツのボタンをとめていた」という1文があり、結婚してローズがパリッとしたシャツを着せていることがわかるわけです。そういうのが、物語を読む楽しみのひとつだと思うし、読者を満足させてくれると思います。また、その時代にはやっていた小説や、図書館の様子にも時代性が見られ、「本」を通してアメリカの時代の移り変わりを感じることができます。日本でも翻訳されている書名が数多く、それを読む人々がより一層身近に感じられました。『大地』から『ハリー・ポッター』まで登場する本は他にないですよね。本や図書館をキーワードにして描いた家族の歴史というのは珍しく、本好きな人の心をくすぐる描写が数多く散りばめられています。図書館がなくてはならない存在であり、図書館員は本の好みを知り尽くした一生の良き友人として描かれているのもよかった。ローズが最初、ぜんぜん本を読まない人に『大地』を紹介して失敗するけれど、そのあともっと軽い本や料理のレシピ本などを手渡したら、その次に行った時には借りたい人を5人も連れて待っていてくれたところなんか、ぐっときました。
 原題、Part of Meはどう訳すか難しいところですが、「ローズの小さな図書館」とすると、ローズだけの物語にも思えるので、ちょっと内容と違うかなという気がしました。時の流れや家族の歴史というニュアンスがほしかったと思います。

ルパン:私もいいお話だと思いました。はじめにローズが出てきて、そのあと何世代にもわたる何十年分かのエピソードが出てくるんですけど、最後にまたローズの物語が出てくる、というのがすごくいいですね。ときどきちょっとわかりにくいところもありましたけど。たとえば、p16。「風車を回して、畑に水をやるのをやめた」という描写があるんですけど、これ、風車は回ったのか回らなかったのか、って悩んでしまいました。それから、ローズと図書館司書をやっていたアーマがずっと独身なのは切ないなと思いました。ローズの家系はつぎつぎに子どもが生まれてそれぞれの幸せをみつけていくのに、この人はずっと移動図書館のなかで人生を過ごしていくんですよね……。

シオデ:良い本だと思います。本でつながる4世代の物語というのも、本や図書館を愛する大人たちには文句なしに受け入れられるテーマですし、章ごとのエピソードも良く描けている。第1章と第2章は、特に良く書けていると思いました。ただ、私はひねくれているのかもしれませんが、おもしろくなかったし特に感動もしませんでした。発想から書き方に至るまで「いい本でしょ? 感動するでしょ?」と言っているような……。優等生的な感じがするんですよね。私は、登場人物が書いているうちに作者の手に負えなくなってしまうような、作者の思惑と違うところにたどりついてしまうような作品が好きなので、あまりおもしろみを感じなかったのかもしれません。書名がいろいろ出てきますけれど、その本が読んだ人の人生にどのように関わってきたかまでは書いていませんよね。その本を読んでいる読者は想像できるかもしれないけれど、本当は「本&図書館=素晴らしい」ということより、どうしてそうなのか、個々の本の力が読者の人生にどんな風に働きかけたのかを書いてもらいたかった。本好きの人にとっては、いまさらいうまでもない、当たり前のことなのかもしれないけれど。ちょっと引っかかったのはp176の「わけのわからないことをわめいているホームレスみたい」という1文。この子(アナベス)って嫌な子だなと、一瞬思ってしまいました。つぎの章にもホームレスの人たちのことが出てくるので、ホームレス(今は路上生活者っていうんじゃないかしら?)の人たちに対する感じ方が時代によって変わってきたと作者は言いたかったのかもしれないけれど、それだったらもう少していねいに書いてもよかったのでは? 原文がどうなっているかは分からないけれど、アナベスは路上生活者一般についてそう思っているのか、それとも特定の、たとえば自分の家の近くにいる誰かについてそう思っているのかもわかりませんでした。

夏子:アカシアさんと同じく、気持ちのいい本だと思いました。私は、表紙が気に入らないんです。この本は“時の流れ”が一つの大きなテーマとなっているのに、この表紙では、それがあまり感じられないのでは? 好意的に言うと、アメリカの移動図書館の車を、日本の読者に見せてあげる必要はあったのかもしれませんが……。本の内容は、最初のローズの章が何と言ってもいちばんおもしろかったです。「大草原の小さな家」シリーズのように、貧しく素朴な生活がリアルに描写されています。だけどこういうリアリズムのよさが発揮されるのは、貧しい時代の素朴な生活でないとだめなんだと思う。世代が代わってローズの孫のアナベスのあたりで、時代は近代ではなくなり現代になりますよね。現代になると、こういうリアリズムで生活を描いても、読者が共通項を持てないというか、共感しにくくなるんだと思う。アナベスの章は、主人公の心理描写になっているし、カイルの章になると、ハリーポッターの本が消えるというミステリーを持ってこないと、ストーリーにならなくなってくる。ええっと、村上龍の言葉を借りると、貧しさゆえの「悲しみ」に共感するのが近代で、個人がばらばらとなったがゆえの「寂しさ」に共感するのが現代とのこと。おおざっぱな言い方ですけれど、悲しみから寂しさへという近代から現代への変化が、1冊のなかで感じられて興味深かったです。
 最後にローズが登場することで円環が成立します。児童文学の中には、ものを書きたい女の子がたくさん登場しますよね。この本では、そういう女の子が年をとり、おばあちゃんになってから本を書くわけです。それをひ孫が読むというふうに時間が一巡りするところも、おもしろかったな。

ajian:好きな本でした。短いエピソードを重ねていくので読みやすかった。わなのところ、漁師のおじいちゃんのコネが運転免許場できいたはなしなど、一つ一つのエピソードが印象的です。こういう構成で書けるなんて巧い。いろいろな書名が挙がっていて、ローズがパール・バックの『大地』を貸して失敗したジュリアに次に『春は永遠』を貸して、とても気にいってもらます。『春は永遠』が読みたくなったけど残念ながら未訳でした。アメリカで有名な本がいろいろ挙がっていて、他の本も見てみたい気持ちになりました。アナベスが結婚したのは第3部には出てこない日系の人なんですが、それってだれ?と思いました。

夏子:日系の方の苗字は「コアミ」ですよね。「小網」さんっていうのかな?

シオデ:作者が知っている日系人の名前かもしれませんね。

ajian:だんだん現代的になっていくのもおもしろい。ベトナム戦争の話や、チャットルームに入り浸る子も、おもしろかった。

ルパン:未訳といえば、私も、『シンデレラの姉』を読んでいてお母さんが夕飯を作るのを忘れる、というシーンがあったので、その本を読んでみたいと思ったんですけど、これも日本では未訳でした。

:ちょっとお行儀がよすぎるかな。本好きに向けて「よくできた本でしょう」と主張しているみたい。本がたくさん出てきて、辛いときには『大地』、読書への目覚めには「ハリー・ポッター」などメンタルと本がリンクしてる。ブック・ピープル向けの工夫や間テキスト性がたっぷりでした。だから、ちょっと作りこみすぎかなと思いましたが、一応はおもしろかったです。ルイジアナだし貧しいし、最初は黒人の話かと思いましたが、白人ですね。クレオール的な言葉やアクセントは土地のもののようなので、翻訳で工夫されていますが、原文が見たいなと思いました。

ヤマネ:夏子先生が先ほど見せて下さった原書のように、時の流れを感じさせる表紙だったら手に取ったかもしれませんが、日本語版の表紙ではあまり手に取りたいと思いませんでした。また『ローズの小さな図書館』というタイトルから、もっと図書館の話を中心に描かれるのかと期待していましたが、実際は違いました。でも、4世代にわたる家族を書いている構成はとてもおもしろいと思いました。最初のページに載っている地図や家系図が読む手助けになりました。本の中で紹介されている名作とお話のつながりを感じられて心に残った場面は、マールヘンリーの章で『黄色い老犬』という本を読む場面。犬が助からないというパターンに陥ってなくて良かったとホッとしました。全体的にはあまり感動できなかったけれど、良い本だと思いました。

げた:私も、タイトルと表紙の絵を見て、もっと図書館を中心にした話なのかと思ったんですが、違いました。アメリカ南部の1940年前後からの子どもたちの様子を描いているんですね。先程リアリズムで素朴な生活が描かれているという意見が出ましたが、第2部の「わな」の描写などは、たしかに南部の生活を感じさせるリアリティがありますね。ただ、それぞれ章が短いので、これから、という感じのところで終わっていて、ちょっと印象が薄くなり、残念です。私ごとで恐縮ですが、ローズは自分の母と同い年で、母の人生とつい重ねてしまいました。

夏子:大人向けのこういう本『チボー家の人々』とか『ジャン・クリストフ』とかは、何て言うんだっけ? 「大河小説」でいいんですか? たいていもっと分量が多くて、何冊にもなっていますよね。これは短いエピソードをつないで1冊になっているので、読みやすくて助かる(?)というか、子ども向けなんだわね。でもこれほど短くても、後半になればなるほど、家系図を見ないと誰が誰だかわからなくなりますよね。

プルメリア:表紙の女の子は落ち着いていて14歳には見えないかな。裏表紙の、のどかな感じが気に入りました。各章ごとの内容が違っていますが、年号が書かれているので時間が経ったんだなと思うとすんなり内容には入れたような気がしました。ローズがミンクを溺れさせる場面など、当時の生活様式がわかり興味深く読めました。物語の舞台になっているアメリカの地図や家系図、作品に出てくる書名のリストがあるのは作品をさらに読みやすくしてくれました。図書館が作品の中にいろんな形で出てきたのがとてもよかったです。

レタマ:最初のローズの物語が一番印象的でした。17歳だとごまかして免許を取るときに、苦手なおじいさんが口ぞえしてくれるエピソード、移動図書館で人びとに本を手渡していく話など、とてもおもしろくて、そこだけをもっと深めてくれてもよかったのにと思いました。章ごとに世代が順々に変わっていく構成は、本を読み慣れている読者でないと読みにくいかな。1930年代と言ったら、日本の人たちはどんなふうに本を手にしていたのでしょうね。アメリカは図書館サービスが古くから発達していたのだなあと思いました。

シオデ:ルイジアナの言葉が出てきたり、それぞれの時代のベストセラーや背景にある事柄が出てきたりするので、アメリカの読者は自分の国の歴史や時の流れ、自分たちの家族について、日本の読者とはちがう感動をおぼえるのかもしれませんね。

ウグイス:地方色というのも一つの特徴なんでしょうね。ルイジアナといえば、アメリカ人なら誰でも知っているような雰囲気があるのだろうと思います。翻訳になるとそこがちょっと伝わりにくいというマイナスポイントはあるかも。以前、作者のホームページだったか、この本の紹介ページのBGMとして明るく賑やかなバンジョーの音色が流れていたんですね。たしかに日本語版のイメージとはちょっと違うかもしれません。

夏子:ルイジアナの地名は、確かブルボン王朝のルイ王から来ているんですよね。スペインやフランスのラテン文化が入っていて、独特な地域ですよね。

シオデ:ルイジアナの言葉の訳は難しかったでしょうね。促音の「ッ」が使われているところなど、音読するときはどんな風に読むのかな? 日本のどこかの地方の言葉を使う場合と、木下順二さんのように創作方言にする場合があるけれど、わたしは創作方言にするしかないと思っています。

夏子:すべて標準語に統一する翻訳者の方もいるけれど、それも味気ないですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年7月の記録)


ちいさなタグはおおいそがし

スティーヴン・サヴェッジ『ちいさなタグはおおいそがし』さくまゆみこ訳
『ちいさなタグはおおいそがし』
スティーヴン・サヴェッジ作 さくまゆみこ訳
講談社
2014.06

アメリカの絵本。小さなタグボートが主人公です。タグボートというのは、港でほかの船を引いたり押したりして助ける船です。めだつ船ではありませんが、小回りがきき、強力なエンジンをもっています。

タグは大忙しで活躍していますが、夜になるとさすがにつかれてきます。そうすると、こんどは仲間の船がやさしくいたわってくれます。

作者のサヴェッジさんは、この絵本について、「自分に子どもが生まれて生活が変化したころ、アトリエから港を見おろしているうちにアイデアがうかんだのです」と語っています。

私はタグボートの絵本をもう1冊訳しています。『さあ、ひっぱるぞ!』(ケイト・マクマラン&ジム・マクマラン作 評論社)です。タグボートは小さいわりには力持ちなので、子どもに好かれるのかもしれません。
(編集:小川淳子さん 装丁:田中久子さん)

Comment

ラン

『ラン』
森絵都/作 
講談社
2014

げた:初版(理論社)からはかなり表現を削って、分量が少なくなって新しく出されたようですね。

ルパン:おもしろかったです。亡くなった人と会う、というのはすごく難しい設定だと思うのですが、前に読んだ『母ちゃんのもと』(福明子 そうえん社)と比べたら、こちらのほうがずっとまともです。親に死なれるって、若い人にとっては大変なことだと思いますが、その気持ちも書けていて。死んだ家族と会っているけど、こんなに仲いい家族だったっけ、とか家族のリアリティにも踏み込んでるし。無条件にいいことばかりではなかったことを冷静に思い出すんですが、わざとらしくなくて。あと、「走る」っていうことで、知らない世界を知っていくわけですが、ゼロから知っていくパターンって、説明調で鼻につくストーリー運びもあるけれど、これはそんなにいやらしくなく、読んでいて、疲れなかった。あと、醤油飲んで自殺はかるおばさんがおもしろかったです。YAものの脇役としてはずいぶん年上ですよね。そのうえ最初から敵対関係なんだけど、何となく距離が縮まっていくあたり、主人公に感情移入できました。それに対して、ドコロさんは、よくわからなかったです。その罪悪感も、罪ほろぼしの論理も。

ハリネズミ:ペースメーカーをしてもらった後輩が心不全で亡くなって「ひでえ罪悪感にとりつかれてさ。そいつへの罪滅ぼしのつもりで走るのをやめた」って、書いてありますよ。

ルパン:ラビットが死んでしまったからといって、自分まで走るのをやめちゃったのは、どうしてでしょう。やめたら、その人の死を無駄にしたような気がするんですが。

ハリネズミ:天才ランナーとか言われるレベルの人だと、ペースメーカーがつくことも多いんでしょうから、また同じことになっちゃまずいと思ったんじゃないかな。

トトキ:最後まで、すらすら読めたのは覚えています。あの世とこの世を行ったり来たりするという点は、同じ森さんの『カラフル』に似ていますね。エンターテインメントとしては、おもしろく書いてあると思うけれど、どういったらいいのか「死ぬ」ということに対する切実な感じがないのがひっかかるんですよね。一緒に読んだ『ロス、きみを送る旅』(キース・グレイ作 野沢佳織訳 徳間書店)は、「死」が身を切られるほど切実なものとして迫ってくるんだけど。なんていったらいいか分からないけれど、物語がすべて作家の掌の中にあるっていう感じ。心を揺さぶられる作品って、登場人物が作家の手に余るというか、勝手に掌から飛び出していくような感じがあるんだけれど、みんなお行儀がよすぎるというか……。

ハリネズミ:『カラフル』は、死んだ人が生き返ってきますね。

トトキ:『カラフル』は設定がうまかった。出たときは、こっちとあっちを行き来する作品もそんなになかったし。

ハリネズミ:でも、この作品では行ったり来たりを肯定してるんじゃなくて、無駄ですよって言ってます。

ajian:うーん、私にはあまりおもしろくありませんでした。突拍子もない設定や展開など、お話をつくるのはうまいと思うんですが……。この作者の『カラフル』もあまり私好みではなかったので、合わないのかもしれません。登場人物も好きになれないというか、みんな書き割りのようにパターンで分けられていて、今ひとつ物足りなさを感じます。「キリストもブッダもアッラーも一休さんも言ってなかったんだよね」とか、作者は冗談のつもりで書いているんだろうけれど、とくに笑えないってところもいっぱいある。「生きていかなきゃ」というテーマにつなげた、全部がオハナシな感じがする。

ハリネズミ:大人が読むとそうかもしれないけど、中学生くらいの子どもはおもしろいんじゃないかな。深く考えることはできないかもしれないけど、考えるきっかけにはなるように思うな。

ajian:長いので読むのもたいへんだけど、読み終えたあとは呆然とするというか、徒労感があって。最近日本の作品はあまり読んでいないから、感覚が違ってしまっているのかもしれないですが。

レジーナ:作者はきっとこの作品で、それぞれ悩みを抱えたり、傷つけたり傷つけられてりしながら、生きている人は生きている人たちで、何とかやっているということを伝えたかったのでしょうね。生者も死者も、お互いに気がかりだけど、心配しなくてもいいというのは、子どもというより大人の視点ではないかと思いました。桜並木を走る場面では、新しいことを始め、止まっていた時間が動き出す様子、家族のことを少しずつ忘れていくことへの恐れが伝わってきました。おもしろく読みましたが、生者の世界と死者の世界がもう少し絡み合っていれば……。二つの世界があまりにもかけ離れているんですよね。最初は重要人物に見えた紺野さんも、途中から存在が薄くなります。家族が亡くなり、紺野さんも引っ越してしまい、紺野さんのくれた自転車のおかげで、死んだ家族に会える。理屈は通っているんですが、頭で書いているのかもしれません。家族に会うためにマラソンを始めた主人公を非難し、自分の考えを一方的に押しつける大島君には、腹が立ちました。後から反省はしますが。同居を始め、「タマ」と呼んだおばさんに、「猫を飼うような気分なんじゃ……」と思ったり、おばさんを「装甲車」と表現しているのはおもしろかったです。文章はちょっとくどいですが、高校生くらいの読者には読みやすいのかな。

ajian:いや、「生者は生者で生きていきましょう」とか、浅いと思ったんですよね。そんなに簡単な人間観とか死生観でいいの? と思ってしまいました。私にとって小説が魅力的なのは、そこに描かれている人物に、どうしようもない人間味を感じてしまうときで、正直に言って、ここに出てくる人物たちが死のうが生きようがどうでもいいと思ってしまいました。一言でいって、心に迫ってくるものがなかったんです。

ヤマネ:森さんの作品は好きなんですが、『カラフル』と『ラン』はあまり好きではありません。『リズム』『宇宙のみなしご』などは、きらきらした少女の気持ちがよく描かれていて大好きなんです。軽さが受け入れやすいのか、小学校高学年の女の子たちからも人気がありました。ただ生と死の話になると、設定から受け入れるのが難しくて。また、タイトルが『ラン』なのでもっと走ることが描かれた話かと思ったら、そうでもなく期待外れでした。読む人の好みにもよるかもしれませんが、苦しいことをもっと深く描いてそこから立ち上がる主人公の姿を読みたかったな。主人公の置かれている状況は、すごく辛い状況なのに、それがあまり伝わってこないから。一方で、生と死の世界をつなぐレーンの説明はつじつまが合うようにうまくできているとは思いました。

すあま:子どもの本ではなく、大人の小説だと思って読みました。自転車があの世に連れて行く、という設定や描写をうまく頭の中に描けず、話に乗り切れませんでした。天涯孤独の主人公があるきっかけで走り始める話、ではだめだったのか、新しい人間関係ができていくところを丁寧に書けばよかったのではないかと思いました。はたして死んだ家族のところを行き来する必要があったのか、と考えてしまいました。1冊にいろいろなことを盛り込みすぎのような。おもしろいキャラクターも出てくるので、ちょっともったいない感じがしました。

げた:今回は私が選書係だったんですが、最初の2冊が決まっても、あと1冊、日本の本がなかなか見つけられなくて、本屋さんの棚で見つけたんです。最初の部分で、紺野さんと主人公の出会いと別れの箇所を見て、テーマにつながるかと思って読み始めました。ストーリーとしてはありえないこだし、言ってみれば荒唐無稽ですよね。ありえないけど、ランニング仲間とのやりとりは現実的な、ありそうなストーリー展開でリアルなファンタジーですね。エンターテイメントとしては、おもしろかった。死んだ人がファーストステージにいる段階で溶けていき、次のステージに行って、生まれ変わるというのもなるほどと思いましたね。人間年をとると、死ななくても、実際既に溶けているんじゃないかなって。

プルメリア:『ラン』なので『DIVE!!』(森 絵都 講談社)のようなスポーツ青春ものなのかなと思ったら、そうではなかったです。真知栄子さんとのバトル、どちらも譲らない強い女の人ですね。猫が死んだときに猫と椅子をうめ、庭を掘り返したときに作業着姿の男に「猫がいませんでしたか」って尋ねると、「わからない方がいい」と答えられ意味深な感じでしたが、何故かネコは紺野さんがお骨として持っていました。奈々美さんと真知栄子さんは意思も口調も強くおばさんパワー?がたくましい感じ。「穴熊(アナグマ)さん」名前の設定もおもしろい。

ハリネズミ:私、ユーモアは大事だと思うんですけど、おやじギャグみたいなレベルでも中・高生に受け入れられるのかどうか、ちょっと疑問でした。あと、ネコは紺野さんの飼い猫だから、息子のところにまず行くんじゃないかな、なんていう疑問もありました。

げた:ちなみに、醤油は、戦前、徴兵逃れのために体の具合をわざと悪くするために飲んだ人がいたということを聞いたことがあるんですが、死ぬためじゃなくてね。

トトキ:江戸時代に醤油飲み競争をして亡くなった人がいるって話は聞いたような……。

ハリネズミ:エンタメだと仕方ないんだけど、マチエイコを除くと、人物像がステレオタイプかな。

げた:エンタメとして書いたんじゃないですか。

ajian:マチエイコが主人公のほうがおもしろいんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年6月の記録)


あたしって、しあわせ!

『あたしって、しあわせ!』
ローセ・ラーゲルクランツ/作 エヴァ・エリクソン/絵 菱木晃子/訳 
岩波書店
2012

げた:この本の主人公ドゥンネは決して恵まれた境遇にいるわけじゃないですよね。お母さんは「遠くへ行っちゃてる」しね。けれど、とっても前向きなんですよね。1日の終わりに、ひつじの数を数える代わりに、幸せだったことを思い出すなんて素敵だな。絵がいい。絵を見てるだけで、十分楽しめますよね。

ハリネズミ:いっぱい入っている絵から、雰囲気が伝わってきますね。

げた:とっても、気に入った本の1冊です。読後感がいいです。自分も幸せな気持ちになれるような気がします。

すあま:北欧の作家ってうまいな、と思いました。訳者の菱木さんがよく訳しているウルフ・スタルクの作品を思い出しました。中学年くらいの子ども向けでしょうか。

ハリネズミ:主人公のドゥンネは1年生ですね。ちょうどこの頃の子どもの気持ちがほんとにじょうずに書けています。

すあま:大事なことを年齢の低い子どもにもわかるような形で上手に書いている。悲しいこともあるけれど、楽しいこともいっぱいあって、その時その時の主人公の気持ちがていねいに書かれてるので、そこに寄り添って読んでいくことができました。時代や国に関係なく、だれにでもあるようなことを書いているので、読みやすいのでは。最後も幸せな気持ちで終わるので、とてもいいお話でした。

ヤマネ:淡々としたことばで進んでいくけれど、すごく打たれる箇所があって、ああやっぱり児童書っていいなあと心から感動しました。仕事でもお薦めの本にしました。年齢設定はちょっと難しくて、出版社HPでは小学1、2年生からとあるけど、小学2年生の後半から3、4年生ぐらいがこのお話を理解するのにふさわしいかな。はじめは主人公の女の子の幸せなエピソードが続いていきますが、p52ぐらいから、ママが亡くなった時の話が出てきたり、クラスメートの永久歯を折ってしまって悩んだり、子どもの悲しみや辛さがうまく描かれている。自分が子どもだった時に感じていた気持ちをたくさん思い出しました。一番ぐっときたのは、親友のエダフリータが転校してしまった後に、転んだ場面で、転んだことが悲しいのではなくて・・・というところ。

レジーナ:作者は、子どものときに感じたことや不思議に思ったことを、よく覚えているのでしょうね。入学したばかりの頃、せっかく楽しみにしていた宿題がなくて、がっかりしたり、仲良しの友達と物の取り合いでけんかをしたり、入れ歯を見てびっくりしたり…。私も子どものときに、同じように感じたのを思い出しました。エッラ・フリーダが引っ越した後、主人公は転んでけがをしてしまいます。なにもかもうまくいかないような、やりきれない気持ちがよく伝わってきました。スウェーデンの学校には、「くだもの週間」や「やさい週間」があるのですね。他の国の暮らしを知ることができて、おもしろかったです。日本では、6月が食の教育月間ですが。エヴァ・エリクソンはすばらしい画家ですね。表紙では、どんよりとした雨空の下を、二人で一つの傘をさして楽しそうに歩いていて、黒い傘の内側から、光と花がこぼれています。ふたりでいたら、どんなときも幸せなんでしょうね。エッラ・フリーダの長靴の模様がドクロなのも、彼女の性格が分かるようで、おもしろい。お調子者のヨナタン、エッラ・フリーダが引っ越した後、空っぽの机をじっと見つめるドゥンネ、そんな様子をちゃんと後ろから見ている先生……文章に寄り添い、作品世界を生き生きと浮かび上がらせています。ちょっとした仕草や表情で、登場人物の気持ちが伝わってくるんですよね。2014年は惜しくも国際アンデルセン賞画家賞を逃しましたが、次回はぜひとってほしい!

さらら:短い物語なのに、子どもの気持ちをよく表しています。絵本から読みものに移っていく過程で、安心して手渡すことができる本だと思う。この世代向けの翻訳作品の難しさは、日常に身近な物語であればあるほど、海外の日常生活を、どう日本の子どもに自然に理解してもらうかという点です。ここでも、「クネッケ」などの食べ物に、少し説明が加えられています。また、日本とは違う学校でのできごと(たとえば「くだもの週間」など)は、括弧に入れて、さらりと繰り返しています。なじみのない言葉の説明は、翻訳の過程で入れている部分もあると思いますが、押し付けがましくなくて好感が持てます。入れ歯が出てくるところで、「入れ歯が痛いときは、水につけておくといいよ」と、ドゥンネが友だちにアドバイスしたり、パパにモルモットを買ってもらったときには、「モルモットはウンチばかりしているのです」という描写があったり。そういった小さな部分にユーモアがあり、さまざまなエピソードにも、大人の子どもに対するさりげない愛情を感じました。子どもだってけんかするし、けんかをしたあとは、苦労して仲直りもする。そんな子どもの内面までしっかり描かれています。親友のエッラ・フリーダが引っ越してしまったあと、ドゥンネはすっかり落ち込んでしまいますが、でも少しずつ自分で友だちを作り、自分で何かを考え、まわりに気持ちを伝え、うまくいくという経験を積み重ねます。その、自分ひとりでがんばった時間があったからこそ、親友と再会できる喜びが、いっそう大きく読者に伝わってくる。構成のうまい作家で、スウェーデンの児童文学はやっぱり奥が深いと思いました。

ハリネズミ:これだけ子どもの気持ちをしっかりわかって書いている人って、日本だと神沢さんくらいでしょうか。

さらら:ひとつだけ、「復活祭」に注が入っていないことが、気になったのだけれど……。

ハリネズミ:ここは、お祭りなんだなということがわかればいいと思ったんじゃないかな。

トトキ:ほとんど全部言われてしまいましたね。私も、すごい作品だなあと思いました。小さい人たちの心の動きを、本当に繊細に描いていますね。

さらら:ほんとうに、品がいい物語。

トトキ:ずっとふさぎこんで、ひっこんでいた主人公が、思いきって積み木の山に腰かける。ここもいいけれど、その騒動で男の子の歯が折れてしまう。そのときの主人公の、奈落に突き落とされたような、目の前が真っ暗になった気持ち、よくわかります。そのあとの入れ歯のくだりや、主人公が一所懸命に書いた手紙も、じんわりとしたユーモアがあっていいですね! それから、ちょっとADHDっぽい男の子がクラスにいて、先生がじつに親身になって面倒を見ているということもさりげなく書いてあって……。

ルパン:とてもよかったです。『わたしって、しあわせ!』のタイトル通り、幸福感でいっぱいになります。子どもの本はこうあるべき、っていう見本みたいで、ひさびさにスカっとした読後感でした。出てくる人がみんないい人で。

さらら:しかも、ひとりひとり個性が強くて、味がある人たち。

ルパン:そう、それぞれに不満や事件もあるのですが、根がいい人ばかり。そこがすごくいいと思います。

ハリネズミ:私もみなさんと同じ感想を持ちました。特におもしろかったのは、p101で、ヨナタンとドゥンネがリンゴやバナナに貼ってあるシールを食堂のマットの裏に貼ってるでしょう? この年代の子どもらしさが生き生きと浮かび上がってくるところですけど、こういうエピソードって、なかなか日本の児童文学には出てこない。リンドグレーンにしてもマリア・グリーペにしても北欧の作家は特にこういう場面を書くのがうまいですよね?

すあま:本質的なところを書いているので、古くさくならないと思います。

プルメリア:子どもの日常生活がわかりやすく、身近に感じます。今、シングルマザーやシングルファザーが増えていますが、お父さんの少女に対する関わりがさりげないようだけどとっても温かいです。お父さんとの暮らしで、子どもが幸せだって感じているのが作品から伝わってきます。p116ではモルモットが大きくなっており、モルモットたちから少女を見ている挿絵が素敵。いろんな子がいて、それがいいなって思います。表紙の挿絵 どくろの長靴もかわいく外国の感覚がわかるので気に入りました。

ハリネズミ:幼年童話って、学校での生活体験が国によって違うから、翻訳が難しいってよく言われます。でもこの本を読むと、ドゥンネの通っている学校では、<パン週間>で、パンについてのあらゆることを習ったり、<ジャガイモ週間>で、ジャガイモのことをいっぱい習ったりしてます。日本とは違う勉強の仕方があって、それも楽しそうだなって思えたら、日本の子どもの視野も少し広がりますよね。

げた:余計なことかもしれませんが、学校で子ども同士のトラブルで歯を折ったりしたら、日本では大変でしょうね、保護者対応の後始末なんかでね。

ajian:本国では、同じ主人公が出てくる次回作も出ています。

さらら:この本は、緑陰図書に選ばれてますね。幼年童話のジャンルでは、原書を見て「この本なら訳したい!」と思うことがなかなかないんですが、そういう意味でも、うらやましい作品……。

さくま:絵を見ればいろいろわかるから、1年生でも読めるかも。

さらら:レイアウトは原作のまま?

ajian:原書をちらっとみたかぎりでは、だいたいそのままだったと思います。

ハリネズミ:大人も子どももちゃんと書けているのがいいですね。

さらら:単純な文章のようですが、じつは会話よりも描写文が多く、心に深く入ってきます。力がある作家ですね。

ハリネズミ:菱木さんの翻訳もいいですねえ。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年6月の記録)


ロス、きみを送る旅

『ロス、きみを送る旅』
キース・グレイ/作 野沢佳織/訳 
徳間書店
2012

トトキ:キース・グレイの作品を読んだのは、これが初めでですが、とてもおもしろかったです。友だちの遺灰を盗んで、その少年の行きたかった場所に撒きに行くというストーリーですが、主人公ひとりで旅に出る設定にすると、なんとも暗くてやりきれない物語になったのではと思います。ズッコケ3人組みたいな、それぞれ個性の違った少年たちが旅をすることで、ユーモアもあれば奥行きもある話になっていると思いました。翻訳が上手なので、人物がそれぞれくっきりと描かれていますね。読みはじめたときは、「ったく、男の子って!」と思いましたが、亡くなった少年が果たして事故死だったのかどうかという疑問が出てきて、それぞれの少年に対する後ろめたさが描かれていく中盤から、男の子も女の子もない、普遍的な物語になっていきます。そのへんも上手いなあと思いました。ただ、死んだロスという少年は、「いじめ」のように何か強い理由があって死にたくなったというより、いろいろなことが重なって死に魅かれていったような感じがします。だから、事故だったのか、自殺だったのかは、なんとなくぼんやりしていて、はっきりと書いてないですね。そこのところが、かえって妙にリアルな感じがしました。作者のあとがきを読むと、その点がはっきりしてくるんだけど、創作ものは作品のなかで完結してほしいという気持ちが、ちょっとしました。作者が自分の作品を解説するのって、あんまり好きじゃないです。

レジーナ:登場人物がくっきりしていて、ひとつひとつの場面が印象的で、とてもおもしろく読みました。自分の体形を時々皮肉り、場に合わせて人とうまくやっていける主人公は、3人の中では一番大人ですね。旅と友情がテーマになっていたので、『シフト』(ジェニファー・ブラッドベリ著 小梨直訳 福音館書店)を思い出しました。p283に、「今までは、自分たちがどんな目にあうかということだけ心配していて、ほかの人をどれだけ傷つけるかという点は、あえて考えないようにしていたのだ」という文章があり、自分の行動が周りの人にどれだけ影響を与えるかを考えることができ、他者性をきちんと持っているのが、『シフト』のウィンとは違いますね。大切な人を亡くしたとき、周りの人たちの言うことが見当違いに思えたり、自分だけが、その人を真に理解していたのだと思ったりするのは、よくありますよね。「周りは分かっていない」という気持ちが、「大人は分かっていない」となるのは、この作品の主人公が15歳だからでしょうね。旅を経て、鉄壁だと思っていた友情も変わり始めます。「ロス」という名前には、「失われたもの」や「二度と戻らない子ども時代」の意味が、こめられているのでしょうか。「果たして自分が何を求めているのか、はっきり分かっているわけではないが、旅を通じて失われたものを取り戻そうとする」というのが、作品の骨組みにあるのでは……。翻訳も読みやすかったです。p40の「窓にハマらないで出てこられる?」は、「窓につかえずに」「引っかからずに」でしょうか。少し不自然に感じました。

ヤマネ:3人組の男の子がいて、一人亡くなって、お葬式が納得いくようなものでなくて、自分たちだけがロスのことをわかっている、まわりはわかっていないという思いから、骨壺をもって、亡くなった友達と同じ名前の「ロス」という場所をめざすというストーリーの根幹がおもしろかった。最後まで止まることなく読めました。なんとなく感じることなのだけれど、男の子のほうが、女の子よりも表面的に友達を見ているところがあるかもしれないと思います。自分は友達の深いところまで見ていないということを、男の子のほうがあとになって気づくのかなあと、このお話を読みながら感じました。旅を通して、友達の深い部分に気づいていったり、自分自身も嘘をついているということに気づいていくところがおもしろかった。ロスのため、と言いながら、それぞれがロスに後ろめたいことがあってその気持ちからロスの灰を運ぶという行動に向かったことを、自分自身も最初は気がついていない。最後に気がつくところが心に残りました。男の子(少年)同士の精神的なところでの友情の亀裂を描いた作品を、これまであまり読んだことがなかったんです。日本の『夏の庭』(湯本香樹美著 新潮文庫)と少し設定が似ていると思いましたが、こちらで描かれている友情はもっとさわやかで読後感がすがすがしい。今回、男の子同士のぐちゃぐちゃした気持ちの揺れやぶつかり合いが新鮮でした。

さらら:ロードムービーを見ているようでした。最初、主人公がロスの家に骨壺を盗りにいく時、姉のキャロラインの存在が気になっていて、ためらっているけれど、結局、彼女の目の前で持ち出してしまう。ぬけぬけと馬鹿な行為を始めてしまうところに、思春期の少年らしさを感じました。道中、お金を落として、主人公たち3人組がにっちもさっちもいかなくなるあたりは、まさに定番の流れですね。その後、親切な青年たちの出会い、いきあたりばったりのバンジージャンプと、盛りだくさんの出来事のなかで、仲間同士のわだかまりが少しずつ明らかになっていく。死んだ友達のことを、どう受け止めたらいいのかわからない、というのは永遠のテーマで、その死に対して周囲の人間が罪悪感を抱くのも自然なことなのだけれど、それをどう描くか。キース・グレイは、書きながら自分でもロスの死に立ち会い、泥まみれになって、結末までなんとかたどりついたのではないでしょうか。答えが最初からあるのとは違う、体当たりの書き方が、ティーンエージャーの共感を呼ぶのでしょう。個人的には、もう少し思考を深めたところから書かれた作品が好きですが、これはこれでありだと思います。

レジーナ:ロザムンド・ピルチャーの短編で、上の方の階級の女性が亡くなったとき、火葬にすると死亡広告にわざわざ書いてある場面がありましたね。骨壷の出てくる話では、『ヴァイオレットがぼくに残してくれたもの』(ジェニー・ヴァレンタイン著 冨永星訳 小学館)もあります。

さらら:骨壷という「物」があることで、死を具体的に感じられる。死というものの分からなさを、なまのまま、ぶつけることができる。死体を運ぶのは大変だけれど、自分たちのやり方で骨壷を盗んで弔おうとする行動なら、実現可能だし、若い読者にも想像しやすいのでは?

トトキ:もしかして、上流階級の人たちは今でも土葬だけど、庶民は火葬になったのかも。

ハリネズミ:東京は今は土葬はできなくなってますよね。広い場所が必要だからかもしれないけど。でも地方にはまだ土葬できるところがあるようですね。

すあま:読み終わったばかりなので、まだ感想がまとまっていませんが…。身近な人が亡くなって、残された人がいろいろと考えたり、つらさや悲しさを乗り越えていく物語は他にもあるけど、事故だと思ったら自殺だった、という展開がめずらしいと思いました。これを読んで思い出すのは、『だれが君を殺したのか』(イリーナ・コルシュノウ作 上田真而子訳 岩波書店)。両方を読み比べしたらおもしろいかもしれません。ラストは、少し物足りない感じでした。最後にあえて3人をばらばらにし、そのうち一人はそのまま出てこないで終わってしまう。余韻を残して途中で終わるので、ラストの良し悪しの感想が人によって違うのではないかと思いました。家を飛び出してお金がなくなり、でもそのまま旅を続ける、というひと夏の思い出のような楽しい話ではなく、主人公たちが友人の死という大きな問題と謎を抱えているのが、似たような物語とは大きく違うところだと思います。旅でそのつらさが癒されるわけでもなく、何度も思い出してしまう。日本は、自殺する人が多いし、もし自分の身近な人だったら、何かできたのではないかなどと自分を責めたりすると思う。この物語は残された人たちの心情がよく描かれているのではないかと思います。結局ロスは自殺だったのか?と思いながらあとがきを読むと、作者自身が死のうと思った経験があることが書かれていて、やはり自殺なのか、と思いました。

ハリネズミ:徳間書店は、日本の読者へのメッセージを著者にたのんでいるようですね。

すあま:この本は、感想文を書いたり、ディスカッションをするための課題図書に向いているかもしれない。いろいろなテーマを取り出すことができるので。

げた:タイトルを見て、「きみを送るって」なんだろうかと思って手に取りました。男の子3人組がハラハラドキドキしながら、読者を連れて「ロス」まで行くんですよね。3人の関係性が、いろんな行動の中で、明らかになっていくんですね。ロスまでの道のりが遠くて、どんどん曲がり道に行っちゃうし、最後までハラハラさせてくれました。結局ロスが自殺だったかどうかはわからないのだけど、最後の部分で修理したパソコンのデータからロスの遺書かもしれない書き込みが出てきたんですね。本当に自殺したのかは、よくわからないですけどね。作者のあとがきはなくてもよかったんじゃないかな。言わなくてもわかってますよ、と言いたくなりましたね。

さらら:父親が、自分の夢をロスに押し付けていたことも明らかになります。ロスが、父親の書きためていた原稿のデータを消してしまったということも。あとがきの件は、確かにげたさんの言うとおり!

げた:ストーリーを追うだけでもおもしろかったです。主人公たちは中3か高1ですかね、日本の同年代の子たちに比べると行動力があるような気もしますね。

ハリネズミ:私は骨壺を盗んでいくっていうところに引っかかりました。死者を忌む感覚っていうか、そういうものがないんでしょうか? 日本の子はこういうことはしないと思うけど。ロスについては具体的にどういう人物だったのかが、あんまり書いてないので、この子たちが骨壺を盗んでまで旅に出ていくだけの背景がよくわからなかったのですが、読んでいくうちにわかってきますね。じつは後ろめたさがあったということなんですね。

さらら:だれかが死ぬと、周囲の人間はその理由付けどうしてもしたくなります。亡くなった本人にも実際にはわからない理由であっても、理由を付けることで、周囲はその死が自分の心におさまる場所を作り、「そうだったのか」と自分を納得させます。ロスの死も、単純に誰かが、何かが悪かったのではないわけで、そのわからなさを抱えて生きていくことが、大人になっていくことなのかもしれません。読者をここまでひっぱってきて、解決のあるようないような結末には、やや物足りなさを覚えますが、現実の感覚にできるだけ忠実に書かれた作品なのでしょう。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年6月の記録)


2014年06月 テーマ:友だちをなくして考えたこと

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『2014年06月 テーマ:友だちをなくして考えたこと』

 

日付 2014年06月27日
参加者 トトキ、さらら、ハリネズミ、レジーナ、げた、プルメリア、すあま、ル
パン、ヤマネ、ajian
テーマ 友だちをなくして考えたこと

読んだ本:

『ロス、きみを送る旅』
原題:OSTRICH BOYS by Keith Gray, 2008
キース・グレイ/作 野沢佳織/訳 
徳間書店
2012

版元語録:15歳の少年ブレイク、シム、ケニーは、親友ロスの死がショックだった。形ばかりの葬式に、ささやかれる自殺説。「あいつのことをわかっているのはぼくらだけだ」三人は遺灰を抱え、ロスが行かれなかった町をめざす。それが本当の葬式になると信じて。ところが…? イギリス気鋭の作家が少年たちの繊細な友情を鮮やかに描く。カーネギー賞最終候補作。
『あたしって、しあわせ!』
原題:MIT LYCKLIGA LIV by Rose Lagelcrantz
ローセ・ラーゲルクランツ/作 エヴァ・エリクソン/絵 菱木晃子/訳 
岩波書店
2012

版元語録:友だちができなかったらどうしよう――不安でいっぱいの新1年生ドゥンネは、エッラ・フリーダと仲よしになってから、何をするにも毎日いっしょ。ところが、とつぜんの引っこしで2人はバラバラに。泣いてばかりのドゥンネが、もう一度元気をとりもどすまでを、けなげに語ります。スウェーデンの名コンビによる絵物語。
『ラン』
原題:(理論社 2008/角川文庫2012)
森絵都/作 
講談社
2014

版元語録:失った家族に会うため、あの世まで走ろうと決めた環は、入ったランニングチームで、生きる強さを学んでいく。感涙の青春ストーリー。

(さらに…)

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ミュージシャンたちの反アパルトヘイト

Youssou: Nelson Mandela
『ミュージシャンたちの反アパルトヘイト』

アフリカ子どもの本プロジェクトのメルマガに載せたものを、ここにも載せておきます。加筆してあります。

世界中でアパルトヘイトに反対する運動が盛り上がり、マンデラを釈放せよという要求が高まったとき、ミュージシャンたちもその運動に加わったり、率先して活動したりしていました。

今回調べてみると、ずいぶんいろいろな人たちが、反アパやマンデラについての曲を歌ったり演奏したりしていることがわかりました。そのいくつかをご紹介します。

アパルトヘイトに反対するミュージシャンたち:サン・シティ /  Artists United Against Apartheid : Sun City


「サン・シティ」とは、南アフリカにあった白人専用リゾートの通称で、南アにおけるアパルトヘイト(人種隔離政策)の象徴。そこでは、多くの有名ミュージシャンたち(クィーンやエルトン・ジョンなど)が多額の出演料にひかれてコンサートを行っていました。このアルバムは、そのサン・シティに象徴されるアパルトヘイトに抗議する世界中のアーティストたちによって制作された作品。マイルス・デイヴィス、リンゴ・スター、ボノ、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ピーター・ガブリエル、ジミー・クリフ、ホール&オーツ、ルー・リード、ジャクソン・ブラウンほか合計49人・組のアーティストが参加し、「こんなリゾートでは演奏しないぞ」と歌って、当時大きなニュースとなりました。政治的に保守的なラジオ局などではオンエアされませんでしたが、ビルボードでは最高38位を記録しました。

スティービー・ワンダー:イッツ・ロング(アパルトヘイト)/ Stevie Wonder : It’s Wrong (Apartheid)


「アパルトヘイトは、奴隷制やホロコーストと同じように、間違っている」と歌っています。この動画ではスティーヴィーが日本人を持ちあげるコメントをしていますが、「ほんとにそうだといいんだけど」としか言いようがありませんね。

ユッスー・ンドゥール:ネルソン・マンデラ / Youssou N’dour:Nelson Mandela

ユッスーはセネガルの歌手で、この間まで大臣を務めていました。私はこのCD持ってますよ。(上のCDジャケットがそれ。ユッスーが若いですね)

ザ・スペシャルズ:ネルソン・マンデラを釈放しろ / The Specials: Free Nelson Mandela

ザ・スペシャルズは、イングランドの2トーンバンド。

ジョニー・クレッグ:アシンボナンガ / Jonny Clegg: Asimbonanga

ジョニー・クレッグは、イギリス生まれでローデシア(現ジンバブエ)やザンビア、南アで育ち、マンデラと同じウィトワーテルスランド大学に学んだ白人ミュージシャン。アパルトヘイトに反対していただけでなく、自分のバンドにも黒人と白人の両方がいました(それが危険だった時代にも)。アシンボナンガは、「彼(マンデラ)の姿を見ていない」という意味で、ロベン島に収監されていたマンデラのことを歌っています。
この動画では最後のほうに自由になったマンデラさんが出て来て、踊っています。

カシーフ:ボタボタ(反アパルトヘイトの歌)/ Kashif: Botha Botha (Anti-Apartheid Song)

カシーフは、アフリカ系アメリカ人。イスラム教に改宗してからマイケル・ジョーンズという名前をカシーフに変えました。
ボタは、人種差別政策撤廃を求める国際世論に対して、アパルトヘイトを死守しようとした南アフリカの首相(1978〜1984)、大統領(1984〜1989)

ヒュー・マセケラ:マンデラを返せ / Hugh Masekela : Bring Back Nelson Mandela

ヒュー・マセケラは、南ア出身のトランペット、フリューゲルホーン奏者、歌手。ミリアム・マケバと結婚していたこともある人です。

ピーター・ガブリエル:ビコ / Peter Gabriel: Biko

「黒人意識運動」を唱えてアパルトヘイトに反対し、1977年に拷問による脳挫傷で死去した南アフリカの活動家スティーヴ・ビコについて歌っています。ガブリエルは、ライヴで反アパルトヘイトを聴衆に訴え、この曲をアンコールの最後の曲としていつも歌っていました。

ヴーシー・マーラセラ:きみたちが帰ってくるとき / Vusi Mahlasela: When You Come Back

ヴーシー・マーラセーラは、南アフリカのミュージシャン。この歌は、1994年のマンデラの大統領就任式でも歌われ、2010年のFIFAワールドカップのテーマソングとしても使われました。「きみたち」は、南アを逃れて政治亡命した人々を指しているそうです。

ミリアム・マケバ+レディスミス・ブラック・マンバーゾ:コシ・シケレリ / Miriam Makeba & Ladysmith Black Mambazo: N’kosi Sikeleli

1987年ジンバブウェでの映像。後に新生南アフリカの国歌となるコシ・シケレリを歌っています。まだマケバも南アフリカに帰国することはできていません。ポール・サイモンやヒュー・マセケラの姿も。

<h2ミリアム・マケバ+ヒュー・マセケラ:ソウェトブルース / Miriam Makeba & Hugh Masekela: Soweto Blues

1976年のソウェト蜂起の時に警官に撃たれて亡くなったり逮捕されたりした子どもたちのことを歌っています。「子どもたちがたくさん死んでいるのに、ちょっとした騒ぎがあったとしか報道されない」と。マセケラが作った歌です。

◆ミリアム・マケバ:愛する人たちに / Miriam Makeba: To Those We Love (Nongqongqo)

アパルトヘイト体制をくつがえそうとして逮捕され牢獄にいるネルソン・マンデラやウォルター・シスルたちのことを思って歌っています。An Evening with Belafonte/Makebaというグラミー賞をとったアルバムの中に入っています。

ノムフシ&ザ・ラッキー・チャーム:ネルソン・マンデラ・ソング / Nomfusi & The Lucky Charm: Nelson Mandela Song

ノムフシは、ケープ州東部のタウンシップで生まれた新世代のミュージシャン。父親は21年間投獄され、サンゴマをしていた母親はメイドをしながらひとりでノムフシを育てました。


「死」の百科事典

デボラ・ノイス『「死」の百科事典』
『「死」の百科事典』
デボラ・ノイス/著 千葉茂樹/訳 荒俣宏/監修
あすなろ書房
2014.04

『「死」の百科事典』をおすすめします。

若い時って、大人になってから以上になぜか「死」が気になるものです。私は、中学生・高校生の頃、北村透谷とか有島武郎とか芥川龍之介とか太宰治とかヘミングウェイとか、自分が読んだ本の作家の自殺が気になって仕方がありませんでした。

で、この本です。まず扉をあけると「死ぬのって、きっとすごい冒険なんだろうな」というピーター・パンのかなり挑発的な言葉が目にとびこんできます。そう言えば『影との戦い』(ゲド戦記1)の冒頭にも、「光は闇に/生は死の中にこそあるものなれ」という言葉がありましたっけ。生と死は背中合わせだとすると、生が冒険だった人は死も冒険なのかもしれないし、よりよい生き方をした人にはよりよい死(ぽっくり逝くとか)も待っているのかな、なんて思ったりします。

で、もう一度この本です。開いて見ると、「連続殺人犯」、「黒魔術」、「死体泥棒」、「生贄の未亡人」、「アンデッド」(これは吸血鬼やゾンビやバンパイアなんかのことですね)なんて、おどろおどろしげな項目もあります。「死神」という項目があるかと思うと、「死神をだます」という項目もあります。興味をひく図版もたくさん入っています。でも、出版社と翻訳者を見ればわかるとおり、センセーショナルに売ろうとする本ではなく、これはまじめな本なのです。「自殺」という項目を読んでみたら、国連の世界保健機関によれば、年間の自殺者は世界で100万人といわれ、戦争と殺人による死者の数を上回っている、なんてことも書いてありました。

エッセイ風の文章を拾い読みしてみても、逆に「生」を考えるきっかけになりそうです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年6月9日号掲載)


2014年05月 テーマ:昔の物語をよみがえらせる

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『2014年05月 テーマ:昔の物語をよみがえらせる』

 

日付 2014年05月29日
参加者 ハリネズミ、げた、ヤマネ、ルパン、すあま、レジーナ、プルメリア
テーマ 昔の物語をよみがえらせる

読んだ本:

『はじめての北欧神話』
菱木晃子/文 ナカムラジン/挿絵 
徳間書店
2014

版元語録:氷の巨人をばらばらにして、世界を作った神々。知恵にすぐれたオージン、力の強い雷神トール、不老不死のりんごを守る女神イズン、うらぎり者のロキ、そして神々に戦いをいどむ巨人族と、魔法の品を生み出す小人族…。欧米のファンタジーの原点となった北欧の神話を、低学年から読める形で贈ります。
『紫の結び(一)』
紫式部/原作 荻原規子/訳 
理論社
2013

版元語録:紫の上を中心に帖(章)を再構成している新しい源氏物語です。死んだ母に似ているという、父の新しい妃に対する思慕。山里で源氏は、その妃の面影を持つ少女を垣間みます。紫の上との出会いでした。
『今昔物語集』
令丈ヒロ子/著 
岩崎書店
2014

版元語録:平安時代、人々の噂話を集めたものがありました。怖い話、不思議な話、愉快な話。今でも十分通じる物語は昔話などにもなっています。えりすぐりのお話ばかりを集めました。

(さらに…)

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今昔物語集

『今昔物語集』
令丈ヒロ子/著 
岩崎書店
2014

ルパン:物語ごとにテイストがずいぶん違いますね。会話ばかりの章もあるし。子どもにはこういうほうがわかりやすいんでしょうか。

げた:令丈さんの言葉で語っていて、とっつきやすいですね。今の子どもたちには、伝わり易いんじゃないかな。『紫の結び』は、原典に忠実に再現しているけど、この『今昔物語』は令丈さんの作品になってる。この本に収められているお話の中では「瓜とふしぎな老人」が楽しめました。CGとかアニメでもおもしろく再現できそうですね。「羅生門の老婆」は、気味悪くて、小さな子どもにはわかりづらいかもしれないけど。

ルパン:『芋粥』のあとで、『まんじゅうこわい』を引き合いにだしているのはどうしてでしょう。ちょっと話が違うんじゃないかと思うんですが。

げた:私もそう思いました。言葉づかいは今の言葉で、とっつきやすい。

ハリネズミ:最近はストーリー中心の再話が流行っているようですね。外国のものだと、中には原文を参照しないで再話する人もいるみたいです。一時は、子どもの本の抄訳や超訳が批判されて、完訳で読みましょうと言われていたのにね。文学ってストーリーを追っただけじゃ本当の良さがわからないと思うんですよ。この本は、それとはまた違って、令丈節がしっかりできていて、そこがおもしろいんですね。

ヤマネ:日本の古典の現代語訳もさかんで、今度河出書房新社から「日本文学全集 全30巻」が刊行される(2014年11月刊行開始)ようです。そこでは『古事記』が池澤夏樹さん訳で、『源氏物語』が角田光代さん訳だそうです。古典を現代の作家によって今の人たちに読みやすいものとして受け継いでいく流れがあるんですね。この『今昔物語』は、世田谷区の図書館は所蔵が1館だけだったので、借りることができませんでした。公共図書館では、この本を入れるかどうか選書でゆれているのかもしれません。私は以前学校図書館で働いていたんですけど、子どもにはまず出会わせることが必要だと思うので、この試みには賛成したいです。古典はきっかけがないと、子どもたちはなかなか手に取らないから。出版社も、子どもに出会わせることを目的として出版したんでしょうか。

レジーナ:表紙に現代的な美男美女が描かれていますが、当時の美的基準は、今とは大分違うのでは? 「芋粥」の五位殿も、「もっさりしている」と悪口を言われていますけれど、そうした男性が、当時はもてたかもしれませんし。p9では、女性の容姿を、「スタイルがいい」とほめています。体のラインを隠す着物を着ているのに、スタイルも何もないのでは……?

プルメリア:昨年小学校5年生の担任をしました。私がこの本を子どもたちに紹介したら、歴史好きの男子がこの本を購入して読んでいました。古典にはあまり目が向かなかった子どもたちがこの作品を読み始めています。令丈さんの名前で興味を持ったことや表紙がかわいいとかも手にとる大きな理由かも。令丈さんの文はわかりやすく、目次にもまとまりがあり、一話一話の後に書かれている説明文もとってもよかったです。このシリーズは10巻ありますが、この作品がいちばんいいなと思いました。

ハリネズミ:令丈さんなりのまとめ方をしているところがいいですね。一話一話の後のあとがきで視野が広がるし、モデルはどんな人だったのかとか、ほかの作品へのつながりなどおまけの情報もあるので楽しい。ちゃらちゃらした会話がふんだんに出てくる話とそうでもない話があってトーンがいろいろですね。欲を言えば、もう少しトーンを統一してほしかったけど、古典への架け橋と思えばそれもいいのかも。学校図書館には、古典のシリーズが入っているんですか?

プルメリア:私が勤務している小学校の図書館には『21世紀によむ日本の古典』(ポプラ社)が入っています。

すあま:『今昔物語』は読みにくい話ではないので、ここまで今の会話風の文体にしないで、普通の現代語訳でも楽しめるのではないかな、と私は思いました。このシリーズでは、金原さんの『雨月物語』も、おもしろかったです。あまり手にとられない古典、知られていない古典の場合にはこういう工夫もありですけど…。時代を今に置き換えているんなら、こういう会話でもよいと思いますが、そうではないし、無理に言葉遣いを現代風に変える必要はないのでは? はやりの言い回しを使った場合、時間がたつとかえって古くさく感じてしまうこともあるし。

ルパン:わざわざ「メインストリート」に直さなくても、「大通り」の方がわかるのに。

げた:手に取りやすさはありますよ。内容も言葉も読みやすい。

ハリネズミ:「わらしべ長者」の話にはキャピキャピした会話が出てきませんね。

すあま:令丈さんの本が好きな子だと、令丈さんが書いているから、という理由で読むこともあるかも。

ハリネズミ:入り口になればいいですよね。

ルパン:今回読んだ3冊の本は、これが「令丈ヒロコ 著」、『紫の結び』が「萩原規子 訳」、『はじめての北欧神話』が「菱木晃子 文」となっていますが、文、著、訳はどう違うんでしょう?

すあま:原作を元にして創作したら「著」、原作をそのまま翻訳したり現代語訳にすれば「訳」、北欧神話の場合は複数の本を参考に書かれたので「文」なのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年5月の記録)


紫の結び(一)

『紫の結び(一)』
紫式部/原作 荻原規子/訳 
理論社
2013

ルパン:古典をやさしく書くということにおいて、どんなところがポイントになるのか、今日はみなさんのご意見をうかがいたいと思って来ました。これは小学生向けなんでしょうか?

ハリネズミ:中学生じゃないですか。

ヤマネ:対象年齢は、出版社の表記だとヤングアダルト〜一般のようです。

ルパン:もともと知っている話だから読めたんだと思います。『源氏物語』をまったく知らない中高生が読んでもわかるのかなあ。実は、私は知っているといってもマンガで読んだんですよ。『あさきゆめみし』(大和和紀 講談社)。あれはよくできてました。これを読みながら、マンガの絵がうかんできちゃいました。ところで、この『紫の結び』の中では、歌の部分は現代語訳だけ書いてあるのですが、私としてはもとの和歌を書いてほしかったです。著者の萩原さんは古典に強いのかな。ご自分で原典を読んで歌も訳したのでしょうか。

一同:国文科出身の方ですからね。

レジーナ:マンガの『あさきゆめみし』は、源氏物語の大筋を知るには良いけど原典と異なる部分もあると、聞いたことがあります。一方『紫の結び』は、荻原さんが、原典になるべく忠実に語ろうとしている様子が感じられますし、読みやすい現代語になっています。源氏物語は、大学受験でも、これが読めれば他の古典は読みこなせると言われるほど難しいので、古文を学ぶ受験生が一読するのに最適の副読本になるのでは。注釈をなくしたのは画期的ですが、「上の局」「斎院」「わらわ病み」等、日常では耳にしない言葉を、子どもがどこまで理解できるか……。古典オタクの高校生・大学生ならばともかく、自ら進んで読んでもらうのは難しいかもしれません。

プルメリア:地元の渋谷区の図書館でこの作品を予約したところ1冊しか入ってなくて私はリストの3番目でした。残念ながら順番がきませんでした。

げた:以前、与謝野晶子の現代語訳を文庫版で読み始めたことがあったんですけど、すぐに諦めました。今回やっと読み通して楽しめる本に出会ったと思ったんだけど、これまでの本と同じくらいしかわからなかった。筋はなんとなくわかるんだけど。楽しい読み物として読むまでいかなかったな。読まされているという感じがあってね。和歌が訳しか掲載されていないんだけど、元歌があった方がいいな。感じがつかめるから。

ヤマネ:まずパッと見て装丁がいいなと思いました。美しい本。おそらくこの本を一番手に取るのは、大人の女性ではないかと思います。もしかしたら古典好きの子は手に取るかもしれませんが…。『源氏物語』は、実はこれまで読み通せたことがないので、ようやく読み通せるかもしれないと期待しているところです。和歌を省いているところについては、止まらずに読めるのでスムーズに進むと思いました。和歌のところで立ち止まって想像するのも楽しみの一つではあるんですけど。

すあま:『源氏物語』は、日本人として読むべきだと思っていて、これまでもいろいろな人の現代語訳を読んでみたけれどなかなか読みきれず、今度こそ…と思ったけど、やはり今ひとつ話に乗り切れませんでした。これは紫の上を中心にして、読みやすくなるように再編しているのが特徴だけど、結局この話自体がおもしろくないのではないかと思ってしまいました。光源氏にしても、マザコン、ロリコンで、行動が共感できないし…。登場人物に共感したり、光源氏をかっこいいと思えればおもしろいけれど。全体的に不幸な人や満たされない人ばかり出てくる印象があります。すでにあるけど、マンガにして登場人物を美しく描いた方がおもしろく読めるのではないかと思いました。もちろん荻原さんの作品が好きな人は読むと思います。

ルパン:光源氏って、あんまりおもしろくない男ですよね。美人が好きで、若いのが好きで、ステレオタイプすぎる。

ハリネズミ:勝手気ままに楽しんでいた光源氏が晩年にしっぺ返しを受けていく。そこがおもしろいんじゃないですか。年をとって真剣に悩み、深みが出てくる。実はね、私はある時田辺聖子さんが源氏物語について講演なさっているCD(新潮CD 講演)を聞いて、全体像をつかんだんですよ。30枚以上のCDを、少しずつ家事をしながら聞いたんです。でも最初の方だけだと、女たらしが出てくるだけで女性が読むと反発を感じるだけなのは、よくわかります。

すあま:講演のCDでしょうか?

ハリネズミ:連続講演で、途中で冗談なんかも入るので、楽しくてわかりやすいんです。この本の歌のところですけど、やっぱり私も訳だけでなく、カッコつきでもいいからオリジナルの歌があったほうがいいと思いました。リズムや言葉のもつ力のようなものは、訳だけだと伝わりませんからね。たとえばp223ですけど、直訳風なので「たいそうかわいい」感じがなかなか伝わりませんね。そういう意味では歌だけでも原文があると、雰囲気がもっとわかるんじゃないかな。これから角田光代さんの現代語訳も出るとのことですが、そちらは歌はどうなっているのかしらね。

すあま:人物相関図があるとわかりやすいんだけど。

ハリネズミ:書ききれないのでは? 『北欧神話』でもそう思ったけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年5月の記録)


はじめての北欧神話

『はじめての北欧神話』
菱木晃子/文 ナカムラジン/挿絵 
徳間書店
2014

げた:北欧に伝わる神々のお話ですね。世界に何もなかったときから、神様が生まれて、神様が鬼になったり動物になったり、そのあげく、世界中が焼きつくされ台地が海に沈んでしまい何もなくなってしまう。けれど、最後は大地がよみがえり、今生きてる人々の先祖が登場し、次々と新しいいのちを生み育てていった。今いる自分たちは生まれ残ったすばらしい人間の子孫なんだという、誇りを持ってもらい、楽しく読んでもらえるようなお話になっている。神様が突然タカになったり、ヘビになったり、ビジュアル性があるので、アニメーションになったらおもしろいんじゃないかな。テレビも本も無かった昔から、語り伝えで、伝わってきたんじゃないかな。当時は大きな娯楽の一つとしてあったんでしょうね。北欧の子どもは、この本にのっているようなお話を常識として知っているのかな。日本の神話は民族主義的で、楽しむところまでいかない気がするけど。

ハリネズミ:私たちが子どもの頃は、日本の神話は国家神道と結びついているというので教えるのをためらっていた人たちがたくさんいました。でも今は、右翼の出版社だけでなく、普通の出版社が、特に古事記はお話としておもしろいんじゃないかというんで、出版しています。松谷みよ子さんが再話した『日本の神話』(のら書店)もあるし、竹中淑子さんと根岸貴子さんが再話した『はじめての古事記』(徳間書店)や、こぐま社の『子どもに語る日本の神話』もあります。絵本も、舟崎克彦さんが再話して太田大八さんが絵をつけたものなど、いろいろ出ています。

げた:こんな感じで楽しめるならいいですね。

ハリネズミ:2年前に出た『はじめての古事記』は、スズキコージさんの絵がいいんです。

ヤマネ:北欧神話は、これまで岩波少年文庫で出ているものなど高学年のものしか見たことがなかったんです。ちゃんと評価しようと思ったらそういうのと比較しないと分からないところもあるので、難しいほうも読んでくればよかったですね。しかし低・中学年向けに出されたということで、ふりがながふってあるし字が大きめで、読みやすかったです。神様とはいえ、いたずらや争いがあり、人間と変わらないところに子どもたちも興味をもって読めるのではないでしょうか。出てくる登場人物がカタカナの名前ばかりで、覚えづらい点はありました。

ハリネズミ:登場人物リストがあった方がいいのかな。菱木さんは、ラグナロクを「ほろびの日」、ユグドラシルを「宇宙樹」、アースガルズを「神の国」というふうにずいぶんわかりやすく言い換えています。ブリージンガメンも「首かざり」としていますけど、そう言えばアラン・ガーナーの作品に『ブリジンガメンの魔法の宝石』(芦川長三郎訳 評論社)というのがありましたね。あれも北欧神話が下敷きになってたのかな。それと、菱木さんは本文でも、ただ神様の名前をぽんと出すのではなく「みのりの女神フレイヤ」とか、「海の神ニョルズ」とか、「いたずらもののロキ」「うつくしい光の神バルドル」などとちょっとした説明をつけて書いています。ずいぶんと工夫されているので、私はとても読みやすかったです。

レジーナ:読みやすい文体で、北欧神話の魅力が伝わってきました。太陽がなくなって、世界が滅びるというのは、北欧ならではの世界観ですね。主役の神々の敗北があらかじめ定められた神話は、ほかにあまりないのでは。C・S・ルイスは、上級生にこき使われた辛いパブリックスクール時代、北欧神話が支えになったそうです。運命を知りつつ、最後まで誇り高く雄々しく振舞う姿に、惹きつけられたのでしょうか。横暴な巨人に抵抗する神々に、自分の姿を重ねていたのですね。J・R・R・トールキンは、北欧神話を下敷きにファンタジー世界を創造しました。今回の作品は、北欧神話の重厚な世界を映す挿絵であれば、もっとよかったです。しかしルイスも、自分の読んだ北欧神話の挿絵はよくなかったが、それでも心惹かれたと語っているので、物語としての力を持つ神話を語るのに、挿絵はあまり問題にならないのかもしれません。ゲームや映画をきっかけに北欧神話に興味を持つ子どもは、結構いるのではないでしょうか。北欧神話を探していた中学生に、K・クロスリイ-ホランドの『北欧神話物語』(山室静・米原まり子訳 青土社)をすすめたことが何回かあります。

ハリネズミ:私は神話を読むのが好きなので「エッダ」や「サガ」も読んでおもしろいと思ったんですけど、原典のままだと流れやつながりがよくわからない。この本は、菱木さんがまとまりをつけて読みやすくしているので、流れもつかめていいと思いました。北欧のことや北欧神話のこともよくわかったうえで、言葉をかみくだいているのがわかって安心できます。

ルパン:まだちゃんと読んでいないんですけど、おもしろかったです。ぱらぱらと見たなかで、カワウソに化けて殺されちゃう家族のお話があったんですが、なにも悪いことしていないのに、かわいそうだと思いました。神話とか名作とかを低学年向けに書くのはむずかしいと思うのですが、これはたいへんよくできていると思います。

プルメリア:岩波書店の『北欧神話』(P.コラム作 尾崎義訳 岩波少年文庫)とは、違う感じ。寒い場所にもかかわらず神様がダイナミックで迫力があります。登場人物の性格がはっきりしていてわかりやすい。いろいろな神々や巨人族、小人族などが次から次へと登場してくるのでおもしろさがありますが、読み進めるとだんだんいたずらもののロキ以外はわからなくなりました。登場人物の紹介があると読みやすかったかなと思います。素敵な表紙で、男の子はゲーム感覚で読むのではないかと思いました。

すあま:北欧神話やギリシア神話は一般教養として知っていないといけないものだと思うので、読みやすい本があるのはよいと思います。ただ、小学校中学年向けの本だと思うけれど、登場人物の名前が難しいので、キャラクター紹介のようなものがあるとわかりやすくなるのでは? 小人族、巨人族などが出てくるので、『指輪物語』(トールキン著 瀬田貞二ほか訳 評論社)の好きな子に薦められます。巻末に北欧神話の本の紹介があるので、興味を持った子は、そこからさらに読み進めることができるのではないでしょうか。

ハリネズミ:ただ置いておいても子どもは手に取らないかもしれないので、手渡す人が重要ですね。

すあま:教科書にも昔話や神話が出てくるので、出版も増えているのかな。古典だけでなく、文豪の作品なども読みやすい本が出てくるとよいと思います。

ハリネズミ:夏目漱石を、ストーリー中心に書き換えるとか?

すあま:書き換えるっていうより、芥川龍之介の短編などを手に取りやすい形で出してくれたらいいな、と。太宰治の作品も、最近ではマンガ風のイラストを表紙にしたのがありますよ。

ハリネズミ:そこまで軽くしなくても、文豪は文豪でいいんじゃないの。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年5月の記録)


さわるめいろ

村山純子『さわるめいろ』
『さわるめいろ』
村山純子/著・デザイン 点字つき絵本の出版と普及を考える会&岩田美津子/協力
小学館
2013.02

『さわるめいろ』をおすすめします。

目の不自由な子どももそうでない子どもも、一緒に楽しめる絵本。

いくつかの出版社から出ている「てんじつきさわるえほん」の1冊で、シリーズのほかの絵本はロングセラー絵本の点訳化だが、本書は内容もオリジナル。市販の点字絵本はこれまで、印刷・製本上のさまざまな問題から、かなり高額な値段をつけざるをえず、だれもが買えるようなものとはなっていなかった。

今回のこのシリーズは、平成14年から出版社、印刷会社、作家、画家、デザイナー、点訳ボランティア、研究者などが定期的に集まって話し合いを重ねたなかから生まれたもので、絵に重ねて樹脂インクで盛り上げ印刷をし、蛇腹式の製本を取り入れてコストを抑えている。

本書は、日本の伝統模様などを使い、そこに樹脂の点々をのせているが、実際に目の見える子と不自由な子が一緒に遊ぶと、見える子が教わるという場合も多い。

このような試みが今後も続いていくことを願いたい。

(「第61回産経児童出版文化賞大賞 選評」産経新聞 2014年5月5日掲載)


スターリンの鼻が落っこちた

『スターリンの鼻が落っこちた』
ユージン・イェルチン/作・絵 若林千鶴/訳 
岩波書店
2013.02

アカザ:とにかく迫力があって、終わりまで一気に読みました。おもしろかった。ずっとリアルな場面が続くんだけど、最後のほうで主人公が追いつめられて、大変な精神状態になるところでスターリンの鼻の幻影が出てくるでしょう? 一気に全速力で駆けぬけるような作品の終盤でそういう場面を入れるところなど、うまいなあと思いました。最後、どうやって終わらせるのかなと思っていましたが、ウソっぽくなく、それでいてほんの少しだけど胸のなかがあたたかくなる終わり方で、よかったなあと思いました。以前はロシアの児童文学ってたくさん翻訳されていたけれど、今はどうなってるんでしょうね? リュードミラ・ウリツカヤなんかも児童文学を書いているって聞いたけれど。

アカシア:ロシアの児童文学は、今はあまり出てないんでしょうか?

さらら:『愛について』(ワジム・フロロフ著 岩波書店)とか。

アカシア:昔はロシア語の児童文学の翻訳者はたくさんおいででしたけど、今は少ないのかもしれませんね。大人の文学の翻訳者は、亀山郁夫さんとか沼野充義さんとか、おもしろい方が活躍なさってますが。

アカザ:きれいな絵本を見せてもらったことはあるけれど、読み物は読めないので、どうなっているかよくわかりませんね。

さらら:モスクワにいい書店があるんです。翻訳物がたくさん並んでいました。『くつやのねこ』(いまいあやの作 BL出版)もロシア語で出ていました。

アカシア:ロシアには文学の伝統ってずっとありますもんね。

アカザ:ボローニャやフランクフルトの見本市には、ロシアの本は出品されないんでしょうか?

さらら:ロシア語を読める編集者が少ないから、商売にならないかも。

レジーナ:それまでピオネール団に入るために頑張ってきた子どもが、父親の逮捕をきっかけに、価値観が揺らぐ様子を手加減せずに描いています。日本の敗戦にも通じますが、国家に翻弄され、それまで信じてきた理想が根本から崩れる体験です。絵の力にも圧倒されました。

アカシア:グラフィックノベルではないんでしょうけど、絵がたくさん入っていてそれに近いですね。

レジーナ:ニューベリー賞オナーに選ばれたということは、文章で評価されたのですね。アメリカの子どもは、どう読むのでしょう。

:昔、『ビーチャと学校友だち』(ニコライ・ニコラエヴィチ・ノーソフ作)というソ連の児童書がとても好きでした。ピオネール団や共産主義も出てくるのですが、とてものんびりした楽しい雰囲気の本で、そことのギャップをすごく感じました。

アカシア:時代はどうなんでしょう? 『スターリン〜』より前じゃないですか?

:『ビーチャ』は、もっと昔の話だったのかしら。『スターリン〜』の方は、大変な問題意識を持って書かれていますね。児童文学は、ザイチクが列に並ぶ最終場面のあたりから書き始めて、「昔、こんなつらいことがあった」と回想するタイプが多いように思うのですが、この作品は、その「昔」の部分をぐいぐい書いています。これから疑似家族をつくっていくのかもしれませんが、それにしてもしんどい経験ですよね。戦争児童文学やアフリカン・アメリカン児童文学だと、目に見える形で異質とされる人が攻撃されますが、ここででは、誰が誰を裏切るか分からない。怖いです。

げた:タイトルから、もっとユーモアのあるおもしろい話かと思ったけれど、全編怖い話でしたね。少年の信じるものがひと晩で崩れていく話ですよね。少年にとって英雄だったお父さんが、いきなり逮捕されて、スパイにされてしまう。いつも、大人の争い事に子どもが巻き込まれて、悲惨な結末になるのが、あわれでしょうがないです。なんとか、そうじゃない社会であってほしいですね。日本の子どもが読むならば、歴史を勉強してからじゃないとわからないんじゃないかな。中学生くらいじゃないと難しいかな。ホラーに近い挿絵は効果的ですね。

アカシア:確かにそうですね。

げた:読んで、つらい気持ちになりました。

プルメリア:以前読みましたが、今回もう1度読みました。暗いストリーですが、挿絵と手に取った感じと大きさが気に入りました。密告して利益を得る人や人間のあさましさが出ている社会が描かれています。資本主義と共産主義の違いも。にんじんがおいしいのは、ひもじいから? 鼻が欠けて空気が凍るような場面、鼻がしゃべり出す場面の設定には驚きました。挿絵が突飛です。最後に、自分らしく生きることが出てくる。

アカシア:自分らしい決断はしますが、それで生きていけるのかしら?

プルメリア:でも同じような思いの人との出会いは、よかったのでは。

アカシア:共産主義じゃなくて、ここは全体主義のことを言ってるんですね。日本だって、そうなるかもしれないわけです。この作品でも、当時の社会を支配していた恐怖が実感をもってひしひしと伝わってきます。この作品に出てくる人たちは、みんな脅えていて、ぎすぎす生きている。どんな時代にも、そうじゃない人はいたと思うんですが、ここには愉快な人、人間らしい生き方をしている人は出てこない。アメリカで出ているので、スターリン時代の恐怖政治が強調されているのかもしれません。

アカザ:私も、アメリカで出版されたということで、どう読まれるのか少し気にかかりました。だからロシアは……とか、だから共産主義は……というふうに読まれるのではないかと。それよりも、あとがきにあるように、今の日本でこういう本を出版するということに意味があると思いました。

げた:日本の戦前の「隣組」もそうですよね。資本主義でもありうる話ですね。

アカシア:それって、今の世界の構造そのもので、それがわかりやすい形で小規模に行われているんじゃないですか?

:(検索して)『ビーチャ』は1951年なのでスターリンの時代に書かれていました。真実は『ビーチャ』と『スターリン』のあいだくらいにあるのかもしれませんね。

ルパン(遅れて参加):今回読んだ3冊の中では、私はこれが一番おもしろかったです。ただし、funnyではなくinterestingの意味で。マッティは別の意味で子どもたちが生き生きと動いてはいましたが…でも、ママのかわりに寄付しちゃうお茶目なマッティと対照的に、先生の机のなかにスターリンの鼻を入れてしまうのは…。とんでもない先生なのだけど、考えてみたらこの先生もかわいそう。おとなも子どももみんな社会の犠牲者ですよね。こんな時代が本当にあったのだと思うと身震いしたくなります。『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著 土屋京子訳 講談社)の児童文学版を読んでいるかのようでした。ただ、それでいて最後まで子どもの目線できちんと書けていると思いました。理屈ではなくストーリー運びの中で両親と引き裂かれた悲しみが描かれています。ところで、アメリカ人のお母さんは結局どうなったのでしょう。

アカシア:お母さんはお父さんが売っちゃったんですよね。子どもを生きのびさせるために。今『ワイルド・スワン』の話が出ましたが、私はあの作品には反共プロパガンダ的なところがあると思っています。

ルパン:子どもたちのひとりひとりに個性がありました。フィクションのなかでリアルに子どもたちが動いている。最後はハッピーエンドではないのですが、ピオネール団は入らない、というザイチクの決意に好感が持てました。ザイチクはこのあと知らない女の人の子になるのでしょうか。この女の人の子どももきっともう帰ってこないのでしょうね。御都合主義ではなく、悲しい結末だけど、このお話には未来があります。たぶんこの女の人と寄り添いながら、ザイチクはこれからも社会に流されず自分の足で生きていくのだろうと思わせる余韻がいいなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年4月の記録)


マッティのうそとほんとの物語

『マッティのうそとほんとの物語』
ザラー・ナオウラ/著 森川弘子/訳
岩波書店
2013.10

プルメリア:表紙がとってもいいなと思いました。『湖にイルカがいる』ことには驚きました。エイプリルフールに嘘の情報を載せる新聞ってあるのかな。

アカザ:日本の新聞でもちょこっと載せることがあるじゃない。

プルメリア:岩波書店もいろいろな作品を出版するんですね。驚きました。お家が当たったと嘘をついたり、おじさんが誘拐犯に間違われたり、動物にお金を送ったりなどはらはらさせる場面が展開し、でも読ませる作品でした。最後にほっとしました。湖がでてきたり、フィンランドの森がでてきたりとのどかな自然が落ち着かせるのかな。お母さんのおじさんが安定剤になっているような存在感がありました。

げた:最初に湖のほとりで途方に暮れる家族がでてくる。一体これはなんなんだろうって思って読み進むと、最終的には、嘘から出たまことのような結果になって、ハッピーエンドで終わっているので、まあ、よかったかなという感じですね。『林業少年』『スターリンの鼻が落っこちた』と続いて最後に読んだんですけど、最後に安心して、素直に楽しめました。ドイツとフィンランドは遠いような気もするけど、近いのかな? いずれにしても、国境にこだわらず、行ったり来たりする感じがいいな。愛国的になってないのがいい。国際的にならなくっちゃね。

さらら:フィンランドの人って、オランダにけっこう多いんです。母音と子音が多いから、オランダ語の習得も早くて、発音がきれいだった。

げた:ドイツの高層アパートってどの程度の広さなんでしょう。とっても狭苦しい感じで書かれてたけど、日本じゃ広いほうだったりしてね。フィンランド人のお父さんがほとんどしゃべらないんですね。おとなしいんですかね?

アカシア:でも、ほら話はしてますよ。

さらら:ほら話はすごく好き。弟も、ちょっとしか出てこないんだけど、幼稚園のやんちゃな感じがおもしろかった。基調は友情物語ですよね。友だちの別荘に夏休みに遊びに行きたいのに、お金がないからだめって言われて、マッティは妄想でいろいろとやっちゃって。でも世界を正すかという正義感がおもしろい。価値観は人それぞれで、それに気づくって、大切なこと。あと、ここがいいなって思ったのは、パパとボートをこいでいるときに、マッティとパパは向かい合って話をする。嘘をついて、あやまりにこなかったのは、パパもマッティも同じで、それをパパが認めている。大人と子どもが対等なのが気持ちいい。

:努力をしなかったことでいいものが転がりこんでくるというところがとても素敵。人生について考えが深まるというのもあるけど、幸運が最後に手に入っちゃうおもしろさがいいですね。わたしもフィンランドに住みたいなあ。あと、これは、いろんなきょうだいの和解や変化の物語ですね。お母さんとクルトおじさん、お父さんとユッシおじさん。マッティとサミの関係も変わっていきますし。北欧というとドライなイメージがありますが、きょうだいという血のつながり方がいい方に作用しているように思います。

レジーナ:子どもたちは、自ら世界を正そうと考えます。大人の理屈と、それとは異なる子どもの理屈を等しく扱っている点は、とても好感が持てました。はじめの場面に「水切り石」とありますが、「水切りのための石」「水切りするときの石」「水切りに使う石」と訳した方が、わかりやすいのではないでしょうか。

アカシア:石切り遊びをしたことがある人は、ぴんとくると思うけど。

げた:石が自分で水切りするという意味にとれるということかな?

さらら:「水切り」を知らない子だと想像できない?

アカシア:すぐ次のページに、実際にやっているところが出てきますよ。

レジーナ:今の子どももするのでしょうか。 

:やりますよ。

レジーナ:弟の幼稚園で、カエル組の方がトラ組より年長なのがおもしろいです。

アカシア:子どもが自分たちでクラスの名前を決めるのかも。日本では、すみれ組とかたんぽぽ組とか、りす組とかうさぎ組とか、かわいい名前が多いですが、子どもが決めるとなると、突飛な名前が出てくるかもしれませんね。ドイツも、子どもに何でも決めさせようという意識が高い国だと思います。

レジーナ:早くから民主主義社会のやり方に慣れるのは、いいことかもしれませんね。

アカザ:収拾がつかないかも。

アカシア:ドイツには「ミニミュンヘン」というのがあって、30年も前からミュンヘンでは夏休みの間、子どもが自分たちで町を作って、自治をするんです。暮らしていくにはこれが必要だと思ったら、自分たちでそれもやっていく。子どもの自発性を重んじるので大人は脇役で、指導したりはしないみたいです。日本でも「こどものまち」という名前であちこちで似たような試みを行っています。四日市の書店メリーゴーランドの増田さんもずいぶん前から日本のミニミュンヘンをやっているとおっしゃってました。今は、子どもに何でも決めさせるというのがはやりですが、一方には、あまり小さいうちから決断を強制していくといつも不安を抱えるような子どもになってしまうという考え方もあります。

プルメリア:学校現場でも、やってみたいですね。

さらら:発想はキッザニアみたいな? 

アカシア:でも、キッザニアはおとな側が全部お膳立てしちゃうじゃないですか。お母さんに楽をさせて、その分お金を吸い上げる商売ですよね。ミニミュンヘンでは、子どもに親切だったおとなを子どもが選んで表彰したりもするんです。ところで、この本ですが、日本の作品にはないおもしろさがありました。最後はうまくいきすぎと思ったけど、そうか、それも嘘かもしれないと思うと、さらにおもしろいですね。

さらら:最後のメールのやりとりは、ほんとなのか嘘なのか、読者の読み方に任せている。だから、オープンエンディングじゃないですか?

アカシア:翻訳はところどころ引っかかりました。p8ではマッティが「ああ、またもや、皮肉だ」って言ってますけど、子どもの台詞らしくなかったし、この場面では皮肉にはなっていない。p15の「そんなこと、あの人には関係ないでしょう」も場面にしっくりこない。p19のパパの台詞は「イエス」だけど、ドイツ語じゃなくていいのでしょうか? 訳者あとがきの「未知の国フィンランドに出会えるのも」って、誰にとって未知の国? などなど、いくつか突っ込みたくなりました。

ルパン(遅れて参加):最初は笑ったらいいのか怒ったらいいのかわかりませんでしたが…最後は大笑いして終わりました。もう、めちゃくちゃですよね。でも、そのなかにピリリとスパイスが効かせてあるのがいいなあ、と思いました。

さらら:ただの馬鹿話じゃない。

ルパン:ええ。すごく鋭いところがありますよね。主人公は「世界を変える行動」に出るんだけど、それは「動物保護のために寄付をしている」、って嘘をついていたパパとママのかわりに寄付しに行ったり…ユーモラスで奇抜なんだけど、子どもに嘘をつくおとなを見事にやりこめてます。子どもに林業をなんとかさせようとして空回りしている大真面目な『林業少年』より、一見ふざけまくっている『マッティ』の方が、よっぽど子どもの視点できちんと世界を見ているような気がします。

レジーナ:良かれと思ってしたことが、とんでもない結果につながります。こんなにやりたい放題の子どもたちは、ネズビット以来。

ルパン:お母さんは理不尽に怒ってるのにお父さんはにやっと笑ったりしてるところもおもしろいし。

さらら:いいお父さんですよね。

アカシア:そういうところに存在感が出てる。

ルパン:エイプリルフールに、おとなたちもみんなだまされて池のイルカを見に集まるシーンもよかったなあ。

レジーナ:私も信じました。

ルパン:A型で学校の先生である私としては、これ、怒らなきゃいけないんじゃないかと思って読んでたんですけど、途中から笑いをこらえきれなくなっちゃって。さいごに家が当たる、っていうどんでん返しも、ここまで徹底的にリアリティなかったらむしろスカっとしますよね。

レジーナ:一番最後のメールで、家が当たったというのは、嘘かと思いました。もはや誰を信じていいのか……。

ルパン:でも、ただのドタバタに終始しているわけじゃなくて、たとえばマッティが新しい家に引っ越すんだ、ってはしゃいでたときに、親友のツーロは寂しく思ったりするシーンとか、全編通して、ちゃんと子どもの心の機微をとらえているところがよかった。理屈で説明するのでなく、それがストーリーのなかにさりげなく織り込まれているから。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年4月の記録)


林業少年

『林業少年』
堀米薫/著 スカイエマ/挿絵
新日本出版社
2013.02

げた:タイトルは流行の「なんとか少年」や「なんとか男子」を使って、目をひこうとしたのかな。内容は社会科の林業の副読本を読んでいる感じで、登場人物も画一的な物言いだし、それぞれの登場人物の立場で台詞が決まっている点でおもしろみに欠けますね。楓は卒業後の進路海外留学ではなく林業を選んだけど、そうさせたものが先輩との出会いだけなのは弱い気がする。林業の行く末に関しては具体的なイメージさえ提示されず、これで楓ちゃん大丈夫なの?と思う。具体的に何に惹かれたのか分からない。いまいち見通しがはっきりしないのに大丈夫かなと思ってしまう。時代的に設定は今なのだと思うけど、50年前の話みたいで古い感じがしますね。私が子どもの頃から林業をめぐる状況はこうだったように思います。私自身の話ですが、田舎の姉が山持ちの方と40年前に結婚したんですよ。当時はすごいなと思ったけど、結局、今は山もあるだけで切り出すのにお金がかかる現状で、お金にはならないんですよね。それに、私の身内に「相対」を仕事にしている人がいるんですけど、あんまりいい感じの人じゃなくて、ふっかける感じの人なんですよ。あんまり、いいイメージはもってないんですけどね。全体に現実味に欠けるかな。

アカシア:学生に環境について伝えようと調べてるときに、PARCのビデオ『海と森と里と つながりの中に生きる』っていうのを見たんです。それでわかったんですけど、日本の政府の林業政策はひどいですね。日本では戦時中に木を乱伐したので、戦後は政府が拡大造林政策というのをとって、もともとあった広葉樹林を伐採して建材に使う針葉樹をめいっぱい植えなさいと指導したんです。必ず儲かるからと言って。で、どこもかしこも人工的な針葉樹林にしてしまった。でも、その後政府が方針を転換して安い木材をどんどん輸入するようになる。それで、日本の林業はたちゆかなくなったんです。おまけに広葉樹林の実を食べていた獣たちも食べるものがなくなって村里に出て来るようになるし、花粉症も広がるということになったんです。今、クマとかイノシシなんかが人家の近くまで出てきますが、昔は山と里の間に広葉樹林があって木の実がたくさん落ちていたからそんなことはなかったんですって。林業が衰退するのも当たり前ですよね。1本切り出して50万円じゃ割りに合わないですよね。

げた:最後の百年杉としたらなおさら。

アカザ:だから、主人公のお母さんは怒ってるんですね。

アカシア:ふだんから下草刈りとかいろいろあるでしょうし、切るとなっても伐採のお金とか馬の運搬費などかかるから、100万円でも割りが合わないんでしょうね。

アカザ:年金をもらいながらの道楽でないとダメってわけですね。

アカシア:この本では未来に希望を持たせるような書き方ですが、実際には難しいのかもしれません。作者も林業をやっている方のようなので、作者の希望も入っているのかも。

さらら:人物がステレオタイプ化している気がしました。強烈なキャラクターが、ひとつくらい入っていてもいいのに。おじいさんも穏やかだし、お母さんもちょっと怒りっぽい程度。少年は姉の選択にドキドキしますが、すぐに解決してしまう。少年が家族思いで、お利口すぎて、悪くないけど読んでいて先が見えてしまう。物語としての計算が透けていて、おもしろさが今ひとつ。描写は一生懸命だけど、「ずんだもちの甘さで…(p12)」など、ていねいに書こうとしているけど少し浮いてしまっている。家族がなんとか持ち直すところに積み木のたとえで出てきますが(p148)、少年の意識を追った表現としては不自然な気も。このたとえを入れるなら、せめて位置をもう一工夫してほしかった。「女でも(傍点)林業ができる」という発想が女性の側から出ていますが、さらにつっこんで、「女だからこそ」できる新しい林業を書いてほしかったな。ただ、はっとさせるほど、いいところもあります。たとえば、p69の喜樹とかえでが杉に抱きつく場面。切る直前の、杉のいのちを感じるところはとても好きです。悪い本ではないけれど、手法の点、視点の点で、全体にちょっと古い印象を受けてしまいました。

:私が古いと感じたのは、楓が美人なところです。美人じゃないとうまくいかないのかと。十人並じゃだめなのかと。作者は、女性ですか、男性ですか?

さらら:女性です。

:そうなんですか、おじさんみたいな視点を感じました。お父さんもお母さんも仕事を持っているから、暮らしのお金には困っていなくて、道楽のように山を持ててますよね。でも、山や林業に希望を持たせるためには、お姉ちゃんをあれほどまでに美人に仕立てないといけないのかと思いました。だけど、林業の実際については納得しましたし、おもしろかったです。家が古くて立派なところがよかったです。磨き上げられた床とか銘木とか。

レジーナ:『神去なあなあ日常』(三浦しをん/著 徳間書店)も林業を扱っていますね。

アカザ:私、こういう仕事の詳細をしっかり描いた作品って好きなんです。子どもたちも、物語の中ほどの林業の実際を描いた場面なんか、興味を持って読むと思います。私も、生き生きした描写だと思っておもしろく読みました。でもでも、そこにたどりつくまでがね! 文章が古くさくって、なかなか物語に入りこめませんでした。なぜかなって考えたんですけど、主人公が小学5年生で、地の文もその子の目線でずっと書かれているんだけど、どう考えても小学5年の男の子の感性じゃないんですね。たとえば、p30のお姉ちゃんの部屋の描写でも「ドアのすき間から、安っぽい化粧品の匂いがただよってきそうで」とか、その後に出てくるおばあちゃん手作りのサツマイモのかりんとうが「素朴な甘みとかりかりとした歯ごたえが後を引いて、いくらでも手が伸びる菓子だった」とか、おばさんぽいっていうか、おっさんぽいっていうか……。それから、この物語の芯になっているのは楓っていうお姉ちゃんで、主人公の喜樹はずっと傍観者というか観察者なんですね。それなら、いっそのこと楓を主人公にしたほうがよかったのでは? それから、林業の現在とか未来が、この一家の問題だけに終わってしまっているような感じがして、「大変そうだけど、山を持ってて、立派な家に住んでて、跡継ぎも決まったようだし、よかったね」という感想を、ついつい持ってしまいそうで。もっともっと大きな問題があるんじゃないかな。そういう、広い世界の、大きな問題につながるようなところまで書いてほしかったなと思います。

アカシア:最初が法事の場面で、そこに親族の名前がわーっと出て来ます。そこに関係性の説明がほとんどないので、ちょっと混乱しました。主な登場人物は後を読めばわかるのですが、主な人だけでも少し説明をいれてもらうと、最初からイメージできるのでいいんじゃないかな。

アカザ:編集の問題かな。

ルパン:正直あまりおもしろくなかったですね。おもしろくない理由は皆さんがおっしゃるとおりで…そう、そう、と心のなかでうなずきながらお話を伺っていました。やっぱり、林業の将来性が感じられないというのが致命的ですよね。林業の抱える問題点を伝えたい、というのが前面に出てしまっていて、どきどきさせるようなストーリーがないですから。あとから「どんな話だっけ?」と思っても何も思い出せないほど起承転結がなかったです。

さらら:するする進んでしまうけど。

ルパン:問題提起だけで終わったら、読んだ人は林業がやりたくなくなってしまいますよね。残念ながら、私はこれを読んでも森に対する愛着はわかなかったです。自分が子どものときに読んで「ああ、木を植えたい」と心から思ったのは 宮沢賢治の『虔十公園林』でした。あれは山に木を植えなければ、などとはひとことも言っていないのですが、ものすごく心を打たれ、木への心をかきたてられました。ジオノの『木を植えた男』とかも。それに対して、こちらは一生懸命語っているのにもかかわらず、50年後の山の姿がまったく見えてこないのは残念でした。あと、主人公の喜樹の語りが妙におとなっぽくて、途中でランドセルを取りにいったときは「あ、小学生だったのか!」と、びっくりしてしまいました。

プルメリア:12月頃に男子(小学校5年生)がこの作品を学校図書館で借りて読んでいました。5年生では3学期に林業を学習します。身近な生活とかけ離れているため、なかなか理解することができない内容なので、林業をしている人々の生活にふれてほしくて子どもたちに紹介しました。主人公も5年生でぴったり。資料集とは異なる実生活がありました。作品を読んでお姉ちゃんの気持ちも少年の気持ちも感情移入ができたようです。教科書や資料集には木を運ぶ道具として馬が出てこないので、そこが違和感があったかな。教科書ではトロッコでした。実際に馬を使っているのかどうかと。

アカシア:馬で木を出すのは今日で最後か、って言ってるから、もうあまり使ってないんでしょうね。

さらら:作者には、そんな馬が残ってほしいという願いがあるんだと思いますけど。

プルメリア:林業に誇りを持って仕事をしているおじいちゃんの姿がいいなと思いました。木材は輸入が多いけど、国産品への意識もあります。杉は嫌われているけど花粉を出さない杉が開発されたことを最近ノンフィクションの作品で読みました。戦後植林をしたことによって花粉症がふえたこと、自然の影響ではなくて人工的なもの。「杉が悪いのではなく植えた人間が悪い」と書かれていました。

アカシア:国の林業政策が場当たり的だったせいもあって、たぶん今まで通りのやり方だと林業で生計を立てていくのは難しいと思うんですけど、たとえばただ木材として売るのではなく、家具などに加工するところまで自分たちで会社をつくってやって成功している人たちはいますよね。そういうオルターナティブの道筋も示してくれるとよかったな。

プルメリア:自分が夢中になれるものがあるのはいいですよね。

アカシア:でもルパンさんは、これを読んでも林業につきたいとか木を植えたくなったりはしないと言ってましたよ。

プルメリア:5年生の子どもたちは好きな仕事ができていいなと言っていました。私のクラスの保護者の職業はほとんど同じ職種なので。「自分で自由な仕事を選べるのはいいね」ってよく言っています。

げた:(検索して)プルメリアさんがさっき触れたのは、『花粉症のない未来のために』(佼成出版社)。斎藤真己という研究者の本ですね。

プルメリア:取引の場面もおもしろかった。

さらら:海外でものを値切る交渉は、100のものを、10といい、中間の50で手を打つことが多いと聞きますが、この取引はそんなに差がないところから始まる。その辺どうなのかな。

アカシア:この地域の人たちは木1本の相場もわかってるんでしょうから、それと桁が違うような所からは始められないでしょう。

さらら:なるほど、日本人はやはり常識的!

アカシア:挿し絵はどうでしょう?

レジーナ:50年前の話のようだというお話がありましたが、絵は、今の子ども向きなのでは。両親と姉の会話を、主人公と祖父が聞く場面では、解説の図のように、文章をそのまま絵にしていますよね。工夫してほしかったですね。

さらら:表紙はいいですね。

プルメリア:この作家は、『チョコレートと青い空』(そうえん社)を書いた人ですよね。

さらら:「季節風」でずっと書いていた人です。

アカシア:農業をしながら作品を書いている方ですね。 私はこの本は、現場を知っている人ならではのディテールがあって、おもしろく読んだんですけど、できれば個人のレベルでがんばるだけじゃなくて、もっと広い視野で書いてもらえるとよかったと思いました。

さらら:そういう視点のある人物がいるとよかった。

アカシア:この作家は福島の方ですか?

アカザ:生まれは福島。

レジーナ:現在は、宮城県在住のようですよ。

アカシア:こういう実体験をもっている人に、もっともっと書いてほしいですね。この作品はとてもまじめですが、社会科の教科書だけではわからないことがわかったりするので、副読本に使ってもらうといいんじゃないですか。

プルメリア:イメージがわいて理解しやすくなります。

アカシア:作品そのものの出来については、もう少しがんばってと言いたいですが、現場にいる人にしか書けないことはありますからね。

さらら:知らないことは新鮮に映ります。

レジーナ:農家に嫁ぎに来るアジアの人も多いですよ。年金をつぎ込んで、荒れていく山を維持しようとする様子から、林業の切実な状況が伝わってきました。『神去なあなあ日常』の登場人物は個性的でしたが、この作品は美男美女ばかりで漫画のようでした。林業の仕事に情熱を燃やし、サルのように木を切る青年も、いまどきの外見でかっこいいという設定でしたし……。その木がどれだけ手をかけられてきたかが年輪から分かることや腐りにくい木の種類、「相対」「トビ口」という特殊な言葉を知ることができたのは、おもしろかったですね。林業の仕事の内容は、『林業少年』の方がていねいに描かれています。子どもに手渡すのだったら、こちらをすすめたいです。

アカシア:そこが、インタビューして書く人と、自分で見聞きしていることを書く人の違いですよね。

レジーナ:取材して書いたのではなく、著者自身が農業に携わっているから、描写にリアリティがあると私も思いました。在来種の馬の足の太さに気づく場面をはじめ、実体験にもとづいて書いている印象を受けました。人物は、もう少し深く描いてほしかったです。はじめから林業を継ごうと考えている男の子が主人公ですが、現実を映していないのでは……。自分がかなえられなかった夢を娘に押しつける母親は、あまりに身勝手で、読んでいて腹が立ちました。

アカザ:娘に英文科に行って、将来は海外に行ってもらいたいって思うお母さんって、いまどきいるのかしら? 半世紀前なら別だけど。いまは、農学部のほうが人気だと思うけど。

アカシア:今は英文科など閉鎖している大学もあるくらいで、バイオテクノロジーなどを扱う農学部は花形なんじゃないかな。

さらら:私の息子は農学部ですけど女の子が多いですよ。

アカシア:お母さんが家つき娘で、自由なことができなかったというのは、今でも地方だとあるんでしょうか。

レジーナ:山ではなくても、家を継ぐという意識は、田舎では今も根強いのでは。

アカシア:それはそうでしょうけど、好きな勉強もできなかったし、サラリーマンと結婚するのも反対されたんですよ。そのあたりはもう今はあまりないのかな、という気もします。

アカザ:日本の児童文学ってお母さんをすごく悪く書く作品が多いですよね。目の敵みたい。もう少し深く描けないものかな。

アカシア:お母さんだけじゃなくて、人間そのものをあまり深く描写していないものが多いと思います。

さらら:たとえばオムニバス形式の『きんいろのさかな・たち』(大谷美和子作 くもん出版)は、どの話も人として生きようとするお母さんがユニークでした。

レジーナ:p147の母親の台詞「これだけ大騒ぎしたんだ。お前、絶対合格してみせなよ!」は、言葉が強過ぎると思いました。字面から受けるよりもう少し柔らかいニュアンスなのでしょうか。

アカザ:私も、ちょっと乱暴な言い方だと思ったけれど、この辺だとそういう言い方をするのかと……。

アカシア:ふだんの口調が荒っぽい地域もありますよね。

レジーナ:母親が方言を使っているとは、あまり感じませんでしたが……。

アカシア:全体として、林業のことを書こうとするあまり、人間を描くことがちょっとおろそかになった感がありますね。

レジーナ:林業理解には、いいけど。

:知らなかったことを教えてもらった楽しさはありましたね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年4月の記録)


2014年04月 テーマ:少年の信じるもの

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『2014年04月 テーマ:少年の信じるもの』

 

日付 2014年04月24日
参加者 アカザ、アカシア、さらら、レジーナ、慧、げた、プルメリア、ルパン
テーマ 少年の信じるもの

読んだ本:

『林業少年』
堀米薫/著 スカイエマ/挿絵
新日本出版社
2013.02

版元語録:山持ちとして代々続く大沢家の長男・喜樹は、祖父・庄蔵の期待を一身に受けていた。家族から「干物」と陰口をたたかれる庄蔵だが、木材取引の現場では「勝負師」に変身する。百年杉の伐採を見届け、その重量感に圧倒された喜樹は―。山彦と姫神の物語。
『マッティのうそとほんとの物語』
原題:MATTI UND SAMI UND DIE DREI GRÖSSTEN FEHLER DES UNIBERSUMS by Salah Naoura, Leavitt, 2013
ザラー・ナオウラ/著 森川弘子/訳
岩波書店
2013.10

版元語録:マッティは11歳の男の子。夏休みに親友ツーロといっしょに、パパの故郷、フィンランドに行きたくて、おとなをだます計画を立てるが、それがとんでもない事態に発展して……。うそがうそを呼んで引っこみがつかなくなるドタバタ劇を、ぎくしゃくした家族の再生とともにあたたかく描いた、ペーター・ヘルトリング賞受賞作。
『スターリンの鼻が落っこちた』
原題:BREAKING STALIN'S NOSE by Eugene Yelchin, 2011
ユージン・イェルチン/作・絵 若林千鶴/訳 
岩波書店
2013.02

版元語録:秘密警察官の父を逮捕されたサーシャ・ザイチクは叔母の家にも入れてもらえず、囚人面会の長い列に並ぶ。2012年ニューベリー賞受賞作。

(さらに…)

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In the Heart of the Moon

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『In the Heart of the Moon』

In the Heart of the Moon(月の真ん中で)

ミュージシャン:Ali Farka Touré & Toumani Diabat(アリ・ファルカ・トゥーレ & トゥマニ・ジャバテ)
レーベル:World Circuit
(日本版はライス・レコード)

 

 

アリ・ファルカ・トゥーレ(1939-2006)はマリ北部の生まれの、ブルーズを演奏するギタリスト。トゥマニ・ジャバテ(1965-)は、コラ奏者で、マリ南部生まれの伝統的な家系のグリオ。この二人が、マリの首都バマコにあってニジェール川を見下ろすマンデ・ホテルの最上階で録音したアルバムです。北部の民族ソンガイ/プールの曲と、南部の民族バンバラの伝統曲などが入っています。リハーサルなし、編集もなしだそうで、流れるように演奏したままが録音されています。4曲目の「ニャフンケの市長さん」は、ちょうどニャフンケの市長に就任したアリを、グリオのトゥマニが賞賛している曲になっています(グリオはほめ歌を歌ったり演奏したりするのも仕事の一つ)。ちなみに市長になったアリは私財をつぎこんで、地域のインフラ整備に努めたそうです。

アリ・ファルカ・トゥーレはアメリカのブルーズに魅せられて欧米で活躍したミュージシャンですが、音楽で身を立てる前はタクシーの運転手や自動車の整備工もしていたとのこと。トゥマニ・ジャバテは5歳の時からコラ(ヒョウタンに動物の皮を張った21弦の楽器)を弾いていたそうですが、子どもの頃ラジオから流れてくるアリの曲を変わった音楽だなあと思いながら聞いていたと言っています。

このアルバムは2006年にグラミー賞を受賞しますが、アリはすでに亡くなっていて、授賞式に出席できたのはトゥマニだけでした。このアルバムの日本版はライス・レコードから出ています。

以下の動画には、当時の録音風景や2005年にブリュッセルで行ったコンサート風景などが入っています。

トゥマニ・ジャバテは、今年5月に息子のシディキ(トゥマニのお父さんと同じ名前なんですね)と新しいアルバムを出すのですが、そのプロモーションビデオがこちら。トゥマニは700年続くグリオの71代目だそうです。私と同じようにコラの音色が好きな方には、こちらもお薦め。


2014年03月 テーマ:読書感想画の課題図書

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『2014年03月 テーマ:読書感想画の課題図書』

 

日付 2014年03月31日
参加者 慧、ルパン、アカシア、プルメリア、レジーナ
テーマ 読書感想画の課題図書

読んだ本:

『母ちゃんのもと』
福明子/著 ふりやかよこ/挿絵
そうえん社
2013.02

版元語録:ある日、ぼくはその山の頂上で「母ちゃんのもと」というふしぎな粒をもらった。大好きだった死んだ母ちゃんがよみがえる…?
『希望への扉 リロダ』
渡辺有理子/著 小渕もも/挿絵
アリス館
2012.11

版元語録:故郷を追われたマナポがたどりついた、タイの難民キャンプ。なに不自由ないくらしだけど、なにか足りない…やがて図書館員になる中で、民族の誇りと希望をとりもどす。
『嵐にいななく』
原題:AFTER THE FLOOD by L.S. Matthews, 2008
L.S.マシューズ/著 三辺律子/訳
小学館
2013.03

版元語録:ジャックは、引っ越した村で1頭の馬に会う。家畜として飼うために馬と心を通わせ、馬具がつけられるように訓練していく。物語はマイケルの日記をはさみながら進む。

(さらに…)

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嵐にいななく

『嵐にいななく』
L.S.マシューズ/著 三辺律子/訳
小学館
2013.03

ルパン:まだp170までしか読んでないのですが、今のところ3冊の中で一番いいと思っています。ただ、p120のマックスの言葉の意味がよくわかりませんでした。

アカシア:両親が、ジャックのことを理解していないということでは。

ルパン:あと、ジャックが読み書きできないということを、マックスはいつ知ったのでしょう。

アカシア:p81では?

:最後は本当に衝撃ですよね。おもしろい。これまで読んできた前提がひっくりかえされます。時代もよくわからなくて、ずいぶん昔のようでいながら、先端のエネルギー問題がでてきたりして、予想が何度もくつがえされます。背後にあるのは無機質な世界なんです。でも、そこに、人間同士のあたたかい関係や、読み書きとか、有機的なものが立ち上がってきます。それは成功していると思います。馬を自由に飼うことはできないその状況は無機的ですけれど、馬のお世話をするときの脈動とか、馬という動物じたいの躍動感とか、もっといえば、馬の前にシカが殺されたときの赤い血の広がりとか、そういうあたたかさが有機的なものとして浮かび上がってきていると思いました。もちろん、その先に、マイケルとの交流がありますね。いろいろな意味で実験作ですね。

プルメリア:以前読んだとき、いい本だなって思いましたが、今回 読んでみたところ感想画を描く5・6年生の高学年には読み取りにくい作品だなと思いました。読み書きができない内向的な少年が、馬と出会って変わっていく。飼うのが大変な状況の中で馬と心を通わすことで安心感を得る。ペット的な小動物でない馬の設定がおもしろい。残念なことは、学力的に高くないと読みきれない作品だと思います。

アカシア:最初の出だしはとてもドラマティックで、ぐっと引きつけられました。でも、4章ではとつぜん18か月後のちがう話になります。そこで、まずえっ? と思って、私の中の読むリズムが崩れてしまいました。それと、時代がいつなのかがよくわかりません。出版社の言葉には近未来とありましたが、エネルギーを無駄遣いしないという枠はわかっても、どうして新時代の自動車ではなく馬が使われているのか、省エネ機械ではなく人力ですべてが行われているのか、どうして学校制度が形骸化してしまったのか、などはよくわかりません。ベースになる時代設定をヒント程度にでも書いといてもらわないと、読む方は落ち着かない気持ちになります。これ、特に近未来にする必要がなかったんじゃないかな? もちろん動物と人間の愛情などよく書けていますし、いい描写もあるのですが、イギリスのアマゾンを見ると、もうキンドル版しか出ていませんね。不安定な舞台設定がネックになったのではないでしょうか? マイケルが実はおじいさんだったことが最後の最後でわかるのですが、それも意表をつくおもしろさというより、あざといと思ってしまいました。そんな小細工しないほうが、伝わるものが大きいのではないでしょうか? それから、翻訳はいい文章なのですが、わかりにくいところがありました。

レジーナ:原文は、どうだったのでしょうね。英語は、言葉づかいが、日本語ほど年齢によって変わらないはずですが、日本語の翻訳者は、老人なら老人らしく、子どもなら子どもらしく、台詞を訳します。マイケルの口調が少年のように訳されている分、原文より日本語訳の方が、最後の驚きは大きいのかもしれません。読者の知らない事実を最後に明かす手法は、シャロン・クリーチの『めぐりめぐる月』(もきかずこ訳 講談社)を思い出しました。『めぐりめぐる月』は、少し凝り過ぎだと思いましたが、今回の作品はちょっとだまされたように感じてしまいました。筋はおもしろく、読者を引っ張っていく力があり、大人の作品だったらよいと思いますし、また仕掛けをしておき、最後にあっと驚かせる作品を好む子どももいます。しかし、児童文学である以上、「だまされた」と読者に感じさせないようにしなければいけないのではないでしょうか。作品に寄り添って読むことができていたら、そう感じなかったかもしれません。エネルギー不足の近未来という舞台設定、馬との心の交流、字が読めないというハンディ――さまざまな要素が、もう少し絡み合っていたら、よかったのでしょう。最後の方に、嵐の後、家に閉じ込められた人を救う場面があります。洪水で家を失い、別の土地で新しい生活を始めた少年が、そこで出会った人や動物の力を借りて、今度は他者を助ける側になるのですね。レースのように見えたり、エメラルド色をしていたり、鮮やかでみずみずしい野菜の描写、身体を自由に動かせないマイケルが、鍬によりかかる人を見て、「疲れる」という感覚を思い出す場面は印象的でした。今すぐマイケルの日記を読みたいジャックが、日記を「今にもはじけそうになっている花のつぼみのよう」だと表現しているのも、美しいたとえですね。いじめっ子のフレッドやジムは、痛みを抱えた人間として描かれていて、人物造形に厚みがあります。洪水の時の不気味な静けさはよく伝わってきましたが、においもするはずなので、そこを描けばもっとリアルに感じられたでしょう。ハミやオモガイといった言葉にはなじみがないので、p217の図に助けられました。図が冒頭にあれば、なおよかったです。

アカシア:近未来にするなら、現在の社会からどう変わってこういう社会になっているのか、そのあたりを少なくとも作者は考えて書いてほしいと思います。そうでないと、子どもだましになってしまう。

ルパン:携帯電話が出てくるまでは、昔の話だと思って読んでいました。近未来という設定だというのは気がつきませんでした。ぜんぶ読まないとだめなんですね。
ラストを聞いたら、先ほどのp120のところも納得がいきます。

アカシア:ジャックの一人称部分は明朝体、マイケルの日記はゴチック体で印刷されているんですが、訳注は両方ともゴチック体なので、明朝部分の注がやけに目立ちます。それから、「動物をペットとして飼えなくなった時代」とありますが、p124に犬は出てきますね。これは、猟犬なのでしょうか? だったら猟犬と訳したほうがよかったかも。

:資源が足りないから、ペットを飼えないのでしょうか。洪水で鶏小屋が流れてくるけれど。

一同:ニワトリは食用なのでは。

アカシア:太陽エネルギーを蓄電できれば、いろいろな問題は解消されるはずなんだけど、この作品では時代が元に戻ってしまっていますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年3月の記録)


希望への扉 リロダ

『希望への扉 リロダ』
渡辺有理子/著 小渕もも/挿絵
アリス館
2012.11

ルパン:私は、これはなかなか良いと思いました。先に読んだ『かあちゃんのもと』を評価できなかったからかもしれませんが。よくまとまっているし。ただ、最近こういうのが多いな、とは思いましたが。

アカシア:こういうのって?

ルパン:難民の話とか、途上国が舞台の物語です。私はここ3年ほどシャンティの訳語シール貼りをしていたので、親近感をもって読みました。途上国で新たに本を作って出版するのはとても大変なことだと思うので、現地の言葉のシールを上から貼って手渡すのはいいアイデアだと思っています。私がシールを貼った本はこういうところに行って読まれているのだな、と思うとうれしくなりました。お話のなかでよかった場面は、高床式の図書館を作っているときに、中で読み聞かせの練習をしていたら、床の下に子どもたちがたくさん入って聞いていた、というところです。

:現実には、こういう活動にはうまくいかないことも悪いこともあると思うんですけれど、よくできた部分を取り出した報告パンフレットのようでした。日本のNGOのおかげというのが前面に出ているところも。難民の話かと思ったら図書館の話になるんですよね。カレン族とミャンマー族の相克の背景など、もっと深めてほしかったな。難民を描くという点では浅いのではないでしょうか。あと、リロダというのもはじめ何のことだか分からなくて。

ルパン:タイトルにもそうありますし、図書館のことでは。

:(本を見て確認)読みすごしていました。たしかに、ちゃんと「図書館」とありますね。
アカシア:私は内容も記述も教科書的だな、と思いました。書いてあることは悪くないんだけど、表現にもクリシェが多いし、作者自身が難民ではないので今ひとつ迫ってこないのが残念でした。ミャンマーのシャンティはライブラリアンの研修をちゃんとするんだな、とか、人数をかぞえるのに小石を一つずつ箱に入れてもらうのはいいな、とか、そういう発見があったのはよかった点です。貧しい中でも家族が助け合って暮らしている様子も伝わってきました。それからカレン語の訳を、日本や欧米の絵本に貼るのも悪くはないと思いますが、本当はそこの土地の子どもたちが自分が主人公、という気持ちになれる本が必要なのだと思います。その意味では、カレン族の昔話を紙芝居にして、難民キャンプで暮らす絵の好きなおじさんが絵を描いてくれる、というのは、とてもいいと思いました。こういった試みが広がっていくのが理想だと思います。挿絵では、p39の絵だと川幅がそれほどないように思えるので、政府軍のサーチライトをかわすのはこれでは無理なのではないか、と思いました。

ルパン:学校の先生が書いたクラスづくりのおはなしとかに、こういう感じの本ありますよね。

アカシア:うまくいった部分だけを取り上げて書いたものは、ノンフィクションにもたくさんあります。

:成功体験でまとまっているのが多いですね。

ルパン:ただの紹介や説明だと聞いてもらえないけど、物語にしたら読んでもらえるからストーリーにまとめるんでしょうね。

アカシア:最初は木に登って図書館の中をのぞいていた男の子パディゲが、図書館の中に入れて文字も少し教わり、お母さんから認められて小学校に通えるようになる。そしてマナポが働いていた図書館が洪水で流されてしまったとき、このパディゲの家族は、自分たちが別の場所に立ち退くからそこに図書館を建ててほしいと言い出す。この展開は、とてもきれいですが、実際は、そんなにうまくいかない場合がほとんどじゃないかな。学校に行かせない親は、西欧風の価値観に毒されると思ったり、早くから手に職をつけてほしいとか思っている場合が多いでしょうし、そうした考えを変えていくのにはかなりの時間がかかるように思います。

ルパン:あまりわくわく感がないのは、最初から「これを書こう」という枠組みを決めて書いているからじゃないですか。登場人物が自然にいきいきと動き出す、という感じはないですよね。でも、図書館を見たことがない子どもたち、初めておはなしを聞いたときのうれしさ、本が読めるよろこび、というものがすなおに伝わってきて、好感がもてました。成功体験だけをまとめているのかもしれませんが、『かあちゃんのもと』のご都合主義にくらべたらはるかに読後感がいいです。

アカシア:難民キャンプには募金が集まるので図書館がいくつもつくれる。でも、逆に地方の村には図書館がない。この作者は、図書館は絶対的にいいものだという価値観が最初にあって書いているようですけど、ボランティアって本当は安易にするべきものじゃなくて、深く考えてするものだと思うんです。文字の文化も安易に導入すると、声の文化を圧迫して消滅させてしまう結果になる。まあ、この本は小学生向きなので、そう詳しくは書けないでしょうけど、作者がどこまで深く考えているのか、は大事だと思います。

:その言葉を話す人たちに家族を殺されているのに、心理的な抵抗はないのかしら。いつかカレン語で、という願いはありますが、現状への葛藤はあまりないみたい。

レジーナ:石で入館者を数えたり、高床式の建物の床下でおはなしを聞いたりする場面からは、その土地ならではの素朴な温もりを感じました。厳しい環境で生きる子どもが、読書の喜びを知っていく姿に、子どもに本を手渡していく活動は、時代や場所を越えて続いているのだと感じました。第二次世界大戦後、瓦礫の中でミュンヘン国際児童図書館を始めたイェラ・レップマンを思い出しました。それにしても、湿気が大敵の図書館を、川のそばに作ってしまうのには驚きました。難民が一番多い地域は、アジアだと書かれていましたが、これまで知りませんでした。

プルメリア(遅れて参加):この本を読んだ5年生の女子は、『難民って大変なんだな。図書館はどこにでもあると思っていたから、図書館がないところがあることを初めて知りました。』との感想でした。絵もあって、とくに女子にはとっつきやすそうでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年3月の記録)


母ちゃんのもと

『母ちゃんのもと』
福明子/著 ふりやかよこ/挿絵
そうえん社
2013.02

:何もかもリアリティがなかったです。お父さんが乗り越えていないお母さんの死を、たけるはいとも簡単に乗り越えてしまっています。寂しさはあるけど、その寂しさに奥行きがないというか。こんな5年生は絶対にいないし、けなげすぎるでしょう。遺言を守っているという設定ですけれど、そこにもリアリティがありません。「母ちゃんのもと」という小道具もマンガにありそうですけど、空気が入ってぼよんぼよんしていて、いかにもまがいものですよね。たけるがいろいろ教えてやらないと、本当のお母さんに似たものにならないから、子どもが優位に立たざるを得ません。間違ってます。たけるの喪失を埋めるものにならないから、疑似的な親子関係にもリアリティが生まれないし、最後はあんなふうに消滅してしまいます。八百屋も何を考えているのだか、たけるになぜあんなものをお試しで渡したのかしら。残酷。あらゆる面で、たけるは大人にとって都合のいい子どもになっていて、本当の気持ちはどこ?と思います。

ルパン:なんてかわいそうな話なんだろう、と思いながら読みました。たけるはお母さんが亡くなっても立派にがんばっているのに。たとえ、いつまでもめそめそしている子どもだとしても、わざわざ中途半端に死んだお母さんをよみがえらせたりしたら残酷なだけなのに、ましてやこんなに健気にお父さんの世話までしている子に、いったい何をさせたかったんでしょう。いきなり出てきて「母ちゃんのもと」なんか使わせて感想を言わせようとしているこの八百屋(?)の「おっちゃん」も意味不明です。

アカシア:やっぱりリアリティがないですよね。たけるがけなげで新たな出発をするのはいいのですが、たとえば、峠から自転車の二人乗りで坂道を下って、おもちゃ屋に突っ込んでショーウィンドーを割るくだりとか、ビニールプールをかぶって雨をよけるくだりは、いかにもマンガ的で、リアリティがない。お母さんが現れたとしても、こんなぼうっとしたつかみどころのないお母さんだったら、かえってたけるは大変になるだけ。それを乗り越えてっていう展開にそもそも無理があると思います。

レジーナ:雨の中、お母さんを守りながら自転車で走る場面をはじめ、切ない雰囲気の作品です。お母さんが割烹着を着ていたり、部屋にちゃぶ台があったり、時代を感じさせる設定が、暗さを助長しているようで……。種から生まれたお母さんのちぐはぐな言動に、ユーモアがあれば、救われたのですが。ショーウインドーは高額のはずなので、それを壊してしまい、どうするのかと思っていたら、ガラス工場に勤めているお父さんが弁償します。ご都合主義な展開です。登場人物も、もっと作り込む必要があります。無力で健気な子ども像が強調されているのも気になりますし、ロックミュージシャンのような八百屋さんの描写も平面的で、リアリティが感じられませんでした。

プルメリア(遅れて参加):学級(小学校5年生)の子どもたちに紹介しましたが、読んだ子どもたちからはおすすめの本という声は残念ながら出ませんでした。お話がオーバーに構成されているように見えました。たとえば、お母さんと一緒に自転車に乗ってみかん畑に倒れたとき、帽子がみかんの木のてっぺんに引っかかったり、お母さんがゴロゴロと転がって木にぶつかりみかんがぽこぽこおちてきた場面。疑問に思った場面は「スニーカーの先がアスファルトのつくたびに火花が散るのが見えた」。見えるのかな? また「初めてお父さんが料理をする」とありますが、今まではどうしていたのかな? よく似た作品には『お母さん 取扱説明書』(キム・ソンジン作 キム・ジュンソク絵 吉原育子訳 金の星社)がありますが、登場人物はそっちのほうが少なくまとまっていたように思えます。みなさんの意見はどうでしたか?

アカシア:『母ちゃんのもと』については、たけるが、せっかくけなげに前向きに生きているのに、中途半端にお母さん人形みたいな物をちらつかされ、しかも、自分のせいで消えてしまう。子どもにしたら、とても耐えられないような踏んだり蹴ったりのシチュエーションじゃないかと思うという声がさっきは多かったのです。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年3月の記録)


もう一度家族になる日まで

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『もう一度家族になる日まで』

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『もう一度家族になる日まで』

の読書会記録

スザンヌ・ラフルーア著
永瀬比奈訳 
徳間書店  2011

ルパン:最初は、主人公の女の子が好きじゃありませんでした。自分のことで
いっぱいいっぱいで、まわりの人まで思いやる余裕がないし、あんまり「いい子」じゃないですよね。でも、途中からぐいぐい引き込まれて、この年齢でこんな目に遭ったら、こう感じるのが当たり前だ、って思うようになりました。最後はすっかり感情移入して、電車の中で読みながら悲しくなって号泣しちゃいました。いちばんぐっと来たのが、お母さんと会えたときに、初めていう言葉。お母さんに、「私より妹のほうがかわいかったの?」って言うシーンです。死んだ妹をなつかしんでいたけれど、私がいるのに、妹が死んだことがそんなにつらかったの、と。そのひとことで、もう泣けて泣けて。

レジーナ:ずっと気になっていた作品です。読むまでは、経済的に困難な家庭でネグレクトを受けた少女の話かと思っていましたが、そうではないのですね。亡くなった妹のために買っておいていたプレゼントを、誕生日の日に写真のそばにそっと置いたり、お母さんが見つかったことを知らせに学校に来たときに、可愛がっている金魚を車に乗せて連れてきたり、押しつけがましくなく、主人公の気持ちに寄り添うことのできるおばあちゃんが心に残りました。感謝祭の前に、主人公が、家族の思い出のスイートポテトを作りたいと言い出した
時も、失敗したらどれだけ傷つくかを考えたら、私だったら一緒に作ると思います。その子を信じて委ねるのはなかなかできないことなので、子どもを根底から信じようとするおばあちゃんの強い姿勢を感じました。親友の妹が病院に運ばれたとき、それまで悲しみの殻に閉じこもっていた主人公がはじめて、友だちのことを思いやる描写も、心に響きました。誕生日の日に、年の数より一本多くろうそくを灯す習慣について、あとがきで触れてありましたが、物語の中では詳しく述べられていなかったので、その点に関してはもう少し説明がほしかったです。

みっけ:これは原書が出た頃に買って一度読みました。不思議な感触の本だなぁ、静かな本だなぁと思いました。今回訳を読もうと思ったのですが、冒頭で日本語にひっかかって、その後もかなり気になる箇所が多く、結局原書を読み直しました。初めのうちはこの子に感情移入できなくて、嫌な子だと思った、という感想がありましたが、まさにそう思わせるくらい丹念にこの子の心
の動きを掬っているのがすごいと思いました。主人公の見たもの、感じたものをごく細かいところまで丁寧に掬っているんだけれど、ただ拾うだけでなく、ポイントをしっかり押さえているから、主人公が細かく揺らぎながら喪失感や何かに向き合っていくのがリアルに伝わってくる。その実感が感じられるから、ベタになってしまわずに、読んでいて、この子に静かに寄り添っているような感じがするんだと思います。それと、最後のところでお母さんが、一緒に住める気がするから家に帰ってきたら、と言い出したときに、この子が返事をペンディングするところがいいなぁと思いました。それがこの本の大きな魅力だと思う。この子がすぐに一緒に住む、と言わなかったことで、おばあちゃんや隣の女の子と過ごした時間、そこで培った関係をこの子がどれだけ大事にしているかがよくわかる。
いわば、お母さんとは別の時間や関係がどれほど大切なものだったかが浮かび上がってくるわけです。それがなくて、この子がほいほいと家に帰ったら、あのおばあちゃんや隣の子との時間はなんだったの?という話になる。それと、おばあちゃんやブリジットなどのこの子を取り巻く人たちの接し方がすばらしいと思いました。大前提はとんでもなく深刻な状況なんだけれど、この本に描かれている時間の中では、別にドラマチックですごく大きな出来事が起きるわけではない。
その意味ではかなり地味な本なのに、丹念に細かく日常を積み上げていってこういう作品を作れるのは、すばらしい才能だと思いました。

ルパン:タイトルが残念ですよね。センスが感じられない。

みっけ:訳は全体にベタな感じですね。それと、原著がかなり綿密に言葉を選び、情景のイメージを作っているのに、訳が粗いのが残念。細かいことを積み上げていくタイプの作品だけに、それが大きく響いてしまう。でも、作品としてはとても好きです。

カイナ:この題名を見て読むと、お母さんと娘がもう一度一緒に住むようになるんだろうな、と予想して読んでいったら、そうならなかったので意外でした。パターソンの『ガラスの家族』(キャサリン・パターソン著 偕成社)を思い浮かべました。ちょっと違うけど母親に捨てられた娘。お母さんがヒッピーで、里親の愛を受ける。あっちに行くか、こっちに行くか迷うという話。

ハリネズミ:『ガラスの家族』は、ギリーがお母さんと会ったときに、それまでずっと抱いていた幻想が壊れるんですね。パターソンは、お母さんがカバンを間にはさんでギリーを抱きしめた、と書いて、そこをうまく表現しています。

カイナ:ちょっと批判になりますが、マーカスという男の子が出てきます。「ぼくのせいでお父さんが消えちゃった」という子。その子が、あとどうなったかが書かれていなかったような。それから、変な話なんだけど、家庭に問題があって最後に主人公が立ち上がってきた話というテーマは多いですね。またその話か、と思ってしまいました。自分の中では正直食傷ぎみ。そんなこと言うと怒られるかな。

ハリネズミ:日本の状況からすると遠い感じがしますけど、欧米には、親が離婚・再婚を繰り返す家庭も多いので、そういう立場にいる子どもへの応援歌も必要なんですね。だから作品もいろいろと書かれていますが、みんな同じじゃなくて、それぞれ特徴がありますよ。

みっけ:この子は最後のやりとりで、決してお母さんを拒否していない。そしてこの本は、お母さんを拒否していないということがきちんと伝わるように書いてある。それでもこの子は揺れていて、お母さんがいないところで紡いできた時間のことを考えると今すぐは無理、というわけだけれど、こういう選択肢はなかなか子どもには考えにくい。どうしても二者択一になりがちだから。でもこういう選択肢があるということを示して、それでいいんだよ、というのは、現実にもみくちゃにされている子どもたちへのひとつの応援歌だと思います。

ajian:すごく気持ちを丁寧に書いてあって、それで読むのが大変でした。感情移入してしまって……。こういうことは、なかなか簡単に癒されたり、解決したりすることではないと思うんですよね。お母さんのところに
戻らないっていう選択肢を物語として示してあるのは、すごくいいと思いました。子どもには回復力があると思いたいけれど、この子ーーまあ小説の登場人物なんですがーーはむしろ、これからなんだろうなと思います。トラウマっていうのは、自分ではすっかり平気だと思っていても、何かの拍子に思い出したりするんです。いつか変わる、普通に戻れると思っているとダメで、むしろ変わらないし忘れられないんだってことを受け入れてかないとキツいと思うんですよね。ここまでひどいことが起きなくても、子どもは結構大変なことを抱えているもので……。個人的にも最近いろいろあって、ついそのことを重ねつつ読んでしまいまし
た。

プルメリア:重たいテーマなのに、私は読みやすかったです。主人公のそばにいつもいるおばあさん、隣に住む少女や家族、そして出会う人たちがとてもあたたかくていいなと思いました。お母さんに対しての思いが、周りの人達と関わることによって、だんだん冷静に見られるようになって、よかったなと思いました。食事の場面
がたくさんありました。食事の場面が出てくるとあたたかい感じがするなと思いました。

ハリネズミ:最後のところでオーブリーはこう書いています。
「ママがもういちど、家族になりたいって思ってるのはわかるよ。わたしも同じ気持ち。だけど、ここにいる家族を置いていく気には、今はまだなれません」。
この「ここにいる家族」の中には、おばあちゃんだけじゃなくて、ブリジットやブリジットの家族や、マーカスや、エイミー先生も入ってると思うんです。英米の児童文学を見ると、「家族というのは血のつながりより、一緒に紡ぐ時間の積み重ねのほうが大事なんだ」という思いが強い。イギリスのジャクリーン・ウィ
ルソンの作品なんかも、それが前提になっている。それと、私はこの作品を読んで、アメリカのジャクリーン・ウッドソンの『レーナ』(ジャクリーン・ウッド
ソン著 理論社)を思い出しました。あの作品でも、主人公マリーのお母さんが夫と子どもを置いて家を出てしまうし、マリーはそのお母さんに宛先のない手紙を出し続けています。

みっけ:この子とスクール・カウンセラーとの関係は、決してメ
インではないんだけれど、それでもきちんと書いてあって、たとえば、最初はずいぶん突っぱっていて、M&Mをどうぞと言われて、「いえ、けっこうです」みたいに断る。ところが四回目に会ったときには、思わずまたM&Mをどうぞって言われるのかな、と入れ物のほうを見ちゃう。そしてカウンセラーにどうぞと言われると、膝の上に入れ物ごと置いて食べ始める。しかもその日の面談が終わるときには、なんと入れ物を戻すのを忘れて、カウンセラーに「M&Mは(持って行っちゃわないで)置いていってね」と言われる。この展開ひとつで、この子がカウンセラーに対して次第に心を開いていっているのがわかるし、最後の「置いていってね」のところには独特のユーモアがある。作者の目線にユーモアがあるからこそ、深刻な状況で揺れる心に寄り添っていても、こちらがあまり息苦しくならない。そこがいいですね。

ハリネズミ:ちょっとしたところの描写がうまいですよね。

ルパン:これを20代の人が書いたというのもすごい。若いのにすごい筆力だと思います。

(2012年12月の言いたい放題/
http://members.jcom.home.ne.jp/baobab-star/index.html)


海のひかり

モリー・バング&ペニー・チザム『海のひかり』さくまゆみこ訳
『海のひかり』
モリー・バング & ペニー・チザム作 さくまゆみこ訳
評論社
2014.02

アメリカのノンフィクション絵本。モリー・バングの『わたしのひかり』『いきているひかり』に続く「ひかり」シリーズの3作目です。今度は水の中にいる植物プランクトンがテーマです。海の生物も、陸の生物と同じように、太陽光のエネルギーが大事なのだということがよくわかります。光の届かない深海にまでその影響は及んでいるのです。

私たちが吸う酸素の半分は、水の中をただよう植物プランクトンがはき出したものだって、知ってました? そうだとすると、福島の汚染だって、空気や土のことしか考えていないのでは、まずいんじゃないのかな? 海の食物連鎖も心配だな・・・などと、いろいろなことを考えながら訳しました。

バングはこの絵本シリーズによほど力を入れているのだと思います。科学の絵本にしては珍しく、図鑑風ではない美しい絵がついています。2巻目からはMITでエコロジーを教えるチザムと組んでの仕事なので、科学的にもより正確になりました。

こういう絵本や、ホーキング博士のシリーズなどは、翻訳するときに丹念に調べなくてはなりません。でも、調べるのは嫌いじゃありません。知らなかったことが、いろいろわかってきますからね。
(編集:岡本稚歩美さん)

Comment

ネルソン・マンデラ

カディール・ネルソン作 さくまゆみこ訳 『ネルソン・マンデラ』
『ネルソン・マンデラ』
カディール・ネルソン文・絵 さくまゆみこ訳
鈴木出版
2014.02

アメリカのノンフィクション絵本。作者は、アフリカ系アメリカ人のカディール・ネルソンで、私が大好きな画家さんなのですが、文章を読んでみると、小アパルトヘイトの側面しか描かれていない(白人専用だった海岸に黒人も入れるようになったから解決したというような)ように思い、政治・経済の巧妙なシステムの一環だったという点も、できたらちゃんと示唆しておきたいと思いました。そこで、原著出版社に許可をもらって、後書きにその部分にも触れさせてもらいました。絵本を読むような子ども向けにアパルトヘイトについて語るのは、なかなか難しいことでした。

マンデラさんのもともとの名前はRolihlahla。ネルソンは、学校の先生につけられた呼び名です。もともとの名前はコーサ語なのでクリック音が入っているのでしょう。これをどう表記すればいいか、悩みました。自伝の『自由への長い道』には、ロリシュラシュラと書いてあるのですが、ウィキペディアなどではホリシャシャ。お葬式の時に孫息子が話しているのを聞くと、ホリシャシャのほうが近い。それで、私は最初ホリシャシャにしていたのですが、途中で南ア大使館にきいてみることを思いつきました。大使館からの返事は、ロリシュラシュラ。音で聞くとそうは聞こえないのですが、大使館の言うとおりに表記することになりました。また自伝の中に書いてあることと、マンデラ・ファウンデーションが述べている事実にも違いがあり、何が本当なのかつきとめるのは大変でした。

もちろん、アパルトヘイトでさんざんに歪められた南アフリカは、ひとりの英雄が簡単にひっくり返せるようなものではありません。2004年に私が訪れたときも、改善された部分より変わっていない部分のほうがまだまだ多いと思ったものです。それでも、マンデラさんが怨みではなく赦しを掲げて様々な肌の色の人たちが強調して生きていける国を目指したこと、自分の政治的な立場にこだわることなく、民衆の側に立って正しいと思えることは言おうとしていたこと(女性の問題、エイズの問題を含め)は、多くの人々に力をあたえました。マンデラさんのバトンを受けて、その先へと歩き続ける人たちが、これからも世界中に現れるはずです。
(編集:波賀稔さん)

*コレッタ・スコット・キング賞銀賞受賞

◆◆◆

<紹介記事>

・「読売新聞」2014年4月7日夕刊

 

・「月刊児童文学翻訳」No.157(2014年6月号)

 

●注目の本(邦訳絵本)●人種の融和を成し遂げた南アフリカの父
『ネルソン・マンデラ』 カディール・ネルソン文・絵/さくまゆみこ訳
鈴木出版 定価1,900円(本体) 2014.02 38ページ ISBN 978-4790252771
&quot;Nelson Mandela&quot; by Kadir Nelson
HarperCollins Children’s Books, 2013

南アフリカの黒人が入植者に奪われたものは土地と自由。本書は、すべての国民に自由を取り戻す闘いを続けたネルソン・マンデラの伝記絵本だ。
ネルソン・マンデラはクヌ村で幸せな子ども時代を過ごした。9歳で父が亡くなり、預けられた遠方の親戚のもとで、黒人が背負ってきた悲しい歴史を知る。そして、不当な扱いを受ける黒人を守るために、より一層勉学に励み弁護士となるも、法律だけではかなわぬことから、アパルトヘイト撤廃の活動へ身を投じる。抗議デモや集会を組織する彼を政府は逮捕した。獄中生活は長く厳しいものだった。しかし、政府は国際世論の非難を受けてアパルトヘイト撤廃へと方針を変え、投獄から27年を経てようやく彼を釈放した。そして彼は、全人種選挙で大統領に選ばれた。
不屈の精神で非凡な人生を送ったネルソン・マンデラを、作者は平易な言葉と力強い絵で描き出す。人物や背景に、太い線と艶を消した色を使うことで、絵はより本質に迫り、時代色まで描写する。私が特に心を引かれたのは、冒頭の場面だ。クヌ村の丘陵を、逆光と影の黒色を用いて描き、幸せな子ども時代が長く続かないことを予感させる。次のページでは、父の死を語る文章と、厳しい表情で見つめ合う母子の絵で、身を切るほどの悲しみを表す。父から受け継いだ民族の誇りと、「ゆうきを出すんだよ」と別れを告げた母の言葉が、彼の原点だと感じた。類いまれなる統率力と高潔な人格をもって信念を貫き、彼は、「アマンドラ(力を)」の合言葉で民衆の心を1つにまとめ、大統領に選ばれた。人種差別のない社会への幕開けだ。作者は晴れ渡る空を背にした彼を描き、天にいる先祖も国民も世界も南アフリカを祝福したと語る。その青天には、この日を待たずに命を落とした多くの仲間やその家族も、先祖として描かれているように思えた。
読み終えて、表紙いっぱいに描かれたネルソン・マンデラの肖像画に見入った。その背後にある彼の歴史。そして彼の視線の先に広がる未来。見つめられている私たちは彼にとっての未来だ。その瞳が読者に真っすぐに問いかけてくる。人間は平等だ、君は、差別を許さない勇気を持っているかと。長く読み継がれてほしい作品だ。(三好美香)
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狛犬の佐助〜迷子の巻

『狛犬の佐助〜迷子の巻』
伊藤 遊/作 岡本 順/絵 
ポプラ社
2013

プルメリア:文も絵もよかったです。身近だけど、神秘的な狛犬。6歳まで聞こえるのも、モモがいなくなるという設定もおもしろいです。また、命令調の親方と佐助のかけあいもよかったです。佐助が、戻れなくなるのもハラハラして子ども達は先をはやく読みたくなると思います。作品に登場してくる男の子が幼稚園なので、もう少し上だとよかったかな。でも、幼稚園児だけど、人間関係がぐちゃぐちゃしているので感情移入できるのでは。続きがあるような気がしますので、次作はどういうふうに展開されるのか楽しみです。

:おもしろく読みました。近所の神社の隣にも幼稚園があるので、とてもリアルに読みました。翔太って、大人から見たいい子ではなく、一人占めもするし、悪態もつくし、いるいる、こういう子って思いました。犬をめぐるやりとりはよくできていたし、生まれた子犬を引き取って丸く収まるところはさすが。佐助が戻れなくなるところでは、スリルもありました。あれ、プライドの象徴である玉を捨てると自由になれるんですね。

ヨメナ:安心して読める作品でした。江戸時代に作られた狛犬を主人公にしたところがおもしろかったし、子どもたちも日ごろ見慣れている神社の一角に、昔からの時の流れが続いているのをあらためて感じて、奥深い読後感を持つのではと思いました。続編でこれから語られていくのでしょうが、佐助の生きていた時代がどうだったのか、どんな出来事が佐助の身の回りに起こっていたのか、もっと知りたいと思いました。

:佐助の時代からここまで150年もあるから、続編はいろいろに展開できますね。

レン:ずいぶん難しいテーマを選んだなって思いました。狛犬自体が、子どもにとってそんな身近な存在ではないから。でも、親方と弟子のやりとりは、言葉遣いもおもしろくて、日本の作家ならではの力量を感じました。数えの7歳というのもいいなあと。だけど、耕平が、自分の犬がいなくなったいきさつを、ここまで説明的に狛犬に話しかけて話すというのは不自然に感じました。しっぽのかけらに乗り移ったところで、もう帰ってこられないと思ったら、親方が連れて帰ってくるというのは、びっくりでした。子弟の愛情が感じられていいけれど、やや強引かなと。

アカシア:大人である耕平が、心の中にあることの一部始終を毎日狛犬に話すというのは、不自然といえば不自然ですよね。それと、耕平がせっかくモモを探し当てたのに、本当にモモかどうか確信が持てないというところですが、いくら成長して毛の色や長さが変わっていても、犬好きの人はわかるんじゃないかな。外見じゃなくてちょっとした仕草とか癖とか本人にしかわからない意思疎通の仕方とかあるし、と思いました。でも、そういうことをさておいても、佐助と親方の会話がおもしろいので、楽しくどんどん読めます。それに、挿絵がいいですね。「狛犬に似ているかわいい犬」というのは描くのが難しいと思うんですけど、p26の絵はそれをうまく表していてすごい! 普通は動かない狛犬が動くかもしれないと思わせる絵になっているのもうまいし、p170の絵もおもしろい。そうそう、狛犬の会話で親方が「びびっている」という言葉を使っている(p98)のには、ちょっと違和感がありました。

レジーナ:ちょっと生意気なショウタをはじめ、人も狛犬もいきいきと描かれています。動かない狛犬を中心に、次々と人が登場するので、舞台のようです。また、親方の佐助に対する気持ちも伝わってきて、人を育てるというのは、こういうことなんだな、と思いました。決して出来がよかったり、見込みがあったり、大成しそうだから、目をかけるのでなくて、出来が悪くても、ひたむきさに打たれることがあるんですよね。人の命は有限で、その中で何を残せるかを考えたとき、弟子の未来にかけ、希望を託す。そうやって次の世代に伝えていくんだな、と思いました。また、狛犬は動けないので、ハンカチを使って、ショウタと耕平を会わせますが、小道具のハンカチの使い方がうまいと感じました。お金のない耕平がタクシーに乗る場面には、モモに会いたい気持ちがよく表れていますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


ゾウと旅した戦争の冬

『ゾウと旅した戦争の冬』
マイケル・モーパーゴ/作 杉田七重/訳 
徳間書店
2013

:戦争の時代を扱ったいい作品はたくさんあるけれど、ゾウとは意外でした。こんなこともあったかもしれないと思わせることに成功しています。介護施設での思い出話という枠がしっかりしていて、その中でペーターとの出会いの話があるので納得できます。ただ、軍国主義のおじさん夫婦よりリベラルな両親の方が正しかったことも、戦争の結末も、後世の私たちにあらかじめ分かっているところからスタートしているずるさはあります。この作品の問題だけではないですが。

レジーナ:ゾウと旅をする設定に、ジリアン・クロスの『象と二人の大脱走』(中村妙子訳 評論社)を思い出しました。リジーが恋に落ちる敵兵は、カナダ人です。カナダは、民族的にはアメリカに近いけれど、ドイツ人にとっては、爆撃してきたイギリスやアメリカに比べると、敵対心が少なかったのでしょうか。また彼は、母親がスイス人で、ドイツ語も話せます。心を通わせる上で、同じ言葉が話せるというのは、大きいのでしょうね。舞台はドイツですが、英国側から描かれた作品なので、いい人はみんな、ドイツ人でも反ナチなんですよね。リジーの家族もそうですし、助けてくれる伯爵夫人の夫も、ナチに抵抗して、軍のクーデターを起こした人物です。翻訳で、10ページに「うれしそうにさわぐ」とありますが、「はしゃぐ」の方が自然ではないでしょうか。またp84に「喪に服す」とありますが、至る所で泣き叫んでいる声が聞こえている状況なので、世界中がうめき声を上げているかのように感じられたということでしょうか。p60の「ヴンダバー」は、ドイツ語です。英語とドイツ語はつづりが似ているので、英語圏の子どもにはこのままでいいのかもしれませんが、名前なのか、何のことなのか、日本の読者は分からないでしょうから、ふりがなが必要では。

:ムティはいい味を出しているのに、あくまで「お母さん」なので残念。ゾウには名前があるのに。

ヨメナ:戦争と動物……どちらもモーパーゴの得意なテーマですね。ゾウは、だれにでも愛されている動物ですし、うまいテーマを選んだなと思いました。介護施設に入っているおばあさんと女の子の話から戦争中の物語に入っていくわけですが、とても自然で、いま生きているお年寄りもこういう経験をしていたのだと子どもたちにあらためて感じさせる上手な持っていきかただなと思いました。大人が本当に伝えたいことを、上から目線でも押しつけがましくもなく、かといって懐古的でもなく物語っていける優れた作家のひとりだと、あらためて思いました。『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)や『発電所のねむる町』(杉田七重訳 あかね書房)もよかったし。

アカシア:今、ノンフィクションの一般書ですが、『象にささやく男』(ローレンス・アンソニー著 中嶋寛訳 築地書館)というのを読んでいるんですけど、そこに登場するリアルなゾウと比較すると、4歳のゾウの鼻だけ持って一緒に長旅をするというのは、ほんとうはあり得ないんじゃないかと思います。ただし、それ以前の暮らしの様子がとてもていねいにリアルに書かれているので、あり得るかもしれないと思わせる。この作品には、とてもリアルな部分と、話としてうまくできている部分の両方が出てきますね。たとえばリベラルな考えを持っていたリジーのお母さんが英国軍の兵士に会ったとたん、憎しみをむき出しにする部分はリアルですが、カーリの命を救ってもらったことで変わるという部分は、出来過ぎかと。構成はとてもじょうずにできています。ほかの作品でもモーパーゴは枠をうまく使いますが、この作品でも、老人ホームにいるリジーが語るという外枠がとても効果的ですね。
それから、リアリティに関して気づいたんですけど、最後に見せてもらうリジーのアルバムにはマレーネの写真は一枚だけしかないんですね。でも、前のほうではリジーの写真はたくさんあるけど、のばしてくる鼻がじゃまでちゃんとは写っていないと言っています。ということは、リジーの話全体がファンタジーだとも考えられるという仕掛けになっているんじゃないかしら。そう考えるとすごいですね。

:戦争のほかに、老人と子どもという児童文学独特のテーマも入っていますね。

プルメリア:さらりと読んだので、私はそれほどおもしろいとは思いませんでしたが、クラスの子どもたち(小学校5年生)に紹介したところ読み終えた女子は、「お母さんがマレーネを守るとすることに対してリジーが持つ嫉妬の気持ちが共感でき、戦争が昔あったことは知っているがどんな様子だったかはまったく知らなかったのでこの作品からドレスデンへの空爆のことがよくわかりました。おばあちゃんはユーモアのセンスがあるおばあちゃんみたいな気がしました。」と感想を言っていました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


おいでフレック、ぼくのところに

『おいでフレック、ぼくのところに』
エヴァ・イボットソン/作 三辺律子/訳 
偕成社
2013.09

ヨメナ:とても、おもしろく読みました。長いことファンタジーを書いてきたイボットソンが最後に書いた作品だということですが、ずっとこういう物語を書きたかったんだろうなと思いました。ちょっと古い感じがしたし、小学生が読むとしたら長いのではとも思いましたが、読書力のある子どもだったら、物語のおもしろさにひきこまれて一気に読んでしまうでしょうね。犬の大好きな子もね。ただ、登場人物が多くて途中で分からなくなってしまったので、最初に紹介をつけておいてほしかった。お父さんとお母さんは、これほどマンガチックに書かなければいけないのかな?

レジーナ:イボットソンは、ひねりのきいたユーモアや大人の社会に対する痛烈な皮肉が、ロアルド・ダールに通じる作家ですね。『幽霊派遣会社』(三辺律子訳 偕成社)は入りこめませんでしたが、『ガンプ : 魔法の島への扉』(三辺律子訳 偕成社)はおもしろかったです。あまり奇想天外な設定より、日常にファンタジーの要素を持ちこみ、その中で起こるどたばた騒ぎを描くのがうまい作家です。今回の作品はファンタジーではないけど、犬からの視点が入っている点では、リアリズムでもなく……犬も人間もよく描けていますね。翻訳に関して、p252に、結婚によいイメージのないハルが、「結婚しなくても問題ない」と考える箇所があります。「結婚しなくてもかまわない」の方が、子どもには分かりやすいのではないでしょうか。気になったのは、正義感の強いケリーの妹が犬を逃がす場面です。ルームAの犬だけ逃がすのですが、ほかの部屋の犬はそのままでいいのでしょうか。

:とてもおもしろく読みました。旅の終わりに犬が1匹ずつ落ち着くべきところを見つけていく収束感があってよかったです。子どもは田舎で育つべきだという昔ながらの考え方が強調されていて、湖水地方に救われたポターのことも思い出しました。カントリーサイドへの憧れがありますよね。出てきた場所の中では、現代のオアシスのような温かい修道院がよかったです。気になったのは、犬も人も多いこと。時々混乱しました。あと、p215に「ケヴィン・ドークスは親切な男でした」と書いてあるけれど、実際は悪い人です。こういう皮肉は子どもの本には不要かなと思いました。戯画的な両親像は、一応つじつまが合っていて、これ以上書きこむとあまりに複雑になるのではないかと思います。お母さんも、最後の買い物のところで一応自己反省できていてよかったなと。

アカシア:ハルとフレックの関係は生き生きと書かれていて、とてもいいですね。後半に登場する人たちも、短い文章でその人らしさを浮かび上がらせているのもうまい。何より犬にも人間にもそれぞれ個性があり、協力し合って冒険するのが楽しい。ファンタジーではないのですが、かといってリアリティに徹しているかと言えば、そうでもない。だって子ども2人で、セントバーナードを含めて5匹の犬を連れて旅していたらかなり目立つので、すぐ見つかると思うし、両親もリアルというよりは戯画化されています。それに私も、ピッパがルームAにいる犬だけを放すのは不自然だと思いました。両方の間にある、希望や夢がつまった物語といったらいいのかな。さっき、ダールみたいという話がありましたが、ダールだったら、この母親はこてんぱんにやられてるでしょうね。この母親がほとんど変わらないことや、父親も一見行いを改めるようですが、結局はお金をケイリーに寄付してハッピーエンドになるところは、イギリスの旧来的なストーリー。中産階級以上の作家が中産階級以上の子どもに楽しいお話を書いていた、という意味でね。そこが、古い感じにつながっているのでしょうね。あと、細かいことですが、訳者の方はイギリスに行ったことがないのでしょうか? トッテンハムという言葉がたくさん出てきますが、これはトッテナム。サッカーでも有名なので、サッカーファンの子どももよく知っていると思います。トットナムという表記もありますが、トッテンハムではない。

:最後はお金で解決するところは、私もひっかかりました。

プルメリア:おもしろく、読み進めることができました。自分勝手な考え方がよく出ていました。長い作品ですが動物たち1匹1匹の性格がわかりやすくまたストーリの展開がおもしろかったです。犬を飼っていない作品を読んだクラス(小学5年生)の男子が「犬と一緒に生活している気持ちになったよ。」と感想を言っていました。

レン:おもしろく読みました。最後、犬を飼えてよかったね、と主人公の気持ちによりそって読めて、書き方がうまいと思いました。犬のほうは犬のほうで、ブレーメンの音楽隊みたい。人物の心理描写が細かいわけではなく、全体としては文学というよりはエンタメかな。本のおもしろさが伝わる本でした。

アカシア:読者対象はどれくらいなんでしょう? プルメリアさんとレンさんがおいでになる前に、犬も人もいっぱい出てくるので、全体を把握するのが小学生だと難しいのではないか、という声もあったのですが。

プルメリア:高学年だったら読める子は読むと思います。

アカシア:それと、最後の文章「生涯、一人の主人とともにいられれば、犬は、犬らしく自由に生きられるのです」というのは、どういう意味なんでしょう? レンタルペットショップではまずいというのはわかるんですが。

レジーナ:ここに登場する犬たちは、みんな新たな居場所を見つけて幸せになるのに。

アカシア:そういえば、この本の原題はOne Dog and His Boyで犬が主体なんですね。だから最後の文章だとニュアンスが逆ですよね。この原題と最後の文章が対になっているんでしょうか?

:本当だ。原題どおりにするなら『おいでハル、ぼくのところに』ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


Sangoma

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『Sangoma』

Sangoma_2Sangoma (サンゴマ)

アーティスト:Miriam Makeba (ミリアム・マケバ)
レーベル:Warner Bros.

 

 

「ママ・アフリカ」と呼ばれ、歌手としてだけでなく人権活動家としても活躍したミリアム・マケバのCDを、私はたくさん持っています。10代のときから76歳で亡くなるまでマケバは舞台に立っていたし、CDもたくさん残していて、その歌い方や歌声は、年齢や時期によって、少しずつ変わっています。若くして故郷の南アフリカから追放処分を受けたマケバは、イギリス、アメリカ、ジャマイカ、マリなど世界各地を転々として暮らすのですが、ようやく故郷の土を踏むことができたのは、1990年。30年以上たっていました。

たくさんあるCDの中で私がいちばん好きなのは、これ。最初に発売されたのが1988年なので、50代のマケバの歌声です。自分のルーツを思い出して、子どもの時に聞いた歌や、村でみんなが歌っていた伝統的な歌を吹き込んでいます。楽器はほとんど入っていないアカペラで、女声コーラスがバックを務めています。

「サンゴマ」というのは、南アフリカの呪術医のことです。マケバのお母さんはある日、足にバイキンが入ったのか腫れ上がってしまい、どんな治療法でも治すことができなくなります。西洋医学のお医者さんでは埒があかないので、伝統的なお医者さんのところへ行きます。すると、「アマドロジがついているから、修行をして力をつけないと、その霊にのっとられてしまう」と怖いことを言われます。アマドロジというのはアフリカにたくさんいる霊の一つで、この霊にとりつかれると、サンゴマになるしかないのです。結局お母さんは苦しい修行(山伏の修行のようなものでしょうか)の末サンゴマになって、祖先の霊をよびよせたり、人々の病を治したりするようになります。マケバの娘のボンギにも、その力の一部が遺伝していたらしいのですが、ボンギは修行をする機会がなかったので、そのせいもあるのか、心の病にかかって亡くなっています。

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マジック・リアリズムという言葉は、南米の文学の特徴を説明するときによく登場しますが、アフリカの人が書いたものを読むと、普通のリアルな日常生活の中に不思議なことがいっぱい出てきます。マケバ自身も、お母さんから譲り受けた衣装を着て舞台に立ったときは、その時に起こったことをいつも何ひとつおぼえていない、と語っていますが、そんなこともマジック・リアリズムの一つでは?

マケバの自伝『わたしは歌う』(ミリアム・マケバの話したことをジェームズ・ホールが聞き書きしています。さくまゆみこ訳 福音館書店)は、もう版元品切れですが、興味のある方は古書店や図書館で探してみてください。

http://www.amazon.co.jp/Sangoma-Miriam-Makeba/dp/B009YRVSQA/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1393392069&sr=1-1&keywords=sangoma


2014年02月 テーマ:人の心を解きほぐしていく動物たち

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『2014年02月 テーマ:人の心を解きほぐしていく動物たち』

 

日付 2014年02月20日
参加者 ヨメナ、レジーナ、慧、アカシア、レン、プルメリア
テーマ 人の心を解きほぐしていく動物たち

読んだ本:

『おいでフレック、ぼくのところに』
原題:ONE DOG AND HIS BOY by Eva Ibbotson, 2011
エヴァ・イボットソン/作 三辺律子/訳 
偕成社
2013.09

版元語録:長い間犬との暮らしを夢見ていたハルと犬のフレックは一目でひかれあう。しかし、フレックがレンタル犬だと知った時…イボットソンの遺作。
『ゾウと旅した戦争の冬』
原題:AN ELEPHANT IN THE GARDEN by Michael Morpurgo, 2011
マイケル・モーパーゴ/作 杉田七重/訳 
徳間書店
2013

版元語録:リジーの母は動物園の飼育係で、夜は自宅の庭に子象のマレーネを連れてきていた。犬におびえて逃げ出した子象を、母子3人で探しに出た直後に空爆が始まる。
『狛犬の佐助〜迷子の巻』
伊藤 遊/作 岡本 順/絵 
ポプラ社
2013

版元語録:明野神社の狛犬には石工の魂が宿っていた。狛犬の「あ」には親方、「うん」には弟子の佐助の魂が。150年前の石工の魂を宿した狛犬達と現代の人々が織りなすファンタジー。

(さらに…)

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やくそく

『やくそく』
ニコラ・デイビス文 ローラ・カーリン絵 さくまゆみこ訳
BL出版
2014.02

イギリスの絵本。すさんだ大都会に暮らし、人の財布を盗んで生きていた少女は、ある日、おばあさんから中身のつまったカバンを引ったくろうとします。おばあさんは言います。「おまえさんにやるよ。これを植えるってやくそくするんならね」。

家に戻ってあけてみると、カバンの中身はたくさんのドングリ! でも、それを見た瞬間に少女はなぜか豊かな気持ちになるのです。ねずみ色の街にやがて緑の芽が顔をだし、街の風景も人の気持ちも変わっていくのですが、そのようすを伝える画家の絵がみごとです。最後に約束がつながっていくのもいいな。
(装丁:タカハシデザイン室 編集:江口和子さん)


Acoustic Africa

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『Acoustic Africa』

Accoustic_africaAcoustic Africa (アコースティックなアフリカ)

アーティスト:various
レーベル:Putumayo World Music

 

 

現代のアフリカ音楽を知ろうと思ったら、これがお薦めの一枚です。セネガル、ギニア・ビサウ、マダガスカル、ベナン、南アフリカ、コンゴ、マリ、コートジボワールなどアフリカ各地出身でいまワールド・ミュージックの舞台で活躍しているミュージシャンたちが登場しています。

アンジェリク・キジョー、ジェリマディ・トゥンカラ、ハビブ・コイテ、ヴシ・マラセーラといった大御所も入っていますが、それほど有名ではない人も入っています。それにPutumayoのプロデュースなので、信頼できます。

1曲目の「ソーリ」(移民)を歌っているジョガルは、セネガルの小さな漁村に生まれたミュージシャンで、今はパリに住んでいます。異国で暮らすアフリカ人がルーツや祖先の価値を思い出しているという内容です。

2曲目の「ミンジェー・ドス・メル」を歌っているエネイダ・マルタは、ギニア・ビサウの歌手で、歌のバックには水カラバッシュ(水桶に大きなヒョウタンをうかべてたたく伝統的な楽器)、コラ、ハープが入っています。女たちに平等を実現しようとよびかける歌です。

3曲目の「ミサフータカ・ニァカマ」を歌っているラジェリーは、マダガスカルのミュージシャンで、赤ちゃんのとき右手を失っていますが、それを感じさせないヴァリハ(竹でできた筒型の弦楽器。弦は自転車のブレーキの針金でつくるそうです)の名手です。庶民の日々の苦労をうたっています。

今は中古でしか手に入らないようです。


ローズの小さな図書館

キンバリー・ウィリス・ホルト『ローズの小さな図書館』
『ローズの小さな図書館』
キンバリー・ウィリス・ホルト/著 谷口由美子/訳
徳間書店
2013.07

『ローズの小さな図書館』をおすすめします。

最初に登場するのは、父親が蒸発して貧しくなった家庭のローズ。家計を助けるために年齢を偽り、14歳で移動図書館車のドライバーとして働き始めます。1939-40年のことです。でも、この本の主人公はローズだけではありません。第二部はローズの息子のマール・ヘンリー(時代は1958-59年)、第三部はマール・ヘンリーの娘のアナベス(1973年)、第四部はアナベスの息子のカイル(2004年)が主人公になっています。

四部構成になったどの物語も図書館が舞台というわけではなく、主人公の中には本嫌いもいます。内容も、不注意でわなに愛犬がかかってしまった話、恋といじめの話、アルバイトで子どもの劇を手伝う話など、様々です。とはいえ、だれもが、なんらかのかたちで本や図書館にかかわっています。

この作品には、4世代にわたるアメリカの10代の日常の変遷を生き生きとたどれるおもしろさがあります。人によって本の読み方も、本に求めるものもいろいろだということも、よくわかります。21世紀に入ると、アメリカでもホームレスの人たちが図書館を昼の居場所にして、ハリー・ポッターなどを読んでいる、なんてこともわかります。ただし、カタカナ名前がたくさん出てくるので、本の最初のほうに載っている家系図を見ながら読み進めるといいでしょう。

そして最後の第五部には、ひいおばあちゃんになったローズがもう一度登場します。79歳のローズはこれまでの体験を本に書いてとうとう出版したのです。お祝いの場に、ここまでの物語に登場してきた人物が勢揃いする(亡くなった人は別ですが)のも、おもしろいところです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年2月10日号掲載)


マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド

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『マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド』

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『マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド』

の読書会記録
フランシスコ・X・ストーク著 
千葉茂樹訳 
岩波書店 2013


クプクプ:おもしろかったです。マルセロは、特別な学校に行っているけど、お
父さんの会社で働くんですよね。アスペルガーだからなのか、自分なりの言葉で、自分の頭で考えて、リアルな世界に迫ろうとする。そこに読者も引き込まれて、
いっしょにリアルな世界ってなんなのか、見つけていくんです。彼はお父さんの不正を発見してしまうけれど、会社がつぶれるわけじゃない。マルセロの大きな
の魅力は、自分なりの言葉を積み上げて、一から世界を理解し、世界を創っていくところ。彼をサポートするジャスミンも魅力的な女の子ですね。ふたりとも音楽
が大好きで、いつしか惹かれあっていく。ジャスミンの父親のエイモスは、息子のジェイムズが馬にけり殺されてしまったのに、その馬を自分で飼い続ける選
択をしています。そんな価値観も、物語に奥行きを与えているみたい。死んだ息子といっしょに、その馬と生きる時間を受けとめていくんですよね。何が正しくて、何が間違っているのか。リアルな世界は複雑だけれど、マルセロは自分の耳に「正しい音が聞こえる」こことを大切にしていく。好感の持てる作品でした。

レジーナ:発達障碍を持つマルセロは、人の感情や人生には、善悪、嫉妬、本音と建前など、秩序立てることのできないものがあるのだと知っていきます。ジャスミンがマルセロに、訴訟問題にどう関わるか、自分で決めなければならないと話す場面がありますが、生きることが喪失の連続なのは、誰しも同じなんですよね。マルセロは、イステルとの出会いの中で、苦しみばかりの人
生をどう生きていけばいいのかという問題にぶつかり、人生に挑もうとします。どんな人にとっても、人生というのは、多かれ少なかれ生きづらいものです。この作品の魅力は、発達障碍の少年の目を通して描きながらも、すべての子どものための普遍的な成長物語になっている点だと思います。宗教に強い関心を抱くマ
ルセロは、聖書を暗記し、何度も心の中で思い返し、自分のものにしようとし、人間の矛盾を受け入れようとします。ピアノが弾けないことを、「ぼくの心のなかの配線は、ピアノを弾くのに必要なだけの電流に耐えられなかった」と言ったり、その場で思いついたことを「即興で演奏」と表現する独特の言葉づかいをしたりもします。マルセロ自身も、また彼の目に映る世界も、読者を惹きつける力があります。151ページで、マルセロは、自分の感情を非常に論理的に分析していますが、アスペルガー症候群の人は、これほど段階を追って考えるものなのでしょうか。また160ページに「ウェンデルはどうやって、ぼくの心のなかを知ったのだろ
う?」とありますが、アスペルガーの人は、人の感情を読み取るのが困難なだけで、感情というものが存在することはマルセロも知っているはずなので、この台詞は不自然ではないでしょうか。

アカシア:本当にリアルな世界とはなんなのか、ということを考えさせられました。実業界にいるお父さんがリアルだと思っている世界は、実はリアルではないのかもしれないと思ったんです。そして著者もそう言いたいのではないかな、
と。逆にこの作品では、マルセロの視点から見た周囲の世界がとてもリアルに書かれています。著者が障碍者の施設で働いたことがあり、自閉症の甥をもつこともあって、つくった話ではなく、登場人物にリアリティのある作品になっていると思いました。もちろん、こうなるといいな、という理想も書かれてはいると思いますけど。読者もマルセロに寄り添って物語の世界を歩いていくことができるし、ちょっと臭い台詞も、マルセロが言っていればそう思わないで素直に受け取れる。
発達障碍をもった人を主人公にした本だと『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン著 早川書房)がおもしろかったし、目を開かれた気持ちになったんですけど、この本はまた趣が違って別のおもしろさがあります。本文では「リアルな世界」となっていますが、書名は「リアル・ワールド」なんですね。一つ気になったのは、マルセロは定期的に脳をス
キャンされてますけど、どういう方法でなんでしょうか? 普通のCTスキャンだと健康に害がありますよね?


ajian
:第3章での父との会話。マルセロの父親は息子のためを思って、法律事務所で働くようにいうわけですが、マルセロにはそれが通じず、かえってストレスに思う。このすれちがう感じは、すごくよくわかる気がして、この辺りからぐっと引きこまれましたね。ラビとの会話は、最初原書で読んだときはちょっと難しくて、読むのに苦労したのですけど、翻訳で読んでみてかなりクリアになって、よかったです。

(2013年9月の言いたい放題)

鳥よめ

あまんきみこ文 山内ふじ江絵『鳥よめ』
『鳥よめ』
あまんきみこ/作 山内ふじ江/絵 
ポプラ社
2014.12

『鳥よめ』をおすすめします。

今回は絵本をとりあげます。

日本の灯台は、今やすべて無人化されていますが、かつては灯台守と言われる職員が常駐して、灯をともしたり消したり、レンズをみがいたり、故障の修理をしたりして航路の安全を守っていました。この絵本はその灯台守の仕事をしている周平さんが主人公で、民話風に語られています。

「灯台のあかりを消すと、周平さんは、らせん階段をゆっくりおりていきました。右の足を、少しひきずっています」

日本が戦争をしていた時代、周平さんは、子どもの時のけがが原因で右ひざが曲がらず兵隊になれなかったので、苦労の多い灯台の仕事を自ら選んで引き受けています。

ある朝、周平さんの前にほっそりした娘があらわれます。この娘は、以前助けたカモメなのですが、海の神のところにいって人間に姿を変えてもらったのです(ここはちょっとアンデルセンの人魚姫みたいですね)。周平さんと娘は夫婦になりますが、娘は背中にたたんだ翼を一日一回広げて鳥に戻り、空を飛ばないと死んでしまいます。しかも、その時に人に見られてはならないというのです。

娘を大事に思っていた周平さんは、鳥よめに空を飛ぶ時間を保証してやり、その姿を見ることは決してせずに、二人で仲良く暮らしていました。

ところがある日、灯台の守備を任された兵隊が六人もやってきたことから悲劇が始まります。周平さんたちの貧しいながらも幸せな暮らしや、細やかな愛する心の通い合いは、「戦争」という大義名分に踏みつけにされてしまうのです。二人の深い悲しみが、切々と伝わってきます。

子ども時代に太平洋戦争を体験したあまんさんの文章に、山内さんの味わい深い絵がついています。漢字にルビが振ってありますが、小学生より、中学生、高校生に読んでもらいたい絵本です。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年2月掲載)


象にささやく男

ローレンス・アンソニー『象にささやく男』
『象にささやく男』
ローレンス・アンソニー&グレアム・スペンス/著 中嶋寛/訳
築地書館
2014. 2

『象にささやく男』をおすすめします。

これは厳密に言うと、児童書ではありません。一般書です。ルビもありません。でも、高校生くらいからなら、ずんずん引き込まれて、とてもおもしろく読めるノンフィクションです。

舞台は南アフリカの私立野生動物保護区トゥラ・トゥラ。別の保護区から脱走をくりかえし、処分されそうになっていたゾウの群れを著者がひきとることから物語が始まります。でも、このゾウたちは群れのリーダーと子どもを撃ち殺されて人間不信の固まりになっています。だから当然一筋縄ではいかないのですね。でも、時には命がけで、著者はこのゾウたちの信頼を勝ち取ろうと努力します。

この著者は、こんなふうに考える人です。「そもそも群れを引き取ったとき、ゾウはそのまま薮(ブッシュ=荒野)に放つつもりだった。彼らとつながりを持とうなどとは考えていなかったのである。私は、すべての野生動物はそうあるべきだと思う。すなわち、野生ということである。脱走劇や再定住の苦しみ、兄弟の処分などといった事情で、私はしぶしぶ介入せざるを得なくなったまでである。家長のナナに人間を少なくとも一人信用してもらって、人間全体に対する恨みを少しでも和らげてほしかったのである。それが実現し、彼女にも群れがもういじめられないことが分かった。これで、私の使命は終わったのだ。人間と接触しすぎると原野で必要とされる彼らの野生が損なわれることを、私は強く意識していた。」

著者の創意工夫と忍耐強さのおかげで、ゾウたちはトゥラ・トゥラが安心できる場所だということを理解し、徐々に穏やかさを取り戻していきます。そしてゾウはゾウ、人間は人間としてくらせるようになるのですが、著者とゾウの間にある強い結びつきはずっと消えなかったようで、不思議なことに著者が外国へ行って帰ってくる日には、ゾウたちがちゃんとわかっていていつも門のところで出迎えたそうです。赤ちゃんが生まれれば必ず見せにきたし、著者が亡くなった日も、ゾウの群れが家まで弔いにやってきたそうです。

ゾウだけではなく、密猟者、山火事、ライオン、サイ、水牛なども登場し、ハラハラ、ドキドキのとてもおもしろい本に仕上がっています。エンタメでもありながら考えさせられる種をちゃんともっている、そんな一冊です。

この著者はとても正義感の強い人らしく、2003年にはイラク戦争の開戦直後のバグダッドに行って、飢え死にしそうになっていた動物たちを救うという活動もしています。とくにアフリカの自然がどんどん破壊されていくことを憂い、野生生物が自由に生きられる場所をつくろうとしていました。亡くなられたのが本当に残念です。

翻訳者は、英語とフランス語のすばらしい同時通訳者、中嶋さんです。


ふるさとにかえりたい〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島

羽生田有紀 文 島田興生 写真『ふるさとにかえりたい:リミヨおばあちゃんとヒバクの島』
『ふるさとにかえりたい〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島』
島田興生/写真 羽生田有紀/文
子どもの未来社
2014.02

『ふるさとにかえりたい 〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島〜』をおすすめします。

語り手は73歳のリミヨおばあちゃん。おばあちゃんの生まれ故郷はロンゲラップ島。太平洋のマーシャル諸島共和国にあります。おばあちゃんは13歳の時(1954年)ヒバクしました。となりのビキニ環礁で水爆実験が行われたからです。この時の核爆弾は、広島型原爆の1000倍の爆発力をもつ水素爆弾で、ブラボー(なんという名前!)と呼ばれていました。アメリカは3年後に安全宣言をして、避難していたロンゲラップ島民の帰還を促したのですが、帰還した島民の多くが甲状腺に腫瘍ができ、子どもの多くが白血病で死亡したそうです。

この本はそうした事実を、もう一度今の時代に生きる私たちに知らせるだけではなく、ロンゲラップでヒバクし、マジュロ島に避難し、それから60年たった今も故郷に帰れずに毎日の暮らしを営んでいる一人の普通のおばあちゃんの、生きた証言です。ロンゲラップに帰島して小学校の先生になったとき、子どもたちの体が日に日に弱っていくのを目撃したこと、再避難が必要になってNGOのグリンピースが来てくれたこと(アメリカは再避難を認めなかったうえ、表土の除染さえ44年後まで行わなかったのです)、そして今考えていること、今感じていることが写真と文字で語られています。

私は、このリミヨおばあちゃんの話を読むまでは、ビキニの核実験が60年後の今でもなお島民の暮らしに大きな影を落としていることを知りませんでした。どうしても福島と重ねて考えてしまいます。