投稿者: sakuma

白いイルカの浜辺

ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』表紙(さくまゆみこ訳 評論社)
『白いイルカの浜辺』
ジル・ルイス作 さくまゆみこ訳
評論社
2015.07

イギリスのフィクション。主人公の少女カラは、難読症で学校でいじめにあっています。自然保護活動をしている母親は、野生のイルカを調査中に行方不明ですが、カラはいつか帰ってきてくれるものと信じています。やはり難読症の父親は、細々とエビ漁を続けながらひたすら途方に暮れています。ある日、カラの学校に転校生フィリクスがやってきました。フィリクスは、脳性麻痺で手足が不自由ですが、人一倍の自信家でもあり、ITオタクでもあります。
カラたちの暮らす漁村は、今のところ底引き網漁が禁止されていますが、もうすぐその禁止が解かれることになっていて、カラは、沿岸の海の自然が生物もろとも根こそぎ破壊されてしまうと心配しています。
そんなある日、カラは浜辺にのりあげている白い子イルカを見つけます。白いイルカはプラスチックの網にからまって大けがをしているのです。カラは、まわりの人たちの力を借りて、白いイルカのいのちを助けようと奮闘し、やがてクラスメートや地域の人も巻きこんで、底引き網漁に反対する活動を始めます。
ハラハラどきどきの冒険物語でもあり、親と子の物語でもあり、地域や政治とのかかわりの物語でもあり、大自然とITを対比する物語でもあり、そして何より動物について深く知ることのできる物語です。著者のジル・ルイスは獣医さんでもあるので、動物や自然についての描写は的確でウソがありません。おもしろいです。
(編集:岡本稚歩美さん 装画:平澤朋子さん 装丁:中嶋香織さん)

紹介記事

・「子どもの本棚」(日本子どもの本研究会)2016年2月号

 

 

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ノックノック〜みらいをひらくドア

『ノックノック:みらいをひらくドア』表紙(さくまゆみこ訳 光村教育図書)
『ノックノック〜みらいをひらくドア』
ダニエル・ビーティー文 ブライアン・コリアー絵 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2015.07

アフリカ系アメリカ人の男の子を主人公にしたアメリカの絵本です。「ぼく」とパパは、毎朝「ノックノック」のゲームをしています。パパがドアをたたくと、ぼくは寝たふり。そしてパパがベッドまで来るとぼくはパパにとびついて「おはよう」と言うのです。

ところがある朝以来、ノックノックの音が聞こえなくなってしまいました。ぼくは、パパが恋しくて、手紙を書きます。「パパ、かえってきて。ぼくは パパみたいに なりたいんだ。でも、パパが どんなだったか、わすれてしまいそう」と。ぼくの手紙は机の上に置かれたまま月日がたつのですが、とうとうある日、パパからの返事が机の上にのっていました。「すまないが、わたしは かえれない」で始まる返事の手紙が。父親の愛情にあふれるこの手紙がすてきです。

この絵本は、作者ビーディーの実体験を元に書かれています。ノックノックの遊びをしていたビーディーの父親も、家族から引き離されて投獄されたのでした。ビーティーは後書きでこう言っています。「後に小さな子どもたちを教える立場になった私は、多くの子どもたちが投獄、離婚、死などの理由で父親の不在と向き合っていることを知りました。こうした体験に後押しされ、子どもの視点から描いたこの絵本ができあがりました。この絵本はまた、父親をなくした子どもであっても、すばらしい人生を歩むことができるという希望も語っています」
(装丁:城所潤さん 編集:相馬徹さん)

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<紹介記事>

・「産経新聞」2015年8月16日

 

・「子どもの本棚」(日本子どもの本研究会)2016年12月号

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2015年07月 テーマ:仕事さまざま

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『2015年07月 テーマ:仕事さまざま』
日付 2015年7月30日
参加者 ハリネズミ、夏子、レン、ひら、ゴルトムント、アンヌ、ルパン、マリ
ンゴ、レジーナ
テーマ 仕事さまざま

読んだ本:

『ブロード街の12日間』
原題:THE GREAT TROUBLE by Deborah Hopkinson, 2013
デボラ・ホプキンソン/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2014

版元語録:秘密をかかえるロンドンの浮浪児イールはスノウ博士の助手。コレラの原因が井戸水だという証拠を集めるため奔走する。1854年の史実をもとにした物語。 *青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書
『庭師の娘』
原題:MARIE MIT DEM KOPF VOLLER BLUMEN by Sigrid Laube, 2007
ジークリート・ラウベ/著 若松宣子/訳
岩波書店
2013.07

版元語録:メスメル博士のお屋敷に、庭師の父親と住むマリーは、修道院で勉強中です。だけど、マリーが考えているのは植物のことばかり。本当は父親のように庭の仕事をやりたいのです……。18世紀末のオーストリアで、時代や社会の制約にもめげず、自分の道をひらいていく少女を描く歴史フィクション。
『どろぼうのどろぼん』
斉藤倫/著 牡丹靖佳/挿絵
福音館書店
2014.09

版元語録:彼の名前はどろぼん。絶対につかまらないどろぼう。雨の降りしきる午後、あじさいの咲き誇る庭で、ぼくはどろぼんをつかまえた。

(さらに…)

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どろぼうのどろぼん

『どろぼうのどろぼん』
斉藤倫/著 牡丹靖佳/挿絵
福音館書店
2014.09

アンヌ:詩的な表現に満ちていて、すごいなあと思いながら読みました。盗みの場面で、どろぽんが口ずさむ歌が好きです。読み終った後、この感じに似ているのは何だろうと思っていたら、ふと、別役実の戯曲を初めて読んだ時のことを思い出しました。どろぽんの歌の原点に祖父が歌った歌があるんじゃないかという謎ときのような場面とか、生き物の声も、ものの声も聞こえる矛盾とか、後半にはいくつか、いらないと言えばいらない場面もありますが、あまり気にせず、好きな個所を読み返して楽しみました。

ひら:p204に「何をうばっても盗んでもイイ、良いこともないし、悪いこともない」とありますが、主人公のどろぼんの仕事は、全ての価値を相対化したうえで、世の中に善悪はないし、(たとえ相手にとって価値があるモノでも)それ自体本当に価値があるか分からないから、奪ってなくしてあげてもいい、という前提で存在する仕事。ただ、自分の人生ではじめて「よぞら」という絶対的な価値が出来たことで「世界が主(つまり神)のいない森だとしたら、じぶんであるじになるように生きるしかない」と、考えるようになる。つまり自分自身が自分の神として世界に対して意味づけし、価値体系を構築しなければならない立場になってしまう。今まで自分の価値体系を持っていなかったからこそ、そのために色々な人の価値体系の中からいらないモノの声を聴くことが出来たどろぼんにとって、「どろぼんはうまれてはじめて『いきる』とは恐ろしいと思った」と思うに至った(ここでの『いきる』というのは意味づけされた価値体系の中で生きる、という意味)。同項に「ひたすら道に迷いながら、いろいろなことをかんがえた」とも書いてあるが、よぞらという絶対的な価値に初めて出会うことで「迷い」が出てきているのがうまく表現されています。迷いというのはある価値体系から自分でそれぞれの価値に意味づけして、優先順位をつけて選択して行く際の心理的な難しさを表す言葉だと思いますが、そもそもどろぼんにとっては、あらゆる事象がすべて相対化されたまったく同価値だったので、「迷う」という行為そのものが存在しなかった。だからこそ、他の人の様々な価値を俯瞰的に見ることができ、相手にとっていらないモノの声がいつも向こうから聞こえてきた。ただ、自分で意味づけした「よぞら」という絶対的な価値を「どろばんは探し続けた。だって探すしかなかったからだ」という状況になってしまった。つまりどろぼんは相対的な価値だけでは世の中を生きていくことが出来ない、と初めて感じてしまった(あるいはそのような生き方に出会ってしまった)、それは児童文学として考えると、読者である子どもが自分の価値観、価値体系を模索しながら探していくプロセスにとてもうまく呼応しながら表現しているように思います(ちなみに「黒い犬」はエジプト神話ではアヌビスと呼ばれ死を導く神の使いの人型の犬で、黒い犬を探すプロセスはある意味、今までのどろぼんが死んで、新しい自分を探す、死と再生のプロセス=子供の成長も象徴しているように感じます)。また、どろぼんは価値を相対化することで、本当はその人にとって価値のないものを取り除くのが仕事なので、p4「いつも何かの中間にいるべきだし、どっちつかずでだれにもおぼえられないようになっている」という外見や、219ページの「みんなだれかの子供で、だれかのこどもじゃないひとなんで一人もいない、ということに驚いてしまう」プロフィールは、普通の人としてのアイデンティティーを持たないキャラクターとしてうまく書かれていると思います。逆に言えば、もしどろぼんがだれかの子供であれば、その生まれた背景のためになんらかの価値観を引き継ぐことになってしまうため、物語の整合性から言えば、どろぼんには例え拾ってくれたとしても両親は生きていてはいけないと思いますが、拾ってくれたお母さんが、どろぼんがいらないモノの声が聞こえてきた時から「声が出なくなった」こと、つまり声や言葉(=合理的な価値体系の象徴)を奪われる生贄となったことで、うまく物語のバランスを取っています。この続編はないと思うけど、この続きがあるとしたら、最終的にどろぼんはよぞらともう一人の女性パートナーを見つけることで、自分自身の絶対的な価値(と全体性)を手に入れ、モノの声は聞こえなくなって、そしてお母さんの声も戻って来るはず。どろぼんはその人が本質的に気にしなくてもいい、気にしない方が幸せな価値(それはある人にとってはお金、出世、結婚等かもしれない)を取り除いてくれる(あるいは軽くしてくれる)一種のカウンセラーのようなキャラクター。深く詩的で、好きな物語です。

レン:最初読んだとき、不思議な話だなと思いました。どろぼんがどうなるのか気になって、どんどん読めてしまうフィクションの力を感じますが、登場人物は大人ばかり。児童文学としてどうなんだろうと、みなさんの意見を聞いてみたくて今回の課題に選びました。どろぼんが「拾われた子」であることは、大事な要素だと思います。なぜ、親がわからないという設定にしないといけなかったのか。親子の関係を、所有から解き放ちたかったのか。「モノを持つこと」と、「モノを持つことから生まれる束縛」「大切にすること、されること」などを、考えさせられる物語だと思いました。

レジーナ:物語に雰囲気があり、装丁の美しい本ですね。以前『おうさまのおひっこし』(牡丹靖佳 福音館書店)を読んでから、気になっていた画家の方が挿絵を手がけています。とぼけた挿絵が、作品の雰囲気にぴったりです。物語の最後で、警察が泥棒を救おうとするところにおかしみがあります。ファンタジーの要素を入れながら、家族をテーマにしているのは、近年の柏葉幸子さんの作品を思わせます。公園もそうですが、「ただ存在すること」の意味を考えさせる本です。ものに魂が宿るというのは、日本に古くからある考え方ですが、この作品では、ものが人の心と結びつき、時に縛ってしまうのをどろぼんが解放してあげます。ところどころ気になる点はありました。ヨゾラを殴る場面で、混乱して思わず殴ってしまったのでしょうが、ここでどろぼんが殴る必然性や、そのときの気持ちが理解できませんでした。その後、228ページに「それは、ただしいとか、ただしくないとかじゃない。ただ、だれでもみんなまちがうし、その小さな無数のまちがいがあつまって、世界はできているというだけ」とありますが、人や生き物の関係では、決してしてはいけないことがあって、ヨゾラを殴るのも、してはいけないことだったのではないでしょうか。キジマくんのペンケースを見つけたどろぼんは、自分に聞こえるものの声は、「持ちぬしが、あったことさえおばえてもいないもの。なくなっても気づきもしないもの。そして、持ちぬしのところから、消えてしまいたい、と、願っているもの」と気づきます。忘れられたものと、なくなった方がいいものは違うので、分けた方がいいのではないでしょうか。またフリーマーケットで、がらくたのようなものがなぜ売れるのでしょう。44ページに「あわてて、キジマくんに向きなおった瞬間に、ゴミ箱が、立てかけてあったグラウンド整備のトンボに当たって、がーん、と鳴り、とおりかかった一年生の女の子たちが、わっといって、たおれた」とあります。よく読めば、倒れたのはゴミ箱だとわかるのですが、はじめは女の子が倒れたのかと思いました。「ころして」と、ものの声が聞こえる場面はこわいですね。

夏子:物の声が聞こえて、しかし生き物の声が聞こえるようになると、物の声が聞こえなくなるという設定は、すごくおもしろかった。「ヨゾラを盗む」など詩的イメージも豊かで、歌もなかなかおもしろかったです。でもどろぼんは、実の親ではないとはいえ、ギャンブラー夫妻に愛されて育ったんですよね? それなのに人間の声が聞こえず、人間とはコミュニケーションがないわけで、う〜ん、人と対応しないところが、いかにも現代の日本の作品らしいのかな。でも、そこに問題を感じます。嫌いな本ではないし、魅力のある作品ではあるんですけど・・・。あさみさんの話し方が「〜ですわ」というのは、古くさいですよね。それから勾留された場所では、もっとさまざまな声が聞こえるはずでは? ヨゾラを愛すると、ものの声が聞こえなくなって、そうなると普通のどろぼうになってしまうんですね。

マリンゴ:独創的ですばらしいと感じました。ファンタジーだけど、宙にふわふわ浮いていない、不思議なリアリティがあると思いました。ただラスト、新しい価値観をもって未来に踏み出す物語だと思っていたので、「まだ泥棒を続けるのかい!」とツッコミを入れたくはなりました。

ルパン:すみません、私はおもしろくなかったです。そういうことを言う私がおもしろくない人間なのかな。「人もものを盗るのはいけません」って思っちゃって。持ち主がいらないモノなら盗んでもいい、というのが、どうしても受け入れられないんですよね。犬の「よぞら」に愛情を感じるようになって、連れ戻そうとするのはいいんだけど、「よばれていくのではなく、自分の意志で」と言いながら、盗んだ指輪を売ったお金で買い取ろうとするわけですよね。それって、ぜんぜん正攻法じゃないです。そもそも、盗品を売って生計を立てるというのはいかがなものかと。

夏子:工場で働いていますよ。

ハリネズミ:どろぼうが仕事なのでは? 私は、「どろぼん どろぼん どろろろろ〜〜」というこの呪文みたいなものをおもしろいと思えるかどうかで、この本は評価が違ってくるだろう、と思いました。私はダサイな、と思ってしまったので、作品そのものにも乗れませんでした。なのでよけいにいろいろなところにひっかかったんだと思いますが、まず浅見さんの台詞が「〜ますわ」なんて、いつの時代なんでしょう? 44ページの最初の3行については、倒れたのはゴミ箱なんでしょうけど、女の子たちが倒れたようにも取れるので、なんでこの文が必要なの、と思いました。それから、モリサワのリュックを盗んだ件はそのままでいいのか、とか、いじめられているキジマ君が昔のことを思い出して、いじめっ子のモリサワに謝るんだけど、そういう解決の仕方でいいのか、なんていうところも引っかかりました。犬のよぞらが前の虐待した飼い主に「ふさふさ、ふさふさ。いっしょうけんめい」尻尾を振ったんだけど、実は犬が尻尾を振るのは不安な時や恐ろしいときも尻尾を振るということがわかって、どろぼんが取り返しにいくという場面も、なんだかリアリティが希薄だなあと思いました。犬は全身で感情を表現するから尻尾以外からも見てとれることはあるはずなのに。最後も、生きものの声が聞こえるようになってきたどろぼんなのに、「遠いまちに引っ越して、どろぼうをがんばってみようとおもいます」なんていう終わり方でいいんでしょうか? とにかく疑問がいっぱいわいてくる本でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年7月の記録)


庭師の娘

『庭師の娘』
ジークリート・ラウベ/著 若松宣子/訳
岩波書店
2013.07

夏子:この作品は、作中に登場するメスメル博士に興味を持っていたので、ぜひ読みたいと思って選びました。メスメル博士は、英語のmesmerize(催眠術をかける、魅了するという意味)の語源となった人物です。1768年にウィーンで10歳上の裕福な女性と結婚。お金持ちになったので、モーツアルトを初めとする芸術家たちのパトロンとなりました。「動物磁気」という概念と治療で知られていた医者です。今で言うと、「気」で直すという感じで、手かざしで治療したのね。当時の学会で否定されてしまったため、彼の晩年については何もわからないんです。ちょっと怪しい人物ではあるのですが、非常に興味深いですよね。作品のなかでどんな風に料理されるのか期待して読んだんですが、おもしろくも何ともない人物像に描かれていますね。メスメル博士も凡庸だし、せっかく登場するモーツァルト少年も、いきいきと迫ってこない。脇役に魅力がありません。主人公も、この子がなぜ庭師になりたいのか、という肝心なところにリアリティがありません。幾何学的なフランス式の庭園から、(自然な感じがする)イギリス式庭園へと流れが変わる、それを主人公は先取りするわけなので、この子はモーツアルトに匹敵する天才なんだわね。そこがうまく描かれているとはいえず、残念ながら力のある作品とは思えなかった。翻訳もちょっと硬い感じでした。

レジーナ:「主人公がなぜ、庭を好きなのかが描かれていない」というお話がありましたが、マリーは造園に関して、天才的な素質を持った少女なので、私はその点は気になりませんでした。マリーは夢見がちで、庭のことでいつも頭がいっぱいです。この物語では、マリーとモーツァルトという、ふたりの天才の姿が捉えられています。それぞれ豊かな才能を与えられていますが、周囲の環境は必ずしも、それを発揮できる場ではありません。モーツァルトは、周りの大人に実力を疑われたり、妬まれたりします。一方マリーは、父親が庭師ですが、女性のマリーは仕事を自由に選べません。ヤーコプとの恋はうまくいきすぎる気がしました。この時代、マリーが庭の仕事をするには、結婚するしかないので、仕方ないのかもしれませんが……。庭の描写は、「こんな庭を見てみたい」と読者に思わせるように、もっといきいきと描いてほしかったです。マリーが造ろうとしているのは、イギリス式庭園です。この時代、啓蒙主義という新しい考え方が入ってきて、博士のような先進的な人物を通じて、人々に広まっていく。人や社会の考え方が変わり、新しい時代になっていく。それが、このイギリス式庭園に象徴されています。ジャガイモやトマトがヨーロッパにもたらされ、食卓に上るようになるところや、ウィーンの町の描写も興味深く感じました。原書の表紙にはピンクと紫の花が描かれ、ポップな印象ですが、日本語版の装画には味わいがあり、より作品の雰囲気に合っています。

レン:ちょっと読みにくかったです。冒頭で、修道院で看護の仕事をするのではなく、庭師になりたいというのはわかりましたが、その後、造園に打ち込む描写は少なくて。修道院で薬草の世話をさせてもれえることになったとき、私はよかったなと思ってしまったんですね。そしたら、そうじゃなかった。火をたいて花を守る場面はおもしろかったけれど、結局好きな人と結ばれてハッピーエンドかって。後書きを読んではじめて、職業や結婚相手を選ぶのにも自由のない時代だから意味のあることだったのだとわかりましたが、ただお話を読んだだけだと、それが伝わらないかな。それに、人物のイメージがつかみにくい気がしました。せりふから、こういう人かと読んでいたら、次のせりふでは印象が違って。特にブルジがそうで、どういう立ち位置の人かがつかめず、落ち着きませんでした。

ひら:「好きなこと(仕事)をあきらめなくていいんだよ、そのうちうまくいくからさ」という物語で、教訓的なトーンが強くリアリティがなくて感情的に入り込めなかった。逆に言えば、よくある「主人公が、環境的なハンデを克服しようと努力し、成功した」というハッピーエンドストーリーでもないんですね。作者もあとがきで書いているように、「親の言う相手と結婚して、女性として決められた仕事をするのが普通(つまり倫理的)だった時代」において、「当時としては異端の価値観をがんばって持ち続けた」ということがテーマなんでしょうね(ある意味それだけではあるが・・・)。また「好きな仕事をする」という当時としては異端の価値観が、なぜ児童文学として成り立っているかというと、現代では一般的に流布していて、安心して親や教師が子供に伝えられる価値観だからでしょう。例えば同じ手法を転用すれば、人種差別について「昔は皮膚の色で仕事や結婚も決まっていたんだけど、そんな時でも、皮膚の色でなくその人の能力や性格で物事を色々と判断した人がいたんだよ」という美談を若干の事実も踏まえて50年後に児童文学として書くこともできる。文学と倫理の関係で考えると、例えば同性愛は今の時点で倫理的に広く受け入れられている価値観ですが、まだ児童文学としてはこなれていない価値観ですよね(逆に純文学が扱うテーマとしては少し弱すぎるかも。例えば「自殺」を「尊厳死」として肯定する価値観は十分に異端なので純文学として切り立つ可能性があるのでは)。

ゴルトムント:ドイツ語の作品ですが、筆者のアイデンティティは、オーストリア人でウィーンの人。推測ですが、モーツァルトは、本人の実態に近く描かれているのでは。天才ですからね。息をするようにメロディーが出てくる。楽譜に書くのが追いつかない。

レン:モーツァルトは12歳というわりに幼く感じました。私は、なぜモーツァルトを登場させないといけなかったのか疑問でした。時代性を伝えられますが、あれだけの天才のモーツァルトがひきあいに出されると、マリーのことも「結局、ものをいうのは才能」と読めてしまい、そうなると、平凡な読者は親しみを持ちにくいなと。

ゴルトムント:小説というのは描写が命。だけど今は、描写が細かいと読者はなかなかついていけないでしょう。例えば植物の具体的な名前がいっぱい出てくるけど、知らないと読者は飽きてしまいます。マリア・テレジア、モーツァルト、実在の人物をやはりうまく配しています。オペラのコシファントゥッテに博士が出てくるそうで、もう一度聴き直さなくては。主人公の女の子は、時代に負けずに自分の人生を歩もう、というテーマでしょうね。

アンヌ:何か、とても不器用な感じのする物語でした。前半の修道院生活に対する嫌悪感にはとてもリアリティがあるのですが、ウィーンの街の様子、モーツァルトの使い方、メスメル博士の言葉の中に現れる啓蒙思想やブルーストッキングなどの新思想などが、なんだか取ってつけたようで、それぞれについては、描いているけれど、物語の中で活きていない感がずっと最後までしました。ヤーコブとの恋も、一昔前の少女小説じみていて、もう一つ効果を発していない気がします。マリーの心の中が、夢みがちな少女という設定なので、はっきり描かれていないからなのかもしれません。マリーは、庭をスケッチし縮尺を使って設計図を描くことができたり、霜を防ぐ方法を考え出したりすることができる女の子には、到底見えません。もっと自然そのものへの愛着を示す場面などがあれば、いきなり彼女がイギリス式庭園を作り上げられるだけの考えを持っていることに納得がいくのにと思いました。何もかもメスメル博士が言い換えて説明し直して話が進んでいくという感じで、マリーの中にもうまく入り込めないまま、どんどん物語が展開していきました。メスメル博士は、もっと魔法使いのような人間に描かれてもおもしろい人なのに、市民階級のパトロンという役割ではもったいない気がしました。なんだか物語を回していく役割だけなのが残念でした。せっかくモーツアルトが登場するのに、マリーはモーツアルトへの反感を抱くばかりなのも奇妙な感じがしました。もっと、活き活きとお互いの人格を感じ合える場面があればよかったのにと、思いました。

ルパン:可もなく不可もなく、という印象をもってしまいました。メスメル博士は、皆さんのお話を聞いていると、どうやら本物のほうがおもしろそうですね。描かれた人物がみんな平坦で…。いちばん期待してしまったのはプレッツェル売りです。でも、「この人、何者!?」って思わせておいて、結局何者でもなかった。

アンヌ:このあたりから、モーツアルトがもっと活躍してくれるのかと思ったのですが、そうではなくて、がっかりしました。

ルパン:気になったのはP194のところです。寒いから火をたいて植物を温める、っていう発想は、「へえ」って思いましたが、火を燃やしたまま、草花を見守るでもなく、主人公もほかのみんなも家に入っちゃうんですよね。火事になるんじゃないかと心配しちゃいました。しかも、あとで見に行くのはマリーでなく、ほかの人。これでは庭園への愛も感じられず、クライマックスという気もしないまま終わってしまいました。それに、伯爵夫人の依頼はどうなったんでしょうね。結婚によって修道院に入らなくて済んだ、という結末は、マリーの夢とうまくリンクしていなくて、ひどくちぐはぐな印象でした。父親も、マリーの才能を認めているのかいないのかはっきりしないし。

ゴルトムント:父親は、女は庭師になどしないという古い価値観の持ち主。啓蒙専制君主のマリア・テレジア。ウィーンのシェーンブルン宮殿はベルサイユそっくりに作っているわけで、18世紀にはフランス的なものに高い価値を置いた時代だったのでしょう。その当時の空気をベースに書いているんですね。

ルパン:「その当時の空気」がきちんと描けてないから、よけいわかりにくいですよね。でも、本質的な問題は、そこではなくて、ストーリー展開にあるのだと思います。主人公に魅力があって、物語がおもしろければ、多少歴史的背景がわかりづらくても、子どもは気にしないですから。ファンタジーやSFみたいに、ありえないような設定であっても楽しめるものはたくさんあるわけだし。

夏子:庭というと、『秘密の花園』のイメージが強烈よね。『秘密の花園』では、主人公のメアリーの内面と庭が強く結びついているでしょ? ところがこの本では、読み進んでも、主人公と庭とがうまく結びついてこない。主人公の自立心や個性が感じられないために、魅力がないのだと思う。現代の読者が読むのだから、当時の時代背景は今とは違うとはいえ、読者が主人公に共感できるところがないと、読めないなぁ。

マリンゴ:何かがうまくいかないと日常で悩んでいる子どもが読めば、もっと“ままならない”時代もあったのだと感じ、自分も頑張ろうと思えるかも。ただ個人的には、マリーが天才すぎることに共感できませんでした。天才だからマリーは救済されたのか、そうでなければ修道院行きだったのか、とイマイチ感が残ります。ごく特例を描いた物語のような気がしています。

ハリネズミ:原題は、Marie mit dem Kopf voller Blumenですから、頭の中が花でいっぱいになっているマリー、というような意味だと思いますが、マリーの花に対する愛が、そんなに描かれていないし、しょっちゅう花のことばかり考えていました、という描写がもっともっと出てきてもいいんじゃないかと思いました。現状では、介護よりはガーデニングが好きだと思っているうちに、自分の努力ではなく運がよくて「足長おじさん」のような人が現れて憧れの仕事につけた、というふうに思えてしまいます。メスメル博士も癖があっておもしろそうな人物なのに、この作品では単なる好々爺になっていますね。ひらさんが児童文学はその時代の倫理観に左右されるとおっしゃっていましたが、私はあまりそうは思っていません。それよりも、どんな世界になったらいいかと考えて書いているのが児童文学なのではないでしょうか。

ひら:「米国人を殺すのは正しい」という価値観は現代では異端ですが、戦時では流布するべき価値観として成り立っていて、児童文学として成立できたと思います。逆に現代の日本において「米国人を殺すのは正しい」という価値観の児童文学を書く(売る)のは難しいのではないでしょうか。

ハリネズミ:戦時中は多くの児童文学作家も、お上の政策に協力してしまいましたね。ただ児童文学なるものが目指すものがあるとすれば、それは「お上に迎合して売れればいい」というのではなく、もっと本質的なものなんじゃないかと思いますが。

ひら:児童文学の主な消費者は親や図書館であり、ユーザーが子どもであるケースが多いと思っています。その際、例外はもちろんありますが、基本的に親や公共機関は保守的な価値観(言い換えればラジカルでない価値観)を再生産する本を購入、勧めることが多いと思います。

ハリネズミ:今の価値観を肯定してそれにのっとって書く人もいますが、一つの理想の姿を意識したうえで書く作家もいますよね。現状肯定してしまうと、未来には向かいませんからね。

レン:児童文学は、さまざまな考えの間の揺らぎも伝えているのでは?

夏子:児童文学は、既成の価値観を無力化するためにあるのでは?

(「子どもの本で言いたい放題」2015年7月の記録)


ブロード街の12日間

『ブロード街の12日間』
デボラ・ホプキンソン/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2014

ゴルトムント:歴史ものです。実在の人物や出来事をうまく取り入れています。コレラを研究した先生の実話が元になったとあとがきにもありました。もちろん主な登場人物は創作されたわけで、基本的にはフィクションですけれども。こういうお話は歴史上の事実をうまく取り入れるのが大事ですね。今日のもう一冊の『庭師の娘』(ジークリート・ラウベ著 若松宣子訳 岩波書店)も。伏線を結構たくさん置いて家族のことや、いろんなことがだんだん分かってくるようになっています。どんなことだろうと気になりながら読み進めました。コレラの原因が空気ではなく水だったこと。博士の研究成果をうまく伝えている本とも言えます。少年に関しては、明るい未来を暗示しつつ終わっています。

ひら:主人公が「小さな大人」として登場している状況から「子ども」として書かれていく描写がおもしろかった。フィリップ・アリエスは『〈子供〉の誕生』(みすず書房)という本の中で、16世紀以前は「子供」という概念(=世の中から庇護される社会的な存在)はなく、「小さな大人」という存在だけだった、と論評しています。その本の中では、かつて人間は7歳ぐらいから小さな大人になり、大人と一緒に労働力として働いていたし、逆に7歳以前はコミュニケーションも取りづらいし、当時は高い確率で死亡したため、大人は将来の労働力を効率的に確保するために、できるだけたくさん子どもを産み、7歳以前の子供は育児コストを下げるために「大きな動物に近い感じで養われていた」と書かれていたように記憶しています。この本の舞台になっているイギリスの世界はちょうど近代市民社会が成立し始める頃で、裕福な市民の家ではいわゆる「子供」という概念が誕生して普及していたと思いますが、まだ社会の底辺には「小さな大人」もたくさんいた時代でしょう。一方で、16世紀からなぜ「子供」という概念が誕生し、子供は大切にしなければならい、という社会通念、倫理観が普及したのか、社会的、経済的な合理性があったからだと思います。つまり自分の子供を「小さな大人」として育てるよりも、産業革命によって職業が高度化し、医療の進歩によって子供が死ぬ可能性が低くなった等から、一人ひとりの子供を丁寧に育て、学習させ、ある一定レベルの職業につけた方が親として(極論すれば人間の個体として)生存確率が上がり、楽ができる。そこから後付で倫理体系が組み立てられたように思います。儒教を広めた孔子やキリスト教を広めたコンスタンティヌスしかり、基本的には治世者の統治しやすさのニーズ、一人ひとりの個体の生き残るためのニーズの後追いの形で倫理感が構成され、経済的、社会的に合理性が高い倫理がその後自然淘汰的に普及していっているのではないでしょうか。主人公は物語の前半で「小さな大人」として非常に大変そうに描写されていますが、その後「子供」として保護されていく状況(倫理観の変遷のような状況)がうまく拾い上げられていて、おもしろく読めました。

レン:去年読んでおもしろかったので選びました。読み返せなかったので、細かいところは忘れてしまったのですが、コレラの謎、イールの家族のことをつきとめていくというミステリーの仕立ての展開でぐいぐい読めました。イールのまわりに、さまざまな大人たちが登場するのも印象的。大人の姿がくっきりと描かれていると思いました。

レジーナ:19世紀のロンドンの暮らしも、「青い恐怖」の謎を追う過程も、おもしろく読みました。イールがスノウ博士の研究を手伝い、助手としての仕事を認められる中で、周囲の大人に心を開いていく様子が、納得できるように描かれています。イールは少し、いい子過ぎる気もしますが…。平澤さんの装画も素敵で、日本の子どもが手に取りやすい本です。以前、ハリネズミさんがおっしゃっていたように、ジョーン・エイキンと比較すると、作品の弱さはあるかもしれませんが、この本はステッピングストーンになるのではないでしょうか。今の中学生を見ていると、エイキンまで読める子がなかなかいません。私は、この本が気に入った子には、エイキンの『ウィロビー・チェースのオオカミ』(こだまともこ訳 冨山房)を勧めています。

夏子:プロットが派手で、ミスエリーを読むような勢いで、先へ先へと読み進むことができました。翻訳も読みやすいと思います。伏線がいろいろあって、ひとつを除くと、後でよく活かされています。うまく活かされていない一つというのは、継父(母親の再婚相手で悪漢)に誘拐されたところ。主人公が最も恐れていた通りの結果となり、絶対絶命の危機を迎えたわけで、いちばんハラハラドキドキする場面ですよね。それなのに友人に救出されると、それだけで終わってしまって、悪漢の継父がその後どうなったのか、言及がまったくありません。最大の敵である継父との関係は、きちんと決着をつけておいてほしかったです。もうひとつクレームを言うと、主人公のイールは高潔で、ひたすら弟を守っていますが、いくらなんでも高潔すぎるのでは? また何もかもがイールの活躍で解決するのでなくて、ひとつの活躍だけで充分ではないかと思いました。そのほうがリアリティがあったのにね。時代やプロットにディケンズ作の『オリバー・ツイスト』の影響が見られますが、時代は『オリバー・ツイスト』の20年後で、ロンドンでコレラが大流行したころですよね。当時のロンドンの雰囲気、不潔さとか匂いが伝わってくると、もっとよかったな。無いものねだりで申しわけないけど。

アンヌ:私にとっては大変読みにくい本でした。まず、第一部で引っかかってしまい、なかなか前に進めませんでした。最初に提出される謎が多すぎるような気がします。ロンドンのテムズ川のどぶ浚いという仕事からして、うまくイメージがわきにくいのに、周りの大人たちや主人公がとても恐れているフィッシュという男の正体も、よくわからないまま話が進んでいきます。ビール醸造所というところもなかなか想像するのが難しいのに、舞台がすぐ近所の仕立屋さんの病人の部屋に移ってしまう。だから、主人公が何のためにお金をためているかという謎ときに行き着くまでに、時代や舞台が頭の中にうまく構成されていきませんでした。ディケンズから類推して何とか想像しましたが、そういう知識なしに、いきなりこの物語でその時代を感じるのは難しい気がします。その後、推理小説のようにコレラと水の関係を解き明かそうとする物語になっていくと、一気にすらすら読むことができました。ただ、フィッシュという悪人は捕まっていないのに、「スノウ博士が偉いから大丈夫」というような博士の家政婦さんの言葉で終わったり、どうみてもひどい引き取り手に思えたベッツィの叔母さんが実はとてもいい人だったりとか、物語を進めるために都合よくしてしまうように感じられる所には、疑問が残りました。

夏子:中流の家庭なんじゃないかな。

ルパン:今日みんなで話す三冊のなかで、私はこれが一番おもしろいと思いました。スピーディな展開でで飽きさせないし。コレラという深刻な問題を扱ってはいるのですが、どちらかというとエンタメっていう感じでした。ただ、いろんな大人がたくさん出てきすぎて覚えられないんですよね。最後、エドワードさんといういい人に引き取られることになり、めでたしめでたしなんですけど、このエドワードさん、最後しか出てこないじゃないですか。名前は出て来るけど、出かけてることになっていて、そのあたりは何ともいえずご都合主義ですよね。そもそも、こんないい人がそばにいたなら、これほど苦労しなくてよかったし。帰りを待っていればよかったわけで。あと、エイベルさんとエドワードさんが、紛らわしくて、どっちがどっちだかわからなくなったりしました。この話のなかでいちばんキャラが立っていたのは、博士の家政婦で、チョイ役のウェザーバーンさんです。

マリンゴ:これが課題図書!と信じられなかったほど、中盤まで過酷なストーリーでした。でも、途中から、現実(歴史)とリンクしていくおもしろさを感じました。ただ、物語のインパクトが強すぎて、これが真実のような気がしてしまうので、現実と架空の人物をブレンドする手法は難しいと改めて思いました。

ハリネズミ:出てすぐに読んで、なかなかよくできた物語だと思いました。庶民の人たちの人間模様がうまく描けているし、コレラをめぐる謎解きもおもしろかった。ディケンズに似ているという方がおいででしたが、私はむしろエイキンだと思いました。ディケンズは今読むと、とても冗長でわきのお話も詳しく書いたりするので、メインストーリーで読ませるエンタメとしてはエイキンに近いかと。気になったのは、著者が作り出した人物は生き生きと描かれていたのに、歴史上の人物のほうは厚みが欠けていた点です。実在の人物なのでウソは書けないため、想像にも限界があったのだと思います。

レジーナ:伝記も書いている作家なので、史実を変えるのには抵抗があったのでは。

夏子:この作家は、ディケンズの伝記も書いているのよね。

レン:イギリスの子どもが読んだら、人物名もぱっと覚えられるんでしょうね。

夏子:この本がすぐれた賞に価するとは思えないなぁ。サトクリフの作品だと、主人公の個性が歴史のなかに生きているでしょ。本当に過去にこういう少年がいたんだろうな、と深く納得させてくれるけれど、この作品はそこまではいっていない。作家はアメリカ人で、ロンドンの街にくわしくなかったのかも。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年7月の記録)


みんなからみえないブライアン

トルーディ・ラドウィッグ文 パトリス・バートン絵『みんなからみえないブライアン』さくまゆみこ訳
『みんなからみえないブライアン』
トルーディ・ラドウィッグ作 パトリス・バートン絵 さくまゆみこ訳
くもん出版
2015.06

アメリカの絵本。目立たない子どもを主人公にしています。私が前に訳した『ひとりひとりのやさしさ』(ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ルイス絵 BL出版)には、転校生をわざと無視したり、あざけったりするいじめが出てきました。いじめは、子どもをめぐる大きな問題なので、子どもの本でも取り上げられることの多いテーマです。でも、この絵本のブライアンは積極的ないじめを受けているというより、目立たないために、みんなからついつい忘れられてしまうのです。友だちから忘れられるだけではありません。ほかに手のかかる生徒を抱えていれば、先生までその子がいることになかなか気づきません。

でも、そんな体験をたくさんしてきたせいか、ブライアンは人の痛みがわかる子どもです。なので、転校してきたジャスティンがからかわれた時に、得意な絵をつけた手紙を書かずにはいられなかったのでしょう。それをきっかけにして、友だちの輪が広がっていくのがすてきです。

この絵本は、どうぞ後ろの見返しまで見てくださいね。
(装丁:森枝雄司さん 編集:宮本友紀子さん)

***

<紹介記事>

・「公明新聞」2015年11月28日

・「AERA with Kids」2015年9月号

 

・「朝日小学生新聞」2015年11月号

 

・「教育家庭新聞」2015年7月20日

 

・「教育新聞」2015年6月25日

 

 

Comment

2015年06月 テーマ:ふつうって何?

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『2015年06月 テーマ:ふつうって何?』
日付 2015年6月26日
参加者 アンヌ、ハリネズミ、ひらさん、ヤマネ、ルパン、レジーナ
テーマ ふつうって何?

読んだ本:

『ぼくとヨシュと水色の空』
原題:JAN UND JOSH by Sigrid Zeevaert, 2008
ジーグリット・ツェーフェルト/作 はたさわゆうこ/訳
徳間書店
2012

版元語録:生まれつき心臓が弱いヤンとちょっと太ったヨシュは、幼いころからの親友だ。友達を思いやるやさしい気持ちをみずみずしく描く。
『なんでそんなことするの?』
松田青子/作 ひろせべに/画
福音館書店
2014.03

版元語録:トキオを"変"と言った子どもに次々とおかしなことが起きる。ミケのしわざだ。とうとう先生までリスになっちゃった。個性を認め合う物語。
『コケシちゃん』
佐藤まどか/作 木村いこ/絵
フレーベル館
2014.11

版元語録:四年一組にも、スイスから体験入学生が来る! 金髪かな? 言葉通じるかな? ウキウキのマコちゃんと、ドキドキのわたし。でも、やってきたその子は日本人そのもので、まるでコケシみたい。なんでもはっきりという“コケシちゃん”は、わたしとちがいすぎて…。

(さらに…)

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コケシちゃん

『コケシちゃん』
佐藤まどか/作 木村いこ/絵
フレーベル館
2014.11

レジーナ:特に気になるところもなく、さらっと読みました。地域にもよるのかもしれませんが、スイスの学校は、そんなにアジア人の生徒が少ないのでしょうか? 佐藤まどかさんはイタリアにいらした方で、以前、ミラノが舞台の『カフェ・デ・キリコ』(講談社)を読みました。 

ハリネズミ:異文化交流の話ですね。ただし、こけしちゃんはスイスのイタリア語圏の学校に行っていたという設定です。それなのに、ホット・エア・バルーンとか、イエロー・モンキーとか、イタリア語ではなく英語ばかりが出てきます。最後のくるみちゃんの手紙の最後の言葉もなぜか英語。そのあたりにちょっと引っかかりました。こんなふうだと、外国人はみんな英語で話しているという間違った概念を子どもがもつようになるかも。人物造型は、わかりやすいといえばわかりやすいけど、ヨーロッパ文化圏だから個人主義的という典型みたいな図式的な描かれ方ですね。もっと立体的に描いてほしいところだけど、中学年くらいが対象だとこのくらいでよしとしてしまうのでしょうか? 自分の意見が言えないくるみちゃんが、少しずつ変わっていくのはいいな、と思いました。 

ヤマネ:まず、表紙は子どもが好きそうで手にとりそうだと思いました。しかしカバーを取ると、表紙とのギャップに驚きました。中は、お話の中でクラス全員で描いた絵になっているのですが、それならばクラスの子全員描かれていればよいのにと思います。異文化を知る入口としていい本かなと思いましたが、とくに大きな感動があるわけではありません。出井君は、スイスから来た体験入学生の京ちゃんをあれこれいじめるけど、カラっとしていてあまり陰険に感じませんでした。それはなぜかと考えたところ、ひとつは、女同士、男同士のいじめの方が陰湿になりやすいのでは?ということと、いじめられている側の京ちゃんがきちんと言い返せる子で、出井くんの行為に対していじめだと思っていないからだと思います。 

アンヌ:比較的構成がはっきりしていて、すらりと読めたのですが、それだけ、特に思い入れを感じるところがありませんでした。一人一人について見つめなおしていくと、奇妙なところが、いろいろありました。主人公のくるみちゃんは、かなり内向的な性格で、自分も転校生でつらい思いをしたのに、京子ちゃんは、はっきりものが言える強い人間なんだと決めつけて、転校したての時でさえ、親切にしません。いじめっ子の出井くんは、日本では協調性が必要だと、もっともなことを言って、京子ちゃんをいじめ続けます。出井君が、家庭の事情で辛い思いをしているのがわかっていくのですが、だからといって、人をいじめていいわけではなく、出井君のいじめは曖昧なままです。京子ちゃんについては、コケシのストラップを買って、くるみちゃんに気を使う性格と、スイスで後天的に得た論理的な性格とが矛盾するような気がして、このストラップの場面が、すらりと飲み込めない気がしました。唯一、くるみちゃんが指導役になって、絵を描く場面が素敵でした。美術製作を個的な世界としてとらえる京子ちゃんに対して、ちゃんと反論し、共同作業で絵を描き上げるところがおもしろかった。それだけに、船を新聞紙で折って作るとか、廃物利用をするところが、まあ、現実なんでしょうけれど、なんで最後まで完全に美しいものに仕上げなかったのだろうかと残念に思います。 

ルパン:これは、異文化交流の話だと思うと、そんなにおもしろくない本です。掃除当番がない、給食がない、というのは、へえ、そうなんだ、とは思うけれど、それ以上のものではない。そこがポイントなのではなくて、この物語のこけしちゃんは、もっともっと壮絶な人生を体験しているのだ、ということに読者が気づかなくてはならないんだと思います。たとえば、金髪で青い目の本物のヨーロッパ人の子どもが「日本とヨーロッパは違うよ」と言うのであれば、確かに異文化交流の話であり、クラスの子も喜んでそういう話を聞くのだと思う。ところが、日本人以上に日本人っぽい「こけしちゃん」がそういうことを言うことでいじめられてしまう。自分たちと同じ顔をしている人間が、「ヨーロッパは違う」と言ったことで、自分たちの文化が否定された気がしていじめるんです。いっぽう、こけしちゃんは、ヨーロッパでは、地元の文化にはなじんでいるのに、みんなと外見が違うからという理由でいじめられている。ヨーロッパでも日本でもいじめられているんです。ただ、もったいないことに、そのシチュエーションの悲惨さが、この物語ではいまひとつ伝わってこない。これで読書感想文を書かせるのならば、おとなが問題提議をしてあげなければいけない、ちょっとわかりにくい作品だと思います。 

ハリネズミ:ツメのあまいところがあるんでしょうね。 

アンヌ:いじめも、例えば、出井君と原君のようなコンビでいじめるところなど、まるでジャイアンとスネ夫のようで、典型的で紋切り型のような気がします。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年6月の記録)


なんでそんなことするの?

『なんでそんなことするの?』
松田青子/作 ひろせべに/画
福音館書店
2014.03

ひら:絵が綺麗。久々に、こんなに綺麗な本を読みました。文章のディティールの表現がうまい。「人と違ってもいいんだよ(いじめはダメよ)」ということがテーマの本ですが、「心理的に他人と違う」というケースと「社会的に他人と違う」ということがあると思います。心理的な違いの部分で、最もいじめにつながりやすいのは、自分の心の中で抑圧している価値(行動、感情)を、相手が言動として表してしまっているケース。今回のケースでは、この主人公(トキオ)の年齢は、母親に甘えたいという感情を(特に人前では)かなり抑圧している年齢ではないか。それにも関らず、主人公のトキオは、甘えの象徴であるぬいぐるみを学校に持って来ていて、そのためにいじめられている(幼稚園児に人気の「しまじろう」をモチーフにした「トラのぬいぐるみ」を、象徴として使ったのはうまい。また、いじめは集団を維持するために、些細な差異を指摘することによって、集団の同質性を維持するための儀式だと思うので、特に学校のような「逃げ難い集団」では起こりやすいと思う)。一方、物語の後半で、他のクラスメートが「切手集め」や「おし花」を趣味として持っているケースが、「社会的に人と違う」こととして語られるが、上記の心理的な抑圧部分(自分の影=シャドー部分)を持つ場合に比べれば(「違い」の質が違うので)、いじめられる可能性や強度は低いと思います。そのあたりの「「人と違うこと」の差異」への視点がなく、「自分と違うからといって、その人をいじめてはダメよ」という一般的なテーマに物語が収斂していくため、読後感としては、やや教訓的すぎる感じがしました。 

レジーナ:ちょうど、松田さんが訳されたカレン・ラッセルの『狼少女たちの聖ルーシー寮』(河出書房新社)を読んだところです。『なんでそんなことするの?』は、人と違っていい、というメッセージをはっきり打ち出し、いじめられていることを認めたくない気持ちや、ちょっとしたからかいがどれほど人を傷つけるのかが描かれています。主人公がトラのぬいぐるみを持ち歩く理由も、ネコの正体もはっきり明かされず、不思議な世界が広がっています。シュールで、ナンセンスで、現実の枠組みの外にある世界です。教訓的という話がありましたが、あまりそう感じさせないのは、色鮮やかで魅力的な絵に助けられているからでしょうか。 

ハリネズミ:ミケはトキオの潜在意識だと思って読みました。いじめる相手に、トキオ自身は向かっていけないけど、ミケならどんどんやっつけてくれる。ひらさんは、周辺とおっしゃいましたが、私は特にトキオが周辺の存在だとは思わなかった。中心・周辺と関係なくだれにでも起こることなのではないでしょうか。「がまんしないで理不尽なことに対しては抗議すれば、すべてはうまくいく」と教えている本ですね。 

ヤマネ:初めて読んだときに、自分の気持ちを言えない子が言えるようになるのが、すっきりしてとても好きだと思いました。いじめについて書かれている本はたくさんあるけど、いじめられている側が、どうしたらいいか発見して自分の行動を少しだけ変えていって、いじめる人たちに立ち向かっていく、というところがおもしろかった。トキオは、はじめはミケに対して、「なんでそんなことするの?」と言っていたのが、46ページではじめて自分をからかう友だちに向かって「なんでそんなことするの?」と言います。ここに大きな転換点があり、はっとさせられました。タイトルの『なんでそんなことするの?』もここに繋がっているのか、なるほどと思います。ミケの言葉の中で、教訓的なところが繰り返し出てきて、少し言いすぎる感じもしましたが、この部分が作者のもっとも伝えたいところなのでしょう。トキオは、すごく悩んでいるわけではないけど(少なくとも悩んでいることに本人が気づいていない)、学校から帰ってきてモヤモヤしています。それはいい状態ではないですね。いろいろな問題が解決していった後、最後のページで、寝そべってマンガを読んで笑いながらポテチを食べている、これが子どもの平和で幸せな状態なのだと思いました。

アンヌ:最初から、これはホラー小説だと思いながら読みました。奇妙に昭和な感じの家のつくりとか、しんとした台所、部屋の扉の向こうには、ミケという、ぬいぐるみか、猫か、化け物なのか、よくわからないものがいるという設定。しかも、そのミケが学校について来て、ぬいぐるみのトラを持ってくるトキオのことを、変だと言っていじめる子供たちを、食べてしまったり変身させたりしてやっつける。ここら辺がホラーなのだけれど、妙に可愛いものに変身させるところが、絵の魅力とともに、恐怖よりユーモアを感じさせる作りになっています。ミケにやっつけられた子どもたちが、自分の異変に気づいているような、いないような感じも、奇妙でおもしろい。トキオが、「なんでそんなことするの?」とミケに訊き、いじめようとする子どもたちにも、同じ言葉を言うことができて初めて、トキオもみんなも変わっていくという話。もう一つ釈然とはしませんが、自分の気持ちをごまかし続けたトキオ君が、そういう辛さを抜け出せてよかったなと思いました。それにしても、一番怖かったのは、ミケの復讐する場面などではなく、10ページの「ぼく、トキオくんのことを思って言っているんだよ」という、コウキくんの言葉でした。 

ルパン:ちょっとストーリーと関係ないところですが、ひらがなと漢字で、字体が違うのって不思議じゃないですか。内容的には、なんだか中途半端な感じ、というのが正直な感想ですね。おもしろくないわけではないのだけど、絶賛したいほどでもなく。8ページで、「ぬいぐるみ=トラ」というのがよくわかりませんでした。絵がなかったらわからないですね。ミケはほかの人には見えないのは、しばらく読んでいるうちにわかってきました。46ページで、初めて友だちに「なんでそんなことするの?」って言えたとき、言われたレイコちゃんが、「ふしぎなものを見たような顔をする」という場面、ファンタジーのなかにリアリティが垣間見えて、とてもいいと思いました。 

ハリネズミ:文学というより、伝えたいメッセージをだれにでもわかるように書いた作品ですね。絵はとてもおもしろいけど。 

ルパン:これ、対象年齢はどのくらいを想定しているんでしょうね。ルビのふり方も、簡単な字にふってあるかと思うと、初出以降はふってなかったり。小さい子対象なのかな、大きい子なのかな。ちょっとピントがぼやけている気がします。
 
ハリネズミ:もう少し説明的な部分を省いて、文章を短くするともっとおもしろくなるかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年6月の記録)


ぼくとヨシュと水色の空

『ぼくとヨシュと水色の空』
ジーグリット・ツェーフェルト/作 はたさわゆうこ/訳
徳間書店
2012

アンヌ:心臓病のヤンの気持ちに同化してしまって、文字通り、胸をどきどきさせながら読みました。同時に、ヤンのママの気持ちも、痛いほど感じました。手術の前で、体を大事にしなくてはいけないのがわかっているけれど、大事な本が入っている重い鞄を持って歩いて行く、という冒頭の場面から、引き込まれました。全編を通して、命あることの美しさや温かさを感じる物語です。家族もいい感じに描かれていて、手術に向かって息をつめているというのではなく、ごく普通のドタバタする日常が、うまく描かれています。その中で、いじめで傷ついたヤンに、姉がソファで寄り添う場面などで、家族の温かさが感じられます。また、猫の出産場面とか、川で遊ぶ場面とかで、ヤンが感じている命や世界の輝きが伝わってきます。手術で命が終わる可能性がありながらも、ヤンがそのぎりぎりまで、いきいきと生きているということを感じられる物語で、いわゆる難病ものとは違います。ただ、今回は、あまりにヤンに魅力を感じてしまったので、ヨシュの苦しみや孤独などに、うまく注意が向けられず、早く出てきてくれればいいのに、などと思ってしまいました。 

ヤマネ:この本を今回、課題本に選んだのは、まずタイトルに惹かれたからです。ドイツの原題では、ただ『ヤンとヨシュ』というだけですが、邦題では『ぼくとヨシュと水色の空』となっていて、より気になる、いいタイトルになっていると思いました。表紙も綺麗で惹かれます。お話は、ヤンの病気の重さやヨシュの家庭問題、後半でネズミばあさんが刺される事件が起こるところなど、重い内容が多く出てきますが、ヤンの家庭の温かさや、ヤンとヨシュの気持ちの繋がりや、ネコの場面がうまくお話の中に散りばめられていることで、お話がやわらかくなり温かみが感じられるように思います。ヤンは体は弱いけれど、ものをはっきり言えるところが気持ちいいですね。94ページで、ヨシュに「ぼくは友だちだよ」とはっきり伝える場面や、215ページで、ネズミばあさんにけがをさせたのがヨシュだとみんなに疑われる場面で、ヨシュをかばう場面など、読んでいて気持ちがよかったです。それにしても、ヤンに対するアキとフィルの嫌がらせがひどくて驚きました。中でもナイフを手術の跡に突きつけるところは、本当にひどすぎる。女の子のララゾフィーの存在が気になりました。算数を教えてほしいと言いながら、実はヤンに恋心を抱いているのでしょうね。ヤンは、最後の方では少しララゾフィーのことが気になるようになるけれど、最初はヨシュの方が大事で、男の子らしいなと思いました。ララゾフィーが、最後に大事な役割を果たすところがよかったです。

ハリネズミ:会話からすると主人公は4年生くらいに思えますね。ほほえましいことはほほえましいのですが、182ページに「今はまだ親に話せない」とあって、ずっと大人たちには内緒にしているんですね。ヨシュがネズミばあさんを刺したのではないかと疑われるところは、後半の核になっている部分ですが、大人に知らせないのがなぜなのか、とか、大人を信じない理由などがきちんと描かれてはいないと思います。だから、読者はいらだつかもしれません。ネズミ婆さんとか、ララゾフィーといった脇役が立体的に描かれているのがいいですね。それにしても、表紙のヤンはあんまりやせていない。 

ひら:「「普通」の意味」と「5、6年生特有の、大人になるためのイニシエーション」、「命の質感」がテーマだと感じました。3つを軸に重層的に読めるすばらしい本です。たとえば10ページで、コガネムシの死がいの表現において、命の質感が軽く描かれていて、(主人公のヤン自身の持病のこともあり)物語を通して、ヤン自身が納得できる命の質感を手に入れていく様がいい。またヤンは、肉体的には特殊な心臓の病気を抱え「普通(一般的)でない」が、社会の中心的な価値に対する「周辺(普通ではない)」という意味では、温かで豊かな家庭に育ったヤンは、社会的には「普通」に位置しています。一方、ヤンの親友のヨシュは、お母さんが昼間からビール臭かったり、母子家庭なのに、息子に何も言わずに家出をして、いつ帰ってくるかわからない状況。しかもエレベーターにはトルコ人が乗ってくる貧困エリアのマンションに住んでいるという意味で、社会的に「普通ではない(社会の中心部にいない=周辺に位置している)」。物語の中で、このふたりの「普通でない」が並走していきます。児童文学は、色々な意味で周辺部にいる子供が、主人公になるケースが多く、いくつかのイニシエーションを通して、「普通でないもの」を受け入れていくことが多いけど、この物語では、色々な社会的なセーフティネット(家族の愛情や社会的支援)が普通でないもの(周辺部にある人や事柄)を中心部へ導いていきます。また、普通でないもの同士のコミュニティー(ここではヤンとヨシュ)では、どちらかが中心部に近づくことによって(ここでは、ヤンが、ララゾフィーとデートした瞬間に)、もう片方のヨシュが、シーソーのように、辺境へ離れていく力学が働いています。その意味でこの物語の普通(社会的な中心部)、普通じゃない(周辺部)、のせめぎ合い=出し入れもおもしろい。また、物語の前半部分では、登場人物として、個性を持たない未分化な人物像が出てきます。例えばいじめっ子のアキとフィル、それと呼応するように、2人の姉の個性も見えにくい。一般的に大人になる過程で、悪の中にも正義があるということ(ある事柄には、常に両義性があること)がわかってきますが、未分化な原型としての悪や女性性が、物語の前半に現れ、後半のいじめっ子の四人組(象徴としての悪)がヤンをいじめる場面では、ふたりのいじめっ子(アキとフィル)に加えて、やや友好的な女の子や金髪の子のような、悪の中の個性が描写されるようになります。ふたりの姉も同様で、ジーンズをはくシーンでは、ふたりの肉体的な成長の差が象徴的に語られます。特に秀逸なのは物語の前半で、狂った人間(=最も社会の周辺にいる人間)の象徴として登場しているネズミばあさんに対して、ヤンは、自分と同じ普通でない(と思っている)人間として、親近憎悪を感じていたけれど(無意識的に、より周辺に引き寄せられることに、恐怖を感じている)、物語の後半では、ネズミばあさんに、人としての固有名詞がつけられ、一人の人間として受容されていくプロセスが、とてもうまく書かれていると思います。 

ルパン:すみません、切れ切れに読んだせいか、話の流れがいまひとつしっかりつかめませんでした。手術の前と後で、ヤンが劇的に成長した、ということ? 手術前の緊張感や、無事に成功して終わった後の内面的な変化があまり伝わってこなかった気がします。もう一度読まなければ……。ヤンの年齢については、エレベーターで、「8階のボタンに手が届かない」というシーンが出てくるので、小学校3、4年かな、と思いました。 

ハリネズミ:子どもがひとりでは解決できない問題を抱えている。そういう年齢なんでしょうね。ヤンは、もう何度も手術を受けているので、そうそう悲愴な思いは抱いていないのでは? 

ルパン:ヤンだけでなく、まわりの子までいつのまにか変わっているのが、なんだか理解しづらかったですね。ララゾフィーは自分で算数ができるようになっているし、アキとフィルも手出しをしなくなるみたいなんですが、それもヤンが大手術を乗り越えたことと関係があるのであれば、それがわかるように書いてもらいたい気がします。 

アンヌ:「水色の夢」の章が、よくわかりませんでした。天国や神様のイメージが少しちらつく場面ではありますが、ネズミばあさんが優しく歌を歌ってくれる意味などが捉えきれませんでした。 

ひら:物語中の夢の話は、基本的に、何かを象徴的に表しているように感じます。ネズミばあさんの子守唄は、ヤンにとって、ネズミばあさんが「恐怖」から「受け入れられるもの」への変容を象徴しているのでは。ヤンの中で未解決だった何かが、手術というイニシエーションを通して(あるいは夢を通して)、消化されていく様子がうまく書かれていると思います。 

ルパン:ヤンは幼く見える一方、223ページには、「ヤンはママのそういうところがすきだ」という一文がありますよね。大手術を受けなければならないヤンに、ママが気を回している。回しすぎて失敗したことを反省しているママに、今度はヤンが気を回している。そういう大人びたところもあるので、年齢がつかみにくいんです。ほかの子どもと違う問題を抱えていることで、自然と精神的に早熟になるのかもしれませんが。 

ハリネズミ:ここは、ヤンを病院に連れていく途中で話しているところですね。母親のほうは、ヤンが万一のことを考えて話しているのかと思うわけですが、ヤンの方は母親の勘違いを察してしまう。2人の思いが交錯して、それぞれの心理が読み取れるおもしろいところですね。 

アンヌ:病気の子供は、医者から自分の病気について説明を受け、理解しようとします。ある意味、大人びているところもあると思います。
 
レジーナ:でも、自然の中でのびのび育っているからでしょうか、子どもたちが素朴で、すれていないですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年6月の記録)


2015年05月 テーマ:他者とのかかわりの中で成長する子ども

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『2015年05月 テーマ:他者とのかかわりの中で成長する子ども』
日付 2015年5月21日
参加者 レン、ルパン、つばな、アンヌ、イバラ、マリンゴ、レジーナ
テーマ 他者とのかかわりの中で成長する子ども

読んだ本:

『わたしの心のなか』 この地球を生きる子どもたち

原題:OUT OF MY MIND by Sharon M. Draper, 2010
シャロン・M・ドレイパー/作 横山和江/訳
鈴木出版
2014.09

版元語録:メロディは、生まれてからずっと、さまざまな言葉や事柄をすべて記憶してきた。でも、脳性麻痺のせいで言葉を発することができず、それを知る人はだれもいなかった。10歳のとき、かわりに声を出してくれる機器を手に入れ、言葉で伝えることができるようになる。知性を証明できたメロディの人生は、大きくかわっていく。
『クララ先生、さようなら』
原題:KLARAS KISTE by Rachel van Kooij, 2008
ラヘル・ファン・コーイ/作 石川素子/訳 いちかわなつこ/挿絵
徳間書店
2014.09

版元語録:大好きな先生がもうすぐ死んでしまう…最後で最高のプレゼントを贈ろうと、懸命に考え、行動する子どもたちの姿を描く感動作。
『きみは知らないほうがいい』
岩瀬成子/作 長谷川集平/挿絵
文研出版
2014.10

版元語録:米利は、あまり話したことのないクラスメイトの昼間くんとバスでいっしょになる。どこへ行くのか聞いてみると、「きみは知らないほうがいい。」という。気になった米利があとをつけると、昼間くんは駅の地下通路で男の人と会っていた。

(さらに…)

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きみは知らないほうがいい

『きみは知らないほうがいい』
岩瀬成子/作 長谷川集平/挿絵
文研出版
2014.10

アンヌ:いじめにあっている人を書く意味は何なのだろうと思いながら読みました。この物語のテーマは、「学校、そんなにえらいのか」に尽きるのかな、なんて思いました。

ルパン:これのテーマは「学校、えらいのか」ではないと思うんですよね。そうではなくて、どうしようもない、どこへも持っていかれない子どものつらさ、悩み、そういったものに寄り添う本だと思うんです。学校に行きたいのに行かれない、しかも暴力にあっているわけでも悪口を言われてばかりいるわけでもない。目に見える被害がないから、自分でも「これはいじめじゃないんだ。わたしはいじめられているわけじゃないんだ」って自分に言い聞かせながら、それでも学校に行こうと思うと具合が悪くなってしまう。おとなにも相談できない。自分でも解決できない。先生がかかわると逆効果になる。そんな八方ふさがりの子どもの状態がリアルに描かれていると思います。私は、この本は、こういう目にあっている子にもあっていない子にも、すべての子どもに手渡せる物語だと思います。だれもが「自分に関係ないこと」とは思わない。ほんの少しであっても、共感できる部分があると思うんです。一瞬たりともこういう思いをしたことがない、という子はいないと思うから。でも、ただ堂々巡りをしているだけではなくて。ホームレスのクニさんに憧れているようなことを言いながら、実はクニさんは社会から解放された自由人なのではなく単に社会から「逃げている」のだということに、主人公たちは気がついています。だから、この子たちは今つらくても、きっと前向きに生きていくんだろう、という希望がもてます。あと、タイトルがいいですね。『きみは知らないほうがいい』。どんなお話なんだろう、と興味をひかれます。

マリンゴ:本当に学校へ行きたくない子どもの心に寄り添う物語だと思います。私のまわりにも、周囲のおとなから見て大きな理由がないのに、登校しない子どもがいます。じゃあ、小さな理由はあるのか? そもそも「大きい理由」「小さい理由」ってだれが決めるのか……。その子自身、登校しない理由をはっきりと言葉にできないのかもしれない。この本は、そういう子が読んで、「私の気持ちをわかってもらえている」と思える物語かも。あと、個人的には、調子が良くて明るい叔父さんのキャラが好き。無責任なようでいて、いい味を出していました。ただ、夜中に来た子どもをちゃんと家に送って行ったほうがいいとは思いますが(笑)。

つばな:岩瀬さんの作品はどれも好きだけれど、これは大傑作だと思います。主人公のふたりだけじゃなく、おばあちゃん、お母さん、ホームレスのクニさん等々、ひとりひとりの人物を実に生き生きと、しっかり描いている。児童文学に限らず文学の価値って、大事なテーマを投げかけているとか、いいこと言っているとかそういうことじゃなくって、人間をしっかり描けているかどうかだと、あらためて思いました。だからこそ、昼間くんが最初に「きみは知らないほうがいい」といった意味が、最後に心にストンと落ちました。

レン:びっくりしました。今日取り上げたなかでは、これがいちばん印象深かったです。私自身何度も転校したりで、義務教育の9年間はずっとアウェー感の中で苦しんだ経験があります。いじめてくるクラスメートに対して、こんなことをして何が楽しいんだろうって思って、なんとか学校に通っていた。「xxちゃんが言ってたよ」ということからいじめが始まる感じがすごくリアルです。携帯電話やメールで、学校外の時間にも陰口が進行している今の子どもの息苦しさも描かれているし。お母さんも絶妙です。見ていなさそうでいて、おいしいものを作ったりしてくれる。味方だよと口にしなくても、孤立しているときにふっと同感だというのを示してくれる柳本さんのような存在って、いじめられている子には大きな救いなんですよね。白黒じゃなくこういうふうに書いているのがすごいです。おじさんとか、周りの大人もそれぞれの顔を持っているし。

レジーナ:問題に正面から向き合い、主人公の気持ちをていねいにすくい取った、力のある作品です。以前、「大人がわかったように書いていないのがいい」と書かれた書評を読みましたが、同感で、簡単に結論を出すのではなく、一貫して子どもの視点で、気持ちの揺れをそのまま描いていて、すばらしい作品だと思いました。ホームレスの人と交流する話では、中沢晶子さんの『ジグソーステーション』(汐文社)を思い出しますが、この本は、主人公の問題に焦点を当てています。学校という閉塞した空間で、みんなから外れてはいけないという圧力は、以前は森絵都さんの作品のように、中学生以上を主人公に描かれてました。でも今は、この本にもあるように、小学生から携帯電話も持ってるし、人間関係が複雑化してて、そうした集団の圧力は、小学校中学年ぐらいから感じるんでしょう。ついにここまで来たか、と思います。日本の子どもが抱えている、こうした問題は、海外の子どもにはピンとこないかもしれませんね。それでも、ぜひ多くの国の子どもに読んでほしい本です。「みんなと仲良く」と学校で言われるかぎり、いじめはなくならないでしょう。大人だって、全員と仲良くなんてできませんよね。苦手な人とも、少し離れれば、同じ集団の中でもやっていけるんだから、学校は、社会で生きていく上で、人との適切な距離の取り方を学ぶ場になればいいんじゃないでしょうか。

レン:小学生は逃げ場がないんですよね。中学生よりもさらに。

イバラ:一貫して子どもの視点で、書いてますよね。いじめの解決策が書かれてるわけじゃないけど、いじめられている子がどう感じているかがリアルに描かれてるし、二人が自分なりの乗り越え方を見つけようとしてるのも伝わってくる。

アンヌ:実際には、どういう子がこういう本を読むんでしょうか?

レン:いじめのあるなしにかかわらず、小学校の教室の生きにくさはだれもが何となく感じてると思うので、だれでも読んだら共感する部分があるのでは?

パピルス:傑作だと思いました。学校の何とも言えない空気感が非常によく伝わってきました。これは自分が日本の学校を経験したから伝わるんでしょうか。翻訳で出たら海外の人は理解できるのでしょうか。昼間君はホームレスのクニさんに近づいて行きますが、その理由は、クニさんは「社会から外れた人」で、昼間君は「小学生としての社会から外れた人」というように感じていたからだと思いました。仲間外れにされていても、それを認めたくないという気持ちもあると思います。でも、昼間君はそのことを認めて、さらにクニさんを通して客観的に自分を考えようとしていたのではないかと思いました。

イバラ:私もとてもおもしろく読みました。ステレオタイプじゃなく、ひとりずつをリアルに描いてるのがいい。心の中の描き方もうまいですね。たとえばp172では「どの言葉にも嘘がまじっている。言葉は、レストランの前に飾ってある本物そっくりの合成樹脂のハンバーグステーキやオニオングラタンや焼きそばみたいだ」というふうに違和感を表現してます。おばあちゃんも立体的に描かれてて、さすがです。

レン:子どもたちを自分のところに引きこんではいけないと思って、離れたのかもしれませんよね。作者が、本当に子どもに向けて書いた本だなと思います。子どもや中高校生が主人公でも、彼らに読ませようというのではなく、著者が自分の思いの丈をぶちまけただけの本もあるけれど、これは今の子に手渡したい本です。これで救われる子はたくさんいると思います。子どもの頃の自分に、読ませてやりたいくらい。

アンヌ:子どもの心に寄り添うリアリティがあるということでしょうか。

イバラ:さまざまな人間を紋切り型やいい加減に描くんじゃなくて、それぞれが生きているそのままを個性的にしかもリアルに描ける作家って、そうはいないと思います。いい加減なものや、それらしいまがいものでは、子どもの心の中までは届かない。自己満足的に寄り添ったつもりのおとなも多いけど、この作家は本物を見せようとしてるんだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年5月の記録)


クララ先生、さようなら

『クララ先生、さようなら』
ラヘル・ファン・コーイ/作 石川素子/訳 いちかわなつこ/挿絵
徳間書店
2014.09

つばな:とてもおもしろい本で、読んでよかったと思いました。なによりも、おとなも子どももいろんな人が出てきて、それぞれが生きること、死ぬことについての考えを述べているところがいい。知らない人のお葬式に出て、式のあとのコーヒーとケーキをちゃっかりごちそうになるおばあさんとか。こういう人、山本有三の『路傍の石』にも出てきますよね。最初は、涙なしでは読めない悲しい物語なのかなと、ちょっと警戒したんですが、どんどんおもしろくなりました。クララ先生にお棺を届けにいった子どもたちが、坂道で遊んでしまうところなんて、「ああ、子どもって!」と思ったり、「本当は、行きたくないから、先延ばしにしているのかも」と思ったり……。私がとてもいいなと思った箇所の一つです。それから、それこそ片足を棺桶に突っこんだようなおじいちゃんが、棺桶を作ることでまた生き返る。ひとりの死が、ひとりを生きかえらせるというところも、深い味わいのある作品だなと思いました。

マリンゴ:実は、クララ先生のパートナーであるマインダートさんに一番感情移入しました。亡くなる前の数時間を独占したい、という気持ちがとてもわかります。子どもが来てクララが喜んだ、という満足感と、自分が最後に言いたいことを言えなかった、という残念な気持ち、その二つを一生抱えていくんじゃないかと、物語が終わった先まで想像しました。わたしが今おとなだから、そう感じたわけで、小学生の頃に読んでいたら、まったく違う感想になっていたと思います。そういう意味でも、読みごたえのある作品でした。

ルパン:ずっと「死を前にした人にお棺をプレゼントしていいのか!?」と思いながら読み進め、最後の最後で泣きました。ご主人のマインダートさんの「きみの旅のためのものだよ」というせりふにすべて収斂された気がします。「たったひとつの人生」ということはよく言われますけど、「たったひとつの死」ということばはあまり聞かれないですよね。死は誰にでもやってくるけど、ひとりひとりにそれぞれの死があることを思い出させてくれる不思議な魅力の物語だと思います。ただ、すばらしいんだけど、子どもに手渡すのには勇気がいりますね。何歳くらいの子が対象なのでしょうか。どこまで理解できるだろうかと思うと安易に手渡すのがこわい気もします。私のなかではまだ結論が出ていません。

アンヌ:西原理恵子さんのテレビ番組(NHKBS「旅のチカラ」)で、ガーナで、とても派手で色々な形の棺桶を作るところを見たことがあるので、国によってはいろいろな棺桶があるのだろうと思っていましたが、オランダではまっ黒なのですね。主人公は自分が夢で黒い棺桶が嫌だと思ったのに、先生がそう言ったと思い込んで棺桶を作るという展開に、もう一つ納得がいかないところがありました。普通の人が棺桶をプレゼントするなんてと怒るのは理解できるし、作る楽しさやおじいさんのたくらみとかはおもしろかったのですが、納得できないところが後を引いて、わくわく読めませんでした。

イバラ:子どもが担任の先生の死をどうとらえて、それをどう乗り越えていくかを描いています。現実を子どもにも隠さず見せるという文化なんですね。日本の作家は棺桶をプレゼントするとは書けない。こういう作品は、違う価値観や世界観を日本の子どもに紹介するという意味があると思います。子どもが先生を大好きだったことも伝わってきます。主人公ユリウスのお母さんについても、単なる事なかれ主義ではなく、死から子どもを遠ざけようとする理由が書かれています。そういう意味で、キャラクターも平板じゃなくて立体的。いい作品だと思いました。

パピルス:おもしろく読みました。先生が「死」と向き合う中での言葉がジーンと響きました。でも、お母さんが子どもを亡くした気持ちに共感できず、途中話についていけませんでした。挿絵自体は良かったのですが、一面ところどころにすべて挿絵のページがあり、余計かなと思いました。

イバラ:私はこの本の挿絵はすばらしいと思います。シリアスな重い内容を、温かなやさしい挿絵がうまく中和している。

パピルス:先生が自分の病気を「モンスター」と表現してますけど、小学4年生くらいの子には病名を言ってもいいんじゃないかな?

レジーナ:クララ先生は、「奇跡が起きるなら、自分ではなく、病気の子どもに起きてほしい」と言い、子どもたちは水着になって授業を受けます。こんな先生だったら好かれるだろうな、と読者は思うし、子どもたちが先生のことをどれほど大切に思っているかが、しっかりと描かれています。だから棺桶をプレゼントするという突飛なアイディアも、読み手が納得できる形に収まってるんでしょう。子どもたちを見守るおじいちゃんも、存在感がありますね。あえてカモではなく、ハトにパンくずをやる場面をはじめ、偏屈だけど人間味あふれる人柄が伝わってきます。エレナは思いこみが激しく、人任せで、もう少し魅力的だったら良かったのですが……。思い出のつまったリンゴケーキを、ひとりで食べたくないと思うマインダートさんに、胸がいっぱいになりました。人の死という厳粛な場に生まれる、独特のおかしみが描かれた場面もあって。たとえば、死者がリスに生まれ変わったと信じて、葬儀でヤシの実を墓穴に入れるなんて、ユーモアがありますよね。作者はオランダ生まれですが、オランダは世界で初めて安楽死が法律で認められた国です。死を描いたユニークな本も早くから書かれていて、ドイツもその影響を受け、ヴォルフ・エァルブルッフの『死神さんとアヒルさん』(三浦美紀子訳 草土文化)のような作品も生まれました。先日、ニューヨークで行われた、児童書の翻訳に関するパネルセッションの記事を読んだんですけど、この絵本は、米国で出版された当初は戸惑う人が多くいたものの、結果的に大きな成功を収めたそうです。死については、おとなも子どもと同じくらい知らないので、この作品のように、子どもが受け止める力を過小評価せず、子どもと一緒に考えていくような本がさらに増えればいいですね。

レン:とても興味深く読みました。日本だとなかなか書かれない作品だろうとまず思いました。暗いこと、ネガティブなことは避けられがちだから。でも、生があるところには死があります。うちの子どもが通っていた中学校でも、3年間の間に二人の先生ががんで亡くなりました。お通夜に行くだけでも年頃の子どもたちは考えるところがあるけど、こういうお話を通して死について考えるのは大事ですね。この作品では、おじいちゃんがおもしろいですね。だんだん元気になってきて。

つばな:子どもは死から遠いところにいると、ついつい思ってしまいますけれど、子どもも大人と同じように死や、つらい現実に直面しているんじゃないかしら。長谷川集平さんだったかな、子どもと大人は同じ現実に立ち向かっている同志だといっていましたが、そういう姿勢をこの作品にも感じました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年5月の記録)


わたしの心のなか

『わたしの心のなか』 この地球を生きる子どもたち

シャロン・M・ドレイパー/作 横山和江/訳
鈴木出版
2014.09

アンヌ:冒頭から言葉のイメージが、美しい物語だと思いました。機械で話せるようになるという展開は、今の段階ではSFですが、やがては夢でなくなると思います。現在でも、ホーキング博士のように発声できる機械もあります。ただ、この物語のように、多くの援助や補助金を得て必要な人の手元に届くだけでなく、安価に手軽に届くといいなと思っています。実は最近、自閉症の方の意志疎通のための絵カードを、自閉症の子どもを持つ女性がスマートフォンのアプリとして開発した製品があるということを、ネット上で知りました。その話を友人にしたところ、携帯電話やスマートフォン等の情報端末の活用が障害を持つ子どもたちの生活や学習支援に役立つことを目指した、東大先端研究所の中邑賢龍教授の「魔法のプロジェクト」について話してくれました。スマートフォンと身近なテクノロジーの組み合わせによって、視覚障害のある高校生が音によって金環日食の研究ができたという話に驚嘆し、身近で手軽な製品で子どもたちの世界が広がっていってほしいと思いました。そんな時にこの物語を読んだので、主人公が言葉とコミュニュケーションを獲得していく過程にとても感動しました。ただ、普通のクラスに行ったら、子どもたちに、機械を使うことを不公平だと言われたり、付き添いの大学生の補助職員がいることにもずるいと言われたりする場面が多いのには驚きました。メロディが、最後に、あげると言われたトロフィーの安っぽさに笑うところや、そんなものをもらったから喜んだと勘違いするクラスの子どもたちに、背を向けて出ていく場面は痛快でした。人や音楽に関するメロディ独特の感覚、レモンイエローが溶けたり、パープルが漂ったりする場面はとても美しいと思いました。もしかすると、古代の人や自分が子どものころ持っていた、オーラのように色彩を感じる感覚かもしれないなと思い、ゆったりと広がる色のイメージを楽しみました。

ルパン:いちばん泣いたところは、11年間1度も言葉を発することができなかったメロディが、初めて機械の力を借りて家族に話しかけるところ。第一声が「ありがとう。」そして「愛してる」。ほんとうに感動しました。それから、置き去りにされたあと、学校でみんなにその理由を聞きますよね。あの場面は緊張感にあふれていてよかったです。メロディの誇り高く負けない姿勢が伝わってくるようで。それから、音楽や感情を色で表すところもいいですね。「きれいなうす紫色を感じる」のように。意地悪な子たちがステレオタイプなのがちょっと気になりましたが、その分、愛情深い人たちがクローズアップされているので救いがあってよかったです。『ピーティ』(ベン・マイケルセン 千葉茂樹訳 鈴木出版)は最後まで誰にも理解されない悲しさがありましたが、メロディは言いたいことを伝えられるようになって、読んでいてうれしかったです。

マリンゴ:障碍の種類は違いますが、物語の展開が、現在放送されているドラマ『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 早川書房)に近いと思いながら読んでいました。『アルジャーノン〜』では、主人公の障碍が“回復”した後で、周囲との関係が悪化していきます。この本も、そういう部分があるので。とはいえ、この本は児童文学だし、ハッピーエンドになるのだと思ってました。なので、後半のとんでもない展開にびっくり。現実は甘くない……でも、主人公が立ち向かう強さを持っていることが伝わってきます。力強い読後感でした。

レン:とてもおもしろかったです。声で表現できなかったのが、言葉を得る過程の心の変化がよく描かれていて。それに、よかったのはまわりの人々の揺れが詳しく描かれていること。両親はこの子を愛しているけど、時々疲れたり、理解できなかったり。ただ愛しているというところだけを描いていない。隣のヴァイオレットや、インクルージョンクラスの補助についた学生の存在はとても示唆的ですし、特別支援学級の先生も人によってさまざま。友だちになったローズの二面性も、私はそうだろうな思いました。前にここで読んだ岡田なおこさんの『なおこになる日』(小学館)を思いだしました。子どもに手渡したいと思いました。

レジーナ:それまで、自分の気持ちを伝える術を持てなかった主人公は、機械の力を借り、自分の声を見つけ、人との関わりの中で成長していきます。メロディの活躍によりクイズ大会で優勝するのかと思いきや、チームメイトから置き去りにされてしまいます。障碍のある主人公の物語の中には、寓話のようなハッピーエンドのものもありますが、この作品はそうではありません。リアリティがあり、一筋縄ではいかない人生の中でやっていく、という主人公の姿勢が明確で、ハッピーエンドではないけれど、結末に救いがあります。とてもおもしろく読みました。

イバラ:私はほかの子がわざと電話しないところに、大きな悪意を感じてしまいました。周囲の目を気にする、というんだけど、そこがよくわからなかった。ほかの子にとっては、これで物語が終わってしまっていいんでしょうか。

つばな:たしかに良い本だし、大勢の読者に読んでもらいたい作品ですけれど、正直いって少々退屈でした。心の中を延々と書いてあるところが長すぎるような感じがしましたし、クイズの問題と答えのところも。アメリカの読者には、おもしろいのかもしれませんが。それから、登場人物の周りの意地悪な子どもたちの描き方も、ちょっとステレオタイプじゃないかな。 私の乏しい経験からいうと、障碍のある友だちに接することで、周囲の子どもたちは確実に変わっていくと思うけれど……。

イバラ:周囲の人が、主人公をどう受け入れてどう変わっていくかは描かれていないんですね。作品の質としてどうなんでしょう? シリアスなテーマを扱う作品は、ただ楽しいだけの作品より質も高くないとなかなか読んでもらえないという現状があるような気がします。

レン:戯画的かもしれないけど、子どもはそういうのを見て、自分ならどうしようと考えるのでは?

イバラ:私は人生の一部を切り取って手渡すという覚悟が作家にも必要だと思うんです。こういう作品って、作家の人生観がもろに反映されるでしょ。

つばな:登場人物を描くのに力を入れたので、そこまで書けなかったのかも。それから、この主人公はとても頭のいい子だけれど、そうじゃない子もいるのになと、ちょっと思いました。

イバラ:乙武さんの本のときにも、みんながこうなれるわけじゃない、という反発はありましたね。

ルパン:メロディを置き去りにして、代わりにほかの子が出たから勝てなかったんですよね。みんなはそれがわかって後悔したんでしょうね。9位のトロフィーなんていらない、と言ったメロディは毅然としていてかっこよかったです。ただ、メロディ抜きでも優勝していたらどうなったんだろう、ということがちょっと気になりますが。

レン:コンクールに関しては、予選大会のときにメロディに注目が集まって、彼女にとってもそれが本意ではないのに、みなとの間がぎくしゃくしてしまう。そこは、そうだろうなと思います。

イバラ:先日『みんな言葉を持っていた〜障害の重い人たちの心の世界』(柴田保之 オクムラ書店)という本を教えてもらったのですが、気持ちを表に出したり伝えたりするのが無理で、思考がないんじゃないかとさえ思われていた重度の障碍の方たちでも、コミュニケーションの方法が見つかれば、気持ちを伝えることができるんだそうです。

レン:『みんなの学校』は大阪市内の大空小学校を1年にわたって撮ったドキュメンタリー映画ですが、あの学校にはいろんな子どもが通ってましたね。私の子どもの小学校にも車いすの子が通ってました。でも、担任の先生がその子だけに手をとられることができないので、お母さんがずっとつきっきりでした。

パピルス:登場人物の設定やストーリーが良い意味でも悪い意味でもシンプルでわかりやすく、さっと読めました。クライマックスで妹が交通事故に遭いますが、あそこは無くても良かった気がします。とってつけたようで、映画化でも狙ってるのかな?と勘ぐってしまいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年5月の記録)


2015年04月 テーマ:家族

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『2015年04月 テーマ:家族』
日付 2015年4月23日
参加者 花子、ハリネズミ、ヤマネ、レン、きゃべつ、ルパン、アンヌ、レジーナ
テーマ 家族

読んだ本:

『アラスカの小さな家族〜バラードクリークのボー』
原題:BO AT BALLARD CREEK by Kirkpatrick Hill, 2014
カークパトリック・ヒル/著 田中奈津子/訳 レウィン・ファム/挿絵
講談社
2015.01

版元語録:ゴールドラッシュ後のアラスカを舞台とした、小さな村の愛と自然にあふれた生活。2014年、スコット・オデール賞受賞作品!
『ラ・プッツン・エル〜6階の引きこもり姫』
名木田恵子/著
講談社
2013.11

版元語録:少女は、親と闘ってマンションに引きこもり、自分を「ラ・プッツン・エル」と名づけた。双眼鏡で「少年」を見つけたとき、止まっていたなにかが動きはじめた―。
『はじまりのとき』 この地球を生きる子どもたち

原題:INSIDE OUT & BACK AGAIN by Thanhha Lai, 2011
タィン=ハ・ライ/著 代田亜香子/訳
鈴木出版
2014.06

版元語録:ベトナム戦争により10歳で国を離れ、アメリカに渡った著者の自伝的作品。詩の形式で少女の内面等を綴る。

(さらに…)

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はじまりのとき

『はじまりのとき』 この地球を生きる子どもたち

タィン=ハ・ライ/著 代田亜香子/訳
鈴木出版
2014.06

きゃべつ:こんな重い内容の本とは思いませんでした。ほかの国で起きた戦争の伝えかたとして、こういう方法があるのかと興味深く読みました。基本的には、女の子の視点で身近なことだけを書いているので、読んでいると、その環境に身をひたした気持ちになります。食べ物や学校生活もきちんと描かれているし。細かいことですが、マージンの取り方が気になりました。横書きでもいいけど、やっぱり少し読みにくい。内容は新鮮でした。英語がわからないので馬鹿だと思われるというところとか、マイノリティーとして異文化に入りこんだときのギャップがうまく描かれていますね。ただ、文化を知らないために、読み解くことができないところも多かった。

ハリネズミ:散文詩ですべて説明されているわけではないので、わからないところもありますが、難民としてやって来た人が自分の言葉で語っているのがいいと思います。アメリカっていろんな立場の人がいて、ALA(アメリカ図書館協会)はマイノリティの人たちの文学もちゃんと認めて賞をあげて、普及させようとしているのがいいですね。白人でもいろいろな人がいて、ミセス・ワシントンや「カウボーイ」のようなまるごと善意の人もいれば、「カウボーイ」の妻のように途中までは白い眼で見ている人もいる。それも、ちゃんと書かれています。ただアメリカで出ている作品は、アメリカを悪く書かないですね。ベトナム戦争では、アメリカは枯れ葉剤をまいたり市民を大量に殺す北爆をしたりと、さんざんひどいことをしているし、南ベトナムのゴ・ジンジェムの政権は腐敗していてどうしようもなかったわけだけど、この本ではホー・チミンが悪者になっている。南ベトナムから逃げてきた難民の子どもの視点だから、どうしてもそうなるのかもしれませんね。

きゃべつ:助けてくれるのは、アメリカの船ですからね。

ハリネズミ:主人公の父親は、その腐敗政権で要職にあった人なんですよね。

ヤマネ:すずき出版の「海外児童文学」シリーズは、海外の子どもたちの姿を描いた重いテーマの内容が多いのですが、この本はまず表紙が美しくて、重い印象がありませんでした。ただやはり内容は、戦火のベトナムを逃れて難民としてアメリカにわたった家族のお話なので重いんですけど、横書きの日記風になっているので、それほど重く感じないで読めました。マララさんの手記(『マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女』道傳愛子訳 岩崎書店)でも感じましたが、ひとりの女の子として考えていることや悩みや喜びは変わらないということが伝わり、遠く離れた場所にいる主人公を身近に感じられるように思いました。またたとえば、自分の悲しい気持ち(涙)を、パパイヤの種が落ちる様子で表現しているところなど、文章が詩的で美しいですね。近年、こうした横書きの本が増えているように感じます。メールも横書きだから、今の子どもたちは横書きの方が読みやすいところがあるんでしょうか。

きゃべつ:ケータイ小説は横書きだったけど。

アンヌ:最初は、横書きのブログのような日記という感覚でスラスラ読めると思っていたのですが、ふとこれは詩なのではと気づいて、じっくり読み込んで、その美しさを味わって行きました。ベトナムについては、同じサイゴン陥落時を描いた『サイゴンから来た妻と娘』(近藤紘一著 文藝春秋社)しか知らなかったのですが、その中でベトナム人の特性として植物との強い親近性が描かれていて、印象に残っていました。この本にも植物の種が贈り物として描かれている場面があって、ああ、やはりと思いました。アラバマでのいじめの場面は、読んでいてつらく感じました。それと、この子が熟れていパパイヤを捨てた場面には驚きました。

ハリネズミ:私は、このパパイヤは象徴的な意味あいも持っていると思います。故郷を恋しがるようにその味を夢見ていたのに、もらったのが本物の味とはほど遠い乾燥パパイヤだとしたら、捨てる気持ちはよくわかります。でも、くれた人の善意を否定しているわけではないので、あとで拾おうとするんですよね。

アンヌ:主人公はかなり感性が研ぎすまれた少女で、勝ち気です。食べ物への感じ方も違うんでしょう。少年にいじめられると分かっていても、自分がわかっている答えを書いてしまうところとか、自分への矜持を持った少女だと思いました。3人の子どもたちをエンジニアと医者と詩人と護士にしたがっているお母さんは娘が弁護士に向いているなと思っているのに、詩人になるだろうなという予感で終わっていく章が、とてもいい感じでした。

ルパン:私もいいなと思って読みました。横書きだったので、手に取りづらい感じがしましたが、読み始めたら一気に読んでしまいました。難民の子どもである主人公が、プライドを忘れないところが気に入りました。物質文明のアメリカに来て、素直に喜べばいいところでも、食べ慣れていたものと違う、と思う箇所や、お祈りの場面や、ベトナムのものを大事にしていて、それを自分の感覚として持っているところに、好感が持てました。

レジーナ:3年前に全米図書賞をとった時、英語の試し読みで数ページ読んだことがあり、今回一冊通して日本語で読みました。詩は、実感として受け止められないと理解するのが難しいですが、この本は散文詩の形で自然に書かれていて、すらすら読めました。横書きなのが気になりましたが、日記だと思えばいいのかもしれません。アメリカで生のパパイヤが食べられないのは、この本の時代が数十年前で、輸送事情が今とは違うからですね。主人公は、ベトナムにいた時に隣の席の子をいじめたり、アメリカに来て悔しい思いをしながらも、いじめっ子に立ち向かっていったりする少女です。芯が強く、勝気なんですね。この本では、本人の努力と家族の理解があり、また息子をベトナム人に殺されても、主人公の家族に温かく接するミスェスゥ・ワシィントン、お金をもらってはいるけれど、お金だけのためだけではなく細々と世話をやいてくれるカウボーイなど、周囲に支えてくれる人がいて、主人公はアメリカの社会に溶け込み、作家として成功できましたが、これは非常に幸運なケースです。実際にはヨーロッパでも、言葉でつまずいた移民の人が学校をドロップアウトし、仕事に就けず、貧困の中でISに行ってしまう。一方でそういう人々がたくさんいることを、心に留めながら読みました。p166で、自転車のバーに座るというのは、自転車のハンドルとサドルの間ということでしょうか。

レン:おもしろかったけれど、散文でたたみかけるように事実を説明することがないので詳しいことがわかりません。子どもが読んで、なんのことかわかるのかなと思いました。右も左もわからない場所に放りこまれて、言葉ができないために馬鹿な子と思われたり、習慣の違いからからかわれたりする悔しさなど、イメージは伝わってきますが。かなり読者を選ぶ本だと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年4月の記録)


ラ・プッツン・エル〜6階の引きこもり姫

『ラ・プッツン・エル〜6階の引きこもり姫』
名木田恵子/著
講談社
2013.11

レン:自分からは手にとりそうにない本だったので、今回読めてよかったです。ただ、この子自身が否定しているからでしょうけれど、いきなり状況だけ語られて、主人公にしてもレオくんにしても、家族との関係性が見えてこず、入っていけませんでした。事実の積み重ねより、だれかの説明で理由が語られてしまうことが多くて、はぐらかされた気分になって。現実感に乏しい感じがしましたが、登場人物と同年代の読者は主人公によりそって読めるのか疑問に思いました。私が苦手なだけかもしれませんが。

レジーナ: 主人公は、おとぎ話の主人公になりきり、自分の世界に閉じこもってしまう中二病です。きっと現実もそうなのでしょうが、主人公の暴力性の原因は、はっきりとはわかりません。自分でもどうしていいかわからない、モヤモヤとした中学生の気持ちを表そうとした作品ですが、火事の場面はご都合主義ですし、ほかにも矛盾を感じる箇所が多くありました。「自分の耳に聞こえるものだけを信じる」と言いながら、音楽プレイヤーを破壊していますが、音楽も「耳に聞こえるもの」ではないですか? 音楽を含め、現実逃避になるようなものは排除するということでしょうか。リモコンも壊していますが、主電源を入れれば、テレビは使えますよね? 母親が作ったお惣菜の味に、ずっと気づかないのも不自然です。心に問題を抱えた人の中には、自分のストーリーを作り上げる人もいますが、この作品も、人の心の中の、道理や理屈の通じない世界に分け入っていくようで、読むのに体力を使いました。p198に「よろめいたとたん、隣の601号室の窓を破ったのかその振動で、棚が倒れてきた。」とありますが、何が窓を破ったのでしょうか? 人がよろけた衝撃で、窓が破れるわけはないですし。もう少し、文章を練ってほしかったです。

きゃべつ:この本は、私が関わった賞の最終選考にも残りました。この本の閉塞感は、中高生読者にとってリアルなのではないかと思います。世界から疎外感を覚えて、自分だけが違う(特別な)存在と思いこんでしまうところなどが。でも、魔王が実際に何をしたのか、どうしてこうなったのか、もう少し説明が必要なのでは? p15に、妻は実の母親だと書いてあるけれど、その後で、弟を「妻の息子」と書いているので、後妻なのかと疑ってしまいました。リーダビリティはあるけれど、瑕疵もまた多い作品だと思います。最後のシーンで、レオが消防服を着て助けにいくのは、すごく不自然。そして、あれほどまでに家族を憎んでいた姫が、母親がずっと自分を気遣ってくれていたことに気づいた瞬間に、悔い改めるなんて単純、と思ってしまいました。

レン:グリムのラプンツェルのお話が、最初にもう少し説明されているといいですよね。

ルパン:こういう魔王みたいなタイプの変な人って、実際いるんですよね。そういう人が家族を持つとどうなるか……身近な実例と重ねて読んでしまいました。娘に「魔王」と呼ばれるこの父親が、一番、キャラが立っている気がします。

アンヌ:お父さんから、かなりの虐待を受けていると感じました。内側から、窓もドアも空けられない仕組みはひどいと思いました。お母さんが、鍵を架け替えたのに、ドアが開けられるようにしておかなかったのは、不自然な気がします。

ハリネズミ:お父さんは遠いアメリカにいるのに、お母さんは助けてあげないんですよね。

アンヌ:お母さんが作った料理だということに気づかなかったのは、最初のうちは寝てばかりで、あまり食べていなかったり、興奮状態でいたりしたからだろうと思ってあまり矛盾を感じませんでした。これに対して、少年が、他人に対して自分を開いて行く過程が、もう一つ釈然とはしませんでした。特に、火事現場では、運動もしていない体力のなさそうな少年が、棚をどけたり、姫を抱き上げたりするのは、あまりにリアリティがなさすぎると思いました。例えば、いつも隠していた左手で抱き上げるのはいいけれど、同時にその左手で姫とハイタッチするというのは、いくらなんでも無理だろうと思います。駐車場の少年をいじめる同級生に6階のお風呂場から水をかける場面も、いったいどんなホースなら水が届くのだろうと不思議に思いました。

レン:なぜホースが家にあるのかも不思議。

ヤマネ:名木田恵子さんといえば、講談社青い鳥文庫で出ている『天使のはしご』や『星のかけら』などが、小学校高学年の子どもたちによく読まれていて人気の作家という印象がありました。ただ『星のかけら』のあらすじを読むと、事件の連続でストーリーが激しい印象があったので、こちらの作品はどうなのかな?と思い読み始めたんでっす。思っていたよりもずっとおもしろく読めました。皆さんの指摘にもあるように破綻しているところもありますが、エンタメと思えばそれほど気になりません。おとぎ話のラプンツェルをモチーフにしていることもあり、主人公が登場人物を「魔王」「魔王の妻」「カラス男爵」など物語に出てくるような呼び名で呼んでいたところもおもしろかった。p20で、主人公が心理カウンセラーの肥満椙世さんに「告白していないことがある」とあり、それが何なのかずっと気になって読んだのですが、結局最後まで分からなかった。主人公がひきこもった決定的な原因があるのだろうと思っていたんですが、最後までそれが分からないままだったのが残念です。母親が、閉じられたマンションの部屋に、双眼鏡やお気に入りのティーカップを置いていったのは、娘に対する愛情ではないかと思いました。客観的におもしろく読む子もいるだろうし、何かを抱えている子にとっては、共感する部分があったり、何か救いになる部分があるのでは?と感じました。

アンヌ:全体に話がするするとほどけていかない感触でした。

ハリネズミ:私は、潔癖症の男の子にはリアリティを感じたんですけど、姫のほうは、どうなんだろうと疑問でした。父親が暴力をふるっていたためにこの子がおかしくなってしまったという設定だと思いますが、この子の独白には異常なところはほとんどないんですね。だから、父親が不在になった今は、すぐに立ち直れるんじゃないかと思ったんです。それに、長いホースでジャクを助けたり、自分でつくったロープでカラス男爵たちとも服やタオルを渡したり返してもらったりして、それなりのコミュニケーションを取れるようになってるわけですから、かなり立ち直ってるのに、メールができないという設定も不自然に思えます。
 実のお母さんが食べ物を持ってきたりしているのに、相変わらず窓もあかない、ドアも内側からあかないままなのも、不自然に感じました。それと、ホームレスのカラス男爵が姫からいい服をもらって単純に感謝しているように書いているのは、作者の人生観・世界観が浅いせいかな、と思いました。最後も安っぽいメロドラマみたいで、いただけない。作者には困難を抱えている子に寄りそおうという意図はあるのでしょうが、こんな物語では、救われないと思います。外側から猫なで声で何か言われている薄気味悪ささえ感じてしまいました。

花子:作品全体のパワーを感じました。ゲームのようなシチュエーションから始まって、ぐいぐい引き込まれます。中二病の気持ちで読んでいくと、おもしろいです。他人との関わり方もゲームみたい。だけど、お金持ちで何でも与えられ何でも可能なのが、非現実すぎて気に入りませんでした。作品の賛否はありますが、実際似たような状況で少女が友達を殺してしまう事件もありました。レオくんの成長譚も良いと思いましたが、火事は必要だったのか疑問が残ります

ハリネズミ:父親のDVについては、ノルウェーの絵本も翻訳されていますね。『パパと怒り鬼』(グロー・ダーレ文 スヴァイン・ニーフース絵 大島かおり・青木順子共訳 ひさかたチャイルド)という絵本ですが、ほかの家族が父親に脅える気持ちがよく出ています。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年4月の記録)


アラスカの小さな家族〜バラードクリークのボー

『アラスカの小さな家族〜バラードクリークのボー』
カークパトリック・ヒル/著 田中奈津子/訳 レウィン・ファム/挿絵
講談社
2015.01

レジーナ:昨年スコット・オデール賞をとった時から、興味があった本です。エスキモーや鉱夫という、文化的背景の異なる多様な人々との交流が、幼い少女の目を通していきいきと描かれています。さびれた金鉱の町での、心の浮き立つような日々の喜びが伝わってきました。温かな挿絵は文章によく合っていて、とても魅力的です。読者になるのは、小学校中学年から高学年の子どもでしょうか。主人公が幼いので、年長の子どもは共感しづらいかもしれません。大人が読み聞かせてあげれば、年少の子どもも楽しんで聞けると思うので、手渡す側に工夫が必要だと思いました。気温が上がると雪が降ることや、エスキモーの人が足を伸ばして座る様子など、知らないことも多くありました。以前、調べたところ、作者はアラスカ出身で、多くの本の中で、アラスカが誤って捉えられていることに不満をおぼえ、創作を始めたそうです。そう考えると、日本語版のタイトルにはアラスカという地名が入っているのが、いいですね。アービッドとジャックは同性愛者ではないかと考える読者もいたようですが、作者にそうした考えはなかったようです。ジャックの口調で「おいら」となっているのが、気になりました。ひと昔前のテレビや映画の字幕は、黒人の口調が白人に比べると荒っぽく訳されることがありましたが……。p250で、ウナクセラクがナクチルークの夫だと分かりますが、ウナクセラクの名前は、もっと前の箇所にも出てきているので、この説明がもっと早くにあれば、わかりやすいのではないでしょうか。p215で、「冬にぬれた服を着るほど最悪なことはないと、ボーはジャックとアービッドに教わっていました」とありますが、ジャックとアービッドから聞いて、ボーはちゃんと知っていたということなので、もう少しわかりやすい表現の方がいいように思いました。p31で、赤ん坊のボーが「顔の片っぽでにこっとした」とありますが、どのように笑ったのでしょう。それから、p253の「この人がだれかっていうのを調べるのが、こんなにたいへんだとは思わなかったよ」で、「この子」ではなく「この人」となっているので、これは父親について言っているのでしょうか?

アンヌ:この人というのは、男の子のお父さんのことじゃないですか?

ルパン:「よしきた」っていうくらい好きな作品です。最近使われなくなった「エスキモー」という言葉が出てくるのも、なつかしい気もちで読みました。小さいときに、そういう人たちがいるんだと思った、と思いをはせた言葉です。童心に帰って読みました。うちの文庫の子たちも、5、6年生なら読むと思います。地域の人たちがみんなでボーをのびのび育てているところがたまらなくいいですね。ラストシーン、みんなが別れてそれぞれに旅立つシーンでは、感情移入しすぎて、泣きたくなるほど寂しく思いました。

アンヌ:物語の中に食べ物が出てくるのが好きなので、このエスキモーのアイスクリームについて、早速ネットで調べたりしました。でも、物語の中でこの食べ物についての説明はあるのですが、実際に作ったり食べたりする場面はないので、注があってもいいのではと思いました。アメリア・イアハートの写真や初めて飛行機がやってきたとあるので、日本では昭和初期に当たる時期だな、と大人にはわかってくるのですが、子供の読者のためには、やはり注があってもいいと思いました。エピソードが盛りだくさんで、各章は濃いけれど、物語性において、何か物足りない気もしました。特に最後は、とてもあっさりと移住の話になるので。ここは、第2巻に続く期待を持たせる感じなのでしょうか。弟になる少年が喋らないのは、お父さんの耳が聞こえなかったからだけではなく、先住民だからその沈黙で民族性を表しているのかなと思いました。登場人物が大勢いるので、エスキモーの名前なのか、鉱夫の名前なのか、よくわからなくなって、混乱しました。

きゃべつ:いちばんかわいそうなのは、犬のドッグ。そのまますぎて。

ヤマネ:じっくり味わいながら読める作品でしたが、いまいちお話の世界に没頭できず、夢中では読めませんでした。見返しのあらすじのところに、ポーにちょっと変わった方法で弟ができるとあったので、それはいつ出てくるのだろうと思ったらかなり後ろの方でしたね。でもその弟になる小さな男の子が出てくるところから、先が気になってぐっとおもしろくなっていきました。アービッドとジャックがとてもいい大人で、愛情深くボーを育てている様子が良いですね。ボーがお母さんを恋しがる場面が全くないのが不思議だと思いましたが、地域全体で育てているから、寂しさを感じないのでしょうか。全体としてほのぼの温かい雰囲気に包まれていて、ボーがクマに襲われるところも、あまりハラハラせずに読めました。そうそう悪いことは起こらないだろうと思わせるような幸福感に包まれたお話なんですね。

ハリネズミ:私はとてもおもしろく読みました。テイストは、ローラ・インガルス・ワイルダーですね。でも、こっちはお父さんが二人。しかも一人のお父さんはノルウェーからやって来た人で裁縫がじょうず、もう一人のお父さんはアフリカ系で料理がじょうずというのがいいですね。それだけでなく、村には多様な背景や文化をもつ人たちが一緒に暮らしていて、助け合っている。生みの母に捨てられて二人のお父さんに引き取られたボーのことも、エスキモーをはじめとするみんなが助けてくれるんですよね。そのあたりはインガルス・ワイルダーと違って、新しい家族が描かれているし、先住民への尊敬もあっていいですね。私は暮らしをていねいに描いたこういう作品は大好きですが、若い人のなかには、ヤマネさんのように、事件が起こらないからつまらないという感想をもつ人がいるのもわかります。気になったのは、ボーが5歳なのに5歳とは思えない言葉遣いをあちこちでしていたりするところ。p48などは、もしおしゃまだから言っているのであれば、もう少し訳し方に工夫があればいいな、と思いました。絵がその風土ならではのことを伝えながら日本の子どもにもじゅうぶん受け入れられるので、とてもすてきです。書名はちょっと地味で、手にとってもらえるかな?

花子:(編集担当者):1920年代の話ですが、新しい地域社会、家族像が描かれていると思います。二人の父さんたちが娼婦の生み捨てた子どもを拾い、社会全体で育てています。国も言葉も違う人たちが、物のない時代に、円滑なコミュニケーションを取り社会を形成しているんですね。原書は子どもの書いたような短い文が続く厚い本だったので、挿絵を小さくしたり、改行を工夫したりしたものの、はやりボリュームが大きくなってしまいました。長いので対象を5、6年生以上としたんですけど、主人公は5歳で、現地のエスキモーと鉱夫の間で通訳のようなことをやったり、ラブソングも分からないなりに理解したところで話したりしています。小さな子にも読んでほしい本ですね。「エスキモー」という表記については、2巻目に著者が注釈を入れているので、それを本書に使用させてもらいました。自らを「エスキモー」と呼ぶ人たちがいる、とのことなので。文中のできごとはリアリティがあり、地名もバラードクリーク以外は、実在します。少し変わった感じの、温かいストーリーだと思います。

ルパン:読み終わったときには、ぴったりくるタイトルだと思いましたが、子どもは手にとりづらいかもしれませんね…。

きゃべつ:日本のいまの児童書にはない、ゆったりとした時間が流れています。もしかしたら、日本の児童書は、なにか盛り上がりがなければならないと、物語に起伏を求めすぎなのかも知れません。オラフの家に行く、というとても小さなできごとに、3章も使ってます。大人が読んだら、まどろっこしいところもあるかもしれませんが、子どものときの世界観って、これくらいの大きさだったよなあと懐かしくもなります。鉱山が閉まって、みんなが失業するシーンも、あまり暗くならないよう引き算されていて、好印象でした。名前の出し方は、翻訳物でなじみにくい名前ばかりが出てきて、登場人物も少なくない、というときには難しいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年4月の記録)


戦場

亀山亮『戦場』
『戦場』
亀山亮/著
晶文社
2015.01

『戦場』をおすすめします。

「戦場カメラマン」と呼ばれる人たちも、いろいろです。生と死の間をかいくぐる体験を積んでいるうちに刹那的になる人もいれば、逆に哲学的になる人もいます。その体験をくぐり抜けて自分のやりたいことを見つける人もいるし、その体験を売り物にしてバラエティ番組で稼ぐ人もいます。

本書は、そんな戦場カメラマンの一人であり、戦場で片目を失った著者が、「若い頭と心」で見聞きした戦場と、戦争にさらされた人たちを写真と文章で描いています。取り上げられているのは最初がパレスチナで、あとは主にアフリカの国々。恐怖やとまどい、迷いや悩みも書かれているので、若い読者たちも、身近なものとして読めるかもしれません。

多くの戦場カメラマンたちは、日本ののんびりした日常と、戦場の緊迫感の間でとまどい、どちらが本当の現実か考えたりいらだったりし始めます。そのあたりも、あえて整理せず迷うままに書かれているのがリアルです。それと同時にこの著者は、戦争は憎しみや差別が引き起こすものというより、経済・政治のシステムが引き起こすものではないかということに気づいています。たとえばこんな文章。「爆撃で人が死ねば死ぬほど莫大な利益を得てほくそ笑む人間たちが存在する。巨大な経済システムがうごめいて、知らないあいだに人々は殺す側と殺される側に隔てられていく」。

そう、戦争をとめようと思ったら、「戦争をさせている力」について考えてみることが必要なんですね。この国の政治家が言っていることを鵜呑みにしていたのでは、ますます戦争に近づいていきます。総理大臣が唱える「積極的平和主義」にちょっとでも疑問を持った人には、特におすすめです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年4月13日号掲載)


2015年03月 テーマ:動物と共にある暮らし

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『2015年03月 テーマ:動物と共にある暮らし』
日付 2015年3月19日
参加者 ハイジ、ルパン、アンヌ、レン、レジーナ、アカシア、ヤマネ
テーマ 動物と共にある暮らし

読んだ本:

『太陽の草原を駈けぬけて』
ウーリー・オルレブ/作 母袋夏生/訳
岩波書店
2014.12

版元語録:1941年,ロシア占領下のポーランドに暮らしていた5歳のエリューシャと家族は、戦争で故郷を追われた。母や姉弟とともに、たどり着いたのはカザフスタンの小さな村。少年は新しい友だちをつくり、言葉をおぼえ、狩りをならい、たくましく成長していく。終戦後イスラエルへ渡るまでの波瀾の歳月を、実話をもとに描く。
『机の上の仙人〜机上庵志異』
佐藤さとる/著 岡本順/挿絵
ゴブリン書房
2014.06

版元語録:中国の奇譚集『聊斎志異』をもとに描くファンタジー。童話作家の机の上に一軒の小さな家と仙人と犬が出現! 仙人、机上庵方寸が語る摩訶不思議な話。
フィリス・レイノルズ・ネイラー著 さくまゆみこ訳 『シャイローがきた夏』
『シャイローがきた夏』
原題:SHAILOH by Phyllis Reynolds Naylor, 2000
フィリス・レイノルズ・ネイラー/著 さくまゆみこ/訳 岡本順/挿絵
あすなろ書房
2014

版元語録:子犬のシャイローと出会ったことをきっかけに、少年マーティは、誰にも言えない秘密をもつことに・・・。子犬を思う少年の気持ちが、痛いほど伝わってくる珠玉の名作!

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シャイローがきた夏

フィリス・レイノルズ・ネイラー著 さくまゆみこ訳 『シャイローがきた夏』
『シャイローがきた夏』
フィリス・レイノルズ・ネイラー/著 さくまゆみこ/訳 岡本順/挿絵
あすなろ書房
2014

レジーナ:主人公が、犬を飼いたいとどれほど強く思っていて、シャイローのことをどれほど大切に思っているか。シャイローと心を通じ合わせていく過程が丁寧に描かれているので、最後にやっと犬らしくほえて喜びを表す場面が、胸につまりました。主人公の首筋に妹が顔をくっつけ、まつ毛をパチパチさせるのを「バタフライ・キス」と表現していますが、素敵な言葉ですね。岡田さんの挿絵は、温かでな物語の雰囲気によく合っていますね。いかにも西洋といった雰囲気に描かれていないので、日本の子どもも親しみやすいのではないでしょうか。

ハイジ:隠して飼うというのは、大変だけど、楽しかったのでは。ジャドが約束を守ってくれるかわからないのに、マーティがちゃんと働くところが、尊敬できました。

ルパン:私もそう思いました。最後に、ジャドも根はいい人だとわかって、読後感がとてもよかったです。

レン:ちょっと前に読んだので、細かいところを忘れてしまったのですが、いいなと思ったのは、男の子の気持ちに添って読めたところ。それと、大人の姿がくっきり描かれていること。ジャドも、両親も。大人の世界がきちんと描かれているのが、翻訳もののいいところですね。そして、日本の親子だったら、なかなかしないような会話が出てきます。英語圏だと、こういう会話を日常的にだれもがするのかはわからないけれど、自分の意見をきちんと言い表しています。いい意味で新しい世界を見せてくれると思います。

アンヌ:最初に読んだ時から、ラストのジャドの言葉にひかれました。善悪を決め付けるのではなく、曖昧さを許しているところが、意外でした。何度も読むうちに、もう、ジャドの気持ちになって読んでしまいました。普段は犬以外に誰もいない生活の中で、毎日主人公の少年と話す。すると、自分の子供時代の寂しさをつい口にしたり、虐待していじめるつもりが、水を用意したりするようになる。最後に、首輪を差し出す時のセリフには、シャドの代わりに泣きたくなりました。また、主人公の周りの大人たちの描き方も意外でした。狭い共同体の中で生きる大人たちは会話の仕方も独特で、直接話し始めるのではなく、回りくどく話しながら本題に入る。生活に困っている人のために、こっそりパイとかケーキを郵便ポストに入れてささやかな生活の援助をしようとする。なんだか白黒はっきり決めつけるようなところがなく、私自身のアメリカに対する偏見が、変わりました。

ヤマネ:とても好きなお話でした。主人公の男の子の気持ちになって読めるところが良いと思いました。シャイローを守るために、周りにどんどん嘘をついて苦しくなっていったり、お母さんに知られてしまってハラハラしながらも少しほっとするようなところなど、子どもの気持ちがよく描かれているので、読む子どもたちは主人公に深く共感しながら読めるのではないかと思いました。小学校高学年の子にぜひ薦めたいと思います。“日本の児童文学は、宗教と政治を書かない”と言われているようですが、p86で主人公の友達のお母さんが、普通の会話で、主人公に選挙の結果の話をしていて、このへんのところは日本の物語にはない要素だなと思いました。

ハリネズミ:私もとても好きな作品です。以前は同じ作品が『さびしい犬』(斉藤健一訳 講談社)というタイトルで出ていましたね。表紙に、ジャドと思われる人の顔にビーグルの胴体がついている絵が載っていて、私にはちょっと不気味でした。今回はイラストも変わって、原作のさわやかさがよく出ていますね。これはシリーズになっていて、続きがあるようです。日本ではまだ一巻目しか出ていませんが。映画化もされて、アメリカではとても人気がある作品のようです。約束はきちんと守るとか、自分でできることは子どもでもちゃんとやるとか、アメリカがもつ価値観の肯定できる部分を体現した作品だと思います。

アンヌ:いきなり主人公の少年がライフルを持って散歩し始めるのは衝撃でした。銃で撃たれたウサギの肉を食べるのもためらう性格なのに、ライフルを打つ練習をするのが日常というところに、銃社会を感じました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年3月の記録)


机の上の仙人〜机上庵志異

『机の上の仙人〜机上庵志異』
佐藤さとる/著 岡本順/挿絵
ゴブリン書房
2014.06

ヤマネ:本を手にした時には、タイトルから漢字続きで難しい話かと思いましたが、読んでみたら、はじめの作家の大そうじの部分からおもしろく、ひきこまれました。少し読んでいくと小さい仙人が出てきたので、「コロボックル」シリーズのように小人が出てくるお話なのかなと思ってワクワクしました。異界のものがたくさん出てくるところがおもしろかったです。岡本順さんの絵は佐藤さとるさんが描く不思議な世界にとても合っていると思いました。

アンヌ:初めて読んだときは、再話かとがっかりしたんですが、2度目には、再話には、作者が物語のどこに感動し、自分の物語を構築したか、作者の秘密を見つけることができるような気がしてきて、できるだけ原典に当たって読み直していきました。この中で私が見つけられたのが、『小奇犬』と『侏儒の鷹狩』については『小猟犬』、『石持の長者』については、『石清虚』で、この二つは、最近の怪奇小説のアンソロジーにも選ばれていますし、私も子どもの頃に読んだことがあって大好きな話です。違いは、小さな犬が、原典ではただ残されるのですが、こちらでは、はしゃぎ切っていて仕方ないから預かるとか、リアリティのある感じになっています。さらに犬のねぐらが、どうも古くて表紙の読めない『聊斎志異』らしい本のようだ、とか、うまく変わっています。原典では、最後に寝台の上で主人公が寝返りを打ったとたん、子犬が紙のようにぺちゃんこになってしまうという終わり方なので、この『侏儒の鷹狩』のように、いつの間にか消えていく方がいいなと感じました。『石持の長者』は、岩の中の文字と、最後の方がごたごた話が続くのをすっきりと終らせているのが違う点です。原典では、狐や遊女の話が多いのですが、こちらでは、夫婦愛に変えてある物語が多いと思いました。特に、『衛士の鴉』と『侍女の鴉』の原典の『竹青』は、主人公には別の妻がいるので、鴉の妻が「私は漢水の妻でいい」といいと言ったり、子どもができたりいろいろあるのだけれど、こちらの二つの物語は鴉への変身と、空を飛ぶことへの憧れに物語をそぎ落としてあって、実にすっきりとしたものとなっています。最後まで読んだ読者が、中国にはこんな不思議な話があるんだと知り、世界が広がっていけばいいと思います。

ルパン:うまいなあ、と思いました。さすが佐藤さとる。小人を書かせたら天下一品ですよね。コロボックル世代としてはたまらなかったです。本家本元、真打出ました、という感じ。机の上の仙人が登場したとたん、小人が出てこないかとドキドキしながら引き出しをあけたあの頃の感覚がよみがえりました。ただ、「佐藤さとる」の名前がなかったらどうかなあ? ひとつひとつのエピソードが際だっておもしろいというわけではないですが、上質の小品を読んだという満足感はありましたね。ありきたりなお菓子でも、上手な人が作ると本当においしいじゃないですか。そんな感じ。昔話の再話の仕方もほんとにうまいし、安心して読めました。

ハイジ:仙人がほんとにいるみたいでおもしろかった。短編集のようで、ひとつひとつのお話が短いので読んでて飽きませんでした。恋愛の話はとくにおもしろく読みました。動物は、昔ながらの描き方なのかなあと思いました。

アカシア:表紙の書名にもふりがながないので、小さい子は読者として想定していないんでしょうね。コロボックルを子どもの時に読んだ大人に向けて書いたのかな?

レン:読者は中学生くらいからかもしれませんね。歴史を学校で習ってからじゃないと、時代の感じがわからないから。

レジーナ:長く語り継がれてきた力のある物語が元にあり、それが上手にまとめられていて、ぐいぐい読ませますね。舞台を日本に変えているので、日本の読者にも馴染みやすいのではないでしょうか。それぞれのお話に挿絵が添えられているのがいいですね。この本と『シャイローがきた夏』(フィリス・レイノルズ・ネイラー著 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)、どちらも岡田さんの挿絵です。偶然ですが、一緒に見てみるとおもしろいのではないかと思います。

アカシア:これは昔出ていた『新仮名草紙』に加筆した本なんですね。原典も読みたくなりましたが、前の作品との比較もしてみたいですね。それと、どうせ創作の部分も入れるなら、この小さな犬をもっと登場させたら、もっとおもしろくなるのにと思いました。

アンヌ:最近出た佐藤さんの自伝的小説『オウリイと呼ばれたころ〜終戦をはさんだ自伝物語』(理論社)を読んだのですが、小人についていろいろな物語を探していたころに見つけた物語が体の中に残っていて、それを整理して書いておきたかったのではないかと思いました。

ルパン:名作の続きは、それぞれが心の中に持っているものですよね。百人が百通りの続きを持っているのがいいと思うんですけど。

*この後、「コロボックル」シリーズの続き(『コロボックル絵物語』 村上勉絵)を有川浩が書いているということについての話題で盛り上がる。

ヤマネ:佐藤さとるさんが、有川浩さんにバトンを引き継いだのは、中高生にとても人気のある有川浩さんに書いてもらうことで、今の中高生に「コロボックル」シリーズを読んでほしいという思いがあったのでは?

アカシア:『机の上の仙人』は、公共図書館に入っている冊数が少なかったですね。

レン:『聊斎志異』は、岩波少年文庫にもありますね(立間祥介編訳)。もちろん抄訳ですが。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年3月の記録)


太陽の草原を駈けぬけて

『太陽の草原を駈けぬけて』
ウーリー・オルレブ/作 母袋夏生/訳
岩波書店
2014.12

ハイジ:途中で終わっちゃった感じがしちゃって、えっ?て思いました。けっこう長く読んで来たのに、ここでいきなり終わるのか、って。あとがきを読まなかったらよくわからないところでした。あとがきにイスラエルのことが書いてありましたが、イスラエルではどうだったのかな、と思いました。あと、お父さんが死んだところをはっきり書いてもらいたかったです。戦争で殺されたのではないらしいのだけど、なぜ死んだのかよくわかりませんでした。

アンヌ:読み始める前には、悲惨な難民生活の物語だろうと思っていたのですが、バラライカの音が聞こえてくるような生き生きとした物語でした。特に、お母さんが魅力的で、子どもたちを守って食料を手に入れたりして生き抜くための手段が、音楽だったり、タロットカードの占いや薬草の薬づくりだったりして、魔女のようなところがおもしろかった。子どもたちも遊びながら働いていて、牛糞を拾ってきて乾かし壁上に積み上げて燃料にする。それだけではなく、そこへカッコウが巣を作り、そのヒナを手に入れて食料にする。思いがけない生活があって、とてもおもしろかった。ただし、お父さんという人については、いろいろわかりづらかったと思います。その頃のスターリン信望者の人たちのこととか、粛清とか、歴史的背景がないとわからないことが多いと思います。全体の印象としては、ゆっくり丁寧に書いてあるという気がするので、惜しいなと思いました。

アカシア:楽器が弾ける人とか、絵が描ける人は、どこへでも行って生活できそうですよね。

ルパン:歴史をよく知らないと、理解が難しいなと思いました。子どもたちは理解できるんでしょうか? お父さんはスターリンに心酔していて、お母さんは批判的なのですが、根拠がよくわからずどちらにも共感しにくかったです。でも、お母さんはなかなか魅力的ですね。私はタロット占いをしてもらって、気味悪いくらい当たったことがあるので、そのあたりは不思議なリアリティを感じました。

アカシア:私はフィクションっぽくないなあ、と思って読みました。フィクションならもっとメリハリをつけてもいいし、起伏を大きくしてもいいのに、それをしていない。ノンフィクションみたいな書き方ですよね。ところでお父さんもユダヤ人なんでしたっけ?

アンヌ:お父さんはポーランド人じゃないかと思います。p31の結婚の物語のところで、お祖父さんが土地持ちの資産家とあったので、ユダヤ人ではないと思いました。

アカシア:なるほど。この家族はポーランドから中央アジアに行くんですけど、そういえばシュルヴィッツの『おとうさんのちず』(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)でも、確かユダヤ人の作者はポーランドから逃れて中央アジアで極貧の暮らしをするんでしたね。私はそっちも見ていたので、ああそうかと納得しましたが、そうでないと、どうしてそんなに遠くまで行くのかと不思議に思ったかもしれません。お父さんの死については、もう少し説明があってもよかったかな。スターリンの粛正ということを知っていれば想像はつきますが、知らないとここもよくわからないかも。あとね、後書きを読んで気になったのですが、ひとりでに紛争が起こっているわけではなくて、イスラエルが起こしているんですから、このような書き方でいいのかと疑問を持ちました。いちばんよかったのは、主人公の男の子が時には危険な目にあいながらも子どもらしく成長していく様子が、生き生きと描かれている点ですね。

ヤマネ:時間がなくてちょっと急ぎめで読んでしまったのですけど、急いで読める内容ではなかったのでもっと時間をとるべきだったと反省です。歴史や国のことなど知らないことがたくさん出てきたので引っ掛かるところも多くありましたが、冒頭に舞台が分かる地図があったので理解の助けになりました。一家は大変な状況に置かれているけれど、終始明るく描かれているのが良いなと思いました。主人公の男の子は、母親に外に出るなと言われても勝手に出て行ってしまったり、好奇心が旺盛で、とても子どもらしいと思いました。男の子が約束を破って外に出てしまったり他の人と関わってしまっても、食べ物を持ち帰ると家族が全く怒らず、喜ぶ場面に、食べるものに本当に困っていた暮らしぶりがうかがえました。牛糞のトルテやペチカがどんな感じなのかがなかなか想像できなくて気になりました。子どもたちに手渡すときには、子どもたちが読んで分からなかったところを大人がちゃんと答えられるよう勉強しなければいけないなあと思いました。

アカシア:ここに出てくるペチカは、ただの暖炉じゃなくて、オンドルみたいに上で寝られるようになってるんですね。

ルパン:私はまるっこい家を想像したのですが…それだと「中庭」がわかりにくいですね。挿絵があったらよかったのに。ペチカとかも。

レジーナ:日本語版で省略されている部分は、ドイツ語版で読みました。ドイツ語版は本文が280ページありますが、そのうちのp220以降は日本語版にはありません。主人公はイスラエルに行って、敬虔なユダヤ教徒をはじめて目にしたり、中東の食文化に馴染みがないのでオリーブの実を好きになれなかったり、冬にオレンジの実がなるのに驚いたり、様々な新しい経験をします。周りの人が、主人公は収容所から生還してキブツに来たと思う箇所や、スターリンや戦争に対して、キブツの養父母が異なる意見を持っているところからは、同じユダヤ人でも、人によって背景や政治的見解は随分違っていて、ひとくくりにできないことがよくわかりました。庭の手入れや動物の世話など、大人も子どもも役割を担い、何でも自分で作るキブツの生活や、村や家の描写も興味深く読みました。1947年のパレスチナ分割決議のニュースをラジオで聞いた人々は、喜びにわきますが、すぐに次の戦争が始まります。イスラエルに着いてハッピーエンドになるのではなく、それがまた新たな紛争の歴史へと続いていく。そういう想いが作者にあって、生まれた物語だと感じました。そう考えると、最後の部分は日本語版でもやはり必要ではないかと……。なぜ日本語版では削られたのか、みなさんのご意見をうかがいたく、今回みんなで読む本に選びました。それまで都会に住んでいたのに、文化も風習もまったく違う地にやって来て4人の子どもを育てるお母さんは、たくましいですね。バラライカを弾き、占いや薬草療法で稼ぎ、テルアビブではすっかり都会的な服装になります。家に押し入ろうとするブタの鳴き声で目覚めたり、言葉が通じない中で友情を育んでいったり、難民としての生活にも喜びや楽しみがあって、そうしたすべてを経験しながら成長していく姿に、子どものしなやかな力を感じました。普通の暮らしの尊さが丁寧に描かれているので、政治や戦争でそれが壊され、家や生活を失った時の痛みがひしひしと伝わってきますね。

レン:おもしろく読んだけど、物語として起承転結がないからか、最後を省略してあるからか、読後の満足感が今ひとつ。でも、一つ一つの描写は手触りがあって、どれも生き生きとして楽しめました。実感がある。主人公の少年が母親との約束を守れず、親の見ていないところで冒険をしたり、牛糞タルトの間からとったカッコーのひなを料理したら、弟が骨をしゃぶっていたり。多民族がいっしょに生きている感じが伝わってくるところもいいなと思いました。p157で、ムスリムの人とユダヤ人とで、服喪の習慣が同じようだと言うところだとか、p177で、お母さんのバラライカでロシア、ポーランド、ウクライナ、カザフスタンの歌を歌ったり、混ざり合っている感じが出ていておもしろかったです。お母さんのたくましさもよかったです。主人公もいろんなことを体験しながら成長していって、物がなくても工夫していくし。お話の筋を楽しむタイプの本ではないと思いましたが。最初に手ばなしてしまったクルマのことが最後に決着するというのは、いい仕掛けだと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年3月の記録)


消えた犬と野原の魔法

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『消えた犬と野原の魔法』

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『消えた犬と野原の魔法』
が出ました。

フィリパ・ピアス作
ヘレン・クレイグ絵
さくまゆみこ訳
徳間書店
2014.12
原題:A FINDER’S MAGIC by Philippa Pearce & Helen Craig, 2008

フィリパ・ピアスが最後に残した原稿に、共通の孫をもつヘレン・クレイグ(ピアスの娘のサリーと、クレイグの息子のベンはパートナーで、間にナットとウィルという二人の息子がいます)が絵をつけました。本ができあがる前にピアスは亡くなってしまったのですが、文章にも、クレイグの絵にも、ピアスが愛した風景や人々がたくさん登場しています。

イギリスに行ったとき、近くのルーシー・ボストンの家までは訪ねていった(この時はもうボストンは亡くなっていて、息子のピーターさんとその妻ダイアンさんにお目にかかりました)のに、ピアスをお訪ねすることはしませんでした。ファンというだけでお訪ねするのはいかがなものか、と変な遠慮が働いてしまったのです。もともと私は、作家にサインをもらったり一緒に写真を撮ったりするのも苦手なほうです。

本書は、表紙の左下に出ている少年ティルが、行方不明になった犬(表紙のまん中に出ていますね)を、右下の不思議なおじいさんの助けを借り、野原の家に住む二人のおばあさんたち(ピアスとクレイグがモデルのようです)にも手伝ってもらって捜すというストーリーです。

今はやりの、展開が早く刺激の多い作品とは違いますが、味わいの深い作品になっています。ピアスは、人間の心理をとてもじょうずに、しかもユーモアとあた
たかさをこめて書く作家で、私が大好きな作家の一人です。編集者としてもかかわらせてもらい、今度は翻訳者としてかかわったことになります。
(編集:上村令さん 装丁:森枝雄司さん)


2015年02月 テーマ:死と向き合う

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『2015年02月 テーマ:死と向き合う』
日付 2015年2月19日
参加者 レン、ajian、アンヌ、レジーナ、アカシア
テーマ 死と向き合う

読んだ本:

『光のうつしえ〜廣島 ヒロシマ 広島』
朽木祥/著
講談社
2013.10

版元語録:中学1年生の希未は、昨年の灯篭流しの夜に、見知らぬ老婦人から年齢を問われる。仏壇の前で涙を流す母。同じ風景ばかりを描く美術教師。ひとりぼっちになってしまった女性。そして、思いを寄せた相手を失った人―。希未は、同級生の友だちとともに、よく知らなかった“あの日”のことを、周りの大人たちから聞かせてもらうことに…。
『さよならを待つふたりのために』
原題:THE FAULT IN OUR STARS by John Green, 2012
ジョン・グリーン/作 金原瑞人・竹内茜/訳
岩波書店
2013.07

版元語録:ヘイゼルは十六歳。甲状腺がんが肺に転移して以来、もう三年も酸素ボンベが手放せない生活。骨肉腫で片脚を失った少年オーガスタスと出会い、互いにひかれあうが…。死をみつめながら日々を生きる若者の姿を力強く描く、傑作青春小説。
『真夜中の電話〜ウェストール短編集』
ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳 宮崎駿/装画
徳間書店
2014.08

版元語録:英国児童文学を代表する作家の全短編から選び抜いた九編を収めた珠玉の短編集。宮崎駿監督描きおろしカバー画&推薦帯付き!

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真夜中の電話〜ウェストール短編集

『真夜中の電話〜ウェストール短編集』
ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳 宮崎駿/装画
徳間書店
2014.08

ajian:これはとてもおもしろかったですね。これだけおもしろいと「おもしろい」以上の感想が出て来なくて困ります。どれもよかったけれど、「吹雪の夜」が一番好きかもしれません。猛吹雪をようやく切り抜けたと思うと、今度は子どもが産まれそうで、たいへんな状況が次から次につづく。最後はホッとしますが……。吹雪のなか、火を焚く場面で、「男は臆病だからこそ命を危険にさらすことができるのだ」とあるじゃないですか。しびれますよね。こういう断定が、くさくならずに説得力を持っているのはどうしてなんでしょうね。ウェストールがそういうなら、そうなんだろうなあ、と……。ほかに印象に残ったのは「ビルが見たもの」でしょうか。目の不自由な人が感じる世界を詳細に、リアルに描いている。これもページをめくらずにはいられない展開です。そして短いなかに、寂しさや、うち震えるような怒りや、感情の濃密な部分が克明に描かれている。収録作がこれだけバラエティに富んでいるのもすごいですね。ゴーストストーリーも、ハートウォーミングな話も、ほんとうにどれもおもしろかった。

レン:先月、原田さんの朗読会に行きました。短編集ができるまでの話などもお聞きしましたが、それはこの本の後書きに詳しく書かれていますね。人間って、どこに行っても変わらない。ぶざまなことをしたり、いい加減だったりしながら生きているというのがうかびあがってきて、ひとつひとつの話がおもしろかったです。原田さんの訳は丁寧で、それでいて男っぽくてすてきでした。日本のオリジナルでこういう本が出るというのはいいですね。さすが徳間書店児童書20周年です。10代の心理がよく描かれているので、高校生に読んでほしいです。大人の外国文学への橋渡しにもなりそうです。

ajian:あ、あと好きだったのは「最後の遠乗り」です。主人公の最後の独白部分。「おれはこの先も、少しずつジェロニモから遠ざかっていく。そして、髪にカーラーをつけ、油ぎった熱い包みをかかえてフィッシュ・アンド・チップス屋から出てくるばあさんたちに近づいていくんだ。電気屋のショーウィンドウをのぞきこんでいる中年男たちに……」。中年に近づいている自分としては、この台詞、非常に身にしみて感じます。

レン:細部がリアルですよね。ちゃんとみんな体験してきた人なんだろうなと思いました。やわらかい羊のフンが、踏むとつぶれて靴につくところとか。線を引いておきたくなるような、いい言葉もたくさんありますね。p106に「夜中、ビルは眠れぬまま横になり、不安に思うことがある。世界じゅうの人たちがあまりに排他的になり、真の平和は日々遠のいているのではないかと……。」とか、今読んでもドキリとしました。

レジーナ:中学の時に、ウェストールの『海辺の王国』(坂崎麻子訳 徳間書店)を読みました。当時、中学生向きの読み物はあまり見つけられなかったのですが、この作品は甘いハッピーエンドで終わらせず、少年の成長していく姿をしっかり書いていて、とても心に残りました。すぐれた作家の中には、長編はすばらしくても、短編になると弱くなってしまう人もいます。ウェストールは、長編も短編も書ける作家ですね。それぞれの話は、登場人物の年齢も、置かれた状況も全く異なりますが、どれも人間の生きる姿を伝えています。特に好きなのは、「吹雪の夜」と「ビルが「見た」もの」。吹きすさぶ風や吹雪の激しさは、ロンドンの都会ではなく、まさにイギリスの北方の厳しい自然ですね。土地の描写に、力があります。p165に「革ジャンの背中のベルト」とありますが、革ジャンにベルトはついているのでしょうか?

アンヌ:「吹雪の夜」は本当におもしろく、イギリスの獣医ジェイムズ・へリオットの著作の中のイギリス高地の物語を思い出しながら、何度も読み返しました。

レン:私たちは、あまりに多くの情報にさらされて、感覚が鈍って、こういう観察眼を持てなくなっているように思いました。

アンヌ:ただこの短編集にあるホラー3篇は、他の物語に比べて、そんなに見事な出来だとは思いませんでした。最初の「浜辺にて」も、夢落ちで終わっているし、「真夜中の電話」も、ハリーが幽霊と20年も電話し続けているというのが少し納得がいきません。最初はいろいろ調べたというのに、メグのように引きこまれたりはせず、幽霊も手出ししないで、毎年繰り返していたのはなぜかとか、疑問が残ります。「墓守の夜」も、設定が、ピーター・S・ビーグルの『心地よく秘密めいたところ』(創元推理文庫)と、同じなので

アカシア:とてもよくできた短編集だと思いました。「真夜中の電話」だけでなく、ひとつひとつの話が、「生きること、死ぬこと」を考えさせますね。描写もリアルです。私はホラーとは思わなかったんですけど、「浜辺にて」では、アランも死んでいるのかと少し思っていまいました。バイクで疾走する場面とか、サマリタンが電話を受ける場面とか、屋根裏に潜んでいるお父さんを見つけた場面など、自然描写も心理描写も情景がありありと思い浮かぶように書かれているのがすばらしいです。翻訳もうまい。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年2月の記録)


さよならを待つふたりのために

『さよならを待つふたりのために』
ジョン・グリーン/作 金原瑞人・竹内茜/訳
岩波書店
2013.07

ajian:ジョン・グリーンは学生時代に、 病院付きの牧師として働いていたことがあるそうです。そのときの体験も元になっているらしい。

アンヌ:最初に読んだ時、とてもリアリティがあったので、誰か患者さんのブログを基にしたものなのかなと思いました。誰かが癌になったと聞くと、他の病気とは違い、もうその人は一つの橋を渡って別の世界に行ってしまったように思う人がいますが、この作品では、死というのはすべての人に訪れるものだということを最初に主人公の口から言わせていて、そこがとてもいいと思います。アイザックが、立ち去った恋人のモニカの車に卵をぶつける場面もとてもいい。たとえ、がん患者であったとしても、悟りきった向こう側の世界の人間などではなく、怒ったり恋をしたり、死ぬ寸前まで普通に生きているのだということを語っています。サポートがあれば旅行にも行けるし、病気になっても自分は自分なのです。死ぬのはみんな同じ。恋もするし、その過程に意味があるのだと言っている物語だと思えました。少し気になったのは、母親がモニカの死後も生き抜くために、社会福祉の学位をとってソーシャルワーカーになる勉強をしていることを、ヘイゼルが知って喜ぶところ。ここは逆に、ヘイゼルがあまりに自分の死後について物分かりがよすぎるのではないかと気になりました。もっとも、そのために、ダメになった親代表のヴァン・ホーテンの物語があるのかもしれないと思いました。

レジーナ:フリースローをしていて、なぜこんなことをしているのかと、ふと人生に疑問を感じたり、自分が病気になったことで、両親が悲しんでいるのに心を痛めたり、「自分の存在を覚えていてほしい」「生きた証を残したい」と願ったり、病を得た十代の少年と少女の感覚がリアルに伝わってきました。主人公は、アンネ・フランクの家でキスをした時、病気の身体にずっと苦しめられてきたけれど、この身体があるからキスができると気づきます。ひとりで背負わなければならないと思っていた苦しみを理解し、分かち合える人と出会えた幸せが伝わってきました。ただ、どうしてふたりが惹かれあったのかが、よくわかりませんでした。また関係が長く続けば、それだけいろんなことがあります。「死別したことで愛が永遠になる」というのは、ヤングアダルトのラブストーリーならでは、ですね。そういう風に感じるのは大人の読み方ですが。ようやく会えた作家は嫌な人間で、ふたりはがっかりします。うまく行き過ぎない物語展開や、酸素の濃縮機にフィリップと名づけるユーモアが、作品のおもしろさにつながっています。残念だったのは、「至高の痛み」がおもしろい小説だと思えなかったことと、ところどころ翻訳が読みづらいことです。p42の「酸素吸入が不足してるほど冷たくはない」は、「酸素が行き渡っていないと、手の先が冷たくなるけど、それほど冷たくなってはいない」ということでしょうか? p145の「アイザックがしたことだって、モニカに全然優しくなかったよ」は、「アイザックが視力を失ったことで、モニカだって傷ついた」ということでしょうか? p154の「オーガスタスはおじさんとおばさんのクッションの格言をうんざりしてても受け入れてる。か弱くて珍しいものは美しいって思ってるんでしょ」ですが、格言がか弱いのですか? 格言を刺繍したクッションを家中に飾る、そういう態度が女々しいということでしょうか? またp27で、お互いに夢中なアイザックとモニカを見て、主人公はなぜ「病院までラストドライブするときのことを考えてみて」と言ったのでしょうか。

アカシア:話としてはおもしろいし、こういう本を出す意味はあると思います。ただ私は共訳とか下訳ということに疑問を持っているのです。その作品世界をどう受け取るかは人によって違うので、一緒に訳している人の間に違いがあると(たいていあるものですが)、特に文学性の強い作品だとどうしてもぎくしゃくしてしまう。アメリカではベストセラーですが、シチュエーションだけが興味深いのではなく、原文では会話にもとても味があると思います。翻訳では、キャラクターとその会話がところどころ合っていないように思えて、ちょっと残念でした。

アンヌ:ヴァン・ホーテンは、ヘイゼルが感動するような娘の物語を書き上げたのに、その後アルコール中毒に陥ってしまい、成長しませんでしたね。

ajian:映画では、ヴァン・ホーテンを演じているのは、ウィレム・デフォーです。

アカシア:たとえばp85の「よかった」がぴちっとはまらないように思ったり、p97の「骨の間がばらばらになってしまう」もすっきりとはわかりません。わからない部分が多くて、止まってしまう。今風の言葉があるかと思うと、古い表現も出てきたりして、ちょっとアンバランス。そんなに無理に今風の言葉にしなくてもよかったのでは、と思ってしまいました。「サイテーの女」なんて訳されると、ガスのキャラクターが揺らいでしまう気がします。

ajian:とてもいい作品だと思うので、伝わりにくい部分があったとすれば、それは残念です。仕事でヤングアダルトの原書をいろいろ読んでいますが、ジョン・グリーンは際立って文章がいいです。今風の生きのいい会話が、テンポよくつづいていく。日本語版では、そういう今風の会話を成立させつつ、この子たちの知的レベルの高さも表現しなければいけない。そこに難しさがあるのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年2月の記録)


光のうつしえ〜廣島 ヒロシマ 広島

『光のうつしえ〜廣島 ヒロシマ 広島』
朽木祥/著
講談社
2013.10

アンヌ:この本を読み終えた後、最後に記載された「作中の短歌の出典」のところに、短歌の作者の方への問い合わせがあり、ああ、もう関係者の方々も亡くなられているのかもしれないのだなと気付きました。そして、この出典のところまで読んで、この本を読んだ意味が初めて分かるという気がしました。短歌が書かれたのは、戦後と1970年代。この物語の舞台は、戦後25年の1970年。それぞれの時代を、もう一度、さらに時が流れた現代から見直す必要性を感じます。作中におかれた短歌を読みながら、作者は、まざまざとこの物語にある光景を見たのだろうと思いました。短歌の意味をすくい取って物語とし、そしてその歌い手たちの心を救済する手段として、子供たちが絵を書く行為を物語の中で提案する。そういう形で、書かずにはいられなかったのではないかと思います。今、ちょうど、イスラム国の事件があったり、空爆が行われたりして、無辜の死こそが戦争の本質だと感じています。今、読む意義のある作品だと思いました。

レジーナ:広島生まれの被爆二世の方が書いていらっしゃるので、実感のこもった作品です。方言の台詞は、温かみがあっていいですね。主人公は、被爆者の子どもの世代です。自分たちは実際に戦争を体験したわけではないけれど、周囲の大人の多くが深い傷跡を抱えている環境で、子どもたちはしだいに、そうした人々の心に寄り添って生きるとはどういうことなのかを考えるようになります。ひとりで答えを出すのではなく、文化祭の絵をみんなで描き、友人たちと一緒に問題に向き合う姿が印象的でした。最後にみんなで灯篭流しをする場面もそうですが、人が引き起こした戦争で受けた傷を、少しでも癒せるものがあるとすれば、それはやはり他者と交わり、つながっていくことなのでしょう。声高に平和を叫ぶのではなく、ひとりひとりの小さな物語を通して、普通の生活や平和の尊さ、それを突然断ち切る暴力について読者に考えさせます。藤田嗣治の『アッツ島玉砕』に関しては、ちょうど数日前の新聞で読みました。記事には、芸術はときに、画家本人の思いから離れてひとり歩きをしてしまうと書かれていました。

レン:大変丁寧に書かれた作品だと思いました。杇木さんの『八月の光』は、当事者である四人の被爆者を直接描いていたけれど、これは自分が体験したのではない子どもが、親や祖父母の世代のことを知るという形で、体験していない子どもとヒロシマをつなぐ作品ですね。両方読むと興味深いです。未曾有の悲劇の中で想像を絶する体験をして、痛みを抱えた大人がたくさんいて、杇木さんはこの主人公の女の子の年代でしょうか。この子が感じていることは、作者の体験なのかなと思いました。子どもたちがかかわることで、悲しみを封印していた大人たちが心を開き、少しずつ前向きな気持ちを取り戻していく姿も印象に残りました。人為的な戦争という行為による死が、明日を奪い、思いを断ってしまう、そんなことを引き起こすのはやめてくれというメッセージ。美しい灯籠の場面のイメージにのせて、いろんなことを考えさせられました。
 登場人物の子どもたちが、身の回りにいる、一世代上で原爆を経験した人たちのことを、「知っているつもりで知らない」とよく言います。それから、その人たちに直接話をきくのではなく、その回りの誰かからきくという形で、それぞれ何があったのかを知っていきます。このあたり、非常にリアリティがあるというか、よくわかると思いました。祖父も入市被曝をしていて、原爆投下間もない長崎に入っています。おそらくすさまじい光景を見ていたはずです。でも、その時の話をあまり聞いたことがない。いま、長崎や広島で、ボランティアで被爆体験を語ってくださっている人のなかには、何十年も経ってからやっと話せるようになったという人もいます。それほど傷が深い。この作品の舞台になっている時代は、被爆二世が中学生という時代ですから、記憶は、よけいに生々しいものとしてあったでしょう。
 いまはそれから年月が経ってしまって、また別の意味であの時のことが伝わりにくくなっているのではないかと思います。おそらく私の子どもの世代では、直接お話をうかがうということは、もう無理になっているでしょう。起きたことを伝えていく手段は、できるだけたくさんあったほうがいいし、伝え方もアップデートしていかなくてはならない。そういう意味では、朽木さんよく書いてくださったなと、感謝のような思いがあります。
 語りにくい当事者の思いを代弁するように、ところどころに挿入される短歌がきいています。短歌や手記にたどりつけるように、こういうアプローチをしてくださったのは、有難いことだと思いました。
 読んでいて胸が衝かれるようになったのは、それぞれみんな、あの日以来、心残りがある人なんですよね。美術の吉岡先生は、変わった雰囲気の先生として登場して、色黒で歯が白くて、笑い顔が歯磨きの広告のようだといわれたり、最初はちょっと滑稽な印象ですよね。生徒が帰るのを、窓際でずっと見送ってくれるのも、ちょっと変わった人のように思われている。ところが、その見送りの理由があとになってわかる。滑稽だったイメージが反転する。こういうところは、読んでいて巧いなと思いました。

アカシア:同じ朽木さんの『八月の光』と一緒に読むといいな、と思いました。『八月の光』は被爆体験を実際にした人たちが主人公ですが、こっちはその次の世代の人たちがその体験をどう受け継いで自分のものとしていくか、という物語。ストーリーにも工夫があって、灯籠流しの時に声を掛けてきた年配の人はいったいだれなのか? 吉岡先生はどうしていつも窓からじっと見ているのか? お母さんはどうして何も書いてない灯籠をいつも流すのか? などの謎で読者を引っ張っていく。灯籠流しの美しい場面から始まって、最後も灯籠流しで終わり、主人公はその間に確実に成長している、という構成もうまい。朽木さんはご自身で被曝二世とおっしゃっていますが、だからこそリアルに書けることってあるんですね。この作品では、作者が子どもたちに伝えたいことも、かなり前面に出てきていますね。

レン:前にこの会で松谷みよ子さんの本をとりあげたとき、子どもの頃タイトルから、「戦争」ものだと思わずに読んであとでだまされた気がしたと言っていた人がいたけれど、これは最初から「広島」と構えて、未来を担う子どもに投げかけていますね。余談ですが、うちの母が「子育てで一つだけ絶対心がけていたのは、朝子どもを叱って送りださないこと」と言っていたのを、この作品を読んで思い出しました。戦時中を生きていた人だから。

ajian:登場する子どもたちは、身の回りの人たちがどういうことを体験したのか調べて、それをそれぞれ絵にするなど、ある意味で理想的な形で受けとって、引き継いでいるんですよね。実際そういうふうに持っていくのは難しいとしても、「重い」とかハードルを感じずに、どうやって引きつけたものか、ということは常々考えます。

レン:『はだしのゲン』(中沢啓治著 汐文社)は、子どもたちは夢中になって読みますよね。

ajian:『はだしのゲン』はおもしろいです。たんにサバイバルものとして読んだとしてもおもしろい。新しいアプローチは、これからもいくらでもあるべきだと思います。

レン:『さがしています』(アーサー・ビナード文 岡倉禎志写真 童心社)とか。数は少ないですけど。

アカシア:共同で教科書をつくりましょうという動きはアジアでもありましたよね。それに童心社の日・中・韓平和絵本シリーズの試みなんかも。

レン:こういう本を手渡していくのは必要ですね。

アカシア:京庫連(京都家庭文庫地域文庫連絡会)が、定期的に「きみには関係ないことか」というタイトルの、戦争と平和を考えるための児童書のブックリストを出してますよね。そういうのを参考にして、もっと平和教育をやらないと、政治家がどんどん変な方向に舵を切って、そのまま持って行かれてしまいますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年2月の記録)


おばあちゃんからライオンをかくすには

ヘレン・スティーヴンズ『おばあちゃんからライオンをかくすには』さくまゆみこ訳
『おばあちゃんからライオンをかくすには』
ヘレン・スティーヴンズ作 さくまゆみこ訳
ブロンズ新社
2015.01

イギリスの絵本。前作『ライオンをかくすには』では、迷い込んできたライオンを両親から隠そうと必死になったアイリスですが、今度は、両親の留守におばあちゃんがやってくるというので、さあ大変! なんとかしておばあちゃんからライオンを隠そうとします。

でも、大きな衣装箱を運び込んだおばあちゃんにも、何か秘密がありそうです。だって、おばあちゃんは「ねるまえのおやつ」を山のように用意するし、夜中におばあちゃんの寝室から変な物音が聞こえてくるのですから。

それにしても、ゆかいな家族です。アイリスは、このおばあちゃんの遺伝子をしっかり受け継いでいるのでしょう。怖いことは何も起こらない、あったかいストーリーとあったかい絵が魅力。くすくすっと笑えるユーモアもあります。
(装丁:伊藤紗欧里さん 編集:若月眞知子さん)

Comment

2015年01月 テーマ:おかあさん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん

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『2015年01月 テーマ:おかあさん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん』
日付 2015年1月22日
参加者 アンヌ 慧 レジーナ アカシア レン プルメリア
テーマ おかあさん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん

読んだ本:

『落っこちた!』
原題:HILFE! ICH WILL HIER RAUS! by Salah Naoura, 2014
ザラー・ナオウラ/作 森川弘子/訳 佐竹美保/挿絵
岩波書店
2014.09

版元語録:平凡だけど幸せな毎日をおくるヘンリックの家に、退屈は大きらいというコルドュラおばあちゃんが引っ越してきたから、さあたいへん! 家族はおばあちゃんのあの手この手にふりまわされて、やがて庭に穴をほって宝探しをはじめ、町ぐるみの大そうどうを巻きおこしてしまいます。ハチャメチャな展開とユーモアで一気に読ませる快作。
『さよならのドライブ』
原題:A GREYHOUND OF A GIRL by Roddy Doyle, 2011
ロディ・ドイル/作 こだまともこ/訳 こがしわかおり/挿絵
フレーベル館
2014.01

版元語録:メアリーとママは、おばあちゃんのいる病院へ通っている。ある日、ひいおばあちゃんの幽霊が死を怖がっている娘を助けたいとメアリーの前に現れた。夜のドライブで再会した母と娘の悲しくも心あたたまる物語。
『かあちゃん取扱説明書』
いとうみく/作 佐藤真紀子/挿絵
童心社
2013.05

版元語録:4年生の哲也は、無知うるさいかあちゃんを自分の思い通りにあやつろうと「取扱説明書」を作ることに。するとこれまで気づかなかった母ちゃんの良さや大変さが見えてきて…。

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かあちゃん取扱説明書

『かあちゃん取扱説明書』
いとうみく/作 佐藤真紀子/挿絵
童心社
2013.05

アンヌ:最初に題名を見た時から、最後の一文は予想が付いたのですが、そこまでどうたどり着くのだろうと楽しみに読みました。相手を観察し分析して対処法を決めていくという設定は、他人相手なら冷酷な気がしますが、家族それぞれを再発見するという物語になっていて、おもしろく、安心できる感じの物語でした。少し気になったのは、お友だちのカズ君のお母さんの話。子離れできない母親をやさしく成長させてやる男の子という設定は、ちょっと親の方にとって、都合がよすぎる気がしました。

レン:テンポよくおもしろく読みました。幸せなお話ですね。最後、お母さんが機嫌良くやっていたのが、実は自分のため、母ちゃんの方が一枚上手だったというのもおもしろい。地元の小学校でも、片親の家庭が結構多いのですが、そういう家庭の子でも楽しんで読めるかな。最初は、自分の得になることばかり考えていたのが、これまでと違う視点で相手を見るようになるところがうまく書けていると思いました。書き込みすぎない、シンプルさがいい。

アカシア:おもしろく読めは読めたんですけど、このお母さんは、家事、子育て、パートの仕事と大忙し。お父さんは、のんびりしていて1週間に1度食事をつくるだけ。この家庭のあり方は今の日本の平均的な姿かもしれないけど、この作者はそれを肯定しているような気がして、そこが気になりました。日本の女性は社会的な地位も低いし、いろんなことを背負わされすぎなんです。だから子ども向けの作家だったら、未来の社会はどうあるべきか、ということも頭に思い描きながら書いてほしいな、とちょっと思ったんです。だって、同窓会で韓国旅行に行くだけで、これでもかこれでもか、と家庭サービスをしないといけないんお母さんなんですよ。それをおもしろおかしく書くだけではちょっとさびしい気がしたんです。

レジーナ:冒頭の作文は、大人が子どもに似せて書いた字ですね。作文の内容は、4年生にしては幼すぎませんか? やるべきことを書いた表を作り、「やっていなくても、,をつけておけば、お母さんは満足するだろう」というのは、子どもが考えそうなことですね。

:自分がしょっちゅう子どもに言っているようなセリフが出てきて笑っちゃいました。「これは私の物語だ」と思える人が多いと大衆性につながる、という話を聞いたことがありますが、そういう意味で大衆的。とてもおもしろかったです。ただ、パティシエになりたかった夢を思い出すカズのお母さんのほうが類型的すぎ。やりたいことも忘れて子どもに関わってきたことが否定されて、子どもに「ヒマ」っていいきられちゃうのはせつないな。

レン:p106の「お母さんはカズのことを思って、わざわざ学校にとどけてくれたんじゃん」と気づくところで、カズくんのお母さんがきっかけになりますよね。

:そういえば、うちの子どももおもしろがっていました。

プルメリア:この作品を学級の子どもたち(小学校4年生)に紹介したところ、子どもたちは今順番に読んでいます。会話文が多く、字も大きくて子どもたちには読みやすい作品だと思います。最近子どもたちの読書傾向として、本を家庭に持って帰らない、家庭で読書しない、学校で本を読む子どもたちがふえてきています。家庭では塾やおけいこ事などすることが多く子どもたちが読書する時間がなくなってきています。この作品は子どもたちにとって身近な人物や内容であり、おもしろくすぐに読める本なので人気があります。主人公のお母さんは「私のお母さんと似ているよ」「ぼくのお母さんはもっとこわいかも」「料理をほめてもぼくのお母さんは変わらないよ」など自分の母親と比べて読む子どもも多く、「ラブリーなお母さん」では、女子は「かわいいお母さん」といっていましたが、男子はそのままラブリーについては気に留めず読んでました。カズくんのお母さんについて男子は「おやつを作ってくれる」「家にいてくれる」「いつもやさしくていいな」「家のお母さんもこんなお母さんになってほしい」、女子は「ちょっとしつこい」など思いが分かれました。子どもたちには読みやすく手に取りやすい作品でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年1月の記録)


さよならのドライブ

『さよならのドライブ』
ロディ・ドイル/作 こだまともこ/訳 こがしわかおり/挿絵
フレーベル館
2014.01

:アイルランドの話ですが、日本の幽霊奇譚にも似ているようでひきこまれました。病院に向かうところでおばあちゃんの死が予見されますが、4世代のいろいろな思いが最終的に統合されるのはいいなあと。p228で、タンジーがエマーに「謝りなさい」というと、お母さんに言われたのだからとおばあちゃんが素直に謝りますよね。この場面が好きです。

レジーナ:一年前、読んでいて、「死んでいくことはこわいし、後に残されることは悲しいけれど、生きることはすばらしく、さよならの後にも続くものがある」と感じ、非常に勇気づけられました。とても好きな作品です。真夜中のドライブでアイスクリームを食べる場面を始め、ひとつひとつの場面が印象的でした。親しくしていた友人が引っ越してしまったさびしさを、足を切断した人が、切った後も足があると感じるのにたとえていますが、細かな描写が的確で、引き込まれました。力のある作家です。自分の意見を主張する、溌剌としたメアリーは、反抗期に入りかけの年頃です。死に向かいつつある祖母を前に、メアリーや、母親や、兄たちが、戸惑ったり、自分の気持ちを素直に表せなかったり、病院に行きたくないと思ったり、それぞれの立場で悲しんでいるのが、よく伝わってきました。タンジーが、井戸に落ちかけたエマーを救ったように、亡くなった人がそっと見守りながら、さり気なく手を貸してくれるのは、ユッタ・バウアーの絵本『いつもだれかが…』(上田真而子訳 徳間書店)を思い出しました。タンジーの死は、幼いエマーの胸に刻まれ、ずっとその心にひっかかっています。グレイハウンドは、エマーにとって、タンジーの死と結び付いた忌まわしい存在で、長い間避け続け、見ないようにしてきたものです。でも、かつて住んでいた農家を訪ねたら、あれほど恐ろしかったグレイハウンドはもういない。原題の “A Greyhound of a Girl” には、「目を背けず、しっかりと向き合ってみれば、死もそれほど恐ろしくない」という意味が込められているのはないでしょうか。以前、訳者の方がおっしゃっていましたが、四人の女性の口調をかき分けるのに心をくだかれたそうです。

プルメリア:表紙や挿絵が気に入りました。この作品は3冊の中でいちばん読みやすかったです。登場人物によって活字が太くなっていたりするのもわかりやすかったです。おばあちゃんの幽霊は若いけれど、親しみやすく感じました。作品ところどころにユーモアがあります。おばあちゃんが病院のベットから車椅子に乗る時、「コケコッコー」といったりアイスクリームをもって煙突から出てくる場面など。四世代の作品はあまり読んだことはありませんが、世代や年齢が異なる4人ひとりの性格がよくわかりました。p53の「みょうちきりん」の意味が私にはちょっとなじみませんでした。

アンヌ:とにかく、挿絵が素晴らしいなと思って読みました。特に、p135にある家系図には助けられました。これがないと、4世代の母と娘の関係がこんがらがって来そうなところに描いてあったので。物語としては、まずタンジーという幽霊があまり納得のいく描き方がされていない気がしました。主人公である曾孫のメアリーや孫のスカーレットの前にさえ現れることができるのに、80年もの長い間、娘を見守っているだけで、何もしてこなかった。この幽霊は25歳の若い女性のまま成長できずにいたということなのでしょうか? 死についてもあの世についても、この世をさまよっている幽霊だから語れないのか、臨終寸前の自分の娘に、「大丈夫よ」と言える根拠が、最後まではっきりしない。タイトルについても、ある意味、一番面白い部分を語ってしまう題名になっていて、どうしてこう変えたのかがわからない。それから、メアリーのセリフでよく出てくる「なまいきいっているんじゃない、なまいきいっているんだよ、」の言葉のあやがよくわからなかった。幽霊が鏡に映らない時の「気味わるーい」のところも。メアリーの心の中の感じをすべて会話にしているのは、作者独特の表現なのでしょうが、そのたびに引っかかりました。

レン:いつ亡くなるかわからないおばあちゃんがいて、4人の女性それぞれの親子関係がある。訳すのがとても難しそうな作品だと思いますが、よく感じが出ていて、訳者がうまいなと思いました。好きだったのは、p94に出てくるエマーと母ちゃんの遊び、「ふんふん、わかったぞ。このキスしたのは……」というところ。その家族や親子だけの特別な言葉とか遊びってあるじゃないですか。そういう日常の生活が描かれていて、幸せ感がありました。筋じゃなくて、人間と人間の関係が描かれているところが読ませますね。

アカシア:今挙げられたようなところはとてもいいし、4世代の会話もおもしろい。女性4人で夜中にドライブして昔住んでいた家を見に行くという設定もおもしろい。でもね、同じ家族の4人だってことが原因なのか、細切れの時間の中で読むと人物に取り立てて強い特徴があるわけじゃないし、時間も行ったり来たりするので、途中で誰が誰だかわからなくなっちゃった。エマーがキリンのようにのっぽっていうのは、物語のあちこちに出てくるので、つかめたんだけど。p135の家系図がもう少し前にあったらよかったのに。それと、物語の基盤をなす設定に疑問を持ちました。タンジーが、アイスクリーム屋のドアを透明人間のように通りぬけて中に入り、でも出てくるときはアイスクリームを持って煙突から出てくるというシーンがあります。で、タンジーは「わたしはドアを通りぬけることもできたのよ。たぶん、なんというか実体がないから〜でも、アイスクリームは、ちがうでしょ。とけてしまうまでの何分間かはね。だから、アイスクリームを持ったままドアを通りぬけることはできなかったの」と言ってます。これ、変ですよね。たとえ手に持っていても実体のある物はドアを通りぬけられないなら、アイスクリーム代として持っていたお金も無理のはず。物語の中のリアリティがきちんと構築されていない。細かいですけど。それと、もう一つ気になったのは、ジェイムズのこと。姉のエマーのほうは突然の母の死に動揺し、死の間際にキスしてあげられなかったのを後悔しているとしても、結婚もして子どももでき、それなりに充実した日常を送ったように思えます。でもジェイムズはずっと「ジェイムズぼうや」と呼ばれていたせいで結婚もできないし、先に亡くなっている。タンジーは、うんだばかりのジェイムズがちゃんと育つかどうか心配じゃなかったのかな。死の間際にもあらわれていないみたいだし。どうせこの世にぐずぐずしているのだとしたら、ジェイムズの死の間際にもあらわれて言葉をかけてあげないと不公平だと思いました。

レン:「いやーっ」と言ってしまったことで、エマーのほうに悔いがあったから、幽霊を呼び寄せたのでは?

(「子どもの本で言いたい放題」2015年1月の記録)


落っこちた!

『落っこちた!』
ザラー・ナオウラ/作 森川弘子/訳 佐竹美保/挿絵
岩波書店
2014.09

アンヌ:ユーモアのセンスが合わない本というしかありませんでした。老人ホームに放火して燃やしてしまうようなおばあさん、という設定を面白いとは思えなくて、最初からつまずきました。最後も、それなりに家族が自分自身に合う仕事を見つかって幸せになり、ほっとした後に、新たな騒動を予感させる感じで終わる。この感じが、私の苦手な作家の誰かに似ているなと思っていたら、あとがきに、「ロアルド・ダールは最高の模範」という作者の言葉が載っていて、なるほどと思いました。

:構造は前作と一緒で、混乱の種がまかれるけれどどんでん返しで幸運がもたらされる形。しかし、やっぱり読みにくかったです。うーん、「町一番のすてきな家族」を装っていたのならおばあちゃんがかきまわすことにも意味がありそうですが、実際は本当にただのトラブル好き。マンガの「いじわるばあさん」みたいでした。好きなおじいさんと両想いになると意地悪しなくなるのも「いじわるばあさん」に似ていて、ちょっと安易でした。

レジーナ:主人公が、とんでもない状況に置かれているところから始まり、その理由を回想の形で説明し、最後にオチがあるのは、『マッティのうそとほんとの物語』(森川弘子訳 岩波書店)と似ていますね。ヘンリックが穴に落ちた時、ナーゼは、言われた通りにヨナスを連れてきて、得意気に穴に突き落とします。命じられたものを必ず取って来るようしつけられたのが、裏目に出てしまう――おもしろい場面です。金ののべ棒を探したり、地面の下に機関車が埋まっていたりするのは荒唐無稽で、子どもは楽しめるのではないでしょうか。最後は、主人公が、金ののべ棒を自分だけの秘密にする終わり方です。E. L. カニングズバーグの『クローディアの秘密』(松永ふみ子/訳 岩波書店)もそうですが、子どもは、何か秘密を持つことで、それまでとは違う自分になったように感じます。自分だけの秘密を持つことは、子どもの成長において、とても大切ですよね。おばあちゃんは個性が際立ち、あくが強いけれど、憎めない人です。先ほど、漫画の『いじわるばあさん』みたいだという話が出ましたが、私も同じように感じました。おばあちゃんがいなくなった後、主人公は、おばあちゃんをとても好きだと言っていますが、いつ頃からそんなに惹かれるようになったのか、その心の動きがつかめませんでした。翻訳は、ところどころ、よくわからない部分がありました。p27の「軽薄そうな灰色の毛糸の帽子」は、どんな帽子なのでしょう。p67に「ナーゼは二枚目のゴルトボンバー・デラックスの金色の包み紙を、穴からほりだしていた。」とあります。この書き方だと、チョコバーの包み紙を、すでに一枚、掘り出しているように読めます。「もみの木」の歌は、「もみの木、もみの木、いつも緑よ」となっていますが、私の知っている歌詞では、「いつも緑に」です。

アカシア:私は最初からリアルな話じゃなくて、荒唐無稽なほら話を楽しむようなテイストの物語だと思ったので、違和感なく読めました。おばあちゃんは家族を騙そうとしたり、もめ事を起こそうとしたりするんだけど、認知症でもないのに施設に入れられたってことが前提としてあるので、なんとなく恨めないし、おかしい。でも、まあ独特のユーモア感覚なので、日本のどの子も楽しんで読めますって、作品ではないでしょうね。1800円っていう高い値段だしね。

レン:最初からかなりつっかかりながら読みました。ハチャメチャなおばあちゃんがやって来て、家族が引っかきまわされて、お宝のことが新聞にのっちゃったり。ユーモアだろうと思いつつも、これがおもしろいのかな?という疑問がずっと消えなくて。おばあさんはかなり皮肉っぽい印象を受けたのですが、本当にこんな感じなのかな。外国語って、そのまま訳すと嫌みったらしく聞こえるじゃないですか。イメージしにくい描写もあって、たとえば75ページの「輪ゴムをおばあちゃんのあごの下にひっかけると、そっと上にあげて、大きくてしわしわの耳のうしろに、またひっかける」って、どんなことなんでしょう。

アンヌ:レンさんは、実際に日本語に翻訳なさる時には、別の言葉に変えてしまいますか?

レン:どういう行為を描いているか、イメージしやすいように多少書きくわえたりすると思います。それからp59 に「ヘンリックは目を見はった」とあるのですが、「目をみはる」というのは、驚いて目を大きく開くことですよね。秘密を話してやるよと言って手招きされて、驚くかなって。「目をきらきらさせた」とか「目を輝かせた」ということかしら。こういうことが、ほかでもちょこちょこ。それと、太字や大きな文字になっている部分がありますが、どうして書体を変えるかわかりませんでした。

レジーナ:原文では、イタリックということはないでしょうか。

アカシア、慧:原文も太字なんじゃない?

アンヌ:例えば、p96には、大文字で表記されている言葉と、太字で表記されている言葉があります。大文字は会話文が大声で述べられていることを表しているのかもしれませんが、太字の方はどうしてそうなのか、よくわからない。日本語としては、どちらも、表記を変える必要はないような気がします。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年1月の記録)


消えた犬と野原の魔法

フィリパ・ピアス作 ヘレン・クレイグ絵『消えた犬と野原の魔法』さくまゆみこ訳
『消えた犬と野原の魔法』
フィリパ・ピアス作 ヘレン・クレイグ絵 さくまゆみこ訳
徳間書店
2014.12

イギリスの絵物語。フィリパ・ピアスが最後に残した原稿に、共通の孫をもつヘレン・クレイグ(ピアスの娘のサリーと、クレイグの息子のベンはパートナーで、間にナットとウィルという二人の息子がいます)が絵をつけました。本ができあがる前にピアスは亡くなってしまったのですが、文章にも、クレイグの絵にも、ピアスが愛した風景や人々がたくさん登場しています。
イギリスに行ったとき、近くのルーシー・ボストンの家までは訪ねていった(この時はもうボストンは亡くなっていて、息子のピーターさんとその妻ダイアンさんにお目にかかりました)のに、ピアスをお訪ねすることはしませんでした。ファンというだけでお訪ねするのはいかがなものか、と変な遠慮が働いてしまったのです。もともと私は、作家にサインをもらったり一緒に写真を撮ったりするのも苦手なほうです。
本書は、表紙の左下に出ている少年ティルが、行方不明になった犬(表紙のまん中に出ていますね)を、右下の不思議なおじいさんの助けを借り、野原の家に住む二人のおばあさんたち(ピアスとクレイグがモデルのようです)にも手伝ってもらって捜すというストーリーです。今はやりの、展開が早く刺激の多い作品とは違いますが、味わいの深い作品になっています。ピアスは、人間の心理をとてもじょうずに、しかもユーモアとあた たかさをこめて書く作家で、私が大好きな作家の一人です。編集者としてもかかわらせてもらいましたが、今度は翻訳者としてかかわったことになります。
(編集:上村令さん 装丁:森枝雄司さん)

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2014年12月 テーマ:図書館からはじまる

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『2014年12月 テーマ:図書館からはじまる』

 

日付 2014年12月18日
参加者 レン、きゃべつ、オカリナ、アンヌ、レジーナ、ルパン、パピルス、ジラフ、紙魚
テーマ 図書館からはじまる

読んだ本:

『とびらをあければ魔法の時間』
朽木祥/作 高橋和枝/絵
ポプラ社
2009

版元語録:「すずめいろどき」って、知ってますか? 日ぐれまえの、空気までちがってくるような、ふしぎな時間。いつもの道、いつもの町のはずなのに、どこかがちがう…… かなしいことや、おちこむことがあったときでも、すずめいろの魔法の時間には、心がわくわくおどりだすような、すてきなことがおきるんですよ――
『図書館の神様』
瀬尾まいこ/著
ちくま文庫
2009

版元語録:思い描いていた未来をあきらめて赴任した高校で、驚いたことに“私”は文芸部の顧問になった。……「垣内君って、どうして文芸部なの?」「文学が好きだからです」「まさか」!……清く正しくまっすぐな青春を送ってきた“私“には、思いがけないことばかり。不思議な出会いから、傷ついた心を回復していく再生の物語。
マークース・ズーサック『本泥棒』
『本泥棒』
原題:THE BOOK THIEF by Markus Zusak
マークース・ズーサック/著 入江真佐子/訳
早川書房
2007.07

版元語録:わたしは死神。自己紹介はさして必要ではない。好むと好まざるとにかかわらず、いつの日か、あなたの魂はわたしの腕にゆだねられることになるのだから。これからあなたに聞かせる話は、ナチス政権下のドイツの小さな町に暮らす少女リーゼルの物語だ。彼女は一風変わった里親と暮らし、隣の少年と友情をはぐくみ、匿ったユダヤ人青年と心を通わせることになる。リーゼルが抵抗できないもの、それは書物の魅力だった。墓地で、焚書の山から、町長の書斎から、リーゼルは書物を盗み、書物をよりどころとして自身の世界を変えていくのだった……。『アンネの日記』+『スローターハウス5』と評され、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどで異例のベストセラーを記録した、新たな物語文学の傑作。

(さらに…)

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空へ

いとうみく『空へ』
『空へ』
いとうみく/作
小峰書店
2014.09

『空へ』をおすすめします。

短編集のようでもありますが、読んでいくうちに、1冊まるごと物語がつながっていることがわかります。

主人公は小学校6年生から中学生になった佐々木陽介。「とうちゃん」はくも膜下出血に脳梗塞を併発して亡くなり、「かあちゃん」と幼い妹の陽菜(ひな)の3人家族になりました。単親家庭になってすぐに「かあちゃん」は電池が切れたようになったこともあり、陽介は自分ががんばらなくては、強くならなくては、とひたすら思っています。でも、まだ子どもなので、知らないこともいっぱいあり、そうそううまくはいかないのですね。

けれど、そういう立場だからこそ、見えてくることもたくさんあるのです。そして、そういう状況だからこそ、まわりの人とつながれるチャンスもめぐってくるのです。

何が何でもただがんばる、という根性ものではありません。悲しい、つらいというお涙ちょうだいの物語でもありません。

この本に収められた6つの小さな物語は、陽介の日常とその時々の気持ちを描きながら、彼をとりまくさまざまな人間模様もうかびあがらせていきます。しかも、同年代だけではない、世代の違う人たちの人間模様も。

最初の物語「おかゆ」は、陽介が陽菜をお医者さんに連れてきたところから始まり、どうしてそういう羽目になったのかを説明する過程で、「とうちゃん」の死と一家の事情が明かされています。そして最後の物語「神輿」は、町内の祭りで神輿をかつぐのが大好きだった「とうちゃん」の代わりに陽介が神輿をかつぐシーンで終わっています。

いろいろな思いを抱きながらもまっすぐに進んでいこうとする陽介を、ついつい応援したくなる、さわやかな読み心地です。

いとうみくさんは、『糸子の体重計』で児童文学者協会の新人賞をとり、『かあちゃん取扱説明書』でも話題になった、これからがとても楽しみな作家です。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年12月8日号掲載)


『ほんをひらいて』が紹介されました

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『『ほんをひらいて』が紹介されました』

『ほんをひらいて』
(トニ・モリスン&スレイド・モリスン文 シャドラ・ストリックランド絵 さくまゆみこ訳 ほるぷ出版)が、2014年12月4日の読売KODOMO新聞と、11月30日の新日本海新聞に紹介されました。

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読売KODOMO新聞(リブロ大分トキハ店 岸本由紀子さんが書いてくださいました)

本を広げてすてきな出会い

どんよりした空、
しょぼしょぼ降る雨。
気分が晴れないそんな日に、
少女は図書館へ出かけます。
海に浮かぶ街、片方の目を開けて眠るイルカ……。
本を広げると、
わくわくするような出会いが待っていました。

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探検や夢を手伝ってくれる

女の子のルイーズは黄色いかっぱを着て、家を出た。天気の悪い日は気分が暗くなるけれど、世界は広いからいいことがあるかもしれない。雨が強くなってきたので、図書館に入った。
「ほんは、たんけんしたり、かんがえたり、ゆめをみたりするのをてつだってくれるんだ」。ルイーズは本のおかげで、暗い気持ちやこわい気持ちが小さくしぼんだ。
ノーベル文学賞を受けた黒人女性作家のトニ・モリスンさんが、子どもたちに本のすばらしさを語りかける。

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『シャイローがきた夏』が紹介されました

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『『シャイローがきた夏』が紹介されました』

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『シャイローがきた夏』

が紹介されました。

2014年10月26日の朝日新聞「子どもの本棚」です。

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『シャイローがきた夏』(あすなろ書房)

11歳のマーティはある日曜日の午後、散歩に出かけ、やせたビーグル犬の子犬に出会った。おどおどしながらも後をずっとついてくる姿に心ひかれるが、近所の乱暴者ジャドの猟犬だと分かり、しぶしぶ送り届ける。ところがその犬は虐待されて逃げ出し、マーティの前に再び現れる。シャイローと名前をつけ、家族にも内緒でこっそり飼い始めたが、とうとう見つかってしまう。人と動物のあたたかな信頼関係、少年の一夏の成長を描いた作品=小学校高学年から(P.R.ネイラー著 さくまゆみこ訳 税抜き1300円) 


シャイローがきた夏

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『シャイローがきた夏』

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『シャイローがきた夏』

が出ました。

フィリス・レイノルズ・ネイラー作
岡本順挿絵
さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2014.09

原題:SHILOH by Phyllis Reynolds Naylor, 1991

アメリカの田舎に住む少年がビーグル犬に出会い、最初に出会った場所の名前をもらってシャイローと名づけ、虐待している飼い主からなんとか救い出そうとする物語です。「夏」とタイトルについているのに、夏が終わった9月に出ました。少年とシャイローの間に通い合う気持ちが生き生きとフレッシュに表現されているのが気に入っています。

前は別の出版社から別のタイトルで出ていた作品ですが、新たに訳し直しました。

うちで飼っているのもビーグル犬なので、ずっと気になっていた作品です。ニューベリー賞を受賞しています。

3部作なので続編もあるのですが、3作とも映画になっていて、DVDで見ることができます。

Shilohdvd1
Shilohdvd2
Shilohdvd3

 


川かますの夏

『川かますの夏』
ユッタ・リヒター/著 古川まり/訳
主婦の友社
2007.07

ルパン:時代設定がよくわからず、なかなか話に入れませんでした。お城の中に住んでいて、伯爵もいるようなので昔なのかなあ、と思うとスクールバスが出てきたり。

アカシア:現代のものか一昔前のものかは、携帯電話が出てくるかどうかで判断できますね。これは、出てきませんよ。

ルパン:たまたまなんですけど、直前に『庭師が語るヴェルサイユ』(アラン・バラトン著 鳥取絹子訳 原書房)っていう本を読んだんです。ちょうどヴェルサイユ宮殿のなかに住んでいる庭師が書いた作品で。そのイメージがあったので、「お城に住んでいる子どもたち」の特別なおもしろさを期待してしまったら、ちょっとはずれました。ただ、お城の敷地のなかだけの生活で、男の子としか遊べない主人公が、「女の子の友だちがほしい」と思うあたりはよく描けているなあ、と思いました。ただ、この子のお父さんはとてもいい父親のようなのに、離婚後はまったく会いに来ないのはどうしてだろうという疑問は残りました。

アンヌ:私にとっては、残虐な場面が多い物語という感じで、読み返せませんでした。孔雀の足はとれてしまうし、川かますは無意味に殺される。川かますの神様とか言っているので、アイヌの神のように何かその命を送りだす儀式とか意味とかあるのかと思ったのだけれど、そんなこともない。まともな大人が、現実の中に出てこない。離婚して今はいないお父さんの思い出と、病気のゲゼルおばさんだけで。がんの描き方も、あとがきを読まない限り30年前の話だとは分からないので、ショックを感じる読者もいるのではないかと思いました。これが映画だと美しい景色を外から眺めて楽しめたかもしれないけれど、本だとその中を生きるような気がするので、気が滅入った物語でした。それから、ラッドとは何か、どんな魚なのか、すぐにわかるように、注を入れてほしかった。

ルパン:アンナは不治の病のおばさんに最後までお礼が言えないままで終わるんですよね。そこがほんとうに残念でした。アンナも残念だったはずなので、感情移入したということかもしれませんが。

パピルス:7年前に読んだのですが、内容を全く覚えていません。読んだ当時、よく理解できていなかったのだと思います。

レジーナ:先ほど残酷だという意見がありましたが、私はそうは思いませんでした。子どもには残酷な面があり、虫の脚をちぎることもあるし、取り返しのつかない瞬間を繰り返し、後悔を重ねながら生き物との距離感を学んでいくのだと思います。巨大な川かますは、母親の死、死の不可解さや不気味さを象徴しているのでしょうか。ダニエルが川かますと向き合う様子は、幼なじみの少女の目を通して描かれます。当事者にしかわからないことがある一方、当事者じゃないからこそ見えるものがあり、アンナの視点をとることで、それが見事に捉えられています。ダニエルやギゼラおばさんに対して何もできず、アンナは無力感を感じます。また女の子である自分は、母親には望まれていないのではないかと感じたり、離れて暮らす父親を恋しく思ったり、友人関係に悩んだりしながら、父親のお話に出てくる「バカルート人」のように振舞うのではなく、自分の頭で考えることを学びます。この本のテーマは、失われた子ども時代への追憶です。目をこらし、川底の川かますを見つめるかのように、2度と戻らない瞬間を切り取っています。「読者はこうした本も理解できる」と信じて書く作者には、子どもの持つ力への信頼があるのでしょうね。

プルメリア:渋谷区の図書館には残念ながら蔵書がありませんでした。
 
アカシア:いつも児童書を出している出版社ではないので、図書館の方がじっくり読んでから判断しようと思っているうちに、品切れになってしまったのかもしれませんね。内容ですが、私も残酷な話だとは思いませんでした。もっと残酷なシチュエーションにおかれている子どももいっぱいいるし、子どもそのものも残酷な面を持っていますからね。全体としては、私は子どもの心理がとてもうまく書けているし、この年齢ならではの、つらいけれどもきらきらと輝くような子どもたちのありようが描写されていて、すばらしい作品だと思いました。ただ、最初のほうは、登場人物の関係性がわからなくて、とまどいました。この子どもたちはきょうだいなのか、と思って読んでいたら、途中でどうも違うらしいとわかったり。子どもにすり寄らない、つまりお子様ランチ的ではないこういう作品は、訳すのが難しいですね。フランス在住の方のせいなのでしょうか、p60には乱暴な言葉使いのお母さんが「〜かしらん」と言ったりしています。まあ、その辺は編集がフォローしなくてはいけない部分だと思いますが。いい本を読んだという満足感がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年11月の記録)


わからん薬学事始 1

『わからん薬学事始 1』
まはら三桃/著 
講談社
2013.02

アンヌ:最初は、題名から江戸時代の漢方薬の話かと思いました。漢方薬も出てきますが、主に生薬の話という設定はおもしろいだろうな、という期待を持って読みだしました。先が気になって、3巻とも読んでしまいました。表紙に薬草の絵とそれぞれの巻の物語の中に出てくる動物の絵が描いてあり、薬草辞典も付いているという装丁が素敵でした。ただ、気になったのが、マンガのような会話の言葉遣いです。75歳の下宿の管理人が 「じゃぞ」とか言っていて、さらに、2巻の中国人のセリフが「〜あるよ」となっていて、現代の作品でこれでいいのかと思いました。嵐のセリフもバンカラ風で気になりました。数々の謎が提示され、それが各巻ごとに解決されていきます。例えば、下宿の住人についての謎や、管理人やその家族についての謎とか。最終的には、新・気休め丸を作る過程の中で、草多の父親はどうなったのか?久寿理島とはなにか?という謎を解いていく仕組みなんだろうなと思いました。主人公に薬草や薬の原材料の声が聞こえる能力があるという設定に、なんとなくマンガの『もやしもん』(石川雅之作 講談社)を思い出しました。下宿の設定には『妖怪アパートの幽雅な日常』(香月日輪著 講談社)も。

レジーナ:都会に出てきた主人公が、個性的な仲間とともに下宿し、学校生活を送る物語はよくありますが、薬学というのがユニークですね。動物実験が苦手なために留年し続ける嵐など、登場人物の設定もおもしろかったです。草多が新しい環境で奮闘する中で、彼の出自や「気やすめ丸」をめぐる謎を少しずつ明かしていく手法も上手です。まはらさんの『鷹のように帆をあげて』『鉄のしぶきがはねる』『たまごを持つように』はどれもよくて、多くの人に読んでほしい作品ですが、本を読まない子どもが、なかなか手に取らないのが残念です。この本は表紙も洒落ていて、子どもの目にとまるようです。読みやすく、内容もしっかりしているので、この本をステッピングストーンとして、まはらさんの他の作品へと読み進めていってほしいですね。

プルメリア:書名を耳にしたとき時代物かと思いましたが、違いました。本の装丁が洒落ているなと思いました。また薬草の紹介も気に入りました。作品の内容が、イメージしていたこれまでのまはらさんの作品と違っていたので驚きました。テレビドラマのように展開しているような感じで読みました。次作も読みたいですが、3巻で完結なんですね。

アカシア:私はおもしろくずんずん読めたんです。でも、立ち止まって考えてみると、まはらさんはこれまで念入りに取材をして現場のリアリティを読者に伝えようとして作品を書いてきたように思うんです。これは、最初からファンタジーの要素が入り込んできているので、この読書会で以前とりあげた『鷹のように〜』とも『鉄のしぶき〜』とも、そこが違うように思いました。登場人物もステレオタイプで、漫画っぽい。リアリティを捨て、ドタバタ的なおもしろさも入れて、読者にサービスしているのかな。それとも、作家ご自身がちょっとリアリティから離れたいと思われたのでしょうか? 私はリアリティを追求するこれまでのまはらさんの作品がとても好きだったので、ちょっと拍子抜けでした。まあ、薬草についてはいろいろと調べられたと思いますが、こういう作品はほかの作家にも書けるように思うので、まはらさんにはリアリティを追求しつつおもしろいものを書いてもらえればうれしいというのが、正直な気持ちです。

ルパン:私は残念ながらおもしろいとは思えませんでした。リアルでもファンタジーでもなく、何もかもが中途半端に思えて。薬学の学校は『ハリー・ポッター』のホグワーツ魔法学校を思い出させるものの、そこまで書けていない感じでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年11月の記録)


14歳、ぼくらの疾走〜マイクとチック

『14歳、ぼくらの疾走〜マイクとチック』
ヴォルフガング・ヘルンドルフ/著 木本栄/訳
小峰書店
2013.10

プルメリア:表紙を広げると1枚の絵になるつくりがよかったです。最初は淡々とした内容でしたが、読んでいくうちにひきつけられました。主人公は登場人物と関わりながら成長していく。作品全体に会話文が多いせいか、場面や状況がよく分かり心情に寄り添えるので気持ちに入っていけました。日本にありそうでない作品でした。登場人物の考え方が変わっていくのがいいですね。

レジーナ:同級生に「サイコ」と呼ばれる主人公は、クラスでも浮いた存在です。走り高跳びでかっこいい姿を見せられると思っていたのに、実際はそうではない。酔っ払って登校したり、車を盗んだり、チックは主人公以上にアウトサイダーです。ふたりは旅の間、さまざまな人に出会います。オーガニックのものを食べ本に詳しい大家族、浮浪児の少女、人里離れた沼地で暮らすおじいさん、事故にあったふたりを助けてくれるおばさん……みんなどこか風変りですが、実に魅力的です。麦畑を車で走り、ミステリーサークルのような跡をつける場面をはじめ、ドイツの景色も鮮やかに描かれています。『シフト』(ジェニファー・ブラッドベリ著 小梨直訳 福音館書店)を思い出す設定です。『シフト』はすらすら読めて、映画を思わせる場面展開でしたが、『14歳、ぼくらの疾走』はもっとていねいに、時間をかけて書いている印象を受けました。書き急いでいない小説ですよね。もとの文体がくだけた表現なのかもしれませんが、p6の「僕のいってること、わかりにくい? ですよね、スミマセン。あとでまたトライする」といった言葉づかいには、慣れるのに時間がかかりました。

パピルス:児童文学を読むのが久しぶりだからか、序盤は文章が全く頭に入らず、何度か一から読み直しました。文章が頭に入ってくるようになると、終盤までおもしろく一気に読めました。二人が旅に出た理由がよくわからなかったのですが、通して読むと理解できました。最初は自他共にさえないと思われていた主人公でしたが、だんだんと魅力があることがわかってきました。私は主人公に気持ちを入れて読んでいたので、そのところでとても爽快な気持ちになりました。一部、ジャンク的な表現があり、10代の子が理解できるかな?という部分がありました。また、冗談を言い合う場面で、「ユダヤ系ジプシー」など、日本人には分かりづらい表現があったのが気になりました。

アンヌ:出だしの部分が入りづらかったのですが、病院に入院して、看護婦さんと話し出すあたりから読みやすくなりました。読み出すと、勢いづいてどんどん読み進めました。読み終えてから、この物語を思い出すたびに、尾崎豊の『15の夜』の曲が頭の中に流れ出すような疾走感を感じました。主人公とチックとの二人の旅は、いかにもバカンス中のドイツらしく、男の子二人でうろうろしていても、誰も変だとは思わない。どきどきするけれど、実は、悪いことがあまり起きない。会う人も、皆いい人ばかりで、その中で、東ドイツのソ連との戦闘の物語を知ったりする。この作者がうまいと思うのは、例えば偶然出会ったイザという女の子について余計な身の上話などさせずに別れさせるのだけれど、でも、その後、手紙が届くところ。冒険が終わった後も、続いていく未来を感じさせる気がします。

アカシア:確かにおもしろい。スピードもある。変わった人も出てくる。ドイツには珍しいのかもしれませんが、ドイツ以外なら、この手の作品は結構あるかな、と思いました。この作品は、たぶん今の若者のスラングでリズムよく書かれているんでしょうし、話の仕方でその人の人となりを表している部分もあるんでしょうから、訳が難しいですよね。子どもたちのやりとりは、とてもじょうずでおもしろく読めましたが、たとえばヴァーゲンバッハ先生のp287あたりの嫌みな話し方は、そのいやらしさが今一つ伝わってこない。難しいところですよね。日本語でこんな話し方をする人はいませんから、どういうニュアンスでこの先生はこんな話し方をしているのかが、伝わらない。
 それから原題は『チック』ですね。『チック』とつけたかった著者の気持ちはよくわかります。この作品で書きたかったのはチックなんですよね。だとすると、とんでもなくイカレテるけど、とっても魅力的、でも、自分はゲイじゃないから越えられない一線もあってとまどう、というマイクの気持ちがもう少しぐいぐい迫ってくるとよかったのにな、と思いました。それは翻訳では難しくて、ないものねだりになるのかもしれませんけど。

ルパン:今回の3冊のなかではこれがいちばん読みごたえがありました。最初は主人公の自己否定が極端で、ちょっと読みづらかったのですが、話が進むにつれ登場人物がどんどん生き生きとしてきて、結局一気読みしてしまいました。リアリティもありますし読ませる作品です。ただ、あとがきに「これを読まなくては、ドイツの児童文学は語れない」とあったのですが、そこまで言うほどのものかなあ…?

アカシア:ドイツは比較的理詰めの本が多いので、こういうスピーディーなロードムービー的な作品は珍しいのかもしれませんね。そういう意味では、ドイツの中ではこれを読まないとYA文学を語れないという位置づけになるのかも。

ルパン:出だしはほんとにつまんなかったんです。ただ、チックが出てきて女の子に絵を届けに行くあたりから、ぐいぐいひきつけられました。一番よかったのは、チックに「(君は)つまらないやつじゃない」と言われる場面でした。人生って悪くないと思うようになるプロセスがとてもうまく描けていて、楽しんで読めました。それだけに、チックが同性愛者じゃなくてもよかったのに、と、残念に思いました。

アカシア:私も、なんだかその部分はとってつけたような気がしました。でも、考えてみると日本と違ってドイツなら14歳だと普通は女の子と旅をしたいのかもしれないから、チックが近づいて来る自然な理由になっているのかもしれません。

ルパン:純粋に友達として好きになってもらった方がよかった。同性愛者の目で恋愛対象として見るのではないところで、魅力を見つけてもらいたかったです。

アンヌ:特に物語の中で、チックが同性愛者だとは気付かなかった気がします。普通に友達という感じで。

ルパン:18歳ならまだよかったんですけどね。14歳の同性愛者っていうのがどうも…。

アカシア:性的な関係を持つのが目的ではなく、マイクが魅力的だから最初はそこに惹かれたというだけのことかもしれませんよ。日本なら18歳が妥当かもしれませんが、ドイツは14歳なんじゃないかしら。

ルパン:全体的にスケールの大きな話ですよね。次どうなるんだろう、というわくわく感で最後まで引っ張られました。あと、好きな箇所は、山の上で昔の人の落書きを見つける場面です。自分だけの閉鎖的な世界から大きな世界の一部としての自分に目覚めていく瞬間が印象的でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年11月の記録)


2014年11月 テーマ:他者との関わりの中で

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『2014年11月 テーマ:他者との関わりの中で』

 

日付 2014年11月20日
参加者 プルメリア、レジーナ、パピルス、アンヌ、ルパン、アカシア
テーマ 他者との関わりの中で

読んだ本:

『14歳、ぼくらの疾走〜マイクとチック』
原題:TSCHICK by Wolfgang Herrndorf, 2012
ヴォルフガング・ヘルンドルフ/著 木本栄/訳
小峰書店
2013.10

版元語録:14歳のマイクはある夏、不良少年チックと盗難車に乗って旅に出る。閉塞感に満ちた現代の若者の冒険を描くドイツのYA小説。
『わからん薬学事始 1』
まはら三桃/著 
講談社
2013.02

版元語録:薬の製造を唯一の産業とする島「久寿理島」で、470年間、女子直系一族だった木葉家に突然生まれた男子・草太は、島の人から「ぼっちゃんは天が下さったのです」と言われて、大事に育てられてきた。15歳の春、草太は、その製法が女性のみに受け継がれてきた「気やすめ丸」を万人に効く薬へ改良するために、島の運命を背負って東京へと旅立つ。
『川かますの夏』
原題:HECHTSOMMER by Jutta Richter
ユッタ・リヒター/著 古川まり/訳
主婦の友社
2007.07

版元語録:「あの川かますをつかまえたら、ママはまた元気になれる…」川かますという大きくてこわい魚を捕まえる。ひとりの少女と少年の友情と成長を描いた、切なく美しい夏の物語。

(さらに…)

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ほんをひらいて

トニ・モリスン&スレイド・モリスン文 シャドラ・ストリックランド絵『ほんをひらいて』さくまゆみこ訳
『ほんをひらいて』
トニ・モリスン&スレイド・モリスン文 シャドラ・ストリックランド絵 さくまゆみこ訳
ほるぷ出版
2014.10

アメリカの絵本。主人公は下町に暮らす東洋系らしき少女ルイーズで、雨宿りをするために図書館に入ります。ルイーズにはこわいものがいっぱいあって、不安を強く感じる子どものようです。でも、本を開くと、広い世界が見えてくる。お話を読めば、つらいことも忘れられる。そう、ひと味違った、本の世界の楽しさ を伝える絵本です。

トニ・モリスンはノーベル文学賞に輝くアフリカ系アメリカ人。スレイド・モリスンは、トニの息子です。スレイドは、この作品を母といっしょにつくった後亡くなっています。膵臓癌で亡くなったようですが、そこには何か事情もあるようで、原出版社からスレイドの死については著者紹介に書かないでほしい、と言われました。
(編集:石原野恵さん 装幀:森枝雄司さん)

***

<紹介記事>

・「読売KODOMO新聞」2014年12月4日

 

・「新日本海新聞」2014年11月30日

 

・「読売新聞」2014年12月13日夕刊

 

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ゆうぐれ

ユリ・シュルヴィッツ『ゆうぐれ』さくまゆみこ訳
『ゆうぐれ』
ユリ・シュルヴィッツ作 さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2014.10

アメリカの絵本。『ゆき』に出て来た男の子と犬がここでも登場します。この絵本では、男の子が黒ひげのおじいさんと犬を連れて散歩に出かけます。あたりはだんだん暗くなり、さびしくなってきます。でも、人々はあっちへ行ったりこっちへ行ったり忙しそう。そのうち、ぽつんと明かりがともります。そして明かりはだんだんに増えていき、通りも、お店のウィンドウも、広場も、まばゆいイルミネーションで飾られます。

クリスマスの街を描いた絵本です。あちこちにクリスマスツリーが登場し、本屋さんもおもちゃ屋さんも、マザーグース劇場も明るく楽しそうに見えます。空が暗いので、よけいに街のイルミネーションがきれいに映えるのですね。
(編集:山浦真一さん 装丁:城所潤さん+岡本三恵さん)

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<紹介記事>
・11月26日の毎日新聞です。「本はともだち」コーナーの「クリスマスには絵本の贈り物を」という記事で、書いてくださったのは木村葉子さんです。

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名作絵本「よあけ」で知られる作者の最新作。クリスマスの夕暮れどき、おじいさんと散歩に出かけた男の子は、川面に沈む夕日を見る。薄暗くなった街に戻ると、人々は忙しそうに行き交っていた。自然の光が消えると、街の明かりが次々とともる。静かな中にも華やいだクリスマスが感じられる一冊。

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2014年10月 テーマ:子どもたちの日常

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『2014年10月 テーマ:子どもたちの日常』

 

日付 2014年10月30日
参加者 アンヌ、ワトソン、ルパン、レン、ヤマネ、ハリネズミ、すあま、ajian、
レジーナ
テーマ 子どもたちの日常

読んだ本:

『かさねちゃんにきいてみな』
有沢佳映/著 
講談社
2013.05

版元語録:かさねちゃん、ユッキーの、みんなの優しさや毎朝の出来事。集団登校の短い時間の中にある繊細な人間関係が清々しい。子どもたちが決して大人に見せない「子どもの世界」。昔からずっといた小学生を、いままでにない手法で描いた作品。講談社児童文学新人賞、受賞後第一作。
『クラスメイツ(前期・後期)』
森絵都/著 
偕成社
2014.05

版元語録:24人のクラスメイトたちそれぞれを主人公にした24のストーリー。子どもじゃないけど大人でもない特別な季節。中学生以上。
『ホープ(希望)のいる町』
原題:HOPE WAS HERE by Joan Bauer, 2000
ジョーン・バウァー/著 中田香/訳
作品社
2010.03

版元語録:あたしはパパの名を知らず、ママも幼いあたしをおばさんに預けて…ウェイトレスをしながら高校に通う少女が、名コックのおばさんと一緒に小さな町で正義感に燃えて大活躍。

(さらに…)

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ホープ(希望)のいる町

『ホープ(希望)のいる町』
ジョーン・バウァー/著 中田香/訳
作品社
2010.03

ルパン:私は今回読んだ3冊のなかではこれがいちばんよかったです。日本の物語にはない設定、場面、ストーリー。翻訳青春モノの珠玉作だなあ、と思いました。

アンヌ:食べ物が出てくる本が好きなので、私も今回の本の中ではいちばんおもしろく読みました。主人公が17歳なのにプロのウェイトレスということに驚きました。高校生の政治参加の場面にも。発達障害の疑いのある赤ちゃんに、哺乳瓶でミルクをあげながら「あなたには愛してくれるお母さんがいる」という場面や、ウェイトレスとしていろいろなお客と接する場面とかに、いい場面がそれほど山ほどあり、感動しました。人と人との関わりを、職業を通して描くのが好きな作家なのだなと思いました。唯一気になったのが、GTが白血病で最後は亡くなり、お弔いの場面が延々と描かれていること。ここが必要かどうか考えたくて、別の作品『靴を売るシンデレラ』(ジョーン・バウァー著 灰島かり訳、小学館)も読んでみましたが、そちらも理想の父親像のような登場人物を交通事故死させお弔いの場面を描いているので、作者は、作品の中で、死を描く必要を感じているのではないかと思いました。

レン:今回の他の2冊とタイプの違う本ですね。話が上手にできていて、読み応えがありました。主人公の気持ちに寄り添って読んでいきましたが、母親に捨てられ、父親も分からず、おばさんに引き取られた女の子が、なんとたくましく、大人なんだろうと。お母さんが自分に残してくれたものが、ウェイトレスの才能と名前というのがおもしろいですね。名前は途中で捨ててしまうけれど、その才能を極めることで、この子は周りの人と人間関係をつくって生きのびていく。おばさんも魅力的。主人公が発達が遅れているかもしれない赤ちゃんに話しかけるシーンなど、上手だと思いました。愛されているということがあると、子どもは強く生きていけると。選挙のことも詳しく書かれているけれど、これって一種の職業小説ですよね?

一同:そうそう。これは職業小説ですよね。

レン:選挙の仕組みはよくわからないところがありましたが、選挙に絶対行かないと言っている人のおかげで、不正がばれるというのもうまい。読ませますね。

アンヌ:原題は過去形なのに、なぜ現在形にしちゃったんでしょうね?

レン:装画は日本の人なんでしょうか? 文章で受けたのとイメージが全然違いました。

ajian:挿画はちょっと安っぽい印象がしますよね。

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

ヤマネ:読書会で取り上げられなかったら、おそらく手に取らなかった本でしたが、すごく良かったです。

アカシア:自分からは手に取らない本ってありますよね。「新しい場所は新しいものの見方を授けてくれる」なんていう台詞がいいですね。児童書には、希望を感じるまっすぐな言葉がところどころに見つかります。自分でのそれを見つけるのも、本を読む楽しみですね。選挙のところですが、あんまりおもしろく書いた小説が他にないなかで、これはおもしろかった。中高生でもおもしろく読めると思います。

ヤマネ:一筋縄じゃない。感情の表現もいい。ボクシングのサンドバッグをたたきながら、悔しさをあらわす場面が良かった。主人公はお父さんが迎えにくるのをずっと待ち続けていて、けれどそれが全く違う形でやってくる。中高生が読んだら、人生にはそういうことだってあるのだと気づくのではないでしょうか。電車の中でカバーをして読んでいたのだけれど、カバーを取って表紙の絵に驚いた。中高生向けに受け入れやすいように狙ったイラストではないんでしょうか? 文章から感じる表紙のイメージは、あたたかな風景画のイメージだったので、この表紙には驚いたけれど、話の内容は良かった。ウェイトレスの仕事のおもしろさもよく伝わってきました。

レン:混みあってきたらコーヒーをつぎ足すとか。

ajian:原書の表紙、調べてみましたが、こっちのほうが全然いいです。

(一同、表紙の画像を見る)

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

アンヌ:この表紙絵(日本版の表紙)、他の二人に比べて、GTはうまくイメージがわかなかった。

レジーナ:バウアーの作品にはいつも、置かれた環境で努力する主人公が出てきます。病を抱えながら選挙に立候補するGT、名前を変えるホープ……ままならない現実を受け入れた上で、困難な状況を全力で変えていこうとする登場人物の姿が、押しつけがましくなく描かれているのがいいですね。不正を働いたり、家族や社会の責任を果たさなかったりする人々がいても、ホープはそれにめげず、大切なものをゆずりわたさず、ウェイトレスとしてお客さんを笑顔にします。そしてアナスタシアとの関わりの中で、母親との問題に向き合います。娘のことを顧みない母親も「あんたの人生のたいせつな一部」というアディの台詞がありますが、人を形作るのは、手に入ったものや勝ち得たものだけではなくて、望んでも手に入らなかったものや失ったものもまた、その人の大切な1部だという、作者の生きる姿勢が表れていますね。

アカシア:バウアーは職業とかキャリアを追求している作家ですね。ウェイトレスなんて、おもしろそうな職業じゃないのに、わかってくると「すごいなあ。おもしろそうだなあ」と思えるように書けるところがすばらしい。日本の児童文学の世界では、政治は書かないほうがいいと言われているそうですが、選挙だって、中学生くらいを対象にした本だったら書いたらいいし、世の中はどうなっているかというのも書いた方がいいでしょう。この人はそこもうまく書ける作家ですね。話のもっていきかたもすごくうまいから、選挙のところだけ浮いているようなこともないのがいいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


クラスメイツ(前期・後期)

『クラスメイツ(前期・後期)』
森絵都/著 
偕成社
2014.05

ヤマネ:この本は発売された時に、とてもおもしろく読みました。前期の巻は登場人物の紹介という感じで軽い感じでしたが、後期では前期で謎のまま終わっていた問題が1つ1つうまく解決されていったり、クラスメイツ同士の関係の深まりを感じたりして、後期が特に読み応えがありました。知り合いの中学生にも薦めたのですが、クラスにこんな子いるいる!と共感できたり、自分と同じ悩みを見つけてホッとしたり、など楽しく読めるのではと思います。大人が読んでも、中学生の頃を思い出したり、中学校時代の自分と似ている子はどの子だろうと考えてみたり、などいろいろ楽しめると思いました。

レン:おもしろかったです。24人のそれぞれの営み、変化が伝わってきて、本当にうまい文章。ユーモアもあって、堅苦しくなく、読者を選ばず読んでもらえそう。現役の中学生もいいけれど、これから中学に行く6年生に手渡したいですね。自分のクラスのだれに似ているとか、だれが好きとか読めて、中学校生活への希望がもらえます。

ルパン:これはすっごくおもしろかったです。『ラン』(森絵都 講談社)よりこっちのほうがずっといいなと思いました。『かさねちゃんにきいてみな』を読んだあとこっちを読んだのですが、『かさねちゃん』のほうは「今どきの小学生事情」みたいな一時的、同時代的な感じでしたが、こっちは根底に「永遠の中学生」のような、どの時代にも共通する中学生らしい感情、という筋が一本通っていて、大人が読めば郷愁感、子どもが読めば等身大。それに現代っ子らしさがほどよく加わっていて好感がもてました。24人が対等に出てくるのもいいし。どの子のも全部おもしろくて。最初に出てきた子たちは、吹奏楽部に入る話なんだけど、それが最後にまた出て来て演奏する、というつなげ方もうまい。いちばん笑ったのは、レイミーちゃんが泣いたのは、ネズミがシューマイではなくシューマッハだから、と言ったところ。あと、印象的だったのは、ガラス破損の犯人さがしになったとき、ヒロが「でも、ぼくじゃないよ」と言ってすんでしまうシーン。そういう子って、確かにいますよね。文庫で子どもたちを見ていると、いつの時代にも変わらない小学3年生らしさ、5年生らしさ、中学生らしさ、といったものが確かにあります。この話は、リアリティらしさとお話らしさがマッチしていて私は好きです。

ワトソン:森絵都さんはこの年代の子どもを書かせたら本当に上手だなと、期待通りの作品でした。こういった構成自体は最近多くて新鮮味という点はあまりありませんが、それでも読ませるおもしろさがありました。一人一人が個性的に書き分けられ、クラスに起きた事柄をそれぞれの視点で捉えそれがまた全体としてつながっています。だれか一人に寄り添って読む作品も良いけれど、「自分はこの子に近いな」とか、「この子のこういう部分はわかる」というように、何かしら共感を得られるところがあるのではないでしょうか。そういった面で、同年代の子どもたちが読むのに意味がある作品だと思いましたし、この年代を過ぎた人には懐かしく読めるのではないでしょうか。

アンヌ:この作者の本を読むのは初めてでしたが、私は苦手でした。とてもうまく書けているし構成もいいけれど、ある意味、物語が始まったところ、人物の紹介だけで終わってしまっている気がして。読んだ後に、24人分のそれからのことを考えて、眠れなくなって困りました。虫博士の陸くんとか好きな子もいたのだけれど。

すあま:森さんが、大人向けの小説の方に行ってしまったように思っていたので、久々に中学生が主人公の物語を書いたんだ、と思って読みました。語り手を変えて物語が進行する形式の本はいろいろと出ていますが、1990年に出た『トリトリ』(泉啓子著、草土文化)という作品が一番印象に残っています。そのときは新鮮に感じたのですが、今はよくある形式なので、特に新しさは感じませんでした。とにかく人数が多いので、だんだん混乱してきました。印象に残る子はいるんだけど、やはり誰か一人に共感しながら読むことができず、一気に読んだ後に物足りなさを感じました。

アカシア:読んだときは、「ああおもしろかった。森さんのYAの中では一番おもしろかった」と思ったんです。でも、あとでふりかえると、細かい内容は思い出せなかったんですよ。この世界で完結しているから後々まで引っかかる必要がなくて、思い出せないのかもしれません。その時その時で読者が受け取るものがあれば、別に思い出せなくてもいいんですけど。一つ一つの話が全体としてつながっていくのがいいですね。

ajian: 森絵都さんの作品はじつはちょっと苦手だったんですが、これは文句なしにおもしろかったですね。自分の中学生時代のことなんかを思い出します。一口にクラスメイトといっても、仲がいい連中もいれば、あまり会話したことのないやつなんかもいて、同じクラスでもよく知っているといえるのは、何人かなんですよね。この作品は、そういうクラスの子たちの、それぞれの視点から書かれていて、自分が中学生だったらたぶん交わらなそうな子もいるんだけど、そういう人の事情にもちょっと踏み込んでいけるようでおもしろい。前期後期に分かれていて、いろいろな事件があって、1年が動いていく構成もうまいなと感心しました。ビートルズも知らなかったハセカンが、後半の別の章ではクラッシュを聴くようになってたり、ああUKロック好きになっていったのかなあとか、書かれていない部分での成長と変化を想像できるのも楽しい。一番好きだったのは吉田くんですね。吉田くんがいちばん変貌を遂げるんじゃないでしょうか。モテたいから東大に行くとかいっていましたが、中高モテなくて勉強にばかり時間を捧げていると、仮に東大に行けたとしてもあとから「中高のときにモテなかった」というルサンチマンをこじらせることになるので、吉田くんはほんとうに水泳部に入ってよかったな、と思います。完全に感情移入していますが。震災のことがちらっと出てくるのも今の作品だなという感じがします。正直にいって読む前はこれほどおもしろいとは思っていなかったので、食わず嫌いはいけないなと思いました。

レジーナ:中学に上がったときのことを思い出しながら読みました。なかなか学校になじめなかったり、いつも小さな気がかりや悩みがあり、「これまでは何も悩みがないのが幸せだと思っていたけれど、きっとこれからは悩みがなくなることはなくて、それが大人になるということなのか」とふと感じたり……。いじめに負けず学校に通い続けたしほりんが、「強くなった半面、弱くなった部分がある。なにかに勝ったつもりで、なにかに負けたのかもしれない」と思う場面がありますが、「今、辛い」とか「今、楽しい」とか、その場の感情ではなく、こんな風に、ちょっと離れた場所から自分のことを振りかえって客観的に考えられるようになるのが、中学1年くらいの年齢ではないでしょうか。老人ホームでボランティアをする場面は、家族や学校で完結しない外の社会とのつながりが描かれていておもしろかったです。美奈の父親が倒れた時、そういうプライベートなことを、先生が他の生徒に教えてしまうのは、現実ではありえないでしょうね。タボの章に、蒼太が給食のデザートをおかわりしないことが書いてあり、その後の章で、レイミーが、甘いものが苦手な蒼太のための特製チョコレートを作ります。細かな伏線の張り方は、さすが上手ですね。ひとりひとりの人物像がくっきりしていて、『ズッコケ三人組』シリーズ(那須正幹著 ポプラ社)の6年1組を思い出させますが、もう少し深く描かれていると、よりよかったかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


かさねちゃんにきいてみな

『かさねちゃんにきいてみな』
有沢佳映/著 
講談社
2013.05

アンヌ:読んでいるうちに、これはいつまで続くのだろうとだんだん耐えられなくなって、途中でラストを読んでから、読み直してしまいました。自分でもそれはなぜなのだろうと思って、いろいろ調べて、劇団ひまわりで上演されているのを知り、ああ、そうか、ユッキーの一人称で、一人の視点で延々と物語が続くのでなければ、おもしろいのかもしれないと思いました。読み直してみると、一つ一つのエピソードはとてもおもしろいので。最後にリュウセイが戻って来ていますが、どうやって戻ってきたのかとかが、なぜ描かれていないのだろうと思いました。

ワトソン:今回のテーマである子どもたちの日常にあてはまる作品として、私はとても楽しく読めました。登校班だけてこれだけの作品を書くのはすごいと感心しました。一番魅力的だったのはユッキーで、彼の語りの良さがこの作品を支えていると思いました。その分、かさねちゃんに物足りなさを感じました。かさねちゃんの「ちゃんとして」が魔法の言葉のように描かれていましたが、そこにはユッキーのかさねちゃんへの憧れがかなりプラスされているので、実際は魔法のようには効かないのではないでしょうか。また、小学生が読者と考えるとこの量は多すぎる気がしました。

ルパン:私はあんまりおもしろくなかったです。『アナザー修学旅行』(有沢佳映著 講談社)は、場面が動かないわりに、まだおもしろかったんですが、今回は、通学路という限られた場面のなかで、かさねちゃんの魅力が伝わってきませんでした。かさねちゃんだけでなく、どの子も、「この子のことが読みたい」というものがなかったし。強いていえば、語り手のユッキーが毎回日記のさいごに間宮さまへの語りかけを書いているのがおもしろかったけれど。ただ、登校班だけで、よくここまで書いたなとは思いました。結局、「かさねちゃん」とインパクトがある名前だけでひっぱってきた感があります。ふつうの平凡な名まえだったら手にとらないんじゃないかな。印象的に目に浮かぶものといえば、牡丹の模様つきのランドセルでしたが、かさねちゃんの個性とどうリンクするのかわかりませんでした。

レン:私は今回選書係だったのですが、この本は、私自身よくわからない本だったので、みなさんの意見を聞きたいと思って選びました。この著者の『アナザー修学旅行』の時もそうでしたが、私は最初はおもしろくひきこまれたけれど、途中でちょっとうんざりしてきて、「修学旅行だとか、集団登校の班長って、そんなに大事?」と思ってしまい、最後まで読めなかったんです。今の子どもの話し言葉をそのまま移したような会話が続くのも、うまいなあと感心する一方で、当の子どもが読んだらどう思うんだろうと思いました。写真そっくりの絵を見ているような感覚というのか。この数カ月で確かにユッキーは少しずつ成長するけれども、こういうそのまんまの一人称の語りで子どもに伝わるのかな、ふんふんと読んで終わってしまわないかなと。今回読み返しましたが、やはりわかりませんでした。リュウセイのエピソードを盛り込んでいるのは、いいなあと思いましたが。

ヤマネ:話題になっていたので、とても気になっていた本です。まず設定について、これまで集団登校を場面の中心として書いている人はいなかったので、斬新だなと思いました。1日1日、ユッキーの日記で綴られていて、日記の最後が「間宮小の守り神」と言われているホコラの中の間宮さんに何かを祈ったりお願いする形で終わっている。日記をうまく終わらせるために間宮さんは登場するのではないかと感じました。お話は3分の2ぐらい読み進めたところで、ようやくおもしろくなってきました。全体を読み終えて感じたのは、子どもも大人も、一定の時間一緒に過ごす体験をすると、情が湧いたり連帯感のようなものが生まれるのだなと思いました。対象年齢は小学校高学年向けに出されているようですが、正直、小学生がおもしろく読むのかどうかは疑問に思いました。そうかといって、大人が懐かしいと思って読むには自身の子ども時代とは違う現代っぽさがあるし、どのあたりの層がおもしろいと感じて読むのかが分からないと思いました。また、かさねちゃんは大人で冷静なように描かれているけれど、言うべきことや不満などは、全て班員で4年生のマユカが全部言ってくれるので、かさねちゃんは言わなくて済むようになっていると感じました。

ハリネズミ:私は日常と違う世界だと思いました。小学生が集団登校する姿はよく見るけど、たいていはまったく話をしないで黙々と歩いている。だから、この作品はフィクションの世界で書いてると思ったんです。『アナザー修学旅行』もそうだったけど、子ども同士はあまり直接のコミュニケーションをとらない。有沢さんは、わざとコミュニケーションをとらせて直接的なやりとりをさせている。そこが書きたいところじゃないかと思ったんです。

ルパン:地域性もあるかもしれませんね。うちは小学校が目の前なので言葉をかわすヒマもないのですが、甥のところでは2キロ歩くんだそうです。毎日それだけの距離を一緒に歩いたら、会話もはずむだろうし、集団登校も子どもたちの生活の一部になるかも。

ハリネズミ:主人公はかさねちゃんではなくユッキーで、すべてユッキーの視点だから、かさねちゃんは実像じゃない。

アンヌ:もし私が子どもの時読んだら、たぶん、班長をする自分を想像して、こんなにキレる子が二人もいたら、嫌だと思うだろうなと感じました。

ハリネズミ:賛否両論あるとは思ったんですが、私はおもしろくて、後になっても印象に残った本です。子ども同士のやりとりもおもしろくて、今の子どもたちの人間関係が狭くなってきているだけに貴重な作品だとも思います。

すあま:私のまわりの人の評判がよかったのですが、私は全然読み進むことができませんでした。登場人物がなかなかおぼえられず、苦労しました。この作品の特徴は、話し言葉でかかれていること、そして場面として登校するシーンだけを描いていること。脇明子さんの『読む力が未来をひらく』(脇明子著 岩波書店)に、話し言葉と書き言葉についての記述がありましたが、話し言葉で書かれた会話が続くと、読みにくいんだな、と思いました。子どもがおしゃべりしている感じは伝わるけれども、読んでいてうるさい、わずらわしい、と思ってしまいました。マンガのように吹き出しのセリフをどんどん読んでいくのと似ているけれど、絵がないので頭の中でイメージするときに混乱したのかも。読む前は、かさねちゃんが主人公なのかと思っていたら、リアリティがなくて、もっと魅力的に描いてほしかったです。登場人物のだれに寄り添って読めばよいのかがわからず、それも読みづらさの原因かもしれません。かさねちゃんが小学生らしくなくて、感情を爆発させるところがあれば、と思いながら読み進めていましたが、ずっといい子のままだったのも残念。リュウセイくんの問題も、あえて入れる必要があったのか、扱い方が中途半端なように思います。

ajian:私はこの文体っていうか会話はすごくいいと思ったんです。物語はちょっと物足りないものを感じたのですが……。読んだのが結構前なのであやふやですみません。

レジーナ:人口芝の上を歩きたがる場面では、私も昔、同じように感じたのを思い出しました。作者は、子どもの時のことをよく覚えていて、それを素材に書いたのでしょうね。リアリティを追求したのかもしれませんが、実際に子どもが話しているような文体が続くと、少々読みにくく、またリュウセイの複雑な家庭環境には胸が痛くなりました。読み終えて、作者が何を伝えたいかがわかりませんでした。この作品は児童文学なのでしょうか……。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)