投稿者: sakuma

この世界からサイがいなくなってしまう〜アフリカでサイを守る人たち

『この世界からサイがいなくなってしまう』表紙
『この世界からサイがいなくなってしまう〜アフリカでサイを守る人たち』
味田村太郎/文
学研プラス
2021.05

『この世界からサイがいなくなってしまう〜アフリカでサイを守る人たち』をおすすめします。

私はケニアの自然公園で、銃を持ったレンジャーがサイのグループから少し距離を保ってついて回っているのを見たことがある。密猟で角がねらわれるサイは、あと20年で絶滅してしまうかもしれないという。だから守る方も必死なのだ。本書は、南アフリカの人々がどんなふうにサイを保護しようとしているか、孤児になったサイの子どもたちをどう育てているか、なぜ密猟者がはびこるのか、女性だけのレンジャー隊の活躍ぶりなどを、生き生きとした文章でわかりやすく伝え、地球は人間だけのものではないこと、さまざまな種が支え合って生きていることに目を向けさせてくれる。アフリカを知るうえでも、おもしろく読めるノンフィクション。
小学4年生から。

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年8月28日掲載)

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?あつさのせい?

スズキコージ『?あつさのせい?』表紙
『?あつさのせい?』
スズキコージ/作
福音館書店
1994.09

『?あつさのせい?』をおすすめします。

ここは、暑い盛りの動物の町。暑いと頭がきちんと働かないので、うっかりもぼんやりもしょっちゅう起こる。馬は駅のベンチに帽子を忘れ、その帽子を拾ったキツネは駅のトイレにかごを忘れ、そのかごを拾ったブタは銭湯でシャンプーを忘れ・・・と連鎖はずっと続いていく。暑さに負けていない力強い絵が、動物たちそれぞれのクスッと笑えるユーモラスな姿を伝えている。
5歳から。

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年7月31日掲載)

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月にトンジル

『月にトンジル』表紙
『月にトンジル』
佐藤まどか/作 佐藤真紀子/挿絵
あかね書房
2021.05

『月にトンジル』をおすすめします。

小6の徹は幼稚園から仲良しの4人グループ「テツヨン」は永遠だと信じていた。ところが、いつも明るい大樹の引っ越しを機に関係がぎくしゃくし始める。テツヨンは解散か? 徹は悩む。けれどもやがて、成長には苦さもついて回ること、人には表に見せない面もあることに気づき、徹も自分の一歩を踏み出す。徹の祖父の言葉から取った書名の意味は、本を読むとわかるよ。
小学校高学年から。

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年7月31日掲載)

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帰れ 野生のロボット

『帰れ野生のロボット』表紙
『帰れ 野生のロボット』
ピーター・ブラウン/作・絵 前沢明枝/訳
福音館書店
2021.05

『帰れ 野生のロボット』をおすすめします。

ロボットのロズは、無人島までやってきた追っ手に破壊されて人間社会に連行され、工場で修理される。その後ロズは普通のロボットを装って農場で働きながら、仲間の野生動物たちのもとへ帰るチャンスをうかがう。人間の子どもたちや養子のガンにも助けられてなんとか農場を脱出してからも、次々と困難に襲われる。ロズは無人島に帰れるのか? 擬人化されたロボットの冒険譚としておもしろく、近未来の人間についても考えさせられる。『野生のロボット』の続篇だが、これ1冊でもじゅうぶん楽しめる。
小学校中学年から。

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年6月26日掲載)

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ヴォドニークの水の館 〜チェコのむかしばなし

『ヴォドニークの水の館』表紙
『ヴォドニークの水の館 〜チェコのむかしばなし』
まきあつこ/文 降矢なな/絵
BL出版
2021.03

『ヴォドニークの水の館』をおすすめします。

チェコ語の翻訳者が再話し、スロバキア在住の画家が絵をつけた昔話絵本。貧しさに希望を失って川に身を投げようとした娘が水の魔物ヴォドニークにさらわれ、水中の館を掃除することになる。娘はやがて、館にたくさんあるつぼの中に溺れた人たちの魂がとらわれていることに気づき、その魂をすべて解放し、自分も逃げて地上にもどる。女の子の冒険物語としても楽しめるし、緑色でカッパにも似たヴォドニークが不思議で、いろいろ工夫のある幻想的な絵もすばらしい。
小学校低学年から

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年4月24日掲載)

チェコ語の翻訳者が再話し、スロバキア在住の画家が絵をつけた昔話絵本。貧しさのあまり身投げしようとした娘が、ヴォドニークという水の魔物にさらわれて水中の館で働かされる。娘はやがて館を脱出し、囚われていた他の魂も解放して生の世界に帰っていく。生と死と再生の物語ともとれるこの絵本では、窓からのぞく娘の目の前を魚が泳いでいる表紙がまず読者の目を引くが、絵は場面展開の仕方も周到に考えられ、娘の姿も、水中の館にいるときは静、行動を起こして陸に上がるときは動と、描き分けられている。
視点や色彩の変化の付け方、チェコらしい刺繍の服やつぼの模様といった細部にも十分に目配りがされ、昔話の世界を見事に伝えている。

(産経児童出版文化賞/美術賞選評 産経新聞2022年05月05日掲載)

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きみのいた森で

『きみのいた森で』表紙
『きみのいた森で』
ピート・ハウトマン/作 こだまともこ/訳
評論社
2021.01

『きみのいた森で』をおすすめします。

親しかった祖父を亡くした孤独な少年スチューイは、最近引っ越して来た同い年の少女エリーと仲良くなり、よく森の中の秘密の場所で話をするようになる。2人ともお気に入りのその場所では、時々不思議な現象が起こるのだが、ある日スチューイの目の前でエリーの姿が薄れ、ふっと消えてしまう。一方エリーの世界からはスチューイが消えていた。なぜそんなことになったのか? 分離した世界を元に戻すにはどうしたらいいのか? 謎にひかれてどんどん読めるミステリー。
小学校高学年から。

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年3月27日掲載)

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2021年07月 テーマ:いろんな家族のかたち

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『2021年07月 テーマ:いろんな家族のかたち』
日付 2021年07月20日(オンライン)
参加者 ネズミ、ハル、虎杖、ルパン、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、さららん、カピパラ、ニャニャンガ、マリンゴ、雪割草、ヒトデ、まめじか、(鏡文字)
テーマ いろんな家族のかたち

読んだ本:

『スーパー・ノヴァ』表紙
『スーパー・ノヴァ』
原題:PLANET EARTH IS BLUE by Nicole Pnteleakos, 2019
ニコール・パンティルイーキス/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2020.11

<版元語録>ノヴァとブリジットの姉妹はスペースシャトル・チャレンジャーの打ち上げを心待ちにしていた。でも、その日を前にブリジットは姿を消した…。ひとりの少女の、小さくて大きな一歩を描いた物語。
岩瀬成子『おとうさんのかお』表紙
『おとうさんのかお』
岩瀬成子/作 いざわ直子/絵
佼成出版社
2020.09

<版元語録>父の単身赴任先を訪れた小3の利里は、口やかましい父に幻滅した。だが、新たに出会った友と「石の友だち」で遊ぶうちに素直な気持ちを取り戻す。利里が描く父の似顔絵も変化が生まれ…。不器用な父娘の愛情物語。

(さらに…)

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おとうさんのかお

岩瀬成子『おとうさんのかお』表紙
『おとうさんのかお』
岩瀬成子/作 いざわ直子/絵
佼成出版社
2020.09

マリンゴ: 自分の子どもの頃の記憶が引っ張り出されるような作品でした。小さいことの連続なのですが、環境になじめなかったり、期待して裏切られた気になったり、想像をふくらませて変なことやったり、年の近い子と、いわゆる仲良しこよしじゃないけれど、独特の関係を持ったり、そんなことを思い出させてくれるような、生活感のある物語だと思いました。小学生の子が「あのねあのね」と言ってきて、その話を聞いているような感覚ですね。ストーリーはじきに忘れてしまうだろうけれど、また読み返したくなる気がしています。

ニャニャンガ:ほんものの小学3年生の子どもが書いた作文のように感じながら読みました。主人公の利里の視点で描かれているので、そのまま受け止めようと思ったものの、雪ちゃんの友だちが石で、その石に書いたのがマジックではなく絵の具でなければならない理由を知りたかったです。また、母子家庭という設定から背景を考えていたのですが、よい友だちとして終わったので、勘ぐりすぎでした。余談ですが、娘(成人です)に概要を伝えて主人公の年齢を聞いたところ小学3年生と答えたので、中学年のありようを的確にとらえる作者はすごいと思いました。

カピバラ:小3から小4くらいの女子を主人公にしているのがこのところあまりなかったのでそこがまずおもしろかったです。この年代の女子は、自分で結構いろんなことを考える力があるし、大人の言動に敏感なところがありますよね。お父さんは、突然やってきた娘を楽しませようと、無理して仕事を調整して、アスレチック公園や花見に連れていこうとしたり、本を買ってくれたりするけれど、利里はお父さんの思い通りには楽しめないんですね。それどころかお父さんときたら、留守中に部屋を片づけてあげたのに気づかないし、「本はね、さいごまで読まなきゃだめだよ。集中力と根気をやしなうことはだいじだよ」(p44)とか、「おいおい、きょうだいなかよくしなきゃだめだよ」(p44)、「花を見たらきれいだなあって思える心がそだってくれればなって、おとうさんは思うんだよ」(p67)とか、つまらないことしか言わず、利理の気持ちとは随分ずれているのが、よくありそうな感じで、おもしろいと思いました。公園で偶然出会った雪は石に顔を書いて友だちにしている変わった子ですが、利里とはすぐに仲良くなります。随分大人っぽい考え方もするのに、石の人形が本当に生きているみたいに感じて夢中で遊ぶところは、とても子どもらしい。小3でも、まだごっこ遊びを真剣にやったりするので、そういったギャップもよく描けています。ナイーブで傷つきやすいところもあるけれど、ちょっとしたことで気分が変わり、楽しく過ごすこともできる、そんな年頃の主人公が生き生きと感じられました。特に大きな出来事もないし、結末らしい結末もないのですが、日常の細かいところを淡々と描いて共感を得るタイプの作品で、岩瀬さんらしい世界観だと思いました。

雪割草:お父さんが前半うるさくて主人公の気持ちに共感でき、お父さんの描き方がある意味上手だと思いました。お父さんの睨んだような顔を描き直しておどけた感じにすると、お父さんが後半良いところもある感じがしてきて、切り返しがうまいなとも思いました。こういうちょっとしたことが日常に影響を与えたり、自分が変わることで何かできたりすることはあるのだろうなと改めて思いました。

さららん:利里の気持ちになりきって読み終えました。すこーしいろんなことがわかってきて、大人のイヤなところが気になる子どもの目線から見えるお父さんを、実に的確に描いています。たとえば単身赴任の自分の家に泊まりにきた利里に、お父さんこう言います。「・・・会社を休まなきゃいけなくなっただろ。それは会社のほかの人にめいわくをかけることにもなるんだよ。そういうことも、だんだんわかるようにならなきゃだめだ」(p46-47)。利里が泊まることを許した時点で、お父さんは腹をくくらなきゃいけないのに・・・子どもへの甘えを感じます。「利里はこうならなくちゃだめだ」と言える親の立場を使って、子どもに理解を強要しているようです。そんなおかしなことをしている大人に、利里は「しーらない」といえる子で、ほんとによかった。利里は正しい、と思いました。大人って変だな、と思いはじめた利里と同じ世代の読者は、うんうん!と思うでしょう。大人と子どもが少し視点を変えあうことで、お互いが違って見える。そんなテーマと、雪ちゃんという友だちの存在もしっかり結びついています。子育てに関して近視眼的だったお父さんが、かつて自分の言った言葉を、利里の口から聞くことで、自分が何を考えていたかふたたび気づかされる、という結末も、大人と子どもの関係の相互性がくっきり浮かび上がっていて、いいなと思いました。

ネズミ:おもしろかったです。子どものころ私は、日本の児童文学を読むと、「うそ」「こんな楽しいことばかりのわけがない」と思うことが多かったのですが、この作品ならリアルに感じただろうと思います。カバー袖に、(お父さんが)「やたらと口うるさくて、うんざりしてくる」と書いているのですが、本文で利里は、肩に手をのせられたとき「わたしはその手をはらいのけました」「ふーんだ、とわたしは思いました」「あーあ、と思いました」などと言うだけで、「うんざり」とは言っていないんですね。あいまいなまま描いてあるのを、こんなふうにまとめるのはどうかなと思いました。何もかもいいことばかりじゃないけれど家族は家族でいいこともある、と自然に思わせてくれる作品で、いいなあと思いました。

虎杖:岩瀬さんの作品はとても好きなのですが、描くのに難しい年頃の子どもたちのことを、こんなふうに生き生きと、リアルに描けるなんてすばらしいと思いました。単にあたたかいとか、ほのぼのとした物語というのではなく、岩瀬さんの作品には、なんというか頭の上がすうすうしているような寂しさというか、奥深いものを感じています。特に利里ちゃんと雪ちゃんが公園で初めて出会うときの会話がいいですね。子どもっぽいところが十分に残っているのに、自分ではまったくそう思っていない年頃の理屈とか感情がよく描かれていると思いました。雪ちゃんが石ころを集めて、友だちにしているっていうのも。子どもに石ころは付き物って、私は思っているんだけど! お父さんについては、私はそれほど嫌な感じは持ちませんでした。いいお父さんになりたくって、悪戦苦闘しているっていうか、じたばたしているっていうか。最後に、自分が言ったのに忘れていた言葉を娘に言われて、ふたりの気持ちが通じ合う場面もいいですね。「子どもは大人の父である」という、ワーズワースの詩を思いだしました。

まめじか:親という存在を1歩離れたところでとらえはじめるのが、10歳くらいなのではないかと思います。そうしたことを考えると、父親の絵をなかなかうまく描けず、その後部屋に貼った絵がにらんでいるように感じるのは象徴的だと思いました。この本の主人公は父親と離れて暮らしていることもあり、なんとなくお互いぎこちなくなってしまっているのですが、そんな2人があらためて関係を結びなおす過程がたくみに描かれています。利里が部屋を掃除したことには気づかないくせに、「利里にはよく気がつく人になってもらいたい」と言ったり、かわいらしい絵本を押しつけてきたりする父親には、大人の身勝手さがよく表れています。この子は昔、自転車の練習中に「遠くを見ろ」とお父さんから言われたことをふと思い出します。そんなふうに、大人が子どもを支えるようなことを何気なく言って、それがずっと子どもの頭の片隅に残っているのもリアリティがあると思いました。石に顔を描くのはユニークでいいですねえ。石の友だちをつくるのも、父親の絵を描くのも、自分が感じたこと、考えたことを大切にすることでは。そして利里はその価値を知っていくのですよね。

アンヌ:内容紹介に「不器用な父と娘の愛情物語」と書いてあったんですが、どうも父親の勝手な思い入れとか押し付けとかが気になってしまいました。お兄ちゃんが好きそうなアスレチックに連れて行こうとしたり、女の子はこういうものと思い込んでいるような本を買ったり、洗濯物を入れるくらい気を利かしてほしいと言ったり、一緒に暮らしているのに娘のことを全然見ていない。あげくに、桜の花の美しさのわかる人間になれとか。ここまで書かれると最後の「どこまでも考えつづける」とかの長いセリフを素直に受け取ることはできなくなってしまいます。主人公の利里の話はおもしろいのになあと残念に思いました。

ハリネズミ:岩瀬さんの本はどれも好きで、日本からの今の国際アンデルセン賞候補にもなっておいでなのですが、この本、外国語に翻訳するの、きっと難しいですね。この子の心情にぴったり寄り添って訳していくのには、相当な腕前が必要かと思います。それに、物語の焦点がどこにあるのかも、わかりにくいし。岩瀬さんの作品は1+1=2といった式からはずれたりこぼれたりする繊細な部分がおもしろいと思うので。お父さんと娘の利里ちゃんの間には気持ちの行き違いがあって、それが徐々にほどけていく様子が描かれています。昔、自転車の乗り方を教えてくれたときのお父さんの言葉が、ほどけていくきっかけになるんですけど、「目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ」とか、「利里、遠くまで行くんだよ」「おとうさんも、遠くまで行きたいと思うよ」なんていう言葉ですね。利里がそれを思い出し、お父さんもその時の気持ちを思い出して、ああ、忘れてたなあと思ってそこから関係が変わっていく。ここは、うまいと思ったし、いいなあと思いました。ただ、p92あたりで、お父さんが道徳の教科書のようなことを言っているのは、どうなんでしょうか? 教育ママらしい母親をもつ雪ちゃんは、将来何になりたいかと聞かれて、「郵便局強盗」と言います。雪ちゃんが石をイマジナリーフレンドにして遊んでいるのも、即物的な世界を押しつけてくる母親に無意識のうちに抵抗しているのかもしれないですね。それと、オビに「近づきすぎると見えなくなる」って書いてあるんですけど、これはいいんでしょうか? 本質をとりこぼして的を射てないような気がしますが。あと、表紙ももう少しなんとかならなかったでしょうか?

ハル:お父さんの長台詞は、もしかしたらお父さんが、ここでもズレてる、ってことを表しているのかなと思いました(笑)。素直に読むべきか、おもしろがってしまっていいのか、ちょっと迷います。

まめじか:やっぱりちょっと口うるさくて、言うことが教訓くさい。急に変わらないところもリアルだなと。

ハル:はじめて岩瀬成子さんの作品を読んだときは、好きだなぁと思いながら、でも、読者は子どもじゃなくて、児童文学が好きな大人かな? なんて思っていました。もしその時の私がこの本のオビ文を書いたら、こういう感じになっていたと思います。でも、岩瀬さんの作品は、読めば読むほど、主人公と同じ年齢くらいの小さい人たちにこそ、ぜひ読んでほしいと思うようになりました。今回の『おとうさんのかお』も、わかるー!!! というくらい、思い出の中の自分との共感が半端ないです。作者はどうしてこんなに鮮明に覚えているの⁉ と驚いてしまうくらいです。このお父さんと利里のすれ違い、お父さんにそんなこと言ってほしいんじゃないんだよな、とか、そうじゃないんだけどなっていらいらする気持ちが、私もそうだった‼ と、ほんとはそんな経験なんてなかったとしても錯覚してしまうほどリアルに響きます。お父さんと娘なんて、もうまったくすれ違っているようなんだけど、ラストで、お父さんは自分が過去に娘に言った言葉に、自分ではげまされて、ふっと肩の力がぬける。娘もお父さんの言葉やそのときの思い出にふっと心がやわらぐ。とてもいいラストですね。何が大きく変わるわけではないけれど、家族ってこんなふうに近づいたり離れたりしながら、子どもも大人も成長していくんだなぁと思いました。

コアラ:お父さんと利里の会話が、大人と子どもの立場を本当によく表しているなあと、どちらの気持ちもよく分かって、おもしろかったです。皆さんもおっしゃっていましたが、p42からの「しーらない」の章は、お父さんは大人の立場でものを言っているし、利里は子どもの立場で考えていて、それがよく表れていました。私が特に好きだったのは、p46の利里の「おにいちゃんがわるいの」というセリブでした。私には姉がいて、よく「おねえちゃんががわるいの」と言っていたので、利里にすごく共感しました。あと、p90あたりもいいなと思った場面です。子どもは、親の言ったことを後々までよく覚えていて、親にそれを伝えることで、親も昔の自分を思い出すことができる。そういうのっていいなと思いました。ただ、この本で一番気になったのは、カギカッコが字下げになっていないことです。字下げされていない、ということでは統一されているんですが、たとえば、p9の1行アキの後の、「木にのぼっちゃいけないのよ」とか「ほら、ここに書いてあるでしょ」というところのカギカッコが字下げされていなくて、とても違和感がありました。字下げしていないのはどうしてなのかなと気になりました。

ルパン:私はこの本は、あんまり印象に残らなかったんです。岩瀬成子さんに期待しすぎたのかもしれないし、大人目線で読んでしまったからかもしれません。はじめ、雪ちゃんがリアルじゃないって思っていました。おばけか宇宙人か何か異世界の子だって。ふつうに隣の子でしたね。私も石ではないけれど何かに名まえつけてかわいがってたり、心の中で自転車とかと話したりしていましたが、そのことを人には言わなかったなあ。雪ちゃんと利里は初対面の日からうまく共有できてよかったな、と思いました。

しじみ71個分:読み終わって、本当に「岩瀬さんになりたい!」って思いました。この家族の中には、誰も変わった人がいなくて、お父さんが単身赴任しているっていう事情だけで、どうしてこんな物語を書けるんだろうって、もう本当に衝撃です。お父さんが単身赴任で離れて暮らしていることから、お父さんとほかの家族との間にちょっとしたずれが生じたり、かみあわなくなったりする。子どもの期待と現実のずれが生じてしまうのだけれど、同時に、自転車の練習のエピソードを思い出して「遠くを見る」ことについて語りあったり、ちょっとした宝物のような瞬間も見つけたり。だけど、きっとそれもまた、日常に埋もれたり、見えなくなったりするのだろう、という家族の間の機微が、子どもの気持ちに立って、子どもの視点から非常にリアルに書けているのがすごいです。3月のJBBYの講演のときに「子どものときのことをおぼえている」って岩瀬さんがおっしゃっていたのが印象的でしたが、それがこんな表現になるんだなぁと改めて思い知ったというか、衝撃的でした。最後の最後で「おとうさんのところに行ってよかったなと思いました」なんて、本当に絵日記の終わりみたいにサクッと落としちゃうんだというのも「ヤラレタ!」という感じでした。本当におもしろかったです。

エーデルワイス:単身赴任中の普通のお父さんと娘の一コマ。大きな事件はないけれどその時々で思うこと、モヤモヤを描いているようです。幼い子どもでも普段から家族以外の誰かに心のうちを話せたらいいと思います。私の文庫に1年生から来ている女の子がいて、よくいろんなことを話していましたが4年生なってあまり話さなくなりました。いろいろな日常があって、思うことを話して、そして少しずつ大人になっていくのかな・・・と思いました。

ヒトデ:子どもの心情の描き方の巧みさが、さすが岩瀬さん、というべき作品でした。子どものころに感じたいろいろな心情、おとなになるにつれて忘れてしまうあれこれを、思い出してしまうような、そんな作品でした。お父さんが、どうしても好きになれないキャラクターだったので、最後の「自転車のエピソード」で、いい感じにまとめなくてもいいのにな・・・という気がしました。表紙は、これがベストだったのかは、やや疑問です。

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鏡文字(メール参加):岩瀬さんの作品を読んでいつもすごいなと思うのは、語りの目の位置です。作家というのはおおむね大人なので、どうしても目の位置が上にある状態で書いていると感じる(善し悪しではなく)のですが、岩瀬さんは子どもとフラットだな、と感じることが多いです。この作品もそうで、なかなかこういうふうには書けないと思います。それはキャラ設定(こういう言い方が岩瀬作品には馴染まないのですが)でもそうで、利里のある意味利己的な感じがおもしろかったです。少しの変化は描かれているのですが、家族との間でも疎通が深まったりしているわけでもないところがリアルでした。私の感覚としては、もうすぐ4年生という年齢の割に、少女たちは幼く感じました。(おまけ)挿絵で見る利里の絵は初めからうまいなあと思いました(画家さんが描いているからある意味当たり前ですが…)

(2021年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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スーパー・ノヴァ

『スーパー・ノヴァ』表紙
『スーパー・ノヴァ』
ニコール・パンティルイーキス/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2020.11

まめじか:本当に好きな本です。いい本をいい訳で読める幸せを感じました。周囲からなかなか理解されない状況が、酸素がなくて息苦しく、静謐で孤独な宇宙空間に重ねられています。里親の家から脱出したい気持ちがチャレンジャー号の打ち上げにつなげられていたり、ノヴァが母親のもとから連れ出されるとき心の中でカウントダウンをしたり、そうした描写もうまいな、と。この本の大きな魅力の1つは、一貫してノヴァの視点で描かれていることです。感覚が鋭いノヴァが抱えている生きづらさ、妙を得たあだ名をつけるような聡明さも十分に伝わってきました。ブリジットがいない中で自分は楽しいと思っていいのか、新しい家族と幸せになっていいのか悩むなど、ノヴァが胸の内で感じていることには普遍性があり、多くの人が共感できるのでは。1か所、p77の「色のときとおなじことをするから」で、「色のとき」というのがなにを指しているのか、わかりませんでした。

虎杖:とてもおもしろく読みました。三人称とモノローグが交互に出てくる構成が、秀逸ですね。それにしても、これだけの知性の持ち主である主人公が、自分の思いを周囲に伝えられない悲しさと悔しさは、想像を絶すると思いました。帰ってこないブリジットと、宇宙船の打ち上げの日が刻々と迫るスリリングな展開も素晴らしい。チャレンジャー号のことは、アメリカの子どもたちはよく知っていると思うけれど、日本の読者はどんなふうに読んでいくのか、ぜひとも知りたいと思いました。表紙は、私は好きです。違う表紙だったら、本全体の印象がずいぶん違ってくるでしょうね。

ネズミ:とてもおもしろかったです。虎杖さんがおっしゃるように、三人称とモノローグを組み合わせた構成がみごとだと思いました。モノローグの部分が、実は落書きのようにしか見えない字で書かれているというのが途中でわかって、衝撃を受けました。ほかの人には見えない豊かな内面の見せ方がうまい。一方で、読者を選ぶというのか、ある程度読書慣れしている子どもでないと読みにくいかなという気もしました。表紙のかわいらしさにひかれて手にとるとギャップがありそう。アメリカの子どもにとっては、宇宙開発とかチャレンジャーなどに親近感を持つのかもしれませんが、日本の子どもだとそれほどでもないのかなというのもあって、間に立つ図書館員などがうまく手渡してほしいです。

さららん:冒頭からブリジットの不在を知らされて、なにか大変なことが起きているのがわかりましたが、ノヴァの里親のあたたかさが救いとなり、安心して読み進められました。チャレンジャーのカウントダウンへまっすぐに向かう現実の時間と、三人称の過去の描写、ノヴァの手紙を通して思い出を語る部分がうまく絡まりあっているのは、回想への入り方が巧みだからでしょう。ノヴァは「考える」子どもで、手紙には整理された文章が書かれています。けれども、ほかの人の目にはただの落書きにしか見えない、という状況はすごくおもしろいフィクションの作り方ですが、理解するには相当の読解力が必要です。p254~256はゴシック体なので、ブリジットへの手紙という前提ですが、実際には現実の緊迫する時間を書いているので、ここは普通の書体で地の文にしてもよかったのでは、と思いました。

雪割草:とてもいい作品だなと思いました。言葉によらないコミュニケーションの深みを感じることができました。「ムン」という言葉1つをとってもいろんな意味があり、この言葉の響きも気に入ってしまいました。ノヴァというキャラクターも、ユーモアがあり想像力もあり、親しみがもてました。それから作者のモチーフの使い方も上手だと思いました。宇宙への1歩と里親からの脱出、チェレンジャーの事故とブリジットの事故、それでも諦めない宇宙計画と生き続けるノヴァ。生還し、スーパー・ノヴァからノヴァとして生き続ける描き方も巧みだと思いました。少し気になった点としては、後半の展開が早く感じられ、前半とテンポに差があるかなというのと、原書のタイトルがデヴィット・ボウイの歌詞から引用していると思うのですが、‘planet earth is blue’の後に続く言葉の、人間の限界を示唆する含みが、タイトルを変えることで消えてしまわないかということです。答えは出ていないのですが考えています。

カピバラ:同じ訳者による『ピーティ』(ベン・マイケルセン作 鈴木出版)を思い出しました。脳性麻痺で重度の知的障碍と他者から思われている主人公の豊かな内面世界を描いた作品です。『スーパー・ノヴァ』も、ノヴァの一人称部分を読むことによって、自閉症といわれる人たちがどんな世界にいるのかについて理解を深められる本でした。言葉がわからないと思われて、簡単な言葉をゆっくり話しかけられたり、幼児向けの絵本を使われたりすることの辛さ。字が読めるし、書けるのに、理解されない辛さ。パニックを起こすことを、フランシーンは「メルトダウン」と表現していますが、どうしてそういう状態になるのか、ノヴァの一人称部分を読むとよくわかりました。父も母も亡くし、ついには最愛の姉まで亡くしたことが最後にわかるのはとても辛いですが、里親のビリーとフランシーンの愛情のこもった態度に救われます。特に娘のジョーニーは、今後ノヴァにとってブリジットの穴を埋めてくれる存在になるだろうという希望がもててホッとしました。またこの作品はやはり時代性が色濃く、チャレンジャーの打ち上げや、デビット・ボウイの歌や、ドクター・スースの絵本など、80年代の雰囲気が出ています。障碍者への理解やソーシャルワーカーの姿勢が、今から見るとずいぶん遅れているのもこの時代だからこそと思います。その点、今の日本の子どもたちには最初のうちピンとこないのではないかなと、ちょっと心配しました。タイトルと表紙の絵からイメージしていたのとは全く違う内容でした。

ニャニャンガ:自閉症の人たちのことが自然にわかる良本だと思います。ノヴァをいとおしく感じ、感情移入して読みました。里親家族がいい人たちで、本当によかったです。スペースシャトル・チャレンジャー号の発射のカウントダウンとともに、ブリジットがノヴァの前から姿を消した理由にたどりつくまでを、読者が予想しながら読み進めるのがつらいです。私はあまりにつらくて結末を先に読んでしまいました。子どもがどのように読むのか知りたいです。とくに好きな場面は、p240から241にかけての、ノヴァが自分から同じクラスのマーゴットの手をにぎる場面で、ノヴァがさらにいとおしくなりました。

マリンゴ: 障害をもつ子のお話は、何かができるようになっていく、あるいはできることを周りが気づいていくという物語が多いと思います。でも、この作品は真逆で、何かを失うことを自覚する場面がクライマックスになっています。そのため、とてもひりひりするけれど、引き込まれました。チャレンジャーの事故の当日、主人公が「姉ブリジットはもういない」と気づく、という構成なのだろうと予想はできます。でも、打ち上げまでのカウントダウン、という形でストーリーが進んでいくので、緊張感がありました。日本の小学生の場合、チャレンジャーのことを知らない子も多いですよね。そうすると、事故の描写のところで、え?と驚いて、史実を調べたりするのかな、と思いました。

コアラ:私は大泣きしました。p179の、ノヴァがブリジットのカードを胸に抱いてふるえるところとか、ノヴァは自分の感情を言葉にして出すことができないから、体にあらわれるんですよね。読んでいて本当に胸にせまってきて、ブリジットがいなくなってノヴァがどんなにつらいだろうと、涙が止まりませんでした。ノヴァがブリジットの十字架のところに行く場面のp286も、涙なしでは読めませんでした。この本を読み始めるときに、カバーの袖の部分を読んだのですが、「スペースシャトル・チャレンジャーの打ち上げを心待ちにしていた」とあって、私も皆さんと同じように、チャレンジャーの爆発事故のことを覚えていたので、この本のどこかで悲劇が起こる、ということが初めから分かっていた状態で、読んでいてずっと気持ちが重かったんです。それに、タイトルが「スーパー・ノヴァ」なので、この子が超新星のように爆発するんじゃないかと、本当に心配していたのですが、この子は生き延びて、いい家族にも巡り合ったので、それだけはホッとしました。チャレンジャーの事故を知らない今の子どもが読んだら、また別の読み方をするかもしれません。あとがきを読むと、著者はアスペルガー症候群かもしれないと診断されたということですが、ノヴァの圧倒的な存在感というかリアリティは、当事者としての感覚からくるのかもしれないと思いました。自閉症スペクトラム障碍のことを知る上でも、いろんな人に読んでもらいたいです。

ハル:この本の好きなところ、心に残ったところはたくさんありますが、ひとつは表現力です。ノヴァが初めてプラネタリウムを見たときの感動や、初めて想像の宇宙に飛び出した、その平穏な世界、安心感が、真正面から迫ってくる感じ。ノヴァの空想の宇宙の真ん中に自分がいるような、表現がサラウンドで迫ってくるような感覚がありました。これは、原文はもちろん、きっと翻訳の力もとても大きいのだと思います。そして、自閉症(だと思いますが)や障碍のある子のことをもっと知りたいと思わせてくれるところも良い点ですが、私にとっては、里親や養子について考えさせてくれたという点も大きかったです。p108のラスト、ノヴァが姉のブリジットから自分の名前の由来を聞いた場面ですが、「自分がスーパーなんだって知ってからは、もうあんまりこわいものはなかった」という一文が心に残りました。障碍のありなしもどんな家庭に生まれたかも関係なく、人生は何があるかわかりません。突然ひとりぼっちになるかもしれない。けれども、特に子どものころに、特定の誰かに守られ、愛されていた記憶、自分が誰かのスーパーだった記憶があるということは、きっと大きな助けになるんだと思いました。もちろん、施設に携わる方たちは精一杯に子どもたちを見守っているのだと思いますが、やはり、子どもには愛情のある家庭が必要なんだと思うようになりました。

ハリネズミ:著者が自分も広範で多様な感覚障碍と言われていたという体験に重ねて書いているせいか、リアルで、ノヴァに感情移入して読めました。日本でも、今は施設より里親を奨励するようになっていると聞いています。この物語に登場する里親のフランシーンとビリーは白人と黒人のカップルですが、そういう設定もいいですし、その娘のジョーニーもノヴァをあたたかく受け容れてくれる。真剣に理解しようとしてくれる人が少数いるだけでも、ノヴァのような子どもが強くなれるということを示しているのだと思いました。お姉さんのブリジットは、学校の成績もよく、ノヴァやお母さんの世話をし、まわりの偏見と闘い、しかも妹の分まで背負って里親との諍いや、里親への期待や、失望にもてあそばれてきた存在です。それなのに、ろくでなしのボーイフレンドにふらふらと休息の場所を求めてしまったのですが、それはそれでリアルなのかもしれません。先ほどチャレンジャー事故を知らない日本の子どもにとってどうなのか、という疑問も出ましたが、私は、知らなくても読めるのではないかと思います。ノヴァがいろいろな人からお姉さんは亡くなったと聞いても、どうしても現実のこととして向き合うことができない。でも、ノヴァもチャレンジャー事故によって「死」と直面し、人は死ぬ存在だということを受け容れられるようになっていくというストーリーなので、爆発事故をあらかじめ知らなくても、物語にはついていけるんじゃないでしょうか。また先ほどから出ていますが、ノヴァが、スーパーなんだと聞かされて育ったのは自信をもつうえで大きいと思います。でもスーパー・ノヴァだったら超新星爆発を起こして終わるのですが、最後のところで、自分はスーパー・ノヴァじゃなくてノヴァだ、というふうに思うところがあります。そう思って生きのびていくという点も、とてもいいと思いました。それと、チャレンジャーの事故で亡くなった教師の地元では、子どもたちもみんな学校のテレビでリアルタイムの実況を見ていたんだとわかって、子どもたちのショックの大きさが並大抵ではなかったのだと知りました。

アンヌ:この本を読む直前に、脳梗塞で失語症にかかった人の記事を週刊誌で読んでいたので、相手が言う言葉も自分で話したい言葉もわかっているのに、それを話せないノヴァのもどかしさやつらさが、いつ大人の自分にも起こるかもしれなという思いがしてドキドキしながら読みました。ブリジットへの手紙で、これまでの経過とブリジットがいない絶望感がわかっていきます。それでも、特別支援学級での友人や高校生のボランティアとのコミュニュケーションが少しずつ取れていき、最後には、里親にも文字が書けることにも気づいてもらえるようになる。よかったとホッとしたところで、チャレンジャー号の爆発事故が起こり、ブリジットの事故の記憶が同時に蘇るところは圧巻でした。それでも、爆発後も生き残る白色矮星ノヴァという終わり方は静かで詩的で、ノヴァという一人の人間の力を感じられて読み終えることができました。

ヒトデ:はじめは、どうしてデヴィッド・ボウイのこの曲を使ったのかわからなかったのですが、読み進めていくうちに、曲のもつ「よるべなさ」のようなものが、ノヴァの状況とリンクしてきて、物語を象徴する1曲として使われることに、説得力を感じました。物語の最後に光の見える、巧みな作品だと思いました。「チャレンジャー」のエピソードは、おとなの読者でしたら、知っている話ですが、子どもたちは、これをどう読んでいくのか、気になりました。描かれているモチーフが、どれも好きな作品でした。

エーデルワイス:はじめ、映画の「スーパーノヴァ」と同じ話かと思いましたが違いました。表紙の絵と内容がこれまた違いました。読み進めていくうち主人公のノヴァの気持ちがズンズン伝わってきて、息苦しくなりました。最近認知症本人の視点から描いた「ファーザー」を観ましたが、発達障碍をもつ本人から見た世界を描いたのだとすると、映画のシナリオのように読めばよいのかと思いました。ラストはデビッド・ボウイの歌で締めくくられたなら決定的。ノヴァを母親のように守り育てたお姉さんにとても惹かれます。

しじみ71個分:今日は奇しくもアポロの月面着陸の日でしたね。図書館関係でも、欧米では自閉症への意識が高いです。自閉症の子ども専用の図書館利用日を設けるなど、さまざまな自閉症の子たちと本を結ぶ活動をしています。イギリスの司書さんが東田直樹の『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部, 2007)を挙げて自閉症の人の内面がよくわかる本として紹介していたことも印象的でした。それくらい、自閉症の人たちの内面を言語化するのは非常に難しいことなのだろうと思います。それをものすごく丁寧に描きこんでいるところに惹かれました。話せないために重い知的障害があると思われている主人公の葛藤から、おはなし会で、特別支援学校関係者から、2歳くらいの知能だから赤ちゃん絵本を読んでください、と言われた事例を思い出し、ますます悩ましさが深まりました。外見と内面のギャップを周囲の人がどう理解するのか・・・。とても素晴らしい視点を与えてくれた本でした。1つ気になったのは、こういった自閉症やアスペルガー、ディスレクシアなど障碍のある子どもを主人公とする物語の傾向として、外見からは分かりにくかったり、コミュニケーションが取れなかったりするけれど、みんないつも内面が賢くて、理解のある大人の助けを得てさまざまな問題を乗り越えていくというパターンが多いことです。自閉症の場合、重度の知的障碍がある場合ももちろんあると思うし、実際はいろんな子たちがいると思うので、そこはちょっと気になるところです。スーパー・ノヴァについては、ネットの辞書で、大質量の恒星が一生の最後に一気に収縮して大爆発を起こす場合と、主星が伴星から移ってきったガスの重さに耐え切れずに大爆発を起こす場合があると書かれていましたが、ノヴァが影のようにいつも一緒で、頑張り続けたブリジットがはじけてしまい、結果事故死するというストーリーなので、スーパー・ノヴァはブリジット、ノヴァは生き続けるノヴァを象徴しているのかなと思いました。また、ちょっといい加減な引用ですが、スーパー・ノヴァは、爆発した後に水素より重い元素を放出して、それが新しい星の元になるというようなネットの説明もあり、ブリジットの事故がきっかけで、ノヴァが里親と出会い、新しい家族が始まるという結末もスーパー・ノヴァはブリジットを象徴しているようです。通奏低音になっているデヴィッド・ボウイのSpace Oddityの歌詞も不穏じゃないですか。これもブリジットを象徴しているのかなぁとか思ったり。いろいろ考えさせられる要素の多い本でした。

ハリネズミ:ノヴァのお母さんはどうなっているんでしたっけ? 亡くなっているのかもしれないし、施設に入っているのかもしれない。書いてないので、子どもの読者は気になるんじゃないでしょうか。

まめじか:施設にいたら「いたむ」という言葉は使わないから、亡くなっているんじゃないかな。

ハル:私は、お母さんは亡くなっていると思っていました。p85の最後から始まる場面で、ブリジットは里親から「養子にならないか」と言われることを期待しています。もしお母さんが生きていたら、里親と「ほんものの家族」になりたいとは思わなそうですし、アメリカの法律はわかりませんが、お母さんが2人を手放さないんじゃないかなと思います。

ハリネズミ:ああ、たしかに。なるほど。

ニャニャンガ:ところで、この作品は謝辞が長いですが、基本的にすべて訳さないといけないのでしょうか? 大量の個人名は、日本の読者に必要な情報なのかなと思うことがあります。今、訳している作品も謝辞に人名が多いので伺いたくなりました。

ハリネズミ:本によって違うと思います。省いてもいいと著者や原著出版社が言う場合もあるし、契約によってはすべて載せなければいけない場合もあります。

ルパン(遅れて参加):ブリジットがかわいそうでなりませんでした。ノヴァのよき理解者で、優しい心の持ち主なのに。生まれてきた親によって人生がこんなに大きく変わってしまうなんて。ノヴァにはブリジットの分も幸せになってもらいたいです。ブリジットもいっしょにビリーとフランシーンの子どもになれたらよかったのに。「ときには、約束をまもれないこともある」「ときには、宇宙飛行士も星に手がとどかないこともある」ということばに涙が出ました。子どもがみな幸せに過ごせる世界にしていかないと、と思いました。

(2021年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし

『オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし』(さくま訳)の表紙
『オノモロンボンガ〜アフリカ南部のむかしばなし』
アルベナ・イヴァノヴィッチ=レア/再話 ニコラ・トレーヴ/絵 さくまゆみこ/訳
光村教育図書
2021.09

フランスの絵本。まだこの世界が若かった頃、動物たちは川のほとりでみんな仲良く暮らしていましたが、やがて飢饉に襲われて食べるものがなくなってしまいます。そんなときカメがおいしい実がたくさんなる木の夢を見て、人間のおばあさんをたずね、その木が本当にあって、木の名前を当てると実をもらえると知り、その名が「オノモロンボンガ」だと聞いて、そこまで歩いて行く決心をします。途中で出会ったさまざまな動物がカメより自分のほうが足が速いし賢いと主張して自分こそ一番乗りしようと走って行きますが、みんな何かの拍子に木の名前を忘れてしまい、うまくいきません。

みんなが飢えている時にあらわれる魔法の木の名前をあてる、というモチーフの昔話はアフリカの各地にあり、これもその1つで、原著はフランスで出版されました。私はこれまでに類話の絵本を『ごちそうの木〜タンザニアのむかしばなし』(ジョン・キラカ再話 西村書店)、『ふしぎなボジャビの木』(ダイアン・ホフマイアー再話 ピート・フロブラー絵 光村教育図書)と、2冊訳していて、これが3冊目です。比べてみるのもおもしろいです。

ジョン・キラカさんが来日したときに『ごちそうの木』について話をうかがったのですが、キラカさんはほかの地域にも同じような昔話があることは知らず、自分が直接村で聞き取ったタンザニアの昔話を絵本にしたのだとおっしゃっていました。

(編集:鈴木真紀さん 装丁:城所潤さん+館林三恵さん)

◆◆◆

〈紹介記事〉

・「朝日小学生新聞」2021年12月2日

『オノモロンボンガ』朝小書評

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わたしは夢を見つづける

ジャクリーン・ウッドソン『わたしは夢を見つづける』(さくま訳)の表紙
『わたしは夢を見つづける』
ジャクリーン・ウッドソン/著 さくまゆみこ/訳
小学館
2021.08

国際アンデルセン賞、アストリッド・リンドグレーン賞を受賞したウッドソンが自分が生まれて、南部の祖父母の家とニューヨークの母のアパートを行ったり来たりしながら少女時代を過ごし、やがて文字や文章に興味をもって作家をめざすようになるまでの反省を散文詩で描いています。

これを訳すのは結構大変でした。詩のリズムを活かしながら意味が通って行くようにしなければならなかったし、そのままではわかりにくい言葉に注を入れなくてはならなかったし、詩らしい形を整えなくてはならなかったからです。

利発で成績もよい姉オデラの陰で読み書きもうまくできなくて劣等感を感じていたこと、おとなしい兄のホープが歌の才能に恵まれていたのを知り、自分にも隠れた才能があるのかと不安になったこと、肌の色も目の色も自分たちとは違う弟のローマンに最初は違和感を持つけれどやがて弟として大事に思うようになること、大好きだった祖父や、エホバの証人の信者だった祖母のこと、いつも陽気なロバートおじさんが逮捕されて収監され、刑務所に面会に行ったときのことなど、家族のこともたくさん書かれています。

それに加え、ブラックパンサー党やアンジェラ・デイヴィス、キング牧師、マルコムXなども登場し、当時のアフリカ系の人たちがどう考えていたのか、それを子どもの目がどうとらえていたのかをうかがい知ることもできます。

(編集:喜入今日子さん 装丁:アルビレオ イラスト:MARUU)

*全米図書賞受賞
*ニューベリー賞オナー受賞
*コレッタ・スコット・キング賞作家賞受賞
*E.B.ホワイト賞受賞

 

訳者あとがき

本書は、2014年に出版され、全米図書賞、ニューベリー賞オナー、コレッタ・スコット・キング賞、E.B.ホワイト賞など、アメリカの主要な児童文学賞を総なめにしたジャクリーン・ウッドソンのbrown girl dreamingの翻訳です。

ウッドソンは、2015年から2017年までアメリカの「若い人たちのための桂冠詩人」を、2018年から2019年にはアメリカの児童文学大使をつとめています。また2018年にアストリッド・リンドグレーン記念文学賞、2020年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞しているので、まさに現代のアメリカの児童文学界を第一線で牽引している作家といってもいいでしょう。

本書はそんなウッドソンの代表作の一つで、オバマ元アメリカ大統領も、アメリカの人種問題を理解するために本書をすすめています。

最近アメリカでは、詩の形式で書かれた物語がたくさん出版されていますが、本書も散文詩で書かれています。それについてウッドソンは「普通の文章で書けば、時系列や因果関係や起承転結をはっきりさせないといけないけれど、これは頭に浮かんでくる思い出を書きとめたものなので、こういう形式がふさわしいと思ったのです」と語っています。

1963年にオハイオ州コロンバスに生まれたウッドソンは、若くして離婚した母親といっしょに、母親の実家があるサウスカロライナ州グリーンビルと、母親が引っ越した先のニューヨーク市ブルックリンを行ったり来たりしながら育ちます。本書はそんなウッドソンの半生記と言えますが、ウッドソンが幼いころから文字や言葉に興味をもっていたこと、それでも読んだり書いたりすることがうまくできずに優等生の姉にコンプレックスを抱いていたこと、先生に励まされて自分の才能に気づいて行くところなどもリリカルに語られており、彼女が作家になっていく道のりを垣間見ることができます。祖父母、父母、きょうだいなど家族のことも、ひとりひとりのイメージがくっきりとうかぶように描かれているのが、おもしろいところです。

また祖父母のいるサウスカロライナにまだ残っていた人種差別についても、キング牧師、マルコムX、アンジェラ・デイヴィスといった先輩たちの公民権運動やフェミニズム運動から受けた影響についても、子どもの視点から描写されているので、BSM(ブラックライブズマター)の背景についてもわかっていただけるのではないかと思います。

詩の翻訳はむずかしく、さまざまに迷いながら訳しましたが、若いみなさんに楽しんでいただければ幸いです。

 2021年7月 さくまゆみこ

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2021年06月 テーマ:動物の化身に導かれて

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『2021年06月 テーマ:動物の化身に導かれて』
日付 2021年6月22日(オンライン)
参加者 ハル、シア、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、まめじか、西山、さららん、カピバラ、ニャニャンガ、サークルK、マリンゴ、雪割草、しじみ71個分、ルパン
テーマ 動物の化身に導かれて

読んだ本:

『きつねの橋』表紙
『きつねの橋』
久保田香里/作 佐竹美保/絵
偕成社
2019.06

〈版元語録〉ときは平安時代、京の都。主人公・平貞道は一旗あげようと源頼光の郎党となる。ところが、妖怪の白きつね・葉月と知り合い、立場を超えて互いに助けあうようになる。貞道はすこし先輩で弓の名手である季武ととりわけ仲がよく、少年時代の藤原道長の護衛をしたり、盗賊・袴垂討伐に加わったり、葉月が守る不遇な斎院の姫を助けたり、といそがしい…平安時代、源頼光の郎党貞道が、妖怪きつねの葉月と京都を舞台に活躍する。
『イルカと少年の歌』表紙
『イルカと少年の歌〜海を守りたい』
原題:SONG OF THE DOLPHIN BOY by Elizabeth Laird, 2018
エリザベス・レアード/作 石谷尚子/ 訳
評論社
2020.09

〈版元語録〉海に近づくな、と厳しく言われて育ったフィンが、ある日海に落ちてしまった。溺れる! と思ったが、なんと水の中で自由に動き回れることがわかる。フィンは、詩にも歌われた、イルカ族の乙女と漁師の間に生まれた子どもだったのだ。人間のイベントのせいでイルカに危機が迫っていることを知ったフィンは、勇気をふりしぼって立ち上がる。紛争地帯の子どもを描き続けてきたレアードが、海洋汚染をとりあげた作品。

(さらに…)

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イルカと少年の歌〜海を守りたい

『イルカと少年の歌』表紙
『イルカと少年の歌〜海を守りたい』
エリザベス・レアード/作 石谷尚子/ 訳
評論社
2020.09

マリンゴ: プラスチックの海洋ゴミの問題という、堅いテーマを、イルカの妖精にまつわるアイデアでくるんでいます。その世界観に、力技で読者を引っぱり込んでいる気もしますが、学校の仲間がフィンの変貌ぶりに驚く場面に心情を重ねられるので、違和感なく読めました。気になるのは、イルカや海中の描写が最低限しかないことですね。私の友人にドルフィンスイムをやる人がいるので、動画などいろいろ見せてもらったことがあります。その動画の迫力を思うと、イルカが目の前に迫ってきたり、仲間として一緒に泳いだりするリアルさに欠けている気がします。さらに、なぜ1頭のイルカとだけ友達になるのかもよくわかりませんでした。スーパーのイベントで風船をいよいよ飛ばす、という場面で、南京錠という小道具が生きてくるのは意外でした。最後の最後で偶然によって解決するというのは、若干肩透かしをくらった感じになりましたが、ステレオタイプな展開になるよりも、いっそいいのかな……とも考えました。

ニャニャンガ:テーマありきという印象を持ってしまったので、読者が純粋に物語を楽しめるのかなと思いました。それでも後半、風船が飛ばされるのを子どもたちがどうやって阻止するのかが気になり、読むスピードが増しました。挿絵のピーター・ベイリーの絵が昔話風なのに対し、現代が舞台の物語でファンタジー要素がからむ物語とのアンバランスさが残念でした。自戒を込めて訳文に対してコメントしますと……p32のほか全体的に読点が多いこと、主人公のお父さんの表記が段落内で不統一なのが気になりました。初出はミスター・マクフィー、ほかの場面ではフィンのお父さん、フィン目線ならお父さんなどにしてはと思います。p105で、フィンの視点で語られている段落内で「~イルカのなだめ方を心得ているらしい。やさしく~」が第三者の視点なので混乱しました。

雪割草:エディンバラにいた時にスカイ島に行ったことがあり、こじんまりした北の離島の雰囲気が似ていて懐かしくなりました。子どもたちが自ら行動して、偶然もあるけれどやり遂げるまでを描いているのはよいと思いました。でも、後半に出てくる二人組の男やサッカー選手など、登場人物のセリフがプツプツ切れていたり、不自然に感じるところが多々ありました。言葉のせいか、絵のせいか、作品の雰囲気がひと昔前の感じがしました。そして、セルキー伝説をもとにしているとあとがきにありましたが、それならばそうした要素をもっと取り入れるべきだと思いました。

アンヌ:まず、この副題は何だろう?と思いました。いきなり主題を手渡された感じです。最初のうちは、『月のケーキ』(ジョーン・エイキン著 三辺 律子訳 東京創元社刊)を思い出すようなさびれた漁村が挿絵でも描かれていて、ファンタジーの舞台として魅力を感じながら冒頭の詩に思いをはせていたのですが、どうも違ったようです。なんだか、ファンタジーが道具として利用されているような気がする物語でした。出てくる子どもたちは現代の子どもたちで、パソコンやスマホを使い、サッカー選手がスターで、環境問題も知っている。だから、このフィンの変身が全然説得力がない。いじめにあって海に落とされて、泳いでみたら泳げた。気が付いたら海と一体化した気分になっていた。イルカと遊んだ。風船を飲んだイルカが助けられなくて悲しい。これくらいは伝説や魔法がなくてもできることだと思います。さらに気になるのが、もう秘密がなくなったと言って、いきなり育児放棄をやめる父親のことです。彼だけはフィンと同じように伝説の中を生き、さらにフィンの母親殺しでもあるんだから、いっそこのまま身を持ち崩していても不思議ではないのに、妙に中途半端に救済されている感じです。後半のサッカー選手との絡みをワクワクする展開と言えば言えるけれど、そういう物語として終わらせるのなら、ますます伝説は必要ないと思えてきて、ファンタジー好きとしては納得がいかない感じでした。

エーデルワイス:アザラシ伝説の語りを聴いたことがあります。日本の羽衣伝説と似ています。挿絵は好きです。ファンタジーとしての物語と考えると、この挿絵は合っているのかもしれません。ですが、物語は海の環境問題とアザラシ伝説を無理やり組み合わせたようで、しっくりきません。主人公のフィンがイルカの乙女と漁師の間に生まれた子どもにしなくてもよかったのではと思いました。設定は別にいろいろと考えられます。p94の1行目から「わたしを見てよ。わたしのお母さんはアフリカ人。この村の人たちから見れば、これはすごく変わっているのよ。」……多種多様なお互いを認め合うシーンのようで好きです。余談ですが作家は素敵な挿絵をつけてもらえて(『きつねの橋』も)羨ましいと思いました。

ハリネズミ:私は、社会や子どもを取り巻く問題をテーマにして書く本は、とくべつおもしろく書かないといけないと思っています。そう考えると、この作品は、プラスチックの海洋汚染というテーマばかりが前面に出てしまい、キャラが立っていないもどかしさがありました。また訳も、あちこちに穴があってすらすら読めない。編集の点でも、もっと工夫する余地がある、という残念な本でした。私は、せっかく子どもが考えるよすがになるような本が、いい加減に出されていると、大変辛口な感想になってしまいます。
まず編集の点ですが、会話が原文どおりのサンドイッチ方式([ 「A」○○は言った。「B」] という形。AとBは同一人物の言葉)に訳されていて、しかもそれが日本語版では3行に改行されているので、何人もで会話している場面だと、誰の発言だかわからなくなります。たとえばp172の「そのとおり! まさにそういうこと」って、誰の台詞でしょう? また、挿し絵はピーター・ベイリーという昔から活躍している画家ですが、日本語版にはその名前がない。
つぎに原著の問題だと思いますが、海洋汚染といっても、イルカと風船に特化された話になっています。風船は毎日は飛ばさないと思いますが、ペットボトルやレジ袋などは毎日使い捨てにしている人がいるので、そっちの方が大きな問題かもしれない。入り口は風船でも、読者をもう少し大きな問題へと誘う書き方のほうがよかったのではないかと思いました。また、ほかの方もおっしゃっていますが、伝説と現実問題がうまく融合していない。それと、ジャスが防波堤から落ちる場面ですが、結構な高さがあるらしいのに、水深は浅いとあり、それなら溺れないのはいいとしても逆に首の骨を折るんじゃないかと心配になりました。挿し絵が少し昔風なのはいいとしても、ジャスがアフリカ系、アミールはパキスタン系なので、肌の色は白くない。でも、挿し絵からはそれがわからない。英語圏の人は名前から、ルーツを推測することができますが、日本の子どもにはそれができないので、肌の色の違いは絵からもわかるようになっている方がいいと思いました。
最後に翻訳の問題です。最初に出てくるドギーですが、ドギーって犬のことなので変だなあと思ってアマゾンで原書のLook insideを見てみました。するとDougieだったので、それなら「ダギー」だな、と。それからp9のチャーリーの台詞が「父ちゃんが家のちっちゃい舟で」と訳されているのですが、原文はin my own wee boat。家の舟ではなく、チャーリーはペギー・スー号という小型のヨットをもらっていて、それのことですよね。後でそのヨットで子どもたちが海に出る場面が出てくるので、それの伏線になっている。ほかにも、p32には、「フィンはひとりでいてもへいっちゃらなので」という訳がありますが、前の場面ではフィンは友だちがほしいと思っているわけだし、それで誕生日のパーティものぞき見しているわけですから「へいちゃらを装っているので」などの訳にしないとまずいし、p284の「言葉をかける前に」は、「答える前に」なんじゃないか、など随所に引っかかって、スムーズに読み進むことができませんでした。

ハル:ファンタジーとリアルが融合した構成自体を否定するつもりはないのですが、この作品に関してはちょっと、どう読んだらよいのかというとまどいがありました。イルカの妖精だったお母さんの死についても、どうとらえて良いのかわからない。お母さんが海に向かった理由も、歌の内容とはどうも違うようですし、作者は漁そのものを否定的にとらえている可能性もあるけれども、これが、イルカ漁やクジラ漁に限定してのことだったら、さまざま意見はあるだろうとは思います。それよりも、プラスチックごみは今現在、関心が高い事柄だと思うのですが、風船を飛ばすことの是非については、既にだいぶ認知されていることだと私は思っていました。なので、子どもはともかく、大人もそのことを知らないということは、このお話は30年前とか、少し前の時代の設定なのかな? でも読んでいくと、やっぱり現代の話だよなぁ……と、その点がいちばんひっかかりました。スコットランドがどうかは置いておいて、舞台は「片すみのとても小さな村」(p7)ということなので、もしかしたら、そういった情報が少ない土地ゆえの認識のズレ、ということもあるのかもしれませんが、ちょっとよくわかりません。フィンが、自分のもつパワーを知ったあとで、確かに切羽詰まった場面ではあるのですが、「ちがうよ、バカ」(p142)とか、「ばかじゃない?」(p260)とか、急に言葉がきつくなっていることにも戸惑いました。フィンを見直した友だちの、手のひらを返したような態度もしっくりきません。全体的には、悪者と良い者をはっきり決めて描くタイプの、子ども向け映画のような作品だと思いました。主人公たちと同じ年ごろの読者にとっては、わかりやすく、義憤というか、強い問題意識を芽生えさせるお話なのかもしれず、これはこれで良いのかもしれませんが、どうかなぁ……。

西山:伝説の詩からはじまるので、抒情的な世界を期待して読み始めたのですが、あっという間に伝説はそっちのけで現実の話だけになってしまって、ちぐはぐな印象を受けました。ファンタジー部分を全部削って、長さもずっと短く、子どもたちがおとなを「ぎゃふん」と言わせる小学校中学年ぐらい向け作品にしてしまったほうがよほど納得できます。タイトルもThe Song of a Dolphin Boy なのに、「イルカと少年の歌」でいいの?と思ったのですが……。でも、歌も、ドルフィンボーイも単なるつかみの設定だけのようだから、どちらにせよ大差ないとも言えますが。「イルカくん」(p62)には、びっくりするほど違和感を感じて、え?いつから「イルカくん」呼ばわり?と思い、読み直してしまいました。サッカー選手がちんぴらの暴力を止めるときの「がまんがならないことのひとつが、いじめだ」(p250)と言うセリフにも同様の軽薄な幼さを感じました。

まめじか:p188で、子どもたちが環境保護の運動をしようとしていると知ったら、大人はきっと応援してくれるはずだという箇所は、社会の問題や政治から子どもを遠ざけないあり方が透けて見えて、好意的に読みました。訳文については、三人称の文体の中に一人称が入るときの接続がうまくいってないのか、ぎこちない印象を受けました。現代の話なのに「きまってら」(p9)、「不公平ったらありゃしない」(p121)、「お食べ」(p162)、「へんちくりんだ」(p220)、「わしら」(p250)など、昔の児童文学に出てくるような言葉づかいも気になったし、「ドギーにはふさわしくない」(p8)、「スリッパでひっぱたいてやる、まちがいなく」(p66)、「ここはほんとにすばらしい」(p89ページ)、「家にいてくれなくちゃ!」(p107)などは原文をそのまま訳したようで、もっと磨けたのでは。一番ひっかかったのはp94の「アフリカ人」。エチオピアのルーツをもつジャスのことですが、大雑把にひとくくりにするような言葉にとまどいました。

サークルK:プラスチックごみという公害問題をあまり道徳臭くならないように、イルカと人間から生まれた男の子フィンの日常に託して描こうとしたのだろうと感じました。子どもたちの日常のなかには、仲間外れと和解、友達への尊敬、家族の交流も含まれますが、私はストロムヘッドという架空の漁村にいる、様々な親子の描き分けに魅かれました。母親を亡くしたフィンと愛妻を失った漁師のマクフィー氏、2人の子どもたちを溺愛するラム夫人、複雑なルーツを持つジャスとジェイミソン教授という親子関係など様々でおもしろかったです。ストロムヘッドの村の様子がわかる挿絵はノスタルジックで良かったのですが、登場人物のルーツのわかるような書き込みが少なく残念でした。

シア:ルーツや自分探しのファンタジー小説かと思ってワクワクしたんですが、いつの間にか頑張る環境保護少年団な展開になってしまい、ああ、これいつもの海外児童文学だとガッカリしてしまいました。イルカのお母さんという設定は素敵だったので、もっと生かすか、いっそなくすかしてほしかったですね。フィンは陸と海の架け橋的な存在になるのではなく、イルカのことしか頭にない少年になっています。「海を守りたい」という力強い副題を日本版はつけていますが、完全に「イルカを守りたい」でした。どちらかというとイルカとの交流よりも友達との交流がメインでしたし。フィンがやっと泳ぎ出してからなかなかドキドキしながら読んでいたんですけど、p60まできたところでイルカの挿絵があったので変身のネタバレされた! と思ったんですが、フィンは変身しておらず、そのことも加えて肩透かしを食らいました。p142でフィンは「体が引っ張られるような気がした」とあるんですが、その後は何も触れられることもなく、半分イルカであることの必然性が後半は皆無です。海の大切さについても、プラスチックごみの問題についても今話題になっているのでそれを書きたいのもわかるんですが、なんともテンプレ気味で、全てにおいて消化不良でした。

ルパン:正直、おもしろくなかったです。全体的に訳文が読みにくかったし、フィンが泳げるようになるところも、イルカが漁師と結婚するところも、唐突すぎてなんだか話に入り込めなかったし。

さららん:ファンタジーの設定のなかに、環境問題を取り上げた意欲作だとは感じました。背景の異なる子どもたちが、力を合わせて、環境を守るために行動をはじめるところは好感が持て、昔ながらの児童文学を読む楽しさがありました。ただ前半で何か所か、疑問を感じるところもあって……。ひとつは、海に落ちたフィンを見つけられないまま、子どもたちがあきらめて家に帰ってしまうところ(p52)。大人の助けをなぜ呼ばなかったのか?と疑問でした。もうひとつはp78で、息子に対して謝罪しつつ、母親の秘密を告白する父さんの心理の変化の早さです。作者はお話をどんどん先に進めたかったのでしょうね。

カピバラ:セルキー伝説はとても魅力的な題材なので、イルカと猟師の間に生まれた子どもというファンタジーの要素が取り入れられているのはいいなあと思ったのですが、ファンタジーよりも海洋プラスチック問題のほうが、著者の言いたかったことのようです。とまどった方が多かったようですが、私はおもしろいところもあったと思っていて、最初は仲間外れにされていた少年が、次第にまわりの子どもたちもまきこんで、環境問題に目を向けていくところや、親と子が一緒に取り組んでいく様子はおもしろかったと思います。

(2021年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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きつねの橋

『きつねの橋』表紙
『きつねの橋』
久保田香里/作 佐竹美保/絵
偕成社
2019.06

まめじか: 貞道がキツネの葉月を助ける一方、葉月は大極殿のもののけを追いはらって貞道を救い、また斎院の姫のためになんとか扇を手に入れようとします。人と妖狐が境を越えて助け、助けられる古の世界のおおらかさ、そこに生きる者たちの懐の深さがいきいきと描かれていますね。手柄をたてたいと思いつつも損得考えずに行動し、義理堅くもある、若い三人の仲間関係もほほえましく読みました。

ハル:やっぱり、鬼や、人を化かすキツネがいた時代の物語には、ロマンを感じますね。このお話そのものもおもしろかったですし、カバーも挿絵も本当にお見事で、目でも楽しめました。読者対象は「小学高学年」になっているようですが、実際、5~6年生でどのくらい楽しめるものなんでしょうね。中学で『今昔物語』を習うころになったら、より楽しく読めるのかも? ほんとうのところはどうなんでしょう。とっても知りたいです。

ハリネズミ:エンタメとしておもしろく読みました。ただキツネというと、どうしても『孤笛のかなた』(上橋菜穂子著 理論社/新潮文庫)を思い出してしまうのですが、あっちはキツネの哀しさなども浮かびあがるように描かれていたのに、こっちの作品は3人の若者が大盗賊をとらえるのに策略をめぐらせ、キツネの力も借りるという設定で、深みはあまり感じませんでした。リアリティに疑問な点もいくつかありました。牛車の乗り心地の悪さなどは読んでいてなるほどと思ったのですが、当時牛車というのは身分の高い者しか乗れなかったのに、身分が高くない若者が君主の息子の牛車にためらいもなく乗ってしまうという設定。また上橋さんには人間とキツネは異種であるという視点が強くありましたが、これはそうでもない。それから、そもそもキツネの葉月はどうして斎院のお姫さまを可哀想に思ったのか、というのが、描かれてはいませんでした。当時は、庶民の中にもっともっと可哀想な子はいっぱいいたと思うし、キツネは神社につきものと言っても、斎院がいるのは賀茂神社で稲荷神社ではないのに。まあ、そんなことはさておいて、エンタメとして読めばいいのだと思いますが。

エーデルワイス:キツネの出てくる物語は好きです。これは時代を超えた青春ものと思いました。「麦縄(むぎなわ)」(p137 10行目、小麦粉と米粉をねって棒状にしたもの)が出てきて、当時から小麦粉があったのかと驚きました。(後日調べたら前弥生時代中期頃から日本で稲作と共に小麦粉は栽培されていたとか。)作者は貞道と葉月(人間とキツネ)の関係をもっと描きたいのでは? 続編がありそうで、楽しみです。

アンヌ:始めに貞道って誰だろうと調べてみたら、子どもの時から大好きだった『今昔物語』の牛車で酔う話に出てくる貞道で、<頼光の郎党共紫野に物見たる語>の季武、公時の3人が活躍する話なんだ、と思ってワクワクしました。『今昔物語』に出てくる女性は大声で笑ったり自分自身の足で出歩いたりしていて、他の物語のお姫様とは違う姿で登場します。ここでは葉月はキツネではありますが、『枕草子』の清少納言が定子に仕えたように、斎院に仕えて働くことに喜びを感じているようです。女房や女官や下働きの女性に化けたりする姿も、この時代の働く女性を映しているようです。五の君の姉上が斎院の扇や衣装をあつらえることに夢中になる様子に、この時代のお姫様は実はお針も使えなくちゃいけないんだということも思い出しました。ちょうど『御堂関白記』の周辺を調べていて、馬を献上することの重要性や、道長が物の怪を自身で調伏したことを知ったところなので、この作品の頼光や頼信と多田の領地の話や、鬼に対峙する五の君の姿には納得がいきました。『今昔物語』には盗賊の話が多くありますが。その中のスターと言えば袴垂。うまくキツネの話<高陽川のきつね女と変じて馬の尻にのりし語>と合わせて楽しい物語になったと思います。できれば続編で、鬼か酒呑童子が出てくる物語も読んでみたいと思っています。

雪割草:別の時代を舞台にした作品が好きなので楽しく読みました。人と動物という異なるもの境を超えて描いているのもいいと思いました。でも、当時の暮らしならではの言葉がたくさん出てきて、対象年齢の子どもはうまく想像できるのかなと疑問でした。聞いたことがあるものもいくつかありましたが、調べてやっとわかるものの方が多かったくらいです。地図や、「侍所」がどこにあるのかなど住まいの配置図がほしくなりました。この作品はすぐ映像になりそうだけれど、言葉で感じさせる世界が弱いなと思いました。

ニャニャンガ:恥ずかしながら物語が書かれた背景を知らないため、新鮮に感じるとともに、物語に入るのに時間がかかりました。貞道がキツネの葉月に出会い心を通わせて互いに助け合う点に集中することで物語に入れました。佐竹美保さんの絵が大好きなので楽しめました。「階(きざはし)」「渡殿(わたどの)」「殿舎(でんしゃ)」「蔀戸(しとみど)」など、なじみのない言葉にたびたび出くわしたので、注がほしくなりました。本文前に略図や周辺図があるので、同じように解説図があれば読む助けになったと思います。会話がわりとくだけた感じだったのが読みやすさに通じる一方、地の文とのアンバランスさを若干感じてしまいました。

マリンゴ: とても引き込まれる本でした。時代背景やこの物語の設定をうまく説明しながら、ストーリーに引っ張り込んでくれていると思いました。1つだけ気になったのは、五の君が大極殿に侵入したシーンです。キツネの葉月に会った後で、得体のしれない影に襲われるので、葉月に化かされているのかと思って気軽に読んでいたら、そうではなくて鬼のしわざ、と後でわかります。緊張感が薄れてもったいないなと思いました。ついでに言うと、終盤のクライマックスに至るところでは、おとりと本物の話がいくつも出てくるので、交錯してちょっと紛らわしかったです。動物としてのキツネの生態の描写がほとんどなかったのに、そこがまったく気にならなかったのは、「キツネが人を化かす」ということについて、日本人の共通認識があるからかなと思いました。外国語に翻訳されるときは、説明や注釈がかなり必要になるのかもしれません。

サークルK:最近の読書会では、いじめや青少年期に悩む子どもたちが主人公のお話を読む機会が多かったので、登場人物の冒険を共有しながら爽快な物語展開を楽しむことが出来ました。端正な挿絵も美しく、物語にぴったりです。貞道とキツネの葉月の出会いに始まり、五の君と鬼の遭遇や斎院の美しい扇をめぐる怪盗袴垂との戦いなどのエピソードが次々に繰り出されて宮部みゆきさんの時代物の作品を思い出しました。因縁のできた袴垂や、陰陽師にまたもや都への出入りを禁じられた葉月について、それでもまだ決着のついていないエピソードもあったので、これから続編が発表されるのであれば楽しみに待ちたいと思います。

西山:同じ年にでた『もえぎ草子』(久保田香里、くもん出版)と比べると、なんだか物足りないというのが、以前読んだときの印象でした。再読して、さらさら読めてしまうことが強みでもあるかもしれないけれど、平安時代にどっぷりつかりたいと思うと物足りなさになるなと思いました。例えば、3人が公友の家でくつろいでいるp137のシーンなど、アニメか何かで見たことあるような印象を受けます。繰り返しになりますが、それを敷居を低くしている利点と取るか、濃厚な物語世界を削ぐ欠点と取るか、分かれるところだと思います。

しじみ71個分:帰りの電車の中だけでツルツルッと読めてしまいました。歴史物としてはとてもおもしろかったのですが、貞道の人物像やキツネの葉月の内面が見えてはこなかったので、読んで深く感動するようなことはありませんでした。また、ルビはふってありましたが、子どもどころか、大人の自分でもわからない難しい言葉も多くて、説明や注がほしかったなとは思います。歴史好きな子たちが知らないことを楽しんで調べつつ読むような物語なのかな、と思いました。

カピパラ:今回は課題本を選ぶ係だったのですが、リアルな現代ものは最近ちょっと辛いものが多いので、純粋に物語を楽しめるような作品を読みたいなと思って探したところ、この表紙の絵と帯の文句がとても魅力的でこれに決めました。上橋さんの『鼓笛のかなた』のような話なのかな、と期待して読みました。一条大路を進む牛車とか、侍所での郎党たちの様子とか、内裏の御簾の奥にあかりが灯り、姫君や女房たちの姿が浮かんでいる情景とか、そういった舞台装置や装束の描写が多く、平安朝の雰囲気が味わえます。時代背景は平安だけれども、頼光に仕える若者たちの熱い青春物語といった雰囲気があります。会話が現代風なのは、厳密にいえば突っ込みどころですが、等身大の若者の気持ちが伝わるので、あまり難しく考えずに楽しめばよいと思いました。時代物は小学高学年にはわかりにくいという意見がありましたが、小学生でも漫画で昔の時代にタイムスリップする話などが人気なので、結構楽しめると思います。

さららん:最後まですっと読めました。主人公の平貞通と、親友で弓の名手の季武、大柄で人のいい公友の三人組の描かれ方が気持ちよく、心理的深さはなくても、活劇の登場人物としてちょうどよく感じました。平貞通はただがむしゃらなのではなく、主君たるべきものについて、考えることもあります。きつねの葉月に対する感情も、最初は人を化かす狐に対する警戒心が感じられましたが、葉月の斎宮に対する思いやりにほだされ、少しずつ、変化していくのがわかります。「まずはためしてみる。だめならほかのどこでもいってやる。西でも東でも、北でも南でも」(p213)という貞通の言葉に、葉月に対する深い理解と愛情が感じられました。体制の中で差別される弱いものを守ろうとする姿勢、共に行こうとする姿勢が自然体でいいな、と思いました。

シア:大変おもしろかったです。さすが時代物がお得意な久保田さんの作品という感じでした。頼光が主君というところでテンションが上がり、これはアクションものに違いないと確信し、楽しく読めました。頼光四天王が登場しているし、髭切も盗られたままなのでシリーズ化する気なのかなと期待しています。牛車の乗り心地までは考えたことがなかったので笑ってしまったりもしました。ただ、調度品が名前だけでは古典を習う中学生以上じゃないとわからないと思うので、巻頭の地図みたいに解説や絵があると良かったかもしれません。それから、ラストシーンで葉月は人間の姿にもかかわらずしっぽが出てしまうのですが、挿絵ではしっぽではなく耳が描かれていました。構図的に描きにくかったのでしょうか?耳についての表現は文章中になかったので、少し混乱しました。また、「そういう間柄だからこそ、姉君は手を差し伸べられるのだ。立場を競い合っているといっても、べつに相手を蹴おとしたいわけじゃない。けれど、家の隆盛はうつっていく。むかしはときめいていた家が、主をなくしてさみしくなる。それを姉君はかなしいと思われるんだ。」(p133)という五の君の台詞ですが、こんな綺麗事を言っているけどこれが後の満月オジサンなのかって感じですね。そしてこの姉君は詮子のことだと思われますから(彼女はかなり政治に介入して中宮定子を追い落としたのは有名な話なので)、いや、蹴おとしてるよね!と突っ込みを入れたくなりました。いくら子ども向けの本とはいえ、美化しすぎではないかと思います。久保田さんの作品の『もえぎ草子』では清少納言がかなりキツい性格に描かれていたので、もしかしたら久保田さんは式部派なのかもしれないと思いました。

しじみ71個分:源頼光というし、四天王も出てくるので大江山の鬼退治とかの華やかなエピソードが語られるのかと思ったら、割と地味な話の連続だったので、拍子抜けしたところがあったのかもしれません。ですが、終わり方を見ると、確かに続きがありそうな感じですね。そうすると、この先に貞道たちが試練を超えて強くなっていくような、盛り上がる話が出てくるのかもしれませんね。

ルパン:これはおもしろかったです。p14の4行目で「貞道は立ちあがった」とあり、8行目でまた「貞道は立ちあがった」とありますが、そのあいだにいつ座ったのかな?

(2021年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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子どもの本で平和をつくる〜イエラ・レップマンの目ざしたこと

『子どもの本で平和をつくる〜イエラ・レップマンの目ざしたこと』(さくま訳)の表紙絵
『子どもの本で平和をつくる〜イエラ・レップマンの目ざしたこと』
キャシー・スティンソン文 マリー・ラフランス/絵 さくまゆみこ/訳
小学館
2021.07

カナダの絵本。ナチス政権下のドイツから国外に避難していたユダヤ人のイェラ・レップマンは、戦後ドイツにもどり、荒廃と貧困の中で育つ子どもたちを目の当たりにして、本をとおして夢や希望を提供しようと考えます。そして20の国に手紙を書いて、子どもの本を送ってくださいと頼み、それをもとにドイツ各地で図書展を開き、子どもが各国の本に接することができるようにします。やってきた子どもたちにレップマンは、送られて来た本をその場でドイツ語に訳して読んで聞かせます。

送本を依頼された国の中には、ベルギーのように、2度も攻め込んできたドイツに本など送れない、として断る国もありました。レップマンはめげずにもう1度、「ドイツの子どもたちに、あらたな出発をさせてやりたいのです。ほかの国ぐにから届いた本を見ることによって、子どもたちはお互いにつながっていると感じるでしょう。戦争が、また始まらないようにするには、それがいちばんではないでしょうか」と、書いた手紙を送ります。すると、ベルギーからも子どもの本が送られてきたのでした。

この絵本は、小さなドイツ人の女の子アンネリーゼとその弟ペーターが、その図書展でレップマンやいろいろな本に出会い、どんなふうに心を豊かにしていったかを中心に表現しています。想像力がはばたいている場面では、花のモチーフが絵に描かれています。

巻末には、イエラ・レップマンの紹介と、彼女が始めたIBBY(国際児童図書評議会)や、世界初の国際子ども図書館の説明があります。ミュンヘンの国際児童図書館は、市内にあった昔の建物から移って、今は郊外のブルーテンブルク城にあります。私はそのどちらにも訪れたことがあります。

(編集:喜入今日子さん 装丁:城所潤さん+館林三恵さん)

*全国学校図書館評議会 「えほん50」2022選定

SLA「えほん50」2022選定

 

<紹介記事>

・2021年9月21日の朝日新聞。原稿を書いてくださったのは記者の松本紗知さん。

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IBBYは、子どもの本に関わる人々を結ぶ世界的ネットワークで、スイスのバーゼルに本部がある。約80の国と地域が加盟していて、子どもの本を通した国際理解の促進や、良質な本を届けるための活動を行ってきた。そのIBBYや、世界で初めての国際児童図書館(ミュンヘン国際児童図書館)を創設した一人の女性イエラ・レップマンを題材にした絵本「子どもの本で平和をつくる 〜イエラ・レップマンの目ざしたこと〜』が、小学館から7月に出版された。

レップマンは、子どもの本が人々の心の架け橋になると信じ、第2次世界大戦後間もないドイツで、世界各国から送ってもらった子どもの本による図書展を開いた。この図書展の開催が、49年の国際児童図書館、53年のIBBYの設立へとつながっていった。

絵本は、弟と図書展を訪れた少女が主人公のフィクションで、姉弟の姿を通して、本が与えてくれる希望や力を描いている。翻訳したさくまゆみこさんは、「単なる理想ではなく、『子どもの本で平和をつくる』ことを,本当に目ざして行動した人がいたことが、具体的に描かれている」と話す。巻末には、レップマンに関する解説もある。

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スティーブン・ホーキング〜ブラックホールの謎に挑んだ科学者の物語

『スティーブン・ホーキング』(化学同人)表紙
『スティーブン・ホーキング〜ブラックホールの謎に挑んだ科学者の物語』
キャスリーン・クラル&ポール・ブルワー・文 ボリス・クルコフ/絵 さくまゆみこ/訳
化学同人
2021.06

好奇心をもつことに焦点を当てた伝記絵本。体の自由が失われていっても、「どうして?」「なぜ?」と問いつづけた宇宙物理学者の誕生から死までを、すてきな絵と簡潔な文章で描いています。絵がとてもおもしろいです。

先日JBBYの「ノンフィクションの子どもの本を考える会」では、最近出版されている伝記について話し合いました。

かつては子どものための偉人伝がたくさん出て、よく売れていました。そのほとんどは偉さや、人並みはずれた頑張りや、克己心などを描いたものでした。なので、私はどうしても「わざとらしい」と思ってしまっていました。最近の伝記は少し違ってきているように思います(日本では旧態然とした偉人伝がまだたくさん出ていますが)。いわゆる「偉人」ではない人にも焦点を当てた伝記が出るようになりました。それに、偉さではなく弱点ももった人間として描こうとするようになってきたと思います。

ホーキングは「偉人」ではありますが、この絵本では、好奇心を中心にすえ、ホーキングのユーモアやお茶目な側面も描いています。そういう意味では「新しい伝記」の一冊かもしれません。

同名の伝記絵本を私はもう一冊訳していて、それはこちらです。

(編集:浅井歩さん 装丁:吉田考宏さん)

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2021年05月 テーマ:中学女子あるある? それぞれの国での「乗り越え方」

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『2021年05月 テーマ:中学女子あるある? それぞれの国での「乗り越え方」』

 

日付 2021年05月21日(オンライン)
参加者 ネズミ、けろけろ、ハル、イタドリ、ルパン、アンヌ、コアラ、まめじか、西山、さららん、カピバラ、ニャニャンガ、マリンゴ、雪割草、ヒトデ、アカシア、(エーデルワイス、鏡文字、しじみ71個分)
テーマ 中学女子あるある? それぞれの国での「乗り越え方」

読んだ本:

こまつあやこ『ハジメテヒラク』表紙
『ハジメテヒラク』
こまつあやこ/作 
講談社
2020.08

<版元語録>『おはようございます。実況はわたし、出席番号三十三番、綿野あみがお送りいたします。』 ひそかな趣味は脳内実況!そんなわたしがなぜか生け花部に……。2019年度中学入試最多出題作『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』で講談社児童文学新人賞受賞のこまつあやこ氏、待望の2作目。ユーモラスで爽やかな青春小説!
『チェリーシュリンプ』表紙
『チェリーシュリンプ〜わたしは、わたし』
原題:THIS POST IS PASSWORD PROTECTED
ファン・ヨンミ/作 吉原育子/訳
金の星社
2020.12

〈版元語録〉学校の課題がきっかけで、仲よしグループから仲間外れにされるダヒョン。友人関係を見つめなおし、「わたしは、わたし」という思いを強めていく。韓国の中学生の日常、心情を鮮やかに描いた、すべての10代へのエール。

(さらに…)

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チェリーシュリンプ〜わたしは、わたし

『チェリーシュリンプ』表紙
『チェリーシュリンプ〜わたしは、わたし』
ファン・ヨンミ/作 吉原育子/訳
金の星社
2020.12

まめじか:日本の中学生が読んだら、お隣の国でも同じようなことで悩んでいるのだとわかって親近感をおぼえると思うので、それはとてもいいと思いました。ただ、ここで描かれている友人関係の摩擦やモヤモヤした思いは日本にもあるので、日本の物語の韓国版という感じ。韓国の街の様子や食べ物が描かれているのはおもしろかったのですが。一読者としては、翻訳ものだったら、日本では書かれないような、違う景色が見られるような作品を読みたいなと思います。たとえば絵本の『ヒキガエルがいく』(パク・ジォンチェ作 申明浩・広松由希子訳 岩波書店)は、カエルたちが行進する姿に普遍的なものを感じますが、その一方で、作品の背景にはセウォル号の事件で真実が解明されていないことへの憤りがありますよね。p158で「バスの中でのことがずっとひっかかっていた」とあるのですが、話し続けるヘガンに冷たい態度をとったダヒョンは、そのことをそんなに気にしていたのですか? 数ページ前ではそんな様子はあまり感じなかったので。

けろけろ:p155で、イヤフォンをはめて、ヘガンの話を拒絶してしまったことを言っているのでは?

西山:韓国の絵本はたくさん出版されていますが、読み物はめずらしいなと思って手に取り、大変興味深かったので、この会で取り上げようと思いました。韓国でも、こんなに同調圧力が強いのかと、同じであることにまずびっくりしました。同時に、友だち関係で神経をすり減らしている10代は日本の創作で見なれているものの、悪口などここまであからさまに描かれていないと思い、違いにも驚き、とても興味深かったです。あと、とにかく、食べ物がよく出てきて、いちいちおいしそう。これが、けっこうな魅力となっていますね。文化の違いを最も感じたのが、やけに簡単に物をあげることです。誕生日とか何かの理由もなくプレゼントなんかしようとして、きっと拒絶されるぞと思いながら読み進めると、相手はすんなり喜んで受け取ってしまう。贈り物の考え方が違うのでしょうか。韓国文化に詳しい方がいたら教えてほしいと思いました。韓国のイメージがアップデートされた感じでおもしろかったですね。

カピバラ:韓国の中学生の日常を描いた物語は初めて読んだので新鮮でした。最初は人物名が男子か女子かすぐにわからないので読みにくかったけど、それぞれの描き方がうまく個性を表現しているのですぐに慣れて物語に入り込めました。仲良しグループに入る、つるむ、違和感を感じる、はずれる、という関係性がうまく描けていたと思います。日本の中学生女子にも「あるある」なことが多く、読者は共感を持つと思います。でも、人をけなす言葉がずいぶんときつく、はっきりしているのは韓国だからでしょうか。主人公が、自分の気持ちを素直に表現していて、友だち関係から複雑な心境に陥ってしまい、そこからなかなか抜け出せなかったり、逆にちょっとしたきっかけで妙に単純に立ち直ったりするところなど、この年頃の女の子の心理が手に取るようにわかります。どの子にも友だちに見せる表面の顔と、裏の顔があることが描かれていて、人の言葉に左右されずに自分で本当の姿を見極めることが大切だということが、読者にも伝わると思います。韓国の食べ物がいろいろ出てくるのが興味深かったし、コスメショップでいろいろ買い物するのも韓国らしいのかなと思いました。中学生だけでコスメや洋服を買いに行ったり、しょっちゅう食べ物屋で食べたりするんですね。文章にはいいなあと思う表現が随所にありました。「ものすごく楽しみで、通りに飛びだしていって拡声器でお知らせしないといけないくらいだ。」「その日以来、幸せウイルスのアプリが体にインストールされたみたいだった。」(p99)、「地球はわたしを攻撃する方向に自転しているようだった。」(p200)とか。この本も、読者は女子だけなのかな? 副題に「わたしは、わたし」が付くと女子しか手を伸ばさないのではないかと気になりました。女子は主人公が男子の本でも読むけれど、逆はあまりないようなので、もっと読んでほしいからです。

アカシア:前半はダヒョンが使い走りをさせられているのに、どこまでも合わせよう合わせようとしているという状態にいらいらして、早くなんとかしなさいよ、と言いたくなりました。でも日本と同じように韓国にも同調圧力やいじめがあることはよくわかりました。後半ウンユと知り合いになって、自分は自分らしくと思い始めてからは、周りの人々のことも、表面と実際はかなり違うということがわかっていく。そういうところはとてもおもしろく読んだのですが、前半がもう少し短くてもいいように思いました。食べ物がたくさん出てくるのもおもしろかったです。ただ、これは読者である私の問題なのですが、ここで初めて見る名前がいっぱい出て来て、すぐにイメージがわきにくかったんです。たとえば同じ名前の人を知っていれば、それを思い出して、同じでなくてもイメージがしやすいんですけど、女性名か男性名かもわからず、古い名前かキラキラネームかもわからないので、とまどいました。欧米の名前だと読み慣れているからそうでもない、ということを考えると、いかに自分が韓国の作品を読んでこなかったか、ということですね。それから最初のコピーライト表示ですが、書名が英語で書いてあってハングルでないのはどうしてなんでしょう?

コアラ:おもしろく読みました。グループ内での立場とか、そういうところは日本も韓国も変わらないんだなと思いました。ダヒョンの恋心がかわいかったです。印象に残ったのは、p190の6行目から、「わたしたちはみんな木と同じように独りぼっちなの。いい友だちなら、お互いに日差しになって、風になってあげればいい。自立した木としてちゃんと育つように、お互いに助け合う存在。」これはとてもいいと思いました。私が中学生なら、メモ帳にメモして持ち歩きたくなるいい言葉です。この木のたとえは、ダヒョンがチェリーシュリンプのブログに書くところでも出てきます。ページで言うとp206以降ですが、このあたりはどれもメモしたくなるくらい、いい言葉がありました。それから、この本に出てくる大人が、ちゃんと大人として存在しているのもいいと思いました。子どもにしっかりしたアドバイスをしているのが印象的でした。あと、ヘガンの口癖の「ヤバい」という言葉ですが、韓国語ではどういう意味の言葉なんだろうと興味を持ちました。

マリンゴ: とても魅力的な本でした。思春期の子たちのぐちゃぐちゃした人間関係、大好物です(笑)。特にいいなと思ったのは、ヒロインのダヒョンのウザい部分が書き込まれているところですね。とてもいい子なのにわけもなく嫌われる、のではなくて、ああ、こういう子はたしかに疎まれるかもしれないな・・・と思わせる部分をしっかり描いています。たとえば仲間に好かれるために積極的に悪口を言うところ、しゃべりだしたら止まらなくなるところなど、リアルです。日本が舞台ならば、少しユーモアを入れ込まないと、しんどい物語ですけれど、よその国のお話として距離を置いて読めるから、重苦しくても楽しめました。韓国の子たちのおやつ事情、食生活などもいろいろわかってよかったです。終盤、オトナがいいことをいろいろ言っていて、その言葉が印象に残りました。「世の中の人全員に好かれるのは不可能」(p188)、「憶えていてあげること、それが愛」(p193)などです。最近、一般書の韓国文学をちょくちょく読んでいます。チョン・セランなどがとても好きです。この本にも出会えてよかったと思っています。

ルパン:韓国の名前がなんだか耳に心地よかったし、翻訳ものといえば欧米の名前、という感覚があるからか、とてもエキゾチックに感じました。それにしても、実によく食べ物が出てきます。これと化粧品ネタがなかったら、このまま日本を舞台に置き換えてもいいくらい、日本の中学生と通じるところがあり、共感がもたれるのではないかと思いました。この読書会、リモートになって遠方や地方の方も参加できてよかったな、と思っているのですが、唯一対面でなくて残念なのが、みんなでおやつを食べられないこと。いつもアンヌさんが課題本にちなんだおやつを差し入れてくださっていたので、今回もし対面だったら何を買ってきてくれたかなあ、なんて想像しながら読んでました。

イタドリ:これから韓国の作品が、絵本だけでなく、どんどん紹介されていくんでしょうね。みなさんがおっしゃるように、食べ物のことやコスメのことだけでなく、子どもたちの暮らしの様子がわかるようになるので、楽しみにしています。『ハジメテヒラク』(こまつあやこ著 講談社)は、自分が一歩外に出て実況することで、物事を客観的に見られるようになるし、この本の主人公も新しい友だちを得ることで、人間関係を新しい視点から見ることができるようになる・・・テーマは、似通っていますね。ただ、日本の作品には母親を厳しい目で否定的に描いたものが多いような気がするんですが、この本のお母さんは、なかなかいいですね! こういうお母さんに育てられても、ウジウジしちゃうのかな?

ヒトデ:なによりも出てくる食べ物の描写がおいしそうで、「胃袋」に響く小説でした。韓国の小説は、一般書でも何冊か読みましたが、どれも「身体的な描写」にハッとさせられることが多かったように思います。この物語も、そうした意味でとても「身体的な(内臓的な)」小説だと感じました。大変な状況にあっても「食べる」ことで、主人公の身体にエネルギーが通って、物語が進んでいくような、そんな印象を持ちました。物語のなかに描かれている「高校入試」のシステムが複雑なのにも驚きました。アラムとの「落としどころ」は、読む人によって意見が分かれるのかもしれないなと思いつつ、私は好きな終わり方でした。

雪割草:とてもよかったです。登場人物が、家族やその子が置かれている環境とともによく描かれていると思いました。主人公や友だちのウンユが変わろうとする姿もていねいに書かれ、リアルに感じました。読んだ後に心に残る言葉のある作品が好きですが、この作品はまさにそうで、木や風を使った表現の箇所がよかったです。おとなの存在、おとなの視点が、作品でよく作用しているとも感じました。タイトルのチェリーシュリンプという生きものを知らなかったので調べてみました。日本では見慣れないこの生きものは、主人公がブログのタイトルに使って説明している以上の意味が韓国で何かあるのか、少し気になりました。

けろけろ:韓国料理がとてもたくさん出てきて、主人公たちがそれをエネルギーにしている感じがおもしろいですね。帯の表4側に作者の日本の読者へのメッセージがありますが、作者は日本の作品を読むときに、その街並みや食べ物をとても楽しんでいたようで、韓国の話を書くときに、それを意識して書こうとしていたんだなと思いました。友人関係がすべてというこの世代に、国を超えてエールを送っている感じに、とてもじんと来ました。韓国の女子のいじめが、日本とあまりにも似ているのに驚きました。ただ、翻訳ものであることが、いい距離感を生んでいて、日本の作品だとリアルすぎるところが少し薄まって読めるんですね。私の好きなシーンは、主人公のダヒョンがウンユに、亡くなった父親について話すところ。ふたりの関係がしっかりと結びついていくのが、視線などでうまく描かれているなと思いました。SNSのいじめって、残酷ですね~。文字の会話が続いていくなかで、そこで発言していない子がいることにみんな気づいているのに知らんふりしている。透明人間みたいになってしまう。日本でも、こんなシーンがきっとあるんだろうな、と思うと、胸が痛みます。魚住直子さんの作品も韓国で人気ですが、なにか通じるものを感じました。

ハル:「ザ・中学生あるある!」という感じで、実際にこういう経験をしたかどうかはおいておいても、主人公の心情表現は、まるで中学生、高校生のときの自分の日記を読み返しているようなリアルさを感じました。「私の日記か」というのはつまり、リアルなだけに、浅く散らかっているというか、文章が上滑りしていく感じもあり、「ときどきこういう、リアルなんだけどどこか軽くなってしまう小説ってあるよなぁ」と思いながら読んでいたのですが、後半の10章あたりでぐっと引き込まれて、主人公が書き溜めていたブログを公開したところで、ああいいなぁ、と思いました。特に主人公たちと同世代の読者たちは、身近な解決策やヒントをもらったような、勇気づけられた気持ちになるのではないでしょうか。ただ、結局、チェリーシュリンプは特にキーとして登場するわけでもないし、全体的にすごくよくまとまっているかというとそうでもないようにも感じましたが、良い作品だと思います。「日本の小説を読むのと変わりがないんじゃない?」というと、そうでもなくて、やっぱり、日本と似ているようで違う文化もおもしろく、韓国の子は買い食いの習慣があるんですね、いろんな食べ物が出てきておいしそうでした。

ネズミ:主人公が、学校での人間関係を克服して、ブログを公開できるようになるまでの成長を描くというテーマはいいですが、『ハジメテヒラク』と同じで、こちらも読むのが苦しかったです。同調圧力がどうにも苦手で。苦しいのは、それだけ真に迫っているからでしょうね。そんなことがあるの?と、驚くようなことが次々あってもどうにか読み進められるのは、舞台が日本ではなく韓国だとわかっているからでしょうか。

ニャニャンガ:『きらめく拍手の音』(イギラ・ボル著 矢澤浩子訳、リトル・モア)、『82年生まれ、キム・ジオン』(チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳、筑摩書房)などの一般向け韓国作品は読んだことがありますが、子ども向けの韓国作品ははじめて読みました。本作では韓国の様子がわかり興味深かったです。ただ、特定の子を嫌った理由が冒頭の人物紹介に書いてあったのはネタバレではないかなと感じました。韓国の大気汚染がひどいことは本書を通して知りました。聞きおぼえのある食べものが多く登場しますが、キムパグはキンパのほうが一般的かもしれません。「目がふっと震える」(p135)はすてきな表現と思った一方で、「バスが無表情」(p195)という表現には引っかかりました。「アナジュセヨ」(ハグしてください)の勘違いのくだりについては、最初に出てきたところで詳しく書いてくれたらわかりやすかったです。まじめ虫という表現は、『82年生まれ、キム・ジオン』のママ虫を思いだして韓国特有の表現なのかなと思いました。

さららん:登場人物たちがみんな食べることに執着しているのがおもしろく、私もそこにバイタリティを感じます。特に主人公は、仲良しグループに気を使い続け、次第にハブられていきますが、これだけ食べることが好きなら、この子はきっと負けない!と感じられ、そのおかげで読み進めることができました。友だち同士言葉で激しく言い合い、傷つけあうところも描かれ、陰湿な場面もありますが、主人公は自分の意志で、仲良しグループのトークルームを抜けることを選びます。クラシック好きなことも隠していたけれど、自分が選んだものを肯定し、表に出していける環境をだんだんに作っていきます。このぐらいタフで楽観的でありたいと願う読者は、韓国はもちろん、日本にもたくさんいるかもしれない。また江南からの転校生は優秀だという妬みや、うどん屋でクラシックをかけるのはヘンだ、といったものの見方に、日本よりさらに階級化された社会を感じました。

アンヌ:最初はいじめの話だと、いやいや読みだしたのですが、おいしそうな食べ物が次々と出てくるので、読んでいて楽しくなってきました。つらい思いをしている主人公の話で、どうもおなかも弱いらしいので、まさかこんなにおいしそうな話になるとはと意外でした。作者がこんな風に食べる場面がたくさん出しているのは、子供の生命力を読者に感じさせるためではないかと思います。それにしても、中学生や高校生の頃って、本当に嫌になるほどおなかがすいていたなと思い出します。私は食べ物で本を読み解く主義なので、試しに数えてみたら食べ物が出てくる場面は28場面。食べ物は全部で60品目以上ありました。そのうちダブっているものや中華街の食べ物や日本でも手に入る食べ物を抜いたら、24品目が韓国固有の食べ物でした。まずいとされるのはハンバーグ屋のハンバーグと飲み物だけというのもおもしろいところです。また、先ほどご指摘があったように、同じページ内に注がついていて、どういう食べ物かすぐわかるのも魅力でした。作者と翻訳者の、韓国を紹介したいという気持ちが感じられるところです。今、日本の若い人が夢中の韓国コスメの話も楽しく、こんなに若い時からお化粧品を買うんだなとか、p194のコスメ屋さんに4人で行く場面で、お父さんにも乳液をプレゼントするんだとか、韓国では父母の日というのがあるんだとかいうことを知りました。知らない生活習慣や韓国のおいしそうなものが出てきて、外国文学を読む楽しさを堪能しました。ダヒョンがこんなにつらい生活の中でも自分を見失わなかったのは、やはりブログという形で一度言葉にして心の中のものを外に出して、自分の好きなもの、自分を形作っているものを見つめていたからだろうと思います。課題をこなすために集まったグループのうち、3人が将来は記者になりたいと言っていて、作者は言葉が好きな人間を応援しているとも感じました。ダヒョンもウンユも言葉を知っている子だなと思います。p190のウンユの言葉で始まる木と風のたとえは実に詩的で、さらに、ダヒョンのブログの中でそのとらえ方が変わっていくところも、ダヒョンの成長が感じられていいなあと思いました。それぞれつらい別れを知っているからこその言葉だと思いました。私はいじめっ子にもいじめるわけがあるという擁護はあまり好きではありません。作者はアラムがウンユにまとわりついてうまくいかなかったことや、つらい境遇にあることを最後の方に記しています。だからといって関係をどうにかするということではなく、アラムが困っているのを察したダヒョンがポーチを机の上に置いて、そのことを相手がどう思ってもいいと立ち去るところは、実に爽快感があってよい終わり方だと思いました。

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エーデルワイス(メール参加):女の子特有のグループでのいじめの問題は韓国も日本も同じようです。ほとどの子が塾に行っていることや、音楽、映画、恋心も。コスメの浸透にはちょっと驚き、韓国の美味しそうな食べ物がでてくるのは楽ししかったです。ページ内に小さく注釈があるのはいいですね。「大気汚染注意報」も驚き。マスクを付けて登校とは。最初に登場人物の名前の一覧があるのは助かりました。韓国の名前に馴染みがなく、途中で誰か分からなくなり時々確かめながら読みました。ボス的な女の子のアラムが実は寂しい家庭環境にあることを知った主人公のダヒョンが、アラムの席に整理用品をそっと置くラストは爽やかです。コミュニティ新聞つくりグループの4人中3人が将来は物を書く人になりたいというのは作者の投影でしょうか。

しじみ71個分(メール参加):中学生女子の「あるある」な物語で、自分が中学生のときのことを思い出しました。中学生のあたりは、まだ自我の確立なんて全然できていないし、自分が何者かもまったく分からない時期で、自分の周りの小さな世界に所属したくても、どうしてか世界と自分とが、食い違ってしまう、自分は周りと何か違う、息苦しいと気づき始める頃なのだろうと思います。誰でもこんなことあるよね、と思わせてくれる物語で、チェリーシュリンプに象徴される、自分らしさを大事にすることの気づきを得て終わってくれたので、読み終わってスカッとしました。中学生女子の間の同調圧力の理屈の無さ、未熟さ、想像力の欠如から、なぜか自然に誰かを無視したり、仲間外れにする仕組みがリアルに描かれていると思います。理由が分からないけど、友だちが嫌っているから私も嫌いと思い込むとか、空気を読んだつもりで悪口を言ってしまうとか、なんて馬鹿馬鹿しいことかと思いますが、結構、大人でもあるなと居心地の悪さも感じさせてくれました。また、韓国の中学生のコスメ事情など、関心事も細かく描かれて、とても興味深かったです。また、とてもおもしろいなと思ったのは、結構、ウジウジした内容なのに、主人公のキャラクターのおかげか、物語が湿っぽくなく、カラッとドライな印象のあることでした。日本の物語だともう少しじめっと湿っぽくなるかもしれません。そのドライさは、主人公の思考や受け止めに表れる芯の強さや朗らかさから来るのかなと思ったのですが、書き方の客観性かもしれないですし、そこに作者の気持ちや意図ががあるようにも思いました。

鏡文字(メール参加):登場人物紹介で、ある程度の筋が見えた感じで、どう物語を決着させるかという興味で読み進めました。ラストのシーンはなかなかいいのではないかと思いました。韓国でも今時の中学生はいろいろ大変なんだな、とも。学校生活など、日本の子どもにとってもさほど違和感がないように感じました。その分、あまり新味もなかったかも。ベトナム戦争のことなどがチラッと出てきて、やや唐突な印象。本筋にからまないことで出てくるのはいいのですが、あとほんの少しだけ踏み込んでいいような気がしました。p216で母親が語る「生きていれば、疎遠になったり、思いもよらない時期にまた会ったりするの。人間関係なんて、みんなそういうものじゃないかしら」という言葉は、子どもがどう受け止めるかはともかく、大人としては多いに納得です。翻訳物は、書かれた背景など、訳者のあとがきを読むのが好きなので、それがないのが残念でした。

(2021年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ハジメテヒラク

こまつあやこ『ハジメテヒラク』表紙
『ハジメテヒラク』
こまつあやこ/作 
講談社
2020.08

アンヌ:とてもおもしろかったけれど、わかりにくかった点が1つあります。脳内実況と現実の実況の違いについてなんです。二重カギ括弧で濃い文字が脳内実況、カギ括弧で濃い文字が現実の実況、と気づくまでに時間がかかりました。声に出して実況しているところは、普通の会話と同じ文字にしておいて二重カギ括弧でくくれば、十分通じたのではないかと思います。主人公は他人の恋心や秘密を勝手に話してはいけないということが、ある意味最後までわかっていないようで、それを主人公の個性としてとらえていいのかどうか気にかかるところです。小学生のうちは、ついうっかりということですむのですが。でも、そんなことはどうでもいいくらい元気な気分で読み終えられたのは、このコロナ禍の中、大声で叫べないことが増えていて、例え脳内でも読みながら叫んでいて気持ちよかったからもしれません。競馬の実況中継が絶叫系だからでしょうか。華道部のところの二十四節気は何となく知っていたのですが、七十二候の話はよく知らなかったので、いろいろ調べるきっかけになっておもしろ読めました。

さららん:主人公の一人称の語りに、「おーっとどうする」のような、つっこみも交えた三人称的実況が入り、おもしろい効果をあげていますね。次章への好奇心をそそる章の切り方も上手です。心情を風景に投影した描写、例えば「家庭科実習室の壁紙が貼り替えられたように、白くまぶしく見えた」(p131)も、わざとらしさがなく好感がもてました。仲間外れ、ジェンダー、差別といったモチーフが重くなりすぎずに編み込まれ、いやだった自分を変えたい、という主人公の願いも、自分らしさを否定せずに実現させることができて、よかったと思います。文化祭での生け花の実況中継をやめたいと思いはじめる主人公を、無理強いせず、あえて後ろに引いて待つ姿勢の野山先生(p149)に、大人のあるべき姿を感じました。

ニャニャンガ:クラスの人たちを実況中継することで孤立感を紛らわせる発想は、斬新です。友だちから浮きたくなくて目立たないようにしている主人公に、共感する子どもたちが多いだろうと思いました。学生時代の私は孤立するのがいやで無難に受け流した記憶がありますが、今では「浮いていてなにが悪い」と思うので、主人公もその結論に達したのがよかったです。1つだけ気になったのは、頭の中で考えるだけでも、するっと実況中継できるようになるのかしらという点です。もともと才能があったのかもしれませんが、私には無理だと感じました。

ネズミ:私は、友だちづきあいや部活を中心においた本は苦手なんですよね。学校生活で、友だちや部活ありきと思いたくないという気持ちがあって。でも、実況によって自分を客観視していくというのは、目のつけどころがおもしろいと思いました。人のことをよく見ることにもつながっていくので。生け花部を通して、まわりの先輩や同級生のことを知っていくというのはよかったし、作者が成長物語としていろんなテーマを盛り込もうとしているのも好感が持てました。

ハル:まさに今回のテーマの「中学生あるある」という言葉がぴったりの本ですね。2回読みましたが、やっぱり楽しいし、おもしろかったです。なぜか著者の姿が浮かんでしまうのですが、デビュー作の『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』(講談社)と同じく、とても楽しんで書いているなぁという感じがします。物語から得るメッセージもさまざまありますが、言葉のおもしろさも感じさせてくれるのが、こまつさんの作品の好きなところです。1点だけ、最初に読んだときも思いましたが、肝心の、文化祭の実況が、実況としてはあまり上手じゃないというか、言いたいことが前面に出てくるとリズムが普通になってしまって、実況口調がうすれてしまったのは、読んでいてちょっとひっかかりました。といっても、ほとんど影響ないぐらいのつまずきでしたけど。読後感がさわやかで、心が落ち着くし、ぜひ中学生に読んでほしいです。あ、もう1点ありました。巻末に「『立冬』の『山茶始開』は、ふつう『つばきはじめてひらく』と読みますが、この『つばき』はツバキ科の山茶花(さざんか)のことなので、『サザンカはじめて開く』といたしました」という断り書きがありましたが、これはどうしてツバキのままじゃいけなかったんでしょう?

イタドリ:普通、椿は冬から春にかけて咲くけれど、文化祭のある秋に咲くのは山茶花だからでは?

アンヌ:p198で部長が活けるのが山茶花だからでは?

ハル:なるほど! ありがとうございました。

けろけろ:こまつあやこさんは、力のある、これからの作品が楽しみな作家さんだなと思って、今回選書させていただきました。先日も、児童文学者協会の新人賞を取られましたね。小学校高学年で、自分の失言から仲間外れになって、中学になっても踏み出せずにいる主人公。仲間外れになったときに、「実況中継をしたらいいんじゃない」というアドバイスをされるというところがおもしろいですね。人間関係の外にいったん出るというのは、的確なアドバイスだったかもしれないと思います。中学で、うっかり入った華道部の部員の個性がうまく描けてますね~。特に私の推しは、城先輩。絶対いなさそうな人物だけど、描けちゃうのがフィクションのいいところですよね。私も華道を教わっているのですが、枝を切り落として姿を見つける感じとか、枝はひとつとして同じものがないなど、テツガク的なところがあり考えさせられます。お花をいけるシーンが伏線としてもう少し入ってもいいのかなと思いました。カオ先輩の進路の問題、マイちゃんの出身の問題など、結構盛りだくさんなのですが、バランスを考えたら、枝をもう少し切ってもよかったのではないかと思いました。

雪割草:全体としては、おもしろく読みました。特に、「実況」という語りの手法は、新鮮でした。生け花ショーの実況をするのに、生け花部の部員それぞれを観察するなど、「実況」が一人ひとりを知ろうとする切り口になったり、生け花ショーなので、お花を使ってそれぞれの個性を表現しながら実況したり。でも作品の最初の方は、「実況」がうるさいと感じてしまいました。それから、マイちゃんのお母さんがベトナムの出身であるなど、外国にルーツのある子どもを登場させているのもよかったです。友だちとの関係のところは、仲よしグループのような関係が苦手だったので、実感というより大変だなと思って読みましたが、主人公が、友だち関係のなかで負ったトラウマを乗り越えようと挑む姿は、同年代の読者の共感をよぶだろうと感じました。生け花のことはわかりませんが、日本の伝統文化でもあるし、もう少し踏み込んで描きこんでほしかったと思いました。

ヒトデ:今回の課題になった『ハジメテヒラク』と『チェリーシュリンプ〜わたしは、わたし』、舞台になる国はちがいますが、どちらも中学生たちの「友人関係」を描いた物語として読みました。はじめは、「脳内実況」に少し乗れないところもありましたが、p20を越えたあたりからグイグイ読み進めることができるようになりました。何よりもまず「実況」という装置が発明だと思いました。地の文と同じ「描写」をおこなっていても、それがより深まっていくというか・・・これまでに読んだことのない「読み口」の文章でした。物語の運びは定石通りではありますが、「人間関係を生け花にたとえていくこと」や「クラスの外で居場所を作ることの大切さを描いている」など、良い所がたくさんあった物語でした。城先輩の恋がむくわれなかったのは、少々残念でしたが(笑)

イタドリ:私もアンヌさんとおなじように、脳内実況しているところと実際にしゃべっているところが同じ活字なので、わかりにくいと思いました。内容についていえば、私が子どもの本を読んだときの感想って、おおざっぱにいえば3つに分かれるんですね。①『彼方の光』のように、「ぜったい読んだほうがいいよ」と、子どもに熱烈に押しつけたい(?)本 ②「なにかおもしろい本ないかなあ」といわれたときに、「これ、読んでみたら」と手渡したい本 ➂「ちょっとやめといたら」と言いたくなる本。これは、②の本かな。さわやかで、明るくて、楽しく読める作品だと思います。生け花については、もうちょっと掘り下げて書いてもいいかなと思ったし、いとこのお姉さんが、最初と最後だけちょこっと出てきて、主人公のヒーローというには、あっさりしすぎてるかな。その軽さが読みやすさに通じるのかもしれないけど。

ルパン:私は何回か競馬場に行ったことがあるのですが、あの馬たちの疾走の迫力に取り憑かれる人がいるのはわかる気がします。地鳴りのような馬の駆ける音とともに観客の歓声と怒号が鳴り響くあの雰囲気をことばで伝える実況放送はすごいと思います。なので、競馬放送の話になるのかな、と思ったら生け花部、というのはちょっと驚きでした。はじめはなかなか入っていかれませんでした。ストーリーはよかったのですが、私は主人公のあみちゃんに、正直あまり感情移入できませんでした。小学校のときにクラスの輪から外れたいきさつも、もう少し同情させてくれるシチュエーションだったらよかったな。というわけで、自分で好きで手元に置きたいという本ではなかったのですが、これを文庫に置いて、悩める年ごろの小中学生に手渡すにはいい作品だと思います。勇気づけられる子もいるかもしれないから。この作者の『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』はとてもよかったので、またほかの作品が出たら読んでみたいです。

マリンゴ: 地の文、心の声の実況、会話をうまく重ね合わせていて、新しさがありますね。最後、たたみかけるように感動を連鎖させてクライマックスを作っているところも、本当にうまいと思いました。文化祭当日、大事な実況がぐだぐだになっていくのも、テンパっている感じが伝わってきてリアリティがありました。相手のことを知ると見方が変わり、いじめ突破の一歩にもなる、とエールを送っているのもいいと思います。先ほど、生け花の描写が物足りないという意見がありましたが、これ以上深く踏み込むと、どこの流派かを描かざるを得ないことになります。流派を選ばずに、ある程度、お花のことをちゃんと表現しているという点でも、この作品は巧みだと思いました。また、七十二候の入り方もおもしろく、知らなかったことを教えてもらえました。

コアラ:タイトルではどういう話かまったくわからなくて、カバー袖を見ると、実況の言葉だったので、放送に関する部活の話かと思ったんです。ところが、本文はバスケ部のマネージャーの話で始まり、仲間はずれのことが語られ、いじめの話かと思ったら、突然競馬場に連れていかれるし、バラバラで話が見えなくて、この本は興味が持てないかもしれないなと、ちょっと投げ出したくなりました。それでも、部活で生け花というのは新鮮で、主人公の行動にハラハラさせられながら、飽きずにおもしろく読み終えました。生け花の実況、というのは、私もおもしろい発想だと思います。実況というとスポーツの絶叫を思い浮かべますが、将棋のテレビ放送では実況のように解説していますし、静かで表に出ないものにこそ実況というのはアリだと、この本を読んで思いました。マイちゃんがベトナム人のハーフというのも、物語を奥行きのあるものにしていますよね。それから、主人公の「あみ」の欠点というか、人の代わりに告白してしまうクセが、結局治らなかったのが、私はおもしろいと思いました。欠点を直すことが成長、ではなくて、生け花に出会って人を見る目が変わって世界が広がったことで成長する姿を描いていると思います。中学女子にぜひ読んでほしいですね。

アカシア:職業や部活を取り上げた作品はけっこうあるけど、これはその隙間をついていますね。実況アナと生け花ですもんね。実況っていっても、種類はいろいろあると思いますけど、これは古いけど古舘一朗のプロレス実況みたいなノリ。そこが笑えました。居心地の悪い現実に、突拍子もない実況で切りこんでいく感じが爽快でした。『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』にも、マレーシアからの帰国子女が登場していましたが、ここにもベトナムからやってきた口数の少ない少女が出てきます。この作家さんには何らかの志があって、意識して出しているのだと思います。内容は、リアルな物語と言うよりは、マンガ風というかエンタメ的なおもしろさ。私はこの部長がそれほど魅力的な人物には思えなかったせいか、あみがその恋を応援しようとして頑張る下りも、ちょっと白けてしまったし、早月がどこかへ引っ越して音信不通という設定にもリアル物なら無理があると思いました。中学生くらいの年齢だと同調圧力を必要以上に意識してしまうので、共感を呼ぶ作品だと思います。

カピバラ:ひとり実況の形で見たこと感じたことを語っていく部分になると急に生き生きとしておもしろかったです。テンポがよくてどんどん読めました。友だちづきあいにいろいろ悩みはあっても、自分なりに考えながら少しずつ前に進んでいくところに好感がもてました。友だち、先生、親など、それぞれの描写はそれほど深くないけど、特徴をとらえていて人物像が浮かび上がってきました。現代の子どもたちの学校生活を扱った物語って、最近は特にひりひりとつらいものが多いんですけど、この本はそこまで深刻ではなく、気楽に読めて楽しめるし、この薄さもいいですよね、ちょっと読んでごらんってすすめるのにちょうどいい。お母さんがベトナム人の女の子が出てきますが、それがわかってからも、違和感なく同じように接するところもよかったです。タイトルはなんのことかなと興味をひくのでいいと思いますが、表紙のデザインはどう見ても女子向きで、男子は手にとらない感じなのが残念です。男子も登場するし、男子にも読んでもらいたいのに。

西山:表紙がすごくきれいでいいと思っていたのですけれど、「女の子向けの本」の顔になってしまうことのマイナス面もあるのですね。実は・・・こんなに個性がある、特徴的なことがいっぱいでてくるわりには、前に読んで、内容をすっかり忘れていました。言い訳的にいえば、盛りだくさんで、私にとってこの作品が1つの像を結んでいなかったのかなと思います。実況が心の声でもあるんだけども、隠している自分の本音とかいうのではなく(ふと思い出したのは、『ぎりぎりトライアングル』(花形みつる著 浜田桂子絵 講談社)です。おどおどした主人公コタニの内面の声が、がらっとイメージの違う歯切れのいいツッコミ満載だったのとおもしろさでは共通しつつ、質は違うなと)、自分事を他人事にしてしまうというのが、つらい子どもにとってはすごい提案なのかなと思います。「脳内実況してみると、まるで人ごとのようにこの状況に何だか少し笑えてしまった」(p51)とあるように。 人ごとにしちゃうっていうところで、そこに救われる子どもの実情を思うと、闇は深いなという気がします。競馬といえば、『草の上で愛を』(陣崎草子著 講談社)は、広々とした競馬場の空気みたいな印象が残っています。そういうのがなかったかなぁ。

まめじか:この本では、友だち関係にとらわれていた主人公が実況によって、いったん自分を外に置いて、客観的に見られるようになっていきます。友人との距離感がつかめず、自意識にふりまわされていた子が、余分な枝葉を取り払うように心を整えていく過程に好感がもてました。ジェンダーのステレオタイプを破るような男子の華道部部長、ベトナムにルーツのある同級生など、多様な登場人物が出てくるのもよかったな。中学生が手に取りそうで、しかも品のある表紙がすてきですね。後ろのカバー袖に小さく描かれているのはなんでしょうか。スポイト?

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鏡文字(メール参加):意識的に外国ルーツの子を登場させていることに好感が持てました。着眼点がおもしろいし、するすると読めました。ちょっとマンガチックかな、という気もしましたが。けっこう長い間、なぜ従姉に連絡しなかったのかが謎です。

エーデルワイス(メール参加):以前の課題で読んだ『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』が印象に残っていて、今回もよかったです。さわやかで。それこそ胸がキュンキュンしました。『ハジメテヒラク』は華道からきたタイトルなのですね。花を生ける様子に実況をつけるなんて、おもしろいです!中高の部活ですから流派は出ませんでしたが、華道には池坊、小原流など、伝統と子弟制度があり面倒だと思っていました。この物語の華道の様子は自由でいいなと思いました。『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』ではマレーシアの帰国子女。今回はベトナムにルーツのあるマイちゃんが登場。アジアが身近に感じられます。

(2021年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2021年04月 テーマ:人の痛みに思いを寄せる

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『2021年04月 テーマ:人の痛みに思いを寄せる』
日付 2021年4月20日(オンライン)
参加者 アンヌ、エーデルワイス、カピバラ、サークルK、さららん、しじみ71個分、西山、ネズミ、ハリネズミ、ハル、マリンゴ、まめじか、ルパン、(鏡文字)
テーマ 人の痛みに思いを寄せる

読んだ本:

『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』表紙
『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』
原題:WARUM WIR GÜNTER UMBRINGEN WOLLTEN by Hermann Schulz, 2013
ヘルマン・シュルツ/作 渡辺広佐/訳
徳間書店
2020.03

〈版元語録〉第二次世界大戦終戦直後、混乱期のドイツの農村。十代前半の少年たちは、ある日ふとしたことから、難民の子ギュンターをいじめてしまう。ギュンターはそのことをだれにも訴えないが、大人にばれるのをおそれた仲間のリーダーは、「あいつを殺そう」と言い出す。表立って反対することができない主人公フレディは、隣家の年上の少女に助けを求めるが…? 子どもたちのあいだの同調圧力といじめ、大人が果たすべき役割…現代にも通じる問題を、戦争の影の下に描き出す一冊。人間を深く見つめる作者が、危機的状況におちいった少年たちを温かく見つめ、ヨーロッパで感動の渦を巻き起こした、ドイツ発の話題作。10代~
『ワタシゴト』表紙
『ワタシゴト〜 14歳のひろしま』
中澤晶子/作 ささめやゆき/絵
汐文社
2020.07

〈版元語録〉修学旅行で広島平和記念資料館を訪れた5人。それぞれに悩みを抱え、戦争とは遠い世界で暮らす14歳の胸の内は……。 登場人物に共感を覚えながら、物語に登場する被爆資料などを通して平和について深く考えていく作品です。

(さらに…)

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ワタシゴト〜 14歳のひろしま

『ワタシゴト』表紙
『ワタシゴト〜 14歳のひろしま』
中澤晶子/作 ささめやゆき/絵
汐文社
2020.07

ネズミ:前に同じ作者の『3+6の夏』(汐文社)を読んで、これも意欲的な作品だとは思ったのですが、私はうまく入れませんでした。それぞれの物語で、今の現実の中でいろんな問題を抱えている子どもが中心になって展開するのですが、現実の問題は解決されないまま。どれもがハードで重い問題なので、苦しくなったのかもしれません。あえてこういう描き方をしているとは思ったのですが。

サークルK:本の扉を開けると、タイトルについて掛詞(私のこと、記憶を手渡すこと)になっているという説明がなされ、手に取った子どもたち、まさに14歳くらいの人たちが読むときには、大きなヒントになることが書いてあるのだろうと思いました。1つ1つ読み進めるごとに、パズルがはまっていくように登場人物と彼らをめぐる出来事が明かされ、よく練られたお話だなと思いました。とくに「ワンピース」は、展示されているワンピースからの声がみさきだけに聞こえてきますが、その声がすべてひらがなで、句点もない独白になっているところ、そしてその内容が素朴で温かくて、最も心を打たれました。ただし、全体に思春期の子どもが抱えている問題がてんこもりのように詰めこまれている感じなので、よく言えばすべて装備されているけれど、すきがないというか、かっちりしすぎている印象があって。いいお話の連作だとは思ったけれども、もうちょっと遊びがあって、読者が想像できる余地を残しておいてくれてもいいのかなというふうに読みました。

西山:まずは、タイトルに、なんと絶妙な!と感心した作品です。戦争に限らず、体験者と非体験者をどうつなぐか─それが大きなテーマだと思うのですが、それが「ワタシゴト」という言葉で、要点を押さえている。5話のうち最初の3話は、今までもあった構造だと思うんです。現代の子どもの今の生活や抱えている問題が、何らかの物やことを通して、戦争体験と重なってつながるという構造。後ろの2話は新しいと思いました。感情的に迫っていくという仕立て方じゃなく、石に対する知的好奇心で被爆瓦にせまっていく。教師たちも一緒に動いていくし、風通しの良い刺激的な作品でした。最終話は、わかっていない子どもにわかっている大人が伝える、という関係に一石を投じていて新鮮でした。子どもの方がよっぽどわかっている場合があるとか、辛すぎて向き合えないことがあるとかいったことは、「伝えたい大人」は頭の隅に置いておいた方がよいと思っています。

ハリネズミ:とてもおもしろかったです。戦争や原爆を伝える児童書として、これまでの作品とはひと味違うと感じました。子どもたちが頭で知るのではなく、自分の実感を通して追体験するというコンセプトがいいなあ、と。現実の問題が解決しないという声もありましたが、そこがテーマじゃないですよね。たとえば最初の「弁当箱」だと、母親が嫌味を言いながら渡した弁当箱を俊介が払いのけると、弁当箱は下に落ちてしまう。その俊介が被爆資料の黒こげの弁当箱を見て、時間がたってまっ黒にアリがたかっていた自分の弁当箱とその黒こげの弁当箱の両方を頭に思い浮かべる。よくあるタイプの日本の児童文学だと、そこで母親をババア呼ばわりして弁当を無駄にしたことを俊介が反省したりするわけですよね。でも、この作品はそうじゃない。「くそっ、あの日、弁当箱を抱いて骨になったあいつは、どんなやつだった?」(p27)とそっちへ想像をもっていく。そっちへ視野が広がる。ここがすごいところじゃないでしょうか。アーサー・ビナードが『さがしています』(岡倉禎志/写真 童心社)という絵本でやろうとしたことを、これは物語でやろうとしている。戦争や原爆を今の子どもに伝えるのに教訓や説教や脅しじゃなく、とてもいいバランスでこの物語はできている。それに、先生たちがちゃんと大人に描かれているのにも好感を持ちました。赤田さんの後書きに「『ひろしま』には絶望や悲しみだけでなく、人を惹きつける力のようなものがあると、私はこのとき思いました。学校の日常生活ではけっして掬いあげることのできないものが、『ひろしま』にはあるのだなあと思ったのです」(p121)とありますが、私はこの後書きが物語を裏から支えていると思いました。

ルパン:これは、傑作だと思いました。そして、どのお話にもそれぞれにドキッとする言葉がありました。たとえば石のところでは、「あの熱で人も焼かれたのよ」とか、ワンピースのところでは「レースがやけなくてよかった」とか、靴のところでは、「口うるさい妹へのおみやげゲット」とか。中学生の心情が自然体で書かれていると思いました。こういうテーマの作品だと、まじめすぎてひいちゃうことがあるんですけど、これはそれぞれ物語として独立しているので、子どもたちにも自然に手渡せると思います。原爆を目撃していない作家が、新しい形で語り部になっていくんじゃないかと思いました。あと、赤田先生のあとがきは、私はけっこう好きです。「花買って来いよ」と言った男子中学生のエピソードとか、ぐっときました。

まめじか:今の子どもたちの内面と過去の戦争を、原爆の遺品をとおしてつなげる手法がすばらしいと思いました。資料館に入った俊介が「腹を立てながらも、前に進むしかなかった。ここを出るためには、ともかく前へ」と思いながら歩くのを、つらい環境の家を出たい気持ちと重ね、お弁当がなくてカレーパンを食べているのをからかわれたときの思いを「怒りはカレーの味がした」と表すなど、描写が見事です。亡くなった人たちがたしかに存在していたのを感じ、戦争や原爆を自分の問題としてとらえられるようになる過程がよく表されています。黒田先生が「考えていることがみんな同じなんて、ありえない。正解なんて、どこにもない」と思うのも、ひとりひとり受け止め方やその深度が違うことを認めているようで好感がもてました。高校のとき、平和記念公園の慰霊碑の前ではしゃいで写真を撮るクラスメイトを見て、「たくさんの人が亡くなった場所なのに」と言って怒っていた友人がいて、そのときはその気持ちが十分に理解できなかったのをふと思い出しました。中澤さんと赤田さんとの出会いがあって、このような作品が生まれたのはわかるのですが、最後の「私のひろしま修学旅行」は作品の中で浮いているというか・・・。内容はいいのですけど、新聞記事か副読本を読んでいるみたいで。知らない先生が突然出てきた印象です。赤田さんについては、中澤さんがあとがきの中で書けばよかったのではないかと。

カピバラ:原爆資料館に展示された遺品を見たことで、今の中学生が自分の抱えている問題とつなげて考えるという構造がうまいと思いました。過去の出来事と切り離すのではなくて、当時の同世代の子どもが何を感じたかを今につなげることで、何かが生まれることを期待する、著者の希望が伝わってきます。まさに、追体験ですよね。1話ずつがとても短いけれど、会話をうまく使って印象に残る光景を切り取っていく書き方は印象的なのですが、短いだけにちょっと乱暴な描き方だと思うところもありました。短編連作は読みやすいし、今の子どもたちには、どの話かに共感できる部分があるだろうと思います。

エーデルワイス:『ワタシゴト』のタイトルが新鮮で、ささめやゆきのイラスト、表紙、背表紙、タイトル文字がおしゃれでセンスがよく、好きです。この本の出版社の汐文社は『はだしのゲン』(中沢啓治/著)のように、平和を考える本を出しているのですね。5話のうち、「いし」「ごめんなさい」は共感できました。他の話は、子どもの抱える問題と戦争を考えることを無理やり押しこめた感じが否めないように私には思えました。子どもの本は目に見えるところで解決策を提示してほしいと思っています。

ハル:この本も、タイトルどおり、戦争を自分のこととしてとらえさせてくれる作品です。もう少し幼い子に向けた本なのかなと思って読みはじめたら、1話目の出だしからなかなか衝撃的で、ぐっと心をつかまれました。5つある物語は、中には私の中で少し消化不良というか、共感までいかないものもありましたが、「いし」がいちばん好きでした。平和記念資料館をつくった長岡省吾さんのことを彷彿とさせるようなお話で(長岡省吾さんについて書かれたノンフィクション『ヒロシマをのこす』佐藤真澄著/汐文社 もおすすめです)。最後の「わかっています」の重みが、ずんと心に響きます。人それぞれの感じ方、表現の仕方があってよくて、この子はこの子なりに「わかっている」んですよね。小説はここで終わっていますが、きっと、その場にいた子どもたちも本当に絶句するほど、重みをもって響いた一言だったんだと信じたいです。1話、1話、とても余韻の残る作品だったので、巻末の「後付」があれこれあって、ちょっと、饒舌すぎたかなぁ、もうちょっと余韻を味わいたかったなぁという感じもしました。

しじみ71個分:私はたくさん読んだ中から選ぶということができないので、選書担当として、タイトルから当たりをつけて読むしかないのですが、この本は薄いし、『ワタシゴト』というタイトルは、人の痛みを自分事として考えることだろうから、分かりやすすぎるかなと思ったものの、ささめやゆきさんの表紙絵で手に取って読んでみました。読んで「すっごい本だな!!」と思いました。全て、修学旅行で中学生たちが広島の平和記念資料館で亡くなった人たちの遺品を見て、その人たちに思いを寄せ、痛みを感じ、自分にフィードバックして考えるという内容になっている短編集です。短編はシーンをどれだけ鮮やかに切り取るかが命だと思うのですが、すべてが鮮やかでした。すっごくおもしろいなと思ったのは、児童文学の役割そのものを書いているということです。子どもの体験に言葉を与え、誰かが書いた言葉を通して子どもたちが追体験するのが児童文学の一つの機能だと思うのですが、子どもたちが広島の遺品で故人の思いや痛みを追体験したのを、さらに追体験するという構造で書いているところに新鮮なおもしろさを感じました。遺品のバックグラウンドを想像し、自分の中にある言葉にできないもやもやとしたものと照らし合わせて考えるという営みといいましょうか。また、「いし」の章はとくにおもしろかったです。恐らくアスペルガー等の障がいのために、人とのコミュニケーションが苦手な子が、瓦を焼く実験を行い、瓦が溶けるのを見て、どれくらいの高温で人々が焼かれたのかを理解するというアプローチには、斬新さを感じました。追体験させ、語り継ぐという児童文学の役割を正面から考え、書かれた作品だと思いました。でも、何人かがおっしゃったように、たしかに巻末の先生の文章はそんなに長くなくてもよかったかなという気はしました。

マリンゴ: 人よりも「モノ」を切り口に、戦争に対して自分なりの共感、共鳴をしていくところが、非常に新鮮でした。とはいえ、第1話は人物造形がつかみづらくて、読むのに苦戦しました。この主人公の男の子の友だちが出てこないので、それなりに友だちがいるタイプの子なのか、孤高の子なのか、あるいは男子にも疎んじられているような子なのか、そのあたりがよくわかりませんでした。第2話でようやく、この物語の魅力に気づいた次第です。なお、1、2、3話は、自分の持ち物の記憶と、現地で見たものの記憶を照らし合わせるという同じ構造になっているので、違うアプローチの作品を挟みこんでもいいのに、と思いました。タイトルの『ワタシゴト』はとてもいいと思います。戦争を、現代の自分のことに結び付けて考えられるお話はなかなかないのですが、それが伝わるタイトルだと思いました。

さららん:私も『さがしています』を思い出しました。原爆と修学旅行に行った子どもたちを結びつける物の印象が、とにかく鮮明でした。たとえば「くつ」の章で、雪人は優等生の印象を壊そうと、ハイカットのカラフルのスニーカーを履きます。それが黒づくめのおばあさんに「その靴はええね。千羽鶴の柄は、ここを歩くのにぴったりじゃ。やさしく歩くのに、ちょうどええ」と言われたり。思春期にある子どもたちの反抗心や悩みと、広島で見る物、触れる物がどの話でも意外な結びつきを見せるのがおもしろかったです。「ワンピース」の中の、えんじ色のレースの襟のエピソードは、それが声として聞こえてきたりします。物語のそれぞれに埋めこまれた場面の印象が強く残れば、その「塊」を頼りにストーリーを思い出せるんじゃないかと思うのです。五感を通して、子どもたちの記憶に残りやすい物語じゃないでしょうか。新しい取り組みの1冊って感じがします。

アンヌ:私はこの物語の現代と過去がうまくつながらなくて、みなさんがどう読んだのかを聞いて、なるほどなと思っているところです。最初の「弁当箱」で、凛子たちがお弁当の中身を再現した話とその味わいから、作った母親の気持ちにまで至るというところと、俊介が投げ捨てたお弁当に自分の嫌いなおかず以外の何かが入っていたのではないかと思うところには感じ入ったのですが、間の凛子の母親のエピソード等が多すぎて、物語の行方がすぐにわからなくなったのかも。「いし」はおもしろかったのですが、最後の一言にどれほど真実味があるのかと思ってしまったり、「弁当箱」の俊介が最後の赤田圭亮さんのH君のように思えたり、変な読み方をしてしまったようです。

ハリネズミ:さっきから何人かの方が「問題が解決しない」とおっしゃっていることについてです。第一話には、ふだんはお弁当を作ってくれないネグレクト気味のお母さんが出て来ます。14歳だと、客観的にどうなのかは別としてこのお母さんが主観的に唾棄すべきものとして巨大な存在になっている。それ以外考えられないという状態になっているかもしれない。そういう場合、一歩引いたところから状況が見られるようになると、気持ちの上では楽になることもある。たぶんひどいお母さんなんでしょうけど、そこはなかなか変わらない。でもちょっと引いて少し距離をおくと、自分の人生をもう少し広い視野でみられるようになってくる。そうしたら、気持ちが楽になるかもしれない。実体験を通して他者にふれた子どもたちは、日常は変わらなくても別の視点を獲得して生きやすくなっていくんじゃないかな。だとすると、ある意味ではこの作品も、視点を変えるとか視野を広げるという解決策を提示しているのかもしれません。

しじみ71個分:私は解決しないままでいいと思いました。解決したらきっとお話がもっと軽くなってしまっていたのではないかと思います。

(2021年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ぼくたちがギュンターを殺そうとした日

『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』表紙
『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』
ヘルマン・シュルツ/作 渡辺広佐/訳
徳間書店
2020.03

アンヌ:主人公のフレディが農家のおじさんの家で暮らしていた時の様子が、丁寧に描かれていると思いました。たとえばp135でレオンハルトの母親と黙々とジャガイモの選別をして、レオンハルトが出てきても、箒で泥をはいて最後まで仕事を終わらせるという描写に、フレディには、もう農家の仕事が身についているんだなと思いました。それにしても、村中の大人がこの子たちがギュンターをいじめたと知っているようなのに、なんでレオンハルトだけは、殺せばバレないと思いこんでいるのか不思議です。難民であるこの一家には、村の様子が入ってこなかったからでしょうか。大人たちも戦争で人を殺し、ユダヤ人を追放した迫害者でもあったのに、自分の村では正しい大人として子供を厳しく罰しようとする。この矛盾に、戦後すぐのドイツという国の葛藤を感じられる物語だと思いました。ただ、それがうまく書けているかと言うと、奇妙などっちつかず感がありました。フレディが物語の終わりごろから妙に傍観者的になったり、作者が大人の話者として顔を出したりするせいかもしれません。

さららん:ギュンターへのいじめからまずいことになり、リーダーのレオンハルトの、「あいつを殺そう」という言葉にフレディは反対できません。力の強いものに弱いものが徐々に支配されていく恐ろしさは、ほかの児童書でも読んだことがありますが、この本の背景、戦後すぐのドイツに東プロイセンから難民が押し寄せた時代のことは知らず、その点だけでも自分にとって新しい1冊でした。親類も復員してきて、フレディのまわりにはナチスのSSだった青年たちがいます。その1人のヴィリーにフレディたちは救われ、グスタフにもフレディは変わらぬ好意を持ち続けることが最終頁(p149)でわかりますが、そこで複雑な思いにとらわれました。SSというだけで偏見の目で見られる時代が続いたのかと思う一方、少年の素朴な感情の中でSSの行為を許して、それですむのかという疑問です。ドイツはホロコーストだけではなく、こういうふうに同国人を受け入れ直してきたのか、という発見がありました。ギュンターはなにかの障がいがあるようですが、最後まで謎の少年で、欲を言えば、もう少し彼の内面を知りたかったです。

マリンゴ: ヒリヒリし過ぎる物語で、途中で何度、本を閉じて深呼吸したかわかりません。普段はそんなことしないんですけど、後ろのほうをめくって、ギュンター死なないよね?と確認してから読み進めました。子どもたちの非常に短絡的な、浅はかな考え方、計画、そういうものがリアルです。大人たちは既にじゅうぶん疑っていて殺したら即犯人はわかるのに、逃げ切れると思いこんでいる視野の狭さが表現されています。そして時代性。大人たちだって殺し合いをしてきたんだから、自分たちがひとり殺したっていいだろう、と子どもが思ってしまう・・・。大人は「戦争は別だ」と考えますが、その理屈が「正しい」わけでもないんですよね。これを読んで思い出した作品があります。まったくタイプが違う小説なのですが、去年末の「このミステリーがすごい!」で1位を取った辻真先さんの『たかが殺人じゃないか』(東京創元社)です。根底に流れる感情が似ていると思いました。これからお読みになる方のためにネタバレは避けますが、御年89歳の作家が書いた昭和24年の物語です。戦争の頃、たくさん人が殺し合った記憶が鮮明で、だからタイトルの『たかが殺人じゃないか』という考え方が生まれるわけなのでした。

しじみ71個分:自分が少年時代に実際にあったことを描いている、と作者の後書きにありますが、第二次世界大戦直後のドイツの雰囲気が大変に理解しやすく、その中で子どもたちの心理をヒリヒリと描きだしているのがすばらしいと思いました。東プロイセンからの難民や、お父さんを亡くした子などが、疲弊と貧困の中で労働させられ、大人から体罰を受けるなど困難を抱えるなかで、行き場のない怒りをいじめとしてぶつけてしまい、それがエスカレートしていく様子にはドキドキさせられました。ギュンターを寄ってたかっていじめたことは、周囲の大人たちにはみんなバレているにもかかわらず、子どもたちは近視眼的になって、ギュンターを殺すことでいじめの事件を隠蔽しようとします。それは家を追い出されてしまうかもしれないなどという不安からでしたが、こういった子どものときの卑怯な気持ちは自分の中にもあったと思い出され、それをえぐり出されるような気分でした。でも、作者は、いじめや同調圧力や、戦争と殺人の境界線など、複雑な難しい問題を大きなあたたかい目で見ていると感じます。大人が戦争で殺した殺人は殺人ではないのかという問いは、決して解決しません。SSにいた従兄のグスタフもいい家庭人であるにもかかわらず、ユダヤの人たちに残酷なことをしてしまったという事実を透明な視線で見ているようです。普通の人が殺戮を行えるという、その細い境界線をいかに考えるか・・・。今にも通じる重要な作品だと思いました。

ハル:原書は2013年発表ということで、最近の本というわけでは決してないのですが、とても新しいものを感じました。こういうふうに戦争を伝えていく必要があるんだな、というか、これからはこういう形で戦争を伝えていくようになるんだろうな、と思いました。戦争を過去のひどく恐ろしい出来事として認識させるのではなく、自分の心の中にもあるものとしてとらえさせ、自分のことに置き換えて想像させ、より身近な問題に落としこんでくれる作品です。ぜひ、主人公たちと同じくらいの年頃の子にも、その子たちを取り巻く親世代の人にもおすすめしたいです。でもひとつだけ・・・注釈は、なければないで不親切だし、あればあったで煩わしいし。特に最初のほうは、注釈で気が散ってなかなか集中できませんでした。巻末とか章末にあるのがいいような? でも、うーん、難しい! 注釈は悩ましい問題です。

エーデルワイス:ショッキングな題なので、覚悟して読みましたが、とてもおもしろかった。作者の実体験に基づいていることに興味を抱きました。宣教師の父親とは何があったのでしょうか? 戦争が背景にありますが、時代を超えた青少年の危うさを描いていると思います。異質なものを排除するいじめの問題、親から子どもへの暴力の連鎖。この本のおかげで同作者の、『川の上で』『ふたりきりの戦争』(どちらも徳間書店)も読んでみました。また同時代、第二次世界大戦末期のドイツと旧ソ連の国境が背景の『片手の郵便配達人』(グードルン・パウゼヴァング/著 高田ゆみ子/訳 みすず書房)、『神さまの貨物』(ジャン=クロード・グランベール/著 河野万里子/訳 ポプラ社)も読みました。

カピバラ:この著者の『川の上で』を前に読んだのですが、とてもおもしろくて力強い本で、今でも印象深く残っています。今回の本も重厚な作品でした。たくさん子どもたちが出てくるんですけど、どの子もやり場のない不安をかかえ、不安と隣り合わせに生きている。だから自分よりも弱い者が目障りで、いじめてしまう。それがどんどんエスカレートして、後戻りできないところまで行ってしまう怖さがよく描かれていました。大人たちも疲れ果てていて、子どもを虐待したり、理不尽に押さえつけたりしようとする。大人たちも戦争で多くの人を殺しているんだから、ギュンターを殺したぐらいで大騒ぎしないだろう、と少年たちが思ってしまうところは背筋が凍りました。でもそれが戦争の真実なのでしょう。しかしこれは戦争中の異常な空気の中でだけ起こることではなく、今の社会でも起きているので、それが怖いと思いました。私も、殺さないんだよね、殺さないんだよね、殺しちゃったらどうしようと常に緊張しながら読んでいきました。ちょっとホッとしたのは、ギュンターが馬のことに詳しいとわかって、フレディがちょっと見方を変えるところと、ルイーゼという元気な女の子の存在です。戦争の時代の事実をもとにした話として、貴重な本だと思うんだけど、今、日本の子どもたちにどんなふうにすすめたらいいのか、難しいところだと思いました。

まめじか:戦争といじめを重ね、組織的に行われる暴力を描いた作品で、とてもおもしろく読みました。子どもは戦争でひどいことをした大人に不信感を抱き、また家庭によっては体罰や脅しで子どもを押さえつけようとし、そんななかで暴力が連鎖していく。同調圧力から抜け出せない人間の弱さ、フレディが自分の目で見て判断しようとする過程がよくとらえられています。チェコやポーランドの旧ドイツ領だった地域で暮らしていた住人が戦後、土地を追われたことは、ドイツの他の児童文学や絵本でも見たことがありますね。

サークルK:迫害されていたのはユダヤ人だけではないことがわかるので、子どもたちが『アンネの日記』などを読んでナチスに迫害されたのはユダヤ人だけだ、というように思いこんでいるとしたら、ことはそんなに単純ではないのだと気づくことにもなり、新しい想像力の目をひらかれると思いました。ただ、タイトルがショッキングなので、こわいもの見たさに手に取った子どもがどんな衝撃を受けるのかは心配になりました。映画で言うと『スタンド・バイ・ミー』の世界を彷彿とさせるのですが、この物語はみんなが協力してひどいことをしそうになる、その過程で大人になっていくという物語だと思います。最後に「日本の読者のみなさんへ」の中で、作者は物語のフレディなのだと告白しています。日本の、と書いてあるので、原作では語られていないのかもしれませんが。一般的には、一人称の「私」語りであっても、それを作者そのものと重ねて読むことをよしとしないこともありますが、子どもの本の場合、このようなカミングアウトは作品そのものの評価にはあまり影響がないのかしら、ということも気になりました。

ハリネズミ:日本の子どもたちにも共通するテーマが描かれていると思いました。主人公のフレディは、みんなでギュンターをいじめた後気分が悪くなる、お姉さんに相談の手紙を書こうとするけれど実行できない、ギュンターが学校を休んでいるのを知って様子を見に出かけて行くと同じく様子を見に来ていたレオンハルトに遭遇するなど、心のもやもやを抱えて右往左往する過程がとてもリアルに描かれていると思います。いとこがたくさん出てくるので、あれ、いとこの名前が違うじゃないと、最初ちょっと混乱しました。いじめがばれないように殺人を考えるというのは極端な気がしますが、著者の実体験だと知って、戦争が影を落としているこの時代には本当にあったことなのだと怖くなりました。そういう意味では後書きがものを言っていると思います。

西山:ナチスの時代を描いた作品はいろいろと読んできましたが、ドイツの戦後の時期を描いているのを新鮮に受けとめました。あれだけのことを起こし、モラルが崩壊して、それがその後の人生や子どもに影響を及ぼしていないわけがないのに、ハッとさせられたという感じです。隠しているつもりの行動がおとなたちにバレバレとか、子どもらしい迂闊さ?は普遍的で、でもやっていることの桁が違って、怖さひとしおという感じでした。障がい児をいじめて、それを隠すために嘘をつき口裏合わせをする「歯型」を書いた丘修三さんに、読んでみるようすすめたいと思いました。津久井やまゆり園の事件も思い出しました。

ネズミ:物語に入りこむまでに、ちょっと時間がかかりましたが、事件が起こってからは一気に読みました。当時の農村部の暮らしぶりの描写に、『アコーディオン弾きの息子』(ベルナルド・アチャガ/著 金子奈美/訳 新潮社)を思いだしました。ちょうど時代も同じくらいで、人々が手仕事で暮らしている様子が似ています。生活の手触りが伝わってきて。『アコーディオン弾きの息子』では、フランコ側の思想を持つ父親が内戦中に人殺しに関わっているのではということで、主人公は苦しむのですが、大人のやっていることが子どもに反映するというのも同じです。それから、この大人たちの子どもへの接し方は考えさせられました。何が起きたか勘づいているのに口を出さないんですよね。なかなかこういうことはできそうにないので。内容とは関係ありませんが、もう少し字組みがゆるいと読みやすいかなと思いました。

ハリネズミ:ルドルフおじさんが脱走兵だということを、村の人たちは知っているわけですが、密告したりしないんですね。日本だと逃亡兵だとか義務を遂行しない者に対して厳しく糾弾たり密告したりということもあったと聞いていますが、ここにはもっと大らかな人間関係が存在しています。ある意味、村人のその大らかな目は、ナチスに荷担したりSSだった者たちを無条件に許していることにもなるわけですけど。そういう大らかで普通の「いい人」たちが、戦争となると否応なく殺人あるいは殺戮へとつながる行為をしてしまう。そのことをこの作品は浮き彫りにしていると思います。

アンヌ:村の人たちは、だれがナチスの親衛隊だったとか、あの人はダッハウにいたとかも知っているんですよね。でも、駐留軍に密告されたりしないで村で暮らしていける。

しじみ71個分:この本を読んで、先日、JBBYのノンフィクションの学習会で取り上げた『命のうた~ぼくは路上で生きた 十歳の戦争孤児~』(竹内早希子/著 石井勉/絵 童心社)という本を思い出しました。その本の中にも終戦直後の困難を抱える子どもたちの姿が描かれており、それと共通する点を感じました。戦争直後の姿というのは、あまり読んだ経験がなかったので、重く受け止めました。

さららん: p22に、男の子が着るのに恥ずかしいものとして、「股割れズボン」がでてきますが、どういうものか知りませんでした。できれば、注が欲しかったです。

ハリネズミ:私は中国の保育園で子どもたちが股割れズボンをはいているのを見たことがあります。寒い地方や季節だとズボンを脱がなくてもトイレができるので便利なのかな。でもヨーロッパにもあったのは知りませんでした。まあ文字を見ればどういうものかは想像がつきますが。

ルパン:ハラハラしながら読みました。タイトルが「殺そうとした」だから、きっと殺さないんだろう、とわかっていても、やっぱりドキドキしました。どう解決するのか、ギリギリまで引っ張ってくれましたが、私としては大人が出てきて収めてしまうのはちょっと拍子抜けでした。ここで女の子が銃をぶっぱなしてくれたらもっとよかった。せっかくフレディが一生懸命考えたことだから。とてもおもしろくて一気読みだったのですが、登場人物が多すぎてちょっと混乱しました。

西山:子どもはそういうことをするという面がありますよね。昔、元教員から聞いた話です。川で遊んでいて、一人がおぼれてしまった。でも、一緒にいた子どもたちは、禁止されている場所で遊んでいたことを叱られると思って、おぼれた子をそのままにしてしまったというのです。とんでもないけれど、でも、子どもの一面ではある。

しじみ71個分:いじめの果てに殺してしまうのは今の世の中にもありますね。生死の境界、やっていいことと悪いことに関する認識がとても薄く、感情が育っていなくて、結果として殺してしまうというようなことが今でも起こっているのを思うと、本当に難しい問題だと思います。

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鏡文字(メール参加):薄い本だったのですぐ読めるかと思ったのですが、予想以上に時間がかかりました。固有名詞も多く、特に前半は読みづらかったです。イジメの発覚を怖れて殺してしまおうという発想に驚かされますが、事実に基づいた物語とのこと。第二次世界大戦終結直後という、多くの大人たちが人を殺すことに手を染めた時代背景ゆえのことなのかもしれません。父の不在や難民の存在が当たり前という社会状況にあって、だれもが傷を負っており、良きロールモデルもなかなか見出せない子どもたちの姿が痛ましく感じました。終盤ははらはらしながら一気に読めました。おそらく自身も心の闇を抱えつつ、軌道修正を提示するヴィリーが印象に残ります。少年たちのその後を知りたくなりました。

(2021年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2021年03月 テーマ:歴史と個の物語 自分の人生を生きるというこ

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『2021年03月 テーマ:歴史と個の物語 自分の人生を生きるというこ』
日付 2021年03月16日(オンライン)
参加者 アンヌ、エーデルワイス、カピバラ、コアラ、木の葉、サークルK、さららん、しじみ21個分、すあま、ネズミ、はこべ、花散里、ハリネズミ、ハル、まめじか、マリンゴ、ルパン
テーマ 歴史と個の物語 自分の人生を生きるということ

読んだ本:

『彼方の光』表紙
『彼方の光』
原題:TROUBLE DON'T LAST by Shelly Pearsall, 2002
シェリー・ピアソル/作 斎藤倫子/訳
偕成社
2020.12

〈版元語録〉実話をもとに描かれる、一気読みの逃亡劇。黒人奴隷の少年サミュエルは、年老いたハリソンから、カナダへの逃亡を告げられる。親代わりのハリソンを一人で行かせるわけにはいかず、サミュエルはハリソンとともに北をめざす。自由になるための、終わりなき旅がはじまる。自由を求めた二人の息をもつかせぬ物語。
『王の祭り』表紙
『王の祭り』
小川英子/著
ゴブリン書房
2020.04

〈版元語録〉妖精をつかまえるために森にでかけたあの夜が、すべてのはじまりだった──。女王陛下の革手袋をつくるため、父親といっしょにケニルワース城へ向かった少年ウィル。そこで女王暗殺の計画に巻きこまれたウィルは、妖精の力を借りて女王を助けようとするが、思いがけず、時空の歪みに投げだされ……。16世紀のイングランドと日本を舞台に、〈時〉と〈処〉を超えて繰りひろげられる、壮大な歴史ファンタジー。

(さらに…)

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王の祭り

『王の祭り』表紙
『王の祭り』
小川英子/著
ゴブリン書房
2020.04

まめじか:時代の波の中で様々な制約を受けている人々が、それでもその中で自分の人生を生きるということが描かれています。主人公のウィルは自信のない子です。父親の仕事を継ぐのが当然だと周囲からは思われているけれど、その覚悟はできてないし、じゃあ何をしたいかというと、自分でもわからない。でもウィルは詩と物語が好きな子なんですよね。だから型通りの言葉を並べただけの暗唱で失敗してしまったのかな。この本に描かれているのは、権力争いの中で庶民が翻弄される、混沌とした闇の時代です。目の前で雑兵が母親の腕を切り落とすし、育てられない子どもが売られていく。そうした記憶が内にたまっていっても、こらえて吐き出さないお国に、狐は「秘めたる怒りを怒れ。心の奥底をわめけ」と言う。お国は舞い、人は芝居をし、あるいは見世物を観て、胸の内に煮えたぎる思いを吐き出すのでしょう。舞台は現実の対極にある夢の世界であり、現実を映したものでもある。「この世は舞台」というシェイクスピアの言葉にもつながりますね。実在の人物では、信長が外に開かれた精神をもち、新しい風を吹かせようとする人として描かれているのがおもしろかったです。複雑な筋の物語なので、中高生はどこまでついていけるのでしょうか。女王を愛しているがゆえに、ほかの人と結ばれるくらいなら殺してしまおうとするレスターの想いの強さ、ハムネットのぎらぎらした生命力というか、どんな状況に置かれても生きのびようとするしぶとさは、もう少し筆を足さないとピンとこないような。これだけたくさんの登場人物を、このページ数の中で掘り下げて描くのは難しいのでしょうが。女王がなぜローマ教会からにらまれているのか、その背景にある国教会とローマ教会の対立は中高生の読者にわかるでしょうか。

ハル:ローマ教会との関係はp15に説明がありましたよね。「女王の父・ヘンリー八世は彼女の母アン・ブーリンと結婚するために、妻のキャサリン王妃と離婚しようとしたが、離婚を禁じているローマ教会はそれを認めなかった。そこでヘンリー八世はローマ教会を切りすてた」。それから「ヘンリー八世は新しくイングランド国教会を設立し、国内のカトリックの教会や修道院を廃し、その財産を取りあげた」とあります。

ハリネズミ:おもしろく読んだのですが、信長像はこれでいいのかな、と思ってしまいました。信長は立派な君主のように描かれていて、エリザベスは信長に出会って王とは何かを知るということになっているんですが、実際の信長はとても残虐で評判が悪いという側面もあるようなので、ギャップがありました。ウィルの不思議なおばあさんがいろいろと話をしてくれて、妖精と遊びなさい、という部分は作者の想像だと思いますが、おもしろかったです。革手袋とエリザベス女王を結びつけるくだりもおもしろかった。最初の方はぼんやりでぼんくらなウィルが後半になると別人のようにしっかりするのは、どうなんでしょう? 登場人物が多すぎるので、もう少し整理してもいいのかな、とも思いました。トリックスター的な存在だけでも、パック、死の馬車の御者、ハムネットと複数出てきます。女王の暗殺をねらう勢力は2派あるんでしょうか。それとも司教とレスターは手を結んでいるのでしょうか? 急いで読んだせいか、そのあたりが頭の中であいまいになっています。リアリティという点では、一座の主のお豊がスペイン語が話せるのはありか?と思ってしまいました。それから、ふつうこういう物語では異世界に行っている間は時間がたたなかったりしますが、日本は異世界ではなく現実世界なので、ちょっとひっかかりました。

アンヌ:また信長かと読み始めましたが、イギリスのウィルの話になってからは、とてもおもしろくなりました。おばあさんのおまじないの方法とかパックの帽子とかの仕組みもうまく仕込まれているし、手袋の古びをつけるためにウィルを城に連れて行くとか、おもしろく話が進んで行きます。エリザベートが出て来てマンガの『ベルサイユのばら』(池田理代子/著 集英社 )のような宮廷の恋かとおもしろくなったところで、日本にワープしてしまうのは残念でした。お国については、怒りを踊りにするところとかがうまくイメージできなくて、出雲阿国へのつながりが読み解けませんでした。ただ、お国たちや河原にいる人たちがみんなで今様を謡い踊るところに『梁塵秘抄』の歌も出て来て、いつかこれを読んだ人が学校で古典を習うときに、「あれ、この歌、いつか読んだ物語の中に出てきたな」と思えたらすてきだと思いました。『平家物語』や後白河法皇との関連で知ってしまうと、白拍子が権力者のために舞い踊る歌のように思いがちですが、もともとはこんな風に大衆の中から生まれてきた歌だという事が感じられる場面です。コンフェイト(金平糖)や抹茶がこの時代のものとして出てきますが、そんな風に物語の中で無意識に味わった食べ物や古典文学に、大人になってから再び出会い、気付けたらすてきだと思います。

はこべ:アイデアがおもしろいですね。特に前半は、ささっと読んでしまいました・・・が、思いだしてみると、訳がわからない箇所が出てきて(ラベンダーの花模様の小箱は、いったいどうなったのかなとか)、まめじかさんにメールで訊いたりしました。総じて、イングランドが舞台の部分は、すらすらと物語が進んでいるし、よく調べて書いているなと思いましたが、日本に舞台を移してからの後半は、盛りだくさんの上に駆け足で書いているという感があって、不満が残りました。どうしたって日本史のほうが馴染みがあるので、しょうがないかもしれないけれど。それと、登場人物がとても多いので、最初に登場人物の紹介を書いたほうが良かったのでは? さてさて、読みおわってから、作者は何が言いたかったのかなと考えてしまいました。おもしろかったら、それでいいのよ・・・と、言われそうですけどね。わたしはアメリカの少年がタイムスリップしてシェイクスピアの劇団に入るスーザン・クーパーの『影の王』(井辻朱実/訳 偕成社)が大好きで、あの作品にはファンタジーのおもしろさだけでなく、ずっしりと心に響くものがあったと記憶しているけれど・・・。

コアラ:おもしろく読みました。歴史上の実在する人物を書いているのに、窮屈さがなくて、自由に想像をはばたかせている感じがとてもよかったと思います。エリザベス女王と織田信長を対面させるというのも、一見無理がありそうですが、なんとなく設定を受け入れて読み進めることができました。作者がうまいのだと思います。お国たちの小屋にエリザベス女王がかくまわれるというのは、さすがに無理があるとは思ったのですが、それでも読み進めることができたのは、それまで、それぞれの人物や生活がしっかり描かれていて、物語の中に入り込めていたからだと思います。信長がカッコよく描かれていますが、作者は信長が好きなんじゃないでしょうか。好きな物事を書いている、という感じがあって、好感を持って読みました。シェイクスピアにまつわる部分も楽しめたし、歴史上のことを知っていると、より楽しめると思いますが、知らなくても、不思議な体験をするファンタジーとして、おもしろく読めると思います。織田信長さえ知っていれば十分楽しめる。小学校高学年くらいからおすすめです。

エーデルワイス:私も楽しく読みました。よくも、よくもこんなに盛りだくさんの内容を、と感心しました。NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』を観ていたので、明智光秀も出てくるこの本はタイムリーでした。映画「エリザベス」やエリザベスの母アン・ブーリンの映画「1000日のアン」も思い出しました。細かいことを言えばうーんと思うこともありますが、時空を越えて日本の歴史とイギリスの歴史をドッキングさせるなんて、こういう発想はおもしろいと思います。

マリンゴ: 評価が難しい作品だと思いました。よく評価すれば、幻想的で先が読めなくて、生きる力強さと儚さが同時に感じられる物語であると言えます。ウィルが後のシェイクスピア、というのもおもしろいです。劇中劇も、あ、ロミオとジュリエットっぽい、と仕掛けがわかるのも楽しいと思いました。ただ、悪く評価すれば、バランスが悪いようにも思います。イングランドのパートはおもしろいのだけれど、織田信長の時代に移ってから読むスピードが落ちました。7年のタイムラグがあるのは、お国を登場させるためだと思いますが、そのせいで、信長がすぐに暗殺されます。王同士がわかり合うには時間が短すぎる気がしました。ウィルとお国、信長と女王の両方の巡り会いを1冊に入れて、盛りだくさんではありますが、多少無理が出ているように思いました。あと、装丁からは「洋」の香りがあまり漂ってこないので、少しもったいないかなと感じました。

さららん:とても読みやすい文章で、おもしろくて一気に読みました。エリザベス朝の詩や、日本の曲舞、古い言い回しもいろいろ出てきて、言葉の重層感を楽しみました。設定もダイナミックで、かっこいいキャラクターも出てきます。ただ伏線が複雑にからまりあい、せっかくの魅力的な登場人物(例えばエリザベス女王の女性の護衛など)が使いきれていないように思われ、盛り込みすぎの印象を受けました。エリザベス女王は自ら決断して行動する存在としてではなく、悩める人として登場します。日本に来たあと信長に強烈な印象を受け、王たるものはどうあるべきかを考えはじめるのですが、私には人物像として物足りませんでした。女王暗殺の陰謀をイギリスで企んだイエズス会のエセルレッドが、日本で女王に再会するなど、手の込んだ設定もあります。ただ、エセルレッドは物語の本筋から離れたあと、「弾圧される日本の信者とともにあれ」と禁教後も逃げつづけたといいます(p311)。浅薄な敵役のイメージだったので、そこまで書く必要があったのか、わかりませんでした。

すあま:時間の流れについては、p5が「1575年日本」、p18が「1575年イングランド」となっていて、ここは同じ時。イングランドから日本に来たときに、日本の方の時が進んでいたので、お国は年をとっていたのですが、ウィルは11歳のまま。イングランドに帰るとまた1575年だったということで、ウィルは行って帰っても年はとらなかった、ということだと思います。この著者は2010年に『けむり馬に乗って〜少年シェイクスピアの冒険』(叢文社)という本を出していて、あらすじを見るとほぼ同じだったので読み比べようと思ったのですが、この読書会には間に合いませんでした。物語については、やはりちょっと登場人物が多すぎて、それぞれの人物についての物語や描写が中途半端になっていると思いました。登場人物たちがこの後どうなるのか、続きがあってもよいような話なので、これだけでは物足りない感じがします。お国が出雲の阿国でウィルがシェイクスピア、というのは、大人はおもしろいけれど、子どもにはわからないのでは。

サークルK:すごくおもしろかったのですが、p45あたりになってようやくウィルとはウィリアム・シェイクスピアのことだったのだ、とわかりました。そこまで読み進むまでは信長の話に、エリザベス女王がどのように絡んでくるのかつかめずに、気の弱いウィルの存在をつかみかねました。たしかに信長とエリザベス女王は同時代の人なので、目の付け所はおもしろく、歴史を習い始めてそれが好きな子どもたちにはぐいぐい引っ張られる展開だと思いますが、あまりに勢いに任せて進んでいくので、読後はそのスペクタクルだけが残ってしまうのではないかと気になりました。登場人物も日英それぞれ歴史上重要な人物なので、その人たちが架空の世界でこれだけ動いてしまうと、一通りの日本史、世界史を知っている大人でさえも、頭を整理するのが大変かもしれません。ですので、表紙にもなっている「死神の馬車で女王一行が信長の城に突っ込んでいく場面」以降は史実の整合性よりもタイムスリップとかエリザベス女王はちゃんとイギリスに帰国できるのか、というところに集中して読むようになりました。革手袋を作る職人階級のウィルの祖母が、上流階級風の口調で語っているところも気になりました。けれど、エリザベス女王が、王としての風格十分で国を引っ張る女性としての描写が多かったので、読者の女の子たちへのエールになることも感じられました。

西山:前の『けむり馬に乗って』も読んでいます。かなり手を入れたとは聞いていますが、構成や登場人物は変わっていないと思います。何度読んでも、その都度読む快感を感じる作品です。いちばんに魅力を感じるのはパックですね。人間とまったく違う理屈で生きている存在が、愉快です。場面場面に演劇的なおもしろさがある気がしています。例えば、p32最終行の、母親がウィルを抱きしめて、口に干しアンズを押し込む場面など、どきりとして、映画のワンシーンのように思い浮かびます。お金をつぎこんで作った実写映画が見たいとかなり本気で思います。建物、装束、人物などなど、極上の歴史エンターテインメント映画になると思うんですよね。手袋を届けに訪れたケニルワース城でウィルたちの部屋が調えられていく様子とか、見たいシーンがたくさんあります。教科書に名前が出てくるけっこうな有名人が、続々と登場するオールスターキャスト的おもしろさもあります。それも、世界史は世界史、日本史は日本史で習うことが、クロスするのが中学生ぐらいの読者にとってもエキサイティングだと思います。絢爛豪華な名前が出てくるだけじゃなくて、ウィルの人物造形としては、父親の抑圧で自己肯定感がもてないことなど、時空を超えた普遍性があります。その点でも、子ども読者に伝わる作品だと思っています。日本に行ってからのウィルがちょっとしっかりしすぎなのは、興ざめかもしれません。最初のときは、細かな年表があったけれど、なくなったのがよかったのかどうか。表紙は断然よくなっていると思います。サブタイトルの「少年シェイクスピア」がなくなってしまったので、『王の祭り』で初めて読む人が、ウィル=シェイクスピアと気づくのに時間がかかってしまうのは、マイナスだったかもしれません。シェイクスピアと最初から知っていて読むと、あの作品の元ネタはこれ?みたいなマニアックな楽しみも出てきますので。

木の葉:改稿前の作品『けむり馬に乗って』と比べると、『王の祭り』は30ページ分ぐらい増えています。物語の大筋は変わってませんが、かなりの加筆修正を施しているようです。私はどちらも刊行直後に読んでいます。今回、読み直す時間がなかったのですが、読みやすくなったと思った記憶があります。一度出した本を別の形で出版するというのは、よほど愛着があったのでしょうね。為政者である信長とエリザベス1世、そして文化を担う者である出雲阿国とシェイクスピアを同時代人として物語に登場させるという着想を得た時、作者は夢中になったのかも、などと想像してしまいます。盛りだくさんのエピソードで、印象に残っているのは、手袋をめぐるくだりです。とはいえ、やはり読者を選ぶかな、という気もしました。歴史的なことにある程度の下地がないと、世界に入りづらいかも。信長はファンも多くラジカルな人ではあったようですが、どうしても叡山焼き討ちなどが頭に浮かんでしまいますし、為政者としての魅力を私はあまり感じていません。もともと権力者の話にあまり関心がもてないこともあり、信長とエリザベスの邂逅? それが? みたいに思ってしまう自分もいて、よく作り込まれてはいるけれど物語世界に心惹かれる、というわけではないというのが、正直なところです。

ハル:私はとってもおもしろかったです。遠い昔に生きていた人たちの物語を想像することで歴史が立体的に見えてきますし、悠久の時の流れのロマンを感じます。ロマンといえば、信長って、やっぱり作家にとっては、こうもロマンを掻き立てられる人物なんだなあと思ったり。でも、皆さんがおっしゃるような信長の残虐性については、時代性も加味しないといけないとは思います。登場人物としては「お国」がちょっと弱いかなぁと思いました。ときどきズバッと庶民代表みたいなセリフを言ったりもしますが、なんでこの子がこういうことを言うんだろうと、共感できるほどには人物に深みを感じませんでした。そのほか、物語上気になる点はいくつかありましたが、全体的にはおもしろかったです。ただ、この本を、いったい何部、誰に売ろうか、と我がこととして考えると頭が痛いというか・・・。YA世代の読者にどうしたら届くのかなぁって・・・。余計なお世話ですけど。

ルパン:この本に関しては最初に発言してしまいたかったんですけど・・・でも、みなさんのご意見を聞いてからでもやっぱり感想は変わらないです。まったくおもしろいと思いませんでした。「みんなで読む本」でなかったら40ページくらいでやめてたな。次々いろんな人を出してくるけど出しっぱなしだし、実在の人物も架空の人物もごちゃまぜで、何しに出てきたんだかわかんないのばっかりだし。エリザベス女王と信長を会わせてどうすんだ、っていう感じで。いろんな通訳が都合よく出てくるのも無理があるし。好きな子のために異世界にとどまることもないし、イギリスへの帰り方もよくわからないし。しかも主人公はシェイクスピアでしたとか、あとがきで、劇中劇は実は『ロミオとジュリエット』だったんですよ、とか、なんかもう作者がひとりで遊んでるのにつきあわされた、っていう感じで腹立っちゃって。しかたなく最後まで読みながら、「あ、そうか、この作品にはきっと続きがあるんだな?! 第2巻で、この三つ子とか〈ばばちゃん〉とかが出てきて活躍するわけね」って思ったんだけど、これで終わってるし。みなさん「おもしろかった」とおっしゃっているので、なんか水族館の回遊水槽のなかで1匹だけ反対向きに泳いでるイワシみたいで申し訳ないですが、はっきり言ってつまんなかったです。ゴメンナサイ。

ネズミ:非常に意欲的な作品だと思いました。私はファンタジーが得意ではなく、途中で頭がこんがらかりそうになりましたが。イギリスの場面と日本の場面とで、イギリスの場面のほうはウィルの気持ちにそって読んでいけるのですが、日本は、お国がそれほど前面に出てこなくて、群像劇のような感じがしました。それだからか、場面によってテンポに乗りづらく、読みにくく感じるところもありました。1箇所だけ気になったのは、p11の「青い目の伴天連」という言葉。伴天連はポルトガル人かスペイン人かではないかと思うので、だとすると、目の色は茶色や黒だったのではないかと。裏をとっていないので、間違っていたらごめんなさい。

花散里:とてもおもしろく読みました。先程、YA世代はどう読むかと言われていましたが、小学校上級くらいで読めるように書かれていると思います。ウィルと妖精パックが物語の中心であり、ファンタジーとして読んだときのおもしろさが非常にあり、日本児童文学の中でもとても良く書かれている作品だと思いました。物語はシェイクスピアがウィルと呼ばれていた少年時代にパックと出会い、エリザベス女王の暗殺事件に巻き込まれ、女王を助けよう馬車に乗り込んで、時空を超えて降り立った所が日本の都であり、少女の頃の出雲のお国と出会うというストーリーは壮大な歴史ファンタジーだと思います。エリザベス女王と信長、イギリスと日本の戦国時代を結ぶ物語は、ペスト菌や手袋の挿話などを盛り込み、庶民と権力者の生活を対比させて世相を描き、飽きさせない趣向が随所に感じられるなど、題材が独創的であると思います。参考文献が多く挙げられ、物語の時代背景について充分に調べてうえで丁寧に物語が描かれたことが伺われます。日本の児童文学としては稀にみるスケールの大きなファンタジーとして高く評価できると思いました。子どもたちに向けて書かれた「あとがき」からも、子どもたちがそこから歴史や文学に関心を広げていくように書かれていると思いました。佐竹美保さんの挿絵で新しく刊行されたことにはとても意味があると感じました。

カピバラ:おもしろいことを考えたよ~という本だなと思いました。いろいろとつっこみどころはあるんですけど、信長も、出雲のお国も、エリザベス1世も、シェイクスピアも、真偽のはっきりしない逸話が多い人たちなので、どんなふうに料理しようとも自由だ、というところがあるのだと思います。そしてこの4人が同時代に生きた人物だというところに目をつけたのがおもしろいと思います。『江戸でピアノを〜バロックの家康からロマン派の慶喜まで』(岳本恭治/著 未知谷)というおもしろい本があって、私は時々開いてみるんですが、上の段に徳川15代将軍が順番に紹介されていて、下の段には同じ時代のヨーロッパの音楽家のことが書かれているんです。綱吉とバッハ、家重とモーツアルトといった具合にね。日本とヨーロッパで同じ時代に生きていた人たちということで、『王の祭り』もこれと同じ発想ですよね。この物語の時代にはグローバル化なんて概念は当然ないわけですが、今の子どもたちは今この地球上で世界にどんなことが起こっているかを知って、地球はひとつという意識をもっていかなければならないので、この本のような視点をもつことは大切だと思います。実在の人物が登場する物語ということで、歴史に興味をもつきっかけになるといいなと思います。

さららん:最後にレスター伯爵が、女王に箱に入った手紙をさしだします。前にレスターからの箱を開いて森に入っていく場面があったけれど、これは別の手紙なんですね?

カピバラ:細かいことを気にしないで楽しめばいい本なんじゃないかな。

(2021年03月のオンラインによる「子どもの本で言いたい放題」より)

 

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彼方の光

『彼方の光』表紙
『彼方の光』
シェリー・ピアソル/作 斎藤倫子/訳
偕成社
2020.12

木の葉:読み応えがありました。2人の逃亡を助けてくれるのは善人ばかりではないし、現代の考え方だと肯定できない人もいることにリアリティを感じました。黒人差別を扱った読み物では、主体的で向上心のある人物像が描かれることも多いですが、この本の主人公はそうではなく、境遇ゆえに、とくに最初の頃は無知で無力。いつまでも奴隷主をだんな様と言い続けるのが切なかったです。彼らを助けるさまざまな人の中では、川の男が心に残りました。とても苛烈ですが魅力的です。このところ日本でも多く翻訳されている黒人の苦難の物語を、アメリカの白人の子どもたちはどんな風に読むのか興味があります。というのは、日本の読者にとって、黒人差別の問題はホロコースト同様、ある意味では良心の呵責なく読むことができるからです。日本人がもっと取り組まねばならない日本の問題がある、ということでもあるのですが。それから、逃亡先としてのカナダという国について、もっと知りたくなりました。

ハル:それがもっとも悲しい部分なのかもしれませんが、主人公の少年が逃亡すること自体に消極的だったためか、劣悪な環境に私の気持ちが引っ張られすぎたからか、期待したほどハラハラドキドキはできませんでした。小説としてのおもしろさは、私にとっては満点じゃなかったです。木の葉さんもおっしゃっていましたが、白人の子や、いまの子たちが、どう読むのかなというのは、私も気になりました。

ルパン:私はとてもおもしろかったです。はじめ、サミュエルが、白人の所有者から逃げ出す意味が全然わかっていないところにイライラして、「ちゃんと言うこときいて!」とか「つべこべ言わずにハリソンについて行け」とか「なんでこの子を連れてくんだ!?」とか思いながら読んでいたんですけど、最後の最後で機転をきかせて、一緒にいたおとなたちも助かっちゃうところでは、「よーし!よくやった!」と、思わずガッツポーズでした。あと、せつなかったのは、白人のドレスを何枚も盗んで重ね着して逃げていく黒人女性が、「川の男」に、それを脱いで置いて行けと言われるのに脱ぎたくなくて、最後は川に流されてしまうところです。死と引き換えてでもきれいなドレスを着ていたかったのかな、と思うと・・・この女性も記録に名前が残っているんですよね。実在の人物とあるだけに、このあとどうなったかと思うと心が痛みます。

ネズミ:物語として楽しんで読みました。きっとカナデイにたどり着くのだろうと思って読み進めたのですが、途中で思いがけない展開があって、ドキドキしながら先を読まずにいられませんでした。当時のさまざまな事情が物語にとりこまれていますが、その一方で、予備知識がなくても楽しめる作品になっていると思います。ハリソンの冗談めかした口調など、登場人物の言葉づかいがていねいに訳され、物語としての豊かさを感じました。

花散里:表紙画から感じる重たい暗い印象が、読んでいてもずっと続いているような気がしました。顔を傷つけられたり、ろうそくの火に手をかざさせられたり、人としての尊厳を奪われ、まるで物や道具のように売り買いされ、家畜のようにこき使われた奴隷たちについて、現代の子どもたちはどのように読むのかと思いました。現在でも問題になっている黒人差別について、このような歴史的背景を知り、この本からも考えてもらえたらと思いました。川の男や、たくさんの服を着て香水をつけた女の人など、登場人物も印象的な人がいて、物語の厚みを感じましたが、「シゴーコーチョク」は子どもに意味がわかるのでしょうか。「あとがき」の字が小さくて大人に向けて書かれているのかと思いました。地下鉄道についてなどを知るためにも最後の地図は役立つと感じました。

カピバラ:タイトルから、きっと最後は光が見えるのだろうと予測できたのですが、それでもやはりハラハラどきどきの連続で、帯に書いてあるとおりまさに「一気読みの逃亡劇」でした。非常に過酷な状況が描かれていますが、主人公サミュエルの子どもらしい見方や考え方がときにほほえましく感じられるのに救われました。情景描写が細やかなので臨場感がありますが、すべてサミュエルの目を通して描かれているのが良かったと思います。たとえば、p165真ん中あたり、「頭の上には、大きな鉄製のランプが天井からさがっていた。思わず、黒いクモがあおむけになって、足の一本一本に白いロウソクをもっているところを思いうかべた」。情景がとてもよくわかると思います。
印象に残った描写が随所にありましたが、中でも、p113で川を渡してくれた男が語ったことです。「老人と旅をしたことがある」というんですね。8歳の時、年寄りの黒人と鎖でつながれて歩かされた。「その老人は、おれたちをつないでる鉄の鎖をもちあげて、その重さができるだけおれにかからないようにしてくれた」という部分です。ハリソンはぶっきら棒でサミュエルに優しい言葉などかけはしないけれど、この老人と同じ気持ちを持っていることを暗示していると感じられ、印象に残りました。だからこそ、ハリソンがおじいちゃんだと気づくところは感動しました。地下鉄道を扱った物語は今までもいくつか翻訳されており、私もそういったものを読んで初めてその歴史的事実を知りましたが、まだまだ数は少ないので、この本が翻訳されたことはとても良かったと思います。今またBlack Lives Matterで日本でも関心を寄せる人が増えてきたので、子どもたちにも知ってほしいと思います。一般文学では、奴隷制度を扱う場合にどうしても事実を知らせるという意味で残忍な描写を描くことが多いですが、児童文学は、奴隷制度に抵抗する活動として「地下鉄道」にかかわる人々の勇気や人間愛を描いて、過酷な運命や差別を乗り越える力を伝えようとすると思います。それが大人から子どもへのメッセージになっていると思います。

まめじか:サミュエルは物音に驚いて急に逃げだすような臆病な子で、絶対に川に入らないと言い張るなど、強情な面もあります。そんなふつうの、等身大の姿が描かれているのがよかったです。農場の狭い世界で育ち、トウモロコシ畑より先には行ったことのなかったサミュエルは、「わしらのもんはなにひとつない」「池という池、魚という魚はぜんぶ白人のもんだし、連中は、わしらのもってるもんはなんであれ取りつくそうとする」というハリソンのせりふに集約されるような状況で、自分の人生を取りもどすための旅に出ます。命がけの逃避行のあいだ、深い悲しみの中にあって現実と幻の境がつかなくなったテイラー夫人やグリーン・マードクなど、いろんな人に出会います。決して善意で動いているような人たちだけじゃないし、黒人谷で暮らす人々も、中には助けてくれる人もいれば、見捨てる人もいる。サミュエルは人に会うたびに、信用できるかを判断し、その過程で人を見る目が養われ、最後には知恵を働かせて危機を脱する。そこに説得力がありました。

ハリネズミ:アメリカの国内だとまだ奴隷所有者に雇われた追っ手に捕まる可能性があるので、別の国であるカナダに逃げるのですね。では、カナダが過去に人種差別のまったくない国だったかというと、そんなことはなくて、先住民に対する差別はずいぶんあったと聞いています。アメリカやカナダには、Black History Monthという黒人の歴史を学ぶための月があって、アフリカ系の人たちが連行されてきたことや、社会の中で果たしてきた役割を、学校などでも勉強するんですね(あとで調べたら、今はイギリス、アイルランド、オランダなどでも同様の月間があるようです)。そういう際には、このような本も使って、白人でもアジア系でもみんなアフリカ系の人たちのことを学び、多様な見方を身につけていくんですね。そしてそういうところから、たとえばローラ・インガルス・ワイルダー賞という名前も、白人の歴史しか見ていなかった作家の名前を冠しているのはまずいんじゃないかという意見が出てきて「児童文学遺産賞」に変わったりする。一方、社会を変えていくための様々な工夫が、日本ではとても少ないので、女性差別にしてもなかなか変わらないんじゃないかなと思います。この本で何を日本の子どもに伝えるか、という点で言うと、いちばんはカピバラさんもおっしゃっていたように、「地下鉄道」のことかと思います。実際に鉄道があったわけではなく奴隷を逃がすための人間のネットワークですが、この「地下鉄道」にかかわったいちばん有名な人はアフリカ系のハリエット・タブマンという女性で、「車掌」(案内人)になって、多くの奴隷の逃亡を手助けしました。タブマンは20ドル札の絵柄になることがオバマ政権で決まっていたのですが、トランプがストップさせ、今はまたバイデンが実行しようとしているようです。タブマンは黒人ですが、白人も先住民も逮捕覚悟でこの「地下鉄道」の担い手になっていたのです。中には金儲けになるからと考えた人もいるのでしょうが、それにしても見つかれば重罪になるわけですよね。そうした危険にもかかわらず、人間を人間として扱わないのはおかしいと考える人たちがいたことを知るのは、日本のこどもにとっても希望になると思います。斎藤さんの訳もいいし、ずっとこの子の視点から旅路を追っていくのがとてもいいと思いました。希望はなかなか見えてきませんが、「光」という言葉があるのでそれを頼りに読み進めることができると思います。

アンヌ:読み始めた時はサミュエルたちがカナダを目指しているとは気付かず、暗闇の中を行くような逃避行だと感じて読むのがつらく、何度か本を置きました。川の男に会って「自由黒人」という言葉を知り希望を持て、そこからは一気読みでした。黒人谷で病床のハリソンの枕元でベルが「沈黙は永遠の眠りを招く・・・だから、あたしは家のなかをたくさんの言葉で一杯にするの」と言う。このp235のベルの言葉は、言霊で命を結び付けようとするようで、好きな場面です。そして、そんな瀕死の時でもハリソンがサミュエルに祖父と名のらないほうがつらくなくていいと思い込んでいることに、とても悲しい思いがしました。読み終ってから地図があるのはよかったと思いました。表紙の絵は、原書では三日月と身をよじる少年の絵だったけれど、日本語版は満月と影絵で、なんとなく希望を感じられて、いい表紙だと思いました。

はこべ:最初は頼りない主人公が、逃避行をつづけるうちに成長していく様子と、史実に基づく重みが2本の柱になっている力強い物語で、一気に読んでしまいました。冒頭の、主の息子が主人公を残酷な目にあわせる場面にあるように、観念的ではなく、すべて細かい描写で綴っていく手法が効果的で、素晴らしいですね。特に、川の男。こういう人物を創り上げる作家はすごいと思ったら、実在の人物なんですね。主人公たちを救う活動に協力しながら、銃をつきつけて相対する未亡人も、実際にモデルがいたのではないかしら。克明な描写で登場人物の背景や心の内まで浮かびあがらせているのは、優れた翻訳の力があってこそだと思います。たしかに描かれている事実は暗いものだけれど、子どもの目で語られているので理解されないということはないし、暗いから、難しいからとためらわずに、ぜひ子どもたちに薦めていただきたい本だと思います。

コアラ:地下鉄道のことは、この本で初めて知りました。多くの人がサミュエルとハリソンを助けてくれますが、相手が本当に味方なのか、裏切られるんじゃないかという状況が、サミュエルの側に立って書かれています。ハリソンでさえ、途中で、訳のわからないうわごとみたいなことを言うんですよね。何を信じたらいいかわからない状況に放り込まれた感じで読みました。印象的だったのが、p169で、ハリソンが「紙に書いたものが嫌いだ」と言って、牧師が書いた自分たちの物語を破って捨てたこと。善意が相手に喜ばれるとは限らないことがよくわかったし、それほどハリソンがつらい思いをしてきたということが、読んでいてつらかったです。p266の4行目では「あのときのぼくはカナダのことを考えようとしていた」という文章が出てきます。あ、助かったんだな、助かった後でそのときのことを振り返った文章なんだな、と思いました。それで、そのあとの場面でつかまった時も、どんな風にこの絶体絶命の危機を乗り越えるんだろうと期待して読むことができました。「あのときのぼくは〜」のような文章は、けっこう大事だと思います。あと、花散里さんと同じように、私も「あとがき」の文字が小さいと思いました。地下鉄道という言葉は「あとがき」にしか出てこないんですよね。この文字の小ささだと、本文を読み終わった子どもが「あとがき」まで読むのかな、とちょっと残念でした。暗い感じの物語だけど、日本の子どもたちにも知ってほしいと思いました。

エーデルワイス:サミュエルが、賢い機転の利くような子ではなく、逃亡に引きずられるようについていくような、好奇心と少年らしい危うさがあり、そこが好きです。そして最後の最後でみんなを救うところが素敵。購入した本には「史実に基づいた・・・」とあるようですが、図書館の本には帯がないので、あとがきを読むまでそのことはわからない。地図は最後でよかったのか、最初にあった方がよかったのか、疑問に思いました。サミュエルが追い詰められる、不安な心境の表現に、p12に「ぼくはのどがつまるような気がした。まるで、大きなヘビがのどに巻きついたみたいだ」とありますが、この表現は度々出てくるので、いかに厳しい逃亡かわかります。ハリソンはサミュエルの母親の合図の毛糸玉を見て逃げることを決意するのですが、果てしない距離を、人から人へと繋いで運ばれてきたことを想像すると、すごいネットワークだと思います。またカナダまでの逃亡ルートがわかっていて底力みたいなものを感じました。

マリンゴ: 教育をあまり受けず、常に威圧されながら育った黒人の少年の、いつも怯えて追われているような、自由とは何かを考えたこともないような感じが、とてもよく伝わってきました。人に恵まれて、裏切られることがないので、逃亡劇としては順調だけれど、ハリソンが病気になったり、白人のパトロールが来たり、最後の最後、船に乗る前にクライマックスがあったり、山場が作られているので、ハラハラしながら一気に読めました。どうでもいいことをしゃべり倒している白人の行商人など、キャラクターがそれぞれ立っているので、物語がより魅力的に思えます。地図を見たい!と思ったら最後に用意してくれていたのもありがたいです。

しじみ21個分:大変に重厚で、読み応えがある作品でした。アメリカの作家が主にはアメリカの子に向けて自国の歴史について書いているのだろうと想像したのですが、今のブラック・ライブズ・マターを考える上で必ずアメリカ国民として知ってなければいけないことなのではないかと強く感じました。私は察しが悪くて、なんでハリソンが足手まといになるサミュエルを連れて逃げるのか、全然わからなかったのですが、あとで謎解きがあって、「あー!」と思いました。私も川の男の印象はとても強くて、ドレスにこだわって駄々をこねるヘイティの乗る舟を足で川にけり戻してしまうシビアさに、逃げる方も支援をする方も命懸けだったということを感じるとともに、彼がサミュエルに伝えた言葉が最後にサミュエルを鼓舞し、みんなを救ったという結末に結実してさらに印象深くなりました。逃避行の間、サミュエルとハリソンが暗い中でずっと息をひそめ、身を隠していなければならなかったつらさは想像を絶します。でも、逃げおおせて最後に「ヒャッホー」と終始気難しかったハリソンが歓声を上げて、青い空を見上げている場面には大きな解放感があり、とても読後感が気持ちよかったです。黒人奴隷の歴史の事実は、おそらくもっと陰惨で、家畜よりもかんたんに殺されていたのかもしれません。その過酷な事実を日本の子どもがどこまで感じ取れるかというのが肝だと思いましたが、歴史を知るということは非常に重要だと思います。あとは、これも察しが悪かったのですが、「カナデイ」が「カナダ」だとはじめはわからなかったし、レバノン川がどこなのかとずっと気になっていました。後半で突然、カナデイはカナダとして文章の中で通用し始めたところには少し違和感がありました。また、シゴーコーチョクというようにハリソンの喋りは、カタカナで傍点が、どういうなまりや言い間違いがあってこうなっているのか、元の英語がわからないので気になってモヤモヤしました。

さららん:自分が黒人の歴史をどのくらい理解し、自分のものとして捉えているかが、この本を読んで問われますね。BLMの報道を見るときの目が変わり、その意味でも読むべき1冊でした。主人公たちの状況はとても過酷です。命を失うことになっても、人間として生きてほしいとの思いから、老人ハリソンは大きな賭けに出たのですが、その怒ったような口調にも、サミュエルへの深い愛情を感じました。それは優れた訳だからこそですね。船を漕いで渡してくれた男は冷酷な一面を見せますが、同時にサミュエルにとても大事な教訓を与え、人間の複雑さを感じさせる魅力的な脇役でした。モデルがいたと聞いて、納得しました。最後に、サミュエルの機転を認めたカナダ国境の警察官の粋な計らいも忘れられません。

すあま:だれがいい人か悪い人かわからないため、最後まで読み終わらないと安心して眠れない、という感じでした。地下鉄道など、物語の背景についての知識があった上で読んだ方がいいのかな、と思ったけれど、逆にこの物語を読むことによって知ることができればそれでよいとも思いました。主人公が泣いてばかりでだめだったのが、次第に生き抜く力をつけ成長していくのがよかったです。お母さんについては、だんだんと何があったかわかってくるようになっていますが、だいぶ想像で補わなければならないので、もう少し明らかにしてほしかったと思います。最後は、後から回想する形であっさりした感じでした。ずっと重苦しいので、読むのはちょっとつらかったです。もう少しユーモアがあってもよかったかな。

サークルK:図書館に本が届いたのが当日だったため内容についての細かな個所はパスさせていただきますが、人種差別ということから、最近の映画で『ドリーム』(原題: Hidden Figures マーゴット・リー シェタリー/原作:邦訳『ドリーム〜NASAを支えた名もなき計算手たち』 山北めぐみ/訳 ハーパーコリンズ・ジャパン)というNASAで優秀な仕事をした黒人女性の実話を思い出しました。また、作中の「地下鉄道」という奴隷たちを逃すための秘密の手段についても、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』(斎藤英治/訳 ハヤカワepi文庫)の続編『誓願』(鴻巣友季子/訳 早川書房)に登場する「地下の逃亡路」を思い出し、『彼方の光』に描かれる実話が大人向けのフィクションにもつながっていくことを実感しました。これを児童図書として読む子どもたちの想像力を深く刺激して問題意識を持つきっかけになるのだろうな、とみなさんの感想を伺って思いました。

カピバラ:p180の「ボンネットをかぶると、つばが大きくて、目の前の小さな丸いすきま――大皿くらいの大きさだった――のほかにはなにも見えなかった」ですが、小さな丸い隙間なのに大皿ぐらいというのがよくわかりませんでした。

はこべ:顔の周囲をぐるっとおおうくらいつばが大きいボンネットだと、そういう状態になるんじゃないかな。

ハリネズミ:目の前が大皿の大きさくらいしかあいてないということなんじゃないかな。

カピバラ:「小さな」「すきま」だともっと小さいんじゃないかと思うのにどうして大皿?と思ったんです。

ハリネズミ:先日のイベントでは、翻訳者の斎藤さんが、この本での黒人の人たちの会話は、南部の黒人言葉でふつうの英語とは違うのでどう訳すか悩んだけれど、カナダをカナデイと言っているところだけはそのまま残したとおっしゃっていました。さっき、地図が前にあったらいいか後ろにあったらいいかという話が出ましたが、地図が前にあったらカナダまで行けるのがわかってしまうので、後ろでいいのだと思います。それから地下鉄道で逃げた人で、子連れというのはめずらしいようです。

ルパン:今、テレビ番組でアイヌを侮辱する発言があったということが問題になっていますが・・・「あ、イヌ」というダジャレを言った芸人だけでなく、番組を作るスタッフとか、テレビ局の人が誰もアイヌの歴史を知らなかったというところに問題を感じます。アイヌの人たちがそう言われて差別を受け続けてきたという事実を誰か1人でも知っている人はいなかったのかな、と。私は子どものときに『コタンの口笛』(石森延男/著 東都書房など)という本を読んでそのことを知りました。その時は意味がわかっていなかったけれど、ずいぶんあとに、大人になってから気がつきました。あの本を読んでいなかったら私もこういうことに鈍感になっていたかもしれない。児童書の役割って、そういうところにもあるのかな、と思います。ですから私はこの本は文庫の子どもたちに読んでもらいたいと思います。

ハリネズミ:『コタンの口笛』はよく読まれて映画にもなったと思いますが、批判もあります。今ならアイヌの人が書いた作品も読めるといいですね。BLMについては、アフリカ系の多くの作家が書いていますが、ピアソルは白人の作家です。だから白人の子どもたちにも読みやすいということも、もしかしたらあるのかもしれません。

エーデルワイス:逃亡中の食べ物の話はリアリティがあります。列車で逃亡したら、トイレにも行きたくなると思いますが、それは出てきませんね。大人の本だったらその辺も書くのでしょうか。私たち東北人は震災の時トイレで苦労したので。

(2021年03月のオンラインによる「子どもの本で言いたい放題」より)

 

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さがす

長倉洋海『さがす』表紙
『さがす』
長倉洋海/著
アリス館
2020.05

『さがす』をおすすめします。

著者がこれまで撮りためてきた世界各地の子どもたちの写真に、自分自身の来し方を重ねた写真絵本。「自分の場所」はどこなのか? 「生きる意味」は何なのか? 今年68歳になる著者は、それをさがして、弾丸のとびかうアフガニスタンやコソボ、極寒のグリーンランド、灼熱(しゃくねつ)のアラビア半島など、さまざまな環境の中でさまざまな生き方をしている人々に出会ってきた。そして今、ようやくその答えを見つけ、「さがしていたものは、いま、自分の手の中にある」と語る。世界を駆けめぐってきた写真家ならではの、その答えとはどういうものなのか? 心にひびく写真の一枚一枚、言葉の一つ一つを味わいながら、読者も一緒に考えてみてほしい。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年8月29日掲載)

キーワード:写真、世界、さがしもの

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彼方の光

『彼方の光』表紙
『彼方の光』
シェリー・ピアソル/作 斎藤倫子/訳
偕成社
2020.12

『彼方の光』をおすすめします。

時は今から160年前。その頃のアメリカ南部にはまだ黒人奴隷がたくさんいて、報酬ももらえず白人農場主にこきつかわれていた。ある晩、老奴隷のハリソンは少年奴隷のサミュエルを起こし、闇に乗じて2人でカナダへの逃亡を始める。そして、何度も危ない目にあいながらも、「地下鉄道」にも助けられて、旅を続けていく。「地下鉄道」とは、当時実在した、逃亡奴隷を北へ北へと逃がすための人間の秘密ネットワークで、黒人だけではなく、白人も先住民も、宗教上の理由から助けようとする人たちもかかわっていた。この作品にも多様な立場から逃亡を支える人々が登場する。いくつもの実話から紡ぎ上げた物語で、サミュエルの気持ちになって読み進めることができる。

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年1月30日掲載)


時は今から160年前。アメリカ南部にはまだ黒人奴隷がたくさんいて、報酬ももらえず白人農場主にこき使われていた。ある晩、老奴隷のハリソンは少年奴隷のサミュエルを起こし、闇に乗じてふたりでカナダへの逃亡を始める。そして、何度も危険な目にあいながらも、逃亡奴隷のための人間のネットワーク「地下鉄道」にも助けられて、旅を続けていく。著者は、「地下鉄道」にかかわったさまざまな人種や立場の人を登場させて、当時のアメリカの様子を伝えている。波瀾万丈のドキドキする冒険物語としても読める。

原作:アメリカ/11歳から/奴隷、自由、旅

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

 

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2020年02月 テーマ:手渡されるものを受け止めて――世代を越えて子どもたちが受け継ぐもの

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『2020年02月 テーマ:手渡されるものを受け止めて――世代を越えて子どもたちが受け継ぐもの』

 

日付 2020年02月20日
参加者 カピバラ、コアラ、木の葉、サークルK、さくま、さららん、トマト、西山、花散里、ハル、まめじか、マリンゴ、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 手渡されるものを受け止めて――世代を越えて子どもたちが受け継ぐもの

読んだ本:

『思いはつのり、言葉はつばさ』表紙
『思いはいのり、言葉はつばさ』
まはら三桃/著
アリス館
2019.07

〈版元語録〉友達のジュアヌが見せてくれたハンカチに刺繍されていた、女書(ニュウシュ)。 その美しい文字に、チャオミンは夢中になってしまう。 中国・湖南省に実際に伝承されてきた文字をテーマにした児童文学。
『オオカミが来た朝』表紙
『オオカミが来た朝』
原題:WOLF ON THE FOLD by Judith Clarke, 2000
ジュディス・クラーク/著 ふなとよし子/訳
福音館書店
2019.09

〈版元語録〉オーストラリアのある家族の日常のひとこまを、1935年から2002年まで4世代にわたり描く短編集。父親をなくした少年ケニーが家族のために仕事を探しに出た朝の出来事(オオカミが来た朝)、ケニー一家のもとにやってきた年老いたおばさんをめぐる騒動(メイおばさん)、近所にやってきたインド人の難民一家の苦悩(想い出のディルクシャ)ほか、時にユーモアをまじえて繊細に語る全6編。
アラン・グラッツ『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』表紙
『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』
原題:REFUGEE by Alan Gratz, 2017
アラン・グラッツ/作 さくまゆみこ/訳
福音館書店
2019.09

〈版元語録〉ナチスドイツから逃れるユダヤの少年、カストロ政権下のキューバを出てアメリカに向かう少女、内戦下のシリアからヨーロッパをめざす少年。故郷を追われて旅立つ3人の物語が、時代や国を超えて同時進行で語られる。彼らの運命はやがて思わぬところで結びつくことに……。命の危険にさらされ恐怖と闘いながらも、明日への希望を見失わず成長していく子どもたちの姿を描く。歴史的事実を踏まえたフィクション作品。

(さらに…)

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明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち

アラン・グラッツ『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』表紙
『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』
アラン・グラッツ/作 さくまゆみこ/訳
福音館書店
2019.09

花散里:時代も場所もちがう3人の登場人物が、交互に語っていく物語ですが、各ページ上の柱に場所と年代が記されているのが、読んでいくときの助けになりました。ホロコーストの話は過酷で、この物語のヨーゼフの話も、読んでいていたたまれない思いでした。カストロ政権下のキューバから逃れる少女イサベル、内戦中のシリアで爆撃を受けて難民となりヨーロッパを目指すマフムード。それぞれ故郷を追われ、海路、陸路で困難に立ち向かいながら、やがて最後につながっていく構成の上手さに圧倒されて読みました。難民のことを取り上げている作品が多い中でも、特に印象深く感じました。日本の難民受け入れ問題を取り上げた『となりの難民』(織田朝日/著 旬報社)や、空爆が続くシリアの町で瓦礫の中から本を救い出し図書館を作った『戦場の秘密図書館』(マイク・トムソン/著 小国綾子/編・訳 文渓堂)などとともにブックトークなどで紹介して、ぜひ、日本の子どもたちにも読んでほしいと思いました。

サークルK:3人の主人公たちの置かれた立場、年代、環境は全然ちがうのに困難にあることだけは同じで、この次の展開はどうなるのだろう、と思うところで次の子どものエピソードにつながっていき、よく言えばリズミカルに、別言するとあわただしい感じがしました。後ろの地図をたどって、こんなに移動をしなければならなかったのか、家を追われて故郷を捨てなければならなかったのか、と納得できました。現代の読者は、2015年のスマホを持っているマフムードに共感しやすいように思いますが、彼を入り口にして、単なる年号と出来事でしかなかった歴史が共時的につながっていることを実感できると思います。2度と繰り返してはいけない戦争、ということをうまく伝えているなあ、と心を動かされました。

さららん:3人のエピソードが、ひとつずつ順番に終わるたび、私も展開がすごく気になりました。ヨーゼフ、イサベル、マフムードの話をつなげて、飛ばし読みしようと思ったけれど、作者の意図を尊重して我慢しました。3つの話は時間も場所もばらばらで、いったいどう絡み合うのか? という期待が最後まで続きます。どこが史実で、どこがフィクションか、迷いながら読み通したけれど、編集部による断り書き(p386)と「著者あとがき」を読んで納得しました。難民受け入れを拒むハンガリーの兵士は催涙弾を撃ち、沿岸警備艇はボートに乗ってマイアミ直前まで来た人々を捕らえて、キューバに送り返そうとする。今起きている現実は強く心に響き、よくぞ書いたと思いました。ストーリーを時系列に進めながら、主人公に過去の思い出を語らせる難民の物語はワンパターンになりがちだけれど、この本の、刻々と3つの「今」を伝える重層的な作品づくりはお見事。それが現在につながって山場を迎えるところに、物語の醍醐味を感じました。

木の葉:本自体も内容も重い本でした。ドイツ、キューバ、シリアの異なる場所の異なる時代の物語ですが、ベルリンに始まってベルリンで物語を閉じます。構成的にとてもよくできていると思いました。少し前に読んだ『三つ編み』(レティシア・コロンバニ/著 齋藤可津子/訳 早川書房)を思い出しました。同時代ですが、インド、イタリア、カナダの女性の視点で交互に物語が進みます。視点が変わることで、いいところ(悪いところ?)で次の視点に移ります。狙いはわかるのですが、少しストレスでした。銃口をつきつけられたところで章が切り替わっても、このあとも物語は続くので大丈夫、というのが前提で読んではいても、ちょっとあざといな、という気がしました。いろいろ考えさせられる物語でした。2015年は、ヨーロッパで難民が大きくクローズアップされた年で、そのことを思い出しました。ホロコーストをひきおこしたドイツがいちばん難民を受け入れています。どうしても、では日本は? と思ってしまいますが、あとがきの訳注でさりげなく日本の状況についての情報がフォローされています。日本の入国管理局の問題なども、作品化できないものだろうか、などと思うのですが・・・。ただ、若い頃にキューバ革命を熱い目で見ていたことのある立場からすると、ナチス、シリアと並列的に語られることが、なんだ切なく感じました。革命家と為政者とは違う、ということなのでしょうか。

ルパン:すみません、まだ3分の1くらいまでしか読めていないんです。でも、ここまでのところでいちばん印象に残ったのは、p92です。「どっちの側だ」と聞かれ、答え方をまちがえたら殺される、という緊迫した状況で、子どもが「爆弾を落とす人たちには反対です」と声をあげて、一家が救われる、というところ。場所と年代の違う3つの物語が交互に語られ、時系列が行ったりきたりするので読みにくいなあ、と思っていましたが、さっき花散里さんが「ページの上に場所と年代が書いてある」とおっしゃったので、「あ、ほんとだ!」と思いました。ここから先は読みやすくなりそうです。

まめじか:安住の地にたどりつけなかったヨーゼフがいて、友人を失い、祖父を残して上陸したイサベルがいて、妹と生き別れたマフムードがいて、その3人の人生がつながる構成です。現実に起きたこと、起きていることの厳しさがきちんと書かれていますが、ひとり助かったヨーゼフの妹が、何十年もたってからマフムードの家族を助けるなど、結末に希望があり、とても好きな作品でした。イサベルは新しい土地で、ずっと探していたキューバのリズムを見つけ、これからも故郷とつながっていくのでしょう。平澤さんの装画もすてきで、物語にぴったり。ただ、いかにも社会的なテーマを扱ったという感じの、お行儀のいい装丁なので、もう少しポップなほうが、子どもは手にとりやすいのでは? と思います。

ハル:まず、構成が見事だなと思います。最初に1938年のユダヤの少年の話からはじまり、すぐ2章に移ったかと思ったら、1994年のキューバの少女に飛ぶ。そこでハッとさせられ、さらにすぐ3章に移ると、今度は2015年のシリアの少年へ。ああ、第二次世界大戦で終わったと思っているような出来事、子どもが、もちろん大人もですが、故郷で安心して暮らせないような出来事が、今もまだ続いているんだと、一気に身近な問題として胸に迫り、終始、他人事ではないような思いで読みました。そしてやっぱり、子どもたちのたくましさ。難民たちの行進が始まる場面は、思い出しても胸が熱くなります。「著者あとがき」で、著者が〈あなたにもできること〉を提案してくれているところもありがたいです。「自分は何をどうしたいだろう」と考えるきっかけになります。内容も、ボリュームも、重たい本だけど、主人公たちと同じ世代の読者にもぜひ読んでもらいたいです。

西山:親切な本作りだなと思いました。目次を見て、一瞬混乱しないかと心配になったのですが、ページ上部の柱を見れば、すぐに「だれ・どこ・いつ」が分かるようになっている。気になったら、巻末の地図も見られる。ストレスなく読み進めました。キューバのイサベルのおじいさん「リート」が、ヨーゼフたちの船に関わっていたらしいということがだんだんと分かってきますが、だからといって、劇的な安っぽい再会にしなかったのに厳粛さを感じて好感を持ちました。シリアのマフムードのパートがあることで、現在進行形の今の問題なのだとより身につまされました。p30で、「あの子を助けないと」とつぶやいたマフムードは結局自分の身を守るために「見えない存在」になってその場を去ります。爆撃による破壊や、本当に生きるか死ぬかの危険性はもちろんだけれど、日々魂がそがれていくこういう傷つき方があるのだということが、胸に刺さり、また、今の日本に生きている子ども読者にとってもそれは知っている感覚で受け止めるのではないかと思いました。やめろって言えてこそ、健やかに生きていけるのだと思います。この、マフムードが、見える存在になる決意をしていきますね。「シリアでは、目立たない存在になることで生きのびてきたからだ。でも、マフードは今、ヨーロッパで見えない存在になると、それは自分にとっても家族にとっても死を意味するのではないかと思いはじめていた」(p262)と。それが、国境を越えようと歩く子たちの群像の表紙とひびきあって、今の世界への問題提起となっていると思いました。また、p130で物事は「変わっていくんだから」「待ってるほうがよかったんだ」と言っていたリートがp339で「世界が変わってくれるのを待っている間は、チャベラ、何も変わらないんだ。わたしが、変えようとしなかったからだ。もう同じまちがいは、二度としないぞ」と海へ飛び込む。ここに強いメッセージを受け取ります。

マリンゴ:さっき電車のなかで読み終わって、最後の章で泣いて鼻をぐずぐずさせていたので、時節柄、周りのひとに「こいつ風邪か?」という目でにらまれてしまいました(笑)。3つの強力な物語が折り重なってくるお話ですね。章の最後でたいてい何か悪いことが起きるので、だんだん章末に近づくのが不安になりました(笑)。3作が同時進行するので、登場人物が多いのが若干ややこしいですね。本の3分の1まで行ったあたりで、「リート」って誰だっけ、と最初までさかのぼって確認しました。でも、このリートが一番印象的な人物になりました。キューバでは傍観者だったのが、時を経て当事者になってしまう・・・読者も、これは他人の物語ではなくて、自分もいつか関わる物語なのかもしれないと考えながら読めると思います。帯に、この3作がひとつにつながることがにおわされているので、冒頭からいろいろ想像しちゃいました。最後みんなマイアミにたどりつくのかな、とか。そんなシンプルな形じゃなくてよかったです。ユダヤ人を迫害したドイツの人が、贖罪の気持ちもあって、シリアからの難民を受け入れる、という構図をなんとなく想像していたので、ラストで「ああユダヤ人に救われたのか」と意外に思ったりもしました。長いあとがきが素晴らしいですね。細かいところまで事実をすくい上げるおもしろさが伝わってきます。3つが絡まりあっているので、フィクション度が高いのだと思い込んでいました。あと、無気力になった人たちが何人も出てくるのが、印象的でした。精力的に立ち向かえる人ばかりではない。それがリアルさを感じさせました。

トマト:交互につづられる3つの物語が、それぞれ強い力を持っています。でも、どの話も危機一髪のイイところで中断されてしまうので、読んでいてかなりイライラしました。次にくる物語を飛ばして、同じ主人公の話だけを一気に続けて読んでしまおうかと思ったくらい。その気持ちを抑えるのが大変でした。いじわるな本ですよ。でも、しばらくすると、気にならずに読めるようになったのが不思議です。結局、読み終えてみると、この構成で良かったのかなあと思うけれど、ひとつの物語に一気に入り込める構成ではないので、よほど本が好きな子でないと途中でいやになってしまうのではないかと・・・。また、日本の多くの若い人は、ホロコーストのことは知っていても、キューバのことは知らないと思うので、知識不足と3つの物語が混在する複雑さが加わって、読み終えることが出来ないのではないかと。そこがいちばん気にかかります。表紙は、悪くない。いいと思います。

カピバラ:3つの時代、3つの国を舞台に、3人の話が入れかわり立ちかわり出てくるのが最初は読みにくかったけれど、同時進行で進む構成は、緊迫感を出すのにとても効果的だし、描写が具体的で目に見えるように書かれているので、臨場感もありました。最初から緊迫した状況が続き、つらいことがあまりに多く読むのをやめたくなるほどだったので、これを翻訳した訳者はさぞやつらい思いだったろうと推察します。それが最後にきて、3つの物語が決して別々のものではなく、すべてがつながっているとわかり、衝撃を受けました。そこで一気に、難民問題は現在進行形であることを感じさせる、うまい構成だと思います。いろんな人が出てくるけど、ひとりひとりの小さな決断が積み重なって、大きく歴史を変えていく不思議さ。ドラマチックなおもしろさも感じました。読者は高校生以上でしょうか。日本の子どもにぜひ読んでほしいけれど読書力が必要だと思います。

さくま難しいという声もあったのですが、原書の読者対象は9歳からで、アメリカではベストセラーになっています。日本ではこのページ数があるだけで小学生向きにはなりませんよね。日本語版は読者にわかりやすくという工夫を編集部でもいろいろしてくださっています。原書には挿画もないし、柱やカットもないのですが、多くの子どもたちが読んでいるようです。中学年の子がみんな読めるとは思いませんが、高学年や中学生だったら十分読めるのかと思います。そう考えると、日本の子どもがいかに長いものを読めなくなっているのか、ということでもあるような気がしています。
私も最初に読んだ時は、次々にこれでもか、これでもか、とつらい状況が出てくるなあと思いました。セントルイス号の話に出てくる警官がキューバから脱出する話に出てくるおじいさんだということもちゃんと意識できていませんでした。それがセントルイスという名前でつながるということがわかり、ルーティとマフムードがつながるということもわかって、感動して、翻訳したいと思ったのです。難民という共通項を持った3人の物語が並列されているだけかと思ったら、そうじゃなかったんですね。固有名詞はそれぞれの地域の専門家にカタカナ表記の仕方をうかがいました。訳すときはまず最初はこのとおりの順番で訳し、見直すときはそれぞれの人物の話に沿って流れを見ていきました。難民を、どこか別のところで起こっている出来事としてではなく、自分にもう少し近い存在として日本の子どもにも意識してもらえるような本があればと考えていたので、それには長いけどこの本はいいのではないかと思ったのです。
1つの章がはらはらどきどきさせるクリフハンガーの状態で終わり、別の人物の章に変わるというのはどうなのかと思ったのですが、訳しているうちに全体を通していくつかのキーワードがあるのもわかりました。たとえばマフムードは「見えない存在」になりたいというのがp30に出てきますが、次のヨーゼフの章でも「見えない存在」になったみたいだというのが出てきたりします。あと章から章への音のつながりみたいなものも感じました。
原文を読んでいて細かいところで疑問に思ったところもありました。たとえばヨーゼフがユダヤ人であることを示す紙の腕章をつけていたというところですが、紙の腕章というのは聞いたことがなかったので、ホロコースト教育資料センターの石岡さんにうかがってみたりしました。石岡さんがドイツの専門家にきいてくださって、この時代はまだ腕章は一般的ではなかったし、紙の腕章が絶対になかったとは言えないけれど今のところ聞いたことがないと言われました。最終的に著者に問い合わせたところ、「多くの資料にあたって書いたのだが、今はほかの作品を書いているので、どの資料だったのかということは今すぐ言えない。しかるべき団体に問い合わせて疑問があるなら「紙の」という部分を取ってもかまわない」と言われました。ユニセフについても、数字がちょっと違うと思ったので、日本のユニセフに問い合わせて少し変えたりもしました。それからキューバがとても悪く書かれているところは少し気になりましたが、お父さんが逮捕されそうになっているのを子どもの視点で見ているので、そこはそのままにしました。家族の問題にしろ、家が破壊されたにしろ、社会の抑圧があったにしろ、子どもは翻弄されてしまうんだと思いました。何か疑問やおかしいところがあったら、直しますので教えてください。

西山:p47の3行目「見ててくれたといいんだけど」は、ひっかかりました。あと、p173ほか何か所かで、おぼれないように「足をける」という表現が使われていますが、私は違和感を覚えます。どういう動作かはちゃんとわかりますが。「水をける」という表現も使われているので、使い分けがされているのかとは思いますけれど。

さくま:ありがとうございます。考えてみます。

花散里:イザベルの物語の中でパピ(お父さん)、リート(おじいちゃん)というのが、最初に記されている(p21)だけだったので、その後、読み進みながら、パピは名前? リートは? と、何度か前のページをめくり返しました。セニョール・カスティージョ、セニョーラ・カスティージョというのも、ページが進むと、父親とか、お母さんの、とか記されていなくて、子どもにはわかりにくいのでは、と感じました。

さくま:なるほど。

トマト:この作品は、アメリカでは中学年以上向きに出版され、売れているんですか! 日本の子どもは、移民問題を身近に感じていないから読めないのでしょうか。

さくまテーマが何にしろ、日本では300ページ超えると出版がむずかしいと言われます。アメリカとかドイツとかだと小学校高学年向きくらいから、この本に限らず厚い本がたくさん出てるんですけどね。漢字の難しさもありますが、日本の子どもの読解力、読み取って考える力も落ちているかと思います。

トマト:母国語が英語ではない家庭が多いニューメキシコ州で、school librarianをしている友人を訪ねたときのこと。そのときはブッシュ政権だったのですが、学校が国の要請を受け、英語が苦手な子ども向けの読書指導をしていました。朝や放課後に、教師全員がそれぞれ少人数の班を受け持ち、絵本を読み合う授業なのですが、そのプロジェクトに取り組む学校には、学校図書館用にかなりの額の予算をつけてくれると言っていました。その結果、学校全体で読書指導を活発に行えるというわけです。国が、学校教育の中で、読書の授業を大切にしているという点が、日本と違うと感じました。

さくま:それと日本では国語の教科書に載っているのは短い文で、先生が独自に1冊の本を選んで生徒たちみんなで読み合うなんてことも、ふつうは出来ない。だから長い本を丸ごと読むことなしに大人になる場合もあるわけです。でも、アメリカとかドイツでは、長い本をクラスで読んで、それについて討論するということをやっていますよね。文学は正解を追い求めなくて住むので、多様な意見を受け入れることにつながっていくから、日本でもやればいいと思うんですけどね。

木の葉:「今の子どもは」、と思いすぎのような気もします。小学生でも、読む子は読むと思いたいです。思い切って手渡してみてもいいのかも。読み通せたら自信になるのではないでしょうか。

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エーデルワイス(メール参加):緊張感あふれる内容ですがとても読みやすかった。国も年代も違う3人の主人公とその家族が過酷な旅をしますが、読んでいて移動を一緒に体験しているように思えました。つらい場面が多く、どうなるかとハラハラしながら最後まで読み通しました。イラストも効果的で、多くの人に読んでほしいと思います。ドイツ兵が、ヨーゼフとルーティのどちらかを選べと母親に迫るところでは、映画「ソフィーの選択」を思い出しました。シリアからドイツに逃れたマフムードが年をとったルーティと会う場面は感動的でした。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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オオカミが来た朝

『オオカミが来た朝』表紙
『オオカミが来た朝』
ジュディス・クラーク/著 ふなとよし子/訳
福音館書店
2019.09

カピバラ:オーストラリアを舞台にした物語を久しぶりに読んだ気がします。時代が少しずつ新しくなっていく構成がおもしろかった。最初は、1編が短すぎて、もっとその主人公のことが知りたいのにすぐに次の話へ移ってしまうのが物足りないように思いましたが、しだいにこの本の全体に共通するテーマが現れてきました。貧困、老人、ディスレクシア、障害のある人、難民、移民といった人々を登場させ、そういう人たちにくもりのない目で接していく子どもたちが、人間とは単なる見た目とちがう面をもっているということや、大人の価値観の裏にちがう真実がかくされているということを、ふとした瞬間に気づく。そういうところをとてもうまく描いています。その子どもたちが大人になったときにきっと良い効果をもたらすだろうことを予感させるので、つらい場面も多いけれど希望をもって読めるというところが良かったです。そして大人になってから再登場する人物もいるのでおもしろかったです。

さくま:私もとてもおもしろく読みました。4代の家族の物語ですが、児童労働、難読症や貧困や有色人種への差別、他者への無関心などかなりシリアスな問題が入ってきています。でも語り口がユーモラスで、短い文章の中で、その人その人が浮かびあがるような描写をしてます。たとえばp21ですが、ケニーとダンは父親が亡くなった次の日、母親につらい思いをさせたくないと、そっと物干し紐から父親の衣類をはずします。ちょっとしたエピソードですが、家族を思いやる心情をうまく表現しています。エピソードのつながりも随所でうまく使われています。ケニーは入れ歯なので弟にからかわれたりするというエピソードが最初の章に出てきますが、世代が変わっての章にも、ケニーはそれがゆえに弟にも会わないというところが出てきたりします。またクライティとフランシスはケンカすると頭を冷やすために外を別々に走ってくるというのが第2章に出てきますが、5章では大人になった二人が、別の国に住んでいるにもかかわらず同じことをする。そんなつながりがいっぱいあるので、前のエピソードを思い出しながら読めて深みが増すように感じました。最初の物語に登場するケニーが、最後の物語では曾孫の前に少年の姿であらわれて励ましてくれるのもいいですね。翻訳もじょうずだと思いました。

花散里:『オオカミが来た朝』というタイトルが印象的で読んでみたい作品だと感じました。6つの話がひとつひとつちがうようでいて、つながっていくという構成がおもしろいと思いました。「オオカミが来た朝」のケニーが仕事を探そうと古自転車で荒れ地を行く場面にハラハラし、次の「メイおばさん」ではケニーの2人の娘、クライティとフランシスがおばさんに振り回され、「字の読めない少女」ボニーの話と続き、世代を越えて物語が進んでいき、後半では一層、引き込まれるように興味深く読みました。

サークルK:本の最初にあるファミリーツリーの人物像をたどりながら読み進めることができました。生没年などもはっきり書いてあることで、物語に登場しない人たちも多数いましたが、その不在がかえって、登場人物の人生を下支えするようにも思えました。姉妹の喧嘩の描写も親密だからこそ傷つけてしまう関係であることが分かりましたし、ケニーの父親が亡くなってその洗濯物を母から見えなくするという思いやりも、後半のストーリーに生かされていて、書き手のうまさを感じました。エピソードとしては、列車から投げられた赤ちゃんの個所は、ほんの2~3行でありながらあまりにも残酷で、何度も読み返してしまうほどでした。

さららん:ひとりひとりの人物像がとても印象的です。なかでも字の読めないボニーの存在が心に残りました。すごく意地悪な部分と優しさの混然一体としたところに実在感があり、予定調和的でない結末が気に入りました。この本のどの話もナラティブが自然で、作為を感じさせません。章末にある注のつけ方もいい。「思い出のディルクシャ」では、物語の最初に登場したケニーが、脇役の大人として再登場し、バラバラに見えた話を静かにつなげています。父親の洗濯物を隠すケニーたち、赤い服を着た妹のことを親には話さないカンティをはじめ、悲しみを抱える大人をさらに傷つけないよう、心を配る子どもたちの繊細さを見て、大人と子どもは、互いに守り、守られながら生きているんだと思いました。p156で、カンティは憎むべき兵士のことを思い出し、あの若い兵士は洗脳されていて、でも洗脳されたらだれでも暴徒になるんだと、考える。善人と悪人、敵と味方を単純に分けないこういう考え方、想像力こそ、今の時代に必要なのだと思います。

木の葉:よくも悪くも自己主張の強くない本だなと思いました。読んだのはそれほど前ではないのですが、強く印象に残っているものがないのです。たまたま英語圏の翻訳ものを続けて読んだせいもあるかもしれませんが。かなり深刻なテーマもあり、優れた短編連作なのだとは思います。文学的な香りもします。が、もともと長編が好きなので、ここに書いてない部分の物語を読みたかったな、と思いました。そんななか、字を読めないボニーという少女のことは立ち上がってくるようで記憶に残りました。この中では、「メイおばさん」の話が好きです。

ルパン:いちばん強烈に残ったシーンは、インド人の家族の女の子が列車の窓から投げ捨てられるところです。映像が浮かんでしまって、ほかの場面がかすんでしまうほどショックでした。このできごとを引きずって生きなければならない遺族の悲しみ、さらに、知的で豊かな生活を取り上げられ、貧しく差別される人生、それでも故国に帰るよりまし、という悲惨な人々が今もたくさんいるのだろうと思いました。最後の「チョコレート・アイシング」の章では、毎晩激しいケンカをしている両親が心配ですが、ふたりを案じている息子のジェイムズが、ひいおじいちゃんのまぼろしを見ますよね。その光景がとても感動的でした。自転車に乗って仕事を探しに行く、少年だった曽祖父の姿を見て、自分もがんばろうと思うんですが、きっとケニーの物語が代々語り継がれていたからですよね。親の話、祖父の話、曽祖父の話を子どもに伝える親がいるから伝わっていく。日本では、戦後まだ75年しか経っていないのに、語り継ぐということがほとんどできていなくて、みんなすっかり遠い昔の話だと思っている気がします。私自身、父から戦争の話を聞いているのに、そういうことをほとんど子どもには伝えてきませんでした。自戒をこめて、伝えることの大切さを訴えていかなければならない、と思いました。

まめじか:カンティがおかれた状況は、いまの難民の人たちにも通じますね。弟がうそをついたと決めつける先生に反発しながらも、カンティがなにも言えない場面では、子どもの自尊心がよく描かれています。また列車の窓から妹を放り投げた兵士を思い出したカンティは、戦争になると、ふつうの人も洗脳されてひどいことをするようになると気づき、また迫害は憎しみや軽蔑からはじまるのだからと、意地悪な隣人も見下すまいと思います。世界に対する子どもの洞察や、憎しみに心を奪われない善性は、時代を経ても変わらないのだと、どの章でも感じました。ジェイムズは、海に入った母親がもどってきたときに大きな喜びをおぼえ、自転車に乗ってやってくるケニーの姿を月の中に見て励まされます。ボニーをかばったフランシスは、だからといってボニーが感謝することはなく、おびえた姿を見られたために、よりいっそう自分を憎むと悟ります。フランシスとケイティは、認知症のおばさんが想像の世界で幸せそうなのを見て、頭が混乱するのもそう悪くないと考えます。子どもたちの日常はそれぞれ厳しく、甘ったるい、ただのいい話でない中で生の断片を切り取っているのが、クラウス・コルドンの『人食い』(松沢あさか/訳 さ・え・ら書房)を思わせますね。障がいのあるデフィーに、ディスレクシアのボニーが読み方を教える場面なんかも。

ハル:この表紙と、「前書き」なのか「献辞」なのか、わかるようでわからない冒頭の1ページの感じや、何世代もの謎の家系図から、どうも最初は入り込めなくて。1話目のオオカミが登場するあたりまでは全然頭に入ってこなくて、これは困ったなと思っていました。でも、そこから一気にぐっと引き込まれましたので、読まず嫌いしなくてよかった! と思いました。この本が書店の目につくところに並んでいたとして、私のような人もいるだろうと思うと、もったいないなぁと思います。そして、のめり込んで読んでからは、家系図がいいなと思いました。大人に振り回されて犠牲になるのはいつも子どもたち。戦争もそうですし、家庭内の争いごともそう。「字の読めない少女」のボニー・ケニーも、とばっちりで前歯が欠ける大けがをしたジェニーも、子どもたちをとりまく環境は、ほんとうに理不尽です。そこから立ち上がる子どものたくましさ、生きる力を感じました。「想い出のディルクシャ」に登場する妹のようなことは、少なくとも当時、実際にこういうことがあっても不思議ではなかったということですよね。3歳の少女を目の前にして、こんな残虐なことができるとは、信じたくない気持ちです。

マリンゴ: 一家の家系図が冒頭にあるのだけれど、それでも章ごとに主人公が変わり年代が変わるので、少しつかみにくかったです。逆に、家系図があるがゆえに、登場人物がどこにいるか毎回探してしまったり、この人が今回取り上げられる意図は? とチェックしすぎてしまったかもしれません。普通に短編集だと思わせておいて実はつながっていると、気づく形でもよかったのではないかなぁ、と。これは読書が大好きな子ども向けの本で、読み慣れていない子が手に取ると、難しく感じる可能性もあると思いました。なお、最近読んだ『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン/著 岸本佐知子/訳 講談社)も、断片的でひりひりしたエピソードが続き、最後まで読むと作者の人生が立ち上がってくるので、『オオカミが来た朝』が好きな人は、こちらも好みかもしれませんよ。

トマト:すごく好きです。でも表紙が暗い印象で、これでは読んでもらえないのではと思い、とっても残念。第1話のケニーの入れ歯の話が印象深いです。急死した父親の葬式のとき、ケニーは悲しむよりも、自分が入れ歯だと知られたくないという気持ちが先行してしまうけど、そんな自分をひどい人間だと責めている。子どもは、大人が思う以上にいろいろ苦悩しながら一生懸命生きているんだということがよく分かります。ケニーがどれほど入れ歯のことで傷ついていたかは、ケニーが死にそうになるまで入れ歯を外さず、娘すら父親が入れ歯だと知らなかったというエピソードで裏付けされますが、このケニーの心情が実に細やかに、いい感じのユーモアを交えて描いてあるから重くなりすぎていません。姉妹の出てくる話は、イギリスの兄弟姉妹を描く古き良き物語のようで、楽しく読めました。あんたバカね、と言われていた妹のほうが、賢そうにしていた姉より機転がきくというエピソードがおもしろくて、ユーモアのある会話に魅力があります。私は、家系図が冒頭にあっても気になりませんでした。読みながらたびたび家系図を見て、それぞれの物語の登場人物のつながりも確認できたから、良かったと思います。すべての物語の中で、子どもたちが心を痛めたり、自分を励ましたりしながら一生懸命に生きています。この本の最後の物語は、両親の激しい言い争いを毎晩2階の子ども部屋で聞いておびえるお兄ちゃんと弟の物語です。それまでの物語では、貧困や戦争に翻弄される家族と子どもを描いていましたが、この「両親の不仲」という問題は、子どもにとって最も身近で、最も怖くて、誰にも相談できない重大な問題だと思うので、これを最後にもってきたことがスゴイと思いました。自分だって怖いのに、弟を不安がらせまいとして一生懸命なお兄ちゃんの気持ちがよく伝わってきます。最後に、このお兄ちゃんの祖先であるケニーが、自転車に乗って現れる場面は、「子どもだってたくさん辛いことがあるんだよな。分かるよ。頑張れよ!」と応援しているのだと思い、深く感動して泣いてしまいました。

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エーデルワイス(メール参加):作者の意図することは充分に分かりますが、この構成は読みにくかった。「メイおばさん」の章で認知症のメイおばさんを、子どものクライティとフランシスだけに預けて母親がでかけてしまうところとか、「チョコレート・アイシング」で、ケニーが出て来て両親の不仲に胸を痛めているジェイムズに「くじけるな」というところなど、腹が立ちました。何の解決にもなっていないのに励ましてどうする、という気持ちです。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 

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思いはいのり、言葉はつばさ

『思いはつのり、言葉はつばさ』表紙
『思いはいのり、言葉はつばさ』
まはら三桃/著
アリス館
2019.07

木の葉:きれいな本だなと思いました。タイトルも好き。テーマもいいと思います。おもしろいものを見つけたな、と。ただ、まはらさんの作品としては、ちょっと物足りなかったです。私はたぶん中国への関心が高いほうなので、女書(ニュウシュ)というのも聞いたことがありましたが、改めてちょっと検索してみました。女書は湖南省江永地方に伝わるものとのことで、この地域は、漢民族と、少数民族であるヤオ族が混ざり合って暮らしている地区だそうです。ヤオ族は、歌や踊りが上手で女書もヤオ族の影響を受けて七言句の韻文だとのことです。作品の中で、少数民族はハル族という架空のものにしています。そのため、女書という実際のものを使いながら、いい意味でなく、ファンタジーっぽいものになってしまった気がして残念でした。時代設定が明確でないことも、もやもやさせます。それから、人名ですが、多少中国語がわかる人間は、どうしても裏の漢字を探りたくなるけれど、あまり見当がつきませんでした。

さくま:女書(ニュウシュ)については知らなかったので、テーマに興味をもって期待して読んだのですが、内容はちょっと物足りなかったです。ニュウシュのことは男性には(父親にも)知られないようにとさんざん言っておきながら、父親はすぐに認めて筆まで買ってきてくれるし、警察が来た時にはこの主人公は「そこはニュウシュの勉強をするところです」と言ってしまいます。シューインとの仲も、憧れだけで深まらないうちにシューインは嫁入りをしてしまう。またシュウチーとのことも、大変だと思わせておきながら、「ワン」ではなく「ヤン」だという言い訳と、纏足の臭い靴をぶつけられただけで警察は引っ込んでしまう。もう少し綿密に物語世界を構築すれば、もっとおもしろくなったはず。それにニュウシュが役立ってチャオミンが活躍するという場面がないのは残念でした。結婚するシューインに三朝書を書くという場面は出て来ますが、それで辛さそのものが解決されるわけではなく、辛さをまぎらわせるため、となっています。結局、縛りや枠の中でなんとかやっていくということが大事という価値観になってしまっているように思いました。巻末に参考資料が3点上がっていますが、舞台となる場所も見に行かずに他の文化のことを書いてしまっていいのかなあという疑問が残りました。ストーリーが深まっていかないのは、そのあたりにも原因があるのではないでしょうか 。

花散里:まはら三桃さんのこれまでの作品とはちがった印象を受けました。装丁がきれいで美しく、タイトルも印象的で、中国の暮らしなどが分かり、好きな作品でした。女書のことを知りませんでしたので、見返しの模様が女書だとはわかりませんでした。纏足のことも、子どもたちはこの作品で詳しく知ることができるのではないかと思いました。少年、ワン・シュウチーとの出会い。シュウチーがいろいろな事情を抱えていて、後半の展開は興味深く読めました。女の子にすすめたい作品ですが、男の子には難しいでしょうか。

カピバラ:女書という、表舞台には登場しない文化についてとても興味をひかれました。だれにも言えない想いを、言葉につづって相手に伝える、ということは、今このデジタルな時代にかえって新鮮に感じられます。でも物語としては登場人物の造形が通り一遍で深みがなく、展開も盛り上がりに欠けて印象が薄かったと思います。一昔前の少女小説みたいな感じがして、作りものめいたというか、うそくさい感じを受けました。中国の民族間のちがいや文化についても、もうちょっと知りたい気がしたし、フィクションじゃなくてノンフィクションだったらよかったのにと思いました。見返しのデザインが女書だということも、どこにも書いてないので物足りなかったです。

トマト:読む前にネットの情報で、中国で女性だけが使っていた女書という文字のことや纏足を扱うものだと知り、期待して読み始めたのですが、予想していたのとちがい、軽く読める本だという印象でした。

マリンゴ: 私は非常に魅力的な物語だと思いました。辺境の部族のことをよくこんなに徹底的に取材されてるなと思ったら、あとがきで、登場する民族が「一部私の創作」と書かれていて、ひっくり返りましたけれど(笑)。それでも、がっかりという感じではなく、魅力は失われないと思いました。女文字は実在するわけで、事実とフィクションの境目をうまく描いた作品だと思います。ただ、この本の後で、『明日をさがす旅』(アラン・グラッツ/著 さくまゆみこ/訳 福音館書店)を読むと、その境目の描き方がさらにうまいので、違いはあるなと感じました。シュウチーが村に帰っていくシーンでは、ひとりでは抗えないことに対してあきらめないで戦っていくことについてのヒントを、チャオミンが得た気がしました。とてもいい言葉だと思ったのは、p239 「生活をするために必要な分以上のお金は、贅沢のために使うのではない。人の命を救うときに使うんだ」です。

西山:まず、装幀が美しい! ♯KuTooと絡めて、ちょっと書くつもりだったので、これは外せない作品だ、と嬉しく読みました。よくこんな題材を見つけてきたなと、感心したのですが、編集者からの働きかけだったんですね。まはらさんは、作品ごとにいろんな題材で書いてこられているけれど、本当に目のつけどころがおもしろいなと思いました。ただ、この物語の時代がいつなのかが気になります。前近代イメージで読み進めてきて、p103で「いいアイディアだね」の台詞が出てきて、へっ?! となっちゃったんです。あとで「警察」が出てきて、決定的に、いつの話だ? となってしまいました。「反体制」で警察に追われ、けれど、ジャコウという高価な賄賂でなんとかなるというのは、気になりすぎて、ちょっと物語から気持ちが離れてしまったのが残念です。でも、全体としては、豊かな女性の文化を感じさせてくれるし、「結交姉妹」というシスターフッドが、女同士の支え合いを見せてくれたし、女の子の育ちを応援しようという感じで共感をもって読み終わりました。

まめじか:エンタメとして読んだので、細かいところはあまり気にせずに楽しみました。文字を知り、世界を広げていくチャオミンの姿がすがすがしいですね。気持ちを言葉にしたいという想い、はじめて文字を書いたときの神聖な気持ちと胸の高鳴り、書き終えたあとのつきあげるような喜びが伝わってきました。纏足に象徴されるような、女性が力を奪われた社会にあっても、喜びや悲しみをつづることで支えられ、自由になれるのだと感じました。けして豊かではないグンウイやシュウチーが、貧しいわけでもないチャオミンのために落花生をくれたり、お母さんがチャオミンをあたたかく見守っていたりするのも、読んでいてあたたかな気持ちになりました。

さららん:私もエンタメとして楽しみました。ニュウシュという素材をとりあげ、子どもたちを楽しませながらも、少し考えさせる作品だと思います。文字を書くことで女性が自己表現を知り、生活の辛さから解放されるという要素がよかった――書き方は軽いかもしれないけれど。主人公チャオミンのはずむようなかわいらしさにひっぱられて、読み進めました。フィクションとしての中国は、作り物めいているかもしれない。でも、子どもが安心して中に入っていけるという面もあります。漫画を多く読んでいる子が、本の世界に向かうのにちょうどいい橋渡しになるかも。チャオミンの字がだんだんうまくなっていき、素朴だけれど心が伝わる表現ができるようになるところに、成長を感じました。珊瑚の筆があたたかかった。

コアラ:中国の女書というのは初めて知りました。見返しに飾りのようなものが印刷されていて、最初は単なるデザインかと思ったのですが、読み終わってみると、これが女書かもしれないと気がつきました。とても繊細ですよね。カバー袖の「わたしのちいさなサンゴの筆で、あなたへ言葉を送ります」とあるのも、最初はあまり意味がわからなかったのですが、読み進めていくと、とても思いのこもった手紙の書き出しだとわかって、胸が熱くなりました。日本人が、中国の女書のことを書く、というのがおもしろいと思いました。あとがきを読んで、作者がいろいろ調べたことがわかったのですが、調べて書いたことをあまり感じさせないのが、いいとも言えるし、時代設定をきちんとしていないとも言えると思います。登場人物、特にチャオミンがとても生き生きしているのはいいと思いました。「結交姉妹」というのもいいですよね。年上のお姉様への憧れがよくあらわれていると思います。女書の背景には、女性たちのつらい結婚生活があったということですが、現代の子どもが読むときには、仲間内だけで通じる暗号のようにとらえてもおもしろいんじゃないか、子どもたちが女書のような暗号を作ってみたりしたらおもしろいかも、と思いました。

ハル:チャオミンが覚えたての文字で書く手紙が、まっすぐで、言葉に綴る喜びにあふれていて、初々しくて、絶妙に胸をつき、作家はうまいなと思いました。題材も、お話も、大人の私はおもしろかったのですが、纏足しかり、前を向いて歩き続ける希望や、自由を求めての抵抗ということよりも、つらくてもこっそり文字に綴って耐える、というほうが強く印象に残り、子供が読んだときに「つらいときは書きましょう、歌いましょう」そして耐えましょうと、秘めてたえることが善策なのだと思わないといいなと思いました。

ルパン:おもしろく読みました。私が読んだこの著者の作品のなかでは、これが一番よかった気がします。ただ、『思いはいのり、言葉はつばさ』というタイトルが優等生すぎて、自分からは手に取らなかったかもしれません。中身のほうがずっとよくて、最後までふわっとした感じで読めました。耐えていた女性たちの歴史とか、知らない人のところにお嫁に行ってつらい目にあう中国女性の悲しみとか、ほんとうはつらいことがたくさんあるのでしょうが、少女たちの友情、親子の愛情などで美しいもので包まれている印象です。漢族の中にも貧富の差があったり、ほかの民族に対する差別意識があったり、それぞれプライドがあるのですが、いじめや争いにつながらず、友情で結ばれていくところがよかったです。「軽い」というよりは、本当に「ふわっとした」感じが全編にただよっていると思いました。纏足の靴を投げつけたらあまりの臭さに警察が逃げていく場面で笑っちゃったんですけど、そんなに簡単に脱げたのかな、という疑問が残りました。脱ぐのはたいへんだったんじゃないんでしょうか?

木の葉:時代背景については、近現代だとは思いました。纏足がいつごろまであったのか、というのはひとつのカギかなと。実は清代には禁止されていたものだそうです。清王朝は満洲族なので。ただ、実際には行われていました。辛亥革命後の1912年に纏足禁止令が出ますが、なかなかなくならず、1950年代まで続いたようです。物語に警察も出てきますので、イメージとしては解放前(1949年)ぐらいでしょうか。

さくま:当事者しか作品は書けないとは思いませんが、自分にルーツがない場所を舞台にするときは、やっぱり細心の注意をはらったほうがいいように思うんです。アイヌをとりあげた菅野雪虫さんの『チポロ』(講談社)にも同じような違和感を感じたのですが。ノンフィクションでなくても他者の文化を大事にしながらもっと対象に迫っていってほしいです。おもしろいテーマ、というだけではまずいんじゃないか、と思いますが、考えすぎでしょうか。

西山:歌や衣装は実在の民族のものを下敷きにしてるんですよね、きっと。

トマト:装画がかわいいですね。若い女性が手に取りたくなる本だと思う。この作品は、時代をさかのぼった中国の奥地の村を舞台とし、主人公は漢民族と少数民族の間に生まれた少女なのだけれど、読者はこのイラストのイメージで読んでいき、例えば私が思い浮かべるようなリアルな中国ではなく、中国の雰囲気が漂うふんわりとしたアニメーションのような世界を思い浮かべて読んでいるのだと思う。それはそれで悪くはないのだけれど、少し物足りない気がしています。

マリンゴ: まはらさんの作品だと、徹底的に取材して事実に基づいて書いたもの、と思ってしまうんですよね。

西山:カタカナ名前より、漢字にルビのほうが、その人物と漢字が表す意味が結びついて入っていきやすかったかなと思います。見た目は紙面が黒々としてしまうけれど。それぞれの名前に当てられる漢字が分かるなら知りたいです。

木の葉:ですよね。漢字が見えない。たとえば、「チャオ」というカタカナから考えられる中国語の音は4種類あって、カタカナでは多種類の音を統合してしまいます。昨今は、映画などでも、カタカナ表記が一般的ですが、もともと漢字は表意文字なので、漢字にルビをふってくれたほうが、しっくりきます。

花散里:結交姉妹になったシューインは、美人で裁縫も文字も上手、という魅力的な女性のようなので、どんな漢字なのかと思いました。

西山:「〜さんにわたしは書きます」という手紙の書きだしがなんとも愛らしい! 中国の手紙の書き出しの定型として、こういう形があるのでしょうか?

木の葉:私は、歌なのではないか、と思いました。

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エーデルワイス(メール参加):美しい文体です。「ニュウシュ」は文字や書というよりなんだか模様のようですね。女性同士で手紙を交換していたなんて、子どもの頃に読んだ吉屋信子の少女小説(母世代のベストセラー作家)を思い出しました。女学校の憧れの先輩に「お姉様になって」と告白するなんていうこと、書いてありましたよね。漢族の女性は『纏足』するけれど、ハル族の女性は『纏足』をしないとか、民族によって違うのですね。それにしても痛そう。切ないけれど爽やかな読後感でした。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2020年03月 テーマ:新しい世界

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『2020年03月 テーマ:新しい世界』
日付 2020年3月26日
参加者 サンザシ、西山、ネズミ、ハル、まめじか、マリンゴ、(アンヌ、エーデルワイス、しじみ71個分)
テーマ 新しい世界

読んだ本:

ゴードン・コーマン『リスタート』表紙
『リスタート』
原題:RESTART by Gordon Korman, 2018
ゴードン・コーマン/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2019.07

<版元語録>人生は、やり直せる! チェース・アンブローズ、13歳。夏休みに屋根から落ちて記憶を失った。どうやらおれは、アメフトのスター選手だったらしい。しかし、それ以上にとんでもないワルだった・・・。
『あたしが乗った列車は進む』表紙
『あたしが乗った列車は進む』
原題:TRAIN I RIDE by Paul Mosier, 2017
ポール・モーシャー/著 代田亜香子/訳
すずき出版
2018.06

<版元語録>ママを亡くし、いっしょに暮らしていたおばあちゃんも亡くなり、主人公「あたし」は、一度も会ったことのない大おじさんに引き取られることに。カリフォルニア州パームスプリングスから、ロサンゼルス経由でシカゴへ。ひとりで乗った長距離列車の3日間の物語。
『ルイジンニョ少年』の表紙
『ルイジンニョ少年〜ブラジルをたずねて』
かどのえいこ/文 福原幸男/絵
ポプラ社
2019.01

<版元語録>移民として2年間暮らしたブラジルで出会ったルイジンニョ少年はじめ多様な人々との交流を描いた、角野栄子のデビュー作を復刻!

(さらに…)

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ルイジンニョ少年〜ブラジルをたずねて

『ルイジンニョ少年』の表紙
『ルイジンニョ少年〜ブラジルをたずねて』
かどのえいこ/文 福原幸男/絵
ポプラ社
2019.01

まめじか:角野さんの『ブラジル、娘とふたり旅』(集英社、あかね書房)が大好きで、子どものころに何度も読みました。はじめて見たブラジルがニューヨークみたいだと思ったというのは実感があり、昔に書かれた本ですが新鮮みがあります。叱られたルイスが壁に向かって立ちながら手と足を鳴らす場面が好きです。心臓に響くようなオノマトペは、角野さんだから生まれた言葉ですね! 気になったのは最後の「ブラジルについて」です。日本人がアマゾンを開拓したことが肯定的に書かれていますが、今はアマゾンの開発も種の絶滅も深刻な問題になっていますよね。ブラジルの人が日本人を尊敬しているという文章もひっかかりました。こうした部分は、復刻版として出すときにはあとがきでフォローしたほうがよかったのでは。

ハル:文章がもう、イキイキしていて、みずみずしくて、あんまり上手で楽しくて、感激して泣きそうになってしまったくらい。「なんて素敵なエッセイだ!」と読み切って、「復刻版あとがき」の冒頭で、小説だったことを知りました。もちろん、小説だったとしても良いものは良いんですけどね。でも、気持ちはとてもわかりますが、この表紙が……どうなんでしょう……。絵も、とてもいい絵だとは思います。装丁も、当時の雰囲気をそのまま再現することは、思っている以上にきっと繊細な作業なんだろうとも思います。でもやっぱり、いま読んでほしいと思ったら、どうなんでしょう・・・。本文に手を加えない以上は、やっぱり絵も装丁も当時のままで、外側だけ新しくするのもつじつまがあわないでしょうか。復刻愛蔵版としてコレクションにしておくのはもったいない気もしますが、でも、復刊の意図がそこにあるんだとしたら、やっぱりこのままが正解なのかな。

ネズミ:復刻版って、ほんとにそのまんまなんだと、出たときに驚きました。今のように情報がいくらでもあるわけじゃない時代に、見たことのない世界に飛び込んでいくようすがとても新鮮でした。50年以上前の経験に基づいたお話とはいえ、ラテンアメリカの人たちに今の感じる気質を伝える部分がたくさんあります。ブラジルの人びとの暮らしぶりを伝えるフィクションは少ないので、貴重な作品だと思います。角野さんの作品では、『ナーダという名の少女』(KADOKAWA)もブラジルが舞台ですが、こちらのほうがより日常のようすが伝わってくる気がします。p44のサンバを踊ろうと誘いかけてルイジンニョが「立てるんでしょ。あるけるんでしょ。それでどうしておどれないのさ。ほら、ちゃんとうごいているじゃないの。」と言うシーンが印象的でした。サンバを、白人も黒人もインディオもみんな踊るというのが、生き生きと伝わってきます。

マリンゴ:1970年の本なのですが、角野さんの幻のデビュー作の復刊ということで、とても興味を持って読みました。装丁が、自分が子どもの頃に読んでいた本と同じ、とても懐かしいデザインです。そういえば昔の本は、作家紹介のところに住所まで書かれてましたよね(笑)。ただ、一方で、当時と同じ体裁で出したため、新刊の印象がなくて、今の子どもが手にとりにくい気がします。そして内容についてですが、ブラジル移民と聞いてイメージするもの、たとえば農地開拓とそれに伴う苦難など、と、サンパウロでの角野さんの体験がまったく違うことにびっくりしました。こんな大都会への移住もあるのですね。角野さんのエッセイをよく拝読して、好奇心旺盛であちこち出かけられるエピソードは知っていましたが、ここまで行動的とは。角野さんの創作の源泉に触れられた気がしてよかったです。

サンザシ:絵は古い感じが否めませんが、文章はみずみずしいですね。ただブラジル語とか、今は差別語と言われているインディオという言葉が出て来て、ええっと思いました。たぶん角野さんも変えたい箇所とか言葉はあったと思うんですけど、それを始めると際限がないので、思い切ってそのままの形で出したんでしょう。p81に「わたしは日本人、あなたはブラジル人よ、という区別をしていたのです。なんてちっぽけな、なんてみみっちい気もちでしょう。わたしはこの国のめずらしいものを見に、観光旅行にきたのではなかったはずです。ごちゃまぜの生活をするためにきたのです。わたしの顔の色が、きいろで、あいてが黒でも、白でも、オレンジ色でも、わたしの国が東でも、北でも、西でも、そんなことが、なんだというのでしょう。たいせつなことは、もっと大きな、やさしい気もちをもってくらすことだと、このときはっきりとわかりました。やっと、ごちゃまぜの生活をするということの意味がわかったような気がしました」とありますが、多文化共生の視点がちゃんとあって、それを子どもにわかるように書いてあるのがいいと思いました。とはいえ、これを出したときの角野さんは若いので、欠点も長所もきちんと見たうえで受け入れると言うよりは、長所を評価して、わくわくしながらそこに飛び込んでいくというスタンスですね。今は森林破壊の問題など欠点も見えているでしょうから、今あらためて書いたら、もう少し違うスタンスになるでしょうね。

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西山(追記):読書会後に読みました。サンバの場面に限らず、なんだが、「たのしい!」がうずうずして、じっとしていられないという感じの文章ですね。ルイジンニョの落第が発覚して、エイコさんが気をもむほどの修羅場になっていたのに、下の道路で起こった事故にすぐ興味を移して親子三人仲良く野次馬になっている様子、吹き出しました。ところで、「ルイジンニョ」って、今なら「ルイジーニョ」と表記するのでしょうか。角野さんのルーツであることが実感されて、多くの読者が感慨深く読むと思いました。

しじみ71個分(メール参加):大人の「えいこ」の目線で描かれるブラジルの暮らしと人々は本当に生き生きとしていて、読んでいると心が浮き立ってきます。擬音の魔女というべきか、決して本当のサンバのリズムを音写したような、とまでは思わないのですが、擬音がうきうきわくわくとした雰囲気を伝えてくれます。学校の成績の件でえいことルイジンニョ少年は仲たがいをしてしまい、少年はえいこを許さず、なかなか元通りにはなりませんが、この点には非常に深いリアリズムを感じます。最後は幸福なサンバの祭りの中で修復されていきますが、ある意味甘さを廃した、人の現実を見つめる鋭い視点が貫かれていると思いました。えいこの目を通して描かれるブラジルの美しさ、雄大さ、おおらかさは本当に魅力的で読むほどに引き込まれていきます。ブラジルはこんなに素晴らしい国なんだということが、えいこの一人称で語られるので、個人的体験から導き出されたものとして非常に深い強い説得力を持って伝わります。こんなものを20代で初めての作品で書いてしまうなんて、やっぱりすごい人だなぁと心から思いました。

エーデルワイス(メール参加):角野栄子さんの1970年デビュー作なのですね。分かりやすいし、温かいお人柄が滲み出る文章です。さすがに挿し絵は古いかな。1959年に東南アジア、アフリカそしてブラジルに2年間滞在。それからヨーロッパ9000キロ自動車旅行。驚きです! アクティブな海外旅行が珍しい時代。グローバルな見方を確立されたのですね。

(2020年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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あたしが乗った列車は進む

『あたしが乗った列車は進む』表紙
『あたしが乗った列車は進む』
ポール・モーシャー/著 代田亜香子/訳
すずき出版
2018.06

ハル:胸に迫るラストでした。思い出しても込み上げてくるものがありますね。素敵な物語でした。長距離列車や、広い大地や、人間関係も、海外の小説ならではの魅力もあって、読み応えもありますが、全体的に少しおしゃれというか、詩的な部分もあって、ところどころ、わかるような、わからないようなという部分もあったように思います。もともと機知とユーモアに富んだ、魅力的な主人公なんですよね。列車の中で出会ったひとたちが、みんな夢中になっちゃって、多少いい人が多すぎると思わないでもないですが、この子がここに至るまでを思うと、古い自分の殻を破るには、このくらいの応援が必要なのかもしれません。

ネズミ:すごく好きでした。地味な本ですが、いろんなことを考えさせられるいい作品だと思いました。列車に乗っているときって、できることは限られていて、景色を見ながら内省的になりますよね。そんな旅の最中の心の動きにそって物語が進んでいき、父親がわからず、母親が死に,おばあちゃんも死に居場所がない、この子のよるべのなさが浮かび上がっていくのがうまいなと。受けとめてくれる人が早く見つかってほしいと思いながら読み進めました。列車の中での人との出会いはどれもおもしろく、とくにテンダーチャンクスに詩の本をもらうというのが、意外性もあってとてもいい。ただ、この子の目の高さが違うという設定は、そうじゃなければならなかったのかなと思いました。『ほんとうの願いがかなうとき』(バーバラ・オコーナー/著 中野怜奈/訳 偕成社)のハワードが、足が悪かったのを思い出し、優しい声をかけてくれる人にそういう特徴を持たせなければならないのかなと。だけど、次に踏み出していく物語として、とてもいいなと思いました。求めている子どもの手に届けたい作品です。

ハル:私は最初、「目の高さがちがう」とあるのは、初恋の特徴的なものというか、意識しはじめた男の子の顔のこまかな特徴を、チャームポイントとしてロマンチックにとらえているのかな? と思っていましたが、読み進めていくと「いいほうの目」(p183)とあって、そこで初めて、そういうことかとわかりました。

西山:列車で移動していくという仕掛けが生きていると思いました。回想にふけったり、あちこちに思いが飛んだりすることで、ライダーの抱えているものが見えてくるのだけれど、それが、読者を謎で引きつけ続ける思わせぶりな方便では無く、長距離列車に揺られながらの物思いとしてとても自然です。車窓の風景が変わっていく様子、せっかく親しくなってもやがて訪れる別れ・・・人生の比喩としてまとまった世界でした。この本を読んでいるときに、ちょうど卒業生にメッセージを伝える機会があって、この中から1節を紹介しました。「悪いことはいっぱいあったけど、それでどうにかなったりしない。あたしは、自分で選んだふうにしかならない」(p162)。もう1カ所カルロスさんの言葉「もっともすばらしい人たちは、いろいろ感じることができて,心に希望を抱いている人間だよ。まあ、それはときに、傷ついたり失望したりするということだけれどね。ときにどころか、つねに傷ついたり失望したりしているのかもしれない」(p226)。望むからこそ傷つくこともあるけれど、「こうしたい」「こうありたい」という思いを捨てず、自分で自分の人生を選んでいってね、と伝えました。あと、心が解放されていく過程でトイレをめちゃくちゃにしたり、恋のめばえがあったり。一色でない心の動きが物語を味わい深くしていました。来年度、学生にすすめようと思います。

マリンゴ:ずいぶん前に読んだのですが、ぼろぼろ泣いてしまって困ったのを覚えています。どこで泣いたんだっけ、と思ってざっと再読してまた泣いてしまいました(笑)。やっぱりラストですね。深刻な内容ですけれど、電車の走る疾走感のおかげか、どこか爽やかさが漂うところが魅力だと思います。ヒロインが、お菓子やパンを手に入れると、計画的に少しずつ食べないで全部一気に消化してしまうシーンが印象的です。身体的な飢餓感は、精神的な飢餓感と直結しているのだなと思いました。

サンザシ:私もかなり前に読んで、読み直す時間がなかったので、細かいところは忘れています。日本は自己肯定感の低い若者が多いって言われてますけど、この本の主人公の少女も自己肯定感がとても低いんですね。『太陽はかがやいている』という小さな本をお守りのように持っているものの、自分は太陽と縁遠い存在だと思っています。助けはいらないし自力でなんとかしようと気を張っているけど、ひ弱でもある。読んでいくと、ドラッグ中毒の母親とニコチン中毒の祖母にネグレクトされた少女だということがわかるんですが、嘘もつくし万引きもします。しかもあったことのない大おじさんの住むシカゴに行かなきゃならない。読者もそれは大変だと思って読んでいくことになります。過去の出来事と現在の出来事の両方で物語は進みますが、現在の流れの中で出会うのはいい人たちばかり。列車の中の出会いがすべてプラスに働くというのは現実にはあり得ないかもしれないけど、まったく希望のなかった少女が未来への希望を取り戻していく物語としてはよくできていますね。鏡を割るのは、自分の存在を否定しようとしている自分を壊す行為なんだと私は思いました。そこが象徴的でとてもおもしろいと思いました。自己肯定感を持てない日本の子どもにも読んでもらいたいな。

まめじか:自己肯定感が低く、自分にも周囲にも価値を見出せないライダーはアレン・ギンズバーグの『吠える』を読んで、「生き残れない人たちは、べつにどこも悪くない」「正されなきゃいけないのは、その人たちを破滅させる世界のほう」だと悟ります。ライダーの怒りと心の叫び、それと汽車の警笛が響きあうラストが圧巻です。ライダーのような、困難な状況下の子どもが出てくる本を書いているアメリカの児童書作家のジェイソン・レノルズが前に「自分の中の人間的な部分のスイッチを切ってはいけない。泣いたり怒ったりするのを恐れるな」と若者に語っていたのを思いだしました。

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アンヌ(メール参加):実に、鉄ごころ、鉄道好きの人の心を打つ小説に出来上がっていて、だからこそ、男の子が主人公ではなくてよかったと思える作品でした。というのはラストの運転手席で警笛を鳴らす場面などは、まさしく鉄の夢だから。主人公を男の子にしてしまうと、ずっと鉄道に夢を抱いてきたということになってしまって、主題とはずれてしまうからです。そうではなくて、このラストは、主人公が怒りを吐き出しつつ近づいてくるシカゴに、未来に向かっていく場面で、でも、少し鉄の私にはうらやましい場面です。読んでいて主人公のつらい過去の出来事にも身をさいなまれたけれど、何より途中で本を置きたくなってしまうほどつらかったのは、主人公が飢えていて、それが相当深刻なものだということを、誰も本人でさえ気づかないということ。せっかく手にしたお金をブレスレットに変えてしまうところを読んで、もう、地団太踏んでしまうほどでしたが、でも、ここら辺から物語はかなり詩の世界に物語が滑り込んでいて、この現実感のない行動はまさしくティーンの物語だとも思えてきたし、まあ、ニールにプレゼントできるものがほしいよね、仕方ないなと思いました。おばあちゃんが作るパンケーキの場面はおいしそうで最高なのに、それが死と結びついてしまうところも、おいしいもの好きの私にはつらいところでした。

しじみ71個分(メール参加):カリフォルニア州パームスプリングから、シカゴまでの数日間で、肉親を亡くし、傷だらけの心を抱く少女“ライダー”が、車内で出会った人々とのつながりの中で心を開き、自分を見つめ、芽生えた新たな希望を持って新天地に向かうという話で、温かで穏やかな読後感をもたらします。車内での数日の間に、母は薬物中毒でそのために亡くなり、その後共に暮らした祖母は決して優しさを前面に表す人でもなかったこと、恐らく互いに思い合っているのに表せないまま死を以て家族と隔てられたこと、詩を解し、知恵があり、心優しく、美点を多く持ちながら、求める愛を得られなかったために自己肯定感を持てずに育ったことなど、ライダーの持つ背景が明らかになっていくと同時に、列車に同乗する人々が交流の中で、家族のようにみなライダーを応援し愛し支えていくという展開は巧みで引き込まれました。少女ライダーが詩を媒介にボーイスカウトの少年テンダーチャンクスとつかの間初恋を経験するくだりも美しいし、旅の途中で母の遺灰をまき、別れを告げる場面も非常に心に残ります。ニール、ドロシア、カルロスなど見守る大人も大変に魅力的です。短い文を重ねていく文体で、回想と現在の場面を鮮やかに交差させ織りなしていく手法も見事だと思いました。愛は肉親でなくても長期間でなくても子どもに自信と希望を与えうるという力強いメッセージも感じます。
ただ、しばらくして、もし、ライダーが特段賢くもなく、詩も愛さず、心優しくもなく、自己肯定感を持ちえず自暴自棄で粗暴で他人を傷つけることを厭わない子だったら、こんなに車内の大人たちは彼女に共感し、同情し、支えようとしただろうか、また、同乗する人々がこのように好人物でなければライダーはシカゴまでの間で希望を持てるだろうかとふと考えてしまいました。そう思うとこの物語は痛ましい経験を持ち傷だらけだけれども、素晴らしい才能を秘めた「選ばれた」子どもが、偶然にも包容力のある大人たちに囲まれて自分を発見し傷を癒し愛することを知る、非常に「幸運な」物語のように見えてきます。児童文学の向日性というのは時に大事な要素だと思いますが、そんなにうまくいくことが現実にどれくらいあるだろうかと思うと逆に切なくなり、少し白けた感が残りました。

エーデルワイス(メール参加):「あたし」の過酷な生い立ちがどんどん分かって、(特にp201の12行目など)列車を降りてからの生活が必ずしも幸せになるかどうかが分かりませんが、読後感が爽やかです。車中で出会った人たちが皆温かい。誕生日を祝ってくれ、ママの遺灰を森に撒くのを見守ってくれる。初めての恋と共にたくさんの愛情を知って、さらに詩人になると目標をもちます。列車の中でお腹をすかしたところはなんとも可哀想ですが、あれこれ考えお金を稼いでいるところがたくましいですね。精神科医ローラがp79で「なりたい自分になれるよう努力して。そして自分を愛するの。それができてはじめて、自分の気持ちや他人の意思を、心から信用できるようになるの」と言いますが、ここがこの物語で一番言いたいところかと思いました。

(2020年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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リスタート

ゴードン・コーマン『リスタート』表紙
『リスタート』
ゴードン・コーマン/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2019.07

マリンゴ:非常に引き込まれる作品でした。この物語では、記憶を失った自分が「素」の自分で、記憶を失う直前の自分が、環境に影響された自分なんですね。どんな環境にいるかによって人は変わるし、その環境を自分がどういうふうに生かせるか、あるいは生かせないかによっても、人は変わるのだ、というメッセージが伝わってきました。一番悪いやつ、首謀者、と思われている人物も、周りがそうさせている部分が大きいかもしれないと思います。気になったのは、音楽室のチューバが泡だらけになるバトルシーン。描写は細かいのですが、具体的にどこに誰がいて何が起きたのか、わかりづらかったです。なので、後で動画で誤解が解けたときも、「なるほど!」という鮮やかな印象には至りませんでした。あと、ラストの裁判シーンが出来過ぎというか、うまくまとまり過ぎているように思います。

西山:『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳 徳間書店)のラガーマンの父親を思いだしたりして、マッチョな価値観が満ちている場は本当にいやだなと思いました。本筋とは関係無いのだけれど、「お前のかーちゃんでべそ」的、女親を蔑む悪口って、世界共通であるのだなと思うと、男親ではそういうのは聞かない気がして興味深いですね。たまたま最近読んだラテンアメリカの小説で久しぶりに「イホ・デ・プータ(売春婦の息子)」を見ていたので、気になったのですけれど。老人の戦争体験を今の子どもが知るというのは、よくあるパターンですが、ソルウェイさんの屈折の仕方がとてもおもしろかったです。勲章をもたらした戦場での活躍の実態が書かれていて、それを誇れない過去として無意識に封印しているらしいところに共感を覚えました。

ネズミ:うまいエンタメだなと思って読みました。章ごとに語り手が入れ替わって、その人の視点で語る手法は『エヴリデイ』(デイヴィッド・レヴィサン/作 三辺律子/訳 小峰書店)に似ていますね。これまでの自分をチャラにして、全く新しい自分で生き直したいというのは、誰しも一度は思ったことがあるのでは? なので、あり得ないハチャメチャな設定だけれど、おもしろく読めるだろうと思いました。ただ、日常の食べ物や生活ぶりなど背景はアメリカの文化が色濃いので、海外文学を読み慣れていない中学生にはややハードルが高いかな。わからないところは読みとばしてしまえばいいのでしょうけれど、たとえば、p277 「見た目は列車相手にチキンレースをして負けたみたいだ」のチキンレースとか、私もわからないところがありました。主人公は13歳だけれども、高校生ぐらいに思えてしまうし。ラストはできすぎているけれど、元気が出ますね。

サンザシ:最初にエンタメ系だと思って読めばよかったんだけど、そうじゃなかったので、記憶喪失した人の性格がまったく変わるなんてあり得ないし、ストーリーラインが漫画風だなと思ってしまいました。チェースのお父さんががらっと変わるのもどうかなと思ったし、最後にソルウェイさんの証言で少年刑務所行きを免れるのも出来すぎだし、昔のワル仲間のベアとアーロンが勲章を盗んだんじゃないかと疑うのも短絡的だと思って、物語の中に入り込めませんでした。あと、ブレンダンがユーチューブの企画をするわけですけど、三輪車で洗車マシンを通るとか、全身タイツにシロップをかけてローラーブレードで葉っぱの山に突っこむなんていうのが全然おもしろいと思えなくて。つまり、最初にイメージした物語と違う展開だったので、私は楽しめなかったということだと思います。青いドレスの少女の謎、というのはうまいなと思いました。ちょっとひっかかったのは、ソルウェイさんが戦争で手柄を立てたことを少年たちがすごいと思っているところと、ベアとアーロンがどうしてワルなのかという裏側が書かれていないところでした。

ネズミ:ユーチューバーになりたいとか、再生回数をあげようとかは、今の中学生は共感できるのではないでしょうか。

サンザシ:気持ちはわかるけどね。最後のだけはちょっとおもしろいだろうなと思いましたが。

まめじか:ランチルームをサバンナにたとえている箇所なんかすごくおもしろくて、ユーモアがありますよね。チェースは記憶をなくして自分探しをはじめるんですけど、自分という人間がわからなくなったり、自分という存在にも恐怖を感じたりするのは思春期の若者の普遍的な姿ですよね。そんなチェースが自分に似たソルウェイさんにシンパシーを感じ、必要とされる経験を通して成長していくのはいいなと思いました。ただ戦争で勲章をもらって英雄視されるのは、児童書・YAとしてどうなんでしょうね。アメリカの本にはときどきありますが。そういうところはなんだかマッチョな感じが鼻について、あんまり好きになれなかった。p132に「死んだ人間は、自分がどの軍服を着てたかなんて気にしない」とは書いてありますけど。

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しじみ71個分(メール参加):主人公チェースは中学アメフトの州大会チャンプであり、チームのキャプテンであるという輝かしい経歴を持ちながら、一方、暴力的で悪事を好み、学校の同級生たちを苛め抜き、転校させるまで追い込み、教師も止めることができないほどの暴君であったが、屋根から落ちた衝撃で記憶喪失となって性格が変わり、まっさらな他人の目で自分のやってきたことを見つめ、失敗したり誤解されたりしながら、学校の仲間や過去に迷惑をかけた老人たちの応援を受けて人生の再スタートのチャンスを得る物語で、そんなことってあるかと思いながらも面白く読みました。ただ、自分の犯した悪事に向き合うのは記憶喪失にならないでもできるのではないかとも思います。記憶喪失という装置を使って、半ば他人の目で自分の悪事を他人事として振り返るのと、自分の犯した罪に自覚的に向き合うのとでは葛藤の深さが違うようにも思われ、記憶喪失を利用したところは、作家のちょっとしたずるさを感じました。主人公は最後に全てを思い出して、正しい行動をとろうとするのですが、改心とか葛藤など心の揺れや苦しみをそのまま普通に描くことはできなかったのだろうか、と思います。ビデオクラブ部長のブレンダンの人物造形は魅力的です。YouTubeにのめり込んで何とか面白い動画を撮ろうとする姿は滑稽でありながら真摯で、今時のアメリカの若者の雰囲気を感じます。このビデオクラブの存在がチェースの再スタートのきっかけを与える重要な役割を果たしていますし、力は弱くともブレンダンの聡明さがチェースを救う構図もとても良く、昔のアメリカ製ホームドラマで描かれていたようなアメリカの良いところを思い起こさせられました。

エーデルワイス(メール参加):三谷幸喜監督の映画『記憶にございません』も同じ設定ですね。記憶喪失になって、良き人間になるという発想はよくあることなのでしょうか? 主人公のチェースはアメフトの花形スターですが、やはりアメフトのスターだった父親にコンプレックスを持ち、本当の愛情を求めていたのかもしれません。アメリカらしい大人気のアメフト、スマホ、ユーチューブと現代的ですね。父親の妻と娘(チェースの妹)に助けられるところに、新しい家族像が出ている気がします。チェース、ショシャーナ、ブレンダンが交互に一人称で語るのは、面白いと思いました。

(2020年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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わたしのあのこ あのこのわたし

『わたしのあのこ あのこのわたし』表紙
『わたしのあのこ あのこのわたし』
岩瀬成子/著
PHP研究所
2021.01

『わたしのあのこ あのこのわたし』をおすすめします。

主人公は、環境も性格も違う小学5年生の2人の少女、秋とモッチ。未婚の母親と暮らす秋が父親からもらった大事なレコードに、ある日モッチの弟がうっかり傷をつけてしまう。2人の少女は仲たがいするが、モッチの弟の発熱を契機にまた仲直りをする。豊かな感受性をもつ子どもたちの、何かをふっと不思議に思う気持ち、意地悪をどうしてもやめられないときの気持ち、仲直りのきっかけがつかめなくてもどかしく思う気持ち、とまどいや迷いなどが、この著者ならではの巧みな描写で表現されている。(小学校高学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2021年2月27日掲載)

キーワード:友情、仲直り、家族

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コピーボーイ

『コピーボーイ』表紙
『コピーボーイ』
ヴィンス・ヴォーター/作 原田勝/訳
岩波書店
2020.03

『コピーボーイ』をおすすめします。

前作『ペーパーボーイ』から6年経ち17歳になったヴィクターは、地元の新聞社で雑用係(コピーボーイ)として働いている。人生の大先輩として慕っていたスピロさんが亡くなり、ヴィクターは生前からの約束を果たそうと決意する。それは、「ミシシッピ川の河口に遺灰をまくこと」。約束を実現するための独り旅の中で、ヴィクターは様々な人と出会い、恋もし、吃音とも折り合いをつけて、新たな道を切り開いていく。若い読者にも、困難を乗り越えて未来を信じる力を与えてくれそうだ。(中学生から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年4月25日掲載)

キーワード:旅、恋、吃音、未来

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おじいちゃんとの最後の旅

『おじいちゃんとの最後の旅』表紙
『おじいちゃんとの最後の旅』
ウルフ・スタルク/作 キティ・クローザー/絵 菱木晃子/訳
徳間書店
2020.09

『おじいちゃんとの最後の旅』をおすすめします。

ウルフの入院中のおじいちゃんは、わがままだし汚い言葉を連発するので周囲をうんざりさせている。でもウルフは、「やりたいことがある」という大好きなおじいちゃんのために、ひそかに病院脱出計画を立て、うそもつき、危険も冒して実行する。ユーモラスな会話を通して、愛に不器用だった祖父の姿、祖父と父、父とウルフのぎくしゃくする関係などが浮かび上がる。自分の祖父の思い出をたっぷり盛り込んだ、スウェーデンの作家スタルクの最後の作品。挿絵も味がある。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年10月31日掲載)


入院中の祖父は、わがままで頑固で汚い言葉を連発するので、看護師さんたちをうんざりさせている。でも孫息子のウルフは、ひそかに計画を練り、嘘もつき、危険も冒して、「やりたいことがある」と言う祖父を病院から脱出させる。そしてふたりは祖父が祖母と住んでいた島の「岩山の家」まで旅をする。ユーモラスな会話を通して、愛に不器用だった祖父の姿や、祖父と父、父とウルフのぎくしゃくする関係などが浮かび上がる。自分の祖父の思い出をたっぷりと盛り込んだ、この作家の最後の作品。味のある挿し絵も秀逸。

原作・スウェーデン/11歳/祖父、病院、旅

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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スーパー・ノヴァ

『スーパー・ノヴァ』表紙
『スーパー・ノヴァ』
ニコール・パンティルイーキス/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2020.11

『スーパー・ノヴァ』をおすすめします。

「読めず、話せず、重い知恵おくれ」とみなされている12歳のノヴァは、自分を肯定的に受け入れ擁護してくれる姉に頼って暮らしてきた。ところがその姉が消えてしまい、ノヴァは里親に引き取られる。1986年の宇宙船チャレンジャー打ち上げまでには姉が帰ると信じているノヴァは、カウントダウンしながら出せない手紙を姉にあてて書き、里親の家庭や学校でのさまざまな体験をし、理解者を得て次第に自分の居場所を見つけていく。自身も障がいを抱えていた著者が生き生きと描くノヴァに寄り添って読める。(小学校高学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年12月26日掲載)


「読めず、話せず、重い知恵おくれ」とみなされるノヴァは、姉に頼って生きてきた。でも、とつぜん姉はいなくなり、ノヴァは里親に引き取られる。1986年のチャレンジャー打ち上げまでには姉が帰ると信じているノヴァは、カウントダウンしながら、出せない手紙を姉宛てに書き、里親家庭や学校でさまざまな体験をし、次第に自分の居場所を見つけていく。自身も自閉症だった著者が描くノヴァに寄り添って読めるし、里親という理解者を得てノヴァが開花していく様子が生き生きと伝わってくる。

原作:アメリカ/11歳から/宇宙、姉妹、家族

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

 

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ぼくはアフリカにすむキリンといいます

『ぼくはアフリカにすむキリンといいます』表紙
『ぼくはアフリカにすむキリンといいます』
岩佐めぐみ/作 高畠純/絵
偕成社
2001.06

『ぼくはアフリカにすむキリンといいます』をおすすめします。

コロナのせいで友だちと会えない人は、手紙を描くのもいいね。この本では、アフリカの草原にすむキリンと、遠くの岬にすむペンギンが、ペリカンとアザラシに配達してもらって、ゆかいな手紙をやりとりする。手紙だからこそ、返事を待つ間にどんどん想像がふくらんでいく。キリンがペンギンの姿をまねする場面は、おかしくて笑っちゃうよ。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年7月25日掲載)

キーワード:アフリカ、手紙、動物

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わたしたちのカメムシずかん

『わたしたちのカメムシずかん』表紙
『わたしたちのカメムシずかん』
鈴木海花/文 はたこうしろう/絵
福音館書店
2020.05

『わたしたちのカメムシずかん』をおすすめします。

カメムシは触ると臭い、だから嫌いという人も多い。この嫌われ者の虫に夢中になり、もっと知りたくなり、自分たちでカメムシ図鑑まで作り、やがてカメムシは宝だと言うようになった子どもたちがいる。どうしてそんなことになったのかを楽しく描いたのが、このノンフィクション絵本。カメムシはどうして臭いのか、どうして集まるのかについても、わかるよ。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年7月25日掲載)

キーワード:ノンフィクション、虫、学校

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パディントンのクリスマス

『パディントンのクリスマス』表紙
『パディントンのクリスマス』
マイケル・ボンド/作 ペギー・フォートナム/絵 松岡享子/訳
福音館書店
1968.11

『パディントンのクリスマス』をおすすめします。

主人公は、人間のブラウン一家と暮らすクマのパディントン。好奇心旺盛で、いろいろ思いつくあまり、悪気はないのに行く先々で周りを困らせたり、心配させたり、大騒動を引き起こしたりする。そんな小さなクマがついついいとおしくなる、ゆかいな物語集。7編のうち2編がクリスマスにまつわるエピソード。(小学校中学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年11月28日掲載)

キーワード:動物(クマ)、クリスマス

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しあわせなときの地図

『しあわせなときの地図』表紙
『しあわせなときの地図』
フラン・ヌニョ/文 ズザンナ・セレイ/絵 宇野和美/訳
ほるぷ出版
2020.10

『しあわせなときの地図』をおすすめします。

戦争のせいで生まれ育った町を離れ、知らない国に逃げて行かなくてはならなくなった少女ソエは、地図を開き、楽しい時をくれた場所を一つ一つ思い起こしては、そこにしるしをつけていく。幸せな思い出が、生きていく力をあたえてくれることを伝えるスペインの絵本。コロナ禍にある今だからこそ、さまざまな状況の子どもたちに思いを馳せてみたい。(小学校低学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年11月28日掲載)


暮らしていた町を戦争で破壊され、外国に逃げなくてはいけなくなった少女ソエは、机に町の地図を広げて、楽しい思い出がある場所に印をつけていく。自分の家、祖父母の家、楽しかった学校、わくわくしながら想像力をふくらませていた図書館や本屋、いっぱい遊んだ公園、魔法のスクリーンがある映画館、川や橋……。楽しかった体験を、これから避難していく場所での力にしようとする少女の心の内を、やさしいタッチの絵で表現している。最初の見開きと最後の見開きの対比が多くを伝えている。

原作:スペイン/9歳から/戦争、難民、思い出

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

 

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いいたいことがあります!

魚住直子『いいたいことがあります!』表紙
『いいたいことがあります!』
魚住直子/作 西村ツチカ/絵
偕成社
2018.09

『いいたいことがあります!』をおすすめします。

6年生の陽菜子は、母親がうっとうしい。家事も勉強もちゃんとやれと言い、できないと叱るからだ。

ある日、陽菜子は不思議な女の子に出会う。その子が忘れた手帳には、「親に支配されたくない」という言葉も。この子はだれなのか? 謎を追っていくうち、いろいろなことが少しずつわかってくる。(小学校高学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年10月27日掲載)

キーワード:家族(母親)、謎

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ルイス・サッカー『泥』表紙
『泥』
ルイス・サッカー/作 千葉茂樹/訳
小学館
2018.07

『泥』をおすすめします。

森の中にある私立学校から、3人の生徒が行方不明になる。1人は皆勤賞の優等生タマヤ、もう1人はタマヤと通学している2歳年上のマーシャル、残る1人はマーシャルをいじめていた転校生チャド。そして、森で奇妙なねばねばの泥に触れたこの3人から、不思議な病が広がっていく。この病とは何なのか? 何が原因なのか? 治療方法はあるのか? 3人それぞれの物語にからむのは、粘菌を利用したクリーンエネルギーのついての聴聞会の証言と、不思議な数式。謎めいた起伏のある展開で読者をひきつけ、しかもバイオテクノロジーについて考えさせる見事な作品。怖いけれどおもしろいこの物語からは、作者が子どもに寄せる信頼感も感じ取れる。(小学校高学年以上)

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年9月29日掲載)

 


森の中にある私立学校から、5 年生の優等生タマヤ、7 年生のマーシャル、7 年のクラスに転校してきたいじめっ子のチャドが行方不明になる。やがて、この3人が森で奇妙な泥に触れたことから、不思議な病が広がっていることがわかる。この病は何なのか? 治療法はあるのか? 異質な3 人は、恐怖と孤独の中でたがいの間の距離を縮めていく。子どもたちをめぐる現在に、クリーンエネルギーについての公聴会の証言と、謎めいた数式がからむ。起伏のある展開で読者をひきつけ、バイオテクノロジーや現代文明の落とし穴についても考えさせる物語。

原作:アメリカ/13歳から/バイオテクノロジー エネルギー 粘菌 いじめ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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2021年02月 テーマ:みんなの空間からわたしの空間へ 図書館がくれた心の冒険

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『2021年02月 テーマ:みんなの空間からわたしの空間へ 図書館がくれた心の冒険』
日付 2021年02月16日(オンライン)
参加者 アンヌ、エーデルワイス、カピバラ、木の葉、サークルK、さららん、サンザシ、しじみ21個分、たんぽぽ、西山、ネズミ、花散里、ハル、まめじか、ルパン
テーマ みんなの空間からわたしの空間へ 図書館がくれた心の冒険

読んだ本:

しずかな魔女の表紙
『しずかな魔女』
市川朔久子/著
岩崎書店
2019.06

<版元語録>中一の草子は、学校に行けなくなってしまい、 今は図書館に通う日々を送っている。ある日ふとしたことをきっかけに、初めてレファレンスを希望する。やがて司書の深津さんから渡されたのは「しずかな魔女」というタイトルの白い紙の束。ふたりの少女の、まぶしい、ひと夏の物語だった。 物語を読み終えた草子の胸に、新しい何かが芽生える。それは小さな希望であり、明日を生きる力だった。
『希望の図書館』表紙
『希望の図書館』
原題:FINDING LANGSTON by Lesa Cline-Ransome, 2020.07
リサ・クライン・ランサム/作 松浦直美/訳
ポプラ社
2019.11

<版元語録>一九四六年、アメリカ。「黒人は、図書館に入れない」とラングストンの母親は言っていた。しかし、新しく越してきたシカゴの町で、ラングストンは、だれもが自由に入れる図書館を見つける。そこで、自分と同じ名前の詩人が書いた本と出会い、母親の「秘密」にふれることになる…。読書の喜びを通じて、小さな自信と生きる勇気を手に入れていく少年の物語。

(さらに…)

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希望の図書館

『希望の図書館』表紙
『希望の図書館』
リサ・クライン・ランサム/作 松浦直美/訳
ポプラ社
2019.11

たんぽぽ:おもしろかったです。最初は、差別を描いた本かなと思いましたが、違っていました。主人公に、心なごむ場、図書館があり、本当に良かったと思いました。個人的には、お母さんが好きな詩の作者の名前を自分につけてくれたことを、お父さんにも話し、心ゆくまで語り合ってほしかったです。

マリンゴ:非常に落ち着いた静かな筆致で、素敵な作品だと思いました。母が詩人ラングストン・ヒューズをとても好きだったことを主人公は知って、でもそれを父には言えない、というくだり。「本」に出会って、世界の見え方が変わってくる象徴的な場面で印象的でした。ほぼパーフェクトな本ですが、少し気になったのは、終盤まで、ラングストンが小学中学年くらいにしか思えない点でした。たとえば、階段を上がるフルトンさんのおしりを見るシーンが、幼い子の反応のように思えたりして。クレムと話すようになって、ライモンと対決するあたりで、急に中学生らしくなる印象がありました。

まめじか:ラングストンは11歳ですね。

マリンゴ:なるほど。11歳だと、小学中学年とは誤差の範囲内と言えますね。うーん、やはり幼い気はしちゃいますけども。あと、最後の7行くらいが、物語を総括しすぎていて、ないほうが余韻が残ったかもしれないとは思いました。

サークルK:原題は“Finding Langston”(ラングストンをさがして)というものですが、邦題は読者にわかりやすいように、主人公にとって図書館が希望そのものになっていくテーマそのものを表現していて良かったと思います。実在する詩人のラングストン・ヒューズの詩を知識として知っていたら、さらに重層的に楽しめるのだろうと思われました。フィクションの中に、このような形でノンフィクションをうまく取り込んでいるところがうまいと思います。母・妻を亡くして田舎から都会へ引っ越してきて、息子と父親がすれ違ってしまうのかと思いきや、徐々にまた歩み寄っていく描写や、フルトンさん(パール)が単なる隣人ではなくなっていく描写も行き届いていて、しみじみとさせられました。

カピバラ:まず、なんて素敵なタイトルでしょう。日本の読者はタイトルに「ラングストン」という名前があってもピンとこないでしょうから、変えたのだと思いますが、良いタイトルだと思います。本を読むのが好きな子どもが、はじめて図書館に行ったときの気持ちは想像しただけでワクワクするものがありますが、ラングストンは、帰り道がわからなくなったので聞こうと思って、偶然に図書館を見つけるわけですね。その場面の描写がとてもリアルで印象に残りました。閲覧室に通され、「図書館の空気を吸いこむと、古い紙や糊のにおいと、木のにおいがした。母さんがよく作ってくれた、ピーチパイよりいいにおいだ。ここにある何もかもが新しくみえ、ぼくのくたびれたくつが、もっとくたびれてみえた」(p46)と、目に入ったことと、においを描写しているのがリアルで良かったです。いちばん好きなところは、その後の「ぼくは本棚に近づいて片手ですうっとなで、帰り道をきくことなんてすっかり忘れていた」というところと、「どれでも好きな本を、借りられますよ」と司書に言われ、「どれでも好きな本」と、誰に言うともなくささやいた、という描写。気持ちが手に取るようにわかり感動しました。お父さんや亡くなったお母さんの描写もとてもうまく、どんな人なのか、息子とどんな関係性だったのか、よくわかりました。特にお父さんは、妻を失った悲しみが大きく、働くことにいっぱいいっぱいで、息子への愛情をうまく伝えられない。でも父と子は、たった2人の暮らしの中で、少しずつ理解しあっていくのがうれしかったです。ラングストンは、ラングストン・ヒューズの詩に大きな共感をおぼえ、勇気づけられていくのですが、優れた詩、あるいは文学には、どれほど子どもの背中を押す力があるのかがわかり、印象に残りました。2020年に読んだ本の中でいちばん好きな1冊でした。

木の葉:出版からほどなくして読んだのですが、今回再読する時間がとれず、あまり内容は覚えていません。ただ、とても読後感がよかったことだけは、よく覚えています。今回、パラパラと本をめくって、フルトンさんも素敵だったな、と思ったり。それから、ラングストン・ヒューズの詩をちゃんと読んでみたくなりました。本のサイズと形はどうなのでしょうか。私は広げて読むのに、ちょっと持ちづらいなと思いました。

さららん:私もp46の図書館に入ったときの描写、「図書館の空気を吸い込むと・・・ピーチパイよりいいにおいだ」というところが、いいなあと思いました。そこに至るまで、アラバマから父さんと2人でシカゴに来た主人公ラングストンの、暗い日々の描写が続いただけに、図書館で初めて解放された主人公の心情に、強く揺さぶられたんだと思います。リサ・クライン・ランサムはすごくいい作家だ、と感心しながら読み進めました。ラングストンが詩の中に見つけた母さんの秘密を、父さんにあえて明かさないところが、父さんと息子の関係に奥行きを与えています。そして物語全体を通して、言葉の力を信じる気持ちが強く伝わってきます。p136でフルトンさんの朗読を聞いたあと、ラングストンが「今夜はぼくの頭の中の〈声〉がぎこちなく詩を読むのをききたくはなかった」という一文がありましたね。フルトンさんの声をしみじみ味わっていたかったと感じる主人公は、そこで音の芸術としての本物の詩に出会ったんでしょう。司書のクックさんもふくめて、未知の大人との出会いにより、知らない世界に目を開かれ成長していく主人公を描き、その主人公が今度は父さんをも変えていくところに惹かれます。

まめじか:スコット・オデール賞を受賞したときから気になっていた本です。そのとき調べたので、11歳だということがわかった上で翻訳を読むことができましたが、たしかにラングストンの年齢はわかりにくいですね。言葉づかいも少し幼く感じました。p183で、なぜ詩が好きなのかときかれたラングストンは、「だれかがぼくだけに話しかけている感じがする」「ぼく以外のだれかが、ぼくのことをわかっていてくれている感じがする」と言いますが、これはまさに詩の本質ですよね。自分の心に直接語りかけてくるような親密さというか。北部への黒人の移住とか、ポートシカゴの事件とか、アメリカの歴史を背景に、南部にくらべてにぎやかすぎて寝つけないとか、ラングストンが五感で感じたことがしっかり描かれています。

しじみ21個分:コロナで読書会が延期になる前に読んで、今回読み直しましたが、ますますこの本いいなあと思いました。ラングストンの視点にずっと寄り添ってお話を読むことができました。また、表現が非常に体感的でリアルだったので、図書館の中に初めて足を踏み入れたときの感覚、中を見回す感触、図書館の請求記号がわからなかったり、図書館で知らない言葉をおぼえていくときの頭の中の動きの感じだったりとか、ラングストンの感覚を追体験することができ、映像が眼前に広がりました。また、息子から見たお父さんの姿っていうのもリアルで、田舎から大都会シカゴに出てきて働き詰めで、不器用で、不愛想で息子への愛情もうまく表現できないという人物像もしみじみと胸にしみてきました。アメリカと日本とで文化的な背景が異なるなと感じたのは、詩の描かれ方で、アメリカでは詩や詩人がより高く評価され、浸透していると感じました。ラングストン・ヒューズの詩も多く引用されていましたが、自分が好んで聞いていたブルースから受ける印象と全く同じで、物語の後ろにブルースが聞こえているような感じを受けました。図書館司書の描かれ方も親密すぎず、でもきちんと利用者のニーズに応えているという点がリアルで好感が持てました。また、フルトンさんが読んだ詩を思い出し、つっかえつっかえになった自分の声を思い出さないようにするというのもいじらしくて、胸にぐっときたところでした。

アンヌ:私はラングストン・ヒューズの詩を知らなかったのですが、以前読んだ『リフカの旅』(カレン・ヘス/作 伊藤比呂美+西更/訳 理論社)と同じく、児童書の中で詩と出会うと主人公になって詩を読めるので、この物語のおかげで国も言葉の違いも関係なく詩と出会うことができてうれしいです。引用されている詩を調べようとしている途中なのですが、元の詩の省略されている部分とかを知ると、なるほどこういうふうに作者は物語の中に生かそうとしたのだなと仕組みがわかってきてさらに楽しめます。図書館に行くと偶然手に取った本に運命を感じることがあるのですが、この主人公も図書館で詩に出会い、その中に自分に語りかけてくれる言葉を見つけることができたし、母の秘密を知ったりもするし、父や周囲の人と会話できるようにもなる。そんな図書館と詩の魅力が詰まった読み応えのある本でした。

エーデルワイス:『ソロモンの白いキツネ』(ジャッキー・モリス/著 千葉茂樹/訳 あすなろ書房)の設定によく似ているなと思いました。主人公の男の子が母親を亡くし、父親と都会に出て、学校でいじめられ、居場所がないという。この本の主人公ラングストンは図書館に居場所を見つけました。酒井駒子の絵の表紙が素敵で好きなのですが、原書にも元々の表紙があると思います。日本人に合わせて表紙を変えているのでしょうか?そこのところを教えて頂きたいです。都会にいる黒人が田舎から来た黒人を差別することもあるのですね。黒人を蔑視する言葉に、北部の「ニグロ」に対し、南部の「カラード」の言葉があるということも今回初めて知りました。ショックでした。あと、詩が日常的に、家庭でも暗唱、朗読されるというのが素敵でした。p152~153、p163、p164など印象に残っています。

サンザシ:原書のFinding Langstonの表紙には、日本語版と同じような服装のアフリカ系の少年が大都会のビルの狭間で立ち尽くしているところが描いてありますね。それだと図書館や本とのつながりがわからないから、酒井さんに依頼したのでしょうね。判型も小学校高学年から手にとってもらいたいということで、敢えてYAとは違えているんでしょう。ただ主人公のラングストンは、最初は寂しいんですけどかなりのエネルギーを持った子どもなんで、この表紙絵とはちょっとイメージが違うように私は思いました。それから当時のアメリカ南部と北部はずいぶん違ったのですね。南部のアラバマでは、黒人が図書館を利用できなかったことは、初めて知りました。それから、黒人の貧しい少年にとって、自分と同じような境遇の作家が書いた作品を読むと、そこに自分がいるような気になるし、主人公といっしょになって本の世界が体験でき、そこから次の一歩が踏み出せるようになるということが、よくわかりました。p183でクレムが「詩のどんなところがいいの?」ときいたのに対して、ラングストンが「そうだな……だれかがぼくだけに話しかけている感じがするのが好きだ。それに、ぼく以外のだれかが、ぼくのことをわかってくれている感じがする……ぼくの気持ちを」と言っているのですが、ここはとても重要だと思いました。p10に「まるで立派な住まいみたいに〈アパート〉って呼ぶけど」とありますが、日本のアパートのイメージとアメリカのアパートメントとは違うので、ちょっと違和感がありました。それから、ラングストンが親の手紙をこっそり読む場面で、p116「読めない部分もあるけど、読みたくない言葉もあった。〈ヘンリー〉とか、〈愛してる〉とか、〈ティーナ〉とか」とありますが、どうして読みたくないのかがよくわかりませんでした。

まめじか:自分の両親がストレートに愛情を示し合っているのが気恥ずかしかったんじゃないですか?

サンザシ:日本人ならそうでしょうが、アメリカ人だし、母親が亡くなっていて、2人が愛し合っていたということがわかるのはうれしいんじゃないかな、と思ったんですけど。

しじみ21個分:父と母との秘密、2人の心の奥底、に踏み込みたくはなかったということですかね?

サンザシ:主人公の年齢は、私も中学生かと思っていました。

アンヌ:p130に、「あと二年したら、ぼくも高校生になる」とあります。

サンザシ:私も中1だと思って、それにしては幼いなと思っていました。特に前半部分は小学校中学年くらいのイメージですよね。アメリカの学校制度は地域によっても違うのですね。この本だと中1だと思って読む読者が多いかもしれないので、もう少し工夫してもよかったかもしれませんね。

すあまラングストンに共感して読み進めることができました。自分が初めて大きな図書館に連れて行ってもらったときのうれしかった気持ちを思い出しました。そして、ラングストンが図書館で手にした本が物語ではなくて詩なのがよかったと思います。詩であったことで、ブルースの好きなお父さんにもわかってもらえたのでは。そして、一緒に図書館に行くというラストもいいなと思いました。フルトンさんは、最初はいやなおばさん、という印象だったのが、ラングストンの目を通してだんだん素敵な女性に思えてきました。表紙の絵の印象で、幼い男の子の話なのだと思って、これまで手にとっていませんでした。実際に読んでみたら、もっと男同士の親子の話で、ラングストンも体格がよくて、いい意味でイメージが違いました。それから、物語には出てこなかったけれど、ラングストンがいつか詩人のラングストンと図書館で会えるといいなと思いました。

花散里:この本が出版されたときにすぐ読んで、とても良い本だったという印象が今も強く残っています。今回、読み返して、やはりとても良い作品だと思いました。酒井駒子さんの絵はあまり好きではないので表紙画は気にかかりました。この作品に登場してくる図書館司書は良いと思いました。シカゴ公共図書館ジョージ・クリーブランド・ホール分館についても作者あとがきで知ることが出来て良かったです。ラングストンという名前を付けたお母さんのことは最初、読んだ時から印象に残っていましたが、今回、読み返して、お父さんがとても印象に残りました。フルトンさんも最初に登場した時の印象が段々と変わり、ラングストンに詩を読んでくれるときのフルトンさんの様子がとても良いと思いました。ラングストン・ヒューズの詩を読み返したりしたいと思い、本を購入しました。絵本『川のうた』(E.B.ルイス/絵 さくまゆみこ/訳 光村教育図書)も読み返しました。詩を読んでいくことなど、この作品を子どもにどうやって手渡すのかは難しいと感じていますが、読んでほしい作品だと思います。

ルパン:こちらは先ほどの作品と反対に「おもしろかった」ということしか覚えていないくらいです。最初から最後まで夢中で読みました。いちばん印象に残っているのは、フルトンさんのお尻が揺れる描写。インパクトありすぎて、なんかすごいおばさんというイメージだったので、お父さんと再婚する可能性があるとわかってびっくりしたことです。

シア:すごくいい本で、丁寧で心情豊かな描写で、文句の付けようがありません。話の軸もぶれていないですし、内容も素晴らしい。フィクションですがリアリティがすごいです。アメリカの当時の文化や歴史について理解しやすいし、興味がわいてきます。背景描写まで細かく書き込まれています。お母さんはかわいそうな設定ですが、「すきっぱ(透きっ歯)」という表現がされているので、幸せであることがわかります。「すきっぱ」はアメリカでは幸せを運んでくると言われていて、人気があるんです。そういうところが細かいなと。この本は図書館というものが古くから地道に社会に与えてきたものや及ぼす影響など、その偉大さについて伝えてくれます。最近の図書館は指定管理者制などが取り入れられ方向性を見失ってきているので、ぜひ、みなさんに読んでいただきたいと思います。図書館が連綿と守ってきたものを今一度教えてくれる1冊です。

ハル:先ほど話題に出たp116の「読みたくない言葉」(~読みたくない言葉もあった。〈ヘンリー〉とか、〈愛してる〉とか、〈ティーナ〉とか。)のところですが、私なんて一瞬「やだ、お父さん不倫?」とか勘違いしてしまいました(笑)。こんな人は少ないと思いますけど、やっぱり「読みたくない」は、もうちょっと気を使った表現でもよかったのかなと思いました。全体として、ラングストン少年の目で見た景色や感覚、なつかしいアラバマの描写も美しくて、引用されている詩もとても効果的で、良い本に出合えたなあという気持ちになりました。私はあまり「詩」にはなじんでこなかったので、私もこの本で、「詩」というものに出合えたような気がします。ただ、邦題の『希望の図書館』はちょっと違う話を連想させるような・・・。「希望の~」って、ちょっとテーマと違うんじゃないかな・・・と違和感を覚えました。でも、このタイトルで、この判型で、この装丁で、いかにも名書!という感じでまとまっていて。これも読者の手に届けるための工夫なんだろうなぁと、勉強になりました。

ネズミ:とてもよかったです。アメリカという国で図書館がとても大事にされているということを痛感しました。知というのか、知識に誰もがアクセスできるという、図書館の精神や理念というものがしっかりあるんだなと。私は、お父さんがラングストンと話すときに、妻のことは「お前の母さん」とか「母さん」と呼んでいるのに、自分のことを「おれ」と言っているのが、ちょっと気になったのですが、みなさんは気になりませんでしたか? 子どもと話すとき、自分のことを「父さん」と呼ぶかなと。全体にラングストンが幼い印象だったからかもしれませんが、なんか、ちょっと突き放した感じがして。

サンザシ:そこは日本人になじみやすい表現を使うか、文化を伝える方を前面に出すかで違ってくると思います。アメリカ人なら、日常会話の中で自分のことをyour fatherとは言わずやっぱりIを使いますよね。そういう文化だということを伝えるのも大事だと私は思います。PTAなどでも「○○の母です」と言う人が多いですが、欧米ではたいていファーストネームでやりとりしてますよね。○○の母、○○の父、○○の夫という規定の仕方がいいのかどうか、そこも考える必要があるのではないでしょうか。翻訳者の悩みどころの一つですね。それからこの本はシリーズになっていて、ライモンが主人公のとクレムが主人公のが出ています。あとの2冊も読みたいな。

(2021年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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しずかな魔女

しずかな魔女の表紙
『しずかな魔女』
市川朔久子/著
岩崎書店
2019.06

ネズミとてもおもしろく読みました。こういう図書館はないだろうと思いましたが、子どもを受け入れる場所としての図書館、ひとつの居場所というのが提示されていて、いいなあと思いました。魔女の修行の中で、ところどころに印象的な言葉がありました。たとえばp142の「魔法にはね、ひとつだけやってはいけないことがあるの」「それはね─人を操ること」というセリフ。生きることを後押しする、こういう部分にひかれました。それに、文章がとてもきれいでした。

ハル子どものころは特に、おとなしいことをネガティブにとらえがちなので、どちらかというと控えめなタイプの子は読んで励まされるでしょうし、ひかり側に共感できるような元気のいいタイプの子にとっても、新しいものの見方を示してくれる1冊なのではないかと思いました。構成やストーリーそのものも、決して目新しいものではないかもしれないし、時々ふと、そういえばこれは司書の深津さんが書いた小説(の体裁)なんだったな、と思い出すと、若干「いま、わたしは何を読んでるんだっけ?」という気持ちにもなりましたが、表現の豊かさによって、作品として成立しているのかなと思いました。みずみずしい描写で、刺激を受けました。子どもにとって夏休みがどれだけ特別か、「夏休み」の大きさをしみじみ感じます。

シア不登校の話で始まったので、またこの手の話かと思って読み始めました。市川さん、よく不登校の話を書いているなという印象です。『西の魔女が死んだ』(梨木果歩/著 楡出版ほか)を思い出しました。でも、作中の物語はすごくおもしろくてのめりこみました。肝心の主人公のことはすっかり忘れてしまっていました。蛇足だったかと思うくらい。キラキラなエンディングを迎えたのに、野枝ちゃんの将来が冴えなくてがっかりしました。しかし、レファレンスの回答として出典が明らかにされていない自分の小説を渡すというのはちょっと乱暴すぎではないでしょうか。それから、「図書館は静かな場所」というステレオタイプな考え方が、今の時代に合っていなくて古いと感じました。まるで『希望の図書館』(リサ・クライン・ランサム/著 松浦直美/訳 ポプラ社)と同じ時代みたい。

ルパン半年くらい前に読んだんですけど、「おもしろくなかった」ということしか覚えていませんでした。このたび読み返したら前よりは印象がよかったのですが・・・不登校の子の話が中途半端で不完全燃焼としか言いようがないです。作中の物語では「ひかりちゃん」のキャラクターがすご過ぎて、私はついて行けませんでした。

花散里私は図書館司書をしていますが、読んでいて、この設定はあり得ないと思うことが多く、いろいろと気にかかりました。司書が登場してくる作品としては『雨あがりのメデジン』(アルフレッド・ゴメス=セルダ/作 宇野和美/訳 鈴木出版)が大好きで、あの本の中の図書館司書が理想だと思っています。作中の物語も構成が弱いと感じました。ユキノさんの存在もわかりにくいと思いました。友達の両親が離婚してしまうかもしれないというときに手紙を書くということもあり得ないのではないでしょうか。読後感があまりよくない作品でした。

すあま市川さんの物語では、主人公を家族ではない大人が見守って助けてくれる。この本でも、司書の深津さん、ユキノさんがそういう大人です。物語としては、作中の物語が終わったところで今度は外側の話を忘れていました。中の物語はおもしろかったし、登場人物も魅力的だったけど、この話だけだったら物足りないかもしれませんね。中学生の草子が小学4年生の物語を読む、ということなんですが、実際に中学生が小学4年生に共感しておもしろく読めるのかな、と思いました。物語全体で、いい人ばかりが出てくるので読後感は悪くならないのですが、この著者の他の作品と比べると何か足りない気がしました。

サンザシ:不登校の草子に寄り添って読み始めたら、間に野枝とひかりの話が入っていてそっちの方が長いんですね。私には、間のこの物語を読めば草子が元気になるとは思えなくて、ずっと草子が心配でした。市川さんは文章がいいので、それにひかれてどんどん読み進められるし、間に入っている話にも共感はできるんですけどね。私は『小やぎのかんむり』(市川朔久子/著 講談社)がとても好きだし、あれは第一級の作品だと思っているのですが、それに比べると、この作品はちょっと小ぶりの佳作でしょうか。それから、p166の「あざやかな色のリュック」の若い男は、p15で「館長」に「ここの机って、勉強とかダメですかね? レポートちゃっちゃっと終わらせて、ついでに試験勉強もやりたいんスけど」とたずねる男だと思うのですが、ということは、この「館長」が自分の息子に一般利用者を装わせて、草子の前でたずねさせた、ということ? そこまで行ったらやりすぎじゃないかな。

エーデルワイス作者の市川朔久子さんは、この先、大人向けの小説家になってしまうような気がします。p144の9行目から12行目にある、「ひとつだけやってはいけないこと、人を操ること・・・」や、p145の13行目の「じぶんの心はじぶんだけのものですからね」のように煌く言葉がたくさんありますね。でも、ストーリーが凝り過ぎている感じもしました。

アンヌ初めは主人公の草子に興味が持てず、つらい場面も多くてなかなか読み進められなかったけれど、作中の物語が始まると楽しくて、ユキノさんをはじめとしたお年寄りの生き生きとした様子も魅力的で、近所に昔あった古い団地を思いだしました。洋服の色彩について鋭い感覚を持つリサちゃんについても、家族が「美大出身の友人は雷が鳴るとまず稲妻の色を見たがる。世界の見方が違うね」と話していたので、そんな風に様々な視点で世界を「見る人」がいるということが描けていて良かったと思います。1か所いらないかなと思ったのが、館長と息子の小芝居の場面。p15はともかく、それがバレるp165は、必要はあるのかなと。ただ、不登校の子がコロナ下のネットの授業は参加できたのに、対面授業になったら出られなくなったという話を聞いているので、草子がこんなふうに守られているのはよかったなと思いました。

しじみ21個分やさしい表現の、とても好もしい作品だと思いました。まず、図書館で働く者として、図書館が子どもたちにとって居心地のいい場所として肯定的に描かれているのはうれしいです。不登校の子が図書館で過ごすという描写は、やはり、鎌倉市立の図書館が夏休み明け前の8月に発信した「つらかったら図書館においで」というメッセージを踏まえているのかなとも思いました。ただ、p12に、図書館の司書は静かな人と描かれています。それはいかにもステレオタイプで、静かじゃない図書館員もいるしなぁ、とちょっと固定的な捉え方だとは思いました。見た目としても、物語の中に白いページがはさまっていて、目次もあって、さあ、これから物語が始まるというぞ、という工夫もおもしろかったですし、物語の入れ子構成も凝っていました。作中の物語も2人の女の子の理想的な夏休みが描かれていて、とても好ましいのだけど、正直好ましいというだけで終わってしまったかなという感じです。なんというか全般にリアリティがなくて・・・。図書館の可能性が表されているのはとてもありがたいし、ユキノさんという理想的な大人像も素敵で、こういう風に子どもに接したいとは思うのですが・・・。それから1点引っかかったのが、図書館でおばあさんに「学校はどうしたの?」と問われて、心の中で「くそばばあ」という言葉が浮かんだにもかかわらず、それを小学校のときの同級生の男の子の言葉にすり替えてしまっているところです。それはちょっと主人公がいい子すぎてずるいと思いました。自分の言葉で「くそばばあ」と心の中で言ってほしかった。作中の物語に任せてしまうのではなく、本編の物語で主人公の心の中の葛藤みたいなのがもっと深堀りされてもよかったんじゃないかなと思ったというところです。

まめじか草子は幼稚園の運動会で転んでしまったとき、大人の目を気にして自分と一緒に走りだした先生の欺瞞に拒否感を示していますが、深津さんや館長やユキノさんはそれとは対照的な存在として描かれていますね。おもしろく読んだのですけど、おばあちゃんとの魔女の修行というのが『西の魔女が死んだ』に重なり、あまり新しさは感じませんでした。視点を変えると新しいものが見えてくるとか、日々を丁寧に生きる生活の豊かさとか。中学生は子ども時代を思い出し、ノスタルジーを感じながら読むのでは。中学の1年1年ってとても大きくて、自分がガラッと変わってしまったように感じますよね。私はそうだったな。

西山市川さんの作品は、まず言葉が好きです。p57の「いいないいなあ」など、ほんのちょっとしたところでひかりの体温の高い感じが伝わってきたり、読むことの「快」を感じます。ベースとしては、草子の、学校という場に合わないというメンタルな部分ですが、お話の中で2人が迷子になるまでずんずん歩いたり、アリを見たり、ツリーハウスもどきを作ったり・・・この、中身だけでいいと私は思ってしまいました。読者対象の年齢によって違うのでしょうけれど、魔女修行が結局は心の持ち方を変えさせるという着地点は、本気で魔女になりたい子には肩透かしになるなあと思いました。自分が小学生の頃、吉田としの『小説の書き方』(あかね書房)にがっかりした経験を思い出してしまいました。入れ子構造が活かされた装丁もきれいだけど、どうなんでしょう?『コロボックル』シリーズ(佐藤さとる/著)とか、過去にいくつか例がありますが、全体を入れ子にしたことで、疎外される印象を受けたのを思い出しました。作り込んだフィクションのおもしろさも好きなのですが、この作品では、私は作中の物語だけの方がよかったかな。子どもが減った団地の有り様は、それとなく見まもる「小さなおばあさん」の存在含め、とても興味深かったです。

さららん前に読んだ時には悪い印象をもたなかったのに、あとから中身をよく思い出せませんでした。読み返してみて、文章の美しさを再認識。おいしいお菓子を食べているような気がしました。先ほども指摘があったけれど、草子の幼稚園の運動会のときのエピソードの出し方が見事で、それひとつで、大人のぶしつけな行動に耐えられない草子という子どもが見えてきました。中の物語も、子ども時代のきらめきにあふれていて、楽しかった。ただ、入れ子の外と中が組み合わさったときの感動が薄く、それが印象の薄さにつながったのかもしれません。中の物語では、最後に野枝がひかりの両親宛てに手紙を書いたことが功を奏して、ひかりが団地にもどってきてくれます。2人の時間のきらめきは、その時間の喪失を描くことでいっそう際立ち、読者の心に残ると思うので、2人が10年後に再会してもよかったかなーと思いましたが、でもそれでは大事な「魔法」の意味が描けなくなりますね。ひかりのすこし芝居がかった言葉遣いがほほえましく、赤毛のアンの姿が重なりました。また、子どもたちの体温の高さという点では、森絵都さんの本を思いだしました。

木の葉市川さんの文章が心地よくて、このまま草子さんの話としてずっと読んでいたかったです。作中の物語はアイテムとしても定番というか、割と平凡な印象でした。「しずかな子は魔女にむいてる」という言葉はとても素敵ですが、それが生かされているかというと、微妙です。入れ子にしたために、どちらも中途半端となってしまったような気もします。『西の魔女が死んだ』は、私も連想したのですが、あのおばあさんが苦手だったことを思い出しました。それから、野枝という名前は、私はどうしても伊藤野枝を連想してしまうので、少し違和感がありました。私も市川さんの『小やぎのかんむり』は好きな作品で、あちらの方がいいと思います。

カピバラ:2015年に鎌倉市中央図書館が「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」というツイートを出し、大きな反響を呼んだ、ということを思い出しました。これには賛否両論ありましたが、図書館側では、図書館はそういう子の居場所になれるんだという意識が生まれた、ということを聞きました。あくまでも見守るという姿勢は変えず、平日に毎日来る子がいたらなんとなく気にかけるようになったそうです。図書館はそういう場所であってほしいという思いが、著者にもあったのではないかと思います。深津さんは、まさにそういう子どもを見守る存在ですが、現実にこんな司書がいるのかな、とは思いました。やはり自分の水筒を貸すのはありえないし、図書館は出版物を扱う場所なので、いくら自分が書いたものだからといって、出版されていないものを渡すことはありません。でも、図書館はこうあってほしい、という意識が現れているのかな、と思いました。入れ子になった物語がある形式は、2つの物語がどういうつながりがあるのか、謎解きのおもしろさもあって魅力的です。「しずかな子は、魔女に向いてる」というのはすてきな言葉で、きっと著者はこの言葉がとても気に入っているのでしょうが、言葉の魅力が先に立って、それがどういうことなのか、という点は意外とあっさりしていたかなと思います。野枝とひかりのように正反対の子どもが仲良くなれるのか、という意見がありましたが、私は、ひかりのように屈託がなく、思ったことをすぐに言葉にできる子に野枝が惹かれるのはよくわかりました。

サークルK書き出しが柔らかい感じで表現が美しいので、読み出しやすかったです。表紙も本の森のページに入っていく感じがして、挿絵もかわいらしいですし。優しく詩的な日本語に触れられる作品だと思います。p163の「絶海の孤島に来ています」という司書さんの草子への手紙でストーリーを終わらせても良かったのではないかとは思いました。そのあと、「館長さん」とその息子とのやり取りや、司書さんとのやり取りなどは冗長に感じました。すべてに落としどころをつけようとしすぎている感じがして、もったいないと思いました。

マリンゴとても魅力的な物語でした。本編が実は、長い長い序章で、別の物語がすっぽり入り込み、最後にまた本編に戻るという構造が、わたしは非常にうまく機能していると思いました。自分の気持ちを伝えられるのは自分だけなのだ、というメッセージもとてもよかったです。あと、行こうと思えば世界のどこにでも行けるし、誰とでも会えるのだ、と不登校の子に、世界を広げるメッセージを伝えているのもよかったのではないかと。唯一、私が引っかかったのは司書さんですね。不登校のひとりぼっちの女の子に、実話と思われる2人の女子のかけがえのない友情の物語を読ませる司書さんって、デリカシーがどうなんだろう、と。とてもデリカシーある人として描かれているだけに、ちょっと気になりました。

たんぽぽ表現がきれいだなと、思いました。ラストは、「ああ、こういうことだったのだ」と、すっきりしましたが、そこにたどりり着くまで、ちょっと長かったです。「しずかな子は魔女にむいてる」という言葉が、少しイメージしにくかったです。

木の葉図書館を舞台にした作品は結構あって、私も、図書館の存在によって救われる物語は好きです。とはいえ、「図書館=いい場所」という描かれ方が前提となっているようで、そのことには少し疑問も感じています。すべての図書館がすばらしいわけではないですし、現実に問題や矛盾はあるはず。職員の待遇面もどうなのか、なども。本好きは本にまつわることをつい善的に捉えてしまいがちであることにも、注意が必要かな、という気がしています。

(2021年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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雪山のエンジェル

『雪山のエンジェル』(さくまゆみこ訳)表紙
『雪山のエンジェル』
ローレン・セントジョン/作 さくまゆみこ/訳
評論社
2020.10

主人公はマケナというケニア人の女の子。山岳ガイドを務める父親と、理科の教師をしている母親との3人家族でナイロビに暮らしていましたが、シエラレオネに出かけた父親と母親がエボラ出血熱で死亡し、マケナは身寄りがなくなります。しばらくは父親の弟の家族に引き取られていたものの、女中同然の扱いを受けてそこにはいられなくなり、路上の暮らしを余儀なくされます。そこで出会ったのが、スノウと呼ばれるアルビノの少女。マケナとスノウは、スラムで何とか生きぬこうとします。やはり身よりのないスノウは、1日に少なくとも3回は魔法の瞬間があるから、それを楽しみに生きていけばいいと、マケナに言います。不思議そうな顔をするマケナに、スノウは言います。

「まず、日の出と日の入り。これで二つね。マザレ(スラムの名)で、おなかぺこぺこで不安なまま目をさまして、スラム街から死ぬまで抜け出せないから生きててもしょうがないと思ったとしても、空を見上げさえすればいいの。お日さまは、マザレ・バレーだろうと、アメリカの金色にかがやく摩天楼だろうと、同じように照らしてくれるのよ。お日さまはいつも、いちばんすてきな服を着て顔を出すの。ハッとするほどすてきな日の出が見られることもあるし、どの朝もほかの朝とはちがうのがいいでしょ。『毎朝が新たな始まりだと思って顔を出すのだから、あなたたちもそうしなさい』って言ってるみたいにね」
「じゃあ、三つ目は?」マケナがたずねた。
「探せば、いつでも見つかるもの。四つ目だって五つ目だって,二十個目だって同じ。ほら、今だって、あたしにとっては魔法の瞬間よ」

日の出と日の入りが毎日違うとスノウが言っても、東京にいたらそんなものかなあ、という程度の理解で終わっていたかもしれません。でも、木曽にいると,空が毎日違うということを実感します。光の具合も、雲の散らばり具合も、空気感も、風の吹き方も、本当に毎日違うのです。

マケナもスノウも命を落とす瀬戸際で助けられ,最後にはそれぞれの居場所を見つけるのですが、マケナを助けるのは、時々顔を出す神秘的なキツネ。スノウの不屈の精神を支えているのは、ミカエラ・デプリンスについて写真と文で伝える雑誌記事。ミカエラ・デプリンスは、シエラレオネで戦争孤児となり、その後プロのバレエダンサーになった女性で、今はオランダ国立バレエ団でソリストを務めています。

(編集:岡本稚歩美さん 装丁:内海由さん)

 

訳者あとがき

本書は、ローデシア(今のジンバブエ)で生まれ、動物保護区で育ち、すでに『白いキリンを追って』『砂の上のイルカ』などで日本でもおなじみになった作家ローレン・セントジョンの作品です。セントジョンは、よく動物を作品に登場させますが、本書にもさまざまな種類のキツネが姿をあらわします。この作品に登場するキツネは、現実のものもあれば、特定の人だけに見えるものもあるらしいのですが、必死に生きようとしている子どもの味方をしてくれているようです。

でも、セントジョンがこの作品で描きたかったのは、キツネよりも「忘れられた子どもたち」のことだったと言います。マケナは親をエボラ出血熱という感染症で失って孤児になってしまいましたし、スノウもアルビノであることで迫害されそうになり、やはり孤児になってスラムに住んでいます。ほかにも、スラムでたくましく生きぬいている子どもたちが登場しています。

ときどき日本の新聞でも話題になるエボラ出血熱は、比較的新しい感染症だと言えますが、致死率が高いので恐れられています。初めて発生したのは1976年で、南スーダンとコンゴ民主共和国でのことでした。近年では2014年からギニアやシエラレオネなどで感染が拡大して「エボラ危機」と言われました。その後いったん終息したかに見え、シエラレオネやギニアでは終息宣言も出されましたが、また2018年からコンゴ民主共和国で流行しています。今、世界の多くの国々は新型コロナウィルスの感染をどう食い止めるかで必死ですが、アフリカにはまだエボラ出血熱とたたかっている人々もいるのです。

セントジョンは、たとえエボラ出血熱が終息したとしても、「エボラ孤児が姿を消したわけではなく、偏見や迷信のせいで村人からつまはじきにされるケースも多々ある」と述べています。エイズ孤児も同様だと思います。セントジョンが生まれ育ったジンバブエにも、孤児が百万人以上いるそうです。首都のハラレから半径10キロ以内で見ても、子どもが家長になっている家庭が6万戸もあるそうです。

また、アルビノの子どもたちが迫害されるというケースも、セントジョンはこの作品で取り上げています。アルビノは、先天的にメラニンが欠乏して肌が白くなる遺伝子疾患ですが、教育がすみずみまでは行きわたっていない場所では、大多数とは違う状態の人がいると、そこには何か魔力が潜んでいると思う人々もまだいます。それで、アルビノの人の体の一部を手に入れて高く売ろうなどという、とんでもないことを考える犯罪者も出てくるのです。

本書でも、スノウはタンザニアで死の危険を感じたのでしたが、そのタンザニアでは、2008年にアル・シャイマー・クウェギールさんという女性が、アルビノ初の国会議員になりました。彼女も子どものころは「人間ではなく幽霊だ」と言われたり、いじめられたりしたと言いますが、人々に自分の体験を話し、アルビノに対する偏見を取り除こうとしています。

また西アフリカのマリ出身のミュージシャン、サリフ・ケイタもアルビノですが、古代のマリ帝国の王家の子孫であるにもかかわらず、白い肌のために迫害され、親族からも拒否されて、若い頃は生活が貧しかったといいます。サリフ・ケイタは、今では世界的に有名なアーティストになり、アルビノの人たちの支援活動を積極的に続けています。

それから本書には、スノウに大きな影響をあたえた人物としてミカエラ・デプリンス(ミケーラと表記されることもあります)が登場しています。ミカエラの本は日本でも出ているので(『夢へ翔けて』ポプラ社)ご存知の方もいらしゃるかもしれません。シエラレオネで戦争孤児になったミカエラは、やがてアメリカ人家庭の養女になり、なみなみならぬ努力を経て、世界で活躍するバレエダンサーになるという夢を実現するのです。

バレエ界に黒人はまだとても少なく、ミカエラには肌に白斑もあることから、その夢を実現するのは、並大抵のことではなかったと思います。

「黄色いスイセンがたくさん咲いている中に、赤いポピーが一つ咲いていたとすると、ポピーは目立ってしまう。どうすればいいかというと、ポピーをつみとるのではなく、ポピーをもっとふやせばいいのだ」という言葉には、ミカエラの強い決意があらわれていて、スノウだけではなく多くの人に勇気をあたえてくれていると思います。

またローレン・セントジョンは環境保護に熱心な作家で、動物保護を目的とした組織ボーン・フリー財団の大使も務めています。

さくまゆみこ

紹介記事

「子どもと読書」2021年3−4月号

『雪山のエンジェル』紹介文

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「朝日中高生新聞」2020.11.29

「雪山のエンジェル」書評・朝日中高生新聞

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宇宙の神秘〜時を超える宇宙船

『宇宙の神秘』表紙
『宇宙の神秘〜時を超える宇宙船』 ホーキング博士のスペース・アドベンチャーⅡ-3

ルーシー・ホーキング/作 さくまゆみこ/訳
岩崎書店
2020.09

ホーキング博士のスペースアドベンチャーシリーズの、いよいよこれが最終巻です。これまでの巻にはスティーヴン・ホーキング博士も原稿を寄せたり、たぶんプロットにアドバイスをしたりしてかかわっておいででしたが、博士は2018年3月に亡くなられたので、この巻は娘のルーシーさんがひとりで(といっても博士のお弟子さんたちにはアドバイスを受けているかと思いますが)書いています。

それでじつは、私も読み始める前はあまり期待していなかったのですが(これまでの巻でのホーキング博士が書かれたものがとてもおもしろかったので)、読んでみて「ああ、おもしろい。もしかするとシリーズ中でも特におもしろいと言えるかも」と思いました。

本書は、何よりも今の時代にコミットしています。このままいくと未来はユートピアなのかディストピアなのかという問題、パンデミックの問題、専制君主がいた場合の身の処し方、気候変動の問題、AIと人間の共存の問題など、いろいろな点について、私たちに考えるきっかけを提供してくれています。

そして、「足元ばかりを見るのではなく、星空を見ることを忘れないようにしよう」というホーキング博士の言葉でしめくくられています。

シリーズを通しての主人公ジョージは、この巻でも大活躍しますし、親友のアニーもこれまでとは違う、びっくりの姿で登場してきます。トランプそっくりのダンプという為政者も登場してきます。

科学エッセイ(最新の科学理論)には、以下のものが収録されています。

・タイムトラベルと移動する時計の不思議
・気候変動——わたしたちには何ができる?
・未来の食べ物
・感染症、パンデミック、地球の健康
・50年後の戦争
・未来の政治
・未来の都市
・人工知能(AI)
・ロボットをめぐるモラル
・インターネットについて

(日本語版監修:佐藤勝彦先生 装画・挿画:牧野千穂さん 編集:松岡由紀さん 装丁:坂川栄治さん+鳴田小夜子さん 科学コラムの事実確認など:平木敬さん+平野照幸さん)

キーワード:宇宙、時間、感染症、未来、宇宙船、冒険 ディストピア

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