投稿者: sakuma

くらやみのなかのゆめ

『くらやみのなかのゆめ』
クリス・ハドフィールド 文 ザ・ファン・ブラザーズ 絵 さくまゆみこ訳
小学館
2017.02.20

カナダの絵本。クリス・ハドフィールドは、カナダ人の宇宙飛行士です。子どもの頃、アポロ11号の月面着陸をテレビで見て、宇宙飛行士を志したのでした。ギターを国際宇宙ステーションに持ち込んで、デヴィッド・ボウイの曲を歌ったり、船外作業中にとつぜん目が見えなくなったのに落ち着いて行動したことでも有名な人です。

彼は、小さいころ暗闇が怖くてたまらなかったのですが、やがて暗闇を,力強くて不思議で美しいものだと感じるようになります。「夜のやみは,夢をうみだし、朝の光は、その夢を実現するためにあるのです」とも語っています。

ザ・ファン・ブラザーズは、アメリカ生まれでカナダに暮らしているイラストレーターの兄弟です。日本で紹介されるのは、この作品が初めてだと思います。暗闇を怖がる子どもたちに手渡してもらいたいと思っています。
(編集:喜入今日子さん 装丁:城所潤さん)

◆◆◆

・「産経新聞」2017年3月19日


あからん

西村繁男『あからん:ことばさがし絵本』
『あからん』
西村繁男/作 
福音館書店
2017.02

『ことばさがし絵本 あからん』をおすすめします

「あ」から「ん」まで、それぞれの文字で始まることばをさがす楽しいあいうえおの絵本。

たとえば「た」だと、「たこあげする たぬきに たこ たいあたりする」というゆかいな文に出てくるものだけでなく、ほかに9個の「た」で始まるものが描かれています。さあ、何かな?

「ん」もおもしろいよ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年3月25日掲載)


2017年03月 テーマ:自分ってなに? 心と体のずれのなかで

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『2017年03月 テーマ:自分ってなに? 心と体のずれのなかで』
日付 2017年3月24日
参加者 カピバラ、クマザサ、げた、コアラ、さららん、サンザシ、西山、ネズ
ミ、ハル、よもぎ、リス、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ
71個分、マリンゴ)
テーマ 自分ってなに? 心と体のずれのなかで

読んだ本:

『てんからどどん』
魚住直子/著 けーしん /挿絵
ポプラ社
2016.05

版元語録:わたしがあの子になっちゃった!?「こんな自分、変わりたい!」と思っていたら・・・世界でひとりの“自分”のことが好きになれる?? 雷がおこした魔法。
『ジョージと秘密のメリッサ』
原題:GEORGE by Alex Gino, 2015
アレックス・ジーノ/著 島村浩子/訳
偕成社
2016.12

版元語録:「男の子のふりをするのはほんとうに苦しいんだ」ジョージ(10歳)、心は女の子。ありのままの自分で。トランスジェンダーの子の気持ちを描く物語。小学校中学年から。
『リトル・パパ』
原題:LITTLE DAD by Pat Moon, 1998
パット・ムーン/著 もりうちすみこ/訳 タカタカヲリ /挿絵
文研出版
2015.05

版元語録:一時間前まで、ぼくたちはごくふつうの家族だった。パパは仕事部屋にこもり、ぼくたちはテレビをみていて、赤んぼうのベンジーは家の中を走りまわっている。パパが仕事部屋から出てきて…あれっ、パパとベンジーのようすがおかしいぞ!? 小学中級から。

(さらに…)

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リトル・パパ

『リトル・パパ』
パット・ムーン/著 もりうちすみこ/訳 タカタカヲリ /挿絵
文研出版
2015.05

ルパン:まったくもっておもしろくありませんでした。ほかの2冊(魚住直子の『てんからどどん』とアレックス・ジーノの『ジョージと秘密のメリッサ』)は、入れ替わりによって主人公が成長していく物語ですよね。でも、これはおとなと子どもが入れ替わったことに何の意味があるのかさっぱりわからない。結局、入れ替わってよかったと思えるのはパパの絵が出版社にウケたことくらいでしょ。最後はいきなりヘンなマンガになっちゃってるし。この本のなかで唯一良いと思えるのは、あとがきの中にある、訳者の叔母さんがそっくりの双子で、ある日制服を交換して互いの高校に行った、というエピソードです。この作品全体より、このあとがきのほうがよっぽどおもしろいです。

カピバラ:パパがクマになったり、金魚になったり、中学年向きの本によくあるんですけど、それでどんなに大変なことになるのか、どんなに家族がドタバタするのかがおもしろいわけですよね。でもそこがあまりおもしろく書けていなかったと思います。ドタバタだけではなく、入れ替わったからこそできることとか、予想外の効果とかがないと物足りない。それに、赤ちゃんってこんなしゃべり方するかな? 赤ちゃん言葉がありきたりで、つまらなかったです。

さららん:すぐに読めてしまったけれど、全体的に「荒っぽい」印象を受けました。なにが荒っぽいのかなあ。赤ちゃん言葉のつくりかた? 中身はパパだけど、外見は2歳児の存在を、子どもはおもしろいと思うんでしょうか?

カピバラ:おもしろいと思って書いてるんじゃない?

ネズミ:何も言えません。おもしろいと思えませんでした。お父さんのセリフもおっさんくさくて、入れ替わった弟にもお父さんにも気持ちを寄せられませんでした。

レジーナ:人間が別のものに変身する話は、それをきっかけに、自分という存在や、まわりの人たちとの関係性を見なおすことに意味があると思うのですが、この本はドタバタでおわっている気がしました。p93で子どものホリーが言っている「みすみす」や、p30の父親のセリフの「おねしょの心配はご無用です!」など、言葉づかいもところどころ不自然で、のりきれませんでした。最後の場面がマンガになっているのはなぜでしょう?

リス:高齢で、脳の働きがゆらいでしまった人でも、時にはしっかりとした自意識があり、思いがけない反応ぶりを見せるということを私は実際に体験しています。私は外国に住んでいてこの本は一度も見ていないので、どんな文脈や文章の中にあるのかは分かりませんが、一つの言葉にとらわれないことも大事だと思います。でも何といっても、このようなシビアなテーマには、ユーモアの質が問われますね。

西山:読みにくかったです。どっちのことをさしているのか、うけとりにくくて若干イラつきました。体の大きなお父さんが、身体的にはいろんなことができなくなるわけですが、それがドタバタのネタになるのか。障がいのある人のことが浮かんで、ぜんぜん笑えなかった。むしろ、ざわざわさせられて、不快感を覚えました。みなさんの感想を聞いていて、『お父さん、牛になる』(晴居彗星作、福音館書店)というのを思い出しました。フンの始末に困るシーンとか強烈だった。あのくらいシュールだとまだいいように思うけど・・・・・・。

ハル:わたしは、おもしろくないどころか、読んでいて傷ついてしまいました。「グロテスク」という表現が使われていましたが、そのあたりからどんどん気持ちが暗くなってしまって。高齢者の自動車事故のニュースなどもよく話題になりますが、それに限らず、こういう現実だって身近にあるでしょう? なんにも考えずに、わあ大変だ!って、ドタバタを楽しめばいいのかもしれませんけど……やっぱり、ただ楽しければいいってもんじゃないと思います。

サンザシ:この物語の家族像は、ジェンダー的にみるととても古いですね。父親=家長という図式です。それから、突飛なシチュエーション設定にするのだったら、入れ替わったときのリアリティもちゃんと書いてもらわないと。ベンジーは2歳という設定なのに、体が大きくなったとたんパパの靴や服をどんどん脱いでしまう。大人の服にはボタンやジッパーやひもなどいろんなものがついてることを考えれば、たとえ体は動かせるようになったとしても、実際には無理ですよね? また、パパは「おむつを外せ」と何度もどなるんすが、出版社に受け入れられるだけの絵が描けるくらいなら、おむつなんか自分ではずせます。p74には「こんなおにいさんがいるのもいいわね」「そうだね。ぼく、ずっとおにいさんがほしかったんだ」ときょうだいが会話をしていますが、前とのつながりがないのでそこだけとってつけたように浮いています。物語の中のリアリティがぐずぐずなので、えっ?と思ってしまってちっとも笑えませんでした。

げた:絵がもう少しかわいいといいのにね。赤ちゃんになったお父さんが全然かわいくなくって、気に入らないなあ。それに、赤ちゃんになったパパは結構「赤ちゃん」の状態を楽しんでいるのに、赤ちゃんになったお父さんはそうでもないですよね。赤ちゃんになったお父さんが活躍する場面を登場させたらよかったのにね。

コアラ:p10の「きったないタオルケット」は、関西弁のようでおもしろいと思いましたが……。

よもぎ:単なる強調じゃないかしら?

コアラ:あまりいい絵ではなかったけれど、p104からのマンガの部分は、子どもが読んだらおもしろがるのではと思いました。最後、p126で、「パパは今、新しい本にとりくんでいる。題名は『リトル・パパ』」とあるので、この本がまさにそのパパが書いた本、という設定にすればよかったのに、せっかくのアイデアがうまく生かされていなくてもったいないと思いました。

よもぎ:お父さんと赤ちゃんが入れ替わるドタバタがおもしろいと思って、作者は書いたのかしら? ちっともおもしろくなかったし、読んでいるうちにどっちがパパか赤ちゃんか混乱してきました。原書にも最後のほうのマンガがあるのかどうかは知らないけれど、おもしろさが足りないと思って、サービスで入れたのでは? いちばんまずいなと思ったのは病院の場面。どうしても、認知症などの障がいのある方たちとダブってしまって(入れ替わったことを知らない、ほかの人たちには、当然そう見えたことでしょうし)さららんさんは「荒っぽい」とおっしゃったけど、ずいぶん無神経な作者だなと思いました。子どもたちに薦めたい作品ではないですね。

アンヌ:ネットで原作の表紙絵を見ましたが、すね毛だらけで、もっとひどい感じです。こちらの絵はあごの線がないところが松本かつぢ風で、特に赤ちゃんの絵がかわいい。でも、マンガのところは原作と同じ仕組みなのでしょうか?あまりマンガとしてもおもしろくありませんでした。しじみ71個分(メール参加):楽しいエンタメ物語だと思った。入れ替わりによって成長も何も起こらないところが気楽だった。教育テレビでやっているアメリカのホームコメディのようだ。ドタバタがあって、ドキドキがあって、やっぱり元に戻って良かったというだけの話だけれど、この単純明快さは小さい子にも楽しめるのではないか。言葉や訳にも気になるところは特になかった。

マリンゴ(メール参加):かわいらしい物語でした。入れ替わってからのドタバタが、ちょっと長い気がしましたが、子どもはこういう繰り返しが好きだろうから、いいんでしょうね。

エーデルワイス(メール参加):日本人の挿絵が原作とピッタリ合っていたが、原作には挿絵がなかったのだろうか? パパの体になったペンジーのやり放題がおかしい。赤ちゃんとパパの体の入れ替えのお話は、珍しいかも。楽しく読めた。

(2017年3月の「子どもの本で言いたい放題」より)


ジョージと秘密のメリッサ

『ジョージと秘密のメリッサ』
アレックス・ジーノ/著 島村浩子/訳
偕成社
2016.12

ネズミ:とてもおもしろく読みました。気持ちよく、後味もとてもよかったです。本当の自分をなかなか外に出せないジョージに、ずっとケリーがよりそっているのもいいし、最後にお母さんが認めてくれるところがいい。悩んだり悲しんだりする、いろんな心理描写が子どもらしく納得のいく表現で描かれていて、説得力があると思いました。

レジーナ:ジョージの描写にリアリティがあって、胸がいっぱいになりました。ケリーが友だちとして支える姿もよかったし、スコットが、はじめはトランスジェンダーをゲイとまちがえたり、とんちんかんなことを言いながらも受けとめようとする場面もとてもよかったです。

リス:この本のテーマを知って、作家が創作活動を通して、どれだけ社会に貢献していることかと、改めて意識しました。タブーとなっていた、いろいろなテーマが作家によって本となり、子どもも大人も、現実世界に生じている事柄や問題に目を向けることができます。例えば家族関係や、子どもの自立性などでは、両親の離婚問題から始まり、老人問題、パッチワークファミリー……などと、家族、子ども像が変容して行くさまを。性に関わる児童書も出るようになりました。優れた児童書はいろいろな社会現象や問題について自由な目で、深く取り下げ、啓蒙的な役割を、時には積極的に、あるいは大胆に担ってくれていると実感しました。
それにしても、子どもが離婚した父親に対して、「いい人だけど、父親向きじゃない」と言うくだりに、新鮮ながらも、ある種のほろ苦い感慨を覚えました。今の子どもたちは親をそんなふうに批判できるのかと。あるいは人間の幸せのために作家が本の中でそのように言わせているのかと。さまざまな人間の生き方や考えを読者にアプローチしていく作家の姿勢が印象的でした。

西山:たいへんおもしろく読みました。トランスジェンダーの人がどういうときにストレスを感じるか、ああ、こういうことがこんなふうにつらいんだ、ということを初めて知った気がします。テーマとは全く関係ありませんが、食事の場面や、学校の送り迎えの場面で、おお、アメリカ!と思って、いやぁ食事がひどいなぁと、翻訳もので異文化に出会うというのを改めて実感しました。ひっかかったのはp94、「英語」と訳しているのは、「国語」の方がいいのでは? 子ども読者は自分たちにとっての「英語」と同じように捉えるのではないかと思うので。この作品を読んでいたとき、トランスジェンダーの多さを新聞記事で読んで、ふと、性別なんて血液型占いみたいなものじゃないかと思ったんです。血液型どころか、すべての人間を女性か男性かというたった2つの型に分けて、こういうものと決めつけるのは、ものすごくナンセンスに見えてきました。でも、世の中はまだまだ、一人一人をありのままで受け止めるには至っていないから、いかに生きにくいかを伝えてくれるこの作品はありがたいです。日本の最近の作品でも、「オネエ」とか「オカマ」とか、身をくねらせて女言葉で笑いを取るとかいう場面が結構あると感じていて、ものすごく認識の遅れを感じます。

サンザシ:「国語」か「英語」かというのは難しいところです。そもそも「国語」という表現は、国家の言語という意味で、ほかの国では使いませんから。日本の子どもになじみのある表現を大事にすれば「国語」になるかもしれませんが、異文化を伝えるという方を重んじれば「英語」という訳語にするかもしれません。

クマザサ:この本はかなりぐっときました。男の子らしさや女らしさの押しつけというある種の規範のなかで、息苦しさを感じている子は、きっとたくさんいると思う。主人公の心の揺れをていねいに追っていくところがいいですよね。翻訳もののYAなんかを読んでいると、LGBTをテーマにした本が最近はいろいろ出ていますが、同性愛をあつかった作品が比較的多くて、トランスジェンダーをテーマにしているのは珍しいと思います。動物園にいく場面も、すごくいいですね。この子の解放感がすごく伝わってきます。読んでいて切なく、苦しいところが多いけど、最後に自分らしくあることの喜びを感じさせて終わっているところに、とても好感をもちました。私は志村貴子さんの『放浪息子』(エンターブレイン)というマンガが好きなんですが、このマンガも、男の子になりたい女の子と、女の子になりたい男の子の話を描いています。ジェンダーのことや、子どもの気持ちをすごくていねいに拾ったいい作品です。ただ、こういうことを伝えるチャンネルは、マンガだけじゃなく、たくさんあってほしい。とくに子どもの本にこそ、あってほしい。そういう意味で、この本が出たことは率直にうれしいです。

ハル:すてきな本ですね。ケリーもお兄さんもお父さんも、みんなそれぞれに違う形の愛があってすごくいい。愛があふれてる。ジョージと親友のケリーは1週間ほど話せない期間がありましたが、もしかしたらそのときケリーには、ジョージの告白をどう受け止めるかという葛藤もあったんじゃないかと思います。でもそこを書かないでいてくれたことで、もし自分がこういう場面に出会ったら、こんなふうにぴょんと垣根を飛び越えて受け止めちゃえばいいんだよっていう例を見せてくれたような。LGBTだとかなんだとかあれこれ考えないで、ケリーみたいに受け止めればいいんだって。……すごくいい本だと思いました。

サンザシ:作者自身もトランスジェンダーということなので、心理描写がリアルです。ジョージの母親や兄との関係も、だんだんよくなっていくんですが、それも自然な流れで描かれているのがいい。それと、女性の校長先生が、校長室に「ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの若者が安心してすごせる場所を」と書いたポスターを貼っていたり、ジョージの母親との面談で、「親は子どものあり方をコントロールできませんけど、ささえることはまちがいなくできます。そう思いませんか?」(p138)と言ったりする。そういうちゃんとした教育者に描かれているのもいいな、と思いました。最後のほうにジョージ(メリッサ)が女の子の服を着て女の子になって動物園に行ったときの解放感や高揚感が描かれているんですけど、私は、それほどまでに自分を抑圧しなくてはならなかったんだということを感じて、胸を打たれました。ジョージは、シャーロットの役を演じれば、家族にも自分が女性なんだとわかってもらえると思いこんでいるわけですが、そこはちょっと疑問でした。英語では女性の台詞と男性の台詞に日本語ほど差がないし、シャーロットは人間ではなくクモで見た目も人間ほど性別がはっきりしないので、そんなに効果があるのかな、と疑問に思ったのです。

げた:認識不足で申し訳ないんですけど、私はゲイとトランスジェンダーの区別がついていなかったんです。でも、違うんだってことがわかりました。そういうことがわかるってだけでもいいんじゃないかな。こういうテーマを扱った子どもの本を読むのは初めてなんですけど、もっと出てくるといいなと思いました。

コアラ:今回のテーマ(「自分ってなに? 心と体のずれのなかで」)にぴったりで、とてもよかったと思います。トランスジェンダーの子の気持ちもよくわかりました。ケリーがすごくいい対応で、本当にいい親友がいてよかったね、と思いました。なんでこんなに作者はジョージの気持ちが書けるんだろうと思っていたけれど、あとがきに作者はトランスジェンダーとあって、納得しました。あとがきには、この本の完成まで12年もかかった、ともありましたが、時間をかけただけあって、よくできていると思います。気持ちよく読めました。ジョージがシャーロットを演じた後とか、ケリーの洋服を借りるところとか、p213「メリッサは、おなかの底からぬくもりがこみあげてきて、指先へ、つま先へと、波のようにひろがっていくのを感じた。」というところとか、幸せ感がとてもよく伝わってきて、読んでいて顔がほころんできました。でも、訳は、ところどころ気になりました。p11の4行目「よお、弟」は、日本語では「弟」とは呼ばないだろうと。p38の1行目「わお、ケリー」も、英語の言い方そのままだし、もう少しうまく訳してほしいと思います。全体として、トランスジェンダーの人にどう接したらいいかがわかる本だと思いました。どんなきっかけでもいいから、子どもや親に読んでほしいし、どう接すればいいかわからないから変だと排除したりすることも、このような本を読めば、かなり減るのではないでしょうか。装丁も、読み終わってから見ると、口元を隠しているようにも見えるし、バツでなく丸の中にジョージがいるようにも見えて、深読みのできるおもしろい装丁だと思いました。

リス:表紙の白の余白が効いてますね。タイトルの中の一語“秘密”って、どんなことなのかしらと、読者の想像を駆り立てるように。私は、コアラさんがおっしゃった「弟」という訳語には違和感を持ちませんでした。日本ではあまり耳にしない言い方でも、外国ではよく使われる、ということで、訳文に取り入れれば、日本語の表現がまた一つ豊かになると思えますが。お兄ちゃんはそんな言葉使いで威張っているのでしょう。

よもぎ:とても良い本ですね。感動しました。この本を読むまでは、LGBTを取りあげるのはYAからと漠然と思っていたけれど、トランスジェンダーの人たちは、小学生のころから悩んだり、悲しい思いをしたりしているんですものね。小学生を対象としてこの物語が書かれているということに、大きな意味があると思いました。トランスジェンダーの子どもたちにとっても、そのほかの子どもたちにとっても、読む価値のある作品だと思います。作者自身の体験にもとづいているので、主人公のジョージはもちろん、お兄ちゃんやママやパパ、ケリーや校長先生も、生き生きと描けている。それから、『シャーロットのおくりもの』に全校で取り組むというプログラム、すてきですね。日本の学校でも、こういう取り組みをしているところがあるのかしら。中島京子さんの『小さいおうち』(文藝春秋)もそうですが、こんなふうに名作を下敷きにしている作品って、なんともいえないハーモニーをかもしだして、感動が倍増されますね。ただ、日本の子どもたちは「シャーロット」を読まないうちにこの本を読むと、なんというか、もったいない気がするけれど……。

アンヌ:題名に引かれて手に取って、何度も読み返しました。誰かとこの本について語り合いたかったので、ここで読めて嬉しいです。なんといってもこの本には、トランスジェンダーである苦しみとともに、ジョージの喜びについて書いてあることが素晴らしい。女の子としての自分を想像するときのジョージの幸せな気分、「ごきげんうるわしくていらっしゃる」という言葉から浮かび上がるシャーロットの象徴する女性像に憧れる気持ち、舞台でシャーロットを演じる時の役者としての喜び。そして、女の子の服を着てお出かけをするという喜び。普通ならお芝居の場面ぐらいで終わるところですが、この最終章があるのが重要なのだと思います。ここを読むと、トイレの問題が描かれていて、今アメリカで問題になっている「だれでもトイレ」などの必要性もわかります。親友のケリーだけではなく、ゲイと勘違いはしているものの、父や兄も見守ってくれているところに、学校でつらいことがあっても見てくれている人はいるんだよという作者のメッセージを感じます。その他にも、メッセージを感じるところは多々あって、p54のトランスジェンダーの女性がテレビで語る場面で「手術をして取りたいのか、取っているのか」と訊かれるところ。これは、p157で兄もジョージにたずねますが、ジョージのこれからの人生で何度も訊かれる事を、「それは自分と恋人以外の誰にも関係ないことだから答える必要はない」と知るのは重要だと思います。さらに、ホルモン抑制剤のことも2回出てきます。この本が、小学校3、4年生が対象なのは、思春期前の間に合ううちに子供たちにそのことを知らせたいからだと思います。トランスジェンダーの問題は多様です。体を変えなくては生きていけない人もいれば、異性の服装をすることによって解放されて生きていける人もいる。恋愛対象も様々です。ジョージの恋の対象がまだわからないと書いてあるのも、自分で選べる時まで決めつけなくていいんだよという、メッセージだと思います。感動して『シャーロットのおくりもの』(E.B.ホワイト作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)も読み返したのですが、ここで描かれる農場で繰り返される生と死の物語に託して、作者はジョージに短い生の中で、幸福にせいいっぱいに生きて欲しいという気持ちを表したかったのだと思いました。

ルパン:これは、何かすごい迫力のある作品だな、と思いました。この主人公は、「女の子になりたい」とはひとことも言っていないんです。「自分は女の子なんだ」って言いきってるんですよね。自分が信じていることを理解されない孤独感や苦しみもしっかり伝わってきます。動物園のシーンでは、初めて身も心も女の子になれた喜びが描かれていますが、この先のいばらの道を思うと読者としては手ばなしに「よかったね」と言えない気もしました。そういうことも覚悟のうえで自分を解放したということでしょうか。やっぱり真に迫るものがありますね。『てんからどどん』(魚住直子作 ポプラ社)はスカッとした清涼飲料水でしたが、これはあとあとまで残るコクのある飲物のようでした。

サンザシ:この子の将来は決して楽ではないと思いますが、それでも、理解してくれる人がゼロから複数人に増えたんだから、希望のある終わり方なんだと思います。

ルパン:アメリカ人の友人が、自分の息子が「女の子である」ことを早くから認めて、5歳くらいからsheと呼ぶようになったんです。服装もスカートやドレスで。男の子なのに女の子として生きさせることにする、と親が決めるのは早すぎる決断だ、と今までは思っていたんですけど、この作品を読んだあと、本人が実際にこのように感じているのであれば正しい選択だったのかもしれないと思うようになりました。

カピバラ:アメリカではラムダ賞やストンウォール賞など、LGBTを取り上げた本に与えられる賞もあって評価されているけれど、日本ではまだまだ手をつけていない分野です。この本は多様性を理解する本としてすばらしいと思いました。LGBTに限らず、人間関係の中で、思い込む、決めつける、ということがどんなに理解をせばめているか。そこに気づかされるところがいいと思いました。またこの本の読み方は2通りあって、ジョージと同じような子どもが読む場合と、それ以外の子どもが読む場合が考えられます。前者の場合、トランスジェンダーといってもいろんなケースがあるので、全部に共感するわけではないかもしれませんが、細かい部分の描写がリアルなので共感を得られると思いますし、後者の場合も、知らないことを知る、理解することができると思います。どちらもある程度成功しているといえるんじゃないでしょうか。

さららん:トランスジェンダーの人たちに対するテレビのドキュメンタリーで、「シスジェンダー」と言う言葉を使っているのに出会いました。「生まれた時に割り当てられた身体的性別」と「自分の性自認」が一致している人を指す言葉だそうで、こういう言葉ができたこと自体、すごい進歩ですよね。私たちが当たり前だと思いこみ、その当たり前を要求することが、トランスジェンダーの人を傷つけていく。異質な者を差別する根の深さと、理解することの困難を改めて思いました。トランスジェンダーとは違いますが、同性同士で結婚できるオランダでも、性のあり方の違いが受け入れられない人はまだまだいて、ひそかな偏見は残っています。この作品は、みなさんの言うとおり、子どもたちにトランスジェンダーを届けるのに、とても良い物語でした。ただp33の「午後の短い影が、大通りを走るジョージの前をすすんでいく」など、自然描写の訳にややわかりにくい部分があり、惜しいな、と思いました。

エーデルワイス(メール参加):新訳の『シャーロットのおくりもの』は私も大好き。シャーロットの気持ちを思って涙を流すジョージが素敵です。この作品を題材にした小学校での授業はいいですね。それだけアメリカでは普遍的な物語なのですね。小学校の劇でもオーデションをするところがさすが! ジョージがシャーロットの訳を熱望するところが胸を打ちます。ジョージの心の動きが丁寧に書かれていて、トランスジェンダーを理解する1冊だと思いました。親友のケリーと兄のスコットがとてもいい。トランスジェンダーで悩んでいる多くの人にもケリーとスコットのような人たちが寄り添ってくれますように・・・。「親は子どものあり方をコントロールできませんけどささえるこれはまちがいなくできます」と、ジョージのママに校長先生がいう言葉は名言だと思います。

マリンゴ(メール参加):とても興味深く読みました。私自身が、いわゆる「女子力」が低いこともあり、そこまでスカートを履きたい? そんなにお化粧したい?など、若干、ぴんと来ないところもありましたが、著者ご自身が、トランスジェンダーなので、説得力があって、ああ、そうなのかなと納得した次第です。p191で、雑誌の入った手さげを、そのまま返してもらえるという、効果的な小道具の使い方が、とてもいいなと思いました。

(2017年3月の「子どもの本で言いたい放題」より)


てんからどどん

『てんからどどん』
魚住直子/著 けーしん /挿絵
ポプラ社
2016.05

げた:さらっと読めちゃったんですけど、なんとなく道徳の副教材を読んでいるような気がしてきました。そうはいっても、最後まで楽しく読めたし、話の筋を楽しみましたよ。入れ替わることで、お互いのいいところとか悪いところとかを客観的に、見つめることができるんですよね。まあ、そんなに深く読み込まなきゃいけないって感じの本じゃないなと思いましたけど。嫌いじゃないな。まあ、そんなところです。

コアラ:体が入れ替わる、という話はよくあるだろうと、ネットで調べてみたら、入れ替わりが出てくる作品をまとめたサイトがあって、やっぱりコミックでも小説・児童書でもたくさんありました。その、よくあるモチーフで無難にうまくまとめた作品という感じでした。カバーや人物紹介の絵がいいなと思いました。今井莉子の絵にけっこうウケて。よく特徴をとらえているなと思いました。森田くんは、今井莉子だけの関係で出てきたのかと読み進めていったら、かりんとの恋の話になっていって、少ない登場人物をうまく使っているなと思いました。ただ、中学2年生の女の子なのに、かりんも莉子も親に反抗していなくて、いい子だから、ちょっと違和感がありました。全体に、かりんも莉子も入れ替わりでいい方に変化するし、あまり深く悩まず、軽く誤解が解けたり自分を見つめ直したりして、いい子たちだな、と思いました。かりんと森田くんは恋がうまくいきそうなので、莉子にも恋が訪れたらいいなと思いました。

ルパン:いい話だな、と思いました。まあ、実際に入れ替わったらこんなもんじゃないだろう、とは思いましたが。読後感がとても良かったです。さっぱりしてて。私は道徳くささは感じませんでした。みんな良い方向におさまって、すかっとしたし。中味が濃いわけではないですが、それだけに清涼飲料水的なさわやかさで楽しく読ませていただきました。

カピバラ:入れ替わりの話っていうのは、状況自体がおもしろいんですよね。だから読者も、入れ替わったらどうなるんだろうという興味で引き込まれて読んでいけるということがあると思います。この話は、入れ替わるところだけが非現実なんです。だからちょっと嘘くさく感じるけれど仕方ないかなと思いました。軽いノリで読めば楽しめるタイプの話なんじゃないかなと。入れ替わったときのギャップとか、他人がそれに対してどんな反応をするのか、というところがおもしろく書けていればいいと思います。その意味では実際の中学生にも読めるし楽しい話だなと思いました。

さららん:軽いノリの「かりん」と、内気でもさもさしている「莉子」の対比がおもしろかった。最後にみんなでダンスを踊る大円団は、できすぎかもしれませんが、素直に好感が持てました。どうしてかなあと考えると、この物語、全体のトーンは軽くても、魚住直子さんらしい、身体性を感じさせる文章がところどころにちゃんとあって(例えば、入れ替わった体の重さを伝えるのに、「水の中を歩いているみたい」のような表現をするとか)、重しになってるんです。クリシェを重ねることの多い、ラノベの文体とは違っているみたい。マンガはいっぱい読んでいるけど、もう少し何か読みたいって子に、ちょうどいい本かもしれませんね。最後のほうで登場する「いかずち」は、もう少しフォローがあったほうがよかったような気もしますが……。

サンザシ:「いかずち」は、稲妻の化身みたいなものなんでしょうか。

ルパン:183ページのうしろから4行目に、入れ替わりから戻ったときの感覚を「指先のあまらない手袋をはめたときみたいにすみずみまで自分だという感じがする」とありますよね。こういうところ、すごくうまいと思います。

ネズミ:最初は「もしかして、これ、苦手かも」と不安でしたが、読み進めるとそんなことはなくて、楽しく読めました。このくらいの子って、自分はこんなふうと決めつけて、その枠からなかなか出られないところがあるじゃないですか。ドタバタふうだけれど、この本は他人になることで見えてくる発見や新しい視点を通して、もっと自由にものを見ていいよ、大丈夫だよと背中を押してくれる気がしました。莉子はだめだと決めつけていたのに、かりんが説得したらお母さんはコンタクトにしたり美容院に行ったりするのを許してくれるとか。シンプルな文体でややベタに(とはいえ、ベタベタではなく)書かれているので、普段それほど本を読みなれていない読者でも、マンガタッチの表紙にひかれて手にとっておもしろく読み通して、何か感じてくれるんじゃないかしら。読書へのいい入口になる本だと思いました。

西山:みなさんおっしゃるのを、そうそうと思いながら聞きました。出だしは結構どろどろしていて、莉子がネット掲示板について「どこもぐちやなやみであふれていて、読むたびうんざりしながらもほっとする」(p6)なんてある。そういうことを書くのが魚住さんだなと思いました。かりん像が新鮮で、「その日もしゃべって走りまわっているうちにあっというまに学校がおわった」(p12)とか、いたいたそういうタイプって、笑っちゃいました。ほんっとに話を聞いてなかったり……ああ、あの子たちの頭の中こんなふうだったのかと妙に納得しました。リアルな世界にはこういう落ち着きのない子がいるのに、物語ではあまりお目にかからなくて、新鮮でおもしろかったです。だから、入れ替わったときのギャップもあって、だからこそ入れ替わりが生きてたんだなと。あと、好きだったのは例えばp66の後ろから2行目。「待たなくてもいい。掃除しろといえばいい」と、部屋を片付け始めたのに感動して「いつ気がついてくれるか、待ってたの」と目をうるませている莉子のお母さんをバサッと切っている。こういうところ、ずいぶんタッチは変わったけれど、最初の頃の魚住さんの厳しさを見るようで好きでした。中学生が読んで、おもしろかったよと口コミで広げることのできる本だなと思います。

ハル:私も、すごくバランスのいい本だなぁと思いました。お話自体は軽くてさらっと読めてしまいますが、表現のおもしろさはちゃんとあって、文学すぎず、軽すぎず。普段本を読まない子が読書のおもしろさを知るきっかけになるような、ちょうどいい本なんじゃないかなと思いました。キャラクターの設定もなかなかリアルですよね。だいたいこういうのって、外見が地味な子は内面がすごくいい子で、派手な子は改心する、というケースが多いように思いますが、そのパターンにはまっていないところもよかったです。コアラさんに同じく、莉子にも最後、もうちょっといい思いをさせてあげたかったけど、この1歩を踏み出せただけでも、莉子にとっては大変身なんですよね。

サンザシ:私も、表紙を見てラノベかなと思ったのでそんなに期待しなかったのですが、おもしろく読みました。まったくタイプの違う二人が入れ替わって、それぞれ普段ならできない体験をしてみるというところは、うまく書けているなあ、と思います。登場人物は、かりんのお父さんなどステレオタイプの人もいるので、ラノベっぽいですが、その割りに教訓的ですね。お互いのいいところを認め合うようになって、次の1歩を踏み出すことが奨励されているみたいな。でも、この内容をすごくまじめに書くとだれも読まないと思うので、こういう書き方もありだと思います。中学生くらいだと、自分の存在に自身がない人も多いので、おもしろく読んで考えるきっかけをつかむにはいい本だと思います。

レジーナ:私は物足りなかったです。さらっと読みました。謎の男の正体が最後までよくわからなくて、消化不良です。かりんの父親の描き方もステレオタイプで、人物造形や展開がラノベっぽくて……。エンタメならもっと楽しく読めないと。こういうのが好きな子もいるのでしょうが。

リス:その“なぞの男”は一応登場人物の一人ですが、中身がない。そのため、現実には起こり得ないことを可能にする力は持っていても、作品全体の中では存在感が薄い。創作上、彼にあたえられた役目、意味合いは、この作品がファンタジーというジャンルに属していることのアリバイとか、象徴を成しているだけだと思えます。便宜上、とってつけたと言う感じがしなくもありません。また、文体については、日常生活での会話がそのまま文字化されていますので、わざわざ、字を追って行くことにまどろっこしさを覚え、読書になかなか気乗りがしませんでした。それで読後の印象も薄かったです。同じ作者の『園芸少年』(講談社)は作品世界に引き込まれ、印象深く、すごく良かったんですが、この作品は、読み始めた時の第一印象は、作家になりたい人にとって、お手本とみなされる、ある種のパターンにそって書かれているみたいだと感じてしまいました。
 読後の“発見”としては、この話は、ファンタジー仕掛けになっていますが、これって、いわゆる、新聞、雑誌、ネットなどでの“人生相談欄”を別の形式にしたものではないかと思ったことです。相通じるものがありませんか? 違うところは、回答者(作者)が一方的にアドヴァイスを与えているのではなく、主人公が自ら答えを見い出して行く、という形になっています。その点が主人公に前向きな姿勢を与えていると思います。ただ同時に、教育的なねらいも感じられます。作者が言いたいことは、他の方法でも良かったのでは?

サンザシ:読書なれした子どもには確かに物足りないと思うんですけど、今は骨があって質が高い本だけを子どもに勧めていたのでは読書教育は成り立たない時代だと思います。イギリスでもアメリカでも日本でも、本嫌いの子どもや、そんなに本が好きじゃない子どもをどう読書に誘うか、ということが問題になっています。だから私は、そういう観点から次の読書のステップになるような本を選んで手渡すのも必要だと思うんです。

リス:中高生向けの小説には学校生活を背景にして、登場人物たちの心理や感情が綿々と綴られている作品が多く見られますが、それは多少なりとも日本独特の私小説の伝統から来ているのでしょうか……? また、それを好む読者がかなりいるのだろうか……、と。この本を読んでいるうち、なぜか、ふと、そんな疑問を持ってしまいました。『園芸少年』が2009年に、『くまのあたりまえ』が2011年、そして『てんからどどん』が2016年に出ました。『くまのあたりまえ』という本にちょっと目を通しましたが、ジャンルも内容も文体も他の作品と全然違っています。無駄な言葉はそぎ落とし、非常に簡潔。結局、この作家さんはいろいろなものを書けるのでは……?

よもぎ:魚住さんの『園芸少年』は、アイデアも、内容や文体もおもしろい傑作でしたけど、この作品はそれほどではなかったですね。すらすら読めて、普通におもしろいというか……。私はお説教くさいとは思いませんでした。この年頃の子どもたちは、周囲の友だちが自分よりずっと優れているように思えて、憧れたり落ちこんだりすることがよくあると思うのですが、そういう子どもたちには真っ直ぐに届く作品だと思います。こういう読みやすい本を何冊も読んで、そのうちに自分の心に本当に響く1冊に出会えばいいのでは? ただ、「雷」と「ほかの人と入れ替わる」というのがどう結びつくのか、あいまいでよくわかりませんでした。

クマザサ:めちゃくちゃ早く読み終えてしまったんだけど、あまり印象に残りませんでした。私はたぶん、この本のいい読者ではないというか、すごく本好きの子どもだったので、こういうさらっと読めるような本は、あまり必要としてこなかったんだろうと思います。かりんの父親が「女の子は勉強しなくてもいい」みたいなことを言い出すじゃないですか。こういう思想はほんと撲滅したいですね。作中でもそれは否定されていて、ちょっとほっとしました。短くてテンポがいい、なんというか手に取るのに敷居が高くない作品だと思いますが、そんななかに、現代的なテーマも一応盛りこまれている。大事なことだと思います。

西山:ラノベって、定義がむずかしいですね。表現の特徴とか、物語の形式などで分類できるカテゴリーではないみたいです。どのレーベルから出ているかという、外的な要因で言うしかない。以前、ラノベに詳しい方と話していて、そういう理由で西尾維新はラノベではないと聞いてびっくりしたことがあります。

リス:かりんとか、莉子とかと、主人公に名前が付けられていますが、だからといって、彼女たちにそれほど個人性が与えられているわけでなく、同じ、あるいは似た悩みを持った子どもたちの代表格、典型として扱われています。その意味では表紙のマンガ的な絵はぴったり合っていると思います。人物をマンガ的に描くと、個性が欠けて、みな典型化されるでしょう。でも、それがさまざまな読者の共感を呼びことになるのでしょう。とっつきやすいし。

カピバラ:本を読まない子どもに手渡す本が必要ってことですよね。ステッピングストーンになればいいと思います。でもラノベに群がる子どもは一生ラノベしか読まないのかな?

西山:読む子は、ほんとに何でも読む。たしかに、ラノベだけで、それ以外に手が延びない子もいることはたしかですが、右のポケットに岩波文庫、左のポケットにラノベという生徒にも出会ってきました。片や、小説を読まないだけでなくマンガも特に読んでいないというパターンがはっきりあることに気づいたことがあって、物語好きかどうかという気がします。

サンザシ:今はほかに子どもの興味をひきつけるものがたくさんあって、放っておくと子どもたちは本の楽しみをまったく知らないで大人になってしまう。それはもったいないので、楽しい入り口になるような本も必要じゃないかな。

さららん:前に読んだ『フラダン』(古内一絵著 小峰書店)も、タイプは違いますが、ノリのいい本という意味では共通しているかも。エーデルワイス(メール参加):魚住さんの作品を読んだのは、『非・バランス』以来です。軽いタッチですがお説教臭くなく、見た目だけではない主人公それぞれの悩みを、読者にも共感できるように書いていると思います。莉子とかりんの親にはやれやれと思っていましたが、莉子とかりんが変わっていくと親もよい方向に変わっていったのでホッとしました。「黄色い帽子のおじさん」はここでは恐い存在として登場しますが、なぜか「おさるのジョージ」に登場する黄色い帽子のおじさんを思い出しました。

しじみ71個分(メール参加):同性間のとりかえばや物語で、思春期の女子なら一度は考えたことがありそう。特に、容姿や性格に自信がなく、コンプレックスを持つ子の気持ちには共感できた。逆に、すらっと可愛い、快活な子が目立たない子と入れ替わりたいというモチベーションにはそんなには説得力を感じなかった。それと、「鹿児島の黒豚」を連呼して悪気がないというのは、ちょっとあんまりにも鈍感すぎやしないかなと思った。しかし、立場が変わることで、家事や勉強の大事さとか、人との付き合い方とか、気付かなかったことを発見したり、自分の良さを見出したりしていく過程のエピソードは丁寧に描かれていて、主人公たちの心情から離れることなく読めた。かりんの友だちも人が良く、実は莉子を認めていたり、森田くんもかりんのことを思っていたという辺りは、うまく行き過ぎだけれども、読んで文字面から不必要に傷付くことがない、安心できる展開だった。一方、家族や、黄色い雷の描写は必要最低限であっさりしているが、書き込み過ぎないことで、2人の心情から目が逸れにくい効果があると思った。
 最初の掲示板への依頼殺人の書込みが招いたのが、現実の殺人者ではなく、しかも莉子が1人で退治したという筋は、莉子がコンプレックスを自分で克服するということの比喩だろうと思うが、単純で分かりやすいので、小学校高学年の子たちがサクサクと読むにはちょうどよいかもしれないと思う。深くえぐらない分、感動はしないが、立場を変えて、相手のことを考えてみたら、と子どもに気軽に一声かけるのに良さそうな作品だと思った。

マリンゴ(メール参加):魚住直子さんの、ユーモラスでちょっとシュールな物語。前から面白いと思っていました。優等生と、劣等生、というようなありがちな対比ではないところがよかったです。特に、かりんの人物造形が面白かったと思います。

(2017年3月の「子どもの本で言いたい放題」より)


ただいま!マラング村〜タンザニアの男の子のお話

『ただいま!マラング村〜タンザニアの男の子のお話』
ハンナ・ショット/作 齊籐木綿子/挿絵 佐々木田鶴子/訳
徳間書店
2013

さらら:「ただいま!」は、挨拶の言葉だったんですね。「只今現在」の意味かと、思ってしまいました。不安な気持ちや様々な感情表現が、きちんと書き込んであるのは、好感が持てました。お兄ちゃんとはぐれた後、ストリートチルドレンになるのが少し唐突かな、と思ったのですが、描かれている部分と描かれていない部分でうまくバランスを取っている。主人公は途中で、シスターに惹かれて施設に入る。でも、どうしていいかわからず飛び出してしまう。そうした心理もよく描かれていますね、短いページ数の中で。派手なところはないけれど、誠実に描かれた物語という印象を受けました。1箇所だけ、「二年前から(犬が)しずかなねむりについている」という訳語にひっかかりました。これでは犬が死んだことが、子どもにはわからないのでは?

アカザ:とても好感が持てました。こういう作品は年代の上の子どもが対象でないと難しいと思っていましたが、低年齢の子どもたちにもよくわかる書き方をしていて、はらはらしながら最後まで読みました。世界にはいろいろな子どもたちがいて、いろいろな暮らし方をしているということを幼い子どもたちに伝える作品が、もっともっとあってもよいのではと思いました。

ジラフ:人ってどんな時代に、どこに生まれるか、本当に選べない。その与えられた環境の中でいやおうなく生きていくしかない、というあたりまえのことをひしひしと感じて、胸にずしんときました。この男の子の場合は、寄宿舎に入って勉強することで人生ががらりと変わりますけど、実話がうまく物語に昇華されていて、自然に読むことができました。ただ、時間の経過が、路上生活から寄宿舎に入るまで4年、それから村に帰るまで5年と、いずれも章がかわってページをめくると、それだけの時間が経っていて、男の子は外見的にもずいぶん成長しているはずなので、そのあたりを読者の子どもがイメージできるのか気になりました。

たんぽぽ:中学年から、世界中の子ども達に目を向ける導入としてもいい本だなと、思いました。3年生ぐらいだと、後半の時間の経過が、理解できるかなと、少し気になりました。

夏子:皆さんが指摘されたポジティブな部分は認めた上の話ですが、西洋人が見たアフリカという感じが、すごくするんですよね。難しいことは承知のうえで、アフリカの人が書いたアフリカの本が読みたいと思いました。タンザニアの状況は苛酷ですが、日本の子どもたちだって苛酷な状況に陥ることはある。とはいえまったく違うことがあって、それは、日本の子どもに援助の手を延べるのはたいてい日本人(=同じ文化の人間)だけれど、タンザニアの子どもに援助の手を延べるのは、たいていは西洋人(=異文化の人間)ということ。結局、主人公の少年は、西洋化するしかないんでしょうか? 本当にそれしかないのか、私にはわからないんです。私は15年ほど前に、タイの人が書いたタイの本を読みました(後で思い出しましたが、ティープスィリ・スクソーパー作『沼のほとりの子どもたち』[飯島明子/訳]で、1987年に偕成社から出た本でした)。9割くらい読み進むまで退屈で退屈で、何度も途中でやめようと思ったんです。でも読み通したら、最後の部分が、忘れられないほどおもしろかった。ああ、時間の流れがわたしたちとは違う、と体感できたことが、読後の満足感につながっているんだと思います。もちろん最後だけ読んでもダメで、これを味わうには、退屈に耐えないと。となると今の日本の子どもたちはなかなか読みきれないでしょう。子どもたちが読める本で、アフリカやアジアの人が書いた本は、そうはないですよね。西洋の目から見たアフリカであっても、まずそれを知ることが必要なんだと思いますが……。

レジーナ:西洋から見たアフリカの本というのは、確かにそうですが、書き手は西洋の側にいるので、慈善団体の人がいい人に描かれているのは、仕方がないかもしれません。最後のインタビューで、寮ではペットを飼えないと語っているので、寄宿学校にドーアを連れていく部分は、フィクションでしょうか。私が少し気になったのは、挿絵です。ユーモラスなタッチだからかもしれませんが、目鼻が大きく、唇が厚い姿を、必要以上に誇張して描いています。これはポリティカリー・コレクトという観点からは、どうなのでしょうか。フランク・ドビアスの描いた『ちびくろさんぼ』(ヘレン・バンナーマン作 岩波書店/瑞雲社)があれほど物議を醸した後ですし、今の時代の本ということを考えると……。アフリカの人は、どう感じるのでしょうね。

コーネリア:最初は実話とは気づかなくて読み進めました。盛りだくさんに小道具を使ってドラマチックに創作されているつくりものの世界に慣れていると、最初は物足りなく感じました。でも男の子の視点がぶれずに書いてあるので、好感をもって読み進めることができました。半ばくらいから、ツソといっしょになって、応援しながら読みました。ハッピーエンドの方がいいから、最後にお兄ちゃんと会えてよかったのだけれども、村でお兄ちゃんが暮らしていたというラストには、ちょっとしっくりきませんでした。どうして、お兄ちゃんが先に帰っていたのか? はぐれたら、お兄ちゃんの方が弟を探すのではないか? 疑問が残ってしまいました。最後のインタビューで、お兄ちゃんがどうしていたのか、聞いてもよかったのでは。読者対象が、2年生ぐらいだと、これくらいストーリーをシンプルにする方が読みやすくていいのでしょうか?

カボス:みなさんがおっしゃるように、一見良さそうな作品で、好意的な書評もいろいろ出ているのですが、タンザニアに詳しい人に聞いてみると、あちこちに間違いがあるのがわかりました。遠いアフリカの話なので日本の人には間違いがわからないかもしれませんが、こういう本こそ、ちゃんと出してほしいと思います。
 まずスワヒリ語をドイツ語読みのカタカナ表記にしてしまっています。カリーブ、ドーア、カーカ、バーバ、バーブと出て来ますが、スワヒリ語ではカリブ、ドア、カカ、ババ、バブと、音引きが入りません。白人のこともワツングとしていますが、ワズングです。ほかにも、p9に「ツソが水をくんでこないと、おばさんが、トウモロコシをつぶしてお湯でねった晩ごはんをつくれないのだ」とありますが、これは主食のウガリのことだと思います。とすると、乾燥してから碾いたトウモロコシを使いますから、不正確です。p12には「ツソは、大いそぎで、手のなかのおかゆを口にいれた」とありますが、これもウガリのことなのかもしれませんが、おかゆとは形状が違います。おかゆのようなものもありますが、それは手では食べずにコップに入れて飲むそうです。p10にはカモシカが出てきますが、アフリカにはカモシカはいません。
 翻訳だけでなく原文にも問題があるかもしれません。p24に「お日様が昇る方向(東)にいけばモシがあり、ダルがある」とありますが、目次裏の地図を見るかぎり、モシはマラング村から西南の方向にあるようです。バスがダルエスサラームにつく場面では海が見えるとありますが、バスステーションからは海は見えないそうです。現地をよく知っている人は、バスの座席にもぐりこんで旅をする場面が、モシからダルまでは7〜8時間もかかるのに、ずいぶんとあっさりした描写だな、とおっしゃっていました。またp106には「アルーシャのまわりの村には、まだ学校などないのがふつうだった」とありますが、アルーシャは大きな町なので、周辺の村でも学校はあるのではないかという話でした。欧米の作品だとみんないろいろ調べて訳すのに、そうでない場所が舞台だと、そのあたりがいい加減になってしまうのでしょうか? そうだとしたら、とっても残念です。こういう作品こそきちんと出してほしいのに。訳者の方は、現地に詳しい人に聞いたとおっしゃっていたのですが、どうしてそこでチェックできなかったのでしょう? たとえばウガリのことなどは、だれでも知っていることなのに。そういうせいもあってか、全体に、「かわいそうなアフリカ人の子どもが西欧の慈善団体のおかげで一人前になりました」という感じがにおってきて、私はあまり好感を持てませんでした。著者がどの程度、ちゃんとインタビューして、場所なども取材したのか、それも疑問です。
 前に、『ぼくのだいすきなケニアの村』(ケリー・クネイン文 アナ・フアン絵 小島希里訳 BL出版)が課題図書になったとき、スワヒリ語が間違いだらけで困ったな、と思ったのですが、それと同質の違和感をこの本にも感じます。今はアフリカ人の作品もあるのだから、欧米の作家の中途半端なものを翻訳出版しないでほしいと思います。アフリカ子どもの本プロジェクトでもこの本を推薦するかどうか検討したのですが、推薦できないということになりました。ちなみに、編集部には再版から直してほしいとお伝えしてあります。(後に再版から推薦)

一同:そうなんですか。ちょっと読んだだけじゃ、わかりませんね。

プルメリア(遅れて参加):表紙をはじめ挿絵がいいなって思いました。活字も読みやすいし。目次も関心を引きました。作品からタンザニアの人々の生活や村の様子がよくわかりました。わくわくしたけど、でもあまりにもハッピーエンド。カモシカって、寒いところにいるのではなんて思いました。書名『ただいま!マラング村』の意味は、インタビューを読んで納得しました。

アカザ:さっき、レジーナさんが絵は問題があるのでは、と言ってましたが。

コーネリア:子どもたちの手に取りやすい絵にはなっていると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)


ソフィアのとってもすてきなぼうし

ミシェル・エドワーズ文 ブライアン・カラス絵『ソフィアのとってもすてきなぼうし』
『ソフィアのとってもすてきなぼうし』
ミシェル・エドワーズ/作 G・ブライアン・カラス/絵 石津ちひろ/訳
ビーエル出版
2016.12

『ソフィアのとってもすてきなぼうし』をおすすめします

ソフィアは、おとなりのおばちゃまと仲良し。おばちゃまは毛糸で帽子を編んでみんなにあげるのが好きだけど、自分は帽子がなくて寒そう。ソフィアは作ってあげようとするけれど、できたのは穴だらけのおばけみたいな帽子。どうしたらいい? 他者に心を向けることで、自分もあたたかくなる終わり方がすてきだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年2月25日掲載)


2017年02月 テーマ:ちがうって素敵だな

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『2017年02月 テーマ:ちがうって素敵だな』
日付 2017年2月20日
参加者 アンヌ、カピバラ、慧、コアラ、さららん、しじみ71個分、西山、
ネズミ、ハリネズミ、マリンゴ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス)
テーマ ちがうって素敵だな

読んだ本:

『空飛ぶリスとひねくれ屋のフローラ』
原題:FLORA & ULYSSES:THE ILLUMINATED ADVENTURES by Kate DiCamillo, 2014
ケイト・ディカミロ/著 斎藤倫子/訳 K.G.キャンベル /挿絵 
徳間書店
2016.09

版元語録:10歳の女の子フローラがある日、掃除機に吸い込まれかけたリスを助けると、リスは、普通とは様子がちがっていた。人間の話がわかり、タイプライターが打てるのだ。おまけに、ここぞというときには、空も飛べる! ところが、母さんがリスを殺そうと企んでいるとわかる。母さんは父さんと離婚して以来、仕事ばかり。フローラがいないほうが楽だとまで言いだし…? ユーモラスでほろりとする、人気児童文学作家2度めのニューベリー賞受賞作品。
『レイン〜雨を抱きしめて』
原題:RAIN REIGN by Ann M. Martin, 2014
アン・M・マーティン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2016.10

版元語録:アスペルガー症候群の少女ローズにとって、愛犬レインは心の支え。ところが、巨大ハリケーンが来た日、レインは行方不明に…。
『駅鈴(はゆまのすず)』
久保田香里/著 坂本 ヒメミ/挿絵
くもん出版
2016.07

版元語録:「重大な知らせを伝える。それがわたしたち駅家の仕事だ」メールも電話もない時代。駅鈴を鳴らし、馬で駆け、急を知らせた人たちがいた―。近江国(滋賀県)を舞台にした奈良時代の感動ストーリー。

(さらに…)

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駅鈴(はゆまのすず)

『駅鈴(はゆまのすず)』
久保田香里/著 坂本 ヒメミ/挿絵
くもん出版
2016.07

しじみ71個分:古代史のことはよくわからないけれども、史実はきちんと描いているのだろうという印象を受け、筆力のあるきちんとした作品だと思いました。天平時代の史実を脇に置きながら空想とも言える古代の世界を描き、かつジェンダーの問題も含めていたりしておもしろい。表現はかっちりしているけど、おもしろかった。馬が盗まれたり、山火事があったり、地震があったりと、途中からは展開もスピーディになり、読んでドキドキ感もありました。今回は3作品とも、動物が非常に大きなキーポイントになっていたのも興味深かった点です。

西山:私の勝手な読み方なのですが、あちこち現在のあれこれの隠喩のように読んでしまいました。例えばp112の70年前の戦。p249の双六にはまってしまうところでは、「カジノ法」を思い出したり・・・・・・。同じ著者の『氷石』(くもん出版)でも、そういう感触を覚えた記憶があるので、この作家は奈良時代を舞台にしても、現代への見方を結構込めている気がします。

さららん:小里が、女にはなれないと言われている「駅子」になりたいと強く願い、それをかなえていく過程が描かれていて、ジェンダーの視点からは好感が持てるお話でした。淡い恋の物語に、和歌がひと役買い、相手の好意に無頓着だった小里が、少しずつ目覚めていく。ふたりの想いがひびきあう。そのあたりも、さらっと描かれています。若見はかなり頼りないけれど、逆に今の若者っぽい感じがしました。

マリンゴ:この作品は、古文や歴史に興味をもつきっかけの1冊になってくれるかもしれません。ただ、その場合、もう少し補足的説明があってもいいのではないでしょうか。たとえば、新羅、渤海、という国名。中学生以上なら習うでしょうが、小学高学年の子が読む場合、まだ習っていない可能性も高いですし……。あと、序盤から中盤にかけて、話がループしているように感じられました。もう少し、ギュッとコンパクトにしたほうが読みやすいかと思います。

ハリネズミ:駅の読み方が、はゆま、うまや、えきと3種類あるんですね。気にしないで読み飛ばせばよかったのかもしれませんが、いちいち、これはなんだったけと立ち止まってしまいました。総ルビにしてくれればよかったのに。小里が馬を早く駆けさせるのに魅力を感じているのはわかりますが、この時代に恋人の誘いを断っても駅長になりたいとまで執着するのであれば、駅そのものの魅力をもう少し書き込んでもらいたかったです。小里と若見がこの先どうなっていくのかが、私にはよく見えませんでした。安積親王や安人はとても個性が強くておもしろいのですが、物語の本質にかかわるわけではないので、メインストーリーから焦点をそらすことになっているような気もします。

カピバラ:この時代のこの職業への興味からどんどん読めるし、男がやる仕事を一生の仕事にしようとする主人公はなかなかかっこいいです。文章はナレーション部分が簡潔で歯切れがよく、好感をもちました。後半は馬が盗まれたり山火事などが起こり展開がありますが、途中までちょっとまどろっこしい感じでした。若見さんはすぐどこかに行ってしまい、またちょろっと現れるんだけどたいした進展もなく……というのが続いていくので。全体を3分の2くらいの分量にしてもよかったのでは?
アンヌ:とても楽しく読みました。奈良時代が舞台の小説はあまりないような気がします。女帝となる内親王を皇太子とした時代で、今の感覚と違う社会であることが、父親が駅長に返り咲くのではなく、小里が駅長になれる仕組みとしてうまく使われていると思います。ちょっと若見に魅力がなくて、歌も下手なのが残念です。でも、万葉集に「鈴が音の早馬駅の堤井の水を賜へな妹が直手よ」というのを見つけたので、長じた若見がこれを歌ったのなら楽しいな、などと考えました。表紙の絵の色も独特で、奈良の色彩感覚で描いたのだろうと思いました。

ルパン:小里が駅子になりたい気もちはとてもよく伝わってきました。飛駅が近づいてくるときの緊張感、近づいてくる蹄の音、駆け出してくる威勢のいい男たち・・・ものすごい高揚感です。登場人物たちの名前がまたいい。十喜女、恵麻呂、若見・・・聞きなれない分、日本の話なのにエキゾチックな感じがします。最後、小里が駅長になるところはものすごくかっこよかった。「おわりじゃない。」と啖呵切るところ。「あたしについておいで!」みたいな。こんな女の子がいたら惚れそう。惜しむらくは、クライマックスで小里が飛駅走らせるところ。若見といっしょに走ってもらいたかったなあ。なんで豊主なんだろう。思いっきり脇役なのに惚れそう。惜しむらくは、クライマックスで小里が飛駅走らせるところ。若見といっしょに走ってもらいたかったなあ。なんで豊主なんだろう。思いっきり脇役なのに。

コアラ:王道のストーリーで、読み応えのある物語でした。奈良時代の駅家(うまや)という設定もよかったと思います。知らない仕事の世界を知るおもしろさと、万葉集の歌とか歴史上の人物とか知っているものが登場するおもしろさがありました。ただ、細かいところで引っかかるところも多くて、作者が都合よく登場人物を動かしてしまっているのが残念でした。ルビについては、ページ初出にルビを振っているようですが、私も通常の読みでないものは全部にルビを振ってほしいと思いました。本文の組み方は、1行の文字数を少なくした組み方なので、ページを増やして読み応え感やずっしりとした感じを出した本の造りにしたのかな、と思いました。本文中の挿絵はちょっと幼い感じがしましたが、装画や装丁はいいですね。

レジーナ:馬の疾走感や、そのときに埃が立つ様子が目に浮かぶ本です。馬が盗まれたり、地震や火事が起きたり、読者を飽きさせない展開ですね。苦しい生活の中、大仏を作る市井の人の生きる姿も伝わってきました。

ネズミ:それなりにおもしろかったのですが、時代背景がよくわからず、もやもやしました。出だしから、駅家というのはわかったけれど、駅はどんな役割なのか、駅子は何をするかなど、なかなかつかめませんでした。また人の位や階層も、都の役人なのか地方なのか、どちらが上なのかなどつかめず、途中で頭がこんがらかってしまいました。登場人物の大人たちが、この物語の中から出てきたというよりも、ストーリーの都合に合わせて出てきた感じがして、今回のほかの2作品とは大人の描き方に違いを感じました。

:あえて設定を古い時代にしたのに、男の子の領域に挑戦する女の子、という、ずいぶんと昔ながらの物語になってしまっているのがいまいちかな。時代的な習俗や雰囲気はとてもよいのに、作者が現代を背負ってしまっているので、逆に、不自由な女の子、という古い価値観を無意識的に示してしまっています。

西山:時代がさかのぼると、ジェンダーのしばりが逆になかったりするのにね。

(2017年2月の言いたい放題)


レイン〜雨を抱きしめて

『レイン〜雨を抱きしめて』
アン・M・マーティン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2016.10

:アスペルガー症候群や高機能自閉症が重要なモチーフになっているので、いわゆる「問題」でひっぱっちゃう話かと思い、最初はちょっと入りにくかったのですが、『空飛ぶリスとひねくれ屋のフローラ』(ケイト・ディカミロ著 斎藤倫子訳 徳間書店)よりはるかにおもしろかったです。ローズは、同音異義語と数字に長けていますが、それが感情表現に結びついていくあたりはとてもリアルでした。友だちができるのがいいですね。ローズの「ことば」を受け入れて、せっかちにならない。それがていねいに描かれています。結果的に、お父さんがローズを手放すことが愛情になるのが切ないですね。お父さんの気持ちを考えちゃう。背景はくどくど書かれていないのですが、いろいろ想像してしまいました。

マリンゴ: 非常によかったです。今回読んだ3冊のなかでは、いちばん好きでした。ただ、章タイトルがネタバレになってしまっているのが、いかがなものかと気になりました。たとえば、p134の「悲しすぎる話」、p152の「うれしい知らせ」、p169の「つらい決断」など。ストーリーは、大人が読むと心地よい苦さを感じますが、子ども時代の私だったら、もう少し甘いエンディングがいいなと考えただろうと思います。たとえば、ヘンダーソン家は避難所生活でしばらく犬が飼えないから、月に1度、ローズのところに会いに来ることを取りきめる、とか。

西山:とてもよかった。犬を手放すのはつらいのに、ルールに従わなきゃいけないから返す。そういう融通が効かないところが、幾重にも悲しいけど、腑に落ちました。レインを手放す辛さから、自分と別れる決心をした父親の気持ちに理解の窓が開くという展開も、とても胸にしみました。最近『ぼくと世界の方程式』(モーガン・マシューズ監督 2014)という映画を観ました。自閉症スペクトラムの少年が主人公で数学オリンピックを目指すという話で、母親像とか、とてもよかった。あと、やはり同じ症状を抱えた主人公の作品として思い出すのが『夜中に犬におこった奇妙な事件』(マーク・ハッドン著 小尾芙佐訳 早川書房)ですが、『レイン』は同様の症状の主人公が女の子で、私はそういう作品は初めてだった気がしました。知らないだけなのか、実際発症に性差があるのか・・・・・・作品と直接関わる事ではありませんが、何かご存じだったら教えてください。

しじみ71個分:非常におもしろく、切ない気持ちで読みました。高機能自閉症、アスペルガーの人たちについての理解が深まる作品だと思います。ルーティンでない事態に出遭うとパニックを起こしやすい、こだわりが強い、感覚が過敏であるなど、様子が具体的にていねいに書かれていて、こういった障碍を理解する上でとても有効だと思います。お父さんも主人公の子をどう扱っていいかわからないとか、主人公のこだわりの様子を友達がからかってしまったり、学校の先生も理解できなかったりなど、周囲が理解できなかったり、受容に苦労したりする様子もきちんと描かれていて素晴らしいと思いました。犬のレインがこの作品でもキーになっていて、レインが主人公についてきて教室に入ってくるシーンから、友だちとの関係が少しずつ改善していったり、いなくなったレインを探すことで主人公が成長したりしている。ストーリーの悲しい優しさが身にしみました。父親の弟であるおじさんが主人公のよき理解者であり、そのおじさんがいなかったら非常に辛い物語になるところでした。彼が、主人公に「今どういう気持ち?」と確認するなど、感情のコントロールができないとか、人の気持ちを読みにくいというアスペルガーの人の特徴をよく表わしながら、受容の仕方を示してくれているのもとても良かった。人との距離感をつかむことや、感情がコントロールすることが苦手な父親が愛するゆえに娘を置いていくという最後は悲しく、苦いけれど、感動して読みました。

ネズミ:私も、とてもおもしろく読みました。ほとんどの読者はローズとは違う感じ方で生きていると思うけれど、これを読むと、こんなふうに感じる子もいるんだなとわかってきます。犬がとてもうまく使ってあるなとも思いました。犬がいるからこそ、日本の子どもも親近感を持ってお話にひきつけられるだろうなと。表紙も手にとりやすそう。お父さんの描き方もよかったです。p199からp200にかけての、お父さんがなぐるまいとしながらこぶしを震わす部分が胸にせまってきました。ローズの目線で書きながら、お父さんの人となりがよく伝わってきてうまいなと思いました。

レジーナ:2年くらい前に原書を読んで、とてもいいと思った作品です。人を愛すること、愛ゆえに手放すところは、ルーマー・ゴッデンの『ねずみ女房』(石井桃子訳 福音館書店)に通じますね。原書では、ところどころ同音異義語が併記されていたり、同音異義語についてえんえんと説明している章があったりするのですが、そこはカットして、日本語版として読みやすい形に工夫されています。だけど副題の「雨を抱きしめて」は作品に合ってないのでは。

カピバラ:帯の「心の中が痛い。これがさびしい気持ちなの?」というのもいただけないですね。

コアラ:読みながらいろんなことを考えました。ローズと父親との関わりで言えば、p219に父親の言葉がありますが、そこに至るまでのいろいろなことを思いました。愛情を持ってローズを育てたいのに、どうしてもそうならない、いらだちとか、楽しい日常でなく、父親としてほとんど何もしてやれていない、という負い目もあったんじゃないでしょうか。p198には、お互いの思いが相手に受け取られていない、気持ちの交流ができない、つらい会話があります。p25に、父親とローズの、うまくいっていない会話がありますが、p34からはウェルドンおじさんとローズの会話があって、ウェルドンおじさんみたいな会話をすればうまくいくのかな、と思いました。ただ、これはフィクションなので、現実だとアスペルガーの子との会話はこんなにうまくいかないんじゃないかと思います。p133に、「わたしたち3人の名前の数を合計して、レインの名前の数を引いたら177で、素数じゃないって知ってた?」というローズの言葉があって、つまり、レインがいなくなって良くない未来になるということを素数じゃないということで言い表していて、作者がそこまで考えて名前を設定したのもすごいと思ったし、素数に意味がありそうな気がしてきて、宇宙の真理に触れたようなぞくっとするような気がしました。そして、ローズが「素数じゃないの」と断定する言い方をせず、誰かから返事をもらいたいという言い方をしていることで、素数じゃないという発見とレインがいない未来に、ローズ自身がたじろいでいるように感じました。

ルパン:おもしろく読みました。いちばん好きな場面は、p192〜193。友だちが「同音異義語を思いついた!」と言ったとき、ローズが「前から知っていた」と言わなかったところ。アスペルガーで空気が読めないはずのローズが、友だちの気もちに寄り添った瞬間。ローズが同音異義語が好きになったのは、自分の名前がローズだからでしょうか。亡くなったお母さんがつけた名前なのかもしれませんね。

アンヌ:ローズの方から見る世界が描かれていて、見事な作品だと思い、とてもおもしろく読みました。学校の先生も介助員も、ローズの立場に立つより、他の人の迷惑にならないように排除する立場をとっています。ローズは、お父さんにびくびくしながら育っていて、その孤独が身にしみました。お父さんは、自分の怒りでローズを支配しているし、特別支援クラスに行かせようとしない。もっと早く、援助を求めてくれればいいのにと思いました。特に、ローズのママの死を隠して、自分たちを捨てて行ったと教えていたことは、ひどいと思います。それでも、ローズはどんどん成長していって、他の人の心の中を想像できるようになっていく。自分なりのやり方でレインを見つけたりする能力もある。でも、お父さんは成長せず、お酒におぼれるまま。出て行ってくれてよかったと思ってしまいました。

ネズミ:ミセス・ライブラーはわかっているんじゃないかしら。外に連れ出したりしてますよね。

:お父さんにもアスペルガーの要素があるとしたら、もしかして、小さいときからずっと一緒だったおじさんは、扱いに慣れていたのかもしれませんね。ちょっと深読みかもしれませんが。

カピバラ:いちばんいいと思ったのは、高機能自閉症とはどういうものかを、ほかの人からみた様子ではなく、ローズ本人の感じ方をていねいに描くという手法で伝えているところです。名前のスペルを数字に置き換えたり、素数かどうかを常に気にしたり、時間は何時何分まで正確に言ったり、といったことが繰り返されるうちに、読者は自然にローズの考え方や感じ方に慣れ、おもしろくなってくるんですね。まわりにはローズを持て余している大人も登場するけれど、読者はローズの感じ方を体感して理解できるようになる。とてもいいやり方だと思いました。先生とは違って、生徒たちはもっと子どもらしい興味をもってローズに近づくところもよかったです。レインが来たことで打ち解けて、同音異義語を見つけようとしてくれたり、子どもなりに仲よくなっていくんですよね。それからお父さんとおじさんは全く違う性格のように見えるけれど、家庭の辛い事情をたった2人で乗り越えてきたので、きっとものすごく絆が強いんだと思います。似ているけど、陰と陽のように異なる現れ方をしているのでしょう。本当はお互いをいちばんよくわかりあっている兄弟なのだと思います。会話だけで、そのあたりのいろんなことが感じられて、うまいと思いました。レインがいなくなったとき、ローズはひとつひとつよく考えて、対処の仕方をリストにし、たったひとりで実行しようとします。つらい結果になったけれども、自分で選んで決断し、それを受け入れようとする。だからかわいそうな感じで終わらず、すがすがしさが残るところがよかったです。p44〜45に、ローズが教室で、魚の数え方は4匹が正しく、4つは間違いだと言い張る場面がありますが、英語では数え方は同じですよね……どうなっているか原書で見てみると……数え方ではなく、Iとmeの違いを指摘するということになっています。訳文は日本の読者にわかりやすいように工夫されているんですね。

ハリネズミ:登場人物の心理がうまく描けていますね。ローズの特異性がなかなか理解できず、愛してはいても不器用な対応しかできない父親の切なさも表現されています。低学年の子どもが読むと、父親の心理までは伝わらないかもしれないけど、少し年齢が高くなると、この父親は愛してはいても不器用なんだな、ということが伝わってくると思います。父親がローズに対してどなったり嘘をついたりする場面もあってはらはらさせられますが、ローズと別れる場面では、p224には[「さあ、行け」パパはそう行ってから、ほんの一瞬、わたしを抱きしめた。もうずいぶん前から、抱きしめられたことなんてなかった。ほほがふれたとき、パパのほほがぬれているのを感じた。パパはすぐに体を離して前を向いた。あごがぶるぶるふるえている。]とあり、最後でも弟のウェルドンにこう言わせています。「きみのパパはいつも正しかったわけじゃないけど、いつだってきみのことを大事に思ってたんだよ」「たぶん、ローズはぼくと暮らすほうが幸せだと思ったんだろうな」(p228)。ローズが同音異義語やルールにこだわる場面は、それでまわりがうんざりする気持ちと、それでもこだわらずにいられないローズの気持ちが、両方わかるように書かれていますね。レインを元の持ち主に返そうとするところも、ローズのルールにこだわる性格と相まって、自然な流れで読めます。自信のない父親が「せっかくプレゼントした犬を返しちまった」(p218)と恨む気持ちもわかります。視点が一つに偏っていないのがいいですね。孤独な子どもに犬が寄り添ってくれるという場面も目にうかびますし、その犬を一所懸命探そうとするのもよくわかります。でも、みつかったところでハッピーエンドではなく、もうひとつの展開によって、ローズはただの弱い存在じゃないところが前面に出てくる。かわいそう目線がないのがいいですね。 サブタイトルは私も安易な気がします。

ルパン:本来は漢数字で書くべきところがすべて算用数字で書かれていますね。ローズの頭の中に近いかたちにしようという工夫でしょうか。

ネズミ:素数を読み上げるところは、算用数字のほうがピンときますよね。

コアラ:「一歩」が、「少し、ちょっと」というような慣用的な使い方の場合は漢数字で、「1歩、2歩」と数えられるときは算用数字、というルールで編集段階で統一したのかもしれませんね。

ハリネズミでも、英語の小説だと普通は算用数字ではなくone, twoなどという表記が多いように思います。この作品の原著はどんなふうに書かれているのでしょうね。

さららん:ローズは、自分の論理で動く子どもです。だから犬を返すために、動きはじめたことは、思いやりというより、自分のものでないものを持っていてはいけないという、杓子定規的な、正にローズの論理そのものなのでしょう。でもそのあと、ハリケーンにやられたヘンドリックスさん一家をローズが見つけだす。ハリケーンで何もかも失った一家の子どもたちにとっては、犬が返ってきてどんなにうれしいだろうかとローズが想像する部分で、ローズが大きく成長したのを感じました。

エーデルワイス(メール参加):高機能自閉症を扱い、同音異義語に拘る主人公が興味深かったです。日本語だったらと言葉をあれこれ考えていました。思いつめた時、素数を数える時、ローズは自分の頭をたたきます。心の声が伝わり、たまらない気持ちになりました。父親は愛情を素直に表せない不器用な人なんですね。最愛の犬のレインを元の家族に返すまでの行動はなかなか緻密です。『マルセロ・イン・ザ・ワールド』(フランシスコ・X.ストーク著 千葉茂樹訳 岩波書店)を同時に読んでいたのですが、多様な人間の存在が認知されてきているのだと確認できました。100%ORANGEの表紙装丁が好きです。

(2017年2月の言いたい放題)


空飛ぶリスとひねくれ屋のフローラ

『空飛ぶリスとひねくれ屋のフローラ』
ケイト・ディカミロ/著 斎藤倫子/訳 K.G.キャンベル /挿絵 
徳間書店
2016.09

アンヌ:献辞のところから読み始めたので、マンガも作者が書いたのかと勘違いして、驚きながら読みました。大人がみんな孤独で、子どもも孤独で、それなのに大人は子どもを傷つける。ハッピーエンドだからいいけれど、ちょっと理解できない話でした。リスだけがかわいくて自由で詩人で、理想の子どものようです。この本を読んで楽しかったのは、マンガに描かれている本の題名がしっかり読めたこと。哲学者ミーシャムさんの本棚にあるのは、『ホビットの冒険』(J・R・R・トールキン著 岩波書店)で、『指輪物語』(同著、評論社)じゃないのに納得したり、テイッカムさんの名詩選集の最初の名前が2冊とも女流詩人なのを発見したり、リスに読んであげるリルケの詩が『時祷詩集』(リルケ全集・河出書房新社)だ等と、調べて考える楽しみがありました。

コアラ:私はおもしろく読みました。内容もおもしろかったし、マンガで表現しているところと文章で表現しているところがあって、文章も明朝体で人間のフローラを主人公にした場面と、ゴシック体でリスのユリシーズを主人公にした場面がある、という形がおもしろかったです。フローラはアメリカのコミックを読んでいて、アメコミのスーパーヒーローと重ね合わせてリスを見ているので、もっと話が大きくなるのかな、と思ったら、意外とこぢんまりとしたスケールで終わってしまったので、もうちょっと盛り上げてほしかった。p227の2行目で「母さんが何よりもだれよりも愛しているのは羊飼いの電気スタンドだ」とあるから、この悲しい誤解の道具が重要な場面で使われるのだろう、と思っていたら、猫をたたいただけで終わってしまったので、もっとキャラクターも含めて設定を生かしてほしかったです。主人公のフローラは、変わっている子という設定ですが、フローラみたいな子は案外いっぱいいるんじゃないかと思いました。p153の絵で本のタイトルなど全部日本語に変えていて、本の背の見えにくい文字もそれっぽく変形させた活字にしているので、うまいなあ、おもしろいなあと思いました。とにかくリスの絵がすごくかわいかったです。

レジーナ:今回選書係として、社会や時代の制約を受けながら生きている女の子が、動物との関わりの中で周囲から受け入れられていく物語を選びました。この本は2014年にニューベリー賞をとったときに原書で読みました。主人公は個性的で、母親からも変わった子だと思われています。そこに空飛ぶリスが現れたことで、しっくりいっていなかった人間関係が少しずつ変わっていく過程が描かれています。作者が自分のためではなく、子どもに楽しんで読んでもらおうとして書いた本ですね。ところどころマンガになっているのも、おもしろいアプローチなのでは。

ネズミ:得意ではない作品だったけどおもしろかったです。マンガがところどころに入って1章1章が短い構成で、私は落ち着かなかったけど、読書が苦手な子どもにはとっつきやすいかなと思いました。たよりない親と、ちょっとませた子どもと。どんな親でも子どもは折り合いをつけて生きていくんだなというのが伝わってきます。掃除機に吸い込まれそうになって特殊能力を得たリスが出てきたり、フローラがいつも参考にする本があったり、お話としてのうまさが感じられて、子どもが読んだら楽しく読めるのでは。人物は戯画的ではあるけれど、お母さんもお父さんもとなりの人も、いろんな面が見え隠れする描き方で好感を持ちました。

西山:目次を見たときは苦手だと思ったのだけど(散文的なこまかい目次、あまり好きでなく・・・・・・単に好みの問題です)、読み始めたらおもしろかった。子どもを楽しませると思いました。難を言えば、マンガと本文の関係がわからないので、本文出だしを読んでいるマンガの内容だと思ってしまうのではと思いました。読み進めて、仕組みがわかってくればそれでいいのですが、本を読み慣れていない子にとって、ある種の難しさになってしまうかもしれないと、ちらっと思いました。恋愛小説家の母親が、いかにも現実的なのは皮肉?ちょっとおもしろい。信じることによって失うものはないという「パスカルの賭け」がでてくるところ(p158)や、ユリシーズが心にもないことを打ち込んで石のようになってしまうところ(p218)など、考えさせるところもあってそれも好感を持ちました。p15のリスが食べ物のことばかり考えているというところ、もっとリスっぽい?口調、リスの動きを思い起こさせるような、いかにもリスっぽいと思えるような口調にして、もっと楽しませてほしいと思いました。フローラに人生の教えをくれるマンガ、私もほしいと読んだ子どもが思うんじゃないかな。子どもをもてなす作品だと思いました。

マリンゴ: おもしろく読みました。軽快なタッチなので、少女を取り巻く環境が実は苛酷だということを、終盤まであまり感じず、重くなりすぎずに読むことができました。哲学的な内容が随所に入りますが、主人公のお気に入りのマンガからの引用なので、子どもに難しく感じさせないのではないかと思います。リスのスペックが、「空を飛ぶこと」「タイプライターを打つこと」と、明確なのがユニーク。最後、ファンタジーの世界を閉じて、日常に戻るのかと思いきや、ファンタジー全開のままで終了したのが少し意外でした。子どもたちにとっては、想像がふくらむ楽しい終わり方なのかもしれません。

:マンガの部分は、マンガというよりも挿絵のバリエーションのように感じました。なくてもストーリーを理解できるので。p15で、おなかがすいたことをリスの気持ちでいろいろに表現しているところは、マンガ形式だからいっそうおもしろく見えますね。『はみだしインディアンのホントにホントのはなし』(シャーマン・アレクシー著 エレン・フォーニー画 さくまゆみこ訳 小学館)も思い出しました。私は、子どもが子どものロジックのまま不満を言うタイプの本があまり好きではないのですが、そういうところを差し引いても、案外楽しく読めました。フローラを受け入れられない母親がありのままの娘を受け入れるようになるという話ですね。いろいろな人が出てきますが、p217の「家に帰りたい」というスパイヴァーのセリフに主題が凝縮していて、ここで、この本がきわめて正統な児童文学であることがわかります。あと、メアリー・アンという電気スタンドも、猫をたたいておしまい、なのではなく、それで壊れることにより、母親が初めてフローラの方を向くという結果につながっているので、重要なアイテムだと思います。

ハリネズミ:ドタバタの割りには理屈っぽいところがあるな、というのが私の第一印象です。こういうのを訳すのは難しいですね。私の好みとしては、もう少しドタバタ寄りで訳してもらったほうがおもしろくなったと思います。このお母さんはタイプライターで原稿を書いてますから、舞台は現代じゃないんですね。。そういう時代に設定したのはなぜなんでしょう? このマンガのテイストは、日本の子どもとそんなに相性はよくないと思います。2回読んだんですが、私はみなさんがおっしゃっているほどおもしろいとは思いませんでした。

カピバラ:マンガを挿絵としてではなく文章のかわりに入れているのがおもしろかった。この絵のせいで現実離れした人々のように思えるけれど、実はそれぞれが深い悩みをかかえていることがわかってきます。p234の最後に、「フローラは変わってる? そうかもしれない。でも、それのどこが悪いのかな?」と書いてあり、これが作者の言いたいことなのでしょう。各章が短くて読みやすく、視点もどんどん変わって子どもを飽きさせないようにという工夫が感じられるところに好感をもちました。個性的な人物が出てきて、特にドクター・ミーシャムと巨大イカの話はおもしろかったです。リスの視点で書かれているところは楽しいから興味をもって読むのですが、リスの存在がひとりひとりにどんな影響を及ぼしているかというところまではよくわかりませんでした。私はアメリカの出版社のパーティーでこの作者に会ったことがありますが、明るくてとにかくよくしゃべる人で、小柄なのに存在感があり、いつも人に囲まれていました。人を楽しませたいというサービス精神にあふれている人だと思います。それが作品にも表れているんですね。

ルパン:物語の方向性がよくわかりませんでした。読書会で取り上げなかったら読み切れなかったかも。ニューベリー賞とあったので期待して読みはじめましたが、すぐに「どうしてニューベリー賞?」と思い始めてしまいました。最大の疑問は、やはりリスの役割です。リスを特別にしてしまう掃除機も、最初に出てきただけで、何だったんだろう、という感じだし。マンガまじりの構成も、私はあんまりなじめませんでした。挿絵だと思っていたのに、マンガのなかに重要なストーリー展開があったんですね。しばらく気づかずにマンガを飛ばして読んでいたので、途中であわてて最初に戻りました。好きな登場人物はフローラのお父さんで、印象に残ったのは電気スタンドの女の子かな。ラストは、フローラはお母さんと心が通じ合ったのに、ウィリアムは家族に見捨てられたままだったのが気になりました。目が見えないふりをするほど悲しんでいたので、もう少し救いがあってもよかったと思います。大好きなフローラと仲よくなれたのはよかったですが。ティッカムさんの家で幸せになってもらいたいと思います。

しじみ71個分:おもしろく読み、最後のリスのフローラを思う詩には涙ぐんでしまいました。傷ついたり、うまくいっていない人たちが、スーパーリスの存在でかき回され、冒険があり、事態が変わっていくという展開になっています。本文中、絶対にありえないと言い切れることはないんだよ、という趣旨のセリフがありますが、それはスーパーヒーローの空飛ぶリスでもあり、無理なように見える壊れた家族の和解をも象徴していると思いました。リスの存在が未来への希望を表わしているようで、気持ちよく読めました。ストーリーを挿絵で表しているのもとてもおもしろいですね。

さららん:表紙とタイトルでは一瞬腰が引けましたが、読み出したらおもしろかった! 不安、満足、喜び、そういった様々な感情が、「物」で具体的に象徴されていて、つじつまがあうように作られている。子どもには納得がいくお話だと思います。例えば・・・孤独の象徴としての絵の中の巨大イカ、夜中に訪れたフローラを大歓迎するおばあさんが用意するオイルサーディンのクラッカー、父さんと食べに行くドーナツなどなど。それから、リスがなぜ詩が好きなのか、最後まで疑問に思っていたのですが、最初の漫画を見たら、なんと詩集といっしょに吸い込まれていた! 絶対にありえないお話だけれど、テーマは正統派で、ところどころに詩情を感じます。リスの書く詩が、単純なドタバタコメディに奥行きを作っていて、胸がきゅんとなるところもあり、楽しめました。

マリンゴ:余談ですが、うちの実家の庭に、ここのところタイワンリスがたくさん現れます。タイワンリスは外来種で、謎のウイルスがいるかもしれないから絶対素手で触れてはいけないそうです。自治体のホームページなどでも注意喚起しています。なので、主人公のお母さんの言っていることは理にかなっている、と思いながら読みました。

エーデルワイス(メール参加):表紙や裏表紙の色やカットも素敵です。中身にもマンガを入れたり、フローラの章とリスの章とで書体を分けたりと、読みやすく工夫されていると思います。なかなか斬新だと思いました。寂しさを抱えた少女を主人公にし、ドタバタやユーモアを交えて描かれた、いかにもアメリカらしい作品ですね。日本にはちょっとなじまないように思いました。いっそ全部マンガになっていた方がすっきりしたかも。マンガは、日本のほうがずっと進んでいますね。p153の挿絵はおもしろかったです。『ホビットの冒険』『シェークスピア』『ホーキング宇宙を語る』『オルフェウスへのソネット』にまじり、『盆栽の世界』なんていうのもあり、本当に盆栽が置いてあります。世界中で盆栽はブームなのかと笑ってしまいました。この書斎は、著者ご自身の書斎がモデルになっているのでしょうか?

(2017年2月の言いたい放題)


ジョージと秘密のメリッサ

アレックス・ジーノ『ジョージと秘密のメリッサ』
『ジョージと秘密のメリッサ』
アレックス・ジーノ/作 島村浩子 訳
偕成社
2016.12

『ジョージと秘密のメリッサ』をおすすめします

4年生のジョージは、体は男の子でも自分は女の子(メリッサ)なのだと感じている。しかし、学校でも家でもそのことは秘密にしている。学年で『シャーロットのおくりもの』の劇を上演することになっても、ジョージがやりたいシャーロットの役は、女子の役という理由でやらせてもらえない。

でも、やがて親友のケリーが、あるがままのジョージを受け入れて、午後の部の役をひそかに代わってくれたり、女の子同士の楽しい時間を設けたりしてくれる。家族も徐々にジョージを理解するようになる。

自らもトランスジェンダーである作家が書いただけに、「男の子のふりをするのは、ほんとうに苦しいんだ」というジョージの叫びも心理描写もリアルだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年1月28日掲載)


2017年01月 テーマ:いつどこ固有の物語

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『2017年01月 テーマ:いつどこ固有の物語』
日付 2017年1月27日
参加者 アンヌ、げた、コアラ、さららん、しじみ71個分、西山、ネズミ、ピラカ
ンサ、マリンゴ、よもぎ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス)
テーマ いつどこ固有の物語

読んだ本:

『セカイの空がみえるまち』
工藤純子/著
講談社
2016.09

版元語録:少女は、父親が理由を言わずに失踪した原因は自分にあると悩み、少年は、自分の母親が誰なのか、どこの国の人間なのか、知らない。ふたりを包む舞台は、何者をも受け入れる“東京コリアンタウン”―。
『フラダン』表紙
『フラダン』 (Sunnyside Books)

古内一絵/著
小峰書店
2016.09

版元語録:女子率100パーセントのフラダンス愛好会に集められた4人の男子高校生。その目的は男女混合によるフラガールズ甲子園出場だった! 震災から5年後の福島を舞台に描くとびきりの笑顔と涙の青春ストーリー。
『おいぼれミック』
原題:OLD DOG, NEW TRICKS by Bali Rai, 2014
バリ・ライ/著 岡本さゆり/訳
あすなろ書房
2015.09

版元語録:移民が半数を超えるイングランド中部の街レスター。インド系、15歳のハーヴェイ達が越してきたお隣には、偏見に満ちた人種差別主義者ミックがいた。毎日の騒動の行末は…。

(さらに…)

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おいぼれミック

『おいぼれミック』
バリ・ライ/著 岡本さゆり/訳
あすなろ書房
2015.09

ルパン:おもしろく読みました。原題のOld Dog, New Tricksというのを見て、どんなお話なんだろう、と思いました。

しじみ71個分:いいお話だと思いました。でも、訳の問題だと思いますが、主人公のハーヴェイの話し言葉にしばらくの間ひっかかってしまいました。15歳のイギリスの男の子というと、もう少し大人っぽいだろうと想像しますが、ちょっと女の子らしいというか、幼いという印象がぬぐえませんでした。話が進むにつれて、気にならなくなってはきましたが。人種に対する偏見のある老人が、若者との日常のつきあいの中で、事件をはさんで和解に至るというシンプルですが、大人っぽい話だと思いました。くさくてかわいい犬が二人をつなぐ大事な装置になっているというのもうまいと思います。表紙の少年の挿絵もインド人を感じさせないし、サモサが登場する以外は、「善良なるインド人一家」と帯に書いてあるほどインドらしさは登場人物には感じられないのですが、作者自身も既に移民意識が薄くなって、定着している世代ということはないかなと思いました。舞台となる街自体が、移民の方が多数派になっており、旧来の地元住民が少数派になっているということで、逆に老人のミックの方が弱者という、逆転した状況に既になっており、ミックの人種差別的な発言は弱者の強がりといった感じの印象を受けました。ハーヴェイのぞんざいな言葉遣いも、ミックがハーヴェイの話すのを聞けば自然な英語を話していることを認めざるを得ないという点にも表れているように思いました。移民の第一世代が地元住民との間の摩擦を起こす、という段階を過ぎた状況を描いており、そういった意味では新しいと思います。複雑な状況を軽妙にさらっとおもしろく書いている点を大人っぽいと感じました。

よもぎ:以前は差別される側だった移民の人たちと、差別意識を持っていた白人とが、ここでは逆転しているんですね。だから「人種差別主義者」とずばりといっても痛切に響かず、かえってユーモラスな感じになっている。そこは、おもしろいと思いました。ただ、主人公のミックに対するしゃべり方がぞんざいなのが気にかかりました。「おいぼれ」という言葉も。原書のタイトルOld Dog, New Tricksのもとになっている諺のOldにも、「おいぼれ」のような侮蔑的な意味あいは、あまりないんじゃないかな。

さららん:軽いけど、テーマは明確です。すぐに読み終えた作品でした。102pで「心臓がいくらよくなったって、人生が破綻していたら意味ないじゃないか!」と、主人公はいい放ち、ミックの秘密にふみこんで娘さんを探し出します。一線を越える行動ですが、そういうことがあってもいいんじゃないかと私は思いました。だいたい主人公の気持ちに沿ってんでいけましたが・・・ちょっとひっかかるところも。原題のOld Dog, New Tricksという表現が、締めくくりにも使われていますが,「おいぼれ犬が新しい技をおぼえた」という訳は、どうなんでしょう? となりの老人ミックを、「おいぼれ」&「犬」と呼ぶことが気になります。愛情を込めた冗談だとは思うのですが、そう感じさせるためには、日本語にかなり工夫がいるのでは?

レジーナ:『おいぼれミック』というタイトルでは、読者が手に取りづらいのでは? けんかの場面では、主人公の言葉づかいは今どきの15歳っぽくて生き生きしているのですが、30ページの「〜だもの」など、語りになると幼くなりますね。93ページのネルソンの台詞も、「おれ様」なんて言う人は現実にいるのでしょうか?

ネズミ:偏見に満ちた寂しい隣のおじいさんのことを主人公がだんだんと心配するようになって……というストーリーはよかったのです。ですが、最後に手紙を開封するほどミックのことを心配する、そこまでして見たいと思うようになるというところまで、主人公の気持ちが動いていくようすが、物語のなかで今ひとつ迫って感じられなかったのが残念でした。原文の問題か訳文の問題かわかりませんが。犬と音楽の使い方はいいなと思いました。インドからの移民といっても、そのなかで対立もあることが描かれているのもよかったです。手紙を開封するという行動は規範から外れているけれど、戦争のときでも、お上の言うことに唯々諾々と従わなかった人が生き残ったり人を救ったりした例もあるので、こういう逸脱は時に現実にはありうることかと思いながら読みました。だからこそ、そこまで説得力のある盛り上がりがほしかったですが。主人公の口調は全体に年の割に幼い印象でした。

西山:時と場所が限定されている話を翻訳作品からも探さねばとなったとき、翻訳ものって、大抵そうなんじゃないか、と気づきました。日本の作品の中ではいつどこを限定しないように書いている作品の方が多いのに。ちょっと、考えさせられます。この作品は、マイノリティが差別されているわけではない。人種差別主義者のほうがマイノリティ。娘が黒人と結婚したから差別するというのは、ヘイトはちがうから、『セカイの空がみえるまち』とは同じ図式で考えられないと思いました。訳者あとがきで「シク教徒」について詳しく知ることができてよかったです。

マリンゴ:表紙から、ミックは完全に犬だと思い込んでいたので、「人間かよ!」と最初は大きな戸惑いがありました(笑)。みなさんも既におっしゃってますが、主人公が知的な15歳の子のわりに、冒頭でのミックに対する物言いが粗雑すぎると思いました。たとえば14ページの「サモサだよ」ですが、「サモサですよ」だと丁寧すぎるとしても「サモサっすよ」くらいにするなど、翻訳で調整できたのではないかなぁ、と。ミックはわかりやすいキャラだし、驚くような展開ではないけれど、イギリスの移民の実情が伝わってきましたし、時代に取り残されていく人の淋しさや、主人公のいろんな感情が描かれていていいと思いました。なお、版元の方によれば、15歳の子が主人公のYAで、これだけ短い本というのは、通常イギリスではありえないけれど、これはディスレクシアの子を対象としたシリーズのなかの1冊だから、簡潔な文章なのだそうです。

ピラカンサ:原書がディスレクシアの子どもを対象にした本だったら、日本でもそういう出し方の工夫をしてほしかったな。現状ではだれのせりふかすぐにはわからないところもあり、読むのが苦手な子どもには向いていませんね。改行のしかたなど、もっと工夫してほしいです。普通の本としては、ストーリーにご都合主義のところもあり、ちょっと大ざっぱすぎますね。ミックの入院中にハーヴェイたちがミックの家を勝手に片付けていて、テーブルの下の段ボール箱に開封されていない手紙があるのを見つけて断りもなく読んでしまうところなんか、どうなんでしょう? かわいそうなおいぼれだから面倒を見てやらないと、という上から目線に思えます。どうしてもやむをえず、ということであれば、「こういう状況ならやむをえないな」と読者も思えるように訳して(あるいは書いて)ほしかったです。結果オーライだからいいだろう、ではまずいと思います。

さららん:私は物語の主人公と主人公の家族が、インド系だとあまり感じられなかったんです。頭の中で、典型的なイギリス人の男の子をついイメージしてしまい……もしかしたら挿絵があったほうが、よかったのかも。

レジーナ:表紙の少年も白人っぽいですよね。

ピラカンサ:シク教徒はカースト制を否定していて皆平等だという理念をもっていることなど、この本から知ったこともありました。そういう意味では読んでよかったとも言えるのですが、気になったのはミックが単なる弱者で、ハーヴェイたちは同情して上から目線で「かわいそう」と思っているところです。書名からして「おいぼれ」ですから、よけいそう思えてしまいます。対等なつき合い方をしていません。たとえばp104「だって悪いやつじゃないよ。ただのおいぼれ犬だよ」p114「ぼくらがこんなに色々やったのに、相変わらずいやなやつのままだったのか」など気になりました。それからp110には、ジェニーが入院中のミックに会いにいったとき、「父は、私と会うのがこわかったんですって。私に憎まれているとおもっていたから」とありますが、ジェニーは返事がなくてもずっとミックに手紙を書き続けていたわけで、つじつまがあいません。リアリティがないように思いました。

げた:「ついに、おいぼれ犬が新しい技を覚えたぞ」ってのはちょっとひどいと思うな。ミックは人間で犬じゃないんだから。そんな思いを持ってて、本当に仲良くなれるんでしょうか?

さららん:おそらく英語の表現にはユーモアがあったはずだけれど、「老いぼれ犬」という日本語にしたとたん、ユーモアが消えて、差別的なニュアンスが出たんじゃないかしら。

げた:移民といえば、日本ってもっと受け入れた方がいいんじゃないかな。観光客じゃなくって、一緒に日常生活を営む仲間として。そのためにも、子どもたちがいろんな国やその国の人々のことを知るってことが必要だと思う。

コアラ:ミックのほうに感情移入して読みました。それで、くさい犬を飼っていたり散々な描かれ方で、あまりいい気持ちにはなれませんでした。7ページで、ミックが「人種差別ではない」と言っているのに、それを無視するかのように、人種差別主義者のミック、という扱いをするのが残念。移民の問題として、移民をする側の思いと、移民を受け入れられない、でも受け入れざるを得ないという側の思いの両方をすくいとって描いてほしかった。YAに分類されていましたが、装丁も内容ももっと幼い感じがしました。

アンヌ:このレスターという町の様子がうまくイメージできなかったので、同じ作家の『インド式マリッジブルー』(東京創元社)を読みかけています。そちらも舞台はレスターで、通りによって、ここらは90パーセントがアジア人の街で、この通りの反対側はスラム街で高級住宅街とか白人街もある等の説明があったので、たぶんこの本の舞台は、古い家のある街にアジア系の移民が増えていった地区なんだろうなと、見当がつきました。この本では、シク教徒や寺院の場面がおもしろかった。お父さんが「まるで小さなブッダだな」という場面には、非西洋的な理解の仕方を感じて、こういう風に子どもの言うことを受け止めてくれるお父さんがいていいなと思いました。

ルパン:66ページで、目をつぶればみんな同じ(移民もイギリス人も)、と言っていますが、ここはどういう意味なのかな。みな同じ人間だということ? それぞれの文化を尊重しあうべき、という異文化交流的なものがテーマだと思いましたが。そのうえ、文脈的に、ここは英語に訛りがないことを言っているらしいので、イギリス人に同化していることに価値があるようにもとれて、ちょっとひっかかりました。

アンヌ:この子なりに、同じイギリス生まれで同じ口調で喋っているんだよと説得しているのでは?

エーデルワイス(メール参加):原題はOLD DOG, NEW TRICKSで、おいぼれ犬に新しい技を教えてもむだ、というところから来ているのですね。物語は予想どおりの展開で、安心して読みました。シク教徒については、今回初めて、だれもが平等という精神を持っていると知りました。世界中に散らばっているインド人の3分の1がシク教徒だということや、イギリスのレスターは移民の町で、人工の40%がインド・パキスタン系のひとたちだということも。白人の方が押され気味で、そんなところからトランプ大統領のような人も生まれるのかと思いました。

(2017年1月の言いたい放題の会)


フラダン

『フラダン』表紙
『フラダン』 (Sunnyside Books)

古内一絵/著
小峰書店
2016.09

アンヌ:言葉でダンスや歌を説明するのは難しいことですが、この物語では、ハワイアンの奇声のような掛け声とか踊りの用語とかを知らないままに、まるでSFを読んでいる時のようにどんどん想像して読んでいくことができました。部活動で、男子のいない部に男子を強引に勧誘する場面等も、あるあるなどと思いながら読みました。ただ、読み直してみると、詩織の母親との関係や、木原先生の話などいらないと思う場面もいくつかあった気もします。私が一番心を打たれたのは、マヤが犬のジョンのことを悲しむ場面です。文学にできることは、こういう論理的に説明したり解決できない何かについて書くことじゃないかと思っています。心にいいものが残る小説だと思いました。

コアラ:文章がおもしろかったです。26から27ページの転入生柚月宙彦の自己紹介の場面とか、13から14ページの会話とか。あと薄葉健一の発言の書き方、53ページの12行目とか、聞き取れない小さな声を小書き文字で表現していて、あの年頃の男の子の言葉が全部「いいっス」みたいに「ス」が付くのも表していて、すごくおもしろかったです。フラガールズ甲子園で、詩織が観客席にきっといると信じて、戻ってこいと踊りで呼びかけるシーンが感動的でした。ただ、装丁がキョーレツで、手に取ることをためらわせるのでは、と思ってしまいました。もっとかっこいいほうがいいと思います。

げた:工業高校の生徒たちが、仲間同士小競り合いをしながら成長していく物語ですよね。フラダンスって、今や地域でも職場でもすっごく流行っているんです。高校生がスポーツとしてやってるのはとっても新鮮でした。とってもユーモラスなキャラクターが登場する話なんだけど、震災と原発がずっと裏に流れているんですよね。高校生たちが震災と原発によって歪んだ社会をなんとかしようとしている姿に感動しました。それにしても、原発は無くならないものでしょうかね。皆が生活を一段切り下げれば原発が無くたってなんとかなると思うんだけど。

ピラカンサ:原発の方が電気代はかえって高くつくことがわかってきたのに、辞められないのは利権に群がる人たちがいるからですよね。

げた:ラストで仮設の老人が咽び泣く詩織の背中に掌をそっと添えたってとこはよかったな。

ピラカンサ:この作品は、何よりもユーモアがあふれているところが素晴らしい! あちこちで笑えますけど、その中で福島の原発事故の影響なども描かれていて、考えさせられます。たとえば85pには「以前なら気軽に聞き合えた質問を、同じ福島県に住む穣たちはできなくなっている。互いの過去の重さの予測がつかないからだ。ほとんど被害のなかった自分が気軽に問いかけたことが、相手を深く傷つけてしまう場合だってある」とあります。父親が東電に勤めているという健一の視点も出てきますね。ストーリーには意外性も随所にあって、うまいですね、この作家。私はユーチューブで男子のフラダンスというのを見てみたんですが、本場のは体格のいい人がやっていて立派なのですが、日本の男子はほとんどの人が細身で、しかも腰に大きな飾りをつけてたりするので、とてもユーモラスでした。表紙も、中を読んでから見ると、とてもおかしかった。フラダンスは笑顔が大事ということで、みんな笑顔なのですが、その笑顔にそれぞれのキャラクターの思いが入っている気がします。キャラクターの書き分け方も、喜劇的なラインに寄ってはいますが、うまいですね。

マリンゴ: 毛色の変わったスポーツ小説に、原発や福島の問題を絡ませる……そのバランスがとてもいい本だと思いました。印象的なシーンとしては、85pの「うかつな質問はできない」以降の部分。高校生って傍若無人でいい時期なのに、まるで社会人のように、相手のプライバシーに踏み込みすぎないようにしていて、気苦労が伝わってきます。全体的によかったのですが、一部、芝居がかった文章が気になりました。たとえば180p。「だがこのとき穣は、まだ少しも気づいていなかった。〜衝突を生もうとしていることに。〜プラズマが潜んでいたことに」と、煽りすぎていて、そんなに煽らなくても続きはじゅうぶん気になってるから大丈夫なのに(笑)と思いました。またクライマックスでは、詩織が来ているかどうかまったく確認していないまま、みんなで演技をします。連ドラの最終回だったら、こんなふうに詩織が来るか来ないか!と煽りがちですけど、現実だったら、事前に来るかどうかだけでも確認するとか、来るように仕向けるとか、なんらかの行動を起こすかと思います。そのあたりが少しイメージ先行な気がして、最後の演技の部分、後味はよかったのですけれど、感動とか泣くとか、そういうふうにはなりませんでした。

西山:ほんとにおもしろかった!「3・11」から5年目の福島であることが、必然の物語だと思います。テーマを取って付けたような分裂がなくて、ひとつの小説として大満足の読書となりました。210pの真ん中あたり、「震災を経てから、自分たちは家族や出身地について明け透けに語ることを控えるようになった。」というところなど、実際にあるんだろうなと胸を突かれました。傷が生々しすぎる時期、もちろん語れないということも理解できる。でも、語れないことで、傷がいつまでもじくじくしているということもあると思うから、これは、本当に、何度も言うようですが、「5年目の福島」を言葉にしてくれていると思います。一方で、ほんとに笑える! 羊羹の一本食いとか……。それでいて。203pの羊羹を切るシーンで、実は意外にも繊細に扱われていたと分かるところなど、本当におもしろく読みました。こういうところが何か所もあって、読書の快を満喫しました。他に例えば258pの「成人よ、責任を抱け。」とか、共感できる価値観がいくつも言葉になっているし、よい1冊でした!

ネズミ:とてもよかったです。福島の人々、高校生みんながこういう問題を抱えているということを、部活を切り口に説教臭くなく伝えています。3人称だけど限りなく1人称に近い書き方で、主人公の穣の気持ちによりそって読者をひきこんでいます。あらゆる立場の部員が集まってるというのはフィクションらしい設定だけれど、あざといと感じはせず、気持ちよく読めました。一人一人が、この物語のどこかでとてもいいところを見せるのもいいなと。健一くんが、甲子園に「うまくなったから出たい」と主張するところとか。いいなあと思う文章もちらほらありました。125pの「別にどこかに出ていかなくても、意外なところに世界を広げるヒントは隠れていたのかもしれない」とか、255pの「少しだけ、男子だらけの工業高校に通う女子の気持ちが分かった気がした」とか。113pの「ナナフシから瀕死のマダラカミキリのようになった健一や」では爆笑。

レジーナ:登場人物が生き生きしていて、ユーモアがあって、何度も読みかえしたくなる本です。読んでいてすがすがしく、一人一人を応援したくなりました。羊羹を丸かじりする大河も、底抜けに能天気な浜子も、いちいち芝居がかったしゃべり方の宙彦も、これだけ強烈な人間はそうそういないし、フラガール甲子園で詩織が舞台に上がる場面も、現実だったらこんなにうまくはいきません。でも登場人物の心の動きや、福島の人たちが抱えている想いにすごくリアリティがあって、胸がいっぱいになりました。ひとくくりに福島と言っても、その被災状況はさまざまで、踏みこみすぎないように被災者同士気をつかったり、震災のことを話さないように学校で指導されたり、そういうどこにも出口が見つからない閉塞した状況も透けて見えます。原発事故で突然土地を奪われる理不尽さは、ハワイの歴史と重なりますね。弱い立場の人を切り捨てるあり方に作者が疑問をもっていることが、水泳部のいざこざをはじめ作品全体を通して伝わってきました。

さららん:引用しようと思ったところは、みなさんからもう出ているので、あまり言うことがないです。原発事故後の、分断化され、どこに住んでるのかさえ気軽に聞けない現実の重苦しさを、福島で暮らす高校生の、ありのままの重さにして書いているのが見事だと思いました。読者を笑わせながら、すうっと福島の問題に移れるのは、人物が人間として動いているから。テーマなんてものではなく、登場人物たちのおなかを通した言葉として「今」が語られているからなんでしょう。クライマックスで、サークルのみんなが大会の舞台で踊りながら、詩織を呼ぶシーンを電車の中で読んでいて、泣いてしまいました。『ウォーターボーイズ』や『フラガール』といった映画もあり、決して新しい素材ではないけれど、読者を楽しませつつ、考えさせる虚構の作り方の巧さに感心しました。

よもぎ:『チア男子!!』とか『ウォーターボーイズ』みたいな話かなと思って読みはじめたのですが、福島のいろいろな立場の子どもたちの心情が、きめ細かに書かれていて、おもしろいだけでなく深みのある作品だと思いました。これだけ登場人物が大勢いるのに、「これ誰だっけ?」と思わせずに、見事に描きわけている。本当に上手い作家だと思いました。思わず吹きだしながら最後まで読み、フラダンのクラブも順調にいきそうだし、敵視されていたおじいさんからも花束を贈られ、「良かったね」で終わりそうなのですが、「でもね……」という「もやもや感」が残る。その、どうにも解決できない「もやもや感」が現実の福島の姿なんじゃないかな。そこまで描けているような気がします。

しじみ71個分:さっき表紙がどうも、という意見がありましたが、私はこの表紙がすごく好きです。裏表紙の二人の顔の絵も意味深で、何で、何で?と、本筋ではないながら興味を掻き立てられながら読み進められて、うまい装幀だと感心しました。『セカイの空がみえるまち』の後、これを読んだのもあって、福島の問題をよくぞここまで貫徹して書いたなと作者の強い意志に感動しました。同じ県内でも被災しなかった地域の子、被災して帰宅困難地域から避難してきた子、加害者の立場にある父を持つ子、犬を置き去りにしたことで悲しんでいる子など、いろんな立場の子を通して、福島の今の問題にきちんと話の筋を返していこうという作者の意図が素晴らしいと思いました。また、言葉のセンスがすごくいい。言葉のうまい人だなと思いました。特に、主人公の穰が心の中で入れる突っ込みの言葉などは非常におかしくて、笑いを誘われました。著者の古内さんは、日大の映画学科を出たということですが、そのせいか表現が非常に映像的で、どの場面も映画のように画像が思い浮かびますし、穰が老人ホームで最初の男踊りを披露したときに、健一の背中に塗ったドーランですべって大コケするところとか、細かい描写が非常に場面を想像する助けになりました。あとがきに、実際の高校のフラダンス部に取材したとありましたが、ダンスのテクニックの詳細が書いてあって、『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著 講談社)の表現にも通じるかと思いますが、スポーツやダンスの様子に非常にリアリティを感じられたのも良かったです。福島の原発のせいで生じた閉塞感の中で苦悩しながら、部活に懸命に取り組む中で世界観が広がっていく過程を描くことで、非常に明るい希望を持てる作品になっていると思います。子どもたちに本当に薦めたいです。最後のフラガールズ甲子園のところは、仮設住宅に住まうおじいさんが花束を持ってきてくれたりして、和解につながるなどは少々都合よい場面と思うところもありましたが、それも含めて良い映画を見るように気持ちよく読めました。ヤンキーな浜子のキャラクターも良かったですし、男の子たちがお弁当を交換する場面で、宙彦がパクチーについてデトックスになると言ったのを健一が言葉尻を捕まえて「福島だから?」と鋭い質問を入れるところなども表現に緊迫感があり、宙彦が言葉に詰まるところを穰が救うところなども、高校生なりに難しい問題を語るときのもどかしさをうまく表現していたと思い、感心しました。

ルパン:まだ2017年が始まったばかりなのに、すでに「今年のイチオシ!」と言いたくなるような作品でした。これは傑作だと思います。3・11後の福島という場所にいるいろんな立場の子どもとおとなが描かれていて、すばらしいと思いました。特に、「原発問題後の福島にいる東電社員の子ども」である健一君のいたたまれない思いが非常にうまく書かれていると思います。でも、ちゃんとそこに寄り添う友だちもいて、心があったかくなります。情景描写もすごい。踊りを文章で表すのは難しいと思うのですが、地味なメガネ女子のマヤちゃんが、フラダンスを始めると「キエエエエ!」って掛け声をかけるあたりなど、目に浮かぶようでした。動いているものとか目に見えないものを文章にするのはすごい筆力だと思います。大絶賛です。268pの歌の歌詞で、「踊り上手なあなたに……」「踊り手がそろったら……」というところは、何度読んでも泣けてしまいます。

エーデルワイス(メール参加):福島原発の事故で、故郷に住めなくなった方や仕事をなくした方、そして子どもたちがどんな思いでいるかを、きちんと書いていると思いました。福島のフラダンスは有名ですが、笑わせてくれるところもたくさんあって、おもしろく読みました。自分の中では今年度読んだ本のベストの中に入ると思います。p241「・・本当にリーダーになれるのは一番弱い人のことまでちゃんとかんがえられる人だもの」p249「・・自分の悲しみを人と比べることなんてないんだよ」っp250「この世は自分たちの手には到底負えないほど大きくて深い悲しみと理不尽さでできている」などの名台詞もよかったです。

(2017年1月の言いたい放題の会)


セカイの空がみえるまち

『セカイの空がみえるまち』
工藤純子/著
講談社
2016.09

西山:新大久保のヘイトデモが出てくるというので、出た直後から話題になっていて気になっていた本です。ここでみなさんの意見をうかがいたいと思って、この作品から今回のテーマ「いつどこ固有の物語」というのを考えました。一言で言えば、ヘイトスピーチをとりあげたということは賛成したいと思います。物議をかもしそうなことを、どちらかといえばエンターテインメント性の高い作品を多く書かれている作家が取りあげるということは、子どもの本に関わる人たちにいい影響があるんじゃないかなと思ったので。書く題材が広がるということでは賛成。ヘイトというものを、学校裏サイトの言葉の暴力とつないだのは、問題意識を持っていなかった読者に近づけるやり方として有効だったと思います。ただ、新大久保のアパートの人たちが一様にいい人たちだったのがどうにも残念です。被差別者、偏見でレッテルを貼られている人を、そうじゃない「いい人たちなんだ」と描く物語は今までもたくさん書かれてきたと思いますが、それは事態を裏返しただけで、結局は壁をくずさないというか、そういう展開の仕方はまたかという感じがしました。基本賛成だけれど、不満が残ったというところ。野球部の男の子が繰り返される慣習を変えようとする点は、大事な提案だと受け取りました。

マリンゴ:発売直後、ネットでいくつかレビューを見かけたので、これは読まなくてはいけないのかなと思って買いました。今回、再読ができなかったので、記憶が若干遠いのですが、新大久保を舞台にして、ヘイトスピーチや在日韓国人の人たちとの関係性を取り上げた、という試みはとてもいいと思います。読み応えのあるテーマです。著者の工藤さんの小学生向けの本を読んだことがありますが、口語調のライトな文体でした。今回はYAだし、これまでの作品とは一線を画した重厚なテイストになっていることを期待したのですが、読んでみると、文体はラノベ的というか……。期待が大きかっただけに、やや失速感があった気がします。みんなはどういうふうに読むだろう、と思っていたので、今回の読書会の課題本として取り上げてもらってよかったです。

ピラカンサ:私も、こういうテーマを取り上げることは評価できると思ったし、たがいに異質の存在である空良と翔がだんだんうちとけていくのは、よく書けていると思いました。ただ、こういう作品こそ普通の本以上にうまく書いてほしいと思っているので、私はどうしても辛口になります。だって、子どもがせっかく読んでも浅かったりつまらなかったりしたら、社会に目を向けた作品をますます読まなくなりますからね。15-16pにヘイトスピーチのサンプルが出ていますが、実際はこんなもんじゃないですよね。新大久保のヘイトデモのプラカードも、ネット上にも、「死ね」とか「殺せ」なんていう言葉があふれている。でも、この本ではマイルドな表現しか使っていないのはどうしてなんでしょう? さっき、ラノベという言葉が出ましたが、キャラクターも、翔はまだしも空良は不安定な気がします。1章ではあかねに押される一方なのに、2章では酔っぱらいに声をかけたり、割って入った翔に文句を言ったりするので、どんなキャラ設定なのかわからなくなりました。知り合うきっかけとして翔が別のホームからわざわざ駆けつけてくるのも、わざとらしいですね。それから、空良の両親にしても翔の父親にしても、おとなが書けていません。著者の人間理解が浅いのかと思ってしまいます。それから例えば146pのように、ここに住んでいるやつらはけっこう図太くてたくましいよ、と状況を説明している部分が多いのも気になります。空良が、自分の一言で父親が出ていったと思い込んでいるのにもついていけない。主人公が物語の中で生き生きと動き出すというより、作者が書きたいことに沿ってキャラを動かしている感じがしてしまいました。残念です。

げた:たいへん厳しい言葉のあとに、甘い感想を言うのは気恥ずかしい感じがしますが、新大久保も上北沢も馴染みのある場所なんで、何となく親しみのわく話でした。新宿の職安も20年前には毎月仕事で通ってましたから。実は、私も翔くんと同じように野球部に入っていて、全く同じような経験をして、野球部内にはびこっている悪習をなんとかしたいと思っていました。でも、翔くんのように先輩に突っかかっていくことなんてできませんでした。すごいなと思いました。なかなか野球部の男子がこの本を手にするってことはないかもしれませんが、もし、読んだとしたら、きっと共感するんじゃないかな。ヘイトスピーチや父の失踪をめぐる家族との関係、同級生との関係など考えさせられる話題の詰まった本でした。買って読んだけど、よかったなと思いました。

コアラ:すごく読みやすくておもしろかったけれど、さらさらと読んでしまってあまり印象に残らなかったのは残念でした。複雑な家庭環境とかヘイトスピーチとか重いテーマを含んでいるので、さらっと読めるほうが重苦しくならなくていいのかもしれないとは思いました。作者の問題意識が強すぎると、物語がつまらなく感じたりするのですが、この作品はそういう作者の主張が浮き上がった感じはなかったと思います。トランペットの女子と野球部の男子、という設定はどこかで聞いたことがあるような、と思ってネットで調べたら、『青空エール』(河原和音作 集英社)という漫画が同じ設定だったことがわかりました。映画にもなった作品のようです。『青空エール』は高校生が主人公なので、それの中学生版ということでこの本が出版されたのかもしれませんが、同じような設定でいいのかなあ、とちょっと疑問に思いました。物語の最後のほうで、あかねと別れた野上先輩が急にイヤな奴に描かれていて、それもとってつけたようにありがちな描き方で残念。全体的に、自分と違う国の人たちのことを「あいつらは」と一括りにせず、一人一人と個人的に仲良くなっていこうというのが感じられてよかったと思います。でも、ちょっと物足りない。

アンヌ:主人公たちは中学生という設定なんですが、セリフが高校生という感じで、その割りにラブシーンが控えめなので、ああ、やっぱり中学生なんだと思いました。

げた:えっ!これ、中学生の話? ずっと、高校生だと思ってた。

アンヌ:酔っ払いに話しかける危険性とか感じていないところも、空良が中学生だからかもしれませんが、翔とのやりとりとか少し奇妙な場面でした。会社を辞めて失踪してしまうお父さんも、家族と話し合えない人なんでしょうが、子どもっぽくていい人には思えなかった。最初はいい話でおもしろいと思ったけれど、2度目に読むと、こういう矛盾ばかりが目に付いてしまいます。

ルパン:おもしろく読みました。が、どこがおもしろかったのかな、と後からふりかえってみると、正直なところあまり思い出せないんです。ただ読みやすかっただけ、ということでしょうか。翔くんの野球部の場面ですが、私はそんなに良いとは思いませんでした。やり方が稚拙で一人よがりだなあ、と。たとえば、2年生になったとたんに何でも自由にできると思って、勝手に1年生にグローブを持たせた結果、その1年生が3年生に怒られてしまうとか。練習をすっぽかしたあと、山本君が好意的に迎えてくれたのにひどい態度で応えるとか。部活の場面がとてもいい感じで始まっているのに、あっというまに「自分のためだけに野球をしているんだ」「ただ勝てるチームにしたいんだ」となり、それでいて、「山本君が成績のために野球をするのは気に入らない」と言い……部活動に対する理想が低く、ものすごく自分中心のせりふが多くて興ざめでした。
 冒頭でヘイトスピーチをとりあげていますから、「ことばの暴力」がテーマなのかな、と思ったのですが、そのわりに主人公の空良ちゃんも翔くんも、けっこう人に対してひどい言葉を使っていて、それに対する反省が見られない。ほかの登場人物の性格もまったくのステレオタイプか、野上先輩みたいにストーリーの都合でとちゅうで豹変してしまうかのまっぷたつで、奥行きが感じられませんでした。空良ちゃんのお父さんも翔くんのお父さんも自分のことしか考えていないし。一番の問題は、ヘイトスピーチがどこの方向にとんでいったのかわからないままであること。言う側にも言われる側にも、何の答えも出していない。ヘイトスピーチをするほうの問題にはまったく焦点があてられていないし、言われる側も、どう立ち向かっていくかという方向性が見えていないので。「言っている人が悪いので、言われているほうは何も悪くないんだよ」というメッセージだけでは、問題提起にすらなっていない気がしました。

しじみ71個分:自分の息子が中学生なのでそれと比べると、主人公の翔くんの言葉が中学生にしては大人っぽすぎて、腹落ちしない感じがしました。実際に子どもがしゃべる言葉と違うかなというところで、違和感が最後までありました。新大久保に関する最初の描写については、ヘイトスピーチへの理解と取扱いが薄くて、軽いかなと感じました。実際にはもっと暴力的だろうと思います。ヘイトスピーチを作品のモチーフに扱ったところは挑戦的だなと思いましたが、非常に重いテーマのはずなのに、最後の方ではそれがどこにも見えなくなってしまうなというところも気になりました。民族の違いにかこつけて、全く理不尽な、言葉や実際の暴力として投げつけられるヘイトと、翔くんが抱えている、自分を捨て、顧みない親に対する憎しみは全く異なる種類のもののはずですが、親に対するヘイトを乗り越えるというところで終わってしまって、筋がすりかわってしまっており、最後には触れることもなくなってしまっているのが残念に思いました。空良ちゃんとの関係も、結局は、学校や部活のはみ出し者同士がくっついちゃうんだな、あーあという感じを受けて、かなりステレオタイプなストーリー展開だと感じました。あと、中学2年生にしては、部活改革で戦うというのも大人っぽすぎるなと思って入り込めず、あまり気持ちが動かされることが最後までないまま終わっちゃったのが残念でした。

よもぎ:私も、「主人公たちは中学生なんだ!」と、びっくりしました。それはともかく、数年前までは、読書会で取りあげる日本の創作といえば、登場人物の半径数メートルのことばかり書いたものが多かったので期待して読んだのだけれど……。ヘイトスピーチも新大久保のことも、風景程度にしか描いていなくて、ちょっとがっかりしました。ヘイトスピーチ、どこに行っちゃったの? 作者の中で熟していないまま、作品として出してしまった感じがします。それから、説明で書いてあるところが多くて、もっと動きや情景で描いて欲しかったなと思いました。こういうタイプの話によくあるんですけれど、新大久保に住んでいる人たちはみんないい人みたいな書き方も、薄っぺらい感じがしました。空良のお父さんも、翔のお父さんも、けっきょくはいい人だったみたいな書き方もね。『きみはしらないほうがいい』(岩瀬成子著 文研出版)は、人間の心の深みにまで踏みこんでいて、感動しましたが。

さららん:私も主人公は高校生だと思っていました。装丁がアニメ風でしょ。自分で本屋に行っていたら、手にとらなかったと思うので、今回読めてよかったです。なんの予備知識もなしに読みはじめたらヘイトスピーチが出てきて、『おっ、これは第一印象とは違って骨のある話かな』と思ったんですが……。疾走感があり読みやすく、漫画を読んでいるように、どんどん先へ連れていかれるけれど、よくわからない部分が残ります。特に翔のお父さんや、ヒトミさんなど大人の造型がパターン化されていて、感情移入できないままでした。

レジーナ:ヘイトスピーチという、今の社会が抱える問題を扱った点では意欲作だと思いました。でも登場人物にリアリティがなく、感情移入できませんでした。217pの野上の発言ですが、こんな無神経なことを言う人は現実にいるのでしょうか。ヒトミもいい人すぎますよね。ゴミの分別にこだわるキムさんもそうで、「ちゃんとゴミを分別する、こんないい外国人もいる」ということを伝えたいのはわかるのですが、ステレオタイプを反対側から書いて終わっているので、ヘイトに抵抗する力は感じませんでした。ジェニー・ヴァレンタインの『迷子のアリたち』(田中亜希子訳 小学館)も、社会からはみだしている人たちが暮らすアパートが舞台ですが、そちらの登場人物のほうが深みがあります。

ネズミ:さまざまな家族のありようやヘイトスピーチを扱っているのはいいなあと思いました。翔と空良、それにほかの登場人物たちもさまざまな問題を抱えている。今こういう状況は実際めずらしくないだろうと思います。でも全体に、トラブルをかかえている人とそうでない人がステレオタイプで描かれている印象がありました。それにお父さんが出ていったからといって、それでいじめにあうのでしょうか。私がこれまで見てきた中学生は、難しい家庭の事情に対してむしろ同情的というのか、そこはいじらないという暗黙の了解があるような子が多かったのですが、この本ではそれも「普通ではない」という意味でトラブルの発端になるので、今はこういうことがあるのならおそろしいと思ったし、そういった子を真の意味ですくいあげる方向には向かっていない印象がありました。118pにある「世間からはみだした人は、案外いい人が多いんだよなぁ」というセリフは、言ってほしくなかったです。意欲作だけど、私は中高校生に積極的に手渡すのはためらうかな。

エーデルワイス(メール参加):市内のどの図書館にもなくて、県内の所蔵刊から取り寄せてもらおうとしましたが、新刊は半年以上たたないと他の図書館に貸し出しできないと言われてしまいました。で、仕方なくアマゾンから取り寄せたのですが、すぐ自宅に届き、複雑な思いを味わいました。読んでみて、韓流ドラマブームとか、従軍慰安婦像の設置問題とか、大統領の罷免問題などがわっと頭にうかびました。日本で起きているヘイトスピーチの怖さも感じました。表紙が、今話題のアニメ映画「君の名は」い似ていますね。中高生が手にとってくれるようにという配慮でしょうか。藤崎空良と高杉翔の章が交互に登場するなど、工夫されていると思いました。異文化の差別はもちろん、この物語にあるような学校での重苦しいいじめも、なかなかなくならないのですね。

(2017年1月の言いたい放題の会)


紅のトキの空

ジル・ルイス『紅のトキの空』さくまゆみこ訳
『紅のトキの空』
ジル・ルイス作 さくまゆみこ訳
評論社
2016.12

イギリスの児童文学。『ミサゴのくる谷』や『白いイルカの浜辺』でおなじみのジル・ルイスの作品です。ルイスは獣医でもあるので動物の描写が正確だし、困難な状況を抱えた子どもたちに寄り添おうとする気持ちが、この作品にも反映されています。
この作品に象徴的に登場するのは、ショウジョウトキ(スカーレット・アイビス)。トリニダード・トバゴに生息する真っ赤なトキです。そこから名前をつけられたスカーレットは12歳で、褐色の肌(写真でしか知らない父親がトリニダード・トバゴの人だったのです)。精神的な問題を抱えた母親と、発達が遅れている白い肌(父親が違うということですね)の弟との3人暮らし。毎日の生活をなんとか回しているのはスカーレットなのですが、なにせ12歳なのでそれにも限界があります。
スカーレットは母を心配し、弟を守ろうと懸命なのですが、住んでいるアパートが火事になったことから、これまでの暮らしとは違う世界に投げ出されてしまいます。果たしてスカーレットたちは、自分の居場所を見つけることができるでしょうか?この作品にも、傷ついた鳥や捨てられた鳥の世話をしているマダム・ポペスクという魅力的なおばあさんが登場します。
ジル・ルイスは後書きで、主人公スカーレットのような、家族の責任を自分が背負わなくてはいけないと思っている子どもが、英国にはたくさんいると書いています。また、「家」や子どもの居場所について考えて書いた本だとも述べています。
(装画:平澤朋子さん 装丁:中嶋香織さん 編集:岡本稚歩美さん)

*SLA夏休みの本(緑陰図書)選定

紹介記事

・「子どもと読書」(親子読書・地域文庫全国連絡会)2017年5〜6月号

 

・「こどもとしょかん」(東京子ども図書館)2017年春号

 

・「子どもの本棚」(日本子どもの本研究会)2018年1月号

 

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フローレンス・ナイチンゲール

デミ『フローレンス・ナイチンゲール』さくまゆみこ訳
『フローレンス・ナイチンゲール』
デミ作 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2016.12

ノンフィクション絵本。ナイチンゲールの本は日本でもたくさん出ていますが、この作品は、なによりデミが描いている絵を見ていただきたい。

私は、ナイチンゲールという人はずっと現場で看護の仕事をしていたのかと思っていましたが、じつは違いました。35歳の時に熱病にかかり、その後は主にベッドで研究したり執筆したりしていたのですね。ナイチンゲールが状況を改善するまでは、当時の病院は、排泄物があちこちにあったり、ネズミがかけずり回っていたりして、相当不衛生だったようです。デミも、そういう場面を描いているのですが、彼女の絵は汚くならないのですね。

原書は金色が使ってあるのですが、日本語版は金が使えなかったので、森枝さんが、題字に細工をして、かがやいているようにデザインしてくださいました。森枝さんは、いつもすてきな工夫をしてくださいます。こういう科学・知識の絵本は、文章をただ訳すだけでなく、原書の記述が正しいかどうかも私は調べて確かめます。そうでないと、安心して日本語にすることができないので。
(装丁:森枝雄司さん 編集:鈴木真紀さん)

■■■

『フローレンス・ナイチンゲール』紹介文
「本の花束」2020年11月3回号掲載
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レイン〜雨を抱きしめて

アン・M・マーティン『レイン』表紙
『レイン〜雨を抱きしめて』
アン・M・マーティン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2016.10

『レイン〜雨を抱きしめて』をおすすめします

父親と暮らす5年生のローズは、高機能自閉症と診断され、周囲にうまく適応できない。拾ってきた犬のレインが友だちだが、ハリケーンで行方不明に。必死の捜索で見つかった後のローズの行動が、周りの状況を変えていく。

自分がほかの大勢とはどこか違うと感じている子どもたちに、元気をくれる本。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年12月24日掲載)


2016年12月 テーマ:遅ればせながら魔女

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『2016年12月 テーマ:遅ればせながら魔女』
日付 2016年12月22日
参加者 アカシア、あさひ、アンヌ、げた、西山、ピラカンサ、ネズミ、ノン
ノン、マリンゴ、よもぎ、レジーナ、(くまざさ)
テーマ 遅ればせながら魔女

読んだ本:

『きかせたがりやの魔女』
岡田淳/作 はたこうしろう /挿絵
偕成社
2016

版元語録:小学校にはかならず魔女か魔法使いが住んでいる! どんな魔女かって? それは読んでのお楽しみです。短編連作の名手、岡田淳が送るちょっとおしゃれな魔法の話。ほぼ毎ページにはたこうしろうさんが、絵を描いています。
『賢女ひきいる魔法の旅は』
原題:THE ISLANDS OF CHALDEA by Diana Wynne Jones & Ursula Jones, 2014
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ & アーシュラ・ジョーンズ/著 佐竹美保 /挿絵 田中薫子/訳
徳間書店
2016.03

版元語録:魔法で守られた島への旅を命じられた叔母と12歳のエイリーンは…。ダイアナの絶筆を妹アーシュラが加筆完成。
『王様に恋した魔女』
柏葉幸子/著 佐竹美保 /挿絵
講談社
2016.09

版元語録:柏葉幸子のファンタジー! 争い合う国々。そこには、国を守る魔女達もいて……。嫌われながらも国を守る、切ない魔女達の物語。

(さらに…)

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王様に恋した魔女

『王様に恋した魔女』
柏葉幸子/著 佐竹美保 /挿絵
講談社
2016.09

西山:おもしろく読みました。調べもしてないのですが、これって、どこかに連載していたものを集めたのかしら。基本設定を繰り返したり、文体が不統一だったり・・・・・・。メモでも取りながら読めば、それぞれの物語がどう絡んでいるかがもっとはっきりしてもっとおもしろいのかもと思っています。さらさら普通に頁を繰っていくと、どこの誰だったかということは混ざっていって思い出せない。柏葉さんは、このタイプの、西欧中世的異世界のファンタジーを時々お書きになっていると思うのですが、私は、現代日本がベースとなっているファンタジーが柏葉作品の中心と理解しています。今日のテキストの中で魔女の歴史性を踏まえているのはこの作品。血でつながらない家族の有り様(p26)は、『岬のマヨイガ』(講談社)も思い出させて、柏葉さんのテーマの1つなんだろうと思います。でも、魔女の魔法の力は血で継がれるので、魔女は、血縁の抗いがたさと、そこからの解放を考えさせる絶妙の存在なのかもしれません。「カッコウの卵」の「竜まきの姫君」好きでした。(追記:「ラ・モネッタちゃん」を思い出しました。)

マリンゴ:とてもよかったです。『岬のマヨイガ』は、ストーリーがてんこ盛りだったのに対して、こちらは抑制されたトーンで、少ない言葉でたくさんのことを描いていて、正直、こちらの作品のほうが好きでした。大人向けの短編連作集のような作り方で、子どもに対して遠慮がないので、読む子たちは新鮮に感じるのではないでしょうか? ただ、最後の2編が「ですます調」になっていることに違和感がありました。世界観も違うので、これは省いて別の本に収録すればよかったのに、という気が。あと、説明の重複が多いですね。子供へのわかりやすさのためにわざとやっているのか、別々の時期に書いた短編をまとめたときに重複が生じたのか、わからないのですが。あと、どうでもいい余談ですが、74ページのイラスト、「真珠色の豊かな髪」という文章から想像する髪の毛とまったく違って(笑)。こんなソバージュっぽくはないかな、と思いました。

げた:魔女ってなんだって、あんまり考えたことなかったんですね。魔女って、歴史的にみれば、ものすごく能力のある女性が男性社会にいいように使われて、都合が悪くなったら、魔女狩りと称して抹殺される、そんな悲劇的な存在・・・だった。そういうことだったのかと今更ながらわかったような気がしました。新鮮な感じではありましたね。この魔女話集はどれも悲しいものばっかりですよね。私は基本的に楽しいお話が好きなんですけど、終わりの3つが、ハッピーエンド的で比較的楽しめるお話で終わってよかったかな。

ピラカンサ:お話はおもしろく読んだんですが、どこか落ち着かない気持ちになるのは、実際の魔女をめぐる歴史との齟齬があるからかもしれません。魔女狩りの時代は、「魔女」というレッテルを貼られた「普通」の女性が逮捕されたり処刑されたりしていた。でも、この作品では、かなり強い魔法を使える魔女が権力者につかまるのを恐れて隠れたりしている。子どもの読者が読んだら、びくびく隠れてないで魔法でなんとかすればいいんじゃないの、と思うんじゃないかな。佐竹さんの絵は素敵ですが、表紙の右上にあるネコだけコミカルに描かれていて、ちょっと笑えました。

あさひ:柏葉幸子の作品は、『霧のむこうのふしぎな町』(講談社)をはじめ何冊か読んでいて、どれも好きでした。今回、久しぶりに読むということで、楽しみにしていました。1章ごとに、お話がそれぞれバラバラで、これらがどう1つにまとまるのか、つながるのか、と期待して読んでいったら……最後までそのままで、拍子抜けしてしまいました。まさか、短編集とは……。全体で1つの物語になると思っていたので、個別のお話ごとに繰り返される、背景、状況の説明を、少しくどいかなと感じながら読みました。でも、物語の世界観や1つ1つのお話は、とてもおもしろかったです。なので、余計に、1つの物語としてつながった作品を読んでみたいと思いました。個人的には、このように、魔女狩りを設定にいかしている作品を他に読んだことがなかったのですが、子どもがどう受け取るかなどは気になりました。歴史を知らなかったら、魔女狩り自体が物語の世界のこと、と思ってしまう子もいるのでは?
先ほどお話があった、魔女という設定に関しては、個人的にはいろんな意味を持たせて描かなくてもいいのかなとは思っています。不思議な能力がある存在というだけで、物語に登場してもよいのではと思います。

ノンノン:読み応えというところで、もう一歩踏み込んでほしい印象でした。自分が編集担当だったら、読者が読み終わって、「短編が鎖のようにつながり『ああ! なるほど!』とすとんと落ちるようにつなげてください」とお願いするかも。そうすると、何度も読みたくなる作品に仕上がると思うので。文章がとても上手いと思ったんですが、少し書き足りてないところがあるのかも? 何回か戻らねば分からないというのが何か所かありました。あと、せっかくこの世界観で、佐竹美保さんの美しい絵でまとめていくのなら、短編すべてを淡々とした常体でまとめてもよかったのではと思いました。説明の重複も削ってもよかったかも? この本は魔女の話ですが、女性の気持ちも描かれているので、全編、わかりやすい形で掘り下げられたらすてきかな。本書のなかではシルバの話が好きでした。最後にお嫁にいくかどうかのシーンで「私を認めてくださった 好きになれる」というセリフ、すごくよかったです。小学生の自分の価値を認められていないと感じている子どもにすごく響くのではと思いました。あと蛇足ですが、たくさん姫君がいて嫁に出す話がありましたけど、息子いないのに全員嫁に出して跡継ぎどうする?と思いました(笑)。佐竹さんの絵も好きなんですが、想像したのと違う表情・しぐさの絵があって…。石工の奥さんのプラチナブロンドの長い髪がちりちりに描かれているところとか、あーん、違う〜と思いました(笑)。やっぱりさらさらヘアじゃないと、金髪は女子の憧れなので。

アンヌ:今回の作品の中では一番好きです。ロシアの怪談や民話から題材をとった短編集『魔女物語』(テッフィ著 群像社)を思い出しました。この物語の向こうにも日本の古典の物語が見えてくる気がします。「カッコウの卵」「魔女の縁談」の竜まきの姫君には、『虫めづる姫君』を思い出しました。もしこれを読んだ子どもが大きくなって『堤中納言物語』や『とりかえばや』『宇津保物語』などを学校で習った時、何か共通するものを感じるといいなと思います。私は魔法戦争が出てくる話が嫌いなのですが、この物語では実際に戦争で戦う場面はありません。いかにそれを避けて生きるかという話の方が多い。杖殿の説明が毎回あるのも、昔話の始まりのような繰り返しの心地よさを感じます。私は魔女について考えるのがとても好きで、それは同時にミソジニーとか異端であることについて考えていくことになると思っています。「ポイズン・カップ」の母も、弟を眠らせたら城主となることも可能だったろうに、女装して魔女のふりをして暮らす。闘わないことを選んだ一種の異端者のように感じます。残念なのは、最後の2つの話が魔女というより竜の話になっていったこと。この2つには違和感があります。

よもぎ:最後の2つの物語だけ敬体で書かれている点にも、違和感がありましたね。いろいろな雑誌に掲載した物語を集めたので、しかたがないのかしら? 私は、最後の2つが好きなので、こういう物語を集めた別の作品集を読みたいなと思いました。そしたら、対象年齢も、もっと低くなって、楽しい本になるんじゃないかな。物語自体は、読んでいるときは、それぞれおもしろかったし、美しいとも思いました。史実にある魔女(魔女と呼ばれた女たち)や、ジェンダーの問題も意識して書かれていると感じましたし。ただ、それぞれの話がつながっているような、いないような……。読み取れていないのかなと思って、何度も読みかえしてみたのですけれど。

ネズミ:カバーそでを読んで、1つの話だと思って読み始めたので、短編集だと認識するまでとても戸惑いました。会話の言葉遣いや、描写の美しさなど、さすがだなと思うし、女のさまざまな生き様が1編ずつに浮き彫りになるのはおもしろかったです。ただ、「名を名のらぬ魔女」がいる世界という共通点があっても、最後の2編だけ敬体になっているので、本づくりで疑問が残りました。雑誌などで発表されたお話を集めたのかなという印象を私も持って、巻末に何か書いていないかと探しました。あと、結婚とか、これからの生き方とか、この本で描かれているテーマは、小学生よりも中高校生が悩むことかなと思うと、体裁と対象年齢がずれている気がしました。四六版で、もう少し大人っぽいほうが、そういう人たちが手にとったかなと。

レジーナ:柏葉さんの本は子どもの頃大好きで、『霧のむこうのふしぎな町』(講談社)、『りんご畑の特別列車』(講談社)、『かくれ家は空の上』(講談社)など、何度読みかえしたかわかりません。この作品は短編集だからかもしれませんが、少し物足りない印象を受けました。描かれる恋愛の形もすごく古典的です。おとぎ話風に語るにしても、現代の問題への洞察があったり、『逃れの森の魔女』(ドナ・ジョー・ナポリ/著 金原瑞人・久慈美貴/共訳 青山出版社)が「ヘンゼルとグレーテル」を魔女の視点で描いているように、ジェンダー等の問題について現代の文脈で見直していたりすると、より深くなると思いました。

(2016年12月の言いたい放題)


賢女ひきいる魔法の旅は

『賢女ひきいる魔法の旅は』
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ & アーシュラ・ジョーンズ/著 佐竹美保 /挿絵 田中薫子/訳
徳間書店
2016.03

ネズミ:私はもともとファンタジーは苦手で、ダイアナ・ウィン・ジョーンズもいつも最後まで読み進められないのですが、この本は読めました。叔母さんが賢女だと思っていたら、旅の途中からエイリーンががんばらなきゃならなくなって、どうなるのかと物語にひきこまれました。10代の読者もエイリーンを応援しながら読むのかな。でも、次々と出てくる登場人物やキャラクターが頭の中でごちゃごちゃになったので、人物紹介に絵があってよかったです。

よもぎ:わたしは、ただもうおもしろく読んでしまいました。おっしゃるように、登場人物が多いので、佐竹さんのイラストでしょっちゅう確かめていましたけれど……。エイリーンが憧れていたアイヴァー王子が、旅の途中でわがままな駄々っ子だとわかり、バカにしていたオゴのほうが頼もしく成長するというところなど、おもしろいと思いました。ただ、スコットランドらしき島から出発して、アイルランド、ウェールズらしき島を経てログラ島=イングランドに向かうという旅は、イギリスの読者にとっては楽しくても、日本の読者にはピンと来ないかもしれませんね。

アンヌ:ダイアナ・ウィン・ジョーンズは全作品読んでいますが、当たりはずれがある作家だと思います。この作品は以前に2回読んでいるはずなのに全然思い出せなくて……。たぶん、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ特有の大団円の醍醐味がないせいだと思います。彼女の作品にはいつも、様々な伏線やたくさんの登場人物について落ちがつく驚きと満足感があります。いつだったか『ファンタジーを書く: ダイアナ・ウィン・ジョーンズの回想』 (徳間書店)を読んで、彼女が写真記憶の持ち主だと知って、なるほどと思いました。今回はメモもなかったということなので、妹さんには細かい落ちまでは書き上げられなかったのだと思います。賢女の賛歌で謎を解いてワルドーの隠れ場所の噴水へ昇っていくところなど、かなり無理があるし、聖獣の存在の意味も、もう一つはっきりしていない。P.303の<お父さんは頭のてっぺんにキスをして(それで私は早くも冠を頭にいただいたお妃の気分に…)>のように意味が分かりづらい文章も多い気がします。

ピラカンサ:ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、私は苦手な作家です。自分のテイストには合わないということかもしれないけど。この作品もプロットだけのおもしろさで引っ張っていくように思えて、どうしてここでご都合主義的に風が吹くのだろうとか、アイヴァー王子がここまで排除される理由がよくわからないとか、いろいろ疑問を持ちました。ハリポタ的というか、キャラクターの厚みもあまりないし、才気あふれる作家なんでしょうけど、思いつきでプロットを推し進めていっているように思えてしまいました。

ノンノン:『ゲド戦記』とか「守り人」シリーズとか、もともとファンタジーが好きなんですが、ダイアナ・ウィン・ジョーンズは読んだことがなかったので、どんな作品を書く人なんだろうと楽しみに思って読みました。でも、これは引き込まれるところが弱かったです。文章が推敲途中なのかな? 中途半端な感じがありました。人物造形描写が甘いのかも。たとえば主人公のエイリーンは、自分はダメだと思っている割には、王子様と結婚できると思っている。変な自信があるんですよね。賢女の才能が目覚めたところも、どういう風に目覚めていくのか、自覚していくのかなどの描写が足りなくて、分かりにくかったです。島ごとの聖獣の特徴や、その存在価値、島を旅する理由なども伝わってこなかったし…。あと、途中で王子を救いにいく話はなくなって、お父さんに会いたいというところが繰り返されて、「あれ? 王子は…?」と思いました。

あさひ:登場人物たちの性格がつかみきれず、物語の途中で、この人こういう行動をとる人だっけ? とつっかかりながら読みました。ファンタジーで描かれる異世界は好きなのですが、本書では、独自の設定、ルール、詳細などが、楽しめるほど書き込めていないのかな、と思いました。主人公の恋物語の流れはおもしろかったです。

アンヌ:『魔女集会通り26番地』(偕成社)(新訳『魔女と暮らせば』《徳間書店》)とか、『グリフィンの年』(東京創元社)などは、本当におもしろくて見事なんですが。

げた:この本が読めないという方もいらっしゃって、私だけじゃないとわかってちょっと安心しました。これってロールプレイイングゲームみたいな感じでしょ? ビデオゲームって苦手なんですよ。魔女については、この本ではあんまり深く考えなくていいんじゃないかな。昔図書館で児童担当だったとき、『ハウルの動く城1 魔法使いハウルと火の悪魔(徳間書店)』を同僚におもしろいよって勧められたんですけどね、読めなくって挫折しちゃいました。今回はよまなくちゃと、メモを取りながら読んで、話の筋としてはうまく書けているのかなとは思いました。どこまでをダイアナが書いたもので、どこからアーシュラが書いたのかはよくわかりませんでした。なんとか読み切りましたけどね。結局こういうファンタジーってたいした内容はないわけですよね。勧善懲悪的で、これも、悪の権化みたいなワルドーを魔女としての才能を開花させたエイリーンが懲らしめるという、そんな冒険の過程を楽しめばいいってことかな。

マリンゴ: 私もだいぶ苦手でした(笑)。もともと、ハイファンタジーが得意ではないのですが、それでも楽しく読めるものもある中、これは厳しかったです。描写がそこそこあるのですが、イメージが湧かない。この作家さんの描写のスタイルが自分と相性よくないのかと思います。キャラクターもちょっと掴みづらくて、たとえばベック叔母さんは、みんなを引っ張っていく賢女のはずが、あんまり賢いと思えなかったり。あと、最後のほうは文章の流れがギクシャクしていて、テンポよく読めなかったのが残念でした。作者のことをくわしく知っていたり、作品の背景となったイギリスをよく知っていたりすると、また味わいが違ったのかもしれませんが。

レジーナ:私もダイアナ・ウィン・ジョーンズは苦手な作家で……。何か伝えたいことがあるとか、胸の奥底の思いに突き動かされて書いている作家ではないように思います。作って書いているというか、頭で書いているというか……。70ページで、「キンロス公(アイヴァ―王子の称号だと思われる)」と注がついています。作者が亡くなっていて、確かめようがなくてこうしたのだと思いますが、子どもが読むことを想定しているならば、この注は不要だと思いました。名前は統一した方が読みやすいです。

西山:苦手と言いつつ、みなさん読み切ってらっしゃるのに・・・・・・すみません。何日か持ち歩いたのですが、読み進められませんでした。ごめんなさい。

くまざさ(メール参加):この作品も、なんとなく流通しているイメージに安易に頼っているという点で、「楽をしている」作品だと思います。ファンタジーを描くのに、中世っぽい世界や、魔法が生きている世界っぽい道具立てを、これでもかと詰め込んでみせていますが、そのイメージを根底のところから作りあげているのではなく、あちこちから借りてきているだけで、深みも革新性もないと思いました。しかも作者の頭のなかでだけつじつまが合っていることを、それほど説明する気がないらしく、後出しじゃんけんのようにいろいろな設定が明らかになり、一々それに合わせて頭を切り替えなくてはならなかったので、そういう意味でも読者に不親切な作品だと思いました。主人公がまるで傍観者で、事件が起きても、あっさり流していくので、狂言回しとしてはこれでいいのでしょうけれど、物足りないです。たとえば、この主人公は、設定からいって海に船出するのははじめてのはずですよね。だけど、潮の香りや海に出たときの感激といったことはいっさい描かれず、ただたんたんと船内の描写などが続きます。彼女が物語を進めていくコマにしか過ぎないことがよくわかります。『アナと雪の女王』は魔法が生きている世界を描いていますが、すばらしいと思ったのは、危機一髪の時に男性の勇者があらわれて事態を収拾してしまうといった、紋切型のクライマックスをいっさい拒否して、姉妹の物語に収斂していくところです。『ズートピア』は動物たちが暮らす架空の世界を舞台に、エディ・マーフィーの『48時間』のストーリーをなぞったようなバディムービーですが、人種と偏見の問題に一歩も二歩も踏み込んでいて、作り手の志の高さを感じました。この2作品には、ファンタジー、あるいは異世界を描く意味がはっきりあります。『賢女ひきいる魔法の旅は』は、ファンタジーの皮をかぶった、あまりおもしろくないドタバタもの+自己評価が低い女の子と、実は王子さまだった男の子との、ありがちなロマンスもちょっとあるよ、といった感じで、異世界である意味もなく、モチーフは借り物か、あるものをつぎはぎにつなげた作りもの。こういうのわかるでしょ?という感じで想像力の多くの部分を、よくあるイメージにゆだねてしまっていて、残念な作品だと思います。

(2016年12月の言いたい放題)


きかせたがりやの魔女

『きかせたがりやの魔女』
岡田淳/作 はたこうしろう /挿絵
偕成社
2016

よもぎ:今回取りあげる本が発表されたときに、「いまさら岡田淳さんの作品?」とか「いい本に決まってるのに、どうして?」という声もあったかと思いますが(笑)、やっぱり読んでよかったと思いました。特に素晴らしいと思った点を2つあげると、ひとつは学校が舞台の物語ですが、教室とか運動場のように広い場所だけでなく、踊り場とか、校庭の端にある茂みとか、隅っこにある小さな場所にスポットを当てているところです。はるか昔、小学校の図工の時間に、先生に「学校のなかの、誰も見ないような場所の絵を描きなさい」といわれて、みんな目を輝かせて階段の下とか、校舎の裏とかを探しまわったことを思いだしました。子どもって、そういう場所が好きですよね。その先生、このあいだ亡くなった、画家の堀越千秋さんのお父さんなのですが、その堀越先生も岡田淳さんも、子どもの心を良くわかっているなと思いました。もうひとつは「はずかしがりやの魔女」にあるように、この年齢の子どもが感じとれる抒情を見事に書いているところです。涙線をくすぐる感傷ではなくって……。最近、児童書に携わりたいと思っている若い人たちの話を聞くと、とかく絵本とYAにばかり興味が向いているような気がしてならないのですが、児童書の核になるのは、やはりこういった小学生向けの読み物だと思うんですよね。

ネズミ:今日みんなで話し合う3冊の中ではこれが一番すっとなじみました。小学校中学年くらいの子どもにわかりやすい、美しい言葉で書かれていて、安心して読める本だと思います。大きな話の中に、いくつものエピソードが入っているというつくりは、岡田さんの『ふしぎの時間割』(偕成社)と似ていますね(『放課後の時間割』か、どちらかと、やや議論あり)。ただ、1つ1つのエピソードは前作のほうが印象的だった気がします。もしも岡田さんの作品を1つも読んでいない子どもに薦めるなら、『ふしぎ〜』のほうかな。でも、こういうテーマを好きな子にはこの本もいいですね。

西山:児童文学の王道のプロの書き手だなあと改めて思いました。時々岡田さんがとる入れ子の構成はちょっとどうなのか、回想によって生じる感傷は今おっしゃった抒情とは違って、子ども読者にとって必要なのかどうかと、思います。くすっとしたり、おもしろかったところはたくさんあります。ちょっと挙げれば、「タワシの魔女」のぼんやり好き(p103)、「しおりの魔法使い」の「探検家になりたい」「なればいいではないか。」というやりとり(p134)とか好みです。1カ所だけあれ?と思ったのは、126ページの虫眼鏡を取り出して手帳の細かい字を見るところ。はたこうしろうさんの絵ではっきり描かれているように、体の小さな魔法使いが、彼からすれば巨大な手帳を見ているのだから、虫眼鏡はいりませんよね。ま、小さなことですが。

マリンゴ: 岡田淳さんの作品はすばらしいと思っています。児童書に携わるようになってから読み始めました。もし児童書と関わってなければ、岡田さんを読むことがなかったのだと思うと、なんだか怖ろしい気がします。この作品もよかったです。魔女の語るお話がことごとくおもしろくて、満足度が高かったです。敢えて言えば、40ページに「もっとクロツグミのことをよくみておけばよかった」と書いてあるのが伏線だと思って、次の章でクロツグミばかりみる展開になるのかな?と期待していたらそうでもなくって。それが、わずかに肩透かしでした(笑)

げた:この魔女はさし絵では若く描いてあるんで、お姉さんに見えちゃうんだけどな。定年退職した魔女という設定なんでしょ?

ピラカンサ:定年退職したといっても、そこは魔女だから、年の取り方が普通の人間とは違うんじゃない。

げた:そうか、なるほどね。まあ、そんな魔女が突然現れて、小学校の日常の時空に入り込み、魔女ばなしを20年前のぼくに聞かせたってわけですね。一読した時はそんなにおもしろいとは思わなかったんだけど、2回目読んだら、まず、踊り場の魔女では、踊り場を通った人全員が踊りだす。45分間踊りっぱなしで、終わったら、拍手が起こったなんて、とっても素敵な風景じゃない? はずかしがりやの魔女とシュウのはなしも、かわいくって好きだな。タワシの魔女もよかった。タワシが、タワシが・・・にも笑ってしまいました。ためになる本じゃないんですけど(笑い)楽しくなれる本ですね。

ピラカンサ:岡田さんの連作短編集は定評があり、傑作もたくさんあるので、それと比べてこれが特におもしろいということはなかったのですが、安心して読めます。どうしてこの魔女が話をしたかったのかという理由も最後に説明されていて、おもしろかった。はたさんの絵もすてきです。私がちょっと引っかかったのはp109のリミコのシーンなのですが、確かにこの子は嫌な子ではあるんだけど、こういう書き方だと子どもにさらに同調圧力をかけてしまうのでは? 「目立つな」というメッセージにも読めてしまいます。それと、「ぼく」がチヨジョさんという魔女に会ってびっくりするという外枠の中に、さまざまな学年の子が魔女や魔法使いに会ってまたびっくりするというお話が入っています。そのイメージがダブってしまうので、ちょっと残念な気がしました。

あさひ:今日の3冊のうち、一番おもしろく、読みやすかったです。はたこうしろうの絵は元から好きで、この本もいいなと思ったのですが、魔女のチヨジョさんだけは、お話を読んでイメージした印象とずいぶん異なりました。もう少し年配の女性かと思っていましたが、絵はとても若く、現役で活躍している魔女のように見えました。特徴として書かれている青いアイシャドウも、カラーイラストで見られなかったので、あれ?と思いました。ストーリーでは、「はずかしがりやの魔女」がとてもよかったです。さりげなく子どもに寄り添った内容で、読んだ子どもも、うれしい、いい気持ちになるのではと思います。一方、「たわしの魔女」の内容は、ピンとこないところがありました。それから、ラストのストーリテリングの先生をなぜあんなに意地悪な人にしたのか、と少し不思議に思いました。

ノンノン:このところ絵本ばかり読んできたので、久しぶりに児童書を読みました。岡田淳さんの作品、なつかしいです。子どもの頃に『放課後の時間割』を読んで、ものすごく引き込まれたのを思い出しました。岡田さんの作品は求心力がありますよね。大人になってを図書館で見つけて再読したのですが、やっぱり引き込まれました。対して、この作品は、『放課後の時間割』に比べて軽い印象でした。さくさく読めるというか。『放課後の時間割』は、子どもの心が描かれていて、それがぐっと引き込まれるポイントだと思うんですが、『きかせたがりの魔女』は感情移入できる部分が弱いのかも。『放課後の〜』に比べて、もっと低年齢を対象にしてるんでしょうか? その割に厚いように思いますが。この厚さなら、もう少し書き込めるんじゃないかな…? 章ごとに子どもが抱える問題が取り上げられていますが、それを1つ1つもう少し掘り下げるとか。でも、さらっと書かれているので、さらっと読むのにいいかなと思いました。

アンヌ:実は、岡田淳さんの作品は、処女作の『わすれものの森』(BL出版)しか読んだことがなくて、あの作品にみられる破天荒さがないのが残念でした。それぞれの物語は魅力的だと思うし、特に「はずかしがりやの魔女」は、とても詩的で好きです。ただ、魔女がストーリーテリングをしたかったからという種明かしのような話や、30代の僕が聞いた話という設定でつじつまを合わせる必要はなかったような気がします。

ネズミ:書き込み方ということに関してですが、今の本は昔の本より全体的に書き込みが少ないというのはあるかもしれません。でも小学校中学年くらいのグレードの本だと、あまり書き込みすぎても子どもがついてこられないから、ほどほどが大切な気がします。同じ岡田さんでも『二分間の冒険』は、もう少し上のグレードだからもっと複雑になっています。この書き方は対象年齢ゆえではないでしょうか。

レジーナ:岡田さんは安心して読める作家ですね。強く心に残る本ではないので、岡田さんの著作全体で見ると傑作ではないのかもしれませんが……。ひとつひとつの章がおもしろく、さっと読めるので、朝読書の時間に読むといいのでは。

くまざさ(メール参加):いきなりですが、どうして「魔女」をいま描くのか、という点が気になりつつ、今回の課題図書を読んでいました。中世の「魔女狩り」を持ち出すまでもなく、「魔女」という存在の造形の根底には、社会や規範から逸脱してしまった女性への蔑視がふくまれていると思います。ジャンヌ・ダルクが「魔女」と呼ばれたように、いったんあいつは魔女だと決めつけられてしまえば、人は平気で石を投げつけても火炙りにされてもいい存在に落とされてしまいました。それはまた終わったことではなく、いまでもたとえばタンザニアでは「魔女狩り」という理由で、女性が殺されるという事件が起きています。私は、魔女というキャラクターは、そうした蔑視の目線を最初からふくんで成立してきたものだと思います。「恐ろしいもの」や「異端」を排除しようとする民衆のヒステリーと、社会への不満のはけ口としてそれを利用してきた体制があったということも抜きにはできません。魔女という古びたモチーフを、敢えて今使うのであれば、魔女とは何なのか、現代社会においてそれはどういう存在なのか、歴史的背景もふまえた上で、再検討する必要があると私は思います。『きかせたがりやの魔女』では、そういったことが考察されているとはとても思えません。なんとなく流通しているイメージを無自覚になぞっているだけです。私はこれを「楽をしている」と思います。ここに出てくるのは、「不思議なことを起こせる便利な存在」であって、おばけでも精霊でも妖怪でもいいはずです。ならなぜ敢えて魔女を選ぶのか。たんに「不思議でおもしろい、ちょっと怖い」みたいなイメージを再生産しつづけるのは、少なくとも21世紀を生きる作家の仕事ではないはずです。内容についてちょっとだけ触れると、最後にストーリーテリングの話が出てくるのは謎でした。ストーリーテリングなんてそんな用語、児童書の関係者にしか通じない言葉です。何が言いたいのでしょうか。

(2016年12月の言いたい放題)


紅のトキの空

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『紅のトキの空』

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『紅のトキの空』

が出ました

ジル・ルイス 作
さくまゆみこ 訳
平澤朋子 装画
中嶋香織 装丁
岡本稚歩美 編集
評論社 2016.12
原題:SCARLET IBIS by Gill Lewis, 2014

『ミサゴのくる谷』や『白いイルカの浜辺』でおなじみのジル・ルイスの作品です。ルイスは獣医でもあるので動物の描写が正確だし、困難な状況を抱えた子どもたちに寄り添おうとする気持ちが、この作品にも反映されています。

この作品に象徴的に登場するのは、ショウジョウトキ(スカーレット・アイビス)。トリニダード・トバゴに生息する真っ赤なトキです。そこから名前をつけられたスカーレットは12歳で、褐色の肌(写真でしか知らない父親がトリニダード・トバゴの人だったのです)。精神的な問題を抱えた母親と、発達が遅れている白い肌(父親が違うということですね)の弟との三人暮らし。毎日の生活をなんとか回しているのはスカーレットなのですが、なにせ12歳なのでそれにも限界があります。

スカーレットは母を心配し、弟を守ろうと懸命なのですが、住んでいるアパートが火事になったことから、これまでの暮らしとは違う世界に投げ出されてしまいます。
果たしてスカーレットたちは、自分の居場所を見つけることができるでしょうか?

この作品にも、傷ついた鳥や捨てられた鳥の世話をしているマダム・ポペスクという魅力的なおばあさんが登場します。

今回も平澤朋子さんがすてきな絵をつけてくださいました。

ジル・ルイスは後書きで、主人公スカーレットのような、家族の責任を自分が背負わなくてはいけないと思っている子どもが、英国にはたくさんいると書いています。また、「家」や子どもの居場所について考えて書いた本だとも述べています。


おふろだいすき

松岡享子文 林明子絵『おふろだいすき』
『おふろだいすき』
松岡享子/作 林明子/絵
福音館書店
1982.04

『おふろだいすき』をおすすめします。

寒くなると、おふろがうれしいですね。しかも、このおふろには不思議がいっぱい。もわもわの湯気の中から、カメやらペンギンやらカバやら、なんとクジラまで出てきます。想像がふくらむ絵本です。最後におふろから上がって、お母さんが差し出すタオルにくるまれる男の子が、ほっかほかでなんとも幸せそう。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年11月26日掲載 *テーマ「ぬくもり」)


おばあちゃんとバスにのって

『おばあちゃんとバスにのって』
マット・デ・ラ・ペーニャ/作 クリスチャン・ロビンソン/絵 石津ちひろ/訳
すずき出版
2016.10

『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします

この絵本のおばあちゃんは、お金や効率よりも人とのふれあいを大切にしています。行き先は、困っている人にごはんを出す食堂。ぼくも手伝って奪った食事をみんなが笑顔で食べてくれると、心もあったかに。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年11月26日掲載 *テーマ「ぬくもり」)


『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします。

どんなときにも人生を楽しめるって、いいよね。でも、それにはちょっとしたコツが必要。

この絵本のおばあちゃんは、人生を楽しむ達人。髪は白いけど、黒い服に赤い傘、緑色のネックレスにピアスのおしゃれさん。孫息子のジェイが「なんでバスを待たなきゃいけないの?」と不満げにたずねても、「だって、バスの方が楽しいんじゃない?」なんて答えてすましている。

おばあちゃんとジェイが乗ったバスには、チョウを入れたビンを抱えたおばさんも、スキンヘッドにタトゥーのこわもて男も、ギターをつま弾く帽子の男も乗っている。盲導犬を連れた人も乗ってくる。おばあちゃんはみんなにあいさつし、鼻歌をうたう。にこにこ顔がまわりにも広がり、帽子の男の演奏と歌にみんなが聞きほれる。

バスが終点で停まると、そこはジェイが「汚くていやだなあ」と感じるような街だ。道はがたがたで、家のドアは壊れ、あちこちに落書きもしてある。でも、おばあちゃんは「ここでもちゃんと美しいものは見つけられるのよ」と言って、空にかかった虹に、いち早く目をとめる。

二人が向かったのは、ボランティア食堂。英語だとスープキッチン。無料で、あるいはとても安い料金で食事ができるところだ。日本で言うと、おとなも来られる子ども食堂みたいな感じかな。おばあちゃんはエプロンをかけて、次々とやってくる人たちに食べ物をよそっていく。ジェイも手伝う。そこは、人と人が触れあうことのできる場だ。ひとり暮らしの人も、友だちに会える。こういうところなら、お腹だけじゃなくて心も満たされるはず。食堂に来るのは恵まれない人たちだけど、貧しいとかかわいそうという視点はまったくなくて、だれもが楽しそうだ。原書は、アメリカでニューベリー賞とコルデコット賞銀賞を受賞した。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年12月12日号掲載)

 


『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします。

雨の日曜日、ジェイはおばあちゃんと一緒にバスに乗ってお出かけ。おしゃれなおばあちゃんは、人生の楽しみ方がちゃんとわかっていて、乗ってくる人たちにあいさつし鼻歌をうたう。すると、にこにこ顔がまわりにも広がっていく。終点で降りてふたりが向かったのは、ボランティア食堂。ふたりは、ここにやってくる恵まれない人たちに食事をよそい、さまざまな人との触れあいを楽しむ。生きていくうえで何が本当に大事かがわかってくるような絵本。ニューベリー賞、コールデコット賞オナー。

原作:アメリカ/3歳から/おばあちゃん バス 多様性

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)


2016年11月 テーマ:子どもから大人への成長物語

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『2016年11月 テーマ:子どもから大人への成長物語』
日付 2016年11月24日
参加者 アカシア、アンヌ、クマザサ、げた、さららん、すあま、西山、ネズミ、
マリンゴ、ルパン、レジーナ、(アカザ、エーデルワイス)
テーマ 子どもから大人への成長物語

読んだ本:

『アポリア〜あしたの風』
いとうみく/著 宍戸清孝/写真
童心社
2016.05

版元語録:2035年、東京湾北部を震源とするM8.6の大地震発生。沿岸部を津波が襲う。俺は母さんを見殺しにした――母を救えなかった中学生・一弥は、絶望の底から生きる希望の光を見出せるのか…。
『最後のゲーム』
原題:DOLL BONES by Holly Black, 2013
ホリー・ブラック/著 千葉茂樹/訳
ほるぷ出版
2016.06

版元語録:「この人形の粘土には人間の骨が使われてるの」誰も触ってはいけないはずの人形に触れたことをきっかけに、3人の冒険が始まる。
『ペーパーボーイ』 STAMP BOOKS

原題:PAPERBOY by Vince Vawter, 2013
ヴィンス・ヴォーター/著 原田勝/訳
岩波書店
2016.07

版元語録:1959年、メンフィス。ぼくは夏休みのあいだ、友達のラットに代わって新聞配達を引き受けることになった。すぐにどもってしまうせいで人と話すのは緊張する。でも大人の世界へ一歩踏み出したその夏は、思いもよらない個性的な人たちとの出会いと、そして事件が待っていた。2014年度ニューベリー賞オナーブック。

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ペーパーボーイ

『ペーパーボーイ』 STAMP BOOKS

ヴィンス・ヴォーター/著 原田勝/訳
岩波書店
2016.07

ルパン:ものすごくよかったです。ゆうべ、「明日読書会だから急いで読まなきゃ」と思って開いたのですが、1ページ目からもう時間を忘れ、何もかも忘れて、最後まで読みふけりました。唯一、「四つのことば」が今ひとつ明快にわからなかったことだけが残念ですが。student, servant, seekerはなんとなくわかるのですが、“seller”には、どんな哲学的な意味が隠されているのでしょう。でも、その謎もまた余韻として心に残ります。ところで、あとがきを読むと、これは自伝的小説なのですね。途中まで、昔の話だと気づかずに読んでいました。黒人がバスの座席などで差別されているという描写で、初めて現代が舞台でないことに気が付きました。でも、こういう時代って、それほど遠い過去の話ではないんですね。だってそれを経験した人がまだたくさん生きているのですから。この物語は、すべての登場人物が実に活き活きと描かれているところが一番よかったです。まるで今、そこにいるかのように、それぞれの姿が目に浮かんできます。

西山:気持ちよく、ストレスなく読みました。いつの時代か、意識せずに読んでいて、いま言われたように、私もバスのシーンで、あれ?となって裏表紙を見て1959年と気づきました。148ページの、大人になりたい理由など、とてもおもしろく読みました。吃音という困難を抱えているからこその部分と、その特殊性を超えた、普遍的な思春期の考え方や感じ方が分裂していなくていいなと思いました。言葉そのものが中心で、英単語自体のちょっとずらした言葉遊びや、お母さんの言い間違えなど、日本語に移し替えるのはものすごく大変なことだと思うんですけど、説明が挿入されるという感じではなくて、自然に読めたので、これは、すごいと思いました。

マリンゴ:岩波書店のスタンプブックスシリーズ、大好きです。なので、今回もとても楽しく読みました。装丁もとても素敵ですね。実は、私も数カ月新聞配達をしていた経験があるので、この本の新聞配達のシーンを読んで、いろいろと思いだすことがありました。たとえば、夕刊を毎日、門の外で立って待っている人がいたなぁ、とか。そういう触れ合いがあったので、この少年が配達を通してさまざまな人と出会っていく展開はリアルだと思いました。そして、何よりも文章がすばらしい。全文を通して読点が1つもないんですよね! それでいてまったく読みづらさを感じさせない、翻訳の技がすごいと思いました。

アンヌ:読点がなかったのですね。今の今まで気づきませんでした。「人が刺されたあの事件のこと……」と始まるのに、読んでいる最中は主人公の吃音の悩みに夢中になっていて、そういう事件に向かっていることも忘れていました。スピロさんに名前を聞かれて気絶する場面では、主人公の痛みを体中で感じました。2人が詩を一緒に朗読するところは、言葉を声に出す喜びと吃音の不可思議さを同時に感じられ、本当に素晴らしい場面だと思いました。マームが動物園で写真も撮ってもらえないということに、差別が様々な形で人を支配していたことを知らされました。スピロさんの変わった話し方とか、文章全体の不思議な一本調子とか、この翻訳者にしては変だなと思い、原文を読んだ人に教えてもらおうと思って今日来たのですが、読点なしだったとは……。すごい翻訳だと思います。うまい小説という書き方ではないけれど、本当に心に残る物語だと思います。表紙のポーチのベンチ型ブランコの絵もとても魅力的で、物語のイメージがうまく伝わっていると思います。続編があるなら読んでみたいと思っています。

アカシア:本の構造自体は『アポリア』と同じで、周りとのつき合いに困難を感じている少年が、否応なく周りの人と知り合うことになり、そこから成長していくという作品です。でも、こっちの方が、主人公に寄り添って一緒に成長していくような気持ちで読めますね。まだヴィクターは吃音を持っているので、しゃべるときには必要以上に息継ぎをしてしまうことから、文章を書くときは息継ぎなしで書きたい。だから原文もカンマなしなのですが、それを日本語でも、読点なしでいてちゃんと流れる文章にしている翻訳者の原田さんの腕がすばらしい。また脇スジとして、ヴィクターが父親とは血がつながっていないとわかる場面があるのですが、そこもとてもうまく書かれていて破綻がない。周囲にいる人たちがまた個性派ぞろいで、しかも味がある。うまい作家だし、うまい翻訳者。何度も読みたい作品に仕上がっています。

レジーナ:主人公はテレビ少年との出会いで、人は見かけより複雑で、いろんなものを抱えていると気づきます。主人公もマームもスピロさんも、1人1人が生き生きしていて魅力的です。誤解されたり、想いをうまく言葉にできなかったり、人と心を通わすことの難しさは、だれもが日々感じていることです。吃音の少年が主人公ですが、多くの人に届く普遍的な成長物語だと思いました。

げた:吃音の大変さを改めて、知りました。皆さんが言うように、スピロさんは知的で、カッコいいですよね。子どもの人格を認めて、1人の人間として接する。自分も常にそうありたいと思ってます。ワージントンの奥さんについては、主人公の少年が彼女を大人の女性として憧れる気持ちがなんとなくわかるような気がします。マームは母親以上の存在ですよね。マームの存在に比べて、父母の存在が薄いのが気になりました。R・Tとの戦いの場面は手に汗握る感じで、とっても、おもしろく読めました。本の装丁もかっこいいですね。

ネズミ:ほんとうにおもしろかったです。日本人の書いた作品と、外国の作品の違いというのも考えさせられました。吃音のことなど、日本のリアルな環境で描くのはかえって難しくて、現実との違いが気になってしまうのではと思うのですが、外国だとこういうものかと、かえってすっとその世界を受けとめて読める気がします。そして視野を広げることもできる。海外文学のよさですね。作品のおもしろさについては、みなさんのおっしゃるとおりですが、特に私の心に残ったのは「言葉」と表現をめぐるくだりです。言葉を出したからと言って、それですべてを表現できるわけじゃないというのが、書かれていますよね。80ページでは、自分が言おうとしたときに、思うように相手が受け止めないもどかしさや、人が発した言葉が、文字通りの意味だとは限らないことが書かれています。また246ページでは、マームが「パチリと大きな音をたててハンドバッグの口をしめた」のが「すべて終わってけりがついたことを宣言したみたい」というふうに、行動から読み取られる意味を語っています。お母さんの言い間違いは、それでお母さんの性格を露呈したり。いろいろなことを考えさせられました。

アカザ(メール参加)今日みんなで読んだ3冊のなかで一番良かったばかりでなく、最近読んだなかでも最高でした。原田さんの訳も本当に好きな作品を訳しているという感じが、ひしひしと伝わってくる見事なものでした。子どもの友だちに吃音の男の子がいましたが、これほどの苦しみを抱えているとは気づきませんでした。吃音を克服した作家ならではの悩みが細やかに描かれていて、興味深かった。医学的に吃音を治療するのではなく、人と人とのつながりで克服し、成長していく有様が描かれていて感動しました。程度にかかわらず障碍に悩む人たちにとって、心強いエールを送っている作品だと思います。どの登場人物もしっかり描かれていて、それだけでも素晴らしい。マームが素晴らしいですね。黒人が市民権を得る前の社会で誇りたかく、しかも賢く生きている姿が、とても美しいと思いました。

エーデルワイス(メール参加):IBBY主催「バリアフリー絵本展」(盛岡巡回展)の中に展示されていた1冊で、興味を持ちました。筆者の自伝的物語というのは納得。吃音症の少年の言葉を発音する心理がよく伝わってきました。黒人のメイド、マームとのやりとりやマームがヴィクターと呼ぶところが好きです。深い愛情が伝わってきます。R.T.とのやりとりはらはらしました。解決してよかった! スピロさんとのやりとりはまるで禅問答ようです。含蓄がある言葉の数々ですね。心に残った言葉がたくさんあります。1959年のアメリカの南部の様子、特に映画に出てくるようないかにも南部のアメリカの家の様子が分かります。まだ人種差別が色濃い中、ヴィクターの家は裕福で両親も人格者のようです。出生証明書の欄に「父親不明」と書いてあった件については解決されていないので、続編に明かされるのでしょうか。このことも筆者の事実なのかと気になります。

(2016年11月の言いたい放題)


最後のゲーム

『最後のゲーム』
ホリー・ブラック/著 千葉茂樹/訳
ほるぷ出版
2016.06

ネズミ:こういうの私、苦手で。すみません。エンタメが悪いというわけじゃないけれど、人形の謎を追う不思議な物語ありきで、登場人物も出てくるものもすべて面白いストーリーのための小道具のようで楽しめませんでした。それと、最後に3人が図書館から電話をするところで、どの親も怒らないのに納得がいきませんでした。

げた:選書当番だったんですけど、表紙とタイトルで選びました。1回読んで、軽いけどミステリアスな部分もあるし、子どもから大人への成長物語でもあるし、おもしろいと思って、みんなで読もうと思いました。人形遊びに夢中だった、幼馴染3人が大人になることで、それを止めさせられる状況になった。不思議な夢を見たポピーがきっかけで、「最後のゲーム」となるイースト・リバプールのクイーン=エレノアの墓を探し、骨を埋めるという冒険をすることになり、結局、やり遂げたってことになるわけですね。その冒険の過程でアリスの秘密やなぜ、ザックがゲームを止めざるを得なかったのかが、3人の中で明らかになって、新たな3人の関係が始まる。また、ザックと父親との関係も新たな段階が始まる予感がします。でも、クイーン=エレノアのお墓探しが最初感じたほどは、再読後はおもしろくなかったかな。バスステーションで、必ずしも逃げる必要がなかったのに、逃げたりして、歯がゆい感じがしました。まだ子どもってことなのかな、とも思います。

レジーナ:昨年から気になっていた作品だったので期待して読みましたが、一連の不可解な出来事は人形のせいだったのか、はっきりと明かされない終わり方で納得できませんでした。

アカシア:千葉さん訳の本は、いつもすぐに引き込まれるのですが、この本は入り込めませんでした。生まれるべくして生まれてきた物語というより、苦労して作り上げた物語だからなのかな。ザックのお父さんがフィギュアを捨ててしまったことを、ザックはポピーとアリスに言えない。その言えないという点がずっと最後の方まで引っ張っていくキーなんだけど、なぜそこまで言えないのか、よくわからない。その理由が納得できるようなかたちで出ていないので、不自然に思ってしまう。ほかにも、自然に入り込める流れじゃないなと思ったところがありました。私はホラーでも、もっとひそかに怖いようなのが好きなので、この本みたいに、表紙から「どうだ、不気味だろう」みたいに迫って来るのは苦手です。

くまざさ:千葉さん、こういうのもお訳しになるんだと。『スタンド・バイ・ミー』(スティーヴン・キング著、山田順子訳、新潮文庫)みたいな子どもたちの家出とその顛末。自分の好きなこと(この本の場合は人形遊び)と、世間一般の価値観が対立した場合に、迷わず自分の好きなほうを選べっていうのは、千葉さんが選ぶ作品らしいなと思いましたが、いっぽうでホラーはあまり千葉さんっぽくないですよね。じつはとくに前半なんですが、日本語の文章をもうちょっとすっきりテンポよくできないか……ということにばかり引っかかってしまって、なかなか入り込むことができませんでした。12歳の男の子と女の子2人が主人公で、男の子は、自分もいい加減大きいのに、女の子たちと人形遊びをしていていいのか、と悩むわけですが、こういう感じの悩みって個人的にはもっと早く来たようにも思います。お父さんと電話するシーンはよかったと思いますね。最近、年のせいか、児童文学を読んでいても、子どもたちのことより、登場人物の大人のふるまいに心惹かれることが多いんです。自分が悪いと思ったことは受け入れてきちんと謝罪する、そういう大人になりたいものだと思います。

アンヌ:ダーク・ファンタジーは大好きなのですが、この作品にはそういうおもしろさが感じられませんでした。最初の人形遊びの場面にもあまり引き込まれなかったし、実際の冒険が始まってからもリアリティがなくて楽しめませんでした。ヨットを盗んで川を渡るところなど、かなりいい加減な感じです。図書館からの電話で、家出によって大人の状況が変わるという所も、ポピーについては書いていない。3人の主人公も、アリス以外はあまり描き切れていない気がします。現実との対比で際立つはずのファンタジー要素も妙に曖昧で、謎が深まったり謎が解けたりする醍醐味がありませんでした。この旅のきっかけとか、エレノアがなぜ図書館の地下にいたのかとか、すっきりしないことが多かったと思います。

すあま:表紙の絵が怖いので読まずにいた本でした。全体的に中途半端な印象です。ファンタジーならファンタジーで、人形がしゃべるとか、もう少し工夫がほしかったと思いました。最初のところで登場人物の子どもたちの関係とその空想世界がどうなっているのかを理解するのに苦労しました。最後も尻切れとんぼでよくわからないまま終わってしまいました。

マリンゴ:とてもおもしろかったです。もっとも、読み始めの冒頭の部分では、人間と人形が同時に多数出てきたので、把握できるか不安になりました。整理して覚えるのに何度も読み返したりして。で、人間が人形の世界に連れて行かれるハイファンタジーかと思ったら、そのまま人間の現実のなかで話が進むローファンタジーだったので、その意外性もあってストーリーに引き込まれ、楽しめました。ラスト、結局どうだったのか曖昧なまま終わることへの批判が先ほどありましたが、私は敢えて曖昧にしている部分も好きでした。お父さんの気持ちがジャックに伝わるシーンもいいなと思いました。

西山:今、聞きながら、私だけじゃなかったんだと安心しました。私は、この表紙とタイトルでおもしろそうだから、通勤の往復で読めると思ってたんですが、出だしでつまずいた。誰がなにやら、となっちゃっていきなり失速して結局読み終わりませんでした。家出したところあたりで、雰囲気として『スタンド・バイ・ミー』を連想したりしました。

ルパン:ひとことでいえば、「気持ち悪かった」です。表紙の不気味さもさることながら、人形に子どもの遺骨を入れるとか、死んだ子供の個人的な思いだけが生きている子どもを動かしているとか…読む前に、この作品に期待した一番の理由は、「翻訳者が千葉茂樹であること」だったのですが…。今までは、「千葉さんが訳すものにまちがいはない」という信念があったのですが、やっぱり間違えることもあるんですね。

アカザ(メール参加):ホラーは大好きなので、期待して読みました。今まで千葉さんが訳したものとは雰囲気が違うという興味も。ハラハラしながら読みすすんでいきましたが、おもしろかったです。冒険の道すじが怖いですね。難をいえば、エレノアの真実が、ポピーやザックの夢にあらわれるというのは、ちょっとどうでしょう? 夢は夢でもいいのですが、真実は3人が調べていって分かってくるというほうが、すっきりすると思うのですが。ホラー、あるいはミステリーと成長物語をからませるという狙いはいいと思うのですが、ホラーなのかミステリーなのか、はっきりしてほしい。それから、アリスとポピーの生活環境のちがいは分かるのですが、性格のちがいが、いまひとつはっきりしませんでした。

(2016年11月の言いたい放題)


アポリア〜あしたの風

『アポリア〜あしたの風』
いとうみく/著 宍戸清孝/写真
童心社
2016.05

さららん:何度か書評で紹介されていたので、読みたかった本です。過去の現実として書くと、震災の描写が読者にとって生々しすぎるので、近未来を舞台にしたんでしょうね。それでも東日本大震災のとき、テレビやネットで見た画面が次々と浮かんできて、「あのとき」に投げ込まれた感じがしました。片桐という男性に主人公は津波から救われたけれど、それは同時に母を見捨ててしまう行為だった。「生きる」意味に真正面から取り組んだところに、作者の気概を感じます。汚れた水の中をボートで行くところなど、リアリティがあり、感情が揺さぶられる場面もあるいっぽうで、よく理解できないところも残りました。そのせいか、どこか未消化のまま読み終えたんです。ひょっとしたら、自分の心をガードしていたのかも。震災を体験した人はもっとガードがかかって、この物語は読み通せないかもしれません。でも、読んでよかったなあと思ったのは、情報の伝わり方が実感としてわかったことかな。現場にいる人には切れ切れにしか伝わってこないし、避難所に行って初めて情報が固まりとしてつかめるけれど、それももちろん十分じゃない。新聞で読んだいたときには、ピンとこなかったことが、理解できました。

西山:「3.11」を書いたということには賛成。本になるのはいいことだと思ってます。それは前提として、どうして近未来にしたのか。それが腑に落ちません。未来として書くならこれからの未来をどうしたいのか、という構想が必要だと思うんです。それを決定的に感じたのは、自衛隊のヘリが助けにくるシーン(p247)で、実はがっかりしちゃった。ああ、2035年も自衛隊が救助に当たるんだって。もう海外派遣で忙しくて、国内の被災地支援なんてする余裕はないと皮肉に思ったりもするんですが・・・・・・。もともとテレビで自衛隊の救援映像の露出が増えていてとても違和感を持っていたので、がっかりしたんです。<子どもの本・九条の会>で『9ゾウくんげんきかるた』(ポプラ社)を作ったとき、これは「3.11」の前に作ったんですが、そのとき私は「人助けするならあかるい色を着て」という読み札を考えていた(使いませんでしたけど)。レスキュー隊員の蛍光オレンジとか目立つ色と比べて、迷彩色の目的は人助けではない。近未来も、結局迷彩色が活躍しているんだ、それが現状を容認しているようで・・・・・・。地震の時の様子をリアルに書くということは時間が経つに従って必要になってくると思うので、5年経ったいまこういう作品が出るのは意味があるのだとは思います。連続テレビ小説『あまちゃん』では、津波の場面をジオラマに水がかぶる様子で表していました。あの日がまだ近かった時点では、被災者でなくてもそれで十分だったと思います。でも、時間が経って、また、あの時の記憶を持たない子どもたちにとっては、はっきりと描写されることが必要になってくると思います。

マリンゴ:東日本大震災を想起させる災害を東京で、という試み、いいと思います。東京が舞台だと、震災の記憶がなくても自分に身近な物語として読める子どもたちもいるでしょうから。ストーリーに勢いがあって、一気に読めました。ただ、文章の表現に関することですが、擬声語への依存度が高く、それが気になりました。ガタガタ、ゴー、プープープーなど。小学中学年くらいの読みものだったら、擬声語で伝えるというのは効果的かもしれませんが、この本の対象年齢は高学年から中学生以降だと思うので、それにしては幼い印象を受けました。また、いろんな人物の視点で描くことによって、群像劇を立ち上がらせていますが、少しめまぐるしい気もしました。たとえば冒頭のお母さんの視点は、主人公の見ているものとあまり変わらないので、なくてもよかったのかな、と思ったり。

アンヌ:同じ作者の『二日月』(そうえん社)と違って、詩的な表現やユーモアがない作品でした。読んでいて登場人物の名前がうまく憶えられませんでした。松永と北川の口調が同じだったり、片桐と伯父さんも似たような感じだったりして、その他のわき役もあまり肉付けされていないと思います。トラウマがあってもう死んでもいいやと思っている大人が3人もいて、厚木は孫まで殺して心中するつもりでいた。そんなすごいことの告白も唐突で、なぜここで保育士に話すのか奇妙に感じました。近未来の設定のわりに、未来が描かれていません。例えば、この時代には避難所に必ずボートの設備があり、その装備はこうだとか書きこまれていないと、映像が浮かんでこないし未来の感じがしません。主人公の今後についても、方向性がないと感じました。避難所もいつかは閉鎖されるのだから、その後のことが気になります。

クマザサ:近未来に設定したのは、やはり東京で起きたらどうなるか、ということを書きたかったからではないでしょうか。でもその割に、地名が架空になっているせいか、臨場感がないんですよね。たとえば,,区ではなにが起きて、××区ではどうなって……とか、実際の地名が出てくればよかったかもしれない。東日本大震災のあとで震災を書くということは、作家としては非常に力が入ることだと思いますし、事実野心的な作品なのだと思います。ただ申し訳ないですが、やっぱり物足りなさを感じてしまいました。まずそれぞれの人物について、設定以上のことが立ち上がってこないんです。余計なことが書かれていないためか、人物像にふくらみがない。またトラウマを抱えている人が多すぎて、人名を覚えるのにもちょっと苦労しました。ざっくりまとめてしまえば、引きこもりである主人公の一弥が、震災を経験して、さまざまな人に出会い、徐々に他人に対して心を開いていく過程を描いた小説となるのでしょうか。乱暴にまとめてしまえば「震災」が主人公の成長の糧にされてしまっている。きわめて個人的な問題が、震災という大きな世界の危機に直結しているという点では、これも「セカイ系」の物語の変奏といえるのかもしれません。草太という小さな男の子が、地鳴りに似た音をきいたのがきっかけで、さけびつづけて止められなくなってしまう場面など、印象的なところもありました。この草太のおじいさんで厚木という人物がでてきますが、後半、この人は持病で長くないので、地震が起きる前は、孫を殺そうと決意していたということがわかります。非常にたいへんなことというか、この人物一人の物語だけでも、きちんと書けば一冊分の長さになるのじゃないかと思いますが、この本ではあっさりと流れていってしまいます。そういうふうに、いろいろな興味深い素材は入っているのですが、未消化であるという印象が否めません。取材もされたでしょうし、作家として大きなテーマに向き合って書かれたのだと思いますが……。千代田区の図書館では児童書棚ではなく、大人の本棚に分類されておかれていました。

アカシア:みなさんがおっしゃるような欠点もありますが、私はおもしろかった。近未来にしたのは、東京を舞台にしたかったからだと思います。被災地、とくに福島の方たちと話すと、たくさんマイナスを背負わされっぱなしで、それが悔しいとおっしゃる方もいます。なんとかこれを自分たちにとってプラスの体験にできないかと。この作品は、マイナスをプラスに変えていく部分を書いています。被災地を舞台にした柏葉幸子さんの『岬のマヨイガ』(講談社)が野間賞を受賞しましたけど、あれは被災地の人たちが読んだら気持ちの整理ができそう。こっちはそういうものではなくて、距離のあるところから書いている。他者も自分も信じられなくなっていた一弥が、否応なく人と生のつき合いをせざるをえなくなる。その過程で自分だけでなくほかの人も困難を抱えていることを知り、後ろ向きで死の方を向いていたり、人とつながれなくなっていたりするその人たちが、なんとか生きる方を向いていくのを見て、自分も生きるほうを向いていく。そこは、上手く書けていると思います。登場人物のだれがだれだかわからなくなったという声もありましたが、年齢も特徴も違うので、私は見分けがつきました。

レジーナ:近未来の東京を舞台にしたのはなぜでしょうか。意欲作だとは思いますが、東日本大震災を背景にしているのに、正面からぶつかっていない印象を受けました。東日本大震災の写真も使われていますが、生々しくならないようにしたかったのか、ほとんどの写真は見開きではなく、ページの端だけに使われています。主人公は母親を置いて逃げますが、ほかにもいろんな人が出てきて、それぞれ苦しんでいるので、全部を描くには無理があるように思いました。主人公の葛藤だけでも、非常に大きなテーマなので。

アカシア:大震災なので、重たいものを抱えてしまっている人が多いのは当然かと思います。生死を目の前にしたとき、それまでは見ないですませていた重たいものが大きく立ち現れてくるのでは? 近未来の東京にしたのは、東京の人たちの多くがもう福島を忘れているので、それなりに意味があると私は思います。それから写真は、近未来の東京が舞台だけど、東北大震災ともつながっているんだよ、ということで敢えて使っているんだと思います。

げた:不登校になった中2の野島一弥が、大地震の後の津波による大災害の避難生活のサバイバルな状況の中で、生きる方向性を見つけ出し、改めて歩き出す物語ですね。一弥の周りには震災前に既に生きる死ぬを考えていた人たちが集まってきてるんだけど、きっと作者が取材する中で、そういう人が多くいたんだろうと思う。でも、一弥が生きる力を持てたことで、ある意味、ハッピーエンドになってよかったよね。自分も被災地に10日間派遣された経験があるんだけど、毎朝の自衛隊員を含む災対本部会議の緊張した雰囲気は今でも思い出すとドキドキしますね。あの頃は余震も頻繁にあったしね。確かに、迷彩服でなくてもいいかも。この話は近未来20年後の東京湾周辺が舞台なんだけど、東京オリンピック前に地震来ないとも限らない、オリンピックが中止にならないとも限らないよね。来ないことを祈るばかりです。

ネズミ:パーッと読めて意欲的な作品だなと思ったけれど、ひっかかるところもいろいろとありました。1つは、心に何か傷を負った人ばかりがここに集まっていること。極限状態だからそれが噴きだしてくるとも考えられるけれど、人物があってその人が抱えた過去というよりも、過去を語るための人物として、みな一弥を動かすために登場しているように、不自然な感じがしてしまって。また、こういうところで小さな子から元気をもらえるのはわかるけれど、草太君が主人公を動かす1つの道具のように思えて読後感がすっきりしませんでした。回想ではなく、起きていることを描写する形で現実を描くにしては、主人公の葛藤や不安があっさりしている気もしました。

すあま:いろいろと引っかかるところがありました。まず、東日本大震災から24年後の東京、という設定でしたが、未来であることも東京であることも読んでいて忘れてしまうくらい、伝わってこなかったです。東京で24年後に大地震が起きたらどうなるのか、についてのリアリティが感じられませんでした。それから、主人公に共感できませんでした。引きこもりだった子どもが、外の世界に出ざるをえない状況に置かれたらどうなるか、ということですが、あまり主人公を応援したい気持ちになりませんでした。そして、読み終わったときに感じたのは、津波の被害を受けた人たちは読めない本なのではないかということです。ただ、東日本大震災を知らない、実感がわかない人に人たちには疑似体験できるのかもしれません。作者もそこがねらいなのでしょうか。

ルパン:災害の話、として読みました。作者がほんとうに書きたかったのは、主人公の成長物語だったのだろうと察しますが、残念ながらそちらはあまり感情移入できませんでした。一弥にはあまり共感できないまま終わりました。それよりも、初めは3.11の話だと思って読み始めたのに、近未来の東京が舞台だということに驚きました。意欲作だとは思います。大災害が実際に来たらどうしよう、と、読み終わってからそのことばかり考えてしまいました。できれば、災害は舞台というか脇役というか、モチーフとしての役割にとどまり、主人公の葛藤と、悲しみの克服をメインに感じさせてくれるような、そういう力のある物語だったらよかったと思います。

アカザ(メール参加):まず最初に「健介叔父さん」問題。お母さんの弟なら「叔父さん」ですが、兄さんなら「伯父さん」のはずですね! これは、まずい! 東北大震災のあと、私もなにか書きたいという作家の気持ちは、良くわかります。なにを、どう書いたらいいか、作家なら、みな考えたと思います。木内昇さんの『光炎の人』(角川書店)を読みましたが、木内さんは原発の事故のあと、科学者の良心について懸命に考えたそうです。ベストセラーになったとは聞きませんが、電気学について、明治から満州事変に至るまでの時代背景について入念に調べた、じつに読みごたえのある作品でした。『アポリア』の作者は、「ひきこもりの少年が、大震災のときに触れあった人たちとによって、生きる希望を取りもどした」ということを書きたかったのでしょうか。それとも、さまざまな登場人物のそれまでの人生を書くことによって「それでも生きていく」ことの大切さを書こうと思い立ったのでしょうか? 戦争や原発事故などの人災とはちがう、誰のせいでもない大惨事や、難病、障碍などを感動に結びつける物語って、あまり好きじゃないんですよね。それなら、ノンフィクションのほうが、ずっと胸に迫るものがあると思います。福島から避難していじめを受けた子どもの手記の「しんさいでたくさん死んだから、ぼくは生きていきます」という一行のほうが、この本一冊よりずっと重い。小説なら、もっと思索を深めて、物語を熟成させてほしいと思いました。それから、近未来に、東京に起きる震災という設定ですが、東京に起きることの特異性や、原発のことが書かれてないのはどうしてでしょう? おとといの地震のときも、みんなの頭をまずよぎったのは、福島の原発はどうなっているかということだったはずなのに。エーデルワイス(メール参加):読み終わって次の朝、強い地震がありまさかの津波も。東日本大震災を思い起こしました。2011年4月上旬、気仙沼のお寺の一角に設けられたSVA(シャンティ国際ボランティア会)の事務所に一泊したことを思い出しました。雪がまだ時折舞い、プレハブ住宅がそれは寒くて、布団にくるまっていてもなかなか眠ることができませんでした。仮設トイレは外の少し離れたところにあるので、行くのがおっくうでした。震災直後、濡れながら一夜を明かした方々はどんなに寒かったろうと思います。
 『アポリア』の中の場面もリアル感が出ています。ただ食料のことは出て来ましたが、トイレのことには触れていません。敢えて避けたのでしょうか? 震災という中での生死を扱いながら、個人の抱える悩み、悔い、悲しみを描いて、それを乗り越えようとしている人びとや、主人公の一弥の心境がよく伝わってきます。どうして不登校、引きこもりになったかを母親や健介に説明できないのか、と思うのは大人ばかり。説明できないのが思春期。黙って見守ることの難しさを感じます。一弥が、自分を助けてくれた片桐を怨み、母親を助けられなかった自分に対して罪悪感と絶望感を抱いているところは、震災後生き残った多くの方の気持ちを代弁していると思いました。自分でも被災しているのにも関わらずボランティアをしている人をたくさん見ました。それで自分も元気になっていったのですね。再生を感じますが、5年たっていても被災地の方はまだ読めないだろうなと思いました。

(2016年11月の言いたい放題)


明日の平和をさがす本:戦争と平和を考える 絵本からYAまで

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『明日の平和をさがす本:戦争と平和を考える 絵本からYAまで』

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『明日の平和をさがす本:戦争と平和を考える 絵本からYAまで』
が出ました。

宇野和美・さくまゆみこ・土居安子・西山利佳・野上暁 編著
ほそえさちよ 編集
いとうひろし 装画
鷹觜麻衣子 デザイン
岩崎書店 2016年11月30日

この国は、深慮なしの政治家のせいで、だんだん戦争に近寄って行っている気がします。そんな不安を抱えている私たちが相談して、この本を出しました。これは、戦争や平和を考えるための子どもの本のブックガイドです。

子どもの本は、すべての学びの入口でもあるので、子どもに手渡すだけでなく、大人にも読んでほしいと思っています。

1ページ1冊の割合で作品が紹介されているだけでなく、ところどころにコラムがあって、まとめて考えることができる仕掛けになっています。編著者だけでなく、三宅興子さん、落合恵子さん、ひこ・田中さん、中島京子さん、安保関連法に反対するママの会の方、SEALDsメンバーだった方たちなど、何人かの方たちにも原稿を書いていただきました。

読んでおもしろいブックガイドになったかと思います。表紙の絵やカットは、いとうひろしさんが描いてくださいました。私はブックトークなどで戦争の本を取り上げるときのヒントもコラムで書いています。

野上さんが書いた前書きと私が書いた後書きを載せておきます。ぜひ、手に取ってみてください。

<はじめに>
 日本は、1945年8月15日に、アメリカやイギリスなどの連合国を敵に回した戦争に負けて以来、一度も戦争をしていません。310万人ともいわれる、尊い犠牲者を出した反省から、憲法で戦争をしないと決めたからです。その後、世界の国々と友好関係を築き、平和が続いてきたことで経済も発展し、戦後の荒廃から立ち直り豊かな暮らしを実現できました。
 ところが、それから70年以上もたつと、戦争の悲惨な記憶がうすれ、近隣の国々を侵略したことへの反省もなく、憲法の精神をないがしろにして、戦争ができる国に変えようとする力が強まってきています。世界の各地で、いまも戦争や紛争が起こっていますから、いつまた日本がそれに関わらないとも限りません。
 子どもの本に関わる私たちは、将来にわたって戦争の悲劇を子どもたちに味わわせることを断じて避けたいと願います。そこで、全体を8章に分けて戦争と平和を考える本を300冊以上紹介しました。これまでも戦争と平和をテーマにしたブックリストはたくさんありましたが、この本では、コラムを除き2000年以降に発行された比較的新しい本を精選しています。この本をもとに、戦争のない平和な世界を作るには、どうすればいいか考えてもらうとうれしいです。(野上暁)

<おわりに>
 戦争を描いた本なんて読みたくない、と思う方もたくさんいると思います。だって、暗くて、重苦しくて、子どもが笑ってくれないからね、という声も聞こえてきそうです。朝の読書の時間に、戦争が出てくる本はふさわしくないよね、とおっしゃる方がいるのも知っています。
 「だけどね」と、私たち編集委員の五人は思いました。「だけど、戦争が出てくる本も読んでみようよ」と。とりわけ日本の国が戦争に向かおうとしているように思える今、読んでおく必要があるとも思いました。
 それで、戦争と平和に関する子どもの本のブックリストを作ることにしました。私たちは集まって話し合い、どの本を取り上げるかを決めていきました。ほそえさちよさんに編集をお願いすることも決めました。そのうち、「一つのテーマで何点かの本を概観できるようなコラムも必要だね」、「今この本を戦争に向かわせないために、頑張っている仲間たちにも参加してもらおうよ」ということにもなりました。
 今はまだこの日本には、小鳥の声で目を覚ます人もいるかもしれません。働きに行く前に犬を連れて林の中を散歩する人もいるかもしれません。友だちや仲間と楽しくおしゃべりしながらお昼ご飯を食べる人もいるかもしれません。子どもたちと水辺や牧場や公園で遊んでいる人もいるかもしれません。でも、戦争はそういうものの一切を徹底的に壊してしまいます。
 私たちはこのブックガイドをつくりながら、こんな発見をしました。

・ほんとうの戦争って、ゲームとは全然違うということ
・戦争で儲ける人がいる以上、起こしたくなる人もいるということ
・戦争って、一度始まるとなかなか終わらせることができないということ
・戦争で死ぬのは、ほとんどが市民や子どもだということ
・戦争は、殺した方も大きな傷を負わなくてはならないということ
・このブックガイドに取り上げた本には、戦争や平和だけでなく、人間の奥深さが描かれているということ

 ちょっと世界を見わたしてみてください。私たちには見えにくいけど、世界のあちこちに戦争や紛争で日常のくらしを壊されてしまった人たちがいます。生まれてからこの方ずっと戦争しか知らない子どもたちもいます。その人たち、その子どもたちは、私たちとは関係ないのでしょうか? 見ないですますことができれば、関係ないと言えるのかもしれません。でも、私たちの国でつくられた兵器がその人たちを殺してはいないでしょうか? 私たちが選んだはずの政治家が、その人たちの命を奪う手伝いをしてはいないでしょうか? そんなことにも目を向けていったほうがいいと私たちは考えました。
 このブックガイドには、ここに載っている300冊の本の作家・画家たちだけでなく、紹介文を書いたみんなの気持ちもつまっています。そのうえに、読んでくださるみなさんの気持ちものせていただければ幸いです。
 おもしろそうだなと思ったら、このブックガイドで取り上げた作品そのものを手に入れて読んでみてください。本屋さんになければ図書館でさがしてみてください。ブックトークの時に、取り上げてみてください。子どもが手に取れるようにしておいてください。そこから、何かが少しずつかわっていくかもしれません。(さくまゆみこ)

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ウィニー〜「プーさん」になったクマ

サラ・M・ウォーカー文 ジョナサン・D・ヴォス絵『ウィニー:「プーさん」になったクマ」さくまゆみこ訳
『ウィニー〜「プーさん」になったクマ』
サリー・M・ウオーカー文 ジョナサン・D・ヴォス絵 さくまゆみこ訳
汐文社
2016.10

ノンフィクション絵本。表紙が「原作」となっているのはちょっと解せないので問い合わせたところ、単なる間違いでした。リライトなどは一切せず、原文に忠実に訳しています。

『クマのプーさん』のぬいぐるみは、ウィニー・ザ・プーという名前ですが、ウィニーという名前がついたいきさつを、この絵本では子どもにわかるように語っています。クリストファー・ロビンは、ロンドン動物園でウィニーという名前のクマに出会い、それが印象に強く残っていたのですね。そしてウィニーは赤ちゃんの時に、鉄道の駅で、カナダ陸軍の獣医だったハリー・コルボーンに引き取られたクマだったのです。どうしてそのクマがカナダからロンドン動物園までたどりついたのか、ウィニーはどんなクマだったのか、という実話に基づいた絵本です。

同じ実話に基づいて、評論社からも『プーさんと であった日』というのが出ています。評論社の絵本の文を書いたのは、コルボーンのひ孫のリンジー・マティックさんで、そちらはコルデコット賞をとっています。

こちらの『ウィニー』は、動物園に来た後のことまで描かれているので、両方見比べてみると、おもしろいかも。
(装丁:稲垣結子さん 編集:仙波敦子さん+堀江悠子さん)

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2016年10月 テーマ:新しい扉がひらくとき

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『2016年10月 テーマ:新しい扉がひらくとき』
日付 2016年10月20日
参加者 アカザ、アンヌ、エーデルワイス、げた、シア、西山、ハリネズミ、マリ
ンゴ、まろん、ルパン、レジーナ
テーマ 新しい扉がひらくとき

読んだ本:

『モンスーンの贈りもの』 この地球を生きる子どもたち

原題:MONSOON SUMMER by Mitali Perkins, 2004
ミタリ・パーキンス/著 永瀬比奈/訳
鈴木出版
2016.06

版元語録:「モンスーンの季節の始まりね」ママがいう。「なにそれ?」エリックがたずねた。「雨季よ。わたしたちが帰る八月までつづくの」駅周辺の線路ぞいに並ぶわらぶき屋根にも、雨は降りそそいだ。もじゃもじゃの髪をして、ボロを着た子どもたちが、水たまりで水をはねとばしながら踊っている。
『小やぎのかんむり』
市川朔久子/著
講談社
2016.04

版元語録:中3の夏芽が飛びこんだのは、小さな山寺でのちょっと不思議なサマーキャンプ。人のやさしさを知る、感動作―。
『二日月』
いとうみく/著 丸山ゆき/挿絵
そうえん社
2015.11

版元語録:小5の杏の妹、1歳の芽生は生まれた時の処置がまずく、障害が残ってしまった。芽生中心の生活に寂しさを感じる杏の学芸会に、ママは芽生を連れてくるという…。

(さらに…)

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二日月

『二日月』
いとうみく/著 丸山ゆき/挿絵
そうえん社
2015.11

げた:すごく重いテーマですよね。自分の家族に起きたかどうなるか? 自分がママだったら、あんな風に堂々とできるか、自信がありません。でも、日本も、社会環境とか人々の意識も変わってきているから、昔ほどはつらいことはなくなっていると、思いますけどね。医者は患者に対して、最悪の状況を率直に話さなきゃいけないんでしょうけど、5歳まで生きたら表彰ものだなんて、言い方が間違っていますよね。

マリンゴ:この作品は、発売されて間もない頃に読みました。今回、再読できなかったので、記憶が遠すぎて。いとうみくさんの作品はそこそこ読んでますが、他の作品のほうが好きだなぁ。この本はそんなに……と思ったことは覚えています。

シア:3冊の中で最初に読みました。この作者の本は非常に読みやすいですよね。でも、私はこういう話は苦手です。あまり言いたくないんですが、どの話でも変に前向きで、無駄にキラキラした内容になってしまうので、読んでいて苦しくなります。いかにも課題図書な本ですよね。たった1年間の話なのに、主人公はこんなにつらい思いをしています。でも、周りは弱い大人ばかり。この先どうなってしまうんでしょう? なのに、主人公は無駄に前向きさを振り絞っています。なぜ、上の子が恥ずかしく思っていることを親が汲み取れないのでしょう? 見ないふりをしているのは親の方です。親が弱い分、主人公が強くならなければならない。それが家族のバランスです。本当にこの先がんばれるんでしょうか? 主人公はどんどん自分を抑制していきます。そのうち搾りかすになってしまいそうです。例えば公園での場面ですが、母親は溶け込むことに必死で、生意気な子どもたちの態度や言葉遣いを否定しません。仲良くなろうとすることは良いと思いますが、これでは言葉の暴力の恐ろしさを、この子たちも読者も学びません。主人公が飛び出していってもいいくらいの場面です。弱者は世の中の横暴を黙って受け入れるしかないんですか? 自分が前向きで良い人になれば、あたたかい人ばかりに囲まれてキラキラ生きていけるんですか? 描きたい主人公の強さとはなんなのでしょうか? 子ども向けの作品には今後のための教訓が必要だと思います。題材的に納得いきません。

西山:前に読んだとき題名が全体に生かされきってないと思った、ということと、公園のシーンだけは覚えてました。私は、現実的な作品を論じるときに、作品の外の「実際は……」という実例で語るのは違うんじゃないかと考えるんですが、でも、シアさんの発言を聞いていて、おかしいものはおかしい、というのがほったらかしになっているのはまずいんじゃないかと思いました。結構、それは犯罪だろう、とか、人権問題としておかしいだろうというような言動が、ドラマのひとつの山場として結構でてくる気がして、ダメなものはダメといわなきゃいけない。書いちゃいけないと言うことではなく、相対化はしてほしいと。でも、やはり、ひどいことを言う子どもたちから逃げないあのシーンは印象に残ります。それから、p172で真由が「女々しい」という言葉を使っています。これ、気になりました。いまさらこの嫌な言葉を使う必要があるのかな。p196で「芽生を学校につれてこないで」という思いを「いっちゃダメ」とするのは、新鮮でした。そういう思いをはき出させるのが読み慣れてきた児童文学のやり方だったと思います。

ハリネズミ:とても意欲的な作品ですが、私は、この主人公の心の揺れに、すんなりついていけませんでした。『ワンダー』(R・J・パラシオ/ほるぷ出版)を読んだときは、お姉さんが障がいを持った弟にやっぱり来てほしくないという気持ちについていけたんですけど、これも同じシチュエーションの割りには、すっといかなかった。

西山:香坂直の『トモ、ぼくはげんきです』(香坂直/講談社)も、同様のテーマでしたよね。

ハリネズミ:確かにそうだと登場人物に寄り添えるだけの必然的な流れが感じられなかったのかな。

まろん:対象年齢が小学校中学年くらいとのことで、全体的に読みやすく、障がいについて考える良いきっかけになる本だと感じました。私がこの本を読んで怖いと感じたのは、登場人物が誰も悪気がない、というところです。最後に春菜ちゃんが芽生を抱っこする場面がありますが、これはきっと春菜ちゃんにとって無意識のうちに変わるきっかけだったのではないでしょうか。こういう気付きがないまま大人になると、きっとレジで会ったおばさんのように、自分が言った言葉の重さを知らずに人を傷つけてしまう人になってしまうのだと思います。そういった意味では、この本は子どもたちにとってそうした気付きの役割を持つのではないでしょうか。

レジーナ:ひどい言葉でからかわれる場面ですが、私はそういう言葉を本の中で書いてもいいと思います。日本の児童書は「こういうことは書いてはいけない」というタブーが多いですが、大切なのは作者のスタンスと描き方ではないでしょうか。作者のスタンスがはっきりしていれば、どんどん書いていいし、そこで問題提起をしてほしいですね。難しいのは描き方で、私はこの場面はそこまで教訓的だとは思いませんでしたが、そう感じる人がいたなら、伝え方をもっと工夫したほうがよかったのかもしれません。

エーデルワイス:主人公は自分も構ってほしいという思いを、障がいをもっている幼い妹のために我慢している。その気持ちが伝わってきて、とても切ないです。わたしが開いている文庫に以前、障がいをもっている兄と、その弟が来ていました。弟はとてもおとなしくいい子でした。兄は小学4年生で亡くなりましたが、弟はどんな気持ちだったのかと思います。

ルパン:いとうみくの作品はどちらかというと苦手で、しかも課題図書。というわけで、まったく期待しないで読み始めたのですが……結局、かなりはまってしまいました。良い意味で期待を裏切られました。障がいをもった妹が生まれた、という事実と向きあわなければならない少女の葛藤がとてもよく描かれていると思いました。何も悪いことをしていない友人たちの言動にいつのまにか傷ついてしまう、その微妙な心の動きが、「ちょうど薄紙でスッと指を切るような痛さ。」(P83)という一文で、絶妙に表現されています。杏は、健常者の弟や妹がいる真由、障がい児に親切にする藤枝君、芽生の世話でいっぱいいっぱいのママ、といった存在に、少しずつ少しずつ傷つけられていくのだけど、相手を責められないもどかしさ、苦しさと戦わなければなりません。結局は自分自身との戦いです。それに、芽生が普通の妹だったらやりたかったこともたくさんあったことでしょう。赤ちゃんのときはたくさんかわいがり、大きくなったらいっしょに遊ぶ、とか、勉強を教えてあげる、とか。そういう夢がこの先ずっとかなわない、という切なさもあると思います。まだ幼い杏が、大きすぎる問題とせいいっぱい向きあっている健気さに胸を打たれました。ただ、せっかく、とても自然体に描かれているのに……この陳腐な帯の言葉はいかにも余計だなあ。「あたしと妹。ずっとずっと大切な家族。」だなんて。

アンヌ:最初に読んだ時には、障がいについての物語として読んでいたのですが、読み返して、これは、生命の力についての物語だなと思いました。先程、医者がこんな言い方をするのだろうかというお話が出ましたが、現代の医療場面では、生存確率とかが具体的に示されて治療方針が説明されると思います。患者の家族にとっては、それは余命宣言であり、過酷なものだと思います。赤ちゃんが生まれて喜びに満ちているところに、いきなり「死」というものが来てしまった。死ぬかもしれない家族がいるという状況はきついものです。世界がガラッと変わってしまう。だからこの物語の父親のように、必死で本やインターネットで病気について調べてくたくたになって、ふとしたはずみに主人公をぶってしまうような混乱も起きる。いろいろ大変ななか、父親も母親も変わっていく様子が描かれていき、そんななかでの主人公の動揺がていねいに描かれていると思います。赤ちゃんが生きていき、その命の温かさが、いろいろひどいことも言っていた春奈ちゃんの心にまで「かわいい」と思う気持ちを起こさせる。生きる力というものが、とてもうまく描かれていると思いました。最後も詩的で、何度も読み返すにはきつい本ですが、心に残る物語だと思います。

ハリネズミ:作家のサービス精神が旺盛なのでしょうか。p168で勢い何かが飛び込んできて怖い怖いと思ったら真由ちゃんだったというところ、マンガならいいんですが、シリアスなストーリーで急にリアリティのない場面が出てくると、ちょっと残念。p194で真由が「杏は杏のことをきらいでも、あたしは好きだよ。杏はうわべだけなんかじゃない。一生懸命お姉さんしてる杏も、そうやって自分のこときらいっていう杏も、あたしはどっちも好き」というところも、子どもの言葉というより作者のメッセージが前面に出すぎているように思いました。さっきも言ったんですが、杏が障がいをもった妹に学芸会に来てほしくなくて学校にも行けなくなるというところ、それまでにだいぶんいろんなことを乗り越えて進んできたように思えていたので、ちょっと不自然に思ってしまいました。p186には「友だちに障がいのある妹がいることを知られたくない」と言ってますけど、そんなのは学芸会を見に行くことには関係なく知られるわけだし。一所懸命に書いてる作家さんには悪いのですが、メッセージを伝えたくてストーリーを作ったせいか、人物がいまひとつ生きてこない感じがしてしまったのです。それから、公園の場面では、男の子たちが「キモイのがきた」とか「エンガチョー」とか「こいつヘンなの」と言うんですが、シアさんや西山さんが児童文学に書くべきじゃないとおっしゃっているのは私は違うと思います。言うべきじゃないというのも違うと思うんです。子どものこういう暴言は、かかわりの一つなんです。それを大人が受け止めて人と人のかかわりが始まり、理解も広がるんです。それを「言うな」「見るな」と言うと、障がいを持った人やホームレスや気の毒な人たちを見なくなります。かかわりも一切持とうとしなくなります。そのうちそういう人たちが存在しないかのようにふるまうようになるんです。むしろ、子どもがそう言ったときに、まわりの大人が「だめ」というのではなく、このお母さんのような反応ができるかどうか。そういう意味では、ここはよく考えて書かれていると思います。

(2016年10月の言いたい放題)


小やぎのかんむり

『小やぎのかんむり』
市川朔久子/著
講談社
2016.04

シア:表紙がとても可愛かったのですが、内容はそれに反してつらいものでした。どうしようもない人や感情を「手放すこと、断ち切ること」を伝えています。でも、断ち切れるものかなとも、断ち切っていいものだろうかとも思ってしまいました。とくに雷太の母親は自分の気持ちだけで行動しています。この母親は感情で自分の子どもを捨てていきましたが、親の義務はどうなっているんでしょう。この子の法律的な立場や、将来的に高校や大学はとか、これで苦労することになるんではないかとか、いろいろと考えてしまいました。何を言っても親に捨てられたという事実は雷太には残りますので、人の関係などは法律的に切れることはあるかもしれませんが、気持ち的に切れるものでしょうか。まあ、親子って言っても、他人程度の関係しか築けない人も多いですよね。この本は児童書だけあって、子どもが納得するための本だと思いました。中高生向きですね。

西山:市川朔久子の作品はいい! 最初から、どれも好きです。今回も、気になりながら読み出さずにいたのですが、最初タイトルを聞いたときは幼年向けかと思ってました。違いましたね。市川さんの文章がまず、心地いいです。そこはかとないユーモアも随所にあって。今回も冒頭から心鷲づかみにされました。いきなり父の交通事故で、え? と思った次の文で、「横断歩道でもないところを堂々と渡っていて」とあって、なんだ? とおもしろく感じて、でもすぐに事故を起こしてしまったおじいちゃんへの横柄さに、なんかおかしいぞ、となる。この父親像が主人公の抱える問題の中心にあるわけで、もう、なんてうまいんだろうと思います。ただ、この作品に限ったことでなく最近ちょっと考えていることがあって、このうまさ――例えば、この子に何があったのか伏せて書いていく。引っ張っていく、だんだん手持ちのカードを開いていく手順は、あざといというか少々品のないやり方と紙一重なのじゃないか、と。市川さんの作品は文体からして好きなのですが、この作品は、半分は、なにが起こるだろう? っていう伏せられた真相で引っ張られた部分もある気がします。小説はどんなに純文学的なものでも、多かれ少なかれそれはあると思うのですが、その度合いが文学とエンタメの違いかなと最近考えたりしています。住職のオチのない話では、『よるの美容院』(市川朔久子/講談社)の古本屋のおやじでしたっけ、ひょうひょうと食えないじいさんが、思春期の少女が抱えて張り詰めているものをふっと解き放つ緩さがいい。状況としては重いけど、こういう隅々に軽さがあっていいですね。『紙コップのオリオン』(市川朔久子/講談社)でも感じたのですが、幼い子を、いとしいという気持ちにする描き方も好きです。市川作品には、読書の愉しみに満ちています。

まろん:表紙の可愛さからほんわか優しいお話かと思いきや、かなり思いテーマを描いていて驚きました。「自分から離れようとしているんだね。」という箇所がありますが、これは家族の問題だけでなく、学校だったり、仕事だったり、色々なものに当てはまると思います。辛いんだったら思い切ってそこを離れて別の場所に行ったほうがいいというのは、今悩んでいる多くの人たちを励ますメッセージになるのではないでしょうか。ただ、家族というのはとても密な関係であり、このお父さんは主人公から離れようとしていないので、そう簡単にはいかないのでは、と心配です。あと余談ですが、ことあるごとに「セイシュンねぇ」と冷やかす大人たちが、可笑しくて好きです(笑)

レジーナ:「主人公がこの先どうなるか心配」という意見がありましたが、私はそうは思いません。夏芽が抱える問題は、決して簡単に解決するようなものではありませんが、心の中に帰る場所があるのは、人が生きる上で本当に大きな力になります。虐待を受けた子どもは、どんなにひどいことをされても親をかばおうとしますが、この本は「許さなくていい」と子どもに伝えています。許す必要はまったくないけど、いつか折り合えるときが来るかもしれないし、状況は何も変わってないけど、この子ならきっと大丈夫、と思える結末で、子どものもつ力への作者の信頼を感じました。

アカザ:重いことを書いているけれど、さらさらと読めました。重みを感じさせない書き方が、うまいなあと感心しました。なかでも、雷太が実に生き生きと描けていますね。生命力にあふれた、かわいい男の子が、虐待をする実の父親があらわれたとたんに大人しくなってしまう。実際にそういう現場に居合わせたことはありませんが、そうなんだろうなと身に染みて感じました。いくら血がつながっていても、こんな親なら絆を切ってもいい、逃げてもいいというメッセージを、しっかりと伝えている、今の子どもたちにとってとても大切な本だと思います。読みはじめたときは、また田舎で癒される話か、うんざり……と思いましたが、いい意味で裏切られました。でも、東京育ちのわたしとしては、地方で住みにくさを感じていた子どもが、都会で癒される話も読んでみたいな!

エーデルワイス:ひりひりと、きつかった。主人公が心配です。いい大人に恵まれて再出発しそうなのですが、ストンと落ちない。もうちょっと解決策がほしかったと思いました。『三月のライオン』(羽海野チカ/白泉社)を読んでいて、漫画の方が先を行っているかもと思います。

ルパン:かなりあとになるまで、物語がどこに向かっているのかわからず、そこはおもしろく読めました。一番印象に残っているのは、川遊びのシーンです。「このきれいな水と、わたしのなかみを、ぜんぶ取りかえられたらいいのに。そしたらわたしも、香子みたいになれるだろうか。」(p91)ここではまだ、夏芽の問題は明らかになっていないのですが、自己嫌悪に陥っている中学生の少女の気持ちが痛いほど伝わってきます。結局、父親から暴力をふるわれていることが徐々にわかってくるのですが、ものごころついたときからそういう目にあっていると、「自分が悪い」と思ってしまうんですね。そこのところも良く描かれていると思います。一歩まちがえば優等生的というか、ただの「いい子ぶっている子」になってしまう危険があるのに。ただ、距離の問題が気になりました。家から遠く離れた山村で、この子は勇気をもって父親と向きあう決意をかためるのですが、このあと、どうなるのかが心配です。結局、未成年のうちはこの父親が保護者のわけだし、母親は夫に絶対服従で、この子の味方にはなってくれない。そういう環境にまた戻っていかなければならないことを思うと、やっぱり重苦しいものを感じます。

アンヌ:情景描写がよく描かれていて、私の家のお寺を思い出しました。山の上で、黒い木の引き戸がとても重くて大きくて、縁の下も高くて広い。子どもがいくらでも遊べるような広い空間がたくさんある。そこに着いただけで、少し閉塞感から抜け出せるような所が思い浮かべられます。最初から、女子高の制服を着ているだけで痴漢やぶつかってくる男たちが書かれていて、雷太の父親の暴力の場面もあるので、これはたぶん主人公の父親の暴力の問題が物語の底にあるなと、推理小説的に感じながら読んで行きました。重い小説だけれど、サマーキャンプらしい憩いの瞬間もあり、読み返しても楽しめる小説だと思います。主人公の問いかけにふと外す感じの住職のセリフや、葉介との青春場面にはユーモアを感じました。若住職の過去や美鈴さんのモラハラ体験など必要だったのかなと思いつつ、つきつめて書いていないところはよかったと思います。主人公がいい場所にたどり着いてよかったと思いながら、何度も読んでしまいました。

ハリネズミ:とてもおもしろく読みました。今回の3冊の中では、私はこれがいちばんでした。親の虐待にさらされている子どもの数は、日本でも増えているんですよね。主人公は、親に殺意を抱いたことで自責の念に駆られて、自分を信じることができなくなっている。それがサマーキャンプに来て、自己肯定できるように変わっていくんですよね。親って、生物的に親になる次の段階として、どうあってもこの子を受け入れてとことん付き合っていく覚悟がないとできないっていう話を聞いたことがあるんですけど、その覚悟が持てない親が増えてるんだと思います。夏芽は、家に帰ればまたとんでもないお父さんがいて、頼りないお母さんがいるわけですけど、もうしっかりと自分を肯定できるようになり、自分のことを「宝」と思ってくれる人もいるし、自分以上に弱い雷太を守ろうという気持ちにもなっているので、もうだいじょうぶだと思います。同じ状態に戻ることはない。タケじいが、「親子は、縁だ。あんたとこの世を結んだ、ただのつながりだ。それ以上でも以下でもない」(p235)とか、「堂々と帰りなさい。子を養うのは親の務めだ」(p237)とか「くれぐれも言っとくが、『許してやれ』とか言う連中には関わるな。あれはただの無責任な外野に過ぎん」(p238)と言ってくれたことで、夏芽はどんなに救われたことか。子どもはみんな、どんなに虐待する親でも尊敬しなくちゃいけないし、好きにならなきゃいけないし、かばわなきゃいけないと思ってるんです。だから、これくらい強くはっきり言ってもらってはじめて、違う道もあることがわかって歩き出すことができる。雷太もけなげですが、この先居場所を見つけて生きていけそうだと感じさせる終わり方です。

げた:子どもへの虐待がテーマなんですが、虐待に遭っている2人の子どもが優しい3人の大人と、ひとりの高校生に巡り合って、ひょっとしたら、救われるかもし
れない世界の扉が開いたという話ですね。サマーステイなんて、50年前に経験したことを思い出しました。もう1度体験してみたいなと思いました。夏芽にとっては、現実の状況は全く変わっていないんですよね。今後の行く末については、読者に想像させるかたちになっていますよね。父親があまりにひどいのでびっくりしました。本当に嫌味なやつです。作者は取材して話を書いているでしょうから、実際にいるんでしょうね、こんな父親。母親もひどいですけどね。「自分を生かす我慢と殺す我慢」という言葉はなるほどと思いました。

マリンゴ:とても素敵な作品でした。キャラクターが魅力的で、特に雷太、住職は、個性が際立っていました。あらすじを語らせるだけのご都合主義の会話じゃなくて、生きた会話になっているところも、よかったです。ただ、一つだけ気になったことがあって。女子校に通う中3の女の子が、高1の男の子と出会って、途中からは一つ屋根の下で過ごすようになるのに、異性を意識する描写がないのが、不自然な気がしました。男子として好きか嫌いか、まで行かなくても、父親と同性なのだから嫌悪感があるのかないのか、とか比較したりするのが自然では? で、その理由についての想像なのですが……私は、著者が意図的に恋愛パートを排除したんじゃないかと思っています。さっきの「スティーブ」じゃないけど(笑)恋愛が描かれていると、クライマックスで、読者の興味はそこに行ってしまいます。けど、この物語では、ラストで処理しないといけない要素がとてもたくさんあって、恋愛に傾くとバランスが悪くなる。だから、要素が増えないように、あえて排除した気がします。だから、すべてが片付いた後で、急に意識し始める描写が登場。そこが違和感あります。たとえ雷太と3人でも、夜、いっしょにお墓とかを歩いていたら、何かしら意識はすると思うんですけれど。

ハリネズミ:自己肯定感がない子だからでは?

マリンゴ:それもあるかとは思うのですが、やっぱり「男性」というものに対して、なんらかの感情は持つのが自然ではないかと。

アカザ:最初のほうの、通りすがりに制服を触ってくる人のエピソードを読んでも、主人公が異性に対して持っている負のイメージが感じられるけれど、それが父親に対する感情となにか重なっているのかも。そこまでは書いていないけれど……。

西山:最初に1回だけ、葉介が白桐云々言ったときに、バシンと怒ってますよね。最初にきっぱり怒って、葉介に謝らせて、この先に、通学路で寄ってくるような男たちとは完全に違う存在として葉介を書くことが可能になっているのかもしれません。

シア:罪の意識に苛まれているから、ときめいてる余裕がないんだと思います。

(2016年10月の言いたい放題)


モンスーンの贈りもの

『モンスーンの贈りもの』 この地球を生きる子どもたち

ミタリ・パーキンス/著 永瀬比奈/訳
鈴木出版
2016.06

マリンゴ:ついさっき読み終わったばかりなのですが(笑)、全体的にとてもおもしろかったです。「お金」を否定せずに、使い道によっては役立つものなのだ、と提案しているところも、いい視点だなと思いました。ただ、あちこち、細かいところに突っこまずにはいられないというか……。たとえば、ダニタに求婚してきた男性が、あまりにステレオタイプすぎて。こういう、性格が悪くてビジュアルのひどい人だから、断って当然、となるのか。じゃあ、素敵な人だったらどうなるのか、と気になりました。あと、「虫」の扱い方がひどい(笑)。毛虫と1か所書かれているほかは、どんな虫なのか描写がまるでなくて。最初は、いい「小道具」だなと思ったので、拍子抜けしました。毛虫はいつまでも毛虫じゃなくて、数週間でサナギになるはずですしね。少しは描写がほしいと思うのは、やっぱり日本人だからでしょうか。欧米の人は、虫はひとまとめにbugの傾向が強いのかなぁ。

げた:基本的に楽しく読みました。やっぱり、話はハッピーエンドでなくちゃ。主人公の女の子ジャズは15歳の高校1年生なんですよね。大人の世界に踏み込もうとする男女が、お互いの気持ちを確かめ合う様をじれったく思いながら、ドキドキしながら、恋が成就することを願いつつ、楽しく読めました。それと、インドの人々の暮らしぶりも垣間見ることができて、1度行ってみたくなりました。でも、この年じゃ耐えられないかな。昔学生時代に、仲間の1人がインドに行って、大変な思いをしたというのを聞いていますから。人口もあの頃よりさらに増えているし、もっと大変だろうと思います。ジャズのお家で働くことになったダニタはなんとか自立したいと思い、お金をかせぐことを考え、ダニタのアドバイスを求めたんですよね。ダニタの3人姉妹を応援したくなりました。子どもたちに薦めたい本です。やっぱり、アメリカの高校生って、すごいですよね。自分の寄付金で基金まで作っちゃうんですものね。

ハリネズミ:とても楽しく読みました。インドの孤児院が出てきますが、かわいそうという視点がないのがいいな、と思います。それに、血縁ではない家族のありようが、すてきな形で描かれています。サラの養父母が、サラを孤児院に置いて行った生母に対して、「こんな宝物をくれた」として感謝の念を持っているのもいいですね。ダニタが幸せな結婚をしてめでたしではなく、事業を成功させようとするのも現代的。ただ、いくつかのキャラクターがステレオタイプというかマンガ的なのがちょっと気になりました。エンタメだと割り切ればいいのかもしれないですが。スティーブは、スポーツも勉強もできて、ルックスもいいし、ビジネスの才能もあり、礼儀正しくて、まじめ。こんな人、現実にいるんでしょうか? ダニタも出来過ぎですよね。翻訳もちょっとだけ引っかかるところがありました。たとえば、ジャズがスティーブを見て「わたしのおなかはドラムビートに合わせるように、のたうち始めた」(p4)とありますが、恋心をあらわすのにこういう言い方は、私にはあんまりぴんときませんでした。それから、「わたしという、ボディーガードがいなくなった今、ミリアムはきっと行動に出るだろう。とにかく、自分の気持ちをさとられずに、ミリアムがどこまで進んだか、できるだけぜんぶ探らなくちゃ」(p67)とあるんですけど、これだと中年女の確執みたいになる気がして、もう少し軽やかなほうがいいのかな、と思いました。

アンヌ:とても生き生きとして色彩や香りに満ちていて、おもしろい本だったと思います。サルワール・カミーズというインドの普段着の美しさや感触、モンスーンの雨の中のジャスミンの香り、インドの家庭料理を作る場面等は、知らない土地を五感で味わう気分にさせてくれました。よく理解できなかったのが、主人公のママです。特にアメリカでの活動内容について、有名な社会事業家というのは何をする人なのかとか、ママがどう魅力的なのかあまり伝わらない気がしました。それから、スティーブとの恋のまだるっこさがしつこかった。すでに飛行場の場面で両想いなのはわかってしまっているし、スティーブもミュージカルの『オペラ座の怪人』で、いびきをかいて寝ちゃうような人ですしね。

ハリネズミ:でもジャズにとっては、恋敵と行ったミュージカルで寝ちゃうんですから、そこも理想像なんですよ。完ぺきなの。

ルパン:美しさの基準は文化によってちがう、という視点は良いと思いました。が、読み終わってみると、腑に落ちない点が多々あり……。まずは、お母さんのサラ。主人公の言葉で「すばらしい人」と何度も力説されているけれど、何がそんなに魅力的なのか、いまひとつ伝わってきません。ジャズが抱えている最大の問題は、ホームレスのモナの裏切り、というできごとです。ジャズは、母親であるサラをお手本にし、サラのように弱者に手をさしのべようとしたのに失敗するんですよね。それなのに、このお母さんは、ジャズにはまったく手をさしのべていません。ほかの人たちには一生懸命尽くしているのに。そして、ジャズはインドに行って変わるわけですが、インドで友だちに愛されるのは、容姿がいいから、ということになっています。ジャズ自身の魅力や、インドの少女たちとの心の交流ができているわけではなくて。ダニタと出会うことで、ジャズは前向きな気もちにはなりますが、モナのことは何ひとつ解決しないまま物語は終わっています。ジャズは、モナの事件について、自分のなかでどう決着をつけたのでしょう。それが書かれていないので不完全燃焼のようなすわりの悪さを感じます。

ハリネズミ:モナのことは、ほかの人が教えられるようなことではないような気がします。自分で学んでいくしかないんじゃないかな。でもわだかまっていたのが、インドに行って心が自由になり、本来の自信を取り戻していくんですよね。

ルパン:ジャズの中で、モナのことは終わっていないと思うのですが。

ハリネズミ:後に他のホームレスの人たちを雇ったりもしていますよ。

ルパン:ホームレスの人を雇い続けているのはスティーブであって、ジャズ自身の中では何も解決していないと思うんです。

アカザ:モナについては、掘り下げて書いていないですね。そうしなくてもいいと作者が思ったんでしょう。

ハリネズミ:ジャズとしてはその体験も乗り越えることができたと書いてるんじゃないかな。ただ雇ったりするんじゃなくて、ビジネスの元になるお金を寄付して、そのビジネスがうまくいったら、次のビジネスもサポートできるようなシステムを考え出したんだから。人を見る目も出来てきたんじゃないかな。まあ、マンガ風な点があるのは否定しないけど。

アカザ:エンタメというか……。

ルパン:確かに、ダニタのことは助けるわけですが……なんだか「いい子は助ける。助け甲斐がある人は助ける」みたいですっきりしません。モナみたいな人ではないから助ける気になったのでしょうか。モナのような人とは今後どのように向きあっていくつもりなのでしょうか。それに、母親のサラも含め、夏が終わればアメリカに帰るわけですし。「モンスーンの狂気」が「一時的な善意」でなければいいのですけど。

エーデルワイス:主人公のジャスミンとスティーブは幼いころから波長があって、価値観があって、友情を育んで、同じ目的をもってビジネスパートナー。まさしく理想的な恋人。いろんなものが織り交ぜてあって、おもしろく読みました。3か月も家族で夏休みをとって海外へ行くなんて、日本じゃ考えられない。容姿で悩み、女の子は仕草とか、媚びるというのじゃないけど、アメリカの女の子にもあるんですね。主人公は性格的にそれができない。好感がもてます。そして、本当は美しいということにインドに行って気づかされる。

アカザ:エンタメとしては、おもしろく読みました。インドの衣装やダンス、食べ物も魅力的だし。主人公の恋の話も、ハッピーエンドに終わるということが最初からわかっているような書き方だけれど、同年齢の読者にとっては面白いかも。善意のアメリカ人がボランティアをするときって、こんな感じなんだろうなと、読み終わってから思いました。「いいことしちゃった!」感というか。英語に“cold as charity”という言葉がありますが、善意の行動をする側の後ろめたさというか含羞というか、そういうものが感じられないのですが、ないものねだりなのでしょうか。訳者あとがきの、ひとりひとりが誰かのためになることをやっていけば、社会が変わっていく云々という言葉にも、違和感を覚えました。あと、読み始めたときに、なかなかシチュエーションが理解できなかったのですが……。なにか全体にざわざわと落ち着かない感じで文章が流れていくのは、軽い訳と固い訳がまざりあっているせいかしら?

ハリネズミ:ジャズが寄付したお金は孤児院の基金になって、その基金でビジネスを起こした人が利益を挙げてそのお金が返せれば、次の人がビジネスを起こす資金になる、というふうに、うまく考えられています。作家もインド生まれだし、ただ白人がいいことしちゃった、と自己満足するような本とは違うと思います。

レジーナ:ボランティアの難しさや高校生のビジネスなど、興味深いテーマではあるのですが、訳がところどころひっかかってしまって入りこめませんでした。「爪をかむことは、彼をイライラさせることのひとつだ」(p10)、「わたしはパパに過度のストレスがかかっているようすがないか、注意深く見ていた」(p108)等、原文をそのまま訳してる感じで、大急ぎで訳したような……。15歳のちょっと皮肉っぽい視点で書かれているので、エンタメとしておもしろく読む作品なのでしょうが、「『あなたなら、だれでも巻きこんでやる気にさせられるわね』……『自分家族以外はね』ママはため息まじりにつけ加える。わたしに怒った顔を向けながら……あれがあってから、ママは完全にわたしを身放した」(p19)という文章からは、母親が単純でひどい人間のように感じてしまいました。『もういちど家族になる日まで』(スザンヌ・ラフルーア/徳間書店)は読みやすかったのですが。孤児院の院長が集まってきた子どもたちにバナナを配る場面とか、47ページの、妊娠した貧しい女の子の描写は、西欧のステレオタイプに感じられます。インドなどでは、小学生くらいで結婚させられるのが問題になっていますが、この女の子はそこまで幼くないですし、結婚の年齢は文化によって違うので……。

ハリネズミ:バナナを配る場面は、日本のバナナを連想すると違うと思う。バナナの房はもっと大きいのを買い求めて、お金をあたえるんじゃなくて栄養になるものを与えている。そこは、私はなるほどと思いました。さっきも言ったんですけど、国際援助という観点からはほんとに考えられて書かれている。女の子が早くに結婚するのは、国連もやめさせようとしています。女の子が教育を受ける機会を失うと、貧困の連鎖になってしまうからです。

まろん:瑞々しく、五感を刺激されるような文章で、魔法にかかったような読後感がありました。インドの貧しい人も裕福な人も、みんな生き生きと描かれているのがいいですね。私が一番印象に残ったのは、主人公が外見に非常にコンプレックスを持っている点です。周りから見ると気にしすぎにも思えますが、15歳という年齢は必要以上に見た目を気にしてしまう年頃なのかもしれません。私自身も同じように「私なんかがお洒落をしちゃいけない」と思っていた時期があったので、感情移入しながら読んでしまいました。私の場合は友人に「優越感を持つ必要はないけど、劣等感を持たなくてもいいんじゃない」と言われてはっとした経験がありますが、ジャズも外見の劣等感が消えたことが、自分が変わるひとつの大きなスイッチになったのではないでしょうか。

シア:図書館で借りられたのが最近だったので、軽くしか読めませんでした。10代の女の子による恋の思い込みがよく描かれていると思います。それから、貧困による負の力がどれだけ強いものかということも改めて感じました。カースト制度というのは本当に根強いですね。でも、物語ではそれよりスティーブとのことばかりが前面に押し出されている感じでした。もうちょっと現実の悲惨さを掘り下げて欲しかったんですけど。あとは、女の子が自信を取り戻していく姿もよく描かれていました。女性の自立には必要なことなんだと感じます。自立している女性として母親が出てきますが、彼女は養子であるので自分の生みの親を気にしています。養父母から「いっぱいの愛情しか与えられなかった」のは、最高の育てられ方だと思うんですが、それでは何故か不満らしいですね。それで家族でルーツ探しの旅行に行くわけなのですが、これでは養父母の立つ瀬がありません。自分のやりたいことを達成しようとする力を持った人に育ったことは非常にアメリカ的なのですが、行動の理由がはっきりせず、養父母がかわいそうなだけです。主人公は以前、良い行いのつもりでしたことで人に騙されてしまうんですが、良い行いをするには「脇役を務めた方がいい人も」いると諭されてしまいます。そこまで考えなくても良いのではないかなと思います。騙されないようにするのは当然ですが、立場によっては悪い人とわかっていても助けなければならない場面もあります。関わらないようにするのは、解決ではないと思います。また、ダニタとの友情も物語の軸なのですが、これがかなり力関係のある友情で、全く対等になっていません。何かこの力関係がひっくり返るようなイベントでも入れればいいのに、上っ面の友情が延々と続いて終わります。スティーブとの恋愛模様以外、どれも中途半端な印象です。ハリネズミ:養父母との関連は、どんなに満たされている子でも産みの親のことが気になるということは事実としてあるんだと思います。たとえばバーリー・ドハティの『蛇の石 秘密の谷』なんかにも、客観的にはなんの不満もない養親でも産みの親のことが気になる少年が描かれています。いったん会ってしまうと、それで満足して次の段階に行けるんじゃないでしょうか。

(2016年10月の言いたい放題)


ペーパーボーイ

ヴィンス・ヴォーター『ペーパーボーイ』表紙
『ペーパーボーイ』
ヴィンス・ヴォーター/作 原田勝/訳
岩波書店
2016.07

『ペーパーボーイ』をおすすめします。

主人公のヴィクターは、ケガをさせた友だちへの罪滅ぼしのため、夏休みの1か月間自分がかわって新聞配達をすると申し出る。ヴィクターは何か言おうとするとどもるので、文節と文節の間にssss・・・を挟んだり、もっと簡単に言える言葉をさがしたり、時には緊張のあまり気絶してしまったりする。

時代は1959年。現代的な言語療法の研究が始まったばかりという時期で、人種差別もまだ激しかった。場所はテネシー州のメンフィス。自分も吃音をもっている著者が、故郷を舞台に回想を織り交ぜながら書いている。

吃音は、「ちょうど世界がひらけて広がる時期に、その人を孤立させ、周囲を困惑させる存在にしてしまう」(作者覚え書より)が、ヴィクターは配達先で否応なくさまざまな人たちと知り合う。美人だけど不幸を背負っていそうな奥さん、本がたくさんある家に住んでいて難しい言葉が好きなおじいさん、いつ行ってもテレビの前にかじりついている少年・・・。通りでクズ拾いをしているR・Tや、芝刈りを仕事にしている巨体のビッグ・サック、そしてだれよりも知恵がありそうなマームというメイドさんからも、ヴィクターは人生について多くのことを学んでいく。そして、見聞きしたこと、考えたことをイプライターで記録していく。

彼が書く文章には、カンマがない。カンマは息継ぎの印だとわかっていても、しゃべる時にたくさん息継ぎをしてしまうヴィクターは、書く時は息継ぎなしにすらすら表現したいのだ。翻訳も、読点なしだが読みやすい日本語になっている。

世界がひらけてヴィクターが成長していく物語の途中には、ヴィクターが父親とは血がつながっていないとわかる事件や、ヴィクターのナイフやお金を盗んだR・Tに、取り返しにいったマームが殺されそうになったり、ビッグ・サックが駆けつけて急場を救ったりという事件も入ってきて、読者をぐんぐん引っ張っていく。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年10月10日号掲載)


吃音を持ち、世間とのつき合いが苦手なヴィクターは、ケガをさせた友だちに代わって、夏休みの1か月間、新聞配達をすると申し出る。その配達がきっかけとなり、ヴィクターは、美人だけど不幸の匂いがする主婦、本がたくさんある家に住むおじいさん、いつでもテレビにかじりついている少年、通りでクズ拾いをしているR.Tなど、否応なくさまざまな人たちに出会うことになる。ヴィクターの成長物語でもあるが、間にさまざまな事件が入り込み、読者をぐんぐん引っ張っていく。翻訳もみごと。

原作:アメリカ/12歳から/新聞配達、出会い、成長

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)


アイヌのむかしばなし ひまなこなべ

萱野茂文 どいかや絵『ひまなこなべ:アイヌのむかしばなし』
『アイヌのむかしばなし ひまなこなべ』
萱野茂/文 どいかや/絵 
あすなろ書房
2016.08

『アイヌのむかしばなし ひまなこなべ』をおすすめします。

心根のいいアイヌに仕留められたクマの神様は、その魂を天の国へ送る宴で目にした若者の素晴らしい踊りが忘れられません。クマの姿で何度も地上にやって来ては同じアイヌの矢に当たり、宴で若者の正体をつきとめようとします。このアイヌは、クマの肉や毛糸をたくさんもらって裕福に。さて「暇な小鍋」とは?

アイヌ文化の継承に力を尽くした萱野が採集したこのお話には、道具には魂が宿ると考え、カムイ(神)として敬ってきたアイヌの人たちの考え方がよくあらわれています。人間は他の生命をいただいて生きている、ということの重みも伝わります。独特の文様を取り入れた絵も子どもにわかりやすくて楽しい絵本に仕上がっています。

(「朝日新聞 子どもの本棚」2016年9月24日掲載)


2016年09月 テーマ:自然の厳しさ

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『2016年09月 テーマ:自然の厳しさ』
日付 2016年9月16日
参加者 アカシア、アンヌ、紙魚、草場、さらら、西山、ハックルベリー、花
散里、パピルス、マリンゴ、ルパン、レジーナ、レン
テーマ 自然の厳しさ

読んだ本:

『レッドフォックス』
原題:RED FOX by Charles G.D. Roberts, 1905
チャールズ・G.D.ロバーツ/作 桂宥子/訳 チャールズ・リビングストン・ブル/挿絵
福音館書店
2015.10

版元語録:数々の危険をくぐり抜け、荒野でたくましく生きるキツネの姿を描く。カナダの美しく苛酷な大自然が生んだ動物物語の傑作。
『いま生きているという冒険』 (よりみちパン!セ)

石川直樹/著
イースト・プレス
2011.10

版元語録:開高健ノンフィクション賞、土門拳賞ほか連続受賞者であり、世界を素手で旅し、未知のフィールドを歩き続けるたぐいまれな冒険家/写真家が書き下ろす、圧倒的な旅の軌跡。未発表カラー写真多数収録。
『エベレスト・ファイル〜シェルパたちの山』
原題:THE EVEREST FILES by Matt Dickinson, 2014
マット・ディキンソン/作 原田勝/訳
小学館
2016.03

版元語録:好きな相手と結ばれたい少年と野望を持つアメリカの若き政治家。エベレスト登山をテーマに、人間の夢と野望を鮮烈に描いた作品。

(さらに…)

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エベレスト・ファイル〜シェルパたちの山

『エベレスト・ファイル〜シェルパたちの山』
マット・ディキンソン/作 原田勝/訳
小学館
2016.03

ルパン:ストーリー性豊かで、読んでいるときはおもしろかったのですが……読み終わってから、どうも釈然としないものばかりが残ってしまいました。まず、大統領候補のブレナンが選挙戦中に悠長に登山していていいのか、という疑問。ブレナンに雇われているカミが、ブレナンが休んでいるのに自分は働くことに不平等感を持つのはそもそもおかしい。ジャーナリストであるサーシャが取材相手のブレナンとどなりあったり、ブレナンを面とむかって批判するのもリアリティがない。最後は、カミは全身麻痺、サーシャは死に、ブレナンは世捨て人になり、ニマはブレナンでなくカミを恨んだままアル中に。ともかく救いのない物語。読後感が悪く、登山の様子はよく描かれていますが、子どもに薦めたいとは思いません。物語の意図が、シェルパという職業の人たちにスポットライトを当てたい、ということだったのであれば、完全な失敗だと思います。カミの悲惨な運命には、シェルパへの敬意が感じられません。

アンヌ:最初の語り手が、ギャップイヤーという大学生以前の男の子で、何も知らない様子なのに、いきなり単独行で山奥の村まで医薬品を運ばせるという設定には驚きました。行方不明のカミがほぼ全身まひになっているというところからカミが語る物語が始まるので、ひどいことが起きるのだろうと思いながら読んでいくのはつらく、一度は読むのをやめてしまったほどです。これだけ人が登っているエベレストで、嘘をついてなんとかなると思ったりするのも変で、償いの仕方ももう一つ納得がいきません。最後がエベレストの魅力で終わるのも、奇妙な感じです。山への畏敬の念がない人が書いたんだなと思い、価値観の違いを感じました。お坊さんの話の引用も中途半端で、いかにも「悟り」とか好きそうな欧米人という感触でした。

マリンゴ:惹きつけられる内容で、一気に読みました。ただ、著者のサービス精神が旺盛すぎるように思います。シェルパが山を登って降りてくるだけでも、じゅうぶん読ませるのに。でも、シェルパ族が主人公では、読者がとっつきにくいと思ったのかなぁ。出だしはイギリス人のナビゲーターにしたほうが、イギリスの読者には親しみやすいと考えたのかもしれません。それにしてもシェルパが主人公というのは興味深かったです。これまで登山成功のニュースを読んでも、私自身、関心をもつのは山を登った“外国人”のほうでした。シェルパは高地に強くて、黙々と荷物を運び続ける職業の人、という程度の認識しかなかったので。また描写は、著者本人が実際に登頂しているだけあって、リアルでした。山に遺体があちこち放置されたまま、というのは知らなかった……。遺体を収容できなくても、その場に埋めると思い込んでいたので……。第2弾も出ているとのこと、ぜひ読みたいので、早く翻訳してほしいです。

アカシア:謎に引かれて一気に読みはしましたが、そんなに好きになれませんでした。西欧的な価値観と世界観で書かれているような気がしたんです。たとえばユキヒョウを助ける場面ですけど、自分の生存が脅かされているような地域の人たちは、普通は自分や恋人や家族の命の危険を冒してまで、野生生物を救おうとは思わない。そんなぜいたくはできないんです。それがシュリーヤもカミも、計画もなしに危険を冒す。カミだって携帯電話やメモリーカードを使われたらどうなるかわかっているのにすぐに返してもらおうともしない。この作者はシュリーヤやカミのことを、ピュアだけど知恵なしだというふうに描いているのかと思いました。そうでなければご都合主義。それからカミが頂上まで行けなかったのはカミのせいじゃない。ブレナンが命じたからだし、高山病にかかっていそうなブレナンを支えなきゃと思ったからです。でも、著者はカミに「神様たちにむかって『ごめんなさい』と叫びたい、ばかげた衝動にかられた。あんなに近くまで行ったのに、信仰の証を示せなかったことが申しわけなかった。シュリーヤからあずかった捧げ物を、神々の手にあずけることができなかったことも。そして、ブレナンを頂上に立たせてやれなかったことが申しわけなかった」と言わせている。著者はその後もさんざんカミに悩ませて、雪崩という罰まで加えている。カミはブレナンにはめられたわけですが、首から下が麻痺して寝たきりになり、はめた本人のブレナンが「カミは特別な人間だ」なんて言いながら隠者顔してそばにいる。それなのに著者はカミに「よくきてくれたね」などと語り手に笑顔で言わせている。私は読んでいて気分悪くなりました。歴史的に欧米人に命令されて動くしかなかったシェルパの人たちは、本来ならどこかで生きる知恵を身につけて、割り切り方も知っているはずなんです。もしカミにそれでも申し訳ないと思わせたいなら、遠征隊とは違う理由でカミなりにヒマラヤ(という名前からして西欧的で、この著者の意識を表しているような気がします)の頂上に登らなくてはならない理由があったと著者は書くべきです。それもないので、ご都合主義的に見えます。

パピルス:読んでみたいと思っていた本です。おもしろく読みました。他の方がおっしゃるように、ブレナンがエベレストに登ることで、大統領選にどう影響するのか、おかしいと言えばおかしいですが、そういうものだと思って気にせず読みました。著者がエベレスト登山を経験しているため、ペース配分や酸素ボンベの使い方など細かいところまでリアルに描かれていて、展開を盛り上げたと思います。また、純粋なカミの十代ならではの苦しみがよく伝わってきました。サーシャとの友情や、ブレナンへの忠誠心、シュリーヤへの想いなどです。こういった部分はヤングアダルトならではだと思いました。

西山:おもしろくて一気読みしました。おっしゃる突っ込みどころは、聞けば同感ですが、そういう心理を気にせずに読みました。謎解きで引っ張られてるんですね。ツッコミどころ満載だけど、気にしなければ読める、という読み方自体どうなんだという問題は残ると思います。ただ、テキストだから読みましたが、この表紙で、このタイトルでは、山に興味のない私は手を出さなかったと思います。ノンフィクションだと思っていましたから。

レン:先が知りたくで、どんどん読めました。ストーリーの強さがある作品ですね。ただ、腑に落ちないことがいろいろありました。獣医になる前の社会貢献をする機会としてネパールにやってきた「ぼく」が、いきなりグーグルアースにも出てこないような村に一人で向かうというところで、まずひっかかって。作者はブレナンを嫌なヤツに描きたかったのだろうけれど、あまりに一面的かなとか。内容的に、こんなこと言うかなあ、するのかなあと思ってしまうことがたくさんありました。「シェルパたちの山」と副題にあるのが、あまりピンとこず。山を甘くみちゃいけないということ? 読ませられるけれど、積極的に薦めたいとは思わない本でした。

レジーナ:展開が早く、次々に事件が起きるので、一気に読んでしまいました。副題に「シェルパたちの山」とありますが、シェルパの人たちの人間性は深く描かれていません。作者は、エベレストの厳しさと、社会の不均衡が書きたかったのではないでしょうか。ユキヒョウを助けようと突っ走るシュリーヤのような人物は、ハリウッド映画にときどき出てきますよね。『ジュラシック・パーク』とか。

パピルス:ユキヒョウのところは、カミとシュリーヤが深くつながるきっかけですよね。

花散里:今回の3冊の中で、私はこの本がいちばんおもしろかったです。本書は少年カミを描きたかったのだと思います。ユキヒョウが登場する第3章は、設定が上手いと思いました。シェルパたちの話は、新田次郎の『強力伝』(新潮社)など、山岳小説を思い出しながら読みました。アメリカ人のブレナンなどは物語の登場人物であり、人物像などは、豊富な資金を提供する人間、そういう設定なのかと気にはなりませんでした。ネパールの僻地に医薬品を届ける若者を登場させてストーリーを展開していくことで、カミとシュリーヤの関係性がわかっていくという構成もうまいし、お金がほしくてやってはいけないことをやってしまったという、カミが罪の意識に苛まれていくところも、最後まで一気に読ませると思いました。原田勝さんが訳されたということも、この本を読んでみたいと思った一因でした。

アカシア:でも、この状態で罪の意識をカミに感じさせるのは、西欧的な視点だと思いませんでしたか?

花散里:お金を得るには、それしか考えられなかったのでないでしょうか。

アカシア:だったらなおさら、著者はなぜカミに罪の意識を感じさせるんでしょう?

花散里:ブレナンに対して拒絶できなかったこと、シュリーヤとの約束を守れなかったことを、「捧げ物を、神々の手にあずけることができなかった」と表現したのではないでしょうか。

アンヌ:シェルパの人たちが持っている信仰は別のものではないでしょうか。カミは雇われて山に登っただけ。それなのに、嘘をついたことへの罪の意識とか、罰が当たったことを受け入れているところとか、何か同じ価値観を押しつけている気がします。

花散里:愛情表現ではないでしょうか。

アカシア:カミは遠征隊の中では自由意志が発揮できない存在なんです。シェルパの立場にある人がカミみたいに感じていたら、実際は生きていけないんです。「純粋だけど愚か」という設定にしているんじゃない?

ハックルベリー:児童文学の山登りものといえば、山を登るのは感動的で、基本的にいい人という描き方がほとんどでしたが、名誉名声のために登るとか、シェルパをお金で買って登るとか、汚いものがリアルにからんでいる、というのがおもしろいと思いました。シェルパの人たちの価値観は描かれていると思いますが、なにぶんカミは若いです。お金がほしいとか、愛を貫きたいとか、思いが単純で、まだまだ未熟で、シェルパの地域の価値観もわからない中で、どんどん悪い方に巻き込まれている感じが悲しい。カミはそのつど純粋に悩んで決めているんだけど、ひとつひとつどこかずれていく。カミとニマが山に置き去りにされる場面など、衝撃的で、胸に迫りました。簡単に人の命が犠牲になる、そうして世の中から置き去りにされていく人たちを描いている文学という気がします。山に登るピュアな気持ちとか、感動とかいうより、この世界に置き去りにされていく、というのを描いていると思いますし、それは実際にあることです。そういう社会構造そのもののおかしさとか、愚かなことがつみかさなっていって、こうなりたくないという例の物語として読みました。

アカシア:だれも幸せにはならない物語ですね。

ハックルベリー:「山登りの汚さ」も見るべき、と思いますし、そういう物語があってもいいと思います。

(2016年9月の言いたい放題)


<翻訳者・原田勝さんからのコメント>

バオバブのブログの読書会の記録で『エベレスト・ファイル』をとりあげてくださってありがとうございます。
この物語は世界最高峰をめざす過酷な登山を背景にしているだけに、つらい描写もたくさんあるのですが、読書会に参加なさった方の発言の中には、少し、訳者であるわたしの理解と異なる点があり、メールをさしあげました。また、原作者のマット・ディキンソンの社会的な批判の目や、また自ら登山や冒険、過去の取材を踏まえた彼の執筆活動も尊敬していますので、そういう面でもいくつか訳者からの補足情報を以下に書きたいと思います。読書会のメンバーの方にお伝えいただけると幸いです。

1)大統領選中の登山
たしかに、少し無理もありますが、ブレナンは本選挙前の、そして、党指名を勝ち取る予備選挙の、さらにその前の時期に登山しているという設定です。

2)サーシャがブレナンとどなりあう
これは、ブレナンがサーシャの報道の自由を侵害するような行為に出たからで、ジャーナリストとしては極めて当然のことです。実際にこういうことはあると思います。日本の記者クラブの御用記者体質がむしろ批判されるべきでしょう。

3)カミが全身麻痺で終わることについて
これは、じつはわたしもつらいと思っていたのですが、もともとこの作品は三部作の一作目で、先月来日していたマットと会った際にきいたのですが、三作目の完結編で、このつらい状況を補うような方向での結末が用意されています。残念ながら、これは現時点ではネタばれなので、ここには書けません。訳せるといいのですが……。

4)シェルパへの敬意が感じられない
ニマのアル中のことや、カミの容体などを見るとたしかにそうもとれますが、しかし、そもそも、シェルパを主人公にした作品が大人向けの山岳小説にもほとんどないことを考えると、原作者の強い思いを感じます。マット本人から聞きましたが、イギリスの大手の出版社は、主人公がシェルパであることがネックで、なかなか出版が決まらず、結局、版元はアウトドア関連の本を出版している比較的小さな出版社になったそうです。
また、海外の登山隊が落とす外貨がシェルパの収入源になっているのは事実で、お金をめぐるトラブルも多々あると聞いています。また、同じように命がけで登山しているのに、その配慮がないこともあります。お金のために、過剰な荷を背負って事故にあうこともあります。作品中で、カミとニマは撮影後、クレバスの中に取り残されますが、これは実際にあった事件を題材にしているそうです。
カミがあまりに純粋なので、ばかにしている、というような意見もあったようですが、いくつかのネパールでの旅行記などを読むと、シェルパ族の人たちの人の良さというのがうかがわれ、決して馬鹿にしているのではなく、民族の美点として抽出していると、わたしは考えています。

5)自然への敬意
シュリーヤがユキヒョウを守りたい一心で行動することに対して、そんなぜいたくはできない、という意見もあったようですが、とても残念な意見です。たしかにそれどころではない人も多いでしょうが、ネパールの人たちが自分たちの暮らす地域の自然を守ろうとする気持ちで行動することはきわめて当然ですし、もちろん、フィクションなので、こんな危ないことはしないと思いますが、彼女の気持ちはわたしにはとてもよく理解できます。

6)山への畏敬の念と山の魅力
カミがエベレスト(ネパール語ではサガルマータであることが、きちんと作中ふれられています)に登りたいと思い、ライアンがラストシーンで、エベレストの姿にどうしようもない引力を感じ、また、そもそも、世界中の登山家がエベレストに登りたいと思う気持ちは、あらゆる危険や犠牲を超える不思議なものだとわたしは思います。
じつは、ライアンがエベレストを遠くに望むラストシーンは、第二作の “North Face” で、彼自身が主人公となって、今度はチベットでの冒険が描かれることへのつなぎでもあり、それはこの作品を読むだけでは感じられないかもしれませんが、理屈抜きの魅力を夕日のあたる山頂で表現したのは、とてもうまいと、わたしは感じています。

7)カミの罪の意識
シェルパの立場にある人がカミみたいに感じていたら、実際は生きていけない、という意見がありました。そうでしょうか? たしかにお金で雇われてはいるのですが、きちんとした遠征隊で、立派なシェルパであるならば、エベレスト登山は単なる仕事ではないはずです。シェルパの人たちにとって、エベレストは信仰の山でもあり、また、世界最高峰でもあるし、なにより、人間の限界に挑む命がけのチャレンジであるはずです。
その神聖な山に登っていないのに登ったと嘘をつくこと、また、ベテランのシェルパであれば、もっと早くテントを出発するよう助言できたのではないか、あるいは、もっと早く引き返す決断を下せたのではないか、そういう悩みがあるがゆえに、カミは罪の意識を覚えるのです。

8)だれも幸せにならない物語
これも、三作めの一作目であることが大いに関係しているとは思いますが、たしかに厳しい物語です。しかし、エベレスト登頂がやはりとても大変な事業であり、頂上を目前に引き返した無念さを味わった登山家も多く、また、無理をして登頂には成功したものの下山中に命を落とした登山家も数多くいるのです。それでもなお、なぜ、世界中の人たちが登頂を目指すのか、答えはひとつではないでしょうが、少しでも、その危険な魅力を読者に感じてもらえればと思います。

9)ご都合主義について
たしかに、ちょっと無理があるんじゃない、という設定はありますが、エンタテインメント性を備えた小説には許される範囲だとわたしは思っています。これは、この作品に限らず、とくにヤングアダルト作品には、こうしたアドベンチャーもの、SF、スリラー、ホラー、サスペンスなど、がもっとあっていいと考えています。大人だけがこういうジャンルを楽しんでいて、若い読者はつじつまのあうものだけを読まされるのはどうなんだろう、と前から思っています。わたしの訳したものの中では、ケネス・オッペルや、ガース・ニクスが、もっと日本で評価されるとうれしいのですが。

10)原作者の意識
マット・ディキンソンは、BBCやナショジオの映像作家をやってきた関係で、自然保護やアドベンチャー、社会正義といったテーマにとても敏感な作家です。ヤングアダルト作家としての最初のシリーズは、いわゆるバタフライ現象をもとにした、エコロジカルなサスペンスでした。この「エベレスト・ファイル」のシリーズは、すでに “North Face” という二作目が出ていて、三作目、”Killer Storm” は来年出る予定。訳せるといいのですが。
今年は “Lie, Kill, Walk Away” という、政府による内部告発者の抹殺を背景にした(実際にそうではないかと疑われている事件がイラク戦争にからみ、イギリスでありました)、ヤングアダルト向けのサスペンスものを書きました。
ただ、これも大手の出版社からは出してもらえなかったそうです。
こういう作家がいてもいい、と思います。


いま生きているという冒険

『いま生きているという冒険』 (よりみちパン!セ)

石川直樹/著
イースト・プレス
2011.10

さらら:生きるというのは、世界を経験すること。今生きている普通の世界のむこうにある、さらに広い世界を作者は経験し、若い世代に伝えようとしているんですね。南極まで行けて、よかった! 様々な冒険で広がった想像力を通して、この作者は日常もほんの少し視点を変えればまったく違うものが見えてくることを、併せて伝えています。写真の割り付けに特徴がありますね。写真を文章とは切り離して出すのは、不親切からではなく、その写真を前にして、読者がまず感じることを大切にしているのでしょう。

ルパン:わたしは、これはすばらしい本だと思って読みました。インドひとり旅やエベレスト登山など、個々の冒険だけでも1冊の本になるのに……アラスカ、北極、太平洋横断挑戦など、世界をまたにかけた数々の冒険の末、最後の3行「家の玄関を出て見あげた先にある曇った空こそがすべての空であり、家から駅に向かう途中に感じるかすかな風の中に、もしかしたら世界のすべてが、そして未知の世界にいたる通路が、かくされているのかもしれません。」で、もう胸がいっぱいになってしまいました。KOです。そこだけ切り取ると、言葉だけでは陳腐になってしまいそうなのに。こんなにいろんなものを見てきた人だからこそ説得力のある3行です。ここまでくると、中途半端なフィクションでは太刀打ちできない、と思いました。

アンヌ:若者の冒険談だと思って読み進めていたのですが、p116の白クマとの遭遇あたりから、おやっと思い始めました。ここら辺ではまだ、Pole to poleだったので、冒険ものとして読んでいたのですが、足が震えて白クマが去ったとも動けなかったと恐怖について書かれているところから、成果を語るのが目的ではないと気づきました。特に星の運行術を学ぶあたりからは、冒険ではなく自分自身の中にある先人が持っていた能力を掘り起こす旅になっていき、この章ではとても感動し、羨ましく思いました。ところが、次の空への能力を身につける気球の旅はあまりに無謀で、あっけにとられました。最後の章では、冒険とは何かという考察で始まり、宇宙を内部に持つことが語られていきます。古代の人々が描いた岩壁画や洞窟画、様々な聖地で、別の未知なる世界が自分の中から開かれていく可能性について語るところは、共感するものがありました。現実の世界とは違う世界を探すことは、精神の、想像力の冒険という見解には、実に心を揺さぶられました。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。写真が、カメラマンだから当然ではありますが、すばらしいし、文章も読みやすい。石川さんの文は、他でも読んだことがあるのですが、この本では彼のルーツを順にたどることができて、そういう意味でもよかったです。クラスでいじめを受けたり、イヤな思いをしている子が読んだら、そんな狭い世界のことは大したことない、と励まされるような気がします。外にはもっともっと、広い世界があるのだ、と。もっとも、自分がこれを読んで旅に出たくなるかというと、全然そんなことはなくて(笑)、旅のレベルが桁違いなので、ただただぼう然としながら読み進めていました。自分とこの著者は、生まれ持ったDNAがまったく違うんだなと痛感させられたりもして……。ただ、巻末に近いところで、日常的な生活のなかにも旅はあるのだ、とフォローしてくれている一文があるので、ホッとした次第です(笑)。余談になりますが、この「よりみちパン!セ」というシリーズ、読んだことがなかったのですが、とてもおもしろそうなラインナップで、他にも手に取ってみたいなと、いまさらながら思いました。

アカシア:とてもおもしろく読みました。最初はちょっと疑問を持っていたんです。たとえば、日常は退屈で戦場のような非日常の空間にいると生きてる気がする戦場ジャーナリストっていますよね。この人もそんな感じで冒険アドレナリン中毒なのかな、と思ったんです。でも、最後の「未知の領域は実は一番身近な自分自身のなかにもある」というところに、20代の後半ですでにたどりつく。それはすごいことですね。ところどころにイラスト入りのコラムがあって、その入れ方も楽しめました。

紙魚:今回、選書するにあたって、いちばんはじめに『レッドフォックス』が決まったのですが、日本の作品でそれに並ぶものをと考えると、なかなか浮かばず、違う物差しでスケールの大きなものをと考えて出てきたのが、この本です。石川直樹さんご本人が、なにしろスケールがどでかくて、身体能力も高ければ、強調性もあり、人類学の知識もあり、文学・音楽など芸術にも造詣が深い。どの分野にもつねに能力を伸ばしている、希有な人だと思います。しかも、エベレストに登る1歩と、三軒茶屋の街を歩く1歩は変わらないと、本気で考えているというのも、素晴らしいと思うんです。さきほど、写真の入り方について話が出ていましたが、おそらく、その場にいてその世界を感じるということを、写真でも表現しているのではないかと思います。その場に行ってシャッターを切るだけで、世界はなにも説明してくれない。私たちも、この本を読むことによって、何かしらそこに立ち合っているのではないかと思います。

パピルス:わくわくしながら読みました。高校時代や大学時代。自分も異文化や大自然へ飛び込むチャンスは絶対にありましたが、石川さんのように1歩踏み出す勇気がなかったと思いました。留年して同級生から取り残されるとか、就職活動できなくなるとか、いろんなしがらみがあって、それを振り切ることができませんでした。石川さんは、十代の頃から見ていたものや目指していたものが違ったのでしょう。山への信仰は、畏敬の念からはじまっているというお話が特に印象に残りました。

草場:すごくおもしろく読みました。団塊の世代にはフラッと旅に出る人が多くいましたが、今の学生は保守的ですね。この人みたいに、命ぎりぎりのところに行く人はあまりいない。あの頃は、植村直巳が山だけでなくバラエティに富んだ冒険をしていました。今の若い人も、少しでも冒険をしてほしいですね。留学したくない若者が今は多く、最近は消極的だとききますが、こういう本を読んで刺激を受けて世界に出て頑張ってほしいです。

西山:前にどこかで今の若い人が留学にも消極的とかそういう話が出たときに、30代ぐらいの人だったかな、近年の貧困の問題もあるから経済的にも冒険に行くのが許されない状況があると述べられたことがあります。経済的に上向きのときには、若者がふらふらしているのが許されるのかもしれない。だいたい今の日本で、高校の先生がインドへの一人旅をすすめるというのは、かなり難しいと思います。

レン:状況によるのかなと思います。私が教えている大学では、休学して自費で留学する学生が昔より増えているみたいです。一方で、学生が行きたがっても、親が止めることもあるし。一概に言えないかな。

アカシア:この本でも、「それぞれの街で最安値の宿に行き着くと、そこには必ず日本からのバックパッカーが泊まっています」と書いてあるから、今でも行く人は行ってるんだと思います。ひとくくりに今の若者が保守的とは言えないかも。

西山:本文のおまけのような、カット入りの注釈がおもしろかったです。例えばp16のバックパッカーの説明とか、笑える。ちょっと気になったのは、気球で高度をあげる危険を語っているところで、「死ぬ前の一瞬の恍惚だったといいます」という記述がありますが、体験者は死んでいるのでは。全体としては、おもしろく読みました。p264の1行目に出てくる「見晴らしのよい静寂なところ」という言葉が気に入って、今回合わせ読んだほかの2冊にも出てきたなぁと。なんか、作品とは離れて、そういう場所が出てくる作品って素敵なんじゃないかと思ったりしました。p124の最終行に「マヤ」とあるのは、インカのまちがいですね。ちょっと残念。

レジーナ:私は勤め先のブックトークで紹介しました。犬ぞりの操縦者の家の前に並ぶたくさんの犬小屋の写真や、気球で生活するときの小さなゴンドラの写真を拡大して見せましたが、中学生は喜んで見ていました。私は中学のとき、学校で長倉洋海さんや辺見庸さんの話を聞いて、とてもおもしろかったのを覚えています。今、「この国はこう」と決めつけるメディアが増えていますが、世界に飛びだして自分の目で確かめることができなくても、こういう本を読んで世界を広げてほしいです。

花散里:今回の課題本になるまでこの本を知りませんでした。「よりみちパン!セ」シリーズが、薦めてみたい本のシリーズではなかったから読んでいなかったのかもしれません。読んでみて、世界中を旅してすごいと思いましたし、たくさんの写真が紹介されているとは思いましたが、文章に引っかかるところが、かなりありました。個人的には「深夜特急」(沢木耕太郎著 新潮社)で、アジアを知り、「旅とは何だろう」と思ってきました。この本は中高生向きだから、こういう書き方なのだろうか、という感じがしました。「深夜特急」以降バックパッカーが多くなり、紀行文やノンフィクションの書き手も増え、藤原新也さんの作品などが多く世に出たという時代の流れもあるのかもしれませんが……。小学校では、「グレートジャ―二―」のシリーズを借りて読んでいる子もいます。

アカシア:文章がひっかかったというのは、どこ?

花散里:全体的な印象ですが……。中高生に向けて書いているから、ちょっと浅いというか、こういう表現なのかしらと、思える文章が気になりました。

マリンゴ:沢木さんの『深夜特急』は全巻読みましたし、藤原新也さんも読みましたが、石川さんとは、アプローチが違う気がします。むしろ真逆なのかな。前者の方々は、自分探しの旅といいますか、自らの内面に向けて書いているところがあるように思うのですが、石川さんは外に向けて書いているのではないか、と。

アカシア:この著者が子どもだからこの程度でいいと思って書いているとは、私は思いませんでした。最初は好奇心でどんどん進んで行って、次々に新しいことに挑戦しているから、一つのテーマや場所を見つめて深く、というのとはもともと違うんだと思います。「よりみちパン!セ」は、いろいろな分野の入口として存在してるから、入口の役目が果たせればいいんだと思うし。

レジーナ:昔の中高生はちくまプリマーなど新書を読んでいましたが、今は大学生が読んでいるので、「よりみちパン!セ」はより読みやすい中高生向きの新書として作られたのでは。大学のとき、論文で新書を引用した人がいて、先生が激怒していましたが、新書が学術書でないように、このシリーズも高度な読書にはならないけれど、そこから広げていける本ではないでしょうか。

アカシア:昔は岩波新書が中・高校生の学問の入口だったと思うんです。今はそれじゃあ難しいので、こういうもう一段わかりやすいシリーズになってるんじゃないかな。

花散里:「インド一人旅」のp29「地獄におちてもらうぜ!」などの書き方が、これでいいのかしらと思いました。世界中を旅して、この1冊にまとめるのには無理があり、全体的に盛り込みすぎな印象でした。

アカシア:深いところにおりていってそれを伝えるというのとは、やり方が違うし、このページ数で、しかもあちこち行っているから、それは仕方がないのでは? 「深夜特急」も「グレートジャーニー」も大部ですから、もっと細かい観察ができる。藤原新也もたとえばインドだけで400ページ以上あるわけですから、当然のことながら細かく観察しつづけている。こっちは、同じような好奇心でも、どんどん違う方向に行くので、一つのことについてが浅いといえば浅いですが。沢木さんや藤原さんの本は著者と一緒に地面を這っていくような感覚になれますけど、これはここと思えばまたあちら的に陸から海、海から空みたいに飛ぶので、しみじみ観察するということはない。でも、好奇心をこういう形で持続させるのもありだと思うんです。また、若い勢いのあるうちは、先人がすでにやっていることを繰り返すのは嫌なんだと思うんです。だからインドならインドをじっくり歩いたりしても、それは他の人がすでにやっているので、二番煎じになる。そういう意味では、判断力にしても身体能力にしても、いろいろな場面で自分を試してみようと思って、しかもそれを可能にしていくのはやっぱりすごいと思います。

花散里:p17の、旅に出るということはどういうことなのかの説明にも私は違和感が…。

アンヌ:私は、この1冊の中で著者がどんどん年齢を重ね、その過程で考えを深めていく感じがしました。いわゆる冒険家とは違う人だなと思い、とても新鮮でした。

(2016年9月の言いたい放題)


レッドフォックス

『レッドフォックス』
チャールズ・G.D.ロバーツ/作 桂宥子/訳 チャールズ・リビングストン・ブル/挿絵
福音館書店
2015.10

さらら:久しぶりに動物の物語を読みました。レッドフォックスの視点に、ぐんぐん引きこまれます。鋭い観察眼に基づく情景描写が的確。野生動物の動物らしさにも魅かれます。人間と動物の視点を分けて書き、複数の価値観が響きあうところも好きです。対象年齢は高学年以上とありますが、本をたくさん読んでいる子でないと、読みこなせないかもしませんね。

ルパン:なんだか懐かしい思いで読みました。子どもの頃読んだ椋鳩十を彷彿とさせる感じで。数十年ぶりにこういう作品を読んだ気がします。動物にいっさいせりふがなく、くどくどと心理描写をしていないところがいいですね。

アンヌ:最初にこの本を見た本屋では表紙を見せて飾ってあって、なんとなく、クリスマスのプレゼントに魅力的な本だなと思いました。実に淡々と成長の過程や狐の生活が描かれています。ジャック・ロンドンの『白い牙』とか『荒野の呼び声』(新潮文庫)、ニコライ・アポロノヴィッチ・バイコフの『偉大なる王(ワン)』(新潮文庫)を読んで育った身としては、たまらなくおもしろかった。けれど、火事の場面やキツネ狩りの場面など、いくらでもドラマチックに盛り上げられる場面もそうせず、静かに終わっているのには、驚きました。大人でも、読み続けていくのは難しいかもしれない量で、今の子どもには無理かもしれません。たとえ全て読み通せなくても、狐の見事な死んだふりの場面とかを読むと、「狐のルナール」(『狐物語』 岩波文庫)とか、日本の民話とかを読み返したくなったので、そういう物語の入口になればいいと思います。動物好きの子どもに手渡したいなと思います。

マリンゴ:子どもの頃、家に『シートン動物記』の完全版がありました。大人向けだから小学生にはちょっと手強かったんですが、それでもおもしろく読んだのをなつかしく思い出しました。『シートン動物記』が、「オオカミ王ロボ」など、動物に固有名詞をつけて感情移入させやすくしているのに対して、『レッド・フォックス』は、人間に寄せて書くのを極力排除しています。それが、とても興味深くて、楽しく読みました。ただ、大人の今だからそう思うのであって、子どもだったら、もしかして読みづらいのかな?という気もしました。あと、1905年に刊行された本が、なぜ今、日本で発売されるんだろう、ということが不思議です。あ、決して悪い意味じゃなく、素朴にどうして「今」なんだろう、と。

アカシア:とてもおもしろく読みました。「まえがき」で、「レッド・フォックスが示す感情は、人間の感情ではなくキツネ本来のものだ」とか、「けっして、一部の批評家が言うように、人間の感情を下等動物にあてはめているのではない」と繰り返していますね。シートンの動物物語にもそういう批判があったと聞きますが、その批判は当たっていないということをまず言っておかないと、という意気込みが感じられます。これだけの物語を書けるのは、森林がある環境で小さいうちから動物を身近によく見て観察した人ならでは。一定のスピードで読むと引き込まれてどんどん読めますが、今の子どもの読むスピードだと、ふんだんにある自然描写に手こずるかもしれませんね。オリジナルの絵の下に文字をいれたりして、クラシックな感じですね。表紙ももともと布張りに箔押しで金を使ってあるのでしょうけど、それを生かそうとした装丁ですね。

さらら:情景描写の翻訳は難しいんじゃないですか。翻訳者は見ていない情景を想像し、目に見えるような場面にして読者に差し出すわけですから。

草場:おもしろく読みましたが、高学年でこういう話が好きな子じゃないと読まないかも。レッド・フォックスは頭のいいキツネで、死んだふりをするんですね。サバイバルできてよかったです。それにしても、野生の動物なので、最後に環境が変わってもいきられるのでしょうか?

アカシア:まったく同じ場所でなくても、似たような環境の場所なら充分生きられるのではないでしょうか。

パピルス:著者が森に住む動物たちをとても細かく観察しているため、様子が目に浮かぶようです。1章ごとに日々の森での生活が描かれていますが、出会いと別れ、そして成長があり、物語として上手に組み立てられているなと感心しました。翻訳本を多く手がける出版社の編集者が、「翻訳本の良いところの一つに、古い作品でも訳を変えればまた新しくなることだ」と言っていました。この作品は1905年に発表されましたが、日本では2015年に出版されました。100年以上前の作品にはなりますが、表現や言い回しで「古い」ということで、読んでいて気になることは全くありませんでした。

西山:久しぶりに、こういうものを読みました。全体を通していちばん思ったのは、自然界では、若いというのは愚かということで、愚かでは生きていけないんだなぁということ。人間の話だったら、特に児童文学では、若者の好奇心や、無謀な行動も、それで失敗することがあっても、根本的には価値あるものとして捉えられていると思うんです。それに対して、自然界は、若さは馬鹿で命を落とす。翻って考えれば、人間の社会は、弱くて愚かでも生きていける、それが人間が作ってきた社会なわけで、弱肉強食的自己責任論とか、人類の歴史に逆行しているのだなと改めて思いました。「那須正幹の動物ものがたり」(くもん出版)と、並べて読んでみるとおもしろいかもと思いました。272ページの、捕まってしまった場面で、つながれた鎖から逃れようとして、干し草に埋めて、見えなくしたら、鎖をなくせるんじゃないかと試みるところがありますよね。あれなんか、ものすごくおもしろかったです。そういう行動をするんでしょうね。見えないと存在しないと思うのは、幼い子ども同じでしょうか。あと、みなさんもおっしゃっているように、挿絵の下に文章をそえてあるのが、懐かしくて、その懐かしさが新鮮でした。『岸辺のヤービ』(梨木香歩/作 福音館書店)もそういうクラシックな作りにしていましたよね。福音館の本作りのポリシーの表れでしょうか。

レン:とてもおもしろかったです。文章がいい。きびきびしていて、ひっかかるところがなく、すっと入ってきました。すごい観察力ですね。今の子どもがどのくらい読めるかはわからないけど、小さなエピソードを読んで聞かせたら、ひきつけられて読むのではと思いました。絵はやや地味な感じもしますが、しっぽの付け根とかヤマアラシのとげとか、絵があるおかげでよくわかってよかったです。狐でもかしこいのとかしこくないのがいるんだ、というのがおもしろかったです。テレビのように映像でぱっと映せるものがなかった時代に生きていた人はすごいですね。よく見て、すべて言葉で情景を浮かび上がらせていく。そういう力や辛抱強さを、私たちは失いつつあるなという気がしました。

さらら:テレビや映像に浸かっていると、言葉に再構成された情景を、自分の頭で想像するのが苦手になり、まどろっこしいと感じるかも。

レン:すぐにはイメージできないこともあるでしょうね。事件が立て続けにおきて、ひっぱっていくようなストーリーじゃないし。絵本、幼年童話、中学年と、物語を読むことを積み重ねて、こういう本を読めるようにしていきたいですね。

アカシア:本をいろいろ読むだけでなく、実体験もないと情景が浮かびませんね。深い森に入った体験とか。

レン:ああ、そうですね。何が進歩だろうって思います。

レジーナ:キツネの視点で描いていて、しかも、ほかの動物との関連性の中でキツネの生活を描いているのがおもしろいと思いました。ちょっと長すぎる気もしますけど。表紙も美しく、献辞のページで、挿絵が逆三角形に配置されたデザインも素敵です。クラシカルで好きな文体ですが、今の小学生が読むには難しいかもしれませんね。大人が少しずつ読み聞かせてあげるといいのでは。

紙魚:最近の本は、会話や心理描写が多くて、そこまで聞こえてこなくてもと感じることも多いですが、この本はそうでないので、読んでいて静かな興奮を味わいました。人は、小さな声にこそ耳をすませることもあると思うからです。動物を主人公に三人称で書くということは、作者がどれくらい、その動物に自分が想像した感情をのせるかということが問われると思うのですが、ところどころレッド・フォックスの感情は書かれているものの、それが大袈裟すぎない塩梅が絶妙でした。文章での執拗なまでの情景描写と、時折差し込まれる挿絵が、充分に想像を助けてくれたと思います。ただ、今の子どもたちがこれをおもしろがるかと考えると、疑問も残ります。なぜ今、刊行したかということを、ぜひ版元さんにきいてみたいところです。

花散里:学校図書館に勤務していて、かなり読書力のある子どもたちもいますが、この本は中学生以上だと思います。「シートン動物記」シリーズとも比べられるかもしれませんが、動物物語としてレッド・フォクスが描かれているのだと思います。椋鳩十の作品のおもしろさを知っている子は読めるのではないでしょうか。最近、刊行された『ゆうかんな猫ミランダ』(エレナー・エスティス作 津森優子訳 岩波書店)のように、動物を描いていておもしろかった本もありますが、この本は自然の中でのサバイバル物語として、動物たちが描かれていると思いました。スカンクにとびかかって呼吸困難になるほど強烈な一発をくらい、その臭いのために巣にも入れてもらえなかったけれど、そのあと狩りがしやすくなど、動物の世界のおもしろさが、楽しめました。「シートン動物記」などとも、一緒に薦めてみたいと思う印象的な本でした。

さらら:物語はキツネの父親、母親と子どもたちの話から始まるのですが、主人公となる「レッドフォックス」の名前を出すタイミングが、絶妙でした。

アカシア:原文は最初は小文字のred foxで、途中から大文字のRed Foxになるのでしょうか? 椋鳩十さんの動物物語はもっと情緒的で、ぎりぎりの冷徹な観察に基づいたものとは違うように思います。ただ椋さんの物語を入口にして、こういう作品にも向かってくれればいいですね。

西山:情緒過多じゃないのが、逆に、本が苦手な子には読みやすいということもあるかもしれません。気持ちを読み取るのが苦手で、本が苦手という声を聞くことがありますから。

紙魚:まえがきで、作者が、「けっして、一部の批評家が言うように、人間の感情を下等動物に勝手にあてはめているのではないのです。」と書いていて、その気持ちはよくわかるものの、子どもが最初にこれを読まされたら、あまりおもしろくはないのでは。原書はまえがきなのでしょうが、あとがきに持っていってもよかったのではと感じました。

さらら:この作品は、シートンより少しあとに発表されています。シートンが当時受けた批判をかわすために、こんな前書きをつけたんじゃないでしょうか。

アカシア:一つ一つの文章も、今の子にすると長めなんだと思います。だからといって、今の子に口当たりのいいものだけを出していればいい、というもんじゃない。裏表紙には「小学校上級から大人まで」となっていますね。

(2016年9月の言いたい放題)


アポリア〜あしたの風

いとうみく『アポリア』
『アポリア〜あしたの風』
いとうみく/著 宍戸清孝/写真
童心社
2016.05

『アポリア〜あしたの風』をおすすめします。

2011年の東北大震災に関連する本は、これまでにもいろいろ出ている。この作品も、その系列に入るが、なんと舞台は東京近辺で、時代は近未来に設定されている。

主人公は中2の一弥。ふとしたきっかけから同級生に殺意をいだいた自分が恐ろしく、人間と付き合うことを絶って不登校になり、自分の部屋に閉じこもっている。ある日、突然大地が大きく揺れ、津波が襲ってくる。母子家庭の一弥は、なんとかして母親を助けようとするが、そばを通りかかったタクシー運転手の片桐に腕をつかまれ、無理やり避難させられる。一弥は片桐を恨み、避難先でも最初はだれにも心を開かない。

震災というのは、大きな悲しみや苦しみをもたらす一方で、これまでの社会では出会わなかった年齢も職業も背景も異なる人たちが生身の人間として出会うきっかけにもなりうる。

この作品の縦糸は、そうした出会いを通して少しずつ変わっていく一弥の物語である。子どもとおとなの中間にある中2という年齢だからこその揺れも、うまく描かれている。

また横糸となっているのは、一弥が出会う人々がそれぞれに背負っている物語である。片桐以外にも、一弥の叔父である健介、無理心中を図った祖父と一緒に避難している4歳の草太、自分の欲に負ける一方で他人を偽善者とののしる元看護師の中西、ネコと一緒に助けられた中3の瑠奈などが登場し、それぞれが生身の人間としてぶつかり合いながら、死を目の当たりにしてたじろぎ、いのちについて思いをめぐらせ、やがてそれぞれに生へ向かう道を歩み始める様子が描写されていく。限られたページ数の中で多様な人々それぞれの物語を描ききるのは至難の技だが、一人一人の人間を描こうとした著者の努力によって、骨太の作品として立ち上がっている。

ちなみに「アポリア」とは、ギリシア語で「道がないこと」を意味しているという。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年8月8日号掲載)


2016年07月 テーマ:語られてこなかった真実

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『2016年07月 テーマ:語られてこなかった真実』
日付 2016年7月24日
参加者 アカシア、西山、アンヌ、アカザ、レン、さらら、マリンゴ、ルパン
テーマ 語られてこなかった真実

読んだ本:

『霧のなかの白い犬』
原題:GIRL WITH A WHITE DOG by Anne Booth,2014
アン・ブース/著 杉田七重/訳 橋 賢亀/挿絵
あかね書房
2016.03

版元語録:小さいころから犬が大好きだったジェシーは、祖母が白いシェパードを飼いはじめて、大喜び。しかし、祖母が認知症をわずらい、何かにおびえるようになる。その姿を見たジェシーは、祖母を苦しめる原因を探ろうとするが…。少女の悩みと祖母が体験した戦争の歴史が交差する、深い悲しみと寛容を描いた物語。
『ぼくのなかのほんとう』
原題:THE TRUTH OF ME by Patricia MacLachlan, 2013
パトリシア・マクラクラン/著 若林千鶴/訳 たるいしまこ/挿絵
リーブル
2016.02

版元語録:母さんがなぜ愛してくれないのか不安なぼくは、両親がコンサートツアーに行くため夏休みをおばあちゃんの家で過ごすことになり…。
『墓守りのレオ』
石川宏千花/著
小学館
2016.02

版元語録:墓地に住む墓守りの少年レオと彼に関った人達の話。忌み嫌われる黒髪、黒い瞳。彼は墓で産み落され捨てられて墓守りに拾われ、墓の霊たちに育てられる。墓守りの死後その仕事を引き継ぐが…。

(さらに…)

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墓守りのレオ

『墓守りのレオ』
石川宏千花/著
小学館
2016.02

アンヌ:題名を見た時から、ピーター・S・ビーグルの名作『ここちよく秘密めいたところ』(創元推理文庫)に似た話かなと危ぶみながら読み始めました。まあ、「吸血鬼」の例もありますから、いろいろなバリエーションで拡がって行くのもおもしろいとは思います。『ここちよく秘密めいたところ』は、霊園の中の霊廟に住みついた男が主人公で、幽霊と話ができます。カラスが運んできた食物で生きていて、カラスは男とも幽霊とも話ができる。『墓守りのレオ』では、主人公の少年レオは正式な墓守として霊園に住み、同じように幽霊と話ができて、一緒に住んでいる犬は彼とも幽霊とも話ができる。そして、その霊園での生活に、殺人事件が絡んでくる。似ているのはここら辺までです。『墓守りのレオ』では、幽霊は自分が死んでいるのだと気づいた時にあの世へ行かないと、幽霊としてこの世を永遠にさまようという決まりがあります。他にも、これは少し反則ではないかと思える仕組みがあって、幽霊が物を持てたり、書類を書いたりできます。まあ、飴買いの幽霊とか、物が持てる幽霊はたくさんいますが、書類を普通に書ける幽霊は初めてです。幽霊にこんなことができたら、遺言書も書きかえられちゃって推理小説などは成り立たなくなるんじゃないかと思いながら読みました。第1話が自覚のない幽霊の話で、幽霊が自分の死に気がついた時にあの世へ行くというきまりがここで説明されます。第2話では、犬が語り手になって、レオの生い立ちが説明されます。ここまででなんとなくこの物語世界の仕組みが分かり、第3話は、いよいよレオが幽霊と話せる特殊能力を持って、生きている殺人者を改心させます。一応おもしろいけれど、この少女を狙い続ける連続殺人者にあまり同情心はわきませんでした。3話中2話が殺人事件ですから、暗澹たる気分にもなります。生きている者や死んでいる者、それぞれの世界での独自の物語がまだ始まっていない気もします。シリーズ化する予定があるからでしょうか? 主人公に魅力はあるけれど、構造や物語の方向性に不満が残る感じでした。

ルパン:私も、幽霊が物をさわれる、というのにひっかかりました。ご都合主義で、物語が台無しになっている気がします。唯一、最初の「ブルーマンデー」は、女の子が死んでいる、という設定にドキっとさせられましたが、あとの2編はおもしろいと私は思えず、好感も持てませんでした。文庫の子どもに読ませたいとは思えませんでした。

さらら:まんがの原作を読んでいるみたいな、人物像のうすっぺらさが気になり、お話の中に入ろうとしても、入っていけなかったんです。最初のほう、p14の「彼は、特別な男の子。理由なんてわからないけれど、そんな気がした」というエミリアの語りに、まずつまずいてしまいました。こういう文体がはやっているのかなと思いなおし、そういう視点で読むことにしてみました。翻訳調ですよね。p169の「彼は、わたしの理解の範疇を超えていた」を例にあげるまでもなく。もってまわった文体は別にしても、幽霊が普通なら許せない存在のパパを「許すわ」って、すぐに言ってしまったり、ママが娘の昇天にすぐ納得してしまったり、これで読者は満足するのかなあと、疑問が残りました。

レン:書き割りのような場面で、輪郭だけの人物が動いているような感じで、あらすじを言えば足りてしまうお話だなと。最も違和感をおぼえたのは、主人公のレオに迷いや感情がないこと。思春期というのは迷うものだと思うのですが、レオは全能者のようで、まったくリアリティが感じられませんでした。文章も感覚的で生硬の感があり、違和感のある表現がちらほらありました。たとえばp143の後ろから4行目「わたしが置いたときとまったく同じ位置に、行儀正しくおさまっている」の「行儀正しく」とか。表紙がかっこいいので、黙っていても中高校生に手にとられそうだけれど、私は勧めたいとは思わないかな。

西山:ものが持てるという設定に、ちょっとひっかかりつつ読み進めたけれど、墓守ひきつぎの書類が書けてしまったところで、ご都合主義すぎるだろうと、決定的に覚めてしまいました。最初読み始めたときに、濱野京子さんの『ことづて屋』(ポプラ文庫)――死者の声を聞いてしまって、伝えるという――を思い出して、時代の要求みたいなのに応えているのかと興味をもちました。ただ、ご都合主義的な設定があると、切なさにいかないというのか。どう読めばいいのだろうと。「パパのことを許す」というのは、妙な理屈なんですが、そういうのが好きな高校生がいるんじゃないかなと思いました。最後の話で思い出したのは『悪の教典』(貴志祐介著 文藝春秋)で、サイコパスというのでしょうか、表はとても感じのいい顔を持っていて、実は非常にゆがんだ理屈で殺人を重ねるという人物が出てくる作品をおもしろく読むのと同じ感覚で読めるかも。このお父さんが殺してきた側のほうに、ちょっとでも気持ちが行けば読んでいけないから、想像力をシャットアウトしないと楽しめないじゃないかなという気がしました。表紙はきれいで、黒い瞳の美少年って萌どころかも。出版社側もチャレンジャーだなと、思いました。

さらら:ある世代の、世間に対して漠然とした憎しみをもっている人たちは、安易だけれど、少しダークで、でもダークすぎず、妙に筋道がひかれたものを読むと、ちょうどいい気晴らしになるのかもしれません。墓守りのレオ自身は、言葉少なで、いかようにも読めるキャラクターとして書かれていますが、1話目の幽霊にも、3話目の教授にも、自己陶酔的なところがあり、私はそこがすごく気になりました。

マリンゴ:6月に発売された『あまからすっぱい物語』(小学館)というアンソロジーに書かれていた、石川さんの短編を読みました。他の人たちが、日常を舞台にしているのに対して、石川さんは近未来が舞台。味覚がテーマのアンソロジーでこういう設定を選んでくるのは、非常におもしろい方だなと思っていました。今回の小説については、3章にいいセンテンスがあると感じました。「いずれは崩壊するのだとしてもそれが明日でなければいい」というのは、現代への警鐘になると思いますし、「呪われている人生を終えて、呪われていない人生を始める」というのは、たとえば死刑制度の是非を考えるときに、参考になる考え方かと。大きな罪を犯した人に、なぜチャンスをあげなくてはいけないのか、1つの答えの掲示だと思いました。ただ、1章で気になる点が2つありまして。1つはみなさんが既に言われている、死んでいる人が物をさわれる件。このロジックの説明がほしいと思いました。でないとご都合主義に聞こえてしまう。もう一つは、母がエミリアを送り出す(天に召される)ことに同意するシーン。同意の前に、「私も死ねば今すぐあなたのそばに行けるのよね」という発想があるのが自然ではないか、と。そこを母に言わせて、「いや、ダメ。なぜなら……」と潰す必要があるのでは? それがないので、母が同意するのがテンポ早すぎるように思えました。

アカシア:私はこの作家の本を読むのが初めてだったので、これでいいのか?と疑問に思ってしまいました。私が編集者だったら、これでは出せない、と思ったんですね。まず文章や使われている言葉が、どこかで聞いたことのある常套句ばかりで新鮮みがない。どの文章も「寝て」いて、屹立していない。設定も特に目新しいわけではないのに、そこに寄りかかっているので、キャラも浮かび上がらないし、読ませる力が弱すぎる。確かに、こういう雰囲気が好きな読者もいるでしょう。でも、雰囲気を出したいなら、文字だけでなく、音楽とか画像とかも使って、マンガでもアニメでもいいので、べつの形にしたほうがいいんじゃないかな。本のおもしろさってこの程度か、と読んだ人に思われたら逆に残念です。もしかしたら作者の方にもっと深い意図があるのかもしれませんけど、このままではどうも。

アカザ:これは、ラノベというか、コミックの原作というか……。そういうと、ラノベやコミックの好きな方に怒られてしまいそうな本だと思いました。雰囲気と、センチメンタリズムだけで読ませようと思って書いたんでしょうか。好きな人は読めばいいと思ったんですが、自分を殺した父親を許す……なあんて平気で書いちゃうのは、どうかな。

(2016年7月の言いたい放題の会)


ぼくのなかのほんとう

『ぼくのなかのほんとう』
パトリシア・マクラクラン/著 若林千鶴/訳 たるいしまこ/挿絵
リーブル
2016.02

マリンゴ:サラのシリーズを原文で読んでいて、とても好きで。英語がとりたてて得意でない私にさえ、とぎすまされた文体だというのが伝わってきます。その著者の作品ということで、読む前から好感を持ってしまっていて、だからちょっと甘めの採点になりますが、楽しく読了しました。もっとも訳者の方のあとがきが、本文をなぞることに終始した内容だったのが残念でした。もう少し、作家さんの情報を知りたかった……。読書感想文を書きたい子どもたちには、こういうタイプのあとがきが、参考になるのかもしれないですけれど。

レン:表紙や字組が小学生には読みやすそうで、さっと読めるには読めたのですが、私はこの子の悩みがくっきりと見えてこなくて、気持ちを寄せられませんでした。音楽家の両親のもとで、この子がどう感じているとか、おばあちゃんのことを両親がどう思っているとか、書かれていますがよく見えてこないというのか。どう読んでよいのか、よくわかりませんでした。

ルパン:正直、あんまりおもしろくありませんでした。先ほどから翻訳のことが取り上げられていますけど、私は、こちらの本は訳文以前に、ストーリーというか内容にいちいちひっかかってしまって、楽しめませんでした。それは訳の問題だったということでしょうか。たとえば、きょうだいがほしいという子どもに向かって母親が「どうしてもうひとり子どもがいるの? あなたがいるのに」と答える。それが、ひどい母親、ということになっているのですが、どうしてひどいんだろう?と思ってしまいます。「あなたがいてくれるだけでじゅうぶん」という母親、別の子どもはいらないという母親は、むしろ愛情深いんじゃないかと思えるので、子どもが不満に思う理由がよくわからない。ここは、「あなたひとりでたくさんよ」とでも訳せば、「そんなのひどい」という子どものせりふとつながると思うのですが。それから、これはオリジナルの問題だと思いますが、「マッディには不思議な力がそなわっている」「マッディがすばらしい」「ヘンリがすばらしい」とかやたら出てくるんですけど、どこがどうすてきなのか、ぜんぜん伝わってこないので、そういう言葉が重ねられることで、かえってどんどんつまらなくなってしまいました。

レン:おばあちゃんが骨折したのは、どういう意味があったんでしょうね? この子が一人でがんばるということ?

アカシア:この子と、お母さんと、おばあちゃんが最初はいろいろ気持ちが食い違っているんだけど、最後には理解し合うようになるっていうのがこの本のテーマだと思うんですけど、それがうまく伝わってこないので隔靴搔痒感がありますね。

アンヌ:すごく好きな作家の本だったので、後に余韻が残る感触を楽しみたいと読み始めたのですが、そうはなりませんでした。きっと、気づいていないだけだと思い5回ほど読み直して、やっと、作文の意味とか練習風景を見るロバートの視線とかで、ロバートをクールな少年という風に書こうとしているのかなと思いました。それにしても、ヴァイオリニストのママが、自分の親が動物に好かれる能力があるのに気づいていないところとか、少し無理があるような気もしてします。マッディの骨折の場面も、ロバートが大人になるというより、ヘンリーがクマやボブキャットと交流できるマッディの真実に気づくということの方が重要な気がして、どうして、ロバートが自分の中のほんとうに気づくのかうまく読み込めませんでした。生活の中の音楽の重要性もロバートが気づくことのひとつなので、「死と乙女」を何度も聴いて見たりしたのですが、すっきりしませんでした。

アカシア:マクラクランは微妙な心の動きを書いて読ませる人なので、ロバートはクールというより、熱でいっぱいなんだけどそれを抑えざるをえなくなってるっていうことなんじゃないのかな。こういう作品って、行間を読ませる訳にしないといけないから難しいんですよね。この訳だと、そこまで行かないのでちょっと残念。p31に『ちいさなくま』という本が出てきますが、これはミナリックとセンダックのLITTLE BEARでしょうから、『こぐまのくまくん』とちゃんと邦題で訳してほしい。そうすれば、子どもがもっとイメージを思い浮かべやすくなります。犬の名前もエリノアじゃなくてエリナーでしょうね。

(2016年7月の言いたい放題)


霧のなかの白い犬

『霧のなかの白い犬』
アン・ブース/著 杉田七重/訳 橋 賢亀/挿絵
あかね書房
2016.03

ルパン:読みでのある本なのだろうと思いましたが、すぐに訳でひっかかってしまって、物語の中に入れませんでした。語り手は小さな女の子のはずなのに、おとなの男性のような話し方をしていたり、2、3ページの中に何度も同じ言葉がでてきて興ざめだったり。登場人物も多すぎて、結局どんな話だったのかつかめず、いいのか悪いのかよくわかりませんでした。原文で読んだら全然違うんでしょうか。ただ、最後のおばあちゃんが昔ナチスだったというのは、そこまで衝撃的なことなのかな、と思いました。ヨーロッパの子どもにとっては、ナチスだとわかることがそんなに恐ろしい大変なことなんだ、というのは初めて知りました。

アカシア:あの時代は、ナチスの洗脳がすごかったので、ほとんどの子どもたちがヒトラー・ユーゲントに入っていたんじゃないですか。後には強制加入にもなるし。

ルパン:ともかく、日本人にはあまりピンと来ないことで、子どもならなおさらそうでしょうから、もし本当にこの本のとおりであるなら、ヨーロッパの子どもの感覚を知るうえではいいのかな、と思いました。

アンヌ:とても盛りだくさんな物語で、うまく読み解けず、みなさんのご意見を聞いてみたい作品でした。身近に移民がいて、父親が彼らに仕事を奪われてフランスに出稼ぎに行っている生活。今という現実を映している物語だと思いました。親の離婚で傷ついたいとこが、人に嫌がらせをしたり移民をいじめたりする。祖母に認知症の傾向が見え始め、主人公が不安に思っている。そのうえさらに、違う名前で送り続けられる郵便の謎があって、最後の最後にナチスの話が出てくる。それらがうまく絡み合っていき雪だるまのように大きくなるかというと、そういうわけでもない。いきなり最後に大物がドンと出てくる感じで、話が終わっていく。特に、私に読み解けなかったのが、おとぎ話の課題です。全然物語と絡み合って行かなくて、どういう風に読んで行けばいいのか、教えてもらいたいと思いました。

アカシア:この訳者の方のほかの作品を読んでじょうずだなって、思っていたのですが、この本は読みにくいですね。編集者がもっとアドバイスしたら違ってたのかな、なんて思いました。ヒトラーがユダヤ人にペットを飼うのを禁じて、飼っていたペットは殺処分にしたという事実は知らなかったので、びっくりしました。ホロコーストやヘイトの問題を、過去のナチスと現在の外国人労働者に対する感情とを比べることによって浮き上がらせようとしている著者の心意気はいいのですが、問題をベンのおばあちゃんがほとんど言葉で語ってしまっているのは、どうなんでしょう? 主人公はいい子すぎて、なんでも親にすぐ打ち明けなきゃいけないと思っているのは嫌ですね。盛り込みすぎなせいか、一つ一つの問題が深く掘り下げてなくて情緒的に終わってしまうことも気になります。私は、ホロコーストものにある種の欺瞞性を感じてしまうのですが、今はアメリカに住んでいるベンのおばあちゃんが「いいえ、そんなことはさせない。自分たちが許さない。わたしたちが愛してきたものや、いまも愛している者を、すべて壊す権利なんて連中にはないのよ。そういう事態がひき起こされる兆候をいまではわたしたちもわかっている。今度はとめられる。・・・」と話したりする場面にも、そうした無意識の欺瞞性を感じてしまいました。たとえばイスラエルがガザで何をしたのか、とか、アメリカがイラクで何をしたのか、と考えたとき、こういう本って、きれいごとで子どもを騙してることにもつながるんじゃないのかな。それから、外国人排斥が戦争の原因であるように描かれていますが、戦争の原因はもっと経済的なものであることが多いので、そこも短絡的だと思いました。表紙の絵は、ホワイトジャーマンシェパードの子犬には見えないですね。耳の先がちがうのかな。

マリンゴ:今の発言の後に言いづらいんですが(笑)私は今日読み終わったんですけど、電車の中で号泣しました。クライマックスの、こういう盛り上げに、涙腺が自動的に反応するんです(笑)。海外から来た労働者の問題、ケイトのことなどを、ナチスとユダヤに重ねていく手法って、現代の子どもたちが戦争を考えるきっかけになるのかな、と思いました。ただ、気になったのは構成上の問題。白い犬の少女がおばあちゃんだというのは、読者はわりと早く気づくわけなんですが、終盤に来ても「おばちゃんがわたしたちをナチスの一員にしたかった」と、ミスリードしています。これは不要では? ミスリードが効果を発揮していると著者の方が思われてるなら、少し計算のズレがあるかと。あと、おとぎ話から始まったので、ラストをおとぎ話でシメるのはカッコイイはずなんですが、あまり効いてない……。内容が抽象的でピンと来ませんでした。少女が書いている文章(という設定)なのだから、もっと直截的でもよかったのかもしれません。

レン:読み始めたとき、認知症が出始めたおばあちゃんのことや、いとことのぶつかりあいが話の中心になるのかなと思ったんですけど、そのあと犬を飼うこと、おばあちゃんが隠してきた秘密、外国人の移民のことなど、どんどん話がふくらんでいって、全体に盛り込みすぎという感じがしました。犬にからんでおばあちゃんとベンのおばあちゃんが出会うところがクライマックスですが、あまりにも都合よく偶然が重なりすぎでは? リアルに感じられませんでした。文章もところどころひっかかりました。まず、あれっと思ったのは、冒頭とラストのお話を書くところで出てくる「英語のハンター先生へ」。これは「国語」ではないでしょうか? 自分の言語の授業の時間に作文しているんですよね? 「英語」となっていると、子どもの読者は外国語の授業をイメージしてしまいます。そんなわけで、積極的に子どもに勧めたいとは思いませんでした。

アカザ:テーマをあれこれ盛り込みすぎた作品ですね。それぞれのテーマは、とても大切だし、心を打ちますが、おばあちゃんと犬の話だけをしっかり書いたら、それだけで十分だったのではないかしら。みなさんがおっしゃるように、翻訳についてはポストイットがいくらあっても足りないくらい、おかしな個所がたくさんあるけれど、一つだけ言わせてもらえば、登場人物の呼び方が統一されていないのが、まずいですね。たとえば、主人公の母親が義理の母親のことを「お義母さん」と呼んだり、「エリザベス」と呼びかけたり。ベンの母親も、「ベンのお母さん」といっていたかと思うと、少し後ろの行では「ミセス・グリーン」といったり。これでは、ただでさえ複雑な物語がますます分かりにくくなってしまう。大人の私でさえ、「えっ、エリザベスって誰だっけ?」「ミセス・グリーンって?」と思ってしまいました。そのあたり日本語ではわかりやすくしておくことは、児童書の翻訳のイロハだと思っていたけれど……。

さらら:翻訳の読みにくさの続きですが、p51の5行目「マーク叔父さんが突然やってきて、学校で課題が出たから、フランを自分の両親のところへ連れて行くって…」の部分、何度読んでも主体がだれなのかよくわからないんです。

アカザ:p50の「手をのばして、毛皮に指を通してみたかったけれど」って、毛皮って毛のついたままの皮のことだから、指を通したりしたら大変!

さらら:そう、どうせ犬を描くのなら、目の前に本物の犬がいるのが感じられるように、生き生きと訳してほしいところです。なにしろ、犬が大切な要素を果たす物語ですからね。それから、物語の筋道が読者にちゃんとわかるように、するべきではなかったかと……。例えばp161の「できることなら、あの時にもどって、あのドイツ人の女の子を探したい。」は、前の文脈とそこで大きく変わり、この物語の真髄に入っていくところなのだから、それがわかるように「けれども」を足すとか、一工夫してほしかったなあ。

ルパン:訳すときに適切な接続詞を補うべきところを怠って、そのまま訳しているな、というところが随所に見られますね。たとえば、逆説的なところでは、日本語なら「しかし」「それなのに」などの言葉がないと不自然なはずですが、そういったところへの配慮がないので、子どもは読んでいて混乱するのではないかと思いました。

さらら:翻訳の文体が定まらないのも気になりましたね。メインストーリーだけに注目すれば、悪くないお話なんです。ナチスドイツの時代を、なんとか生き延びたユダヤ人少女と、その飼い犬の命を救ったドイツ人少女の、引き裂かれてしまった友情。その友情が孫たちの手でふたたびよみがえる、というお話でしょう? 原作と翻訳、その両方の整理不足によって、残念なことになってしまいましたね。

〔西山〕:読書会が終わってから、地元図書館でやっと借りだして読みました。皆さんが指摘していましたが、p28の3行目で一人称なのに、自分とケイトのことを「ふたり」と書いているところなど、やはり、立ち止まるところが多々ありました。これが応募原稿だったら、「気持ちはわかるけれど、もっと整理して」と言いたくなりそうです。ただ、難民の子、車いすの子、ダウン症の子(?)を登場させているのは、それらがナチス的な価値観で排除される存在だから、どこかに絞りたくなかったのかもしれません。p106で、過去にしろ現在にしろ、悲しい気持ちにさせる事実を突きつけられて、そういう気分を振り払いたいけれどできない、という感じには共感しました。奇しくも相模原の事件と平行して読み終えることとなり、石原慎太郎などのヘイト発言が野放しにされている日本で、優生思想が実は遠い過去のものじゃないという恐ろしい現実を突きつけられた気分です。

(2017年7月の言いたい放題)


『白いイルカの浜辺』『ノックノック』が紹介されました

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『『白いイルカの浜辺』『ノックノック』が紹介されました』

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『白いイルカの浜辺』

(ジル・ルイス著 さくまゆみこ訳 評論社)と
『ノックノック』
(ダニエル・ビーティー文 ブライアン・コリアー絵 さくまゆみこ訳 光村教育図書)
が「女性のひろば」の4月号と5月号に紹介されました。
書いてくださったのは、近藤君子さんです。ありがとうございます。

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『はみだしインディアンのホントにホントの物語』が紹介されました

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『『はみだしインディアンのホントにホントの物語』が紹介されました』

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『はみだしインディアンのホントにホントの物語』

(シャーマン・アレクシー著 さくまゆみこ訳 小学館)がこの7月に出るWWzineで紹介されます。書いてくださったのは、青木耕平さん(アメリカ文学研究者)です。教えてくださったのは岩波の須藤建さん。ありがとうございます。

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「ブラウン管の向こう側 かっこつけた騎兵隊が インディアンを撃ち倒した」

──ブルーハーツ「青空」

おそらくだが、あなたの頭の中のインディアンは、21 世紀を生きていない。あ

なたは頭の中でネイティブ・アメリカンを過去の遺物だと捉えている。あなた

の思い描くインディアンはiPhone を持っていない。車になど乗らない。あなた

の想像のなかのインディアンは、羽飾りをつけたジェロニモで、西洋文明の外

部に立ち、英語ではない言語で、詩的な警句を口にしている。そして彼/彼女は、

あなたのことを憎んだりしない。

シャーマン・アレクシー『はみだしインディアンのホントにホントの物語』の

主人公であり語り手の俺=ジュニアは、先天的な病気持ちで、歯がガタガタで、

いじめられっこで、吃音持ちで、貧困家庭に生まれ、おまけに──インディア

ンだ。そう、現代アメリカでインディアンであるということは、決してポジテ

ィヴな意味になりえない。彼らは生まれつき囲まれている。保留地という土地

があてがわれ、彼らの大半はそこから出ない。そして、人々(おそらくあなた

もその一人)が勝手に想像し押し付けるイメージの枠にも彼らは囲まれていて、

そこから出ることは、大きな困難を伴う。本作主人公ジュニアはそこから「は

み出す」ことを望み、懸命にもがき続けることを諦めない。

実際にインディアン保留地に生まれ育った著者が2007 年に著したこの自伝

的小説は、同年の全米図書賞を始め、各賞を総舐めした。なぜ? インディアン

が物珍しいから? 政治的に正しい訴えをしたから? そう思ったあなたは、イ

メージの中でインディアンをやはり囲っている。本作が絶賛されたのは、まず

第一にこの小説が無類に面白いからだ。なかなかお目にかかれない、ずば抜け

た傑作だからだ。彼の出自、肌の色、先天的欠陥、そんなもの、最終的にはこ

の主人公ジュニアには関係がなく、この小説の面白さを最終的に決定するのは

それじゃない。ここに書かれるのは、一人のたくましく生きる少年の姿であり、

友情であり、恋愛であり、死であり、未来だ。最高の青春小説なんだ。

「生まれたところや 皮膚や 目の色で 一体この僕の なにがわかるというのだ

ろう」

出自や皮膚や目の色に関係なく、澄んだ目をしたはみ出し者は、いつだって最

高の言葉を持っている。