投稿者: sakuma

クリーニングのももやまです

蜂飼耳『クリーニングのももやまです』
『クリーニングのももやまです』
蜂飼耳/著 菊池恭子/絵
理論社
2011.11

うぐいす:ももやまさんというクリーニング屋さんにちょっと変わったお客さんたちがやってくるという物語です。安房直子風の不思議な感じがあるのかな、と思って読みましたが、はっとするところも、ぞくっとするところもないし、ふふっと笑えるところもありませんでした。人間ではないお客さんたちの様子がおもしろいわけですが、どこか腑に落ちないところがあるんですね。「おじぞうさん」ではおじぞうさんが3人出てくるけど、ぼうずの次がおじさんで、3人目はただ「ほっそりしたおじぞうさん」という見かけだけしか書いてないので、何なのかよくわかりません。「いえで」では、金色と銀色のとげとげの丸いものが出てきて、これがお客の無口さんのよろこびとかなしみだという。この話にだけ観念的なものがでてきて、違和感がありました。「緑色のシャツ」では、どうしてあおむしが、預けた女の子がこのシャツを取りに来ることはありません、というのかよくわかりません。
 ちょっと不思議な雰囲気は伝わってくるんだけど、どの話にも「何で?」と思うところがあって、すっきりしないお話でした。ももやまさん自身も、絵があるから感じがつかめるとはいえ、文章からはどういう人かあまり書かれていません。ももやまさんという名前には雰囲気があるけど、それだけです。お客さんとのやりとりや仕事ぶりから、もっと人となりが浮かび上がってくるとよかったのにと思いました。

みっけ:子どもたちが日常の中でごく普通に出会っている物や事柄が、ほんとうはちょっと不思議な面を持っていて……というタイプの物語なんだな、と思って読み始めました。なんの変哲もない洗濯屋さんに、不思議なお客が来るというのは、わくわくする感じでいいなと思ったんですが、「いえで」という作品は、きわめて観念的だなあと思いました。小学生の子に「よろこび」とか「かなしみ」っていって、何が伝わるかしら。小さい子には、そういう抽象的な概念でなく、もっと具体的なものでないとぴんと来ないんじゃないかな、と思いました。それと、「みどりのシャツ」は、私もよくわからなくって、要するに、緑のシャツを虫が食べて、変身してすてきな蝶になったというんだけれど、これってクリーニングに出さなくてはならないという必然性がないですよね。トラが毛皮を預けに来る話は、毛皮を取ったあとのトラを生々しく想像しなければ、全体としてはほんわかしていていい感じだと思ったのですが……。いちばん引っかかったのが、最後の人魚のところです。これは、今おっしゃったように、ももやまさんがどんな人かが伝わってないからなのかもしれませんが、まず、ももやまさんがもやもやする理由がこちらにはわからない。それでいて、人魚の尻尾というお客さんから預かったものを自分で使って、店も休業しちゃうという、かなり激しい動きに出る。そのつながりがよくわからないなあと思って、かなりひっかかりました。これを子どもが読んで、納得するのかなって。

関サバ子:魅力的なタイトルだな、と思ってわくわくしながら読みはじめました。しかし、がっかりだったのが、せっかくクリーニング屋さんを舞台にしているのに、クリーニング屋さんならではの日常やディテールがぜんぜん描かれていないところです。そのために、物語全体に力がなく、地に足がついていない感覚を受けました。また、おじぞうさんの話で、ももやまさんが「おじぞうさんはどうしてこんなににてるんだろう」という点にフォーカスしているのがピントはずれで、お話の中での狙いがわかりませんでした。「いえで」は観念的すぎる上に、丸くてちっちゃいものが、どうやってカップからココアを飲めるんだろう、という点にひっかかりました。小さなことですが、そういうところが雑なのは、お話の世界から放り出されるようで、とても気になります。また、最後の人魚のお話も、お客さんから預かったものを勝手に身につけるの!? と大いにひっかかりました。ひれをつけて歩きにくい、と描写されているのに、そのすぐあとにもう水に入っている、というのも雑だと感じました。
お話全体から受けるものとしては、帯に、「おとなになってもいつもとちがうなにかを探している」とあったり、お店を休む張り紙に「考えたいことがあるので」とあったりで、要は自分さがしの話なのかと、愕然としました。ももやまさんの仕事は、毎日ほぼ同じことをやる仕事です。小さな世界で暮らしています。それをつまらないものと伝えてしまっているようで、この本を本当に子どもに渡していいのか、強く疑問に感じました。

レンゲ:私はけっこうおもしろく読みました。『車のいろは空のいろ』(あまんきみこ著 ポプラ社)のタクシーの運転手さんや、『ねこじゃらしの野原』(安房直子著 講談社)の豆腐屋さんのイメージと重なって。たしかに、そう言われれば納得がいかないというところもありましたが、ところどころに美しい文章があるのがいいなあと思いました。たとえば、p55「川が町のあかりをうつして、ちらちら光ります。赤、青、緑。いろいろな色が、水の上でおどります」とか、p58「ふと、空を見あげると、ちょうど森の上のあたりに、月がのぼりかけていました。まるで、森からうまれるみたいに」とか。

ルパン:言いたいことをほとんど言われてしまった感じですが(笑)。テイストとしては、いい感じで読み始め、期待したのにな、と……。あと、トラのところなんですけど、トラが焼き肉をするんですよね。なんの肉なんだろうって思いました。トラがクリーニング店を利用するなら、ほかの動物も「ももやまさん」のお客さんかもしれないから、なんだか気になっちゃいました。もしかしたら「ももやまさん」のお得意さんを焼肉にしてるかも、なんて。そして、やっぱり最後ですよね。人魚はどうなっちゃうのか、心配で。しっぽを返してもらえないまま、ずっとタイヤにつかまって漂流し続けているんじゃないかしら。タイトルが『クリーニングのももやまです』なら、クリーニングのエキスパートとして、誇りを持って、クリーニング道をきわめるような話にしてほしかった。世界に行って、何するんだろうって思いました。雪だるまのセーターをももやまさんが着ちゃうのも違和感あるし、それに、p43の絵、小さい丸いものがどうやってココアを飲むんだろうと思っちゃう。腑に落ちないところがたくさんある作品でした。

アカシア:どうやって飲むかを書いてくれたらよかったんですよね。

ルパン:金と銀の丸いいものがももやまさんのうちに来たことによって、無口さんの何かが変わるのかなと思ったらそうでもない。いろんなところで消化不良。いいお話になりそうなのにもったいないです。

きゃべつ:安房さんのだとばかり思っていました。装丁も似ていましたし。でも、読んでいたら、どのお話も起承転結ではなく、起承転とちょっとで終わっている印象で、あれ? と。蜂飼さんは『うきわねこ』(ブロンズ新社)も世界が広がっていって、おもしろそうだなあと思って読んだのですが、似たような印象でした。こういう、一見ふわっとしたお話のしまい方というか、ぼやかし方って難しいとは思うんですけど、これはどうしてこうなんだろうって、最後まで本筋に関係ないところが気になったりもしました。たとえば、クリーニング屋は染めものまでするのかな? とか、虎の皮ひっぱがすってどんな感じなんだろう、とか。これが天女の羽衣だったら分かるんでしょうけど、もう少し一つ一つの素材、そして短編の連作として並べたときのバランスについて、工夫できたのではないかなと思いました。

うぐいす:ファンタジーであればあるほど、細かいところを目に見えるようにきちんと書くことが大切ですよね。状況がリアルに描かれていないと不思議の部分が信じられなくなってしまう。とらの毛皮をとったとき、どんなふうかとか。イメージだけで言われてもぴんとこないんですよね。

紙魚:蜂飼耳さんは、ずっと気になる作家の方です。平易な言葉、安定した文体で、つぎにどのような題材を扱うのか注目してきました。こうした文体を用いて、日常の先にふっと不思議なことが起こる短い物語を書く作家といえば、安房直子さん、あまんきみこさん、茂市久美子さんなどが浮かびますが、その下の世代はあまりいないんですよね。よく、角野栄子さんが「魔法はひとつ」とおっしゃっています。「魔女の宅急便」シリーズ(福音館書店)でも、魔女のキキができるのは、ほうきで空を飛べるということだけ。ただし、角野さんは、キキがほうきで空を飛べるということを読者が信じるように、細やかにリアリティを持たせています。リアリティをていねいに積み重ねていって、最後の最後のちょっとの隙間に、きらっと不思議なものがあるからこそ、そのファンタジーが生きるのだと思いますが、この『クリーニングのももやまです』は、不思議なものが多すぎるように思います。クリーニング店を舞台にすると決めたら、クリーニング屋さんの仕事を見たり調べたり、実際に仕事をしている人から話を聞いたりすれば、もっと違うものになったのでは。ももやまさんを訪ねてくるお客さん像も、きっと必然性のあるものになったと思います。それから、各章の最後に見開きの絵が入っていて、そこでは、お話が広がる余韻を抱くのですが、本来これは、文章自体が担わなければならないことなのではとも感じました。読んだあとの安心感とか幸せ感がないのは、ちょっと残念です。そういう意味では、『赤ちゃんおばけベロンカ』とは対照的ですね。

ajian:いまおっしゃった「小さな人たち」って表現がいいなと聞いていたんですけど。ぼくは、3冊読んで、これがいちばん好きだったんですね。ファンタジーっていうより、ナンセンスなんだと思ってて、意味がなくてもいいんじゃないかと。この文体とふしぎな感じがあればいいって。ただ、子どもに興味がないのかもしれないっていうのは、ほんとにそうかも知れません。詩であったり小説であったり、蜂飼さんのさまざまな表現のなかの一つとして、この作品もある、という感じなんじゃないでしょうか。

アカシア:大人向けに書けばよかったのにね。子どもが読めばひっかかっちゃう。大人は想像で補って考えられるけど。子どもの本で出していることの意味がどうなのかと思いました。才能のある方だと思うので、編集の人ももう少し意見を言って練っていけば、いいものになったんだと思います。今のままだと安房直子さんとか茂市久美子さんを読んだほうがいい、という印象になってしまいます。

プリメリア:今回、この作品が「みんなで読む本」になったので感想を楽しみにしていましたが、遅れてしまい皆様の感想が聞けずとっても残念です。昨年末、いつも行く図書館の新刊書コーナーにこの作品が置かれていたので手にして読みました。最初、挿絵から茂市久美子さんの作品かなと思っていましたが、だんだん読んでいくと茂市さんの作品とはなんだか違いがあり、著書名をみたら蜂飼さんでした。クリーニング屋さんにおじぞうさんがお客さんで来る場面はおもしろかったですが、だんだんは話がわからなくなってきて、「人魚」のところで、「こんなことをしていいのかな!」と疑問に思いました。預かった人魚のしっぽを自分のものにしちゃって、そしてお出かけ。知り合いの方に「人魚のしっぽを勝手に持ち出して出かけることはおかしくないですか」聞いたところ、「ファンタジーだからいいのよ」って返答されました。が、クリーニング屋さんが預かった商品を自分のものにすること、また勝手に持ち出すことはどうなのかなってずっと心に引っかかっていました。学校から学童に行かずにゲームセンターに行っちゃった2年生の子どもたちに、「どうして行ったの?」と聞いたところ、「行きたかったから」って。それと似ているなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


2012年04月 テーマ:幼年童話

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『2012年04月 テーマ:幼年童話』

 

日付 2012年04月19日
参加者 うぐいす、関サバ子、紙魚、ajian、みっけ、レンゲ、ルパン、きゃべつ、プルメリア、アカシア
テーマ 幼年童話

読んだ本:

蜂飼耳『クリーニングのももやまです』
『クリーニングのももやまです』
蜂飼耳/著 菊池恭子/絵
理論社
2011.11

版元語録:川のほとりにたつももやまさんのクリーニング店。どんなおきゃくさんの、どんなものでも、心をこめて、ていねいに仕上げます。ところがある日…。
ひこ・田中『レッツとネコさん』
『レッツとネコさん(レッツのふみだい)』
ひこ・田中/著 ヨシタケシンスケ/絵
そうえん社
2010.07

版元語録:レッツは5さい。5さいのレッツが、3さいのころを思い出す。それは、むかしむかし、おーむかし。ひこ・田中、初めての幼年童話。
クリスティーネ・ネストリンガー『赤ちゃんおばけベロンカ』
『赤ちゃんおばけベロンカ』
原題:DIE SACHE MIT DEM GRuSELWUSEL by Christine Nöstlinger & Franziska Biermann, 2009
クリスティーネ・ネストリンガー/作 若松宣子/訳 
偕成社
2011.08

版元語録:こわがりやの男の子ヨッシーが妹のミッツィをこわがらせようと作ったおばけの人形。それがひょんなことから突然動き出して……。

(さらに…)

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いきているひかり

モリー・バング&ペニー・チザム『いきているひかり』さくまゆみこ訳
『いきているひかり』
モリー・バング&ペニー・チザム作 さくまゆみこ訳
評論社
2012.03

太陽の光や植物の役割と、私たちが生きていることの関係を、ときあかしてくれる絵本です。『わたしのひかり』の姉妹編ですが、こちらもすてきな楽しい絵がついています。ほんとにいい絵なので、ながめているだけでも楽しい。普通の科学絵本や知識絵本とは、そこが違います。ペニー・チザムさんは、長年エコロジーについて教えてきたマサチューセッツ工科大学の教授です。
(編集:岡本稚歩美さん)


2012年03月 テーマ:旅

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『2012年03月 テーマ:旅』

 

日付 2012年03月29日
参加者 ハリネズミ、プルメリア、ウグイス、レンゲ、ハコベ、トム、ダンテス、大福、ajian、メリーさん、きゃべつ
テーマ

読んだ本:

時雨沢恵一『キノの旅』
『キノの旅(1) the Beautiful World』
時雨沢恵一/著 黒星紅白/挿絵
アスキー・メディアワークス(角川つばさ文庫)
2011.07

版元語録:『世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい』--短編小説で綴られる、人間キノと言葉を話す二輪車エルメスの旅の話。シリーズ累計700万部の人気作品「キノの旅」が角川つばさ文庫版で遂に登場。
ローズマリー・サトクリフ『ほこりまみれの兄弟』
『ほこりまみれの兄弟』
原題:BROTHER DUSTY-FEET by Rosemary Sutcliff, 1952
ローズマリー・サトクリフ/著 乾侑美子/訳
評論社
2010.08

版元語録:孤児の少年ヒューは、意地悪なおばさんの家を逃げ出した。お供は愛犬のアルゴスと鉢植え。めざすは学問の都オクスフォード。でも、途中で芸人一座と出会い…。
マシュー・カービー『クロックワークスリー』
『クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物』
原題:THE CLOCKWORK THREE by Matthew Kirby, 2010
マシュー・カービー/著 石崎洋司/訳
講談社
2011.12

版元語録:不思議な音色を奏でる緑のバイオリン、機械仕掛けで動くふしぎなものたち、そして、隠された財宝―。さあ、三人の子どもたちの大冒険がはじまります。

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クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物

マシュー・カービー『クロックワークスリー』
『クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物』
マシュー・カービー/著 石崎洋司/訳
講談社
2011.12

ダンテス:かなり分量があって読むのは大変かなと思いましたが、けっこう楽に読めました。ストーリー的には『マルベリーボーイズ』(ドナ・ジョー・ナポリ著 相山夏奏訳 偕成社)と似ていますか。現実にこれに近いような話があったのでしょうね。最後、ボディガードが親方を殺すところには驚きました。そういう解決に持っていくのかと。ここはかなり意外でした。細かく詮索してここは変じゃない?と思う所はないわけではありませんが、お話として読めばおもしろかったですね。

トム:物語の世界へ引き込む力がとても強い。次々変わる場面も見えるようだし、食事の匂い、バイオリンの音色、地下室のカビ臭さなども感じられて、細部のリアルさが全体を支えている気がしました。

ハコベ:厚いので「うわっ!」と思いましたが、おもしろくて一気に読んでしまいました。お互いに知らなかった3人の主人公が結ばれていくところもうまくできていると思いました。ダンテスさんのおっしゃるように『マルベリーボーイズ』と時代背景が似ていて、同じ時代と場所の物語をもっと読んでみたいと思いました。ただ、ロボットまがいの代物が出てくるあたりから「こんなのあり?」という感じで、波乱万丈を通りすぎてハチャメチャになっているような。なにやら訳の分からない粘土や、お金持ちのご婦人を追っている「敵」の正体も明かされないまま終わるのは、どうなんでしょうね?

ハリネズミ:3人の物語がだんだんからみあって一つになっていくところや、謎を解明しているところや、アリスの存在など、おもしろいところもあったのですが、「これでいいのか?」と疑問に思ったところもかなりありました。一つは子どもの盗みです。ハンナはポメロイ夫人のダイヤのネックレスを盗むし、博物館にしのびこんでゴーレムの一部である粘土のかたまりを持ってきてしまいます。フレデリックも、博物館から銅製のマグヌスの頭を盗む。仕方なく盗んでしまったのはしょうがないとしても、盗んだ後の著者の処理が腑に落ちなかったんです。p369では、ハンナの独白で「ポメロイ夫人は、ミス・ウールとグルンホルトさんの味方をして、ハンナを裏切った。(中略)もちろん、父親のためなら、何度だってやるだろう」と言わせているし、p453では「おまえはポメロイ夫人のネックレスを盗んだが、おかれた状況を考えれば、それも無理からぬこと」と、トゥワインさんに言わせている。目的さえよければ盗んでもいい、というメッセージが伝わってきますが、著者は意図的にそうしているんでしょうか? またハンナはゴーレムのかけらをポメロイ夫人にプレゼントしてしまうし、フレデリックの盗みに関しても、博物館の管理人が悪いやつだったからということですませている。盗んだことの結果を、子どもはまったく引き受けていないわけです。また、社会の底辺にいる3人が力をあわせて希望をつかむという流れですが、最後は結局お金持ちのポメロイ夫人が幸運を授けてしまう、というのも残念だし、トゥワインが子どもたちと取引をするところもあまりにも単純で、子どもだましの感があります。私は、訳者あとがきに書かれているほどすばらしい本だとは思えませんでした。この著者の次の作品がむしろ楽しみです。

プルメリア:長編は好きな方なので楽しみながら読みました。各章にある目次のカットが内容を表していてわかりやすかったです。ハンナがネックレスを盗む、ジュゼッペが緑のバイオリンを盗まれる、フレデリックが嘘をつきながらお母さんを探すところ場面など、ドキドキハラハラすることが多かったです。ただ、ハンナのお父さんが元気になる場面は展開が早すぎるように思いました。からくり人形がしゃべるのはびっくり、また、マグヌスの頭が話した言葉がドイツ語でしたが、それが英語になるのも不思議でした。おもしろかったものの、ファンタジーの世界にはちょっと入り込めませんでした。3人の登場人物に興味をもって読み出すと、長いけれど読める作品だと思います。

ウグイス:まず見た目が魅力的でおもしろそうな本だなと思いました。3人の子どもたちが出てきますが、先ほどプルメリアさんもおっしゃったように、各章のはじめに子どものイラストが入っているのはわかりやすくてよい工夫ですね。途中で訳者あとがきを読んだら「飽きるどころかどんどん引き込まれて」と書いてありましたが、それほど引き込まれる感じはしなかったです。19世紀末のアメリカ東部が舞台と書いてありましたが、それらしいにおいはあまり感じられず、架空の世界の話のようでした。

きゃべつ:帯に、日本の児童文学は内面の描くことに重きを置いている作品が多いけれども、純粋に読んでいておもしろい作品も必要だ、というような主旨のことが書かれていて、なるほど、と思いました。おもしろくて夢中になって読んだのですが、瀕死のお父さんがいるのに、助けるために現実的な手段を選ばず、伝説のお宝を探しに行くところなど、展開に無理があるところが少々気になりました。ゴーレムなども本当に必要だったのかな、と。ファンタジーの要素をもっと減らしても、充分に楽しめる作品だったかと思います。

ajian:ディケンズのようだという触れ込みで、期待して読んだのですが、後半がやはりぐずぐずでした。前半は魔法のバイオリンをひく場面や、ハンナがオペラに行くためにドレスアップするところなど、印象的な場面がたくさんあって、好きな作品だったのですが。後半の自動人形が動き出すくだりは、いらない気がしますよね。動き出して、暴れて、壊れて終わりで、何だったんだろうという。前半のせっかくのおもしろい風呂敷を後半にたたみ損ねた感じが、惜しいです。つまらない作品ではないのですが……。

メリーさん:とてもおもしろかったです。「黒魔女さん」の著者が訳しているということもあり、これだけの分量の物語を読ませるところ、やはり読みやすさに気をつけているなと感じました。3人がそれぞれ語る構成もいい。主人公たちがそうとは知らずに、偶然同じ場所に居合わせているところなど(読者だけが知っている)は、とてもうまいなあと思いました。前半は主人公たちが自らの運命を切り開いていく姿がとてもいいのですが、後半は彼らの実力と超能力の境界があいまいで、ちょっと残念でした。オートマタなどは、そこまで超能力を持たせずに、からくり人形のままでよかったのでは。キャラクターも立っているし、バックグラウンドとしての時代や街の様子をきちんと描いているので、ファンタジーにしてしまわずに、きちんとした歴史冒険物にしたほうがよかったのではないかと思いました。タイトルは、「機械じかけの〜」というような意味だと思いますが、原題そのままだと、読者にはちょっと意味がわかりにくいかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


ほこりまみれの兄弟

ローズマリー・サトクリフ『ほこりまみれの兄弟』
『ほこりまみれの兄弟』
ローズマリー・サトクリフ/著 乾侑美子/訳
評論社
2010.08

プルメリア:おもしろかったです。主人公ヒューがやさしく素直で、前向きの寄り添いたくなるかわいい子です。季節ごとに移り変わるイギリスの自然描写やその土地で生活している人々の暮らしの様子がよく描かれているなと思いました。お祭りを楽しんでいる様子も描かれているので一緒に楽しむことができました。主人公と関わっている旅芝居の人たちとの小さな社会があたたかくてよかったです。貧しい中にも人々の優しさが入っていてよい本だなと思いました。サトクリフの書いた作品は何点か読みましたが、この本からは、今まで読んだサトクリフ作品とは違う一面を知りました。p64に聖ジョージと竜が戦う場面がありますが、聖ジョージの味方をして大声をあげる者もいれば、竜がいちばん好きだからと竜に声援を送る者もいる、そんな見物衆の熱のこもった会場の盛り上がりが聞こえそうな気がしました。

ウグイス:これはもう20世紀の児童文学の王道といった作品ですね。主人公が、父親も母親もいない、逆境にある、犬が好き、という出だしからもう読者の心をぐっとつかみます。逆境からたったひとりで逃げ出し、目標に向かって進む。行く手には困難もあるのだけれど優しい気持ちを持った大人たちに助けられて生きていく。きっと幸せをつかむという安心感があります。サトクリフの作品はどれもそうですが、どんな時代の主人公であっても、読者がぴったりと心を寄せて一緒に歩いて行けるんですね。一体この著者は何を書きたいのか、という疑問を持たずに読めるというか、安定感がありますよね。旅芸人たちも魅力的に描かれているし、ツルニチニチソウの鉢が小道具としてうまく使われています。文体はこの年代の読者向けの物語にはめずらしく敬体で書かれていますが、「ていねいに書かれている」感じが増していますね。しかしこのタイトルと装丁はどうなんでしょう。子どもたちがおもしろそう、と手を伸ばすとは思えません。私も兄弟の話だと思ったし、ほこりまみれの兄弟なんてあまり魅力を感じないし。『クロックワークスリー』のほうがずっと魅力的に思えました。そこが残念でした。

きゃべつ:冒頭で、ツルニチニチソウの鉢植えを唯一持って出ていくところが、つつましやかでとても好きです。夢か現か、というぎりぎりのラインでファンタジーを織り交ぜていて、それがとても上手でした。物語の途中、牧神(パン)についてやけに印象的に語らせるなあと思ったのですが、途中で会った笛吹き、そして最後にアルゴスを助けた人物が、よいひとたちのひとりであり、牧神(パン)なのですかね。言い切らないことで、かえって余韻が残り、印象的でした。

メリーさん:『クロックワークスリー』が映画のような話だとすれば、この『ほこりまみれの兄弟』は1枚の絵画のような物語でした。最後まで読むと、それまでのエピソードがすべてつながり、パズルのピースが完成するような感じがしました。どのエピソードも印象的ですが、主人公のヒューのそばには、いつでも旅芸人のジョナサンがいて、やさしく見守ってくれている。大人と子供の信頼関係がきちんと描かれているのがいいなと思いました。最後の場面、ヒューが旅の一座を離れ、オクスフォードに行くことを決めたところ、家の外から自分を最も大切にしてくれた旅の一座の奏でる音楽が聞こえてくる。ヒューはそれを耳にしながらも、決して見に行こうとしない。そして、だんだんとその音が遠ざかっていく…自分を育ててくれた人たちに、心の中で感謝しながら別れを告げる場面は本当にいいなと思いました。

大福:いろいろな植物が出てきて、自然味豊かな描写と犬の生き生きとした描写が好きです。『運命の騎士』(サトクリフ、岩波少年文庫)の方がもっと話が濃く、風俗や習慣なども味わえて展開も早く、ドキドキハラハラした印象がありました。読んでいる間も読み終わった後も、なぜかぼんやりとしてあまり心に残らなかったのですが、なぜかと考えたときに、語り口やヒューの描写が愛情あふれた書き方で、いつも守られたり、フォローされているように感じたことが理由かなと思いました。この物語はこの少年にあまり悪いことが起きないようにできているのかなと思わせてしまうところや、少年の思い通りになることが多かったので、ドキドキハラハラがあまり感じられなかったのかもしれません。ただ、虐待から逃げ出すのはひとつの選択肢としてあるということを子どもたちが知っておくのはよいのではないかと思いました。

ダンテス:『クロックワークスリー』と比べると、ある意味イギリスの時代小説というとらえ方でいいのでしょうか。ウォルター・ローリーなど、イギリスの歴史をうまく取り入れてイギリスの子どもたちに時代がわかるように書かれています。こちらはエリザベス女王の年代や、シュークスピアの生没年も調べました。また自然描写がうまいです。訳もうまいですね。ストーリーの展開としては不安がありません。旅芸人に救われて最終的にそこからステップアップするよう救う人も出てくる。一方、お世話になった旅芸人たちとの別れの葛藤もあって、まことによりよい人生の展開があり、よい終わり方をしています。ただ、本の題名がわかりづらいですね。定住しない人たちをほこりまみれの足と言っていたと文中にありましたが。

トム:『クロックワークスリー』と比べると、物語のなかの時間がゆっくりと自然の流れに沿っている感じがします。動くことが不自由だったサトクリフを思うと、その想像力はほんとうにすごい! 読みながらイングランドの地図を辿るのもとても楽しかった! サトクリフはヒューのように歩いて旅をしたかったのかもしれないですね……。人の痛みがわかる人たちのヒューへの心遣いがあたたかくて心に沁みます。旅先の村で芝居をふれ歩いて村人を集める姿や、芝居小屋の裏の様子とか、日本と共通することがあると思うとまた違うおもしろさがでてきます。さらし台も昔、日本の村で掟を破った人に似たようなことをしたとどこかで読んだ気がしますが……。物語の中に芝居が入っていたり、物語の中にジョナサンの語る物語が入っていたり仕掛けがたくさん埋め込まれている! ダンテスさんがおっしゃったように歴史も埋め込まれているのですね。サトクリフはこの物語の中にいろいろな種を埋め込んでいるのかもしれないと思いました。具体的に書かれたたくさんの花も辿ればまた何か見えるかも。ただ、p7の「ニオイアラセイトウの花のような茶色い目」は目の色?形? 最後にヒューは、深く悩みますが、私だったら旅芸人について行ったかも……。この物語を読んだ学生の人たちはどう思うかちょっと聞いてみたいです。

ハコベ:みなさんがおっしゃるように、本当に安心して読める、すばらしいイギリスの児童文学だと思います。主人公がいろいろな事件に遭遇しても最後には幸せになるんだろうなと思いながら読める、よくいう幸福の約束を作者がしてくれている。現代の作家が書けば、最後は旅芸人についていくという結末になるかもしれないなとも思いました。敬体で訳してあるので初めはちょっと読みにくいと思いましたが、すぐに気にならなくなり、ぐいぐいとストーリーに引き込まれていきました。イングランド南部の自然を美しい言葉で綴ってあり、訳者が心をこめてていねいに訳していますね。乾侑美子さんが亡くなる直前まで力を尽くして仕上げられた作品で、本当にすばらしい仕事を遺していかれたと胸を打たれました。

レンゲ:物語がとてもおもしろかったです。16世紀の世の中はこういった感じだったのかなと思いながら読みました。オクスフォードに行くのか、旅芸人たちといっしょにいるのか、最後に主人公が迷って選ぶところがとてもいいなと思いました。微妙な心の動きや情景など、普段は言葉で表さないようなことが端々で表現されていて、読むと逆に人間の感情や自然の豊かさを再認識させられるようでした。でも、こういう本はお行儀がよさそうで子どもに敬遠されそう。手渡そうとしないと、なかなか手渡せない本ですね。
翻訳はとても読みやすかったですが、p221の「インド諸島」は正しくは「インディアス」です。でもこれは、p222に「イギリス女王のインド諸島」というのが出てくるので仕方がないのかもしれません。また、p222ジの「スペイン王フィリップ」は「スペイン語フェリーペ」とすべきところでした。

ハリネズミ:出版されてすぐに読んで、とても好きになり、書評も書いたのですが、もう一度読み直す時間がありませんでした。なので、細部は忘れてしまっているのですが、読後の満足感が大きかったのは覚えています。サトクリフは体が不自由であまり外には出られなかったと思うのですが、旅芸人の人たちが野宿をしたときのことや、まわりの自然など、ここまでリアルに書けるのは本当にすごいと思います。戦闘場面なども荒々しく書いたほかの作品と比べると、いざこざやもめ事はあるものの、やさしい作品ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


キノの旅(1) the Beautiful World

時雨沢恵一『キノの旅』
『キノの旅(1) the Beautiful World』
時雨沢恵一/著 黒星紅白/挿絵
アスキー・メディアワークス(角川つばさ文庫)
2011.07

ajian:1、2話読んで、あまりおもしろくなかったので、全部きちんと読めなかったですね。銀河鉄道999を思い出したけれど、もっと軽いというか、平板というか……。普通は、物語を物語ることで、何か伝わるものがあると思うのですが、これは何を伝えようとしているのか、よくわからなかったですね。こういう場所に行って、これこれこういうことがありました、という連続で。設定やアイデアだけがあって、肝心の中身がないように感じられました。

メリーさん:ライトノベルは時々読みますが、タイトルは知っているけれど手に取っていなかった1冊でした。これは、いわゆる大人向けの寓話ですよね。言葉遣いも、ある一定の年齢層に向けて書かれているので、この児童文庫の読者にはわからないものが多いのではないかと思いました。ただルビをふればいいのかというと、それは違う気が……。こういう物語は、主人公のキャラクターが好きか嫌いか、設定に入り込めるかどうか、ということで読み進めるものだと思うので、文学的にいいとか悪いという話とはまた別だと思います。人とバイクというアイデアはとてもおもしろいと思いましたが、キャラクターにはそれほど魅力を感じませんでした。

大福:少年漫画のような読みやすさと、戦えるカッコいい主人公、個性的で便利な相方エルメス。黒星さんという絵師さんは、機械をうまく描くことで定評があり、女性にも人気があります。作品とも合っていると思いました。このシリーズは、私が中学・高校生くらいの時に流行りました。かなり短い短編なので通学の時間に一話が読めたりと、量もちょうどよかったです。キノとエルメスがいろいろな国の人と関わって、いろいろな価値観を見せてくれるので、自分も少し哲学した気になれますし、自分がこの国に行ってキノの立場になったらどうするだろうと考えることがとても楽しかったことを思い出しました。電撃文庫にあった第4話「コロシアム」は、角川つばさ文庫版には入っておらず、そのかわりに「偉人の国」という短編が入っています。「コロシアム」では「殺せ殺せ」という大合唱や、キノが王様を銃で打ち抜く生々しい描写があるので、子どもにショックを与えないためなのかなと思いました。

トム:中高生に人気の本と聞きましたが……。人の痛みが分かる国、多数決の国、大人の国、平和の国などと、ひとつひとつの章に大きな主題がストレートに出ているけれど、なにか読後はすっきりしません。現実の皮を剥ごうとしているのかも知れないけれど、展開が一方的だし、読者に対して乱暴な気がします。戦争についてもこんなに簡単に書いておしまいにしてよいのかと思います。大国への批判は充分わかりますが……。全体を通して乾いて暗い感じですが、その暗さの質が気になります。

ハコベ:『星の王子さま』や『ガリヴァー旅行記』のような話ですが、どこがおもしろいのか、なぜ読まれているのか、さっぱりわかりませんでした。学校図書館(中学、高校)の司書の方にうかがったら、主人公が女の子っぽくなくて(イラストも含めて)、自分の目の前で起こる出来事に感情移入せず、いつも距離を置いてさめた姿勢でいるのがクールでかっこいいというので、読書力のある子にも無い子にもよく読まれているとのこと。世の中の出来事に真摯に立ち向かっていく姿を滑稽だとか、ウザいと感じる風潮と、どこかでつながっているのかもしれません。パラパラめくって軽く読む本なのでしょうが、それならもっとおもしろい本があるのにと思ってしまいます。

レンゲ:10年くらい前に中学校の図書室のボランティアをしていたとき、よく借り出されていた本です。今回初めて読んだのですが、私はつまらなかったです。大人になりたくない、大人になることに希望を持っていない子どもが、子どもに書いた本という印象で、そのニヒリズムがいやでした。投げやりという言葉にも通じますが、希望のないところが。
『ほこりまみれの兄弟』では、旅を通して主人公が成長していくけれど、これはひとつの旅が終わっても、前と同じで主人公は変わらない。なぜ突然攻撃的になるのかも理解できなくて、本と対話できませんでした。こういう世界はゲームでもたくさんあるし、別に本で示してやらなくてもいいのでは? つばさ文庫は小学校中学年からだそうですが、ただでさえ忙しい今の子どもに、わざわざこの本を手渡そうとは思いませんね。

ハリネズミ:ちょっと時間がなくて、まだ半分しか読んでいません。でも、机の上に置いておいたら、まわりの若い人たちがすぐに反応するので、人気がある本だということはすぐわかりました。学校という空間を息苦しいと思っている若い人たちが通学途中で読むには、いいのかもしれませんね。文学としては舞台設定もあいまいだし、情景描写もたいそう貧弱ですが、プロットだけはなかなかおもしろい。そういう意味では、今のライトノベルの典型かもしれませんね。角川つばさ文庫で読んだのですが、新たに書いたという4話だけが、ほかと違って、ですます調になっているのが気になりました。同じ注がどの話にも入っているのもわずらわしいと思いましたが、これはどこから読んでもいいという作者のメッセージなんでしょうか?

プルメリア:小学4〜5年の女の子たちが読んでいました。読んでいる子どもに「この本、みんなが読んでいるけれど、どこがおもしろいの?」と聞いたところ「キノが女の子っぽくないところが好き、それにどこからでも読めるし」と言っていました。今回読んでみたところ、女の子が手に取る表紙や挿絵だと思いました。どの章からでも読めることや各章の表紙がまとめて最初にある本作りは面白いと思いました。

きゃべつ:私も中学生のころに読みました。とても流行していて、この人の他の作品も読んだことがあります。クールで、世間を斜めに見ている「僕っ娘」のキノは、自意識を持て余している思春期の子にとても刺さるキャラクターなのだと思います。児童書で「旅」がテーマになる場合、そこには成長や目的があるけれど、『キノの旅』にはそれがなく、サザエさんのようにキャラクターは据え置かれて、旅という手段によって舞台のほうがくるくると変わっていく印象でした。さまざまな国が出てきますが、原作の電撃文庫でおそらく一番人気があり、もっとも『キノの旅』らしい「コロシアム」が角川つばさ文庫では収録されていません。代わりに入っていたのは、ですます調のお話で、ライトノベルをそのまま児童文庫に持ち込むことの揺らぎを感じました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


ブルー

久美沙織『ブルー』
『ブルー』
久美沙織/著 
理論社
2010.01

レン:どう読んだらいいのか、戸惑いながら読み進めました。まず、冒頭のお母さんのとりみだしようが理解できないし、そのあと偶然出会ったおばさんと1日すごすのですが、この2人が接近するきっかけが読みとれずリアリティが感じられませんでした。どこか読み落としているのかと、何度も前に戻ったのですが結局わかりませんでした。中学生くらいの子は、こういった文体で書かれていると読みやすいと感じるのでしょうか。分類としてはエンターテインメントだと思いますが、これでよいのかと、疑問が残りました。

タビラコ:さっぱり分からない作品でした。青木湖に行くあたりから、ミステリーになるのかな?それともファンタジー?と期待しながら頑張って読んだのですが……。あとがきで、作者がなぜこの作品を書いたのか知り、単に作者の思い入れにつきあわされたのかと、がっかりしました。作家が物語を書く動機はいろいろあると思うのですが、それが作品として完成されていなければ、読者は読んで損しちゃったな!と思うだけ。けっきょく、ふたりのおしゃべりを聞かされただけで、物語が動いていっていない。安室奈美恵とか、現実の固有名詞がいろいろ出てくるところも、読者に媚びているような感じがしました。

トム:いま起きていることをぽつぽつとちりばめた短いラジオドラマを聞いているような感じがしました。読み終えて、もう1度会いたいと思う人が、この物語の中にはいなかったんです。やはりこのお母さんは苦手です。全体にどうしてこういう人のつながりになるのかわからないまま終わってしまいました。

紙魚:一人称というのは難しいですね。この作品は、地の文でも、カギ括弧内の会話文でも、つねに主人公が思いのたけをつぶやいていて、読みづらかったです。情景描写や状況描写が、極端に少なく、つねに登場人物が心のうちを語っているので、読み手としては、どんな気持ちでいるのだろうと想像しながら読むことができないんです。だから、最後まで、感情移入をすることなく、読み終えてしまいました。だからなのか、物語も、ポイントごとに進んでいくものの、登場人物たちといっしょに歩いたという気がしないんです。そのつもりになるからこその物語のおもしろさが、味わえませんでした。もしかしたら、思春期のある時期の人が読んだら、ぴったりとはまるのかもしれません。

きゃべつ:作者がまだ作品との適切な距離を見いだせていない作品だなと思いました。あとがきにもありますが、これは作者の身の回りに起きた事件を元にしているのですね。若くして事故で亡くなった体育の先生。そのひとは、どんな思いをかかえていたのか。それが、この物語のなかで追われている謎だと思うのですが、実際のモデルがいるからか、遠慮があって描けていないと思いました。キャラクターの造形にも、疑問があります。それぞれが与えられた一面しか演じず、深みがないからです。母親は悪い人、おぐらさんはいい人、父親もいい人、というように。父親というのは、いまだ経済的支柱としての性格を持っていると思いますが、この家庭では父親が父親としての役割を果たしておらず、その分を母親が負っています。父親は、亡くなってしまったことも大きいでしょうが、父親でないことで、主人公にとっての理想像となっているのだと思いました。私はまだ駆け出しの編集者ですが、読者にきちんと思いが伝わるように、作家と作品との距離を考えていきたいと思いました。

シア:とっても苦手なタイプの本です。帯などに「爽やかな物語」などというフレーズが書いてある場合は、危険信号です。すーっと読めてそのまま終わるというのが大抵なんです。文章も一人称というよりも単なる日記で、『まいったな〜』などと書き出す辺りでいい加減にしろと思いました。一生懸命中学生の視点で書こうとしているところが既に駄目です。かえって薄っぺらく感じます。狙って外しているので、もっと許せません。ギャグも寒いです。現在の芸能人の名前など、リアルな単語が出てくるのも苦手です。ライブ感が出るかもしれませんが、すぐに消費されていく作品ということを作者が分かってやっているということですよね。こういうのは嫌ですね。この作品は、何故か私の嫌なところを全て押さえてしまっています。分かりやすさだけでどんどんどんどん話を進めていく、中身のない麩菓子のような日本の作品って感じです。実際に起きた青木湖のバス事故を題材にしたので、関係者に迷惑がかからないようにと作中では湖の名前を「蒼木湖」にしたそうですが、全然変わってないですよね。丸わかりです。あとがきに「死は多く描かれているけれど、再生の物語です」というようなことが書かれてましたが、再生しているのは作者本人だけじゃないですか。こっちから感じるものもないですし、イライラしました。奥付の作家紹介も、こんな褒めてる紹介あったかなと思うような文章で、これはどうなのかと。この本ではここが一番おもしろかったですね。中高生で本を読みたくない人が、仕方なしにさらっと読むにはいいかもしれません。子どものための子どもの作品という感じです。

プルメリア:展開がよくわからず読みにくかったです。普通図書館で初めて出会った知らない人についていくのかな?と違和感があります。初めての食事の場面、デザートをやたらとすすめすぎエスプレッソのダブルもなぜか気になりました。お父さんのことを回想しながら、自分の生活を見直し前向きに歩いていこうという形で受け止めればいいのかも。事実を作品に取り入れることはすばらしい試みで、そこは新鮮だと思います。

ハリネズミ:今回読む時間がなかなか取れなかったので、薄いという理由で、これを最初に読みました。でも他の2冊を読んだ後に思いだそうとしたら思い出せないほど、印象の薄い本でした。見直しているうちにストーリーは思い出したのですが、まず私は、この不審なおばさんに主人公がついていってしまうのが疑問でした。ついていく何らかの魅力があるように書いてあるなら別ですが、何も書かれてない。私は作品世界のリアリティがないと嫌なほうなので、そこからもうあり得ないと思って印象が悪くなってしまいました。主人公の悩みにも入っていけないので、どうでもいいおしゃべりを聞かされているような気分になってしまったんです。本を読まない子どもには入りやすいという声もあるかと思いますが、本を読まない子だって、作品の中になんらかの真実が描かれていないと心の栄養にはならない。暇つぶしのエンタメならほかのメディアのほうが強いですからね。人間についてなり世界についてなりをもう少し考えたうえで、うまく若い人に伝わるように書いてほしいな。人物もすべて一面的で、ミムスのような魅力もない。作者が自分の心の救済をしているだけなのではないかと思ってしまいました。今回の選書担当者は今日来ていませんが、いいと思った理由を聞いてみれば、また違う見方もできるかもしれませんけどね。どんな本でもいいと思う人もいればよくないと思う人もいるので。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


鉄道きょうだい

E. ネズビット『鉄道きょうだい』
『鉄道きょうだい』
E. ネズビット/著 中村妙子/訳
教文館
2011.12

シア:振り返ってみると、すごく納得のいく作品でした。優しい語り口で安心して読めますし、実際読みやすかったですね。昔ながらのご都合主義的展開は面白さには欠けますが、安定はしていました。教師や親なら喜んで子どもに与えそうな一冊です。題名がもっさりしていて装丁もあかぬけないところなど、まさに小学校中〜高学年くらいの課題図書になりそうです。台詞のレトロさに思わず笑ってしまうところもありましたが。本の中にナレーターがおり、「そうですよね」「いいですよね」という風に読者に語りかけてくるのが、古すぎて逆に斬新だと感じました。おもしろさに欠けるとは言いましたが、古い作品だけあって最後まで読ませる力はあります。挿絵が可愛く、とくに服装がアンティークで素敵なので、女の子に良いかもしれないですね。ただ、厚みのわりにやけに重量のある本なので、岩波少年文庫にしてくれたら中1くらいでも読みやすいかも。

関サバ子:期待せずに読み始めましたが、子どもたちの魅力で、あれよあれよという感じで読み進むことができました。登場人物がいい人ばかりで、最初はちょっと「なんだかなぁ」と感じました。でも、読み進むにつれて、おとながちゃんとおとなとして機能している姿というのは、やはり見ていて気持ちがいいと思い直しました。己もかくありたいものです。子どももちゃんと子どもとして生きているといいますか、こまっしゃくれ具合と、健気なところが魅力的でした。子どもも3人いると小さな社会ができる、という話を思い出します。この時代にしては、母子家庭(であり、投獄された身内のいる家族でもある)への風当たりがほとんどないのには、驚きました。著者が社会運動家であったことも関係しているのでしょうか。
 著者がときどき顔を出すときの出し方や、ウィットのきいた会話には、イギリスらしさを感じました。辛口なユーモアと言いますか……。変な甘さがないところや、わかりやすい善悪をやたら振りかざさないところも、好ましく思いました。しかし、この舞台や人々の美しさは、今読むと、文化財やファンタジーのように見えますね。

きゃべつ:装丁からして、古き良き時代の話だと伝わってきますが、はじめに覚悟していたよりは、ずっとおもしろかったです。子どもが自分で手に取るというよりは、図書館などに置いてあって、大人が安心して子どもにすすめられる本、という印象でした。道徳的なので、素直にこの本を読めるのは小学校中学年くらいまでかな、という印象ですが、それにしてはかなりの厚みがあるので、読者対象が難しい本かなと思いました。

紙魚:三人称ならではの安定した心地よさがありました。ただ、昔の作品だけあって、語り手である作者がしょっちゅう顔をのぞかせます。やや前に出過ぎかなとも思いましたが、そのおせっかいもユーモアがあるので許せました。p59の、主人公の子どもたちが汽車に名前をつけるところで、小さな感動を味わいました。なにか大切なものに名前をつけたときに、物語がはじまるのだと思います。難しい漢字もなく、漢字もわりあいひらいているので、小学中級の子どもたちにも十分に読めるとは思うものの、分量がかなりあるので、読者対象が見えにくい本です。そうそう、作者のおせっかいぶりといえば、読み手に、この家族は今、父親が不在であることを忘れずにいさせてくれるような描写が時折、入ります。今の作者は、自分の存在を消しながら書き進めますが、こうしたおせっかいぶりは、新鮮にも感じました。

レジーナ:この作品では、3人の子どもたちが、ペチコートを振って事故を防いだり、怪我をしてトンネルの中で倒れていた少年を助けたり、さまざまな事件が次々に起きます。しかし散漫な印象を受けないのは、それらが全て「鉄道」をめぐる人々と結びつき、最後の結末につながっていくからですね。出来事やエピソードを巧みにつなげて、いわば線路が駅へと続くように、子どもたちの成長という大きなテーマに読者を導く作品です。温かな翻訳で、人間らしい登場人物がいきいきと動き出すようでした。女性作家が描く男の子は、不自然になることもあるのですが、『よい子同盟』しかり、ネズビットは、男の子の描き方が、上手な作家ですね。そんな気はなかったのに、何故だか時として、嫌な態度をとってしまう心の動きや、子供らしさがよく描かれていました。背表紙の赤が、目をひくようで、少し気になりました。

トム:『ミムス』に比べると、自分と物語との距離が遠いというか、傍観者的に読んでしまったかもしれないな・・・この時代のイギリス社会を背景にした物語を今の子どもたちはどう感じるのでしょう? ある日突然大人の都合で、日常が変えられてしまう子どもは少なくないと思うけれど、そのあたらしい環境を生きる3人の子どもたちの逞しさ無邪気さが光っています。一番好きなところは、パークスさんのプライドの章。プライドを傷つけられ(?)素直になれないパークスさんにどうなることかと気を揉むなか、ボビーがプレゼントを贈る贈り主の様子や気持ちを記したメモを読んでいくと、村に暮らす人の人となりも浮かぶと同時に、どんどんその場の空気が変化してゆくのが手にとるように伝わって、気持ちが温められてゆく。プライドとは厄介なものですね! 贈り物は、プレゼントする側がまず幸せになって、贈られる側は、時と場合によっては複雑な気持ちになる。でも何よりパークスさんの生き方や心根が伝わってきます。結びの章で、罪が晴れてお父さんの帰還してくる場面は、ややあっけなかったですけど・・・

タビラコ:児童文学史で良く出てくる本なのに、いままで読んでいませんでした。読めて良かったなというのが、率直な感想です。出てくる人たちがみんないい人で、安心して読める本ですね。複雑な子どもの心の動きを丁寧に書いてある点もさすがだと思いました。花の名前なども、ただ野の花と書かずに丁寧に種類を書いてありますね。昔の作家は、こんな風に書いていたんだなあと思いました。坪田譲二の「風の中の子ども」や「お化けの世界」は同じような設定なのですが、子どもたちの不安や怖れが、もっとくっきりと描かれています。子どものときに読んでとても印象的だったのですが、果たして児童文学かな?という感じがしないでもない。子どもが安心して、楽しんで読めるのは、ネズビットのほうでしょうね。同じ設定でも、いまの作家は絶対にこういうハッピーな物語は書けないと思いますけどね。

レン:冤罪で牢屋に入っている父親と気丈に留守をささえる自立した母親と子どもたちという構図に、この作品の書かれた時代を感じました。うまさは感じましたが、今出版することが、今の子どもにとってどういう意味があるのだろうと考えてしまう作品でした。「これを知ったら親は起こるだろうな」と思いながらも、子どもたちが冒険をしていく、さまざまなエピソードはワクワクしてとてもおもしろいのですが。手渡すなら、やはり読書慣れした子どもでしょうか。めったに本を読まない子に、何かすすめようというときに選ぶ1冊ではないなと。

ハリネズミ:同じ作品が前は『若草の祈り』という題で出ていたので、この作品を読んだのは今度で3度目です。前はあんまりおもしろいと思わなかったんですけど、今回読み直していろいろな意味でおもしろかったです。特に感慨深い点が二つありました。一つは、後書きに中村妙子さんが「最晩年の翻訳にこの本を選んだ」と書いていらっしゃる点ですね。そうか、中村さんはこういう価値観をもった作品を子どもに伝えたいんだなと感じ入りました。ちょっと古いですけど、今は失われてしまった人間関係がこの作品にはありますからね。大人がしっかりしていて、子どもを守ることができる時代の物語ですが、子どもはその守られた世界の中で思う存分心をはばたかせることができたんですね。もう一点はp204でボビーが「こっちが仲よくなりたいと思ってることがわかりさえすれば、世界じゅうのひとが仲よくしてくれるんじゃないかしら」と言っている場面です。この時代はまだ、そう思うことも可能だったんでしょうね。
ネズビットは多作な人ですから、書き飛ばしているところもあると思うし、「9時15分のおじいさん」がトンネルの中で助けた学生の実の祖父だったなんて、あまりにもご都合主義的な筋運びだと思いますが、でも、子どもたちのやりとりは生き生きとしているし、汽車が目の前を通り過ぎていくときの描写には臨場感がありますね。うまい。やっぱり今の児童文学とは味わいが違うので、中村さんは翻訳を新たにして出したかったんですね。でも、今の子どもにはどうなんでしょう? 図書館では借りる順番がなかなか回ってこなかったんですけど、借りてるのは児童文学好きの大人かな?

プルメリア:田舎に引っ越してきて自然に触れる楽しさをみつけていくところや、知り合いのパークスさんのお誕生日プレゼントをするためにいろいろな人に呼び掛け一生懸命頑張っているところが、ほのぼのとしていてほほえましいです。汽車の大事故を防いだ後「さくらんぼをつむのを忘れちゃった」とぽっつりつぶやく長女ボビーの子どもらしい面に好感をもち、トンネルで見つけた気を失っている少年にバドミントンの羽を燃やして起こす場面なども、子どもらしくて笑っちゃいました。最近の子どもにはない、ちょっとしたことでのほんわかした幸せがある。自分たちで幸せを作っていくというのが良い部分かな。字が細かくて長編でも、最後まで読ませる良い作品だと思いました。表紙の絵のピーターはちょっと痩せていて末っ子に見え、え?って感じがしました。今回良い作品に出会えて良かったです。子どもたちは厚さがあり重い本は、自分からは手に取らずいやがります。本づくりとして難しいが、古いテイストは、子どもにとってかえって新鮮なのでは。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


ミムス〜宮廷道化師

リリ・タール『ミムス』
『ミムス〜宮廷道化師』
リリ・タール/著 木本栄/訳
小峰書店
2009.12

タビラコ:途中までしか読んでいないのですが、とてもおもしろかった。家へ帰ってから、絶対に続きを読みます。虐げられていながら、ある意味で宮廷の誰よりも自由であるという道化師の存在そのものが魅力的ですね。ただ、ひとつ不満をいうと、登場人物が多くて名前が分かりにくいのに、登場人物紹介がなかったこと。途中で「誰だっけ?」と何度も前のほうを読みなおさなければならなかったので……。

トム:物語の始まりでたくさんの人物・王国・関係性に混乱してきたので、新しく人が登場したら、ページに付箋添付作戦で行きつ戻りつして、やっとクリア! 物語の舞台になる城や森などの地図が本のどこかにあったらいいのに! べリンガー城の内部などもふくめ自分で想像して描く楽しさを残しておくということもあるけれど...あれこれ考えていると芝居にしたこの物語も観てみたいと思いました。皆から慕われるモンフィール王フィリップのなかにもひそむ弱さ、敵意に満ち残酷極まりない王テオドではあるけれど家族にみせる情、父を救おうと行動するフロリーン王子の、どこかに残る頼りなさ。みな人間くさくて惹かれます。たとえば、フロリーン王子がモンフィール王解放作戦を練るヴィクトル伯爵から同志の名をほんとうに知りたいかと聞かれ、一度は「はい」と答えたものの、すぐに首をふって打ち消し「焼きごてを見ただけで、ぼくは名前をぜんぶ吐いてしまうでしょうから」と断る場面や、拷問のすえ地下牢に閉じ込められたフィリップ王が、王冠とひきかえに明かりと空気と命を恵んでやるといわれて「ここにこれほど長くいると、真実よりもそうした嘘を信じた方がどんなに気が楽か、と思えてくるのだ」という場面などに出会うと、弱さを知ることの方がずっと強い気がしてきます。
道化の存在は深くてつかみきれないですね。「存在が無だってことよ」「神様のものでもねえし、悪魔のものでもねえ」と言うミムスは、謎めいておもしろい! この物語の鍵をにぎっています。

さきいか:すごくおもしろかったです。p534の「邪悪な〜」の所からの2ページはお触れなのか手紙なのか、文書ならこういうところに絵があっても良いかなと思いました。あとは、ミムスとフロリーンの友情、ミムスとヴィンランド王の友情、フロリーンとラドボドの友情、フロリーンとベンツォの友情や絆が描かれているところが良いと思いました。そういったところが辛い環境でも救いになっていて物語の後味を悪くさせないようにしているのかなと思いました。マイスター・アントニウスもちゃんと人間らしい心があって、フロリーンに同情してくれているところもじーんときました。社会人としてはだめな行動なのでしょうが。あと、フロリーンは底辺を少し知ったので、良い王になるんじゃないかなとこれからが楽しみで、今後のストーリーも見たいなと感じました。

紙魚:ドイツの児童文学だったので、もしや思索的で難解なものなのかなと一瞬思ったのですが、読みはじめるととてもおもしろく、エンターテイメント性がありました。とはいっても、やはりドイツの物語。善悪、貧富、愛憎と、相反するもののあいだにうまく主人公を立たせて、考えさせられるところも大いにあります。物語全体をひっぱっていくのは、ミムスの存在。この作者は、きっとミムスという人物を書きたくて、この物語を書いたのでしょう。とくに、ミムスの発言や歌は、毒のあるユーモアにあふれていて、ときにはほっこりしたり、ときにはどきっとしたり、楽しませてもらいました。訳者の方も、原文で韻が踏まれているところなど、歌の訳については、きっとご苦労されたのではないでしょうか。王子がこんなにかんたんに誘拐されるかについては、ちょっと疑問に感じました。この物語は、宮廷のなかについてはリアルに書き込まれていますが、宮廷外の描写はさらっとしていて、隙間があるように感じました。

きゃべつ:語り口は昔話のようで、ドイツの児童文学によくあるように、堅実にらせん状に話が進むのかと思ったけれど、ミムスに出会ってからは、物語も急に生き生きと動きだしておもしろかったです。ミムスのキャラクターが人を惹きつけ、物語のテンポを作っているのだと思いました。この本はあらすじだけを聞くと、とても残酷な話だけれど、それぞれの人物に宿る良心もきちんと描かれていて、それが救いとなっているのだと思います。

関サバ子:分厚い西洋ファンタジーは読まないので、ふだんは絶対に手に取らない本でした。が、読み始めると最初からぐいぐい引きこまれ、寝る間も惜しんで読み切ってしまいました。おもしろかったです! 主役はフロリーンですが、存在感ではミムスが上ですね。宮廷道化師は、王様に見世物小屋の動物のように囲われているのに、王様をからかっても(といっても、高度な笑いと知性、反射神経が要求されますが)首をはねられない唯一の存在であるというのが、すごく興味深かったです。また、「非人間的な扱い=悪」というステレオタイプに陥らず、ミムスはミムスなりの矜持がある、というところは、考えさせられました。フロリーンが空腹にあえぎ、鞭打ちを受けるところは、真に迫るものがありました。こんなふうに、思わず目を覆いたくなる残酷さも逃げずに書いているところは、わたしは好きです。最後まで甘ちゃんらしさが抜けないフロリーンには、歯噛みしたくなる思いもありましたが、それをしのぐ生命力がとても魅力的でした。
骨格は典型的な貴種流離譚だと思いますが、フロリーンの成長を、ミムスが直接父親のように促すというより、あたかも触媒のように促している距離感がよかったです。最後、城が破壊されて国が制圧されているのに、形勢逆転できたのは、不自然な感じを受けました。

レン:途中までしか読めませんでした。西洋の伝統にのっとって物語が進んでいきますが、日本の読者は西洋的なものには受容度が高いことを改めて痛感しました。道化は、馬鹿なふりをしながら、本当は自分のほうが相手を見下すといった複雑さを持っているので、その重層性がおもしろみになっていますね。

ハリネズミ:よくできた物語だと思いました。表紙がチビミムスと老ミムスの違いをよく表していますね。ちびミムス(フロリーン)のほうは、まだ子どもだし育ちもいいので、まっすぐで単純な顔をしている。逆に老ミムスのほうは、知恵も悪知恵も身につけて、多面的で一筋縄ではいかない、いかにもトリックスター的な姿をしている。対照的な存在だということが、表紙からもわかるように描かれているんですね。老ミムスは、どっちに転ぶかも、誰をだますかもわからない。だからこそ、おもしろい。ハッピーエンドは児童文学の限界か、という話が出ましたが、怨みの連鎖を断ち切るというのは、現在の世界状況を見渡している著者の願いなのだと思いました。理想を提示するのは児童文学の一つのかたちで、限界というのとはまた違うように思います。あまりにもとってつけたようなハッピーエンドだとまずいですけど。訳は少し引っかかるところがありました。フロリーンが師匠であり年もずっと上のミムスを「きみ」と呼んでいるのがいちばん気になりました。「ご紳士」「ご勘定」っていうのも変では?

シア:装丁も設定も良さそうで、期待していた一冊です。しかし、本の分厚さに少し気後れして、3冊目として読みました。読んでみて、映画になりそうな、おもしろい物語だと思いましたが、Y.A.としてみると残酷な描写が多すぎるような気もしました。4章からずっと飢えと寒さと辛い展開で、重い話が長いかなと。キャラクターの数は多かったですが、一人一人キャラが立っていて、読んでいてわかりづらいということはなかったですね。
とてもおもしろかったのですが、実は3冊中一番納得がいかない作品でもありました。とくにエピローグが蛇足だったかなと。ミムスをすぐに自国へ連れて行かなかったヴィンドール側の行動が腑に落ちません。ミムスのテオド王への微妙な忠誠心の理由や、チビミムスのアリックス姫への恋心も、姫が綺麗だから惹かれているように思えるところもあり、もっと掘り下げてほしかったですね。アリックス姫がチビミムスにある程度の情けをかけてくれたとはいえ、無知で高飛車なお姫様という印象の方が強かったです。それにこんな扱いを受けているのだから、王同士の確執がもっと根深いものでも良かったような気もしますし。このラストでは、殺されたたくさんの重臣たちが浮かばれません。自国も滅茶苦茶です。せめてテオド王の首くらいもらわないと、釣り合いが取れません。それに、ミムスは結局何をしたかったんでしょう? 何を目指して自分がどうしたいのか、あまり見えてきませんでした。
Y.A.にしてはダークですし、大人向けとしては無理に大団円に持ち込むようなシビアさに欠けているところもあり、本当におもしろかったのですがそれだけに望みが高くなりすぎて、納得のいかない点が多い作品でもありました。ところで、作者のことを調べたら素晴らしい人でした。児童文学であっても、時代背景をかなり調べて書いたことが分かりました。

ルパン:おもしろかったです。最初は悲惨ですごく読むのがつらかったのですが、読み進めるほどにだんだんミムスの魅力が分かってきました。映画『E.T.』のように外面の醜さを内面の魅力が補って、さいごはすっかり愛着がわいてきました。復讐の連鎖をミムスの一言で止めたところが凄いなと感じました。王の命を救ったミムスへの褒美は毛布一枚とありましたが、本当はもっと丁重に扱われたんだと思いたいです。気の強いお姫様がチビミムスを好きなことは随所に感じられました。私は、このお姫様、なかなか好きです。ストーリーにもひとひねりあってよいと思いました。つっこみどころが何か所もありましたが、とても良い作品です。

プルメリア:とってもおもしろかったです。長文ですが話が進むのはゆっくり、だけどすごくひきこまれる内容です。とてもていねいに書かれていると思います。ミムス2人は名前がマスターミムスとチビミムスに分かれていて子どもは好きそう。戦う敵もそれぞれ理由があり納得、終わり方もハッピィエンドすごく良かったです。さるのピラミットには驚きました。いろいろな技がいっぱいでてくるけど、教え込むのは大変だろうなと思いました。最後に、「たくさんの鈴がついた服を着た王冠をかぶった若い男。頭からはロバの耳が生えている」という、フロリーンが作ったモンフィール王位継承者の印章が心に残り印象的です。ページ数は多く分厚い本ですが、本を手に取ると見た目よりも軽く表紙の絵も良かったです。小学6年生の男の子が一人読んでいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


2012年02月 テーマ:父親の不在

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『2012年02月 テーマ:父親の不在』

 

日付 2012年02月23日
参加者 タビラコ、トム、さきいか、紙魚、きゃべつ、関サバ子、レン、ハリネズミ、シア、ルパン、プルメリア、ジレーナ
テーマ 父親の不在

読んだ本:

リリ・タール『ミムス』
『ミムス〜宮廷道化師』
原題:MIMUS by Lilli Thal, 2003
リリ・タール/著 木本栄/訳
小峰書店
2009.12

版元語録:囚われの王子フロリーンの生きのびる道は、宮廷道化師になることでしかなかった。誇りを捨て、敵の王の笑いを得て活きる。笑いこそが最後の武器に。王子の物語。
E. ネズビット『鉄道きょうだい』
『鉄道きょうだい』
原題:THE RAILWAY CHILDREN by E. Nesbit, 1906
E. ネズビット/著 中村妙子/訳
教文館
2011.12

版元語録:ある夜、見知らぬ人たちがお父さんを連れ去って、ロバータたち3人兄弟は、ロンドンから、とつぜん田舎ぐらしを始めることに。見知らぬ土地で3人が友だちになったのは…。
久美沙織『ブルー』
『ブルー』
久美沙織/著 
理論社
2010.01

版元語録:真っ青な空が広がる夏のある日。13歳の今里杏は、生まれて初めて学校をさぼった。図書館で読書ざんまいのはずか、ひょんなことから、会ったばかりの女性の話を聞くはめに…。

(さらに…)

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つぼつくりのデイヴ

『つぼつくりのデイヴ』
レイバン・キャリック・ヒル文 ブライアン・コリアー絵 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2012.01

奴隷には読み書きが許されていなかった時代に、自分がこしらえたすばらしい壺に詩や名前を書いていた奴隷がいました。それがデイヴです。巻末には壺の写真も載っているので、ぜひ見てください。職人としての誇りを持っていたデイヴの焼き物は、実用的でしっかりしていて、しかも美しいのです。
(装丁:則武弥さん 編集:相馬徹さん)

コルデコット賞銀賞、コレッタ・スコット・キング賞受賞

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<紹介記事>

・「2012年に出た子どもの本」(教文館)

 


父さんの手紙はぜんぶおぼえた

タミ・シェム=トヴ『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
タミ・シェム=トヴ/作 母袋夏生/訳 
岩波書店
2011.10

ajian:しっかり取材に基づいて書かれている本で、10歳の子どもが細かいことまでよく覚えている。成績の場面など、この経験をした当事者じゃないとなかなか言えない気持ちだなと感じましたし、そういうところはほかにもたくさんあります。あとは何といっても、手紙がすごくいいですね。有名な学者さんらしいけど、日本では知られていないので、市井にこういう人がいたのかというような気持ちで読みました。最後に写真がたくさん載っていますが、ここもいい。

ルパン:最初はアンネの日記みたいな本かな、重いのかなと思ったけど、読みはじめるとおもしろくて、どんどん読みました。タイトルがいいですね。暗い時代にこういうユーモアがあふれる手紙を書いて、いいお父さんだなと思います。個人的に残念だったのが、タイトルから、この子が手紙をぜんぶ覚えるシーンがあるのかなと思ったんですけど、そういう場面はありませんでした。

ハリネズミ:タイトルは、でも日本でつけているものだから。

三酉:イディッシュ語はわからないけど、英語タイトルはLetters From Nowhereで、そのままでは日本語のタイトルにならないし、そこは難しかったと思います。

すあま:とてもよかったです。ただ、読んでほしい年齢の人に読んでもらうには字がちょっと小さいかなと思いました。字を大きくするとページが増えるので、苦渋の決断だとは思いますが…。そして、リーネケのおねえさん、ラヘルがとてもよかったです。ラヘルにもお父さんから手紙が来ていたのでしょうか。たまに登場すると料理がうまくなっていたり、発言が面白かったりするので、ラヘルの視点で書いた物語があったら読みたいと思いました。以前読んだ『木槿の咲く庭』(リンダ・スー・パーク著、新潮社)にもありましたが、名前を変えるというのは、とても大きなことだとあらためて思いました。

うさこ:とても重厚でまじめな物語ではありますが、心に残してくれるものが多い本だと思いました。名前を変えて自分の人格を否定して生きるというのは、どういうことかとか、リーネケに気持ちを寄せながら読んでいきました。お父さんの手紙の内容一つ一つに愛情があふれていていい。

プルメリア:表紙の手紙をみて、何だろうと思ったのですが、タイトルをみて、ああ、これはお父さんからの手紙なんだと思いました。作品の中に出てくるお父さんの手紙の題がおしゃれでとてもすてきです。「絵といっしょにおしゃべり」「5月24日 リーネケはたまごから飛びだした」など。現実と過去が交互に書かれている構成もおもしろいです。ドクターの家族がリーネケを家族の1員として愛情をもって見守るやさしさもいいですね。ドイツ兵が来たときには、ちょっと危ないのかなとドキドキしましたが、そのドイツ兵からタバコをもらっておじいちゃんにプレゼントし、おじいちゃんはタバコをケチケチと大事に1週間かけて吸い、その間じゅうクリスマス・ソングを歌い続ける場面はユーモラスです。怖い怖いとおびえる中にもこういう交流もあったのかな。戦争後、ドクターがリンゴごの木の下に隠しておいた手紙を出す場面が感動的でした。手紙に込められたお父さんのあつい思い、手紙を手元におけないリーネケの切ない思いを知っているから捨てることができなかったのでしょうね。ところどころに手紙が入っているので一息つけるし、次はどうなるのか展開が気になります。字は細かいけど読ませる作品でした。

ハリネズミ:この本にかぎらずユダヤ人の作家がホロコーストについて書くのはとても多いし、それは片方では必要なことなんだけど、もう片方では現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽することにもつながってしまうと思うんです。しかもパレスチナの側から書いたものは数が少なくて、ホロコーストものは次々に出版される。そうなると、またか、という気になるのも確かです。この本の主人公へのインタビューが巻末にあるんですけど、その最後は「見て下さい——のびのびと自分たちの地で暮らすユダヤのうるわしい大家族を」となっていて、パレスチナ人は視界にまったく入っていないんですね。ちょっとどうかと思いました。ユダヤ人だけを責めるわけではないんですが。日本の戦争物も加害者の視点なしに書かれているものは多いですからね。
 ただ、この本はお父さんの手紙がすごくいいですね。この手紙のおかげで、この子は戦時下の不安定な状況の中にあっても、守られているという感覚を持てたはずです。私は細切れの時間の中で読んだので、登場人物についてはちょっと混乱しました。登場人物リストがあってもよかったかも。翻訳はところどころ引っかかりました。p22の台詞の中は「粉剤」じゃなくて「粉ぐすり」でもいいのかな、とか、p28の「シンタクラースのプレゼントもいいかもしれない」は、どういうニュアンスで言っているのか、ちょっとつかめませんでした。p34の「もしかして、大きい動物を、家畜もペットも好きになるのをやめちゃったのかもね」というリーネケの台詞ですが、その前に「牛やヒツジ…をどんなに、知ってるだろ?」というお父さんの台詞があるので、つながらないような気がしました。またp66には『もじゃもじゃペーター』が出てきますが、ハインリッヒ・ホフマンの本のことを言ってるんだとすると、一冊の本の中にいくつかの話が入っているわけですから「シリーズの一冊」はおかしいのでは? などなどです。日本語版の書名や表紙はとてもすてきです。

三酉:父親たる身としては、すごいと思った。この人は、ユダヤの貴族階級がほれてしまうぐらいに魅力的な男だったのではないでしょうか。直接関係はないんですが、最近、ユングの『赤の書』という本が出ました。ずっと非公開だったんだけど、ユング財団が最近OKして。これがすごい。200ページの書き文字なんです。それで、そういう伝統ってあるんじゃないかと思いました。今世紀までは継承されていないかもしれませんが、こういう書き文字ができるという男がかつては結構いたんじゃないかと。

ハリネズミ:修道院の文化にかぎらず、子どもに絵手紙をおくるという文化はあるんじゃないですか。ビアトリクス・ポターの本も、そもそもは子どもに宛てた絵手紙だったし。

ajian:オランダも相当いろいろあったみたいなので、やっぱり相当幸運な家族じゃないかとは思います。

三酉:たしかに幸運もあったでしょう。だってほとんど全員生き延びて、死んだのは病気で死んだ母親だけだっていうんだから。それから、手紙についてだけど、子どもは画像的な記憶がすごい。我々が覚えるよりはるかに覚えられたんだと思います。特にすごいことだとも思わずに、ごく当たり前に覚えてしまってたんじゃないかな。

すあま:この手紙は何十年も経ってからじゃなくて、戦争が終わってすぐに出てきたわけですから。

ハリネズミ:手紙に使っていた名前が、本名じゃなかったから、見つかってもそれほど危険じゃなかったのかも知れませんね。それにしても、この本の主人公は戦後、戦時中の偽名を自分の名前として選び取るんですね。戦時下の体験がとてもつらいものだったら、普通は自分の本来の名前に戻るはずだと思うんですけど。たぶんお父さんの手紙や何かのおかげで、この子はそれほどつらい思いはしなかったんでしょうね。アンネ・フランクなどと比べてラッキーな面もあったのでしょう。

三酉:あと、この名前は、強制的に変えられたのではなくて、生き延びるために自分でつかんだ名前だということもあるよね。

ルパン:お母さんの名前なんですよね。

ハリネズミ:恵まれて、守られていたから、かえってこう、無反省になっちゃったという面もあるのかもしれませんね。

三酉:美しい話になっているので、本当だとわざわざ謳う必要があったのかなとは思う。

すあま:これまでにここで取り上げた本の中にも、本当の話だと思って読んだら、実は寓話だったというものもありましたから…。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


カイト〜パレスチナの風に希望をのせて

マイケル・モーパーゴ『カイト:パレスチナの風に希望をのせて』
『カイト〜パレスチナの風に希望をのせて』
マイケル・モーパーゴ/著 ローラ・カーリン/絵 杉田七重/訳
あかね書房
2011.06

シア:パレスチナと聞いて最初は重いなと思ったのですが、サイードがすごくかわいがられている描写があったり、「部屋いっぱいに悲しみが広がる」という変わった表現などが、すごく好きでした。ちょうど海外旅行に行った後に読んだので、ホテルのいやな感じとか、共有しやすかったですね。言葉が通じないということは、不要な苦労を強いられたり、国と国との間に溝ができやすかったりするものですよね。私も言葉が通じないところで苦労したので。それから、p69に「夢を信じきっている人間がいた」とありますが、サイードのことを子どもではなく一人の人間として扱っていて、作者の訴えたいことが詰まっている感じがしました。こういう問題は本当に難しいなと思います。平和に関する本というのはたくさん出ていますが、紛争が起きていなければ平和を意識することは難しいものです。長く平和が続いている国の子どもたちにとっては、全く環境の違うところと意識されてしまうかもしれません。この間の東日本大震災でも、関東圏で被害がなくて親戚もいないと、そういう人の言葉の端端から、ショックを受けるようなことがありました。「なんで自粛しなきゃいけないのか」とか、子どもたちの中からも冷たい言葉も出ました。今後どうすればいいのかという思いがあります。この物語では、お兄さんが誤射で死んでしまいますが、撃った方も泣いていたという、お互いの立場で悲しみが描いてあっていいですね。私は東北に親戚がいるので、今回の震災はそういう意味でも大変でした。無神経な人が身近にいたりするので、そういうすれ違いがだんだん戦争に発展するのかなとか、そんなことまで考えてしまいました。p79の兄が死ぬ場面で、「カイトをなおすんだ」という最後の言葉がありました。これがサイードのその後の行動につながっていて印象深かったです。これが憎しみにみちた言葉だったらそうはいかなかっただろうと思います。それにしても、モーパーゴさんの本は薄いのが多くて助かります。昨今の中高生は分厚いと読みたがらないので。

ajian:マックスが青い車椅子の子に会いに行く、と言っていたのは、どうなったのかなというのは感じますね。ただ、この問題は、この分量で書くのは難しすぎる気がします。パレスチナとわざわざ舞台設定をしているのだったら、もっと突っ込んだことも知りたいと思うけど、そうすると分量が増えてしまう。壁があって対立する二つのグループがあって、という象徴的な物語だったら、パレスチナじゃなくてもいい。嫌いな本ではないんですが……。あと、この絵もいい絵だけど、舞台設定とリンクしてないですね。おしゃれな感じはするけど。最後の和解の場面は、こんなに簡単なことではないよなと思いました。

ルパン:ストーリーがすごく好きです。この装丁だと子どもが手にとるでしょうか。横書きで字がぎっしりだし、ちょっともったいない。もっと子どもが手にとれるように工夫してもよかったんじゃないでしょうか。ひょっとしたら本当にあったことなのかと、誤解してしまいましたが、フィクションだと知ってちょっとがっかりしています。それから子どもが読むものとして、カイトというのはすぐわかるんでしょうか。凧って漢字にカイトってふりがなが振ってありましたが、凧を読めなければ、それもわからないだろうし。先にカイトって凧のことだと言っておくか、ぜんぶ凧で統一するかしたほうがいいような気もしました。

ハリネズミ:今はカイトっていう名前でも売ってますよね。逆にカイトのほうがわかりやすいってこともあるんじゃないでしょうか。

ルパン:それから、言葉のことですが、失語症のサイードが最後にやっとしゃべるときに英語でいいんでしょうか。

ajian:ラストサムライみたいですよね。

ルパン:最後の終わり方はすごく好きなんだけど。塀の向こう側でサイードが一生懸命つくって送り続けていたカイトをあげるというところですね。感動的なシーンでした。

すあま:私は低学年向けの話だとは思わなかった。高学年から中学生以上。ヤングアダルト向けなのではないでしょうか。横書きだとノンフィクションという感じを受けると思います。最初の方はわからないことだらけで、読み進めていくとだんだんとわかってくる。先を読まないとわからないことが多いというのは、それが気になって続きを読みたくなるのか、あるいはわからないから読むのをやめてしまうのか、難しいところだと思います。最近パレスチナやアフガニスタンなどを舞台にした話が多いのですが、この本も2008年という設定で、数年前のことかと思うとドキッとします。例えば第二次世界大戦の話だったら、昔の話だと思って読めますが、これはついこの間のことで、まだ終わっていない。子供たちに、同時代に他の国ではこういうことが起きているというのを知ってもらうのはいいことだと思います。ただ、自分から手に取る子はあまりいないと思うので、手渡し方には工夫がいると思います。
 それから、訳者のあとがきはあるけれど、作者あとがきもほしかったと思います。この本を書くきっかけとか、こういう子供にあってヒントを得ましたとか。何か作者自身の言葉もほしかったです。

うさこ:モーパーゴさんは現代の問題を子どもに分かりやすく伝えるのが、すごくうまい作家ですね。これも、きれいにまとめてあるなと思いました。子どもの力を信じるのはいいとしても、未来を子どもに託しすぎているような、理想を乗っけすぎているような気もします。

シア:お兄さんの死の場面の語りについては、サイードがいつも怖い夢を見ているようなので、その夢の説明か何かにしてもよかったかなとも思いますね。どんな夢を見るのか、具体的にはあまり書かれていないので。

プルメリア:私は、この作品を手に取って、横書きなんだということと、とても細かい字だなと思いました。地図があったので、位置がわかりやすく助かります。「カイト」が最初わからなくて、名前なのかなとも思いましたが、内容から凧のことだとわかりました。4日間の短い時間の中で、イギリス人マックスの目からと、サイードのお兄さんへの語りかけから、話が進んでいきますが、マックスの語りかけが読者を読ませていくのかなと思いました。青いスカーフの女の子は、最初に登場した時から印象的で覚えていましたが、こういう風につながるのかと納得しました。最後のページ、挿絵は白黒ですが、明るい凧のイメージで私は読みました。難しい話や、現実に殺されるリアルな場面があったりして、この作品を読んでいる子どもがどう感じるかなと思いましたが、現実にこういうことが起きているのだからしっかり受け止めてほしいです。日本にはあまりありませんが、外国にはこういう題材のノンフィクション、フィクションがたくさんあります。考えなければならない現実や思いがあるから、こういう作品が書かれるのでしょうね。

ハリネズミ:ジョン・レノンのイマジンを物語にするとこういう感じかなと思いました。ありえないことかもしれないけど、こうあるといいなという願い。最後に会わないのが気になる人もいるかもしれないけど、会うことにすると非現実的なありえない話になってしまう。だから凧をあげるというだけにとどめて、あり得るかもしれないというニュアンスを出してるんじゃないかな。舞台はどこでもよかったのかも知れないけど、いま起きていることという意味を持たせるためにパレスチナを選んだのではないでしょうか。ただパレスチナの問題をどうこうしたいというより、象徴的な舞台として使っている。横書きについていうと、原文は横書きでも、本にするときには日本の子どもに読みやすいという意味で縦書きの本として編集し直すことはありますよね。
 「わたしはおろかにも、この奇跡的な瞬間をカメラにおさめるのをすっかりわすれていたのだった」ということになってますが、胸がいっぱいになってカメラで撮れたか撮れなかったかは二の次だというのが一点。もう一点は、カメラで撮ったというと願望ではなくリアルになりすぎるというのがもう一点だと思います。そんなことを考えると、やっぱり小さい子ども向けの物語ではなくて、ジャンルとしてはYAなんでしょうね。

三酉:成功か失敗かのきわきわの作品だと思います。夢物語としてもここまで書いていいのか。最初は誤解しましたが、途中からノンフィクションじゃないんだと思いました。謎があとからあとから出てくるのは、こういう仕掛けなんですね。青いスカーフなんていうのはうまいです。イマジンというと、ほんとうにそうかもしれない。映像がとれなかったのは、これはお話ですという意味でしょう。率直にいうと、サイードの子どもの語りがべたついていて、読みづらかった。いかにもお涙ちょうだいというか。日本語というのは、難しいなと思います。銃撃の場面を子どもに語らせるというのは、お話の構造上仕方ないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


盆まねき

富安陽子『盆まねき』
『盆まねき』
富安陽子/著 高橋和枝/挿絵
偕成社
2011.07

ajian:おもしろく読みました。いつも自分の話をしてしまいますが、まだずっと子どもの頃、眠れなくてぐずぐずいっていたら、祖母が「いい子で寝ないと山の向こうから連れにくるよ」といったんですね。「何が」連れにくるのかはいわなかったんだけれども、とても怖かったので、よく覚えています。それで、お盆のときに「先祖が帰ってくる」と言いますが、あれは「山の向こうから」帰ってくるんだという考え方があるらしい。それを大人になって知ったときに、祖母が言っていた、連れにくるというのは、そういうことだったのかと思いました。柳田国男の本に「先祖の話」というものがあります。昭和20年に書かれたもので、この『盆まねき』に出てくる戦争の時代とも重なりますが、日本人の死生観について、柳田なりに捉えたものです。どういうことが書いてあるかというと、二つ特徴があって、一つは、個人の霊というのは、やがて忘れられていくけれど、個性を捨てて、融合して一つの霊になるというもの。もう一つは、死者の世界と、生者の世界が、すごく近くにあって、互いに行き来しているというもの。どちらもこの『盆まねき』の内容に重なると思いました。
 いわゆる「あの世」という言葉があります。これは、地獄とも天国とも違うけど、何となく知っているようで、実はよく知らない。ひょっとしたら、自分たちのことがいちばん理解するのが難しいのかもと思います。『盆まねき』は、この日本語の世界の、この狭い島国の、我々が知っているようでよく知らない、土着の死生観を、やさしい物語のなかに溶かし込んで描いて、ある程度成功していると思いました。最後戦争とつながりますよね。祖母の実家には戦争で亡くなった方の写真などがあって、僕ぐらいは、ぎりぎり身内でそういうことがあったのかと思うけど、僕の子どもの世代になるともうわからないだろうなと思う。伝えるには新しい物語が必要で、そういう意味で、富安さんがこの作品で試みられたことを評価したい。真正面から戦争について書かなくても、不思議なお話を読んでいくうちに、いつしか自然に、そういうことがあったんだと読めるところも良いです。

ルパン:すごくいいなと思いました。どのエピソードも、とてもおもしろかったです。お盆の時に親戚が集まるのは、自分が夏休みに田舎で過ごした思い出と重なりました。なっちゃんが置いてけぼりを食う場面がありましたが、こういうの、すごく覚えがある。私はやったほうなんだけど(笑)。当時は小さい子たちがうっとうしくって。いま大人になってしまうと、年が近くなって、あまり変わらなくなって。今回読んでいたら、やられた子の悲しみというのもよくわかって、申し訳ないなあと思いながら読みました。おおばあちゃんの声は、トトロに出てくる隣のおばあちゃんの声かな、なんて想像しながらね。亡くなったしゅんすけさんの思い出をとどめておくために書いたというあとがきも、すてきだなと思います。ちょっとひっかかるのは、戦争に行って20歳ぐらいで亡くなったはずなのに、現れる時は子どもの姿なんだなっていう。あとは、子どもが読んだらどう思うかはわかりませんが、このあとがきがすごくよかった。

うさこ:どこかなつかしい匂いを感じる物語でした。自分の小さいころの体験と重なります。やわらかい感じで運ぶ物語。おじいちゃんだったり、おおばあちゃんだったり、親戚の中にこんなにほら話ができる人がいて、いいなあと思って読みました。夜の虹など情景がすごくきれいです。個人的な話ですが、去年の夏に実家の犬がなくなって、とても悲しかったんですけど、前後に虹を見ました。それで、犬が亡くなって虹をわたっていったのかと、すとんと胸に落ちるものがあったので、この物語も、それに重ねて味わうことができました。一つ一つのお話も本当にうまいし、エピソードもおもしろい。ただ、最後の「もう一つのものがたり」にはちょっと違和感がありました。お話がすごくよかっただけに、現実に引き戻されたような印象で、物語の余韻がさーっと消えてしまった。あとがきでなくて、あくまで「もう一つのものがたり」にこだわった理由には、なにか作家さんの主張があるのでしょうね。例えば、講演会やインタビューなどで裏話的に語るということも、出来たと思うんですけど。結末は野間賞の選考委員のなかでも議論になったらしいですね。

プルメリア:この作品は夏休みに一度読んで、今回また読みました。最初に読んだときは、前半の楽しい話よりも最後の話「もう一つのものがたり」が印象的に残りました。「うそと、ホラは、すこしちがう。人をだますのが、うそ。人をたのしませるのが、ホラ」。おもしろく楽しく読みました。中学年も楽しめる作品と思いましたが、カッパの玉話あたりからだんだん怖くなり、盆踊りあたりは完全に怖い世界に入っています。高学年向きかも。男の子が、なっちゃんに言う「人間は、二回死ぬ」というフレーズが心に残りました。中学年ぐらいだと理解しにくいかも。最後に「もう一つのものがたり」があることで、作品全体が最初のほのぼのとした笑いがでる内容とは異なり現実的な話に二分化されたように感じました。子どもたちにとって、戦争の物語は手に取りにくいですが、この作品のように最後に書かれていると、すっと入っていけるのではないかとも思います。

ハリネズミ:お盆の時の田舎という舞台に、ほんとうにいろいろ盛り込んでいますね。ほら話も出てくれば、死ぬこと生きることについての考察も。それを読みやすい物語に落とし込んで、違和感を感じさせないのは、この作家のうまさだと思います。月の田んぼのイメージがすごく鮮烈で印象に残りました。月は兎がいるとかお姫様がいるなんて言われることはありますが、田圃があるという話も伝承の中にあるんでしょうか。表紙や挿絵も、はっきりリアルに描いてしまわないのがいいと思いました。ただ、最後はちょっとずるいかな、と。戦争って今の子どもは身近に体験したことがないので、作家がさまざまに工夫して子どもに届けようとするわけですよね。例えばロバート・ウェストールは『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)で、ジャッキー・フレンチは『ヒットラーのむすめ』(さくまゆみこ訳 鈴木出版)で、切り口をさんざんに考えたうえで今の時代の子どもたちになんとか戦争を身近に感じてもらおうとしているわけですね。でも、この作品ではフィクションにリアルな話をくっつけてしまうという比較的安易な方法でそれをやってしまっています。富安さんはとても力のある作家なので、フィクションの中でなんとか子どもに引きつける工夫をしてもらったら、さらによかったのかなと思いました。現状ではフィクションの本編より、本来おまけであるはずの「もうひとつの物語」のほうが強烈な印象を残してしまう。戦争を伝えたい大人たちはきっと飛びつくでしょうけど、文学的に見るとそこがもったいないなと思いました。

ルパン:私は、最後のは、てっきりあとがきだと思っていて、物語の一部だというのを、ここにきて初めて知りました。

ハリネズミ:文字の大きさがちがうので後書き風ではありますが、本文に入れたかったんだと思います。

シア:昔の日本の風景を描いていて、古い家の中のことやお盆の風景など、細かいことまでわかりやすかったです。親戚縁者で集まってお盆なんて最近はやらないから、スタンダードなお盆という見方からしても、非常に参考になる本でした。子どもたちもこういうことは知らないんじゃないかと思うので、そこをピックアップして読んであげても、おもしろいんじゃないでしょうか。表紙の絵もいいですね。読み終わってみると、すごく意味のある場面を描いているんだなということがわかりました。「そうめん」を「おそうめん」といったり、こういうていねいなところが、かわいらしいです。細かいところまでいきとどいた一冊ですね。知覧の話などは学校の授業でもやっているので、そういうことを教えるのにもいいと思います。戦争というものを教えるのに、導入としても使える本です。最後の「もう一つのものがたり」は、実体験に基づいてこの本を書いていったのだと思いますが、物語の一部かどうかというのは?

ハリネズミ:やっぱり、後書きじゃなくて、ここまでちゃんと読んでほしいという意識があるんじゃないでしょうか。後書きにすると、読まない子もいますからね。

シア:月のところのシーンで、「丸の中をのぞきこむ」というのが、イメージとしてちょっとわかりにくかったり、そういうところもほかにないわけではないですけど、全体としてはいい本だと思いました。

すあま:子供時代を思い出しながら読みました。今もこんなふうに田舎でお盆を過ごすんでしょうか。子どもが共感を持って読むのかどうかわからない。最後の「もう一つのものがたり」はなくてもいいのに、と思いました。あとがきでよかったのでは。私はこの部分に違和感があったために、読後感がよくなかったです。ここまでずっと物語の世界にいたのが、急に現実に連れ戻される感じがありました。対象年齢も雰囲気も変わるため、読み手がとまどうのではないでしょうか。ノンフィクションのようでフィクション、という本もありますが、この本の場合はノンフィクションでいいんでしょうか。

ハリネズミ:「もうひとつの物語」は、作者自身が「ほんとうのお話」と書いているの
で、ノンフィクションじゃないですか。

すあま:「もう一つのものがたり」が「あとがき」ではないなら、別に「あとがき」をつけて説明してほしかったなと思いました。

ルパン:私は「あとがき」に「もう一つのものがたり」というタイトルをつけるなんておしゃれだなと思って読んじゃったんです。

一同:ああー。

ajian:野間賞って、これが「あとがき」だったら、この部分は評価の対象には含めないですよね。でも、このエピソード込みの評価だったんじゃないですか。あるのとないのとでは全然ちがう。

ハリネズミ:これがあるから受賞したのかもしれませんよ。反戦思想がはっきりしてて
いいってことで。

すあま:そのままなっちゃんのその後の話として書いてもよかったような気もします。急に作者が出てくるから、あれ?主人公誰?という感じになりました。

ルパン:私という一人称が急に出てくるから、やっぱりあとがきなんじゃないですかね。

すあま:例えば、なっちゃんのお母さんやおばあさんの視点からのお話として書いてあったら、違和感なく読めたと思います。

ルパン:いいアイディアですね。

シア:この部分、冒頭で「さいごにほんとうのお話を一つ」という一文があるのが、やや興ざめです。これまでは、じゃあウソだったの?という。

すあま:たしかに…物語の中でなっちゃんが、何度も「本当の話なの?」って聞いているから、なおさらそう思いますよね。

ハリネズミ:「さいごにもう一つほんとうの話を」だったらよかったかもね。

プルメリア:たしかに子どもが読んだときどうかなというのは、ありますね。

すあま:やはり、あとがきにしたほうがすっきりするかも。そうすれば読む子は読むし、読まない子は読まないと思います。

ハリネズミ:ここだけ扉のデザインをがらっと変えるなんて手もあったでしょうね。ただ富安さんか編集の人か、それはわからないけれど、やっぱりここまで読んでもらいたかったんでしょう。

三酉:これはあとがきまで読まないといかん本だろうと思いました。富安さんはそこまで読んでほしくて書いたんだと思うし。フィクションとしてはルール違反だけど、確信犯でしょう。賞をとったのも、当然これが込みだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


2012年01月 テーマ:それぞれの大切なもの

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『2012年01月 テーマ:それぞれの大切なもの』

 

日付 2012年01月19日
参加者 プルメリア、 シア、すあま、ハリネズミ、ajian、ルパン、うさこ、三酉
テーマ それぞれの大切なもの

読んだ本:

富安陽子『盆まねき』
『盆まねき』
富安陽子/著 高橋和枝/挿絵
偕成社
2011.07

版元語録:おじいちゃんの家でなっちゃんが聞いた、3つのお話と盆踊りの夜に体験したふしぎな出会いを描く。戦没者への鎮魂歌。 *第49回野間児童文芸賞受賞
マイケル・モーパーゴ『カイト:パレスチナの風に希望をのせて』
『カイト〜パレスチナの風に希望をのせて』
原題:THE KITES ARE FLYING by MichaelMorpurgo, 2010
マイケル・モーパーゴ/著 ローラ・カーリン/絵 杉田七重/訳
あかね書房
2011.06

版元語録:2年前の事件で言葉を失った少年。自分で作った凧をあげる少年サイードの夢とは? パレスチナの悲劇と希望をえがいた物語。
タミ・シェム=トヴ『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
原題:LETTERS FROM NOWHERE by Tami Shem-Tov
タミ・シェム=トヴ/作 母袋夏生/訳 
岩波書店
2011.10

版元語録:ユダヤ人一家の末っ子リーネケは、家族と離れ、遠い村の医者の家にあずけられた。心の支えは、ひそかに届く父さんからの手紙。奇蹟的に保管されていた手紙とともに、リーネケの記憶がよみがえる。

(さらに…)

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スピリットベアにふれた島

ベン・マイケルセン『スピリットベアにふれた島』
『スピリットベアにふれた島』 この地球を生きる子どもたち

ベン・マイケルセン/著 原田勝/訳
鈴木出版
2010.09

うさこ:すごい話だなあと思って読みました。好きな作品です。サークル・ジャスティスという試み、制度を知らなかったので、罪をおかした人に再生のチャンスを与えてくれるこういう仕組みは、人間に対する深いまなざしがあっていいですね。文章も力強い。描写などとてもリアルで情景がありありと浮かんでくるところが多かったです。島でスピリットベアにやられて、骨が折れて体を動かせず、ミミズやねずみを食べたりするところ、描き方がリアルすぎてぞっとしたくらい! 毎朝の冷たい水浴びなども、この作家の表現力はすごさが随所に感じられました。父からの暴力の被害者でもあり、ピーターへの加害者でもあるコールの更生を助けるカービィ、古老など大人の存在もよかったです。

プルメリア:長い作品ですが、止まらないで一気の読むことができました。最初クマとの戦いで野生の生き物に対して大きな力を感じ、次に自然との闘いで自然の力を感じ、ピーターへのつぐない、家族との絆、更生する気持ちなどコールの心情が周りの人たちに助けられながら変わっていく。無人島で小屋を燃やしてしまうところは反発。いろいろなことに向き合いながら、だんだん変わっていく。ピーターが自殺をはかったところは、大丈夫かなと思いました。水浴びをしないと落ち着かない。水浴びをすることで強くなっていく。内容と表紙の白いクマがマッチしているんだなと作品を読み終わって思いました。

アカシア:私は『ピーティ』(鈴木出版)を読んでベン・マイケルセンってすごい作家だと思い、この本も出たときにすぐ読みました。今回は時間がなくて読み返せなかったんですけど、物語の中のリアリティをどこまでも追求する作家だな、という印象です。コールの悪さ加減も半端じゃなく書いています。後半はちょっと甘いかもしれないけど、YAなので1つの理想の姿を描きたかったんだと思います。アメリカでは犯罪を犯した子どもに対していろいろな選択を用意してるんですね。この本に出てくるのはサークル・ジャスティスですけど、ポール・フライシュマンの『風をつむぐ少年』(片岡しのぶ訳 あすなろ書房)は、少女を車でひき殺してしまった少年に対し、アメリカ大陸の四隅に犠牲者の女の子代わりの「風の人形」を立てるという業が課せられて、少年はその過程でいろいろな人々に出会って成長していきますよね。収監か放免かではなく多様な選択肢があるのが、すごい。

ダンテス:読み始めて、とにかく15歳という設定なんだけれど、15歳とは思えない悪い奴ですよね。家庭にもめぐまれず、すぐキレる。ピーターをぼこぼこにして、身体的傷だけじゃなくて、脳にまで損傷を与えてしまうし、警察でも反省の色なし。大人をなんとかだましてやろう、という徹底的に悪い奴を最初に登場させて、この子が変わっていくのを、 嘘くさくなく、読者である私をどう納得させてくれるのかなと思いながら読み進めました。そういう意味ではしっかり物語にひきこんでくれましたから、いい作品であると評価します。結果的に、宗教性を感じさせる自然の力もあるんだけれど、古老の2人の力も大きく働いて、この子が変化・成長したことが腑に落ちます。 ピーター自身も被害者であって、自殺未遂を繰り返してしまう状態であったのを、救う方向に持っていっているのがすごい話だなと思いました。ちょっと気になったのは、腕や足がかなりダメージを受けていたはずで、傷を負っている描写が後半になると減ってしまって、普通に行動しているように読めてしまうのがどうかなと思いました。作品全体としては、犯罪の加害者だけでなく被害者の癒しというのがテーマでしょう。

ajian:先住民族の儀式や、スピリットベアとの不思議な交流もおもしろいですが、何よりも主眼は、加害者が、被害者とどう向き合うのか、ということだと思います。現代の裁判のシステムでは、それがうまくなされていないという指摘と、対案としてジャスティスサークル、という試みがあることを興味深く読みました。ただ、物語自体は、ややご都合主義的なきらいがなきにしもあらずで、とくにコールが更生していくくだりや、ピーターがコールの存在を受け入れていく過程は、ちょっと甘いかなと思いました。コールはちょっとものわかりがよすぎますよね。にもかかわらず、印象的な場面が多々あり、作者の筆力を感じます。
自分がおもしろいと思ったことを羅列していくと……たとえば、ダンスで動物と同化し、その動物について理解する、というくだり。うまく踊れたときというのは、リズムと一体化していて、意識が集中し、かついろいろなことを忘れて、自分から離れてしまえる状態。あの高揚感、忘我状態のなかで、自分から離れて別のものになるという感覚までは、ほんのもう一歩なんじゃないかという気がして、全然知らないことなのに、よくわかる!と思ってしまいました。それから、スピリットベアに会おうと、雨にうたれて自分を無にしようとする場面、ここもおもしろかったですね。雨が額から頬にしたたるのを感じ、ついで周囲の世界へと、感じる範囲が広がっていく感覚。座禅のワークショップに参加したとき、香港から来たお坊さんに、意識を外へ外へ向けろ、と言われたことを思い出しました。よく書けている本や文章というものは、読者の体験や思い出とつい響き合ってしまうものですが、この本もそうだと思います。裁判にしてもそうなんですが、近代的なシステムではすくい上げられないような軋轢であったり心であったりを、この本では「ダンス」であったり「トーテムを彫ること」という、一見なにも関係のないような行為を通じて、いやすことを描いていると思います。それが不思議と納得出来るのがおもしろいです。
まったくの余談ですが、自分がこれまで怒りをコントロールして来たか、殴りつけた相手と向き合って来たか、というと非常に心もとないものがあります。何か、コールの姿は、ここまで極端ではないにしても、あまり他人事とは思えませんでした。今更どうしようもないですが、エドウィンのように、コールのように、別の形で返していくしかないのだろうなあと……。

三酉:私の感想はあんまりよくないんです。『ピーティ』の作者だと聞いて、あちらはすごくよく書けていると思ったんですね。でも、これはこんなに甘い話でいいのか、と。サークル・ジャスティスはいいと思うんですけどね。でもその制度のすばらしさにほれこむあまり、作品がゆるくなったかな、という気がしました。作者はサークル・ジャスティスで感激して、ひいきの引き倒しをしてしまったと思う。それとたぶんこの取材の過程で、孤島一人で暮らすというのを実地に体験して(たぶんヴィジョン・クエストなのだと思いますが)、すごい感激した、それもあってここまで書いちゃったんじゃないかと思います。

アカシア:私は15歳という年齢ならあり得ると思って読みました。この作家は、クマも飼ってたんですよね。

三酉:『ピーティ』同様、夢というか、「お話」であっていいのだけれど、「お話」の出来が悪いと思うんですよね。

アカシア:私も作品としては『ピーティ』の方がよくできていると思ったんですが、こっちの方が課題図書になったんですね。

メリーさん:私はとてもよかったです。とくに前半部分、主人公が瀕死の重傷を負うところ。クマに相当痛めつけられて、もう死んでしまうかというところで、心から生きたいと願う主人公。どん底に落ちて初めて、世界はなんと美しいのかと感じる心。極限の状態まできて、ようやく世界が見えてきた、そんな描写が圧倒的でした。後半は多少ご都合主義に陥っているきらいはあるけれど、毎日を祝いの日々にするという部分、日常をいつくしみ、自分の視点で楽しいものにしていこうというところは、どん底を経験した人たちだからこそ言えることだなと共感。一気に読んでしまいました。

三酉:だんだん思い出してきて、もうちょっとポジティブに言うとね、6ヶ月後っていって、内部的な葛藤のようなものがもっと書きかれていると、もっとよくなった。

ダンテス:最後の10ページくらいのところ。ピーターは、コールに仕返しするわけです。そのときにコールは自分は反撃しないと決めていて、ピーターがある意味気の済むように仕返しをする。そこで初めて両者対等になって、そこからが本当のスタート。二人の関係改善が暗示されて物語が終わります。今の法律では、被害者自身の手で加害者に仕返しすることは認められていないわけです。

ajian:その反撃しない場面、コールが急に「おれという人間は大きな輪(サークル)の一部なんだ」とか言い出して、ちょっと「どうした?」って感じですよね(笑)

(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)


フォスターさんの郵便配達

エリアセル・カンシーノ『フォスターさんの郵便配達』
『フォスターさんの郵便配達』
エリアセル・カンシーノ/著 宇野和美/訳
偕成社
2010.11

メリーさん:著者が日本に来たときに、講演を聴く機会に恵まれました。冒頭の切手の話、訳者の宇野さんから届いた手紙がきっかけになったと著者が話していたのを覚えています。物語は、歴史的背景をふまえつつ、主人公と彼の身の回りがきちんと描かれている。人は皆、様々な側面があって、真実は多面的だということが書かれていることに好感が持てました。主人公が偽札事件に巻き込まれていき、ちょっとミステリーの要素も。よく読むとイスマエルがタイピストという伏線もきちんとあって。とてもおもしろく読みました。

プルメリア:フォスターさんとペリーコの話なのかなと思ったら、違っていました。イスマエルさんがとてもおもしろい人で、フォスターさんとも仲良しという設定、おもしろかったです。ペリーコの葛藤がいろいろな場面であるのだけれど、ストーリーがゆっくり進むので、とても読みやすかったです。フェルミンさんもやさしい。素敵な大人がとてもよかったです。署長さんも最後のほうでよくなってくる。ただお父さんは最後まで冷たくて、気になりました。子どもたちはどのように読みとるのかなと思いました。

アカシア:写真を撮るということがただシャッターを押すだけではなく、そこに写す人があらわれるのだとか、久しぶりにイスマエルの家を訪れたビスコーチョとイスマエルとのやりとりとか、よく描けているなあと思いました。ただ、イギリスとかアメリカの児童文学を読みすぎているせいか、違和感を感じるところもありました。書き方の文法が違うというか。たとえば、この本ではかなり早い時期に偽札作りの犯人はポルトガル兄弟だということが読者にもペリーコにもわかってしまう。でも、その後署長がフォスターさんやイスマエルを疑ってどうこうするということがペリーコの視点でずっと書かれ続けるので、だれてくる。それからイスマエルは文字が読めない・書けないというふりをしているのだから、ドアに「洗い場にいる」なんていう張り紙をするのは変です。またお父さんがペリーコを置いて漁に出てしまいますが、その期間もある箇所では数週間と書いてあるかと思うと、二週間もあり、一週間と書いてある箇所もある。現実には発語している人が違えばそういうことはあるけど、作品の中では統一しておいたほうが読者は戸惑わない。それからフォスターさんと会ってペリーコが英語で話したと言っているのですが、ほかの英語の部分はルビになっているのにここはなっていないので、何という言葉をペリーコが言ったのかわかりません。ペリーコが偽札を手に入れたのは4時だと書いてありますが、どうしてすぐにお父さんのためのお金を払いにいかないのかな? もう役所は閉まってるのかな? など、読んでいてちょっと落ち着かない部分がありました。

ダンテス:一年前に来日したカンシーノさんに直接お会いして、サインもらいました(とサイン本を見せる)。少年の主人公は父子家庭であまりかまってもらえなかったのが、フォスターさんとの出会いで、世界が広がっていく話です。同年代の女の子との微妙な関係などよく書けています。スペインフランコの独裁政権の時代の話とあとがきにありましたが、割合のんびりしていて、そういうもんだったのかなと思いながら読みました。そういう時代ではあったけれど、希望が表現されていて、明るいイメージを持ちました。気になったのは、クジラの出てくる最後のシーン。エフレンが写真に一緒に入る。ここをどう考えたらいいんでしょうか? 筆者の前向きな姿勢の表れでしょうか。

ajian:最後の皆で写真を撮るシーン、僕は、こういうところが定型から外れている感じがして、おもしろいなと思いました。地味でゆっくりしている小説ですが、少年がフォスターさんに出会って、成長している様子をていねいに書いてあるのがいいです。時代や地域についてあまり詳しくないので、そこだけ読んでも味わえました。べジータって、女の子の名前なんですね。

宇野:ベジータというのは、ベーリャ(きれいな)という形容詞に示小辞がついた形で、「かわいい子」「きれいな子」という意味があるんです。

ajian:それから、イシュマエルという名前、これは『白鯨』にも出てきますが、あまり一般的な名前ではないとどこかで読んだことがあります。

宇野:だから使ったのかも。

ajian:作中にちらっと出てきて、作者も好きだというヒメネスの『プラテーロとわたし』は最近復刊されましたね。

宇野:みなさん、私がいるので遠慮したのか、ひかえめに言ってくれたようで(笑)。アカシアさんから指摘のあった、イスマエルがメモを貼っておくシーンなどは、訳すときに私も、これでいいのかと思って、作者に問い合わせました。ご本人はまったく気にしていなくて、確かに英語圏の作品とは文法が違うと感じるところがありました。けれど、この話は最初に読んだときから、お父さんにかまわれず、ネグレクトされているようなペリーコが、自分で自分を納得させながら生きる道を探るところ、まわりの大人がそれとなく助けてあげるところが好きで、日本の子どもにも紹介したいと思いました。最後までお父さんはろくでもないんですけど、それはそれでリアリティがありますよね。主人公は写真やフォスターさんやイスマエルと出会って、何とか生きのびていく……それがいいなと。時代はフランコ独裁下の難しい時代。作者自身が育った時代が、こんなふうだったのでしょう。あるインターネット書店のサイトのレビューで、ペリーコに時代のことをもっとはっきり話すべきではという意見があったんですけど、私はそれはできなかったのだと思っています。物語の中では、だれとかはフランコ側、だれとかは反フランコとは決してだれも公言しません。口に出してしまうと、だれがだれを傷つけることになるか、いつ自分が報復されないともわからない時代だったから、そういうことは表だっては決して口にされない時代だったのだと私は理解していますし、当時の子どもだって、そういうことは敏感に感じとっていたはずです。あと、私はこれは和解の物語だと思っています。カンシーノは人は責めないんです。権力側の怖いエフレンも、ときどきこっけいなところがあったりと多面的に描いてます。人は完璧ではないからね、と著者はおおらかです。最後のクジラの前で写真を撮るところは、ふたつに分かれてしまったスペインの葛藤の中にありながらも、赦しあえる未来のスペインを示唆しているようで好きなシーンです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)


僕は、そして僕たちはどう生きるか

梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
梨木香歩/著 
理論社
2011

メリーさん:「裏庭」や「西の魔女が死んだ」など、梨木さんの作品は大好きでよく読んでいるのですが、今回はちょっと残念でした。著者の世界である植物や、個性的な登場人物が出てはくるのですが、それが生きておらず、むやみに理屈っぽくなっている印象を受けました。戦争についての記述も何だか鼻につく。本文中に、ある児童書と出版社について書いてあるのですが、説得力のある議論になっていないように感じました。自分の頭で考える、というテーマを書くにしても、同じ素材で、いつものように物語を書いたらもっといいものになったのでは?と思いました。

ajian:いつになったらおもしろくなるのかなと思っていたけど、最後まで面白くなくて……。もし何か世間に対して言いたいことがあるなら、レポート用紙一枚ぐらいの文章にまとめて来てくれませんかという感じです。色々なことが詰め込まれたまま未消化になっていて、言い方は失礼なんですけど、できのよくない持込原稿を読んでいるみたいで、読み通すのに苦労しました。
作品中で、理論社の<よりみちパンセ>のなかの、バクシーシ山下の本が、名前は伏せたまま、わかる人にはわかる形で批判されていますが、参考文献にもあがっていないですね。こういうことを、相手にとどかないところで吠えていても、あまり意味がないんじゃないでしょうか。鳥を食べる先生の話にしても、批判の仕方が短絡的というか、批判の対象として取り上げるものの取り上げ方が、フェアじゃないと思います。作家の気に入らないものを、あえてゆがめて書いているようで……。
 コペル君の言葉遣いも、作品中で「子どもにしては生意気だとよくいわれる」と一応言い訳はされていますが、それにしても難しい。作家の作品ではあるけれど、少なくとも、子どもに向かって書かれた児童書ではないですね。巻頭に掲げられた言葉から、個人と群れというのが一つのテーマなのだと推察されます。流れに流される弱いところは、だれにでもありますが、そんなことは大前提なのであって、そこを見詰めて傷ついていたってしょうがないでしょう。その上でどうするか、ということが大事なんであって。もとは連載だそうですね。あるいは、連載中に気に入らなかったことを色々いれてみたということなのかも? まとまりがあんまり感じられず……。

ダンテス:この本は、割合楽しんで読めました。3点、話したいと思います。一つ目。この本には様々な要素が織り込まれています。まず自然、植物の知識など、博識というべきものです。自然とともに生きるという梨木さんの姿勢の表れでしょう。とても私は追いつきませんが。登場人物の少年も土壌生物についての興味がある。確かに変わっている少年でしょうが、その手の中学生もいますよ。で、それなりに私から見るとリアリティがあると感じられます。屋根裏にある戦争前の書物を読みこんでいるという話。インジャの話ですが、だまされて身体も精神も傷つくという話。それから良心的兵役拒否のこと。命の授業については、一時はやりました。たまたま研究会でそれをやっている人の発表を聞いたことがありますが、非常にいやだった。子どもがどうして生まれたかを赤裸々に説明し、「お父さん、お母さん、セックスしてくれてありがとう」と言わせる。それはおかしいでしょう。デリカシーがなさすぎます。鶏を食べる というところについては、先生が生徒の家から鶏をもらえると誤解していたという設定でしょうか。この作品に出てくる先生は、二番煎じで最初に本気で実践した人のまねをしただけ。こういう先生もいそうです。そして、オーストラリアのアボリジニについても。色々な要素を盛り込みすぎかもしれませんが、そこをプラスと見るかマイナスと見るかで本への評価が変ってくるのでしょう。私 にとっては、それなりにおもしろかったです。
 二つ目は、この本の題名を見て、吉野源三郎の『きみたちはどう生きるか』がベースになっているのは間違いないと思って、本当に久しぶりに読み返してみました。戦前に書かれた本で、検閲とか厳しい時代に軍部から文句を言われない範囲で、自分の考えを持つように、人としてあるべき姿ということがきちんと書かれている。梨木さんの、吉野さんの本への評価、褒めていること・・・オマージュとでも言うべきでしょうか。あるいは、吉野さんの本を受けて、では現代の若者はどう生きるべきか、それを伝えたかったの でしょうか。
 三つ目は、インジャの話。よりみちパンセの中の一冊の本についての話を、数日前にある司書さんから聞きました。読書界では結構話題になったんですか。梨木さんが理論社に喧嘩をふっかけた、なんていう話も聞きました。よくわかりません。一方インジャが自然の中で癒されようとしている、という設定もわかる。ゆるいつながりの仲間としてこれ から生きていけるのかなあという希望を持たせた終わり方になっていると思います。

アカシア:ある中学校の先生が「この本はとてもいい本ですね」と言っているのを聞きました。ダンテス先生も評価しておいでです。どうも学校の先生たちはこういう本がお好きなようですね。私はあまりおもしろくありませんでした。というのは、作家が自分を感受性の強い若者と同じところに置いて、感受性の鈍くなった者たちに向かって説教しているような気がしたからです。それに、どこにもユーモアがない。ユージーンの担任がかわいがっていた鶏を学校で殺して食べるという設定は疑問でした。こんな先生が本当にいるとは思えなかったんです。それに、そこでユージーンの気持ちを推し量れなかったとコペルが自責の念に駆られる場面も、なんだかなあ。出てくる子どもたちに勢いがなくてどの子も老成してる。嫌な気分になりました。

ajian:結局この子たちって、梨木さんの言いたいことを言ってるだけなんですよね。

プルメリア:名前がコペルくん、ということで、吉野源三郎さんの作品を思い出しました。視点がすごくおもしろく世界が広がっていったので、今も心に残っています。梨木さんは、すごく好きなんですが、よもぎだんごが出てくるのは、無理っぽいかな。鶏のことについては、今はありませんが何年か前、テレビニュースで「命をいただく」というテーマで小学校の学級で育てた鶏を子どもたちが食べる放送がありました。数年前に学級で豚を育て子どもたちの意見で内容が展開していく映画『ブタがいた教室』を見たことがあります。これは、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』(黒田恭史著 ミネルヴァ書房)『豚のPちゃんと32人の小学生〜命の授業900日』(ミネルヴァ書房 2003年)を原案とした日本映画です。鶏とは設定がちがいますが、梨木さんは育てた鶏を食べることはおかしいと思って作品に入れていったのかな。学校は最近、食育に植物を育てて食べる内容も含むようになっています。また人間であれば、おじいちゃんおばあちゃんからつながっている命の授業も取り入れています。教育界も波がありますからね。p273〜274は子どもたちに向けたメッセージとして読みました。

うさこ:『りかさん』『蟹塚縁起』など、梨木さんの作品は結構好きなほうです。これはタイトルが哲学っぽくて、どんな内容なのか興味を持って読み進めました。でも、読み終わった後で、感想が出てこない自分がいたんです。コペルくん、ユージンは中学生で一人暮らしだし、隠れているインジャの設定はありえないと思い、ここらあたりとても違和感がありました。主張と批判が繰り返し出てくる本でもあるな、と。よりみちパンセの引用の部分もかなり異質な感じがありました。理論社から出ている本を批判できたのは、理論社から出す自分の本の中だからできたことなのでしょうか。いいなと思ったのは、「自分の頭で考えろ」というところかな。鶏のところは、あまりにも作りすぎている気がしていましたが、今、現実にもありえると聞いて、それを練りこんだのかなと思いました。

宇野:「鶏を連れていくところまでしか読めていなくて、すみません。ここまで読んで思ったのは、こんなのありえるのかなあということ。こういう生き方もありと思えばいいんだと、ずっと自分に言い聞かせようとしたんですけど、違和感が消えませんでした。私の知っている中学生とはあまりにかけはなれているから。主人公もユージンも。その一方で、好きではないのに、このあとこの子たちがどうなるかを知りたいという気持ちが強くなって、最後までつきあって読みたいと思うのは、作者のうまさでしょう。テーマは、どんなふうにぶれないで自分を保っていけるか、ということでしょうか。戦争の時に洞穴に隠れていた人のこと、おばあさんが山の植生を守るところ、いろいろな話題が出てきて、これがどうおさまるか、最後まで読んで確かめたいです。

ajian:著者には批判したいことがおありなのでしょうが、それにしても短絡的で浅いと、みなさんの意見を聞いていて改めて思いました。バクシーシ山下の件なんて、ポルノなんてやっているいかがわしい連中で、いやだというぐらいの浅さ。鶏の件も、生徒の家で飼っていたペットを勝手に食べるなんて、そんなの悪いに決まってるじゃないですか。だから? っていう。

アカシア:子どもって、意外と先生の裏表を見てるから、コペル君だってよほどのぼんやり君じゃないかぎり、こんな担任の先生好きにならないと思うけどなあ。

ダンテス:生徒のうちからからもらってきた、くらいの認識だったんじゃないですか。もちろん誤解していたんでしょうけど。

プルメリア:学級で鶏をひよこから飼ってみんなで世話をし、ひよこが具合悪いと心配し、そして最後に食べるということです。テレビで見ましたが小学校で行っていたようです。今は行っていないと思いますが。

メリーさん:たぶん、そこまで深く考えていないですよね。話題がころころ変わるのも、元が連載だったからではないかと思います。それでは議論は深まらない。やっぱり小説を書けばよかったのではないかと思いました。

ダンテス:この作品の底流に常に流れているのは、無意識的全体主義に対する警鐘でしょうか。それに気をつけろということはずっと貫かれていると思います。

ajian:無意識的全体主義に気をつけろという、それ自体は、わかるし、共感もするんですけどね。でも、そういうことなら、2行でまとまりますよ。

三酉:私も、登場人物のだれにもシンパシーを感じなかった。ヒトラー・ユーゲントまで登場していろいろ盛りだくさんで、何しろ主人公はコペルくん。しかしどうしてコペルくんなのか、最後まで分からなかったです(吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』は、たしか中学校の校内放送で流していたと記憶しています)。タイトルが「僕は、僕たちは…」と、「僕」だけじゃないところはいいなあと思ったんですけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)


2011年12月 テーマ:自分と向き合うとき

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『2011年12月 テーマ:自分と向き合うとき』

 

日付 2011年12月22日
参加者 メリーさん、ajian、ダンテス、プルメリア、アカシア、うさこ、宇野、三酉
テーマ 自分と向き合うとき

読んだ本:

梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
梨木香歩/著 
理論社
2011

版元語録:やあ。よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ—『君たちはどう生きるか』の主人公にちなんで「コペル」と呼ばれる十四歳の僕。ある朝、染織家の叔父ノボちゃんがやって来て、学校に行くのをやめた親友ユージンに会いに行くことに…。そこから始まる、かけがえのない一日の物語。
エリアセル・カンシーノ『フォスターさんの郵便配達』
『フォスターさんの郵便配達』
原題:OK, SENOR FOSTER by Eliacer Cansino
エリアセル・カンシーノ/著 宇野和美/訳
偕成社
2010.11

版元語録:つい、うそばかりついて、学校にも行かない少年ペリーコ、村にただひとりのイギリス人フォスターさん。ふたりの出会いは、ペリーコの世界を大きく変えていく。一九六〇年代スペイン、海辺の村を舞台にえがかれるだれもが共感する、みずみずしい成長の物語。スペイン実力派作家のアランダール賞受賞作。
ベン・マイケルセン『スピリットベアにふれた島』
『スピリットベアにふれた島』 この地球を生きる子どもたち

原題:TOUCHING SPIRIT BEAR by Ben Mikaelsen, 2005
ベン・マイケルセン/著 原田勝/訳
鈴木出版
2010.09

版元語録:15歳の少年が引き起こした傷害事件。過ちから立ち直ってゆく少年の成長を描きながら、犯罪にどう向き合うかを考える意欲作!

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2011年11月 テーマ:科学好きの少年・少女

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『2011年11月 テーマ:科学好きの少年・少女』
日付 2011年11月24日
参加者 御茶、トム、ルパン、サンザシ、プルメリア、げた、モフモフ、すあま、メリーさん
テーマ 科学好きの少年・少女

読んだ本:

加納朋子『少年少女飛行倶楽部』
『少年少女飛行倶楽部』
原題:(文春文庫 2011)
加納朋子/著
文藝春秋
2009.04

版元語録:中学1年生の海月が幼馴染の樹絵里に誘われて入部したのは「飛行クラブ」。メンバーは2年生の変人部長・神、通称カミサマをはじめとするワケあり部員たち。果たして、空に舞い上がれるか!?
ホーマー・ヒッカム・ジュニア『ロケットボーイズ』
『ロケット・ボーイズ(上・下)』
原題:ROCKET BOYS by Homer H. Hickam Jr.,1998
ホーマー・ヒッカム・ジュニア/著 武者圭子/訳
草思社
1999/2000

版元語録:のちにNASAのエンジニアになった著者が、ロケットづくりを通して成長を遂げていった青春時代をつづる、感動の自伝。夜空を見上げ、その輝きに魅せられた落ちこぼれ高校生四人組は考えた??このままこの炭鉱町の平凡な高校生のままでいいのか?
ジャクリーン・ケリー『ダーウィンと出会った夏』
『ダーウィンと出会った夏』
原題:THE EVOLUTION OF CALPURNIA TATE by Jacqueline Kelly,2009
ジャクリーン・ケリー/著 斎藤倫子/訳
ほるぷ出版
2011.07

版元語録:11歳のキャルパーニアは変わり者のおじいちゃんの「共同研究者」となる。実験や観察をかさねるうち、しだいに科学のおもしろさにひかれていくが……。

(さらに…)

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ダーウィンと出会った夏

ジャクリーン・ケリー『ダーウィンと出会った夏』
『ダーウィンと出会った夏』
ジャクリーン・ケリー/著 斎藤倫子/訳
ほるぷ出版
2011.07

トム:近くの図書館の蔵書11冊がすべて貸出中でした。ダーウィンの『種の起源』がこういう時代の中に登場したのかと知りました。各章のはじめにある文章は言い回しがむずかしい。虫の名前などは、可能ならば日本名があるとよいのでは。キャルパーニアが自分の好奇心をどんどんふくらませてゆく姿と、求められる生き方への疑問と2つのテーマが拮抗していきますが、主人公の自然との出会いとその生き生きした様子にズンズン惹きつけられました。いつのまにかキャルパーニアを応援していたのかも。お祖父さんの存在は巨きくて深い! 主人公が「この世界のどこに私の居場所があるのだろう」と考えた時に「なにかを好きだと思うことより理解することの方が大切」というお祖父さんの言葉を思い出す場面がありましたが、よくかみしめてみたい言葉です。

ルパン:すみません、まだ途中までしか読めていないんですが……最初はちょっとおもしろくないような気がしたのですが、どんどんおもしろくなってきています。またまたですが、この作品でも、お母さんがいいなと思いました。こういう女の子になってほしい、という願望を押しつけてくるところがあるけれど、このお母さんの気持ちもわかるなぁと感じました。

プルメリア:今年の夏休みに読みました。題名と表紙が目につき、手に取りました。読みやすかったです。おじいさんと少女の交流の中で、身近な自然科学に関する話がたくさんあるのですが、コウモリが登場している部分は楽しく読みました。戦争の悲惨さ、人種差別などアメリカの時代背景、当時の人々の生活スタイルも分かりやすく書かれていました。今現在、アメリカは女性の地位が確立されていますが、主人公が子どものころはまだそういう姿はなく、これからの時代は女性も前に出て地位を作っていこうとするたくましい生き方が表れているところがとても素敵で、ぜひこの生き方を読者に知ってもらいたいなと思いました。作者はお医者さんだけれど、虫や植物が好きで、自然に目がいく人。いろいろな物をよく観察していて、私たちも見たことのある身近な自然界の生き物が登場してくる作品なので、長編でも読ませるものになっていると思いました。

サンザシ:翻訳がうまいなと思いました。女の子は思い切って好きなことができない時代で、親たちは刺繍や料理を習得しろと行ったり、社交界にデビューさせようとするわけですが、コーリー(キャルパーニア)がなんとかがんばって自分の道を歩こうとする様子がよく書けていました。私の友人に、息子と一緒にチャボを卵から育てた人がいるんですね。その人の話がとってもおもしろいんです。子どもの好奇心をお母さんである友人がとてもうまくのばしていく。それでとうとう卵から孵化して家族同様にそのチャボと暮らし、死まで看取るんです。その話を聞いていると、私にはとてもできないな、と思うわけです。時間も知識も忍耐力も必要になりますもんね。その友人のようなお母さんや、この本に出て来るおじいさんのような人がいて初めて、子どもの科学への好奇心は育つのかもしれないなあと思います。この作品に出て来るおじいさんは、時間的にも自由で、精神的にも縛られていない。しょっちゅう自然の中に出かけていき、ついてきた孫娘に、目に触れる生き物についていろいろな話をしてくれる。そういう家族がそばにいて、コーリーは幸せでしたね。おじいさんだけでなく、兄弟たちそれぞれのエピソードにもユーモアがあり、楽しく読めます。コーリーが祖父の話を聞いて、どんどん科学的な見方を獲得していく過程もリアルに書かれています。自然科学の分野はとっつきにくいと思っている子どもでも、こういう物語から入れば大いに興味をもつようになり、理科離れも食い止められるのかもしれませんね。

げた:この本の扱っている年代は今から100年前で、この時代の女性は良妻賢母になることが求められているのだけど、それから解放されて、自立した女性になることが一つの重要なテーマになっているんですね。アメリカで国内の戦争といえば、南北戦争で、この本の時代の30数年前に起こったのだけど、主人公の女の子を科学に導いたおじいちゃんも南北戦争に従軍してたんですよね。意外だったのは、アメリカで女性参政権が得られたのは1920年でそんなに前じゃないということですね。日本語のタイトルは原題よりもおしゃれですね。キャルパーニアは7人きょうだいなんだけど、おじいちゃんが科学の道に導こうとしたのは、たまたまキャルパーニアだったわけで、キャルパーニアでなくてもよかったのかもしれないですね。科学の道に進むのは男も女も関係ないんだよということかな。いやいやながら、共進会の作品展に出品した手芸品が3位になっちゃった話がおもしろかったな。科学好きの女の子をテーマにした本ということで選びました。

モフモフ:この作品で、おじいさんが主人公の協力者になっていますが、子どもの好奇心や才能の芽生えには、それに寄り添って伴走してくれる人が大切なのだと思います。必ずしも親や家族でなくていいのですが。

すあま:お母さんと子どもの関係でいうと、自分が舞踏会に行けなかったからそれを娘に託してしまっている。ユーモアもたくさんあって、刺繍のコンテストのエピソードもおもしろかった。世紀が変わるということで、考え方が変わっている時代をとりあげているんですね。とても読後感が良いです。

メリーさん:自然とそこで暮らす人々の細部までが描かれていて、とても楽しく読みました。私自身はまったくの文系で、自然科学には詳しくないのですが、主人公の考え方に共感できるのは、主人公が物ごとを本当によく観察しているからではないかと思いました。季節、自然、友人のことも、科学の目は物ごとをきちんと観察することから始まります。それが、ディテールをきちんと描くことにつながっているのではないかと。主人公の台詞「自然界では美しくするのはオスの方なのに、人間はなぜ女性の方が着飾らないといけないのか」なんていうセリフはとてもおもしろい。物語の最後の場面で、彼女は外の世界を見て家の外へ飛び出していきますが、またすぐに家をみつめて帰ってくる。この物語の心地よさは、この、家を大切にして地に足をつけている感覚なのかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


ロケット・ボーイズ(上・下)

ホーマー・ヒッカム・ジュニア『ロケットボーイズ』
『ロケット・ボーイズ(上・下)』
ホーマー・ヒッカム・ジュニア/著 武者圭子/訳
草思社
1999/2000

モフモフ:作品の密度が濃くて読み飛ばせなかったので、読み終わるまでに時間がかかりました。知らなかったのですが、ロケット開発の最初の時期はアメリカよりもロシアのほうが先行していたのですね。作品中で描かれているように、アメリカの学校ではカリキュラムを変更したりして、ロシアに後れをとったことがそんなにショックだったのかと感慨深かったです。上巻と下巻では主人公の立ち位置がおちこぼれから、みんなに認められる町のヒーローに変わっていって、立身出世の物語のような感じもあり、ぎくしゃくしていた父親と主人公の関係も、どうなるんだろうと思いながら読み進めました。お父さんは、たたき上げの炭鉱の監督で、炭鉱で起きるすべてのことに責任を感じるような人。肺の病気もあるし、落盤事故の怪我もあるし、満身創痍ですよね。当時の炭鉱町の様子、そこで生きる人間は、こんなふうに考えていたのかと新鮮でもありました。

げた:たまたま、なんですけどね、今回のとりあげた本の年代は大体50年きざみになっています。この本の時代は今から50年前です。アメリカとソ連が鎬を削りあっている頃で、アメリカがソ連には負けないぞという頼もしさが伝わってきました。ここのところ、この会でとりあげられている本が、厳しい状況におかれた子どもたちを扱ったものが続いたので、楽しく生き生きとした子どもを扱ったこちらの本を選書係として選ばせてもらいました。最初はプラスチックの模型飛行機に癇癪玉を詰めただけのロケットから、最後の微分積分などで計算して作られたロケットにまで到達したというのがすごいな。しかもこれは実話なんですよね。考えてみると、2、3年の間にこんなことができたのがすごいですね。この年代の普通の男の子らしく、女の子に対する興味もおもしろく描かれていましたね。ドロシーに寄せる恋心も興味深かったな。とにかくおもしろかったです。上下巻2冊で分量はそこそこあるけど高校生くらいなら読めるし読んでほしいな。

サンザシ:すごくおもしろかった。映画も本も知らなかったんですが。下巻は2か月で7刷りまでいっているので、売れているのかなと思います。どこまで自伝なのかわかりませんがノンフィクションだから書けるところや重みもあるんでしょうね。この人は技術者だからお鍋やストーブをだめにしちゃうのもリアルに書かれているし、そういうのを許すお母さんはすごい人だなと思いました。仲が悪そうなのに良いところもあるし、お金も貯めていてすごい、なかなかこうはいかないだろうなと思いました。大人らしい大人がいっぱい出てくる作品だと思いました、今は大人らしい大人は少ない。ロケットのノーズコーンはこうだ、お酒はこうだ、とアドバイスをくれたり、大人が反対してくれたり、子どもにとっても良い時代だったと思ったりもしました。アメリカだけじゃなくてアフリカにも、学校に行けなくなったけど自分でゴミ捨て場から拾ってきた材料で風車をつくった少年がいて、『風をつかまえた少年』(ウィリアム・カムクワンバ&ブライアン・ミーラー著 田口俊樹訳 文藝春秋)という本を書いています。子どもはそういう力を持ってるんでしょうけど、常識的な親が芽を摘んじゃうこともあるでしょうし、環境も良かったんだろうなと思います。最後のお父さんの残したのも良かった。

プルメリア:上・下の2巻構成 活字もたくさんですが、作品に入り込み、一気に読みました。実話だったからこそ内容がわかりやすくとてもおもしろかったです。主人公の父親の責任感ある行動力がすばらしく、偉大さがあり、立派だなと思いました。周りの人々が少年たちの実験をなんとなく見守ってくれるのもこの時代だからこそだなと感じました。今の子ども達はやりたいことがあってもなかなか実行できず終わってしまうケースが多いですが、この少年たちからは周りの人々に支えられながら頑張っていく意欲や熱意が伝わってきます。一つ一つの積み重ねの実験が大きな成功に結びついていくんだなと思いました。スペースシャトルに関する土井さん(素敵なマスク!)の話はわかりやすく、全体のストーリー構成のつながりも良く、スケールの大きな話でした。

ルパン:めちゃくちゃおもしろかったです。この会に参加させていただくようになってから、読んだことない本をたくさん読む機会ができてうれしいです。この作品を読んで、ボブ・グリーンの『十七歳』(文藝春秋)を思い出しました。実話ゆえのドキドキ感がちょっと似ています。主人公はこんな素敵な男の子なのに、好きな女の子を最後まで振り向かせられないところも。この作品もお母さんがいいと思いました。昔のBFが現れ、かつての恋敵が立派になって帰ってきたのを見たお父さんが「選び方をまちがえたな」と言ったとき、「ちゃんと正しい方を選んだわ」というシーンは素敵でした。ちょうど、最近になって理系のおもしろさに目覚めたところでもありました。理系の人はたぶん、文系の人よりもロマンティストですよね。『ロケットボーイズ』のような息子がいたら、きっと息子が恋人になっちゃうと思います。

トム:ソ連とアメリカの国の競争が炭鉱の町に住む少年にまで響いていることにびっくり! 同じころ日本も石炭がエネルギー源で、炭鉱の落盤事故ニュースにくぎづけになったことを思い出しました。あ〜アメリカもそうだったんだなぁと思いました。お父さんの危険と背中合わせの強い生き方、不安を見せないお母さんの逞しさも強い! ロケットボーイズのまわりで、彼らを押さえようとする人がいるなかで、やがて皆応援していくのはアメリカなんだろうなと思いました。おもしろかったです。物語を読んでいくと、エネルギーの変化やアメリカのロケット開発にドイツ人のブラウン博士がかかわっていること、それから炭鉱でひっそり働くバイコフスキーさんはユダヤ人らしいことなど時代の波を感じました。本は何度でも手にとれるので、いつか読み返した時、またいろいろ考える手がかりが埋まっている良い本だと思いました。この少年がもし物理の先生にだったら私は赤点取らなかったかも。

御茶:すみません上巻しか借りられていないのですが、17ページのペンテコステ派、メソジスト派、バプティスト派など、宗教がころころ変わっていくのはすごいことだなと思いました。戦争の時に石炭を必要とするのはどこも一緒なのだなと思いました。日本も女性を炭坑にかりだして女炭夫さんという方々もいたなと思い出しました。上巻まではロケットを飛ばすための助け合いや、友情は少なく、『少年少女飛行倶楽部』の方が描かれているなぁと思いました。男の子の視点で書かれているのですっきりしているなと思いました。

メリーさん:上下とボリュームのある物語ですが、とてもおもしろかったです。炭鉱の街の描写を背景に、主人公たちのロケットにかける青春を描く重層的な物語。文章は映像的で、特に下巻、主人公がチームを引っ張っていくようになってからぐいぐい引き込まれました。個人的に興味を持って読んだのが、父親との関係。父子というのは、ある意味で永遠の課題です。息子は父親のことが目の前に立ちはだかっている壁のように見えるのだけれど、父親も息子との距離をはかりかねている。父は、次男である主人公にかなりつらくあたるのだけれど、自分が命をかけている炭鉱を見せたり、主人公が行き詰っているときにはぽんと材料をくれたりと、気にかけている様子がところどころにはさまれる。一面的ではなく、善悪両面があるという描写にリアリティを感じました。息子は、最終的に父親を乗り越えるわけではなく違った道を見つけ出して選ぶ、そして父親を理解していくというのがとてもいいなと思いました。

すあま:映画を先に見ていて、あらめて読みました。スプートニクショックというのがアメリカにとってどうだったかというのを授業でも習っていたのですが、本当に大きな衝撃だったのだなと分かりました。科学コンテストの話は『ニンジャx ピラニア x ガリレオ』(グレッグ・ライティック・スミス著 小田島則子&恒志訳 ポプラ社)を思い出しました。科学をやらねばということで学校でも教育が見直されて国をあげてやっていったことが分かります。どんどん不景気になっていく炭鉱の町では、ロケットが未来に向けた希望だったのでは。馬鹿にしていたのに意外と上手くいって希望の光になっていったんだなと感じました。いろんな人がで登場しますが、親子、夫婦、兄弟、友達の関係もていねいに書かれていました。この作品は子ども時代の話ですが図書館では伝記の棚に入っていました。だけど、フィクションや小説、文学作品と言って良いのではないかな。『ロケットボーイズ2』というのも出ていますよ。

モフモフ:NASAの技術者の自伝的な作品ですが、ゴーストライターがいるのかと思うほど、細かな描写や構成がうまいです。下巻では自分のことを人気者でヒーローという感じで書いていますが、日本なら謙遜が入りそうなところだと思いました。

げた:この作品を教えてくれた人がいるんですけど、『ロケットボーイズ2』はあんまりおもしろくないって話だったので、まだ読んでません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


少年少女飛行倶楽部

加納朋子『少年少女飛行倶楽部』
『少年少女飛行倶楽部』
加納朋子/著
文藝春秋
2009.04

御茶:おもしろいですし、愛情や友情もしっかり描かれていていいと思いました。すごくさわやかです。絵もいいです。主人公の心のツッコミがツボにハマりました。「るなるな」が最後にピンチになっていた所は、最後を盛り上げるために作為的な感じがして、もう少しひねりがほしかったなと思いました。

トム:一番はじめ表紙を見て「劇画風物語かな?」という印象。色々なキャラクターを演じるように、若者たちが次々登場しますけれど、お互いに気を使いあう関係が痛々しい気がして……。他の2冊で描かれる友だち関係とはずいぶん違う。時代も国も違うけれど……やはり今の日本の若い人の物語なのかな。飛行というテーマで進んでゆきますが、最後はちょっと無理があるかも。

ルパン:「道具や乗り物を使わない」というのがクラブの規約なんですが、最後は熱気球を使って飛びますよね。気球は道具じゃないのかなあ、と思っちゃいました。風船おじさんの話が出てくるのですが、その行動の愚かさ、切なさは語られてなくて残念。でも、作家はもしかしたら風船おじさんをヒントにこのお話を書いたかもしれないと思いました。登場人物のなかでは、イライザが一番よくかけていたし、いいですね。お母さんも良かったです。『ロケットボーイズ』がおもしろすぎたせいか、ちょっとうーんと思いましたが……。あと、どうして題名だけ漢字を使っているのかなと思いました。文中はぜんぶ片仮名で『飛行クラブ』だったので。

プルメリア:本を手にしてもあまり進まなかったです。現実的に書かれている内容なのですが、非現実的な感じで、ちょっと読みにくい本だった。飛ぶという設定はわかりますが……。登場人物それぞれの性格がわかりやすく書かれているように見えますが、気球が飛ぶところは、なんだか現実から離れた感じがしました。

サンザシ:文庫本で読みました。お互いの関係を探り合う中学生の関係とか、いろんな立場の子どもの思いなどが出て来て、悪くないと思いました。熱気球はなかなか魅力的なアイテムなので、もっと詳しく書いてくれると地に足のついた作品になったと思います。日本の作家は人間同士のやりとりとか微妙な心模様を書くのはうまいし、身のまわりの隅々にまで目が行くと思うけど、それから先にまでは広がらない。他の2作品とは視点が違うなと思いました。

げた:科学好きの子どもっていう題材の本が、日本の本ではなかなかみつけられなかったんですよ。ちょっと、テーマからはずれちゃったって感じですね。科学的な探究の末に空を飛ぶ、なんてことにはなっていないですもんね。でも、空を飛ぶという目的の部活を通して、中学生がお互いの人間性をみつめて、仲間のもうひとつ別の人間性をみつけ、成長していく様子はおもしろく読めました。最初に登場人物のおもしろい名前の紹介をつかみにして、読み進みやすい感じだと思いますよ。最後の部分は荒唐無稽で、あり得ない話になっているけれど、映画にしたらよさそうですよね。青春小説として楽しく読めました。

モフモフ:おもしろく読みました。ちょっと本を読んでみようかという若い読者にはちょうどよいのではないでしょうか。最初の飛行倶楽部の宣言(理想の飛行は、ピーターパン!?)を見てどうなるんだろうと思ったけれど、現実にできそうな熱気球に落ち着いて、なるほどと思いました。連載をまとめた本ですが、最初から熱気球と決めていたのか気になります。

メリーさん:加納朋子さんの作品は大好きでけっこう読んでいます。日常の謎を解く、コージーミステリーがとてもおもしろい。そんな中で、今回はちょっとこれまでと路線が違うなと思いました。子どもたちの青春群像という感じ。主人公は「ちびまる子ちゃん」のような性格で、世の中をちょっと斜めから見ている感じがするけれど、やはり心は素直。部長が、自分は姉の面倒をみるために生まれてきたということに対して、泣きながらそれは違うと言うシーンは、とてもよかったです。結末はリアルではないけれど、部活ならではの一体感があって、やった!という達成感を感じました。全体的にさらっと読めておもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


くまさんのまほうのえんぴつ

アンソニー・ブラウンとこどもたち『くまさんのまほうのえんぴつ』さくまゆみこ訳
『くまさんのまほうのえんぴつ』
アンソニー・ブラウンと子どもたち作 さくまゆみこ訳
BL出版
2011.10

イギリスの絵本。栄えあるチルドレンズ・ローリエトのアンソニー・ブラウンが、子どもたちと一緒に作り上げた絵本です。子どもらしい発想に満ちています。絶滅しそうな動物たちも、魔法の鉛筆でなんとか助けられるといいな。そういえばアンソニー・ブラウンが大好きなゴリラも絶滅危惧種ですね。この絵本にも登場していますよ。
(編集:渡邉侑子さん)

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<子どもと一緒に作った絵本>

子どもとのやりとりの中から生まれた本はたくさんあります。ルイス・キャロルは、勤めていた大学の学寮長の娘アリスをボートに乗せてピクニックに行く途中、即興で語ったお話を基にして、『不思議の国のアリス』を書きました。ケネス・グレアムは、自分の息子に夜寝る前にしてやったお話を後に整理して『たのしい川べ』を書きました。ビアトリクス・ポターは、かつての家庭教師の息子が病気だと聞いて、励ますために書いた絵手紙をほとんどそのまま使って、『ピーターラビットのおはなし』を作りました。どうもイギリスにはそのような伝統があるようですね。

さて、今回のこの絵本は、子どもたちとのやりとりを基にしただけでなく、子どもが描いた絵が使われています。「サン」という新聞が主催したコンテストに応募した子どもたちと、イギリスの絵本作家アンソニー・ブラウンが一緒に作った絵本なのです。ブラウンにはその前に『くまさんのおたすけえんぴつ』という絵本があって、何でも描くと本物になってしまう鉛筆が登場していました。同じ不思議な鉛筆が登場するという意味では、その続編です。

ちょっととぼけたくまさんが、悪い人間に捕まりそうになるたび、この不思議な鉛筆を使って、危機を脱出していきます。そのうち、くまさんは、自分だけでなく他の動物たちも助けようとがんばるようになるのです。この絵本がおもしろいのは、子どもたちが描いた絵と、大人の絵本作家が描いた絵が同じ画面に登場すること。子どもたちの想像力の豊かさは、プロの絵本作家をしのぐほどです。

イギリスには「チルドレンズ・ローリエト」という名誉な称号があります。ローリエトというのは本来、国を代表する「桂冠詩人」の称号ですが、こちらは国を代表する子どもの本の作家や画家で、2年ごとに選ばれます。アンソニー・ブラウンは、6代目の現在のチルドレンズ・ローリエト。8月末にロンドンで開かれた「子どもの本の世界大会」でも大活躍でした。わたしもこの大会に参加したので、お話を伺うと、「子どもたちとの本作りは、とっても楽しかったよ」と笑顔でおっしゃっていました。

(「子とともにゆう&ゆう」2012年10月号 通巻684号 愛知県教育振興会発行)


川のうた

ラングストン・ヒューズ詩 E.B.ルイス絵『川のうた』さくまゆみこ訳
『川のうた』
ラングストン・ヒューズ文 E.B.ルイス絵 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2011.10

アメリカの絵本。ラングストン・ヒューズのジャズの本や詩の本を、私は学生時代によく読んでいました。ヒューズは今でもアフリカ系の人たちの尊敬を集めているのですね。この詩は、いろいろな先輩が訳されているので自分なりの訳にするのに深く考えなくてはなりませんでした。絵もただ美しいだけではなく、そこからいろいろな思いが伝わってきます。
(装丁:城所潤さん 編集:相馬徹さん)

***

<紹介記事>

・「子どもの本棚」2012年6月号


宇宙の誕生 ビッグバンへの旅

『宇宙の誕生 ビッグバンへの旅』 ホーキング博士のスペースアドベンチャー3

ルーシー&スティーヴン・ホーキング著 さくまゆみこ訳 佐藤勝彦監修
岩崎書店
2011.10

3巻目で扱われているのは量子力学。最初はよくわからなくて、量子力学についての入門書を何冊か読みました。ホーキング博士の分身であるエリックのかつての敵、リーパーがまた登場してきます。リーパーやブラックホールをめぐる謎で読者を引っ張りつつ、「ヒッグス粒子」など最先端の科学知識についても披露しているというすごい本です。(装画・挿画:牧野千穂さん 装丁:坂川栄治さん+永井亜矢子さん 編集:板谷ひさ子さん)


2011年10月 テーマ:独立への意志

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『2011年10月 テーマ:独立への意志』
日付 2011年10月27日
参加者 ぼんた、ダンテス、おから、トム、プルメリア、アカザ、すあま、三酉、サンザシ
テーマ 独立への意志

読んだ本:

ヒネル・サレーム『父さんの銃』
『父さんの銃』
原題:LE FUSIL DE MON PERE by Hiner Saleem, 2004
ヒネル・サレーム/著 田久保麻里/訳
白水社
2007.06

版元語録:フセイン政権下の苛酷な状況で、次第にクルド人としての誇りと芸術に目覚めていく少年。そして、その家族たちの絆、故郷への熱い想い—。イラク出身のクルド人映画監督による、笑いと涙と希望にあふれた自伝的物語。
リンダ・スー・パーク『木槿の咲く庭:スンヒィとテヨルの物語』
『木槿(むくげ)の咲く庭〜スンヒィとテヨルの物語』
原題:WHEN MY NAME WAS KEOKO by Linda Sue Park, 2002
リンダ・スー・パーク/著 柳田由紀子/訳
新潮社
2006.06

版元語録:好奇心いっぱいで家族思いの10歳の妹スンヒィと、工作と飛行機が大好きで正義感の強い13歳の兄テヨル。日本統治下の朝鮮で、ありったけの知恵と勇気で生きた兄妹の、5年間の物語。
乙骨淑子『八月の太陽を』
『八月の太陽を』
乙骨淑子/著 滝平二郎/挿絵
理論社
1978

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八月の太陽を

乙骨淑子『八月の太陽を』
『八月の太陽を』
乙骨淑子/著 滝平二郎/挿絵
理論社
1978

アカザ:昔読んだときには感じなかったのですが、いま読んでみると講談のような語り口で書かれた作品だなあと感じました。そういえば、私が子どものころに読んだ物語は、こういう書き方をしていたものが多かったように記憶しています。語り口の力強さというか、もう一度見直してみてもいいのでは? 今回はテーマにあった本ということで、この作品が選ばれましたが、わたしは『ぴいちゃあしゃん』のほうが好きです。ぜひ、読み継いでいってもらいたい作家だと思っています。

トム:乙骨さんが心に描いた社会というものがどのようなものだったのか他の作品も読みながら考えてみたいです。

おから:すみません、あまり読めていなかったです。色がよく出てくる作品だなと思いました。何人種かというだけではなく物などの描写にも色が多用されているなと思います。人種の違いと利用価値があるかどうかということだけで待遇が違うのはおかしいと思います。あとはキリスト教の何の宗派なのかなど、そういう思想や文化的な面についても知りたいですし、読んでいて気になりました。

ルパン:今回は、この作品があるならぜひ来たいと思って来ました。乙骨淑子さんは私にとって特別なイメージのある作家です。子どものころ通っていた「ムーシカ文庫」では、大きい子向け本に茶色いシールが貼ってあったのですが、その代表格のひとつが乙骨作品でした。子ども心に、あれを読めるようになったら大人になれるんだ、というあこがれをもって見上げていました。今も傾きかけた午後の日ざしがさす文庫の部屋で見上げた、本棚の上の段の光景が目に浮かびます。なんだか『フランダースの犬』でネロが教会の礼拝堂で覆いのかかった絵を見上げているシーンみたいに(笑)。そのわりには、高学年になってついに読んだ『ぴいちゃあしゃん』のディティールは全然覚えていないんですが、今回この作品を読んで、「本当に女性が書いたのか」という骨太な感じを思い出しました。ここでまた乙骨作品と再会できてほんとうに良かったです。

ぼんた:乙骨さんのことは名前しか存じ上げなかったのですが、この小説を読んでもっと知りたくなりました。月報では映画監督のルイス・ブニュエルの手法を子どもの本に取り入れようとしていたと書かれていますが、そのような発想ができることにとても驚きました。

ダンテス:楽しく読ませて頂きました。内容的には明治時代にあったものをベースに調べて書いたそうで、それもすごいと思いました。黒人そして混血、白人の三つ巴ともいえる状況もよく書けているし、フランス革命などもからめてあって、大きな作品だなと思いました。ハイチという国についても新しく知ったことがたくさんありました。

三酉:私もハイチがこういう出自だったのか。還暦を迎えても勉強になりましたが、作品としては講談調というよりは紙芝居みたいだなと感じました。

すあま:タイトルの印象が堅く、手に取りにくかったです。実在の人物だったことにびっくりしました。フランス革命の話をよく子ども向きに書いたな、ということにも改めて驚かされました。今こういうのを書く人は少ないかもしれない。昔は子どもたちが伝記や大人向けの小説を子ども向けに書き直した本、骨太な作品を読んでいたと思いますが、今は子ども向けというと甘い感じの本が多い。今出したら違和感があるかもしれません。今使わなくなっている言葉もたくさん出てきますし。こういった、子どもたちの目が世界に開かれていくような本を誰かに書いてほしいです。

プルメリア:タイトルを見て日本の終戦の話かと思いましたが、目次で外国の話と分かりました。ハイチにおいての黒人と白人と混血の力関係というのが分かりましたし、みんなすごく力強く生きているのだなと思いました。目次がたくさんあるので作品を読ませていくのだなと思いました。ハイチについて情報がない中見てないことを書くのはすごいし、男性の考え方で書いたりするのはまたまたすごいなと思いました。紹介しないと子どもは読まないので歴史と一緒に手渡していきたいなって思いました。

サンザシ:私も乙骨さんの偉さはじゅうぶんわかっているつもりです。でもね、と今回思いました。皆さんは、学ぶことができたとおっしゃってますけど、この作品は、スローガンにとどまっているような気がします。もっと肉付けしてほしかったです。アフリカ語という言葉もおかしいし、登場人物が生きているリアルな人のように感じられないのでもっと生き生きと書いてほしかった。当時は情報もないし、乙骨さんが実際に現地にいらっしゃったわけではないので仕方ないとはいえ、どうしても絵空事。乙骨さんが自分も知りたいと思って書いおいでなのはわかるし、この時代に社会的視野を広くもたれているのはすごいと思いますが、私は、子どもが読むという視点を忘れたくないです。これを子どもの本として称賛してはいけないように思います。人間が人間として書かれていませんもの。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


木槿(むくげ)の咲く庭〜スンヒィとテヨルの物語

リンダ・スー・パーク『木槿の咲く庭:スンヒィとテヨルの物語』
『木槿(むくげ)の咲く庭〜スンヒィとテヨルの物語』
リンダ・スー・パーク/著 柳田由紀子/訳
新潮社
2006.06

すあま:おもしろかったです。兄と妹がそれぞれの視点で語る形式になっているのがよいと思いました。どちらかに共感しながら読むことができるので。創氏改名について取り上げ、当時日本政府が行ったことを子どもでも読めるような本として書いた本として、大事だと思います。スンヒィの気持ちもよく伝わってきました。著者は子どもの本を書いている人なので、せめてヤングアダルト向けとして手にとりやすい形で出版してほしかったと思います。

サンザシ:これも、子どもが主人公でも大人の本だろうなと思いました。事件が起こって読者をひきつけるのはかなり後ろになってからのこと。それまでは背景が書いてあって、大人は胸の痛い思いをして読むけど、歴史を知らない今の子どもたちに読ませるのは難しいかもしれません。メッセージ性のあるものは、それだけだと読ませるのが難しいですね。おもしろさで引きつけないと読まない。だから大人の本として出さざるを得ないという面もあるのかもしれません。それにしても、日本の作家はこういう問題についてなかなか書きませんね。なぜなんでしょう? こわいのかな? 韓国系アメリカ人のこの作家の本は、前に『モギ』(あすなろ書房)も読みましたね。あっちはもっと文学的でしたが。今、童心社で「日・中・韓平和絵本」というシリーズを出しています。先日、従軍慰安婦をテーマにした絵本をつくった韓国の画家が話されていたのを聞いたのですが、早く日本でも出るといいですね。史実と違うところがあると言われたりして、出版社はなかなか慎重になっているようですが。

アカザ:まず最初に感じたのは、日本の児童文学作家がどうして今までこのことを書かなかったのかということです。歴史の時間に習っただけでは、人間の痛み、苦しみや、体温のようなものが伝わって来ない。やはり文学として表現しないと…。日本の子どもにぜひ読ませたい作品です。まさに児童文学作家が、児童文学作品として書いた物語だと思います。子どもを主人公にすると、どうしても子どもが見たり、聞いたりする範囲のことしか書けなくなり、社会の全体像がとらえにくくなると思うのですが、この作品は語り手を兄と妹の2人にしたことで世界が少し広くなっていて、児童文学の手法としてとても上手なやりかただと思います。文学としては『父さんの銃』のほうが物語にふくらみというか、香りのようなものがあり優れていると思うのですが、日本の子どもたちだけでなく、大人にとっても大切な作品だと思いました。

トム:この話を若い人はどう読むのかな? 小学生の頃、長期欠席の友達(在日韓国人)を誘いに行った時に、彼女のおじいさんが日本の学校へは通わせないと怒った真っ赤な顔と、隣に居た彼女の苦しい表情が忘れられないでいます。今思えば、韓国の人の日本への恨みの深さを肌で感じたはじめての時だったと思います。登場人物の中で、アンさんというおばあさんが好きです! 日本語は使わぬまま、抗日運動をする人をかくまったり、食糧のない時に庭の柿を干してそっと隣人に渡したり、傍目には年をとった弱さと見えるものが、ほんとうはしなやかな強さになっている! 中学生の女子が集められるのは慰安婦ということでしょうか? 北へ行ったおじさんはその後どう暮らしているのか…今につながる問題を感じます。お兄さんが特攻隊を志願する動機は、私には今一つわかりにくかったけれど。

おから:スンヒィの視点とテヨルの視点で物語を書くことで位置関係が分かりやすくなっていますし、物語の深みが増していると思います。文化を守ることに何の意味や意義があるのか、なぜそこにプライドがあるのかというところは、私にはわからなかったので考えたのですが、それは先祖や家族を守るということにもつながっているのではないかなと思いました。

ルパン:すごくおもしろかったという言葉が合っているかは分からないですが、一気読みをするくらい「この先どうなるのかな」と思わせる本でした。本筋とは直接関係ないところですが、女子学生が校庭に集められるワンシーンが重くて…。主人公のお兄ちゃんは無事に帰ってきたのに、あの女の子たちが2度と帰ってこなかったことがとても悲しかったです。また、こんなに仲良い兄妹があるんだなぁ、と思いました。自分ももっと兄と仲良くしなくては(笑)。全体的に、日本人に気を遣って書いているのかな、と思わせるものがありました。実際はもっと日本人を憎む状況だと思うのですが…この子どもたちは寛大だと思いました。それから「どうせ朝鮮人には勇気がない」という会話を耳にしたあと、兄がむきになって特攻隊に志願したのは、日本の軍人の策略にはまってしまったんでしょうか? それともたまたまだったのかな…?

ぼんた:原語は英語でも、「アボジ(父)」や「オモニ(母)」といった言葉は韓国の言葉を使っているところがまず印象に残りました。英語で小説を書いていても、「父」や「母」といった身近な言葉は英語にはできないのかな、と。また、この小説の主人公は『父さんの銃』と同じように子どもですが、その子どもたちが親から何を受け継ぎ、何を伝えていくのだろうかということを読後考えさせられました。

ダンテス:日本軍にお兄ちゃんが志願するところは不自然に思われるかもしれませんが、飛行機が好きという伏線を張ってあります。文章全体が感情を抑えて淡々と書いたように見受けられました。日本人の立場からするとひどいことをやったのだと思います。学校では日本語を強制されるけれど、家では韓国語で話すという表現としてアボジという言葉を出したのかなと思いま す。むくげを刈り取れと言われる、食べ物もとられる、ひどい話です。日本人の憲兵などは何でも天皇陛下の御ためと言っていたのでしょうか。従軍慰安婦の問題もさりげなく書かれています。北朝鮮と韓国に別れ別れになった離散家族の問題も声高ではなく作品に出ています。日本語訳の本になると子ども向きではないかもしれない、けれど私の中では大人の本ではないと感じます。読書好きの中学3年生になら読ませられるでしょう。やはり作者は民族の誇りを失わないために書いているのでしょう。

三酉:とても良い作品で、日本人としては身につまされる。改めて、ここまでやったのかというのがあって、この年にして教えられてしまった。日本では、日韓併合の36年間について教えていません。中国との関係と含めて考えさせられた。『父さんの銃』も含め、こういう本があると大人に対してもある地域、ある歴史への入門書のような感じで本当に勉強になります。我々が世界を知っていくことにこういう方法があったかと思いました。お兄さんが帰ってきてお父さんが帰ってきて、めでたしめでたしで、しかしその数年後に朝鮮戦争が始まってますよね。そのきっかけを作ったのは日本だったと、ズシーンときますね。

プルメリア:厚い本の割には読みやすく、日本人が韓国の人たちに対して行った行為がひしひしと伝わり、苦痛の日々だったのだろうなと思いました。韓国の人が特攻隊になれた事実を初めて知りました。戦争が終わり戦死したと思われたお兄さんが帰ってきたことにほっとしました。物語が明るく終わりました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


父さんの銃

ヒネル・サレーム『父さんの銃』
『父さんの銃』
ヒネル・サレーム/著 田久保麻里/訳
白水社
2007.06

おから:私小説やエッセーのようなものかなと思って読みました。出来事を中心に書いているように思えますが、それによる心理描写は少ない。たとえば序盤で兵隊に殴られた後の気持ちの所です。その場面の後すぐに事件があったのは分かるのですが、事件が起こったことで自分がどう感じるのかもっと出さないと、ただの歴史を見るような気がしてしまうので、もう少し心理描写がほしいと思いました。また、プロットをぼんぼん見させられているように感じました。あとは作品中には権力の強さが表れていて、人が家畜のような扱いをされていることに何度も吐き気がしました。79ページの母の写真撮影はなぜ目が見えなくなっていたのかと疑問に思いました。年や栄養失調なのか、あるいは身体検査で殴られたり刺されたりしたのなら、目に痣なり傷なりあるはずなので、前者かなと思います。

ダンテス:クルド人の話を日本で読める機会は少ないです。こういう作品によって日本人が、遠い場所の知らないことを知ることができるというのは素晴らしいと思いました。家族の話も主人公の目からの視点で、記述に統一感があります。サダム・フセインの話や家族が離れ離れになっていく話もそうだったんだ、と勉強になりました。こういうことを経て今日の状況があるのかと分かりました。実話なんだけど、たとえば最後の出国する場面などかなりドキドキすることができた。読ませる力があります。徳間のBFT(Books for Teenagers)とサイズも似ているし、若い人向きに作られているのかな。

サンザシ:大人の本だろうなと思いました。主人公は子どもとして訳されてますけど、成長していくのも書かれているので。しかし場面の展開があっち行ったりこっち行ったりしているので普通の中学生だと読みにくく、読みなれた子にはおもしろいのでは。18、19ページのところは、大人の読者だとおもしろいですね。20ページになると、18ページとつながっているのかもしれないけど、中学生には難しいかも。大人は解明する楽しさがあるけど。ただ、クルドの人たちがどんなに大変なのか知ることができて、読んで良かったと思います。これは自伝的小説なので、149-151ページあたりまでこの人がどうなったか書いてある。これはノンフィクションの書き方で、映画だとよくある手法ですね。どこまでがフィクションでどこからがノンフィクションなのかもう少し分かった方が良いなと思いました。映像的な作り方だと感じました。12ページのはどういう意味ですか(田久保さんからどの程度の認識があるのかですねという返答あり)フセインはコミュニティを破壊したんですものね。

アカザ:この本は、児童書として出版したのか、それとも一般書なのか分かりませんでした。児童書でしたら、地図があると良かったし、訳注なども、もう少し配慮が必要だと思いました。でも、作品そのものはとても面白かったし、今までこの本の存在すら知らなかったので読んでよかった。作者が実際に体験したものということですが、緊迫感があって、最後まで一気に読みました。そのなかにとてもおおらかなユーモアもあり、さすがに映画を作っている人だと思ったのですが、ザクロの赤とか映像的にくっきりと記憶に残るところもあり、とてもいい作品だと思いました。

すあま:地図があれば、という話がありましたけれど、登場人物たちの関係も頭の中でこんがらがってしまいました。大人の小説だと思って読んでいましたが、難しかった。そして読み終わった後にクルドのことを知りたくなった。そういう意味では興味深く読みました。主人公が若く、映画監督になりたい、ヨーロッパに行きたいといった将来に対する希望を持っているので明るいイメージもあります。楽しいはずの子ども時代が台無しになっているのに明るさを持って書いているのが良いし、読後感も良い。そこが大事だと思います。読んでもらうのは中高生かなと思いますが、手に取りにくい装丁とタイトルなのでブックトークで紹介するとよいと思います。

トム:民族って、と考えました。日本は今、同じような一つの民族のように暮らしているけれど、アイヌの人も、琉球の人もいるのに…。以前、中村哲さんが「アフガンの人は自分の命を盾にして人を守ろうとする、今の日本にそういう熱いものがあるだろうか」という意味のことを話されていたことを思い出しました。このクルドの人々の命をかけた戦いの熱い血にはドキドキします。一人の少年が生きてゆく生々しくて率直な日々の描写が、読む人を次々起きる民族のドラマに引きずりこむと思います。その一方で、鶏2羽と金のイヤリングで少年の年が4歳も変えられるなんて! ほんとうに色々な民族がいて地球は広い! 若きフセインがあのように登場していたというのも興味深く読みました。トルコの地震がずっと気になっていましたが、この本で出会ったクルド人たちもどうしているだろうと思います。

ぼんた:主人公の少年は、冒頭では自分の身に何が起きているのか一切理解できない幼い子どもですが、成長するにつれて、クルド人がどういう歴史をたどってきたか、自分のまわりで何が起きているのかを少しずつ理解してゆきます。私は中東に関する知識がほとんどありませんでしたが、主人公の成長とともにクルド人について学ぶことができたように思いました。主人公は次第にクルド人としてのアイデンティティに目覚めてゆきます。国を持たないクルド人がなぜ自分を「クルド人」だと誇りを持って言えるのか、その根拠はなんなのか、これは日本人も考えさせられる問題だと思います。文章は淡々としていますが、映画監督らしく映像的で、詩的な感じを受けるところもたくさんありました。私は以前、日本在住のクルド人のお祭りに参加したことがあるのですが、この小説に出てくる人たちと同じように歌や踊りが大好きな方々でした。ちょっと日本の盆踊りのようで親近感を持ちましたが、こうした歌や踊りもクルド人のアイデンティティのひとつになっているのかもしれません。

ダンテス:母の話は主人公が知っている部分でしか知らされないという視点の狭さも中学生くらいとして読めるし、大人になるに従って政治的な理解が進んでいるように読めます。日本の子どもたちに教育的には良い作品でしょう。地図があると良いですね。クルド人の誇りを保つには、やはりクルド語を話すことが大事なのでしょう。イランでもイラクでも時代によってクルド人に対する扱いが違うということも分かりました。

プルメリア:作品を読んでどうしてページを進めることができなかったのかなと考えたところ、著者が自分の体験を書いているから、作品を読んでいても場面場面で止まってしまって考える感じになっているためではないかと思いました。

三酉:とても良かったけれど地図が欲しかった。原著にはなかったのかもしれませんが。

ぼんた:原著には地図がついています。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


2011年09月 テーマ:小さい子が楽しむ童話

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『2011年09月 テーマ:小さい子が楽しむ童話』
日付 2011年9月27日
参加者 ajian、優李、わらびもち、トム、ルパン、けろけろ、サンザシ、たんぽぽ、うさこ、三酉、プルメリア
テーマ 小さい子が楽しむ童話

読んだ本:

デニス・ジョンソン‐デイヴィーズ再話  ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エルーサイード・アハマド絵『ゴハおじさんのゆかいなお話:エジプトの民話』
『ゴハおじさんのゆかいなお話〜エジプトの民話』
原題:GOHA THE WISE FOOL by Denys Johnson-Davies, 2005
デニス・ジョンソン・デイヴィーズ/再話 ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エル‐サイード・アハマド/絵、千葉茂樹/訳
徳間書店
2010.01

版元語録:まぬけでがんこ,ときにかしこいゴハおじさん。何百年もエジプトの人々に愛され続けるゴハの笑い話,とんち話15編を楽しい挿絵で。
エミリー・ロッダ『スタンプに来た手紙』さくまゆみこ訳
『スタンプにきた手紙〜チュウチュウ通り10番地』
原題:BEN THE POST-MOUSE by Emily Rodda, 2006
エミリー・ロッダ/著 さくまゆみこ/訳 たしろちさと/絵
あすなろ書房
2011

版元語録:ハツカネズミのすむネコイラン町にはチュウチュウ通りというすてきな通りがあります。その10番地にすむのは、ゆうびん屋さんのスタンプ。毎日たくさんの手紙を配達するスタンプは、実は自分あての手紙をもらったことがありません。そこで、思いついたのは…。
新藤悦子『ピンクのチビチョーク』
『ピンクのチビチョーク』
新藤悦子/作 西巻茅子/絵
童心社
2010.03

版元語録:チーばあばが、すこしずつ、いろんなことをわすれていってしまうびょうきになった。わたしのことも、わすれちゃうのかな…。そうだとしても、わたしはチーばあばがすき。どうしたらまた、わらってくれるかな。

(さらに…)

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ピンクのチビチョーク

新藤悦子『ピンクのチビチョーク』
『ピンクのチビチョーク』
新藤悦子/作 西巻茅子/絵
童心社
2010.03

うさこ:読んでいて切なくなりました…。このくらいの年齢の子どもがおばあちゃんに名前を間違えられたりするとどんな思いなんだろう…すごくショックだろうな。最後は、主人公が大好きなおばあちゃんに、また一緒にお絵かきしようねと終わっているけど、この完結のしかたでいいのかなと、ちょっと疑問に思いました。読者対象年齢には、このテーマのこの内容のものをこれだけのボリュームで伝えようとするのは、ちょっと無理があるような気がします。幼年もので取り上げる題材の難しさを感じました。中学生くらいを対象として、設定やドラマをもっと練り上げて書くのもひとつの方法かもしれません。

たんぽぽ:低学年の子にはわかりにくいかなと思いました。

ajian:おばあちゃんが呆けてしまう話と、チョークの話と、2つの題材が走っていて、うまく解け合っていないように感じました。難しいテーマだと思いますが、おばあちゃんの痴呆という現実を、子どもがどう受け止めるのかと思っていたら、ファンタジーっぽい感じでごまかしてしまって、すっきりしない。おばあちゃんがお母さんに怒られる場面などは、なんだかやけに現実感があって、胸が痛くなりました。

優李:なんだか読んでいると悲しくなる。それに中途半端感があって、これを誰にどう手渡せばよいのか難しい気がします。読後元気が出ないのが残念。主人公のおじいちゃんが亡くなったところとか、小さい子の言葉じゃないように思える部分も引っかかって、すっきりしないのかなと思いました。

わらびもち:チョークと呪文があれば誰でも魔法を使えるという設定なのだなと思いました。チビチョークとしているのは使い込んでいるということを表しているのだと思います。ピンクとしたのはチョークさんにつなげる為だと思います。おじいさんや犬が原因でおばあちゃんの元気がなくなっているので、チョークでおじいさんと犬を書いてお話をするなり思い出を作るなりすることもできたのではないかという疑問が浮かびました。それを解決しようとか思い出を作るとかも出来たはずです。あと、空飛ぶ船の話がいきなりでてきたのでちょっと抵抗があります。

トム:子どもに手渡す前に、自分がこの重いテーマをどう受けとめたらいいのかと思いました。何歳くらいの子どもに読めばよいのか…それから、おばあさんとお母さんの気持ちが行き違う場面がでてきますが、これは更に複雑な気持ちが潜んでいるわけで、どうしてここで描かなければならなかったのか? 作者に同じ様な経験があったのでしょうか? この話を書きたいと思われた気持ちをうかがってみたいとも思います。ただ、チビチョークで絵を描くところはメロディをつけて読むと楽しいと思いましたが…。あと、おとまりとか「お」のつく言葉が幾つかでてくるのが気になりました。もっとさっぱりした語り口の方が自然な気がします。

ルパン:私は学校の先生なので、チョークは仕事道具です。おばあさんがいっぱいチョークを持っているので、元は学校の先生をしていたのかなと思いましたが、そういう話ではなかったですね(笑)。おもしろくなりそうだったのですが、老人問題も出てきたり、テーマが分散した感じがありました。

けろけろ:皆さんと同じような感想を持ちました。身内がボケてしまう話はあいかわらずすごく多い。そのなかで、最後まで読んでよくできているな、と思える作品は、残念ながらなかなかない。同じようにおばあちゃんの認知症について書かれている低学年向けのよみもので、『むねとんとん』(さえぐさひろこ作 松成真理子絵 小峰書店)という作品がありますが、あれはとても良くできていたように思います。この作品は、ちょっとばらばらな感じで、一本筋の通ったところが欲しかった。低学年ものであれば、胸に響くヒトコトが、あったらいいのにな、とも思います。低学年でもすっと入っていくやり方がきっとあるのでしょうね。

サンザシ:どこかで読んだ話をつなぎ合わせたような話だと感じました。おばあちゃんとの日常の結びつきがあまり描かれていないので、無理があるのかもしれません。たとえば『おじいさんのハーモニカ』(ヘレン・V・グリフィス作 ジェイムズ・スティーブンソン絵 あすなろ書房)では、前段でおじいさんと孫がいっぱい楽しいことをする様子が描かれています。だから、元気をなくしたおじいさんを何とかして元に戻したいと思う子どもの気持ちがこっちまですっと伝わってくるんですね。この作品にも、そのような部分があればもっとよかったのに。難しいですね。

三酉:残念ながら楽しめませんでした。お母さんの描き方ですが、ボケたおばあちゃんとお母さんとの関係性とか、もっとあたたかい視点が必要だったのではないかと思います。

プルメリア:最近あまりやらなくなったけど、子どもはチョークを使って絵や字を書くことが大好きです。おじいちゃんが亡くなっておばあさんが小さくなるのは、おばあちゃんの心にさびしさがあり絵から分かる部分かなと思いました。子どもがポーズをとる部分は子ども雑誌に出ている小学生モデルのポーズ、登場人物の髪型も最近人気のある流行の髪型を取り入れている。挿絵が少しずつカラーになっていくのはおばあちゃんが同じように元気になっていくのと比例しているような感じがします。船じゃなく空飛ぶ鳥というのがおもしろい。子どもって飛ぶの好きなので。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


スタンプにきた手紙〜チュウチュウ通り10番地

エミリー・ロッダ『スタンプに来た手紙』さくまゆみこ訳
『スタンプにきた手紙〜チュウチュウ通り10番地』
エミリー・ロッダ/著 さくまゆみこ/訳 たしろちさと/絵
あすなろ書房
2011

たんぽぽ:チュウチュウ通りのシリーズは、おすすめのシリーズです。どの巻からも楽しめまて、それぞれがおもしろいです。本が苦手な子も全巻読んで達成感を味わうことができます。対象年齢も、幼児から小学生高学年まで幅広いかと思います。娘の子が幼稚園の時、ひとりで、「クツカタッポと三つのねがいごと」を読んでいました。読み終わってから私に「おばあちゃん若くなりたい?」と聞くのです。私は 「おばあちゃんは、あなたに会えたからもう若くならなくてもいいわ 」と答えました。すると小さい人は「ぼくは、おばあちゃんの若い時をみたいな」と言ってくれました。孫との会話、心に残っています。

Ajian:10巻のシリーズですが、どの巻から読んでもいいと思いました。2番目のクツカタッポの話がとくに好きです。足るを知るという感じで……。絵も話にぴったりで、ふんだんに入っていて、贅沢なつくりだなという印象。お話のバリエーションもあるし、うちの子どもが大きくなったらぜひ読ませたいと思っています。

優李:好きなシリーズです。字の大きさ、絵、本の厚さ、体裁、中身どれも低学年の児童が読みすすめやすい。私も、2巻目の「クツカタッポ」が好きです。お金は欲しくない、というところで、子どもたちが「え〜、なんで?」と声を出すのだけれど、その後の意外な理由に「なるほどね」と納得させるのがすごい。読んだ子が友だちにすすめるのに「地味だけど、あったかいし、おもしろいし」と言っているのをきいて、思わずニコニコしてしまいました。

わらびもち:この作家のは、ローワン、デルトラ、フェアリーレルムなど楽しく読ませて頂いています。このお話の主人公は、手紙というコミュニケーションにおいて自分と人と比べ、広告を出すという行動に出るんですね。自分で自分の首をしめてますけど、普段のコミュニケーションによってたくさんの人に助けられ、ことなきを得る。手紙というものは、特別な祝い事や距離がない限り普段会って会話をしている人には送らないものだと思います。スタンプは仕事として手紙を届けながら色々な人と会うことが出来て、手紙かそれ以上のコミュニケーションがとれているのでとても羨ましいなと感じました。個人的には、ローワンのような自然があふれるような世界観のほうが好きだけど。ネコイラン町やクツカタッポなど、ネーミングがとてもおもしろくていいな、と感じました。絵もとってもかわいらしくて素敵だと思います。

トム:シリーズを通して、子どもの好きなものが話のあちこちにちりばめられていて目が離せない感じ。子どもはお話を楽しんだら、必ずその後、遊びの中で自分がその主人公になったり、楽しかった場面を表現してお話の世界に自分をすうっとすべりこませるでしょう。手紙や郵便屋さんも子どもたちの憧れ! 例えば、保育の場なら お話を発展させてチュウチュウ通りを空き箱で作ったり、大型積み木で町を作って自分の好きなチュウチュウ通りの住人になって遊ぶのもとても楽しそう。新しい住人を考えだす子も出るかもしれない。チュウチュウ通り・スタンプ・クツカタッポなど名前が一つのお話になっていてスッと心に入ってきます。10番地では、スタンプの正直な人柄が友だちを呼んでいるよう。

ルパン:クツカタッポのお話には感動しました。スタンプの巻もよかったです。小さいころ、私は手紙を書くのが好きで、出す相手を探していたことを思い出しました。このお話しを読んで、また手紙を書きたくなりました。うちの文庫の、幼稚園くらいの子どもたちに読んであげたいです。

けろけろ:今回、みんなで読む本になったので、1巻から10巻まで読んで楽しみました。お話のバランスや体裁もとても良いと思った。手軽に楽しめるのだけれど、そうきたかという意外な展開が用意されていていいですね。6年生の子どももおもしろがって読んでいて、さすがエミリー・ロッダさんだなと思いました。チーチュウカイという海が出てきたり、翻訳の苦労話を聞きたいと思った。ひとつ、不可解だったのは、9巻目の島においてあった靴。どうしてこんな大きな靴が小さな島にあるのか、読んでいるうちにわかるかと思ったけれど、わからなくて残念でした。

うさこ:ネコイラン町のチューチュー通りに暮らすねずみさんたちのお話!という設定がシンプルで、低学年の子が手にとりやすいシリーズだと思います。1巻ごとに男児と読んだのですが、小さい判型の本のなかで、小さくてかわいいねずみたちのいろいろなドラマが展開されている。それが、どれも楽しく、次々にチューチュー通りのお宅に邪魔している感覚で読める。田代さんの絵もとても良いですね。物語を読むのに不慣れな年齢の子どもが読むのにお薦めのシリーズだと思います。1巻のゴインキョの話が特に好き!

サンザシ:このシリーズは、短い分量の中でまとまりもあるし、意外性もあるので私は大好きです。幼年童話なのに、作者がこれまで生きてきたなかで獲得した人生のスパイスが入ってるんですね。絵は、原書だと味気ないのですが、たしろさんが描いて、とても楽しくなりましたね。

三酉:良い本ですね。手紙のことは笑わせられます。みんなさびしいんですねえと、しみじみさせられる。

プルメリア:手にとりやすいサイズ、また作品の中の町名、通りの名、登場人物の名前がおもしろくシリーズの出版を楽しみにしながら読みました。勤務している小学校には1、2話が入っていますが、人気があり戻ってきてもすぐ貸し出しになる本です。1話では「チーズって、ねずみにとっては大切なものでとってもおいしいんだね。」と子どもが言っています。この巻では、手紙を出しきれなくなって周りの人が助けてくれる心温まるような終わり方が良いですよね。登場人物と題名をあてっこするゲームにするのもおもしろいかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


ゴハおじさんのゆかいなお話〜エジプトの民話

デニス・ジョンソン‐デイヴィーズ再話  ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エルーサイード・アハマド絵『ゴハおじさんのゆかいなお話:エジプトの民話』
『ゴハおじさんのゆかいなお話〜エジプトの民話』
デニス・ジョンソン・デイヴィーズ/再話 ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エル‐サイード・アハマド/絵、千葉茂樹/訳
徳間書店
2010.01

ajian:とてもおもしろかったです。このぐらいの幼年向けのものはまだ編集したことがないので、勉強の気持ちで読みました。エジプトの民話といわれてもあまり思いつかないし、日本の子どもにとっては、距離があるのではないかと思ったけど、そんなことは全くなく、親しみやすい、どこかなつかしいお話がいっぱい入っていた。おじさんのキャラクターがとてもいい。話も短く読みやすいし、この布の原画が味わい深い。原書は絵本だったというのを今日知ってよかった。そういう作り方も出来るのかと思いました。

優李:読んで、ホジャどんの昔話のようだと思いました。ゴハおじさんとホジャどんが同じ人とは後書きを読んで初めて知りました。とぼけた味わいが楽しい。こういう絵だと、男の子も好きそうですね。これを読んだある男の子が「ある話の中ではとぼけたおじさんなのに、別な話(「ロバの木を数える話」)ではすごく頭いいし、同じ一人の人とは思えない」と言ってました。確かに(笑)。刺繍が男性の作で、その地域では男の人の普通の職業ということも驚きでした。

わらびもち:他の民話集でこういうのを読んだことがあります。ロバを持ち上げる話や市場へ行く話なんかを。でも、別の話があることは知りませんでした。その時はイラストのようなものがなかったのですが、あると明るくなるし、親しみもわきますね。縫物の絵が温かみがあって良いですね。ゴハおじさんと3人の賢者の話では答えた内容で相手を困らせれば相手は何も言えなくなったり、出来なくなったりするのでこれはいつか自分がピンチになった時に使えたら使ってみようと思いました。

トム:愉快でした、すごく! 天真爛漫で笑いがこみあげる感じ。日本には無いカラリとしたスパイスもきいて心を閉じ込めない。アップリケは女の人がしているのかと思ったら厳つい男の人でびっくり。それぞれ技巧的でなく布や針の跡が残るようにざっくりとして、それもこの話の大事な味のよう。ゴハさんのギョロッと大きな目はずっと忘れないと思う

ルパン:興味しんしんで読みました。なんといってもエジプトは今いちばん行ってみたい国なので。ゴハおじさんは、きっちょむさんみたいですね。エキゾチックな部分と親しみやすい部分があって、とってもおもしろかったです。最後の「まともの答えられないしつもんには、どんなふうに答えても、正解なんですよ!」という一文が気に入りました。

けろけろ:日本にもとんち話は多くて、小さい子にはとても親しみやすいお話なので、とてもおもしろかった。きっちょむさん話と似てる部分があるけど、お国が違うと、落とし方も独特です。良くわからないものもあるけど、それもまた日本にはないテイストとして、味わい深いと思いました。

サンザシ:おもしろく読みました。私は原書を持っているんです。でも、絵本なので、これを日本で出すのはむずかしいなと思っていたら、こういう絵物語みたいな幼年童話で出たので、なるほど、と思いました。これなら読みやすいですもんね。私もナレスディン・ホジャのお話に似てるな、と思ったんですが、アラブ圏にこういう話は広く散らばっているんですね。時代を超えて、いろんな人がエピソードをつけ加えていったんでしょうね。アップリケや刺繍の絵もとてもユーモラスで楽しめます。ゴハおじさんにひげがあったりなかったりするのも、許せちゃいます。

たんぽぽ:とても、おもしろかったです。子どもたちに、読んでもらいたいなと思いました

うさこ:子どものころ、きっちょむさんや一休さんのようなとんち話が大好きだったので、この本を書店で見つけたときはすごくうれしかった。トルコではホジャおじさんだったり、他の国にいくと名前が変わるんですね、おもしろい! 主人公のとぼけぶりやひょうひょうとしているところがとてもいいな。生活者としての知恵がいい場面できいていて、読んでいて痛快。教訓ぽくなくて、笑えた。お風呂屋さんに行くところはただの間抜けさだけではなくて、知恵比べで、そこが意外でドキッとしました。1年生の男児と読んだのですが1回読んだだけではちょっと理解できないようだったので、すこし補足説明しないといけなかったかな。2〜3年生になって読んだら、ストレートに笑えるかも。

三酉:おもしろい! ゴハおじさんは、トルコではナスレッディン・ホジャと言われているようで、こちらの本も読んでしまいました。選書に感謝したいですね。知恵とユーモアと荒唐無稽と、実に多彩で豊か。その豊かさにつれて、読み手も大笑いしたり、しみじみ考え込んだりする。この刺繍の挿絵ものどかでよいのと、巻末に刺繍した人の写真が載っているが、ジャン・レノみたいでちょっと愉快でした。

プルメリア:出版されてすぐ読んだ作品です。表紙も挿絵も心温まるような刺繍がお話にとけこみ、とってもすてきだなと思いました。ほんわかしている雰囲気がなんともいえないいし、ゴハおじさんの味がいいです。学級の子どもたち(小学校4年生)に「地球の真ん中はどこ?」と聞いたところ「マグマ」とか「アメリカ?」などの答えがかえってきました。「ゴハおじさんの答えは『この下です。そこが地球のどまんなか』です」と教えると、みんな「あ、なるほど!」と笑っていました。1話のお話が短いので子どもたちとって短い休み時間に読める本になりました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


きみたちにおくるうた〜むすめたちへの手紙

バラク・オバマ文 ローレン・ロング絵『きみたちにおくるうた:むすめたちへの手紙』さくまゆみこ訳
『きみたちにおくるうた〜むすめたちへの手紙』
バラク・オバマ文 ローレン・ロング絵 さくまゆみこ訳
明石書店
2011.07

アメリカのオバマ大統領が文章を書いた絵本で、子どもたちを励ますメッセージがいっぱい。ただ原著出版社が「何もつけ加えてはならぬ。ちょっとした変更もならぬ。とにかく直訳しろ」の一点張りだったので、翻訳は苦労しました。明石書店は被災地の子どもたちにも読んでもらいたいと、この絵本をたくさん寄贈してくださいました。オーストラリアのラッド前首相も犬と猫を主人公にして絵本を書いていますが、日本の首相と絵本はとうてい結びつきませんね。
(装丁:桂川潤さん 編集:赤瀬智彦さん)

◆◆◆

<この絵本に登場する人たち>

ジョージア・オキーフ(大きな花や骨の絵で知られる画家)
アルバート・アインシュタイン(相対性理論を唱えた物理学者)
ジャッキー・ロビンソン(メジャーリーグ初のアフリカ系選手)
シッティング・ブル(北米先住民スー族の大戦士)
ビリー・ホリデイ(多くの名曲・名唱で知られるジャズ歌手)
ヘレン・ケラー(視覚と聴覚を失いながら活動した社会福祉事業家)
マヤ・リン(ベトナム戦争戦没者慰霊碑を設計した中国系の建築家)
ジェーン・アダムズ(貧困をなくすために努力した社会事業家)
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(公民権運動の指導者)
ニール・アームストロング(月面を初めて歩いた宇宙飛行士)
シーザー・チャべス(農場労働者の人権を守ったメキシコ系の運動家)
エイブラハム・リンカーン(奴隷解放宣言に署名した大統領)
ジョージ・ワシントン(アメリカ独立戦争を戦った初代大統領)

◆◆◆

<日本のみなさんへ>

オバマ大統領はこの絵本をとおして、世界中の子どもたちに語りかけているのだと思います。力や才能はだれにでもあると、彼は語っています。だれでも、ヘレン・ケラーやジャッキー・ロビンソンのように、大きな困難を乗りこえていくことができると、語っているのです。私の絵が示そうとしているのは、こうした偉人たちもみんな同じように、かつては子どもだったということです。

この絵本が国境をこえて、日本の子どもたちにもなぐさめや勇気やはげましや希望をあたえることを私は願っています。そして日本の子どもたちも、困難を乗りこえる力や、すばらしい生き方をするための力が、自分の中にもあると気づいてくれるよう願っています。

ローレン・ロング


2011年07月 テーマ:「私」を探して

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『2011年07月 テーマ:「私」を探して』
日付 2011年7月21日
参加者 メリーさん かぼちゃ シア ハマグリ アカシア プルメリア ダンテス ジラフ
テーマ 「私」を探して

読んだ本:

金城一紀『レヴォリューションNo.0』
『レヴォリューションNo.O』
金城一紀/著
角川書店
2011.02

版元語録:これから話そうと思っているのは、僕と仲間たちの生まれて初めての冒険譚だ---。ザ・ゾンビーズ結成前夜。すべてはここから始まった!
西加奈子『円卓』
『円卓』
西加奈子/著
文芸春秋
2011.03

版元語録:三つ子の姉をはじめ大家族に愛されて暮らす小3の琴子は口が悪くて少し偏屈。きらきら光る世界で考え悩み成長する姿を描く感動作
レベッカ・ステッド『きみに出会うとき』
『きみに出会うとき』
原題:WHEN YOU REACH ME by Rebecca Stead 2009
レベッカ・ステッド/著 ないとうふみこ/訳
東京創元社
2011.04

版元語録:きょう、ママにハガキがとどいた。3年間応募してきた「クイズ」に出場するって。ミランダはママとふたり暮らし。そんなミランダに謎のメッセージが届きはじめた…。 *ニューベリー賞受賞作

(さらに…)

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きみに出会うとき

レベッカ・ステッド『きみに出会うとき』
『きみに出会うとき』
レベッカ・ステッド/著 ないとうふみこ/訳
東京創元社
2011.04

ダンテス:あとがきにあるように読み終わってからもう一度読み 直そうと思いました。舞台はニューヨークの街中。お金持ちのドアマンがいるアパートに住んでいるお嬢さんがでてきたり、母子家庭のお母さんの緊張感や街中におかしな人や危険な人がいるという辺り、ニューヨークがよく書けていると思う。手紙が届き、内容は未来を暗示するもので、読者をうまい具合に引っ張っていきます。そういう意味で読ませる力がある本だと思う。ただ推理小説とは違って、現実の中で、ああこの人がそうだったのかと納得する話ではない。現実に起きていることだけではなくファンタジーもある。時間のズレとかもある。作中に度々出てくる本もそれを読んでいるという前提で書かれているようだ。なるほど、と納得するべきなのかどうなのか、難しい作品だった。確かに読み直してみるとお金持ちのアンヌ・マリーのてんかんを暗示するP49のピザの食べ方 や、アンヌの父が与えないジュースの部分など伏線がたくみに張ってあった。ジュリアの存在なども構成としては良くできていると思います。

ジラフ:入手できませんでした。ニューベリー賞を取った作品ということで、最近の受賞作がどんなものなのか、興味があったのですが。

メリーさん:売り文句にファンタジーと書いてありますが、これはSFですよね。以前よりSFが読まれなくなった今、こういう作品が評価されていることがおもしろいなと思いました。構成がよく、最後まで読んで、それまでの伏線が一気につながった感じがしました。あとがきにも書かれていますが、最後まで読んで、そうかあれはここにつながっていたのかともう一度最初から読み直しました。そう言われてみると、タイムスリップしたときに、自分のことが見えるかどうかということにずいぶんこだわっていたなと。最後の最後でおじさんとマーカスがつながるという結末になんとかつなげたかったのだなと思いました。ただ、その論理的な説明がちょっと難しいのと、友だちを殴るということがわかりづらかったので、子どもたちにはちょっと手に取りにくいかなとも思いました。

かぼちゃ:クイズやパズルのような話。謎解きですね。本当の主人公はマーカスで、ミランダは語り手のような存在なのかなと思いました。多分、サルははじめの人生では死んでいたのでは。後のマーカスはサルを殴ったことや追いかけたことを悔やんでいて過去を変えようとした、それにより過去が変わってサルを助ける笑う男が出現するのかなと思いました。贖罪として助けたのだろうなぁと思います。全体的に伏線、謎が多いけれどそんなに謎が気にかからない、のっぺりして盛り上がりがなく感動もなかったですし、テーマも何かよくわからなかった。タイトルの「きみ」は誰なのか? 差異的に見ればマーカスのことで、恋の要素を含ませて考えれば後の妻となるジュリアのことかもしれないけど分からない。56項目とエピグラムの2文に分かれていますね。

シア:時間がなくてあまり読めませんでした。これをまず先に読みたかったです。

ハマグリ:私も最初のほうしか読めていないので、物理的な印象だけですが、この表紙の絵では女の子しか手にとらないのではないでしょうか。タイトルも恋の物語のように受け取れる。読者を減らしてしまっていて、もったいないです

アカシア:1回読んだだけじゃわかりにくいですよね。5次元だとしても過去を変えるの は禁じ手とされてるはずなので、こんなふうに書くのはずるい。主人公にわけのわからないメモが届くわけですが、原題のWHEN YOU REACH MEは「あなたが私にコンタクトするとき」というような意味なんでしょうか? このYOUは本文では「あなた」となっていると思うんですけど、日本語の書名は「きみ」。この書名が、よけいわかりにくくしてますね。私は、ちっともおもしろくなくて、本当にこれがニューベリー賞なのかしら、と疑問に思いました。謎が解決されてもいないし。もう一度読むともっとわかってくるのかもしれませんが。

ダンテス:ローカル性のある作品のようです。アメリカの中でよくわかる作品なのかもしれない。ニューヨークの街を舞台にしているのも、行ったことがあれば、あるいは住んだことがあれば分かるということが多くかかれているようです。それからお母さんの正義感 がアメリカ人に共感を呼びそうです。

プルメリア:お母さん人気のあるクイズ番組に出るストーリーかなと思って読み始めましたが、手紙のほうが主でした。題名『きみに出会うとき』ひきつけられる題名で表紙も恋の話のように見えましたが「きみ」がよくわからなかったです。子ども達の日常生活から日本社会にはない自由さが伝わります。タイムスリップは今いち謎です。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


円卓

西加奈子『円卓』
『円卓』
西加奈子/著
文芸春秋
2011.03

ハマグリ:区内の図書館全館で貸し出し中でした。

アカシア:おもしろかったけど、子どもの本じゃないですよね。視点が大人だもの。おとなの本として読めば、文章の書き方が独特で、おしゃまな女の子の成長物語としておもしろい。最後の円卓の部分も、あざとくはあるけど泣かせます。

プルメリア:この作品も大変人気があり、区内の図書館2区ともすべて貸出し中でした。大阪弁で書かれ、主人公の姉達が三つ子の設定面白いです。七福神がでてくるところはファンタジーの世界にいきそう。大阪弁はテンポよくやわらかく伝わります。主人公は子ども、日常生活も子ども中心社会ですが、子どもの視点で書かれていない。子どもが手に取って読む本とは違い大人向き作品かな。

ダンテス:関西人のノリで楽しく書かれています。人物造形はそれなりによくできている。おじいちゃんが文学的 で、一方お父さんは全然違っていることなど面白い。眼帯してみたい気持ちとか無理なく納得できます。ですが読み終わってすぐ内容を忘れてしまいました。軽かったです。

ジラフ:とってもおもしろく読みました。どういう人が読者対象なのかと思いましたが、みなさんのご意見をうかがって、やっぱり大人の視点なんだ、とわかって安心しました(笑)。作者がテヘランで生まれて、カイロと大阪で育った人だというバックボーンも関係しているのかもしれませんが、生きていることの実感がすごく濃厚に、具体的に書かれている感じがします。たとえば、(主人公の)こっこのお姉さんが、刺繍をしたくてたまらず指がうずうずする、といった表現には、強い身体性も感じました。全体として、いいお話をくぐりぬけた、という充実した読後感が残りました。物語の後半で、こっこが変質者に出くわす場面があって、そのことはこっこを、ほんの少し大人に成長させる出来事であると同時に、危険な出来事でもあります。でもこっこは、怖い目にあったと家族には言えなくて。そのことをずっと、自分ひとりの胸の内に抱えていくんだったらどうしよう、と気が気ではありませんでしたが、心から信頼する友だちに打ち明けられる、という救いがちゃんと用意されていて、ほっとしました。これもなんだか、NHKあたりでテレビドラマになりそうな作品ですね。

メリーさん:電車の中で読みながら、噴き出すのをこらえていました。主人公のこっこのつぶやきがとてもおもしろい。友人のぽっさんも小学生とは思えない老成ぶりで、でもランドセルに「寿」と書いているところはまだ子ども。そして彼らを取り巻く、騒がしくも温かい家族。真の意味での理解者である祖父。大阪弁だからこそ成立する世界だなと思いました。後半に行くにしたがって、こっこが自分の感情を言葉にするのが難しくなってきているところも、彼女が確実に大人になっているのがわかり、とてもいい。ただ、やはりこれは大人の本だと思いました。風変わりな彼らは、端から見ると滑稽だけれど、それは子ども時代から時間が経って、客観的な笑いにできる大人だからこそ。大人になって振り返ってみると共感できる物語だと思います。でも、当事者である子どもたちは真剣だから、本人はそれが滑稽だとは少しも思っていない。大人になれば、あの頃の自分は変な妄想にとりつかれて、意地を張っていたのだなとわかるのだけれど……やはりそれは子どもの目線とは違うと思いました。それでも、同世代の読者としては、西加奈子の作品はとてもいいなと思います。

アカシア:P152の「子どもらの〜」という部分など特にそうですね。大人の視点になってます。

プルメリア:うさぎをのっける行動は好奇心旺盛な子ども達は実際にやりそう。

かぼちゃ:入手できませんでした。

ダンテス :確かに性的な表現が多いので、大人向きに書かれているという意見には、なるほどと思いました。大人は余裕を持って楽しめる。大阪弁である意味ぼかして書いているところもいい。

ハマグリ:P8に「こわごわしかられた」とあるが、大阪弁ではこういう言い方をするのだろうか?

シア:保健室の先生がレズビアンというのはすごい。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


レヴォリューションNo.O

金城一紀『レヴォリューションNo.0』
『レヴォリューションNo.O』
金城一紀/著
角川書店
2011.02

メリーさん:『レヴォリューション No.3』(金城一紀/著 角川書店)を読まずに『〜No.0』を読んだので、キャラクターについて前もってわかっていれば、もっと楽しめたのかなと思いました。金城一紀の作品では『GO』がとても面白くて、高校生の男くさい感じは似ているなと感じてました。ただ、今回の登場人物たちは、少し型にはまったキャラクターのような気が。アギーなどもちょっと説明不足。物語というより敵を倒すゲームのような感覚で、ちょっと物足りなさを感じたのですが、最後の脱出のところはやはり引き込まれました。昔は映画をやると、原作とともにノベライズ版が出ていましたけれど、最近は小説自体が会話中心の、シナリオのようなものになっている感じがします。(現にノベライズがあまり出ていない)。この本もそういう意味では映像化しやすいのかなと思いました。ただ、なかなか物語の世界に入っていけない、高校生たちには手に取りやすいのではないかと思います。

かぼちゃ:青春もの、一瞬一瞬の情動。すっきり読みやすい。男子校は未知の領域なので興味深く読めました。女の子を助けたりと、ヒロイズムを満たせる。脱走は本来なら悪いことですが理不尽な行為を受けているので悪いこととは言えない。「自分で考えて理不尽にどう対応するか」ということを考えるのに良い作品。流れに沿ってやめたり転校したりするのは反抗するより簡単なこと。今の日本には反抗したり戦う意欲を持った人が少ないように思えるので、日本にもレヴォリューションが起きれば良いなと、この作品を見て思いました。

シア:『レヴォリューションNo.3』が出たときに読みたいとは思っていたのですが、機会がないままでした。この作品は『~No.3』のボーナストラック的な本のようなので、あちらを読んでからの方がいいのではないかと思います。読んでみて『バトルロワイヤル』のギャグ版のような感じを受けました。石田衣良や東野圭吾も青春ものを書いていますが、それとは何か違います。金城さんの作品は『GO』(金城一紀/著 角川書店)でもそうでしたが、社会とか体制への憤り、うずまく憎悪に近い激しい感情を感じるので、少し怖いと思ってしまいました。日本の作品にはお国柄でしょうか、この焼けた石のような感覚はあまりないですね。文章自体は短文で進むところが中高生には読みやすいと思いますが、学園ものとしては設定がちょっと古いですよね。一昔前の不良漫画みたいで。この時代感覚のギャップをどう埋めるかが気になります。映画『パッチギ』(井筒和幸監督 2005年 日本映画)を思い出しました。登場人物が熱いところが似ていると思います。韓国から留学生が来たときに、「クラスの子たちの元気が足りずつまらない」と言われたことがありますが、前へ前へ進む積極性とでも言えばいいのか、そういうところが日本とは違うのかなと思いました。

ハマグリ:『GO』は以前読書会でやって好評でしたが、これはおもしろくなかったですね。『〜No.3』を読んでいないせいもあるけれど、人物像がうまくつかめなかった。子どもたちが何に反抗しようとしているのか、よく伝わってこない。学校に対する怒り、親に対する不満などは書かれていますが、それはどこにでもあると思います。教師・猿島の暴力が極端すぎて、戦時中の軍隊のしごきの場面のように思え、ここまでする教師が本当にいるのかと真実味が感じられなかった。それにしては、生徒たちがその場ではそれに耐えてしまっているのも納得がいかない。男子校には男子校の良さがあると思うけど、ドロドロしたところがだけが書かれていて、後味が悪かった。

アカシア:リアルなスクールライフを書いているのではなく、漫画のようにある部分を拡大して書いているじゃないかな。読み始めて、「あ、これ読んだことあるな」と思ったのは、前に『〜No.3』を読んでたからだったんですね。前の巻が頭にまだ残っていたせいか、私はその流れて読むと悪くないな、と思いました。猿島のような、ここまでひどい教師は実際にはいないかもしれないけど、それに近い教師はまだいますよね。うちの子どもの中学時代にもまだいましたよ。主人公は、自分の父親のほうがもっと悪いと思っているわけですね。それがよくわかります。今の時代、決まった路線を歩けという社会に対して、男の子は迷いが大きいと思います。この作品は、そんな男の子たちに対する応援歌になってます。ただ、この作品だけ単独で読むと、人物描写を薄っぺらに感じるのかもしれませんね。文章はわかりやすいし、読みやすいけど。

プルメリア:図書館で検索したところたくさんの予約があり驚きました。多くの人が読んでいる人気作品の1冊なんだと思いました。いろいろな場面になぐられ血が出てくるところがあり、私立高は体罰がゆるされているのかな? なんて! 登場人物それぞれの性格がわかりやすく、また暴力の場面はかなり書きこまれていますが、全体的に軽い感じがしました。主人公を取り巻く環境の中に抑圧は2つあるような感じがします。1つは行動面として暴力をふるう猿島という教師、もう1つは精神面として主人公の父親。集団山登りで猪が出てくる場面はリアルではないです。最後の「世界を変えてみたくないか」とっても素敵なフレーズですが、この作品からは伝わりにくいなと思いました。

ダンテス:読者層を限定して書いた作品でしょう。とくに現代の高校生。成績があまり振るわず、内心劣等感をもちながら、やりたいことは特にないという、白けている世代。燃え上がるところのない学生たち。内面にもやもやを抱えているのだが、何をするわけではない高校生たちに向けての作品だろうと思う。155ペー ジ「退屈なのは、世界のせいではない〜」というアジテーション、励まし。猿島先生の部分も誇張して書かれている。ただ一方で、私立が定員より多く人数をとるということは現実的にあることで、学級の人数が増えるということはありえます。生徒が自分が大事にされていないと感じることはあるかもしれない。ただし、そこは誇張して漫画のように書いているので、現実をベースにしながら、まったくありえない話ではないように設定し、無気力な高校生に向けて、なんでもいいから、もっと大人も思いつかないようなことをやって、反抗しろというアピールをしているのでしょう。『GO』の方は、在日韓国人・朝鮮人という社会的な視点が入っているので、より広い読者に受け入れられています。それよりはこの作品のターゲットは狭い。ストーリーとしては、 大げさだなと思いつつ、さらっと読んでしまったという感じです。

ジラフ:金城一紀は初めて読みました。キャラクターがいまいち立ち上がってこなくて、前作を読んでいれば、もう少し楽しめるのかなと思いましたが、シリーズのボーナストラック的な作品とうかがって、納得しました。それでも、会話の中にはきらきらした箇所がいっぱいあって、男の子たちの気高さを感じさせるフレーズとか、落ちこぼれの男子校で、無気力に生活する子たちの気持ちがふいに高まっていく部分や、反対に、燃え上がってもすぐに、その気持ちを引っ込めてしまう繊細なところなんかの、描き方がすごくよかったです。会話が紋切り型だったり、展開が端折られてるようなところは、テレビドラマみたいでしたが、実際、「SP」の作者なんですね。ただ、読みながら、自分が当事者だったらきついだろうな、とひしひし感じました。現実には、学校をドロップアウトしたら、その先はかなり厳しいので。どんな世代の人が読むのだろうと考えたとき、同じ世代だったらつらいのではないかとも思いました。現状への反発や怒りを表現した作品への共感という点では、音楽なら、そこからストレートに力を得られる気がしますけど、本の場合もそうなのか、と(主人公の)同世代が読んでいると聞いて、意外な感じがしました。

シア:『池袋ウエストゲートパーク』(石田衣良 文藝春秋)の方が、もっとぐっとくるし、子どもの視点でも、大人の目線になる瞬間があります。この本には、それがないですね。山田悠介に毛が生えた感じ。最近思いますが、ここまでして高校へ行く意味がないと思います。授業を聞きたくないのでしょうか?それなのに変に反抗する姿には共感できません。

アカシア:そういう子たちも、自己肯定感がほしいと思ってるけど、どこからも得られないんですよ。この本が、そういう子にとってのきっかけになれば、いいんじゃないかな。

シア:絵本なんかでも、子どもは野菜が嫌い、という偏見を植えつけている感があると思います。先生だから嫌い、というステレオタイプを増やしそう。

ダンテス:そういうステレオタイプでしか物を見ない人たちが気に入る本かもしれません。

アカシア:本を読まない人たちを引っ張る力はあると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


おやすみなさい

『おやすみなさい』 (くまのテディ)

レスリー・フランシス & ニコラ・スリー文 ローラ・クーパー絵 さくまゆみこ訳
日本キリスト教団出版局
2011.06

「くまのテディ」シリーズの3作目。自分の部屋でひとりで寝ようとしても、いろいろなものが怖くなって、テディはなかなか眠りにつけません。でも、だいじょうぶ。安心しておやすみなさい。夜の間も守ってもらっているのですよ。(装丁:桂川 潤さん 編集:土肥研一さん)


わたしのひかり

モリー・バング『わたしのひかり』さくまゆみこ訳
『わたしのひかり』
モリー・バング文・絵 さくまゆみこ訳
評論社
2011.06

モリー・バングの『ソフィーはとってもおこったの!』は、女の子の日常を描いた絵本でしたが、これは詩的に描かれた科学絵本です。「わたし」と言っているのは太陽です。ソーラー・パワーについて、エネルギーや電気のことを考えるのにちょうどいい絵本だと思います。とっても絵がいいんです。これまでの科学絵本や知識の絵本の多くは、説明的な絵がついていましたが、これは違います。絵だけ見ていても楽しいんです。モリー・バングは絵本の視覚的効果についての理論書(”Picture This: How Picture Work”)も書いていますよ。
カバーには窓があいていて、そこから表紙の絵がのぞいています。
(編集:吉村弘幸さん)

第58回青少年読書感想文全国コンクール課題図書選定
*SLA「よい絵本」選定

◆◆◆

<モリー・バングの後書きより>

長いあいだ、わたしは、電気にあまり興味をもっていませんでした。電気というものが電線を流れ、モーターを動かし、光をともすことは知っていましたが、そこでとどまっていました。
でも、わが家にソーラーパネルをつけると、がぜん興味がわいてきたのです。ソーラーパネルのガラスにうめこまれた小さな太陽電池は、いったいどうやって日光をとらえ、それをわが家のレンジや、温水器や、せんたく機や、コンピュータや、テレビや、照明で使われるエネルギーに変えているのでしょうか? この絵本にかかれているのは、わたしがさぐりだしたことの一部です。


2011年06月 テーマ:記憶の中の子ども時代

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『2011年06月 テーマ:記憶の中の子ども時代』

 

日付 2011年6月21日
参加者 げた、アカシア、驟雨、ネズ、ジーナ
テーマ 記憶の中の子ども時代

読んだ本:

シビル・ウェッタシンハ『わたしのなかの子ども』
『わたしのなかの子ども』
原題:CHILD IN ME by Sybil Wettasinghe, 1995
シビル・ウェッタシンハ/著 松岡享子/訳
福音館書店
2011.02

版元語録:スリランカを代表する絵本作家の著者が、緑に囲まれた小さな村で心豊かに過ごした子ども時代の記憶を鮮やかに描いた物語。60余点の挿絵が当時の様子を生き生きと語ります。
柴田元幸『昨日のように遠い日』
『昨日のように遠い日〜少年少女文学選』
柴田元幸/編
文藝春秋
2009.03

版元語録:レベッカ・ブラウンの「少女」、ユアグローの「少年」、デ・ラ・メアの名作「謎」の子どもたち…。世界と、あらゆる時から届けられた逸品、全13篇を収録。伝説の漫画「眠りの国のリトル・ニモ」などの特別付録2篇つき。
椰月美智子『しずかな日々』
『しずかな日々』
原題:(講談社文庫 2010)
椰月美智子/著
講談社
2006

版元語録:おとなへの扉を開きはじめた少年の物語 ぼくは5年生。母さんとふたり暮らし。一緒のクラスになった押野のおかげで、ぼくの毎日は一気に色づいた。 *野間児童文芸賞、坪田譲治文学賞ダブル受賞

(さらに…)

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しずかな日々

椰月美智子『しずかな日々』
『しずかな日々』
椰月美智子/著
講談社
2006

レン:読みやすいし、ひきこまれてするすると読みました。子どものころをふりかえって書かれているのは最初からわかるのですが、最後に回想が出てきて、大人の本なのかなと。それから、主人公の視点で書いているからかもしれないけれど、おじいちゃんの輪郭がぼんやりした印象でした。もっとつっこんだ人物描写がほしいと思いましたが、このくらいのほうが今の読者には読みやすいのかな。おもしろいけど、ちょっと物足りなかったです。

トム:「しずかな日々」とはいえ、主人公にしてみれば大変な日々。スリランカの子どもと、「昨日のように遠い日」に登場する少年少女と、心の核のようなものが違う気がする。母親が宗教にからむところだけは、はっとしたのだけれど、それ以外はまた表面の静かな日々に戻ってしまう。結論が先にあって怒らない日本人。このおじいさんは、もっともっと言いたいことがあっただろうに。人によって行間の読みがさまざまなのかと思います。最後があまりに静かですけど…。物語に引っ張られて読みました。

アカザ:見事な文章で綴られていて、終わりまで一気に読みました。こういう物語って、3:11以前と以後とでは、ずいぶん感想が違ってくるのではないかしら。いまほど「日常」という言葉が大切に思われる時代はないのでは? そんな静かな日々=日常が淡々と続いていくなか(本当は「静か」でも、「淡々と」でもないけれど)で、少年たちが少しずつ成長していく様子が心に残ります。そのなかで、お母さんの存在がすごいですね。美しいメロディのなかに不協和音が混じっているような。このお母さんのおかげで、ストーリーがとてもリアルになっていると思います。私は、日本の創作児童文学をそんなに読んでいないのですが、良し悪しは別として現実の社会にじわじわと入りこんでいるスピリチュアルなものが子どもの暮らしや心に与える影響について書いたものは、あまり無いように思うのですが、どうでしょう?

うさこ:男子、夏休み、おじいちゃん、男の子の友情と、『夏の庭』(湯本香樹実著 徳間書店/新潮文庫)を思わせるような設定。出だしの印象から、小5の夏、この主人公の転機が訪れるのだろうな、と予想できます。小5の男の子の世界は単純で、無意味なことをするというのはよくわかる。自転車で出かけるシーンなどは、すごく共感できました。おじいちゃんの漬け物をおいしいというところは少し前の少年だからかな。本を閉じた後、タイトルの「しずかな日々」は、ちょっとパラドックス的なつけ方だなと思う一方、作者がこめた思いはもっと深かったのではないかな、とも思いました。そして、作者は子どもを読者と想定して書いてはいないのだなとも。大人になった自分が読んで、ふうんと思える部分はありますが、読み手に投げていて、今の子どもにそのまま手渡せる書き方ではありませんでした。

アカシア:今日の3冊の中では、後の2冊が大人の読者向けなのに対して、これだけはYA向けだと言えると思います。いちばん子どもの視点に近いです。ここには半分しか守られていない子どもが書かれています。書かれようはしずかなんだけれど、中ではドラマがある。この子は、一生懸命しずかな日々を送れるように頑張っているわけですから。おじいさんの存在がくっきりしなくてステレオタイプという意見がありましたが、母親とやりあってしまったら興ざめだし、そっちに焦点が行ってしまうので、ここは主人公を支えるという役目を果たしているんだと思います。読者はやはりYAでしょうね。もっと読者対象が下だと問題が解決しないまま終わらせるわけにはいきませんが、YAなら解決できないことは、そのままでも終われる。『ダンデライオン』(メルヴィン・バージェス著 池田真紀子訳 東京創元社)だって『チョコレート・ウォー』(ロバート・コーミア著 北沢和彦訳 扶桑社)だって、解決されないまま終わってますもんね。

プルメリア:学校の生活場面がよく描かれているし、登場人物一人ひとりの心情がわかりやすい。ひと夏のお話だけど、縁側、ペットボトルではない麦茶、ラジオ体操など、今とは少し違う夏の風物がきちんと描かれています。今の子どもたちには、なじみがないので、こういう作品で伝えられたらいいなと思いました。新しく友達になった押野のキャラクターが子どもらしくてとてもいい。彼の力によって主人公がいろいろなことにチャレンジしてできるようになる過程がたのもしい。スーパーでお母さんに会う場面はインパクトがあってどきっとしました。ちょっと前の子ども達の生活スタイルが書かれているのもいいなと思いました。

ajian:個人的に僕は祖父母と暮らしていた期間が長かったので、その時の記憶を重ねながら読んでいきました。ただどうも、自分の体験と比べて恐縮ですが、きれいに書かれすぎている印象があります。井戸水や、昆布でとっただし、つけものなんていうアイテムがそこここに登場しますが、どこかロハス臭がする書き方。自然派志向というか『かもめ食堂』(群ようこ著 幻冬舎)的というか……。好きな人は好きでしょうが、やっぱり人を選ぶでしょう。主人公が自転車に乗って、この道はどこまでもつながっている、と思うところ、こうした感覚はたしかにあったなぁと思いました。よく書けていると思います。最後の母親について書かれたところ、それまではわりあいおもしろく読んでいたのですが、もやもやっとしました。母の状況については、ずっとほのめかすような書き方で、向き合うわけでもなく、息子が最後にさらっと結論をくだしていて、よくわからない。文庫の帯で北上次郎さんが「自分はいま傑作を読んでいるのだ、という強い確信を抱いた」と書かれていますが、読み終わったときの感想も聞いてみたかったですね。

優李:その意見を聞くと、小学校の図書室には置かなくていいかな(笑)と思いました。文章がうまくて、どんどん読めてしまいます。「おじいさん」や「おかあさん」の描き方が、私にはちょっと物足りなかったけど、私がおとなだからかな。子どもの描き方はとても生き生きとしてよかった。特に自転車のシーンは、私も子どもの頃、夏休みに自転車でずいぶん遠くまで走ったことがあって、共感できました。最初の6歳の時の場面、お母さんとおじいちゃんのあの冷たいやりとりから、その後の僕とおじいちゃんの「関係」が短期間で成り立つということに、ちょっと疑問があったけれど、人生を肯定する「希望」がある本なので、いいなあと思いました。

メリーさん:最初にハードカバーで見かけたとき、児童文学の著者だけれど、この表紙なら大人向けの本だと思って読まなかったんです。夏とおじいさんというテーマで、すぐに『夏の庭』を思い出しました。子どもの本の作者というのは、もちろん大人なのですが、読者である子どもが読んだとき、どうしてこの人はこんなにも僕の気持ちがわかるのかな、と思わせるのが子どもの本だと思います。この本は子どもの頃を振り返るという設定になっていますが、子どもにとってこの時代はまさに現在進行形の「今」。やっぱりこれも大人の本だと思いました。いいところもたくさんあって、主人公のおじいさんと友人の押野が元々の知り合いだったことを知って、大事なことは根本のところでつながっていると感じるところとか、友人のことをよく見ていて産毛が見える様子とか、スイカに塩をふると大人っぽく思うところなど、そういうことある!という記述はたくさんあります。別れるのが嫌だから、最初から友だちを作らないで気持ちをセーブするなんていうのは大人っぽいけれど、子どもはそういうことを真剣に考える。一方で「心配事は杞憂だった」とか、「藺草の清らかな香りが鼻をくすぐる」という、子どももきっと感じているであろう感情を、大人の言葉を使わずに書いてくれるともっとよかったなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


昨日のように遠い日〜少年少女文学選

柴田元幸『昨日のように遠い日』
『昨日のように遠い日〜少年少女文学選』
柴田元幸/編
文藝春秋
2009.03

ajian:自分はちょっと苦手でした。デ・ラ・メアの「なぞ」は以前別の訳でも読んでいて、とても好きな作品なのですが、どうも、柴田さんの訳は柴田さんの文章になってしまって、デ・ラ・メアの感じがあまりしないです。全体として、おしゃれな感じのする、文学好きな人が所蔵しておきたいような本ではないかなと思いました。

優李:最初の4つ続けて気に入りましたので、うまい短編集だなあ、と思いました。その後は「謎」「修道者」を除いてはそれほどでもなかった(笑)。全体の印象としてはけっこう気に入りました。でも、昔少年少女だった「大人の私」が読むと、なかなか雰囲気のある本になっていると思うけれど、YA読者はどうなんだろう? 「今」の少年少女・中学生が読むかなあ? やはり、大人向けではないかと思います。

メリーさん:これも、子どもの本か大人の本かと考えると、やっぱり大人に向けた本なのですよね。それでも、おもしろい作品はいくつもあって、不思議な話よりも情感たっぷりなものがいいなと思いました。よかったのはデ・ラ・メアの「謎」とレベッカ・ブラウンの「パン」。やっぱりデ・ラ・メアは、余韻を残すやり方がうまいなと思いました。レベッカ・ブラウンは、全寮制という閉じた空間の中で、女の子たちだけの濃密な空間の物語。孤高の少女がとても印象的だし、2種類のパンでよくここまでストーリーがふくらむなと感心しました。

レン:こういう本は、高校生だったら、大人の文学への橋渡しとしていろいろな短編を味わえていいかなと思って読み始めたんですけど、『猫と鼠』でくじけました。フィリッパ・ピアスなど、もっとおもしろいのがあるなと思ってしまって。わざわざこれを読ませたいというほどではありませんでした。最後のデ・ラ・メアでちょっとホッとしましたが。

トム:デ・ラ・メアがよかった。ただ自分にとっては野上さんの訳の方が謎めいた世界の凄みを楽しめました。「灯台」は、少年少女の読む物語としてではなく、老灯台守に自分を重ねて読んでしまった。「修道者」は大人になることに抵抗する主人公の気持ちにひかれました。その葛藤を乗り越えていく道筋に重要な役をするのが、世間の枠の外で誇り高く暮らすおばあさんであることがおもしろい。保護者的立場など眼中に無いんですよね。「島」に描かれる大人と子どもの関係を、子どもはどのように受けとめるのでしょうか。

アカザ:「少女少年小説選」とうたっていますが、これも「少女少年について書かれた」もので、「少女少年のための」ものではありませんね。タイトルの「昨日のように遠い日」というのは、なかなか素敵な言葉で、わたしもどこかで使っちゃおうかな!「猫と鼠」は、わたしもちっともおもしろくなかったけれど、あとは大人の読者として楽しめました。「ホルボーン亭」と「パン」がよかったです。特に「パン」は、パンだけのことでこれだけ書けるのはすごいなあと感心しました。おなじような短編集として、日本でもとても人気のあるロシアの作家、リュドミラ・ウリツカヤの『それぞれの少女時代』(沼野恭子訳 群像社)を思いだしました。あれも大人の本ですが、それぞれの少女像が見事に描かれていて、傑作だと思います。

うさこ:私もみなさんと同じような感想です。副題に「少年少女小説選」とあるのを見たとき、今出る本でも副題とはいえ、こんなつけ方があるんだなとちょっと不思議でした。興味深く読み進めたけど、話がわかるのとわからないのと、わかるようでわからいないものがあった。言いかえると、おもしろいと思うものと、そうでないもの、おもしろいかどうかも判断つかないものがあったというのかしら。でも、だれが買うんだろう、この本。読者層がよくわからなかったなあ。あとがきを読んで、「ふーん、こんなのもありか」と思ってくれるととてもうれしいという訳者のことばがあって、私はまさにそんなふうに読んでしまったようで、まんまと「はめられた」みたいです。

アカシア:視点とリズムというのを考えると、これは子どもが読むものではまったくないなと思いました。ここでは、YAでもなんでも子どもが読むものを選ぶことになっているんですけど、選書の方にそれが伝わっていなかったかと。柴田さんが、後書きで世にある子どもの本はつまらないので新鮮な切り口で、というようなことをおっしゃっていますけど、今は子どもの本だって、無垢だの純真だのと言ってるわけじゃないので、もう少し今のをお読みになってから言ってほしかったな。作品としてはつまらなくないけれど、夢中になって読むほどおもしろくもない。大人が大人の視点で作っている物語は、子ども時代を語ってはいても、子ども時代のある1点をすごくひきのばしたり、ゆがんでななめから見たり。でもそれは、大人の読むおもしろさなんだと思うんです。「猫と鼠」は、アイデアだけでこんなに書かなくていいのにと、途中でやめました。アニメ見てればいいでしょ。

プルメリア:「永遠に失われる前の……」とあるのを見て期待して読み始めました。「ホルボーン亭」はふしぎな世界。「パン」は、寮生活している少女達の独特な世界、パンの食べ方に心理描写があらわれているなと思いながら読みました。最後の「謎」も謎めいていて、子どもが一人ずついなくなる不思議なストーリー。子どもの本は読んでいますが、大人の本?はあまり読んでいないので、この本は新しい出会いの1冊になりました。

アカザ:柴田さん、あまり子どもの本は読んでいないのかしらね。

優李:今は子どもの本だって、無垢な子どもなんて出てきませんよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


わたしのなかの子ども

シビル・ウェッタシンハ『わたしのなかの子ども』
『わたしのなかの子ども』
シビル・ウェッタシンハ/著 松岡享子/訳
福音館書店
2011.02

メリーさん:今回の3冊を読んで、子どもの本とは何かということをいろいろ考えました。この本はとてもいい本だと思うのですが、基本的に大人向けの本だと感じました。ただ、日本とはまったく違う風景を描いているのに、自然に共感できるところはとてもいいなと。壁に絵を描く場面などは、作者の原点だと思います。湯本香樹実さんが新聞にこの本の書評を書いていて記憶とは現在の一部だと言っています。子どもにはある程度の説明をしてあげないといけないとは思いますが、手にとってもらいたい1冊です。

レン:とてもおもしろかったです。今の日本の子どもとまったく違う生活ですが、大人の私はひきこまれました。特に、まわりの大人たちの輪郭がはっきりしているところがいい。おとなのひとりひとりが堂々と自分なりの生き方をしていて、そこから子どもがよいも悪いも学んでいるんだなと思いました。けれど、今回とりあげた本はどれも、子どもが読む本という感じがしませんでした。この本はルビもないので、もともと子どもに手わたすように作っていないのでは。

優李:ウェッタシンハさんの絵本は、図書室の定番でかなりそろえていますが、この本は小学生向けではなく、司書が読むものかなと思いました。

トム:その世界が遠い気がした。スリランカという国のイメージが感覚として自分のなかに描けないからかもしれません。においや、風など…。80年以上前の生活が、今、いろいろな世代の中で育つ子どもにどう受けとめられるんでしょう?

アカザ:善意の人々が出てくる、宝石箱のような物語ですね。80年以上も前のスリランカの暮らしを丁寧に描き、食べ物や自然の描写など楽しんで読みましたが、正直言って最後のほうになると少し飽きてきました。子どもの読者には、読みつづけるのが難しい話かもしれませんね。わたし自身はピエール・ロチの『お菊さん』を深い意味も分からずに愛読していたような子どもだったので、自分の知らない世界について淡々と描かれた本が好きな子どもは喜んで読むと思いますが、やっぱり大人向けの本ではないかしら。この時代、スリランカはイギリスの植民地で、著者はイギリス文化の影響を受けて、経済的に豊かな生活をしています。読み始めたときは『大草原の小さな家』に似ているかなとも思ったのですが、貧しさとか労働が出てこない点が決定的に違っています。民族に伝わる文化を伝えていくというのはとても大切なことですが、そういうものは経済的に豊かな人々のあいだに受け継がれていくものなのだろうかと、少々複雑な思いを抱きました。対照的な作品として今江祥智の『ひげがあろうがなかろうが』(解放出版社)を思いだしました。

ajian:たしかに、基本的にはとても恵まれている家族のお話ではないかと思いますが、スリランカの人々の生活についてはほとんど何も知らないし、まして子どもの視点から書かれたものを読むことはないので、とても貴重な本だと感じました。なんといっても絵が素晴らしいです。料理の仕方について書かれたところや、縄をなうくだりなど、生活のこまごまとしたところが描かれているのがじつに面白い。悪魔が登場するところは、子どもの頃、祖母から、早く寝ないと山の向こうから何かが僕を連れにやってくるよ、と言われたのを思い出しました。子どもにとっては、怪異なものってずっと身近に感じられるような気がしますが、スリランカの子どもも同じなのかと。ただ、こういう楽しみ方っていうのは、こちらがある程度大人になっているからで、そういう面では、子どもが読むのではなく、大人が読んでおもしろい本ではないかと思います。

優李:子どもの目から見た自分のまわりの世界が、生き生きと詳しく描かれていたので、とてもおもしろかった。かなり裕福な環境で、身近な大人によって「悪意」というものが遠ざけられ、護られていることがよくわかり、そのような環境で育てられることが、自分の個性を生かして自立することを促すのかなあ、などと考えさせられました。ただその一方で、当時のスリランカには大勢のもっと貧しい人々もいたはずなので、そういう人たちの生活はどうだったのだろう、と思いました。そのようなことを知る手がかりになるような資料も、あれば読んでみたい。ここに出てくる大人たちは、みんな素朴で個性豊か。自分の生き方を取り繕うことなどしないで、ありのままの感情を表現して生きている。子どもに対するお母さんの生き方もとても魅力的です。「物売り」の人たちが村にやってくる場面など、昔の日本にもあった「お楽しみ」が本当におもしろかったので、そういう意味でも大人が読むものかも、と思いました。

うさこ:主人公が6歳の記憶を鮮明に描いた記録集。エッセイとはちょっと違うかな。章のタイトルの入れ方が、一編の詩のような感じがして、このあたりの「作り」がおもしろいなあ、と。その家の独特な暮らしとか独特の儀式がとてもおもしろかった。文章はわりと単調だったが、いろいろな想像が膨らんで興味深く読めた。幼い頃は住んでいるところがその子の世界のすべて。その場所や時間を離れて、時間がたって振り返ってみると、その時の日常はまるで別世界のできごとに思える。そこがあって今の自分がある。当時の記憶をここまで鮮明に覚えているのかともちょっと疑問だったが、これはこの人の「作品」として読めばいいんだと思った。

アカシア:小さいときに本当に守られていた子どもの物語ですね。まわりには、守られていない子どももいっぱいいたのでしょうけど、そういう子とは違う。守られていた子どもこそ感受性が強くなり、物語が書けるようになるのかもしれませんね。私はこの作家の『かさどろぼう』(猪熊葉子訳 徳間書店)がとても好きなんですけど、ああした絵本と違ってこの本の挿絵は、リアルなものと漫画風のものが混在していますね。209ページの絵なんか、ひとりだけブタさんみたいな鼻の人がいますよ。そういう部分をふくめておもしろいことはおもしろいんですが、山あり谷ありのストーリーではないから、普通の子どもは読まないかもしれません。好きな子どもは読むでしょうけど。

レン:そうですね。守られているけれど、管理されているわけではな。今の子どもたちの守られ方と違うんですよね。

アカシア:今の過保護な子どもたちは守られているとはいわないでしょう。

レン:スリランカは長く内戦で、たいへんな時代があったから、作者はこういうものを書いたのかもしれませんね。

アカザ:子どもの本はこうあるべき、ということで書いたのかな。身分の差はあったのかもしれないけど、この子の身のまわりには見えなかったのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


2011年05月 テーマ:戦争の残したもの

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『2011年05月 テーマ:戦争の残したもの』
日付 2011年5月11日
参加者 酉三、優李、メリーさん、ナットウ、タビラコ、シア、プルメリア、ハリネズミ、ジラフ、ダンテス、けろけろ
テーマ 戦争の残したもの

読んだ本:

朽木祥『彼岸花はきつねのかんざし』
『彼岸花はきつねのかんざし』
朽木祥/著 ささめやゆき/絵
学習研究社
2008.01

版元語録:也子の前に現れたかわいい子ぎつね。「あたしに化かされたい?」ときかれた也子はとっさに、「ぜんぜん」と答えてしまう。段々とかけがえのない存在になっていく、也子と子ぎつね。だが、あの夏、あの恐ろしい爆弾が落とされた……。
カニグズバーグ『ムーンレディの記憶』
『ムーンレディの記憶』
原題:THE MYSTERIOUS EDGE OF THE HEROIC WORLD by E.L. Konigsburg, 2007
E.L.カニグズバーグ/著 金原瑞人/訳
岩波書店
2008.01

版元語録:転校生のアメディオは、ウィリアムといっしょに風変わりなゼンダー夫人の豪邸で家財処分を手伝ううち、一枚のヌード画を発見する。モディリアーニの絵だ。ところがその絵には、自分たちにつながる意外な過去の真実、ある英雄の存在が隠されていた。ニューベリー賞作家の本領が発揮された、心の謎に迫るダイナミックな物語。
マイケル・モーパーゴ『モーツァルトはおことわり』さくまゆみこ訳
『モーツァルトはおことわり』
原題:THE MOZART QUESTION by Michael Morpurgo, 2007
マイケル・モーパーゴ/作 マイケル・フォアマン/絵 さくまゆみこ/訳
岩崎書店
2010.07

版元語録:「ひとつの物語を話してあげよう——」世界的に有名なバイオリニストのパオロ・レヴィの秘密はかつてナチスの強制収容所でくり返された悲しい記憶とつながっていた。美しい水の都、イタリア・ヴェニスを舞台に描かれた人間のたましいふれる物語。

(さらに…)

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モーツァルトはおことわり

マイケル・モーパーゴ『モーツァルトはおことわり』さくまゆみこ訳
『モーツァルトはおことわり』
マイケル・モーパーゴ/作 マイケル・フォアマン/絵 さくまゆみこ/訳
岩崎書店
2010.07

ダンテス:とっても気に入りました。素敵な作品です。いいお話でした。絵も美しくて楽しめました。モーツァルトの音楽が、強制収容所の囚人たちをだますために使われていたということをはじめて知りました。

酉三:文句なしによかった。これを最初に読んだから、後の2作の評価が辛くなったという気すらします。戦争とは何だったか、ユダヤ人虐殺とは何だったか、それがその後も人々にどんな心の傷を残したか、そういったことを若い人に無理なく伝えてゆく作品になっている。それにしても、これから殺されようという人たちに最後の音楽としてモーツァルトを聞かせるというドイツ人の残酷さ。ユダヤ人たちに「いつかは自由になれる」という歌を歌わせたということもあったそうで、ほとんど悪魔的。恐ろしいですね。

優李:絵も優しくて魅力的、訳もたいへんいいと思います。感動がしみじみと伝わってきました。YAだと対象は中学生くらいですが六年生にはぜひすすめたいです。

メリーさん:この本は、東日本大震災前とその後では読んだ感想が変わるなと感じました。大災害にあったときに、文化は何ができるか。すぐに腹の足しにはならない芸術、文化。だけど、それにはきちんと役割があるのだと再認識した本でした。32ページの「音楽はすばらしい世界をつくるのに役立っている」という言葉はまさにそのとおりだと思います。ただ、それは生きる糧であっても、それを生きる術にするということについては考えなければならないことだと思いました。本の帯文には、「音楽で戦い」とありますが、バイオリニストらは、音楽を武器にしてしまったことを悔やんでいたのではないかと思います。本来は純粋に鑑賞すべきものを、他人を蹴落とし自分が生き延びる「武器」にしてしまった。もちろんそれは仕方ないことだったでしょうが、だからこそ戦後はそうしてはいけないと思ったのでは。それにしても、物語と絵がぴったりとあってとてもいい本だと思います。絵本と読み物の中間であるこの形は、今なかなかないと思いますが、原書はどうだったのかも気になりました。

ナットウ:お父さんの理容室の仕事をしている時のリズムが印象的。音楽が好きな気持ちがよく表現されていると思いました。インタビューするタイミングがよかったのだなと理由も自然に納得できます。強制収容所に連れていかれた人たちや3人の追悼の為にもひそかにモーツァルトの演奏の練習をしたのだろうと思って涙が出ました。裏表紙のベニスの日の出が印象的です。ベニスの日の出と共に描かれたユダヤ人の姿を見て、明るい未来、明日を願っているように感じました。

けろけろ:この本は、YAくらいの読者が向いていますね。でも、売ることを考えると、この体裁でYAって、棚の置場には困るかもしれません。でも、絵がいいので、こういう大きさで見たいですよね。一瞬インパクトに欠けるような絵に見えますが、いい味を出している絵だということがわかりますね。37ページ「秘密は嘘なんだよ。愛している人達に嘘をついてはいけない」と、お父さんが子どもパオロに言うシーンと、冒頭のインタビューで「秘密は嘘になる」と言った大人パオロのシーンが生きていてとてもいいと思いました。ひとつ気になったのは、32ページの後ろから3行目「ぼくが持ってきたバイオリン」のところ。ここと、このあとのもう一か所だけ、「ぼく」と訳されています。「わたし」のほうがいいのかどうか。どちらがいいか、よくわかりませんが、訳すのが難しかっただろうと思いました。

タビラコ:本当に一人称の訳しかたって、難しいですよね。英語みたいに「I」だけで片付けられれば、どんなにかいいのに! 「わたし」と「ぼく」、「ぼく」と「おれ」の中間の言葉が無いものかと、いつも思います。この作品は、とてもよかった! モーパーゴの作品は邦訳もたくさん出ているけれど、どうもいまひとつ詰めが甘いという感じですが、この作品はちがいました。モーパーゴって、本人もすごく「いい人」で、ダブリンで小さなグループに自作の近未来を描いた短編を朗読してくれたことがありましたが、得体のしれない軍隊にのどかな村全体が滅ぼされてしまうという、その話を読みながら手放しで号泣していました。そういう人柄のよさと、ストーリーの作り方の上手さが、よく出ている作品だと思います。翻訳の上手さは言うまでもないことですが、語り手によって敬体と常体を使い分けたり、字体を変えたりしているところも、さすがだと思いました。音楽って理性ではなく感性に訴えるもので、天使と悪魔の両面がある。その両面がくっきりと描きわけられていますね。わたしはフォアマンの絵のなんともいえない青と、オレンジがかった赤が好きですが、この本の中ではヴェネチアの場面にその素晴らしい青と赤が使われていて、うちの中は暖かい茶色で描かれている。反対に強制収容所は、グレーと陰鬱な茶で見事に描きわけられていますね。私はモーツァルトの作品が好きでよく聴いていますが、この作品を読んだあとは前と同じようには聴けなくなりました。それほどインパクトの強い作品でした。

シア:青い色彩がとにかく美しくて、一番先に読みました。今回の3冊の中では、完全に雰囲気勝ちしてますね。このサイズだと棚に置きにくいかもしれないけれど、子どもには目につきやすい上に、サッと手にとって見やすいサイズだと思うので、現在公共図書館で人気があって予約できないのもうなずけます。ぜひ子どもに読んでほしい作品ですね。絵本のような装丁のわりには大人も子どもも、そしてプライドが高い子も読みやすい作品です。話の内容も正統派だし、完全なる優等生的な作品だと思います。誰からも気に入られるいい子ですね。物語もストレートでわかりやすいですし、戦争の爪痕についてもわかりやすいし、飽きないし、音楽の持つ力を感じられたし、最後にはジーンときますね。しかし、あえていうならば、値段が少し高いかもしれません。戦争の本はどんなに読んでも、どうしてもこれまで他人事だったけれど、震災後の今、ぜひ読んで欲しい1冊です。

プルメリア:夏休みに題名を見て、いいネーミングの本だなと思いました。挿絵がとても素敵でヴェネチアに行ったことがあるのであのへんかなとわかりました。文章もわかりやすく現代・過去・現代の構成もいいです。中野区立図書館ではYAになっていますが、小学6年生ぐらいだとわかるんじゃないかな。学級でユダヤ人について説明し、ヴェネチアの場所を地図帳で探すなどの補足をして読み聞かせをしました。本文では下のほうに描かれているユダヤ人の挿絵が、裏表紙では空の上のほうに描かれていることに気づいた子どもが「ユダヤの人たちは天国に行けてよかったね」と言っていました。子どもの見方は面白いなと思いました。防衛省関係の子どもがいるのでナチスの問題は大丈夫かと心配でしたが、大丈夫でした。厚着の人と薄着の人が38〜39ページの挿絵にまじっていたので、季節について聞かれ、少し返答に困りました。

ハリネズミ:これは、原書は横書きでもっと判型ももう少し小さかったと思います。ホロコーストものはいろいろ出ていますが、知っておく必要があると思う一方で、今イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽する結果になるのではないかと危惧したりもします。でも、この作品は、人間そのものを深く見つめているように思って、私は好きです。

ジラフ:わたしヴェネツィアが大好きで、実は3月の震災直後に行く予定だったんです。ところが、帰国便が不確定になったりして、旅行は延期したのですが、以前、1度訪れたときに何より惹かれたのが、ヴェネツィアの虚構性でした。路地が迷路のように入り組んでいて、いつも迷子になっているみたいで。いつか海に沈んでしまう、という運命を背負っていることも、この町の芝居がかった雰囲気と関係しているのかもしれません。自分自身にそんな思い入れがあったので、回想のスタイルで語られるこの物語の舞台として、ヴェネツィアの町がすごく生きていると感じました。挿絵もよくて、月明かりに照らされた運河のブルーなどは、いまにも水音が聴こえてきそうな気がしました。モーツァルトがこんな風に利用されていたことは初めて知りましたが、芸術には人の心を揺さぶる力があるので、よくも悪くも使うことがきます。おしまい近くではっとしたのが、隠してあったヴァイオリンが、実はお母さんのものだった、というところです。わたしはずっと、お父さんのヴァイオリンだと思い込んで読み進めていました。戦争とは、そして人間とは、まったく一筋縄ではいかないものだ、とおもしろく思いました。ほんとうにきれいな本で、たて書きなのに、こんなにふんだんに挿絵が入っていて、原書はどんなかな、と想像するのも楽しかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


ムーンレディの記憶

カニグズバーグ『ムーンレディの記憶』
『ムーンレディの記憶』
E.L.カニグズバーグ/著 金原瑞人/訳
岩波書店
2008.01

プルメリア:大変おもしろく読みました。表紙も気に入りました。登場人物は数名で性格がわかりやすく、女性3人の個性は一人一人違い、それがおもしろかったです。ゼンダー夫人の家の中がゴージャスで、着ている洋服のファッションの印象が強い。モディリアーニの絵が出てきますが、とても気になって一気に読みました。4つの時代について分かれて書かれているのが、さすがカニグズバーグはすごいなと思いました。

タビラコ:プルメリアさんが違う本のことを話していると思ったのでは、シアさん?

シア:訳がいまいちなのか、読むのに苦労しました。前ふりが長すぎます。肝心のモディリアーニの絵が出てくるのが、かなり後。どうでもいい描写というのがだらだら続きます。海外の作家にはよくありますが、それにもまして訳がよくないように感じました。主人公の口癖に「断然」というのがありますが、今の子も言わないと思います。文化の違いを楽しめるというところに海外文学のおもしろさがありますが、この本はおもしろくありません。例えば、69ページに「食器室から出て手をのばし、皿を受け取った」うんぬんとあります。大きい部屋なのに、出て手を伸ばして受け取れるのでしょうか? 位置関係がわかりにくいですね。金原瑞人さんにしては珍しいことに、あとがきに前半部分のあらすじが書かれており、それを読んで内容がよくわかりました。そういうつまらないことが気になってしまうくらい、物語に入っていけない本でした。

タビラコ:『スカイラー通り19番地』(カニグズバーグ/著、金原瑞人/訳、岩波書店)は、読みやすかったのにね。この本が出る直前に、作者が講演の中で内容について話すのを聞いていたので、とても期待して読んだのですが、読みにくくて、なかなか物語の世界に入っていけませんでした。いろいろな人の視点から書いているからかしら? カニグズバーグという作家は、いつも頭のいい読者に向けて書いていて、「子どもだからこういうことは難しい、だから書かないでおこう」というような妥協を一切しない人なのだなと、つくづく思いました。そういう点は天晴れというか、ある意味、好感が持てるのだけれど。
翻訳も難しいでしょうね。ウィリアムの母親の「そうなの」という口癖や、アメディオがくりかえす「断然」という言葉など、英語圏の読者には「ああ、こういう口癖の人だったら、こういう性格だろう」って、すぐにわかるでしょうけれど。29ページの「ゼンダーさんじゃないですよね」「そうなの、違うわ」という会話など、一瞬「訳、まちがえたの?」と思ってしまいました。それから、130ページに「コラードグリーン」という野菜が出てきますが、これはいわゆるソウルフードで、『被差別の食卓』(上原善広/著、新潮選書)によれば差別されていた人たちが食べる食材であって、わたしのささやかな経験からいえば、これを食べるとか食べないということに関してアメリカの人たちには微妙な心の揺れがあるようなのですが、そのあたりのニュアンスも日本の読者にはわからないですよね。翻訳ものの難しい点だと思います。料理の仕方にもよるでしょうけど、私が食べたのは、小松菜の煮びたしみたいでしたが、すーっごくまずかった! この作品は、内容からいえば80歳を前にした作者が「スカイラー通り」よりずっと書きたかったことではないかと思うし、訳者の金原さんがあとがきで言っているとおり、心から拍手をおくりたいのだけれど……。

けろけろ:私は、カニグズバーグが好きなので、喜んで読みました。ただ確かに入りにくいなということはあった。最初のところで、ウィリアムとアメディオの関係がつかみづらかった。おそらく地の文が、一人称っぽかったり三人称っぽかったりして、安定していないというのも理由のひとつかと思いました。「スカイラー通り」と人物が重なっているとあとがきに書いてあり、そうだったっけ? と、読みなおしてみたりして、また楽しめました。そっか、ピーターさんは、ここでもいいやつだったっけなと。ピーターをはじめ、カニグズバーグの作品は、大人の個性がそれぞれきちんと描かれている。このへんは、日本の作品にとても参考になるんじゃないかと思いました。

ナットウ:すみません。理解しよう理解しようと思いながら2回読みましたが、なかなか頭に入らなかったです。ただ、大人の日常会話が上手いなと思いました。ゼンダー夫人はキャラクターがたっていてすごくよかったので、この人物のその後が知りたいと思いました。大きな展開は少ないのだけれど、出てくる言葉がよかったです、特に「人は十パーセントしか見えていない」という言葉は素敵。

メリーさん:カニグズバーグということで期待しながら読みました。伏線をはりめぐらせながら、結末まで持っていくストーリーの運び方が秀逸だと思いました。主人公は、有名になりたいわけではなく「発見されて初めて行方不明だったことにみんなが気づく」ことを発見をしたいという、同年齢の子どもの一歩先をいっているようなキャラクターなので、特に本好きの子どもたちが共感するのではないかと思いました。モディリアーニのファーストネームは、主人公と同じ「アメディオ」なんですね。ジョン・ヴァンダークールの手記で描かれる戦時中の記憶が、現実の絵や住人と重なっていくラストは鮮やかだと思います。一枚の絵画によって命拾いをした人がいる一方で、それによって命を奪われた人もいる。それ以上に、生きる希望としての芸術というものもあるのではないかと考えました。文中、美術展での1枚の絵を鑑賞する時間は45秒ということが書いてありましたが、これもおもしろい。実際はもっと短い気がしますが。絵を見るということは、時間を追体験することだと思います。モデルになった人がいて、描いた人がいて、それを見て感じる人がいる。大人になっても、この想像力を働かせるということを続けてほしいなと思いました。

優李:「断然」が、きっとインパクトある言葉としてたくさん使われているのだろうけれど、日本語としてしっくりこないので、読んでいる途中でかなりひっかかります。でも、筋立てにどんどん引き込まれて、引っかかる部分は、はしょって読みました。今使われている日本語で、しかもぴったりくることばに訳すということは、ずいぶん難しいことなのだとわかりました。大人が際立ってる、とおっしゃった方がいましたが、アメディオやウィリアムが利発なニュアンスのわかる子として描いてあるのに、アメディオとウィリアムのお母さんがもっとたくさん描かれてもいいと思いました。非常によいセンスとさまざまな人間と関係を築くことのできる力を併せ持つウィリアムのお母さんはともかくとして、アメディオのお母さんは、脇役としてもパターン化している。ピーターのお母さんが、後半の後半、自分をはっきり出す、という方向にキャラクターが変わっていくように、アメディオのお母さんももう少し描かれてもいいのでは、と思いました。物語の前段は後半に較べてちょっと長い印象でした。

酉三:カニグズバーグはユダヤ系ですよね。これまでの作品ではそのことを感じさせることはしないようにしてきたように思いますが(いくつか読んだ限りの印象ですが)、今回はいわば民族の悲劇をとりあげた。中心をなすストーリーはまことに劇的でひきつけるものがある。が、そのストーリーを語ることに気をとられて、物語のリアリティを生む細部が充分描かれていない。気持ちはわかるような気がするんだけど、それが残念です。

ダンテス:私は描写が大変に細かくてみごとだと思いました。フロリダなどのケバエの描写や、プール付きの家など実際に行かないとわからないようなアメリカの描写が丁寧。アメディオの母親は脇役。ガレージセールの話ですけど、ローカル新聞には 毎週どこどこでガレージセールがあると出ています。金曜・土曜にあるのが高級ガレージセール。金曜日に行くと普通は入れない大きなお屋敷に入れる、そういうことで自分は行ったことがあるので、大体イメージできました。いいものは先に業者がつばをつけている。そういう業界に関しても、すごくリアルに書かれている。物の価値がわかる人を評価しているのでウィリアムの母親はすごい。『クローディアの秘密』(カニグスバーグ/著、松永ふみ子/訳、岩波少年文庫など)は 印象的な作品でした。ミケランジェロの作品であるかどうかとか、本物を見つける話とかの話で、メトロポリタン美術館に持っていって読みました。 モディリアーニの「g」は本当は発音しないのではなくてイタリア語の独特の音があるのだが、アメリカ人にとっては「g」は読まないように見えるわけで、それを発音する業者をからかっている点も面白い。元オペラ歌手という人物設定、キュレーターという人物も面白かったです。ヒトラーの退廃芸術に対する本心の態度については予備知識がないのでわかりませんでした。『古書の来歴』(ジュラルディン・ブルックス/著、森嶋マリ/訳、武田ランダムハウスジャパン)という本がありますが、ナチスがユダヤの本を取り上げようとしてそれに命がけで抵抗する話なんです。それも連想しました。ヒトラーは他国から芸術作品を強奪してきて実は自分のものにしたかったのか、退廃しているからこの世から消そうとしていたのか、本心がよくわかりませんでした。「断然」という訳については、私も気になります。

けろけろ:外国の作品はむかしから、訳語を見て、どんなニュアンスで使われている言葉なのだろう?とわからないながら読んでいることが多いですよね。そういうものだと思って読んでいるところがある。

ジラフ:ヒトラーの美術品に対する複雑な態度は、若いころに画家志望でありながら、美大に落ちて画家になれなかったという、深い挫折感が関係しているのでは。それと、ヒトラーの民衆を煽動する才能、プロパガンダのうまさには天性のものがあったことは、よく知られています。美術、それもモダンアートという象徴的な力を持つものに、「退廃芸術」というレッテルを貼って、おとしめることでの効果を、ヒトラーは直感的に熟知していたんじゃないでしょうか。好き嫌いというよりも、一種の政治的なポーズだったのでは。その意味では、カニグズバーグ自身も戦争の影を描くのに、一枚の絵というモチーフをうまく使っていると思います。『クローディアの秘密』も『ジョコンダ夫人の肖像』(カニグズバーグ/著、松永ふみ子/訳、岩波書店)もそうでしたが、芸術作品とその謎をライトモチーフに物語を進めていくうまさ。これもカニグズバーグの持ち味だと思います。本筋とは関係ないですが、95ページの「だけど、だれかと友だちになるときはいつも、じぶんの一部をさらけ出すんじゃない?」とか、266ページの「境界は人をあざむくこともあれば、人を救うこともある」なんていう、人生の箴言みたいなことばをさりげなく、会話の中にすべりこませているところも、カニグズバーグらしいな、と思いました。

ハリネズミ:私は訳にどうもひっかかっちゃうんですね。カニグズバーグはそう簡単に翻訳できない人だと思うんです。日本の子どもたちにもイメージがわくように補ったり、微妙なニュアンスを読み解いたりしないと訳せない。たぶん原文では、暮らし方や話し方でこういう人物だと伝えてるんだと思うんですけど、それがうまくこっちまで伝わってこない。だから頭には届くけど、心まで届かないもどかしさがあります。私は、16ページの4行目「この日は〜思っていた」のところでなぜその人が電話線を切らなきゃいけなかったのかわからなかったんですね。89ページでピーターが封書を開けたとたん、の描写も分りにくい、物語のポイント、ポイントに焦点が当たるようになっていない気がしたんです。たしかに訳はむずかしいでしょうね。アマゾンで原書の最初のところを読むと、日本語でケバエってなってるのはlovebugなんですね。交尾している虫が出て来てアメディオは気になっていますが、lovebugは単なる虫の種類を言ってるだけじゃない。英語を読んだほうがきっとうまくつながっていくんでしょうね。

けろけろ:電話線のところは洒落じゃないかな。母親は密かにこの男が電話線を切ったように思った。というのは、共同出資したくなるように仕向けたのでは。相手にも出したいと思うのではないか。ん?よくわからないかも。読み飛ばしていたのかな?(笑)

ダンテス:アメリカの電話会社は、AT&T以外にもいろいろあって激しい競争をしている。自分の会社の携帯では通じない地域にセールスに入ってそこで通じるようにしたら、また引っ越していくという家族なんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


彼岸花はきつねのかんざし

朽木祥『彼岸花はきつねのかんざし』
『彼岸花はきつねのかんざし』
朽木祥/著 ささめやゆき/絵
学習研究社
2008.01

酉三:広島原爆とキツネの話がしっくりいっていないと思いました。木に竹を接いでいる感じ。被爆二世として、原爆のことを若い人に伝えていこうという思いはわかるけれど。このテーマに再度挑戦してほしいと思いますね。

優李:原爆を描くのはなかなか難しいことですね。也子ときつねの子とのさまざまな関わりが深まっていくのを楽しみながら読みすすめていくと、本当に最後に、という感じで原爆がやってくる。私のように年を取った人には、原爆についてのたくさんの予備知識がありますが、全く知らない子どもたちにはわからないのではないか、とも思いました。ささめやゆきさんの絵は、とてもすてきでいいなあ、と思います。

メリーさん:テーマは戦争との関わりということでしたが、あまりそれを気にせずに読みました。あたたかい感じのする方言がきいていたと思います。子ぎつねがかわいいし、主人公の女の子がきつねに見つからないようにとえくぼを隠すのもかわいらしい。そんな中で、通奏低音のように、戦争が背景になっていて、じわじわと感じさせるところがこの本のいいところではないかと思いました。子どもの本のジャンルの中には、これまでずっと戦争と子どもとの関わりという部分があって、戦争の悲惨さを説くことが多い気がしますが、これは日常を丁寧に描くことで、逆に戦争を浮き彫りにしているのではないかと思いました。そんなことからも、『夕凪の街 桜の国』(こうの史代/著、双葉社)を思い出しました。あのコミックも、戦時中ながら、明るくちょっぴりぬけたキャラクターを中心に描かれていて、戦争という非日常の中で、たくましく生きていく人々を描いていました。そんな対比がこの物語にも出ているのではないかと思いました。

ナットウ:言葉が統一されていないので、雑多な感じがありました。たとえば72ページの地の文と会話文での、小さい/こまい。方言が多いので子ども向けの場合だと読みづらいかなと思いました。全体的に哀愁ただよう作品で、ラストは狐がどうなったか気になります。化かす/化かされるという行動の結末についても知りたいと思って読んでいましたが、それを原爆がうやむやにしてしまう。そこにリアルな当時の現状を反映させているように思いました。同じヒガンバナ科に「キツネのかみそり」というものもあります。彼岸花は死人花とも言われているので、手向けの意味で彼岸花を用い、狐の死を表現しているのかなと思いました。

タビラコ:朽木さんは『風の靴』(講談社)のような作品より、『かはたれ』(福音館書店)など、日本の風土に根差した作品のほうが、ずっと上手だと思いました。詩的な文章も奥深かったし、ささめやさんの絵も物語を一段と引き立てていますね。きつねの子のかわいいことといったら! ただ、原爆が天災と同じように描かれていて、遠くの風景のように感じられたのですが……。もちろん、主人公の家で働いているおじいさんは亡くなったし、主人公もガラスのかけらで怪我をしていますけれどね。小学生のときに『原爆の子』や『ひめゆりの塔』を見て、第五福竜丸の事件もリアルタイムで知っている私などの世代としては、正直言ってなにか物足りない感じもしました。とはいえ、「戦争もの」に拒否反応を示す子どもたちも少なからずいるということを、この読書会でもよく耳にしますし。今の子どもたちに戦争をどうやって伝えたらいいか、いろいろな手立てを考えるのが大人たちの使命だと、つくづく感じさせられました。

シア:非常に気に入りました。すごく印象の強い一冊です。今回は『ムーンレディの記憶』で一度挫折してから読んだ本なので、特にそう感じました。表紙のイメージだと、自然や田舎に関する内容のように思えますが、中を開くと戦争に関する記述が目に飛び込んできたので、よくある戦争の本かなと思いました。子どもは日々そういうものを押しつけられている(とくに夏には)ので、戦争ものは拒絶されがちですね。でも、そんな中で、この本はすらすら読めます。訛りや戦時中の言葉を、同じページ内の注に入れているのが便利でしたね。大人の本のように、何度も後ろのページを開く必要がありません。この注の入れ方は、どんどん取り入れて欲しいですね。ただ、広島弁については、もう少し注を入れてもいいかなと思いましたが、方言自体はかわいいなと感じながら読みました。
 とにかくこの本は子ぎつねがかわいくて、29ページのセリフから心をわしづかみにされました。物語というのは、かわいい・楽しいばかりのストーリー進行だと、話の流れは徐々にかわいそうな方向へ流れていくものなので、ページをめくっていくのが、逆につらくなりました。いもとようこさんが絵を描かれた『そばのはなさいたひ』(こわせたまみ/著、佼成出版社)という絵本があるのですが、この物語も登場人物がとてもかわいらしかったのを思い出しました。『そばのはなさいたひ』ではラストでかわいい登場人物が死んでしまうのがつらかったのですが、今回の本では子ぎつねの消息がわからずに終わっています。そこが違いですね。周囲の登場人物たちがどうなったのかわからない、というのが戦争のリアルさを表しているように感じ、日本にとって身近な悲惨さを表しているように思いました。本の裏表紙に学年別表示が「中学年から」とありますが、高校生にもすすめられる作品だと思います。しかし、学年表示があると、読者を限定してしまうのでよくないと感じます。保護者や教員が、子どもっぽい本だと決め付けてしまい、避けてしまいます。どうしても表示したいのでしたら、「〜おとなまで」をつけた方がいいのではないでしょうか。絵本は最近では全年齢扱いになってきましたが、まだまだ教育界での本への偏見は根強く、名作以外の本、とくに児童向け作品は選定から落ちやすい状況です。「3歳から100歳まで」とかにしたらまだいいかも?

プルメリア:きつねがかわいいなと思いました。開けてみて、戦争・彼岸花。各章ごとに必ず挿絵が入っているのが印象に残りました。物語にいろいろな植物がたくさん入っているので、季節感があり田舎の自然がわかりやすかったです。だんだんと戦争に入っていく雰囲気、当時の人々の様子や生活が子どもにもわかりやすく書かれています。戦争の本はたくさんありますが、自然体の本かな。この作品を読んだ子どもの反応は「きつねがかわいかった」でした。今年から教科書が変わって本の紹介がたくさん出ています。この作品は光村図書4年生の「ひとつの花」の後に紹介される本の1冊です。少しずつ戦争色が表れてくる内容なので、戦争を知らないこどもたちには最初から「この本は戦争の本だよ」といって与えたほうが、いいかも。戦争についての作品だとわかっていながら読めば、きつねだけに印象が偏らないと思います。

ハリネズミ:戦争の取り上げ方についての意見がありましたが、最初から「戦争の本だよ」というと嫌がって読まない子も多いかもしれません。でも、言わないと、戦争のことだとわからなくて、きつねの印象だけが強く残ってしまうんでしょうか。難しいですね。

プルメリア:さっきの子は、挿絵がかわいいきつねに視点がいってしまったんだと思います。ただ、これから後になって戦争について学習したときに、「あの本は戦争があった頃のことが書かれていたんだ」と思い出すかも知れないので、その時に気づけばいいのではないかと思います。

ダンテス:昔のお金 持ちの、ほんわかした雰囲気がよく書けている。自分の地元の言葉を生かして書いているのでしょう。きつねがどうなったかわからない形で終わらせるのが、会いたいのに会えないという余韻を残している。被爆の体験も 直接は書いていない。またきつねに会いたいなという終わり方はうまいと思います。

ハリネズミ:この本は好きな一冊です。こういう形で出していけば、子どもが戦争に拒否反応をおこさないで受け入れられるのではないかと思いました。この著者の文章が私は好きなんですが、子どもの気持ちをよくすくいあげていると思います。きつねのかわいさも子どもをひきつけるし。通奏低音は切ないのですが、大きな死はなく、日常を淡々と書いているのがいい。おばあちゃんきつねは、人間のおばあちゃん、おかあさんきつねは人間のお母さん、子ぎつねは人間の子どもの前に現れるんですけど、きつねの寿命と人間の寿命は違うので、リアリティを考えると変だな、と思いました。きつねの寿命のほうがずっと短いですよね

けろけろ:この本の担当編集者として、みなさんのお話をうかがいました。まずは、読んでくださってありがとうございました。
 朽木さんは、プロフィールに被爆二世と書かれていることからもわかるように、原爆というテーマについて、ぜひ作品を書きたいというお気持ちがあったと思います。『はだしのゲン』(中沢啓治著、汐文社など)が怖くて読めない、という今の子どもたちに読んでもらえる話にするには、どうしたらいいかと、いつも考えられていたのではないでしょうか。そして、自分のいちばん近くにいる家族やペット、友人、当たり前のようにあった日常が突然、ぶつっと切られてしまうということを表現しようと考えたのだと思います。これなら、今の読者にも簡単に想像できることです。原爆で引き起こされる悲惨な表現よりも、こちらに集中しようと。それに対する大人の読者からの「表現がたりない」というような批判も、覚悟の上だったと思います。
 もちろん、著者の持ち味である端正なファンタジー世界も、生き生きと描かれています。作品の生まれるきっかけは、子ぎつねが「あたしわりあい化かすのうまいんだよ、化かされたい?」と話しかけてきたことと聞きました。ささめやゆきさんの子ぎつねの絵が入って、この作品世界がとても絵画的であることが改めてわかりました。とてもいい絵をいただいたと思います。
制作の過程で注意したのは、原爆の話だよというインフォメーションを少しずつ織り交ぜたことです。また、広島弁については、著者はとても苦労されました。話し言葉をそのまま書くと、文面が読み取りにくくなるので、かなり音読して読み返し、書き直されています。
今回の震災のとき、窓ガラスがひどく揺れて割れそうになったのを見て、私の娘は「彼岸花」の原爆のシーンで、主人公の腕にたくさんガラスがささった場面を思い出したと言っていました。原爆のすべてをこの作品でわからなくても、成長しながら少しずつ思い出したり、思い当たったり、原爆についてもっと深く知りたいと思ってもらえるようになっていってくれたら、うれしいと思います。

酉三:被爆体験が届かない、と嘆くのではなく、届かせようと工夫するのは大事。たしかに被爆の現実は強烈で、うちの子は、小学校2年生のときに長崎原爆資料館に連れて行ったのですが、写真や資料にショックを受けて、展示室を飛び出して行ってしまった。だからこういうことへの最初の出会いをゆるやかなところから始めるというのは、考えていいのかもしれないですね。

タビラコ:けろけろさんのお話を聞いて、感動しました。作者と編集者のこの作品にこめた思いが、よくわかった気がします。わたしの読み方が浅かったかな。それに、震災の前と後とでは、子どもたちの読み方も変わってくるのではないかと思いました。より主人公の心に寄り添って読めるようになったのではないかな……と。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)